#テイラー兄弟
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【今日のレコード】JAMES TAYLOR/Sweet Baby James
【今日のレコード】JAMES TAYLOR/Sweet Baby James 父の日のプレゼントがまだ決まっていないなら、これオススメです!! 音楽好きのお父様なら喜ばないヒトはいないんじゃないかな!? JAMES TAYLOR/Sweet Baby James
『テイラー』と言えば今や当たり前なのは『スィフト』かな…。が、そのテイラーちゃんの名前の由来はなんと『ジェームス』だそうで!テイラーといえば『テイラー兄弟』が当たり前の我々世代のに皆さまにはもう説明不要の名盤ですが、テイラーちゃん世代の皆さんに朗報!?『父の日のプレゼント』のご用意できていなかったりしませんか?音楽好きのお父様なら、贈られて絶対に嬉しい一枚です♪テイラー世代もジェームス世代も是非一緒に楽しんで頂きたい一家に一枚の名作です! ☆こちらの商品は携帯サイトBASEから!!商品詳細→ https://sorc.theshop.jp/items/76009807 ブログ→ https://wp.me/p2OYgh-3hd ※目下、水曜日・木曜日は定休日を頂戴しております。営業時間外のご来店をご希望の場合はお問い合わせください。なるべくご対応もしたいと思っています。 ・営業…
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ANOTHER CITY
1980年代イギリスバディミステリ風味創作
■レイン・スペンサー│Lane Spencer│33歳│男│生年月日:1949-3-7│身長:180cm│髪色:gray│瞳:gray│出身地:マンチェスター
Profile│ロンドンに住む私立探偵、元新聞社勤めの事件記者。 異様に記憶力が高く、情報の収集と分析を得意とする。 自信家で舌の回る皮肉屋。優秀だが運が悪い。 幼少期に自動車事故に遭い、両親が他界するが自身は一命を取り 留め、以後は父方の祖父に育てられた。一度見聞きしたものは 大抵覚えていられるが、事故以来原因不明の健忘症に悩まされて おり、無作為に記憶を喪失している。 本人曰く日常生活に支障はないが、記憶と記録に執着し、喪失に よる不快感を軽減する為にアルコール依存気味。
■ブルース・テイラー│Blues Tailer│34歳│男│生年月日:1948-9-7│身長:186cm│髪色:brunet│瞳:dark blue│出身地:ロンドン
Profile│ハイブ所属遊軍記者。役職柄か便利屋のような案件を振られやすく、ハイブに入社する以前は仕事に辟易としていた。温厚で柔和な性質で、他者から信用を得易いという特技がある。レインと連続殺人事件の連名記事を担当したことがあり、レインの退社後は偶にヘンリーとレインの仕事の仲介を任されるが、その度に巻き込まれている。
※Hive record…架空の新聞社
関係者一覧
■ウォルター・アクロイド│Walter Ackroyd│享年26歳│男│生年:1949│身長:172cm│出身地:レクサム(ウェールズ)
Profile│推理小説作家。初出版は21歳で、単発の推理小説に根強い人気がある。異様に動物に好かれ、ハトに集られているところが高頻度で目撃される。優しく善良だが達観した節がある変わり者。大学時代寮が同室であったレインを連れ出し、探偵の真似事をしていた時期がある。卒業後は故郷の近くであるマンチェスターで執筆活動をしていたが、持病で心臓発作になり他界する。その際執筆途中であった原稿は最後の��を残して未完となったが、知っている者は多くない。
■ヘンリー・ハウンド│Henry Hound│52歳│男│身長:180cm│出身地:グレイショット
Profile │ハイブ・レコード新聞社社会部部長。愛妻家の未亡人であり、愛犬家でもある。現在は三匹の小型スパニエルと暮らす。狩猟が趣味で休日は狐狩りに興じ、物腰の柔らかい紳士だが見た目に反して闘争心が高い。ブルースやレインを引き抜いて遊軍記者の部署を立ち上げた。
■ケイ・グッドマン│Kay Goodman│27歳│男│身長:176cm│出身地:ブライトン
Profile│ロンドン警視庁巡査、実直でナイーブだが強靭な精神力を持つ正義漢。正直者故に記者からは情報源扱いされている。射撃訓練では全弾外したが対人格闘では敵う者がいない、握力でリンゴを���砕する。異常な自己犠牲精神の持ち主とも言われ、警官になることを兄に心配されていた。オスカーと共に兄を殺害した犯人を探している。
■ジェイ・グッドマン│Jay Goodman│享年27歳│男│身長:185cm│出身地:ブライトン
Profile│ロンドン警視庁巡査部長。漁師の家に生まれる、快活だが遊び人の気があり自己評価はあまり高くない。特技はダーツ。向いているという理由で公認射手を目指して警察官になった。自分とは違い、献身的な正義感で警察官になった弟を心配している。弟の昇進祝いの帰り道、キング・ストリートの外れにある路地裏で何者かに刺殺された。
■エディ・オスカー│Eddie Oscar
39歳│男│身長:185cm│出身地:セント・アンドリューズ(スコットランド)
Profile│ロンドン警視庁殺人課刑事。穏やかな態度に反して何を考えているか分からないため警察内では冷血漢と呼ばれている。右目が紫外線に弱く、眼帯で隠している。プライドが無いと自称しており、捜査の為に使う手段に頓着がない。記者とは長い付き合いで、互いを情報源としている。
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ユニコーンウォーズ+マッドマックス:フュリオサ
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ユニコーンウォーズ見た。かわいいクマちゃんとユニコーンの戦争物語。イラストっぽいファンシーな絵柄に反して内容はエグい。宣伝によると、地獄の黙示録×バンビ×聖書。フルメタル・ジャケット要素もある。おもしろかった!
兵舎や弓やあちらこちらにハートモチーフが使われてて、とにかく可愛い。背景の色もピンク系の色で統一されてるときがあったり、水色系の色だけのときもあったりしてカラーリングがとてもいい。登場人物のクマちゃん達も手足短く、おめめはおっきく、ふわふわ〜。だけど、ユニコーンに惨殺されたクマちゃん兵の腐った死体をはっきりと描くし、ドラッグの幻覚もうわーってなるようなサイケデリックなアニメーションで見せるし、クマちゃんのチンチンも出るし、内容は可愛くなかった。
双子のシロクマちゃん��かわいかったのだけど、バッドトリップ後の悲惨な死に方にショックを受けた。その前の兄弟でキスしてるとこにもショックを受けたが。
主人公の兄弟も双子でかわいいのだが中身はどろどろ。兄のゴルディは心優しいクマだけど、弟のアスリンは嫉妬深く暴力的。
後半、アスリンは悪の軍曹になり、森に残ったゴルディは抹殺すべきユニコーンと友情を結ぶ。アスリンは死にそうだなー、ゴルディのおかげで平和が訪れそうだなーとか想像しつつ、大きなカタルシスが得られるエンディングを期待して見てたら、もののけ姫の祟り神みたいなどろどろした何かに2匹とも飲み込まれ、何かが人間になったところでエンドロール流れて呆気にとられた。放心したまま映画館を出た。
🩷🩵
フュリオサも見た。こっちはけっこう退屈だった……。あんまりネット上で盛り上がってないなーとは思ってたけど、アニャ・テイラー=ジョイ好きだから見ない選択肢はなかった。デスロードとくらべるとどうしても車のアクションシーンがボリューム不足で話も進みが遅くてイマイチに感じてしまった。
でも、ロリオサはめちゃくちゃ美少女でかわいい!リクタスがロリコンで最悪だった!
フュリオサが幼いときから行動力あって逞しい女だったのはとても良かった。イモータン・ジョーの妻軍団の一員になったあと、すぐさま自分の髪の毛を刈ってカツラ作って逃げ出してるの強い。そのあと下界で潜伏して上の地位につけてるのも強い。怒りのデスロードのときは子産み女やってた過去があったのかなとか思ってたけどそんなことはなかった。さすがだ。
アニャ・テイラー=ジョイのフュリオサも目力がぎゅんぎゅんにあって良かった。かわいすぎる気もするけど。でも、アニャ・テイラー=ジョイ、映画で見るとまだティーンエイジャーなのかなって思うくらい小さく見える。実際は170cmあるらしくて驚く。まわりがでかいのかな。アニャ・テイラー=ジョイ自体も小顔すぎ目がでかすぎ華奢すぎる。腕ほっそ!と思ったよ。アニャ・テイラー=ジョイは、デスロードのシャーリーズ・セロンのように逞しい体格に育つことはできるのだろうか。今がもう28歳なのらしいけど。
🩷🩵
ユニコーン・ウォーズとフュリオサの共通点:芋虫描写にうわーってなる
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The Super Mario Bros. Movie
※ネタバレがある
面白かった。 まったくマリオに触れず生きてきた人間なんだけど、マリオを好きなひとが観たかった画が盛りだくさんの映画なんだってことがずーっと伝わってくる映画だった。 たとえば兄弟が初めての依頼先へ向かうシーンなんかアングルだけで「これ横スクロールのゲームのオマージュかな?」とピンときたし、マリオがひょいひょい障害物を越えて進みながらも後から来るルイージのために扉を開けてあげる、という演出で二人の関係性も伝わってくるところが良かった。アイテムを回収しながら進むゲームなのはなんとなく知っていたけど、このシーンで「どうやら画面の隅々まで観ると楽しい映画らしいな」と思っていたらその後の移動手段やバトルステージもやっぱりギミック満載かつワクワクする構図や演出ばかりでとても楽しかった。 それから新しい場所が映るときはほとんど遠景で映し出される演出だったから、プレイしたひとならアングルやBGMも含めて「この場所あの作品のアレだ!!!」て絶対ピンときて懐かしさで大はしゃぎだったんだろうな…と思った。自分はマリオ知らないながらも出てくる風景がどれも色やデザインが素敵でじっくり観たくなったし、そこに隠されているだろうまだ見ぬ冒険を想像させられてワクワクしていた。観てるあいだずっと「次は何が出るんだ」と思わされる映画は楽しい。他の効果音や台詞も元の作品から取っていただろうし、マリオ好きなひと、めっちゃ、良かったねえ…!て他人事ながら嬉しくなってしまった。 ストーリーも明快でキャラクターはみんな愉快でチャーミングでカッコ良さもあっていろんな味がした。あとどのキャラもデザインが良い。見た目ならヘイホーが好きです。ペンギンの王様があの可愛い見た目で激渋ボイスなのも良い。クリプラのマリオはマジで最高だしアニャ=テイラー・ジョイのピーチ姫かわいすぎる……! 個人的にはピーチ姫がマリオに課した腕試しステージのシーンで、進むルートやプレイスタイルがピーチ姫とマリオでまったく違うのが面白いなと思った。あとマリオカートで虹の上に降り立ったとき、歓声を上げるマリオを後ろから見ているドンキーコングがなんだか優しい顔で笑っていたのも良かった。かわいさを自認しているキノピオのなかで旅の相棒だった彼だけが「姫さまは私が守ります」て奮起してたシーンもさりげなく良かった。良かったところしかない。続編はヨッシーやワリオも出るのだろうか。楽しみになってきた。
ところで先に観たフォロワーさんが「ラストのところを観てほしい」と仰っており、なんだろうなと思っていたのだが、ラストのマリオがルイージと一緒にステージに飛び出していく瞬間に流れる曲が『Mr. Blue Sky』で、これか〜〜〜!!!!!てなった。
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『Mr. Blue Sky』は今回マリオを��じたクリス・プラットがピーター・クィル役を務めるアメコミ映画『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』の2作目のオープニングに流れる曲でもある。つまり今回のクッパとの戦いを終えたマリオがルイージと新しい世界へ飛び出していくラストシーンと、ピーターが仲間たちと銀河を駆ける冒険に突っ込んでいくオープニングは、【『Mr. Blue Sky』が流れる空を背景に旅立つChris Pratt as hero】という意味では完全に一致しているわけで(マリオが続編を匂わせる終わり方をしたことを踏まえればどちらも【2作目のオープニング】ですらある!)。 フォロワーさんが自分にマリオのラストを観てほしいと言ったのはこの最高の演出に気付いてほしいってことだったのかな。分かんないけどめちゃめちゃ気付いたし高揚したしはしゃいだ。いろんな映画を観ていると意図しないところで文脈が生まれて大はしゃぎできるので人生は楽しい。ありがとうございました。
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(短評)映画『最後の追跡』
Twitterより転載
引用元
『最後の追跡』(2016年、米国)
ある目的で銀行強盗を繰り返す兄弟、それを追う定年退職間近のテキサス・レンジャー、両者の視点で進む傑作犯罪映画🤠
銃社会テキサスならではの描写が独特😯善悪で切り分けず暴力の応酬が生む悲しい顛末を描き、終わった後の余韻が素晴らしいです‼️
This is テイラー・シェリダン👍
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会話劇や日常の振る舞いで各人物像をしっかり浮かび上がらせておいてからの、破滅的な後半の展開に持ち込むので、主要人物全員に感情移入してしまいました💦
あの粗暴な兄の最後の行動、呑気で軽口叩くキャラだった高齢レンジャー隊員の目つきの変化、終盤は哀愁とやるせなさが入り混じります😢
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この脚本家、他作も含め人物の掘り下げと、アメリカの問題の片鱗を絡めてくるのがうまいですねぇ👍
検問、強盗シーンなどのちょっとしたサスペンス演出も上手くてハラハラさせられます😣
銃器は使い方や地理的条件で、1人対多数でも圧倒的に優劣の差がつくことがよくわかる描写は面白かったです‼️
#movie#movie review#映画#映画レビュー#twitter#Twitter映画レビュー#hell or high water#david mackenzie#taylor sheridan#jeff bridges#chris pine
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リハビリ|入力と出力の間(32)
あと数日で今年度も終わりである。今度の木曜からは4月。新年度の始まりだ。コロナ禍で在外研究計画��泡と消えたサバティカル期間も終了し、大学での(オンラインが主だが)授業や業務も再始動する。発病から入院中の時期までを振り返ったこの備忘録も、週1ペースでのアップは今回で最後。今後は月1ペースで退院後のリハビリ生活や折々の症状の変化について記録していこうと思っている。
週1ペースを締めくくる今回は、わたしが入院していた時の家人のことを振り返っておきたい。
急性期に入院中、脳が腫れて緊急手術になった際、父母と弟、連れ合いが皆、駆けつけてきてくれたことは記した。映画以外では泣いたことなど見たこともない弟が、後ろを向いて涙を拭っているのをストレッチャーで運ばれながら見た時は「弟が泣いてるよ〜」とびっくりした。弟の方は弟のほうで、「俺が泣いてるのを見たら、姉ちゃん、『自分は死ぬのかも』って不安になったかもしれない」と、焦っていたという。
大丈夫だ、弟よ。あの時は、脳がぱんぱんに腫れていたから、不安も感じなかった。「めずらしー、泣いているよ」と思っただけ。普段のビビりのわたしなら、弟が心配した通り激しく動揺したはずなのだが、腫れた脳はわたしに不安を感じさせなかった。『奇跡の脳』のジル・ボルト・テイラーが指摘したように、これも一種の脳の防衛反応だったのだろう。
料理人である弟が、回復期リハビリテーション病院にお手製カレーを持ってきてくれたことは記したが、急性期の病院にいる時にも豪華海鮮丼やお手製ふりかけやらを差し入れしてくれた。学生時代は剣道で全国大会に出場していたゴツい強面なのだが、実はおしゃべり好きで気が優しいのである。
いまは家の中でもヨチヨチ歩きになってしまっている父が、当時はまだなんとか電車に乗って歩けていたことも思い出す。父の足元の変化に、あれから4年近くが経つのだと時の流れを実感する。あの頃は、母と一緒に回復期リハビリテーションの下見までしてくれたのだった。
若い頃は人一倍好奇心旺盛なエンジニアで、自分の発明した商品に入れ込むあまり、経営していた工場を倒産させ、わたしたち一家が揃って夜逃げする原因をつくった思い込みの激しい父だが、昔から家族に対する愛情は暑苦しいほどだった。退院後には一時期、わたしと父は補助器具なしの状態でどっちが歩くのが「遅いか」自慢しあった。その後、歩くスピードはわたしのほうが断然早くなったが、父にもサポートカート(歩���を補助しながら買い物に行けるショッピング・カート)という強い味方が出来て、コロナ禍のいまも週に数回は足腰のために近所のコンビニに「遠征」している。
わたしが幼い頃は、そんな父のワガママぶりにも夫唱婦随でいた母だが、夜逃げの際に一家心中を口にする夫を叱咤激励したあたりから、時に猛然と強さを発揮し始めたような気がする(見た目は変わらずおっとりだが)。いまどき「良妻賢母」というのはフェミニズム的には問題のある規範的な言葉かもしれないが、わたしにとっての母はまさに「良妻賢母」のアイドル的存在。いまも自宅で年金の足しにと着物の着付けをしつつ、お客さんたちとも和気藹々、一緒にお茶会などに出かけるコミュ力の高さを発揮している。80歳を過ぎてもキビキビ元気に父と弟のいる実家の家事を取り仕切ってくれているのだから有り難い。チャレンジ精神旺盛で根気もあるから、スマホのLINEも出来るようになったし、アマゾンのタブレットでネット・ショッピングもしている。大したものである。
母は、わたしの入院中も頻繁にお見舞いに来てくれた。同じくお見舞いに来てくれたチロリちゃんと病室で何度か顔を合わせたこともあった。チロリちゃんは、娘さんの七五三や自身の講演などの際に母に着付けを頼んでくれたこともある。チロリちゃんの娘さんはわたしの母のことを「着物の先生」と呼んでくれている。そのチロリちゃんが、「ザジちゃんのお母さん、優しくて綺麗で羨ましい」などと褒めてくれ、わたしも母も「いやいや、そんなあ」と形だけ謙遜しつつ、内心大いに嬉しがっていた。
とまあ、ここまであけすけに書くほどに、わたしは自分がマザコンだと自覚しているが、それをあらためて感じたのが、お見舞いで一緒になった母とチロリちゃんが帰る時。二人が「じゃあね」「またね」と一緒にエレベーターに乗り込みつつ、チロリちゃんが「ザジちゃんのお母さんと一緒に帰れて嬉しいです」というのを聞いて、それはわたしに対するリップサービスでもあったろうに、「わたしのお母さんなのに〜」と思ってしまったのだ。3歳児でもあるまいに。「お母さんが取られちゃう〜」みたいな心の反応が起きたのである。50代のリッパな中年が、なんとも恥ずかしい。
いや、しかし絹さんと娘さん二人のやりとりを思い出せば、リッパな中年であっても、兄弟姉妹間であっても、「母の愛情」をめぐって嫉妬が起こるのは、存外フツーのことなのかもしれない。
そして、連れ合いについて。かれこれ15年近く一緒にいるが、今回の入院で普段は気付けない良いところをいろいろ発見することになった。急性期の入院中には、ほとんど毎日お見舞いに来てくれ、回復期の病院に転院してからも週に1−2度は顔を見せに来てくれた。実家に連れて行けば、食事の合間に食卓で���マホをいじる傍若無人さで、わたしを真っ青にさせた御仁なのだが、今回は感心した。なんというか、実に淡々と当たり前のように病院に足を運んでくれたのである。「お見舞いに来たよ!」という賑々しさがない。同業者だから、彼の仕事の大変さは理解できる。仕事の合間に、平日も休日もお見舞いに来るのは大変だったはずなのだが、「忙しい」とか「しんどい」という素振りや言葉は一切なかった。「この人、エライなあ」と尊敬したものだ。
ちなみに、この備忘録のことは、気恥ずかしくて家人には言っていない。
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[翻訳] ブラック・ライヴズ・マター運動から考えるインドのマイノリティ問題(1)
ブラック・ライヴズ・マター運動から見たインド
――インドも構造的差別や警察の暴力という深刻な問題に早急に対処する必要があることは明らか
2020年6月9日
ディヴヤ・チェリヤン(プリンストン大学歴史学部助教)
アメリカが揺れている。
建国の理想「生命、自由及び幸福追求」の選択的適用がまたぞろ前面に現れた。警察による非武装の黒人市民の殺害と、コロナウイルスが黒人コミュニティに与えた不釣り合いなインパクトは、アメリカが黒人の命を軽視し、そのくせ黒人の身体からは労働力を搾取していることを浮き彫りにしている。
インドとの共通点がある。それは、既に抑圧されている人々とその支援者を悪意をもって叩きのめす警察、憲法と法律に基づく権利を尊重しない警察、そして、少数派や反対勢力に敵対的な国家指導者である。
どちらの社会においても、これらの不正義は歴史に深く根づいている。アメリカの建国の理想はアフリカ人奴隷やその子孫には及ばなかった。彼らは1861年の南北戦争勃発までに約400万人を数え、無給労働でアメリカの繁栄に貢献したにもかかわらずである。
公的な差別は数十年前に終わったが、黒人のアメリカ人は他の人々よりも大きな経済的・社会的障壁に直面しつづけている。ダリット〔旧不可触民〕、アーディヴァーシー〔先住部族民〕、ムスリムに対するインドの構造的差別、極度の経済的不平等、そして、既にカースト・階級秩序の被害者である人々に対する警察の暴力的でしばしば違法な弾圧を考えると、アメリカでの抗議行動はインドを悩ませている多くの問題にも通じる。
アメリカの抗議活動という鏡の中のインドを見れば、インドも構造的差別と警察の暴力という深刻な問題に早急に取り組む必要があることが明らかになる。また、インドがそのような変化のための戦いからはほど遠いことも明らかになる。
背景
ジョージ・フロイド殺害は最後の引き金を引いた。
近年、携帯電話カメラの普及により、警察による黒人男女殺人事件を記録することが可能になった。これらの記録により、非武装の黒人男女がジョギングや運転、自宅にいたなどの「犯罪」のために、どのように���で撃たれたり、首を絞められたりしていたかが明らかになっている。それらは警察が事件についての公式見解でいかに露骨な嘘をつくことができるかも明らかにした。
黒人コミュニティでは数十年前から警察の手によるこの不当で違法な黒人の死のパターンが認識されていたが、これらの携帯電話記録によってアメリカの他の人々も見て見ぬ振りをすることが難しくなっていった。2014年に黒人少年マイケル・ブラウンが警察に殺害されて以来、怒りは繰り返し街頭での抗議行動に発展し、時には暴力を伴った。まさにその怒りこそが、警察官のボディカメラ義務化から人種偏見トレーニングの導入まで、全米の当局に改革への努力を促してきたのである。
一方、コロナウイルスは有色人種コミュニティに非常に大きな被害を与えている。黒人はコロナウイルスに感染し、またそれによって死亡する率が不釣り合いに高い。また、黒人は低賃金ではあるが必要不可欠な仕事に就いている割合がはるかに高く、裕福な人々が自宅で仕事ができるようにするため毎日命を危険に晒している。
コロナウイルスはまた、給料ぎりぎりで生活している何百万人もの人々の失業により、大規模な経済的苦痛をもたらした。多くの人が家族を養ったり、家賃や住宅ローンの支払いをしたりするのに苦労している。政府の緊急財政支援プログラムが助けになっているが、何百万人もの人々が依然として極度の財政難と不確実性に直面している。
しかし、最近の事件は、警察が黒人をどう扱うかについて重要な点ではほとんど変わっていないことを浮き立たせた。
2月には、ジョージア州の小さな町にある白人が多い地区をジョギングしていた黒人男性アーモード・アーバリーが白人父子2人組に追い回されて射殺された。
3月には、ケンタッキー州ルイヴィルの警察が、自宅にいた黒人女性ブレオナ・テイラーを別人の捜索中に殺害した。
5月のフロイド殺害事件の数日前には、白人女性エイミー・クーパーが黒人男性について警察に虚偽の告訴をしている様子を伝えるニューヨーク市発の動画が表に出た。この女性は公園の一角の管理規則に従って犬をつなぐように言った男性に仕返ししようとしたのである。クーパーが自分の個人的な復讐の道具として手軽に警察の暴力を呼び込もうとしたことは、広範な怒りと非難を呼び起こした。
「警察予算を打ち切れ」
しかし、今アメリカは岐路にあるように思われる。
黒人コミュニティと、より公正な社会を求める人々は、法執行機関の手で黒人の男女が殺害されつづけることにうんざりしている。今まさに抗議活動から生じている最も緊急の要求は警察予算の打ち切りである。
現下の定式化においては、これは警察予算と警察活動を大幅に削減せよ���いう要求である。それは、犯罪の根本的な原因に対処し、また、可能なかぎり多くの状況について、信頼関係によって状況を鎮めることができるコミュニティ組織を通じて対応せよという叫びである。
それは、これらのより全体的なアプローチを支える方向に可能な限り大きな額を振り向けよという要求である。
改革に向けた努力にもかかわらず警察の手による黒人の死が続いていることに鑑みて、活動家たちは警官隊の監視や再訓練のような措置が黒人に対する警察の差別と暴力を防ぐのに役立っていないと主張している。抗議者の一部は今、アメリカと警察との関係を再考するよう要求している。
彼らの指摘によれば、過去数十年の間にアメリカでは社会問題が治安問題として捉えられるようになった。ホームレスのような問題を処理するために警察が派遣されている。社会経済的な根をもつさまざまな問題が犯罪としてのみ扱われ、その犯罪の背景にあるかもしれない貧困、薬物乱用、精神衛生上の問題を緩和するために注意が払われたり投資がなされたりすることはほとんど、あるいはまったくない。
このような警察への過度の依存と、警察の権限と業務の範囲の拡大が事態をここまで悪化させた大きな要因である。
それに加え、アメリカが海外で戦っている戦争が本国に持ち帰られてきている。アメリカの都市警察は装甲車やさまざまな重火器に投資し、ますます軍事化している。SWAT(特殊武装・戦術)チームはますます軍の強襲部隊のようになっている。アメリカは今、自国社会の一部に対して、戦線の向こうの「敵」にするのと同じように接している。
以上は、その多くが人種的マイノリティである都市部貧困層が「他者化」されていることを示唆している。
最後に、評論家らが指摘しているように、ますます不平等になる社会の中で、アメリカの政治指導者のアプローチは緊縮財政に傾いている。民主・共和両党いずれのエスタブリッシュメントも、アメリカには福祉的な解決策をとる余裕がないと主張している。それにもかかわらず、警察予算は富裕層の銀行口座や企業の利益率と同じく膨張しているのだ。
抗議活動自体は平和的ながら活気のある集会から、公共や私有の財産を標的にした暴力的なものまで多岐にわたっている。大都市だけでなく、小さな町でも抗議集会が行われてきた。
暴力に発展した一部がニュースの見出しを飾ったとはいえ、ほとんどの抗議行動は平和的であった。アメリカ全土の抗議集会に共通しているのは参加者の多様性である。人種や年齢を超えた人々が、パンデミックの真っ只中で、黒人に対する非常に不平等で人種差別的な暴力に立ち向かうため、大きな個人的リスクを冒して外に出てきたのだ。
コンセンサスが形成されたことで、数日のうちに警察予算の打ち切り要求が主流となった。ロサンゼルス市当局は、警察予算を最大1億5000万ドル削減することを検討している。フロイドが殺害され、抗議行動が始まったミネアポリスの市議会は、市警を解体し、コミュニティ主導の安全という代替モデルを模索することを決議した。
南アジア系(Desi)の少年少女
この激動の中で、インド系アメリカ人はさまざまな役割を果たしてきた。多くの人が自ら人種差別に苦しんできた経験を持ち、反人種主義的な動機に共感を示している。
ワシントンDCのラーフル・ドゥベーのように、抗議者を支援するために、それ以上のことをしてきた人もいる。より広く南アジア系アメリカ人コミュニティの中には、個人的に大きな犠牲を払ってでもブラック・ライヴズ・マター運動を支持している人もいる。バングラデシュ系アメリカ人のある家族は、経営するミネアポリスのレストランが抗議活動中に全焼したにもかかわらず、運動を断固として支持したことでニュースになった。多くのインド系アメリカ人、特に若い人たちが抗議行動に参加し、行進し、プラカードを持ち、コールを唱和している。
そのほかに、ドナルド・トランプの忠実な支持者であり、アメリカの右派とイスラム恐怖症で手を結んでいるインド系アメリカ人の少数派もいる。
南アジア系アメリカ人の多くは、トランプ支持者であろうとなかろうと反黒人的であり、その世界観は彼らが米国に一緒に持ち込んだカーストや肌色差別に一部由来するものである。このコミュニティの多くの人は、たとえドナルド・トランプを軽蔑し、人種的正義を擁護していたとしても、自分の子供が黒人と結婚するとなったら大いに動揺するだろう。
多くの南アジア系リベラル派の人々は、本国インドでのムスリムやダリットに対する迫害の高まりに目をつぶっており、家族やコミュニティの中で横行しているイスラム恐怖症やカースト主義的な態度にもあえて異議を唱えない。このグループは、アメリカにおける平等と正義を熱烈に支持する一方で、インドおよびインド人ディアスポラ内部における差別に無関心、あるいは差別を支持さえしているということに皮肉を感じていない。
悲しむべきことに、ほとんどの南アジア人は、彼らが19世紀後半に初めてアメリカに移住したとき、彼らを庇護し、友情や結婚による結びつきの中に入れてくれたのは黒人やヒスパニック系の隣人たちであったことを忘れてしまっている。黒人の公民権闘争の成功は、1965年まで南アジア人も排除していた人種差別政策を打ち倒す役割を果たしたのである。
それ以降、インド系アメリカ人がアメリカで生活や事業の基盤を築いていく中で、アジア人はアメリカで成功するために必要な「正しい」労働倫理と家族の絆を授けられているとする「模範的マイノリティ」神話を多くの人が信じ込んでしまった。
多くのインド人は、このようなステレオタイプと結びつけられていることに何の問題もないと考えている。しかし、すべてのステレオタイプと同様に、アジア人=模範的マイノリティという考え方は、アメリカにおけるインド人の歴史的経験の多様性を消し去ってしまう。また、もしも黒人が十分勤勉に働き、���正しい」価値観をもっていれば、自分たちが置かれている社会経済的条件に苦しむことはないだろうと示唆することで、反黒人的立場を正当化する働きもしている。
模範的マイノリティという枠組みを受け入れることで、アメリカにおける黒人の苦しみの根本原因である構造的・人種的な非対称性を却下することができる。南アジア系アメリカ人コミュニティの進歩的な人々は、模範的マイノリティ・パラダイムを拒否し、インド人ディアスポラに対して黒人の兄弟姉妹とともに立ち上がって意味のある変化を要求するよう訴えている。
インドと黒人の命
マイノリティに対する警察の暴力の問題は、インドの状況と共鳴している。インド警察は「交戦殺害(encounter killing)」〔被疑者の抵抗を受けた警察側の正当防衛を建前とする超法規的殺害〕などの手法を用いており、その標的は主にムスリムや低カーストの男性である。インドでは警察拘禁下の死亡や拷問がはびこっている。
コロナウイルスは警察の暴力を激化させたとしか思えない。インドの警察官が、自分たちの村まで徒歩で困難な旅をしている貧しい、しばしば飢えた出稼ぎ労働者たちを容赦なく殴りつけたという報告が多数ある。
警察は多様性の欠如が顕著で、留保枠があるにもかかわらず、指定カースト・指定部族からの採用は立ち遅れている。これは、留保された職位の多くが空席のままで許されているためである。インドの警察ではムスリムも十分代表されていない。
したがって、インドの警察官の間に反ムスリムの偏見やカースト主義的な態度がはびこっていることが研究で明らかになっているのは驚くべきことではないだろう。現場の警察はムスリムやダリット、あるいはより公正な社会を求めて抗議する人々を鎮圧すべきものと認識し、党派的な態度をとることがある。
アメリカにおける抗議運動は、インドが自国の警察問題について真剣に話し合うときが来たことを痛感させる。
アメリカに住むインド人として私が強い印象を受けたのは、今この瞬間との共通点だけでなく相違点にでもある。インドでは、米国と同様に、携帯電話の普及により不当な死や暴力を記録することが可能になった。
しかし、インドでは通常、関係者や無力な傍観者はこうした記録をしない。むしろ動画は一般的に、血塗られたスポーツのトロフィーとして記念し、回覧しようとする楽しげな参加者によって記録されている。
牛を傷つけたとされたためであったり、あるいは「ジャイ・シュリー・ラーム〔ラーマ様万歳〕」と唱えるように迫られながら行われたりするダリットやムスリムのリンチはありふれたことになっている。しかし、その種の事件の最初、2015年にダードリー〔ウッタル・プラデーシュ州〕でムハンマド・アクラークが群衆にリンチされたときでさえ、広範な怒りを呼び起こすこと��なかった。
カシミール地方や北東部でのインド軍による人権侵害については、たとえ記録があったとしても、一般的にインドの主流派の評論家たちは非難しない。インドのほとんどの人々にとって、ショックを受けたり恥じたりして自分たちの命令による残忍な不正義に対して立ち上がるに値することは何もないようだ。
インド人やインド系アメリカ人の中にはジョージ・フロイド殺害に激怒している人もいるが、彼らはそう、ペヘルー・カーンが殴り殺されたときにはまったく動じなかった〔2017年のリンチ殺人事件〕。最近のアメリカにおけるブラック・ライヴズ・マター運動への多くの公的な支持表明と同じように、インドの機関や公人、産業界のトップがムスリムやダリットのリンチ事件に対して悲嘆と連帯の声明を出すことは想像しがたい。参考までに、米国の大企業、有名人、そして共和党の指導者(ミット・ロムニー)までもが抗議者への支持を公然と表明している。インドではエスタブリッシュメントによって抑圧されている人々を支持するこのような立場は想像しがたい。
アメリカとインドのもう一つの相違点は、少なくともこれまでのところ、抗議活動の性質である。
アメリカでの最近の抗議活動はコロナウイルスがもたらした苦難によって増幅されているように見える。インドでは対照的に、コロナウイルス対応における州の不手際によって被害を受けた何百万もの人々から抗議の声が上がっていないことが目立っている。
飢えて都市部に足止めされている、村からの出稼ぎ労働者たちがいる。別の出稼ぎ労働者たちは実家に帰ってほんの少しでもましな状況に戻ろうと何百キロも歩いていった。失業した都市生活者もいる。破綻寸前の零細事業者もある。
これらは既にデマネタイゼーション〔2016年の高額紙幣廃止〕と物品サービス税の導入〔2017年〕によって引き起こされた大規模なショックと経済減速に苦しんできたのと同じグループである。
インドの歴史には、飢饉や過酷な税制が引き金となった、農民が苦境に陥ったときの反乱の例が数多くある。インド国内の経済格差が拡大し、少数のエリートがドル価表示のコーヒーやルイ・ヴィトンの店舗、広大なバンガローにアクセスするなかで残る問い、それはインドの貧困層はどれだけ我慢すればいいのか? である。
インドのエリートが貧困層をいかに追い詰めているかを考えれば、これは全国民が知りたがっていることだろう。
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映画『サボテン・ブラザーズ』
NHK. BSの「お昼の洋画劇場」(と勝手に命名。要するに平日午後1時から洋画を放映している番組です)でジョン・ランディス監督、スティーヴ・マーチン、チェビー・チェイス、マーチン・ショート主演の『サボテン・ブラザーズ』(原題 Three Amigos、1986)を見ました。
ジョン・ランディス監督というとーーデヴィッド&ジェリーのザッカー兄弟やジム・エイブラハムズと組んで作った『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977)はパロディ映画の名作でしたが、『アニマル・ハウス』(1978)は駄作、ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド主演の『ブルース・ブラザーズ』はファンが多い映画ですが、個人的にはどこがいいのかわかりません。
スティーヴ・マーチンは、それほど有名な映画ではありませんが、『2つの頭脳を持つ男』(1983)が好きでした。でも、それ以外はどうかなあ……
ヴィンセント・ミネリ監督、スペンサー・トレーシー、エリザベス・テイラー出演の『花嫁の父』(1950)のかなり自由なリメイク『花嫁のパパ』(1991)は涙しましたが、あれは新婚旅行の帰りの飛行機の中��いう極めて特殊な状況で見たので、今改めて見ると「ケッ!」と思うかもしれません。
『サボテン・ブラザーズ』は随分昔VHSで見たような気がします。その時にも思ったのですが、面白そうなふりをして実は面白くないというのかな、そんな感じがしました。
メキシコの農村が野盗に蹂躙されていて、村人が強者たちに救いを求めるというのは、黒澤明の『七人の侍』、あるいはそのリメイクの『荒野の七人』のプロットと同じですが、この映画で村にやってくるのは西部劇で正義のヒーロー「スリー・アミーゴス」を演じていた三人の役者ーー彼らは映画の撮影だと誤解して村にやって来ます。
そんな彼らですからもちろん野盗に太刀打ちはできません。最初こそ三人のハッチャケぶりに呆れて引き上げた野盗ですが、結局村は略奪され村娘のカルメンは攫われてしまいます。しかし、三人は挫けません。知恵を絞って野盗を懲らしめカルメンを取り戻します。
ストーリーは単純で、意外性というものが全くありません。せめて秀逸なギャグがあればそれで救われるのですが、それもなし。
唯一笑えたのは、スティーヴ・マーチンが野盗たちに銃を向け、「銃を捨てろ」というシーンで、仲間のチェビー・チェイスまでが彼の言葉に従うのを見て「いや、お前は捨てなくていい」と言ったところだけでした。
『ケンタッキー・フライド・ムービー』のブルース・リーのパロディ・パートで、自由の女神を映して「香港」とテロップを入れたり、香港空手映画のはずがなぜかラストで急に『オズの魔法使い』になったりするところは最高だったのに……と思わずにはいられません。
優れたおバカコメティー映画を作るには人並はずれたセンスがいると、私は常々思っていますが、それを改めて感じさせる映画でした。
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ブレット・トレイン(原題:BULLET TRAIN)
2022年/デヴィッド・リーチ監督/ブラッド・ピット、ジョーイ・キング、アーロン・テイラー=ジョンソン、ブライアン・タイリー・ヘンリー
復帰したばかりのレディバグは簡単な仕事ということで新幹線でブリーフケースを回収して次の駅で降りる任務を受けるが、予想外のことが立て続けに起き。
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真田広之のために見に行ったけど、他も楽しくて良かった。
死なない真田さん嬉しいし刀ぶった斬りもちゃんと見所っぽくなってて嬉しかった。息子役のアンドリュー小路との組み合わせも良かった。やりとりがここだけシリアスだった気もする。
ただステレオタイプ描写がコテコテコメディレベルなので無理な人もいると思う。ただ現実感を薄くするための味付けなのかな?とも思った。クライマックスとか現実レベルに合わせると脱線事故を思い出してしまったりで無理だったと思うから。
レモンのキャラが凄く好きでラストも良かったけれど、あぁいう描写や設定になっているのが演者の方によるものが大きいとインタビューを読んでわかったので、それが少し残念でもあり、良かったことでもある。脚本の時点から彼みたいなキャラ、増えていいんだよ。また死んだのかって気分味わいたくないから日本人含むアジアキャラも頑張ってほしい。正直、車掌のマシオカも販売員の福原かれんも勿体ない使われ方でもっとそこ美味しくできたでしょ?とは思う。
レモン&オレンジの幼少期のカットが入ったり機関車トーマスエピソードの使われ方が本当に良かった。物騒だけどずっと見ていたい兄弟。
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Jackie McLean "Jackie's Bag" 1959年1月18日(Side 1)、1960年9月1日(Side 2)、Van Gelder Studio, Hackensack; Van Gelder Studio, Englewood Cliffs録音、60年代を迎えるジャッキーのBlue Note作品。(BLP 4051 / BST 84051)「ブルーノート4000番台ウルトラ・コレクション」ウェストレックス3D-Ⅱでカッティング / ビニール・コーティング。 本作、聴き前からドキドキするメンバー! 録音は、いつものBlue Noteで、素晴らしい管楽器とチープなリズム・セクション。 演奏ですが、ドナルド・バードのトランペット... ティナ・ブルックスのテナー... ソニー・クラークのピアノ... 不安定でズレた感の、もたつくようなジャッキー・マクリーンのアルト。マイナー・ムードが融合した、最もジャッキーらしい作品ではないかと。 決定的名盤に欠くジャッキーの中にあって、彼らしさと言う点で、もっと評価されていいアルバムだと私は思います。表裏で違うセッションであることは、専門家からは名盤と呼ばれない理由かも知れません。 Producer - #AlfredLion Recording by - #RudyVanGelder Side 1 #JackieMcLean (as) #DonaldByrd (tp) #SonnyClark (p, Side 1-2,3) #PaulChambers (b) #PhillyJoeJones (ds) Side 2 Jackie McLean (as) #TinaBrooks (ts) #BlueMitchell (tp) #KennyDrew (p) #PaulChambers (b) #ArtTaylor (ds) ジャッキーの出会いエピソード。 ●Episode 1 : 母からアルト・サックス 12歳の時に母がニューヨーク北部ハーレム地区でジャズ・レコード専門店を開いていた人と再婚。46年、15歳の頃に母からアルト・サックスをプレゼントされ、当時勃興したビ・バップの帝王、チャーリー・パーカーの演奏を聴いて大きなショックを。 ●Episode 2 : 先輩ロリンズ ジャッキーが通っていた高校の先輩が、後の大テナー・サックス奏者ソニー・ロリンズ。親しくなりお互いにアマチュア同士でセッションを。 ●Episode 3 : きっかけはパウエル 2番目の父親が経営するレコード店でマクリーンがバド・パウエルのレコードを聴いていると、バドの弟でクリフォード・ブラウン・バンドのピアニスト、リッチー・パウエルが来店。「それは兄貴の演奏だよ」と話しかけてきたと... この出会いがパウエルはじめ、パーカー、マイルスなど、ジャズ・シーンの中心人物たちと知り合うきっかけとなったと。 ●Episode 4 : マイルスのDigに参加 この時期のマイルスとの出会いはとても重要、一時は今で言うルーム・シェアみたいなことまで。この関係が、マクリーンのジャズ・シーンお披露目ともいうべきマイルスのアルバム"Dig"(51年録音Prestige)への参加に。 ●Episode 5 : フリージャズ 1956年にチャールズ・ミンガスの代表作「直立猿人」に参加。「音楽的にはすごく面白かったが、楽しんで演奏できる類の音楽ではなかった。すべての決定権はミンガスにあった。彼を満足させるために演奏しているようなものだった」と。 ミンガスは... 「私が欲しいのはチャーリー・パーカーではなく、ジャッキー・マクリーン」。 フリー・ジャズの一方の雄、極めて前衛的なピアニスト、セシル・テイラーのバンドに勧誘され、都合がつかず断わるもののフリー・ジャズとも接点が。事実、フリー・ジャズの旗手アルトのオーネット・コールマンとまで共演。 ●Episode 6 : ブルーノート 58年にはソニー・クラークの名盤"Cool Struttin'"(Blue Note)に参加、そして翌59年にブルーノートと契約。一連の名演を吹き込むことに。マクリーンは絶頂期を迎えることになります。 #jazz #fuzey #vinyl #jazzvinyl #vinylcollection #ジャズ #スイングジャーナル #レコード *作品を知るとジャズはもっと輝きます。情報くださる先輩諸氏に感謝。 https://www.instagram.com/p/CaTv9FqP2cv/?utm_medium=tumblr
#alfredlion#rudyvangelder#jackiemclean#donaldbyrd#sonnyclark#paulchambers#phillyjoejones#tinabrooks#bluemitchell#kennydrew#arttaylor#jazz#fuzey#vinyl#jazzvinyl#vinylcollection#ジャズ#スイングジャーナル#レコード
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2021 MLB All Star Opening. Coors Field, Colorado. Christopher Jackson(U.S.A. Anthem). グラミー賞。 Jess Moskaluke (Canada Anthem).
2021 メジャーリーグオールスター開幕。クアーズ・フィールド。コロラド州。 アロルディス・チャップマン(Aroldis Chapman ヤンキース)。 ゲリット・コール(Gerrit Cole ヤンキース)。 テイラー・ロジャース(Taylor Rogers ツインズ2016- 左サイドスロー)。タイラー・ロジャース(Tyler Rogers ジャイアンツ2019- 右アンダースロー)は双子の兄弟。 ネルソン・クルーズ(Nelson Cruz ツインズ)。 ジャレッド・ウォルシュ(Jared Walsh エンゼルス)。 ウィット・メリフィールド(Witt Merrifield ロイヤルズ)。 シェーン・ビーバー(Shane Bieber インディアンス)。 ホセ・ラミレス(Jose Ramirez インディアンス)。 ティム・��ンダーソン(Tim Anderson ホワイトソックス)。 菊池雄星(Yusei Kikuchi マリナーズ)。 シェーン・ビーバー(Shane Bieber インディアンス)と カルロス・ロドン(Carlos Rodon ホワイトソックス)は欠場。
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[PS!! Oct.2020]pioneer plants
出展ブランドのご紹介。
南アルプスと中央アルプスという3000m級の山々からなる2つの日本アルプスに抱かれた、信州伊那谷。
日本でも有数の暮らしと自然が密接した地から生まれた、「森をつくる 暮らしをつくる」ブランド “pioneer plants”です。
Concept 「家の中でも、森の中でも」
私たちは、信州伊那谷で地域の木を使った家具づくりや森づくりを行っている会社です。 「森をつくる 暮らしをつくる」を企業理念に、森と暮らしが近い未来づくりを目指しています。
日本は、国土の約7割が森林です。豊富な森林があるにも関わらず、木材自給率は 37.1%(2017年)。国内に流通する家具の多くは、海外の木を使って作られているのが現状です。そのことに違和感を覚えた代表の中村は、約 15 年前から地域材を使ったオーダーメイド家具の製作・販売を行ってきました。そして、地域の木を使った家具をもっと多くの人に届けていきたいと、この冬にオリジナル家具ブランド「pioneer plants(パイオニアプランツ)」を立ち上げました。
pioneer plants は、信州伊那谷のアカマツで作った軽くて折りたためる無垢の家具です。普段は、 家の中、週末は外や森の中に持ち出して使う。暮らしを身軽にする、そんな家具です。コンパクトに折りたためるから、小さな家でも部屋を広く使うことができる。多拠点居住の人は家具ごと持って移動する。キャンプが好きな人はキャンプにそのままリビングを持ち出すような感覚で。
針葉樹で作った軽い無垢の家具が暮らしを身軽します。
この家具を通して、みなさんの暮らしと森が少しでも近くなる、そんなきっかけになれば嬉しいです。
https://pioneerplants.jp
今回、新作の Owen’s Chair Mini をPurveyors Showにて初披露!!
既存のラインナップにももちろんご注目!
Owen's Chair
クマのオーウェンさんのイス
Noah's Box
カモシカのノアさんのボックス
Brook's Subako
キツツキのブルックさんのスバコ
Taylor's Wood Bag M
リスのテイラー兄弟のバッグ M
針葉樹でつくられた軽やかな家具たち。
それぞれに動物の名前がつけられ、ここにも森と人とつなぐpioneer plantsの心使いが感じられますね。
水と自然の多い日本だからこそ守るべきもの、考えなくてはいけないことがありますよね。
2拠点生活を志す方にも、興味深い活動をされてるブランドだと思いますよ!
まだまだ生まれて間もないブランドですが、是非会場でチェックしてブランドの方と直接お話ししてみてください!
ご来場お待ちしております!
【Purveyors Show!! 2020秋】
★日時:10/9 (金)13:00 - 19:00 バイヤー、プレスオンリー
10/10(土)11:00 - 19:00 バイヤー、プレス、一般
10/11(日)11:00 - 18:00 バイヤー、プレス、一般
*入場料大人300円、小人無料。
★会場:space EDGE http://www.space-edge.jp/
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【自転車はスマホ並みに世界を変えた発明だった 1890年代の「破壊的」な熱狂を振り返る、コロナ禍でも需要急増】 - ナショナルジオグラフィック日本版サイト : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/061900366/ 2020.07.26
{{ 図版 1 : 1890年代、自転車は、自立して進歩的で政治的発言力を求める女性、いわゆる「新しい女」の象徴になった。当時の女性月刊誌「Godey's」には、こう書かれている。「自転車の所有は、19世紀の娘にとって、独立宣言を公布するようなものだ」(PHOTOGRAPH BY UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE, UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY) }}
歴史は繰り返す。まったく同じではなくとも、確かに繰り返す。コロナ禍で自転車の需要が急増し、サイクリングとウォーキングに新たに焦点を当てた都市の再開発に各国が数十億ドルをかけようとしている今、19世紀後半の自転車の登場がいかに世界を変えたかは、振り返る価値があるだろう。
自転車は、極めて破壊的な技術だった。少なくとも今日のスマートフォンと同じ程度には。価格も手頃で、速くてスタイリッシュな交通手段であり、好きなときに好きな所へ無料で行ける自転車は、1890年代の数年間において究極のマストアイテムだった。
{{ 図版 2 : 1903年7月に開催された第1回ツール・ド・フランス。参加した60人のうち、過酷な2400キロのコースを完走したのは、21人だけだった。主催者のアンリ・デグランジュがこう語った話は有名だ。「理想的なツール・ド・フランスとは、あまりに過酷なため、1人しか完走できないものだろう」(PHOTOGRAPH BY THE PICTURE ART COLLECTION, ALAMY) }}
ほぼ誰でも乗り方を覚えられ、そして、ほとんど誰もが乗った。アフリカ、ザンジバルの君主やロシアの皇帝はサイクリングを始め、アフガニスタン、カブールの国王はハーレムの全員に自転車を買い与えた。
しかし、真に自転車をものにしたのは、世界中の中産労働階級だ。歴史上初めて大衆が移動手段を手に入れ、好きに行き来できるようになったのだ。高価な馬や馬車はもはや必要ない。「庶民の足」として知られた自転車は、軽量、手頃な価格、維持が容易なだけでなく、最速の乗り物でもあった。
{{ 図版 3 : 1940年代、英バーミンガムにあるHercules Cycle社の工場で、自転車のホイールを製造する女性労働者。1910年に設立されたHercules社は、1930年代までに世界最大の自転車メーカーの1つになり、1日当たり1000台を超える自転車を生産していた。(PHOTOGRAPH BY HULTON-DEUTSCH COLLECTION, CORBIS/CORBIS) }}
社会は一変した。女性は特に熱狂した。面倒なビクトリア調のスカートを脱ぎ捨て、ブルマーや「合理的」な服を着て、大挙して道にこぎ出した。
「自転車は、世界中の他の何よりも、女性解放に多大な影響を与えたと思います」とスーザン・B・アンソニーは1896年に米New York Sunday World紙のインタビューで答えた。「自転車に乗る女性を見るたびに立ち止まり、歓喜しています。それは、自由で制約のない女性の姿なのです」
1898年までには、サイクリングが米国で大人気のアクティビティーとなり、米「New York Journal of Commerce」誌によれば、レストランや劇場の損失は年間1億ドルを超えたという。自転車の製造は、米国で最も大きく、かつ最も革新的な産業の1つになった。全特許出願の3分の1が自転車関連で、そのあまりの多さに、米特許庁は別館を立てなければならなかった。
≫――――――≪
■《珍品のち熱狂へ》
現代の自転車を発明した人物として、一般に名が挙がるのは、英国人ジョン・ケンプ・スターリーだ。
1870年代に、ジョンの叔父のジェームズ・スターリーが「ペニー・ファージング」と呼ばれる前輪が大きくて後輪が小さい自転車を開発していた。ジョンは、ペニー・ファージングほど乗るのが怖くも危険でもなければ、自転車の需要が高まるのではないかと考えた。1885年、30歳になった彼は、英コベントリーの作業場で従来よりはるかに小さな車輪を2つもつチェーン駆動の自転車を開発し始める。
いくつかのプロトタイプを試作した後、彼は「ローバー安全型自転車」を考案した。重量は20キロで、今日我々が自転車と聞いて思い浮かべるものにおおむね似ている。(参考記事: {{ 「写真で見る自転車の100年 」 : https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/071000179/ }} )
1886年、初めて自転車ショーに出展した時には、スターリーの発明品は珍品と見なされた。だが2年後、新たに発明された空気タイヤと組み合わせると、衝撃が緩和されただけでなく、速度が約30%も向上した。まるで魔法のようだった。
{{ 図版 4 : 自転車競技のスーパースター第1号、米国のマーシャル・ウォルター・テイラー「少佐」。1896年に10代でプロに転向し、自転車競技で7個の世界記録を樹立した。スタンディングスタートの1.6キロの世界記録(1分41秒)は、28年間破られなかった。(PHOTOGRAPH BY GL ARCHIVE, ALAMY) }}
世界中の自転車メーカーが先を争って独自の製品をつくり、需要を満たすために何百もの会社ができた。1895年に英ロンドンで開催されたスタンリー自転車ショーでは、およそ200社の自転車メーカーが3000車種を展示した。
最大手の1つはColumbia Bicycles社で、米コネティカット州ハートフォードにある工場では、自動組立ラインのおかげで1分で1台のペースで自転車を生産できた。これは後に、自動車産業の大きな特徴となる革新的な技術だった。また、Columbia社は先進的な雇用主として、従業員に駐輪場、個人ロッカー、社員食堂での食事補助、図書館を提供した。
飽くなき自転車への需要は、ボールベアリング、スポーク用ワイヤー、鋼管、精密工具の製造など、製造業にも活気をもたらした。
広告市場も潤った。アーティストは美しいポスターの制作を受注し、ポスターは鮮やかな新技術リトグラフで印刷された。製品の寿命を意図的に短くする「計画的陳腐化」や、毎年新モデルを発売するといったマーケティング戦略は、1890年代の自転車業界から始まったものだ。
{{ 図版 5 : 道路を利用する自転車乗りの法的権利を定めた最初の本『The Road Rights of Wheelmen(自転車乗りの道路の権利)』。1895年、弁護士のジョージ・B・クレメントソンによって書かれた。(ILLUSTRATION BY E. NADALL, COURTESY THE MET) }}
■《村をまたいだ結婚が増えた》
自転車があれば何でもできるように思え、普通の人が異例の旅に出た。たとえば1890年の夏、ロシア軍の若い中尉は、サンクトペテルブルクからロンドンまで1日平均110キロもペダルをこいだ。1894年9月、24歳のアニー・ロンドンデリーは、自転車で世界一周を成し遂げた初の女性となるべく、真珠の象嵌を施した拳銃と着替えを持って米シカゴを出発した。それから1年弱の後、彼女はシカゴに帰り着き、賞金1万ドルを手に入れた。
≫――――――≪
オーストラリアでは、羊の毛刈りの巡回労働者が、仕事を求めて水のない奥地を何百キロも自転車で走った。「彼らは公園で自転車に乗るかのようにこの旅に出る」と、新聞記者C.E.W.ビーンは著作『On The Wool Track(羊毛を追って)』に書いている。「彼は道を尋ね、パイプに火をつけ、自転車に乗ってこぎ出した。彼が多くの羊の毛刈り職人のように都会育ちだったなら、まるで叔母の所へお茶をしに行くかのように、黒いコートと山高帽を身につけていただろう」
そして米国西部では、1897年の夏、バッファロー・ソルジャーと呼ばれたアフリカ系米国人部隊である米陸軍第25連隊が、モンタナ州フォートミズーラからミズーリ州セントルイスまで、異例の3000キロ行軍を行い、軍における自転車の有用性を実証した。フル装備でカービン銃を持ち、荒れてぬかるむ道を自転車で1日平均80キロ近くを走破した。騎兵隊の2倍の速さで、コストは3分の1だった。
自転車は、芸術、音楽、文学、ファッション、さらには人の遺伝子に至るまで、事実上生活のあらゆる面を変えた。英イングランドの教区の記録は、1890年代の自転車の大ブレイクで、村をまたいでの結婚が著しく増えたことを示している。新たな自由を得た若者が、意のままに田舎を動き回り、道で交流し、遠くの村で出会った。そして、顔をしかめた当時のモラル活動家が指摘したように、多くの場合、年配のお目付役を出し抜いたのだ。
英国のヘンリー・ダクレが作詞作曲した『デイジー・ベル』は、1892年に欧米で大ヒットを記録し、「2人乗りの自転車」というリフレインが有名になった。熱烈な自転車愛好家で鋭い社会観察者だった作家のH.G.ウェルズは、いくつかの「サイクリング小説」を書いた。この素晴らしい新たな交通手段のロマンチックで、人々を解放し、階級を消失させる可能性にまつわる優しい物語だ。
{{ 図版 6 : 1942年、米ニューヨークのセントラルパークでサイクリングする若い自転車乗りたち。自転車は1890年代に世界を席巻した後、自動車が道路を占有するようになると、主に子どもの乗り物になった。(PHOTOGRAPH COURTESY THE LIBRARY OF CONGRESS) }}
自転車が未来を形づくる役割を見抜いた慧眼の持ち主は、ウェルズだけではなかった。1892年の米国の社会学の雑誌には、「都市の発展における自転車の影響は、まさに革命的になるだろう」とある。「自転車の経済的・社会的影響」というタイトルの記事で、より幸せで、より健康的で、より外向的な住民が暮らす、より清潔で、より環境に優しく、より穏やかな都市を著者は予見した。
若者は自転車のおかげで、「より多くの世界を見ることができ、それに触れることでさらに世界が広がる。自転車なしでは、家から歩ける距離を超えて出かけることはめったにないが、自転車があれば、多くの周辺の町をコンスタントに動き回り、郡全体に詳しくなり、休みにはいくつかの州をまたいで旅することも珍しくはなくなる。そのような経験が、活力の増進、自立、個性の獲得を促す」
数百万人の自転車愛好家と国内最大規模の産業の政治的影響力が、都市の通りや田舎道の急速な改善につながった。自転車乗りが、まだ予期せぬ自動車の時代へと続く道を文字通り切り開いたのだ。
1895年、米ニューヨークのブルックリンでは、プロスペクトパークとコニーアイランドを結ぶ道路として、米国初の自転車専用道の1つが開通した。初日には、1万人ほどの自転車乗りが利用した。その2年後、ニューヨーク市は、スピード狂の自転車乗り、いわゆる「飛ばし屋」の増加に対応して、米国初の交通条例を制定した。当時、ニューヨーク市公安委員長だったセオドア・ルーズベルトは、スピード狂を逮捕できる自転車警官隊を導入した。庶民の足は、依然として道で最速の乗り物だった。
だが、スピードスターの地位は長くは続かなかった。10年と経たずに、欧米の自転車産業は、スポークを張ったホイール、チェーン駆動、ボールベアリングとエンジンを組み合わせて試行錯誤し、さらに速い乗り物を作り上げた。自転車ほど静かではなく、運用も安くないが、運転する楽しみがあり、利益を生んだ。米オハイオ州デイトンでは、2人の自転車工、ウィルバーとオービルのライト兄弟が、空飛ぶ機械のアイデアを模索していた。自転車に翼を取り付けて空力的可能性をテストし、自転車店の利益を研究に注ぎ込んだ。
これらすべての基となったローバー安全型自転車を1880年代に開発したジョン・ケンプ・スターリーは、英イングランド北部の町コベントリーに戻り、1901年に46歳で急逝した。それまでに彼の会社は、自転車からバイクの生産に移行し、最終的には自動車を製造した。それはあたかも未来への道のようだった。米国では、別の元自転車工であるヘンリー・フォードが、その道で大成功を収めることになる。
{{ 図版 7: 1891年、2人の若い米国の学生トーマス・ガスケル・アレンとウィリアム・ルイス・ザハトレーベンは、コンスタンチノープルから北京まで、2万4000キロを2年で走破する自転車の旅に出た。一般大衆が自転車の自由の可能性を見い出した1890年代に普通の人が成し遂げた多くの異例の旅の1つだった。(ILLUSTRATION BY A.W.B.LINCOLN, COURTESY THE MET) }} {{ 図版 8 : 米国最初期のスポーツ雑誌の1つ「Outing」。そのページの多くをサイクリングに割いた。1890年代のサイクリングの熱狂が、サイクリング雑誌、ツアーガイド、地図、ハウツー本の巨大需要を生み、全印刷広告の10%がサイクリング関連のものだったという報告がある。(ULLUNTRATION BY O.C.MALCOM, COURTESY THE LIBRARY OF CONGRESS) }}
文=ROFF SMITH/訳=牧野建志
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ボブ・モーリー(ハンドレッド)知るべき5つ
ハンドレッドにおけるボブ・モーリーの役柄(ベラミー・ブレイク)は、ショーでいくつかの大きな変化を経験し、成長しました。グループの反逆者から信頼できるリーダーまで、ベラミーは明白に彼の役割、スカイピープルの共同指導者に受け入れられました。モーリー自身は、必ずしも黙示録的なヒーローではありませんが、強い信念を持つ彼の役柄と同じ感性を有しています。彼について知るべきことはここにあります。
1. アイルランド人とフィリピン人のハーフ
ハンドレッドの共演者、エリザ・テイラーと同じく、モーリーはオーストラリア、メルボルン出身です。30歳の彼は、フィリピン人の母とオーストラリア在住アイルランド人の父親(彼が若い時に亡くなった)との間に、3人兄弟の末っ子として生まれました。彼は News.com.au に、テイラーとはオーストラリア訛りで、彼らのセリフパートの練習をすると話しました。
「残りのエピソードをやってる間は本当に虚しかった。」彼は笑います。「僕たちはお互いにセリフ上の絡みがなかったんで、一度もそれをやれてないんだ。」
2. オーストラリアのフットボールをしていた
TheTVAddict が、もし誰もが生き残ろうとしている状況に置かれたことがあるか、モーリーに尋ねたとき、彼自身のスポーツ歴で詳細に説明してくれました。彼はベラミーがハンドレッドで直面した、どんな状況にもない、と付け加えました。
「僕は AFL のバックホームでたくさんの試合をした。あなたが今までその試合を見たことがあるかどうかは知らないけど。それはかなりワイルドだ。まるで36人の男たちがグラウンドでケンカしてるようなものなんだ、フットボールっていうのは。それは僕がやってきたことと近いと思うし、そういう風にやっていきたいと思ってる、何に対してもそうだ。僕はずっと恐ろしい状況に置かれていて、そこから逃げ出したいと思っている。その『戦うか逃げるか』はほぼ本能だ。だけど僕がこのドラマで経験するほどのことじゃない。」
3. 対象化されることに憤る
「その結果ファンたちは、僕に不適切なほどの強烈な性的関心を持ってもいいんだって思ってしまう。そうじゃない。僕は人間であって、アレの道具じゃない。以上。」 ― BobMorley (@WildpipM) January 9, 2015
モーリーは、2008年の The Daily Telegraph のインタビューで、彼の出演作「Home & Away」をバッシングしたことでもよく知られています。彼はドラマの中で、服を着ていないことと「肉人形」に見られることが嫌だと言いました。(その後、本件については謝罪済み。)
「ショー(The Strip)の中で、服を脱ぐことを前提にしていないのは素晴らしい。」と、彼は言いました。「あれは僕がげんなりしたことの一つだった(Home & Away で)。それが僕の全てだったなら ー肉人形ー それをずっとやり続けたいかは分からない。」最近では、彼はツイッターでハンドレッドのファンたちに、自分を性的な対象物にしないようにと告げました。
4. エリザ・テイラーに初めて会ったのは6年前
Exclusive! 'The 100' Author Kass Morgan Interviews Bob Morley
小説「ハンドレッド」を主な作家活動とする著者とのインタビューで、モーリーはテイラーと初めて会ったのはイベントだと言いました。2人の主演はオーストラリアの連続ホームドラマ「Neighbours」ですが、出演時期は異なります。(テイラー主演は2005~2008年、モーリー出演は2011~2013年。)
彼は TVOverMind 上で自分たちペアの化学反応について論じました。「正直、その化学反応はエリザと自分にとって驚きだ。僕たちは1度だってキャラクター間に緊張を引き起こすつもりはなかった、僕はシナリオの緊張感が増したんだと感じている。」
5. ハンドレッドがティーンドラマだと呼ばれるのを好まない
モーリーは「ハンドレッド」をロマンティック・ティーンドラマだとブランド化するレポーターと評論家たちに向けて、彼の抱く嫌悪感を何度もあらわにしました。彼はむしろ視聴者が2人に関することより、キャラクターたちの選ぶ道徳的な意味合いに目を向けることを望みます。
彼はそれを News.com.au: で論じました。
「ティーンドラマではない、それはより多くの道徳と罰と、厳しい決断を作り出すことに関して、」彼は言います。「彼らは明らかに道徳と物語に関心を費やさないから、あなたたちがそんな風なコメントを目にすると、��んだか悲しい気持ちになる。彼らはショーを見ていないんだ、明らかに。」
writing : Beth Lindly Jan 21, 2015 at 8:16pm
quoted from : http://heavy.com/author/bethlindly/
※これは上記サイトを和訳したものです。おかしなところがあれば直しますので、メッセージで知らせて頂けるとありがたいです。(投稿:デブリン)
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