#中屋別館不動閣
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関���のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラス��ラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は���でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて���楽記号として使われていますね。
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今夏も全国で猛暑日が続き、我慢の限界を越えた大阪府の職員が交流サイト(SNS)に悲鳴の声を連日投稿している。府庁本館(大阪市中央区)では夕方以降の残業中に冷房が止まり、ときには30度を超える室内で勤務しているためだ。職員のアンケートでは4割が熱中症に似た症状を感じていることも判明。国は近年の気候変動も考慮し、適切に空調を運用するよう官公庁に通知したが、府側が対応できない背景には府庁特有の事情がある。 《健康悪化、能率低下は必至》 《#残業時間も冷房入れて》 府職員労働組合などでつくる「大阪府関係職員労働組合」のX(旧ツイッター)アカウントは7月以降、職員が猛暑の中、冷房が停止した職場で残業を続けている現状を投稿している。8月5日の投稿では、府庁本館で撮影したとみられる室温計の画像が「33・1度」を示していた。 オフィスの空調管理について定めた厚生労働省の事務所衛生基準規則では、健康確保の観点から室温を「18度以上28度以下」に保つよう規定。府も夏場は府庁本館や別館などで、勤務時間帯の平日午前9時~午後6時半に冷房を28度に設定して作動させているが、それ以外の残業中や休日出勤中は原則停止している。 政府が8月8~15日に南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を発表した際には、職員が非常配備で庁舎内に常駐したため冷房は24時間作動されていたが、15日以降は元通りに。組合の投稿では《また地獄に逆戻り》と悲痛な声を上げた。 吉村知事も「どうかと思う」 国内では近年、夏場の猛暑日が増え、今年7月の平均気温は過去30年の平均値より2・16度上���。明治31年の統計開始以降で最高を記録した。大阪市でも猛暑日が続いており、府職員労組は8月8~9日に職場の暑さに関する緊急アンケートを実施し、670人が回答。昨年や今年の夏場に残業や休日出勤中、めまいやだるさなど熱中症と同様の症状を感じたことがあるか聞いた質問には、42・5%が「あった」と答えた。 現状を見かねた府議会の自民党会派は8月9日、吉村洋文知事に空調の運用時間の延長を提言した。これに対し、吉村氏は「残業中に空調が切れるのは健康管理上どうかと思う」と答え、担当部局に検討を指示したことを明らかにした。 国も8日、官公庁に職員が残業中にも引き続き冷房を使えるよう通知。国家公務員制度を担当する河野太郎デジタル相は同日の閣議後会見で「残業はない方がいいが、冷房を使って効率よく仕事を終え、早く帰ることが大事」としている。 「空調確保室」用意し急場しのぎ ただ、府庁では8月29日時点でも空調の運用ルールは変わっていない。府によると、府庁では水で空気を冷やしたり暖めたりして各部屋に送風する全館空調を実施。空調の担当職員が勤務時間に合わせて作動させるため、部屋ごとに冷房のスイッチを入れることができず、残業中に作動させるには担当職員も残業が求められることから、現状では空調の稼働延長は難しいという。 大阪府庁本館で残業中に職員が利用できる「空調確保室」。窓際にスポットクーラーが4台設置されている=大阪市中央区 大阪府庁本館で残業中に職員が利用できる「空調確保室」。窓際にスポットクーラーが4台設置されている=大阪市中央区 府は空調管理の業務委託を進めるなどして、残業中の空調延長を目指すが、運用は来年度からとなる見込み。代替策として、8月19日から本館と別館に1室ずつ、スポットクーラーなどを置いた「空調確保室」を用意して急場をしのいでいるが、個人情報を含む資料などの持ち込みが難しく、1日あたりの利用は平均3人と振るわない。 府庁本館で勤務するある男性職員は産経新聞の取材に「残業で一生懸命働いているのに、冷房を止めるなんて民間企業では考えられない。府民に熱中症予防を呼び掛ける立場の府が、職員をないがしろにしていいのか」と嘆いた。(山本考志)
職員「4割」不調を訴えSNSに悲鳴投稿 18時半以降はサウナ状態、大阪府庁の過酷実態 - 産経ニュース
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の���
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この��しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい���たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教���ない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的��言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本���招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそ��ちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊���採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜��孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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Trip to Korea, September 2024 - Day 2: DMZ tour - The 3rd Tunnel and Tongilchon
DMZ tour after Imjingak Peace Park and Dora Observatory.
DMZツアーの続き。
🚌11:45 再びバスに乗って、次は第3トンネルへ。
◾️第3トンネル
北朝鮮か���韓国に掘られていた、「南侵トンネル」と言われる地下トンネルの一つ。今見つかっているのは4つですが、実は20以上はあるだろうと言われているそうです。今の時代は、コソコソトンネルを掘って突撃しなくても、ボタン一発ミサイルドンで侵略できるから、韓国側もトンネル探しをしなくなったそうです。
発見されたのは1978年。ものすごく最近。 ソウルまで約52kmのところまで掘られており、総延長1.6km、幅2mの大きなトンネル。一時間に3万人の兵士を送り込めるレベルの大型トンネルです。
私、ちょうど半年くらい前に読んでいた「加治隆介の議」でこの南侵トンネルの話を読んだところだったので、連載が開始されていたころは、まさにこれがリアルタイムだったんだろうな。
こちらが入口。
入口にあるロッカーに、全ての荷物(かばんもスマホも飲み物も、全部)を入れ、ヘルメットをかぶって中に入ります。なので完全に撮影は禁止。
北朝鮮側が掘ったトンネルは、地下73メートルのところにあり、そのトンネルに向かって、別に韓国側で横穴を掘った坂を下って入ります。2002年の日韓ワールドカップのタイミングで見学できるように作られたとのこと。
▲入口が一番右側の建物。
ここから、約360m降りてたどり着いたところが、北朝鮮が南に向けて掘ってたどり着いた一番端っこの位置。すでに国境から435m超えたところまで来ています。
▲資料館にあった、北朝鮮のトンネルの掘り方。ダイナマイトの刺さっている向きが全てソウル向きだったこともあり、完全に「南侵」を目的に掘っていたトンネルだったと断定されたとのこと。 (さきっぽの岩土を外に運び出すのに、北側に何kmも運んでいたとするとほんとそりゃ逃げたくもなるわ...という重労働。)
今は、完全に国境位置でコンクリで封鎖されていて、その前にも2枚くらいの壁が設置されています。とはいえ国境まで170mのところまで行けるトンネルです。
ちなみに、下り360mも坂が結構湿っていて転びそうでこわかったのですが、下るということは戻ってくるのに上らないと行けない、ということで...
マジでキツい。 途中で諦めそうになるくらいキツい。
(いや、諦めるこ���なんて不可能なのですが...)
「運動が苦手な方や、閉所恐怖症の人は行かない方がいいですよ」とガイドさんは言っていたが、ちょっとこの360mの坂を舐めていたわ...(というか単純に自分の体力が本当に落ちているのを実感)
坂の途中に設置された椅子のありがたみが半端なかったっす...
▲韓国の兵士の方のヘルメットをつけて撮ったものの、これをかぶって毎日緊張しながら兵役にあたっていると思うと、大変だなあと。
でも、こうやって観光地化することで、外貨も入るし、いろんなことが伝えられるというのもまた政策なのかもしれないね。
いちおう、モニュメント的なところで記念写真。
写真の右奥に見えるのが、第3トンネルの横穴に向かって降りていくモノレール(というか、ジェットコースター的な形の乗り物)の乗り場。過去はこのモノレールを使って降りていけるツアーもあったようなのですが、なぜか「ずっと点検休止中」とのこと。なんか事情があるのかな。(あったら絶対そっち乗る、ってくらい、本当に上りがしんどかった...)
🚌13:00 再びバスに乗って、最後の目的地「統一村」へ。
◾️統一村
民間人制限区域に設けられた村、それが統一村。 1973年ごろに開発のために居住世帯を募集し、その後も入るにはいろいろな制限がある村です。基本的には農業(お米、豆など。このエリアの名産品の豆があるらしい)に従事しており、400人ほどお住まいとのこと。
ガイドさんおすすめの「大豆きなこソフトクリーム」をいただきます。4000ウォン(=440円)なり。
売店では他にも大豆ラテも売っていた。人気らしい。
▼大豆きなこソフト
これ、めちゃくちゃうまい!テーレッテレー!!
きなこの甘みがしっかりしてて、ほんと美味しいきなこソフト。ガイドさんおすすめなのもうなずける。
お土産ショップでは、DMZ米とかDMZ豆とか、このエリアの特産品が販売されていました。特にDMZ米は美味しいと人気とのこと。(流石に買わなかったけど。)
以上で、DMZツアーは終了。バスに乗ってソウルに戻ります。 帰りのバスはいろいろなものを見た疲れもあり、かなりぐっすりでした...
🚌15:00 ソウル支庁駅到着
日本語ガイドさんの団体ツアーで予約したけど、行ってよかったなと思いました。ガイドさんも丁寧でちゃんと説明も理解できたし、変なお土産屋さんに連れて行ったりせず、きちんとしたツアーだったのでとてもよかった。
ソウルに戻ってきてからもちょっと気持ちがふわふわしてて、「ああ、そうか、まだ戦争は近いところにあるんだな」と実感しました。こうやってのほほんと旅行にこれている自分は幸せなんだなあ。
▼(追記1)「加治隆介の儀」
改めて「加治隆介の儀」(儀その117〜123あたり)を読み返すと、かなりリアルかつリアルタイムだった実感...
【2024年9月 ソウルの��】 ・Day 1 └ サムボプデチゲ └ 60年伝統新村黄牛ホルモンカンナム駅直営店 └ アートモンスターカンナム店 ・Day 2 └ DMZツアー └ 臨津閣平和ヌリ公園・都羅展望台 └ 第3トンネル・統一村 👈THIS └ Seoul Gypsy └ プチョンユッケ ・Day 3 └ 神仙ソルロンタン └ Seoul Brewery └ タルメクスーパー └ Chillhops Itaewon Project └ トヤジンガ └ Craftbros Taproom └ オダリチプカンジャンケジャン
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2024年8月2日
広島原爆投下後の写真ネガ 新たに10点確認 路面電車など写る(毎日新聞)
広島駅駅舎屋上から南東に向かって写す。多くの人々が電車を待っている。写真右手の人だかりがある場所に露店の闇市があった=1946年2月撮影
原爆投下から1カ月後と半年後の広島市中心部を撮影した写真のネガ計10点が、毎日新聞大阪本社の未整理だった資料から確認された。広島駅前にできた闇市の雑踏や復旧途上の路面電車、焼け跡に建ち始めた家屋などが写っており、破壊し尽くされた街の再建と復興に人々が歩み始めていた時期を捉えている。
1945年9月撮影の3カットと46年2月撮影の7カットで、広島平和記念資料館(原爆資料館)や専門家の協力を得て検証し、45年9月の2カットを除いて撮影地点を特定した。いずれも撮影した記者の氏名は記録がなかった。
46年2月撮影分のうち4カットは広島駅前の光景で、全壊全焼した一帯に建ち始めた住宅や商店、闇市の露店に詰めかける人々、電車を待つ乗客の長い列などを捉えている。別の地点のカットに写っていた電車は判別した形式や車番から、大破した後に修理して復帰した車両と判明した。
広島電鉄によると、原爆で保有していた123両のうち108両が大破したり焼損したりするなど甚大な被害が出た。突貫作業で復旧を進めたが戦後初期は車両が少なく、停留所では大勢が待ったという。
原爆資料館の石田芳文館長は「原爆の傷痕がまだ深く、行政による復興計画が本格的に動き出す前の戦後間もない時期、生きるために懸命だった人々の息吹が伝わってくる。長い復興の過程を検証できる貴重な資料で、『被爆の実相』の理解にもつながる」と話している。【宇城昇、広瀬晃子】
お金持ちだけが医療を受けられる?…コロナが流行ってるけど治療薬はこんなに高い 「いのちの格差」実態は(東京新聞)2024年8月2日
猛暑の本格化と足並みを合わせるよう、新型コロナウイルスの第11波が到来しつつある。喉の痛みに止まらぬせきなど、特有の症状に直面する人々はいま、別の悩みも突きつけられる。コロナ治療薬の高さだ。頭がふらつく中でも価格におののき、処方をためらう人もいるという。「経済格差」「健康はカネ次第」。そんな言葉も浮かぶ現状を改めなくていいものか。(山田雄之、木原育子)
◆「9割が値段でためらい、6〜7割があきらめる」
新型コロナ用の治療薬の一つ「ゾコーバ」
東京・渋谷区の「みいクリニック」。最近は多い日で30人が発熱外来を訪れ、10人ほどが新型コロナと診断される。宮田俊男理事長は「高熱や強い倦怠感、喉の痛みを訴える人が多く、症状が強い」と話し、こう続ける。「ほとんどの患者が値段を聞いてためらい、20〜30代前半は『やっぱり大丈夫��す』と断る」
「値段」とは、新型コロナ用の治療薬の金額だ。
同院は、重症化や後遺症のリスクを抑えるために治療薬の処方を提案するが、「9割が値段でためらい、6〜7割が諦める」。飲み薬として通常出す「ゾコーバ」は、医療費の窓口負担3割の人で5日分が1万5000円程度になる。
「値段が高くて処方できないのは歯がゆい」
東京・北区の「いとう王子神谷内科外科クリニック」の伊藤博道院長もそう漏らす。夫婦で感染しても1人分だけの処方を希望するケースもあり、「『お金が払えない』と聞いたら、勧められない」と息を吐く。
◆第11波の主役・変異株「KP.3」の特徴は
新型コロナ用の治療薬「ゾコーバ」などの調剤明細書
新型コロナの感染者数は11週連続で増加し、第11波に入ったと目されている。厚生労働省によると、約5000の定点医療機関から7月15〜21日に報告された感染者数は6万7334人で、1医療機関あたり13.62人。インフルエンザで流行の注意報を出す基準の10人を超えている。九州は多く、佐賀は31.08人、宮崎が29.72人。主流はオミクロン株「JN.1」から派生した変異株「KP.3」。感染やワクチンで得た免疫を回避する力が強く、感染力も目立つ。
国内で新型コロナ用の治療薬として一般流通する飲み薬は軽症や中等症向けのゾコーバ、重症化リスクがある人向けのラゲブリオ、パキロビッドの3種類だ。厚労省の資料には7月12日時点で「全ての受注に対応でき、十分な在庫量が確保できている」とある。先の伊藤院長は「ゾコーバは発症後3日以内、他は5日以内の服用を勧めている」と解説する。
◆「必要な患者に行き届いていない」
コロナ禍の必需品となったマスク
コロナ治療薬は以前、全額公費負担だったが、新型コロナの感染法上の位置づけが「2類相当」から「5類」に移行された後の昨年10月から、最大9000円の自己負担に。今年4月には公費支援が廃止され、3割負担の人は5日分でゾコーバが1万5000円程度、ラゲブリオとパキロビッドは3万円程度となった。
なぜ高額なのか。厚労省の担当者は、新型コロナで入院する患者向けの点滴薬については「新薬として研究開発経費や副作用といった安全性の調査費などを積み上げて薬価を算出した」と述べた一方、他の薬は「類似薬と比較し、薬価を決めている」と説明した。
公費支援の有無で治療薬の処方率が変わる傾向があるようで、医療従事者向けサイトを運営する「エムスリー」の調査では、3種類の飲み薬の処方率は昨年8月で2.2%、公費支援廃止後の今年4〜6月は10.5%程度だった。伊藤院長は「現場でも今、処方希望は患者全体の1割の感覚。必要な患者に行き届いていない」と訴える。
◆アビガンはいま…
新型コロナ用の治療薬といえば、物議を醸した過去もある。
代表例は、富士フイルム富山化学(東京都)が開発したアビガンだ。元々は新型インフルエンザの治療薬だったが、コロナ禍当初、新型コロナへの有効性を示す治験結果がないにもかかわらず、故・安倍晋三政権下の判断で投薬が進んだ。肝心の有効性はその後も確認できず、2022年10月に治療薬の承認申請を取り下げた。ちなみに、アビガンは今、マダニにかまれることで起きる感染症の治療薬として承認されている。
塩野義製薬のゾコーバも承認まで時間がかかった。同年2月に厚労省に承認申請したが、胎児に影響が出る可能性があり、「妊婦または妊娠している可能性のある人」は禁忌になるなど、分科会も有効性を判断しかね、7月に継続審議に。その後も臨床試験を重ね、11月に緊急承認された。
◆「夏場だけでも自己負担軽減を」
「内閣感染症危機管理統括庁」の看板を掛ける岸田文雄首相(左)と後藤茂之感染症危機管理相(当時)=2023年9月
そんな経過を経た今、治療薬を服用しやすい環境の整備を求める声が上がる。
7月16日にあった都医師会の会見では、尾崎治夫会長が「今回は喉が痛くなるのが特徴。食事が喉を通らなくなり、暑さと相まって衰弱し、昨年以上に重症化するケースが増えるのでは」とし「夏場だけでもいいので、自己���担額が軽減されるよう国や都に対策をお願いしたい」と提言した。
同月22日に厚労省が開いた有識者ヒアリングでも、治療薬の負担軽減を望む指摘があり、解熱剤や鎮痛剤などの増産を求める訴えもあった。
◆「エビデンスがあまり確立していないことも問題」
高額ながら治療薬が必要とされるのはなぜか。
インターパーク倉持呼吸器内科(宇都宮市)の倉持仁院長は「重症化を避けるという意味で効果があり、これ以上悪くさせないという歯止めの意味もある」と解説する。
「コロナで自宅療養することに慣れ、症状が出ても解熱剤を飲むなどして、まずは経過をみる人も多い。持ちこたえるように普通の生活を送り、喉が痛くなるなど、どうにもならなくなって来院し、ゾコーバを処方する場合もある」
一方で「『治療したらこうなった』『治療しなかったらこうなった』というエビデンスもあまり確立していないことも問題だ」と指摘する。ただ、そうはいっても「未投与の場合、肺などさまざまな臓器でウイルスが増殖し、炎症を引き起こし、持病がある人は特に悪化しやすい」。
◆「人権無視も甚だしい」
新型コロナについて会見する東京都医師会の尾崎治夫会長=YouTubeから
そんな治療薬だが、現状では経済的な理由で治療薬を諦める人もいる。
NPO法人「医療制度研究会」理事長の本田宏医師は「ひと言で大問題だ」と切り出し、「家庭の懐事情で医療に差が生じるのは、医療へのアクセス権を阻害しているという面でも『いのちの格差』を生んでいる」と続ける。
本田氏は国の医療費抑制策の問題を指摘する。
「『医療費が増えると国が滅ぶ』と、医療費を削る一方で患者の窓口負担は増やしてきた。限界まで医師数を抑制し、コロナでは在宅死も起きた。お金持ちだけが医療にアクセスできる現状になり、人権無視も甚だしい」
今も社会的に影響が大きいコロナ。昭和大の二木芳人名誉教授(感染症学)は「ゾコーバの価格も高いが、重症化の可能性がある人が口にする二つの飲み薬も高額だ。二つの薬は、ともすれば命に関わる人々が対象になる。全体的に治療薬の資金援助が必要だ」と訴える。その上で「ゾコーバなどがもっと安価であれば、多くの人がもっと積極的に飲む。結果的にウイルスの脅威は減る。社会全体の不安感を取り除くとの意味合いでも急ぎ、対策してほしい」と話した。
◆デスクメモ 先日、新型コロナになった。当初は38度前後の熱。解熱鎮痛薬の処方のみ。やがて喉に激痛、声が出なくなった。医院でゾコーバを勧められるとうなずいた。ただ詳しい額を知ったのは薬局でのこと。出ないはずの声が出そうになった。普通の風邪との差。何とかしてと切に思った。(榊)
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三篇 上 その一
あの有名な遠州灘も、この世の中の動きをとらえたのか、波も穏やかで、街道の松並木も穏やかな風に、くすりとも枝を鳴らさない。 往来を行きかう旅人は、互いに道を譲り合っているし、なごやかに、泰平の世の中を往来しているようだ。 荷物を運ぶ馬方の歌声もなんだか和やかに聞こえ、旅館の人足は、相場の通りの値段で仕事を行い、かごかきも駄賃をくすねることをしない。 目が悪い人も、女同志の旅も、まことに安心して行けるほどだ。 そのうえ、お伊勢さん参る小僧どもでも、誘拐されることもない。 こんな平和な世の中を、旅人が、東西南北に旅行している。
さて、かの弥次郎兵衛と北八は、大井川の川留めで、岡部の旅館に足止めをくっていた。 旅の疲れを癒していたのだが、それもそろそろ、飽きてきたころ、やっと、今朝、川留めが解かれて、幕府の御飛脚が川を渡り、その後、川を調べるための一番渡しもすんだと聞くと、二人は、そこそこに支度して、岡部の旅館を出た。
街道のにぎわいは勇ましく、二人ともに気分が浮き足立ってくる。 しばらく行くと、朝比奈川(岡部町)に着いた。ここを越え、八幡、鬼島を過ぎて、藤枝の宿場の手前の白子町に着いた。 ここは馬方たちの休むための茶屋が多くある。もちろん、一般の客も立ちよる。
街道の両側に並んでいる茶屋の女中が、ステレオのように両側から呼びかける。 「お茶をどうぞ。」「お茶をどうぞ。」 「一膳飯をどうぞ。」「一膳飯をどうぞ。」 「お休みなさいまし。」「お休みなさいまし。」
馬方の唄も聞こえてくる。 「おれの、つれの、長松の~。 かかあは、蛸なんだあ~。 どうして、蛸だと、いうとだなあ~。 あんどんの、傘みたいに、足開く~。 しょうがねえ。しょうがねえ。ドゥドゥ。」
北八らに、別の馬方が声をかけてくる。 「旦那がた、馬に乗らないかね。たった、二百だ。安いもんだろ。 なんなら、金だけ貰えりゃ、後は、何も貰わなくても行くが。」 「ええい、二百も出しゃ、もっと色っぽい夜の馬にふとんの中で乗るわ。 糞ったれめが。」 と、北八が、答えると、 「なんだ、糞ったれだ。俺がいつ、糞を、糞を。」 と、馬方が怒り出した。すると、側にいた馬がタイミングよく糞をする。 「ヒ~ヒンヒン。」 馬方は、馬をポカッとなぐる。
「さて、ちょっと休んで行こうか。」 と、弥次郎兵衛は、茶屋の方を指差すと、そちらに歩き出す。 北八もその後についていき、茶屋へはいると、 「これ、姉さん、いい酒があったら、ちっとばかり出してくんな。」 茶屋の女中は、これに答えて、 「はいはい、爛にしましょうかね。」 と、問う。 「そうだな。」 と、北八と顔を見合わせ肯くと、続けて言う。 「で、肴は何があるんだい。」
そこで、茶屋の亭主が出てきて、 「へい、根深(根が白くて長いねぎ)とまぐろの煮たのがございます。」 と、言うのをうけて、北八が、 「いやあ、ねぎまの風呂吹き(練馬の風呂吹大根)か。それはいい。」 と言ったが、亭主は北八の洒落がわからず、 「いいや、これは、風呂吹きじゃなくて、ただの醤油で煮たやつですが。」 と、首をひねりながら、銚子と盃を持ち出し、まぐろを皿に盛ってくる。 弥次郎兵衛は、その皿の上のまぐろを見て、 「ははん、ねぎまと言うから、江戸でするように、生のまぐろの切り身をねぎの上で煮たのかと思ったら、どうやら、切り身を白焼して、後から、ねぎを加えて煮るらしい。どれどれ。」 と、食べ出す。
「さあ、俺も、食べよう。」 と、北八が、魚をあらためて見ると、どうやら魚が腐っているようである。 「おっとと。この魚は腐っているようだ。こりゃ、おおかた昨日のまぐろだな。」 それを聞いて、ここの亭主が、 「いいえ、いいえ。これは、昨日の魚じゃございません。」 「それでも、こりゃ食べられない。」 と、北八が、箸で魚をつついている。 その様子に、いらいらした亭主が、 「はあ、それじゃ、昨日のが悪かったら、一昨日のをあげましょう。 それなら、気分が悪くなってふらふら酔ったようになること請け合い。」 「ええい、ふざけたことを言う。だいたい、こんな酒で酔えるか。 こりゃ、半分は水だ。ペッペッ。もういいや、で、いくらだ。」 と、北八が、懐から金を出そうとすると、現金なもので、 亭主は、ニコニコしながら、 「はいはい。魚が六十四文に、酒が二十八文です。」 弥次郎兵衛と北八は、金を払い、 「うまくねえかわりに高くついた。さあ、行こう。」 と、ここを出る。
しばらく歩いていると、鎧が渕というところに着いた。 例の好きな道なので、弥次郎兵衛がとりあえず一首詠む。
この辺は 鞍のあぶみが 渕なれど 踏んまたがりて 通られもせず
旅を続けている二人は、平島ロ、田中を過ぎて、藤枝の宿場が近くなって、また、一首詠む。
街道の 松の木の間に 見えたるは これむらさきの 藤枝の宿
この藤枝の宿場の入り口で、ふろしき包をちょいと肩にかけた田舎の親父が、馬のはねたのに驚いて、逃げるひょうしに北八に突き当たる。 北八は水溜りのなかに尻餅をつく格好になって、かんかんに怒りだした。 「この親父め、目が見えないのか。倒れるときには、回りによく注意しろ。」 「こりゃ、ご免なさい。」 親父は、ペコペコと頭を下げて謝っているが、北八は、承知しない。 「いいや、ご免なさいじゃ、すまねえな。 山椒は小粒でもピリリと辛い、産声あげて、江戸城の天守閣の金の鯱をあおいで、産湯に、神田上水の水を浴びた男だ。」 親父は、ペコペコ頭を下げながらも、 「いいえ、あなたが浴びたのは、馬の小便がたまったところで。」 北八も、その臭いに、顔をしかめながら、 「ええい、その小便のたまったところへ、なぜ突き飛ばしやがた。」 「そう言われても、私も急に馬がいなないたのにびっくりして、突き当ったんで、どうしようもないことです。堪忍してください。」 と、さらに、ペコペコ頭を下げる。
北八は、それではおさまらない。 「なんだ、堪忍しろだ。嫌なこった。 俺は、酒天童子が鉄棒持って、交渉しにきても、大山の石仏さまが猪の隈取りの提灯さげて、謝りに来ても、いっさい、聞く耳はもたねえんだ。 あの久米の兵藤平内兵衛が、家で催促に居座った時も、堂々と、渡り合ったほどの男だ。」 親父は、頭をかきながら、 「で、それは、なんの話なんです。 何やら、面倒くさい事を言われているが、私には全然見当もつかない。 私は、この近くの長田村のものですが、村長をつとめた家筋で、今でも、代官や旗本の領主の陣屋での年賀の挨拶で、上席にすわる男です。 なにも、そんなひどく、がみがみ言われることはないではないですか。」 と、せっかくの北八の成勢のいい啖呵もさっぱり通じない。 「ええい、しゃらくせい。ちゃんちゃらおかしくて、尻がかゆいわ。 手前の頭をぶち割ってそのかけらでも拾わせてやろうか。」 親父は、ほとほと困った様子で、 「やれやれ、あんたは、ひどい人だ。 私の家にも荒神様がついていなさるに、そんな偉そうな口を利くなんて、大概にしなさい。」 「ええい、このすりこ木野郎め。」 と、北八は、とうとう親父になぐりかかる。 弥次郎兵衛も見兼ねて仲裁に入ってようやくに引き分け、 「北八、いいかげんにしろ。 親父さん、お前が粗相しながら、気が強え。もういいから行きなせえ。」 と、北八をなだめるうちに、親父はふくれっ面で不承々々に行ってしまう。
弥次郎兵衛は、この様子に、あきれたように一首詠む。
頭にのって きた八に今 たたかれし ヤ��ンあたまの 親父へこんだ
これに、二人は、高笑いしながら、瀬戸川を越え、それより志太村の大木の橋を渡り、瀬戸と言うところに着いた。 この瀬戸も、馬方どもの休憩する場所で、ここには、梔子の実で黄色く染めた染飯という名物がある。
焼き物の 名にあう瀬戸の 名物は さてこそ米も 染め付けにして
これは、愛知県の瀬戸で焼く陶磁器と同じ名で、こちらの瀬戸では、やはり瀬戸物のように、米を染めているということ。
さて、二人が歩いていくと、この町のはずれの茶屋に、さっき北八と喧嘩した田舎親父が休んでいた。 それを見つけて、弥次郎兵衛が声をかけると、親父はびっくりした様子だったが、 「やれやれ、さっきは、無礼をしました。 わしも、実のところは、一杯飲んだ元気で、ひどい事も言いましたが、あんた方が、許してくれたから、無事に村へ帰ることができますわ。 まあ、お礼とお詫びに酒でも、一つ差し上げましょう。 ささ、ここへ、座りなさい。」 と、親父は、自分の座っている横を指し示す。
つづく。
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2023.08.07〜09
京都旅行
前日はまったく眠れなくて、ほぼ寝てない状態で朝を迎える。今までにもよくあった、大事な予定があるときのアドレナリン効果?
予定よりもひとつ早い電車に乗り、乗り換え駅で何本か電車を見送る。通勤ラッシュということもあり、人が多い。電車のなかで恋人と合流。二人して寝不足でとろとろの目で向かう。想像以上にスムーズに進み、新幹線乗り場ですこし時間を持て余す。おにぎりをひとつずつ買い、新幹線に乗車。おにぎりを食べ、話しているとすぐに静岡に突入。やっぱり大きい〜などと話しているうちに眠くなり、眠る。あたたかい手に包まれて幸せをひしひしと感じる。これからの3日間へのたのしみが溢れて、自然と笑みがこぼれ落ちていた。
あっという間に京都に到着し、荷物を預けに宿泊先へ。まだまだ京都に来た実感が湧かないね〜などと言いながら、中心部を移動。ホテルはなんとなくで選んだわりにはとても良い場所で一安心。荷物を置いて、昼食をとりにうどん屋さんへ。かき卵うどんが沁みる。食後は鴨川へ。念願の鴨川を目の当たりにし、京都へ来た実感が一気にわく。鴨川の河川敷を恋人と歩くのが長らくの夢であったから、ふとにやけてしまい恋人に不思議がられる。暗くなってからもまた来ようね、と約束する。その後、白川通りや花見小路通りへ。いかにも京都らしい街並みに感激し、手を繋いでいろいろなところを散策。人の多さに圧倒されつつも、脇道に逸れると一気に人が減り、落ち着くねと言いながら歩く。小腹が空き、散策のはじめのころに見つけた甘味処へ並ぶ。なんとなく良さそうだね、と決めた入ったところ、二階のお座敷の部屋に通され、想像以上に趣のある店内に二人で興奮する。ずっとここにいられるね、などと話しながらわらび餅を注文する。今度はお座敷のある旅館みたいなところで、宿泊先に重きを置いた旅行もしたいね、などと話す。再び鴨川沿いを歩き、能面を探しに五条通りへ向かう。到着するも能面工房は展示がされておらず、��こし残念であったが、しょうがないかと切り替え、京都駅方面へ向かう。途中で東本願寺を見つけ、参拝する。大きな本殿に圧倒され、すこし休憩する。古くに建てられた建築物内は風通しがよく、何時間でもいられそうなくらいの心地よさに感動する。そろそろ出ようかといったころに、何人もの僧侶見習いのような人たちの波にのまれ、驚く。キッザニア的なやつ?とつぶやくと、バチがあたるよと怒られる。その後、地下鉄に乗り、ホテルでチェックインを済ませてすこし休憩。きれいなお部屋でまた安心。ひとつのベッドに3つも枕が用意されていて、枕投げするか!と話す。お互いアレルギー持ちだから死んでしまうぞ、と笑う。そんなくだらない話をしながらソファに横に並んで座って、室内で二人きりになることがはじめてだね、と触れ合う。長旅の疲れと寝不足で今にも眠ってしまいそうになり、夕飯をとりに餃子屋さんへ向かう。餃子屋さんではカウンター席に通され、二人並んで餃子を食べる。恋人が注文した黒いチャーハンは見た目に反してシンプルな味わいであとを引く。餃子は想像通りおいしかった。恋人の眠気がピークに達し、少し不安になるも、さっと食事を済ませ、約束していた夜の鴨川へ向かう。鴨川に到着すると、川沿いの床料理の飲食店の提灯や照明に照らされ、まだ少し明るく、河川敷に座って辺りが暗くなるのを待つ。その頃も恋人はとっても眠そうで何度もうとうとと持たれかかってきて、かわいらしかった。今日はいつもみたいに帰りの時間を考える必要はないんだね、と旅行ならではの喜びを噛み締める。そうも話しているうちにすっかり暗くなり、雰囲気のある情景に。いつもみたいに恋人がわたしの腕をふにふにと触り、愛おしそうに見つめてくれて、横にいられる幸せを感じる。お話をしたり触れ合ったりと存分に鴨川の雰囲気に酔いしれ、ホテルへ戻る。あまりそのつもりはなかったがたくさん甘えてしまって、甘えなれていなくてよくわからなくなりつつも、眠い時だけではなくていつもこうやって甘えてほしい、眠いときだけ?と言われ、甘えるのも悪くないかも、と思う。同時にいつもそういうことを任せきりにしてしまうことに反省。その道中、コンビニでアイスを買い、帰って食べようねと約束する。んたしのシャンプーの香りが好きだとずっと言ってくれるので、シャワーはあとに入ろうか?と聞くと、その香りがいっぱいになったシャワールームに入りたい、と照れながら伝えてくれたのでその通りにする。メイクを全て落とした状態で対面するのは不安だったけれど、その姿も肯定してくれてうれしい気持ちでいっぱい。そういえば、香りは覚えているしもうわかるよ、と教えてくれた。香りっていちばん記憶に残るよね。わたしもわかるよ。二人ともお風呂から上がり、アイスを食べて歯を磨く。寝る支度を済ませて布団に入るか〜などと言いながら、準備をしていると枕をぶん投げられる。わしゃわしゃとすこし遊んでいると、同じベッドで寝る?と一つのベッドに入る。ホテルを予約した時点でもこういうことは少しだけ考えてはいたけれど、恥ずかしくて、寝相が悪いことにして別のベッドにしたことを思い出す。シングルに二人はきついかな〜と思いつつも、くっついているのでぎりぎりセーフ。好きな人といっしょに寝るのってこんなに幸せなんだと漫画みたいなことを思う。あまりの近さに照れてしまって枕に顔を埋めてしまう。でもいつも寝る時もけっこう顔を枕に押し付けているような気もする。これまで、外でしか二人きりになれなかった分、存分にくっつき合える場を楽しむ。恥ずかしくて仕方がなくなるも、こっち向いてよと何度も囁かれ、見つめ合う。どんな人であっても、身体に触れられることは今まで苦痛で苦手だったのに、ゆっくり少しずつ、安心できるように触れてくれることへの感謝を伝えられてよかったな、と思う。
気がつくと朝で、それでもまだ二人とも眠たくて夜の続き。ワンピースだけになり、いつも嫌だと避けてきた脚を触られる。ぶにぶにだから、とよけるもそれがいいのと言われ、ならばよいか、と許す。そんな自分が単純すぎておもしろい。
よい時間になり準備を済ませ、朝食をとりにパン屋さんへ。外は前日と打って変わって暑く、蝉の鳴き声が鳴り響き、京都の夏を見せつけられる。パン屋ではお互いが好きなクロワッサンとわたしはカレーパン、彼は好きな大葉のパンとナッツのパンを選び、珈琲とともに店内でいただく。朝から優雅な時間を過ごし、旅行気分を味わう。
2日目は彼の行きたいところメインで回ろう、と決め、嵐山方面へ。その道中の電車は外国人観光客で溢れかえっており、代表的な観光地であることを再認識する。到着後はトロッコの乗車券を購入。トロッコはこれまた外国の方だらけで日本人のほうが少数なのでは、というくらい。トロッコから見える景色は美しく、鹿がいるのも見えた。なかでもわたしはトロッコ保津峡駅の吊り橋がお気に入り。サスペンスドラマの撮影地にもなったと言っていたとおり、いかにも人が突き落とされそうな感じ。トロッコから下車し、竹林の道へ。竹って一日でものすごく伸びるから安易な気持ちで植えたらいけないんだよ、と教えてもらう。パセリも無限に繁殖するからだめらしい、よく知ってるね。竹林の道を抜け、渡月橋へ。恋人の念願の場所ということもあり、いかにもテンションが上がっている姿が見られて、こちらも嬉しくなる。お互いにインスタグラムのストーリーに投稿し、橋の下の川へおりる。���は石を渡って中洲のようなところへ。その姿を動画に撮っているとこちらに気づいてにこにこ。かわいい。水切りをしたりふらふらしたりとなにやらたのしそうでよかった。その後は休憩がてら和菓子屋さんへ。わたしはみたらし団子、彼はわらび餅を注文し、店の奥にある椅子で食べる。良い雰囲気だね、と話す。嵐山を楽しんだあとは金閣へ。電車とバスを乗り継いで到着すると、いかにも大切にされていそうな雰囲気の鹿明寺に背筋が伸びる。拝観料と引き換えて渡されたチケットがお札のようになっていて、こういうのいいねと話す。金閣はほんとうにぴっかぴかでびっくり。特に写真で掲示されていた内部の最上階の壁や床が全て金箔で埋められた洗練された部屋が圧巻。足利義満の派手さに圧倒される。敷地内が一方通行に規制されており、人を避けて進まなくてよいことのストレスの少なさに二人して感じていた。進むと蝋燭や線香をお供えできる場所を見つけ、二人でストレス封じの線香を供える。効果があるといいな〜。金閣を見終えたあとは夕食のために京都駅方面へ。京都駅はやっぱり人が多い。いろいろと迷った挙句、夕食は地下街のお好み焼き屋さんで済ませることに。チーズが存分にかけられたお好み焼きが想像以上に美味しかった。ボリュームのわりにはおなかによくたまり、大満足。ホテルへ戻るには少し早かったので、夜の千本鳥居に興味が湧き、伏見稲荷大社へ。勝手に人が全くいないことを想定していたけれど到着するとそれなりに同じような人たちがいて、みんな考えることは一緒か、となる。やはり夜はライトアップされていることからきれいで、感動する。マップを見ると、最後まで行くとすると稲荷山を登頂することになるようで、全く想像がつかなかったがとりあえず行けるところまでいってみるか、と意気込み、千本鳥居へ。途中で花火の音が聞こえ、そういえび今日は琵琶湖の花火があるんだったね、と思い出す。はじめの方は連なった鳥居が魅力的でどんどんと進んでいけたが、途中から険しい坂道となり、それなりのところで引き返す。疲れたけれど��を繋いで散歩できてとってもうれしかったなあ。電車で烏丸御池まで戻り、コンビニで飲み物とヨーグルトを買ってホテルへ戻る。昨日と同じように順番にシャワーを浴びて寝る支度をする。昨日は持参のパジャマを着たが、今日は備え付けのほうにしてみようか、とお互い前開きの浴衣のようなものを着る。あたりまえのように同じベッドに入る。昨日のこともありより積極的ですこし驚く。気がつくと服を身につけていない状態になる。何度も綺麗だと言ってくれて恥ずかしいけれどうれしい気持ち。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2200899に関してコンビニのカウンター下やスーパーの冷蔵ショーケースに塞がれた手洗い場食品販売施設に必須だったので形だけつけてある。カウンター下手洗い場で手洗いするのは困難。各都道府県の条例により設置義務が決まるが、平成19年通達により設置義務緩和のガイドラインが定められたので、以後開業のコンビニなどでは無い場合がある。 コンビニのカウンター下手洗い場+イートイン席コンビニの客用手洗い場設置義務は緩和されたが、店内に客席がある場合は設置の義務がある。逆に言うとカウンター下に客用手洗い場があるコンビニでは無工事でイートイン席を作る事が出来た。 人工大理石カウンターの下にシンクコンビニカウンターの向こう、壁側にもカウンターがあり、肉まんホットケース、タバコ棚が並んでいるが、一部は天板取り外しが出来てその下には二槽式シンクがある。食品を売る店舗では複槽シンクが必須だったため(自治体による)。先述のガイドライン策定により、洗うのが器具だけで食品を洗う必要がない場合は複槽である必要なしと規制緩和。 レーサーレプリカバイクの後席のバンド二人乗りをあまり考慮していないレーサーレプリカやスーパースポーツタイプのバイクの後ろシートの前の部分には目を凝らさないと判らないようなバンドが存在する。例:NSR250R https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPGこれはデザイン上の飾りではなく、後部乗員用が手で掴まる「シートベルト」で、道路運送車両の保安基準(道路運送車両法の政令)で定められた乗車装置である。撤去すると車両法違反となり車検がある車種では車検が通らない。 鉄道振替輸送とSUICA切符の発行、購入は目的地に輸送するという旅客運送事業の契約成立であるので、不通が生じた場合には振替輸送が供される。契約不履行としての代替手段である。Suicaなどではこの契約が成立していないので振替輸送を受益する事が出来ない。しかしそのSuicaで切符を買ってしまうと旅客運送契約が成立するので振替切符を交付してもらえる。 手荷物輸送運輸業には旅客と貨物の免許がありそれぞれ別物である。故に旅客免許しか受けていない鉄道会社、バス会社は貨物輸送を受ける事が出来ない。フェリー航送は車の持ち主の乗船が必須。だが客の手荷物を別料金、別列車で輸送するという建前で単独輸送する託送手荷物制度が存在する。また、託送荷物には速達性が求められる新聞も加わり、その流れで映画館で放映するニュースフィルムも託送された。ところでセルロイドは爆薬(硝化綿、無煙火薬)から作られるものであり、易燃性で暑い時に勝手に発火することもある。この為に担ぎ屋が持ち込んだタバコパイプ等が発火して火災になる車両事故などが多発して持込が禁止されていた。だが昔の映写フィルムはこのセルロイド製であったので、夏にバス運転席前に置かれた託送手荷物の映写フィルムが突然激しく発火、バスの出口が前一か所だけなので満員の乗客が逃げられずに多数が焼死という事故が何件も起きている。国鉄が廃止したのを皮切りに今は手荷物輸送は殆ど行われていないが、夕方などに客室の一部をロープで締め切って新聞を託送する電車はいまだ存在する。 ソープランドのサービス売春は禁止されているが、ソープランドでの性行為は「自由恋愛が発生したので」黙認されている。 ウリ専男性の売春であるウリ専は認められている。売春は異性間性交であるとの暗黙の了承による。 「ヂーゼル」などの外来語表記明治文明開化以降、大量の外来語が入ってきた為に、小文字カナの使用が始まる(捨てガナという)。明治政府は、政府の公文書や法令での捨てガナの使用を禁止。これに新聞社や大企業なども倣ったため、お堅い業種や監督官庁がある分野では外来語表記に捨てガナが無い表記を工夫するようになった。機械や自動車工学では整備士など国家試験があるので「ディー」と書けず、「ヂー」を使うようになった。この捨てガナ規制は昭和63年に解除された(昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』)。よく「キューピー社の正式名称は『キユーピーだ』というトリビアが開陳されることが多いが、以上の経緯からナンセンスなインチキトリビアである。「キューピー」や「QP」で登記できなかったからであって、古い外来語名企業は全て捨てガナ表記されていない。(ローマ字やアラビア数字で登記出来るようになったのは2002年11月1日:商業登記規則改正) 裁判での陳述裁判では判決は言い渡しし、口頭弁論などは陳述する事になっている。その為に準備書面を予め提出し、廷内で「書面の通り陳述します」と言うと書面の中身を法廷で話した事になる。 ネット選挙一般的なインターネットとはWWWの事で、ハイパーテキストによる出版であるから出版が準用されて、ネットを通じた選挙活動というのは禁止されていた。が、ガバガバな状態であった。だが公職選挙で出版が制限されるのは出版や印刷には金がかかり資金の差が獲得票数の差になる事を避けるための規制であるから大して金が掛からないWWWでの運動を規制するのは立法趣旨に反する。という事でWWWでの文書図画の公表、頒布は限ってはOKという事にした。但し電子メールアドレス表示必須である(守られてない)。電子メールでの活動は候補者以外は禁止のままだ。 輸入バスの後部脱出ドア数々の車両火災によりバスの後部、出口と反対側には脱出用のドアの設置が義務付けられている。だが外国製バスには無いものが多い。普通は改造しないと型式取得が認められないが、連接車など特別な用途のモノの場合、ガラスカチ割り用のハンマーを後部席に設置してあるから特例的にKという形になっている。 差金の目盛り計量法は日本の旧尺貫法での表記がされた計量器具の製造販売を禁じている。だが建築内装などでは旧尺貫法に準じた長さが未だ標準となっている。そこで、差金の裏に尺に準じた目盛りをメートル表記したものが売られている(尺相当目盛り付き長さ計)。国会で審議されてこれは合法というお墨付きが出た。 三輪自動車のドア海外で製造された三輪トラックなどを日本に輸入する場合、普通自動車としての型式は取れないので、ドアを撤去してサイドカーとして登録する。ドアを撤去するのは、サイドカーの条件として「ドアが無いこと」となっているから。冬は寒いが幌は禁じられていないのでビニルレザーでドア型幌を作って付けても大丈夫かと思われる。なお、50ccの場合はミニカーで登録できるのでピアッジオ・アペ等はドア付きでOkである。 A重油A重油は殆ど軽油で軽油9割、重油1割から成る。軽油には32円/Lの軽油税が掛かるが、道路を走行する車両に搭載されないエンジンで使用する場合その税金は払う必要が無い。その為の油種。トラックが使用したら直ぐに判るように蛍光剤が混ぜられている。 消毒用アルコールIPエタノールには酒税が掛かるがイソプロピルアルコールを少量混ぜて不可飲処置させてあるので酒税が掛からずに安い。 料理酒酒に塩や酢を混ぜて不可飲処置されているので酒税を回避。つまり不味い。 以上、三つだけ選んでお届けした。
「ガバい法律逃れ」三選
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美しいエネルギーで溢れる会になりそうです。ぜひご一緒しませんか✨
ꕤ KIRTAN & HEALING ꕤ
〜女性限定イベント〜
✎𓂃 穏やかで平和な祈りのうたを、Azusa * Aiko * Kyoko * Ai の4人でお届けします。
⧉ KIRTAN
@Azusa Fukushima
@Kyoko Uchimura
@Aiko Yamaguchi
@Ai Watanabe
一緒にうたったり、静かに聴いたり…、
それぞれが、心地よい場所で、心地よくお過ごしください。
✎𓂃 ウェルカムドリンクは、Yoshieによる"秋の水澄茶"。
⧉ 秋の水澄茶
@Yoshie Ota
目とハートとカラダの全てで味わってください。
✎𓂃 室内では、HEALINGセッションを行なっています。
⧉ チネイザン
@Kirana Naomi
⧉ アヴィヤンガ
@Keiko Ibaraki
⧉ シータヒーリング・カードリーディング・レイキ
@Mio Shinohara
音に委ねながら、ココロもカラダも解放されるひとときとなりますように…。
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ꕤ KIRTAN & HEALING ꕤ
(女性限定のイベントです)
✎𓂃 日時
2023年 9月18日(月・祝)
13:00 open
17:00 close
✎𓂃 場所
ヨガスタジオFIVE ELEMENTS / 京都トコ会館 1階
〒604-0864 京都府京都市中京区両替町通竹屋町下る松竹町136
https://goo.gl/maps/iduK8Djar71uKLfA6
地下鉄烏丸線「丸太町駅」 徒歩5分
✎𓂃 入場料
2,500 yen
ウェルカムドリンク"秋の水澄茶"つき♡
✎𓂃 ご予約
出演・出店者宛の個別メッセージでお申込みください。
特にヒーリングメニューのご予約は、各担当セラピスト宛に直接お申込みいただけるとスムーズです。
個別メッセージができない方は、ご予約フォームからご連絡ください。
https://www.tocokaikan.com/fiveelements-reservation
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✎𓂃 KIRTAN
⧉ 藍子
旅、自然から感じた事、歌やギターを通して心の深い部分に触れる音を届ける。
インドのヨガTT中に出会ったキールタンに、ハートが暖かく広がっていくのを感じ、
キールタンで音と祈りの輪を広げる活動もしています。
⧉ Ai
京都で、Yoga Life Musicをテーマに活動中。北インド古典音楽、祈りの歌Kirtan、Yogaを通じて、人と人がつながる場をつくることがライフワーク。
⧉ Kyoko
yogaの学びの中でKirtanに出逢い、強く惹かれ、以来、自分自身の祈りの行為として日々練習しつつ、
サークルや、イベントを通して活動中です。
⧉ Azusa
俳優/ダンサー。2022年、自身の怪我をきっかけにKirtanと出逢い、心身共に救われる。
人間の根源的で純粋な"祈り"の行為の美しさ、人と声を重ねる喜びに心を動かされ、以来、yogaの学びを自身の表現活動にも繋げながら、イベント等でKirtanのリードなども行う。
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✎𓂃 ウェルカムドリンク
⧉ Yoshie Ota
宇宙や自然のリズムと共に まわりの全てと調和しながら心地よく共鳴しあい~ 優しく愛おしい呼吸で、丁寧に楽しく祈りのある暮らしを大切に出来たらと想ってます。
日々の暮らしや旅をしながら出逢った人たちと~ 森羅万象、植物、音、唄や身体を通して、内なる大切な部分や全てと繋がり、本質に還ることを大事にしていけたらと◯
今は宇宙、植物のrhythmから作物を栽培するバイオダイミック農法でハーブたちを栽培している畑で、栽培の仕事のお手伝いをしながら、古来から伝わる叡智を色んな国、文化や伝統などから学び、体験中です☆
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✎𓂃 HEALING
⧉ チネイザン
Naomi(七后己)
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣 プロフィール
淡路島で海外で学んできたチネイザンをベースに施術やヒーリングを行っています。
自身が出会い救われた、メソッドを統合して、心身の不調を抱えた方が幸せに過ごせるように癒しをお届けしています。
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣 チネイザンについて
タイ発祥の伝統技法であり、感情解放マッサージと言われています。
お腹の深部から腸や内臓もみほぐすデトックスセラピーです。
ストレス、トラウマ、ホルモンバランスの不調、生理不順、PMS、妊活、更年期女性におすすめです。
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣 受付時間
①13:15-
②14:30-
③15:45-
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣 施術時間
55分
𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣体験費
8,500円(税込)
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⧉ アヴィヤンガ
Keiko
𓅯 ⸒⸒ プロフィール
動く瞑想で知られるTri Yogaインストラクター。
アーユルヴェーダセラピスト。
YOGAを通して微細な感覚やエネルギーの調和、瞑想へ向かう練習を日々しています。
同時に聖なる教えであるヴェーダーンタを学ぶ中、アーユルヴェーダの叡智と深く繋がりがあることを知ります。
手から繋がるアヴィヤンガを通し、祈りという"癒し"、瞑想状態のようなリラクゼーションを届けられるように心がけております。
体質バランスを整える薬草オイルは伝統的なインドのものを使用しております。
𓅯 ⸒⸒ 施術メニュー
ヘッドオイルドロップヒーリングとフェイシャル
ボディーやヘッドの組み合わせなど、時間の枠内で、ご希望に合わせて提供させていただきます。
𓅯 ⸒⸒ 施術時間
①13:05〜13:50
②14:05〜14:50
③15:05〜15:50
④16:05〜16:50
𓅯 ⸒⸒ 費用
5,500円(税込)
𓅯 ⸒⸒ お問い合わせ・ご予約
Leela Keiko
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⧉ シータヒーリング・カードリーディング・レイキ
篠原 美緒
<<プロフィール>>
大阪出身、エネルギーワーカー、レイキマスター。
2006年よりレイキ、2008年によりシータヒーリングなどを日本国内、世界各地でノマド的生活をしながら教える。
春と秋は京都・銀閣寺にて個人セッションやワークショップを開催。座右の銘は「笑いの中に本質あり」。 https://www.facebook.com/EnergyWorkMiohttps://www.instagram.com/oxoxmioxoxo/
<<セッションの詳細>>
①カードセッション
お話をしながら2種のカードを質問ごとに引いてもらい、新たな可能性を紐解いたり、悩みの原因や自分を知るお手伝いをします。
チャネリング要素も含まれた、短時間でスッキリすると評判のセッション。
10分 1,000円
②レイキ
宇宙エネルギーを取り入れ手から流し、身体・心・霊的成長など必要な側面へ癒しをお届けする、気持ちの良いヒーリング。
15分 1,500円
③シータヒーリング
脳波をシータ波に変えた変性意識状態でリーディングし、思考パターンを変えたり過去の傷を癒したり、ディープでマルチなヒーリング。
現状を変えたい、理解したい、または成長したい気持ちの強い方向け。
15分 2,500円
※どのセッションも5分単位での延長が可能です。
※20分以上のセッションはご予約をお勧めします。
13:00〜16:30スタートの間でご希望の時間帯をお知らせ下さい。
<<お問い合わせ・ご予約>>
各担当セラピスト宛に、SNSのDM(個別メッセージ)でお申込みください。
DMができない方は、ご予約フォームからご連絡ください。
https://www.tocokaikan.com/fiveelements-reservation
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2024年2月1日
能登半島地震
「認識甘かった」地震5時間、情報なき首相官邸 危機感共有されず(朝日新聞 連載:検証 能登半島地震)2024年2月1日
1月1日夜、官邸の執務室で岸田文雄首相は焦燥感に包まれていた。
午後4時過ぎに石川県能登半島を震源とする震度7の激震が発生。首相はその約1時間後から、執務室で秘書官らと共に待機していた。つけっぱなしのNHKのテレビは、アナウンサーが津波からの避難を呼びかけ、炎に包まれる輪島市の市街地を映し出していた。
だが、首相にもたらされるのは「道路が寸断されている」「生き埋めが発生している」といった断片的な報告ばかり。全体状況が分からないまま、刻々と時が過ぎた。
「電話をつないでくれ」。しびれを切らした首相は秘書官に坂口茂・輪島市長らに直接、連絡をとるよう指示した。しかし、居場所が分からない。「公民館で孤立しているらしい」。そんな情報をもとに、ようやく探し当てた坂口氏と電話がつながったのは、午後10時過ぎ。スピーカー機能にしたスマートフォンを首相と秘書官が囲んだ。
「どんな状況ですか」。尋ねる首相に坂口氏は「多数の家屋が倒壊しています。道路も寸断されています」と話した。「これまでの地震と比べてどうですか」。重ねて問うた首相は、返ってきた言葉にがくぜんとした。「比べものにならない被害です」
続けて泉谷満寿裕・珠洲市長との電話を終えた首相は、秘書官らに政府の特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げするよう指示。午後11時半過ぎ、官邸のエントランスで記者団の取材に応じた。「私が陣頭指揮をとって震災対応にあたる。情報収集が困難な状況だが、夜を徹して現地情報を集めるように指示を行った」
この時点で、発災から7時間以上が過ぎていた。一挙に高まった官邸の危機感は、政府内でどれほど共有されたのか。
非常災害対策本部のメンバーで、復旧を指揮する斉藤鉄夫国土交通相は地元・広島から東京に急行し、1日午後8時ごろに国交省に到着した。
しかし、この間に首相から連絡はなく、斉藤氏が官邸に入ることはなかった。危機感を高めたのは翌2日、夜が明けてからだ。国交省が飛ばしたヘリが省内の大型モニターに映し出す能登半島は、山が大きく崩れ、道路がズタズタになっていた。「大変なことになった」。衝撃を受けた斉藤氏は、政府全体の震災対応を仕切る担当に、急きょ経験者である次官級の幹部を送り込んだ。
首相が1日に面会した閣僚は、林芳正官房長官と松村祥史防災担当相の2人。斉藤氏や、通信インフラを担う松本剛明総務相、木原稔防衛相らとも会わなかった。
斉藤氏が首相から直接指示を受けたのは、2日夜になってから。羽田空港で日本航空(JAL)と海上保安庁の航空機が衝突・炎上した後、首相からこう伝えられたという。「震災対応で手が回らない。事故対応は国交省で全てやってほしい」
斉藤氏は地震の初動対応について、周囲にこう語っている。「死者も安否不明者も、全然情報が入ってこなかった。そこまで大きな被害にならないと思っていた。認識が甘かった」(川辺真改、佐藤瑞季)
初動対応、自民内からも疑問
地震の発生後、岸田文雄首相が官邸に入ってから輪島市長らとの電話で深刻な被害の実相をつかむまで、約5時間。関係閣僚を次々と呼び込むこともなく、首相は何をしていたのか。
1月1日午後5時16分、公邸から官邸に移った首相は、まず防災担当の内閣府幹部らと面会して説明を受けた。「非常災害対策本部は死者、行方不明者100人ぐらいが基準です。まだ状況が分からないので、特定災害本部にします」
政府は災害対応に、規模に応じて緊急災害対策本部(東日本大震災)、非常災害対策本部(熊本地震など)、特定災害対策本部の3段階で臨む。首相は周囲に「自分がトップになって非常災害対策本部を設ける」と話していたが、設置を判断するための情報はない。立ち上げたのは、松村祥史防災担当相がトップの特定災害対策本部だった。
首相周辺は「首相に報告できる内容もなかった。それぞれの担当者が可能な範囲で、首相に状況を伝えていた」と振り返る。首相は執務室にこもり、各省の担当者から報告を受けたり、電話をかけたりしていた。当時、東京の自宅にいた石川県の馳浩知事も官邸に駆けつけたが、顔を合わせたのは別の官邸幹部。首相と会うことはなく、官邸のヘリポートからヘリで石川に戻った。
進まぬ情報収集に、首相はいらだった。道路寸断で自衛隊や警察、消防の救助隊が当日のうちに現地に入れないかもしれないとの報告を聞くと、「あらゆる手を使って、なんとしても今日中に派遣するんだ」と語気を強めた。
首相は午後11時半過ぎ、官邸で記者団の取材に応じた。人的被害をほぼ把握できていなかったため、「情報を全力で収集している」「情報収集が困難な状況だ」と話した。官邸関係者は「発災翌日でも、死者が3桁に達するとは思わなかった」と明かす。記者団とのやりとりを終えると、首相は公邸に帰宅した。
首相ら官邸中枢の初動に、過去の災害と比べて疑問を投げかける声も自民党内から漏れる。
2016年の熊本地震では、4月16日午前1時25分に2度目の震度7を記録する本震が起きると、3時28分に当時の安倍晋三首相が官邸に入り、5時10分に非常災害対策本部を開くなど、夜を徹して対応にあたった。
当時の菅義偉官房長官は、午前6時前に臨んだその日2度目の会見で「人的被害は未確認」としつつ、2千人態勢だった自衛隊を「本日中に1万5千人、明日以降に2万人態勢とする」と表明。会見後、周囲に「総理も自分もずっと官邸に詰める。いまが大事だ」と話していた。前首相でもある菅氏は、いまの岸田官邸の対応に「ぬるい。仕切れる人がいない。批判されないようにと、思い切った手を打てていない」と不満を語っているという。
政府と石川県は1月7日になって、渋滞で支援物資や資材の搬送に支障が生じているとして、「のと里山海道」の一部区間で一般車両の通行禁止規制を開始した。5日の党首会談で野党側から提案があったもので、政権幹部は「野党が反対しないなら、国会でも批判されないだろうということで決まった」と明かす。自民参院中堅は「初動の遅れが全て。後手後手になり、被災地のニーズに追いついていない」とみる。
事前の備えが不十分だった可能性もある。
災害対応を担う官邸幹部は昨年3月に「能登半島で地震が多いのが気になる」と指摘し、一部の幹部で情報を共有したという。その後、5月に能登半島の珠洲市で最大震度6強を観測する地震が発生。気象庁は2年以上も地震が続いているとして、注意を呼びかけた。
だが、危機管理を担う別の幹部は「危ない地域はたくさんある。特に能登をどうするのかという話はしなかった」。一部幹部の危機感が、具体的な形になることはなかった。(笹川翔平、鬼原民幸)
コメントプラス
長野智子(キャスター・ジャーナリスト)【視点】 この記事の中で大きく気になったのは主に2点。ひとつは災害対応を担う官邸幹部が、昨年3月には「能登半島で地震が多いのが気になる」と指摘していて一部の幹部で情報を共有。その後、5月に能登半島の珠洲市で最大震度6強を観測する地震が発生しているにも関わらず、危ない地域はたくさんあるから特に能登をどうするのかという話はしなかったという点です。一部の幹部の危機感が共有されていたら、これほどまでに能登半島での地震に無防備な初動対応しかできないことはなかったのではと悔やまれます。
もう一点は、過去に災害対応のリーダーシップをとった前首相でもある菅氏が、いまの岸田官邸の対応に対し��「ぬるい。仕切れる人がいない。批判されないようにと、思い切った手を打てていない」と不満を表している点です。危機対応は大きく構えて、後から「必要なかったね」と言われるくらいが必要なことは過去の自然災害で何度も言われていることなのに、もし現官邸が「もし大げさにして後から批判されたら」と決断できない、あるいは踏み切ることのできるリーダーシップがないことは被害地域にとって大きな不安です。この2点は二度と繰り返してはいけないポイントだと考えます。
米重克洋(JX通信社 代表取締役)【視点】 政治家も含め、人間には正常性バイアスがある。現地からの情報が少ない=被害は限定的、と思いたいところもあったかもしれない。時には被害情報が少ないことはそれだけまずいことが起きているという推測と警戒心が必要で、それがないと本当の意味での初動なり「プッシュ」的な対応は難しいかもしれない。
記事では首相が分からなかった「全体状況」が具体的に何かはっきりしないが、過去と「比べものにならない被害」であることは、明るい時間から既に東京でも分かっていたことだと思う。
というのも、SNSでは重要な道路の陥没、崩落被害や、家屋が多数倒壊しているといった情報は多数投稿されていたし、そのピンポイントな場所も含め、我々自身FASTALERTというしくみで報道各社や一部当局に配信していた。似たような場所からの救助要請も多く投稿されており、それらをリアルタイムにプロットした地図を見ていると、不自然に情報が少ない場所も分かるくらいだった。
そんな状況だったから、被害がないのではなく、被害の「情報を上げられない」くらい甚大なダメージを受けた地域があることは(その大まかな場所も含め)容易に推定できた。社内でも人的被害はかなり大きそうだと日が沈む前から推測し、その前提で情報を分析、発信していたと記憶する。
官邸に本当に不足していた情報が何なのかはよく分からないが、仮に特に把握したいのが人的被害の定量的、具体的な情報や重要インフラへの影響だとすると、自治体を通じた情報収集が目詰まりになった可能性はあるかもしれない。
災害時に避難所を開けるなどして住民への対応に当たるのは基礎自治体の仕事だが、基礎自治体の職員数には限りがあるし、防災・危機管理担当者の数はより限られる。総力をあげて対処しても、パンクする可能性が高い。住民からの通報対応だけでも相当なリソースが必要な状況だったろう。自衛隊が自治体業務を丸抱えするようなレベルで足で情報を集めたという話もあった。首相が求める情報をタイムリーに、且つ能動的に報告するというのがどだい無理な状況だったかもしれない。
情報収集、整理、分析、判断のうち、収集に目詰まりが起きると後工程は全て影響を受ける。どこにどんな課題があったか、振り返りは必ずされるであろうから、それを待ちたい。
イギリス・スナク首相も訪れた「豆匠」で集団食中毒 ノロウイルスで40人が下痢や嘔吐などの症状 広島(���レビ新広島)2024年2月1日
広島市保健所は南区の飲食店、「とうふ料理豆匠」で食事をした客40人が食中毒の症状を訴えたため調査を行った結果、ノロウイルスが検出されたため店に営業禁止命令を出しました。
広島市保健所によりますと先月27日に南区比治山町の「とうふ料理豆匠」を利用した15グループ90人のうち7グループ40人が発熱や下痢、嘔吐などの症状を訴えました。
医療機関から届け出を受けた保健所が調査した結果、店の利用者10人、従業員2人の便からノロウイルスが検出されました。保健所では患者の共通の食事は豆匠が提供した料理しかないため、集団食中毒と判断し、31日営業禁止命令を出しました。
豆匠は去年のG7サミットの際、岸田総理大臣とイギリスのスナク首相との食事会場にもなっていました。保健所はノロウイルスにはアルコール消毒は効果がないため、食事の前やトイレの後は流水での手洗いを呼び掛けています。
新型コロナ患者数が11週連続で前週上回る インフルエンザも同時流行 広島(RCニュース)
広島県によりますと、直近1週間の県内の新型コロナの患者数は、11週連続で前の週を上回りました。インフルエンザとの同時流行が続いています。
1月22日から28日までの1週間に報告された新型コロナの患者数は、1医療機関当たり14.14人で11週連続で増加しました。
県が管轄している保健所管内では、クラスターが12件発生、200人が感染、2人が死亡しています。
一方、インフルエンザの患者数は、1医療機関当たり12.25人で横ばいでした。
県では新型コロナとインフルエンザが同時流行しているとして、感染対策を取るなど注意を呼びかけています。
新型コロナ 広島県内の新規感染者24%増 11週連続で増加 1日発表(テレビ新広島)
新型コロナウイルス。広島県は1日、先週1週間(1月22日~28日)に広島県内の定点調査で確認された新規感染者数は1598人、定点あたり14.14人と発表しました。前週と比べて感染者数は24%増で、11週連続で増加しています。(前週は1291人、定点あたり11.42人)
広島県は、現時点で医療がひっ迫している状況にはないが、引き続き手洗いや換気など基本的な感染対策をするよう呼び掛けています。
一方、このほかの感染症ではインフルエンザ、咽頭結膜熱、A群溶血性レンサ球菌咽頭炎について、県は引き続き警報を発令し警戒を呼び掛けています。
※「5類」移行後、広島県内の感染者数
5月8日~14日 259人 定点あたり2.31人
5月15日~21日 253人 定点あたり2.26人 前週比 横ばい
5月22日~28日 266人 定点あたり2.38人 前週比 横ばい
5月29日~6月4日 344人 定点あたり3.07人 前週比 微増
6月5日~11日 443人 定点あたり3.92人 前週比 微増
6月12日~18日 493人 定点あたり4.36人 前週比 微増
6月19日~25日 532人 定点あたり4.71人 前週比 横ばい
6月26日~7月2日 771人 定点あたり6.88人 前週比 微増
7月3日~9日 1,060人 定点あたり9.46人 前週比 微増
7月10日~16日 1,245人 定点あたり11.12人 前週比 微増
7月17日~23日 1,548人 定点あたり13.82人 前週比 微増
7月24日~30日 1,783人 定点あたり15.92人 前週比 微増
7月31日~8月6日 1,639人 定点あたり14.77人 前週比 横ばい
8月7日~13日 1,302人 定点当たり11.94人 前週比 微減
8月14日~20日 1,601人 定点あたり14.29人 前週比 微増
8月21日~27日 1,633人 定点あたり14.58人 前週比 横ばい
8月28日~9月3日 1,637人 定点あたり14.62人 前週比 横ばい
9月4日~10日 1,697人 定点当たり15.02人 前週比 横ばい
9月18日~24日 1,073人 定点あたり9.58人 前週比 微減
9月25日~10月1日 880人 定点あたり7.79人 前週比 微減
10月2日~8日 535人 定点あたり4.73人 前週比 減少
10月9日~15日 411人 定点あたり3.64人 前週比 微減
10月16日~22日 303人 定点あたり2.71人 前週比 微減
10月23日~10月29日 321人 定点あたり2.84人 前週比 横ばい
10月30日~11月5日 285人 定点あたり2.52人 前週比 微減
11月6日~12日 189人 定点あたり1.67人 前週比 減少
11月13日~19日 194人 定点あたり1.72人 前週比 横ばい
11月20日~26日 300人 定点あたり2.65人 前週比 増加
11月27日~12月3日 306人 定点あたり2.71人 前週比 横ばい
12月4日~10日 313人 定点あたり2.77人 前週比 横ばい
12月11日~17日 356人 定点あたり3.15人 前週比 微増
12月18日~24日 360人 定点あたり3.19人 前週比 横ばい
12月25日~31日 671人 定点あたり5.94人 前週比 増加
1月1日~7日 682人 定点あたり6.04人 前週比 横ばい
1月8日~14日 918人 定点あたり8.21人 前週比 微増
1月15日~21日 1,291人 定点あたり11.42人 前週比 微増
1月22日~28日 1,598人 定点あたり14.14人 前週比 微増
※前週との比較
急増減…1:2以上の増減
増減…1:1.5~2の増減
微増減…1:1.1~1.5の増減
横ばい…ほとんど増減なし
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【常威近代史】(七百九十六回)
刺客
1939年1月21日,戰況稍為喘定,蔣介石響重慶召開國民黨五屆五中全會,槍口突然向內,重提反共方針,確定咗「溶共,防共、限共,反共」8字原則,並且通過咗「整理黨務」決議案,設立專門嘅「防共委員會」,負責壓制共產黨勢力擴張,「第二次國共合作」後,雙方共同抗日,當然,彼此口和心不和,各有各做,大家亦唔妥對方就一定,不過蔣介石都睇到,自抗日戰爭全面爆發,共產黨不斷坐大,我諗喺蔣介石心目中,共產黨嘅威脅唔會比日本人少幾多,於是當情況稍為喘定,又立刻重提防共,而且啱啱收咗資本主義大國美國天文數字2500萬美元支助,點都要做番啲嘢俾老細睇掛?
中共亦都喺1月20號同1月21號,分別致電國民黨五屆五中全會同蔣介石,希望鞏固同埋擴大兩黨合作,以慰全國人民嘅殷切之望。中共強調,唯有進一步加強團結,才能共渡難關,對抗敵人陰謀,消滅漢奸毒計,而不應該對中共加以各種限制。
1月22號,國民黨「中統」浙江站行動組員陳夏中,吳榮才刺殺偽杭州市長何瓚,何瓚係福建人,中華民國時期著名政客,早年響日本學醫,全面抗戰爆發後,任日本憲兵隊隊長嘅若松茂平係何瓚當年響日本嘅同學。憑着依一個關係,何瓚投靠日本,淪為漢奸,任偽杭州市長。陳、吳二人傍晚乘坐轎車到達積善坊巷八號「何公館」,保鏢睇見佢哋出示「蘇浙院綏靖司令徐樸誠」咭片,知道來頭好大,隨即引見,正在同屋企人食緊飯嘅何瓚面見兩人,陳夏中遞卡片時問「你是何市長嗎?」,何瓚就答「係。」,確認身份後,陳夏中即時拔出手槍向何瓚連轟三槍,將其擊斃。個故仔睇嚟好簡單,不過箇中兇險之處,相信非同小可,兩位成功行刺漢奸嘅中統特務收場如何?亦搵唔到資料。
1月23號,美國運9000噸小麥到上海,救濟中國難民。1月25號,中共分別致電國民黨五屆五中全會同蔣介石,要求鞏固同埋擴大抗日民族統一戰線。1月28號,國民黨五屆五中全會決議,組織「國防最高委員會」,推舉蔣介石任委員長。1月30號,偽政權王克敏(1879-1945)等人係北平發起組織「和平救國會」,應該係響應汪精衛嘅「和平運動」。
今個月,財政部頒佈《取替敵偽鈔票辦法》,禁止行使偽鈔。日本所佔領嘅地方,國民政府原來嘅鈔票當然作廢,好似跟住日本佔領香港三年零八個月,就要民眾用港元去換皇軍軍票一樣,好多人今日仲手持軍票兌換唔返cash。為咗增強對外宣傳,國民黨中央社發表英文版《中國半月刊》;今個月中共中央南方局亦喺重慶成立;同時,八路軍挺進軍、新四軍獨立遊擊隊分成立,中共嘅軍事力量不斷坐大,難怪蔣介石要「溶共,防共、限共,反共」了。
喺文化藝術方面,張澤(1882-1940)、張大千(1899-1983)兄弟畫展喺法國貢格惹德堡舉行,盛況空前。二次大戰結束後,大畫家張大千多次響世界各地辦畫展,1958年以寫意畫《秋海棠》被紐約國際藝術學會選為世界大畫家,並榮獲金獎。1974年,獲美國加州太平洋大學名譽人文博士學位。張大千1949年離開中國旅居世界各地。1976年後定居台北市。1983年,台北故居捐給國立故宮博物院成立「張大千先生紀念館」。
之前亦都提過,係1939年1月日本亦有大事發生,就係首相近衛嘅內閣倒臺,近衛文麿宣布下野,其下野嘅主要理由就係無法解決對華戰爭嘅僵局,尾大不掉就係呢個意思。之後嘅繼任者,有極右派嘅平沼騏一郎(1867-1952)、陸軍大將阿部信行(1875-1953)、海軍大將米內光正(1880-1948),高速交替嘅三任首相,都用盡一切方法打破對華戰爭嘅僵局,對於蔣介石,佢哋企圖孤立蔣介石以打擊其生存能或意志;對於西方列強,佢哋運用外交手段以說服其承認日本係中國所得到嘅一切;響北方,日本想辦法緩和蘇聯嘅威脅,讓關東軍有餘力喺中國繼續採取軍事行動;響南方,日本面對馬來西亞嘅英國、印度支那嘅法國同埋印尼嘅荷蘭,佢哋採用嘅戰略係以外交同埋軍事行動並進,企圖中立化或消滅三者嘅根據地,日本要將東南亞成為囊中物,保證其石油、橡膠及金屬等天然資源成為軍隊戰略物資來源地,創建其心目中嘅理想國「大東亞共榮圈」,以東風壓西風。
係歐洲方面,希特拉嘅納粹政權逐漸邁向戰爭邊緣,日本同德國,加埋意大利,早就眉來眼去,1936年日德簽訂反共協定,規定兩國共同反對共產主義,1937年意大利亦加入,三國均承認冇其他兩國嘅同意,不能單獨同蘇聯達成任何協議,呢個亦都係軸心國嘅雛形承諾。不過大家都知道,希特拉為咗戰爭利益,竟然係1939年8月23日秘密同蘇聯簽下《德蘇互不侵犯條約》(Molotov–Ribbentrop Pact,或稱:莫洛托夫—里賓特洛甫條約),共同瓜分波蘭。依一下,真係起咗日本尾注,期間在任嘅內閣總理大臣平沼騏一郎,就係因為控制唔到希特拉同蘇聯簽約,而憤然辭職。
1939年1月,於焉結束。
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