#勝野ふじ子文学碑
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年6月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の風の良き加減 三無 緑陰の間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
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令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友と���る 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
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令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えに��り 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀花 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
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令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和三年(2021)9月4日(土曜日)
通巻第7038号 <前日発行>
管首相、突然の辞任は予想されていた
横浜市長選敗北で孤立感、二階とともに政権を去るもよし
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高市皇子は壬申の乱で天武天皇の勝利を導いた立役者である。
大海人皇子(後の天武天皇)の長男で、大和国高市郡にて育った。日本史を揺るがせた壬申の乱が勃発したとき、高市皇子は近江大津京にいたが、すぐに行動を起こし、伊賀で父親の軍と合流した。
天武天皇の陣には尾張氏ら有力な豪族が味方し不破関を占拠、各地に増員命令を出した。
天武天皇は現在の四日市市郊外の高台に陣を敷いた。高市皇子は合流する豪族の軍隊を掌握し、大海に攻め込む手筈を整える。
劣勢を知った大友皇子(弘文天皇)は自ら果てた。極めて短時日裡に壬申の乱は天武天皇の勝利となった。西国の豪族が近江に合流しなかったのは防人任務の疲れと財政逼迫と言われたが、隠れた要素は大友皇子の出自(采女と天智天皇の間に生まれた)と言われる。
天武天皇薨去後、皇后の持統が称制を経て即位した。序列で高市皇子は草壁皇子、大津皇子に次ぐ皇位継承権第三位だった。だが、直後に大津皇子が誣いられ、続いて草壁皇太子が薨御、天武天皇皇后だった?野讚良皇女が政権を掌握した経過がある。
高市皇子は太政大臣にとなる。文字通り、持統天皇を支え、高市皇子の長男が後に大和朝廷の実権を握る長屋王である。
壬申の乱の前段は「乙巳の変」だった。蘇我入鹿暗殺は、大化の改新へ繋がる嚆矢となる。
大化の改新は西暦645年(この年から元号を制定し、大化元年となる)だった。。
たしかに中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)による蘇我入鹿の暗殺というクーデターが切っ掛けである。蘇我稲目いらい、馬子があろう事か渡来人を唆して、安康天皇を暗殺し、入鹿は権勢を恣にしていた。父親の蘇我蝦夷も翌日、自殺に追い込まれた。
従って「乙巳の変」とは暗殺事件による蘇我氏滅亡を指す狭義である。広義には公地公民などの��治改革は継続され、大化の改新とは税制を改め、半世紀後の大宝律令へといたる天皇親政システムの確立にあり、難波への遷都も行われた。蘇我馬子は聖徳太子の保護者にして実力者だった。蘇我氏に正面から楯突く有力者は不在だったが、舒明天皇擁立をめぐって滅ぼされることとなる。
革新的な思想の背景に、留学帰りのイデオローグが存在した。南淵請康は渡来系の学僧だが、飛鳥に住んだ。覚えが速く、学識豊かで、早くから外国語に通じていた。第一回遣隋使で留学僧に選ばれて隋へ渡った。シナは隋が滅び、唐王朝に交替していたが南淵は留学を続け、32年後に飛鳥へ戻った。彼の帰国は640年のこととされる。
そして飛鳥の知識人、政治家、有力者に歴史、孔孟、四書五経など学問を教えた。南淵塾には中大兄皇子と中臣鎌足が通っていた。鎌足は蹴鞠の場で中大兄皇子との接触に成功し昵懇となっていた。
ふたりの密談の場所といわれる桜井の談山神社は、宏大な敷地を誇る。その境内の何処かに南淵塾があった。南淵請康の墓は蘇我馬子の墓と言われる石舞台をさらに南下した明日香村にあり、小さな鳥居、大きな石碑、中規模の墓は苔むしている。
さて、なぜ高市皇子のことを書いたか、もうお分かりだろう?
高市早苗議員は奈良県畝傍高校出身、松下政経塾OB。むろん、高市皇子との血縁はない。
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G 7/27
ドイツ編。
ドイツには計3日?でした。
朝、8時くらいに目が覚める。こっちにいる間は、朝起きて母にラインすると日本は寝る時間なので、私がおはよう、と言い、母はお休みと返してくれる。また何時間か後にね!と、時差が歯がゆい。
前の日に結局シャワー入りそびれたので、朝日が差し込む中、お湯が出るの遅すぎて発狂しそうになったのと、シャンプーかリンスか全くわからんドイツ語表記のボトルに発狂。無事シャワータイム終わりました。
朝ご飯は、ご両親と友達と四人でダイニングを囲む。いつも食べてる朝ごはん作ってあげる!と友達作のオートミール・アーモンドかソイミルク(なんかとにかく健康なやつ)たっぷりかけてオーブンでチン・もったりふやふやボウルが完成。一口大に切ったバナナやら梨(だったっけな)とヨーグルトがトッピングだったのですが、いつもオートミール自体食べ慣れてなかった為かなかなか完食できず...遠くにある大量のパンに手を伸ばしたかった。とっても落ち着いている親御さんで何だか背筋がピンっとする食卓。新鮮で楽しかったです。
先に親は出かけるから〜と言われて、二人で暫くの間コーヒータイム。キッチンでブラックコーヒーをケトルいっぱいに作っていたのにいつの間にか飲み干しまた作り。二人とも本当にcoffee person...
この日はベルリンの街へ���り出す予定だったので、着るお洋服にも気合いが入る。なんせベルリンはファッショニスタのイメージ。みんな色使いや古着使いが上手くストリートにミックスしてるなあと憧れていたので、わたしも少しパンクめに。チェーンアクセサリーや肌見せが好きなので、シルバーチェーンネックレスに、ZARAの黒トップス(パリ初日着てた)、確か東京の古着屋で買った色とりどりチェックのスカート。アイラインも跳ねさせて気分上々だったのに汗でいつの間にか落ちた。
駅まで歩けるけど、自転車が当たり前!と言うことで、はたまたどでかい自転車をお願いだから座高を低いやつない?とお願いし、まさか乗れないの...?と年下の友達に笑われながらサドルを跨ぐ。アヌシーで私は長時間漕いだんだぞ!もうマスターしている!そんな自信はありました。
比べ物にならない石畳。もうやばかったです。変な話、股が割れたかと思いました表現下品ですみません。超デコボコ石畳を走り続け、サドルからお尻が浮き続け、一瞬平らな道になった瞬間爆走、また石畳で死にそうになる、一刻も早く駅に着きたかった!!!既に若干疲れた私とは裏腹に笑顔の友達に癒される。いざ電車に乗りベルリンへ。メトロに乗り換えるまでは外の風景が見れたので、自然の広がる窓を堪能。
車窓から。先進国ーーーー!!!!
まずは、その広さと安さで街でも有名な古着屋、HUMANAに到着。一番最初に安いのから見たかった!Frankfurter Tor駅からすぐ。
この建物全部古着。全部。日本でいうセカンドストリート感がありました。1ユーロの棚とかあった。
年代別や色別、形別に分けられていたので見やすかったです。ちょっとしたシャツとかスウェットも本当に安い。試したいものをとりあえず何着も持って二人同時に試着室にイン、裸足のまま鏡の前で見せあいっこ、そのうちランウェイごっこが開始。可愛いのたくさんあったけれど、この値段で買う意味あるかな?どの服に合うかな?など真剣に相談しながらのショッピング。ベルトやヒールも種類豊富で珍しかった記憶。
と、ここで、この年の7/27にはとても有名なイベントが。その名も、CDS。Christopher Street Day。ベルリンプライドセレブーレション、LGBTQパレードです。
人生で一回は参加したかった自由のお祭りの日に、私は巡り合えたのです、そしてなんと言ってもベルリンのパレードは毎年大勢の人が集まる、��界でも大きいパレード!ドイツ来るの、CSDの日じゃない?と言われた時の血が煮えたぎる高揚感、忘れません。この日はもう朝電車に乗った瞬間から、顔にレインボーのペイントやメイクアップをしている人、全身スパンコール、派手めのお洋服を着てる人で溢れていて、あとで参加しようね!と言っていたら降りた駅でこのCSD参加者の大群に遭遇したのです。この人の数!!
本当にびっくりしたーー!!見渡す限りカラフル。みんな好きな音楽を流して踊り、コーラがこの日限定のレインボーパッケージを道の人にフリーで配っていて、もちろん私も貰ってグビグビ。この中にいると自分がとんでもなく地味に思えてきます。パレードまでは時間があったので、ここで待っているのかな?と思いました。晴れた空の下で、笑顔で談笑する人たち。活気と自由に溢れている。忘れられない空気でした。誰がなんと言おうと、間違いなく、Love is gender freeです。
突如空腹に襲われた私、道の途中で人が並んでいるケバブ屋さんを発見。���イツのケバブは美味しいよ!と友達がお勧めを注文してくれました。ドイツ語は一切、一ミリも分かりません。ダンケシェーン、だけ言おうと試みましたが全然発音できず。
まず最初に驚いたのが、ケバブってパンで挟むの!?です。だからボリュームも凄いのですが、何よりこのパンの重量感。一度噛み付いてみると、パンの丁度いい硬さとソース濃いめのチキン。野菜もシャキシャキでたまりません。友達はベジダリアンなので黙って私が食べるのを見守ってくれました。そういえば少し脱線すると、この間小学校の幼馴染と遊んでいる時、唐突にサブウェイが食べたくなって騒いでたら道にサブウェイが出て来て、脳内がえびアボガトでいっぱいになって衝動的にお買い上げしたんです。その時も友達は私が買うのを待っていてくれたので、待たせてごめんね、と謝ると、いいよ好きなんだよ!と言われる。な、何が好きなんだと思いきや、その子は、自分が食べないって言うと友達がじゃあ買うのやめよーって言うことが多くて気を使うから、普通に私が食べなくても構わず食べちゃう想が有難い、と言われて、確かに...と気づく。私も勝手に食べて欲しい。というよりも、え、私食べないのに食べんの、なんて思う人にはなりたくない。私食べてんのに食べないの、もない。食べたい時に食べたいもん美味しく食べよう。一生友達でいて。
ここでやっとご登場、友達ことAdrian、激盛れショットです。言ってしまえばどこから撮ってもキューティーなんですけれど、見てこれめっちゃ良くない?と写真見せると、えーー光がいい!盛れた!!と素直にチャーミング。人混みに疲れて、またもなスタバでコーヒーアゲイン。流石に私はラテにしたのですが、Adrianはホットコーヒーグランデ。カフェインに乗っ取られてる。
スタバでのフォトタイム。自撮りは永遠に難しい。この時は髪色を、濃いめのブラウンにちょっとパープルを混ぜて見えるようにしてもらったので、抜け感あって好きでした。また明るい色にしたいな〜と思う今日この頃。
休憩後は観光。ベルリンの名所、ホロコースト記念碑です。側から撮ってみると、段差が視覚的にアートのように見えます。ただこれは立派な記念碑のモニュメント、総数2711基。中は緩やかな坂みたいな道や、細い道もあり、歩いている人は皆静かに歴史を感じているような静寂。まるで本当に迷路の中を探検している錯覚に陥ります。
ブランデンブルク門。丁度太陽の位置が神々しい!平和と統一の象徴。ベルリン、ポツダムもだけど、街全体が歴史を重んじている印象を受けました。過去の壮絶な歴史を大切に、心に留めて、未来に進んでるように。
ドイツ連邦議会議事堂。とっっても広大な広場(?)に隣接してそびえ立つ、圧巻のオーラ。中には入らずでしたが、Adrianがベルリンの歴史を説明してくれながら建物を案内してくれるので有難い。
噴水を横切り、広い道、公園の中を通って、駅へ向かいました。
フランスとは全然違う景色に感嘆の声ばかり上げていました。川沿いの特設テラスなるところでみんなゆったりとハイネケンを飲んで気持ち良さそうだったり、とにかく建物と敷地が大きいな、と感じました。ビルもたくさんあるし、欧州っぽさと、また違うテイストを感じる。
そうしてベルリン中央駅に到着。夕方くらいにポツダムへと早めの帰宅です。
流石の中央駅、駅構内がショッピングセンターのよう!
お家について夕飯を食べたら、って何食べたか写真もなくてすっかり忘れました。この日買った服と持ち物で簡易的ファッションショーの開催です。Adrianの持ってるニットが〜ぎゃぎゃ可愛く〜て〜!ついでに半パンを借りてボーイッシュコーデで遊んでみたり。この青のTシャツはHUMANAで購入したのですが、鮮やかな発色と不思議なデザインで即決。ベルトも黒以外が欲しかったので購入。穴が足りない、と悩んでると、ベースメントに工具室あるから!と嘘みたいなことを言われ、あっという間に穴をトンカチやらで作ってくれました。計り知れない家の広さ。
次の日はポツダムでツーリング、気合を入れねば。
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次々と明らかになる犯罪!
慰安婦詐欺を主導してきた挺対協(現・正義記憶連帯)が内紛で凄いことになっています。毎日のように次々と不祥事を暴露されて、代表の尹美香(ユン・ミヒャン)は詐欺や背任で刑事告発されました。いっぽう告発した自称元慰安婦も本当は慰安婦でなかったことを暴露されました。毎日ワク��クしながら韓国メディアを追っています(笑)
国際法に違反して旧ソウル日本大使館前に設置された像
(筆者撮影)
ことの発端は尹美香が国会議員に当選したことです。「自分だけいい思いをしやがって!」と激怒したようで(韓国の諺で「従兄弟が土地を買えば腹が痛い」)、GW明けに自称元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)が「学生たちが出した募金がどこに使われているか分からない」「元慰安婦のため使われたことがない」「30年近く挺対協に利用された」「水曜デモは憎しみばかりを教える」「もう水曜デモには参加しない」とマスコミで告発をはじめました。李容洙は晩餐会でトランプ大統領に抱きついたあの婆さんです。 報道を受け、尹美香が当選したために腹痛で苦しんでいた(?)50以上の自称徴用工団体も「恥知らずな人間が国会内に入ることに絶対反対する」と当選辞退を要求しました。
尹美香と挺対協のスキャンダルは次々と出てきました。尹美香と夫の税務申告している年収は220万円ずつなのに、娘は学費が年430万円、生活費を入れたら年700万円かかるアメリカの名門大学に留学中であることが分かりました。 搾取も凄いです。朝鮮日報によれば挺対協は「気の毒なおばあさんのため」といって4年間で約4億3500万円も集めながら8割以上をピンハネし、昨年一年間で元慰安婦に渡したのは一人当たりたったの9万円でした。 元慰安婦の名前を冠した奨学金を死後勝手に内容変更して、親北朝鮮活動家の子女にカネを配る制度に変えていたことも判明しました。 挺対協の決算報告を精査したら一晩で290万円も飲み代を使っていました。 尹美香が複数の個人名義銀行口座で寄付金を集めていたことも判明し、ソウル市担当者や会計専門家がマスコミに「寄付金の使用先と関係なく、行為そのものでも横領と見なすことができる」とコメントしています。 挺対協が2017年、18年に韓国政府から受け取った補助金が帳簿に全く記録されていなかったことも明らかになりました。 韓国マスコミのタブーが解けたせいか、2004年に元慰安婦13人が「被害の当事者でもない挺対協は慰安婦支援を名目に���腹を肥やし、人���権を侵害している」と募金・デモ禁止を求める裁判を起こして却下されていたことも報道されました。原告のひとり沈美子は「いつ死ぬか分からない元慰安婦を歴史の舞台に物乞いとして売り、私腹を肥やしてきた悪党」と挺対協を糾弾したため、地方自治体であるソウル市が共同で建てた石碑から名前を外されていました。 そして挺対協が「おばあさんたちのため」といって相場の3倍で保養施設を買ったのに元慰安婦に使わせず、尹美香の父親が管理人となってペンション営業で儲けていたことも判明しました。これはさすがにヤバいと思ったのか、大急ぎで半値で売却しています。しかし時すでに遅しで、背任罪で刑事告発されて韓国検察は直接捜査する方針を固めました。
国家レベルの詐欺の親玉だけあって尹美香は負けていません。李容洙について「(30年前に)李さんと最初に電話で話したときは『わたしではなくわたしの友人が…』だった」と慰安婦でなかったことをマスコミに示唆しました。これについて韓国主要紙・朝鮮日報が社説で「もし李さんが慰安婦でなかったのなら、これまで彼らはこれを知りながら利用してきたことになる。もしそのことが事実なら絶対に容認できない」と書いたにも関わらず、尹も李も否定しませんでした。事実確定といっていいでしょう。 それにしても驚くべき自滅・ブーメランぶり。鵜に噛みつかれた鵜飼のように尹美香がさらに憤激し「そもそも本物の元慰安婦はほとんどいない。大部分はカネ欲しさで集まってきた詐欺師の婆さん」と暴露してくれないかなと期待に胸をふくらませています(笑)
★ 「性奴隷」は差別用語!
一連の騒動で「使える」発言も出てきました。李容洙が中央日報インタビューで「性奴隷」という表現は極めて不愉快と発言しました。
「慰安婦という名称は変えてはいけない。性奴隷というが、とても汚くて嫌で仕方ない。尹美香に話した。だが『こう表現してこそ米国が怖がる』と(言っていた)。だから私が『その言葉はやめなさい』『とても恥ずかしい』『私はなぜ性奴隷なのか』(と言った)」 https://japanese.joins.com/JArticle/265909 ならば善は急げ。さっそく国連に要求しましょう!
日本を守るため命懸けで戦ってくださった先人の名誉を守るため、ほんの少しだけお時間をください。国連人権理事会の事務局である国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)にメールを送って、李容洙が訴えているので「性奴隷」表現を禁止しろと要求していただきた��のです。 「被害者」を代弁するのは効果的です。例文コピペなら1分でできます。例文には慰安婦が高給取りの売春婦であったことを明らかにしたアメリカ軍尋問調書の記述も入れています。 念のため書いておきますと、みんなで要請メールを送ることによる弊害は本件では心配いりません。これは日本側の意見表明でなく、国連側の価値観で考えておかしい差別用語使用を是正せよという至極当然の「要求」だからです。 そもそもみんなでメールや手紙を送るのは欧米NGOの基本的手法で、人権問題に関わる国連スタッフにとって常識です。日本の拉致被害者救出運動でも「返せ」と連呼するだけでなく、北朝鮮指導部に大量のハガキを送り付けることも行われています。 国連関連で本当にヤバいのは、欧米の価値観で犯罪とされる行為を行っている、また行っているとされる人物が日本の意見を主張をすることです。ゾッとするくらい危険です。ネオナチ団体が正当な主張をしても欧米で公式に排除されるのと同じです。日本の正当な主張も排除されてしまいます。頑張っている人もいるので詳しく書きたくありませんが、それが現実です。 日本側の見解の説明や説得のためメールを送る場合は、多人数で送ることで弊害が生じる場合もあるでしょう。しかし今回は人権擁護対象の代表とされる人物が差別用語を「使うな」と強く要求している話です。誰が考えてもおかしいわけで、多くの人が強く是正を求めるのは当たり前です。 たとえば日本人の人権擁護を目的とした国連の会合で「ジャップ」「チョッパリ」等の差別用語が飛び交っていたら国連スタッフは抗議されて当然と考えます。逆に強く抗議しなければ認めたと思われてしまいます。 日本は強く抗議すべき場面でしてこなかったため、子や孫の世代にたいへんな負の遺産を残してしまいました。国際社会ではいうべきことを相応の強さで言わないといけないのです。
それでは皆様、よろしくお願いいたします。
◆ 例文 件名: Plea from former comfort woman など(タイトルは個々別々のほうがいいので、できれば変えてください。From ・・とあなた様の名前を入れても構いません)
本文: To Whom It May Concern, I am writing to urge OHCHR to prohibit the use of term "sex slave" for Korean comfort women who worked during the Second World War. One of the most famous former comfort women, Lee Yong-soo, told the South Korean newspaper JoongAng Daily that she does not like being described by the term "sex slave" because she said it makes her feel "dirty and embarrassed." https://koreajoongangdaily.joins.com/2020/05/14/socialAffairs/comfort-women-japan-Lee-Yongsoo/20200514193400307.html The Japanese version of JoongAng Daily reported that she said: "Do not change the term comfort women. Sex slave is extremely dirty and I hate it. I told this to Yoon Mee-hyang but she said 'It will shock the US.' So I said to her 'Stop using the term. I am so embarrassed. Why am I a sex slave?'" https://japanese.joins.com/JArticle/265909 Yoon Mee-hyang is South Korean human rights activist who is currently under investigation for embezzlement and breach of trust. Her office was searched by Seoul West District Prosecutors' Office on 20 May. In fact, Lee and other comfort women were not sex slaves. An interrogation report by the US Office of War Information Psychological Warfare Team in 1944 tells us the truth about comfort women. It said very clearly: "A 'comfort girl' is nothing more than a prostitute or 'professional camp follower'" "They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received 'comfort bags' from home. While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping." "However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases marriages actually took place." Thank you for your cooperation. Yours truly, (あなた様のお名前)
◆ 翻訳文 関係各位 第二次世界大戦中の韓国人慰安婦について「性奴隷」の用語使用を禁止するよう国連人権高等弁務官事務所に求めます。 もっとも有名な元慰安婦の一人である李容洙は韓国紙・中央日報の取材に「性奴隷」と表現されることは不快で「汚らわしい、恥ずかしい」気持ちになると述べました。 (中央日報英語版の当該記事URL) 中央日報日本語版は彼女が次のように述べたと報じています:「慰安婦という名称は変えてはいけない。性奴隷というが、とても汚くて嫌で仕方ない。尹美香に話した。だが『こう表現してこそ米国が怖がる』と(言っていた)。だから私が『その言葉はやめなさい』『とても恥ずかしい』『私はなぜ性奴隷なのか』(と言った)」 (中央日報日本語版の当該記事URL) 尹美香は横領や背任の容��で捜査されている韓国人人権活動家です。彼女の事務所は5月20日にソウル西部地方検察庁によって家宅捜索されました。 実際に李や他の慰安婦は性奴隷ではありませんでした。アメリカ軍戦争情報局心理戦チームが1944年に作成した尋問調書は慰安婦の真実を教えてくれます。下記のように明確に書かれています。 「慰安婦とは売春婦または『職業的な野営地追随者』以外のなにものでもない」 「ほかの場所と比べると彼女たちはビルマで贅沢に近い生活を送っていた。ビルマにおける2年目は特に贅沢であった。彼女たちの暮らしぶりが良かったのは、食料や物資の配給に頼る必要がなく、欲しいものを購入できる多額のお金を持っていたからである。服、靴、タバコ、化粧品を買うことができ、それによって国内から『慰問袋』を受け取った兵士が渡す多数の贈り物では足りないものを補うことができた。ビルマ滞在中は将兵と共にスポーツ行事に参加して楽しみ、ピクニック、娯楽、夕食会にも参加した。蓄音機を持っており、都市部では買い物に出ることも許された」 「求婚されることが多く、実際に結婚した事例もある」 ご協力ありがとうございます。敬具
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詩集「十代プリズム」
詩集「十代プリズム」 1.子供時代 2.夢想少女 3.家出少年 4.最終遊戯 5.満員電車 6.夢遊する泡沫 7.政治家たちのナイトクラブ 8.群衆の断末魔(Heart to Heart) 9.杭 10.大丈夫の呪文 11.嫌いな人との付き合い方 12.21XX -オーサカ狂想曲- 13.シースルー・エモーション 14.ラブ・カルチャー 15.二人は恋人同士 16.混沌と瞑想のポピュリズム 17.詩人の生息地 18.青春プリズム
______________________________________________________________________
1.「子供時代」
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 湧き上がる欲望だ
純粋だった頃の僕にはもう戻れない だけど今できるのは 夢へ走ることだけさ 後悔なんてしたくない だから頑張れる
嵐のように過ぎ去った青春の日々 もう遅すぎると懺悔を繰り返し いつしか僕たちは大人になってしまった 子供時代を思い出す度に涙が止まらなくなる それでも立ち止まってちゃ何も始まらない 君は君のままで走り出すしかない
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 燃え上がる欲望だ
僕たちは社会の歯車として生きている 今できる精一杯(ぜんりょく)を 愛する人のためにぶつけて せめて子供時代の自分を裏切らぬよう 理不尽に耐えて ただ生きている 希望がなくとも ただ生きている 愛する人の笑顔のために
愛がなくちゃ ただの歯車さ 愛があるから 生きている価値がある 価値なんて自分で創造するものだ 誰かに認められるものじゃないのさ 自分の道くらい自分で決めればいいさ 誰かが決める人生なんてつまらないじゃんか
そんな当たり前さえ僕らは忘れてしまった 大人になった僕たちはゾンビのように生きている まるで魂を抜き取られたかのように 無表情で社会(マクロ)の一匹として生きている 未来なんて 明日なんて 今日があればそれでいい 画面が友達さ 空想が友達さ 友達なんて何処にもいない 現代社会の縮図
艶やかに燃える あの頃の思い出 大切なのは自分の意志だ 燃え上がる欲望だ 僕が僕でいることだ
純粋だった頃の僕にはもう戻れない だけど今できるのは 夢へ走ることだけさ 後悔なんてしたくない だから頑張れる
涙なんて拭いて 悲しみも吹き飛ばせ 嵐のように変化する 現代(いま)をまっすぐに生きてゆけ 大人たちの声に耳を塞いでいいんだ 子供時代のように自分だけを信じて生きろ
生きているだけで価値なんて生まれない 価値は自分自身で創り出すものなのさ
これは自分という名の物語の始まりに過ぎない
2.「夢想少女」
何かにかぶれて 誰かに紛れて いつかに怯えて 目線を逸らして 時代に遅れて 泣き出して 夢の中でしか自分になれない少女たち
君はまるで操り人形 操られることでしか主張できない 心棄ててる
何かが駆け出し 誰かが叫んで いつかが始まり 目線は何処��へ 時代は変わった 涙も枯れた 夢と現実の狭間で絶叫する少女たち
お前はまるでピエロのよう いろんなカルチャー着せ替えて 自分で何にも出来ないくせに 生意気ばっか言ってんじゃねえ 大人の本音
何かを信じて 誰かに任せて いつかを願って 目線に入らず 時代に流され 絶望し 再び夢の中で妄想する少女たち
少女を彩るのは 安物のリップクリームと石油仕立てのコスチューム 夢想少女(きみ)は何処へいく??
3.「家出少年」
大人になりたくない 子供のままでもいたくない 大人と子供の境界線 あと少しだけ駄々を捏ねさせてよ
大人は理解ってくれない 子供の蒼い主張(ビート)を 大人と子供の境界線 あと少しだけ子供のままでいさせてよ
だから 僕は家出をしたのさ 片道切符と下着忍ばせ 君の元へ向かうぜ もう僕は自由なのさ!
大人は自分勝手さ 「子供の癖に生意気だ」って言う 大人と子供の上下関係(ヒエラルキー) あと少しだけ背伸びさせてよ
大人が何かを主張(ビート)する 子供はそれに追従(グルーヴ)する 大人と子供の上下関係(ヒエラルキー) あと少しだけ歯向かわせてよ
だから 僕は不良になったのさ 往復切符と教科書(テキスト)忍ばせ 君の元へ向かうぜ もう僕は自由なのさ!
何でもかんでも否定されてばかりじゃ 何にも言えなくなって 僕は僕を見失う そうなってしまう前に……
だから! 僕は独りになったのさ 両手に覚悟と夢を忍ばせ 君の元へ向かうぜ 君だけのために走るぜ
もう僕は自由なのさ! もう僕は自由なのさ!!
4.「最終遊戯」
独りを過剰に怖がり 誰かと群れることがすべてだと そう声高らかに宣言する君は 本当に人間かい?
「生きろ」 「死ぬな」 「生きてることに価値がある」
大人はいつも無責任 子供はいつも無計画
虚無に放り出された frustration 夢幻に放り込まれた satisfaction
僕らは今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
僕らは今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
「諦めるな」 「今を大切にしろ」 「夢を持て」
うるせえんだよ ふざけんなよ 消えちまえよ
声なき叫びがこだまして 君は君でいられなくなる
けたたましく響く vibration ぬくもり求める communication
君は今何処で何をしているのだろう? 何のために生きているのだろう?
嵐の中に放り出された 一欠片のmoral 刹那の中に放り込まれた 孤独のfunny girl
大人にすべてを依存して 行く先さえも決められない それが現代の私たち 私はただの子羊さ
5.「満員電車」
ちょっと、そこの君。 そんなに座ることに拘らなくたっていいじゃん 座って何が得になるの? 人生変わるの?? 少年のまっすぐな瞳が胸に突き刺さる
いつしか、僕らは純粋な心を忘れてしまった。 ずっとずっと少年のままでいようと約束したのに 今や��遠のスパイラルの中で生きている 孤独の中で生き���いる
たかが三十分、されど三十分。 イヤホンを付けた君は本当に大切な���のに気付かずに 耳の中を流れる音楽にただ夢中で 運命の出逢いさえも流れていってしまうんじゃないか そんな気すらもしてしまうよ
結局、 僕らは猿に逆戻りしているんじゃなかろうか 人間であることを放棄しているんじゃなかろうか 人が人である証拠は感情を言葉にできることだ しかし、 今の人はそれを極端に恐れている
もしも、満員電車の中で。 わたしがわたしであることに満足して あなたが他の誰かにもし入れ替わっていたとしても わたしはそれをあなたとして認識するのだろう
それが人間ってやつさ
少年はつぶらな瞳で真実を見つめている
6.「夢遊する泡沫」
今日も僕は宇宙旅行を続けている 希望と失望と絶望を携え 誰とも理解らない誰かのために闘っている 闘いは誰のためにあるものなのか 答えさえも理解せず あるはずのない永遠を信じて闘っている 僕らは何のために生きているのだろう そもそも 何故生きているのだろう 哲学的思索の果てに 夢幻世界で夢遊を続ける泡沫たち 朝から 真昼間から 夕方から その拠り所は知らないが とにかく 誰かのために闘っていることだけは確かだ 時代は変わり 運命も変わり続けてゆく そんな過去と未来のコンツェルトに翻弄され 僕らは夢遊する泡沫として生命を紡いでいる あゝ 何故生まれてきてしまったのか 何処かで大男が叫んでいる 恨めしい声で叫んでいる 最終電車が堂々と通り過ぎた頃 見えない誰かが線路上で踊っている 生きろ 生きろ 生きろ 誰かが呪文のように唱えている
7.「政治家たちのナイトクラブ」
君が誰かなんて関係ない ただ闇雲に踊り明かそう 片手にドンペリ 片手にシャンパン お酒の力でノーサイド
あんなこと言ってゴメンね 敵も味方もない夜だから 大人同士のカンバセーション 「好きだよ」弾む会話
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね!
何を言ったかなんて関係ない ただ頓狂に語り明かそう 片手に印鑑 片手にFAX 時代なんて気にしない
こんなこと言ってゴメンね 愛も希望もない世界(くに)だから 子供のように笑わせて 「好きだよ」皮肉な言葉(こえ)
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね! くれぐれもお手柔らかに!!
いつも主役は私たち 今が良ければそれでいい 明日も主役は私たち スーツは素性を隠す仮面
今日の主役は私たち 国民なんてどーでもいい 明日も主役は私たち またあの場所でヨロシクね! ここは政治家たちのナイトクラブ
8.「群衆の断末魔 -Heart to Heart-」
今日も群衆の真ん中で 悲しいニュースがスキップをしている 愛なんて、独りなんて、と喚きながら 傍観者たちはただ感情論に走っている 怒りをぶつけようにもぶつける場所がない だったら周りの誰かにぶつけてしまえばいいじゃない 自分じゃない自分がまるで悪魔のように囁く 解決策も見出せないのに 慈しむだけのあなたに何ができるのだろう? 心と心を付き合わせ 変えようのない昨日よりも どんな風にだって変えられる明日を変えることが どれだけ有意義なことなのか何故わからないのだろう?? 夢は夢の中で言えばいい 独り言は独り言のままでいい 屁理屈なんて言わないで 被害者を減らすたったひとつの方法は 加害者を生まないようにすればいいんだ そうすればもう誰も悲しまなくて済むんだ ゼロになるまで考えろ 誰かのために心と心を付き合わせ ゼロになるまで考えろ それがきっと僕らにできる唯一のこと 傍観者にできる唯一のこと 泣かなくてもいい 寄り添わなくてもいい そっと手を差し伸べてあげられる勇気があればそれで十分だ
9.「杭」
僕が生きている 世界は狭すぎて 大事なことさえ 何も見えないよ
群衆の中に潜む 静かな時代の風 求められるのは忠順さ 個性などは要らない 世界を知らない子供(ひと)に 大人(きみ)は正義ぶって 世の掟(きまり)を教えようなんて 口癖(ルーティン)のように言う
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその意志さ 出過ぎた杭は打たれない
君が生きている 世界は広すぎて 嫉妬心すら 感じてしまうよ
ビル群の影に隠れて いつも君は泣いている 常識が口癖さ 大人はつまらないよ
外界(せかい)を知らない子供(ひと)に 大人(きみ)は大人ぶって 外界(せかい)はつまらないよなんて わかりきったように言う
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその夢さ 出過ぎた杭は打たれない だから思いっきりはみ出そう
ぶち壊せ! 何もかも、変えてしまえ。 走り出せ! どんな声も、耳を塞げばいい。 大切なのはその意志さ 出過ぎた杭は打たれない だから思いっきりはみ出そう
10.「大丈夫の呪文」
気安く言わないでよ うるせえんだよ 何度も、何度もさあ、 私だって言うときゃ言うよ ロボットじゃないんだから 人間なんだから 画面の向こう側にいるからって なんでも言っていいと思ったら大間違い 私は私なの、わかる? ずっと泣いてるし、ずっと怒ってる、 やり場のない感情をどこにもぶつけられず 誰かの言葉に怯え 誰かの行動に身構え 後ろ指を指されないように透明人間を演じてるの 目立たないことが正義なんでしょ? 制服はきっちり着てほしいんでしょ?? わかるよ、黒髪のままでいてほしいって ほんとはそう思ってるよね 私だってあなたの言いたいことくらいわかる 全部お見通しよ、女の子を舐めないでよ ……ちょっとくらい好きにさせてくれたっていいじゃん
11.「嫌いな人との付き合い方」
現代は「キライ」と言いづらい世の中だ。 「キライ」という言葉はどうしても角が立つ。
でも、やっぱり「キライ」なものは「キライ」だ。 「キライ」なものを「スキ」って言うのは難しい。 そういうもんだ。
「だってさ、キライなんだぜ?」 「キライなのにスキっていうほど面白くないものはないよなあ」
ちょっと気取って言ってみる。
現代は「キライ」と言ってはいけない世の中だ。 「キライ」という言葉よりも「フツウ」という言葉の方が好まれる。
だが、「フツウ」はやっぱり「フツウ」だ。 「フツウ」という言葉ほど曖昧なものはない。 もっと言えば、馬鹿馬鹿しい。
「そのマヌケヅラを何とかしろよ?」 「君は二文字の言葉さえ躊躇するのかよ」
言葉にそう言われているような気さえしてくる。
ばーかばーか。
絶対現実では言えないけれど、 布団の中では声を大にして叫べそうだ。
夢の中で、僕は毒舌になる。 臆病者の独演会、今夜も始まる。
12.「21XX -オーサカ狂想曲-」
数十年前、関西弁は消滅した。
すべてはひとつの言葉に統一され、 見知らぬネオンが街を支配し、 僕が僕を認識できなくなる。
お好み焼きも、たこ焼きも、どこへ行ってしまったのだろう。
日本食はとっくの昔に放棄され、 食糧不足のこの国に残されたのは、 ご飯のような無味無臭のなにか。
美味しくもなければ、不味くもない。
僕は何も感じない食事を済ませ、 ダイスほどの荷物を纏め、 メトロポリスを跡にした。
ここはいつから、こんな砂漠になってしまったのだろう。 最新式の方位磁石に目を凝らし、 まるで一ミリメートルの糸を手繰るかのように、 砂漠の都会(まち)を進んでゆく。
どんなに頑張っても、夢なんて掴めっこないんだ。
胸に刻まられた消えない証が、 僕の好きに生きたいという欲望を、 永遠に不可能のまま葬ってしまう。
逃げたい、逃げられない、逃げようもない。
好きな人も、守るべき家族も、 誰かによって紡がれた石碑も、 みんな何処かへ行ってしまった。
環状線跡のスラム街に足を踏み込む。
明朝八時、 僕の最後の冒険は高らかに幕を開ける。 生きるために、最後の闘いを始めよう。
13.「シースルー・エモーション」
これ着けてごらんよ。 今流行りの、何もかも御見通しってやつ。 ほら、タダであげるからさ。
「えっ、いいの?」
少年はぎょっとした瞳でこちらを見た。 何か続けなきゃなと思い、私は必死に言霊とやらを膨らませた。
みんな、近いうちに必ず着け始めるから。 これさえ持っていれば、君も流行を先取りできるよ。 遠慮なんていらない。 さあ、早く着けなよ。
「でも。知らない人にモノを貰っちゃいけないって言われてるんだ」
私はよく教育された少年だな、と思った。 だけど、これを売らないと私は殺されてしまう。 命が懸かっているんだ。
お願い、これを受け取って。 私からの一生のお願い。 幸せになれる。 ほら、開運のおまじないだと思ってさ。
「わかった。貰ってあげる」
『良い子だ』 ……思わずそう言いそうになった。 いけない。 少年の前ではこの言葉は禁句だ。 これを言った瞬間、あどけない表情は怪訝な瞳に変貌する。
私は未来人として、このメガネを売らなければならない。 たとえ、そのメガネが何の変哲もないタダのメガネだったとしても。 私は私の仕事をするだけさ。
14.「ラヴ・カルチャー」
恋そのものが軽くなっている、 と、誰かが言った。
いつでもどこでも出逢えて、 誰とでも恋ができる。
手紙を送り会わなくても、 文通��繰り返さなくても、 パッと手を伸ばせば、 君を抱きしめることだってできる。
それが、 現代のラブ・カルチャー。
大人たちに何かを言われる筋合いなんてないし、 私たちは私たちのコミュニティをつくっている。
それが自由の正しい使い方であって、 真のクリエイティビティと言えるだろう。
愛と、理想と、希望を掲げて。 僕らは夢を叫び続けている。
15.「二人は恋人同士」
今年の夏が待ち遠しいよ キミと一緒につくろう 最高の思い出を
夏のビーチに水着姿の彼女 いつもと違うメイクに とびきりの笑顔を
キミと過ごした夏 世界色にきらめいてる あの日の記憶(メモリー) ずっと続かないかな 二人だけの素晴らしき日々 いつか歳を重ね 思い出 色褪せたとしても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない
夏の訪れに張り切る海岸線 半袖のTシャツに とびきりの時めきを
キミと過ごした夏 貴女色に輝いている 最高の思い出を
どうか終わらないで 二人だけの素晴らしき時間(とき)
いつか歳を重ね 今日(いま)がセピア色になっても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない
いつか歳を重ね 思い出 色褪せたとしても 僕たちはずっと一緒だよ 青春は終わらせない キミと最高の思い出を……
16.「混沌と瞑想のポピュリズム」
貴方を惑わす置き手紙 もううんざりよ その微笑(えがお)には 心残りは結ばれなかったこと きっと貴方はそう呟くでしょう
混沌と瞑想のポピュリズム 貴方は夢を見ているの
混沌と瞑想のポピュリズム 愛を知らぬ貴方にお似合いね
混沌と瞑想のポピュリズム 独身貴族は愛を知らない
悩ましく囁く愛の言葉 もううんざりよ 嘘つきには 「貴女に出逢って良かった」なんて 紳士気取りはもう止めてよ
混沌と瞑想のポピュリズム 私も夢を見ていたのかもしれない
混沌と瞑想のポピュリズム 嵐の前の静けさよ
混沌と瞑想のポピュリズム 涙は愛の渇望(リクエスト)
見つめ合い抱きしめ合い接吻(くちづけ)交わせば 誰でも虜に出来るなんて 貴女の口癖 独身貴族の悪い癖
混沌と瞑想のポピュリズム 誰もが夢を見ているの
混沌と瞑想のポピュリズム ずぶ濡れになりながら君は泣いている
混沌と瞑想のポピュリズム
混沌と瞑想のポピュリズム
独身貴族は愛を知らない
17.「詩人の生息地」
何をしていても、何処にいても、何故だか落ち着かない。 そんな日々が続くと、人は不安になる。
得体の知れない何かに常に追いかけられているような、 哀しみとも言えない感情に支配されているような、 とにかく、ネガティヴな気分になってしまう。
好きな人なんて、もういらない。
そう高らかに宣言したはいいけれど、結局恋を求めるのが人の性分。 愛と、夢と、希望があって、やっと半人前。
独りでいるだけで、世間からは白い目で見られているように感じる。
本当は独りが好きなのに、本当は独りでいたいのに。 これが同調圧力ってもの。 カフェテリアに、今日も誰かのヴォイス・アンサンブルが聞こえる。 その隙間で、息苦しそうに言葉を紡ぐひと。 それが詩人という生き物だ。
18.「青春プリズム」
屈折する、 感情も、行動も、何もかも。
挫折する、 夢も、目標も、何もかも。
愛なき時代とは言わないけれど、 今の時代に希望なんてない。
何もせず、 何かを始めようとするわけでもない、 そんな奴に希望なんて叫んでほしくない。
僕らに芽生えた反抗心は、 ひとつの青春プリズムを産み落とすこととなった。
かつて、大人にその力で反抗しようとした学生たちのように。
表面的には沈静化したつもりでも、 学生たちにはずーっと芽生え続けている。
大人にもなれず、子供にもなれない。 ジレンマが僕たちを大人にする。
あとがき「わたしの十代プリズム」
わたしたちは十代プリズムで屈折する。 内面的にも、外面的にも。 屈折しないと学べないことがいっぱいある。 ずっと楽しいまま生きられる人なんていない。 十代のわたしたちにとって、この世界は狭すぎるのだ。 なぜ、校則を守らなければならないのだろう。 どうして、就職活動の際にスーツを着なければならないのだろう。
わたしたちの素朴な疑問は、いつしか多忙に相殺されていく。 こうして、ティーンエイジャーたちは諦めるという言葉を知る。 要するに“挫折”を知ってしまうのだ。
挫折を知ってしまった人々は、もうまっすぐに生きてはいけない。 何をしようとも、屈折して生きるしかない。
わたしは四ヶ月後に十九歳になる。 あれだけ長いはずの十代が終わりを迎えようとしている。
「十代って、素晴らしいものだ」
十代になった頃、わたしはそう思っていた。 でも、それは半分正解で、半分間違っていた。
この詩集はわたしの十代の記録だ。 何処かがフィクションで、何処かがノンフィクション。
わたしは十代に入って、ようやく物心がついた。 誰かに指示されるのではなく、自分で考えることを学んだ。 多くの挫折を経験し、多くの絶望を味わった。 今も決して希望が見えているとは言えない。
だからこそ、書けた作品である。 逆説的に言えば、今しか書けない作品とも言えるだろう。
わたしにとって「創作」とは、ライフワークそのものだ。 恋人でも、親友でも、捉え方は好きにしてもらって構わない。
でも、ひとつだけはっきりしていることがある。
十代に創作という分野に出逢えて、本当に良かった。
たくさんの人に迷惑をかけ、多くの人を失望させてしまった。 過去はもう変わらないし、変えられない。 だけど、今から何かを変えることは可能だ。 物語という白紙のキャンバスに、無限の世界を描いていく。 その道筋の中で、誰かの人生を変えることだってできる。
あなたも何か描いてみたらいい。 みんなも、創作しよう。
いじめたり、いじめられたり、嫌なこともたくさんあった。 でも、いつもそばには創作がいた。 だから、今音楽大学で夢を追いかけられているし、ここで生きている。
最後に、あとひとつだけ。 不器用で、どうしようもなくって、文章も大して上手くはない。 話をすれば散らかり放題だし、ボソボソ喋るからみんなを困らせてばかり。 こんなわたしを支えてくれてありがとう。 ちょっとずつ直していこうと思っています。
これまで出逢ったすべての人々、これから出逢うすべての人々に感謝の意を込めて。
ありがとう。本当にありがとう。 これからもよろしくね。
詩集「十代プリズム」
Produced by YUU_PSYCHEDELIC Concept Created and Designed by UYUNOONUYU(ウユノユウ) Written by Yuu Sakaoka
Special Thanks to My Family,my friends and all my fans!!
YUU_PSYCHEDELIC
#詩#詩集#創作#YUU_PSYCHEDELIC#十代#青春#キリトリセカイ#teenager#poetry#youth#youthculture#art#modern art#poem#若者#アート
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和歌山旅行記
ふと思い立ち、昨年の夏に和歌山で書いた日記を旅行記としてまとめることとした。約1年前のことなので曖昧になった部分もあるが、総じて良き思い出であったと記憶しているため、できるだけそれを損なわないように補足した。もっとも、旅の始まりは最悪であったが…。
8月31日
9時起床。本来休みのはずの仕事に出る。ただでさえやる気がないのに、昨日解決したと思っていた面倒事がぶり返して泣きそうになる。大きな不安を残して16時に上がり、バタバタと和歌山へ。市内に着いた頃には20時前になっていた。県庁所在地にもかかわらず驚くほど魅力的な飲食店がなかったため、食べログで見つけた駅ナカのラーメン屋で仕方なくつけ麺を食べるも、至極微妙な味。改めて京都のラーメン屋のレベルの高さを知る。ホテルはホテルで激安プランを選んだせいで、なぜか鏡張りの廊下、迷路のようにおかしな内部構造、ボロボロの内装、暗い部屋、薄い壁に虫さんもコンニチハとさながら監獄のようなありさま。トイレは浴室の奥にあり、風呂上がりにはビショビショの床をつま先で渡り歩いて行かねばならない。さらに窓を開けると目と鼻の先に壁があり、閉めきっていたとしても、雨でもないのに絶えずポタポタと水滴の落ちる音が聞こえてくる。おまけに翌日の靴下を家に忘れて来たことに気づき、コンビニに買いに行く始末。無駄な出費に心が傷む。なんともツイてない一日だ。さっきから向かいの部屋のテレビがうるさく、モヤモヤして部屋でタバコを4本も吸ってしまった。0時。さっさと寝て明日に備えよう。今日で8月が終わった。
9月1日
8時起床。極悪昭和レトロなホテルにオサラバした後は���夕方まで研修。グループワークが主体のもので、ディスカッションではモアイ像と化す自分を発見。最後まで苦戦しつつもなんとかこなす。しかし、例によって参加者との交流はうまくいかず、最後までじっとしていた。社会的な身ぶりがどうにも苦手なのだ。昔から集団の中にいるのが耐えられない性格で、浮いていたというわけではないものの、心ではマスの潮流に反発をしていた。そのため、私の第一印象は他人にとって大抵よろしくないようだ。私はそれをわかっているので、時間を置いてそこから巻き返すことにしている。今回のように一回きりの出会いではそういうわけにもいかないのだが、やはり共同体からは抜け出ていたいという個人的な心理がどうしても勝った。我々は服を着た動物に過ぎない。一時的な社交をそつなくこなす能力など本当に馬鹿馬鹿しい。と同時に、そんなことを考える私が一番の大馬鹿者なのだ、とも思う。社会に対する態度、このアンビバレンスは時たま私を引き裂こうとする。最近は心を開く方が有意義だということもわかってきたので、自分なりに努力をしているつもりだ。今日はたまたま失敗しただけ。明日からまた頑張ろう。 さて、和歌山駅に戻り、行く予定はなかったものの、気が向いたので井出商店でラーメンを食べた。いわゆる京都ラーメンと似た醤油豚骨味で、優しい味わい。腹ごしらえを済ませた後は紀伊勝浦に向かうのみだ。同じ和歌山なのに電車で二時間半と約5000円かかるのというのがすごい。車中ではほとんど寝ていて、着いた頃には21時半になっていた。今日から2日間、海に面した温泉宿に泊まる。チェックイン早々にフロントのおじさんが明日の観光プランを一緒に考えてくれた。人の純粋な優しさに涙が出そうになる。風呂は天然温泉で、硫黄の匂いが立ち込めていた。ぬる湯と熱湯。肌がスベスベになり最高に気持ちがいい。永遠に入っていられるんじゃないかと思った。部屋に戻り、コンビニで買ったビールで小さく宴会。波の音が聞こえる。普段は海のない都市に住んでいるので、海沿いの小さな町には何か憧れめいたものがある。かつて夢に出てきて今も忘れられない場所もこのような土地ではなかったか。そんな気もしてくる。当時、起きてすぐに地図を調べたが全くわからなかった。だが判明してしまったところでどうすると言うのか。きっと手を付けずにおいた方が良い記憶というのもあるのだ。1時。明日は念願の那智の滝だ。心地よい疲労感が安眠をもたらしてくれるだろう。
9月2日
8時半起床。カモメの声で目が覚める。朝飯を食べに、地元の漁師が集う「めしや 里」へ。宿の人が予約してくれていたみたいで、一の滝さんから来たの? と聞かれる。前日、フロントで���物を尋ねた時に知った穴場の店だ。まぐろ造り定食を頼むと、サク2つぶんの分厚い切り身にどんぶり鉢いっぱいのご飯と味噌汁という、とんでもない量で出てきた。さらにご飯はおかわり自由かつサービスのまぐろソテーまで出してもらう。これで1000円だ。あまりに多かったため食べ切れずに残してしまい、とても申し訳なかった。ここのまぐろは冷凍せず、水揚げすぐのものを出しているとのこと。だから食感がムチムチで大層美味かった。魚の値段が高騰している時は1000円で出せないため、まぐろが食べられるかどうかはその時の仕入れ状況によるそうだ。食事ついでに勝浦の話を色々と聞く。熊野が世界遺産に登録された頃は観光客が多かったが、やはり昔に比べてだいぶ寂れてしまったとのこと。確かに、駅前から歩いている時、やってるのかどうかわからないようなフィリピンパブやスナックが立ち並ぶ鄙びた商店街が印象的だった。他のお客は船頭さんが4人。ずっとフィリピン人の姉ちゃんの話をしていたが、そのうちの1人が、今度有休を取って来たら寝る場所と食べる物をやるよ、と言ってくれた。人の温かさに触れられた朝だ。帰りがけに、次は彼女を連れて来いよと言われた。きっとそうしよう。 重たくなった腹を抱え、紀伊勝浦駅で那智山までのバス往復チケットを買って大門坂で下車。熊野古道を歩く。苔むした林道は写真で見たそのままの、いにしえの雰囲気。汗をかきながら那智大社を目指す。脇には青い山が連なり、木々の間を抜けて爽やかな風が吹いてくる。海から近いのになんとも雄大な山々だ。青岸渡寺を参拝後、かねてから念願の那智の滝へ。あまり知られていないことだが、京都にも熊野三山を模した熊野神社があり、後白河法皇が熊野詣でをする際は、そのうちのひとつである熊野若王子神社の小さな滝で身を清めてから出発したそうだ。私は熊野若王子神社の奥にある滝宮神社と、そのさらに奥にある池が好きなのでよく行っている。霊感を受けて詩の題材にもしたほど思い入れのある場所なのだ。その都度いつか那智を訪れてみたいと思っていたため、今回本物の滝を見れる機会に恵まれて、私はかなり興奮していた。階段を降りる足も自然と早まる。そうしてようやく飛瀑へと辿り着いた時、私は本当に唖然とした。その威容、その勢い、その迫力。133mにもおよぶ高さから、無数の龍頭が地上へ突入してくる。ああ、神よ。なんという驚異。開いた口が塞がらないとはこのことだ。私は手を合わせることも忘れ、しばし呆然と佇んでいた。そして気づけば半時間ばかり経っており、首の痛さでふと我に返った。いやは��、ここが「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどの信仰の地となったのも頷ける。神がいて、我々はそれに生かされる。ただそれだけのことなのだが、それがいかに重大なことか。心が洗われた気分だ。三重塔前の句碑にはこうあった。『薄紅葉して神の那智滝の那智』。 バスで麓まで戻り、那智海水浴場の砂浜を歩く。風が爽やかだ。そのまま熊野街道に入ってひたすら南へ。約5kmの道のりの末、カフェきよもんにてアイスコーヒーとタバコで休憩し、きよもん湯へ。源泉かけ流しの硫黄泉はしっかりと茹でタマゴの匂いがする。小さな気泡で肌もスベスベに。気持ちよく長湯をした後は歩いて山を越え、夏山(なっさ)温泉「もみじや」へ。海沿いの道のどん詰まりにあるここは、まさに秘湯と呼ぶにふさわしい場所。旅館業がメインのようで、300円で日帰り入浴もできる。地図でたまたま見つけただけだったが、これが当たりだった。客は誰もおらず、小さく古い(が、綺麗な)浴室は貸切状態、湯船のへりからは贅沢にも湯が勢いよく溢れ出ている。ここも硫黄泉で、今回入った3つの温泉の中で最も濃い匂いがした。どっぷりと長湯を楽しみ、昭和のままで時間が止まったかのような館内でしばし休憩。宿泊客の食事の準備が始まったようなので、一言お礼を言ってからもと来た山道を引き返し、勝浦のまぐろ料理「桂城」へ。まぐろ定食に舌鼓を打ち、ホテルに戻る。フロントにいたオーナーに今日の行程を伝えると、昨日立てた作戦、大成功やったね、と喜んでくれた。ついでに奥さんも交えて勝浦の話を聞かせてもらう。熊野の歴史や宿の自慢、那智の滝で満行した行者が身を投げたこと、補陀落渡海の悲しさ、あたりの島々にまつわる伝説やエピソード、源泉かけ流しと謳う温泉の裏話、昨日から太地に捕鯨反対団体が来ていること等。明日太地に行くと伝えると、逆に貴重なものが見れるかもしれないねと言われる。日本の文化を尊重して欲しいものだと一緒に嘆いた。その後、身体を癒すため、ホテルの温泉に浸かる。ここの湯は偉い先生がナントカ言って褒めたそうだ。昨日も言ったが、本当に気持ちが良い。全身の力が抜けた。 今日は3つの温泉でリラックスできたとはいえ、一日中歩きっぱなしでかなり疲れた。後で地図を見ると15kmをゆうに超える行程であったことがわかった。一人旅でなければこうはいかないだろう。新しく買ったパラディウムの靴も役に立った。1時半。良い旅だと思う。明日はなんとか5時半ごろの日の出を拝みたいのだが、叶うだろうか。もう寝よう。
9月3日
5時半のアラームで飛び起き、部屋から日の出を見る。弁天島の緑の間から登る朝日が辺りを橙色に染めていた。素晴らしい朝だ。私はそこに神話の空気を感受し、思わず手を合わせた。感動的な静謐のパノラマが広がる。熊野よ、なんという土地だ。 二度寝の後、8時半に起きた。今日は波があるため、紀の松島をめぐる遊覧船は欠航らしい。フロントのスタッフに世話になったと告げ、勝浦から電車で太地駅まで向かう。次の目的地まではバスに乗るつもりだったが、なんとなく歩きに変更。途中にあった「くじら家」でランチを食べる。尾の身と頬肉の刺身に、鼻孔の味噌漬け、大和煮、串カツ、ベーコン、さえずりの吸い物など、まさに鯨尽くしの定食は少々値が張ったものの、食べられるだけ貴重なのでありがたく頂く。鯨と言えば血の匂いのする獣肉で、どこか魚のような風味もあるのが特徴だ。野趣があってうまい。腹いっぱいになったところで再び歩いて太地町立くじらの博物館へ。捕鯨の歴史に関する展示物や骨格標本・解剖学的標本などを一覧し、クジラショーとイルカショーを見学。4m近いクジラのジャンプは見応えがあった。マリナリウムではアルビノのイルカが泳いでおり、その神秘的な姿に見惚れた。その後、岬まで歩こうかと思ったが、かなり距離があったため「白鯨」という宿でレンタルサイクルを借り、上り坂を飛ばす。燈明崎に着いた頃には足が疲れており、歩かなくて良かったと思った。さて、太地町の果て、太平洋を一望できるこの岬には、見張り台と支度小屋の跡がある。昔は鯨の潮吹きを見つけると法螺貝を吹いて船に知らせたそうだ。命がけで戦った海の男たちに思いを馳せる。梶取崎にも足を運ぼうかと思ったが、電車の時間が迫っていたためここでやむなく撤退。帰途、警察が囲む物々しい雰囲気の中でイルカ漁が行われているのが見えた。後でニュースを見ると外国人の活動家が数名来ていたようだ。彼らは写真を撮ったくらいで目立ったことはしなかったらしい。そういえば、勝浦に向かう電車の中で金髪碧眼の背の高い男を見かけたことを思い出した。自転車を返却し、16時過ぎに太地駅を後にした。 京都の自宅に着いたのはそれから5時間後の9時だった。友人Zからの連絡で、今出川の居酒屋へ行くと、久々に会う同級生のKと友人Tがいた。それぞれが自分の近況や人間関係、今後のことについて語り、0時に解散。寝たのは1時半ごろだった。
後記
今回の旅は全くの成功だった。自然と信仰、海と食、それから温泉。陸の果て、紀伊半島南端の文化を大いに楽しめ、濃密な時間を過ごすことができた。だが実際、私が触れられたのは熊野の表層くらいものだろう。訪れて初めて知ったのは、とても一度では回り切れないほどの史跡と自然があるということだった。しばらく滞在したとしても、おそらくその全てを味わい尽くすことはできない。ひとつの地域を知るには、ひとつの生涯を懸ける必要がある。ふと、そんな言葉も浮かんできた。その点、私はお気楽な旅人なので、ぶらぶらと歩くだけであり、首を突っ込んだり突っ込まなかったりする。これは旅の良いところだ。海と山のあわい、そこに吹く風も住む人々も皆優しかった。生涯のうちで記憶すべき場所のひとつとして、私は熊野を心のどこかにしまっておこう。そうして、いつかまた必ず行くだろう。
#エッセー#エッセイ#随筆#旅行記#日記#雑記#旅日記#散文#和歌山#勝浦#紀伊勝浦#太地#那智#那智山#那智の滝#那智勝浦#那智大社#熊野#熊野古道#熊野神社#熊野三山#青岸渡寺#マグロ#夏山温泉#旅行#旅行記録
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ベルギー・アントワープの「フランダースの犬」の石碑が中国資本の像に変わったという話
トヨタ寄贈の「フランダースの犬」記念碑はなぜ中国資本寄贈の石像に置き換わったのか 毎日新聞2019年4月20日 12時10分(最終更新 4月20日 12時31分)
名作童話として読み継がれ、日本では1970年代にテレビアニメも大ヒットした「フランダースの犬」。ベルギー北部フランダース地方のアントワープにある聖母大聖堂は、主人公の少年ネロが最期を迎えた舞台として、今なお日本人観光客の「巡礼地」であり続けている。大聖堂の前にはかつて、日本とアントワープの友好の象徴として、物語をモチーフに建てられた記念碑があった。ところが2年半前に取り壊され、現在では中国資本が寄贈した新たな石像に置き換わっている。欧州で拡大する中国の影響力は、ここにも表れているのだろうか。フランダース地方出身のインターン記者と共に取材した。
大聖堂前の広場から消えた「日の丸」
<パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。パトラッシュ…>
真冬のアントワープ聖母大聖堂。憧れの巨匠ルーベンスの祭壇画を目にすることができた少年ネロはその場で力尽き、愛犬パトラッシュを抱いて冷たい石の床に横たわったまま最期の時を迎えた。75年に放映されたアニメシリーズ「フランダースの犬」の印象的なエンディングである。
【画像省略】 「フランダースの犬」の舞台となったアントワープの聖母大聖堂=アントワープで2017年2月11日、八田浩輔撮影
このシーンを想起させる少年と犬の白い石像が、アントワープ中心部にある大聖堂前の広場に完成したのは、2016年12月のことだった。寄贈したのは中国・深センに本社を置くジュエリーブランド「周大生」。石像のわきにあるパネルには、中国の人々と周大生が、アントワープのダイヤモンド産業に貢献したことへの謝意が記されている。港湾都市アントワープは、世界で流通するダイヤモンドの原石の8割が集まるダイヤ取引の中心地だ。
広場の同じ場所にはかつて、日本の関係者の協力で03年に建てられた記念碑が存在していた。「フランダースの犬」は英国の作家ウィーダが19世紀後半に発表した作品だが、舞台として描かれたベルギーのフランダース地方では、物語を知る人は多くない。ゆかりあるアントワープにも「フランダースの犬」にちなんだ記念碑などは存在せず、現地の日本人社会が建造を働きかけたのだった。
03年5月9日。記念碑の完成式典には当時の駐ベルギー日本大使やアントワープ市幹部らが出席し、日ベルギーの友好の証しとして両国の国旗も記念碑の上にかけられた。御影(みかげ)石で作られた記念碑は縦1メートル・横2メートル・高さ45センチの箱形で、ネロとパトラッシュを描いた円形のガラスが中心部にはめ込まれていた。夜間になるとガラス部分の内側から赤い照明がともり、日の丸のように浮かび上がる仕掛けもあった。4万ユーロの建設費はトヨタ自動車の現地法人が寄付し、上面には日本語でこう刻まれていた。
<この物語は悲しみの奥底から見出す事の出来る本当の希望と友情であり、永遠に語り継がれる私達の宝物なのです>
【画像は別掲】大聖堂前の広場に新しく建てられたネロとパトラッシュの石像=アントワープで2019年2月1日、久野華代撮影
碑文を考えたのは、ウェブデザイナーの日本人男性(50)だ。男性はそれまでベルギーを訪れたこともなかったが、「フランダースの犬」に関する情報を紹介するウェブサイト「PATRASCHE.NET」(パトラッシュ・ドット・ネット)を90年代後半から運営する筋金入りの愛好家として白羽の矢が立った。
電話取材に応じた男性は「『フランダースの犬』は自分の人生にとって大切な宝もの。聖書と同じようなものです」と物語への思いを語る。テレビでアニメシリーズが放映されたのは、小学生の低学年のころだった。母がいない主人公ネロと同じ境遇で育った自分を重ね合わせて共感し、作品の持つキリスト教的なメッセージは、後にクリスチャンになるきっかけになったという。
男性は数年前、記念碑が移動するかもしれないとの情報を現地の知人を通して耳にした。「最初はフランダースの犬が多くの人に広まるのであれば、残念だけどやむを得ないと思いました。でも……」。それからしばらくして記念碑は取り壊され、同じ場所にネロとパトラッシュの新しい石像ができたことを知った。
男性は経緯を尋ねるために、現地の関係者や日本の外務省、在京のベルギー大使館などに問い合わせたが、現在に至るまで納得できる回答は得られていない。
「寂しい思いしかない」。男性は何度も繰り返した。
「正しい方向であればスポンサーは誰でも構わない」
記念碑はなぜ撤去されなければいけなかったのか。新しい石像の建造とスポンサー探しにかかわったアントワープの観光ガイド、タンギー・オットマーさん(37)を訪ねた。飼い犬をパトラッシュと名付ける彼もまた「フランダースの犬」に魅せられた一人である。
「いつも記念碑が壊れているのを見るのが悲しかった」。オットマーさんは、建て替えが必要と考えた理由について、説明を始めた。記念碑は、広場を取り囲むレストランを回る配送トラックがたびたび接触し、破損と修復を繰り返していた。時には壊れたまま2カ月近く放置されることもあった。「フランダースの犬」を知らない地元の人たちから記念碑として関心を寄せられず、45センチというちょうどいい高さ故に腰掛けとして使われて「トヨタベンチ」と呼ばれていたことも残念に感じていたという。
フランダースの像
オットマーさんは16歳のころ、アントワープの歴史を調べる中で、ネロとパトラッシュの物語を偶然知った。観光ガイドとなってからその魅力に改めてひかれ、人気の背景を知ろうと日本を訪れたこともある。アントワープ市が観光資源として「フランダースの犬」を十分活用していない状況を変え、フランダース地方を含むベルギー全体で知名度を高めたいという思いを持ち続けていたという。
オットマーさんは10年、「フランダースの犬」をモチーフにした新しい像の建造に向けた国際デザインコンクールを企画したが、市側の協力を得られずに開催には至らなかった。この時、日系企業のスポンサーも探したが、「良い反応は得られなかった」という。状況が変わったのは16年だった。ガイドの顧客だった中国のジュエリーブランド「周大生」の関係者を通して、同社から金銭的な支援を得られることになったのだ。
市側の事情も変わっていた。アントワープ市政は13年からフランダース地方の分離独立を掲げる中道右派の新フランデレン同盟(N―VA)が握った。破損を繰り返す記念碑の修復費用を負担していた市側は、新しい像の寄贈を持ちかけたオットマーさんらの提案に乗った。
観光客の動向も影響した可能生がある。アントワープ市を訪れる日本からの観光客は近年、顕著に減っている。07年には1万4700人だった日本人観光客は、17年には5500人まで落ち込んだ。取って代わるように中国からの観光客は増加を続けている。12年を境に日本人観光客を上回り、17年は9800人と日本人観光客の倍近くが訪れた。
「フランダースの犬は、友情や信念、そして前向きな思考の大切さを伝える普遍的な物語です。(像が示すメッセージが)正しい方向であれば、スポンサーは誰であっても構わないはずです」とオットマーさんは言う。
同じ16年の5月、「フランダースの犬」の原作にならって、受賞者がアントワープの王立芸術アカデミーで1年間勉強できる市長主催のデザインコンクールが開かれた。優勝したベルギー人アーティストがデザインした白い大理石のネロとパトラッシュ像は、記念碑の跡地に12月に完成した。くしくもこの年は、日本とベルギーが外交関係を樹立して150周年にあたる節目の年だった。
【画像省略】「フランダースの犬」の新しい石像の制作にかかわったアントワープの観光ガイド、タンギー・オットマーさん=アントワープで2018年3月19日、ヤーロー・マナート撮影
オットマーさんは「私がガイドした多くの日本人からは、新しい像についてとても良い反応をもらっています」と笑顔を見せた。
軽視された物語の価値
「記念碑が撤去されたことは残念でした。石像と互いに補完することができたはずだからです」。そう語るのは、ベルギーのドキュメンタリー作家、ディディエ・ボルカールトさん(47)だ。フランダース地方で知名度の低い物語が、日本で愛され続ける背景に迫ったドキュメンタリー映画「パトラッシュ、フランダースの犬 メイド・イン・ジャパン」を07年に製作し、これを基にした編著は「誰がネロとパトラッシュを殺すのか」(岩波書店)として邦訳もされている。
「フランダースの犬は、異なる文化を結びつける力がある物語です。しかし、アントワープ市はその重要性を十分に認識しているとは思えません」とボルカールトさんは言う。実際、日本側の協力で記念碑が建てられた後も、アントワープでは「フランダースの犬」を使った観光キャンペーンなど��行われず、それを避ける雰囲気すらあった。その理由について、ボルカールトさんは「フランダース人の目から見ると、これは貧しく、何よりも人生に失敗する物語であり、自分たちが打ち出したいイメージとは違う」と著書で指摘している。
欧州を代表する港湾都市アントワープは、ダイヤモンド産業のほかにもファッションの街として知られ、ベルギー経済を支える活力あふれる街だ。「アントワープにとって『フランダースの犬』は関心事ではありません。重視するのはダイヤモンドやチョコレートなど観光客に売れるものです。『フランダースの犬』は文化であり、アントワープには(経済的利益を)何ももたらしません。日本の人たちは、それは違うと言うかもしれません。しかし、ダイヤモンドがもたらすものとは比較にならないのは明らかです」
「日本のアニメを見て育った」というボルカールトさんは、日本のアニメとオタク文化の研究で博士号を取得した。「フランダースの犬」をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作したのは、ベルギーの人々に物語を広めると共に、「日本に恩返しをして、より良い関係につなげたいと考えた」からだという。
ボルカールトさんたちの調査によると、フランダース地方の公用語オランダ語で「フランダースの犬」の完訳版が初めて発売されたのは85年と遅かった。きっかけとなったのは、アントワープに「巡礼」に訪れる日本人観光客だったという。英国人作家がフランダースを描いた物語は、日本を経由してその地で暮らす人々に知られることになったのだ。
【画像省略】「フランダースの犬」をテーマにした作品もあるドキュメンタリー作家のディディエ・ボルカールトさん=ブリュッセルで2019年3月27日、八田浩輔撮影
映画の発表から10年以上がたったが、ベルギー国内での状況は「何も変わらなかった」とボルカールトさんは嘆く。「本当の希望と友情」の証しだった記念碑の撤去は、それを象徴する出来事だった。【ヤーロー・マナート、八田浩輔】
地元出身インターン記者の思いは……
私はフランダース地方のデンデルモンデという街で育ちました。現在はルーベン・カトリック大学大学院でビジネス・コミュニケーションを専攻しています。2018年8月まで1年間、九州大学に留学していました。
「フランダースの犬」を初めて知ったのは、ベルギーの大学で受けた日本語の授業でした。日本語と日本に興味を持っていなければ、私は自分が育った地域を描いた話を知ることがなかったかもしれません。ベルギーで「フランダースの犬」は子供向けの本も漫画もなく、学校でも教わりません。日本で製作されたアニメシリーズは、さまざまな言葉に翻訳されていますが、ベルギーでは一度も放映されたことがありません。こうした事実は、フランダース地方とベルギーにおいて、この物語がどれほど知られていないかを示すものです。
アントワープ聖母大聖堂の前の広場にあった日本とベルギーの友好を象徴する記念碑は、中国企業がスポンサーになった石像に置き換わりました。最初は中国による干渉も頭をよぎりました。しかし実際には、関わった人たちに悪意はなく、ネロとパトラッシュの物語への敬意から何かがしたいと考えた結果だと分かりました。
【画像省略】中国のジュエリーブランド「周大生」が、「フランダースの犬」の石像のスポンサーであることを記すパネル=アントワープで2017年2月11日、八田浩輔撮影
私は、記念碑は取り壊されるべきではなく、新しい石像と共存することができたと考えています。記念碑が何度も損傷したことから、アントワープ市が撤去を決めたことも理解できますが、物語の価値と日本とのつながりを認識していない市を擁護する気にはなれません。
日本でもテレビシリーズの放映から40年以上がたち、若い世代でこの物語を知らない人たちが増えることを心配しています。私の日本の20代の友人も「フランダースの犬」を知りませんでした。
ネロとパトラッシュが日本とベルギーで忘れられないために、三つのことが必要だと思っています。一つはアントワープ市が、この物語を通して政治・経済を超えたレベルで日本とつながる重要性を認識することです。次に、フランダースの人々がこの物語を知り、たとえ自分が持つフランダースのイメージと異なるとしても、それを受け入れること。最後に日本の若い世代にこの物語を知る機会が増えてほしいと思います。友情の物語が、子供や孫たちの世代にも長く生き続けることを願っています。【ヤーロー・マナート(毎日新聞ブリュッセル支局インターン)】
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ひとみに映る影シーズン2 第四話「ザトウムシはどこへ行く」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。 (シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!! pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第四弾 牛久舎登「かっぱさん体操」はこちら!☆
དང་པོ་ 洗面所で顔を洗い、宴会場に戻る。時計は丁度六時をまわった所だ。ふと、窓の外から懐かしい歌が聞こえてきた。 『かっぱさん体操第一ィィィ!』『プッペケプッぺップー』 「うー。何だよぉこんな朝っぱらからぁー!」 「ふわあぁ~」 「ああ、かっぱさん体操の時間……」 朝っぱらから近所迷惑な体操音楽によって、佳奈さん、万狸ちゃん、玲蘭ちゃんが同時に布団から出てきた。玲蘭ちゃんと私はカーテンを開け、大音量で音楽を流しながら体操する河童の家教団を眺める。 「牛久の河童はかっぱっぱーのパァー」 「お皿を磨いてツーヤツヤーのツャー」 「「みんなで腹からワッハッハーのハァー、笑顔に勝るー力なし」」 「は? 二人なんで歌えるの?」 歌詞を暗記している私達を、佳奈さんが訝しんだ。 「佳奈さんの地元にはいませんでしたか? 河童信者」 「ぜぇんぜん」 「北関東から東北あるあるなんじゃない? 私も会津にいた時はほぼ毎朝だったのに、沖縄(うちなー)では一度も聞いた事なかった」 影電話で万狸ちゃんにも聞いてみる。 <木更津はどう?> 「一度だけ布教に来た事はあったね……あの体操で大狸様を怒らせちゃって、追い出されてた」 <あはははは> 河童の家、案外ローカルネタなのかな。 「じゃあ、どの学年にも一人はいる子河童も知らないですか? 佳奈さん地元は京都��したっけ」 「ううん、両親両方京都だけど東京生まれ東京育ち……そもそも子河童って何?」 「そこからですか」 茨城県に本拠地を置く新興宗教、河童の家。元お笑い芸人の牛久舎登が発足し、『笑顔に勝る力なし』を教義とする。そのため宗教活動では一発芸や話術を磨く修行をし、信者は男も女も子供も、皆河童のように頭頂部を剃り上げる。この教団が近所にあると毎朝『かっぱさん体操』という体操曲が爆音でかかり、また近隣の学校には通称『子河童』と呼ばれるお調子者な学生が何人か生息する。そして彼らは将来、教団が運営する芸能事務所『かわながれ興業』に所属するんだ。でも人を笑わせる、そして人から笑われる事も最上の幸福であるという教えを拡大解釈した信者が、パワハラやいじめ、体罰を起こして時折問題になっている。 「私が知っている河童の家についての情報は、こんなところですかね」 「へぇ……やけに芸能界に影響力がある宗教だと思ってたけど、そんなだったんだね」 「ああ、東北も多いけど、大阪には芸人養成学校があるから日本一信者が多いんだって」 玲蘭ちゃんがスマホで調べてくれた。 その時、トントン、と襖がノックされる。 「おはよぉございます……。お嬢さん方。河童さんが体操終えて食堂混む前に、朝食行きませんか?」 タナカDだ。 「そうしよっか」 カメラが回るだろうから、私達は各々最低限顔を描く。眉毛面倒だから影で作っちゃった。後で朝風呂に入ってからちゃんと直そう。 གཉིས་པ་ 食堂に行くと、奥の席で既にタナカDが朝食を一品ずつ物撮(ぶつど)りしていた。テーブルには全員分のネームプレートと朝食が配膳されている。 「ぅあ~~~~~~~~……」 席につくなり、佳奈さんからアイドルが一番出しちゃいけないような声が漏れた。 「どうしたんですか佳奈さん、まるで深夜バスにでも乗ってたみたいな顔して」 「似たような���んだよ……ずっとすごい雷鳴ってたじゃん。しかもなんか救急車の音とかしなかった? それで朝はかっぱさん体操。ほぼ一睡もできなかった」 「救急車、ですか」 「はぁ……一美ちゃんは本当にどこでも眠れるよね……昨晩大雨だった事も知らなかったでしょ」 「うーん……」 本当の事を言うと、眠るどころじゃなかったんだけど。それを説明する事もできないからもどかしい。 「雷雨ぐらい気付いてました。私も全然休んだ気がしないです」 「でも寝てただけいいじゃん」 「嫌な夢を見てたんですよ。私は地元のお寺の尼僧になってて、お御堂のバルコニーが浸水して和尚様が馬頭観音になってすっごい怒ってる夢」 この内容は嘘ではない。そういう夢を見たのは事実だ。 「ば、罵倒観音? なにそれカオス……それはうなされるわ」 「おう何だ何だ、お二人共だらしないですなぁ!」 タナカDが物撮りを終えて席につく。彼は朝から声が大きい。 「まあ冷めないうちに食べようじゃありませんか。『じゅんなぎ』もありますよ」 「へえ、じゅんなぎですか」 手元のネームプレートを裏返すと、朝食メニューが書かれていた。 『朝食 おこんだて イシガキダイのちらし寿司 小松菜とかぼちゃのお味噌汁 わかめの辛子味噌和え じゅんなぎ』 おお、朝からなかなか豪華だ。ちらし寿司は大きな鯛のお刺身がどっさり乗っていて海鮮丼のよう。お味噌汁のかぼちゃもほうとうを彷彿とさせる大きなスライスで食べ応えがある。わかめは勿論新鮮な生わかめ。そして、千里が島で一度は食べてみたかったじゅんなぎ! 「皆さん、これはですね。『蓴菜(じゅんさい)で鰻繋ぐ』、つまり『ヌルヌルした野菜でヌルヌルした鰻を捕まえるような行いは無謀である』という諺が由来の、千里が島の郷土料理なんです。蓴菜と冷製の鰻を湯葉で巻いてあるから、『不可能を可能にした縁起物』、すなわち霊力が上がるパワーフードなんですよ!」 「おぉいおいおい、紅さん。台本もないのに詳しいですなあ! ま、僕はじゅんなぎが無くても今日は無敵ですがねぇ……フフン」 「どうしてですか?」 「いやね? お二人が眠れない夜を過ごしていた間に恐縮ですけど。昨夜、狸おじさんのおかげですごぉく縁起の良さそうな夢を見ましてですねぇ!」 「へ?」 何の事ですか? と言いたげな表情で、隣のテーブルの斉一さんがこちらを見る。 「夢に人語を話す化け狸が出てきて、僕にお酌してくれるんですよぉ。なんかご利益ありそうでしょぉ。しかもただの化け狸じゃない、ドレッドヘアのちょいワル狸ですよ!」 「ぶっ!! げほ、げほ!」 斉一さんが辛子味噌和えをむせた。ていうか、その狸、完全に斉二さんの事じゃないか。 「い、いや、わざとじゃないんだよ!? なーんか俺もタナカさんと晩酌する夢を見た気がしてたんだけど、本当わざとじゃないのマジで!!」 当の本人は必死に否定している。要するに寝ぼけてタナカDに取り憑いたまま寝ていたという事らしい。どうりで今朝あんな事があったのに、斉一さんしか迎えに来なかったわけだ……! 「狸おじさん、風水的にはどうなんですか? ラスタな狸って縁起いいんですかね??」 「ん゙っ、ん゙んっ……き、聞いた事ないですね……あれかな! 昨晩私が張った結界が効いている証拠とか! はい、ぽ、ぽんぽこぽーん……ふっくくく……ぽっ、ぽこ……」 斉一さん、完全にツボに入ってしまったようだ。佳奈さんも釣られて肩を揺らしだした。 「ちょっふっふっふ……タナカDが能天気すぎるだけだよそれ! てか狸おじさん困ってるし……なにラスタな狸って!?」 「部屋にラスタな狸がいたら報告した方がいいですか?」 「あっはっはっはっは!!」 何故か玲蘭ちゃんまで佳奈さんに調子を合わせる。じゃあ私も。 「玲蘭ちゃん、ラスタな狸はタナカさんに譲るんで、可愛い女の子狸は私が貰っていい?」 「それなら昨夜ずっと一美の隣で寝てたよ」 「きゃー! アハハハ」 皆で和気あいあいと食事していたら、いつの間にかじゅんなぎを無意識に食べてしまっていた。けどなんか、別にもういいかな……という気分だった。 གསུམ་པ་ 食後。手短に朝風呂に入り、軽く荷物をまとめてホテルを発つ。今日はまず主要な観光スポットを幾つか巡って、図書館で資料を見ながら埋蔵金の場所を推理する段取りだ。ロビーを出ると、青木さんが待ってくれていた。 「おはようございます。昨晩は凄い雨けど、ご快眠を?」 「全然だよー。そこの三角眉毛は別だけど」 「おう誰がデブで三角眉毛だとぉ? この極悪ロリータ」 「佳奈さんデブとは言ってないじゃないですか。いいから行きますよ、お二人共。青木さん困ってるでしょ」 手元で地図を見ながら、一行��まず徳川徳松こと御戌神(おいぬのかみ)が祀られる、御戌神社へ。ホテルから海沿いのなだらかな丘を五分ほど登ると、右手に見えたのは『石見沼(いしみぬま)』だ。青木さんが解説をしてくれる。 「中央に大きな岩をご覧で? あれに水切りで石当てるのに成功すると、嫌いな相手が怪我を」 「初っ端から物騒な観光スポットですね!?」 驚く私の背後で、カメラを抱えたタナカDがガハガハと笑った。 「これぐらいで驚いてちゃあ後が持ちませんよぉ紅さん! なにせ千里が島は縁切りのテーマパークですからなぁ。この後はもっともっと物騒な所をお見舞いしていきますよぉ」 「タナカさん、あなた本当にこの島を応援したいんですか? それとも視聴者をドン引きさせたいんですか?」 「ナハハハ、だぶか放送後は調布飛行場に行列が出来ているかもしれませんよ? 『あの紅一美がチビった恐怖の心霊島』と……」 「青木さん、石! 丸い石ください、水切りしやすそうなやつ!!」 「あややや、喧嘩はやめて下さいだぁあ!」 と、こんな所で尺を取っても始末に負えないから、小競り合いを演じたらさっさと移動する事に。暫く進み、御戌神社の鳥居が見えてきた。 「ウゲ……」 それを見た途端、私は絶句。それは鳥居と呼ぶには余りにも不気味な色に見えた。まるで糖尿病で壊疽を起こした脚みたいな……いや、この異常には心当たりがある。 「佳奈さん、この鳥居なんか変じゃないですか?」 「え、普通じゃない?」 思った通り、佳奈さんは平然としている。これは倶利伽羅龍王を討伐した時、地元の神様から聞いた現象だ。倶利伽羅を生み出した邪教、金剛有明団にまつわる物は、信仰心に準じて見た目が変わって見えるらしい。例えば倶利伽羅も金剛信者には美術品のように美しい龍に見え、金剛に恨みがある私には汚物にしか見えない。今回もそれと同じ……つまりこの神社は散減同様、金剛にまつわる領域なんだろう。我慢して入るしかなさそうだ。བཞི་པ་ まずは普通の神社と同様、手を清める。案の定手洗い場も気持ち悪く見えて、正直とてもじゃないけどここの水に触れたくない。ていうか臭い。牛乳を拭いた雑巾みたいな臭いがする。とりあえず口はつけず指先をちょっとだけすすいだけど、後で境外で肌荒れするまで手を洗いたい! 詳しく境内を見る前に、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。金剛とこれ以上因縁が続いては困るから、小銭がない振りをして五円玉をタナカDからタカった。神様に手を合わせている間は金剛への嫌悪感を読み取られないように、無我を貫いた。 参拝が終わったら、境内を進み御戌神が眠る『御戌塚(おいぬづか)』へ。境内はそこそこ広い割に、随分と殺風景だ。まず社務所がない。青木さんいわく、神社境内に職員が常駐すると現世との縁が切れてしまうからだそうだ。そして狛犬もいない。御戌様が御神体だからだという。 奥へ進んでいる途中、私はふと左手に一際強烈な禍々しさを感じた。見ると竹やぶに覆い隠されるように、傘立てみたいな簡素な祠が建っていた。厳重にしめ縄が巻かれ、星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符が貼ってある。 「青木さん、あれは何ですか?」 「大散減(おおちるべり)というオバケを封じた祠ですだ。あまり直視したら良くないかも……ああっタナカさん、撮影など!」 「ダメかい? そんなに恐ろしいオバケなの、そのオオチルベリってやつは」 「モチのロンだから! 体が五十尺もある、八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で! しかも人間の肋骨食べて、一本足のミニ散減を生み出すとか。だからともかく、大散減は撮っちゃダメですだぁ!」 「一尺って何メートルでしたっけ、なんだか想像つかないですなぁ~」 タナカDは渋々とカメラを逸らした。人間の肋骨から新たな散減を生み出す……昨晩、おばさまの肋骨から散減が生まれた瞬間を私は見た。それに、倶利伽羅龍王も……。 そして私達は御戌塚に到着。平将門公の首塚みたいなお墓っぽい形状の石碑を予想していたら、実際は犬の石像だった。徳松さんご本人は不在のようだ。恐らく既に成仏されたか、どこか別の場所にいるんだろう。 「あれ? 一美ちゃん、これ犬じゃなくない? タテガミがあるよ」 「これはどちらかと言えば狛犬ですね。狛犬は獅子に似ているんです」 「あ。確かに、普通の神社の狛犬も、タテガミ生えてたかも! そういえば、徳川徳松は狛犬の魂を持ってたんだよね。じゃあお犬様の犬種って狛犬なのかな?」 「あはは、そうかもだ。それと、志多田さん。御戌様はわんこの『犬』でなくて、十二支の『戌』という字を」 「へー、どうして?」 青木さんによると、戌という漢字は滅ぶという字が元になっているそうだ。植物が枯れて新たな命に変わる様子を表しているんだ。早逝して祟り神になった徳松さんをよく表していると思う。 「御戌塚から伸びる道は、竹やぶで薄暗いのが『亡目坂(なきめざか)』、奥の見晴らしいい方が『足失坂(あしないざか)』で。いずれも嫌な奴を思い浮かべながら歩くと、それぞれ違ったご利益がとか。ちなみに足失坂を途中で右に下ると『口欠湿地(くちかけしっち)』が……」 「青木さん、今は特に切りたい縁はないんで大丈夫です!」 さすが御戌神社周辺は地名が物騒だ。昨晩斉三さんが言っていた、『気枯地』という言葉がしっくり来る。これ以上ここにいても千里が島のネガティブキャンペーンにしかならなさそうだから、私達は次の場所へ移動する事にした。ལྔ་པ་ 足失坂を下り、ザトウムシ記念碑がある『千里が島国立公園』へ。物騒な地名とは裏腹に本当に見晴らしが良い。閉塞的な御戌神社から出た瞬間、空がばっと広がったような感じだ。麓に見える口欠湿地も空の青を反射して美しく輝き、それをタナカDが嬉々としてカメラに収める。千里が島の縁切りや祟りといった暗い側面だけじゃなくて、こういった絶景も収録出来たのは本当に良かった。 国立公園は坂中腹からふもとまでの広い敷地を有する。地面は芝生とシロツメクサで覆われ、外周は桜並木に囲まれている。ただ、やはり気枯地だからか、桜はどれ一本として真っ直ぐ生えていなかった。 ザトウムシ記念碑は簡素な作りで、歌詞と小さなイラストだけ書かれた石碑だ。歌い継がれてきた民謡のため、作詞作曲者は不明らしい。また隣にはザトウムシの生態を説明するパネルもあった。 「ええと、『ぼくはクモに似てるけど、ダニの仲間なんだよ! 八本足に見えるけど、そのうち一本は杖なんだよ! 一人ぼっちよりも、みんなで集まるのが大好きだよ!』なるほど……ザトウムシがワサワサ密集してたらなんかちょっと嫌ですね」 「僕前に公園のベンチで、黒いタワシみたいな塊落ちてて……触ると大量のザトウムシがブワササーと」 「やだー! 青木君やめてよ~」 「わはははは!! それは最悪ですなぁ!」 公園を抜けて市街地へ降りていくと、月蔵(つきくら)小学校と併設する町民図書館が見えてきた。カメラに群がる小学生達に軽くファンサービスしながら、図書館へと急ぐ。私がお目当ての子はみんな「ドッキリ大成功! したたびでーす!!!」と絶叫しながら全力疾走で追いかけてくる。佳奈さんの影響だ。私も期待に応えて校庭をダッシュしたら、地面から急にスプリンクラーが出てきて水を撒き始めた! 「ぎゃー! また騙されたーっ!!」དྲུག་པ་ 何とか濡れずに済むも、息絶え絶えで図書館に入る。トイレを借り、やっと手を洗えた! と安堵して戻ると、皆は既に資料が並べられたテーブルを囲んでいた。太っているタナカDと大柄な青木さんは、小学生向けの低い椅子で収まりが悪そうにモゾモゾ蠢いている。私も着席するとカメラが回り、タナカDが進行を始める。 「実際に歩かれてみて、お二人何かお気付きになった事はありますか?」 気付いた事か。幾つかあったけど、金剛有明団や霊にまつわる情報は直接共有できない。少しぼやかして話そう。 「斉ぞ……ええと、狸おじさんから伺ったんですが、植物が曲がって生える土地は風水的に不吉らしいんです。それで今日気にして見ていたら、御戌神社がある坂の上に近づくほど木がねじれたりしてて、海沿いの石見地区や市街地である月蔵地区はそうでもないんです」 「御戌様が埋蔵金を守ってるからかな? じゃあ神社の近くが怪しいね!」 佳奈さんが消せる蛍光ペンでコピー地図を囲んだ。 「不吉な場所ですかぁ。だぶか神社から一番遠い南側、竹由……こりゃ『たけよし』で合ってるかい?」 「ですだ」 「竹由地区ね。この辺はまっすぐ生えてるんですかねぇ」 確かに地名に『よし』が入っていて、島の南側は縁起が良さそうではある。私達はまだ行っていない竹由地区の資料を見ると、小さなお寺が一つあるだけで後は住宅街のようだ。 「志多田さんはどうだい?」 「うーん、埋蔵金については何もなかったかなー。ところで青木君、この地図のここ、誤植じゃない?」 「え、誤植で?」 全員で地図を確認する。佳奈さんが指さしている箇所には、『新千里が島トンネル(旧食虫洞)』と書かれていた。昨日、私と青木さんが行ったコンビニの所だ。 「食虫……洞? 確かに変ですね。『虫食い洞』なら虫がトンネルを掘ったような感じで意味が通じるけど、食虫洞じゃ洞窟が虫を食べちゃうみたい」 「でしょでしょ? それともウツボカズラがいっぱい生えてるのかな」 「いえ、『食虫洞(くむしどう)』が正解で。ウツボカズラは生えてねぇけど、暗いから虫を食うコウモリが住んでるかもだ」 「うーん、そういう問題なのかな……? まあ関係ないからいっか……」 佳奈さんは煮え切らない顔のまま、地図を机に置いた。タナカDが仕切り直す。 「じゃじゃじゃあ、まずは今まで埋蔵金探しに失敗した方々の仮説を見てみましょうよ! 青木君」 「はい、こちらを」 タナカDは青木さんが差し出した資料を私達側に向ける。インターネット上で日本各地の徳川埋蔵金に関する情報をまとめたサイト、『トレジャーまとめ』さんの記事コピーだ。これまでザトウムシの歌詞をもとに埋蔵金のありかを探索した人々のレポートらしい。上からざっと目を通す。 ・その一 ザトウムシは座頭、盲目の暗喩だ。歌詞の『ザトウムシ』という言葉の総文字数を歩数として、記念碑から亡目坂を登る。そして到着地点の地面を掘ってみた。 結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者の一人が島を出た後(以降は修正液で消されている) ・その二 『水墨画の世界』は白黒、あの世を表している。竹由地区には名前に『虫』がつく虫肖寺(ちゅうしょうじ)があり、そこには墓地が隣接している。その墓地で、黄昏時に太陽が見える西側の井戸内を調べた。 結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者全員が数日後、(以降は修正液で消されている) ・その三 ザトウムシが埋蔵金を表しているなら、食虫洞は金を蓄える隠し場所に違いない。歌詞の通り、黄昏時から逢魔が時に���けての時間、トンネルを調査した。 結果 翌々日、(以降は数行にわたり修正液で消されている。塗りこぼしから微かに『トンネルが永遠に続いて外に出られ』という一文が垣間見える) ・その四 『口欠』『足失』『亡目』など体の欠損にまつわる地名は心霊現象や祟りが多いという。その三箇所いずれかに宝があるとみて、調査した。 結果 それらの地点には共通して護符の貼られた祠があり、護符を剥がした探索者は肋(次の行以降は紙ごとハサミで裁断されている) 「「いや怖いわ!!」」 全部読み終わる前に佳奈さんと異口同音! 「ちょっと青木君、これ元は何て書いてあったの!?」 「すいません、あんまりにも酷いデマなどが。根も葉もねぇので僕が修正を!」 「本当にデマなんでしょうね!?」 「嘘こいてねぇです、本当に事実無根なので! 大体、コトが事実なら普通新聞に載るなど……」 事実なら新聞に載るほどの事が書いてあったのか。これは下手に島を引っ掻き回すと、またとんでもない事になりそうだ。 「まあまあまあ、お嬢さん方。要はあなた方がね、埋蔵金を見つけちゃえばいいんですよ」 「なに他人事みたいに言ってるんですか、この三角眉毛は。祟られる時は全員祟られるんですよ? わかってんですか?」 「そーだそーだ、デブちん三角眉毛!」 「おう遂にちゃんとデブって言ったな!? 今日の僕にはラスタな狸がついているんだ。一人でもしぶとく生き残ってやるぞぉ」 「一美ちゃん、ちょっと今夜御戌神社で丑の刻参りしよっか」 「了解しました。加賀繍さんのぬか���に五寸釘入ってるから分けてもらって……」 ん? 「佳奈さん、今の言葉もう一回いいですか?」 「え? だから、『御戌神社』で『丑の刻参り』」 「……それだ!」 ラッキー! 今の超下らないやり取りで、歌詞の謎が一つ解けたかもしれない! 「おぉ何だい、そんな聞き返すほど僕を呪いたいのか小心者」 「違いますよ。見て下さい、歌詞の一番と二番の冒頭……」 ザトウムシの一番、二番の歌い出しは、それぞれ『たそがれの空を』『おうまが時の門を』だ。 「いいですか? 昔の日本は十二時辰(じゅうにじしん)、つまり十二支で時間を測る単位を使っていました。その単位では、『逢魔が時』と『黄昏時』……つまり夕方から夜に変���る時間帯は、『酉の刻』と『戌の刻』になるんです」 「じゃあ歌詞に当てはめると、一番は『戌の刻の空を』、二番は『酉の刻の門を』に変換できるって事?」 「はい。ここで思い出しませんか? 御戌塚から伸びる二つの道」 「薄暗い亡目坂と、見晴らしがいい足失坂……あっ、『戌』から『空』が見えるのは足失坂だ!」 「そうです。しかも続きの歌詞が『ふらついた足取りで』、足って言ってるんですよ! 一方二番……酉の門といえば?」 「神社の『鳥居』! 坂からまた神社に戻っちゃってる!?」 「そうなんです!」 つまり、私の説はこうだ。この歌は埋蔵金のありかを一箇所漠然と示しているんじゃなくて、そこに至る道順のヒントが歌詞になっているんだ。御戌塚から始まり、足失坂を通って何らかのルートを経由。やがて神社に戻って、そこからまたどこかへ行く……こうして遠回りをする事自体が、埋蔵金を発見するために必要なのかもしれない! 「なるほど、道順を! それは今まで誰もやらなかったかもだ……それにしても、お若いのによく十二支の時間をご存知で?」 「あはは、青木さんより若くはないですよ~。小さい頃ちょっとだけお寺に住んでた事があって、こういう歴史っぽい雑学にちょっと明るいだけです。ただ……」 残念ながら、歌詞に干支にまつわる描写はそれしかないんだ。そこから先の謎はまだわからない。私が自説をフリップに書き終えると、タナカDが佳奈さんに話を振る。 「志多田さんどうですか? 紅さんがワンアイデア出しましたよぉ」 「急かさないでよー。私まだ食虫洞の謎が頭から離れないんだから。そーいうタナカDこそ何かないの?」 「僕かい? そうですな……このサビの、『月と太陽が同時に出ている』って、日蝕か月蝕って事でしょ? 千里が島で日蝕月蝕が観測された事って歴史的にあるんですかねぇ?」 「え? この歌詞って単純に黄昏時の事じゃないんですか?」 「あ、そうか。そりゃ黄昏時には月と太陽が両方見えますな」 すると今度は佳奈さんが閃いた。 「ちょっと待って、日蝕……?」 佳奈さんは私の手元から地図を取り上げ、食い入るように見つめ始める。 「……しょく、ふき、ぞう、すずり……」 「佳奈さん?」 「あー、そういう事かあ! これ、千里が島の地名ってさ、繋げるとみんな漢字一文字になるんだ!」 「え、そうなんですか?」 「どういう事で?」 青木さんも知らなかったようだ。全員興味津々で佳奈さんの指さす地図に見入った。 「例えばこれ、食虫洞はさ、食と虫を繋げて書くと日蝕の『蝕』になるでしょ。亡目坂は盲目の『盲』、月蔵は臓器の『臓』」 「すごい、本当ですね! 石見は書道の『硯(すずり)』、竹由は『笛』ですか。あれ、でも足失坂は……」 「『跌(つまずく)』。常用漢字じゃないけど」 「つまずく?」 タナカDは自分のスマホで『つまずく』と入力し、跌と変換できるか試みた。 「ああ、跌(つまずく)だ! 確かに跌ですよ跌! いや、よく読めますなあ。ところで佳奈さん、最終学歴は?」 「いちご保育園だってば。何度も聞くなー!」 佳奈さんは国文学分野で大学を卒業しているけど、年齢不詳アイドルである彼女にとってそれは公然の秘密だ。タナカDはそれを承知の上で度々ネタにしているんだ。 「あれ、佳奈さん。それを当てはめたら歌詞解読できるかもしれませんよ!」 「え本当? よーし、やってみよう!」 こうして数十分試行錯誤しながら、私達したたびチームの歌詞解釈はほぼ完成した。それが、こうだ。 たそがれの空を ザトウムシ ザトウムシ歩いてく (御戌塚から始まり、空が見える方向へ進む) ふらついた足取りで ザトウムシ歩いてく (そのまま神社境外に出て、つまずきやすい道、つまり足失坂へ進む) 水墨画の世界の中で 一本絵筆を手繰りつつ (足失坂のふもとから水墨画の世界、硯と水を象徴する石見沼へ進む) 生ぬるい風に急かされて お前は歩いてゆくんだね (石見沼から風が吹く方向、口欠湿地方面へ進む) あの月と太陽が同時に出ている今この時 ザトウムシ歩いてく ザトウムシ ザトウムシ歩いてく (口欠湿地から月が太陽を蝕む場所、旧食虫洞へ進む) おうまが時の門を ザトウムシ ザトウムシ歩いてく (食虫洞を抜けた所から丘を登り、御戌神社の鳥居をくぐる) 長い杖をたよって ザトウムシ歩いてく (神社境内から視覚障害者が杖を頼りに歩くような暗い道、亡目坂へ進む) ここまで考察した段階で、地図に道順を引いていた佳奈さんがペンを止めた。 「何これ……星……?」 蛍光ペンで地図に書かれた道筋は、島の中心に魔法陣のような模様を描いていた。五芒星の中心に一本線を引いたような、シンボルを。 「佳奈さん。まだ、解読できてない歌詞は残ってますけど……これはこの形で完成だと思います」 「一美ちゃんもそう思う? これ以降の歌詞って、対応する地名が見当たらないんだよね……」 「青木さん」 私はさっきの埋蔵金探し失敗談を手に取る。 「この消されている箇所、要するに全部『祟りがあった』って事ですよね?」 「はい……あ! いえ、そんな事は……」 「そうなんですね。つまり余所者が千里が島を検めるためには、正しい儀式か何かを踏まないと祟りに遭う。その儀式の方法こそが、この民謡ザトウムシに隠された暗号の正体だった」 「……」 「私、さっきこのシンボルを見たんです。御戌神社の、祠で……」 もう私の中で謎は核心に迫っていた。霊能者達は今それぞれ除霊活動に励んでいるけど、『ザトウムシ』……恐らくは、怪物の親玉であるそれを倒さなければ島の祟りは終わらないのだろう。 「結論が出ました、青木さん。ザトウムシは、徳川埋蔵金のありかを示している歌じゃありません。私はこれを……八本足の怪物、大散減を退治するための手順を示した歌だと思っています」 衝撃的な結論に全員が呆然としていると、窓の外で何かが破裂するような音がした。更に間髪入れず、河童信者が一人血相を変えて図書館に飛びこんでくる。 「たた、た、大変です! 大師が……大師が……紅さん、ともかく来てください!」 「え? どうして私が……うわあ!?」 河童信者は乱暴に私の腕を掴み、外へ連れ出した。他の皆も続く。牛久大師が私を指名したという事は、また散減が現れたのだろう。けど今はカメラが回っている。玲蘭ちゃんや万狸ちゃん達は別行動だし……私、どうすればいいの!?
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順���同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 暦売る神となりし日遠くして 慶月 極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子 楽団の喧騒を待つポインセチア 順子 幔幕のうちは見せざり年用意 千種 聖夜待つランプの中の空青�� 和子 悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 旧華族らしき猫背を外套に 順子 二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月 寒鯉の鐚一文も動かざる 千種 凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 数へ日の水あをいろに神の池 要 外套のポケットに怒りを握る 和子 冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子 上野は勝つてゐるか像の極月 慶月 歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子 聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか 冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼 初対面黄色のマフラーして彼女 政江 花柊零るる坂の神父館 要 未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子 聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天 裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹 なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子 十字架に鳩の休息クリスマス 要 鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹 窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 年逝くや素木の鳥居乾くまま 要 擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子 大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか 数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子 サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹 風冷た悲しくなけれども涙 政江 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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2017年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
2017年もいよいよ終わる。今年は5月25日に母が63で亡くなるなどしたが、それ以前になにが起こったかまったく記憶にない。8時半(たまに11時)から21時やら23時やらまで働いたりしているせいだろうか。どうやら『ベルリン・アレクサンダー広場』のDVDboxや『サイタマノラッパー』ドラマ版のDVDboxを買ったまま一度も観ていないのは憶えている。 『文藝』のアンケート企画に「来たるべき作家」の一人として前の筆名で載っていたことも、春ぐらいのことかと思ったら7月だった。時期の記憶がだんだんいい加減になってくるのであった。 広島旅行やら島根旅行やら、あと『白鴉』30号を出して「アゴアク」という作品を載せ、先日ようやく同人誌評に取り上げられたが、褒められていない、というかそれ以前の問題。まあ、『白鴉』に載せた私の作品がこれまで全作品どこかしらで取り上げられつづけているという記録をまた更新できたのでこれでいいとする。そんなことよりもいま書いている作品が無事に仕上がることを祈る。 「アゴアク」についていただいた感想に、相変わらず主人公はどこまでも僻みっぽい、でもどことなく品位がある、というのがあったのを昨日思い出して、それはたぶん、私の描き出す主人公の、まわりの世界や世間に対するプロテストなのだろうなあ、などと考えたり。 あと、2017年の文学フリマ大阪に参加した『白鴉』では来年1月21日の文学フリマ京都と5月6日の文学フリマ東京へ参加することがすでに決定しております。両方とも言い出したのは私であり、私がいるのは確実です。
読書関係だと内藤千珠子氏の著書がとても面白かったことや、長年の課題であったベケットがようやく読めるようになってきたこと、詩を読みはじめたことが大きい。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』もようやく読みはじめ、なんとか人間へ近づいていって��る。来年早々に読んでしまって、長年の課題であるドゥルーズ『意味の論理学』に挑みたい。詩集であるていど稼いだ割に読了冊数73冊というのはどうかと思うが。冊数など関係ないと言われるだろうが、読みの浅い人間がせめて冊数がなければどうすればいいというのか。どうやら一般的に本をよく読むと言われている人物は年間300とか400とか読んでおられるらしいので、100にも満たない人間のベストなど不要だろう。 映画は毎年のことながら前半期になにを観ていたかすっかり忘れる。『アトミック・ブロンド』をもう一回ぐらいは観ておきたかった。これも映画好きを自称している人は年間平均500本は観ているようなので、本数ではなく回数にすることによって数字を稼ぐなどといういじましいことをしてもなお141などという、てんでお話にならない数字を出してしまう私などのベストになんの価値があるだろうか、ということでやらない。
といったところで、来年もよろしくお願いします。
最近読み終えた本 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック) 勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育=金田淳子=二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)
最近観た映画 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド) 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
2017年の本と映画の記録。2016年はこちら。
読了本73冊
松浦寿輝『BB/PP』(講談社) 二村ヒトシ/岡田育/金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWAメディアファクトリー) パスカル・キニャール『アマリアの別荘』(青土社) 赤木昭夫『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波新書) 町山智浩『映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書) 津島佑子『半減期を祝って』(講談社) トーマス・ベルンハルト『ある子供』(松籟社) 三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(新書館) トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)通算4回。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』(ちくま文庫) 山本貴光『文体の科学』(新潮社) 『北の文学2016──北海道新聞文学賞、短歌賞、俳句賞』(北海道新聞社) 『シリーズ言語態(4)記憶と記録』(東京大学出版会) 小平麻衣子=内藤千珠子『21世紀日本文学ガイドブック(7)田村俊子』(ひつじ書房) 杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房) 内藤千珠子『小説の恋愛感触』(みすず書房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社) アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(河出書房新社) アルフレート・デブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場──フランツ・ビーバーコプフの物語』(ぷねうま舎)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)2回。通算3回。 橋本陽介『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ) アルフレート・デーブリーン『たんぽぽ殺し』(河出書房新社) ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(白水uブックス) カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』(水声社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社) トーマス・ベルンハルト『消去──ある崩壊 新装版』(みすず書房)通算5回。 ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(亜紀書房) エルフリーデ・イェリネク『汝、気にすることなかれ』(論創社) 通算2回。 李珍景『不穏なるものたちの存在論──人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味』(インパクト出版会)
アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) 山代巴 編『この世界の片隅で』(岩波新書) 岡本雅享『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店) 岡本雅享 監修・編著『日本の民族差別──人種差別撤廃条約からみた課題』(明石書店) サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水uブックス) 疋田龍乃介『歯車VS丙午』(思潮社) 稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線) サミュエル・ベケット『モロイ』(白水社) 辺見庸=目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫) サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』(白水社) 稲川方人『封印』(思潮社) サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』(白水社) サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『また終わるために』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』(書肆山田 りぶるどるしおる) 『白鴉』30号 『星座盤』11号
『babel』創刊号 松浦寿輝『鳥の計画』(思潮社) 『時刻表』創刊号 田原『石の記憶』(思潮社) 田原『夢の蛇』(思潮社) 田原『そうして岸が誕生した』(思潮社) サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(白水社) 平田俊子『手紙、 のち雨』(思潮社) 高橋康也『サミュエル・ベケット』(白水uブックス) 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『新訳 カフカ──マイナー文学のために』(法政大学出版局) 小野十三郎『冥王星で』(エンプティ) 稲川方人『2000光年のコノテーション』(思潮社) 川田絢音『白夜』(書肆子午線) 平田俊子『詩七日』(思潮社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(上)』(河出文庫) 丁章『在日詩集 詩碑』(新幹社) トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』(松籟社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック)
勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育/金田淳子/二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田) 映画観賞回数141回
『この世界の片隅に』(片渕須直)3回。通算5回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(ロバート・ゼメキス) 『ベストセラー──編集者パーキンズに捧ぐ』(マイケル・グランデージ) 『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太) 『死闘の伝説』(木下恵介) 『マイマイ新子と千年の魔法』(片渕須直) 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー) 『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン) 『マダム・フローレンス!──夢見るふたり』(スティーブン・フリアーズ) 『戦火の馬』(マリアンヌ・エリオット、トム・モリス)
『破門──ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎) 『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス) 『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン) 『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー) 『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・プザドゥー) 『マイ・ファーザー 死の天使──アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』(エジディオ・エローニコ) 『MILES AHEAD──マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル) 『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ) 『こころに剣士を』(クラウス・ハロ) 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・ピータ・サンフリト) 『MERU メルー』(ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・バサヒリイー) 『沈黙 サイレンス』(マーティン・スコセッシ)2回。 『アイ・イン・ザ・スカイ──世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド) 『クラッシャージョウ』(安彦良和) 『オアシス:スーパーソニック』(マット・ホワイトクロス) 『その街のこども』(井上剛) 『疾風スプリンター』(ダンテ・ラム) 『アリーテ姫』(片渕須直) 『アイヒマンを追え!──ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー) 『AKIRA』(大友克洋) 『SING』(ガース・ジェニングス)2回。 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(押井守)2回。 『キングコング──髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ) 『ショコラ──君がいて、僕がいる』(ロシュディ・ゼム) 『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン) 『殺しの烙印』(鈴木清順) 『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース) 『東京流れ者』(鈴木清順)
『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャ��ル) 『未来を花束にして』(サラ・ガブロン) 『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン) 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フーク) 『美女と野獣』(ビル・コンドン) 『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック) 『ラビング──愛という名前のふたり』(ジェフ・ニコルズ) 『乱』(黒澤明) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ) 『お嬢さん』(パク・チャヌク)
『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン) 『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(ファイト・ヘルマー) 『哭声』(ナ・ホンジン) 『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ) 『ライオン──25年目のただいま』(ガース・デイヴィス) 『彼らが本気で編むときは、』(荻上直子) 『アシュラ』(キム・ソンス) 『ゆれる』(西川美和) 『花戦さ』(篠原哲雄) 『ディア・ドクター』(西川美和)
『ジャッキー──ファーストレディ最後の使命』(パブロ・ラライン) 『エンディングノート』(砂田麻美) 『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス)2回。 『百万円と苦虫女』 (タナダユキ) 『溺れるナイフ』(山戸結希) 『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子) 『はらはらなのか。』(酒井麻衣) 『美しい星』(吉田大八) 『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル) 『未来よ、こんにちは』(ミア・ハンセン=ラブ)
『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン) 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン) 『光』(河瀬直美) 『武国』(熊切和嘉) 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(ガブリエーレ・マイネッティ) 『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン) 『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー) 『海辺のリア』(小林政広) 『おとなの恋の測り方』(ローラン・ティラール) 『海辺の生と死』(越川道夫)
『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ) 『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン) 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキー) 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト) 『ザ・ドライバー』(ウォルター・ヒル) 『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一) 『ファウンダー──ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック) 『ボブという名の猫──幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド) 『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ) 『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アデ)
『20センチュリーウーマン』(マイク・ミルズ) 『ロックンロール・ハイスクール』(アラン・アーカッシュ) 『少女ファニーと運命の旅』(ローラ・ドワイヨン) 『新感染』(ヨン・サンホ) 『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー) 『あしたは最高のはじまり』(ユーゴ・ジェラン) 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン) 『スペース・レイダース』(ハワード・R・コーエン) 『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー) 『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ)
『おしゃれ泥棒』(ウィリアム・ワイラー) 『メッセージ』 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『デス・レース2000年』(ポール・バーテル) 『夜明けの祈り』(アンヌ・フォンテーヌ) 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子) 『RE:BORN』(下村勇二) 『エタニティ──永遠の花たち』(トラン・アン・ユン) 『50年後のボクたちは』(ファティ・アキン) 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)3回。 『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ)
『ドリーム』(セオドア・メルフィ) 『ハイドリヒを撃て!──「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス) 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス) 『スイス・アーミー・マン』(ダニエル・シュナイナート/ダニエル・クワン) 『ロスト・イン・パリ』(ドミニク・アベル/フィオナ・ゴードン) 『リングサイド・ストーリー』(武正晴) 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー) 『ELLE』(ポール・バーホーベン) 『散歩する侵略者』(黒沢清) 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ)
『審判』(オーソン・ウェルズ)通算2回。 『バリー・シール──アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン) 『三度目の殺人』(是枝裕和) 『セザンヌと過ごした時間』(ダニエル・トンプソン) 『スモーク』(ウェイン・ワン) 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール) 『鉱 ARAGANE』(小田香)2回。 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド)
『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^) . . 4月20日(土) 赤口(丁亥) 旧暦 3/16 穀雨 月齢 14.8 年始から110日目(閏年では111日目)にあたり、年末まではあと255日です。 . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠りましょう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます。 . 16週目の週末で4月の週末も後、1回で平成も残りが 後10日しかありませんね。。。_| ̄|○平成の時代って 皆さんもそうでしょうけど私の人生に置いてかなりの ウェイトを占めて居ます。昭和の生まれだけど(;^_^A . これは後に感じた事なんですが、昭和から平成に変わる 時も沢山の方の著名人がお亡くなりになり残念に思い 平成には生きれない人だったんだなぁ~なんてね。 とりあえず、今の所は令和時代に生きれそうですか? . しかし、高を括って安心して居てはなりませんね。 ローカルな話ですが昨日に東池袋で悲惨な事故がありました。 アクセルが戻らず暴走して次々と歩行者をなぎ倒して 終いにゴミ収集車に衝突し対向車のトラックにぶつかり . やっと静止したという。ドライブレコーダーには事故直前から 静止するまでのリアルな映像が残ってたという。怖い! この事故で数名が重軽傷し一人の幼い命が絶たれました。 僅か3歳での女児です。もう少しで令和の時代が来るのに。 . 令和には生きれない運命だったんですねと思うと無念。 誰だかご存知ないですが、ご冥福をお祈りしたいと思う。 全国、全世界にはこんな類の事件はおありでしょうが 私がこの事件をクローズアップしたのは、ここによく居ます。 . 今日も明日も行きますが、あの大勝軒本店の近くの交差点 なんですよね!昨日に速報を聞いて気になって今朝みて 吃驚しました!人生いつどこで何があるかわかりませんが こんな事で命を失くすのってあまりにも惨すぎます。 . アクセルが戻らないとかブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えた とか、本当にありえなくないかなぁ~って思うんだけど? 明日は我が身になるうかも知れませんのでディスるの止めw それでは、皆様、有意義のある楽しい週末にしましょう。 . 今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さいませ(^^ゞ “本日もご安全に参りましょう(^^)v” . . ■今日は何の日■. #四川料理の日 長野県諏訪郡富士見町に運営会社を置く「四川フェス実行委員会」が制定。 本場のおいしい四川料理をもっと日本に広めるのが目的。 日付は4が四川の「四」で4月。 中国語で80のことをbā shí (バーシー)と読み、四川語の「すごくおいしい」の意味と同じ音になることから80÷(四川の)4で20日に。 2017年から「四川フェス」を開催しており、2019年は4月20日・21日に東京・新宿中央公園に各地の四川料理の名店が終結し、しびれる辛さがたまらない四川料理を提供。 . #珈琲牛乳の日 日本で初めて「珈琲牛乳」(コーヒー牛乳)を製造販売した神奈川県平塚市の守山乳業株式会社が制定。 . #郵政記念日(#逓信記念日) 1871(明治4)年3月1日(新暦4月20日)、それまでの飛脚制度にかわって、東京~大阪間で新しい郵便制度が実施されました。 . #青年海外協力隊の日 1965(昭和40)年、青年海外協力隊(JICA)が発足しました。 . #ジャムの日 全国のジャムの製造メーカー、販売企業などで構成する日本ジャム工業組合が制定。 . #腰痛ゼロの日 腰痛で悩んでいる人をゼロにしたいとの思いから日本カイロプラクティックドクター専門学院名古屋校の卒業生を中心に結成されている「420の会」(ヨーツーゼロのかい)代表の本坊隆博氏が制定。 . #「聴く」の日 大切な人の話を聴きましょう。 . #肌には知る権利がある記念日 化粧品の開発、製造、販売などを手がける株式会社ちふれ化粧品が制定。 . #穀雨 二十四節気のひとつ。 . #木蓮忌(#百閒忌、#百鬼園忌) 内田百閒の忌日。東京都中野区金剛寺にある木蓮を詠んだ句碑から木蓮忌とも呼ばれる。 . #女子大の日 1901(明治34)年、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学しました。 . #シチューライスの日(毎月20日). . #発芽野菜の日(毎月20日). . #キャッシュレスの日(毎月0の付く日). . #オコパー・タコパーの日(毎月第3土曜日). . #マリファナデー(アメリカ合衆国). . . ■今日のつぶやき■ #急ぎの文は静かに書け . . #2001年4月20日 #野々村香音 (#ののむらかのん) 【#女優(元・#子役)、#ファッションモデル、#タレント】 〔#東京都〕 . . (Nerima, Tokyo) https://www.instagram.com/p/BwdEJIqApA2g7eemaNHGLwzYmx-YWHPg5pVx2Y0/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1j5ey2ono7v8n
#四川料理の日#珈琲牛乳の日#郵政記念日#逓信記念日#青年海外協力隊の日#ジャムの日#腰痛ゼロの日#肌には知る権利がある記念日#穀雨#木蓮忌#百閒忌#百鬼園忌#女子大の日#シチューライスの日#発芽野菜の日#キャッシュレスの日#オコパー#マリファナデー#急ぎの文は静かに書け#2001年4月20日#野々村香音#ののむらかのん#女優#子役#ファッションモデル#タレント#東京都
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日本よ、麗しき善き大和の国であれとの願いを込めた「令和」の時代が始まった。十七条憲法の精神を引き継ぐとされる元号、令和の時代の課題は聖徳太子が脱中華と大和の国造りを目指したように、日本の国柄を誇りをもって定着させることである。
平成の御代には多くのことが成された一方、積み残しの課題も多い。その筆頭が日本の国柄とはおよそゆかりのない現行憲法の改正である。
敗戦当時、内外の視線は昭和天皇に��しかった。戦勝国では「天皇戦犯論」「天皇処刑論」が展開された。先人たちはそれら敵意溢(あふ)れる糾弾から、皇室を戴(いただ)く日本の国柄を守り日本国として生きのびるために、現行憲法をはじめ占領軍による理不尽な制度改革を、棒を呑(の)み込む覚悟で受け入れた。
マッカーサー司令部は昭和天皇を温存し、占領政策を円滑に進めたが、背後では日本の国柄を潰す試みがなされていた。情報は厳しく統制され、国民は米国の支配を善きものと歓迎し、民主主義などは米国がもたらしたと思い込み始めた。そのとき、昭和天皇が詔勅を発せられた。
昭和21年1月1日の詔勅の冒頭に、昭和天皇は明治天皇の「五箇条の御誓文」全文を置かれた。後にこの御心について語っている。
「民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。(中略)『(民主主義を体現する)五箇条御誓文』を発して、それがもとになって明治憲法ができた。民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあった」
政府や国民が涙をのんで日本の国柄とは言えない米国製憲法を受け入れたのは皇室と国柄を守るためだった。にもかかわらず、国民が日本の国柄を忘れるのは本末転倒だというお気持ちであろう。占領下でこの重要な詔勅を出された昭和天皇は立派な帝王学を身につけていらした方だ。
昭和天皇はどのように帝王学を学ばれたのか。東宮御学問所には全分野にわたる碩学(せきがく)が集められ、白鳥庫吉(くらきち)博士が教務全般の主任を務めた。皇統の継承者にとって不可欠の学問である歴史は、白鳥博士が7年間一人で受け持ち、国史、東洋史、西洋史のうち、国史と東洋史の教科書は博士自ら執筆した。『昭和天皇の教科書 国史』がそれで、見事な歴史書である。優れた教育、深い歴史観を身につけられた昭和天皇にして、初めて日本はあの敗戦を乗り切れた。
だが、国柄を忘れてはならないとの昭和天皇の国民への語りかけとは反対に、米国は教育を通して日本人に影響を及ぼし続けた。米国の情報操作の苛烈さはここではおくが、米国は天皇となる東宮さま(現在の上皇さま)の家庭教師にクエーカー教徒のバイニング夫人をつけた。夫人は著書『皇太子の窓』に、「1946年の春」、昭和天皇が「アメリカ人の家庭教師を一人世話してもらえるだろうか」と米側に依頼されたとし、「アメリカ人の家庭教師は占領軍から押しつけられた」との推測は事実に反すると書いている。
一方、マッカーサーの軍事秘書、フェラーズは46年1月、吉田茂外相に「皇太子は西洋の思想と習慣を学び始めるべき」として「円熟したアメリカ人女性を」家庭教師につけるよう提案した(瀬畑源〈せばた・はじめ〉『象徴天皇制の形成過程-宮内庁とマスメディアの関係を中心に』一橋大学機関リポジトリ)。これは天皇のご依頼の約2カ月前だ。背後に米国の意図が見えないか。
昭和天皇が民主主義は外来の価値観ではなく日本の価値観であることに想いをいたせと詔勅で仰るかたわら、バイニング夫人は「英語を教えるということは(中略)アメリカ的な民主主義の思想と実践とを、皇太子殿下その他の生徒達に教えるという、さらに大きな仕事の方便にすぎない」と考えていた(前掲書)。このせめぎ合いの中で若き日の上皇さまは教育された。天皇としてのお姿が、昭和天皇と比べて自ずと異なるのにはこうした要素もあるだろう。
は新たに即位した天皇陛下の受けられた教育はどうか。学習院には帝王学の発想もなく、ご学友もいないと学習院大学の教授だった篠沢秀夫は書いている(『だから皇室は大切なのです』草思社)。
『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)の著者、小坂部元秀氏は陛下が学習院高等科にご在籍当時、クラス担任を2年間務めた。皇室関係の在学生名が大書されている学習院父母会名簿の最初のページを学生が「破り棄て」るはなしが、小坂部氏の著書の「序章」に出てくるのだが、小坂部氏はその行為をもっともだと認めているかのようだ。別の章で小坂部氏は南原繁の国会演説を「記念碑的」と評価し、「所詮は天皇陛下なんてどうでもいい」と書いた詩人の三好達治や、中野重治らを賛美している。
当時の浩宮親王殿下に小坂部氏が担任教師としての愛情や情熱を注いでいたとは考えにくく、陛下にとって学習院の教育環境は実に冷淡だったと推測できる。
こんな状況に皇族方を放置して、私たちに立派な天皇像を望む資格があるのか。帝王学や皇室は、国民から遊離したものではない。国民が望む天皇像は、国民がどのような価値観を重視し、どれほどの敬愛をもって皇室を支えるかという命題と背中合わせだ。令和の皇室が日本の国柄を尊び、国民統合の中心となるには、新天皇の大いなる学びをあらゆる面で支える制度と心が、政府、国民の側にも必要だ。共に立派な国を創るという覚悟をもって初めてもうひとつの課題の憲法改正も可能になる。
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メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ 04月06日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新) 新着記事一覧へ  スクラップブックMYキーワード天気文字サイズ機能・サービス目次 Language総合ガイドお客様サポートログイン中 トップニューススポーツカルチャー特集・連載オピニオンライフ朝夕刊紙面・beMY朝デジ 新着社会政治経済・マネー国際テック&サイエンス環境・エネルギー地域朝デジスペシャル写真・動画 朝日新聞デジタル > 記事 カルチャー出版有料記事 黒木瞳さん「私は、谷川俊太郎先生に一方通行のエロス」 司会・構成 赤田康和 2017年4月5日16時40分 シェア49ツイートlistブックマーク6 スクラップメール印刷 続きから読む 対談を終えた谷川俊太郎さんと黒木瞳さん=東京都杉並区、飯塚悟撮影  詩人の谷川俊太郎さんと、小学生の頃から詩を書き、3冊の詩集を出している女優の黒木瞳さんが、東京都内の谷川さん宅で対談した。谷川さんに私淑してきた黒木さんが、谷川さんと対談するのは今回で3回目。黒木さんが詩のモチーフにしてきた「恋愛」、谷川さんのデビュー作以来の主題「宇宙的存在」など、幅広い話題で盛り上がった。 ――恋をモチーフにした詩を黒木さんはたくさん書いてきました。 谷川 恋は何回くらいしているの? 黒木 片手よりは多くないです。 谷川 始まりはどんな感じ? 好きな相手のそばにいるとぼーっとなる? 黒木 ぼーっとはしない。シャキッとなります。自分の感性の全体、すべての皮膚が呼吸しているみたいな感じ。私は谷川さんの『二十億光年の孤独』にすごく影響を受けているので、ちっぽけな自分の命は宇宙の中にあって、その中で人を好きになっているという感覚があります。 谷川 たしかに人を好きになるのは宇宙的。ただ人間関係をどう作っていくかという意味では社会的な営みだから、そこが難しい。僕の場合、詩も発注を受けて書いてきたけど、恋愛も「発注」されて、してきた感じで、自分から「好きで好きで仕方ない」というふうになった記憶がない。 黒木 それはおモテになったからでは。 谷川 このごろは「死ぬ」ということも「発注」されていて、それに応えて一生懸命死なないといけないという感じを持っている。 黒木 ここに生まれてきたことも誰かに発注されているという感覚ですね。 ――エロスについては? 谷川 人生のすべてですよ。エロスしかない、大事なものといえば。ビートルズだってそう歌っている。 いろんなエロスがある。幼い頃、父親が中国の硯(すずり)をなでているのを見たことがある。それがすごくエロチックだった。 黒木 想像するだけで、すごくエロチック。 谷川 僕は小学生の頃は男の子のことが好きだった。第1ラバー、第2ラバー、第3ラバーって順位をつけていたが、全部男の子。ぱたっと中3くらいでなくなった。ただ社会人になって彼らと再会すると感じが変わっていて、どこが好きだったんだろうって戸惑います(笑い)。 黒木 私の場合は、谷川先生に一方通行のエロス。同じ空気を吸っているだけで天にも昇る気持ち。先生の詩を朗読することで、私の中に入れている感じ。 谷川 俳優になって何年? 黒木 初舞台から36年です。谷川先生もお変わりないですね。 谷川 小学校に講演に行くと、子どもたちに「あれ? 生きている!」って言われる。教科書に載るような人は死んでいると思っているみたい(笑い)。 注文を受けて書く「受注生産」で多忙を極めてきたけど、最近は少し余裕が出てきた。好きだった車も乗らないし食事も一日一食。どんどん捨てる方向。詩を書くのが生きがいで、他に楽しみがない。ぼくは最近、子どもになって子どもの言葉で詩を書くという試みをしている。読者に飽きられちゃうから、過去と違う詩を書かなきゃというのもある。そもそも自分で自分の詩に飽きちゃうので。 黒木 小学6年生で詩を書き始めた頃から、谷川さんを勝手に自分の先生だと思ってきました。谷川さんの詩集『愛について』を読んだ時の衝撃は忘れられない。禁断の世界、エロス、男と女、未知の世界で、これが大人の女性になっていく上での登竜門なんだと思った。 谷川 責任を感じますよね(笑い)。詩を書くことで食っていくのは難しいし、詩人の現実認識は小説家より甘く、思想的、抽象的に捉える。萩原朔太郎は素晴らしい詩を書いた人だけど、ごはん食べるときに全部ぽろぽろこぼしちゃったんだってね。詩人は現実生活がうまくいかない人。 黒木 何か欠けている。 谷川 そう、心ここにあらずというかね。詩の仕事と女優の仕事の関係は? 黒木 演じる役のキャラクターについて、どんなふうに話をし、どんなふうに笑うのだろうと考えているうちに、詩の言葉がふと出てくることがあります。 例えば「この人は『風のように話す』人なのでは」と。詩は私の中に息づいていると自負しています。詩は読むのも本当に好き。言葉の羅列なのに、宇宙まで連れて行かれてしまう。 谷川 詩には、言葉が持つ意味以外の力、エネルギーみたいなものがある。 黒木 過去の対談では、谷川先生に「二足のわらじ」なんてやめて、詩は書かず、女優に専念しろと言われました。でもめげずに書き続けていきたい。いつか褒めてもらえる詩を書けるようになるまで。「谷川教」の信者ですから。 谷川 おさい銭ください(笑い)。(司会・構成 赤田康和) 関連ニュース 谷川俊太郎さん・片岡義男さん 電子書籍化、決断のワケ手塚治虫「秘蔵」のエロス 仕事場に眠る遺稿を初公開女2人の濃密エロス ロマンポルノ「長すぎ」ラブシーン園監督流の反ロマンポルノ 「郷愁でしかない」ばっさりイバンカ氏、日本大使公邸桜祭りに登場 PPAPに笑顔 PR情報 あなたの家の今の価格は?約60秒の簡単入力で今すぐ無料査定/ソニー不動産35歳会社員、夫婦+小さな子2人、この時代にあった家の選びかた トップニュース 朝日新聞デジタルのトップページへ 【動画】バーの中にリング今村復興相、「自己責任」発言を陳謝 衆院復興特別委(12:35)「マンホールカード」が熱い ご当地限定、高値取引も(11:24)リベンジポルノ、相談1063件 20代の被害突出(13:13)東京五輪の野球「千葉マリンでも」 連盟会長が切望(14:59)乳がん、肝機能を下げる恐れ ATRなどが解明(14:21)117人の日記紛失、コンテスト応募装う 姫路の小学校(13:09)ギャンブル依存は不要なリスク取りがち 前頭葉活動低下(14:35)D・ジョンソン、階段から転落 ゴルフ世界ランク1位(10:32) 注目の有料ニュース 一覧 黒木瞳さん「私は、谷川俊太郎先生に一方通行のエロス」カワウソ、ロープくわえ高速回転 技磨かれた悲しい理由 「国の本音が出た」自主避難者ら、復興相発言に反発 新着ニュース 一覧 14:57御影公会堂の改修完了 「火垂るの墓」にも登場 神戸13:26将棋名人戦「午後は長考の応酬」 鈴木九段が解説13:21「共謀罪」法案、審議入り 衆院本会議で論戦始まる13:12日経平均、一時250円超値下がり 今年の最安値下回る12:53イチロー、今季初打席は空振り三振 大リーグ 注目キーワード 一覧 北朝鮮ミサイル弾道ミサイルを再び発射 フィギュアスケート世界選手権V羽生が帰国会見 那須の雪崩事故「典型的な危険地形」 森友学園問題自民、安倍昭恵氏の喚問拒否 注目の動画 一覧 注目の動画羽生「みんなで戦う」 フィギュア国別対抗、出場者決定 おすすめ 大阪桐蔭センバツ優勝 初の大阪勢対決を制すあのときの、ラジオ 秀吉も楽しんだ?名所で花見 少年が熱狂、あの自転車 手のひらサイズで高音質 賛否あるキャンプ車のトイレ 銀座・由美ママが語る「粋」 モデルハウスでボルダリング 中嶋一貴が語るF1の異次元 器選びの極意と「俺の銘器」 京の宝、守って次世代へ 北欧の皮革製品づくりを体験  地球を食べる清明節の食べる宝石「青団」 上海でも草花が芽吹いてきた。街中で花に負けないくらい目にするものがある。それは「団子」だ。  おあがりやす抹茶を広げるきっかけに 抹茶本来の味を生かせる商品ができないか。家族経営の森田製茶が試行錯誤しチョコ菓子を完成させた。  &w住まいのヒントは、西新宿OZONEで リフォームや部屋の模様替えを検討する人なら、“住まいの情報発��地”OZONEに出かけてみませんか?  &w五感で味わう、ハーブの楽しみ方 暮らしへのハーブの取り入れ方を、ハーブの専門家・フローレンスめぐみさんに聞きました。 山里「僕は何もやってない」ベッキー、ゲス極再開に…有村「ひよっこ」19・7%市村正親「ギャラは…」桜田淳子の復帰に反対声明マツコ&有吉、新番組でも… 朝日新聞のウェブマガジン 男性向けマガジン、アンドM女性向けマガジン、アンドwアンドバザールアンドトラベル あわせて読みたい 日本人はなぜ「居眠り」をするのか? 自民・伊吹氏「陛下のご譲位、ぺらぺらしゃべるな」 「この体が嫌なんよ」胸かきむしり嗚咽、命絶った我が子 (教えて!年金改革:2)将来いくら受け取れる? 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慟哭と吃驚ー小島信夫と小沼丹ー
「第三の新人」と呼ばれた作家たちの中で、小島信夫と小沼丹は、理由は異なるが、どこか収まりの悪い存在に思える。 小島信夫については言うまでもなく、彼が一九一五年生まれと「第三の新人」では最年長であり、それどころか「第二次戦後派」とされる三島由紀夫(一九二五年生まれ)や安部公房(一九二四年生まれ)、井上光晴(一九二六年生まれ)や堀田善衛(一九一八年生まれ)よりも年上、「第一次戦後派」の野間宏や梅崎春生とおない年であるという事実に依っている。これは一九一七年生まれの島尾敏雄が「第三の新人」と「戦後派」のどちらにも入れられていることがあるのに似ているが、小島にかんしては「戦後派」とされているのは読んだことがない。 「第三の新人」という呼称は、山本健吉が「文學界」の一九五三年一月号に発表した同名の論文が初出とされるが、そこで山本が取り上げている作家は「第三の新人」とはあまり重なっておらず、実際にはその後、山本を含む文芸評論家やマスコミが、この時期に文壇に登場もしくは頭角を現してきた一群の小説家たちを、この便利なフレーズの下にカテゴライズしていったということだったのだと思われる。小島は五二年に「燕京大学部隊」と「小銃」(初の芥川賞候補)を、五三年に「吃音学院」を、五四年に「星」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカンスクール」といった力作を矢継ぎ早に発表し、五五年に「アメリカンスクール」で芥川賞を受賞する。この経歴からすれば、彼は如何にも「第三の新人」と呼ばれるに相応しい存在だった。 しかし最初期の作品集『公園/卒業式』(冬樹社/講談社文芸文庫)を繙いてみればわかるように、小島は戦前から小説を書いていたし、その中には「死ぬということは偉大なことなので」(一九三九年)のような重要な作品もある。でもまあ「小島信夫=第三の新人」という等号は、文学史的にはごく常識に属すると言っていいだろう。単に他の面子よりも年を取っていたというだけである。 これに対して小沼丹の場合は、もう少し微妙な浮き方をしている。彼も一九一八年生まれと「第三の新人」では年長組だが、そういうことよりもむしろ、存在感というかアティチュードというか、その小説家としての佇まいが、他の「第三の新人」たちとは、かなり異なった風情を持っていると思えるのである。小沼は井伏鱒二の弟子だったわけだが、彼が井伏から受け取った或る種の態度と、それは関係があるのかもしれない。比較的横の繋がりの強い印象がある「第三の新人」の中にあって、小沼は他の作家たちと親しく交流することもあまりなかった(庄野潤三とは付き合いがあったが)。年譜を見ても井伏鱒二と旅ばかりしている。しばしば言われることだが、小沼にとっては、あくまでも早稲田大学の英文学の教授が本職であって、作家活動は趣味というか余技というべきものだった、というのも、あながち間違った見方ではないだろう。もっともそれを言うなら小島信夫も英文学の明治大学教授だったのだが。 小島と同様に「第三の新人」ムーヴメントの頃の小沼の筆歴を記せば、一九五四年上半期に「村のエトランジェ」、下半期に「白孔雀のゐるホテル」、五五年上半期に「黄ばんだ風景」「ねんぶつ異聞」で、計三度、芥川賞候補に挙げられたが、受賞はしていない。ちなみにそれぞれの回の受賞者は順番に、吉行淳之介、小島信夫/庄野潤三(二名受賞)、遠藤周作と、見事に「第三の新人」で占められている。これ以後、小沼が芥川賞候補になることはなかった。ちなみに五五年下半期には石原慎太郎が「太陽の季節」で受賞し、もはや「第三の新人」が新しかった時代は過ぎ去ってしまう。とはいえ翌五六年には「第三」の近藤啓太郎が「海人舟」で受賞するのだが。 小沼の第一作品集『村のエトランジェ』(みすず書房/講談社文芸文庫)は五四年刊だが、そこには収められている小説には、四〇年代後半には原型が書かれていたものもある。同時期に彼はスティーヴンスンの翻訳や『ガリヴァー旅行記』『ロビンソン・クルーソー』の子ども向け翻案などを手掛けており、大昔の異国を舞台とする「バルセロナの書盗」や「ニコデモ」(ともに四九年)や「登仙譚」(五二年)には、そういった仕事からの影響を窺うことが出来る。 先にも述べたように、小沼丹が「白孔雀のゐるホテル」で候補になり落選した一九五四年下半期の芥川賞は、小島信夫の「アメリカン・スクール」(と庄野潤三「プールサイド小景」)だった。両作の冒頭を引用してみよう。
大学生になったばかりの頃、僕はひと夏、宿屋の管理人を勤めたことがある。宿屋の経営者のコンさんは、その宿屋で一儲けして、何れは湖畔に真白なホテルを経営する心算でいた。何故そんな心算になったのか、僕にはよく判らない。 ……湖畔に緑を背負って立つ白いホテルは清潔で閑雅で、人はひととき現実を忘れることが出来る筈であった。そこでは時計は用いられず、オルゴオルの奏でる十二の曲を聴いて時を知るようになっている。そしてホテルのロビイで休息する客は、気が向けばロビイから直ぐ白いヨットとかボオトに乗込める。夜、湖に出てホテルを振返ると、さながらお伽噺の城を見るような錯覚に陥るかもしれなかった。 コンさんは、ホテルに就いて断片的な構想を僕に話して呉れてから云った。 ーーどうです、いいでしょう? ひとつ、一緒に考えて下さい。 (「白孔雀のゐるホテル」)
集合時間の八時半がすぎたのに、係りの役人は出てこなかった。アメリカン・スクール見学団の一行はもう二、三十分も前からほぼ集合を完了していた。三十人ばかりの者が、通勤者にまじってこの県庁にたどりつき、いつのまにか彼らだけここに取り残されたように、バラバラになって石の階段の上だとか、砂利の上だとかに、腰をおろしていた。その中には女教員の姿も一つまじって見えた。盛装のつもりで、ハイ・ヒールをはき仕立てたばかりの格子縞のスーツを着こみ帽子をつけているのが、かえって卑しいあわれなかんじをあたえた。 三十人ばかりの教員たちは、一度は皆、三階にある学務部までのぼり、この広場に追いもどされた。広場に集まれとの指示は、一週間前に行われた打ち合わせ会の時にはなかったのだ。その打ち合わせ会では、アメリカン・スクール見学の引率者である指導課の役人が、出席をとったあと注意を何ヵ条か述べた。そのうちの第一ヵ条が、集合時間の厳守であった。第二ヵ条が服装の清潔であった。がこの達しが終った瞬間に、ざわめきが起った。第三ヵ条が静粛を守ることだという達しが聞えるとようやくそのざわめきはとまった。第四ヵ条が弁当持参、往復十二粁の徒歩行軍に堪えられるように十分の腹拵えをしておくようにというのだった。終戦後三年、教員の腹は、日本人の誰にもおとらずへっていた。 (「アメリカン・スクール」)
小島信夫は五四年だけで実に十編もの短編小説を発表しているのだが、個人的には「アメリカン・スクール」よりも「星」や[殉教」、そして「馬」の方がすぐれていると思う。単行本『アメリカン・スクール』の「あとがき」で、小島は実際に自分がアメリカン・スクールに見学に行った経験が出発点になってはいるものの、それはごく最近の出来事(「先年」とある)であり、しかも「事件らしい事件は、その時には一つも起らなかった」と述べてから、こう書いている。「僕はこの見学を終戦後二年間ぐらいの所に置いてみて、貧しさ、惨めさをえがきたいと思った。そのために象徴的に、六粁の舗装道路を田舎の県庁とアメリカン・スクールの間に設定してみた。それから今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」。 その結果としての、主題的な、話法的な、一種の紛れもないわかりやすさが、芥川賞の勝因だったと言ったら怒られるかもしれないが、「終戦後二年間ぐらいの所」というのだから、一九四七年頃の物語を一九五四年に(五三年の体験をもとに)執筆したこと、それから「六粁」すなわち「往復十二粁」という「行軍」の設定、そして「僕」から「群像の中の一人物」への変換(右引用の少し先で、この小説の主人公というか狂言回し的な人物は「伊佐」という男だとわかる)という三種類の「距離」の導入が、その「わかりやすさ」に寄与していることは間違いない。もちろん小説とはこういうことをするものであるわけだが、��現実」を巧妙にずらすことによって却って「現実味」を増すという操作が、ここでは見事に上手くいっている。と言いつつ、であるがゆえに、わたし的には今ひとつ物足りない気もするのだが。兎角上手くいき過ぎているものはどうもつまらない。だがそれはとりあえず置く。 これに対して小沼丹の「白孔雀のゐるホテル」の場合は、ここで夢見られているホテルの「お伽噺」めいたイメージとは裏腹に、現実の宿屋は二軒長屋を若干改造しただけの古臭くて襤褸い代物で不便この上なく、何故だか自信満々の「コンさん」に驚き呆れた「僕」は、ひと夏の間に六人以上の泊まり客が来るかどうかの賭けをすることになるのだが、その賭けの顛末が綴られてゆく物語は、この時期の小沼小説の一大テーマというべき男女の色恋がメインに据えられてはいるものの、どこか牧歌的であり、こう言ってよければ妙に非現実的な「お伽噺」ぽさの内に全編が展開されるのである。つまりこの小説には「アメリカン・スクール」にあったようなリアリティへの配慮と戦略が著しく欠けている、というかそれはほとんど顧みられていないようにさえ見える。小沼丹がやろうとしているのは、もっとあからさまに「物語」らしい小説であり、その意味では「文学」らしからぬ小説なのである。そのせいで芥川賞を得られなかったのかどうかはよくわからないが、この作風は「第三の新人」においてはやはり異色である。 それは「村のエトランジェ」や、二編と同年発表の「紅い花」など、この頃に書かれた多くの作品にも言える。「エトランジェ」は衝撃的な殺人の目撃シーンから始まるが、現在の感覚からするとまだほとんど子供と言っていい「中学一年坊主」の「僕」の視点から、戦時中に田舎に疎開してきた美人姉妹と若い詩人とのロマンス、そのドラマチック過ぎる結末が、しかしやはりどこか牧歌的な雰囲気の中で物語られる。「紅い花」の舞台は「戦争の始る三年ほど前」だが、「大学予科生」の「僕」によって、郊外の山小屋を借りて独り暮らしを始めた「オスカア・ワイルドのように真紅のダリアを一輪飾った女」の波乱に富んだ恋愛模様が、おそるべきショッキングなラストに向かって物語られてゆく。いずれも極めて人工的なお話になっており、特に「紅い花」には一種の心理サスペンス風ミステリの趣がある。そして実際、この数年後の五七年から五八年にかけて、小沼丹は雑誌「新婦人」に「ニシ・アズマ女史」を探偵役とするユーモラスな短編を連作し、その後も何作かミステリ小説を発表している(「ニシ・アズマもの」は『黒いハンカチ』として一冊に纏められている。ミステリ作家としての小沼の側面にかんしては同書創元推理文庫版の新保博久氏の解説に詳しい)。ミステリに留まらず、五〇年代末から六〇年代頭の小沼はいわゆるジャンル小説にかなり接近しており、当時隆盛を迎えていた「宝石」「オール読物」「小説中央公論」などの中間小説誌にも作品を書いている他、六一〜六二年には新聞小説としてユーモア長編『風光る丘』を連載している。ジャンル的な方向性や出来映えの違いはあるが、デビュー以来、この頃までの小沼の小説は、おしなべて物語的、お話的なものであり、言い替えればそれは、どこか浮き世離れした雰囲気を持っていた。ところが、よく知られているように、この作風は、その後、大きく変化を見せることになる。 一九六三年の四月に小沼丹の妻・和子が急逝する。彼は娘二人と現世に残された。翌六四年には母親も亡くしている。そして同年五月に、のちに「大寺さんもの」と総称されることになる連作の第一作「黒と白の猫」が発表される。 この小説は、次のように始まる。
妙な猫がいて、無断で大寺さんの家に上がりこむようになった。ある日、座敷の真中に見知らぬ猫が澄して坐っているのを見て、大寺さんは吃驚した。それから、意外な気がした。それ迄も、不届な無断侵入を試みた猫は何匹かいたが、その猫共は大寺さんの姿を見ると素早く逃亡した。それが当然のことである、と大寺さんは思っていた。ところが、その猫は逃出さなかった。涼しい顔をして化粧なんかしているから、大寺さんは面白くない。 ーーこら。 と怒鳴って猫を追つ払うことにした。 大寺さんは再び吃驚した。と云うより些か面喰つた。猫は退散する替りに、大寺さんの顔を見て甘つたれた声で、ミヤウ、と鳴いたのである。猫としては挨拶の心算だったのかもしれぬが、大寺さんは心外であった。 (「黒と白の猫」)
以前から身辺雑記的なエッセイは発表していたが、この作品によって小沼丹はいわば「私小説的転回」を果たしたとされることが多い。淡々とした、飄々とした筆致から「大寺さん」の、とりたてて劇的な所のない平凡な日常が浮かび上がり、いつの間にか自宅に上がり込むようになった猫の話が綴られてゆくのだが、小説の後半で「大寺さん」は妻を突然に亡くす。しかしそのことを伝える筆致もまた、どこか淡々と、飄々としている。事情を知る読者は、おそらく作家自身に現実に起こったのも、こんな感じであったのかもしれないと思う。そしてこの作品以後、かつてのような人工性の高い「お話」は、ほとんど書かれなくなってゆく。これが多分に意識的な「転回」であったのだということは、次の文章でもわかる。
小説は昔から書いているが、昔は面白い話を作ることに興味があった。それがどう云うものか話を作ることに興味を失って、変な云い方だが、作らないことに興味を持つようになった。自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向けるようになった。この辺の所は自分でもよく判らないが、この短編集に収録してある「黒と白の猫」という作品辺りから変わったのではないかと思う。 (「『懐中時計』のこと)
作品集『懐中時計』は一九六九年刊。右は九一年に講談社文芸文庫に収められた際に附された「著者から読者へ」より抜いた。この先で「黒と白の猫」についてあらためて触れられているのだが、それは(明記されていないが)一九七五年発表の「十年前」というエッセイの使い回しとなっている。なので以下は同エッセイ(『小さな手袋』所収)から引用する。「十年前」とは勿論「黒と白の猫」が書かれた時のことである。
日記には「黒と白の猫」を書き終わって、一向に感心せず、と書いているが、これはそのときの正直な気持ちだろう。尤も書き終って、良く出来たと思ったことは一度も無いが、この作品の場合は自分でもよく判らなかったような気がする。よく判らなかったのは、主人公に初めて「大寺さん」を用いたからである。 突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない。「彼」でも不可ない。しっくりしないと云うよりは、鳥黐のようにあちこちべたべたくっつく所があって気に入らなかった。此方の気持の上では、いろんな感情が底に沈殿した上澄みのような所が書きたい。或は、肉の失せた白骨の上を乾いた風邪が吹過ぎるようなものを書きたい。そう思っているが、乾いた冷い風の替りに湿った生温い風が吹いて来る。こんな筈ではないと思って、一向に書けなかった。 それが書けたのは、大寺さん、を見附けたからである。一体どこで大寺さんを見附けたのか、どこから大寺さんが出て来たのか、いまではさっぱり判らない。 (「十年前))
「兎も角「僕」の荷物を「大寺さん」に肩代りさせたら、大寺さんはのこのこ歩き出したから吻とした。しかし、出来上がってみると、最初念頭にあった、上澄みとか、白骨の上を吹く乾いた風の感じが出たとは思われない。それで一向に感心せずとなったのだろう」と小沼は続けている。ここでわたしたちは、小島信夫が「アメリカン・スクール」について「今までなら「僕」として扱う男を、群像の中の一人物としておしこめてみた」と語っていたことを思い出す。つまり小島も小沼も、一人称を架空の固有名詞に変換することによって、或る転回を成し得ている。興味深いことに、「私」で/と書くのを止めることが、むしろ「私/小説」を誕生、もしくは完成させているのである。 「アメリカン・スクール」前後の小島信夫の小説で、一人称の「僕」もしくは「私」で書かれていないのは、他には「声」(一九五五年)など数える程しかない。一九五五年には初の長編小説『島』の連載が「群像」で開始されるが、これも人称は「私」である。そして長編小説にかんしてみると、続く『裁判』(一九五六年)、『夜と昼の鎖』(一九五九年)、『墓碑銘』(一九六〇年)、『女流』(一九六一年)は全て一人称で書かれている。そして小島が初めて三人称で書いた長編小説が、他でもない『抱擁家族』(一九六五年)なのである。その書き出しは、次のようなものである。
三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。 家の中をほったらかしにして、台所へこもり、朝から茶をのみながら、話したり笑ったりばかりしている。応接間だって昨夜のままだ。清潔好きの妻の時子が、みちよを取締るのを、今日も忘れている。 自分の家がこんなふうであってはならない。…… (『抱擁家族』)
この「三輪俊介」は『抱擁家族』から三十二年後の一九九七年に刊行された長編『うるわしき日々』に(それだけの年を取って)再登場する。当然のことながら、一人称で書かれているからといって作者本人とイコールでないのと同じく、三人称で書かれているからといって作者とまったく無関係とは限らない。小島の他の長編小説、たとえば大作『別れる理由』(一九六八〜八一年まで連載)の「前田永造」であるとか『美濃』(一九八一年)の「古田信次」であるとかも、基本的には「小島信夫」の別名であると言ってしまって構わない。これはあらためてじっくりと論じてみたいと思っていることだが、日本文学、少なくとも或る時期以降の「日本」の「文学」は、煎じ詰めればその大半が広義の「私小説」である。それは人称の別にかかわらず、そうなのだ。その中にあって小島信夫は、かなり特異な存在だと言える。何故ならば小島は、自身の人生に材を取って膨大と言っていい小説を書いたのみならず、それらの小説群によって自らの人生自体をも刻々と小説化=虚構化していったからである。だが本稿ではこの点にはこれ以上は踏み込まず、小沼丹との比較対照に戻ることにする。それというのも、言うまでもないが『抱擁家族』でも「三輪俊介」の妻が亡くなるからである。 『抱擁家族』は、前半では「三輪俊介」の妻である「時子」と、三輪家に出入りしていたアメリカ兵ジョージとの姦通(次いで三輪家の二番目の家政婦である「正子」と息子の「良一」も関係を持つ)によって生じた「家/族」の危機が、後半では「時子」が癌に罹り月日を経て死に至るまでと、それ以後が描かれる。現実の小島信夫の最初の妻・キヨは、一九六三年十一月に数年の闘病生活の末に亡くなっている。これは小沼丹の妻の死の半年後のことである。小島信夫の代表作、おそらく最も有名な作品であろう『抱擁家族』は発表以来、さまざまに読まれてきた。言わずもがなではあるが、よく知られた論としては、実質的に「第三の新人」論と呼んでいい江藤淳『成熟と喪失』(一九六七年)が挙げられるだろうが、今から見れば些か過剰に社会反映論的とも思えるそこでの江藤の立論は、たとえ当たっていたとしてもわたしにはあまり面白くはない。今のわたしに面白いのは、たとえば小島の最初の評論集である『小島信夫文学論集』(一九六六年)収録の「『抱擁家族』ノート」における、次のような記述である。
時子の死ぬところがうまく行かない。つまらない。自然の要素が強すぎる。 しかし、ここをとるわけには行かない。一応こういう自然の時間を追うスタイルの小説だからである。
小説の推移、一つ一つの会話がそのまま混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである。そのくらい複雑でなければ、こういう問題を書く意味がない。 (「『抱擁家族』ノート」)
二つの断片を引いた。この「ノート」は、小島が実際に『抱擁家族』執筆に当たって作成した創作メモがもとになっているそうだが、最後の一文に「俊介は狂っている」とあり、思わず戦慄させられる。周知にように、小島信夫は小説と同じくらい、ことによるとそれ以上の労力を傾注して多数の小説論を書いた作家だが、自作にかかわる論においては常に、右の引用に示された紛れも無いパラドックスをめぐる葛藤が旋回している。すなわち「小説」と「自然の時間=人生そのもの」との、ややこしくもあり単純でもある関係性が孕むパラドックスである。それは小沼丹が「突然女房に死なれて、気持の整理を附けるためにそのことを小説に書こうと思って、いろいろ考えてみるがどうもぴったり来ない。順序としては一人称で書いたらいいと思うが、それがしっくりしない」と悩んだあげくに、ふと「大寺さん」を発見したのと同じことである。 それならつまり、小島信夫も小沼丹も、自らの実人生に起きた、たとえば「妻の死」という決定的な出来事、悲劇と呼んで何ら差し支えあるまい出来事を、如何にして「小説」という虚構に落とし込むかという試行に呻吟した結果、それぞれにとっての小説家としてのブレイクスルーを成す『抱擁家族』と「黒と白の猫」という「三人称の私小説(的なるもの)」が産み落とされたのだ、と考えればいいのだろうか。それはまあそうなのだが、しかし両者の対処の仕方は、一見すると対照的である。『抱擁家族』では、夫である「三輪俊介」が、妻である「時子」の死に対して激しく動揺し、狼狽し、慟哭するさまが執拗に描かれている。その様子は勿論シリアスなものではあるが、しかし同時に奇妙な諧謔味を湛えてもおり、そしてその諧謔がぐるりと廻って哀しみを倍加する、というようなものになっている。それは名高い「私の妻は病気です。とても危いのです。その夫が私です」という台詞に象徴されているが、そこに作家自身の生の感情が吐露されていると考えてはならない。「アメリカン・スクール」で施されていたのと同様の戦略と計算が、ここにはより大胆かつ精妙に働いている。 たとえば次の場面には、小島の独特さが現れている。
病院での通夜までの間に一時間あった。その間、彼は病院の玄関に立っていた。涙がこみあげてきて、泣いているとうしろで廊下をするような足音がした。ふりかえるとカトリックの尼が、トイレから出てきたところで、トイレのドアがまだ動いているところであった。 二人の尼は俊介のところへおびえるようにして近よってきた。 「お亡くなりになったそうで」 眼から涙がこぼれおちてくる、と俊介は思った。 「先日はどうも」 と彼は口の中でいった。 「祈ってあげて下さい」 と若い女の方がいった。 「それは僕も祈りつづけてきたのですが、祈る相手がないのですよ。だからただ祈り、堪え、これからのことを考えるだけです」 「あなたは、今、神に近いところにおいでになりますよ」 「なぜですか」 俊介は尼について歩きはじめた。 「家内に死なれたからですか。これは一つの事業ですよ。その事業をぶざまになしとげただけのことですよ」 俊介の涙はとまった。 「ただ僕は子供がふびんで……これからどうして暮して行ったらいいのだろう。ずっと前から予想していたが、やっぱり思いがけないことが起きたのです」 (『抱擁家族』)
「『抱擁家族』ノート」には、こうある。「カトリックの尼を出す。時子は求めているらしいのに、追払う。こういう錯覚、洞察力のなさが俊介にはある。神の問題は、この程度にしかあらわれない。そういうこと、そのことを書く」。これはつまり、敢て、故意にそうしている、ということである。小島は、あくまでも意識的なのである。小島は「演劇」にも関心の深かった作家だが、ある意味で「三輪俊介」は、演劇的に慟哭してみせているのだ。 小島信夫は徹底して方法的な作家であり、彼の方法意識は『抱擁家族』でひとつの極点に達し、それから数十年をかけて、ゆっくりと小島信夫という人間そのものと渾然一体化してゆくことになるだろう。従って、それはやがて「方法」とは呼べなくなる。だが、ともかくも言えることは、『抱擁家族』という小説が、たとえ表面的/最終的にはそう見えなかったとしても、実際には精巧に造り込まれた作品なのだということである。以前の作品と較べて、明らかにスカスカを装った文体や、一読するだけではどうしてそこに置かれているのかよくわからない挿話、あまり意味のなさそうな主人公の述懐さえ、周到な準備と度重なる改稿によって編み出されたものなのである。 小沼丹の「大寺��んもの」は、「黒と白の猫」に始まり、計十二編が書かれた。最後の「ゴムの木」の発表は一九八一年なので、実に十七年にわたって書き継がれたことになる。いずれも、ほぼ作家と等身大とおぼしき「大寺さん」の日々が綴られている。そこでは確かに、お話を「作らないこと」が慎ましくも決然と実践されているようであり、また「自分を取巻く身近な何でもない生活に、眼を向け」られていると読める。この意味で、小沼の姿勢は小島信夫とは些か異なっているかに思える。 だが、ほんとうにそうなのだろうか。「黒と白の猫」の、今度は末尾近くを読んでみよう。
大寺さんは吃驚した。 例の猫が飼主の家の戸口に、澄して坐っているのを発見したからである。大寺さんは二人の娘に注意���た。娘達も驚いたらしい。 ーーあら、厭だ。あの猫生きてたのね。 ーーほんと、図々しいわね。 この際、図々しい、は穏当を欠くと大寺さんは思った。しかし、多少それに似た感想を覚えないでもなかった。大寺さんもその猫は死んだとばかり思っていたから、そいつが昔通り澄しているのを見ては呆れぬ訳には行かなかった。 (「黒と白の猫」)
この短編を、そして続く「大寺さんもの」を読んでゆく誰もが気付くこと、それは「大寺さん」が、やたらと「吃驚」ばかりしていることである。もちろん小沼丹の小説には、その最初期から「吃驚」の一語が幾度となく書き付けられてはいた。たとえば「村のエトランジェ」の冒頭も「河の土堤に上って、僕等は吃驚した」である。『黒いハンカチ』の「ニシ・アズマ」も、一編に一回は「吃驚」している。だが、それでも「大寺さんもの」における「吃驚」の頻出ぶりは、殆ど異様にさえ映る。なにしろ「大寺さん」は、悉く大したことには思えない、さして驚くには当たらない小さな出来事にばかり「吃驚」しているのだ。そして/しかし、にもかかわらず「大寺さん」は、真に不意打ちの、俄には信じ難い、受け入れ難い出来事に対しては、むしろ淡々としている。その最たるものが、身近な者たちの「死」に向き合う態度である。「黒と白の猫」には「細君が死んだと判ったとき、大寺さんは茫然とした。何故そんなことになったのか、さっぱり判らなかった」とある。彼は「茫然」としはするが、そのあとはせいぜい「しんみり」するくらいで、取り乱すことも、泣くこともない。「茫然」は、あっさりと恬然に、超然に席を譲るかにさえ思える。演劇的なまでにエモーショナルな『抱擁家族』の「三和俊介」とは、まったくもって対照的なのである。つまり「大寺さん」の「吃驚」は、実際の出来事の強度とは殆ど反比例しているのだ。 「大寺さんもの」第三作の「タロオ」(一九六六年)は、タロオという飼犬のエピソードで、最後にタロオは知人のAの所に貰われてゆく。
大寺さん��タロオを見たのは、それが最后である。タロオはその后十年以上生きていて死んだ。死ぬ前の頃は、歯も悉皆抜けて、耳も遠くなって、大分耄碌していたらしい。老衰で死んだのである。 その話を大寺さんはAから聞いた。 ーータロオが死んだとき、とAは云った。お知らせしようかなんて、うちで話していたんです。そしたら、奥さんがお亡くなりになったと云うんで、吃驚しちゃいまして…… ーーうん。 大寺さんの細君はその二ヶ月ばかり前に突然死んだのである。 (「タロオ」)
ここには「吃驚」の一語があるが、それは「大寺さん」のものではない。この短編で妻の死が持ち出されるのはこのときが最初で、そしてこれだけである。あと数行で、この小説は終わる。「……タロオをルック・サックに入れて持って来て呉れたTも、五、六年前に死んだっけ、と思った。そして、みんなみんないなくなった、と云う昔読んだ詩の一行を想い出したりした」。この幕切れは寂寞としてはいるが、哀しみと言うにはやはり妙に飄然としている。 「大寺さんもの」を通して、小沼丹は繰り返し繰り返し、幾つもの「死」を話題にする。それは疑いもなく作家自身が「身近な何でもない生活」の中で現実に出逢った「死」がもとになっている。要するに「大寺さんもの」とは、死をめぐる連作なのだと言ってもいいくらいに、そこでは死者たちの思い出が語られている。しかし、にもかかわらず、小沼の筆致はその点にかんしては、いや、とりわけそれに限って、只管に抑えられており、そしてその代わりに、彼の言う「何でもない生活」の周囲に、夥しい数の「吃驚」が配されているかのようなのだ。 だとしたら、これは、これもまた、一種の「お話」と言ってしまっていいのではあるまいか。小沼丹は「黒と白の猫」で変わったわけではなかった。彼の創意と技術は、むしろ以前よりも研ぎ澄まされていったのだ。小島信夫とは別の「方法」によって、だが底の底では極めてよく似た動機に突き動かされて、小沼は「大寺さん」というキャラクターを造り上げていったのではなかったか。その「動機」とは、受け入れ難いのに受け入れなくてはならない出来事を受け入れざるを得なかった、この自分を虚構化=小説化する、ということだった。 「大寺さんもの」の最終篇「ゴムの木」の終わりを引用して、本稿を閉じることにしたい。「黒と白の猫」が「黒と白の猫」のお話だったように、「タロオ」が「タロオ」のお話だったように、これは「ゴムの木」のお話である。
いつだったか、大寺さんの娘の秋子が、ちっぽけな男の子を連れて大寺さんの家に遊びに来たとき、何かの弾みで想い出したのだろう、 ーーウエンズさんに頂いたゴムの木、どうしたかしら? まだ、あります? と訊いた。 ーーあれだ。 と大寺さんが教えてやると、 ーーまあ、驚いた。あんなに大きくなったの……。 と眼を丸くした。大寺さんも何となくゴムの木を見ていたら、青い葉の傍に恨めしそうな眼があったから吃驚した。 (「ゴムの木」)
最後の「吃驚」に、わたしは思わず吃驚した。この「眼」はいったい何なのか、まったく説明はない。まるで「村のエトランジェ」の頃に戻ったかのようではないか。しかしこれ以降、小沼丹の小説は、ますますエッセイと見分けがつかなくなってゆく。彼は一九九六年、七七歳で没した。「ゴムの木」が書かれたのと同じ一九八一年、小島信夫は大作『別れる理由』の連載を終え、『女流』の続編である『菅野満子の手紙』の連載を始め、『美濃』を刊行した。小島は二〇〇六年、最後の長編『残光』を発表し、それから間もなく亡くなった。九一歳だった。
(初出:三田文学)
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●スクナビコナ(スクナヒコナとも。須久那美迦微、少彦名、少日子根など他多数)
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●スクナビコナ(スクナヒコナとも。須久那美迦微、少彦名、少日子根など他多数) コメント コッピー 日本神話って面白くて素敵ですよね☆ 神秘を感じます 私はスクナビコナ(小人の神様)のお話が好きです^^ 初めてしせて貰った。 聞いた時は 小人だと思っていたら 本当にチンマイ 一寸法師のように小さい。 可愛くて力は一寸法師と同じ様だ。 図体小いさくても 色んなところで取り上げて居るようだ。 色んなモノが有る様だ。 ★スクナビコナ http://bit.ly/H3xeZo スクナビコナ(スクナヒコナとも。須久那美迦微、少彦名、少日子根など他多数) 日本神話における神。 『古事記』では少名毘古那神、『日本書紀』では少彦名命(すくなひこなのみこと)、『出雲国風土記』では須久奈比古命、『播磨国風土記』では小比古尼命(すくなひこねのみこと)、他に須久那美迦微、少日子根などと表記する。 『古事記』では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、系図史料には天湯河桁命の子とされる。 『古事記』によれば、スクナビコナは、大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)に乗り、鵝(ヒムシ=ガとされる)の皮の着物を着て波の彼方より来訪し、神産巣日神の命によって義兄弟の関係となって国造りに参加した。『日本書紀』にもこれと同様の記述があるが、ミソサザイの皮の着物を着ている。スクナビコナが登場するのは、『記』・『紀』以外では、『播磨国風土記』や『伊予国風土記』(逸文)、山陰や四国、北陸などの地方伝承である。 スクナビコナはオオナムチ(大国主神)同様多くの山や丘の造物者であり、命名神である。その一方で、スクナビコナは悪童的な性格を有するという記述がある(『日本書紀』八段一書六)。スクナビコナはのちに常世国へと渡り去るが、これは草に弾かれて常世へ渡った、川で溺れて神去りしたなど様々な説話が存在する。 ★スクナビコナ (小惑星) http://bit.ly/H1BRwX スクナビコナ (10725 Sukunabikona) 小惑星帯にある小惑星である。 1986年11月22日に愛知県豊田市で鈴木憲蔵と浦田武が発見した。 日本神話における神。 スクナビコナ(少名毘古那神、少彦名神、少御神)にちなみ命名された。 ★日本神話に関する名を持つ小惑星の一覧 日本神話に由来する名前を付けられた小惑星および由来の一覧。 ・(9106)八咫烏 (小惑星) - 八咫烏 ・(10209)イザナキ (小惑星) - イザナギ ・(10227)イザナミ (小惑星) - イザナミ ・(10412)ツクヨミ (小惑星) - ツクヨミ ・(10385)アマテラス (小惑星) - アマテラス ・(10604)スサノオ (小惑星) - スサノオ ・(10613)クシナダヒメ (小惑星) - クシナダヒメ ・(10619)ニニギ (小惑星) - ニニギ ・(10627)オオクニヌシ (小惑星) - オオクニヌシ ・(10725)スクナビコナ (小惑星) - スクナビコナ ・(10727)秋津島 (小惑星) - 秋津島 ・(10768)サルタヒコ (小惑星) - サルタヒコ ・(10804)アメノウズメ (小惑星) - アメノウズメ ・(10831)高天原 (小惑星) - 高天原 ・(10888)ヤマタノオロチ (小惑星) - ヤマタノオロチ ★オオクニヌシ 第7章 スクナビコナ http://bit.ly/Hpcje6 ★日本の神話 古事記 http://www15.plala.or.jp/kojiki/index.html 日本の神話を読んだことはありますか? 子どもも大人も、楽し��日本の神話を読んでみましょう! 2018.1.13 このサイトは、日本の若い人たちに日本の神話を楽しく読んでもらおうという目的で作りました。それでは素朴で大らかですばらしき古事記の世界へみなさんをご案内いたしましょう! ★少彦名神 - 山の辺の道 散策 ガイド http://sakuwa.com/yz6.html <故(かれ)大国主神、出雲の御大之御前(みほのみさき)に坐す時に、波の穂より、天の羅摩(かがみ)の船に乗りて、鷦(さざき)の皮を内剥ぎに剥ぎ衣服と為て、帰り来る神有り> 古事記は、大国主命の国造りの段で、大国主命が美保関(島根県松江市)にいたところ、つる草のガガイモの実を船にして、小鳥のミソサザイの羽毛を着物にした神がやって来た。と記す。神の名前は少名毗古那神。高天原の別格の神とも言うべき神産��日神の御子であるという。 ★神様コレクション@wiki スクナビコナ http://bit.ly/Hr5k6R 日本神話の神。 豊穣をもたらす農耕神。医薬の神、酒の神とも言われる。 オオクニヌシ(大国主命)とともに国造りを行う。 親神については日本書紀と古事記で別の説をとる。 江戸時代以降、中国道教のシンノウ(神農)とともに薬祖神として祀られるようになる。 ○別名: ・スクナヒコナ (少彦名神) ・スクナミノカミ (須久那美迦微) ・スクナミカミ (少御神) ・スクナムチ (少名牟遅神) ・イクネ (生根神) ・クシ(2) (久斯神) ・テマノアマツカミ (手間天神) ★生根神社 https://www.norichan.jp/jinja/benkyou2/ikune.htm 祭 神:少名彦命 説 明:ご由緒を転載します。 「当社の御創立は不詳なるも住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉祀せられて居り (日本書紀では一九〇〇年前)延喜式の神名帳(約千三百年前に制定)においても 当時の式内官幣大社に列し年四度の官幣に預るとあり。古来有名大社であった文献にも多く残っている。特に豊臣時代には淀君の崇敬社にて片桐東市正勝元が奉行して現存の御本殿が寄進されている(現大阪府重文、文部省重文申請中)。徳川時代においても、徳川綱吉将軍が修理を奉幣している。(住吉大社造営記)古来住吉郷の郷社だったが、徳川時代に神宮寺と倶に住吉大社の管理下に入り、後明治五年元の如く(住吉郷現住吉区全体)の郷社に戻り、現在においては上記の氏子区域の氏神様として多くの参拝がある。 ★のりちゃんの実験ファイル https://www.norichan.jp/index2.htm のりちゃん,ハムスター,願い事,神社,紹介,恋愛 作者プロフィール 願い事別神社紹介 大阪の女性ライター「醸工房」 ブログ 神話ブログ 弥生ブログ 神社占い 気分別昔話紹介 テーマ別伝説紹介 野山を歩こう 日本神話を肴に日本酒を呑もう リンク オフ会レポート my website in English ★日本のお酒の神様!日本三大酒神神社とは? | 日本酒専門WEB ... https://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sake_godofsake 2016/01/14 日本第一酒造神として名高い松尾神社 松尾神社は梅宮神社と同じ京都市右京区にあります。大山咋神(オオヤマクイノカミ)が御祭神として祀られており、京都の松尾大社を総本山として、全国に20以上の松尾神社が存在します。 出雲にある松尾神社は「佐香神社」とも呼ばれ、ここで祀られている久斯之神(クスノカミ)は、出雲大社に全国から集った八百万の神々に酒を醸し振る舞ったという伝説があり、これを日本酒発祥とする説もあります。 出雲大社というと、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するために、八塩折の酒と呼ばれる非常に濃く強い酒を飲ませたという話など、酒に関する伝説がたくさんありますよね。 ★手間天神 | 椙の子のブログ https://ameblo.jp/piano-boesendorfer/entry-12227512272.html 2016/12/18 【天神社】. 奈良市高畑にある神社です。 天神社略縁起によれば、この地域が. 平城京の頃、平城の飛鳥とよばれた聖地で、 国つ神の中心の一柱である少彦名命より、 手間天神とよばれ、医学や学問の神とされたと、あります。 神社境内は地域の方々が守られており、 清々しい気持ちで参拝出来ました。 奈良公園よりちょっとだけ足をのばすだけで、いいスポットがありますね。 ★手間天神 - 門戸天神社の口コミ - トリップアドバイザー 2020/01/04 https://note.com/testu_awaji/n/n8f400bcf026e 【由緒略記】
延喜式神名帳にある淡路国小社十一座のひとつとされる。 往古より手間天神・申の宮・田井の天神と呼ばれ、志筑七社の首座であった。 延喜式は複数あり、中には「志築(シチクノ)神社」と表記されたものや、「志筑」だがフリガナで「シチクノ」となっているものもある。 地名については、別途マガジンを作って報告しようと考えている。 ★古事記ー紹介と古事記による変奏曲 https://tokino-koubou.net/1-kojiki.htm 古事記の紹介 ●古事記の文体 ………原文の記され方について ●日本書紀の文体 ………日本書紀の場合 古事記による変奏曲ー神代編 ● 古事記第1変奏、イザナキとイザナミ、あるいは天地創造 その1、天地初めて起こりし時 その2、みとのまぐわい その3、イザナキとイザナミの子生み その4、ヒノカグツチ その5、黄泉つ国での再開 その6、イザナキとイザナミの別れ その7、生みの果てに ● 古事記第2変奏、天の石屋戸、あるいはスサノヲ天上編 その1、タケハヤスサノヲの命 その2、うけい その3、我(あれ)勝ちぬ その4、天の石屋戸(あめのいはやと) ● 古事記第3変奏、八俣のヲロチ、あるいはスサノヲ地上編 その1、クシナダヒメ(櫛名田比売) その2、八俣(やまた)のヲロチ その3、八雲立つ ● 古事記第4変奏、オホナムヂ(大穴牟遅)の神、黄泉つ国編 その1、因幡の白兎 その2、末弟(すえおと)殺し その3、スセリビメ(須勢理毘売) その4、腕試し その5、鳴鏑(なりかぶら) その6、こやつめ ● 古事記第5変奏、オホクニヌシ(大国主)の神、中つ国編 その1、スクナビコナ(少名毘古那) https://tokino-koubou.net/1-kojiki/kojikivar5-1.htm その2、神語り(かむがたり) その3、次妻(うはなり)妬(ねた)み その4、オホクニヌシの神の系譜 ● 古事記第6変奏、天孫降臨(てんそんこうりん) その1、アメノワカヒコ(天若日子) その2、オホクニヌシの国譲り その3、天孫降臨 ● 古事記第7変奏 ホオリとホデリ 下書 ★「スクナビコナ」のタグが付けられた質問 16件 http://bit.ly/H1DCKC ★スクナビコナ(ハロくんの御祭神情報)<パワスポ.com> http://powspo.com/god/099/ 大国主の国造りの時に波の彼方より天乃羅摩船に乗ってきた神だニャン。 【読み】すくなびこな 【性別】女 【別名】30は有る ・少名彦(すくなひこ) ・少彦名太神(すくなひこなのおおかみ) ・少彦名大神(すくなひこなのおおかみ) ・少彦名神(すくなひこなのかみ) ・少名比古那神(すくなひこなのかみ) ・少名日古那神(すくなひこなのかみ) ・少彦那神(すくなひこなのかみ) ・少名毘古名神(すくなひこなのかみ) ・少名毘古那神(すくなひこなのかみ) ・少那比古神(すくなひこなのかみ) ・少名彦名神(すくなひこなのかみ) ・少毘古那神(すくなびこなのかみ) ・少名彦那命(すくなひこなのみこと) ・少那彦名之命(すくなひこなのみこと) ・少那毘古那命(すくなひこなのみこと) ・少名毘古那命(すくなひこなのみこと) ・少彦名尊(すくなひこなのみこと) ・少名彦命(すくなひこなのみこと) ・少比古那命(すくなひこなのみこと) ・少名彦名命(すくなひこなのみこと) ・少名比古那命(すくなひこなのみこと) ・少彦名命(すくなひこなのみこと) ・小彦名命(すくなひこなのみこと) ・少毘古那命(すくなびこなのみこと) ・少名彦大神(すくなひこのおおかみ) ・少名彦神(すくなびこのかみ) ・少彦命(すくなひこのみこと) ・少奈彦命(すくなひこのみこと) ・少名彦尊(すくなひこのみこと) ・少名比古命(すくなひこのみこと) ★出雲大社が建てられた経緯と大国主大神はなぜ別名が多いのかを解説【日本を守り続けてきた神 大国主】 2019-07-11 2019-12-18 https://genhou-akaisora.com/izumooyashiro1/ 出雲大社が建てられた経緯と大国主大神はなぜ別名が多いのかを解説【日本を守り続けてきた神 大国主】. 目次 1 出雲大社の呼び方 2 大国主神は葦原中国を作ったのか? 3 大国主大神にはなぜ名前がたくさんあるのか? 4 大国主大神はどんな活動をしていたのか? 5 【出雲大社建設の理由】国譲りの真相 ★お稲荷さんの別名 めぐり研究所 https://www.megurilab.com/?p=1235 「お稲荷さん」といえば、商売繁盛のご利益で有名な日本の神ですが、お稲荷さんほど、別名の多い神は他に類を見ません。 お稲荷さんを丁寧に呼ぶ場合、稲荷大神(いなりおおかみ)ですが、さらにその正体である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や、同一神とされる豊受大神(��ようけのおおかみ)、保食神(うけもちのかみ)、荼枳尼天(だきにてん)など、日本固有の習合的思想から、あるいは『古事記』、『日本書紀』に端を発する、「またの名は」の文化の影響下で、日本、いや世界で最も名前のバリエーションが多い神として、一つの次元を築いている存在、それがお稲荷さんです。 そもそもこれらは別名であるともいえ、別名でないともいえます。 どういう事かというと、稲荷信仰では稲荷の上に○○稲荷などの号を付し、同一の神でありながら、あたかも別の神であるように扱われることが殆どだからです。 それらは同一の神の別名なのか、一つのグループの中の個性をもったそれぞれの神々なのか。 こうしたお稲荷さんの性質を踏まえ、この記事では体系づけるために、上位区分と下位区分の二種に別けて解説したいと思います。 (全部で30くらい、石碑に刻まれている)稲荷信仰の総本山である伏見稲荷大社で撮影 https://www.megurilab.com/wp-content/uploads/2018/05/DSCN3621-450x600.jpg ★やさしい古事記講座(215) 大国主74 スクナビコナ3 天津麻羅と天津羅摩船。うつはぎ。鏡百枚 http://bit.ly/HmpyRg 2009-05-28 古代史・古事記講座(宇摩説) ★オオクニヌシの国造り http://bit.ly/H6xGyP 少名毘古那神 (小彦名神) すくなびこなのかみ ・カミムスビ神(前述)の御子、小さき小神 ・農耕神、温泉神、酒神、医療や禁厭の法を制定した神 ・大神神社(官大、奈良桜井)札幌神社(官大)台湾神社(官大)樺太神社(官大)酒列磯前神社(国中)他 ★スクナビコナ (小惑星) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/スクナビコナ_(小惑星) スクナビコナ (10725 Sukunabikona) は、小惑星帯にある小惑星である。 1986年11月22日に愛知県豊田市で鈴木憲蔵と浦田武が発見した。 日本神話における神、スクナビコナ(少名毘古那神、少彦名神、少御神)にちなみ命名された。 ★古事記〜[10]国作りのおはなし - 神社人 https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=166 ようやく、プライベートも一段落した大国主命(オオクニヌシ)の私生活話はさておき、ここから、いよいよ国作りに入ります。そして、そんな時にこそ、出会いは突然と始まります。それは、オオクニヌシが、出雲の美保(みほ)の岬(みさき)にいた時のことです。 海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね:ガガイモの小舟※ガガイモは多年生の植物のひとつ)に乗って、蛾(が)の衣を着込んだ小人神が突如として現れたのです。 しかし、オオクニヌシは、彼の名を尋ねても返事をしてきません。誰だろうと思っていると、そこにヒキガエルの多邇具久(タニグク)が現れて、「これは、山田の案山子(かかし)の神、久延毘古(クエビコ)に聞けば分かりますよ」と答えました。 そして、改めて、クエビコの元に訪れ、彼の名を尋ねると、「その小人神は、神産巣日神(カミムスヒ)の御子さまである少名毘古那神(スクナビコナ)のことでしょうな」と答えました。そこで、実際に、カミムスヒの元を訪れ、その事実を確認したところ、これは間違いなくカミムスヒの御子神で、スクナビコナは、カミムスヒの指の隙間から落ちてしまった子だということが判明しました。 そして、続けて、カミムスヒは、我が子、スクナビコナと共に、国作りを続けるよう命じました。こうして、オオクニヌシとスクナビコナの両神は、ともに兄弟となって、国作りに励むのでした。因に、このスクナビコナの親となるカミムスヒですが、これが日本書紀だと設定が異なり、高皇産霊尊(タカミムスヒ)の子となっています。 ★神社のすすめ 神社を楽しむための基礎知識 https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=7 神社へ参拝するにも、神さまを祀るにも、何やら知らないことだらけやな〜、つ〜ことで、ここでは神社や神道に関する基礎知識を上げてみました。知れば、もっと楽しい日本文化巡りの第一歩です! 古事記を読んでみよう 古事記 さて、神社とくれば、そこには、八百万(やおよろず)と言われるほど無数の神さまの存在が上げられますが、そんな神々を記した代表的な書物に、日本最古の歴史書となる「古事記」と「日本書紀」の存在が上げられます。特に、「日本書紀」はいわゆる政府がまとめた「正史」として認められた存在ですが、実際のところ、私たちはほとんど、その内容を知りません。ということで、こちらでは、古事記の簡単な概説とそれにまつわる神社をご紹介します。 ★少彦名命スクナビコナノミコト – 神道の心を伝える https://00m.in/4VWKL https://shinto-cocoro.jp/zukan_yaoyorozu/%E5%B0%91%E5%BD%A6%E5%90%8D%E5%91%BD%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%88/ 2017/10/27 オオクニヌシがスサノオに託され、国造りを行なった際に尽力した小さな神様がスクナビコ。 その容姿が小さいことから、一寸法師の原型になったとも言われる。 身体は小さいが、わんぱく者で根性は相当なものだった。 スクナビコは、蛾の皮を身にまとい船で出雲美穂崎に辿り着いた。 高天原(天界)の神は、オオクニヌシに「スクナビコと兄弟の契りを結んで、国を守り固めよ。」と告げた。 オオクニヌシの片腕であり、国造りのナンバー2であるスクナビコ。 ★“だめんず”だらけ!?【日本神話がギャグでしかない件】面白エピソード4選! https://studysapuri.jp/course/junior/parents/yomoyama/article-61.html 日本最古の歴史書「古事記」と日本最初の国史書「日本書紀」は、どちらも日本の建国神話を記した書物。どのような経緯を経て日本という国ができたのかを知ることができる重要な本なんです。日本人なら一度は読んでみたいと思いますよね! とは言え、古い本だから難しそうと敬遠してしまっている人もいるのでは? ただ、実際に読んでみると、個性豊かな神様たちが繰り広げる笑いあり、涙ありの物語でとっても面白いんですよ! 今回は日本神話に登場する有名な神様たちの、ちょっと笑えるエピソードをご紹介したいと思います! ★『少名毗古那神』日本神話の神様|スクナビコナノカミ https://kojiki.co/gods/sukunabikona.html 出雲の美保岬でオオクニヌシと出会い、国造りをするお話し。 日本書紀. 古事記ではカムムスヒの子と表記されていますが、日本書記ではタカミムスヒの子と記されています。
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