#ポップ・ミュージック
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中森明菜 - アルマージ Akina Nakamori - AL-MAUJ
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音楽はより階層化されています。 90 年代から現在に至るまで、90 年代後半の DAW の台頭から iTunes や P2P 共有、YouTube や音楽ストリーミングに至るまで、音楽の民主化はますますエスカレートし続けています。 そのため、今では音楽の数がはるかに増えており、人々は自分の好みに合ったものを見つける機会が増えています。 人々はより幅広い種類の音楽を聴くようになっており、ビルボードの人気に関する同じ概念は、もはや実際には役に立ちません。 ラジオやテレビの広告で流れているのは最小公倍数の企業ワッフルであり、頻繁に流れていますが、それは人々が全体的に聴いているものを表しているわけではありません。 私はハウス ミュージックや 90 年代のユーロダンス、あらゆる種類の J-POP、19 世紀のフォーク ミュージック、2000 年代初頭のロック、80 年代のシンセ ポップ、オーケストラ音楽まで、あらゆるものを集めた個人的なプレイリストを持っています。 テイラー・スウィフトの曲の名前を直接挙げることはできませんでしたが、どうやら彼女はかなり有名なようです。
新しい音楽を見つけるのをやめるのはいつですか? | ハッカーニュース
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仮に宇宙人が地球へ侵略にきて、地球で最高のポップ・ミュージックを聞かせないと殺すと言われたら、このアルバムに収録されているKnocks me off my feetを選びます。
ジャネットの暗いアルバム - by yu koseki - たよりない話
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2024年7月8日月曜日
病院の待合室にて22
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(4)
他にもいろいろな昔話をした。その中で久しぶりに聞いた言葉があった。その言葉とは「安倍教」である。安倍、とは私の苗字なので、きっと私が開いた新興宗教なのであろう。しかし、この言葉を作り出したのはTくんである。私とTくんがバンドを組んでいた時、私がポップ・ミュージックについて過度に考え、頭でっかちになってしまった挙句、明文化されたわけではないが、様々な決まりが生まれ、我々はそれに雁字搦めになってしまった。その悲劇の元凶となった思想を揶揄して、Tくんは「安倍教」と呼んでいるのである。安倍教の戒律には「しなければならない」とか「してはならない」という風に結ばれる文が多かった。例えば、「他の人と同じことをしてはならない」。シンプルな戒律であるが、実現するのは大変である。ただこの戒律に関していえば、「我々が他の人と同じような事をした場合、より上手く仕上がっているものを人々は買うことになるだろう(ここで買うものとして念頭に置かれているのは、CDやライブのチケットになります)。だからなるだけ人と違う事をして、出来は今いっちょうかもしれませんが、オリジナリティーでひとつ、どうですか、ということで買ってもらおう」という魂胆があった。少しでいい、一歩でいい、半歩でも、四分の一歩でもいいから、他人と違う事をする。たとえば十分の曲を書くとか。Eメロまである曲を書くとか。五拍子の曲を書くとか。曲の中に登場人物が四人出てくる曲を書くとか。何でもいい。ここまでに挙げた例は、ポップ・ミュージックの歴史の中で誰かがやっていることである。それでもいい。やっている人数はきっと少ない。それくらいのことでいい、とにかくチャレンジしなくてはならない。まかり間違っても「四分半くらいで、四拍子で、ABサビという構成の、僕は君のこと大好きなんだソング」だけは書くな、とそういうことである。
改めて考えると、最初は誰もが書くような曲を書いたっていいと思う。少しずつでいいから形にしていくことが重要なのだ。そして次に書く曲が、これまでの曲と少しだけでも変わっていればいい。大切なのはプロセスである。他者との比較ではない。自分がどう進んでいくか。そして自分の思ったこと、やりたいことを、素直に、無防備に、真摯に行うように努めること、それこそが肝心なのであり、それこそが新しいものを生んでいくのだと思う。ただ、私は十代の若者のこういった頭でっかちなところも嫌いではないし、正しい部分もあると思う。だから仕方ない。Tくんがその後バンドでやったことや、私がひとりで書いた曲は、その時期に対する批判という風に捉えられるものも少なくない(例えばTくんのバンドの『世界史』という曲の1stヴァースからコーラスにかけての歌詞は「僕と君が出会った/ハイカラの町で/ごめんね/今日は下北で練習だ/ごめんね/今日は会えそうにはないよ/それでも君を殺しはしないよ」というもので、何の変哲もないボーイミーツガールで始まる曲が、私小説味を帯びていき、突拍子もないコーラスの歌詞へと繋がり、オリジナリティーを生んでいる。ていうかタイトル『世界史』って)。だが最後まで安倍教の教義として我々の中に残ったもの、それが「新曲至上主義」である。とにかく新しい曲を絶えず書き、アレンジし、リハし、ライブで下ろしているバンドないしはシンガーソングライター、それこそが真にかっこいいミュージシャンであり、そうでなければやっている意味などない、という教義である。今でもちょっとその価値観は残っている。でも。でもでも。新曲なんてやんなくてたって別にいい。続けることが大事だという価値観もあるし、その中でひょんなことから曲が生まれることだってありうる。ここでも尊重されるべきはやはりプロセスである。続けなければ過程など生まれない。だからそんな教義捨てていい。かっこいいかもしんないけど捨てていい。まず何より大事なのは、形はどうあれ楽しむことである。そのことも今だからこそ分かるような気もするし、やっぱり全部間違っているような気もする。それでいい。すべては途中経過なのだから。
店員さんがラストオーダーの注文を取りに来て「あっ��にないですー」と答えた次の瞬間、「お会計ですー」という言葉と共に伝票が来る。とにかく生中のエンドレスワルツを踊っていた私は結構酔っ払っていた。会計を済ませて店を出ると、隣のビルの二階が居酒屋だったので、すぐさま我々は入店した。何を食べたのかあまり覚えていないが、スウィートハート生中は常に私の傍にいた。鯖の塩焼きを食べましたかね。鯖はおいしいね。私は何かを喋っていたが、もうどうにもこうにも瞼を開けていられなかった。目を閉じたまま、Tくんと話していて、そのうち血流が良くなった影響なのか、体のあちこちがかゆくなってきた。それに気付いたTくんが「ホテルに戻ろうか」と気を回してくれた。私に拒否権などなかった。店を出て、ホテルに戻った。Tくんは「また持ち直したら部屋で飲もうよ」と優しい言葉をかけてくれた。「そうだねー、明日の朝ごはんもねー、一緒にねー、なるー、かもねー」と私はヘラヘラしながら言い、おやすみと声を掛け合ってお互いの部屋に戻った。なんと時刻は午後八時前。早い。夜通し飲むはずだったのに。でも今日はTくんとたくさん話せてよかったし、今はなんだか頭も痛いし、ひとまずはベッドに横になろうかな。
ベッドに横たわって、テレビをつけた。テレビではTHE SECONDというお笑い賞レースをやっていた。今夜は一晩中飲むつもりだったので、リアルタイムでは見られないと思って録画してきた番��だが、あまりに早��部屋に戻ったために、ほとんど見ることができてしまった。ザ・パンチかタイムマシーン3号が優勝したらいいなと思っていたが、どちらも優勝しなかった。番組が終わって、シャワーを浴びた。睡魔の気配が全くしなかった。いつもならここで眠剤を飲むはずだが、アルコールを飲んだ日には眠剤を飲む気になれない。そんなことをしたら二度と目が覚めなさそうだから。ホテルの自販機に行って一番搾りのロング缶を買って、また一人で飲み始めた。
目が覚めると朝五時だった。朝食バイキングにはまだ早いようだったので、日課のストレッチをした。ストレッチをじっくりやって、身支度を整えたくらいで、Tくんからショートメールが来た。そこには「おはよう、10時にロビーで待ち合わせでいいかしら?」とあったので、「いいよー」と返した。朝食バイキングの会場であるロビーに下りると、大きな窓の向こうで雨がザンザン降っているのが見えた。Tくんの来徳が昨日で良かったと思った。必要以上にウインナーやスクランブルエッグを食べた後、コーヒーを淹れて部屋に戻った。まだかなり時間があったので、ひたすらゆっくりした。二度寝したら終わりだなと思いながらも二度寝しそうなくらいゆっくりした。十時五分前になったので荷物を持ってロビーに戻った。十時きっかりにTくんが下りてきた。おはよう。聞くとTくんは昨夜、部屋に帰るやいなや眠ってしまい、次に目が覚めたら朝だったという。長旅と仕事(と観光)で疲れていたのでしょう。私もそれを聞いてちょっと罪悪感が薄れました。続いて、これからどうしようか?という話になったのだが、もう飛行機までの時間もそんなにないし、とりあえず空港まで行って、時間までお土産買ったりお茶したりしようということになった。チェックアウトを済まし、中がどうなっているか結局わからなかったエレベーターみたいな立駐からオンボロ軽四を取り戻して出発した。
降りしきる雨の中、空港まで向かう車の中で話したことの一つはandymoriのことだった。「昔のandymoriの曲がTikTokで凄いバズってるんだよ」とTくんに話すと、「どの曲?」と言うので「『すごい速さ』っていう曲だよ」と言ってメロディーをハナモゲラで歌った。適当に打ち切った後で「andymoriってフォークみたいなメロディーが多いから、鼻歌だと分からないかもしれないけど…」と私が言うと、Tくんは「ああ、フォークミュージックだよね」と言った。私は、上手く言えないけど、自分の言った意味がすんなり正確に伝わったような気がして何だかびっくりしてしまった。こういう経験は久しぶりな気がした。文脈や前提が説��しなくても予め共有されている感覚。こういう友達がいることに改めて感謝(驚)しなくてはいけない、と思うや否や私は、「我々は定期的に会う必要があると思う!一年に一回とか!」と無意識のうちに言っていた。Tくんは「そうだね」と言って笑っていた。
つづく
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修 翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ��ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはないものと思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをや���なきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで、何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置かれた抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッ��ージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックスって、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだからね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そして社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていう��、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係ないんだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだよ。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を���れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアート·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ��もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイズム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。���ンドそしてオーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさないんだったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今、もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?��功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかなり扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないからね。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに��ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱したらどうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発なんだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
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細野晴臣と坂本龍一
坂本龍一が亡くなってから彼の作品を聴いているうちに細野晴臣との共通点に思いを馳せるようになった。 一時細野晴臣と坂本龍一が緊張状態であった事が知られているが、少なくとも80年代いっぱいまでは創作については双方向から影響を与え合い、ほぼ同じ方向を向いていたと思う。
最初の同期現象はYMO結成前夜78年の細野晴臣のソロ「はらいそ」に収録されている「ウォーリー・ビーズ」と坂本龍一のソロ「千のナイフ」に収録されている「The End Of Asia」のコーダ部の相似が指摘されており、細野晴臣は「あのメロディーは確かに私も創ったし、坂本龍一も創ったのだが、それは同時に使ったともいい直せるのだ。」と、表現している。
80年に入ると坂本龍一から細野晴臣への影響として坂本龍一がYMOに持ち込んだ現代音楽的アプローチがある。 80年に坂本龍一が制作したソロ「B-2 UNIT」がYMOの「BGM」に大きな影響を与えたことはよく知られているが、81年にYMOにて坂本龍一主導で制作されたライヒ的ミニマル・ミュージック「体操」がきっかけとなって細野晴臣82年のソロ「フィルハーモニー」では影響全開となり、特に「Luminescent/Hotaru」でのガムラン的ミニマルな音作りはモロに現代音楽的であり、はっぴいえんどからの彼のファンにとっては驚きだっただろう。
二度目の同期現象はYMO散開後86年に坂本龍一ソロ「未来派野郎」、細野晴臣の��ロジェクト、フレンズ・オヴ・アースの「SEX ENERGY & STAR」ではいずれも来日していたジェイムズ・ブラウン・バンドのメイシオ・パーカーを取り合うようにして起用(細野晴臣は御大JBまでをも担ぎ出した)、ファンクへの目配せを互いに行った。
89年には三度目の同期現象が発生、エスニック・ミュージックというキーワードで二人ともアルバムを作成している。 坂本龍一は「ビューティ」で沖縄、セネガル、中国、細野晴臣は「オムニ・サイトシーイング」で江刺、アラブ、南米といった欧米以外の辺境の地に息づく音楽をすくいあげ、彼ら流のポップ・ミュージックに昇華させた。
そして細野晴臣から坂本龍一への最大の影響といえば「YMOのコンセプト」であったと思う。 YMOの結成当初の目的が細野晴臣による「海外��の成功」ではあったが、ワールド・ツアーの成功後に日本に引きこもり(体力の問題という指摘アリ)、本格的に世界に出かかってやめた、という状況になってしまった。 その後坂本龍一は「戦場のメリークリスマス」をきっかけに映画音楽を活動の中心に据えてソロとして海外に進出したが、本人も「最初のYMOの目的や理想を引き受けて、一人でやってるってことがある」という旨の発言をしており、80年代の終わりに「ラストエンペラー」でアカデミー賞を受賞してからの活動はYMOのコンセプト通りのものであった。
90年代にはいると細野晴臣はアンビエント・ミュージックの森の住人となり、坂本龍一は本格的に海外に打って出て異なる視点で創作を行うことになるが、80年代いっぱいの二人の活動を振り返ると驚くほど視点が似ており、あの確執はアカデミックに分析して自分のものにしていた坂本龍一に対し、飄々と自分のものにしてしまった細野晴臣への坂本龍一からの近親憎悪だったのかもしれない、と思ってしまった(笑)。
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MOURNING FOR SACHIKO
DOUBLE
終わることのないDOUBLEの歌
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6月2日に発表したプロローグ・アルバム 「Crystal」が、オリコン初登場2位を記録。
そんな輝かしい結果を知ることもなく、姉・SACHIKOは永眠してしまった。
決して来ないエピローグ。それはきっとDOUBLEに終わりがないことを意味するのだろう。
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DOUBLEの二人に最初に会ったのは今年2月のこと。 それはソニー・マガジンズ から 『Gb』と『GiRLPOP』の別冊とし て発行された 『JAMSiS 』 に彼女たちが登場し、僕が編集に携わっていたからだった。
その取材のために、小気味よくリズムを刻む 「Shake」を初めて聴いたとき、DOUBLEがマスに受けそうな予感がした。それほどR&B/ヒップホップに興味を持っていない、むしろ日本のヒットチャー トを追うようなリスナーにも親しみやすいのでは、とそう思ったのだ。「Shake it、Shake it、Shake it、Shake it」というリフはキャッチーだし、ふたりのフェイクによる掛け合いも、ちょっとソウルっぽい歌を聴いてみたかったという向きを満足させるものだろう。 そしてなによりDOUBLEの歌声がフラット、否、ビブラートをそれほど多用していなかったからだ。これがDOUBLEがマスに受けたキー・ポイントだと、僕は思っている。 DOUBLEの楽曲は基本的にポップ・ミュージックとして機能する面がある。R&Bといっても決してドス黒いコブシがまわるものではない。あえて言うならライト感覚。だからこそ気軽にDOUBLEの曲はロずさめる。言ってしまえば、 DOUBLEの曲はカラオケでも歌唱可能なぐらいだ。そして、「Shake」には、それくらいの普遍性=マス・アピールがあった。R&Bという以前に優れたポップスとして成立する。これは重要なことだ。
一番上の姉から影響を受け、メアリー J.ブライジやSWV、TLCなど向こうのR&B/ヒップホップなどを聴いていたDOUBLE。彼女たちは、98年2月に「Fon me」でデビューを飾った。それに続いて同年5月に「Desire」を発表。 この2曲は筒美京平作曲、福富幸宏編曲という優れたポップ・ソングでありながら、彼女たちを満足させるものではなかったらしい。R&Bを歌いたい。そんな彼女たちのベクトルとは違っていたのだ。そして、そんな背景がDOUBLE流��R&Bスタイルを生みだした。
DOUBLEの楽曲はTAKAKOが作曲を担当している。そのためか、取材などで自分たちのR&Bに対するビジョンをはっきりと伝えるのは、主にTAKAKOの役割だ。そしてSACHIKOはその隣でニコニコとうなずいていることが多い。おっとりしていて、恥ずかしがり屋で、人見知りで、ちょっと天然ボケ気味で。 SACHIKOにはそんなイメージがある。しかし・・・。
先述の「JAMSIS」の取材で写真撮影に応じていたDOUBLEのふたりは、空き時間になるとニュー・シングルとなる「Shake」のプロモーションビデオの振り付けを練習し、コーラスのハモリを練習していた。そのときマイクに通っていない生の歌声を聴けたわけだが、そこでSACHIKOの太い歌声にビックリしたことを覚えている。パワフルかつソウルフルで、華奢な体からは想像できないほどの生命感にあふれていた。好きな人には積極的に120%の自分をアピールしようとする女の子のように、そのときのSACHIKOは大好きな歌をうたうことによって、120%の魅力と躍動感と快活さを見せていたのだ。
5月21日、 SACHIKOは25歳という若さで永眠した。5月27日に発売されたアナログ盤「Make Me Happy」は即日完売、ふたりが精魂を込めて制作したプロローグ・アルバム「Crystal」 もオリコン初登場2位を記録しているという。今後TAKAKOがどのような活動をしていくのか、 現時点では未定だが、1日も早く歌声を聴かせてもらいたいというのも、DOUBLEの足跡が日本のR&Bシーンの成長過程にとっても序章にしかすぎないからだ。そう、 まさしくこれから、ここから。 だからこそ、DOUBLEに終わりはないのだ。
文:猪又 孝
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『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』公開決定
伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティの歴史を綴った初のドキュメンタリー!!
世界の音楽やファッションなど、あらゆる芸術と文化に強烈なインパクトを与え、またヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズの拠点であり、NYパンク・ロックシーンを生み出したことでも知られる伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティ(1965-1981)。
本作『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』はこのクラブの歴史を綴った初のドキュメンタリー作品である。かのCBGBより8年ほど歴史は古く、芸術家、作家、俳優、ミュージシャンなど文化人の社交場でもあったこの店は、アンディ・ウォーホルと彼の取り巻きたちが集い、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、ルー・リードが同じテーブルを囲み、ジョン・レノンやミック・ジャガーらも度々訪れ、ピストルズ解散後のシドもステージに立った場所。
マクシズ・カンザス・シティの成り立ちから終焉までの全軌跡を、本作で初公開となる映像やエピソードの数々を交えながら、当時を肌で経験したスターたちが振り返る歴史的にも稀少な映像作品である。
「音楽のムーブメントには、必ず発祥の地がある」 ソウル・ミュージックがポピュラーになったのは1960年代のデトロイトであるし、ヒッピーとヘッド・ミュージックは、スピリチュアルの総本山サンフランシスコを中心とした西海岸で進化をとげた。パンクという名で知られるようになった音楽のルーツはニューヨーク、特にダウンタウンのナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ」にあると、断言してもいいだろう。 ルー・リードは、ロックンロールのリリックスへの新たなアプローチを打ち出し、70年代冒頭にマクシズのハウスバンドのような存在となる“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”でそれを結実させた。同時代に登場した“ニューヨーク・ドールズ”もまた重要な意味を持つバンドで、マーサ・アーツセンター崩壊後は彼らもマクシズを拠点とした。 アメリカのとある一角で、ヴェルヴェッツとドールズがパンクの道を切り開いた。 それを可能にしたのがこの、パークアヴェニューサウスにあるマクシズ・カンザス・シティである。ここで生まれたムーブメントは後に続くポピュラー音楽の波に変化を与え、そして今もなお、影響を与え続けている。 これはパンクが生まれた物語であり、それを生み出したナイトクラブの物語である。 (ジミ・ラルミア)
本作は、ニューヨークで最もクールで影響力のあるナイトクラブ“マクシズ・カンザス・シティ”の15年以上にわたる歴史を記録した、ダニー・ガルシアによる新たな形のドキュメンタリー映画である。
1965年から1981年まで、マクシズはアンディ・ウォーホルと彼の取り巻きをはじめ、マンハッタンとその周辺に住むアーテイストたちの格好の集いの場となった。画家、作家、詩人、俳優、映画監督、ミュージシャン、モデル…ドラッグ・ディーラーや売春婦までもが、ウォーホルが鎮座するかの有名な“楽屋”に集っていた。この店のオーナー、ミッキー・ラスキンはひよこ豆とボウルに山盛りになったサラダを提供し、食えないアーティストの多くはそれで飢えをしのいでいた。 「サラダにはよく虫が混じっていたけれど」ウォーホルのスーパースターの一人で1968年からこの店の��ギュラーであったルビー・リンは振り返る。ペニー・アーケードもまた、68年の半ばに、ジャッキー・カーティスと一緒にフリーフードを狙って通い始めたという。
「ドラァグクイーンが欲しがるものといえば、タダ飯だから」 マクシズはニューヨークのLGTBコミュニティにとって安全な場所であっただけでなく、世界初のトランスセクシャルDJウェイン・カウンティ(現ジェーン・カウンティ)が2階の小さな部屋で60年代のレコードを回していたことでも有名である。 店の常連だったドアーズの広報担当兼ストゥージズのマネージャー、ダニー・フィールズはミッキーにバンドのライヴ演奏を提案し、やがてヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージーズ、アリス・クーパーらが2階のステージに立ち始める。その後Suicide、ニューヨーク・ドールズと続き、マクシズは次世代ミュージシャンの革命的拠点となるのである。パンク・ロックと70年代のニューヨーク・ロック・シーンの誕生である。 「本当に多様なだった」とエリオット・マーフィーは語る。「フォークシンガーもいたし、アーロ・ガスリーやジョン・フェイヒーもいて、俺もそこにいたんだ」。 マーフィーも友人のブルース・スプリングスティーンとともにマクシズのステージに立ち、大手契約を結んだ。同じくエアロスミスも、マクシズでのステージをCBSのトップであったクライヴ・デイヴィスが気に入り、その年にレコード契約に至ったのである。
74年の終わり、ミッキーは負債を抱えそのままマクシズを閉店してしまったが、トミー・ディーンとその妻ローラが、すでに知名度が高かったこの店を引き継いで再オープンさせた。 新しい経営者のもと、2階の部屋は拡大され、ブッカーのピーター・クローリーの目利きにより、マクシズは再びニューヨーク・ロックのメッカとなった。 70年代半ばにはバワリーの新しいスポットCBGBが台頭してくるが、映画の中でエリオット・マーフィーは、CBGBが嫌いだったと語る。「ゴミ溜めみたいな場所だった。マクシズは好きだったよ」。
ドールズの終焉後、新世代のアーティストたちがマクシズ・カンサス・シティとCBGBのステージを奪い合い、そして歴史を積み上げていく。 ブロンディ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、パティ・スミス、ハートブレーカーズ、クランプス、ウェイン・カウンティ、バックストリート・ボーイズ、デッドボーイズなどは氷山の一角に過ぎず、その下には何百ものバンドが毎晩両クラブのヘッドライナーとサポートの地位を巡り、知名度とレコード契約を求めて戦っていた。 いつの時代もそうであるように、多くの者は敗れて散ったけれども、70年代はニューヨークで歴史が作られたのである。エリオット・マーフィーは回想する。「あの時は黄金時代だった」まさにその通りだった。 「1981年になるとシーンはかなり悪化していた」とジェシー・マリンは語る。ネオン・レオンは「シーンを殺したのはシドとナンシーの死だ」と言う。 81年にはマクシズでスティミュレーター、ミスフィッツ、バッド・ブレインズ、ハート・アタック、レーガン・ユースといったバンドによりハードコア・シーンが始まり、さらにドールズとラモーンズが積み上げた歴史を塗り替える新しいバンドの波が押し寄せてきていた。
マクシズの終わり方は、あまりにもシビアで突拍子もなく、すべてを語ることに躊躇するほどだが、トミー・ディーンとローラ、アトランティックシティ、コカイン、そして偽ドル札が関わっているとだけ述べておこう。 このドキュメンタリーで綴られるこの一連の軌跡、こんな最高にクールなナイトクラブがどのようにして出来上がっていったの��、そしてどのような終焉を迎えることとなったのか、それは知っておくべき歴史のひとつであることは間違いない。
4.29(土)新宿K’s cinemaにて公開 全国順次上映
『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』 (2022年/スペイン/英語/89分/カラー・モノクロ/16:9) 監督:ダニー・ガルシア(『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』『Sad Vacation ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』)
<出演> アリス・クーパー、ジェーン・カウンティ(ウェイン・カウンティ)、ビリー・アイドル、シルヴェイン・シルヴェイン(New York Dolls)、ルビー・リン・レイナー(Ruby & The Rednecks)、エリオット・マーフィー、アラン・ヴェガ(Suiside)、スティーヴ・スティーヴンス、ペニー・アーケード、ジミー・ゼロ(The Dead Boys)、レニー・ケイ(Patti Smith Group)、ハーレイ・フラナガン(Cro-Mags/Stimulators)、ニック・マーデン(Stimulators)、フランク・インファンテ(Blondie)、ジェイ・ジェイ・フレンチ(Twisted Sister)、ジェシー・マリン(D Generation/Heart Attack)、ソニー・ヴィ��セント(Testors)ドクター・ノウ(Bad Brains)、H.R.(Bad Brains)、ミッキー・リー(Mutated Music/The Rattlers)、ジョン・ホルムストロム、ボブ・グルーエン、マーティ・ソウ、ピーター・クローリー、ジミ・ラルミア and more
配給・宣伝:CURIOUSCOPE
© Chip Baker Films / Dudeski Ltd.
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2022 Best Albums 10
コロナ禍の収束の兆しが見え始め、それと同時に街の動きも加速し、日々多忙を極めた一年。あまりにも忙しく、2022年は音楽を積極的に聴く気になれなかったのですが、そんな中でも心に響いた作品を10枚選定しました。
再度聴きなおして、やっぱり良いなぁ~と思った作品が中心です。(順不同)
Fontaines D.C. - SKINTY FIA
アイルランドはダブリン出身の 5人組 ロック バンド が 3rd AL をリリース。自身のルーツを振り返り、現状をシニカルに表現したロック レコード です。
I Love You
本作はアイルランド人でありダブリン出身のメンバーがロンドンに移住してから経験したことを時に荒々しく、時に文学的に描き、詞に落とし込まれています。私��日本で生まれずっと日本で生活しているので、共感することは難しいのですが、アイルランド人としてロンドンで生活する息苦しさ及びアイルランド人としての矜持を吐露する感情が曲に籠っているので、聴いていて感傷的な気分になりますね。
そんな背景はもちろんですが、やはり曲が良い!リード トラック M-4 “ Jackie Down The Line “ や M-9 “I Love You “ を筆頭に、激しくも非常に重々しくて暗い曲が並んでいるのですが、それがたまらない。なんかイギリスの ロック バンド って感じがして好きなんですよね。儚げなコーラスと掻き鳴らされるギターとフロントマンである グリアン・チャッテン の切ないシャウトが印象的な M-10 “ Nabokov “ で私は昇天しました。
無骨さが目立った Debut AL の ポスト・パンク サウンド から スケール アップ した Fontaines D.C. ...デカいステージが似合うようになってきました。
2月の来日公演が楽しみだ!
Camp Cope - Running with the Hurricane
オーストラリアはメルボルンの 3 ピース フィメール ロック バンド が 3rd AL をリリース! 力強くエモーショナルな歌声とフォーキーな ロック サウンド はまるで全てを肯定してくれるようで、希望を照らしてくれる一枚です。
Blue
本作も最高だ…!サウンド自体はとてもシンプルで���だからこそ響く ジョージア・マック の力強い歌声。Debut AL ~ 2nd AL の エモ / パンク からの影響が色濃く反映され、バンド シーン の女性差別などを訴えていた頃は ”怒り” が一つの重要なファクターとなって曲を作っていました。ですが、本作はその頃��は雰囲気が変わり、それは曲を聴けばすぐにわかります。 M-10 “ Sing Your Heart Out “「 You can change and so can I ( あなたも変われることはできるし私も変われる) 」という一節を歌い幕を閉じるように、どの曲も優しく包み込んでくれるように暖かく、希望に満ちているようにも思えます。
その大きな理由にメンバーはパンデミックの間、ワクチン接種の仕事をするため看護婦として働いていた経験が大きく影響されているようです。
「音楽は最高だけど、それ以上に大切なものはたくさんある。たとえ自分たちの音楽を気に入らない人が多くいても気にしない。ワクチンを打って生きているんだから。」と語る彼女たち。音楽を聴かなければいけない。それが自分のアイデンティティだとある種、強迫観念に囚われていたといっても過言ではない時期が私にもあったけど、いい意味で所詮は音楽。聴きたいときに聴いて等身大に楽しめばいいんだよと、微笑みかけてくれるような一枚です。
個人的に現在のシーンで一番カッコいい フィメール バンド だと思っています。
Whatever The Weather - Whatever The Weather
ロンドン の エレクトロニック・ミュージック プロデューサー Loraine James 別名義での 1st AL。温度を音で表したコンセプチュアルなアンビエント レコードです。
17℃
何度も再生してはいるのですが、正直聴いているうちに寝ていたので、ちゃんと一から最後まで聴くのは今が初めて。でも改めて聴くと、めっちゃ気持ちいいですね...
どうやら本作は曲名を温度で表しているように気温や気候がテーマなのですが、天気というのは予測できないことから即興で演奏して作曲した模様。実験的であり美しさが光る作品です。
M-1 “ 25℃ “ (これ��徐々に気温が高くなる春の温かみを表現しているのか..) を聴くとアンビエンスなアレンジが中心なのかなと思いきや M-2 “ 0℃ “ (これは水が氷結する瞬間を表現しているのか..) から M-3 “ 17℃ “(これは朝晩の気温の寒暖差を表しているのか..) の流れからは IDM 的アレンジも感じ取られ、また、M-9 “ 30℃ “ (これは夏になり人々が活発に過ごす様子を表現しているのか..) では幽玄なヴォーカルが乗ったエモーショナルな ビート・ミュージック と様々な表情を見せてくれます。これは抗えない天候の変化に伴い自然や人間の変化をも表すようです。
タイトルが温度なのでこの音は何を表現しているのか考えながら曲を楽しむこともできるし、ヒーリング・ミュージック としてリラックスする時に聴くこともできる素晴らしい一枚でした。
Dry Cleaning - Stumpwork
サウス・ロンドン の注目株が去年に引き続き早くも 2nd AL をリリース! 鋭利でメロディックなナンバーがそろった名盤です!
Anna Calls From The Arctic
相変わらずループするビート上(特に ベース・ライン がヤバい!)で炸裂するギターがエロい.. そして、感情が一切排除された フローレンス・ショウ のヴォーカルはあまりにもシュール過ぎるしセクシーだ。本作は、緊張感ある演奏でミニマルに展開しつつその上に抒情的にジャキジャキと響かせるギターが印象的だった Debut AL の延長線上にある作品ですが、一曲一曲がよりメロディックになっています。
高揚感を誘いながら疾走する M-2 “ Kwenchy Kups “ ~ M-3 “ Gary Ashby “ に、アジアンな雰囲気を醸すサイケデリックなナンバー M-5 “ Hot Penny Day “ やハード・ロック風のサウンドからへろっへろなギター���フの高低差に思わずニヤニヤしちゃう M-8 “ Don't Press Me “ など、どの曲も個性的で、2nd の時点ですでに Dry Cleaning 節を確立させたといってもいいでしょう。
来日公演マジで最高だった!!!
Gilla Band - Most Normal
アイルランドはダブリンの狂気性を孕んだ 4人組 ノイズ・ロック バンド が3年振りに 3rd AL をリリース!神経と脳みそがぐちゃぐちゃになっちゃうほど興奮させてくれる猟奇的な一枚です。
Eight Fivers
Ex. Girl Band。時代の波により改名を余儀なくされてからの (Gillaは古いアイルランド語でGirlの意味だそう) 新作。はい。不快過ぎます。神経を逆撫でする音で埋め尽くされていますね。最高。
濁流かと思うのほどのノイズと病的に発狂するヴォーカルは彼らの個性でもありますが、より一層聴き手を試すようなナンセンスなサウンドに磨きがかかっているのかなと思います。
オープニング トラック M-1 “ The Gum “ は凶悪につんざくインダストリアル ビート。絶対に良くないことが起こるんだろうなと不穏を煽る見事なナンバー。ばつんとノイズ&シャウトが止み、何事もなかったようにすっとぼけた音が聞こえてきたかと思えば、展開が予測不能でひりついたAメロから一気に感情を暴発させる M-2 “ Eight Fivers “へとジェットコースターのように曲は流れていく。そして曲が終わると同時に次の曲へ・・そう、本作は一度再生してしまったら最後、聴き手に息をつく暇をあたえないサドスティックな構成になっているのです。細かくインタールー��(しかしこれらも不快なノイズを用いている)を挟んでオープニングからエンディングまで曲を繋いでいくことで強制的に本作に没入させる。ただ煩いのではなく、つぶさにアレンジを効かして聴き手を圧倒する構成力に私はもうメロメロ..
世には様々なジャンルの煩い音楽で溢れていますが、私が Gilla Band を贔屓する要素でもある「理性的に狂気を音に落とし込んでいる点」がそれらと一線を画す要素なのかなと思います。
聴く際はヴォリュームを気持ち4つほど上げて欲しいのですが、聴いた後、頭が痛くなるので注意が必要です.. M-5 “ Binliner Fashion “ のアウトロ30秒間の濁流ノイズとかマジヤバ過ぎる..
Weird Nightmare - Weird Nightmare
カナダ の ノイズ・ロック バンド Metz のフロントマン アレックス・エドキンス がソロ作品をリリース! 甘酸っぱくもヒリヒリした最高な ガレージ・パンク レコード です!
Searching for You
大好き。こういう音楽をずっと聴いていたい。パワー・ポップ とか キャッチーな メロディック・パンク はもちろんテンションが上がるのですが、時折軽さや計算高さを感じてしまい個人的には物足りなさも感じたりします。しかし本作には、野性的に楽器を鳴らす荒々しい (それこそ初期 Cloud Nothings のような..) サウンドと直感でドカンと鳴っているプリミティブな勢いがそのまま曲に乗っているので、だからこそ興奮するし涙腺にも直撃してしまいます... M-3 “ Lusitania “ ~ M-7 “ Dream “ はヤバ過ぎる.. 拳突き上げっぱなし!
また、M-9 “ Oh No (feat. Chad VanGaalen) “ では本業でもある Metz 然とした激しさや、ラスト M-10 “ Holding Out “ では現行 エモ / インディー・ロック シーン にも通ずるノスタルジ��さも感じられるので、決して思い出をなぞった懐古ではない、現代にリリースした ロック レコード だと認識させてくれます。
クレジットを見るにいろんな ゲスト ミュージシャン が携わっているようですが、Bully の フロントマンである アリシア・ボグナノ も参加しているのですね。大いに納得な出来。。
羊文学 - our hope
メジャー レーベル の ソニー から 2nd AL を2年振りにリリース。期待を優に超えていく、令和が誇る ジャパニーズ オルタナティブ・ロック の名盤レコードです。
光るとき
一曲一曲がとにかく強い。タイアップ曲 M-2 “ 光るとき “ や M-11 “ マヨイガ “ は言わずもがな、グッド メロディー がふんだんに凝縮している一枚。自然と口ずさみたくなるナンバーばかりです。
なんだろう.. 聴いていて幸せな気分になるんですね。M-3 “ パーティーはすぐそこ “ はとってもキャッチーでついつい口ずさんじゃうし、M-7 “ くだらない “ では切なくなっちゃうし、M-9 “ ワンダー “ で掻き鳴らされるファジーなギターにいつも頭がくらくらするほど恍惚とした気分になるし、スーパーカー を断片的に彷彿としてしまうエレクトロ テイストなアレンジが煌めく M-10 “ OOPARTS “ も大好きだ。それだけでなく、ルーツ・ミュージック の影響が色濃く反映されている M-4 “ 電波の街 “ や M-5 “ 金色 “ も淡くて良いんですよね..
また、デビューしてからずっと通ずることなのですが、フロントマンである 塩塚モエカ の歌声が良過ぎる.. 透明感と力強さが伴った歌声.. 歌が上手いことの シンプル イズ ベストな力って凄いなと羊文学を聴くたびに思わせてくれます。
「魅せる」という意識もあるのが羊文学の良いところ。ステージ衣装はいつも素敵だし、本当に良いバンドだなと思います。
12月25日のクリスマス公演は最高な体験だったな..
Alex G - God Save the Animals
US はフィラデルフィアの SSW が 神秘的な 9th AL をリリース。不思議な魅力を放つ唯一無二の世界がここに広がっています。
Runner
フィラデルフィアという地は本当に味わい深い インディー・ロック バンド を生み出してくれます。その中でもひと際不思議な存在感を放つ SSW Alex G こと アレックス・ジアンナスコーリ の様相は未だ掴めずにいます。元々彼は宅録ミュージシャンで一人で作曲をするタイプではありましたが、本作ではパンデミックの影響もあり、外に出て友人とともにいろんなスタジオで作曲したようです。そういったこともあり、たしかに以前よりは開放されたムードが感じられます。ですが、何度も聴いても未だこのアルバムとの距離感が掴めていません。
ピアノやアコギを基調とした胸を打つほどにグッド メロデイーが際立つ M-2 “ Runner “ や M-3 “ Mission “ は素朴で親近感を感じますし、ヴァイオリンの音色が優しく響く M-12 “ Miracles “ はどこか郷愁的。
しかし、ストリングスをバックに奇妙なエフェクトがかかったヴォーカルが乗る M-4 “ S.D.O.S “ やエレクトロニックなアレンジが加わった哀愁あるフォーク ナンバー M-7 “ Cross the Sea “ からアウトロでシンセサイザーが突飛に鳴り響いたかと思えば M-8 “ Blessing “ では謎な神々しさを演出するハードなナンバーへと展開していくさまは中々に奇妙でやっぱり��みどころがないなと感じさせられます。浮遊感漂うポップなナンバー M-10 “ Immunity “ も異質な存在感がありますね。
一言では決して表せられないジャンルレス。しかしどの曲にも通底して切なさと暖かさが同居している秀逸な インディー・ロック レコード です。
Spoon - Lucifer On The Sofa
US が誇る ベテラン インディー・ロック バンド が渋くも踊れる 10th AL をリリース!キャリア豊富な大人たちが無邪気に鳴らすロックンロール ナンバーに酔い痴れること必至な一枚です。
The Hardest Cut
Spoon。名前は知っていましたが聴かずじまいだったバンドの一つで、新譜を5年振りにリリースするというニュースを聞き、いい機会だと思っていざ聴いてみたら、完全に心を鷲掴みにされてしまいました..
20年以上続くキャリアから醸し出されているのか.. 落ち着きを払った大人の余裕から薫る煙っぽさが全曲通してむんむんと漂っています。しかしそれはクセがあるようで無く、誰でもいいから気に入ったヤツから一緒に踊ろうよと誘うかのようにキャッチーなサウンドばかりだったりします。リードトラックである M-2 “ The Hardest Cut “ と M-4 “ Wild “ を一聴してみてほしい。熟成した熱が帯びつつも軽やかなバンド アンサンブルは大衆性も孕んでいるかと思います。
中でも M-3 “ The Devil & Mister Jones “ と M-7 “ On The Radio “ がお気に入り。前者は卒なく仕事をこなすかのようにジャキジャキと歪ませて鳴るギターがたまらなくエロいし、後者はピアノの切ない伴奏の上で響くギターとフロントマン ブリット・ダニエル のハスキーな歌声に文字通り酔い痴れてしまいます..
2022年個人的に最も良いと思ったロックンロール レコードでした!
新進気鋭な尖った若手たちには出せないオーラに感服..
Cwondo - Coloriyo
No Buses のフロントマン 近藤大彗 によるソロ プロジェクト Cwondo が 3rd AL をリリース。00年代のエレクトロニカ シーンを彷彿とさせるノスタルジックでキュートな一枚です。
Sarasara
ひどくエモーショナルな気分になりますね。この妙な懐かしさと人懐っこさは。心がやられているときに不意に流れると絶対に涙腺が崩壊すると思います。M-2 “ Midori “ とかヤバいです.. 多感な思春期に何もすることもなく、ただ教室からぼーっと青空を見上げていたそんな淡い情景が嫌でも思い浮かんでしまいます。(さすがに抒情的になり過ぎ..?)
全曲通して、とてもキャッチーで愛おしいエレクトロニカ・ミュージックを聴かせてくれます。たしかに聴いていて心が温かくなる。しかしこの温もりは、少なくとも無償の愛や生命の儚さといった自然的な要素から起因するものではないと思います。
曲を象る音はどれも人工的で生々しい。それは i am robot and proud や The Postal Service を彷彿とさせる音。都市で生きる人々が無意識に欲する現代的な温もりともいえると思います。特に、機械的なピアノのフレーズの上に少々大げさにエフェクトがかかったサンプリングが切ないメロディーを生む M-4 “ Sarasara “ が象徴的だなと思います。
本業である No Buses は The Strokes や Arctic Monkeys からの影響がうかがえる ガレージ・ロック バンド (これまたとてもカッコいい!) で、バンドを稼働しつつも気付けばあっという間に Cwondo名義での作品は3枚目に突入しており、近藤大彗 というミュージシャンは本当に音楽を作ることが好きなんだろうなとストレートに伝わってきてそこも素敵です。
ようやく海外ミュージシャンの来日公演が増えてきたので、2023年はたくさんライブに行けたら良いな。
2022 Best Songs 27 もまとめました!
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#音楽を聴こう #staytune #tokyocitypops #トーキョーシティポップス #japanesesoul #ジャパニーズソウル #music #音楽 #DJ アナタのデスクトップライフをちょっとだけたのしくしてくれるトーキョーシティポップス。 2022年11月のテーマは「オトコとオンナ」☆ https://www.mixcloud.com/kanekohideshi_tyo/221111_tokyo_city_pops/ #November #オトコとオンナ #manandwoman #戦争反対 #nowar #Winter #news #ニュース #ミュージック #partymix #djmix #jpop #jポップ #musiclife #desktopmusic #デスクトップミュージック #カネコヒデシ #kanekohideshi #knkhds #東京 #tokyo https://www.instagram.com/p/CldlvruSYlu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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news - 2024.7.3
SUGIURUMN / Love Degrees feat.曽我部恵一 配信スタート!
7年ぶりとなるアルバム『SOMEONE IS DANCING SOMEWHERE』のリリースが決定したSUGIURUMN。アルバムからの先行配信となる「Love Degrees」はSUGIURUMNの盟友である曽我部恵一と高野勲を迎え制作された。この3人が共同作業するのは2000年にリリースされたサニーデイサービスの『LOVE ALBUM』以来となる。90年代の熱い愛の時代を締め括った名作を作ったチームが今の時代のリアルに挑む。ポップ・ミュージックが人生の大事なことを教えてくれると信じた世代はまだ祈るように音楽を奏でている。
シェアリンクはこちら https://big-up.style/21geTg6r8y
SUGIURUMN『SOMEONE IS DANCING SOMEWHERE』先行発売 Party!
7月6日 (Sat) SHIMOKITAZAWA SPREAD open / start 15:30 DJs : SUGIURUMN、YODATARO Live Guest : 遊佐春菜 3,000円+1D
1999年のデビューから今年で25年となるSUGIURUMN。これまで常にフロアと向き合い、ダンス・ビートにメッセージを載せ続けてきた。去年の9月に長いキャリアを通して初の日本語詞によるオリジナル曲をリリース。その後も自身の歌も含め、数々のシンガーをフューチャーしながらカテゴリーを超えた音楽を発信してきた。���していよいよこのプロジェクトもアルバムのリリースを迎える。
まだ発表されていない楽曲を含め、アルバムには11曲が収録されている。それぞれのシンガーやリミキサー、デザイナーからスタッフまで関わった全ての人たちとのこれまでの物語とこれからの物語を詰め込みいよいよリリースとなる。
アルバムはCDで8月にリリースだがこの日は先行発売を行う、どこよりも早くフロアで共にアルバムのリリースを共に祝ってほしい。
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中森明菜 - ブロンド Akina Nakamori - BLONDE
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2024 年にテレビ視聴者が期待できることが 1 つあります。それは、料金の値上げとコマーシャルの増加です。 主要なストリーミングサービスであるAmazon、Netflix、Hulu、Disney+、Maxは いずれも 料金値上げと新たな広告政策を発表した。 私が新著『 24時間年中無休の政治: ウォーターゲートからFOXニュースまでケーブルテレビとアメリカの断片化 』で示しているように、ケーブルテレビを危機に陥れたストリーミングブームは、実際にはテレビ視聴者にお金を支払わせたのと全く同じビジネスモデルに基づいて構築されている。数十年前の月額制のサブスクリプション。 前任のケーブル会社と同様に、ストリーミング会社は、より優れた、より安価な視聴体験を約束して人々を魅了してきました。 現在、同社は強固な加入者ベースを獲得したため、料金の値上げを進めていると同時に、より多くのコマーシャルを導入したり、顧客にますます多く支払ってもらうために番組をバンドルしたりしているところだ。 ただし、違いはあります。 1980年代後半にケーブル会社が同様の戦術を試みたとき、そのような商慣行は有権者にとって「不公平」であるとして政治家から大騒ぎになった。 今では、のぞき見はまったくありません。これは、顧客を搾り取ろうとする企業の気まぐれにアメリカ人がいかに慣れてしまっているかを示しています。 「有料テレビ」の流れを食い止める ストリーミング会社と同様に、1960 年代のケーブル TV の起業家たちは、より少ないコマーシャルでより多くの選択肢を得る道として、ケーブル テレビを構成するビジネスの可能性を見出しました。 当時、 連邦規制は、 」にも貢献する限り、放送波を独占することを許可することで、競争を圧殺しました CBS、NBC、ABC という「ビッグ 3」放送ネットワークが、曖昧に定義された「公共の利益 。 広告主が番組の費用を負担したため、視聴者は毎月のテレビ料金を支払う必要はなかったものの、コマーシャルを我慢しなければならなかった。 このビジネス構造は、可能な限り幅広い視聴者を広告主に提供するために、大衆にアピールする番組制作も奨励しました。 しかし、すべてのテレビ視聴者が、放送波を独占していた定型的なクイズ番組やホームコメディに満足していたわけではありません。 未開発の機会を察知したテレビ起業家たちは、ビッグ 3 の支配を回避する方法をでっち上げようとしました。 ケーブルテレビの歴史は 1940 年代後半にまで遡ります。 」 (CATV)として知られていました。 当初は「コミュニティ アンテナ テレビ 大都市から信号を受信できない小規模なコミュニティに放送信号を届けるために使用されていたため、 当初、このテクノロジーは、競合するサービスを提供するのではなく、CBS、NBC、ABC のサービス範囲を単に拡大するものでした。 元 NBC 幹部のパット・ウィーバー氏は、娘の女優シガニー・ウィーバー氏とともに、初期からサブスクリプション TV の支持者でした。 ロン・ガレラコレクション/ゲッティイメージズ しかし、1963 年に、パット ウィーバーという元 NBC 幹部が サブスクリプション テレビを提案しました。 、有線接続を介して専門チャンネルにアクセスするために月額料金を支払う ウィーバー氏は、自身の会社であるSTVが、全米のお茶の間まで届く「広告トリビアの広大な土地」を回避する方法を提供したと、ある公開フォーラムで説明した。 ウィーバー氏は、個々の加入者により多くの選択肢を与えることで、放送番組の限界を打ち破るビジネス モデルを構築できるのではないかと夢見ていました。 結局、STVは続かなかった。 放送局と劇場所有者は、このような実験によってすべてのテレビが有料テレビに変わり、アメリカ人がテレビにアクセスできる人とそうでない人に二分されることを国民に説得するために動員された。 放送ロビイストらは 、「有料テレビ」は視聴者から無料でテレビを視聴する権利を奪い、「非民主的で不和の影響を与える」と警告した。 あるチラシには、 テレビに入れる十分なコインを持たず、サッカー用のヘルメットをかぶった打ちのめされた少年が描かれていた。 「ポップは、球技の試合を観るのにもう1ドル半も持たないと言っている」とキャプションには書かれていた。 無料テレビの終了に関する悲惨な警告は効果をもたらし、有権者は 1964 年に定期購読テレビを非合法化する州投票計画を 支持した。 裁判所は合衆国憲法 新しい法律を破棄しましたが、STV は存続しませんでした。 修正第 1 条に違反するとして ケーブルが引っ掛かる しかし、有線テレビが視聴者により多くの選択肢を提供するという考えは変わりませんでした。 1970 年代にテレビ放送の限界に対する不満が 政治分野全体で強まる中 、消費者、選挙で選ばれた役人、規制当局は皆、代替手段を提供するケーブル テレビの可能性を受け入れました。 1970 年代半ばまでに、ケーブル システムの衛星経由で配信される番組の実験により、視聴者が興味を持つかどうかを確認するために、ノンストップ映画、スポーツ、音楽、天気などの新しいタイプのニッチなチャンネルや番組がテストされました。 1975年、HBOはモハメド・アリとジョー・フレイジャーの国際ボクシング試合「 スリラ・イン・マニラ 」の生中継が、苦境に立たされていた有料テレビ事業の活性化につながると賭けた。 1972 年に初めて開始された HBO のような有料テレビ サービスからの収入は、 急増しました。 1975 年の 2,900 万ドルから 1980 年の 7 億 6,900 万ドルまで 以前の STV と同様に、ケーブル会社は放送とその広告モデルに対する不満を利用しました。 彼らは、HBO のようなプレミアム チャンネルが「ノーカット、ノーコマーシャル」で映画を提供できると約束して、サブスクリプションを販売しました。 何百万人もの人々が、ケーブルのサブスクリプションや、さらに料金がかかる HBO などのプレミアム チャンネルに熱心にサインアップしました。 規制緩和国家 特定の層にアピールするニッチなケーブル チャンネルがすぐに登場しました。 ブラック エンターテイメント テレビは、黒人視聴者に向けた番組の新たな機会を生み出しました。 デイタイム チャンネルは女性向けのエンターテイメントやニュースを提供し、MTV はミュージック ビデオを通じて若い世代とつながりました。 次に、1979 年から下院にカメラを設置したケーブル業界が資金提供する C-SPAN の取り組みがありました。1984 年にネットワークに宛てた手紙の中で、熱心な視聴者は広報チャンネルが「裏側からの情報」を提供していることを賞賛しました。 -共通の関心事については近隣住民と柵を設けて議論するが、その範囲は近隣住民の範囲が米国全地域を網羅するものとする。」 ケーブルの人気は業界のロビー活動を後押しし、議会に事業運営の重要な側面の規制緩和を促した。 1984 年に彼らは成功しました。1984 年のケーブル通信政策法により、 企業がサブスクリプション サービスに請求できる金額に対する地方自治体の制限が特に撤廃されました。 価格高騰と顧客サービスの低下という結果がすぐに明らかになりました。 その後数年間で、ケーブルの基本料金は急騰し、 平均 90% 増加しました 。 政治サッカーをする 当時テネシー州を代表する野心的な上院議員だったアル・ゴアはチャンスを見出しました。 同氏はこの問題を激しく非難し、ケーブル会社とロビイストが、 同氏が 「市場の完全な支配」と呼ぶような方法で消費者の需要をどのように利用してきたかを非難した。 ジョン・マローンは 20 年以上にわたり TCI の CEO を務めました。 リック・メイマン/シグマ、ゲッティイメージズ経由 ゴア氏は業界を 米国人の「コーサ・ノストラ」と非難し、テレ・コミュニケーションズ社(TCI)幹部の ジョン・マローン 氏を「ダース・ベイダー」に例え、1989年の議会公聴会で平均的な米国人を「揺さぶった」として同氏を激しく非難した。 。 マローン氏はこれに反発し、ケーブル放送で人々が前例のない選択肢を得ることができたことを強調した。 料金の値上げにより、ネットワーク放送テレビでは決してチャンスがなかったニッチな番組の実験が可能になった、と同氏は付け加えた。 また、こうしたサービスを提供するために全国に電線を敷設し、その後アップグレードするための費用の支払いも支援しました。 古いものはすべて再び新しくなります ケーブルバッシングは、ゴア氏と最有力候補のアーカンソー州知事ビル・クリントン氏の選挙活動において効果的だった。 しかし、いったん就任すると方針を変えた。 と考えている情報ハイウェイを構築することを望んでおり 彼らは、民間産業が政府の政策課題の中心である 、ケーブル会社は何百万もの家庭に引き込まれている同軸線を所有していました。 4 年後、ゴアとクリントンは 1996 年の電気通信法 を祝い、ゴア�� 1992 年の選挙活動中に支持していた多くの料金規制措置を削減しました。 根拠は? 市場での競争と番組の選択だけでも公共の利益に貢献できる��いうこと。 結果? 民間企業とその利益率の基盤の上に築かれたメディア環境の拡大。 利上げ、 パスワード共有の制限 、利益を上げることを目的とした変更に対する今日の不満にも関わらず、 、スポーツイベントの独占ストリーミング契約など 人々はかつてのように、政治家にこれらの懸念を乗り越え、対処してくれるように頼ることはなくなっています。 規制緩和に対する超党派の信念が、代替政策に関するこうした議論を閉ざしているように見える。 だからこそ、ケーブルは新たなビジネス モデルへの道を切り開くだけではなかったのです。 また、選挙で選ばれた役人や有権者に、公共の利益について、市場が最高に君臨するという異なる理解を受け入れるよう説得した。
料金の上昇と広告の増加により、Netflix、Disney+、Hulu などのストリーミング サービスは、ケーブル TV の古い戦術を利用して利益を得ています。
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【Where The Wild Roses Grow/ Nick Cave and the Bad Seeds and Kylie Minogue】 和訳解説
【Where The Wild Roses Grow/ Nick Cave and the Bad Seeds and Kylie Minogue】 和訳解説 「Where the Wild Roses Grow」は、オーストラリアのロック バンド、ニック ケイブ アンド ザ バッド シーズとポップ シンガー カイリー ミノーグによる殺人バラード [2] です。1995 年 10 月にリリースされ、バンドの 9 枚目のスタジオ アルバム「Murder」からの 5 番目の曲でリード シングルです。 Ballads (1996) はミュート・レコードからリリースされ、バンドのフロントマンであるニック・ケイブによって書かれ、付属のミュージック・ビデオはロッキー・シェンクによって監督されました。 Where the Wild Roses Grow” is a murder ballad…
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映画「ビーチ・ボーイズ:ポップ・ミュージック・レボリューション」を観る。監督フランク・マーシャル。
何世代にもわたってファンを惹きつけてやまないビーチ・ボーイズの家族で結成されたつつましい始まりからバンドの歴史を追い、貴重な映像やバンドメンバーと音楽業界の大物たちのインタビューでその姿を明らかにしていく。
バンドの大まかなストーリーは知っているので、それがどう描かれるか、新事実やエピソードはあるかが注目点ではあったが、それをおいても良くまとまっているドキュメンタリー作品だった。
・とにかく父親が毒親、嫉妬からのバンドへの口出しは分からなくもないが、版権を勝手に売っちゃったのはもう本当にダメだ
・ブライアンとマイクラブ確執はそこまでフォーカスされていない、その当時は泥沼だったろうし活動休止引き金だったにも関わらずだ
・ブライアン天才として描かれるのは仕方ないが、それ以外のメンバにも光が当てられているのが良かった
・兄弟・親戚以外の後追いメンバー人の良さが光る、長続きした理由の多くはここにあるのでは?
ジャケット写真の枠外をAIで表現していたが違和感なかったし、効果的だった。
まさかのラストシーンでビックリ。その会話の内容は聞きかせない演出も良かった。メンバーにとっても貴重な時間になったろう事を思うとホロリと来る。
★★★⭐︎⭐︎
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