#いわしの柔らか煮
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テレビ番組の密着取材が始まった。今日は路上生活者への弁当作りや自殺防止センターへお菓子を届けるシーン、なぜこの店に来ているのかと店内のお客様へのインタビューまで。ひとりのお客様が、この店はいろんなことを受け止めてくれる場所なんですと熱弁してくれて感動した。ありがとうございます! 寄り添うこと。分かり合うこと。全て、聴くことから始まる。 さて、本日の日替わり弁当です。 #11月27日 #日替り弁当 あっさりだけどガッツリ食べる #牛野菜炒め #特製塩だれで #淡路玉葱 #シャキシャキもやし コクと旨味の塩だれにネギをプラス ご飯の上に #きんぴらごぼう 副菜は #切干大根炊いたん #いわしの柔らか煮 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #寄り添う #傾聴 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/ClbtgS-v2ep/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#11月27日#日替り弁当#牛野菜炒め#特製塩だれで#淡路玉葱#シャキシャキもやし#きんぴらごぼう#切干大根炊いたん#いわしの柔らか煮#てつたろう#寄り添う#傾聴#梅田居酒屋#中崎町居酒屋#海鮮居酒屋#大阪グルメ#梅田グルメ#イーデリ#支援者募集中#社会貢献
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翠のきんとんに極細の白いそぼろを載せ、更に煮た柔らかい小豆を一粒載せた季節感のある美しいお菓子です。きんとんの芯には白小豆の粒餡が使われていて、白小豆と伊勢芋の美味しさがバッチリ活きているとっても美味しいきんとんです。
愛知の松華堂の 松の雪 です。
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朝から頑張って牛すじカレー。
牛すじ230gくらい。軽く流水で洗う。
今回また長葱を買い忘れたので、茹でこぼしを2回。
また流水で流してから少しカット、被るくらいの水と生姜で圧力鍋30分。
昨日スライスして冷凍していた玉ねぎ2個分、油なしで出てきた水分を飛ばすように炒める。
しんなりしてきたら、にんにくと生姜を入れて、飴色目指して頑張る。
これくらいまで色ついたら、玉ねぎ麹大さじ1、醤油麹小さじ1、赤缶小さじ2入れて更に炒める。
人参1本とカットトマト1缶と水を少し追加して、トマトの水分を飛ばすように煮詰める。
圧力鍋で柔らかくなった牛すじ。最初の茹でこぼしで余計な汚れや血合いが落ちてるので、キレイなスープに。
水分飛ばしてこのくらい。人参はまだ硬いけど大丈夫。
この状態で半分はカレーのベースとして冷凍ストック。後日、他のカレーに出来る。
半分をローリエと圧力鍋に入れて30分。
カレールウを2かけ、コンロで水分を飛ばすように煮詰める。カレールウには特にこだわりないので、今回は安かったコレで。何でもいいけど、小分けされてるのが良い。
ルウは脂と添加物の塊だから使いたくないんだけど、母が赤缶だけだと辛くて食べられないので仕方なく。でも、最小限。
ルウが少ない分の水分調整に米粉大さじ1、最後に全体を馴染ませるのに糖蜜小さじ1で完成。
カレーは一回冷ますと美味しくなるので、その日に食べるなら出来るだけ早く作ってしまうの��大切。まぁ、明日の方が絶対に美味しくなるw
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は���麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵���のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだ���う。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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Besuto essei. 202
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日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022 Besuto essei. 2022 = The best essay. edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022. ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion. Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢��� / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女王
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光���
遠き花 / 藤沢周.
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ラジコン備忘録 2024/9/13
さて、大会準備編最終回です。
まずは練習、とにかく練習。仕事が忙しいながらも週4くらいのペースで無理やり練習しています。
最後のテーマは路面グリップ。大会コースの路面はかなり低いという話を聞きました。ちなみに僕は同じ路面を5年前に経験・優勝していますが記憶にない...。正直、そんな騒ぐほど路面グリップが低いかは疑問ですが対策しておきます。
まずはタイヤ選定。コンパウンドの違うタイヤを試してみます。タイヤの柔らかさですね。20°、30°、40°という形で3種類のコンパウンドが選べます。それに加えて、ラジアルかスリック・ナロー幅かワイド幅かで選べるわけですが、グリップはコンパウンドで調整するのが基本です。
グリップの低い路面で起こる現象といえば、リアタイヤのスリップですね。僕の大好きなリア駆動のラジコンにとっては忙しくなる路面です。定番の対策として、リアのコンパウンドを柔らかくするのがお決まりなので早速柔らかいタイヤを購入。試してみると、いつものコースではリアのグリップが高くなりすぎて腰砕け感がすごい。正直、これが当日有用なのか分かりませんが一応2セット作っておきます。
フロントもセッティング変更。当然、グリップが低いと曲がらなくなるわけで、そこも対策しておきます。
変えるのはキャンバー角ですね。フロントのキャンバー角はネガティブ方向に角度をつけると曲がりやすくなるとされています。それに伴って、タイヤの外側が綺麗に減らなくなったりハイサイドしやすくなったりというデメリットもありますが...。このラジコンはキャンバー角はナックルを変えて調整という仕様になっているため、ナックル変更。
走った感想としては悪くないどころかむしろ良いです。ハイサイド寸前な動きをしますが大会コースの路面グリップが低いのならハイサイドは絶対にしないはず。むしろ、ホームコースでハイサイドするくらいの車両でないと曲がらないはず。
定説というか、僕の経験則からしても、ホームコース(常設コース)に比べて大会コース(特設コース)の方がグリップが低いというのは当たり前で、方向性としては間違っていないはずです。
色々やっているともうお昼を過ぎて14時過ぎ。サーキットの店長におにぎりモツ煮セットをつくってもらいました。おいしい。
そのほかはリアダンパー選定。ダンパーオイルの硬さを色々試して、結局柔らかめのオイルで決定。オイルダンバーのバネ無しがお気に入り。
最後に、当日使う可能性が高いタイヤをまとめておきます。好みのタイヤ径周辺を0.1mm刻みで作ってメモ。普段走っているよりも、外径を大きくして曲がりを稼ぎます。
余談ですが、小腹が空いたときはもち麦満足バーが良い感じでした。 ラジコンしてると、指先が忙しいし一瞬の判断力が常に必要だからか、脳の疲労が凄くて小腹が空きがち。グミとかじゃがりことか色々試しましたが、これは特に良い。お米だからか腹持ちが良くて小腹チャージにもってこい。
準備ができて悔いが残らないと思ったらスーツケースにパッキング。ちゃんとした遠征用ラジコンバッグを買っても良いんですがゴツいし、ラジコンしか収納できないというのが嫌です。これならホテルにも怪しまれず持っていけるし良い感じ。ラジコン感は無いけどガチ勢じゃないので気にしない。全国大会で名古屋に行ったときもこのスーツケースにパッキングしてました。
次の日はついにレース当日。会場が旭川なので早朝に出発することを考えると5時起きが確定していますが、サーキットに22時過ぎまでいる常連ズ。みんなタフですね。笑っても泣いても勝負の時。
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0721
昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。 つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。 でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。 転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。 なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。 読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。 並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたの���すごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。 ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。 駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。 『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。 テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。 千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。 なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。 いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。 偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。 まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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取り調べ中の拷問を告発した現職警察官 本稿で紹介する「二俣事件」は、警察に不利益な証言(拷問の告発)をした警察官を、捜査当局が偽証罪で逮捕・勾留し、挙句の果ては、「妄想性痴呆症」という病名をつけて社会から抹殺してしまった恐ろしい事件である。 事件は、1950(昭和25)年1月に発生した。それは、静岡県二俣町で親子4人が惨殺され現金約1300円が奪われるという強盗殺人事件であった。捜査当局は、目星をつけた素行不良の少年Sさん(当時18歳)を、当初、別件の窃盗容疑で逮捕し、本件強盗殺人について取り調べた。 Sさんは、窃盗自体はすぐに自白したが本件(強盗殺人罪)は完全否認した。しかし警察は、本件について厳しい取調べを続け、4日後、Sさんは自白に落ちる。そして、多数の自白調書を作成されて起訴されるに至った。 ただ、Sさんと犯行を結びつける証拠は自白だけだった。Sさんに対する取調べは、外部に音の漏れない土蔵内(柔道の練習場にもなっている)で長時間行われた。Sさんは、後に公判廷で、この土蔵内の取調べで、殴る蹴る、髪の毛を引っ張る、引きずり回すなどの拷問をされたと生々しく供述している。 被告人がこのような供述をしても、捜査官側がそれを認めることはまずない。本件でも同様であった。ところが、本件においては、捜査の途中まで関与していた現職の警察官(Yさん)が、新聞紙上で拷問の告発をした。 現職警察官であるYさんは、Sさんの無実を信じるものの、さすがにそのような行動に出ることを躊躇ちゅうちょしていた。しかし、Yさんは、Sさんに死刑が求刑されたのを知って、良心の呵責かしゃくに耐えかね、敢然と決断したのである。 偽証罪で逮捕され職を失ってしまう さらに、Yさんは、弁護側の証人として、「当時、警察では、拷問を行う時は、音が外部に漏れない土蔵でしていた。本件でも、上司が『Sさんに相当なヤキを入れなければならない』などと指示していた。『ヤキを入れる』とは拷問を意味している」等の証言をした。まさに、衝撃的な行動といわなければならない。 しかし、Yさんに続いて証言台に立った二俣警察署長は、「Yは、日ごろの勤務がでたらめで、性格は変質的。今回の捜査でも、命じられた捜査に従わず、勝手な行動が多かったので途中から係を変えた」と証言した。 その結果、①裁判所は、Sさんの弁解やYさんの証言を認めず所長や取調べ警察官の証言を信用し、S自白の任意性を認めて信用性も肯定し、Sさんに死刑を言い渡した。それだけでなく、②Yさんは、即日、偽証罪で逮捕・勾留された上、鑑定留置された。 Yさんは、名古屋大学医学部教授の精神鑑定の結果、「妄想性痴呆症」という病名をつけられ、偽証罪は不起訴とされたものの、③免職となって警察官の職を失ったばかりか、運転免許証まで取り上げられてしまった。 Sさんに対する死刑判決は、控訴審である東京高裁では支持されたが、最高裁によって破棄された。最高裁は、拷問の有無については判断を示さなかったが、自白の信用性に疑いを抱いたのである。 被告人が真実を訴えても捜査官の証言が重視される 差戻しを受けた静岡地裁は、「自白の任意性に疑いがある」として、Sさんに無罪判決を言い渡した。これに対し検察官は控訴したが、控訴審である東京高裁はこれを棄却した。 最高裁の破棄差戻判決は、自白の任意性や拷問の有無について黙して語らなかったが、差戻審である静岡地裁は、取調べ状況について詳細な審理を遂げた。その上で、静岡地裁は、「警察官らの証言は、Sさんの弁解やY証言などに照らし信用性に疑問がある」として、自白の任意性を否定した。 日章旗と裁判官の木槌写真=iStock.com/SomeMeans※写真はイメージです 判文は読み応えがあり、差戻し前の有罪判決と比べ、はるかに説得力に富むものである。かくしてSさんは、辛うじて最終的に無罪とされたが、その陰には、警察官人生を棒に振ったYさんの貴重な自己犠牲があった。 密室内での取調べの状況などに関し、被告人と捜査官の供述が対立すると、被告人がいくら真剣に真実を訴えても、多くの裁判官は、捜査官の言い分に軍配を挙げる。 本件の差戻し前の一・二審では、現職の捜査官であるYさんがSさんの供述を支持する証言をしているのに、拷問の事実を否定する警察署長らの証言を信用して、Sさんの弁解を平然と排斥した。 そればかりか、平成の時代になっても、同様の論法を駆使して取調べに関する被告人側の主張を平然と排斥する裁判例は後を絶たない(例えば、天竜林業高校事件に関する静岡地裁浜松支決平成28年10月24日〈再審請求棄却〉、東京高決令和3年3月31日〈即時抗告棄却〉)。 冤罪を生み出す「宣誓神話」 その場合に裁判官が挙げる理由は、 ① 被告人は罪を免れようとして嘘をつく動機があるが、捜査官にはない ② 捜査官は宣誓の上証言しているが、被告人は宣誓もしていないから、嘘をついても処罰されない ③ 捜査官が偽証罪で処罰される危険を冒してまで嘘をつくはずがない というものである。私は、これを「宣誓神話」と呼んでいる。しかし、この「宣誓神話」は、とんでもない誤りである。 まず、論拠①であるが、捜査官にも嘘をつく動機は十分にある。自分たちが捜査の過程でやり過ぎてしまった場合、それを正直に証言すれば、組織内における自分の立場を悪くする。 次��論拠②③も誤りである。宣誓には、捜査官の虚偽証言を阻止する効果はなく、それはむしろ偽証を助長すると考えるべきである。捜査官が仮に法廷で嘘をついたとしても、それが捜査側・検察側に有利なものである限り、検察官がその捜査官を偽証罪で起訴することはあり得ない。 逆に、本件におけるYさんのように、捜査官が自分たちのした違法捜査を正直に証言した場合には、その捜査官は偽証罪で身柄拘束の上取調べを受け(起訴されるかどうかは別として)、組織から確実に放逐される。 それだけではない。捜査官が被告人を犯人であると信じている場合、「真実を述べたら、せっかく自白させた真犯人まで取り逃してしまう。そんなことはしたくない」と考えるのは、ごく普通の人間心理である。私は、裁判官退職後のことであるが、ある大物検察官OBから、以下のような衝撃的な話を直接聞いたことがある。 「取り調べの可視化」が進むだけでは問題は解決しない その方は、「われわれは、検事に、法廷では多少の嘘をついてもよいと指導してきた。なぜなら、その結果真犯人が処罰されるのであれば、その嘘は大きな意味で正義にかなうからだ」と言われたのである。これは、「検事が起訴した被告人は必ず犯人である」という独断を前提とした驚くべき発言であるが、第一線の検察官の意識はこれと大差のないものではないかと思う。 法曹として高い教養を有するはずの検察官にしてそうである。裁判官は、警察官が法廷で嘘をつくことなどなんとも思っていないと考えるべきである。裁判官が、愚かな宣誓神話を信奉している限り、冤罪を根絶することはおよそ不可能である。 裁判官のこのような「愚かな盲信」に業を煮やした弁護士層からは、取調べの場面をビデオ映像として残す、つまり「可視化する」のが唯一の解決策であるという主張が、強く行われるようになった。そして、郵便不正事件(村木事件)を契機として立法化の動きが強まり、法務省も遂に重い腰を上げた。 その結果、2019年から、裁判員裁判事件などごく一部の事件についてではあるが、捜査官は、取調べを可視化しなければならなくなった。 しかし、現実に成立した可視化法は、義務的な可視化対象を裁判員裁判事件や検察独自捜査事件に限定しているだけでなく、任意取調べの場面は可視化の対象から除外されるなど、はなはだ��十分なものである。その上、近時の心理学者の研究によって、現在のように、被疑者を正面から撮影した映像は本質的にある種のバイアスをもたらすことが明らかにされてきた。 したがって、可視化映像さえあれば、取調べ状況を正確に認定できると考えるのは幻想に過ぎない。取調べ状況を正確に認定するためには、裁判官が前記①ないし③のような誤った宣誓神話から、一刻も早く脱却する以外にない。
殴る蹴るの拷問で自白を引き出す…不良少年を殺人犯に仕立て上げた"あり得ない捜査" 拷問を告発した警察官は懲戒免職に | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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くろめまめ
ヤフオクだったか他のフリマサイトだったか忘れてしまったが、その種は「パンダ豆」と言う名称で出品されていた。とりわけ興味があったわけではないが、これまでそんな名前の豆を育てたこと無かったし、値段も安かったので、他の種を買うついでにその種も一緒に購入した。
その名称が表面の色に起因するものであることは一目瞭然だったが、じつは「パンダ豆」と呼ばれている豆は数種類あって(厄介ね)、ダイズ属の「鞍掛豆」やインゲンマメ属の「シャチ豆」がそれにあたる。しかし今回入手した物がそのどちらでもないと解るのは少し季節が回ってからになる。
最初はシャチ豆だと思っていたので、他のインゲン豆と同様に4月初めにポットに播種した。ところがいつまで経ってもこの豆だけまったく発芽しない。う~む、種の管理が悪かったのか、あるいは播種の仕方が悪かったのかと首を傾げる。幸い予備の種を残してあったので、5月の中旬にもう一度ポットに播種したのだが、今度は程なくして発芽し、勢いよく成長を始めた。
定植後はさらに勢いを増しドンドン蔓を伸ばしたが、他のインゲン豆が収穫モードになってもなかなか花をつけない。ところが暑さが増しインゲン豆の収穫が落ちて来る頃になると次々に花を咲かせ、次第に莢が出来て垂れ下がるようになった。あれえ、これ見た目はインゲン豆と言うより、短めのササゲよね。改めて比較してみると生育時期もササゲのそれによく重なる。
実がまだ大きくなっていない若莢を収穫し、試食してみる。調理は電子レンジで数分加熱してマヨネーズを掛けただけ。はい、味も食感もササゲ酷似です(笑)。柔らかくスジもなくとても美味しい。ただインゲン豆(サヤインゲン)とは食感が大分違う。
その特徴を元に改めて調べた結果、この豆はササゲ属の「黒目豆(ロビア)」であると断定した。世界で幅広く栽培され食べられている品種だが、何故か日本ではマイナーで一般的なスーパーマーケットでは売られていないようだ。ちなみに英語サイトには栽培注意点として「土壌が充分に暖かくなってから播種しないと発芽する前に腐る」とハッキリ書かれとりました(笑)。乾燥には極めて強く、病害虫リスクは少ないようだ。
その後、次々に莢が出来るようになり、日々かなりの量を収穫して茹でたり炒めたりして食した。収穫出来る期間はかなり長く、11月現在でも少ないながら収穫出来ている。
とにかく沢山出来るものだから、意図せずかなりの穫り残しが発生する。それらは莢が緑色から白褐色に変わりカラカラになるのを待って子実として利用する。収穫は若莢と同様の作業だが、莢を開いて実を取り出し不良な物と選別したりするので手間は余計に掛かる。
来年再び栽培する為の種子を確保し、残りは塩茹でにして食べてみた。一口目その味はソラマメのような印象だったが、食べ進むにつれ「茹で落花生」のほうが近いように感じた。まあ煮豆なら似てくると言えばそれまでだが、大豆とか金時豆の食感とは大分違うね。ともかくも、晩酌のつまみにするには申し分ない美味しさだ。
今回は初めての栽培だったので失敗もあったが、播種時期を適切に行えばその後は管理の手間も少なく長い期間沢山の収穫をもたらしてくれるこの「黒目豆」は、自給自足生活にはとても有用な作物だと思う。前述のように若莢でも子実でも美味しく食べられるけれども、当地ではより手間の掛からない若莢の収穫を主目的に継続栽培することになるだろう。熱帯系作物なので寒冷地で育てる場合には工夫が必要かもしれないが、気候変動で夏の暑さが年々厳しさを増すような状況において、この作物の存在は決して小さくないと感じるのである。
#田舎#田舎暮らし#里山#自然#自給自足#自給農#移住#豆#黒目豆#パンダ豆#ササゲ#栽培#植物#収穫#調理#野菜#countryside#rural life#nature#self sufficiency#agriculture#cultivation#farm#farming#plant#bean#black eyed pea#lobia#harvest#cooking
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【10月6日(金):ばんごはん@実家】
・油断すると鮭の切り身を買い込むハハ。
「鮭は認知症予防にいいらしいからええやん?」といいつつ、長生きしてる鮭を消費。
・冷凍庫の鮭たまねぎを炒めて茹でた小松菜と一緒に木綿豆腐小麦粉牛乳合わせて作ったソースで和えて耐熱皿に入れ、パン粉振ってグリルで焼いた。
・焦げた。
・豆腐嫌いなハハには不評だったことが後日判明。味覚も衰えてるらしいのにキライなものには反応する...
・怪しい見た目になってた使いかけこんにゃくも使って、さっとごま油で炒めてみそ酒みりん砂糖鷹の爪輪切り水少々合わせて加えて汁気が飛ぶまで煮た。
・ハハに好評。こういうのが食べたかったらしい。
・ハハが好きだという切干大根の煮物、にんじんお揚げと一緒に柔らかく炊いた。
・お昼のサンドイッチに挟んだ切干大根のサラダ残り。
・1本買ってきた大根にちょいついてた茎刻んで塩もみして生姜みじん切りゴマを混ぜ合わせた。
・海老の殻でとっただしに大根千切りカニカマさいたのいれて水溶き片栗粉でとろみつけてときたまごを回し入れた。
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現在、白菜がけっこうあります。買ったものともらったものと。少しでも消費しようと思い、今日は白菜鍋。いわゆるピェンロー(扁炉)。芯の部分は最初から鍋に入れて柔らかくなるまで煮て、葉の部分は最後にちょっとだけ茹でるのが好みです。椎茸のダシが美味いです。
酒は弥右衛門の純米辛口生詰。美味い。
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味噌煮込みうどん 北陸の郷土料理
味噌煮込みうどんは、富山県を中心に食べられている郷土料理の一つです。具材としてうどんを使い、味噌ベースの濃厚なスープで煮込んだ料理です。富山県では、冬季に特に愛される温かい料理として知られています。 一般的な味噌煮込みうどんの作り方は次の通りです: 1. 具材の準備 豚肉や野菜(キャベツ、にんじん、玉ねぎなど)を適当な大きさに切ります。富山県の地域によって、具材のバリエーションは異なる場合があります。 2. 味噌ベースのスープの作成 味噌、出汁、醤油、みりんなどを使って味噌ベースのスープを作ります。地域によって、使われる味噌の種類や調味料は異なることがあります。 3. 煮込み うどんをスープに入れ、具材と一緒に煮込みます。野菜や豚肉の旨みがスープに移り、うどんがスープの味を吸収して、深い味わいを出します。 4. 仕上げ 野菜や肉が柔らかくなり、うどんがスープを吸収するまで煮込んだら、器に盛り付けます。最後に、お好みで刻みネギや天かす、唐辛子などをトッピングすることがあります。 味噌煮込みうどんは、濃厚でコクのある味噌スープが特徴で、野菜やうどんがスープの旨味をたっぷり吸い込んでいます。冬季に温かいスープとして親しまれ、富山県の地元の人々や観光客に愛されています。
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Miso stew udon Local cuisine of Hokuriku
Miso nikomi udon is one of the local dishes eaten mainly in Toyama Prefecture. This dish uses udon noodles as an ingredient and is simmered in a rich miso-based soup. In Toyama Prefecture, it is known as a warm dish that is especially loved during the winter. A typical recipe for miso stewed udon is as follows: 1. Preparation of ingredients Cut pork and vegetables (cabbage, carrots, onions, etc.) into appropriate sizes. Depending on the region of Toyama Prefecture, variations of ingredients may vary. 2. Make miso-based soup Make miso-based soup using miso, dashi, soy sauce, mirin, etc. The type of miso and seasonings used may vary depending on the region. 3. Stew Add the udon noodles to the soup and simmer with the other ingredients. The flavor of the vegetables and pork transfers to the soup, and the udon noodles absorb the flavor of the soup, giving it a deep flavor. 4. Finishing Simmer until the vegetables and meat are tender and the udon noodles have absorbed the soup, then serve in a bowl. Finally, you may add toppings such as chopped green onions, tenkasu, or chili peppers to your liking. Miso Nikomi Udon is characterized by a rich and rich miso soup, and the vegetables and udon noodles soak up the flavor of the soup. It is popular as a hot soup during the winter and is loved by locals and tourists in Toyama Prefecture.
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柔らかくて真っ白なお餅の下には小さくて桃色のお餅があり、そのお餅で味噌餡と甘く煮た御坊を挟んでいます。味噌餡の味わいはしっかりと味噌の個性がありながら穏やかで、また、餅の食感が抜群の美味しいはなびら餅です。
名古屋の芳光のはなびら餅です。
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鶏団子スープ。かぼちゃの甘煮。
紫蘇なめたけ冷奴。
今日は朝から頑張った!
かぼちゃは俺たちのコウケンテツレシピ。母も大絶賛で、過去イチ美味しかったかも。
鶏団子はむね肉をぶんぶんチョッパーでミンチにしたから硬め。柔らかくふわふわさせるには、最初からミンチで買ってこないきゃダメだなw
さて、今日も独りヲタトーク。
エルトゥールルの方は、ようやくウラルとヴァシリウスに決着つけてシーズン4へ。
ずっとエルトゥールルに寄り添ってくれたアリヤルが殉教者に。血は水より濃いとか嘘だな。従兄弟で血が繋がってるはずのトゥグテキンより、他人のアリヤルの方がよっぽど良い理解者で、共闘してくれたアリヤルの殉教は悲しいね。
で、お忍びスルタンw
エルトゥールルと高官サーデッティン以外、誰も自分の国のスルタンを見たことないし、姪のハリメも子供の頃の記憶しかないから気がつくの遅い。
その後、戦闘中のエルトゥールルが行方不明で死んだと思われてる間、ドュンダールが散々やらかしたので、生還して激怒したエルトゥールルがまたベイ資格剥奪。私のバムシにも怒鳴りつけてて生意気。バムシはアルプス研修の教官だったし、兄の最側近なのに、領主の息子だからベイ資格あるだけのくせに、年長者の言うこと聞かないの。お前、トゥグテキンみたいだぞw
オスマンの方は、オスマンとマルフンと一軍アルプス不在時に襲撃受けて、ゴンサが瀕死。このままボランに会わずに殉教なんて嫌だなぁ。
セルカンの第六感が健在で、衰えてないのは凄い。たぶん特殊個体。
これ、バハドゥールどう責任取ってくれんの?つか、エルトゥールルの方にバハドゥールって名前のアリヤルの叔父出てきたけど、こいつもまぁ悪い奴。バハドゥールって悪い奴によくある名前なのか。
名前被り多いんだよね。どっちの世代にもいるトゥルグト、ギョクチェ、ギョクトゥク。ややこしい。
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〜家族揃って お正月🎍〜
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明けましておめでとうございます。
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今年もよろしくお願いいたします。
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新しい年が 穏やかで 心豊かに過ごせますように。
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三年ぶりに 家族が全員揃って,新年のお祝いが出来ました。
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そして もう一つ。 新しい家族を迎える事で 更に 賑やかな新年になって,嬉しさ倍増です。
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今年も 数日前から準備していた手作りのおせち料理をいただきながら,賑やかで おしゃべりも弾みますね。
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面白い食べ比べを用意してみました。
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毎年作る 丹波黒豆 ”飛切‘” 豆のサイズも特大です!
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2022年産の新豆と 2021年産のひねものと言われる黒豆を それぞれ 同じ行程で煮てみて,違いがあるのかを 確かめたかったので。
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分かった事‼︎
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新豆は 皮も豆も 柔らかく どちらかと言うと,あっさり,さっぱり感が。
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ひねものは 柔らかく煮上げるのに,新豆より 時間がかかりました。皮も豆も しっかりしていますが,決して硬くはなく,ふっくら!
.そして黒豆の風味が,しっかり感じられて 味わい深いですね。
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皆んなで 感動しながら 楽しい食べ比べタイム🎶 盛り上がりました。
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今年も アンテナをしっかり張って,色々な事に挑戦! 前向きに‼︎
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2023.12.20
流石に連日栄養摂りすぎでお腹すかない12月
マイガールが帰り道で毎日入りたがる某焼肉店に寄り道したが、正直全く焼肉など食べたくないお気持ち。
サラダとユッケとレモンサワーでとりあえずスタートして、延々とメニュー眺めるが…いやほんと全然食べたくなくて我ながらすごいな。
マイガール用に辛くないネギ抜きのカルビラーメン(スモール)をオーダーしたら、全然小さくないやつがきた。笑う。しかもどでかい塊のカルビ肉が一個どかーんと沈んでいる。サービスの鬼だなこのお店。ほろほろ柔らかく煮込まれてて、元気なら大歓喜なブツなのだが、なにしろそもそもお腹空いてない。笑う。でかい。
しかし我、ゴハンノコシタラオコラレル民族ゆえ、食う。かじりつく。カルビあざます。もう満足です。
さてここにはずっと目の前に鎮座している熱源があるわけで。これどうしよ、と。
使わなければ良いのだがしかし我、キヲツカウ民族でもあるのでなんだか申し訳ない気持ちになり、閉じたメニューを開く。
カルビカルビカルビカルビ、タンタンタンタン、ハラミハラミハラミハラミ、ロース。ホルモン、ぶた、とり、どれもいらねぇ。
せっかくならと一番価格の高いカルビとハラミの盛り合わせを選ぶ。ハラミの色すご。時間経った牛肉の香りがするな…熟成肉でしたか(違う
タレか塩か選べるので塩にしたら謎のタレがとろとろに絡んだやつがきた。そうきたかー。そういうかんじかー。おもしろー。ニンニクの匂いすごー。
新しい発見でいっぱいの夜。
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