#イタリア勝利
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月11日(金曜日)
通巻第8454号
エマニュエル・トッドはウクライナの敗北を予測
「西側の『ロシア恐怖症』はじつに馬鹿げた話だ」
*************************
ソ連の崩壊を人口ならびに人口動態の研究から正確に予測したエマニュエル・トッドがイタリアの『コリエレ・ディ・ボローニャ』紙(10月8日)のインタビューに応じてウクライナ戦争の帰趨を予測していた。
まずトッドは「ロシアが敗北すれば、ヨーロッパ全体の勝利を意味する。モスクワを明確に支持しているわけではないが、ロシアがウクライナ紛争で敗北すれば、ヨーロッパ諸国のアメリカへの服従が1世紀にわたって続くことになる」とする。
ヨーロッパは事実上、西側代表権を米国に委譲し、戦後、その代償を払ってきたとトッドは総括し、この固定された事実を変えることはできないが、その結果が「ヨーロッパの運命を決める」といかにもフランス人らしい予測を展開している。「もし私が信じているように、米国が敗北すれば、NATOは崩壊し、ヨーロッパは自由になるだろう。ロシアがドニエプル川沿いに拠点を築いた後、西ヨーロッパを軍事的に攻撃せざるを得なくなる可能性は低い」とした。トッドはウクライナが負けると予測していることになる。
「共産主義以前のロシアの国境が再構築されれば、ロシアには拡大する手段も意欲もないだろう。ヨーロッパにおけるロシアの拡大を夢想する西側諸国のロシア嫌いのヒステリーは、真面目な歴史家にとっては単純にばかげている。西側指導者の多くは、ロシアがウクライナに勝利すれば、最終的には他の欧州諸国に狙いを定めることになるだろうと懸念を表明しているけれども、プーチンはウクライナでの目的を達成した後、他の国を攻撃する意図はないと繰り返し強調している。プーチン大統領は、「ロシアの脅威」なる説は西側諸国がヨーロッパの人々を怖がらせ
て「追加費用を引き出すために流布させている。ナンセンスだ」と一蹴した。
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Valentine Dinner Show in Kure - Sarah Àlainn Quartet
Valentine Dinner Show - Sarah Àlainn Quartet
2024.2.5 Kure・Hiroshima
丁度呉でのバレンタインディナーショーから一週間が経ちました。
バレンタインにセトリとサラッと舞台裏をご紹介!
Sarah
1. As Time Goes By
2. A Time For Us~永���の愛
3. Nuovo Cinema Paradiso
Jazz Ballads
4. My Funny Valentine
5. Misty
6. Up-tempo Love Medley
Love to Love You Baby
Lovefool
Can’t Take My Eyes Off You
呉・日本
7. Eidelweiss
8. 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」
9. 糸
Idol/Self-love
10. アイドル
11. Laisse Tomber Les Filles
Europe
12. Tout, tout pour ma chérie
13. Spain
Encore
14. I Wish
15. Can’t Help Falling In Love
16. Lovin’ You
今回は日本の最強ジャズメンとのサラカルという豪華編成。選曲をギリギリまで悩みました。
私にとって初となるバレンタイン・コンサート。
そもそも、私はほとんど恋愛の歌がない。カバーしたレコーディングにも限りあり。
広い意味での愛の歌に拘って来た自分に、バレンタインという課題で悩む悩む。
サラジオでも極力バレンタインの時はラブソングを避けて来た私。
そう、どちらかというと、苦手派。
バレンタインやクリスマスは何かとプレッシャーに感じる。もっと素直に愛を表現したい。愛の記念日なら、先ず自分を大切にしてるか確かめたい。毎日ボロボロ傷だらけにしている我が身。精神的な傷の話ですが、今回のサライブは距離が近く、アッパーな選曲に合わせた足を出すサラスタイルにすると、早速怪我をされてないかと心配されたお便りがラジオ局に。あれは去年フランスの石畳で転んだ時の傷。当初は50倍酷かった。表面でも傷は中々すぐ綺麗に治らないものですね!(写真はメイクと光のせいでほぼ見えない)
さあ、どうするよ選曲。
毎回来られるサポーターさんに新しい作品を見せたいという思いで極力選曲を変えて来ましたが、アルバムの曲を楽しみにしてる方の為に、今までの録音に目を通す。
本当にラブソングが少ない。
しかし、私はシネフィル。映画音楽ならお任せを。
丁度イタリアでピアニストのクリヤ・マコトさんと共演した2曲があるではないですか。オリビア・ハッセーに恋した(私が)、Zeferelli監督の「ロミオとジュリエット」より『A Time For Us~永遠の愛』。ヴァイオリンソロでは狂ったジュリエットを表現してます。
A Time For Us 〜永遠の愛 / Romeo and Juliet
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イタリアのドラマー🥁さんも今でも聴いて下さってるという「Nuovo Cinema Paradiso」から愛のテーマ。
作曲家のAndrea Moriccone��前で生で歌った経験は宝物です^_^
しかし、ロミジュリはアカペラからスタート。せっかくのディナショーなので、客席を通りたい。そうして、せっかくのジャズカルなので、jazzyな一曲から。
Time・永遠の愛繋がりで『As Time Goes By』をチョイス。クリヤさんとの配信ライブで演奏した以来。モノクロ名画で「Casablanca」で流れる愛の歌。
片手にワインらしき🍷ものを、もう方にはマイク。客席を回りつつ、サラッと英語質問。 “Here’s looking at you kid”. この表現を知ってる方は?
近くにいらっしゃった男性は気持ちよく拍手。残りの皆さんシーン。ディナショーでクイズからスタートするこの人の性格って?と思われたのだろうか。
これは名台詞「君の瞳に乾杯」。日本語訳がまた素敵ですね。呉に来てKureた皆様に乾杯🥂
サラの定番曲から次はジャズバラードへ。
『Misty』は近年レパートリーに入れてる曲で、『My Funny Valentine』はお初。どちらも低音でスモーキーなサウンドが醍醐味。ウィスキーに例えるとLagavulinと言うところでしょうか(好きです🥃)。
こう言う気怠く歌う曲は凛と立つよりハイチェアに座って歌うとより雰囲気が出やすい。しかし丁度いい椅子がない。
大好きな舞監さんに、ピアノに寄ってみたら?との一言で、人生初めてのポジションからの歌唱。立ち方、動き方、寄り方、慣れないなりに雰囲気を味わう。
クリヤさんのピアノソロをこんなにじっくり観れる特等席ではないですか。ライブ後クリヤさんから、あんなに近く演奏を見られたことがなく、緊張したとのこと🤣
ビルボードの時もスペースがあればまたピアノと一体になってみたいものだ。
ここからも新曲!MC不要なメドレーですね。
この編成だからオシャレに盛り上げていけたラブメドレー。
最初はDonna Summerの大人の愛の歌から。
オリジナルでは彼女は自分の声を重ねていくので、ルーパーの出番だ!ライブでループした音源とバンド演奏を交互して行くうちに、ループがずれてくるというリスクは毎回ありますが(あまりライブでイヤモニをしないのでクリックが基本ない)、今回は本番で見事にずれてしまいました。く〜〜。おそらくペダルを踏むタイミングが甘かった。またこれはいつかライブでリベンジしたい。
メドレーで一番聞きなれないものがあれば、こちらかな?私はドンピシャ世代。日本では分かりませんが、オーストラリアやヨーロッパではずっとラジオで流れてたヒット。これは現代のロミジュリ「Romeo + Juliet」で大ヒットした『Lovefool』。監督��オーストラリア出身のBaz Luhrmann。歌はスエーデンのバンドCardigans。英語で歌うヨーロッパのアーティストが多くて当時は全て勝手にアメリカかイギリスのバンドだと思い込んでいました。嫌というほどラジオで流れてたので歌う日が来るとは思っていませんでしたが、改めて聞いて楽譜を見ると、面白い転調やふわりがあるシャレオツなポップスだなと。
そしてラストは、自然と手拍子したくなるあの曲。君の瞳に乾杯してからの、『君の瞳に恋してる』。
サビはもちろん、バースもブリッジも全てキャッチー。これも改めて、なんとよく書かれてる一曲!インストのジャージャッジャージャッの部分は腰を振りながらヴァイオリン演奏。意外と筋肉を使う。
元気なラブソングも、悪くない。ライブでは曲の成り立ちや自分の思いを語れる唯一の場でもあるのでMCは欠かせないですが、このような説明不要で体と耳で楽しめる曲がいかに快感か。おそらくお客様にもその楽しさが伝わったかと。ますます、みんなと歌える、動けるオリジナル曲を作りたいと思えてきました。
MCといえば、今回は広島弁や呉独特の言葉もチラホラ。ブログだとイントネーションが伝わらないので、東京以外でのライブに是非!
必ずその土地の言葉で話すようにしてます。
そんな呉と言えば、色々ありますが、私にとっては一目惚れした、こちら。
本番、カリンバを弾きながら、エーデルワイス愛を語った独り言。*呉弁でご想像下さい。
「私は一度呉で野外ライブをしたことがあって。
そこで、一目惚れしました。
その日から、私にとって、呉といえば、たちまち、Edelweiss。生物だから、広島にいても、食べれない
月日を経て、遂にEdelweiss 発祥の地で、ソロコンサートが実現しました!
本日、月曜日…休日!
明日、火曜…休み!
もう、わやじゃ!
幻のEdelweissに、手がたわん。叶わぬ恋のようだ。
ほいでな、ご存知かもしれませんが、Edelweissという歌があります。
オーストリアを象徴する花 Edelweiss 。
Sound of Musicに出てくるこの歌の歌詞。
『小さくて、白くて、私に会えて嬉しそう』
そう、あの時のEdelweissのクリームパイは、まるで私を見上げて、こう言った:
『たべんさい』
ほいでな、そんな、私の片思いが、なんと、呉阪急ホテルまで響いたらしく、奇跡が起こりました。。。*パク*」
サラジオへのお便りでも、何人かがこの場面が1番涙した、良かった、と綴られていました。
私は甘党ではありません。なのにこのパイの味が何年経っても忘れられない。呉阪急の皆様に感謝しきれません。
ステージでは一口パクリ。片手でカリンバが弾きづらいは、右利きでないので、本当に一口しかフォークで取れないは。
そして、クリームは歌う前は避けたいもの。しかも次の曲はアカペラで始まるから逃げ場がない。
このタイミングで何かを飲むと間が悪いし、エーデルワイスへの注目が薄れる。舞台では伝わらない、裏サラの以外と大変だった一面。
次の選曲に?��れてた方。
呉と言えば大和。「宇宙戦艦ヤマト」もインスパイアされてたと言うことで『無限に広がる大宇宙』。松本零士氏の記念日も近かったですね。
SAYONARA “Adieu Galaxy Express 999” 「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」The Infinite Universe “Space Battleship Yamato” 無限に広がる大宇宙「宇宙戦艦ヤマト」| Sarah Àlainnサラ・オレイン
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ラストは定番の『系』弾き語り。
そうだ、こちらも本来ラブソングでしたね。
自分にとっては日本で出逢った方とのご縁を意味する一曲です。呉・広島・日本に関連するメドレーの最後ということもあり、いつもとちょっぴりアレンジを変えました。
【糸】《LIVE》Orchestral Vers.|サラ ・オレイン|カバー|Sarah Àlainn
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エーデルワイスを始め、自分にとってはこの三曲は故郷への愛を意味しています。戦争なんかなくなればいい。こんなに世の中に素晴らしい縁と愛に溢れている。
さぁて、ここから最後、アンコールまでどれもアッパーな曲!生涯で最もエネルギーがあるサライブになりました。
ヒールで自分なりに踊り、筋肉痛の日々が続きました。
沢山涙を流して来たから、こう言う賑やかで笑顔になる曲はスッキリ。クリヤさんも今まで1番楽しくバランスが良いセトリと言われてぶち嬉しい。
日本のメドレーに引き続き、まずは日本の『アイドル』ソングへ。星野アイちゃんの愛の歌!
この曲はテレビを始め、ファンクラブでリクエストされたとんでもない曲。日本語だから尚更難易度がお客様に伝わる=盛り上がる。やります🤣
何とも癖になる。複雑な愛の歌ですね。アニメ「���しの子」お勧めします。ドロドロとした芸能界が垣間見える。今回もJazzyなアイドルをお届け。クリヤさんとはお初で不思議な���調に笑ってました。
続いて丁度50年前のフランスのアイドルの一曲。フランス・ガルが歌う『Laisse Tomber Les Filles』。
いつもとは違う人格になり、気怠くコケティシュな表現に。演じられるからとても好き。
セクシーでキュートなサウンドですが、これはセルフラブソングと言っても良いでしょう。訳すと「女子をなめんな!」。
服装、喋り方、仕草。見た目によらず、中身が強いものをなめてはあかん。ヒールを履かない男性嫌いのフェミニストのイメージ、なくしましょう〜
アイドルといえば。。もう少ししたら一つシェアできることが。。!お楽しみ!!
そして、フランス繋がりで去年生で見に行けたポルナレフ!Tout Tout ! 楽譜は母が70年代の時に買ったもの。
なぜか日本で大ブームだったMichel Polnareff。FFの作曲家の植松伸夫さんも母世代で、ポルナレフを絶賛。きっとリバイバルが来る!と。ライブの時の動画を見せたら一ファンとして「生ポルだ〜」と仰られたのがなんともスイートでした。まだまだ現役で活躍されてます!日本でツアーがあればぜひ行かれて下さい!最高に盛り上がり、声も演奏も美しい。
『シェリーに口付け』して、次で最後じゃけぃ!
FranceからラストはSpainへ!サッカーではありません。
サントリーホールでフルオケとのJazz!LIVE音源があります。Jazzやアッパーな曲は殆どライブでしかやってないため、配信だけでもサラなる進化を共有できたら嬉しい。
Spain <LIVE>
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さて、アンコールへ。さっとバービーサラスタイルに早着替え。因みに本編の赤ドレスはマレーシアで一目惚れした一着。
盛り上げて終わるパターン!去年のビルボードでこのメンバーと初めて歌って演奏したStevie Wonderの『I Wish』。
以来ハマりすぎて、ソロの時その時のライブのテーマに合わせた選曲を入れて行く。
I Wishのウォーキングベースの上からどうやって上手く別の曲をはめていくか。元々短調の音楽の方が乗りやすいので、『また君に恋してる』は意外と入りやすい!
地元ネタの時にたまに演歌を歌いますが、これまた気持ちい。ジャンルが掛け離れていればいるほど、面白いフュージョンが生まれる。
その前には短いリフで、Dreams Come Trueの名曲から「Love, love, love」、Beatlesから「She love’s you yeah yeah yeah」、「All you need is love」。
ラストは会場全員とのコール&レスポンス!舞台上からもしっかり皆さんのお声届いていました。5月のビルボードでもこんな風にまた一体になりたい!!
そう、丁度今年の日本での活動のスケジュールが全て出ました。是非とも盛り上げて最高な思い出を皆さんと作りたい!
また会える日まで���リジナルで一体になれる曲を作ってみますね。
サラバンドと楽しく、激しく、ラストを迎えた後、アンコールのアンコールで、サラッとワンウーマンショーへ。
以前ヴァイオリンと歌で動画を撮ったプレスリーの『Can’t Help Falling In Love』。生でも聴きたい!とのことで、初めて披露。
伴奏にはヴァイオリンのPizz。事前に録音したハモリをルーパーから流しつつ歌唱。
Can't Help Falling In Love’
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ディナーショーなので、最後は客席へ。盛り上がる曲はたくさんあったので、最後は一人一人に囁くMinnie Ripertonの『Lovin’ You』。
歌いながら退場。待っててね、エーデルワイスよ。
呉・広島の皆様、遠くからいらした皆様、雪の!東京からいらした皆様、
「Happy」なValentineになりました。
バレンタイン・ヴィーガン・クッキーも無事皆さんの元に届いたみたいで何より!動画もサラッと見れたかな?バレンタインライブで歌ったあの曲もサラッと歌ってます。
私はバレンタインの手作りサラメシとワインのコンビの後気づいたら寝てしまっていて、ブログが今日になってしまいました><
今夜の手作りサラメシ
❤︎白茄子(野菜あまり食べなかった時代から茄子好き)
❤︎ブルスケッタ
❤︎キッシュとクリームシチューの合体?
見た目は崩れてアレだけど、愛いっぱい
❤︎ヴィーガン・クッキー🍪
さて、次のサライブは恒例の八ヶ岳へ。いよいよプロデュースさせて頂いたカリンバを皆さんと演奏できる!
サラ・オレイン天上の音楽
2024年3月16日(土) 14:30開場 / 15:00開演
八ヶ岳高原音楽堂
SARAH ÀLAINN オリジナルカリンバ
台数:限定150台(予定)
受渡:2024年3月17日(日)9:30~ 八ヶ岳高原音楽堂にて
※当日シリアルナンバーNo.1~50迄(予定)の抽選会を行います
木材:八ヶ岳産天然カラマツ
アンバサダー:サラ・オレイン
大自然がお好きな方、落ち着いた、アコースティックスタイルがお好きな方は八ヶ岳がおすすめです。
アッパーで盛り上がるスタイルが好みの方は、Billboardと名古屋で。
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イタリア半島の中にあるサンマリノ共和国は、全体の面積が61.2平方キロメートルと、世界で5番目に小さい国家として知られる。人口は約3万3000人(2023年7月時点)で、欧州サッカー連盟(UEFA)加盟国の中では最も少ない。 強豪並み居る欧州予選を戦っていることもあり、1990年のEURO92予選で初めて公式戦を戦って以降、EUROとFIFAワールドカップのすべての予選に出場しているが、両予選ではこれまで一度も勝利したことがない。国際Aマッチで勝利したのは2004年4月に行われたリヒテンシュタイン代表戦のみ。初勝利以降も140試合を戦って、相手よりもリードしていたのは、2012年8月マルタ戦の6分間と2024年3月セントクリストファー・ネイビス戦の10分間だけだった。 そんなサンマリノ代表だが、初勝利を飾った相手であるリヒテンシュタイン代表と5日に対戦。0-0で迎えた53分、19歳のFWニッコ・センソリが歴史的な決勝ゴールを決め、1-0と勝利した。サンマリノ代表は連続未勝利を140試合で止め、実に20年4カ月8日ぶりとなる国際Aマッチの勝利を飾った。
FIFAランク最下位のサンマリノが20年ぶりの歴史的勝利! 140試合連続未勝利をストップ(サッカーキング) - Yahoo!ニュース
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本日、家事労働者への労働災害適用が争われていた事件で、国が控訴を諦めたことを遺族や支援者らが記者会見をし報告した。遺族側勝訴判決が、確定した形だ。 先月9月19日、個人家庭への住み込みで24時間労働を1週間続けたことにより過労死した家事労働者の裁判について、画期的な遺族側逆転勝訴判決が東京高裁であった。この判決は無権利状態に置かれた多くのケア労働者、女性労働者の状況を変える大きな判決であり、社会的な注目を集めていた。 現行の労働基準法や労災保険は、個人家庭に雇用されて働く家事労働者へ適用除外となっており、今回の裁判で労災認定を勝ち取るのは「現行法の壁」があったため非常に困難な状況にあり、2022年9月の東京地裁判決では、遺族側が全面敗訴となった。しかし、それでも遺族や支援者は諦めず、この事件を「社会問題化」することで国も動かし、東京高裁では遺族側が逆転勝訴することができた。 この判決が出たことで、すでに国も検討している労働基準法改正の動きを加速させるだろう。そうすれば労働基準法が家事労働者へも適用されるようになる。戦後77年間変わってこなかった法律に大きな変化が起きようとしているのだ。 参考:「家事労働者」過労死裁判が歴史的勝訴 不正義を闘い続けた遺族等の思いとは? 本記事では、改めて事件概要、逆転勝訴判決の内容、今後の法改正や家事労働者の権利実現の展望を遺族、支援者らへの取材をもとに考えてみたい。 「時給666円」で24時間労働をし亡くなったAさん まずは、亡くなったAさん(当時68歳)の労働実態についてだが、2015年春、仲介会社Y社を通して訪問介護及び家事代行を個人宅への住み込みで行っていた女性Aさんは、1日24時間労働を1週間続けた末に心臓疾患で亡くなった。 Aさんが担当をした個人家庭の利用者(90代)は、認知症を患い寝たきりとなった「要介護5」(介護保険の区分上最も重い)の認定を受けており、1人で日常生活を送れない状態であった。Aさんは、掃除や洗濯、食事の用意、おむつ交換など幅広い家事及び介護業務を、渾然一体となった状況で行っていた。 Aさんの「求人票兼労働条件通知書」には、休憩時間が「深夜0時~5時」と記載されており、そもそも休憩時間は1日のうち深夜の5時間しか想定されていない「19時間労働」の契約だったのだ。 また、休憩時間と定められていた時間にも、利用者は2時間ごとのおむつ交換に加えて、頻繁な失禁もあるため、深夜問わず、適宜パジャマとシーツを全て取り替えるなどの重労働が必要であった。その家庭には家事労働者の休憩場所も十分に確保されておらず、寝る場所は「利用者の隣」とされているなど、休憩が取れていないことは明らかであった。 さらには、利用者は認知症を患っているがゆえにケアへの拒否感も強く、「ばかやろう、でていけ」などの暴言を家事労働者へ浴びせており、この利用者宅では、過去にはたった12日間で家事労働者が7人も入れ替わる異様な状況であった。 なお、Aさんの給与は書面上「日給16,000円」とされ、住み込みの24時間労働を仮定し時給を算出すると「666円」となり、当時の最低賃金を大きく下回って働いていたことも明らかとなっている。 最終的にAさんは、このような過酷な環境で24時間労働を1週間続けた末に、私的に訪れた自宅付近の入浴施設内で倒れてしまい「急性心筋梗塞」と診断され亡くなってしまった。 家事労働者を差別する現行の法制度の仕組み Aさんが救済されなかったのは、利用者と直接契約を結んで働く家事労働者は、現行の労働基準法や労災保険が「適用除外」となる「家事使用人」(労働基準法116条第2項)となるからだ。 現在の法律では「家事使用人」に対しては労災保険が適用されないことで、仕事による怪我や病気に対して補償が受けられない。さらに、労働基準法も適用除外のため、労働条件の明示や労働時間の上限規制、休憩・休日・有給休暇の取得、残業代の支払いなど、働く上での最低限のルールが全面的に適用されない。そのため、先ほどのAさんの最賃割れの状況なども、「適法」になってしまうのだ。 このような状況にAさんの息子も「母は奴隷なのか」と憤りをあらわにしていた。 作成:ジェネレーション・レフト ただし、注意が必要なのは、全ての家事労働者が法律上の「家事使用人」になるわけではない。上掲の図を見てほしいが、1988年に出された厚生労働省の通達では、「仲介業者に雇われて、指示を受け働く者は家事使用人に該当しない」とされている。 実は、Aさんは、利用者との契約書は存在しているものの、介護業務のみならず家事業務部分を含めて仲介会社Y社から「業務指示書」を渡されるなどし、具体的な指揮命令を受けて働いていた。また、報酬についても、利用者ではなくY社から家事業務部分と介護業務部分が合算される形で支払われ、かつ毎回14%の手数料が引かれていた。 つまり、Aさんは「実態���としては、個人家庭と契約した「家事使用人」ではなく、仲介会社Y社に雇われ指揮命令を受けて働き報酬を得ていた証拠も複数あったのだ。 形式的な地裁判決を覆す東京高裁での逆転勝訴判決 しかし、2022年9月に東京地裁から出された判決では、それらの点は十分に汲み取られることなく、遺族側の全面敗訴判決が言い渡された。 判決では、Aさんの「拘束時間」は1日24時間労働を1週間行っていたと認める一方、労災認定上の「労働時間」は、休憩も取れていたことを前提に「介護業務」のたった「1日4時間30分のみ」しか認定しなかった。それを踏まえ、判決は「過重業務していたとは認められない」と結論づけた。 「介護業務」と渾然一体となっていた「家事業務」部分は形式的に分けられた上で、個人家庭に雇用された「家事使用人」が行っていたとされ、現行の労働基準法や労災保険が「適用除外」のため、労災認定を判断する上での労働時間として認められなかった。 一方、先月9月19日の高裁判決は、以下の図のように形式上分けられていた介護と家事業務は「一体として本件会社の業務ということができる」として、まずAさんが労働基準法116条2項の「家事使用人」に該当しないとした。つまり「家事使用人」として働いていたAさんは、その働き方の実態からしてY社の労働者であり、労働法が適用されるべきだと判断している。 同上 そのうえで、Aさんが過労状態で働いており、労災認定の対象となると述べている。東京高裁は「7日間に、総労働時間数105時間(=15時間×7日)、時間外労働時間数65時間(=105時間ー40時間)の業務に従事したもの」と認定したうえで、労災保険の「新認定基準所定の「短期間の過重業務」に該当するものと認められ…本件疾病は、本件家事業務および本件介護業務に内在する危険の現実化として発症したものであるといえ、業務起因性が認められる」と、長時間労働が原因でAさんが亡くなったと判断した。 つまり、2015年にAさんが亡くなってから9年が経過し、ようやくAさんが亡くなったのは過労死だと裁判所が認めたことになるのだ。 ただし、今回の判決は、Aさんの場合には「家事使用人」と判断されるべきではないとしたが、個人家庭と契約を結んで働く「家事使用人」が労働法の対象外という状態そのものについては言及しておらず、法改正の課題は残されている。 同上 労働基準法改正の機は熟している 現行の労働基準法は戦後直後の1947年に成立している。その立法過程においては、「家事使用人」は長期の住み込みで「家族の一員に準じた生活」をしているため���国家の監督や規制を行うことは困難かつ不適切であり、また他国での労働法の適用事例も少ないなどが適用除外の理由とされていた。 家庭内における女性が「無償で奉仕する者」として、事実上「奴隷」のように扱われていた時代の発想であるといわざるを得ない。「家族」であれば無償あるいは通常の仕事よりもずっと低い水準であっても、家事を女性が担うことは当然だ、という発想だ。 しかも、この立法過程の前提を認めるにしても、それも現代では崩れてきている。まず、昨年9月に国が60年ぶりに行った「家事使用人」の労働実態に関する調査では、住み込みで働く家事労働者は、合計「8,9%」しかおらず、「83,8%」が一時的に利用者宅で働く「通い」の家事労働者となっている。昨年8月放送のNHKクローズアップ現代「家事代行サービス 急拡大の陰で...」では、マッチングアプリを介して5分100円から家事労働を担う「ギグワーカー」も出てきているほどであり、長期の住み込みで「家族の一員に準じた生活」をする家事労働者はかなり少なくなっているだろう。 また、世界では、近年NGOや家事労働者の労働組合、女性団体などがグローバルに連帯した運動を展開しており、ILO(国際労働機関)で家事労働者の権利を定める「家事労働者条約(第189号)(Domestic Workers Convention)」が2011年に採択されている。 その条約には、家事労働者は「他の労働者と同じ基本的な労働者の権利を有するべき」とあり、「安全で健康的な作業環境の権利、一般の労働者と等しい労働時間、最低でも連続24時間の週休、住み込み労働者のプライバシーを尊重し人並みの生活条件を確保すること」などが定められている。条約締結国は年々増加し、現在、フィリピン、南米、ドイツ、イタリアなど世界約35か国がこの条約を批准し国内法などの整備を進めている。「他国での労働法の適用事例」は広がり続けている。 そのILO条約の中には、「家事労働の特殊性に十分配慮した労働監督措置の開発」なども規定されている。個人家庭の中で「ブラックボックス化」し人権侵害が蔓延る現状を鑑み、「国家の監督規制」も世界的に進んでいるのだ。 以上からも、1947年当時議論されていた前提は崩れており、労働基準法改正の機は熟したと言えるだろう。 仲介会社への責任追及や法改正、国際基準の確立へ 本日の記者会見で、遺族は「判決が確定して、亡き妻が労働者として認められ、何よりも妻の人権を、名誉を回復できて、嬉しいし、妻も喜んでいるだろうと思う。しかし、これで終わったとは思っていない。法改正がなされ、多くの家事労働者が保護され、安心して働けるまで闘い続ける」と述べ、判決を喜ぶとともに、今後の法改正に向けた意気込みを語った。 記者会見の様子。左からNPO法人POSSEの佐藤学、田所真理子ジェイ、ご遺族、指宿昭一弁護士、ジャーナリストの竹信三恵子氏。 この裁判を継続的に支援してきたNPO法人POSSEボランティアの田所真理子ジェイは、「今後は、3つのアクションを考えている。1つは、過労死を引き起こした大きな原因となっている仲介会社Y社への責任追及。また、並行して、労働基準法改正をし、家事労働者へ労働基準法や労災保険が適用されるよう、引き続き国に対して署名提出や要請活動、国会内での問題化を予定している。さらには、この間拡大を続けている国際的な家事労働者たちとの連携や、国連等への通報を通じて、日本の家事労働者の置かれた状況の国際問題化も検討している」と今後の展望を語った。 遺族や支援者の取り組みで、歴史が変わろうとしている。これまで差別され続けてきた日本で働く家事労働者、女性労働者の権利を国際基準に引き上げていこうという取り組みを今後も注目していきたい。 最後に、NPO法人POSSEでは、身近な人が過労死をしてしまい、どうしたら良いかわからない状況にある遺族からの無料相談ホットラインを10月6日(日)、10月13日(日)13時~17時に開催する。困難な道のりでもAさんの遺族のように様々な支援者とつながれば道がひらけていく可能性があるので、ぜひ相談をしてみてほしい。 10月6日(日)、10月13日(日)13時~17時で「過労死相談ホットライン」を開設します! 【参考文献】 伊藤るり編(2020)『家事労働の国際社会学 ディーセントワークを求めて』人文書院 竹信三恵子(2013)『家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの』岩波書店 無料労働相談窓口 NPO法人POSSE 03-6699-9359(平日17時~21時 日祝13時~17時 水曜・土曜日定休) メール:[email protected] Instagram:@npo_posse *筆者が代表を務めるNPO法人。労働問題を専門とする研究者、弁護士、行政関係者等が運営しています。訓練を受けたスタッフが労働法・労働契約法など各種の法律や、労働組合・行政等の専門機関の「使い方」をサポートします。 総合サポートユニオン 03-6804-7650 [email protected] *個別の労働事件に対応している労働組合です。誰でも一人から加入することができます。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。 ブラック企業被害対策弁護団 03-3288-0112 *「労働側」の専門的弁護士の団体です。 ブラック企業対策仙台弁護団 022-263-3191 *仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。
家庭内の「奴隷制度」を廃止へ 家事労働裁判で国が控訴を断念し、法改正へ加速(今野晴貴) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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「ヘリ・コプター」じゃなくて「ヘリコ・プター」なの!?意外なところで区切る言葉30選 - Peachy - ライブドアニュース
・「ヘリ・コプター」じゃなくて「ヘリコ・プター」なの!?意外なところで区切る言葉30選|ウォーカープラス
以下一部引用
ヘリコ・プター
“ヘリ”と略され、ドラえもんのひみつ道具でも「タケコプター」があったりするので、「ヘリ・コプター」と捉えている方も多いのではないでしょうか。語源はギリシア語の“helix or helic(螺旋)”と“pteron(翼)”で、これらが組み合わされた造語が元になっています。
カ・メハメハ
ドラゴンボールの必殺技である「かめはめ波」のイメージから最後のハで区切れると思い込んでいないでしょうか。ハワイ語の“ka”は、英語の“the”にあたる表現で、“メハメハ”は「孤独な」という意味の言葉です。つまり「孤独な人」という意味になります。カメハメハ大王なのにちょっと寂しい意味ですね。
キリマ・ンジャロ
アフリカ大陸の最高峰の山ですが、まさかンの前で区切れるなんて思いませんよね。スワヒリ語で“キリマ”は「山」、“ンジャロ”は「輝く」という意味になり、「(白く)輝く山」というのが語源の通説ですが、はっきりしたことはわかっていません。しかし、アフリカでは珍しい積雪する山なので白く輝いているのは間違いありません。
プリマ・ドンナ
イタリア語で“Prima donna”は、オペラの主役となる女性歌手を意味します。「マドンナ」という言葉が知られているのでこちらもプリで区切れると思ったら少し違います。そもそもマドンナは“ma donna”であり“ma”が「私の」、“donna”が「淑女・婦人」という意味です。一方、“prima”は「第一の」という意味です。
ア・カペラ
楽器の伴奏なしに歌う合唱様式のことです。そもそも区切れを意識しない言葉かもしれませんが、アカベラはそもそもイタリア語です。イタリア語で書くと“a cappella”。“a”は場所を示す前置詞で、“cappella”は礼拝堂を意味します。英語の“chapel”の元でもあります。
クー・デター
クーデターはフランス語で「国家への一撃」と無駄にカッコいい意味を持ちます。フランス語で書くと“coup d'état”であり、“coup”は打撃、“d'état”は「国家への」を意味します。英語では「クー」と略して言ったりするようです。
コ・エンザイム
日本語で「補酵素」を意味します。よく栄養補助食品として販売されていますが、なんとなく「コエン・ザイム」と区切ってはいないでしょうか。英単語にするとわかりやすいのですが、“coenzyme”は“co-“が「補」を意味し、“enzyme”が「酵素」を意味しています。
コレ・ステロール
ギリシア語の “chole-(胆汁)”と “stereos(固体)”からコレステリン (cholesterin)と命名されたのが語源とされています。悪いイメージを持たれが��ですが、生きていく上で大事な栄養素の1つです。ただ悪玉コレステロールの摂り過ぎは注意したいですね。
トリ・ケラトプス
トリケラトプスは3本角が特徴的な中生代後期白亜紀の恐竜です。古代ギリシャ語で「トリ」が3、「ケラトプス」が角を持った顔といった意味。つまり、3本のツノを持った顔というのが語源となっています。
スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ
スリジャヤワルダナプラコッテはスリランカの首都です。「コッテ」が元々の街の名前でしたが、1985年に遷都を行った第2代大統領ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナの名前にちなんで改名されました。「スリ」が「聖なる」、「ジャヤワルダナ」が「勝利をもたらす」、「プラ」が「都市」を意味しています。
張本・人
事件を起こす元になった人を指す言葉ですが、「張本」は古くは“チョウボン”と言い、伏線を表す言葉でした。日本では、伏線から「あらかじめ用意する」となり、さらに悪事の元という意味に変わっていきました。そこにさらに「人」がつき、日本独自の言葉になりました。
登・竜門
立身出世のための難しい関門を指す言葉ですが、「竜門」とは中国の黄河上流にある急流の難所のことです。ここを登った鯉は竜になるという言い伝えに由来する言葉です。
無・礼講
地位や役職を気にせず礼儀を抜きにした宴会のことで、「今日は無礼講だからじゃんじゃん飲め!」のような使われ方をします。「礼講」とは神事で神に供えられたお酒を参列者が身分の高い人から順番にいただくこと。それが無いので、礼儀作法や堅苦しいことを抜きにするという意味になりました。
五里霧・中
すっかり迷ってどうしていいかわからない状態を意味する四字熟語です。「五里霧」とは五里四方に立ちこめる霧のことで、その霧の中で方角を失うことから現在の意味で使われるようになりました。
間・髪を入れずすぐにという意味で、「間不容髪」という言葉から来た成句です。間に髪の毛一本を入れるすき間もないということから来ています。ちなみに正しい読み方は「かんはつをいれず」です。
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え? え~? ラフプレーって韓国じゃなくて、イタリアのこと言ってんの?? 2002のって?
あれは韓国が審判買収して疑惑のオフサイド連発したり、イタリア選手の頭を意図的に蹴っ飛ばしたりして不正手段のオンパレードで勝利を盗んだゲームとして世界的に有名だけど 2002日韓W杯のイタリア韓国戦は
それが韓国人の脳内では、イタリアがラフプレーして韓国を痛めつけたことになってるの???
さっすが全ての歴史を逆さまに書き替えて捏造洗脳する国の面目躍如だ すごいぞ韓国!!!
しかも韓国チームがフェアプレーで品位あるプレーをしたって???
いやあ、韓国チームのフェアプレーって見たことことも聞いたこともないな
韓国に関しては何やらかしても、ああ、彼らはやるよねって何の驚きもなかったけど、どんなに最近のことでも自分たちの好みに捏造して信じ込んで恥じないことが改めて確認できたことで、注目のニュース
全ての事実を捏造し全ての外交、全ての約束、全ての契約を守らない人たち
その評価は世界で定着して崩れることはないだろうね
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シリアのアサド大統領が第二次世界大戦とナチスの歴史認識を変えてくれます。アサド大統領は、かつてロンドンの大学院に留学し医師になったエリートです。しかし、西側エリートの傀儡となって国政に関わるロンドン留学組と違い、アサド大統領は信念を変えることはありませんでした。 「ナチスを打倒したのはノルマンディー上陸作戦を遂行した西側」というのが一般認識ですが、第二次世界大戦でヨーロッパ最大の犠牲を払い西側諸国をナチスから解放したのはソ連軍です(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれます)。1941年から1945年の4年間で2600万人の戦死者を出しました。80年経った今でもロシアの人口動態に影響を与えているほどです。 ところが、ソ連の功績をなかったことにしたい西側エリートは歴史を書き換えようとしています。ウクライナや東欧、バルト半島の衛星国がナチズム打倒を語り継ぐ建造物を壊し、教科書から記載を省き、退役軍人を蔑ろにし、記念日をキャンセルするのはこのためです。欧州議会のフォン・デア・ライエンは完全にデマゴーグに徹しています(広島・長崎の原爆投下をロシアの仕業にしようとする動きはこの逆バージョン)。 米国は、ソ連が孤軍奮闘していた1941年から1944年夏まで、スターリンの介入要請にも関わらずナチスを放置していました。ソ連とナチスを戦わせ漁夫の利(ヨーロッパ)を得ることが目的です。ところがソ連の勝利が近づくと、ソ連が東欧やドイツへ進出することを阻止するために参戦、ナチスの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判では戦勝国として自国に都合のよいダブルスタンダードを用い、米国に協力したナチスを放免、戦後の世界を支配するために利用しました(日本の極東国際軍事裁判と同じパターン)。ドイツのナチ将校がNATOを創設し、バンデラ主義者などウクライナのナチスも西ドイツや米国でのうのうと余生を送りました。このようなわけでナチズムは今もウクライナ、カナダ、イタリアなど世界中で生き続けているのです。 またアサド大統領は、600万人のユダヤ人のホロコーストについても、これだけの数のユダヤ人が犠牲になったことを証明する資料はないとして疑義を呈しています。この問題がシオニズムや反ユダヤ主義と関連付けて国際社会で政治的に利用されていることは周知の通りです。
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イスラエル・パレスチナ問題 文字数6500文字以上、400字詰め原稿用紙17枚に相当
【イスラエル・パレスチナ問題の超簡単な要約】
むかしむかし、紀元前11世紀ごろ、つまり今から3000年前、パレスチナという土地にイスラエル王国という国があった。 ユダヤ教の国や。 日本はまだどんぐりを拾って生活をしていた縄文時代の頃やな。
一代目の王様が国を作ったあと、二代目の王様ダビデ王って人が国を大きくしたんやけど、今でもDAVIDっていう名前の西洋人いっぱいおるよな。 ダビデの名残や影響力を感じるよな。 三代目の王様ソロモン王は、エルサレムにユダヤ神殿という立派な神殿を作った。
ソロモン王の死後、イスラエル王国は分裂し弱体化していったんや。三代目で駄目になるって日本の同族会社と変わらんな。ビッグモーターは二代目であかんことなったけど。
弱体化したイスラエルはお隣の国々に攻め込まれ、ソロモン王が作った神殿は破壊され、ユダヤ人はバビロニアの支配下に入って、バビロン、今のバグダットの近くに連れて行かれたんや。
紀元前5世紀頃、ペルシャ王のキュロス二世が「ユダヤ人はイスラエルに帰ってええで」と発表して、エルサレムにまたユダヤ神殿を建設したんや。 2回目の建設なので第二神殿と呼ぶ。 立派な神殿が出来てユダヤ人は喜んだわけやな。
紀元0年頃、イエス・キリストが生まれる。 この人は実はイスラエルのあたりの人なんよ。 弟子を12人作ったり、あれこれ活動したあと、最後はエルサレムのゴルゴダの丘っていうところで死ぬんやけど、死んだのはさっきのエルサレムのユダヤ神殿のすぐ近くや。
紀元前が終わり西暦70年、イタリアのローマ帝国がはるばる中東まで攻め込んできて、ユダヤ人と激しい戦争となったんや。 エルサレムはまたも陥落し、せっかく作ったユダヤ神殿はまた破壊されてしまった。
この時あまりにも激しく国が破壊されたので、ユダヤ人たちは国自体がなくなり、世界中に散り散りばらばらになってしまったんや。 国がないからどこへ行っても外様扱いで、常に迫害されてきたわけやな。ひどい話や。 明日突然日本国が滅んで、どっかの国に住めと言われたら、苦労するよな。差別もされるよな。
で、ユダヤ人らが追い出されたエルサレムは荒廃したわけやが、それから250年後の4世紀頃、ときのローマ帝国の皇帝が大のキリスト教ファンで、「エルサレムのキリストが死んだ場所(ゴルゴダの丘)に教会を作れ」って命令したんや。
キリストが死んでから長く経ってたし、ユダヤ人が追い出されてから250年くらい経ってたから、「まあこのへんやろ」ってことで大体の位置で作ったのが「聖墳墓教会」や。 ゆな先生もいったことあるで。 昔ユダヤ神殿があった場所の、かなり近くにあって、要はキリストの墓の教会やな。 よって、この4世紀の時点でエルサレムはユダヤ教の聖地だったのに加えて、キリスト教の聖地にもなったわけや。
それからまた300年後の7世紀、アラブ軍(イスラム教)がエルサレムに攻め込み、支配下においた。 ユダヤ神殿がかつてあった土地の真上に、かの有名な「岩のドーム」を作ってしまったんや。金ピカの屋根のやつやね。
この岩のドームは預言者ムハンマドが昇天したという伝説の場所として信じられてて、イスラム教におけるメッカほどではないにせよ、超重要聖地になってしまった。 超重要な聖地なわけで、イスラム教の信者らも多くエルサレムに住み着いたわけやで。 この時点で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの聖地がエルサレムのほぼ同じ場所にある状態になった。いまから1700年も前の話やね。 ちなみに、ユダヤ神殿が破壊されて、上に岩のドームが作られてしまったわけでユダヤ人の聖地はなくなったわけやが、ユダヤ神殿の壁が残ってる広場があって、ユダヤ教の人はそこを聖地にしてる。これが嘆きの壁や。ユダヤ教の最高の聖地扱いやね。
それから400年たった11世紀頃頃、ローマ帝国(イタリア)はキリスト教国家になってたんやけども、この頃に結構国粋主義みたいなのが盛んになるんや。 ローマ帝国の中にいるユダヤ人を迫害して虐殺してみたり、聖地エルサレムを奪還しようって動きが高まる。 しまいには「十字軍」ってやつを組織してエルサレムへ侵攻したんや。 7世紀頃からパレスチナを治めてたアラブ人ら(イスラム教)は抵抗するんやが、ローマ帝国の軍団が強かったから負けてしまって、エルサレムはキリスト教の支配下に置かれるようになったんや。 イスラム教の人たちがキリスト教を嫌う理由に、この十字軍があるね。 キリスト教国家が中東でイスラム教国家と戦争をするたびに、「現代の十字軍め」と恨み節を言うのは結構よくある話や。
その後も何度も何度も支配権が変わって、キリスト教が追い出されたり、ユダヤ人が追い出されたりを何度も繰り返しながらまた数百年たったんや。 その後マムルーク朝とかオスマン帝国(いまのトルコ)に支配されて20世紀まで来る。 20世紀初頭の時点で、エルサレムにはユダヤ人、イスラム、キリスト教が1/3ずつくらい住んでたんや。聖地が重なりながらも、まあなんとか回ってたんや。
でも西暦70年に国が滅ぼされて世界に散り散りバラバラになったユダヤ人がどうしてたんか?って話気になるよな。 日本人が海外に分散していったら、段々とその国に慣れていって、何世代かしたら日本語も忘れて、仏教も神道も忘れてその地に同化していくよな。
でもユダヤ人はそうはならんかったんや。ユダヤ教のおかげやね。 ユダヤ教は小さい頃から教義を叩き込んで、子供に伝えていくのが本当に生活に染み込んでる。 その結果、西暦70年から1900年間も世界に分散した割に、ちゃんとユダヤ教は残ってたんや。
19−20世紀頃になると、世界に分散してるユダヤ人たちは「シオニズム運動」って言って「シオンの丘に帰ろう」という活動が盛んになる。シオンの丘=聖地エルサレムのことや。 自分たちの国を作ろうっていう動きが出てきたわけやね。
20世紀初頭、オスマン帝国(トルコ)がエルサレムを支配していた頃、シオニズム運動は盛り上がってたんやけど、オスマン帝国はちょっと弱体化してきてたんや。 「おっ、��っとるやん!」ってことで当時世界最強の国だった鬼畜イギリス軍が、エルサレムに攻め入ってきて、エルサレムを奪ってしまうんよ。 この頃のイギリスは七つの海を制したと言われるほど力があったからね。
オスマン帝国を倒したことで、イギリスはパレスチナ、ヨルダン、イラクを委任統治領にしたんや。要は植民地みたいなもんやね。 イギリスの統治下にある間に、シオニズム運動が盛んだったのもありユダヤ人人口が増え、3つの宗教では争いが頻発するようになっていった。
1948年、委任統治の期間が終わるにあたり、めんどくさくなったイギリスは「じゃあユダヤ人の国とアラブ人の国に2つに分ければいいじゃん!」って謎提案をして、国連もそれを承諾してしまうんや。 3つの宗教が混ざってなんとかこれまで来た場所を、2つの国に分ければいいじゃんって無理な話よな。土地への愛着とかもあるしさ。
ユダヤ人がエルサレムのエリア(今のパレスチナ+イスラエル)を支配したのは西暦70年が最後で、そこから先はユダヤ人が支配はしてなかったんよ。ローマ帝国はキリスト教やし、岩のドームを作ったのはイスラム教で、そこからずっとイスラム教が支配してて、最後に支配してたオスマン・トルコもイスラム教国家や。
イスラム教の人らからすると、「確かにユダヤ教の人らもエルサレムにおったけど、なんでお前らが突然このパレスチナに国作って我々の土地を奪うんや!」ってブチ切れるわけや。 逆に自分の国がほしかった全世界のユダヤ教徒は喜んでたわけやな。 しかもユダヤ人のほうが遥かに少ないのに支配する面積も大きかったんや。
結果として発生したのが第一次中東戦争や。 そりゃ1500年間住んでた土地に、いきなりユダヤ人の国を勝手に作られて追い出されたらたまったもんじゃないよな。 我々日本人が、「2000年前は実は僕たちの先祖が住んでたんで」とか言って本州を謎の外国人に取られて四国とか北海道におしのけられるようなもんやからね。 どんぐり拾ってたような時代に住んでましたなんて言われても納得できんわな。
当時統治してたはずのイギリス軍はさっさと逃げ出したわけやが、そもそもこの問題はイギリスの影響が大きい。 イギリスは三枚舌外交と言って、
・オスマン帝国(トルコ)を倒したいので、オスマン帝国の支配下にいるアラブ人たちに「武装蜂起してくれたらオスマン帝国の土地を割譲して独立国を作ってあげるよ」とそそのかして反乱を起こさせる ・フランス・ロシアとの間では、アラブ人たちに約束したのとは全く違い「オスマン帝国の領土はフランス支配、イギリス支配の2つに分割にし、パレスチナは国際管理下にしよう」と提案する ・ユダヤ人資産家のロスチャイルドには「パレスチナにユダヤ人国家を作ってあげるから、その代わり戦費をくれ」と提案
要は3つの関係者に矛盾することを言いまくって争いを起こして最終的にオスマン帝国を倒してパレスチナ(+エルサレム)を手に入れたわけやな。 そのままオスマン帝国が支配してたら今のような争いだらけのエリアにならず、幸せだったんやないかという話やね。 ブリカスと言われる所以やね。
第一次中東戦争(1948)ではイスラエルが勝利し、イスラエルはまず独立国としての地位を得る。まず国を作ったわけやね。これが一回目の戦争や。
第二次中東戦争(1956)では、スエズ運河を国有化しようとしたエジプトを邪魔しようと企んだイギリスとフランスがイスラエルと一緒にエジプトに攻め込んだことで勃発する。 エジプトが負けるかと思いきや意外と耐えたしスエズ運河も守りきったことで「エジプト結構すごくね?」的な雰囲気で国連の介入で終戦したんや。 エジプト=アラブの勝利やね。
第三次中東戦争(1967)は、わずか6日で終わったから6日間戦争とも言われるけども、イスラエル軍がアラブの国々(エジプトやシリア、ヨルダンなど)に攻め込んで、圧倒的勝利を治めて、今のイスラエルの国土は大半はここで奪い取った土地と合わせたもので大体一緒やね。 左隣のエジプトからガザ地区を奪って、右隣のヨルダンからヨルダン川西岸地区を、シリアからゴラン高原を奪ってる。 ゴラン高原は、のちに自衛隊が海外平和維持活動として派兵してた場所やね。争いが起きてカオスだったってことやね。
この第三次中東戦争は、テレビドラマにもなった山崎豊子の小説「不毛地帯」でも扱われていて、この戦争がすぐ終わるのか長期化するのかを分析して投資をする、近畿商事vs東京商事の戦いでも描かれてるで。 小説もテレビドラマも面白いからぜひ鑑賞してほしい。 ドラマは唐沢寿明主演で、めちゃ面白いで。このドラマで商社マン志望の学生が増えたとすら言われてる。
第四次中東戦争(1973)は、第三次中東戦争で奪われた土地を取り返そうとエジプトとシリアがイスラエルに攻め込んだんやが、これは今から50年前の10月6日の、ヨム・キプル、つまりユダヤ教の贖罪の日という祝日に行われて、お休みの日やった。 ちょうど今週ハマスがイスラエルを奇襲したが、これもまた同じ祝日の日やった。 油断した日を狙うのは変わってないな。
イスラエルvsアラブ系の国々という構図になったけども、冷戦下でもあったから、裏側ではイスラエルを米国が、アラブをソ連が応援してた。 この戦争は3週間で終わるんやが、アラブ系の国々がイスラエルの味方をする国々に対して石油を禁輸したり、OPECが石油の価格引き上げをしまくったことでいわゆる「オイルショック」を起こして日本も影響を受けたで。 このオイルショックのときに日本人はトイレの紙を買いまくってたけど、50年経ってコロナが起きてもトイレの紙を買いまくってたから、なんの進歩もしてないよな。 ちなみに、前に「オイルショックのときに買いまくったトイレの紙がまだ家に積み上がってる」っていう人に会ったことあるで。ほんとかいな。
大規模な戦争は4回のみで、その後は小さな紛争が何度も何度も起きてる。 1988年にはパレスチナ自治政府が独立宣言を行って、1993年にはパレスチナ自治政府のアラファト議長と、イスラエルのラビン首相が「仲良くしようね」とアメリカ大統領仲介の元パレスチナの自治を認めたんや。これでだいぶ進歩したなあってことで、アラファト議長とラビン首相はノーベル平和賞を受賞してるで。 でもその後イスラエルのラビン首相は、国内の極右学生に暗殺されてる。宗教色が強いエリアだと、国内を説得するのも大変やな。
パレスチナ側はアラファト議長が死んだあと、内紛が起きる。 2006年に議会選挙でハマスっていう反イスラエル・反米の党が第一党になった。 一応選挙で選ばれた人らやけど、イスラエルのことめっちゃ嫌いやねん。 パレスチナではハマスに加えて、親米・イスラエル融和派の党ファタハという2つの派閥があったけどハマスがガザ地区を武装支配してしまう。 ファタハはヨルダン川西岸地区っていう方を支配してるで。穏健派やな。
今回イスラエルにロケット砲打ちまくってライブ会場から人を拉致しまくったのは、このハマスの武装組織やね。 だからパレスチナがイスラエルに攻撃したというよりは、パレスチナの中にいるハマスの人たちがやった行為って考えたほうがええと思う。 ゆな先生が前に訪問したのはハマスが支配するガザ地区ではなく、ファタハが強いヨルダン川西岸地区ってとこやけど、そこはそこまで激しく反米って感じでもなかったな。
一方でイスラエルもイスラエルでじわりじわりとパレスチナに入植地、つまりユダヤ人が住むエリアを拡大し、実質的にそのエリアを支配してしまうのをやめずにいるし、ガザからロケット砲が飛んでくるたびに民間人も含めてお構いなしに報復攻撃をするから、結局永久に終わらない紛争になってしまってるわけやな。 ハマスが10人イスラエル人を殺すと、だいたいイスラエルはパレスチナ人を1000人とか殺すからね。
2022年11月にイスラエルで右派のネタニヤフ政権が生まれたけど、政権誕生から今回のハマスによるロケット砲攻撃やライブ会場での虐殺や拉致の事件の間にも実は、ちょくちょくイスラエル軍がハマス支配エリアを攻撃してたりする。 あんまり報じられることはないけどテロリストを逮捕するとかいう名目でちょくちょく空爆したり、武装襲撃したりしてるわけで、いろんなものがたまり溜まった状態だったことは間違いないな。
とはいえ、この2000年3000年規模の歴史的な背景もあるから、今回はハマスが悪いとかイスラエルが悪いとか、断言することはできないというのがワイの立場やね。 むしろ日本はこの長い長い宗教戦争とは無縁の離れた場所で、無縁の仏教神道の国であるから、どっちの肩を持つというのはしないほうがいいんじゃないかなと思う。
日露戦争ではユダヤ人経由で戦費を調達して戦争になんとか勝ち、戦後は中東のアラブの国々から石油を輸入してなんとかライフラインを維持している島国で、わざわざ敵を作らなくてもいいし、3つの宗教、そして欧米諸国の争いであって、簡単に解決できる問題ではないことは理解してもらえたと思う。
ちなみに私はイスラエルとパレスチナ両方を訪問したことがあるから、どちらの立場もなんとなくわかるし、実際に訪問してみて非常に学びが多かった。イスラエル・パレスチナにもう少し平穏が訪れたら、ぜひみんなにも行ってみてほしい。
歴史を学び、地政学を学び、宗教を学ぶことは、人生で起きる出来事やニュースなどから想像できることを増やし、旅行を楽しくし、投資にも役立ち、将来の予測にも役立つ。 ついつい毎日だらけて過ごしてしまうこともあるけど、たまには本を読んだりして遠い異国で起きていることに関心を持ってみるのも面白いと思う。
もし記事が面白かったらぜひフォローしてな。 月に2回ふるさと納税を紹介してる。おすすめの本とかお得情報もたまに紹介するで。
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旅日記③ in Australia🇦🇺
Sydney編
続いて、Sydneyについて覚えてる限りのことを。
前半は都市について、後半は向こうでの医師の働き方について書きました。めっちゃ長くなった🤦🏻♂️
3日間の滞在で感じたSydneyの魅力
第一の感想、数年住みたい。
ちょうどよく都会。日本でいう表参道のような上品な雰囲気を持ちつつ、道が広くて都会の行き過ぎた喧騒みたいなのがない。夜1人で歩いても明るいから怖くなかった。(夜のお散歩が楽しめるの最高)
気持ちの良い大自然が、電車や車をちょっと走らせると辿り着ける距離にある。最高すぎる。SydneyでもBlue Mountains(写真2枚目)など自然観光はたくさんしたけれど、1番気に入ったのはBondi beach(写真6枚目)。このビーチは何回来ても飽きないだろうな〜って思った。嫌なことあっても穏やかな気持ちになれそうな、そんな素敵なビーチだった🐚(現地の人たちは暇さえあればすぐ海に行ってレジャーシート引いてchillするらしい。)
アジア系多め。おかげさまで、旅行中に自分が外国人だと感じる瞬間もなく、差別を感じることもなく。アジア系が多めだからか、アジア系料理のお店も豊富で、海外旅行あるある「日本食恋しい」がなかった。
ジェラートがめちゃくちゃ美味しい。現地の人曰く、イタリア人が「イタリアンはさすがにイタリアの方がちょびっとだけ美味しいけど、ジェラートはイタリアと差異なく美味しい」と話すらしい。やるやんシドニー…。
ライフスタイルが魅力的。活動は朝早くから、でも夕方にはお休みモード。カフェは朝6時から空いてて、コーヒー買ってからみんな職場へ向かうらしい。飲み会は基本1次会まで、2次会はジェラート食べて終わりなんだとか🍨。深夜までの飲み会は翌日の疲労感が凄まじいので、この文化はますます魅力的。
(物価高いことを考慮しても)給料高め、定時で帰宅、残業少なめ。休日は自分の時間、家族の時間を大切にする国民性。Australiaはビザを取るのが大変なことで有名だけど、医師の資格があれば永住権の獲得も容易いようで、ちょっと働いてみたいかもと思ってしまった。
みんながみんな自由。ド派手な花柄ワンピースきたおばあちゃん、青い髪のお姉さん、靴履かずに裸足で歩くお兄さん。こういう他人への興味関心が薄いところ、居心地良い。狭いコミュニティは少し息苦しくて得意じゃないから、いいな〜って思った。
働く女性に優しい社会。出産はタダ、育休は両親合わせて2年ほど。お母さんがベビーカー連れてクラブでお酒飲んでても安全らしい(?)。電車で赤ちゃんが泣いてると機嫌悪くなるおじさんがいる日本よりは、たぶん優しい。
ざっと思い付くのでこれくらい。
今までは、海外旅行行っても初日に『日本しか勝たんな🇯🇵』と感じるのだけど(実際、ご飯は美味しい人は優しい治安はいい街は綺麗だから当たり前)、Sydneyはそんな日本のいいところもきちんとあったな〜って感じがした。ただ、数日の滞在なので見えてない部分もたくさんあると思う。
英語頑張って勉強して、数年間ここで働いてみたいなって思った。骨を埋めるのは日本がいいけど。
余談
3枚目はBlue Mountainのkissing trees(loves treesとも呼ばれている)🍃。お互いが栄養を受け渡ししあっているおかげで生きている木のことなんだけど、触ったら素敵なご利益があるらしい。めちゃくちゃ触っといた。ガイドのおじさんは触りすぎて効果なかったらしい(何なん)。
続いて向こうでの医師生活を聞いた感想
Australiaに行った目的は、日本人ながら現地でドクターとして働いている知り合いに会いに行くことで、せっかくお話たくさん聞けて刺激を受けたので、そのこともメモしておく📝
🇦🇺と🇯🇵の働き方の違い
🇦🇺は週4.5勤務で残業なし(9時5時)で、残りはゆっくり自分の時間を過ごせる。専門医は週5勤務に対して研修医は週4.5勤務。この差0.5週は、研修医は勉強に時間を使ってねって意図で、0.5週分も給料は出るらしい。(日本でも病院を選べば色々あるんだろうけど、全体的に日本よりも時間にゆとりのある生活を推奨してるんだなっていう印象)
有給は日本は年10日なのに、向こうは年間まるまる5週間。
働き方について色々メモしたけど、それでも日本で医師を週6で残業ありでバイトもしてやってるひとよりかなり年収の差があるらしい。お金が全てではないけど、お金の余裕は心の余裕だよなぁなんて思ったり🤦🏻♂️
ビザを取るのってすごい大変らしいけど、医者に関しては国家試験に受かれば2週間で取れるから、永住権獲得の心配は格段と少ないらしい。アメリカは永住権は全然取りにくくて、9年くらい?働いたらアメリカの僻地か、故郷に帰らないといけない決まりらしい。アメリカの僻地ってハワイが含まれるんだけど、だからハワイには日本人の医師が多いんだって。(ワーホリでオーストラリアにきて魅了されたけど、学生ビザとか雇用で何とか引き継いで、在住9年目っていうひとにウルルで会った。いまだ永住権取れずにいるし先が見えないっていって、ビザって大変なんだ〜って思ってたから、医師にとってビザは何とでもなるよっていう話は大きい収穫だった。)ちなみに、医師の他にビザが取りやすい職業は看護師と研究者らしい。
国試はアメリカと違っていついつまでにとかいう制限がないから、何回でもチャレンジできる。先生はいけるいけるって言ってたけど、絶対大変。(まあとりあえずオーストラリアに行ってみて、無理だったら日本帰ろ〜とかいうくらいのマインドでいいんだよって先生が言ってた。失業するわけじゃあるまいし、と。)
日本は1人の患者に1人の医師が担当するところが主流だから、急変とかあると呼び出しがあるけど、オーストラリアでは患者1人をチームで担当するから、呼び出しとかないし、負担もいい意味で分散される。
オーストラリアの医師は、ローカルGP(総合診療医)が70%をしめてて、専門医は残りの30%。ローカルGPは日本の総合診療医よりも何倍も網羅されてて、お産も心疾患も救急や小児や看取りなど全部がめっちゃできる。だからGPトレーナーをやるだけでも、経験をたくさん積んだ医師になれるらしい。
逆に、専門医を取るにはだいたい8年くらい(スムーズに行っても6年)かかる。オーストラリアで専門医をとってから日本に帰っても、日本でその専門医としてすぐなれるわけではないけど、学会発表とか色々やれば、専門医への近道があるみたい。要するにまた日本で1からっていうわけではないということ。
海外での人種差別ってないの?って思って質問したら、オーストラリアでは患者が白人以外の医師に対して差別っぽい言動をした場合、ブラックリストにのるかんじで患者側が病院から追放されるらしい。だから、白人以外もとっても守られてる国だなと感じた。訴訟もないわけじゃないけど、保険がきちんとあるから、それに関しては日本と同じかな。
育休は旦那さんと合わせて2年間くらいもらえるし、ドクターだったら保育園に納めるお金は他の職種より多いらしいけど、子供を保育園に預けるだけでオムツ用意しなきゃとかないらしい。多分、この収める金額によって楽さが選べるのかな?詳しくはわからないけど、とりあえず日本より子育てしやすい社会体制が整っているとのこと。
私はまだ日本で働いたこともないので日本の実態もよく分かってないし、医療体制において向こうがが優っているとも言えないけれど、刺激的でワクワクした☀️
興味持ったらとりあえず手突っ込んで、できるだけ将来の選択肢を狭めないように生きていきたいな、と思えた1週間だった。先生と知り合った時(10年前)は、自分はまだ中学生、先生もまだ大学生で、自分が先生と同じ進路を辿るとも、先生が日本を出るとも思ってなかった😂あとこんなに親しくなるとも思ってなかった。人生の縁に感謝です🌿
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。 そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。 近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。 「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687# なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。 デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。 「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。 注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。 アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。 降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。 15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。 青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。 凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。 ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。 ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
大変勉強になった���キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。 フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。 フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。 フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。 フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。 奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張す��話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。 『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。 まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。 さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。 「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。 メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。 このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月3日(明治節)弐
通巻第8488号
EU委員会は、いつまでウクライナ支援を続けられるか
ゼレンスキーは西側のお荷物になってきたのではないのか
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ゼレンスキー大統領の風貌に悲壮感が漂い始めている。顔つきが刺々しくなったことに多くはお気づきだろう。
「ウクライナをすぐにもNATOに加盟させよ、さすればロシアに勝てる。また長距離ミサイル『トマホーク』の供給を望む」というのが彼の「勝利計画」の必須条件だ。けれども欧米は取り合わなかった。「北朝鮮の兵隊が前線に展開されている。長距離ミサイルを呉れ」とゼレンスキーの獅子吼は悲痛な音色を響かせている。
ポーランドは中古のF16をウクライナに供与した。独仏などの供与武器も中古で在庫から「援助」だと勿体つけて供与した。なんだかアリバイ工作のようだ。
要するに英米欧は自らの血は流さずウクライナの犠牲の上にロシアの弱体化を狙ったのだが、こうした西欧のマキャベリズムが破綻しつつある。イランと中国が背後で支援し、プーチンの風貌には余裕さえある。BRICS主要国をカザンに招き、習近平、モディらと会談した。欧米はロシアに飛んでいったインド、エジプトに文句を言わなかった。
鵺のように舞台裏で動き回り、NATOからつぎつぎと妥協を取り付ける政治力はエルドアン(トルコ大統領)である。NATOはいまや同床異夢といってよい。エルドアンは国益重視で強かな愛国者、西側とは条件闘争を繰り返してきた。この点でエジプトなどとは外交力が異なる。トルコは堂々とロシアからガスを輸入しているが、その上を行くインドはロシアから石油・ガスを廉価で大量に輸入し、あまつさえ転売ビジネスにも励んでいる
10月31日、オーストリアで開催されたイベントで講演したオルバン(ハンガリー首相)は「ウクライナが勝利するなど、『空想』、ファンタジーでしかない」と明言した。
オルバンはEUの議長国(交代制)として、年初来、トランプ、プーチン、習近平を訪問し停戦を模索した。EUは迷惑顔だった。オルバンはEUを代表する資格は無いと、その外交努力を後ろから足でい引っ張ったのである。
ブラッセルの高級官僚はリベラル分子が圧倒的で、可笑しな政策ばかりを打ち上げてきた。オルバンはフランス、イタリア、スペインなど数ヶ国の保守系EU議会議員を集め、『欧州の愛国者』という議会内会派を形成した。正面からファン・デア・ライアン委員長の極左汚染に挑むのだ。
オルバン首相は「EUの政治家の大半はロシアを誤解しており、その代わりに自らの政策や優先事項をロシアに押し付けている」と述べた。スイスの新聞「ディ・ヴェルトヴォッヘ」が主催したウィーンでのイベントで、ドイツの元首相ゲアハルト・シュレーダーとともにオルバンは講演し、吠えたのだ。
▼幻影、幻覚、空想によるEU議会は左翼全体主義の巣窟になっていた
「西側諸国では個人の自由と物質的繁栄を最大化することに重点が置かれているが、ロシアの優先事項は、1億4000万人の多民族国家をまとめ、敵対勢力が領土の一部を「食い荒らす」のを防ぐことにある。そうしたプーチンの動きが西側では誤解されている。とくにEU委員会委員長ウルズラ・フォン・デア・ライエン氏らは、ウクライナがロシアに軍事的勝利について語っているが、まったくの絵空事だ」と一蹴した。
空想によってEU議会は左翼全体主義の巣窟になっていた。このブラッセルの官僚どもにオルバンは挑戦しているのである。
「ロシアは戦場で負けることはなく、むしろこの紛争で勝利するだろう」という点で親露派の代表格シュレーダー元独首相とオルバンは一致した。
両氏は「ゼレンスキー氏にとって時間は不利に働いている。できるだけ早く停戦することだ。この戦争はウクライナにとって負け戦であり、ウクライナはますます荒廃しつつある!」
スロバキアでもロベルト・フィツォ大統領はキエフを無条件に支持するEUの政策に反対した。このためウクライナを狂信的に支援する左翼テロリストによって暗殺未遂事件にでくわし、重症を負った。がなんとか生還したもののフィッツォ大統領は完全に立ち直ってはいない。
左翼、リベラルたちの幻想が挫折するとき、民主主義は回復する、とハンガリー外相が付け加えた。
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サンタルチア
でも私は山の方
前世がイタリア人だと勝手に思ってるオヤジですけど、パスタをよく食べます。
子供の頃はキノコ系が大嫌いだったのに、ジジイになったのと西洋キノコ料理を知ってから改めて “ 旨味成分 ” って凄いな〜となりました。勝手なもんです・・・
昨日は、チョロっと休日出勤してたのですが、無性にパスタが食べたくなってしまい、帰宅早々作りました。盛り付けが汚くてごめん(笑)味はgood
西洋キノコ数品(Costco乾燥キノコ利用)とベーコンにミ��ク和えソースでありました。
空想してた予定通りの味になってオヤジハッピー
ファビオ先生、いつも拝見してます
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あなたの収入はどれくらいだろう? 配偶者はどれほど魅力的な人だろうか? あなたは他人からどんな風に見られているのか? こうした要素のすべてに、身長が影響を及ぼしているかもしれない。現代社会では、身長に関する大きな偏見がある。背の高い人はほめそやされて特権を享受する一方で、背が低ければ、地位が高くても肩身の狭い思いをすることがある。 男性の場合、特にそれが顕著だ。背が低い人は、偏見にさらされるだけでなく、汚名を着せられることすらある。いわゆる「ナポレオン・コンプレックス」だ。 この言葉の由来となったのは、体格よりもはるかに大きな野望を持っていたと言われるフランスの専制君主だったナポレオン・ボナパルトだ。「ナポレオン・コンプレックス」は、背の低い人々が支配的で好戦的になりやすいという傾向を指す言葉として、20世紀からポピュラー(通俗)心理学で使われ始めた。 しかし、歴史学者の中には、ナポレオンが本当に背が低かったのかという点に異を唱える者もいる。では、「ナポレオン・コンプレックス」という考えは、どのようにして誕生したのだろうか。また、そうした傾向は本当に存在するのだろうか。(参考記事:「ナポレオンとジョゼフィーヌ、波乱で奇妙なロマンスの真相とは」) 愛称のほとんどに「ちび」 ナポレオン・ボナパルトがはじめて名声を手にしたのは、1796年、フランス軍を率いてオーストリアなどに対してイタリアで奇跡的な勝利を上げたときだ。このときから、「ちび伍長」などと呼ばれるようになった。その後も勝利を重ねていくが、ナポレオンが好んで用いたのは、無謀とも言えるほどの大胆な戦略だった。 国の英雄となったナポレオンは、1799年のクーデターで政権を掌握。やがて皇帝となり、フランスの勢力拡大を図った。(参考記事:「欧州のエジプトブームに火をつけたナポレオンの遠征」) ナポレオンには、カリスマ性と巨大な野心があった。だが、その生涯と治世を通じて、彼は背が低いことを揶揄(やゆ)され続けた。自軍の兵士たちがつけた愛称のほとんどは「ちび」ではじまっていた。さらに敵たちは、好戦的で、周囲を威圧して支配することで、自らの身長の低さを補おうとする小男として、ナポレオンを描き続けた。 近代政治風刺画のジャンルを確立した英国のジェームズ・ギルレイによる風刺画はとりわけ有名だ。ギルレイは、直接見たことはないナポレオンを、世界をおもちゃに変えようとする子どものような男や、大きすぎる服を着た幼児のような姿で表現した。1803年の風刺画には、英国王ジョージ3世が、手のひらにのせたナポレオンを小型望遠鏡でのぞく様子が描かれている。
背が低いと支配的に? 「ナポレオン・コンプレックス」は本当か | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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これで学校行きたい。バッグに入る「折りたたみ」電動スケボー | ギズモード・ジャパン
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以下引用
小さくなってバッグに入る! 長い距離の移動は自動車や電車にお任せですが、下りてから目的地までの「ラスト・ワンマイル」を歩くのはメンドいもの。 世の中には��りたたみ自転車だけでなく、歩く速度を3倍にする下駄や、ノートPCみたいな「持ち歩けるクルマ」といったガジェットもあり、使わない時の携帯性はけっこう大事なポイントかと思います。
イタリア製のふたつ折りスケボー
電動スケートボードも存在しますが、長いので持ち運びは不便です。でもLINKYのふたつ折りスケボーならたたんでバッグに入るコンパクトさ。 重量は5.8kgとチョイ重めですが、手持ちのリモコンで操作するので足で漕がずに進みます。
スライド・ギミックでふたつ折り
たたんでも前後のホイールがぶつからないよう、片側がスライドするのが薄くなる秘密。開閉は瞬時に行なえるのもスムーズでいいですね。
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弟分の「LINKY S」は最高時速35.4kmで進み、フル充電で約17.7kmの距離を走ります。 兄貴分の「LINKY PLUS」は、最高時速42kmで爆走することが可能。フル充電で約22.5kmの距離を走ります。こちらはカーボンファイバー製のデッキと105mmのオフロード用ホイールを装着しています。
オフロードもドンと来い
関節を持つデバイスはそこが緩んだり外れたりして、壊れやすいこともしばしば。 ですが「LINKY」は、ちょっとくらいの段差や未舗装の道でも走破できる耐久性です。
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「持ち歩けるクルマ」よりスポーティーですが、長い徒歩移動区間に利用したりと使い勝手は良さそうです。
「LINKY S」は約10万8500円、「LINKY PLUS」は約13万2600円にて、クラウド・ファンディングで出資ができるようになっています。 日本の公道では乗れませんが、ナイス・アイディアな乗り物ですよね。
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スペイン フランコの四〇年
【1,466字・3分】
J.ソペーニャ『スペイン フランコの四〇年』(講談社現代新書)
1936年から1975年までの40年間、スペインは反共の独裁者フランコ将軍の支配下にあった。この本は、スペイン国内で内戦と第二次大戦を体験したスペイン人の著者が、「フランコの40年」の実状とその背後にあったものを考察した同時代史である。
フランコが40年もの間スペインを支配できたのは、内戦での勝利・第二次大戦での中立政策・戦後の隔離政策を乗り切ったことによると著者はいう。
「何が内戦をもたらしたのか」という問いに著者は、ヨーロッパ諸国が体験した宗教戦争やブルジョア革命が20世紀までスペインに起こらなかったからだという。斜陽のスペイン帝国の未来をめぐる啓蒙主義と伝統主義との闘いは16世紀にさかのぼるが、それがスペイン社会全体においてイデオロギーの多様性へとつながらないまま20世紀に引き継がれ、最終的に内戦になったのだと著者はいう。
スペイン人気質そのものが自由主義的共存に適さないのだ、と言った人がいる。スペイン人は敵を打ちのめし、できれば記憶まで���消し去るまで打ちのめしたいという気質を持っている、ということである。
こうしたスペインに対する説明は、示唆的であ(る)……しかし、これでは満足な説明ではないと思う。ただイデオロギーの多様性――近代社会の一般的特徴を容認し、定着させることに遅れた国民にすぎない、と私は思う。
ここで著者はスペインのもうひとつの特徴を指摘する。スペインでは「持てる者=反動勢力」「持たない者=革新勢力」という単純な図式が成立しない、もしそれが成立したなら左派勢力は内戦で失敗しなかっただろうという。たとえば小規模自作農は都市労働者より貧しいが政治的には反動的だったという。
反啓蒙主義・反民主主義・反共産主義者だったフランコは、内戦においてドイツ軍やイタリア軍の力を借りながら左派勢力を国外に追い出し、独裁者として大土地所有の回復など復古主義的な政策を取った。スペインから逃れた左派勢力はフランコをヒトラーやムッソリーニと同じファシストとして喧伝した。だがそれは事実に反すると著者はいう。
第二次大戦が始まるとフランコは弱体化したスペインの国力消耗を避けるため、ヒトラーやムッソリーニの参戦要求をかわし続けた。フランコが唯一参戦したのは「青い旅団」を東部戦線に派遣した時だけである。反共のスローガンのもと「青い旅団」にはスペインの若者たちが5万人参加したが、ドイツ敗退とともにその使命を終えた。大戦終盤でフランコ自身が連合国側に寝返る中、赤軍との闘いに生命を賭けた若者たちは結果的には大戦前半で優勢だったドイツに対する日和見的な迎合に利用されたことになり、フランコに対して不信を抱いた。
戦後の国際的なフランコ隔離政策(それは国外に逃れた左派勢力がフランコを「ファシスト」呼ばわりしたことに起因する)を乗り越えてソ連を含む国際社会からフランコのスペインは承認される。ここから1960年代の経済成長を経て1975年にフランコが病死し新しい王政に移行するまでの期間は、スペインがイデオロギーの多様性をゆっくりと受容していく過程だった。そこには中間層の増大や地域格差の拡大、テクノクラート(その人材は「オプス・デイ」というキリスト教系宗教団体から輩出された)の専横や経済スキャンダルの発生といった要因があるが、特にキリスト教会で若い神父や修道士たちが理想と現実の間で葛藤したことが社会を変える要因になっていったという。
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