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#イギリス子供の美容室
mlyzvt-no2157 · 1 year
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や��道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはき��と、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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hegotthesun · 1 month
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『龍馬が通る!』
~明治維新と欧米化~
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■2012年6月9日 - 高知にて撮影
■坂本龍馬 - Wikipedia 1836年に坂本龍馬は、土佐藩下級武士の次男(末っ子)として生まれた。子供の頃の龍馬は泣き虫で、周りの友達によくからかわれていたそうな。
12歳の頃、龍馬は塾に通い始めたが、上士の同級生と喧嘩をして喧嘩両成敗という名目で父に塾をやめさせられた。その年に母が亡くなり龍馬は継母の伊与(いよ)に教育を受けた。
家族の中で龍馬と最も仲の良かった三歳年上の姉・乙女(とめ)と、よく二人で「ヨーロッパ」というあだ名を持つ“川島猪三郎”(いさぶろう)の家に遊びに行き、欧州の話を聞かされていたのだとか。
龍馬が姉の勧めで剣術を習い始めると、その天賦を早くも発揮し始めた。
1853(嘉永6)年に、龍馬は18歳より剣術を学ぶ為に江戸に留学。その時、偶然にもアメリカ合衆国より艦隊を率いたマシュー・ペリー提督の黒船が来航し、藩の命令で品川の警備を命じられた龍馬もそれを間近に見る機会があったのだ。
黒船のあまりの大きさに龍馬は慄きながら、同時に「日本の剣術では海外とは渡り合えない」と即座に覚り、龍馬は西洋式の技術を学ぶことを決意した。
江戸時代の町人は「江戸が最も文明の発達した国」と考えていた。しかし、この黒船来航により、西洋の文明が予想以上に進んでいると流石に気付くことになった。
ペリー提督が提出した開国の要求書は「漢文」「オランダ語」「英語」の三種類で書かれたもので、貿易で馴染みのある漢文とオランダ語に関しては解読できたが、当時の日本人にとって英語だけは見慣れない文字だったようだ。
ちなみに「オルゴール」はオランダ語(英語ではミュージック・ボックス)だが、これは鎖国時代もオランダから来る商船は受け入れていたため、江戸にオルゴールが持ち込まれた際そのままオランダ語で定着したもの。
また、鎖国の背景にはオランダが日本貿易を独占するため、スペインやポルトガル等の《カトリック教》の国が日本植民地化の意図を持っており、危険であることを徳川幕府に助言していた事情もあるようだ。
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▲「キリスト教を信仰しない異教徒は野蛮」として先住民を大量虐殺するスペイン軍
戦国時代の時点で日本はヨーロッパ全土の火縄銃を上回る数の銃を保持する残虐非道な戦闘部族という評判もあり、当時は「太陽の沈まない国」と呼ばれ、世界全土を次々に植民地支配して君臨したスペインさえも警戒して日本侵攻に至らなかったのだろう。
そうして、今の幕府では日本を護れないと考えた龍馬は「打倒、江戸幕府」を掲げ奔走することになる。
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安政元年(1854年)6月23日、龍馬は15か月の江戸修行を終えて土佐へ帰国。在郷中、日根野道場の師範代を務めながらも、絵師“河田小龍”宅を訪れて国際情勢について学び、海運の重要性について説かれて大いに感銘し、後の同志となる“近藤長次郎”や“長岡謙吉”らを紹介されている。
27歳で脱藩した後に幕臣・勝海舟を訪ね、海軍を作ってアジア諸国と連帯するという話を聞いた龍馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子となって神戸海軍操練所の創設の為に行動を起こした。
その後、1864年以降に何度か長崎を訪れ、慶応元年(1865年)に幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て、長崎の亀山に日本初の会社となる「亀山社中」が結成された。
ちなみに"西郷隆盛"の勧めにより日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だが、その時の出来事をイラストも交えて手紙に書いて姉の乙女に送り続けたらしく、連絡がマメな龍馬の手紙は実に130通以上も残っているという。いやはや、驚愕である……。
ところで1841年にアメリカ合衆国を目指して航海中だった"ジョン万次郎"は、生まれて初めて世界地図を見た時に、世界における日本の小ささに驚いたという。
このように大きく広い世界の中の「小さな自分」に気付くことは、客観的に自己認識することに直結する。世界地図による世界認識の拡大=地理教育は、人々の視野を広げ、人を積極的な思考に変える力を持つのだろう。
ちなみに坂本龍馬の逸話として、初めて世界地図を見せられた時に「日本はどれだと思う?」と問われ「これが日本じゃろう!」とアメリカ大陸を指さしたという話がある。 黒船来航の前にペリーは琉球王国と交流し、江戸幕府の情報を収集しており、それにより江戸との開国交渉に至った。当時は鎖国していた江戸と異なり、琉球王国は長崎や神戸と同様に欧米・日本・中国・韓国・東南アジア等を相手に貿易を行う東洋経済の中枢だったのだとか。
ある日、坂本龍馬は「土佐の海が世界に通じていると思うと愉快ぜよ」と語ったという。
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欧米化について
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日本の近代化、つまり西洋化は「明治維新」より本格的に始まりました。
西洋化の手始めに、まずはヨーロッパ(特にドイツとイギリス)の言語、及び学問が片っ端から翻訳されましたが、現代の日本において馴染みのある「技術水準(technical level)」「概念(concept)」「哲学(philosophy)」「芸術(art)」「愛(love)」「変態(abnormal)」等の単語は、当時の日本語に該当する語彙がなく、この翻訳過程で新たに作られた語句でありました。
夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語の翻訳に貢献しました。
当初の日本では病院のカルテはドイツ医学に則り、ドイツ語で書かれていたのは有名でしょう。
たとえば「技芸」や「恋」等の単語は江戸時代の日本にもあったようですが、「芸術(art)」や「愛(love)」は本来の日本語にはなかった語彙なので、上辺だけは理解したふりをできたとしても、これらの概念や価値観が日本男児にとって根深く馴染まない根本的な理由が、遺伝子と文化的な要因にあると解釈できるのではないでしょうか。
明治維新以降、日本政府は先進国(白人の国々)の技術水準に比肩したいがために西洋化を推し進めてきましたが、「アキレスと亀」という詭弁があるように、追い続けるだけではどこまで行っても追い抜くことはできないと慮る次第であります。
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森鴎外
"森鴎外"は、夏目漱石と並び「明治の二大文豪」と称される作家です。ドイツ語の翻訳家としても活躍し、西洋文化を感じられる作品を手掛けました。
当時の日本社会や思想を客観的に描写した物語も多くあり、見識の広い森鷗外ならではといえます。
森鴎外がドイツ留学の実体験をもとに書いた日本人留学生とドイツ人女性の非恋『舞姫』は森鷗外の代表作です。
森鷗外の作品は古文で書かれたものが多く、さらに文中にフランス語やドイツ語が織り交ぜられるなど、格調高い文体が特徴。
西洋文化を取り入れた言葉や文体は、後の多くの作家に影響を与えました。
夏目漱石『吾輩は猫である』
日本の教員・小説家・英文学者"夏目漱石"の著書「吾輩は猫である」読了後、どうしても腑に落ちなかった点があります。
それは主人公の吾輩君が最後は酩酊して水瓶に落ちて溺死することに他なりません。
『吾輩は猫である』は、明治維新以降の急速に西洋化する日本を猫の視点から描いた風刺・滑稽噺ですが、それにしてもこの終わり方は死を美化する日本文化の象徴とも言えなくもありません。
また、私が二十代の頃に読んだドストエフスキーと比較して、日本文学はロシア文学より劣っているのではないかと落胆したこともありました。
しかしながら夏目漱石が三十代の頃に国費で英国留学したものの人種差別に遭い、己の醜さから鬱になり自室に引きこもっていたら、「外に出て自転車にでも乗ったらどうだ」と勧められて自転車に乗る猛特訓をしたのに、結局は乗れなかったという訳の分からない滑稽なエピソードを読んで、どうしても夏目漱石を嫌いになれず、吾輩君の死も無駄には思えなくなりました。
きっと吾輩君は読者諸君の心の中で生き続けているのである。
それはさておき、推奨されるがままに始めた自転車の猛特訓中に"英国紳��"から「チン・チン・チャイナマン!」と侮辱された夏目漱石も、日本に居た頃は自他共に認めるほど容姿がいい部類だとされながらも英国の街を歩いた際に「背の低くて醜い奴が歩いていると思ったら、硝子窓に映った自分の姿で落胆した」とのこと。
それでも"英国淑女"からは「ハンサム・ジャップ。ご一緒にサイクリングでもいかがかしら?」と誘われたので、「怒るべきか喜ぶべきか悩んだ」と悲痛な葛藤を手記に残していたそうな。
日本の英文学者で初めて英国に渡航した上で、有色人種に対する人種差別を体験した夏目漱石ですが、江戸時代末期に生まれた上役達には、このような人権にかかわる諸問題についての理解は当然ながら及ばなかったのだと慮る次第であります。
ちなみにスマホや腕時計もない明治以前の日本人にとって、例えば「2時集合」とは「大体2時~3時までの間に集合しよう」というウチナーのような寛容なニュアンスでしたが、鉄道の運用が開始されてから新聞などで大々的に「文明社会にとって時間の厳守は重要」と宣伝され、そうして現代の「5分前集合」が浸透したようです。
「おはよう」と「さようなら」の語源
「おはよう」の語源は、「今日もお早うございます」の略なのは有名です。
海外で最も有名な日本語の「さようなら」の語源は、「左様ならば、これにて御免」というお侍さまの別れの挨拶の略です。
今もなお、お侍さまの語感が残されるとは、まさに《武士道》の本場だからだといえるでしょう。
ちなみに"I Love You"を中国語で言うと、英文法と品詞の並びが一致する"我爱你"(ウォー・アイ・ニー)になるようですが、日本語だと“私はあなたを愛してる”と非常に多くの文字数を消耗するので140文字以内に収めるのも困難かと慮る次第です。
いずれにしても、中国の"爱"には心がありませんが、日本の"愛"には友がおりません。
ステレオタイプの欧米のように、"愛と友"に恵まれないものでしょうか……?
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「です」の変遷
◆江戸時代からあった助動詞「-でござる」「-でござります」は次第に「-でございます」に変化し、さらに明治時代に「-であります」から「-である」に縮まり、そうして現代の「-です」に落ち着きました。
一人称の「吾輩」は「私」のへりくだった言い方。 明治時代から活用され始めた「-である」は「-であります」の略。
つまり「吾輩は猫である」を現代風に書くと「わたくしめは猫であります」というへりくだった言葉使いになります。
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芥川龍之介『あばばばば』
大正時代の文豪"芥川龍之介"著『あばばばば』という短編があります。この小説を読んで、情緒を感じて芥川龍之介を見直した思い出があります。
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ある日のこと、学生の保吉は行きつけの煙草屋に足を運びました。ところがいつもの店主の親父の姿はなく、代わりに若い女が店番をしていました。 不慣れなのか彼女は恥ずかし気な初々しい接客で、注文とは違う煙草を取り出して赤面してしまうほどでした。 その後いつ行っても彼女が店番でしたが、応対はつかえ、品物は間違え、時々赤い顔をされました。しかし、保吉はだんだん彼女に好意を感じたようです。といっても恋愛感情ではなく、いかにも人なれないところに気軽いなつかしみを感じたとのこと。 ところがある日から突然、彼女が姿をくらまします。わざわざ不愛想な店主の親父に行方を尋ねるわけにもいかず、その後は何事もなく過ごしました。 それからさらに歳月の流れた後、大学の授業(英語講演会)のあと煙草屋の前を通ると、両手に赤子を抱えた若い母親がいました。 「あばばばばばば、ばあ!」 現代でいうところの「いない、いない、ばあ!」の意です。 女は店の前を歩き、面白そうに赤子をあやしています。そうして保吉と目が合いました。保吉は赤面する彼女を想像しましたが、しかし彼女は澄ましたままでした。のみならず、揺り上げた赤子に目を移すと、人前も恥じずに繰り返し「あばばばば」とあやしたのです。 「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、恐ろしい『母』の一人である」
そういえば、子供の頃に常連だった個人サイトのチャットでよく「あばばばばば!」と書くお調子者がいましたが、元ネタが芥川龍之介だと気付くのに十数年ほどかかりました。
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作家を大きく分けると、毎回異なる性質の登場人物が多種多様な物語を繰り広げるシェイク・スピアタイプと、毎回同じような登場人物が同じような問題に直面して一つの題材を深く掘り下げて行くドストエフスキータイプに大別できるようです。
ドストエフスキー著  『カラマーゾフの兄弟』
『カラマーゾフの兄弟』◆あらすじ ある日の朝、修道院の見習い僧侶"アリョーシャ"(アレクセイのあだ名)のもとに、14歳の"リーズ"(リーザ)という車椅子の少女が訪れました。リーズはここ最近に病を患い車椅子に乗っていますが、修道院の長老から治療を受けて順調に快復に向かっていました。 アリョーシャは子守りとして、二年前にリーズと接したので久しぶりの再会でもありました。 再会 リーズは事実、ずっと悪戯に夢中だった。彼女はアリョーシャと顔を合わせた時から、彼が自分を見るとひどくどぎまぎし、なるべく目を合わせないようにしているのに気付いた。彼女はそれが面白くて、相手の視線をとらえようとじっと身構えていた。 するとアリョーシャは、自分にそそがれる視線に堪えきれなくなり、自分からふいにリーズにちらりと目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、彼の方をまっすぐ視線を向けてくるのだった。 アリョーシャは、またどぎまぎして、ついにリーズからすっかり顔をそむけて修道院の長老のうしろに隠れた。しばらくして自分を見ているのか確かめると、彼女は車椅子から身を乗り出すようにして、こちらを振り返るのを一心に待ち受けているのがわかった。そうしてアリョーシャの視線をとらえるとまた大声で笑った。 それを見た長老がリーズを注意すると、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を輝かせ、真面目な顔つきになった。そして今度は熱っぽい訴えをこめて、早口で話し始めた。 「どうしてアリョーシャはぜんぶ忘れちゃったの? 前は小さなあたしを抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたのに。だって、あたしに読み書きを教えてくれたのはアリョーシャよ。二年前にさようならをした時に、アリョーシャは『ぼくたちは永遠の友だちだよ。永遠の友だちだからね。ぜったいに忘れないから』って言ってくれたわ。なのにあの人、今になって急にあたしのこと怖がり出して。あたしがあなたのこと、取って食べちゃうとでも思ってるのかしら? どうしてそばに寄ってくれないの、どうしてお話してくれないの? どうしてうちに来たがらないのかしら」 リーズはこらえきれなくなって顔を手で覆うと、急にはげしく笑い出した。長老が話を聞き終えると優しさをこめて十字を切った。 すると今度は彼女がいきなり泣き崩れたのだった。 リーズの手紙 その日の夜に、アリョーシャが道中でリーズの母の使者から手渡された封筒を開くと、そこには「リーズ」と署名のある手紙が入っていた。 「アレクセイさま。誰にも内緒でこの手紙を書いています。ママにも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしもわかっているつもりです。でも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしはもう生きられないんです。このことはわたしたち二人以外は、その時期が来るまで誰にも知られてはいけません。でもわたしの気持ち、どうやってあなたにお伝えしたらいいでしょう? 便箋は赤くならないって言いますよね。でも本当を言うと、それって嘘なんです。便箋だって、わたしと本当に同じように赤くなるんです。 大好きなアリョーシャ、あなたを愛しています。小さい時から、ずっと好きでした。あなたが今とはまるで違っていたモスクワ時代から、ずっと好きでした。わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年を取って、一生を伴に終えると。もちろん、修道院から出ていただくことが条件ですわ。年齢のことを言うと、わたしたち、法律で許される時まで待ちましょう。それまでにわたしも必ずよくなって、ちゃんと歩けるようになるし、ダンスもできるようになります。そんなこと当然ですよね。これでわたしがずっと何を考えていたかおわかりになったでしょう。ただ一つだけ、わからないことがあります。この手紙を読んだら、あなたはわたしのことをどう思うのかしら。わたしはいつも笑ったり、ふざけてばかりいるんですもの。今朝もあなたを怒らせたでしょう。でも本当を言うと、こうしてペンを執る前に、わたし聖母さまの像にお祈りしたんです。そして今もお祈りをしながら、ほとんど泣き出しそうなんです。 わたしの秘密はもうあなたの手に握られてしまいました。明日おいでになった時、どんなふうにあなたにお目にかかったらよいか、わたしにはわかりません。アレクセイさま、わたしまた馬鹿みたいに自分が抑えられなくなって、今朝みたいにあなたを見つめるうちに、吹き出したりしたらどうしよう。だってあなたはわたしのことを、いやらしい冷やかし屋って思うでしょうし、この手紙だってまともには受け取ってくださらないでしょうから。ですからお願いがあるんです。もしこのわたしをかわいそうって思ってくださるなら、明日わたしの家にいらっしゃった時、どうかわたしの目をあまり見つめないでください。だってわたし、あなたと目が合ったらぜったいに笑い出してしまうし、おまけにあなたはあんなに長い服を着ているし……今でもそのことを考えると、体が冷たくなってしまうくらいなの。ですから家に入ってくる時は、わたしのことはしばらく見ないでくださいね。ママか窓の方を見てくださいね。 わたしとうとうラブレターを書いてしまいました。ああ、なんてことをしてしまったのかしら! アリョーシャ、どうか軽蔑しないでくださいね。何かひどく馬鹿なことをしてあなたを怒らせても、どうか許してくださいね。こうしてわたしの秘密はあなたに握られてしまったのです。わたしの評判は、もしかしたら永久に地に落ちてしまったのかもしれません。わたし、今日はずっと泣いてしまうでしょう。さようなら、次のおそろしい出会いまで。 P.S. アレクセイ、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに来てくださいね! リーズより」
あとがき
その後、アリョーシャとリーズがどうなったのかは、各自でドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を読むか、グーグル検索をしてご確認くださいませ。
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自己実現や己の幸の為もあれば、自己犠牲を冒してまで目的を成す為に時間・労力・生命を捧げる者も居ます。人は生まれた瞬間から死を迎えることが確定しています。どれほどの富や名声を得ても最期を迎えれば遺産相続者が居なければ「財産はすべて銀行の資産」となります。
誰もが"エジソン"並みの発明王である必要はないし、"レオナル・ド・ダヴィンチ"ほどの叡智が必要な訳でもありません。誰か一人が発見して突破口を拓けば後続が可能なのだと思います。
どこかには人々を導く為に生まれた者も居るのでしょう。
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■2012年6月9日 - 高知にて撮影
《和》の中に《個》はあるから、どちらか一方を尊重するべきか独断は出来ません。
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junikki · 2 months
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ロバートが「ボコボコ」という日本語を覚えた。ボコボコといえば、ロバートの母の母、つまりロバートの祖母のお墓参りに行った時、足場が悪くて道がボコボコしてたので、「ボコボコ」と言ったから、ロバートの母は「ボゴール」と言い出して、何のことかと思えば、ロバートの母の旧姓のことだった。たまたまボコボコとボゴールと響きが似てたから。
プーチンが金正日とキスしてる画像って割と有名だし、ベルリンの壁でブレジネフとホーネッカーのキスの絵も有名だから、ロシア人て同性でもよく熱いキスする文化なんだなと思っていたけど、ロバートはそれについて全然知らなくてびっくりした。なんか日本では衝撃映像としてネットでよく出回ってるから、常識だと思ってたわ。なんかロシア系だったのか、女同士3人でお互いにキスしてるのを見かけたことがある。2人なら理解できるけど、3人で???とか思って今も謎だけど、ロシアでは友達同士でキスする文化だとすれば納得するかも。
なんかそう考えると前世はロシア人だったのかもしれないと思ったりする。子供の頃、女友達とキスできるかどうか考えていた。キスは実際したことなかったんだけども、キスできるほど好きか、生理的に無理じゃないか、というのは常に考えてたな。今も時々、女友達と二人で話してて、距離が近くなった時にふとキスしてみたくなる時がある。実際しないけど。なんかドストエフスキーの小説では地面に接吻するとかいう描写があったりするよね。なんかすごい文化だなあと思う。西洋とも全然価値観違うし独特だよな。
子供の頃マトリョーシカにすごく惹かれて好きだったなあ。ソ連崩壊の記念でなんか出し物があって、そこでマトリョーシカ買ってもらったの覚えてる。こけしには興味無かったのに、マトリョーシカは好きだった。まあマトリョーシカはこけしよりも子供好みの色合いと顔立ちっていうのもあるかもしれんけど。
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カナダのビザを取るのに、健康診断行ったんだけど、異常はほとんどなかった。ただ、尿タンパクが出た(水分不足で出やすいらしい)ので再検査はあったし、X線でもapical capというのがみられて一応通常は問題ないということなんだけども、もしかしたら精密検査が必要かもしれないと言われて驚いた。煙草も吸わないのに肺に問題があるかもしれないって…まあでもその人の体質とかにもよるものだったりするらしいので、そこまで気にせずともいい場合が多いらしい。運動のしすぎも尿タンパクの原因らしいので、できるだけ安静にするのを心がけてゆっくり歩いて来たのに、まさか水分不足とは。ほんと尿タンパクにはこれからも気をつけないとな。体重は全然測ってないけど、相変わらず55kgをキープできているようで驚いた。カナダではずっと60kg前後だった私は一体…日本では体型気にせず糖尿なるんちゃうかと思うレベルで食べまくってるし、今の方が歳もとってて痩せにくいはずなのになんでなんだろうね。私はこんなに清涼飲料水も飲みまくって、甘いものも食べてるのに糖尿の数値は出たことないんだけども、基本お茶を飲んで、そんなに甘いものを食べていない友達はちょっと糖尿の傾向があるらしい。ほんと体質の違いってすごい…
問診の医師がカナダのロンドンに親戚がいて、子供の頃よく行ったらしく、ウィンザーのことも知ってて驚いた。ウィンザーなんてイギリス王室のウィンザー城が有名だから、カナダにもあることを驚かれそうなレベルでマイナーだけども。カナダにロンドンがあることも日本人には驚きだし、パリもあることも正直驚いた。しかも全部オンタリオ州だからね。しかもカナダのロンドンはそこそこ大きな街だしね。ロンドン出身と聞いて、普通の人はイギリスを思い浮かべるだろうけども、カナダ人はオンタリオ州のロンドンも思い浮かべるんだろうな。北米かイギリスかは多分アクセントで判断してる。
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インナーカラーの変移。デビルズトリックののブルーで染めたらこうなった。
今日インナーカラー綺麗だと褒められたので、こんなに色落ちしてるのに?とか思ったけど、確かに客観的にみたらまだパステルっぽいミントカラーに見えなくもないと思った。
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元がここまで白いからね。ヴァージン毛でブリーチ一回でこの白さ。髪が細く、色素が薄いからこそだね。外側の毛は割としっかりしてるけども、内側の毛は本当に元々色素もちょっと薄いの。だから子供の頃美容師さんに髪染めてる?とか聞かれたことあるし、内側には子供の頃から金髪も混じってて、髪を耳にかけた時に金髪生えてるうーヤンキーやーとか言われてた。でも基本は真っ黒だから、困ることは特になかったな。
白髪になったらもっとブリーチ部分を増やしてもいいかもしれん。でも、その前に人生最後の全頭黒髪ボブもやりたい。インナーカラー伸びたら、切りっぱなしボブにするんだ。それでしばらく黒髪楽しむの。年齢的にこれから白髪も増えてきそうやから今のうちに楽しみたいね。
でもそれまでにインナーカラーも色々楽しみたいから、紫入れたり、またまたターコイズブルー入れたりもしたいね。
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wic1956 · 1 year
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study abroad diaries 〜番外編〜
みなさんこんにちは☀️ 人間科学部3年の川嶋健悟こと「けんけん」です!今回はイタリアでの3週間に渡る教育ボランティアとしての活動の日々を少しでも共有できたらなと思います!留学とは一味違ったものになるので海外で働いてみたい!って人は是非とも参考にしてみてください〜!
私は2023年の夏に約3週間、イタリアのローマにボランティアに行ってきました🇮🇹 留学でも良かったのですが、現地のコミュニティに入れる点や海外の子供との交流ができる点が魅力的だったのでボランティアにしました。国はいくつか選択肢があったのですが、「ヨーロッパに行きたい」というエゴと「英語を母語としない国」という2つの観点でイタリアにしました!イタリア語に関しては渡航が決まってから日常会話や汎用表現などは勉強したくらいです。
今回は①イタリア/ローマについて ②ボランティア内容 の2つのセクションに分けてお話しします!
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(Fountain di Trevi / 人が多過ぎて、コインを投げる余裕はないです。)
【① イタリア/ローマについて】
イタリアはとにかく日差しが異様に強い!! でも湿度は低めなので日陰は結構快適です。また夏は日照時間がとっても長くて、6:00~20:00で日が昇っています🌞 私は朝型人間なので1番暑い時間帯に行動していましたが、一般的には日が傾き始める16:00くらいから活動を開始するらしいです。なので水の持ち歩きは必須!! もし飲み干してしまったとしても街中には水を汲める場所がたくさんあるので、それを使っていました。ちなみにトレビの泉でも汲めます。
主な交通手段はバス・電車・タクシーでした。でもバスが時間通りに来ないのは日常茶飯事。1つが遅れると乗り換えもスムーズに出来ないのでgoogle mapで立てた全てのプランが崩れます。通常は45分で行けるところが90分かかることはザラにありました笑 しかもたまに予定より早く来るため、時間通りに行ったら次の便まで待たされることも… だから時間通りに行きたい場合はタクシーを使うことをオススメします🚕 ちなみに自分は空港からタクシーでキャンプに向かったのですが、150km/hでハイウェイを飛ばされる上、通常の5倍の金額をぼったくられました。許さん。でもアプリを使って呼べば基本どこでも来てくれる上、先に料金がどれくらいかかるのかを知ることができるので安心でした。
ちなみに裏話ですがイタリアではバスや鉄道の支払い方法がとっても雑で、ほとんどの人は無賃乗車をしています。私も買おうとはしたもののバスでは買えず、見渡しても何もなかったため結局買えませんでした。でもバレませんでした。現にバスでも刻印機にチケットをかざす人は5人くらいしかいませんでした。稀に係員が確認しに来て、もしバレたら56ユーロの罰金らしいです。5日以内に払わないと106ユーロに跳ね上がるので気をつけてください。
治安は本当に場所によりけりですが、観光地にはミサンガや帽子を押し売りする人がいました。一度話しかけられましたが、イヤホンをしていたのでそのまま逃げ切りました。スリも多いと言われているのですが、荷物を前にして持っておいたり南京錠をつけておいたりすることで防げました。夜はその数が増えるみたいなので、不安な人はあまり夜に動かないようにすると良いと思います。また夜は出来るだけ複数人で行動した方が安心です。
泊まるところはこんな感じで、なんと無料で10時間使えるプールもついており、毎日多くの人��賑わっていました🏊 プール���は常にEDMがガンガン流れていて、パリピだなと思いました。他にもボランティアであれば無料で使えるレストラン、食料を確保できるマーケット、ランドリーなどかなり充実してました。よくレストラン前でライブが開かれていて、常に賑やかでした。 ちなみに今もプール近くでフルーツ片手にこの記事を書き進めています。
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(こういうロッジ?に2人で泊まりました!
ルームシェアだとより多くの時間英語を話せる一方で、1人の時間を確保しづらいという点があります。)
最初の週はフリーだったため、ローマ市街へ行ってきました!
訪れた場所は以下の通りです!
・Starbucks Montecitorio (東京と同じくらいたくさん並んでました)
・Pantheon/パンテオン
・Fontana di Trevi/トレビの泉 (後ろ向きにコイン投げると人に当たるくらい混んでいました)
・Piazza Navona/ナヴォーナ広場
・Monumento a Vittorio EmanueleⅡ/ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
・Piazza Venezia/ヴェネツィア広場
・Foro Romano/フォロ・ロマーノ (世界史好きなら絶対行くべき!!)
・Colosseo/コロッセオ
・Arco di Constantino/コンスタンティヌスの凱旋門 (コンスタンティヌス帝懐かしかった)
・Castel Sant’Angelo/サンタンジェロ城
・Piaza di Spagna/スペイン広場 (近くにある Limon'è というマーケットはおすすめ!)
至る所にジェラート屋があって、どこもありえんくらい美味しかったです。基本的にはカード決済が主流だったので、支払いはカードを使っていました。
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(激アツすぎたコロッセオ)
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(Limon'èの丸ごとレモンジェラートはめちゃくちゃ美味しかったです🍋)
【② ボランティア内容】
私はIVHQという仲介団体を通して、ImpacTripという団体のYouth Supportのプログラムに参加しました。
最初の月曜日にオリエンテーションがあり、活動概要の説明やイタリアの文化に関するレクチャー、他のボランティアとの交流などがありました。ボランティアは自分含めて10人くらいいて、国籍はアメリカ、イギリス、フランス、ジャマイカ、メキシコ、ベネズエラ、イタリア、中国、カナダの人がいました。職業も小学校の先生から放射線技師、高校生まで多岐に渡っていました。Youth supportの場合は「教育に携わっている人」や「子供が好きな人」が多かった印象があります。各国の教育事情や問題意識を共有できたので、とても有意義でした。
最初の週はFerragosto(イタリア版お盆)らしく、この日を含む週は国全体が夏休みとなるので、私はAnimal Careに2日間、Farmingに2日間参加しました。
Animal careのメンバーの国籍はアメリカ、イギリス、フランス、メキシコで、みんなでシェルターに行きました。そこには保護された猫が260匹もいて、彼らの餌替えや部屋の清掃などをさせていただきました🐈 と言っても割と早めに終わり、あとは猫と戯れたりボランティア同士で各国比較の話をしたりしてました。
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(Animal Shelterの敷地内にある廃病院探索🏥 血液検査や歯型がまだ残っていました笑)
Farmingは近くにある農場?的なところで植物への水やりや雑草刈りなどをしました。これは2時間くらいで終わりました。めちゃくちゃホワイト企業です。
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基本的に自分は朝のシフトに参加していたので8:30前後にキャンプを出て、13:00くらいに帰ってきてた感じです。ボランティア後は完全にフリーだったので廃病院を探索したり、ローマ市内を探索したりしてました。結構自由時間が多くて、気楽でした笑
Animal CareもFarmingもめちゃくちゃ蚊や蜂が多かったこと以外は楽しかったです!全ての指示や会話が英語 (たまにイタリア語)で出されるため、聞き取るのにめちゃくちゃ苦労しました…
[平日の主な活動時程]
6:30  起床
7:30  敷地内のレストランで朝ごはん
9:00  キャンプを出る
10:00  朝のシフト
14:00  ランチ
15:00  午後のシフト
19:30  レストランで夜ご飯
20:00- 自由時間 (部屋でのんびりしたり、洗濯したり…)
22:30  就寝 (イタリアでも健康生活を続けました。)
2週目にYouth Supportに参加しました。学校的なところに行くのかなと思いきや、Summer Campの一環で屋外教室?みたいなところに行きました。小学生くらいが大半で、一緒に遊んであげる感じでした。何かマニュアルがあるのかなと思いきや、ボランティアがなんでもやっていいそうで、一緒にボランティアに来ていたアメリカの音楽の先生は楽器を使って合奏を行なっていました。私は折り紙を持ってきていたので紙飛行機大会を開いてみました。また別の日にはボランティアと協力し、イタリア語-英語-スペイン語-日本語での表現や言語レッスンをしました。みんなにとって「日本」は非常に物珍しかったらしく、興味津々で聞いてくれました。彼らはイタリア語しか話せなかったので、簡単な英語やボディランゲージで意思疎通をとっていました。また思ったこととして、子供の遊びがクリエイティブで身の回りのものを使った遊びをたくさんしていて面白いなと思いました。1週間しかYouth Supportには参加できませんでしたが、かなり仲良くなれたと思います!
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(アメリカの音楽の先生と子供たちによる合奏)
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(みんな折り紙を気に入ってくれました!!)
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(最終日には子供たちがハグしてくれました!!)
キリが良いのでこの辺で終わろうかと思います。
「非英語圏へのボランティア」を通して、その地域のコミュニティに入ることができたのはとても良かったなと思いました。また良い意味で忖度なしの英会話に触れることができたのも非常に有意義な経験でした。その上で自分からも日本のことについて発信する機会がとても多く、学び直しが必要だなと痛感しました。近々仲良くなったボランティアが日本に来るらしいので、もう一度日本のことを学び直そうと思います。
書ききれていないことも多々あるので、もし何かあればいつでも聞いてください!
最後まで読んでくださった方々に感謝申し上げます。
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keico-maguro2 · 1 year
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クリスマスソングが流れてる部屋の中で女を殺すリッパーと、それを見詰めてる傭兵の傭リ。
後処理終えたら自宅に戻ってワインを乾杯して、そのまま一緒のベッドで寝る。自宅で恋人同士のクリスマスらしい食事などをするのに、その前に人を殺しているし、ベッドの中でも性的なことは起きない関係性。 キスとかぐらいはしてもいい。 人殺した後の傭リは、自室に殺しの話を持ち込まない。 殺しに関する話は、事前の軽い打ち合わせと最中にしかしない。それ以外ではどちらも絶対に話題に出さない。 リッパーが用意したワインを口にしながら、他愛もない話をして、酔いが回ったら片付けもそこそこにベッドに潜り込んで寝る。 打ち合わせというか、その日に出掛けるリッパーに傭兵が何処に行くのかをきいて、それにリッパーが答えて、ふーんって返事しながらそのまま付いて行くのが基本の流れ。 ---- 荘園軸ではなくて比較的現代寄りのイギリス。 傭兵は留学してきた大学生で、リッパーはそこそこ身分が良い美術商。画家の兄がいるらしい。 殺す事が性的欲求の解消に近い、としているけれど、あくまで同等の行為を行って解消されているに近いので、被害者を性対象として認識して行っているとかでは無い。 だから、性欲の感じられない女性を狙った連続殺人故に、ジャック・ザ・リッパーの再臨と言われてる。実際その記憶は持ってる。 傭兵は自分が傭兵だった記憶は無いけれど、子供の頃に1回だけ人間を殺した事がある。誰にも話した事がない。殺した所まではしっかり憶えているけれど、そこからどう処理したのかは憶えてない。 ---- バイトの帰りにリッパーが女を殺してるのに遭遇して、そのままずるずる関係を持つ。 クリスマスの日もバイトのシフトを頼まれそうになり、その日恋人と約束があって、すみません。と断る。 若いねぇ、恋人と楽しみなさい。とワインを譲って貰う。 まさか、その約束が殺しだとは、店長は露ほども想像していない。 基本的にリッパーに関する話はリッパーが話した事でしか知らないので、傭兵にとって真偽は分からない。でも、傭兵からしたらリッパーが自分で語った事に意味があるので、真実かどうかは正直どうでも良い。 殆ど傭兵の一目惚れに近いもの。実際一目惚れなのかは分からないけど。 会えるのはリッパーが人を殺す日だけで、リッパーから一方的に連絡がくる。後々、殺しの予定の無い日でも会う様にはなる。筈。 傭兵は恋人同士だと思ってるけれど、リッパーはどう思ってるのか知らない。でも、傭兵の愛の言葉を否定せずに受け取ってる。 傭兵はリッパーの家に行った事が無い。 基本殺し終わった後に行くのは傭兵の部屋。学生の一人暮らし用で広くは無い部屋で、風呂場で血を流し、ワインを開けて談笑し、ベッドに転がり込む。 あまり広くないベッドの上で、脚を折り畳んで少し身体を丸めて寝るリッパーが可愛いなぁと思いながら隣で寝る。 ---- リッパーは顔が生前画家で、殺す時はいつものリッパーになる感じ。 人間なのかよく分からない。傭兵も人間じゃないのかもなぁとは思ってるけど、本人が人間ですよ。というので、じゃあそれで良い。という感じ。なぁなぁになってる。 傭兵も恋する人間なのでリッパーの事を知りたくない訳じゃ無いけども、リッパーが語るのならそれが嘘だとしてもそれで良い。と思ってる。 でも別にリッパーの言う事を全部許容してる訳では無い。傭兵の神経を逆撫でする行為をリッパーが殆どしないだけで、嫌な事は止めろと言うし、やりたくない事は無理だと言う。 お互い後腐れ無くて楽で良い関係を歩んでるけれど、もしリッパーが突然傭兵を切り捨てたら、傭兵は血眼になってリッパーを探し出して手に入れようとする関係性なので、今の関係性が破綻すると傭兵がやばくなる奴。
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mskun · 2 years
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mazaiii
過速スキャンダルという映画はなんとなく韓国にありがちな脚本であるように思えた。日本の場合は紛糾化事態が起きたらまずそれを解決して次に進むものが多いように思う。いわゆる一話完結型である。人々は毎回その解決の仕方を楽しみにしている。それは映画も同じで、一つの映画には基本的に一つの紛糾化事態しか起きない。韓国の場合は紛糾化事態に新たな別の紛糾化事態を二つ三つ重ねるということがざらにある。それが何を意味するのかわからない。韓国特有の手法なのかもしれない。見ている側は当然混乱するのだけれど、最終的になんとなく大団円を迎えているのだからすごい。過速スキャンダルもそういう映画だった。私のオオカミ少年という映画、これもまた中盤でピークを迎えてしまう映画だった。この話の結末には耐えられなかった。結末の内容ではなく、結末という形式に我慢ならなかった。堪忍袋の緒が切れた。のどかな村に住み、広々とした丘で羊や子供たちと遊んで暮らしたいと思った。それが私の生きる道ではないだろうか。僕らの青春白書、君の結婚式、この二つの映画は密接に関係しており、どっちがどっちだかわからない部分もある。パク・ボヨンが教室でキムチをおかずに白米を食べている、これは青春白書のほうだろう。浜田雅功を極限まで美形にしたような学生が別の女と歩いている様子を横目に、キムチにアミ塩辛を加えるよう母親にしつこく急かされ号泣する、これも青春白書のほうだろう。君の結婚式にもキムチに関連したシーンがあったような気がするのだけれど忘れてしまった。シン・スネの父親がキムチを漬けている最中に心筋梗塞か何かで倒れるシーンがあったな。君の結婚式に関しては内容をほとんど思い出せない。学校の先生が回顧録的に学生時代を思い出し、現在に至るまでの苦節の十数年を描いていたような気もする。このへんはパク・ボヨンの主役感が弱い。やはり京城学校、私の幽霊さま、ト・ボンスンのように紛れもない主役として出ている作品を見たい。リチウムオムのタイロッケンを買うか買わないか迷いつづけて2年以上経つ。それ以上に高いものを買う機会も何度があったのだが、結局そのことでいちばん悩んでいる。半ばハムレット。悩まされることへの渇望が無意識にあるのかもしれない。そうこうしているうちにコートの仕様が変わり、値段も高くなってしまった。もともとオーバーサイズにつくられていたものがさらにぶかぶかにつくられ、もうよくわからないことになっている。流行とはそういうものだろう。最近のジャニーズはツータックのスラックスみたいなものを履いて踊っている。ほとんど新喜劇のヤクザみたいな格好なのだがそれも流行なのだろう。新喜劇のヤクザといえばワコマリアも外せない。ダサいとかダサくないとかいう以前にこのブランドの服を着て外へ出る勇気がない。新喜劇のヤクザみたいな服を新喜劇の舞台以外で着ていたらそれはもうただのアホや。堪忍しとくなはれ。私は単に黒い服を着ることに執着している人にすぎない。流行を度外視してでも、結局もうそのせいで黒い服ばかり溜まってゆく。数えると黒のコートが全部で八着あり、黒以外のコートが一着しかない。着る機会がほとんどない。会社にはアローズのトレンチを着てゆくこともあるけれど、真冬は防寒上の理由からGAPのダウンコートを着てゆく。結局そのようなことで、その他のコートはスーパーマーケットに行くときにしか着る機会がない。試写会の佐藤健のような格好でスーパーマーケットに行くのもなかなか意味不明だという自負もある。もったいないと思いつつ、新たにコートを買いたいという欲望もある。葛藤がある。もうこれ以上は置く場所がない。基本的に貧者が持ってよいコートの数の上限を越えており、これ以上は身の破滅に直結するだろう。すでにそうなっている。髪の毛を乾かさないまま寝ると、起きたときまだ濡れていることがある。自分の頭がひどく悪くなってゆく感じがする。書いているとき、ほとんど意識がない。自分の意識の有無に関する意識がない。何を書いているのかよくわからないし、何かを書いているのかどうかもわからない。自動化、習慣化された行為としておそらく何かを書いている。おそらくそのことに意味はないのだろう。もはや、それは書かれている内容に意味がないというより、言語そのものに価値がないのだ。日本語を話すのは基本的に日本人だけであり、基本を疎かにすることはできない。日本語を基本語としている我々自身にそもそも存在価値がないという現実を直視しよう。存在価値のない者たちによって用いられる言語もまた当然価値がない。それが日本語を取り巻く現状である。イギリスは帝国主義と植民地主義の時代から軟着陸できたからこそいまでも世界中で英語が話されている(この認識は正しいのか?)。日本はどうなんですか。日本語はどうなんですか。同じ島国なのにこの差はいったい何なのか。言語の障壁というものは、無視できるものなのか。そんなわけがない。日本語はガラパゴス化するのではないか。たとえ一億人以上の人が話せるとしても、ゆくゆくはそうなると思う。要するに少子化に付随して。しかし言語のシェアにおいて一億というのはそれなりに大きいので、そうすぐには廃れそうにない。一説によると日本には九つの言語(方言ではなく)があるらしい。大半が沖縄に集中しており、あとはアイヌ語や八丈語などもあった。そのほとんどが消滅の危機に瀕しているという。言語と方言の違いについても書かれていたが明確な定義はないらしい。「その言葉で文学が書かれていれば言語、そうでなければ方言」という分け方もあるらしい。大いに眉唾である。我々日本人が方言として扱っている沖縄の言葉と、韓国語とでは、習得の難しさにあまり差はないように思える。下手したら教材が充実している韓国語のほうが楽かもしれない。韓国語をマスターすれば、韓流ドラマはもちろん朝鮮中央放送を字幕なしで理解できるということである。連日関西弁の人間がTVやyoutubeに出てくるせいで標準語の一部となっている大阪弁に比べれば、沖縄の言葉ははるかに難しそうに聞こえる。関係ないけれど、大阪弁で語尾に付く「やん」という断定の助動詞を、標準語に無理やりくっつけて用いる人が最近あまりに多くて気持ち悪い。気持ち悪いやん。なんて言わない。キショい。キッショ。今日も雨が降っていた。最近、気がつくと雨が降っている。天気と同じように、多くの物事が私に関係なく動いている。生きていようと死んでいようと多くの人には関係がない。すべての人にはと言い換えても何ら差し支えない。春巻きを食べた。今度は豚肉よりシーチキンを使おうと思う。春雨も入れてみたい。冷えてきた。布団は出さない。部屋を掃除したい。明日やる。明後日やる。
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monqu1y · 3 years
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戦後の事件簿  「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた  図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった  1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した  1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない  1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した  1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した  1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した  1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中��人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている  1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した  1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された  1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した  1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた  1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した  1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった  1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された  1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された  1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった  1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された  1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税���署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた  1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた  1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された  1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した  1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した  1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された  1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した  1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った  1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した  1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた  1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した  1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された  1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している  1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった  1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃��。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した  1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
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 1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった  1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った  1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した  1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した  1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した  1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した  1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市���察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった  1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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新学期前に予約のとれないキッズ美容室の新店舗!運命のスタイリストと出会う
娘の髪が伸びてきたので、今朝、いつもの子供専用の美容室に予約をとろうと電話をすると、「向こう1週間予約で空きが一切ありません」というお返事。 やっぱり9月に夏休みが明けて学校が始まるので、子供たちも皆、新学期前に髪���切るのですね…。 しかし���子供の美容室。予約は一人30分、カットそのものは正味15分程度なのにこの盛況ぶり。凄いですねぇ。 そこで、いつもお世話になっているウィルムズロー(Wilmalow)店ではなく、新しくできたオールトリンカム(Altrincham)店で予約を取りました。やっぱり新店舗。まだ既存店より浸透してないせいか同日の予約をとることができました。…
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chiematugi · 5 years
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September 14,2019
涼しい1日、
‪私が今いる場所は本来だったら私のいるところではありませんが、それには合理的理由によるものです、
本来博愛主義とは、国を裏切らない心が根底にあるべきで、国がノーと言うことには理由があって、一瞬の情にほだされて、またはお金、または博愛的〈自己満足〉により、国を裏切って逃亡を手助けした行為により、外観、〝ラしっく〟で、昔からのpureな血液株が無かったことに、または取り替えられようとする企みに騙された結果を、
人々はわたしが、造幣の鋳造に携わる血液株を引く偶然的な例を表に出したため、死ぬまで、直視つづけなければなりません、
自分達の罪を、自分達で直視するでしょう、
さらに、
本当の芸術家は、綺麗なものだけなく、真実を直視できる力を持っていて、
たとえば、絵師は、死体をみて体の構造を人に説明しますけれど、
死体は穢らわしいものですが、
絵師はそれを直視してます、
綺麗なものしか見たくない人は、
芸術家を名乗れないのです
わたしの障碍は社会不適応でしょうか?
わたしの障碍に様々を負わせて、
それを記録して
至福を得たのでは?
社会不適応者がなくなったあとは、
当たりどころが無くなり、
責任を背負わされていた、わたしも、いなくなり、
自分たちだけで、
畑を耕すときがついに近づきました、
私たちのpureは、
‪多大なる、らしっく勢力により
(善意により周りに蓄えを分け与え続けた果てに)
不毛の地となり、
取り替えた人々は至福となりました、
障害者の上に、人は脆い幸せを手に入れました、
そして
わたしは閉鎖病棟にいます、
今度、先導となる、らしい世界は、
ほぼ完璧な世界に近く作らなければいけないでしょう、
AIとの共存も、らしく行うでしょう、
わたしに本当に類似する障碍遺伝でしたら、
未来は、とても生きていけません、
大変さを自身で分かっていたら、
本能的に危機感を感じて次世代を作らないでしょう、
そういうわけで、
わたしの障碍や類似を、ラしっく、装っていた人は、
悠長に次世代を作っていたら、
化けの皮が剥がれる時が来ました、
そして、近頃、自分の祖先は蟹工船の作業員だった、
と名乗る人物も名乗り出てきました、
体力あるスポーツの世界が、
装って作った、ラシックなのです、
北の文学はとても人間味に溢れています、
ときには時勢や人をけなしたりもしてます、
女性の進出は一種の後退とも、
そして、
本当のことを書いた人は、
昔は、牢獄に収容された歴史でした、
気に入られる文だけ書いている抜作が、
わたしと類似の破滅的な文章を書けますか?
もし書けなければ、お別れの時が来ました、
そして、わたしの障碍は、
今後は産まれる前から選別されて
いなくなる可能性が高いでしょうし、
ips細胞で、精神障碍は、無くせるかもしれませんし、
身体障害は、AIロボットが体力を大量に補完するでしょう、
精神障碍でなければ、本当の奇才な文は書けません、
AI知能は、〜らしく、でしたら、
前例に、似せて、ある程度、それらしく、
後の文を予測して書けるでしょう、
これで、本当の人間味あふれる北の文学は、
無くなりました、
閉鎖病棟には、
窓には鉄格子があり、
ドライヤーなど持ち込みは許可されません、
コードで自殺をしてしまうことを防ぐためです、
幻聴などで、ブツブツ独り言を言ったり、ノートに書き込んでいる人、絵を描いている人がいるが多く、わたしは看護師さんの顔を素早く、わりと、そっくりに書くことができたため、絵は、とりあげられました、
看護師さんが、集まるところは、ナースステーションではなく、詰所と呼ばれています、
英語に達者なものもおり、毎日日記をつけているわたしをみて、いまここですぐに英文日記を書いてみろ、と言いました、わたしは昔のイギリス歌手の歌詞Rainy Days And Mondaysを書きました、すると、それではダメだと怒られました、また別の英語が達者な若者は、自由外出で、英語学校に行くことが許可されていて、朝ごはんは病棟で食べて、それから外出し、夕方になると帰ってくるが、3ヶ月で病棟を去っていきました、
狂病棟なので、面会という面会者はほとんど来ません、差し入れも、面会人ではなく、宅配便で送られてくることがほとんどで、金持ちの病人さんは、個室に入りきれないほど大量に物資が実家から送られてきて他の入所人に配るので大人気です、金持ちさんは、とにかく、家族の変わり者を病棟に入れておくと家庭は安泰なのでしょう、私の親族も、昔、学校に行けなくなった血縁者を10代で寺に入りました、
そんな時、わたしに突然の面会者が来ました、
すると、他の病人さんが無遠慮に、となりに座って、自己紹介をし始め(2時間ほど話し続ける)
わたしと、私の面会者さんは、その病人の自慢を長々と聞く羽目になり、結局のところ、わたしと面会者さんは、ほとんど何も話すことなく別れることになりました、そんな日常、
病棟で、シーツで自殺して失敗した人がいます、いったん保護室に入れられ、ほどなくして、ひょこひょこ閉鎖病棟に戻ってきてそのあとは平常に戻りました、一時的な衝動だったのでしょう、
そんな中でも、自由許可を長期許可される特別な特権を得たわたしは、湯治に出かけました、
ネイティブアメリカンの友人は少し湯治をしたほうがいいのではないかと言いました、
そして、環境を整えるといいと言います、
とくに夏から秋、冬に向けて、
コンパス、もしくは方位が分かるガジェットを常に持ち歩く事ように、
なるべく陽の当たるような大通りを利用すること、
逆に路地などは極力避けるように、と、
自身がその時々に居る空間の隅には留まらないように、
もし、留まらなければならない場合は窓がある方の隅に行くように、と、
わたしは、障害者さんのお友達に、精神手帳で、バスが半額になることをおしえて頂きました、
わたしは、昔から、
50メートルの駆けっこでは、クラスでブービ賞でした
分裂病は、運動神経が悪い作業障害なのです、
次世代は、ほとんどの人がAIと同じ速さで走る人ばかりになるでしょう、と、これは極論です、
話は変わりますが、
私は本を読むのが大好きで、
幼い頃は、お金のほとんどを、本の購買に使いました
私は、たくさんの本を読みました
その頃、母は、運動神経が悪くて、逆上がりが出来ない私を見て、体育教室に連れて行きます、
運動は好きじゃない、嫌いだ、と、
私は、泣きながら、強く抵抗しました、
それでピアノ教室に行きました、
しかし、バレエはやってみたかった、
毎朝、母はわたしのピアノを弾く後ろで見張っていて、学校に行く前の30分間、毎朝練習していました
実際、ピアノは運動であり、
特に電子ピアノをプレイするときは、
子供の教室では、
弾き終えた後に、手を耳より高く上げるポーズがありました、
鏡の間で練習することがあり、
まるで ダンスのレッスンと同じで、
ピアノの道に進むと、
運動能力のないわたしは、
貧しいトゲの道を歩かなければなりませんでした、
しかし、私の母親は、苦手なことを、私に推奨しました、
グランドピアノも買ってもらいましたが、
私は本を​​読んだり文章を書いたりすることが本当に好きでした、
現代文テストでは成績が優秀で、
私は学校の先生に、北の人と言われました、
音響工学、心理学、文学に興味があっても、
公的一般プログラムには十分な科目がありませんので、合わないと思ったら、無理して現役で進学する必要ないと思うのですけれど、田舎の母は、前線から逸れることを恐れました、
ふと作った曲で、
芸大に行くように勧めてもらい、
机の上で一人で作業するのが向いていたようで
しかし、その時、選択に十分な時間は与えられず、
すでに大学は決められていました、
私は決められた大学でなるべく広範囲なことを学べる教育学を選びました、
前代未聞の2年連続奨学金が存在する第一人者となりました、
大学院に行くことを勧められました、
しかし、わたしは演奏身体能力などに関する論文を書いていませんでした、音楽記号論でした、
一方で、当時、音楽療法は人気が出てきて、
しかし、わたしはサウンドスケープと呼ばれる研究室で、音楽記号言語学でした、
そして、ある時、宮沢賢治氏の音楽記述が改定のたびに、音楽の部分が削除されていることと、環境音迫害との同時性に気付きました、
しかし、
そのあと、江戸美術研究所に配属されました、
そこでは、急いで学ぶべきことがたくさんありました、
哲学、言語、古典、心理学、コース、音楽学、社会学、
周囲もアドリブで生きていました、
おそらく何か腫瘍がありました
腫瘍は動いていない、
しかし悪性の確率が高くなってきました、
そしてついに、私は音楽から解放されて、趣味に出来ました、
音楽は聴いて楽しめるようなりました、
そして演奏するには筋力が少ないため、
気が向いた時、気晴らしに少し引く程度、
演奏は、さながら身体能力でプレーして体幹を支えるため、
素晴らしいです、
演奏会は、スポーツ観戦と同じです、
わたしは、運動会は好きではありません、
私は人前で話すのが苦手です、
しかし、学会の会議セッションで大いに評価されたものの、
私はそれを信じていません、
ドビュッシーをプレイすると、
運動神経のない私でも
何らかの理由で実行できますが、
ドビュッシーとの互換性は
運命だと思っています
(at backstage)
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sorairono-neko · 6 years
Text
ぼくは彼の婚約者
 目がさめると、天蓋付きのベッドで寝ていた。勇利はぎょっとし、えっ、と声を上げてしまった。こんな場所は知らない。夢かな、と思いつつそろそろと起き上がってみると、ずきずきと頭が痛んだ。まるで酒を飲んだ翌朝みたいだけれど、なんだかすこしちがう。勇利は上掛けを握りしめてぼうぜんとした。  勇利がいま住み暮らしているのはサンクトペテルブルクのヴィクトルの家で、寝るときはヴィクトルの大きなベッドか、自室のちいさなベッドかで眠るのだが、いま勇利がいるのはそのどちらともちがっていた。ほかに寝泊まりすることがあるのは遠征先のホテルだけれど、こんな豪華な部屋には泊まったことがないし、いくらホテルでも天蓋付きなんて聞いたことがない。そういうところもあるのだろうが、勇利には無縁だ。  勇利は、ヴィクトルがまた驚かせようとして、変な計画を実行したのだと思った。ヴィクトルったら、と腹を立てたけれど、頭痛が気になる。ヴィクトルは勇利を驚かせるのが好きだが、勇利に不利益なことは絶対にしないのだ。  なんでこんなに頭が痛いんだ……? 勇利はこめかみを押さえた。さっきよりはすこし楽になっているような気がするけれど、それにしてもおかしい。  そっと部屋を見まわした。生成り色の壁紙はうつくしい蔦の絵模様だった。窓辺のカーテンは豪華で、布がたっぷりしている。窓に向けて書き物机があり、上品なランプがのっていた。椅子は華奢で、精巧なつくりだった。大きな姿見があり、そのわきには花が飾ってある。ざっと見たところ、映画などに出てくる貴族の寝室のようだった。 「もう……何なんだよ……」  自分の身体を見下ろした。いつもの服装だ。着ていたパーカーは丁寧にたたんで椅子の座面に置かれており、勇利はシャツとかるいパンツというかっこうだった。  自分の行動を思い出そうとした。勇利はいま、ヴィクトルとイギリス旅行に来��いる。オフシーズンなのでヴィクトルに連れ出された。ふたりでいろいろ観光していたのだが、散歩がしたくなって、勇利は今日、ひとりでホテルを出た。そして、その途中、車が近づいてきて、道を訊かれて──。  そこからの記憶がない。  机の上の置き時計を見た。十時をさしている。部屋がほの暗いので夜だろう。あかりはランプだけだ。とりあえずここがどこか調査しないと、と思い、勇利はもぞもぞとベッドから下りようとした。つまさきが床にふれた瞬間、びっくりした。じゅうたんがあまりにもふかふかとやわらかかったからだ。 「そういえばヴィクトルの部屋もこんな感じだ」  ヴィクトルの別荘か何かなのだろうか? もっとよく見たいと思った勇利は、視界がやけにぼんやりしていることに気がついた。 「あ、眼鏡」  机の上に眼鏡をみつけたそのとき、部屋の向こうで物音がした。勇利はびくっとした。誰だろう? ヴィクトル? それとも知らない人? あの車でぼくは誘拐されたの? どうしたらいいんだろう? 人の気配が近づいてきて、こころをきめないうちに扉がひらいた。 「あ……」  勇利は目をみひらいた。入ってきたのは青年で、すらっとした身体を、上品なシャツとスラックスで包んでいた。彼は勇利を見るとゆっくりと瞬き、それからほのかに笑って扉を閉めた。彼はしずしずと、上品な足運びでそばへやってきて、もう一度ほほえんだ。 「気がつかれましたか」 「あ、あの……」  勇利はしどろもどろになった。無理もない。青年は勇利に瓜ふたつの容貌をしていたのだ。試合のときの勇利だ。眼鏡を外し、髪を上げた勝生勇利。 「手荒なまねをして申し訳ありません」  青年は澄んだ声で話した。声も勇利とまるで同じだった。 「といっても、乱暴は働いておりません。薬を染みこませた布をあてがっただけです。ご気分はいかがですか?」 「えっと……」  青年の語り口は優しく、やわらかく、こころの底から勇利を気遣っているようだった。勇利は、彼が自分をかどわかした張本人であるにもかかわらず、とくに怒りもわかず、緊張しながら丁寧に答えてしまった。 「ちょ、ちょっと頭が痛くて……でもほかにつらいところはありません」 「よかった。頭痛はすぐに引くと思います。本当に申し訳ありません。これをお飲みになってください」  青年は持っていた盆を机に置き、陶器の茶器からカップに液体をそそいだ。かぐわしい香りがひろがり、勇利はカップを手渡された。 「胸がすっきりすると思います」 「あ、ありがとうございます……」  勇利はカップの中をのぞきこんだ。琥珀色の液体が勇利の顔を映している。やっぱり、目の前の青年とまったく同じだ。いまは髪型がちがうけれど。 「あ、毒は入っておりません……。こんな目に遭わせておいてそう申し上げても、信用していただけないかもしれませんが……」  青年が眉を下げて言った。勇利ははっとして、「いただきます」とカップに口をつけた。なんとなく、青年を困らせたくないという気がしたのだ。  お茶は美味しかった。甘いようなすっとするような、不思議な味がした。 「美味しいです」 「そうですか。よかったです」  青年はほほえみ、椅子を持ってきて勇利の前に座った。勇利はカップを両手で包みこんだ。 「あの……」 「はい。ご説明いたします。あなたは勝生勇利さんですね?」 「えっ、は、はい、そうです」  勇利はそこで、青年がなめらかな日本語を話していることに気がついた。日本人なら、勇利のことを知っていても不思議ではないけれど……。 「あの、ここは日本なんですか?」 「え?」 「ぼく、イギリス旅行に来ていたんですけれど……」 「はい。ここはイギリスです」  青年がまた微笑を浮かべた。なんだか安心する笑い方だなあ、と勇利はぼんやりした。 「私の名前は勇・フォーサイスと申します。フォーサイス家の長男です」  勇……。青年が漢字を指で書いて示したので、勇利はまたびっくりした。字も同じ……。 「貴族のかたですか?」 「そうですね。侯爵家ですので」 「こ、侯爵……」  勇利はぱちぱちと瞬いた。 「日本人ではないのですか? その……、日本人のような容貌ですけれど」 「数年前に亡くなりました母が日本人です」 「あ、なるほど……」 「私はすこし前、初めて日本にまいりました。母の故郷を一度見てみたいと思ったのです。楽しかったです」  勇がにっこり笑った。勇利はなんとも言えず、「それはよかったですね……」とあいづちを打った。誘拐されておいてのんきなものだ。 「そこであなたを見かけました」 「えっ」 「ホテルのテレビで……。私は普段はテレビは見ないのですが……部屋にないので……、ホテルに泊まったとき、なんとなくつけてみたのですが、そこにあなたが映っていました。 「ああ」  すこし前ならシーズン中だ。試合だろう。 「びっくりしました。私とそっくりだったからです」 「そうですね。ぼくもいまびっくりしています」 「帰国してから、あなたのことを調べました。とくに血のつながりはないようです。他人の空似ですね。でも、本当に同じようにしか見えないし、すごいと思いました」 「すごいです」 「そのとき、私の頭の中に、ふっとある計画が浮かんだのですが」 「計画?」 「けれど、あまりにも道理から外れたことですし、無理だと思いましたし、あきらめました」 「計画ってなんですか?」 「それからいくらか経ちました。私は昨日、供の者と町へ出たのですが、そのとき、あなたを見かけました。もう仰天いたしました」 「すごい偶然ですね」 「私は、神様が計画を実行しろとおっしゃっているのだと思いました。天のお導きだと。これしかないと決心いたしまして、すぐに供の者にあなたをさらってきて欲しいと申しつけたのです」 「さらってきて欲しいってそんな、お菓子買って欲しいみたいに」  勇利は笑ってしまった。とんでもないことをあっさりときめつけて実行してしまう貴族様だ。いったいどういう性質なのだろう。 「そんなに簡単にさらえるんですか?」 「家の者にはないしょです」  勇は声をひそめ、ひみつの計画を打ち明けるようにささやいた。 「私の言うことを聞いてくれる忠実な者が何人かおりますので」 「はあ……」 「あの不躾で申し訳ないのですが、おねがいがあります」 「誘拐自体がもう不躾なんですが……」 「勇利さん」 「は、はい」  勇は両手を握り合わせ、眉根を寄せてすこし身を乗り出した。勇利は、キスアンドクライで得点を待っているときの自分を思い出して妙な気持ちになった。 「私の身替わりになっていただけないでしょうか」 「…………」  そんなことだろうと思った。顔がそっくりの相手にするねがいごとなんて、ほかに思い当たらない。勇はきっと外に用事があり、しかしそのあいだ、家にいるように見せかけたいのだろう。デートだろうか? それとも、自由を楽しみたい? 彼の物言いでは、どうやら、ひとりで買い物に出ることもゆるされないようである。今後、そういう生活を楽しみたいということかもしれない。 「ぼく、イギリスに住んでいるわけじゃないので、そう簡単に入れ替われないんですよ」  そう言うと、勇が不思議そうな顔になった。 「それに、貴族の人の代わりなんて務まるとは思えないし……すぐばれますよ」 「そんなことはありません」  勇はけなげにかぶりを振った。 「テレビで見たあなたの姿は優雅で気品高く、うつくしかったです」 「は?」 「いろいろ教育を受けましたが、私よりずっと上品でした」 「いや、それはないでしょ」 「あなたならできます」  勇がきっぱりと言ってうなずいた。なんか思いこみの激しい人だな、と勇利は思った。貴族ってみんなそうなのかな? わがままというか……自分勝手というか……よくわからないというか……。  しかし、言うことを聞かないと返してもらえないのだろうか。イギリスにいるあいだなら……、ほんの数時間で、部屋に閉じこもって、誰かが来たら返事をするくらいでよいのなら代わってあげないこともないけど、と勇利はちょっと譲歩することにした。 「どれくらいですか?」 「え?」 「どのくらいの時間、ぼくはあなたになっていればいいんですか? ちょっとだけなら──」 「ずっとです」  勇はきょとんとして言った。 「え?」 「ずっと、これからさき、あなたには勇・フォーサイスとして生きていただきたいのです」 「は?」 「私には親のとりきめた結婚相手がおりまして、私はその結婚がいやなのです。だからあなたに代わりに結婚していただきたいのです」 「…………」  勇利はものが言えなかった。ふるえる手でカップを机に置き、彼はベッドにつっぷした。
「あの、勇利さん、大丈夫ですか?」  勇が心配そうに尋ねる。 「お加減がお悪いのですか? 頭痛がひどく……?」 「頭痛なんて吹っ飛んじゃったよ!」  勇利はばっと顔を上げると、勇のことを真正面からにらみつけた。勇が目をまるくする。 「結婚しろって、それ、どういうこと!?」 「ですから、私の結婚相手と婚姻を結んで、それで……」 「いや、結婚の定義はいいから!」  そういうことを訊いているのではないのだ。さらわれて誘拐犯とのんびり話している勇利も勇利だが、結婚しろとはどういうことだと言われて結婚とは何かについて話す勇も勇だ。 「自分で結婚すればいいじゃないですか」  勇利がなげやりに言うと、勇はふるふるとかぶりを振った。 「したくないのです」 「ぼくだってそんなのしたくないよ!」 「そうですか?」 「そうですよ! 自分がいやなのになんでぼくならいいって思うんだよ」 「貴族だとのんびり過ごせるし、いいかなと思いまして……」 「思わないよ! 自分の人生と引き換えに貴族になるなんておかしいですからね。そもそも、ぼく、貴族にあこがれ持ってないし……」 「そうですか……」  勇はうつむき、しゅんとしてしまった。 「困りました……」 「…………」  勇利は溜息をついた。勇のほうがあきらかにおかしいことを言っているのに、いじめている気持ちになるのはなぜだろう。 「あの……、すみません、きつい言い方をしてしまって」  つい勇利は謝った。すると勇はゆっくりと瞬いて、「いえ……」とほほえんだ。 「私こそ申し訳ありません。ご迷惑をおかけしてしまって」  確かに迷惑きわまりないけれど。いいからヴィクトルのところへ帰してと詰め寄りたいけれど。でも……。  なんだかほうっておけないような……。  どうにかしてあげたくなるような……。  そんな気がしてくるのである。顔が似ているから親近感をおぼえるのだろうか。ここからさっさと出て、あとは知らない、とはどうも言いづらい。 「……何か事情があるんでしょうか?」  勇利は尋ねてみた。勇は外で自由を満喫したいとか、遊びを知りたいとか、そういう性質ではないような気がしてきた。何かのっぴきならないわけがあり、こんな行動に出たのではないだろうか。 「結婚がいやな理由はなんですか? 相手がひどいやつとか?」 「いえ……、お相手のことはよく存じません」 「えっ」 「あ、お目にかかったことはあります。お姿もお名前も存じております。でも、それほど親しくはないし、愛してもおりません」 「……だからいやなんですか?」 「いえ……、家同士がきめたことですし、幼いころからのことだし、深く考えてはおりませんでした。そういうものなのだな、という気持ちで過ごしていたのです」  勇利は、それも気の毒だな、という気がして胸が痛んだ。親の言うままに結婚しなければならないなんてさびしいではないか。もちろん、相手がよい人で、しあわせに暮らせるのなら構わないのだけれど、ほかに何か希望があるのなら、自分の意思が人生に反映されないというのはかなしい。 「でも、数ヶ月前……」  勇はそこで頬をほんのりと赤くした。 「あるパーティで、あるかたと出会いまして……」 「え? それってつまり……」 「はい……、そのかたのことを好きになってしまいました」  勇は気恥ずかしそうに頬に手を当てた。そのはにかみようが、なんとも言えず可憐でよかった。 「それからは寝てもさめてもそのかたのことばかり……。ほかのことは考えられなくなってしまいました」 「片想いなんですか?」 「いえ……、あの、さいわい、そのかたも私のことが好きだと言ってくださって……」  勇が首までまっかになった。 「天にものぼるここちでした。私はそのかたにすがってわんわん泣いてしまいました」 「よかったですね……」  勇利はヴィクトルのことを思い出し、洟をぐすっとすすった。 「でも、私には親がきめた相手がおりますし……」 「あ、そうか……」 「そのことをそのかたに申しますと、心配はいらないと、俺がなんとかするから信じて欲しいとおっしゃったのですが」 「俺……、相手のかたは男性ですか?」 「はい。きめられた結婚相手も男性です」 「あ、そうですか……」  勇利はそこで首をかしげた。 「男と結婚したら、フォーサイス家は困るんじゃないですか? あの、跡取りとか……」 「姉がおりますので。養子を取るのだと思います。そのあたりの事情は私にはよくわかりませんが……」  どうせ興味がないから聞いていないのだろうと勇利は思った。結婚相手のことすらろくにわかっていないのんきさなのだから、それでも不思議はない。 「……で、その好きなひとはどうしたんですか? 何もしてくれないんですか?」 「想いを通わせたのがつい先月のことでして……、これからというときに、急にオルグレン���のほうから……結婚相手のことですが、そちらから、式を早めたいと要求されました……」 「どうしてですか?」 「わかりません」  勇はふるふるとかぶりを振った。 「それで、あっという間にそういうことになってしまって、私は困りました。そんなときにあなたを街でお見かけして……」 「代わりに結婚してもらおうと思ってとっさに誘拐したと」 「はい。誘拐いたしました」  勇がこっくりとうなずいた。誘拐いたしました、じゃないよ! 勇利は笑いをこらえた。 「あなたの好きなひとは? 何をしてるんですか?」 「あのかたはいまお仕事の都合で外国にいらっしゃいます」  勇は溜息をついた。 「ですので、私は自分でどうにかするしかなくて……」 「それでぼくの誘拐を……」 「はい、それであなたの誘拐を……」 「…………」  勇利はすこし考えこんだ。 「結婚式はいつなんですか?」 「はい。三日後です」 「は!? すぐじゃん!」 「はい。すぐなのです」 「急すぎませんか?」 「はい。急すぎます」 「いやだと言ったんですか?」 「申しました。でも、もうオルグレン家が支度を進めてしまっているそうで……父は、どうせ結婚するのだからいいだろうと……。私がいままで反抗しなかったので、結婚自体は受け容れていると思われているのです。仕方のないことですが。あのかたと愛しあうようになってからは、結婚がいやだということも父に伝えたかったのですが、それはいけないとあのかたに止められておりまして……」 「なぜですか?」 「私たちが結ばれるのが難しくなるからだとおっしゃっていました」  勇の「好きなひと」とオルグレン家のあいだにも何かつながりがあるのかもしれない。じっくりと上手く手を打たないと騒ぎになる──そういう複雑な事情を考えて、大人の判断でその「好きなひと」はそう諭したのだろう。しかし……。 「それ、本当に信用できるんですか?」 「え?」 「関係をひみつにしろということでしょ? 誰にも言えないんですよね? 相手のひと、本当にあなたのこと愛してるんですか? もてあそばれてるだけとか、そんなことはないんですか? あなたは見たところ子どもっぽいし、経験が浅そうだし、純真だし……、騙すなんて簡単じゃないですか?」  勇利はヴィクトルがいつも「勇利は幼くてかわいいし、世間知らずだし、素直だから、さらわれないか心配だよ」と言うのを思い出してそう言った。 「その人は、あなたのこと……」 「そんなことはありません!」  それまでおっとりしていた勇が、突然声を張り上げ、一生懸命になって勇利をにらみつけた。 「あのかたはそんなことはしません! 本当に優しくて、かっこうよくて、うつくしくて、あたたかい……すてきなかたなんです!」 「…………」 「そんなふうにおっしゃらないでください。あのかたは……あのかたは……」  勇の目に涙が浮かんだ。勇利は、ぼくも泣くときこんな感じなのかな、とぼんやり思った。自分の泣き顔を見るのは初めてだ。 「……すみません。失礼なことを言って。取り消します」 「…………」 「ごめんなさい。あなたがそんなに信じているなら、いい人なんですね。ぼくは人間性が貧しいから、つい疑ってしまって……」 「いえ……、私こそ、大きな声を出して申し訳ありません。勇利さんは優しいかたです。私を心配してくださったのですね。お話だけでは信じがたいのもわかります」  勇はくすんと洟をすすり、目元をそっとぬぐった。 「でも、本当にあのかたはすばらしいかたなのです。私を騙したり、そんなことは……」  勇が、「信じてください」というようにじっと勇利をみつめた。こんな目で訴えかけられては勇利もうなずくしかない。 「わかりました。ぼくもその人を信じます。ごめんなさい」  勇がぱっと顔を輝かせた。 「ありがとうございます」  勇利は反省した。勇利だって、「ヴィクトルって本当にあなたのこと愛してるんですか? あなた、騙されてるんじゃないんですか?」と訊かれたら腹が立つだろう。勇に悪いことをしてしまった。 「じゃあとにかく、三日のうちにどうにかしないといけないんですね」 「はい……」  勇はしょんぼりしてうなずいた。彼としては、勇利さえ来れば自分は恋人のところへ行け、ことは解決すると思っていたのだろう。その考え方自体がおかしいのだけれど、彼の素直な性質ではそういうものだという心積もりだったにちがいない。勇利は、自分が悪いわけでもないのに、勇に申し訳なくなってしまった。かといって、本当にここに残って結婚するわけにもいかないし……。 「あなたの代わりにはなれませんけど……」  勇利はおずおずと切り出した。 「何かぼくにできることがあったら……」 「ありがとうございます」  勇が儚くほほえんだ。 「勇利さん、勝手なことをした私なのに、なんてお優しいのでしょう」 「いえ……、ぼくも気持ちはわかりますから……」 「え?」 「好きなひとがいるのにちがう相手と結婚するなんてつらいですよね。胸が痛みます」 「勇利さん」  勇が勇利の目をのぞきこんだ。 「誰かお好きなかたがいらっしゃるのですか? 恋人が……?」 「恋人ではないですが」  勇利は赤くなってつぶやいた。 「好きなひとはいます」 「それは……すてきですね」  勇が優しく言った。 「相手のかたは……? 勇利さんのこと……」 「愛してくれてはいますけど……、よくわからないんです。あいまいで」 「お付き合いはなさっていないのですか?」 「はい。でも……」 「でも?」  勇利は、言ってよいものかと迷ったが、真剣に話してくれた勇に対して誠実でいたいと思った。 「金メダルを獲ったら結婚だと言っていました」 「金メダル……」 「あ、ぼくはフィギュアスケートの選手で……ぼくのこと調べたなら知ってるのかな? 彼はぼくのコーチなんです。ヴィクトル・ニキフォロフって知りませんか?」 「いえ……」  勇がかぶりを振った。勇利のことを調べたといっても、本当に勇利自身についてしか調査していないらしい。それに、テレビも見ないということだし、フィギュアスケートのこともろくに知らないのだろう。 「金メダルを獲れたらご結婚なさるのですか?」 「わかりませんけど……、ヴィクトルは冗談で言ったのかもしれないし。だけどぼくはうれしかったんです」 「それはご婚約の……?」  勇が勇利の右手の指輪を示した。勇利はまっかになってそれにふれた。 「これはちがいますけど……、でもヴィクトルも同じものをつけています。お守りなんです」 「本当にすてきですね……」  勇が頬を紅潮させた。 「愛しあっていらっしゃるのですね」 「えっと……」 「…………」  勇はしばらくなにごとか考えこんでいたが、やがてきまじめな顔で勇利をみつめ、「そろそろやすみましょう」と言った。 「え?」 「もう遅いです。申し訳ありませんが、同じベッドでよろしいでしょうか?」 「え、それはいいですけど。このベッド大きいし。でも、今後のことが……」 「私はいつも十時までにはベッドに入っておりまして、それ以降は頭が働かないのです」 「えぇ……?」 「ですからやすみましょう」  勇利は戸惑いながらも、勇の言い分に従ってふとんにもぐりこんだ。寝巻は勇が貸してくれた。勇も着替え、隣に横になる。ランプのあかりをさらにちいさくした。ほのかなひかりがぼんやりと互いの表情だけをうかがわせる。 「勇利さん」  勇がささやいた。 「はい?」 「あなたの恋人はどんなかたですか?」 「恋人じゃないですけど……、かっこうよくて、綺麗で、優しくて、意地悪で、何を言ってるのかわからなくて、人を驚かせるのが大好きな、愛嬌のあるひとです」 「いつから好きだったのですか?」 「えっと……、十二歳のときからです」 「十年以上も!」  勇が目をみひらいた。 「すごいですね……すてきですね」 「ずっとぼくが一方的に想ってるだけでしたけど」 「では、想いがかなったときはうれしかったでしょう」 「コーチになってくれたときはわけがわからなくて、どうしようもなくどきどきしました」 「もっとお話してください」 「ヴィクトルのことを?」 「はい」 「そうだなあ……」  勇利はヴィクトルと出逢ってからのことを丁寧に、楽しく話して聞かせた。こんな話は退屈ではないかとときおりちらと勇の様子をうかがうのだが、彼は目をきらきら輝かせて聞き入っており、「すてきです」とか「うらやましい」とか優しい声でささやくのだった。 「……ヴィクトルはわけわかんないけど、でも、そういうところがいいんです。ぼくはずっとヴィクトルはヴィクトルでいて欲しいんです」 「勇利さんがあこがれのかたと喧嘩できるようになって、なんだか私もうれしいです」 「あなたは好きなひとと喧嘩しないんですか?」 「そんなことはとても」  勇は目をみひらいた。 「私は彼に夢中ですし……」 「ぼくもヴィクトルに夢中ですよ。でも言いあいはします。つまらないことですけど」 「私もいつかあのかたとそういうことをするのでしょうか……」 「たぶん」 「想像もつきませんが……、そういう日が来ればいいですね」  勇がにこっと笑った。勇利は胸が痛くなった。そうだ。このままでは勇は好きではない相手と結婚することになるのだ。 「……勇利さん」  勇がためらいがちに口をひらいた。 「はい」 「ヴィクトルさんと……その、……くちづけしたことはおありですか?」 「えっ……」  勇利は驚いた。勇がまっかになっているのがわかる。勇利はすぐに気を取り直し、正直に答えた。 「……一度だけ」 「そうですか……」 「でも、それは彼がぼくをびっくりさせたかったからなんです」 「びっくり……?」 「変わったひとなんです。おもしろいでしょう?」  勇が微笑した。 「ええ。おもしろいですね」  彼はさびしそうにつぶやいた。 「……私はありません」 「え?」 「あのかたは、私に指一本ふれないのです」 「…………」 「でもそれは、しきたりがあるからです」 「しきたり?」 「フォーサイス家では、結婚までは、そういうことをしてはいけないのです」  勇利はゆっくりと瞬いた。 「……はしたない話をしてしまいましたね。申し訳ありません」 「あ、いえ……」 「勇利さん、おやすみなさい」 「……おやすみなさい」  勇利は目を閉じた。この人は恋人のことが本当に好きなんだな、と思った。せつない気持ちになった。
「勇利さん」 「…………」 「勇利さん、起きてください」  揺り起こされてまぶたをひらく。真剣な顔をした勇が目の前にいた。 「着替えて。屋敷を出てください」 「え……?」 「お帰りになってください」 「え……」  勇はすでに着替えていた。彼は勇利の服を抱きしめて立っている。 「いまは早朝です。この時間がいちばん人が起きておりません。信頼できる者に案内させますので、そっと出ていってください。そのあとお望みの場所まで送らせます」 「でもあなたは……」 「私のことはご心配なさらないでください。大丈夫です」 「大丈夫って、だって結婚……」 「なんとかなります」 「なんとかって適当すぎませんか」 「ありがとうございます。勇利さんは本当に優しいかたですね。私はご迷惑をおかけしただけなのに」 「だって……」 「私のことは忘れてください。あなたにお目にかかれてよかったです」 「待ってください」  勇利はベッドを下り、じっと勇をみつめた。 「ぼくがいなくなったら、それじゃあなたが……」 「だって、そんなに愛しているかたがいらっしゃるのに、代わりに結婚してくださいなんて申せません」 「それでも」 「お気になさらないでください。勇利さん、私は上流階級に知り合いはいくらかおりますが、友人という人はひとりもおりません。少なくとも、こころを話しあえる相手は……。でも、あなたを知って、勝手なことですが、まるで友人になれたように感じました。ありがとうございました」 「待って」 「あなたのフィギュアスケート、すてきでした。本当にうつくしいかただなと思いました。私もそういうことをいつかしてみたいです」  勇利の目に涙がにじんだ。 「教えてあげますよ。ぼくが……いつだって」 「ありがとうございます」  勇が儚くほほえんだ。もしかしたら、そう簡単に国外へなんて行けないのかもしれない。だって、母親の故郷だというのに、つい先日、初めて日本を訪問したというのだ。思っている以上に勇は厳しく窮屈な暮らしをしているのかも……。 「さあ、急いでください。この服は持って帰ってくださいね。代わりに私の服を着てください。屋敷内で誰かに会ったら、私だという顔をして素通りしてください。大丈夫、わかりはしません」 「待って……」 「ヴィクトルさんにも心配をかけたでしょうね。本当に申し訳ないことです。謝っても謝りきれませんが、申し訳ありませんでした」 「ねえ……」 「勇利さん」  勇がにっこりした。 「ヴィクトルさんとおしあわせに」 「…………」  勇利はたまらなくなった。この人は恋人に会えないまま、愛してもいない相手と結婚するのか、と思った。そんなことがゆるされるのか。もし──もしぼくが、ヴィクトル以外の誰かと、そういうことになったら──。  勇利は手渡された服を勇の胸に押しつけた。 「勇利さん?」 「この服はあなたが持っていってください」 「え?」 「眼鏡はありますか?」 「え、えっと……、祖父の持ち物の中に、古い眼鏡がありますが……」 「それを持ってきて」 「え……?」 「早く!」  勇は急いで出ていき、眼鏡を持って戻ってきた。勇利はほそい黒縁のそれからレンズを外し、勇にかけてやった。 「あの……」 「それから、髪はこう」  勇の髪を乱し、前髪を綺麗に下ろしてしまう。 「わかりましたか? 家の中ではあなたはもう一度髪を上げていつも通りにして、外に出たらこうしてください。ぜんぜん雰囲気が変わって同じ人だと思われなくなります。ぼくがそうだからです」 「あの、勇利さん」 「屋敷を出たらぼくの服に着替えて。適当に時間をつぶして街の活動時間を待ってください。動けるようになったら、あなたは恋人のところへ行ってください。どこにいるか知ってるんでしょう?」 「は、はい、存じておりますが、けれど……」 「恋人に会えればどうにかしてもらえるんですよね? それまでぼくはここで待っています」 「でも……」 「大丈夫です。ぼくだって知らない人と結婚するなんていやですから。あなたの身代わりになるつもりはありません。ただの時間稼ぎです」 「三日のうちに戻ってこられないかもしれません」 「ぼくはあなたとあなたの恋人を信じます」 「勇利さん……」  勇が泣き出しそうになってかぶりを振った。 「できません、そんなこと。勇利さんを大変な目に遭わせるなんて。ヴィクトルさんになんて言えばいいのです? あなたを待っているのに」 「あなたにだってそういう相手はいるでしょう。ぼくだって、あなたをそんな目に遭わせるなんてできません。ぼくは何かあっても別人ですと言って逃げればいいけれど、あなたは本当に結婚するしかないんですからね」 「でも……でも……」 「早くしてください。みんなが起き出してきちゃうんでしょ? さあ、もう一度髪を綺麗にして……、そうです。眼鏡は服と一緒に隠して持って。その服ね、ヴィクトルに『ダサすぎる』って文句言われたんです。着ればぼくみたいになれますので、誰にも貴族様だなんて思われませんよ。ダサいけど我慢してくださいね」 「勇利さん」 「ああ、ヴィクトルに連絡ができればいいのに、困ったなあ。とにかくどうにかがんばってやりすごしますから。あなたは恋人にこのことを伝えてください」 「勇利さん」 「勇くん」  勇利は勇の目をのぞきこんでほほえんだ。 「ぼくもね、友達ってほとんどいないんだ。でも君のことは友達だよ。友達のためならこれくらいするんだ」 「勇利さん」  勇の目から涙があふれ、彼は勇利に抱きついた。 「勇くん、ちゃんと外で行動できる? 君、いつもお供がいたんでしょ? ひとりでバスに乗れる? 飛行機に乗れる? 買い物できる? 心配だよ」 「大丈夫です。街へ出たとき一生懸命人々を観察して勉強しましたから」 「そっか」  勇利は勇に笑いかけた。勇は涙をぬぐい、ほほえんで、勇利から離れた。数分のうちに支度を調えて勇利の手を握る。 「では行ってまいります」 「うん。待ってるから」 「はい」 「気をつけてね」 「はい。勇利さんも」  勇は勇利をじっとみつめ、それから思いを振り切るように身をひるがえした。部屋の向こうから「勇さま」という声が聞こえる。 「待たせてしまいましたね。行きましょう」 「はい。あの……失礼ですが」 「なんです?」 「勇さまですか? 勇利さまですか?」  勇が笑い声をたてた。 「どちらだと思います?」
 ちょっと考えなしだったかな……。勇利は書斎で溜息を漏らし、頬杖をついた。でも、ほうっておけなかったのだ。あのまま知らんぷりをして帰っていたら、きっと後悔した。助けたかったのだ。 「ぼくだってヴィクトル以外の人と結婚したくないもん」  ヴィクトルとだって結婚できるかわからないけどさ……ヴィクトルは本気じゃないかもしれないし。でも、それとは別でしょ? 「はあ……」  ヴィクトル、心配してるだろうな、と思った。どうにか連絡を取りたいけれど、どうすればよいのか。ちょっとした散歩のつもりだったので携帯電話は持っていなかったし、ここから電話して見咎められたら大変だ。 「勇さま」  ノックの音がし、召使いが静かに入ってきた。 「昼食はいかがなさいますか?」 「いつも通りで構いません」 「かしこまりました」  勇利は、緊張するなあ、とまた息をついた。勇が「常日頃のふるまい」として、いろいろと書き記してくれたものがこの書斎にある。いまの昼食への対応もその中から学んだことだ。しかし、ここに書かれていないこともそのうち出てくるだろう。不安だ。とにかく気品高く、物静かにしていなくてはならない。勇・フォーサイスという若者はそういう人だからだ。 「困るなあ……なんかいつもの勇さまとちがって下品、とか言われたらどうしよう」  試合のときのように、毅然とした態度でいよう。ここはリンクの上だ。リンクの上……。  しかし、よかったこともひとつある。屋敷の者がそろって日本語を話すことだ。おそらく、勇の父がそれほど亡き妻を愛しているのだ。勇利は英語も堪能だけれど、おそらく勇は、うつくしいクイーンズイングリッシュを話すことだろう。勇利はアメリカ式の英語を使うので、話し方で露見してしまう。  勇利はとにかく、精いっぱい上品にふるまって、口数少なく、勇の指南書を読んだりそのほかの書物を読み耽ったりして時間を過ごした。勇はちゃんと出国できただろうか、お金はたくさん持っているだろうか、と心配した。きっと勇利よりずっとお金持ちだろうけれど、なんとなく気がかりになってしまうのだ。 「ヴィクトルに会いたいな……」  ヴィクトルから離れてそろそろ丸一日だ。彼はどうしているだろう。  そのとき、ノックの音がし、勇がもっとも信頼しているという守り役の男が入ってきた。 「勇さま」 「はい」  彼は勇利の耳元にささやいた。 「勇利さま。ご安心ください。ニキフォロフさまには最低限ですが連絡をしております」 「えっ」 「勇さまがそのようにと……。どこにいるかということや事情はご説明できませんでしたが、勇利さまがご無事なことと、数日のうちにお帰りになるということはお伝えしております」 「ヴィクトルは納得していましたか?」 「いえ、ホテルのフロントに言付けただけですので、信用してくださるかはわかりかねますが……」 「そうですか……」 「申し訳ありません」 「いいえ。くわしいことは話せませんからね……、仕方がありません」  勇利がほほえむと、彼はちょっと驚いたように目をみひらき、それからつぶやいた。 「そうしていると、本当に勇さまのようです」 「え?」 「では、私はこれで」 「あ、待ってください」 「はい」 「お気遣い、どうもありがとうございます」 「……勇さまのご命令通りにしただけですので」 「でも、してくださったのはあなたです」  男は深く一礼して去っていった。  ヴィクトルは信じただろうか? わからない。しかし、何もしないよりはいいはずだ。勇利はすこしだけほっとした。とにかくこのまま、あやしまれないように三日乗り切れば……。 「勇さま」 「はい」  また誰か来た! 勇利はうんざりしながら返事をした。 「ご婚礼衣装の仮縫いができてまいりました。係の者が、衣装合わせを、と申しております」 「わかりました」  勇利は衣装部屋へ連れていかれ、婚礼衣装を着せかけられた。婚礼服というよりは、裾の長い、貴族的なきちんとした衣装だ。ヴィクトルの「離れずにそばにいて」を思い出させる。これはフォーサイス家に代々伝わるものらしく、結婚を迎えるフォーサイス家の男子は、みなこの衣装に袖を通すということだった。 「……勇さま」  衣装係が不思議そうに言った。 「お痩せになりましたね」 「えっ」  勇利はどきっとした。勇利と勇とでは、いくら顔が似ていても身体つきはちがっているのだろう。勇もすらっとした青年だが、勇利はオフシーズンに入ってからも毎日すべっていた。身体はしっかりと絞れている。そんな競技者とでは当然差があるのだ。 「そうでしょうか」  勇利は焦りをおもてに出さずつぶやいた。 「結婚前なので、あまり食事が喉を通りません。そのせいかも……」 「すこしほそめに仕上げたほうがよろしいですね」 「いえ……」  勇利は考えた。実際に自分がこの衣装を着ることはない。勇がいつか、親のとりきめた結婚相手ではなく、自分の恋人の隣に立つとき身につけることだろう。 「このままで構いません」 「しかし……」 「おかしいですか?」 「いえ、そんなことは」 「ではこのままにしてください」 「かしこまりました」  部屋へ戻ると、勇利はふっと息をついた。変に思われたかな、と額の汗をぬぐう。 「でも、ぼくの服じゃないし」  勇くんはいまごろどうしてるかな。それにしても眼鏡をかけられないのは不便だ。それにスケートがしたい。ああ、ヴィクトルと一緒にいろんなところへ行きたい。また店を連れまわされるだけかもしれないけれど、それでも勇利はいいのだ。
 翌日は、かなり貴族らしい仕事をさせられた。聞いたとき、勇利は緊張しきってしまったものだ。  フォーサイス家というのは、このあたりではずいぶんと古く、由緒正しい家柄らしい。とくに長男の勇は人気が高く、このたびの婚礼については街の者が残らず祝福している。そのため、地元のテレビ局が勇の姿を撮影したいと言ってきたのだ。 「話す必要はないそうです。ただ、バルコニーから手を振っていただければ、その様子を撮ると」  守り役の者が説明した。勇利は蒼白になりながら、「誰に手を振ればよいのですか」と尋ねた。 「街の者がお顔を見ようと集まってまいります。その者たちに」 「本当にそれだけで構いませんか?」 「はい。ご安心ください」 「……わかりました」 「明日の舞踏会には上流階級の者しかこられません。それ以外の者たちへの挨拶です」 「ちょっと待ってください。舞踏会って何ですか!?」 「ご存じありませんでしたか。結婚式の前夜祭のようなものです。祝福に訪れたかたたちにご挨拶するのです」 「そ、それは……、その、私の、結婚相手も、出席するのですか」 「オルグレンさまですか。もちろんでございます」  勇利はめまいをおぼえた。結婚相手に会うのか。見破られるのではないだろうか。パーティでは、部屋に閉じこもっているわけにもいかない。 「大丈夫です。オルグレンさまと勇さまは踊る必要はありません」 「え?」 「結婚まで、そうしてはならないしきたりです」 「そ、そうですか……」  勇利はほっと息をついたが、そういう問題ではないという気がした。 「でも話はするのでしょう?」 「それは……避けては通れませんね」 「……頭痛がしてきました」 「大丈夫です。静かにほほえんでいらっしゃれば切り抜けられます。勇さまは口数が多いほうではないので、いつもそのようなご様子です」 「あ、相手の人は……彼のことを、どんなふうに……」 「それはもう愛していらっしゃいます。ちょっと勘違いなさっているのではないかというくらい親しげで……いえ、失礼いたしました」  勇利はますますくらくらした。そんなに好きならなおさらわかってしまうのでは……。 「そ、それは、こちらの家で……?」 「いえ、オルグレン家でおこなわれます。その翌日が結婚式ですので。舞踏会も結婚の儀の一部です」 「コンパルソリーしたい」 「は?」 「いえ……、なんでもありません」  落ち着け……。勇利は自分に言い聞かせた。たとえなんとなくおかしいと思われても、別人であるなど思いつくはずがない。具合が悪いとかなんとか言えばごまかせるだろう。  舞踏会の話を聞いたあとは、もうバルコニーで手を振るなどたいしたことではないように思われ、その日の午後勇利は、求められた通り、集まってきた街の者たちに笑顔で手を振り、その様子が地元のテレビ局により放映された。
「いったい勇利はどこへ行ったんだ!」  ヴィクトルはいらいらしながら叫んだ。もう二日だ。彼はどこへ消えてしまったのだろう?  昨日、ホテルのフロント係から、一通の手紙を手渡された。そこには勇利が無事であることと、ある事情からいまは帰れないということが書かれていた。ある事情とはなんだ、と思ったけれど、紙が答えられるはずもない。ヴィクトルとしては、その手紙を信じるしかなかった。フロント係に訊いてみると、みなりのきちんとした紳士がそれを渡していったらしい。悪人がいかにもそれらしいかっこうをしているとは限らないが、ホテルの名前は勇利が自分で話したのだろうし、もし金が目当てならそのように書いてくるだろう。それに手紙には、勇利の写真が同封されていた。なぜか眼鏡をかけていないけれど、ヴィクトルが「ダサい」と文句を言った服装で、笑みを浮かべている写真だった。笑い方にすこし妙な印象を持ったけれど、それは撮り方のせいかもしれない。とにかく、誘拐された者のする顔ではなかった。本当に無事なのだろう。  きっと。  きっと……。 「はあ……」  無事なのはいいが、いつ帰ってくるのか。自分はどうすればよいのか。ヴィクトルは迷っていた。ただ待っているだけでいいのか。何かできることがあ���のではないか。 「ああ、勇利……、勇利、おまえがいないと俺は……」  ヴィクトルはうろうろと部屋を歩きまわった。街へ勇利を捜しに出、帰ってきたところだった。考えろ、考えろ、と思うけれど、気ばかりが焦って何もできない。 「くそっ」  ヴィクトルってなんでもできるんだね。そう言って笑う勇利を思い出した。そうだよ、と胸を張った自分は何だったのか。何がなんでもできる、だ。愛する勇利を助けることすらできないじゃないか……。  ヴィクトルはどさりとベッドに腰を下ろした。そこにテレビのリモコンがあったので、スイッチが電源しまった。夕方のニュース番組が流れた。うるさい、とヴィクトルはすぐにテレビを消そうとした。 『……と、このたびご婚礼を迎えられる侯爵家の勇・フォーサイスさまが、人々の祝福に対し、バルコニーからご挨拶をされました』  ぱっと映像が切り替わった。すらっとした若者がほほえんで手を振っている。ヴィクトルは目をみひらいた。自然とつぶやきが漏れた。 「……勇利」 『勇さまは明日のオルグレン家の舞踏会へ出席され、明後日にご婚礼の儀を迎えられる予定です』 「勇利」  すぐに映像は消えた。しかしヴィクトルはテレビをみつめ続けた。勇利だ。あれは勇利だ。勇・フォーサイス? ちがう、勇利だ。指輪はしていなかったけれど。でも、あの笑い方は、まぎれもなく……。  ──勇利さまはご無事です。  ──のっぴきならぬ事情があり、お帰りになれませんが、数日のうちに……。  のっぴきならない事情。  それは……。  ヴィクトルは携帯電話に飛びついた。
「ちょっと、勇」  背後からそう声をかけられたとき、勇利はびくっとしてしまった。それが姉の真利を思い出させる物言いと声音だったからだ。しかし、彼女は長谷津の家で働いているはずだし、勇利はいま勇なのである。 「は、はい……」  勇利はおずおずと振り返った。そしてまた仰天した。まさに、真利が──勝生真利が廊下に立っていたのだ。 「あんたさ……」  真利姉ちゃん。そうつぶやきそうになって勇利はとっさに口を押さえた。ちがう。この人は確かに姉だ。しかし、勇利の姉ではない。勇の姉のメアリーだ。髪型がちがうし、真利のようにピアスもしていない。しかし、面立ちはそっくりだった。まさか姉まで瓜ふたつだなんて! 「ちょっと遠乗り付き合いなさいよ」 「えっ」 「着替えてきな。厩で待ってるよ」 「あ、あの──」  遠乗り!? つまり乗馬だよね!? ぼく馬なんて乗れないんだけど! 勇利は大慌てだった。しかし断るわけにはいかない。メアリーがそんなふうに言うということは、これは日常的なことなのだ。勇は乗馬が得意なのだろう。ひええ、と青ざめた。  着替えを済ませ、厩へ行くと、すでに馬が用意されていた。そこでまたしても勇利は青くなった。おそらくこれは勇の馬だ。勇利が勇ではないと伝わってしまうのではないか? 「ほら、早く乗んな」 「あ、あの……」 「行くよ。いつもの丘まで」 「は、はい……」  勇利は額に白い三日月のしるしが入った栗毛に近づき、そっと鼻面を撫でた。マッカチンやヴィっちゃんにするみたいに、と愛情をこめて接吻する。栗毛が鼻を鳴らした。 「おねがい。乗せてね……」  勇利は、以前乗馬をするスケート友達から聞いた知識を総動員し、どうにか馬の背に乗った。乗れた、と思った。えっと、どうするんだっけ。背筋を伸ばして、脚で挟んで、前を向いて、それから……。 「行くよ!」 「あ、姉上!」  メアリーの葦毛が駆け出した。すると、勇利が何もしないのに、栗毛があとを追った。勇利は慌てて手綱を握りしめた。どうして? いつものことだからだろうか? それともこの栗毛は勇利のことを見抜いて、そのうえで合わせてくれているのか。勇の意思だろうから、と──。  つ、疲れる! 勇利は必死で脚に力を入れた。慣れればもっと楽な乗り方ができるのだろうが、いまは無理だ。しかし、どうにか振り落とされずに済んでいる。確か乗馬には均衡感覚が大事だと言われた。スケートが役に立っているのか。それと、脚の筋力。四回転を跳び続ける勇利はしなやかな筋肉をまとっている。ああ、スケートやっててよかった!  緑のそよぐきらきらした丘に出ると、街を見渡せる場所で、メアリーが速度をゆるめた。勇利はうろたえた。どうやって停めるんだ!? しかし焦る勇利をよそに、栗毛はメアリーの隣にゆっくりと落ち着いた。勇利はほっと息をついた。  メアリーはしばらく何も言わなかった。街を見ているのか、遠くにたなびく細長い雲を見ているのかわからない。 「姉上……、何かご用だったのですか……?」  勇利は思いきって尋ねた。メアリーが風景を眺めたまま言った。 「妙な乗り方をするわね」 「え……」 「あんたらしくないな」  彼女はちらと勇利を見やり、にやっと笑った。 「衣装が合わなかったんだって?」 「え……?」 「ほら、婚礼の……」 「あ、はい……」  勇利はこくりとうなずいた。 「あの、私はこのところ、食欲が落ちまして、そのせいで……」  勇利は、もし反対にぼくが太っていたらどうなっていただろう、と思った。大変なことだ。いや、そもそも、太っていては勇の代わりは務まるまい。だったら太っていたほうがよかったのだろうか? そうだったらこんなめんどうごとに巻きこまれることもなかった。けれど──それでは勇を助けられなかったのだ。痩せていてよかった!  それにしても、勇は太りやすい体質ではないのだろうか。似ているのは顔だけ? 訊いてみたい。しかし、あの上品で高貴な勇が太ったところなんて想像できない。 「なにぼけっとしてんの?」  メアリーが注意した。勇利は我に返り、「いえ、なんでもありません」と答えた。 「昔からぼんやりだったけど、さらにぼんやりになったわね。結婚前は鈍感になるわけ?」 「いえ、そういうことでは……」 「それとも、そんなに結婚がいやなの?」  勇利はびくっとした。勇は結婚したくないということはおもてに出していなかった��ずである。恋人にそう言い聞かされていたからだ。それなのにメアリーは気づいている。さすがは姉といったところだろうか。 「いえ……」 「今夜は舞踏会だよ。わかってんの?」 「承知しております」 「ふーん……」  メアリーは斜めに勇利を眺めた。勇利はどきどきした。ばれてしまったらどうしよう? 「……ま、いいわ。あたしも行くんだから、なんか困ったことがあったら言いな」 「あ、ありがとうございます」 「じゃ、戻るか」  メアリーが葦毛を方向転換させた。貴族の娘なのに、ずいぶんとかるい話し方をするものだ。真利そのものではないか。でも、こころのあたたかさは確かだし、それも──真利と同じである。  屋敷へ戻ると、勇利はもう一度栗毛の鼻面に接吻し、「ごめんね、下手な乗り方して」と謝った。 「おまえはきっと全部わかってるんだね……。どうもありがとう」  屋敷へ入った勇利は、「じゃあね」とひらひら手を振るメアリーを、「あ、あの、姉上」と思わず呼び止めた。 「なにー?」 「姉上、金鎖をお持ちではないでしょうか」 「金鎖?」 「はい……、ネックレスにするような……」  勇利はそんなことを言い出した自分に驚いていた。指輪をはめてはいられないので、首にかけたいと思っていたことは本当だ。しかし、なぜいま、メアリーに頼ってしまったのだろう? 真利に似ているからだろうか。もっと話したくなったのか……。 「ネックレス? 首にかけるの?」 「あ、いえ……あの……」 「…………」 「…………」 「ま、いいわ。あとで持ってってあげるから部屋にいれば?」 「ありがとうございます」  だめだ。ただでさえおかしいと思われてるのに、ますます妙に思われたかも……。勇利は汗をそっとぬぐった。  しかし、あとで部屋に届け物に来たメアリーは、何も言わず「はい」と鎖を渡しただけで帰っていった。勇利はいささか拍子抜けし、「ありがとうございます……」とつぶやくことしかできなかった。問い詰められれば困るのだけれど、何も言われないとなんとなく落ち着かない。  だからといって追いかけていって「あの、私は別人に見えませんか?」と言うのも変なので、勇利はおとなしく扉を閉め、金鎖に指輪を通して首にかけた。ポケットに忍ばせておくのは不安だったのだ。これで絶対になくさない。 「ヴィクトル、会いたいよ……」  勇利はそっと指輪にくちづけた。ヴィクトルは何も考えなくていいおまじないをしてくれたけれど……。  このキスが会えるおまじないになればいいのに、と思った。
「勇どの、相変わらずおうつくしい! 会わぬあいだにますます美人になられて、このアルダス、胸が張り裂けそうですぞ!」 「ど、どうも……」  勇の許嫁だというアルダス・オルグレンは、見目は華やかで召し使いたちの熱い視線を集めていたが、なんとなく軽薄というか、軽はずみというか、あまりものを考えていないというか、一緒にいて疲れそうな人物だった。勇利は、張り裂けそうってかなしいときに使う言葉じゃないのかな、と首をかしげた。 「おお! その首をかしげる様子など! まったく小鳥のようで私は、私は……」  もう意味がわからない! 首をかしげるのが小鳥ってなに!? 勇利は混乱してきた。勇利は、ヴィクトルのことを思い出して乗り切ろう、と思った。ヴィクトルはすてきな言葉をささやくとき、優しく、やわらかく、まるで誘惑するようにあまい声を出すのだ。 『勇利、きみはいつだって俺の気を狂わせる。その瞳、なんて神秘的で麗しいんだ……俺のお砂糖ちゃん……こっちへおいで……』  ヴィクトル……。  勇利はヴィクトルを思い描いてうっとりした。 「勇どの、そんな顔をなさって……そんなにこのアルダスのことを愛してくださっているのですな!」 「え?」 「私も生涯をかけて勇どのを愛しますぞ!」 「は、はあ……」  勇くん、なんでこういう人だって教えてくれなかったんだよ……。勇利は溜息をついた。アルダスの性質を前もって伝えられていても、もちろんどうにもならないのだけれど、しかしこのうるさいほどの声を相手にするには心構えが必要だ。勇くんはなんとも思わなかったのかな、と勇利は考えたが、思わなかったんだろうな、とすぐに結論づけた。あまり会う機会がなかったということもあるだろうが、勇は浮世離れした感じがするから、人柄をいちいち観察したりはしないのだろう。ああ、何か言ってるな、くらいに処理をしていたにちがいない。それに、恋人に出会ってからは彼に夢中になっていたようだし、ますますアルダスが目に入らなくなったのだ。 「明日の結婚式が楽しみです!」  アルダスがうれしそうに言った。声が大きいんだよなあ、と勇利は笑顔を維持するのに苦労した。 「時期を早めてしまいまして、勇どのには申し訳なかったですな」 「それは構いませんが……、どうしてそんなことをなさったのですか?」  勇利はなんとなく気になって尋ねた。勇はわからないと言っていたが……。 「それは、ですな」  アルダスが周囲に視線を走らせた。部屋には誰もいない。オルグレン家を訪れた勇利は、許嫁に挨拶をということで、彼の私室をひとり訪れていたからだ。  アルダスは咳払いをした。 「あなたが、ほかにこころを移さないためです」 「えっ……」  勇利は目をみひらいた。アルダスが、さっきとはちがう静かな声で言った。 「誰か気になる相手がいるでしょう」 「そんなことは……」 「隠しても無駄です。このところ、勇どのはとみにうつくしくなられましたからね。最初は私に恋をしているせいだと思いましたが、私と会ってもあなたはすこしもうれしそうにしない。別の相手がいるのだと考えました」  この男、見かけほどばかではないのかもしれない。勇利は気持ちを引き締めた。 「しかし、いくら調べても相手はわかりませんでした。よほど用心深いようだ。でもまあ、すべて無駄なことです。結婚してしまえば同じだ」  にらみつけてしまいそうになり、勇利は顔をそらした。勇はこんなところで怒ったりはしないだろう。 「何か勘違いなさっているようです」 「だといいのですが」  アルダスが勇利の手を握ろうとした。勇利はそれをさりげなくかわした。 「勇どの──」 「結婚式が済むまではふれてはならないはずです」  毅然とした態度できめつけた勇利に、アルダスは大きな声で笑った。 「いや、まったくその通りですな! 私としたことが! 勇どのがあまりにも魅力的なので、つい! つい!」
 舞踏会では、上流貴族の者たちが次々と挨拶に訪れ、勇利は笑顔を振りまかなければならなかった。つ、疲れる……と顔が引きつりそうだ。ただ、おかげで踊る暇がないのは救いだった。勇のダンスの技量のほどがわからない。彼のことだからじょうずだろうけれど、ダンスには思った以上に性格が出るものである。なんだかおかしい、いつもの勇どのとちがう、と言われては大変だ。何よりも、しきたりとやらでアルダスと踊らなくていいのはうれしかった。彼にはあまり近づきたくない。悪い人物ではないのだろうが、勇利は苦手だ。  舞踏会の後半になると、さすがに挨拶も途絶えてきた。勇利は「勇さま、踊ってくださらない?」「いえ、ぜひ私と一曲」という誘いをかわすのに大変だった。あまり断ってはいけないのだろうか? みんなと踊るのがきまりごとなのだろうか。よくわからない。そうだ、メアリーと踊ってはどうだろう。それなら、勇どのは前夜祭で一曲も踊らなかった、という非難はされないだろう。──いや、だめだ。メアリーは勇利に疑いを抱いているのだ。たぶん……。そんなときに、決定的な証拠を与えてどうする。 「勇どの──」 「申し訳ありません、私はすこし疲れてしまいまして──」 「あら残念」  女性の誘いを断った瞬間、 「では私がリードして差し上げましょう。雲の上で踊るように導いてみせますよ」  横合いからかかったその言葉に、勇利ははっと息をのんだ。この声……。  勇利はゆっくりと振り返った。ヴィクトル・ニキフォロフの完璧な姿がそこにあり、まわりにいた女性たちがうっとりと彼をみつめていた。 「さあ、お手を」 「あ、あの……」 「いいでしょう? きみと踊るために来たんだ」  勇利は知らず知らずにうちに手を差し伸べていた。ダンスフロアの真ん中までエスコートされ、向かいあう。ヴィクトルが勇利の手の甲に、うやうやしく挨拶の接吻をした。誘われるままに踊り出す。ワルツだった。  なんで? どうして? なぜヴィクトルがここに? 勇利は完全に混乱していた。しかし、身体は動いていた。ヴィクトルのリードは大好きだ。何もかも信じてすべてをあずけられる。  ヴィクトルの顔を見られなかった。彼は何も言わない。ただ、優しい目で勇利をみつめているだけである。勇利は、来てくれてうれしい、と言いたがっている自分に気がついた。しかしいけない。まわりには人が大勢いるのだ。どんなにささやき声でも、いつ誰に伝わるかわからない。 「あ──」 「集中して」  隣のカップルにぶつかりそうになった勇利を、ヴィクトルが力強く引き戻して抱いた。勇利はまっかになり、うつむいてしまった。 「ご、ごめんなさい……」 「いいさ。じょうずだよ」  じょうずだよ、勇利。ヴィクトルにそう言われている気がして胸の奥がしびれた。ヴィクトル。ヴィクトル……。 「綺麗だね」  ヴィクトルがささやいた。勇利は言葉もなかった。ヴィクトルに抱きつきたかった。抱きついて、すがって、会いたかったと泣きたかった。心配かけてごめんなさい。貴方のことばかりぼくは考えています──。  曲が終わった。勇利はたまらず、想いをこめてヴィクトルをみつめた。勇利の黒い瞳はしたたるように濡れ、とろりと愛情がこぼれ落ちそうだった。ヴィクトルはやわらかいまなざしで勇利を見返していた。と──。  ヴィクトルがふいに身をかがめ、両肩に手を添えて、勇利の頬に接吻した。勇利は目をみひらいた。反射的に思ったのは、うれしい、ということだった。うれしい、ヴィクトル。もっとして。くちびるにして。抱きしめて、愛してるって言って、何度でもキスして──。  しかしいま勇利は、勇・フォーサイスなのだ。 「ぶ、無礼ですね!」  勇利はヴィクトルの胸を押した。 「突然こんなことをなさるなんて! 身を慎みなさい!」  ヴィクトルに背を向け、頬に手を当てながら勇利は歩き出した。キスされたところが燃えるように熱かった。  ふいに手首を握られた。振り返る前に、慣れたよい匂いに包まれ、耳元にささやきが落ちてきた。 「楽しかったよ」  勇利ははっとした。ヴィクトルはすぐに立ち去った。泣きたくなった。ヴィクトル、行っちゃうの……。  勇利は振り返った。ヴィクトルはもうそこにはいなかった。
 ヴィクトルは勇利を勇利と知ってああしたのだろうか? それとも、勇だと思って……? ヴィクトルって顔がぼくならなんでもいいのかな、と勇利は拗ね、そんなわけないじゃん、とすぐに反論した。ヴィクトルはいま、勇利の行方を捜して心配しているのだ。そんなときに顔が似ているだけの相手に会いに行って、わざわざ踊ったりはしないだろう。どうしてだかわからないけれどヴィクトルは勇利の居場所をつかみ、本当に勇利かどうか確かめに来たのだ。招待状もなしで、と思ったが、彼ならどうにでもできるだろう。各国の上流階級に知り合いはいくらでもいるはずだ。 「はあ、ヴィクトル……」  パーティが終わり、あてがわれた部屋へ引き取った勇利はヴィクトルを想った。ヴィクトルのことだけを考えた。ヴィクトルがいまここへ忍んできてくれればいいという大胆なことさえ想像した。もちろんそんなことはないだろう。ヴィクトルはもう屋敷にはいないにちがいない。でも──でも、そうだとしても、ヴィクトルをひと目でも見られたことは喜びだった。  勇利は落ち着いていられず、ひとり庭園へと下りていった。蜜色の月が夜空に輝き、勇利の黒髪を控えめに輝かせた。風に乗ってくる甘い花の馥郁たる香りに、勇利はうっとりとなった。ヴィクトルもよい匂いがするのだ。あの、勇利の胸をときめかせる、すてきな匂い──。  草を踏みしめる音が聞こえた。勇利はどきっとして振り返った。ヴィクトルが──と思った。ヴィクトルがぼくを追って、ここまで──。  しかし木の陰から現れたのはアルダスだった。勇利はがっかりすると同時に、彼がヴィクトルのキスをどこかから見ていて、それについて何か言いに来たのかと身構えた。 「いよいよ明日結婚式ですね」  彼は元気に言った。どうやらヴィクトルの話ではないらしい。勇利はほっとした。 「楽しみですよ!」 「そうですか」 「勇どのは楽しみじゃないので?」 「私は……、私は、べつに、何も」  勇利はつぶやいた。ヴィクトルとの結婚式の前夜なら、うれしくて眠れないだろうけれど。 「あなたはいつも浮世離れしていらっしゃる」  アルダスが言った。 「不思議な人ですね」 「そうでしょうか」 「そうですとも」  アルダスは昼間のように騒々しくはなかった。彼は月夜を見上げ、ぽつりとつぶやいた。 「もしあなたに、誰か好きなひとがいなかったとしても……」 「え?」 「私のことなど眼中にないのでしょうね」  勇利は瞬いた。 「いや、あなたは誰のことも眼中にないんだ。まるで夢の国の住人のようですよ」 「…………」 「物静かで、あどけなくて、なにごとにもこだわらないで、いつも優しく笑っている。そんな人です」  確かにそうかもしれない。勇はつかみどころのない、不思議な人だった。しかし勇利は知っている。勇は──恋人のことを想うとき、いきいきとして、瞳は輝き、頬が紅潮して、それはそれはかわいらしく──すてきな人になるのだ。 「私のことがどうでもいいとしても、私はあきらめませんよ」  アルダスは言った。 「あなたが私をなんとも思っていなくても構わない。明日は私たちの結婚式です」  彼は勇利の顔をのぞきこんだ。 「いくらぼんやりしているからって、式のことを忘れないでくださいよ」  アルダスは背を向け、屋敷へ入っていった。勇利は何も言わなかった。  空を見上げた。ヴィクトルのことを想った。勇も恋人に会えただろうか。今夜の勇利のように胸をときめかせたのだろうか?  明日……、勇は戻ってくるだろうか。
 婚礼衣装は、やはりすこし勇利にはゆとりがあった。しかし不格好というほどではない。控え室にやってきたメアリーは、「いいじゃん」と笑った。 「ありがとうございます」 「緊張してる?」 「さあ……、どうでしょうか」 「アルダスは真っ青になってたよ」 「え?」 「上がってた」  メアリーはくすっと笑った。 「あいつも悪いやつじゃないんだけどね」 「…………」 「ただ、ちょっとうるさいだけで」 「……そうですね」 「まあ、私はあんな結婚相手はお断りだけど」  メアリーは勇利の瞳をのぞきこんだ。 「あんたは?」  勇利はほほえんだ。 「時間です」  勇は間に合わないのだろうか。勇利は、彼が恋人を連れてここまでやってくるのだと思っていた。彼の恋人が解決してくれるのだと。しかしそうはいかないようである。式を挙げてしまったらどうなるのだろう? 勇とアルダスは結婚したことになるのか。だがここにいるのは勇利である。勇の名でする儀式に効力があるのだろうか?  勇利は教会の扉の前にメアリーと立った。彼女と連れ立って歩き、アルダスのところまで行く手筈だ。メアリーは勇利の腕に手をかけた。勇利は口をひらいた。 「姉上」 「なに?」 「金鎖、ありがとうございます」  指輪はいま、メアリーの金鎖にからまり、勇利の喉のあたりにおさまっている。ヴィクトルとの指輪だ。これがなければ中へ入る勇気は出なかっただろう。  扉がひらいた。  勇利はメアリーと一歩一歩、司祭とアルダスの待つ道をゆっくりと歩む。勇利は何も考えていなかった。どうなるのだろう、という漠然とした疑問はあったけれど、ここまで来てしまった以上、どうしようもなかった。ただ──ただ、勇利は、ヴィクトルのことを──。  ふいにわきから手が伸びた。そのうつくしい手は勇利の二の腕を優しくつかんだ。勇利ははっとして振り返った。そこにはヴィクトルがいて、彼はぐいと勇利を引き寄せた。勇利はよろめき、メアリーから離れた。そしてヴィクトルの胸にもたれかかった。 「何をする!」  アルダスが叫んだ。彼はヴィクトルの顔を見、はっとしたように目をみひらいた。 「おまえは──」  ヴィクトルはほほえみながら勇利を抱き寄せ、髪に接吻してからアルダスを見据えて、すばらしく響く声ではっきりと言った。 「この子は俺の婚約者だ」  勇利の胸が激しくときめいた。 「君には渡さない」  列席者のあいだにざわめきが走り、場が騒然となった。アルダスが叫んだ。 「離せ! おまえ、私の勇に──」 「この子は勇・フォーサイスじゃない」 「ばかなことを言うな! 私の許嫁だ!」 「本当にそうかな?」  勇利はぼうぜんとしてヴィクトルを見上げた。ヴィクトルがかすかに微笑し、勇利を安心させるようにほほえんだ。勇利は泣き出しそうになった。そのとき、背後で扉のひらく音が聞こえた。そちらを見た勇利は息をのんだ。  勇が立っていた。 「えっ!?」 「勇どのがふたり!? どうして……!?」 「どっちが本物だ!?」 「どういうこと? どういうことなの?」 「勇くん……」  勇利はつぶやいた。勇は背筋を伸ばし、凛とした姿でまっすぐに歩いてきた。 「勇どの……?」  アルダスは愕然とした。彼は勇利を見、勇を見、それからまた勇利を見た。 「ど、どっちだ……? どっちが勇どのなんだ……?」 「アルダスどの」  勇が立ち止まった。彼の声は大きくはなかったがうつくしく澄んで人を惹きつけ、喧噪をぴたりと鎮めた。 「申し訳ありませんが、あなたとは結婚できません」  アルダスが目を大きくした。 「好きなかたがおりますので。私はそのかたに夢中で、もうどうしようもないのです」 「ゆ、勇どの……」 「本当に申し訳ありません。もっと早くに申し上げるべきでした。あなたにご迷惑をおかけして、まったくひどいことだと思います。ゆるして欲しいとはとても言えません。憎んでください。これが私の正直な気持ちです」  勇は最前列にいる父のほうを向き、深々と頭を下げた。 「父上、申し訳ありません」 「勇……」 「勇利さん」  勇は勇利に歩み寄った。彼は勇利の手を取り、ほほえんだ。 「ありがとうございます。大変でしたでしょう」 「勇くん、恋人には……、会えた?」 「いいえ」  勇は笑った。 「途中で引き返してきてしまいました」 「えっ、どうして」 「あなたのことが心配で」  勇はすがすがしく言った。 「あなたは友達だから私を助けると言ってくださいましたが、だったら私は友達に何をさせているのだろうと思いました。私は自分では何もしていなかった。結婚のことは愛するひとに頼り、彼の助けが得られないとなるとあなたにまかせようとしました。こんなに卑怯なことはない。欲しいものがあるなら自分の手でつかみとらなければ」  物音がして、勇利はそちらに目を向けた。アルダスが主祭壇に寄りかかり、青ざめていた。勇利はヴィクトルの手に優しくふれてから彼に近づいた。 「まだどちらが本物かわかりませんか?」 「…………」 「愛している相手でしょう?」 「私は……」 「本当に、愛する相手を見ていましたか? 理想に恋をしてはいませんか? 夢の国の住人は、あなたのほうではありません?」  アルダスがゆっくりと顔を上げて勇利を見た。 「勇どの──」 「私は勇・フォーサイスではありません」  勇利はにっこり笑ってヴィクトルの腕を取った。 「ぼくの名前は勝生勇利。どこにでもいるフィギュアスケート選手で二十四歳です。そしてこのひとの名前はヴィクトル・ニキフォロフ。世界でただひとりの氷上の皇帝で二十八歳です。彼はぼくの婚約者で、ぼくのことをひと目でわかってくれました。彼、ぼくのことを愛してるんです!」  勇利はこのうえなく陽気に叫んだ。アルダスがあっけに取られた。わけがわからず、誰もがあぜんとして騒ぐ中、勇だけが手を叩いてうれしそうに言った。 「勇利さん、やっぱり婚約されてたんですね!」
「…………」 「悪かったってば」 「…………」 「機嫌直してよ」 「…………」 「連絡の手段がなかったし」 「…………」 「ぼくだってヴィクトルのことばっかり考えてたんだよ。���も勇くんをほうっておけなくて」 「…………」 「……ぼくがもしヴィクトル以外の人と結婚させられそうになったら、と思ったら、胸が苦しくて……」 「…………」 「……ねえ、ヴィクトル……」  勇利がしゅんとしてつぶやくと、ヴィクトルは腕を伸ばし、勇利を抱きしめて言った。 「会いたかった……」 「……怒ってる?」 「怒ってないよ。無事でよかった」  ヴィクトルは息をついて勇利に頬ずりをした。勇利はベッドに座ったヴィクトルの膝に横座りになり、彼の首筋に腕を投げかけた。ふたりはホテルに戻っていた。 「本当にごめんね……」  勇利はヴィクトルの肩に頬をすりつけて謝った。 「いいさ」 「心配かけてごめんなさい」 「確かに心配はしたけど、その状況でほうり出して帰ってくるのは勇利らしくないからね。勇利は俺にはつめたいけど、人には優しいから」 「ヴィクトルにだって優しくしてるじゃないか」 「ああ、あと、ファンにもつめたいか」 「最近はがんばってるよ」 「あのぎこちないファンサービスね……」 「いいじゃん」 「まあかわいいけど」 「ヴィクトルはなんでぼくがあそこにいるってわかったの?」  勇利は首をかしげた。 「きみがテレビに出ていた」 「え?」 「バルコニーから手を振っていたよ」  勇利は目をみひらいた。あのテレビ番組! 「それでぼくだってわかったの!?」 「ああ」  いくら似ていると思っても、名前付きで紹介されていたら、他人の空似だと判断するのではないだろうか。それなのにヴィクトルは勇利だと一瞬で断じたのだ。 「そのあとは知り合いに連絡を取って、フォーサイス家の情報を集めて、招待状を用意してもらって……まあそんなところだよ」  なんという行動力。ヴィクトル、かっこいい……。勇利はうっとりした。 「いろいろ調査していくうちに、だんだんと事情はのみこめた。勇利、俺はさっき怒っていないと言ったが、簡単にかどわかされるその警戒心のゆるさは怒っている。もうすこし気をつけてくれ」 「ごめんなさい……」 「きみを出歩かせた俺も悪かったけどね」  勇利は、もう今後ひとりで外出させてはもらえないのではないかとそのことを心配した。 「まあ、今回に限ってはよかったのか……。おかげできみの友人を助けられたし。確かに勇・フォーサイスを見てしまえば、手を差し伸べなければ胸が痛む」  勇利はにやっと笑って目をきらきらさせた。 「ぼくよりよかった?」 「…………」 「ヴィクトル、いっつもぼくのことなぜかうつくしいうつくしいって言うじゃん。彼のほうが綺麗だと思った?」 「…………」 「思ったんでしょ。思っただろ! 怒らないから言ってみて」 「…………」 「上品でしぐさも高貴だったもんね。わかるよ。まあぼくにあるがさつなところを見事に取り払ったら彼になるって感じだった。似て���のは顔だけだよね」 「精神攻���をやめてくれ」  ヴィクトルは溜息をついた。 「言っておくが彼ときみはそっくりだ。身のこなしもそうだし、気品高さもそうだ」 「うそ!」 「うそじゃない。まったく完璧だ。勇・フォーサイスがきみを身代わりにしたくなるのもわかる」 「じゃあヴィクトルはどうしてぼくがぼくだってわかったの?」 「そんなのきまってるだろ?」  ヴィクトルは余裕ぶってうつくしくほほえみ、こつんと額を合わせた。 「俺が勇利を愛してるからだよ」  彼は身体をひねってベッドに勇利を押し倒した。勇利はどきっとし、赤い顔でヴィクトルを見上げた。 「最後に彼が言った言葉……」 「え?」 「やっぱり婚約してたんだね、というようなこと……」 「ああ……」 「勇利、俺と婚約してないって彼に説明してたのかい……?」  ヴィクトルのくちびるが首筋に這った。勇利はどきどきして何もできなかった。 「っていうか……」 「俺とそういう仲だと教えなかったの……?」 「こ、断りはしたんだよ。代わりに結婚してくれって言われたとき、好きなひとがいるからって……」 「好きなひと……?」  ヴィクトルが勇利の服に手をかける。勇利は振り払うことができなかった。 「婚約者ではなく……?」 「だ、だって……」  勇利は目を伏せた。 「ヴィクトルが本気かどうかわからなくて……」 「へえ」 「ぼ……ぼくだって、そうだったらいいなって思ってたよ。でも冗談かもしれないし、ひとりだけ盛り上がってたらばかみたいじゃない」 「俺を信じていなかったのか」 「信じるとか信じないとかじゃないでしょ! ひとりよがりにならないようにしないとっていう……そういう……」  勇利はだんだん腹が立ってきた。なんでぼくばっかり怒られるんだよ、と抗議したくなった。 「だいたいヴィクトルだって悪いんじゃん! ちゃんと言ってくれないから! あんな明るい感じで冗談ぽく、みんなに向かって『金メダルで結婚だよ!』なんて、盛り上げるためのうそだと思うだろ! 本気にしていい気になって、ぼくがあとで──」 「勇利」  ヴィクトルは突然おもてを上げ、勇利の瞳を熱心にみつめて、かき口説くようにささやいた。 「俺と結婚してくれ」  勇利の息が止まった。 「きみしかいない。本当だ。おまえだけなんだ。おまえがそばにいなければ呼吸もできない。俺は死んでしまう。生涯俺のそばにいると言ってくれ。愛すると誓ってくれ。でなければ俺は──、」  ヴィクトルはせつなげにまぶたをほそめ、吐息混じりにつぶやいた。 「俺でなくなるだろう」  勇利は口が利けなかった。代わりに、意味をこめてヴィクトルの目を見た。輝く黒い瞳が、言葉よりも雄弁に勇利の気持ちをあらわしていた。身体じゅうがふるえている。涙があふれそうだった。ヴィクトル。ヴィクトル……。  ヴィクトルは勇利に接吻した。それから彼はささやいた。 「婚前交渉してもいい?」  勇利は可笑しくて、泣きながら笑顔になった。 「なんでそんなこと訊くの?」  ヴィクトルは子どものように笑った。 「無礼者、ってまた言われるかと思ってね」
 数ヶ月後、勇利はインターネットのちいさなニュース記事でイギリスの侯爵家の結婚報告を見た。添えられている写真の青年は勇利そっくりで、彼はしあわせそうに笑っていた。勇利は思わずヴィクトルの腕をつかんだ。勇の隣にいる優しい笑みを浮かべた男は、ヴィクトルとまるで同じ容貌をしていた。
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cureblog · 3 years
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前回に引き続き家具屋さんのお話。
こちらで待合室の椅子を購入させていただきました。
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めっちゃ良い感じです✨
座り心地もよき!セット面の椅子とも近い統一感のあるチョイスです。
さすがデザイナー様。めっちゃ好きなデザインです。
ますます楽しみになってきました😊
こちらのお店 70Bの情報も載せておきます。
そしてうちのホームページです。
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chikuri · 7 years
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“欧州と日本で「強い組織的なもの」が生まれた。 ■1.「パリ日本人村の村長」  仕事でパリに来ている。数週間単位で滞在するので、オフィスのある凱旋門から地下鉄で4、5駅離れたところに家具付きのアパートを借りてみた。近くには賑やかな商店街があって、カフェやパン屋、八百屋、肉屋などが並んでいる。  驚いたのは日本食レストランの多いことだ。徒歩5分圏内だけで3軒もある。パソコンで検索してみたら、パリの約1万5千軒のレストランで、「和食」のカテゴリーに入っているのが763軒もあった。  一度、昼食にルーブル美術館近くの日本食レストランに入ったら、フランス人の客だけで満員だった。そこでの一番人気は「越前のおろし蕎麦とソースカツ丼小どんぶりのセット」だという。蕎麦もソースカツ丼も本格的な味だった。  戦前からパリに遊んだ日本の芸術家や文人は多いが、パリでこれほど多くの日本食レストランが繁盛し、しかも越前蕎麦まで食べられる時代が来るとは、誰が予想し得たろう。  そのうちの1人、大正2(1913)年にパリに渡った島崎藤村は、河上肇らが彼を頼ってやってくると、下宿を探してやったりして世話を焼いた。やがて藤村は「パリ日本人村の村長」と呼ばれるようになり、彼らを歌劇や音楽会に連れ出しては、学生街のカルチェ・ラタンで文明論に花を咲かせたという。 ■2.欧州諸国の持つ「強い組織的なもの」  藤村は、上海・香港・シンガポール・コロンボ・スエズ運河を経由して約一ヶ月の船旅でマルセイユに着いたのだが、船中の読書に、幕末に洋行した幕臣、栗本鋤雲(じょうん)の『暁窓追録(ぎょうそうついろく)』を持参していた。栗本鋤雲も同じ航路で横浜からマルセイユに渡ったのだが、この間に興味深いことに気がついた。  それは船が港に入るたびに、現地人の盗みを防ぐために、船の倉庫に鍵をし、船室を閉じ、出入りを厳重にした事である。ただ、横浜とマルセイユでだけは、船員が船を下りてしまい、戸が開けっぱなしになっていても気にも留めない。  なぜ日本とヨーロッパでは盗みがなく、その間の各地の港では厳重に戸締まりをしなければならないのか。藤村はここから考えた内容を、帰国後、『エトランゼエ(異邦人)』との対話」と題したエッセイに書いている。 __________  東洋の方で肝心な港々は大抵今では英吉利(イギリス)のものだね。(中略)最初の欧羅巴(ヨーロッパ)の航海者なんてものは必ずしも他の国を奪るつもりではなかったんだね。唯、奴らは強いものを一緒に持って行ったんだね。実際欧羅巴の方へ行って見ると、強い組織的なものがあるからねえ。 左様(そう)いう強いものが押込んで行くと、組織的でないような弱いものは否でも応でも敗けてしまう。だからケエプ・タウンでも、ダアバンでも、コロンボでも、新嘉堡(シンガポール)でも、結局強いものが支配するようになっちまう。そいつが僕らの国の方まで延びて来たんだね。[1, p126]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  欧州諸国は何か「強い組織的なもの」を持っていた。そして、それを持っていなかったアジアの国々は次々と植民地にされた。それが日本に延びて来た時にどうなったのか。 ■3.「阿爺(おやじ)の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」  この点を藤村は「故国に帰りて」の中で次のように記している。 __________  幸いにしてわが長崎は新嘉堡たることを免れたのだ。それを私は天佑の保全とのみ考えたくない。歴史的の運命の力にのみ帰したくない。その理由を辿って見ると種々なことがあろうけれども、私はその主なるものとしてわが国が封建制度の下にあったことを考えてみたい。実際わが国の今日あるは封建制度の賜物であるとも言いたい。[1, p131]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  藤村にとって���封建制度とは抽象的な概念ではなかった。藤村の父は木曽馬込の大庄屋の家に生まれ、伊那谷に多い平田派国学の門徒となり、尊皇攘夷運動を経て地方の小神社の神職となった。維新後は、明治天皇に直訴したり、廃仏毀釈の中で郷里の寺院に放火しようとしたりして、ついには座敷牢に幽閉されて、窮死した。 __________  遠い外国の旅に出て来て見ると、子供の時に別れた阿爺(おやじ)のことなぞがしきりと恋しくなる。僕らが今日あるのも、彼様(ああ)して阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ、印度あたりのように外来の勢力に敗けてしまわなかった御陰だ、左様思うと僕はあの頑固な可長しい阿爺に感謝するような心持を有って来た。 多少なりとも僕らが近代の精神に触れ得るというのは、あの阿爺たちに強いものがあったからだ。[1, p134]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  幕末には大名や武士ばかりでなく、地方の庄屋の息子ですら国家の行く末に危機感を抱き、奔走した。「強い組織的なもの」とは、藤村にとって父親の思い出につながる体験的なものだった。 ■4.欧米に広まった日本観  ヨーロッパと日本が並行して封建制を経験し、しかも、この二つの地域で近代化が先行した事から、封建制が近代化の基盤となっているのではないか、という考え方は、藤村以前からあった。  今谷明・都留文科大学学長の『封建制の文明史観』[1]によると、日本社会の封建制を指摘した最初の西洋人は、文政6(1823)年、明治維新の45年前に来日して、ドイツ人ながらオランダ人と偽って長崎・出島のオランダ商館医となったシーボルトだという。  多くの大名が半独立的に各藩を治めている徳川の幕藩体制が、同時代のドイツの諸侯が分立していた状況と良く似ている点を、シーボルトは見てとったのだろう。  医師・植物学者であったシーボルトは、学問的にこの観察を深めはしなかったが、帰国後に出版した大著『日本』により欧州での日本学の祖と見なされるようになり、日本が封建制の国だという認識は、以後、多くの訪日外国人に受け入れられていった。  学問的見地から日本が欧州に比較しうる封建制を備えていたという研究は、日本の経済学の草分けと言われる福田徳三によってなされた。福田は明治31(1898)年にドイツに留学し、ドイツ歴史学派の経済学者ルヨ・ブレンターノに師事した。  ブレンターノは欧州経済史の講義で、後方の席で度の強い眼鏡をかけた福田が微笑しているのを見つけ、授業後、なぜ笑っているのかを問うと、福田は「先生が講義される欧州の経済史が、余りに私の祖国日本の歴史に似ておりますので、ははあ、成程、と納得し、会心の笑みを漏らしたのです」と答えた。 「そんなに日本の経済史が西欧に似ているというなら、君がいっそ、日本経済史を書いてみないか」とブレンターノに勧められ、その助力を得ながら、ドイツ語で日本経済史の本を書き上げた。この本は西欧の学者に広く読まれ、日本が西欧に類似した封建制を持った国であるとの日本観は、欧米人の間でも広まった。 ■5.モンゴル軍がなぜ日本と西洋で勝てなかったのか  なぜ封建制が「強い組織的なもの」を生むのか。封建制は欧州では騎士、日本では武士という「武人」が中心的な役割を果たすから軍事的に強いという説もあるだろうが、シナの各王朝も戦乱の中で軍事力でのし上がり、天下をとった。だから軍事力の存在だけでは説明できない。  日本の武士と、シナの皇帝に事える武人とを考えて見れば、その違いがはっきりするだろう。たとえば、日本の武士は主君から所領を与えられ、そこを子孫のために命を懸けて守る「一所懸命」の精神を持つ。  これがシナ皇帝に雇われている武人ならどうだろうか。別にその王朝が滅んでも、次の王朝に仕えれば、自分の身は安泰である。日本の武士とシナの武人の違いは、自分の事業にすべてをかける中小企業のオーナーと、大企業のサラリーマンの違いと考えれば、分かりやすいだろう。  現実にモンゴルの大帝国はユーラシア大陸の中心部から東は日本、西はヨーロッパにまで攻め込んだ。しかし、日本では鎌倉武士団に敗れ、欧州ではドイツ騎士団に敗れた。  元寇は神風に敗れたというのが一般の先入観だが、史実は異なる。鎌倉武士たちの抵抗によって、元軍は2ヶ月も上陸を阻止され、海上にさまよっている間に、台風に襲われたのである。台風が来なくとも、補給のない元軍は引き揚げるしかなかった。[a] 元寇防塁  西に向かったモンゴル軍はキエフ公国、ポーランド、ハンガリーを蹂躙し、ドイツの諸城に襲いかかった所で、第2代モンゴル帝国皇帝オゴタイの訃報に接して引き揚げたと言われるが、これも史実ではない。モンゴル軍がドイツ軍との戦いから引き揚げたのは、訃報を聞く数ヶ月も前であった。  実際は、城壁都市に立てこもって頑強に抵抗するドイツ騎士団を打ち破れず、諦めて撤退したのである。これもドイツ騎士団の「一所懸命」に敗れたと言える。  一所懸命の精神で、自分の愛する郷土と、ひいては祖国を命をかけて守ろうとする武人と、富のために戦う武人と、どちらが強いかは言うまでもないであろう。 ■6.封建制が法治による近代国民国家の基盤を作った  武人の所領が主君から与えられるということは、こうした強さ以外に、社会の発展を生み出した。それは所領を預かる代わりに、いざという時に生命を掛けて戦う、という相互の信頼に基づいた契約関係を発展させた。  契約である以上、主君が勝手に家来の所領を取り上げる事は許されない。ここから「権利」という概念が生ずる。同時に、家来の方も戦になって命惜しさに逃げ出すなどという事は許されない。これが「義務」の概念を生み出す。この義務をいかに見事に果たすか、という所から、武士道や騎士道が生まれた。 「契約」、「権利」、「義務」などは近代社会を成立させている基本的な概念である。これらの概念を尊重する風潮が統治者にも国民の側にもなければ、近代社会は成り立たない。  一方、皇帝による独裁国家では、皇帝は勝手に家来の財産を取り上げる事ができるし、臣下は危なくなったら、敵方に寝返ったりする。シナ大陸や朝鮮半島で現在でも契約や条約、さらには人権や義務を尊重する気風が薄いのは、封建社会を経験していないからであろう。  さらに封建社会では、隣人との間で境界争いなどが生じた場合は、契約関係をもとに、どちらが正しいかを道理をもって議論することになる。ここから裁判制度が発達する。たとえば鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時が中心となって整理し、成文化した『関東御成敗式目』の末尾には、この法体系の基本理念としての「道理」を明白に掲げている。[b] __________  およそ評定の間、理非に於いては親疎あるべからず、好悪あるべからず。ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚(はばか)らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。 (裁判の場にあっては決して依怙贔屓(えこひいき)なく、専ら道理に基づいて、傍の目、上なる権力者の意嚮(いこう)を恐れることなく信ずる所を言え)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  これは建前だけでなく、実際の裁判でも、一方が自分の主張のおかしい事に気がついて「これは当方の負けなり」と認めた態度を、泰時が涙ぐみながら褒めた事例も記録されている。物事の道理を「法」として書き表し、争い事も法と道理に照らして、どちらが正しいかを判断する。これが「法治国家」の基盤である。  一方、皇帝による独裁社会では、臣下の争いは���ちらが皇帝に好かれるか、という事で決まってしまう。そこに発達するのは皇帝へのおべっか争いと互いの足の引っ張り合いである。  封建制は法治による自由な社会の基盤を作った。そして国民の自由な活動が、経済的発展を生み出した。こうして近代国民国家という「強い組織的なもの」が生まれた。封建制を経験した西欧と日本が近代国民国家として発展したのは、当然の現象なのである。 ■7.内外からの浸食から、いかに国民国家を守るか  島崎藤村が「強い組織的なもの」と感じとったのは、権利、義務、契約、法を尊重し、それによって国民どうしが互いに助け合う共同体として発展してきた近代国民国家の姿だったのだろう。  しかし、この「強い組織的なもの」が、あたかも自然現象のように勝手に生まれたと考えるべきではない。それは何代にもわたる先人の努力の積み重ねによって発展してきたものである。たとえば、前節に紹介した北条泰時が「道理による政治」を追求した努力がその一例である。  とすれば、先人の遺してくれた「強い組織的なもの」に対して、 藤村のように、「僕らが今日あるのも、彼様(ああ)して阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」と感謝の心をもって、思い起こすべきだろう。  しかし、この「強い組織的なもの」は、現在の我々が努力して守っていかないと風化していってしまう。特に現在は、シナや北朝鮮、韓国など、封建制を経験せず、したがって条約も国際法も人権も理解しない前近代国家が外からの脅威を与えている。  同時に、内からはこれまた法治や近代的自由の概念を持たない左翼勢力が、教育や報道、政治をねじ曲げて、国民国家を浸食しつつある。こうした内外からの浸食から、わが国の法治主義と自由民主主義を守って、我々も子孫から「阿爺の時代の人たちが頑張っていてくれた御陰だ」と言われるよう、頑張らねばならない。 (文責 伊勢雅臣)”
―No(1051) 欧州と日本の封建制が近代社会を作った 国際派日本人養成講座
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takahashicleaning · 3 years
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TEDにて
ラファエロ・ダンドリーア:魅惑的な未来の飛行ロボットを披露
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
「ドローン」と聞いて何を思いますか? 恐らく「便利なもの」か「恐ろしいもの」のどちらかでしょう?
でも、ドローンが美的価値を持ち得ると思いますか?
飛行ロボットを開発している自律システムの専門家ラファエロ・ダンドリーアの最新のプロジェクトでは、制御不能状態からの復帰やホバリングができる全翼機や方向が存在しないような8枚のプロペラがある飛行体から、協調する小型クアッドコプターの群れまで、自律飛行の新境地を開拓しています。
TEDのステージの上を、まるで蛍が舞うかのように、飛行ロボットの編隊が美しく旋回する様子は見る者を魅了します。
さあ、心の準備はできていますか?
今日は、現在、手がけている新プロジェクトを紹介します。自律飛行で可能なことの限界を押し広げようというのが狙いです。
システムが、自律的に働くためには、各移動体の空間的位置を集合的に把握する必要があります。
チューリッヒ工科大学の我々の研究室では、物体の位置把握を外部カメラですることで高度にダイナミックな作業を短期開発することに集中できました。今日、ご覧いただく実演では我々の研究室からスピンオフしたベリティー・スタジオが開発した新しい測位技術を使います。
外部カメラはなく、各飛行体に空間における自分の位置を把握するセンサーと取るべき行動を決定するコンピューターを搭載しています。外から与える指示は「離陸せよ」「着陸せよ」といった高水準のものだけです。
これは「テイルシッター」と呼ばれるもので2つの相反する要求をテクノロジーのパワーで実現します。
他の固定翼機と同様にヘリコプター型のものと比べ、効率よく水平飛行できます。しかし、固定翼機の多くとは違ってホバリングが可能です。これにより、離着陸が容易で多様な使い方ができます。
しかし、利点がただで手に入るわけではなく、テイルシッターの欠点の1つは、突風のような大気の乱れに弱いことです。その点を補うための新たな制御機構とアルゴリズムを開発しています。
基本的な方針は、どのような状態からでも制御を回復できるようにすること。また、経験から性能を改善できるようにするということです。
研究においては、私たちは、よく問題の核心を突くような根本的で抽象的なことを自問します。例えば、こんな質問です。飛行制御には可動部分が最低いくつ必要か?この答えを知りたいと思う実用的な理由があります。
例えば、ヘリコプターは、何千もの可動部分がひしめいていて人を傷つけようとする機械としてお馴染みです。何十年か前に熟練パイロットが遠隔操作に成功した飛行機には、可動部分がたった2つ。
プロペラと方向舵しかありませんでした。最近、我々は、可動部分を1つにできることを発見しました。
他には、これは「モノスピナー」で、構造的に最もシンプルな制御飛行可能な機体です。ほんの数か月前に開発しました。可動部分はたった1つ。プロペラだけです。
フラップも蝶番も補助翼もなく、作動装置も操縦翼面も一切ありません。プロペラが1枚だけです。機械的にはシンプルでも安定した姿勢で自由に飛べるようにするために中の電子頭脳では複雑なことをしています。
モノスピナーが、質素を追求する試みだとするとこのプロペラが8枚あるオムニコプターは過剰を追求する試みです。
この過剰分で何ができるか?注目すべきはその高い対称性です。結果として、方向性が曖昧になり、驚くべき能力がもたらされました。空間を自由に飛び回れ、どっちを向いていようとどう回転していようとお構いなしです。
最後にご覧いただくのは人工的な群れを作る試みです。
多数の協調する自律的な機体が、美的表現のための新しいパレットとなります。市販の小型クワッドコプターを使っていて食パン1枚より軽くできています。それに、私たちの測位技術と専用アルゴリズムを付けました。
各々が、自分の位置を認識して自律制御しているので機体数には制限がまったくありません。
MITの物理学者であり、AIの研究者であるマックス・テグマークの言うように・・・
ロケットの話と似ていて技術が単に強力になれば良いというものではなく、もし、本当に野心的になろうとするなら、コントロールの仕方と、どこへ向かうべきかも理解しないといけません。
エリエゼル・ユドカウスキーが、「友好的なAI」と呼ぶものです。そして、これができれば素晴らしいことでしょう。病気、貧困、犯罪など苦痛というマイナスの経験を無くすことができるだけではなく、様々な新しいプラスの経験から、選択する自由を与えてくれるかもしれません。
そうなれば、私たちは自分の手で運命を決められるのです。そして、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くとおそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
それは認めるべきです。冷酷な全世界的独裁政権が可能になり、前代未聞の差別、監視社会と苦しみが産まれ、さらに、人類の絶滅さえ起こるかもしれません。
しかし、注意深くコントロールすれば、誰もが裕福になれる素晴らしい未来にたどり着くかもしれません。貧乏人は、金持ちにより近づき、金持ちはさらに金持ちになり、みんなが健康で夢を追い求めながら自由に人生を送れることでしょう。
その他に、行政府自身が社会システム全体の資源配分の効率化を目的とする保証はないため政治家や官僚は自らの私的利益のために行動を歪め、市場の失敗を矯正するどころか資源配分をより非効率にする可能性すらあります。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされ��ことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
日本は、民放テレビの過剰な無法行為で視聴者を混乱させ、新産業(テクノロジー)で余計な規制がかけられ実現不可能?
Japan is to confuse the audience with an excess of lawless act of commercial television, unfeasible unnecessary regulation is multiplied by the new industry?
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notes-exchange · 3 years
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時間軸 Timeline
2016年
1月 雙方導演決定演出文本 3月 杜斯妥也夫斯基短篇小說改寫為劇本 5月 導演交流工作坊 7月 雙方導演決定交換演員名單並提供翻譯劇本 8月 舞台設計溝通概念並完成設計初稿 9月 修改劇本、設計、日本演員來台工作坊 10月 台灣演員赴日工作坊、台日演員交換排練 11月 台日演出 11月18日至11月20日 《地下室手記&罪與罰》  台灣於台南文化中心原生劇場演出三場 11月26日至11月27日 《地下室手記&罪與罰》  日本於三重縣綜合文化中心小劇場演出兩場  
1月 双方の演出家が公演するテクストを決定 3月 ドストエフスキーの短編小説を脚本に改編 5月 演出家ワークショップ交流 7月 双方演出家は俳優リストを交換し、翻訳した脚本を準備 8月 美術を話し合い、デザイン案初稿完成 9月 脚本、デザイン修正、日本側役者来台ワークショップ 10月 台湾側役者来日ワークショップ、日台俳優交換稽古 11月 日台公演 11月18日から11月20日『地下室の手記&罪と罰』台湾、台南文化中心原生劇場、三回公演 11月26日から11月27日『地下室の手記&罪と罰』日本、三重県総合文化センター小ホール、二回公演
2017年
1月 雙方導演決定第二年合作方式 3月 王嘉明導演前往日本與第七劇場進行製作會議,並確定當年演出主題 5月 雙方導演確定英國作家喬治歐威爾《一九八四》加上契科夫《三姐妹》作為演出文本 7月 演員交流工作坊(台灣) 8月 《1984,三姐妹一家子的日子》試排練(台灣) 9月 演員交流工作坊(日本)、雙方導演決定最終章演出內容與合作方式 10月 洽談第三年演出與台灣雲門劇場共製合作方式,安排日本東京藝術節、三重縣文化會館及金澤21世紀美術館巡迴時間 11月 排練期(台灣、日本)、《地下室手記》台灣彰化劇場藝術節演出、《1984,三姐妹一家子的日子》日本首演 11月11日《地下室手記》於彰化員林演藝廳演出 11月24日至26日 《1984,三姐妹一家子的日子》日本首演 12月 複排(台灣)、台灣演出 12月29日至31日 《1984,三姐妹一家子的日子》台灣演出
1月 双方の演出家が2年目の協働方法を決定 3月 演出家王嘉明が来日し第七劇場と制作会議を行い、当年の公演テーマを決定 5月 双方演出家はイギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984』にチェーホフの『三人姉妹』を加え公演テクストとすると決定 7月 俳優交流ワークショップ(台湾) 8月 『1984,三姐妹一家子的日子』稽古(台湾) 9月 俳優交流ワークショップ(日本)、双方演出家が最終章の公演内容と協働方法を決定 10月 三年目の公演と台灣雲門劇場との共同制作方法を交渉、東京芸術祭、三重県文化会館及び金沢21世紀美術館の巡演の手配 11月 稽古期間(台湾、日本)、『地下室の手記』台灣彰化劇場芸術祭公演、『1984,三姐妹一家子的日子』日本初演 11月11日 『地下室の手記』彰化員林演藝廳にて公演 11月24日から26日 『1984,三姐妹一家子的日子』日本初演 12月 再稽古(台湾)、台湾公演 12月29日から31日 『1984,三姐妹一家子的日子』台湾公演
2018年
2月 雙方確認演員、設計名單及今年交流方式、時間 4月 台灣導演王嘉明前往日本田調、訪查,並與鳴海康平導演討論演出概念主軸 5月 雙方導演確定演出文本大綱 8月 演員交流工作坊及排練期(日本) 10月 排練期(日本)、《珈琲時光》日本首演         10月22日至25日 《珈琲時光》於東京藝術劇場西劇場演出2場 11月-12月 排練期(台灣)     11月26日至12月9日 《珈琲時光》台灣雲門劇場演出兩周8場
2月 双方の俳優、美術および今年の交流方法、日程の確認 4月 台湾演出家王嘉明来日、フィールドワーク、現地リサーチ、演出家鳴海康平と主に次回作の構成について議論 5月 双方演出家が公演テクスト概要を決定 8月 俳優交流ワークショップ及び稽古期間(日本) 10月 稽古期間(日本)、『珈琲時光』舞台版、日本初演         10月22日から25日『珈琲時光』舞台版、東京芸術劇場シアターウエストにて二回公演 11月-12月 稽古期間(台湾)     11月26日から12月9日『珈琲時光』台湾雲門劇場にて二週八回公演
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sweetdelivery · 4 years
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なかなか苦手な女優さん二人が主演の「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」
一人は演技派としてここ数年ずーっといい作品に出続けているシアーシャ・ローナンがメアリー
もう一人はついつい顔面の美しさに惹かれてしまうから演技力の話にはあまりならないが、これだけいろんな作品に引っ張りだこつうことはなかなか巧い人なのでは?なマーゴット・ロビーがエリザベスを演じてます。
なぜか二人とも好きじゃないんだよなぁ。観たい気持ち、躊躇させる役者たち。
英語タイトルは「Mary Queen of Slots」です。日本語に訳するならメアリー、スコットランドの女王ってところ。邦題は二人が主役みたいな響きだけれども、悲劇の女王メアリーの物語ってとこですな。
ともあれ、みはじめちゃえばやっぱりまずはなによりも女王ものだから、衣装が美しいなぁ。髪型とか小さいところまで、細部に渡って美しいなぁ。それ観てるだけでも楽しいのが中世の映画を観る理由のひとつ。
そこにエリザベス(イギリス女王)とメアリー(スコットランド女王)という一つの島に2人の女王。かたや庶子でありながらイングランドの女王で、新教を信仰し、頑なで戦略家(で、戦争も上手い)エリザベスと、血筋も完璧なフランス育ちでカトリック、なかなか奔放だがチャーミングなスコットランド女王のメアリーという、従姉妹二人の話だから、内容に遜色もない。
生涯独身の道を選んだエリザベスと、恋をして結婚し、子供を産んだが処刑されたメア��ー。
ここだけ見ると悲劇のような気もするけど、メアリーの死後、彼女の息子は守られ、エリザベスの死後はその息子が継ぎ、以降英国王室はメアリーの直系子孫なわけだからそこを見るとまた悲劇はどっちだ?てな気も。
まぁ、そんな歴史のリアルは置いておいて映画の題材としてもこの上なく魅力的な二人の女王の顛末、ややスコットランド側から見たストーリーもなかなか見応えありました。
秘書官のリッチオの話とか知らなかった逸話も面白かった。
あ、あとはネタバレしちゃうのでグダグダはこの辺りで。
最後に初めて顔を合わせる二人のシーンを見て、主役のメアリーがずーっと劇中嫌いだった理由がわかった気がしたなぁ。
これは観る人によって感想が変わるだろうな。持てるもの、持たざるものの心と生き様。やっぱり走って転んで傷だらけの頑なで怖がりのエリザベスの方が好きでした。みなさんはどうでしょ?
中世ものの映画の中では観る価値はある、が期待し過ぎたら負けよ、な作品かと。
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