#さくらぐみのピザ
Explore tagged Tumblr posts
Text
湖池屋の「ランチパイ」がリニューアル! 新商品「ビーフカレー」などを追加して11月18日より発売 - ライブドアニュース
以下引用
株式会社湖池屋が、スナック感覚で楽しめるセイボリー(甘くない)パイ「ランチパイ」ブランドをリニューアルし、新商品「ランチパイ ビーフカレー」を加えたラインナップを2024年11月18日(月)より全国で発売する。
「ランチパイ」は、バターを練り込んだ多層のパイ生地に本物の食材を使用した濃厚な料理フィリングを包んだ本格的なカジュアルパイ。昨今の食の多様化に伴い、間食を含む食事回数が増える中で、手軽に食べられる新しい食の選択肢とし��誕生した。特に「これはお菓子を超えてきた!」という声が多く寄せられ、好評を得ている。 新たに加わる「ランチパイ ビーフカレー」は、オーブンでサクッと焼き上げたバター香るパイ生地に、ビーフの旨みと独自ブレンドのスパイスを効かせたフィリングを包んでいる。これにより、軽食の定番であるカレーパンやカレーまんに次ぐ“カレーパイ”としての地位を確立することを目指している。 既存の「ランチパイ クラムチャウダー」と「ランチパイ デリシャスピザ」も引き続き販売され、あさりの旨みを凝縮したクリーミーなクラムチャウダー味や、トマトやチーズの旨みにスパイスを効かせたピザ味のフィリングが楽しめる。
「ランチパイ」シリーズは、以下の内容で展開される。
◯商品名/内容量 「ランチパイ ビーフカレー」/6個(標準33g) 「ランチパイ クラムチャウダー」/6個(標準33g) 「ランチパイ デリシャスピザ」/6個(標準33g) 価格:オープン価格(参考小売価格175円前後・税抜き) 発売日/販売先:2024年11月18日(月)/全国・全チャネル
また、リニューアルを記念して「あなたはいつ食べる?ランチパイ プレゼントキャンペーン」を実施。応募者の中から抽選で20名に新商品3品がセットで当たる。
応募方法:湖池屋 コイケヤ【公式】(@koikeya_cp)をフォローし、特設サイトで「あなたがランチパイを食べたいシーン」に投票。 応募期間:2024年11月14日(木)~2024年12月1日(日) プレゼント賞品(20名様):各4個ずつの「ランチパイ クラムチャウダー」「ランチパイ ビーフカレー」「ランチパイ デリシャスピザ」をセットでお届け。
■商品概要
商品名:「ランチパイ ビーフカレー」/「ランチパイ クラムチャウダー」/「ランチパイ デリシャスピザ」 発売日:2024年11月18日(月) 価格:オープン価格(参考小売価格175円前後・税抜き) 公式サイト:https://lunchpie.koikeya.co.jp/
2 notes
·
View notes
Text
役者紹介
らいらも皆もきっと生まれ変わり。
大切な日ともの (敬称略)
東愛莉
10/10 地図
大良ルナ
7/6 小石
児
12/1 靴下
うみつき
1/23 チョーク
統括のフォーニャー
5/12 水
緒田舞里
8/3 鉛筆
白
3/17 梅
埖麦
8/25 時計
岡崎仁美
9/16 折り鶴
雨々単元気
6/11 コンロ
舞原の絞り滓
11/1 切符
じゃがりーた三世
2/29 アルミホイル
オーム
1/4 懐中電灯
テキストを入力
12/6 みかん
縦縞コリー
9/26 フォーク
大福小餅
4/10 クレヨン
叶イブ
3/31 ガラス
アリリ・オルタネイト
1/28 桶
オペ's
紫苑
6/9 糸
肆桜逸
11/13 寝袋
森々仙入
8/17 箪笥
演出
はぜちかきつ
9/9 電卓
秋公に参加した34期の皆さんへ
ビアゲ
◯岡崎仁美
ぬぴ!ふわふわで可愛い人だっていうのが第一印象です。そしたら舞監をごりごりにこなすかっちょいい先輩でした。可愛いものを見せたら一瞬でふわふわになるけど。
役者もっと見たかったです。正直初めて会ったとき新歓の子供役だと思わなかったです。自然な演技で私とは違った演技をする人だな、と思ってました。どこかで同じ座組で共演できたり?!やりたいなぁ。舞台監督の仕事も教えてもらってありがとうございます。こふくさんと一緒に頑張ります💪
いつでもお家きてください。ご飯も一緒に行って美味しいものたくさん食べましょ!!観劇とかも一緒に行けたり…1月、がんばりましょ!!
◯ 緒田舞里
新歓隊長!!最初の印象はやっぱこれですよね。新歓の舞台で見たときはあの人だ!ってなってこういう演技をするのかぁってわくわくをもらって帰ったことを覚えています。今回の共演、本当に少しでしたけど優のお母さんがしっかりといて毎回楽しかったです。美菜に悩んでたときはいろいろ聞いて話してくれて嬉しかったです。だから次の機会ではたくさん共演するんだ!とりあえず1月に向けて一緒に頑張りましょ!!
一緒に目見開いたり、ぎゅーってしてくれたりまりおさんと一緒にする些細なことが大好きでした。ぎゅーってしにきてください。目玉がとれるくらい目を見開きます
◯ 児
オムニがこたちさんの脚本で良かったです。まあセクハラはほどほどにした方がいいとは思いますが。11月末楽しみにしています。
第一印象はずっと歌ってる人でしたね。毎稽古休憩時���とかなんかしら歌ってたのでそう思ってました。今もそのイメージです。自分の世界を大切に持ってるのいいなって思います。セクハラはほどほどにした方がいいとは思いますが。
今回共演できてウルトラスーパーハッピーでした。一緒にするたび震えてました。私の友達、一瞬新美南吉だって気が付かなかったらしいです。本当にすごいことだと思います。
◯ らっしー
第一印象は「王です」ですね。この人がちゃうかの王なのかってなりました。すっごくあたたかい人でお話ししたいなぁって思ってたんです。そしたら合宿でお部屋が同じになりました。一緒にたい焼きカルタやりましたね。なぽりさんとらっしーさんと話せて私はあのときすごく幸せでした。マイホームでした。
秋公の打ち上げも一緒にがつがつ食べて楽しかったです。やっぱりご飯はたくさん食べなきゃいけませんよね?!
役者をみたのは一回だけでしたが後輩可愛かったです。せーんぱいって呼ばれたい人生でした。一緒に頑張りましょう💪
◯ 統括のフォーニャー
オムニのときにはゾンビメイクでお世話になり、今回は共演まで果たしてしまいました。こんなに幸せでいいのでしょうか??第一印象はやっぱり、ギャルですよね。そのうちイケメンであることがわかってきて最強でした。話したら優しくお話ししてくれるし嬉しかったです。栞つくってるときは様子がおかしかった気もしますがおもろかったのでなんでもありですね。
看護師役、シーンが変わってふぉにゃさんが出てきたときの安心感、舞台上でいつも感じてました。あと本で盛り上がるところ目合わして話せるの楽しかったです。
◯ 舞原の絞り滓
声でけぇ、最初の印象です。え、誰この声って探したら髪サラサラな人から出てる声だったんですよ。私の人生経験上髪サラサラな人ってそんな声通ることなかったのでやっぱ大学って違うんだってなりました。本当に声が通るの羨ましいです。外公では楽しそうにそれを発揮していたのでみているこっちもにっこにっこです。
変顔楽しかったです。まほろさんとする変顔不足すぎて大学ですれ違ったときにでもしてしまいそうなくらい楽しかったです。変な話しても真面目なのか不真面目なのかいい加減に返してくれるのが心地よかったです。
後輩が、いるよ‼️‼️
◯ じゃがりーた三世
第一印象ですか?毎日第一印象変わるんですよね、これが。なんてこったい。エチュードのときにらいらって普通に呼びながら入ってきたのおもろすぎて何しようかとか全部吹っ飛んだの覚えてます。そのままでいてください。今回の料理人父役もうまい具合にレプトンさんと役とを混ぜ合わせてレプトンさんにしかできない演技をしていたのいいなぁって思いました。私はどうしても役!!っていうふうに固く考えてしまいがちなので美菜をするときその柔軟さを取り入れたりもしました。実は。
◯ アリリ・オルタネイト
第一印象、絶対末っ子やんでしたね。体験稽古のときにちゃうかのみんなからよしよしされてて可愛い人だなって思ってました。舞美作業で一緒になったら過去の作った写真を見せてくれてこんなに可愛い人からこんなにすごいものが生まれてくるのかと驚いた記憶があります。明るく楽しくお話ししてくれてでもブラックコーヒーを飲むというギャップの持ち主でした。しかも長女らしい、なんだと。子供役が似合いすぎてるし、英語かっちょええし、その人にしかできない役があるのってすげえ強いことだと思います。
たくさん栄養たっぷりなご飯食べてくださいね!!!!
栞
◯ たぴおか太郎 4/7 メガネ
同じ出身地?!が1番の印象でした。オムニのときの桃色サンゴちゃん、激かわでしたね。外公、ステで髪型変わるの好きでした。今回の秋公、なすかさんのアパレルの方みれて本当に良かったです。もっと観たい!!だから私は向かいます。楽しみです。オムニの打ち上げでは隣の席に座ったらずっと変なこと話してました。おもろかったです。私たちの出身地の代表としてこれからも頑張っていただきたいです。こんなおもろい人がいるんだぞと。でもやっぱり共演したかったです。
なすかさんのらいらちゃんって呼んでくれるのが本当に大好きです。私の名前を呼ぶためだけに稽古場にたぴおかの天使としてきてください‼️‼️
◯ 水琴冬雪 1/3 パソコン
一回は同じ脚本に参加したかったなぁと。悲しい!最初は物理の人だっていう印象でした。なんだかんだ最初に1番話した先輩です。宣美講習会のあとですね、覚えてますか??高校演劇してたんだっていう話しましたよね。懐かしいです。だからこそ同じ舞台に立ちたかったなぁ。機会があれば必ず一緒にやりましょう。
ベガさんはよくタブレットをくるくるしてましたね。だから次のバイトはピザ屋さんをおすすめします。すぐにプロ級になれるのでは??上手に焼けるかと言われればんー、って感じですけどベガさん自身熱々な人なので焼けるかもしれないですね。逆に焦げてしまうかもしれないですけど。
◯ 肆桜逸
突然舞台班に入った私。これがなかったら全然話さなかった先輩じゃないかな、と思ってます。舞台映えする先輩だなっていうのが第一印象です。なんでだっけ?忘れました。
大道具作業に行き始めて話して正直こんなに話しやすい人だとは思ってなかったです。だからいつのまにかニキって呼んでました。
外公はっちゃけてましたね。読み合わせのときから楽しんで読んでて見てるこっちも楽しかったです。今回は高校生役ですっと教室にいるし空気に馴染むのがうまいなってなりました。吹田最高でした。あとカスタネット、斬新な使い方でしたね。
大好きな先輩方。未来に向かってスタンバイ
2 notes
·
View notes
Quote
9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば���父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ���「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔��客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
11 notes
·
View notes
Text
1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしてい��。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育て���介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かっ��ように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
10 notes
·
View notes
Text
2024年8月5日月曜日
病院の待合室にて24
病院の待合室にて (Reprise)
現在の時刻は午前十一時。私はかかりつけの心療内科の待合室にいる。みなさん、いかがお過ごしですか?死ぬほど暑いですけど、死んでないですか。死んでいるのに気づかないまま、これを読んでいるという方はいませんか。いませんね。いませんよね。信じて次に進みますね。
油断していた。T君との一日を詳細に書き、通院五回分、つまり十週分にしたので(一回の分量を決めているのは私なので、私の匙加減ではあるんだが。ちなみに三千字程度という目安があった。理由は一回目がそれくらいだったから)、その十週のうちに何か書きたいことが生まれる、衝動的にそれを書きつける日がある、そう思っていた。書きたいことなかったね。衝動も起きなかった。安定していたとして前向きに捉えるべきか。
最近。最近は同じ日の繰り返し。外は暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったり死の恐怖を覚えるほど暑かったりするが、私は部屋にいて同じことを繰り返している。何してるか書く?前にも同じようなこと書いたと思うけど書く?書きましょう。書くことが思い浮かばない上に記事のストックがなく(厳密にはあるけど完成しておらず、続きを書く気が起こらない)、診察にも呼ばれないので。
朝に起きます。最近は八時が多いです。朝ごはんを食べる。お母さんが作ってくれます。優しい。パンかピザが多いです。猫にちゅ〜るをあげます。顔を洗うなどして身支度を整えて整体に行きま���。整体に行かない日はストレッチします。整体に行った日もストレッチします。終わったらお昼になっています。お昼は毎日サラダと魚肉ソーセージです。お母さんが作っておいてくれています。優しい。猫にちゅ〜るをあげます。済んだら掃除をします。大掃除をずっとしているのですが、いよいよ佳境に入ってきています。次の大掃除の工程が「いらなくなった服を一か八か売りに行く」だというのが、大掃除が佳境に入ってることを象徴していると思います。掃除を一時間したら本を読みます。一時間読んだらタイピングの練習をします。一時間練習をしたら、楽器の練習をします。一時間練習をしたら読書に戻ります。あとは読書、タイピングの練習、楽器の練習のサイクルをぐるぐる繰り返し、夕方になったらシャワーを浴びます。洗濯がある時はこの時します。猫にちゅ〜るをあげます。お母さんが帰ってきたら、夕食になります。お母さんが作ってくれます。申し訳ない。食べ終わったら先ほどのサイクルに戻ります。午後十時に眠剤を飲みます。眠くなるまでサイクルの中にいます。眠くなったら寝ます。一時ごろに寝ることが多いです。
そりゃ書きたいこともないよ。何この生活。相変わらず無職なんですが、働けるのではないかと思えるほどです。でも抗うつ剤も飲んでるし。夕食後に飲むことになってる抗うつ剤を飲み忘れた日があったんですが、起きたら「何もかも絶望的やないか…」となって一日中寝ていた。極端過ぎひん。あっ、診察に呼ばれたので行くね。本当は何か書くことあったのかな。あったのかも。ごめんね。
3 notes
·
View notes
Text
2024年5月25日(土)
今日は第四土曜日、使用済み天ぷら油回収の日だ。午前10時に業者が回収、その後は気分転換に街へ出た。<京都文化博物館>で松尾大社展を観てから新風館へ移動して<TRAVELER'S FACTORY KYOTO>でTNP用のリフィルを購入、ランチは<スプリングバレーブルワリー京都>で美味しいビールを頂いた。天気も良くて風が心地よい、いい休日だったなぁ。
6時起床。
洗濯。
朝食。
珈琲。
天ぷら油回収の幟とタンクをセット。
先週の<彦八まつり>の足跡をTNRに記録する。
同じく、ネタ帳2024を更新する。
もったいない本舗に集荷依頼、段ボール3箱。
10時過ぎに業者が廃油回収、今回は14Lと我が家では過去最高の数値だ。
西大路七条から13系統乗車、四条烏丸で下りて京都文化博物館を目ざす。
文書類には興味は無いが、亀が松尾さんのお使いであったことを初めて知ったことと、牛王宝印といえば熊野としか認識していなかったが、こちらにもあって起請文の現物を見ることが出来たのは大きな収穫だった。
チケットは<猪口>とセットになったものを購入していたが、やはり<徳利>も欲しくなって売店で購入した。
新風館で買い物してからランチへ。
やって来たのは<SPRING VALLEY BREWERY KYOTO>、もちろん初めて。
京都、錦市場からほど近い、築約100年の町屋をリノベーション。 最先端のクラフトビールを生み出す醸造所を併設した、 “和クラフト”料理が楽しめるブルワリーレストランです。
オリジナルビールとおばんざい、ピザを美味しくいただいた。
腹ごなしにと、四条京阪から出町柳、���原へ下りてみた。
足湯ならぬ川に素足を入れると、とても気持ちいい。
夕方戻ると、ツレアイはWeb研修中、それを終えてすぐに買い物に出かけた。
ありあわせで夕飯、息子たちにはスパークリングワイン、私たちはいつものように🍶+🍷。
息子たちが終わってから、ココに点滴。
晩酌再開。
録画番組視聴、ドキュメント72時間。
家電量販店 春は新たに
初回放送日:2024年5月24日 ドラム式洗濯機や大型テレビ、冷蔵庫や空気清浄機などなど。今回の舞台は横浜にある大型の家電量販店。売り場は6フロアもあり、新生活の始まる春、多くの人がやってくる。入社式終わりに洗濯機を買う新社会人。妻が育休から職場復帰する夫婦は、家事の負担を減らそう��食洗機を品定め。最近、定年退職したという男性は、次の購入が人生最後のテレビと考えている。みんな求める家電の先に、どんな暮らしを思い描いているのか。
続いて枝雀、「植木屋娘」。
何とか下げまで聴いたがもはや睡魔に勝てない、布団の中へと潜り込んだ。
歩数は13,294歩、さすがによく歩いた。
3 notes
·
View notes
Text
旅日記④ in Okinawa
宮古島編
今更ですが、親友と過ごした幸せな旅の記録
2人とも中学の卒業旅行ぶりの沖縄。離島ははじめて。
いつもの私は大自然を散策、文化財を堪能、歩き回って体力つかって全身で体感、みたいな旅行を企画しがちなので、Theリゾート地みたいなところに旅行したのは久しぶりだったのだけど、本当に最高すぎた3日間だった。顔が全日こ��なん🥴でした。
景色、気温、ごはん、人、すべて良かった。
1日目ついてすぐ、運転免許証取得後初めての路上でワクワクドキドキしてる親友。宮古島の海風を受けて、私たちの懐メロを流しながら、宮古そばのお店に行ってグルメを堪能した。
そのあと人の少ないローカルな海に行き、透き通った海に興奮し、浜辺で寝そべって健康的な肌を手に入れた。変なクラゲらしきものに足をさされ、跡は3ヶ月経っても消えない。
夜の居酒屋では地元の人たちがノリノリで島唄歌ってくれた。ゴーヤチャンプル美味しかったな。
2日目、八重干瀬でシュノーケリング。波が荒かったみたいで、少し酔ったし、気を抜くとすぐ流されそうで必死に泳いだ。ウミガメを拝めたので大満足🐢青の洞窟はまるでアリエルの世界観で、とっても素敵だった🧜🐠🪸お昼に食べたシュリンプは運動後のご馳走だった。また食べたい。
3日目、行きたかったカフェに行ってゆったりとピザを味わったり、浜辺で寝転んで波の音に癒されたり。一期一会のハンドメイドショップに巡り会えて、お揃いのブレスレットをゲットした🐚
旅行で、そこでしか買えない小物を買うのって思い出に残るし、それを見ると懐かしめるし、おすすめ。
気のおけない大事な親友との旅はきっとどこでも楽しいのは間違いないが、宮古島の美しさに2人とも目も心もお腹もパンパンでした(ᵔᴥᵔ)💕
おばあちゃんになっても素敵な旅行しよう、いつもありがとう
5 notes
·
View notes
Text
お泊まりデート3,4日目(12,3,12/4)
3日目。相変わらず伊野尾くんは先に起きて準備がほぼ終わってるところで俺も起床。朝ごはんはお弁当に入りきらなかった残りの分を食べたんだっけ。この日はライブに行く日で、会場近くのコインパーキングまで1時間程かけて移動。ライブ前に裕翔くんと会ってお昼ご飯を食べる予定だったんだけど俺がのんびりしすぎて待ち合わせ時間に若干遅刻。無事裕翔くんと合流してお昼ご飯を食べに。まずはアイスコーヒー(裕翔くん)とアイスティー(伊野尾くん)とオレンジジュース(俺)で乾杯。
俺は気になったドデカいカツが乗ったのを注文して、裕翔くんと伊野尾くんは2人でクリスピーチキンを分け合おうと注文。そしたら優しい店員さんが「みんなで食べると思ってカツ分けておきました!」と。
や...優しい...!優しくて嬉しいけどメニュー表に載ってた、深めのお皿に蓋するようなドデカカツも見たかった...!と思いつついただきました。
そしたらさー、もう勘弁してくれよ。まさかカツの上に七味的なのが掛かってるなんて思わないじゃない。1部だけ激辛になっててオレンジジュース足りなくなったよ。辛さを共有したくてまず裕翔くんに1切れあげてみたら、たまたま辛くないところだったらしい。伊野尾くんにもあげたら見事ヒット。でも美味しかったからまた食べたいな。食べ終わって一息ついてたらまたもや心優しい店員さん。旬のみかんをサービスでくれて、これもまた美味しかった。
ご飯食べ終わってライブ会場まで裕翔くんが見送ってくれてそのまま解散。裕翔くんとは1月にも会う予定だから楽しみにしてます。
そしてこの日はそのままライブへ。ここはちょっと中身すぎる話になってくるから誰のどこのライブかは秘密で。席は微妙な席だったけど楽しめたのでおっけー。
ライブが終わって夜は家の近くにあるパスタ屋さんへ。
伊野尾くんは期間限定のパスタを注文。俺はよく行ってたからいつも通りのパスタ。それぞれ1人分の小さいピザとドリンクバーのセットもつけて豪華に。めちゃくちゃ美味しかったなー。これ書いてるとお腹すいてきたから今すぐにでも行こうかちょっと迷ってるところ。
割と遅い時間に帰宅。クタクタだったからとりあえず早くシャワー浴びてまったり。
寝る時に伊野尾くんが俺の胸元に頭乗せて抱き着いたまま寝てかわいかったので少しだけ胸元痛かったけどそのまま俺も寝ました(ちなみに本人は頭乗せたこと覚えてなかった)。
つづいて4日目!
4日目も同じところでライブなので前日と同じく車で行きました。お昼は道中のコンビニで買った軽食で済ませ、いざ会場へ。席がめちゃくちゃ良かった。大優勝。
てことで帰宅...の前に近くに東京でいうところの東京タワー的なとこが近くにあってそこの写真だけ撮りに2人で少し夜道歩いたね。伊野尾くんが疲れきっててほぼ終始無言だったけど(笑)
時間も遅かったから急いで車走らせて、家の近くのショッピングモールのフードコートで夜ご飯。時間はすでに21時だったからフードコートのお店たちがどんどん暗く閉まってくなか黙々と食べてた俺たち。急いで食べて、次の日に使う食材とかだけ買い物して帰宅。
この日も相変わらずクタクタだったからさっさとシャワー浴びて、確かキャスしたのかな。どうだっけ?覚えてないな。
イチャイチャしつつまた伊野尾くんは俺の胸元に頭乗せて寝ました。かわいいですね。
2 notes
·
View notes
Text
2023.10.31tue_canada
朝8時に起きて、コーヒーを飲み、朝ご飯を食べる。今日は、LAのハーピストMary Lattimoreの北米ツアーのトロント公演にオープニングアクトとして出演する。サクソフォニストのBrodie Westにサポートメンバーで参加してもらう予定だったが、体調不良のため、急遽ソロセットになり、午前中はアレンジをやり直した。アレンジをまとめた後、気分転換に散歩。家はトロントの端の方で、歩いて10分くらいで東京ドーム35個分の公園High Park、同じく5分くらいで五大湖の1つ、オンタリオ湖にいける。カナダはスケールがでかい。
オンタリオ湖
ハイパーク
帰宅し、準備。奥さんのユニスの両親がドイツから来ていたので、挨拶をして家を出る。個人配車サービスのLyftを使い、午後5:30に会場入り。会場のLongboat Hallにはスピーカーが12個から15個くらい、ステージと客席を包むこむように配置されていて面白い。
Great hall
サウンドチェックを済ませ、散歩にいく。トロントはもう4度で冬みたいに寒い。ハロウィンの光景を目にする。そういえば今日は10月31日だった。子供たちのグループが、近隣の家をノックし、お菓子をもらいにいく。トリックオアトリートというやつだ。ハロウィンを見ると北米にいるんだな、という気分になる。
ハロウィン
戻ってからすぐに自分の出番になり、ライブを始めた。箱自体のホールリバーブが大きいので、スペースに気をつけながら、ゆっくりループを作り、ミキシングしながら、自分の曲を空間にアジャストする気分でやってみた。スピーカーが多い場所は楽しい。
Masa
二番手はStefana Fratila。今年5月の彼女のリリースパーティーでも共演した。Not Not Funのレーベルメイトでもある。自分で開発したプラグインで曲を作る。今日はMoogとラップトップのセットで、音が太くて、気持ちいい、パワフルなノイズだった。
Stefana
お腹が空いたので、Maryのライブの前にユニスとピザを食べる。キングスライスピザは美味しい。
ヘッドライナーのMary Lattimoreが始まった。めちゃくちゃいい。ハープとルーパー、ペダル、Micro korgのシンプルなセット。ハープでループを足していく。ミニマルでタイト。いい音、いいメロディ、いいリズム。芦川聡+Vashti Bunyanのような。天国にいる気分だった。楽器の演奏も一流で、機材の使い方もうまく、LAシーンの良いところを味わうことができた。もっと真面目に楽器をやらないと、と思った。
Mary
終演後、よくライブに来てくれる、Emi、Nam、Ericと話す。毎回しっかり聴いてくれていて、具体的なフィードバックをくれるので、とてもありがたい。帰り際にMaryと話す。ライブを楽しんでもらえたようで嬉しい。LPをトレードして、また一緒にやろうと話して、会場を出た。Lyftで家に帰る。お風呂に入って日記をかく。今から寝て、朝起きたら洗濯、掃除、帰国の準備をして、そのまま明後日の朝6時の飛行機で日本に帰る。飛行機で爆睡するのだろうか。
Toronto night
ープロフィールー 高橋政宏 トロント 音楽家、翻訳者 masahirotakahashi.bandcamp.com instagram @ttmasa
2 notes
·
View notes
Text
230728
朝、寝坊することなく起きる。 もう少し寝た方がよい気がしたけれど、ねむれないから、起きた。 昨日と今日の地続き感がつよい。 ねむかったのだろうか。 午後、なにもかもたのしくなかった。
-
230729
朝、また同じ今日が始まった、と思う。 つかれているのかもしれない。 今日か明日、休む日にしよう。失速。 ベランダのバジルを摘んで、食パンにケチャップ、バジルとチーズ。 バジルがひとひらあるだけで、ぐっとピザで、なんか感動した。
本屋。 納品のため、というのを言い訳に、本屋に行きたかっただけかもしれない。本を3冊あずけて、本を2冊買った。 本をお渡しすると、嬉しい、と言ってくださって本当に、嬉しかった。 少し歩いて、喫茶店。 コーヒーゼリーのサンデーとレモンスカッシュ。 さまざまある中から、コーヒーゼリーを選ぶとき、大人になったな、と思う。 コーヒーゼリーがデザートであることすら訝しんでいたのに。 黒いゼリーをスプーンで掬うと茶色に透きとおっていて、コーヒーの味が甘く、香ばしく香るから、うっとりと美味しかった。 窓の外では電車が走っている。 左に行く電車、右に行く電車。こまめに行ったり来たり。 眺めていたら、少し酔ってしまった。 薄々気づいてはいたが、体調がよくない。 帰宅して、シャワーを浴びたらじんわりとあたたかくて、体が冷えていたことを知る。 あついからと、冷たいものばかりを体に取り込んでいたのも良くなかった。 冷房をつけずに過ごして、ねた。
-
230730
朝、気持ちがわるい。 水分不足だろうか。よく分からない。むずかしい。 今日は土用の丑の日らしい。 実家でうなぎを食べる。 何か食べると、すぐにねむくなってしまう。 ちょっと昼寝して、買い物。 ずっとほしいほしいと思っていた、カメラを探す。 何がよいのかよく分からないまま、手にしっくりくるものを選んだ。 中古だけれど、十分きれいで、外箱から説明書、カメラストラップまですべてそろっていて、このカメラの持ち主だった人はなぜこれを買ったのだろう、と思う。たぶんほとんど使っていない。 家に帰ってきて、さっそく使ってみる。 写真を撮るのがたのしい。 これからはどんなお出かけにももっていきたい。 夜、今日も冷房はつけずに、サーキュレーターを扇風機として、ねた。
-
230731
朝、パンとパンとバナナを食べる。 うぐいす豆のパンがおいしかった。少し量が多かった。パンひとつにすればよかった。 仕事。 いろんな人が少しずつ手伝ってくれる。 ひとりで全部をやらなくていいって素晴らしい。 夜、ドライカレーを作って、食べた。 カレーを食べるのに冷房なしはさすがによくないと思って、ON。 炊いたお米のあまりをラップに包んでいるとあたたかさにほっとして、やっぱり冷えてしまっていた。 ねむくてねむくて、何もできないまま、ねた。
4 notes
·
View notes
Photo
【3675日目】2023-02-09 あの、超人気創作ピザ屋さん「エンボカ東京」が無くなって、跡地がモダンタイ料理店になりました。 THALEE-LINGタレーリン@代々木上原 ____________________________________ 先週オープンした、新しいお店。外装はエンボカのままの蔦に覆われたモジャハウスですが、中はぐっと大人空間にリノベーションされていました。 *青パパイヤと文旦のソムタム 美しい世にも美しいソムタム。果汁たっぷりで艶々とした文旦と、シャキシャキの青パパイヤ。優しいナンプラー使い。 *北海ホタテのタルタル これには痺れました。細かく刻まれて混ぜ込んであるフレッシュライムの苦みが、タルタルの甘っトロさを引き締める。甘い風味と、柑橘の爽やかさ、そして苦み、香りの三重奏。 *魚介と野菜のグリーンカレーと山形の香り米 タイのグリーンカレーではありますが、ただのグリーンカレーではありません。 フレッシュハーブの舌触り。上品な甘みと鋭い辛さ。塩はしっかり、でもナンプラーの香りは優しめ、甘さに頼らないタイ料理です。 アロマティックというより、爽快感が生まれる とんがった味でした。タイ料理の新しい扉が開いた気がします。 もう少し通ってみよう。 ____________________________________ 🇹🇭 #lunch #thailand #thaifood #thai #instafood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #tasty #delicious #spice #curry #thaleeling #タイ #タイ料理 #ランチ #代々木上原 #カレー #フクドローン #ふくすたぐらむ ↓Thalee-ling @thalee_ling (Thalee ling) https://www.instagram.com/p/CooMK6sSEXY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#lunch#thailand#thaifood#thai#instafood#asianfood#asia#foodpic#foodstagram#tasty#delicious#spice#curry#thaleeling#タイ#タイ料理#ランチ#代々木上原#カレー#ふくすたぐらむ
8 notes
·
View notes
Text
食い尽くし系
食い尽くし系 - Wikipedia
「食い尽くし系」という言葉自体は2019年頃からSNS上で取り上げられていた
彼が自分の分を高速で完食してから当然のように私の皿から取って食べる : 鬼女速
【愚痴】彼女が食い尽くし系だった。料理を注文しても食べる人に対する配分ができない、何度注意しても直らないとかホント無理!なんであんな奴と付き合ったんだろうorz : ぽめぷー速報 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~
- - - - - - - - - - - - - - - -
初めて知った。脳の仕組みがどこかうまく働いてないのかも。諭して治るものではないと思う。
余談だけど数年前(コロナ以前)に一部で話題になった「勉強会ゴロ」(の中でビアバッシュ時の寿司のネタだけ食べ尽くす人)って、この系統の、脳の働きに問題のある人だったのかも。
エンジニアイベントを初主催。そして事件は起こった | 株式会社スペースマーケット
どうやら懇親会直前に来て寿司のネタ「だけ」20貫ほどつまんですぐに帰っていった方がいたとのこと。
IT勉強会に勉強以外の目的で来る人への考え | Fuya.info
寿司おじさんについて 寿司おじさんは “無料で開催される勉強会・ミートアップの懇親会で、他の参加者と懇親もせず、ビールを飲み、寿司やピザをひたすら食べる人” のことを指します。
2 notes
·
View notes
Quote
この規模の解雇は直感に反するように感じられる。 非常に多くの開発者が職を追われると、頭脳流出により長年の経験が業界から永久に去ってしまう可能性が高く、企業は新入社員がゼロから学習することを強いられる社内のワークフローやツールに関する何世代にもわたるノウハウへのアクセスを失うことになる。 成長は鈍化しているかもしれませ んが、依然として成長しており 、この業界は映画、テレビ、音楽を合わせたよりも大きいままです。 圧倒的な現実は、すべての失業を防ぐことはできないとしても、多くの解雇は回避可能だということです。 しかし、従業員は なければなりませんよね? 、年末の株主配当に数ドルを追加するために、単純に打撃を受ける トト氏が説明するように、日本の代替アプローチには、企業が業界の活性化に対応するために必要な人材を確実に確保できるという長期的なメリットがある。 「ビデオゲーム業界に新たな好況があれば、それは起こると思うが、そのとき、日本企業はより良い立場に立つと思う。彼らは才能を維持しており、それが信頼を築いている。私は西洋のゲーム会社がやりすぎているのではないかと懸念している」そして、1 ~ 2 年でゲーム業界が活性化した場合、これらの決定が戻ってきてゲーム業界に影響を与える可能性がある危険性があります。 「日本と西洋の間には大きな哲学的な違いがあると思います。日本のゲーム会社は本当に長期的であり、アメリカのゲーム会社よりもずっと長期的なことを考えています。多くのアメリカ企業にとって、彼らは基本的にアメリカ資本主義の特徴を持っています。すべてが利益、利益、利益、利益であり、線が下降すると誰もがパニックになり始めます。」 終わりのないレイオフの流れが最終的に静まるとき、多くの開発者は業界を永久に去ることになるだろう。 その経験を取り戻すには何年もかかるでしょう。そして、これまでの進歩をすべて脇に置き、再び雇用が失われるのを防ぐにはどうすればよいでしょうか? 業界全体が崩壊する前に、業界はどれだけの負担に耐えることができるでしょうか? そして、たとえ状況が回復したとしても、考え方を変えなければ、10年後に再び雇用崩壊が起こる可能性があるだけでなく、避けられないのだろうか? 「アクティビジョンやエレクトロニック・アーツのCEOたちの頭からアメリカ資本主義の考えを取り除くことができるだろうか?おそらく無理だろう」とトトは会話を終えながら考え込んだ。 「常にアメリカのシステムと日本のシステムの間の戦いだと思います。アメリカのシステムは収益性と短期的な考え方に重点を置き、すべてを可能な限り効率化するのに対し、日本では考え方が異なります。」 Microsoft の収入で企業としてピザを共有する最後の機会を経て、Tango Gameworks は最後に閉店しました。 おそらく、何千マイルも離れたスプレッドシート上で、自宅から遠く離れたゲーム会社が新しいゲームをリリースして数年後に考えたことは、ラインを少しでも上げるための最も効率的な方法です。 価値のあるものすべてをグラフ上で定量化できるわけではありませんし、短期的な利益のために 1 四半期の成長をマッサージしても、その決定が将来の別の四半期に悪影響を及ぼさないことを意味するわけでもありません。 「アメリカのシステムと日本のシステムの間では常に戦いがあると思います。アメリカのシステムは収益性を非常に重視しています。」 しかし、誰がそんなことを気にするでしょうか? ラインは上昇する必要があり、無限の成長という概念は不可能ではなく、どんな犠牲を払ってでも達成しなければならない合理的な目標とみなされます。 そして人々は苦しみます。 日本企業がアメリカの企業と大きく異なるというわけでもない。 多くは上場されており、民間であろうと公的であろうと、彼らは皆、依然としてお金を愛していることは間違いありません。 ある意味、雇用保護が違っていたら状況は違っていたのではないか、あるいは言語の壁によって従業員がその努力を他の地域に移すことがより困難になっていることで恩恵を受けられなかったら、状況は違っていたのではないかと考えずにはいられません。 しかし、それがどちらであれ、彼らのアプローチの違いは、1週間後に仕事がなくなることをそれほど心配していないという事実だけでも、この国で貿易を営む人々にとっては芝生をはるかに青くしている。 おそらく今のところは、終わりが見えない解雇の世界の中で、少なくとも何人かの人々がまだ職に就いているという事実をただ慰めとすべきかもしれない。
なぜ日本の開発者は大量解雇を受けないのでしょうか? | GamesIndustry.biz
3 notes
·
View notes
Text
20230130
えものうちはけっこう遠くて、電車で一時間半くらい。でも乗り換えなしでずーっと座っていける。ということは読書か昼寝がとても捗る。今日はチョン・ミョングァンの「鯨」を読んでいた。 長い長い小説で、読んでも読んでもなかなか読み終わらない感じでうれしい。弁当箱みたいに分厚い本。こういうのを読んでいるときって安心感がある。ここに小説はあってなくなることはない、わたしが1行、1ページと読み進めていけばいい。山を登って下りるのと似てるのかな(ずいぶん前に富士山に登ったことがあるくらいだけど)、大きいものがちゃんと待っていてくれるからわたしは自分のコンディションと相談しながら一歩一歩やればいい、きっと歩けるだろうという安心感と自尊感情。 この「鯨」は新しい小説だけど、いわゆる名作を読むときもそれがあると思う。時間の淘汰に耐えてきた良書。自分にもこれを楽しむ力があるのだと信じて身を委ねる感じ。むやみにありがたがるのは権威主義的だろうとは思うけど…。
「鯨」は、誰がどう見ても無敵で精悍な男として登場した人物があれよあれよというまに落ちぶれたり、周囲に恐れられているやくざ者が恋に狂ってあっけなく死んでしまったり、ぶらりと家出した娘が商売でのし上がったかと思えば夫の介護をしたり乞食になったりでかい劇場を作ったり…。無常、流転のさまが面白いしほっとする。 人の気持ちは永続しない。そのときそのときは本気だけどずっとってことはそうそうない。人生を賭して打ち込んだものがあっさりと崩れ去り、また別の嵐に巻き込まれる。わたしも5年前10年前とはぜんぜんちがうことをやっているし人間関係も変化するなあと思う。 なんていうの、これはそれなりに八つ当たりだとは思うのであんまり堂々とは言えないんだけど、小さいころからの夢や関心をまっすぐ育ててそれが天職になりましたみたいな物語ってわたしはあんまり面白くないというか、へーよかったですねみたいな気持ちになっちゃうんだよね…。首尾一貫した人生に抱く卑屈の感情。 ただこれは、フィクション・ノンフィクションに限らず人の人生をわかりやすく物語的に語らせようとしすぎているみたいなのもあるんじゃないかなーとは思ってる。そういう物語ばかり溢れているから、語る側もお話として整合性のとれた語りを無意識にやっちゃいがちだろうし。
えもとニューロンさんと二子玉川へ。お昼は桉田餃子で水餃子定食。餃子を食べたい!って気持ちで行くとちょっとちがうかもしれないけど、自分は桉田餃子を食べたいのだという気持ちで行くといいんじゃないかなという店。体にいい味がする。わたしは好き。灰色っぽい厚ぼったい皮もいい。 ピザ食べたいな〜とか言っていたのに桉田餃子の看板を見つけて思わず桉田餃子行きましょう!とテンションが上がってしまった。前に代々木上原のお店に行ったらあまりにも並んでいてあきらめたことがあって、ずっと行きたいと思っていた。 定食は4種類2個ずつ。無造作に盛られているのでどれがどれかはかじってみないとわからない。パクチーとか大根とかカレーとか。カレーはけっこう辛い。かなり変わった餃子なのにあんなに行列ができていたのか…とちょっと驚く。
多摩川。いい天気。広々していて気持ちいい。荒川土手はもっと殺風景な感じだしうちの近所の川には河川敷がない。のどかな眺めだけど案外流れは速く、丸っこい石がごろごろしていた。橋を渡る電車の音がごおーっと響いて、一瞬何の音かわからないくらいでかい音。遠くに武蔵小杉のタワーマンション群が見える。わたしがえものことを初めて知ったのは「武蔵小杉なんて行ったことない」という漫画だった。コミティアで買った。 で、なんとなく目についたでかい石をひっくり返してみたら裏に詩が書いてあった。白い手書きの文字。修正ペンで書いたのかな。石は見た目以上にかなり重たい石で、ばしゃっと水が跳ね、詩が飛び出してきた。???こんなことあるんだ…。
人名たれ 確かられさ ビタミンB 閉じ込らめて キスを 食べた夕食 小動物になった みたいだ
いったい誰がこんなことをしたのだろう。いつからここにあったのだろう。誰も気づかなかったら誰も読まないんだろうか。大きい石だなというだけで何も変わったところはなく目印のようなものもなかった。わたしはふだんから石をめくるほうではないんだけど(石をめくるほうって変な言い方だけど)、なんかでかいのが目に入ったからよっこいしょとめくってみただけ。強いて言うならば電車で読んでいた「鯨」に力持ちの凛々しい男が出てきて、彼ならこういうでかい石は軽々ひっくり返せるんだろうなあと思ってちょっとひっくり返してみた…そのくらい。 いい詩なんだよな。リズムがいいし、キスがkissでも魚のキスでもよさそうなのがいい。 思わずほかの石もたくさんひっくり返してみたけど詩が書いてあった���は最初の石だけだった。今後川で大きな石を見かけるたび、もしかして裏に何か詩が書いてあるんじゃないかとドキドキする呪い(魔法)をかけられてしまったなあと思う。
わたしは単純というか考えがとても浅いのですぐ自分の小説に引き寄せてしまうんだけど、わたしの小説も石に何か書いて河原に投げておくようなものだと思った。誰かが気まぐれで見つけるかもしれないし見つけないかもしれない。河原には石がたくさんあって、大きいのも小さいのもきれいなものも割れているものもあった。草むらの中の、いろんな人の行き来によって踏み固められた土の道をたどって、広い川へたどりついた。
高島屋の中の喫茶店でケーキ。コミティアの話とか同人誌の話とか。ニューロンさんの漫画を実はけっこう読んでいるんだけどうまく感想が伝えられなかった。コイソさんの本に描いていた南千住のコーヒーの話が好きです。あと「ありふれた表現」はいつも座っている椅子のうしろの棚に積んであって(ぜんぜん伝わらないと思うけど今読んでいる本やよく読み返す本を置いておく場所で、積読という比喩でなく文字通り本を重ねて積んでいる、その方がたくさん入るから)、ちょくちょくめくっています。
週末は義父の相続手続きもろもろで自分の書いたり読んだりが何も進まなかった。すごく忙しいとか不愉快なことがあるとかではないんだけど、自分の時間が作れないとやはりストレスはたまる。今日はひとりで長い電車に乗って、読みたかった本を読んで、会いたい人としゃべったりごはん食べたり散歩したりした。ああよかったなあと思った。かなり気分が上向いた。こういう長めの日記を書くこともそう。
17 notes
·
View notes
Text
2023.8.17 昨夜は久しぶりの次男手作りピザ。美味しいのでたくさん食べられます。私はアイス珈琲と一緒に。体調管理しながら毎日忙しく働ける様になった次男。お盆休みにちょこっとできた余裕時間にピザを振る舞ってもらえる幸せ時間でした。またすぐ食べたい。
#お盆休み#珈琲時間#手作りピザ#難病#息子#次男#元気な毎日#ありがとう#coffeelovers#toyama
2 notes
·
View notes
Text
熱終わりの水滴
この調子なら明日もう出勤してもいいのではないか?とりあえず今日はいつものスタバに勉強しに行くか、と思って昼前に家を出たが、15時頃に突然体が熱くだるくなり、腕が赤くなってきて、やばい発熱だ……と思って帰ったが、熱を測ると36.4℃しかなく、帰りの日差しでやられたのか、その後部屋で寝ているうちに熱中症になり、18時頃から死ぬほどの頭痛にくるしんだ。こ、この調子ではとても明日の出勤はむり…と思い職場への連絡は断念した(早く治ったら連絡してねと言われている)。頭を冷やしつつ、空腹で変な映像が見え始めたので、また半ば緊急的にピザを注文した。前回貰ったクーポンで、Sサイズを1500円で買えた。クワトロニッポン(炭火焼き鳥、テリマヨ、3種チーズ、明太もち、の四種類で死ぬほどうまい)。ばくばく食べて2切れ冷蔵庫にしまい、しばらくベッドに座って休んでから、寝た。0時前に目覚めて「熱が下がったあとの感じ」になっているな…と思いながら、頭痛が消えていたので、最果タヒを3編書写してから1200時ほど燐一の導入を書いた。本当に学習しろという感じなのだが、また保存しようとしたところ、直前でポメラが落ちてデータが消えた。悲しみの中なんとか覚えているところだけを打ち出して(表現はかなり変わったが致し方なし)、新書ページメーカーで進捗としてTwitterに上げた。上げないよりは上げた方が満足度が上がるので…。あとはこれに夜のパート、というかここが本来の本筋なのだが、をくっつければお題2つ目は一応クリア。でもそのあと3つ目のシーンを入れるかもしれない。すると少し長くなる。R-18にしたくないが、話の都合上そうならざるを得ない気がする。Twitter上で載せていきたかったが、privatterを挟むか…リンクを踏まずにいきなり画像で小説を読めるのがTwitterのよいところなのに。
『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)が2章の4-5まで来た。剰余価値の生産の核心に迫る部分。たいへん面白い。キリスト教の予定説と重ね合わせて資本主義や投資について読みといていくのだが、『資本論』の初学者向け解説にもなっており、非常にありがたい。何より私は大澤先生の言葉選びの上品なことが好きだ。文学的ですらあると思う。普遍化(=より広範な社会的領域での承認)というのが今日のポイントだったと思う。昨日は寝る前に『侍女の物語』も進めた。小説は最初の設定のようなところを抜けると、あとは背景を使いまわせるのでわりと読むのが早くなることがわかった。序盤を読んだ時は特に何も思わなかったが、言われてみれば結構えぐいというか、暗いところの描写が細かい小説かもしれないと思う。とくにウエットな質感ではないので淡々と読める。
働いていないとさまざまに悪い思考に囚われてしまう。それとは別に、はっきりと、今日頭を冷やして目を瞑りながらわかったのだが、私の人生はこれから何をどうやっても「当初の『幸せ』」は達成できないということだ。自分が幸せになれないのなら、他人の幸せのために生きるので別に全然いいのだが、そうか、人はこうやって自分が幸せになれたかなれなかったかを判断する時が来るんだ、と感じた。今年36歳になる(正確には1月なので今年度)。私は結婚して出産して家庭を築きたかったタイプのシスヘテロの女なのだが、残念ながらこれは未達成で終わったということだ。そもそも結婚はできないうえに(ただし、32くらいでできるようになった)、治療薬のため出産もできない(奇形児になる可能性が高い)、さらに週に4日までしか労働できない、かつ非正規雇用しか精神的に耐え得ない、となると、もうパートナーを見つけることが絶望的に難しい。でも、それでいいと思う。できないことはできない。できることをやって生きていくしかない。人生は希望通りにはならない。悲しいという思いもあるが、それでも生きていく方法はあると思う。あとは早ければ8月に受給可否が決まる障害年金が降りてくれればまだ希望があるが、降りなかったら、どうしようかなあと思っている。資格が取れないとこれ以上自分の希望通り生きていくのは難しい。でも、今はやり方がわからないだけで、夢に近づく方法は色々あると思う。ともかくは週に4日の労働に復帰することだ。これは給与のためというより、体力維持のためである。どちらにしろそろそろ生活保護の申請はしなければならないだろう。ぎりぎり生活保護費支給対象(支給されても1〜2万)になってしまう気がする。が、これ以上この体で稼げないので仕方がない。もう1日14時間働ける体力は無い。アルバイトを掛け持ちできる人生の期間は終わった。公助に頼り、許される範囲��生きていくしかないが、それでもやはり福祉系の資格を取りたい。通信制の大学に行きたい。障害年金が降りなかった場合、その道は一旦閉ざされるが、なんとかどうにかして資格を取れないものだろうか?または、週5日の勤務に耐えられる体になるとか、障害者雇用でそれなりの給与のところに転職するとか、諦めずに粘っていきたい。
あんスタで今日からニキなずなのツアイベが始まった。まずニキのセットリストが凄くいい。Vermilionは29レベルでまだフルコンできないものの、かなり叩けるようになったのでBP0で何回か練習した。Be The Party Beeはフルコンを逃したのでこれもBP0でフルコンまで叩いた。ほかは割と順調。今日は目が疲れたのでDAY3までで終了。欲を言えば1日に5DAYくらいは進めたい。
2023.7.15
2 notes
·
View notes