パリへの連帯声明
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この夏7月26日より、三度目のパリでのオリンピックが開催される。過去・未来のオリンピック開催都市の住民である私たちは、イベントのさまざまな悪影響を被るパリの住民たち、とりわけ貧困層、人種化された人々、移民、住居を持たない人々への連帯を表明する。
あらゆるオリンピック開催都市で、排除・強制退去の対象となったコミュニティを私たちは目にしてきた。都市の「美化」のために脆弱な人々が監視・投獄されるのも、私たちは目にしてきた。パリも例外ではない。オリンピックが近づくにつれ、警察は移民キャンプの撤去を強化し、バスに詰め込まれた人々がフランスの地方へと移動させられた。こうした人々は、依拠していたネットワークやサービスから遠ざけられる。フランス国家警察のこうした活動は、東京の明治公園や宮下公園、2022年にロサンゼルスで行われたスーパーボール直前にイングルウッドのテント村で起きた強制退去、およびリオ、ロンドン、バンクーバー、アトランタ、シドニー他の路上で生活する人々の排除を思い出させるものだ。サン・ドニおよびサントゥアンの貧しい人々も、パリ五輪の巨大な選手村によって高まった排除の圧力に直面して久しい。こうした地区の不動産価格が選手村建設によって高騰しているからだ。
オリンピックの影響を不釣り合いに被るのは、つねに特定のコミュニティである。しかしオリンピックによる土地収奪で失われた緑地は、あらゆるパリジャンにとっての喪失である。破壊されたオーベルヴィリエの労働者菜園から、メディア村建設に伴いその一部がコンクリートに沈んだレールデヴァン公園まで。フランスの政治家たちがオリンピックを口実として個人情報の保護を踏みにじり、取り締まりと監視オペレショーンのためにEUではじめて人工知能の使用を拡大すれば、その影響を被るのはすべてのフランス人である。ド派手な開会式の「安全確保」のために、セーヌ川の周囲と近隣区域に前代未聞の治安維持バリアを設定し、自分たちの住む都市における住民たちの移動の自由が侵害されれば、その影響を受けるのはあらゆるパリジャンである。
フランスの帝国主義が今もって続くタヒチのチョープーでは、組織委員会がオリンピックのサーフィン競技のための審査員用タワー建設を強行した。地元住民の願いが聞き届けられることはなく、珊瑚礁の生態系が危険に晒されることになった。
オリンピックとは、金持ちたちのパーティーの名の下に、政財界の権力者たちが私たちの権利や生活を踏みにじるための道具である。
とにかく金のかかるこのパーティーは、国際オリンピック委員会の宣言とは裏腹に、私たちを分断するナショナリズムの熱狂を呼ぶものでもある。間近に控える大会は、パレスチナの人々、領土および文化に対するジェノサイド的暴力を継続するイスラエルのイメージをスポーツウォッシュするために使用されることになるだろう。その暴力は、私たちの住む各国の政府の資金援助によって可能となっている。収奪、帝国主義、資本主義、警察国家に対する私たちの闘争は、すべて繋がっているのである。
最後に、オリンピックのモットーである「より速く、より高く、より強く」は、より遅く、より「低く」、より弱い人々を貶めるものだ。それは、オリンピックの創設者、ピエール・ド・クーベルタンの能力主義、人種主義、性差別主義、エリート主義的イデオロギーを反映し、再生産するものである。
Saccage 2024およびパリ、サン・ドニ、マルセイユ、タヒチでオリンピックマシーンに抗うあらゆる人々に、私たちは連帯する。あなたたちの闘いは、私たちの闘いだ。そして私たちは、国境を越えたオリンピック反対運動をますます強いものにしていくのだ。
私たちはパリおよび世界のいたるところで起きている強制退去、ジェントリフィケーション、環境破壊、労働者の搾取に「NO」を突きつける。オリンピックはどこにもいらない(NO Olympics Anywhere)。オリンピックを廃止しよう!
7月26日またはその直前に、パリ、東京、ソウル、ロサンゼルスで予定されている行動に参加しよう。あるいは他の都市であなたたちによる連帯イベントを組織しよう。#NOlympicsAnywhere を求め、私たちとともに立ちあがろう。
NOlympics LA
反五輪の会
平昌オリンピック反対連帯
ワサッチ・テナントユニオン(ソルトレイクシティ)
さっぽろオリパラを考える市民の会
オリンピックいらない人たちネットワーク(長野)
オリンピック災害おことわり連絡会(東京)
札幌五輪対策室
持続不可能なオリンピック委員会(ミラノ)
NO JO オリンピック反対(フレンチ・アルプス)
Counter Olympics Network(ロンドン)
Extinction Rebellion Mt-Blanc(モンブラン)
Extinction Rebellion Annecy(アヌシー)
アメリカ民主社会主義者(DSA)ロサンゼルス
Salt Lake Community Mutual Aid
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レストア始めてから丸2年のこの子。
今年の夏こそはガッツリ乗りたいなって思っても、生憎の雨だし、明日からはキャンプだし。
台風はギリ避けれた感じ?
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こないだタホ湖に遊びにいった。夏のタホ、2年前とかに初めていって2回目だけどいいもんですね。行く前はスキーリゾートに夏行ってどうするのかという気持ちだったけど、湖が綺麗で水遊びもできるし、好きならハイキングもできる。結構人は多いのでそういうのが面倒ならもう少し山側に行くと人も少なくて良い。キャンプをしてる人もいるし、自転車を楽しむ人もいる。意外といいものです。
それはさておき、滞在中のある日、朝起きてふとみると車のフロントグラスが見事に割れていてビビった。
滞在先は屋根のないオープンエアな駐車場に車を停めていたわけだけど、日差しで暑くなるのもちょっと嫌かなと思って木陰のスロットに停めることにした。駐車場には20m以上はあるだろう高い木がそこそこ生えていて、その脇なら木陰で暑くなりすぎない。だがどうやらその日の夜に自分の車の脇の木から、まだ若く重みのある松ぼっくりが落下して、それがフロントグラスに激突したのだと思われる。幸いにして助手席側だけど蜘蛛の巣状のヒビがかなり大きく入っている。まじかって感じ。
ここまですごい割れ方をするのは珍しいだろうが、車のフロントグラスにヒビがはいるということはないでもないらしい。走行中に小石などが跳ねてぶつかるのが多いという。そういう小規模のヒビでも放置しているとさまざまな条件(走行中の細かい振動や昼夜の寒暖差など)でヒビが成長して問題になるので対処が必要なのだという。調べるとアメリカでは小規模なものなら修理キットみたいなものが買えて、レジンを埋めるような形で損傷を埋め、ヒビの成長を抑えることができるようだ。が、今回の損傷はそんなので修復できるレベルではないものだ。多分フロントグラスは交換しないといけない。でも今は旅先で、帰るには4時間以上運転しないといけない。どうしよう。
色々考えた結果、まず小規模なヒビを修復する修復キットを買ってきた。レジンの量は全然たりないが、大規模そうなヒビのあたりにレジンを塗りたくった。それでもあんまり足りなかったので、近くのスーパーで大きめのセロハンテープを買ってきてヒビの上から貼ることにした。こういうのは、とにかく帰宅するまでヒビが大きく成長したり問題が起きないようにするための応急処置のつもりでやった。運転席の直進方向の視界にはヒビは(ほとんど)ないので、運転はできる。あと時節柄雨が降ったりしなかったのでワイパーを動かす必要がなかったのは良かった(ワイパーがヒビに干渉して酷いことが起きることは容易に想像されたので)。これでヒビ割れのまま休暇を過ごし、帰り道では無茶な運転は控えてそれほどスピードを出さずに運転し、無事に帰宅できた。といってもまあ応急処置に意味があったのかはあんまりわからない。たかが数日だし、何もしなくてもそんなに急にヒビが大きくなったりはしないような気もする。気休めというか気のせいというかやった気持ちになるための何か、という気もする。
さて帰宅後に車の保険会社に連絡してフロントグラスの交換処置をしてもらうことにした。保険会社にクレームを作ると、保険会社がお勧めする地元の修理業者が色々紹介されるので、うちから近場の一つを選んで予約をする。この辺はスムーズに進んだ。と言ってもなぜか予約システムは連動していないので自分で電話をしないといけなかったけど……と電話をしてみると「ああ、これはあなただけじゃないんだけどね、うちはガラスの修理はやってないんだよ。なんで保険会社のリストに入ってるか知りようもないんだけど、他を当たってね」といった返事であった。おいどうなっているんだ。
保険会社からはシステム上は連携が取れていて修理業者に見積もりが届いていることになっている。なのでそうと言われても修理業者を変えるならシステム上でまず変更しないといけない。が、UIからはなぜか変更ができない。どうなっているんだ。
仕方ないのでサポートに「業者を変更したいができない」とレポートを送ると、サポートからメッセージがきて「変えられるようにしておきました」という。それリロードしてもう一度見てみると、確かに変更可能なUIになっているので、今度は多少遠くてもいいのでリストの一番上を選ぶことにした。それで選び、電話をかけると……「いやうちも衝突事故とかの修理で、ガラス交換はやってないんだよね」と言う。どうなっているんだ。
仕方ないので(またUIからは変更できなくなっていたのでサポートにメッセージを送って再度変更可能なUIにしてもらい)再度業者を変更。今度は事前に検索などをして車のガラス交換業者であることを確認して選んで、それで予約ができた。それからの手続きはスムーズで、そのまま電話した翌日に無事修理となった。こちらが出向く必要もなく、向こうが来てくれて自宅で交換してくれた。保険が効くので自己負担額は$500ほどであった。
ちなみに余談であるが、2個目に予約した業者からは後で電話がかかってきた。その会話で分かったこととして、そこはどうも同じ住所をシェアして複数の業者が入居しているような工場というか作業所みたいなところのようで、自分がかけた先は本来とは違う業者だったようであった。うちに替えてくれたら割引で自己負担額$400で請け負うよ、という謎の割引交渉をされたが、もう予約も済ませてしまったし面倒なので断った。
松ぼっくりでガラスが割れるというのがどれぐらいよくあることなのかはよくわからないが、アメリカの自然側のところに旅行をしたら、あり得ない被害というほどレアではないだろうと思う。交換作業をしてくれた人も、「ああ松ぼっくりね。あるある。俺も経験あるよ」みたいな感じであった。木から落ちるような松ぼっくりは普通、完全に開いて茶色でカラカラに乾燥していて軽いが、確かにたまに緑色で開いておらずずっしりと重いものが道端に落ちていたりする。松ぼっくり自体も日本のよくあるそれよりは数倍大きいので、これがあの高さから落ちてきたらそりゃあガラス割れるわという感じである。人の頭に当たったら結構深刻な怪我になったりするんじゃないか。滅多に起きることではないだろうが。
しかし災難であった。全く自分のせいではないと思うんだけど、これで保険料上がったりするのかなぁ。それだけが心配です。
車のフロントグラスが割れた – Jun Mukai's blog
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Floral Friday #180
先日フランス人の知人と話をたら、週末からバカンスなんだと嬉しそうにしていた。もはや義務なんじゃないかと思うくらい、誰も彼もが家を空けて、どこかにいなくなってしまう。やれ近場の貸別荘だ、今年はピレネーでキャンプのつもり、やっぱりイタリアでしょと、それぞれが車に大量の荷物を詰め込み、あるいはスーツケースをパンパンにして大忙しと言うものだ。
大抵は二週か三週は出かけているから仕事は大変。今年は7月の上旬から取るから8月の仕事は任せておけなんて会話しても、そもそも夏に真面目に仕事をするわけがない。8月の終わりに報告しあって、買った負けたと意味不明な会話が続くのだ。「今年は南仏で過ごす奴が多かったが、あっちは曇ったり降ったりで海は楽しくなかったらしい。その点、地元の海は30度もあって泳ぐのには最高だった。」なんて報告されたことも一度や二度ではない。
フランス在住の日本人だって例外���はない…
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キャンプ
2024.5.20
・
白馬キャンプ参加の申し込みが
スタートしました。
・
前回の夏のダイジェストムービーを観ましたが
昨年は捉えていなかった部分があったことに
気付かされ
1年経ってわかることもあったり🫢
今の私に必要なことが語られたり
そして本当に恵みが大きいキャンプであることを
改めて感じることができました。
・
キャンプのための祈りもスタートしていますが
今回のキャンプに期待して
祈っていきたいと思います!
・
(写真:白馬のホテル。
ちいさーく写るのは10年前の息子。
まだちびっ子。)
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2023年振り返り(7月〜12月)
■7月
・四国に旅行した(直島−徳島)
▲鳴門海峡の渦潮
結構雨が降っていた。渦潮っぽいのは見られたかも?
▲大塚国際美術館
大塚国際美術館は全部じっくり観ていると一日では足りないのではないかというくらい作品が充実していた。
・夏キャンプ(土呂部)
この回は泊まりで行った。
自分はテント泊ギアを所有していないのでロッジに泊まる。
日光の奥の方で、夏だけどだいぶ涼しかった。
▲鳥が出てくる映画も観ました
■8月
・飲み会が多い
大阪在住の大学の友達が関東に遊びに来るとか、研究室の飲み会とか。
うまい寿司を連続で食べたりもしている。
▲セブンイレブンのカレーフェアも食いまくった
■9月
・BIG FUNに行く
なかなか行くチャンスがなかったBIG FUNに初めて参戦した。最高。また行きたい。
プレシャスホールにも遊びに行きたい。
一泊したので札幌観光もした。ぽんぽこ年間ベストグルメの「らーめんそら」の味噌ラーメンも食べられて満足。
▲らーめんそら
・ぽこピー展に行く
写真を見返しているだけで楽しい。
・どん底会2
どん底からのやんばるからの石の家。
・秋キャンプ(手賀沼)
だいぶ設備が整っているキャンプ場だった。手ぶらで行っても遊べそう。
■10月
・新居にお邪魔
マンションもいいな〜と思った。(小さい戸建気に入っています)
▲江ノ島で海鮮丼食ってるな
・新居にお邪魔2
デカい戸建もいいな〜と思った。(小さい戸建気に入っています)
▲推し活状況
■11月
・伊勢志摩旅行
▲鳥羽水族館のラッコ
その他横山展望台、スペイン村など。
▲潮路亭
▲サンペルラ志摩
(この辺りはXに大量に写真をあげている)
まだまだ行ったことのない良いところが日本にたくさんあるなと感じた。
▲短めの区間だったけれど観光列車のしまかぜにも乗れた
・Switchを買う
特に何かをやっているわけではない(やれや)。
とりあえずスイカゲームはやった。
・新しいレンズを購入
■12月
・冬キャンプ2(手賀沼)
冬のキャンプはサッポロ一番がうまい。
友達がiQ買っててめちゃ可愛かった。
・人の家に遊びに行って飲む
おでん、山芋料理など。
この山芋焼いたやつが美味かった。トリキにあったやつ(今もあるのか?)
・忘年会
インターネットの人と酒を飲む会×2が開催された
また長年相互フォローだったけどあったことない人とお会いする機会を得た。今年はこの感じ多いな。嬉しいわ。
・クリスマス
なんやかんやクリスマスは外で食べることが多かったけど、今年は家でご飯を作って食べた
(コース料理を家で再現するみたいな記事の影響を受けた感じではあるが・・・)
いい感じの皿が欲しくなった。
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振り返るとめちゃくちゃ旅行した一年でした。
そして水族館に行きまくっていますね。
自分から進んで行っているわけではないですが、結構全国の水族館に足を運んでいる部類のhumanになってきたと思います。
キャンプも4回は行ったので、だいぶ慣れてきた感もあります。そのうちテントやタープを張って泊まるみたいなこともするようになるのでしょうか。
外遊び以外では何よりもぽこピーにハマってVtuberを色々見るようになったのがデカいです。
冗談抜きで一時は可処分時間の全てをアーカイブ視聴に費やしている時期もありました。面白いし可愛いしかっこいいところもあって、めちゃくちゃハマっています。
動画関連で言うと東海がしばらく休眠しているのは少し寂しい感じもします。(そのタイミングくらいでバキ童チャンネルに出会ったのでお下品ネタの補給はそっちで行われているかもしれない)
仕事は楽しくやらしてもらっています。できることの幅が広がりつつあると感じています。今年は要件を満たしたので資格試験を受けたのですが、2問分ほど点数が足りていなかったので多分落ちたと思います(まだ合否発表はなされていない)。来年も受けるかもしれない。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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(番外)今年買ってよかったもの
・コーチジャケット(Y-3)
プリマロフトという素材について全く知らなかったのだけれど、めちゃくちゃ暖かくてかなり着ている。デザインもシンプルでよき。
・オールインワンジェル(無印良品)
化粧水→乳液→クリームのような工程が不可能なのでオールインワンジェルを愛用しているのですが、これはあまりベタベタしない上に肌の調子もいい感じがして大変気に入った。今後はこれを使い続けると思う。
・ぽこピーパーカ オートミール(SPINNS)
推しグッズ。推しとお揃いも嬉しい。可愛いし普通に使えるので着まくっている。
・PIXEL FOLD(Google)
折りたたんだ時に縦に長すぎないのが良い。開くと写真が大きく見られるところと、漫画が見開きで見られる点も◯。チェンソーマンが捗った。
・WH-1000XM5(Sony)
WF-1000XM3を紛失した悲しみから絶対に落とさないであろうヘッドホンを購入。電車の中で騒いでいる馬鹿どもの声が一切聞こえなくなる最高のノイズキャンセリング性能で通勤のお供として必携品となっている。
・ExpertMouse ワイヤレストラックボール(Kenginton)
オービットを使っていたのを変更した。ボールがデカいと疲れない+ボタンが4つで組み合わせに応じたアクションをアサインできるのが便利。もう少しクリック音が小さければ最高であるが・・・。
・プロフィットジュニア(セーラー万年筆)
パイロットのカクノをずっと使っていたが、良い色のプロフィットジュニアを見つけたので鞍替えした。セーラーのインクの方が長持ちする気がしている。良い。
・Veilance関連
今年はセットアップ×2とリュックとトートバッグを買った。服は本当に軽くて使いすくて良い。かばんはシンプルで丈夫で「これが良いんだよな〜〜」となる。
以上
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『イスラエル/パレスチナ/アラブ諸国』2020年
紛争の原因
1897年、テオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』を著し、反ユダヤ主義者たちによる迫害からユダヤ人を守るためにはユダヤ人国家を建設しなければならない、と唱えた。1917年、イギリスの外務大臣であったバルフォア卿は、パレスチナにおけるユダヤ人の「民族的郷土」の建設への協力を宣言する。しかしバルフォアは同時にオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に対して独立の約束もしていた。1919年から1939年にかけて、イギリスの委任統治の下でパレスチナのユダヤ人人口は6万5000人から42万5000人になり、パレスチナの住民数に占める割合は10%から30%に増加した。その原因は、中央ヨーロッパやドイツにおける迫害を逃れてやって来たユダヤ人の集団移動だった。このことはユダヤ移民に対するアラブ人の敵意を生んだ。第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を採択し、領土の55%をユダヤ人に割り当て、残りの45%をアラブ人に割り当てた国家を創設することにした。アラブ側はこの分割案を拒否し、第一次中東戦争が勃発した。その結果、アラブ側は敗北し、1948年5月14日にベン・グリオンが建国を宣言したイスラエルは、やがてその領土をパレスチナの55%から78%にまで増やしていく。残りはエジプト領とヨルダン領になった。つまりパレスチナ人への約束であったアラブ人の国家は実現しなかったのだ。結果的に72万5000人のパレスチナ人が避難し、難民になることを余儀なくされた。アラブ諸国はイスラエルを承認せず、イスラエルは保身のために西欧諸国とアメリカに接近し、かつての植民地大国の同盟国とみなされた。1956年、エジプトのナーセル大統領が国有化しようとしたスエズ運河をめぐって、イスラエルはイギリスとフランスとともに軍事行動を起こした。ソ連はエジプト側についてこの戦争に介入した。1967年には、イスラエルは「六日戦争」と呼ばれる戦争に勝利し、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてエジプト領のシナイ半島とシリア領のゴラン高原を占領した。このときの完膚なきまでの敗北は、アラブ諸国にとって屈辱の記憶となった。国連は安保理決議242を採択し、戦争による領土奪取を認めず、イスラエルには占領地域から撤退するよう要請した。1967年、スーダンのハルツームにおけるアラブ連盟の首脳会議で、3つの「NO」が採択された:和解への「NO」、イスラエル承認への「NO」、交渉への「NO」である。
アラブ側ではパレスチナ人が武力闘争を強く推し進めており、対話を拒むイスラエルを国家として認めなかった。1973年、イスラエルとエジプト・シリアのあいだで再び戦争が始まったが、領土問題は現状維持のままで終結した。1978年、エルサレムを訪問したエジプトのサダト大統領がイスラエルに対して和平を提案し、エジプトとイスラエルは互いの国を承認することになった。シナイ半島はエジプトに返還されたが、エジプトは単独で平和条約に調印したために、アラブ連盟から除名された。するとエジプトはアメリカと同盟関係を結び、多大な経済支援を受けるに至った。
1982年、イスラエルはレバノンに侵攻し、レバノンにおける国家内国家となっていたパレスチナ解放機構(PLO)を立ち退かせようとした。1964年にPLOを創設したヤーセル・アラファトは、イスラエルのレバノン侵攻が始まると首都ベイルートから逃亡しフランスの保護下に入った。しかしイスラエル侵攻下で、パレスチナ難民キャンプ内での民間人の虐殺が発生すると、イスラエルのイメージは地に落ちた。1987年から、ガザ地区のパレスチナの青年たちを中心に、イスラエルによる占領に抵抗するインティファーダ、通称「石の闘い」が始まった。1990年から1991年にかけての湾岸戦争が終わると、サダム・フセインが、イスラエルによる占領をうまく利用することでアラブ諸国の世論をたやすく操作していたという事実を、アメリカは初めて理解した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イスラエルに方針変更を強要した。イスラエルとパレスチナの直接交渉が実現し、オスロ合意が成立した。この協定により、PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエル(イツハク・ラビン首相)はそれまでテロ組織とみなしていたPLOをパレスチナの正式な代表として認めることになった。オスロ合意(1993年9月にワシントンで批准された)の計画では、イスラエルは段階的に占領地域から撤退し、パレスチナ人の国家が建設されることになっていた。
1994年7月1日、それまで亡命していたヤーセル・アラファトPLO議長がパレスチナへの帰還を許された。ところが1995年11月4日、イスラエルのラビン首相が過激派ユダヤ人に殺害され、和平プロセスは暗礁に乗り上げた。そこで、大統領として2期目の守終了を控えたアメリカのビル・クリントンは和平合意成立に向けて、2000年7月にキャンプデービッドで両者の首脳会談を待った。しかし交渉は決裂し、再び武力闘争が繰り返される。2001年2月、イスラエルはアリエル・シャロンを首相に選んだ。新首相シャロンはオスロ合意には反対の立場で、ラビン路線(あたかも和平プロセスは存在しないかのように厳しくテロ組織との闘いを続けると同時に、あたかもテロ活動など起こっていないかのように友好的に和平交渉を進める方法)を退けた。シャロンがオスロ合意を少しずつ切り崩していく一方で、ハマスによるテロ活動は規模を拡大していく。2002年にはアラブ連盟から和平案の提案があった。アラブ諸国によるイスラエルの承認と引きかえにイスラエルは占領地域から撤退し、そこにパレスチナ国家を樹立するという内容だ。ところがシャロンは7000人のイスラエル人入植者が140万人のパレスチナ人に囲まれて暮らすガザ地区からの全入植者の撤退を突然決断する。そしてそのあいだもヨルダン川西岸地区では入植地建設が続いた。
パレスチナで2006年1月に行われた選挙ではハマスが圧勝した。ハマスはオスロ合意に反対しており、西欧諸国とイスラエルからはテロ組織とみなされている。
西欧諸国はガザ地区にあるパレスチナ政府との関係を絶った。パレスチナは地理的にはガザ地区とヨルダン川西岸地区に分断され、政治的にはガザ地区を掌握しているハマスとファタハに分離した。イスラエルが撤退したあともガザ地区の封鎖は続き、パレスチナはこれに対してイスラエルの都市にロケット弾を発射して対抗した。これをきっかけにイスラエルは新たに軍事侵攻を開始、ガザ地区を爆撃し、2008年12月から2009年1月にかけてパレスチナ側では1400人の死傷者を出した。さらに2009年2月に行われた選挙ではイスラエル史上もっともナショナリズム色の強い政府が成立した。当時、イスラエルとパレスチナの和平合意がゆくゆくはどのような形を取ることになるかは知られており、多くの文書においてすでに定義済みであった。その内容は、まずイスラエルの隣にパレスチナ国家を建設すること、そしてイスラエル人は67年ライン内に住む権利を有すること、さらに、領有権問題で両者に損失が出ず両者の合意がありさえすれば、境界線の変更も可能であったこと、などである。とはいうものの、この頃からまたもイスラエル・パレスチナ間では不信感が生まれ、敵意にまでエスカレートした。2014年、3人のイスラエル人が誘拐されるという事件が発生、イスラエル政府はまたもガザ地区を爆撃し、2200人が犠牲になった。2015年3月、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが選挙戦で再び勝利をおさめ、パレスチナとの和平交渉に反対する右派と極右派による政府が発足した。大のイスラエルびいきであるドナルド・トランプのアメリカ大統領選出は、ユダヤ教原理主義者や植民地主義者たちとの結びつきが強いネタニヤフが、妥協を認めない政策を続けるうえで、強固な支えになった。アメリカ政府は駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移し、パレスチナ自治政府と断交し、ゴラン高原におけるイスラエルの主権を承認した。EUは現状を承認し、ロシアと中国もこれに続いた。インド、そして数多くのアフリカ諸国も密かにではあるがイスラエルに協力している。また、イランという共通の敵をめぐって、国交のなかったアラブ諸国との関係改善を図り、サウジアラビアとアラブ首長国連邦への接近も実現した。だが、アラブ諸国の政府にまで見放されたパレスチナの大義は、今でも世論に強く訴えかける力を持ち続けている。
『最新 世界紛争地図』
パスカル・ポニファス/ユベール・ヴェドリーヌ 著 神奈川 夏子 訳
ジャン = ピエール・マニエ(イラストレーター)
ディスカヴァー・トゥエンティワン2020年8月25日発行
原題:ATLAS DES CRISES─ET DES CONFLICTS
著者
パスカル・ポニファス(Pascal Boniface)
国際関係戦略研究所(IRIS)所長お呼びIRIS SUP(イリス・シュプ)学長。
パリ第8大学ヨーロッパ研究所で教鞭を執る。戦略的問題に関する著書は約60冊、YouTubeチャンネル『Comprendre le monde(世界を理解する)』も運営している。
ユベール・ヴェドリーヌ(Hubelt Vedrine)
1981年から1995年までフランス大統領府で外交顧問、報道官、事務総長を歴任し、1997年から2002年まで外務大臣(ジョスパン内閣)を務めた。
訳者
神奈川夏子(Natsuko Kanagawa)
上智大学仏文学修士課程、サイモンフレーザー大学日英通訳科修了。訳書『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』(草思社)、『ヴァン・ナチュールの名作300本』(エクスナレッジ)他。
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今日もdayキャンプ
猛暑の中、この間出来なかったシームシーリングをしに
6時間かけて乾燥させていきます
雨で検証しなければ分からないけれど
中々上出来ではないだろうか
メーカー推奨はフライの表面に塗るのが良いのだが
あまりにも見た目が、、なので
裏から丁寧に
隣にある、激安タープも一緒にシーリング
生地もシリコンなので良い感じに仕上げれそうです
今年の夏は長野(避暑地)でキャンプを計画中
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祈り
今回のキャンプの日程で、復路の木曜日が雨マークだったり、雪マーク❄️だったりと少し気がかりで、祈っていました。
一昨年、スタッドレスタイヤが盗難でなくなったため夏タイヤだったからです。出発前は、雨マークだったため安心していたのですが、到着後マークが雪に変わってなかなか雪のまま変わらなかったりしていました。しかも100%だったりしてます。
どうなるかとも思ったのですが、動画を見ていると高原さんの祈りがあったのかなと思います。
九州の方になったかなと思っていたのですが、今回、道の駅「中条」で運転席の高原さんにお会いしました。(今でも九州の方ですが)
この道の駅とザビッグは、毎回立ち寄ります。
これは、2018年の冬ですが、今回、こちらの建物は閉まっていました。
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心ひかれる特別な場所〜森・温泉・絶景・出会いと別れ~四徳温泉・桑原・陣馬形山キャンプ場の春夏秋冬【前編】
2022年、今年は登山とキャンプで言うと登山の比重が圧倒的に多い一年になりましたが、それでもキャンプもオートキャンプで30泊ほどすることが出来ました。そんな2022年に最もよく利用させていただいたのが長野県中川村の山間にある四徳温泉キャンプ場。関連する桑原キャンプ場、陣馬形山キャンプ場も合わせると実に12回。登山帰りに温泉に立ち寄ったものも含めるとほぼ毎月のように訪問していました。
そのほとんどを記事に書き残すことが出来ないままで2023年になってしまいましたが、2022年の四徳温泉キャンプ場を振り返ってみたいと思います。
2022年の四徳温泉キャンプ場・桑原キャンプ場・陣馬形山キャンプ場
3月/自分で伐った木で自分が使う机を作る「木と人の縁日」
3月中旬に2022年シーズンオープンを迎えた四徳温泉キャンプ場。フォレストサイトの落葉松はまだ芽吹きの前。オープン日に合わせて春分の日3連休で…
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日高方面へ。
恵庭のあたりから道路わきに紫の花が目立つようになってきた。調べたところ、ネバリノギクという外来種のようだ。色合いも相まって初夏のルピナスを彷彿させるなあ、と思ったけどあれも外来種だった。
今回は北海道のあごの部分(?)を横断する2本の国道走破を目的としたルートを設定した。往路はR236(浦河→広尾)復路はR336(襟裳)で行く。日高方面に行くときはどうしても海沿いを走るだけの単調なルートとなってしまうが、仕方あるまい…
しかし、この海沿いの国道にもお目当てがある。日高本線の遺構である。…遺構と呼ぶにはまだまだ新しいような気もするけれど。
公衆便所もとい東静内駅跡 陸自の駐屯地の最寄り駅だったのかな?
浦河駅跡 連絡橋の先には市役所がある。
浦河といえば馬ですよね。
天高く馬肥ゆる秋、R236(天馬街道)を走破ッ!
広尾まで出ると途端に道東みが…タンチョウと遭遇すると特にそう思うなあ。
キャンプ泊なのでヨード泉でしっかり温まってから眠ります。
復路はあいにくの天気でスタート。黄金道路もいつか快晴の時に走ってみたいなあ。旧道がたくさんあるけどほとんどが通行止め。悲しい。
えりもあたりで急に天気が回復。えりも方面もまたじっくり回りたいなあ。思ったより何もないところではなさそう…?
海沿いというのは結構人の営みがある。
長~い覆道の途中からアクセスできる秘密ダンジョン、日高耶馬渓。異なる年代に掘られたトンネルが3本横並びになっている。(最古のものは撮影できず…)
様似駅跡 観光案内所として建物は生き残りそう。
西様似駅跡と鵜苫駅跡 近隣の学校の生徒さんがペイントしたっぽい可愛い駅。もう使われなくなった線路にはネバリギクがワサワサ生えていた。廃線を象徴するような景色ね。
道内は廃線ラッシュなわけだが、日高本線は赤字故ではなく災害から復旧できずに廃線となってしまった。海沿い路線の厳しさを感じつつも、沿線にはそれなりの人口が住んでいるようだし悔しい思いがある。乗ったことないんですけどね。
来年の春で留萌本線の一部区間や山線が廃止となる。後悔しないよう乗りに行かねば、と思わされる旅路であった。
2023.5.10 追記 山線の廃止はまだ先だったね
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2023年8月、宮城県内のキャンプ場で、小学校低学年の女の子に対してわいせつな行為をしたとされる男の裁判が仙台地裁で始まり、男は起訴内容を否認した。女のこに対する性的暴行の罪などでも複数回起訴されている男。検察は別件で追起訴する方針も示している。子供たちと関わる立場にいたはずの被告の卑劣な犯行が続々と明るみになっている。
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ボランティアとしてイベントに参加
不同意わいせつの罪に問われている、元・気仙沼市職員で、現在は無職の小野寺朱生被告(22)。2023年8月、宮城県内のキャンプ場で開かれたサマーキャンプ中のテントの中で、小学校低学年の女の子に対し、2度にわたってわいせつな行為をしたとされている。
送検時の小野寺被告 宮城県白石警察署 9月29日
12月1日に仙台地裁で開かれた初公判に一礼して入廷した小野寺被告。裁判官から起訴状について問われると「わいせつな行為をしようと思っていたわけではありません」と、起訴内容を否認した。
初公判に臨んだ小野寺被告 廷内スケッチ:解良知優
冒頭陳述では、小野寺被告が小学生対象の自然体験活動を目的とした、キャンプなどのイベントに、2019年ごろからボランティアとして参加していたことが明らかになった。小野寺被告は「トマト」というニックネームを名乗り、子供たちに人気があるスタッフだったという。
今回の犯行は、そんなイベント中に起きたものだった。
低学年女子グループのテントで…
小野寺被告が犯行に及んだキャンプは、二泊三日の日程で行われ、小野寺被告は夏季休暇を取得して参加していた。参加した児童は5つのグループに分かれて活動していて、小野寺被告の担当は、小学校低学年の男子グループだった。
児童たちは、グループごとにそれぞれのテントで寝ることになっていて、小野寺被告がケアするのは担当の男子グループのはずだった。
そんな中で小野寺被告は、担当ではない小学校低学年の女子グループのテントの中で、女の子の下着の中に手を差し入れ、下半身を触るという卑劣な犯行に及んでいたのだ。
キャンプを手掛けた運営会社の社長は、小野寺被告について「優しい性格」と評価。女子グループのテントから出て来た小野寺被告を目撃していたが、「寝られない子供をあやしていたと思っていた」と話しているという。
一方、弁護側はこの事案について、「着替えの手伝いなど子供の世話はしたが、体は触っていない」と無実を主張。争う姿勢を見せた。
小野寺被告は双方の主張が行われた30分間、姿勢を正しまっすぐ前を向いて話を聞いていた。
市職員時代にあったクレーム
小野寺被告は2022年6月、気仙沼市に会計年度任用職員として採用され、当時は市立保育所に勤務していたが、2023年7月からは気仙沼児童センターで働き始め、来館した子供たちの対応などに当たっていた。
検察によると小野寺被告は「保育所に勤めていたころから、性犯罪につながりかねないようなクレームがあった」という。
なぜそんな男を、同じく児童と関わるような場所で勤務させたのか。市は現在、小野寺被告を懲戒免職処分としているが、当時の対応には疑問を抱かざるを得ない。
小野寺被告が勤務していた気仙沼児童センター
実際、小野寺被告は市職員である期間中、10歳未満の女の子に対してわいせつな行為をしたうえで、その女の子の裸を撮影した罪など、今回裁判が行われている事案以外で2回追起訴されているほか、12月4日には同様の強制性交等の容疑で再逮捕された。さらに検察は法廷で、別件で追起訴する方針も示している。
元市職員の被告による、抵抗することができない、幼い女の子に対する卑劣な行為は、どこまで明るみとなるのか。被害者が負った精神的な苦痛は計り知れない。次の裁判は2024年1月12日に開かれる予定だ。
「テント内の卑劣な犯行」小学校低学年女児にわいせつ行為…“元児童センター職員男”以前から寄せられていたクレーム|FNNプライムオンライン
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お盆の炎上から2ヵ月の入院生活をしていた愛車が無事帰ってきた。 アウターのキャンプにセドリックありといわんと、今年は修理続きの日々でそれを言い訳にキャンプを逃した夏だった。 失って気づいた大切さからか、退院後そのままショッピングモールの駐車場で愛車の撮影会を密かにしたことは僕の喜びの度合いがうかがえるかと思う。 壊れても買い替えるのではなく治して乗り続ける。手間はかかっても一生付き合っていきたくなるようなプロダクトを生み出す精神はOUTERものづくりに通づると思う。 「彼は生涯この一台を愛した」そんなフレーズが後世に残るほど長く乗り続けたい。 #y30 #セドバン #愛車写真館 #ビンテージカー #日産 #名車 #キャンピングカー https://www.instagram.com/p/CjhQJFlP5c4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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お土産
2023.7.26
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1年に2度、1週間の休暇制度があり
それを夏・冬の白馬キャンプに使っていますが
その度に会社には白馬のお土産を購入し
皆さんにお渡ししていました。
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さて、父が亡くなったとき
2週間のお休みをいただき
実家近くで購入したものを
会社の方々に持参しましたが、
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えっ、三重県出身だったの?
ずっと長野の人だと思ってた!
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と言われてしまいました😅
そして面白かったのは
なぜかpeterさんの職業を
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トラックの運転手🛻
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と思っていた方がいらっしゃって😆
なぜ?
確かに車での送迎はよく行ってるけど、、
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牧師であることを話したら
かなり驚いていましたが、
母も牧師であることを伝えると
さらに驚いておられて!
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別に今までも隠していたわけではありませんが
こんな感じで思いがけずいろいろと
皆さんにお話する機会が与えられて
感謝でした😊
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5ヶ月も前のことを
つらつらと思い出して
今になって感謝をしている次第です。。
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(写真:白馬に行く道に立ち寄った
サービスエリア。)
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その続き
Tuesday 23 September 2014
真観は禅寺に行かなかった。
理由は昨日と同じ夜更かし。
「96年夏はるお」の見当たらなくなった写真、無くなった写真をプリントしたいがフィルムからプリントすると値段が高くなるのでスキャンする事にした。幸いそれらの写真は40枚弱だった。スキャンの方法はいつものやり方でやるわけだが大量だとやや作業が億劫になる。それでもう一度スキャンの方法をネットで調べると意外な事が分った。というか真観不覚にもその方法を知らなかった。今日のスキャンはその真観にとって新しい方法でやってみると作業は随分楽になった。
今日は、秋分の日で富士宮のキャンプ場でパーティーが開催されていると昨日知った。オーガナイザーも知り合いだしBのライブもある。
行きたい!
と思ったが諦めた。今月の始めパーティーに行っているし、写真整理に伴いブックを購入したりと出費があるから倹約しなければ。来月にもしもキャンプに行けたら嬉しいな、と思う真観だった。
自分の人生に未練があるか?
はい、あると思います。
荷物が捨てられない時期というのは人生に未練がある時ですね。
ところが毎日毎日が精一杯楽しい楽しいと思うとどんどん捨てられるんです。
この荷物の中に自分の辛かった人生があるからあるから、辛かった人生を持っていたいってあるんですよ。
真観に取って未練は何か?
未練=写真。
確かにそう思うが申し訳ないという気持ちも存在する。
撮るだけ撮っておいて何も形にせず日の目を見ることもない写真たちに。
あれこれ考えてもこれだ!という結論は出ないが写真整理は続ける。
それ楽しいからだ。苦ではないからだ。
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今年の岸和田祭りはキャンプに出かけたために、まだ生のだんじりを見ていない。
久しぶりにだんじり見たくなって堺の東山までだんじり見物。
とは言うものの村の祭りでの役割というと、裏方の交通整理なんやけど、
やっぱり太鼓が聞こえてくるとワクワクはする。
今日も土砂降りやのにねw
そんなこんなで、���塚三中地区もすっかり祭りモードで、水間街道を��るとイルミネーションが、
イルミネーションというと欧米的なイメージですが、
日本にも明治にイルミネーションがあったという。
そんな意味では献灯提灯も昭和からのイルミネーションかとw
暑い夏が終わりを告げて夜に涼しさを感じた頃にこの灯りが灯ると、
もの悲しさと人の温もりとが入り混じって、なんともいえない気持ちになるのは私だけでしょうかね(^_^;)
そんなこんなで灯り繋がりでご紹介。
すいませんすっかり遅くなりましたが、
今週末の土、日、月曜日と三連休、
水間寺では三重塔をブルーライトでライトアップしてるんでした。
なかなか夜の照明なので ちゃんと写ってないですね。
アップにしていくと
こんな感じ,ですが実物はもう少し綺麗。
そしてもっとアップしたら
こんな色なりました。
私のスマホアカンのかね?
明日の18時から21時までやってます。
是非お時間のある方は見に来てくださいね。
水間寺境内三重塔ブルーライトアップでした。
今週もよろしくお願いします。
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