CoolSoundにて2006年11月から2008年10月まで掲載されていた連載 「ストップ!ザ・額面通り」アーカイブ ミステリー作家、アガサ・クリスティーが作り出した名探偵、 エルキュール・ポアロは言いました。 「空想はよい召使いになるが、よい主人ではない」と。 空想に仕え、空想に振り回されるのは良いことではない、というのでしょうか。 たしかに、頭に描いたことを人生に、 現実に忠実に有益に、 還元しようとするならば、痛い目にあうかもしれません。 でも、わたしは縛られたい。わたしは振り回されたい。 作文を書くとき、歌詞を書くとき、始末書を書くとき(どれも滅多ににない)、 想像力をただの召使いにさせておくならば、あなたやわたしという主人のちっぽけな器、 ちっぽけな人生から決して溢れることのない、粗末な物語しか生まれることはないのです。 そして他人が書いたそれらを読むときにも、額面通りに受け取ってしまっては、 その奥に潜む恐ろしく壮大なストーリーの可能性をエンジョイすることはできないのです。 行間を読め! ストップ!ザ・額面通り!(「日大通り通行止め」と同じジャンルではありません。) これは、音楽にまつわる勘違いや思い込みを、 みなさんとシェアしていこうというコーナーです。
Don't wanna be here? Send us removal request.
Photo
1. Ozzy Osbourne/Don’t Blame Me
「酒と泪とロックと老人」
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」これはロック界の合い言葉のようなものです。戦国時代で言えば、風林火山のような。冬型の気圧配置で言えば、西高東低のような。
ところで第一回目となる今日は、凝り固まった偏見から見逃していたある人の意外な一面を掘り起こしてみようと思います。
MTVのオジーオズボーン宅密着24時シリーズで有名なオジーオズボーンは、1970年代には伝説のバンドBlack Sabbathのボーカルとして、1979年からはソロ活動で、世界のロック誌にしつこく名前を刻む偉大なるスターです。
今でこそ、フルフルした可愛いおじいさんキャラでヒットしていますが、わたしが中学生の頃にも既に彼はおじいさんとロックとの垣根を取り払うクロスオーヴァー的な存在(若い娘が持った儚いイメージ)でした。
1991年、全てのライブ活動からの引退を表明したオジーオズボーン。
それでも音楽制作は続けるとのことで、有名な日本の音楽誌で目にしたその新作のタイトルは、いかにも衝撃的なものでした。
「で、来たるニューアルバムの仮タイトルは、[Don’t Blame Me(ワシを責めないで)]になるらしい。」
ワシを責めないで。引退宣言をした、望まれるロックスター(老人)が発した言葉。
実際のタイトルは[Mo More Tears(もう泣かない)]になり結果的に大ヒット、その後発表された1995年の[Ozzmosis]と共に、引退宣言も撤回されました(老人性気変わり)。
それでもわたしはその時の衝撃が忘れられず、訳された日本語の偉大なる効力に一生刺激されて生きていくのだろうとフルフルと感じたのでした。
0 notes
Photo
2. Britney Spears/Oops! I Did It Again
「またやっちゃった」
今回は、16歳の時のデビューシングル[...Baby One More Time]の、女子高生の格好をして踊るミュージックビデオで一気に世界のガールズの教祖的存在となったBritney Spearsの2000年のセカンドアルバム[Ooops…I Did It Again]から、まさにその歌を、歌うべきもっと相応しい人がいるかどうか探してみたいと思います。
世の中には、言って良い言葉と悪い言葉、言って良い人と言わない方が良い人、というのがあります。
I did it againとは大体のところ「またやっちゃった」という意味です。[Oops!]が「あっ!」とか「いけね!」を表す感嘆詞なので、当時「結婚するまで処女」宣言をしていたBritney Spearsが歌うのなら「いやん!またやっちゃったわ(ヤッちゃったんかい!)」といったところでしょうか。また簡単に恋に落ちちゃった女の子。可愛いものです。
ところで。
この世で、繰り返すと言われているのは、歴史と性犯罪です。そこで、もしもあのヒトが歌ったならば。
Oops! I did it again
は途端に「やべぇ、オレまたやっちゃった」になるでしょう。またやっちゃったのですか。困ります。
Britneyが口ずさめばセクシーな冒頭の
Yeah, yeah, yeah��
も、あのヒトにかかれば「わーいわーいわーい」となるのかもしれません。まだ冒頭部分では、コトの重大さに気づいてはいないようです。
「やべぇ、オレまたやっちゃった」というサビの後半で繰り返し歌われるのは
To lose all my senses
That is just so typically me
「我を忘れて見境なくなっちゃうのって、結構よくあることなんだ」
それは困ります。またやっちゃったと言われても、よくあることだと言われても、それでは困るのです。
I'm not that innocent
Britneyちゃんならば純粋かどうかという問題の [innocent]という単語も、あのヒトにかかればイノセントは「潔白」かどうか。
つまり「潔白なのとは話が違うんだよ」といった具合なのでしょう。
なのでしょう、と溜め息まじりに言ってみても、わたしはBritney以外の人が歌っているところを聞いたことがないので、ここで勝手に呆れてみても仕方がありません。いらぬ気苦労というものです。
それでもひとつ分かったのは、この歌が本当に悩ましい歌だということです。至る所で日々繰り返される、世界レベルの悩ましい問題の歌です。
違うかもしれませんが。
0 notes
Photo
3. Madonna/Sorry
「ゴメナサーイ」
セックスシンボルとして世界の視線を両乳首の先端に集めたり、デビュー直後は3歳としをサバよんだりしていたマドンナも、今では2児の母というわけです。
古い表現ではありますが「セクシーで刺激的」なパフォーマンスとは裏腹に、慈善事業にも熱心だったり、子供たちに英国式の教育を受けさせたいとイギリスに引越したり(わたしたちの考える「引越し」の範囲を超えています)、カバラを信仰して子供たちに白い服を着させたり、誕生日プレゼントでも貰った馬(わたしたちの考える「プレゼント」の範囲を…)から落馬して全治3ヶ月分骨折したのにその日のうちに退院したり(これは関係ない)、子供のための絵本を出版したりと、「母親」としてのステイタスもかなりしっかり確立しているようです。
2005年のアルバム[Confessions On A Dance Floor]の中に[Sorry]という曲があります。
I've heard it all before「前にも聞いたわよ」とい��リフレインで始まり、
「ごめんとか許してとか、もううんざりよ」
「あなたって自分が思っているのの半分も『オトコ』じゃないわ」
という、セックスシンボルとしてのマドンナのイメージからならば、ごめんと言えば何とかなると思っているボーイズへの痛烈な批難と捉えられる言葉が並べ立ててある歌です。
けれども彼女の、教育熱心な母親という側面をインターネットの噂話で知ってしまった今。これをどうして、男と女と酒と泪、みたいなマンとウーマンのストーリーに読むことができましょう?
きっとこれは、何度言っても食事の前に手を洗わない子供たちに
きっとこれは、夏休みの最後の日に自由研究のテーマを考える子供たちに
きっとこれは、何度言っても鼻くそをほじって口に入れてしまう子供たちに
カピカピのご飯粒を袖口に着けたまま学校へ行く子供たちに、お箸を交差させて持つ子供たちに、
「彼氏」を語尾上げで言う子供たちに、ローファーのかかとを潰して履く子供たちに、
個性を出すと称して制服のズボンを腰で履く子供たちに(お前の個性は腰にあるのか?ヒップにあるのか?)、
油性マジックでアイラインを引く子供たち(ヤマンバ)に、何ヶ月もお風呂に入らない子供たち(汚ギャル)に…
いやせめて、いつも言うのに寝る前にトイレに行かないで結局おねしょをしてしまう子供たちに向かって、湿った布団を干しながら言うお小言なのかもしれません。
違うかもしれません。
0 notes
Photo
4. Prince/Purple Rain
「佃煮と醤油」
小学生の頃、わたしは近所のお姉さんにもらった日本書紀や風土記やシャーロックホームズを読みあさっていました。漫画ならもっぱら「Dr.スランプ アラレちゃん」でした。中学生になると「ブラックジャック」や「アドルフに告ぐ」に夢中でした。
でもこれだけだと随分スノッブな感じがするので正直に言うと、IN ROCKという雑誌に連載されていた「8ビートギャグ」という実在のロックスターたちがあられもない姿(ありえる)でありえない世界を生きるギャグ漫画を保健体育の教科書と同じくらい愛読していました。
シマあつこさんという人が描いていたのですが、その中にデビッドシルヴィアンが調理した「プリンスの佃煮」という事件がありました。それも、佃煮を中心にストーリーが進んで行くのではなく、ほんの一コマの、まるで新人バンド扱いです。
小さな佃煮状のプリンスがお皿にこんもり盛ってあるのです。それなのに、プリンスの佃煮がストーリーの鍵を握るキャラクターじゃないなんて!
きっと文字で説明しても無駄です。わたしが何だか恥ずかしい気持ちになるだけです。でもそこで「戻る」ボタンを押してしまわずに、ちょっと「プリンスの佃煮」だけ、想像してみてください。
そして「佃煮といえばプリンス」のイメージを持って育った中学生を。
一度そうなってしまうと、それ以後の中学生の目に映る佃煮は、どれもこれもプリンスでできているように思えてしまいます。
佃煮という佃煮の材料は、どれもこれもみなプリンスです。みな殿下です。イナゴも殿下。アサリも殿下。昆布も殿下。しらすもわかさぎも、みんなみんな殿下。
そして大方「君のことを本当に愛しているんだよ、パープル・レイン、ああパープル・レイン」といった内容の殿下の代表曲[Purple Rain]でさえ、パープル=ムラサキ=お醤油??ああ,佃煮だものね、と圧倒的な数の納得菌に蝕まれていくのです。
一粒だけの殿下では、佃煮だとは気づかないかもしれません。多少群れをなした殿下であって初めて、佃煮になり得るのでしょう。
だからこの[Purple Rain]は、佃煮の小皿(もしくはタッパー)の中で囁き合う殿下同士、佃煮同士の愛だの絆だのの物語なのかもしれません。
違うかもしれません。
0 notes
Photo
5. 「愛と青春のロック 1」
先日、母(そのような趣味はない)とMTVのVIDEO MUSIC AWARDSを見ているときのことでした。
メイン司会の人に紹介されて出てきたプレゼンターは、なんとGuns N’ Rosesのオンリー・ワンでオンリー・ワン、Axl Roseでした。
「なんと」というか、わたくし事ですが、数年前に夢の中で「お前に出会うためにインディアナから出てきたんだ」と楽屋中と追い回されて激しく求愛されてすっかり引いてしまった以来の彼だったので、少しばかり興奮して母に「わー、中学のときに好きだった人だー」と微妙な報告をしてしまいました。
「誰?」と母が聞くので「2組の斉藤くん」というような感覚で「ガンズのアクセルって人」と言うと「あー知ってる、言ってたねえそういえば」と返ってきました。知らないことを「知っている」という性格ではないので、母はきっと「アクセルローズ」を知っていたのだと思います。そんな趣味はないはずなのに。
そういえばQUEENのボーカルのフレディーマーキュリーがHIV感染を発表したことを朝一で教えてくれたのは母でした。そして亡くなったニュースを新聞で読んで、教えてくれたのも母でした。「これあなたが好きな人じゃなかったっけ?」と言いながら。
母さん、わたしはまだ…
彼女は世代的にも、「娘がロックにハマっていて」というと相手の男は長髪だと思い込んでいたでしょう。そして当時のQUEENの中で目立って長髪だったのは、と考えると、きっとくるくるパーマのブライアン・メイさんだったでしょう。
もっとよく考えると、当時わたしが好きだと母に宣言までしていたらしいGuns N’Rosesにも、くるくるパーマで長髪のスラッシュという男性がいました。彼はいつでも山高帽を被っていましたが、メイさんと同じくギターを(母がベースとギターとマイクの違いを見て分かるとは思いませんが)弾いていました。
娘のような趣味はない母親が、一生懸命ブライアン・メイさんとスラッシュを同じ引き出しに入れて「娘の宝物(ロック)」というタグをつけて記憶していてくれたのかと思うと、15年以上前のこととは言え、涙が出そうになります。
そしてわたしはこの母を、一生かけてでも幸せにしなくては、と思ったのです。
0 notes
Photo
6. 「愛と青春のロック 2」
MTV MUSIC VIDEO AWARDSを母と見ていた時のことです。
入れ替わり立ちかわり画面に現れる最新のスターたちや最新のヒット曲を、知ったかぶりをして母に解説していたその時、唐突にわたしの中学生の時の理想の人、Guns N’Rosesのアクセルローズが紹介され��した。
そして1987年の[Appetite For Destruction]の中の有名な[Welcome To The Jungle]という曲が流れ、最新のアクセルローズが登場しました。
おい、まだその曲で登場させるのか、ヒヤヒヤしていたら、若い頃は怒りん坊で有名だったアクセルが開口一番、間奏で叫ぶいつものキメ台詞[You know where you are?]を、20年前の音源と同じ声で、同じピッチで雄叫びになりました(敬語のつもり)。なんだ、まんざらでもないんじゃん。
もちろんアクセルローズに[You know where you are?]と聞かれたら、次に続く言葉は明白です。むしろ常識です。
[You are in the jungle, baby]そうです、ここはジャングルですダーリン。
そしていつだって唐突な[You are gonna die---]ですよね、そうですよね、わたしdieしちゃいますよね。
という風に続くのです、そうに決まっているのです。
わたしはボツ曲も含めてきっと数百曲分は歌詞を書いてきましたが、未だそんなに立派なフレーズを思いついたためしがありません。日常生活でも同じです。ノーと言えるわたしになる必要はないのです。ただ[you are gonna die]と言ってやればいいのです。「お前は死ぬのよ」と宣言してやることができれば。
その後の母は、彼の金髪が「黄金すぎる」という議題をしきりに持ちかけてきましたが、わたしは取り合うこともできずただ一心に、意志の強い娘になることを決意していました。
0 notes
Photo
7. Carpenters/Top of The World
「世界の頂点で」
1960年代ギリギリのその時、カーペンターズはデビューしました。
兄と妹のコンビ(この「コンビ」という言葉は、お笑い芸人専用なのか?)であること、お父さんお母さん(アベック)世代が大好きなコンビだということ(その頃のヤングがお父さんお母さんになっているこのご時世)、覚えやすいメロディーに優しい声だということ、妹のカレンはドラムンボーカルだということ(関係ない)、色々な要素と先入観で、とても穏やかなミュージックだというイメージがつきまとって、きっと彼らは困っています。
もしもカーペンターズのプロモーション用のアーティスト写真で、金銀小判に囲まれたちょんまげ姿の二人がにやりと笑っていたならば。
もしもリチャード・カーペンターとカレン・カーペンターの名字が「ショーグンサマ」だったならば。
コンビ名は「ショーグンサマーズ」となり、1973年のヒット曲[Top Of The World]は、日本盤収録の際には以下ような訳詞が添えられていたことでしょう。
Top Of The World(世界の頂点に立った日に)将軍さまーず
素晴らしき気分である
目にするもの全てが奇跡であり驚異である
雲一つない空、目に差し込む日の光
これが夢であったとしても、驚くことはないであろう
我が輩が世界に望むものは
今まさに我が輩の為に実現しつつある
理由は明らかである
それは諸君がここにいるからに他ならない
国民は我が輩が目にした極楽浄土に
限りなく近くにあるのである
この世の万物を見下ろして
我が輩は頂点に立っている
諸君が我が輩に注ぐ敬慕の念が
我が輩をこの世の頂点へと上らしめたことを
我が輩は述べよう
吹く風が我が輩の名を伝え知らしめ
その風が、世界は動きつつあると我が輩に教えてくれる
ちっぽけな木の葉やわずかなそよ風さえも
我が輩にとっての好機の知らせなのだ
我が輩の脳裏にたった一つ浮かぶ願い
それは我が輩と諸君にとって
この先もこの素晴らしき日々が続くということである
諸君が我が輩の足下に集まる限り
我が輩の望みはこの手の中で実現していくのだ
0 notes
Photo
8. Wham!/Last Christmas
「これで最後にして欲しい」
初めまして、濃い顔でお馴染みのGeorge Michaelと、情けない顔でお馴染みのAndrew Ridgeleyのお馴染みコンビ、Wham!の登場です。
1982年にシングル[Young Guns]でデビュー、[Bad Boys][ Wake Me Up Before You Go Go]などの世界的ヒットもいくつも飛ばしたアイドル・デュオ(当時)です。大麻所持(ジョージマイケル)や公然わいせつ罪(ジョージマイケル)で逮捕される予定は、きっとなかった頃の話。
1986年に解散、それぞれソロでの活動を開始するのですが、そんな話は来週にでもすれば良いでしょう。
さて本日はカラオケで熱く、または耳元でそっと歌ってくれても困っちゃう名作シリーズです。「シリーズ」ということは、続くのか?続けちゃうのか?もっと困らせちゃうつもりなのか?!
曲は1985年発売の、アメリカでのシングル・カットはナシ、イギリスでもチャートの1位を取ることはなかったヒット作[Last Christmas]。大ヒットですよ。
ラストクリスマスの「ラスト」は「最後の」ではなくて「去年の」であり、よって「去年のクリスマスにぼくのハートを贈ったけれど、きみったら鼻くそほじりながら地面に叩き付けたよね」(意訳)という、ちょっぴり切ない未練の歌のようです。
そうさあたしはあんたのハートを踏みにじったさ。
それを根に持って毎年まいとし、クリスマスの度に歌われてごらんなさい。好きでもない人からの求愛はほとんどの場合ちょっとしたお荷物になりますが、好きでもない人からのラブソングと、いかにきみを好きだったかとか、どんな風にきみを眺めていたかとか、そしてこれからどうしようと思っているかとかいう思い出話と計画の発表なども、とっても迷惑ですね。
ちょっぴり切ない未練と呼ぶか、はたはた迷惑な一人言と呼ぶか。
この歌が「クリスマスに聞きたい曲ナンバーワン」に選ばれるかどうかは、あなたの人の良さに係ってくるような気がします。
0 notes
Photo
9. George Michael/Careless Whisper
「破壊力のある囁きを想像する」
ゲイであることを公言し、公衆トイレでのハレンチ行為で逮捕されたときには「ゲイな上に『太っている』こともカミングアウトしたジョージマイケル。
その時に「ゲイである上に太っているという二重苦」を背負っていると認めたことになるのだが、芸歴25年をお祝い中の大物が、こんな地球の端の最先端の携帯端末でそのことをほじくり返されるなんて、本当にアイムソーリー。
「太っていてゲイである上に、ジョージマイケルである」ということが悲劇なのか(ジョージマイケルが)。
それとも「太っていてゲイであるけれど、ジョージマイケル」だからちょっとはラッ��ーなのか(ジョージマイケルが)。
そしてせっかくWham!だったのに、もう一人についてはやっぱり触れられない(文字数の関係で)のは、パートナーがジョージマイケルだったからか。
前回残念ながらピックアップされてしまったWham!の[Last Christmas]に引き続き、今回はジョージマイケルのソロ作品であるにも関わらず、日本ではWham! featuringジョージマイケルという名義で発表された[Careless Whisper]を気にしてみたいと思います。西城秀樹もカバーしていた曲です。
西城秀樹がカバー=名曲、みたいになってしまいましたが、またもやちょっぴり切ない悪あがき風な歌詞は、理性を持って解釈すれば「不注意な囁きが壊してしまった人間関係について」といったところでしょうか。
ラヴだの友情だのを崩壊してしまうほどの囁きとは。
1984年当時9歳だったわたしが聞いて思いついたなら、「オデコ変だよ(わたし富士額)」とか「キミのお兄ちゃんどうしていつもランニングに短パンなの?」とか、大きな声で言われても困るけれど、耳元で囁かれても涙が溢れてしまうような、切ない言葉だったことでしょう。
このように具体的な言葉を出さずに、前後の展開やシチュエーションである一言を想像させる、粋な計らいの歌と出会ったならば、それを聞いた当時のあなたにとってなら、どんなモノになりえたかを想像するのは、とても悪趣味だと思うのですが、みなさんもどうですか?
0 notes
Photo
10. James Brown/Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine
「ブラック・ミュージックに親しむ」
2006年12月25日、J.B.ことジェームス・ブラウンが亡くなりました。
ソウルやファンク・ミュージック、ラップなど黒人音楽の父と言われた彼は、幼い頃から貧しい暮らしをしてプロ・ボクサーに憧れながら窃盗や暴力や監獄生活や音楽活動や社会活動、そして結婚に離婚に暴力に薬物使用と「波瀾万丈」と評される人生を送りました。
ツアー中に突然「ぼく、これから神さまの為に生きるよ」と引退をした、ライバルでもあったリトル・リチャードの穴埋め事件や、マーティン・ルーサー・キング牧師との親交と米国黒人地位向上会議での活動、著作権侵害への抵抗やコンサート、プロモーションなどを自らやり繰りする努力など、暴力事件を筆頭とする「波瀾万丈説」に加えて述べられることの少ない彼の人生のほかの一面を、ジェームス・ブラウン=「ゲロッパ」「セックス・マシーン」と捉えている「娘のパンツは白」という両親や、学校の先生(ジャージに竹刀)に説明するチャンスは、もうやってこないのかもしれません。(両親に「セックス・マシーンって何?」と質問できる年でもなくなっちゃったし、学校は卒業しちゃったし。)
そして何より、普段からファンク・ミュージックとは縁のない人生を送っているここ島国ニッポンの若い人々にとって、J.B.の功績を讃えたり哀悼の意を表したり、というのは、自分でも少し気恥ずかしいことに感じ���れるのかもしれないとも思います。
そこでそんなあなたに。
彼の有名な曲、[Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine]のフレーズを意識しながら、何かにつけて言葉の最後に「マシーン」を添えてみてはいかがでしょうか。例えば
「今日はあんまり食欲がないマシーン」
「パソコン、フリーズしちゃったのだマシーン」
「今日は午後から暴風雨だマシーン」というように。
必ず、[Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine]を思い浮かべて下さい。リズミカルに、そう、ファンキーに。
ネガティヴな発言でも、なんだかムキムキしてきませんか?
ベース、ドラムのリズム隊とのシンコペーションが基盤となる(想像)ファンク・ミュージックのグルーヴを日常生活に取り入れながら、J.B.を偲ぶ。
語尾に[izzle](イズゥル)をつける独特の言い回しを編み出したギャングスタ、Snoop dogにあやかりながら、J.B.に敬意を払う。
わたしたちにもできることって、ありますよね。
0 notes
Photo
11. Stevie Wonder/Part-Time Lover
「パート・タイム・レスラーの幸福な不倫」
新日本プロレス好きの兄妹でした。一つ上の兄に鍛えられました。乳歯が抜ければ、血を額につけられてアブドーラ・ザ・ブッチャーの物真似をさせられたものです。
兄はと言えば、自分はアントニオ猪木の「炎のファイター」で入場するくせに、10歳にもみたないのに1000人分の猪木コールでサポートする、協力的な敵��を務める非力な妹には、長州力の入場テーマ曲「パワーホール」を与えるわけです。
そして何をやっても兄に勝てるわけがない妹は、どうせ短調の曲なら、スティーヴィー・ワンダーの[Part-Time Lover]にしてくれよ、と思ったものです。
今聴くと、この曲を「短調」のジャンルに分別したことへの不安を感じますが、当時流行していたお気に入りの「パート・タイム・ラヴァー」だけを入れたカセット・テープのインデックスに「パート・タイム・ラヴァー」と書いておいたら、それだけで「パート・タイム・ラヴァー、だってよ」と屈辱的な嘲笑を投げつけられたものです。
小学生が、好きな曲が「パート・タイム・ラヴァー」ですよ。PTAの会合の後とか、主人の出張中とか、嫁の帰省中とかに、オトナがやるアレですよ。
当時は「不倫」と言われてもどちらにせよクールに聞こえたとは思いますが。言葉がわからないって、素敵ですね。
初めてビルボード・チャートのポップ、R&B、ダンス、アダルト・コンテンポラリーの4部門でナンバーワンを取った大ヒット曲ですが、スティーヴィーったらお茶の間に向けて、二人の間のイケナイ逢い引きの合図をめっちゃ高い声で歌い上げています。
Call up(電話して), ring once(一回鳴らして), hang up the phone(切ってよね)
I’ll blink the lights to let you know tonight’s the night
(ぼくからは/部屋の電気の/点滅で)
If I’m with friends and we should meet, just pass me by, don’t even speak
(友だちと/いれば黙って/通り過ぎ)
If there’s some emergency, have a male friend to ask for me
(緊急時/伝えるともだち/男だけ)
季語なしの、逢い引き俳句を、高音で。
教科書に登場するスティーヴィー・ワンダー。
国連でスピーチもしちゃったスティーヴィー・ワンダー。
昔のカノジョに性病をうつされたと訴えられたスティーヴィー・ワンダー。
この偉人と、地獄突きの偉人(自伝「ブッチャー~幸福な流血~」著者)が、わたしの記憶の80年代の引き出しに分別なしに仕舞ってあるのです。
0 notes
Photo
12. 太陽戦隊サンバルカン/大岡越前のテーマ
「ピュアな自分に戻るために」
テレビ番組の主題歌の中で、子供のころにとても気に入っていたのが「太陽戦隊サンバルカン」です。
けれども三年毎に校歌を覚え、次々と出てくるヒット曲のCMに使われるサビの部分を覚え、[We Are The World]なんかは一人で全員分の物真似ができるようになるまで体を使って叩き込み、そうして大人になって、純粋無垢な気持ちで好んでいた本当のお気に入りソングを、思い出すことができなくなってきています。
数年に一度、サンバルカンを好きだったピュアな自分を思い出し、近くにいる人に「あの曲を歌ってみてちょうだい」とおねだりすると、たいていの紳士はまるでそれを日課にしているかのように、サラリと歌ってくれたりします。
一節聞けばすぐに、あの熱く燃えるような歌を、ヒートアップする心を思い出すことができるのですが、近くに一節分の紳士がいないことには、邪悪な大人の心を解き放つことができません。そこでインターネットで探してみたところ、久しぶりに串田アキラ氏が歌う本物を耳にすることができました。
今どき、熱く燃える思い出もピュアな自分も(あわよくば一節紳士も)、インターネットで探せば見つかるものですね。
歌詞はと言えば「太陽がもしもなかったら地球はたちまち凍り付く」のだそうです。「太陽はオー生命(いのち)の星だ」そうです。根っからの太陽讃歌です。サンバルカンは太陽戦隊なのですから、仕方ありません。
わたしは根っからの地球人なので、だいたいの部分にそれほどシンパシーを感じることはできませんでしたが、「おれたちの魂も燃えている」の部分には、絶対的な共感をおぼえました。燃えました。
本当は、子供の頃熱中したテレビ番組の主題歌の中で、未だに日々のハミングにレギュラーで登場するのは「大岡越前のテーマ」です。
口笛を吹いてみるだけで、255年前の来週の土曜日に亡くなった大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)を演じる加藤剛の格好良さに腰砕けになるピュアな自分に立ち返ることができます。
歌詞は「ルルル」みたいな感じです。
これは共感できます。
0 notes
Photo
13. Beck/Loser
「ニカラグアで絶大な人気を誇るBECK」
その昔、天才たけしの元気が出るテレビで、「もっくん(シブがき隊)に抱きしめてもらって失恋の傷を癒そう」みたいな企画があり、ハートブロークンな乙女を募集していました。
せっかくなので一応募集要項を確認すると、いくつかの参加条件と共に提示された「このような方はご参加頂けません」という項目に「肩幅が広い女性」というのがありました。
当時スパルタ式の水泳教室に通っていて、10歳にしてすっかり肩ができあがっていたわたしは、まだ失恋はしていませんでしたし、もっくんに抱きしめられたい欲求も芽生えてはいませんでしたが、何だかとてもがっかりしました。
「恋に落ちる前から失恋した気分」だの「乙女としての不適合者のレッテルを貼られた気分」というほどクリアでない、得体の知れない傷、そうでなければ戒めのようなモノを与えられたようでした。
「ぼくって負け犬、だからいっそのこと殺っちゃってちょうだいよ」と歌った男の人に、BECKというアメリカ人がいます。
アコースティック・ギターを奏でながらも、フォークではなくパンクの影響を色濃く出した、アンチフォークというシーンの代表格とも捉えられていて、詳しいことはしりませんが、とにかくあまりにかっこいいらしくて、わたしは未だBECKの悪口を言っている人を見たことがありません。
けれどもわたしは個人的に、BECKの肩幅が狭いというかなで肩というか、そこいら辺がどうも気になって、ちょっぴり距離を置きたくなってしまいます(そもそも地球を3周半しても届かない)。
もっくんのせいです。
さて大ヒットした[LOSER]ですが、サビの有名な[I'm a loser baby so why don't you kill me]というフレーズの前の、「オー、何とかヘンナニョー」みたいに適当に誤魔化して大合唱できる部分は、英語に次いで使用する人口の多いスペイン語で[Soy un perdedor]、英語でいう[I’m a loser]ということを言っています。
それによってスペインやメキシコはもちろん、チリやアルゼンチン、ベルーからホンジュラス、パナマやニカラグア(どこ?)の若者の共感もがっつり得たことでしょう。
「ニカラグアで絶大な人気を誇るBECK」というプロパガンダも、たまには刺激的です。
祖父は芸術家、母も前衛芸術家、父はストリングスのアレンジャー、というアーティスティックな一家に育ったBECKが歌う、「ぼくって負け犬じゃん?」。
祖父は高校国語の教師、父はハードなサラリーマン、母の特技は木登り��いうある意味ストイックな家庭環境で育ち、がっしりした肩に悩んでいるわたしは、やっぱりBECKとの間に深い溝を感じずにはいられません。
0 notes
Photo
15. radiohead/Fake Plastic Trees
「プラスチック・メタリカ」
世界プラスチック協会は、そろそろradioheadに感謝状を送った頃でしょうか。
1995年のアルバム[The Bends]からのシングル[Fake Plastic Trees]以来、特に音楽業界において、プラスチックは無機質で味気ないものの代名詞になったような気がします。
というよりもむしろプラスチックという言葉がメジャーになったのはradioheadのお陰ではないのかとさえ思います (過言)。
曲のタイトルやアーティスト名にこの言葉をよく見るようになり、大阪のおばちゃんの言う「プラッチック」というイメージが主流だった頃(個人的に)より、格段とイメージが良くなったのではないでしょうか(個人的に)。
それは例えば「無機質でオーガニック」というような、矛盾した状態を表すことに使われることが多いと思います。
「ビラビラのキャミソールを着ているのに足下はごついブーツでかためてみました」という今日のファッションのポイントや、甘さと生臭さの不協和音「ジンギスカンキャラメル (札幌グルメフーズ)」とかいうものと同じかもしれません。
「牛肉とパイナップルの絶妙なコンビネーション」は、パイナップルのタンパク質分解酵素がお肉を柔らかくするらしいので、実験的なチャレンジとは違うようですが、「霜降りの牛刺しを公園の泥がついたままの手で召し上がれ」だったら、同じジャンルに入れてもあまり差し支えはないかもしれません(どこに差し支えるのでしょう)。
総じて、1983年にアルバム[Kill’em All (全員殺っちまえ)]、邦題は「血染めの鉄槌(ハンマー)」でデビューしたMetallicaの販売促進グッズ (1996年のアルバム[Load]用)として「メタリカ学習帳」が放出されていたのとは同じ感じということで良いですか。
歌詞(radioheadの方)の中には「a fake chinese rubber plant (中国の偽物ゴム植木)」とか「a rubber man in a town full of rubber plans (ゴムでできたプランで溢れ返る街のゴム男)」とか、「a cracked plystyrene man (ひび割れポリスチレン・マン)」とか、プラスチック以外にも[real thing(生身)]みたいと表される主人公の「彼女」と対になる素材が登場します。
もしも曲のタイトルが[fake Chinese rubber plant]とか[cracked polystyrene man]とかであったなら、ゴムやポリスチレンが現在のプラスチックの代わりに人々の微妙なバランス感覚の表現ワールドに定着し、世界・中国偽物ゴム協会とか、ひび割れポリスチレン協会とかが、今頃radioheadに感謝状を送っていたかもしれません。
でもそう言えばわたしはまだ、世界金属協会によるMetallica表敬の話を聞いたことがありません。スウェーデンの金属関係の労働組合のサイトのドメイン名に[metallica]という文字列が��っていることに対してMetallicaがプンプンだ、というニュースは、どこかで聞きましたが。
そんなものでしょうね。
0 notes
Photo
17. Jack Johnson/Better Together
「でっちあげ」
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」
2005年に発売されたJack Johnsonのサード・アルバム[In Between Dreams]の一曲目です。
毎晩お風呂上がりにストレッチをしながらこのアルバムを聞いていたのですが、何しろストレッチをする手際が良いもので、だいたい2曲も聞き終わらないうちに、次はドライヤーを掛け始めてジャックジョンソンのジャの字も聞こえなくなるのです。
つまり「よし、聞くぞ」と思っているのはCDプレイヤーの再生ボタンを押して最初の1フレーズ分くらいなわけで、そのあと床に座ってストレッチを始めると、もう気持ちはすっかりストレッチングなわけで。
こんなことでは一年かかってもアルバム一枚聞き込むことができないと思い、まずは一曲目の1フレーズだけでも丸暗記するくらいまで集中して聞いてやる、と躍起になって始めたジャックジョンソン・ナイツ。
[There’s no combination of words I could put on the back of the postcard]
「ポストカードに書く良い言葉も思いつかないんだべ」
という息継ぎなしの歌い回しを何とか言えるようになったのは一週間もたった頃だったと思います。一週間たっても「思いつかないんだべ」までしか覚えられなかったので、結局良い言葉など本当に思いつきませんでした。
わたしは歌詞カードを読むことはあまりありません。何故なら、「その続き」をでっちあげることが好きだからです。
今ほとんど初めてこの曲の歌詞を読んでみましたが、もしも「思いつかないんだべ」を制覇して次の[no song that I could sing]「歌える歌もないんだべ」まで進んでいたら、そうか、その調子で話を進めよう、とでっちあげランプが頭のてっぺんでくるくる回りだし、このコラムを書くにあたって「テレビもねえんだべ」「ラジオもねえんだべ」「車もそれほど走ってねんだべ」 と思いつきました!などと、自分ででっちあげてもいない(1984年、日本語ラップ初期の代表曲「おら東京さ行くだ」吉幾三)半端なザマを晒していたかもしれません。
難しくてありがとう、ジャックジョンソン、略してジャクソン。
0 notes
Photo
18. Warrant/Cherry Pie
「いけないチェリーパイ」
ビートルズの[A Hard Day’s Night]に「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」という邦題をつけたのが映画評論家の水野晴郎氏であるというのは有名な話ですが、詳細を限定されずにその先をでっちあげたいわたしにとっては、結構好みのタイトルです。
[A Hard Day’s Night]、つまりビートルズがハードな一日を過ごしたことをひた隠しにして、「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と言って(言わせて)しまいました。
「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のテンションによって、そのハードさやハードさの種類が伺い知れるというものです。いえむしろ伺い知りたくなどありません。今こそでっちあげるのです。
仕事でハードだった。恋人と喧嘩をした。弟が家出した。旅の荷造りがハードだった。空港の手荷物検査で着ているものまで脱がされた。飛行機の前の座席の人が椅子を倒し過ぎ。ベジタリアンなのに「ビーフかチキンか」と聞かれた。頭をセットして来たので気になってろくに眠れなかった。足がむくんだ。羽田空港で着たはっぴがキツかった。
いやあ人生って、本当にハードですね。
歌詞を読めば「仕事だよ」とすぐにわかりますけれども。
カリフォーニアはロサンゼルスのロックバンド、Warrantは1990年にメガヒット曲を生み出しました。[Cherry Pie]という曲です。
邦題は「いけないチェリーパイ」。
何がいけなかったのでしょうか。懲りずに��たタイトルだけで想像してみると、そのいけなさ具合も多様に展開します。
ボーカルの彼が結構甘いルックスで、アイドル的な扱いをされていたような、いなかったようなバンドでしたが、もしかしてそのクリーンなイメージにそぐわない、タバコをポイ捨てするチェリーパイでしたか?チェリーパイのくせに?それとも手を洗わずにコンタクトレンズを装着するチェリーパイ?お酒を飲んだ後にすぐにお風呂に入れば酔いが醒めるんだとか言い張るチェリーパイ?
いやもしかして、迷い箸をするチェリーパイ?さすがにそれは、お母さんに怒られますよう。本当にいけないチェリーパイです。
さて気を取り直してちゃんとWarrantにとっての「いけないチェリーパイ」を知ろうとしてみますと、ええ「彼女はぼくのチェリーパイ」だそうです。
かわい子ちゃんの代名詞、チェリーパイですね。チェリーなカンジのオッパイちゃんですか。おっぱいちゃんで良いのか、はたまたもっと下っていく先なのか。
そのチェリーパイちゃんったら、大のオトコを狂わすような、それでいてスウィートなサプライズ、何やら、玄関でもリビングでもスウィング!スウィング!するのだそうです。床や車のバックシートでもスウィング!スウィング! キッチンでも風呂場でもスウィング!スウィング!
実はイチローですか。
もし[Cherry Pie]が[ICHIRO]だったら、どこでもスウィング!スウィング!だなんて、「いけない」どころか「さすがだなあ」と大絶賛ではないですか。「さすがのチェリーパイ」になってしまいます。
練習嫌いの新庄だったら、「不自然なチェリーパイ」、もしくは「地道なチェリーパイ」。
でももし松井だったら、「いけないゴジラ」になるのでしょうか。なかなかキャッチーではないですか。
0 notes
Photo
19. Queen/We Are The Champions
「情操教育と音楽」
わたしが通っていた小学校では、登校時、下校の時間などにはクラシック音楽が流れていました。そして一日のハイライトである給食タイムには、「スカトロの傾向があり、カツレツを食べたせいで死亡した」という説もあるらしいモーツアルトの穏やかな曲が、三大欲に忠実なわたしをモーレツにハッスルさせてくれていました。
けれどもそれと同時に、あまりにリラクシングなムードに、食事に興味のない子供、食が細い子やプラスチックの器では食欲が失せるグルメな子などが、お昼休みのドッジボールが始まってもまだ、嫌いな人参に向かって念力を送ったりしていたのです。
強さも弱さもなく、おともだちはみんな大切、というようなクラスだったので、ある男の子は「鼻をつまんでもいいから頑張れ!食べろ!」と独自の破戒許可を与えて励ましたりもしていました。
でも鼻などつまんでも人参は人参、あのドリーミーな香りは耳や口、ありとあらゆる穴から入り込んできますし、既に人参を食べ終わって目の前で大声を張り上げる友には、この苦しさはわからないだろう。という悲観が全身を襲うのです。
友情崩壊です。完全孤独です。
そんなことにならないように、もっと自主的にその人参に打ち勝つようなエネルギーや食欲を増加させ、さらに欲を言えば孤独感を解消し、せっかくだから友情もあたためられるような、給食の時間にもってこいの音楽はないものでしょうか。
ああ、ありましたありました。
Queenです。「ぼくたち世界のチャンピオン」です。終わりまで闘うチャンピオン、間違いもあったし、辛いこともあったけど、乗り越えてきたチャンピオーン、です。
1977年発売の「世界に捧ぐ(News Of The World)」に収録された[伝説のチャンピオン(We Are The Champions)]は、現在ではスポーツ界での賞賛などのシーンで度々使用される、ボーカルのフレディー・マーキュリーによる曲です。
実際にフレディー様はフットボールを讃えることを前提に書かれたそうですが、20年たった今でも、フットボールに限らず、アメリカのスーパーボールや映画やロック界を超えたカバーやリミックスやサンプリングが行われ、人々がいかにこの曲を愛し、共有し、それぞれの理解を手にしているかがわかります。
「ぼくたちこそがチャンピオーン。そりゃ色々大変なことはあるけれど、全ての人類の目前でのチャレンジだと思うのさー。」
という、壮大で確固たる自信に満ちあふれた力強い歌詞は、人々を勇気づけ、勝者を讃える気持ちを一丸にし、もしくは敗者として埋もれようとしている友を、日の当たる場所まで引き上げてくれるものなのかもしれません。
この人参を力強く噛み砕き、それが体内に吸収され、βカロチンがビタミンAへと姿を変え、そして皮膚や粘膜を保護し、抗酸化作用を生むことを、友とわかちあう。その上チャンピオンにもなれてしまう。
給食の時間の情操教育は、流れてくる音楽によってもっとホットな効果が期待できるのかもしれません。
0 notes