#インク天国
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uedah1 · 1 month ago
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読んだ本の余韻をそのままに小旅行の記録を残す
三重県の丸善でその本を見つけた時、私はこれを確実にこの年末に読もうと決心したのだった。
私の年末は読書の為にある。
正確に言うなら読書の為にもある。他の目当ても沢山ある。例えば、友達に会うこと。例えば、街を歩いて故郷の空気を胸いっぱいに吸い込むこと。
さて、この年末とは即ち令和6年、西暦2024年12月29日日曜日から31日火曜日までの3日間のことだ。
そしてその本とは古川日出夫「京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る」だ。
だから私はこれを携えて西へ帰った。
即ち名古屋から京都へと。
私の実家は京都ではないし、一度も住んではいないが、仮住まいもなかったのだが、「帰った」と言ってはばからない程には故郷のように愛している街である。
私は道中、読んだ。
しかし京都では読んだか。題に謳われし京都に着いて以降は読んだのか。読まなかった。
その代わりに京都を歩いた。
これには書かれていない京都を。即ち洛外を。
洛外のどこであるか。それは京都市伏見区だ。伏見区の稲荷大社だ。
一人でか。否、もう一人いた。大学時代の友人がいて、だから二人だった。
私たちが約束したのは令和6年、西暦2024年12月29日だった。
日曜日と言い添えるべきか。いや、もう書かずとも構わない。
バカンスに曜日は意識されない。
我々はわざと隣の駅で待ち合わせて、二人とも遅刻していて、しかしお互い気にしないで、挨拶を交わして、それから歩いて。
すぐに稲荷大社へ向かう訳ではない。
隣の駅で待ち合わせたのは訳があり、見たいものがあったからだ。
目的の一番目を達する為、京阪電車の龍谷大前深草駅を降り西へ向かう。
そこは普通の文教都市の住宅地である。しかしそこは京都の住宅地だ。並みの街とは、風格が違う。
実はそこにはカタカナ地名がある。漢字を受け入れる前の、日本の、この国の、古い古い記憶が残されている。
それを見る。標識に、看板に、自治会掲示板に。
まず、駅を降りるとそこはススハキ町である。
それからまっすぐ西へ歩き龍谷大学深草キャンパスと京都府警察学校との間を抜けていくとヲカヤ町。
誤字ではない。
地名であるにも関わらずーーー現今の国語体系ではまずありえないことにーーー「を wo」の字を冠する町がある。
それを確認して嬉しくなった所で大学の学舎群に沿ってぐるりと回って戻って来ればケナサ町に至る。
固まって所在する三つの旧い町を見、満足して私達は北進する。
するとすぐ、国際観光都市京都の、Kyotoの、面目躍如であった。
当然日本人もいて、地元の人々や九州人や関東の人がいて国の言葉が飛び交う。しかし同等かそれ以上かと思われる程に肌や、眼や、言葉の違う人がいる。コーカソイドがいて、モンゴロイドがいる。
私たちは本命の目的地に着く。
巨大な二本の鳥居の下を通り、歩く。
山を、神域たる山を登っていく。
千本を優に超えていると思われるほどの夥しい朱の鳥居が続く。
くぐる。
歩いて。
登って下って。
鳥居に挟まれた道は狭い。
狭い参道を歩いて、登って下って、鳥居をくぐり続ける。
参道で産道を連想する。
しかしこの場所で生まれるーーー生まれ直す人の数が、多い。
だから、混んでいる。
稲荷神社の狐は多産の象徴だから正しい状況とすら言えるかも知れない。
自撮りする旅人を抜かし、恋人を「映えスポット」で撮影するこれも旅人をそっと待ってから進み、家族写真を手伝おうか迷って、足を止めるが友人は行ってしまうので追う。
二人は黙って歩いていたのではない。しかし会話を続けるには狭くて、混んでいた。
だから途切れ途切れに言葉を交わした。
私たちは久方の再開をおざなりに寿ぎ、散策を開始し、以降休まず歩き続けているのだった。
体がほぐれ、心拍が上がる。
狭い参道で人を避ける為に縦一列になりまた戻りを繰り返した。並んでいても遠ざかったり肩が触れ合いそうな距離を歩いたりした。
状況に応じて左右を入れ替わったりしている内に奥社奉拝所に出た。
それぞれに願を掛け、おもかる石に挑戦した。
また、歩く。
四辻まで辿り着く頃にはすっかり日が傾いていた。
森は緑から黒に移ろい、濃さを増していた。
稲荷山参道の四辻は開けていた。視界が。街に向けて。西を向いて。
国立天文台の発表によると、令和6年、2024年12月28日の京都市における日の入り時刻は16時53分だ。
だからこの思い出はその時刻の頃だった、と後からでも断じることができる。
しかしその日の私はそこで時計を検めなかった。
スマホのカメラを夕焼けに向けながら、しかし画面の隅の時刻は確かめなかった。
バカンスに曜日は必要なく、もう時刻すらも煩わしくなっていた。
ここで明かしておくと、私は稲荷山を登るのは初めての事ではない。
なので四辻が眺望という観点ではゴールであることを知っていた。
なので念の為に尋ねた。友に。まだ、進むのかと。
進む、と友。
応、と私。
四辻の先、山頂へ向かうルートはすぐに角度を増した。我々は試されていた。
我々の腿が、ふくらはぎが、踵が、心臓が。
三の峰、二の峰、最後の一の峰に着く頃には、混雑ではなく疲れから口数が減っていた。
しかし引き返すという手はなかった。
かわりに足を出して歩み続けるのだった。
裏稲荷、という言葉は存在しないが、四辻で右を選び、一の峰、すなわち山頂からそのままぐるりとまた四辻へ戻る道は正に裏、といった風情だった。
日は暮れていた。下り道が続いた。お喋りは減り続けて今や殆ど止んでいた。
電灯がかろうじて鳥居の内側を照らしてるだけで、外側はもう全くの暗がりだった。
自分たち以外の観光客も殆ど見なかった。
四辻でまた観光客を認め、進んで三ツ辻へ再び差し掛かって、先に来た方角へは戻らず、北向きのルートへ入った。
登りと同じだけ人がいるのが道理だと思うが、目の届く範囲が無人であることが多くなる。
二人きりになることが増えた。
闇に包まれているが自分達の道筋だけは明るい。
不安定な傾斜の中で、お喋りの途切れた時、不意にこれまでに感じたことのない種類の親密さを傍らの友に覚えた。
音のない森の中で、それがいつかも分からず、方角をも知らなかった。
上と下、前と後ろ、内と外の別だけがかろうじて残っていた。
幽玄で原始的な感覚の中で傍らの人の存在は強烈だった。確固としていた。
肩が触れた。
そっと手を取りたくなってーーー迷って止した。
今日は本当に楽しかった、私は言った。
そやね、またね、友が言い、分かれた。
互いに交わり合うことのない観光客同士で混雑する、JR稲荷駅と京阪電車伏見稲荷駅の中間地点で、私たちは一人ずつに戻った。
高揚は続いていた。
私は実家へ帰る道すがらまた本を読み、実家で読み、名古屋で帰る道中でまた読んだ。
僅か三日の経過がめぐるましかった。
日常があり、今やそれは休んでおり、非日常なひと時があり、そこで新たな感覚を得、虚構の世界に入り、また出ていこうとしていた。
京都には私の過去が、今が、そして虚構すらもが重なっていた。
境目はあやふやだった。
混ざりつつあった。
帰名の道中、梅田スカイビルを見た。
JR西日本の新���速に乗り、僅か十五分揺られるだけで乗り換えの京都駅に着��た。
乗り換えの合間に京都駅舎を内から外から眺め、観察し、原広司の世界を楽しんだ。
作中、古川が住んでいたという原広司事務所策の借家を思った。
私はこの本のカバー裏に京都駅来訪記念スタンプを押すことにした。
改札の近くまで行くと、南西アジア系の浅黒い肌をした観光客がはしゃぎながら先にスタンプを操作していた。
すぐに私の番になった。
この思い付きはーーー迷わなかった。
ハンドルを下げ、抑える。
手を上げてみると案外インクが薄く、期待外れだったが、これで全てが繋がったと思った。
内と外も。リアルとフィクションも。過去と今も。
ここを地獄の、とは言わないでおく。
ここは国際観光都市Kyoto。
愛する街を離れながら、私は次の本を開いた。
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kennak · 7 months ago
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クレジットカードの国際ブランド「VISA(ビザ)」が提携先のカード取扱会社に対し、自社の決済ネットワークシステムへの乗り換えを強要していた疑いが強まったとして、公正取引委員会は17日、ビザの日本法人「ビザ・ワールドワイド・ジャパン」(東京都)を独占禁止法違反容疑で立ち入り検査した。関係者への取材で判明した。  国際ブランドへの立ち入り検査は初めて。公取委は同日、関係先として米国本社の「ビザ・インク」(米国)とアジア太平洋地域を統括する「ビザ・ワールドワイド・プライベート・リミテッド」(シンガポール)への調査も開始。独禁法に基づく報告命令などで事情を聴く。シンガポールの法人が容疑の中心的役割を果たしていたとみて重点的に調べる模様だ。  クレジットカード取引では、カードを消費者に発行するイシュアーと、飲食店や小売店などの加盟店を管理するアクワイアラーと呼ばれる二つのカード取扱会社の間で、決済システムを使った代金の請求・立て替え払いや限度額などの信用照会が行われる。その際、インターチェンジフィー(IRF)という手数料が発生し、料率は国際ブランドが決定している。  関係者によると、ビザはIRFの決定権を悪用。カード取扱会社が自社の決済システムへの乗り換えに従わない場合、料率を引き上げると圧力をかけた疑いが持たれている。決済システムは複数の事業者が競合しており、ビザは自社のシェア拡大によってシステムの使用料収入を増やす狙いだったとみられる。  公取委はこうした行為が、取引相手との「拘束条件付き取引」や競争相手への「取引妨害」といった独禁法が禁じる不公正な取引方法に該当するとみている。  一方、IRFが引き上げられると、アクワイアラー業務をしているカード取扱会社は収入が目減りすることから、ビザの要求に従って決済システムを使用。その結果、競争原理が働かなくなり、最終的には加盟店やカード会員の負担増につながった可能性もある。  日本クレジット協会によると、2023年のクレジットカード取引額は約105兆円で、ビザのシェアは国内市場全体の半分を占める。ビザが不当な要求をした提携先は、三井住友カードや楽天カード、セゾンカードなどとみられる。【渡辺暢】
公取委、VISA日本法人を立ち入り検査 独占禁止法違反の疑い(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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tamanine · 1 year ago
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見��くて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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namansharma0950 · 12 days ago
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ブチルアクリレート (Butyl Acrylate)価格の最新動向、市場指数、予測
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ブチルアクリレート(Butyl Acrylate)は、さまざまなポリマーやコポリマーの製造に広く使用されている多用途のアクリルモノマーです。これらのポリマーは、塗料やコーティング、接着剤、繊維、プラスチックなど、さまざまな業界で使用されています。これらの分野に携わる企業にとって、ブチルアクリレートの価格に影響を与える要因を理解することは非常に重要です。
ブチルアクリレートの世界的な需要
ブチルアクリレートの世界的な需要は、主に次の用途によって推進されています。
塗料とコーティング:建築用コーティング、工業用コーティング、自動車用コーティングなど、さまざまな塗料とコーティングの製造に使用され、柔軟性と耐候性に貢献します。
接着剤とシーラント:感圧接着剤、シーラント、その他の接着剤配合物の製造に使用されます。
繊維:繊維の仕上げや不織布のバインダーとして使用されます。 プラスチックとポリマー: さまざまなポリマーやコポリマーの製造においてコモノマーとして使用され、柔軟性、耐衝撃性、接着性などの特性を変更します。 その他の用途: 次のような他の用途で少量使用されます: 紙コーティング 皮革仕上げ 印刷インク ブチルアクリレートの製造方法
ブチルアクリレートは主にアクリル酸とブタノールの反応によって生成されます:
アクリル酸とブタノールのエステル化: アクリル酸は酸触媒 (硫酸など) の存在下でブタノール (n-ブタノールまたはイソブタノール) と��応してブチルアクリレートと水を生成します。
ブチルアクリレートの価格に影響を与える要因
ブチルアクリレートの価格には、いくつかの複雑な要因が影響します:
原材料コスト (アクリル酸とブタノール): ブチルアクリレート製造の主な原材料はアクリル酸とブタノールです。これらの原材料の価格変動は、ブチルアクリレートの価格に直接的かつ重大な影響を及ぼします。
リアルタイムで ブチルアクリレート(Butyl Acrylate) 価格: https://www.analystjapan.com/Pricing-data/butyl-acrylate-1334 プロピレン価格(アクリル酸への間接的な影響):アクリル酸は主にプロピレンから生産されます。したがって、プロピレン価格の変動は、ブチルアクリレートの価格に間接的に影響します。 原油および天然ガス価格(プロピレンおよびブタノールへの間接的な影響):プロピレンは原油精製の副産物であり、天然ガス液(NGL)からも生産されます。ブタノールは、プロピレンから、またはバイオマスの発酵によって生産できます(エネルギー価格によって間接的に影響を受ける可能性があります)。したがって、原油および天然ガス価格の変動は、ブチルアクリレートの価格に間接的に影響します。 エネルギーコスト(特にエステル化および精製):ブチルアクリレートの生産には、エネルギーを大量に消費するエステル化および精製プロセスが伴います。エネルギーコスト、特に電気および天然ガスは、ブチルアクリレートの価格に影響を与えます。 製造コスト (エステル化と精製): エステル化反応、得られたブチルアクリレートの精製、取り扱いと保管に関連するコストが、価格に影響します。 需要と供給のダイナミクス: 塗料とコーティング、接着剤、繊維、その他の関連セクターにおける世界的な経済状況と活動は、ブチルアクリレートの需要に影響します。建設活動 (塗料とコーティングの需要を牽引)、包装のトレンド (接着剤の需要を牽引)、繊維生産などの特定の業界動向も、ブチルアクリレートの需要に大きな影響を与える可能性があります。供給は、原材料の入手可能性、ブチルアクリレートの生産能力、工場のメンテナンス、計画外の停止によって影響を受ける可能性があります。 輸出入のダイナミクスと貿易政策: 貿易政策、関税、輸出入割当は、特に輸入に依存している地域では、ブチルアクリレートの価格に大きな影響を与える可能性があります。 為替レート: ブチルアクリレートとその原材料は国際的に取引されているため、為替レートの変動は、さまざまな国の輸入価格と輸出価格に影響を与える可能性があります。 地政学的要因: 石油・ガス生産地域、農業生産地域 (バイオベースのブタノールが使用されている場合)、またはプロピレン生産地域における政情不安、国際紛争、貿易紛争、制裁などの地政学的イベントは、サプライ チェーンを混乱させ、ブチル アクリレートの価格に影響を及ぼす可能性があります。 地域要因: 地域による需給の違い、生産能力、エネルギー コスト、規制により、地域価格が変動する可能性があります。 使用されるブタノール異性体 (n-ブタノールとイソブタノール): n-ブタノールとイソブタノールの両方を使用してブチル アクリレートを生産できますが、n-ブタノールの方が一般的です。ただし、これらの異性体の入手可能性と相対的な価格設定が、ブチル アクリレートの価格に影響を与える場合があります。 現在の市場動向と価格見通し
ブチル アクリレート市場は、世界経済の成長、主要な最終用途セクターの動向、原材料価格の変動、環境規制の影響を受けます。
ANALYST JAPAN
Call +1 (332) 258- 6602 1-2-3 Manpukuji, Asao-ku, Kawasaki 215-0004 Japan
Website: https://www.analystjapan.com
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kobayashimasahide · 1 month ago
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Happy New Year !    January 1, 2025
“Snake in the Grass”
Masahide Kobayashi, 1.1. 2025,
14.8 (h.) ×10 (w.) cm
“Uni Clip” *: Bag Closure (Plastics, Black Ink),
“Color Baran” **: Artificial Blades of Grass for the Japanese Box Lunch Partition or Decoration (Polyethylene)
あけましておめでとうございます
                        令和七年元旦
<野原のミーコちゃん>
 袋口閉具「ユニクリップ」* (プラスチック, 黒イ ンク),  
 バラン「カラーバラン」** (ポリエチレン)
*   [https://www.nou.co.jp/shop/g/g0903027790100/] 
**  [https://www.yodobashi.com/product/100000001001789064/]
  ○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○ー〜ー○
 今年の年賀状の「顔」も (胴体も)、素材���先おととし(1) ・おととし(2) と同じ「ユニクリップ」ですが、黄/虎→赤/兎から緑/蛇へと、また、口の形もポリ袋用の歯車形→網袋用の三角形から両者の併用 (顔は歯車で、胴体は三角の重ね連ね) へと替りました。 
 (もう一つの素材=「バラン」の使用と配置も一昨年とほぼ同じです。ただ、蛇の胴体が蜷局 {とぐろ} を巻いて大きくなったため、台紙の大きさもA4に拡大せざるを得なくなり、相対的に草叢が小さくなりました。)
 本来この図案は昨年=辰年の龍用……で��たが、喪中で昨年は年賀のご挨拶を欠いたため、今年=巳年の蛇に流用……しました。これで、このクリップのシリーズは全三色を使い切ったので、これにて打ち留にします。
 さて、これまでこの年賀状シリーズで毎年のように解説してきた例の造形原理と造形手法(3) ––––シミュラクラ (Simulacra)/パレイドリア(Pareidolia)/チャンス・イメージ (Chance Image)/プロジェクション (Projection)/レディ・メイド (Ready-made)/ファウンド・オブジェクト (Found Object)/アッサンブラージュ (Assemblage) ––––に関しましては、今年は、つい二ヶ月前に追記(4) したばかりのエドワード・ゴーリーのそれについて、もう少し詳しく補うことで代えたいと思います (偶然ですが、今年=2025年の日本の猫の日=2月22日は、彼の生誕100周年でもありますので)。
 
 先ずはその追記を引用しますと…………
 追記 ー2
 最近知ったのだが、エドワード・ゴーリーは、自分の “collecting” を “accumulating” =「溜め込み」と称し ([https://austinkleon.com/tag/edward-gorey/])、更に実に興味深いことには、その溜め込んだ品々を––––例えばこの林立する沢山の塩/胡椒容れを––––楕円形のお盆にぎっしり詰め並べて、それに偶然似通った全く別のイメージ (“chance image")……即ちイスラムの丸屋根を頂く塔の建ち並ぶ砂漠の城塞都市……を投映 (“projection") し重ねる「見立て」まで行なっていて
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([https://www.atlasobscura.com/articles/edward-gorey-collector])、まさに同じ造形原理を専らとする私を大い��喜ばせ励ましてくれるのである。              (10/19/2024)
 …………最近、彼の初期の代表作で人気作の『うろんな客 (“The Doubtful Guest”)』(5) を見ていましたら、その中の一場面––––「気に入りし 物をひそかに運び去り/池に投げ入れ 保護に尽力 (“It would carry off objects of which it grew fond . / And protect them by dropping into the pond .”)」(6) ––––が、この塩/胡椒容れの都市 (“City of Salt/Pepper Shakers”) によく似ていることに気が付きました。
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(6)
 この場合の「物 (“objects”)」は懐中時計ではなくて “塩/胡椒容れ” で、「保護…池 (“protect…pond”)」が “楕円形の金物のお盆 (或いは鍋か何かの容れ物の蓋?)” で、そんな「うろん (“doubtful”)」なことをしているこの変な生き物は、むろんゴーリー自身(7) というわけです。
 この塩/胡椒容れ (salt/pepper shaker) の他にも、ゴーリーの「溜め込み (accumulating)」でよく知られたものに「おろし金 (grater)」があります。
 この写真(8) の下半分は、
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(8)
彼の死後に博物館となった彼の家【ゴーリー���ハウス】が2017年に企画/開催した《エドワード・ゴーリーの驚異の部屋》展でのおろし金の陳列の様子を撮った写真(9) (の部分拡大) ですが、その上に、
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(9)
おろし金のラフ・スケッチの上に “city of graters” =「おろし金の都市」とインク+ペンで書かれ、最下部には “10. xii. 83” と日付けも書き込まれた構想メモが、組み合わされています。
 また、これとは別に、白泉社の絵本雑誌『M0E』が「特別編集」したムック本『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』(2016.4.5)(10) ––––の同ハウス内を撮ったグラビア写真頁「アメリカ現地取材 エドワード・ゴーリー・ハウス探訪」––––には、「『何かの形に見える』古道具が好きで集めていたという」(p.60) とのキャプションが付された、5~6個のおろし金がガラス戸棚に並べて飾られている写真––––(この写真(11) がよく似ています)––––が掲載されています 。
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(11)
 恐らく��ーリーはその「何かの形に」––––上記メモの中の “skyscraper (摩天楼)” や “monument (記念建造物)” という言葉から判断して––––彼が生まれ高卒まで暮らしたシカゴや大卒後30年近く住んだニュー・ヨーク–マンハッタンの高層ビル群を見ていたのではないかと思われますが、私なら、このおろし金のチャンス・イメージ (偶然の類似形) に、アフリカのマリ (Mali) 共和国の古都ジェンネ (Djenné) に建つ「泥の大モスク」(12) 
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(12)
を想起してプロジェクション (重ね映し) したくなります。
 こうした塩/胡椒容れやおろし金の他にも––––スティーブン・シフによると––––「とにかくいろんなもの。たとえば先端装飾 (フィニアル)。だだっ広い居間には、ありとあらゆる種類・サイズの…支えのない巨大なものから、小さくてデリケートなものまで…棚に載せられ…床に放り出されている…。…また、ロブスター漁に使う浮子 (うき) など…奇妙な代物が、壁際に積み上げられ…ソファの後ろに隠され…暖炉のそばには、古い…便器が置かれ、床には…巨大な牙が一本転がっている。………明らかにゴーリーには蒐集家の感性がある––––いや、『蓄積家』といったほうがぴったりするかもしれない」(13) ––––のであります。
  シフが挙げているこの「蓄積家」––––原文が探せず確認していませんが多分 “accumulator”(14) だと思われます––––の蓄積物の中で、私がここで特に採り上げたいのは、フィニアル (“Finial”) と、便器です。と言うのも前者は、かつて私が一度だけ小さいそれを拙作(15) で使ったことがあり���
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(15)
また、これを「シグネチャー (“Signature”=署名)」のように自作の殆ど全てで使っている美術家(16) も居るからで、
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(16)
後者の便器の方は、現代美術の画期を成したもので、これについては別の拙稿(17) でも言及したからです。
 先ずフィニアルに関してですが、ゴーリーが「蓄積」していた実物で、私がウェブ上で探し出せたのは12個ほどです。
 その内の一つは––––上掲 2017年の展覧会のサイトに掲載された [左-中-右] 3枚の写真(9) の内の右の写真に写っているそれ––––例のおろし金群の奥に見えるガラス戸棚の天板の上、右端の黒っぽい瓶 (?) の左隣に置かれた白い小さいサイズのそれと思しきもので、二つ目は、この写真(18) 
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(18)
の暖炉の左の床に置かれたそれです (残りの10 個ほどは、註(18) に掲げた写真 -3, 4, 5 です)。
 一方、彼が描いたそれらに関しては、比較的大きなもので印象的なものを7~8 個、見つけることができました。
 これらを見ると、ゴーリーはどうやらこのフィニアルに、自身を含む人間の姿やその心情を投映していたような気がします (擬人化)。実際、(19) は、
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(19)
肩の上に猫に乗られて “猫マフラー” されている彼のポートレート(20), (21) に似ていますし、
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(20)
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(21)
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(22)
(22)は、一人寂しくオーボエを吹く男 (“The Oboist”) に寄り掛かられ、その音色にじっと耳を傾けるふくよかな女性を思わせます。
 また、(23) は、
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(23)
告白のカードを何枚もらっても一瞥怪訝な態の女性の冷たく干からびヒビ割れたつれない心根を思わせますし、(24) の
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(24)
ジャズ・エイジ・ファッションの女性が––––風に吹かれて宙に舞い飛ぶポスト・カードを掴もうと––––右手でしがみついているそれは、少し皺の寄った痩身の老紳士を表しているようにも見えます。
                     (1. 1. 2025)
  <後編に続きます>
(1)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/672114062376697856/tyger-tyger-burning-bright]。
 一昨年は書き忘れましたが、手法はいずれも同じコラージュ (Collage 糊貼り) で、インクジェットプリント用フォト光沢印画紙 (今年は蛇の体が大きいので、これまでの葉書サイズではなくて A4サイズ) に、糊で二つの素材 (クリップとバラン) を貼り付けています。
(2)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/705204964256088064/bunny-in-the-grass]。
(3)   特に、[https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/189982445375/happy-new-year-january-1-2020-clockey] の〔註 (チュウ)〕や、[https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/639079714964783104/あけましておめでとうございます-令和三年元旦-牛の仮面] の冒頭部分を御参照下さい。
(4)   [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/181593924840/あけましておめでとうございます-平成三十一年元旦] の「追記 ー2」。
(5)   エドワード・ゴーリー著, 柴田��幸訳『うろんな客』河出書房新社, 2000 (原書は1957)。
(6)   via [http://goreyana.blogspot.com/2019/11/the-doubtful-guest-original-artwork.html]。このアーウィン・テリー (Irwin Terry) のサイトから、敢えてこの––––画家の苦心/工夫が窺える––––白修正 (ホワイト) で初めのフレーミング (枠取り) を消して外側に線引きし直し、「客」も初めのものを消して小さく描き直した版下を採録させて頂きました。
 因みに、上掲書(5) の訳者あとがき––––「〈うろんな客〉とは誰か ゴーリーとルーリー」––––には、この二行一連の “fond” と “pond” のように脚韻を踏んだ韻文である原文に合わせて訳文も日本の韻文=短歌形式にしたという訳者苦心/工夫の “本訳” とは別に、“別訳” =「散文バージョン」が収められていて、この連は––––「気に入った物があると 勝手に持ち去って/それを護るために 池に投げ入れてしまいます。」––––と訳されています。
(7)   柴田元幸は、白泉社の雑誌『M0E (絵本のある暮らし:月刊モエ)』2019年12月号 (No.482) の《巻頭大特集/謎に満ちた異色の絵本:エドワード・ゴーリー》(pp.6-37) の〈柴田元幸インタビュー:ゴーリーを翻訳する愉しみ〉(pp.14-7) の p.14 で、2018年にアメリカで出版されたマーク・デリー (後註(44) 参照) によるゴーリーの評伝をどのように読んだかとの問いに対して––––「『うろんな客』の…あの生き物がゴーリーだという解釈も新鮮だった。今まではそんなベタな読み方は無意識に避けてしまっていたんだけれど。……どこか斜に構えた読み方をしなくてはいけないような気がしていて。素直にうろんな客は、ゴーリー自身を表しているのでいいんだと腑に落ちた…。……僕は『うろんな客』のあとがきに、これは子どものメタファーだという…アリソン・ルーリーの解釈を紹介した…らいろいろな媒体がそのことばかりに言及して…そこだけ取り出して書く…。やっぱりああいう書き方はするものじゃないなと思った」––––と答えています。
(8)   [https://www.facebook.com/EdwardGoreyHouse/photos/pb.100076128755460.-2207520000/3476743572393521/?type=3]。
(9)   via [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/our-2017-exhibit]。
(10) [https://www.amazon.co.jp/MOE特別編集-エドワード・ゴーリーの優雅な秘密-白泉社ムック-MOE編集部/dp/4592843045] (但しこれは同誌の前年3月号[https://www.amazon.co.jp/MOE-モエ-2015年-03月号-エドワード・ゴーリー/dp/B005YJMWNA] の「巻頭大特集」をレイアウト等を変え「豪華」絵葉書8枚を綴込付録に加えたもので、初出はこちらです)。
(11) [https://www.flickr.com/photos/seblanglaw/2768736216/in/photostream/]。 
(12) [https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g480205-d325056-i20765132-Great_Mosque_Of_Djenne-Djenne_Mopti_Region.html]。
(13) スティーブン・シフ Stephen Schiff,「エドワード・ゴーリーのノンセンス道 (“Edward Gorey and the Tao of Nonsence.”)」 (初出 “The New Yorker”, 11.9.1992, pp.84-94):カレン・ウィルキン編/小山太一・宮本朋子訳『どんどん変に…:エドワード・ゴーリー インタビュー集成』河出書房新社, 2003初版/2023新装版, pp.155-178 収録。引用は p.169 (但し丸括弧 で括った振り仮名は、引用元ではルビです)。
(14)【人でなしの猫】の「ワズワース・アテネウム美術館で開催された…ゴーリー展のカタログ……Gorey’s Worlds, by Erin Monroe」を紹介したブログ [http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-3679.html] は「ほぼ同時期に開催された…コーネル展『Birds of a Feather: Joseph Cornell's Homage to Juan Gris』」と絡めて、ゴーリーとコーネルの十個ほどの共通点を列挙していて興味深いのですが、その一つに「コレクター」を挙げ、ゴーリーに関しては「コレクター(というかゴーリーの自己規定によれば『accumulator』=ためこみ屋)」と但し書きを付しています。私が「ためこみ」の語を教わったのもこのブログからで、遅ればせながらここに記して感謝します。
(15) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135620816060/キリストの左手の聖遺物箱-7252015-小林正秀-作-混合材-85-h-18]。
(16) Janet Eskridge <Touching The Sky> 2021 (ジャネット・エスクリッジ<天に届く> via [https://janeteskridge.com/works/])。
(17) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/152794762970/光線男は二度ドアを叩く-マンレイのドアノッカーと騙し絵卵平面卵透明巨人について]-註 (*3) (cf. 後註(33))。
(18) via [https://provincetownindependent.org/history/2024/10/30/to-edward-gorey-everything-was-a-gem/]。
 使われていないとは言え暖炉の側という置き場所や、その色から推測して恐らく下の柱部と一体のコンクリート造と思われますが、その形は極く単純で、どこにでもありそうな “角柱+球” 型です。
 例えば『敬虔な幼子 (“The Pious Infant”)』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2002, 原書は1965) の第7場面=「坊やが階上 (うえ) で…よく見受けられた… (“He was often discovered…upstairs…”)」(18)-1(via [https://www.ebay.com/itm/116307311424]) の、
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(18)-1
その「階上」=「うえ (注:元文ではルビです)」= “upstairs” に描かれた階段手摺りの角 (かど) の角 (かく) 柱もこのタイプです。
 (因みに、角柱ではない “円柱+球” 型のものは、『思い出した訪問』や『金箔のコウモリ』や『オズビック鳥』や『悪いことをして罰があたった子どもたちの話』等の中のベッドの脚に多く見られます)。
 しかし私がより注目するのは、彼の処女作––––『弦のないハープ または、イアブラス氏小説を書く』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2003. 11, 原書は 1953. 11) ––––の第11場面に描かれた階段手摺りの角 (かど) の柱です(18)-2 (via [https://www.gargoylebooks.net/product/13543/The-Unstrung-Harp-or-Mr-Earbrass-Writes-a-Novel])。
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(18)-2
 柴田元幸の「訳者あとがき」を、前後を無視して切り貼りして都合よく繋げますと––––「第一作にはその作家の本質が詰まっている、とはよく言われることだが」「ゴーリーのトレードマークのひとつ…『フ……』もいち早く登場し…『ゴーリー氏本人』も…いつもの白いテニスシューズを履いて…作品中に出てくる、主人公イアブラス氏が執筆中の小説の登場人物『グラスグルー氏』にそっくりで」「その他、あちこちに置かれたお馴染みの壺型の装飾、骨董品店で…購入され棚の上に飾られたフ……等々の細部も楽しい。ゴーリーの本はどれも細部が飽きないけれど、この本の細部の豊かさ、飽きなさは相当なもので…存分にお楽しみいただけます」––––となります。
 この第11場面は、この主人公イアブラス氏がある晩ディナーに出かけようと画面右の自室から出てきた出会い頭に、階段を上り切った階上に忽然と現れた作者ゴーリーそっくりのグラスグルー氏に出っくわす場面ですが、まさにこの「二人」(実はドッペルゲンガー=“Doppelgänger” で一人) の間に––––まさにゴーリーの「署名=シグネチャー (“Signature”)」と言ってよい––––チェスの駒のフに似たシンプルな球体のフィニアルで頭を装飾した (階段手摺りと階上手摺りが直角に交わる) 角の角柱が描かれているわけです。
 (因みに壺の方は、第1場面のクロケー場とその向こうの草藪を隔てる柵の端––––これは例の『うろんな客』の表紙と裏表紙や、彼がいつの間にか家に入り込んでその上に立って上から家族を見下ろす壺に似ています––––や、第12場面右端の暖炉の左端や、第16場面のデスクの左上や、第29場面の右端……但しこれは端が切れて上部が見えないのでフィニアルかも……というように3~4個見出せます)。
 実物のフィニアルの方に話を戻しますと、ゴーリーが亡くなった直後に撮影されたケヴィン・マクダーモットの写真/文による写真集 “Elephant House or, The Home of Edward Gorey : photographs and text by kevin McDermott” (Pomegranate Books, 2003) の中の一枚 (18)-3 (via [http://goreyana.blogspot.com/2011/05/edward-goreys-home-elephant-house.html]) には、
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奥の二つの窓の前に置かれた白い二つと、左端手前の床の上に置かれた黒い大きな一つが写されています (後者の切れて見えない上部は、(18)-4 [https://www.digitalcommonwealth.org/search/commonwealth:fx71cs102] の暖炉の右側に写っていて、フィニアルであることが分かります。
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(18)-4
 因みにこのサイトの別の写真 (18)-5 [https://www.digitalcommonwealth.org/search/commonwealth:fx71cs12m] の左上には、白くて丸い大きな一つと、黒くて細い小さなそれが7~8個、黄色いミニカーの側に写っています)。
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(18)-5
 もう一つ、興味深いものに、(これはフィニアルではないのですが) 五輪塔=“Gorintoh, Five-ringed Tower" (18)-6 (via [https://www.yelp.ca/biz/edward-gorey-house-yarmouth-port]) があります。この写真
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(18)-6
の右側の––––因みに前掲書 (10) の p.62 下段の「暖炉もある、広々としたキッチン」(キャプション) の写真 (にも写っていますが、そこ) では左側の––––窓辺のワークトップ/キッチン・カウンター (worktop/kitchen counter) の右端手前の際に写っているのが見えます。それでなくても死や墓地や墓石に惹かれて作品の中にもそれらを多く描き、また、英訳の『源氏物語』を耽読し、<竜安寺の石庭>に憧れ続けたゴーリーですから、この日本固有の墓石造形の意味を知らないわけはなかったと思いますが、私が思うには、彼はその意味を離れた「始原の目」–––– (“l’œil existe à l’état sauvage”-André Breton : Le Surréalisme et la Peinture, 1928 ; [https://www.edition-originale.com/fr/litterature/editions-originales/breton-le-surrealisme-et-la-peinture-1965-53539]) ––––で、それを一風変わった面白い “変わりフィニアル” の一種と見たのではないでしょうか。
 因みに、この「暖炉もある、広々としたキッチン」の、その暖炉
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(18)-7 [https://www.flickr.com/photos/greenvelvet/7851978788/] の焚き口には、一対の鉄製であろう細くてシンプルな “角柱+球” 型の “andirons (薪載せ台)” が写っていますが、これによく似た商品の広告サイト(18)-8 [https://www.ebay.com/itm/265394440144]
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(18)-8
の併載商品を見ると、このジャンルもまた、華麗なフィニアルの活躍の場/見せ場/見本市なのだということがよく分かります。
(19) [https://www.etsy.com/jp/listing/938469346/gothic-home-decor-vintage-gorey-cat?show_sold_out_detail=1&ref=nla_listing_details]。
(20) <エドワード・ゴーリー、マサチューセッツ州ケープ・コッド、1992年10月18日>(via [https://www.newyorker.com/magazine/2018/12/10/edward-goreys-enigmatic-world])。
 撮影者はファッション写真家のリチャード・アヴェドンで、彼の美学が隅々にまで行き亘った “ファッション・モデル、ゴーリー” の写真です。
(21) via [https://www.newyorksocialdiary.com/jill-krementz-photo-journal-a-celebration-of-cats/]。
 こちらの撮影者は、小説家のカート・ヴォネガットの二番目で最後の夫人であるジャーナリズム/ポートレート写真家のジル・クレメンツで、上のアヴェドンのそれ(20) とは対照的な、アンティーム (“intime”) で穏やかな優しさにあふれた写真 (“April 24, 1976”の日付と署名入りのプリント) です。
(22) [https://www.facebook.com/EdwardGoreyHouse/photos/pb.100076128755460.-2207520000/5380529615348231/?type=3]。
 この<The Oboist>は【ゴーリー・ハウス】2016年企画/開催展の紹介頁 [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/our-2016-exhibit] のカットにも使われています。
 因みに、同ハウスのウェブサイトの “Exhibits”→“Past” の頁 [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/edward-gorey-house-exhibits] の2016年の項のカット(22) -1 の方は、
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(22)-1
足を投げ出して坐った腿の上に載せた画板の紙片に “EG” という「モノグラム (“Monogram”=組み合わせ頭文字署名)」をレタリングしているゴーリーと、その前に置かれた (後掲の “トルコの塔型” チェス(25)-6 の “Bishop”や“ Knight” によく似た) フィニアルを––––まさに “もう一つの署名 (Signature)” ででもあるかのように––––描いています。
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<* 後編より* (25)-6 (via [https://royalchessmall.com/en-jp/collections/camel-bone-chess-pieces/products/4-6-turkish-tower-pre-staunton-chess-pieces-only-set-black-white-camel-bone])。>
(23) via [https://www.pomegranate.com/products/edward-gorey-mysterious-messages-boxed-notecards]。
(24) via [http://goreyana.blogspot.com/2012/05/national-post-card-week.html] (前掲(6), (18)-3 と同じアーウィンのサイト)。
 この作品は、前掲誌(7)  の中の〈濱中利信コレクション2:日本初公開も多数!;ゴーリー・カード・ギャラリー〉(pp.34-7) の p.34 に、「ニューヨークの書店、ゴサム・ブックマートで毎年行われた、貴重なポストカードを展示するNational Post Card Weekの告知用にゴーリーが描きおろした……1984~1996年までの全13種からセレクト」された7枚の内の一枚として掲載されています (画中の女性の、風に長く棚引くスカーフに日付が書き込まれている通り、これは7番目=1990年のものです)。
 因みに、このアーウィンのブログに再録されているゴサム・ブックマートの販売/宣伝用説明書を見ると、先ず、この “スカーフを風に長く棚引かせたジャズ・エイジ・ファッションの女性” のカードを “Isadora’s lost card (イサドラの失くしたカード)” と書いていて、これがゴーリー自身による命名かどうかは兎も角––––何しろ1967年に創立者の後を継いで書店を買い取り、ゴーリー没後は著作権管理者の一人となった二代目店主アンドレアス・ブラウンとゴーリーの親交から考えて、これは充分有り得る話だとは思いますが––––この女性は (イサドラと言う以上は) イサドラ・ダンカンのつもりなのかもしれません (ただ、ギリシャ・リヴァイヴァルのチュニックを着て裸足で踊ったダンカンに唯一通じている所は、乗っていた車の車輪に巻き込まれて彼女を死に追いやることとなった風に棚引く長いスカーフだけですが……)。
 また、前掲(23) も、そのオリジナルは、横に伸びる欄干に “N… P… … W…  MAY 3-9, 1992” の日付が入った白黒で、この NPWシリーズの9番目のものです。アーウィンの記述では–––– “このシリーズは、NPW が終われば宣伝/招待状の役割を終えて、新たに文字や数字を削消してメモカードや絵葉書として印刷/販売された (they have been issued as note cards and post cards with the wording and dates removed)”––––とのことです。
  <後編に続きます>
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namarko · 1 month ago
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日曜日!
今週は毎日日記を書いていたから今日が日曜なのを忘れていてゆるく書くつもりでいた!
日曜なのでしっかりめに書くぞ
今週は仕事納めをして
クリスマス特に何かを貰ったり買ったりしていなかったな〜と思いつつ気になるお店にも行きたくて天神の方に行ってみた
パルコに寄ったらちょうどアクセサリーのブランドがポップアップをしていて
そのお店の名前が「TEN.」
TEN!!!と驚きつつ展開の仕方やアクセサリーの雰囲気もすごく好みで��らっと商品を見てすごく気になったものもありつつ決して安くはないので一旦保留と思って他のお店を見たりした、だけど最終的に戻ってきてしまいじっくり一つずつ眺めていたら
リングが特に種類が沢山あってここ数年長く着けられるリングが欲しいなと思っていたのでちょうどいいなと思いお店の人とも話しながら迷って
これだ!!というものを買った
普段アクセサリーはシルバーとゴールドを混ぜて着けるのが好きなので今持っているリングのがゴールド多めなので今回はシルバーのものを選んだ
ハートだけどシルバーで手作業で作られているのか可愛くなりすぎずかっこよさも感じて
久しぶりに私これが!!ほしい!!お値段は安くないけどどうしても欲しい!と強く感じたので長く大切に使おうと思う
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そのままお目当てのお店にも寄った、
前に高校の同級生の個展を見に行った時にその会場になっていた所
その場所のオーナーさんが上の階で万年筆や国内外の紙、手帳などを置いているおしゃれな文房具屋さんをしていて今度ゆっくり見にこようと思っとので今年のうちに行ってきた
店主のイメージはゆうがたクインテットのあのインパクトあるお兄さん、あの方の髪をストレートじゃなくふわふわっとさせた感じ
以前一瞬寄った時に万年筆が沢山置いてあったので気になっていてと伝えたら嬉しそうに万年筆について色々と教えてくれた、一気にすごい勢いで話してくれるもんだから聞きながらなんだかおもしろくなってきてた好きなものについて語る人は見てて楽しい��素敵で嬉しくもあった、
「そんなに高いものを買う必要はないの、」って教えてくれたことが印象深くて
これまた万年筆もそこらへんの文房具屋さんで何百円とかで買えるようなものしか持ってなかったからいつかちょっといいもの欲しいなと思っていたから今日しかないとそして目の前にまさに私好みの万年筆!お値段も予算内なものが!
せっかくだから試し書きもしてみてと陽の光が差し込む窓際のテーブルに案内されて「書いてみて」と、
書く言葉が浮かばず「黄冠亨」(ヘンドリーの名前)と書いた
いい字書くね〜と言われて照れる
字上手いねと言われると全然ですと思う気持ちで申し訳なくなるけど
いい字だねと言われると相手の感じ方による感想だから素直にありがとうございますと言えるなと感じた
インクを入れるタンクのようなものも色がいくつかあって本体が透明だから色々な組み合わせができるよ言われ悩みに悩んで黄色にした
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かなり気に入ってる
水ですすいで綺麗にしたらどんな色のインクでも使えるから楽しんでねと教えてもらえたのでこれからこの万年筆で文字を書くことがすごく楽しみ
人と接する時の言動や表情だったり自分がこうありたいと思う姿があるけど実際には無意識に人によってその人に合わせた言動をしてしまっていたりするから本当の自分というものが分からなくなっているなと今年特に悩むことが多かった、
本当の自分、素の自分でいたいけどどうしてもカッコつけたりしちゃってるんだろうなーと、てか本当の自分ってなんやねん
最近中国語の勉強をする時によく���ートに文字を書くようになって自分らしさの表現の一つに文字もあるよなと気付いて
文字を書くことを改めて大切にするようになった
2025年はもっと沢山文字を書いて自分の目指す字を書けるようになりたい
��れは来年の目標の一つですね、
今日は本屋に行って去年気になっていたけど結局買わずにいた本をみつけて買って帰った
年末年始で読めるかな〜
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voilld · 2 months ago
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TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun
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この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔を持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。そのエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一��して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであっても、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル。夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素子の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。っていう見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈のパターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分��自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘
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安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD     個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY     個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD     ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD     グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY     グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
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lyrics365 · 3 months ago
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ストロベリー・バレット・ナイト
忍ばせてた切り札 サビついた引き金を引き 彼方まで突き進め 世界を変えるぜ ストロベリー・バレット Oh Yeah!! 星も黙りきっちまう シャイでクレイジーな夜に 恋や愛だ甘ったるい歌なんて蹴り飛ばせ!! ドス黒いキャンバスに 赤いインクをぶちまけて 塗り替えちまえよ すべて 天国でも地獄でも Yeah Na Na Na Baby Baby Rock You Sweety Crazy Feeling 今夜弾丸みたいにオマエを連れ去るぜ まだ眠る時間じゃねぇ 踊り足りねぇ ベイベー 撃ち抜けよ弾は一発 ストロベリー・バレット ストロベリー・バレット Oh Yeah!! まだ満ち足りやしないぜ 俺の中の心の底 何もかもを飲み込み 破壊尽くす欲望 穴に潜ったままの ウサギみたいにはいられねぇ 指し示せよ、己を 魔王のように俺はロックンロール!! この手で染めるぜ I Wanna be the…
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enakuroda · 6 months ago
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丘へ
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星屑が記述する線の意味
光の傷が流れる意味
鳥の心が廃墟みたいに染まる世の
裏拍で聴く心音が、
筋繊維を月の文様に変える
そして、生後十ヶ月の僕が書いた紅い太陽は
現在も脳裏の雪を溶かしている
捧げながら、
崩落したと聞かされていた橋を飛び越える情動が月の血管を神さまみたいに切ることに至り、僕はあいまいで柔らかい手つきの少女のまぼろしを追って走っていた、世界から零れ落ちた言葉を集めながら、
星々は終身の息であると決めた世界の秩序を創造する老人はもういないから、きみは「祈りの廃墟の国」の底にある「翼の骨」を掘り出して、嘆きの高さで星座を創る、だから僕たちが触れる永遠はチェレンコフ光の靑で満ちている、その瞬間を見て、僕は泣いていた、泣きながら、熱が熱としてうつくしいままであるように祈っていた、街は静かに燃えている、だから走って、雪の速度で
でもさ、僕たちの街が燃えるなら、昔、鉄塔の下できみが僕の腕に刻んだ「靑く澄む失語」の傷は記憶として永遠になるから、きみがその時何を考えていたのか僕にも触れられるかもしれない、数少ない希望として、
花が花であるように祈り続ける千年の樹海は毒を溜め込んで、解毒されないまま鎮静している、僕は奥に、もっとも深いところに入り込んで愛になるまでを待つ、手の先から順番に身体が樹木に変わってしまっても(何も抱きとめられない)、夜の暗闇に呑まれても忘れない(レーテを拒否しているから)、
その速度で、その純粋さで一角獣の言葉を記すことがぼくの意味であり手紙であるとき、靑いインクが軋轢する現象
すぐに墜ちてしまう靑空を綺麗な小瓶に詰めて永遠にするように、そして、
きみが何かを喪うことは祈りじゃなくて、赦しでもないただのよろこびを欠いた唄だから、それを避けて 灰が灰であるように 夜が夜であるように(Eternity touches eternity, like snow)、でも、
すべて偽の星座である 
でも、僕たちの生の痕跡である
その高度の構造を、射抜く昏がりは存在しないから
永遠になる 灰になる 群青として
ハレルヤ、
白夜、
(星の光が褪せてゆく、海の波音も消えている、大地はない、空もない 、ここには雪しか降らない、)
そして、
永遠に触れた指先が呪われたように生から離れてゆく深夜、僕たちがまだ識らない色調の花々が「滅びの朝」という意味に変わって、街の聖者は「赦すこと」と「怒りの日」のあいだで震えている、彼は善意の隠喩の鳥の死骸を拾い、僕たちが知っている丘に埋葬する、
そして世界はリンボになる、同じ速度でアダムが笑う 崩れるところを見ていてほしい
だから、言葉の意味を呪わずに、祈りの清さの梯子を掛けて、
日が暮れる美しい土地の記憶を描いて、
歪に狂わない丘へ行こう
きみが河の向こうへ渡るとき、月光は澄んでゆくから
太陽の無い対岸で、眠りの底に沈むとき、
丘の頂上に天使の死が引きずられてゆく。
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artshirts-factory · 8 months ago
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シルクスクリーン印刷、Tシャツプリントの登竜門「Tシャツくん」のインクやメッシュなどの材料を店頭販売しています
店頭在庫確認などお気軽に
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Tシャツくんに対応したシルクスクリーンプリント用のインクです。インクはプリントする素材や用途に応じてお選びください。完全に乾くと洗濯できます。
一番人気は、初めての方にも使い易い水性インク。天然素材やポリエステル混紡素材にプリントすることができます。2色以上のインクを混ぜて好きなカラーを作ることもできます。
福岡のDIY摺師さんたちのお役に立てれば幸いです!シルクスクリーンクラブ活動部員勧誘しようかな⁉︎
1枚からオリジナル デザインTシャツ作成できますし、店舗があるので直接来店相談が出来ます🏡
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国内外のTシャツブランドを取り扱っております。無地Tシャツでも購入出来ますのでお気軽にお越しください
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福岡オリジナルTシャツプリント制作ショップ
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アートシャツファクトリー
〒810-0005
福岡県福岡市中央区清川3-27-16
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mojihype · 11 months ago
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死怨
 僕は幽霊のようなもので、ナメクジではない。ナメクジは塩でも砂糖でも溶けるけど、涙を煮詰めた結晶しか僕には通用しない。でも僕なんてナ��クジみたいなものだ。じめじめとしたところでやっと息ができる。
 昔むかしある所に僕がいました。ちっちゃなでくのぼうはナメクジみたいだなと言われて誰にも相手にされませんでした。当時慢性鼻炎がピークで、ポケットティッシュではおいつかないくらい鼻水がでていました。いつも袖で拭いていて、いつも同じパーカーを着ているので、それが皆にはきたないと判断されたのでしょう。
 吸っても吸っても酸素は薄くてまともに勉強ができませんでしたが、大人になると粘膜も成長したため、僕はあのつまらない集団からいち抜けた、ができるようになりました。鼻水と引き換えに人権を獲得すると、僕にはいろんな可能性があることに気づいてしまいました。
 僕は映画監督になりたかったのですが、学費が足りないという理由で人格否定されました。お金のないのをわかっていないこと、その上で映画監督になるなんて言うのは恥ずかしいことだよ、と言われたようでした。僕はすんなり納得しました。
 なら平凡になろうと、平凡なことしかやらない大学に入りました。なるほど平凡はすばらしく居心地がよいものでした。しかしその日々は続かず、就職活動時にはなぜか「平凡という目線を捨てる自分」を急に求めるもんだから、あわあわしてしまいました。
 それでも僕のすばらしいところは社会に適応するところです。内定をもらいました。しかし、僕はこの会社のことがあんまり好きじゃないことに段々強く気づいてしまいました。かと言って辞めるわけありません。辞めたらこの会社がかわいそうだからです。
 かと言って僕はなにかのために生きられそうにありません。僕はいま彼女とセックスをしていますが、はっきり言ってものすごく頑張っています。彼女の身体に欲情しつづけるには、一切感情を捨てなければならない。そして僕は彼女に言うんです「愛してるよ」って。
 僕は常に頑張っています。これは僕にとってはものすごく奇跡的な継続なのですが、前時代に言わせると当たり前だそうですね。本当かな。鼻水で自分が見えなかった僕みたいに、前時代は人類を自覚できてなかっただけではないのか。
 僕はもう気づきつつある。頑張っていることは無駄だと。同時に僕は信じてもいる。頑張っていることがこの国の魅力だと。僕はこの国のごはんしか食べられないから仕方なく従うけど、本当はごはんくらいしかいいところがないのを知っている。
 もうすぐつぶれそうな店でナメクジ顔の男がしめじのペペロンチーノを食べているのをガラス越しにみているが、ちゃんちゃらおかしい。なんで僕はいる? なんで僕は生きる? 今死ぬまで暇をつぶしているのは一目瞭然だが、何を待っているのだろう。
 死にたくない、と思うようなかがやきを多分待っている。なんて言ったら馬鹿にされるからSNSには書かないけど。そんな光はキリスト由来のものでも、アッラーがもたらしたものでも、仏陀が垂れ流したものでも、ない。
 僕は君を信頼している。僕にとって君が神みたいなものなんだ。神っていうのはそれくらいチープであるべきだ。僕はいつか君に恋に落ちる。君が僕の薬指を噛み千切るかどうかは、今は考えなくていい。
 君が僕の意識に触れて涙を流したなら、僕は天に羽ばたけるだろう。君は僕がどこにいるかわかるかい。わからないだろう。僕は精子さながらインクが渇くと共に死んだんだ。  僕に塩をかけてくれ。
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furoku · 1 year ago
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kennak · 6 months ago
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「より正しい、より確かな情報」のために町長が呼んだのは 住民説明会には、約150人が参加した。会場の広さの関係で2回に分けて実施された。 町長の山本は、冒頭の挨拶でこう述べた。 「課題に向けて町一丸となって取り組んでいるわけではございますが、多くの情報が錯綜しております。より正しい、より確かな情報を皆様方と共有することが、今後いろんな課題を克服する上で大切だと考えております」 では、その「正しい情報」を教えてくれるのは誰なのか。 登壇したのは、医師で国立環境研究所所属の科学者、中山祥嗣だ。 国立研究開発法人国立環境研究所で、環境リスク・健康領域エコチル調査コアセンター次長と曝露動態研究室室長を務める。 中山は、「国立環境研究所」のロゴが入った資料を配布し、同じスライドを投影して説明を始めた。 「シートベルトをしなかった場合の事故リスク」を例えに 中山はまず、PFASそのものについての説明をした。物質の特徴や使いみち、国内外の規制についてだ。 だが、吉備中央町で検出されたのが、PFASの中でも特に毒性の強いPFOAであることは言わない。WHO(世界保健機関)のがん専門機関「IARC(国際がん研究機関)」は、PFOAについて「発がん性がある」と断定。最もランクの高い「グループ1」に分類している。米軍基地の周辺などを汚染しているPFOSは「発がん性の可能性がある(グループ2B)」で、PFOAより2段階低い。 町民が心配している健康への影響はどうか。 「出生体重と免疫への影響は否定できないが、その他の影響に関する証拠は不十分」 「分からないことが多い」 さらに中山は、PFOAを摂取したからといって必ず発症するわけではないと言い、こう説明した。 「今日みなさんがお帰りになるときに、シートベルトをしなかった場合、事故に遭った時に亡くなる可能性・リスクは高まりますが、すぐに事故に遭うというわけではない。それと同様に、健康影響のリスクは上がりますが、すぐに何か起こるわけではない」 PFOA製造工場の労働者については、多くの人が「健康に影響をきたしているわけではない」などと説明した。 中山は、PFOA工場で起きた凄惨な歴史を知らないのだろうか。 米国のPFOA工場では、PFOA製造ラインにいた多くの従業員たちが体調を壊した。だが、会社からはPFOAの危険性を知らされておらず、原因がわからない。従業員たちは、「テフロン熱」と呼んでいた。 1993年、米ミネソタ大学の研究者は3MのPFOA工場の従業員を調べ、PFOAの曝露と前立腺がんとの因果関係を指摘した。 デュポンの工場では1981年、PFOAの廃棄物を扱う仕事をしていた女性従業員から、右目が歪み、鼻の穴が1つの子どもが生まれた。PFOAの動物実験でみられていた症状と同じ、先天性欠損症だった。その一人だけではない。同じ工場では女性従業員7人中2人から、同じような症状の子どもが生まれた。 「プールにインクを一滴落とした程度」 中山は、先行して検査を受けた「有志の会」の血液検査結果についてはこう説明した。 「検査の結果を分かりやすく言うと、小学校のプールにインクを一滴落とした、それぐらいしかないんです。今はすごく感度良く測れるんですけれども、あの濃度でもプールに1滴インクを落とした程度。混ざったら何色かもわからないですよね。それぐらいしかありませんので、血液の検査値に直接的に影響するということはありません」 しかし、検査を受けた27人全員が高濃度だった。平均値は171.2ナノグラム/mL。国が出した全国平均値の78倍だ。 中山は何を言っているのか。そう思っていると、別の町民からの質問に対しては異なる回答をした。 「一部の方の血液検査の結果は、一般の方よりも高い。この水を飲んだ結果だろうということは明らかだと思います」 「一方で、米国デュポン工場の周辺で飲料水のPFOAが高かった。住民たちが訴訟を起こした��、その時の濃度と中央値で比べると、半分ぐらい」 米国では、デュポンのPFOA工場の周辺住民約7万人を対象にした調査が行われた。独立科学調査会が実施した、世界最大のPFOA疫学調査だ。その結果2012年に、PFOA曝露は妊娠高血圧症、妊娠高血圧腎症、精巣がん、腎細胞がん、甲状腺疾患、潰瘍性大腸炎、高コレステロールへの影響があることが証明されている。 だが、中山の説明は事実と異なる。 中山は、吉備中央町民27人の濃度はデュポン工場の周辺住民よりも低いと言ったが、実際には吉備中央町民の方が何倍も高い。 私はカバンから米国独立科学調査会の調査結果を取り出した。PFOA取材をするときはいつも持ち歩いている。その場で数値を確認した。 米国デュポン工場の周辺住民(6万9030人) 平均値:82.9ナノグラム/mL 中央値:28.2ナノグラム/mL 吉備中央町「有志の会」(27人) 平均値:171.2ナノグラム/mL 中央値:162.6ナノグラム/mL 中山の説明に対して、ある町民が疑問を呈す。 「今おっしゃった、デュポンの周りで測った血中濃度が、吉備中央町民よりも数値が倍だというのは本当ですか? 」 「有志の会」メンバーの阿部順子だった。順子は2023年10月に水道水汚染が発覚して以来、国内外の情報を集めていた。中山の事実誤認に気がついたのだ。 順子が質問していると、司会を務める町保健課長の塚田恵子が「あとから・・・」と遮ろうとする。 町長の山本も「途中なので。あとから質問の時間を取りますので」と質問を止めさせた。 だが、この点は重要だ。吉備中央町民の濃度はPFOAによる健康影響が証明された米国住民の濃度よりも低いという、事実と異なる情報を伝えたまま話を進めてはいけない。 私は「すみません、報道の者ですが」と断った上で、「事実と異なるので、今きちんと訂正した方がよいのではないでしょうか。質問ではなく、事実誤認なので」と伝えた。 すると中山は「私の言い方が間違っているのかもしれません」。 「独立科学調査会がやられたデュポン工場周辺の中央値と比べると、同じぐらいだと言えると思います」 だが、これも違う。「同じぐらい」ではなく、吉備中央町民が5.8倍高い。 中山は続ける。 「飲料水の濃度が非常に高かったリトルホッキングという地域と比べると半分」 これも違う。それに気づいた順子が「リトルホッキングでの中央値は227ナノグラム/mLだったと思うんですけど」と指摘すると、中山は言う。 「同じくらいか半分ぐらいじゃないですか」 先行して検査を受けた吉備中央町民27人の中央値は、162.6ナノグラム/mLだ。227ナノグラム/mLの半分ではない。 順子が「明らかに半分ではないですよね」と言うと、中山は「明らかに半分ではないですけど、まああの・・・」と言葉に詰まり、「約半分ですよね」と繰り返した。 会場からは苦笑いが起きる。 もう話にならない。
事実誤認を重ねた国立環境研の科学者【岡山・吉備中央編-12】 | Tansa
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kachoushi · 1 year ago
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零の会
2023年8月5日
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於:青山いきいきプラザ ~青山墓地
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
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坊城俊樹出句
十字架の墓夏草を立ち上がる シスターの墓は異国の地に灼けて 薔薇を彫る墓に眠れるヴィクトリア 夏蝶の郷愁として寝墓へと 夏草に宣教師らの夢眠る 掃かれある夏蝶の死と墓無縁 利通の墓へ鋼の夏日かな 教会を模した寝墓も地に灼けて 摩天楼も暑き墓石のひとつかな 藍浴衣いよよ姦し年増また
坊城俊樹選 特選句
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坊城俊樹選 特選句
夏蝶の影夏蝶の見当たらず 和子 夏帽を墓誌にぱさりと一礼す 小鳥 炎帝の甘い息なり草いきれ 和子 ビルとなく夏草となく墓となく 千種 墓参直方体の石たちへ 緋路 刻む名のなき墓石の灼けてあり 和子 十字架の寝墓を埋めし夏の草 美紀 空蝉を俯きにして走り根に 要 炎天にかつて士族は墓じまひ いづみ
坊城俊樹選 ▲問題句
髪ほつれオノヨーコ的サングラス 千種
坊城俊樹選 並選句
大鴉飛び込んでくる夏木立 いづみ 日傘閉ぢては笑ふ乙女かな 佑天 あふひの墓祓ひに早き秋の風 順子 ドラキュラのやうな��墓も灼かれたる いづみ 青山のいち番強き蚊に出逢ふ 三郎 日傘閉ぢ墓とひとつになり拝す 荘吉 炎帝は茂吉の墓に居座れり 佑天 寝墓へとまた戻りくる法師蟬 慶月 炎帝に穴といふ穴ふさがれて 和子 夏行くや墓木の空を雲流れ 千種 百合すべて俯いてをりマリア像 緋路 元勲の墓より出でし金亀虫 佑天 その穴は昭和へ続く蟻の道 三郎 声かけて墓にも日傘さしかけて 荘吉 洗はれて涼しく侍る消防車  要 白百合はマリア観音への牧歌 順子 奔放で供花ともならず猫じやらし 荘吉 茂吉一人黄泉の国にて灼けてをり 佑天 炎帝にまとひつかれし絵画館 六甲 墓標より峰雲そそり立てるかな 光子
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岡田順子出句
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岡田順子出句
ひとゝきの逢瀬のごとく墓洗ふ 蟬の木の作つてくれる影に入る 高みより坊城雀涼みませ 白百合はマリア観音への牧歌 原爆忌中子忌と書きたるインク 俤は老いず夢見る蟬時雨 イザベラの墓碑へ約しき法師蟬 ねこじやらし茶房の隅に小犬鳴く ストローの最後に晩夏の一滴 あふひの墓祓ひに早き秋の風
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岡田順子選 特選句
睡蓮の影睡蓮の葉に揺るる 緋路 利通の墓へはがね鋼のなつひ夏日かな 俊樹 墓参直方体の石たちへ 緋路 葬列の中のたじろぐ黒日傘 三郎 あふひ句碑墓域にありて百日紅 佑天 奔放で供花ともならず猫じやらし 荘吉 青山の水に肥りし金魚かな 美紀 夏草に陋屋のごと耶蘇眠る はるか 立ち枯れの草より薄き八月の蝶 和子 イザベラの墓へ絵日傘高く上げ 小鳥
岡田順子選 ▲問題句
炎昼のたまごサンドのぐにやりぐにや 久
岡田順子選 並選句
折紙のやうにハンカチ畳むひと 要 藍浴衣いよよ姦し年増また 俊樹 鉄砲百合マリア仏の肩越しを 光子 百合の香にそむきて魚籃観音は 小鳥 寝墓へとまた戻りくる法師蟬 慶月 凌霄に頭を低うして入る茶店 光子 教会を模した寝墓も地に灼けて 俊樹 簡素なる茂吉の墓を蟻の道 光子 無有恐怖と知らずに聞こゆ旱空 軽象 下にご用の鐘を置く凌霄花 きみよ 百合すべて俯いてをりマリア像 緋路 戦死せし息子従へ灼くる墓 眞理子 烏瓜の花しぼませて草野球 眞理子 チェックの卓布ストライプの日覆 千種 夏草に宣教師らの夢眠る 俊樹 喜屋武の墓青山に原爆忌 小鳥 夏蝶の郷愁として寝墓へと 俊樹 八月の其の日彼の日の近き墓 荘吉 従五位の墓前の天牛許しをり 三郎 炎天にかつて士族は墓じまひ いづみ 十字架の墓夏草を立ち上がる 俊樹 茂吉一人黄泉の国にて灼けてをり 佑天 アイスコーヒー九杯で満員の店 眞理子 シスターの墓は異国の地に灼けて 俊樹 八月や青空の刃の鋭利なる 緋路 老犬と老婆の茶房凌霄花 昌文 凌霄花咲く頃いつも墓に会ふ はるか
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namansharma0950 · 14 days ago
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グリコールエーテル (Glycol Ether) の価格動向: 詳細なチャート、市場分析、将来の見通し
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グリコールエーテル (Glycol Ether) は、エーテルとアルコールの両方の官能基を持つ有機溶剤の一種です。このユニークな構造により、幅広い物質に対する優れた溶解性が得られ、さまざまな産業および商業用途で価値あるものとなっています。塗料やコーティング、インク、洗浄製品、医薬品、その他の関連分野に携わる企業にとって、グリコールエーテルの価格に影響を与える要因を理解することは非常に重要です。
グリコールエーテルの世界的な需要
グリコールエーテルの世界的な需要は、主に次の用途での使用によって推進されています。
塗料およびコーティング: 流動性、平滑性、乾燥性を向上させるために、さまざまなタイプの塗料、コーティング、ワニスの溶剤として使用されます。
インク: 印刷インク、特にスクリーン印刷およびフレキソ印刷の溶剤として使用されます。
洗浄製品: グリース、油、その他の汚染物質を溶解する能力があるため、産業用および家庭用の洗浄製品の溶剤として使用されます。
医薬品: 医薬品製造の溶剤および中間体として使用されます。 その他の用途: ブレーキ液、電子部品製造、繊維、農薬など、さまざまな用途で使用されています。
グリコールエーテルの種類と用途
グリコールエーテルの主な種類を区別すること��重要です。価格設定はさまざまな要因によって左右されるからです。
リアルタイムで グリコールエーテル (Glycol Ether) 価格: https://www.analystjapan.com/Pricing-data/glycol-ether-25
エチレングリコールエーテル (E シリーズ): エチレンオキシドから派生します。例としては、エチレングリコールモノメチルエーテル (EGME)、エチレングリコールモノエチルエーテル (EGEE)、エチレングリコールモノブチルエーテル (EGBE) などがあります。
プロピレングリコールエーテル (P シリーズ): プロピレンオキシドから派生します。例としては、プロピレングリコールモノメチルエーテル (PGME)、プロピレングリコールモノエチルエーテル (PGEE)、プロピレングリコールモノブチルエーテル (PGBE) などがあります。
その他のグリコールエーテル: ジエチレングリコールエーテル、ジプロピレングリコールエーテル、その他の特殊グリコールエーテルなどがあります。 グリコールエーテルの価格に影響を与える要因
グリコールエーテルの価格には、いくつかの複雑な要因が影響します。
原材料コスト (エチレンオキシド (EO) とプロピレンオキシド (PO)): グリコールエーテル生産の主な原材料は、エチレンオキシド (EO) とプロピレンオキシド (PO) で、それぞれエチレンとプロピレン (どちらも原油と天然ガスから生成) から生成されます。これらの原材料の価格変動は、グリコールエーテルの価格に直接的かつ重大な影響を及ぼします。 原油と天然ガスの価格 (EO と PO への間接的な影響): EO と PO は原油と天然ガスから生成されるため、原油と天然ガスの価格の変動は間接的にグリコールエーテルの価格に影響します。 エネルギーコスト (特に化学処理の場合): グリコールエーテルの生産には、大量のエネルギー入力を必要とする化学処理が伴います。エネルギーコスト、特に電気と天然ガスは、グリコールエーテルの価格に影響を与えます。 製造コスト (化学合成と精製): グリコールエーテルの化学合成と必要な精製手順に関連するコストは、価格設定に影響します。グリコールエーテルは、製造プロセスと種類によってコスト構造が異なります。 需要と供給のダイナミクス: 塗料やコーティング、インク、洗浄製品、医薬品、その他の関連分野の世界的な経済状況と活動が、グリコールエーテルの需要に影響します。建設活動、製造生産量、これらの製品を使用した商品に対する消費者支出などの特定の業界動向も、グリコールエーテルの需要に大きな影響を与える可能性があります。供給は、原材料の入手可能性、グリコールエーテルの生産能力、工場のメンテナンス、計画外の停止によって影響を受ける可能性があります。 輸出入のダイナミクスと貿易政策: 貿易政策、関税、輸出入割当は、特に輸入に依存している地域では、グリコールエーテルの価格に大きな影響を与える可能性があります。 為替レート: グリコールエーテルとその原材料は国際的に取引されるため、為替レートの変動は、さまざまな国の輸入価格と輸出価格に影響を与える可能性があります。 地政学的要因: 石油・ガス生産地域やその他の原材料生産地域の政情不安、国際紛争、貿易紛争、制裁などの地政学的出来事は、サプライチェーンを混乱させ、グリコールエーテルの価格に影響を及ぼす可能性があります。 環境規制と健康への懸念: 一部のグリコールエーテルは、毒性と VOC 排出に関する懸念から、環境および健康に関する規制が強化されています。これらの規制は需要に影響を及ぼし、代替溶剤の開発と採用を促進する可能性があります。 現在の市場動向と価格見通し
グリコールエーテル市場は、世界経済の成長、主要な最終用途セクターの動向、原材料価格の変動、環境規制の影響を受けます。
ANALYST JAPAN
Call +1 (332) 258- 6602 1-2-3 Manpukuji, Asao-ku, Kawasaki 215-0004 Japan
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takahashicleaning · 2 years ago
Text
TEDにて
リー・クローニン: 自分専用の治療薬を3D印刷しよう!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
化学者リー・クローニンは、物体ではなく、分子を印刷することができる3Dプリンターの開発に取り組んでいます。
これが応用できれば、将来は化学物質をインクとして自分専用の薬を印刷するという驚くべき可能性も期待できそうです。
また、科学的な方法でヒト中枢神経システムには、明らかに生命体を維持するもの破壊的なパターンと区別する、鋭敏で素晴らしい能力が存在していることが判りました。
ヒト中枢神経システムとは、科学的に現在はA10神経とも呼ばれていて太古からインドでは、アジナチャクラ(印堂)とも呼ばれています。
fMRIでスキャンすると眉間に血流が集まって第三の眼と呼ばれている部分が開き活性化します。
高いパワーのアトラクターのエネルギーパターンは、脳のエンドルフィンを放出してすべての臓器を活発させるので、体は強く反応します。
逆に、低いエネルギーパターンによる刺激は、アドレナリンを放出して免疫反応を抑圧するので即座に体は弱く反応しそして刺激の性質によっては特定の臓器に支障を引き起こすことさえあります。
そして、病気からの回復は、高いエネルギーのアトラクターパターンにつながる態度の結果、回復��ることを、何百万という自助グループの人々が見せてくれました。もう一度言います!
仏教でも危険性を指摘しているように、A10神経は、日本では法律の範囲外の薬を誤って服用してしまうと、この部分が破壊されてしまいます。
現在の再生医療では復元不可能の領域です。テーラワーダ仏教のウィパッサナー瞑想、祈りでもA10神経は活性化します。
それ以外では、身体の鍛錬によるランナーズハイでも同様です。他にもありますがこれはほんの一部分です。
最後に、細菌(微生物)とウイルスは異なります。
アルテミス計画による月面環境や国際宇宙ステーションの無重力化で、3Dプリンターで薬を作る可能性も不可能ではありません。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記��しておきます。
続いて
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「��しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
そして
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
���西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
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