#アンティエ
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第三部:最大の落とし穴】
アンティエ・リンデンブラット
オリジナル動画:https://youtu.be/Y1Q8xg8YEDk
公開日:2023年4月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
【第一部:トラウマと隔離】🔗
【第二部:統合のプロセス】🔗
親愛なる皆さん、
まずは第一部、第二部をご覧になっていない方は、そちらを先に観覧することをおすすめします。
この第三部を終えてから、皆さんからの質問の内容と量によっては第四部も配信するかも知れません。
第三部ではまず、魂の統合の際に「落とし穴」があることについて、次に私達が統合しようとする光と闇の側面について、もうすこし詳細にお話します。
統合プロセスにおける落とし穴とは、まず始めに「被害者意識」とそこに釘付けになっている状態のことです。次に挙げられる落とし穴とは、「自分はいい人でいたい」という観念。そして3つめの落とし穴は、自分自身の「感情が乖離された状態」が続いてしまうことです。
これらの三つのテーマは、確然としてお互いに関わり合っていますが、一つ一つ説明していきます。
まずは「被害者意識・被害者の姿勢」、そしてそこに釘付けになる場合、そこには「加害者vs被害者」という動態が繰り返しやってきますが、それは人間的な経験の一部を成しています。「被害者の気分」を味わってみること自体は「間違い」ではなく、それが悪いわけでもあ���ません。問題となるのは、自分が被害者であるという感覚に「釘付け」された状態がずっと継続されてしまうことです。
ここで取り上げているのはそのような永続化された状態に、いつの間にか自身を非常に強く同一視してしまうことで、それはずっと以前に被害者であると感じたことがある、もしくはあらゆる場面でそんな経験をしてきたという経験によるものです。そうやって自分と「被害者」とを同一視してしまうことで、その役割に固執してしまうのです。
人生を歩む中、何かが潜在意識下へ「滑り落ちてしまう」のはよくあることで、例えばトラウマの元になる状況が前世などにある場合はアクセス不可となりますが、それが幼少期に起きた場合、それは意識に顕在化されることなく、つまりはっきりとした記憶がなく、人生で年齢を重ねる内に、自分がはまり込んでいる被害者意識、即ち被害者の姿勢が潜在意識の奥の方に定着してしまうのです。
自覚が出来ていない間は、これを変えることは出来ません。
そのような被害者意識にある場合、繰り返し自己のパワーが削がれるようなことが起こります。問題は、被害者の姿勢で固まっている間は、癒やしはやってきません。これは決定的な点で、こうなると魂を統合することが出来ないのです。
自分が被害者意識に継続的に陥ってしまってはいるのかどうかを識るための兆しは、繰り返し「誰かのせい」にしようとする態度です。
更なる兆しは「投影」、自分の思考や感情が信念を他人に投影してしまいます。そして自分の中にどのような感情が起こったのか、その責任を他人に転嫁し、それと繋げて「相手が何かを改善しなければいけない、相手が変われば自分の気分が良くなり、自分も変ることが出来る」という信念があります。
この投影と共に時に起こりうるのは、相手には「何らかの形で他人を傷つけようという悪意があるのだ」という無自覚の想定です。
ここで強調したいのは、よくあるのは…すくなくとも「癒やしのプロセス」が始まる前は、こんなことをしている自分に自覚がないのです。そしてポイントはまさに、一体何が起こっているのかを「自覚すること」なのです。
だから私は、ひとつずつ取り出して「自分にこういうところがあるなあ、いやこういうのは無いなあ、ああこういうのが出てくるんだ」というように(クライエントが)それを眺められるようにしていきます。これは人間としての経験の一環、すごく普通のことなので、根本的に誰もがこのことに関連があります。
癒やされることで分離されていたすべての魂の欠片を統合させたいという願いがあるのなら、物事を自覚していくことで「全体」へと戻っていく、これは重要なことです。
被害者意識になっている更なる兆しは、物事に「善悪」の評価をしてしまうこと。強力な「白黒」思想と結び付いています。当然、加害者は悪で、被害者は善だと想定されます。これと繋がって��くるのは、私たちには「攻撃されている」と言う感情が非常に素早く誘発されること、個人攻撃だと受け取ってしまうことです。
こうした考えには、「そこには誘発されるもの」が存在している、つまり「誰かによって自分の中に引き起こされたこの感情は、既にとっくの昔からそこにあった」、という自覚の欠落です。そしてこの感情は、まず自分自身の問題であることを知り、それが他人との接し方にどう関わってくるのか見つめることが出来ます。
しかし、そうした「引き金」というのは、被害者的視点から「攻撃」として受け取られます。攻撃されたと感じたとき、人は大抵反撃をします。そしてこれをまでも、自覚なくやってしまうのです。
あまりにも素早く、あらゆることを個人に向けられたものだと受取ってしまい、それが本当に個人攻撃なのか、そうではないのか、という区別がつけられず、「自分は攻撃された(被害者である)」という感覚のみに走ってしまいます。
また、「ネガティブな感情」を否定&ジャッジしようという姿勢が、被害者意識と繋がってきます。ネガティブな感情、とくに怒りや憎しみ、羨望、嫉妬などの感情に至ることは、みんな嫌がるものですよね。
その他、被害者意識としてあげられるのは、相手に対して自分の方から愛のない、傷つけるような態度を取っていることを正当化していることです。だって「自分は被害者」だと思っているわけですから、根本的に「自分には相手を傷つける権利がある」と見なしています。
こうして、多くのことが無意識のうちになされているので、これら癒やすためには自覚していくことが大事です。
つまり、この被害者意識に入っている部分も、意識下から外れているために、統合されるべき分離した魂の一部でしかありません。統合することで、制御して自分の支配下へと持っていくことが出来るようになります。
もしも被害者的姿勢にハマっている場合、根底にあるのは、自分の人生や感情を自己責任と見なすことが出来ず、他人、つまり外界にその責任を押し付けることになります。
それも、私が何をどのように感じるのか、というコントロールを私以外の誰かが握っているという信念が私の中にある、ということになっているのです。ここに、「自分の感情や状況を変わるためには、まず外界が変わらなければならない」と信じてしまう危険があるのです。つまり、「つみがあるのは外界」であり、その被害者である自分は「無罪」となります。
要となるのは、自分がいつ、どのように被害者的な態度に陥っているのか、ということを一つ一つを自覚していくこと。そして、最終的には自分自身、自分の感情、自分の人生に対して責任を担うことなのです。
それは自分が体験したトラウマについても言えることで、第一部・第二部でも言いましたが、責任を担うということは、罪を背負うことではないし、繰り返し同じ状況(もしくは元来のトラウマとなるもの)を引き寄せてしまうのは「自分が悪い」ということでもありません。
「責任」とは「罪」と全く関係がありません。単に「答え」そして「癒やしへの解消」が自分に掛かっている、ということです。つまり、自分自身を覗き込むのです。外に目を向けて、被害者の気分になっている自分が何をしているのかみるのではなく。そういうとき「外界がどう変わるべきなのか」を考えてしまってい���す。
責任を担う、ということは「自分は内観するべきなのだ」と気づくこと。「私のトラウマを解消し、私を癒やすことのできる全ては、私の中にある」のです。
これらを区別することは非常に大事です。
なぜなら、私たちには2つの可能性があり、それを特定の状況で何度も自覚することが出来ます。もしも理不尽な状況を体験したり、理不尽な扱いを受けた時、または傷つくようなことが起こったり、もしくは古い傷が開くような出来事が起こったりした時、つまりはをある状況の中において自分のことを犠牲者だと知覚することは原則的には間違いではありません。…とここで改めて言っておきます。しかし、ここで犠牲者の役割にハマり込むのなら、繰り返し他人に罪を押し付けることになるわけで、それと同時に自分は無力となり、相手に責任を譲り渡しているのです。すると、先はどういうことになるのかとか、自分は癒やされるのかどうか、というのは相手が決めることになり、自分が癒やされるためには外界に変化が起きないとならない、と信じています。
もしくは、私が自分に起こった感情に対して自分で責任を担うのならば、自らそれを認知し、自分で自分のことを癒せる、ということに気づきます。私は単にそこに座り、評価することなく理解に努めながら自分を観察し、自分の中で引き起こされた感情を『感じる」ことを自分に許可します。これはもう「統合プロセス」なわけです。
私は変化が外からやって来るのを待ちわびること無く、自分が自分に望む変化を自分でもたらすことが出来ることを理解します。
そして、私は何が自分を動かし、どんな感情が自分の中で起こるのか、もしかして自分にはどんな欲求があるのか、何処が自分の限界なのか、などに関する「自己表現」をも学ぶことになるのです。
これらが、「被害者的姿勢」から「自己責任」、そして「自己権力」への脱出路です。
ここで、理解しておくべき非常に大事なことは、加害者vs被害者の全体の動態の中で、誰かがあなたに対してやらかすことというのは、結局は「あなたがやらせている」ということです。あなたが被害者的姿勢でいる限り、繰り返しそういう扱いを「させている」のですが、「自分がそうさせている」ということや、自分にはそれを変える力がある、ということが理解できないわけです。
しかし、自分が被害者的姿勢でいることを自覚すればするほど、次にまた似たような状況下で被害者的な感覚になった時には「ノー」と言えることが分かってきます。嫌だと思うことには境界線を引いて、意思表明をすることが出来るのです。
「いいえ、私はそんな扱いを受けることを容認しません」と意思表示できるし、従って「私はもう犠牲者にはならない」と自分で決めることが出来ます。少なくとも、それまでの元々の状況がどうであろうと関係なく、その後の人生で自分を被害者にするのか、しないのか、決められるのです。
元々の状況では、選択肢はなかったのです。なぜなら、ことは突然起こったとか、もしくは子供だったので何が起こっているのか状況把握して自覚できるほど、意識が育っていなかったからです。そこでは自分を被害者として感知するのかしないのか、を自覚を持って決断するという選択肢はありませんでした。
しかし、この癒やしのプロセス、統合プロセスにおいては、自分が被害者意識へ至るのかどうか、その選択肢があるのです。
こうした意識化のプロセスは、一歩ずつ進めていきます。
私はこれを、自分自身の人生で確かに経験しました。私は��い間「被害者意識」の中にいたのです。そこから脱皮していくのは長い道のりでした。そして未だに…今では途中でそれに気づくんですが、やはり自分が被害者だと感じてしまうことがあります。そういうとき自覚をもって「OK、どうやってここから出るべきか」と考えてみます。「私には選択がある」わけで、無自覚に、勝手に反応してしまうのに身を任せず、どう向き合うのかを私は意識的に決めることが出来るのです。
つまり、気づくことが最初の一歩です。次の一歩は自覚をもって自分の態度を選ぶこと。そして自分の感情をどう完治するのかも決定し、そこにあるメッセージを認識するのです。
例えば、誰かが私の内なる引き金を引いたことで、私に怒りの感情が起きたとします。そのとき「私は何にこんなに怒っているんだろう」と問いかけます。「そうか、相手は私の一線を越えてきたからだ」とか、「無礼な物言いをしてきて、私は傷ついたのだ」等々。
怒りとは、「そこで何かが整っていない」ことを示しています。そこで、自分の感情に責任を持とうとするならば、先程述べたように、境界線を引き、意思表示をし、「私は被害者にはなりません」という決断をすることが出来ます。
このプロセスにおいて、自己表現というのはとても大事です。
また、大事なことは、被害者意識に陥るのは、私たちの魂のほんの一部だということです。魂全体がそうなるわけではありません。何を体験したかによって、心の奥底に残ることはありますが、それでもこの被害者意識に定着しているのは、魂の一部でしかないのです。ということは、自己責任を担っていて、自身の勢力を掲げている魂の部位もあるわけで、こうした部位が、被害者意識に陥っている部分を救済したりサポートすることが出来ます。これを理解しておくことも大事です。
そして、全体において大事なのは、自分自身に対して正直であることです。なぜなら、その状況に至るまでに、我々は自分を自分から隠しておくことに長けていたのです。自分の「被害者意識」というものに向き合わされそうになると、自分から遠くへ押しやっていました。誰かに「君は被害者意識に陥っているよ」とか言われて引き金が引かれそうになると、すぐに反発を感じて「そんなことはない、私は自分が被害者だとか全然思っていない」と言い返しても、態度は別のことを物語っているのです。
それ自体が、困ったことではないのです。認めたがらないことが困ったこと、つまり認めない限りは癒せないので、それが自分にとって困ったことになります。
自分自身に対して正直であること。ここが、自身の癒やしのためには最も大切な部分です。自分が何を感じているのかについてや、自分が他人を傷つけるような態度をとっていることについて、正直に向き合うことです。これまでも私はよく言ってきましたが、「傷ついている人は、他人を傷つける」のです。無自覚でいる限り。
ですから、被害者的な姿勢でいる人は、常に自分が攻撃され、傷つけられていると感じている、つまり誰かに銃で撃たれそうになっているかの如く、自分自身も引き金が引かれた状態で、「撃たれる」と感じた途端に撃ち返すわけです。そうして、他人を傷つけています。
だから、自分自身に対して誠実で正直であることが、最も大事な鍵となってきます。「そうね、ちょうど今、私は被害者だって感じてしまったわ」と認めるのです。次の瞬間には時々、「自分に正直」でいることに勇気が必要なところに至ります。なぜなら、認めるのが嫌な感情、というのもあるからです。特に霊的な場面においては、とでもいいましょうか。
例えば「憎しみ」といった感情��、酷く拒否反応を起こします。“評判が悪い”といいましょうか。「憎しみ」はまっさきに否定されがちで、「いえ、私は誰も憎んでなんかいません」となります。
でも、正直なところ、感情のパレットにはあらゆる人間的な感情が備わっていて、誰もがこれを感じ得るのです。それは非難を浴びるべきことでもなく、憎しみを感じること自体は悪いことではないです。むしろ深く傷ついたのならば、愛が突然憎しみに換わることや、暖かさが冷たさに換わること、率直さが寡黙さに換わることは「ふつうなこと」です。憎しみとは、それを物語るものです。
しかし、このことを認識することは、憎しみの感情を最初から否定して、何も感じていないことにしていては出来ません。そんなことをしていると内側から蝕んでくる、内側で病気になります。
ですからとってもとっても大事なのは、自分の感情を、自分で正直に認めることです。
罪の意識、羞恥心、憎しみ、怒り、羨望、嫉妬、もしくは他人を蔑んだりする感情など、色々あります。
これらは大切な鍵ですが、常に容易いことではなくて、これもプロセスであり、癒やしの道なのです。
自分の中に起こる感情をジャッジすることなく、もっともっと認識し、観察し、理解するようになっていけば、そのプロセスの中でそれらの感情は私たちにとって別のクウォリティを担うようになっていきます。
そこでポイントはやはり、自分の行動と態度、もしくは被害者的感覚を体験する中で生み出されていった自己の態度パターン・被害者的姿勢に陥っていったことに向き合うことです。
また、こうした被害者的な行動や態度のパターンは、傷心が原因だったということを理解しておくことも大事です。それで、悪気や自覚がなくても、あなたは相手を傷つけてしまうのです。
もう一度言いますが、「傷ついている人は、他人を傷つける」わけですが、これは自覚が出来ていない限り、続くのです。
ですから(相手を攻める前に)、自分の方はアンフェアではなかったか?自分の方も相手を傷つけてはいなかったか?と自問することが大事です。自分の方が反撃してしまってから、後になって「相手には悪意はなかった、こちらに向けられた攻撃ではなかった」と気づくこともあります。そして相手には悪気があったに違いない、わざと傷つけようとした、という想定をしがちな自分だと気づくのです。
これは、プロセスなのです。心の内にあるフタを開けるようなものです。
「私は本当は何を感じているのか?」
「自分の態度は自分で云うように、愛情がこもっているだろうか?」
それとも「時に、意図せずして・望まずして、自分は傷ついた経験から行動してはいないか?」
自分と向き合い、被害者意識を自分の中で徐々に溶かしていく、ということは勇気がいることです。
素晴らしいのは、これが「被害者・犠牲者 Opfer」から「創造者 Schöpfer」へ向かう道だということです。
訳注:ドイツ語で被害者・犠牲者のことを Opfer (オップファー)といいますが、創造者のことは Schöpfer (シェォップファー) といい、アンティエさんは「この“創造主”という言葉の中に“犠牲者”という言葉の音が含まれているのは素敵なこと」と話しています。
ただ、Schöpfer にはOの上に点々がついています。つまり、これらはコインの裏表であり、この道のりはそんなに遠く��ないということです。
こうした被害者意識というものを溶かせば溶かすほど、私たちは自分が創造者であることに気づいていきます。つまり、自分の内側に入り、内側を覗き込み、自己責任を担っていけば、何かを変化させるパワーを私たちは持っているのだ、ということに気づきます。
被害者でいる限り、私たちは依存関係の中にあります。相手が変わってくれないと、自分の人生や感情は変わらないと思うわけです。
しかし、創造者の依存度は低くなり、どんどん自由になっていきます。「自分を癒やすため、気分を良くするために、外界は必要ない」と理解します。自分で物事を変化させる力を持っているからです。
つまり、こうした「自己責任」は最終的には「自己権限付与(セルフエンパワーメント)」となり、被害者意識からの解放、自由を獲得します。
それは、人生において、本質的な心の安定へと繋がっていきます。
次の「落とし穴」に行きましょう。
それは「自分はいい人でいたい」という気持ちですが、これらの落とし穴はすべて、互いに関連し合っていると述べました。多くの人がこれを抱えており、私もその一人です(笑)。
自分はいい人でいたい、これには理由があるのです。
愛されたいとか、受け入れられたいとか、私たちの誰もが持っている欲求です。
ここで都合が良いのは「被害者」とは善側であることです。
「いい人でいたい」欲求、もしくは願望を内に抱えていて、しかも被害者的な姿勢であるならば、それに固執しがちになります。
被害者は善、加害者は悪、この役割は定着しているからです。
究極的に、本当は私たちは両方なのです。ある特定の状況下で、私たちは被害者だったけれど、誰もが別の状況では形を変えて加害者だったことがあるのです。そんなに酷いことをしたわけではないかも知れませんが、誰かを傷つけるような行動をしたり、言葉を言ったり、フェアではない態度をとったり、自分自身の問題を相手に投影したり、といったことです。
どうしても「いい人でいたい」想いでいることで、何が問題なのかというと、統合させようとしている魂の影の側面を悪だと見なして否定してしまうことです。「悪」と見なしたものにはなりたくないわけで、自分に統合させるどころか遠くへ押しやってしまいます。すると、その影の部分にある、羨望、憎しみ、怒り、悲しみ、などといった感情の存在を「悪いもの」だとして否定しているので、癒やすことが出来ません。
そうすると、被害者的姿勢に居残ってしまうのです。だって、それでは、自分に正直ともいえませんよね。「そう、私だって時に加害者なんだわ」とか「私にも闇の部分があるわ」、「誰かを傷つけることがあるんだわ」という認識が欠けているわけで。
この時役に立つのは、「なぜ、私は常にいい人でありたいのかしら?」と、その部分を照らし出してみること。そこで自問していみるべきなのは「常にいい人でいることで、どんなメリットがあるのか」ということです。質問から浮かんでくる答えはひとつずつ書き出し、眺めてみると常にメリットがあって、良いことで、思ったほど悪いことは出てきません。しかし、「いつもいい人でいる」という方法でなくても他の方法でそのメリットは得られたりします。
では、「いい人でいる」ことで何がもたらされるのでしょうか?
また、どんな欲求が満たされるのでしょうか?
更なる問いかけは、「どうすれば、自分の魂の影の部分へ向ける視点を変えられるのか」です。そもそも、どうして私にはこの感情が起こったのでしょうか。「憎しみ」の例で話しましたが、その感情があることをジャッジするよりも、なぜその感情が起きたのか、を理解することです。
そこには全く別の動態が起こり、深い理解が生まれることで、「否定」というのが取り除かれ、ネガティブな感情を感じることができる自分だからといって悪なわけではない、他人を傷つけてしまうことがあるからといって悪なわけではない、過ちを犯して正しくない態度をとることがあるからといって悪なわけではない、ということが分かってきます。これを理解することはとても大事です。
そして、三つ目の落とし穴ですが、これも他の二つと関連しあっていているのですが、単独で短く述べます。
それは感情の乖離で、それが定着してしまうことです。
私たちは誰でも、感情が乖離してしまうことが何度もありますが、それは一過性で、また自分の感情に接触できる状態に戻ります。
私が問題にしているのは、その状態が続いていること、継続的にその感情が乖離した状態です。それは、自分の感情を「よくないこと」と評価することで拒否しているか、もしくは抑圧しているということです。もしかして、その感情に呑まれてしまうのが怖いからなのか、またはそれを受け入れられるほど自分は成長していないと感じるからかも知れません。感情というのは信じられないぐらいに激しい力を持っていることもありますから、それで自分はダメになってしまうというか、引きずり降ろされるような怖さを感じるのでしょう。
しかし、これはやはり、自分が感じていることに対して正直ではないことになり、フタを被せたり、切り離したりするわけです。
魂の部位の統合プロセスにおいて、感情という層は癒やしを齎すべきもっとも重要な部分です。なぜなら、トラウマやトラウマ的経験によってもっとも傷ついているのは感情の部分だからです。だからこそ、その部分に乖離が起こっててしまったわけですが。
そうした感情を感じること、そしてその感情を統合することが、癒やしへの鍵であり、魂の部分らの「完全性・統合性」を取り戻すことです。
これらが主要となる「落とし穴」です。これらは、私の個人的な経験上、そして私の顧客たち、つまり他人とのワーキングの経験を繰り返してきた上で、言えることです。
そして、この動画の最初に述べていたように、「影と光」という面についてお話します。
魂の部位の統合について話すときは、「影」の面を扱うことになり、この影をどう統合するのかという話になります。それで良いのですが、光という側面を忘れています。
この影の部分を統合する時、光をも統合しています。これらはコインの裏表なのです。
影を統合するときには、同時に光も統合されます。両者はつながり合っているからです。
この光の部分には沢��の側面があるのですが、いくつか書き出してみました。
賢さ、賢明さ、叡智というのがひとつ。即ち、トラウマを経験したことで影の統合プロセスを経ることになり、それによって生じた叡智です。それは多くの気付きと結び付いていて、私たちは賢くなります。
また、よくあることは、トラウマが癒やされ、光の部分が魂に統合されることで、人間らしさ、共感能力が出てきます。また、物事を深く理解することが出来るようになりますが、それは自分自身に関してだけではなく、人間という性のことであり、時に自分が体験したトラウマに関連したことで、他人を助けたいという情熱が起きたりします。
その人は深いところで学びを得たのと、トンネルから脱出出来たわけで、光という側面も知りました。それを他の人にも渡したくなるのです。
更なる光の側面は、トラウマが癒やされたことで、真の自分というのを発見したことです。
トラウマによって生じた魂の分裂によって、私たちは多くの痛みを伴う感情、そしてそれを「犠牲(いけにえ)」と同一視してきたわけで、でもそれは自分ではない、自分はトラウマではない、自分は傷ではない、自分は犠牲ではない。そのことに気づけば気づくほど、私たちは創造者になっていくのです。
ということは、私は自分の中に可能性を発見したのです。自分が何を考え、何を感じるのか、世界をどのように体験し、その世界にどう反応するのか、または他人にどう反応するのか、すべて自分で決められるパワーがある、という可能性。
そして、私たちは純粋無垢な自分を再発見することが出来ました。
影の部分を拒否して「いい人でいたい」という自分は、実はこの純真無垢な自分を探していたともいえます。でも、「自分は純真無垢なのだ」ということを自分の中に認めることが出来れば、それは影の部分を統合できたことになります。
「私は影ではない」
「私は傷ではない」
「私はトラウマではない」...のです。
そして、更にありえることは、影の部分を統合することで、本当に才能や能力といったものを、自分の中に再発見していきます。それまで阻止されていたのか、はっきり見えていなかったのか、そういったものが開花されていきますが、それはまさに特定の魂の部位と結び付いた部分なのです。
こうした「犠牲者から創造者」へ移行する私たちの内なる道のりのすべてにおいて、コントラスト(照らし合わせ)となる状況を体験することで、私たちは自分が誰なのかに本当の意味で気付いていきます。
つまり、「自分が誰ではないのか(過った自己同一視)」ということが、「自分が本当は誰なのか」という認識を明瞭に照らし出す可能性が与えられるのです。
「自分が本当は誰なのか」というのは「被害者vs加害者の動態」の外部にあります。
私たちは常に、両方なのです。自分の中には両方の側面があります。被害者だったり、加害者だったりして、両方ともが「人間としての経験」なのです。
もうひとつの光の側面は、切り離されていた影の部分と統合されることで、その統一感を得て、すべてを完全性へと変換することが出来た、という感覚です。
これは、自分という存在にとっては全く新しい感覚であると同時に、この世界の中に在る自己認識も新しいものとなります。
それは真の自分の一部です。
なぜなら、私たちは完全なるものから生まれたのですから。
それが本当の私たちであり、真実です。
以上が、皆さんにこの第三部で明らかにしようと思ったことです。
何か質問やコメントがあれば、お待ちしております。
いつもの如く、沢山の愛と光を、私の心から皆さんに送りますね。
さようなら。
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春キャベツとソーセージのパスタ
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✨今日の息子のお弁当✨ ・ ・ おっはよーございまーす🌿🌿🌿 ・ ・ 今朝も気持ちの良い朝✨ 扇風機要らずで過ごしていましたがお昼間はどうなるのかな? ・ ・ 今朝はお弁当を2つ並べれました。 良かった〜(´꒳`) ・ ・ ところで息子から「食後の授業で眠くなるからお米無しにして!」といわれたんですが… ・ ・ どうなんだろう? 炭水化物を取ると眠くなるのは確かだけど… やってみる? けど今日はとりあえず普段通り茶碗半善位の量をいつも通り入れておきました🍙 ・ ・ 眠気なぁ…寝てたな私…🙄 ・ ・ □ハム入り玉子焼き □鶏とネギの焼き鳥風 □緑と赤ピーマンと人参のクミン炒め □無塩せきウィンナー □マグロの角煮/ベビーチーズ/キュウリの浅漬け/ ・ ・ 今日も良い1日にしてきてねーっ(。'-') ・ ・ #お弁当 #手作り弁当⠀ #息子のお弁当 #梅雨⠀ #今日のお弁当 #おべんとう記録 #おべんとぐらむ⠀ #お弁当365 #べんとう記録 ⠀ #ハム入り卵焼き #玉子焼き #玉子焼きアレンジ #マグロの角煮 #クミン炒め #きゅーりの浅漬け #ベビーチーズ #無塩せきソーセージ #アンティエ #お料理苦手だけど頑張る部 ⠀ #お弁当作り楽しもう部 #どるふぃんの気ままに食べ歩き #いただきます #ごちそうさまでした ⠀ #ありがとう #コロナと共存 #いってらっしゃい https://www.instagram.com/p/CCHlCFLglas/?igshid=7nfarfvcnnwj
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『Day1816-4-103』 The something wonderful would begin. この春、とても楽しみなプロジェクトが始まる。 先日、「越後妻有アートトリエンナーレ2021』の企画発表会があった。 僕らが暮らす峰方地区にも沢山の素敵な作品があるのだが、今回、隣の会沢集落の空き家を利用した会場に、ももの作品が展示されることになった。 会沢に作品が展示されるのは2009年のアンティエ・グメルスさん以来、12年ぶり。 そのアンティエさんを心の師と仰ぐもも。12年前も会沢に通い、アンティエさんの作品制作を手伝ったという。 3年前、このエリアに越してきたのは全くの偶然だった。 芸術祭当時の区長さんでももが大変お世話になったIさんにご挨拶した時も、こんな展開が待っているなんて想像も出来なかった。 今日は企画発表会を受け、改めて会沢集落へ挨拶に。 な、なんと来年度の区長さんも12年前と同じIさんではないか。 ふたりでアンティエさんの話で盛りあがったと思ったら、帰宅後、アンティエさんからもメールが届いていた。 色んなご縁に背中を押されながら、ようやく物語のスタート地点に。 さぁ、はじまり、始まり。 写真は、挨拶に行ったのに抱えきれないほどの野菜をもらうももとIさん。それに、越してきた時と12年前のももとIさんと。 #rurallife #slowlife #notslowlife #countrylife #snowcountry #田舎暮らし #スローライフ #ノットスローライフ #4歳 #fouryearsold #あおの棚田米 #棚田 #移住 #コーヒーとタープ #自家焙煎 #microroastery #microroaster #十日町市 #雪国 https://www.instagram.com/p/CMjppOnsPuF/?igshid=zvci68qp732r
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2017/12/9-10 ふもとっぱらキャンプ 献立
キャンプ飯
昼の部
餃子
アンティエ
イカ焼き
焼肉
タン
ハラミ
カルビ
豚カルビ
ラム
ロールキャベツ
トマト缶
にんにく
ジンギスカン
モヤシ
アオサ汁
アオサ
味噌
焼うどん
うどん
キャベツ
ごま油
白米
夜の部
アヒージョ
マッシュルーム
プチトマト
サムギョプサル
コチュジャン
味噌
白ごま
胡麻油
サンチュ
鶏白湯
香味シャンタン
手羽元
焼魚
朝の部
肉まん
キャンベル
牛乳
フルーツ
ぶどう
いちご
その他
コーヒー
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第二部:統合のプロセス】
アンティエ・リンデンブラット
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公開日:2023年2月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
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➡第一部🔗
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第二部のテーマは、分離された魂の統合プロセスです。
最初に、過去生について触れるのは、多くの場合、トラウマは過去生に起こっているからで、「トラウマを癒やすために、過去生で何があったか思い出さなければならないのですか?」という質問がよく寄せられるからです。
いいえ、過去生を思い出すことは必然ではありません。
もし、思い出すことが役に立つ場合は、魂はそれに関する情報を与えてきます。それは、大抵は「パズルのピース」や「側面的な一部」という形です。
なぜかというと、過去生のトラウマを癒やすために、今生でも同じトラウマとなる出来事を体験しているからで、過去生で起こったことを思い出さなくても、今生の体験をベースに癒やしのプロセスを経ることが出来ます。時には、過去生で背負ったトラウマまで思い出すのは害になることもあります。なぜかというと、過去の物語に理解が偏って、感情移入しすぎてしまうことで、「癒やしのプロセス」難しくなることがあるからです。
この統合プロセスは魂によって制御・監視されています。そうやって魂は、その時に処理できる程度の記憶や感情が放出されるように調整しています。統合プロセスではまさに、元々トラウマになったものを処理できることが課題だからですが、例えば幼い頃に虐待に遭うと、それがインナーチャイルドの魂の一部となっているので、その視角からは癒やしをもたらすことが出来ません。ですから、ある程度の精神的な成熟度・意識のグレードに達している必要があります。
分離された魂が日常にどのような影響として現れてくるのかというと、それは身体的なブロックで��ったり、もしくは生活状況、特定の生活領域にも現れることがあります。なかなかうまく行かないこと、努力が実らず、それが辛い感情と結び付いているのは、どの分野でしょうか。
まず、これらは「引き寄せ」の法則として現れてきます。トラウマを内に抱えていると、そのエネルギーは「似通ったもの」を引き寄せます。しかしそれは、無意識下に追いやられ、気づけなかったトラウマが何なのか、を知らせてくれるものでもあります。
その他、「被害者意識」「無力感」といった信念構造に、影響が現れて来る場合もあります。トラウマを体験することで、いったんは「被害者」の立場になるわけなので、この経験によって生じる信念構造というのがあります。
身体的に現れるものとしては、病気、もしくは特に敏感な身体の部分や臓器があります。例えば胃、呼吸器官、その部位特有の病気など。エネルギー的にはその起源はトラウマで、それと関連した身体部分に弊害が出てきます。エネルギー的な刻印は、もともとの状況からきているのです。
例えば、ナイフで刺されたとします。するとその部分にはエネルギー的な刻印が残されたりします。ナイフによって傷つけられたという事実と、傷口にもそれが残るのです。
このトラウマにより、神経系に緊張感が現れたりします。トラウマを背負うと、神経系が警戒態勢に入ります。そして、このトラウマと関連していて、解消されていない全てが神経系に警戒態勢を布きます。つまり、その人はストレス状態にとても敏感となる、もしくはすぐにストレス状態に陥り易くなります。例えば、大したことのない情報によって簡単に生命が脅かされるほどの負担を感じます。それは神経系が、そのような警戒態勢にあるからです。
不眠症となることもあります。そうなるとリラックスできなくなり、悪夢を見る傾向があると尚更です。
不合理な行動にでることもあり、その人が特定の状況になぜ過剰反応するのか、外からはそれが説明できませんが、この場合トラウマが背景にあったりします。
ありがちなのは、この世に留まりたくない、生きていなくない、という感情です。その理由は、トラウマによって基本的な信頼や安心感が酷く損なわれているからで、魂はこの体に留まりたくないと感じていますが、特に下部のチャクラがトラウマの影響を受け、支障をきたすので、魂はそのエネルギーを下部のチャクラまで通せないのです。このような影響は、比較的よくあるケースとなります。
よくある傾向として次に述べられるのは、麻痺感覚、ある種の感情的な麻痺で、これはうつ病へ向かっていくことがあります。
第一部でお話したように、トラウマを受けた流れが主流から切り離されてしまった状態です。主流に流れている本来の感覚から切り離されると、こうした麻痺感が現れます。
あまりの痛みで、切り離されていた支流の水はしかし、主流へと少しずつ流れ込んできます。しかし、それを扱うにはまだ未熟だと感じてい���魂は潜在意識下へその水を押しやってしまいます。そうやって「一部の感情」に蓋をするようにしていると、その他の感情も蓋されてしまうので、全体が麻痺して感じられなくなってしまうのです。まさに多くの感情を抑圧し続けることで、「うつ病」に発展していくのです。
トラウマによる魂の分離の結果、日常に現れる更なる傾向は、自信の欠如です。これがどのように統合されていくのかというと、最初の兆候は、再度トラウマとなる出来事が繰り返されることで起こる圧迫感である反面、魂自体が「川の水」のように流れているため、トラウマで閉塞されると自然の流れではなくなっているところに圧力が生じます。こうして、魂の一部が作り出した感情や信念構造といったものを徐々に無視できなくなってくるのです。魂はこうやって、統合プロセスに協力するよう、意識に呼びかけてきます。
トラウマを思い出させる類似状況が繰り返されることで「もう沢山だ!」となり、その人は意識して「どうすれば良いのか、一体どういう仕組みになっているのか」など、考えるようになります。これは、実はそうした統合プロセスに取り組むよう、魂に促されているのです。「癒やされたい、克服したい、状況を変えたい」という願いが強くなり、統合プロセスに対して心を開くようになります。
この統合プロセスに意識的に取り組めるよう、魂は元のトラウマに似せたあらゆるトリガーを使います。人間関係だったり、似たような状況、場所だったり、または生活の中のあるシーンで何かに導かれるように特定の行動を取ろうとしても、あまりの閉塞感、不安や疑念が出てきて出来なかったりします。
その時、真っ先に反応するのは「身体」です。体には全ての記憶が振動周波数として保存されているので、トリガーがもたらす振動に反応します。
光の周波数を上昇させることによって、この統合プロセスを促進させます。
高い振動数の光が体に流れて込んであふれることで周波数は高まりますが、体の何処かに痛みが走ったりするのは、切り離されていた魂の部位に光が当たったときです。これによって統合プロセスがブーストされ、浄化が始まります。
これは、真っ暗闇で懐中電���を点けたときと似ていて、突然光が差し込むことで何かが見えてくることがあります。急に認識したり、記憶が蘇ったり、身体に痛みが走ったりします。閉塞されていた場所でエネルギーが詰まったような感じになるわけです。
こうして分離されていた魂の部位の癒やしとは、様々なレベルで起こります。感情面、精神面、身体面、そしてエネルギー面です。
つまり、辛かった感情や展開された信念などがチャクラを詰まらせ、エネルギーや情報が身体を健全に流れなくなるので、全体に統合されるには上述の其々のレベルで癒やしを必要とします。
感情面:
「感情」は癒やしへとガイドしてくれる最も重要な鍵となります。つまり、統合のプロセスではどのような感情であろうと、全て「ひと通り感じる」必要があります。「感じる」ということを通して、手放すことが可能になるからです。この「感じる」ということが解毒になり、主流に戻ることが出来るからです。しかし「感じる」だけでは不十分です。「何故そう感じているのか」を理解することが必要です。
傾向として、私たちはそこにある感情をジャッジしてしまい、否定し、拒否してしまいがちで���。そのように条件反射するよう、学習させられています。特に「その感情は自分に何を語りかけているのか」を理解することが大切です。ここで、感情が癒やしへのガイド役をするのです。
また、感情とは常に、私たちの欲求を表現してくれている、ということも大切な点です。
例えば、恐怖とパニックという感情は、安全への欲求が満たされていないことを示しているわけです。
ここで、「では安全ではないと思わせるのはどのような状況なのか」と問いかけ、その状況を避けてもいいですし、もしくはどうやって安心感をもたらして欠けている欲求を満たせば良いのかを考えることも出来ます。
精神面:
これは、経験によって構築してきた信念・信条と強く関わってきます。これを変容させるためにはまず、よく認識・自覚せねばなりません。思考が変わらなければ同じ信条を掲げ続けることになり、従って同じ感情を引き起こすので、破れない悪循環の中に閉じ込められることとなります。
あなたの信念・信条が結局、変化を阻止します。
例えば、「自分は罪深いのだ」「自分には価値がない」などと思っていれば、そこから身動きが取れません。だから、同じことばかり繰り返し体験してしまうのです。精神はあなたの内側を外側に向かって投影するので、あなたが被害者意識からそのように信じていれば、その通りのことをあなたは体験するのです。その意味で、精神面の癒やしも非常に重要な部分です。
被害者意識の仕組みは、自分に集中して自分を中心軸に持っていかず、「あなたのせい」と考えることです。これも癒やしのプロセスを妨げます。つまり、感情・思考というのは、自分が自分で展開したものなので、それらに対して自分で責任を担う、というのが非常に大事なポイントです。
身体・エネルギー面:
結局のところ、全てが「エネルギー」として総括できるので、この2つは纏めました。意識のエネルギー領域は質的に微細ですが、身体というのもエネルギーで、ただ質的にはより粗雑です。
このに種類のエネルギーは互いに依存しあっています。
また、感情と思考もエネルギーですが、これらは身体に「記録保存」されていて、魂の部位とつながり合っています。
トラウマに関する思い出と情報は、身体、エネルギーシステムの両方に記録されています。
身体とエネルギー体の動きは一致しているため、両者は依存しあっています。すると、エネルギーの不調和は、エネルギーシステム全体において、感情的にも思考的にも調和の取れた流れを阻止し、同時に身体のエネルギーシステムをも害します。
これは大抵、チャクラと経絡に障害をもたらし、エネルギーが上手く流れず、行き渡らない身体部分は痛みや強張り、もしくは病気で反応します。そうやって可視化することで、魂は「ここを見て!様子が可怪しいよ!」と語っています。
ヒーラーとしての私の経験では、トラウマを経験すると、大抵下部3つまでのチャクラに関わって来ます。これらのチャクラは、私たちの地上での存在の仕方に大きく関わってくるからです。これ対し、上部のチャクラは高次の存在、自分のハイヤーセルフ(魂)と繋がっています。
トラウマというのはある種の「ショック(衝撃)」であり、急激なものと長期に渡って刻まれるものがありますが、これらは下部のチャクラに淀むため、身体的にはその位置に���状が出ます。これは閉塞部分の鏡であり、エネルギー的・身体的に解毒し、健全な流れを取り戻すことで統合され、癒やされます。
分離された魂の統合プロセスは、下記の二つの領域に分けることが出来ます。
片方の領域では、魂が統合プロセスを制御し、監視するとともに、上述したように意図的にトリガーとなる状況を創り出して分離された魂を統合させようとします。
もう一方の領域は、私たちが内側へ働きかける部分です。つまり、統合プロセスは勝手に進むわけではなく…「私の魂が勝手にやっておいてくれる」というわけではありません。私たちは自覚をもって、いわゆる「シャドー・ワーク」をしなければなりません。この時、魂が担うのは繰り返し渡されるダウンロードを受け取ることです。魂によって、トリガーや、そこから気付きももたらされたりしますが、周波数が魂から肉体へと流し込まれ、それが支流へと分離されていた魂の部位へと染み渡っていきます。
これは、トラウマに関連するエネルギーを意識上に持ってくるためと、更に、思い出を徐々に解明して不調和の全てを浄化するためです。
私たちが取り組むべきシャドー・ワークは、これまで無意識下にあったこと、そしてそこにある「傷」に気づくことで、心を開いてその部分を直視します。自分の影の部分を認めるのです。これはなかなかの挑戦です。なぜならこれは感情的な痛みを伴うからで、思い出すのが辛いからです。
また、トラウマを思い出すと、「被害者意識」も自動的に戻って来てしまいます。
本人は自らをジャッジし、自らの感情や特定の行動の仕方を否定する傾向を、もうなんども繰り返し学習してきてしまっていて、こうしたジャッジや否認をし続けている間は、癒やされません。
ここで「中庸の精神」が大事になってきます。中庸をもって、自らの影を直視し、ジャッジしたりせずに、自分に問いかけるべきことは、「何故、こんな目にあったのか?どんな意味を成すのか?これは、私に何を見せようとしているのか?」などです。
ここで、「感情面」が鍵となってきます。感情の部分こそが、その裏にどのような思考があるのかも示しており、それが行動の選択にも繋がります。
これらを一つ一つ観察することが、あなたの内面での取り組みとなります。
とても大事なのは、あなたの「被害者としての姿勢」を自己認識することです。これはトラウマによって自動的に生じてしまったもの。
自分自身が被害者的な姿勢になっていることを認めるのは、かなりしんどいことです。繰り返し自分が「被害者」であるという感覚になったり、「攻撃された」とか「悪意を持って迫られた」と感じて続けているのです。
ここで重要なのは、「どこまでが現実で、どこからが自分の内的投影なのか」を区別することです。そして、そこでまた、自分をジャッジしないこと。だって、トラウマを体験したということは、誰かがあなたに何かをしたわけで、その時あなたは「被害者」だったのですから。
しかし、あなたがそこで癒やされること無くずっと引っかかっていると、分離された魂は統合されないのです。
あなたが被害者意識を手放して行けば、あなたは徐々に自分のパワー領域に戻ることが出来ます。
そもそも、トラウマを得るとともに、強烈な無力感が生じます。その時のあなたには、状況を操るパワーが無くなっていた、もしくはそれが起こるのを避けられなかった、どうにか出来るような手段も持っていなかったわけですから。これも「私には、起こってしまったことを受け止めるだけの力がない(自分は無力である)」という感情なのです。少なくともそれが起こった時点で��。ですから、これを消化していく必要があるのです。
そして、心にできた「傷」がそこにあります。これを癒やすには、あなたが自分自身に対して大きな愛情、信頼、共感を持つことが大事です。
わかりやすい例えだと、足を骨折し、骨が見えるほどで手術をしなけばならないとします。この手術が統合プロセスに値します。手術をして、全てを正しい位置へ戻し、つなげあわせるのです。しかし、治癒はまだ完全ではなく、術後にすぐにマラソンを走れるわけではありません。統合プロセスを経た後も、全快するまで暫くは、癒やしの期間が必要なのです。そして最後にもう痛みはなくなっても傷跡は残っています。その傷は、「ここを怪我して痛かったのだ」ということを思い出させるのです。
この統合プロセスは、玉ねぎを一枚ずつ剥がしていくような作業です。なぜかというと、上述した感情面、精神面、身体面、エネルギーといった4つの層の全てを、いっぺんに癒やすことは出来ないからです。
統合プロセスに取り組むときは、余裕がなくなりがちなので、全てを一挙にやるのは不可能です。特に統合プロセスの初期段階は最も過酷なときです。その時点では「これからどうなっていくのか」という感覚がまだ持てず、不安になります。
真ん中の核心に触れられるまで、時間を掛けます。その間、多くの感情を通り抜け、徐々に理解していきます。これまでの信念構造も解除されていき、全体の関連性を認識していきます。
もともと、トラウマは一瞬にして魂の分離を引き起こすことがありますが、「意識化と癒やしのプロセス」というのはこうして、段階を踏んで徐々に行われるのです。
共感することと忍耐をもつこと、にも言及しました。そして、このプロセスを信頼することも大事です。
統合プロセスの途中で、「もうこんなにも全て見つめ直したし、感情も繰り返したし」、そして「もう全部やったのに」と苛立っていると、次の層が見えてきて、改めてまた同じ感情を通り抜けることになるので、段々と焦りが出てきて、これまで頑張ってきたことが無意味に感じたりします。しかし、どんな小さなことでも、意識化していくことに意義があります。その努力が無駄になることはありません。ただ、多層になっているので、忍耐をもって徐々に進んでいくことで、どんどんと深いところにある分離された魂へと進む事が出来ます。
だから、「まだこれもあった、あれもあった、ここにもまだあった」となるのです。
トラウマを抱えて分離した魂の部位とは、非常に子供っぽい状態なのだと想像するといいでしょう。意識の成熟と、という点で幼いのです。幼い子供は、大人の大きな愛情と忍耐を必要としています。
ですから、この分離した魂の部位が感情をむき出しにしたときには、あなたの成熟した部分で「大人」として手を差し伸べて上げるつもりで、自分自身に優しく言い聞かせます。「うん、これとこれが起こったから、今癒やしましょうね」というように。これは分離された魂の部位にとって大きなサポートとなり、癒やしに貢献します。
癒やしがもたらされることを信頼し、統合プロセスに身を委ねようとするほど、癒やしは早く、楽にやってきます。
統合プロセスの最終目的は、「完全体に戻ること」です。
内なる統一、内なる調和を取り戻すこと。
自分の肉体の内に、エネルギー的に完全に戻ること。
そして自分の人生の中で、エネルギー的に完全に戻ること。
なぜなら、魂に分離された部位があって、身体の中で統合できていない間は、自分の願望も顕現させることが出来ないからです。
人生を自らの願望どおりに創造・顕現しようとする側面において、魂全体が癒やされて統合されていることは大変重要なことです。さもないと、あなたの創造性は阻止されてしまいます。
ですから、魂のエネルギーを身体全体に定着させることが、統合の目的なのです。
これは、創造主である���神」から、分離した私たちが、「ひとつ」に戻ろうとする、普遍の大きいプロセスと同じです。ここには身体は関わってきませんが、精神面の部分です。
また、この人生であなたに与えられた可能性を。フルで発揮するという目的もあります。分離された魂は「影」なだけではなく、光の部分もあるんです。ですから、統合がなされると、分離していた間にはみられなかった才能や性質が戻ってきて開花することもあります。そうした素質が「ある」ということは認識していたかもですが、実際にはロックされていたり、不安を感じるなどが理由で「活かす」ことが出来ていなかったはずです。
また、この統合されることになった「光」には賢智も含まれています。
なぜかというと、トラウマは「偶然」に起こるのではなく、その領域で特定の賢智を得るために、あなたの魂は契約としてその体験を「選んだ」からです。
こうして、統合プロセスのが進むと、また途中の段階でも、どれほどの悟りがそこにあり、宝が隠されていたのか、どれほど深いことがわかる自分になれたのか、ということに気付いていきます。
それは個人的な収穫かも知れませんが、もしかすると誰かに伝えていくことになるかも知れません。
だから、「このトラウマで、私は何を学んだのか」を自分に問い直して下さい。あなたは「人間の性」をより深く知ることになったり、もしくは「自分が何者なのか」「私たち(人類)とは何なのか」を悟ったことでしょう。
統合プロセスは、癒やしであり、完全に戻ることであり、魂と調和し直して、秘められた可能性を開くこと。魂の可能性には限界がないのです。つまり、統合プロセスが完成した時には、全ての扉は開いているのです。
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統合 〜 分離された魂のプロセス 【第一部:トラウマと隔離】
アンティエ・リンデンブラット
オリジナル動画:https://youtu.be/fCeme7amQV0 公開日:2023年1月23日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
序説:三部に分けて説明する予定、視聴者で質問のある方はコメント欄へ。 第四部で、寄せられた質問に応える予定。
最初に理解しておくべきことは、霊的エネルギー体は常に分離したその一部がひとつの肉体に転生して宿るもので、決して丸ごとひとつの肉体に収まっていることはない、ということです。
我々の魂は、今生この肉体に転生してくるとき、前もってトラウマ、ショックといった感情的に負担の掛かる状況を、ここに様々な理由があってオプションとして選んできています。特定の学びを期待して自らの魂の成長・発展を望んでいる場合、ときにはカルマの解消が目的だったり、もしくは何らかの課題をこなすためだったりします。課題というのは例えば、その魂の統合プロセスの中で何らかの負担となる状況を体験することで何かを学び、それをもって今度は同様(または似たような)プロセスを通る他人を助けられるようになる、というものだったりします。
その他のケースは、魂によっては非常に高い周波数の場所から降りてくることがあり、そういった場合はこの低い波動の肉体に定着するための『バランス』となるものが必要となるので、そのためにわざと重い荷物を抱えてやってきて、その肉体と、その地上の場所に碇を下ろそうとすることがあります。
どのケースであっても、それらのトラウマ的体験をすることを、魂は自ら選んできています。あまりにも苦しく、痛ましい感情を体験するため、人間的な視点からは実感がわかないことですが、全ての苦しみは自ら率先して選んだことであり、これらが偶発的に起きるということはありません。これをまず先に理解しておくことが重要です。
魂のエネルギーというものは、イメージとしては流れる川のようであり、幅広い長流です。そしていくつもの支流があります。理想的なのは、主流と支流が繋がり合っており、全ての流れが調和しながら混じり合っている状態です。
「トラウマ」という概念に含まれる範囲は幅広く、最も直接的な意味ではある時突然システム全体にショックを与えるような状況を経験することであったり、もしかするとそこまで突発的・劇的・衝撃的ではないにしても、例えば幼少期からの虐待など、長期に渡って根本的に安心感を損なうような経験もトラウマとなりえます。
このようにトラウマは非常に広範囲を占めますが、大まかなプロセスは常に同じです。
トラウマを経験する時というのは、大流の支流に突如として毒が流れ込み、汚染されるような状況です。調和が乱されるわけです。
全体の流れは、調和が乱れたことに即座に気づき、場合によってはその汚染から主流を守るために、支流からの流れをブロックしてトラウマにもたらされた毒物が流れ込まないようにすることがあります。体のシステムが調和の中で流動を継続できるように、支流は「隔離」されることには意義があります。しかしこれも、自ら計画していたことなのです。
隔離が行う目的は、そのトラウマが成立した時点で、全体の流れがそれを受け止めきれない場合があるからです。つまり支流に流れ込んだ毒を浄化しきれないのです。人の例で例えれば、感情に激烈な痛みが伴う体験は、その時点で消化しきれないことがあります。あまりにもショックが強すぎた場合や、もしくは幼少時代にありがちな、長期間に渡って定着したトラウマは、その時点では体験したことに説明を付けることが出来ず、心に整理がつかなかったりするため、つよい防衛欲求から隔離が起こります。
魂自身は、何が起こっているのかまったくもって認識しています。しかし人間的な部分は承知しているとは限りません。だから20年30年と経ってから、長い間、記憶上に全く残っていなかったトラウマ体験を突然思い出したりすることがあります。これらは、我々が内面的に成熟し、受け止めるだけの余裕が出来てきたときに自分の内に展開されることになり、そうやって統合プロセスが始まります。
この切り離された魂の部分は、そのトラウマの瞬間とともに生じた多くの感情と結び付いています。その切り離された部分は実際に切り離されているわけで、自分では説明できない孤独感が起きて、一人ぼっちだと感じます。ホームシックのような感覚になるかも知れません。
これら、全てが魂が部分化しているということを示唆しており、切り離された部分からの視点では、主流とはもう繋がっていないと言う感触を得ます。
物理的肉体は、まさにバイオコンピュータであり、今生の人生で起こったことのみならず、これまでの過去生の全てを記録保存しています。つまり、巨��なデータバンクなのです。従って、そこに引き寄せの法則が機能します。細胞に記録された情報が放射されることで、特定の事象を引き寄せます。外界で起きているように見えることは実は全て、自分の内部で潜在化していることから映し出されたものなのです。なぜなら、そうやってこのままではよくないのに、意識できていなかった部分を、意識上にもってこれるように手伝ってくれるわけです。
何らかのトラウマを体験すると、似たような状況を繰り返し引き寄せることがあるのは、あなた自身が「ほら、目をそらしていて気づいていないものがありますよ、ご覧なさい」「ちゃんと処理していない、癒やされていない感情から目をそらしていますよ」と呼びかけてきます。これをよく、トラウマの再来と言いいます。人生にとって元来のテーマと結び付いた傷が、繰り返し開くような体験をします。そして、繰り返されるごとにひどくなるかのような感覚になるのです。
それは非常に挑戦を迫られる状況であるとともに、その目的とはまさに「そこに注意を向けること」であり「トラウマ体験があると自覚するため」、あなたの中にある不調和を認識し、再び調和をもたらして癒やすことなのです。
そのため、引き金となる状況を何度も体験するわけですが、そうしたときには感情的に強烈な反応が起きて、突然なパニック状態に陥ったりします。しかし、いったい何が原因なのか皆目手がかりが見えないのです。
肉体が、ギターであるかのように想像してみて下さい。以前、弦がかき鳴らされてトラウマとなった状況と同じ感触が、今再び弦が弾かれたことで突然に起こったとします。それがどういうことなのか、特に今生以前の転生で起きたことである場合、頭では理解できないのですが、あなたの体は明らかに反応します。
この反応によって、その感触の記憶が蘇って来ます。そしてこれが「意識」されます。
この「トラウマの再来」ですが、この引き金となるものは、現状となんの関係もなさそうに見えたりしますが、これは「トラウマを体験することになった本来の課題」を���し出しています。
その課題が、例えばですが「強姦」だった場合、「トラウマの再来」は繰り返しセクハラに遭うという形で体験するかも知れません。課題が「裏切り」だったとすると、人間関係で何度も裏切られたりします。「身体的暴力・迫害」をトラウマとして体験する課題だった場合、「トラウマの再来」の中にはこれが繰り返し映し出されることがあります。
「何度も繰り返される」というところに「傷」が見えてきて、その「課題」を見出していくことになります。
また、「夢」もトラウマ体験を映し出すことがあります。夢は私たちの潜在意識を映し出すことがありますが、それは比較的マイルドな形で無意識だったものを意識上に浮かび上がらせてくれます。その一方で、夢は問題の処理プロセスを映し出してくれたりもします。
夢は基本、私たちの記憶の中にあるものを「処理している」状態であり、その意味で「私たちの中にあるものを思い出している」状態でもあります。鮮明な夢、もしくは強烈で存在感のある感情を伴う夢を見て、何時間も、もしくは一日中そのことで頭がいっぱいになることもありますが、これは「何かがこの夢を通して自分の中で処理されている最中」だということです。
次に「恐怖と抑圧」についてです。 (訳注:ドイツ語のVerdrängung は心理学用語では「抑圧」と訳されることが常ですが、抑圧というと何かを「押さえ込む」イメージではないかと思います。しかしVerdrängungというのは意味的には押さえ込むと言うより「押しやる」ということ。つまり自分という機能範囲スペースから無理矢理に追い出してしまう、無かったことにする、という感じ)
大流のイメージを思い起こすと、支流に隔離されていた「感情・イメージ・記憶」というのは常に、主流に浸透しようとしてきます。
木の根っ子か何かによって瀬切られていようと、その封鎖は完全ではないので、時にチョロチョロと流れ込んでくるのです。そうして私たちの意識に、たまに一滴とか、「感情・記憶フラッシュ」といった形で入り込んできます。
例えば、子供の頃に鬼ごっこをしていた時、追いかけられて突然パニック状態になったことがあります。ただの遊びだと分かっているのですが、感情は「追跡と迫害」を生々しく体験していました。かつて追跡され、迫害にあい、死の恐怖を味わった私の記憶が感情に現れたのでした。
問題は、こうした感情が再び沸き起こった時、更なる恐怖で反応してし、通常「抑圧(意識から押しやること)」が起こります。なるだけ速いこと、押しやって忘れてしまおうとします。まだ子供であったりして、どう処理して良いのかわからないときは尚更です。しかし、そういう「再来」は人生において繰り返しやってくるわけで、そのとき「総括された統合プロセス」を制御し、監視しているのが「魂」なのです。
私たちの意識が経験を通して成長し、汚れた支流を受け入れたとしても全体のシステムが不調和に陥って安定を欠いてしまうこと無く、調和を保っていけるほどの成熟度に至った時にようやく、魂は支流との「統合プロセス」に入ろうとします。
この統合プロセス全体は、波状に起こります。つまり、何かのきっかけによって現れたトラウマを、時に「抑圧」に走ることがあっても、ちゃんと向き合って徐々に「処理」するようになっていくことで、「統合」されていきます。これは段階的に起こります。
イメージとしては、これまで支流をくい止めてくれていた木の根っ子が、少しずつ緩んで水を通していく感じです。このプロセスにおいて、主流と支流の間を妨げていた木々は順に撤去されていくことになり、不調和が調和へと変化していきます。
このときあらゆるレベルでの浄化も起こります。それは肉体面でも起こります。生体がバイオコンピュータとして全ての記憶を保持しているということは、ある思考と繋がりのあった感情・イメージなどは、この統合プロセスにおいて、徐々に浄化されていきます。
最も大切な鍵は、この魂の部位の統合が「感じる」という面で起こることです。つまりトラウマと向き合うことで整理され、全体システム統合されることで「感覚・感情」といったものが浄化されていきます。
そして、この統合プロセスの間に、私たちは幾度も何かを「悟る」のです。これは「ゆっくりと何かを理解していく」というプロセスなのです。「何が起こったのか、それが起こったことで自分の中には何が生じたのか、どのような不調和がもたらされて弊害となったのか、どのような信念に導かれ、そのことでまた同じことを繰り返し体験することになったのか」など、これらが「プロセス」となります。
しかし、主要となる統合処理は、まさに「感じる」という部分です。「意識化する」ときには「感情」が伴い、自分の中にある「行動パターン」や「信念(思考パターン)」を発見していきます。
自らの「反応の仕方」を客観視することもあります。「なぜ、自分はこういう時、こんなに敏感になったり恐怖や怒りで反応してしまうのか」もしくは「無力感に苛まれるのか」、全く説明できないことがあります。そして「自分はずっと、そのような感情をどうにかしようと思ってきた、解決法を探していた」ことに気づきます。そうした解決法を探す中で、何かの依存症や中毒になってみる場面も体験したりします。一時の解決として恋愛を求めたり、特定の人物を必要として依存関係に陥ることもあります。
なんにせよ、不調和になったものを時間を掛けて再び調和へと戻すために、常に解決を求めている状態です。
この補正への試しみは、肉体面においては神経系の鎮静にも繋がっています。トラウマを体験しているということは、神経が常に警戒態勢だからで、これはこの統合プロセスの一部を成しています。
しかし、「自分はこんなことに執着していたんだ、これに中毒になっていた、依存していた」ということを自らきちんと認識できていれば、それは自分のトラウマに向き合っていくための大きな助けとなります。
苦しみによる内的圧迫感を緩和するために、外に助けを求める、というのも補整の手段となったりします。本人にはある「欲求」があったのに、トラウマによって邪魔されたとか、もしくは満たされないままだったりする場合は、そこに張り詰められた感覚は緩和されたり、癒やされたりすることが大事です。孤独、愛情の欠如、不安、親密さの欠如… このような「欠如」が原因のトラウマは「外からの補整」が与えられることが必要です。そんなとき、本人には「自分の中には何かぽっかり穴が空いていて、何をやろうと満たされない」という感覚があるものです。
これらの補整には保護してくれる要素がありますが、実はある程度までしか満たしてくれません。この補整が依存や中毒と言った方向へ流れてしまうと制御不能となり、「統合」という本来の目的から離れ、逆方向へいってしまいます。また、この時起こりやすいのは焦燥感が高まっていくことです。なぜなら「苦悩」も膨らんでいくからです。
補整を求めるがゆえに、人間関係に依存していくわけですが、実は本当に自分を癒やすものは「外側」には存在していないので、渇望感が増していくのです。
私たちは「足りないもの」を常に���側に探すように学んでしまっていますが、最終的には「自分」に戻ってくることになります。「答え・解決・癒やし」は私たちの内側にあり、その取っ掛かりは「意識化する(自覚を持つ)」というプロセスにあります。
それは自問することから始まります。 「一体なぜ、こうなのか」 「なぜ、自分には何度もこんなことが起きるのか」 「なぜ、こんな気持ちになるのか」 「なぜ、私はこんな反応をしてしまうのか」等等…
意識的に疑問に掲げたことには、魂から相応の返答が来るものです。
他人との関係や自分をとりまく世界とは、あなたのトラウマが上演される舞台です。そこにはトラウマに秘められたあなたの課題が映し出され、それは同時に解決と癒やしへの道標でもあるのです。
改めて申しますと、「外側の世界は、あなたの内側を映し出す鏡」です。
繰り返し自分が直面し、何らかの感情を呼び起こす状況・人物・場所などがあるとき、そこにはどんな本質的な「課題」があるのかをよく見つめていくことです。
「因縁(カルマによる関連・関係)」というのも外側の舞台上に映し出されますが、それは過去生で生じたトラウマを気付かせるものです。その因縁が映し出すものの中に、本来の「トラウマ」が示されています。カルマによる対人関係は、過去生で体験したトラウマ、もしくはその一部と関係してきます。
「鏡」であるのは、才能や能力ということもよくあります。または素質や傾向といったこともあり、例えば常にビクビクと恐怖心があったりします。私もそうでしたが、私のところに相談にくる顧客の方たちにも、恐怖心から何かと身動きが取れなくなっているという傾向は、全員でなくとも多く見られます。そこには過去に起こった何らかのトラウマが関係しているのです。
このようにトラウマ体験というのは、人生における全ての分野に反映される可能性があり、ここで「意識」というものを発展させることが私たちの道なのです。つまり、時間を掛けてその部分をしっかり見つめ「人生のどの部分がバランスを欠いたのか」「人生のどの部分が、どのような課題を自分に映し出しているのか」を認識することで、隔離されていた支流を主流に統合していきます。
こうした「魂の各部位」が互いに交わす言語が「感情」なのです。これは「助けを求める叫び」として感じ取るものでもあります。
孤独感や、切り離された感覚、大きな憤り、深い悲しみ、痛み、恐怖とパニック。 何かが起こった時や決断を迫られた時など、こうした感情が強烈に沸き起こり、しかもそこには色んな「思考(想い)」が絡んできて、頭から離れないということがあります。「そんなのだめ」「それをやったらこうなるかも知れない」…これらは魂の部位が自らの存在に注目を呼びかけ、以前と同じことを体験しないようにと助けを求めている叫びなのです。
私たちが外界を「自らの内面の映し鏡」であると認識し、よりはっきりと自覚を持つようになればなるのど、そのトラウマ体験の「課題」が何であったのか、どの感情・信念・記憶がそれと関連しているのかが明らかになってきます。
今回の第一部では、トラウマ���どうやって引き起こされるのか、トラウマとして体験されるものの範囲、魂の部位がなぜ支流として隔離されるのか、それでも知覚されることがあるのか、そして最終的に癒やされ統合されること等々、全体の流れを展望する形でざっくりとお話しました。第二部では、統合プロセスにおいて魂の部位がどのように一体化していくのか、詳しく述べていきます。
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夏至の門(ポータル)6月21日 境界を超える変容と活性化/新地球への種まき
アンティエ・リンデンブラット
元動画:https://youtu.be/CQRq2cd_LaU
メモ書き
前半
音声配信:https://t.me/alaephoenicis/13883
6月21日の夏至について
去年の冬至には、新しい地球に足を踏み入れた。
最初の一歩。
奥底の浄化と解放、手放し、エネルギー上昇、覚醒を経験。
偽りの自分に終わりを告げ、真の自分を展開。
この夏至にはポータルが開き、第二歩を踏み出す。
第二段階。前回より大きい一歩。
この半年は非常に濃くて、また飛ぶように過ぎ去った。
6月に、ポータルが開くと、さらに加速。次の段階が示され、前回よりも大きい飛躍をすることに。
このポータルで、新地球の周波数に更に定着することに。
それは、本当に全く新しい、今まである意味妨げられていて、ありえなかった物理化(顕現化)が可能に。
顕現されるものは、自分の周波数と一致したもの。
次の一歩で、周波数の面で、こうした一致を多く体験する。
全体的に、このポータルは限界を爆破し、大きな変化をもたらすもの。
ものすごいエネルギーで、多くのことが拡張される。
つまり、拡張とともに、古い限界を超えていき、留どまることをしらない。それは非常にパワフルに起こる。
これに付随して、多くの様々な場面で、ものすごい成長、変化・変容・変換が起こる。
意図したことは、具体的に実現されていく。
クリエイティブなアイデア、創造能力が走り出す。
このポータルが開かれることで、全く新しい可能性が領域に現れていく。
今回の動画の構成:
− 個人レベルで起こること
− 集団レベルで起こること
− ポータルがもたらすエネルギー的変化
− 個人に関わる部分
インナーチャイルドが全体的に変化・変容。
インナーチャイルドは神的な子供と、表裏一体。
どんな変容かというと、インナーチャイルドには、最も強烈だった心理ブロック、パターン、制約、外傷(心の傷)などがある。
これらの多くが癒やされていき、特に感情面で解放される。
インナーチャイルドは、私達の感情面を担ってくれていた存在。
同時に、持って生まれた才能が発揮されていき、
内なる創造能力が目覚め、強力になっていき、
生きることが軽やかに感じられてくる。
自由な思いつきや、喜び、遊び心…とっても自由で、個性的な自己表現が、顕現されていく。
個人的な自己表現とは、神の在り方というのが、個々を通して非常に独特な形で表現されていくこと。
これが活発になる。
次に、時間という観念が更に溶かされていく。
私達が共有している時間という観念は、そもそも幼い頃に学習したもの。
幼い子達は、時間のない世界を過ごしている。時間なんかどうでもいい。月曜だろうと日曜だろうと、時間帯もお構いなし。
幼児は、内なる自然のリズムに強くまだ、結びついている。
これは「今、ここ」という瞬間からでてくるリズム。
ある瞬間に着地して、そこでの対処の仕方を知る、という感じ。
私たちもどんどんそっちへ向かっている。
子供はこれをやってのけている。
「その瞬間ごと」に存在することが出切れば、その場その場からより多くのことを感じ取るようになり、昨日とか明日に縛られない。
つまり、始終頭で「どうだったか」「どう成るのか」とか、それで起こってくる感情や注意をひかれることはなんなのか、などと考えなくなり、自己の魂、ハイヤーセルフが移り変わりの流れの中で顕現されていく、創造されていくようになる。
このポータルは、稲妻や落雷の音のような感じで“突然の”強い活性化、動きが促される。何かが突然、開く感じ。
このポータルは、あるエネルギーのレベルを活性化し、それが次の冬至まで続く。
そして、このことで、私達は内面では、繰り返し着火の衝撃を感じて、それは様々な生活分野と関係してくる。
それで、これまでは滞りがちだった冒険意識は強くなり、なにかに感動しやすくなる。
そういったものが、私達の内側で強く目覚めてくる。
このことで、具現化が更に速くなっていく。
すでに、もう意図したことの具現化が速くなっていることを感じて、「自分は何を考えるのか、何を目指すのか」に注意を払っている人もいるはず。
このポータルが開くと、そのレベルが更に上がって、更に速くなる。
しかし、それはつまり、自分のハイヤーセルフとの一致度がもっと強くなる、ということ。
つまり、もっと「真の自分」になるということ。
活性化は、細胞のレベルでも起こる。即ち、身体は具体的に変化していく。
周波数のごとく、もっと軽く、もっと密度が薄く、なっていく。
覚醒は進み、自覚して物事を受け取っていく。
私達の成長は、倍々に増していく感じだと、霊界から示。
次の6ヶ月で成長レベルをいくつも超えていく。これは目を見張るほど。
さらに活性化されるのは、私達の「内なる神的な子供」。
イエス・キリストもかつて「みんな、子供のようになりなさい」と言った。
何故なら、私達の創造能力はそこに秘められている。そこに、真の自分がいて、それが神と繋がっている。
この「神的な子供」の部分が活性化されることで、私たちは「無垢・無邪気な自分」をもっと自覚するようになる。それと共に、創造能力をも自覚するように。
みんな、自分に創造能力がある、具現化出来る、ということは知っているが、この自覚がもっと「人間である」という意識につながっていく。
…つまり、具体的な経験をするようになる。「おや、自分には本当に具現化能力があるんだ」というふうに。
これは「能力」。何でも具現化出来る。
自分の人生、自分自身、自分が生きている世界。
この夏至ポータルで上位の感覚を得ることになるので、いわゆる視点も上から見下ろせるようになる。
つまり、鳥瞰・俯瞰ができるようになる。これが自然なことになっていく。
これまでは、俯瞰視点を得るのにはちょっと気合が必要だったかも。
しかし、それかどんどん自然なことになっていく。
一方では身体的に体験を自覚しながら、もう一方で同時に上からそれを眺めるような感じ。
これがつまり、多次元的な自分の魂のそれぞれの部位に、繋がる感触。
自分を多次元的なものとして感じる、ということは、高い次元の自分、その他の次元の自分…すべてを「自分の戻れる場所」と認識する。
どの次元の自分に戻るのか、自分で決められる。
それによって、視点が変わる。つまり、物事の受け取り方が変わる。
どの次元の自分に戻るかで、何を強く感じて、何を強く感じないのか、が変わる。
そうして、私たちは世界を眺める視点が変わっていく。
更に、私たちは、高次の観点のための器になっていく。
(注:神人さんの降ろしてる艮の金神様が、神の周波数を入れるための器になりなさい、と繰り返していました。神を自分に憑依させる感じ?)
この、神的な観念は「人類すべてにとっての幸福とは?」というもの。
そして、この視点が新地球を作っていく。
新地球にあるもの全ての存在にとっての最善とは、と考えるようになる。
そうして、新しいレベルの覚醒度、自覚が生まれる。
自分の中にある新しい深淵(深み)を知り、全体を包む特定の「理」というか「法則」を感じるようになる。���万宇の法則)
また、これもエキサイティングなのは
予知予測、内面的な確信、といった感触も増してくること。
そして、これも私達には自然なことと感じられるようになる。
これまでは、こういう感触は例外的に起こった。突然、内なる直感や予知能力が湧いたりした。
多次元を網羅している、つまり高次の自分自身の魂(ハイヤーセルフ)と、自分の意識の一致度が上がると、こういう予知能力は当然になってきて、それを体現するようになる。
こうしたプロセスの全てと繋がってくるのは、自己責任への意識が更に深まる、自分自身の創造能力への責任を取る、ということ。
こうした自己責任を負う、ということは、同時に自分自身の支配能力(オーソリティ)を受け入れる、ということ。
ここで、関係してくるのが、「支配力、権力、オーソリティ」を恐れる、という古くからのトラウマ。
これは、次の6ヶ月で深いところから変化していく。
これはとても大事なこと。
誰かに支配され続けてきたために、根付いたこのトラウマは、とても深いところに根ざしているため、私達の心理ブロックになりがち。
すると、自身の創造能力を自覚する歯止めになってしまう。自分で自分の能力を受け入れられないので、使えない。
私達が、自己責任をしっかり担っていくほど、自分自身の支配力をちゃんと受け入れていくほど、自信が出てくる。
自分自身の支配能力に恐れを感じてしまうなら、自分自身を信頼できなくなる。
霊界から「この自分の支配力に対する恐れは取り去っていかねばならない、人類は自信を取り戻すべき」といっています。
明確にしなければいけないのは、『人類はこれまでの間違ったアイデンティティから離れるべき』だということ。
長い間、「自分とはどういう存在なのか」を私たちは勘違いさせられてきたので、そんな自分を信頼できなかったのは当たり前。
でも、私たちは今は本来の自分を展開しようとしていて、自覚を高め、本来の自分に辿り着こうとしている。この、本来の自分は信頼してもいいのです。
しかも、内なる確信というか、予知予測も出来るようになり、それが自分の内的なガイドになります。
とにかく、次の6ヶ月はとてもスリリングで濃い体験をする時期となるでしょう。
個人的なレベルでは、このポータルのエネルギーとそれが引き連れてくる展開は、私達にとって非常に斬新的な存在感と自覚・知覚を呼び起こし、「私は一体誰なのか」を感じるようになる。
つまり、自分が自分の現実をつくっでいる、という感触がこれまで以上に強くなる。そうしたパワーが自分の中にあることを感じるようになる。
これを、意図的に駆使できるなら、この世にとても良い作用を及ぼせる。良い意味で非常に驚くべき体験となる。
このポータルは限界を爆破する。
多くレベルで、沢山の限界を粉砕します。それが信じがたい解放、自由へと繋がっていきます。それは個人レベルの全く新しい形での開花となる。
同時に、個人の感情面でも深いところが解放される。
後半:
音声配信:https://t.me/alaephoenicis/13885
− 集団レベルで起こること
文字通り、そして象徴的にも、嵐のようになります。
数ヶ月前・殆ど一年以上前から見せられている、川の氾濫、嵐や洪水、これらが更に増加します。
このアセンションを体験するなか、人類のみならず、地球も古いものを脱ぎ捨て、浄化し、展開していっている、ということを忘れてはならない。
特に水というエレメントをもって、自分を浄めながら、これまでの���界を破って拡張していっている。地球はずっと毒されてきたのもある。
つまり、地球も人類と同じプロセスを踏んで、進みながら覚醒していっており、自覚を深め、自己の周波数を上げてきている。
集団としての人類は、檻にとらわれていた感情から解き放たれる。
感情、というのも水のエレメントと繋がっている。特に不安、罪悪感、恨み、といったものは、集団的レベルで浄化されていくので、そのために天候が荒れて、嵐が起こったりする。
集団レベルでの意識変化・変容は、「人類全体にとっての幸福を目指す」という方向であり、「自分だけ」というところから離れていく。つまり「全世界・全員にとって何が最善か」というもの、これがこの意識変化・変容の目標となる。
そのために、人類にとっては新しい視点をもつことが必須となる。
その際、「虚偽(不真実)」の暴露は非常に大きな役割を担っていく。
こうした暴露も、次の数カ月で増していく。
霊界からこの「不真実(Unwahrheiten)」が示された時、この「不(Un-)」の部分がUNと大文字だった。
これはUN、国連を示していて、国連の虚偽が露呈していくはず。
私たちは、あまりうれしくない意味で驚かされていく。
メディア関係では、情報操作に関してあらゆるレベルで大暴露が起こっていくが、これは人類が視点を改めていくためには必須事項。
また、それは私たちが人類として、自分たちの行いとその結果、そして次の世代に対して、責任を負っていくことでもある。
これが次の数カ月で大きな大きなテーマになっていく。
霊界からは「責任を担え!という声が世間でどんどん大きくなっていく」と言ってきている。
特に、若い世代のために、責任を担うべき。
支配ゲームはしかし、今の状態で更に続いていくが、これも私たち自身の映し鏡と受け取ることが出来る。
細部に渡って、「これは何を映し出しているのか」を見せてくれる。
何よりも、繰り返し突きつけられているテーマは「自分で自分に対する支配権力を握らないなら、別の誰かがその権利を握られてしまう」というもの。
(言いなりになっている間は何も変わらない、ということ。新しい指導者が現れれば、救ってもらえる、というのも違う)
それが今現在、外の世界から見せられていることで、ここで私たちは「人類に対する責任」を問われている。「利他的な意図を持たずに、権力を握ろうとするものを退陣させる」必要性が迫られている。
これは異なったレベル、異なった形態で顕れていく。
ここには、進化(Evolution)、そして革命(Revolution)が繋がっていく。
革命とは、平和的であることも可能、しかし必ずしもそのような経過にはならない。
とにかく、人類にとって中心となる課題は「自己統制権力」を奪い返し、自己責任を担うようになること。
それは、自覚をもって自分の選択をすることで、人類全体を代弁して真に求めているのは何なのか、という自分の意見を述べること。
それは選挙のことでもある。自国だけではなく、世界的な規模で、関わっていく姿勢が大事。
利他的な意図を持たず、権力濫用を繰り返す者を再度選ぶのか、それとも何か別のものを選ぶのか。
(ALAE:つまり、今の選挙・政治システムそのものを疑問視する必要がある)。
集団としての人類の目前に迫っている変���の最も大きな媒体は、人類が集団として求めている平和と自由、、これらが原動力となる。人々は「意義のある、充たされた人生」を求めており、これは全体としての社会に貢献できるという願望。これは私たち人類の神的な存在の中にある欲求で、そのための才能というのが私たちには当然のものとして与えられている。
誰もが、何らかの形で人類全体の為を意図した貢献をしていける。
人々が、自分という個人を全体の一部、とみなすようになっていくことも、非常にエキサイティングな変化。この観念はもっと深まっていく。
この展開は、2・3年前から強まってきて、更に加速していく。
自分に直結した範囲ではなく、「全人類」へと視野が広がっていく。
私たちの存在は、集団意識の中にある。
既に、私たちが人類としてひとつであること、ワンネスの意識は自覚されてきている。
それは頭で考える論理的なものではなく、実際に心がそう感じてきており、更に拡張し続けている。
霊界が見せてくれているのは、善玉ウィルスがどんどん感染していっている感じ(笑)。感染者はスイッチが入って覚醒し、あらゆる分野で気付いていく。
「なるほど、私の行為はこのようなプロセスでこういう結果に繋がっていくのか。それでは、自分が本当にやりたいこと、やるべきことは何なのか。自分が“これでいい”と思うだけで十分なのか、それとも多くの人たちへの影響を考えるべきか」と振り返るようになる。
ここで、本当の意味での革命が起きる。
私たちは今の時期、まさに、この地点に居る。
新しい種を、自覚して新しい地球に撒くことで、物理社会への顕現を図ることになる。
物理世界での具現化をするには、まずは周波数レベルにその種のエネルギー質(またはそれと関連したエネルギー質)を領域に投げ込むことが先。
新地球で新世界を顕現させるために、この種まきの時期がこれから始まる。
ここで、人々は「では、自分がゆくゆく見たいもの、収穫したいものは何なのだろう」と自問するようになる。
この夏至に開くポータルによって、個々の意識の中に撒かれる種、集団意識の中に撒かれる種がある。
その意味で、誰にとっても、これは大きなテーマとなる。
非常にクリエイティブな時期となり、具体案が必要になっていく。
また、芸術面でも新たなアイデアや、新たなコードが集団意識に投入される、と霊界は言ってきている。
これは非常に興味深いこと。
何故なら、チャネラーの言葉や書かれた本などの内容を受け取る側は、実は理性で理解しているわけではなく、行間が伝ていることを受け取っている。
芸術があたえるものも、そう。
絵画など、そこに投入されるコード(暗号)を人々が受け取るようになる。
これは、新地球において、可能となるらしく、とてもエキサイティングなこと。
とにかく、全体的に、とても大きなスペクトルの変化が予想される。非常にポジティブで高尚な形での展開があるが、同時に闇に埋もれてきたことが明るみに出てきて、不快にさせられたりする。
集団の中で、闇に葬られてきたことを見せられるのと同時に、個人レベルでも自分自身の中にあった「闇」にも向き合っていくことになる。
集団・個人、両方のレベルで、ものごとにひとつずつ光をあてて、自覚していくことで、癒やしていくことになる。
闇は、全て暴いていくことに。
それは時に、驚きと���安を齎すでしょう。
しかし、「それはずっとそこにあった」わけで、今は単に「見えるようになった」だけのこと。そこを癒やしていくためには、それが見えていることが前提。
そうやって、集団としての人類は、次の選択が出来るようになる。
全てを無視して、これまで通りやり続けたいのか?
それとも、今何かを変えたいのか。それが出来る、非常にパワフルなときが今。
おまけ
アンティエ・リンデンブラット
動画:新月 6月18日
決意を持って夢を追いかけよう
https://youtu.be/Twz-JBkd_sQ
新月について。
夏至の準備のような作用を起こす。
この新月は、新たな空間を開く。
それと関連した新しいエネルギーレベルがあり、これが夏至のポータルと繋がっている。
これは霊的な空間。
これはふたご座の新月なので、風のエレメントと関係して、思考が明確になることを示す。
これまであった霧がはれていく感じ。
これまではっきりしていなかったことが、明確になっていく。
この明確さは、内面的なガイドにも関係してくる。
これは、人生におけるテーマも、異なった視点から眺められるという能力をもたらす。
また、覚悟と秩序(ルール、規律、訓育)、といったものにも関係してくる。
人生を変えようと思うと、そのためのエネルギーが必要で、この新月がそれを与えてくれる。
何かを顕現するには、そのための動力とエネルギーが必要。
自分の中で、何をどう変えたいのか、その覚悟をして、それを実行するエネルギー。そしてそれを貫き通す規律も必要。途中で弱くなってしまわないように。
新月がこのエネルギーを流してくれる。エネルギーはそこにあるので、あなたは自分を開いてそれを受け取ればいい。
新たな明確さが考え方や心構えに顕れてくるので、自分がこうしようと意図したものに、そのエネルギーを使う。
これが、夏至のポータルが開くという次の段階にも必要なステップ。
インナーチャイルドの願望に従うこと。
これこそが、私たちの創造力の源となる。
これに、エネルギーが渡される。
しかしこの願望を実行させるために、大人としての覚悟とルールが必要となる。
道を違うことなく、自分の内なる直感に従っていけるよう、新月が進めるようにしてくれる。
こうして、新月は私たちのインナーチャイルドに光を当て、
私たちはこの神的な子供である自分という波に乗る。
また、古い恐れを解消してくれる。
この恐れは、あなた自身の自己表現・創造能力、もって生まれた才能に絡んでくるもの。これらはインナーチャイルドがになっている部分。
(これを出したことで、叱られたり、否定されたことがある?)
こうした部分にまつわる、恐れや不安が、解消される。
ここで、「では自分はどうやって自分の内面と交信するのか」というテーマが浮上。
いわゆるセルフトーク、というやつ。
「自分のインナーチャイルドを批判非難するのか?」
「それとも、自分のインナーチャイルドを励ますのか?」
この間には、薄い膜がある。区別が難しい。
しかし、感じ取ることが出来る。
そして「あるがままでいい」とインナーチャイルドに語りかける。
これは、新たな明確さを自分の中に齎すためにのテーマとして出てくる。
そのことで、方向性を定めることに。
これはここ暫く、ずっと言ってきたことです。
この新月は、その点で、古くから絡まってきたものを解いてくれる力もあり、ものごとが簡単になる。
なぜなら、バランスを取る、調和を図る力も、この新月が���たらしてくれるから。
心と理性、感情と理性、と云うふうに、私たちの中にはよく葛藤が起こるもの。
この新月は、その葛藤に一致性をもたらしてくれる。
私たちの中にある、異なった側面をひとまとめにしてくれる。
今、スピリットの世界(霊界)が、見せてくれたのはタロットに出てくる戦車のカード。二頭の馬が戦車を引いていて(注:実際は馬ではなくてスフィンクスのような白と黒の動物)、この二頭が「心なのか理性なのか」と同じ方向に走ってくれないと、何処にもたどり着かない。
そうなると、自分自身は立ち往生する。
そこで、この新月はこの二頭をまとめてくれる感じ。すると前に進める。
また、新月は、夏至のポータルと共にやって来るもの・顕現されるへ向けて、内面の強さ、そしてそのための装備も与えてくれる。
必要に応じた「不安がない状態、恐れのない状態」をもたらしてくれて、自分の内なる声・内なる真実の声に従えるようにしてくれる。
これが、この後の数カ月に非常に重要になっていく。
それは、イメージとして目的がはっきりしていないといけない、ということではない。情緒的なものかも知れない。
人間的な理屈では自覚できなくても、一歩ずつ直感に従っていれば、何が一致しているのか、何が自分の道なのか感じるはず。
具体性は強かったり弱かったりするが、大事なのは自分の内なる感触と一致して前へ進めているのだ、と「感じる」こと。
その意味で、緊張感のある新月を迎えることに。
その3日後に夏至がくる。
新月はその直前に、夏至以降に撒く種に、養土を与えてくれる感じ。
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ナスとソーセージのパスタ定食w
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ソーセージとピーマンのスパゲティ
#pasta#spaghetti#wiener sausage#sausage#green pepper#pimento#生パスタ#生麺#ピーマン#生スパゲティ#スパゲティ#パスタ#ソーセージ#アンティエ#ニューオークボ
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✨2020/06/29の息子弁当✨ ・ ・ おはようございます٩(*´꒳`*)۶ ・ ・ まだ梅雨の筈なのに 今朝は爽やかでいいお天気ですね〜☀️.° 晴れるだけで、とっても嬉しいっ!❀.(*´▽`*)❀. お日様パワーを吸収…笑 ・ ・ ・ □ハム入り玉子焼き←切ってみると空洞が(;゚ロ゚)���中出来なかったらこれだよ 笑 □ササミの揚げ物 □人参しりしり/トマト/ブロッコリー □ウィンナー←久しぶりに見つけたよ発色剤を使ってないウィンナー☆ □雑穀米/すっぱーい小梅 ・ ・ ・ 今日も暑くなりそうだけど、まだまだ序の口。 ・ ・ バテない様に気を付けようー! ・ ・ #お弁当 #手作り弁当⠀ #息子のお弁当 #梅雨⠀ #今日のお弁当 #おべんとう記録 #お弁当365 #べんとう記録 ⠀ #発色剤不使用ウインナー #アンティエ #玉子焼き⠀ #玉子焼きアレンジ⠀#ハム入り玉子焼き #ササミの揚げ物 #人参しりしり #お料理苦手だけど頑張る部 #お弁当作り楽しもう部 ⠀ #どるふぃんの気ままに食べ歩き #いただきます #ごちそうさまでした ⠀ #ありがとう #コロナと共存 https://www.instagram.com/p/CB_1RRkA2mE/?igshid=edjnxejr1wu7
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2023年、私たちを待ち受けているものとは? 刺激的で濃密な1年 アンティエ・リンデンブラット
オリジナル動画🔗:https://youtu.be/z8mF4yWjJmY 【和訳:ALAE PHOENICIS】 https://t.me/alaephoenicis
1. 時間がますます崩壊していく
2023年は、今年よりも時間が速く過ぎると感じるでしょう。私は今年でもすごい速く過ぎたと思っていますが、来年は更に加速します。2023年の年末になるときには、「うわ〜❗今年は何処へ行ってしまったんだ❔」と思うでしょう。あまりにも多くのことがあるからですが、それは後の項目で述べます。
この時間の加速は振動周波数が高くなることと関係しています。それは常に波を描いてやってくるのですが、次々とやって来るその速度が加速され、波と波の間も狭まっていきます。
そして「時間が線上に流れている」という感覚も、私たちの中で消滅していきます。これは、今年2022年に既に始まっていた傾向ですが、2023年にはもっと強くなります。それは私たちがますます「創造主」の意識に近づいているからで、なにより「多次元性」に覚醒めてきていて、線上に流れる時間というのが全く存在していない次元と繋がり出しているからです。つまり、「時間が線上に流れる次元」というのを私たちはまだ日常必要としているのですが、それが消滅し始めている今、同時にそうではない「時がない次元」と並行して体験し始めるということです。時のない次元では、常に「今」しか存在していません。
そのような方向感覚を失ったような感覚には慣れていないのは、今の状況では当然のことです。
起こっている状況を信頼することが大事で、ゆっくりとその感覚へと入っていきます。
2. 自分自身への違和感
このことは12月の動画でも一部扱いました。
人間というのは習慣の動物ですが、更に覚醒が進んでいくと、我々はそのエゴというある種のアイデンティティの中で消滅していき、創造主自身のような多次元的意識に覚醒めていきます。それと共に、不安・怯えといった感情が無くなっていったり、もしくは何かに対する行動の姿勢や、ものの見方が変化し、これまで現実だと認識していた・信じていた世界観が変わっていきます。
これまでの世界観は、自分に枠組みと安定を与えてくれていたし、ある程度は予測可能な世界でした。しかし、これが消え去ると、とりあえず私たちは不安を感じると共に、自分自身への違和感も出てきます。
実際にはここで、更に上層における秩序が再構築されると我々の視点も変化するので、物事をもっと高いところから眺めることが出来るようになっていきます。全てにはそれなりの秩序があり、これまで思っていたのとは全像が違っていたことが分かってきます。
「こんな自分は知らない」という感覚がまたもや起こってくるのは、これまで自分で思っていた「自分」は、隅々に渡って「実は自分ではなかった」ことが明らかになってくるからです。
それが、「エゴ・アイデンティティの崩壊」と関わってきます。
そしてそれこそ、この次元上昇プロセスが、突然に起こるわけではない、という理由の一つです。
数年前はまだ多くの人が「なるほど、ある朝起きたら5Dになっている訳ね」と信じていました。もしそうであるなら、私たちは完全に圧倒され、どうすれば良いのかわからなくなリ、混乱してしまうでしょう。そんなことをしても、誰のためにもなりません。
これは、2023年になると本格的にスピードアップしていくプロセスとなります。
3. 多方面において濃厚な1年
周波数とエネルギーの上昇について既に触れましたが、特に年の後半になると急激に増大します。それはこれまで本当に知られることのなかった人類全体の覚醒に影響を及ぼします。
次々と波がやって来る、間隔が短くなっていく、と言いましたが、その合間に私たちの心身が新しくやって来るエネルギーと融合していく時間もどんどん短くなっていきます。
私たちは非常に濃厚な感覚に挑まれるでしょう。
年の前半は、集中的浄化の時。個人と集団のレベル、また地球にも強烈な浄化が見られるでしょう。特に地球の浄化は地水火風すべての元素レベルで起こり、”彼女”のからだはより高い周波数へと持ち上げられます。
これと繋がっているのが、古い秩序、古い構造で、これらは崩壊します。年の前半に強くこれが見えてきます。
そして私たちは「革命、激変、ストライキ、暴動」...といったものを目にしますが、残念なことにこれらは常に平和的には済まされないでしょう。
反面、急速な発見、改変などがあり、これらは特に医科学・健康分野において起こる、とスピリットの世界が伝えてきています。つまり、これらの分野でも、とてもポジティブな「革命」が起きるようです。
物事は急速に流れていき、「顕現」ということも急速になります。そうなると、自分が何を欲しているのかという方向性を定めることと、自分の「想い・思考」を表現する能力が、尚更重要となってきます。
なぜなら、「思考」が「顕現」されるまでの間隔が、今もうすごく短くなってきているからです。これは重要です。
2023年は、全体に活発だといえます。活発で、大きく動かされる感覚になるでしょう。私たちは沢山のことを動かせるし、沢山のことを昇華させることが出来ます。
多くの人が「今年こそ前進したい、新しいことを始めたい」と思っていたのに、何かと弊害が���って出来なかったことを、私は知ってます。これは2023年には間違い無く取り払われます。ものごとは大きく流れ、動き出します。
4. 地球の新しい周波数領域へ突入する私たち
私たちはこれから、新しい周波数領域へと足を踏み入れることになりますが、それを通す門となるのが今年の冬至です。つまり、私たちはこの門を通して新しい周波数に触れることになり、そうやって私たちはより高い周波数へと持ち上げられます。
ちょうど今、スピリットの世界から示されたのは「人類にとってこれまで体験したことのないもの」です。非常にスリリングです。
この新しい周波数、「波動」によって、私たちはより強く「創造主」の意識へと目覚め、「新地球に物理的場所」を創造・顕現してい来ます。
去年の時点から気づかれた方も多かったでしょうが、「自然の輝き」が変化していました。光のあふれる度合いが高まっていました。2023年はそのクリスタル的エネルギーは、より一層自然の中に見られ、感じられるようになります。私rたちに知覚可能なレベルへと、全てが生き生きと鮮明になり、エネルギーに満ちていきます。
5. コミュニティ
世界は突然に変わるのではなく、プロセスを経ていきますが、コミュニティの構築もそうです。生活共同体として形作られることもあれば、複数の人達と協力し合う何かであったりします。数年前からこの傾向は強まっていますが、2023年から走り出す...地面からキノコが出てくるような感じになります。
これらのコミュニティの中心に置かれるのはハート。ハートのクウォリティ、そしてハートの価値です。これは「新しいもの」であって、2023年には更に強く開花していきます。ということはつまり、心が通い合うもの同士、ソウルメイト同士が互いを見つけ合うようになります。もしかすると、既に出会っていて、2023年から協力しあって世界へ向けた新しいコミュニティを構築し、リードと責任を負うポジションや役割を担っていくのかも知れません。
新しい構造と秩序は、新しい地球の周波数がエネルギーとして利用され、物理的に顕現していきます。
ここで重要になってくるのは、私たちの「思考・意図の句案(言葉による表現)」が、人類全般の幸せに貢献するものであることで、この「思考・意図」にこもるパワーを駆使するようになります。
これも、非常にスリリングなテーマです。
6. 透視感覚や 特殊能力の強烈な覚醒
透視能力、これはいわゆる神通力のようなもので、視覚だけでなく、聴覚であったり、何かを感じるとか既知感だとか、これに関連した全く個人的な才能・能力が、2023年には強く拡張されていきます。
このような感覚が初めて生じる人もいれば、元からあった感覚が増強されます。こうして「自分が創造者である」という自覚が強まり、より開花されていきます。これは一つのプロセスとして、2023年に入ってから、というより今年の12月にはそれが始まります。
創造しているのは自分なのだ、という自覚はある程度あったかもですが、これ以降、「頭で理解している」のを超えて、自分自身の心と感情を以て、その自覚を体現するようになっていきます。
自分の意識が何を目指すのか、どのような思考を凝らすのか、そしてそれを「利用」することで、望む方向へと現実に変化をもたらす力が自分にあることを、認識するようになります。
7. 内面的・外面的な挑戦
2023年には個人のみならず、人類全体が挑まれることになりますが、この挑戦は、人類の覚醒、成長、そして何よりも必要とされている変化のためにはとてつもなく重要です。これは古い構造と秩序を溶解し、新たに創造するためです。
意識変化は私たちにとって実際、自らの観点を変えるためのチャンスとなり、これが挑戦ということなのです。
つまり、これまで弊害・障壁に感じられていたことは、「もっとしっかり見つめるべきこと」、「改めるべきこと」、「限界を広げること」なのだと促されているのだ、と気づきます。
ですから「挑戦」とは、土台「道標」であり、「もしもし、こっちだよ」とというお知らせなのです。そして、これまでの自分の観点を手放していくことで、これらの挑戦とも向き合いやすくなっていきます。
これは私たちの強さや、秘められた可能性をも指し示してくれていて、もっと成長して開花するための手助けとなってくれます。この「開花」というのが2023年の大きなテーマなのです。
8. ハートとマインドのシンクロナイゼーション
(シンクロナイゼーションとは、同期・同化させること)
皆さんも、心と頭の間で起こる葛藤をご存知のはず。この心とマインド(思考・精神)は、この時期に再び「一致」していきます。
これに伴い、私たちはどんどん、より「アバター(化身)」となっていく、つまり「神(としての)人」に近づいていきます。「神的な自己」というのが「人間的自己」と結びついて「統一体」となっていくと、日常生活や決断の仕方などが根本的に変化していきます。こうした様相も、私たちにとっては非常に未知なることです。
これ迄は、理性で操作・管理しようとしていたことを、私たちはもっと「心」の声を聞いて、直感で判断するようになり、そこに流れるエネルギーの波に乗るようになります。
怯えからくるコントロールへの執着などは、「自分は誰なのか」という心の声と統合・一致して「流れてくるもの」によって、溶かされていきます。
そうして、私たちは改めて「信頼」を学ぶと共に、自分の心に従うときには自分自身への信頼も高めるようになります。
自分たちは恣意的に何かに晒されているわけではない、何かが思いがけず起こるわけではない、そうではなくて自分で創造しているのだ、というこの「知っている」という感覚、自分が創造者であるという自覚がそこにはあるわけです。
この心の奥底で起こる覚醒は2023年、更に強くなり、私たちのハートが拡張することで、前述したハートのクウォリティ・ハートの価値といったものについて、ただ「語る」のではなく、もっとそれを「生きる」ことになります。
これによって、私たちは自分自身に対する理解と共感を深めるようになりますが、それは他人を理解し、他人への共感が深まることでもあるのです。すると「人と人との関わり合い方」への効果も体験するでしょう。
ここで開花されるのは「女性的な側面」です。徐々に、女神が私たち人類と地球の中へ戻ってきます。女性的なクウォリティと属性で、「他と共に流れる」ような様態、直感・心に従う、実際に「心を生きる」というのも女性的なものの一つです。
私たちは、これまでよりも物事を「やわらかく」体験するようになるでしょう。これまでは沢山の硬い構造・厳しさがそこに在るような感じしたが、心と頭の葛藤を超えて、「心」に従って生きるよようになると柔らかさを体験します。
更に素晴らしいのは、この同化によって心が開かれ、神的な子供の自分というのが強く覚醒めていきます。もっと発見したい、もっと遊びたい、クリエイティブになりたいし、クリエイトしたい... 私たちはそこにも、新しい価値を見出していくでしょう。子供の時の私たちにはまだあったのに、抑圧されてきたものです。
そうやって私たちは新しい目で世界を眺めるようになります。スピリットの世界が今、私にある例えをわたしてくれました。
多くのことが私たちには「当たり前」になってしまいました。そこに小川が流れていれば、「こんなのもう数え切れぬほど見たことあるし」となりますが、こうした「当たり前」になっていたものを、改めて眺めなおしてみるのです。私たちの「感覚」は強く覚醒し、これまで以上の感覚を駆使して眺めることになるからです。あなたは強く魅了されるでしょう。子供がそのように反応しますが、私たちは大人になる過程でそれを失ってきました。しかし、それが戻ってきます。
また、私たちはもっともっと「喜び」をもって行動するようになります。大人のしかつめらしさからではなく。
集中的に「今」を生きようとし、計画や結果・目的を掲げない、というのも「流れる」という様態を示してます。
内なる「子供」は当然、深い癒やしを得ます。だって、生活の中にやっと、自分自身を開花させることができる場所が得られるわけなので。
それはとても素晴らしいことです。
9. ソウルパーツを統合し、全体性へと導き戻す
これは2023年の大事なテーマですが、エネルギーはこのソウルパーツの統合をサポートしてくれます。
上述したように、新しい地球はある周波数に達しますが、これは調和と統合・全体性の周波数です。そして、そこに居る私たちはこの周波数を体現しているはずです。
しかしこの周波数は、私たちの魂が分裂したままで、統合して全体をなしていなければ、達することが出来ません。ですから、分裂していた魂のパーツを統合して全体性を取り戻すことが必須です。
魂のパーツは、自分の中で調和をもって統合されていなければなりません。これができていれば、自分の外側の人たちとも上手に調和していけます。
なぜなら、「傷ついている人は、他人を傷つける」からですが、この行為が最初に向けられるのは他人ではなく、自分自身に向けられます。
自分の魂に、まだ癒やされていない傷ついたパーツがあると、これが自分自身を何度も何度も傷つけてきて、これはとても痛みを伴います。
多くの人が、分裂したソウルパーツについては抽象的にしか想像ができないので、1月にはこのテーマの詳細を具体的に説明するセミナーを数回に渡って計画しています。統合プロセスや、その時の光と闇の関わり合いなどについて。
10. 新しい世代がリードする
このテーマは、夢で私に示されました。
ドローレス・キャノンという人、ご存じの方も居ると思います。彼女には新地球についての何冊もの著書があり、「三つの志願者の波」についても言及しています。つまり、この覚醒とアセンションに協力したくて地球への転生を願い出た魂たちのことです。
40−50代以上の人たちは長い間、エネルギー的に導く役割を担ってきました。この世代の人は、癒やしや変換(トランスフォーメーション)、そして覚醒を促し、「闇に光」を持ち込むのが課題でした。
夢で私に示されたのは、エネルギー的にはこれより次の世代がリードを担うということでした。これがドローレスが言っていた次の「志願者の波」で、20-25歳ぐらいの世代です。
2023年には、彼らの姿が更に目立ってきて、新地球に物理的に新しい声生命を吹き込み、物理的に顕現させていきます。
そうすることで、前世代の志願者たちをその役割から解放してくれます。どの「志願者の波」にも独特の課題がありました。私たち(40-50代以上)は、これまで長年、常に何らかの圧迫を感じたり、自分を犠牲にしたり我慢したりしなければならない感触の中にあり、楽ではありませんでした。それが急に軽くなることで、解放されたことを知ります。
この新しい世代の「志願者の波」は、とりわけ米国で目立ってきます。ここ数年、既に目立ってきています。つまり、多くの魂があの場所に集中的に転生してきているということです。���ーヴメントは米国で大きく動き出すでしょう。
11. グラウンディング&内側へのリトリートが基本
(リトリートとは、引きこもって静養する、というような意味が近いかと思います)
2023年は振動周波数がどんどん高まっていき、自分がそれと統合していく間隔も狭まっていきます。ですから「静養する」時間をとることは必須。これは非常に重要です。
やって来るエネルギーを、人間としての自分の肉体に統合しきれないと、まるっきり圧倒されてしまい、混乱し、方向感覚を失い...ひどい場合は「自分は気が狂ったのではないか」と感じたりします。あまりにも多くの変化が、自分の意識の中、人間としての生活の中で起こるからです。
グラウンディングに最適なのは自然と触れ合うことです。しかし、その場合、根本的に大事なのは「肉体」に留まることです。
オススメは、ヨガやスポーツなどで、身体を動かすこと。また、睡眠を沢山取り、静かな時間を持つことです。
私はここに「シンプリシティ(簡易・質素/単純性)」とメモってあります。生活を簡素にしましょう。どの部分をもっと簡略化できますか?何が最も大事なのかを知って、優先順位をつけること。
そして、外からの刺激・影響を徐々にカットしていって、ある意味「コンセントを抜く」のです。物理的な面だけでなく、自分のエネルギーの面でもそうします。それは「コンセントを抜く」イメージでやると良いです。
私たちのアンテナは、周囲の状況や、全ての人々、全ての別次元...あらゆるエネルギーと繋がっています。
ああ、もう一杯いっぱい、もうもちきれない、という気分になったときは、イメージワーキングをして、全てのコンセントを抜き、静寂な自然の中へ入っていったりするのが一番です。全てとの繋がりを解いて、自分自身にランディングして下さい。そうやって「統合すべきものを統合する」余裕を作ります。
あと、10項目ぐらいは述べられますが、これらが2023年に主に予想されることで、最も重要だと私が感じていることであり、スピリットの世界からも渡された情報です。
これ以降はまた、月々のメッセージでお伝えしていきます。
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『Day1250-2-268』 Wow, Momo is so young. We visited an elderly person at the neighboring village and saw her photos taken 10 years ago. Momo used to help her friend’s German artist for the art festival there. ある方を訪ねて隣の集落へ。 ももは約10年ほど前、隣の集落を頻繁に訪れていたのだ。ももの友人でドイツ人芸術家が十日町市を中心に開かれる「大地の芸術祭」というアートトリエンナーレに作品を出展することになり、住みこみで作品づくりの手伝いをしていたのだ。 あれから約10年の時を経て隣の集落へと引っ越してきた僕らだが、当時、ももたちのお世話をしてくれた区長さんのところへ挨拶に行ったのであった(遅すぎるご挨拶となってしまったが)。 待ち合わせをした集落センターへ行くと当時の区長さんが沢山の写真を抱えて待ってくださっていた。 早速、アルバムを拝見。 もも、わっ、若い。あれ?化粧している? と、まぁ、そんなことはさておき、昔話に花を咲かせるふたりであった。 それから、ももの友人のアンティエ・グメルスさんの作品が展示されていた森の中を散歩。 色々なご縁が繋がり、僕らは今、ここに居る。 #rurallife #slowlife #notslowlife #countrylife #snowcountry #田舎暮らし #スローライフ #ノットスローライフ #雪国 #豪雪地帯 #xpro2 #fujifilm #fujifilm_xseries #あおの棚田米 #百姓 #棚田 #riceterraces #2歳8ヶ月 #twoyearsold #新米 #平和な1日 #田舎で賃貸暮らし #子育て #移住 #microroaster #microroastery #自家焙煎 #コーヒーとタープ #大地の芸術祭 https://www.instagram.com/p/B13JL1KlBm1/?igshid=lw6jqeeu5vqo
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冬至ゲート 2022年12月21日&エネルギー移動/新地球の誕生
アンティエ・リンデンブラット
オリジナル動画:https://youtu.be/6FMfaboTOk8
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報はTelegramチャンネルへ
今、冬至ゲートも非常に力強く作り出されてきています。
動画を取るために、そのエネルギー領域に浸ってみましたが、これまで私が感じた中でも最もパワーに満ちた、力強いゲートで魅了されました。
このゲートが新地球の周波数にとってどのような重要な役割になるかということは、2023年に関する動画でも述べましたが、それは後でまたお話します。
このゲートの役目は、古いサイクルを今、締めくくり、終わらせることですが、同時に私たちが踏み入れようとしている新サイクルと新レベルへの扉を開くものでもあります。
つまり、全てが「お別れ」「手放し」「出発」「新たな始まり」と関連してきます。ゲートはこれらのことと同時にやってきます。
12月の動画でも、これは「水門」のような働きを担うと言いました。
私に与えられたイメージは、映画などでもある「光トンネルの先にある門」です。急速な勢いで吸い込まれるように通り抜けます。
ここを通り抜けることで、集中的な浄化が起こります。それは魂のかけらを統合していくことでもあります。この冬至ゲートによって、こうした魂の部位が統合されるようなプッシュがかけられます。
これには個人差があります。このプロセスの先を進んでいた人は、このプッシュでフィナーレを迎えるのでしょうが、初歩を歩んでいた人は、真ん中あたりに来ることになるのかも。
私たちの身体及びエネルギーシステムは、強く浄化されると共に、新情報を当てられ、目標も改まります。また、内なるナヴィゲーション・システムも、新地球の波動へ方向付けられます。
新しい地球の周波数が、この冬至ゲートを通して集団の領域へと送り込まれてくることになりますが、一方でこれは光のコード、ダウンロードといった形で行われ、もう一方で私たちがこの周波数へと持ち上げられることになりますが、これが結構パワフルな、かつて無かったようなプロセスとなるでしょう。
このゲートは天と地の架け橋でもあるといえます。これはマヤ暦からもはっきりと読み取れます。(「赤い地球のカバン」等の話が説明として短く言及されていますが、訳者はマヤ暦に詳しくないので、意味が良くわかりませんでした)。
つまり、このゲートをもって、我々は多次元の(魂の)部位を統合された「自分」へと繋ぎ合わせます。私たちは「自己統合性」を取り戻すことになります。
これは、人間としての「精神の統合」と似たようなものですが、我々の精神は過去生の身体でのレベルで体験したトラウマによってバラバラの部位になっていました。統合のプロセスは類似していますても、身体的なレベルの統合は、多次元的レベルの自己統合とちがって、そんなに痛くはありません。
この、プロセスがこの冬至ゲートで始まろうとしており、かかっていたベールはものすごい勢いの風で暴かれていきます。ゲートが開く時だけではなく、私たちはその前後も強くそれを感じるでしょう。
また、我々の意識も大きく展開され、多くのアイデアとインスピレーション、そして気づきを得るでしょう。「ああ、そうだったのか」という瞬間が多く訪れ、それらは私たちが長いこと噛み締め、頑張って働きかけても中々解決しなかったことを理解するための「鍵」となったりします。
また、スピリチュアルな世界が私に伝えてきたのは、人によって非常に個人差がありますが、未来の世界では何が可能となっていくのかが、見えたり感じたりするようになります。
私たちはこの、天と地の間のゲートで、柱となるのです。つまり、私たち自身が橋となるのです。
2023年の動画で、皆が段々「アバター(化身)になる」と言いましたね。それは神の化身になるという意味です。
つまり、このゲートが現れると共に、我々は自分のハイヤーセルフをこれまで以上に強く、身体的に具現化されている自己へと引き寄せます。ハイヤーセルフは、自分の身体と一層強く結びつきます。
これが起こると高い周波数をこの肉体で保てるように、より一層、地に根を張ることが必要となってきます。それをもって新地球の周波数に根ざすのです。
どんなゲートもパワフルですが、今回のゲートは桁違いに大きいパワーを持っています。
スピリットの世界は、私に12月21日にはエネルギーの転送を行うように頼んできました。
そして、スピリットたちは、ここで何が起こって、どんなエネルギーの転送があるのか、という情報を与えてきました。
チャクラシステムの深くに影響を与えていた弊害が解け、浄化されます。
新地球の周波数へ方向付けられます。
参加者には一種のエネルギーのコピーが渡され、それをもって新地球の顕現を定着させることになります。それは個々の魂の契約内容に従って行われます。
ゲートが開きエネルギー転送の開始と共に、最初の多次元的側面、即ち多次元的な自己の部位が、そのエネルギーシステムに呼び込まれるというプロセスが始まります。これはそのまま進行し、非常に深いところで意識が覚醒します。
新地球に添った、魂の契約が交わされます。これが私たちの直感を導くガイドとなり、また突然自分が何をすべきかなど「お告げ」的なメッセージを受け取るようになります。そのために身体と精神はこのエネルギー転送の時に深く浄化されます。多くの恩恵がこの世に流れ交うでしょう。
我々の身体が、新地球の周波数に碇をおろし、根を張るようになると、高い振動周波数と光の波動を保つことができるようになります。(アンティエ:このエネルギー転送を行うと、強い電流が体に流れたようになるので、このエネルギーを保つのは大変なのです。私はこの時、自分の体から(魂が)飛び出てしまわないようにするので精一杯になるので、そこに集中することになります。また、スピリットたちにサポートを願います。だから、自分の体がこの高い周波数を留められるぐらいに準備がされているのかが重要です。よくグラウンディングしておくこと)
我々の内にある神的な光の炎が、高い周波数へと着火され、これが深いところの覚醒を促します。覚醒というのは結局のところ、「思い出す」ことです。我々はどんどん記憶を取り戻し、自分が本当はどの次元にいたのか、どの銀河系にいたのか、など多様な事柄を思い出していきます。これも、ゲートによって引き金が引かれます。
何が真実で何が現実なのか、に関わる幻想から、我々は解放されます。
多くの癒やしの波動や光コードが全宇宙、つまりこのプロセスをサポートしてくれる様々な銀河系から流されてきます。これらは私たちの星の家族の純粋な愛情から渡される、恵み多きサポートで、これによって我々は更に覚醒め、道を歩みやすくなるというプレゼントです。
私はこのエネルギー転送にワクワクしています。
そして、皆さんを心からご招待します。(有料・これは動画ではなく「遠隔ヒーリング」です)
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『Day2149-5-071』
The day I didn’t photograph is often not the day nothing happened but the day there were so much things to do.
移住してから毎日欠かさず写真を撮って日記を書いてきた。寝る前に「あぁ、今日の写真がない!」って日も結構ある。ただ、そんな日は何もない退屈な日よりも、色々とやる事があって忙しい日である事の方が多い。
今日は、ももが大地の芸術祭で展示する作品の写真を撮った。カタログ?紹介用の冊子に掲載するためのもの。
それは僕にとっても今日初めてももの作品を見たことを意味する。
描き始めてから1年以上もお預けを食っていた絵。ほぅ、そうきたか、など心の中で感想を呟きながら撮影。
コロナ禍のために開催が延期された『大地の芸術祭』も今年の開催に向けて色々と動き出している。
ちなみに、ももの作品は僕らの住む集落の隣の会沢集落で展示される。
会沢集落はももがもう10年以上前に、同じく大地の芸術祭で作品を展示した友人のアンティエさんの手伝いで通いつめた処。
あのころは、此処に住むなんて思わなかっただろう。
ただなんの因果か僕らは此処に移り住み、作品を展示するご縁をもらった。
なんだかゾクゾクしてしまう。
そして、1日の最後にトム・ウェイツを聴きながら、ルワンダを焙煎しておやすみなさい。外では月が雪原を照らしている。
さぁ、明日も楽しくいこう!
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