#くれたけ心理相談室長久手支部
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誰かの「ひと言」が幸せとなり、辛くもなり得る
知多市カウンセリングルームより 未来の選択に迷ったとき、様々な環境に左右され本来の歩む道が見えなくなりそうなときあなたはどのような行動をされますか? これまで私の経験であっても、何度か人に相談や迷いの思いを聴いてもらう事もありました。ですが、誰かに決めてもらいたいわけではなく自分の言葉で、第三者に伝える事により認識をしていくということをしているのだと感じます。 私の中で、とても違和感と理解しがたいワード、言葉があります。夫婦の会話や友人との会話、職場の方との会話の中で、よく聞こえてくることです。 「あなたは、○○だから」「あなたは、そんな人ではないよね」「あなたは、○○のようなことはしない」 ポジティブな内容であれば良いのですが、比較的ネガティブな内容で発言がしやすいように感じます。 自分を誰かの言葉でコントロールされてしまうような窮屈さを感じます。 そう思うのは、他者だけ…
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していた��、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余��に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた�� 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小��をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブル��抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れ��い土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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「永久歯が生えない子どもが増えている?」10人に1人は生えない驚きの事態「乳歯もいつか抜け落ちます」 - Peachy - ライブドアニュース
以下引用
近年、「永久歯が生えない」「乳歯が抜けない」という単語が多くネット検索されています。なぜ永久歯が生えないのか、乳歯はいったいどうなるのか。日本大学歯学部教授で小児歯科医師の菊入崇先生に伺いました。(全2回中の1回)
第2回:「10人に1人は永久歯が生えない」残った乳歯も抜けたら…困惑する親に医師が勧める驚きの治療法「小学生でも?」 - Peachy - ライブドアニュース
気づかないまま「生え変わらない」ケースは多い
──「永久歯が生えない子」が増えていると聞きます。実際、どのくらいいるのでしょうか? 菊入先生:10人に1人の子どもに、生えるべき永久歯がないという調査結果があります。2010年に日本小児歯科学会が「歯科医院に来院した7歳以上の子ども1万5544人のうち、永久歯がない子が1568人(10.1%)いた」と報告しているんです。 成人の永久歯は、上下の親知らず���除くと28本ありますが、なんらかの理由で永久歯が生えない場合があるのです。これを「先天性欠如(せんてんせいけつじょ)」といいます。私は小児歯科医師になって約30年ですが、実は1本や2本の永久歯が欠如している症例は珍しくない、という印象です。
▲9歳女児。下あごの左右の第二小臼歯2本(*印)が欠如している(写真提供/菊入 崇)
── 永久歯がない子は、以前に比べて増えているのですか? 菊入先生:私は永久歯が6本以上欠如しているお子さんをよく診ていますが、そういう症例が増えているとは感じません。ただ、1~2本の欠如ならば、実際には「10人に1人」の割合より、もっと多い可能性もありえます。というのは、本人も周りも、永久歯が欠如していることに気づかないケースがあります。たとえば虫歯の治療で歯科を受診したら、先天性欠如もわかったという方はけっこういます。 それに、生え変わる永久歯の数はあご全体のレントゲンを撮らないとわかりませんが、歯科医院に来るお子さん全員が必ずレントゲンを撮るわけではありません。乳幼児さんだと、レントゲン室に入るのを嫌がる場合もあります。ですから、「ご本人も親御さんも気づいていないけれど、実は永久歯が欠如している。でも、虫歯がないので歯科医院に行く機会がないから発見できない」というお子さんは、意外に多いかもしれません。
「永久歯が生えにくい歯」には傾向がある
── 永久歯が生えにくいのは、どの位置の歯でしょうか。 菊入先生:2010年の調査では、欠如は「中央から5番目の歯(左右の第二小臼歯)」にいちばん多く、次に「中央から2番目の歯(左右の側切歯)」、そして下顎(下あご)に多く見られました。もちろん、ほかの歯や上顎(上あご)にも見られますし、なかには10本くらい欠如しているお子さんもいます。男女差は女子にやや多く、地域差は特にないと報告されています。
▲永久歯の先天性欠如は「中央から5番目の歯(左右の第二小臼歯)」と「中央から2番目(左右の側切歯)」によく見られ、下あごに多い
永久歯が生えない原因は「たまたま」?
── なぜ、永久歯が生えない状態が起こるのでしょうか? 菊入先生:永久歯は、胎児のころに乳歯の奥で「歯の卵」が徐々につくられますが、先天性欠如は歯の卵自体がつくられなかった、という状態です。原因はいくつか考えられていますが、1~5本までの欠如ならば「たまたま」生えなかった、というのが、いちばんわかりやすいかもしれません。つまり、遺伝的原因は考えにくいということです。 ── 遺伝ではない? 菊入先生:遺伝子の異常によって引き起こされる先天性欠如もあり、それを引き起こす遺伝子の異常はいくつか報告されています。ただ、その遺伝子が影響すると、6本以上が欠如することが多いです。ですから、永久歯が欠如している子を持つ親御さんの多くは「自分の遺伝のせいで、永久歯が欠如したのでは…」と心配されますが、1~5本以内の欠如ならば、遺伝的な要因は考えにくいです。あとは、白血病などの病気で放射線治療や抗がん剤治療を行ったお子さんや、小さいときにあごを折るような大きな事故に遭った場合などでは、永久歯の卵が育たない場合もありますが、割合としてはごくわずかです。 ── では、永久歯がない子の多くは「たまたま」生えなかった、ということですね。でも、なんだか煙に巻かれた感じがします。 菊入先生:「たまたま」をもっと詳しくいうと、人間が生物として進化するなかで、いくつかの歯は「不要なもの」として、なくなっているのでは、という説があります。私も個人的にはそう思っています。 ── では、「永久歯がない子がいる」というのは、ここ数年の傾向ではない? 菊入先生:私が調べたところ、アメリカでは1910年代、日本でも1930年代にはすでに永久歯の先天性欠如について論文報告されています。ですから「先天性欠如で永久歯が生えない子がいる」というのは、最近数十年の話ではなく、昔から世界中で見られるものだと思います。
乳歯は永久歯よりもろく、根も短い
── 永久歯が生えてこないと、ずっと乳歯のままですよね。それでも、虫歯にならないように気をつけて、長持ちさせればいいのでは…という気もします。乳歯のままでいると、何かリスクはあるのでしょうか? 菊入先生:乳歯は「生え変わるのを前提とした歯」なので、構成組織が永久歯よりも柔らかく、もろいです。ですから、永久歯よりも虫歯になりやすいというリスクがあります。よく「乳歯が虫歯になっても、治療しなくていいや」と放置する方がいますが、これは永久歯が生えることを前提とした考え方です。もちろん、乳歯の虫歯を治療することは、永久歯が欠如している場合でなくとも、とても大切なことです。生え変わらないとしたら、乳歯を使い続けることになりますが、これがなかなか難しいです。 ── なぜ難しいのでしょう? 菊入先生:乳歯の根の長さは、永久歯の半分くらいしかありません。しかも、その根はだんだん溶けて吸収されると短くなるので、年を重ねるほど根が短くなります。つまり、歯が抜けやすくなります。20歳くらいまでなら乳歯を保てる方が多いのですが、ほとんどの場合、50~60代まで保たないことが多いです。 ── では、健康な乳歯でも、高齢者になるまでには抜け落ちてしまう…? 菊入先生:はい。50代以上でまだ乳歯が残っていたら、非常に珍しいといえます。先天性欠如のお子さんは、乳歯が虫歯にならないとしても、大人になったら抜けてしまう、と思っていたほうがいいでしょう。
「歯抜け」を放っておくとどんなトラブルに?
── 先天性欠如で乳歯が抜けてしまうと、歯にすき間があいた状態になりますよね。そうすると、何が問題なのでしょう。 菊入先生:いちばん大きな問題は、噛み合わせがずれてしまうことです。1本でも歯が抜けたままにしていると、周囲の歯が少しずつ傾き、やがて歯全体の位置が動きだし、上下の噛み合わせがおかしくなります。そうなると、食べ物をしっかり噛みにくいし、歯ぎしりや食いしばりの原因にもなります。ほかにも、さまざまなトラブルを引き起こす可能性があります。 ── どんなことでしょう? 菊入先生:たとえば、次のようなことです。
1.歯の間に食べ物のカスが詰まりやすくなり、虫歯の原因に 2.周囲の歯が揺れ動きやすくなり、将来的に歯が抜ける原因に 3.歯周ポケット(歯の根元と歯茎のすき間)が大きくなり、将来的な歯周病の原因に 4.あごに負担がかかり、将来的に顎関節症(がくかんせつしょう)の原因に 5.(特に前歯が抜けた場合)歯並びの悪さが目立つ
── けっこう、たくさんありますね。 菊入先生:「歯の1本くらい、なくても大丈夫」と思うかもしれませんが、その数ミリのすき間が大問題です。特に1、3、4などは、歯が抜けてすぐに起こるトラブルではありませんが、大人になってからの歯の健康に大きな影響を及ぼします。 たとえば「2. 歯の揺れ動き」は、長期間かけて進行するものです。最初は小さな揺れでも、放置していると歯を支える力が弱まり、最終的には健康な歯なのに抜け落ちるリスクが高まります。 「3. 歯周病」も同様です。歯が揺れ動くと歯周ポケットが広がり、そこに細菌などがたまりやすくなります。歯周病の初期は自覚症状がほぼなく、進行も遅いため、気づいたときには治療が難しくなり、歯を失うケースもあります。 「4. 顎関節症」は噛み合わせのずれによって、あごの関節に強い負担がかかり、痛みや不快感がでるものです。20~30代に多く見られますが、10代の患者さんもわりといらっしゃいます。顎関節症を放置すると、あごの不調だけでなく全身症状に進行するケースも。 どの病気も、永久歯がある人でも発症リスクがあります。もともと永久歯が生えないお子さんは、乳歯が抜けてしまうと将来的な発症リスクが高まることは間違いありません。早めに歯科医院に相談して、適切な治療を検討する必要があるでしょう。
第2回:「10人に1人は永久歯が生えない」残った乳歯も抜けたら…困惑する親に医師が勧める驚きの治療法「小学生でも?」 - Peachy - ライブドアニュース
(写真提供/日本大学歯学部付属歯科病院公式サイト)
PROFILE 菊入 崇先生
きくいり・たかし。日本大学歯学部小児歯科学講座教授、日本大学歯学部付属歯科病院小児歯科診療科長。北海道大学歯学部を卒業後、同大学院歯学研究科助手、南カルフォルニア大学歯学部研究員、北海道大学大学院歯学研究科助教などを経て現職。博士(歯学)。日本歯科専門医機構認定小児歯科専門医、日本小児歯科学会認定指導医、日本障害者歯科学会認定医。
取材・文/前島環夏 画像/PIXTA
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この儘では米国の核の傘は破れるか
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櫻井よしこ
今月18日、ワシントン郊外の大統領山荘、キャンプ・デービッドでの会見で、バイデン大統領はこう切り出した。
「もし私が幸せそうに見えるなら、それは私が幸せだからだよ。すばらしい、すばらしい会談だった」
左右の岸田文雄首相、尹錫悦大統領を見ながら、バイデン氏は満足そうだっ��。「ワシントン・ポスト」紙は日米韓三首脳による会談��意義は計り知れない、と論評した。
会談では中国についても論じられたが、キャンプ・デービッド会談は中国を念頭に置いたものではないとバイデン氏は取り繕った。しかし、首脳三人が集結したのは、まさに中国の脅威に単独では対処しきれないと考える米国が日韓両国にコミットさせるためだったはずだ。
「歴史的」な首脳会談では、日米韓の安全保障協力を新たな高みへ引き上げ、自衛隊と米韓両軍の共同訓練を毎年実施し、今年末までにミサイル警戒データのリアルタイム共有を開始し、経済的威圧に対抗するサプライチェーンを強化するなど多くの目標が並び、地域的脅威には日米韓の連携で当たる体制となった。
米国の切望する、軍事面を筆頭とした日韓の幅広い協力体制の形が、一応整った。米国には日韓双方を何としてでも協力させなければならない事情がある。一言でいえば、米国による拡大抑止、核の傘はこのままでは破綻しかねないのだ。防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏が8月11日、「言論テレビ」で語った。
「米国が圧倒的な力を持っていた時代が終わりつつある。中国は2035年には1500発規模の核を持つ。米国の力が相対化され、米中間にMAD(相互確証破壊)と言われる状況が生まれたら、米国の核の傘の下にある同盟国はやや心配になる。これは1970年代に欧州の同盟国が感じたのと同じ不安です」
高橋氏はそもそもバイデン政権の安全保障の論理がおかしいと指摘する。22年10月にバイデン政権は核戦略文書、「核態勢の見直し」を公表した。安全保障環境はどの分野でも悪化していると分析しながら、核兵器の役割は減らすとしたのだ。
核弾頭の寿命は30年
「核抑止の専門家から見ると、米国内も含めて、大丈夫かという不安が拭えないのです」と高橋氏。
米国の核弾頭はいずれもかなり古く、一番新しいものでも1989年製、つまり34年前のものだ。ベルリンの壁が崩れ、冷戦が終わった後は新しい弾頭を作る理由はなかったからだという。だが、核弾頭の寿命は30年と言われている。
「ブッシュ政権のときに、それが大問題になった。で、オバマ政権以降、ピットという起爆装置など、部品の改修・更新を進めました。結果、弾頭の老朽化は今、それ程気にする必要はなくなった。むしろ問題は運搬手段です」と高橋氏は話す。
核戦力は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦��射弾道ミサイル(SLBM)と、戦略爆撃機の3つから成る。米国のICBM、ミニットマン3は70年代前半に配備が始まった年代物だ。SLBMのトライデントは80年代、戦略爆撃機で一番古いのはB52、60年代の飛行機だ。
米国は今、ICBM、SLBM或いは潜水艦の近代化を進めているが、完成は2040年の予定である。他方、ロシアの一連の近代化計画は26年の完成を目指す。ロシアが新START(新戦略兵器削減条約)の期限が切れる26年を目指してきたのに対し、米国が遅れをとったのだ。さらに、前述のピットという起爆装置の生産能力が今の米国は非常に小さい。弾頭を増やそうとしても増やせない状況が生じている。
参院議員の佐藤正久氏も語った。
「米国保有の核弾頭は基本的に戦略核です。米国は戦術核を持っていない。だから中国の戦術核に対応するために潜水艦から発射する低出力の核、つまり戦術核を持つべきだという議論が起きて、トランプ政権下で作り始めた。それをバイデン政権は凍結してしまったのです」
ロシアと中国の核に対峙できない状況に米国は立たされている。このような状況がなぜ生まれたのか。欧州ではかつて旧ソ連の通常戦力が圧倒的に強かった。米欧諸国はこれに対抗できないために集団安全保障体制の北大西洋条約機構(NATO)を創り、通常戦力の弱さをカバーするために米国の核を導入した。
他方、今、ロシアが核を使うのではないかと恐れられている。ロシアはウクライナ戦で通常戦力をかなり消耗し、それをカバーするために核に頼ろうと考えかねないのだ。こうして見ると通常戦力で劣勢に立たされた側に、核を使う動機がより強く生まれがちなのが見てとれる。
戦後の極東、日本周辺はどうだったか。米国の海空戦力、つまり通常戦力は圧倒的に強かった。それに中国はどう対処したか。中国が対前年度比二桁の軍事費増額を実践し始めたのは、ベルリンの壁崩壊以降だ。ソ連邦の解体で中国は旧ソ連に遠慮することなく通常戦力の増強に邁進できた。中国は当時すでに米国と国交を樹立し、米国は中国を敵視せず、逆に大いに援助した。
民主党政権は核を使わない
結果、中国は極東における通常戦力で圧倒的優位を築いた。そしてここに来て中国は核戦力も大増産中だ。
ということは軍事バランスの構造上、極東の戦域で台湾有事、日本有事が起きれば、核の使用を考えざるを得ないのは、中国よりもむしろ米国ではないのか。
だが、民主党政権は「絶対に」核を使わないと、高橋氏は断言する。
「すでにウクライナのように、友好国が戦場になっていても、核であれ、通常戦力であれ、(ロシア本土への)攻撃を米国はためらっています。その場合、自分たちでやるしかないですね、ということになります。それは僕たちの側から見れば、見捨て��れるということですね」
佐藤氏が付け加えた。
「同盟イコール自動参戦ではありません。フォークランド紛争の時、同盟国のイギリスが米国に軍隊派遣の支援を求めましたが、米国は拒否しています。自分の国は自分で守るということに尽きます」
日本は戦後78年間、ひたすら現行憲法の悪しき平和主義の夢に浸ってきた。どんな時も米国に守ってもらえると考えてきた。いま状況は大きく変わりつつある。その中で、米国の対日観も大きく変化し始めている。日本も安全保障において自立し、米国にとって強い味方であり、支える力になってほしいという姿勢への変化だ。米国は戦後一貫して軍事的に日本の頭を押さえ続けてきた。その米国の日本を見る目が本質的に変わったいま、わが国は米国の意図を正しく把握し、如何にして共に守り合うかを考える時だ。憲法改正は固(もと)より、
安全保障で力強く自立するための方策を、核の共有や戦略的配備を含めてタブーなく議論し、真っ当な勇気ある民主主義国になる時だ。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状���建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板���露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024年3月19日火曜日
病院の待合室にて13
懺悔室は無くならない
私がいま抱えている悩みを、打ち明けるとしたら誰に対してするだろう?近所に友達は住んでいないから、声を使って打ち明けるなら電話になる。文章では難しい。長くなるし、返事が来るまでにやきもきしてしまう。手紙でもメールでもLINEでも。ノータイムで返事で来ることはない。声だって同じかもしれないけど、ずっと電話を繋いでおける。目を瞑っていても手は繋いでいる時のように、相手がそこにいるのはわかる。
でも携帯を手に持って、例の電話帳を開いて適当な相手を探すことは難しく、適当な相手を見つけても電話を掛けてはいけない。だって電話を掛けたって、悩みを相談することはできないのだから。
もしもし
もしもしー
久しぶりー 元気?
元気だよー どうしたのー?
んー 元気かなと思って
あとはお互いの近況報告が始まる。「久しぶりに話して楽しかったね、またね、健康に気をつけてね」までの間が、近況と脱線と雑談で埋まるだけ。勿論それだって最高に、ゾクゾクするくらい楽しいのだけど、電話を切った後に振り返ると、悩みがこちらを見て煙草を燻らせている。溜息と一緒に煙が出て来る。「俺、まだここにいるぜ?」私は両手を合わせて目を閉じる。ごめーん!やっぱり切り出せなかった!
やっぱりそういう時は懺悔室しかない。懺悔室で神父に打ち明けるしかない。でも懺悔室なんてどこにあります?見たことがない。教会の中にあるのかもしれない。でもキリスト教徒じゃないから入ったことがない。だから相談相手はAIになる。これからの世の中、相談はAIが聞きます。あと説教はポッドキャストが行います。絶対にある、説教のポッドキャスト。ポッドキャストが無かったとしてもYouTubeチャンネルはある。探してないけどあります。これは確実です。
AIは何でも聞いてくれる。こちらが打ち明けにくいことや、相手が聞いたとしても回答しづらいということ、とにかく何でも、全く聞いてくれないということは無いです。私には分かりません、ということや、全然的外れな回答をすることはあるかもしれない。でも一旦は聞いてくれます。ロード中…みたいな時間があって、考えてくれてるのかな、と思えます。
私の経験上、AIが悩み相談に回答した場合、大体に置いてはアップリフティングな回答が返ってきます。試しにChatGPTに架空の悩みを相談してみます。
相談
弟が陰謀論を信じています。弟に陰謀論を放棄させることが出来ますか?できる場合は方法を教えて下さい。
回答
陰謀論を信じている人に対して、その信念を変えるのは簡単なことではありませんが、���くつかの方法があります。
1. オープンな対話と理性的な議論: 弟と陰謀論についてオープンに対話し、証拠や科学的なデータを提供して、彼の信念が根拠の薄いものであることを示すことができます。
2. 共感と理解: 弟の信念に対して否定的に反応するのではなく、彼の不安や恐れに共感し、なぜそのような信念に至ったのかを理解しようとすることが重要です。
3. 信頼できる情報源の提供: 正確な情報や信頼できる情報源を提供し、彼が事実に基づいた情報を得る手助けをします。
4. プロフェッショナルの支援: 必要であれば、心理学者やカウンセラーといった専門家の支援を求めることも有益です。
5. 時間と忍耐: 信念の変化は時間がかかることがあります。弟との関係を大切にし、忍耐強くサポートし続けることが重要です。
ただし、一部の人は強固な信念を持っており、変化させることが難しい場合もあります。この場合は、無理に変えようとせず、弟の信念を尊重しつつも、彼の安全や福祉を守るためのサポートを提供することが重要です。
ちなみに私に弟はいません(今日現在)。ディテールを詰めてないという段階では完璧な回答ではないでしょうか。本当に困っている人がいて、この回答を見たら、明日からやってみよう!と希望が湧いてくると思います。
ひとつだけ問題があるのは、ChatGPTがどれだけ口が固いのか分からない、ということです。私が相談した内容を他に漏らすのではないでしょうか。例えば、私が犯罪を犯して、どうしようかと困っていたとします。逃げる方法や、犯罪の後始末の方法をChatGPTに訊いたとします。いつものようにアップリフティングな回答をしてくれたので、よし実行だとドアを開けたら、警察がいた。大いにありそうなことです。
だからChatGPTに相談することはできません。どんな些細なことでも、それが私にとって大事なことなら、自分で解決するしかないのです。懺悔室なら、基本的に私のことが誰か、神父には分かりません。匿名が保証されているはずです。声でバレても一応黙っといてくれるはずです。行ったこともない教会の神父にどうして全幅の信頼を置いているかは分かりませんが、そういうものなのです。あと他の人にバレた場合、ルールに違反したのは神父なので、相談の内容がさっきみたいな犯行後の行動についてならば私も捕まりますが、ちょっとだけ同情してもらえそうです。結論が出ました。神父は必要です。懺悔室も物置にするには早いようです。まだ使えるようにしておいてください。
私が今の悩みをChatGPTに相談したとしましょう。恐らく帰ってくるのは、自分の感情に正直に、とか、しっかり相手とコミュニケーションを取りましょう、とか、後悔しないように決断して下さい、とかそういった事でしょう。私には分かります。この程度のことを、自分でも分かってることを、誰かに言ってほしい時ってありますよね。いつも答えは簡単で単純なのに、ひとりだとこじら���てしまうのは、ひとりだからなんですよ。
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第5回 西三河ランチ会(in 安城市)
2024年最初の西三河ランチ会は、安城市で開催いたします。 柴田桃子
いつも公式サイトにご訪問いただき、ありがとうございます。 2023年1月から始まった、西三河ランチ会。この度、2024年1月のランチ会で、1年を迎えます。 5回目となる今回は、安城市で開催いたします。 ランチ会詳細 日時:1月19日(金)11時00分~場所:カフェ&ダイニング ヒラソル駐車場:有(15台) *名鉄 新安城駅より送迎可参加費:無料(食事代をご持参ください)【参加予定カウンセラー】・柴田桃子(安城支部)・田中絵里(知多支部)・青柳裕美(浜松支部)・濱崎明子(長久手支部)・竹内嘉浩代表(名古屋本部) 興味のある方、お話したい方など、どなたさまでも参加可能です。2024年最初のくれたけ心理相談室のランチ会、皆さまとご一緒できましたら幸いです。 ※エントリー等につきましては、下記ページをご確認ください。<エントリーの期限は、1月17日(水)です> ⇒西三河ランチ会ご案内
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田中絵里カウンセラー(くれたけ心理相談室 知多支部 愛知県)ってどんな人?(#208)
田中絵里カウンセラーと(くれたけ心理相談室 名古屋ルームにて) Counselor’s Question:「田中絵里カウンセラーって、どんな感じの方ですか?」 思慮深くてとっても真面目な方です。そして、一緒にいると明るくて楽しい方です。 田中絵里カウンセラー(通称 エリツィン)は、愛知県知多市の新舞子にあるカウンセリングルームを拠点に、名古屋ルームや、長久手作田ルームにて心理カウンセリングの対応をしています。 また、福祉介護系専門学校の教員として、高齢者介護や障害福祉、心理分野、国家��格取得に向けた授業や、学生相談(進路、プライベート)や自己分析、社会交流に関する研修を担当しています。 そして、公認心理師として、医療連携、地域連携、家族支援、発達課題の不安のあるお子様のご相談、発達課題のあるご家族様のご相談などにご協力させていただいております。…
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愛知県知多市新舞子ルーム
くれたけ心理相談室 知多支部新舞子ルーム 公認心理師 田中絵里カウンセラー ルームに曜日常駐していることがあります くれたけ心理相談室 知多支部 半田支部 田中絵里カウンセラー新舞子ルーム くれたけ心理相談室は知多半島全域で ご相談を承っております。 多くは、知多市新舞子ルームでのご対応を いただいております。 初めてご利用される方より ルームの雰囲気を見たや カウンセラーの動画を見た など 声をいただいております 緊張しながら 勇気を出し お問い合わせいただいている方へ まだどうしようか 考えていらっしゃる方 必要な方へ 届きます様 ご案内差し上げております 田中絵里は くれたけ心理相談室 名古屋ルームでのご対応 自身でのルームを2か所所持しております 知多新舞子ルームと長久手ルームにご用意してございます 新舞子(知多市)メインルームへのアクセス |…
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朝のラジオを聞いていたら佐々木俊尚氏というひとが、この学術会議騒動についてこんなことを言っていました。 誰も学術会議がなにかわからないわけですよ、モリカケよりわかりにくい。 へぇーそうなんでしょうかね、と聞いてい���とこんなご意見。 あれはスガさんの深慮遠望で、サヨクがこれで騒ぐの��判っていてやっている。 モリカケでんもそうだったが、いったんやらせてそのバカバカしさが国民のほとんどが判るようになって、野党はいっそう支持を失うことを狙っている高等戦術。
う~ん、佐々木さん。まったく見当はずれです。政局だけで政治を見るから、こんな近視眼的な見方になってしまう。 学術会議に問題はそもそもあったのです。そんなことは自民中枢にいる人間なら誰でも知っていたことです。 学術会議の共産党的思考様式は昨日今日のものではなく、あのようなうすらピンクの団体に税金を投入して権威付けすることに多かれ少なかれ保守政治家なら誰しも疑問に感じていたはずです。
だって、古くはサンフランシスコ条約締結時から学術会議は共産党の言うがままに全面講和を主張し、西側陣営に入ることにすら反対していたようなところだったからです。 全面講和論とは、西も東も拒否し非武装中立だってわけですが、一種の寝言でなければ、日本に自由主義陣営に加わってもらっては困るソ連に忖度したんでしょうね。 自衛隊に対する協力拒否も一回二回ではなく、実に三回もやっていて、もはや学術会議にとって防衛協力拒否はただの時局に対する意見ではなく会是です。 そして、「科学者の国会」の権威を使って各大学に、防衛省協力を拒否させましたから、実効性があります。
昨日ご紹介した2018年に起きた北大防衛省協力拒否事件について、北大名誉教授・奈良林直氏はこう書いています。 『学術会議こそ学問の自由を守れ』 https://jinf.jp/weekly/archives/32608
「 軍事研究を拒否し中国とは学術協力 一方、学術会議が力を入れているのが、「軍事研究の禁止」を旨とした防衛省関連研究の否定である。実例を一つ挙げる。北大は2016年度、防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募し、微細な泡で船底を覆い船の航行の抵抗を減らすM教授(流体力学)の研究が採択された。この研究は自衛隊の艦艇のみならず、民間のタンカーや船舶の燃費が10%低減される画期的なものである。このような優れた研究を学術会議が「軍事研究」と決めつけ、2017年3月24日付の「軍事的安全保障研究に関する声明」で批判した。学術会議幹部は北大総長室に押しかけ、ついに2018年に研究を辞退させた」
学術会議が学長室にまで押しかけるといった「実力行使」をしてまで潰した北大の研究とは、船底の微細な泡の除去だったわけで、こんなことまで「軍事研究」と決めつけて実力行動をしていたのですから、呆れてものがいえません。 こ���ような研究は民需、軍需の分け隔てなく人類の科学技術の前進に寄与するものです。 それを防衛省に応募だからといって潰して悦にいっている、これは奈良橋氏がいうようにまさに学問研究の自由に対する敵対行為です。
そのくせ学術会議は、中国には極度に甘いどころか、積極的に中国の技術団体と「交流」を持ち始めました。
「日本の大学などで開催されているレーザー技術の学会のセミナーに多くの中国人学者が参加している事実を知っている。レーザー技術のほぼ9割が軍事利用されることは世界的な常識である。従って、中国人の学者は肩書が大学研究者や研究所職員であっても、研究成果は即、人民解放軍に軍事利用されることは疑いがない。レーザー技術のみならず原子力技術に関しても、日中友好という美名の下、中国に日本の国立大学技術者が協力している事実がある」(太田文雄)
近年、こういう学術会議の「一国二制度」ぶりは加速化する一方でした。 なぜなら、中国が「千人計画」という国家プロジェクトを作って、札束で頬を叩くようにして世界各国から先端技術の科学者をヘッドハンティングし始めたからからです。 学術会議は見事にこの中国の世界の先端技術盗用の罠に自ら乗ってしまったのです、それも積極的に。
「米国の連邦捜査局(FBI)長官が、中国の「千人計画」は米国など諸外国の軍事関連などの高度技術を違法に取得する手段だとして厳しい警告を発した。千人計画とは、中国政府が海外人材を破格の好待遇で集めて、中国の発展に協力させる計画である。(略) 千人計画(中国での正式呼称は「海外高層次人才引進計画」)とは、中国政府の国務院と共産党中央組織部が主体となって2008年末にスタートしたプログラムだ。諸外国の理工系の最高級人材を破格の好待遇で集め、中国の軍事、経済の発展に寄与させることを目的としている。 中国政府は同計画の存在を公表し、2017年までに合計7000人の理工系の科学者、研究者を集めたとされている。 同報告書によると、中国当局は千人計画で募集した科学者たちに、米国など諸外国の高度技術を盗用してでも入手し、中国の軍事や経済に活用することを求めている。しかも外国の科学者たちには、同計画に関与することを一切口外しないよう命令しているという 」 (2020年7月15日 古森義久 『科学者を犯罪に走らせる中国「千人計画」の正体』
千人計画には日本の科学者も参加したと報じられています。 その動向は中国政府が秘密にしているために全貌は明らかになっていませんか、たとえばこのようなことが浮上しています。
「第4部 世界の潮流/4 トップの頭脳、中国へ招致 「千人計画」の実態 任期なく桁違い年俸提示 2016年10月、中国の北京航���航天大に新設された「ビッグバン宇宙論元素起源国際研究センター」の調印式。初代所長に就任した梶野敏貴・国立天文台特任教授(63)があいさつし、中国人の副学長と固く握手を交わすと、会場に拍手がわき起こった。梶野さんは翌17年3月、特別教授として同大に赴任した。 宇宙核物理学の分野で世界的な成果を上げてきた梶野さんは16年春、「海外ハイレベル人材招致計画(通称・千人計画)」の対象に選ばれた。中国政府がノーベル賞受賞者を含む世界トップレベルの頭脳を国内に招くため、08年に始めた政策だ。梶野さんは「基礎科学だけでなく応用科学、企業などあらゆる分野の研究者を世界中から招聘(しょうへい)している」と、多彩な顔ぶれに驚いたという」 (毎日2019年4月25日)
中国政府は若手の研究者にも食指を伸ばしています。
「千人計画は若手や中堅の研究者も対象だ。復旦大(上海市)の教授に32歳で就任した構造生物学者、服部素之さん(36)は妻が中国人だったことがきっかけで、東京大の任期付きの特任助教の時に自ら応募した。日本の准教授にあたる副教授や研究員、学生ら約15人の研究室を率いる。構造生物学は東大も非常に強い分野だったが、「ここ5~6年で中国に抜かれ、関係が逆転した」と実感している」(毎日前掲)
このような先端頭脳の中国への流出によって日本の科学技術は衰退を招きました。 先ほど引用した天文学、構造生物学のようにかつて日本が誇っていた先端科学はみるみるうちに中国に追い越されていきます。 そりゃそうです、日本が育てた優れた頭脳が高い報酬と優れた研究施設の餌に食いついて、中国へと流れたからです。 かくして日本はあらゆる先端技術の分野で中国に遅れをとってしまいました。
そしてこの「千人計画」は中国の科学技術大国勃興に力を貸しただけにとどまらず、民需と軍需の境がない中国においてはデュアルユース(共用技術)された結果、中国軍をいっそう強力にする原動力となってしまいました。まさに売国的所業です。 これに遅まきながら米国政府は気がつき、強い規制をかけると同時に、中国へ違法に技術協力した外国企業に対しては市場アクセスを拒否するまでになっています。 このような情勢を見て、まさに菅氏がいうように「総合的に判断した」のであって、野党対策なんて考えていても0.1%ていどでしかありません。
さて、冒頭の佐々木氏の言説に戻りましょう。佐々木氏は学術会議事件をスガ氏の「野党殺し」の構図の中でしか見ていません。 この説明では、「なぜこの時期に学術会議事件が起きたのか」説明がつきません。 先述したように、自民党は学術会議が共産党とそのシンパによって握られてしまっていることはとっくに知っています。 政府の公安情報組織を甘くみてもらっては困ります。
しかし、今までは特になんのリアクションもすることなく、新会員を推薦されれば唯々諾々と承認するだけで、いわば勝手にやらせていたわけです。 それはこんな「終わった学者」の養老院ごときに、政府から見れば捨て予算に等しい10億ていどの飴をしゃぶらせておいても無害と判断していたからです。 では、それを政府は今年限りで止めた理由はなんでしょうか。
答えはそんなに難しくありません。同時期にポンペオが来日し、日米豪印のクワッド外相会談が開かれました。 そしてこのクアッドを、年一回の定期会合に格上げすることが決まりました。 今はまだ建前としては非公式会合の形をとっていますが、おそらく来年くらいには「アジア版NATO」構想が浮上するはずです。
「スティーブン・ビーガン米国務副長官は先月31日、米印戦略的パートナーフォーラムで、インド太平洋地域には「明らかに北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)のような多国間構造がない」としたうえで、(クアッドと呼ばれる)4カ国が先に始めることも非常に重要であろう」と述べた。この発言が注目を集めたのは、米国が2010年代に入って推進した対中国牽制の動きが「リバランス戦略」や「インド太平洋戦略」など抽象的概念を超え、対中包囲のための集団安保体制「クアッド」構想などに具体化しているからだ」(ハンギレ 2020年9月10日上図も)
これはいままでの米民主党の口先だけの「リバランス戦略」とは大きく異なっています。 まず2015年4月、日米防衛協力指針が改正され、日米同盟を二国間防衛同盟からグローバル同盟に発展強化しました。 そして2017年11月、トランプ政権は日本を中心的パートナーとして「自由で開かれたインド太平洋」を両国の共同戦略にすると発表しました。 次いで2019年6月、米国防総省はインド太平洋戦略報告書」を発表し、日豪印にまでスパンを拡げたインド太平洋地域の同盟を作り出すことを宣言しました。 米軍はこれに対応して、同時期にアジア太平洋軍司令部の名称を「インド太平洋軍司令部」に変えています。
産経
初の対面外交はグータッチ 菅首相、米国務長官と会談|au Webポータル
このような流れの中で今回の日米豪印の外相会談が開かれたのです。 これはアジア版NATOの準備会合です。 おそらくはトランプ政権が継続されれば来年、されなければ4年後には陽の目をみて正式発足します。 発足メンバーは日米豪印の4カ国、それにひょっとした脱欧入亜に転じた英国が乗るかもしれません。 韓国は、平等にどの国からもその不実によって嫌われ、平等に既に片足を中国陣営に入れていると認識されていますから呼ばれませんし、ムン閣下も来る気はないでしょう。 仮に韓国のような新規参入国を認めれば、今4カ国で行われている多岐にわたる分野でのすり合わせをまた初めからせねばなりませんしね。 英国とだったらわりとスムーズですが、そもそも韓国とは大前提の自由主義国としての価値観を共有できないのですからどうしようもありません。 韓国なんか放っておきましょう。どうでもいい国です。
それはともかく現段階では、海洋の安全保障やサイバー対策の連携、そして次のステップとしては中国の「千人計画」阻止などの経済安全保障体制の強化が積み増しされるはずです。 おそらくもう既に事務方では経済の安全保障がかなり討議されていると思われます。 これは現在米国で導入されている対中規制の法律と同種のものを各国が共有化することです。
日本がポンペオの来日に合わせて外国人留学生のビザ問題、科研費研究の審査厳格化、経団連による機微技術を守るためのガイドライン作り、そして今回の学術会議問題を相次いで行ったのは、このような背景があるからです。
※扉写真で画面の闇の中に光る赤いものは登ってくる太陽です。このように地底から太陽はわきだしてきます。
2020年10月 8日 (木) | 固定リンク
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【沖縄返還】多くの尊い命と引き換えに叶った「奇跡の祖国復帰」
2016年5月16日 1時30分 まぐまぐニュース
5月15日は沖縄本土復帰記念日。終戦からこれほど短期間で、しかも平和的な話し合いで返還された例は、世界史上稀に見る出来事だと言います。なぜそんな奇跡が実現したのでしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』で詳しく解説されています。
沖縄の祖国復帰を果たした県民の思い
沖縄は昭和47(1972)年5月15日に返還された。戦争で失った領土が平和的な話し合いで短期間のうちに祖国に復帰したのは世界史上でもあまり例がない。
一度失った領土を外交交渉で取り戻す事がいかに難しいかは、北方領土や竹島の現状を思い浮かべれば、容易に理解できる。香港はアヘン戦争の結果、1898年にイギリスとの間で99年間の租借条約が結ばれ、中国に返還されたのは1997年であった。
まして米軍は沖縄戦で7万5,000人もの死傷者を出した。アメリカ軍の中には、「沖縄は我々の青年の血で贖(あがな)った戦利品である」と発言する者もいた。
昭和22(1947)年6月、マッカーサーは「沖縄人は日本人ではない」と発言した。この時点で、アメリカは、本土と沖縄を切り離して永久支配することを考えていた。いわば、今日のグアムのような形態である。
朝鮮半島、中国大陸、東南アジアを睨む沖縄の地政学的な重要性を考えれば、ここをアメリカの直轄地として、自由に使えるようにしておきたい、と考えるのは当然であった。
しかし、沖縄は「香港」にも「グアム」にもならず、平和裏に祖国に復帰できた。この世界史上での奇跡がどう実現したのか見てみよう。
祖国防衛に尽くした沖縄
沖縄が祖国防衛のために果たした役割は計り知れない。
昭和20(1945)年2月のヤルタ会談で、ルーズベルト大統領は、日本を壊滅させ、無条件降伏させる方針を確認した。4月中に沖縄を占領した後、南九州上陸を狙うオリンピック作戦、続いて関東平野に侵攻するコロネット作戦が計画されていた。スターリンのソ連は北海道、東北地方に侵出することが決定されていた(『祖国復帰は沖縄の誇り』p19)。
このシナリオ通りに展開したら、本土決戦でさらに数百万人規模の日本人が犠牲となっていたろう。さらにドイツと同様、無政府状態となったまま、米ソに分割占領されていたはずだ。
その悲劇を阻止したのが沖縄戦であった。日本軍の洞窟陣地を利用したゲリラ戦術により、米軍は太平洋戦争で最大の損害を受けた。日本軍守備隊の戦死者約6万5,000人に対して、米軍は地上戦闘での死傷、神風特攻による艦船の沈没・損害、激烈な戦闘による神経症での戦線離脱などで合計7万5,000人もの死傷者を出している。
日本軍の5倍の兵力を投入しながら、1ヶ月の作戦が3ヶ月もかかった。米軍は実質的には沖縄戦は敗北だったとの認識をしていた(同、p17)。
そして、その被害の大きさに、このまま本土侵攻に進んだら、米軍も100万人規模の犠牲を出すであろうと予想された。ここから、米政府は無条件降伏の方針を撤回し、有条件降伏を勧めるポツダム宣言を出した。
戦場となった沖縄で、日本軍は島民の3分の1、20万人を本土や安全な島北部に疎開させた。それでも軍属として戦った青壮年、従軍看護婦らも含めて、10万人規模の住民犠牲者が出ている。
沖縄戦での軍民の尊い犠牲により、本土決戦を避け得て、その何倍もの国民が救われ、国家と皇室の護持ができたのである。
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沖縄の「グアム」化を避けた昭和天皇のご提案
この事情を踏まえてで��ろう、昭和天皇は沖縄県民に対して格別のお気持ちを抱かれていた。それは昭和62(1987)年に病に倒れられた際に、「(沖縄訪問は)もうだめか」と言われ、次の痛恨の御製を詠われた事から窺える。
「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」
昭和22(1947)年、占領下ながら、昭和天皇はアメリカに対して沖縄に関する重要な提案をされた。1つは、アメリカが沖縄を永久支配しようとしているのに対して、沖縄の潜在的主権は日本が持ち、施政権のみをアメリカが預かる形にして欲しいということ。
もう1つは、共産主義勢力から沖縄を守るために、アメリカの軍事力を展開して欲しい、ということだった。この慧眼は、現代においても、沖縄の米軍基地が中国の覇権拡大を食い止め、東アジアの平和維持に必要不可欠の存在になっている事実からも窺える。
昭和27(1952)年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復するが、その際にアメリカは昭和天皇のご提案を受け入れ、潜在的主権は日本が持ったまま、施政権はアメリカが預かる形とした。これにより「グアム」化への道は避けることができた。
次の問題はアメリカが沖縄の施政権をいつまで持つのか、という点となった。イギリスが香港を99年間租借したように、アメリカも沖縄を長期間支配すべしというのが、当時のアメリカ国民の意見だった。このままでは沖縄は「香港」化する恐れもあったのだが、それを食い止めたのが沖縄の祖国復帰運動だった。
「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」
後に沖縄の祖国復帰運動の中心となった小学校教諭・仲村俊子さんは復帰前の沖縄県民の祖国への思いを次のように回想している。
復帰前の沖縄には、アメリカ施政下の琉球政府がありましたが、県民感情としては祖国日本が懐かしいのです。米軍統治下で物質的には恵まれていましたが、私たちの代で復帰を果たさないと、子供たちは自分の祖国がどこなのかさえわからなくなってしまうと危惧されていました。
(同、p34)
祖国復帰運動に立ち上がったのは、沖縄教職員会だった。これは日教組とは違い、純粋な教育団体だった。その初代会長・屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏は、復帰後に初代の沖縄県知事となった人物である。この屋良会長の時に、学校教育を通じて日の丸掲揚を広げる運動が始まった。
昭和27(1952)年に屋良会長名で次のような通知が出された。「各家に国旗を掲げるように奨励いたしましょう。国旗の注文はいつでも学校ごとにまとめて地区委員会を通じて申し込んでください」。毎年1万本の申し込みがあったという。本土側でもこれを支援して、大量の国旗を沖縄に送った。
当時、私は平敷屋中学校に勤務していましたが、初めて日の丸が学校に届いたときには、胸に響くものがあり、涙が出ました。
(同、p35)
昭和30年代から40年代には、教職員が復帰運動の中核となった。「沖縄を返せ」と歌いながら、デモ行進を行った���沖縄全県で日の丸が掲揚された。
こういう県民の想いに応え、佐藤栄作首相は昭和40(1965)年8月、戦後の首相としての初めての沖縄入りを果たし、那覇空港での第一声で「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、我が国の戦後は終わらない」と語った。この声明は祖国を願う県民を大いに勇気づけた。佐藤政権も政治生命をかけて沖縄復帰に取り組んだ。
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ニクソン政権の沖縄返還決断
沖縄での祖国復帰運動の盛り上がりを背景にした日本政府の返還要求は、ニクソン政権を揺るがした。キッシンジャー大統領補佐官はニクソン大統領にこう提案をした。
日本の返還要求の圧力はもはや押し戻すことのできないところまでに来ている。この交渉を拒否すれば一切の基地を失ってしまうことになってしまう。
(同、p23)
時あたかもベトナム戦争の最中であり、日本国内でも「ベトナム戦争反対」や「日米安保反対」と学生運動の嵐が吹き荒れていた。日本を自由主義陣営に留め、沖縄の基地を維持するためには、沖縄を返還せざるを得ないと考えたのであろう。昭和44(1969)年11月の日米首脳会談で「核抜き、本土並み、3年後返還」が合意された。
しかし沖縄が日本に復帰して一体化・安定化し、米軍基地がそのまま残ったのでは、中国やソ連など共産陣営にとっては極めて都合が悪い。分断されたまま、住民が反米感情を抱いていた方が米軍の動きを制約できるし、いざとなれば沖縄だけ独立させて共産陣営に取り込む道も残る。
「沖縄を日本革命の基地にしよう」
そんな意向を受けたのであろう、左翼陣営から祖国復帰反対運動が起こされた。昭和43(1968)年、屋良会長が琉球政府の行政主席に当選し、事務局長だった喜屋武(きやむ)氏が会長に就任した頃から沖縄教職員会が変わり始めた。
学校に「日の丸に賛成か、反対か」と言うアンケートが配られ、驚いて思わず「本当に喜屋武先生の名前できているのか」と聞いたほどです。私の勤務していた那覇市の城岳小学校はしっかりした人が多く、「賛成」が多数でした。
すると「やり直し」と言われてアンケートが返ってきたのです。指導を受けて「反対」を多くすると、ようやく通りました。この一件でおかしいと感じ始めました。
名護で開催された教職員婦人部の会では「今の日本に復帰するのではないから、復帰は言わずに安保反対だけを言え」という主張がなされていました。……
学校には「70年安保に向けて」というパンフレットが回ってくるようになり、街には「沖縄を日本革命の基地にしよう」という教職員会のポスターが貼られるようになりました。
(同、p36)
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「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」
学校でも闘争資金集めがあり、「この組織には絶対についていけない」と感じた仲村さんは、昭和44(1969)年11月に仲間5人と教職員会を脱会した。
脱会声明を「沖縄タイムズ」と「琉球新報」に乗せ、連絡先��して中村さん宅の電話番号を記した。新聞社は「相当の圧力が来るかと思うが大丈夫か」と心配してくれたが、翌朝、立て続けにかかって来たのは抗議ではなく、「よく頑張った」という激励だった。
昭和46(1971)年6月に「沖縄返還協定」が調印され、11月に批准、翌年5月に返還という運びとなっていたが、そこに東京から「復帰が危ない」という連絡があった。前年に参議院議員に当選していた喜屋武会長が、与野党に「批准に反対してくれ」と説いて回っている、との由。
また沖縄でも安保反対のデモがあり、東京からは県民の大多数が復帰そのものに反対しているように見えたので、「沖縄県民が望まないのに無理してまでも復帰させなくてもいい」という話が国会でも出ているとのことだった。
仲村さんは居ても立ってもいられなくなり、組合を一緒に脱退した仲間たちと10月31日に「沖縄返還協定批准貫徹県民集会」を開いた。1,000人以上の県民、市町村の首長や議員も集まってくれた。仲村さんもクビを覚悟で、登壇して意見発表をした。
「祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えること」
11月3日、仲村さんら8人の陳情団が上京した。沖縄出身の議員を始め、関係する政治家を回って、早期批准の陳情を行った。竹下登・官房長官などは祖国返還を願う仲村さんたちの訴えを涙ながらに聞いてくれた。
さらに6~13日は都心部やターミナルなどでビラまきをし、沖縄返還協定批准を願って「祈・批准」と書いたタスキを掛けて、整然としたデモ行進を行った。
一方、返還反対運動は過激化して、沖縄ではゼネスト、渋谷では暴動事件が起こり、両方で火焔瓶が投げられて、警察官が死亡するという事件まで起きた。
しかし、県民集会や陳情が奏功して、「沖縄返還協定」は11月24日に衆議院で自民党による単独採決で批准された。
沖縄に戻った時は、年休の2週間を超えていた。学校で60人あまりに吊し上げられ、組合の分会長からは「お前たちが陳情に行ったから、沖縄返還が強行採決されたんだぞ」と、ノートでテーブルを叩きながら、怒鳴り散らされた。
しかし、仲村さんは「私のクビ1つだけで沖縄が復帰できれば安いものだ」と吹っ切れた気分で出勤していた。何日か経って、校長とともに那覇市の教育委員会に呼ばれたが、理解ある教育長で、クビにはならずに済んだ。
仲村さんと一緒に上京して活動した富川春子さんは、沖縄戦で現地召集兵の父親と幼い弟を亡くしている。富川さんは上京時の思いを目を真っ赤にしてこう語っている。
祖国復帰とは、必死に祖国を守るために戦われた英霊の御心に応えることなのです。
上京時の私たちはわずか7名でしたが、背後には十数万柱の英霊がついていて下さると思うと、不思議と怖くありませんでした。
沖縄戦で亡くなられた英霊を思えば、赤化していく沖縄の状況を到底座視することはできませんでした。
(『祖国と青年』)
今また、沖縄は中国とその手先となっている左翼勢力により祖国から奪われる危機に瀕している。
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3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人というか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた(寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生たちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒業生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
そして先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下す高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に矛盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてことないぜ。
そんなこんなで、私は紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活を送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言いながら彼女たちは駆け足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。ああそうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お別れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだろうと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら発進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではないか。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよならするぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の就活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが人生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛いと思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至ったと。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???ってなった。
私としては、突然相手が目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
��んか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっているし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出てくるわ出てくるわ…
ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)
なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えたはずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに「ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。もっとディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気がした。
そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。
この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれで免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
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2011年デビュー組🍀 #心理カウンセラー #濱崎明子 #長久手支部 #くれたけ心理相談室 (伊勢神宮 / Ise-Jingu) https://www.instagram.com/p/CD3t2UiHYcV/?igshid=1uhbtexb8z5ia
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いつから一緒に住む?
勇利はちいさなテーブルに向かい、ノートになにごとか書きつけていた。練習をしていて気がついたこと、直そうと思ったこと、いいと思ったところ、ためしてみたいことなどを、毎日こうして書き留めておくのが彼の習慣だった。自分の動画を何度も見直して、今後どうしたいのか、どういう方向を向けば表現がひろがるかなどを考えるのは大切なことだった。 勇利は最後に、次にヴィクトルがリンクに来てくれたら尋ねること、見てもらうこと、手本を示してもらいたいことなどを箇条書きにした。それを赤いインクで囲んでひとつうなずいた。今日はここまでにしておこうとノートを閉じたところで玄関の呼び鈴が鳴った。 勇利は時計を見た。遅くはないけれど早くもない時刻だ。何かが届く予定はないし、同じアパートに知り合いもいなかった。誰だろう? この住所を知っているのは、クラブの事務員と、それから……ヴィクトルくらいだ。 「まさかね」 ��ィクトルは忙しい。長いあいだ不在にしたロシアのために、いまは一生懸命に働いている。リンクへもなかなか来られないくらいだ。そんな状況なのに、わざわざ勇利の部屋を訪問するとは思えなかった。 勇利は立ち上がり、おそるおそる玄関へ行った。なんとなく警戒心がわいた。友達なんていないのに、いったい誰が来たのだろう? 勇利はどきどきしながらのぞき穴に目を当ててみた。 「!」 びっくりした。立っているのはヴィクトルだった。何かあったのか。勇利は急いで鍵を外し、扉を開けた。 「ヴィクトル、どうしたの?」 「やあ勇利」 ヴィクトルはほほえんだ。 「久しぶり」 「え、あ、うん……」 確かに久しぶりという気がした。数日前に会ったけれど、あまり長い時間ではなかったし、日本で生活をともにしていたことを考えると「久しぶり」という感想がぴったりだった。昨季の後半、日本とロシアで離れていたときは会えなかったが、それはごく自然なことだ。こんなに近くにいるのに会わないとなると、なんとも妙な気持ちになる。 「今日は何か……」 勇利が言いさすと、ヴィクトルはじっと勇利をみつめた。困っているようではないし、焦っている感じでもない。何か大事件が起こったわけではないらしい。しかし勇利は、なぜか、いつものヴィクトルとちがう、という気がした。ヴィクトルはかすかに笑みを浮かべているけれど、彼の普段の陽気な笑いとはかけ離れていた。 「あ、あの、入って、とりあえず」 勇利は扉を大きく開けてヴィクトルを招いた。 「今日仕事だったんだよね? 疲れたでしょ? ごはん食べた? なんでもいいなら用意できるけど……ありあわせのものしかない……」 戸惑いながらも勇利は明るく笑った。ヴィクトルは何も言わない。 「食事いらないなら、何か飲む? 話があるんだよね? あ、こんな時間にうちに来たりして大丈夫? 明日早いんじゃないの?」 部屋へ入ったところで、テーブルの上に並べてあるノートやヴィクトルの写真集、DVDに気がついた。勇利がヴィクトルの大ファンだということはすでに世界じゅうに知れ渡っており、ヴィクトル当人だって百も承知なのだけれど、その証拠の品を堂々と置いておくのは気恥ずかしかった。 「あっ、ちょっとごめん」 勇利は赤くなり、膝をついて慌ててテーブルの上を片づけた。 「適当に座って。上着はそっちにかけてくれたらいいよ。うわ、恥ずかしい……」 勇利は笑いながらうつむいた。ヴィクトルなんて思っただろう、と照れた。いまさらだけど。からかわれるかな……。 その瞬間だった。背後からふいに抱きしめられ、勇利はびっくりした。ヴィクトルは普段からよく抱きついてきたり勇利にさわったりするのだが、そういうものではなかった。少なくとも勇利はちがうと感じた。抱擁はひどく情熱的で力強く、何か意味がこもっているような気がした。 「ヴィ、ヴィクトル……?」 勇利は手を止めて瞬いた。 「どうしたの……?」 「勇利……」 聞いたこともない声だった。せつなく、苦しそうで、大切なものを求めているようだった。 「何かあったの……?」 勇利は落ち着こうと努力しながら尋ねた。ヴィク���ルはつらいことがあって相談をしに来たのかもしれない。自分で役に立てるかはわからないけれど、悩みがあるのなら協力したかった。 「ぼくでよければなんでも聞くよ。あの……」 「勇利」 ヴィクトルが勇利の腕を引き、立ち上がらせた。勇利はヴィクトルの顔を見た。ヴィクトルはひどく熱っぽい、何かを秘めた瞳で勇利を見ていた。真剣で、追い詰められているようで、勇利は彼の苦しみを感じた。 「ヴィクトル……」 どうしたの、とも訊けなかった。ゆっくりと瞬いた勇利を抱きしめ、ヴィクトルはくちびるを重ねた。勇利は目をみひらいた。戸惑ったし、びっくりしたけれど、拒絶することは考えなかった。 「ヴィクトル……?」 くちびるが離れた。勇利は混乱しながら、ただじっと立っていた。 「勇利」 ヴィクトルが呼んだ。情熱のこもった、その名前が大切だというような呼び方だった。 「勇利……」 ベッドに押し倒された。くちづけられ、服を脱がされた。勇利はただされるがままになっていた。すべての衣服を取られて、ヴィクトルも裸になった。ヴィクトルが覆いかぶさってき、彼の指やくちびるを勇利は感じた。勇利には初めての体験だったが、それほどおびえはしなかった。ヴィクトルの身体が重なり、勇利は彼を見上げた。ヴィクトルの青い目は熱狂的だった。勇利はまぶたを閉じた。彼の熱を知った。ヴィクトルの匂いに包まれる、熱くて不思議な時間だった。 目がさめると、ベッドにはひとりだった。しかし勇利は、あれは夢だったのではないかとは思わなかった。そう思うにはあまりに強烈な経験だったし、肌もまだ熱いようだった。自分の身体からヴィクトルの匂いがする。気のせいかもしれないけれど、そう感じた。 「んん……」 勇利はもぞもぞとふとんの中で転がり、しばらく眠気に打ち勝とうとしたり、負けてうとうとしたりということをくり返した。何も着ていなかった。でも、あたたかかった。ふとんの布地が素肌にふれると、ヴィクトルに愛撫された感触をすこしだけ思い出した。 三十分かけてどうにか起き上がる決心をし、勇利はしぶしぶ身体を起こした。視界がぼんやりしている。そうだ、眼鏡。昨日、行方不明になった。たぶん、途中でヴィクトルが外したのだろう。どこにあるのか。視線をめぐらせると、まくらべの棚にちゃんと置いてあった。勇利は眼鏡をかけた。すぐそばに、勇利が着ていた服がきちんとたたまれ、重ねられていた。下着までそうされていたので、勇利はちょっと赤くなった。 そっと身体を動かしてみた。痛いところはない。すこしだるさはあるけれど、活動しているうちにうすれそうだ。練習にも行ける。勇利は立ち上がると、台所へ行ってミルクを出した。温めようと思ってふと見れば、いつもとはちがうところにマグカップが置いてある。すこし濡れていて、使ったあと洗ったような感じだ。ミルクも減っているような気がする。ヴィクトルが飲んだのだろう。勇利はざっと室内を見渡した。いつも通り整然としていて、何かが動かされたとか、みだれているとか、そんなふうではない。勇利の感情と感覚を別にすれば、減ったミルクと濡れたマグカップだけが、ゆうべヴィクトルがいたという痕跡だった。 「……ふふっ」 勇利はちょっと笑った。 ヴィクトルはリンクに来なかったし、勇利も連絡しなかった。忙しい彼に気を遣っているというより、いつもそんな感じだ。普段はメッセージなんて送らないし、必要なときは電話をする。それが勇利のやり方だった。ヴィクトルはときおり、どうでもよいようなメッセージを送ってきたけれど、それもいまはなかった。時間がないからだろう。 勇利は普段通り練習をし、買い物をして帰り、なんとか食事をつくっていた。だんだん炊事がめんどうになってきて、クラブの食堂で済ませようかと思うことも多かった。金銭的にも、自分でつくるのとあまり変わらないのである。家では習慣のノートをつけたり、ヴィクトルの動画を観たりしていた。単調な、それでいて充実感のある毎日だった。 あの夜の出来事はなんだったのだろうと考えてみることがないわけではなかった。ヴィクトルはどうしてあんなことをしたのか。何か理由があったのか。ただしてみたかったのか。よくわからない。でも勇利にとってはなんでもよかったし、まあヴィクトルだから……という妙な信頼感があった。ヴィクトルのすることにいちいち説明を求めたり、悩んでみても始まらない。なんで貴方はそうなの、と怒りたくなることはあるし、実際文句を言ったりもするけれど、これに関しては、まあいいか、という気持ちだった。ヴィクトルも何か思うところがあったのだろう。 「まったく、自由気ままなんだから」 勇利は冗談を言うようにつぶやいた。しかしそれがヴィクトルというひとだと思えた。 数日ぶりにヴィクトルがリンクへやってきて、彼を間近で見たい選手たちが色めき立った。勇利は最初、どういう理由でみんながざわめいているのかわからなくて、リンクの上でエッジの傾きに注意していた。ミラが遠くから「カツキ、いいの?」と尋ねた。顔を向けると、彼女とユーリが不思議そうな目で勇利を見ていた。 「何が?」 勇利はもともと自分の世界を築き上げて練習する傾向があるので、みんなの興奮など気にしていなかった。きっと何か事務的なことが発表になったのだろうと思った。食堂の献立が追加されたとかそういうことにちがいない。勇利は、あとで掲示板でも見ればよいと考えて、足元に集中していた。エッジを深くしたり浅くしたり、その緩急をつくることに努めた。足だけではない。上半身も使えなければ意味がない。足元から始まり、全身に流れがひろがるのである。勇利のうつくしいステップシークエンスは、このエッジワークがかんじんだ。 夢中ですべっていると、リンクサイドから声が聞こえた。 「いいね。ヴィクトル・ニキフォロフは、勝生勇利のエッジワークをお手本にしてるらしいよ」 勇利は顔を上げた。ヴィクトルが笑いながらフェンスにもたれ、勇利の練習を見ていた。 「ヴィクトル!」 「最後までやること」 「あ、はい」 勇利は練習のためにさらっていた昨季のステップシークエンスをやりきって、ヴィクトルのもとへ飛んでいった。 「仕事じゃなかったの?」 「早く終わったから来た」 「すごい!」 「何が?」 ヴィクトルはまた笑った。忙しい彼だが元気そうだ。勇利もにこにこした。 「今日は夜までいられるの?」 「もちろんだよ」 「何かすべって」 「いいとも。俺もいい加減やらなきゃ、身体がなまってしまう。仕事先でも、空いているリンクをみつけては練習してたんだよ」 その言葉にうそはなく、ヴィクトルはいつも通りのうつくしいスケーティングを見せた。勇利は両手を握りあわせ、うっとりとヴィクトルの演技に見蕩れた。 「さあ、ここからは勇利のための時間だよ。俺はきみのコーチだ」 「本当?」 勇利はとにかく、いままでやっていたこと、修正したところ、提案しようと思っていたことなどをヴィクトルの前で披露し、どう思う? どっちがいい? よくなってる? ここはどうすればいい? と彼を質問攻めにした。ヴィクトルはひとつひとつ丁寧に答え、真摯に考えこみ、勇利の疑問を一緒に検討してくれた。時間が足りず、勇利はすべっているか、ひっきりなしにヴィクトルに話しかけているか、ヴィクトルの言葉を熱心に聞いているか、どれかだった。ヴィクトルは練習を見たうえで、勇利のノートに何か書きつけ、「これ、勇利の練習表」と手渡した。 「いまちょっと思いついたことだけだから、残りはまたじっくり考えてメールを送るよ」 「ありがとう」 勇利はノートを抱きしめ、笑顔で礼を述べた。そばにいたリンクメイトが何か言い、笑った。ロシア語だった。ヴィクトルも笑った。 「なに?」 「そんな顔で笑うんだ、だって。勇利、普段どんなしかめつらで練習してるんだ?」 「え……普通だと思うけど……」 「あはは、冗談だよ。みんなわかってると思う。勇利はまじめなだけさ」 「ヴィクトル、もう帰る?」 「いて欲しい?」 「いて欲しい!」 「なに? デートのお誘いかな?」 「もう一度すべってるところ見て。それから食堂で晩ごはん食べながら、話を聞いて」 勇利はその夜、ヴィクトルにたっぷり付き合ってもらえて満足だった。いつもより遅く帰宅すると、ベッドに倒れこみ、ここちよい疲労に息をついた。そうだ、書き留めてることの中にまだ訊いていないことがあった、メールしていいかな、と思いつつ、練習ノートをひろげてみたら、その訊きそびれたことすべてに対して、ヴィクトルの答えが書きこまれていた。勇利は目をまるくした。いつの間に? 「すごい」 勇利は瞳をきらきらと輝かせながら、ヴィクトルからの返信に見入った。たまらなくうれしかった。勇利のコーチは最高だ。 ヴィクトルはまたしばらくリンクに来なかったけれど、勇利の練習は順調だった。たくさんの有力選手の中に入って稽古をするのはためになったし、刺激にもなった。リンクをひろびろと使えないところは勇利にとってよくない点だったが、いろいろな人の演技を見て何かしら吸収しようと毎日努めていると、結局はあまり気にならなかった。デトロイトでも似たような環境だったけれど、雰囲気がずいぶんちがうし、かなり新鮮だった。次にヴィクトルが来たときは驚かせてやろうと、勇利は熱心に練習していた。 「これでよし……」 毎日つけているノートを閉じて、勇利はふうと息をついた。寝る前にヴィクトルの動画を見ようと選んでいると、玄関で呼び鈴が鳴った。 予感はあった。勇利は静かに立ち上がり、扉を開けて訪問者を迎え入れた。ヴィクトルがほほえみながら入ってきた。 「ちゃんと相手を確かめてから開けないといけないよ」 「ヴィクトルだと思ったんだよ」 「それでもだ」 ヴィクトルは勇利を抱きしめてキスした。勇利はそれに応えながら歩いて部屋まで行った。どうしよう、何か話したほうがいいのかな、と思ったらベッドに座るよううながされ、「両手を上げて」と言われた。勇利はその通りにした。するとヴィクトルは勇利からスウェットを脱がせ、自分も上着を床に落としてシャツのボタンを外した。 「えっと……」 「勇利」 押し倒され、スウェットパンツも脱がされた。下着を下ろされたあとは脚をひらいて、そのあいだにヴィクトルが座った。 「前のとき、痛かった?」 「ううん……」 「よかった」 ヴィクトルが笑った。勇利も微笑を返した。くちびるが重なり、ぼうっとなったところで、勇利はヴィクトルの愛撫に身をまかせた。 一時間か二時間か──ヴィクトルとの濃密な時間を過ごすと、とても疲れてしまって、勇利は深く寝入った。そのあとヴィクトルがどうしたのかぜんぜんわからない。翌朝目ざめたら、やはりヴィクトルはいなかった。流しのところに、空になった白っぽい瓶があった。ミルクが入っていたものだ。あ、最後の一杯ぶんだったのに、と勇利は思った。ヴィクトル勝手に飲み尽くしたなと拗ねていたら、テーブルの上に書き置きをみつけた。 『イズヴィニー!』 勇利は笑ってしまった。ロシア語だ。ごめん! の意味である。よく見ると、買っておいたパンも減っていた。 「しょうがないなあ……」 勇利はくすくす笑いながら食事をし、朝の身支度をした。彼は機嫌よくリンクへ行って練習をした。 ヴィクトルはその二日後にリンクへ来たけれど、勇利はミルクがなくなったとか、パンが減っていたとか、そんな苦情は言わなかった。ただ前と同じように夢中で稽古をして、ヴィクトルの言葉を、すべりを逃さないようにし、質問をたくさんした。充実した時間だった。 ヴィクトルの三度目の訪問はすぐだった。一度目と二度目にあいた期間よりも短かった。彼はやっぱりやってくるなり勇利にキスし、勇利をベッドに連れていった。勇利はとくに何も言わず、素直にヴィクトルに抱かれた。朝にはいつも通りヴィクトルはいなくなっていたけれど、冷蔵庫を開けた勇利は目をまるくした。今朝はものが減っていなかった。代わりに新しいミルク瓶が入っていた。勇利は笑い出し、パンかごを見た。そこには買ったおぼえのないパンがたくさんあった。 「ヴィクトル」 勇利はヴィクトルのミルクとパンで朝食を済ませた。食べているあいだじゅう、笑っていた。 自分とヴィクトルのこの関係は何なのだろう? 深刻ではないけれど、勇利はときおり不思議になった。ヴィクトルに問いただしたことはないし、そうしようとも思わないが、この不可思議なことを考えてみて悪いということはないだろう。勇利はたまにはちょっと思案してみるのだった。 ヴィクトルはかなりひんぱんに勇利の部屋を訪れており、勇利が彼と夜をともにした数は、もう両手の指でも足りないくらいだった。二日続けて来ることもあれば、一週間のあいだ一日おきになったりもした。どちらにせよ、いまとなっては、五日以上来ないことはなかった。 リンクで会うときとはちがい、家では話しこんだりはしない。ヴィクトルは来るなり勇利にキスして、すぐにセックスをする。そのあときまって勇利は疲れて寝てしまう。だからヴィクトルが朝までいるのか、それとも勇利を抱いたあとそっと帰っていくのか、どちらなのかわからなかった。しかし、ミルクが減ったりパンがなくなったりしているから、たぶん朝までいることが多いのだろう。いまは毎回ヴィクトルが朝食の仕入れをしてくるので、勇利のミルク置き場やパンかごはいつもいっぱいだった。 今朝もヴィクトルは勇利が眠っているあいだに出ていき、勇利はひとりで目をさました。うーんと伸びをし、ヴィクトルが買ってきたミルクを温めて飲む。瓶がちょっと多すぎる。ひとりでは飲みきれない。ヴィクトルにせっせとかよって飲んでもらいたいくらいだ。ミルクが必要な料理はなんだろう。シチュー? そういうものに使ったらすこしは減るかもしれない。 マグカップを持ってテレビのそばまで行き、スイッチを入れた。画面にヴィクトルの映像が出た。何の番組だろう? 早口のロシア語でまったく聞き取れない。このひととああいうことしてるんだなあ、と勇利はぼんやりした。ゆうべだって……いろいろと……。勇利はヴィクトルのささやき声と吐息、それから彼の舌と指がふれた場所を思い出して赤くなった。 セックスフレンド? そんなありきたりの言葉を想像して、勇利は噴き出してしまった。確かに状況だけ見ればその通りなのかもしれない。しかし、なんだかそれはそぐわないように思えた。ヴィクトルはそういう考えを持っていない気がする。でも、だからといって熱烈な恋人というわけでもないし……。 まあいいや。 勇利はほほえんでいるヴィクトルを見ながら支度を整え、リンクへ行った。その日は帰りに買い物をしてきて、インターネットで調べ上げた調理法で白いシチューをつくった。味をみてみたら、なかなかの出来だった。だが……。 「……ちょっとつくりすぎちゃったかな」 だってヴィクトル、いっぱいミルク買ってくるんだもん、と勇利は笑った。 次にヴィクトルがやってきたのはその翌日で、いつもと変わらず、勇利は彼と一緒に寝た。そして翌朝、あくびをしながら台所へ行くと、シチューがあきらかに減っていた。ヴィクトルが食べていったらしい。しかし、昨日最後に見た残りの分量から考えて、どう判断しても、ひとりぶん以上消えている。おかわりをしたのか。 「ふふふ」 勇利は笑い出し、シチューをあたためてパンと一緒に食べた。 それからは、いつヴィクトルが来てもよいように、そして彼が食べられるように、いつでも何か一品は料理をつくりおきした。いろいろ考えた。朝から食べられるもの。ヴィクトルが喜ぶもの。勇利は、めんどうだから食堂で晩ごはんを済ませようかと思っていたことなど忘れたかのように、毎日家で食事をつくった。ヴィクトル、今夜は来るかな? 食べるかな? そんなふうに思案しながら料理するのはおもしろく、実際、つくったものがなくなっているときはうれしかった。 リンクではヴィクトルの指導を仰ぎ、ごく真剣に練習し、家ではヴィクトルとキスをし、セックスし、翌朝はヴィクトルの買ってきたパンを食べたり、勇利のつくったものをヴィクトルが食べていったり、ということがしばらく続いた。勇利はそれをしごく当たり前のことだと思い、だんだんと、考えることもなくなっていった。もともときまじめに思案していたわけではないのだ。ヴィクトルとの仲はいつも自然で、あたたかい交流にみちていた。 勇利は練習に明け暮れる日々だったけれど、ロシアの英雄であるヴィクトルの生徒である以上、たとえ日本の選手でも、ロシアメディアから取材を受けないわけにはいかなかった。会話は英語でよいと言われていたし、相手も好意的な記者だったけれど、取材の日、勇利はひどく疲れてしまった。慣れない移動や状況に、すっかりまごついたのだ。記者は「堂々としていて凛々しい」と褒めてくれたけれど、自分ではそんな対応ができたとはどうしても思えず、帰宅するなりぱったりとベッドに倒れこんで眠ってしまった。目がさめたのは呼び鈴が鳴ったからで、勇利はふらふらしながら玄関へ行き、扉を開けた。 「勇利」 「おかえりなさいませ」 「え?」 勇利はぼうっとして部屋へ戻った。まだ眠かった。ヴィクトルは不思議そうについてきて、勇利にキスした。 「勇利」 「んー」 「勇利、していい?」 「んー……」 「眠いの?」 勇利はとろんとした目つきでヴィクトルを見た。ヴィクトルはおぼつかない様子の勇利を心配しているようだ。 「眠いなら、しないけど……」 勇利はつい笑ってしまった。本当はしたくてしたくてたまらないけど、だめなら我慢する、と言われているみたいだった。ヴィクトルがこんな顔をするなんて思いもしなかった。 「していいよ」 勇利は笑顔でうなずいた。 「でも、疲れてるんだろう?」 黙ってベッドに座ると、勇利は足をぶらぶらさせてヴィクトルをみつめた。 「しないの?」 「……本当にするぞ!」 「いいよ……」 そんなに疲労が溜まっていたわけではない。精神的に緊張し��いたせいでやすみたかっただけだ。疲れているというなら、ヴィクトルのほうがよほどという気がした。ヴィクトルが覆いかぶさってきて、勇利は後ろにころんと身体を倒した。 「はっ……、ん?」 目がさめたのは昼近くで、勇利はすっかり寝坊してしまっていた。今日は休日だからべつに構わないのだけれど、普段より遅い時刻なのでうろたえた。 「うう、寝過ぎた……あ、よだれ」 勇利は口元をぬぐいながらのろのろと起き上がった。もちろんヴィクトルはいなかった。ふいに鼻先をよい匂いがかすめ、はっとした。 昨日は何もつくってなかった! ちょうどつくりおきしていたものがなくなっていたのに、取材ですっかり忘れていた。ヴィクトルは空腹のまま出掛けたのだろうか? パンなどはあるから、なんでもよいのなら腹をみたすことはできただろうけれど……、いや、それにしても、さっきから食欲を刺激するこの匂いは何なのだ。 勇利はたたんであった下着に足を通し、Tシャツとショートパンツを身に着けて、ふらふらと台所へ行った。食卓の上に、カリカリに焼いたベーコンと目���焼き、ひきわり小麦のお粥があった。鍋があったのでのぞくと、中身はひとりぶんの玉ねぎスープだったし、冷蔵庫にはサラダが入っていた。勇利がつくっていなかったので、ヴィクトルが支度したらしい。 「あははっ」 勇利は、ヴィクトルでも料理できるんだ、と感心した。スープとお粥を温めているあいだに顔を洗い、歯をみがいてから食卓を整えた。美味しそう、ヴィクトルはこういうのも上手いんだ、と思ったのだが──。 「なにこれ?」 日本のお粥とはちがって、ロシアのはほんのりと甘い。ミルクの優しい風味もある。それは勇利ももう慣れている。しかし、口当たりが、クラブの食堂で食べるものとなんだかちがった。中に──妙なかたまりが──。 「これ、小麦粉?」 そういえば、ヴィクトルに聞いたことがある。お粥はね、小麦粉がかたまりになって残っていたら最悪だよ。美味しくないんだ。そんなのは絶対に食べたくない。俺のもっとも憎むべき料理だよ。いまいましい──。彼は冗談めかして説明し、くすくす笑っていた。 「…………」 どうやらヴィクトルは、かの忌まわしい料理をみずからの手でつくり出してしまったようである。勇利は笑いをかみ殺しながら匙を口に入れた。ヴィクトルはこれを食べなかったのだろうか。パンが減っているようだから食べていないらしい。勇利のためにつくったのだ。味は美味しい。混ぜ方の問題なのだろう。たぶん。 「これ、ヴィクトルに言ってもいいのかな……傷つくかな……。おおらかに生きてるように見えて、たまによくわかんないこと気にしてるしな……」 勇利は熱心に食事を続け、ヴィクトルのつくってくれたものをぺろりとたいらげた。美味しかったのだけれど、勇利の中で、「変なかたまりが入ってた、ヴィクトルが初めてつくってくれた料理」という思い出になった。 ある日、勇利はふと、自分のほうからヴィクトルのところに泊まりに行くのはどうだろうと思いついた。いつもいつもヴィクトルが勇利の部屋へ来ている。反対に勇利が訪問したら、ヴィクトルは驚くのではないだろうか? そうしたら、彼はいったいどんな顔をするだろう? しかし、これを実行するにはよくよく考えなければならなかった。だいたいクラブと自宅とを往復しているだけの勇利とはちがって、ヴィクトルは泊まりがけで留守にすることも多く、彼の予定を勇利はつかみきっていない。忙しい真っ最中に行ったりしたら迷惑がかかる。それに、ヴィクトルはいつだって、来れば勇利を抱いて帰るのだ。訪問したりしたら、勇利がそうしてもらいたがっていると思われてしまうかもしれない。ヴィクトルに抱いてもらうために来たのだと。べつにヴィクトルとセックスするのがいやなわけではないし、そういうなりゆきになるのは構わないのだけれど、ヴィクトルに、自分が普段勇利に求めているのだから、勇利が来たなら同じだけのことを返さなければと──抱かなければと義務を感じてもらいたくなかった。勇利はヴィクトルとだからしているのだし、そのことに不満を持っていない。だからヴィクトルがそんな責任をとる必要はないのである。 とりあえず勇利は、リンクで会ったときにさりげなくヴィクトルの予定を訊き、いつなら家にいるか、次の休みは何曜日かということを確かめた。この日なら訪問しても大丈夫そうだという日がきまると、勇利は心楽しく、ひどくわくわくした。決行の時が待ち遠しかった。 とうとうその当日がやってきて、勇利は胸をはずませながら支度を整えた。ヴィクトルが勇利の家で夕食を食べたことはないので、勇利のほうもあらかじめ済ませておいた。風呂も自分の家で入った。あとは眠るだけというふうにして、必要なものをバックパックにつめて背負い、ヴィクトルの家まで走っていった。すこし遅い時刻だったけれど、ヴィクトルはこれくらいに来ることが多いから、とくに問題はないだろう。 呼び鈴を押してしばらく待つと、いぶかしそうな応答があった。ヴィクトルのロシア語だ。 「ヴィクトル」 勇利は陽気に呼んだ。一瞬の間があり、何かがぶつかるような音が聞こえて、ヴィクトルが急いで出てきた。 「勇利!」 「大丈夫? なんかすごい物音が聞こえたけど」 「何かあったのか? どうしたの?」 「どうしたのって、泊まりに来たんだよ」 「え?」 「いいでしょ、べつに。ヴィクトルだっていっつもうちに泊まるじゃん。ぼくが泊まっても構わないよね?」 「それはもちろん……歓迎するけど……」 ヴィクトルは戸惑っているようだ。 「本当に何もないのかい?」 「ないよ」 初めてヴィクトルが家に来たときの自分を思い出して勇利は笑ってしまった。そうだよね。びっくりするよね。もっと驚いて。 「お邪魔します」 勇利はいそいそと中へ入った。彼は当たり前のように笑顔で尋ねた。 「台所は?」 「え、ああ……そっちだよ」 「ちょっと借りるね」 勇利は持ってきたものを冷蔵庫に袋ごと入れて満足した。 「寝室は?」 「その奥の扉だけど……」 「失礼します」 人の寝室にずかずか入りこむなんてずうずうしいかなと思ったけれど、ヴィクトルだっていつもしてるじゃんという気持ちで勇利は堂々としていた。もしいやならヴィクトルが止めるはずだ。 「あ、マッカチン。元気?」 勇利は寄ってきたマッカチンのつむりをごしごしと撫でた。マッカチンがうれしそうに吠えた。 「わあ、すごく大きなベッドだね。さすがヴィクトル。長谷津にあるやつよりまだ大きいよね?」 勇利はバックパックを下ろし、すみのほうに片づけた。 「ヴィクトルはまだ寝ないの?」 「いや……なんていうか……そろそろ……うん……」 「やることがあるのかな。ぼくはさきに寝させてもらうね」 「え?」 勇利はさっさと服を脱いでいった。ヴィクトルが目をまるくしている。荷物から出したジャージに手早く着替えると、眼鏡を外し、「じゃ、おやすみ」と挨拶した。 「ゆ、勇利」 「あんまり夜更かししちゃだめだよ」 「勇利……」 勇利は目を閉じた。可笑しくてたまらなかった。ヴィクトルの困惑しきっている顔がおもしろい。迷惑や拒絶は感じないので大丈夫だろう。きっといまごろ、いったい何しに来たんだ、と思っているにちがいない。これでは本当に、ただ寝るためだけに来たみたいである。自分の家でできることをわざわざヴィクトルのところでしているのだ。でも、ただ寝るだけでも、意味があることではないか? だってここにはひとりではない。ヴィクトルがいる。ヴィクトルの部屋で、ヴィクトルのベッドだ。 勇利はすぐに寝入ってしまった。一度も目ざめず、朝までぐっすりだった。そして、目覚まし時計もなしで、翌朝ぱっとまぶたがひらいた。ヴィクトルがごく近くにいた。深い寝息をたてている。端正な寝顔だった。だが、ときおり、それがふっとゆるんでへらっと笑う。勇利は笑い出すのをこらえた。 「おはようヴィクトル」 勇利はささやいて、自然にヴィクトルの額に接吻した。こんなことをしたのは初めてだと思い、そうか、いつもヴィクトルがさきだからと納得した。ヴィクトルのやすらかな寝顔をみつめ、ふふっと笑うと、勇利はベッドからそっと抜け出した。マッカチンがついてこようとしたが、ヴィクトルといてあげてと頼むとおとなしくまたまるくなった。勇利は顔を洗うなどして身支度を整え、台所へ行った。冷蔵庫に、ゆうべ勇利が入れた袋がきちんとおさまっている。それは朝食の食材だった。 勇利は、ほかに何かないかと冷蔵庫の中を調べてみた。ほとんど食べ物が入っていない。いつも外食なのだろうか。買ってきてよかったと思った。献立は和食だった。たいしたものはできないけれど、卵焼きや焼き魚があれば体裁は整うだろう。ヴィクトルはごはんとみそ汁が好きだからそれだけでも喜んでくれるにちがいない。……たぶん。みそ汁は具だくさんにした。野菜をたっぷり入れておく。炊飯器がないから、鍋で米を炊いた。思ったより上手くできた。ふたりぶんつくったので、食卓につき、自分でも味見してみたけれど、とんでもなく美味しいとは言えないものの、ごく普通の、食べられる朝食だった。勇利は、ヴィクトルはここで暮らしてるんだなと、あちこちに視線をやって観察しながら、最後まで勢いよく食べた。彼は自分の仕事に満足した。 「ごちそうさまでした」 そろそろ出掛けなければ。練習がある。勇利はヴィクトルの様子を見に行った。彼はさっきとはちがう位置で寝ていた。勇利がいた場所に覆いかぶさっている。そんな姿勢で苦しくないのかと顔をのぞきこんでみたけれど、口元に微笑をたたえているので大丈夫だろう。 「じゃ、ぼく行くね」 勇利はまたヴィクトルの額にキスした。 「いってきます」 ヴィクトルの家をあとにし、リンクへ向かう途中、勇利はひどくみちたりていた。ヴィクトルっていっつもこんな感じなのかと思った。朝の支度をして、寝ている勇利に別れを告げ、出ていくヴィクトル。確かに楽しい。これはやりたくなる。何がいいのかと訊かれたらこれだとは答えられないのだけれど、とにかく精神がすがすがしく、晴れやかで、しあわせな気持ちなのだ。 「癖になりそう」 勇利はつぶやいた。 その日はヴィクトルは休みなので、勇利の朝食を食べて、ゆったりしているはずだった。夜にはまたぼくんちに来るかな、どうだろう、と勇利はぼんやり考えていた。ところがヴィクトルは、昼頃クラブへやってきて、食堂で昼食をとっている勇利を見るなり、つかつかと歩み寄ってきた。 「あ、ん、ヴィクトル」 勇利はボルシチでいっぱいの口をもごもごと動かし、のみこんでしまおうとした。なんだかヴィクトルはすごい剣幕みたいだ。顔つきが真剣だし、足取りも勢いがある。食堂にいたほかの選手たちがなにごとかと振り返っている。怒らせちゃったのかな!? 勇利はどきどきした。勝手に寝て、勝手に台所使っちゃったから……。 「勇利」 ヴィクトルは勇利のすぐ前で足を止めた。彼は熱心な様子で勇利に顔を寄せると、たったひとこと、きっぱりと言った。 「結婚してくれ」 「は!?」 勇利はぽかんとした。口の中のボルシチがようやくなくなったところだった。彼はぱちぱちと瞬き、そっと首をかしげ、考えこんだあと大笑いした。 「あっはははははは!」 ごはんとみそ汁に感激したのだろう。簡単なんだから、と勇利は可笑しくてたまらなかった。そんな朝食をつくってもらったくらいで求婚したくなるなんて。あのヴィクトル・ニキフォロフが。笑い過ぎて涙をぬぐっていると、ヴィクトルが咳払いをした。勇利は言った。 「今日休みじゃないの?」 「休みだ。でも、会いたかったから会いに来た。ごはん、美味しかったよ」 勇利は驚いた。いままで、それと意識したわけではないけれど、こうして昼間に会ったとき、夜の逢瀬のことを話したことはなかったのだ。 「よかった」 「とくにみそ汁が美味しかった。たくさん野菜が入っていて……。でも焼き魚の塩加減がいちばんよかったし、卵料理の焼き加減がすばらしかった。鍋で炊いたごはんも最高だった」 「結局どれがいちばんなの?」 「全部だ」 「ヴィクトルがつくってくれたお粥はね……」 「ああ」 「……ううん、なんでもない」 「なに? 気になる」 「なんでもないよ……大丈夫」 「何なんだ!?」 午後、いつものように練習を見てもらい、帰りは、いつもとはちがって、そろって勇利の家へ帰った。部屋で、ふたりで夕食を食べた。初めてのことだった。 「一緒に暮らそうか」 食事をしながらヴィクトルが言った。 「結婚するんじゃなかったの?」 勇利はからかった。 「するさ」 ヴィクトルはとりすまして答えた。 「いずれね」 「ふうん」 「どうだい」 「どうだいって、ふたり暮らし? それとも結婚?」 「両方だ」 勇利はちょっと首をかしげ、口をすぼめて考えた。冗談ではなかったのだろうか? 「いいけど……」 「本当かい?」 ヴィクトルが声をはずませた。勇利はにっこりした。 「でも、いまの感じも好きだから、そのうちね」 「そのうち?」 ヴィクトルは不服そうに片目をすがめた。 「そのうちっていつ?」 「いずれ」 「わかった」 ヴィクトルはうなずいた。ふたりは協力して洗い物をし、一緒に風呂に入り、ベッドでキスをして、着ているものを脱ぎ捨て、肌を重ねた。ヴィクトルの情熱的な愛撫に深くみちたり、勇利はほとんど気絶するように寝入ったが、翌朝目ざめたとき、つむりはヴィクトルの腕にのっていて、彼はいなくなっていなかった。ヴィクトルは起きていた。 「おはよう」 「おはよう」 ヴィクトルは勇利のくちびるにキスした。 「で、いつから一緒に住む?」
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『 パーフェクトワールド 』
~ 君といる奇跡 ~
みなさん こんにちは
結婚相談所
ハッピータイム県央&みなかみ分室
婚活アドバイザーの佐々木です。
映画・ドラマどちらも素晴らしい
もちろん原作が良いからでもあります
が、映画・ドラマそれぞれの 主人公役
おふたり達がナチュラルで リアルに
感動してしまいました。
お互いを愛しているからこそ
傷つけまいと遠ざけたり
逆に傷つけたりしてしまう。
そんな2人も恋路がもどかしくも切ない
障がいを持った人間が
大切な人と寄り添って
生きていくことの大変さや
困難を乗り越えた時の温かさ
心に染みます。
夢を叶えながらも
車イスのために他人の助けなしでは
生きられない自分を卑下し
誰かを愛することを諦めて生きていた樹
そんな樹と再会し
なんとかその力になりたいと一生懸命
になり、ついつい無理をしてしまい
かえって相手を追い込んでしまうつぐみ
お互いを想いやるが故に
傷つけ合ってしまう
樹とつぐみならではの
もどかしくて切ない恋模様に
観ていて胸がいっぱいになります。
決して綺麗事だけでは片づけられない
障がいを持った人間を取り巻く厳しい
環境。
ふたりは、どう乗り越えていくのか
感動だけではなく現実的に
深く考えさせられるところもあります。
樹のヘルパーさんのひと言
「彼と付き合うには、覚悟が必要よ。」
全てが表れているように感じます。
「人は独りじゃ生きられない。」
つぐみの言葉にもあるように
お互いに寄り添い合って生きてこそ
初めて知る、真実の愛の物語です。
映画・ドラマどちらも
是非、ご覧いただきたい作品です。
カップルで鑑賞であれば
障害て何だろう...
健常者であっても
至らないところはあるのでは
相手を受入れる
覚悟ができているのでは
シングル鑑賞であれば
人はだれでも指名をもって生きている
自身に自信を持つことで 誰にでも手を
差し伸べられる。
そんな人にならなければと思えるのでは
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婚活応援団ハッピータイムグループ
★県央支部 〒371-0812 群馬県前橋市広瀬町2-1-9
★みなかみ分室 〒379-1305 群馬県利根郡みなかみ町後閑311-4
URL: http://www.ht-minakami.com
TEL・FAX 0278-62-2792
携帯 080-1160-5479
支部長 佐 々 木 真 勇
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くれたけ心理相談室(知多支部)ご挨拶
2023年もお世話になり誠にありがとうございました。 素敵なことも、少し、くいしばり奮闘したことも、これからのご自身にとりまして いつか凛とした花を咲かせる栄養となることと信じています。 2024年新しい年を、穏やかな気持ちで迎えられますよう願っております。 今後共精進してまいります。 くれたけ心理相談室 田中絵里
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