#ガラスの水差し
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2025年1月30日 木曜日 15:14 19:06
彼の家を彼の外出から約1時間後に出た。彼が置いていった鍵を持って、鍵を閉めた。彼が東京で買ってきたカラフルなモチーフが提げてある。どちらに回したら鍵がかかって、どちらに回したら鍵が空くのか、感覚で分かり始めるようになった。
彼は街の中心地のそばにアパートを借りていた。最初に聞いたときは驚いたけれど家賃は学生が支払うのに適しているほどだった。ミントグリーンの縦長のアパート。その近くには綺麗なマクドナルドが2店舗あって、どちらも異なった綺麗さを持っていた。去年の秋、飲んだ翌日の15時にお昼ご飯を食べに行った。ローファーをおろして、黒いローファーと黒いスカートのひらひらの間から、新しめの赤い靴下が見えて気分がよかった。よく晴れた秋晴れだった。今日はそのマクドナルドとは違う方を選んだ。
そのマクドナルドは小さなスクランブル交差点に面していて、大きなガラス張りになっている。ガラスにカウンターが沿っていた。そこで手帳を書いて、この前買った村上春樹を読みたいと思った。こういう時のアイデアには力強く動かさ��るのが自分だ。こういう時の自分がとても好き。マクドナルドのホットケーキを食べたこ��がなかったし、なんだか余計なものを身体に入れたくなかったので、ホットケーキとホットコーヒーの小さいのを、小さいぬりかべみたいな液晶からお願いした。
ボードの番号は16だった。あたたかいホットケーキのあたたかさは犬みたいだった。一昨年亡くなった愛犬の腹を思い出した。全く悲しくない意味で。思い浮かべるものよりも頼りがいがあるバターとメープルシロップが着いてきて、おー、と思った。環境のためと称された木のフォークとナイフはそれぞれ逆の向きで袋に入っていた。特に損は無いが、切れているのか切れていないのか実がない感じで、切ると言うより二本でちぎって食べた。優雅な気もしたがやはり穏やかに犬の腹を開け続けている感じがしてそれが相殺されていた。何にしろ美味しかった。またいつか食べようと思った。
9月か10月から、授業の開始と伴に毎週水曜日は彼の家に泊まっている。昨日も例に従ってそうだ。彼の家にお昼まで、遅ければ16時前までいることが通常になっていたけれど、今日は彼と同じ時間にしっかり起きて支度をした。彼は20分で支度をする一方私は化粧等に40分近くかかるけれど。その行動が正しかったように、彼の1回目のアラームが鳴る8:30にちゃんと眠気が無くなっていった。
それも、ちゃんとしようと思ったからである。ちゃんとしてるところを見せようと思ったからである、の方が正しいかもしれない。
この前、初めて彼が死にたいと言った。そういう暗さがない、見えない人では当然ないのだが(私が恋人にする以上暗さがあることは自明である)、彼が内に向けたネガティブなことをそこまではっきり口にしたのが初めてだった。誰かに怒ったり、全員を突き放したり、ネガティブな気持ちを棘として発することはあっても自分の内に向けているのを見るのは初めてだった。その誰も寄せ付けないようにしたいんだ、というような姿に、何を言ったらいいのかひどく悩んだ。今まで自分のものも人のものも、死にたい気持ちを見つめてきたつもりだったしつもりだが、彼のものは別物に見えた。自分の出来ることは、願うことだけであるように感じたし、彼が楽しい状態でいられるために何が出来るだろうと考えずにはいられなかった。できる限りの言葉をかけて、できる限り出来ることを調べた。彼が彼の本当の内側に(そういうものがあるとしたら)入れてはくれなかったけれど、それ以上に出来ることもするべきこともなかった。
昨日18:25からの上映前に駅の中のサイゼリヤで夕食をとった。16:50に新潟駅に着くよ、と連絡をして��ち合わせをした。私を見つけた彼があたたかに笑って少し歩幅を広くしたように見えた。おつかれさま、と声をかけて合図なく歩きかけたあたりで、彼が「元気になったよ、ありがとう。」とこちらを見て優しく笑ってくれた。その言葉は私の安心のためにわざわざ言って''くれた''のではないような気がして嬉しかった、彼がこういう笑い方が出来るようになってよかったと思った。正直彼が死にたいと言った日は、ずっとその事を考えていたし、その次の日の授業中も、死にたいという人にどのようにしたらいいかをずうっと調べていた。「死にたいという発言を受け止めた人にもケアが必要」と書いてあるいくつかのホームページに対して、そんなことどうでもいいから絶対的な答えが欲しいの と思った。そんな時間や気持ちがもうどうでも良く、彼の「ありがとう」という一言が嬉しかった。その一言だけで、わたしはどこまでも頑張れるんじゃないかと思った。
きっと、彼と私は近付き過ぎたのだと思う。彼と私はと言うより、彼に私が。お互いの輪郭がわからなくなるくらいに近付いて、液体みたいに揺らいだ彼と混同してしまいたい、溶け合ってしまえばいいと思っていた。私は彼に甘えすぎていた。何度も喧嘩をして、彼は「嫌いなところもあるから好きなところもあるんだ」と言ってくれた。その理屈をよく分かっていないままハグをしていたけれど、やっと分かってきたのかもしれない。彼は「好きだから」私を受け入れてくれているのだと。そして私も、同様に、彼を「好きだから」受け入れ続けて来たのだ。今まで彼には呆れることも理解し難いこともあった。でも彼を手放すなんて答えは当然のようにどこにもない。彼のことが好きだからだ。好きで好きで、どれだけ傷付いて泣いても、彼のいない生活を考えるのはそれ以上に痛いことだと明確に予想できていた。きっと彼もそうで、私に傷付けられたり私に腹が立ったり、私を理解出来なかったりしただろうと思う。でもその度、やっぱり向き合ってくれた。それは、好きだからだ。思い返すと彼は、私があなたを困らせるから一緒にいない方がいい、などと(思ってもないことを)言った時、「それでも好きだから」と言ってくれていた。どうしようもなく好きなんだと。
好きでいてくれる気持ちや、好きだからこそしてくれていることやしないでいてくれていることを当たり前だと思うのは傲慢だ。言い訳だが、そういう思いやりや優しさを当たり前みたいに振り撒ける彼だからこそ、自分にも常にそうしてくれるような気がしていた。彼だって優しく出来ない時があるし、彼だって優しくされたい時があるという当然のことが見えていなかった。
昨日はセックスをしなかった。それは生理周期によって(意識的にではなく)決まったことなのだが、昨日はするべきでなかったように思う。身体としては彼が欲しくてたまらなかったけど、精神は理性を見つめていた。彼に身体を触られると、(彼が私の内側に入らなくても、)すごく気持ちが良かった。外側を触られていると、内側まで繋がっているような感じがした。彼の中で私を見つめ���んじゃなく、世界の中で、自分という存在と、彼という存在を同等に見つめる。彼も私と一緒のまだ若い人間なんだ。
彼が甘えたいときに甘えてくれたらいいし、泣きたいときに泣いてくれたらいいと思う。彼は誰にも頼らずに生きてきたようだし、付き合った当初から「一人で生きてきたんだ、」と揺らぎなく言った。でも彼は私と一緒に生きようとしてくれている。私も彼と一緒に生きていきたい。「迷惑をかけられることも、頼まれることも、嬉しいことなんだよ」と私は彼に言った。迷惑や不安という言葉は似合わない。好きな人が大切に抱えている荷物やその人が集めてきた痕跡を見せてくれて、それを一緒に持ったり確かめたりしながら隣で歩けるのは否定の余地などなく幸福である。自分の対面している相手は、自分にわがままを言われて振り回されることもうれしいのだと、それくらい私は彼を信じているのだということを、ゆっくりゆっくり知ってくれたらいいと思う。
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生乾きと雨粒
何日も、雨が降り続いていた。 この雨は、もしかしたら止まないのかもしれない…… そんな風に思うくらい、何日も何日も降り続いた。
洗濯物は、この雨のせいで乾かず、部屋の中でなんとも言えない、あの独特の臭いを放っていた。
生乾きの臭い。生乾きのシャツ。生乾きのズボン。 ……生乾きだったあの頃を思い出していた。
その日、俺はダラダラと夕方まで寝ていて、目が覚めると既に外が暗くなっていた。
身体がとにかくダルくて、まだ、あと23時間は寝れる。
そんな感じだった。
そのダルさを、何日も降り続く雨のせいにして、時間の流れも忘れボケっと過ごした。
それでも、腹は不思議と減る。
なにもしなくても、なぜ人間は腹が減るのだ。
そう思うと、なぜか腹立たしく、その腹立たしさはきっと空腹のせいだ。と、自分を納得させ、雨が降る中コンビニへと買い物に出かけた。
歩くたびに跳ね上がる泥水を背後に感じながら、電燈も殆どない、どこか薄気味悪い公園を抜け、近道をした。
雨の音に紛れるようにして聞こえてくるブランコをこぐ音。
こんな時間に?出来ることなら、目をつぶって走って、通り過ぎたいくらい気味が悪かった。
それでも、どこか「怖いもの見たさ」と言う意味のわからない衝動に駆られ、雨と暗さで見えにくい中、目を凝らしブランコの方に視線を走らせた。
男が一人。
ブランコを漕いでる。
それも、いい年���た、オヤジだ……
俺は立ち止まり見てはい���ないものを見てしまったよう��「目」で見た。
とにかく不思議だった。 そいつも、俺を見ている……ような気がした。 たぶん……目があっている。
雨と暗さでよく見えないけれど。
「おい。」
どきっとした。
しゃべった。
そいつが……俺に向かって。
目をそらし、その場を立ち去ろうとした。
「おい。こっち来いよ。ブランコ一緒に乗ろうぜ。」
て。お前いくつだよ……
いいオヤジがこんな時間に、しかも、この雨の中なにやってるんだ。
「乗ろうぜ。俺、すっげー高くまでこげるんだぜ。」
待て。あいつの喋り方、おかしくないか?まるで子どもだ。オヤジに見えて、実は子どもなんじゃないのか?だけど、スーツ姿の子どもてのも……
近くで確かめたくて仕方なくなった。怖いもの知らずにも程がある。だけど、そうめったに出会える光景じゃない。しかも、相手は妙に友好的だ……
そろり、そろりと近寄り、オヤジの隣のブランコに手をかけながらマジマジとそいつの顔を覗き込んでやった。
「な。どっちが高くまでこげるか競争しようぜ。」
……て、やっぱり、いい年したオヤジだった。だけど、妙にキラキラした、その目は、子どもだった。なんだか良くわからないまま、俺もブランコに乗った。
「お前さ、立ちこぎ出来るかよ?」
俺は黙って、子どものとき必死にやった立ちこぎを、そいつにやって見せた。そして、大きく揺れるブランコからピョンと飛び降りてみせた。
「なんだよ。お前すげーなー。すげーよ。なんだよ。俺、それ怖くて出来ねーんだよな。」
オヤジがブランコを急に止めて、目をまるくしながら俺を褒める。めちゃめちゃ褒める。
「すげーな」と何度も繰り返す。
俺はあの頃の光景が目に浮かんだ。
子どものころから怖いもの知らずだった。
誰よりも早く、ブランコで立ちこぎをして、誰よりも早くブランコから飛び降りることができるようになった。そして、みんなが俺に驚く。「すげー」「すげー」と……
そのオヤジと雨が降っていることすら忘れ、遊んだ。
ドロだらけになって。時間が経つことも忘れ、腹が減っていたことも忘れ、必死に遊んでた。
気付けば、どこからともなく集まっていた大人たち。みんな時間を忘れ、雨なんてお構いなしで、びしょ濡れになって遊んでた。 びしょ濡れになって……
それから、毎日にのように雨が降ることを待ち望んだ。
雨が降れば、あの不思議なオヤジたちと、すべて、すべて、本当にすべてを忘れ、まるで子どものときのように思い切り遊べたから。
俺は、大人だ。
いつから、大人になったのかは忘れた。だけど、世間一般に、大人として扱われる。だけど、俺は、大人だ。と、言ってもそれを、どこかで認めていない。
だけど、世間の皆様に俺が大人じゃないと、どんなに力説したところで、ただの変わり者としか見てくれない。
それが、この世界だ。
でも、どうやっても俺は大人だけど、大人じゃなかった。
だけど、大人になりたくないわけじゃなかった。
ただ、俺の中で俺を大人として認めていないだけだった。
どこか、湿った感じ。
そう、乾ききらない洗濯物のように……
どこか、はっきりとしない。
それが、俺だった。
雨の日だけ、思いっきり今を生きることができた。
雨の日だけ、俺は俺らしく、あのオヤジたちと一緒に。雨だけが俺たちを認めてくれた。
湿った、感じの中で。
大人になりきれない、俺たち。
雨の夜の公園で遊ぶ大人の格好をした子どもたち。
世間の皆様より少しだけ、ゆっくりと大人になって行ったのか、次第に集まる人数が減っては、増え、減っては増えを繰り返していった。
そして、いつごろからだろう……
俺も、ついに、あの雨の降る夜の公園が懐かしく感じるようになってた。
数日、雨は降り続いた。
足元を濡らすぬかるんだアスファルトを踏みしめ、傘も差さずに歩いた。冷たい雨粒が頬を伝い、服の袖に染み込んでいく。
コンビニの明かりは、やけに眩しく、ガラス越しに映る自分の姿は、少し大人びて見えた。
店に入り、適当にカゴに放り込んだパンや飲み物をレジに運ぶ。
店員が無表情でバーコードをスキャンする音が、妙に心地よく感じた。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「ないです。」
そう答えながら、ふと昔のことを思い出していた。
会計を済ませ、袋を片手に店を出る。
雨を降らす空を見上げた。
黒く曇った夜空に、雨粒が光を反射している。
生乾きの匂いが、ほんの一瞬鼻をくすぐった。あの時とは違った感覚で大人になった。だけど、まだ、乾ききらない部分を今でも感じている。
それでも、確実にあの時の生乾きのあの独特の臭いは、もう、俺から漂うことがなくなった。
洗濯物の乾ききらない、あの独特の臭い。
今でも、夜の雨の公園から漂ってくる。
ブランコをこぐ音と大人たちの声が
聞こえた気がした。
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスター���見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤー��スピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、��わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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2025/02/07
初雪積。
#瀬戸内的豪雪風景 です。

フロントガラスもバリバリ凍ってます
コレを溶かすために、水とかお湯とかかける人
居るみたいですが…
急激な温度差はガラス割れちゃうよ!
気をつけて。

月も出て来たね。
あ、明日は明人さんと再会
ライブで尾道来るって!
ブラフマンのPA、東北ライブハウス大作戦のボスです

ブラックフライデーで買ってたプロジェクター
店以外に、予備で買ってた携帯用プロジェクターだが
これ、かなり使える。
Android TVが搭載されてるから��
自宅のWi-Fiに繋ぐだけで、YouTubeも
アマプラもネトフリも観れる!

最近は寝れる様にヒーリング音源を流しながら
天井に投影出来るから、寝ながら映画も観れるし
優れもの!お気に入りです(^^)
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畔の蕎麦屋
家から約四十分くらい車を走らせた所に、山の中に小さな池がいくつも点在する観光スポットがある。有名なのはその中の一つ、鮮やかな青緑のインクで出来ているような青い池。先日たまたま見たクイズ番組でも出題されていた。
そこから少し離れた所にある、著名な訳でもない池の畔に蕎麦屋が出来たと知ったのは、去年の晩秋だっただろうか。その場所は冬になると立ち入れない所だから、行ってみようと思った頃にはもう時期を外れていた。
なんてことの無い初夏の晴れた土曜日の午後にそこへ行ってみる事にした。
蕎麦屋と言ってもメニューには珈琲やら甘味があるとの事で、敢えて昼を避けて十五時を目安にそこへ向かった。
海沿いの道を走り水面の乱反射する日差しに目を細めながら車を走らせる。海から少し離れて山中のくねくねとしたカーブを七つ越えた所にその店がある。
建物の前にメニューや案内が書かれてある。古い旅館か店をリノベーションしたのだろう。新しい店という雰囲気ではなく、元々の店を少し改装したのかというくらいの、懐かしさを感じる外観だった。
中へ入ると右手側に池が見える。その窓辺に机と椅子が置かれて客席になっている。
奥へ進むと下駄箱がある。そこまで進むと小上がりの向こうから店主と見られる女性が現れた。
「お食事ですか、お飲み物ですか」
「飲み物です」
「そちらの席か大広間にどうぞ」
窓際の椅子席も日向でよかったが、せっかくなので大広間を選ぶことにした。
靴を脱いでスリッパに履き替える。旅館の名前が印字されていた。やはりここは元々旅館だったらしい。何度も来ている所だったが、��こが旅館だったということを初めて知った。
女性の後を付いて大広間へ行く。
スリッパを脱ぎ大広間へ入ると、目の前には広い広い畳の部屋と大きな窓があり、その向こうには池と緑豊かな森が広がっていた。

ピークを過ぎた頃なのだろう。他に客はいなく、好きな場所を選ぶことが出来た。
入って正面と右側に池が見えたので、一番奥の角に座った。
珈琲と蕎麦茶のプリンをオーダーする。テーブルの上にガラスの器があって、ここにお金を置いて会計をするそうだ。
蕎麦茶を啜りながら窓の外をぼんやり眺める。
揺れる湖面に青々とした木々。それをフレームのように切り取る、大きな窓のサッシが実に芸術的だ。
網戸越しの風が涼しい。ぽちゃりぽちゃりと魚が跳ねる音が聞こえる。スマートフォンを開くと電波は微かに入る程度で、じっくりのこの時を堪能出来る環境だった。
本棚を見つけたので覗いて見た。川上未映子やよしもとばなな、江國香織など女性作家の本が多く、きっと店主の好みなのだろう。その中にあった寺山修司が集めた名言集を借りた。
席に戻ってパラパラとめくっていると一つ気になる言葉があった。
「死んだ女より、もっとかわいそうなのは、忘れられた女」マリー・ローランサン 鎮静剤
別にこれは女性に限った事ではない。
さて自分は出会った人たちの何人の記憶に残っているだろう。
そんな事を考えていると珈琲と蕎麦茶プリンが運ばれてきた。
夏でも個人経営の喫茶店では温かい珈琲を飲むことにしている。冷たい珈琲は業務用の注ぐだけのものがあるが、温かい珈琲は確実に店の人が淹れてくれるからだ。
プリンのカラメルソースが別の入れ物で来たのが嬉しかった。

まずは一口珈琲を飲む。苦みは少なく仄かな酸味がある。万人受けする味でプリンにも合いそうだ。
プリンをカラメルソースをかけずに一口食べる。そば茶の素材の味が生かされていて甘みはそれほど強くない。優しい味だった。
少しずつカラメルソースをかけて食べ進める。美味しくてすぐに食べ終わってしまった。
閉店時間まで四十分余り。ぼんやり外を眺めたり、この文をまとめたりしていると、あっという間に時が流れてしまった。
次は蕎麦を食べよう。そう決めて帰宅の途に着く。
そして秋の紅葉が今から楽しみになった。
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光が透明な物質の軌道に沿って進むことができるという事実は、少なくとも 19 世紀半ばから知られていました。1841 年、スイスのダニエル コラドン教授は、流体の流れのデモンストレーションの一環として、水を噴射して光を導き、光が水の軌道に沿って進むことを発見しました。同じ頃、フランスの光学専門家ジャック バビネは、湾曲したガラス棒で同じ効果を実証しました。1850 年代までに、パリ オペラ座は特殊効果にコラドンの光を曲げるトリックを使用し、1880 年代には、この効果は大きな光る噴水のデザインに使用されました。 これらのデモンストレーションで作用していた現象は、全反射と呼ばれるものです。光が、ある透明な素材から屈折率の異なる別の素材に斜めに通過すると(つまり、光は素材内で異なる速度で移動します)、その経路は曲げられます。しかし、屈折率の差が十分に大きく、光の角度が十分に浅い場合、光は曲がるのではなく、表面で反射され、素材内にとどまります。全反射は、屈折率の高いダイヤモンドが適切にカットされると輝く理由です。
光ファイバーへの長い道のり - ブライアン・ポッター著
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こないだタホ湖に遊びにいった。夏のタホ、2年前とかに初めていって2回目だけどいいもんですね。行く前はスキーリゾートに夏行ってどうするのかという気持ちだったけど、湖が綺麗で水遊びもできるし、好きならハイキングもできる。結構人は多いのでそういうのが面倒ならもう少し山側に行くと人も少なくて良い。キャンプをしてる人もいるし、自転車を楽しむ人もいる。意外といいものです。 それはさておき、滞在中のある日、朝起きてふとみると車のフロントグラス���見事に割れていてビビった。 滞在先は屋根のないオープンエアな駐車場に車を停めていたわけだけど、日差しで暑くなるのもちょっと嫌かなと思って木陰のスロットに停めることにした。駐車場には20m以上はあるだろう高い木がそこそこ生えていて、その脇なら木陰で暑くなりすぎない。だがどうやらその日の夜に自分の車の脇の木から、まだ若く重みのある松ぼっくりが落下して、それがフロントグラスに激突したのだと思われる。幸いにして助手席側だけど蜘蛛の巣状のヒビがかなり大きく入っている。まじかって感じ。 ここまですごい割れ方をするのは珍しいだろうが、車のフロントグラスにヒビがはいるということはないでもないらしい。走行中に小石などが跳ねてぶつかるのが多いという。そういう小規模のヒビでも放置しているとさまざまな条件(走行中の細かい振動や昼夜の寒暖差など)でヒビが成長して問題になるので対処が必要なのだという。調べるとアメリカでは小規模なものなら修理キットみたいなものが買えて、レジンを埋めるような形で損傷を埋め、ヒビの成長を抑えることができるようだ。が、今回の損傷はそんなので修復できるレベルではないものだ。多分フロントグラスは交換しないといけない。でも今は旅先で、帰るには4時間以上運転しないといけない。どうしよう。 色々考えた結果、まず小規模なヒビを修復する修復キットを買ってきた。レジンの量は全然たりないが、大規模そうなヒビのあたりにレジンを塗りたくった。それでもあんまり足りなかったので、近くのスーパーで大きめのセロハンテープを買ってきてヒビの上から貼ることにした。こういうのは、とにかく帰宅するまでヒビが大きく成長したり問題が起きないようにするための応急処置のつもりでやった。運転席の直進方向の視界にはヒビは(ほとんど)ないので、運転はできる。あと時節柄雨が降ったりしなかったのでワイパーを動かす必要がなかったのは良かった(ワイパーがヒビに干渉して酷いことが起きることは容易に想像されたので)。これでヒビ割れのまま休暇を過ごし、帰り道では無茶な運転は控えてそれほどスピードを出さずに運転し、無事に帰宅できた。といってもまあ応急処置に意味があったのかはあんまりわからない。たかが数日だし、何もしなくてもそんなに急にヒビが大きくなったりはしないような気もする。気休めというか気のせいというかやった気持ちになるための何か、という気もする。 さて帰宅後に車の保険会社に連絡してフロントグラスの交換処置をしてもらうことにした。保険会社にクレームを作ると、保険会社がお勧め��る地元の修理業者が色々紹介されるので、うちから近場の一つを選んで予約をする。この辺はスムーズに進んだ。と言ってもなぜか予約システムは連動していないので自分で電話をしないといけなかったけど……と電話をしてみると「ああ、これはあなただけじゃないんだけどね、うちはガラスの修理はやってないんだよ。なんで保険会社のリストに入ってるか知りようもないんだけど、他を当たってね」といった返事であった。おいどうなっているんだ。 保険会社からはシステム上は連携が取れていて修理業者に見積もりが届いていることになっている。なのでそうと言われても修理業者を変えるならシステム上でまず変更しないといけない。が、UIからはなぜか変更ができない。どうなっているんだ。 仕方ないのでサポートに「業者を変更したいができない」とレポートを送ると、サポートからメッセージがきて「変えられるようにしておきました」という。それリロードしてもう一度見てみると、確かに変更可能なUIになっているので、今度は多少遠くてもいいのでリストの一番上を選ぶことにした。それで選び、電話をかけると……「いやうちも衝突事故とかの修理で、ガラス交換はやってないんだよね」と言う。どうなっているんだ。 仕方ないので(またUIからは変更できなくなっていたのでサポートにメッセージを送って再度変更可能なUIにしてもらい)再度業者を変更。今度は事前に検索などをして車のガラス交換業者であることを確認して選んで、それで予約ができた。それからの手続きはスムーズで、そのまま電話した翌日に無事修理となった。こちらが出向く必要もなく、向こうが来てくれて自宅で交換してくれた。保険が効くので自己負担額は$500ほどであった。 ちなみに余談であるが、2個目に予約した業者からは後で電話がかかってきた。その会話で分かったこととして、そこはどうも同じ住所をシェアして複数の業者が入居しているような工場というか作業所みたいなところのようで、自分がかけた先は本来とは違う業者だったようであった。うちに替えてくれたら割引で自己負担額$400で請け負うよ、という謎の割引交渉をされたが、もう予約も済ませてしまったし面倒なので断った。 松ぼっくりでガラスが割れるというのがどれぐらいよくあることなのかはよくわからないが、アメリカの自然側のところに旅行をしたら、あり得ない被害というほどレアではないだろうと思う。交換作業をしてくれた人も、「ああ松ぼっくりね。あるある。俺も経験あるよ」みたいな感じであった。木から落ちるような松ぼっくりは普通、完全に開いて茶色でカラカラに乾燥していて軽いが、確かにたまに緑色で開いておらずずっしりと重いものが道端に落ちていたりする。松ぼっくり自体も日本のよくあるそれよりは数倍大きいので、これがあの高さから落ちてきたらそりゃあガラス割れるわという感じである。人の頭に当たったら結構深刻な怪我になったりするんじゃないか。滅多に起きることではないだろうが。 しかし災難であった。全く自分のせいではないと思うんだけど、これで保険料上がったりするのかなぁ。それだけが心配です。
車のフロントグラスが割れた – Jun Mukai's blog
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『ガラスの街』
五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。 最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすため��もあった。 普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。 それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。 しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。 いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。 きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
五月。 僕はどんなものを読んだのだろうか。 金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759" 週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。 仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。 金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。 ウルフの『波』も読み始めている。 僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。 ��んなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか? 紛争でも起こそうとしているのか?
何のためか。それは僕自身にもわからなかった。 僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったよう���った。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。 言えば、それは無垢に機械的な読書だった。 これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
それで、僕は何かしら成長したか。 いや。成長なんて一つもなかった。 そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。 だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。 『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。 三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。 だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」 僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」 そうした、僕��いう精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。 僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。 リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。 もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。 歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。 変化は女王だった。彼女は支配的だった。 僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。 女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。 なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。 加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
そして、重要なのは変化のよろめきではない。 そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。 破壊。 それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。 木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
オースターは、考え抜いていた。 そこで”感じ”は排除されていた。 感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チ��ンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。 彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。 それだから、彼を読んだとき、僕は……
向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。 女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。 センスがいい。綺麗だ。 彼女はなんて豊かなんだ。 僕はそう思う。 ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。 また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。 正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。 この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。 書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。 その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。 きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
祈りの文句を何度も何度も口にした。 僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。 そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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「夏」 冬雨 千晶
室外機から吹き出すぬるい風 洗濯物を揺ら ずっと出し損ねている ゴミ袋 みっつ 重なって あまりにも厳しい日差しが差す
ここに 綺麗なものなどないというのに 汗など 気にすることは無いというのに あなたはそのことばかり くちにする
室内の送風口から 冷水が吹き出した 冷房の下に配置した 仕事机の 本やらが 濡れて台無しになったと あなたは言った
このまま部屋が 水で溢れたらいいと思う そうしたら 水槽の中のあの子たち 自由に泳ぎ回れる ふれあうことはかなわない ガラスとみずを へだてて 餌をやる/与えられるの関係から 解き放たれて どこまでも 私たち およいでいけるのに
あなたは 汗の事ばかり気にして ため息ばかりついている
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いろんな紙に同じ絵を描いてみた
いつぞやのミューズさんの紙のラボラトリー2023にて購入させていただいたペーパービュッフェのうち、6枚に同じイラストを描いてみました。 まぁ、同じって言っても微妙に違うんですがね。
というだけの記事。

前置き
・アルシュブライトホワイト(極細目) ・ランプライト ・キャンソン ミ・タント ボード ・ニューブレダン ・マーメイドリップル ・アクアエリアス
上記の紙を使用しました。 同じ絵柄で同じ絵具で塗ってるわけですが、結構違いが大きく、あらためて水彩って紙が重要だよな!と思わされました。 というわけで、感想。
1.アルシュブライトホワイト(極細目)

言わずと知れたコットン100%、天下のアルシュ様のブライトホワイトバージョン。 ぶっちゃけロットによって色が違うみたいで、今回のビュッフェの���のは手持ちのものより白い気がします。 初めて使ったブライトホワイトも白いので、この前買ったのがやや黄みがかっていただけなのかもしれない……?
発色はかなり良いです。髪の毛の差し色のPV23や、服のオレンジが鮮やかです。 普通のアルシュよりも白色度が高い分、青系は特に発色が良い物と思われ。
極細目なので、ペン入れもしやすい。 水彩らしい表現がしやすいと感じました。
なお小生、極細目に塗るのが苦手なのですが、なんとか頑張りました。
2.ランプライト

アルシュの他にもうひとつコットン100%紙。 実はランプライトは購入したことがなく、サンプルでいただいたものを何度か使った事しかなかったりします。 今まで使ったサンプル紙では気にならなかったのですが、文章でうまく表現できないのですが、なんとなく白っぽいモケモケ感を感じました。
とはいえコットン紙。ランプライトの色合いで柔らかめなものの、絵具の発色は良いと思いました。
凹凸のある紙ですが、丸ペンでもペン入れしやすかったです。
3.キャンソン ミ・タント

キャンソンのミ・タント紙が貼り付けられたボードです。 ミ・タント紙自体は確か160gの紙で薄手なので、水彩紙に使うにはちょっと心許ない厚みですが、ボードになっていることで、水張り不要・水分を含んでベコベコになるのも無縁となっています。
第一印象。この紙、発色お化け!
オレンジがまぶしいっ! 目に使った水色もまぶしい。 アルシュBWやマーメイドリップルも発色は良かったですが、圧倒的発色! ちなみに、結構白色度の高い紙ですが、ミ・タント単体なら、いろんな色が合った気がします。
ちなみに、紙の凹凸は荒くても浅めなので、ペン入れはしやすかったです。
一方で欠点。
他の紙は皆、同じ元のイラストからトレース台でトレースしているのですが、この紙は厚手のため、トレース台が使えません。 ボードじゃないただのキャンソン ミ・タント使うのは紙が薄すぎてちょっと心許ないです。
今回はトレース台ではなく、この紙だけ簡易カーボン転写をしました。 ↓やり方


4.ニューブレダン

初めて使用する紙です。 (ちなみに、ずっとニューブレンダンだと思ってたのは内緒。カタカナ読めない我が輩)
ミューズさんのHPの説明書きによると、
コットンを高配合し、弾力性と柔らかい風合いで、細目の紙肌を持つ高級版画用紙です。
だそうです。 お品書き通り、柔らかい風合いで、ペン入れしたら滲みました。 また、表面も柔らかいので、消しゴム使うのはためらわれました。
しかし、色を塗ってみると、紙の暖かみのある色合いや、和紙のような吸い込み(実際に和紙に塗ったことはないので推測)により、すごく優しい発色で柔らかい雰囲気になりました。
これはこれで、アリ!
イラストで使用するなら、線画を丁寧に描いて、塗りは補助という立ち位置の方が映えそうだなぁ、と個人的には思うものの、線画だけで魅せられる絵が自分には描けないんだなぁ😂 しかも、ペン入れは滲み���すいしw
5.マーメイドリップル

発色はかなり良いですが、凹凸がかなり強くて、はみ出しとの戦いになりました😇 また、浸透力?を感じないタイプで、染みつき強めの紙が好きな自分には少し苦手でした。でも、前に試し塗りした某キャンソン モンバルよりずっと使いやすかったです。
ペン入れは、凹凸強すぎて難儀したものの、表面が硬いので丸ペンが引っかかるようなことはなく、そういう意味ではペン入れしやすかったとも言えます。
似たような価格帯(多分)のホワイトワトソンと比べると、こちらの方が表面が硬くて強くて凹凸が強く、その分絵具の吸い込みが少ないという印象です。
6.アクアエリアスⅡ

他の紙と比べると、色々変わった特徴があり、
原料にガラス繊維が入っているユニークな水彩紙です。
だそうです。そんでもってアメリカの紙なのかー。知らんかったー。
発色は柔らかく、ペン入れが滲むのはニューブレダンと似ていますが、吸い込み感がこっちの方が強かった。 こちらも消しゴム使ってはいけないオーラを醸し出していた。
ニューブレダンと違って色が白いので、発色は鮮やかだけど、ランプライトで見かけた、白いモケモケ感が強いです。
���んか癖が強くて、自分にはちょっと合わなかったです。
7.おまけ。そのほかの紙々
最近は、普段使いの紙じゃない紙にも描く機会があったので、折角なので紹介。 上の6枚のように、発色の違い!とかペン入れ!とかの比較はできないのであった……
(1)ストーンヘンジアクア(細目)

版権絵で失礼。 ストーンヘンジアクア細目を使用するのは2回目。 1回目はラフな塗り方をしたので気にならなかったのですが、今回はとにかく丁寧に塗り込みをしました。 リフティング力が強くて、重ね塗りはしにくいものの、下の色をなじませるように塗る、という塗り方ができました。
また、失敗しても修正がものっっすごく効くのも特徴だと思いました。
なお、ものすごく表面が弱いので、消しゴム注意、マスキングインクは×、マスキングテープは最弱のカモ井ミントさんしか受け付けないという繊細さんです。 ミントも剥がす時はエンボスヒーターで暖めながら剥がさないと悲劇が起こります。
(2)アヴァロン

アヴァロンも初めて使用した紙です。 こちらもストーンヘンジアクアのように、何度も修正したりなじませたりができました。 ストーンヘンジアクア荒目でイラストを描いたことがないので比べられないのですが、ストーンヘンジアクア細目を荒目にしたような雰囲気に近いものがあります。 ただ、凹凸の紙目があまり我が輩さんの好みではない模様。 (ストーンヘンジアクア荒目の紙目は好き)
ストーンヘンジアクアほどではないですが、こちらも表面弱々。
凹凸がある分、にじみはしやすかった気がします。
(3)ウォーターフォードホワイト(荒目)

何で中目じゃなくて荒目にしたのか……謎ですが、荒目のはがきサイズです。 中目は使ったことありますが、荒目は初めて使用。 かといって、目が粗い以外は特別違いはなし。 マスキングが安心してできるって良いね。としみじみ感じました😂
白色度が高いので、発色ヨシ!
というわけで以上、実際にイラストを描いた上での紙の感想でした。 同じ絵を描くことで、より紙の違いを感じることができました。 にじみやらマスキングやらのテストで違いを試したりもするんですが、実際のイラストを描くのが一番感覚的に違いがわかる気がしました。
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大雪を避けて 何度かの二度寝を繰り返し、気づいたら11時になっていた。天気予報では昼から大雪となっており、雪が降る前に昼ごはん・晩ごはんの買い物をしにスーパーに出かけることにした。
一番最初に訪れた店舗は肉は安いが、店内BGMが一台の呼び込みくんだけでとても寂しい。二番目に訪れた店舗は広くて品揃えが良いものの全体的に割高。それでもここにいく理由は好きなポン酢の銘柄(旭ポンズ)を取り扱っているから。しかし、今日は珍しく棚に旭ポンズがなかった。仕方なく別のものを買う。
昼過ぎに雪が降り始めた。
13時、新規案件の打ち合わせがオンラインであった。提案がうまくいったかはわからない。
映画「アフターサン」を見た。が、SNSやスマホの通知に気を取られ、最初は映画の意図を汲み取ることができなかった。もっとも映画館で集中して見ても汲み取れたかどうかはわからないのだが。
鍋の支度をし、別の打ち合わせに参加する。鍋の材料は白菜、豆腐、えのき、豚肉、うどん。
雪が屋根から落ちる音が時々聞こえる。外との気温差で窓ガラスは水滴だらけになっている。雷が鳴り出した。雷と雪って両立するんだ。
寒いので今日は早めに寝よう。現在時刻22:52。
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グラスと水差し、家のなかに点々と置かれた花瓶から草木をすべて抜いてシンクに並べる。蛇口の取手を勢いよくあげて水をはり、下の戸棚からハイターを取り出して2拍ほどトプントプンと注ぐ。水のなか、横にして置いた花瓶などのくぼみに溜まった空気をすべてすくい出すと、ガラス食器の輪郭は溶け(とくに薄口のものはあとかたもなく) 何もなかった乾いたシンクはより何もなく、初秋の少し涼しい空気が窓から入る部屋はより涼しく、家の中はたちまち静寂に包まれたのであった。
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(���中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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2025.3.6
ミントティーを買う、洗濯ネットを買う、通帳記帳をする等の小さなタスクが積み重なったので「世界を手に入れた気分になるなー」と思う夜景のいつもの散歩コースではなく商店が多い方面へ歩く。外へ出たら風が強くとても寒かった。
昔、母が一瞬花粉症っぽくなった時にミントティーを朝晩飲むだけで治っていたことがあり、プラシーボ効果を狙って私もよく飲むようになった。ノンカフェインなので胃にも優しい。寝起きにコーヒーを飲みその後は水かお湯か麦茶か、ミントティーかイングリッシュブレックファーストのミルクティーをガバガバ飲む。
100均に寄ってクリップを買い、小さい頃のサンリオで見かけていたマロンクリームの小さなジッパーバックを見つけてついそれも買う。
小さい頃、銀座の路面店に2・3階建ての大きなサンリオがあり、毎年お正月に福袋を買いに行き、高島屋あたりでお茶の福袋を買い、サンリオの福袋に入っているリュックか斜めがけの鞄をその年の遠足や外出のバッグにしていた。何年かそのターンを繰り返し、何歳までサンリオのバッグを持っていたんだろう。幼稚園から小学生の間の全てなんだろうか。
茶色いシックな手提げについていたマロンクリームの絵。ずっとずっと使えなかった「るるる学園」のノート。
大人になってから100均で見かけるマロンクリームはあまりにも手頃で、可愛さに頭を真っ白にしても許され、最近の銀座の風景とは程遠い牧歌的な歩行者天国の道が頭に浮かぶ。銀座のガラスのショーウィンドウの向こうの顔のついた木、店内のメリーゴーランド。
あの頃の母の苦しみ、私が2025年に感じる息苦しさとは桁違いの女性差別、生きづらさ、ストレス、言語化するための単語の足りなさ、連帯のできなさ、私はたまにそれを思い、しかし私は母に救われていないので私も母を救うことができない。
私は母に救われておらず、それを私は小説と映画とラジオから得て、ほんのちょっとだけを母に返し(何かの電車の復路の間だけ)、私は母を救おうとはしないだろう。
私も私と遺伝子が近い誰かから救われようとはしない、いつも小説と映画とラジオと美術が私を救ってくれるから。そして、もっと乱雑な、対等な、どうしようもない大人同士でだけ救われるだろう。
マロンクリームの小さなジップバックにロキソニンとEVEと常用薬のいくつかを入れ、実家の隣駅のファストフードの奥にあった小さなサンリオの、10円や20円のマシュマロ、60円くらいのけろけろけろっぴのマスカット味の棒付き飴、いちご新聞についてくる小さなマスコットのことを思い出す。
今は有楽町の高架下などにサンリオがあり、ついふらふらと眺め、誰かのお土産を買うような顔で小さな何かを買ったりする。
池袋や新宿の世界堂とサンリオ、銀座の道端に売られていた磯部焼きのお餅、へこませてしまって泣いた透明なうさぎの形の容器。母に止められたのに外に持ち出して案の定へこませてしまって、「だから言ったでしょう」と言いながら直そうとしてくれていた母の背中。
私はいつも母の期待には応えられず、しかし私は10代のうちに母を諦めた。
私は母を救わないだろう。母は父にも救われなかっただろう。母は経済的に自立していて、上等な仕立てのヴィヴィアンウエストウッドのコートを着て、ギャルソンのシャツを着て、私よりもずっと早く最新のショッピングビルに行く。
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nostomania(懐郷病)
(自分は必死に必死に必要なことだからと堪える 、)衝撃を背景にして(耐えるけれども同時に 今)すこしとぎれた ヒトが憂げにあまる一話一句を。 狭い砂時計の護岸を彷徨う住人にとっては差し支えないが、かきまわした引き出しに、血肉・糞便、しおれた茎だけが イデアを写している 忌諱を、それら忘却の端材に記憶を添付したオンナのすがたとは、いつぞやに散らばる海水の杯で、 小説のtitleと 忘れちまった、 祈りか? エリカ。 これらつとに発酵するCRACKでDRUGでして。これだけは半ば、仮面に埋もれた巨大な機械の断片がある。視して、住み荒らされた位置は投射され あらゆるほこりと錆で覆われている、どの一部も触れば魔術的で。多くの繊維は弁で囲われてみせる。春とは。ひとくくりの新種の街路樹は青臭い風が強くてややこしい。地に群がっているこれがいびつな翌週などと、まるで残すだけの蒸気が「はかりごと」にたとえちかくみえるやもしれません わたしは 尽きた いのりを主体として ガラス向こうは明滅する/daydream. けれどはき捨てた足跡がまるごと波にさらわれて階層が閉じられた己に赫きあり、鉄と石の合間に。――回帰とはかつては祖を制御していたのだろうか。 力強く生え出た植物がちらほらと観える。同じく一部は(……まだか?)可能性により反響を固定し、わずかに靡かせる。と、罪にはならない。この炎の揺らぎは穏やかな縁で浮かぶ自我に境界を告げる 考古学者たちは手で慎重に土を払い 耳を劈く喘鳴で無機質に働く、 立する遺物を覗き込む 錯覚の歯車と戦慄の配管で体を成した路地裏の意図が絡み合い。ほそくゆるく、いつからか放置され(彼女とは。そのうちに途切た彼とは)おもいのほかほこりでくすんでいるだけかもしれないね――
〝では、では幻灯機スライドの君とご堪能あれ〟
市・昴の配置が具体的にはみ出ないように魚群の列を敷く、無気力なデザインにプロペラが波打つ施術は光にもろく墨は漂い、風紋を含んだ じれったい空。ほんとうとは、しろく、ありのままに撚ってできた ささくれの雲。それぞれ、あるくたびに/浮いたり沈んだり(その気配だ。) なによりも――ようこそ「ノ肚へ。」 ほのかな機械音がこのユウガタ。舌の先に広がり口内にひそかに残る。繊細な夢の元で。ただ欺こうとする脊髄を通る定刻発車に、身得ない時間と言い淀んで、わぁと乗る。 なんどもなんども醒めないなか、 過ぎ去りし飛空船から。 複雑な秩序が質感を保ちながらも混在したパラレルにどこへ開こうが 〈とこしえ、なんて 似ている、一瞬だ〉 けれど未だ会話を遮っては、風が白痴を生じさせるから。プライドが腐乱した装置たちが 囁くばかりに、息巻いているのだから じきに煉瓦を粗く轢いた足元はぶかぶかする。そこは古いオイルが燃えているような匂い。苔の隙間からは小さな花がひっそりと顔を出して ああ一斉に湿り気を漂わせて、陰々とした背を照らすたびにぐらぐらと錯覚する。 そして印画に立ち並んだ露点の一角をゆずると、だめね。ボロい鉄のオブジェは『大地の表面を自然にもつ〝視覚的な、幾何学的な〟亡霊に支配され。』おぼえがきは光重たくも浮し、時はそっと酔わせる味気なさと風化し……殆どはうららかな破損と癒えるでしょう 機にしてうつつ、赤い自転車は微細な粒子をキラキラとときめかせ、静かに進行し風を切ることはできるとおもうのに。存在を操作されたあらゆる受け皿は、前かがみに右に左に沈んだ紙一重を握って。澄んだ外気と埋め尽くす無数の星座をかぞえ 背をただせば、ただそこで萌して暮れ。錆びた雨上がりの、ウソい蛍の羨望に、ときに舞い流されいってしまう 「 飽き――秋――空き。 ともに誰かの夏の終わりが、」 ギアの軋む訛りに―― /放浪する旅にいくども中る 説明のつかない銀の陽気にただ降れる。それだと己が祀られた小さな祭壇すら浮き草のようで、わかっていて? 元の通りに研磨して縫ったくらしも馴染んではハリがあるくらいに。名残惜しい周波数は、酷くぶつかって。なにか御辞儀ばかり押し留めてみても、あなた、幇助にもあらわな錠をくたくたと溶かし込むだけ しらじらと軸が嗅覚に染みていて。わたしに欠けた部分をそっとなぞるから。ねえ、自然モノクロなオアシスで。大きな手で、葉を落とす無数の丸みをおもい、砕かれた意思のような、眠っていた誰かを呼び覚ますけれど。冷淡な旅愁が情けない姿で哭いた。汀にいき このさい 息を殺してやれ。 どうかどうか灯された重みは21グラムとして。『珊瑚の有機体』といった形状はふくらんでいきました。弔いをもって若草が栄え、好天を裂く月のカケラが折れるとき。くすんだ金色の光を放っている。つめたくにぶい感触が手の平に残る。 夢のまた夢だ ――きまぐれに培養された真珠骸は切になると憶はタイルに壁に運命を感じるよう、もはやどこにも属することなくすり抜けてしまった街全体が、精密にかみ合う刃車ながら、もう真っ黒な蝿が砂を盛る。 義眼を帯びた命令だけが象徴の、記憶のかたまった語彙ばかりが真っ白な蟻と毒を酌む。わずかな隙だらけの山積みに堆く。べた一面、一体となって動いていた。 填めだしのパイプから街の動脈のようにくすみ、油まみれで、わらわせる(遠くからこだまを返している)黙黙と、縛する蒸気は、周囲に形を与え、皓い煙が一瞬にして空気中に身を隠し、色彩が消えていくだけ。 そうね、このような場所はもっともあおむきで、あらわれるまえに駆けだしてしまう歩調がもう植物の葉脈を移しているかのように、必然。予兆として残響しいくらか振動する。稀。長年の風雨にさらされては。どう手を伸ばせば深部で錆びついた約束など破れ、おきる夢の奥での なおさら 執拗な痛みを直に受けとめながら、首をひねるばかりして。そのリアルな急所に沿って、無言の空想ばかりで自分を苛んでは踏みしだくたびに、(心にも無い。)胸をえぐるけれど ささやかでも。 やはり道連れの縮図であり憐れな所作であるから つまらないこと。 そらのかなたに軽やかに塗り潰すように、濃藍。あさましい一帯ほど装飾だから、焦燥の明るみは開眼で独り儚し。そうして―― (あいつさぁ『鯨骨生物群��』) ――いや、ならみな、わたつみの右側の中心から大事なところへ。血脈は随時張り巡らされた檻、こんなにもおおきく天上へループされていた ケダモノのやることだ もうだいぶ印象と補修した側道は、また、なんといっただろう。くちびるをひらく、と海上は一筋の黒の螺旋やパターンが組み混まれくずれました。盛りをすぎた陽炎に没し、不可視な地脈、透かしホオズキに中って、まんまるな実ばかりをくしゅりと潰した、落日をおもいだす 抽象画の傷は浅くて 「やさしいひと。」です うなずいて。ねえ、アレは掬い上げたつま先、から〈最果て〉まえは、なぜか違えていて。のちほど音のない交渉が解けはじめた あわいにおいて。なんだか。浮かぬ顔、そのときから羽車に未来にはなかった。仕方なく(こんなものが)ふりむいた感覚は薄明光線とすでに独り立ち、(怠け者ほど)烟り翳もまた湿気り固くなる。 怯えては 目を瞑る。 (初日~いきつづける。/なりゆき。) みないように 温もりのとおくと繋がり、あきらかに炫く。 柿は憂う前に地に伏したのに? 芒はどこか意地悪で、吃音で仕切り反して。煤けた鉄路を走る蒸気駆動の列車が 甚だしく放置された無音の証言が、イタズラな感傷は水に浸らなくては征けなくて…… しんだの。 ――深く深く何層ものおもい霧がもうもうとつき纏う 『多重夢街の凩、』 はいはい それらがヒトのこと こんなぐあいに。 バカな奴だ。トビラから切り開く領域を、果てのない光がきつい雨のようごちゃごちゃっとひっつきだす最善のいのちよ。 のぞいたことはなかったの。支離滅裂のデータの結晶の構造が隠すよう多様な物質も、哭きたくなるか。複雑な電波が物としては海上は嵐を生じさせるアラーム。そう呼ばれて。 泣きたくなるの。またゆっくりと沈黙の底に気配を消し、満にして 目立たぬ窓になにを逃避してみようと、なにげなく確実に刻まれて。ゆらいでるもとに進むには、 目を閉じれば。「これはね。」 未だ朦朧としたヒトガタだけを配色し、/(なんだそうだ。)/精緻な計算や策謀の下部にちらりとあり 黒い顔をしかめながら支えられ、わけわからぬが、砂の舟 互い向かいあうように構成されています。 ほら彗星が降る夜に。 呼応した煙突から舞いあがる終末だ そう、つとめることは盛り付けられた水嵩を圧して引いてご覧。カバーは半ば拓き、拗れた『台本〈ニンフは鯨に宣る〉』人差し指を見なければ彫刻の針は止まっている。どこかむかしを喪った、彼女の影だけ複雑で、手に手をとって。わかちあうように匂わせていた ――騒音と微かな香り 舞台上とは、そういうもの だから。―― ここは中空で、潰れそうな未来の鉱物がおもしろいほど、捕獲され垂れ下がるビルのスキマを、繊細に。〝コブのついた〟形状の性ほど、もみ合う天使どもは流れ着いた姿態と呼ばれ、ぐいと鋭いヒールが おぼつかない 舗装の上にどこか決意と秘密を道連れにしながら、またぐ、勢いに任せ、這うように、成長するにつれて、 ――巻き戻した灰石と施された遺志とで切り継ぎしたもの―― すでに異形であり不規則のうちで封印された過程など、けちけちと鼓動していく。この膿腫とてまねく阿片窟。やせている、いつかどこかも混じりあい、利き手で探るよう朦朧と錯乱する信号に絞める、 くるしみの連鎖だ。 眠る秒針の砂原は折という眼鏡をかけ、まだらな僕がつまらぬ薪の先に みつめる蒼白い地平線に ぶつかるよう侵蝕され。飛び込む程 まばらな一死をなんと記そうが……ああ塗り足しと続く朱色の架け橋が莫迦みたいなツラで辿り着けない。 エリカは 対岸とあり、解錠では蜻蛉アキヅがうつろう あちこちの蛇の目を夢幻に継ぎ合わせて 曼荼羅が形成する座間で、無効では陳舎があるんだ 触れた顔料を頃あつくふかく、ムラなく緩ませるには 瑞鳥のように息を荒げている。 唯一の真実を映しだす陽射しオテントサマがただ、 大粒の装置としてたっているだけの悪意など ばからしか/夜明けの虹 つぼみが明かない華に。互い発生した部分は ひつこく余興であり、ひとごとのくせに、「きれはし」を伝え 赤錆びた炎症は糸を巡らす。表面の順序と試作葬儀の段取りにあり、虚像と現実の境界線上で根を下ろす、 たとえ、語り尽くせぬはなばなし 〈災厄――あけはなれる。〉けれども…… 2024-09-21
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青い海と太陽に抱かれる楽園の旅 - 沖縄本島3日間のトロピカル体験
先日、待ちに待った沖縄本島への旅行に行ってきました!エメラルドグリーンの海、白い砂浜、そして温暖な気候に包まれ、まさに楽園のような時間を過ごすことができました。3日間という短い期間でしたが、沖縄ならではの文化や歴史、そして美味しいグルメも満喫し、心身ともにリフレッシュできた旅となりました。このブログでは、そんな私の沖縄本島3日間の旅の記録を、2000文字以上でたっぷりとご紹介したいと思います。
一日目:那覇の街並みと美ら海との出会い - 国際通り、美ら海水族館、そして沖縄料理
那覇空港に降り立つと、本州とは違う蒸し暑さと、どこかゆったりとした空気を感じました。まずは那覇市内のホテルにチェックインし、沖縄のメインストリートである国際通りへ繰り出しました。
国際通りは、お土産物屋さん���飲食店が軒を連ね、活気にあふれています。色とりどりの琉球ガラスや、沖縄らしい柄のTシャツ、ちんすこうなど、見ているだけでも楽しいお店がたくさんありました。沖縄そばやゴーヤチャンプルーといった沖縄料理の店も多く、どこで食事をするか迷ってしまうほどでした。
国際通りを散策した後は、今回の旅の大きな目的の一つである美ら海水族館へ向かいました。那覇市内からは少し距離がありますが、レンタカーを借りてドライブすること約2時間。青い海を眺めながらのドライブは、それだけでも最高の気分でした。
美ら海水族館に到着すると、そのスケールの大きさに圧倒されました。ジンベイザメやマンタが悠々と泳ぐ巨大な水槽「黒潮の海」は、まさに圧巻!目の前を通り過ぎる巨大な魚たちの迫力に、言葉を失いました。他にも、色鮮やかな熱帯魚やサンゴ礁など、沖縄の豊かな海の生態系を間近に見ることができ、感動の連続でした。イルカショー「オキちゃん劇場」も必見で、賢いイルカたちのパフォーマンスに大人も子供も楽しめます。
水族館を満喫した後は、那覇市内に戻り、夕食は沖縄料理を堪能しました。ゴーヤチャンプルーや海ぶどう、ジーマミー豆腐など、沖縄ならではの食材を使った料理は、どれも独特の風味があり、とても美味しかったです。特に、泡盛と一緒にいただく沖縄料理は、旅の疲れを癒してくれるようでした。
二日目:歴史と文化に触れる南部巡り - 首里城、斎場御嶽、そしてひめゆりの塔
二日目は、沖縄の歴史と文化に触れる南部エリアを巡りました。まず訪れたのは、琉球王国の王城であった首里城です。鮮やかな朱色の正殿は、その壮麗な姿に目を奪われます。残念ながら、以前の火災で一部が焼失してしまいましたが、復旧作業が進められており、その歴史的な価値を改めて感じました。城内を見学しながら、琉球王国の歴史や文化について学ぶことができました。
次に訪れたのは、世界遺産にも登録されている斎場御嶽(せーふぁうたき)です。琉球王国最高の聖地とされ、自然の中に神秘的な雰囲気が漂っていました。緑豊かな参道を歩きながら、神聖な空気に包まれているのを感じました。自然の力強さと、古の人々の祈りが感じられる場所でした。
午後は、太平洋戦争の悲劇を伝えるひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館を訪れました。戦争の悲惨さや、若い女性たちが経験した苦難を目の当たりにし、平和の尊さを改めて深く考えさせられました。資料館に展示されている遺品や証言は、胸に深く突き刺さり、言葉を失いました。
夕食は、地元の人にも人気という沖縄そばのお店へ。あっさりとした出汁と、もちもちとした麺が絶妙に絡み合い、何杯でも食べられそうな美味しさでした。お店の人との温かい触れ合いも、旅の思い出の一つとなりました。
三日目:楽園の海を満喫する北部へ - 古宇利島、備瀬のフクギ並木、そしてサンセットクルーズ
最終日は、沖縄本島北部にある美しい海を目指しました。まず訪れたのは、絶景の橋で繋がる古宇利島です。橋の上から見下ろす海の透明度は抜群で、まるで絵画のような美しさ!白い砂浜とエメラルドグリーンのコントラストは、まさに息をのむほどでした。島をドライブしたり、ビーチでゆっくりと過ごしたりしながら、楽園の海を満喫しました。
古宇利島を後にし、次に向かったのは備瀬のフクギ並木です。緑豊かなフクギの木々がトンネルのように続く道は、散策するのにぴったりの場所でした。木漏れ日が優しく差し込み、静かで穏やかな時間が流れていました。まるで別世界に迷い込んだような、神秘的な雰囲気に包まれていました。
旅の締めくくりは、サンセットクルーズに参加しました。船上から眺める夕日は、言葉では言い表せないほどの美しさでした。空と海がオレンジ色に染まり、ゆっくりと沈んでいく夕日を眺めていると、旅の思い出がじんわりと心に染み渡りました。船上では、三線の演奏も披露され、沖縄の音楽を聴きながらのサンセットクルーズは、最高の思い出となりました。
三日間の旅を終えて
今回の沖縄本島への旅は、本当にあっという間でしたが、美しい海、豊かな自然、そして独自の文化に触れ、心身ともにリフレッシュすることができました。那覇の賑やかな街並みから、北部や南部の歴史的な場所、そして離島の絶景まで、様々な表情を持つ沖縄の魅力を感じることができました。
特に印象的だったのは、やはりその海の美しさです。どこまでも続く青い海と白い砂浜は、まさに楽園そのものでした。また、沖縄料理の美味しさや、人々の温かさも、この旅をより素晴らしいものにしてくれました。
3日間という短い期間では、まだまだ体験できなかったことや、訪れることができなかった場所もたくさんあります。次回はもっとゆっくりと時間をかけて、沖縄の様々な島々を巡ってみたいと思っています。
この美しい楽園での思い出を胸に、また日々の生活に戻りたいと思います。ありがとう、沖縄!また必ず戻ってきます!
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