#ガラパゴス化
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solobizjourney · 3 months ago
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リスクを恐れず挑戦する者たちが集うバー「Lisktaker」において、28歳の佐藤美咲が予期せぬ入会試験を受け、リスクテイクをテーマに語り合う常連たちと出会います。彼らは転職、起業、海外経験など、リスクを取ることで得た成長や未来へのビジョンを共有。美咲もその姿勢に感化され、自分も挑戦してみようと決意します。日本社会の未来を変えるリスクスキ族が、今、新たな波を起こそうとしています。
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yassangsxr · 7 months ago
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世界で「YOASOBI現象」第2次ジャポニスム時代が到来 世間で揶揄のガラパゴス文化こそ日本の経済的武器に [6/10] [仮面ウニダー★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1717988852/
6 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん 2024/06/10(月) 12:10:13.04 ID:YAKpQubv
ガラパゴスってのは独自の進化って意味だからな、マスゴミは悪い意味を浸透させたいらしいがw
9 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん sage 2024/06/10(月) 12:13:25.02 ID:LpnnEJnJ
ガラパゴス=他所には無いだからなw
ま、すぐに劣等種がコピー始めるんだろうがなw
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ogawa-xd · 2 years ago
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■サピエンス全史
もうかなり熟読しているが、少し時間ができたのでもう一度、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」読み返す。至福だなぁ。
第一部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種
135億年前「物理学」という物語りが始まり、38億年前「生物学」という物語りがはじまった。
7万年前、〈認知革命〉とともに歴史学がはじまった。そして1万2千年前に〈農業革命〉があり、500年前〈科学革命〉が起きた。
サピエンスは、人類のなかで唯一生き延びた種。ネコ科ヒョウ属にはヒョウもライオンもトラもいるが、人類種にはサピエンスしかいない。なぜか?
3万年前に近隣のネアンデルタール人が滅んだ具体的な理由は断定できない。しかし殺戮にせよ自然的淘汰にせよ、サピエンスの存在が関与していたことはまちがいがない。
その競争にサピエンスが勝ち残ったのは、「言語」によるものだ。
第2章 虚構が協力を可能にした
7万年ほど前に、サピエンスはその「内部構造」を変化させた。見かけこそ変わらないが、それ以降のサピエンスは認知能力(学習、記憶、意思疎通の能力)で格段に優れていた。
それ以前にアフリカを出たサピエンスはどれも成功しなかったが、それ以降の遠征は成功し、南極をのぞく世界中へくまなく進出した。
この「言葉」によるドラスティックな変革を〈認知革命〉と呼ぶ。聖書の創世記「知恵の木の実」を思わせる「言葉の獲得」だが、それ自体はたまたまサピエンスに起きた偶然の結果だった。
この認知革命が、世界の大変革につながるが、それは言葉のどんな効果によるのか。
• 存在しないものについての情報を伝達する能力
• たとえば伝説や神話、神々、宗教
• 総じて虚構、すなわち架空の事物について語る能力
実際には「虚構」は判断を誤らせる危険なものだ。だが、集団で嘘を信じることは、かぎりない力の元となった。鋭い牙や爪を持ったり、走力や筋力で勝ることより、桁違いに強大だ。
われわれはほとんど意識しないが、国もお金も人権も法律も会社も、みな虚構、擬制である。歴史の大半はどうやって膨大な数の人を納得させ、信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。
第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
サピエンス20万年の歴史の19万年分、つまり95パーセントは狩猟採集のという生活形態だった。認知革命は狩猟採集の時代に起きている。
文字ももちろんなく、詳しいことはほとんどわからないが、ある程度たしかなことをあげれば、
• 農耕以前は「石器」の時代というより「木器」の時代
• 彼らは毎月毎週、あるいは毎日すべての持ち物を手で持って移動していたので、運べるのは本当に必要な所持品だけ
• 精神的、宗教的、情緒的生活は、器物や道具といった人工物の助けなしでおこなわれた
• 狩猟採集社会のもっとも大きな特徴は「多様性」
• 「群れ」と成員は一つの例外「犬」をのぞいて、すべて人だった、つまり家畜もない
• 平均的な人は、自集団以外の人を見かけたり声を聞いたりすることなく何ヶ月も過ごした。一生を通じて出会う人はせいぜい数百人程度。
• つまりサピエンスは広大な範囲にまばらに分布していた。
• 「狩猟採集」というが、一般的な「狩りをする人」のイメージよりも「採集」がメインだった
• 狩猟採集には多大な「脳」力と技能が必要で、個人レベルで見れば、その頃のサピエンスが史上もっとも秀でていた
• 一般に背が高く健康的だったが、平均寿命は30〜40歳。それは子供の死亡率が高いせいで、60からときに80歳まで生きる人もいた
• その理由は食物の多様性、感染症の少なさなど
• 感染症は農耕社会以降の家畜は由来のものが多く、そもそも人同士の距離ががまばらで感染・伝播の機会がほとんどない
• とはいえ、きびしく、情け容赦のない、欠乏と苦難の社会ではあった
最後に、狩猟採集時代のサピエンスが、平和主義者だったか好戦的な種族だったのかは興味がつきない。対サピエンス同士、対他の人類間、どちらの相手にも、平和的な好戦的か断定はできない。好戦的な部族もあったかもしれないし平和的な部族もあったのだろう。と��かく多様であった。
第4章 史上最も危険な種
しかし、餌の対象となる他の動物たちにとって、危険極まりない存在であった。
オーストラリアの例
• 4万5千年前のオーストラリアへの進出は、屈指のできごとだった。コロンブスのアメリカ発見、アポロ11号の月面着陸に匹敵する。
• それ以前にオーストラリアへ到達した人類はいなかった。
• それはサピエンスが特定の陸塊で食物連鎖の頂点に立った瞬間だった。
• 大型カンガルー、フクロライオン、大コアラ、大サイズの鳥、ディプロトドン(象サイズのウォンバット)などすべて姿を消した。
南北アメリカの例
• 最後の氷河期は、7万5千年前から1万5千年前にかけて。7万年前と2万年前の二度のピークがあった。
• 1万6千年前、サピエンスはシベリアから凍結したベーリング海を超えてアラスカをとおりはじめてアメリカ大陸へ渡った。
• それ以前にアメリカ大陸へ渡った人類はいなかった。
• アメリカに到達からわずか1000年から2000年の間に大きなげっ歯類、馬、ラクダ、巨大アメリカライオン、サーベルタイガー、象より大きなオオナマケモノなどを駆逐しながら南米南端に達する。
• この騒ぎからただ一つ無傷だったのがガラパゴス諸島。
そして第二部の農業革命に続く。
余談だが、訳者の柴田裕之(しばたやすし)氏は、自分の愛読書の主要なところで顔を出す。
• 「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「ホモデウス」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「神々の沈黙」ジュリアン・ジェインズ
• 「ユーザーイリュージョン」トール・ノーレットランダージュ
柴田さんが訳しているのなら、読む価値があるかな、などとも思う。
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flamingo-rex · 17 days ago
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2024.12.24
クリスマス🎄って事で
Cat ch.22のBGMをクリスマスソングにセレクト
そもそもクリスチャンでもない日本人が
クリスマスってのをイベント化して、
セレブレイトしてるのは本質からは
遠く離れてるのだろうし、ハロウィンにしても
同様に、日本って国は、あらゆるものも取り入れて
ガラパゴス化させて行く民族なのだろう
本来、クリスマスってのは、
クリスト(キリスト)マス(ミサ)の事で
クリスマスソングは、讃美歌が基本なのだけど
我が国独自の解釈でクリスマスビジネスも発展して
ハッピーなクリスマス、失恋、寂しいクリスマス…
恋人がサンタクロースだったり、様々。
これは歌詞の内容が、そうであって
曲調はバラバラ。讃美歌に基づいてる楽曲は
無いに等しいしね。
そんな考察も面白いが、結局集まったのは
80'年代、90'年代の洋楽ハードロックが好きな
連中ばかりだったので、結果…
クリスマスソングの演出も意味の無い
いつも通りなロックなBAR
ま、ターキーはバーボンしか無いし
ツリー🎄を飾ってる訳でも無い。
かと言って、門松🎍を飾る訳でも無い
故に、何故か?と聞かれたら
Music Surf Bar?だから!と答える様にする
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kennak · 5 months ago
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言語を学ぶ事は文化を学ぶ事なので、それをする気がない人は実際問題として問題行動をする可能性が高い。特に日本は島国で文化がガラパゴスなので、その面ではドイツより深刻な問題
[B! ドイツ] ドイツの住民局行ったら受付機に珍しく英語ボタンがあったので押してみたらドイツの厳しさを痛感させられた→「見習うべきか?移民先進国」
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leomacgivena · 10 months ago
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日本の幸福にして不幸な点は国内市場が1億人ちょっとと割と大きいことだな。国内で大手になれば外資の侵入を防いでガラパゴス化するだけの力はつく。しかし市場が縮小し出した時に防壁は一気に崩れる。Netflixは日本のマスゴミを叩き潰してくれ。
れめ@ラグコスさんはTwitterを使っています
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kurano · 7 months ago
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 日本国内における「過疎」と「過密」の概念がいかに特殊かを、前回の寄稿で紹介した可住地(林野や湖沼を除いた土地)1平方キロあたりの人口密度を使って示そう。
 日本のこの数字は1000人超で、都市国家や島しょ国家を除いた国の中では、バングラデシュ、韓国に次いで世界3位だ。4位のインドや、5位で欧州トップのオランダは600人前後で、日本では過疎県の代表とみなされる鳥取県や高知県と同水準である。過疎地の人口が今後さらに半減したとしても、世界の中では普通以上の密度のままなのである。
 反対にこの数字が1万人に迫る東京都は、世界に冠たる超高密度人口集積地だ。その異常な密度にスポイルされ(甘やかされ)、過疎地からの撤退を考えるのは、実はガラパゴス的な発想だ。世界市場にうまく進出している企業は、過疎地でももうけている。過疎地で行政サービスが成り立たないなら、世界のほとんどで成り立たない。
 3人や4人の子を持つ家庭が普通に存在しない限り、合計特殊出生率は2には近づかないが、東京では家が狭くて難しい。そんな場所に若者を集めれば、日本全体が人口減少になる。筆者が2014年に、「東京ブラックホール」と名付けて警鐘を鳴らした事態だ。それでも東京集中を反省しない企業や諸団体も、いずれ首都圏に襲来する烈震や大規模水害の際には破格の打撃を受ける。
 「過疎地には未来がない」のではなく、東京の超高密度を善とする日本にこそ未来がないのだ。
行政サービスも過剰なのだと思う。水道は簡易水道でいいし、下水は合併処理浄化槽で良い。さすがに電気は難しいけど地産地消を目指すのが良い。消防警察は置いておいて、医療が難しい。普段の健康管理はリモートで、何かあった場合の搬送体制の充実だろうか。
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imwatashi · 9 months ago
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2024.04.21
記憶力の低下が著しいのでしっかり何があったのかを残しておきたいなと思う。昨日はSixTONES東京ドーム公演に行ってきた。最近は忙しすぎて何かを推すという概念を忘れてたし、来週からの出張準備もできないじゃん!とか思って行くモチベは高くなかったけれど、それでも「行かない」という選択肢が絶対に出てこなかったのはチケット代を払っちゃってるから、っていうのもあるけど何よりも行けば楽しいっていうのがわかりきってるからだし、実際めちゃめちゃに楽しかった。行けば盛り上がれてストレス発散できるし、赤の他人なのに寄り添ってくれているような気がして勝手に救われたりもする。日常生活に鋏をいれてくれる大事な瞬間だ。現実逃避でしかないのかもしれないけれど、そうやって一杯一杯な毎日から少し目を逸らして一息をつく心地よさを教えてくれる。一息つくことが許されている、経済的にもそれができる自分であることが幸せだなと思うし、周りへの感謝も湧いてくる。
日本のカルチャーやエンタメはガラパゴス化しているって言われたり、日本ってだけで特異なアニメカルチャーとして捉えられたりすることも多い、韓国にはエンタメでも音楽でもクオリティが惨敗していると言われることも多い、実際にME:IのMネットとか見ているとその意味がわかるなぁと思ってしまうこともある、でも少なくともその一辺倒な考えだけで彼らをみくびることはしたくないと強く思った。たった6人で五万五千人の人を集める、あまりにも高くまで続く座席を見て、揺れるペンライトの多さとその激しく揺れるさまを見て、彼らは間違いなく選ばれた人たちなんだなぁと改めて感じた。
アルバム買わずにライブに挑んだけど楽しかったから買おうと思う。来週から中国なのでYouTube見れないのだけど、こんなにもSixTONES摂取したくなっているのにYouTube見れないのは結構不安だ。
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monogusadictionary · 2 years ago
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左翼の人たちの煽りって戦後一貫して変わっていないんだなあ、と思う。頭がガラパゴス化しているというか。頭が悪いというより、都合の悪いものは頭が受け付けないんだと思う。戦争を仕掛けてきそうなのは中国、北朝鮮。実際に侵略しているのはロシアです。
https://twitter.com/saigusagentaro/status/1627129391414382594?s=46&t=i_ycMvkihjqiWY_SV0EBoA
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hitujijp · 3 days ago
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TPPぐらいで十分
正直に述べるが、特に古典の影響も有り、文化的背景からオレはアメリカよりも中国の方を重用している。電子部品や小物の購入は敷居の低くなった中国通販で済ませる事も多くなった。
また、実態としてはアメリカも保守化の傾向が近年強まり、特に一部キリスト教系の影響力の強い理論やイスラエルとの関係は、日本人からすると隔たりが大きい。多様性の観点から後退する動きも見られ、一歩引いた立場から観察していると民主主義国家というよりは権威主義国家に近い形態に向かおうとしている様にさえ感じ、威光に陰りが見える。
何事にも栄枯盛衰が有り、アメリカの民主主義が腐敗の段階に足を踏み入れる段階に至った時、他のどこかの国の掲げる正義ではなく、自らの正義を信じねばならない段階が来る。その点、ガラパゴス化の傾向の持ちやすい日本の立地は案外価値有るもので、一度取り入れられた習慣は良いものなら改良やアレンジが組み入れられ、しぶとく生き残るかもしれない。
ガラパゴス化にはガラパゴス化の長所が有り、わざわざ獰猛な虎や猛禽の真似をする流行の追随が進歩だとは限らない。もしこの島特有の魔改造を遂げた民主主義が、絶滅危惧種的に存在する未来が有るとしたら、それも価値の一つと言えるのではないか?
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respect-love33 · 4 days ago
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「チャールズ・ダーウィン」の豆知識と面白い名言で知識を深めよう
### チャールズ・ダーウィンに関する楽しい豆知識 チャールズ・ダーウィンは、自身の進化論を発表する際に、非常にユニークな方法で研究を進めました。彼は「ビーグル号」に乗って5年間の航海に出たのですが、その旅の際に収集した生物や化石の標本は、進化論を構築する上で非常に重要な手がかりとなりました。特に、ガラパゴス諸島での観察は、彼の考えに大きな影響を与えたとされています。驚くことに、彼はこの旅の最中に毎日のようにメモを取り、観察を続けていたため、膨大な量のデータを持ち帰ることができました! また、ダーウィンは非常に内向的な性格で、社交の場が苦手でした。しかし、彼の妻エマは社交的であり、彼女が彼を助けることで、ダーウィンは多くの人々と交流することができたのです。エマの存在は、ダーウィンの研究や人生において大きな支えとなりました。 ###…
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solobizjourney · 4 months ago
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こんばんは!
最近若い人達のパスポート取得率が低下している、さらに海外に行く気持ちもないというニュースを見ました。
わたしはカナダ、アメリカ合計6年滞在していたので、外から日本を見る機会がありました。
その経験が今の私を形作っているといっても過言ではありません。 円安や日本で十分幸せという気持ちもわからないでもありませんが、本当にもったいないと思います。
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moko1590m · 9 days ago
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ルーマニアの生きた岩「トロヴァント」、成長して動き、時に繁殖する
著者パルモ 公開:2025-01-01・更新:2025-01-01
 自然界にはまだ多くの驚きが隠されている。ルーマニアの一部地域にしか存在しない「トロヴァントの石」は、球根状の石なのに生物のように成長し、動く。さらには子供が生まれ、それが独立して成長することさえあるのだ。
 まさに伝説と科学が交錯する不思議な存在である。
広告の下に記事が続いています
 地質学的にはこの現象をある程度説明できるものの、まだ完全な解明には至っていない。ここではトロヴァントの神秘の魅力に迫ってみよう。
生きた石「トロヴァント」とは?  ルーマニアに存在するトロヴァントは、直径数ミリから最大で約4.5mに達することもある。重さも、数gの小さなものから数トンの巨大なものまでさまざまだ。
 トロヴァントはたいていなめらかでとがった部分の無い形をしていることが多いが、円筒状のものもあれば、多くの節を持っているもの、球状のものもある。
 この岩が初めて注目されたのは18世紀のことだ。
 かつては恐竜の卵、植物の化石、あるいは宇宙から来た生命体のカプセル、などと推測されたこともある。
 地質学者らは、これらの岩は、約530万年前の中期中新世の地殻変動によって形成されたと推測している。
 周辺の砂層には貝類や巻貝の化石が見つかることから、この地域がかつて海洋環境だった可能性が高いそうだ。
 “トロヴァント”(トロヴァンティ)という名前は博物学者のマゴチ氏の「第三紀のオルテニア」という著作物の中で名づけられ紹介された。
この画像を大きなサイズで見る トロヴァントの石 Photo by:iStock トロヴァントはいつ、どのように形成されたのか?  トロヴァントは、石灰岩、炭酸カルシウム、セメントによって結合された砂粒または砂岩の堆積から形成されている。
 石が存在する砂岩層は、川によって運ばれた物質が連続的に堆積した古代の水生環境を暗示している。
 トロヴァントは葉、貝殻、骨、または化石などを核として、その周囲に集まった水から鉱物が析出(沈殿)して形成されることが多い
 実際、トロバントの中に二枚貝や腹足類の化石が隠れているのが見つかることもある。
トロヴァントの石は成長し、増殖する  疑問なのはなぜ石なのに成長するかという点だ。
 それには炭酸カルシウムを多く含んだ水が重要な要素となっている。トロヴァントは激しい降雨の後に、雨のミネラルを吸収する。
 雨水に含まれるミネラルが岩内の化学成分と反応し、内部に圧力が生じて岩が徐々に大きくなる。成長速度は約1,000年で4〜5cm程度と非常にゆっくりだ。
 固まる成分が不規則に分泌するため、トロヴァントはこのような一貫性の無い形で成長していく。
 さらに、トロヴァント岩は「繁殖」するとも言われている。新たな小さな岩の塊が元の岩から分離し、まるで子供を出産したように見えるのだ。
この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock 移動することもできる  トロヴァントは成長し、時に繁殖(増殖)する能力があるだけではない。なんと場所を移動する事もできるという。
 一部の人々は、トロヴァントが「歩く」のを見たと主張している。「動く石」と同様に、トロヴァント岩も地面を横切るように見えることがあるという。
 ある研究者は2週間にわたって観察し、わずか2.5mm動いたと報告した。科学界では懐疑的な見方が多ものの、土壌の加熱や冷却によって石が動く可能性を否定していない。
 さらに、根のように伸びた部分をもっているものや、石を切ってみると年輪があるものもある。これらの独自の特徴を持つ理由を科学者はまだ見つけていない。
トロヴァント岩は、ほとんどがルーマニアのヴルチャ県に集中している。
 特にコステシュティ村やその近隣の砂採掘場で見られる。2004年には「トロヴァント博物館自然保護区」が設立され、現在はユネスコの保護対象となっている。
google mapで見る コステスティ村
 植物と岩石の特徴を兼ね合わせているので、トロヴァントを生物とみなすか、無生物とみなすかはわからないが、神秘的で興味深い石だ。
 しかし生きている��どうかに関わらず、これらの石は見ても触っても使っても面白い。墓石の材料としても人気があるそうで、地元の人々はこの石をおみやげ作りに使っているそうだ。
References: Trovants Are Stones That Seem to Grow, Move and Reproduce | HowStuffWorks / Science Focus / Trovants - The Mysterious Growing Stones of Romania
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デスバレーの動く石の謎、ついに解明か?
(ルーマニアの生きた岩「トロヴァント」、成長して動き、時に繁殖する|カラパイアから)
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zo-sunz · 10 days ago
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日本のTV・大手ジャーナリズムの多くはジャーナリズムではなく、政府権力者の官報(PR)である。
「官報複合体──権力と一体化するメディアの正体」
プロローグ ジョージ・オーウェルの名言
「権力が報じてほしくないと思うことを報じる」
 イギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に発表した風刺SF小説『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)。その中で描かれる世界は厳しい監視社会であり、「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者が支配する全体主義社会である。
 このような世界で唯一の光明ともなるのが「健全な民主主義に欠かせない」と言われるジャーナリズムである。だからこそオーウェルの名言が生まれたのだろう。
〈権力が報じてほしくないことを報じるのがジャーナリズム。それ以外はすべてPR(Journalism is printing what someone else does not want printed; everything else is public relations)〉
 これに照らし合わせて「われわれは本物のジャーナリズムをやっている」と胸を張れるマスコミ人はどれだけいるだろうか。
 2011年の東日本大震災時にはいわゆる「発表報道」が横行した。権力側が発信する情報をそのまま垂れ流すジャーナリズムである。米環境専門誌エクストラ!は「福島原発事故の報道はあまりにもお粗末。日本政府が『直ちに健康に影響はない』と説明すると、記者はそれをオウム返しに報じているだけ」と報じた。
 新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた2020年にはマスコミと権力の癒着を象徴するスキャンダルが表面化した。緊急事態宣言中にマスコミ関係者3人が検察ナンバー2と一緒に密室に閉じこもり、長時間にわたって賭けマージャンをしていたのだ。これ���は権力のチェックではなく権力との一体化ではないか、との声が出た。
官報複合体と軍産複合体
 本書のタイトルに「官報複合体」を選んだのは、日本の官僚機構と報道機関が実質的に複合体を形成しているのではないかとの認識からだ。アメリカの軍隊と軍需産業の結び付きを示す「軍産複合体」をもじった表現である。
 個々の記者の次元では「世の中のために働いている」と信じている人は多い。「会社のために」と思っている人もいるだろう。では、「官僚機構のために」と思っている人は? 一人もいない。個々の米兵の次元で「軍需産業のために働いている」と思っている人がいないのと同じである。
 しかし、個々の記者の思いとは裏腹に官報複合体的システムは動いている。個々の兵士の思いとは裏腹に軍産複合体体制下で米軍が軍需産業に多大な利益をもたらしてきたように。
 官報複合体は第2次大戦中の「大本営発表」で批判され、解体されたのではないか、と思う人もいるだろう。しかし、実際には今も権力の中枢にある官僚機構を支えている。「官」と「報」をつなぐ要の役割を担ってきた記者クラブが、戦後も解体されずに残っているからだ。
 官公庁や業界団体などを取材拠点にしている記者クラブ。ここに所属する記者は「権力側のPRをやっている」とはつゆほども感じていない。私自身も記者クラブに所属していたからよくわかる。
 とはいえ、記者クラブが権力側に集中的に配属されている点を忘れてはならない。このような状況が災いして「権力側が発信する情報をいち早く網羅的に報じるのがジャーナリズム」という土壌がどうしても生まれてしまう。
 言うまでもなく、報道機関は本来ならば権力ではなく弱者の味方だ。事件が起きれば「警察ではなく市民」、増税論議が出れば「政府ではなく納税者」の声をひろわなければならない。
 ところが、現実には「警視庁記者クラブ」はあっても「市民記者クラブ」はないし、「財務省記者クラブ」はあっても「納税者記者クラブ」はない。権力側が発信する情報を大量に浴び続けていたら、記者は知らないうちに「ビッグブラザー」側寄りになってしまう。
報道自由度ランキングで先進国最下位の日本
 だからなのか、世界各国の報道の自由度ランキングを見ると、日本はとても先進国とは呼べないような地位に甘んじている。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」のランキング(2021年)によると、世界180カ国・地域の中で67位なのである。マスコミが権力監視機関としての役割を十分に果たしていない──これが理由だ。
 少し詳しく見てみよう。日本は先進七カ国(G7)の中で最下位だ。韓国(42位)や台湾(43位)も下回る。1位は5年連続でノルウェーであり、4位まで北欧勢が独占している。日本より一つ上の66位はコートジボワール、一つ下の68位はモンゴルだ。
 日本で本物のジャーナリズムを担っているのは大手新聞・��レビ局ではなく週刊誌、という見方も広がっている。特に「文春砲」で知られる週刊文春は大型スクープを連発している。記者数で大手メディアよりも圧倒的に劣っているのに、である。
 文春は記者クラブに所属していないから、権力に遠慮しないで取材できる。だから権力監視型の「番犬ジャーナリズム(ウォッチドッグジャーナリズム)」の担い手になれるのだろう。「賭けマージャン」をスクープしたのも文春だ。
ガラパゴス化するメディア業界
 日本国内で日本語メディアにだけ接していると、マスコミ報道が実質的な鎖国状況下で独自進化を遂げ、ガラパゴス化してきたことがなかなか分からない。「権力の応援団」的な報道を読まされていると気付かないのだ。
 私自身がそうだった。新聞は「歴史の証人」であると信じ、1983年春に大手新聞社に入社した。「権力の応援団」というイメージは皆無だった。
 新聞記者をはっきりと目指し始めたのは大学生のころだ。窮屈なサラリーマン生活には興味はなく、「新聞記者になれば比較的自由に仕事ができる」と思った。「国内よりも海外であればもっと自由になれる」との考えから、特に海外特派員に憧れていた。
 無意識のうちに父の影響を受けたのだろう。父はマスコミ業界で働くベテラン編集者だった。日本評論社に勤務し、「経済セミナー」初代編集長や出版部長を歴任。通勤ラッシュが終わってから悠々と仕事に出かけるなど、典型的なサラリーマン生活とは縁がなかった。
 職業柄、父は熱心な新聞読者だった。自宅では朝日新聞と日本経済新聞の2紙を購読し、私が知る限り文字通り一日も欠かさずに1面から順番に紙面に目を通していた。父が会社へ朝日を持っていくと、私は日経を片手に大学へ通った。大学が経済学部であったことから、就職先として日経を視野に入れるようになった。
 新聞記事の客観性や信憑性を疑うことはまったくなかった。大学1年生時の1979年に日本で初めてサミット(先進国首脳会議)が開催されると、新聞紙面はサミット関連記事で埋め尽くされた。各国首脳が一堂に会する記念写真が大きく掲載されるのを見ても、「サミットのような大舞台で取材する記者はすごい」と感心するだけだった。
 私にとって新聞記者は雲の上のような存在であり、就職先として日経に内定したときには飛び上がるようにして喜んだものだ。同じマスコミ人として父からも祝福してもらえた。国際舞台での活躍を夢見て、日経では英文日経を希望し、英文記者としてスタートを切った。
コロンビア大学留学でパラダイムシフト
“ガラパゴス諸島”から飛び出し、パラダイムシフトを体験したのは新聞記者4年目の1987年だ。同年9月、私は26歳にしてジャーナリズム教育の最高峰として知られるコロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール(Jスクール)へ留学したのである。
 そこで強烈な体験をし、「本物のジャーナリズムとはこうあるべきなのか」と初めて気付かされた。以来、ずっと「いつかジャーナリズムの本を書こう」と思い続け、2012年1月に念願をかなえることができた。単行本『官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪』(講談社)の出版である。同書の内容を大幅にアップデートするとともに再構成し、文庫化したのが本書である。
 Jスクールの正面玄関前には、アメリカ第3代大統領トマス・ジェファーソンの銅像が建てられている。彼こそ「言論の自由」の生みの親である。
 ジェファーソンが喝破したように、健全な民主主義を守るためには「第4の権力」──つまりマスコミ──によるチェックが欠かせない。中国やロシアを見れば分かる通り、マスコミが弱ければ権力は暴走する。そしてオーウェリアン(全体主義的)な社会の出現を許してしまう。
本書のミッションは『本物のジャーナリズム』の確立
 朝日新聞社が2021年3月期に過去最大の赤字に転落するなど、マスコミ業界を取り巻く経済環境は厳しい。新聞の発行部数減少に歯止めがかからないからだ。民放テレビ業界も広告費の減少に直面し、制作費に大ナタを振るわざるを得なくなっている。
 一方で、インターネット時代を迎えて、ジャーナリストが活躍できる場はかつてないほど広がっている。既存のメディア業界から人材が流出し、ジャーナリズムの新たな担い手になりつつある。2019年には「業界利益ではなく社会的責任」をモットーに掲げるインターネットメディア協会が立ち上がった。
 コロナ禍で政治も経済も迷走し続ける日本で���、少子高齢化や競争力低下をはじめさまざまな問題が山積している。問題点をきちんと指摘し、権力をチェックするのは誰なのか? 「マスゴミ」とも揶揄されるマスコミだ。
 伝統的メディアからネットメディアへの大転換が起きるとき、旧態依然の「マスゴミ」と決別して本物のジャーナリズムを確立する──ここに本書のミッションがある。今こそ官報複合体の解体に向けて第一歩を踏み出さなければならない。
2021年10月20日 河出文庫発行
ジャーナリスト 牧野洋(まきの よう)著「官報複合体──権力と一体化するメディアの正体」より
牧野洋(まきの よう)
1960年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や「日経ビジネス」編集委員、本社編集委員などを歴任し、2007年に独立、執筆・翻訳活動に入る。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』、訳書に『トラブルメーカー』など多数。
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ryotarox · 19 days ago
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GALAPAGOS(ガラパゴス)は、シャープの電子書籍リーダー(タブレット)と電子書籍配信サービスの名称。スマートフォンのブランド名としても使用された。
GALAPAGOS - Wikipedia
命名 チャールズ・ダーウィンが進化論の着想を得た太平洋上の島、ガラパゴス諸島から命名されている。時代や環境の変化に合わせて最適化して進化していくという意味を込めた名称であるとされる[11]。 携帯電話におけるガラパゴス化とは、日本市場向け携帯電話が閉鎖的な環境で特異な形に進化してしまったために、日本国外の市場では通用しないものになってしまった状況を揶揄するものであり、それを携帯端末の名称に用いた命名は自虐的なものであるとも受け取られた[12]。 「GALAPAGOS」が販売を開始した同年(2010年)の新語・流行語大賞には、こうした日本市場向けの携帯電話機種(フィーチャーフォン)を意味する「ガラパゴス(ガラケー)」がノミネートされている[13]。 シャープの社内ではこうした命名に賛否が分かれたというが、スマートな名前や社会的な枠組みを良しとする名称や社会的な価値観に対して一石を投じ、また耳に残る名前をという思惑もあって、この名称に決められたという[12]。
進化する GALAPAGOS(ガラパゴス):シャープ
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kennak · 1 year ago
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への���帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・���シア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージ��のライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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