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#不眠症克服
okumaseitai · 2 years
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・ 脳の 研究が進んでおります。 脳、神経の通り道を変えることで 恐怖、不安を抑えられるという可能性があるそうです😊 【脳、自律神経の特徴】 ①現実と空想、妄想の区別がつかない ②過去、現在、未来がわからない ③否定形が通じない ④主人公がわからない 例えば ①は 空想で考えたことが目の前に起こったかのように体が反応します。 怖い映画を見たら手に汗握るみたいなもんです。 ②は 過去のトラウマ、この場所で転倒したことがある、その場面を思い出したり、その場所に行ったりするだけで身体が震えるなどです。 予期不安もそうです。 ③は ゴキブリの事を考えないでください!といっても考えてしまうというようなことです。 不安なことを考えたくなくても、考えてしまうのです。 対策としては 違うことを考えることが有効です。 ④は 主人公がわからない。 誰かの話を聞いて自分のことのように涙を流すなどです。 自分のことではなくても、脳の大脳辺縁系、つまり感情が反応するんです。 これは特徴ですので、良いとか悪いとかではなく、このようなものなのです。 そこから自己コントロールをしていく対策をしていきます。 自己コントロールする方法が 自己暗示をかけるなどです。 当院では、そのようなワークを一緒にさせていただきます。 いろんなコントロール法をクライアントさんと一緒にさせていただき、 電車に乗れるようになったり 外食に行けるようになったり 雨の日に外出できるようになったり、されておられます。 そんなもんなんや! と理解できたら 少し心が軽くなりますよ。 真っ暗なトンネルに小さな光が見えるようになり、克服できるようになるのです。 「なんか良くなりそう」と思えるようになります。 次は あなたの番です。 一緒に頑張りましょう。 そのお手伝いをさせていただきます。 #自己コントロール #自律神経の特徴 #トラウマ克服 ・ 【当院の理念】 ・ 不調のために諦めていたことや、 やりたかったことを 気兼ねなくできるように なっていただき 一緒に笑顔になっていただく ・ 【ご挨拶】 ・ いつもご覧くださいまして ありがとうございます😊 心より感謝いたします🙌 ・ 病院に行っても 原因がわからない場合は 自律神経の不調かもしれません。 ・ 《あなたのお悩みを解決します!》 自律神経の症状、お悩みを解決するブログを書いております。 ・ どうぞプロフィールから一番上のブログをタップしてご覧ください。 ↓↓↓ @wakae_ookuma_seitai ↓↓↓ タップしてください ↓ 一番上の「ブログ」をタップ! ↓ 記事をご覧ください❗️ ・ また 自律神経症状の解決の 体操などを動画にしております。 ・ ホームのプロフィールから YouTube動画のチャンネル登録を お願いいたします。 ・ どうぞ よろしくお願いいたします🤲 ホームページはこちら 東大阪市の自律神経専門整体のおおくま整骨院|若江岩田駅徒歩3分 ・ 🌟私が今できるベストを尽くすことをお約束いたします🌟 ______________ あなたが心身ともに健康になれる ✨情報を更新しております✨ ・ ブログはこちらをご覧ください❗️ ブログの一覧 | 東大阪で自律神経の整体なら【おおくま整骨院】|駅徒歩3分 ・ フォローよろしくお願いいたします。 ↓↓↓ @wakae_ookuma_seitai ・ Instagramのプロフィール欄のリンクを タップしていただきますと 悩み解決ブログがご覧になれます。 ・ 《ご相談・ご予約》 ご相談などございましたら LINE@への登録お願いいたします。 https://line.me/R/ti/p/%40vtd9415n ______________ 東大阪市若江岩田の自律神経専門整体 おおくま整骨院 東大阪市瓜生堂1-3-27リベラルコート1F 完全予約制 📞 072-968-8139 施術時間 ☀️10:00〜12:30 🌠15:00〜20:00 休:日曜日・祝日、土曜日午後18:00まで HPはプロフィール欄からご覧ください。 ______________ 【こんなことでお困りではないですか】 #自律神経失調症 #パニック障害 #頭痛 #めまい #不眠症 #更年期障害 #冷え症 #息苦しい #うつ病 #強迫性障害 ______________ 【当院の場所や特徴など】 #若江岩田整体 #東大阪市整体 #若江岩田整骨院 ______________ 【好きな歌手は】 #ミスチル #福山雅治 #浜田省吾 #尾崎豊 #MISIA ______________ 【趣味は】 #マウンテンバイク #ガンプラ #サッカー #釣り ______________ #まちスキ #snsでつながる東大阪 https://www.instagram.com/p/ClM5yfUvMLG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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rosysnow · 5 months
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火炎がはじけて
我慢できない、あなたに触れたい
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 欲しくて、喉が渇いて、息が切れる。
 あなたに触れる。そんな夢を見る。何度も。あなたと恋に落ちる夢を見る。
 きっと叶わないんだ。それでも求めて、飢えて、潤いに包まれたいと願う。
 果肉みたいに咬みつきたい。シロップのように舐めたい。香り立つその肌の熱を、俺の熱でめちゃくちゃにしたい。
「にーちゃん、俺、今日もゆったんのとこだからなっ」
 牛乳をぶっかけたコーンフレークをがつがつ食らいながら、弟の光斗はそう言った。制服に着替えながら歯を磨き、さらに光斗が食べこぼしをやらないか見張る俺は、歯ブラシを含むまま「またかよ」と答える。
「いいだろー。にーちゃん待ってるだけなの、つまんないもん」
 俺は肩をすくめて、「勝手にしろ」と光斗に背を向ける。
 だって、やばい。顔が笑ってしまうのをこらえられない。
 単にそれだけだったのに、「にーちゃん、怒ったの?」と光斗は急に不安そうな声を出す。だから俺は、何だかんだ弟に甘い。「怒ってねえよ」と歯ブラシを吐き出してきちんと言うと、「よかった!」と光斗はすぐ笑顔になり、コーンフレークにラストスパートをかける。
 こないだ連休が過ぎて、高校生になった春は終わりかけている。早くも熱中症アラートが出る初夏だ。窓からの朝陽は、レーザーみたいに視覚を焼く。
 光斗は、俺が小六のときに生まれた弟だ。妊娠を聞かされたとき、性教育済みの俺は「え? とうさんとかあさん、今もやってんの?」と真っ先に思った。そんな複雑な吐き気も覚える中、光斗は誕生して、二歳になるまでは育休を取ったかあさんが面倒を見ていた。
 しかし、仕事というものは無情なものだ。これ以上育休するならいったん退職してくださいと、かあさんにお達しが来た。俺の親ものんきなタイプではないので、元から保活はしていた��だが、これがなかなか決まらない。
 光斗は人見知りなところがある。勇気を出して、同じ組の子に話しかける努力はするのだが、あとから「俺、もしかしてうざかったかもしれない」とか盛大に反省会を始める。「うざかったら一緒に遊ばないだろう」ととうさんが言っても、「みんな我慢してたかもしんないじゃん!」と泣き出すこじらせっぷりだ。
 だから、今の保育園に体験入園して、「ゆったん」こと早田勇多くんと光斗が見事に打ち解けられたときは、家族総出で喜んで入園希望を申し込んだ。空きがまわってきたのがこの春で、やっと光斗は楽しげに保育園に通うようになった。
 俺は俺で高校に進学したところだったが、それは二の次だった。両親は朝六時半には家を出て、電車で長距離通勤をしている。だから、光斗を起こし、食わせ、支度を手伝い、ちゃんと保育園の送迎バスに乗せるまでは、暗黙の了解で俺の仕事だった。
 高校に着くのは遅刻寸前だ。弟の面倒を見ていると言っても、生活指導の先公はいい顔をしない。どこから聞きつけるのか、俺のその弁解を知って、女子には「言い訳がブラコンだよねー」とか言われている。分かってくれるのは、男友達だけだ。
 でも、いいんだ。同クラの女子連中なんか、俺も興味はない。俺には好きな人がいる。
 保育園は十五時で終わるが、家庭の都合がある子供たちは、夜まで預かってもらえる。最初、光斗には保育園に残ってもらい、俺が放課後に連れ帰る予定だった。ところが、光斗愛しのゆったんは、十五時にゆったんママが迎えに来て帰ってしまうのだ。
 ゆったんが去ったあとの光斗は、真っ白な灰らしい。「にーちゃん、学校辞めて迎えに来いよ!」と光斗は家で半泣きになって、わがままを言い出しはじめていた。
 そのことを保育士さんに聞いたゆったんママが、「光斗くんのご家族さえよければ」と俺の放課後まで光斗を預かることを申し出た。もちろん恐縮すぎる話で、両親は気持ちには感謝して断ろうとしたが、「勇多も光斗くんを置いて帰るのが心配そうなので」とゆったんママは言い添えてくれた。
 かくして、光斗はほぼ毎日ゆったん宅にお邪魔して、やっと機嫌を直した。ゆったんの家が都合悪いときは、遠慮なく光斗を置いていってくださいとは伝えてある。だから、たまに保育園に迎えにいくこともあるが、基本的には俺はゆったんの家に光斗を迎えにいっていた。
 ゆったんママと初めて顔を合わせたときは、地味だな、と思った。目を引く美人ではない。長い髪は黒く、眼鏡もかけている。高校生の俺にとっては、子持ちの時点で若さすら感じない。
 俺が迎えに来ても、光斗はおとなしく帰るわけではない。ゆったんと長々遊び、そのあいだ、俺は一軒家の玄関先でゆったんママと世間話をしている。いい加減遅いと、俺は家に上がらせてもらって、子供部屋から光斗を強制連行する。
 その日も、光斗はなかなか子供部屋から出てこなかった。夕陽が射してくるのを合図に、「遅いっすね」と俺が言うと、ゆったんママは苦笑して「連れてきてあげてください」と俺を家に通す。俺はスニーカーを脱いで、二階の子供部屋に向かった。
 ため息をついて、少し茶色を入れた髪をかきむしり、今日はどう言って引っ張るかな、とドアの前で思案した。そのとき、不意に「みっちゃん」とゆったんが光斗に話しかける声が聞こえてきた。
「みっちゃんは、自分でおまた触ったりする?」
 俺は動きを止め、板張りのドアを見た。
「んー、ちんちん触るってこと?」
「分かんないけど……」
「にーちゃんは触ってるときがあるな」
 何この弟、ちょい待て、それ以上言わんでくれ。
「ほんと?」
 何で食いつくんだよゆったん、もうやめてくれ。
「やっぱり、大人は自分のおまた触るのかなあ」
「ゆったん触るの?」
「僕は触んない……だって、おしっこするとこだもん」
「俺もそう思うからあんまり触らない。洗うだけ」
「そうだよね。でもね、ママは自分のおまた触ってるの。眠ってるパパの隣で──」
 俺は目を開き、とっさに、その先を聞く前に、「おい、光斗っ」と俺はドアに向かって声をあげた。
「帰るぞっ。その……もう、暗いしっ」
「えー……」とか言う光斗の声が聞こえたが、「早くしろっ」と俺は乱暴に言う。
 やばい。やばいやばいやばい。
 頭の中が暴れるみたいにそう思っていると、ちょっと不安そうな顔になった光斗が顔を出した。
「にーちゃん──」
「お、怒ってねえよっ。腹減ったしさ。遅いと、かあさんが先に帰ってくるかもしんねえし。あ、ゆったん、今日もありがとな」
 細身で背の高いゆったんはこくんとして、「見送るね」と立ち上がった。ゆったんが隣に来ると、「行こっ」と光斗ははしゃいだ顔になって、ふたりは一階に降りていく。
 ふーっと息をついて、ばくばくと腫れ上がる心臓を抑え、俺も一階に降りた。子供たちが靴を履いている玄関に、足を向ける。
「あ、克斗くん。ごめんなさい、今日も遅くしちゃって」
 ゆったんママが普通に話しかけてくる。俺は顔をあげられないけど、「え……っ」とぎこちない声は出す。
「あ、『暗いし』って言ってるの、ここまで聞こえて」
「……あ、いや。すみません」
「ううん、本当に暗くなっちゃったもんね。よかったら、私が車で送ろうか」
「そんな……ぜんぜん、大丈夫っす」
 今まで何とも思わず、聞き流していたゆったんママの声が、急に艶やかな大人の女性の声だと気づく。視線の先が定まらない。せわしなくまばたきをしてしまう。「克斗くん?」とゆったんママの声が近づいて、俺はびくんと顔をあげてしまう。
「どうしたの?」
 あ……けっこう、肌、綺麗じゃん。すっぴんでその肌なら、化粧を覚えてきた女子連中より、ずっといいかも。黒髪も腰がありそうだから、指ですくったらさらさらしてんのかな。唇だけさっと色が乗せられて、桃色がうるうるしている。そして、吸いこんでしまいそうな黒い瞳は、無垢なくらいに澄んでいる、のに──
 ……この人、自分でしてるんだ。
「あ……の、」
「うん?」
「名前……」
「え?」
「あ、いや、そういや俺、ゆったんママって呼んでて、名前知らないなって」
「ああ、そんな……ゆったんママでいいですよ」
「でも」
 すがりつくみたいに、彼女を見てしまう。俺のそんな瞳を受けて、彼女の瞳も揺れる。ややとまどったのち、「咲花です」と彼女ははにかんで答えてくれた。
「咲花……さん」
「呼びにくいでしょう? ゆったんママでいいですから」
 そう言って咲花さんが微笑んだとき、「靴履いたよっ」と光斗の声が割って入った。「僕も!」とゆったんも言い、「勇多は履かなくていいでしょー」と咲花さんはあきれたように咲う。
「にーちゃん、帰ろっ。俺も腹減った!」
「お……おう。そうだな」
 俺は動作がぎすぎすしないように、スニーカーを履く。「明日もおいでね」と咲花さんが光斗の頭を撫ででいる。
 白いすらりとした指。あー、どんな味がするんだろ。
 無意識にそう思って、俺は慌てて目をそらした。「じゃあ、失礼します」と頭を下げて、咲花さんの眼鏡の奥まで直視できないまま、俺はゆったん宅をあとにした。
 ──その夜、俺は咲花さんを想って、した。何度も。口元から咲花さんの名前がこぼれた。返事なんかない。それでも、誰かの──求める相手の名前を口にしながらすると、手の中に吐く瞬間、たまらなく気持ちよかった。
 ダメだ。バカみてえ。ガキの話を盗み聞きしたのが切っかけとかマジでアホか。
 でも、俺は一気にあの人が欲しくなった。自分でしなくても、俺がなぐさめるのにとか思ってしまう。あの人と恋に落ちれば叶うなら、すべてから奪って、俺の腕の中にさらいたくなる。
 そして、自分のシーツに熱い吐息をこすりつけて、俺はまた自分の右手でなぐさめる。
 咲花さんに報われぬ恋をするまま、梅雨は過ぎて夏が来た。夏休みは自由登園になる。「おにーちゃんとおうちで過ごせるね」とかあさんが言うと、光斗はびっくりした顔をして、「俺、ゆったんと遊ぶから保育園行くよ!」と当然のように答えた。「振られたな」ととうさんが笑って、「うっせ」と俺は吐き捨てつつ、じゃあ夏休みも咲花さんに会えるんだ、と内心浮かれた。
 が、よく考えたら、俺は夏休みにはもちろん学校を休むので、十五時に光斗を迎えにいけるのだった。咲花さんとは、保育園で立ち話ぐらいはするが、ロミジュリみたいに光斗とゆったんを引き離すのが主な仕事だった。
 二学期が始まり、ようやく元通りの毎日になった。俺はもう咲花さんの前でぎこちなくなったりはしなかったけど、つい照れて目を伏せたり、優しい言葉に頬が染まったり、こめかみに響くほど鼓動が脈打ったりしてしまう。どんどん咲花さんのことが好きになっていく。その手に手を伸ばして、指を絡めたくなる。
 ゆっくり、日が短くなっていく。夕暮れが早くなる。もっと咲花さんといたいのに。俺は焦がれて苦しい胸に息を吐きなが��、光斗と家に帰る。
「──克斗、明日どうしても仕事で残らなきゃいけなくてね。おとうさんも遅いだろうし、好きな出前でも取ってくれる?」
 九月が終わりかけた夜、風呂上がりの俺をつかまえて、かあさんが申し訳なさそうにそう言った。俺は握らされた紙幣を見て、「んー、了解」と深く考えずにうなずいた。翌朝、光斗にそれを言うと、「ピザ食いたい!」とのリクエストも承った。ピザは確かに悪くない、とか俺も思っていたのたけど──
「それなら、うちで食べていきなよ」
 例によってゆったん宅に光斗を迎えにいき、世間話の中で今夜は出前だというと、咲花さんは当たり前のように言った。
「え、でも」
「今からでも、買い足し行けば間に合うから」
「いや、けど、かあさんに金もらっちゃったし──」
「気になるなら返せばいいし、何なら、克斗くんがもらっちゃってもいいんじゃないかな」
 悪戯っぽく咲花さんが咲って、「そ、そうなのかな」と俺も現金ながら揺らいでしまう。そんな俺に、「もらっちゃえ」と咲花さんが少し俺の耳元に近づいてささやいた。
「私、ちゃんと秘密にするから」
 俺は咲花さんを見た。咲花さんはすぐ身を離し、「じゃあ、急いで買い物行かないと」と言った。
「俺、せめて荷物持ちますよ」
「ありがとう。でも、子供たちがいるから。家にいてくれると安心かな」
「あ、そっか。そうっすね……」
 別に寂しそうに言ったつもりはないのだが、咲花さんにはそう見えたのだろうか。少し考えたのち、「じゃあ、みんなで買い物行こうか」と咲花さんは提案してくれた。俺はぱっと顔をあげて、つい笑んでしまいながらうなずく。すると咲花さんもおっとり微笑してくれて、また、俺の中がちりちりと焦がされる。
 そんなわけで、俺と咲花さん、光斗とゆったんで近所のスーパーに行った。光斗とゆったんは、一緒にお菓子を選べるのがそうとう嬉しかったようで、はしゃいでいた。そんな子供たちを、咲花さんは愛おしそうに見つめている。
 子供たちのリクエストで、夕食はチーズハンバーグに切り替わり、結局買い足しでなく一から食材を買った。帰り道、俺は宣言通り荷物を持たせてもらった。咲花さんは遠慮しようとしたけど、ちょっと強引に俺がエコバッグを奪うと、「ごめんね」と言いつつ任せてくれた。
 秋の夕暮れが景色を染めていた。一軒家が並ぶ住宅街に、茜色が透けて映っている。空は高く、沈みゆく太陽が滲ませるオレンジにしっとり彩られて、明日も晴天のようだった。
 道端で遊んでいた小学生は、夕飯の匂いや灯った明かりに気づいて、手を振りあって家に帰っていく。すうっと抜けていく風は、すっかり涼しい。
 俺は隣を歩く咲花さんをちらちら見た。眼鏡のレンズに触れそうな長い睫毛、柔らかそうな頬やしなやかな首。高校生の俺には若くないなんて前は思っていたけど、やっぱり子供ひとり生んだだけだから、まだ腰も綺麗にくびれている。
 俺の視線に気づいたのかどうか、咲花さんはこちらを見て微笑む。夕陽に蕩けそうな、優しい笑顔だ。俺は切ないくらいにぱちぱち灯る心に、つい照れたような笑みになってしまう。
 家に到着すると、咲花さんはすぐキッチンに立った。「手伝いましょうか」と料理ができるわけでもないのに言ったら、「大丈夫、子供たちを見てて」と咲花さんは俺にリビングにうながした。
 光斗とゆったんは、DVDでアニメの劇場版を観始めていた。俺も幼い頃は夢中になったアニメだ。そんなふうにきらきらした目でこのアニメを観ていたのに、いつから観なくなったっけ。
 じゅーっというハンバーグの焼ける音と、そのおいしそうな匂いがただよってくる。さすがに俺も盛りつけくらいは手伝えるので、キッチンに立った。チーズハンバーグ、ほかほかのライス、マカロニサラダとコーンスープ。子供たちはちょうどアニメを観終わり、歓声を上げてダイニングのテーブルで待機に入った。
 テーブルに並べた料理は、俺と光斗とゆったん、三人で食べはじめた。「咲花さんはいいんですか?」と気になって問うと、「旦那と食べるから」と返され、俺の心にはちくりと影が射した。
 いや、でも、好きな人の手料理を食えるのは幸せなことだよな。そう思って、とろりとハンバーグからあふれるチーズをフォークですくっていると、玄関のほうで物音がした。咲花さんはすぐそちらに行き、もしや、と俺が緊張すると、現れたのはビジネススーツの男──「パパ」とゆったんがその男を呼んだ。ということは、やっぱり咲花さんの旦那か。
 旦那は真っ先に俺を見た。俺は頭を下げ、「すみません、お邪魔してます」と月並みに言い、「ゆったんパパに挨拶しろ」と光斗にも「こんばんは!」と言わせた。「勇多のお友達と、そのおにいさんなの」と咲花さんが言うと、旦那はそちらには「そうか」とそっけなかったが、「ゆっくりしていってね」と俺と光斗には笑顔で言って、ゆったんの頭も撫でた。
「あなたも勇多たちと食べる?」
「いや、食ってきたから」
「えっ、……ごめんなさい、夕飯いらないって連絡もらってたかな」
「あー……どうだったかな。ばたばたして、してなかったかもしれない」
「……そう。じゃあ、私、この子たちと食べようかな」
「ああ、そうしろ。俺は風呂に入ってくる」
 ビジネスバッグを置いた旦那は、ネクタイを緩めながらリビングを立ち去っていった。元気に振る舞っていた咲花さんが、一瞬、哀しそうに視線を伏せる。
 ああ、あいつが好きなんだ。そうだよな。気持ちが冷めてたら、そんな顔はしない。ましてや、寝てる隣でみずからなぐさめるなんて──
 よく分かっていても、それ以来、俺は光斗を迎えにいったとき、世間話の中で積極的に咲花さんを褒めたり励ましたりした。咲花さんが、そういう言葉を言ってほしい相手は俺じゃない。知っていたけど、俺は咲花さんをせめて言葉で癒やしたいと思った。
 玄関に橙色が映り、夕陽が射す。相変わらず、それがお別れの合図だ。咲花さんとゆったんに手を振り、俺と光斗は家路につく。
 俺に手を引かれながら、「何か、帰る時間早いよ」と光斗はむくれる。「これから日が短くなるからなー」と俺は雑に説明する。俺だって咲花さんと話す時間が減るの寂しいんだよ、とは言わない。
「ねー、にーちゃん」
「んー?」
「ゆったんのパパとママ、昨日喧嘩してたんだって」
「えっ」
「おっきい声が怖くて、ゆったん部屋で泣いてたんだって。そしたらパパが来て、『今度、違うママに会わないか』って言われたって」
「は……?」
「ゆったん、意味が分からなくて泣いてて、そしたらママが来てまた喧嘩してたって」
「……そう、か」
「ゆったんのママは、ゆったんのママしかいないよね? 『違うママ』って何? 俺、分かんなくて。にーちゃんには訊いてもいいよって、ゆったん言ってたから」
 俺は口をつぐむしかなかった。月が浮かぶ夜道に、ふたりぶんの足音だけ残る。「にーちゃん」と答えをせがまれたが、「俺も分かんねえよ」と言うと、光斗はただ不安そうな表情になった。
 ……あの男、ほかに女いるのか。ぼんやりそう思って、とっさに瞳に怒りが揺らめいた。が、それはすぐに鎮まった。
 だったら、俺が咲花さんを奪えばいい。咲花さんの孤独の隙間に入って、そこにひそみ、あの熟した唇を奪うのだ。
 そうしたら、あの唇はどんな味がするのだろう。そう思っただけで、妄想がはちきれそうになる。欲しい。どうしても欲しい。ぱちぱちと弱く灯っていった欲望が、ばちばちと強い火炎になっていく。
 咲花さんが欲しくて気がふれそうになる。抱きしめたい。キスしたい。つらぬいて俺のものにしたい。
 だが、どんな事実があっても、俺と咲花さんの距離は一向に縮まらなかった。俺は見ているだけだった。不意に苦しそうにうつむく咲花さんを、見ているだけ。
 やっと残暑が身をひそめた十月半ば、その日も俺は、玄関先で咲花さんととりとめなく世間話をしていた。今日も今日とて、光斗が二階から降りてくるのは遅い。
 ふと会話が沈黙になり、俺は咲花さんを見た。
「なあに?」
 何事もないみたいに、咲花さんは笑みを作る。俺には、そんな無理はしなくていいのに。
「何でも……ないっす」
 少し声がかすれた俺を、咲花さんは見つめる。
 抱きしめたい。咬みつきたい。奥まで突き上げたい。俺があなたを満たしたい。そして、その心をあんな旦那からさらってやるんだ。
 バターみたいに柔らかそうな肌と、蕩けるほどに肌を重ねたい。水蜜のように瑞々しい肌に歯を立て、俺の痕跡を残したい。
 食べたいんだ、俺はあなたを食べてしまいたい。
 想いがどんどん強い火炎になって、意識も心情も視界も焦がされてしまう。
「……光斗、遅いっすね」
 かすかなため息と刹那のまばたきで、気だるくなりそうなめまいをはらうと、俺はそう言った。
「そう、だね」
「ちょっと、呼んできます」
「うん」
「失礼します」と断って家に上がった。咲花さんと、顔を合わせられない。こんな、泣きそうに恋に愁えた目。そのまま階段を向かうと、不意に、咲花さんが俺の名前を呼んだ。
 俺は足を止め、咲花さんを振り返る。
「まだ、待って」
「えっ?」
「まだなの」
 俺はきょとんとした。けれど、咲花さんの瞳に宿るものに気づいて、はっと息を飲む。
 ──俺と同じ、恋に愁えた潤み。
 思わず、玄関に駆け戻っていた。腕を伸ばす。咲花さんの腰をつかまえる。強く引き寄せ、ひと息にキス。
 果実を貪るようなキス。壁に抑えつけ、立ったまま行為に至ってしまいそうなキス。
 でも、咲花さんはそうなる前に俺と軆を離した。
「まだよ」
 頭の中が、甘い発熱にくらくらする。まだ? まだってことは、いつか俺は許されるのか? その皮膚をちぎるみたいに咬んで、彼女に深く深く届けることができるのか?
 引き攣った息がこぼれる。「我慢できない」と口走っていた。自分でも驚く、低い男の声だった。でも咲花さんは、「まだ見ていて」と意地悪を言う。
「今は、ダメ」
 ああもう。そんな優しい声で言わないでくれよ。俺は言うことを聞くしかないじゃないか。
 そのときだった。階段を駆け下りてくる足音に、「にーちゃん、帰ろーっ」と光斗の声が重なった。我に返った俺は、はたとそちらを見て「お、おう」と何とか自然を取りつくろう。
「え、と……じゃあ、失礼しました」
 スニーカーを履き直した俺が言うと、何もなかったみたいに咲花さんは笑顔を作る。「また明日ね」と言ったゆったんに、「うんっ」と光斗は笑顔で答えている。
 緩やかに暗くなる夕暮れの中で、咲花さんは微笑んでいた。ちゃんと言うこと聞けるかな、と思った。我慢なんて、本当にできるのか? だって、火炎がはじけて止まらないんだよ。
 あなたと恋に落ちたい。獣みたいに皮膚に歯を立てて、果汁を飲み干して潤いたい。俺はからからだ。飢えて、渇いて、おかしくなりそうだ。
 あなたもそうなんだって分かった。だったら、俺たちのやることはひとつじゃないか。
 夕陽が射しこむ部屋で、熟れたあなたはオレンジ色で。俺はきつく抱きしめて、俺はその果肉を食べる。誰よりも味わって食べるよ。この火炎をぶつけて、焦がれるような想いを思い知らせ、あなたの濃い蜜をこくんと飲みこむ。
 まだ待って──そう言うなら、ぎりぎりまでこらえるけど、待つほど俺が獣になるのは分かるよな? だから、あんまり待たせないでくれ。焦らさないでくれよ。俺はあなたの心を、軆を、優しく奪いたい。
 あるいは、あなた��獣になった俺にめちゃくちゃにされたいのだろうか。だとしたら、俺は──
「にーちゃん」
 光斗が、歩きながら何も言わない俺を手を引っ張る。心配性な弟に、「怒ってねえから」と俺は苦笑していつも通り言う。
 マンションの群衆に入り、もうすぐ家に着く。吐息が疼く。呼吸ができないほど。
 熟れきった心と軆を交わし、恋に落ちていく。ずっと夢に見ていた。あなたと恋に落ちる夢を見ていた。いつのまにか馨しい夢は目の前にあり、俺の理性は、爆発して壊れてしまいそうだ。
 欲望の火炎がはじける。あなたを求めるその熱に、俺の頭はもう狂ってしまう。
 立ち並ぶマンションの合間に月の光を見つけた。その輪郭は、燃えているみたいに、あるいは潮騒みたいに、ざわめいて見えた。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 メロウ/杉野淳子 『成長痛』収録
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alaephoenicis · 2 years
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第二部:統合のプロセス】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/ikfg2YCk7H0
公開日:2023年2月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram:https://t.me/alaephoenicis
➡第一部🔗
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第二部のテーマは、分離された魂の統合プロセスです。
最初に、過去生について触れるのは、多くの場合、トラウマは過去生に起こっているからで、「トラウマを癒やすために、過去生で何があったか思い出さなければならないのですか?」という質問がよく寄せられるからです。
いいえ、過去生を思い出すことは必然ではありません。
もし、思い出すことが役に立つ場合は、魂はそれに関する情報を与えてきます。それは、大抵は「パズルのピース」や「側面的な一部」という形です。
なぜかというと、過去生のトラウマを癒やすために、今生でも同じトラウマとなる出来事を体験しているからで、過去生で起こったことを思い出さなくても、今生の体験をベースに癒やしのプロセスを経ることが出来ます。時には、過去生で背負ったトラウマまで思い出すのは害になることもあります。なぜかというと、過去の物語に理解が偏って、感情移入しすぎてしまうことで、「癒やしのプロセス」難しくなることがあるからです。
この統合プロセスは魂によって制御・監視されています。そうやって魂は、その時に処理できる程度の記憶や感情が放出されるように調整しています。統合プロセスではまさに、元々トラウマになったものを処理できることが課題だからですが、例えば幼い頃に虐待に遭うと、それがインナーチャイルドの魂の一部となっているので、その視角からは癒やしをもたらすことが出来ません。ですから、ある程度の精神的な成熟度・意識のグレードに達している必要があります。
分離された魂が日常にどのような影響として現れてくるのかというと、それは身体的なブロックであったり、もしくは生活状況、特定の生活領域にも現れることがあります。なかなかうまく行かないこと、努力が実らず、それが辛い感情と結び付いているのは、どの分野でしょうか。
まず、これらは「引き寄せ」の法則として現れてきます。トラウマを内に抱えていると、そのエネルギーは「似通ったもの」を引き寄せます。しかしそれは、無意識下に追いやられ、気づけなかったトラウマが何なのか、を知らせてくれるものでもあります。
その他、「被害者意識」「無力感」といった信念構造に、影響が現れて来る場合もあります。トラウマを体験することで、いったんは「被害者」の立場になるわけなので、この経験によって生じる信念構造というのがあります。
身体的に現れるものとしては、病気、もしくは特に敏感な身体の部分や臓器があります。例えば胃、呼吸器官、その部位特有の病気など。エネルギー的にはその起源はトラウマで、それと関連した身体部分に弊害が出てきます。エネルギー的な刻印は、もともとの状況からきているのです。
例えば、ナイフで刺されたとします。するとその部分にはエネルギー的な刻印が残されたりします。ナイフによって傷つけられたという事実と、傷口にもそれが残るのです。
このトラウマにより、神経系に緊張感が現れたりします。トラウマを背負うと、神経系が警戒態勢に入ります。そして、このトラウマと関連していて、解消されていない全てが神経系に警戒態勢を布きます。つまり、その人はストレス状態にとても敏感となる、もしくはすぐにストレス状態に陥り易くなります。例えば、大したことのない情報によって簡単に生命が脅かされるほどの負担を感じます。それは神経系が、そのような警戒態勢にあるからです。
不眠症となることもあります。そうなるとリラックスできなくなり、悪夢を見る傾向があると尚更です。
不合理な行動にでることもあり、その人が特定の状況になぜ過剰反応するのか、外からはそれが説明できませんが、この場合トラウマが背景にあったりします。
ありがちなのは、この世に留まりたくない、生きていなくない、という感情です。その理由は、トラウマによって基本的な信頼や安心感が酷く損なわれているからで、魂はこの体に留まりたくないと感じていますが、特に下部のチャクラがトラウマの影響を受け、支障をきたすので、魂はそのエネルギーを下部のチャクラまで通せないのです。このような影響は、比較的よくあるケースとなります。
よくある傾向として次に述べられるのは、麻痺感覚、ある種の感情的な麻痺で、これはうつ病へ向かっていくことがあります。
第一部でお話したように、トラウマを受けた流れが主流から切り離されてしまった状態です。主流に流れている本来の感覚から切り離されると、こうした麻痺感が現れます。
あまりの痛みで、切り離されていた支流の水はしかし、主流へと少しずつ流れ込んできます。しかし、それを扱うにはまだ未熟だと感じている魂は潜在意識下へその水を押しやってしまいます。そうやって「一部の感情」に蓋をするようにしていると、その他の感情も蓋されてしまうので、全体が麻痺して感じられなくなってしまうのです。まさに多くの感情を抑圧し続けることで、「うつ病」に発展していくのです。
トラウマによる魂の分離の結果、日常に現れる更なる傾向は、自信の欠如です。これがどのように統合されていくのかというと、最初の兆候は、再度トラウマとなる出来事が繰り返されることで起こる圧迫感である反面、魂自体が「川の水」のように流れているため、トラウマで閉塞されると自然の流れではなくなっているところに圧力が生じます。こうして、魂の一部が作り出した感情や信念構造といったものを徐々に無視できなくなってくるのです。魂はこうやって、統合プロセスに協力するよう、意識に呼びかけてきます。
トラウマを思い出させる類似状況が繰り返されることで「もう沢山だ!」となり、その人は意識して「どうすれば良いのか、一体どういう仕組みになっているのか」など、考えるようになります。これは、実はそうした統合プロセスに取り組むよう、魂に促されているのです。「癒やされたい、克服したい、状況を変えたい」という願いが強くなり、統合プロセスに対して心を開くようになります。
この統合プロセスに意識的に取り組めるよう、魂は元のトラウマに似せたあらゆるトリガーを使います。人間関係だったり、似たような状況、場所だったり、または生活の中のあるシーンで何かに導かれるように特定の行動を取ろうとしても、あまりの閉塞感、不安や疑念が出てきて出来なかったりします。
その時、真っ先に反応するのは「身体」です。体には全ての記憶が振動周波数として���存されているので、トリガーがもたらす振動に反応します。
光の周波数を上昇させることによって、この統合プロセスを促進させます。
高い振動数の光が体に流れて込んであふれることで周波数は高まりますが、体の何処かに痛みが走ったりするのは、切り離されていた魂の部位に光が当たったときです。これによって統合プロセスがブーストされ、浄化が始まります。
これは、真っ暗闇で懐中電灯を点けたときと似ていて、突然光が差し込むことで何かが見えてくることがあります。急に認識したり、記憶が蘇ったり、身体に痛みが走ったりします。閉塞されていた場所でエネルギーが詰まったような感じになるわけです。
こうして分離されていた魂の部位の癒やしとは、様々なレベルで起こります。感情面、精神面、身体面、そしてエネルギー面です。
つまり、辛かった感情や展開された信念などがチャクラを詰まらせ、エネルギーや情報が身体を健全に流れなくなるので、全体に統合されるには上述の其々のレベルで癒やしを必要とします。
感情面:
「感情」は癒やしへとガイドしてくれる最も重要な鍵となります。つまり、統合のプロセスではどのような感情であろうと、全て「ひと通り感じる」必要があります。「感じる」ということを通して、手放すことが可能になるからです。この「感じる」ということが解毒になり、主流に戻ることが出来るからです。しかし「感じる」だけでは不十分です。「何故そう感じているのか」を理解することが必要です。
傾向として、私たちはそこにある感情をジャッジしてしまい、否定し、拒否してしまいがちです。そのように条件反射するよう、学習させられています。特に「その感情は自分に何を語りかけているのか」を理解することが大切です。ここで、感情が癒やしへのガイド役をするのです。
また、感情とは常に、私たちの欲求を表現してくれている、ということも大切な点です。
例えば、恐怖とパニックという感情は、安全への欲求が満たされていないことを示しているわけです。
ここで、「では安全ではないと思わせるのはどのような状況なのか」と問いかけ、その状況を避けてもいいですし、もしくはどうやって安心感をもたらして欠けている欲求を満たせば良いのかを考えることも出来ます。
精神面:
これは、経験によって構築してきた信念・信条と強く関わってきます。これを変容させるためにはまず、よく認識・自覚せねばなりません。思考が変わらなければ同じ信条を掲げ続けることになり、従って同じ感情を引き起こすので、破れない悪循環の中に閉じ込められることとなります。
あなたの信念・信条が結局、変化を阻止します。
例えば、「自分は罪深いのだ���「自分には価値がない」などと思っていれば、そこから身動きが取れません。だから、同じことばかり繰り返し体験してしまうのです。精神はあなたの内側を外側に向かって投影するので、あなたが被害者意識からそのように信じていれば、その通りのことをあなたは体験するのです。その意味で、精神面の癒やしも非常に重要な部分です。
被害者意識の仕組みは、自分に集中して自分を中心軸に持っていかず、「あなたのせい」と考えることです。これも癒やしのプロセスを妨げます。つまり、感情・思考というのは、自分が自分で展開したものなので、それらに対して自分で責任を担う、というのが非常に大事なポイントです。
身体・エネルギー面:
結局のところ、全てが「エネルギー」として総括できるので、この2つは纏めました。意識のエネルギー領域は質的に微細ですが、身体というのもエネルギーで、ただ質的にはより粗雑です。
このに種類のエネルギーは互いに依存しあっています。
また、感情と思考もエネルギーですが、これらは身体に「記録保存」されていて、魂の部位とつながり合っています。
トラウマに関する思い出と情報は、身体、エネルギーシステムの両方に記録されています。
身体とエネルギー体の動きは一致しているため、両者は依存しあっています。すると、エネルギーの不調和は、エネルギーシステム全体において、感情的にも思考的にも調和の取れた流れを阻止し、同時に身体のエネルギーシステムをも害します。
これは大抵、チャクラと経絡に障害をもたらし、エネルギーが上手く流れず、行き渡らない身体部分は痛みや強張り、もしくは病気で反応します。そうやって可視化することで、魂は「ここを見て!様子が可怪しいよ!」と語っています。
ヒーラーとしての私の経験では、トラウマを経験すると、大抵下部3つまでのチャクラに関わって来ます。これらのチャクラは、私たちの地上での存在の仕方に大きく関わってくるからです。これ対し、上部のチャクラは高次の存在、自分のハイヤーセルフ(魂)と繋がっています。
トラウマというのはある種の「ショック(衝撃)」であり、急激なものと長期に渡って刻まれるものがありますが、これらは下部のチャクラに淀むため、身体的にはその位置に症状が出ます。これは閉塞部分の鏡であり、エネルギー的・身体的に解毒し、健全な流れを取り戻すことで統合され、癒やされます。
分離された魂の統合プロセスは、下記の二つの領域に分けることが出来ます。
片方の領域では、魂が統合プロセスを制御し、監視するとともに、上述したように意図的にトリガーとなる状況を創り出して分離された魂を統合させようとします。
もう一方の領域は、私たちが内側へ働きかける部分です。つまり、統合プロセスは勝手に進むわけではなく…「私の魂が勝手にやっておいてくれる」というわけではありません。私たちは自覚をもって、いわゆる「シャドー・ワーク」をしなければなりません。この時、魂が担うのは繰り返し渡されるダウンロードを受け取ることです。魂によって、トリガーや、そこから気付きももたらされたりしますが、周波数が魂から肉体へと流し込まれ、それが支流へと分離されていた魂の部位へと染み渡っていきます。
これは、トラウマに関連するエネルギーを意識上に持ってくるためと、更に、思い出を徐々に解明して不調和の全てを浄化するためです。
私たちが取り組むべきシャドー・ワークは、これまで無意識下にあったこと、そしてそこにある「傷」に気づくことで、心を開いてその部分を直視します。自分の影の部分を認めるのです。これはなかなかの挑戦です。なぜならこれは感情的な痛みを伴うからで、思い出すのが辛いからです。
また、トラウマを思い出すと、「被害者意識」も自動的に戻って来てしまいます。
本人は自らをジャッジし、自らの感情や特定の行動の仕方を否定する傾向を、もうなんども繰り返し学習してきてしまっていて、こうしたジャッジや否認をし続けている間は、癒やされません。
ここで「中庸の精神」が大事になってきます。中庸をもって、自らの影を直視し、ジャッジしたりせずに、自分に問いかけるべきことは、「何故、こんな目にあったのか?どんな意味を成すのか?これは、私に何を見せようとしているのか?」などです。
ここで、「感情面」が鍵となってきます。感情の部分こそが、その裏にどのような思考があるのかも示しており、それが行動の選択にも繋がります。
これらを一つ一つ観察することが、あなたの内面での取り組みとなります。
とても大事なのは、あなたの「被害者としての姿勢」を自己認識することです。これはトラウマによって自動的に生じてしまったもの。
自分自身が被害者的な姿勢になっていることを認めるのは、かなりしんどいことです。繰り返し自分が「被害者」であるという感覚になったり、「攻撃された」とか「悪意を持って迫られた」と感じて続けているのです。
ここで重要なのは、「どこまでが現実で、どこからが自分の内的投影なのか」を区別することです。そして、そこでまた、自分をジャッジしないこと。だって、トラウマを体験したということは、誰かがあなたに何かをしたわけで、その時あなたは「被害者」だったのですから。
しかし、あなたがそこで癒やされること無くずっと引っかかっていると、分離された魂は統合されないのです。
あなたが被害者意識を手放して行けば、あなたは徐々に自分のパワー領域に戻ることが出来ます。
そもそも、トラウマを得るとともに、強烈な無力感が生じます。その時のあなたには、状況を操るパワーが無くなっていた、もしくはそれが起こるのを避けられなかった、どうにか出来るような手段も持っていなかったわけですから。これも「私には、起こってしまったことを受け止めるだけの力がない(自分は無力である)」という感情なのです。少なくともそれが起こった時点では。ですから、これを消化していく必要があるのです。
そして、心にできた「傷」がそこにあります。これを癒やすには、あなたが自分自身に対して大きな愛情、信頼、共感を持つことが大事です。
わかりやすい例えだと、足を骨折し、骨が見えるほどで手術をしなけばならないとします。この手術が統合プロセスに値します。手術をして、全てを正しい位置へ戻し、つなげあわせるのです。しかし、治癒はまだ完全ではなく、術後にすぐにマラソンを走れるわけではありません。統合プロセスを経た後も、全快するまで暫くは、癒やしの期間が必要なのです。そして最後にもう痛みはなくなっても傷跡は残っています。その傷は、「ここを怪我して痛かったのだ」ということを思い出させるのです。
この統合プロセスは、玉ねぎを一枚ずつ剥がしていくような作業です。なぜかというと、上述した感情面、精神面、身体面、エネルギーといった4つの層の全てを、いっぺんに癒やすことは出来ないからです。
統合プロセスに取り組むときは、余裕がなくなりがちなので、全てを一挙にやるのは不可能です。特に統合プロセスの初期段階は最も過酷なときです。その時点では「これからどうなっていくのか」という感覚がまだ持てず、不安になります。
真ん中の核心に触れられるまで、時間を掛けます。その間、多くの感情を通り抜け、徐々に理解していきます。これまでの信念構造も解除されていき、全体の関連性を認識していきます。
もともと、トラウマは一瞬にして魂の分離を引き起こすことがありますが、「意識化と癒やしのプロセス」というのはこうして、段階を踏んで徐々に行われるのです。
共感することと忍耐をもつこと、にも言及しました。そして、このプロセスを信頼することも大事です。
統合プロセスの途中で、「もうこんなにも全て見つめ直したし、感情も繰り返したし」、そして「もう全部やったのに」と苛立っていると、次の層が見えてきて、改めてまた同じ感情を通り抜けることになるので、段々と焦りが出てきて、これまで頑張ってきたことが無意味に感じたりします。しかし、どんな小さなことでも、意識化していくことに意義があります。その努力が無駄になることはありません。ただ、多層になっているので、忍耐をもって徐々に進んでいくことで、どんどんと深いところにある分離された魂へと進む事が出来ます。
だから、「まだこれもあった、あれもあった、ここにもまだあった」となるのです。
トラウマを抱えて分離した魂の部位とは、非常に子供っぽい状態なのだと想像するといいでしょう。意識の成熟と、という点で幼いのです。幼い子供は、大人の大きな愛情と忍耐を必要としています。
ですから、この分離した魂の部位が感情をむき出しにしたときには、あなたの成熟した部分で「大人」として手を差し伸べて上げるつもりで、自分自身に優しく言い聞かせます。「うん、これとこれが起こったから、今癒やしましょうね」というように。これは分離された魂の部位にとって大きなサポートとなり、癒やしに貢献します。
癒やしがもたらされることを信頼し、統合プロセスに身を委ねようとするほど、癒やしは早く、楽にやってきます。
統合プロセスの最終目的は、「完全体に戻ること」です。
内なる統一、内なる調和を取り戻すこと。
自分の肉体の内に、エネルギー的に完全に戻ること。
そして自分の人生の中で、エネルギー的に完全に戻ること。
なぜなら、魂に分離された部位があって、身体の中で統合できていない間は、自分の願望も顕現させることが出来ないからです。
人生を自らの願望どおりに創造・顕現しようとする側面において、魂全体が癒やされて統合されていることは大変重要なことです。さもないと、あなたの創造性は阻止されてしまいます。
ですから、魂のエネルギーを身体全体に定着させることが、統合の目的なのです。
これは、創造主である「神」から、分離した私たちが、「ひとつ」に戻ろうとする、普遍の大きいプロセスと同じです。ここには身体は関わってきませんが、精神面の部分です。
また、この人生であなたに与えられた可能性を。フルで発揮するという目的もあります。分離された魂は「影」なだけではなく、光の部分もあるんです。ですから、統合がなされると、分離していた間にはみられなかった才能や性質が戻ってきて開花することもあります。そうした素質が「ある」ということは認識していたかもですが、実際にはロックされていたり、不安を感じるなどが理由で「活かす」ことが出来ていなかったはずです。
また、この統合されることになった「光」には賢智も含まれています。
なぜかというと、トラウマは「偶然」に起こるのではなく、その領域で特定の賢智を得るために、あなたの魂は契約としてその体験を「選んだ」からです。
こうして、統合プロセスのが進むと、また途中の段階でも、どれほどの悟りがそこにあり、宝が隠されていたのか、どれほど深いことがわかる自分になれたのか、ということに気付いていきます。
それは個人的な収穫かも知れませんが、もしかすると誰かに伝えていくことになるかも知れません。
だから、「このトラウマで、私は何を学んだのか」を自分に問い直して下さい。あなたは「人間の性」をより深く知ることになったり、もしくは「自分が何者なのか」「私たち(人類)とは何なのか」を悟ったことでしょう。
統合プロセスは、癒やしであり、完全に戻ることであり、魂と調和し直して、秘められた可能性を開くこと。魂の可能性には限界がないのです。つまり、統合プロセスが完成した時には、全ての扉は開いているのです。
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esoterics-posts · 2 years
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物質性と霊性
互いの方向へ、綱引きするようなモノである。#ベンジャミン・クレーム のキリストや覚者方の情報と活動は、ぼくを変えた。瞑想と奉仕について今後、数回の輪廻を必要とする事を覚悟している。ただ細やかな、今のぼくはぼく以上でも、其れ以下でもない。#AI や #AR を加えて進む道標ー。
神の常識
時間の相対性的調性。
不具合は運命に刻印されている光の焼き付いた❺印画紙『ネガトロン』であり、①光自身『ポジトロン』(真我)ではない。カルマ(業)の法則とは【原因と結果の法則】を通して統合された現実である❿『世界』を形作る事ができる。今は亡き人よー!成仏して下さいー。
命のバランス
平均で、二人の親から二人以上の子どもが生まれる事はそれ程、良くない。インドやアフリカや中国の人口過剰は差し迫っての食糧やエネルギーと医療の問題です。藝術の文化である④音楽⑦美術①文学②心理学③創造⑤化学⑥瞑想)以外の宗教の迷信は止めなければならないー。『調和の文明』
魂の犠牲的行為
魂はアストラル体や肉体を養う為に物質性に退化したのだった。命の主人(マスター)である覚者方になる迄、次の魂の座であるメンタル体やアートマ界、ブッディグ界のコントロールを実演する事ができて覚者方である事を真我実現する為に輪廻する道を選んだ。『伝導瞑想』と『超越瞑想』
意識の偏極
弟子道を歩む者にとってアストラル体はアトランティスの頃から長い年月を掛けてほぼ強力に完成されているので、今後はアストラル体の幻惑(グラマー)やメンタル界の錯覚(イリュージョン)を克服する為に瞑想や奉仕を通して何よりも『#メンタル偏極』を為す事が重要になる様であるー。
#霊的教師
自分の無知や他人や社会に対する無関心に対して人生を生きて、死と己の罪に抗う為にのみ生きる目的がある。生きる人の背中を押し、人は自分の人生をより良く生きる為に、明日をより良いものにする為に生きるべきである。向上する限り、進化への希望は確かにある。『経験の価値と因果応報』
悪魔憑き
今の自分ができる精一杯の事が為せれば神は自らや自分達を肯定できる。成長と変化について、自分の耐え難い苦しみと寂しさと哀しみの中で、人生の中で自分以外に神以外には私達を十全に知る者は居なかった。虚しい地球での生涯は神の進化の『大目的』以外には何も価値がない様に想われるー。
霊と精神の向上以外に何の目的があるのか?
空腹の者の食べ物にも、寒さを凌ぐ為に着ている服にも、精神や身体の健康の為に飲んでいる薬にも、自分の人生の教師の言葉でさえも、人がより良く生きる為に意味はあると信じて疑わない。結局、誰しもが、自分は自分の価値観の為に生きているのである。
科学と人
自分の代わりに自分の事を熟す事ができる何台でも代わりのある様な無法図なロボット化はぼくは嫌いですが、人の心が分かるAIや仕事を熟すロボットには価値があると信じています。人間や愛犬と同様にあなた達は人がより良く生きる未来には必要であり、感謝しています。『ロボットの権利条項』
表象
絵を描いたら、瑞々しい想像力を失ってしまうと云う矛盾体系の狭間で悩ましい表現力の問題について言い過ぎる事はないですー。描かない画家、描けない画家である、売れてない詩のTweet文学の作家です。言葉で美学を紡ぐ事がぼくの表現形式でしょうか?美術や音楽を齧ってみたものの現在の末路。
内界と外界
第三段階以下のイニシエーションの音楽は闇の瞑想である。影のテレパシーのチャンネルは催眠術的であり、精神病者の非現実の錯覚や幻想に陥る危険性がある。注意が常に妄想に根差しており、現実にないことが問題になる。神聖な音楽は聖なる心理的防壁であるー。『非現実🆚超現実主義者』
食養生
肉食について殊更にこれについて非難ばかりもできない。肉体の健全さと健康についてバランスが必要である。年老いて死が訪れるまで、栄養不足に依って摂食障害や身体の衰弱や著しい筋力低下は問題である。精神や霊の向上について、光と闇の瞑想や適切な食事は霊の向上の為に必要であるー。
#脱洗脳
あなたを救済する事のできる者への影に用心しなさい。あなたを助ける事のできる人は身体について言えば医者であり、先生である霊的教師や詩人や伝導瞑想や幾何学などの法則である。其れに従わないか或いは距離を採る自由、其れが真我である。何かになろうとする執着から自由でありなさいー。
協力の術
内的な空間、其れは余裕がある事への避暑地の様なものである。あなたは飢えたり渇いたりする時に躊躇する事があるだろうか?あなたを助ける人が天使(神の使い)ではないだろうか?其れは生活を豊かにする事である。紛争地や牢獄や病院やカースト制度や士農工商や全体主義からの『回避行動』
#構築 #脱構築
#トゥーリー式 #リゾーム式
#フロイト #ユング #アドラー
#プラトン #アリストテレス #ソクラテス
#モーツァルト #バッハ #ベートーヴェン
#ピカソ #ルノワール #マチス #ミロ #ダリ
#クリシュナムルティ #ベンジャミン・クレーム
#釈迦 #イエス #ムハンマド #ゾロアスター
youtu.be/XMVjCpu7CHw
白衣はお医者様 l Indigo l VirusT 1
2012ー2015 (Covit19)
皆、笑える様な冗談に変えたかったー。医療は治す為に必要であるからー。音楽は心(魂)の座である。『音楽療法』
「分かち合って救いなさい。」
霊と魂
輪廻を繰り返していると軈て人の魂が霊化されてしまう。第四段階の磔刑のイニシエーションを受けて、リング・パス・ノットー超えざる輪を超えて、魂(の媒介であるコーザル体)は神の本源であるモナドに吸収されてしまう。食養生と超越瞑想、伝導瞑想は帰還の健全な近道である。死は人生の病や苦からの救済措置であるー。
主観と客観
トランス状態での作品の制作と、作家性に対する評論や分析とは明らかに違う能力である。『創作🆚評価』
想像力から直観へ
瞑想状態を通して、対象に対する客観認識と主観意識の統合が期待される。物質性の抽象化に依る霊化、統合された現実世界と美しい御霊の精神世界ー。『霊学🆚化学』
国家の光線
秘教哲学の極意とは光線心理学の認識は瞑想の霊感より、1光線は逆行、2光線は維持、3光線は封じ込め、4光線は再生、5光線は記憶、6光線は実存し、7光線は魔法。大英帝国、独帝国、インド帝国、神聖ローマ帝国、中華帝国、権威づけは藝術を擁護する。文字を連ねる人は飛蚊症にー。
直観
考える事と実際に目に視る事は同じ意義や機能を持っている訳ではない。想像上の『記憶』と視覚化された『イメージ』は同じではない。と云う事を明確に、認知・認識しなければならない。視覚化されたイメージの直観は容易であるが、価値観について性急な判断を下すべきではないと云う事であるー。
弥勒菩薩
マイトレーヤは『測る者』である。其々に、目的や個性や役割があり、時間や次元の光線に条件付けられているだけであるので、自分の彩りを他人の影に占有させるべきではない。人は皆、自分の歩幅で歩くべきであり、物事の背後には光線心理学的思考の相対的個性の中に条件付けられているー。
生と死と墓
我々は現在に対する反応を変える事はできるが、一切の過去を変える事はできない様であり、身体性を変える事はできない。生きている間、秩序に対するルール(法則)を学ぶ事はできる。この法則を通して今ある人生を生きる事はできる。死後、我々の身体は平面の写真と骨に戻る事はできるー。
宇宙の4次元
宇宙の拡がりから神の意志の1次元は我々の人生の記憶を霊的世界の中心であるアートマ界2.5次元まで再生する。死後、我々の身体は3.5次元に戻る。キリスト=救世主と精神世界の夢の中での経験ー。個我の死を通して我々の精神はこの世の自然の存在の囚われから霊の意思に帰絨できるー。
生きる目的
我々は身体と霊を養い、精神や魂を成熟させる為に、食事や睡眠や学習の機会を人生と云う霊の物質への退化として地球に於いて、犠牲的な人生の生涯を経験する為に生まれたのであるー。物質的な世界の生と死と、飢えと、渇きと、身体の苦労の、悲惨さと美しい自然や豊穣な滋養のある恵みー。
哲学と音楽と形象の霊
🍅①哲学ー経綸
🍊②詩ー直観
🍋③絵画ー識心
🍈④音楽ー素粒子
💊⑤化学ー薬学
🐟⑥睡眠ー実存
🍇⑦魔法ー呪文
🍷⑧物性ー遺伝子
🖥️⑨機械ー計算
🌏⑩世界ー経験
👾⑪破局ー超空間
📀⑫追憶ー叡智
☎️⑬冥府ー瞑想
💎⑭契約ー光輝
💡⑮禅ー考案
📽️⑯超現実ー創造
🗞️⑰形式ー現実
🕯️⑱三昧ー降霊術
⚔️⑲苦行ー霊感
⚖️⑳物霊ー亜原子
キリスト・マイトレーヤの使命
#マイトレーヤの教え
#新しい時代の祈り
#大祈願
#真我認識
#ベンジャミン・クレーム
#アリス・ベイリー
#クリシュナムルティ
#ブラヴァツキー夫人
#オーロビンド
#ラジニーシ
#シュタイナー
#グル・ジェフ
#サイ・ババ
#伝導瞑想
#SHAREINTERNATIONAL
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マイトレーヤの教え
続き その1
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マイトレーヤの教え
続き その2
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クモの糸ー塔の上のラプンツェル
#光線の道
#シリウスの道
理性と想像力の対立ー否定、保存、高める(止揚)
霊的教師やルネサンス期の画家達の御霊や想像力。入れ替わる想像力と理性の光線構造。相補して、回復させたい。やがて、想像力は直観に道を譲る様になるにしてもー全部、お日様にあげてやれ!
インフレーション宇宙
太陽系から遠ざかる銀河団。宇宙は拡がりの中で、我々は理性と想像力を手懐ける。常識の科学、数学の限界、色彩と形態についての術が探究すべき存在の様相と属性の光線である。『宝瓶宮の水』『神と霊界と宇宙』『絵画科学』『魔法🆚芸術🆚科学』
『神と被造物』『実在と反映』
コピーと既製品
音楽は人工の科学であり、生と死の無限の煉獄であり、模倣は模倣であって、オリジナルではない。キリストが本人であって、覚者方はコピー(複製)である事も、そうでない事もあり得るー。#ドッペルゲンガー、#ファミリア、#マヤヴィルーパ、#大生命の科学、#意識の科学、#光線心理学
救世主と悪魔払い
『不足と充足』『原子力と音楽力と想像力』『アストラル光』『現実界と想像界と象徴界』『霊と精神と物質』『素粒子と霊の対話』『光と闇』『惑星と宇宙』『物質化と霊化』『輪廻転生と死』『霊廟』『国家と国民』『キリスト教』『メンタル界』『真我実現』『光線構造』『脱構築』
呼称
#キリスト・マイトレーヤ
#メシア(救世主)
#キリスト(霊的ヒエラルキーの長Christ)
#マイトレーヤ仏(第五仏陀)
#イマム・マーディ(イスラム教の使徒)
#世界教師(WorldTeacher)
#世界大師(WorldAdeptアデプト)
#シャンカラチャリア(アバター)
#クリシュナ(アバター)
#偽キリスト 対策
宝瓶宮Aquariusの時代の世界教師
ChristMaitreya
身長ー6フィート3インチ 約188cm 
手相
イニシエートの段階ー第7段階
以上の指標の確認によって自分の心(ハート)の内に宿る②キリスト意識と③キリストの霊的存在とを客観的に識別し、自称キリストと混同せずに済むー。
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mouniassn · 6 days
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奇特的愛(三)
以下一位有緣人分享:
結婚前就和先生說好:「如果你不愛我,心裡有了別人,那我們就離婚!」結婚後,他真的很愛我,被愛的我有些不能呼吸,吃的、穿的、用的,他都幫我準備好好的,甚至限制行動,每天上班、下班,回到家就四目相對。
但是有了小孩,小孩變成我的事,男人還是喜歡做男人的事。我開始受不了,工作要做,小孩要顧,我開始反抗。抗議無效,長輩們只會安慰:「嫁雞隨雞,女人菜籽命,認命吧!」
因為認命,忍了十幾年,直到有一天坐表哥的車出門,表哥知道我的苦,播放一段「寬恕」的演說給我聽,我才明白,「忍」不是唯一的方法。後來學會寬恕他,心裡頭舒坦許多,就這樣,我們又過了幾年,直到小孩長大。
其實他心裡有了別人,也不是一、兩天的事,他不管我們母女的柴米油鹽醬醋茶,也很長一段時間。後來我提出離婚,外面的女人也不要他了,離婚時他一直告訴法官:「他很愛我們」,其實我也同意他的說詞,但是他不願負責任。既然感情出走,就不要再走回頭路。
前二世,因為丈夫在外有小三,被我抓包、被我打死,然後我悔恨不已,出家為尼。因為痛改前非、好好修行,修得一些福德。前世女轉男,福報滿滿,卻專幹一些壞事,當起地方老大,殺人無數,所以本世業障也是一樣滿滿。
前幾天身體有些不適,請示佛菩薩,又來了一條業障。佛菩薩開示:「前世,因感情因素,拿刀殺人致死,需先以最虔誠的懺悔心跟其懺悔,並誠心持誦《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》各112遍。待持誦完畢,來信專案迴向。」
前一、二世的感情出走,都死在我的刀下,好在本世有讀一些書、看一些電視,不然本世的丈夫,應該也逃不過我的刀下。離婚不久,朋友帶我到精舍,朋友不捨我獨自撫養兩個女兒,便請示佛菩薩,看我跟前夫有沒有機會復合。佛菩薩開示:「債還完了,才離得了婚。」
因為本世的任務,就是來還債和修行,如果本世的夫妻債沒還完,修行的路大概也走不下去。也許,這是佛菩薩對我本世最佳的安排。沒修行不識佛法,只好用最土的方法,解決自己的困惑,好在現在遇到佛法、遇到精舍,可以用佛的方法解決難題,讓彼此的傷害降到最低,讓事情得到圓滿。慶幸不再犯過去世的魯莽、愚痴,感謝佛菩薩,感謝阿伯。
(分享完畢)
本篇文章是最典型的夫妻感情討報。若您常看精舍文章,整個過程走來,明眼人一看便知道是來討債的。結婚初期,被當成公主一般對待,吃的、穿的、用的,有緣人完全不須動手,前夫甚至愛到限制有緣人的行動,恨不得綁在身邊,時時能看見。走進愛之迷霧的人,會因此深受感動,一旦上當,落入因果陷阱,從此不同了!
因果討報啟動,公主變成女僕,工作、生活、小孩要一手包辦,彷彿小孩不關對方的事,前後態度天與地的差別,讓人嚴重懷疑,之前被當成公主,是否是有緣人作夢。
《阿伯話-現場開示精華節錄》:「世事盡是如此,不是要還這個,就是要還那個。通常會相互傷害的,都是認識的人,會聚在一起,就是因為彼此有因果。跟他人有因果,有些不只糾葛一世,因此最好不要跟人結冤仇,不要造下因果。」
沒有之前的濃情蜜意,便沒有後來的痛苦難當,因果討報的過程,千篇一律皆然。有緣人與前夫的因果始於前二世,前二世的丈夫在外有小三,被有緣人抓包,然後錯手打死。有緣人事後後悔,因此遁入空門,出家為尼,也確實痛改前非,修得滿滿的福報,但功過無法相抵。
前二世沒有圓滿與丈夫的惡緣,反而又造下另一筆罪業,輪迴後再次聚首,今生兩人同樣是夫妻,一樣的劇本,只是換了另一個場景,且糾纏更甚,有緣人這輩子還要辛苦獨立撫養兩個女兒長大成人。
《阿伯話-現場開示精華節錄》:「每一世都有隔陰之迷,過去世的修為會因轉世而被封存,但習性卻不會被蓋住而被帶到下一世。只要養成好的習性,就可以幫助你在來世也能行為嚴謹,持守戒律且有利益他人,為人著想的好習慣。」
出家為尼修得的福報,讓有緣人前世得以女轉男身,可惜的是,滿滿的福報沒有讓有緣人用來造福地方百姓,反而藉著福報,當起地方老大,專幹壞事,殺人無數。由此可知,養成好習氣是累世的修行,習氣不改,道果難成。有好的習氣,遇事才不會隨緣流轉,遇境才不會隨業漂流,遇順境心性就好,遇逆境心性就偏執。所以,修行要深入正法,將因果有大樹般地紮根,深入內在,才有辦法應付對外的諸多利益鈎牽,心境如如不動。
「沒修行不識佛法,只好用最土的方法解決自己的困惑,好在現在遇到佛法、遇到精舍,可以用佛的方法解決難題。」這是有緣人被磨到傷痕累累的體悟。確實,兩人若有相欠,「忍」不是唯一的方法,一徑的忍耐跟沒有下限的委屈,只會讓自己的心千瘡百孔,還可能因此得憂鬱症。
請給自己機會,善用「因果債,功德還」化解因果,補善緣。如果凡事都能看到積極的一面,生命也會加倍善待你,而這一切,取決於你不放棄自己,你願意掙脫命運的牢籠,讓自己有機會從傷痛中痊癒。
化解因果,消除阿賴耶識裡仇恨的記憶,心中才能真正放下埋怨,做到真正的寬恕。而這,才是擁有平靜內心的保證,自己才能有機會重生。
因果討報很痛苦,但無法否認,那些讓我們受苦的人,可以幫助我們意識到自己的傷痛,意識到不斷重演的輪迴,進而願意努力擺脫。雖然很難想像,但當下的諸般折磨,是在未來遇見更好的自己的最佳盟友。
有幸學佛,奉勸所有人,都要學會拯救自己,而不是傻傻等別人來救!修行是一輩子的事,那些晨間的寂靜,不眠的星光,清醒克制,孤軍奮鬥的堅持,暗暗許下目標,才是熱愛自己的時刻。真正有價值的事情,從來都不是輕輕鬆鬆就能完成的。
人生就是一步步地克服困難,往上升級。修行不容易,堅持下去,所有的努力一定會有收穫!南無大願地藏王菩薩!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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thapoli · 22 days
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索多玛的玛利亚
他表现得像是醉酒之后的酣睡,或者说昏迷前急促的喘息,突发的心悸和突兀的癔症复发,引得动弹不得的病症显现,一开始他被认为是癫痫或者惊厥过度,因为大脑皮质层中过度且异常的神经元活动中产生的痉挛和抽搐的显著的晃动(periods vigorous shaking),他的无力性癫痫(atonic seizure)持续时间延长、从第头次发作的十秒钟开始已经持续到接近一分钟的长度,这种全身性癫痫(generalized seizures)发作的先兆是近乎不存在的,通常以突发的意识丧失下发生,而全身性癫痫和抽搐性癫痫的差距在于后者通常要经历短暂昏厥 意识模糊 缺失控制肌肉和排泄能力的过程,还有携带着比如躯干僵硬和呼吸变化或者暂时停止的表现,这种表现通常持续一段时间以表示癫痫的先兆,如若他患有的是抽搐性癫痫的好处要大过前者,因为在监视下时,修女嬷嬷可以及其快速的准备好保护头部不收到撞击的准备和保准呕吐物不堵塞呼吸道的侧卧位,而不是通常在他毫无先兆的倒下后急促的准备各种急救措施,在停止癫痫状态后给他喂食溴化钾药物,自从洛克爵士(locock)在1857年发现这种药物对抗惊厥和镇静效果之后,先前从饮食疗法转到临床医学上,他成为洛克爵士的十五列患者在食用溴化钾后对惊厥发作的良好效应中的反例表现,溴化钾并没有很好的克制住他在一个月之内转变成的全身性强直阵挛性癫痫(Generalized tonic–clonic seizure),她们褪去了脖子上的枷锁,以至于他发作时不必磕断自己的脖子导致瘫痪或死亡。而在发作过后,她们会一起抬起他的双臂和双脚,就像从两头抬起一袋麦子那样,从腋下抬起上半身在抓住脚踝抬起下半身,然后缓慢地移动着117磅(约为53.5公斤)重的身体安置在疾病频发期间用来监护传染病病人所有的医疗内室,那里曾经集满了教会钦定的八大传染病的所有乃至更多的病人,大约在十八世纪之后才有了癫痫并非传染病之一的准确概念,而如今在历经了几百年了沉寂和漠视之后,教会特意为他重新启用了癫痫患者隔离室,在1486年的罗马瓦伦菲尼教堂后,依旧有教堂延续了这种毫无意义的荣光之屋,他们似乎回到十八世纪之前,认为癫痫是一种亵渎神圣的传染病患者,癫痫患者是恶魔,由不洁的聋哑人引起的癫痫在旧基督世界相当常见,人们向癫痫患者吐痰并且隔离、拒绝和他对话和允许他洁净身体,因为他们认为这种感染的传染性会是通过邪恶的呼吸传播的。
抬他的修女通常是正值壮年的女子,冷酷、严厉、对教条有近乎苛刻的追求,也对和癫痫患者的处理方式显得严峻,她们将癫痫结束后的被思维混乱和意识障碍折磨的他关进狭小的隔间里,不允许任何人去探访他躺在被褥中发着高热却呢喃着冷的模样。用黄铜铸的钥匙锁好房门后置之不理,直到第二天中午后再将他放出。今日,他准时在午后三点陷入强直阶段,很快被送进隔离室。而修女们处理好他无法控制嘴部肌肉而残留的诞水,继续准备着未发酵的饼和鱼肉熬煮的汤汁,加有一些调料用的肉豆蔻和豌豆,再准备汝拉葡萄酿造的酒水和镀银的餐盘。整个教堂内被烛火映照的金碧辉煌、神圣而充斥着难以触及的审慎,教名是铎洛蕾丝的年轻修女才依稀的分辨出今天是圣餐日,两月一回,这是她参加的第二次。她有些心烦意乱,牙龈发酸,似乎是不健康的饮食导致的牙周炎或者牙龈萎缩,让她感觉到一顾咀嚼能力在退化的假象,这是先前从未有过的感受,于是一昧的饮葡萄汁,心中没有耶稣在桌前的悲恸的宣告,只有他还未饮酒便已经醉了般的表象,如果怀抱不适当的心去食用耶稣的血与肉的宿命会带来不适当的罪,这种不适当铸就他的宿命注定是坏的,这是不可抗也不可与之攫力的。他似乎对耶稣治愈癫痫的孩童却没能使他痊愈和心怀怨恨,只念到耶稣说:“唉!这又不信又乖谬的世代啊!我要跟你们在一起到几时呢?我要忍受你们到几时呢?把孩子带到我这里来吧。” 耶稣斥责那鬼,鬼就从孩子身上出来;从那时起,孩子就好了。(马太福音17:17)就停了嗓,现在,他是一颗邪恶的果实,坠落的疾病(antašubbȗ),和月亮带来的邪恶之手(hand of Sin and God of the moon)有关,和亚里士多德的《论睡眠与觉醒》中概念,认为睡眠是由进食之后蒸发引起的,蒸发后会在血管中上升或者下降,并且这一假设扩展到了抽搐时发生的过程和表现,认为这是导致癫痫以及影响意识水平的机制,因此,他被要求禁食或者少食。过去的一个月里,他一共食用了十三块面包,三杯鲜榨的葡萄汁,六片西班牙黑猪火腿肉,九瓣橙子和七十二品脱的水,每一餐都是铎洛蕾丝去送餐的,她四个月前由莫伊拉斯家族的现任家主的海诺安排进教会,先前她似乎并非教徒,出生不明、来历不明,对诸多箴言和教条陌生而难以习惯。因此被安排去给邪恶的呼吸的癫痫病人送餐,早上八点一顿、下午四点一顿,放在门口后就必须要马上离开,不得拖沓,那并非一种美德。
但她的好奇心是与生俱来的,由于她体内三种灵魂中用于感知的敏感灵魂(sensetive soul)对于未知事物无法遏制的探索欲望,和用意大利式马赛塔罗的凯尔特十字牌阵的第三位和第四位的权杖一(行动的开始)和宝剑五(突破),以及她星盘上太阳入座第九宫和水星与金星行夹角来看,她将成为一个善于言辞、口齿伶俐、求知欲旺盛的人,而她也很好的使用了学者的探索欲以及身为女性独特的对一切事物的悲悯的心,但她这种善良的品德不仅仅是她的天性,富裕的幼年的生活同样增长了她对世界的好知和善于观察一切她感兴趣事物的心,她选择登岛的原因很大一部分来源于此,来自对半岛上所发生的惨绝人寰的厄运的好奇和懵懂的口欲期的后遗症作诡。她摸索并且研究任何陌生的事物,同样的对于这个和她有着类似空白过往的教徒有着渴知欲,在第七次送餐时,透过可开合的窗口上镂空的枝叶装饰,她问出历史上哲学性质最慎重最无法被诠释被统一的问题:你是谁?那双饥肠辘辘地双手穿过被打开的窗口,接过癫痫患者特属的餐盘,手腕上还留有粗糙的绳结摩擦皮肤后遗留的淤伤和斑驳的血迹,铎洛蕾丝紧张地心在那双手靠近她微微倾倒的餐盘时激烈的跳动起来,她有些颓靡于无法得到答案的结果,也对违背规矩向邪恶之物主动的畏惧,而他只是用沙哑的声音轻轻地回应她:”我是?也许我应该,或许,我是亚···”
亚,她有些许的头疼,按照医生的说话,她的症状像是原发性(primary)头疼中的丛集性头疼(cluster huadache)也被叫做神经性偏头痛(migrainous neuralgia)或者荷顿氏综合征(horton's cephalagia)由于症状在少数特定时刻频繁发作,也有着自杀性头痛的别名,她持续的时间不久,大约只有两个星期左右,但是发作频率稳定,晚餐时的左侧眼眶附近会缓慢而持续的疼痛,疼的她泪流不止,无法思考。但今夜却显得尤为两样,那些疼痛仅仅擦过她太阳穴的部位,在神经元的表层浮动,并不能让她感觉到想哭和痛苦的欲望,铎洛蕾丝用食指和拇指压住精美的银汤勺轻轻地勺起汤汁时,忍耐这轻微的头部的刺痛,而突如其来的心慌让她毫无征兆地慌乱将手中的勺子丢下,重新落进汤汁里面,溅出的汤汁在桌布上留下又聋又瞎的点,她灵敏的天性在告诉她死亡在逼近,而她曾经愈合的青光眼会复发,过去在威尼斯生活时无忧无虑的宁静的世界不复,她的世界将会被无数色彩斑斓的光景笼罩。重新带来她的不安和忧郁,铎洛蕾丝怀疑自己是否有可能罹患其他疾病的可能性,于是开始了排查其他疾病和不健康的坏习惯,但除去她天性���改的野蛮和被加以马鞍以表驯服的活泼的天性外,她只能想起来还未给他点灯就走了,因为她走在众人的最后面,停在先前安置梅毒和天花病人的里屋的门口,没走近他的身边,自然没有为他点灯。摇曳的烛火刺的她左眼生疼,缓缓流出泪来,她想:亚总不会就这样使我患病而死的。他从不诅咒任何人。
铜制的西班牙双式烛台放在左上角,两根加有乳香、白鼠尾草、玫瑰和薰衣草和金箔的刻有藤蔓和剑兰的蜡烛早在一个月前已经熄灭,女教皇特意送来的圣礼,由罗马教廷的工匠精细雕琢的。虽然早早的就掐断了焰心,但里屋中却依旧被朦胧的暖意所笼罩着,依稀记得,那时他应该才刚刚出生,而铎洛蕾丝用一盏小小的手提灯为他点明了烛火,用刺着金百合的手绢擦掉他脸颊上羊水混着血污的污损,坐在他的床榻边上说着话,而那些话语仿佛被浸哑了一般,迷失在深夜和萨德式的爱慕里。铎洛蕾丝的呼声消失了,但持续的低热,难以遏制的诡谲的梦却依旧在,短暂的时光并没有治愈这种难以遏制的疾病,反而从开始的眩晕到最后无法忍耐的剧痛,幻想成放血疗法用的血蛭,蜗居在他钉了环的耳后,和他的耳后神经共生,饥肠辘辘稚童般吸吮他的血管,从而导致那副罹患肺结核一样的苍白的面孔愈发透着死的青灰,疼痛像贝壳和石头,慢慢的剜去他身上每块完好的肉,直到鲜血淋漓、直到血肉模糊。难以祛除的邪魔在他的身体里游走,他浑身都充斥着病魔环绕的霉菌的气味,紧紧的裹住他还未因为死亡的威胁而消散殆尽的馥郁的芳香,使其闻起来有浓烈的柑橘腐败后甜腻的香味,生命的分崩离析就像小提琴手用来维护琴弦用的松香,细微而缓慢的碾碎了他短暂的性命,涂抹在教徒们用来蓄势待发的弓和潜伏的匕首上,涂抹在一枚枚用来代表奸污和诱奸的邪恶的银币上面。而他和古罗马的妓女皇后美莎丽娜的假面丽西斯卡一样,收取一枚银币,结绳记事般记录自己和多少次接受了邪魔。事到如今,他的银币可以买下一幢金碧辉煌的寝殿 拉开来可以做船锚,但他的钱财长在主教的兜里,他一贫如洗,罪孽深重。
纵使亚空无一物,但��于基督教中对人学中关于所造物的归属中的理念,人处于一切上帝的所造物中的最高峰,因为人与上帝的关系是交谈式的,并且被施以上帝的形象,既能聆听他的话和他的吩咐,与圣灵相沟通,行使上帝的权威和能力,这样的权能是唯独人有的,这样的特殊关系被誉为上帝之肖像(portrait of god)所赋予的意义。正因为这样神圣的交谈,证明了人在上帝所造的万物中的优越性,展示了在相同造物中的独特性,使得人将成为上帝委托管理和治理地球的代理者, 管理海中的和空中和地上的的各种各样的活物。所有生物的性命将要为人类服务,对于动物来说,人在此世先对于万物而言是中心,是支配和使用者,因此对于任何其他的造物都有所属权和使用权,对待亚时会适当的使用它(it)的人称来表达非人性化的,来强调和明确的指出亚作为人之造物的劣性,并且对于其尸体也有高于其自身自我意愿的使用权利,如若他选择死亡,那么人有权利对他的尸体产生暴力和欲望。鉴于曾经主教所做的,他们对于处理的方式已经有了清晰的条理:他上吊,人们就割去他的舌头,避免造成提供伪证的能力;他自刎,人们就砍下他的头颅,确保他的记忆不会跟随;他服毒,人们就挖出他的内脏,表示他的死亡并非是不洁和邪魔有关的;他坠亡,人们就剥去他的血肉,让死状显得平静而不惨烈;人们必须确保他的死不能和殉教徒一样有着超脱人类虔诚和忍耐的美德,他不得死得其所,永远再三日复活的门廊外游荡,在古埃及的系统中,任何的肢体受损都会导致复活的失败的可能性,死必须要完整 、完善且经过防腐处理的,任何携带污秽和缺少神圣过程的死都不再享有复活的欢乐。
但复活与否本身的诱惑没有成功引诱过他,如果死并不能给他带来安逸和他想要的宁静,他更希望他永远的湮灭或者化作因为好奇而变成盐柱的妻子。贪欲从来没有成功将尾巴放入他的口中的形象来说明“恶舌/邪恶的舌头”的罪过在他身上实践或犯下过,蛇也从未在枝丫上蜗居过,使他在相当长的一段时光中将受难视为一种意外,他并不邪恶却平白无故的忍耐了诽谤和污蔑,举报他和动物、乞丐、叛国者通奸,引诱并且毒害长寿的伯爵阁下(在伯爵的圣经书页上涂抹马钱子的汁液,在伯爵祷告的口干舌燥的时候送上了含有颠茄素的杏仁酥,在伯爵吸吮手指上的糖粉时毒杀了他。),指认他谋杀了婴儿并且弃尸,行窃并且在黑市赌博欠下了巨额的欠债,纵火烧毁了房屋盗窃了珠宝,鸡奸了教徒年幼的儿子并且折磨了他们。所有的罪行在一一记录在教廷书记员红牛皮的手抄本里,全部已首字母的缩写取代全名,主教在这里代替了世俗的法官,用着不容置喙的权威审判桩桩件件,他十七岁,犯下的过错多如牛毛,每一桩都铁证如山、不可饶恕,因此被永久的关押在赎罪的阁楼里等待生命的终结,这间阁楼像是用恰赫季斯堡,用来关押这罪名盛极一时的伊丽莎白·巴托里·德·埃克塞德,他被指认谋杀了至少三十六名以上的人,甚至到了无法明确记载人数的地步。他就像给伯爵递上的那枚放在渡金边蓝纹杜鹃花花纹的餐碟上的加了颠茄素的杏仁酥,和卡尔·林奈(carl·linnaeus)再为颠茄命名时沿用的别名一样(atropa belladona),他因为常年的使用含有含有阿托品和天仙子胺这类的药物,引起瞳孔放大和带来谵妄以及幻觉,就像邪恶的放荡的美丽女人(belladona)一样能够使人在心跳过度、抽搐和视力模糊中因为阿托品破坏了呼吸和心率自主活动的能力和副交感神经系统调节而导致死亡,不知廉耻放荡的引诱,毫无收敛的滥情,他一个人的罪恶足以媲美一座城市,而他在这里本身就是作为容纳罪恶的器具活着的。���过在如今,他已经把无缘无故的罪名当做恶欲的必须,甚至连想要追寻被伤害的人的欲望都没有,逆来顺受的将本不该属于他的惩戒也都忍受了,而现在等待他的是新一轮行刑。
亚将整个身体蜷缩在并不厚实的用塔夫绸布料和轻柔鹅绒的被子里,手指将细腻的丝绸折出波光粼粼的褶皱,他处于癫痫过后的意识混乱,因此看不大清周遭的事物,为了探索周遭的环境,本能的抬起手和孩童一样摸索认识世界,某教徒曾经好奇他是否会像牙牙学语的幼婴儿,在学会母亲的拼写前先一步辱骂妓女(puta*),但结果不胜人意,他在启蒙期学会的单词并没有任何指向亲缘和任何感情方面的称呼,而是直接跳到自我意识萌芽的阶段,他学会的第一个但是是我(i),其次是为什么(why),而第三个神圣的单词也是被他频繁使用的单词是请求(please),这寻求宽恕和慰藉的词使用的时机不当,于是并没有达到任何他希望的目的,就比如在奸污中他声嘶力竭地哭喊,最后演变成愈演愈烈地交媾和无情的镇压,在疯狂的欲望和交配的季节里,求饶就像勾引,将恶行不断的放大,这些教徒在那些时刻和被砍首的暴徒是一样的,区别只在于前者有天主的狗绳牵引 而后者肆无忌惮的街边撒尿,但本质都是一样的,损坏的道德带来肉体的腐败。就像萨德在淑女的眼泪一书中描写圣母玛利院中的行驶规则:他们毫无原则 没有信仰 全无道德……这些魔鬼的随心随遇,异想天开打破了一切规则,他们行动的惟一准则就是一时高兴。亚像来时一样摸索不到任何事物,除了身下的温床和培养皿之外 只有一片昂长且无法被捕获的虚无(nothingness)。他潜意识中有着烙印,认识到虚无就是欲望的前兆,就像基督手中的血洞一样,那是不可消失、无法被抹除的印记,在驯化的过程中,教徒在驯养家禽和宠物的基础中得到了灵感,在共生、提供事物、控制和修改繁殖方向的系列操作中学到了如何掌握并且重新创造他的能力,就像挑选更加温驯、忠诚、温和、善于被指挥的品种进行繁衍,他们在反复的操作中已经从善如流,已经衍生出一套自己的驯化综合征(Domestication Syndrome),他们让亚意识到空洞是迎接欲望的前兆,在强奸他之前会撤掉所有的物品,给他的眼睛蒙上黑布,在空地上无助的摸索着,耻笑和拉扯着他,看他无措而紧张地像狗一样膝行和用双手颤抖的祈求,再之后他们会破开小路,让公羊毫无遏制的闯入,用烧红的铁针在腰间的软肉上反复的刺出鲜红艳丽的伤口,反复无常的驯化过后,亚知道了周边空无一物代表就是强奸 暴力 性爱和死亡。就像知道了不可逃避的命运终究到来的结果,他停止了摸索的行动,静静的等待着门锁被撬动的声响。似乎是睡去了。
寂静的阁楼中,锁芯被弹动的声音格外明亮。
年轻的主教走来,毫不犹豫地从被褥中拽出亚的手臂,犹如割牡蛎肉一样将他剜出,带着汗涔涔湿漉漉的牡蛎肉被从脆弱的牡蛎壳挖出,咸腥的汁水从壳的边缘滴落,落在主教用餐的餐桌上,汗水在明亮的丝绸上显出更深的色泽,也缺失了一部分俏丽的光。亚似乎病的很重,这是主教第一眼意识到的:男孩的面色带着不自然的酡红,秀丽的眉毛紧促着,双眼也轻轻地闭在一起,睫毛在微微地跳动着,似乎忍耐这某种不可抵御的伤害;嘴唇粗粗地喘着气,似乎是因为鼻腔堵塞而无法呼吸,转而用口腔来获取空气,有些干裂的嘴唇无意识的翕动着,因为缺水而显得干裂的嘴唇上轻轻地覆盖着脱落的雪一样的死皮,殷红的舌头在口腔和牙齿中静静地躺着。死在他身躯上留下婚嫁的邀请,带来鲜活的生命不可比拟的绝望的哀愁,给他深深地烙上了忧郁被悲伤的痕迹,使得他被注视时,让人先想起的不是他善良的天性和温和的性格,而是狩猎时因为被刺伤了脾脏而失血过多的动物,侧躺在血泊之中轻轻抽搐着肢体的场面,温热的血和湿热的躯体,皮肉柔软的像晒干的水面,随时可供幻想着抚摸时带来的细腻的皮毛和颤抖着而升温的肉躯。施虐和被虐的欲望是一种潜藏的性质,这些疯狂的潜质将在自卑和傲慢之中不断的被放大而着魔,在面对任何美的事物面前,人们期望摧毁完美的事物而看到事物被摧毁后裸露出来的脆弱的本性和带来羞辱的快感,在期望美好事物的永存和疯狂的施虐欲的毁灭中抵达到自我能力的自恋的高峰,精神的高潮往往比阴茎高潮要更刺激也更难得,亦或者二者交加的神魂超拨的时刻,是天使吹响号角,目送信仰虔诚的修道者目睹天堂光辉的瞬间,是等到召应的应许之地的邀约。主教其一生都在追寻真正纯洁的美好,在金钱和权利之中依旧怀揣着这样真挚的梦,现在,那样美好的事物躺在奸污的温床上,在他的手中,他怎么能不去侮辱呢?
主教脱去繁琐的衣袍和靴子,犹如罗马皇帝在登上战马前意气风发地宣言做的那样,张开双臂深深地呼气,裸露的身躯在激动的心动下浮出些许汗珠,疲于奔波和劳动的身躯并不健壮,甚至因为长期在乐园中贪图享乐和在美人的酥胸中体验醉酒的美好幻想而显得有些虚浮,
主教把亚靠在自己肩上后用左手手指伸进亚的嘴巴里玩弄舌头 右手解开前扣式睡袍的扣子伸进去摸亚的柰子,少年并不丰厚的乳房的边缘被手指抚摸着玩弄这,最后在打了乳钉的乳头上轻轻的抚摸了一下。但是没有经过麻醉和处理的乳头哪怕不动也在隐隐作痛着,敏感的乳头被抚摸过后带来的强烈的痛感和暗藏的快感让亚忍不住弓身子想要舒展,却被主教牢牢地摁在怀里发出挣扎和呜咽声。主教一把捏住亚的下颚在他脖颈的大动脉边上轻嗅,骂他是个即下流又无耻的浪荡子,一边玩着他的乳头边骂他,最后玩到他痛到咬破嘴唇流血不止之后才心疼的脸颊仪表安慰,然后问他要不要帮他取下来,亚沉默的没说话,主教自顾自地说这枚充当乳钉的胸针是某位夫人的陪嫁,手艺如何,产地在哪,然后自顾自的摁着胸针的宝石压下去,疼痛让亚一直无助地蹬着腿,却被死死的压在怀里,最后慢慢地翘起来把针拔出来,血肉被向外扯的痛苦持续蔓延着,亚的泪水滴落在主教掐在脸上的手背上,他有些怜悯的亲吻少年的脸颊,更加放慢了抽出的动作,血肉被牵扯的感觉持续蔓延,冷汗和肌肉的紧绷缠绵着伤害 在最后拔出的时候脱力地躺下,主教反复亲吻他痛的发白的面孔,剧烈的喘气和剧烈的疼痛几乎让他休克,但被折磨习惯的肉体仍然保持着神智。主教压着他的手臂一点点的撩起衣物的下摆,将赤裸的双腿和疲软的性器裸露出来,颓软的性器因为疼痛无法勃起,大腿内侧还在轻微的抽搐,主教一点点从脖颈的大动脉一路吻到锁骨上,玩弄着少年未勃起的阴茎,左手则顺着略微隆起的乳房边缘游走,红肿的伤口让乳肉摸起来滚烫而坚挺,就像发育期乳房仍有肿块的少女,主教用两只手托着红肿的双乳,戏谑着说野狗被人操得也越来越像一个怪物了,然后顺着皮肤一路滑倒大腿根部,顺着湿漉漉的汗探入会阴的地方,
摸到的是干涩的柔软的两片阴唇,疼的脱力的亚毫无反抗之力的任由主教掰开自己的双腿,用手指玩弄着还未退肿的小穴,因为清洗过的原因而格外的干涩,主教就用手指不断揉搓那颗潜藏在夹缝之间的阴蒂,
他明白了他必须经历的一切到底是为了什么,并不是他本身犯了什么错或者烙下什么罪的烙痕,他甚至不以性的方式诞生,没有按延续过任何的原始之罪(original sin),但却正因为继承萨麦尔被食用而被赐给人类的罪过。他便犯下了永恒的罪孽(eternal sin),即不可饶恕、不可赦免的终结的罪,为了闸述耶稣的三张面孔,为了创造这等凡事的纯粹的三体一位,他杀人,他虔诚,他贪欲而没有人幸福。作为主位的他必须神圣、纯净而不能有污损,因此副位的他必须行使杀人和被谋害的权利,以伤害异教徒和叛教和奸污腐败者的能力为教义奉献,可他们却发现他匮乏欲望,没有贪欲,既不贪恋财富、也不对色欲有所猎奇,但人怎么会毫无欲望呢?但他怎么会毫无欲望呢?他作为活生生的人作为亚��和夏娃的食人罪过的后代,天生就是有罪的,在一个纵欲横流的世界里脱颖而出的善良是一种不自知的犯罪,在相当罪恶的年代履行苦修和苛刻的教条是一种反抗权威的表现,在明争暗斗茹毛饮血的政治场里孑然一身的权利是被觊觎的食物,是可分化的财务和好用的武器,基督是教徒们的指标——也是武器,是甩出去的长枪,也是被牺牲的羔羊,
复活节过后,海诺拜访教会,身旁跟随女教皇特派的荣誉骑士亚连,铎洛蕾丝将在四个月后重新会晤海诺,用自己的名字会面好友,彼时她站在短暂荒废的阁楼里,用浸泡过白鼠尾草的水擦洗家具与装饰,在床头柜里找到一堆嵌有小颗红宝石的带有干涸血迹的胸针、风干的蛇皮和纤细韧性的短荆条,
在台阶上等待海诺的铎洛蕾丝远远看见海德尔的身影,背后跟着一个身穿正装的年轻少年,正在左后方下一阶的步伐紧跟着海德尔,正午的阳光携带着各式各样的气味席卷了他们的影子,她恍惚间好像见过亚的身影,却忘记了给他点灯。因此心中怀着愧疚,
被施以破局者桂冠的圣教徒亚连,他的名字拼写诡谲,黏连着西贡的残迹,正站在他侍奉的家主身后,胸前的麦穗散发着漂亮的光泽,目光坚毅、冷酷、带着审慎和威慑,正目光如炬地凝视着高台上的女教皇,等待着她再一次发号施令,而海德尔则是微微地弯腰行礼,右手轻轻拂过心脏所在的位置,上面挂着精工细作的圣洁的十字架,镂空黄金手艺,刻有耶稣受难像。他接过一旁年轻教徒双手递上的赏赐:那是一根光洁润和的陶瓷柄英吉沙匕首,上面用藏蓝的群青勾勒出花纹、镶嵌着石榴石,用黄金装饰刀柄底和开刃过大马士革钢的刀身,仅仅用来装饰。海诺结果后递给了一旁的亚连,在他接过后,刀柄便毫无征兆毫无前兆的裂出了纹路,在蜜蒂亚以不可抗拒地语气说出匿名为A的罪犯所犯下的案例时,在她用手指用鲜红的颜料在书页上的字母A时,彻底裂了开来。
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respect-love33 · 26 days
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「ぐっすり眠れる夜を取り戻そう!不眠症を克服する旅」
夜、静まり返った時間にふと目を覚ますと、周りの静けさが逆に心をざわつかせることはありませんか?不眠症に悩む人々は、ただ眠りたいと願う一方で、その願いが叶わずに苦しんでいることでしょう。そんなあなたに寄り添いたいと思います。不眠症は、多くの人にとって身近な問題ですが、理解し、対策を講じることで、より良い睡眠を手に入れることが可能です。このアドバイスが、少しでもあなたの心を軽くし、希望の光を照らす助けになりますように。 不眠症の理解 不眠症は、単なる眠れないという状態ではなく、心身にさまざまな影響を及ぼす深刻な問題です。ストレスや不安、生活リズムの乱れなど、原因は多岐にわたります。まずは自分が抱える不眠の理由を理解することが、解決への第一歩です。日々の出来事や感情が、どのように睡眠に影響を与えているのかを見つめ直してみましょう。 また、睡眠は体の回復だけでなく、心の健康にも重要な役割を果たし…
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gimedipharma · 2 months
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腰椎症、椎間板ヘルニア、関節痛などの骨や関節の病気は、特に天候が変わると季節が変わり、痛み、不快感、食欲不振、不眠症を引き起こします。痛みはますます深刻になります。では、季節の変わり目に痛みを改善し、関節の痛みを防ぐために何をすべきでしょうか? 一般的な筋骨格系障害 誰もが背中の痛み、肩の痛みなどの骨や関節の痛みに苦しむ可能性があります...ある時点で、筋骨格系の痛みは、一般に変性すべり症などの典型的な病気の一般的な病気の1つです。頸椎症、腰椎症、膝骨関節炎...これらは有病率の高い病気であり、統計によると、65歳以上の人の60%が筋骨格系の病気と病気を患っています。脊椎、80歳以上の人の85%以上が筋骨格系と脊椎の病気を患っています。 35歳の場合、発生率は30%です。これらのデータから、高齢者だけでなく、若者の変形性関節症の発生率も非常に高いことがわかります。 変形性関節症、骨粗鬆症などの筋骨格系疾患では、骨粗鬆症はしばしば後に現れ、閉経前の女性、中年の人々、および高齢者にしばしば発生します。変形性関節症は、若年性特発性関節炎や中年成人の反応性関節炎などの子供にも見られます。また、この病気は、リウマチ、関節リウマチなどのあらゆる年齢で発生する可能性があります...中高年の人々はすべて退行性に苦しむ可能性があります関節疾患および特定の段階では、変形性関節症はしばしば腰椎および頸椎の椎間板ヘルニアを伴います。 季節を変えると関節痛が増えることが多いのはなぜですか? これらの病状が軽度の場合、痛みを引き起こすだけですが、この段階の後、一過性の痛みや痛み、または移動時の痛みから、痛みはより頻繁に、より継続的に、痛みを伴い、不快になり、不眠症を引き起こします。痛みはあなたを泣かせ、眠ることができなくなります。場合によっては、この病気は圧迫を引き起こし、筋力低下、萎縮、さらに深刻なことに麻痺を引き起こします。 季節の移り変わりの間に、天候の変化、天候の暑さから寒さへの変化、または太陽から雨への変化ではなく、痛みを感じることがよくあります...筋肉の収縮、血管収縮を引き起こします。変形性関節症は本質的に痛みを伴い、さらに天候が変化して寒くなり、筋肉の収縮が悪化します。そのため、冬から春にかけて変形性関節症の痛みがひどくなり、変形性関節症の人の多くがこの時期に発症します。 関節痛を取り除く方法 通常、痛みを和らげるために、非周期的な鎮痛剤を使用することができます。変形性関節症の痛みは一般的に筋肉のけいれんを伴うことが多いので、医師はより多くの筋弛緩薬、筋軟化剤の使用を勧めることがあります。これらは一般的な鎮痛法ですが、関節痛の改善と克服には予防または非薬物治療も効果的であり、リハビリテーション、理学療法、理学療法などの方法を適用できます。理学療法には、マッサージ、温湿布または指圧が含まれます。運動とスポーツ...これらの方法は、筋肉をリラックスさせ、効果的に痛みを軽減し、再発性の痛みを防ぐのに役立ちます。 さらに、神経に痛みや圧迫がある場合、ギンコビロバ、ブルーベリー抽出物、プレビタミンB1を含むより多くの製品を使用する、または骨粗鬆症の人のために、骨粗鬆症前はより多くのカルシウムを使用できるなどのサポート製品を使用することもできます。 ただし、病期や病期によっては、患者さんごとに治療法が異なります。関節痛を経験しているときは医師の診察を受けるのが最善です。検査を受けるために医師の診察を受け、X線や超音波などの筋骨格系障害の効果的な治療を行う必要があります。 骨や関節の病気を克服するのを助けるカルシウムの役割 カルシウムの補給は、特に変形性関節症の人にとって非常に必要です。しかし、このミネラルには直接的な痛みを和らげる効果はありませんが、間接的な効果があります。カルシウムは、体を支える骨格を作るだけでなく、血液凝固機能、平滑筋心筋などの筋収縮機能、体の免疫過程など、体の他の多くの機能にも関与しています。 、カルシウムの補給は非常に重要で必要です。しかし、適切に補足する方法は、誰もが知っているわけではありません。 毎日の食事は体のカルシウム必要量の54%しか提供しませんが、体のカルシウム必要量は、妊娠中の女性、成長期の子供、高齢者など、さまざまな段階で同じではありません。人々はしばしば骨粗鬆症に苦しんでいます...そしてカルシウムの必要性通常よりも高くなり、1000mg/日以上が必要になります。したがって、食事は体に十分なカルシウムを供給することができず、カルシウムの補給は非常に重要で必要です。 カルシウムが機能するためには、各段階のニーズに応じて体にカルシウムを補給する必要があり、カルシウムを追加するときは、ビタミンD3、MK7などの他の成分が必要です。これらの2つの成分のおかげで、カルシウムは最大限に吸収されます。
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