#うちなーぐち 台湾旅7
Explore tagged Tumblr posts
uchinaguchishutoku · 2 years ago
Text
台湾 ゐー そーぐゎち 旅⑦ とー うっさ✨台湾旧正月旅❼これで終わり✨
うちなーぐちぐゆみ1月19日(うらんだぐゆみ2023年2月9日)
はっし! ちゅーぬ 台北や じこー ひーはいびーんよー。。。
君品酒店さーに ひてぃみてぃむん かまびーんどー!
ぬーが ましがやー♪みじらしむんが まんどーびーん!
はっさ!今日の台北はとっても寒いです。。。
ホテルで朝ごはんを食べますよー!
何がいいかなー♪珍しい食べ物がたくさん!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
とー、いんかはぬ たび やいびーたしが、ゐーばー やーにんじゅとぅ まんじょーん ちゃびたっさー。
ちげー 高雄空港んけー なーふぁから 飛行機 あいねー ましやいびーしがやー♪
しぐ いからりーるぐとぅ もーきやーならんとーないびらんさー🤣
はい。短い旅でしたけど、家族と一緒に来て���かったです。
次は高雄空港に那覇からの便が飛んでいたらいいのですがねー♪
すぐ行けるよう、たくさん稼がねば🤣
Tumblr media
ぐすーよー、①~⑦までぃ ながはいびーたしが、ゆでぃ くぃみそーち にへーやいびーん!
みなさん、❶~❼まで長かったですが、読んでくださってありがとうございます!
0 notes
ayaka0715 · 6 days ago
Text
My YouTubeは再生回数100以上〔2日分の合計〕設定してます!
急降下されたら翌日のブログをおやすみさせていただきます。
マンスリーベストナイン のお知らせがでてるから確認を。
ニュース
2024/12/20
#sixtones #ニノさん #推しの子 #ヒロイン戦士 #エヴァ #プロ野球 #阿部サダヲ #西島秀俊 #堺雅人 #m1グランプリ #キスマイ〔元メンバー〕#snowman #creepy nuts#number_i 等
m1グランプリ 審査員、#サザエさん 🐈 #満月❄️ 、#相葉雅紀 #山田涼介 #櫻井翔 、#堂本光一 、#松田元太 らのババ抜き #森本慎太郎 さんの兄〔#森本龍太郎 氏〕 等12/16
https://youtube.com/shorts/kz8c40XPR1o?feature=share
SnowMan 全員で東京Dライブ、#巨人 の阿部監督が大歓喜、#バカ���ズム の新ドラマ、#りんご飴🥤他#ニュース 24/12/16
https://youtube.com/shorts/Kz6EIEr_CNg?feature=share
24/12/17 ニュースまとめ 2024年で流行りの作品、#プロ野球、#火9 ドラマ〔秋〕、#安藤サクラ のお父様、新#大河ドラマ、つなぐ#神戸30年〔阪神・オリックス〕、#ドクターx 等
https://youtube.com/shorts/mcyVufUPP9k?feature=share
#永野芽郁 #横浜流星 森本慎太郎 #大泉洋 #大谷翔平 #プロ野球〔巨人・ホークスのハワイ旅行終了〕 #中山美穂 ニュース エンタメ スポーツ 24/12/17
https://youtube.com/shorts/sLYu2GwoQRs?feature=share
#キットカット #北山宏光 推しの子 #地獄先生ぬーべー #オクラ #反町隆史 #杉野遥亮 等 24/12/18 前編
https://youtube.com/shorts/2kluooTCAC8?feature=share
#プロ野球 #USJ #重岡大毅 山田涼介 #松本若菜 堺雅人 #gackt #パリピ孔明 #内村光良 #koki #はたらく細胞 #船越英一郎 等 24/12/18 中編
https://youtube.com/shorts/TNVKqCukXfM?feature=share
#増田貴久 #中山美穂 #広瀬アリス #佐々木蔵之介 #赤楚衛二 #なにわ男子 #横浜流星 #河合優実 #内村光良 #青山剛昌 #フースーヤ #カベポスター #有村架純 等 24/12/18 後編
https://youtube.com/shorts/wTYngcCVBaE?feature=share
堺雅人 #heysayjump #kismyft2 #タモリ #内田有紀 #明石家さんま #木村拓哉 #ダイアン 阿部サダヲ #松下洸平 など 24/12/19 #ニュース
https://youtube.com/shorts/lMnaN9qF8c8?feature=share
〔〕ヒントあり
佐々木蔵之介 💙🐎有
西島秀俊 🖤🍩有
阿部サダヲ 🧡⚾️有
堺雅人 ❤️🦌有
戸次重幸 💜🤖
片岡愛之助 💖🍓
kinkikids 💙🎸❤️✝️有
and more....
6/7、tiktok は著作権が厳しく永久削除になってしまうため、28日にもって退会〔引退〕をすることになりました。
Instagramは全て凍結されたら引退させていただきます。
今月は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
 
抜き打ちチェックはInstagram引退をするので実施できませんので予めご了承下さい。
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
 
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
まだ更新していない人はお早めにね。
 
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
現在のInstagram は監督委員会 から違反されていますが、期限切れになると送れなくなるからご勘弁を。
あと、フォローバッグはストーカーの可能性があるから拒否させていただきます。〔フォローをする時は承認必要です。※無言禁止〕
これからも見守る。 扇動行為 破壊活動防止法 tictok instagram 謝罪 
危険なので死語扱い・文句を言ったり、
Instagram以外な写真は載せてしないでね。
インスタ不具合
誹謗中傷  拘禁刑 ←炎上 
アカウント削除
セックス依存症〔2022年度から18歳以上の新成人制度→人物画〕
 
現在
旧創業者の事務所であるSmileUP 社の救援,ウクライナ、台湾東部、石川県能登地方の#支援・医療期間 を行っております。
 
馬鹿なx・Instagram
あと、SNS詐欺・迷惑行為・犯罪行為は絶対しないで。
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
神藤彩佳🐼💙
0 notes
unikeni · 7 months ago
Text
Mt Yushan Climb
登山ブログ第三弾 - 台湾,玉山; 3952m
6/2/2024 - 6/4/2024
5年ぶりの登山。1年にひとやま登る目標だったんだけど、コロナ諸々でそうもいかず。ようやく念願叶って登ることにしたのが台湾の最高峰、玉山(3952m)。
シンガポールのツアー経由で許可を4ヶ月以上前から申請。季節柄登るのに適したタイミングがあることと、自身のスケジュールを加味して、この時期に。
結論からいうと、うーん、素晴らしかった…んだけど、天気が良ければ、何倍も良かったんだろうな、という煮え切らない感じ。でも、無事登頂できたんだから、やっぱり山の神様に感謝しかないかな。というのも、僕らが下山��た翌日には、降り続けた雨の影響で土砂崩れが発生して、大変な事態になったよう。そういう紙一重の状況。しかもアタックの時だけ雨が止む、という幸運もあった。山は侮ってはいけないってことを再痛感。
Tumblr media
準備・ハイキング編
装備や体の備えもやや軽くみていたのは否めないかも。過去の2山よりも低い、ということもあるし、経験者にも簡単だよ、と言われていたから。2週間の台湾旅の前に終わらせる仕事も多かったから、下調べも少なめ。前回使った山装備でいけると思ってた。結論だけ言えば、体力的な不安・高山病の心配・装備等、なんの問題もなかった。
ただし、雨対策をもっとしとけば良かった。デカスロンの10ドル雨合羽(ズボンが見当たらず…上着だけ)、と日本で日常使いしていたゴアテックスのウィンドブレーカーで大丈夫だろう、ぐらいの考え。甘かった…。ズボンは結局水を弾く素材だったんだあ、ということを現地で気づく始末。登山中に雨が降ることを想定するべきだった。
Tumblr media
ロジに関して、台北到着以降はスムーズで、中央駅から送迎バンでDongpuという麓の街まで、4時間ぐらいのドライブ。ラッキーなことに温泉地で露天風呂付き。雨の山を見ながら湯船に浸かる。これだけでもう幸せ。夜はパッキングをして、就寝。相部屋のおっちゃんにいろいろアドバイスを聞く。結局、いつもの小ぶりのリュックで行くことに。大きな荷物はバンに置きっぱなし。
Tumblr media Tumblr media
翌日朝は入山申請後、trail head まで車で行って、9時半ぐらいに登山開始(2610m)。8.5キロ先のパイユンロッジ(3402m)までゆっくり歩き始める。スタート直後から、霧雨~小雨ぐらいの雨が降り始め、濃い雲と霧で山並みは何も見えない。でも久々のハイクはテンション上がるし、雄大な雰囲気はよく伝わる。ちなみにトレイル全般にわたって、トイレが少ないことに頭を痛めたかも。その辺で済ましても良かったのだろうけど、やや躊躇。良くないのは承知で、水分補給をためらうことも結構あった。軽いお昼を食べたあとの後半2時間はやや強めの雨にやられる。完全にやる気が減退。翌朝、雨が降ってるようだったら、アタックを本気で止めようかとさえ思った。靴の中、足全体、上半身も半分ぐらいが水没。午後2時半にはロッジに到着したから、ペースはかなり早かったよう。
Tumblr media Tumblr media
ロッジに着いてさらに愕然としたのは、リュックの中もすごい勢いで浸水していたこと。防水カバーのアテのならなさに気づく。用心のためにもビニール袋の中に服類を入れておくべきだった…。防寒用のヒートテック系3着の肌着はぐっしょりだったし、その他も濡れてた。頂上に着いても、これだと低体温の恐れがあると本気で思った。幸いだったのが、ヒートテックパンツが大丈夫そうだったことと、セーター、マフラー、靴下もいけそうだったこと。速攻乾かし始める。登山ズボンの水を弾く力にはガッカリだったんだけど、速乾性の素材であったことはラッキーだった。ゴアテックスのジャケットは無惨だったけど、レインコートの上に重ねて着る、というアイディアを採用。上半身は薄着ではあるけど、風雨を凌いでくれるものを二重にして対処。あとはマフラーで暖をとる作戦。びっしょりの靴にはビニール袋を靴下に被せる、ということがうまく機能して、足先が冷たい思いをせずに済んだ。
意外とこんな困難な状況でもなんとかなるんだ、と思った。諦めよう、という気持ちには最初なるんだけど、まあやってみようよ、という風に心変わりする自分がいることに気づく。数週間前のデサルーでのレース中もそういうのがあった。
Tumblr media Tumblr media
登頂編
1時半に朝食、2時に出発の予定に。翌朝7時以降から雨足が強くなる予報だったから、その前に戻ってくることをみこしての計画。パイユンロッジは必要最小限の設備が備わってる感じで、2段ベッドに寝袋支給。イビキがうるさくてほとんど寝られなかった…。食事が案外美味しかったのがプラスで、常に僕は食欲がすごいあった。
防寒対策して、ヘッドランプ・(支給された)ヘルメットを被り、余分な荷物を置いて、出発。8人のグループだったけど、2人が辞退。1人は体調不良、ということでキツイ人にはキツイようだった。2.4キロの道のりをずんずん登っていく。森林地帯から抜けた辺りから風が強くなって、後半の方はかなり急峻な崖を足元に気をつけながらゆっくり進んでいく。キナバルとの違いは、傾斜かな。結構危険なところが多くて、チェーンに捕まらないとやばいな、って所も多かった。ウィダーインゼリーゴールドをここでとる。最後半は風がさらに強くなって、寒さ・危険度がさらに増す。でもあっという間に着いちゃった、という印象かもしれない。4時40分くらい。その後、20分ぐらい頂上でご来光を待っていたけれど、雲が晴れる兆候が一切なかったから、集合写真を撮ってさよならすることに。頂上のスペースは思いのほか狭い。
その後の下山は、黙々と歩くのみ。予定通り7時前にロッジ着。温かい麺を食べたあとは、8時過ぎにはもう出発してた。下山時も幸い雨はほぼなく、徐々に暑くなることをみこして、わりと薄着の格好だった。正午前ぐらいには無事trail head に戻って、その後はバンに揺られ、台北までかなりのスピードで戻った。6時ちょい前には解散。途中ランチ休憩でいっぱい食べられたし、(翌日のことを考慮して)少し仮眠が取れたのは良かった。
Tumblr media Tumblr media
まとめ
久しぶりの山はやっぱり楽しかった。あと、山好きの人に囲まれるのも新鮮で、普通の会話も、あそこの山が良かった等、山の話題が多いのも面白かった。次は少し日本の山にも挑戦したいかな。あえて目標をたてずに、まずはその魅力をもう少し理解したいかも、と思った。
今回は勝因となるtip みたいのはあまり思いつかなくて、むしろ際どい状況下でどう考えて対処するか、を学んだ気がする。ひとつの些細な判断ミス��大きな問題になる可能性もよく理解した。
0 notes
okinatoshiakira · 2 years ago
Text
大家的自助旅遊日語觀光會話(一)
解說: 翁俊彬0938-269-966手機號碼/遠傳
2023/3/31週五~2023/4/1週六
*敬請支持以及樂捐贊助【翁俊彬 中英美日台語 ���上小班/一對一公益愛心講座】
郵局代號700戶名:翁俊彬/局號0041-081 帳號038-5461
* LINE賴/簡訊Text:0938-269-966(遠傳)
* 講師:翁 俊彬(早稻田大學商學部留學畢業/家人:88老母及身障兄長照顧者)
祝福全球在2023年新的一年鴻兔大展~更上一層樓~每一位都闔家平安健康和幸福美滿。
* Facebook臉書/YOUTUBE: 翁俊彬 Jimmy 老師Mr. Okina Toshiakira
(留澳/留日/旅遊觀光/語言學校/早稻田大學商學部留學畢業/東京大阪生活
/翻譯口譯專家/推廣台灣世界國際交流/推廣多語學習/推廣樂齡長青終身學習)
【課程內容】
速成/家教/短期/長期/公益/演出/關懷/團體課程/專題演講(全省/海外)
第4ページ おはよう。
1. おはよう ございます。
早安。
2. こんにちは(WA)。
今日(きょう)はどうですか。
 商売(しょう ばい)/繁盛(はん じょう)
体調(たい ちょう)
今日(きょう)の勉強(べん きょう)はどうですか。
素晴(すば)らしい です。
面白(おも しろ)い です。
楽(たの)しい です。
大変(たい へん)勉強(べん きょう)になりました。
非常感謝老師,今天
我和同學們都學習到很多。
昨日(きのう)はどうでしたか。
 今日(こん にち)/本日(ほん じつ)
昨日(さく じつ)は いかがでしたか。
3. こんばんは。
4. おやすみ なさい。
5. さようなら。
6. では、また 後(のち)ほど。
7. では、また 後(あと)で。
8. では、また 明日(あした)。
9. では、失礼(しつ れい)します。
第5ページ 御元気(お げん き) ですか。
1.御元気(お げん き) です か。
2.元気(げん き)です。
 有(あ)り難(がと)う 御座(ござ)います。
3.貴方(あなた)の方(ほう)は如何(いかが)ですか。
4.まあ まあ です。
5.好調(こう ちょう)です。
6.気(き)を 付(つ)けて 下(くだ)さい。
7.良(よ)い 御旅行(ご りょ こう)を して 
 来(き)て 下(くだ)さい。
第6ページ
私(わたし)の名前(な まえ)は〇〇〇〇です。
1.私(わたし)の名前(な まえ)は陳美麗(ちん み れい) です。
2.貴方(あなた) の 御名前(お な まえ) は?
3.
何(なん) と 言(い)う 御名前(お な まえ)?
4.
この方(かた)は 李志明(り し めい)さんです。
こちらは 李志明(り し めい)さんです。
5.
初(はじ)めまして、どうぞ
宜(よろ)しく お願(ねが)い します。
6.
こちら こそ、どうぞ
宜(よろ)しく お願(ねが)い します。
7.又(また) 御会(おあ)い しましょう。
8.又(また) ね。
第7ページ ありがとう
1.有難(あり がと)う。
2.有難(あり がと)う ございます。
3.御親切(ご しん せつ)、感謝(かん しゃ)します。
4.色々御世話(いろ いろ お せ わ)になりました。
5.どう いたしまして。
6.いい の です よ。
7.御苦労様(ご く ろう さま) です。
 御苦労様(ご く ろう さま) でした。
第8ページ ごめんなさい
1.御免(ご めん) なさい。
 御免(ご めん) ください。
2.遅(おく)れて 御免(ご めん)なさい。
3.お待(ま)たせして御免(ご めん)なさい。
4.席(せき)を間違(ま ちが)えて御免(ご めん)なさい。
5.本当(ほん とう)に 御免(ご めん)なさい。
6.いいえ、いい の ですよ。
第9ページ 
すみません
1.何(なに) か 御用(ご よう) です か。
2.ちょっと 御願(お ねが)い したい
 の です が。
3.すみません、通(とお)して下(くだ)さい。
4.お尋(たず)ねして宜(よろ)しいですか。
5.すみません、どなた か
いらっしゃいます か。
6.もしもしフロントですか。
第10ページ はい/いいえ
1. これは 甘(あま)い のですか。
2. はい、そう です。
3. はい、御願(お ねが)い します。
4.そう ですか。
 正(ただ)しい です か。
5.いいえ、違(ちが)います。
第11ページ 
1.それは 間違(ま ちが)っています。
2.いいえ、そうは思(おも)いません。
3.いいえ、結構(けっ こう) です。
 はい、結構(けっ こう) です。
4.分(わ)かりました。
5.分(わ)かりません。
6.仰(おっしゃ)る事(こと)が分(わ)かりません。
7.知(し)りません。
8.良(よ)く 聞(き)き取(と)れません。
9.帰(かえ)りたく ありません。
10.それ は 嫌(きら)い です。
  それ は 嫌(いや) です。
11.そうする事(こと)はできません。
12.日本語(に ほん ご) は 話(はな)せません。
第12ページ 何(なに)?
1. え?
何(なん)と言(い)ったのですか。
2.分(わ)かりません。
3.聞(き)こえません。
4.もう一度(いち ど) 言(い)って下(くだ)さい。
5.それは どう 言(い)う意味(い み)
です か。
6.今(いま)言(い)った 事(こと) を 書(か)いて
 貰(もら)えます か。
7.本当(ほん とう)?
第13ページ 
~しなければ なりません。
する→しない
  →しなければ
  →しなければ なりません
1.九時(く じ)まで に 其処(そこ) に
着(つ)かなければ 成(な)りません。
着く→着かない
→着かなければ
→着かなければなりません
2.朝(あさ) 早(はや)く ホテル(ほてる) を
発(た)たなければ なりません。
発つ→発たない
  →発たなければ
  →発たなければ なりません
3.貴方(あなた)が謝(あやま)る べき です。
4.席(せき) を 予約(よ やく) する
必要(ひつ よう) が 有(あ)ります か。
5.何時(なん じ) に 此処(ここ) に
来(こ)なければ なりませんか。
6.その列車(れっ しゃ) に 乗(の)る 必要(ひつ よう) は 有(あ)りません。
7.その窓(まど) を 
 開(あ)けて は いけません。
*開け���(Ⅱ)→開けて
第14ページ 
~したい の です が。
1.観光(かん こう)ツア(つあ)ー に 
参加(さん か)したい の です が。
参加(さん か)する(Ⅲ)→参加(さんか)します
→参加したい 
2.この葉書(は がき) を 台湾(たい わん) に
送(おく)りたい の です が。
送(おく)る(Ⅰ)→送(おく)ります
→送(おく)りたい
3.貴方(あなた) と 一緒(いっしょ)に
行(い)きたい の です が。
行(い)く(Ⅰ)→行(い)きます
→行(い)きたい
4.東京駅(とう きょう えき) に 行(い)きたい 
の です が。
行(い)く(Ⅰ)→行(い)きます
→行(い)きたい
5.彼(かれ)から私宛(わたし あて)に電話(でん わ)して 欲(ほ)しい の です が。
電話(でんわ)する(Ⅲ)→電話(でんわ)します
→電話(でんわ)して(て形変化)
6.荷物(に もつ) を 預(あず)かって 
頂(いただ)きたい の です が。
預(あず)かる(Ⅰ)→預(あず)かります
→預(あず)かって(て形変化)
7.切符(きっぷ)をキャンセル(きゃん せる)したい
の です が。
 キャンセル(きゃんせる)する(Ⅲ)
→キャンセルします
→キャンセルしたい
第15ページ 
~を お願いします。
1.定食(てい しょく)を お願(ねが)いします。
2.切符(きっぷ)を 二枚下(に まい くだ)さい。
3.お勘定(かん じょう)を
お願(ねが)いします。
4.駅(えき)までの 道(みち)を 教(おし)えて頂(いただ)けますか。
5.ショ(しょ)ーウインド(ういんど)ーに有(あ)る
バッグ(ばっぐ)を見(み)せて頂(いただ)けますか。
 見(み)せる(Ⅱ)→見(み)せます
→見(み)せて(て形変化)
6.どうぞ お入(はい)り 下(くだ)さい。
 入(はい)る(Ⅰ)→入(はい)って
→入(はい)ります
→入(はい)り→お入り
大家的自助旅遊日語觀光會話(一)
解說: 翁俊彬0938-269-966手機號碼/遠傳
2023/3/31週五~2023/4/1週六
*敬請支持以及樂捐贊助【翁俊彬 中英美日台語 線上小班/一對一公益愛心講座】
郵局代號700戶名:翁俊彬/局號0041-081 帳號038-5461
* LINE賴/簡訊Text:0938-269-966(遠傳)
* 講師:翁 俊彬(早稻田大學商學部留學畢業/家人:88老母及身障兄長照顧者)
祝福全球在2023年新的一年鴻兔大展~更上一層樓~每一位都闔家平安健康和幸福美滿。
* Facebook臉書/YOUTUBE: 翁俊彬 Jimmy 老師Mr. Okina Toshiakira
(留澳/留日/旅遊觀光/語言學校/早稻田大學商學部留學畢業/東京大阪生活
/翻譯口譯專家/推廣台灣世界國際交流/推廣多語學習/推廣樂齡長青終身學習)
【課程內容】
速成/家教/短期/長期/公益/演出/關懷/團體課程/專題演講(全省/海外)
第16頁~は 有(あ)りますか。
1.ペン(ぺん)を お持(も)ちですか。
*持(も)つ(Ⅰ)→持(も)ちます
→持(も)ち→お持(も)ち
ペンは 有(あ)ります か。
2.中国語(ちゅう ごく ご)の新聞(しん ぶん)は
 有(あ)ります か。(〇)
3.中国語(ちゅう ごく ご)の新聞(しん ぶん)は
 お持(も)ち ですか。(✖)
3.名産品(めい さん ひん)は
置(お)いて います か。
*置(お)く(Ⅰ)→置(お)いて
→置(お)いています
 名産品(めい さん ひん)は 有(あ)りますか。
4.もっと 大(おお)きい の は
有(あ)ります か。
=もっと 大(おお)きい 鞄(かばん) は
有(あ)ります か。
5.
空(あ)き部屋(べ や)は有(あ)りますか。
空(あ)き部屋(べ や)はお持ちですか。
空(あ)き部屋(べ や)は置いていますか。
6.此処(ここ)に 警察署(けいさつしょ)は
有(あ)りますか。
7.この席(せき)は空(あ)いていますか。
*空(あ)く(Ⅰ)→空(あ)いて
→空(あ)いています
第17ページ 
~は いくら です か。
1.それは いくら ですか。
2.駅(えき)まで どの位(ぐらい) 時間(じ かん) が かかります か。
=駅(えき)まで どの位(ぐらい) ですか。
3.駅(えき)まで どの位(ぐらい) 距離(きょ り)が
有(あ)ります か。
=駅(えき)まで どの位(ぐらい) ですか。
4.この荷物(に もつ)は どの位(ぐらい)の
重(おも)さ ですか。(重(おも)い)
=この荷物(に もつ)は どの位(ぐらい)
 ですか。
5.何歳(なんさい) ですか。
=どの位(くらい)の年齢(ねん れい)ですか。
6.今年(ことし) は御幾(おいく)つ ですか。
=年齢(ねん れい)は どの位 ですか。
第18ページ 
何処(ど こ)/誰(だれ)/何時(いつ)/何(なに)/何故(なぜ)
1.トイレ(といれ)は 何処(どこ) ですか。
2.此処(ここ)は 何処(どこ) ですか。
3.この絵(え)は 何処(どこ)で 
見(み)られます か。
*見(み)る(第��類動詞)
→見(み)られるⅡ(受(う)け身(み))
4.
あの人(ひと)は 誰(だれ) ですか。
あの方(かた)は 何方(どなた) ですか。
5.
何方(どなた)が 担当(たん とう)の方(かた) ですか。
誰(だれ)が 担当者(たんとうしゃ) ですか。
担当(たん とう)の方(かた)は 何方(どなた) ですか。
担当者(たんとうしゃ)は 誰(だれ)ですか。
5. これは 何(なん) ですか。
第19ページ 
1. これは どう 言(い)う
意味(いみ) ですか。
=これは 何(なん)の意味(いみ)ですか。
2. あのビル(びる)は 何(なん)ですか。
あれは 何(なん)のビル(びる)ですか。
3. これは 何(なに)に 使(つか)う
ビル です か。
4. これは 何時(いつ) 
立(た)てられたビル ですか。
*立(た)てる(第Ⅱ類動詞)
→立てられる(受け身)
→立てられた(過去形)
5.何時(なん じ) 開(ひら)きますか。
 何時(なん じ) オープン(ぷん)しますか。
何時(なん じ)から 営業(えい ぎょう)しますか。
6.店等(みせ など)の休(やす)みは何時(いつ)ですか。
*休(やす)む→休(やす)みます→休(やす)み
7.何故(なぜ) 列車(れっしゃ)は遅(おく)れている
の ですか。
*遅(おく)れる(Ⅱ)
→遅(おく)れて→遅(おく)れている
=列車(れっしゃ)が 遅(おく)れている理由(りゆう) 
 は 何(なん) ですか。
8.何故(な ぜ) 閉(し)まっている
の ですか。
=閉(し)まっている 理由(りゆう)は
 何(なん) ですか。
*閉(し)まる(Ⅰ)→閉(し)まって
→閉(し)まっている
9.今(いま) 何時(なん じ) ですか。
10.明日(あした)は 何時(なん じ)に 
出(で)かけます か。
11.どのバス(ばす)に 乗(の)ったら
  いい です か。
*乗(の)る(Ⅰ)→乗(の)った
→乗(の)ったら
12.どれに しますか。
  どれに 乗(の)りますか
第20ページ 
どのように~
1.灯(あか)り は どう やって 
付(つ)ける の です か。
*やる(Ⅰ)→やって(て形)
2.東京(とう きょう)ホテル(ほてる) は どう  やって 行(ゆ)く の ですか。
3.この料理(りょう り)は どうやって 食(た)べる の です か。
4.電話(でん わ)は どう やって 
かける の です か。
5.どのように したら 
いい ですか。
6.どう 行(い)く の ですか。
7.この字(じ)は どう発音(はつ おん)する
の ですか。
10. このように したら 
どう ですか。
第21ページ 困(こま)っています
困(こま)る(Ⅰ)→困(こま)って
1.手伝(て つだ)って 下(くだ)さい。
*手伝(てつだ)う(第Ⅰ類動詞)
→手伝(てつだ)って(て形変化)
2.止(や)めて 下(くだ)さい。
*止(や)める(第Ⅱ類動詞)
→止(や)めて(て形変化)
3.警察(けい さつ)を 呼(よ)んで 下(くだ)さい。
*呼(よ)ぶ(第Ⅰ類動詞)
→呼(よ)んで(て形変化)
4.バッグ(ばっぐ)を 取(と)られました。
*取(と)る(Ⅰ)→取(と)られる(Ⅱ)
→取(と)られた→取(と)られました
5.財布(さい ふ)を 失(な)くしました。
*失(な)くす(Ⅰ)→失(な)くした
→失くしました
6.
具合(ぐ あい)が悪(わる)い の ですが。
体調(たいちょう)が 崩(くず)れた のですが。
崩(くず)れる(Ⅱ)→崩(くず)れた(過去)
7.荷物(に もつ)が 見(み)つからない   
 の ですが。
*見(み)つかる(Ⅰ)(肯定(こうてい))
→見(み)つからない(否定(ひてい))
8.道(みち)に 迷(まよ)っています。
*迷(まよ)う(Ⅰ)→迷(まよ)って(て形)
→迷(まよ)っている(現在進行形)
→迷っています(敬語)
第22頁 できるだけ もっと
1. できるだけ もっと 
早(はや)く 来(き)て ください。
*来(く)る(Ⅲ)→来(き)て(て形)
2.できるだけ 速(はや)く書(か)いて
ください。
*書(か)く(Ⅰ)→書(か)いて
2. できるだけ 多(おお)くして
下(くだ)さい。
*多(おお)い(い形��詞)
→多(おお)く(副詞)
*する(Ⅲ)→して(て形)
3. できるだけ 少(すく)なくして
下(くだ)さい。
* 少(すく)ない(い形容詞)
→少(すく)なく(副詞)
4.できるだけ 安(やす)く して
ください。
*安(やす)い(い形容詞)→安(やす)く(副詞)
5.もっと小(ちい)さい鞄(かばん)を下(くだ)さい。
6.もっと大(おお)きい鞄(かばん)を下(くだ)さい。
7.もっと長(なが)い靴(くつ)を 下(くだ)さい。
8.もっと短(みじか)い靴(くつ)を 下(くだ)さい。
9.もっと多(おお)く貰(もら)って下(くだ)さい。
10.もっと少(すく)なく貰(もら)って下(くだ)さい。
8.もう一度(いちど)言って下(くだ)さい。
もう一(ひと)つ買(か)って下(くだ)さい。
大家的自助旅遊日語觀光會話(一)
解說: 翁俊彬0938-269-966手機號碼/遠傳
2023/4/2週日
*敬請支持以及樂捐贊助【翁俊彬 中英美日台語 線上小班/一對一公益愛心講座】
郵局代號700戶名:翁俊彬/局號0041-081 帳號038-5461
* LINE賴/簡訊Text:0938-269-966(遠傳)
* 講師:翁 俊彬(早稻田大學商學部留學畢業/家人:88老母及身障兄長照顧者)
祝福全球在2023年新的一年鴻兔大展~更上一層樓~每一位都闔家平安健康和幸福美滿。
* Facebook臉書/YOUTUBE: 翁俊彬 Jimmy 老師Mr. Okina Toshiakira
(留澳/留日/旅遊觀光/語言學校/早稻田大學商學部留學畢業/東京大阪生活
/翻譯口譯專家/推廣台灣世界國際交流/推廣多語學習/推廣樂齡長青終身學習)
【課程內容】
速成/家教/短期/長期/公益/演出/關懷/團體課程/專題演講(全省/海外)
第23ページ 入国審査(にゅう こく しん さ)
1.パスポ(ぱすぽ)ー ト(と)を
見(み)せて 下(くだ)さい。
*見(み)せる(Ⅱ)→見(み)せて
2.はい、これ です。
お願(ねが)いします。
3.団体旅行(だん たい りょ こう)のメンバ(めんば)ー
 ですか。
4. いいえ、個人旅行(こじんりょこう) です。
5.旅行(りょ こう)の目的(もく てき)は何(なん)ですか。
6.観光(かんこう) です。
 ビジネス(びじねす) です。
 商用(しょう よう) です。
7.東京(とう きょう) には 何日(なん にち) 
滞在(たい ざい)します か。
*滞在(たいざい)する(Ⅲ)
→滞在(たいざい)します(ます形/敬語)
8.五日間(いつかかん) 滞在(たいざい)します。
9.乗(の)り継(つ)ぎをするだけです。
*乗る+継ぐ=乗り+継ぎ
10.今晩(こん ばん)のフライト(ふらいと) で
大阪(おお さか) へ 行(い)きます。
11. どこに滞在(たい ざい)します か。
*滞在(たいざい)する(Ⅲ)
→滞在(たいざい)します(敬語/ます形)
12.大倉(おお くら)ホテル(ほてる)に
泊(と)まります。
*泊(と)まる(Ⅰ)
→泊(と)まります(ます形)
第24ページ 
1.帰(かえ)りの航空券(こう くう けん)は
有(あ)りますか。
*帰(かえ)る(Ⅰ)→帰(かえ)ります→帰(かえ)り
2.結構(けっ こう) です。
3.すみません。
良(よ)く 分(わ)かりません。
*良(よ)い(い形容詞)
→良(よ)く(副詞)
4.もう 一度(いち ど) ゆっくり 
話(はな)して 下(くだ)さい。
*話(はな)す(Ⅰ)→話(はな)して
5.ここに 中国語(ちゅう ごく ご) を 
話(はな)す人(ひと)は 居(い)ません か。
第25ページ 荷物(に もつ)の引(び)き取(と)り 
*引(ひ)く(Ⅰ)+取(と)る(Ⅰ)
→引(ひ)き+取(と)り→引(ひ)き取(と)り
1. 荷物(に もつ)が 破損(は そん)しています。
* 破損(はそん)する(Ⅲ)→破損(はそん)して
 破損(はそん)している→破損(はそん)しています
*他動詞→責任の転嫁
2.荷物(にもつ)が 見(み)つかりません。
*見つかる(Ⅰ)自動詞
→見つからない(否定)
→見つかりません(敬語)
3.手荷物引換証(て に もつ ひき かえ しょう) は
これ です。
引(ひ)く(Ⅰ)+換(か)える(Ⅱ)
=引き+換(か)え=引(ひ)き換(か)え
4.大型(おお がた)の革(かわ)のス(す)ーツケ(つけ)ース(す)
(ボストンバッグ(ぼすとんばっぐ))で
名札(な ふだ) が 付(つ)いて います。
*付く(Ⅰ)→付いて
色(いろ) は 紺色(こんいろ) です。
5.私(わたし)のホテル(ほてる)は 此処(ここ)です。
6.取(と)りあえず 必要(ひつ よう)な物(もの)を
購入(こう にゅう)したい ので、
その代金(だい きん)を 貰(もら)えます か。
7.そちら の ���絡先(れん らく さき) 
を 教(おし)えて 下(くだ)さい。
*教える(Ⅱ)→教えて
第26ページ
税関(ぜい かん)の検査(けん さ)
1. 税関申告書(ぜい かん しん こく しょ)の 用紙(よう し)
を 一枚(いちまい) 下(くだ)さい。
2.特別(とく べつ)に 申告(しん こく)する物(もの) 
は 有(あ)ります か。
*はい、申告(しん こく)する(Ⅲ)物(もの)は有ります。
*いいえ、申告(しん こく)する物は
有(あ)りません。
3.このバッグ(ばっぐ) を 開(あ)けて
ください。
*開(あ)ける(Ⅱ)→開(あ)けて
4.これら は 何(なん) ですか。
5.それら は 私(わたし)の 
身(み)の 回(まわ)りの 品(しな) です。
6.これら は 友人(ゆう じん) へ のお土産(みやげ) です。
7.これ は 台湾(たい わん) へ 
持(も)ち帰(かえ)る  お土産(みやげ) です。
*持(も)つ+帰(かえ)る=持(も)ちます+帰(かえ)る
→持(も)ち帰(かえ)る
8.このカメラ(かめら) は 私(わたし) が 
使(つか)っている 物(もの) です。
*使(つか)う(Ⅰ)→使(つか)って
→使(つか)っている
9.酒(さけ) や 煙草(たばこ) を 
持(も)って います か。
*持(も)つ(Ⅰ)→持(も)って(て形)
→持っている→持っています(敬語)
いいえ、持(も)っていません。
10.ウイスキ(ういすき)ー を 3(さん)本(ぽん) 
持(も)って います。
第27ページ
1. これは課税(か ぜい)と なります。
2.他(ほか)に 荷物(に もつ) は 
有(あ)ります か。
3.いいえ。私(わたし)の荷物(にもつ) は 
これ で 全部(ぜんぶ) です。
4.結構(けっ こう) です。
5. この申告書(しん こく しょ)を 出口(でぐち)の 
係官(かかりかん)に 渡(わた)して 下(くだ)さい。
*渡(わた)す(Ⅰ)→渡(わた)して(て形)
第28ページ 両替(りょう がえ)
1. 両替所(りょう がえ じょ)は
  何処(どこ)ですか。
=両替所(りょう がえ じょ)は
  何処(どこ)に 有りますか。
2.銀行(ぎん こう)の営業時間
0 notes
i-am-daisy-grrrl · 4 years ago
Text
The first half of 2020-1
2020年に入って、無事に卒論を提出し、いよいよ社会人か、他にもプライベートで決めなければいけないことがあって、それはまた別に書こうと思うのだけれど、アメリカとイランが戦争を起こしそうだとか、本当にトランプはどうしようもないなだとか、不穏な空気が流れつつもまだ暢気に過ごしていたのはみんな同じだろう。 学生生活最後の休みということもあり、私は2月に一人でロンドンと父が住むスイスとベルギー、3月に友達とスペイン経由でモロッコに行く計画を立てていた。 ロンドンには知り合いが何人か住んでいたので、彼らと簡単なシューティングを組んだりご飯を食べたりした。 あと、The 1975のライブも見に行った。天気があまり良くなかったせいか(しかし雨は降っていない)、行きの電車は来るのか来ないのかも分からないまま駅で待たされ、結局来た電車に飛び乗ってうまく乗り継いでノッティンガムまで向かった。 帰りのバスでは爆睡していたものの、気が付くと高速で長時間停車しており、同じように寝ていた周囲の人の話を総合すると運転手が警察に止められたようだった。結局バスはビクトリアのコーチステーションまで送り届けてくれず、ロンドン北部の駅前で降ろされた。ライブはとっても良かったが、それを取り消してしまうくらい、オペレーションがひどすぎるイギリス交通機関の洗礼を浴びた。 日本人がロンドンへ留学するとなると、私の周りではアート系の学校へ行く人が多くて、旅行中に会った3人全員、アート系の学校に通っていた。 フォトグラファー志望の男の子、ファッションデザイン志望の中高の同級生、もう一人はインターンで一番のバディで、ファッションコミュニケーションを学んでいる。 ロンドンで、アート分野で勉強するという、私がやりたくても出来なかったことを実現している3人のことを純粋に羨ましいと思ったし、それ以上に、日本の狭いコミュニティに満足せず、外国でチャレンジしている彼らからすごく刺激を受けたので、行ってよかったなと思った。 3月の旅行は中国経由の安い便を取っていたのでまず変更し、直前になってヨーロッパで本格的に感染者数が増えてきたので最終的にはキャンセルした。 代わりに、一緒に旅するはずだった友達と地元のスペイン料理屋に行って、それがとても美味しかったので良かった。
中止になった卒業式当日は結局みんな集まって写真を撮ったけど、高い袴を着るのはやめた。 3月最終日、急遽会社にPCを取りに行って、そのときに配属会社を言われた。配属は、案の定、行きたかったところではなくて、向こうから面談で勧められたところだった。翌日から3日間だけオンライン研修があり、翌週には部署に配属。上司に「どうして私を選んだのですか」と聞いてみたら、「英語が出来て、人事からの評価も高くて、面談で○○と言っていたことが良かった」と言われたのだけど、私はその○○を言った記憶がない。 他の人はトレーナーの先輩がつき、全体研修があったみたいだけど、私は部署に一人だけの配属で、「こんな感じのことを勉強してね」と言われただけで、いきなり放置されてしまった。えーどうしよう。 初めのうちはゼロベースから知識を学んでいったのでやる気もあったけど、段々慣れてくると何をインプットしたらいいのか分からなくなり、6月はかなり悶々とした日々を過ごしていた。 とりあえず、7月は繁忙期になるのでもう少し忙しくなるはずだけど、これなら少しは出社したいなと思いつつ、3月31日以降一度もオフィスには足を運んでいない。 もちろんその間には、ずっと新型コロナの問題があった。幸運なことに、感染しなければ、生活そのものが脅かされる立場ではないので、仕事やプライベートの悩みと同じくらい考えていたのは、他人のこと、政治のこと、社会のことだった。 好きなライブやフェスは開催できず、よく行くご飯屋さんにも行けず、Twitterをずっと見ていたらなんだか精神が不安定になってきた。 日本や、アメリカや、イギリスが不甲斐ない対応をし、一方で台湾やニュージランドの政治家たちが活���していた。 Black Lives Matterの運動は全世界に広まって、少しずつ、大きなマイナスをゼロに近づけるような、地道な活動が続けられている。 香港ではついに、国家安全維持法が施行された。 日曜には都知事選があり、小池氏が再選した。私は都民ではないので投票はしていない。代わりに何回か、投票を呼び掛けるポストをした。夜、「SNSではみんな投票行ってたのに」と嘆く投稿を見るのが悲しかった。
自分のことではなくて、他の人のことを考える余裕がある大きな「特権」を持つ私ができることとは、いったい何だろう。 自分がリーチできる人が50%、そのうち30%はすでに連帯しているとして、残りの20%に訴えかければ、連帯は50%まで広げられるかもしれない。 けれど残りの50%には、どうやったって届かない。 そのもどかしさをずっと抱えながら、出来ることをやるしかない。 自分の幸せは自分で守る。けれど、それが出来ることは「特権」だ。 どう頑張っても、自分の幸せに対して、生きやすさに対して、周りから攻撃を受ける人、妨害を受ける人がいることから目を背けたくはない。
自分には当てはまらないことを想像し、連帯すること。 そこで、The 1975のライブを思い出す。Gretaが参加している曲。 ”We must acknowledge that we do not have the situation under control And that we don’t have all the solutions yet ... If you look through history, all the big changes in society have been started by people at the grassroots level People like you and me ... It is time to rebel” Mattyが偽善者だとしても、ここからPeopleへと繋ぐあの力強さに見た希望を胸に刻む。
2 notes · View notes
geniusbeach · 7 years ago
Text
香川旅行記
 ゴールデンウィーク後半を使って香川を旅行した。計画したのは出発前日の夜中で、今回のテーマはうどん巡りと温泉だ。私は昨年末に二泊三日で高松、琴平、直島、豊島を巡り、うどん7杯を食べて大満足で帰ったのだが、以来香川のことが忘れられず、また行きたいと思っていたところだった。
 1日目(5月2日)
 午前4時という、朝がひどく苦手な私にとっては信じがたい時刻に友人の車で出発。9時ごろ善通寺に到着し、食べログ一位のうどん屋、長田 in 香の香へ。巨大な駐車場と50mにも及ぶ行列を目の前にして一軒目ながら若干ひるむ。待ち時間を使って宿探しをするも、さすがGWだけあってどこも満室。無計画な私たちも悪いが、10軒ほど電話して空いていたのは一室のみだった。しかし結局宿泊料があまりにも高かったため断念し、並んでいた他のお客さんに健康ランドに泊まれることを教えてもらったので、最悪の場合そこにすることに。一時間弱待った後入店し、釜揚げ大と冷やし大を一杯ずつ注文。各1.5玉で350円だ。つゆはいりことかつおのダシがよく利いており、もちもちの麺からは小麦の香りが強く感じられたいそう美味かった。皆うどんだけ食べてさっさと出るおかげで回転率がかなり良く、11時ごろには食べ終えることができた。
 続いて二軒目のはなや食堂へ。地元に愛されるおばあちゃんのお店といった印象。冷やしとタコ天を注文。うどんは200円、天ぷらは300円と安い。小ぶりなタコを丸々一匹揚げた天ぷらは衣が黄色くふわふわの食感。うどんも無論美味い。食後に宿探しを再開し、栗林公園近くのところに電話するとあっさりOKが出た。電話口の主人の対応が少し気になったが、一人一泊2600円、ガッツポーズだ。せんべい布団でも座布団でも部屋でゆっくり寝られるだけありがたいので、即座に予約した。
 腹ごなしがてら金蔵寺(こんぞうじ)を覗く。お遍路さんが多くおり、皆お堂の前で一心に真言を唱えていた。友人曰く「水曜どうでしょう」に出ていた寺とのことで、ファンである彼の記念写真を撮った。ここに至るまでの道端の電柱には、八十八か所巡りの巡礼者を図案化した標識があった。小さなところにご当地感があってほんわかした。
 次はこんぴらさんにお参りすることに。 暖かくなったのと休暇も重なったことで人がごった返している。登り口にあるアカボシコーヒーで一服してからほぼ休みなしで駆け上がる。中腹では神馬2頭を見た。その隣には大型船のスクリュー(直径6m)とアフリカ象の像があった。前者は94年に今治造船が奉納したそう(今治造船HPより)で、当社が海の神を祀っていることやお座敷遊びのこんぴらふねふねでお馴染みの金比羅船に因むことが予想できたが、後者の意図はわからず、奉納品であれば何でも良いのかと思った。関連するとすれば、この山の名が象頭山であることぐらいか。
 程なくして本宮へ到着し、参拝の列に並ぶ。普段神社で手を合わせる時は何も祈らないようにしているが、今年に入ってからずっと精神が低調なままので、久しぶりに願をかけてみた。神様はこういう時の心のよりどころなのでありがたい。どうか届きますように。今回は、前回その存在を知らなかった奥社まで行こうとしていたが、道が閉鎖されていたためあえなく断念、またまた次回への持ち越しとなった。さて、全785段の石段往復は少々足に応え、途中で石段籠を見かけた時には思わず乗せてくれと言いそうになるくらいだったが、良い運動になったと思えば悪��はない。籠は参拝客の会話によれば片道3000円程だそうだ。乗っていたのはお婆さん、担いでいたのはお爺さんだった。
 麓に下りてから、こんぴらうどん参道店でとり天ぶっかけを食べる。一杯690円だ。二人とも腹が限界で、なぜここまでしてうどんを食べているのかわからなくなっていた。最早それはこの旅のテーマとして設定したうどん巡りの義務感からでしかなかったと言える。満腹中枢が刺激される前に片付けねばならないと、タケル・コバヤシ(※フードファイター)並みの速度でかき込んだ。とり天はジューシーで、麺にはコシがあって美味かったが、胃の圧迫で心臓が止まりそうになり、「うどん死(デス)」という言葉が頭をよぎった。
 疲労が甚だしかったため、喫茶店でまたも一服。琴平駅周辺には、「カキ三(さん)コーヒー使用」を看板に掲げた店が多くあり、前回の旅行でもそのオタフクソースのパッケージのようなオレンジと黒の色合いに親近感を覚えつつずっと気になっていた。おそらくそのカキ三を使ったであろうアイスコーヒーで意識を保ちながら、風呂にでも入ってリフレッシュしようということに話がまとまり、近くにあったこんぴら温泉湯元八千代へ。屋上に市街が一望できる露天風呂があるのだ。塀が低く、少しでも浴場のへりに近づけば周囲からは丸見えとなる(といっても建物より標高が高い所からだけだが)ため、内心ヒヤヒヤしていたが、やはり最高に気持ち良かった。受付で混浴と聞いて下品な期待もしていたが、二人組の女の子が少し覗いて引き返していったくらいで、終始客は私たちだけであった。なお、内風呂はごく普通の湯船がひとつあるだけだった。
 体力をわずかばかり回復し、瀬戸内の眺望を求めて五色台を目指す。16時半頃、大崎山の展望台に到着し、青空から海へと沈む夕日を眺めた。なんとも雄大なパノラマだ。遠くを見やると、薄水色の瀬戸大橋があやとりの糸のような慎ましさで陸地を繋いでいる。カメラで何枚も写真を撮った。ふと、ここ数日間で覚えた個人的な悲しみに対して、目の前に開けた海は、その豊満な胸で以て私を迎え、倒れ掛かる身体を圧倒的な光景によって生に押し戻してくれているような気がした。そうして下を見れば、山と山に挟まれた湾内の湿地に、草の生い茂る田んぼのようなものが広がっていた。これは木沢塩田跡地といい、秋頃にはアッケシソウという好塩性植物が紅葉することで一帯が赤く染まるそうだ(大崎山��地の説明看板より)。一度そんな不思議な絵を見てみたいと思った。この日は風が非常に強かったため、目だけでなく全身で自然を感じられて嬉しかったが、そのせいで体が冷えたのと日没直前に雲がかかったため、18時半頃に引き上げた。
 高松市内中心部に車で乗り入れ、今宵の宿へ。見るからに怪しげな建物に三友荘という傾いた看板がかかっている。隣の広東料理屋の前に中華系とみられる男が3、4人たむろしており雰囲気が悪い。中に入ると、フロントというよりは雑然と物が置かれた生活スペースが大きく広がっており、その山の中から主人が顔を覗かせて、一言いらっしゃいと言った。それから、かなり雑な態度で駐車場を案内され、やべーところに来てしまった、と思う間もなく会計を済ませて鍵を受け取り3階へ。廊下は廊下で床がはがれていたり、アメニティが散乱していたりとさながらお化け屋敷に入ったような気分になる。部屋に入ると、これまた昭和から時間が止まっていると思われるほど古くカビ臭い和室で、その異様さに一瞬たじろいだ。とにかく寝られれば良いのだと割り切ることにして、外へ風呂に入りに行った。
 車を20分ほど走らせて向かったのは、市内中部にある仏生山温泉だ。前回も訪れて、その泉質と洗練された建築様式が気に入っていた。町の歴史が古いため、ここも昔からあるのかと思いきや、2005年開業と比較的新しい温泉らしい(仏生山温泉FBより)。入浴施設とは思えない白い箱のような建物入り口の外観が特徴だ。中に入ると、ドーンと奥行きのあるシンプルな休憩スペースがお出迎え。端には小洒落た物産品が並んでおり、また壁伝いには文庫本の古本が並べられている。客がひっきりなしに出入りし、脱衣場と浴場はまさに芋の子を洗うような状態であった。なんとか湯船の空いたスペースに身体を沈め、一日で溜まったとは思えないほどの疲れを癒す。とろりとした湯で肌がツルツルになり気持ちが良い。露天風呂のある広い空間は現代的な中庭といった印象で、入浴体験を一段上のものへ引き上げてくれる。インスタレーション的な、「空間そのものに浸かる」といった感じだろうか。内部はそのように隅まで配慮が行き届いており、とても面白く楽しめた。
 さっぱりした後、宿に車を停め、土地の名物である骨付鳥を食べるために歩いて片原町近くの居酒屋蘭丸へ。本当は一鶴という店に行きたかったのだが、長蛇の列を目の前にして断念、ここに並ぶこととした。小一時間ほど待って入店し、とりあえずビールと親鳥・若鳥、それから鰆のタタ��、造り4種盛り、サラダを注文、香川の味覚に舌鼓を打った。特に親鳥は肉がぶりんぶりんの食感で旨味が凝縮されている。スパイシーな和風ローストチキンといった感じで、下戸なのに否が応でもビールが進む。皿にはたっぷりと鶏油が溜まっているが、それにキャベツをつけて食べるとまた美味いのだ。この骨付鳥の他にうどんと言い今日の行程と言い、なかなか歯応えのある旅だと思った。最後に親鳥をもう一皿と焼酎水割り、注いだ先から凍る日本酒を追加し、11時半頃ほろ酔いで宿に戻った。部屋では撮った写真を整理した後、もう一杯酒を飲んでから眠りについた。夜通し風がごうごうと窓を揺らしていた。
2日目(5月3日)
 7時半、なぜか小学校の廊下でスーフィーの集団と象に追われるという夢を見て飛び起きた。昨日神馬の横で象の像を見たせいか。しかしスーフィーは全くわからない。2か月ほど前に蠱惑的なズィクル(※スーフィズムの修行)の動画を見たからなのか。とにかく旅にはふさわしくない目覚め方だ。最近何かに追われる夢をよく見るのだが、おそらく疲れているのだろう。今日もよく眠れなかったようだ。他の理由としては強風もそうだが、宿が高架下にあるため電車が通るたび振動で部屋が揺れるのだ。夜中と朝方に何度か覚醒した気がする。昨日20時間近く活動した身体は、子供騙しのような睡眠では回復しきれなかったようだ。
 さて、今日は9時出発の船に乗り、犬島へ渡る予定だ。重い身体を叩き起こし、さっさと準備を済ませて高松築港へ。船の時間が近づいている。車を停めてから本気ダッシュで駅のそばにあるうどん屋味庄へと向かうも定休日だったため、近くにあったさぬきうどんめりけんやに入る。待ち時間にやきもきしながら冷肉ぶっかけ小を注文。430円だ。しっかり美味い。ここでも前日のごとくモリモリ腹に押し込み約3分で退店。ひょろい男の異常な食いっぷりに他の客は少なからず引いていたことだろうが、そんなことには構っていられない。再度、悪心を催すほどの全力疾走でフェリーの切符売り場へ。出航3分前、なんとか間に合うことができた。やる時はやる男なのだ、私たちは。などという安堵感も束の間、ここで無情にも定員オーバーが告げられる。肩で息をしながら愕然とする私たち。あーやってもうた、としか言えず、無意識に抑え込んでいたであろう胃の中で暴れるうどんに気付き普通に吐きそうになる。ただ次の便でも行けることが判明したことで難を逃れた。そうでなければ危うく待合所の床にBUKKAKEするところであった(読者よごめん)。そ���なこんなで泣く泣く次便のチケットを買い、待つ間しばしの休憩タイムとなった。負け惜しみを言わせてもらえば、朝の海を見ながら飲んだコーヒーと吸ったタバコは格別に美味かった。これも良い思い出だ。
 10時過ぎの便に乗り込み、豊島の唐櫃港に到着。レンタルサイクルを借り、次便の出航する家浦港まで急ぐ。豊島美術館に寄ろうとしたが、1時間待ちと聞きパスした。せっかくの機会にもかかわらず無念だ。前回は誰も客がいなかったというのに、やはりGWは恐ろしい。立ち漕ぎで先を急ぐ。山のてっぺんまではギアなしの自転車と寝不足のエンジンにはかなりきつい坂が続いたが、なんとか越えることができた。途中、唐櫃聖水という空海伝説もある井戸に沸く、不思議なほど青々とした水を拝んでから家浦へ。初便に乗ることができていればこのように複雑な乗り継ぎも必要なかったが、私の性格上致し方ない。人生はエクササイズだと考えれば万事ハッピーだ。そうして無事チケットを買い、物産品店を冷かす。豊島の民謡集に熱を感じ、買おうか迷って結局やめた。そしてしばらくして船に乗った。
 13時前に犬島着。昼飯に港すぐの在本商店にて犬島丼なるものを食べた。白飯に甘辛く煮た大根や人参とともに舌平目のミンチを乗せ、甘めの汁をかけた瀬戸内の家庭料理だ。これに舌平目のフライと犬島産テングサを使用したコーヒーゼリーが付いたセットで1000円。どれも田舎風の優しい味わいで満たされた。出てから他の店も覗いてみたが、どこもコーヒーゼリーを出していた。単にさっきの店のデザートというわけではなく、これもご当地グルメのひとつのようだ。
 そしてようやく楽しみにしていた犬島精練所美術館へ。ここはかつて銅の精錬を行っていた跡地で、美術館内部は入り口から出口まで一定方向に自然の風が流れるように設計されているという。詳細は省くが、三島由紀夫の作品がモチーフになっており、意表を突くような仕掛けが多く、かなり強烈な印象を受けた。しかしその中でも悔しかったのが、便器の枯山水と銅製の文字が文章となってぶら下がる部屋があったことだ。この二つは自分の内に展示のアイデアとして全くと言っていいほど同じものを密かに温めていたのに、こんなにも堂々かつ易々と先を越されていた。やはり所詮は人が考えること、どんなにオリジナリティを確信していたとしても結局は似てしまうのだ。しかしちゃんと形にした人はすごいし、その点素直にあっぱれと言いたい。やや興奮した状態のまま外に出て周辺を散策する。レンガ造りの廃墟にノスタルジーを感じ、その���史を想像した。少し歩いて砂浜へ行き、海を眺める。風が強いので瀬戸内の海といえど波が高く荒れていた。夏に来て本来の穏やかさを取り戻した海を一度泳いでみたい。その後、定紋石や家プロジェクトという名のギャラリー数軒を見て回る。F邸にあった名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」が個人的にグッと来た。発生は常に見えない、と私は詩に書いたことがあるが、言いたいことがそのまま形になっていた。2つの小部屋にはそれぞれ植物相と動物相のバイオモーフィックなモニュメントが数点あった。シンプルな発想ながらそこから湧き出す観念とイメージ喚起力の豊かさに驚かされた。創作において見習いたい点だ。
 船の時間が迫っていたため、港まで早歩きで向かった。全体的に時間の流れがゆるやかで静かな島であった。ここからは直島を経由して高松まで戻る。船内では景色も見ずに二人で眠りこけていた。直島に着くぞ、との声で飛び起き、本村港のチケット売り場へ猛然と走る。乗り継ぎ便が10分後に出るためだ。しかしここでも昨日と同じく定員オーバー、30分後に出る次便を待つこととなった。大型フェリーの前にはゆうに200mを超える列ができており、この島の人気の高さが伺える。そうして、ふと並んでいる時に自分のカバンが思ったより軽いことに気が付いた。はてなと思い中を探るとカメラがない。目の前が真っ白になった。置いてきたのは犬島か、船の中か、それとも盗られたか。考える間もなく、カメラ忘れた! と友人に叫びながら乗ってきた高速船乗り場へとダッシュした。出航していたらどうしようかと思ったが、一条の光が見えた。まだ停泊したままだったのだ。息も絶え絶えに駆け寄る私を見た人民服風の上下を着た船員が、カメラの忘れ物ですかあと声を上げる。良かった。あったのだ。すみませんでしたあ! と謝って相棒を受け取る。ほっと胸をなでおろした。どうやら寝ぼけて置き去りにしていたようだ。私は普段あまりものをなくさないので、こういう時必死に探して見つからなければひどく狼狽してしまう。特にカメラのような高価なものだとその後の旅に影響が出るほどだったのではないかと思う。今回は本当にラッキーだった。友人に詫びてから並び直し、島を後に。航行中は展望デッキからモノクロで日を撮った。夜のような昼の写真が撮れた。
 16時頃高松に着いた。後は帰るのみだ。最後にご飯を食べようということで、屋島を過ぎたところにあるうどん本陣山田屋本店へ。大きな屋敷を改築した店構えは壮観だ。本陣と名付くのは屋島の合戦ゆえか。前回��旅で、仏生山で終電を亡くした時に乗ったタクシーの運転手が、うどんならここらが本場だと言っていたため���待度が高まる。ざるぶっかけと上天丼を注文。うどんは570円、丼は720円だ。麺はもちもちとしており、良い塩梅にダシの利いたつゆと絡んですこぶる美味い。天丼にはサクサクの天ぷらがこれでもかと乗っており、ご飯が足りないほどだ。今流行りのロカボの逆を行く、ハイカーボダイエットにより思考が停止するほどの満腹感が得られた。これでコシの強いうどんともお別れかと思うと寂しい。京都の柔いうどんも薄味のダシがしみて美味いのだが、やはり一度讃岐のものを食べると物足りなく感じる。またすぐにでも来よう。次はざっくりと計画を立てて。それでは、さようなら香川。
 高速道路は予想通りところどころで渋滞が起こっていた。運転は最初から最後まで友人に任せっぱなしだったため大変な苦労を掛けた。ここに感謝したい。約5時間かけて京都に到着。0時半頃に岡崎で蛸安のたこ焼きを食べた。京都の味だ。ようやくカーボ地獄から抜け出すことができたと二人して喜んでいたが、よく考えなくともたこ焼きは炭水化物であった。うどんのオーバードーズのせいで腹だけでなく思考能力さえもやられてしまったようだ。喫茶店はなふさでマンデリンを飲み、旅費の精算をして解散となった。
 今回の旅も、弾丸(もはや散弾)にしてはうまくいった方ではないだろうか。休みに行ったのか疲れに行ったのかわからないが、気を紛らわすには最適な強行軍であった。うどんは5杯も食べられたし、その他のグルメも満喫できた。全ては偶然尽くしだったが、無計画だからこそ楽しめたものもある。私の場合は、ある程度見たいところを決めるだけで、そこに行っても行かなくても良いのだ。というよりはその方が楽だから、皆そうすればいいのにと思う。そこには予想もしない出会いがきっと多くあるはずだ。ただ、GWの人出を完全に舐めていたため、宿に関してだけは事前予約の必要性を痛感した。あと、食べ過ぎは単純に苦しいのであまりおすすめない。今回の旅でもうしばらくうどんは結構だ。などと思いつつ、翌日の昼には冷凍うどんを食べていた。どうやら脳までうどんになっていたようだ。しかし季節はそろそろ梅雨(つゆ)に入るので、ある意味おあつらえ向きなのかもしれない。
2 notes · View notes
gohan-morimori · 4 years ago
Text
アジャラカモクレンニセンニジュウイチネンニガツヨウカカラジュウヨッカマデノニッキ
2月8日(月)
 今日は早めに起きて出勤前に皮膚科に行くぞ、と諦め半分で思っていたのだけど諦め半分だったからやはり起きれず。尿意を無駄に我慢しながらだらだら起床してゆるゆると準備をしていそいそと豆腐を食べて出勤。先週は毎日ほんとだめだめだったな、今週はちょっとはましな一週間にしたいな、と思いつつ。自分の不調をもっとロングスパンで見たほうがいいのかもな、とぼんやり思う。働く。やることが増えてきた、というより、やらなければいけないことと、やったほうがいいことがすこしずつ見えるようになってきた、といった感じか。めちゃくちゃ忙しい、というわけではぜんぜんなかった一日だったのだけどずっとせかせか動いていて、だからこの「見えるようになってきた」のと並行して「もっと無駄なく動く≒働く」ことを意識��ないといけないのだけどそれがむずかしいというかわたしは苦手で、最近凹んでばかりの原因は主にこの「もっと無駄なく動く≒働く」ことがなかなかできないからで、うーん。わたしのこれまでのささやかな人生の処世術というか、それは悪い癖でもあるのだけれど、「(一見)無駄に見える所作や状態に心のお守りを見出す」みたいなところがわたしにはあり、その悪癖が最近は勤務の中で思考を邪魔している感がある。一度癖づいた悪いフォームを直すような作業が必要とされている。気がする。小学生のころの習い事(硬式テニス)、中学のころの部活動(卓球)、などでもその悪癖は発動されていたように思う。いろんなことを毎日思い出す。自分を責めるのはカンタン。カンタンなことはつまんない。つまんないことはやめたほうがいい。だからやめよう。明日から二日間は休みだから今日こそは早めに家に帰ろう、という強い気持ちでいそいそと帰宅。クラブハウスで子供鉅人の人たちのわちゃわちゃした即興芝居を聴いて何度も笑ってかんじさん進藤さんと話したりもして、それから久々にしけこと通話をしてしけこは漫画などのネタバレを率先して読むタイプらしく話の要点にしか興味がないとしきりに言うので「いっとくけど話の要点に話の要点はないからな」とやや苛ついて応えた。苛ついている自分にちょっとびっくりしつつわちゃわちゃ話していたらもう早朝みたいな時間になっていてわたしは数時間前からずっと布団にくるまった状態で通話をしていてもう眠かった。通話を切って、ふよふよとした感情を可愛がっていたら寝ていた。
2月9日(火)
 皮膚科に行こうとしていた、午前中に。行けなかった。去年読んだ本をようやく本棚に収めた。収めるついでに本棚の整理もして、見えやすい位置と奥まった位置の本の配置をああでもないこうでもないと動かしたり、自分の芯、みたいな本をまとめ直したりした。楽しい。時間が溶けるような作業。そのあと床掃除をして、溜まっていた洗濯物をがんがん洗濯して、干して。午前中に皮膚科に行けないならもう今日は一日中家にいようという気持ちでいたのだけれど、まおさんとLINEをしていたら今日はビールだビールだ慰労だ慰労だという気分に。米を5合研いで炊飯器のスイッチを入れて冷蔵庫にあったカブの葉をゴマ油と塩コショウで炒めて家を出て、自転車の鍵を外したあとに「やっぱ歩いていけるほうのスーパーにしよ」と思ってまたすぐに鍵をかけて歩き出した。イヤホンをつけずに外を歩くのは久しぶりのような気がする。「今日は外に出る日(もしくは、人と会う日)」とあらかじめ決めておかないとなかなか外に出られない人間だし、「今日は一日家にいる」という日が週に1度��ないと具合が悪くなる人間なので、毎週の休日はけっこう切実に深呼吸みたいな感覚がある。今日はもともと「午前中に皮膚科に行くぞ」と思っていた日だったからスーパーに行くために外に出られた感じがする。スーパーの中で散々ふらふらした結果、黒ラベル6缶パック、ミックスチーズ、フライドチキン6個入り、カニクリームコロッケ、コロッケ、メンチカツ、を買ってほくほくした気分で帰宅。黒ラベルとミックスチーズは冷蔵庫に入れて、フライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを温めて、どんぶりにご飯を山盛りにして、その上にカブの葉の炒めたやつをのっけて、平皿にフライドチキンとカニクリームコロッケとコロッケとメンチカツを盛って、おうち麺TV.の動画を流し見しながら、ああそうだそうだソースだソース毎回ソース買い忘れるんだよな〜〜〜と思いながら、なにもかけずにコロッケたちをガツガツ食べてフライドチキンもご飯もコロッケたちもたいらげて、おなかを休めていたら眠気がやってきて、シャワーを浴びた。寝ようか、どうしようか、と思いながらビールを開けてかぷかぷ飲んで、クラブハウスで中橋さんたちのルームを聴いていたり途中で参加してふざけあったり。すっかりクラブハウス厨だ。きっと良くない。柴崎友香『春の庭』所収「春の庭」「糸」読む。ななえちゃんとメッセージでやりとりしたり(遊びにいきたいよ〜)、『春の庭』所収「糸」の蛙のメタファーに震えて衝動的にみのりさんにLINEを送ったり。しているうちに外が明るくなってきていてほんとうによくない。休日に疲れてどうする。寝る。
2月10日(水)
 昨日皮膚科に行けなかったということは今日も皮膚科に行けないということで、それは「今日は外に出る日」とあらかじめ決めていなかったからで、だから今日はわたしは家を出ない。というのはちょっと意固地が過ぎるような気もするが。だからもうそれはしょうがない。明日早めに起きて行けるか、どうか。今月のlook(s)も早めに撮っておきたい。
 オリンピックをどうにかしてやりたい人らの発言への抗議のひとつとして「変わる男たち」「わきまえない女たち」みたいな言葉がツイッターで散見されるようになって、もやもやしている。「男たち」、「女たち」。いつまで「男」と「女」なんだろう、と思う。「変わる私たち」「わきまえない私たち」では駄目なのだろうか。「変わる」「わきまえない」という言葉にももやもやする。何にもやもやしているのかうまく掴めていないけど、もやもやする。それでいいんか、それで、みたいな気分。変わる/変わらない、わきまえる/わきまえない、という言葉、軸、で、いいのか、本当に。「変わる男たち」は、「わきまえない女たち」は、「それ以外たち」のことをどれくらい視認しているのだろうか。「男たち」にも「女たち」にも入れない/入らない人のことについては、どう思っているのだろうか。
 わたしは、わたしの性別についても、もやもやしている。それは子供のころからだけど、そのころから、形を濃度を揺らぎの種類を変えて、ずっと。「男たち」はもちろん、「女たち」という言葉を扱う人たちの輪には入れないな、と思うし、「女たち」という言葉が扱われるときに想定される「女たち」の中に、わたし(みたいな人)はいないんじゃないかな、と思う。でも、わたしは、わたしのことも(も?)��女」だと思う。と同時に、わたしは、わたしのことを「わたし」だとも思う。ときどきは限りなく男に近い気分にあるのかもしれないと思うこともあるし、どちらでもない存在なんだろうな、と思うこともある。でも、クエスチョニングである自覚はない。「女」だと、思ってる。でも(以下無限ループ)。みたいな状態で生きている。だれかに、(こういう想像をするときの「だれか」は顔の見えないぼんやりとした像の男性であることが多い)一度でいい、しっかりと抱きしめられたら、わたしはわたしを「女」だと思うだろう。思いたい、と思う。ああわたしは(うだうだ考えていても「結局は」、)「女」なのだ、と甘美な諦めに似たよろこびを実感するために、抱きしめられたい。さみしい、とも違う。実感を伴いながら生きるための寄る辺が、あまりにも少ない。気がする。甘えなのかもしれない。何への?誰への?どこへの?
 明日は祝日だということに気がついた。ということは、明日も皮膚科に行けないということだ。ばかやろー。金曜日には行かねば。
 昼過ぎに起きて、「たぬきゅんの仲良し放送局」の新しい回が更新されていることを知って、それを聴きながらクイックルワイパーで床掃除をしてキッチンと風呂場のゴミをまとめてゴミステーションにぶちこみに行って、その帰りに郵便受けを見たらON READINGから『歌集 ここでのこと』が届いていてうれしいうれしい気持ちになった。家に入ってから封を開けて手に取るとずいぶん美しい装丁で、良い意味で、贅沢品、といった感。すべすべと表面を撫でたりぱらぱらとめくったりしていると藤原印刷という文字を見つけて、そうか、藤原印刷なんだな、と思った。いつ読もう。ちょっと寝かせておきたい。冷凍庫から先週買って冷凍しておいたトーストを1枚と、1ヶ月ほど前に作り置きしておいたトマトソースを取り出して、軽く解凍したトーストの上に同じく解凍したトマトソース、そしてミックスチーズを盛って、トースターで焼いて、ピザトーストを作って食べた。職場のメニューの簡略版。職場のピザトーストを、そういえばまだ食べたことがないな、と思った。簡略版でもずいぶんと美味しくて、ちょうどよくお腹が満たされる感覚があった。家でトーストを焼いて食べるのもずいぶん久々だ。この家で暮らしはじめてからは初めて。笹塚に住んでいたときは、結局一度もトーストを食べなかった気がする。だとすると前回おうちトーストを食べたのは、京都のアパートか。柴崎友香『春の庭』をじりじり読んだり、コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしているうちに、不意にショートスパンコール94篇目の形が自分の中でまとまり、いそいそとパソコンの前に座って、書いた。その流れで95篇目も書けて、書けた書けた、よしよし、と思いつつ公開する。94篇目ではずっと老人ホームでの一幕を書きたいと思っていて、誰の視点でどういう書き方でいくかをずっと決めかねていて、どういう選択をしてもなにかいやらしいというか、書きたいと思っているシーンがゴテゴテとしつこくなりすぎたり、説明説明しすぎる感じになりそうな予感があって、手を付��られずにいた。今日書けた方法でその予感が無事払拭されたのかどうかは正直ちょっとわからないが。今日書けるとは思わなかったな、とぼんやり思っていると眠たくなってきてまだ夜も早い時間帯で、気圧が下がっているのかもしれなかった。だるくて、眠くて、キッチンで立ったまま納豆ご飯を食べて、歯を磨いて、布団にもぐって『春の庭』の残りを読んでいたら突然せつなくなって貪欲の手を握ったり頬をうずめたりして感情をやり過ごした、「やっぱり湯船に浸かって身体をあっためよう」という気分になり、起き上がって風呂場へ行って浴槽を洗ってからお湯をためはじめて、たまるまでの間、キッチンに置いてあるキャンプ用の椅子に座って、昨日買った黒ラベルを1缶開けて、ヤマシタトモコ『違国日記』7巻を読んだ。お湯がたまって髪をまとめてシャワーキャップを被って入水。入湯? 入浴か。入浴。お湯に浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』を読む。ちびちび、ゆるゆる、じわじわ、あったかくて、おもしろい。「あったかくて」と感じるのはわたしがお湯に浸かりながらこの本を読んでいるからなのかもしれないけれど、あったかい。あったかくて、おもしろい。知らない言葉、知らない仕組み、知らない態度がどんどん出てくる。そうか、インテリア、という言葉はあたりまえに知っていたけれど、エクステリアという言葉があるのか……。のぼせそうになるまで浸かっていて、ふらふらとお風呂から出て、眠くて仕方がなかったのに読みたい気持ちが勝ってきて、煎茶を淹れて飲みながら土岐友浩『Bootleg』と永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。度胸、みたいなことを思いながらずんずんたのしく読む。読んでいる途中、不意に「あ、いま作れる」という状態になって短歌連作を作った。「洛中」と名付けてiPhoneをたぷたぷいじってTwitterに投稿する。してから、引き続き読むモード。
短歌連作「洛中」 自重から解き放たれることはなくあくまで吊り上げられる口角 黒ラベルロング缶なら許されたあの数秒の無言であるとか 頼まれたときから既にできていて知っていたって素振りの中華屋 拒否いずれ許容になって山と山の間に例えば宿があること お買い物までの準備に旅支度らしさ伴う私服のあなた
 今日はショートスパンコールも書けて短歌も作れて上出来。ずっとゆるく頭が重くてだるいのだけど、眠ればどうにかなるでしょう。たぶん。
 そして午前4時。寝よう。馬鹿。寝ろ。寝る。
2月11日(木)
 先週の日記で短歌を作るときに最近思っていることを書いたけどそんなん関係なく素直に作ったらええ、素直に作ること以外なんも考えんでええ、みたいな気分に昨日からなっていてわたしの気持ち、考え、感情なんて信用ならない。
 11時半ごろ目が覚める。6時間くらいしか眠っていないはずだけどやたらと長く眠ったような感覚があってそれは眠りが深かったということか。起き上がって、昨日そのままにしていた洗い物をしつつお湯を沸かして白湯を2杯立て続けに飲んで昨日の出涸らしで煎茶を淹れてくぴくぴ飲みながら煙草を吸いながら永井祐『日本の中でたのしく暮らす』読む。祝日で皮膚科と耳鼻科は閉まっているから、今日は出勤前にそれ以外の用事をこなせたら、と思っている。look(s)を撮って、通帳記入をして、お金を公共料金用の口座から生活費用の口座にすこし移して、入金作業をして、連絡しないといけない人に連絡をして、自転車に空気を入れて、スーパーで魚の切り身でも買いたい。魚の切り身は必須ではない。昨日というか一昨日の深夜に作ったプレイリストを昨日から延々リピートしている。私的懐メロの羅列、みたいなプレイリストになった。
 シュトーレンがまだ冷蔵庫にあって、まだちびちび食べている。次のクリスマスシーズンまで思い出す人がいなくなってきた、いまくらいのシュトーレンが美味しい。 
 納豆ご飯をがつがつ食べ、出勤。働く。久々初台デー。働き終え、ご飯をばくばく食べ、家に帰って夜ふかしをして眠る。
2月12日(金)
 なんだかとても幸福な夢を見てあわてて起きて支度をして出勤。下北。明日明後日はBONUS TRACKで催事なのできっと猛烈に忙しい、はず。いそいそあわあわと二日間に備える。閉店間際にやってきたななえちゃんとしゃべりながら発注などしていると阿久津さんがやってきて明日明後日売る台湾ウィスキーの写真などを撮りはじめてななえちゃんと楽しげに構図を考えていてその光景がなんだか良かった。ショートスパンコール更新デー。阿久津さんは仕事でZOOMだということで2階へ行き、わたしとななえちゃんは1階でナマケモノの動画をYouTubeで観て愛くるしさに悶絶していた。しばらくしてななえちゃんが帰り、わたしもわたしでごはんを食べて帰ろう、と思っていたら阿久津さんが降りてきて面白いものが見れるからおいでと言われてひょこひょこついて行ったら面白いものが見れた。デイリーコーヒースタンドのゆうさんとZOOM越しにはじめましてをした。お互い文字上では知っていてなんだか不思議な気分。楽しくわちゃわちゃと話しているうちに阿久津さんはがんがんにお酒を飲んでがんがんに酔っ払っていって終いにはその場で眠り始めた。ZOOMが終わり、阿久津さんは起きそうになかった。電気を消して、片付けをして、さあ帰ろうか、と思っているとみのりさんから電話がかかってきて、出る。みのりさんとわちゃわちゃ話をしながら職場を出て、自転車を押して、1時間ほどかけて職場から家まで、歩いて帰った。家についてもみのりさんとのおしゃべりは止まらず、たのしいたのしいと思っているうちに4時とか5時とかになっていて、ふたりしてあわてる。電話を切って、ふらふらと着替えて、寝よう、寝よう、と思っていたらなぜか頭が短歌を作るモードになっていて、寝たい、寝ないと、寝ろよ、と身体が言っているのに頭が言うことを聞かなくて折坂悠太『平成』を流しながら聴きながらどんどん短歌ができていって笑った。寝ろよ!!!!
短歌連作「都内」 坂道を駆け降りるためなだらかな身体でなだらかに眠らねば 自転車にエアー と打たれたリマインダー 覚えがなくて告知がきてる 低く深く都内に風が吹いている おそらく右翼の車で目覚める 物流はとても座りがいい言葉 幹線道路の砂利蹴り上げて 昔の写真(写真は昔だ)親元を離れてからブラジャーを買うこと すごいことだ射精しなくていい肉体ってやつはほんとに 国道 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12月やさしいね Amazonだ と思うときAmazonはあなたに灯す魂を持つ 殺したい奴いるくらいあたりまえですか?健康ですか?      へえ
 壊れてしまう。ベッドにインしてスリープ。
2月13日(土)
 起きてすぐ昨日作った短歌をまとめ直して1首追加で作って連作をもうひとつ作って起き抜けにしては旺盛な創作意欲だった。
短歌連作「眠りの圏外」 怒りから光に変わるゲートまで導かれている、いま、この人に 歌い方声高に言う人といて天上天下が旋律になる ほんとうは夜は幼な子たちのもの幸せはおれたちに降るもの 欲望に貴賤はなくて米を炊く前に無意味なくちづけをする 韻律を整えようとするようにきみはわたしの名を諳んじた 眠りから遠いところに立っていてだから遥かな道のりでした
 洗顔をして(お風呂に入りたい。入れない。)お湯を大量に沸かしてパスタを大量に茹でてバターと醤油と納豆とゆかりと海苔でぐちゃぐちゃにしたものを急いで食べて出勤。いそがしいそがしいそがしいそがしあわあわあわあわあわあわあわあわすごいすごいすごいすごいいそがしいそがしいそがしいそがしあらあらあらあらあらほいほいほいほいせいせいせいせいそれそれそれそれいそがしいそがしいそがしいそがし閉店時間。踊るように働いた。チーズケーキを次々焼いてカレーの仕込みを途中までやってまるでお店だねと阿久津さんと笑い合った。昨日の痛飲で阿久津さんはへろへろの様子で、いつもより早く帰っていった。阿久津さんが帰ってからごはんをばくばく食べ、明日の準備をすこしして、永井祐『日本の中でたのしく暮らす』を読む。読んでから、長らく積んできた『仕事本』を読み始めようとぱらぱらしていると酒瓶の中の酒がぐらぐら揺れだして地震だった。あっこれは、おっ、えっ、となってすぐにテーブルの下に隠れた。くらくらする。iPhoneでTwitterを開くとどうやらかなり大きな地震で、しかも福島。あんまりいろんな情報を見ないようにしよう、と思いつつ目はタイムラインを追っていった。ゆかちゃんから「だいじょうぶですか!」というLINEがきた。こわかった!と返事を打った。みうらさんと石川くんからもそういったLINEが来て同じような返事を打った。これはもう、帰れ、ってことだな、ということで帰り支度をして職場を出る。なんとなく、自販機でオロナミンCを買った。帰宅。すこしまえに買ったラジカセをつけてAMラジオをつけた。洗濯物をとりこんだ。ラジオを流しっぱなしにしながら、お風呂に入って��貯水とか一応したほうがいいんかな、という気になり、髪と身体を洗ってから浴槽を洗ってお湯を張って、湯に浸かる。浸かりながらオーレ・トシュテンセン『あるノルウェーの大工の日記』読む。アツい本だなあと思いつつ屋根裏の改築についてのあれこれを読んでいるとふわふわ眠たいような気になってきて湯船から出て浴槽に蓋をして身体を拭いて寝間着を着て髪を乾かしてオロナミンCを飲みつつ永井祐『広い世界と2や8や7』を読み始める。煙草を吸って歯を磨いていま。エレ片のラジオを聴きながらこれを打っていて、もう寝ないと。明日は1日中下北で働く。きっと猛烈に忙しい。大丈夫。早起きしなきゃ。
2月14日(日)
 早起きでーきた!せっせと準備をして家を出て、買い出しを済ませて朝の職場へ。即座に仕込みを開始して開店前を慌ただしく過ごして、開店して回転して踊るように忙しく閉店まで働く。すっかりへとへとになって、逆にハイ、みたいな状態になっていて閉店後の店内でしばらく呆然としたり阿久津さんとたのしく話したり。阿久津さんが帰ってから、ごはんをどっしり食べて、短歌を作った。バレンタイン短歌。
短歌連作「千とバレンタイン」 愛されたビス愛された室外機愛された飲みさしのピルクル 巻き爪に拍車がかかり側面の皮かたくなる たまに食べちゃう ビタミンって人間に発見されるまでビタミンじゃなかったんだって え? つむじからさわさわ音が出るような生え方ですね 髪の そう、毛 わかんないけどなんとなくこの命終わるまで見ない気がする 修羅場 テレアポを初回の座学でばっくれるきみこそ神になるべきなのに 考えるワシでありたい(いま葦って言うと思ったじゃろ。がはははは) おふざけは個々までにして景観のいいエレベーター越しの森ビル ライフ、ワーク、バランスでじゃんけんしようなんどもライフであいこにしよう
 と、バレンタインとはあまり関係ない短歌。
短歌連作「水筒と自戒」 いきたいものだ400字詰め数枚で数万円が相場の立場 水筒に白湯入れるのだ御守りの中身はどうでもいいようなもの 揺れてから揺れに過敏になるくせに/だからこそ強く貧乏ゆする 漠然と いやはっきりと 眼の位置にあなたの眼があること うれしいな 怒りって場所がこわれる 人がこわれるのはそれから それは嫌です 勤労がおもしろいのかおもしろいから勤労なのか 髪を結う 些事ばかり間違えながら生きていて昨日滑った口の復唱
 永井祐『広い世界と2や8や7』読む。土岐友浩『僕は行くよ』読み始める。ずいぶん遅くまで職場にいて短歌を作る状態から抜け出せなくなっていた。2時だか3時だかに職場を出て、人通りのない帰り道を自転車で。空気がぬるい。雨が振りそうだったというかもう降り出していた。粉みたいな雨。帰って、しんどいな、と思う。気圧が下がっているというより落下している。だれかを、特定のだれかを気になり始めること、すきだとはっきり思い始めること。東浩紀が突発的にニコ生配信をしていて、それをずっとワイヤレスイヤホンで聴いている状態で寝支度を済ませて、布団に入ってもずっと聴いていて、東浩紀の声質は気持ちいいな、はじめて知った、心地いい、耳にやさしい、言葉の連続を聴き続けたい、このまま……と思っていたらいつの間にか意識を失っていた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
aarc2017 · 4 years ago
Text
2020年12月9日(水)水曜シェアリング・リポート
天神山アートスタジオの冬季プログラム招聘アーティストたちを交えて開催される、週に一度のオンライン集会『水曜シェアリング』。世界各地で活動中の招聘アーティストや天神山のコミュニティ、そしてスタッフが、雑談レベルで気軽な交流を持てる場として企画されています。12月9日は、国内招聘プログラムのアーティスト・永岡大輔さんがはじめてのご参加。ヒジュンさん、アーロンさん、そして永岡さんのお仕事やアイディアが出会い、移動し続ける三つの招聘プログラムが互いに接触するひとときとなりました。以下、レポートです。 参加者(敬称略) ヒジュン・チョイ(国際公募招聘アーティスト) アーロン・マクラフリン(国際公募招聘アーティスト) 永岡大輔(国内招聘アーティスト) 志村春海(リボーンアート・フェスティバル コーディネーター) 千葉麻十佳(アーティスト、国際公募コーディネーター) 小田井真美(さっぽろ天神山アートスタジオ AIRディレクター) 小林大賀(さっぽろ天神山アートスタジオ コーディネーター) 花田悠樹(さっぽろ天神山アートスタジオ コーディネーター) 五十嵐千夏(さっぽろ天神山アートスタジオ コーディネーター) 開催時間 19:00 - 20:40 山形県から北海道までの700kmを歩いて移動する-。そんな壮大なプロジェクトの真っただ中にいらっしゃるのが、アーティストの永岡大輔さん。天神山の冬季プログラム招聘アーティストの一人です。真っ黒なダウンジャケットのジッパーをめいっぱい上げて、完全装備でご参加くださいました。 花田「永岡さーん、お元気ですか??」永岡「元気!すごい元気!(満面の笑み)」 12月1日にプロジェクトをスタートし、現在は中継地点・石巻市に滞在中。ここまでの通算移動距離は約130kmとのこと。そんな永岡さんをエネルギー全開で支えるコーディネーター・花田は、日本全県制覇の経験者。自身の経験を呼び戻しながら、歩みを進める永岡さんの(遠隔)伴走を務めます。 と、ここで「おはようございます」と登場したのは、アーロンさん。先週のデュッセルドルフから移動して、今回はベルリンでのご参加です。ベルリンには日本人街のようなものはないものの、デュッセルドルフより英語話者が多い印象で、ドイツ語があまり話せないアーロンさんとしてはインタビューがはかどるのだとか。あるインタビュー先でふるまってもらった鮭のチャンチャン焼きを気に入ったそうで、「アイルランド出身の自分にとっては故郷の味がジャガイモとアルコールだから笑、(チャンチャン焼きは)もちろん慣れない味ではあったんですが。でもすごく美味しかった!」と嬉しそう。 ヒジョンさんは、最近寒さが緩んでいるという韓国のアトリエからご参加。「冬でもすこしあったかい日は、中国から微粒子が飛んできて空気がすごく汚いんです。寒さがひどくないだけ、いいんですけどね!」空気は国境規制をやすやすと飛び越えて、世界中を旅しているようです。 冒頭は永岡さんが、現在取り組まれているプロジェクトについて簡単にご紹介くださいました。そもそも、山形市から夕張市まで歩く、というアイディアはどこから来たのでしょうか?まず、永岡さんにとって山形市はご実家がある土地、そして夕張市は、2012年以来継続的に滞在制作を行ってきた場所です。滞在制作を通じ、永岡さんにとって夕張の人々は”大切な友人たち”になりました。そして今回は「”移動”が私たちにとってどんな意味を持つのか?」という問いをプロジェクトの発端に据えたことで、ホームから夕張の大切な人たちまでの道のりを”歩く”というシンプルな行為に帰着した…というのが事の次第なのだそうです。 「道中だれかと会ったりしてますか?」と尋ねるのは、三都市間を移動しながら日々いろいろな人にインタビュー中のアーロンさん。「3人の友人と会いました!そのうちの1人とは一緒にワークショップを開いて、彼女にとって”生きるために必要な技術”を教えてもらったんですよ。」招聘アーティストたちの移動を俯瞰してみると、目的地だけでなく、その道中にも”辿り着くべき”人々が点在しています。 さらに「北海道と山形は違う島にあるんですよね?どうやって海を渡るんですか?もしかして、泳ぐ??」と、こちらはヒジュンさんからの質問。遠くの目的地まで紙飛行機を飛ばすという、素朴ながらも力強い”移動”を計画中のヒジュンさんらしい視点を感じます。今回永岡さんはフェリーを使われる予定ですが、海を越える手段ひとつにも、アーティストの志向が如実にあらわれることを実感する場面でした。 そして話題は、志村さんがコーディネーターとして携わっていらっしゃる『リボーンアート・フェスティバル』へ。「石巻で開催されている、コンテンポラリーアートと食と音楽のフェスティバルです」。志村さんたちは、2011年の東日本大震災を通して人々が経験した大きな喪失だけでなく、そこで得られたものにも目を向けながら、フェスティバルを通して石巻の現在をみせていきたいのだとか。来年の開催へ向け、石巻にはすでにアーティストがリサーチに来ているそうです。早くも来年が楽しみですね。 また、永岡さんと志村さんが現在いらっしゃる石巻市は、2011年の東日本大震災によって、津波や原子力発電所事故からの著しい影響を受けてきました。こうした自然の脅威を身近に感じる日本での暮らしに対して、アーロンさんが育ったアイルランドでは「自然災害はほとんど起きないので、内戦とか侵略者の方が脅威」とのこと。人がつくったものを人が壊すことと、人がつくったものを自然が飲み込んでしまうことは、結果的に同じ状態を生み出すとしても、介するプロセスがまったく異なります。それぞれの土地における制作者の態度にも、もしかすると違いが現れるのかもしれませんね。 集いも終盤にさしかかり、話題はアーロンさんが成果として発表する予定の「マンガ」へ。今回の制作では、典型的な日本のマンガの形式に、西洋的な語りやストーリーを組み込むイメージとのこと。「外国人がなんとなくマンガの手法を使って遊んでるだけじゃん、とは思われたくないんです。でも心配がぬぐえずに、少し気が引けてくるときもあります。外国人がマンガを書いた先例を知らないですしね。」マンガを制作媒体として使いこなすため、模索は続きます。 さらにアーロンさんは、こんなことも。「戦後日本でマンガが人気を得たのは、マンガの”世界構築”という側面が、戦争で壊れてしまった世界を再構築しようとする当時の読者たちにウケたから、とも言えますよね。マンガはそうやって、個人というより集団が望む世界の再構築を具体化してきたと思います。私自身、今この大変な世界にあって、マンガのそうした”新たな文脈をつくる”側面に惹かれるんです。」さきほどの「自然災害ー人的災害」にも関連してくる視点でしょうか。今後の展開に目が離せない、マンガプロジェクトです。 終わりに。冬の7つのレジデンスプログラムを並行実施中の天神山アートスタジオ。日本に韓国、台湾、ヨーロッパ三都市(ロンドン、パリ、ベルリン)と、招聘アーティストたちはそれぞれの場所で制作に励んでいます。そんな彼らが肩の力を抜いて、ふらりと一堂に会せるのが、この水曜シェアリングです。今後もこの機会を通して、プロジェクトやアーティスト同士の出会いを目撃するのが待ちきれません。 (五十嵐)
0 notes
uchinaguchishutoku · 2 years ago
Text
台湾 ゐー そーぐゎち 旅⑤ 小籠包✨台湾旧正月旅❺小籠包✨
うちなーぐちぐゆみ1月17日(うらんだぐゆみ2023年2月7日)
はいさい!こんにちは!
Tumblr media
ホテル チェックアウト さーに、なまー 美麗駅んけー ちゃーびたん。
あんまーが じひとぅん んーじぶーはんらぎたくとぅ、ステンドグラス パブリックアート んーじーが ちょーびーん。
ホテルをチェックアウトして、今は美麗駅にきました。
母がぜひみてみたいと言っていたので、ステンドグラスパブリックをみにきました。
Tumblr media
やいびーしが、ワクチン接種ぬ 会場 なとーびーたん💦
ゐー かんげーやいびーんやー。まっちょーる えーだ とぅるばらんよーく アート んーじゃびーん🤣
ですが、ワクチン接種会場になってました💦
いい考えですよね。待っている間、退屈せずにアートを見る🤣
Tumblr media
あさばのー Yanchengpu Station(漢字 とぅみゆーさびらんたん😭)んけー ある 「永和」とーてぃ 小籠包 かまびたん。
昼ごはんは、Yanchengpu Station(漢字が探せませんでした😭)にある「永和」で小籠包を食べました。
Tumblr media
みちぬ はたとーてぃ ちゃーちゃー、くゎー たいさーに あちねーひちょーるふーじーやいびーん。
--
道の側で、お父さんと子供2人で経営しているっぽいです。
Tumblr media
あちこーこー まーはいびーたん。
アツアツでおいしかったです。
Tumblr media
酸辣湯やいびーしが、あんすかすーはーねーん。まーはいびーたん。
酸辣湯ですが、そんなに酸っぱくなかったです。おいしかったです。
Tumblr media
くれー ちーぢるやいびーんり。ししぇー いっぺー やふぁらはたくとぅ、かみやっさいびーたん。
小籠包ー、くくぬちさーに、280円 あたい やいびーたん。あんし やっさる!
これは、豚の血汁ですって。とても肉が柔らかくて食べやすかったです。
小籠包は蒸籠9個で、280円ぐらいでした。安い!
2 notes · View notes
cardamomoespeciado · 4 years ago
Text
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
10/23(金)
東洋経済オンライン
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
 JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。
 日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。
 日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。 
■廃線にするのは惜しい日高本線
 日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キロ当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。
 鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740人だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。
 2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。
 しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。
 〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉
 〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉
 〈静内では上り列車とのすれ違いのためか20分以上も停車時間がある。乗客の多くは列車を降りて駅舎で一休み。苫小牧から1時間半以上が経っていた。売店で手作りのほかほかのおにぎりを買い求める。素朴な味がいい〉
 〈静内を過ぎ、春立のあたり、原野の中の林を抜けると車窓全体に牧場の光景が広がってくる。ヒマワリを小さくしたような黄色の花が咲き乱れ鮮やかだ。サラブレッドたちがくつろぐ牧歌的な景色が浦河まで続く。苫小牧を出て3時間以上、11時過ぎに終点の様似に到着。146㌔を平均時速50キロぐらいでのんびり走ってきたことになる〉
 〈帰路。駅の前が牧場になっている絵笛駅に着く直前、突然、警笛が鳴り、列車は急停車した。何が起きたんだろう。窓から身を乗り出して前方を見ると、鹿の親子がゆっくりと線路を横切っている。その姿を追うように牧場から3頭の鹿がやって来て、これまた線路を横断。のどかな光景である〉
 〈静内で下校中の女子高生の集団が乗り込んできて、一気ににぎやかになった。彼女たちは席が空いているのに座ろうともせず、おしゃべりに夢中だ。そのうち彼女たちは携帯を取り出し、一心不乱に見入っている。都会の電車内と変わらない光景だ〉
 細かな記憶違いはあるかもしれないが、輸送密度が250人ほどあったころの日高本線の様子である。振り返れば「旅情あふれる絵になる路線」だった。
■土砂流出で線路が浮き、橋梁は崩れ落ちたまま 
 運休になってからの日高本線がどうなっているのか、被災後、2017年、2019年と現地を二度訪れた。
 昨年5月に現地を訪れると、鵡川駅に苫小牧からの2両編成の列車が到着し、20人ほどの乗客が降りてきた。列車を撮影している人もいる。駅前に待機していた代行バスに乗り込んだのは数人だった。
 車で被害の大きかった豊郷と清畠の間にある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁に向かう。橋げたを残して橋梁は途中からなぎ倒され、枕木を下にした、ひっくり返った形で放置されている。晴れた穏やかな日だが、このあたり一帯は物凄い強風だ。被災時はもっとすごいことになっていたのだろう。
 次に向かったのは波打ち際にある大狩部駅。列車代行バスの停留所から短いトンネルをくぐって駅に向かう。コンクリートで覆われた小屋が待合室。中には代行バスの時刻表と運賃表が貼られている。
 ここは本当に海が近い。海岸から線路まで10メートルほどしかないのではないだろうか。路盤が流出し、線路が湾曲し、一部が宙に浮いた形になっている。高波被害のすさまじさを実感する光景だ。
 災害から5年以上が経ったが、被災現場は風に吹かれ、波に打ち付けられるまま。総額で86億円にも達する復旧費用を負担する財政的な余裕はJR北海道にも沿線自治体にもなく、もはや復旧の見込みはない。来年4月1日、日高本線の鵡川ー様似間はついに廃線となる運命だ。
■過酷な経営実態、営業距離は半減 
 JR北海道管内では、今年5月に札沼線(1935年開業)の北海道医療大学ー新十津川間が廃線となった。昨年3月末には石勝線夕張支線(新夕張ー夕張間 ルーツは1892年開業の北海道炭礦鉄道夕張線)が運行を終え、2016年には留萌本線(1910年開業)の留萌ー増毛間が廃止された。
 NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』(1999年放映)のロケ地になった恵比島駅がある留萌本線は全線廃線がささやかれている。
 さらに映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった幾寅駅がある根室本線(1921年開業)は、幾寅駅がある新得ー東鹿越間が、2016年の台風被害による影響でバス代行運転中だ。今後も、単独維持困難線区や被災線区では廃線の可能性がちらつく。※開業年は旧国鉄以前を含む。
 利用客が少ない北海道の鉄路は大半が老朽化し、インフラの維持や工事に多額の費用がかかるうえ、冬季の保守管理が大変だ。分割民営化後もJR四国と並んで経営難が続いている。そこへコロナ禍が襲った。
 2020年度の収入はガタ減りだ。JR北海道の島田修社長は10月14日の会見で、2020年度の事業による減収が400億円に上るとの見通しを明らかにした。
 これを踏まえ、人件費などの削減のほか、2021年3月期ダイヤ改正で「減便減車」を検討するという。JR北海道の2019年度連結決算は営業利益が426億円の赤字、経常利益は過去最大の135億円の赤字となった。鉄道事業では23線区すべての収支が赤字だった。
 第4四半期のコロナ禍の影響による減収が響いた。2020年度は、それに輪をかけた影響を受けることになる。経営環境はますます厳しさを増しているのが実情だ。道内の鉄路すべてを維持していくのは容易ではない。
 一方で高速道路をはじめとする高規格幹線道路の建設は拡大の一途。JR北海道発足当時の1987年(昭和62年)にわずか167㌔だったのが、2016年(平成28年)には1093㌔に延びている。
 その結果、旧国鉄時代に4000キロあった北海道内の鉄道営業距離は、2020年5月現在、2488㌔にまで減少した。約4割の大幅減である。今後も、輸送密度の低い路線はバスに転換されていく可能性が高い。
 JR北海道の経営実態や体力を考えれば、すべての路線を維持していくのは困難だろう。しかし、明治以来100年以上も続いた鉄路をいったん廃線にしたら、もはや元には戻らない。
 厳しい冬を乗り切るために生み出されてきた耐寒、耐雪をはじめとする北の鉄道ならではの技術改革や保守点検・整備技術の蓄積は貴重な財産だ。廃線で現場から技術者が離れていくデメリットは大きいだろう。農産物や海産物、酪農品の主要輸送手段だった歴史、地域の中核的な公共交通機関だった歴史も過去のものとなってしまう。
■活用の可能性は本当にないのか
 本当に活用の可能性はないのか。北海道は日本を代表する観光資源の宝庫であり、広大な土地がある。こうした資源と鉄道を組み合わせた、鉄路再生計画は考えられないものか。今年8月には、JR北海道が東急の車両を使った豪華周遊列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」(2人1室利用で1人68万円から)の運行を実施した。
 富裕層相手の超豪華版だけでなく、一般観光客が利用できるようなプランがあってもいいし、輸送密度の低い線区を中心に走るコースがあってもいいのではないだろうか。
 さらに言えば、廃線は鉄道事業者だけの問題だけではない。北海道や地域の自治体の問題も大きい。かつては駅が街の中心だったが、現在は駅前は廃れ、ショッピングモールや飲食店などが集まる郊外の幹線道路沿いが賑やかになっている地域が多い。
 これは全国的な傾向であり、駅周辺に魅力が乏しいために人が利用しないのだろう。鉄路を残すためには街づくりを根本的に考え直さなくてはならない。
 1つのヒントになる事例がある。2022年に、JR北海道で20年ぶりに新駅が誕生するというのである。
 新駅建設が計画されている場所は、JR札沼線の「あいの里公園ー石狩太美」間で、当別町にある菓子メーカー、ロイズコンフェクト(ロイズ)のふと美工場から300メートルほど南側に位置しているという。
 ロイズと当別町がJRに請願し、建設費を負担する「請願駅」の形式だ。札幌市内から約30分という近郊で、ロイズは工場の見学施設などを充実させて観光客を呼び込む計画で、当別町も自動運転バスの運行や周辺開発を進める、と伝えられている。
■企業や大学との連携も
 つまり、駅に人が集まる仕掛けづくりを道や地域自治体が、企業や大学などと組んで行うのだ。馬などの動物と触れ合えるノーザンホースパークのようなテーマパーク、温泉を活用したドイツのバーデンバーデンのような長期滞在型タウン、特産品を活用した新工場建設など豊かな観光資源と土地資源、特産物などを活用したアイデアを自治体サイドでも考えていく必要があるのではないだろうか。
 東京一極集中解消策のひとつの柱である移住や、企業移転の動きも大きなチャンスだ。コロナ禍が続く今はインバウンドも来ず厳しい局面だが、10年後、20年後を見据えた「再生物語」が生まれることを期待したい。
1 note · View note
ayappepo · 5 years ago
Text
[台北・大同區]通りすがりに見つけた店名も営業時間も分からない屋台でちょうどいい量の朝食を食べた。
Tumblr media
※当記事の内容は2019年7月の訪台時のものです。
台湾好きな友人オススメの蛋餅を食べに行こうとホテル近くからUbikeを走らせている時に、屋台を囲むほどの人だかりができたお店を通過しました。走行中だったので何屋さんかも確認せず横目で「繁盛してるなー」と思いながら通過して目当てのお店に着いたのですが、土曜日なのも��ってか満席かつ行列&日本人も多くみんなグループで来てるのが何か急にしんどくなって(最近ひとり旅がさみしいw)、さっき見た屋台のお店を思い出して引き返しました。
戻ってみるとピーク時を超えたのかすぐ買えそう。あと、通過した時には気づかなかったけど、少ないながらもちゃんと座席があるから內用(イートイン)もできる!というわけで即決。ここで食べて行くことにしました。
注文したのは蛋餅と冰豆漿(冷たい豆乳)。台湾朝食の定番ですよね!初めての台湾旅行の時にも一緒に行った友人の勧めで蛋餅と豆…
View On WordPress
0 notes
yoml · 7 years ago
Text
秋の異国の五日間
Tumblr media
|月曜日
 空港に着くと、雨が降っていた。アジアって感じがする、と勇利が言った。アジアはあんまり詳しくないけど、長谷津の雨なら俺にもわかるよ。ひっきりなしに続く雨音、湿った空気に俺の知らない海の匂い。二人で寝転ぶ畳の質感。肌にへばりつくそれ。台湾とは、だけど全然違うよね。わかっているけど、長谷津っぽいねって言ってみた。結局のところ、郷愁といえば何を見ても長谷津を思い出すのだ。「そうだね、日本の中じゃ長谷津あたりはだいぶ中国っぽいし」そっか。そういえば昔、上海でもこんな会話をした気がする。それにしても疲れた。サンクトからの直行便がないからって、なんでまたアムステルダム乗り換えにしたんだろう。遠回り感ない? やっぱりアジアは遠いよ。勇利は、遠いところに居たんだな。出会うのに時間がかかったのも無理がない。
 雨の中をタクシーでホテルへ直行。すぐ横に台北101がそびえ立つ。着いたのは午後も遅い時間で、チェックインして一息ついたら外は暗くなっていた。コンシェルジュに夕食の店を探してもらう。夜の街を眺めたくて、あえて少し離れた台北駅近くの小籠包の人気店を予約した。タクシーの窓の向こうを大量に流れるスクーター。ミニスカートの女の子もだらしなくシャツを着たおじさんも、一斉に走り抜けていく。やっぱりここは、同じアジアでも日本とは全然違う。運転手は日本語を話した。勇利と短い会話を交わしている。なんて言ってるの?「台湾は車優先だから、歩くときは気を付けろって」じゃあ俺たち、台湾では手をつないで歩かないとね。
 今日の発見。勇利は小籠包を食べるのが上手い。レンゲの上においた蟹味噌小籠包を、熱さも気にせずじゅるっと一口。ねぇそれ、熱くない? どうやって食べるの?
「甘噛みしたら一気に吸う」
甘噛みしたら一気に吸う。
「ああほら、またスープこぼす!」
いや、だって。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
* * *
|火曜日
 「好吃」の「吃」が全然うまく発音できなくて、チーとかツーとかどっちが上手いとか言いながら歩いていたら道に迷った。昼前にホテルを出てから、秋とは思えない炎天下の下もう小一時間は歩いている。昨日の雨はなんだったんだ。そろそろ暑さも限界で、地図を見るのも面倒で、目についたカフェに入る。不機嫌になるギリギリのところ。こんなことじゃ別に本気で怒ったりしないけどね。グラスにたっぷりとアイスティーが注がれる。勇利はミルクティー。やたらとかわいい店員の女の子に二人ともヘラヘラしてた。なんなの俺たち。そのくせ、砂糖入れ過ぎ、なんて小さく文句を言う。だから最初に砂糖の量を聞かれたじゃないの。こっちで飲み物を買うときのルール。氷は少なめ、砂糖はなしで。俺はもう覚えたよ。
 ひとしきり涼んで、また最高気温35度の街に出る。勇利はさっきの文句はどこへやら、「ハオツィー」なんて言っちゃって、店員の子に笑顔でバイバイ。彼女に教えてもらった通りに行けば、駅は近い。最初の角を曲がる前に、腕を掴んでキスをした。相変わらずびっくりするの、こっちがびっくりだよ。まあでも確かにミルクティーは、甘過ぎたっぽい。ねえ勇利、この一週間で太ったら怒るよ。
 ところでどこに向かっていたのだっけ。
 この日は特に何もしない。何もしない、をしたかった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
* * *
|水曜日
  「角煮は今はないらしい」 いきなり言われて何かと思ったら、故宮博物館のことらしい。「別のところで展示されてるんだって。だから白菜だけ。あと鍋はあるって」まあロシアも大概狂った国だけど、国宝が白菜と角煮ってのもなかなかだよね。見たいの? って聞いたらうーんってむにゃむにゃ言うから、故宮博物館は却下。そもそもね、この旅の目的は「何もしない」でしょ。この賑やかな街でそれも似合わない目的だってことくらいわかるけど、長谷津へのアクセス優先だから仕方ない。ホテルで寝てたらいいじゃん、体動かしたいならジムもあるんだし。そう言ってベッドに引きずり込んで、抱きしめたりくすぐったりいたずらに噛み付いたりしてるうちにうとうとして、あっけなく二度寝。起きたら勇利がどうにも暇そうだから、午���は九份まで行くことにした。ほら勇利、あれ、ジブリ映画の舞台じゃないかって言われてるんだって。黒マントにお面のゴーストが出てくるやつ。俺は見てないけどね。
 九份へはバスを使った。タクシーを呼ぼうとした俺の腕を掴んで、「バス乗ってみたい!」だって。結果、まあ、エキサイティングだったよね。運転。ひどい。山道をぐんぐん登るのはいいけど、細い道で対向車とすれ違う時なんて何度ぶつかると思ったことか。俺まだ死にたくないけど、勇利となら落ちるくらいはいいかも。台北の郊外には集合住宅が建ち並んで、あの窓全部に人の暮らしがあると思うとなんだか妙に不思議だった。窓の外をぼんやり眺める勇利が何を考えているのかは分からない。 
 九份はきれいだったけどわかりやすい観光地で、人でぎゅうぎゅうの狭い路地を二人ぴったりくっついて歩いた。あの混雑の中なら、どれだけ近づいていても不自然じゃない。はぐれないように子どもみたいに手を握る。そういうのがさ、やっぱりうれしく感じたりもするんだよ。勇利がどうかは知らないけどね。赤いランタンが見えてくると、単純な俺は勇利の実家を思い出して一気に懐かしくなった。ま���で同じじゃないか。真っ赤な灯りに照らされると、勇利の顔にあのころの中性的な少年性が蘇る。羨望と恥じらいとためらいと、それ以上の負けん気に満ちた、勇利のあの目を何よりも愛した。それは今も変わらない。
  だからなんていうか、愛おしさが募って、帰りは観光客を待ちうけるタクシーを適当に捕まえて、相乗りがどうこう言う運転手に7人分の運賃を渡し(この車内に7人詰め込むなんて冗談じゃない)、あまりしゃべらないまままっすぐホテルの部屋に戻った。勇利が実家を思い出していたかは知らないけど、眠そうに夜景を眺めながら、手はちゃんとこちらにつながれたままだった。ホテルのベッドにポケットの財布とスマートフォンを放り投げて、長いキスをして、思い出したようにシャワーを浴びて、そこでもまた長いキスをして、セックスをした。体を洗ってもなお、勇利の肌に異国の知らない食べ物のにおいが染みついているような気がして、それを確かめるように首元に深く顔をうずめる。効き過ぎた冷房が、二人ぶんの汗を一気に冷やしていく。中秋節。雲に隠れた、満月の夜。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
* * *   
|木曜日
 さすがに街にもだいぶ慣れたので、夜市以外でも庶民的な店に入れるようになった。今朝はルームサービスは取らない。(おかゆの量が多すぎるからね。) ホテルのまわりをぶらぶらしながら、地元のひとっぽい行列が出来ている店に並んだ。 「あ、角煮まんじゅう」 うん、それ、おんなじの長谷津で食べたことある。「こっちでは割包、って言うんだって」なんか野菜とかピーナッツとか入ってるね。勇利が漢字から予測してメニューを説明してくれる。大体わかるのかと聞くと、半分くらいは予想がつくらしい。「何の肉が入ってるかくらいはわかる」だって。うん、重要だ。あとさ、俺このにおいダメ。なんのにおいかわかる? 「たぶん臭豆腐」なにそれ。「Stinky Tofu」 ああ、漢字がわかるって本当に大事だよね。
「ヴィクトルさ、」 割包を頬張る勇利がかわいい。「全然インスタしてないね」 うん、なんか今回はいいかなって。「写真も撮らないね」うん、それもいいかなって。「写真ないのちょっとさみしい」えー、じゃあ勇利が撮ってよ。「いやだよ、下手だしセルフィー苦手だし」 なにそれ。「あとさ、すごい顔あかくなってる。日焼け」あー、そうちょっと、ていうかだいぶ、ひりひりするんだよね。「かわいい」 ありがと。
 「何もしない」とか言っておきながら、昨日九分まで足を伸ばしたのが案外良くて今日も少し街から離れてみることにした。(好奇心が強いんだ俺は。) 台北にも温泉あるんだって、北投。「でもこれから長谷津じゃん」まあね、じゃあどうしよっか。「ここがいい。マオコン。名前がいい」なんて意味?「猫の空」あはは、猫いるの?「わかんない、パンダがいる。あと寺とお茶が有名だって」
 猫空は高所が苦手な人にはおすすめしない。途中まで電車で行って、そこから標高300メートルくらいまで、足もとがガラス張りのロープ―ウェイで20分くらい登っていく。ねえ、これ結構怖いよね? 一番上まで登りきると観光向けの茶芸館が点在していて、平日の今日はどこもがらがらだった。犬が出迎える店に入って、暇そうな店主に冷たい鉄観音茶を出してもらう。めちゃくちゃおいしい。半戸外の店内からは、台北の街が一望できる。他に客がいないから、放し飼いの犬が俺たちに寄って来る。「マッカチン元気にしてるかな」してるよ。店主が聞いているのか、ラジオの音が遠くから聞こえる。風が二人の髪をなでる。テーブルにだらしなく肘をついて、ずっとここでぼんやりしていたいねと言ったら、勇利はもう寝息をたてていた。風の代わりに、黒髪をなでる。至福とはこのことだ。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
* * * 
|金曜日
  もう五日も台北にいる。観光らしい観光は九份くらいで、あとはひたすら街を歩いて、ご飯を食べて、疲れたらホテルにもどる。ジムでは体が鈍らない程度のトレーニングだけ。今は二人ともスケーターじゃない。コーチでも教え子でもライバルでもない。ここは勇利の故郷じゃないし(ところどころ似てるけど)、俺のよく知るピーテルでもない。二人ともただの旅行客で、二人の関係はと聞かれたら、恋人ですという以外にない。極めてシンプル。だからこうしてたまには、氷から離れるんだ。でも一人はいけない。氷の上はなんやかんやで結局のところ一人なのだ。だから氷を降りたときは、嫌がられても俺は勇利のことを離さないよ。決めたんだ。そばにいてって言ったのは勇利のほうだからね。(でもあれって、試合のときだけの話だったのかな。まあ、いいか)
 だから氷から降りるたびに、何度でも何度でも抱きしめてやる。
「あ、お土産買ってない」うーん、いる? 「もういいかなー……。あーでも絶対パイナップルケーキ食べたかった〜とか言われる」 空港で買えば? 「うーん、めんどくさ……」 じゃあいいじゃん、それに台湾のものって珍しくなさそうだし。ピーテルのお茶とかお菓子なら発つ前に送っておいたよ、そろそろ届いてるんじゃないの。「うそ、いつの間に」 そういうことはさらっとできる男なんだ俺は。
 荷造りは一瞬で終わった。スケート靴を持たない俺たちの荷物は少ない。トレーニングシューズと、簡単なウェアさえあればいい。ホテルを出ると、もわっとしたアジアの空気が一気に肌にまとわりつく。秋とは思えない気温30度越えの街。だけどそれを感じているのも一瞬で、導かれるままにクーラーの効いたタクシーに乗り込む。暑さが惜しい。無理を言って窓を開けてもらうと、湿った風が勇利の黒髮をなびかせる。なんとなく愉快な気分になって、勢いよく覆いかぶさるように思いっきりキスをした。「ちょっっっっっと!!!!」って全力で押しのけられる。なおさら愉快になって、声を出してげらげら笑った。空港まではまだ30分以上。あと3回は不意打ちできるな。
Tumblr media
* * *
7 notes · View notes
keijukita · 7 years ago
Text
続・コマーシャルギャラリーに売り込む方法 :ギャラリーとの関係篇
昨年このブログを立ち上げてすぐの4月11日に書いた記事「コマーシャルギャラリーに売り込む方法」がこのところずっとアクセス数を伸ばしつづけている。 僕自身がコマーシャルギャラリーで個展を行ったのは昨年の3月。 それから1年半が経ったことになる。 来年の4月に2回目の個展を行う予定になっている。 継続的にコマーシャルギャラリーで展示をさせてもらえること、ギャラリーで作品を取り扱ってもらっていることなどを考えれば、僕自身、一応コマーシャルギャラリー作家であると言って今のところ差支えないかと思う。 自分も含めて、コマーシャルギャラリーの作家とは何であるのか?そもそもにコマーシャルギャラリーとは何なのか?その関係性とは?役割とは? 何故コマーシャルギャラリーを目指したのか? ​ その上で何が必要なのか? といった点を自身の経験などを踏まえて何回かに分けて再考察したいと思う。 最近の圧倒的なアクセス数と実は検索上位に来ていることで、きっと自身の想像の範囲を超えて誰かに届いてしまうので、正直この記事に「続・」と付けるにはそれなりの覚悟を必要としている。 でも、僕自身が受け取り、経験し、触れてきたことを次の誰かが受け取ってくれることも同時に願っている。 それが、僕自身のアートに対する「役割」のひとつであろう。 アートにおけるギャラリーというカルチャーを残していきたい。 すばらしい「作品」に「意識」と「知識」を持った作家が増えることはアートの世界全体を支えることになる。 なので、生意気な内容の部分は許していただきたい。 実は、まだどうなるかわからないし、僕だけのことではないのであまり言わずにいたが、実はちょっと前から進めていたプロジェクトが少しづつ進んでいる。 冬青社の高橋社長がご自身のブログで前に書いていたから(参照:「2017年7月11日 今日は朝から何かと・・・。嬉しいニュースが・・・。」) 一応ここまでのことはオープンにしていい話だということだと判断しよう。 来年早々に僕は「作品」とついにヨーロッパに行く。旅行じゃなく! 向こうのコマーシャルギャラリーで作品を展示をしてもうことを大前提にその準備や交渉のためだ。 パリには呼ばれるまでは自分では行かないと決めていた。 僕が呼ばれたわけではないがある意味「作品」は呼ばれてヨーロッパへ行くことになった。 ちょっとずつちょっとずつ時間をかけて育ててきた信頼関係があって、それが少しカタチになりそうだということだ。 思えば、作品づくりを2012年ごろからはじめて、2013年の夏に冬青社の高橋社長に出会いそこから学んだことは「作品づくり」のことだけではない。 それに関わるまわりの部分も少しずつ見せてくれていたのは僕自身が自身の作品を「芸術」にするためにアートのある部分(ギャラリーのバックヤード)に大いに興味があることを知ってくれてだと思う。 次の目標を少し前に書いたが(参照:「海を越えた向こうで」)、覚悟をもって作品をプロジェクトの次の段階に進める。 この数か月間、高橋社長と何度この件で打合せを重ねてきたかわからない。 台湾でのフォトフェアへの参加もそうであったが、今進めていることは「作家」と「ギャラリー」が「作品」を「芸術として育てる」プロジェクトなのだと思う。 これはある部分でギャラリーを支えるコレクターさんたちも巻き込んでギャラリーと作家である僕とが「作品」に対しそれぞれに役割を果たし、芸術として時代の一部にするための壮大なプロジェクトなのだと思っている。 それこそが僕が選択肢として「コマーシャルギャラリーの作家」しかなかった理由そのものだ。 つまり、僕は自分の「作品」を時代を代表する「芸術」として扱ってもらう ということだけを考えて作品の行き場所を選んだのだ。 これは作家思い、作品の良し悪しだけの話ではない。 ましてや、僕にとっての作品づくりは趣味でもなければ、学びごとでもない。 作品が多くの人に見られるということも実は必要十分な目標ではない。 その覚悟をもって目標に進んでいるということをギャラリー冬青の高橋社長には理解いただき、協力をしてもらっていると思っている。 「芸術」がなんであるのか?「作品」がなんであるのか? を僕自身が理解する必要があったのも当然の話なのだ。 同じようにアートのマーケットとは?コマーシャルギャラリーの役割とは?コレクターの役割とは?と言うことも深く知る必要が出てくる。 「作家」の役割だけを知っていてもダメなのだ。 そのために人の作品もしっかり吟味して「作品を買う」という経験をすることもはじめたし、その後は積極的にコレクターとしての役割も果たそうと努力している。 僕が芸術に関わるすべての行動はつながっている。   次のヨーロッパも「作家」として「ギャラリー」に連れて行ってもらうということではない。 「作品」を「芸術」へのステップアップのために海外へ展開する「作家」と「ギャラリー」とで進めてきたプロジェクトの一部だ。 ギャラリーで展示をした作家だとしても、何もしなければ何も起きない。 コマーシャルギャラリーの作家になるということが目的になっていたり、ステータスとして考えているのであればそれは間違いだ。 「作品」を発表する場は幸いに日本ではほかにも選択肢はいくらでもある。 自分の作品に合った発表の仕方を選んであげることのほうが「作品」に対しての「作家」としての役割は果たしていると思う。 じゃあ、コマーシャルギャラリーとは何なのか?ということになる。 ひとえにコマーシャルギャラリーとはいってもそのスタンスはギャラリーごとに大きく違う。 何故ならば、場所をかしているだけではそこにコマーシャルギャラリーとしての価値がないからだと思う。
大御所しか扱わないギャラリー、コンテンポラリー寄りのギャラリー、海外に強いギャラリー、とんがったセンスのギャラリーや、ただ作品を預かっていて作家不在に思えるようなスタンスのギャラリー、若い作家をひとりでも世の中に送り出すことを目的とした育成型のギャラリーもある。 ヨーロッパなんかでは作家はギャラリーにあまり在廊しないらしい。 ギャラリーに作家がいると、かえって売れないと聞いたことがある。 それはギャラリーとコレクターの関係がヨーロッパの中でカルチャーがしっかりと確立されているからこそだろう。 要するにその方がその場所のマーケットにあっているのだ。 自身で作品も見極め、道徳のレベルで芸術を学び積極的にアートのマーケットに関われる人たちがマーケットを形成しているからこそヨーロッパではそう言う作品をただ置いておくだけで声もかけないというスタンスが許されるのだ。 多くのスタイルが乱立する日本ではコマーシャルギャラリーだからこそその役割をしっかりとして行く必要があるので、それぞれに独自にスタンスが確立されているのだと思う。 コマーシャルギャラリーは作家ごとにただ作品に場所を貸しているだけではダメでギャラリーごとにその責任を感じ、役割を果たそうとしているのだと思う。 そのあたりを踏まえた上で、それぞれに様々なスタンスはあれど、突き詰めればコマーシャルギャラリーの役割は一つであると思う。 ―「作品」を評価し、責任をもって「価値」をつける場所だ。 つまり、正解ではないかもしれないが、僕の認識では僕の「作品」はある意味で僕の作品であって、もはや僕の「作品」ではないのだと思う。 個展をし、その作品を世に「作品」として示した時点で責任の一部を「ギャラリー」も担って、その役割を果たそうとしてくれているのだ。 「作家」である僕が「ギャラリー」に臨んだ��臨む)役割は ◆作品を芸術として世に残すスタート地点となる事(価値づけ)。 ◆アートワールドの中の枠組みで生きていける作家(この場合は僕)の意識の育成(教育ではなく。教育は自身で受けていることは不可欠。)と、積極的にマーケットに関わることをよしとするコレクターがいて、さらに新たにコレクターが育つコミュニティーを持っていること。 であったと思う。 作品づくりと並行してその辺を展示を回ったりする中で僕自身「作品」とともに選ばれる努力をするのと同じく、僕も「作品」のためにギャラリーを選んだのだ。 当然販売力やパリフォトやアンシーンなど有力な海外へのルートを望む人もいるだろうが、それは「作家」が「作品」のために考え、優先順位をつけていけばいいことだ。 昨年3月の展示が決まる数年前、、、たしか2013年の秋位とかなり早い段階に僕自身の中で「作品を芸術として育てるために、ギャラリー冬青で個展をし作家になる」と決め、それ以外の選択肢(ほかのギャラリーでの展示、発表の場やステータスを得るためのコンペ等のアワードやレビュー、その他の発表の場等々)を捨て覚悟を決めていたと記憶している。 なかなかタイトルの「コマーシャルギャラリーに売り込む方法」に至らないと思うであろうが、逆に言えば、今まで書いたこと、考えてきたことをギャラリーの高橋���長と共有してきたことこそが、僕がギャラリーとの関係を創るために行ってきたことであり、最大の「売り込み」であったと思っている。 たしかにそこに「Máni」という「作品」はそこにあったが、それほどまでに「作品」を売り込んだわけではない。 思うに「作品」は良くて当たり前。 どこのギャラリーであったとしても、決め手はその上で何があるのか?ということになるのではないだろうか? 「作品」は良くて当たり前の上で、自分にほかの人とは違う圧倒的な何かがあることを示せるのか?であったと思う。 「作品を芸術にしていく」ということをはじめとした、プロジェクトという考え方をギャラリーがくんでくれたのか?逆にもともとそういうもので僕がその考え方にフィットしていったのか?はもはやわからない。 でも、今現在はそれぞれに役割を果たそうという関係であることは間違いないと思う。 当然、最終的な目的のためにお互いの責任における役割に対して要求も高くなる。 それが僕が経験し、考えるギャラリーと作家との関係性であると思っている。 まず「何故コマーシャルギャラリーを目指すのか?」 そこを示すことだろう。   参照: 「コマーシャルギャラリーに売り込む方法」 「続・コマーシャルギャラリーに売り込む方法 :ギャラリーとの関係篇」 「続・コマーシャルギャラリーに売り込む方法 :相手を知り、己を律する篇」 「続々・コマーシャルギャラリーに売り込む方法:作家づくり篇」 「番外 コマーシャルギャラリーに売り込む方法  ー特殊な信頼関係篇」 「完結 コマーシャルギャラリーに売り込む方法 −完結篇−」
3 notes · View notes
india-smalltalk · 5 years ago
Text
番外編 中東旅行(その1 Abu Dhabi)
10月27日(日)がインドの新年に当たるDiwaliという祝日で、26~30日まで5連休になったので、アブダビ、ドバイ、ドーハを旅行してきました。 ムンバイから飛行機で3時間、時差も1時間半なので、心理的には台湾あたりに行く感じかと。 久しぶりにがっつり建築を見たなという感じなので、見てきたものをぽつぽつとまとめたいと思います。
アブダビ(UAEアラブ首長国連邦の首都)
□Louvre Abu Dhabi  設計 Jean Nouvel  竣工 2017
Tumblr media Tumblr media
ルーブル美術館初の海外分館。学生のとき、アブダビの人工島に美術館が4つぐらい計画されているドローイングを見た中で、ドームのイメージがとても強くて、正円...とか思ったのを思い出した。パースではもっと大量の光が差し込んでいたような。 実際、ドームの下は思っていたよりも少し薄暗くて、木漏れ日状に光が壁や床に落ちてくるのがとても気持ちよく、光が移り変わるのを一日中見ていられる。
この建築を印象付けるドームも、ドームを構成する幾何学模様も典型的なイスラム建築からの引用で、その下に街区のように並ぶ白いボリュームは乾燥地域でよく見られるアドべの住宅を彷彿とさせるので、ここアラブの砂漠と伝統と文化をまっすぐ反映したように読み取れるのですが、このドームの飛躍よ…!という気持ちです。
幾何学模様のパターンの重ね合わせで粗密を作ってあるのですが、完全にランダムというわけではなく、周辺は厚く、頂上に向かって粗になっているので、天辺に行くほど光が透けて見えて妙に軽やか。 周囲はペルシャ湾に囲まれているので、水際からはまた別の光の揺らぎがあってそれも良い。
Tumblr media
展示も非常に充実しており、常���展は中東を中心に、古代から現代まで歴史を追っていくような内容でした。 ローマ、エジプト、シルクロードとの関連などなど。 展示室を移るごとに時代が進むという構成で、それも街を巡っているようで心地良い。パリのルーブルのように一日あっても見切れない、みたいなボリュームではないものの、じっくり見ていると一日くらいは余裕で過ごせるのではないかと。企画展はエコール・ド・パリの作品展でした。ムンバイにはなかなか油彩の巡回展みたいなのが来てくれないので、シャガールとモディリアーニとレオナールフジタに会えて私は大満足です。
 □The Mall (World Trade Center Souk)  設計 Foster+Partners  竣工 2014
Tumblr media Tumblr media
ワールドトレードセンターのオフィス棟2棟と、その足元のショッピングモール。 外装は複数のパターンの格子と幾何学模様のパネルになっており、一枚一枚がテラコッタでなかなかのボリューム感。内装も同じく格子のパターンが繰り返し現れてきて、こちらは木製のパネルになっている。回廊部分と、エスカレーター・エレベーターホールがどーんと垂直に抜けていてかなり明るい空間になっています。採光にガラスブロックなども使われており、外装の格子+ガラス+内装の格子で自然光をうまくコントロールしている印象。
Tumblr media
上階のレストランのテラス等から屋上庭園に出られるようになっており、そのまま各階がつながって地上まで行き来できるようになっているのですが、あまりの暑さと日差しの強さで滞留している人はほとんどおらず、もったいないなー。 店舗部分とテラスも直接の交流があるわけではなく、どちらかというと店舗は外に向かって閉じているので、気候が良い時期でも活用されているのかどうかは不明です。外部環境が厳しすぎて、外に開くのはなかなか難しそう。
  □Qasr Al Hosn  竣工 1761
Tumblr media Tumblr media
別の名をWhite Fort(Fort=城塞)と言い、アブダビで最も古い石造建築です。元々、淡水井戸などの水資源を守るための見張り塔として作られ、のちに政権者たちの住宅として活用されていたそう。 現在はリノベーションされて随分きれいになってしまっているのですが、当時の生活を復元した展示などもあり楽しめます。
ここに入るためには隣にあるHouse of Artisansという美術館とセットになっているチケットを買う必要があり、そちらでは漁師たちが使っていた網、籠などの手工芸の展示やアラビアンコーヒーのセレモニーなどを受けることができます。
ちなみに、1枚目の奥に映っているのがワールドトレードセンターのオフィス棟です。最上階の斜めカットは自然光を最大限取り入れるためか。シンボリックなシンメトリーな形状は何を表しているのだろうか… 
また、同敷地にAl Musallah (設計CEBRA / 竣工済み? オープン前)という、アブダビの新しい文化拠点として図書館、シアター、カフェなどを併設したものが完成しているようでしたが、中には入れず。
Tumblr media
ランダムな矩形の組み合わせ。画像しか見れないので次来るときのリベンジ
 □Emirates Palace  設計 Wimberly Allison Tong&Goo  竣工 2005
Tumblr media Tumblr media
高級ホテルが次々誕生するため、もはや5つ星ではなく7つ星ホテルと呼ばれるエミレーツパレス。 外装は落ち着いたこげ茶色の御影石で統一されていて、一見控えめな感じですが、内部は至るところゴールドでキラキラしていました。内外とも、イスラムのアーチ、ドーム、幾何学模様が繰り返し使われています。お金があるところにはあるんだなー。いろいろ勉強になります。
□Etihad Towers  設計 DBI Design  竣工 2011
Tumblr media
エミレーツパレスの対面にある商業コンプレックスです(右端の2棟は別の建物)。アラブの重要なシンボルである、帆船、剣、鷹狩り(鷹が翼を閉じている様子?)から想起したという彫刻のような5棟が、相似形を成しながら角度と高さを変えつつ互いに向かい合っており、バランスよくまとまっている。 中はこちらも5つ星ホテルとサービスアパートメント、低層部分は高級ブランドのブティックになっています。 こういうの、見ててすごいなーと思うけど、あんまり私に関係しない建築なので楽しみ方がよく分からない。
□Sheikh Zayed Bridge  設計 Zaha Hadid  竣工 2010
Tumblr media
片側4車線ずつのハイウェイがそれぞれ片持ちで真ん中のRCによって持ち出されています。写真では見切れているのですが、左側から近づくとアーチが逆に道路を挟むように入れ替わっていて、これはもうぜひ別の角度からの写真を見てほしい。(モスクに行く前に歩いて立ち寄ったため、これ以上近づく気力がなかったので載せられる写真はなく。。archidailyのリンクを貼っておきます) サインカーブの曲線が目を引く、いかにもZahaという造形でした。 側面から見るより、実際に車で通ってスケール感と構造を感じてほしい。 
□Wahat Al Karama  設計 bureau^proberts     Urban Art Projects     Idris Khan(artist)  竣工 2016
Tumblr media Tumblr media
戦死者たちの追悼記念碑。互いにもたれかかるように並んだ31枚の銘板にはUAEの偉大な詩が刻まれているらしい(アラビア語なので全く読めず)。構成は非常に明解で、銘板から伸びている軸線上に水盤があり、その先に戦死者たちの名前が掲げられた2枚目のパビリオンが配置されている。 写真奥に向かう直線上にも大きな水盤があり、そこからグランドモスクが正対して見えるので、どちらかというとそれを見れたのがとても良かった。
モスクからは10:00~6:30まで30分毎にシャトルが出ています。
□Sheikh Zayed Grand mosque  竣工 2007
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
UAEで最も大きく、世界でも6番目に大きなモスクです。モスクの系統には全く明るくないので、このアーチが何様式でとか言えないのですが、とにかく豪華絢爛で観光客のインスタスポットになっていた。 また、ここは世界最大のペルシャ絨毯が敷き詰められていることでも有名だそうで、一枚もので約5,500㎡ということです。人の大きさと比較して柱も何も大きすぎてスケール感が狂いそうになる。この男性2名も、まるで外で木にもたれかかっているようにも見えるな… 装飾は、白大理石を削ってそこに違う色の石を埋め込むという手法で、タージマハルなどで見られるのと同じなのですが、技術の進歩(と予算)を端々に感じます。(左がタージマハル、右がシークザイードモスク)
Tumblr media
  □Andaz Capital Gate Abu Dhabi  設計 RMJM  竣工 2011
Tumblr media Tumblr media
ダイアグリッド構造からなり、世界で最も傾いているビル(18°)ということでギネスにも載ったと言うアブダビのAndazホテルです。ダイアグリッドは、青山のプラダとか、ロンドンの30St Mary Axeなどで使われている斜め格子の鋼構造で、内部にはかなりがっつり構造が出てきているのですが、外装はカーテンウォールを持たせるだけの細い材だけ見えてきて、曲線のしなやかさを見せているのか。完全にガラスだけにするより、この格子によって特徴的な形が際立っているように見える。消したくても消せなかっただけかもしれないけど... あとANdAZのロゴはなぜあんなシンプルかつカラフルなのか、ワードで作ったんかなどと偉そうに考えながら、これにてアブダビ終了です。
次はドバイ編をお送りします。
0 notes
doanob1 · 5 years ago
Text
あいちトリエンナーレに行ってきた
あいちトリエンナーレに行ってきた。
夏休みにどこか行こ。電波の入らない離島に行って(コナンくんが来たら死ぬだろうな〜)って想像するのと、大阪に行って昔から興味があったみんぱくに行ったり美味しいものを食べたりするのとどちらがいいかな、と考えていた。
ぼんやり色々考えているうち、名古屋在住のフォロワーさんが東京に来た時、「ご飯を一緒にどうでしょう」と連絡をくださった(とてもうれしい)。そうして一緒に食事をしたりお散歩をしたり、なによりたくさん話したりした。
そして後日、その方が「自分の目に新宿がどう見えたか」を文章にして公開していて、これが新鮮で面白く、今思えばこのとき自分が見たものを書いておく・公開するってことの魅力にちょっと興味を持ったのだ。
今回私が名古屋に行って、また同じ方とお食事をしたりおはなししたりしたのだが、今度はその方の絵日記を少し見せていただいて、これもとても素敵だと思ったのだった。
私はいま新宿に住んでいるが、ここに住んでいるといろいろなことがわからなくなると思う。こんなにオリンピックの看板が出ていること、地下鉄で窓の代わりに光るモニターの広告、そうしたものにもう慣れてしまった。「こんなにオリンピックの広告がたくさんあって驚きました」と言われ、はじめて、「そうかこんなに広告があるのは異常だな」と気づいた。
自分が立っている場所��ことは自分では見えない。だから、他の人と一緒に自分が住む街のことを聞いたり話したりすると、新鮮で面白くて、自分がどんどん鈍くなっていることを知って恐ろしい気持ちになる。
むかし、地方の天候不順や災害のニュースを見たとき、「今年は野菜が高くなるわね」と言った人がいた。私はこれを聞いて(地方はお前の畑じゃないぞ、住んでいる人間も誰かの生計もあるんだぞ)と思ったものだが、だんだん、私は都市の生活に慣れて、こう言いはなつ人間になってしまう気もする。
近しい人間に「私がこういう無神経な人間になったら頭を打ち抜いて欲しい」と頼むのは、半分冗談で半分本気だ。私が無神経な人間になってしまったとき、自分ではそれと気づくことができないだろうから。ゾンビのように、生きているように動いてももう人の心もなく、ただ他人にかみつこうとする存在はいくらでもいる。じぶんがそうならないなんて言い切れない。
旅行先は愛知にしよう、と決めたのはこのときだ。
ちょうどこの頃、あいちトリエンナーレに対しての脅迫が連日報道されていて、わたしは脅迫する側の気持ちがまったく理解ができなかった。ただ少女が座っているだけの平和的な像が「反日」で、戦時下の性暴力に反対する行為が「国に対する侮辱」?いまでももちろんまったくわからない。でも、いずれ私も彼らのような振る舞いをしないと言い切れるだろうか?この国は貧しくなりつつある。来月から消費税は大幅に増え、生活は確実に苦しくなる。その状況で心まで貧しくならないなんて言い切れない。いずれ私もゾンビになるかもしれない。
隣の国でも、遠くの地方であっても、どこであっても人間が住んでいることを忘れていたくはない。が、いずれわからなくなってしまうかもしれない。
私が毎日なにかを書いているのは、漂流中の人間が書く航海日誌のようなものだ。たったひとりで暮らしながら、正気を確かめながら書く。 書いている途中に、自分でも気づかないまま、もう人の心をなくしてしまうかもしれない。 そのときに、昔の自分が書いたものを読んで、少しでも思い出せればいいと思う。 これから書く旅行の話も、いずれ自分がゾンビになってしまったときに、人間(だった時代)を思い出すために書いていた日記をまとめたものであって、もともと公開するつもりはなかったがせっかくなので載せておく。冗長な描写が続くが元が個人的につけている日記なのでご容赦ください。
-------------------------------------------------------------------------------------------
1日目。 7:30にバスタを出て13:30にささしまライブ着。 今回はバスで行ったんだが、名古屋市内に近づくにつれて巨大な船舶が泊まる港が見え、整然と並ぶ輸出用の車が見え、そして現実味の希薄な原色のレゴランドが見え・・・という光景に妙な感慨を覚えてしまった。その後バスが走った市街地でも、看板が大きかったり(走る車からでもよく見えるようにだろう)、店の規模も駐車場も大きかったり、そもそも道路自体が大きかったり、車社会を感じる。この車社会・そしてトヨタとの関係は、トリエンナーレを巡る今回の旅程を通して実感することとなるのだが、それはまた後ほど。
ささしまライブに着き、ホテルまで歩いて荷物を預けて、名駅地下の適当な店で味噌カツを食べる。「味噌カツを食べた」という事実が欲しいがために適当な店に入ってしまったのだが、味噌カツ、高級なソースかつみたいな味がした。駄菓子のアレ。私が貧乏舌なのか、その店に原因があるのかは永遠の謎。
ホテルは安さだけを重視して選んだら「オーバールックホテルからオシャレさと清潔感を抜きました!」みたいなところだった。ホテル名をグーグルに入れると「(ホテル名) 幽霊」とサジェストされる。きっと実際に何かしらの事件があったんだろうな・・・怖くてクリックしてないけど・・・まあ泊まってみたら双子の幽霊も血まみれエレベータもなかったからヨシとしよう・・・。立地は名駅西側のところで、周りも水商売のお店が多く、あとで「西側は治安悪いところですよ」と言われる。新宿にも水商売密集地帯はあって、年季の入った建物の感じや路地裏の感じは似ているが、同じ古い風俗街でもちょっと印象が違うなと思った。新宿の場合、建物自体は古くとも、店の入れ替わりが激しく看板だけは新しかったりするのだが、名駅西側のあたりは「昔からあるのだろうな」というフォントの大きな看板が目立ったからだろうか。
そしてこの日は月曜日だったんだが、月曜はトリエンナーレ全体がお休みなのを忘れていて一度円頓寺会場まで行ってしまったよ。あほ。ホテルに引き返して、持ってきた仕事をしたりごろごろしたりしてたら夜。
Tumblr media
円頓寺の通り。
Tumblr media
円頓寺のかっこいい佇まいの一例。
夜。フォロワーさんと円頓寺で待ち合わせてご飯に行く。「連れて行きたいお店があるんですけど怖いおばあさんがいて・・・お酒を頼まないと怒られるんですよね・・・私はお酒が飲めないんですが、のぶさんお酒飲めますか?飲める人がいないと行けないので・・・」と聞かれたので元気よく「飲めます」とお答えして連れて行ってもらう。連れて行ってもらった先の居酒屋さんは、手の跡が残っているような木でできた煤けたたたずまいであった。店内から曇りガラス越しに見える通行人の影が、舞台装置のようでとてもよかった。通行人の影が傘を差しだして「あ、雨が降り出したんだな」とわかる光景。演劇の演出のようだった。
どて煮と手羽を食べ「これでナゴヤ飯を食べたと言えます」とフォロワーさんから太鼓判をいただく。やったね!「お酒飲んでもらってありがとうございます」とも言われ、(お酒飲んで褒められるなんて生まれて初めてだな!甘やかされてる!)と思った。
このお店で、隣り合わせたおじさんに話しかけられ、手羽からを食べろと渡されたり無視しても声をかけてきたりしたんだが、なんだかすごく寂しいおじさんだな、と思った。お店の人に「飲み過ぎだ、帰った方がいい」と言われても「帰ってもすることないねん」と答えていて、なんてさみしいひとなのか・・・と思ったのだが、この翌日、私ひとりで食事に行ったときも似たようなおじさんにまた話しかけられるのだった。この話も後述。
居酒屋さんのあと、ベトナム料理屋さんに行って、チャーっていうあのあまいやつを飲む。フォロワーさんと政治の話や芸術の話をたくさんできてうれしかった。SHERLOCKをきっかけに19歳からTwitterをはじめてもう八年経とうとしている。現実で出会っていたとしたら、こんなにいろいろな話をするまでに多くの時間がかかるであろう人とも、いやそもそも出会っていないであろう人とも、こうして会って食事をして政治の話をできることが不思議だ。
Twitterがあってよかった。
-------------------------------------------------------------------------------------------
2日目。
八時頃ホテル出て電車で名古屋城へ。 名古屋城、堀の幅が広くて深くてびっくり。整然とした石組み。お城へ行く道々に、忍者のかわいいお菓子がたくさん看板に載っていた。 この日は天守閣に入れず、本丸御殿に行ったのだが、本丸御殿だけでも十分満足してしまった。ゴテゴテしているわりに、描いてある鳥獣は間が抜けてたり廊下は異様に質素だったり、全体を通すと上品に見えるのが不思議。ネコ科の動物大集合のお部屋と金具のリスがよい。天井がきれい。質素な廊下を抜けるとキラキラ豪華絢爛な空間が現れて、森の中の滝やお寺みたいだ。
以下は本丸御殿の内部。これはネコ科の動物づくしという素晴らしいテーマのお部屋。トラやヒョウやジャコウネコがいるよ!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ネコ科のお部屋パノラマ。
Tumblr media Tumblr media
↑これは鳥のお部屋。写りが悪いけれども鳥が色々描いてある。
Tumblr media
金具のリス。
Tumblr media
綺麗な天井。
帰りがけに忍者がいた。「よく参った!」と言われて笑ってしまった。名古屋城は忍者がおもてなししてるのね。そういえば昨日はフォロワーさんから「おもてなし武将隊」というライトな観光アイドル的なものも教えてもらったのだった。 私はいつも旅先からお手紙を送るのだが、ジャコウネコとや虎のポストカードを買ったので、明日、フォロワーさんに教えてもらったキッテで発送しよう。名古屋にもキッテがあるらしい。 ポップオーバーというお店でお昼を食べて移動。芸術文化センターへ。このあたりから暑さと日差しが辛くなってくる。 名古屋は車社会で道路が幅広な分、簡単に横断できず、歩道橋や立体通路や地下を経由する必要があってちょっと移動が大変。見えてるのに簡単にいけない感じがRPGっぽい。まあ近くなのに移動が面倒、という点に関しては東京もよそのこと言えないか・・・。
芸術文化センターの展示について。
慰安婦像の対応をめぐり、作家さんの意思で展示中止措置が行われたため、見られない作品も数多かった。その一連を報道した新聞で全体が覆われて隠されている作品もあった。
Tumblr media
これらの新聞記事は全て慰安婦像に対する抗議とその対応を書いた記事が載っている。
ウーゴ・ロンディオーネのピエロの作品、造形のみならず薄くて伸縮性のある布が表面を覆ってる感じとマスクの塗装が超リアル。入った瞬間ぞくっとした空間。でも、彼らの間を歩くうちにだんだん親しみがわいてくる。愛嬌のある一体、自分に近い一体を見つけていって、部屋を出る頃には最初の小さな戦慄がなくなっていた。
ペルーの作品は展示していなかった。クラウディア・マルティネス・ガライのやつ。見られなくて残念。とても興味深いディレクションが記してあったので。
あとラテンルーツの人びとがパーティする映像も公開されてなか���たけど、暗い空間の中に残されたパーティグッズのもの悲しさそのものがいまの事態に対する静かな悲しさを示した展示のようだった。
石場文子の作品は自分のパートナーを思い出した。一部がマジックで強調してある日常の風景を移した写真。一見ただの写真に見えるが、一部が人為的に強調してあるので、ぱっと見たときに違和感があって詳しく見ていくとそれがだんだん明らかになってくる。 あれは本人/当事者たちにしかわからない「思い出」「時間」を強調して可視化しているのかしら。 人と暮らしていると、ただの日常の道具や風景でも、私たちにしかわからない特別な意味が生まれてくるものだなーと実感しているので、(おそらく)誰かと暮らしているのであろう風景をあのように表現した展示に自分たちの暮らしを思った。
永田康祐の三つの料理の映像は、レヴィストロースの料理の三角形論と、ローストビーフの由来を持たないローストビーフ(分子料理)のところがすごくすき!なるほどと思った! 私自身の住んでいる場所が多国籍な地域なので、いろんな国の料理屋さんに入った時のメニューを見ている感覚を思い出した。メニューに現地の文字による原語名と、日本語に翻訳した言葉が載っているけど、例えばタイ料理屋でも中華料理屋でもミャンマー料理屋でも日本語では「チャーハン」って書いてあるものがあって不思議だったんだ。日本語にするとそれが一番伝わりやすいからこう書いてるんだろうけど、実際葉もちろんそれぞれ別物なわけで、頼んでみるまで実際のものがわからないドキドキ感も思い出した。
田中功起の四人の家族の物語は自分の仕事や生活と重なる部分もあって、とても興味深かった(職がバレるので感想は割愛)。ただ、映像はいいと思ったけどドローイング部分がちょっとよくわからない。
伊藤ガビンのプロジェクションマッピングは、ちょっとネットノリな感じのギャグの部分と、揺れるカメラや遠近感を表現したような部分とで好みが分かれそう。私は後者の部分が好き。鉄骨のなかを降りるような映像が、ゴーグルをつけない空間VRって印象。
ヘザーデューイハグボーグのDNA再現は、過去の遺体を再現するような(アイスマン等)のロマンもあって怖さや気持ち悪さのみでない魅力も感じる。あとやっぱガタカを思うね。かつてここにいたけれどもういない人の痕跡をたどっていくのは、歴史や捜査ドラマのようで、少しわくわくするよ。
ガラスのドローイングは異様な奥行き感があって、「なんでこんなに立体的に見えるんだ?」とうろうろして眺めてしまった。ガラスに書いているという構造だけではなくて、直線と曲線を組み合わせているからあれほど立体的に見えるのだろうか?立体的に見える最大値を全部計算して書いているんだとしたらものすごい手間だ。
「その先を想像する」の大量の単純な映像、見ているうちに恐怖や怯えの予感に身構えてしまうような感覚を覚えた。殴られる前に身構えてしまう予感というか。例えば対面した相手が手を上げれば殴られると思って身構えてしまうが、それはある程度自分の学習に基づく予測なんだな、と考える。
「10分の遺言」日本的というか世界系というかエモい系というか、今回一番サブカル的わかりやすさを内包した作品だったなと思う。十分の時間制限をつけて、ネット上の不特定多数から「死ぬ前の文章」を収集してる作品なんだが、完成した文章そのものではなくそれを打ち込んでいる過程を映像にしてすべて流してるのね。削除したり、カーソルを戻したり、言葉を選んでいるのかためらったり、そういうての後を全て映像で記録して流している作品。映像キーロガー的なシステムはとても興味深かった。ああいう形で人が文章を書くのを記録できるのね。
ステルス機の白い枠線は、事件現場の死体をかたどった白い跡のようだった。(これが落ちてきたらみんななくなるんだろうな)とか(見えないけどいまも頭の上にあるのか)とか、DNA再現の展示でも感じた「痕跡の再現」を思った。
シルクスクリーンを一万回繰り返したやつ、3Dプリンターと同じ構造だけど遙かに手のにおいがするところが、アナログとデジタルの交差点という印象。
誰もいない台湾の町を延々とるやつ、ゾンビ映画の冒頭のようだった。(「28日後・・・」の全裸キリアンマーフィです)映像を見てから作品撮影の背景(軍事的な訓練のため誰も外出しない日であるため、街が無人)を知るとそれも含めてさらに映画的な印象を受ける。爆発する遊園地のほうは、ループものの作品のようで、まどマギを思った。
リングホルトの大きな時計は裏の構造が簡潔で理解しやすくてよい。ずっと見ていられる精神安定作用がある。
ガラスの箱を段ボール箱に入れて、輸送中に破損した実物を展示しているやつ、「これしか壊れないのか!」という驚きがあった。空輸であれだけしか壊れないなら御の字では?なにも梱包せずあれだけの損傷にとどまるのか。
空港のX線で現像した写真の展示は手法に納得し、中身に戦慄した。シリア大使館の荒れ果てた内部だったのか。見ることにできないはこの中をX線で現像して見せている。映画「アルゴ」の映像を思い出す。
木版画の巨大な虫たちの絵は、古代から伝わる壁画のような荘厳さがあった。神話的だ。細部まで書き込まれていて好み。
手にインクで番号を押すやつが閉鎖されていて残念。フォロワーさんが「国際的にも有名な展示で、匂いがするんです」と教えてくださっていたので期待していたんだけど、匂いって「涙を流させる仕組み」のことだったのか。涙を流すべき事態にも泣かない人間のための装置、という説明があった。香港のデモの催涙弾使用のことを連想して、この作品が展示中止されている事態と香港の事態は地続きだなあ、と思い至る。
写真の中の謎の物体を調査するやつは、ちょっと構成がわかりづらくすぐ移動しちゃった。あんまり立ち止まってみられる感じでもなかったのが残念。
ミリアムカーンの美しい青、実に美しかったが、難民というテーマとあの人の他の作品と並べられていると異質に映ってしまう逆転現象。
キャンディスブレイツの「ラブストーリー」は、六人の難民の抱く壮絶な背景に圧倒されると共に、役者のスキル、そして人間の持つ先入観について見事に表現していると思った。俳優さんの演技力がすごい。すごい。「本物」の難民が持つ、どこか意識が遠くにいるようだったり少し曖昧だったりといった要素が剥ぎ取られて、説得力を与えるようコントロールされている役者の演技の方が「本物っぽい」矛盾。面接やなんかにも通じると思うが、よりそれらしい、本物っぽくみせる技術はお金を払ってまで習得するスキルとされている。でも、それを「見ている」側のジャッジってめちゃめちゃ一方的だ。それにしても役者さんの演技がすごかった。表情も仕草も言葉も間合いも、あんなにコントロールできるものなのか。どう見えるか・どう見せたいかを完璧に解体しそして表現するまでが役者の能力なのかと思うと、途方もない仕事だ。
このあと名古屋市美術館に移動。あつい。顔が溶ける。ヒースレジャーのジョーカーみたいになる。退館した後で気づいたけど、国旗が印刷された野外のゴミ袋も作品だったのか。オシャレな袋がかかってるゴミ箱だな~としか思ってなかった。
空から垂れ下がるオーガンジーの刺繍、一見ファンシーで商品のような明るい魅力があるけど、DNA構造に基づき一対になっているデザインや作品背景に気づくと深みが増す。シャーレの構造もそう。清浄で真っ白な空間と生命を生むシャーレが病院のような斎場のような雰囲気だった。
Tumblr media
陶器の展示、とても面白かったー!陶器としてのデザインと、静物や風景が立体化しているあの作品群は、今回のトリエンナーレでもっとも万人に通用する明確な魅力があると思った。いつまでも見ていられる立体的なだまし絵のような発想、繊細な古典的表現!わたしにとっての付喪神ってこんな感じだな。あと刀剣乱舞。山口晃さんの作品への好感につながる魅力を感じる。
いっぱい写真撮っちゃった〜。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
モニカメイヤーのピンクの付箋の作品、すでに書かれたものを破ったのではなく白紙のものを破ったのか。もはや書くことができない、声を上げられないという状況の表現。新しい作品表現。視覚的に痛々しい光景だった。
Tumblr media
ホドロフスキーの展示。 ホドロフスキーが考案したという心理療法を実践する様子をおさめた記録映像と、書簡、そして小冊子の三点で構成されている展示。 映像のなかでホドロフスキーの指導のもとセラピーを受けているのが白人ばっかりで驚いた。 ビートルズにしろホドロフスキーにしろ、芸術分野がスピリチュアルな組織構造と結びつくのはまったく珍しくないけど、広々とした古典芸術的な劇場の中で白人だけが集まって手を繋いだりトランス状態に陥っているのはちょっと異様な光景である印象。
人工授精と刺繍の展示。私はこれが今回一番よかった。 18歳の時、自分が人工授精で生まれたことを知って、史上初のクローン羊・ドリーに関心を抱いて実際に海を渡って取材したり、出産や育児について表現したりしている作家さんの展示。 ドリーが生まれた街の写真が拡大されて一面を覆っていて、その上に金糸銀糸のきらきらとした刺繍が施されていて、部屋の中央には人形の家のような小屋があり、内部を除くと家庭的な居間が見える。展示場所やその居間の中や至る所に、ゾートロープによるアニメーションで羊や作者自身の姿がゆっくりと回転している。 18歳の時に自分が人工授精で生まれたと知って以降、「幼い頃からの過剰な愛情が理解できた」「女である自分もいずれ出産することを期待されている」と書く作者の言葉に、私は今回のトリエンナーレの中で一番心からの共感を覚えた。 今回は「しんかぞく」といい家族や出産に関わる展示が多く見られたが、これも津田さんによる「男女同数の作家を呼ぶ」取り組み成果だと思う。
Tumblr media
部屋の壁の前面を覆う刺繍の様子。
知らない言語を書き取る様子を撮った映像作品では、言語の学習過程や異国になじむ過程のようだと思った。まったく知らない音や言葉を、すでに自分の中にある言葉で置き換えて咀嚼しようとする行為。学生時代に語呂合わせで英単語を覚えようとしたことや、自分の素地になんとか近づけて多言語を習得しようとしたことを思い出した。これもまた「異国に生きる」ということとつながっているんだな。
GIFの繰り返しの展示、ヨシキさんがトークイベントでよく紹介してくれたyoutube動画のようで、映像式現代版ドラッグのようだった。ずっと見てしまう。
終盤に、愛知県内の小学生とともに作った段ボールのお部屋があって、それが細部までずっと見ていられる空間だった。
Tumblr media
入り口を入ったところ。
Tumblr media
種々のダンボールから切り取ったらしきロゴが貼られたボード。これを作った子はロゴやフォントに興味があって気になって作ったのだろうか。
Tumblr media
おそらくシャチホコ。尻尾の表現が好き。
ここまでの展示は会場が美術館だったので、トリエンナーレの作品以外にも美術館の常設展示が観覧できた。この常設展示で裸婦像が多く展示されていたが、男女同数を実現し差別に関する問題や出産・育児についても多く扱っているあいちトリエンナーレと対称的だ。古典芸術世界における、女性の客体化と、それに対する問題提起としての現代美術。女性の意思を扱っているトリエンナーレ作品がある一方で、美術館の常設として古典的な裸婦像が山ほど飾られている部屋という、その対称性も象徴的だった。
ほかにも、常設展示では、児童文学の挿絵のような、会社に絡みつくドラゴンの像もあってこれがおもいがけず大好きになってしまった。紙幣=消費者から得た金で作られた、大量生産品を扱う会社とドラゴン。よく見ると窓や道にそれぞれ人間がいる。窓の清掃員やビルから現れる作者自身。ロアルドダールやティムバートンの作品のようだった。
Tumblr media
ここで円頓寺へ移動。あつすぎる・・・
一丁目長屋の中の古い写真を拡大したものは、祖父母のことを考えずにはいられなかった。祖父母のこうして誰かの持つ写真の中に背景として映っているのか。私の誰かのスマホで撮った写真に映り込んでいるのか。祖父母のことが大好きなんだけど、誰かのアルバムのなかでこうやって残っていてくれたらいいなと思うよ。ちょっとでも。
葛宇路は発想が好き。きっとこうやって生まれた道ってたくさんあるんだろうな。昔から。勝手に公共空間に作用していく人の行動が面白いと思う。古代から道の名前ってこうやって決まってたんじゃないだろうか。人の名前も、町の名前も。
移動する洋品店の展示も祖母を思わずにはおれなかった。それとここに限らず、展示場所が超狭い雑居ビルの二階だったり、趣ある巨大な古いお屋敷だったり、距離は大して離れていないのにまったく異なるのが面白い。異世界感。
弓指さんの、自動車事故の犠牲者である小学生六人をモチーフにした展示は、超車社会でトヨタ車がたくさん走っているのを見てここまで来た身からするとチャレンジングな展示だと思った。毒山さんの映像の中でも「トヨタ王国」「愛知からトヨタがいなくなったらやっていけない」との言及があったし。途中で運転席からの景色が見える展示構成がよい。
毒山さんの展示、おそらく私の祖父母と同年代の人びとの映像だが、その老人がいまでも子どもの頃に殴られたり屈辱を受けたりした経験を泣きながら語る様子がつらくて、見ながら泣いてしまった。いまでもこれを書きながら泣いてしまう。今回の展示のなかで唯一泣いてしまった作品。自分たちの祖父母だったら、と思うとつらくてつらくて仕方がない。 本人たちは「いい教育だった」と言っていても、それが本心だとは限らないし、それを疑う余地もない教育を施されたのだろうし、いまはもういない彼ら自身の父母の世代はどれほどつらかっただろうと思う。
円頓寺は最後に寄った伊藤家住宅がすごくよかった。中庭の感じとか蔵と蔵の間の空間の怖さとか。津田美智子の作品は不具合で見れなかったけど、蔵の中の岩崎さんの作品は緻密ながら空襲後の世界を思わせる光景で見入ってしまった。燃えた家財道具と建物と炭。どこかに通じる橋のような構造物がすき。三人しか入れない極小空間という処も含めて、秘密基地のような、子どもの頃にしか出会えない何かが住んでいる空間のような、魅力的な展示だった。
Tumblr media
全て炭で作られた作品の様子。
ゆざーんの演奏は、修行というのでもっと簡潔で寺院っぽい空間を想像していたら地下にあるライブハウスみたいなカラフルな壁画があってちょっと意外。タブラの音ってきれいだ。
ホテルに戻って、外食しようと思って外に出たらまたもや知らないおじさんに話しかけられ、「明日は絶対外に出ないで何か買い込んで宿で食べよ・・・」と堅く心に誓う。
-------------------------------------------------------------------------------------------
三日目。
朝起きて九時くらいまで昨日の日記書く。ポメラ毎日使ってるけど買ってよかった。旅行先でもいつもと変わらず書けるしバッテリーの持ちが最高。
チェックアウト後キッテへ。ハガキを発送して名古屋駅から東山線で栄駅、舞鶴線に乗り換えて豊田市駅へ。ホテルに荷物を預けて喜楽亭へ。
喜楽亭は建物自体も面白かった。料亭のようなことをしていたらしい。お寺のようだった。古くはあるけど清潔で使い込まれた空間。進むにつれてだんだんと輪郭や映像の出典がわかっていく構成と建物がよく合っている。映像の書簡形式。特に二階の構成がよい。日本のアニメ・漫画作家による二次大戦中のプロパガンダ作品と、それらが彼の記念館に収められて��ないこと、そして彼自身も特に後悔はしておらず「また政府から要請があったら同じことを行う」「国民としての責任を果たした」と語っている映像。そして、小津安二郎と彼の作品について論じ、作中の幼い兄弟が「大きくなったら軍人になりたい」と語っている映像とプロパガンダアニメが同時に背景に映り込む演出は素晴らしかった。小津安二郎の墓に「無」と刻んであるのはこの展示ではじめて知った。奥の巨大なプロペラの展示は舞台装置っぽい。カタカタ鳴る装置も舞台演出的だ。
ここから豊田市美術館へ。激坂のぼるの熱くてつらかった・・・。
美術館のレストランでお昼ごはん。
空から落ちる花が開くような展示は、みんなが上を見上げたり床に寝転がったりしながら作品を見て笑って話している空間自体が好きで、ずっと見入ってしまった。シャーレの展示もそうだが、美術館の広くしろい空間になにかが上から下がっているって独特の非日常。
豊田市美術館から歩いて近くの高校のプールの展示を見る。これもフォロワーさんから「友人がとても褒めていた」とのお話を伺っていたので期待して向かう。 実際に目にすると、青空にプールと廃校と夏の濃い緑、というのがすばらしい。エモい。バンタンの撮影に使用して欲しい。私はスクールもの時代のバンタンが好きだ。 垂直に立ったプールの壁面が真っ青な空に伸びている、という、飛び込みや空に落ちること・そしてもしかしたら飛び降りを連想させる光景がとてもよい。バンタンの撮影に使用して欲しい(2回目)
Tumblr media
青ずぎる空と校庭と合成のような鳥居が異世界っぽい。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
豊田市駅に移動して、架空のトヨタの遺跡モニュメントの展示三点としんかぞく(レンタル家族)を見る。 しんかぞくは正直、「実際に死産を経験したり子どもを失っている人から見たら残酷すぎる」と思った。流産を扱うことそのものを問題視しているわけではない。テーマパークという形にして、「エンターテイメントとして見せていること」・そして「実際に死んだわけではない想像上の子どもを作り出して、(おそらく)本物の水子と一緒に作品の題材にしていること」がちょっとひどいと思った。水に流す演出の意味や、最初に押すキーボードの意味などは「なるほど」と思ったけれど、原宿の店先に並んでいそうなポップな色合いで作品にするにはあまりに敬意がないのでは。 架空のトヨタの遺跡を再現する展示、発想と映像のなかのとってもうさんくさいおじさんのインパクトが強烈。最初あの胡散臭おじさんが作家さんかと思った。人為的に作られた出土品を見ているのが楽しく、また、「現実にも出土品を偽造していた考古学者がいたけど、こういう感じだったのかな」と想像を巡らせた。
なにかを売り出したいときや権威づけたいときに、古くからの神話や土地の歴史に絡めるのは常套手段だけど、これは逆にトヨタ神話を皮肉っているようでもあって、単純な「この土地と切っても切り離せないトヨタ」を礼賛しているわけではないと感じる。
アンナヴィッテのトヨタのダンスの映像も同じことを思った。あのダンスの映像は発想がとても好き。(明言はされていないがおそらく)トヨタの工場労働者たちを集めて複数回お互いの仕事について話し合う様子を撮っている。彼らは流れ作業で部品の点検等単純な労働に従事していて、「これから自分たちの仕事はどうなるか」「仕事は楽しいか」「なぜ仕事をしているか」といったことがらについて各々の意見を述べていく。そして、彼らが毎日繰り返している仕事の動作を再現してもらい、それを元にダンスを作り上げる。彼らが踊る映像と、自動制御のロボットがラインで単調な動作を繰り返しつつ車を作り上げていく映像が流れる。
ホテルに戻り、もうおじさんに話しかけられたくないなと思ったのでトヨタ駅近くの松坂屋地下でご飯を買って部屋で食べる。文章を書いて本を読んで眠る。
------------------------------------------------------------------------------------------- 四日目。 六時に起きてご飯食べてこれの下書きを書く。 チェックアウトして東岡崎駅へ。閑散とした駅にタピオカのスタンドがあり、まったく繁盛していないのを見て諸行無常を感じる。おごれるものは久しからず。高速バスでバスタへ向かう。 バスに乗ったら顔を覆うシェードがあった。はじめて見た。しかし使ってみると超快適で爆睡。隣の人の顔が見えない、見られないってこんなにもノーストレス!
いい旅行だったな。
街の中��しかもこれほど複数の場所に点在したトリエンナーレに初めて行ったので、土地と干渉し合う作品鑑賞も初体験で多く発見があった。
まず、炎天下を歩いて回って、歩く道々で見る建物や風景や、だんだん暑くてボーッとしてきたころ突如現れる作品や、全て込みで作品のようだった。特に円頓寺は一区画入ると全く趣の異なる建物・作品が現れて、街の中に潜む異世界をめぐるようであった。
そして、トヨタに関わる作品も数多くあって、トヨタの影響が色濃い街を歩く中でそれらを鑑賞して「これはこの土地で見るからこそ意味があるな」と思った。単純にどこか別の都市の美術館に全部入れていてもこんなに意味合いを考えたりしなかっただろう。
バスに乗って愛知に来たとき、ミニカーのように整然と並ぶ大量の車や、輸出入の船がたくさん止まる港や、突如現れるレゴランド、幅の広い道、超車社会、等々を見て「あートヨタのちからよ…」と思った。事故の犠牲者6人を追悼する作品で「加害者、被害者、クルマ」を提示していて(トヨタのお膝元でやるにはチャレンジングだな)と思ったけど、酔客にグローバル企業のロゴをかぶせる映像展示では「トヨタがなかったら名古屋はやっていけない」と行ってたり、豊田市駅の展示では架空のトヨタの遺跡を発掘する展示があったり、そしてその会場に向かう駅の歩道には「交通死亡事故一位の汚名返上!」という(展示ではなく警察やトヨタによる本物の)巨大な横断幕があったり、街中を巡ってみる展示だからこその効果を感じた。街中を歩いて車社会を実感しながら作品に会いに行き、そしてその作品たちが相互に作用していく体験が初めてのもので、「自分の目が変わっていく」過程が新鮮だった。土地を体験した自分の目が作品に向ける眼に影響していく。人間はどんどん変化していくけど、これほどの短期間で明らかに変わっていくのがわかる体験は、あいちトリエンナーレの素晴らしい強みだと思う。これからいく方にはぜひ、なるべく多くの作品を歩いて巡ってみてほしい。
それから、私が道中でさびしいおじさんとフェミニズム作品について。1日目二日目と、夕食を食べに行ったら知らないおじさんに声をかけられ、うんざりして三日目はビジネスホテルでもそもそご飯を食べたのは前述の通り。はっきりいって不愉快だし、心底不快だけれど、それ以上に「この人たちはさびしいんだろうな」という気持ちが先に立った。これは愛知に限らず、東京でもあまた経験しているので、今から書くのは今回の旅だけではなく普遍的な話。
旅行先で食べてみたいものがあっても、おじさんに話しかけられると思うとうんざりする。男の人ならどこでも好きなところへ好きなものを食べに行って、話しかけられて嫌な思いをするかもなんて微塵も考えないのかしら。ここでわたしが「旅行先で隣になった人とめっちゃ盛り上がった笑笑笑!おごってもらった笑笑笑」って書くタイプならむしろ旅のいい思い出になるだろうし、「こう感じるタイプの方が生きやすいんだろうね」、って話はフォロワーさんともしたけれど、私がこうやって知らないおじさんに話しかけられてめちゃめちゃ不愉快になるのは、「さみしい」という気持ちを検知するからだと思う。たまたま隣に座った私に話しかけ、少しでもさみしさを埋めたい、というのは侮辱ではないのか。一方的に話したり、相手が立場上・性格上反論できない局面で話を押し付けたりするひとってめっっっっっっっちゃいる。
私は今回のフェミニズム作品、そして作品中止に至るまで作家さんの行動の一連も根本は「対話を行わない」という侮辱に対するものだと思っている。一歩的に作品の撤去を求めること。それに対し、作家さんたちと十分な対話を行わず、実際に撤去をしたこと。
侮辱されている、舐められている、と察知する能力は人間にとって能力だなmと今強く思っている。このまま私は進もう・・・
0 notes
honyade · 5 years ago
Text
旅立つことば リービ英雄さん × 温又柔さんトークイベント 『バイリンガル・エキサイトメント』(岩波書店)・『「国語」から旅立って』(新曜社)刊行記念
2019.09.07 SAT 18:00 – 20:00
日本語について、日本語で書くことについて、さまざまな「あたりまえ」「ふつう」を揺さぶる作品を書きつづけてこられたリービ英雄さんと温又柔さん。じつは大学の師弟の間柄でもあるおふたりは、今年、それぞれ魅力的な新著を刊行されました。 異なる言語に触れたときの「多言語的高揚感」を語った、リービさんの『バイリンガル・エキサイトメント』。 「国語」としての日本語から解き放たれる体験を語った、温さんの『「国語」から旅立って』。 このふたつの本を導きとして、ご自身の創作の方法から、文化、越境、国といったテーマまで、新しい世界に「旅立つことば」を縦横に語っていただきたいと思います。 国をこえて人と人をつなぐことばが必要な今だからこそ。
【開催日時】 2019年9月7日(土) 17:15 受付開始 17:30 開場 18:00 イベント開始 20:00 イベント終了予定 〇イベントの最後にサイン会を予定しています。
☆チケット代金 一般:1500円(ワンドリンク付き) ☆店頭、お電話でもお申込みを承ります。(03-6268-9064 平日9:00~20:00、土日祝10:00~19:00) ※お電話でお申込みの際は、開催日時とイベント名をスタッフにお伝えの上お申込みください。 ☆座席の約半数がスツール(簡易の丸椅子)です。長時間スツールでの着席が困難なお客様は背もたれのある席をお取りしますのでPeatixのメッセージ機能もしくはお電話にてお知らせください。
【注意事項】 ・キャンセルをご希望される方への払い戻しは、9月5日19時までにご連絡いただいた方のみとさせていただきます。 ・不参加による払い戻しはいたしかねます。 ・イベントの録音動画撮影はお断りいたします。
【主催】 神保町ブックセンター 【協力】 岩波書店、新曜社
リービ英雄(りーび・ひでお)(Levy Hideo) 1950年、カリフォルニア生まれ。作家・法政大学国際文化学部教授。少年時代を台湾、香港で過ごす。プリンストン大学とスタンフォード大学で日本文学の教鞭を執った。『万葉集』の英訳により全米図書賞を受賞。1989年から日本に定住。1987年、「群像」に「星条旗の聞こえない部屋」を発表し小説家としてデビュー。1992年に作品集『星条旗の聞こえない部屋』(講談社、1992年、文芸文庫、2004年)で野間文芸新人賞を受賞し、西洋人として初めての日本文学作家として注目を浴びる。『千々にくだけて』(講談社、2005年、文庫、2008年)で大佛次郎賞、『仮の水』(講談社、2008年、2011年に文芸文庫『天安門』収録)で伊藤整文学賞、『模範郷』(集英社、2016年、文庫、2019年)で読売文学賞を受賞。エッセイに『日本語を書く部屋』(岩波書店、2001年、現代文庫、2011年)、『英語でよむ万葉集』(岩波新書、2004年)、『バイリンガル・エキサイトメント』(岩波書店、2019年)など。
温又柔(おん・ゆうじゅう)(Wen Yuju) 1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から東京在住。法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。2009年、『好去好来歌』で第33回すばる文学賞佳作を受賞し、作家デビュー。両親はともに台湾人で、日本語、台湾語、中国語の飛び交う家庭に育つ。創作は日本語で行う。著作に、『たった一つの、私のものではない名前 my dear country』(Happa-no-Kofu, 2009年)、『来福の家』(集英社、2011年、のち白水社、2016年)、『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年)、『空港時光』(河出書房新社、2018年)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社「よりみちパン!セ」、2019年)など。2019年、「文学作品を通じて、複数の文化をルーツに持つ子どもの豊かな可能性を示すとともに、日本語や日本文化の魅力を広く発信し、国際文化交流及び多文化共生社会の実現に大きな貢献をしている」として、文化庁長官より表彰。
チケットのご予約はこちら
Tumblr media
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2UqDz8Q
0 notes