#シアタートラム
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yoshi-t3 · 5 months ago
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mototakahashi-mwmw · 2 months ago
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シアタートラム・ネクストジェネレーションvol.17-フィジカル-に、MWMWが選出されました
2025年12月にシアタートラムでMWMWの新作を発表します。 https://setagaya-pt.jp/news/21498/
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theatrum-wl · 8 months ago
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2024年3月)
読者の方々からお寄せいただいた3月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。
・谷岡健彦 教員(1~5本) 【先月の1本】 東京芸術劇場「インヘリタンス」(東京芸術劇場 プレイハウス) いくつか演出に首をかしげるところがあったものの、とにかく戯曲が力強かった。E・М・フォースターの『ハワーズ・エンド』のみごな変奏。前後編合わせて6時間半の長さが少しも気にならない。 【来月の1本】 フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京 「『GOOD』ー善き人ー」(世田谷パブリックシアター) 善良な知識人がナチスに加担してゆくさまを描いた秀作。最近、NTライブで上映された舞台があまりに完成度が高かったので、長塚圭史がどのようなアプローチをするのか、期待が半分、不安が半分。
・さわら 会社員(11本以上) 【先月の1本】 二兎社「パートタイマー・秋子」(東京芸術劇場 シアターウエスト) 寂れ始めた中小企業のスーパーが舞台の作品。それが犯罪行為と言われるものであっても、ミニマムな環境下でこの行為が「日常」である場合に、人は正しくいれるのか。社会生活上の多くの縮図をコメディ的に描く手腕の見事さに感嘆とした。 【来月の1本】 本多企画「ULSTER AMERICAN」(「劇」小劇場) 本多劇場グループ×海外戯曲シリーズ。 俳優と演出家と作家の3人芝居。ブラック・コメディとのことだけど、イギリスの脚本なので皮肉も風刺も露悪的かもしれない(偏見) 人間が本質的に抱える問題を真正面から捉えることになりそうで今からドキドキです。
・かちとも 会社員(11本以上) 【先月の1本】 東京芸術劇場「インヘリタンス」(東京芸術劇場 プレイハウス) 前後篇合わせて6時間半という長丁場。キャスト皆さん素晴らしかったが、中で���トビー役の田中俊介さんが放つ激しいエネルギーに圧倒された。後篇のみ登場する麻実れいさんの、快活な南部の女性が素敵な彩りを見せた。 【来月の1本】 シス・カンパニー「カラカラ天気と五人の紳士」(シアタートラム) 加藤拓也さんが別役実作品を演出。この時点で漂う不穏な空気。既に、観終わった瞬間の後味の悪さが想像出来てワクワクする。砂をかじるような観劇体験ができそうで、期待している。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(6~10本) 【先月の1本】 守口市立図書館「Mの航跡」(守口市立図書館 円形ホール) 地域の歴史から世界の未来を考える。筒井加寿子さんとこの町の距離感が成功の要因。 【来月の1本】 青年団「銀河鉄道の夜」(こまばアゴラ劇場) 青年団第100回公演。サヨナラこまばアゴラ劇場。
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elephantzousan · 1 year ago
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劇団イキウメ『人魂を届けに』
作・演出 前川知大
出演 浜田信也 安井順平 盛 隆二 森下 創 大窪人衛 /藤原季節 篠井英介
2023年6月2日ソワレ@シアタートラム
めちゃくちゃ、すごくて、最後の台詞が頭に染み込んだ後、ほんとうに感動した。感動したって阿呆みたいやけど、感動した。
当たり前のことを、真っ当なことを、こんなふうにして、お芝居に、舞台にできるんや、と思った。へんな言い方やけど、どっかで聞いたことのある言葉がいっぱい出てくる、語られるのは、そうやんなあ、ほんまになあ、ていうことばっかで、でも、その言葉ひとつひとつとお芝居が真摯で、演出が研ぎ澄まされてて、それが積み重なって、最後の台詞、それだけ聞いたらめちゃくちゃ陳腐、そんなん無理やんって、言ってしまえるような言葉やのに、それがほんまやって、この言葉はほんとうに人の心の底から発せられた言葉やってわかるねん。あの言葉をほんまに人の心に染み渡らせられるって、ほんまにすごい。
どストレートな題材でどストレートな言葉で、こんなん。
ほんとうにこれが観られて/聴けて/読めてよかった、と思うものは、びっくりするような今までみたこともないようなことが目の前に立ち現れたり(主にジャズのすばらしい即興演奏を聴いた経験)、この世にあるこういうことをこういう言葉や演出で表現できるんやみたいなことにすごいと思ったり、お話をすごいと思ったり、そういうことが思い出されるけど、そうじゃなくて、当たり前のことをすばらしい作品にすることの、凄さ、ああ、拍手しながら感涙し涙をぬぐい、終演後立ち上がれずにいました。
魂の押し買い、返してよ寒いよ寂しいよ、ぼくらより弱いものなんていないのにどうして怖がるの、権力は怖がりなんだ、刑務所でのキャッチャーになります、そういうものにわたしはなりたい。
くたくたの人魂(ひとだま)ばかりのこの世のなかで、まっとうなことを、すばらしい作品に昇華している尊さたるや。感謝した。
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witchaki-appreciation · 2 years ago
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2023.4.8 シアタートラム ブレイキング・ザ・コード Breaking The Code
アラン・チューリングの人生は私にとってかなり興味深い生涯…。 今回、ベネディクト・カンバーバッチの『イミテーション・ゲーム』の衝撃を思い出しつつ、さらなる新たな感動を期待して観劇したが予想通り私にとってドストライクの作品で大満足だった。
『イミテーション・ゲーム』では最後の方でオチとして、彼がゲイだったことがクローズアップされるが、この作品はエニグマの暗号解読に貢献し、コンピュータの基礎を作った人物という部分よりも、ゲイであったことも含め彼の人間性を軸に彼の生涯を描いている。 最近の作品かと思ったが1986年がWestEnd初演。1988年にはブロードウェイでも上演されトニー賞に3部門ノミネートされていた。時はAIDSに世界が震撼していた頃…ということか。
作品中、具体的に言及されていなかったけどチューリングはアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害・ASD)を示唆する特徴の多くを示しているとの指摘もあり、本当に興味深い人部なのだけれど、亀田佳明さん…素晴らしかった。 今まで見た亀田さんの中で一番好きだったかも…。 翻訳も素晴らしくて、悲劇喜劇購入!
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スタッフ 脚本 … ヒュー・ホワイトモア(Hugh Whitemore) 原作 … アンドリュー・ホッジ『Alan Turing:The Enigma』 訳 … 小田島創志 演出 … 稲葉賀恵 照明 … 吉本有輝子 衣装 … 山本貴愛 音楽 … 阿部海太郎
キャスト アラン・チューリング … 亀田佳明 ロン・ミラー … 水田航生 パット・グリーン … 岡本玲 ディルウィン・ノックス … 加藤敬二 クリストファー・モーコム … 田中亨 ジョン・スミス … 中村まこと サラ・チューリング … 保坂知寿 ミック・ロス … 堀部圭亮
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出演キャスト決定
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【SKY RUNNER出演キャスト】14名が集まりました。
榎本鉄平 横山真希 吉田憲章 酒夏 中村萌乃 松尾拓 ( 以上SPINNIN RONIN )
松井翔吾 蓮根わたる 脇田圭佑 原啓太 井出みどり Nao ( 芝居家だんす ) 伊藤清孝 ( アヴァンセ ) BOMBER
4度目の上演となる「SKY RUNNER」 SPINNIN RONINの代表作である本作品にご期待ください。
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nastuufsa · 7 years ago
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「スポケーンの左手」     作  マーティン・マクドナー 翻訳・演出  小川絵梨子    出演  蒼井優    岡本健一    成河        中嶋しゅう
2015.11.20 シアタートラム
疾走感があった。 夜、車のライトが人や物の影をパアッと映し出して走っていった、そんな感じだ。
登場人物は四人。アメリカの田舎、安いホテルの一室。  逗留しているのは、37年前に切り落とされた自分の左手を探す男(中嶋しゅう)。そこへ偽の手を売り込みにやって来た若い詐欺師カップル(蒼井優・岡本健一)、時々部屋に顔を出す暇そうなホテルマン(成河)。
すでに男と詐欺師たちの間に一悶着起きたところから芝居は始まる。 左手を探しているということ以外に不可思議な設定は何もなく、人物の言動や事物の状況は現代社会に照らして非常に現実的だ。
中嶋しゅうの雄弁に語る瞳の素晴らしさを思う。 強い憤りを全面に表しながら、こびりついた厭世観、隠せない孤独とやるせなさを滲ませ、台詞以上にこの男という人間をまざまざと感じさせた。
成河の役どころは独特で、ストーリーの展開には一切影響せず、茶々を入れるように場面に顔を出してくる。しかし序盤こそコケティッシュであったが、謎めいた独白を経て、次第に最も闇を抱える人物に見えてきた。成河の持つ透明な空気感ゆえに、尚その不気味さが引き立った。
クライマックス、二人残された男とホテルマンの短い会話、それまで常に周囲を威嚇していた男の瞳からふとそれが消えて、真っすぐに視線を交わしていたのが非常に印象的であった。不意にお互いの何かを理解し合った瞬間か。
男は到底あるとは思えない左手を探し続けている。だがその行為を笑うことができるだろうか。 失くした自分の片手に至上の価値を与え、それを探し続けることで、彼は自身の存在を認め、守り、保って生きてきたのだと思われる。 人は、その大半が自覚の有無、事の大小深浅に関わらず、各々に「スポケーンの左手」を持っているのではないか…。
狭い空間で起きた短時間の出来事の中に、そしてまた一人の人間の内に、 緊迫と弛緩、静寂と騒々しさ、高尚と卑俗が、 同居あるいは対比されつつ、スピードの中に流れ去った舞台だった。 去りながら、凹凸にひっかかって残る、砂金のようなものがあった。
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spinninronin · 5 years ago
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シアタートラム公演 出演者オーディション開催
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2年ぶりのシアタートラムとなる本公演では、加世田がNY時代に培った、ダンス、コンテンポラリー、武術、その中に「演技」を合わせる独自のシアターテクニックを用いるだけでなく、ヒューマンビートボクサーや歌手をも招き、様々な演出を用いて大空の物語を展開します。
感性と衝動、そして躍動を共にぶつけ合いながら、ダイナミックなステージを創り上げましょう。
公演日程 2020年3月26日(木)〜29日(日) ※小屋入りは3月24日(火)からとなります。 
出演条件 ・チケットノルマはありません。 ・稽古場及び、劇場への交通費は自己負担になります。
オーディション日時 2019年11月17日(日)18:00〜
応募締切 2019年11月14日(木)24:00
オーディション会場 大泉ノートルスタジオ(練馬区東大泉6−34−45 SKビルⅡ2階) 西武池袋線「大泉学園駅」南口より徒歩2分
応募資格 ・性別、職業、国籍、演劇や音楽経験は不問。劇団や事務所所属の方も応募可能です。 ・2019年12月中旬より行われる稽古に参加できること。(応相談) ※12月は週2〜3回程度、1月からは週3〜4回程度になります。 ※稽古の時間帯は、基本的には18時〜22時の間になります。土日祝の場合は昼から稽古を行う場合もあります。
オーディション内容 ①書類選考: 書類選考結果は11月15日(金)22:00までに応募者全員にご連絡いたします。 ②ワークショップ: SPINNIN RONINに必要とされる簡単なアクティングとムーブメントをやって頂きます。
詳細は、書類選考通過者にメールにてお知らせ致します。
応募方法 件名を「スピニン3月オーディション 」としたメールに、お名前・年齢・性別・電話番号・メールアドレス・経歴・応募動機と「写真画像2枚(全身1枚、バストアップ1枚)」を添付して [email protected] までお送り��ださい。画像の形式は問いません。
※携帯メールからご応募の方は必ず [email protected] からのメールを受信できるよう設定お願い致します。ご応募頂いた方全員に受付完了メールをお送り致します。2日経っても返信が来ない場合、お手数ですが 03-6670-8137 (担当榎本)までお問い合わせください。
※SPINNIN RONIN では、カンパニー制作・演出助手も随時募集しております。興味のある方は是非ご連絡ください。
お問い合わせ(担当榎本):03-6670-8137 / [email protected]
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withclaude2019info · 6 years ago
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【こぼれ話 Special】キャストとモントリオール風景写真
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「Being at home with Claude~ クロードと一緒に ~」(赤レンガ倉庫1号館 3Fホール)では、作品舞台であるモントリオールの風景写真を展示販売しました。公演後はZu々オンラインショップ(期間限定)https://shop.zuu24.com/ でも発売中です。
出演の記念品として「欲しい写真があればどうぞ」とキャストに提案したところ、リアクションやセレクトに各人の個性が表れていました。
根本正勝さんは「建物の写真が良いなぁ・・・どの建物にしようかな。あっ、これはセリフにある“通りのどちら~”のあたりなんですね?抜き出したセリフとリンクした写真なのか・・・悩むなぁ」と話しながら展示の壁の前で長いこと考えて、初志貫徹(?)で建物が映った写真を選びました。澤田拓郎さんは「マジですか?あれが欲しいです、リスのやつ!」と記憶からの即決。川野直輝さんは「プレゼントにしてよい?お母さんにあげたい。緑が好きだから緑がある写真」との事でセレクト。松田凌さんは展示準備中に「この写真を販売するの?購入しよう!」と一番に予約を入れてくれました。「千秋楽後に記念にプレゼントするから、どれが良い?」に「えっ!どれにしよう、悩むなぁ」との返事。「千秋楽までに決めたら?」に「そうします!」との言葉通り、千秋楽の公演後に「写真決めた?」と尋ねると「決めてます!あれ、モノクロのやつ!」と尋ねた場所から小走りに写真の前まで行って、 お気に入りの写真を 指差しました。持ち帰って早速に飾ったと打ち上げの会場で話してくれました。
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 Zu々主宰の三宅優が2014年9月にモントリオールで上演された「Being at home with Claude」を観劇のために渡加した際に撮影した写真と、モントリオール在住のカメラマンの武島銀雅さんの写真が、観客の皆さんを作品世界へ誘う一因になっていたら嬉しいです。
武島さんは、「クロードと一緒に」初演(青山円形劇場)の全ビジュアル、再演(シアタートラム)のキービジュアルを撮影後、カナダへ帰国(国籍:カナダ)しました。
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その後、Zu々 プロデュース作品のトレーラー
Ye夜、森奈津子芸術劇場 https://youtu.be/mTPG4kWAfCc、 クロードと一緒に 再演 https://youtu.be/rj37L2Ge-fY  Lecture-Spectacle(読み聞かせ) https://youtu.be/MeoukFE9CFA 
の制作、キネマ(映画)&キノドラマ(舞台)連動興行「怜々蒐集譚」では、来日して映画監督を務めています。 
<文責:Zu々主宰 三宅優>
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 ↑  キネマ(映画「怜々蒐集譚」より
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  ↑映画撮影中の武島監督
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blondelongtours · 4 years ago
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5/2 昼からNHKで撮影。NHKの門をくぐる時は毎回、ここでアルバイトをしていた時のことを思い出す。真冬の玄関口で出入りする人の数を数えたり、電話を取り次いだり、社内報を茶封筒に詰めたり、大量の紙を延々とシュレッターにかけたりしていた。今から12・3年前のことだ。だからNHKでの仕事は不思議な感慨と妙な興奮がある。あの時には曲がれなかった角を曲がる時はなんだかソワソワするし、えらい人に怒られやしないかという緊張感を抱きつつでメイク室に入るし、決して入っちゃいけなかったスタジオに足を踏み入れる時、本当にいいんだっけという気持ちになる。食堂で打ち合わせしているタレントさんや廊下を時代劇の衣装で歩く俳優さん、黙々とセリフの練習をしているベテランさん、誰かを待つにしてはあまりに優雅すぎるスターさんを見ては「いつか自分も」なんて思っていたけど、この日の自分はあの時見てきたあの人たちのような緊張感やオーラを放つことなく、衣装を来たまま迷路のような廊下をウロウロしていたと思う。今はまだたまにいく場所だけど、ここをいつか通う場所にしよう、そう思った数時間でした。
5/3 まるっとオフ。借りていた漫画を読んだり、レコードを聞いたりしたと思う。レコード聴きながら寝落ち、これ最上の幸せなり。
5/4 夜中に「メイキングオブモータウン」を見はじめて気づいたら朝。元気なおじいちゃんに元気もらった。体動かしたりして夜は実家に戻った。笑っていいのかいけないのか分からないぶっとんだ家族の話を弟と母親とたっぷりと話した。亡くなった時に何が残るか、何を残すか、あるいは何を残さないのか。弟と自分のものの捉え方、受け取り方が面��いほどに違う。弟はい��も深く、鋭く、冷静。そして軸がしっかりしている、ように見える。ある種の美学がある、ように見える。ものごとの表面、そのテクスチャーばかりが気になって兄はこんな歳になりました。
5/5 稽古会。ちょっとしたゲームをやり、テネシーウィリアムズ「長いお別れ」を読んだ。
5/6 今年もお世話になるO中学の授業のために『十二夜』を読む。前に読んだときは道化がいいなと思ったけど今はマルボーリオがいいな。オーシーノー、お前それでいいのかとも思った。いまと接続するためにはどんな上演が有効なんだろうか。そうそう、文化庁の継続支援の手続きもした。手続きにおけるあらゆる言葉の意味が全く分かっていなかったことが判明。何も分からないまま申請をし、何も分からないまま報告をし、何も分からないまま修正をしている。電話口の担当の方が苦笑い超えて呆れているのが分かった。
5/7 下北沢でマサコ、からのCCC。味のついたノンアルはジュースのようだった。沢山話して沢山歩いて最後、雨に降られた。
5/8 O中学ミーティング、からの稽古会ミーティング、からのBaobab稽古。本日情報公開されました。久しぶりのダンス公演、初めてのシアタートラム。自分を信じて疑って、とことんのめり込んでやろうと思います。
5/9 久しぶりにAokidにあったのはこの日かも。映画のこと、Aokidが参加した蓮沼フィルのこと、いろいろ話して帰宅。
5/10 継続支援、引き続きあれこれ。電話で手取り足取り、本当に申し訳ない。去年からいろいろとこういうやりとりが増えたけど、もっとお金のことや社会のシステム(この言葉が既に分かってなさそう、、)のこと知らないとな。きっと多くの人にとっての常識を知らないままけっこうな間違いを犯していたり損をしていたりもするんだろう。夜はエヴァンゲリオンおかわり。
5/11 稽古会。この日は運動会のようであり、小学校の放課後のようでもあった。心地よい筋肉の疲れ。今年は疲れにいくぞ〜。
5/12 稽古会。今日はじっくり系の内容。こういう地味なワークを続けていくとどうなるか、人体実験のような気分。夜、誰もいない銭湯で改めて社会のこと、未来のことを考える。弱い人のことを本当の意味で強い人は見てくれない、そう思えてしまうとなんだかやるせないけど、言葉にしないと、行動で示さないと、怒りや疑���を提示しないと大きなものは動いてくれない。しっかりしてほしいぞ。そしてしっかりしないとな。
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theatrum-wl · 1 year ago
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2023年6月)
読者の方々からお寄せいただいた6月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。投稿はどなたでもご参加いただけます。是非いっしょに舞台芸術を盛り上げていただければと願っています。
・kiki 地方公務員(6~10本) 【先月の1本】 イキウメ「 人魂を届けに 」(シアタートラム  ) ほとんど静かな会話だけで綴られる物語に不思議なくらい惹きつけられ、会場中が息を呑んで舞台上の成り行きを見守った。日々魂を削られ続けるこの世界。寓話風な雰囲気なのに奇妙なほど身につまされた。観ることができてホントよかった。 【来月の1本】 ムシラセ 「 つやつやのやつ 」( 駅前劇場 ) ムシラセは今回初めて拝見するのですが、ツイッターなどで見かける感想が素敵なのでとても楽しみ。キャストも粒揃いだし、期待値高めで伺いたいと思います。
 ・まなぶ 司書(1~5本) 【先月の1本】 うさぎの喘ギ 「 いつだって、はじまれる。 」(ウイングフィールド) 自分自身にラベルを貼ることをめぐるヴィレヴァンの日常。「セクハラにする人」という台詞にびりびりきた。 創作の速度と精度がすごくて、今最も勢いのあるユニットの一つだと思う。 【来月の1本】 スペースノットブランク「 言葉とシェイクスピアの鳥」( 城崎国際アートセンター ) リハーサルだけど、身体がスペノを求めています。
・papamomo 会社役員(11本以上) 【先月の1本】 うさぎストライプ「  あたらしい朝」( こまばアゴラ劇場 ) 大好物なのでバイアスがかかっているのはご容赦を。大池容子のエッセンスだった。キャストも大好物の皆さん。不条理/死生観の背後にある人へのあたたかい思い。いずれ彼方に行ったら、龍ちゃんの様にいないかも知れない存在になって家族と一緒に漂いたいな。 【来月の1本】 演劇ユニット ダダルズ 「 ダダルズ袋7月号 」( イズモギャラリー ) 去年3回目ダダルズを拝見するつもりがコロナを罹患。手練れの怪優達をキャストして、 噛み合わない会話を緻密に絡ませ気持ち悪い会話劇の極致を創っていた主宰大石恵美。今回は彼女の一人芝居。ちゃんと気持ち悪いか確かめる。去年の”貸し”を返して貰う。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(6~10本) 【先月の1本】 斉藤綾子「マーガレット3」(旧ずぶ邸) 小規模な公演ですがとても素敵な取り組みの継続だと思いますので記録しておきます。 【来月の1本】 餓鬼の断食 「 空白 / I face my void 」( THEATRE E9 KYOTO ) 今回からは自信をもっておススメします。新物喰いな方は遠方からでも是非京都へ。
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dainana-seagull · 4 years ago
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成���半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台���四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静��する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。 
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作���を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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yuugoto · 7 years ago
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yasuhitoyano · 3 years ago
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Now we're rehearsing a new work of "Biografie ein Spiel (Biography a game)" written by Max Frisch. Max Frisch is one of the most important Swiss playwrights after WW2. However, not so many of his works have been translated into Japanese. This time, Theatre Company shelf is collaborating with translator Koki Matsuu and he translated this Max Frisch's masterpiece for the first time in Japan. The Premier of the show will be held in early June at Theatre TRAM, one of my favorite theatres in Tokyo. So please stay tuned and thanks for all the wonderful support and interest! shelf新作、マックス・フリッシュ「バイオ・グラフィ:プレイ(1984)」絶賛稽古中です。12月はドラマ・リーディング公演でしたが、今度はちゃんとした(?)劇場公演です。いや冗談でなくきちんとした劇場で、国内、東京で公演を行うのは何年振りでしょうか。 昨日は、稽古場に制作協力で入ってくれている劇団チョコレートケーキの菅野佐知子さんが写真を撮りに来てくれました。ステキな写真をたくさん頂きました。 「バイオ・グラフィ:プレイ(1984)」は、いわば演劇についての演劇、人間が自分というキャラクターを演じることについての演劇、あるいは、ひとりの人間の記憶を辿り、再現し、乱暴にも改編しようとする試みともいえるかも知れません。 日々、稽古場で発見があります。 公演初日まで一ヶ月を切りました。みなさまどうぞ、ご期待ください。
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プレイガイド先行販売中
2020年3月シアタートラム公演「SKY RUNNER」のプレイガイド先行販売が開始となります。
・ぴあ��Pコード:498-540)
・ローチケ(Lコード:32434)
・エヌチケ
指定席、自由席、学割席などのお取り扱いがございます。お好みの席を希望される方は、是非お早めにチケットをお買い求めのうえ劇場にお越しくださいませ。
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hellomagmoe · 7 years ago
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@香取慎吾 : #クソ野郎と美しき世界 #慎吾ちゃんと歌喰いの巻 の監督 #山内ケンジ さん の作・演出の舞台 #自己紹介読本 を #シアタートラム に観に行きました!笑って.... - [卖萌]
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#クソ野郎と美しき世界 #慎吾ちゃんと歌喰いの巻 の監督 #山内ケンジ さん の作・演出の舞台 #自己紹介読本 を #シアタートラム に観に行きました!笑って.最高.とっても楽しく #クソロス を忘れさせてくれる幸せな時間でした! 4月27日〜29日大阪公演ですとよ!! #香取慎吾
https://mag.moe/178704
#KatoriShingo, #KatoShin, #Katori_Shingo, #Shingo_Katori, #クソロス, #クソ野郎と美しき世界, #シアタートラム, #大口仔, #山内ケンジ, #慎吾ちゃんと歌喰いの巻, #自己紹介読本, #香取慎吾
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