#クルンテープ
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ラバンデリアの場所を確認して、腹ごしらえにすぐ裏のタイ料理屋さんに。 #クルンテープ
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6/2日曜日は、#東京宝塚劇場 で、#月組 公演『#夢幻無双/#クルンテープ』を、我が心の妹・#あべ凛子 ちゃんと観てきました。凛子ちゃんは月組が初めてだったので、佐々木小次郎役・#美弥るりか さんに惚れたものの、今公演で退団と知って嘆いていました。わたしはといえば、2017年3月の月組公演が初めての宝塚だったのですが、そのときからすると #珠城りょう さん歌が上手くなったよねー、と上から目線の感想を持ちました(笑) https://www.instagram.com/p/BySPiSEAWnx/?igshid=1f0530zmugmak
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美園さくらに魅せられて…🌸🌸🌸 #月組 #สงเคราะห์ #กรุงเทพ #珠城りょう #美園さくら #takarazuka #夢限無双 #クルンテープ (Tokyo Takarazuka Theater) https://www.instagram.com/p/Bxztcp4jSHo/?igshid=1npnctbwkaorr
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本日のランチ 「鶏肉のバジル炒めごはん」をサービスのご飯大盛りで。 #タイ料理 #ガパオライス #新宿 #クルンテープ2 (クルンテープ2) https://www.instagram.com/p/CiCWhsBpTnX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【ブログ更新しました!】東京でワインが持ち込めるお店BYO クルンテープ2 新宿三丁目/タイ料理 6点 https://ift.tt/2SbTRmT
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けふのなぞなぞ
Q.とある国の首都で選択されたことが、やがて世界の標準認識になるという。その国とは?
A.タイ(バンコク共通)
※なんでや? クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット関係ないやろ!
するってぇとご隠居、「寿限無がバンコクに行ってピカソの絵を見た」を正式に言うと、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処やぶら小路の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助が、タイ王国の首都であるところのクルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシットに赴いて、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソの描いた絵画を鑑賞した」ってことになるんですかぃ?
(唐沢なをきのマンガのネタみたいになってきたので、ここらでやめます)
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本当に暑いですね。今朝お店に来てくださった常連さまは、神戸の花火を彼女さんと観に行かれるそうです。幸せの報告で、幸せ気分をおすそ分けしていただきました。花火を観に行かれるみなさま、楽しんでくださいね。そして、水分補給を忘れずに。 今日も元気に営業いたしております。皆さまのお越しをお待ちしています。 旅15日目 最終日 カナダ人のおじさんとカオサンにやってきました。カオサンといっても、カオサン通りからは少し外れた場所のようですね。店主が最後にカオサンに寄ったのは、もう15年以上前でしょうか?だいぶ前に友達に聞いた話によると、カオサン通りはかなりオシャレになったとのこと。少し離れたこの辺りは、割と落ち着いた雰囲気で、それでいて店が並んでいるので寂しくなく、しかも料理の飲み物も安い! 次は、ぜひこの辺りに泊まろうかと思います。 写真は、この辺りの店頭に置いてあったチョッパー。そういえば、車検に出した店主のバイクはどうなったんでしょうか?バイク屋さんから連絡がないまま半年以上が経ってしまいました😥 #大阪 #福島区 #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) @hiro_ti 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #wifi #freewifi #cafe #bar #カフェ #バー #東南アジア #ラオス #ビアラオ #ベトナム #ベトナムコーヒー #フォー #チキンライス #クルンテープ #カオサン #アメリカンバイク #チョッパー (Thanon Ram Buttri)
#大阪#福島区#東南アジア料理#サバイディー#osaka#fukushimaku#wifi#freewifi#cafe#bar#カフェ#バー#東南アジア#ラオス#ビアラオ#ベトナム#ベトナムコーヒー#フォー#チキンライス#クルンテープ#カオサン#アメリカンバイク#チョッパー
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タイの首都バンコク、「クルンテープ」に名称変更?(写真=ロイター) - 日本経済新聞
タイの首都バンコク、「クルンテープ」に名称変更?(写真=ロイター) – 日本経済新聞
タイの首都バンコク、「クルンテープ」に名称変更?(写真=ロイター) 日本経済新聞
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SET 5分で午前中NEWS | 9月30日の市場銘柄ニュースまとめ
BTSは、バンコク都政府とクルンテープ・タナコム社(KT)を120億バーツで訴えるため、行政裁判所に訴状を提出した。 BTSが延伸における内容でバンコク政府とKT社を告訴へ。
2021年9月29日、BTS、GULF、STEC、RATCHで構成されるBGSRコンソーシアムは、都市間高速道路6号線(バンパイン~ナコンラチャシマ)プロジェクト(M6)および都市間高速道路81号線(バンヤイ~カンチャナブリ)プロジェクト(M81)の30年間にわたる390億バーツのO&M契約について、PPP契約を正式に締結しました。いずれも2023年の開通を予定しています。GULF社は、レムチャバン港フェーズ3の840億バーツ以上の契約を10月に締結する予定であり、RATCH社は、年内に電力ポートフォリオに1,000MWの生産能力を追加するために310億バーツを準備している。 BTSは、バンコク都政府とクルンテープ・タナコム社(KT)を120億バーツで訴えるため、行政裁判所に訴状を提出した。(BTSは、スカイトレイン延伸部の運営に伴う120億バーツの債務について訴訟を開始。行政裁判所は…
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世界で1番長い首都名は、タイのバンコクになります。 正式名称は、 「クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」 日本名は、「天使の都、雄大な都城、帝釈天の不壊の宝玉、帝釈天の戦争なき平和な都、偉大にして最高の土地 九種の宝玉の如き心楽しき都、数々の大王宮に富み、神が権化して住みたもう、帝釈天が建築神ヴィシュカルマをして造り終えられし都」 長すぎて覚えていないタイ人もいるレベルの難しさです!ぜひ、正式名称で覚えてみてください。 ------------------------------- 他にも世界の不思議なことを紹介してます。アカウントのURLからチェック↓ @mystery_0707 ------------------------------- #不思議な世界のミィ #雑学 #不思議 #豆知識 https://www.instagram.com/p/CHPHKDcFSMg/?igshid=jz1jzbb9q7m4
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The Reign of King Chulalongkorn (King Rama V 1868-1910): The Beginning of Film History in Thailand
中村紀彦です。
今回は、タイ映画史の最初期について概説されている文章(とくに映画産業史)を翻訳しています。(翻訳の練習としてやっておりますゆえ、諸々ご容赦を)
少し概観するだけでも、きわめてユニークな映画史だと感じてやみません。ちなみに手に入れやすい書物だと、四方田犬彦『怪奇映画天国アジア』のなかで数ページほどざっくりとタイ映画史について触れられていました。そちらのほうがたいへん興味深く読めることはたしかです。
翻訳箇所は下記の通り。一節のみです。
Pasting Sungsri, "Thai Cinema as National Cinema: An Evaluative History," PhD thesis, Murdoch University, 2004, pp. 104-106.
(1905年、タイにはじめて建設された常設映画館。日本人興行者のT. Watanabeの尽力によるという。)
The Reign of King Chulalongkorn (King Rama V 1868-1910): The Beginning of Film History in Thailand
タイの映画史は、シャム(タイの旧名)が絶対王制によって統治されたとき、つまりチュラロンコーン王(ラーマ5世、1868-1910)の治世で始まったものである。ワチラーウット王(ラーマ6世、1910-1925)の治世のあいだ、中産階級のタイ国華人や貴族、そして王室といった層によってタイ映画の会社が設立された。プラチャーティポック王(ラーマ7世、1924-1935)の治世では、タイの映画会社が成熟し、タイの長編映画作品がはじめて制作され、そして映画検閲法が制定されたのである。プラチャーティポック王の治世の終わりに、絶対王制が打倒された。この絶対王制の時代において、タイの映画産業においてふたつのグループが重要な役割を果たしてきた。ひとつは王室、もうひとつは海外からきた行商人たちである。
タイの映画産業は、絶対王制の時代に、こうしたふたつの重要なグループによって管理された。ひとつめは、王を含む王室、王族や貴族である。この強力なグループは、創始者、消費者、映画制作者、ビジネスマン、映画検閲をおこなう者といった、タイの映画業界を形づくるさまざまなしかたで活動したのである。もうひとつのグループは、タイ国華人、およびインド、日本、西洋人(とくにアメリカ人)が外国映画の代理店を務め、映画館を管理していたものだ。しかし、このグループは、王室が検閲権を掌握したことと、民間事業への影響が原因で王室に大きく依存することとなった。そのためこの間、映画業界の収益性について具体的な詳細を得ることは困難である。いずれにせよ、王室グループと外国人グループとのあいだの対抗関係は、映画業界が高い収益性を持つと認識されていたことを示している。
チュラロンコーン王(ラーマV世1868-1910)の統治は改革の時期であり、国の近代化に重点を置いた。隷属と奴隷の制限が解除された。シャムは諸外国からの数々の革新的手法を受け入れた。これらには、新たな学校制度、電報、鉄道、映画館の導入が含まれていたのである。
タイの人々は、1897年6月に初めて映画の鑑賞を経験した(Barme, 1999、308)。その後、1900年にチュラロンコーン宮殿の弟であるサンファサット・スファキット(Sanphasat Suphakit)が一連の短編ドキュメンタリー風映画をはじめて制作した。彼の映画はチュラロンコーン王の公的活動と主要な王室儀式を記録したものである。サンファサットはバンコクのWat Benjamaborpith Dusitwanarm見本市で公衆に映画を公開し、映画のチケットは一般庶民にむけて販売していた(Tanawangnoi, 2001,13)。当時、映画は王室のぜいたくな趣味だったのであり、彼らは映画を王制の制度を支えるプロパガンダとして利用することができたという利点があったのである。
タイにおいて映画の組織的なビジネスの登場は、1905年にバンコクではじめての常設映画館を日本の巡業映画会社が建設したことが発端となる。王室はその会社を「タイ国立日本映画会社」と名付けた。この会社名に「王室 royal」という語を用いたことで、王室が海外映画会社の受諾を提示していることと、会社の所有権を占有していることをあわせて理解すべきであろう。「王室 royal」という語の使用は��承認という王室の刻印」を産業にもたらしたのであり、そしてビジネスが王室との良き結びつきを持ち、高水準で稼働したことを暗示してもいた。しかし、こうした語は、また王室がビジネスのある程度の所有権を獲得し、一種の私物化を含意していた。そしてそれがいかに実行されるかということにいくらかの影響を及ぼす可能性を、この語は創出しているのである。
タイ国立日本映画会社の設立以来、バンコクには多くの輸入映画作品、とりわけシンガポールに流通拠点を設置していたフランスの映画会社パテ(Uabamrungjit, 2001, 121)の映画作品が見られていた。 1907年、タイ国華人であるスーチャイ・ラッタナマラSoochai Ratanamala、ポッツィ、マランゴーニ、ヴァラペルタという3名のイタリア商人によって運営されたクルンテープ映画会社(バンコク映画会社)が築かれた。〔彼らのもつ〕劇場では、輸入映画もまた上映されたのである(Boonyaketmala, 1984,114)。チュラロンコーン王(ラーマV世1868-1910)の治世中、映画の輸入と流通にかかわるすべての映画事業は、海外の興行者とタイ国華人が携わっていた。タイの人々は海外から持ち込まれた映画作品を新たな娯楽として消費した。しかしこの時期、彼らはまた、この新たな発明の可能性を商機として見たのであった。
中村紀彦
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