#リアリティーお兄さん
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yaoi-instigator · 7 months ago
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cannot stop drawing this freak i might be cooked
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tomoshiha · 2 years ago
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15
 18歳くらいのとき(だから10年前くらい)からゲーム実況を見はじめて、今でも気になったものを見ている。当初はゲーム実況といえばニコニコ動画が本場だったけれども、今はほぼほぼYouTubeに移ったなという観がある。はじめ《SIREN》とか《SILENT HILL》シリーズとかから見ていって、えらいゲームがあるもんやな、と思いつつ好きな実況者を見つけていった。そんなに変遷はなくて、キリンさん、わいわいさん、ソーシキ博士(さん?)がずっと好きだ。
 キリンさんの実況の中では《Papers, Please》が一番好きで、アルストツカのしがない入国審査官の物語とキリンさんの庶民的肉付けが融合して独自の味わいを出している。
 かなり長いゲームだけど《KOWLOON’S GATE 九龍風水傳》実況もいい。かなり変なゲームだけど《Death Crimson 2》実況は見ると元気になる。《ぼくの夏休み3》実況はゲーム内時間の一日分を年一回更新で進めていくというすごいスパンの実況になっていて、年々どんどん腕が磨かれていくさまがよく見える。名作《Machinarium》もたしかキリンさんの実況で知った。
 アイコンにある「訛」の字は「訛り実況」だから「訛」なんだと思ったけど、ずいぶん後になってから「キリンビール生」にかけてるんやと気づいて、感動した。
 わいわいさんは奈良の人で、関西のしゃべりが聞きたくて動画をよく見る。いつもおもしろいけど酔ってるときは輪にかけておもしろくて、《Virginia》とかオープニングクレジットにも実況つけたりしていてすごい。
 《ぼくのなつやすみ2》実況の序盤で、居候先の民宿の渡り廊下を歩きながら「うっわおれこんなとこ通んの済生会病院以来! 不思議~」みたいなことを言っていてもうかなり笑ってしまう。わかる。テレビとかラジオではすくいあげられないような関西の生活の些事とか、子ども時代の頃の話とか、「あー、あったあった!」となるような話題が無限に展開していく。ディティールのリアリティー。良くない発言がないではないけれども、それ自体「地元の兄ちゃんがしゃべってるかんじのリアリティー」に集束してしまって、他の実況者が同じようなことを言ったときほど気にならない。不思議。生放送とかで尺が数時間に及んでいることも多いけれどもずっとおもしろいのですごい。
 ソーシキ博士がゲーム実況を配信していたYouTubeのなんてことなのチャンネルは今現在アーカイブごとなくなってしまっていて、寂しい。去年の末に出た『ゲーマーが本気で薦めるインディーゲーム200選』(星海社新書)には共著者として博士も参加していて、チャンネルなき今この本を開いては《Kotatsu》よかったなぁ……とか、《I Am Dead》本当に素晴らしかったなぁ……とかしみじみ思い返している。《Black Room》とか《Ord.》とかこの方でないと魅力的に紹介できなかった(というかそもそも発見できなかった)んじゃないかと思う。今は『小説すばる』で連載されている「個人的なゲームたち」の書籍化を待つばかり。チャンネルも復活してくれたらとても嬉しい。
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mickeykhun · 3 years ago
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20220311公開
Pa’Ted Talk EP.84 Nichkhun
Part2
お読みになる前に
動画にして50分超えを@Daffodil0624 さんがほぼ英訳してくださいました。すごく長いです。誤字脱字もありそうな長文ですが、KhunペンじゃないHOTTESTの方もニックン がどれだけ2PM のことを考えて仕事してきたか感じていただけたら嬉しいです。
Thx to @Daffodil0624 from Thai to English
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PTed:自分がリタイアして、70歳とか80歳になった時を想像してみて。どこにいて、何をしてる?
ニックン:多分、ブドウ畑の近くの山頂近くに座ってます。山頂から見下ろして、海を見てます。ゴルフの後にワインをちびちびやってます。家の裏手の山にはブドウ畑がある、それかワイナリーの近くに家がある。赤ワインを楽しみながら好きなゴルフをする。実際、ゴルフって何歳になってもできますから。ゴルフの後、家に帰り、座って、リラックスして妻とワインをちびちびやる。サンシャインとそよ風、目の前の風景を楽しむ。僕は幸せで、自然と共に生活してる。僕らは自然の恵みから生まれ、自然に還るべきです。若いうちは一生懸命に働き、都会に住む。そして、自然と共に生きる。それが人間のライフサイクルだなと思います。
僕は計画するのが好きです。自分がコントロールできることは計画を立てます。例えば、家族旅行を準備するときとか、全て調べ上げます。こっからここにドライブ行くなら、途中に面白いところあるかな、って。自分でコントロールできることは前もって計画したい方です。10年もの間、カリフォルニアに家を買いたいと思ってます。自分の手の届く範囲の家を買うつもりです。カリフォルニアエリアで。その計画が実現するかはわかりませんけどね。
カリフォルニアの家が実現するかはわかりません。もしタイの女性と結婚したら、タイに戻るでしょう韓国の女性と結婚するなら、韓国に定住するかもしれないです。前もって計画するのは好きですが、自分ではコントロールできないことは考えすぎないようにしてます。
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PTed:ニックンが学んだ一番大切なことは何?
NK:一つは、全ての時間、常に自分の周りから学ぼうってことです。僕はいくつもの国で仕事してきました。それぞれの国にはそれぞれの文化があります。それを自分の生活に取り入れてきました。例えば、タイではペットボトルは片手でこんな風に渡しますが、韓国では両手で渡す必要があります。
PTed:韓国ドラマで見たな。
NK:そうです。両手でです。
タイでは尊敬を示すために人を通り過ぎる時は、頭をさげると学びましたが、韓国の人はしません。そんな習慣はないです。文化の融合は僕には面白いです。通り過ぎる時に頭をさげたら、なんでそんなことをしたのと訝しがられました。それがタイの文化なんですと説明しました。僕の生活に入り込むものは何でも取り入れるために心を開いておきます。
もう一つ学んだ大事なことは、危機をチャンスに変えるってことです。いつも父は、人生にいいことしかないなんてことはありえないと僕に言い聞かせてました。悪いことが起こったら、それを覚えてないといけないです。そこから学ばなくては。そして、二度と繰り返さない。もし間違いを犯したら、認めて、謝って、罰を受け入れる。自分の間違いから学ばなくていけません。同じ間違いを繰り返してはならないです。間違いをおかすのは一度、あっても二度。三度も同じ間違いをしたら、それはそれが自分の持って生まれたもので、それが自分なんです。父は三度警告を出します。何かをするなという警告ではないです。三度僕がやったら、叩きます。一度や二度の間違いは大丈夫かもしれないけど、もし三度もやったら、それが自分なんです。だから、同じ間違いがまた起こるのです。
PTed:ニックンはたくさんの国に住んだことあるけど、どうしてそんなに引越ししたの?
NK:僕はアメリカで生まれました。2歳の時家族はタイに戻り、タイで大きくなりました。僕の両親は僕に英語を勉強して欲しくて、ニュージーランドにWhanganui Collegiate Schoolという素晴らしい学校があるんですが、まず、僕のいとこがそこに行きました。僕の兄も行き、僕の番でした。そこで約2年間勉強しました。14歳になるまでニュージランドにいて、高校はアメリカに行きました。公立高校は無料で、僕はアメリカ市民です。ニュージランドの学校はすごく高かったんです。叔母が僕の授業料を援助してくれてました。
(しばしスカウトの話)
僕の祖母はレインのファンでした。レインのドラマフルハウスが当時タイですごく流行ってました。祖母が韓国に行けと後押ししてくれました。父はJYPのチームにタイに来るように頼みました。直接話をしたかったんですね。翌��にはJYPチームがタイに飛んできて、父と会いました。僕はその時はまだアメリカにいました。父は契約の話をして、幾つかの条件を変えようとしました。父はJYPが本当に練習生として僕を欲しがっているのか見極めたかったんですね。父は弁護士とかではありません。急いで契約書の法律の勉強しなければならなかったです。JYPにいくつか変更を頼みました。僕を本気で欲しがっているのか確かめようとしたんです。JYPは了承しました。父が提示した条件の変更に同意したんです。韓国人の間ではJYPはよく知られた会社です。だから採用された練習生は即答でOKします。でも僕の家族も僕もJYPを知らなかったです。でしょ?契約書にいくつか変更をして、僕は韓国に移住しました。
PTed:その当時のニックンは歌もダンスも出来なかったんだよね?どうして選ばれたと思う?
NK:最初はJYPの他の社員はこの子、何にも出来ないんじゃない、と言ってました。韓国人じゃないし、韓国語は喋れないし、なんでこんな子を連れてきたんだ、ってね。でもアメリカで僕をスカウトしたスタッフは僕の中に何かを見出し、会社に自分の判断を信じて欲しいと頼みました。彼女は僕をスターにしたかったし、僕なら出来ると思ってました。彼女は僕の容姿を気に入り、僕をスターに育てられると思ったんですね。だから僕を選んだんです。
PTed:スターバックスの前で果敢にもダンスしたニチクンを見て潜在能力を見い出したんだでしょう。
NK:彼女はのちにJYPや他の事務所でアイドルやスターになった練習生を10人は採用してます。なので僕の中に何かを見出したんだと思います。彼女は完璧さとかではなく、形に出来そうな粘土を見つけたんだと。(訳注:日本語だとダイヤモンドの原石みたいな表現かな?)
PTed:ニチクンは謙遜してるけど、彼女は容姿でニチクンを選んだんじゃないと自信を持って言います。スカウトのプロなんだから、ニチクンの中に何か光るものを見たんだよ。
NK:彼女はスカウトを11カ国で行い、ロサンゼルスが最後の都市だったそうです。そこで僕に会った。11カ国でスカウトしたのは僕だけだったと言われました。どうして僕だったの?何も出来ないのにと彼女に聞きました。
PTed:韓国のアイドルのトレーニングは厳しいって聞くけど、トレーニングのプログラムはどんだけ厳しいもんなの?
NK: 着いた初日から寮に滞在しました。JYPはただの芸能事務所じゃありません。すごく厳しい寄宿学校です。慣れるまで1週間くれ、会社のツアーをしてくれました。会社の近くのこの店で何か食べたいならこの辺は行ってもいいとか(教えてくれました)最初はリラックスしてましたが、ひとたびトレーニングが始まると、本当の寄宿学校のようになりました。
PTed:何時に起きてました?
NK:それは任されてましたが、朝の9時にはタイムカードを打たないといけなかったです。会社で勉強もトレーニングもしなきゃいけない。会社はCCTVカメラを設置してました。もし疲れて昼寝してたら「起きろ」って電話がかかってきます。会社の近くで使えるフードクーポンももらえ���した。レストランと交渉して、このクーポン持参した子供達は食べれるようにしてくれてたんです。会社は月末に全ての食事代を払ってました。お昼休みの後は、また戻って勉強かトレーニングです。夜ご飯の後もだいたい9時か10時までトレーニングを続けてましたので、かれこれ12時間は会社で過ごしてました。
練習生はみんな、月末に歌を披露しなくてはいけなくて、カメラをセットしてステージでパーフォーマンスしてました。僕たちが進歩してるか、僕たちのパーフォーマンスを記録するんです。僕たちが真摯に一生懸命やってるかを見るんです。先生の教えをちゃんと聞いてるか、ルールを守っているかとか僕らの態度を見てました。もし、2、3ヶ月しても進歩が見られない場合や、繰り返しトレーナーの警告を聞かなかった時はトレーニングプログラムから追い出されました。
PTed:まるでリアリティー番組みたいだね。でもそれ、実際の話でしょ。
NK:そうです。
PTed:特に不愉快な人とかニチクンが煙たい人とかいなかったの?
NK:会社の人はみんないい人でした。僕が韓国人じゃないからと差別とかしなかったですし、自分達とは違うとか僕に感じさせたりしなかったです。僕が不快で不安だったのは僕自身の実力が不足していることでした。他の練習生はオーディションを合格したくてそこにいました。彼らはスターになりたかった。歌や踊りの基本的なスキルは持ってました。だから僕はゼロ以下からのスタートでした。彼らには追いつけなかった。毎月月末にテストがありました。「どうして進歩しないの?なんでそんなひどいの?どうして仲間に追いつけなの?」と僕に言うんです。僕もひどいことを言いたかったです。僕が何のスキルもないのを知っててそっちが韓国に来いって言ったんじゃないか。僕は何にもできないんだよ。どうしてこんな言葉を僕に言うんだよ、ってね。この言葉が本当に嫌いでした。「君、ひどいね。それができないとは」
こう言われるのが本当に嫌いでした。この言葉を聞きたくないがために全部やってやろう。最初の6ヶ月は「できてない」と言われ続けました。父に電話してアメリカに勉強しに帰りたいと言いました。僕は勉強は得意ではなかったけど、勉強しに帰る方がマシだと思ったんです。韓国にはもういたくなかったです。自分自身のなんの未来も見えなかった。トレーナーはしょっちょう僕を叱ってました。韓国語も上達しませんでした。父にはもう6ヶ月頑張ってみろと励まされました。丸々1年間練習生をやってもそこに居たくなかったら、アメリカに帰ってもいいと父は言いました。僕は歯を食いしばって頑張りました。その後の6ヶ月、できるだけのことをしました。するとあの嫌な言葉をもう聞かなくなったんです。眠れなかった日は、朝の5時にダンスと歌の自主練のために会社に行きました。才能ある他の練習生とも友達になり、アドバイスをもらいました。韓国語はうまくしゃべれなかったので、英語と韓国語ごちゃまぜで話をし、僕はこんな風に歌ったらいいかな、と聞きました。素敵な友達はアドバイスをくれました。のちの2PMのメンバー達です。😭
PTed:その嫌な言葉を聞かなくて済むまで、��れくらいの間、頑張りましたか?
NK:1年以上です。
PTed:お父さんと約束した丸1年より長く居たことになりますね。もう傷つくことがなくなったってことですね。
NK:はい。自分自身に打ち勝ちたかったんです。自分に言い聞かせました。「こんなはるばるやってきたんだ。自分との戦いに負けて勉強しに引き返すのか」負けるのは嫌いです。特に、自分自身に負けるのはね。僕がゴルフが好きなのは自分自身と対峙する(スポーツだ)からです。勉強もし、頑張りました。この熾烈な6ヶ月が終わり、トレーナーもそんなに頻繁に僕を叱らなくなりました。時々は「うまくなってるけど、もっと前に進まなきゃ」と言ってくれました。そしてある日「ニックンはもう準備万端ね」と言われたんです。
PTed:長い間叱られてばかりいた後、友達から褒められたり、励まされたりしてどう思った?
NK:僕は正しい道のりにいるんだな、って思いました。自分と他の練習生と比べたら、満足はできませんでした。簡単なことじゃないけど、他の人より上手くなるまで歩み続けなきゃ。歌とダンスも習いました。ラップや演技も学びました。それに加えて、僕は韓国語もやらなきゃいけませんでした。会社はアクロバットも練習させたがりました。みんなの潜在能力を見たかったんです。時には僕たちは1日に5、6クラスに出席してました。もしクラスに出てないなら、練習しなければなりませんでした。アーティストになるためには1日中打ち込んで準備できる練習生だけを会社は選ぶんです。
PTed:諦めた練習生もいるの?
NK:何人かがもう自分にはできないと去って行きました。会社は潜在能力があるのかを見極めたかったし、成し得たいことのために、とことんやれるのかを見たかったんですね。
PTed:2PMのメンバーになるまでどれくらい練習期間があったの?
NK:僕は1年半です。ワンダーガールズがデビューして、会社は新しいボーイズグループを作りたかった。だから40人の練習生を選び、その中からグループを作ろうとしたんです。この実験的期間は半年続きました。そして言ったんです。バク転ができないとデビューはできないって。会社はユニークさを求めてました。必要な基本的スキルもなかった僕たちには難しかったです。股割りがうまくできるようになるには半年かかる。でも近道して、初日にバク転を習いました。横になり、壁に脚を上げて。トレーナーが壁際に立ち、僕らの脚を遠くに押すことを30分やりました。脚には青あざで、歩き方がこんな風になりました。股割りの後はバク転を習いました。毎回アクロバットのクラスに出なくてはならず、僕たちは行きたくなかったです。13人いました。最初会社は13人のボーイズグループとしてデビューさせようとしてました。それから2PMと2AMに分かれたんです。
(股割練習からの2PMと2AM誕生を語るニックン ↓↓)
PTed:最終的にバク転はできたの?
NK:僕たち全員出来ました。でも最近はやりたくないです。背中が痛い。
PTed:今でもできるの?
NK:できるとは思いますが、長いことやってません。2009年の終わり頃にHeartbeatをリリースしました。これがビックヒットになりました。韓国で4大年末テレビ授賞式があるんですが、その番組のために40パターンのスペシャルパフォーマンスを用意したと思います。
1分のショー、3分のショー、それに他のグループとのコラボもありました。新しいダンスの動きを練習し、他のグループとのコラボの曲の歌詞を覚えました。3−4週間の間、コマーシャル撮影もしました。朝5時に起きて、6時には寮を出て、その時は帰ってきて朝の6時まで練習しましたね。そして寮に帰ってシャワーして、また朝の7時には寮を出る。こんな毎日が4週間も続くんです。この期間はベッドで寝たのが10時間くらいだったんじゃないかな。車で仮眠してました。6人いるのに、ベッドルームは2部屋でした。他のメンバーが代わりばんこにシャワーしてる間に20分仮眠してました。
CFソングも録音しました。朝の7時まで練習して朝の9時までその歌をレコーディングしたのを覚えています。そしてシャワーをして寮に帰り、また仕事に行ったんです。2週間後その2PMのCFソングが音楽チャートで1位になった時、「どの曲だ?俺ら、なんか新曲出したっけ?」ってなってました。ダンススタジオのソファーで寝てから、その曲のレコーディングに行ったんで、覚えてなかったんです。各自それぞれ30分ほどレコーディングしてから寝に帰りました。だから、ヒットチャートでトップになった時は僕たち驚きました。どの曲かも覚えてないし、歌詞も覚えてませんでした。
(おそらくこのビールCF Tik Tokではないかと)
youtube
PTed:ステージで歌詞を思い出せなかったこととかあったの?
NK:しょっちゅうです。歌の中には(韓国語と日本語の)2バージョンあるのもあります。すぐにこんがらかりますよ。
PTed:そんなにコンスタントにハードワークしてて健康状態はどうだったの?
NK: ラッキーなことに、僕はそんなに具合が悪くなったりしませんでした。でも、歩けないほど背中を痛めたことはありました。HEARTBEATのダンスブレークの準備をしてた時です。メンバーが僕を放り投げ、僕がひらりと床に着地したんです。メンバーの2人が僕の腕と足を持ってて、他のメンバーは2本の腕で僕を持ち上げ、空中で支えてました。僕らはゾンビだったので、彼の腕の上で死体のふりをしてたんです。僕の動きが間違ってたんでしょうね。背中を痛めました。休むためにしゃがみこみました。立ち上がれませんでした。すぐに病院に連れて行かれ、脊髄に神経ブロックを打たれました。脊髄注射を6本も。痛いなんてもんじゃなかったです。痛みが頭のてっぺんからつま先まで来ました。修羅場のようでした。
PTed:ニチクンのダンスの動きの表現を聞いてると、それコンサートのパーフォーマンスじゃなくて、まるでシルクドゥソレイユみたいだね。
NK:最終的にはHEARTBEATのために準備したそのダンスブレークを僕たちやったんです。僕は(状態が)ましになったので、年末歌謡賞番組のひとつでその動きができました。その4週間は睡眠を取れるチャンスはたくさんはなかったです。(訳注:2009年SBS音楽祭てのHEARTBEAT)
PTed:ニチクンは前にインタビューで言ってましたね。「その頃は一生懸命やってたけど、幸せじゃなかった。何のためにお金を稼いでいるのかさえ、わからなくって。死にそうでもわからなかったかも。稼いだお金を使う暇もなくて。幸せではなかったです」って
NK:2014年頃だったと思います。HEARTBEATの頃は、すごく忙しかったですが、主に韓国にいました。2014年は僕は1年に100回飛行機に乗りました。
PTed:3日に一度は飛んでた計算になるね。
NK:ある日なんか、タイから韓国に飛んで。韓国の仕事が終わったら、同じ日の夜に日本に飛びました。つまり1日で3カ国にいたんです。飛行機で仮眠するしかなかったです。またある日はJYPネーションのコンサートをするためにその日の朝、韓国に帰ってきて、コンサートホールに練習に行きました。コンサートで、2PMのメンバーがファンに向けて話をしている最中に僕は立ったままぼぉーっとしてました。すごく疲れてて、体がシャットダウンを求めてるほどでした。座るか寝るかしたかったです。僕のファンを見て、笑おうとしました。コンサートの間は僕はファンを幸せにしなきゃいけないのに、笑うのがなんでこんなに大変なんだ?これは僕のファンに対してフェアじゃない。僕は一生懸命働いて、お金も名声もえた。でも、コンサートチケットを買って、その日僕らを見るために何時間も並ばなきゃいけなかったファンにこれはフェアじゃない。だから僕は会社に言ったんです。2PMのグループ活動の間は遠くまで飛ばなきゃいけないソロの仕事はしたくないって。中国で3ヶ月間もドラマ撮影をしてた時みたいに、いつも行ったり来たりしなきゃならなかった。それはもうやりたくない。そんなに時間を取られない仕事ならやります。でも2PMの仕事の妨げになるような個人の仕事はやりたくなかった。そんな仕事は拒否することにしたんです。どんだけお金が稼げるとかは重要じゃないです。2PMのグループ活動を優先したかった。こんな大変な個人の仕事のスケジュールなんか意味がない。僕の健康にも良くないし、僕を愛してくれ待ってくれている僕のファンにもフェアじゃない。毎回僕たちのコンサートを見に来てくれる僕たちのファンも、それは本当に大変なことです。夜の7時とかの僕たちのコンサートのために、ファンは朝の11時には会場に来なくてはならず、公式のグッズを買ったり、コンサートホールに入場するのに何時間も並びます。2PMのコンサートをタイのインパクトアリーナでやった時、うだるような暑さの中、ファンがアリーナの外に何時間も座ってないといけなかったです。食べ物を買いにも行けません。列の場所を取られてしまいますから。彼らの前で、ステージの上で、公演する時、僕らの出せる力の150%いや200%を出さないと。明日はないほどのできるだけのことをするべきです。それでこそ、いつも僕らにお金も愛も捧げ、応援もしてくれるファンに報いることになります。これがアーティストとして僕がやるべきことです。他の国でやみくもにお金や名声を追い求めることは僕のファンに対してフェアじゃない。時間があるなら行ってそんな仕事をすればいい。でも、時間のないときは2PMの仕事にフォーカスするべきです。
PTed:ニチクンの話は韓国のメジャー芸能事務所で働いていることの僕のこれまでの理解と真反対だ。アーティストは交渉力があまりないと思ってたよ。ニチクンが会社に頼んだことは、実現が難しそうだけど、交渉は成功したんだね。
NK:僕は自分が思ったことを言わないようにしてました。会社の人は僕にいろんな思いがあるに違いないと察しましたが、僕は自分の心にしまっておきました。僕は理解力は高いと思ってます。それは何カ国かで生活し、仕事してきたからでしょう。人はそれぞれ違った観点、自分の意見を持ってると理解してます。「それはできないことはない」というこの言葉をよく使います。僕がすごく忙しかった時期に2PMの仕事にフォーカスしたいと言った時、会社は僕にはそれが必要なんだと思っていることを理解してくれました。僕には十分ないい理由がありました。会社は僕がデビュー以来やってきたハードワークに感謝してくれました。
PTed:ニチクンが一生懸命働いてきたからそう頼む権利があったんですね。
NK:僕がハードワークしたから、会社は僕の決心を尊重してくれました。僕の話を聞き入れてくれたんです。
PTed:韓国の会社の厳しい規則って何かある?
NK: ほとんどの会社は基本的ルールがあります。デビュ−3年間は異性とは付き��えないとか、会社の外で飲みにはいかないとか。仕事の後、寮を出れないというのもあります。もし寮を出たかったら、担当してくれてるマネージャーの許可を最初に得ないといけないです。会社によっては、携帯電話を持てないって規則もあります。JYPはいいですよ。物分りが良くて、携帯禁止なんていう規則はないです。
PTed:寄宿舎にいるようだね
NK:まさに。最初の3年間は寮を出て1人暮らしもできません。3年してお金も十分にあれば、別に部屋を借りて1人で暮らせます。
PTed:会社もニチクンは十分に大人だと
NK:チームワークを築いてる時です。一緒に住めばお互いをよく知り、もっといい友情関係が築けますからね。
PTed:会社がデート禁止ルールを作るのは納得できるの?
NK:会社の視点では、会社は僕らを作り上げるのに投資しています。僕たちは会社の製品です。だから、会社は品質管理をする必要があります。会社にとっては当然のことです。僕らの視点からすると、僕らも人間です。どうやって僕たちをコントロールできますか?僕たちは物じゃない。違う視点からの理由も理解できます。
PTed:もしそれらの規則を受け入れられなかったら、そこにいないって選択もできるんだね。
NK:それらはすべて契約に盛り込まれてます。
PTed: ニチクンが今も生き残ってる理由はなんだと思う?
NK:毎日毎日を生きることは明日を生きたいいい理由になってます。自分の未来のために今日、ベストを尽くす。旅行したり、どこかに行ったり。生きてて嬉しいです。僕のファンのために生きてたいと言うことはできますし、それも正解です。もうすぐ34年になる僕の人生で起こった全てのことがニチクンを作り上げました。僕の人生で起こった、いいこと、悪いこと全てのおかけで今日があります。もし僕が26歳の時に戻ることができたとしても戻りません。今日のニチクンが僕のベストな姿です。今、もっといい姿はないです。でも、明日のニチクンはもっと良くならなくては。
このインタビュー動画はこちら↓↓
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訳者後書き
この長いインタビューの内容がとてもよかったです。長年Khunペンやってますが、細かい事は初めて知った話もありました。いつも思いますが、ニックン、タイでのインタビューでは自分の生き様を正直に語ってますね。特にこれはインタビューアーPaTed自身が韓国音楽界に非常に興味を持って聞いてくださってるので、こんな話が聞けたのかと。そろそろ海外では隔離なし渡航が解禁の兆し。ニックン がまた活躍の場を取り戻せることを願って、投稿します。令和鎖国も早くなくならないかな〜
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tonbonosippo · 5 years ago
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たこ焼きタウンと放心ボーイ
なんちゃら活動の件で大阪に行った。
向き合いたくない気持ちが強いせいか言葉を濁してやりました。
そう思えば大阪に来るのは3回目で、叔母の結婚式のため幼少俺が新幹線で腹を下して帰りたいとぐずった記憶と高校の時に青春18きっぷなるもので友人と来て泊まったホテルが日雇い労働者の巣で、エレベーターで騒いでたらそっちらしきおじさんに怒号を浴びせられた記憶とさんざんなものばかりである。
期待もせずに新幹線に乗った。
窓際を取ってくれたので最近お気に入りの曲達をきいてずっと外��眺めてた。風景が変わってくると気持ちが不安になった。お決まりの電車恐怖症も襲ってきた。新喜劇に助けを求めYouTubeを開いて観るが全く内容が入ってこない。5分たったところで見てないことに気づき(たまにあるよね)気持ちを入れ替えてみてみようと思い立ち、メモリを0秒に合わせる。「テレテレッテレーテレテレッテレーテレテレッテレーテッテー」これだ。
これに歌詞でも載せてみよう。あーでもないこーでもないとくそしょうもないゲームを一人でやっていたら不安も恐怖も忘れあっという間に新大阪に着いていた。
こんなに早かったっけな。新喜劇ありがとう。いやテレテレッテレーありがとな。
到着大阪。御堂筋線に乗った俺は、車内のありとあらゆる会話を盗めるだけ盗んだ。(ルパンも目じゃないぜ)ギャルがメイク変えた話。おばあの腰が痛い話。最近飲み過ぎちゃう話。全部が関西弁だった。
生なんでやねんに、生ほんまかいな、生もうええて
生関西弁達によるパレードが俺の心を鷲掴みにする。
なんちゃら活動を手っ取り早く終わらせ、ホテルに向かう。アパホテル始めて泊まったけどあれ安いな。安い割に色々揃ってて大浴場まで付いてんのね。ようやるわあの緑お帽子のオバハン。部屋に、緑お帽子のオバハンの自伝みたいなの置いてあったけど2ページくらいでイライラして投げつけた。
ほなボチボチ、難波の街に飲みにでも行きまっか。
というエセにもほどがある関西弁をかまし、難波の街を練り歩く。
これね。本当に思うんだけど、難波の通りってめちゃくちゃ吉祥寺に似てるんだよね。というかほぼ同じ吉祥寺大きくしたみたいな。でもちょっと外れるだけで歌舞伎町みたいになったり、またちょっと外れると秋葉原みたいになったり、とても忙しい街の印象を持った。
見渡せば、人人人人人人人人人人人
本当にこんな感じ。でもねとても中国人が多くて割合でいうとね。
日中中中中日中中中中
ぐらいの感じなんよ。うまそうなのか不味そうなのかよくわかんねぇ顔でたこ焼き頬張ってましたわ。
肺炎だのなんだので騒がれてる中、たこ焼き頬張ってましたわ。ほぼ8割マスクして。たこ焼き頬張りマスク外し、お好み焼き頬張りマスク外してましたわ。まぁいいわ。
良さげな立ち飲み屋一軒見つけましてね。
フラッと入った。
気前のいいおっちゃんが一人カウンターで飲んでて、「やっぱ日本酒はええな」と渋みの声が狭い店内に響き渡る。とりあえずハイボールを頼み落ち着く。俺は日本酒が好きではない。
いかにも関西親父感バリバリの店主が「お兄ちゃん観光?」ときいてきた。
俺 「なんちゃらなんちゃらのなんちゃら面接でこっちに来てまして」
店 「ほな、大変やったな。でも、ここよう入れたな。普通、一見さん入りずらいで」
(関西弁は、曖昧なので風です。)
俺「立ち飲み屋好きで結構、一人で入ったりするんですよ。」
お「すごいね。ここ選ぶ人目利き無いよ笑 店主ぼったくりだからね。笑 こんないかつい顔した店主の店普通入ってこないよね〜笑 珍しいよ本当に」
(お、はおっさん)
店「そんなに俺の顔がいかついなら、お会計貰って帰ってもらうでホンマに!!」と
とにかくこのおっさんの店主disが凄すぎて、店主がツッこむという関西独特の心地いい漫才テンポに完全に持ってかれたのだ。
店「近くにヤクザの事務所あるんやけどな、流れ弾飛んできたらお兄ちゃん壁になってもらうで。」と冗談を言ってくれたが、肝心のツッコミワードが出ず、終始苦笑いしてしまった。ここは笑いの本場関西。下手にツッコむことなど許されないのだ。
漫才の途中、お店のガスが止まってしまい確認したところ隣のたこ焼き屋さんもガスが止まってしまったらしい。たこ焼けないたこ焼き屋ってなんなん?タコやんっていう会話で盛り上がったりもした。関西は出汁がうまいでと、お腹いっぱいなのに出されたすまし汁は、別段と美味しかった。しっかりと組み込まれたすまし汁代とお酒代を払いおっさんと次の店に行くことになった。
お「ほらな、ぼったくりやろ笑でも、うまいねん」
おっさんが難波をナビゲートしてくれた。
道具屋筋は道具と食品サンプルしか売ってないこと
裏難波には立ち飲み屋が多いこと
日本酒が飲めへんと楽しめないということ
ここのラーメンがうまいとかここの居酒屋はやっぱり日本酒やねんとかおっさんの職業とか未婚のこととか色々聞いた。
2軒目は、路地裏の二階にある怪しげな女性店主がやっている店に連れてってもらった。
とても明るい若い店主は、永遠の27歳と言っていたがそのルール使うんならもっと若く設定すればいいのにと思ったが、料理の手際接客をみて、このリアリティーが良いのだろうとすぐに納得した。
しばらくしておっさんとの会話に飽きてきた所に、26歳の女子3人組が入ってきた。
ここらへんで酔いが回ってきてあんまり記憶が定かではないが、一番覚えている話がある。
ちゃうちゃうちゃうんちゃう?
という奇妙なワードだ。
ちゃうちゃうというは犬のことだ。
標準語に直すと、ちゃうちゃうじゃないんじゃない?
この話を永遠にしてた。腹抱えて笑ったわ。
大阪の人はこの話だけで3杯いけるって言ってた笑
店内はこのちゃうちゃうちゃうんちゃう?の話題で持ちきりとなり、みんなちゃうちゃうを連呼していた。
それがなんか面白かった。
ちゃうちゃうちゃうんちゃううるさいわ!!
と店主のツッこみが入り大笑いでこの話題は締まった。
会計はおっさん持ちで、2ショットをとり握手をした。こんないい夜を迎えられたのもこのおっさんのおかげだ。また、この店で待ってるでと言われ夜の街へ出た。終電をなくしてしまったので緑お帽子のオバハンホテルまで徒歩で帰った。なぜか、official髭男dismを知らないのに歌いながら帰ったのは、恥ずかしいから記憶から消したい。
次の日。
テレテレッテレーに救われたお礼の気持ちとして新喜劇を観に行くことに。
御堂筋線に乗りまた難波に向かう。
御堂筋線では、また関西弁達がパレードをしている。
二日酔いのせいか、パレードが全く楽しくない。
おまけに昨日のちゃうちゃうちゃうんちゃう?が頭の中を占拠し、気持ち悪くなっている。ちゃうちゃうちゃうんちゃう?どっちでもええわ。ちゃうってなんなん。なにがおもろいん?大阪ってなんなん?もう異国やん。
関西弁パレードとちゃうちゃうが俺を殺しにきたところで、難波に到着した。
難波の朝は昨日の夜とは違って、スッキリとしていた。酔っ払いと客引きと昨日のおっさんがいないからだろう。
初めてみる新喜劇に圧倒された。
最初、漫才が何組か見れてその後に新喜劇というタイムスケジュールになっていた。
とりあえずウーマン村本の話術とカッコいい笑いに惚れ、パラダイスの相槌に癒された。
ミキとか天竺鼠の若手や村上ショージや海原やすよ・ともこの大御所までみれた俺は大満足だった。
運良く前から5列目で見れた。臨場感のあるテレビ見てるみたいだった。テレビの中の人はテレビから出られないんかね。。。
テレテレッテレーテレテレッテレーテレテレッテレーテッテーが流れたところで昨日の替え歌を脳内で載せる。
一番びっくりしたのは小藪のデカさだった。
生で見ても内容3割抜けてた。
あ、あと小藪が2回噛んだ。
お昼を食べに昨日、関西親父感バリバリの店主に教えてもろた店に行こうとしたんやけど、どうも入りずらいところで、今度に回したのは内緒の話やねんな。(ラジオネーム:エセ神様)
そう言えば、昨日26歳女子がすき家の味が関東と違うって言ってたのですき家に入ってみた。関西人でも関東人でもない中国人が出す、牛丼ミニを食った。
んー。まぁ言われてみれば?んー。どっちだ。
ネットで調べたら味は変わらないらしい。というベストアンサーに選ばれた回答を見た。
だよね!!!うんうん。
あれ?これ味が違う?関東と違って関西はコクがあって美味しい!!とか言わなくてよかった〜。流されるマンになるところを無事回避。
大阪城を写真に納めて、動物園前にいく。
ハヌマーンの山田亮一がポストワールドやおー新世界という曲で書いた歌詞そのものの街で圧倒された。
まぁ良くも悪くも見えるってことですな。(曲聞けばわかる)あと、おー新世界に出てくるだるまの行列のだるまは串カツ屋さんだということがわかり一人でニヤついた。
昨日の二日酔いが続いていたので串カツは我慢して、お好み焼きを食べに行った。適当な店適当に決めて適当に食ったら適当な感想しか出ませんでした。
そのあと時間が余った���で、ハヌマーンが活動していた、寺田町Fire loopというライブハウスを目指した。
寺田町では女子高生が自転車を3人乗りしながら爆笑していた。青春やん。
寺田町Fireloopに着き、ここで一度でもいいからライブしたいと思った。有言実行させよう。
帰りに後輩のお土産としてたこ焼き(冷凍)を買い、ガスつかえなくてもたこ焼きになることがわかった。タコではなかった。
帰りの新幹線で、風景が変わってくると気持ちが安心に変わった。
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xf-2 · 6 years ago
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第160回芥川賞と直木賞の選考会が東京で開かれ、直木賞に真藤順丈さんの「宝島」が選ばれました。
真藤順丈さん
直木賞の受賞が決まった真藤順丈さんは、東京都出身の41歳。
大学を卒業後、自主制作映画を手がけたのち20代後半から本格的に小説を書き始め、平成20年に「地図男」や「庵堂三兄弟の聖職」など4つの異なる作品が立て続けに新人賞を受賞し、華々しいデビューを飾りました。
直木賞は今回、初めての候補での受賞となりました。
受賞作の『宝島』は、戦後、アメリカ占領下の沖縄で米軍から物資を強奪して暮らしていた「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちの視点で、昭和47年の本土復帰までの20年間を描く青春群像劇です。
基地を襲撃した「戦果アギヤー」の英雄が行方不明になったあと、残された3人の男女がその消息を追いながら懸命に生きる姿を沖縄の戦後史の流れの中で描いた長編小説で、現代の基地問題につながる重いテーマを扱いながらも、沖縄の方言を多用したじょう舌かつ軽快な語り口で物語が進みます。
「読者に響くものあったのでは」
真藤順丈さんは「きょう1日、とてもどきどきしていたので、受賞の知らせを聞いてほっとしました。エンターテイメントとして、読者に響くものがあったのではないかと感じています。現実の問題について、自分なりに伝えたいと思い、この小説を書きました。青春小説なので、何かを成し遂げたくてうずうずしている人、目の前に壁を感じている人にたくさん読んでもらいたい」と話していました。
選考委員 林真理子さん「平成最後にふさわしい」
真藤順丈さんの「宝島」を直木賞に選んだ理由について、選考委員の1人の林真理子さんは「平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができた」などと話しました。
会見で林さんは、「1回目の投票から、真藤順丈さんの作品が圧倒的な票を取った。2次投票を行うかどうか長い論議があったが、これだけ差が付いているものに投票の必要はないという意見から、真藤さん一本でいこうという結論になった。文句なしの受賞でした」と、選考のいきさつを説明しました。
そのうえで、受賞作となった「宝島」については、「非常に���い熱量で沖縄の強さと明るさが描かれ、どれだけつらくてもなんとかなるのではないかという、少しいいかげんな部分さえも伝わってくる。沖縄を描く小説にはこれまでも名作があったが、歴史のつらさを単に重く暗く書くのではなく、突き抜けた明るさで書いたことは、真藤さんのものすごい才能だ。私はこの明るさが、沖縄の戦後史を描くための必要なテクニックだと思う。平成最後の直木賞にふさわしいすばらしい作品を選ぶことができたと思う」と話しました。
また、作者が東京出身であることについては、「マイナス評価はなく、沖縄の人の精神性や方言、風俗、路地のおばちゃんのしぐさに至るまで、よくこれだけリアリティーを持てたなと感嘆した。一方、あまりにつらい場面でも、語り手が明るく茶々を入れる文体で描かれているため、委員の中には『沖縄の人はどう思うか』という心配もあったが、私は沖縄の人もこれを読んで感動してくれると確信している」と評価していました。
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kari3622-blog · 3 years ago
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Bill Evans Trio ‎ "At Town Hall Volume One" 待望の!と言いたいところですが、勘違い購入 ... 。 1966年2月21日、Town Hall, New York 録音。エヴァンスはライヴが秀逸。本当は、"Bill Evans Trio At Shelly's Manne-Hole"(1963録音)が録音秀逸と言うことで狙っていたのですが、"Town"と"Manne"の思いっきり勘違いでした... 。 で本作ですが、針を落として驚嘆!自分の耳を疑うくらい音質が良くない... 。レンジが狭く、霞がかかったようにボヤっとしている... ライヴなのに空間を感じない... 拍手にもリアリティーがない... 。 一旦針を上げてみると、ゴミの付着量が半端ない。盤を丁寧にクリーニング、レコクロスが黄色くなるほど、かなり汚れていました。 カートリッジを取っ替え引っ替え。audio-technica AT150E/Gか、リフレッシュしたい時のShure M44-7がベター。余韻が減るのでライヴ盤には向かないですが。効果てきめん!ノイズは減り、曇りがさっと取れクリアに。これなら聴けるレベル。逆にベース音の量感だけは素晴らしいですよ! オリジナルは、 #VerveRecords ‎レーベルV-8683、本盤は日本ポリドールからの豪華なGatefold再発盤、MV 2053 STEREO。もしかしたら、音質が悪いのは日本盤だから? "Volume One"なので"Volume Two"も?本作を発売した当初は、収録することができなかった音源でVolume Twoを制作する予定だったみたいですが、LPにするには使える曲が足りなかったようで、結局Volume Twoに入る予定だった3曲がCDに加えられ、ジャケットはLPをそのままで発売されたそう。機会があれば、CDを入手したいと思います。 #BillEvans (p) #ChuckIsraels (b) #ArnoldWise (ds) Engineer - #ValValentin Producer - #CreedTaylor Concert Producer - #HelenKeane Cover Photograph - #TonyWolff Liner Photograph - "Popsie" Cover Design - Acy R. Lehman 本作の演奏については悲話が... 。 エヴァンス人生初のコンサート・ホールでのライヴの記録、しかもニューヨークも初と言う作品。本来なら晴れ舞台となるはずのこの日、エヴァンスは悲しみに... 。 わずか数日前に、父親ハリー・エヴァンスが亡くなったから。(エヴァンスの生涯に影響を与え続けた兄のハリー Jr. とは同姓同名)。 この日は、エヴァンスのソロ、トリオによる演奏に加えて、アル・コーンのアレンジによるオーケストラとの共演も行われたようで、まさにエヴァンスにとっては一世一代の晴れ舞台だったはずが、上記の事情でエヴァンスは情緒不安定... オーケストラとの事前調整もほとんどできず、準備不足は明らかということで、残りの演奏はお蔵入りに... 。それも残念なことですが、そんな中でもこの日のエヴァンスが見せた一瞬の煌めきは、好調時のエヴァンスを思い起こさせる名演。特に最初の4曲のトリオの演奏の完成度が非常に高いと。悲しみを紛らわすためかも知れませんが、1-1" I Should Care"の跳ねるような高揚感、1-3 "Who Can I Turn To (When Nobody Needs Me) "の��和さも素晴らしいが、とはいえ注目はやはり14分近くにおよぶソロ演奏による鎮魂歌、Side 2の"Make Someone Happy ~ Solo - In Memory Of His Father, Harry L. Evans, 1891-1966" ですね。 なぜ、My FatherではなくHis Fatherなのでしょうか?これは4部構成の組曲風で、"Prologue"を除いて、すでにある曲を組み合わせたもの。"Story Line"はリヴァーサイド時代の恩師オリン・キープニュースに捧げられた"Re: Person I Knew"、"Turn Out the Stars"は友人ジーン・リースと共作した名曲。そして、アルバム"Everybody Digs"の両面最後を飾った"Epilogue"へと。 しかし、重苦しく悲嘆に暮れることはなく、そこはかとなく感じられる75年の人生を終えた父親へのいたわり。亡き父を静かに送り出すエヴァンス。 なお、ベースのチャック・イスラエルはこれを最後にトリオを去り、ドラムのアーノルド・ワイズは、このアルバムがエヴァンス・トリオでの唯一の公式録音だそう。貴重なライヴ盤。 #jazz #fuzey #vinyl #jazzvinyl #vinylcollection #ジャズ #スイングジャーナル #レコード #ビニールレコード *作品を知るとジャズはもっと輝きます。情報くださる先輩諸氏に感謝。 https://www.instagram.com/p/CVrBicdPRp0/?utm_medium=tumblr
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koudelkalightnovel · 6 years ago
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出��い、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大き��った。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさ���ら、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから���ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる���囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつくのでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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theatrum-wl · 4 years ago
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【劇評】いつか思い出すための記憶のパッケージ
『草の家』燐光群 小泉 うめ
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[撮影:姫田蘭]
一見どうでもよさそうなエピソードだが、最初と最後に配置薬の販売員(川中健次郎)がやってくる。それ���眺めながらこんな事を考えていた。
救急箱は家のような箱だ。そこには家族がいるように、色々な役割の薬が入っている。胃薬には胃薬の効能があり、風邪薬には風邪薬の効能がある。何かがない時にはある程度の代用が利くものもあるが、やはりそれぞれの役割はそれぞれにしか果たせない。それは同じ兄弟と言っても大人になった頃にはその位置づけからできた役割を変えるのが難しいことに似ている。
配置薬は便利なシステムだ。胃薬を使ったなら胃薬が補充され、風邪薬を使ったら風邪薬を補充してもらえる。無くなった時に簡単に補充できるものは良いが、代わりのいない家族が亡くなった時はそういうわけにはいかない。その救急箱は途端にアンバランスなものになってしまう。必要な時に必要な薬の入っていない救急箱はとても空しい存在になる。
ただただ調子のいいことばかり言う販売員は決してそんな面倒臭い話はしないが、人知れずこっそりそんなメッセージを置いて行った。
岡山にあるという「はかりや」と呼ばれて古くから知られている計器商店の藤井家には4人の男兄弟がいた。父の死後長男の悟志が後を継いでいたが、その悟志が2年前に早逝しその嫁の陽が義母の芳(鴨川てんし)を支えて家を守ってきた。しかし陽も重い病気で入院してしまい、いよいよ芳が一人残されそうになるところからこの物語は始まる。
はかりは現代では安価になっているものが多いが、そもそもそれらはモノの価値を明確にするための道具であって、またあるモノが別のモノと同等であることを示すための道具である。元来これを扱う商売というのは信頼を求められ、またそれによる権威を伴うものであっただろう。加藤ちか+じょん万次郎による舞台美術はそのような商いをする店舗兼居間のような空間に最近はあまり使わなくなった様々なはかりが並べられていてそれだけでも一見の価値を感じる。それは必然的にモノの客観的価値やモノとモノとの相対的比較を潜在意識に訴えかける仕掛けとなっている。
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( 左より、間宮啓行・さとうこうじ・猪熊恒和・鴨川てんし ) [撮影:姫田蘭]  
先に東京で暮らしている次男の浩次(間宮啓行)とその妻の昌枝(円城寺あや)がこの家に戻って来ている。二人は時々母の様子を見に来ているようだが、昌枝はここに来れば芳から女中のように使われることにうんざりしており、浩次がその板挟みになりながらもやり過ごしている様子は典型的な嫁姑問題の構図だ。それはこの次男夫婦と芳の関係性を伝えるとともに作品中では不在の陽がこれまでどれほど苦労をしてきたのかを想像させる手段として上手い。書き方によっては陽をどこかで登場させる方法もあるだろうが、他の登場人物たちの言葉からその姿を思い浮かばせて、思い切って観客の想像力を信頼する方法が戯曲全体を通してよく効いている。
三男の幸雄(猪熊恒和)は浩次の計らいもあって大阪で大学の教官をしていたようだが家族も知らぬ間にその職を辞めており、今は自転車で旅をするなど気ままに生活をしている。どちらが悪いということでもなさそうだが、兄に世話された環境の人間関係を息苦しくも感じていたようだ。かつてならもっと手厳しいことも言われるかもしれないが、このような生き方の多様性は少しずつではあるが社会的にも理解されるようになってきている。
四男の靖(さとうこうじ)は近隣に残って暮らしているが、だからと言ってこの家によく来ているわけでもないようだ。それはもちろん今は自分自身の暮らしもあるからだろうが、兄夫婦への遠慮もあっただろうしそれゆえに生じた距離感でもあるのだろう。兄たちからすれば頼りにもされているのだが、その期待は重荷でもあるし家に対する責任は必ずしもそこからの距離に比例するものでもない。
観ているだけでそれぞれのキャラクターが細部までよく検討されて実に念入りに描かれていることが分かる。またキャスティングも上手くいっており役者たちの演技もそれぞれによく馴染んで見える。それは燐光群の役者の層の厚さと演出の坂手洋二の手腕によるものと言えるだろう。
ここには決して悪人はいない。それぞれ自分の生まれた順番にふさわしく成長して、それにふさわしい暮らしを手に入れただけなのである。男4人と言ってもどうしても長男は長男として育つし末っ子は末っ子として育つ。跡継ぎを争うような形になった時の方が状況は困ったことになるわけで、この兄弟たちはむしろ健やかに自分の人生を考えて大人になったのだ。
ただ予定外だったのは、母よりも先に長男の悟志が死んでしまったことである。いつも人間が年齢の順番に死んで行けるなら世界中の家族の暮らしは随分穏やかになるだろうと思われるが、しばしばこのような番狂わせは発生して家族を混乱させる。それぞれが自分の役割を考えて大人になって自分の暮らしを持ってしまった後ではそれを修正することはとても難しい。当然のように、残される母をどうするか、家は処分するのか、といった近い将来の心配事に対する話が始まり、問題が浮き上がっていく。
核家族・小家族化がすっかり進んでしまった現代社会において、このような感覚は近い将来には理解されなくなるかもしれない。日本の古い家制度によって女性ばかりが苦労したり、兄弟が生まれた順番で将来を決められたり、それに逆らって争ったりということは改められていくべきではあるし、少しずつではあるが社会はそういう方向に向かっている。若い人の中には既にこの人たちが何故こんなにも苦しんで揉めているのか理解できないという人もいるだろう。しかしこれはちょっと前までは日本中のどこにでもあったような家族のステレオタイプであって、この戯曲の中にはそれが見事にパッケージされている。そして達者な役者を揃えて上演すればこれからもこのようにそんな時代を鮮やかに甦らせることが可能なはずである。
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( 左より、鴨川てんし・大西孝洋 ) [撮影:姫田蘭] 
終盤には芳が一人でいるところに既に亡くなっている悟志(大西孝洋)が現れて二人が思い出話やこれからのことを話すのがファンタジックで印象的だ。それは亡霊かもしれないし芳が見ている幻覚なのかもしれないが、それまでのリアリティーのある家族の会話の連続に突き刺さって演劇的な醍醐味を感じさせる。また作家の本当に伝えたいことをナチュラルに物語の中に溶け込ませる手法としても成功している。
この戯曲の書き方はある意味基本にとても忠実である。そしてどことなくチェーホフのそれを想わせたりもする。兄弟の描き方も「三人姉妹」の男性版として見てみると、個々の登場人物の描き方やその関係の描き方にそれを感じ取ることができる。また「草の家」というタイトルは上演を見た後には「桜の園」を想わせるところもある。ただ桜の園は最後には売られるのだが、この家は草に覆われていずれ誰からも忘れられていくだけのものである。そこにはかつての日本のどこにでもあったような家族の姿に目を向けて注がれた慈愛が満ちている。いずれもよくある手口と言ってしまえばそうなのだが、それらがいずれもとても丁寧に行われているのがこの戯曲の優れた点と言えるだろう。この戯曲は、守安久二子が初の長編戯曲として書いたもので、アートヴィレッジTOON戯曲賞において大賞と観客賞を受賞している。聞くところによると、下鴨車窓の田辺剛の劇作講座で指導を受けていたそうで、そう言われると頷けるところも多い。
また配役もよく気が利いていて、母親の芳にキャリアのあるベテラン女優をドンと据えればしっとりしたメロドラマに仕上がるのだろうが、そこに敢えて男性の鴨川てんしを置くことにより随所にそれによる笑いも起こしながら、かつその笑いに溺れることもなく全編をまとめ上げている存在感が光っている。また最後に出てくる孫の孝を女性の山村茉梨乃が無邪気に演じることで、語られる家族の重い現実から少し救われる気持ちにもなれて後味がよく、終演後椅子から立ちあがるのも随分楽になる。
ラストシーンは悟志の三回忌の法会から息子の翔一郎(町田敬介)とその妻の光子(樋尾麻衣子)、その子どもの孝(山村茉梨乃)帰ってくるところが描かれる。そこまで出てこなかった新しい世代の人々を大胆に登場させるエピローグは平田オリザの戯曲を想わせるような所もあり、未来との繋がりを感じさせ光明を見る思いがする。ただ唯一気になったのが、この時幸雄と靖が家の裏の川で魚釣りをしていることだ。私は田舎生まれの釣り師でもあるのだが、通常であれば親族の法事の日には水難を怖れて川に出ることはしないし、もちろん魚を釣って腹を割くという殺生もしない。田舎暮らしをしていればそれこそこれは子��もの頃から親や更にその親から言い継がれて教わることだ。兄が亡くなった悲しみが少しずつ癒えている様子として描かれているのであろうが、やはり少し早過ぎると感じる違和感は残る。そしてもし何らかの意図があるとすれば、それは情報が不足していてここまでの技巧的な戯曲の書き方とは不釣り合いに感じる。
守安は元々東京の出身で結婚を機に岡山に移り住み、その暮らしを経てこの戯曲を書いたとのことである。その家庭に介入するつもりはないが、少なくとも生活環境の変化に対応することはそれなりに大変なことであっただろう。これもまたどうでも良いような小さなエピソードだが、彼女がそのような習慣のギャップのせいで経験したであろう苦労を想わせるこのラストシーンにこの題材を選んだ動機づけが垣間見えるような気はする。
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( 左より、円城寺あや・間宮啓行  ) [撮影: 古元道広 ]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・小泉うめ 観劇人。観客発信メディアWLスタッフ。舞台感染対策。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー   
燐光群 『草の家』 2月5 日(金)〜18日(木) 下北沢ザ・スズナリ 作:守安久二子  演出:坂手洋二 出演:間宮啓行 円城寺あや さとうこうじ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 樋尾麻衣子 山村茉梨乃 町田敬介 【STAFF】 照明:竹林功(龍前正夫舞台照明研究所) 音響:島猛(ステージオフィス) 舞台監督:青木規雄 森下紀彦 美術:加藤ちか+じょん万次郎 衣裳:小林巨和 ウィッグ:高橋幸子  擬闘:山村秀勝 演出助手:村野玲子 文芸助手:清水弥生 久保志乃ぶ 音響操作:中山美里 舞台収録・写真撮影:姫田蘭 宣伝意匠:高崎勝也 協力:浅井企画 劇団印象-indian elephant- 制作:古元道広 近藤順子 制作インターン:加藤七穂 主催:有限会社グッドフェローズ 助成:文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会 【全席指定】 一般前売 3,800 円 ペア前売 7,000 円 当日 4,200 円 U-25/大学・専門学校生 1,500 円  高校生以下 500 円 
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blueeffect0622 · 7 years ago
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[訳][島銃士]★最高に意外なダルタニャンに出会う!★
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於青島は僕が受け付ける! さあ!意外なダルタニャン俳優オ・グァンロクさんが公開されました 予想もできなかった最高に意外さにビックリしてしまった島銃士たちと バラエティー初心者のオ・グァンロクさんの愉快な初対面の現場へ行ってみましょうか!??
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ダルタニャンお成~り!
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急に礼儀正しくなって 小さくなったドンファ兄弟ㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
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兄さん~見ても分からなくてすみません~~ホドンの愛嬌必殺技使う
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きゃすごく会いたかったです オ・グァンロクさんはリアリティーの撮影が初めてだそうですよ! 島に行くのが好きで、島銃士に遊びに来たそうですね  #島 #ぴったりの趣向 魚にタコまでまったくもって一ひさごを捕まえておいてくださったという…! 果たしてうちの島銃士たちとは、どんなケミを見せてくれるのか…?!!
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景色最高で~ディスクトップにちょうどいいですよ~ 染まっていく空のおかげでより一層美しい出会いの時間 *_*
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うはははは
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共演したことがある二人の再会ㅎㅅㅎ 灯台の前に座って、仲睦まじく話を(モノマネも)交わしましたとさ~ さあそろそろオ・グァンロクさんの家を探しに出発する番ですが…
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果たしてどこでしょうか@.@
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すぐに親しくなった島銃士とダルタニャン もうすでにバラエティーの感をつかんだグァンロクさん(ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ) スタッフとカメラに沿って家を探すのも一度で成功しましたとさ!! ”於青島の初日が暮れていきます”
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軒下にぎゅうぎゅうに集まって 夕食の前に夕暮れを眺める島銃士&ダルタニャン ロマンチックな時間を過ごしていますね
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僕たち愛し合ってます,,
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(いざやると)しょげる 軒下で雨宿りする(フリする)名場面のワンカットを作ってくださって~(faet.特殊効果チーム)
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ヒソンのお母さんはホドンファンㅎㅎ
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美味しいずるずる お膳の足が折れるほどのたくさんのご馳走で夕食をしましたぁ ヒソンのお母さんの魔法の手から生み出した歴代級の料理たち!! お母さん大好きです♡どうか僕も一口だけ…よだれジュル… ”島銃士?いやゲーム銃士!!”
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完全に真っ暗になった於青島の夜♥ しかし当然島銃士たちの熱気はまだ冷めませんよね!!
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何かをまた熱心にしている姿ですが 'ㅅ' ? まさにサメボードゲームだそうです(ㅋㅋㅋㅋㅋほぼ子供の遊び部屋) しかし彼らがこんなに慎重な理由は… 敗者に口紅の罰ゲームが待っているからです
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姉さん俺らは違うよね でしょ?
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リアクション王4人組 案の定、.最初の罰ゲームも二回目の罰ゲームも… ホドン当選!!!
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清純姉弟 ほぼ何ロットになったのかと
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なんで俺なんだ!!なんで..なんで!! しょうがないです…受け入れなければならない現実なんですぅ…
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それなりにかわいい唇
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かわいい取消..ㅜ
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本人も笑えるってㅋㅋㅋㅋㅋㅋ 今回はヒソン罰ゲーム当選~
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サロンにいらしたような
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オッパちょっときれいに塗ってよ~~!! ★ヨンファ&ホドン メイクアップアーティスト出撃★ いらっしゃいこんな美容室初めてでしょ..?ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
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思いがけないモラジュギ(一人以外全員変な顔して撮る写真) いつのまにかヨンファまで無残に.. この日ゲームの勝者はラッキーガイダルタニャンでした ㅋㅋㅋ
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こんな中でヨンファのかわい��..
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ダルタニャン ピョロン (泣きべそかいたヒソンとともに今週はここで終わります..) 来週は、本格的に於青島探訪に行ってみます!♥ 毎週月曜日10時50分放送キム・ヒソン、カン・ホドン、ジョン・ヨンファの島旅行記[島銃士] 本.番.死.守!! ♥来週もOliveTVとtvNで会いましょう♥ http://naver.me/Ga03xjYX
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yaoi-instigator · 7 months ago
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reality-onii-san do you fw emo 5'3 nonbinary twinks. asking for a friend
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yuzufrom · 8 years ago
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たりないはなりたいのはじまり
🙏Mr.KINGの話じゃないです。
というわけで、だーはらの明莉が ブログで語ってくれる前に 私めも2016年度を語りたい
卒業した戦士たち~!
みのり
みのりは本当に小4限りで卒業しちゃったのが惜しい戦士です。ワイド期の小学生戦士を彷彿としたエネルギッシュで個性豊かな最年少5人のなかでもしっかり者で最も頼もしかったのがみのり。小4は最年少にしては大人だよな~とみのりを見てると改めて思ったりもしました。でも最年少っていう自由が効く肩書きがあったからこそ、みのりがしっかりした面以外の部分を発揮できたのかなとも。たりないドアーでのはっちゃけっぷりは小4勢の関係性の良さが集約されててすごく良いなって。記者会見でも同学年同士でお茶目なリアクションしてたり。最年少勢が楽しそうな場面にはいつもみのりがいる印象。同学年の明るさを引き出せるみのりがいたのは最年少が過去最多となったこの学年にとっては非常に良い効果をもたらしてたと思います。人と打ち解けるのが上手いんだろうなあ。これも記者会見でだけど一人だけ全然ちがう方向向いてたのには笑った笑 そういうマイペースなとこを思うと、やっぱ最年少で入ってきたのは正解だったんだろうねえ。もし年下がいたら面倒見の良いお姉さんになってたイメージができる、それくらい基本的には落ち着いてたなあとも思いますけども。みのりがいたからこそこの年代の戦士に惹かれたんじゃないかなと。ありがたい存在でした。抜群の期待を抱かせて旅立つのもまた功績。
奏芽
奏芽と言えば工作、ってくらいイメージが強くてワクワクさんと並んでる姿が無性にしっくり来たり笑 奏芽もまた、最年少としては非常に落ち着きがある戦士だった。笑顔が印象的だったんで年度の最初とかはもっと子供らしいんだろうなと思ってたんですが、見ていく内にどんどん本来の穏やかな人柄を知っていってその度にそーなのかーって発見を重ねていく探検家のような笑、心持ちになりました。穏やかで優しい風を纏っているような爽やかさも持ち合わせる奏芽。彼の良さを象徴するかのような声が魅力的。なんかすげー素敵なおじいちゃんになりそうな笑、優しい未来をイメージさせてくれますな。
カレン
カレン~~~~~~カレンはねえ、本当にねえ、てれび戦士という存在が持つ包容力を再認識させてくれた、めちゃくちゃ恩を感じるお方。意外と胆が座ってるカレン~~~~~~!運動が苦手で初年度ではなわとびの特訓、翌年は跳び箱の特訓と、できないをできるにしようって機会が多かったカレン。なわとびで目標を遥かに上回る記録を叩き出したときはテレビの前にも関わらず盛大に拍手してしまいました。そんなカレンが竜心に記者会見で「運動神経は良い」と言われてたのはすごく好きな場面で。言われた本人はびっくりしてましたけど笑 これもカレンが今まで苦手分野であるスポーツにも誠実にチャレンジしてきたからこそ、近くで見てきた竜心が本人すら気付かないカレンの才能を見つけられたんだろうなと思います。自分に足りないと思ってる力が、実は充分に備わってるってことをそばにいる人が教えてくれるってすごく素敵なできことだなあって。自信持って良いって魔法の言葉だなあと思いますねえ。謙虚なカレンはこの言葉をどう力にするのかな?変顔を披露してくれたり、去年は場面場面でその度胸を発揮していたカレンなら自分を生かすことはそう難しいことじゃないと思います。おっとりしててふしぎちゃんオーラを身に纏い、内なる世界を感じさせながら実は常に外に広がる可能性にしっかり向き合ってきたカレン。その逞しさは宝です。
武尊
ついに卒業かああ!くぅーーーっっ………。。 Let'sの初週水曜日、初めてのスタジオのターン。その日の武尊の活躍は今でも印象的で。今思えば、このとき抱いた期待がその後の成長をすでに物語っていた気さえいたします。2014年度は全員新人ってこともあって、そこにいる全員が控えめ。笑 そのなかで好プレーを見せてくれたのが武尊。この時点で戦士たちと司会進行を務めたオリラジの共演は初。そこでオリラジのノリに瞬時に乗れてた武尊は、オリラジと戦士、スタジオと茶の間の緊張をほぐしてくれたのでした。武尊の頭の回転の早さは初登板の時点ですでに開花してた。そしてそして、武尊と言えばミッションの難易度の高さ!個人的には最もミッションの内容が充実していた戦士の一人だったと思いますねえ。秀才さと何でもこなせる平均的な能力の高さを見込まれてのことだったんだろうと。どのミッションも見応えがありましたよ~ ラストイヤーの3年目には、持ち前の視野の広さとフォロー能力の高さを随所で発揮。特にチーム戦や協力戦での活躍は見事でございました。指示やアドバイスも的確だし訪問先の方々やゲストも含め周り立てんのも上手い。武尊は、番組の起承転結で言うところの"承"と"転"を明確にしてくれていた存在。武尊の機転のおかげで今何が起こっていてこれからどうするかが視聴者にもしっかり伝わってきたという場面も少なくなかった。常に、天てれと茶の間の橋渡しをしてくれていた。そんな仕事ができたのは歴代から考えると山ちゃんとかだった気がしますねえ。重なって見えた時も実は多かったです。少年らしいところも似てるなあとか。サッカーで例えるとFWタイプやMFタイプの戦士が揃っていた去年度の中学生勢のなかで、安心してゴールキーパーを任せられる。そんな頼もしい存在でした。往年のてれび戦士の最も大きな魅力の一つであるひたむきさが光る、Let'sで最もてれび戦士らしいてれび戦士だった。大好きです。
緋梨
モノマネの達人でおなじみ、いーじまの方のあかり!緋梨は人を明るくする才能に満ちてらっしゃる。自虐ネタをさらっと言えるほど笑いに生きてた女子戦士って本当に貴重。原田の方の明莉がすかさずフォローしてましたけどね。Wあかりのそんなバランスにホッとしたり。豊かなユーモアとおおらかさでとにかくいつでもサービス精神旺盛だった緋梨。最初は人柄としての魅力だったそんなサービス精神が能力の一つとして頭角を現したのがグルメリポートだったりするのかなぁと。プロフィールにも取り入れられるほど特技として定着した印象だったんですけども、そのレベルの高さは目を見張るほどのもの。見てるだけで視聴者も手に取るようにイメージできるほど視覚、嗅覚、触覚で捉えたものを言葉に起こすのが上手い。難しい言葉とかはは使ってないんだけど…国語能力とかありとあらゆる才能を感じざるを得ない素晴らしさ。中一のときにはもともとの器の大きさが年長戦士というポジションと相まってより全面に出てくるように。どちゃ王決定戦でも自分が優勝したことより、負けて泣いてしまっ��辻をなだめることに注力してた姿はこれぞ年長戦士と言う一面。この場面は緋梨の一歩引いたところからみんなを見守るお母さん的な年長戦士としての姿を象徴してたような気がします。モノマネ修行をやりきるガッツ、なんじゃこれと言うミッションにも柔軟に取り組む臨機応変さ。一年目は小5だったし久々に見返してもやっぱりうるせえww(褒めてる)くらいに元気いっぱいだった笑 そんな緋梨のガッツや元気は緋梨の内側に留まらず、他の戦士のガッツにもなっていた。翼とのキャニオニングや明莉との洞窟探検で、パートナーの戦士が勇気が出ない、心が折れかけてる状況で、自分を奮い立たせて真っ先に斬り込んでいった。そんな緋梨に続くように翼と明莉もミッションを成功させられた、と。おもしろいなあと思うのは、この二人って、単独で最年長を任せられるほどのしっかり者なんですよね。そんな翼や明莉でもやっぱ力が出ない、勇気が出ない場面ってのはあって。年少戦士のサポートまでやってのけてた中学生時代を思うと、もはや意外ですらありますけど笑 そんな歴代リーダーの一戦士としての大きな飛躍に一躍買っていたのが緋梨だったんじゃないかなあと。そこから考えると緋梨の偉大さがよく分かりますよねえ。武尊を見てても感じたことですが、二人行動が多かったLet's期に、集団で動くときに学年に見合った役割を果たせる年長戦士がしっかり育ったことが本当に素晴らしかったなと。少人数体制でこのことを証明してくれたことに誇りを感じます。天てれにとってもてれび戦士にとっても視聴者にとっても、ホッとできる、心の温かさを感じさせてくれる存在でした。その明るさとガッツで、キラキラした毎日を送ってください!
大トリは14年ぶりの単独最年長を務めあげた、タッキーこと瀧澤の翼パイセンです。大!天の頃、一視聴者として延命ちゃんを中心としたこれからの天てれ像についてよく想像(何か妄想って言い方はむなしいので笑)してたのですが、その頃、(俊輔みたいにリーダーシップがあって、戦士としてもオールマイティーで、てか見た目も俊輔みたいなマイルドな男子戦士が欲しいところだな~)と思ってい!た!ら!!!新時代とともに現れたのがこの方、瀧澤パイセン。延命ちゃんと同じ学年にってところまでは当たりませんでしたが笑、全卒からの全員新人と言う波乱の幕開けとなった14年度において、そんな待望中の待望である翼の加入は希望と言っても過言ではなく、私めが早々にLet'sが楽しみになったのは瀧澤パイセンのおかげでした。ラストイヤーには俊輔と同じく単独での最年長となることに。見た目も似てるし俊輔のように兄貴気質な翼でしたが、その姿は初代てれび戦士のリーダー清野くんを彷彿としていた。清野くんは初代9人の中で最年長ではなかったもののリーダーだった。前述した通り、Let'sは開始時全員新人で初代と同じ状態なんですよね。その中で最年長の1つ下の学年でリーダーシップが光ると言う共通点を持つ清野くんと翼がダブって見えても不思議ではないってわけです。しかしながら14-15のてれび戦士は全員同期と言うこともあって、学年のしがらみもなくフラットでした。そんなところもLet'sの魅力の一つだなと思うほどそれはそれで素敵なバランスだったなと思います。そういう環境だったことで翼が必要以上に大人にならなくて済んだのかなと。もし、見本となる先輩戦士がいたり2年目に例年通り後輩戦士が入ってきていたら、もっともっと相対的な成長を遂げてたんだろうなって。戦士は、基本的には周りの卒業加入を経験することで学年が上がるにつれて集団における自分の役割を掴んでいってる印象があるんですが、翼はそういう過程を経て得ていくものを最初から持っていた。それだけポテンシャルがすでに高かったんですよねえ。小6新人って元来そういうものでしたし。そして、二人行動が多かったLet'sでは戦士の"絶対"の個がすごく際立った。リーダーシップとかって相対的な要素だと思うんですよね。そうなると、翼がそういった相対的に発揮される強みより絶対的な個を育てていくことにおいて同期だけだった二年間の環境は合ってたんじゃないかなと。そんな話を続けてきましたが、やはりこの方はリーダーシップを期待された戦士だったんだと確信したのが中二となった2016年度。最年少史上最多となる5人の小4の加入。気が付いたら最年少とミッション行ってた記憶がありますね笑 これがまた可愛いんだ 兄貴気質の本領発揮とはこのこと。思えば初めてのミッションのパートナーも当時最年少だった竜心なんですよ。翼と最年少って相乗効果がすごい。しかし最後のパートナーが三年間切磋琢磨してきた武尊だったのはスタッフ粋じゃーーーーーーーーーーーん!ってときめきっぱなしでしたね…そのかっこよさときたら…ブログのタイミングと言い年度末に最年長に華を持たせる心遣いがやっぱり嬉しかった。トークとなりゃ周りの戦士の言葉を引き出し、ダンスも得意でリアクションも表現力もピカ一な抜群のオールマイティー戦士。しかし甘くないのが天てれ。力勝負はほぼ任され、泣くほど苦手な肝試しにも駆り出され、そのことをちゃっかりプロフィールに記されるww正統派のど真ん中を行くタイプでありながら良い感じにカジュアルダウンしていってる翼を見てこれぞ天てれの醍醐味でありてれび戦士の醍醐味だなーと。そんなことを改めて思い出させてもらいました。違和感無縁の安定した演技力で番組にリアリティーと迫力を与えてくれてた翼。ドラマをより本格的なものにしてくれた。近年の天てれに欠かせない名優でした。記者会見で女子戦士たちにナルシストって責められてた姿なんかはもう中二男子の伝統ですね笑 尻に敷かれてるくらいが最年長の余裕ってもんです。周りの戦士に掛ける声に優しさが溢れてて見てるこっちまで安心させてもらったなあ。翼の笑顔と前向きさにたくさん元気をもらいました。間違いなく一時代を代表する戦士。三年間おつかれさまでした。これからも爽やかに吹き抜ける風のように前進し、暖かく照らす太陽のように優しい翼でいてください。てれび戦士になってくれて本当にありがとう。応援してます!
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meloncream-natrium · 6 years ago
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ジェネレイト・ライク・でぃす
グラビティ・ダンス・ディスタンス
※この物語はスターシステムを採用しています。他作品の名称および団体とは一切関係ありません。
 §
 指を振る。
 視界の右隅から左へとスワイプの動作に反応して、フラットデザインで統一された薄緑のシステムバーが表示される。
 少女はシステムバーから『フレンド』を選択する。
「やっぱり居ない」
 VRMMO『ハルセンヌ』が登場したのはつい一ヶ月前。
 すでにVRMMOというジャンルは一般的になっていたし、ハルセンヌの世界観というのは��洋風のファンタジーものだから、これといって新鮮だという訳ではないけれど、それが好きだという人間はやはり居るわけで、だからこそベタになるわけで、サービス開始一ヶ月目ともなると、同時接続者数は多い。
 VR。
 ヴァーチャルリアリティ。
 一〇年代に普及した物というと、ゴーグル型の、重力センサーのような物が付いた、リアリティーというにはまだまだお粗末な物だったらしいけれど、現在普及しているそれは、意識すべてを預けるような物で、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚といった五感すべてで仮想現実にダイブできる。かつてのゴーグルのようなVR機器に比べるとやや大きくなったけれど、その没入感は比べものにならないという。
 明晰夢――というのが感覚的には近いらしい。
 夢の中で夢だと自覚すること。
 夢だと自覚した上で夢を操ること。
 そんな感覚に近い。
 VRの技術がそこまで整うと、様々なゲームやシミュレータが登場したが、やはりその中でも最も人気なのが――異世界で別の生活を歩むことのできるVRMMOだった。
 この手の未来は〇〇年代、VRが一般に普及していない時代からアニメやライトノベルで夢想されていたし、消費されていたことだった。
 だからそれが思っていた形で登場すれば、消費者は飛びついた。
 そして、『ハルセンヌ』もそんな時代に登場したゲームの一つである。
 かつて。
 〇〇年代に流行したアニメやライトノベルのように、ログアウト不可のデスゲームになることはないけれど。
 あの時代、誰もが夢見た異世界を旅し、戦うゲームの一つである。
 そんな『ハルセンヌ』のエユパロム王国という国。その王都に少女はいた。
 どうやら待ち合わせをしているようだった。
 システムメニューのフレンド欄には、相手のログイン状態が表示される。少女が確認したところ、やはり友人の名前はなかった。
「確か今日の八時にインしようって言ってたよね……」
 現在八時半。
 三十分も遅れている。
「イベント申し込み、間に合うのかな……。今日の九時までに申し込まないと」
 あと三十分。
 サービス開始一ヶ月にきて、『ハルセンヌ』に新イベントが導入された。
 そもそも『ハルセンヌ』は剣や魔法を扱うRPG的ゲームだったが、戦闘システムの自由度が高い。武器種も、複雑な開発システムによってサービス開始後は毎日のように新武器情報がネットに流れているし、発見したからといってうまく真似ることができないような、個々人の進行で戦闘システムも大きく変わっていく。RPGとは言うけれど、レベリング以上にシステムへの順応と研究、応用が試されるゲームだった。
 その『ハルセンヌ』で主に敵対するのはモンスター。ゲーム内にあるいろいろなクエストを受注して、モンスター討伐や、素材集めに繰り出される。
 しかし、それ以外にも大きなイベントがあって、今は毎週土曜日の大型クエストとして楽しまれているけれど、一〇〇対一〇〇の軍隊戦というのがある。
『ハルセンヌ』はアカウントを作成するときに、『エユパロム王国』か『神聖カルツ帝国』か所属国を選ぶことができる。この選択でも戦闘スタイルに大きな影響を及ぼすらしい。
 そして、ゲーム内では戦争中であるらしい、この二国の傭兵としてプレイヤーが戦う――という一大イベントに参加することができる。
 そして、サービス開始一ヶ月というこの時期に、さらに新イベントが仮導入されることが通知された。
『コロッセオ』
 シンプルなそのタイトルは、ルールもまたシンプルで、要はバトルロワイヤルをしてもらうというものである。
 プレイヤーは一組二人までのチームを組み、最後の一チームになるまで戦い合う。プレイヤー対プレイヤーというコンセプトが強い、このゲームらしいルールだった。
 そのイベント申し込み締め切りが間近に迫る。
 ソロ参加者も多いという今イベントだが、少女にはソロで参加するほどの度胸も、ゲーミングセンスもない。
 そもそもいま遅れている友人が誘ったのだ。
 一人で参加する必要もない。
 と、少し安心していたときだった。
「悪い悪い、遅れた遅れたー」
 と友人の少女が現れた。
 現代のVRゲームでは、脳の制御感覚上、リアルの性別や体型などの情報から離れたものを制御するのは難しい。だから顔情報やテクスチャはともかく、基本骨子――特に身長や性別は現実と同じになる。
 この手のゲームでは女性アバターというのは珍しいのだ。
「うわ、女だぜ」「ホントだ。まあ、でもファンタジーは女にも人気だろ」「ていうか、デブかもしれないし」「デブって反映されないの?」「お前、デブじゃないのな」
 少女二人の周囲にはそんな囁きが飛び交う。
 ただ、普段であればここまで珍しがられることもない。
『ハルセンヌ』の男女プレイヤー比率は七対三程度と言われている。VRゲームへの同調能力の高さは女性の方が高いと言われているのだが、女性は育成系やシミュレータの方に流れている。
「遅れた、じゃないよー」
「だってー」
 友人の少女はどうやら、家庭の事情で遅れたらしい。リアルでは中学生だから、どうやらゲームばかりしていることについて親と一悶着あったらしい。
「今度の模試次第ではユキ、ゲーム没収じゃないの?」
「そうかもー」
 友人――ユキに忠告する少女。二人はリアルでも知り合いだった。
「ていうか、次の模試っていつだった、テン?」
 少女――テンは大きく嘆息を吐いた。
「あのね……一〇日後」
「テンだけに」
「バカ」
「だー! どうしよ、テンちゃん!」
「ゲーム終わったら勉強ね。明日のイベント終わったらゲーム断ち」
「無理だ無理だ無理だぁぁぁぁ! ゲーム断ちなんて無理だぁぁぁぁ!」
「でも、模試落としたら、たぶん嫌でもゲーム断ちだよ?」
「……そうだよねぇ。うん。頑張る」
 と、思い出したようにテンはシステムメニューを表示して慌てる。
「ちょっと、ユキ。ホントに時間ないよ」
「いま何時ー?」
「八時五十分。あと十分しかない」
「急ごっ」
 と、二人は『コロッセオ』の申し込みに向かった。
 新イベント『コロッセオ』。
 それはバトルロワイヤル。
 通知されたのは過去四回行われた軍隊戦イベントの上位五〇名。
 そして今回、彼女たち二人が最後の参加者として二十七名の参加が決定した。
 イベント開始まで二十四時間。
 §
 エユパロム王国で最も美しいとされる海港都市オールギムント。
 王国の南東に位置する温暖な海港都市には海峡特有の暖かな日差しと、からっと乾燥した空気に柑橘のにおいがよく似合う。
 海に面した市場を紫紺の瞳の少女と黒い長髪の小柄な少年が歩いていた。
「いよいよ今日ですね」
 少年の溌剌とした声に少女は涼しげに「そうね」と頷いた。
「何がそんなに楽しみなのかは私には解らないけれど」
「それはですね。なんと言っても、参加するだけでも面白そうなんです。今回の『コロッセオ』のイベントは噂だと、現在のプレイヤーランキング――ってまぁ、これは非公開なので僕たちが何位なのかはわからないんですけど、そのプレイヤーランキングで五〇位以内の人に参加通知が着たそうなんです。だから参加者は全員、精鋭揃い。あくまで王国所属側上位五〇人で、帝国側は帝国側でやるらしいんですけどね。というか、バトルロワイヤルの会場がどこになるのかも楽しみですし、それからルールの通知もまだバトルロワイヤルとしか通知されてないですよね。それだけだと、ゲーム進行に無理があると思うんですよね。だから、他にも何かルール設定がされると思いますしー。あっ、あと、上位プレイヤーの戦闘スタイルも気になりますよね。このゲームのシステム上、上位五〇人ともなれば固有スキルもちでしょうし」
「うるさい」
 少年の興奮した早口に、少女は堪らず漏らした。
「あっ……す、すみません、ルーナさん」
「別に良いけど……。ルドラはいつもそんな感じだから」
 いや、いつも以上に興奮していたかもしれないか――とルーナは苦笑する。
 しかし、ルドラの興奮も自然なものなのかもしれない。ルーナはこのゲームがリアルの剣術への何らかのトレーニングになるかもしれないと思って始めた。
 リアルではフェンシングをしているルーナは、実力がなんというか頭打ちしているような気分だった。どんな練習をしても、これじゃない――という感じだった。
 そんなとき、友人に勧められて『ハルセンヌ』を始めた。その友人は今では別のゲームに没頭しているが、ルーナにはこのゲームが嵌まった。
 剣や魔法。そういう世界には別に大した憧れはなかった。それにそんなゲームは他にいくらでもあった。
 ただ、このゲームの醍醐味は対人戦だった。
 剣と剣。剣と魔法。魔法と魔法。
 ��ういう異種格闘技。
 通信速度の限界と反応速度の限界。
 純粋な剣技を超えた何かを感じることができた。
「ふっ」
 ルーナは笑う。
『そうか。私も興奮しているのですね』
 イベント開始まで十二時間。
 §
「タビトさん、タビトさん」
 そう呼ばれた全身をローブに包んだ青年は、そう呼んだ少女の方を見た。
「どうかしたかい、シズクちゃん?」
 シズクは右の方を指さす。
 タビトはシズクの指さした方を見た。
 ここはメルキース人と呼ばれる種族が住んでいる森だ。エユパロム王国の東に位置し、神聖カルツ帝国との国境にある。
 二人はその森のけもの道を歩いていたときに、シズクが何かを見つけたのだ。
「あれは……」
 遠くに帝国軍のNPCがいた。
 タビトはとあるイベントクエストを受注していた。
『逃亡者』というクエスト名で、先ほどメルキース人の村で、狩人をしているNPCが森で帝国軍の姿を見て、慌てて逃げてきたから様子を見てきてほしい――というクエストだった。
 中級難度のクエストで『コロッセオ』開始までに十分クリアできそうだと思い、戦闘スキルを少しでも安定して使う訓練のためシズクと一緒に挑んだ。
 シズクは姪っ子だ。
 年の離れた兄の娘で、タビトに良くなついていた。
 タビトは在宅で翻訳の仕事をしていて、普段から外に出ることは少ない。タビトの仕事場に着た兄夫婦は、そんなタビトに見かねてVRを提案した。
 家に居ながら、外に出れる。
 それは余計に引きこもりを加速させることかもしれないが、提案した兄夫婦はそれに気づかなかった。
 兄夫婦は、十歳の娘が『今日はあそこに行った』『こんな景色だった』『こんな動物を見た』と語る姿に、VRはどこでもドアのような物なのかもしれない――と勘違いしていたのかもしれない。
 タビトはそんなことを思いながらも、可愛い姪っ子の相手をしてあげる機会も増えるだろうと思い、シズクと一緒にゲームをしていた。
 十歳にしてVRを遊ばせるような親は希有で、そもそも十歳なら現実世界にも面白い物がいっぱいあって良いはずなのだけれど、何しろシズクは普通の十歳とは違った。
 彼女は、ほとんど外に出ることができない。
 人生の大半を病院で過ごしていて、いまは回復傾向らしいけれど、それでも自宅のベッドから出てくることは滅多にできない。
 そんなシズクだから、VRというものはうってつけだった。
 シズクに付き合っているとタビトのプレイ時間も自然に長くなる。
 タビトだって仕事があるのだが、自宅に居てできるゲームの時間を作ることはそんなに難しくなかった。そもそも、レトロゲームは好きで良くやっていたのだ。その時間をVRに充てればプレイ時間は捻出できた。
 捻出できたし、気がついたら『コロッセオ』なんて新イベントのテストプレイヤー通知が送られて来る程度に強くなっていた。
「んー。あれですね」
 帝国の軍人が何かを探しているような様子で森を周回している。森を抜けると峡谷が広がり、そこからは帝国領であることはタビトも知っていた。
 しかし、いかに帝国と言えど迂闊に国境を越えることはないはずだった。
『まぁ、このクラスのイベントクエストは受注限度数もないし、ゲームシナリオに影響するようなクエストでもないか……』
 ハルセンヌ内でのクエストには様々な条件がある。そのことがスキルなどの成長過程にも影響を及ぼすというが、例えばクエスト達成者数に限度があるクエストや、そもそも受注人数に限度があることなどがある。そういうクエストでは、達成の状況によって――たいていの場合、共和国と帝国の戦況を左右することになり、ゲームのシナリオを進行させる。このシナリオ進行はハルセンヌをプレイするすべてのプレイヤーに影響を及ぼすことになる。こうしたクエストを世界クエストと呼んでいたりする。
 世界クエストには大型イベントである『軍隊戦』も含まれているし、今回の『コロッセオ』も世界クエストなのではないかとタビトは考えている。
 レトロゲームを好んでいたタビトは、このゲームとは言えない異世界のような体験を、かえってゲームとして冷静に見ていた。VRが反映しはじめたころ、ゲームと現実の判断が付かなくなるという問題が出ていたし、事実として、そういう部分はある。なんと言っても、シズクは現実の代わりをゲームで補っているのだ。作り物と自然の境界が曖昧になる。しかし、とはいえ『ハルセンヌ』というゲームに限って言えば、過去、これまで消費されてきた沢山のレトロゲームや歴史を元にAIが演算し、人が演出した世界なのだから、VRからは切り離されたゲーム体験が豊富なタビトからすれば、作り物として、ゲームの演出として考えることができた。
 仮想の世界を生きる。
 このゲームのコンセプトはそんなところがある。主要なシナリオは戦争を終わらせ、世界に平和が訪れること。
 その世界平和に向けた、あるいは戦争に直結したイベントは世界クエストと考えている。そして、このゲームはRPGのように思えるが、実際はシューティングゲームのような対人戦闘ゲームだとタビトは考えている。一つの殺人が与える影響は大したものではなく、大規模イベントにおける勝敗こそがエンディングへの結果に関わるのだろう。そう考えると、イベントの結果が与える影響が大きいと予想できるものが、世界クエストだとタビトは考えていた。
 逆に、今タビトが暇つぶしに参加しているクエストはそんな規模はないだろう。
 ――あくまで予想だが。
 まぁ、これはゲームだ。失敗しても悔しい程度で済む。タビトはその大きな武器を構えた。
 そう。ゲームなのだ。
 こんな不気味な武器を背負った傭兵を見ても、身じろぎ一つしない村人たちしか存在しない。
 シズクに新しい景色さえ見せることができれば、タビトにとって勝敗は大した問題ではない。
「行こうか」
 タビトがそう言うとシズクは嬉しそうに頷いた。
 イベント開始まで二時間。
  §
 イベント開始まで一〇分。
 集合場所はベンゼルという菱形状の町だ。この街の中央には大きな広場があり、そこにこの度立てられた白竜像が集合場所と記載されている。
 その広場に向かい走る人影が二つ。
 一応、今回の『コロッセオ』のイベントについての詳細は参加者しか知らないはずだが、どこからか漏れたのだろう。すでに広場へ向かう大通りには沢山の人が集まっていた。これでは誰が参加者かもわからない。
 息を切らさずに走る二人。その一方――露出の多い格好をした褐色肌の少女――アルナは眼をきらめかせていた。
「おいおいおいおいおいおい。なんだよなんだよなんなんだよ……! 誰なんだよ。誰と誰と誰と誰が参加者なんだよ! あの武器なんだよ。あの装備何なんだよ! このうちの選りすぐりとバトルロワイヤルできるんだろ? サイコーじゃん! サイコー過ぎんじゃん! なぁ! そうだろ、シレット!」
「そ、そうだね……」
 少女に話しかけられたシレットは、疲労を隠さずに相づちを返した。
「でもアルナちゃん。このまんまだと、参加できないから。今見えてる人たちも絶対参加者じゃないから。ボクら間に合ってないから。集合場所は広場の白竜像前で、ボクらまだ広場に着いてないからね? ちょっとあと一〇分で間に合うか怪しいから」
 街を南北に縦断する大通りの南端。そこから広場までは歩いて三〇分は掛かる。そしてこの人通りの多さでは走って一〇分で間に合うかは微妙な所だった。
 とはいえ、アルナだけだったら間に合うかもしれない。シレットの俊敏性に対し、シレットのそれは遙かに高い。それに装備面でもシレットの方が重装備だ。
 だから申し訳ない、と思いつつ、そもそも遅刻の原因がアルナであることを振り返り、自分に責はないとシレットは思い直した。
「早くしろよ、シレット!」
「元はといえば、アルナちゃんが絡んできたプレーヤーを相手したせいじゃん。ボクが遅いのは悪くないからね!」
「だってアイツらが【はちみつ】置いてけとか寝ぼけたこと言うからだろ? ああいう奴らが今後同じ過ちを犯さないように、教育をしてあげないと」
「その人たちだけを相手取るのならボクも文句はないけど、それからそいつら締め上げて親玉のところまで案内させて、ギルド壊滅する必要はなかったでしょ」
「なんだよ。シレットだって結構はしゃいでたじゃんよー」
 この光景を偶然見ていた吟遊詩人は二人を見て血みどろバトルエンジェルと呟いたという。
「ち、違うよ。ボクは早く終わらせようと努力していただけだよ! て、ていうか、こんな話してる場合じゃないよ!」
 シレットはシステム画面の時刻を見た。
 広場はまだ視界には入ってこない。視界にはこのイベントを少しでも見ようとしている観衆ばかり。
 イベント開始まで五分。
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atehamatta · 7 years ago
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天中殺> 戌亥天中殺は目の前の現実と今が欠ける 生まれ日の干支が「甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・発酉」のひとが、この天中殺グループにあたります。 人間の周囲には6つの方向(東西南北と天地)が定められており、そのひとつひとつの方向に時間や人物が割り当てられています。そのうちの1方向が欠ける現象が天中殺です。 天中殺の種類によって、どの方向の、なにが欠けるのかも決まっています。 戌亥天中殺の人は、生まれもって「地上」の方向が欠落します。地上は現実の今、現時点です。 それが欠落するので、生きている目の前の現実が自分の居場所になりません。かなり特殊な形です。 結果的に、天上の精神世界を目指します。 若い時は現実的になりますが、年齢とともに天上志向が強まり、現実欲は薄くなります。   現状に満足せず、挫折を経験した後に真の生き方ができる 現時点がないという特殊な天中殺で、「現実天中殺」と呼ばれます。 自分を支える目の前の現実が中殺現象になるので、現実を生きていながら居場所のないジレンマを生まれ持っています。 リアリティーのある心の柱をもてません。それでも現実に居場所がないので、自分の心しか頼るものがありません。 また、過去や未来はあっても現在がないという矛盾を抱えています。現状に対しての満足感もありません。 現状に満足して安定したとたんに自分の運が停止してしまうのです。常に精神修養が必要な宿命です。 若い時は特に難しい生き方になり、自分の心の支えが消失した後に、心が大きく広がり運勢も展開していくようになります。 大切なものを失くした時や大きく失敗したとき、人生を諦めたときという状態を経験して後に真の生き方ができます。   自分の家系からは離れて、新しい家系を作り出すことが開運の鍵 家系のカラーとは違った生まれで、家系の恩徳を受ける流れを持ちません。自分一代の新しい世界を形成します。 自分の家系の流れを外れて、養子に出たり、親先祖の恩恵を受けられない環境に過ごす場合は、その時点から良好な運の展開ができます。 反対に、親や祖父母の力が強いと、自己開発は遅れます。 結婚相手にもこの傾向は現われ、自分の家系のカラーとは違った相手と結ばれやすいです。 そこで、新しい自分の家系を作り出すようになります。必然、そうした結婚は一族からは反対されやすいでしょう。 家系にあった結婚をするようになると、その後の自己発揮には相当の努力と苦労が必要です。 もし、両親のもとを離れずに家系に居座るとすると、他の兄弟を押しのけて一家の長たる役割を得るようになりますが、反面、自分の結婚運が犠牲になることもあります。 人生のスタートでは環境に左右されやすく、本来の自分をもてないことが前提です。現実と精神に恵まれないことが、次の発展のための必要条件です。 実際には家運が親の代で没落し、兄弟も離れ離れで親縁も薄い、といった状況で運命は自然に発動します。 そうした境遇を経験すると、必然的に精神界をひた走るようになります。現実が欠落するほど精神は向上します。 恵まれない生家環境にあるほど、たとえ現実を生きたとしても精神界の入り口にすんなり立つことができます。 反面、現実に恵まれてしまうと、家運から押さえ込まれて苦しい展開になります。 自分との戦いが生じてきます。その苦しみの中で本来の自分を見つけることになります。  
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esuhiro-kashima · 7 years ago
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ウィッチ
キリスト教を題材にした映画というと、今年はまず何と言っても「沈黙」がありますが、それと両極端にある様に見えて同じテーマを扱っていたのが韓国映画の「コクソン」で、キリスト教(というか宗教)の混沌さを悪魔を中心にしてホラーとして描いていたのが面白かったんですが、ここに来てもう一本、キリスト教を扱ったホラー映画が出て来ました。「ウィッチ」というアメリカ映画で、主演はM・ナイト・シャマラン監督の「スプリット」で主演を演じてたアニヤ・テイラー=ジョイちゃん。(この映画に出た事がきっかけで「スプリット」の主演に選ばれたらしいです。ともてかわいいです。)「ウィッチ」というタイトル通り魔女の話なんですが、よくよく考えると魔女って実際に魔女裁判なんかがあってリアルな人間のヤバイ深層心理とかが描けるからホラーの題材として良さそうなんですけど、実際はあまりないですよね。(「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」位しかパッと思いつかないですし、あれは別に魔女物ではないですしね。)なんか、映画の中の魔女っていうと、ちょっと80年代のハリウッド物のやつか、もっと前のテレビドラマの「奥様は魔女」みたいなコメディータッチの物の方がイメージ強いですよね。(あとは「白雪姫」みたいなディズニーの悪役的なやつですか。)
そういう映画の中で描かれたかわいい感じの魔女がパブリックイメージっぽくなってしまってると思うんですが、それでは、実際の生活の中で扱われてた魔女ってどんな存在だったのか。(実際に魔女狩りや魔女裁判なんて事があった時代は魔女が実在すると思われていたわけですから。)今回の「ウィッチ」、そういうとこをかなりきっちりやった映画だと思うんです。1630年のアメリカのニューイングランド、宗教観の違いからある家族が村から出て森の近くの荒野で家族だけの生活を始めるんですけど、まだ赤ん坊の末の弟がある日突如いなくなるんです。神隠しに会ったみたいに。これが狼にさらわれたのか、魔女に連れ去られたのかって話になって、その時、赤ん坊の世話をしていた長女のトマシンが疑われるんですね。で、この後もこの家族には予想もしない様な不幸な事が次々と起こっていくんですが。こうやって家族がお互いの事をだんだんと疑心暗鬼になっていくのと、森の中の得体の知れない物(魔女)の存在をクローズアップしていくっていうのを両方同時進行でやるんです。つまり、人間の心の中の闇の部分が出て来ると、現実の森の中の闇もどんどん深くなって行ってそこにいるとされている魔女を実在化していくみたいな感じになっていてですね。あの、僕、ここがこの映画で凄く惹かれたとこなんですけど、この家族の精神の崩壊が森の中の魔女のせいで起こっているのか、家族の心の闇が森の中の魔女(のような物)を���り出しているのか、どっちがどっちに影響しているのか分からない様に描かれているんですね。これ、森に邪悪な者がいて、そのせいで家族に恐ろしい事が起こっているなら、「ポルターガイスト」とか「エクソシスト」みたいないわゆる幽霊物のホラー話だと思うんですよ。で、逆に人間の精神的な弱さや闇が原因となって話が進んでいく場合は「シャイニング」みたいなサイコサスペンス物になると思うんです。でも、この「ウィッチ」はどっちにも寄り切らなくて、絶妙なバランスでどっちとも取れる様になってるんですね。で、それって人間の恐怖心が作りだした存在の魔女っていう題材を扱うには最高の設定だと思うんです。(魔女狩りや魔女裁判で出て来る魔女は、それを信じている人々の心理がそれを実在させたというわけなので。)人間の疑う心という「現実」と森の中の魔女っていう「ファンタジー」が行ったり来たりする様な作りになっていて、ダーク・ファンタジーでありながらとてもリアリティーのある話になっているんですね。しかも、ちゃんとホラーとしても成立していて、物語が確信に迫れば迫るほどホラー度が増して行って、なるほど、そっち系の話ねって気持ちの上では納得出来る着地点に近づくんですが、ストーリー的にはワケが分からなくなって行くという。(映像が絵画的で凄くキレイなんですけど、こういう人間の心理みたいなのを物凄く丁寧にやっていて、心理学的な複雑さが映像の牧歌的な感じと相反してる感じがして。こういう両極端な感じ、今までのホラー映画にはなかったと思うんです。)「コクソン」は、同じゴールにたどり着く道が何本かあって、そのコースによってゴールの景色の見え方が全然違うみたいな映画でしたが、こっちは、コースは一本なのに、近づけば近づくほどゴールから離れて見えるみたいな映画でした。「コクソン」の時も、まだ、こんなホラー映画の観せ方あったのかって嬉しくなったんですけど、この「ウィッチ」も同じ意味で観てる間にワクワクする映画でした。
で、また、キャラクター設定が凄く面白くてですね。これは単に僕の個人的な見解なんですけど、ホラーはキャラクターの良さで決まると思ってまして。(もちろん、設定の面白さあってのものですが、)「13日の金曜日」のジェイソン然り、「エルム街の悪夢」のフレディ然り、ゾンビもそうですし、「悪魔のいけにえ」なんてナイスキャラの目白押しじゃないですか。(最近のでも、「冷たい熱帯魚」とか「クリーピー」とか、この手のナイスキャラが出てくるのは僕の中ではホラーのカテゴリーに入るんです。もちろん、「コクソン」もそうですし、僕が邦画で最初にこれはホラーのカテゴリーって思ったのは森田義光監督の「黒い家」でした。これに出てくる大竹しのぶと西村雅彦のキャラが凄いんですよ。)で、「ウィッチ」っていう位だから強烈な魔女のキャラが出て来たら、それは間違いなくホラー認定されるなと思っていたんですけど、この映画の場合はそっちじゃなくてですね、家族の中にいたんです。主人公トマシンにふたごの弟と妹がいるんですけど、このふたごがもの凄いいいキャラなんですよね。映画の中でもふたごは他の家族とちょっと違う異質な存在になっていて、(常軌を逸していると言いますか、かなりマンガチックなキャラなんですね。)トマシンと姉妹でありながら敵対する存在なんですけど。普通の映画にこういうキャラが出て来たらちょっと冷めると思うんです。(リアリティーがなくなるので、)なんですけど、これがホラーの場合はアガるんですよ。(「悪魔のいけにえ」のチョップヘッドみたいな存在感ですよね。余計なことばっかりしてクソ腹立つけど、でも好きみたいな。でもかわいいみたいな。)
更にこの家、父親はダメ男で母親はメンヘラ女っていう、まぁ、最悪なんですけど。ここら辺も現代にも通じますし、(というか、ダメ男とメンヘラ女って正しく現代の話ですよね。)こういう状況の中で健気に頑張る主人公の少女っていうと「シンデレラ」みたいなおとぎ話的でもあって、こういうのもまたファンタジーの中に潜むリアリティーみたいな物があるわけで。それでは、トマシンにとっての王子様って一体何なのかって考えると、これがなかなか映画のエンディングが胸に来るなっていう。そういう事なんですよね、きっと。という事で、非常に考えさせられる話でありながらちゃんとホラーしてて。(更にサスペンスでもあるんですけどね。)僕はとても好きな映画でした。
あと、ウサギとかヤギとか動物のキャラ設定も良かったですね。(森の魔女も含めて総じてキャラ設定が最高なんですよね、この映画。)
http://www.interfilm.co.jp/thewitch/
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cookingarden · 7 years ago
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メル・ギブソン監督『ハクソー・リッジ』 原題:Hacksaw Ridge 制作:アメリカ、2016年. メル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』を観ました。弾丸に頭蓋が砕け、人間の身体が千切れて散乱する、壮絶な戦闘シーンが繰り返し描かれます。戦争のリアリズムを描いた作品として、たしかに『プライベート・ライアン』に比肩する映画だと思いました。
それなのに、リアリズムに徹し過酷で凄惨なはずの戦場が、どこか遠景のできごとのように感じられる映画です。おそらくこれは、圧倒的にリアルな戦闘シーンから身を守ろうとする、わたし自身の無意識の防衛反応のせいなのでしょう。しかし、それだけの理由なら、『プライベート・ライアン』に同じ思いを抱かなかった理由がわからなくなります。 確かに、『ハクソー・リッジ』に描かれる戦闘のリアリティーは、過酷さのあまり観る者にある種の拒否感を引き起こすところがあります。しかし、そのことだけが、この映画のリアリズムを遠ざけている理由ではないはずです。 今回は、リアルな戦闘シーンが遠景に見えた経験を足がかりに、その深層に何があるのかを、スコセッシ監督の『沈黙』も交えながら考えてみました。 ●戦闘のリアリティを超える信念との戦い 主人公のデズモンド・ドスは、宗教的な理由と彼の信念から、戦場にいながらも、決して銃を手にしようとしません。彼が戦闘に参加するのは、敵を殺すためではなく、衛生兵として負傷者を助けるためだからです。ドスは、ひとりでも多くの負傷兵を助けようと、戦場を走ります。 その信念に対抗するのは、敵に殺される恐怖心から、生き延びるために銃を手にすることです。もし、ドスが死の恐怖に負けて銃を取れば、彼は殺す側に立ったことになります。仮に、自らの信念のまま、銃弾に倒れたとしても同じでしょう。それほどに戦争は過酷だという現実に、信念ごと押し潰されたことになります。 しかし、ドスは決して銃を手にしません。銃弾に倒れ戦死��ることもありません。弾丸が顔をかすめ手投げ弾が足元を転がるなか、血と泥に覆われた負傷者を救おうとするドスの姿を、カメラは執拗に捉えます。そのドスの姿を追ううちに、戦闘にはおよそ場違いな、人を助ける信念を維持し、死の恐怖と不安に対抗するそのことそこが、彼にとっての戦いなのだと思えてきます。それは、自らが定めた信念との格闘といえます。 こうしてドスは、戦闘がリアルであればあるほど、まるでアキレスの亀のように、前へ前へと運ばれて行きます。アキレスがどれほど懸命に走っても亀がその一歩先に進むように、ドスはリアルな現実の前側にいるのです。ドスの信念が壮絶な戦いの先端にあることが、戦闘シーンのリアリティを遠景に感じさせるひとつの理由なのだと思います。 ●ドスに与えられた啓示 映画には、ドスがこれほどの信念を抱くようになった、ふたつのエピソードが描かれています。 ひとつは幼児期の出来事です。ドスは子供のころ兄弟喧嘩の際、背後からレンガで兄ハルの頭部を殴り、瀕死の重傷を負わせています。このとき、自分の犯した惨状に立ちすくんだドスは、壁にあったカインとアベルの絵(十戒の第六戒)に釘付けになります。カインとアベルは旧約聖書に登場する、人類ではじめて殺人の加害者と被害者になったといわれる兄弟です。このときドスは、神の「汝、殺すなかれ」の啓示を受けたのでしょう。 もうひとつのエピソードは、青年になったドスが、暴行の末に母を撃とうとした父から銃を奪い、自ら父に銃口を向けたことです。このときドスは、子供のころ記憶に刻んだカインとアベルの戒めを思い出したはずです。 このようにドスは過酷な家庭で育ち、兄弟殺しや肉親殺しの罪と背中あわせで生きてきた過去があります。その記憶と罪の意識から逃れようと、ドスは神に赦しを求めたのでしょう。そして彼は、週の第7日目を安息日とし、肉食を禁じるするセブンスデー・アドベンチスト教会の一員になったのです。ドスが戦場で繰り返し口にする、「主よ、もう一人救わせてください。もう一人救えるように助けてください!」という叫びは、アドベンチストが捧げる、日々の祈りでもあるといわれています。1) ●憲法に保護された信念 『ハクソー・リッジ』は、極めてリアルな戦闘シーンを多用しながらも、その描写を遠景に置くことで、ドスの信念を前面に押し出しているように見えます。しかし、これはめずらしいことではありません。むしろ、戦争という過酷な状況に主人公を置くことで、その心情を際立たせることは多いとえます。しかし、その前景に描かれる現実が、指先が銃に触れることを拒否し、人を助ける一心で兵役を志願する男の姿であることは稀だと思います。 デズモンド・ドスのこの姿を支えたのは、ひとつは信仰です。しかし、信仰の強さだけがそれを可能にしたのでしょうか。『ハクソー・リッジ』にはそれ以外の要素として、憲法が重要な役割をはたす様子が描かれています。 陸軍に入隊したドスは、銃に触ることを拒否します。また、安息日の定めから、土曜日の服務にも参加しません。これは軍規違反であるばかりか、チームの兵役訓練に支障をきたします。そのことで全体責任を問われ、過酷な苦役を強いられるのは兵舎の仲間たちです。彼らにとってみれば、ドスの信念が引き起こした災難です。彼らはその元凶であるドスへと怒りを向けます。こうしてドスは、仲間からは非難と暴力を受け、多くの上官からは改心の責め苦にさらされます。 しかし、それでも信念を曲げないドスは、ついに陸軍軍法会議に掛けられてしまいます。軍検察側のねらいは、ドスの信念を変えることではなく、軍規違反の罪を認めさせ、減刑の上で除隊させることでした。彼らはドスの信念を見抜くことができず、ドスは除隊により帰郷を望んでいると見誤ったのです。このため軍検察官はドスとの司法取引により、罪を認めるように迫ります。2) それでもなお、司法取引に応じないドスは、軍法会議の場で宗教的な理由から潔白を主張します。検察官にしてみれば、司法取引に応じるはずの被告が、自ら重刑を申し出たに等しい不可解な主張です。こうしてドスは、有罪による長期の収監を余儀なくされる事態に追い込まれていきます。 この危機を一通の書状が救うことになります。父トムは、かつて従軍した第一次世界大戦当時の軍服を身にまとい、司法長官と直談判することにより、3) ドスの主張には憲法上の正当性があるとする書状を手にしていたのです。その書面には、つぎの一文が書かれていたようです。
「良心的兵役拒否は憲法で認められており、デズモンドが信教上の理由から武器に触らないことには何の問題もない。」4)
書状を読んだ法務官は、ただちにドスの主張を認めます。収監を免れたドスは、もとのライフル部隊にもどされ、衛生兵として戦場に赴くことになります。こうしてドスは、結果的に軍規違反の例外として、ライフル銃の訓練を受けていない「良心的戦争協力者」として従軍することになるのです。5) 公式ホームページによれば、戦後、実在のデズモンド・ドスは、沖縄戦で多くの人命を救った良心的兵役拒否者として初の名誉勲章が与えられたとあります。映画には事実にもとづき、アメリカ兵だけではなく、負傷した日本兵を助ける姿も描かれています。「汝、人を殺すことなかれ」の戒めのもとで、負傷兵を助ける信念を完遂できた背景には、ドスの信仰心の揺るぎなさとともに、憲法による肉体的な保護と解放があったといえます。 ●踏み絵としての銃 しかし、この軍法会議の顛末には、よくわからないところがあります。ドスが軍法会議に掛けられた第二次世界大戦当時、良心的兵役拒否がアメリカの憲法によって認めていたにもかかわらず、なぜドスは軍法会議で罪の裁きを受けることになったのでしょうか。父親が手に入れた書面のとおり、ドスの主張と行為が「憲法で認められている」のであれば、なぜ、軍法会議が憲法を無視しようとしたのか疑問が残ります。 ドスの考え方は、通常の良心的兵役拒否とは異なります。彼は兵役そのものを拒否しているわけではありません。映画のなかでも、「真珠湾が攻撃され皆が軍隊に志願しているのに、自分だけじっとしていることはできない」と述べています。しかし、志願の動機は普通ではありません。軍隊に所属しても銃に触らない、衛生兵として参加したいという条件付きの志願です。 一方、軍隊にしてみれば、たとえ衛生兵であっても、訓練を受け軍規を守ることを、形式としても満たす必要があったのでしょう。わたしのように信仰心のないズボラな生活者から見れば、指先たりとも銃に触らないドスの信仰へのこだわりと、軍規にこだわる将校たちの双方が、ドス自身はもちろん家族や関係者に、大きな苦痛と災難をもたらしたように思えます。憲法が無視されようとしたのも、軍規に従わせようとするあまりの、報復的な心理によるものではなかったかと思えます。 また、宗教者としてみれば、形式に過ぎないとして信仰の教えに背けば、大罪を犯すことになります。これははからずも、ドスを演じたアンドリュー・ガーフィールドが映画『沈黙』で演じた、宣教師ロドリゴの苦しみと重なります。ロドリゴにとって、主イエス・キリストの言葉なしに踏み絵を踏むことは、信仰を捨てることにほかなりませんでした。このことをドスに当てはめれば、銃に触ることは踏み絵��踏むことに等しく、それは主の判断なしにはできないことだったのです。 『ハクソー・リッジ』と『沈黙』は直接的にはつながりのない映画ですが、ドスとロドリゴを演じたアンドリュー・ガーフィールドにとって二つの映画は、不思議な因縁でつながれているといえそうです。そこには、『ハクソー・リッジ』のリアリズムを読み解く上で、重要な合鍵があります。 ●主の言葉につながれた憲法 映画『沈黙』でロドリゴは、踏み絵を踏むことを拒み続けます。目前で殉教していく村人に祈りを捧げながらも、ロドリゴは踏み絵を踏むことができません。はじめそれは、ロドリゴに踏ませるための脅しでしたが、しだいに踏んだ者を目の前で処刑する見せしめへとエスカレートしていきます。 ロドリゴは最後に踏み絵を踏むのですが、その場面にスコセッシ監督は「踏め、さあ踏むのだ」という主の言葉を与えています。ロドリゴは主の声に従うことで、信仰の形の束縛から逃れ、形の上では棄教しながらも信仰を守ったように見えます。 この経緯は『ハクソー・リッジ』の、銃と憲法の関係を思わせます。決して銃に触れようとしないドスは、踏み絵を踏まなかったロドリゴのようです。もし、ドスがそのまま信仰の形を保ち続ければ、彼は収監されたまま戦場にもどれず、負傷兵を助けることもできなかったはずです。そのときドスは、信仰の形をまもりながらも、信仰を成就できなかった者になります。つまりドスは、決して銃に触らないことで、逆に、主から見放されたといえます。 しかしドスは、寸前のところで憲法に救われます。『沈黙』から見れば、このとき憲法は、ロドリゴに与えられた「踏め、さあ踏むのだ」の言葉になったのです。それでは、ドスが踏んだのは、一体何だったのでしょうか。 事実として銃ではありません。おそらくそれは、血に濡れながらドスを待つ戦場なのでしょう。銃を持つことなしには誰も踏み入ろうとしなかった戦場で、銃を持たないことではじめて踏み入ることが許された、ただひとりの存在がドスだったからです。ドスはそこで主を踏んだともいえます。『沈黙』のロドリゴがそうであったように。戦場はドスにとって、主そのものであると同時に、信仰実践の場だったのです。まったく別人の二人に発せられた共通の言葉が、映画の深層を開く合鍵に思えてきます。 『ハクソー・リッジ』の戦場���このように捉えたとき、この映画の戦闘リアリズムは、冒頭に書いた遠景とは別の意味を持つことになります。戦闘がリアルなのではなく、ドスが主の領域を生きていることがリアルなのだと思えるからです。救済が究極の困難とともにある、主の領域であればこそのアリティが、『ハクソー・リッジ』のリアリズムの正体だったのです。 おそらくこのような見方は、わたしの妄想に違いありません。本稿が妄想で終わらないように、最後に現実的な視点から、この映画からわたしが受けた重要な示唆について触れたいと思います。 この映画を観てわたしは、あらためて憲法の持つ力を思いました。もし、あの軍法会議に一片の書状が届かなかったら、その書面にドスの主張と行為が「憲法で認められている」と記されていなかったら、75人の負傷兵が救われることはありませんでした。この経緯について先に、「このとき憲法は、ロドリゴに与えられた『踏め、さあ踏むのだ』の言葉になった」と書きました。その先にあるのは「戦場を踏め」という恐ろしい現実です。銃を持たないお前なら踏んでもよいと赦す、激しい主の言葉です。 わたしはここに、人の知恵が生み出した憲法の言葉が、主の言葉へと接続する姿を思わずにはいられませんでした。信者ではない者が主を語ることはできません。接続先のこともわかりません。それでも映画を観て、いち宗教者と75人の負傷者の命をつないだ憲法の役割とその尊さを、あらためて心に刻みました。憲法は人の知恵をその先へとつなぐ、人が紡ぎだす最後の言葉なのです。
1)福音社「ハクソー・リッジ」特設ホームページ http://hacksaw.fukuinsha.com/ 2)ただし、司法取引のやり取り自体は、映画からカットされている。下記の冒頭部分に司法取引の様子が見える。 JoBlo Movie Clips “HACKSAW RIDGE Deleted Scene Special Court Martial (2016) Mel Gibson War Film HD” https://youtu.be/6ZoA8-_drkA 3)記憶が曖昧です。司法長官ではなかったかもしれません。 4)かるび「【ネタバレ有】映画「ハクソーリッジ」感想・レビューとあらすじ徹底解説!/メル・ギブソン監督の才能が炸裂した傑作!」 あいむあらいぶ, 2017. http://blog.imalive7799.com/entry/Hacksaw-Ridge-201706 5)実在のデズモンド・ドス本人が、公式HPの「良心的兵役拒否者とは…」のなかで述べている。 http://hacksawridge.jp/special.html *冒頭の写真は”Hacksaw Ridge Images: Andrew Garfield Fights to Save Lives” http://screenrant.com/hacksaw-ridge-movie-2016-images-andrew-garfield/ より引用し、文字を追加しました。
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gakumen-archives · 8 years ago
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24. Moby/Porcelain
「本当の気持ちを察する」
肉と名のつくものなら何でも口にいれたくなるわたしが、菜食主義の定義がわからなかったある日、何かのインタビューで「目がついているものは食べないんだ」と言っていたのがMobyでした。妙にそそられる、柔らかい物腰。つるりとしたフォルム。その時こそ、「お肉より美味しそう!」とレコード屋さんに走ったのです。
「夢の中でいつも死ぬんだ」というのは、1999年の大ヒットアルバム[Play]に収録されている[Porcelain]という曲です。日本でも車のCMで使われたりしていたので、あなたの従兄や同級生なんかにも知られているかもしれません。
1991年の[Go]がレイブ・アンセムとなり、汗と煙とダンスまみれだったはずのMobyが、お茶の間でもブレイクしたわけです。
「いつも死んじゃう夢を見るぼく」は、あなたのことを傷つけるつもりも、嘘をつくつもりもなかったと言います。だからさようなら、と。おい、何だその言い訳のあとの投げやりな態度は。その前にもうちょっと何か話し合うことがあるだろう。
そしてさらに面倒なことに、グッバイと言っておきながら、本当のことを言えばあなたはぼくのことなど必要としていなかったでしょ、と鬱陶しいほどのネガティヴな、けれども本当はその答えなど求めていない質問を投げかけます。
「そんなことないよ、きみがいてくれなくちゃ」と言われれば「嘘だ、ぼくはわかってるんだよ」と改めて落ち込み、「そうそう、全然必要じゃなかったよー!」などと言えば、「…だよね」と確実に落ち込むに決まっている、地獄への階段(下り方面)ソングです。
その上、夢の中ではいつでも嫉妬しているらしいのです。
お野菜しか口にしないから、底力が出ないんじゃないの?(ベジタリアンの友人が、そうなってしまうと断言していた)あんたちょっと大丈夫?
これが人間の発言だとすると、自分の携帯電話の番号を変えてしまいたくなるくらい、クールダウンとディスタンスを必要とする状況になります。
けれども曲のタイトルである[Porcelain]とは、陶磁器のことです。
昔からお皿は陶磁器だと思っていたのに、割れたら危ないからといって、学校給食のお皿がプラスチックに入れ替えられたあの時。
一枚4000円くらいするお皿が欠けてしまったから代わりのを探していたら、ひょんなことから入った100円均一ショップでほとんど同じようなものを見つけて以来「100円で充分」と言われるようになった食器棚に陳列される日々。
何日もかけて焼かれた挙げ句、窯から出された途端、急に地面に叩き付けられて散って行った仲間たち。
切なかったでしょう、不安だったでしょう、怖かったでしょう。
陶磁器の気持ちを代弁したものとして、これほどリアリティーに溢れ、心に訴えかけるものを、他に見かけません。
「モノを大事にしましょう」とか、「人の気持ちになってみて」とか「陶磁器ってとっても硬いんです」などと言われるよりも、もっと幅広い何かを得られる歌なのではないかという気がします。 
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