#人の敗北を賞味して自分が勝利しろ
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moko1590m · 4 months ago
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敵の敗北は蜜の味
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ari0921 · 10 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
   通巻第8107号  <前日発行>
 ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
  軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
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ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
 大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
 2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
 欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
 クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
 この価値基準は「��スラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
 軍クーデターは伝統破壊の西欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化をストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
 軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
 ▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
 西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
 ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズム��汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
 となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
 ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
 主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
 2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
 中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャング団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。 
 
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡��やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
 ▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、一時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
 ▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さ��安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
 仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン���で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
 軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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mori-mori-chan · 4 months ago
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『マッドマックス:フュリオサ』を観てきました
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ヒャッハーーーー!!!観てまいりましたよ『マッドマックス:フュリオサ』をwith姉!!マジありがとうジョージ・ミラー監督。
余談ですが退館後高架下にある自転車置き場に行ったら橋脚にスプレーでこんな落書きがしてあって姉と「いやちょっと待てwww!!!」と大笑いしました。こんな落書きです↓
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もしかして名古屋、はぐれウォーボーイズおるか(撮影して載せたかったのですが人目を気にしてしまいました。撮るべきだった……)???
映画の感想はというと……激熱でしたね。色々語りたいことがありすぎて逆に語れないのと、本当は日付を超えてでも視聴したその日である昨日に書くべきだったのですが寝落ちして記憶が少し飛んでいます(最悪)。本当すいません!6/30に書くべきでした本当に!!
ここから先、がっつりネタバレを含みますのでご注意ください。
☆前作のオマージュ
今作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(以下MMFR)の続編であり、大隊長・フュリオサの若き日を描いた前日譚でもあります。今作だけいきなり観に行るのは、個人的にはあまりお勧めしません。恐らく世界観等が理解しづらいであろうことと、純粋に前作視聴後に観た方が間違いなく楽しいであろうことからです。ネトフリのリンクを貼るので俺を見ろ!!
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頭蓋骨から蜥蜴が這い出てきた瞬間「これは……!!」と思ったら期待通りの展開(※別に蜥蜴が嫌いで死んでほしいとかではない)になったのでにっこりです。そして【俺を見ろ特攻】も!やはりマッドマックスと言ったらウォーボーイズによる高空からの自爆特攻ですよね(※すいません当方シリーズ中2作しか鑑賞しておりません)!今作は前作以上に"高さ"を感じられる演出が多く、思わずアガりました。
あと生体メカニックの彼は最初はディメンタス軍団所属だったんですね……。
☆ラストについて
ラストでフュリオサがディメンタスを鎖で拘束した時、私はてっきりフュリオサは意趣返しとしてジャックがされたことをするのだとばかり思っておりましたが、全然違いましたね。まぁバイクで引きずり回すのと車で引きずり回すのは手応えが全然異なるでしょうしね……。ディメンタスによるフュリオサへのご高説、まーーー鬱陶しいこと笑!!その場で殺さなかったフュリオサの忍耐強さと執念よ……。
その後いきなりお笑い漫画道場で富永一郎が描きそうなカット(今時の若者が絶対分からない比喩やめろ)が出てきて私はかなり動揺したんですが、周囲の誰もが特に反応していなかったのでますます動揺しました。え、あれ笑っていい場面じゃないんですか!?不意打ちであの絵面出てきたら絶対笑うんだが!?
……真面目に書きますと、フュリオサから日常を、母を、恋人を奪���た挙句彼女の希望を否定しひたすらに絶望しかないと唱え続けた男が最後(最期?)「希望(※)」の苗床として生かされる痛快なオチに感動しましたね。林檎又はそれに似た果実を取りに行った結果彼女は攫われディメンタスとその一味に目の前で母を殺されたのですが、最後は彼女がディメンタスを果実のなる樹の苗床として利用し、いずれ母となるであろう前作でいう「子産み女」の女性達に実を分け与えるのです。ディメンタスはフュリオサに最早希望などないと散々喚き散らしておりましたが、前作……時系列では後日なんですが(ややこしいな)、フュリオサは自身と同じように攫われ砦(シタデル)へ連れてこられた、或いはそこで生まれ育った子産み女達を解放し、自身の生まれ育った「実りの大地」へ戻る為にウォー・タンクを率いて離反します。これは彼女の中に希望が残っていたからこそ成せたことでしょう……ディメンタスの完全なる敗北ですね。実りの為に母を殺した男の最後が母(子産み女)の為の実りを生み出す苗床なんて、流れが美しすぎますよ。 ※個人的な解釈ですが最後に出てくる林檎の果実は母を失い絶望を味わったフュリオサが地獄の日々を乗り越えた果てに母(子産み女)を守る為に育てている希望の象徴みたいなものかな、と勝手に思っています
※林檎の実についての興味深い資料がありましたのでよろしければどうぞ 出典:敬和学園大学 
「表象としてのりんご 」
☆イモータン・ジョー
以下イモータンと表記します。ディメンタスが言ったように、彼の行いは「搾取と奴隷労働」ではありますが、ディメンタスと異なり余興や見世物の様に仲間の命を奪ったりすることは決してありませんし、何なら前作で描かれていたように水もちゃんと分け与えています。もっといい配り方してやれよとも思いますが
ノブレス・オブ・リージュ……ではないのですが、支配者としてきちんと統治してはいるんですよね、イモータンは。実際ガスタウンや弾薬畑も施設としてかなり立派でしたし、だからこそあそこまでウォーボーイズ達に盲信されているのでしょうね。なんだかんだでディメンタスの煽りを受けても乗っからずにうまく返して撤退させていましたし、終盤の再襲撃に逸る配下達の意見ではなくフュリオサの案を採用しましたし、状況判断に長けていますよね……うっかり装置の誤作動で殺す予定ではなかった人質を殺めてしまったディメンタスとはわけが違いまさぁよ!!
ディメンタス軍団は全員ガチムチ!殺し合い上等!な感じでしたが(冒頭でバイク軍団に選ばれた女性、終盤まで終始前線で奮闘していてすごかったですね)、イモータン達やシタデルにいる人間達はディメンタス軍団の様に元気な体!って感じではないんですよね。MMFRで水の配給を待っていた人達は高齢者や体のどこかに障害や疾病を抱えている(ように見える)人達ばかりでした。リクタスは大型で筋肉質で肉体こそ元気ですが知能がちょっと怪しいですし、スクロータスは顔つきが一般的な人間とはやや異なっており皮膚が独特の様相を呈しています。ウォーボーイズは短命ですし、その中でもボミーノッカー係だった赤ちゃんは完全に奇形児でしたしね……これ、もしかしたらディメンタス軍団は肉体が健康でない���はもしかしたら処刑なり何かしらの手段で選別されている可能性も出てきましたよ……ざわ……ざわ……。もしかしたら流れてきた"そういう者達"を、シタデルが受け入れているのかもしれません。知らんけど
……こう書くとイモータンがまるで人格者のように思えてきますが、ディメンタスよりはマシというだけであって別にいい人ではないので気を付けてください!本当に!!
☆フュリオサ
シャーリーズ・セロンに較べるとどうしても華奢さが目立つアニャ・テイラー=ジョイですが、悪くはなかったのではないでしょうか。フュリオサ、ここからMMFRの間に体躯をめっちゃマッチョに鍛えたのかもしれませんしね!
☆ディメンタス
お前の事誰が好きなん?
いやーーー本当にこいつは……こいつは本当に……キャスティング良すぎィ~~!!クリヘムことクリストファー・ヘムズワースを持ってきた人にもうあげちゃうわッ…あたしの銀のスプレー!
ガタイのいい俳優は履いて捨てるほどいますが、ディメンタスという悪辣で愚かで豪快な脳筋人格破綻者を演じるにはクリヘムのそこはかとなく漂う陽キャ感が必要だったように感じます。もしこれがステイサムだったら首尾一貫スマートに片づけそうな気がしません?少なくとも乳首を吹き飛ばすような真似はしないでしょう
あの腰につけているぬいぐるみは息子の形見と言っていましたがあれ本当なんですかね。本当のような、攫ってきたばかりのフュリオサに心を開かせるためについたその場しのぎの出まかせのような……うーん。
ディメンタスは随所に余り賢くない描写が挟まれており、「シタデル」と聞いて「何デル?」みたいなことを言う、乳首を吹き飛ばす、生き字引として常に「賢者」を伴っている、はぐれウォーボーイズの発煙筒を自分で被る、等。もし彼が賢かったならきっとフュリオサを傷つけることなくうまく彼女のいた土地を陥落できたのでしょうが、彼は暴力と殺戮と支配を選んでしまったので、結果的に実りの大地への道は閉ざされてしまったわけです。有能な№2でもいたらきっともっとうまく様々な土地を手中に収められたのでしょうが、彼の周りにいるのは支配によってイエスマンと成り果てた者ばかりでしたね……その点イモータンは一応人食い男爵達に(採用するかは置いておいて)発言権は与えていたりするので、やはり格が違うんですよねぇ。仲間をウォーボーイズに仕立て突撃するために撃ち殺したり、或いは死体を自らの身を守るための盾として使ったり、気に入らないものは首を吊らせたり……この点でも、喜んで自ら命を捨てるウォーボーイズの育成に成功しているイモータントの対比を感じます。小物感!
すいません眠くてまともな文章が書けなくなってきてしまったため、ここらでクローズといたします。ジャックについても書きたかったのですが……。海外版山田孝之!なルックスで「あんまりシュッとした感じの人じゃないな」などと思っていたら処刑シーンでブタ野郎呼ばわりされていてちょっと申し訳ない気持ちになりました(最悪)。しかし本当にあの処刑シーンは余りにも人の心がなかったですね。邦画だったら逃げ切りそうなところを……。
最近ちゃんとした長文を書けていない為、リハビリ目的で頑張りましたが全然ダメでした、さーせん!でも映画はめっちゃよかったです!!!
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catonoire · 1 year ago
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「秘蔵!重要文化財「長谷雄草紙」全巻公開 永青文庫の絵巻コレクション」展
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永青文庫で「秘蔵!重要文化財「長谷雄草紙」全巻公開 永青文庫の絵巻コレクション」展を見る。約14年ぶりの公開となる「長谷雄草紙」を中心に、同館所蔵の絵巻物を集めた展示��ある。
メインの「長谷雄草紙」は、絵巻物全体を見ることができる上に要��要所に適切な解説も付されており、わかりやすい話がますますわかりやすくなっている。「長谷雄」は平安時代に実在した公卿で漢学者の紀長谷雄のことで、彼にまつわる説話を記したのが「長谷雄草紙」である。長谷雄は鬼と双六勝負をし、勝利して美女を得るが、100日経たないうちに美女に触れてはいけないと鬼に言われたのに80日ほど経ったところで共寝してしまい、美女は水となって消え失せる。鬼との約束を破った長谷雄は鬼に襲われるが、北野天神の加護を得て助かる。実は美女は死人の良い部分を集めてできたもので、100日経てば本物の人間になっていたはずだった……というストーリー。まったく長谷雄ときたら、せっかく80日まで待ったのなら残り20日ぐらい我慢すればよかったのにとか、鬼はちゃんと約束を守る律儀なやつだなあとか、ツッコミどころも面白みもある、楽しい話である。絵も明るい筆致で描かれており、美女が水に変わる場面などはちょっと笑えるシュールさである。
その他の展示品についてもいくつか触れておく。
物語を描くのではなく、女性のための教養や心得を示した絵巻物というのを初めて見た。「四十二のものあらそひ」上巻(16世紀、桃山時代)で、堀川中将詠んでいわく「姑と継母と武蔵野のゆかりの草もつらけれどなお憂き物は親ならぬ親」。当時から義理の母親との人間関係は難しかったのであろう。家父長制下の理不尽に耐え忍ぶ女性の身に思いを巡らさざるを得ない。
「十二類絵巻」(模本)は動物の擬人化が楽しい絵巻物。十二支のお歴々の歌合の席へ、鹿が狸とともにやって来る。鹿は、自分は鹿仙(かせん→歌仙)だから判者をしましょうと申し出て、歌合の後は十二支たちにもてなされる。それをうらやんだ狸も鹿の真似をしようとするが失敗する……。駄洒落を仕込んだストーリーも面白いし、絵も魅力的だった。
「奈良薪能絵巻」(17~18世紀)は興福寺の様子を描いたもので、菓子売りがいたり鹿がいたりして当時の情景がしのばれる。
ほかにも中国の小説を元ネタにした「申陽洞記絵巻」、金銀泥を用いた豪華な「いはや物語」、米俵が空を飛ぶ場面が有名な「信貴山縁起絵巻」の模本、また、絵巻物以外では江戸時代の「伊勢物語歌かるた」など���興味深い展示品が多数あった。自分が訪れたときは比較的空いていて、じっくり鑑賞できたのもとてもよかった。(やまと絵展など混雑必至の展覧会では、絵巻物を近くで見るためには並ばないといけないので……)
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lifefind-blog · 1 year ago
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悔み節の人の具体例
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悔み節の人と私の比較
この比較は、「正しいことを理解している人」と、��長いものに巻かれ流されて生きている」人との関係を示しているようなので、思い当たるだけ拾い出してみます。
私「オーガニック循環型の生活と自然回帰の方向性を子孫に残したい」⇒悔「経済的ではないので興味が無い」。
私「統一教会に支配された状態の今の政府や厚労省文科省などが勝手に決めたことは信用できないので従わず、自分で安全安心な方法を探す」⇒悔「今の政府や厚労省が勝手に決めて推進していることを鵜呑みにしている」
私「携帯メールは待ち合わせの時以外ほとんどしない。メール中毒になって精神衛生上良いことが無いので極力使わない」⇒悔「ラインの返事が来ないことにイライラして仕事が手につかない。どうでもいいことをラインで書きまくる。ライン中毒になっている」。
私「賭け事や株はリスクが大きいのでやらない」⇒悔「株にハマったらパチンコと同じで損をしてもやり続けることを知っていながら、株に投資して株の乱高下を毎日チェックして結局損をしている。」。
私「肺がんの原因は毎日の密室シャワーなので、風呂場のシャワーヘッドは塩素除去の浄水機能付き」⇒悔「塩素は少しぐらい吸い込んでも肺がんになどならないと言うのが一般的な常識なので一番安いやつ」。
私「甘やかし続けると相手にとっても良くないことを知っている」⇒悔「数十年にわたって甘やかし続けた結果、妻が女王様のようになってしまい、一つも言うことを聞かず、怒っていがりまくる。命令ばかりしてくる。」。
私「3回ルールに基づき、同じ失敗の3度目には怒るようにしている。不必要に甘やかしすぎたら、本人のためにもならないことを理解している」⇒悔「女王様扱いをして、甘やかし放題を今でも続けているため、家に自分の居場所が無い。散らかすのなら部屋を使うなと言われる」。
私「無添加莨は健康を向上させるので毎日数本吸っている。吸い過ぎは良くない」⇒悔「毎日二箱吸っていた莨をせかっくやめたので、もう吸わない。数本で我慢するという精神と、意志の強さを持ち合わせていないので、やめるのにとても苦労した。莨は健康に悪いと言うのが一般的な常識だ」。
私「マンモ検査を繰り返ししてはいけない、それが原因で被ばくして癌になる」⇒悔「乳がんになりたくないから毎年マンモで調べていたのに、乳がんになったと悔やむ」。
私「重曹とクエン酸でがん予防ができる。ネット上に効果がたくさん報告されているので、見るとよい」⇒悔「そんな簡単のもので予防ができるのなら現代医学はいらない。ネット情報はすべてウソなので、見る気もしない。自分のがん治療を担当している医大の教授のほうを信じる」。
私「人と会ってすぐに愚痴を言うようなことはしない」⇒悔「久々に会った瞬間に悔み事2連発」。 私「どんなに便利でも、あとで自分が困ることになる罠が仕掛けられているようなことは初めから拒否する」⇒悔「便利だと提示されたものにすぐに手を出して、結果的に自分を追い詰めるようなことばっかりしている」。
私「長距離ドライブの時は後部座席の幼い息子に眠気防止の意味合いでずっと喋らせる」⇒悔「居眠り運転で追突したのは、過労気味の自分を放置したまま、後部座席の息子が黙ってゲームをしていたせいだ」。
私「いざというときののために運転席の右側に窓を割るためのハンマーとシートベルト切断用のハサミを置いてある。」⇒悔「安全安心に関するダブルチェックをめんどくさがって、なにもしない。そんな確率は低いと主張し、結局自分を追い詰めるようなことばかり選んでしまう。確率が低いと言う罠にしょっちゅう引っかかって悔んでいる」。
私「温暖化CO2起源説は詐欺だ」⇒悔「社会で通用しないことは信じないし、多数の人が信じているほうを信じる」。
私「中国人や韓国人にも良い人はたくさん居る。友人もたくさん居る」⇒悔「中国人や韓国人は悪いやつしかいない、信用できない」。
私「電子レンジを使うのをやめた」⇒悔「電子レンジの電磁波の影響など微々たるもので、人体に影響はない。使わないと損だ」。
私「放射能汚染の影響があるものは避ける」⇒悔「放射能の影響が無いと政府が言っていることのほうを信じる。実際に、放射能の影響による死者が増えているという話を聞かない。福島の近海で取れたヒラメを買う」。
私「TVは、ネット情報は嘘ばっかりだという嘘を垂れ流している」⇒悔「ネット情報には嘘しかない」。
私「健康診断は、境界値の数値が製薬業界の都合で意図的に書き換えられるため、インチキくさい。検査被ばくを増大させる人間ドックに行くのをやめて、自分で健康管理をしている。太陽を浴び、ストレスを回避して陽気に過ごし、風呂場とキッチンの水道水の塩素を蛇口で除去し、適度の運動をして、お腹を冷やさないように気を付けている。悪いところは特にナシ」⇒悔「検査や健康診断を過信した結果、お約束の病魔に取りつかれている。医学界の常識とされる3種類のがん治療を続けている」。
私「情報を盗まれるのでLINEやスマホは使わない。冤罪防止でもある」⇒悔「LINEやスマホほど便利なものを使わない手はない。情報を盗まれるような著名人ではないので、気にしない」。
私「2019年にプリウスが異常な頻度で暴走したのは遠隔操作が原因である。リモコンキー自体が遠隔操作であり、それに付随した遠隔操作は専門知識があれば可能である。トヨタの社長は米国の言いなりだったため、2010年の米国でのプリウスの異常加速暴走事案20件がすべて捏造だったのに、一言も文句を言わず、議会で謝罪までした。米国の権力者にクルマの個別のアドレス情報を出せと言われても断れない。2010年2月18日には米下院の公聴会に豊田章男社長が正式に招致された。https://www.afpbb.com/articles/-/2701305
2011年2月9日の早朝には、トヨタ自動車のリコール問題を調査していた米運輸省が約10か月に及ぶ調査の結果を発表。各メディアの電子版報道によると、「電子制御システムに急加速を引き起こすような欠陥は見当たらなかった」と結論付けたという。この「シロ」の判定は、地盤沈下の北米��場で消費者の信頼回復につながる可能性もあるだけに、トヨタにとっても朗報だが、1年前のあのバッシングの集中砲火は一体何だったのかと、改めて問いたい。《福田俊之》。あのプリウスバッシングは、当時発売された新型プリウスが大人気で売り上げがうなぎ上りで、GMやフォードが売れなくなったための逆恨み事案であった。2011年2月米国の運輸長官は暴走報道が俳優による捏造だったことを認めたものの謝罪をしなかったが、その直後の2011年のグラミー賞の日本人受賞者が何故か、異例の4人になった。無事トヨタの売り上げを抑え込むことができあたため、トヨタに謝罪する代わりに、日本人音楽家にご褒美を与えてやろうという筋書き。クルマの遠隔操作の方法はネット動画に実験が紹介されている。」⇒悔「遠隔操作などできない、そんな技術はどこにも無い。ネットは嘘だらけ」。
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私「宗教団体はキライ。とくに統一教会と創価学会は要注意」⇒悔「学会員である」。
私「北朝鮮のミサイルが飛んだという情報の根拠はいつも米韓と当事者の北朝鮮。日本のレーダーでとらえたことは数回しかない。すべてヤラセのインチキである」⇒悔「新聞やテレビが言うことは正しい」。
私「良い時代の思い出は、今とは異なることを理解している」⇒悔「毎年数億円儲かっていた時代のことを基準にしているため、今、年間数千万程度では納得がいかない」。
私「太陽光パネルは廃棄方法が確立していないので使いたくない」⇒悔「太陽光発電を学んで儲けにつなげている。1億ほど投資したが、毎月百万ぐらいは収益がある。廃棄する前に少しでも儲かればそれで良い」。
私「夫婦は別の人格なので意見が異なることは当たり前、他に世話をしてもらう人が居ないのでお互いに我慢すべきとことは我慢して、楽しく過ごしている」⇒悔「料理は自分のほうがおいしく作れるし、何をやっても自分の判断のほうが正しかった。それなのに自分の言うことを聞かない配偶者のことが理解できず、意見が異なることが許せない。配偶者を悪人扱いしたり、人格を否定したりしているため別居状態である」。
私「がん保健には入らない。自分で調べて癌にならないような生活をしているので、癌になるつもりはない。毒を極力体に入れない生活をしている」⇒悔「がん保険に入っているため数百万儲かったので、入ったほうが良い。癌は二人に一人がなる時代である」。
私「殺虫剤は気持ち悪いので部屋の中では使わない。癌になるリスクが少しでもあるものは避けるようにしている」⇒悔「蚊が一匹いたら、部屋中にキンチョールを吹きまくる。少々吸い込んでも健康に影響はない。人体に悪いのなら売っていないはずだ」。
私「水分は食品以外で毎日1.5L飲む」⇒悔「食品に水分入っているから飲まない、トイレ数が増えるだけ」。 私「敷地に毒は撒かず草は手作業で刈る」⇒悔「時短になるからラウンドアップ撒く」。 私「スマホ嫌い、マイナンバーはもっと嫌い」⇒悔「便利」 私「自分の経験から導き出した類推によって判断する」⇒悔「偏見で判断する。根拠はなく何となく毛嫌いで判断しているのですべてを否定してしまい、人間関係を作れない」。
私「自治会の夏のイベントは子供たちも喜ぶし、みんなで頑張ってやっているので、応援したい。警察に通報するようなことをしてほしくない。イベントが消えてなくなってしまう」⇒悔「会費を取るのであれば、勝手に音楽をかけてはいけない。保健所の許可なく焼きそばなどを作るのも問題だ。違法なことをやってはいけない、警察に通報する」。
私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。私「」⇒悔「」。
FUKE自作曲の「悔やみ節」
次は多くの人の人生に当てはまるような「応援歌」のようなものを作ってみたいです。
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人は悔やむが、猫は悔やまない
猫は片目を失おうが、片足を失おうが、残された機能だけで楽しく生きていくことができます。甘えたり、日向ぼっこをしたり毛づくろいをします。悔み節は人限定。
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thetaizuru · 1 year ago
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 1977年から1987年の大衆文化を、「リヴィジョニズムの時代」だったとする解釈がある。  1977年というのは映画『スターウォーズ』が公開された年であり、この映画が巻き起こした世界的な社会現象は、前年の1976年に建国200年を迎えたアメリカが、新しい文化の時代を築き始めたことの象徴であるかのように受け止められた。  1987年というのは、末尾の数字を合わせた表現であるものの、いくつかの象徴的な出来事がある。  サブカルチャーにおいては、1986年から1987年にかけてリミテッドシリーズとして刊行されたアラン ムーア原作のコミックス『ウォッチメン』が1巻の単行本として出版された年である。この作品は、その後のサブカルチャーに多大な影響を与えたと評される。  ポップアートにおいては、ポップアートというジャンルを超えてアメリカの一時代を象徴した存在でもあるアンディ ウォーホルが亡くなった年でもある。  そして、1987年にロシア革命70周年を迎えたソ連は、ペレストロイカ(「再構築」)とグラスノスチ(「情報公開」)を進めていた。これを指導したゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したものの、1988年のエストニアの国家主権宣言、1989年の東欧革命、そして1991年のソ連崩壊に繋がっていく。
 21世紀になって、アラン ムーアの作風を評する際に「リヴィジョニズム」という言葉が用いられたが、これを1977年から1987年頃まで、あるいは1980年代の文化的な状況について言い表すために、拡大解釈的に用いたものが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。  ここで言う「フィクションにおけるリヴィジョニズム」とは、既存の作品やジャンルを改作し、原典の持つ意味や隠れたイデオロギーを批評的に描き出すことで、新しい読み方を提示することだと説明され、これは「脱構築」という哲学的な思考法を手法として昇華させたものだとも説明される。  また、これにはニュアンスとして「ヴィジョナリー」という意味が含まれる。「先見��明がある人」や「幻視者」などと訳されるこの語は、斬新なものの見方や未来像を提示する作家などを評する際に、特に第二次大戦後から1960年代頃までは好意的に用いられた。1982年公開の映画『ブレードランナー』を評する際にも、監督のリドリー スコット、デザイナーのシド ミード、原作である小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を書いたフィリップ K ディックが「ヴィジョナリー」と呼ばれ賞賛された。『ブレードランナー』は公開時の興行成績が振るわず、暗く退廃的な未来観に対する酷評も多かったが、一部の賞賛は衰えることなく、1985年以降に「サイバーパンク」と呼ばれSFのサブジャンルの一つとして定着する世界観に多大な影響を与え、21世紀になってからますます評価を高めたという経緯があり、これも先見性のひとつの側面を表すものとして語られる。ただ、「ビジョナリー」という言葉は、1970年代以降、好意的な意味で使われることは少なくなっていき、『ブレードランナー』を賞賛する際に用いられた頃をほぼ最後に、ほとんど使われない表現になっていく。この言葉に含まれる、スピリチュアル的あるいはオカルト的なニュアンスへの忌避感は強まっていく。  「リヴィジョニズム」という語も、第二次大戦後、「歴史修正主義」と訳され、批判的な意味で使われる。特に1960年代以降は、非難する対象に貼るレッテルのような使われ方が増えていく。「オカルト的」あるいは「カルト的」、「陰謀論的」という言葉とほぼ同義に用いられる。  歴史改変SFでもある『ウォッチメン』を評する際に用いられた「リヴィジョニズム」は、あくまで「フィクションにおけるリヴィジョニズム」という手法を言い表すために用いられたものだが、これが、レッテル貼りのように用いられるようになってしまった「リヴィジョニズム」という語の、この語が使われ始めた20世紀初頭の「時代によって変化する価値観や社会を再解釈することで、出来事や作品を評価し直そうとすること」というもともとの意味を思い出させることになった。いわば「リヴィジョニズム」という言葉自体を再解釈あるいは脱構築して捉えることで、時代解釈の定説や主流とされる考え方とは違ったものの見方を提示するという、本来フィクションに求められていた「ヴィジョナリー」としての役割を、1977年から1987年頃までのフィクションやポップアートなどが取り戻していたと再解釈するのが「リヴィジョニズムの時代」という解釈である。
 1968年アメリカ大統領選でのニクソンの勝利は、ベトナム反戦運動に沸いたカウンターカルチャーの敗北を意味し、1974年にウォーターゲート疑惑によりニクソン大統領が辞任したことは、カウンターカルチャーへのカウンターという保守または中道にも失望感と敗北感を残した。多くの人々が一挙に政治的な運動からも、文化的な運動からも退却していく。多くの人が、何も考えないでいられるコンテンツだけを需要するようになっていき、それまで政治的なメッセージや哲学的思考、文化であったものは、その形式だけをある程度模倣しただけのものになっていく。  ソファーに寝そべったまま動かずにテレビを見て長時間を過ごす人を、「ソファー(カウチ)の上に転がっているジャガイモ」に喩えて揶揄または自嘲した「カウチポテト」という俗語表現は1976年に生まれ、1987年には週刊誌などが当時の若者文化の傾向を「カウチポテト時代」と呼んだ。  1987年以降に「カウチポテト」という表現が日本にも伝わった際に、「ソファでポテトチップスを食べながら」リラックスした時間を過ごすというニュアンスで、半ばあえて意図的にポジティブな意味合いに誤訳するのと同様な捉え方を、この俗語が生まれた直後から、この語を使う人たちはしてもいた。半分は自嘲で、もう半分に、メディアに何が正しいかを説かれたくない、何かを考えさせられた挙句に変な運動へと煽られたくないという消極的な反抗が込められてもいた。
 1980年代の文化を「カウチポテト時代」の文化として、何も考えずに需要できるエンターテインメント消費が始まった時代と捉える解釈のほうが主流であり、「リヴィジョニズムの時代」というのはやや誇張でもある。  アメリカのベトナム反戦運動は、1968年大統領選挙の期間に、当初の純粋さではなくニクソン嫌いという感情を原動力にしたものに変化し、ベトナム戦争からの「名誉ある撤退」と米ソ間の緊張緩和を公約に掲げたニクソンを攻撃するといういびつな運動になり、内部崩壊していく。ニクソン嫌いの感情はいびつなまま、多くの人の中に残った。イギリスの作家であるアラン ムーアは、サッチャー嫌いを1980年代の創作動機のひとつにしていたことを後に認めてもいる。ニクソン嫌いの感情を持った人がニクソンによってアメリカが警察国家あるいはファシスト国家になると考えていたのと同じく、ムーアはサッチャーによってイギリスが警察国家になると考え、それを『Vフォー ヴェンデッタ』(1982-1989)などの作品に反映させた。『ウォッチメン』では、ベトナム戦争でアメリカが勝利し、ウォーターゲート事件も発覚せず、ニクソンが1985年になってもまだ大統領を務め、米ソ間の緊張が第三次世界大戦勃発の危機的状況までに高まっているアメリカを、作品舞台としている。  1980年代のSFやサイバーパンクの作品は、大抵はその作品の執筆開始直後の80年代か90年代に第三次世界大戦が起きていて、環境破壊によって酸性雨が降り続けているなどの、共通したイメージを世界各地で同時多発的に描いている。ビジュアル的にも設定的にも相互に影響を与えている面も多少はあるものの多様で、未来像だけが共通している。これはおそらく、カウンターカルチャーの終わりのニクソン嫌いが生んだイメージだろうと考えるのが「リヴィジョニズムの時代」解釈である。  「リヴィジョニズムの時代」解釈においては、「フィクションにおけるリヴィジョニズム」が果たした役割は、このニクソン嫌いからいびつな形で生まれてきた終末イメージを、結果として、解体したことでもある。  ただ、その後の文化がニクソン嫌いやサッチャー嫌いのようなものを乗り越えたようには見えないし、そうした感情と、政治や経済、あるいは作品を分けて考えられるようになっているようにも見えない。90%以上の科学者が言うにはあと5年で世界が崩壊するという説を20年以上、ハードコアなバージョンだと60年近くかそれ以上、信奉するスタイルは現在も結構活発だし、ニクソン嫌いやサッチャー嫌いに似た感情を煽られた人たちが、自分たち以外全部ヘイトだと叫ぶスタイルも活発で、いびつさは増しているようにも見える。公衆衛生プロパガンダに煽られたり、別に最初から嘘だってわかってたけど周りに合わせただけだし要望があったから解説してあげただけみたいなこと言い出してる人たちが、もともとの専門分野とかのことを真剣に語っても、聞いてる人たちごとバカに見える。
 「フィクションにおけるリヴィジョニズム」などのように「脱構築」を手法化しようとするときの問題は、その後に続いてくる虚無感である。誤解や矛盾が生んだ感情であっても、それを無理に破壊した後の虚無感は、意味の生成を阻害する。何を見ても無意味に思えてくるし、新しいものや考えが視界に入ったとしても見えない状態にまでなってしまう。そうなる前に心理的なブレーキを踏んだとしても、次の作品に向かうために必要な、疑問や発見などの感情や感動が沸き上がる状態とは程遠くなってしまう。作品として上手くいったとしても一回性は免れず、後続の作品も自分自身までも、その作品のエピゴーネン(模倣者、亜流、二番煎じ)になってしまう。そうなった後の感情の回復には、ユーモアなどが助けになるとも言われるが、無理に笑おうとしても辛いだけだし、カウチポテトでもして時間の経過を待つしかない。  アラン ムーアも90年代になってすぐ同様の悩みに直面し、半ばユーモアで、魔術師になると宣言し、魔術とオカルトの研究を始める。ムーアは、「理詰めの創作についての理解の限界の先に進むためには、理性を超える一歩が必要に思え、その一歩の足場となってくれる唯一の領域が魔術だった」と語っている。
 「リヴィジョニズム(修正主義)」という語は、マルクス主義運動においては、マルクス主義の原則とされるものに対して重大な「修正」を加える意見や思想に対して使われる用語であり、ほとんどの場合、批判や蔑称として使われ、その「修正」や「修正主義者」はマルクス主義を放棄したもの、あるいは異端であるとみなされた。1960年代前半、「平和共存」と呼ばれる米ソ緊張緩和を実行したソ連を、中国は「修正主義」であるとして非難し、一方のソ連は中国のそのような姿勢を「教条主義」として非難した。
 知らずに模倣を繰り返しいびつな感情を育むことへの消極的反抗もまた、繰り返されているように思える。
2023年9月 ドラウト メイ トリガー アウトオブシーズン ブルーミング
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toxgo · 3 years ago
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孤独狸固
"TVer"は革命であり、テレビを持っていない僕にとってはメシア的な存在。好きなバラエティ番組はほぼこのTVerから視聴しています。いつも大変お世話になっております(感謝) バラエティ以外にも期間限定の懐かしいドラマ再放送のカテゴリーをチェックするのですが、最近はキムタク特��にブチ当たってしまいました。その中で主人公の"久利生公平"が自分と同じ名前な所にシンパシーを感じているからなのか、何故か無性に観たくなる周期が定期的にやってくる“HERO”を全話鑑賞しました。"コウヘイ"と言えば忘れてはいけないのが、ガッキー主演の"ハナミズキ" この中で生田斗真演じた木内コウヘイの上京を見送る際の「コーヘーくん!」と叫ぶシーンがあったのですが、ここで日本中のコウヘイがザワザワしたとかしてないとか。ちなみに僕はザワつきました笑 ガッキー脱線してしまいましたが、HEROで1番好きなのはシリーズ屈指の豪華キャストだった2006年放送のスペシャルドラマです。
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皆さんの"キムタクドラマ"と言えばなんですか? 僕は2作品あります。まず1つ目は謎の残るラストシーンが印象的で、竹内まりやの“カムフラージュ”が流れるOPが実はストーリーのネタバレになっていた「眠れる森」 細かい詳細はうる覚えですが、OPだけは今もしっかりと覚えているくらいです。もう1つは月曜日の夜は街から人が消えるとも言われた伝説の月9こと「ロンバケ」は外せないですよね。言わずと知れたスーパーボールのシーンは実家が"セナマン"と同じ3階だったのでトライしてみましたが、あんなにキレイに跳ね返って来るはずもなく笑 終いにはマンションの住人にめちゃくちゃ怒られました。原作者の北川悦吏子さんが「続編はありません」とコメントされていましたが、SPドラマだけでもいいので令和の“南と瀬名”を見てみたいですね。
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そして、"HERO"以上に見たくなる周期がやってくるのが"HUNTER×HUNTER" その昔"めちゃイケ"に極楽の山本が復帰した回の加藤浩次に怒られそうなくらい休載が"当たり前"になり過ぎて、ガチ勢達のYOUTUEB考察などでストーリーを自己流に完結させないといけないのではないのかと最近マジで思ってきている同作です。
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天空闘技場編、幻影旅団編、G.I編など、どこを切り取っても面白いのですが、僕のお気に入りはシリーズ屈指の人気を誇る"キメラ=アント" このシリーズは数多くの人気キャラや名シーンのオンパレード。でもやっぱり1番は「2度言わすな」が口癖な蟻の王"メルエム"と、東ゴルドー共和国の捕虜で、軍儀(朝鮮将棋と囲碁を合体させたボードゲーム)の世界チャンピオンの盲目の少女"コムギ"のストーリー。メルエム達は東ゴルドー共和国を支配し、食糧か兵隊の二択に分ける“人間選別”を始めるまでの暇つぶし程度に考えていた"軍儀" ところがコムギの存在がそうはさせませんでした。
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キメラ=アントの王メルエムに初めて"敗北"を教えたのがコムギでした。彼女との軍儀に熱中するメルエム。しかし一向に勝てません。あるときコムギの軍儀に懸ける思いが"命"に匹敵すること知ります。家族からは蔑ろにされながらも、大会に出て賞金を稼いで貧しい家族の稼ぎ頭になっていた彼女は、軍儀界の格言が「軍儀王、一度負ければただの人」 だと伝えます。つまり"負け=死"であると。そんな彼女の持つ強さを知ったメルエムの中の"人に対する価値観"が少しずつ変化し、強さとは武力だけではないのでは?と悩み始めます。しかし、たかがボードゲーム。"武力"でコムギを殺してしまえばこの悩みは一発で解決するはずだと決意します。そしてコムギを匿っている部屋に向かうと、カラスに襲われながらも助けを呼ばないコムギが居ました。血だらけになっている彼女を見て、怪我の具合を真っ先に心配したメルエム。ついさっきまで殺す気満々だった自分の感情と、咄嗟に取った行動の違いに驚きを隠せません。この時に人に対する"思いやり"を初めて知ったのです。
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ネテロが��ルエムについて、「蟻と人の間で揺れている」と言っていた事を表していた名シーンでしたね。
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ハンター会長のネテロはキルアのじいちゃんゼノ=ゾルディックの念能力"龍星郡"の力を借り、メルエム達に奇襲を仕掛けます。そこで2人は驚愕します。キメラ=アントは"人を食糧"としか思っていないはずだったのに、そこには奇襲の犠牲になってしまい、瀕死状態のコムギを抱き抱える王メルエムが居たのです。その光景を目の当たりにしたゼノの「話が随分違うじゃねェかよ」が全てを物語っていました。
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ネテロとの決闘において、ネテロが自分の死を犠牲にした最後の攻撃"貧者の薔薇"の毒に犯されたメルエム。これにより自身の命は長くないと悟りました。そんなメルエムの最後の願いはたった一つ。それはコムギに会う事。そして一緒に軍儀を打つ事。その為に唯一、居場所を知っている潜伏していたハンターのパームこと人間に頭を下げてまで教えてほしいと願ったあの王メルエムを誰が想像できたでしょうか?ここには驚きよりも感動の方が増しました。
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其方→貴様→お主→コムギと少しずつ呼び方が変わっていて、確実に蟻よりも人間に近づいていたメルエム。遂にコムギを見つけて迎えるラスト。自分の犯された毒は伝染すると伝えるメルエムでしたが、コムギもメルエムと同じ気持ちでした。そして最後まで一緒に軍儀を打ちたいと。
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アニメと漫画でラストの描き方が少し異なる所がありましたがどちらも最高でした。アニメはその回のみの特別EDバージョンでしたし。しかし個人的には漫画版に一票です。ラストでメルエムの死に際が近づき、会話のみで描かれたページ。最後の最後の言葉がコムギの「おやすみなさい、メルエム」には涙腺崩壊でした。
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メルエムに"様"はいらぬ!と言われてからの最後の最後にそれ持ってきたり、軍儀の一手一手がキメラ=アント編の敵と味方の展開を表した内容になっていたりと、考察や解説を読んでも難解な伏線を仕掛けている冨樫先生はやっぱり化け物です。
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アニメ版でメルエムの声優を努めたネガティヴ王子こと内山 昂輝さんは、憎めない悪役キャラをやらせたらピカ1だと思ってます。そして最後にもう一つ。このシリーズのEDテーマはゆずの"表裏一体"だったのですが、このイントロを劇中で入れて来るタイミングとナレーションのコンビネーションは神がかり過ぎていました。
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NARI
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monqu1y · 4 years ago
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国を繁栄させる四つの道具  国を治めるうえで一番大切な事と具体的な方法を考えるための逸話
 市営住宅集会所へ講演会を聞きに行った。  演題は「 兵法書 ( へいほうしょ ) を読んで『生き方』を考える」。内容の要点は次の通りだった。   韓非 ( かんぴ ) は、今から2300年ほど前に生まれた 韓 ( かん ) の貴族。隣国 秦 ( しん ) の圧迫に苦しむ祖国を救うために兵法書を書いた。韓王様は、その兵法書に興味を示さなかったが、隣国 秦 ( しん ) の王様 政 ( せい ) (後の 始皇帝 ( しこうてい ) )は、兵法書に書かれている内容に感動していた…兵法書に書かれている方法で富国強兵を実現し、戦国の乱世を終わらせることができると思ったから。   秦 ( しん ) に 韓 ( かん ) を自国の一部にしようとする動きが有ったので、 政 ( せい ) を説得して 韓 ( かん ) を 秦 ( しん ) とは別の[国]として認めてもらうために、 韓非 ( かんぴ ) は 秦 ( しん ) に行かされた。   政 ( せい ) が 韓非 ( かんぴ ) を信頼して大臣に任命したら自分は大臣を 辞 ( や ) めさせられると考えた 李斯 ( りし ) は、悪口を言いつけて 韓非 ( かんぴ ) を牢屋に入れさせるようにした。そして、 政 ( せい ) が考え直す前に 韓非 ( かんぴ ) を自殺させた。「 拷問 ( ごうもん ) で苦しむ前に毒を飲んだ方が楽」と親切心を 装 ( よそお ) い���ドバイスする 振 ( ふ ) りをして…
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 韓非が書いた内容は、次の四つ。 1)国を豊かにし軍隊を強くするための四つの道具 2)国を滅ぼす五つの害虫 3)家来や家族の心を見抜くのに役立つ六つの 徴 ( きざし ) 4)家来や国民をコントロールするための七つの技術 [国を興すための道具]のうち主なものは、次の四つ。 1)[国の法律]を実行するための組織 2)[国の法律]:国民が行うべき事やしてはならない事を書いた文章 3) 布令 ( ふれい ) :[国の法律]を国民に知らせるための立て札など。「貧乏を無くす」「搾取階級を討つ」「差別を許さない」「弱者を救う」「自由と民主」などの ス ( ・ ) ロ ( ・ ) ー ( ・ ) ガ ( ・ ) ン ( ・ ) も、これの一種。 4) 信賞必罰 ( しんしょうひつばつ ) :富国強兵に役立つ行いをした者には必ず 褒美 ( ほうび ) を 与 ( あた ) え、[国の法律]に違反した者は必ず処罰するという[国の法律]の運用  以下は、韓非が書いた兵法の要旨 〖国を治めるうえで一番大切なこと〗  行うべき事としてはならない事を法律で決めて、国民に法律を守らせる。  王様が[法・術]を 駆使 ( くし ) して富国強兵を実現すれば、望みのもの全てを手に入れることができる。富国強兵の方策とは、法律や禁令を明らかにし、計略をよく心得ることである。法律が明らかであれば、国内に事変が起こっても混乱することなく、計略が当を得ておれば、国外で戦死したり捕虜になったりする恐れもなくなる。  いつの時代でも、徳のある人が采配をふるって民衆がそれを見習うことで一国が治まるとは限らない。腹が減っているとき目の前に米をみつければ人目を避けて盗り、貧しいとき目の前に金塊をみつければこっそり盗む人間が多い今、仁徳だけでは国を治められない。  私利私欲の許されない国家運営の場面において、チェックや監視がしっかり行われなければ、社会は乱れ政治は腐敗して、国が滅亡に向かう。  昔の秦国では、だれも国法を守らず、仲間うちの 掟 ( おきて ) を勝手に作ったり、好き勝手に行動していたので、国は乱れ、軍隊は弱く、王様はバカにされていた。  大臣に任命された 商鞅 ( しょうおう ) は、王様に、国法をキチンと決めて皆に守らせる方法を 提案 ( ていあん ) した。  五軒組と十軒組をつくって、国民に密告させあい、連帯責任をとらせる。   詩経 ( しきょう ) や 書経 ( しょきょう ) などの書物は焼き捨て、法令を明示する。  大臣の請願を聞き入れず、国のために働く者を大切にする。  当時、秦の国民は、罪を犯してもうまく逃れ、功績もないのに 讃 ( たた ) えられる古い 習 ( なら ) わしに慣れきっていたので、新しい法が出ても軽視して守ろうとしなかった。しかし、新法を犯す者に必ず重罰を加え、密告者に 褒美 ( ほうび ) を取らせるようにしたら、密告と受刑者が増えた。  新法に反対する世論が盛り上がったが、王様も 商鞅 ( しょうおう ) も、構わず、新法を適用して犯罪者を取り締まった。  その結果、犯罪は減り、国は良く治まり、軍隊は強く、国土は広く、王様の 権威 ( けんい ) は高くなった。  また、 商鞅 ( しょうおう ) は、商工業よりも農業を大事にすべきだと 提言 ( ていげん ) した。  国民が家を離れて仕官を求めることを禁止し、事あるときに兵役をつとめる農民を表彰する。   魏 ( ぎ ) の 昭 ( しょう ) 王は、自分で政務を手がけてみたくなった。  そこで、 孟嘗君 ( もうしょうくん ) に言った。  「ひとつ自分で政務をやってみたいが」。  「政務を手がけられるのでしたら、まず法律を勉強 為 ( な ) さることです」。  昭王は法律の本を読みだしたが、いくらも読みすすまないうちに、眠ってしまった。  そして、「私には法律の勉強はできない」と 嘆 ( なげ ) いた。  王様は、権力のカナメをおさえていればよい。家来にまかせておけばよいことまで自分でやろうとするのでは、眠くなるのは当然だ。  「どうも法というのは、うまく使えない」と、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 王が大臣の 申不害 ( しんふがい ) に愚痴をこぼした。  「法は、功績によって賞を与え、能力に応じて官を授けることです。あなたは法を定めておきながら、身近の者の請願を聞き入れていらっしゃる。それでうまくいかないのです」。  「なるほど、これで法の使い方がわかった。もう誰の請願も聞き入れないぞ」。  ある日、申不害が 従兄 ( いとこ ) の仕官を願い出た。  「おまえは、そうは教えなかったはずだ。願いを入れて教えを捨てたものだろうか。それとも、願いを断ったものだろうか…」。  申不害は謝って引き下がった。  市場に出かけようとする母親に子どもがついてきて泣いた。母親は「家にお帰りなさい。お母さんもすぐ帰ってあなたのために豚のごちそうを作るからね」と言って子供��なだめた。  母親が市場から帰ると、父親が豚を殺そうとしていた。母親は父親を止めながら、「あれはただあの子に冗談を言っただけのことですから」と言った。  父親は、「子供は冗談だと思っていないぞ。子供には冗談が分からないのだ。だいたい子供というものは、両親からいろいろなことを学ぶもの、両親の言うことにちゃん��従うものだ。今もし子供をだますようなことをすれば、それは子供に人をだますことを教えることになる。第一、母親が子供をだませば、子供は母親を信用しなくなる。それでは子供に教育なんぞできやしないではないか」と言い、豚を煮た。 〖国法を守らせるための条件整備〗   斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公がお忍びで民間を視察したときのこと。   鹿門稷 ( ろくもんしょく ) という男がいたが、彼は七十になっても妻がなかった。  桓公がお供の 管仲 ( かんちゅう ) に聞いた。  「しもじもには、年寄りになっても妻を持てない男がいるものだろうか」。  「ございます。鹿門稷という男は、七十だというのにまだ妻がありません」。  「どうしたら妻を持たせることができるだろうか」。  「こういう言葉があります。王様が財産を作りすぎると、しもじもの暮らしは貧しくなる。宮中にひとりで寝る女がいると、しもじもには老いて妻なき男が出る」と。  「わかった」と、言って、桓公は、まだ手をつけていない宮中の女を、みな嫁に出した。  それから次のような命令を出した。  「男は二十で嫁をとること。女は十五で嫁にいくこと」。  こうして、宮中には、ひとり寝の寂しさを歎く女はいなくなり、民間には妻のない男がいなくなった。  何の準備もなしに命令だけ出しても守られるはずがない。 〖信賞必罰〗  母の幼子に対する愛情は、何よりも深い。しかし幼子が良くない行いをするようならば、先生につかせて修養をさせるし、悪い病気にかかるならば、医者にみせて治療をしてもらう。もし先生につかなければ刑罰を受けることにもなりかねず、医者に見せなければ死んでしまうかもしれない。母がいくら我が子を愛しても、愛情などは、刑罰から、また死から救うのに役に立たない。つまり子供を無事に育てるものは、愛ではないのである。子と母とを結ぶ絆は愛である。また君臣関係を結ぶものは計算尽くである。母でさえ愛を以って家庭を無事に存続させることができないのに、どうして王様が愛などと言うもので国家を保持することができようか。  仁者は恵み深く、気前よく財産をばらまいてしまう。暴者は心が強くて動かされず、簡単に罰を与えてしまう。慈しみの心が深いと、厳しく罰することができず、気前が良いと、人に与えることを好み、心が強いと、臣下どもに対して憎しみの心が現れ、簡単に罰を与えると、むやみに人を死刑にしてしまう。その結果、厳しく罰することができなければ、罪を多めに見ることが多くなり、人に与えることを好めば、功績の無い物にまで恩賞を与えてしまう。また、憎しみの心が現れれば、下々の者はおかみを怨むようになり、むやみに人を死刑に処したならば、民衆は謀反を起こそうとする。  だから、仁者が王様の位につくと、下々の者は好き勝手に振る舞い、軽々しく法律に違反して、お上に対して一時の幸福をむさぼることを望むのである。また暴人が王様の位につくと、法律は気まぐれで王様と臣下の仲は不和になり、民衆は怨んで謀反の心を生じる。そこで私は、仁者にしても暴人にしても、ともに国を滅ぼすものだと主張するのである。  親や近所の者や先生がいかに怒り、責め、教え 諭 ( さと ) しても、少しも改めようとしない子供でも、法律を以て悪人を摘発する巡査が来たら、恐くなって変節し、良い子になる。  民衆は愛情に対しては図に乗ってつけあがり、 威嚇 ( おどし ) にはおとなしく従うのだ。  政治を知らない者は、「刑罰を重くすると、国民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事を予防できるのに、どうして重くする必要があるのか。」と言うが、軽い刑で悪事をしない者は、重い場合にも当然悪事に手を出さない。  重刑は、悪人にはプラスになるところが小さく、お上が下す罰は大、民はわずかの利益のために大きな罪を犯すことはしない。  軽い刑は、悪人が得る利益は大きく、お上の下す罰は小、民は利益を目当てにその罪を見くびるから、悪事は防ぎようがない。  20㍍の城壁を、身軽な者でも越すことができないのは、そそり立ってけわしいから。黄金30㌕が道に落ちていても拾う者が居ないのは、必ず罰を受けるからだ。  高山で羊を飼えるのは、山がけわしくないから。2㍍の布が道に落ちていれば拾う者が居るのは、罰を受けるとは限らないからだ。  功績のあった者に必ず賞を与えて 讃 ( たた ) え、犯罪者は手心を加えず罰して不名誉に 晒 ( さら ) せば、能力のある者もない者も全力をつくすだろう。   荊南 ( けいなん ) 地方にある 麗水 ( れいすい ) という川には 金 ( きん ) が出る。金を採ることは法令できびしく禁止されており、捕まれば衆人の前で 磔 ( はりつけ ) の刑に処せられる。処刑された死体はおびただしい数にのぼり、川の流れをせき止めるほどになったが、金を採る者は、あとを絶たなかった。衆人の前で 磔 ( はりつけ ) にされるほど重い刑罰はないのに、それでも金を採る者がいるのは、絶対捕まるとは限らないからだ。  「お前に天下をやる。その代わり、お前の命はもらう」と言われたとする。それでも天下をもらうという馬鹿者はいないだろう。天下をもらうほど大きな利益はないのに、それをもらう者がいないのは、必ず殺される、とわかっているからだ。  魏が 武 ( ぶ ) 王のとき、 呉起 ( ごき ) は 西河 ( せいか ) の長官となった。  国境近くに 在 ( あ ) る敵国 秦 ( しん ) の小さな 砦 ( とりで ) が農民に害を及ぼしていた。といってそれを除くためにわざわざ軍隊を集めるのは大げさすぎる。  考えた末、車のかじ棒を一本、北門の外に立てかけ、布令を出した。「このかじ棒を南門まで運んだ者には、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。  布令を信じかねて運ぶ者がいなかったが、あるとき、それを運んだ者が出てきた。すかさず、布令���おりの賞を与え、今度は一 石 ( こく ) の赤豆を東門の外に置いて、布令を出した。「この赤豆を西門まで運んだ者には、前と同じほうびをとらせる」と。人々は先を争って運んだ。  そこで呉起は布令を出した。「明日、砦を攻めるが、一番乗りした者には、 大夫 ( たいふ ) の地位を与え、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。人々は先を争って砦に攻め込み、あっという間にこれを占領してしまった。 〖国益と私利〗  王様が国民の利己的行為を許せば、国の利益は害される。  王様が賞罰を加える対象と、国民が名誉・不名誉とする対象は、 往々 ( おうおう ) にして 一致 ( いっち ) しない。  功績をあげて爵位を与えられた者が世間では評価されなかったり、農業に 励 ( はげ ) んだ者が賞を与えられても農業はつまらない仕事と思われたりする。  その一方で、招請に応じない者を排斥しても、彼らが俗世を超越するものとして尊敬されることがある。世間の評判を気にして、自分で働かずに衣食を得る「有能者」や、戦功をあげずに高位にのぼる「賢人」を横行させれば、国土の荒廃と兵力の弱体化をまねく。  学問によって世を乱す儒者を赦してはならない。  大臣が魚好きであることを知った国中の者たちが、争って魚を買い求め、彼に献上してきたが彼は受け取らなかった。弟が理由を聞くと、大臣は「魚が好きだからこそ受け取らない。献上される魚を受け取って判断に影響し、法を曲げれば、大臣を辞めさせられる。献上される魚を受け取らず、大臣を辞めさせられなければ、安心して自分の力で魚を得ることができる」と答えた。   楚 ( そ ) の国の正直者が、羊を盗んだ自分の父を、 令尹 ( れいいん ) 大臣に訴え出たが、令尹はこの正直者をつかまえて死刑を宣告した。王様に忠義だてして親不孝の罪を犯したものとして断罪したのだ。令尹が、父親を訴え出た息子を罰してからというもの、 楚 ( そ ) の国では罪人を訴え出る者がいなくなった。   魯 ( ろ ) の国が戦ったとき、三度出陣して三度とも逃げ帰った男がいた。どうして逃げてばかりいるのかと孔子が尋ねると、男は答えた。「わたくしには老いた父があります。わたくしが死んでしまったら、養う者がおりません」。その孝行ぶりに感心して、孔子は彼の位をあげてやった。孔子が、敗走した兵士の位を上げてからというもの、魯の国民は敗走を恥としなくなった。  「仁義」を身につけた者を信頼して登用したり、学問を修めた者が先生と呼ばれて名声が得るような風潮を許せば、国は乱れて王様の地位がおびやかされるようになる。  国を富ます農業や敵を防ぐ兵士にたよりながら、同時に飾りたてた儒者の服装を喜ぶのは、チグハグな行動だ。国法を敬わずお上をおそれない遊侠、刺客のたぐいを養うのも、チグハグな行動だ。チグハグな行動をしていたら、働く者が勤めをおろそかにし、働かず学問する者が日ましに多くなる。そして、世の中が乱れる。   宋 ( そう ) の 崇門 ( すうもん ) の町で、あまりに真剣に���の喪に服したため、ひどくやせ衰えてしまった者がいた。親を思う心が深いからだとして、お 上 ( かみ ) は彼を官吏にとりたてた。  次の年には、喪に服したため身体をこわして死ぬ者が、十人以上も出た。子が親の喪に服すのは、肉親の愛情に発することだが、それすらも、恩賞によってこのように奨励できる。  家来が王様につくすことにおいては、恩賞による効果が大きいはずだ。  昔、 蒼頡 ( そうけつ ) は、文字を創るにあたって輪になった形の「ム」によって「私」を表し、それに反するという意味の「ハ」を加えて「公」という字にした。公私が相反することは、既に蒼頡が知っていた。未だに公私の利害が一致すると思うは無知の 極致 ( きょくち ) 。 〖国法と人情〗  良く治まってる国は、国法が人情に通じており、国を治める道理にかなっている。  小さな悪事は、村人に連帯責任を負わせ、相互監視させる。禁令で自分に連座するものがあれば、村人は監視せざるをえない。監視する者が多ければ、悪者は悪事を謀れない。  ウナギは蛇に似ており、蚕はいわゆる毛虫に似ている。人は蛇を見ると、びっくりし、毛虫を見ると身の毛もよだつ。だのに、夫人は平気な顔をして、蚕を摘み上げ、漁師はウナギをわしづかみにする。利益があるとなると、人が嫌うことなどは忘れてしまって、みんなあの孟墳のような勇士となる。  だれでも自分の知らない物事には警戒するが、よく知っている物事には進んで為そうとするものだ。なぜならそうすることが自分にとって得になることが容易に推察できるだからだ。   子綽 ( ししゃく ) は、「左手で四角を画きながら右手で丸を画くことはできない。肉でアリを追っても集まるだけだ。魚でハエを追っても群がるだけだ」と言った。道理に逆らった行為は、うまくいくはずがない。 《禁止と奨励、賞と罰、その原則を逆にしたら、どんな神業をもってしても、政治はできない。条件を与えながら進ませないのは、乱の起こる元である》。 〖損得感情の働きを知る〗  人は幼児期に親に 疎 ( おろそ ) かにされると成長して親をうらむ。成人となった子供が老いた両親を 粗略 ( ぞんざい ) に養うと親は怒って子供を責める。本来、子と親の仲は、利益を度外視したきわめて親密な関係であるはずなのに、相手をうらんだり非難したりするのは相手が自分に報いてくれるという打算があるからだ。得すると思えば仲よくなり、損すると思えば、親子の間にもうらみの気持ちが生じる。  君臣関係では、肉親関係以上に打算が働く。まっとうなやり方で身の安全が保障されるならば、臣下はそれなりに力を尽くして主人に仕えるだろうが、そうでなければ私利私欲に走り、上に取り入ろうとする。王様は、何が得で、何が損なのかをはっきり天下に示したうえで、役立つ臣下に官爵を与え、臣下はそれに対して己の知力を提供��るようにしなければならない。  カラスを飼いならすには、まず羽を切る。羽を切られてしまえば、カラスは人間に餌をもらうほかない。どうしたって馴れないわけにはいかないのだ。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様の家来飼育法も、これと同じだ。  ポイントは、 俸禄 ( ほうろく ) に頼らざるを得ず、与えられた職に務めるほかないように仕向けることだ。家来は 否 ( いや ) も応もなく服従するだろう。 〖王業の基礎〗  王様が家来を評価するとき、世間の評判に惑わされて、成果を確かめなければ、口先ばかり達者で実際の役に立たない者が増える。昔の聖人を 讃 ( たた ) え「仁義」を口にする者が朝廷にあふれれば、実力と実行力を兼ね備えた人材は世に 埋 ( うず ) もれ、国力が 衰 ( おとろ ) えていくことになる。   商子 ( しょうし ) 、 管子 ( かんし ) といった政治書を読む人々は多くても、内容を活用する人は少なく、農業の議論はしても実際に 鋤 ( すき ) を手にして耕作する者が少なければ、国は貧しくなる。   孫子 ( そんし ) 、 呉子 ( ごし ) といった兵法書を備えていても、実際に 鎧 ( よろい ) 兜 ( かぶと ) をまとって戦う者が少なければ、軍隊は弱くなる。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、無用な議論が国力を弱めることを知っており、実用にのみ価値を認める。そうすれば、国民はそれに従い、国力は充実していく。  田畑で働く骨の折れる仕事に国民が従事するのは、富を手にすることができるからだ。  戦で死ぬ危険があっても国民が兵役につくのは、高い身分を求めるからだ。  学問や言論を修めれば畑仕���で骨を折らなくても富が手に入り、戦で死ぬ危険を 冒 ( おか ) さなくても高い身分が得られるとしたら、誰が骨を折ったり危険を冒すだろうか。頭を使う者が多くなれば、法の権威は失われ、力を尽くす者が少なくなれば、国は貧しくなる。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様が治める国に書物は無用、[法]が[教え]なのだ。  聖人の言葉も無用、官吏が先生なのだ。遊侠の私的武力も無用、国の戦で敵を斬ることが勇気なのだ。  国民は、法にはずれた言論を 為 ( な ) さず、働くときは実績をあげるように働き、勇気は戦で発揮する。このように王業の基礎をかためれば、太平の世に国は富み、戦となれば強い軍隊が国を護る。 ⦅亡国五害[韓非]に続く⦆
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cookingarden · 4 years ago
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ジェイ・ローチ監督『オールザウェイ JFKを継いだ男』 (その2:民主党全国大会から大統領選挙まで) 原題:All The Way 制作:HBO Films, アメリカ, 2016. 大統領選挙に立ち塞がる二つの難題 公民権法はなんとか成立に漕ぎ着けたものの、大統領選はあと4ヶ月に迫っていた。すでに共和党のゴールドウォーターは、1936年以来の保守派出身の大統領候補として活発な選挙活動を展開していた。対するジョンソンは"ALL THE WAY WITH L.B.J.(どこまでもジョンソンと共に)"の標語を掲げる。本格的に大統領選を開始するにあたりジョンソンは、「これまでとは異なる方法で闘う」と闘志を顕にしている。映画のタイトルはこのときの標語から採られたものだ。
この時点でほぼ同時に二つの問題が起きる。ひとつは、公民権運動「フリーダム・サマー」の活動家3人が失踪する事件である。最終的に3人は死体で発見されるが、殺害には3人をスピード違反で逮捕した白人警官のシーセル・レイ・プライス副保安官が絡んでおり、後にプライスがKKKの陰謀の片棒を担いでいたことが明らかになる。この経緯については映画でも簡明に表現されているが、事件の真相については引用文献13) に詳しい。 もうひとつは北ベトナムの空爆である。8月に入ってすぐ、国防長官ロバート・マクナマラからトンキン湾で駆逐艦マドックスが魚雷による攻撃を受けたとの情報が入る。だが、詳細を問うジョンソンに、マクナマラは明快な攻撃の証拠を示さない。確かに攻撃を受けたが被害はないという。だが、マクナマラは大きな問題があるという。いったい何が問題なのかとジョンソンが詰問する。マクナマラは「攻撃された場合、空爆する決まりになっています。残念ながら、この情報が漏れてしまいました。」という。 すぐにジョンソンは、これは国内問題に発展すると気づく。空爆しなければゴールドウォーターが「弱腰だ!」と突いてくるのは間違いない。それに世論が応じれば選挙には大きな痛手になる。だが、攻撃を受けた確たる証拠はない。ハンフリーは「確信を得てから攻撃すべきです。」と空爆を思い止まらせようとする。しかし、ここでジョンソンは苦渋の表情でマクナマラに空爆を命じる。「やれ。」これが事実上の北ベトナムに対する宣戦布告になったと言われている。14) この決定の直後ジョンソンは、彼に反対したハンフリーに「ゴールドウォーターが勝てばソ連との世界大戦がはじまる。貧困や公民権問題も忘れられる。わたしはこの国を変えたいんだ。君を副大統領にと考えた自分がバカだった。お前は慰めにもならん! 選挙の年なんだ!」と罵声を浴びせている。
公民権活動家殺害事件が生んだ新党 最初に起きた公民権活動家3人の殺害事件は、大統領選に大きな影響をもたらす。少し詳しく経緯を辿っておきたい。 被害にあった3人は、KKKによって放火された教会の調査に向かうところだった。その彼らが殺されたことで、白人への抗議はかつてない高まりを見せる。黒人の意見を議会に反映させる必要性が叫ばれ、南北戦争以来はじめてといわれる非差別・非排他的な新党MFDP(Mississippi Freedom Democratic Party:統一ミシシッピ州自由民主党 )への議席獲得運動がはじまる。キング牧師はMFDPの代理人に就任する。 これはジョンソンにとって頭痛の種だった。地元テキサスの知事ジョン・コナリーが、もし黒人に議席を与えれば、南部の多くの州が民主党党大会から退席すると通告してきたのだ。民主党全国大会は民主党が正副大統領の指名候補を選出するための大会である。ここで南部の党員が退席すれば、ジョンソンは大統領候補者の指名を得られなくなる。 ちょうどそのとき、MFDP副代表の黒人女性ファニー・ルー・ヘイマーが、1963年に彼女が有権者登録をしようとして受けたひどい仕打ちについて、会場のテレビカメラの前で証言しようとしていた。テレビ中継がはじまり、人間の尊厳を顧みない、人道にもとる暴行が語られる。ヘイマーは、「いったい、ここはアメリカなのでしょうか」と、悲痛な訴えを行う。 この訴えがリベラル派の支持を集め、南部の党員に不快感を与えれば彼らは退席してしまう。テレビの前で危機感を募らせたジョンソンは、自ら会見を開き党大会のヘイマーの会見から人々の目をそらすことを思いつく。内容などどうでもよかった。すぐに準備を整え、ヘイマ一の会見に大統領の会見が割り込む。へイマ一にしてみれば酷い話だ。 ジョンソンは記者団を前に、「副大統領候補は誰になるのか? この件は間もなく決定します。」と発表する。たったそれだけの会見だった。呆気にとられる記者たちの表情が捕らえられている。黒人の権利を尊重しながらも、ジョンソンがいかに選挙戦を重視していたかがわかる。 だが、黒人の議席を求めるMFDPの要求は収まらない。考えた挙句ジョンソンは、黒人と白人にそれぞれ1議席を与えるアイデアを思い付く。その上でジョンソンは、これまでハンフリーを利用してきた全米自動車労働組合のウォルター・ルーサーに「このまま党大会が荒れればハンフリーの将来はない、そうなればお前らの利権は断たれるぞ。MFDPをなんとかしろ。」と脅しをかける。 ルーサーはハンフリーとの政治的な繋がりを利用し、組合を通じてMDFPに資金を提供してきた。利権を失いたくないルーサーはキング牧師と面会し、譲歩しなければ援助を打ち切ると伝える。組合からの援助がなくなれば、MFDPは街頭募金に頼るしかない。それでは組織が維持できない。キング牧師は2議席の妥協案を受け入れようと仲間を誘う。これにたいし、SNCC(学生非暴力調整委員会)の指導者ボブ・モーゼスは「大農場の白人経営者みたいな決め方だ」と批判する。キング牧師は「わたしは100年に一度のチャンスをムダにしたくない」と反論するが、話し合いは物別れに終わっている。 投票権のときもそうであったように、ここでもキング牧師はジョンソンの考えを支持している。キング牧師の活動に理解を示した大統領といえばケネディの名前があがることが多いが、この映画からは、実際に考えと行動をともにしてきたのはジョンソンだったと思えてくる。 寝室で行われた民主党全国大会の舞台裏 結果的に党大会では、MFDPに2議席を与えるという決定に反対したミシシッピとアラバマの代表が退席する。ジョージア州知事カール・サンダースからも、自分たちも退席すると電話がかかってくる。いまにも南部の全州が党大会を抜ける勢いだ。このときジョンソンは、会場から電話で「黒人に議席を与えれば党大会は乗っ取られます。これは信条の問題です。」と訴えるサンダース知事に、次のような説得を行う。(ジ)はジョンソン、(サ)はサンダースである。
ジ「黒人たちも民主党員なのに州大会を締め出された。」 サ「登録していないからです。」 ジ「登録させないんだ! 殴ったり銃で撃ったりして。」 サ「一部の白人の話です。」 ジ「カール、いまどき古いやり方をしていたら政治の世界では生き残れない。黒人を食い物にするのはやめるべきた。」 サ「大統領こそ、あの黒人たちを追い出さないと・・・」 ジ「分からないか!! 君こそ決断すべきだ。キリスト教徒だろう。聖書の言葉を心に刻んでいないのか。君の政治信条は? ジョージア全州民の生活を改善したくないのか?  サ「それは・・・」 ジ「君も男だろう。正しいと思うことを貫くのが男だ。それとも逃げ出すか。わたしを脅しても無意味だ。退席したいなら、早く出て行け! 違うなら──わたしの標語が書かれた帽子をかぶって、そこにいてくれ。会場で会おう!」
ここでもジョンソンは、自分が考えることを相手が自分の身で考えるように相手を誘導している。受話器を置いたサンダースはその場に止まる決断をする��これらのやりとりはすべて、ジョンソンの寝室から、パジャマ姿で電話を通して行われている。だが、会場で興奮状態にある相手を電話で説得するのは大変なことだ。 電話のあと疲れ果てて横になり、「オレはもうダメだ。バード、君はいつも逆らう、ヤツらと同じだ。放っておいてくれ。」と子どものように拗ねるジョンソンに、バードが「お断りよ。わたしを見て。あなたは世界一勇敢な大統領よ、党大会でもこの国でも。わたしの夫はダメ男じゃない。」と声を掛ける場面がある。映画とはいえこの二人の姿には、この男は国民からも愛されていたのだろうと思わせる妙な生々しさがある。 こうして、ジョンソンは民主党の大統領指名候補として選出される。副代表候補は、もちろんハンフリーだった。 大統領選を有利にしたジョンソンのメディア戦略 民主党の大統領候補者指名は獲得したものの、選挙戦に出遅れたジョンソンは苛立ち、巻き返しを図る。大統領選挙の当日11月3日まであと27日に迫った日、ジョンソンは広報ビデオの最終確認を行う。これまで観たこともない映像だ。ビデオを観終わったジョンソンは直ちに「すぐ放映しろ」と指示し、もう一度見せるように言っている。それは彼にとっても印象の強い映像だった。 原爆実験の映像を使ったこのテレビCMは、日本人のわたしには受け入れがたいものだ。しかし、映像は批判的な意図で使われたようだ。Wikipediaには、ゴールドウォーターがベトナムで核兵器を戦術利用すると発言したのを批判したものだとある。15) そしてこのビデオは、何よりも当時のアメリカ人に絶大なインパクトを与た。 「雛菊の少女」と呼ばれるこのテレビCMについて、国際政治学者の松本佐保氏は、『熱狂する「神の国」アメリカ』のなかで次のように書いている。16)
(「雛菊の少女」は)平和な雛菊の花畑が、核爆発の画面に切り替わるもので、タカ派の共和党が政権を取れば核戦争が勃発すると仄めかしたこのキャンペーン用CMは、キューバ・ミサイル危機の恐怖冷めやらぬ国民に、絶大なインパクトを与えた。大統領選での一般投票では、ジョンソンが六一・一%もの票を獲得し、ゴールドウォーターの三八・五%に大きく差をつけて圧勝したのである。(Kindle の位置No.1214-1217)
松本氏によれば、テレビCMによる民主党のネガティブ・キャンペーンで大きな敗北を期した共和党は、その後メディア戦略を見直しメディアの効果的な活用に目覚めたという。現在では主流となっているSNSの政治利用も、源流は1964年に登場したこの「雛菊の少女」にあるのかもしれない。 圧倒的勝利となった大統領選挙 いよいよ選挙戦の終盤となり、ジョンソンはルイジアナ州ニューオルリンズの党大会で演説にのぞむ。共和党候補ゴールドウォーターの支援者で埋め尽くされた会場は、「頑張れゴールドウォーター!」の叫びで包まれている。ジョンソンは「なんで民主党の集会でゴールドウォーターなんだ。」と渋面を浮かべながら壇上に上がり、「南部の皆さん聞いてください」と切り出す。 ちょうどこのときキング牧師は、10月14日に発表があったノーベル平和賞の祝賀会で演壇に立っていた。17) キング牧師は静かな口調で、いまも続く黒人への厳しい差別の現状を訴える。
わたしは公民権運動を代表して、この賞をいただきます。公民権運動は、自由と正義の国をつくるための運動です。暴行され、殺された仲間が後を絶たない。だが、わたしには確信がある。すべての人が、尊厳と平等と自由を享受できるはずだ。
一方の党大会ではジョンソンがこう訴える。
よそ者が人種差別だと騒ぎ立て、南部の人間を分断しようとしているという。だが、皆さんが手をとれば南部はもっと良くなる。それなのに、選挙になれば『ニガー、ニガー、ニガー』の憎しみにあふれている。だがわたしは、偏見を訴え騙すものを許さない。わたしたちは公民権法を手に入れた。わたしはこの法律を執行します。なぜなら、それが正しいことだからです。
このカットバック場面は、ジョンソンとキング牧師の二人がともに思いを重ね手を取り合えたことが、互いの念願だった人種差別の克服に貢献したことを伝えている。二人が共に口にしている公民権法の成立、そ��てノーベル平和賞がその具体的な成果である。ジョンソンの演説する姿が選挙戦に勝利する前なのは、大義の成就を約束する未来への予言的な意味あいなのだろう。 そしてついに1964年11月3日、大統領選挙の日が訪れる。テレビが開票速報を伝える。これまで民主党の牙城だったジョージア州では共和党が勝利したことが伝えられる。しかし、南部ではジョンソンが追い上げている。そして夕刻、ニューヨーク州での投票が終わる。 そのころすでに夜になり、地元ジョンソン農場では勝利を確信した人々が集まり、祝賀ムードに包まれていた。その喧騒のなかテレビがジョンソンの勝利を伝える。
リンドン・ジョンソンが次期大統領に選出されました!
人波のなかでジョンソンが叫ぶ、「当選したぞ、バードを呼んでくれ! バードはどこだ?」その背後からバードの声がする。「いつだって、後ろにいるわ」と。当選と同時に妻の名前を叫び、背後から声を掛けるバードの姿に、共に戦ってきた二人の姿が滲み出ている。 開票結果は記録的なものだった。ジョンソンは50州のうち44州とコロンビア特別区を制する大勝利を収めた。ラッセルの地元ジョージアは共和党が勝利したが、共和党保守派は拒絶されたことになる。さらに、ジョンソンは一般選挙で61.1%の得票率を獲得した。これは1820年以降の大統領候補者が得た最高の得票率と言われている。18) こうして1964年は、7月の公民権法の制定、10月のキング牧師のノーベル平和総受賞、そして11月の大統領選での民主党ジョンソンの圧勝という歴史的な変化が、アメリカの政治と国民の意識に刻まれる年となったのである。 悲劇を招いた北ベトナム空爆 しかし、ジョンソンがケネディから引き継いだのは公民権法だけではなかった。公民権法が山場を越えたあと、大きな問題として残されたのがベトナム戦争だった。 ジョンソンは人種差別の克服に大きな功績を残したが、同時にベトナム戦争の拡大をもたらした大統領でもあった。ジョンソンは選挙戦のさなか北爆を命令する。前述のように、このときマクナマラから伝えられた情報は不確かなものだったが、ジョンソンは選挙戦で不利になることを恐れ攻撃の道を選んだ。その判断は正しかったのだろうか。映画にはその後日譚が微妙なタッチで描かれている。 当選が伝えられ祝賀気分に包まれるジョンソン農場には政府の高官たちもいた。祝賀会が中盤に差し掛かったころ、ラッセルとの電話が終わるジョンソンを待つマクナマラの姿があった。マクナマラは「こんなときですが、お詫びがあります。」と、サイゴン(現在のホーチミン)大使館から届いた報告書を手渡す。 映画に描かれているのはこれだけだが、マクナマラが口にした「お詫び」は、8月にマクナマラが報告した魚雷の攻撃が間違いだったことを暗示しているように見える。映画からはその具体的な内容を窺い知ることはできないが、北爆がその後も激化していくことを考えれば、当選祝賀会の夜にこのような形で何か決定的な「反省」が伝えられたとは考えにくい。はたしてこの場面は史実なのだろうか。 映画の範囲を超えるが、この話は4年後のいわゆる「トンキン湾捏造事件」へと発展する。ペンタゴン秘密文書の公開により、攻撃がホワイトハウスで仕組まれていた事実が明らかにされるのだ。ジョンソンが議会に提出し採択された「トンキン湾決議」自体も取り消された。 公民権法で人種差別の解消に務める一方、それを実現するための政治判断が事実の捏造にもとづくベトナム戦争の拡大だったことは大きな矛盾だった。もちろんジョンソンには、もし攻撃を思い止まったことで選挙に負ければ、ゴールドウォーターが世界大戦の口火を切るとの思いがあった。しかし、歴史の事実に「もし」はない。ジョンソンは大きな汚点を残すことになった。 このことは、ジョンソンの政治生命に大きな影響をもたらす。ジョンソンは1968年3月31日夜、次の大統領選挙についてテレビ演説を行い、次の考えを述べたという。6)
アメリカ軍の兵士たちが遥か彼方の戦場にいて、アメリカの未来が国内で危機に瀕し、全世界が平和を願おうと、毎日が不安定な状態にある時、私は自分の時間の1時間、1日たりとも、1個人・1党派の目的追求のために捧げるべきではないと考えます。大統領という大きな義務以外の如何なるものも、自分の時間を捧げるべきでないと信じます。
したがって私は次期大統領候補として、民主党の指名を求めることも、受諾することもありません。
この大統領選挙不出馬の表明は、ベトナム戦争の失敗により、国民との信頼関係が持てなくなったことを表している。その前年の1967年11月には、マクナマラ国防長官が辞意を表明している。さらに、追い討ちを描けるようにテレビ演説の4日後の1968年4月4日、キング牧師が凶弾に倒れる。不出馬を表明したころのジョンソンは想像を絶する悲劇のなかにいたことだろう。映画に描かれた4年前とは状況は様変わりしたのである。このころのジョンソンが映画に描かれることはないだろう。 こうしてジョンソンは、1963年11月22日にケネディ暗殺により大統領に昇格したあと、1969年1月20日を最後に第36代アメリカ大統領の政治人生を閉じた。在任期間は5年と59日だった。それから4年後の1973年1月22日、ジョンソンは永眠した。64年の生涯だった。死因は映画のなかでも持病として描かれた心疾患によるものだった。 プライバシーに見るジョンソンの現実主義と映画のスタンス 本稿を終える前に、この映画のもう一人の重要な登場人物、首席補佐官のウォルターについて触れておきたい。ウォルターは補佐官として常にジョンソンに仕える人物として描かれている。ほとんど使い走りやなだめ役のような描き方であり、政策決定に影響するような会話もない。しかし、ジョンソンからの信頼は厚く、ウォルターは25年間をともにする家族のような存在だった。補佐官として、実際にはジョンソンに影響を与えたと思われるが、映画にはそうした描写はない。 そのウォルターが大統領選挙を目前に、突然、風俗犯罪取締官によって逮捕される。YMCA(キリスト教青年会)の男子トイレで陸軍の軍人と共に捕まったというのだ。当時としてはこれは「事件」だった。ジョンソンは、すっぱ抜かれたら選挙に不利になると考える。報告に来たFBI長官のフーバーはもみ消しを口にするが、ジョンソンはそんなことは当てにならないとして、健康上の問題を理由にウォルターを辞任させる。 なぜ25年も一緒にいて気づかなかったのかと落胆したジョンソンは、フーバーに「どうやって見分けるんだ、その性癖を」と尋ねる。フーバーは「独特の気配り、物腰、服の着こなし、髪の整え方、歩き方も違う」と答える。そのフーバーに「君がいうなら・・・本当だろう」とつぶやくジョンソンの視線に釘付けになり、息を飲んでジョンソンを凝視するフーバーの表情がリアルだ。 この場面は、フーバーの性癖を知る者にユーモアを誘うが、実話であるウォルターの描き方も含め、この映画は登場人物のプライバシーを笑いものにはしていない。妻のバードは、ウォルターはいまや敵だというジョンソンに、「あなたは間違っている。わたしは友達が大切なの。これから声明を出すわ。」とキッパリと反論してみせる。こうした描き方は2016年に制作された伝記映画がプライバシーを扱う際の、ひとつのスタンスなのだろう。 映画の描写はここまでだが、ウォルターに関するWikipediaによれば、逮捕の翌日には大統領補佐官の逮捕は一面トップのニュース記事となり、ウォルターは一躍全米で知られる人となった。19) しかし、ジョンソンの心配をよそに、選挙への悪影響はほとんどなかったようだ。20) ジョンソンは選挙を気にしすぎるあまり、ウォルターに大きな犠牲を背負わせたことになる。ここには、情報が不確かなまま北爆を選んだときと同じ構図がある。 キング牧師の性癖も描かれている。キング牧師は女好きで複数の愛人がいたことが知られているが、21) 映画ではその内実がFBIによって盗聴され、テープに記録された情交の様子が脅しに使われる場面が描かれている。フーバーは自らの性癖を隠しながら、他人のそれを攻撃していたことになる。フーバーはその録音テープをジョンソン聴かせながら、「不貞を働くなど、とんだ偽善者です」と逮捕をそそのかす。しかしジョンソンは、「南部の牧師が聖歌隊と懇ろになるとはな」と笑って茶化しながらも、「妻一筋でない政治家や聖職者を逮捕して���たら、誰もいなくなる」とフーバーの考えをいなしている。 これは、ジョンソンの大らかさや寛容さによるものではなく、キング牧師を逮捕すれば公民権法の制定には不利になるという判断からだ。ジョンソンは自分の信念の前にはどこまでも現実主義を貫く人物だったことを伺わせる。そのジョンソンの姿勢は公民権法制定の原動力となったが、同時にベトナムに戦禍をもたらし、近親者に不幸をもたらすものでもあった。 映画『オールザウェイ』を振り返って 以上、史実を補足しながら、本作がどのように当時の状況を描いているかを見てきた。振り返って思うのは、1964年にリンドン・ジョンソンが経験した一年間の驚くべき濃さである。その濃密さは、ジョンソンという人物の情熱と、公民権法の重い希望から生み出された。 リンドン・ジョンソンという名前を聞いて、アメリカの大統領の一人だと思い出す人は少なくないだろう。しかし、リンカンやケネディ、最近ではオバマやトランプなどの大統領に比べ、その印象は薄いのではないだろうか。わたし自身そうだった。しかし、この映画はその必ずしも目立たない一人の昇格大統領が、公民権法制定の真の立役者だったことを教えてくれる。 映画『オールザウェイ』に描かれた公民権法制定の舞台裏は、アメリカの政治が人種差別問題にどのように取り組んできたかを知る貴重な記録だと思う。それが貴重であるのは、完成した���律の条文だけではわからない、社会の事情や人が心に抱く動機が描かれているからだ。私たちはそうした人生の経験なしには何事も生み出せない。 ジョンソンを人種差別の克服に駆り立てた原点は、青年時代の教師体験にあった。その動機を妻のバードや補佐官のウォルターは側で支えた。そして、キング牧師との共闘は動機に社会的な広がりをもたらした。こうした事情は映画を通じてこそ知ることができるものだ。 その一方で、公民権の法制化は人種差別克服の動機に具体性を与え、劇的な効果をもたらした。本文で示したように、法制化によりアフリカ系アメリカ人に白人と同等の権利がもたらされ、彼らの社会進出が拡大した。これは事情や動機だけでは実現できないことだ。 しかし、法制化がそれほどの効果をもたらしたにもかかわらず、半世紀以上が経過したいまも人種差別は一向に解消される様子がない。そのことについて本田創造氏は前掲書のなかで次のように書いている。8)
「黒人問題」は、すでに詳しく述べた公民権運動の数々の輝かしい差別撤廃の成果にもかかわらず、依然として解決されていないということである。(…)黒人大衆の経済状態は、最近では、むしろ悪化さえしている。それは、かれらの存在そのものが、最高度に発達したアメリカ資本主義の重要な存立基盤のひとつとして、この国の社会経済機構の中に差別されたかたちで構造的に組み込まれているからである。 (Kindle の位置No.2903-2908).
本田氏が指摘する構造的差別は、本ブログで紹介した映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の「その2」で詳しく取り上げたように、例えば警察の収監システムなどを通じて1980年ごろから顕在化してきた。ここで注目したいのは、ジョンソンが行った取り組みのあとまた別の政治的な動機が芽生え、それが公民権法では防げない制度となり、新たな差別が生まれたことである。 重要なことは、差別とその解消はともに人の動機から生まれ、制度となって社会経済的な影響を発揮することにある。動機がある限り、それに実効性を与える仕組みが生まれてくる。そうであれば差別の解消には、差別する動機をなくする取り組みが必要になる。 しかし、現実の経済システムは差異を前提に成り立っている。マルクス・ガブリエル氏が指摘するように、わたしちは「エコノミークラスの席にたどり着くために、ビジネスクラスを通過しなくてはならない」世界に住んでいる。22) それによって消費を動機づける憧れが作り出せるからだ。わたしたちがこうした差異を当たり前のように消費している限り、人を差別する動機の解消はむずかしい。 だが、ジョンソンは大統領に昇格すると同時に、人どおしの差別を無くすことを心に誓った。ジョンソンが差別意識から自由になれたのは、小学校の教師だったころの体験の純粋さによるものだろう。しかし、そのジョンソンさえもが選挙にのめり込み矛盾を抱え込むことになった。残念だが、ひとりの人間が完璧であることはできないということだろう。 映画『オールザウェイ』からわたしは、差異の多くにはバイアスが掛かっていることを学んだ。そして、差異からバイアスを取り除いたとき、私たちの体験は純粋な体験に近くことができることも。人間には多様性がある。しかし、ベルトラン・ジョルダン氏が指摘するように、生物学的に「人種は存在しない」。23) ジョンソンがそうであったように、人としての純粋な動機を見失わないように、差異のバイアスから自由でありたいと思う。映画『オールザウェイ』は、その努力が新たな「正しいこと」につながることを教えてくれた。映画に感謝したい。 (その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで) (その2:民主党全国大会から大統領選挙まで)
参考資料
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引用文献 13) アメリカンセンター Japan, 前掲資料, p.48. https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/11/wwwf-pub-freeatlast.pdf 14) 世界史の窓「トンキンワン事件」 https://www.y-history.net/appendix/wh1603-065.html
15) Wikipedia 「1964年アメリカ合衆国大統領選挙」 https://bit.ly/2EMrCr0 16) 松本佐保『熱狂する「神の国」アメリカ』文春新書, 文藝春秋, 2016. 17) 正式にノーベル賞が授与されるのは12月10日の授賞式のとき。 18) Wikipedia「1964年アメリカ合衆国大統領選挙」 https://bit.ly/2EMrCr0 19) Wikipedia "Walter Jenkins" https://bit.ly/3i4rX6y 20) Al Weisel "LBJ's Gay Sex Scandal". Out Magazine, 1999. https://bit.ly/32ZFHJD 21) 辻内鏡人, 中條献『キング牧師』岩波ジュニア新書221,  p.205. 22) マルクス・ガブリエル, 中島隆博『全体主義の克服』集英社新書, 2020, pp.186-187. 23) ベルトラン・ジョルダン『人種は存在しない』中央公論新社, 2013.
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bigraceultreport · 4 years ago
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200524[優駿牝馬(オークス)] 東京を自転車で1周してみようと思った話
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↑住宅街を流れる川
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※このお話は多少(というより少なからずな)フィクションを含みます。
東京を自転車で1周してみようと思った話
「君ってやりたいこととか、無いの?」
カフェテリアで授業1コマの空きを共に待っていた先輩から言われた言葉にあれ?となった。この人がこんなことを言うのは珍しいな?
何かの講義で知り合ってツイッターIDだけを交換したその先輩は、サークルも入らず、バイトもせず、かといって何か他に打ち込んでいるものがあるわけでもなく、ちょっと人より洋画に詳しくて、読書家な女の人だった。
むしろ先輩のやりたいことって何ですか、という僕の問いは「また今度話すよ」と濁された。
結局、その答えは教えてもらえなかったが。
思えばどこか余裕を感じる雰囲気というか、一方で他人を寄せ付けない感じはミステリアスで、ぜひ結婚を前提としたお付き合いをさせていただきたかったところではあるが、先輩には大学に入った頃からの2年以上の付き合いになる彼氏がいて、ツイッターでたまに当時はまだふぁぼと言われていたいいね!を飛ばしあう程度の関係の僕が付け入る隙は微塵も無かった。
「やりたいことって別に将来の話とか聞いてるわけじゃなくて、パイ投げで憎い先輩にべったりクリームを塗りつけたいとか、1日中漫画喫茶に籠ってなんかありえないくらいの大長編を制覇してみたいとかだよ。」
なるほど。僕は覚悟した。もちろんやりたいことはたくさんある。大学近くのラブホに入って行く男女を1晩かけて観察したり、地元のラブホ街の様子を公園のベンチに座って眺めたり、バイト先の本屋の向かいのラブホテルがどれくらい繁盛しているかの売上(となるだろう人たちを眺めながら)考察をしたりしたい。ただ、ここで面白いことを言って彼女を笑わせることが出来たなら。もしかしたら偶然とアブラマシマシな力とやらで僕のものに……。
「俺、北海道を自転車で1周してみたいんす。」
意味が分からない。いや、意味が分からないならないなりにもうちょっと何かあるだろうと今の僕も、その1文を口にした0.72秒後の僕も思った。そもそも、北海道を自転車で1周してみたいと思ったことなど生涯で1度も無い。
「何それ。『自転車少年記』じゃない。」
そう、まさに『自転車少年記』なのである!多分。たしか。たしかにそんな話だったような気がするのである。いや、そんなに壮大な話では無かった気もするが、確かにそんな話ではあったのである。『自転車少年記』はたしかにそんな話だった!
「そう!『自転車少年記』なんですよ!俺、ああいうのに憧れてて。」
「ほんとかなぁ。でもまぁ、やれたらいいね。そういうの。」
そういって笑った彼女の顔を僕は今でも忘れることが出来ない(思い出補正で)。
そのわずか1週間後、僕は池袋の路上に停めていた自転車を豊島区都市整備部土木管理課に放置自転車として持っていかれ、手数料として5000円を支払うことになる。
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大学も4年目に入ると就活に真剣に取り組まなくてはならなくなる。際限なく聞かれる「学生時代に力を入れたこと」「入社したらやりたいこと」に疲弊しながら、志望業界も特になく、働きたい業種も、やりたいことも無かった僕は「やりたいこと」を探していて、そういえば、と上述の話をふと思い出した。就活に行き詰っていた僕は早速、自転車に飛び乗ってまだ花粉が舞い散る外へ飛び出した。
「とりあえず、東京を山手線沿いに1周してみるか。」
スタートは大塚駅。巣鴨ー駒込ー田端ー西日暮里ー日暮里ー、田端でアトレのでかい建物で迂回する羽目になったり、消防署で訓練中の隊員の罵声が聞こえたり、色々ありながら僕の自転車の旅は続く。
上野駅に向かう途中、巨大な階段が現れ、自転車の僕は行き場を失ってしまって、階段を自転車を抱えて歩くことになった。恥ずかしながら、この時点でわずか6駅程度しか走っていないにも関わらず、僕の体力はほぼほぼ限界である。
結局、秋葉原で1周するのは無理だ。となり、総武線沿いを西に進み早稲田周辺をなぞり、高田馬場ー目白と東京を半周しただけで僕の些細なチャレンジは終了した。翌日は筋肉痛に苦しみ、受けに行く予定のテストセンターをパスした。
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↑ 東京1周旅の途中に立ち寄った谷中ぎんざ。屋台で50円の焼き鳥を食べて満喫。ちなみに元カノと行こうと約束していて結局行けなかった有名な料理屋さんが谷中ぎんざにある。(余談) 
東京を半周して分かったことは、まず、こんな自分でも「やりたい」と願えば、東京を1周することは出来なくても、半周するくらいのことは出来るのだ、ということ。
今なら「やりたいこと」は無数にある。
まず、アブラボウズを食べたい。 バラムツ(食べられない)の記事読んで、「どうしても似たような魚が食べたければアブラボウズを!」って記載があり、アブラボウズ食べたくてウズウズしている。 バラムツは当然食べたくない。オムツが必要になるらしいし。
クエも食べたい。和歌山が名物らしい。高級魚らしいが、構わない。美味しいものを食べに行きたい。
成田山のふもとの老舗でウナギが食べたい。参道へ続く道に香るウナギのたれの匂いや雰囲気をもう一度味わいたい。
バンジージャンプをやってみたい。多分生涯で1度だけで良いけど。笑
バナナボートも乗ってみたい。自撮り棒で映像を取りながらしっかり振り落とされてみたい。
普通に温泉旅行に行きたい。Alexaも欲しい。
他には……ポーカープレイヤーになってみたい。海外のトーナメントでファイナルテーブルに残ってみたい。
……後は普通に結婚したい。
生きてますか。お元気ですか。先輩。
北海道を1周どころか、僕は東京を半周するくらいしかできませんでした。 ただ、他にもやりたいことはたくさんあって、少しずつ叶えながら生きてます。
もう連絡先も知らないけど、お元気で。
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2020 優駿牝馬(オークス) 予想
先週はセラピアが除外になり、消化不良のレース。ノームコアをそのまま上に上げればよかったが、スカーレットカラーも良いと思っていたので迷って結局買えなかった。アーモンドアイの出るレースは後悔しかない。いつだって予想は良い線行っているのだが、毎度馬券が取れない。
今週のオークスは難しい。デアリングタクトの評価、デゼル、アブレイズといった無敗��新星の見極め、重馬場の桜花賞の考察及び、桜花賞のダメージがどれくらい残っているかの判断。オークスは毎年距離適性というよりはその時点の完成度がものを言うレースになる。どの馬も2400mは初めてで距離適性も怪しい馬同士の争いだ。多少の距離適性の差は現時点の完成度で逆転できると考える。
早速、予想に移ろう。本命は◎クラヴァシュドール。前走は3コーナーでもまれて後退、しかし追い込んで4着の内容は素晴らしい。完成度も高く勝利できるだろう。〇マルターズディオサは前走は完全に馬場にやられてしまっていた。レベルの高さは間違いないので、盛り返しに期待。ここまで人気を落とすようなら。以下、強いだろうデアリングタクト、阪神JFは位置取りが後ろすぎ、桜花賞は馬場で力を出し切れなかったリアアメリア、シンザン記念勝ち馬のサンクテュエールを指名する。
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来週はいよいよダービー!ボートレースオールスターもあるよ!
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以下、写真集
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↑ HOTELニューノャトー(西船橋)
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↑ 袋田の滝。ちなみに1人旅。周りはカップルだらけでした。
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↑ 崖の岩にも命が芽吹く。
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takahashicleaning · 5 years ago
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TEDにて
ケビン・ケリー: なぜ人工知能で次なる産業革命が起こるのか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デジタル業界の予言者ケビン・ケリーは「ひとつの雨粒が谷間へ流れていく道筋は予測できないが、その大まかな方向性は不可避なものである」と言い、テクノロジーも同様に驚きはもたらしても不可避なパターンに突き動かされているのだと説きます。
そして、あらゆるものをスマート化するという流れは、今後20年で私たちの活動ほぼすべてに大きな影響を与えると語ります。
ケリーは、人工知能(AI)を受け入れ その発展の舵を取るために押さえておくべき、AIにまつわる3つの傾向を紹介し、「20年後に最も人気になり誰もが持つようになるAIを使った商品は、まだ発明されていない。だから皆さんもまだ間に合う」と締めくくります。
テクノロジーはどこへ向かうのか!少しお話ししたいと思います。新たなテクノロジーが、次々に到来し、それがもたらすものには驚かされます。でも、実は、テクノロジーの大部分は思っているより、ずっと予測できます。テクノロジーの仕組みには、必ず傾きがあるからです。
特定の方向に働くパワー。流れがあるのです。こうした流れは、ワイヤーやスイッチ、電子にある物理、化学的な特性そのものに由来するものです。これにより同じパターンが繰り返し生み出され、このパターンによって流れや傾きができるのです。
これは、重力のようなものと考えていただいても良いでしょう。谷間に落ちていく雨粒を想像してみてください。ひとつの雨粒が、谷間へと流れていく道筋は予測できません。どこを通るかなど分からないのです。でも、大まかな方向性は、不可避なもので下へ下へと向かいます。
テクノロジーにまつわる仕組みには、流れや必然性なるものがこうして刷り込まれているので、物事がだいたいどう進むのか推し量ることができます。ですから、大きな意味ではこう言えるでしょう。電話の出現は不可避であったが、iPhoneはそうではなく、インターネットは不可避だったがTwitterはそうではなかった。
今、さまざまな流れが同時進行しているわけですが、そのなかでも特に重要だと思うのが、「なんでもかしこくする」という流れです。私は、これを「認知化」と呼んでいるのですが、人工知能(AI)としても知られています。私はこれこそが、今後20年で社会に最も影響を与える発展であり傾向、方向性、原動力のひとつになると考えています。
もちろん。それはすでに始まっています。私たちは人工知能(AI)をすでに手にしていて、AIは目に見えないところで動いています。病院の管理棟では、AIがレントゲン画像を人間の医者より正しく診断しています。法律事務所でも法的証拠をくまなく調べるのに、人工知能(AI)が使われ人間のパラリーガルよりよくやっています。
皆さんが会場に来るときに乗った飛行機の操縦にも人工知能(AI)が使われています。人間のパイロットが操縦するのは7、8分だけで残りは人工知能(AI)が操縦しているんです。もちろん、NetflixやAmazonでは裏でAIが動いていろいろお勧めをしてくれます。今は、こんなところでしょうか。
それから、ご承知のとおり。もっと先進的な側面をあらわす例としてAlphaGoが世界トップ棋士に勝利をおさめたことがあります。でも、それだけではありません。ビデオゲームをすることは、人工知能(AI)と対戦することでもあります。
さらに、最近では、Googleは人工知能(AI)を訓練し、ビデオゲームのプレイ方法を学習できるようにしました。ビデオゲームのやり方は、すでに教えていたわけですが、ビデオゲームのプレイ方法を自ら学ぶのは新たな段階になります。
これが「人工知性」です!!
私たちは、今、この「人工知性」をどんどんかしこく高めていこうとしているのです。古代からの人類が蓄積した膨大な概念。
この大きな流れのなかで十分認識されていない側面が3つあります。この3つのことを理解すれば、人工知能(AI)に対する理解もぐっと深まるはずですし、AIも受け入れやすくなるでしょう。AIを受け入れなければ、AIの舵取りなどできませんから大きな流れを受け入れてこそ実務的なことも動かして行けるのです。
それでは、この3つの側面についてお話ししましょう。
1つ目は、私たち自身の知性は、何が知性たるかをほとんど理解していないことです。私たちは知能をとかく1次元で考えがちです。音で言うなら、音量がどんどん上がるようにです。
知能指数(IQ)がまさにそうです。ネズミのような単純で低いIQに始まり、つぎが、チンパンジー頭の悪い人と高くなって行き、私のような平均的な人間が来て、それから天才といったように、このIQだけで表される知能は高くなる一方です。これは、完全な間違いです。
これは、知能ではありません!!少なくとも人間の知能ではないでしょう。知能は、むしろ、いろんな音のシンフォニー、交響曲に近いもので、さまざまな認知機能で奏でられる音が集まったものです!!
人間には、多種多様な知能があります。演繹的な思考や感情的な知能。空間的知能など。おそらく、100種類くらいの知能をみんな持っているのですが、それぞれの知能レベルの高さは、人によって違います!
そして、動物は動物でまた別の一式。さまざな知能をひと揃え持っています。私たちと同じ機能を持っていることもあるでしょう。動物も人間と同じように思考できますが、持っている知能レベルの組合せが違うので、人間より動物の方が優れている場面もあります。
例えば、リスの長期記憶は、本当に卓越したもので木の実を埋めた場所をずっと覚えていられますが、それ以外の知能はより低いかもしれません。
私たちが機械を作るにあたっても同じように設計することになるでしょう。つまり、ある種の知性は、人間よりぐんと高くするけれども、ほかの多くは必要ないので人間には遠く及ばないままという風にです。私たちは、このようにしてさまざまな知能を 人工的に寄せ集め、より変化に富んだ人工的認知能力をAIに与えようとしているのです。そして、それはもっと特化したものになっていくでしょう。
計算においては、計算機の方が、すでに、限界をはるかに超えて人間よりかしこいですね。空間ナビゲーションは、GPSの方が 限界をはるかに超えてかしこく、長期記憶においては、GoogleやBingが、限界をはるかに超えて人間より上です。
私たちは、こうした様々な思考を、人工的に取り出し抽出して、今度は、自動車に搭載しようとしています。自動運転のためですが、そうするのも、それが人間のように運転しないからです。人間と同じようには考えない。そこがミソなのです。妄想、雑念、気が散ることもなければ、フラッシュバックでコンロの火の消し忘れを心配したり、会計学を専攻したら良かったと悩んだりもしません。ただ!運転に集中するだけです。
ただ、運転に集中するだけですよ?もしかしたら、こんな宣伝文句で販売されるかもしれません。「意識ゼロ」その車には、意識がないので、さっき話したようなことに雑念はなく気が散らないんです。
つまり、私たちがやろうとしているのは、できるだけ多くの種類の特定思考を作り出すことなのです。この空間をあらゆる種類の特定思考でいっぱいにしようというのです。
ビジネスや科学の最先端の世界では、難しすぎて、人間自身の思考だけでは、手に負えないような問題も実際にあることでしょう。そんなときは2段階で対処します。新たな種類の特定思考を作り出して、私たちがそばで協働しながら、とても大きな問題。暗黒エネルギーや量子重力といった問題を解いていくのです。
つまり、未知の特定知能を創造するというわけです。意味で違った考え方をする(think different)のに、役に立つはずです。違った考え方が、創造や富、新しい経済の原動力なのですから。
2つ目の側面は、私たちが人工知能(AI)を使うことで、次の産業革命が起きようとしていることです。
最初の産業革命が起こったのは「人工動力」とも言うべきものの発明があったからです。それより前の農業革命においては、何かを作るとしたら、すべては、人間の筋肉か動物の力を使わねばなりませんでした。それ以外にやりようがなかったのです。
産業革命における大きな革新は、蒸気や化石燃料を使って、この人工動力を生み出し、それを使って何でもできるようになったことです。ですから、今では、高速道路を走りながら、スイッチをポンと押すだけで250馬力を意のままに操れます。250馬力ですよ!
さらに、そうしたパワーを応用して、高層ビルや都市、道路を作り、工場では、人力では到底、作れないほど、大量の椅子や冷蔵庫などが生み出されるようになったのです。こうした人工動力は、また送電網を通じて、すべての家庭や工場、農場に届けられ、ただ、何かを接続するだけで、誰でもその人工動力を買うことができます。
これは、新たな革新の源にもなりました。農場では、手押しポンプにこの人工動力。つまり、電気を合わせて電気ポンプが生まれました。そんな変化が、何千、何万と膨れ上がる中で、その公式が生み出したのが産業革命でした。身のまわりのあらゆるもの。私たちが享受しているこの発展は、そのかけ合わせの産物なのです。
そして、今、同じことを人工知能(AI)でやろうとしています。人工知能(AI)はネットワークを通じて、届けられますから、あの電気ポンプを手に取って、それに人工知能を足せば、スマート・ポンプができます。そんな変化が何百万と生じれば、次なる産業革命となるのです。
高速道路を走る車は、250馬力を積んでいましたが、それに250の知力が加わって自動運転車になります。人工知能(AI)は、新たな公共資源となります。人工知能(AI)は「クラウド」という、ネットワークを流通していきます。電気がそうして広まったようにです。そして、かつて電化したあらゆるものを、今度は認知化するわけです。
ここで言いたいのは、これから出てくる1万のベンチャー企業の公式は、とてもシンプルなもので何かにAIを加えるだけです。この公式こそが、私たちがやろうとしていることです。それによって、これから、次なる産業革命を起こそうとしているのです。ところで、今、この瞬間ですが、すぐにGoogleにログインすれば、AIを自ら購入して6円で100回の処理をできます。すでに手に入るんですよ。
さて、3つ目の側面ですが、それは、この人工知能(AI)に体を与えることでロボットができることです。
ロボットがボットになり、私たちが、これまでやってきた多くの作業をこなすことになります。仕事も作業の集まりですから、私たちの仕事も再定義されるでしょう。一部の作業は、ロボットがするわけですから。でも、ロボットが入ることで新たなカテゴリーができ、新たな作業も大量��生まれることになります。
これまで必要だと気づかなかったものです。ロボットによって必要になる新たな仕事。新たな作業が生まれてくるのです。ちょうど自動化によって新たに作り出されたものの多くが、それまで必要とは思っていなかったのに、今では、当たり前になくてはならないのと同じです。
ロボットは、人間から奪う以上の多くの仕事を生み出していきます。大事なのは、アイデアで、ロボットに託す作業の多くは、効率性や生産性という観点で定義されるものであることです。肉体労働であれ、頭を使うものであれ、ある作業が効率性や生産性に落とし込めるものであれば、それはボットがやります。生産性は、もうロボットのものです。私たちはとかく時間の無駄遣いに長けていますから。
私たちは、非効率なことがすごく得意なんです。科学なんて、そもそも非効率なものでしょう。次から次へと失敗することで、前に進んで行くのです。試験や実験をしてうまく行かないから進展するのであって、それがなければ進歩しません。
科学はそれ自体に効率性がほぼ、ないことで構築されています!!効率性、生産性が無いのにイノベーションや幸福を創造している?どう言うことでしょうか?おかしいことでしょうか?考えさせられますね。
技術が、すべてのことを解決できると言いますが、我々が、100倍エネルギー効率のいい乗り物を作ることができるとすれば、大枠としてこれは正しい意見です。
しかし、エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!
革新も本質的には非効率、非生産的なことです。プロトタイプを作って、うまく行かない機能しないものを試すんですから、探検も元来、非効率、非生産的ですし、アートも効率的、生産的ではありません。人間関係も効率的、生産的ではありません。こうしたことに私たちが引き付けられるのは、それが、効率的、生産的でないからです!!
もう一度言います!!エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!!
何度でも言います!!エネルギー効率ではなく、生産性を高めた結果、イギリスは見事に産業が空洞化してしまいました!!
これでもバカのひとつ覚えのように、生産性を高めますか?基本的人権も無視して・・・
効率性は、もうロボットのものです。今後、私たちはこうした人工知能(AI)と協働していくことになるでしょう。人工知能(AI)は人間とは違う考え方をしますから。ディープ・ブルーが、チェスの世界チャンピオンを破ったとき、これでチェスも終わりと思われていました。でも、実際のところ、今のチェスの世界チャンピオンは人工知能(AI)ではありません!
人間でもありません!人間と人工知能(AI)のチームです!医療診断に最も長けているのは、医者でも人工知能(AI)でもなく両者のチームです!私たちは、これからこうした人工知能(AI)と協働し、将来は、どれだけボットとうまくやれるかで給料も決まってくるでしょう。
これが3つ目���側面でロボットは私たちと違い、誰もが使うものだから敵対するのではなく協働するものだということです。敵対するのではなく協働していくのです!
さて、これからの未来はどうなるんでしょう?
今から25年先にいる人が、過去を振り返って私たちがAIを語るのを見たとしたらこう言うでしょう「それは人工知能(AI)なんかじゃない インターネットだって、25年先に使っているのと比べたらないのも同然だ」
現在、人工知能(AI)の専門家はいません。AIには多額のお金が流れており、何兆円ものお金がつぎ込まれています。非常に大きなビジネスです。でも、今後20年で期待される大躍進に見合うだけの専門家がいないのです。まだまだ始まったばかりです。まだ、すべてが始まって1時間。インターネットが始まって1時間。これから来たる未来が始まって1時間です。
これから20年後に最も人気を博し、誰もが使うようになる人工知能(AI)を使った商品はまだ発明されてもいません!!
つまり、皆さんもまだ間に合うということです。ありがとうございました。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
アメリカのノーベル賞受賞経済学者ミルトン・フリードマン、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」も言うように、金融危機2008、コロナショック2020などの急落に直面する対策として、ゼロ金利、マイナス金利、金融政策が出尽くした後に、よく登場する最速実行再分配政策が、個人への緊急的な現金給付!!!
各国によってスピードは異なるが、政策閣議決定後、人間の限界を遥かに超えるスピード。1秒以内で現金到着が理想。各国競争してみれば、今後の恒久対策として中央銀行のデジタル通貨なども考慮しつつ、新産業が産まれプラスサムになるかもしれません。
MMT(Modern Monetary Theory)によると、現状の貨幣での現実的なアイデアとして、社会保障に還元される日本の消費税は現状維持しつつ、現金給付額にも消費税がかかるので現金給付額を上げて、毎月給付にすると消費税率と社会保障費下支えとが均衡状態になる?と同時に、実体経済の経済成長率「g」の下支えにも寄与する?
これらの総量が、急激な不況時の資本収益率「r」以上なら、もしかして?回復して正常な経済環境に戻る期間も短縮できるかもしれません。
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xf-2 · 5 years ago
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日中戦争には分かりづらいことが多い。「冀東防共自治政府」といって、理解できる人がいまどれくらいいるか……。宣戦布告がなされなかったため、正確には「戦争」ではなく「(満洲、支那)事変」だったのをはじめ、日本の中国侵略の過程が複雑だったことが原因だ。例えば、当時の日本軍のスローガンは「暴支膺懲」。「暴戻支那を膺懲する」の略で、「暴戻」とは乱暴で人道に外れていること、人民をいじめることだ。1937年8月15日に日本政府が発表した声明は、「帝国としては最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す」となっている。要するに政府や軍を懲らしめて正道に戻すというイメージで、建前では、敵は中国国民党軍や共産党軍であって、中国の民衆ではなかった。
 1931年の柳条湖事件で始まった「満洲事変」は33年5月、「塘沽停戦協定」で表面的にはいったん終結。その際、関東軍の要求で冀東(河北省東部)を非武装地帯とし、中国軍の立ち入りを禁止した。これは、日本の軍部が華北地域を満洲同様、中国から切り離して事実上領有しようという「華北分離工作」の始まりだった。冀東は九州と同じぐらいの面積で人口約625万人。そこに日本の傀儡政権として35年11月に誕生したのが冀東防共自治委員会(のち冀東防共自治政府に)だった。通州はその本拠地で、主席は中国国民党で蒋介石の通訳などをしていた早稲田大卒の「日本通」殷汝耕。37年7月29日の通州事件は、味方であるはずの冀東政府の治安部隊・保安隊が「兵変」を起こし、日本軍駐留部隊や特務機関、在留日本人を襲撃、虐殺したとされた。被害者は本編にあるように200人以上。公式戦史に近い「戦史叢書」などは「223人」としている。うち半数以上が反乱を起こした兵員について、事件に最も詳しい広中一成「通州事件」は、保安隊などの計約7000人としている。
「通州保安隊の叛乱鎮圧」「北平本社特電(廿九日發)廿九日通州城外冀東保安隊二百名は突如叛乱を起しわが軍に対し射撃を加えたのでわが部隊は応戦追撃を加へこれを鎮圧した」。事件を伝える東京日日新聞(東日)の第1報、37年7月30日朝刊2面のベタ(1段)記事だ。第2報の31日夕刊は1面トップで「通州の保安隊暴動化」の見出し。「冀東保安隊の叛乱は丗日午前にいたり遂に暴動化し通州城内もこれら保安隊に蹂躙され、冀東政府並にわが出先機関との連絡全く途絶し一説には城内にあったわが少数部隊並びに細木特務機関は全滅したと伝えられる」と報じた。対して朝日新聞は同じ夕刊で「通州邦人の安否憂慮」という段階。以前から東日は陸軍寄りといわれており、その差が出たのかもしれない。
 以後、報道はセンセーショナルにエスカレートする。見出しだけ見ても「鬼畜も及ばぬ残虐」(東日7月31日号外)、「恨み深し!通州暴虐の全貌」(朝日8月4日夕刊)、「宛(さなが)ら地獄絵巻」(同)、「敗残兵なほ出没 宛然!死の街」(朝日4日朝刊)、「人生の悲劇をこゝに あゝ鬼畜残虐の跡」(東日5日朝刊)…。本編の安藤利男記者の脱出後の手記が朝日、東日両紙に載っているが、「縛り上げて刑場へ 血に狂ふ志那兵 死の通州脱出談」(朝日8月2日朝刊)、「“死の通州”脱出血涙手記 “邦人虐殺”の銃口下 近水楼屋根裏の恐怖」(東日3日夕刊)とおどろおどろしい。これには理由もあった。
新聞にとって”戦争は儲かるもの”
 37年7月7日の盧溝橋事件は現地の交渉で収まりそうになったが、あくまで強硬姿勢をとる関東軍と陸軍中央多数派の圧力で部隊増派が決定され、7月28日に中国軍への総攻撃が始まった。通州事件が起きた29日、日本の陸軍当局は東京の新聞・通信社の編集局代表を内務省警保局に招致。陸軍省新聞班斎藤少佐が31日の官報で新聞紙法第27条(「陸軍大臣、海軍大臣及び外務大臣は、新聞紙に対し命令を以て軍事若しくは外交に関する事項の掲載を禁止し又は制限することを得」)の発動を公布することを通告した。「27条の発動に依って報道機関の使命を阻害せんとの意思は毫もなく、唯、時局を認識の上、国家的協力を俟つものであり、許可ある範囲において、更らに一層の世論昂揚を希望する」と述べた(「日本新聞年鑑」)。報道の取り締まりが強化され、記事は「世論昂揚」するものでなければ載らなくなりつつあった。そして、よく知られていることだが、新聞にとって“戦争はもうかるもの”だった。出征した家族や友人らのわずかな消息を求めて紙面に目をこらす。日清、日露戦争でもそうだったが、「満州事変」でも新聞各紙は部数を大幅に増やしていた。「またチャンス」と考えた新聞人は少なくなかったはずだ。
軍と密着の同盟通信・安藤記者の決死の脱出劇
 安藤記者が所属していた同盟通信は、現在の共同通信と時事通信の前身。事件前年の1936年1月1日に発足していた。通信社の新聞聯合社と、広告業と通信社業を兼ねていた電報通信社(電通)の報道・通信部門が統合。「諸外国にならってナショナルエージェンシー(国を代表する通信社)を」という政府の意向に沿った国策通信社だった。国内外80支社局と延長7000キロの専用電話線を持ち、敗戦時の社員・雇員は約5500人。その機能が報道だけでなかったことは「共同通信社50年史」も認める。「外務省や軍が同盟の人事に関与したり、同盟に仕事のやり方を指導・注文するのは日常茶飯事だった。同盟の側も外務省や在外公館に対し、同盟出先の事業拡大などのための資金援助をしばしば要請していた」「同盟のイメージは国家機関に限りなく近い」。里見脩「ニュース・エージェンシー」は「『日の丸の翻るところ同盟あり』をスローガンに約1700人もの社員が国外で活動した通信社は他になく、その評価はともかく、世界最大の規模を保持したのは確か」という。
 同盟は「満洲」と合わせた中国大陸に約30カ所の総局・支局があったが、盧溝橋事件後、陣容はさらに強化された。「通信社史」は「(同盟)創業の翌年―昭和十二年七月―には日華事変に直面し、それが空前の大動乱に発展していく過程において、目覚ましい活躍を演じた」「日華事変の報道こそは、『同盟』がそのあらゆる人的・物的能力を傾倒したものであった」と書く。7月30日北平(現北京)発の同盟電は通州の模様を報じた後、「同地にありし各社の従軍記者も昨日来ほとんど消息を絶ち、その安否が気遣われている」と伝えている。「通信社史」にも「通州の反乱事件では、たまたま天津から北京に帰任の途中にあった安藤利男記者が捕らえられ、まさに射殺されようとする寸前、刑場から劇的脱走を試み、成功したという一幕もあった」と、本編を裏書きする記述がある。
今も確定しない「通州事件」の引き金
 冀東政府主席の殷汝耕は、当時面談した朝日新聞記者の尾崎秀実(ゾルゲ事件で死刑)が「一世の風雲児」と評価した人物。事件後、主席を辞任。冀東政府は北京で同年12月に成立した王克敏を行政委員長とする中華民国臨時政府に合流して消滅した。戦後「漢奸」とされ、本編に書かれたような最期を遂げる。しかし近年、その政治理念を再評価する動きもある。当時の親日政権の研究を続ける関智英・東洋文庫奨励研究員は、殷を「孫文に先んじて大アジア主義を提唱するなど、多面性がある」とし、冀東政府についても「日本の影響下に成立しながら、日本からは独立した存在たらんとした」として、日本の傀儡という単純な見方には収まらないとの見解を示している。
 事件の原因については諸説あり、いまも確定していない。日本軍の総攻撃の中で「関東軍の飛行隊がその際、冀東政権の保安隊兵舎を誤爆した。冀東保安隊は、日本軍が自分たちを攻撃したものと早合点して、日本軍や居留民に対する襲撃を開始した」(古賀牧人「近代日本戦争史事典」)というのが、最も多くいわれる説だ。また、冀東保安隊と国民党軍の間に「通謀」や「密約」があったとする見解も目立つ。東日7月31日朝刊には「冀東政府保安��長張慶余が潜入した廿九軍敗残兵の煽動に乗せられ」とあり、当時から公然たる事実になっていたことが分かる。その張慶余(正確には保安隊第1総隊隊長)は1982年に回想録を発表。「中国国民党第29軍とかねてから接触し、『日本打倒』の密約をし、『通州決起』となった」と告白した。しかし、これにも疑問の声がある。ほかにも、29軍が日本軍との戦闘で大勝したというデマ宣伝を国民党がラジオ放送で繰り返し流したのを信じたという説も。「戦史叢書」は「かねてから抗日戦線参加の工作が進められていたが」「関東軍飛行隊が保安隊兵舎を誤爆したのを憤激し、かつ、第二九軍戦勝の宣伝を信じて反乱を起こし、冀察当局から賞与を得ようとしたものであった」と3つを組み合わせて原因としている。
 ほかにも、保安隊に中国共産党軍の兵士が入り込んで謀略工作を行った結果だとする見方もある。興味深いのはアヘンを理由とする説。冀東防共自治政府は、「冀東特殊貿易」と呼ばれた低関税による密貿易と、アヘンの精製・売買で膨大な利益をあげていた。江口圭一「日中アヘン戦争」に登場する日本人麻薬製造技師は「冀東地区こそ、満洲、関東州などから送り込まれるヘロインなどの密輸基地の観を呈し始めたのである。首都は通州に所在したが、この首都郊外ですら、日本軍特務機関の暗黙の了解のもとに、麻薬製造が公然と行われたのである」と語っている。売買には多くの朝鮮人が関わっていた。この麻薬汚染に憤った中国の民衆が襲撃に関与したという見方だ。保安隊の襲撃は周到な計画の下に準備されていた。広中一成「通州事件」は事件の背景について、「保安隊員らがもともと抱いていた抗日意識、または、軍統(蒋介石直属の謀略機関)や中国共産党による謀略工作が大きく影響したと考えた方が自然だろう」と結論づけている。
「南京虐殺」と「通州事件」 無視できない関連性
 近年、通州事件を「通州虐殺事件」として、約4カ月半後に起きる「南京虐殺」と関連づける主張が見られる。特に2015年に「南京大虐殺文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録されてから、対抗するように、「通州事件関係資料を世界記憶遺産に」というキャンペーンが始まっている。これに対し、大杉一雄「日中十五年戦争史」は「現在、通州事件を『南京大虐殺』と対抗させてとりあげる向きがあるが、両者はその規模も性格もまったく違うことを認識すべきである」とクギを刺している。江口圭一「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」は「通州事件は南京大虐殺否定論者による免罪符のように利用されている」と指摘。「通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない」としつつ、事件の評価・位置付けには3点の留意が必要と述べる。(1)日本の中国侵略の拠点とされた通州で発生した(2)アヘン・麻薬の密造・密輸の大拠点だった(3)日本軍の守備責任――で、(3)は保安隊が日本軍の統制下にあったことを指している。
 どちらの見解もその通りだと思うが、その上でも通州事件には、南京虐殺との関連を無視できない点がある。南京陥落当時、上海派遣軍と中支那方面軍の兼任参謀だった長勇中佐(昭和陸軍の「皇道派」に属し、最後は沖縄防衛の第32軍参謀長として1945年6月23日、牛島満司令官とともに自決)が1938年に旧知の田中隆吉中佐に語ったところによると、投降してきた中国兵30万人について、軍司令官に無断で殺害命令を出した際、「自分は(支那)事変当初通州に於て行われた日本人虐殺に対する報復の時期が来たと喜んだ」という(田中隆吉「裁かれる歴史」)。津田道夫「南京大虐殺と日本人の精神構造」は、「南京アトロシティーズを通州事件の報復だなどというのは、当時の現地軍高級将校の思考構造をよく示している」と指摘するが。
 橋川文三編著「日本の百年7 アジア解放の夢」は「このときの通州守備隊は、その後華中作戦に転じ、報復心にもえて南京虐殺に参加したといわれる」と書くが、はっきりしたことは分からない。古屋哲夫「日中戦争」は、事件は「反日感情が日本の勢力圏でも広く浸透していることを示すもの」との見方を示している。実際、前年36年11月には、綏遠省(現内モンゴル)で、日本の傀儡勢力の軍が中国軍に敗北した「綏遠事件」が起き、中国の民衆が熱狂。抗日の気運が盛り上がった。
いつの間にか書き換えられた「保安隊の邦人虐殺」の報道
 当時の新聞紙面を見ると、この時期から、戦争が人々の日常の中に入り込んでいっているのが分かる。この年8月に「国民精神総動員運動」が始まったこともあり、各新聞社は競って前線の兵士への慰問袋の提供を読者に訴え、その反応を連日紙面に掲載した。「千人の女性に一針ずつ赤い糸で縫ってもらった白木綿の布を身に着けると弾に当たらない」という言い伝えの「千人針」が、街頭で普通に見られるようになった。「愛国行進曲」や「海ゆかば」などの「国民歌」「国民唱歌」が作られて人々に歌われ、映画の冒頭に「挙国一致」「銃後を護れ」のタイトルが入るようになった。
「満州事変」勃発からしばらくは、日本兵も「銃後」の日本人も「中国兵はすぐ降参する」とたかをくくっていた。しかし、中国軍は想像以上に頑強で、占領地を点と線でしか抑えられない日本軍の兵士は、戸惑いから徐々に焦りと不安を募らせていく。そこに起きた通州事件。焦りと不安は復讐心と敵愾心に変わる。それにはメディアの責任が重い。事件の模様をセンセーショナルに書くばかりではなかった。死亡した警察官や冀東政府職員の「名誉の戦死をする」「万歳」といった遺書を取り上げ、死亡女性を「叛乱軍と奮戦し壮烈なる戦死を遂げた烈女」として礼賛するなどして盛り上げた。「日本の傀儡である冀東政権の保安隊の行為」を「通州の邦人大虐殺」と言い換え、「中国軍の仕業」として書き立てた。それは日本兵ばかりでなく「銃後」の国民にじわじわと伝わった。国内では、ロシア革命後、赤軍パルチザンが日本人を含む住民を大量虐殺した事件になぞらえて「第二の尼港事件」と呼ばれた。
『支那膺懲』が高まった「通州事件」が南京虐殺をもたらしたのか?
 事件直後に通州を訪れた加藤久米四郎・陸軍省政務次官(立憲政友会)は帰国後の講演でこう語っている。「駆引、口先で嘘八百を並べると云ふことは支那の国民性だ。日本で正義人道と申しましても、支那人には決して是は分からない。それでありますから、今度の戦さでもそれは十分覚悟してかゝらなければならない」(加藤久米四郎「戦線を訪ねて国民に愬(うった)ふ」)。こうした中国人に対する侮蔑と敵愾心が国民の間に広がって行った。秦郁彦「日中戦争史」は事件を「真相を知らなかった日本国民の中国膺懲熱を煽る好材料として十分に利用された」と指摘。笠原十九司「日中戦争全史」も「日本国民の敵愾心、憎悪心を煽動し、『支那膺懲』熱を高めるために最大限利用された」と述べる。そうした中国人への感情が国民の間に広がり、醸成されて南京虐殺の「素地」になったのではないか。もちろん、虐殺の免罪符にはならないが、私には、日本人の心情の面で、通州事件が南京虐殺の引き金の1つになったように思えてならない。
 事件後の10日間、現場処理で通州に入った陸軍大尉(当時34歳)は「当初、中国軍の消極的な戦意を見て、この戦争は1カ月くらいで決着がつくと思っていた。それが8年余りも続くとは、誰が予想し得ただろう。通州で邦人の虐殺死体を目前にして、中国人のただならぬ敵意を感じたあのいやな予感は見事に的中したのだった」と語っている(「決定版昭和史8」)。
本編「通州の日本人大虐殺」を読む
【参考図書】 ▽広中一成「通州事件 日中戦争泥沼化への道」 星海社新書 2016年 ▽「戦史叢書 支那事変陸軍作戦(1)」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 1975年 ▽「日本新聞年鑑1938年版」 新聞研究所 ▽「共同通信社50年史」 共同通信社・関連会社 1996年 ▽里見脩「ニュース・エージェンシー」 中公新書 2000年 ▽「通信社史」 通信社史刊行会 1958年 ▽古賀牧人「近代日本戦争史事典」 光陽出版社 2006年 ▽江口圭一「日中アヘン戦争」 岩波新書 1988年 ▽同「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」(「戦争責任研究」所収) 1999年 ▽大杉一雄「日中十五年戦争史」 中公新書 1996年 ▽田中隆吉「裁かれる歴史 敗戦秘話」 新風社 1948年 ▽津田道夫「南京大虐殺と日本人の精神構造」 社会評論社 1995年 ▽橋川文三編著 「日本の百年7アジア解放の夢」 ちくま学芸文庫 2008年 ▽古屋哲夫「日中戦争」 岩波新書 1985年 ▽加藤久米四郎「戦線を訪ねて国民に愬ふ」 東京朝野新聞出版部 1937年 ▽秦郁彦「日中戦争史」 河出書房新社 1961年 ▽笠原十九司「日中戦争全史」 高文研 2017年 ▽「決定版昭和史8 日中戦争勃発 昭和12~13年」 毎日新聞社 1984年
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ari0921 · 4 years ago
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Robert Eldridge博士の論稿より
自民党政権のある防衛相のとき尖閣上空視察中止のナゾ「中国を刺激しない」では尖閣失う
正論9月号2017.8.5 01:00
■日本の政治家は尖閣問題に背を向けている
沖縄米軍海兵隊政務外交部次長 ロバート・D・エルドリッヂ
 イギリスの政治家で「保守主義の父」といわれたエドマンド・バークの名言に「悪が勝利するために必要なたった一つのことは、善良な人たちが何もしないことである」というものがある。この言葉を、尖閣諸島問題をめぐる日中間の緊張に当てはめるならば「日本による尖閣の実効支配の低下に対して、政府、政治家、国民が何もしなければ、悪が勝利するだろう」とでも言えるだろう。  
 ごく普通の人々はもちろん、正論の読者のみなさんもまた、尖閣領域への中国船や航空機の侵入に慣れきってはいないだろうか? 無論尖閣を最前線に臨む人々はそうではない。特に尖閣周辺で任務にあたっている第十一管区海上保安本部をはじめとする海上保安庁の職員、航空自衛隊那覇基地に駐屯し南西諸島方面で激増している国籍不明機への対領空侵犯措置を任務とする、第9航空団をはじめとした自衛隊員らは、日々緊張の中で仕事をしている。しかしそこから数千km離れた東京の責任ある人々はどうだろう? 「那覇基地の航空兵力を倍にし、尖閣海域専従の海上警察力を増やしたから対応した」などとは考えてはいないだろうか?
 現場の人々のみに、このような危険な任務と責任とを負わせるのは無責任極まりないと思う。無策かつ曖昧で、矛盾を孕んだ現状はかえって紛争を引き起こしかねない。中国はそうした日本のミスや混乱を狙っているのだ。 
 アメリカ人である筆者が、なぜ尖閣問題をこれほど真剣に考えているか不思議に思う読者もいるかもしれないので、その三つの理由を述べておく。一つ目は、もし日本が尖閣を失えば、私が愛し、二十七年間住んできた日本の弱体化に繋がるわけで、��れが生活者として耐え難いという思いからである。二つ目は、尖閣諸島を「防衛線」として保持できないような日本の宥和的な姿勢は、国際社会における中国の野心的な行為を容認することにつながり、新たな国際緊張と中国の膨張主義を招くだろうという研究者としての心配からである。三つ目は、拙著『尖閣問題の起源』(名古屋大学出版会、2015年)で詳細に書いているが、沖縄返還直前から米国が尖閣諸島の領有権に関して曖昧かつ中立的な立場をとったことで、東シナ海はもちろん、南シナ海においても大きな不安要因と摩擦の種を結果として残すことになったのだが、もしアメリカの間違った政策を修正しないうちに尖閣諸島が中国の手に落ちるようなことになれば、歴史的な大きな皮肉であり、アメリカ人として恥ずべきことだと思うからである。この三つ目のアメリカの歴史的失敗については、私は在沖海兵隊在職時から、クビになる覚悟でそれを指摘し、強烈に批判もしてきた。専門家として大変残念に思う。 
 五月上旬、先述した本の続編を書くために、日本政府に尖閣に関する政策を確認することを試みた。約50の質問を安倍晋三首相と関係すると思われる8名の大臣に送付、統一的な見解を一ヶ月後の六月上旬に回答してもらえるよう依頼した。質問全てを紹介できないのだが、「政府関係者による尖閣諸島の視察予定」「尖閣諸島にある米軍の射撃訓練場の再開予定」「同諸島内で公務員の常駐の予定」「灯台、気象台、避難港、ヘリポートなどの建設予定」という四問については、特に公式な回答を得たかった。尖閣諸島で今後起こりうる事案のシミュレーションはできているだろうし、速やかに回答を得られるものと期待していたが、紙切れ一枚頂けなかった。
 尖閣諸島をめぐる諸問題の本質は、無論中国の無責任な膨張主義にある。ただそれを許し、宥和的な姿勢を取っている日本の歴代政権の姿勢もまた大きな原因になっていると私は言いたい。断言してもいいが、日本が尖閣諸島での海保、自衛隊による対応を限定的なものにとどめ、実効支配を示す国家公務員の常駐も実施せず、国際的な公共財になり得る灯台、気象台、ヘリポート、避難港など施設の建設もしないという戦略を取り続けるならば、早晩中国は南シナ海と同じように振る舞うようになるだろう。
抑止力のためにできること
 昨今の政権が、特に南西諸島方面の防衛力を強化していることには私も一定の評価をしているのだが、実は中身が足りず、発想が弱いと考えている。  
 まず現場の疲労の問題を解決しなければならない。中国による絶え間ない領海、領空への侵入、通過は現場に重い負担を強いている。例えば鹿児島県の鹿屋基地で、対潜哨戒機P-3Cの搭乗員が待機、尖閣海域へ進出、作戦行動の上、帰投すると、場合によっては十時間を超える任務になることもあるそうだ。搭乗員の心身への負担は推して知るべしだが、一体どれだけの国民がこのことを知っているだろう。元海兵隊の関係者としては、「先の大戦で、ラバウルからガダルカナル上空まで、はるばる戦闘機を進出させた上で空中戦をやらせ、多くの優秀な搭乗員を失った史実を日本はもう忘れたのですか?」と聞きたいところだ。
 また最近のこの方面への中国軍機の侵入は宮古海峡に集中しているが、宮古島の隣にあり、現在は使用されていない3000m級の滑走路がある下地島の空港を、空自・海自の航空部隊が展開できる前線航空基地として一刻も早く活用すべきだ。作戦空域への到達時間が短縮できるだけでも大きなメリットになる。50年前から誘致してきた地元の方も歓迎するだろう。 
 そして既に年間千回を超えるといわれるスクランブル(緊急発進)に、米軍の戦闘機を加えるべきだ。これは尖閣諸島が安保第5条で防衛義務のある、「施政権下の」領土であるからだ。「訓練」という建前上の表現でもいいので日米が共に要撃任務に就けば、日米両部隊の相互運用能力���向上につながるだけでなく、中国など東アジア全域に対して、強い戦略的なメッセージの発信となる。また筆者は自衛隊幹部に2010年秋頃の日米幕僚会議ですでに提案しているのだが、日本政府は、米軍が日中平和条約締結の1978年以来使用していない射撃訓練場(久場島と大正島)の共同使用を要請すべきである。実は先述の「50の質問」でその意思があるかどうか、私は政府に尋ねている。政府がこの質問に回答できなかったのは「中国を刺激したくない」という、この45年間の日本政府の姿勢が変化していないあらわれであろう。 
 いずれにしても現場に負担を強いた上で対応を任せるのではなく、早急に国としての政策を作るべきである。自衛隊は、尖閣が奪われてから奪還する軍事的なオプションも念頭に置いており、時々それを自慢する人もいるが、それは「後の先」の策である。そもそも尖閣諸島という前線を獲られないように、政治・外交・行政が一体となった総合的な戦略を持つべきなのだ。
情報戦のためにできること
 第二次安倍政権も、尖閣問題に関して、自衛隊や海上保安庁のプレゼンスを拡大、史実に基づいた広報外交を展開しようとしている。ただし「尖閣諸島は日本固有の領土」というスローガンは「戦略」などではなく、あくまで当たり前の「立場」の主張にすぎない。繰り返し言っておくが、必要なのは勇気のある戦略なのだ。 
 ところで、尖閣に関する広報のあり方には複数の課題が存在している。最近、霞ヶ関を拠点にする日本国際問題研究所(JIIA)は五億円の助成決定を外務省から受けたそうだ。尖閣問題関係の新しいPR事業を展開するらしい。決定直前の四月下旬、筆者は国際会議の開催や参加、外国の学者を研究員としての招聘、英語による資料や論文を積極的に発表するという件に関して色々相談された。応援したいのだが、これはバイイング・インフルエンス(影響力を購入する)であると感じざるを得ない。情報戦をお金のみで戦おうとすれば、最終的に中国に負けるだろう。日本と違って、明確な戦略をもつ第二の経済大国である中国は「情報戦」「宣伝戦」にお金を無限に使えるからだ。日本国際問題研究所には、政府には政策らしい政策がないことと、広報外交あるいは「宣伝戦」の前に日本としての戦略を持つべきことを打合せにおいて指摘した。PR活動だけでは確固たる戦略の代替案とはなり得ないのである。
 政府の対外広報活動に関していえば、最近もう一つ残念なことを聞いた。自衛隊OBによると、福田康夫内閣の時に、長年行っていた自衛隊の理解者のための尖閣諸島の上空視察などを突然取りやめることになったというのだ。時の防衛大臣は石破茂氏だった。程度は異なるが、二人とも親中と言われている。誰が決めたか分からないが、もしこれが事実なら、尖閣諸島の周辺の共同開発の協議を行っていた時期でもあり、「中国を刺激してはいけない」という従来の日本型のアプローチがまた現れたと推測できる。日本の世論に影響力を持つ各界のメンバーたちから視察の機会を奪う判断があったとしたら、尖閣諸島の領有権の正当性、戦略的な重要性などへの認識を深める機会と、情報の対外発信するチャンスを失ったことを意味する。広報外交は、政府から国内外の人々に対するものだけではなく、影響力のある層からの発信のほうが効果的な場合もある。  
 私は、日本の政治家・政府は、国益を優先しなくなったのではないかと感じているが、それはいつからなのだろう。私は福田政権を責めているのではないし、また誰か特定の政治家を攻撃してもいない。日本の政治家や国民の「国境」「領土」「領海」といった概念に対する低い意識、外交や安全保障に関する危険ともいえる「ナイーブさ」を指摘しているのだ。尖閣の空や海で今何が起こっているのか、ろくな対抗手段も持たされないままに誰がそこを守っているのか、そろそろ政府は国民に「現場」を見せるべきだと思う。
尖閣「無策」の行きつく先は
 尖閣諸島は少なくとも百二十二年前からの日本の固有領土であり、東アジア地域にとって地政学的に極めて重要である。それにも関わらず、政府の姿勢は弱く、戦略もなければ哲学もない。「弱々しい実効支配の主張」「弱々しい日本政府の行動」によって、結果的に尖閣諸島が奪われかねないことを指摘するのが本稿の目的であったが、私自身、日本政府の無策には本当に驚いた。  
 国際政治は極めて冷たく、残酷なものだ。私の見方では、中国は安倍政権下でこそ、尖閣に対して手を出してくるだろうと思う。もしも日本政府が「尖閣無策」のままで行けば、日本は確実に尖閣諸島を失うことにもなるだろう。こういう形であれば尖閣、竹島、北方領土の全ての領土問題が簡単に解決済みになるが、言うまでもなくこれは日本にとって、最悪の決着となる。過去45年間の日本の姿勢、つまり「中国を刺激しない」だとか「遠慮する」だとかいう従来のやり方は戦略ではなく、アプローチに過ぎない。尖閣問題に関しては、現実的な戦略が必要なのだということを重ねて指摘しておきたい。 
 アメリカがよくやるような、多くの人命が必要となる軍事的オプション-この場合は日中間での限定的な戦闘状態-に発展する前に、政府の関係者の常駐、施設の建設などによる「強い実効支配の主張」をする政治的な決断が必要だと日本に住む私は考えている。もし誰も赴任したがらなかったら? その時は私が尖閣諸島に常駐するボランティアとして喜んで手を挙げたい。
 ロバート・D・エルドリッヂ氏 1968(昭和43)年、米国ニュージャージー州生まれ。90年に米国バージニア州リンチバーグ大学国際関係学部卒業後来日。99年に神戸大学大学院法学研究科博士課程後期課程修了、政治学博士号を取得。大阪大学大学院准教授などを経て、2009年9月、在沖縄海兵隊政務外交部次長に就任。15年4月同職離任。著書に『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)、『オキナワ論』(新潮新書)、『危険な沖縄』(産経新聞出版)など多数。主な受賞は、第15回アジア・太平洋賞特別賞、第25回サントリー学芸賞・思想歴史部門(03年、『沖縄問題の起源』)、第8回中曽根康弘賞(12年)、第32回大平正芳記念賞、第3回国家基本問題研究所日本研究賞(16年、『尖閣問題の起源』)。
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2ttf · 13 years ago
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suzu1arbre · 6 years ago
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《三島由紀夫と音楽》
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 『小説家の休暇』の日記にて、三島由紀夫は音楽が理解できないどころか、恐怖をおぼえるものだと述べている。  ここでの音楽とは鑑賞的態度を聴き手に要求するものであり、主にクラシック音楽をさすものと思われる。「レコードの一枚も蓄音機の一台も持たない」三島は「音楽会へ行っても音楽を享受すること」ができず「意味内容のないことの不安に耐えられない」のだという。三島は「音楽というものは、人間精神の暗黒な深淵のふちのところで戯れているもの」として、音楽に興ずる人々を「怖ろしい戯れを生活の愉楽」にする「豪胆さに驚かずにはいられない」のだという。そして音楽を敵視し、「こんな危険なものは、生活に接触させてはならないのだ」とまで断言する。   皮肉にも三島は、音楽を嫌悪したからこそ、その理由として「音楽」の本質を理路整然と的確にとらえることができた。それには驚くほかない。「音という形のないものを厳格な規律のもとに統制したもの」が音楽であるといい、幽霊のような音を制圧し暗黒と格闘したのが作曲家であると指摘しているように。  音楽を愉しむことのできない三島は、一説によると自分には無意識はないと言っていたそうである。(実際に無意識のない状態など狂気の沙汰だが、あくまでも野放図で不明瞭な無意識を理知の力でもって制御したいという三島の願望から発せられたものかに思える。)さて音楽に対する恐怖が意味内容のないことへの不安であ���とすれば、言葉で意識できない曖昧模糊として制御できない形のない闇である無意識への不安と相通ずる。音楽と無意識は言葉を介さぬところで密接につながるものであり、何かしらの相関関係にあるように思える。潜在的に作用し「理智と官能との渾然たる境地」へと導く音楽というものは、おそらく三島にとって茫漠として意味のない「音」のつらなりとして無意識のごとく怖ろしく思え、だからこそ三島は無意識に作用し理性を惑わすものとして音楽を敵視したのではなかろうか。三島の無意識を分析したい衝動を禁じえない。とすると、三島が怖れているのは音楽そのものではなく無意識の力に敗北する精神とその世界ではなかろうか。  では、言葉のほうは人間が意識的に自在に操れる理性の産物と過信してよいものだろうか。音ではなく言葉を駆使する作家三島は、その言葉が恣意的な記号の体系であることを理論を介さずとも知悉していたであろう。  「ことば」とは哺乳類の一種たる赤児が言語の体系へと参入することで、ヒトとなるわけだが、これを適確に扱うのは困難である。むしろ言語の体系に操られている部分も少なくなかろう。しかし作家となるとこの厄介な「ことば」を明晰な頭脳と知性によりペンを用いて魅惑的な作品を創造することができる。仮にこれを「ことば」を制した作家の勝利としよう。だが読者にとってその作品が不明瞭で心乱し恐怖させるものがないといいきれようか。三島にとっての音楽同様に。  形なき音の暗黒と対峙した作曲家とその受け手たる聴衆を、三島は以下のようにとらえている。 「作曲家の精神が、もし(音という形のないものに)敗北していると仮定する。その瞬間に音楽は有毒な怖ろしいものになり、毒ガスのような致死の効果をもたらす。音はあふれ出し、聴衆の精神を、形のない闇で、十重二十重にかこんでしまう。聴衆は自らそれと知らずに、深淵につきおとされる。…」  仮に「作曲家」を「作家」、「音楽」を「文学」、「音」を「言葉」、「聴衆」を「読者」と言い換えてみてはどうだろう。いずれにしても「致死の効果」とは大袈裟すぎるが、作曲家にしても作家にしても、享受者がその創造者の精神の力を無条件に賛美し信頼し、その作品に耽溺するのは危険かもしれない。  しかしながら常に言葉で思考する作家にとって茫漠たる深淵のまえで、よるべなき不安を覚えるのは理解できなくもない。作家も言葉の迷宮で、無意識を制するがごとき困難さ同様、把握しきれない脳の機能たる想像力を駆使しそれを言語化し、捻出して作品を生むのだろうから。 「音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、ということに尽きる」と三島は言う。丸山明宏のシャンソンを好んだ三島は、純粋にそれを音楽として愉しむというよりも、歌詞と丸山独自の劇的な表現をのほうに惹かれていたのであろう。   だが例えば数字に強い子供は暗算する際、頭の中にそろばんが浮かぶように、絶対音感のようなものを有し音楽的才能に長け、耳の肥えた人間には、譜面のような音の連なりが明瞭な形をなして聴こえるのかもしれない。  この三島の日記は若くから秀でた文才ゆえに、音楽にはつんぼだったかのような運命の皮肉と多くの示唆に富むものである。
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tomoya-jinguuji · 6 years ago
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学者出身で、党内にも権力基盤をまったく持たなかった李登輝さんはなぜ、国民党の独裁体制を破壊し、台湾を民主化へと導くことができたのか――。唯一の日本人秘書である早川友久さんが、その知られざる背景を解き明かします。  李登輝は日本でも「台湾民主化の父」として知られている。そのためか、日本からの表敬訪問があると「困難な民主化を推めた原動力はなんですか」とよく聞かれる。すると李登輝は「台湾の人々に枕を高くして寝させてあげたかったからだ」と答えるのだ。それでは、民主化される前の台湾はどんな社会だったのだろうか。 犬が去って豚が来た  戦後、日本の統治を離れた台湾を占領したのは中華民国だった。日本が米国に占領統治されたように、台湾は中華民国に委ねられたのだ。中華民国政府は「台湾は日本統治の苦しい時代を終え『祖国』の懐に戻った」と嘯いた。いま歴史を振り返れば皮肉��ことだが、台北郊外の基隆港から上陸する中華民国の兵士たちを、台湾の人々はそろって歓迎したという。50年にわたる日本時代が続いたとはいえ、多少なりとも清朝時代からの名残りを留めていた台湾の人々にとってはむべなるかな、とも言えるだろう。  しかし、出迎えた人々は兵士たちを見て顔色を変えた。それまで見慣れた、揃いの軍服で整然と隊列を組んで歩く日本の兵隊さんと比べると、あまりにもみすぼらしかったからである。長らく朝日新聞台北支局の顧問を務めていたジャーナリストの駱文森さんから聞いたが、船から降りてきた彼らは天秤棒を担ぎ、着の身着のままでやってきたという。  台湾の人々の不安をよそに、中華民国による占領統治が始まったが、間もなくその汚職が蔓延し法を顧みない統治に対して台湾の人々の不満がくすぶり始めた。当時の世相を反映した言葉が今も残っている。「狗去豬來(犬が去って豚が来た)」。つまり、日本時代は様々な制約があり、台湾総督府も番犬のようにうるさかったが、治安や衛生は良く安心して暮らすことができた。しかし、今度来た中華民国は豚のように食い散らかすだけ、という意味である。  そして人々の堪忍袋の緒が切れた結果、1947年2月28日には「二二八事件」が起こる。闇タバコを取り締まる役人が、市民に暴行を働いたのに対し、周囲の人々が抗議。それに対して役人が発砲して死傷者が出た。これが発端となって大きなデモとなり、全土に広がったのだが、占領政府は彼らの不満に機銃掃射で応えた。これ以降、統治をしやすくするために、戒厳令を敷くとともに、高等教育を受けたエリート層や不満分子を徹底的に弾圧する「白色恐怖」と呼ばれる時代が幕を開けたのだ。「白色恐怖」とは、取り締まる憲兵たちが白いヘルメットをかぶっていることに由来するという。  そんな台湾内部の実情と前後して、中国大陸ではその支配権を争う国共内戦が繰り広げられていた。結果、共産党に敗れた国民党は台湾へと敗走してきた。いわば、国家まる抱えで移転してきたようなものである。 「危ない原稿」をこっそり消していた夫人  こうして台湾の「非民主的」な時代が始まった。言論の自由もなく、政府を批判することも許されない。ちょっと批判めいたことを口にしただけで、その人が姿を消す時代である。その頃、李登輝はすでに日本内地から台湾に戻り、台湾大学を卒業して学者への道を歩んでいた。  時おり総統夫人の話し相手をすることがあるが、話が当時のことになると「本当に危ない時代だった。主人はたまに講演することがあったけど、事前にその原稿を見て、ちょっと危ないなと思う箇所は消しちゃうのよ。あとで主人に『勝手に原稿を消すな』って怒られたけど、そうしないと家に帰ってこられないもの」と、昨日のことのように話してくれるのが印象的だ。 李登輝はなぜ、蒋経国に気に入られたのか  戦後、二度の米国留学を経て、農業経済のスペシャリストとして頭角を表した李登輝だが、それに目をつけたのが、蒋介石の息子である蒋経国だった。当時の台湾では、疲弊した農村をいかにして救うか、また農業社会から工業社会へいかにして転換していくかが大きな社会問題となっていた。そこに米国で最優秀博士論文賞を受賞して帰国した李登輝に白羽の矢が立ったのはむしろ自然だったのだろう。  こうして蒋経国の抜擢により、政治の世界へ入ることになる李登輝だが、問題がひとつあった。国民党に入党するかどうかである。当時、台湾の政治は外省人(国民党とともに中国大陸からやってきた人々)に牛耳られていたと言っても過言ではない。本省人(台湾人)たる李登輝をはじめ、台湾の人々にとって国民党は自分たちを弾圧する首謀者であり、唾棄すべき対象として捉えていたのだ。そんな国民党への入党を李登輝は決断する。  これまで何度か書いてきたが、李登輝は徹底した現実主義者だ。名より実を取ることで台湾に貢献してきた指導者ともいえる。そんな李登輝の現実主義者たる片鱗を見せたのがこの国民党への入党だった。一番の大きな理由は、独裁政権であるがゆえ、党員にならないと会議にも出席できないし、意見も通らないのである。  李登輝いわく「せっかく台湾の農民のために勉強してきたのに、その意見が通らないのでは意味がない。国民党に入ることで台湾のためになるのならたやすいこと」なのだ。総統夫人も「国民党に入ったことで、周りの人からは頭がおかしくなったかと言われたこともありました」と述懐する。私が「奥様は反対しなかったんですか」と尋ねると「反対もなにも、主人が入ると言ったら入る、それだけです」と、夫唱婦随の関係が垣間見えるのだ。  ここから李登輝は、台北市長、台湾省主席(現在は廃止)、副総統と着実にポストを上がっていく。そこで多くの人が疑問に思うのだろう。李登輝も「なぜ蒋経国にそれほどまでに評価されたのか」とよく質問される。李登輝の答えはこうだ。 「なんで蒋経国が私を選んだか、本人に聞いたことがないからはっきりしたところはわからない。でも、私が感じていた原因は、私のなかの非常に日本人的なところを評価していたのだと思う。というのも、国民党といっても一枚岩ではないから、誰もが権力闘争の中にいる。そうすると、蒋経国のまわりには、少しでも上のポストを得ようと、仕事もせずにお追従を言ったり、おべっかを使ったりする者ばかりになる。だけど私はもともと学者だったから出世には興味がない。お世辞は言わないかわりに、人民のために仕事をしたいと思うから、会議でも言いたいことはズケズケ言う。そういった日本人の持つ勤勉さや誠実さ、正直さを彼は評価していたのではないか」。 権力基盤を持たない李登輝の「深謀遠慮」  そして1988年1月、李登輝が副総統のとき、総統の蒋経国が急逝する。憲法の規定により、その日のうちには宣誓を終えて総統に昇格していた。曰く、もっとも「無欲」な学者出身の政治家が、いつの間にか頂点にたどり着いたのだ。ここから李登輝は、心に秘めていた「台湾の人たちに、枕を高くして寝させてやりたい」という信念を行動に移す。  とはいえ、短期間だけのピンチヒッター総統と思われており、党内に派閥もなければ、軍や情報機関も握っていないという「ないない尽くし」の総統であり、性急なことは出来なかった。まずは総統として、数十年も改選されていなかった立法院(国会)や国民代表大会の代表を全員退職���せた。ひとり何百万元という退職金を支払って、である。  並行して、当時の台湾は「中華人民共和国と内戦中であるため、暫定的に憲法を停止する」ことなどを決めた「動員戡乱時期臨時条款」、いわば国家総動員法を廃止した。これによって憲法の機能が復活する。こうなると、中国大陸のことは全く考える必要はなくなり、台湾内部の改革や民主化に集中することができるようになるのだ。  李登輝は、党内の一部から漏れ聞こえてくる「李登輝は台湾独立派なのではないか」と訝しむ声を消し去り、妨害をたくらむ一派を安心させるために総統の主導で「国家統一委員会」を作った。当時はまだまだ「いつかは中国大陸を取り戻す」と息巻く者が少なからずいたという証左だろう。国家統一委員会は、将来の中国大陸と台湾の統一を進める組織だが、統一のための話し合いを始める条件がふるっている。「共産党が自由民主化され、富の配分が公平になったあかつきには、統一の話し合いを始める」というのだ。  李登輝は笑って言う。「そんな日は永遠に来やしない。でもこの組織のおかげで、それまで私に猜疑心を持っていた連中は安心して、李登輝支持にまわるようになったんだ」。 民主化に成功したのは「日本教育」の賜物  こうして李登輝は権謀術数を交えて党内の支持を集め、台湾の民主化を推めていく。言い換えれば、李登輝は総統かつ国民党主席という権力を用いて、社会の自由民主化を推進するという真逆のことを実践したのだ。いわば、独裁政権のトップたる絶大な権力を巧みに使い、独裁政権を瓦解させる自由民主化の推進に利用するという「アウフヘーベン」をやってのけたのである。  李登輝は一連の民主改革を、一滴の血も流さず、一発の銃弾も打つことなく完成させた。「台湾の人々に枕を高くして寝させてあげたかったから」という信念を貫いた李登輝に、その強さの源を聞いて刮目したことがある。 「日本教育だよ。人間生まれてきたからには『公』のために尽くせ。そう叩き込まれてきたんだ。だから私は国民党の権力を手にしたときも、『私』のことは全く考えることなく『公』のために使おうと決心できたんだ」。  そして李登輝はこう続けたのである。「だから台湾の民主化が成功したのは、日本のおかげでもあるんだ」と。
李登輝が「台湾民主化は日本のおかげ」と語るワケ
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