#[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの��所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。
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1:1]神が天と地を創造された当初、
[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。
[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。
[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。
[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。
[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。
[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。
[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。
[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。
[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。
[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。
[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。
[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」
[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。
[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を与えた。
[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。
[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空の���ームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。
[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。
[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。
[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。
[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」
[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージで創造した。男性と女性が作成しました。
[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」
[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。
[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。
[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。
[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。
[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての仕事を休んだ。
[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。
[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、
[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;
[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-
[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻��に吸い込んだ。その男は生き物になりました。
[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植���られた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。
[2:9]主なる神は、地上から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。
[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。
[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。
[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。
[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。
[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。
[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。
[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭のあらゆる木を自由に食べてもよい。
[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。
[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。
[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶかを見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。
[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。
[編集] 2:21それで、神、主は深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。
[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。
[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。
[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。
[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、恥ずかしくない。
[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」
[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。
[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"
[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。
[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」
[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、彼は食べました。
[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。
[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。
[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。
[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。
[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあなたに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。
[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。
[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。
[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のすべての日を食べなければならない」 。
[3:15]私はあなたと女性の間、そしてあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」
[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」
[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあなたの人生のすべての日それを食べるものとします;
[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。
[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」
[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。
[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを着た。
[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる" -
[3:23]それで、主なる神は、彼をエデンの園から、彼が連れ出された地まで送られた。
[3:24]彼は男を追い出した。エデンの園の東に彼はケルビムと、命の木��の道を守るために燃え上がり回る剣を置いた。
[4:1]今、その男は妻のイブを知っていたので、彼女はカインを考え出して、「主の助けを借りて男を産んだ」と言った。
[4:2]次に彼女は彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは羊の番人であり、カインは地の耕うん機でした。
[4:3]カインは時間の経過とともに、地の実のささげ物を主にささげた。
[4:4]そしてアベルは、その群れの初子である脂肪分を持ち込んだ。そして、主はアベルと彼の捧げ物を尊敬していた、
[4:5]しかし、カインと彼の捧げ物については、彼には何の配慮もありませんでした。それでカインは非常に怒っていて、彼の表情は落ちました。
[4:6]主はカインに言われた、「どうしてあなたは怒っているのか。なぜあなたの表情が落ちたのか。
[4:7]うまくいけば、受け入れられませんか?そして、あなたがうまくいかなければ、罪はドアに潜んでいます。その欲望はあなたのためですが、あなたはそれをマスターしなければなりません。」
[4:8]カインは弟アベルに言った、「野原に出よう」。そして、彼らが野原にいたとき、カインは彼の兄弟アベルに対して立ち上がって、彼を殺しました。
[4:9]主はカインに言った、「あなたの兄弟アベルはどこにいるのか」。彼は言った、「私は知らない。私は私の弟の番人か?」
[4:10]主は言われた、「あなたは何をしたのですか。聞いてください。あなたの兄弟の血が地からわたしに叫びます
[4:11]そして今、あなたはあなたの手から兄弟の血を受け取るために口を開いた地面からのろわれています。
[4:12]あなたが地面に着くと、それはもはやあなたにその力を譲りません。あなたは地上で逃亡者であり、放浪者になります。」
[4:13]カインは主に言った、「私の罰は耐えることができないほど大きい!
[4:14]今日、あなたは私を土から追い出しました。そして、私はあなたの顔から隠されます。私は逃亡者であり、地球上の放浪者になります。
[4:15]それから主は彼に言われた、「そうではない!カインを殺す者は七度の復venに苦しむだろう」。そして、主はカインに印をつけられたので、彼の上に来た者はだれも彼を殺さない。
[4:16]カインは主の前を離れ、エデンの東のノドの地に定住した。
[4:17]カインは妻を知っていたので、彼女は妊娠してエノクを産んだ。彼は都市を建設し、息子エノクにちなんでエノクと名付けました。
[4:18]エノクに生まれたのはイラド。イラドはメフヤエルの父、メフヤエルはメトサエルの父、メトシャエルはラメクの父でした。
[4:19]ラメクは2人の妻を連れて行った。一人の名前はアダで、もう一人の名前はジラでした。
[4:20]アダはジャバルを産んだ。彼はテントに住んで家畜を飼っている人々の祖先でした。
[4:21]彼の兄弟の名前はジュバル。彼はly琴とパイプを演奏するすべての人々の祖先でした。
[4:22]ジラは、あらゆる種類の青銅と鉄の道具を作ったツバルカインを産んだ。トゥバルカインの妹はナアマでした。
[4:23]ラメクは妻に言った:「アダとジラ、私の声を聞いてください。あなたはラメクの妻たち、私の言うことを聞いてください。
[4:24]カインが7倍に復すれば、本当にラメクは77倍になります。」
[4:25]アダムは再び彼の妻を知り、彼女は息子を産んで彼にセス��名付けた。彼女は言った。
[4:26]セスにも息子が生まれ、エノシュと名付けました。その時、人々は主の名を呼び始めました。
#[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。#[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」#[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、#[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。#[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。#[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。#[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。#[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあなたに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。#[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。#[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。#[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のす#[3:15]私はあなたと女性の間、そしてあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」#[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」#[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあな#[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。#[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」#[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。#[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを着た。#[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる#[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。#[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。#[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。#[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。#[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。#[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。#[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。#[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。#[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。#[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。#[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。
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1:1]神が天と地を創造された当初、
[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。
[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。
[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。
[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。
[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。
[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。
[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。
[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。
[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。
[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。
[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。
[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」
[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。
[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を与えた。
[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。
[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空のドームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。
[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。
[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。
[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。
[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」
[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージで創造した。男性と女性が作成しました。
[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」
[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。
[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。
[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。
[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。
[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての仕事を休んだ。
[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。
[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、
[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;
[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-
[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻孔に吸い込んだ。その男は生き物になりました。
[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植えられた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。
[2:9]主なる神は、地上から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。
[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。
[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。
[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。
[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。
[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。
[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。
[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭のあらゆる木を自由に食べてもよい。
[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。
[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。
[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶかを見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。
[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。
[編集] 2:21それで、神、主���深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。
[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。
[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。
[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。
[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、恥ずかしくない。
[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」
[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。
[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"
[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。
[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」
[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、彼は食べました。
[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。
[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。
[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。
[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。
[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあなたに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。
[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。
[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。
[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のすべての日を食べなければならない」 。
[3:15]私はあなたと女性の間、そしてあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」
[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」
[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあなたの人生のすべての日それを食べるものとします;
[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。
[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」
[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。
[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを着た。
[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる" -
[3:23]それで、主なる神は、彼をエデンの園から、彼が連れ出された地まで送られた。
[3:24]彼は男を追い出した。エデンの園の東に彼はケルビムと、命の木への道を守るために燃え上がり回る剣を置いた。
[4:1]今、その男は妻のイブを知っていたので、彼女はカインを考え出して、「主の助けを借りて男を産んだ」と言った。
[4:2]次に彼女は彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは羊の番人であり、カインは地の耕うん機でした。
[4:3]カインは時間の経過とともに、地の実のささげ物を主にささげた。
[4:4]そしてアベルは、その群れの初子である脂肪分を持ち込んだ。そして、主はアベルと彼の捧げ物を尊敬していた、
[4:5]しかし、カインと彼の捧げ物については、彼には何の配慮もありませんでした。それでカインは非常に怒っていて、彼の表情は落ちました。
[4:6]主はカインに言われた、「どうしてあなたは怒っているのか。なぜあなたの表情が落ちたのか。
[4:7]うまくいけば、受け入れられませんか?そして、あなたがうまくいかなければ、罪はドアに潜んでいます。その欲望はあなたのためですが、あなたはそれをマスターしなければなりません。」
[4:8]カインは弟アベルに言った、「野原に出よう」。そして、彼らが野原にいたとき、カインは彼の兄弟アベルに対して立ち上がって、彼を殺しました。
[4:9]主はカインに言った、「あなたの兄弟アベルはどこにいるのか」。彼は言った、「私は知らない。私は私の弟の番人か?」
[4:10]主は言われた、「あなたは何をしたのですか。聞いてください。あなたの兄弟の血が地からわたしに叫びます
[4:11]そして今、あなたはあなたの手から兄弟の血を受け取るために口を開いた地面からのろわれています。
[4:12]あなたが地面に着くと、それはもはやあなたにその力を譲りません。あなたは地上で逃亡者であり、放浪者になります。」
[4:13]カインは主に言った、「私の罰は耐えることができないほど大きい!
[4:14]今日、あなたは私を土から追い出しました。そして、私はあなたの顔から隠されます。私は逃亡者であり、地球上の放浪者になります。
[4:15]それから主は彼に言われた、「そうではない!カインを殺す者は七度の復venに苦しむだろう」。そして、主はカインに印をつけられたので、彼の上に来た者はだれも彼を殺さない。
[4:16]カインは主の前を離れ、エデンの東のノドの地に定住した。
[4:17]カインは妻を知っていたので、彼女は妊娠してエノクを産んだ。彼は都市を建設し、息子エノクにちなんでエノクと名付けました。
[4:18]エノクに生まれたのはイラド。イラドはメフヤエルの父、メフヤエルはメトサエルの父、メトシャエルはラメクの父でした。
[4:19]ラメクは2人の妻を連れて行った。一人の名前はアダで、もう一人の名前はジラでした。
[4:20]アダはジャバルを産んだ。彼はテントに住んで家畜を飼っている人々の祖先でした。
[4:21]彼の兄弟の名前はジュバル。彼はly琴とパイプを演奏するすべての人々の祖先でした。
[4:22]ジラは、あらゆる種類の青銅と鉄の道具を作ったツバルカインを産んだ。トゥバルカインの妹はナアマでした。
[4:23]ラメクは妻に言った:「アダとジラ、私の声を聞いてください。あなたはラメクの妻たち、私の言うことを聞いてください。
[4:24]カインが7倍に復すれば、本当にラメクは77倍になります。」
[4:25]アダムは再び彼の妻を知り、彼女は息子を産んで彼にセスと名付けた。彼女は言った。
[4:26]セスにも息子が生まれ、エノシュと名付けました。その時、人々は主の名を呼び始めました。
did you just send me the whole japanese bible.
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1:1]神が天と地を創造された当初、
[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。
[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。
[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。
[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。
[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。
[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。
[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。
[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。
[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。
[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。
[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。
[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」
[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。
[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を与えた。
[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。
[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空のドームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。
[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。
[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。
[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。
[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」
[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージで創造した。男性と女性が作成しました。
[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」
[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。
[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。
[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。
[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。
[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての仕事を休んだ。
[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。
[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、
[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;
[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-
[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻孔に吸い込んだ。その男は生き物になりました。
[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植えられた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。
[2:9]主なる神は、地上から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。
[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。
[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。
[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。
[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。
[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。
[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。
[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭のあらゆる木を自由に食べてもよい。
[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。
[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。
[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶかを見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。
[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。
[編集] 2:21それで、神、主は深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。
[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。
[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。
[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。
[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、恥ずかしくない。
[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」
[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。
[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"
[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。
[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」
[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、��は食べました。
[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。
[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。
[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。
[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。
[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあなたに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。
[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。
[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。
[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のすべての日を食べなければならない」 。
[3:15]私はあなたと女性の間、そしてあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」
[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」
[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあなたの人生のすべての日それを食べるものとします;
[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。
[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」
[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。
[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを着た。
[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる" -
[3:23]それで、主なる神は、彼をエデンの園から、彼が連れ出された地まで送られた。
[3:24]彼は男を追い出した。エデンの園の東に彼はケルビムと、命の木への道を守るために燃え上がり回る剣を置いた。
[4:1]今、その男は妻のイブを知っていたので、彼女はカインを考え出して、「主の助けを借りて男を産んだ」と言った。
[4:2]次に彼女は彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは羊の番人であり、カインは地の耕うん機でした。
[4:3]カインは時間の経過とともに、地の実のささげ物を主にささげた。
[4:4]そしてアベルは、その群れの初子である脂肪分を持ち込んだ。そして、主はアベルと彼の捧げ物を尊敬していた、
[4:5]しかし、カインと彼の捧げ物については、彼には何の配慮もありませんでした。それでカインは非常に怒っていて、彼の表情は落ちました。
[4:6]主はカインに言われた、「どうしてあなたは怒っているのか。なぜあなたの表情が落ちたのか。
[4:7]うまくいけば、受け入れられませんか?そして、あなたがうまくいかなければ、罪はドアに潜んでいます。その欲望はあなたのためですが、あなたはそれをマスターしなければなりません。」
[4:8]カインは弟アベルに言った、「野原に出よう」。そして、彼らが野原にいたとき、カインは彼の兄弟アベルに対して立ち上がって、彼を殺しました。
[4:9]主はカインに言った、「あなたの兄弟アベルはどこにいるのか」。彼は言った、「私は知らない。私は私の弟の番人か?」
[4:10]主は言われた、「あなたは何をしたのですか。聞いてください。あなたの兄弟の血が地からわたしに叫びます
[4:11]そして今、あなたはあなたの手から兄弟の血を受け取るために口を開いた地面からのろわれています。
[4:12]あなたが地面に着くと、それはもはやあなたにその力を譲りません。あなたは地上で逃亡者であり、放浪者になります。」
[4:13]カインは主に言った、「私の罰は耐えることができないほど大きい!
[4:14]今日、あなたは私を土から追い出しました。そして、私はあなたの顔から隠されます。私は逃亡者であり、地球上の放浪者になります。
[4:15]それから主は彼に言われた、「そうではない!カインを殺す者は七度の復venに苦しむだろう」。そして、主はカインに印をつけられたので、彼の上に来た者はだれも彼を殺さない。
[4:16]カインは主の前を離れ、エデンの東のノドの地に定住した。
[4:17]カインは妻を知っていたので、彼女は妊娠してエノクを産んだ。彼は都市を建設し、息子エノクにちなんでエノクと名付けました。
[4:18]エノクに生まれたのはイラド。イラドはメフヤエルの父、メフヤエルはメトサエルの父、メトシャエルはラメクの父でした。
[4:19]ラメクは2人の妻を連れて行った。一人の名前はアダで、もう一人の名前はジラでした。
[4:20]アダはジャバルを産んだ。彼はテントに住んで家畜を飼っている人々の祖先でした。
[4:21]彼の兄弟の名前はジュバル。彼はly琴とパイプを演奏するすべての人々の祖先でした。
[4:22]ジラは、あらゆる種類の青銅と鉄の道具を作ったツバルカインを産んだ。トゥバルカインの妹はナアマでした。
[4:23]ラメクは妻に言った:「アダとジラ、私の声を聞いてください。あなたはラメクの妻たち、私の言うことを聞いてください。
[4:24]カインが7倍に復すれば、本当にラメクは77倍になります。」
[4:25]アダムは再び彼の妻を知り、彼女は息子を産んで彼にセスと名付けた。彼女は言った。
[4:26]セスにも息子が生まれ、エノシュと名付けました。その時、人々は主の名を呼び始めました。
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1:1]神が天と地を創造された当初、[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を与えた。[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空のドームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージで創造した。男性と女性が作成しました。[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての仕事を休んだ。[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻孔に吸い込んだ。その男は生き物になりました。[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植えられた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。[2:9]主なる神は、地上から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭のあらゆる木を自由に食べてもよい。[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶかを見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。[編集] 2:21それで、神、主は深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、恥ずかしくない。[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、彼は食べました。[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。
Ik for a fact theres more but this is all I could fit.
HOLY FUCK YOU WEREN'T LYING
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2023年9月12日(水)
久々の出勤、9/1(金)以来のことだ。事務組織の再編でメールボックスの設置場所が変わったので、朝一で確認する。研究室に入って窓を開けて換気、をを、秋の空だ。前期の授業は9クラスあったが後期は5クラス、その分自分の時間が増える。ゆっくり焦らず、後期の<宿題>に取り組むことにしよう。
5時30分起床。
日誌書く。
洗濯機回す。
朝食は久しぶりのそば定食、そば湯に無農薬レモンを浮かべるととても香りが良い。
火曜日だが出勤なので、弁当を4人分用意する。その間に、ツレアイが洗濯物を干す。
可燃ゴミ30L*2。
往路は吹田ICを利用するので、距離は少し長いが走りやすい。
まずはタイムカードの整理、先週の有休消化申請をする。
今日の仕事は「授業改善報告書」の作成、前期末の学生による授業アンケートの結果を踏まえてフォーマットを埋める作業。9クラス分あるが、特に問題となる指摘はない。早々に仕上げて、メールで提出する。
図書館のTさんとSさん来室、お土産を届けてくれた、感謝!
先日購入したICレコーダーのレビュー、amazonから掲載したとのメールが届く。これで販売先からギフト券が届く(はず)。
Kindle で『MIX』、最新作の21巻までた��り着いた。『タッチ』の後日談、おじさんには面白い。
弁当を食べ、名神の情報をチェックすると事故渋滞。とは言え、今日のミッションは済んだので退出する。
茨木ICから入り、桂川PA手前からノロノロ運転、普段より30分近く余計にかかってしまった。
今夜は Apple のイベント、iPhone15の発表があるはず。もちろん、私は高いびきの時間帯だが、iPhone14が値下げされるだろうから現状の価格を調べておく。
ツレアイは午前中の訪問2件、昼には帰宅していたので仕込んでおいた<無水地鶏カレー>の味付けを頼んでおいた。
イワシの丸干しを焼いて冷酒で乾杯、昨日の内科受診を無事に(?)終えたので見逃していただきたい。
録画番組視聴。
“シ��ーロック・ホームズスペシャル” (2)事件の表層と真相
初回放送日: 2023年9月11日 シャーロック・ホームズ・シリーズでは、ささいな出来事の裏に大きな犯罪があり、重大事件と思われた出来事が実は平凡な人間の弱さから発しているという皮肉が描かれる。 赤毛の人だけを募集して不思議な仕事を依頼する奇妙な出来事の裏に巨大な犯罪が潜んでいたという顛末(てんまつ)を描く「赤毛組合」。恐ろしい誘拐事件にみえた犯罪が、実は妻に自分の秘密を隠すために行われた夫のとっさの行為だったことを描く「唇のねじれた男」。事件の表層と真相の反転をドイルは見事に描いていく。第二回は、人生や出来事が一筋縄ではいかない多層的なものだというコナン・ドイルの洞察に迫っていく。
続いて久しぶりに桂枝雀のDVDを楽しむ、「質屋蔵」「あくび指南」、無条件に笑えるのが嬉しい。
片付け、入浴・・・のはずが、お酒が効いて途中でダウン。
今日は車移動とデスクワーク、3つのリングはこの通り。水分は、1,880ml。
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神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記1・1-2・2
神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記
1・1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
11神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。
14神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。
20神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
22神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、適うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
26神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
2・1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
答唱詩編
詩編104・1+2a、24+33
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。
詩編104
104・1心を尽くして神をたたえよう。 神よ、あなたはまことに偉大なかた。 2a誉れと輝きを身に帯びて、 衣のように光をまとわれる。
24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。 英知によって形造られたものは地に満ちている。 33わたしは生涯、神に向かって歌い、 いのちのある限り神をたたえよう。
第二朗読
創世記22・1-18
先祖アブラハムの献げ物
創世記
その日、22・1神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、2神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
3次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。4三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、5アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」6アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。7イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」8アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを織って祭壇の薪の上に載せた。10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、12御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」13アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
14アブラハムはその場所を主・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
15主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。16御使いは言った。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国���はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
答唱詩編
詩編16・5、8、11
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
詩編16
16・5神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、 わたしの受ける杯。わたしの道を開くかた。
8わたしは絶えず神を思う。 神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。
11あなたはいのちの道を示してくださる。 あなたの前にはあふれる喜び、あなたのもとには永遠の楽しみ。
第三朗読
出エジプト14・15-15・1a
イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。
出エジプト記
その日、追い迫るエジプト軍を見て、イスラエルの人々が非常に恐れたとき、14・15主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。16杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。17しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、18わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」19イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、20エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。21モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。23エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。25戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
26主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」27モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。28水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。29イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。30主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。31イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。15・1aモーセとイスラエルの民は主を賛美して、歌をうたった。
答唱詩編
出エジプト15・1b+2b、3+4+5、6+16bc
神よ、あなたはわたしの力、わたしの守り、救い。
出エジプト15
15・1b神をたたえよう、神は栄光を現し、 馬と戦車を海に投げ入れられた。 2b神よ、あなたはわたしの神、わたしの先祖の神、 わたしはあなたをあがめる。
3神は勇者、その名は主。 4ファラオの戦車と軍勢を海に投げ入れ、 そのえりぬきの士官は紅海に沈んだ。 5水は彼らを覆い、かれらは石のように深みにしずんだ。
6神よ、あなたの右の手には力がみなぎり、 あなたの右の手は敵を押さえる。 16bc神よ、こうしてあなたの民は通り過ぎ、 あなたのものとされた民は過ぎ越す。
第四朗読
イザヤ54・5-14
あなたを贖う主は、とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむ。
イザヤの預言
54・5エルサレムよ、 あなたの造り主があなたの夫となられる。 その御名は万軍の主。 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、 全地の神と呼ばれる方。 6捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。 若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。 7わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。 8ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる。 9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。 再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあのとき誓い、 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。 10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる。
11苦しめられ、嵐にもてあそばれ 慰める者もない都よ 見よ、わたしはアンチモンを使ってあなたの石を積む。 サファイアであなたの基を固め 12赤めのうであなたの塔を エメラルドであなたの門を飾り 地境に沿って美しい石を連ねる。 13あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある。 14あなたは恵みの業によって堅く立てられる。 虐げる者から遠く離れよもはや恐れることはない。 破壊する者から遠く離れよもはやそれがあなたに近づくことはない。
答唱詩編
詩編30・2b+4、13
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。
詩編30
30・2b神よ、あなたはわたしを救い、 死の力が勝ち誇るのを許されない。 4神よ、あなたは死の国からわたしを引きあげ、 危ういいのちを助けてくださった。
13わたしの心はあなたをたたえ、 黙っていることがない。 神よ、わたしの神よ、 あなたをとこしえにたたえよう。
第五朗読
イザヤ55・1-11
わたしのもとに来るがよい。魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
イザヤの預言
55・1主は言われる。 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。 銀を持たない者も来るがよい。 穀物を求めて、食べよ。 来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。 2なぜ、糧にならぬもののために銀を載って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。 わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 3耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。 わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。 ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。 4見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、統治者とした。 5今、あなたは知らなかった国に呼びかける。 あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。 あなたの神である主 あなたに輝きを与えられるイスラエルの聖なる神のゆえに。
6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。 7神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば豊かに赦してくださる。 8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。 9天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。 10雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。 11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。
答唱詩編
イザヤ12・2、4、5
喜びに心をはずませ、救いの泉から水を汲む。
イザヤ12
12・2神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。 神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。
4神をたたえ、その名を呼ぼう。 神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り告げよう。
5神は不思議なわざをなしとげられた。 神をほめ歌い、そのわざを世界にのべ伝えよう。
第六朗読
バルク3・9-15、32-4・4
主の輝きに向かって歩め。
バルクの預言
3・9聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。 耳を傾けて、悟りを得よ。 10イスラエルよ、なぜなのか。 なぜお前は敵の地におり、 異国の地で年を重ね、 11死者と汚れを共にし、 陰府に下る者の中に数えられたのか。 12お前は知恵の泉を見捨てた。 13神の定めた道を歩んでいたなら、 永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。 14学べ、どこに悟りがあるかを。 またどこに力があり、どこに知識があるかを。 そして知れ、どこに長寿と命があり、 どこに目の輝きと平和があるかを。
15いったいだれが知恵の在りかを見いだしただろうか。 だれがその宝庫に入っただろうか。 32すべてを知る方だけが知恵を知り、 御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。 33その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、 それを四足の獣で満たした。 その方が光を放つと、光は走り、 ひと声命ずると、光はおののいて従う。 34星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、 35その方が命ずると、「ここにいます」と答え、 喜々として、自分の造り主のために光を放つ。 36この方こそわたしたちの神であり、 他に比ぶべきものはない。 37この方は知識の道をすべて見いだし、 それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。 38その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。 4・1知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。 これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。 2ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、 知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。 3あなたの栄光をほかの者に、あなたの特権を異国の民に渡してはならない。 4イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。 神の御心に適うことを知っているのだから。
答唱詩編
詩編19・8、9
主よ、あなたは永遠のいのちのことば。
詩編19
19・8神の教えは完全で、魂を生き返らせ、 そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす。
9神の定めは正しく、心の喜びであり、 そのみ旨は清く、目を開く。
第七朗読
エゼキエル36・16-17a、18-28
わたしは清い水をお前たちの上に振りかけ、新しい心を与える。
エゼキエルの預言
36・16主の言葉がわたしに臨んだ。17「人の子よ、イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した。18それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注いだ。彼らが地の上に血を流し、偶像によってそれを汚したからである。19わたしは彼らを国々の中に散らし、諸国に追いやり、その歩みと行いに応じて裁いた。20彼らはその行く先の国々に行って、わが聖なる名を汚した。事実、人々は彼らについて、『これは主の民だ、彼らは自分の土地から追われて来たのだ』と言った。21そこでわたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
22それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。23わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。24わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
25わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。26わたしはお前たち���新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。27また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。28お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。」
答唱詩編
詩編51・12+13、18+19
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。
詩編51
51・12神よ、わたしのうちに清い心を造り、 あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 13わたしをあなたのもとから退けず、 聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、 はんさいをささげても喜ばれない。 19神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。 あなたは悔い改める心を見捨てられない。
使徒書の朗読
ローマ6・3-11
死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない。
使徒パウロのローマの教会への手紙
皆さん、6・3あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。5もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。6わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。7死んだ者は、罪から解放されています。8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
福音朗読
マルコ16・1-7
アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
マルコによる福音
16・1安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。2そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。3彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。4ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。5墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。6若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。7さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤヘ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
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神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記1・1-2・2 神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。 創世記 1・1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 6神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。 9神は言われた。 「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」 そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 11神は言…
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2022年11月13日
【サマリー:J1参入プレーオフ 決定戦】
【熊本】J1初昇格逃す、大木武監督「こんな経験忘れたほうがいい」プレーオフで京都とドロー(日刊スポーツ)
J2ロアッソ熊本は1-1で京都サンガFCと引き分け、上位の京都が勝利するプレーオフ(PO)の規定により、J1初昇格を逃した。
下克上昇格はかなわなかったが、意地は見せた。同点の後半ロスタイム2分。クロスの流れから、MF平川怜(22)が渾身のシュートを放った。だが、京都FWウタカの“顔面ブロック”に阻まれた。再び目の前にきたボールをシュート。しかし今度はゴールポストにはじかれ力尽きた。
1点を追う後半23分、右CKから、DFイヨハ理ヘンリー(24)が2戦連発となるヘディング弾で同点。ボール支配率で上回り、枠内シュートも互角の7本と健闘した。
とはいえ、負けは負け。来季1年契約で続投する大木武監督(61)は、来季のPOの経験を生かす方法を問われて「いい経験を踏んだなら生かせるが、負けて、こんな経験忘れたほうがいい。サポーターを笑って帰してやれなかったのが心残り」と悔しさをにじませた。
九州のライバル・大分がJリーグ史上初となるJ3を経験してのJ1復帰を果たした18年。くしくも、熊本は08年のJ2昇格後初めてJ3降格の屈辱を味わった。前年の17年は他力ながら21位でギリギリ残留していたが、16年4月の熊本地震の影響もあって弱体化して以降、勢いを取り戻せないままもがき続けてきた。14年度決算では債務超過に陥り、クラブ存続の危機もあった。
だが、広島で強化部長や社長を務め、育成面で評価があった織田秀和氏(61)が18年にGM就任して、徐々に息を吹き返していった。
編成において、資金難ゆえに将来有望で伸びしろのある大学生の獲得に重きを置く。日本代表DF冨安と福岡ジュニアユース時代に同学年だった2年目のMF杉山や、J2得点ランク3位(14得点)で3年目FW高橋ら中心の多くが、大卒から熊本でプロになった選手。その数は、京都戦でのスタメンで6人に及んだ。20年に就任の大木監督が清水、京都監督、日本代表コーチなどを務めた豊富な経験を基に鍛え上げた。
J1の16位とはいえ、予算は約3倍の京都が相手だった。だが、大木監督は「(クラブの)歴史がないとか、経験がないとか、予算がないとかあるが、うちみたいなチームは何も成し遂げていないので、俺らもやれないことはないと思う」と強気で立ち向かった。
就任から3年計画で進化を遂げた“大木チルドレン”が、監督の言う「普段通りにやる」サッカーを体現した。エンブレムに象徴される火の国熊本の“暴れ馬”のごとく暴れた。【菊川光一】
【熊本】来季もJ2で編成面はいばらの道 主力残留望まれるも“草刈り場”になる可能性大(日刊スポーツ)
ロアッソ熊本はJ1参入プレーオフ敗退で来季もJ2となり、チーム編成面では、いばらの道が待ち受ける。
22年度決算見込みは収入約7億円、チーム人件費約3億円の緊縮財政の中、リーグ4位と躍進を遂げた。だが、来季も資金不足により、過度な補強や外国人の獲得はしない予定だ。
永田求社長(71)は「4番バッターばかりをそろえても仕方ないわけですから、野球で言う。ブレずに伸びしろのある若手を育てるチームにする」。編成に関しては、これまで通りお金をかけず、向上心やハングリー精神を持つ大学生の獲得や、ユースからの昇格などをベースにする方針だ。
基本、アンカーのMF河原創主将(24)、J2得点ランク3位のFW高橋利樹(24)、DF菅田真啓(25)ら主力の残留が望まれる。だがJ1からのオファーがすでに届いた選手もおり、他クラブの“草刈り場”になる可能性が高い。J3から昇格1年目で4位躍進した一方で、選手個々の能力もフォーカスされた。
文科省が「図書館の自由」揺るがす依頼文 「拉致問題の本充実を」(朝日新聞)
文部科学省が全国の公立・学校図書館向けに出した1通の依頼文が波紋を呼んでいる。「拉致問題の関連本の充実」を求めるもので、内閣官房が文科省に依頼した。特定のテーマで国が図書館にこうした文書を送るのは初めてという。これに対し、公益社団法人・日本図書館協会は10月、「図書館の自由に関する宣言を脅かすものであると懸念する」などとする意見書を文科省に出した。
「北朝鮮当局による拉致問題に関する図書等の充実に係る御協力等について」
文科省が8月末、全国の公立・学校図書館あてに送った「事務連絡」だ。文書は、拉致問題の解決には「世論の一層の喚起が不可欠」だと指摘。12月10~16日の啓発週間に向けて関連本を充実させ、テーマ展示をするなどして、「児童生徒や住民が手にとりやすい環境の整備」に協力するよう求めている。
文科省地域学習推進課によると、図書館向けにこうした文書を出すのは初めて。「内閣官房拉致問題対策本部から頼まれたから」で、「図書館の自由を侵害する趣旨ではない。撤回予定はない」という。
拉致問題対策本部も「毎年力を入れている若者の啓発策だった。お願いにすぎず問題があるとは考えていない」との見解を示した。
図書館には戦前の反省から、独立や市民への責任をうたった「図書館の自由に関する宣言」がある。宣言では、「権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任に基づき資料の収集と提供を行う」などと明記している。
このため、図書館協会は依頼文について「外部からの圧力を容認し、主体的な取り組みを難しくする怖れがある」などとして「是認できない」としている。
現場の司書たちにも、危機感が広がっている。
千葉県の公立図書館で働く50代の男性司書は、9月、県から届いたメールで依頼文を知った。違和感を覚えた男性が司書の会議で議題にすると、戸惑いの声が上がった。
「国が依頼してくるのはどうなのか」「拉致問題は重要。本をそろえないということはないが……」
男性は「依頼文の通りに展示すれば『従った』ととられる。もう普通の展示はできない」と話す。
「国は『正しいこと』をやろうとしているのかもしれないが、協力を求めて当然という考え方は怖い」
ウクライナ廃虚にバンクシー壁画 「不屈の象徴」と住民歓迎(AFPBB)
【11月13日 AFP】英国の覆面ストリートアーティスト、バンクシー(Banksy)が、ウクライナの首都近郊の廃虚と化した建物の壁にグラフィティを描いた。住民は「不屈の象徴」になると歓迎している。
バンクシーは11日、廃虚の壁に描かれた、倒立する体操選手の絵の写真3枚をインスタグラム(Instagram)に投稿。キャプションには「ボロジャンカ(Borodyanka)、ウクライナ」と記されていた。
首都キ��ウ北西に位置するボロジャンカは、ブチャ(Bucha)やイルピン(Irpin)と同じく、2月のロシア軍の侵攻開始直後に激しい攻撃にさらされ、4月まで占領されていた町。ロシア軍による徹底的な破壊の爪痕を残す場所として知られている。
「私たちが不屈であることを示す象徴となる」と、オレクシーさんはAFPに語った。「そうとも、わが国は負けない」
ボロジャンカでは、柔道着姿の大人の男性を小さな男の子が投げ飛ばす様子を描いた壁画も見つかった。武道に熱心なロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がモチーフとみられる。
この作品がバンクシーの作品かは確認できていないが、ウクライナのテレビジャーナリスト、ボグダン・マシャイ氏(30)は「男の子が老人に立ち向かい、打ち負かしている」「バンクシーがここボロジャンカにいるなんて信じられない」と感激を口にした。
キーウ近郊ではバンクシー風の壁画が他にも幾つか出現しており、ウクライナの人々は、バンクシーが今も国内で活動しているのではないかと考えている。イルピンの廃虚では、首を負傷してコルセットで固定した新体操の選手が、リボンの演技を披露する姿を描いたグラフィティが見つかっている。
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核ごみ、地下450メートルに 岩盤に密閉、3年後稼働―世界初の最終処分場・フィンランド(時事通信)
【オルキルオト島(フィンランド)時事】原子力発電所から出る使用済み核燃料の処理に各国が頭を悩ませる中、フィンランドは世界初の最終処分場建設を進めている。地中深くに放射性廃棄物を埋める「地層処分」と呼ばれる方式で、3年後の稼働を目指す。南西部オルキルオト島の地下400~450メートルに造られた最終処分場が、時事通信など一部メディアに公開された。
【図解】核燃料最終処分場「オンカロ」
◇100万年先も安全
らせんを描きながら薄暗い坑道を下りていく。道幅は車2台がぎりぎり擦れ違える程度。天井や壁には掘削された岩肌の凹凸がそのまま残る。
核廃棄物の最終処分場「オンカロ」は、フィンランド語で「洞窟」を���味する。使用済み核燃料は約40年間、原発敷地内の貯蔵プールで保管。鉄と銅の容器(キャニスター)で二重に密封した後、オンカロ最深部の縦穴に配置する。
水の浸入を防ぐため、縦穴と容器の隙間はベントナイトと呼ばれる粘土で埋める。すべての縦穴が埋まると、トンネルそのものを粘土とコンクリートで密閉。処分場管理会社ポシバの関係者は「この岩盤は20億年近く安定しており、氷河期など地上の環境変化にも影響されない。100万年先も安全だ」と語る。
「オンカロ」の粘土とコンクリートで密閉された実験用トンネル=10月31日、南西部オルキルオト島
◇透明性を徹底
約5キロ続く坂道を下り、オンカロの最深部に到着した。空気は乾燥し、人や重機が舞い上げた砂ぼこりの臭いが鼻を突く。アリの巣のように張り巡らされたトンネルには、核燃料を埋設する縦穴が数メートル間隔で掘られる。最終的にトンネル数は100本以上、総延長は50キロになる見通しだ。
2025年ごろに稼働し、約100年かけて使用済み燃料6500トンを埋設する。同関係者は「すべてのトンネルや道を埋め戻した後は、地上施設を取り壊し、生物圏から隔絶する」と説明する。
「オンカロ」の地下450メートルに下りる坑道
スウェーデンは今年1月、フィンランドに続き、最終処分場の建設計画を承認した。だが、日本を含む各国��は処分場の建設地選定が難航。フィンランドが他国に先駆けた背景には、伝統的に政府や公共機関に信頼を寄せる国民性もあったとされる。「徹底した情報開示で透明性を確保し、地元住民と協議を重ねた」とポシバ社の広報責任者パシ・トゥオヒマ氏。オンカロの見学希望者は、可能な限り受け入れたという。
オルキルオト島では原子炉2基が稼働し、近く3基目も運転を開始する予定だ。原発とオンカロで20年以上働く地元住民のヤン・ライホネンさん(52)は「多くの住民は原発の安全性を信頼しており、最終処分場もさほど抵抗なく受け入れた」と話している。
【本日(11/13)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で2105人感染確認3人死亡 13日発表(NHKニュース)
広島県では13日、新たに2105人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、3人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で955人、▼福山市で311人、▼東広島市で162人、▼呉市で120人、▼廿日市市で110人、▼尾道市で78人、▼三原市で74人、▼三次市で65人、▼府中町で52人、▼海田町で29人、▼大竹市で28人、▼庄原市で22人、▼府中市で21人、▼竹原市で18人、▼安芸高田市で11人、▼熊野町で10人、▼世羅町と神石高原町でそれぞれ���人、▼江田島市と安芸太田町、北広島町でそれぞれ6人、▼坂町で4人、▼大崎上島町で3人のあわせて2105人です。
1週間前の日曜日より71人増えていて、9日連続で前の週の同じ曜日を上回りました。
これで県内での感染確認は、のべ49万286人となりました。
また、県内で患者3人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は801人となりました。
新型コロナ県内の医療体制 病床使用率42.7% 12日時点(NHKニュース)
12日の時点で病床の使用率は42.7%(確保病床517床、入院患者221人)、このうち重症患者用の病床使用率は9.5%です(確保重症病床42床、重症の入院患者4人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1047室を確保し、307人が過ごしています(利用率29.3%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は556.92人です。
現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】67人死亡 6万8894人感染(13日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、13日に発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め6万8894人となっています。また国内で亡くなった人は67人で、累計4万7579人となっています。
また、今月10日に行われた自主検査を除くPCR検査などの数は速報値で6万5009件でした。
東京都 新型コロナ 3人死亡 6922人感染確認 前週に比べ652人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 4人死亡 3269人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は221万2402人となりました。府内で感染して亡くなった人は、合わせて6661人となりました。
飼いネコがコロナ発症 北海道・中標津の獣医師らが国内初報告(北海道新聞)
【中標津】根室管内中標津町の「やまだ動物病院」の獣医師山田恭嗣さん(56)と国立感染症研究所が、新型コロナウイルスに感染し、発症した飼いネコの症例を論文にまとめた。新型コロナウイルスに感染した動物の発症の報告は国内初という。山田さんは飼い主からネコに感染した可能性があるとし、「動物に接する際も感染防止を」と呼びかけている。
症例は今年4月に日本獣医師会雑誌で報告した。
ネコは、同管内の住民が室内で飼育する12歳の雌。2021年8月、飼い主と家族が新型コロナに感染して発症し、その10日後にネコにくしゃみや鼻水などの症状が出た。飼い主はネコの発症の3日後、動物病院に電話し、自身の新型コロナ感染についても伝えた。
山田さんはネコにも感染した可能性があると考え、飼い主に採材キットを送付。ネコの口内などから採取した粘液を国立感染症研究所で遺伝子や中和抗体を分析したところ、ネコが飼い主らと同じデルタ株に感染していたことがわかった。
ネコは発症8日後に食欲減退など症状が悪化。山田さんが抗菌剤や抗ウイルス剤などを投与すると翌日に症状が緩和した。風邪と症状が似ているため、山田さんは「症状だけで新型コロナと診断するのは難しく、飼い主の感染などの申し出が不可欠。情報がなく見過ごされた例もあるのではないか」とみる。
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1:1]神が天と地を創造された当初、[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けま
した。そして、そうでした。[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、
そうでした。[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を
与えた。[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空のドームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の
生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージ
創造した。男性と女性が作成しました。[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべ
ての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての
仕事を休んだ。[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻孔に吸い込んだ。その男は生き物になりました。[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植えられた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。[2:9]主なる神は、地上
から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭
のあらゆる木を自由に食べてもよい。[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶかを見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。[編集] 2:21それで、神、主は深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、
恥ずかしくない。[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこ
と、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、彼は食べました。[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあな
たに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のすべての日を食べなければならない」 。[3:15]私はあなたと女性の間、そし.
てあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあなたの人生のすべての日それを食べるものとします;[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを
着た。[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる" -[3:23]それで、主なる神は、彼をエデンの園から、彼が連れ出された地まで送られた。[3:24]彼は男を追い出した。エデンの園の東に彼はケルビムと、命の木への道を守るために燃え上がり回る剣を置いた。[4:1]今、その男は妻のイブを知っていたので、彼女はカインを考え出して、「主の助けを借りて男を産んだ」と言った。[4:2]次に彼女は彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは羊の番人であり、カインは地の耕うん機でした。[4:3]カインは時間の経過とともに、地の実のささげ物を主にささげた。[4:4]そしてアベルは、その群れの初子である脂肪分を持ち込んだ。そして、主はアベルと彼の捧げ物を尊敬していた、[4:5]しかし、カインと彼の捧げ物については、彼には何の配慮もありません
でした。それでカインは非常に怒っていて、彼の表情は落ちました。[4:6]主はカインに言われた、「どうしてあなたは怒っているのか。なぜあなたの表情が落ちたのか。[4:7]うまくいけば、受け入れられませんか?そして、あなたがうまくいかなければ、罪はドアに潜んでいます。その欲望はあなたのためですが、あなたはそれをマスターしなければなりません。」[4:8]カインは弟アベルに言った、「野原に出よう」。そして、彼らが野原にいたとき、カインは彼の兄弟アベルに対して立ち上がって、彼を殺しました。[4:9]主はカインに言った、「あなたの兄弟アベルはどこにいるのか」。彼は言った、「私は知らない。私は私の弟の番人か?」[4:10]主は言われた、「あなたは何をしたのですか。聞いてください。あなたの兄弟の血が地からわたしに叫びます[4:11]そして今、あなたはあなたの手から兄弟の血を受け取るために口を開いた地面からのろわれています。[4:12]あ
なたが地面に着くと、それはもはやあなたにその力を譲りません。あなたは地上で逃亡者であり、放浪者になります。」[4:13]カインは主に言った、「私の罰は耐えることができないほど大きい![4:14]今日、あなたは私を土から追い出しました。そして、私はあなたの顔から隠されます。私は逃亡者であり、地球上の放浪者になります。[4:15]それから主は彼に言われた、「そうではない!カインを殺す者は七度の復venに苦しむだろう」。そして、主はカインに印をつけられたので、彼の上に来た者はだれも彼を殺さない。[4:16]カインは主の前を離れ、エデンの東のノドの地に定住した。[4:17]カインは妻を知っていたので、彼女は妊娠してエノクを産んだ。彼は都市を建設し、息子エノクにちなんでエノクと名付けました。[4:18]エノクに生まれたのはイラド。イラドはメフヤエルの父、メフヤエルはメトサエルの父、メトシャエルはラメクの父でした。[4:19]ラメクは2人の妻を連れて行った。一人の名前はアダで、もう
一人の名前はジラでした。[4:20]アダはジャバルを産んだ。彼はテントに住んで家畜を飼っている人々の祖先でした。[4:21]彼の兄弟の名前はジュバル。彼はly琴とパイプを演奏するすべての人々の祖先でした。[4:22]ジラは、あらゆる種類の青銅と鉄の道具を作ったツバルカインを��んだ。トゥバルカインの妹はナアマでした。[4:23]ラメクは妻に言った:「アダとジラ、私の声を聞いてください。あなたはラメクの妻たち、私の言うことを聞いてください。[4:24]カインが7倍に復すれば、本当にラメクは77倍になります。」[4:25]アダムは再び彼の妻を知り、彼女は息子を産んで彼にセスと名付けた。彼女は言った。[4:26]セスにも息子が生まれ、エノシュと名付けました。その時、人々は主の名を呼び始めました。
-🐙
Will ya date me? Breath if yes! Recite the bible in Japanese (or just ignore) if no!
I’m desperate for a rq partner :333
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詩集「時喰う人たち」
詩集『時喰う人たち』
1.「Dépaysement -ルネ・マグリットによろしく-」 2.「Paranoiac Critic -DALIsm-」 3.「THINKING-MAN」 4.「Lonely Boy -ゴッホの丘-」 5.「ヒプノシス叙事詩」 6.「青年空想画家」 7.「WALKING-MAN」 8.「Never Ending Journey -まだ見ぬ君に逢うために-」 9.「Postwar -逃亡者たち-」 10.「恋愛依存症」 11.「契約社会」 12.「付箋 -初恋-」
1.「Dépaysement -ルネ・マグリットによろしく-」
シュルレアリスムな夢を見た 気まぐれな魔術師に逢った レディ・メイドに裏切られた 水平線に惑わされた
海沿いのカフェでどんなに カフェ・ド・ベルジグを口に運ぼうとも 取り止めもないカオスの海へ 身を投げたまま - 孵れない!
リアルで生きるのを諦めて 逃亡者になると決めた時 まさかキミに出逢うとは思わず 懐かしい気持ちになったよ 今もウィンクが悩ましい
ブルトンの狂気に脅かされて ダダイズムの街で泣いてしまった 火薬庫を水に染めたヴァルタン 愛を忘れたままのジャミラのように 気づけば僕も銀河女(スペース・ウーマン)
都会の狂騒に怯えた 裏切られたままのイメージ 飼い慣らしていたはずのダルメシアン 聴こえるのはリンゴの呼吸だけ
英雄 厭人 厭世者 花が泣かぬよう 満面の笑みで 大好きな人を惑わせてしまおう
甘い恋よりカオスを愛す者として さあ誇りを忘れずに……
2.「Paranoiac Critic -DALIsm-」
私は旅に出るの 港の黒舟で 愛を取り戻すために 夢幻の宇宙へ
荷物はパンがあればいい そして明日への羨望 瑠璃色の怪獣や魔性の女も 微笑みに囚われたまま
今の私ならできるよ 昨日の私と違うんだ 当たり前のことを当たり前にやる たったそれだけなんだよ
後悔の渦が私を強くしたんだ 今に見てろよ 罵りの声も好奇の視線も すべてエネルギー
モーターなんかいらない スチームもいらないよ 永遠を知らぬ人類だから 永遠を知るための旅へ出よう
私は旅に出るの 港の黒舟で 夢を描くために 現実の世界へ
おもしろいと自称する人ほど いざ喋ってみるとつまらないよ
そして……何も知らないジーニアス 革命に気付かないペシミストのように いつしか胸に浮かばなくなった 愛の言葉さえ
この旅が終わる時に私は 生きる意味を知るだろう 風は時を語らずに 今を教えてくれる
現世のその先へ 幻想旅行へ 私あれ!
3.「THINKING-MAN」
Who are you Thinking-Man?? Who are you Thinking-Man?? T・H・I・N・K
誰も知らない謎がある 誰も解けない事件がある そんな時はアイツの出番だ ひとふき笛を鳴らせば 一瞬で飛んでくるよ
悲しい時こそ上を向こう 嬉しい時こそ下を向こう 忘れないで 今のキミを 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな光もどんな影も 背中合わせさ
世界を揺るがす謎がある 世界を脅かす事件がある いつだってアイツの出番だ 百万馬力のボディで 必ず闇を振り払うよ
つらい時こそ上を向こう おいしい時こそ下を向こう 離さないで 愛する人を 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな愛もどんな夢も 背中合わせさ
いつかアイツを忘れる日が 僕らの願う平穏な日々 キミはどこから来てどこへ向かうのか?
悲しい時こそ上を向こう 嬉しい時こそ下を向こう 忘れないで 今のキミを 諦めないで 明日の青空を
T・H・I・N・K どんな光もどんな影も 背中合わせさ
Who are you Thinking-Man?? Who are you Thinking-Man?? T・H・I・N・K
4.「Lonely Boy -ゴッホの丘-」
愛する人には裏切られ 描いた絵画は認められず 失くした夢の欠片を 今も闇雲に拾い続ける
Ah 孤独な闇よ そのまま包み込んでおくれ ヒマワリの種を形見に
抱きしめたいのは君だった 信じてみたいのも君だった 最期は君とさえ拗れてった 僕はいつだって独りだった
涙さえも枯れ果て どうだってなればいい ただ忘れないで 僕のような男が居たことを
生まれた時には信じてた まっすぐな夢ってやつを もう一度信じようとした あの日の僕を殴りたい
Ah さよなら夢よ 夢のままであり続ければいい 揺れ動く星月夜
愛したいのは君だった 嫌いたいのも君だった 時は素直に過ぎてった 僕も君達を信じていた
真夜中の果てに どうだってなればいい ただ泣きじゃくる 赤ん坊のように
求めていたものと 捜してたものが 傾斜して交錯する
数十億分の一の生命 決して届かぬ使命
Ah アイリスに願う 歪んだままの藍よもう一度 やり直せるなら……
抱きしめたいのは君だった 信じてみたいのも君だった 最期は君とさえ拗れてった 僕はいつだって独りだった
涙さえも枯れ果て どうだってなればいい ただ忘れないで 僕のような男が居たことを
さよなら ある男此処にありき
5.「ヒプノシス叙事詩」
【A】 神秘の港で 新世代のブルースを奏でる少女 想像は現実を越え さらなる超絶技巧を求める
走るウマグマ 心臓をすげ替えた男 虹色の牛が街をたむろし 不気味に帽子が笑う
その名は誰も知らず その顔も知らず いくつもの噂の果てに 虚構の素顔が生み出される
打ち棄てられたエシクス 解れたままのイデア
【B】 電気の武者が やさしく老人の世話をする おせっかいなほど丁寧に 不似合いな言葉を並べる
電子・光・管弦楽団 聖地巡礼 土曜・早朝・写真
百眼の巨人アーガス この世のすべてを飲み込む 未だ序章 トリロジー
自動車の群れ ハイウェイは狂騒に包まれる 突然雲の��� Crying Laughing Loving Lying
ロマニーの愛 オリビアの嫉妬 狂気が誘う 殺戮のハイタッチ Pair! Pair! Pair!
第三世界の曙に さらなる深みへ……
【C】 聖なる館 灰は燃ゆる 四枚目のウィッシュボーン バンドよ駆け抜けろ
ブロードウェイ 眩惑される 競獅子 不安は募る 悪に染まる会社 運命のカード
見つからない……エルドラド 精神の波……いつかのトイレ あなたがここにいてほしい
アラビアンナイト 火星の女神 荒廃した街角で
アメリカを越えてゆけ 己に酔いしれてもいい 悪戯電話プレゼンス 愛ゆえに泣き叫んだ後の 突然やって来た静寂よ
空が燃えている 生き物たちは笑ってる
【D】 究極 顔を合わさなくとも 大都会の孤独 乗り越えられる スリリントンはロンドンで唄う ��イヴ・ギルモアのギターが唸る傍で
薄濡れの夢 トマトを食べろ そして残ったのは三人の勇者 Never Say Die…… 神に誓おう 宇宙を取り戻すまで 終わらない Resistance!!
血塗れの旅人 滅亡したインカ帝国
銀河のヒッチハイカー ようこそ愛のドライブへ
【E】
やけに乾いた愛 - Yes, Sir!! やけに吼える狼 - Yes, Sir!!
昨日逢えませんか? 夕闇をひとり 彷徨う少女
共同戦線 闇からの一撃!
【F】 銀河船VOYAGER ダイヤモンドは粗く深く 君を見つめるだろう 恋の炎のままに
銀河船VOYAGER ダイヤモンドは粗く深く 君を見つめるだろう 恋の炎のままに
銀河船VOYAGER 原子力で駆動する棲家
銀河船VOYAGER 狂気の先へ行こう ヒプノシス 永遠に
6.「青年空想画家」
涙が止まる前に その涙を書き留めよう 世界を忘れる前に この世界を形にしてしまおう
こんな時代に夢は見れない そう思い込んでた 時を止めてカンバスに向かう時だけ 私は私になれる
色なんかいらないよ 言葉もいらないから この世界を創ろう 街も空も星だって描けるさ
涙 流れっぱなしの涙 未来を紡ぐ涙
虹が消えないうちに その虹の向こうへ行こう 雨が止まないうちに この雨で舞踏会しよう
こんな世代と分かり合えない そう思い込んでた 時を抱いてカンバスに向かう時だけ 私は私になれる
躊躇はいらないよ 憂いもいらないから 新たな星を創ろう 街も空も星だって描けるさ
光 照らすのは光 未来を紡ぐ光
ひとつのいいねが変えた 私の今を変えた ひとりのスキが変えた 私は少しだけ強くなった
昨日には帰れない 明日にも飛べないよ だから今を照らそう 私だけの翼で
瞳 大切な瞳 世界を映す瞳
明日を生きるために 今を描くよ
7.「WALKING-MAN」
砂漠を舞うライオンのように 僕らは明日を探してた 夢にまで見た未来の瞬間 それは愛車(クルマ)との出逢い
今まで行けなかった場所や 気付けなかった自然に気付いた 時は流れ 歳を重ね いつしかあの頃の時めきを忘れてしまった
最初に一歩を踏み出した時の 感覚が忘れられない どうしてこれが動くのだろう 疑問と称賛が胸に轟く
時を越え キミに伝えたい 人が歩んだ記憶を……
空を舞う三つ星のように 僕らは愛を捜してた 僕が紡いだ夢を継ぐのは そこにいる私かもしれない
思い込みで決めつけてた幻想 投げつけられた偏見 明日を切り拓く者の傍に 一輪の花を僕は贈りたい
最初に一歩を踏み出す前の 恐怖が忘れられない どんなに大粒の雨が降っても 挫け諦めそうになっても
続けるよ キミに伝えたいから 僕が選んだ夢を…… 叶えるまで
夢を見れなくなったり 現実に打ちのめされたり いろんなことがあった人生 その先も誰かに名前を呼ばれたい すべてのエンジンになる
最初に一歩を踏み出した時の 感覚が忘れられない 最初に一歩を踏み出す前の 恐怖が忘れられない
今を越え 夢のつづきを キミが描くんだ Full Throttle!!
8.「Never Ending Journey -まだ見ぬ君に逢うために-」
トンネルを抜けたら そこは不思議の国 小さな人間が手と手を取り合い 静かに暮らしておりました
毒牙を持つ巨大なバッタや 一突きで怪獣を殺るトカゲがいる森で 巨木の天頂に住居を構え 生活を営んでいたのであります
君と初めて逢った日に 口に運んだレベンドの味 とっても苦かったのですが 気付けば珍味と呼ばれる御馳走に……
僕が忘れたくないのは 君のまっすぐな瞳 それだけさ
出逢った人の数だけ 別れもあった 伊達に長く生きてませんから 色んなことがありました
交差点の真ん中で振られたこと イモリをサソリと間違えそうになったこと 露店の牡蠣に当たったこと 忘れられない思い出達よ
君が大人になったとしても 忘れてほしくないレベンドの味 僕らが生きた青春に 君も幸あれ……と願う大人心
誰も知らない旅へ 消えない情熱 いつまでも
君に出逢った日の時めき 君と食べたアカシアの皮 君のルージュに惑わされ 君がくれた夏を憶いだす
僕が忘れたくないのは 君のまっすぐな瞳 それだけさ
誰も知らない旅へ 消えない情熱 いつまでも 新しい一日をまた明日も始めよう
Postwar -逃亡者たち-
なぜ兄弟で殺し合わねばならないのか? なぜ夢を捨てなければならないのか? 青春時代を通り過ぎた先は 終わりのない最終戦争(Final Wars)
アルザス・ロレーヌの誇りにかけて 己のエゴとエゴをぶつけ合う国々 だけどそこにはかつて血を分け合った兄弟も 有無を言わさず戦禍の中心へ
Vive La France!! 消えない憎悪の記憶 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 癒えない屈辱の記憶 僕らに明日などないのさ そこにあるのは憎しみと悲しみだけ
遺体の山の中に知り合いを見つけた 恩師が面影なく息絶えていた 虹彩迷走の歴史の果てに 血に染まる民族たち
クリスマスまでには終わると信じてた でも闘いは終わらなかった 幾多の裏切りと熱狂の兄弟よ そこにあるのは運命か宿命か?
Vive La France!! 懺悔は今はいらない 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 薄汚れた愛国心よ 僕らに明日などないのさ 願いは未来の平穏だけ
繰り返される歴史(Last War!!) 裏切られた約束(Last War!!) 消耗する民族(Last War!!) 二度と繰り返してはならない(Last War!!)
Première Guerre mondiale!! 勝者なき闘いの先に 歴史の火薬庫 ベルサイユ宮殿 火種は未だ消えぬ
Vive La France!! 消えない憎悪の記憶 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 癒えない屈辱の記憶 僕らに明日などないのさ そこにあるのは憎しみと悲しみだけ
Vive La France!! 懺悔は今はいらない 僕らは愛と平和のために闘う
Vive La France!! 薄汚れた愛国心よ 僕らに明日などないのさ 願いは未来の平穏だけ
Postwar…… 束の間の平穏に 現実を見ない逃亡者たちが唄う 虚飾と虚構の歴史 彼らはなんのために今を生きているのか
10.「恋愛依存症」
通い慣れた駅 事を済ませたホテル 吹き抜ける風の冷たさに 私の終焉を悟る
今夜で終わりと きっぱり約束したけど また明日を何度も繰返し 昨夜も愛のまま
One Night Dreamで終わらぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 星空より暗闇がよく似合う 所詮 使い捨ての大恋愛
Kissも飽きたしSexも疲れた Virtualな恋の結末は Realへの羨望
One Night Dreamの忘られぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 太陽よりも物陰がよく似合う 所詮 使い捨ての青春
告白の言葉も何度聞いた? 口説かれすぎて聞き飽きたの もう一度くらいはトキメキたいけど 褪めた恋心が邪魔をする
One Night Dreamで終わらぬ恋は カクテルみたいに渇きを癒さない 星空より暗闇がよく似合う 所詮 恋も青春も使い捨て
夜の静寂(しじま)に 愛を誓った あの日に戻りたい いつの日か……
11.「契約社会」
今日の仕事が終わったら 明日は何もしなくて良いんだ 紙切れ一枚で決まる世界 僕らは何故生きるんだろう?
太陽が昇る時 街へ繰り出す人々 詰め込まれた Aluminium Jail そしてアスファルトを染めあげる箱達
いつか終わるなら 今日から始めてみたい でもそんな勇気すらなくて いつも誰かを批判してばかり
誰かのせいにする前に自分を顧みて 新たな一日のために駆け出してみたい 自分の足元を見つめ直せば きっと明日への希望が見えるはずさ
だから…… 舟を出すんだ
今日の続きはまた明日 明日の続きはその先へ 代わりはナンボでもいる 癒えない言葉の傷
太陽が沈む時 色づく街並み 家族団欒 Stay Home 今日は涙が隠せなくて
あなたを守るために 今日まで頑張ってきたよ でも僕は疲れたんだ 頑張ることに疲れたんだ
勇気を出して打ち明けた時 あなたはぎゅっと抱きしめてくれた その温もりが僕に勇気を 与えてくれたのさ
だから…… 僕を生きるんだ
絶対などない人生 誰もが思い悩む あなたと育んだ愛 これからも温めたいから
辞表を出した瞬間 上司は驚きを隠さずに なぜ『今なのか』と声を荒げて 剥き出しの怒りをぶつけてきた
太陽が昇り切る時に 僕はいつもの電車に揺られてた 人生の意味にやっと気付けたんだ それはあなたに出逢えたこと
だから…… 家族で行くんだ あなたと私とキミを守るために
付箋 -初恋-
教室で目を合わせるだけで胸がときめいた ふと気づいてしまったんだ ― 「これが片想いなの?」って 届かないとわかってても「好き」という気持ちは募るばかりで ある晴れの日に貴方を呼び出して終わらせようとしたの その日が恋の始まりでした
貴方が顔をくしゃっとして笑うとことか 私が作ったお弁当をいつもめっちゃ美味しそうに食べてくれるとことか いつもは素直なくせに肝心な時にカッコつけようとするとことか こんなに好きになれる人に出逢えるなんて思わなかった 貴方を好きになるまでは
付き合って一週間が経って名前で呼び合うようになり 一ヶ月の頃には手を繋ぐようになった 距離が縮まるほど好きがもっと強くなって デー��をするたびにちょっとずつ垢抜けていく気がした 貴方も貴方のペースで頑張ってるんだよね
学校の誰も使わない物置が私たちの定位置でした そこでお弁当を食べたり動画を撮ったり とにかく「青春!」ってことを何もかもやったよね いつかは終わりが来るのは薄々感じてたけど 今は貴方の傍にいることが最高の幸せ
高校三年の夏に私の進路が決まった 貴方は悩み抜いた末にふたつの未来を目指した 私はどちらの未来も応援したかったけど もうひとつの道だけは応援できなかったの 遠距離恋愛なんて無理だよ
卒業式の夜に貴方と一夜を明かした 淋しさを紛らわすために身体に刻もうとした 私の想いを聞いた貴方は少し戸惑って 「やっぱ出来ないよ」と私に服を押し付け 無言で部屋を出てった
別れの朝に私は貴方を見送らなかった 貴方と言葉を交わすことが一番怖かった 私の青春のすべてに貴方が笑っていた でもすべて私が壊してしまったの 貴方との信頼も温もりも
あの時素直に謝ってたら未来は変わったのかな LINEも電話も出来なくてこの恋は上の空 何度も何度も手紙に��たためようとして埃を被った手紙未満 涙の嵐が私を襲う度に死にたくなったよ まだ本当は終わってないのに
ある夏の朝 貴方に会いに行った 結局連絡も出来ぬまま正門の隅に立ってた ここで何もしないと本当に終わってしまう気がして 何かに突き動かされるように身体が動いてた
永遠を信じた私たちの恋を 続けるのか終わらせるのか貴方に委ねたい 私はもう決める資格がないと思ってた 貴方を苦しめてばかりと本当はわかってるのに また貴方に委ねるしかなかった
数時間後の夕方 貴方は帰り道にこちらに気付いた 一瞬固まってたけど 数秒後に私と目を合わせた 第一声は「やっと来てくれたんだね」
「僕は貴女のことをわかってるつもりだった」 「貴女を世界でいちばん愛してると信じたかった」 「でも実際に夜を過ごすと緊張の方が勝ってしまって」 「いつかは通る道だと知ってたんだけど」 「貴女を傷つけたくなくて逃げてしまったんだ」
あんな縋るような瞳の貴方を私ははじめて見た それだけ誠実に考えてくれてたんだと私の鈍感さを憎んだ ふたりの数ヶ月の距離感がいきなり縮んでいった ひとりだけを信じて生きてきて本当に良かった モノクロームの日々に再び色が生まれた
見知らぬ街を貴方はいろいろと紹介してくれた それから私たちは数ヶ月に一度会うようになった 前よりも距離が縮まった気がした 今なら私は自信を持ってこう言えるよ 「あなたのどんなところも愛しくてたまらない」って
最初のデートで貴方と約束したよね 『お互いがお互いの幸せを願える関係でいよう』と 歳を重ねるごとに戸惑うこともいっぱいあった でも戸惑いがふたりをもっと強くした 最強の恋人になった
青春がセピア色になる前に また新しく始めるため とっておきのプレゼントをふたりで買いに行った ふたりが二十五になる年の四月十一日に婚姻届を一緒に出しに行った それは数年前ふたりが出逢った日だった
梅雨の朝 ベッドで微笑む貴方に手招きされ ふたりで抱き合った瞬間 あの日の答え合わせだと気付き 激しいほどの情熱がぬくもりに変わった
これから健やかな家族をふたりで築いていこう どんなに冷たい海もふたりなら渡っていけるはず 私に気付いてくれて本当にありがとう 好きになってくれて本当にありがとう 私も貴方と出逢えて本当に良かったよ
左手薬指に光る指輪は私たちが愛を育んできた証 友の祝福を照れ笑いしつつも受ける貴方は 私の世界でいちばん大切な人 今日は貴方と愛を誓いあう日…… ウェディング・ベルが高らかに鳴り響く
詩集「時喰う人たち」Credits
詩・デザイン:坂岡 ユウ Respect to:ルネ・マグリット, サルバドール・ダリ, オーギュスト・ロダン, フィンセント・ファン・ゴッホ, ヒプノシス(=ストーム・トーガソン, オーブリー・パウエル, ピーター・クリストファーソン), すべての画家を夢見る人, アルベルト・ジャコメッティ, ウィリー・ウォンカ, サンプラザ中野くん, モーリス・ルブラン, アルセーヌ・ルパン, ある女性, 高見沢俊彦, サラリーマン金太郎, ポストイット
2022.1.29 坂岡 ユウ
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1612-1911 断片、その先(全章)
1-1612 三年前
「俺が勇利のコーチじゃなきゃいいのに」
ヴィクトルがコーチになったその年のグランプリファイナル。試合後のバンケットも終わり、それぞれの部屋に戻る途中のことだった。何の文脈もなく発せられたその台詞に続く言葉が予想できなくて、勇利は少し身構えた。エレベーターのボタンを押して、ヴィクトルは続ける。 「ときどき思うんだ。例えば勇利が絶不調のときね。心がもたないよ。ただのライバルなら、今回は競争相手が一人減ったなって喜ぶだけで済むだろうに」 なんだ、とありがちな話に勇利は少し安心して、「ヴィクトルでもライバルが減るとうれしいと思うんだ」と笑って返した。 「思うさ。俺は勝利に貪欲だからね」 エレベーターの扉が開く。乗客は誰もいない。 「僕はヴィクトルがコーチじゃなきゃよかったなんて、思ったこと一度もない」 ヴィクトルが少し間を置いた。「うれしいことを言ってくれるね」と微かに笑う。 「だけどやっぱり俺は思うよ。コーチじゃなきゃよかったって。特にこういうときなんかは」 「銀メダルでごめんなさい……」 「うん、いや、そうじゃなくて」 ヴィクトルが勇利の目をまっすぐ捕らえた。青い目に違和感があった。 「勇利が欲しくてたまらないとき」 言われた言葉の意味がわからなくて、勇利は文字通りきょとん、とした。エレベーターの扉が開く。ヴィクトルが先に降りて、勇利は慌ててあとに続きながら軽く混乱する。今、この人なんて言った? 返事ができないまま歩いていると急にヴィクトルが振り返った。 「勇利の部屋はあっち」 ハッと気付く。 「おやすみ勇利。今回の滑りは最高だったよ」 コーチの部屋の扉が閉まり、オートロックの鍵が閉まる小さな機械音が廊下に響いた。 三年前のことだった。
2-1710 新宿の夜
これはたぶん何かを超えてしまった。 そう勇利が悟ったのは、ロシアに拠点を移してから半年、スポンサーとの仕事で日本に一時帰国したときだった。一年間のコーチ生活ですっかり日本が気に入ってしまったヴィクトルは、ここぞとばかりに勇利に同行した。が、この時の彼はもう勇利のコーチではなかった。グランプリファイナルでライバルたちの勇姿を見た彼が浮かれた頭で思い描いたコーチ兼ライバルという関係は、とはいえ到底現実的なものではなかったのだ。それでも勇利がロシアに渡ったのはただ日本にふさわしいコーチがいなかったからで、その頃の勇利には、ヴィクトルのコーチであるヤコフ・フェルツマンの紹介で新たな(そして有能な)ロシア人コーチがついていた。 仕事の前に無理やり長谷津に立ち寄って、実家に一泊だけしてから東京へ移動しいくつかの撮影やインタビューを済ませると、たった四泊の慌ただしい日本滞在はあっという間に終わってしまった。日本にいる間は不思議な感覚だった。二人の関係は常に変わっていく。憧れ続けたスター選手とどこにでもいるスケーター。突然現れたコーチと再起をかけた瀕死のスケーター。そして、最高のライバルを得た世界トップクラスのスケーター同士。自分の立場の変化に、ときどき勇利の心は追いつかない。こんなに遠くまで本当に自分の足でたどり着いたのか、いまだに半信半疑でいた。「もしこの人を追いかけていなかったら」。ヴィクトルのいない人生を思うと、勇利はいつも自分の存在自体を疑いたくなるのだった。 日本滞在最後の夜、新宿のホテルの近くにある焼き鳥屋で、二人はだらだらとビールを飲んだ。小さな飲み屋が連なるそのエリアは外国人観光客で溢れていて、煙だらけの狭い店内に不思議と馴染んだヴィクトルは普段よりも一段と楽しそうに笑っていた。めったに味わうことのない観光気分が、彼の抱えるプレッシャーを和らげていたのかもしれない。「博多の夜を思い出すよ」なんて言いながら、コーチ時代の思い出を語り始める。妙に懐かしかった。あれから大して時間も経っていないのに、二人にはそれがはるか昔のことのように思えたのだ。 「ずっと聞きたかったんだけど」 店内の騒々しさを良いことに、勇利はこれまでずっと不安に思い続けてきたことを聞いてみた。 「コーチをしていた一年を、ヴィクトルは後悔していないの」 ヴィクトルはそれまで上機嫌に細めていた目を大きく見開くと、何を言ってる? と言わんばかりの顔で勇利を見返した。そしてすぐに、ふっと笑った。 「勇利はびっくりした?」 「した。今でもあの頃が信じられないし、ロシアに拠点を移した今の状況もまだ信じられないよ」 「俺もね、びっくりしたんだ」 「自分の行動に?」 「全部だよ」 「全部」 「そう、全部。勇利のコーチになれたことは大きな意味があったんだ」 「コーチになって良かった?」
「俺が勇利のコーチじゃなきゃいいのに」
突然、頭の片隅で声がした。バルセロナで聞いたあの台詞。目の前のヴィクトルは何も答えず笑っているだけで、あの時のことを覚えていたかはわからない。だけどなぜかそれ以上聞いてはいけない気がして、勇利は飲みかけのビールを手に取った。
その後もだらだらと話を続けた二人は、ホテルへの帰り道、どういうわけか、本当にどういうわけか、気付くとキスを交わしていた。何がそうさせたのか、勇利は今でもわからない。まっすぐ帰ればいいところを、なぜかわざわざ回り道をして、ときどき肩をぶつけては、時間を惜しむようにゆっくりと二人は歩いていた。ちょっとした流れのようなものだった。右足が出たら次に左足が出るように、それくらい自然に、歩く二人の距離が近づいた。それで唇が触れ合ったその瞬間、喧騒が消え、街灯が消え、視界は閉ざされ、過去から繋がってきた一つの線がそこで急にプツリと途絶えた。このあと一体どうすればいいのかわからない二人は、そのまましばらく唇の熱を分け合いながら、たぶんもう戻れない。そう思った。
ホテルの部屋は別々にとっていた。足早にエレベーターに乗り込むと、勇利はヴィクトルのフロアのボタンだけを押した。乗客は二人だけ。行き先は一つだけ。決定打を押したのも勇利だった。銀髪に触れるほどの距離で、彼は小さく囁いた。 「ヴィクトルはもうコーチじゃないよ」
その夜、勇利は初めて男に触れられる感覚を知った。
3-1904 春を走る
東京では浜辺を走れない。ランニングの途中で砂浜に降りて、ウミネコを眺めながらぼんやりする、そうした時間はここにはない。代わりに勇利は公園を走る。少年野球のチームや、体育大学の学生や、小洒落たウェアに身を包んだ若者や、犬の散歩をする老人に混ざって、長谷津よりもひんやりとした東京の春を彼は走る。トレーニングではない、ただの日課。帰り道、公園脇のカフェでショートサイズのコーヒーを買う。カップを持つ彼の右手に、かつてはめられていた指輪はない。マンションに着くと、シャワーを浴びて仕事のメールを確認する。マネージメントを任せているエージェンシーから、新しいアイスショーの話が来ていた。断る理由もないので、淡々と勇利は返信を打つ。
新しい日々が始まっていた。一人のプロスケーターとして、日本のスケート史上に名を残したメダリストとして、人生の次のキャリアを進み始めた26歳の青年として、東京の勇利は忙しかった。
4-1908 ときどき思い出す
スケートに関わっている限り、勇利がヴィクトルのことを避けて生きてくことはできない。お互いすでに引退した選手だとはいえ、レジェンドの称号を得た男がスケート界の過去になるには、まだまだ時間が足りなかった。 引退後のヴィクトルの活動は、悪い言い方をすれば多くの人の期待を裏切るかのように地味なものだった。セレブタレントの座に落ち着くことはなく、無駄に広告やメディアに露出することもなく、フィギュアスケート連盟の一員として選手強化と環境改善に従事した。もちろん天性のカリスマ性とスター性は裏方になってもなお人々の目を引き、解説者やコメンテーターとしてテレビに出れば視聴者は彼の一言一句に注目したが、いずれにせよ今のヴィクトルの活動は今後の主軸を定めるための調整期間のように見えていた。どこかふわふわしていたのだ。 コーチ業に転身しなかったことを不思議がる人もいなくはなかったが、多くのファンや関係者にとってヴィクトルが勇利のコーチをしていた一年間はラッキーな気まぐれのようなものとして記憶されていたし、あのシーズンの勇利が劇的な活躍を見せたのも、ヴィクトルのコーチ手腕というよりはライバル同士の妙なケミストリーの結果だと認識されていた。「コーチごっこ」とは当時の辛辣なメディアが何度も書き連ねた言葉だが、誰もが心のどこかでそう思っていたのだ。誰もヴィクトルにコーチになって欲しくなかった。まだ十分に戦える絶対王者として、華やかなその演技で自分たちの目を楽しませて欲しかった――ただ一人を除いて。勝生勇利、彼の教え子になり得たたった一人の男、彼の独りよがりな望みだけが、世界中の期待を跳ね除けたのだ。だけどそれも今となっては、たくさんの過去のひと幕に過ぎない。 今でも勇利が取材を受けるときは、決まってヴィクトルのことを聞かれる。ロシアで切磋琢磨した二年間(とはいえ勇利が渡露した一年後にヴィクトルはあっさり引退したわけだが)、帰国後の一年間、かつてのコーチでありライバルでもあった彼とはどんな関係を築いていたのか。それで今、二人はどんな関係にあるのか。そう言われても、と勇利は思う。 連絡は取っていなかった。取るわけがなかった。理由がないのだ。ロシアのスケート連盟と日本のプロスケーターが個人的に連絡をする必要はないし、人は二人を「元ライバル」なんて呼ぶけれど、正しく言うならばその関係は「元恋人」と言うべきもので、そんな二人が連絡を取らないことに説明は要らない。 勇利は昔から熱心にヴィクトルを追いかけてきたけれど、何かにつけて、彼を遮断するときがあった。自分のスケートに集中しきっているとき、成績が振るわずヴィクトルの栄冠を見るのがつらいとき、絶望しているとき、他に心奪われるものができたとき。今はそのどれでもないけれど、だから勇利はヴィクトルの遮断にわりと慣れていて、今もその最中だった。ヴィクトルのことはわからないし興味もないです、なんてことが言えるわけもなく、勇利は当り障りのない言葉でインタビュアーをごまかすのだった。 メディアで彼を見かけることもあった。勇利は別にそうしたものを一切視界に入れないようシャットアウトしているわけではない。見ても何も思わないよう、自分の心に遮断機を下ろすのだ。ヴィクトルは相変わらず美しく、今でも目を奪うには十分すぎる魅力がある。それでときどき、本当にときどきだけど、その細く乾いた銀髪を見ながら勇利は���う思う。 「僕はこの人のセックスを知っている」 だけどそれがどんなものだったか、あの途方もない感覚を勇利はうまく思い出せない。
5-1710 変化の朝
初めて体の関係を持った新宿の夜、勇利はそれをセックスと呼んでいいのかすらわからなかった。ホテルの部屋のドアを開けるなり、二人は貪るかのようにキスをして、無抵抗の勇利はヴィクトルの手になぞられるままにその肌を露わにした。首筋から肩に流れるラインにヴィクトルの唇がひときわ強く吸い付くと、勇利はだけど耐え切れない恥ずかしさと緊張で相手の両肩をぐっと押した。「汗、かいてるし、においも、さっきの」。うまく繋がらない一言一言を、ヴィクトルはうん、うん、と逐一頷きながら拾って、どうしてもそれてしまう勇利の目をまっすぐ追いかけた。「じゃあシャワー行こう」と言って腕を引くと、バスルームの引き戸を開けてシャワーをひねり、自分はあっさりと服を脱ぎ捨てた。熱湯で一気に眼鏡が曇る。まだかけてたんだ、とヴィクトルは笑って、勇利からそっと眼鏡を外すと彼をシャワールームに引き連れた。肌を流れる水が、たくさんのものを洗い流していく。汗と、恥じらいと、ためらいと、キスと、手の感触。ぴったりと密着した下半身でどちらともなく硬くなったそこを感じると、勇利は思わず声を漏らした。ヴィクトルの大きな掌が二人のそれを握りしめる。流れ続けるシャワーの音が二人を世界から隔離したように思えて、勇利はただ耳だけを澄ませながら、見えない感覚に身を委ねた。腰が砕けたのはそのすぐあとだ。ヴィクトルの体にしがみつくと、水がベールのように二人の体を包み込み、発散しきれない熱にともすれば意識を失いかねない。立ち上る水蒸気に混じって、知らない精液のにおいがした。
早朝に目を覚ました勇利は、しばらくベッドの中でぼんやりしていた。鼻の先にあるヴィクトルの肩は、まだ静かな眠りの呼吸に揺れている。頭が現実を取り戻してくると、突然今日のフライトを思い出した。慌ててベッドから起き上がり、銀髪の人を軽く揺らして声を掛ける。 「ねぇ、荷物まとめないと。僕、一度部屋に戻るよ」 ヴィクトルは目を開け��かったけれど、ん、と声を漏らしながら腕を伸ばすと、手探りで勇利の頬に触れた。 「キスをして」
脱ぎ散らかした服を手早く身に付けると、勇利はヴィクトルの部屋を出た。誰もいないホテルの廊下を歩きながら、ああ、僕はゲイだったんだ、と思った。昨晩の衝撃と、今朝の納得と、変わりすぎた二人の関係に、勇利はどこかまだぼんやりしていた。ぼんやりしながら、踊り出したいくらいにうれしかった。
6-1909 走れない日
走りに行けない朝がある。 カーテンの端を見つめたまま、勇利の体はどうにも動かない。 一人分の体温と一人分の空白を抱えながら、ベッドの中で涙が乾くのをじっと待っている。
7-1812 男たちの別れ
ヴィクトルが引退した翌年、勇利のロシア二年目のシーズン、勇利には今が自分のラストシーズンになる確信があった。それは別にネガティブなものではなく、肉体的なピークと精神的な充足感が奇跡的なリンクを成し、ごく自然なかたちで、彼は自分自身に引退の道を許したのだった。スケーターとしての勇利にとっては何の問題もない選択だったけれど、一方で一人の男にとって、ある種の偉業をなし得たとはいえまだまだ二十代も半ばを過ぎたばかりの未熟な男にとっては、巨大な不安がはっきりと顔をもたげ始めた瞬間だった。この先自分は何者として、どこで、誰と、どう生きていけばいいのだろう。
その不安はヴィクトルとの関係において顕著だった。具体的に言えばその頃から、勇利はヴィクトルとのセックスを拒否するようになっていた。勇利の人生にとってスケートとヴィクトルは常にセットで、スケートを介さなければ決して出会うことがなかったように、スケートなしでは二人が恋人の(ような)関係になることはあり得なかった。だからこそ勇利はこわかったのだ。自分からスケート選手という肩書きがなくなったとき、すでに現役選手としての肩書きを捨てているヴィクトルと、果たして純粋に今の関係を続けられるのかが。 勇利が初めてヴィクトルと関係を持ってからの一年間、二人のセックスは、よく言えば情熱的な、悪く言えば無茶苦茶なものだった。スケートと同じくらいの情熱を持って何かを愛するという経験を持たなかった二人は、それまで溜め込んできた「愛する」という欲望のすべてを互いにぶつけ合った。セックス自体の経験値こそまるで違えど、ぶつかる熱の高さは競いようもなく、貪欲な絶頂に幾度となく体を震わせた。競技者という者たちが決定的に抱える孤独が、その時だけは確かに溶けていくと実感できた。その意味において、勇利にとってヴィクトルとのセックスは、特別な意味を持ち過ぎていたのだ。ヴィクトルなしでは成立し得ない彼の人生は、それまではスケートという枠組みの中だけに言えることだった。だけど今は、全部なのだ。全部。
「セックスがつらいから別れるの?」 「そうじゃない」 「わからない、じゃあなんで」 「ヴィクトルはそれでもいいの」 「セックスのために一緒にいるわけじゃない」 「違うよ、違う、だけどつらくて仕方がないんだよ」 「自分だけがつらいふりをして!」
ヴィクトルにはわからなかった。勇利に惹かれ、勇利を求め、勇利といたい、それ以外の想いなんて彼にはなかった。肌を重ねるたび、互いの中に入るたび、全身でその気持ちを伝えてきたつもりだった。最初のためらいを超えて勇利がヴィクトルを受け入れるようになってからはなおさら、彼はどんどん自由になっているようにすら見えた。全身で愛されることの喜び、誰かを抱くことの自信、解放された感情、そうしたものは勇利という人間のあり方を確かにある面で変えていたし、スケーティングにおいてもそれは顕著だった。二人の関係を周囲が騒ぎ立てることもあったけれど、そんなノイズの一つや二つ、二人が気にするまでのものではなかったし、くだらないメディアに対して沈黙を貫く二人の姿勢は、彼らが作り出す領域の不可侵性を高める一方だった。なのに、なぜ。失おうとしているものの大きさに、ヴィクトルはただただ腹を立てていた。怒りに震えたその指では、掛け違えたボタンを直すことなんてできなかった。
誰を責めるのも正しくはなかった。一度崩れたバランスが崩壊するのは不可抗力としか言いようがない。涙をためていたのはお互いだったけれど、それが嗚咽に変わることはないまま凍ってしまった。呆れるほどに強くなりすぎたのだ。外の世界と、あるいは互いの世界と、戦い続けている間に。
ちょうどその頃、勇利は引退を発表した。そういうことか、とヴィクトルは思った。コーチでもない、恋人でもない、今となっては勇利の何でもないヴィクトルには、その勝手な引退の決意を咎める権利なんてなかった。コミットする権利を奪われたのだ。最愛の人に。ヴィクトルは何も言わず、勇利の帰国を見送った。本当はできることならもう一度、その黒髪に指を通し、こめかみに幾度となくキスを落としたかった。どれだけ腹を立てていようと、どれだけその後がつらくなろうと、もしかしたら何かが変わるかもしれない。そんな望みを、あるいは抱いていたのかもしれない。
勇利の送別会が終わった翌日、ヴィクトルはベッドのシーツを剥ぎ取ると、壁に飾っていた一枚の写真を外した。どこまでも青く広がった、遠い異国の、風に揺れる、穏やかな海の景色だった。
8-1807 ネヴァ川を見る
サンクトペテルブルクに、海の記憶はあまりない。代わりに勇利は川を思い出す。いくつもの運河が入り混じる水の街の主流を成すネヴァ川。その川沿いに建ち並ぶ巨大で仰々しい建物の名前を、だけど勇利はなかなか覚えなかった。それが美術館だろうと大学だろうと聖堂だろうと、勇利にはわりとどうでもよかったのだ。ただこの景色がヴィクトルの日常であり、自分が今その日常の中でスケーティングを続けている、その事実だけが重要だった。 それでもいつだったか、早朝に川岸を走っていたときふと目をやったペテルブルクの風景は、日本からやって来た若い青年の胸を打つには十分な異国情緒があった。スマートフォンを取り出すと、普段めったに使わないカメラを立ち上げて、勇利は下手くそな写真を撮った。オレンジともピンクとも紫とも言えない朝日が、ついさっき暗くなったばかりのネイビーの空を、圧倒的な存在感で染め上げていく。混じり合う色と色のグラデーションが急速に消えていくのがなんだか妙に惜しくて、勇利はこのまま空を見続けていたいと思った。写真は全然素敵なものではなかったけれど、勇利は何年振りかに、それをスマートフォンの背景画像に変更した。 その日の夜、そういえば、と勇利はベッドサイドテーブルの上で充電ケーブルに繋がれていたスマートフォンを手に取って、ヴィクトルにネヴァ川の写真を見せた。 「これ、今朝の。きれいだった」 ヴィクトルは勇利が自分で撮った写真を見せてくれる、ということにまずおどろきながら、写真を覗き込む。 「勇利、写真にはもっと構図ってものが……」とヴィクトルがからかうので、勇利は彼の顔を枕でぎゅっと押しつぶす。 「うそうそ、ごめん、きれいだよ、本当に」 「あれみたいに飾れるレベルだといいんだけど」 ヴィクトルの寝室には一枚の海の写真が飾られている。コーチとして長谷津にいた頃、ロシアから雑誌の取材が来たことがあった。スチール撮影は海を背景に行われ、その時カメラマンが押さえた風景カットがとてもきれいで、ヴィクトルはスタッフに頼んでそのデータをもらったのだ。ベッドに寝そべるとちょうど目に入るくらいの位置に、大きく引き伸ばされたその海は飾られている。 「わかるよ、俺もそういう空が好き」 さっき枕を押し付けられたせいで、ヴィクトルの前髪は不恰好に癖がついている。それを気に留める様子もなく、彼は写真をじっと見つめる。 「あの時の衣装みたいだ」
9-1911 冬が来る
玄関のドアを開けた瞬間、季節が変わった、と勇利は思った。寒さを感じるにはまだ少し遠い、それでも確かにひんやりと冷えた朝の空気。いつもと違うにおいをゆっくり吸い込むと、鼻の奥がつんとした。冬がやってくる。 四階の部屋から、エレベーターは使わず外階段をたんたんと駆け下りる。エントランスを抜けて通りに出ると、いつものランニングコースへ足を向ける。最初は少し歩く。駅へと向かう近所のサラリーマンたちとすれ違う。ぐいっと腕を上げて肩を回すと、おもむろに勇利は走り始める。もう一度風のにおいを嗅ぐ。十分ほど走って公園につくと、ドッグランを横目にそのままランニングレーンに入る。 一周二キロのコースの二週目に入ったあたりで、この日の勇利はなんだか急に面倒になって走るのをやめた。虚しくなった、というほうが正しかったかもしれない。普段あまり意識しない感情の重さに、勇利は少しだけうんざりした。それとほぼ同時に、ウェアのポケットに入れていたスマートフォンが鳴る。こんな朝から、と歩きながらスマートフォンを取り出した勇利の足が、突然ぴたりと止まる。手の中でバイブを続けるスマートフォン。動かない勇利の指。画面につと現れたあの名前。 「“Victor Nikiforov”」
10-1911 コーチの助言
「人というのは、自分が守られているとわかっているときにこそ心置きなく冒険できるものなんだ、ヴィーチャ」 ヴィクトルは時折この話を思い出す。大昔のことだ。 「お前の安心はなんだ? メダル? 名声? それとも尊敬?」 ヴィクトルは考えた。そのどれもが、彼にとっては確かに重要なものだった。 「もしお前の足が止まるようなことがあれば、そうしたものを一度見直してみるといい」 そう言われると、ヴィクトルは少し腹が立った。自分が心血を注いで獲得してきたものを、真っ向から否定されている気がしたのだ。 「自分を守ると思っていたものが突然自らの足枷になって、お前を縛り付けるかもしれないからな」
目的地までの残り時間を告げる機長のアナウンスで、ヴィクトルは目を覚ました。モニターをタッチしてフライトマップを映し出す。飛行機はいよいよユーラシア大陸を超え、Naritaの文字まであと少し。あれからもう何年も経つというのに、いまだにコーチの助言は有効力を失ってはいなかった。まだ少し焦点が合わない目で明け方の空を眺めながら、ヴィクトルはその言葉を声に出してみる。
「安全基地を見失うな」
11-1911 ジンクスと可能性
バゲージクレームのベルトコンベヤーの前で、ヴィクトルは荷物が出てくるのをじっと待っていた。レーンの先を真剣に見つめているのは、なにも焦っているからでも大切なものを預けているからでもない。ジンクスがあるのだ。ベルトコンベヤーに乗せられた自分のスーツケースが、表を向いていればその滞在はうまくいく。裏を向いていれば用心が必要。ベルトコンベヤーが動き出す。プライオリティタグの付いた彼の荷物が出てくるまで、時間はそんなにかからない。見慣れたシルバーのスーツケースが視界に入ると、ヴィクトルは思わず苦笑した。流れてきたスーツケースは、サイドの持ち手に手が届きやすいよう、行儀良く横置きされていた。 荷物を受け取ってロビーに出ると、時刻は朝の八時を少し回ったところだった。スマートフォンを取り出すと、ヴィクトルは自分でも少し驚くくらいためらいなく、勇利への発信ボタンをタップした。朝のランニングを日課にしている彼のことだから、今頃はそれを終えて朝食でもとっているか、その日の仕事に出かけるところだろう。だけど予想通り、その着信に答える声はなかった。スマートフォンをポケットにしまうと、ヴィクトルは軽いため息をついて成田エクスプレスの乗り場へ。「事前予告なんて俺らしくない」と思ってはみたものの、だけどヴィクトルには向かうべき先がわからなかった。東京に拠点を移したということ以外、勇利の居場所についてはなに一つ知らなかったのだ。唯一向かう先として確定している新宿へのルートを確認しながら、やっぱり羽田着にすれば良かったと思った。彼はいい加減に疲れていた。サンクトペテルブルクからモスクワ、モスクワから成田、成田から新宿。スムーズなルートではあるものの、これ以上時間をかけるのが煩わしい。その気持ちもあってかどうか、新宿に到着するのとほぼ同時に、ヴィクトルは勇利にメッセージを送った。 「しばらく東京にいる。可能性は?」
“可能性”?
勇利がメッセージに気づいたのはその日の正午ごろだった。ヴィクトルの着信を無視して家に戻ってから、打ち合わせのためにマネージメント会社の事務所に向かった。スケジュール諸々の確認を済ませ、いくつかの事務的な話を終えて事務所を出ると、いつも無視するだけのSNS通知に混じってそのメッセージは届いていた。 精神的ヴィクトル遮断期の成果か、勇利は着信を見た時もメッセージに気づいた時も、思っていたほどのダメージを受けなかった。その代わり、「可能性」の文字が勇利の前に立ちはだかる。それはこの一年間、勇利がもっとも望み、同時にかき消そうと努めてきたものだった。メトロの入り口までの道を歩く間、勇利は逡巡した。が、地下に入って改札機にICカードをタッチすると、その瞬間に案外あっさり答えが決まった。募らせてきた孤独と愛おしさを開放するには、改札が開く小さなその電子音だけで十分だったのだ。 「どのホテル?」 メトロに乗り込む。5分ほどでヴィクトルからの返信。ホテルの名前を見た瞬間、勇利は一気に胸を掴まれた。スマートフォンをポケットではなく鞄に入れると、両手で思わず顔を覆ってひときわ大きなため息をついた。遮断機は壊れてしまった。抑揚のあるあの声を、肌に触れる乾いたあの髪の感触を、抱きしめたときの体の厚みを、汗と香水のにおいを、熱を、息を、そして氷上をしなやかに滑るあの姿を、勇利の体は鮮明に思い出した。メトロの中で、勇利はほとんど泣いていた。
12-1911/1812 言えなかった
目が覚めると午後五時を回っていた。約束の時間まであと一時間。フライトの疲れはたぶん取れている。ヴィクトルはシャワーを浴びると、小ざっぱりとした自分自身を鏡越しに見つめた。現役時代と比べれば筋肉量は若干落ちたものの、傍目には変わらない体型を維持している。銀髪に混じる白髪は前からのことで、目の下のシワも見慣れている。だけどやはり変わったなと思うのは、その目元だった。ひとしきりの怒りとさみしさを通過したヴィクトルの目は、少し力なく、だけどそれ以上に、優しくなっていた。 話す言葉は何一つ用意していない。これからどうしたいかも決めていない。とにかく会えば、会えさえすれば、なんて甘えたことも思っていない。だけどヴィクトルは日本にやって来たし、勇利はそれをはねのけなかった。思えばあの時もそうだったのだ。自分が勇利のコーチになる可能性なんて本当はどこにもなかった。無茶苦茶なことをしている自覚もあった。持ち前の奔放さで周囲を驚かせてきた彼だったが、本当はいつだって、自分が一番驚いていたのだ。未知へと足を踏み入れたことに。不安を乗り越えられたことに。新しい安全基地を、確かに手に入れられたことに。ヴィクトルの冒険と不安を受け入れたのは勇利以外の何でもなかった。一緒に居れば何者にだってなれる。ただそれを、あの人に伝えたかった。 「ねぇ勇利」 鏡越しに独り言を呟く。
「今日から俺は勇利の何になる?」
同じ台詞を、二人は別れる直前にも聞いていた。元師弟とも元ライバルとも恋人とも言える二人の関係を終わらせようとしている勇利の心を、ヴィクトルはどうしても知りたかった。いや、変えたかった。 「何だっていい。ヴィクトルはヴィクトルでいてくれたらいい」 「勇利は俺の何になる?」 「何だっていいよ」 「それがこわいのに?」 勇利は答えなかった。その通りだった。ヴィクトルがヴィクトルであること、勇利が勇利であること。口で言うには響きの良い台詞だけれど、その意味を、その事実を受け入れることは、思っていたよりたやすくなかったのだ。 「いつかこわくなくなると思う」 勇利は最後の最後になって、すがるようにヴィクトルの首元に腕を回し、鎖骨のあたりに顔を埋めた。自分勝手さなんて痛いほどわかっていた。ヴィクトルの手が軽く背中に触れたけれど、それはただ、触れただけだった。
「だからそれまで待っていて」とは、勇利はとても言えなかった。
13-1711 ゆだねる
「やっぱりこわい。ていうか……抵抗感がある」 「うん、無理にとは言わない」 「……ヴィクトルはどっちなの」 「どちらでも。勇利とならどっちでもいい」 「そういうもの?」 「俺はね。相手と一番気持ちいい関係でいたいから」 「どんな関係が一番かなんてわかんないよ」 「だから試さないと。そうだね、わがままを言うなら、俺は勇利に“受け入れる心地よさ”を経験してみてほしいかな」 「痛そうじゃん……」 「最初はね。でも相手にゆだねてしまえば、きっと良くなる。絶対に無理強いはしない」
そう言いながら、これがハードルなんだろうな、とヴィクトルは思った。勇利は簡単に誰かに身をゆだねられるタイプの人間ではなかった。自信のなさはかつての彼の最大の欠点とも言えたが、言い換えればそれは一重にプライドの高さと自分への責任感であり、自分を支える存在を求めながらもその対象に依存するようなことは考えられないだろう。たとえそれ��、氷上だろうとベッドであろうと。アスリートとして身につけてきた彼のストイックさを、怖れを超えたその先で解放される表現者としての素質を、だけどヴィクトルは何よりも愛していた。
「勇利の準備ができるまで、いつだって待つよ」
14-1910 空になったグラス
「どうせ誰かの専属コーチになることはないんだろ」 久しぶりに会った友人は、テーブルの企画書を片付けるとグラスに残っていたワインをゆっくりと飲み干した。 「おもしろいプロジェクトだと思う、君らしい。感情にさえ流されなければうまく行くんじゃない? まあそこが君の魅力だけど」 「余計な心配だ」 ヴィクトルの冗談を端的にかわすと、ポポーヴィッチは少し思案した後じっとヴィクトルを見つめた。 「真剣に聞いているんだ。このまま君が連盟の一員になっていくなんてとても思えない。コーチはしないまでも、その才能を裏方に回すなんて誰が望む? 凡庸なスケートショーに誘っているわけじゃない。一種のアートの試みだよ」 二年前、ポポーヴィッチはヴィクトルと同時期に引退し振付師へと転身した。もともと芸術家肌だった彼の野心は振り付けだけにとどまらず、最近ではショー全体のプロデュースに取り組みはじめ、スケート界の新しい動きとして一部から期待と注目を集めていた。 「とはいえ俺はアスリート気質だからねぇ。エンターテイナーでいることは苦手なんだよ、わかるだろ」 「エンターテイナーになれなんて言っていない。ヴィクトルという一人の人間として滑ってほしいんだ」 「ヴィクトルという人間、ねぇ……」 すでに空になっている自分のグラスを見つめながらそう呟くと、ヴィクトルはなぜか笑いたい気持ちになった。 「“お前は何者なんだ、ヴィクトル!”」 突然古風な芝居じみた口調で笑いだす友人に、ポポーヴィッチは呆れてため息をつく。 「本当に、ヴィクトル、これからどうするのかヤコフも心配している。最近じゃあのユーリですら……」 愛すべき友人の言葉を最後まで聞かずに、ヴィクトルはさっと立ち上がった。 「そろそろ決めてもらわないとね、俺が何者か」 「?」 「プロジェクトのことは考えておくよ、スパシーバ」 訝しげに見つめる友人の肩をぽんと叩いて、ヴィクトルは一人店を出る。帰りのタクシーの中でスマートフォンを取り出すと、ためらいなく成田行きのフライトを予約した。不思議なほどに、意気揚々と。
15-1911 それでも、なお
ホテルのロビーで一人掛けのソファに腰を下ろした勇利は今、行き交う宿泊客をながめている。どうしていつも急に来るのだろうと、初めて彼が長谷津に現れたときのことを思い出す。頭の中で月日を数えて、勇利は思う。まだ4年も経っていないのか、と。どうしてヴィクトルが東京にいるのか、どうして勇利と会おうとしたのか、勇利には見当がつかない。これから会ってどんな話をするのか、勇利の方にだって何の準備もない。自分から離れた相手なのだ。どんな態度でどんな話をされたとしても、勇利はそれを受け入れるしかないとわかっている。それでもなお、勇利は思う。そこに可能性があるのなら。自分を失うこわさと引き換えに、別の何かを見つけ出す可能性があるのなら。自分を定義づけてくれる存在を、もう手放すようなことをしてはいけない。
新宿に来る前、勇利は一度マンションに戻っていた。まっすぐ寝室に向かうと、クローゼットの奥から彼の持ち物の中では異質な黒い小箱を取り出した。最後にそれを見てから、もう一年近くが経とうとしている。「この歳になってもまだおまじないか」と苦笑いを混ぜて呟くと、それでも最大限の愛おしさを込めて、乾いた右手の薬指に小さな金の環を通した。それから右手を唇にぐっと押し当てるようにキスする癖は、一年経っても忘れてはいなかった。
賭けをしよう。あの人の指にも同じものがあるだろうか。あるいは祈りを、あるいは冒険、あるいは。
エレベーターがロビーフロアに到着する。数人の宿泊客とともに銀髪の彼が現れる。青い視線が黒髪を見つける。聞きなれたあの声が、勇利の名前をまっすぐ呼ぶ。
fin
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を 送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このこと��アウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
・・・・・・
ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。 ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前��は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」���潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
奔流中国グレートキャラバンに参加して」
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。
いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。
日常に感謝。
日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。
日常をこなすのが生きて行く���となんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラ���シュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目��前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくな���のではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いや��や協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!
もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
~~~~~~~~~~~~~
自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わない��、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
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これから・・・。
嫌で嫌で仕方なかった。
日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
その仲間達と見た中国は偉大だった。
経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
自分の小ささに気がつかされた旅だった。
精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
自信という自信は打ち砕かれ、
私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。 道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。 乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。 その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。 その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。 私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。 私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。 日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のき���いがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の��々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅
旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしよう���なかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所
焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら��をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記1・1-2・2
神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記
1・1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
11神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。
14神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。
20神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
22神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、適うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
26神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
2・1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
答唱詩編
詩編104・1+2a、24+33
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。
詩編104
104・1心を尽くして神をたたえよう。 神よ、あなたはまことに偉大なかた。 2a誉れと輝きを身に帯びて、 衣のように光をまとわれる。
24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。 英知によって形造られたものは地に満ちている。 33わたしは生涯、神に向かって歌い、 いのちのある限り神をたたえよう。
第二朗読
創世記22・1-18
先祖アブラハムの献げ物
創世記
その日、22・1神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、2神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
3次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。4三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、5アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」6アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。7イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」8アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを織って祭壇の薪の上に載せた。10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、12御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」13アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
14アブラハムはその場所を主・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
15主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。16御使いは言った。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
答唱詩編
詩編16・5、8、11
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
詩編16
16・5神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、 わたしの受ける杯。わたしの道を開くかた。
8わたしは絶えず神を思う。 神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。
11あなたはいのちの道を示してくださる。 あなたの前にはあふれる喜び、あなたのもとには永遠の楽しみ。
第三朗読
出エジプト14・15-15・1a
イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。
出エジプト記
その日、追い迫るエジプト軍を見て、イスラエルの人々が非常に恐れたとき、14・15主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。16杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。17しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、18わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
19イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、20エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。21モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。23エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。25戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
26主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」27モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。28水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。29イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。30主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。31イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。15・1aモーセとイスラエルの民は主を賛美して、歌をうたった。
答唱詩編
出エジプト15・1b+2b、3+4+5、6+16bc
神よ、あなたはわたしの力、わたしの守り、救い。
出エジプト15
15・1b神をたたえよう、神は栄光を現し、 馬と戦車を海に投げ入れられた。 2b神よ、あなたはわたしの神、わたしの先祖の神、 わたしはあなたをあがめる。
3神は勇者、その名は主。 4ファラオの戦車と軍勢を海に投げ入れ、 そのえりぬきの士官は紅海に沈んだ。 5水は彼らを覆い、かれらは石のように深みにしずんだ。
6神よ、あなたの右の手には力がみなぎり、 あなたの右の手は敵を押さえる。 16bc神よ、こうしてあなたの民は通り過ぎ、 あなたのものとされた民は過ぎ越す。
第四朗読
イザヤ54・5-14
あなたを贖う主は、とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむ。
イザヤの預言
54・5エルサレムよ、 あなたの造り主があなたの夫となられる。 その御名は万軍の主。 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、 全地の神と呼ばれる方。 6捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。 若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。 7わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。 8ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる。 9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。 再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあのとき誓い、 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。 10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる。
11苦しめられ、嵐にもてあそばれ 慰める者もない都よ 見よ、わたしはアンチモンを使ってあなたの石を積む。 サファイアであなたの基を固め 12赤めのうであなたの塔を エメラルドであなたの門を飾り 地境に沿って美しい石を連ねる。 13あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある。 14あなたは恵みの業によって堅く立てられる。 虐げる者から遠く離れよもはや恐れることはない。 破壊する者から遠く離れよもはやそれがあなたに近づくことはない。
答唱詩編
詩編30・2b+4、13
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。
詩編30
30・2b神よ、あなたはわたしを救い、 死の力が勝ち誇るのを許されない。 4神よ、あなたは死の国からわたしを引きあげ、 危ういいのちを助けてくださった。
13わたしの心はあなたをたたえ、 黙っていることがない。 神よ、わたしの神よ、 あなたをとこしえにたたえよう。
第五朗読
イザヤ55・1-11
わたしのもとに来るがよい。魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
イザヤの預言
55・1主は言われる。 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。 銀を持たない者も来るがよい。 穀物を求めて、食べよ。 来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。 2なぜ、糧にならぬもののために銀を載って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。 わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 3耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。 わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。 ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。 4見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、統治者とした。 5今、あなたは知らなかった国に呼びかける。 あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。 あなたの神である主 あなたに輝きを与えられるイスラエルの聖なる神のゆえに。
6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。 7神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば豊かに赦してくださる。 8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。 9天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。 10雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。 11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。
答唱詩編
イザヤ12・2、4、5
喜びに心をはずませ、救いの泉から水を汲む。
イザヤ12
12・2神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。 神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。
4神をたたえ、その名を呼ぼう。 神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り告げよう。
5神は不思議なわざをなしとげられた。 神をほめ歌い、そのわざを世界にのべ伝えよう。
第六朗読
バルク3・9-15、32-4・4
主の輝きに向かって歩め。
バルクの預言
3・9聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。 耳を傾けて、悟りを得よ。 10イスラエルよ、なぜなのか。 なぜお前は敵の地におり、 異国の地で年を重ね、 11死者と汚れを共にし、 陰府に下る者の中に数えられたのか。 12お前は知恵の泉を見捨てた。 13神の定めた道を歩んでいたなら、 永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。 14学べ、どこに悟りがあるかを。 またどこに力があり、どこに知識があるかを。 そして知れ、どこに長寿と命があり、 どこに目の輝きと平和があるかを。
15いったいだれが知恵の在りかを見いだしただろうか。 だれがその宝庫に入っただろうか。 32すべてを知る方だけが知恵を知り、 御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。 33その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、 それを四足の獣で満たした。 その方が光を放つと、光は走り、 ひと声命ずると、光はおののいて従う。 34星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、 35その方が命ずると、「ここにいます」と答え、 喜々として、自分の造り主のために光を放つ。 36この方こそわたしたちの神であり、 他に比ぶべきものはない。 37この方は知識の道をすべて見いだし、 それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。 38その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。 4・1知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。 これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。 2ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、 知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。 3あなたの栄光をほかの者に、あなたの特権を異国の民に渡してはならない。 4イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。 神の御心に適うことを知っているのだから。
答唱詩編
詩編19・8、9
主よ、あなたは永遠のいのちのことば。
詩編19
19・8神の教えは完全で、魂を生き返らせ、 そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす。
9神の定めは正しく、心の喜びであり、 そのみ旨は清く、目を開く。
第七朗読
エゼキエル36・16-17a、18-28
わたしは清い水をお前たちの上に振りかけ、新しい心を与える。
エゼキエルの預言
36・16主の言葉がわたしに臨んだ。17「人の子よ、イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した。18それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注いだ。彼らが地の上に血を流し、偶像によってそれを汚したからである。19わたしは彼らを国々の中に散らし、諸国に追いやり、その歩みと行いに応じて裁いた。20彼らはその行く先の国々に行って、わが聖なる名を汚した。事実、人々は彼らについて、『これは主の民だ、彼らは自分の土地から追われて来たのだ』と言った。21そこでわたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
22それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。23わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。24わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
25わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。26わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。27また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。28お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。」
答唱詩編
詩編51・12+13、18+19
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。
詩編51
51・12神よ、わたしのうちに清い心を造り、 あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 13わたしをあなたのもとから退けず、 聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、 はんさいをささげても喜ばれない。 19神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。 あなたは悔い改める心を見捨てられない。
使徒書の朗読
ローマ6・3-11
死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない。
使徒パウロのローマの教会への手紙
皆さん、6・3あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。5もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。6わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。7死んだ者は、罪から解放されています。8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
福音朗読
マタイ28・1-10
アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
28・1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。3その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。4番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。5天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」8婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤヘ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
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Text
神は、お造りになったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。
創世記
1・1初めに、神は天地を創造された。2地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。3神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。4神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、5光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
6神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
7神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。8神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
9神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。10神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
11神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。12地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。13夕べがあり、朝があった。第三の日である。
14神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。15天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。16神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。17神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、18昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。19夕べがあり、朝があった。第四の日である。
20神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
22神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、適うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
26神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
2・1天地万物は完成された。2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
答唱詩編
詩編104・1+2a、24+33
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。
詩編104
104・1心を尽くして神をたたえよう。 神よ、あなたはまことに偉大なかた。 2a誉れと輝きを身に帯びて、 衣のように光をまとわれる。
24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。 英知によって形造られたものは地に満ちている。 33わたしは生涯、神に向かって歌い、 いのちのある限り神をたたえよう。
第二朗読
創世記22・1-18
先祖アブラハムの献げ物
創世記
その日、22・1神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、2神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
3次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。4三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、5アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」6アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。7イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」8アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを織って祭壇の薪の上に載せた。10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、12御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」13アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
14アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
15主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。16御使いは言った。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
答唱詩編
詩編16・5、8、11
しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。
詩編16
16・5神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、 わたしの受ける杯。わたしの道を開くかた。
8わたしは絶えず神を思う。 神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。
11あなたはいのちの道を示してくださる。 あなたの前にはあふれる喜び、あなたのもとには永遠の楽しみ。
第三朗読
出エジプト14・15-15・1a
イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行った。
出エジプト記
その日、追い迫るエジプト軍を見て、イスラエルの人々が非常に恐れたとき、14・15主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。16杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。17しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、18わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
19イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、20エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。21モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。23エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。25戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
26主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」27モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。28水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。29イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。30主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。31イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。15・1aモーセとイスラエルの民は主を賛美して、歌をうたった。
答唱詩編
出エジプト15・1b+2b、3+4+5、6+16bc
神よ、あなたはわたしの力、わたしの守り、救い。
出エジプト15
15・1b神をたたえよう、神は栄光を現し、 馬と戦車を海に投げ入れられた。 2b神よ、あなたはわたしの神、わたしの先祖の神、 わたしはあなたをあがめる。
3神は勇者、その名は主。 4ファラオの戦車と軍勢を海に投げ入れ、 そのえりぬきの士官は紅海に沈んだ。 5水は彼らを覆い、かれらは石のように深みにしずんだ。
6神よ、あなたの右の手には力がみなぎり、 あなたの右の手は敵を押さえる。 16bc神よ、こうしてあなたの民は通り過ぎ、 あなたのものとされた民は過ぎ越す。
第四朗読
イザヤ54・5-14
あなたを贖う主は、とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむ。
イザヤの預言
54・5エルサレムよ、 あなたの造り主があなたの夫となられる。 その御名は万軍の主。 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、 全地の神と呼ばれる方。 6捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。 若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。 7わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。 8ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむとあなたを贖う主は言われる。 9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。 再び地上にノアの洪水を起こすことはないとあのとき誓い、 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。 10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないとあなたを憐れむ主は言われる。
11苦しめられ、嵐にもてあそばれ 慰める者もない都よ 見よ、わたしはアンチモンを使ってあなたの石を積む。 サファイアであなたの基を固め 12赤めのうであなたの塔を エメラルドであなたの門を飾り 地境に沿って美しい石を連ねる。 13あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある。 14あなたは恵みの業によって堅く立てられる。 虐げる者から遠く離れよもはや恐れることはない。 破壊する者から遠く離れよもはやそれがあなたに近づくことはない。
答唱詩編
詩編30・2b+4、13
神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。
詩編30
30・2b神よ、あなたはわたしを救い、 死の力が勝ち誇るのを許されない。 4神よ、あなたは死の国からわたしを引きあげ、 危ういいのちを助けてくださった。
13わたしの心はあなたをたたえ、 黙っていることがない。 神よ、わたしの神よ、 あなたをとこしえにたたえよう。
第五朗読
イザヤ55・1-11
わたしのもとに来るがよい。魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。
イザヤの預言
55・1主は言われる。 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。 銀を持たない者も来るがよい。 穀物を求めて、食べよ。 来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。 2なぜ、糧にならぬもののために銀を載って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。 わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 3耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。 わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。 ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。 4見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、統治者とした。 5今、あなたは知らなかった国に呼びかける。 あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。 あなたの神である主 あなたに輝きを与えられるイスラエルの聖なる神のゆえに。
6主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。 7神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば豊かに赦してくださる。 8わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。 9天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。 10雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。 11そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。
答唱詩編
イザヤ12・2、4、5
喜びに心をはずませ、救いの泉から水を汲む。
イザヤ12
12・2神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。 神はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い。
4神をたたえ、その名を呼ぼう。 神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り告げよう。
5神は不思議なわざをなしとげられた。 神をほめ歌い、そのわざを世界にのべ伝えよう。
第六朗読
バルク3・9-15、32-4・4
主の輝きに向かって歩め。
バルクの預言
3・9聞け、イスラエルよ、命をもたらす戒めを。 耳を傾けて、悟りを得よ。 10イスラエルよ、なぜなのか。 なぜお前は敵の地におり、 異国の地で年を重ね、 11死者と汚れを共にし、 陰府に下る者の中に数えられたのか。 12お前は知恵の泉を見捨てた。 13神の定めた道を歩んでいたなら、 永遠に平和のうちに暮らしていたであろう。 14学べ、どこに悟りがあるかを。 またどこに力があり、どこに知識があるかを。 そして知れ、どこに長寿と命があり、 どこに目の輝きと平和があるかを。
15いったいだれが知恵の在りかを見いだしただろうか。 だれがその宝庫に入っただろうか。 32すべてを知る方だけが知恵を知り、 御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。 33その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、 それを四足の獣で満たした。 その方が光を放つと、光は走り、 ひと声命ずると、光はおののいて従う。 34星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、 35その方が命ずると、「ここにいます」と答え、 喜々として、自分の造り主のために光を放つ。 36この方こそわたしたちの神であり、 他に比ぶべきものはない。 37この方は知識の道をすべて見いだし、 それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。 38その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。 4・1知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。 これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。 2ヤコブよ、立ち帰ってこれをつかみ、 知恵の光に目を注ぎ、その輝きに向かって歩め。 3あなたの栄光をほかの者に、あなたの特権を異国の民に渡してはならない。 4イスラエルよ、わたしたちは幸いだ。 神の御心に適うことを知っているのだから。
答唱詩編
詩編19・8、9
主よ、あなたは永遠のいのちのことば。
詩編19
19・8神の教えは完全で、魂を生き返らせ、 そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす。
9神の定めは正しく、心の喜びであり、 そのみ旨は清く、目を開く。
第七朗読
エゼキエル36・16-17a、18-28
わたしは清い水をお前たちの上に振りかけ、新しい心を与える。
エゼキエルの預言
36・16主の言葉がわたしに臨んだ。17「人の子よ、イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した。18それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注いだ。彼らが地の上に血を流し、偶像によってそれを汚したからである。19わたしは彼らを国々の中に散らし、諸国に追いやり、その歩みと行いに応じて裁いた。20彼らはその行く先の国々に行って、わが聖なる名を汚した。事実、人々は彼らについて、『これは主の民だ、彼らは自分の土地から追われて来たのだ』と言った。21そこでわたしは、イスラエルの家がその行った先の国々で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
22それゆえ、イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。23わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。24わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
25わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。26わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。27また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。28お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。」
答唱詩編
詩編51・12+13、18+19
あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。
詩編51
51・12神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、 新たにしてください。 13わたしをあなたのもとから退けず、 聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。
18あなたはいけにえを望まれず、 はんさいをささげても喜ばれない。 19神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。 あなたは悔い改める心を見捨てられない。
使徒書の朗読
ローマ6・3-11
死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない。
使徒パウロのローマの教会への手紙
皆さん、6・3あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。4わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。5もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。6わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。7死んだ者は、罪から解放されています。8わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。9そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。10キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。11このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
福音朗読
ルカ24・1-12
アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
ルカによる福音
24・1週の初めの日の明け方早く、婦人たちは、準備しておいた香料を持って墓に行った。2見ると、石が墓のわきに転がしてあり、3中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。4そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。5婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。6あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」8そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。9そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。10それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。11婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。12しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
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TEDにて
スティーブン・ペトラネック:火星に移住する1000年後の子供達が生き抜く方法
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
SFのように聞こえるかもしれませんが、ジャーナリストのスティーブン・ペトラネックは20年以内に人類は火星に住むようになると考えています。
この刺激的な講演で、ペトラネックは人類が宇宙に広がる種になることを示し、火星を第2の故郷に変える方法の興味深い詳細を語ります。
彼は言います。「地球に何が起ころうと人類は生き続けるでしょう。我々が最後の人類になることはありません」
火星は、環境が厳しいため、映画のようなドーム状の建造物というよりも、洞窟に地下施設を構築する方が、地下資源も効率的に資材に加工できるので可能性が広がります。
途方もない話に聞こえるでしょうから、それが、いつどのように起きるのか?お話しします。でも、その前に当然の疑問について考えましょう。なぜ?火星なんかに行く必要があるのか?
私は、12年前にTEDで人類が突然滅亡しうる10の要因について話しました。私たちは、宇宙の気まぐれに対して、極めて脆弱です。
たった1つの小惑星によって人類は抹消されかねないのです。恐竜は、5回目の大量絶滅で死に絶えました。恐竜に落ち度はなく、宇宙で起きた偶然の出来事のせいです。
生き延びるためには、地球の外に手を広げる必要があります。人類の成し遂げてきたことが、すべて、突然消失するとしたら何という悲劇でしょう。
それでは、我々が乗り出そうとしているものすごい冒険の話をしましょう。でも、その前に我々の向かう先の興味深い事実をいくつか。この写真は、火星と地球の大きさの比較をしたものです。
火星は地球の姉妹星というわけではなく、地球の半分の大きさもありません。しかし、その小ささにかかわらず、立つことのできる表面の面積は、地球と同じです。地球の場合、かなりの部分が水に覆われているからです。
火星の大気は、とても薄く、地球の100分の1しかなく、96%が二酸化炭素なので呼吸はできません。とても寒く平均気温は、-63度ですが、実際の温度は、とても広い範囲に及びます。
火星の1日は、地球の1日より、39分長く、季節や1年は、地球の倍の長さがあります。いつか翼を付けて飛び回りたいと思っていたなら、火星は地球よりずっと重力が弱いです。車の反対側に行くときは、周りを回るより飛び越えた方が早いでしょう。
このように火星は地球そっくりというわけではありませんが、太陽系の中の他の場所に比べたらずっと住みやすい場所です。
問題は、火星がとても遠く、月より千倍も離れていることです。月は、38万キロ離れていて、アポロの宇宙飛行士たちは行くのに3日かかりました。
火星は、4億キロ離れていて、行くのに8ヶ月。240日かかるでしょう。これは、2年に1度だけの特別な日時に、ロケットを打ち上げた場合で、火星と地球が、上手く並んで飛行距離が最短になります。
最短240日というのは、同僚と狭い船内に押し込められて過ごすには長い期間です。
これまでの火星ロケットの成績は酷いものです。アメリカ、ロシア、ヨーロッパ���日本、中国、インドが、44のロケットを火星に向け打ち上げてきましたが、過半数が外れたり、激突したりで成功したミッションは1/3しかありません。
加えて、現在、我々には、火星に行けるほど大きなロケットがありません。
かつては、サターンVがありました。それが、2台もあれば火星に行けたでしょう。サターンVは、人類が作った最も壮大な機械であり、月へと連れて行ってくれました。
しかし、サターンVが使われたのは1973年のスライラブ打ち上げが最後で、月着陸の次に火星へと向かうかわりに、シャトルというのをやることになりました(こちらも運用が終了しています)
今あるロケットは、火星に人間を送るには小さすぎるのです。ですが、2027年には降り立っているでしょう。その理由は、この男がそうすると心に決めているからです。
彼の名はイーロン・マスク。テスラ・モーターズとSpaceXのCEOです。彼は、実際、2025年までに人間を火星に送ると私に言いましたが、イーロンは私よりもかなり楽観的なので2年ほど余裕を持たせました。
それでも問う必要があるでしょう。この男は本当に2025年か2027年までに成し遂げられるのか?
イーロン・マスクにとっての10年がどんなものか考えてみましょう。これは10年前。どんなだったでしょう?テスラの電気自動車です。2005年には、自動車業界の人の多くは、まともな電気自動車ができるまでに50年はかかると言っていました。
これはどうでしょう?SpaceXのファルコン9ロケットが、国際宇宙ステーションへの6トンの補給物資を打ち上げているところです。10年前には、SpaceXは、どんなロケットも打ち上げてはいませんでした。
だから、十分見込みはあると思います。10年未満で自動車業界に革命を起こし、10年未満でロケット会社を丸々作り上げた人間なら、信頼できます。2027年までに人類を火星に連れて行ってもおかしくありません。
ここで押さえておかなければならないのは、この競争を動かしているのは、もはや、行政府でもロボットでもないということです。
国営(ある程度、インフラや基礎研究が進み、効率的に運用できる見込みがある条件だけ)から民間企業が宇宙に乗り出し、皆さんを喜んで火星へと連れて行くでしょう。
これは、大きな疑問を提起します。我々は、実際、火星で生きられるのか?
NASAは、2040年まで火星に人間を連れて行けず、民間が、ずっと早く火星に到達するとしても、人間が火星で生きられるか調べる上でNASAは、インフラや基礎研究で大きな役割を果たしています。
問題をこのように見てみましょう。人間が、地球上で生きるのに必要なのは、食料、水、住居、衣服です。そして、火星で生きる上では、これに加えて酸素が必要です。
次の問題は、何を食べるか?ということです。
水耕法で農作物を育てることになりますが、火星表面を水が流れ、耕作できるようになるまでは、15〜20%より多くの食料をまかなうことはできないでしょう。それまでは、食料の大部分は、地球から乾燥した形で送られることになります。
次に住む場所です。はじめは、空気で膨らませた建物や着陸船を使うことになるでしょう。しかし、これは日中だけです。太陽や宇宙線による放射線が強すぎるので地下に潜る必要があります。
火星の土壌は概してレンガを作るのに適していることが分かりました。これもまたNASAが解明したことです。そのレンガにプラスチックを加え、電子レンジにかけると厚い壁の建物を作れるようになります。
あるいは、地下に沢山存在する洞窟や溶岩洞に住むこともできます。
最後に何を着るかです。地球では、頭上に何キロも層をなす大気が、常に私たちの体に1気圧の圧力をかけていて、体はそれを押し返しています。
火星では大気圧がほとんどありません。ダバ・ニューマンは、MITの科学者ですが、この格好いい宇宙服を作りました。これは、体を包み込み、放射線を防ぎ、保温します
考えてみましょう。食料、住居、衣服、水、酸素・・・実現可能です。本当に、それでも、まだ困難で不自由です。
地球上には、社会システムが構築されているために衣食住を得られるのですが、社会システムがない場合、昔の自給自足で衣食住を荒野の中で自ら生地を縫いつける収穫する。建築する状態に陥ります。
他に、水や酸素も創造しないといけないという地球の極地以上の環境が牙をむき出しにして人類を待ち構えている。
火星で快適な生活をするための次なる1歩。非常に大きな1歩となるのがテラフォーミングです。惑星全体を作り替えて地球のようにするのです。
これは思い上がったことに聞こえるかもしれませんが、私がお話しすることを実現するテクノロジーはすべて既に存在するのです。
実現は遠いです。大気を呼吸可能なものにするという難しい問題が残っていますが、これには千年かかります。
月面は、太陽風によりもたらされたヘリウム3が、鉱物資源としての価値があるが、常に人体に有害な宇宙線にさらされてしまうため、長時間活動はできない。
月面の表面温度は、-180℃~120℃の範囲で周期的に変化し、昼夜数時間しかロボットが活動できない。夜には、-180℃の超極寒で地球の極地以上の環境が牙をむき出しにして人類を待ち構えている。
ロボットも停止するくらいの配線などや電気、磁気の耐久温度を超えているので故障が頻繁に起こり機能を永久に停止してしまう。
2013年に中国が月面に到達し、ロボットを動かそうとしたが環境を考慮していないか、すぐに使い物にならなくなってしまった。-180℃の超極寒の環境のためと思われる。
このために、月面ではなく、スターウォーズにもよく登場する洞窟に基地を建造する実用的な方法が、有効であると以前から言われている。
アニメーションの機動戦士ガンダムによく象徴として登場するコロニーをいう中継基地がありますが、これの原型は、アメリカの物理学者であるジェラード・オニールのアイデアです。
この人は、さまざまな計算を行った結果、火星や月に直接ロケットや他の方法で有人飛行するには「理論的に不適」という結論に達したそうです。
その理由は、まず、あまりにも遠く離れているために、物資のやりとりができないから。
その解決策として、人類が生活できるような大規模な宇宙ス���ーション「スペースコロニー」を太陽・月・地球に位置するラグランジュ点に設計するという壮大なもの。
当時の情報処理技術では、実現はできないのですが、現在のCPU、GPUや基本素材などの先端技術を駆使すれば、SF映画のような規模の壮大な構想も実現できるかもしれません。
当時の想定したスペースコロニーは、直径3~6km・長さ30kmもの巨大な円筒。ですが、もう少し小さい宇宙ステーションくらいの大きさなら建造技術も確立していますし、ラグランジュ点以外の中継地点など実現の可能性は高いでしょう!
こういう新産業でイノ���ーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(Personal idea個人的なアイデア)
One such rocket engine, about one hundred million yen units in a unit of several hundred million yen It is real to realize the product in the price range that can not reach the price range of hundreds of thousands of yen reaching ordinary people with technologies far beyond the limits of human beings It may be an innovation that will become a plus-sam of it.
こういうロケットエンジン、ジェット機くらいのひとつ数億円単位で手の届かない価格帯の商品を庶民に手の届く数十万円くらいの価格帯に人間の限界を遥かに超えるテクノロジーで実現することが本当のプラスサムになるイノベーションかもしれません。
In the low price area below this level, the danger of a negative spiral, which only causes deflationary streams and wages do not rise, may have emerged concretely around 2018 with the development of the Internet since Millennium.
これ以下の低価格領域はデフレストリームを引き起こすだけで賃金が上がらない負のスパイラルの危険性がミレニアム以降インターネットの発展とともに2018年あたりから具体的に出てきてるのかもしれない。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりま��ん!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
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2022年11月26日
2022-23 Yogibo WEリーグ 第4節 サンフレッチェ広島レジーナ 1-1 INAC神戸レオネッサ@広島広域公園第一球技場 1117人/64分 上野 真実、89分 水野 蕗奈
【マッチレポート】 Yogibo WEリーグ 第4節
衆院憲法審査会 緊急事態の議員任期延長 意見集約図るか焦点(NHKニュース)
憲法改正をめぐり、衆議院憲法審査会では、大規模災害など緊急事態における国会議員の任期延長について、自民党や日本維新の会などから「議論は尽くされつつある」という指摘が出ていて、今後、審査会として意見集約を図るのかが焦点です。
衆議院憲法審査会は、今の国会でこれまでに3回の自由討議を行い、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党の4党は、大規模な自然災害やテロなどが起きた際の「緊急事態」の対応を中心に取り上げました。
このなかで4党は「緊急事態」で選挙の実施が難しい場合の国会議員の任期延長について、そろって必要だと主張し、今月24日の幹事懇談会では、これまでの各党の主張を論点ごとに整理した資料を確認しました。
4党からは「任期延長の議論は尽くされつつある」という指摘が出ていて、中には「速やかに意見集約を行って、憲法改正の具体的な条文案の作成に入るべきだ」という意見もあります。
一方、立憲民主党は、任期延長に対する党の賛否を明確にしておらず、共産党は、戦前に任期延長によって翼賛体制が作られた歴史は重いとして反対する考えを示しています。
会期末までおよそ2週間となる中、今後、審査会として意見集約を図るのかが焦点です。
二階俊博氏に20年で50億円!緊急事態起きたら選挙中止…サッカーW杯の裏で政治家が好き勝手(smartFLASH 11月28日)
11月27日にテレビ朝日系で中継されたサッカーW杯・日本対コスタリカ戦の平均世帯視聴率は42.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、23日にNHKで放送されたドイツ戦(35.3%・関東地区)を上回った。2022年に放送された番組で最高の数字をたたき出したことになる。
ドイツ戦で “劇勝” したあと、コスタリカ戦での痛恨の黒星。誰もが一喜一憂した裏で、実は、気になるニュースが報じられていた。
政党から政治家個人に渡る「政策活動費」は、使い道を明らかにしなくていい「領収書がいらない」政治資金だ。
朝日新聞が2002~2021年の政治資金収支報告書を集計したところ、自民党の「政策活動費」は20年で総額約379兆円となっており、約5年にわたって幹事長を務めた二階俊博氏には、合計で50億6000万円が渡っていたという。
2016年8月~2021年9月までの自民党幹事長時代に約47億7000万円で、1回あたり30万~7210万円がおよそ160回にわたって支払われていた。
「政策活動費だけではありません。現在、憲法改正をめぐり、衆院憲法審査会で、大規模災害やテロなど緊急事態における国会議員の任期延長について議論がおこなわれています。
自民、公明、日本維新の会、国民の4党は、緊急事態が起きた際、国会議員の任期延長が必要だと主張しています。つまりは、なにか起きたら選挙を “すっ飛ばす” ということです。
立憲は任期延長に関して党の賛否を明確にしておらず、共産党は反対する考えを示していますが、会期末まで残り2週間、『緊急事態の議員任期延長』を突破口に、憲法改正が現実味を帯びているのです」(政治担当記者)
W杯の盛り上がりの裏で進む政治家の動きに、SNSでも危惧する声が上がっている。
《サッカーで大盛り上がりの裏では、憲法審査会が開かれて、議員の任期延長が決まろうとしている》
《W杯サッカーのお祭り騒ぎの裏で、悪巧みの政治家連中によって国民の知らぬ間に重要なことが勝手に決められやしないか、ほんとに心配で仕方ないんだけど》
《W杯でわいわいしてる裏で日本の政治家たちは動くで怖いね》
《五輪だW杯だの裏で政治が悪さするんだろ?監視しなくていいの���?》
W杯で、コスタリカ戦の戦犯探しをしている場合ではない。
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原発 停止期間除外で“実質60年以上”運転可能へ最終調整 “廃炉”を次世代原発に建て替えで新たな原発も(日テレニュース)
経済産業省が、最長60年とされている原発の運転期間の制度について、安全審査などで停止していた期間を除外し、実質60年以上運転できる案で最終調整に入ったことが分かりました。
原発の運転期間をめぐっては、2011年に起きた福島第一原発の事故後に法律が改正され、原則40年、最長で60年まで延長できると定められています。
経済産業省はこの運転期間について、再稼働に向けた安全審査などで運転が止まっていた期間を除外し、60年以上運転できる案で最終調整に入ったことが、日本テレビが入手した資料でわかりました。将来の見直しも前提に検討を進めるとしていますが、この案では、仮に再稼働するまで10年止まっていた場合、70年まで運転が可能となります。
また経済産業省は、新たな原発についても、今後、廃炉となるものを次世代とされる原発に建て替える方向で調整に入りました。
福島第一原発事故以降の原子力政策が大きく転換することになります。
「停止期間除外」を大筋了承 原発60年超運転へ―建て替えに次世代原発・経産省会議(時事通信 11月28日)
経済産業省は28日、総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の有識者会議を開いた。原発の60年超の運転を可能にする制度改正で、運転期間から安全審査などにより停止していた期間を除く案が大筋で了承された。経産省は所管する電気事業法に規定を盛り込み、来年の通常国会に改正法案提出を目指す。
経産省は有識者会議で、今後の原子力政策の方向性をまとめた行動計画の原案を提示。次世代型原発の建設については、まずは廃炉決定した原発の建て替えを対象とすると明記した。
原発の運転期間は、2011年の東京電力福島第1原発事故後に原子炉等規制法が改正され、原則40年、原子力規制委員会の認可で1回に限り最長20年延長できると定められた。しかし、「最長60年」では稼働原発が減少し続けるため、電力の安定供給や脱炭素化には、既存原発の最大限の活用が必要と判断。東電福島原発事故後の原子力政策を大きく転換する。
「反撃能力」の名の下に安保政策を大転換…相手を脅して抑止するのは「幻想」(東京新聞 11月23日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力①エスカレーション>
自衛隊と米軍が今月、3万6000人を投入して実施した大規模共同演習「キーン・ソード23」。精密誘導弾などの実弾射撃を行い、長射程化で敵基地攻撃能力への転用を念頭に置く「12式地対艦ミサイル」発射準備の手順も確認した。見据えるのは、台湾侵攻も辞さずに軍拡に突き進む中国だ。
「日米の戦力を向上させ、よりダイナミックな能力と可能性を追求し続けることが日米同盟に貢献する」。海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から自衛隊機で1時間半ほど飛行した先の太平洋上を進む海自最大の護衛艦「いずも」の艦内。在日米軍トップのラップ司令官は、自衛隊の山崎幸二統合幕僚長と並んだ記者会見で力説した。
ラップ氏の言う「ダイナミックな能力と可能性」が指すのは、ステルス戦闘機F35Bが離着陸できるよう事実上の空母化への改修が進むいずもの評価。だが、言外には日本の敵基地攻撃能力保有への期待もにじむ。いずもからF35Bが発進し、長射程ミサイルで敵基地をたたけるようになる近未来図が浮かぶ。
日本は憲法9条の下、安全保障の基本方針として「専守防衛」を堅持。自衛権の行使を必要最小限度にとどめ、攻撃を退けるのが大原則だ。日米の役割分担で打撃力を米国に委ね、日本は国土防衛に徹する「矛と盾」の関係には、周辺国との緊張を高めない狙いもあった。岸田政権は今、「反撃能力」という名の敵基地攻撃能力に手をかけ、この鉄則を大転換しようとしている。
大義にするのは、中国や北朝鮮の軍拡、軍事技術の発展による脅威だ。核に加えて迎撃が難しいとされる「極超音速ミサイル」などの開発が進み、日本の抑止力を高めなければ守り切れない、というのが論拠。7月まで防衛省で事務次官を務めた旗振り役の島田和久内閣官房参与は「米国だけでなく、日本からも反撃を受けるとなれば相手側の戦略計算を複雑にし、抑止力が向上する」と説く。
◆軍拡競争で「自分たちに刃」の懸念
敵基地攻撃能力は本当に抑止力になるのか。安全保障に詳しい東大大学院の遠藤乾けん教授は「抑止は基本的に威嚇して脅すこと。相手が脅威を認識しないと成り立たない」と解説。ミサイルが移動式の車両や潜水艦から発射される現代は標的を正確に把握しづ���く、司令部も強固な地下施設などで破壊は難しいため、「(戦闘機の飛行を妨��ようと)滑走路に通常弾頭のミサイルを撃っても1日で修復される。1000発持っても相手の攻撃意図をくじく能力になるのか」と疑問視する。
軍拡競争の過熱も懸念する。「日本が攻撃能力を持てば、相手はそれを上回る破壊的な攻撃力を持つエスカレーションの階段を上っていく」と明言し、「相手を脅して抑止するのは幻想だ。攻撃力が自分たちへの刃になる」と語る。
東大の石田淳教授(国際政治学)は「専守防衛という長年の宣言政策の信頼が低下し、他国の不安をかき立てる」と警鐘を鳴らす。日本と中国や北朝鮮は近接し、ミサイルに対応する時間は限られる。「何かあったらすぐに日本もミサイルを撃たなければならず、誤認による偶発戦争も起こり得る。それが怖い」と危ぶんだ。(川田篤志)
岸田政権は年末に国家安全保障戦略を改定し、日本が戦後一貫して持ってこなかった「敵基地攻撃能力」の保有を決定しようとしている。ロシアのウクライナ侵攻や中国、北朝鮮の脅威を前に、日本の安全保障に対する国民の不安と懸念は存在する。だが、敵基地攻撃能力を持ち、武器や兵器を増強していけば「専守防衛」が崩れゆくことになりかねないのも確かだ。本当に国民の安全は高まるのか。かえって国民の命を危険にさらすことにならないか。安保政策の大転換となる判断の是非を問う。
憲法の歯止め失う「力には力」の理論、行きつく先は「核には核」か(東京新聞 11月24日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力②9条の規範性>
「抑止力として力を発揮するのは、圧倒的に『懲罰的抑止』だ。報復の可能性にどれだけ現実味・真実味をもたせられるかで、効果も変わってくる。だからこそ日本は核を巡る意思決定に、深く関与すべきだ」
今夏の参院選で演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相は4月、月刊誌に米国の核兵器を日本で共同運用する「核共有」の議論を促す論文を寄稿した。自ら積極的に訴えてきた敵基地攻撃能力の保有に関する自民党内の議論がまとまろうとしていた時だった。
「懲罰的抑止」とは、相手に耐え難い被害を与える報復能力を示して攻撃を断念させる考え方。それは憲法9条に基づいて専守防衛に徹してきた日本の安全保障政策を大きく変容させることを意味する。
敵基地攻撃能力で念頭に置くのは、弾道ミサイルや核兵器を持つ中国や北朝鮮への対処。敵基地攻撃能力が「力には力」の論理である以上、通常の兵器だけで足りず、自民党内からは「弾道ミサイルも必要だ」との声が上がる。「抑止力の向上」は、最終的に「核には核」でなければ相手に攻撃を断念させられないという議論にもなりかねない。
政府は1950年代、敵基地攻撃に関して「防御する手段がほかに全然ない場合」に「座して自滅を待つのが憲法の趣旨ではない。誘導弾などの基地をたたくということは法理的には自衛の範囲に含まれ可能」との見解を示している。岸田政権もこの見解を基に、保有は政策判断で憲法上問題ないとの立場だ。
だが、日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真弁護士は「当時の見解は、軍事技術が発展していなかった半世紀前の仮定に基づいた議論。軍事力を高めた中国や北朝鮮に敵基地攻撃してもそこで終わるはずがなく、相手を殲滅せん��つするまで続けなければならない」と指摘。「憲法の下で許される『必要最小限の自衛の措置』とはとても言えない」として、現代の敵基地攻撃能力の保有は憲法9条違反と断じる。
政府見解に詳しい阪田雅裕元内閣法制局長官も「発射地点をたたけば用が足りるとの前提で議論していた当時と状況が全く異なる。今は指揮命令系統などほぼ全て殲滅的に攻撃することが必要で、憲法9条の規範性が失われる」と強調する。
憲法の理念とは相いれない「力と力」「懲罰的抑止」の先には「核兵器を持った方が世界は安定する」という倒錯した世界観すら見える。(市川千晴)
ウクライナは専守防衛…敵基地を攻撃すれば何が起きるのか 市民が犠牲、強力な武器を使われる口実にも(東京新聞 11月26日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力③戦争の犠牲>
ロシアによる侵攻が続くウクライナ。連日のように伝えられるのがミサイル攻撃での民間人の犠牲だ。
首都キーウ南西の都市ビンニツァ。7月、ロシアのミサイルの巻き添えで少なくとも23人が死亡。ダウン症の4歳児リザちゃんも、壊れたベビーカーと一緒に遺体で見つかった。
母イリーナさんは直前、広場を楽しそうに歩くリザちゃんのほほ笑ましい姿を交流サイト(SNS)に投稿したばかり。「私が愛したものは全て奪われ、殺された」。娘の死後、イリーナさんはそうつづった。一方のロシアは「精密ミサイルが軍施設に発射された」と強弁している。
「相手国を攻撃すれば、死ぬのは軍人だけではない。周りの建物、市民も犠牲になる。訓練でも目標からはずれることはあり、戦争なら間違いなく起こる。政治家は分かっているのか」
航空自衛隊第七航空団司令や防衛研究所戦史部長などを歴任し、地対空ミサイル部隊の指揮所運用隊長も務めた林吉永元空将補は、岸田政権の敵基地攻撃能力の保有議論を懸念する。
「敵基地」などを狙った攻撃での市民の犠牲は、世界中で報告されている。米ブラウン大によると、アフガニスタンで米軍などの空爆で死亡した市民は2020年までの15年間で3610人に上る。国連によるとウクライナの民間人死傷者は1万6000人を超え、ほとんどが砲撃、ミサイル、空爆などによるという。
日本の「専守防衛」に基づくこれまでの考えでは、相手から攻撃されても撃退にとどめ、相手国の領域への攻撃は想定していない。このため相手国の市民の命を奪う可能性はない。敵基地攻撃能力を持てば違う。
自民党の考えでは、敵基地攻撃能力の対象として、敵基地だけでなく司令部などの「指揮統制機能等」も含んでいる。攻撃用無人機の開発・導入の検討も進む。対象を広げ無人機も使えば、相手国の市民を巻き添えにする恐れは高まる。
林氏が危ぶむのは、軍事的正当性を巡るせめぎ合い。例に挙げるのが、侵攻されて以降ロシア領域内に攻撃、反撃したとの明確な情報がないウクライナの対応だ。「ロシアのプーチン大統領は、ウクライナからの自国領域への攻撃を待っている。核攻撃の正当性を得るからだ。ウクライナ側は分かっているので専守防衛に徹している」とみる。
中国、北朝鮮は核兵器を保有する。日本による領土内への攻撃で相手国市民に犠牲が出れば報復の口実を与えると、林氏は指摘し警告する。「敵基地攻撃は強力な武器を使わせる口実を与える。そうなれば犠牲になるのは日本の市民になりかねない」(金杉貴雄)
岸田首相、慎重論からひょう変した過去…敵基地攻撃能力「必要」 安倍氏の「布石」と地上イージス断念(東京新聞 11月27日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力④水面下の布石>
敵基地攻撃能力の保有は、憲法9条に基づく専守防衛を変えるかもしれない重要な問題であるにもかかわらず、政府や自民党は水面下で準備を進めてきた。
第2次安倍政権の2018年には、相手の射程圏外から攻撃できる「スタンド・オフ防衛能力」が防衛大綱に盛り込まれ、開発費などが予算化された。周辺国にも到達可能な長射程ミサイルだが、政府は日本の島しょ部防衛のためと説明。当時の安倍晋三首相も「敵基地攻撃の目的ではない」と述べていた。
だが、実際は「布石」だった。18年に国家安全保障局次長だった兼原信克氏は今年10月、本紙に「将来は反撃能力(敵基地攻撃能力)にしたいとの思いだった。周辺国が日本を射程に収める中距離ミサイルを持つ中、日本国民をどう守るか考えた結果だ」と証言。安倍氏も昨年11月の講演会で「スタンド・オフ・ミサイルを反撃能力でも行使できるようにすべきだ」と本音を明かした。
もともと自民党は、北朝鮮のミサイルの脅威が高まった04年以降、防衛大綱改定の度に政府への党提言で「敵基地攻撃能力の保有」を要求。保守派議員にとって悲願で「いつまで打撃力を米国に依存するのか」と不満を持ち続けていたが、政府・与党内の慎重論で実現しなかった。
潮目が変わったのは、20年6月の地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画の中止だ。当時の安倍首相はミサイル防衛強化の行き詰まりを逆手に、代替策として敵基地攻撃能力の必要性を主張。3カ月後の首相退任前、異例の安全保障政策の談話で保有を促し、その後も最大派閥を率いる実力者として求め続けた。
「敵のミサイル発射能力そのものを直接打撃し、減衰させることができる能力の保有が必要」。20年の自民党総裁選で敗れて無役だった岸田文雄氏は21年3月に突然、敵基地攻撃能力の必要性を自らのツイッターで打ち出した。
ハト派と評される派閥「宏池会」会長の岸田氏は20年の総裁選で「法律的、技術的に本当に実行可能なのか」と慎重姿勢を示していたが、半年でひょう変。次の総裁選を視野に、安倍氏ら保守派議員の支持を得る狙いがあったのは明らかだった。21年の総裁選は、思惑通り保守層の後押しも受け、敵基地攻撃能力保有に慎重だった河野太郎氏に決選投票で勝利した。
自民党保守派の悲願と岸田首相の政治的思惑が絡み、敵基地攻撃能力を持とうとする現状について、流通経済大の植村秀樹教授(安全保障論)は「打撃力を持つ”真の独立国家”になりたい自民党と、米国の利害が一致した産物。合理的に冷静に必要性を検討したのか」と疑問を呈する。
敵基地攻撃能力の保有は、国民の代表である国会で是非を問う議論が十分に行われないまま、政府と与党の協議で決まろうとしている。(川田篤志)
アメリカの情報頼りで戦争「当然ある」 軍事面で一体化の日本、集団的自衛権の行使容認が懸念に拍車(東京新聞 11月28日)
<崩れゆく専守防衛~検証・敵基地攻撃能力⑤安保法の次段階>
世界有数の軍事大国ロシアによるウクライナへの侵攻。世界中の軍、安全保障関係者が今、わが身に置き換えて注視している。
「現代の戦争はサイバー攻撃から始まる。それが着手の兆候になり得る」。安全保障に詳しい国会関係者は、ロシアが侵攻前に大規模なサイバー攻撃を展開していたことに注目。日本の敵基地攻撃能力に当てはめた場合、相手が実際にミサイルを発射する前でも、サイバー攻撃を「着手」と判断すれば、日本が攻撃することは可能になるとの見方を示した。
問題は、本当に相手から攻撃されるのか、日本を狙う軍事拠点はどこか、どう攻撃すれば効果的かなど、判断に不可欠な情報入手の手段。サイバーや衛星などを含め、圧倒的な軍事力と情報力を持つ同盟国の米国頼みになるとみられる。
防衛省のサイバー部門で勤務経験のある元自衛官は「日米は軍事面でほぼ一体化している。米国から提供された情報に日本が疑義を挟み、独自で判断するのは不可能だ」と断言する
過去に米国は、誤情報や自国の利益追求で戦争に突き進んだことがある。イラク戦争では、イラクの大量破壊兵器の保有を主張したが、見つからなかった。ベトナム戦争に米軍が本格的に介入するきっかけとなった米軍艦への攻撃の一部は、米側の捏造(ねつぞう)だった。
元自衛官は「米国の情報で戦争に巻き込まれることは当然ある」と指摘。情報を米国に頼り、日本が敵基地攻撃能力を持つことはリスクと背中合わせになる。
そのリスクを高めかねないのが、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を容認した安全保障関連法だ。岸田政権は5月、敵基地攻撃能力は「集団的自衛権としても行使が可能」とする答弁書を決定している。
「安保法で集団的自衛権の法的縛りを解いたが、実際に行使する装備は日本になかった。敵基地攻撃能力の保有は、安保法の次の段階、実践段階に入るということ」。流通経済大の植村秀樹教授(安全保障論)はそう分析する。
日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真弁護士も「米国が他国と軍事衝突した際、攻撃を受けていない日本が他国領域を攻撃する可能性がある。巻き込まれるだけでなく、日本の領土に反撃される危険がより高まる」と危惧する。
緊張状態が続く台湾情勢。日本が敵基地攻撃能力を持てば、仮に米中間で有事に発展したとき、日本も中国の標的になる可能性がさらに高まる。安全保障に詳しい東大大学院の遠藤乾(けん)教授は言う。
「日本の敵基地攻撃能力の保有はさらなる軍拡をほぼ確実に誘発する一方、相手の攻撃意図をあらかじめ封じる抑止につながるか疑わしい。抑止が破られて実際に攻められても、それを拒否できる防衛はどうあるべきかよく考えてほしい」(佐藤裕介)=おわり
新型コロナ対策で「余った積立金」を防衛力強化の財源として活用検討(TBS NEWS DIG 11月25日)
政府は、新型コロナ対策で国公立病院を運営する独立行政法人に積みあがった「積立金」を、防衛力強化の財源に活用する案を検討しています。
鈴木財務大臣は「現時点で個別具体的な方向性は決まっていない」としながらも、関係省庁などと連携しながら検討する姿勢を強調しました。
財務省は、新型コロナ対策として病床確保などのために特例で配った補助金が国公立病院を運営している独立行政法人に使われないまま積みあがっているとして、国庫への返納を求めています。
財務大臣の諮問機関、財政制度等審議会や防衛力強化のための有識者会議の報告書では、この余った積立金について触れており、鈴木財務大臣はきょうの閣議後の会見で、「現時点で個別具体的な方向性は決まっていない」としながらも、「過去のコロナ対策で国民の手元に届くことなく独立行政法人に積みあがった積立金の取り扱いについては、関係省庁や与党とよく議論をしていきたい」と前向きに検討する姿勢を強調しました。
ただ、こうした財源も翌年以降も使えるような「安定的な財源」とはなりえないため、今後、法人税や所得税など主要な税の増税について議論は避けられない状況です。
日本への直接攻撃なくても「反撃能力」行使可能 公明幹部「存立危機事態も含まれる」(TBS NEWS DIG 11月27日)
国家安全保障戦略などへの明記が検討されている反撃能力について、公明党の幹部は、アメリカなどが武力攻撃を受けた結果発生する「存立危機事態」でも理論的には行使できるとの認識を示しました。
公明党の佐藤茂樹外交安全調査会長は、けさ出演した番組で、相手のミサイル発射拠点などを叩く反撃能力の行使が認められるケースについて、「まさに今議論をしているが、理論的には存立危機事態も含まれる」と述べました。
存立危機事態は、アメリカなど密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本の存立が脅かされる事態のことで、日本が直接攻撃を受ける「武力攻撃事態」でなくても理論的には反撃能力を行使できるとの認識を示したものです。
佐藤氏は、年末の安保関連3文書の改定に向けた自民・公明の実務者による協議で公明党側のトップを務めています。
先週の協議では、政府側が反撃能力の行使が認められるケースに存立危機事態も含まれると見解を示していました。
一方、同じ番組で、自民党の小野寺安全保障調査会長は反撃能力の攻撃目標について問われ、軍事目標に限るとしている国際法の範囲で対応するとの考えを示しました。
NHK #日曜討論 に出席。各党が軒並み大軍拡を主張。
私は、台湾問題を絶対に戦争にさせない外交戦略が必要、ASEANに学び、どこかの国を排除するのではなく、地域のすべての国を包摂する平和の枠組みが重要と述べました。
自公も政府の有識者会議報告書も、具体的な外交戦略がなく軍事一辺倒が大問題。
防衛費「5年間で40兆円超」で調整…27年度には「安保関連」がGDP比2%以上に(読売新聞 11月27日)
政府・与党は、2023年度から5年間の中期防衛力整備計画(中期防)における防衛費総額を40兆円超とする方向で調整に入った。5年目の27年度には、防衛に資する研究開発など安全保障関連の経費と合わせ、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が目標とする対国内総生産(GDP)比2%以上とする方針だ。
複数の政府・与党関係者が明らかにした。中期防では、5年間で整備する自衛隊の装備や経費総額を定める。年末までに国家安全保障戦略と防衛計画の大綱とともに改定される。現中期防の総額は約27兆4700億円で、防衛力抜本強化に向け、大幅に積み増す。
防衛省は次期中期防の総額を約48兆円と提示し、財務省は約35兆円が妥当と回答した。浜田防衛相と鈴木財務相が折衝している。
自民党内では「40兆円を割り込むのは許容できない」(防衛相経験者)との声が大勢だ。政府は党の意見も考慮し、防衛力抜本強化の決意を内外に示す上で、40兆円超とする必要があるとの判断に傾いた。22年度の防衛費は約5兆4000億円で、23年度には6兆円台とし、27年度に向けて毎年増額させる方向だ。
自民党内には、国防族を中心に40兆円台半ば以上を主張する意見もある。政府・与党は12月上旬までに大枠を定めたい考えだ。
防衛省の原案では、自衛目的で敵のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」の有力手段となる「スタンド・オフ・ミサイル」購入などの関連費で5兆円を計上。この他では宇宙関連2兆円、サイバー関連3兆円などが柱となる。財務省は、費用対効果に疑問がつく予算が多いとして削減を求めるが、政治決着による積み上げは受け入れざるを得ない情勢だ。
中期防の防衛費には、防衛に資する防衛省以外の研究開発費、公共インフラ(社会基盤)整備費などは含まれない。政府はこうした安保関連の予算を計上する仕組みを創設する方針だ。防衛費に安保関連経費や海上保安庁予算を合わせ、27年度にGDP比2%以上を目指す。22年度当初予算の防衛費のGDP比は0・96%。現行の経済規模だと2%は約11兆円となる。
首相、防衛費増にコロナ予算検討 収束後に余剰金を一時転用(共同通信 11月28日)
岸田首相は28日の衆院予算委員会で、防衛費の増額財源に関し、新型コロナ感染が収束すれば、余ったコロナ対策予算の転用を一時的に検討する考えを示した。「今後、感染を収束させ、コロナ対策として大きく確保していた予算を活用することは考えていきたい」と述べた。
政府内では厚労省所管の独立行政法人「国立病院機構」と「地域医療機能推進機構」にコロナ対策で積み上がった利益余剰金の国庫返納を求める案が浮上している。
首相は同時に「一時的に税収増やコロナ対策費の活用を考えても、防衛力を継続的に維持するため、安定財源の議論は進めたい」と述べ、恒久財源の確保が必要だと強調した。
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【速報】岸田総理「2027年度に防衛費をGDPの2%に」 財務・防衛大臣に指示(テレ朝news 11月28日)
防衛力の抜本的な強化を巡り、岸田総理大臣は鈴木財務大臣と浜田防衛大臣を官邸に呼び、2027年度に安全保障関連費をGDP(国内総生産)比2%にするよう指示しました。
浜田防衛大臣:「令和9年度において、防衛費とそれを補完する取り組みを合わせ、現在のGDPの2%に達するよう予算措置を講じる」
また、岸田総理は「防衛力は将来にわたり維持強化する必要があり、安定的に支える財源措置は不可欠だ」と述べ、他の予算の歳出削減に加えて増税も念頭に財源の確保を図るよう指示しました。
防衛省は2023年度からの5年間で防衛費単体として48兆円の予算が必要だと見積もっていますが、財務省は35兆円程度に抑えるよう求めていて、折衝を続けています。
トマホーク最大500発購入へ、反撃能力の準備加速…8年前に購入の英は65発190億円(11月30日)
防衛省が米国製の巡航ミサイル「トマホーク」について、2027年度までをメドに最大500発の購入を検討していることがわかった。岸田首相は13日のバイデン米大統領との首脳会談で購入交渉を進展させる方針を確認し、「反撃能力」の保有に向け、準備を加速させている。
複数の日米両政府関係者が明らかにした。自衛目的で敵のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」を巡っては、自民、公明両党は抑止力の向上に必要だとの認識で基本的に一致している。12月中に改定する国家安全保障戦略に保有が明記される方向で最終調整が行われている。
反撃能力の具体的な手段として想定されているのは、陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」だ。ただ、射程を伸ばす改良が必要で、実戦配備は26年度以降とされている。
防衛省は改良された12式の配備が遅れたとしても、反撃能力を早期に確保するため、トマホークを導入したい考えだ。北朝鮮がミサイル発射技術を急速に進展させていることなどを踏まえ、最大500発の保有が必要だと見積もっている。米国の製造能力などとの関係で、購入の規模は今後変動する可能性がある。
カンボジアの首都プノンペンで13日に行われた日米首脳会談では、首相が防衛力の抜本的な強化に向けた決意をバイデン氏に伝え、トマホークも議題となった。バイデン氏は、売却先として日本の優先���位は高いとの認識を示し、米国内の手続きを着実に進める考えを強調した。
トマホークは、米軍が1991年の湾岸戦争で投入して以降、数々の実戦で使用されてきた。高性能は実証済みで、米国は売却先を厳しく限定している。米国防総省によると、英国は2014年に65発を計1億4000万ドル(約190億円)で購入した。米英豪による安全保障協力の枠組み「オーカス」(AUKUS)が昨年9月に創設されたのに伴い、オーストラリアにも売却を約束している。
◆トマホーク=米国の主力精密誘導型巡航ミサイル。射程は1250キロ・メートル以上で、全地球測位システム(GPS)衛星の位置情報を活用し、目標をピンポイントで攻撃できる。最近では2017年、18年のシリアへの攻撃などで使用された。
中国の核、2035年までに3倍以上に 米国防省(AFPBB 11月30日)
【11月30日 AFP】米国防総省は29日に公表した中国の軍事動向に関する年次報告書で、同国が保有する核弾頭の数は2035年までに現在の3倍強の1500発に達する可能性があるとの予想を示した。
報告書は「国防総省の推計では現在、中国が保有する運用可能な核弾頭は400発を超えている」「現在のペースで核戦力の増強を続けた場合、2035年までに約1500発に達する公算が大きい」としている
ただ、それぞれ数千発ずつ保有する米国とロシアにはなお及ばない。報告書は、中国としては、米国とロシアが開発中の核弾頭と「少なくとも同等の効果、信頼性、残存性を有する新たな核弾頭と運用プラットフォーム」を開発するつもりだろうと指摘している。
沖縄 与那国島で弾道ミサイルの飛来想定した初の住民避難訓練(NHKニュース 11月30日)
台湾をめぐる情勢など、日本周辺での安全保障環境が変化する中、日本の最も西に位置する沖縄県の与那国島で、弾道ミサイルの飛来を想定した住民の避難訓練が初めて行われました。
沖縄県の与那国島は、台湾からおよそ110キロ離れた日本で最も西にある島で、ことし8月に、中国が大規模な軍事演習を台湾周辺で行った際には、6発の弾道ミサイルが周辺の海に落下しました。
台湾をめぐる緊張の高まりが懸念されるなか行われた30日の訓練は、外国から弾道ミサイルが発射され飛来する可能性があるという想定で国、県、それに与那国町が共同で行い、子どもを含む住民22人が参加しました。
午前10時、防災無線でサイレンが鳴り避難を呼びかける音声が流れると、屋外にいた住民たちが小走りで避難所の公民館に避難し、爆風から身を守るため、窓がない場所で身をかがめました。
また、午後には町役場で初動の対応を確認する訓練が行われ、職員らが身を守るため机の下に入ったあと、庁内放送で来庁者に安全を確保するよう呼びかけたり、住民からの電話の応対にあたったりしました。
訓練に参加した40代の住民は、「実際に、急にミサイルが来たとなってもどうしたらいいか分からないだろうから訓練に参加してよかった」と話していました。
また別の住民は、「ミサイルの飛来は、強烈な台風が10分でやってくるようなもので、その時どう対処するかといっても無理だ」と話していました。
与那国町の糸数健一町長は、「通常の防災訓練と違って時間との勝負だと感じた。やはり、自宅の庭などすぐ飛び込める場所にシェルターが必要ではないか」と話していました。
訓練について住民からは賛成や効果を疑問視する声
与那国島では、弾道ミサイルの飛来を想定した訓練をめぐり住民から賛成する声や効果を疑問視する声が聞かれました。
このうち60代の女性は、「北朝鮮や中国のミサイルは怖いです。訓練は必要だと思います」と話していました。
70代の男性は、「反対とか賛成という話ではない��、こんなことを今さらやっても町民を守ることはできないのではないか」と話していました。
60代の男性は、「訓練は不要とは言わないが、果たしてあのようなあいまいな訓練で実効性があるのか疑問があります。『訓練をしましたよ』と示したいのだと思う」と話していました。
与那国島をめぐる動き
与那国島は東西12キロ、南北4キロの日本の最も西に位置する島で、およそ1700人が暮らします。
台湾からの距離はおよそ110キロで、日によっては肉眼で台湾の島影を見ることもできます。
島には、自衛隊の部隊が配備されています。
南西諸島の防衛力強化を目的に、周辺の島に先駆けて平成28年に駐屯地が開設されました。
島や周辺では米中の対立を背景に��事活動が活発化しています。
ことし8月、アメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問したことに中国が反発し、台湾周辺で大規模な軍事演習を行った際には、6発の弾道ミサイルが周辺の海に落下し、最も近いものは島から80キロの海上に落ちました。
さらに今月行われた日米共同統合演習「キーンソード」では、アメリカ軍が初めて与那国駐屯地で自衛隊とともに連絡所を開設する訓練を行ったほか、戦車と同じ程度の火力を持つ陸上自衛隊の戦闘車両が与那国空港に運ばれ、沖縄県内で初めて公道を走りました。
与那国駐屯地では、28日から再び陸上自衛隊とアメリカ軍による共同の訓練が行われています。
台湾有事「起こる」中国人56%、日本人44% 世論調査(日本経済新聞 11月30日)
日本の非営利団体「言論NPO」と中国国際出版集団は30日、日中両国で実施した共同世論調査の結果を発表した。台湾海峡での軍事紛争について中国人の回答は「将来的には起こる」(40.5%)と「数年以内に起こる」(16.2%)の合計が56.7%に上った。
中国の国内世論が台湾有事リスクを意識していることが浮かび上がった。「起こらない」は29.9%で、「わからない」は12.8%だった。
日本人は「将来的には」(34.1%)と「数年以内に」(10.4%)の合計が44.5%で中国人に比べて12.2ポイント低かった。「起こらない」は9.0%、「わからない」は46.3%だった。
台湾海峡で緊張が高まっている原因に関しては認識の差が表れた。中国人の52.5%が「米国」と答え、2番目に多かったのは「米国と日本」の25.8%。「台湾」(11.7%)、「日本」(4.4%)、「わからない」(3.5%)、「中国」(1.5%)と続いた。
日本人は63.7%が「中国」を挙げた。ほかは多かった順に「わからない」(28.8%)、「台湾」(2.5%)、「米国」(2.1%)、「米国と日本」(1.9%)だった。
ロシアのウクライナ侵攻を巡っては中国人の39.5%が「北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に伴う自衛行為で間違っていない」と答えた。「ロシアの行為は間違っているがロシアの事情も配慮すべきだ」は29.0%、「国際法に反する行動で反対すべきだ」は21.6%だった。
日本人は73.2%が「国際法に反する行動で反対すべきだ」を選んだ。「ロシアの行為は間違っているがロシアの事情も配慮すべきだ」は10.4%、「NATOの東方拡大に伴う自衛行為で間違っていない」は1.1%にすぎなかった。
相手国への国民感情はやや改善した。中国人に日本への印象を尋ねた質問で「良くない」と「どちらかといえば良くない」は合計62.6%で21年から3.5ポイント下がった。「良い」と「どちらかといえば良い」の合計は3.2ポイント上昇の35.2%だった。
中国への印象に関し「良くない」と「どちらかといえば良くない」を選択した日本人は合計87.3%で21年より3.6ポイント低くなった。「良い」と「どちらかといえば良い」の合計は11.8%で2.8ポイント高まった。
調査は22年7~9月に両国で18歳以上の男女を対象に実施した。日本は全国で1000人、中国は北京、上海など10都市で1528人から回答を得た。
独、スターリン時代のウクライナ大飢饉を「ジェノサイド」認定へ(AFPBB)
【11月26日 AFP】ドイツは来週、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の統治下で1930年代にウクライナで起きた人為的な大飢饉「ホロドモール」をジェノサイド(集団殺害)に認定する決議案を採決する。
決議案は、ロシアに侵攻されたことでウクライナが今冬にも食料危機に直面する恐れがあることから、「警告」として中道左派の与党連合と保守派の野党が共同で発議した。
AFPが25日に確認した草稿によると、ホロドモールはナチス・ドイツ(Nazi)による人道に対する犯罪と並び、20世紀前半の全体主義体制による「非人道的犯罪リスト」に含まれるとしている。
ドイツ議会は、11月最終土曜日のホロドモール犠牲者追悼の日に合わせて、30日に決議案の採決を行う。
【本日(11/26)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で3496人感染 3人死亡(26日発表)(NHKニュース)
広島県では26日、新たに3496人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、3人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で1470人、▼福山市で631人、▼東広島市で301人、▼呉市で173人、▼廿日市市で159人、▼三原市で131人、▼尾道市で127人、▼三次市で80人、▼庄原市で77人、▼府中町で59人、▼安芸高田市で51人、▼府中市で46人、▼竹原市で36人、▼大竹市で29人、▼海田町で28人、▼熊野町で26人、▼神石高原町で16人、▼北広島町で13人、▼世羅町で12人、▼坂町で10人、▼安芸太田町で9人、▼江田島市で7人、▼大崎上島町で5人のあわせて3496人です。
1週間前の土曜日より653人増えました。
これで県内での感染確認はのべ52万5563人となりました。
また、県内では患者3人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は859人となりました。
新型コロナ 医療の現状(25日分)(NHKニュース)
25日の時点で病床の使用率は62.3%、(確保病床523床、入院患者326人)。 このうち重症患者用の病床使用率は26.8%です。 (確保重症病床41床、重症の入院患者11人)。 軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1022室を確保し、299人が過ごしています。 (利用率29.3%)。 直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は678.16人です。 現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】164人死亡 12万5327人感染(26日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、26日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め12万5327人となっています。また国内で亡くなった人は164人で、累計4万9036人となっています。
東京都 新型コロナ 9人死亡 1万3569人感染確認 前週比4112人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 6人死亡 新たに5923人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は226万8975人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6719人となっています。
140年見つかっていなかったハト パプアニューギニアの島で再発見(朝日新聞)
パプアニューギニアの東にある島で、発見以来140年間、目撃記録がなかった「幻の鳥」の撮影に、環境NPO「アメリカン・バード・コンサーバンシー(ABC)」などの調査チームが成功した。地元の狩猟者らの情報をもとに、場所を絞り込んでカメラを設置し、撮影したという。
この鳥は、ファーガソン島にすむゴクラクバト。1882年に初めてその存在が記録された。その生態などはほとんど分かっていなかったが、数はきわめて少なく、減っていると考えられていたという。
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