#キリシタン大名
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島原城
島原の乱で有名な長崎県島原に1625年に築かれた安土桃山期の城
残念ながら明治の廃城令で解体されたが1964年に復元
青い空と有明海を背景に聳え立つ白亜の五層天守は当時も四万石の大名には過分の城だった。
城内図
1972年に復元された巽の櫓(西望記念館)
三つの櫓は全て無料で内部も観覧できる
1980年に復元された丑寅の櫓(民具資料館)
三層の櫓も天守並みに壮麗😍
内部の民具資料館
最後は1960年天守より先に復元された西櫓と鐘
観光復興記念館
更に別アングルからの天守。どの角度から見ても素晴らしい👍
本丸の外に出て西の櫓
木々に隠れているが天守と観光復興記念館右手に西櫓。石垣が美しい
更に歩いて二の丸の文化会館越しの天守と西櫓。此処から見た緑に覆われた石垣の連なりが見事
こちらのお堀は夏場しょうぶ園になる。(お堀にはいつでも降りれる😁)
丑寅の櫓
天守と巽櫓
蓮池のあたりは水を湛える。
最後に右から丑寅の櫓、巽櫓、天守の絶景
島原城に来たら昼食はこちら💁
島原城の内部は以下から
島原に来たら雲仙温泉に
島原城下の武家屋敷は以下から
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2023.12.16(土)
「ころ柿」 糖度が高い渋柿「最勝(さいしょう)」が原料。能登の志賀町特有の品種らしい。糖度が高いので、渋みが抜けると濃厚な甘みが残る。 由来書きを見てみると、能登に漂着した海人が、この里に暮らし始めた際に食したという説やキリシタン大名高山右近の子孫が隠れキリシタンとしてこの地で身を潜めた際に伝わったとする説があるそうな。 名前の由来は、実全体に日が当たるようコロコロ転がしたから「転柿」とか木枯らし吹く寒い所に干すから「枯露柿」等の説があるらしい。 親戚からお歳暮としていただいた。上品な甘さで、コーヒーの苦みと「ころ柿」の甘みが絶妙にあう。感謝です。
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そんなワケで一日中「隠しキリシタン」を追っていました
何故そもそも竹田市ではそんな藩ぐるみみたいな大きな規模でキリシタンを隠したかというと、竹田市は江戸幕府のキリスト教禁教政策が他の地域より比較的遅く、ここに居場所を追われたキリシタンや宣教師が多く逃れてきたという事情も関係しているようです
大分県といえば「地獄巡り」で有名です���、当時のキリシタン達にとってはこの大分の地は最後の「ぱらいそ(楽園)」だったのかもしれませんね
当時キリシタンだった人たちは、お殿様が信者だったというケースもありますが、生活に困窮した人たちの最後の拠り所になっていたというケースも少なくありません、禁教政策以前から立場の弱い人たちだったのです
潜伏キリシタンのことを考える時、現代に生きる我々は、いまだにそうなってはいないので、弱い立場の人を守ったり、他者の信じるものや考え方を尊重したりできる世界の実現も考えていかないといけないのです
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キリスト教に不信感を持った秀吉は、イエズス会に対して4つの質問状を送りつけました。「なぜ人民にキリスト教を強制するのか」「なぜ寺社を破壊するのか」「なぜ奴隷貿易するのか」という内容でしたが、残りの一1つに「肉食」に関する質問がありました。 【秀吉の質問】 「汝らは何ゆえに馬や牛を食べるのか。それは道理に反することだ。馬は道中、人間の労苦を和らげ、荷物を運び、戦場で仕えるために飼育されたものであり、耕作用の牛は百姓の道具として存在する。し���るにもし汝らがそれらを食するならば、日本の諸国は、人々にとってははなはだ大切な二つの助力を奪われたことになる。汝らをふくめ、シナから船で渡来するポルトガル人らが、もし牛馬を食べずに生きられぬものならば、全日本の君主である予は、多数の鹿、野猪、狐、大猿、その他の動物狩りを命じ、それらを一つの囲いの中に入れておくから、汝らはそれを食べるがよかろう。もしそれを不服とするならば、予はむしろ(南蛮)船が日本に来航せぬことを望む」 この秀吉の質問に対しイエズス会は次のように返答しました。 【イエズス会の答え】 「我らの出身国においては、馬(肉)とか、日本人が食べる他の動物、すなわち大猿、ネコ、鼠、狐、その他これに類する動物を食べる習慣はない。だが仰せの通り、牛(肉)食べることは確かである。これは世界でもっとも古い習慣だからで、そこでは国家になんら損失を及すことも農業に害を与えることもなく、この習慣が保たれている。……日本に来るポルトガルの商人らに対しては、この件で(我ら)司祭から(牛肉を食べぬよう)注意を喚起するであろう。ただし、日本人が彼らに(肉を)売りに来る以上、彼らが(牛)を用いるのを止めるかどうか保証の限りではない」 『豊臣秀吉と南蛮人/松田��一著』から抜粋 この質問状が出た直後の天正15年(1587)「伴天連(ばてれん)追放令」が出され、全国の大名にキリスト教布教の禁止が通達されました。翌年、「教会領」は秀吉に取り上げられ、長崎は秀吉の「直轄領」になり、佐賀の鍋島直茂が長崎代官に任命されました。天正20年(1592)秀吉の命令で長崎の多くの教会が破壊され、そしてついに慶長元年(1597)あの「二十六聖人の殉教」が起こったのです。この事実だけ見ていると長崎の「キリスト教」及び「南蛮文化」は「一掃」されてしまったかのように感じます。ところが南蛮貿易にはお咎めはなく、長崎での「ポルトガル人��住」も以前の通りでしたので、洋食も続けられていました。布教に関しても、キリシタン版と呼ばれる宗教書が出版されるなど、むしろキリシタン文化が謳歌された時代になりました。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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先週行ってきてたくさん写真を撮ったので残しておく。
①
京都モダン建築祭に初参加。
腰痛とかもあって事前予約するガイドツアーなんかは全部パスしててゆっくり適当に回るか〜くらいのゆるいノリで行ったんだけど、行きの新幹線内で友達が寝てる間に暇でサイト見てて「ミニガイドツアー」なるもの発見。エリア毎のパスポート引換所で先着10名まででプロじゃないけどボランティアの先生達(資格あり)が解説ツアーしてくれると言う。こりゃ参加せんば!となり、友だちとパスポート引き換えた後に引換所内をウロウロ。(なんかこの人仕切ってるな…)と目を付けていた人が外に出たタイミングで一緒に出て、「では、こちらにミニガイドツアー参加希望の方並んでください」←よっしゃー!ってことで、3番4番ゲット。無事参加できました☺️※1番2番はお若いお嬢さん達が並ぶならココやろ!ってとこで先に立ってらした…察しが良い。
ミニガイドツアーの整理番号受け取って、時間までいったん自由に。
ということで、引換所から一番近い建築祭参加建物「カトリック河原町教会」へ。
私たちは細かいことは全然詳しくないし分からないんだけど、そもそもカトリック教会の中に入ることがないので入った瞬間ステンドグラス越しの光でふわ~っと白い天井が明るくなってる室内に「うわ〜」と声が出た。
カトリック教会ってもっと荘厳?っていうか重々しい?暗め?みたいなイメージ勝手に持ってたけどここは天井���壁も白くてステンドグラスが広めに取られていて明るくてきれいで見やすかった。
地下に徳川秀忠のキリシタン弾圧の頃にどうしても都である京都にマリアさんの像を持ち込みたかったけどできなくて、でも江戸時代中に持ち込んで地中に埋めてた、明治になってから掘り起こしてこちらの地下に安置したという像があり。現在大河ドラマ熱心に見ている私たち、複雑な気持ちに…。まぁ物事には多面性がありますから。どちらにもそれぞれ己の信じる正義があるのでな。うん。
ところでこの旅の最初のへんでめっちゃ面白かったどうでもいい話。
今回私たちは観光客でぎゅうぎゅうのバスは避けて主に地下鉄で移動することに。新幹線降りて地下鉄ホームで「いや〜今日このイベントあるっていうのに全然それに行くっぽい人見かけんね〜。やっぱマイノリティ文化なんやろか〜寂しい〜」的な会話をでっかい声でしてて、友だちがふっと私越しの後ろをチラ見して「(小声)いた!」→振り返ると私達と同じパンフレット(PCから出力)見てた40代後半〜50代前半くらいのおじさんが座ってましたw
おおお、いたよ!いたいた!ってことで絶対同じとこ行くわーっつって地下鉄降りたらついて行こうぜ!って言ってたんだけど、降りた瞬間そのおじさんめちゃくちゃ早歩きで😂ついていけませんでした。地面を踏みしめる力が私らの10倍ぐらい?はあったwズンズン進む感じ。あれ私らの仕事中の歩き方やん…って唖然となって諦め😂
で。その後、なんとカトリック河原町教会の地下で地中に埋められてたマリアさんの像を見学中に斜め前におじさんが居たwwwえ!?って声出たw
ただ、おじさんはパシャパシャパシャパシャっと写真をサッと撮った後にすぐ例の早歩きで去っていきました…。私たちは「いやーあの速度で今日一日回ったら全部回れるね、やばすぎる。プロやん」と言いながら見送りました。あのおじさん絶対全部回ったやろうな…すっげ。
長いけど②へ続きます
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6/6火 @高円寺無力無善寺 https://muzenji.web.fc2.com 杉並区高円寺南3-67-1
開場18時 開演18時半 千円(ドリンク付き) ・イリュージョン:謎の超能力者戸田 ・actあいうえお順 興宮咲月 終末亭落太郎 Dr.stutter ZOOZOOZ(志田しずく・チームまどんなちゃん(まどんなZ) ・さそり監督杯ラップバトル 参加: 久我寛生/SURUGA LEE 魔ゼルな はたけやま 他 ・筆談マッチング時間 参加: ゐ忌レ・ゐ忌レ友人 他 ===時間の予定=== 18:30開場 18:31~魔ゼルな規犬 18:45~謎の催眠術師戸田 19:20~終末亭落太郎 19:50~興宮咲月 20:20~ZOOZOOZ(志田しずく・チームまどんなちゃん 20:50~筆談マッチング時間 参加: ゐ忌レ 他 21:40~Dr.stutter 22:10~さそり監督杯!ラップバトル ==出演者詳細===== 「ゐ忌レ」 https://twitter.com/tatumihijikata1 http://id42.fm-p.jp/354/kmfdmno3/ ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、 自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
「 興宮咲月」 https://twitter.com/satsuki_okimiya https://www.tiktok.com/@satsuki_okimiya?lang=ja-JP 駆け出しの裏路地系シンガーソングライター。 高円寺のライブハウス、無力無善寺にて始動。 1st single 「RUBY〜爛れた情欲」制作中。
「久我寛生 / SURUGA LEE」 https://twitter.com/surugalee https://www.instagram.com/surugalee/ 新橋サイファーに6年程通っている氷結おじさんです / Trackmaker+Vocalist / 2022年2月16日の活動終了()とは / #ハム太郎水着 #15分サイファー
「ジーコ内山・さそり@魔女のマイノリティ監督さそり」 https://twitter.com/sasorikantoku 大川興業のみんなでやるネタの多くは! ジーコ内山さんが作ってました! "個人映画作家さそり監督の柴田千紘、藤田あずさ、 百恵、アラレ王、岬万泰、ぬの川まなみ、魔ゼルな規犬 出演新作『魔女のマイノリティ』 https://youtu.be/20ZvyH9bolU 新作『ブッダマン』近日���開! 鳥肌実魂のアソコ、アーバンギャルド天才馬鹿 http://amzn.to/aNLimh
「志田しずく(しーちゃん)」 https://twitter.com/pururun_shizuku 志田しずくだよ!絶対にしーちゃんってよんでね! 弾き語りと アイドルとユニット活動をしている服飾大学生だよ ・https://twitter.com/nijiiro_jam ・https://twitter.com/notgoodgirls_ 色んなライブハウスに出没するよ! 無善寺毎月第4日曜日レギュラー出演! とってもかわいいんだからねー!
「終末亭落太郎」 https://twitter.com/merry_menace UNDIE MERRY MENACE、宇和川竜太 / K殻都市 https://twitter.com/Kshellcity のgt.vo/ 東京電波クラブ https://twitter.com/denpa_kakusan /ポスダダ迷景主義(ミラジュイズム)
「チームまどんなちゃん(まどんなZ)」 https://twitter.com/nekonyanheart 多岐にわたってクリエイティブ♬なぞポップ ♬DTM♬作詞作曲♬うんちLINEスタンプ、 うんちアニメ💩邪念が多いねんサブスク配信してます! ラママでワンマンありがとうございました♡🥳✨🍒# うんち4コマ ユニット⏩ZOOZOOZ https://twitter.com/notgoodgirls_
「Dr.stutter」 https://twitter.com/doctor_stutter ドクター・スタッター 日曜音楽家。 【バンド】the nines、inibura、東京ブラジャー 【ラップ】キリシタン大名(活動停止中)
「謎の超能力者戸田」 https://twitter.com/ecoecoazarachi https://t.co/UUiLnpGBHL 謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。 催眠、気功、伝授できます 「催眠サークル人間失格」の代表。 http://blog.livedoor.jp/mesmerism99/ 有料noteあります https://note.com/todatomoya111
「はたけやま」 https://twitter.com/elbowjoe14567 土日祝日限定で音楽やります。 新しいものをつくりたい Bandcamp→ https://hatakeyama.bandcamp.com/album/destination Soundcloud(デモ置場)→ https://soundcloud.app.
「魔ゼルな規犬」 https://mazelnakiken1.wixsite.com/mazelnakiken 魔ゼルな規犬@UUcYqD04WdFKeSu は 街中での広報担当のシマウマ と 生きた超能力ドール @ndkwandsk と 広告モデルの青砥撫子 の 三名によるV系バンド あと 野生の生きた飛ぶタイプの虫 全部がメンバー (英語表記: ㎜∀Ζё∟μИÅК↑Ж∃∩)
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ポルトガル旅行は駆け足だったが、リスボンで2日間、古都コインブラで1日を過ごした充実した旅行となった。リスボンは東洋博物館で、織田時代の金屏風にポルトガル人が黒人を伴って上陸している屏風絵も拝観できた。また踏絵前に盛んに作られた漆塗りの厨子に収納されたキリストやマリアの絵も確認。聖書を置くための漆塗りと螺鈿細工の台や箱物、刀のツバや根付などのコレクションも展示してあった。キリシタン大名の物と思われる刀鍔には小さい十字架が施してあった。
永年、ポルトガルの地にいる日本の細工物を見ると、封建時代の職人技がポルトガルの地で大事にされている不思議も思ったりする。当時の職人達は、心を込めて作っただろうけれど、誰一人それが21世紀にも展示されるものとは想定もしていなかっただろう。
歴史の無い浅薄なアメリカ人達が、グローバル社会だのなんだのと大騒ぎするのに乗じて、日本の無能な自称有識者のゴリッパな方々も、グローバル社会の弊害などと、知ったかブッタのように振る舞う(ブッタって仏陀のギャグよ)。ミテラれン(ミテランって仏の元大統領のギャグよ)のだよな〜と、ワシは、思うておったが、こういう物証を16世紀に残してくれた先人達には感謝。日本の八百万の神思想には、物に付くツクモガミ思想があるが、ワシが思うに、ポルトガルに渡ったツクモガミ達は記憶を忘却した無知な現代日本人を知ると、ズッコケルだろうなぁ。あー。。。民度低い��スね〜ってなる事は必至。慚愧に耐えんが、まぁそれが、日本と日本人の八割方の人間の現状でしょうなぁ。東大におっても、文系の癖に歴史を全く知らないで平然としている方々が多くて、ワシはマジで閉口した。東大ですらそうなんだから、もう、他を考えると震えが止まらんわい。
歴史や過去を軽んじる輩は、ヤタケタはできるかもしれない。一見目立つ奴ほど、無知な奴はいない。歴史を知らないから過激な事をいとも簡単にホザけるのだ。物事を知るという事は、知れば知るほど、人を寡黙にする。東大では寡黙な先生ほど物知りだった。でも、物知りだけならGoogle先生で良いのだ。東大がアホ集団なのは、物知りであることの先が無いことにある。アレも知っとる、コレも知っとるの餓鬼的な知識コレクション展示会やっとるようなもんや。実に下らない。だから、学生も、Google先生の浅薄な事実確認を知識であると勘違いし、理論武装ではなく、知識武装してくる。実に下らん。ワシャ、もう辟易じゃ。
ワシは、そのもっと先を見たい。知識を得た先を、智慧を、intelligenceを目指す。だから、ワシは東大でもドイツでも、嫌われる。だって、智慧なんて、そんな事を考えた事すら無いような凡人どもが学術界を牛耳っとんねんから、致し方ないのじゃ。彼らは知識の安い見本市で満足できる精神の貧しき人びとであると確信した。そう。ポルトガル旅行は、ワシに色々な確信をくれた。それは、1200年代に作られた南欧最古のコインブラ大学で、Madhu伯母さんと、コインブラ大学の誇る閲覧料金を取る図書館に行って、確信できた事。知識とは、1200年代から西欧では、富と権力の象徴に過ぎず、東洋のように、実るほど頭を垂れる稲穂かな、的な清貧さに欠ける。ワシはチミ達、下らん知識収集にだけ喜びを感じる下世話な方々と、袂を分かつ時が来ている事を感じる。心の底から、東大をdespiseできる時に、ワシは東大を卒業すると思っとったが、ポルトガルがその最終ケツキックをくれた。東大を疑いつつ、東大に未練がある大半の馬さん鹿さんと、ようやく縁をキル覚悟がついたらしい。ポルトガルに渡ったツクモガミの皆さん、気付きと勇気を、ありがとう。
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久々の朝飯後ブログ。
最後の投稿がどうやら2年前だったみたい。
せっかくだし1から仕切り直しとして、改めて自分で見返すぐらいの大喜利奮闘記を書いていこうと思う。
では早速 コガトナ2020へ参加しているので、その1回目の試合について書こう。と、いってもEvernoteに記録してあるものをほとんど貼り付けるだけ。
こんにちは、ミニ・ゴールドバーグさん(vsリンダマン戦)
断片的な知識で行われ���いた江戸時代のバレンタインデーの様子
久しぶり過ぎる投稿。まともに(?)投稿するのがいつ振りかは、もはや分からず。
2つのネタを出せるようだけど…
残り6日。
難点
・江戸時代にチョコなんてない!
・バレンタインデー感をチョコ抜きで出す?
・江戸時代という時代設定もネック。
・江戸時代の特徴的なものって何だろう?
・「断片的な知識」っていうのもボケ殺しワード!
・・・全部じゃん!
あと5日で考えなきゃなのか…
[案]
・お題のこれらの要素をすべて踏まえたアプローチを取る
・バレンタインデー、あるいはチョコレートに絞ったアプローチを取り、付加する感じで江戸時代っぽさを出す
・チョコがある前提で江戸時代を表現するアプローチ
・ほぼ無視。勢いでいっちゃう。
とりあえずネタ出しをガンガンやって、感覚を取り戻さなきゃとは思うけど…
長文でふざけてお茶濁すのはしたくない。
画像も送れるみたいだけど、長文と同じようにセコいこと考えちゃいそうだから、ちゃんと文で勝負しよう。
1、
「お、美味いなこれ」
「そうでしょ、今日バレンタインデーっていう日だから作ったの」
「何ていうのこれ?」
「プリン」
(会話調。オチまでが長い。チョコじゃなくて全く違うものっていうのはいいかも)
(1日置いて見返したらオチ自体も弱い気が)
あと4日です。
2、
「ばれんたいんでー」ってタイトルのプリン持った見返り美人図が見つかった
(やっぱり弱い!)
(でもなんかこのアプローチな気がする)
3、
よく分からんが、カカ夫って奴やりおるな
(江戸時代にカカオなんてないだろうから、カカオと聞いてカカ夫と誤認識。だから何?)
4、
通貨と勘違いされて、2年ぐらいチョコが流通していた記録がある
(教科書なんかで江戸時代の通貨制度が載っていたような。金貨と同じように、混ざり物が多いチョコは質が悪いのか)
(発想は好きな気がするけど、これ以上は展開しない感じ。あと多分そこまで拾われないでしょうね)
他人のブログなどで、発想法などを見てみる。言葉から出るイメージを基に考えるという手があるようだ。多分過去にやってるはずだけど。
バレンタインデー:
・男の子も女の子もドキドキするイベント
・そわそわして落ち着かない日
・でも「選ばれない」人からすれば悲壮感MAXな日
5、
その日はモテない徳川綱吉が「マジ生類憐みの令」発令してカップルを打ち首にしてた
(マジ生類憐みの令って響きが良いかなと思ったけど、上のだと扱い切れてないか。冗長な部分があるから、もう��ょっと考え直せばいいのが出来るかな?)
(題意に沿ってない感も。やっぱり「断片的な知識でのやり取り」っていう部分がネック)
発想の起点をチョコにしよう
6、
板チョコ踏むのを戸惑ってるキリシタンも打ち首にされてた
板チョコと踏み絵の違いが分かんない役人が全国で見られた
板チョコにキリスト像彫ってるガチなキリシタン女子もいた
(踏み絵と板チョコはベタ?)
(これも表現の如何で良くなりそうだ。もうちょっと考えてみる?)
アルフォートが踏み絵に似てるけど。
7、キリスト像彫ってるやつを忍ばせたアルフォートを渡してる女がいた
(これいいかも。ちょい文を変えて候補に入れてみようか)
7^、
キリスト像がまざったアルフォートを渡す女もいた
6、7の発想を少し変えてみた。
8、
新任役人が用意したアルフォートに、「なんか違くない?」「踏んでいいやつだろそれ」と野次が飛んだ
(これが一番しっくりくる感じ。文体を整えたら候補にしよう)
★9、
用意したアルフォート、キリシタンがガンガン踏んでた
(ちょっとバカっぽくした)
あと3日!もう一個考えなきゃいけない。
ふと作っているネタの特徴が「読ませる」感じであることに気付いた。文章を読ませて、おもしろみを感じてもらう、そんな感じ。
一方で自分が点を入れるネタのことを思い浮かべると、高点を入れるものには突っ込みどころがあるものが多い気がする。
ので、そういったアプローチで作ってみよう。
今までに挙げた中だと「プリン」のやつか。
「いやいや、なんか変だよ!」と思わず言いたくなるようなネタ…
考えとこうか。
あと2日だ。
昨日なんやかんや言ってるけど、視点を変えて捉えてみる
包装紙に着目
10、
包装紙の上質さが和紙を衰退させた
(これはもう全く違うね)
11、
店で包んでくれた包装紙で折り鶴折った女の子の方が好感度が良かった
(長い)
ダメ。
ラッピングに着目
12、
ラッピングの試行錯誤で生まれたのが有田焼だった
(自分だったら2点入れるかも。割といい感じだけど、なんか弱い)
12を少し弄り回そう。
12^、
ラッピングの試行錯誤で女子が有田焼を開発してる
(これは票入れないや)
型に着目
13、
ハート型の有田焼作ってるバカがいた
(狙いは「これに溶かしたチョコ入れてハート型のチョコ!」っていうことなんだけど、「ハートの形した有田焼を渡す」ネタって思われそう)
14、
侍が鞘にチョコ流し込んでカカオソード作ってた
(カカオソード、チョコレートソード、カカオセイバー、チョコレートセイバー。全部一緒だわ。これも芽としては良い方かな?)
うーん、って感じ。
あと1日。
とりあえず1個だけ送った。
昨日の14を基に1個
15、
鞘にチョコ流し込んでバカだなと思っ��たら、中にでかい柿の種も入ってた
(これバレンタインデー関係ねえじゃん)
今度は江戸時代の要素を取り入れて。
★16、
幕府からの外様大名へのチョコ、チョコじゃなかった
(おもしろいと思うけど、文字に書き起こすと伝わりづらいかな)
(「チョコじゃなかった」の部分を少し変えてみるか、あるいは副助詞や副詞を挿入するか。でもそうなるとインパクトが弱くなりそう)
(もう一つの問題としては題意に沿ってない。やっぱこのお題難しいよ)
16に「全然」「ですら」を挿入
16^、
幕府からの外様大名へのチョコ、全然チョコじゃなかった
16^^、
幕府からの外様大名へのチョコ、チョコですらなかった
(思い浮かんだ際は「ですら〜ない」の方が良いかなと思ったけど、読んだときは「全然〜ない」の方がしっくりくる感じ)
(元のやつと比べると、16^の方がいいかな。うーん。)
(そして題意に沿ってない問題は残る、と)
「全然〜ない」か、あるいは他の表現を見出すか。
16^^^、
幕府からの外様大名へのチョコ、もはやチョコじゃなかった
・・・分かんないや。
最終日に改めて見直せば良いかな?
投稿するなら16のやつかなー?他のアプローチでもっといいのが出れば、それで勝負してみるのもありだけど。
最終日!
多分そうなるだろうなとは思ってたけど、平日の疲れでダラっとしてしまう。頭もぼんやりだし、ここから新しいのを考える気になれないや。
改めて1から作ったのを見直して、良さげなものを投稿しよう。
12、16、16^のいずれかで勝負しようか。
決まった。
9と16でいってみる。
久しぶりにネタを考えるのちょっと疲れたけど、楽しかった。あとは勝ってくれれば重畳かな。
終わり。
それで結果は勝利。個人的には16が勝負手になるかと思っていたけど、その予想は外れてしまったみたい。次戦もすぐに始まるので、またスマホでEvernoteにネタを書き溜めなくてはいけない。出来れば次も勝ちたいな。
ひとまずはこんな感じで。追記があれば、また後で書き足そう。
[追記]
投稿内容の反省について。
1、文の構造が全く一緒だった。
結果に影響が出るかは分からないけど、差別化するようにしないと見栄えはよくないかも。
2、得票数が他の試合と比べて低い。
これはまあいつも通りな気がする。元々高点たたき出すようなネタ作りなんて出来ないし。とはいえ、時間ギリギリまで試行錯誤をすればまた変わっていたのかも。
3、表現がストレート過ぎたかも。
お題の関係上「チョコレート」の単語を使うなら、もう少し爆発力のあるものを出さないと、安直な感じになってしまう。今回は両方ともそれ。とはいえ、暈かし過ぎると何が言いたいのか分からないネタになるので、難しいところ。
[最後の追記] 今回の各試合での投票者数についての代表値とグラフを載せる。
平均値:129.52(分散:29.54 標準偏差:5.45)
最頻値:134
中央値:129(第一四分位数:126 第三四分位数:134 四分位範囲:8)
最大値(最も多い投票者数):141
最小値(最も少ない投票者数):114
範囲(最大値-最小値):27
���ストグラムで見る投票者数(下図)
度数は試合数を表す。
箱ひげ図で見る投票者数(下図)
平均値と中央値がほぼ同値。
ヒストグラムでは(114以上119未満)といったような階級幅で分類したところ、(124以上129未満)と(129以上134未満)の階級で最大に。山の頂点が2つ出来て隣り合う形となった。
最大値は141で最小値は114。その差は27であった。ヒストグラムより、139人以上投票があった試合は2戦あり(投票者はそれぞれ140人と141人であった)、一方で最少投票者数の試合は114人の一つ、その他は最低119人以上が投票していることが分かった。
標準偏差がおよそ5,5であり、投票者数が124人から135人の試合は全体のおよそ64%であった。
試合によっては投票者が多い、あるいは少ないことが勝敗に影響を及ぼしたかもしれない。自分の試合について考えると、投票者数は122であり、これは全試合での投票者数でも下から数えて25%以内に入る。となると、他の試合に比べて投票者は少なく、また今回僅差で勝っていたので、もし仮に投票者があと5人多ければ、結果は違っていたのかもしれない。 結論:まぐれで勝ったのかも(がっかり)
以上!あれこれ書いて長くなっちゃった!
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キリスト級の歴史 長崎
長崎のキリスト教の歴史は、日本におけるキリスト教伝来の中心的な地域として知られています。以下に、長崎のキリスト教の歴史を要約します。 1. キリスト教の伝来: 16世紀半ば、ポルトガル商人たちと共にキリスト教宣教師が長崎に到来しました。フランシスコ・ザビエルなどの宣教師が活動し、日本人にキリスト教を布教しました。長崎は当時、外国船が入港する国際的な港であり、キリスト教が伝わりやすい環境でした。 2. キリスト教信仰の根付き: 長崎では、キリスト教が急速に広まりました。多くの人々が洗礼を受け、キリスト教の信仰を受け入れました。当時の大名や有力者たちもキリスト教に関心を示し、信仰の支持を行ったことで、キリスト教は比較的広く受け入れられました。 3. 宗教弾圧と隠れキリシタン: 17世紀初頭に、徳川家康の時代にキリスト教は徹底的に弾圧されました。キリスト教は禁止され、信仰を捨てないことは重い罰を受けることとなりました。多くの信者は隠れキリシタンとして信仰を秘密裏に続けました。長崎や周辺の地域には、隠れキリシタンが多く存在しました。 4. キリスト教の再興: 19世紀になると、キリスト教が再び復活し始めました。長崎の大浦天主堂など、多くの教会が建てられました。明治時代以降、キリスト教は公然と信仰されるようになり、現在では長崎は日本におけるキリスト教の中心地の一つとなっています。
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christian history Nagasaki
The history of Christianity in Nagasaki is known as the central region for the introduction of Christianity to Japan. The history of Christianity in Nagasaki is summarized below. 1. The introduction of Christianity: In the mid-16th century, Christian missionaries arrived in Nagasaki along with Portuguese merchants. Missionaries such as Francis Xavier were active and spread Christianity to the Japanese people. At that time, Nagasaki was an international port where foreign ships entered, making it an environment where Christianity was easy to spread. 2. The roots of Christian faith: Christianity spread rapidly in Nagasaki. Many people were baptized and accepted the Christian faith. The daimyo and influential people of the time also showed interest in Christianity and supported the faith, making Christianity relatively widely accepted. 3. Religious oppression and hidden Christians: In the early 17th century, Christianity was severely suppressed during the reign of Tokugawa Ieyasu. Christianity was banned, and those who did not renounce their faith were subject to severe punishment. Many believers continued their faith in secret as Hidden Christians. There were many hidden Christians in Nagasaki and the surrounding areas. 4. Revival of Christianity: In the 19th century, Christianity began to make a comeback. Many churches were built, including Oura Cathedral in Nagasaki. Since the Meiji period, Christianity has become an openly practiced religion, and today Nagasaki is one of the centers of Christianity in Japan.
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古代グローバル経済世界
昨年の記事。 帝政ローマ時代に属領であった古代エジプト遺跡から、仏像が出土; https://karapaia.com/archives/52322638.html
最初「えっ!?」となった。 確かに、落ち着いてヘレニズム文化のことを想起すれば、ありえる話。
だが、問題はそこではない。
紀元後1世紀ということは、イエス・キリストが存命中だった時期。 つまりイエス自身が仏教徒と出会った可能性が、無きにもあらず。 あるいは古代キリスト教徒が仏教徒と出会った可能性も、あろう。 キリシタンと仏徒とで、お互い影響を与えあったやもしれぬ。
記事にもある通り古代世界とは、私たちが想像していた以上にグローバル経済社会だったのだ。 異文化異民族異教徒たちが行き交い、交易し、情報や芸術や概念すらをもやり取りしていたのだ。
「ミリンダ王の問い」という仏典がある。 ギリシャの北、小国マケドニアから王アレクサンドロスが台頭し、当時世界最大の超大国であり世界帝国ですらあったアケメネス朝ペルシャへ遠征、その頂点に君臨せし君主ダレイオス三世を打倒、そのまま東征しインダス河畔にまで版図を広げた、そのあとのこと。
そこにおびただしい数のギリシャ人が入植。かくして、数々のギリシャ人国家が古代インド世界に誕生するという、今では想像もつかない事態に。 彼の地の人々はギリシャからインドに至る欧亜の諸言語をあやつり、時には野蛮人を意味するギリシャ語「バルバロイ」を逆にギリシャ人に対して使うという、中華思想ぶり笑。 それくらい文化が開花した欧亜ハイブリッド国家群となった。
その中の一国、アフガンからパキスタンを経てインド北西部にまで勢力を広げていたのは、その名もグレコ・バクトリア王国。
その王、ミリンダ。彼もまた多言語を自在にあやつり、知識人であったところ、その領地にて一人の仏僧と出会った。 ミリンダ王はギリシャ系らしく、合理的論理的な議論の数々を仏僧にぶつけるも、僧はことごとく仏教ロジックでもって明解に回答。 すっかり感服したミリンダ王は、最後には仏教徒になったという。 そしてこの史実と問答とが記録されたのが、仏典の一つ「ミリンダ王の問い」であった。
ギリシャ人が仏教に帰依するという、愉快なる古代事件。
異文化異民族異教徒たちが入り乱れ香り高き文化の華咲き誇る、古代グローバル経済世界。
人類は、常に好奇心でもって未知の土地へと向かう。 あの山の向こうには何があるのだろう? あの島には何があるのだろう? そうやって人類は好奇心に駆動されるがままに拡散し、ついには宇宙の挑戦を受けて立った。 そして異なる人々と出会い、さまざまな軋轢に苦しみながらも、それでも尚、異なる人々こそはみずからの限界を突破してくれる鍵なのだと知って、多様性に賭けた。弱肉強食に任せない福祉とは、多様性を担保するために人類が編み出した生存の知恵と工夫である。
時には戦もあった古代世界。未だ文明の幼少期と思われていた紀元前後の古代世界において、それでもすでに古代なりのグローバル世界が、多様性を誇る世界経済空間が、ごくごく自然に当たり前に生まれていたのであった。
そのことを思えば、昨今の国際情勢のなんとみみっちぃことかと。 お前ら一体なにしとんねんと、独裁者どもに申し上げたい。
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熊本 天草でひとり旅 海の幸と野生のイルカ 世界遺産 を巡る まとめ | Solo Travel Kyushu,Japan.
この旅動画は天草へカメラを片手にひとり旅 。撮影旅行をしてきた時のまとめ 動画です。熊本 天草は「潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に。天草四郎が有名なこの天草の地で豊富な海の幸を堪能しつつ、美しい景観を求めて旅した旅行記です。旅のドラマティックな思い出をお楽しみください! ▽行った場所天草 パールガーデン&海中水族館シードーナツhttp://amakusapearl.com/sea/https://maps.app.goo.gl/vMCTNYsvzGkMExg88 大江戸温泉物語 天草 ホテル亀屋 https://a.r10.to/huXOzfhttps://maps.app.goo.gl/rhsfXpMGNUo6NVBG9 天草 四郎ミュージアムhttps://www.t-island.jp/spot/137 世界遺産…
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こちらも異形仏像ですが、
大分県でよく見られる、岩肌を彫刻し巨大な仏像を表現する「磨崖仏」の手法ですので、「磨崖神」といったところでしょうか
普通に結構な山の中にあって、観光レベルの装備でしかないチヨハは、しかも悪いことに雨まで降り出した中、でもどうしても見たくて必死で登山しました
山の中に急に洞窟が現れ、この2メートルほどある正体不明の憤怒相の磨崖仏と対峙すると、正直ギョッとするんですが、でも生で見れて満足です
この磨崖仏はもう全然正体不明らしいのですが、憤怒相から見るに明王のていなのでしょうか
でも翼らしきものがありますしおそらく隠しキリシタン信仰だろうということです
チヨハ的には三角の鼻も気になりますね
キリスト教において三角は「三位一体」のシンボルですので
日本における潜伏キリシタンはしばしば十字や丸(マリアのシンボル)といった記号的なものに落とし込んで日々の礼拝を行うということを行なっていました
この磨崖仏も実は鼻の三角こそが信仰対象だったのかもしれません
この像自体の正体ということなら、
チヨハはミカエルなんじゃないかなーと思います
キリスト教では各国に「守護聖人」を当てるということをします
現在日本の守護聖人はかの有名なフランシスコ=ザビエルですが、
以前はミカエルが当てられていました
(ご存知の通りミカエルは天使ですが、聖人扱いもされることがあるらしいです)
またミカエルは甲冑を纏い天使の軍勢を率いて悪魔と戦うイメージから、魔除けや軍事方面の守護天使として信仰されて、西洋では塔や山の上に像が建てられたりします
この情報を日本人解釈したら明王風のこの摩崖仏が生まれそうじゃないです?
竹田市には他にも西洋風の甲冑を纏い翼を持った「籠目権現」という異形仏もいるそうなんですが、これまた険しい場所にいらっしゃるらしく今回は断念……いや最初は行くつもりだったんですよ???
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九州で有馬氏と言えば、 龍造寺(りゅうぞうじ)氏と肥前の覇権を争ったキリシタン大名の有馬義貞(ありま よしさだ)や晴信(はるのぶ)が思い浮かびますが、 久留米藩の有馬氏は摂津国(大阪府)の豪族で、出自も全く別です。 早くから豊臣秀吉に従って功を成した有馬豊氏(とようじ)が、関ヶ原の合戦や大坂の陣で徳川に味方して加増を受け、最終的に久留米に21万石の大名となりました。 島原の乱が発生したときには日向延岡には有馬晴信の子直純(なおずみ)がおり、 両有馬氏ともに出陣しています。
第241回 九州に両有馬氏並び立つ|綱渡鳥@目指せ学芸員2.0
有馬 頼寧(ありま よりやす1884年 - 1957年)は、久留米藩主・有馬家の第15代当主で伯爵。農林大臣などを歴任。戦後日本中央競馬会第2代理事長として競馬界の発展に尽力、日本中央競馬会にて行われるGⅠ競走「有馬記念」の名前は有馬頼寧に由来する。
晴信の子孫は、 江戸時代には越前国丸岡藩主家、明治維新後には華族の子爵家となった[1]。
丸岡は現在は福井県北部の坂井市(さかいし)。
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“※学校における歴史教育のナゾの一つに、「幕府によるキリスト教禁教」がある。 例えば幕府軍1,900名、キリシタン側27,000名という日本最大の宗教戦争「島原の乱」は、常に幕府対キリシタン的視点から解説される傾向があるが、この当時のプロテスタント国家オランダはすでに明確に幕府支援を打ち出しており、この戦いは幕府による「キリスト教弾圧」の側面を強調し過ぎ、本質的な部分でカトリック対プロテスタントの代理戦争的な性格が強かったという歴史的事実をほとんど教えていない。これも不思議である。”
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“TRONマニア”藤井講師のブログ
ザビエルはカトリック。
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雑 詠
花鳥誌 令和5年9月号
雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
尖塔へ蔓伸びるなり聖五月 天野 かおり
キリスト教の呼称。尖塔は教会のものだろう。その歴史は過去に迫害のものもあったろう。今はそれを鎮めるように蔦が絡んでをる。しかしこの時期こそ若葉の美しい時。隠れキリシタンの里へ行った事を思い出した。
左手に聖書持ちかへ虹を待つ 天野 かおり
「右手のやることを左手に知らせてはならぬ」と聖書にあるらしい。それとは別に「神の左手」という説もある。どうやら善をする手が左手らしい。神聖な気持で虹を待つということなのだろう。虹とは希望の産物。だからこその深淵な句と見た。
はつなつへ父の書棚を開きけり 天野 かおり
これは亡くなった父上の書斎とも。この夏を迎えた書斎へ新鮮な風を取り込む。蔵書のひとつひとつに思い出が詰まっている。書棚の本ひとつひとつが父の遺産、そして思い出。
開発に揺れたる森の落し文 伊藤 ひとみ
現今の日本の開発は今だ続いている。ブルドーザーは今だ神聖なる森を崩す。そしてそこにある梢の落し文も蹂躙される。はたしてその神聖な虫の命は誰が守ってくれるのか。
ざわざわと黴雨の来たる人との間 伊藤 ひとみ
黴雨なのだから梅雨のじめじめとした長雨。それはざわざわと人との間に侵入する。そしてそれは人をジメジメさせる。人とのその雨の距離こそが天敵なのかも。
無住寺の衛兵蠛蠓の襲ふ 伊藤 ひとみ
この衛兵は蠛蠓ではないか。人を襲う蠛蠓はむろん現実のもの。荒れ果てた寺の墓地と墓石を思えば殺伐とした風景がやりきれない。しかし切ない。
夏蝶のたはむれ城主墓に罅 四宮 慶月
この城主の墓もまたかなりの年月を経た物。罅がはいるとは数百年を数えるか。そこに現今の艶やかな夏蝶が舞う。戯れとはこに擬人化を見る。城主と因縁のある女人のものだろうか。
七変化して観音を惑はせり 四宮 慶月
七変化とはかくもうまく付けた名。観音はもとより煌びやかなのだがそれさえ惑わす。青緑赤白のすべてを含むこの花の化身はまた見事に変化する。
黒南風や甲冑光る団子虫 田丸 千種
黒南風のころはこれから夏に入ってゆく。そこの土中には甲冑を光らせる団子虫が潜む。それを撫でて行く湿った風はむしろ生命体たちの渇望なのでもある。
壮年の亀か青葉の沼泳ぐ
壮年という言葉に踊らされた。この愉快さはしかし写実的。苔さえ生えている亀の黒ずんだ甲羅。それと青葉のコントラストは絵画の世界。
ひとりづつみんな蛍になりしかな 尾田 美智子
これは意味深。一人ずつとは死に行く人たちのことか。みんな蛍になって夜を光る。
もろもろの鳥遊ばせて樟茂る 松本 洋子
楠木の巨大さが出ている。あらゆる鳥がここに飛来し遊ぶ。祖父のような懐を持つから。
自転車にボード括りて夏に入る 海老澤 由希子
このボードとはサーフィンのボード。湘南でよく見かけた。私もサーファーだったから。
一族の潰えし郷の緑雨かな 渡辺 美穂
この悲惨さはしかしこの雨で癒やされる。そして由緒ある一族は今は絶えたきり。
久々の江戸の匂ひや祭髪 宮崎 悠紀子
久々というのはコロナ後という祭りか。やっと祭りと江戸人が戻ってきた喜び。
少年の激情めくやラムネ噴く 松村 健一郎
ラムネを慌てると噴く。少年はだから激情を持った生命体。これは未来志向の句。
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