#じゃがいもと黒海とフランス
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『じゃがいもと黒海とフランス』
これは20数年前の旅のお話。
この旅の目的は、ジャガイモ。
ついでに黒海。
そしてフランス語とスケッチ。
フランスのヴィシー、リヨン、マルセイユ、アルル、ペルピニャン、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのコンスタンツァ、シナイア、シギショアラ、そして再びマルセイユ。
尺八の「し」の字も出てこないコムジョの番外編です。
こちらはあとがき。
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ローマは一日にしてならずだった。しかし、ナポリの方がやばかった。歴史の重み、やばい。そして、ドイツとかフランスって、歴史の無い新興国だと、改めて実感。特にドイツなんて、マジで田舎モンの集まり。文化も歴史もあったもんじゃねーという事を思い知る。下級武士出身の浅はかな明治政府中枢の人々が、イギリスを真似できないから、後進国ドイツのイナカモンに目をつけたっていう明治政府の陳腐が、ますます良く分かった。実に下らないのだ。明治政府から続く日本の近代は。昭和初期に少し良くなったと思ったら、途端に自尊心の塊で、許容力無しのバカばかりになって太平洋戦争しちゃうし。海軍の言う事を聞いとけっつーの。陸を這う奴は、どこまで行ってもアホである。
っという訳で、ワシもお船に乗りに、アマルフィ、ソレント、ポジターノへ。海の緑に感動。ドイツの海は、どこまで行っても真っ黒だから、ドブにしか見えないワシ。ドイツとは、マジで合いません。
バチカンの商業主義に圧倒され、ドイツ人教皇になってから露呈したカトリックの問題が、ますます酷くなっている事を実感。二十年前のバチカンの面影なし。天空の城へも行く。暑くて死ぬので、少し歩くとすぐジェラートを食べるワシ。太る。でもいいや。
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ファッション業界歴「40年」、スタイリスト北村道子の哲学
北村道子:1949年、石川県生まれ。10代の頃にサハラ砂漠やアメリカ、フランスを放浪した後、30代でスタイリストの道へ。「スキヤキ・ウ��スタン ジャンゴ」で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。著書に「衣裳術《新装版》」「衣裳術 2」がある。今年の夏に「衣裳術 3」を出版予定 PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
日本を代表するスタイリストとして地位を確立しているのが、現在73歳の北村道子だ。10代の頃にサハラ砂漠、アメリカ大陸、フランスで過ごした後、30代でスタイリストのキャリアをスタート。初期は広告や資生堂の企業文化誌「花椿」でスタイリングを担当していたが、森田芳光監督の映画「それから」に主演だった松田優作の指名により参加することになった。以降、「キッチン」や「幻の光」「東京日和」など数々の映画の衣装に携わるほか、雑誌「流行通信」や「スタジオ・ボイス(STUDIO VOICE)」などでも活動するようになる。
切りそろえられたグレーヘアにメガネという佇まい。そして独自の人生論やファッションに対する考えを、まるで哲学者のように語る北村の言葉には、人を惹きつける強いパワーがある。業界歴40年以上という彼女に自身のキャリアをはじめ、変化するファッションの価値観や、最前線で活躍するために大切にしていることについて語ってもらった。
映画が自分の基盤
PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:衣装を手掛けるようになったきっかけは?
北村道子(以下、北村):金沢��美大で比較人類学を教えている先生がいたんです。その先生が調査で海外へ行くことになり、私がどうしても一緒に行きたかったので、親に懇願して同行することができました。それからアメリカ大陸の横断を経て、最後は南米のグアテマラにたどり着いたんです。そこに住むネイティブアメリカンのオジブワ族の村で民族衣装やビーズ付けを学び、衣装を作ることに興味を持ち始めました。
WWD:10代の頃から世界中を旅していますが、海外を経験して得たことは?
北村:危険を瞬時に肌で感じること、そこの地の宗教を調べて旅をすること、子どもたちと仲良くなり情報を交換することが大事だということを学びました。当時はiPhoneがない時代でしたが、今でもこれらのことを実行しています。
WWD:一日一本は映画を見るというシネマホリックな北村さんですが、衣装づくりやスタイリングは映画からインスピレーションを受けることが多いですか?
北村:映画監督ジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)の作品のカメラマンとして知られているロビー・ミューラー(Robby Muller)に影響を受けています。彼は撮影を行う際、長回しをするのでセットは作らず、自然光のみを使い、カメラのために特別な装飾美を施さないんです。彼のようにリアリティを追求したいので、私も撮影現場でヘアメイクの微調整はしないようにクリエーターたちにお願いすることが多いですね。
WWD:衣装や写真など、「モノクロ」にこだわる理由もミューラーの影響でしょうか?
北村:ミューラーが言うように、モノクロというのは色がつかない世界であり、想像なんです。たくさんの色で溢れているこの世界でモノクロのものを使うと、実際に目に映る色は色か黒だけれど、想像力を豊かにさせてくれるんです。だからこそ、映像の細部や着るモデルの個性に目を配ることができると思います。
「価値とは何か?」を問うこと
PHOTO:KAZUSHI TOYOTA
WWD:ジェンダーレスやサステナブルなど、世間のファッションへの価値観が以前と今とでどう変化していると感じますか?
北村:ジェンダーレス化やサステナブルはもはや当たり前のこと。特に環境問題について、私たち人間は脆く、弱い生き物であるということをまず理解し、地球の問題というよりも人間の問題という視点を持つことが重要です。だから価値観という言葉にくくるべきではありません。むしろ今、「価値とは何か?」を自分自身に問うべきではないでしょうか?
WWD:憧れだったファッションが環境問題により悪者になっていますが、今ファッションの何を信じればいいのでしょうか?
北村:一概にファッションが悪者にされているとは思わないです。例えば、量産型のファストファッションが環境にダメージを与えているかもしれませんが、若い子たちが低価格で服を購入できるじゃないですか。そういう手段があることで、Z世代の子たちはトレンド関係なく自分のスタイルを作ることができる。「かっこよくなりたい」という感情ではなく、「かっこいいとは何だろう」と問いながら、自分の中の“かっこよさ”を見つけることが重要です。まずは一歩引いて、俯瞰で自分を見てみること。そうするとあなたの“姿”が見えてくるはずだから。
WWD:それは、さまざまな仕事にも通じる部分がありますか?
北村:仕事に対しての考えを言うならば、一旦決めたことはぶらさないこと。最初に、その仕事をエンジョイできているかを自分に問うてみてください。もし楽しめていないのなら、仕事は一人ではできないので、関わる相手をどう見るかという観察をしてみるといいでしょう。
WWD:戦争やコロナ禍という情勢が揺れる中、ファッションが持つ力とはなんでしょうか?
北村:ファッションの力については分かりませんが、服の力はあります。人々はデコラティブなものから機能美のある服を頼りにしています。それは、地球が変化していることとパラレルな関係です。
WWD:ファッション業界の最前線で活躍する上で心掛けていることは?
北村:自分の道を失わないことです。例えば、歌手のビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)がいつも��ーバーサイズの服を着ていること。周りに流されることなく、彼女は自分だけが知る「自分」というものをちゃんと理解し、独自のスタイルを貫いていると思います。また情緒を養うことも大切です。「人の中心は情緒である」と言う数学者の岡潔の理論があるように、情緒を育むことで共感力や思いやりを持つことができ、豊かな人生を築くための大きな力になってくれるでしょう。
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映画いろいろーー『双生児Gemini』、『落下の解剖学』、『サイコ』、『箱男』、私立探偵濱マイク三部作、『ジェイコブズ・ラダー』、『シックスセンス』、『ミスター・ガラス』
相変わらずブログはサボっていますが、なんだかんだで映画はよくみているので短評だけーー
『双生児Gemini』 江戸川乱歩原作、塚本晋也監督の映画。まあこんなもんでしょうか。貧しい人々を馬鹿にしていた主人公の医者が人間愛に目覚めるというラストは、いかにもとってつけたような気がしてしまいました。
『サイコ』 なんだか久しぶりに見たくなって妻と一緒にサブスクで見ました。もちろんリメイクではなく、ヒチコックのオリジナル版。やっぱりすごいですね。この映画をネタバレなしで中学の時に見た私はひっくり返りました。あの衝撃は一生忘れないと思います。その幸運に感謝します。
『落下の解剖学』 カンヌでパルム・ドールを獲ったフランス映画。事故か自殺か殺人か、結論を出さないまま終わるところが、いかにもヨーロッパ映画という感じで、大人の映画ですかね。 ヒロインがécrivaineと呼ばれること、バイセクシュアルであること、判事が女性であること、証言台に立った女性がMademoiselleと呼ばれて怒り、Madameと言い直させることなどは、今日的なポリコレだと思いますが、あまり行きすぎるとどうかなという気がします。
『箱男』 私は安��公房のオールドファンなので、妻と一緒に映画館で見て、帰りに本屋で原作本を買って、久しぶり(50年ぶり?)に読み返した後、今度はひとりでもう一度映画館に見に行きました。 フランス文学とは全く無関係な映画ですが、これで論文を書こうと思います。
私立探偵濱マイク三部作『我が人生最悪の時』、『遙かな時代の階段を』、『罠』 『箱男』で主役を演じていて永瀬正敏つながりで見ました。監督は林海象。『夢みるように眠りたい』の監督ですね。あれはいい映画でした。 第1作は白黒で、無国籍クライムムービー。宍戸錠が出ていたので、なるほどそういうことかと思いましたが、結局は雀荘でバイトをしていた中国人青年(実は組織の殺し屋)とマイクの友情の物語。 第2作は戦後の闇市でのしあがり裏社会の大物になった「白い男」とマイクの対決の物語で、実は「白い男」はマイクの父親だったという話があり、こちらも結局親子の対決を描いた人情噺。 第3作はサイコスリラーですが、あのオチはないよなあ。あんなことはしてはいけません(キッパリ)。
『ジェイコブズ・ラダー』 大昔、一度見始めて途中で邪魔が入りそれっきりになっていた映画。 オチを知った上で見ましたが、よくできた映画です。 ただ、「はしご(ラダー)」と「階段(ステアーズ)」は別のものじゃないですか。英語圏の人間はどう思ってあのラストを見ていたのでしょう。
『シックス・センス』 こちらは大昔、最後の10分くらいだけを見た映画です。映画はそんなふうに見るものではないし、特にこの映画の場合絶対にしてはいけないことだったのですが、テレビをつけたら放映してたのでそうなってしまいました。 だからこれもオチを知った上で見たわけですが、よくできた映画ですね。 ただ途中、ブルース・ウィリス演じる児童心理学者(かな?)が幸せそうなカップルがいる宝飾店(かな?)の窓に石を投げるところは余計だったかもしれません。 『ヘレディタリー継承』で変顔をしていたトニ・コレットが出ていたのはちょっとびっくり。結構美人じゃないですか、トニさん。
『ミスター・グラス』 ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィリス出演つながりで見ましたが、これはダメです。 『アンブレイカブル』、『スプリット』に続く三部作の最終作ですが、ちょっとひどすぎます。 危険人物を収容するにしてはあの病院は手薄すぎるし、患者本人やその家族の同意を得ず監禁したりロボトミー的な手術をしたりするとか、3人の患者を並べて医者が同時に面談をするとかいうのは、人権無視も甚だしくあり得ないことだと思います(ファンタジーだからなんで���ありということにはなりません。ファンタジーだからこそ細部において観客を納得させる必要があります)。 前作『スプリット』であれだけ酷い目にあったアニャ・テイラー・ジョイが犯人に好意的な態度を示すのもおかしいと思います(アニャ・テイラー・ジョイって「美人枠」なんでしょうか。非常にチャーミングではあるけれど、決して「美人」ではないと私は思っているのですが……)。 変顔をして多重人格者を熱演していたジェームズ・マカボイが気の毒になりました。
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『龍馬が通る!』
~明治維新と欧米化~
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
■坂本龍馬 - Wikipedia 1836年に坂本龍馬は、土佐藩下級武士の次男(末っ子)として生まれた。子供の頃の龍馬は泣き虫で、周りの友達によくからかわれていたそうな。
12歳の頃、龍馬は塾に通い始めたが、上士の同級生と喧嘩をして喧嘩両成敗という名目で父に塾をやめさせられた。その年に母が亡くなり龍馬は継母の伊与(いよ)に教育を受けた。
家族の中で龍馬と最も仲の良かった三歳年上の姉・乙女(とめ)と、よく二人で「ヨーロッパ」というあだ名を持つ“川島猪三郎”(いさぶろう)の家に遊びに行き、欧州の話を聞かされていたのだとか。
龍馬が姉の勧めで剣術を習い始めると、その天賦を早くも発揮し始めた。
1853(嘉永6)年に、龍馬は18歳より剣術を学ぶ為に江戸に留学。その時、偶然にもアメリカ合衆国より艦隊を率いたマシュー・ペリー提督の黒船が来航し、藩の命令で品川の警備を命じられた龍馬もそれを���近に見る機会があったのだ。
黒船のあまりの大きさに龍馬は慄きながら、同時に「日本の剣術では海外とは渡り合えない」と即座に覚り、龍馬は西洋式の技術を学ぶことを決意した。
江戸時代の町人は「江戸が最も文明の発達した国」と考えていた。しかし、この黒船来航により、西洋の文明が予想以上に進んでいると流石に気付くことになった。
ペリー提督が提出した開国の要求書は「漢文」「オランダ語」「英語」の三種類で書かれたもので、貿易で馴染みのある漢文とオランダ語に関しては解読できたが、当時の日本人にとって英語だけは見慣れない文字だったようだ。
ちなみに「オルゴール」はオランダ語(英語ではミュージック・ボックス)だが、これは鎖国時代もオランダから来る商船は受け入れていたため、江戸にオルゴールが持ち込まれた際そのままオランダ語で定着したもの。
また、鎖国の背景にはオランダが日本貿易を独占するため、スペインやポルトガル等の《カトリック教》の国が日本植民地化の意図を持っており、危険であることを徳川幕府に助言していた事情もあるようだ。
▲「キリスト教を信仰しない異教徒は野蛮」として先住民を大量虐殺を決行するスペイン軍
戦国時代の日本は「ヨーロッパ全土に匹敵する数の火縄銃までも保持する戦闘部族」という評判もあり、当時は太陽の沈まない国と呼ばれるほど世界各地を植民地支配していたスペインさえも、日本を警戒して侵攻までには至らなかったとされる。
そうして、今の幕府では日本を護れないと考えた龍馬は「打倒、江戸幕府」を掲げ奔走することになる。
安政元年(1854年)6月23日、龍馬は15か月の江戸修行を終えて土佐へ帰国。在郷中、日根野道場の師範代を務めながらも、絵師“河田小龍”宅を訪れて国際情勢について学び、海運の重要性について説かれて大いに感銘し、後の同志となる“近藤長次郎”や“長岡謙吉”らを紹介されている。
27歳で脱藩した後に幕臣・勝海舟を訪ね、海軍を作ってアジア諸国と連帯するという話を聞いた龍馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子となって神戸海軍操練所の創設の為に行動を起こした。
その後、1864年以降に何度か長崎を訪れ、慶応元年(1865年)に幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て、長崎の亀山に日本初の会社となる「亀山社中」が結成された。
ちなみに"西郷隆盛"の勧めにより日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だが、その時の出来事をイラストも交えて手紙に書いて姉の乙女に送り続けたらしく、連絡がマメな龍馬の手紙は実に130通以上も残っているという。いやはや、驚愕である……。
ところで1841年にアメリカ合衆国を目指して航海中だった"ジョン万次郎"は、生まれて初めて世界地図を見た時に、世界における日本の小ささに驚いたという。
このように大きく広い世界の中の「小さな自分」に気付くことは、客観的に自己認識することに直結する。世界地図による世界認識の拡大=地理教育は、人々の視野を広げ、人を積極的な思考に変える力を持つのだろう。
ちなみに坂本龍馬の逸話として、初めて世界地図を見せられた時に「日本はどれだと思う?」と問われ「これが日本じゃろう!」とアメリカ大陸を指さしたという話がある。 黒船来航の前にペリーは琉球王国と交流し、江戸幕府の情報を収集しており、それにより江戸との開国交渉に至った。当時は鎖国していた江戸と異なり、琉球王国は長崎や神戸と同様に欧米・日本・中国・韓国・東南アジア等を相手に貿易を行う東洋経済の中枢だったのだとか。
ある日、坂本龍馬は「土佐の海が世界に通じていると思うと愉快ぜよ」と語ったという。
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欧米化について
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日本の近代化、つまり西洋化は「明治維新」より本格的に始まりました。
西洋化の手始めに、まずはヨーロッパ(特にドイツとイギリス)の言語、及び学問が片っ端から翻訳されましたが、現代の日本において馴染みのある「技術水準(technical level)」「概念(concept)」「哲学(philosophy)」「芸術(art)」「愛(love)」「変態(abnormal)」等の単語は、当時の日本語に該当する語彙がなく、この翻訳過程で新たに作られた語句でありました。
夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語の翻訳に貢献しました。
当初の日本では病院のカルテはドイツ医学に則り、ドイツ語で書かれていたのは有名でしょう。
たとえば「技芸」や「恋」等の単語は江戸時代の日本にもあったよう��すが、「芸術(art)」や「愛(love)」は本来の日本語にはなかった語彙なので、上辺だけは理解したふりをできたとしても、これらの概念や価値観が日本男児にとって根深く馴染まない根本的な理由が、遺伝子と文化的な要因にあると解釈できるのではないでしょうか。
明治維新以降、日本政府は先進国(白人の国々)の技術水準に比肩したいがために西洋化を推し進めてきましたが、「アキレスと亀」という詭弁があるように、追い続けるだけではどこまで行っても追い抜くことはできないと慮る次第であります。
medicine (西洋)医学 physics 物理学 philosophy 哲学 geography 地理学 psychology 心理学 economics 経済学 politics 政治学 mathematics 数学 chemistry 化学 biology 生物学 astronomy 天文学 ethics 倫理学 archeology 考古学 linguistics 言語学
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森鴎外
"森鴎外"は、夏目漱石と並び「明治の二大文豪」と称される作家です。ドイツ語の翻訳家としても活躍し、西洋文化を感じられる作品を手掛けました。
当時の日本社会や思想を客観的に描写した物語も多くあり、見識の広い森鷗外ならではといえます。
森鴎外がドイツ留学の実体験をもとに書いた日本人留学生とドイツ人女性の非恋『舞姫』は森鷗外の代表作です。
森鷗外の作品は古文で書かれたものが多く、さらに文中にフランス語やドイツ語が織り交ぜられるなど、格調高い文体が特徴。
西洋文化を取り入れた言葉や文体は、後の多くの作家に影響を与えました。
夏目漱石『吾輩は猫である』
日本の教員・小説家・英文学者"夏目漱石"の著書「吾輩は猫である」読了後、どうしても腑に落ちなかった点があります。
それは主人公の吾輩君が最後は酩酊して水瓶に落ちて溺死することに他なりません。
『吾輩は猫である』は、明治維新以降の急速に西洋化する日本を猫の視点から描いた風刺・滑稽噺ですが、それにしてもこの終わり方は死を美化する日本文化の象徴とも言えなくもありません。
また、私が二十代の頃に読んだドストエフスキーと比較して、日本文学はロシア文学より劣っているのではないかと落胆したこともありました。
しかしながら夏目漱石が三十代の頃に国費で英国留学したものの人種差別に遭い、己の醜さから鬱になり自室に引きこもっていたら、「外に出て自転車にでも乗ったらどうだ」と勧められて自転車に乗る猛特訓をしたのに、結局は乗れなかったという訳の分からない滑稽なエピソードを読んで、どうしても夏目漱石を嫌いになれず、吾輩君の死も無駄には思えなくなりました。
きっと吾輩君は読者諸君の心の中で生き続けているのである。
それはさておき、推奨されるがままに始めた自転車の猛特訓中に"英国紳士"から「チン・チン・チャイナマン!」と侮辱された夏目漱石も、日本に居た頃は自他共に認めるほど容姿がいい部類だとされながらも英国の街を歩いた際に「背の低くて醜い奴が歩いていると思ったら、硝子窓に映った自分の姿で落胆した」とのこと。
それでも"英国淑女"からは「ハンサム・ジャップ。ご一緒にサイクリングでもいかがかしら?」と誘われたので、「怒るべきか喜ぶべきか悩んだ」と悲痛な葛藤を手記に残していたそうな。
日本の英文学者で初めて英国に渡航した上で、有色人種に対する人種差別を体験した夏目漱石ですが、江戸時代末期に生まれた上役達には、このような人権にかかわる諸問題についての理解は当然ながら及ばなかったのだと慮る次第であります。
ちなみにスマホや腕時計もない明治以前の日本人にとって、例えば「2時集合」とは「大体2時~3時までの間に集合しよう」というウチナーのような寛容なニュアンスでしたが、鉄道の運用が開始されてから新聞などで大々的に「文明社会にとって時間の厳守は重要」と宣伝され、そうして現代の「5分前集合」が浸透したようです。
「おはよう」と「さようなら」の語源
「おはよう」の語源は、「今日もお早うございます」の略なのは有名です。
海外で最も有名な日本語の「さようなら」の語源は、「左様ならば、これにて御免」というお侍さまの別れの挨拶の略です。
今もなお、お侍さまの語感が残されるとは、まさに《武士道》の本場だからだといえるでしょう。
ちなみに"I Love You"を中国語で言うと、英文法と品詞の並びが一致する"我爱你"(ウォー・アイ・ニー)になるようですが、日本語だと“私はあなたを愛してる”と非常に多くの文字数を消耗するので140文字以内に収めるのも困難かと慮る次第です。
いずれにしても、中国の"爱"には心がありませんが、日本の"愛"には友がおりません。
ステレオタイプの欧米のように、"愛と友"に恵まれないものでしょうか……?
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「です」の変遷
◆江戸時代からあった助動詞「-でござる」「-でござります」は次第に「-でございます」に変化し、さらに明治時代に「-であります」から「-である」に縮まり、そうして現代の「-です」に落ち着きました。
一人称の「吾輩」は「私」のへりくだった言い方。 明治時代から活用され始めた「-である」は「-であります」の略。
つまり「吾輩は猫である」を現代風に書くと「わた��しめは猫であります」というへりくだった言葉使いということになります。
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芥川龍之介『あばばばば』
大正時代の文豪"芥川龍之介"著『あばばばば』という短編があります。この小説を読んで、情緒を感じて芥川龍之介を見直した思い出があります。
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ある日のこと、学生の保吉は行きつけの煙草屋に足を運びました。ところがいつもの店主の親父の姿はなく、代わりに若い女が店番をしていました。 不慣れなのか彼女は恥ずかし気な初々しい接客で、注文とは違う煙草を取り出して赤面してしまうほどでした。 その後いつ行っても彼女が店番でしたが、応対はつかえ、品物は間違え、時々赤い顔をされました。しかし、保吉はだんだん彼女に好意を感じたようです。といっても恋愛感情ではなく、いかにも人なれないところに気軽いなつかしみを感じたとのこと。 ところがある日から突然、彼女が姿をくらまします。わざわざ不愛想な店主の親父に行方を尋ねるわけにもいかず、その後は何事もなく過ごしました。 それからさらに歳月の流れた後、大学の授業(英語講演会)のあと煙草屋の前を通ると、両手に赤子を抱えた若い母親がいました。 「あばばばばばば、ばあ!」 現代でいうところの「いない、いない、ばあ!」の意です。 女は店の前を歩き、面白そうに赤子をあやしています。そうして保吉と目が合いました。保吉は赤面する彼女を想像しましたが、しかし彼女は澄ましたままでした。のみならず、揺り上げた赤子に目を移すと、人前も恥じずに繰り返し「あばばばば」とあやしたのです。 「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、恐ろしい『母』の一人である」
そういえば、子供の頃に常連だった個人サイトのチャットでよく「あばばばばば!」と書くお調子者がいましたが、元ネタが芥川龍之介だと気付くのに十数年ほどかかりました。
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作家を大きく分けると、毎回異なる性質の登場人物が多種多様な物語を繰り広げるシェイク・スピアタイプと、毎回同じような登場人物が同じような問題に直面して一つの題材を深く掘り下げて行くドストエフスキータイプに大別できるようです。
ドストエフスキー著 『カラマーゾフの兄弟』
『カラマーゾフの兄弟』◆あらすじ ある日の朝、修道院の見習い僧侶"アリョーシャ"(アレクセイのあだ名)のもとに、14歳の"リーズ"(リーザ)という車椅子の少女が訪れました。リーズはここ最近に病を患い車椅子に乗っていますが、修道院の長老から治療を受けて順調に快復に向かっていました。 アリョーシャは子守りとして、二年前にリーズと接したので久しぶりの再会でもありました。 再会 リーズは事実、ずっと悪戯に夢中だった。彼女はアリョーシャと顔を合わせた時から、彼が自分を見るとひどくどぎまぎし、なるべく目を合わせないようにしているのに気付いた。彼女はそれが面白くて、相手の視線をとらえようとじっと身構えていた。 するとアリョーシャは、自分にそそがれる視線に堪えきれなくなり、自分からふいにリーズにちらりと目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、彼の方をまっすぐ視線を向けてくるのだった。 アリョーシャは、またどぎまぎして、ついにリーズからすっかり顔をそむけて修道院の長老のうしろに隠れた。しばらくして自分を見ているのか確かめると、彼女は車椅子から身を乗り出すようにして、こちらを振り返るのを一心に待ち受けているのがわかった。そうしてアリョーシャの視線をとらえるとまた大声で笑った。 それを見た長老がリーズを注意すると、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を輝かせ、真面目な顔つきになった。そして今度は熱っぽい訴えをこめて、早口で話し始めた。 「どうしてアリョーシャはぜんぶ忘れちゃったの? 前は小さなあたしを抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたのに。だって、あたしに読み書きを教えてくれたのはアリョーシャよ。二年前にさようならをした時に、アリョーシャは『ぼくたちは永遠の友だちだよ。永遠の友だちだからね。ぜったいに忘れないから』って言ってくれたわ。なのにあの人、今になって急にあたしのこと怖がり出して。あたしがあなたのこと、取って食べちゃうとでも思ってるのかしら? どうしてそばに寄ってくれないの、どうしてお話してくれないの? どうしてうちに来たがらないのかしら」 リーズはこらえきれなくなって顔を手で覆うと、急にはげしく笑い出した。長老が話を聞き終えると優しさをこめて十字を切った。 すると今度は彼女がいきなり泣き崩れたのだった。 リーズの手紙 その日の夜に、アリョーシャが道中でリーズの母の使者から手渡された封筒を開くと、そこには「リーズ」と署名のある手紙が入っていた。 「アレクセイさま。誰にも内緒でこの手紙を書いています。ママにも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしもわかっているつもりです。でも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしはもう生きられないんです。このことはわたしたち二人以外は、その時期が来るまで誰にも知られてはいけません。でもわたしの気持ち、どうやってあなたにお伝えしたらいいでしょう? 便箋は赤くならないって言いますよね。でも本当を言うと、それって嘘なんです。便箋だって、わたしと本当に同じように赤くなるんです。 大好きなアリョーシャ、あなたを愛しています。小さい時から、ずっと好きでした。あなたが今とはまるで違っていたモスクワ時代から、ずっと好きでした。わたし���あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年を取って、一生を伴に終えると。もちろん、修道院から出ていただくことが条件ですわ。年齢のことを言うと、わたしたち、法律で許される時まで待ちましょう。それまでにわたしも必ずよくなって、ちゃんと歩けるようになるし、ダンスもできるようになります。そんなこと当然ですよね。これでわたしがずっと何を考えていたかおわかりになったでしょう。ただ一つだけ、わからないことがあります。この手紙を読んだら、あなたはわたしのことをどう思うのかしら。わたしはいつも笑ったり、ふざけてばかりいるんですもの。今朝もあなたを怒らせたでしょう。でも本当を言うと、こうしてペンを執る前に、わたし聖母さまの像にお祈りしたんです。そして今もお祈りをしながら、ほとんど泣き出しそうなんです。 わたしの秘密はもうあなたの手に握られてしまいました。明日おいでになった時、どんなふうにあなたにお目にかかったらよいか、わたしにはわかりません。アレクセイさま、わたしまた馬鹿みたいに自分が抑えられなくなって、今朝みたいにあなたを見つめるうちに、吹き出したりしたらどうしよう。だってあなたはわたしのことを、いやらしい冷やかし屋って思うでしょうし、この手紙だってまともには受け取ってくださらないでしょうから。ですからお願いがあるんです。もしこのわたしをかわいそうって思ってくださるなら、明日わたしの家にいらっしゃった時、どうかわたしの目をあまり見つめないでください。だってわたし、あなたと目が合ったらぜったいに笑い出してしまうし、おまけにあなたはあんなに長い服を着ているし……今でもそのことを考えると、体が冷たくなってしまうくらいなの。ですから家に入ってくる時は、わたしのことはしばらく見ないでくださいね。ママか窓の方を見てくださいね。 わたしとうとうラブレターを書いてしまいました。ああ、なんてことをしてしまったのかしら! アリョーシャ、どうか軽蔑しないでくださいね。何かひどく馬鹿なことをしてあなたを怒らせても、どうか許してくださいね。こうしてわたしの秘密はあなたに握られてしまったのです。わたしの評判は、もしかしたら永久に地に落ちてしまったのかもしれません。わたし、今日はずっと泣いてしまうでしょう。さようなら、次のおそろしい出会いまで。 P.S. アレクセイ、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに来てくださいね! リーズより」
あとがき
その後、アリョーシャとリーズがどうなったのかは、各自でドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を読むか、グーグル検索をしてご確認くださいませ。
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自己実現や己の幸の為もあれば、自己犠牲を冒してまで目的を成す為に時間・労力・生命を捧げる者も居ます。人は生まれた瞬間から死を迎えることが確定しています。どれほどの富や名声を得ても最期を迎えれば遺産相続者が居なければ「財産はすべて銀行の資産」となります。
誰もが"エジソン"並みの発明王である必要はないし、"レオナル・ド・ダヴィンチ"ほどの叡智が必要な訳でもありません。誰か一人が発見して突破口を拓けば後続が可能なのだと思います。
どこかには人々を導く為に生まれた者も居るのでしょう。
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
《和》の中に《個》はあるから、どちらか一方を尊重するべきか独断は出来ません。
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These days, even fictional anime and dramas have to be explained to people overseas that they are fiction, or they will be assumed to be historical truths, a blurb from a Japanese history and anime geek who thinks it's a hassle.
本音でいえば、フィクションなんて説明しなくても日本のオタクなら自分で歴史も設定も調べるのにポリコレで日本のアニメやゲームに文句をいう外国人はなぜ調べないのか?
空気読めないのか?と昔は思ってましたが、「空気を読んで察する」「目線で相手や人の感情を予測する」のは日本人のみの特性だそうなので諦めてますが、こだわりの少ない日本人でも日本の大好きな戦国時代などのデマを海外に広められるのは日本人の大多数は大嫌いです今のアサシンクリードの炎上もその一つです
フィクションて世界の皆さんも知っていてくれれば自由なんですけどね
日本人は創作物のフィクション設定にはこだわらないので
日本のアニメにもポリティカルコネクトで、褐色肌は「日焼け」なのに他国人扱いされたり、逆にファンタジー世界なのに日本人は白人に憧れてると決めつけられて他国の人から責められて日本のアニメオタクも外国のポリコレをいう人達には面倒くさい人達がいると思い始めてます
日本人こと日本国内は、90%が黄色人種の国なので茶色の瞳の茶色の目ばかりで肌色も日焼け以外は白っぽいベージュ系の色ばかり
地味なのでカラフルな色に憧れてるのはありますがそれは白人でなくピンクの髪や紫の目みたいな虹色みたいな��彩な色には憧れてる人はいるけど、それは白人に憧れてるんじゃなくて黄色人種9割の日本国内��カラフルな髪色と目の色はないからなだけなんですよね
地味なのは嫌だけど派手で目立つのも島国の日本では外国に行く人は少ない分、不利なのでせめてアニメやドラマはカラフルにしたいだけなんですよ
黒人についてもよく言われますが日本人が黒人を目にしたのはここ80年位です
日本人の大多数の民間人はテレビ以外で白人以外の他人種を見たことがありませんでした
私が小さい頃に日本にくる外国人もまだソ連邦や東ドイツの冷戦時代だったから西ヨーロッパや米国の人達ばかり
まだ移民もろくにない時代だったから人種の多様性が多い国は米国位でした
だから今のアニメやドラマを作っている世代ではまだあまり白人以外の他人種を見た事ない人種なんですよ
日本はとてもガラパゴスな島国で英国みたいに海を泳いで渡れないので閉鎖的な島国環境です
独特の思想や文化もその為です
だから独自のアニメ文化も発展したのですが、元々アミニズム思想な事と仏教の国だったので同性愛には他国より理解はあります
僧侶は結婚禁止の宗派もあったので同性愛が推奨されていたのが鎖国の江戸時代でもあります
戦国時代も同性愛はよくありました。
でも家制度が重要な国なので子供を作れない結婚にだけは日本国民の大半が結婚制度を必要と感じにくい部分もあります
シムズ4みたいに同性同士で子供が作れたら同性婚はすぐ日本でも可決されるでしょう(日本女性は代理母を敬遠するので嫌う人が多い、他人の健康を害する可能性が高い妊娠を他の女性に押し付けて子供作るのは酷いと認識している人が多い)
日本での結婚とは子作りとセットなので異性婚でも子供できないのなら結婚は無意味ととる人のが高齢者には多く特に政治家には多い
日本の政治家は元貴族や侍の血筋や由緒ある家の人が多いので余計でしょうね
若い人は、同性婚好きにしていいと思っていますが若い日本人は結婚も子作りも貧困化してしなくなっているので「他人事だからどうでもいい」だけなのです。
ご飯を買うお金を稼ぐのに必死なのに、同性婚とか気にしてる場合ではない
これが日本の現状です
日本は島国な上に政治家が馬鹿なので食料自給率は低く、ウクライナが侵略された時期からあちこちの国からの輸入が滞り物価も上がって食料の値段が上がって大変です
そんな中でゲームやアニメやドラマは癒しです。日本をモデルにしたゲームやドラマなどは、フィクションだと世界の皆さんもわかってくれ���いれば嬉しいと思っています。
でもAIの普及により、日本の歴史を捏造する外国人がでてきました
それは日本人への侮辱です。
すでにXではAIを使った写真の捏造で中国の歴史捏造でまた黒人が先祖からいたとする画像が出回って日本人も��っています。
中国と日本は仲のいい国とはいいがたいですが、黄色人種が90%の国という点では同じです。
東アジアの国々は多くの国が黄色人種が90%の国民という国です。
昔も今も黄色人種が国民に多いのは変わりません。だから黒人が先祖にいたというAIのデマはすぐ捏造だとバレます。
東アジアの国の大昔の歴史改ざんをAIを使っているのは嫌悪します
創作物でフィクションなら構いませんが、他国の歴史をAI写真を使って捏造したりするのはやめてほしいです
日本人としてだけでなく東アジアの人としてのお願いです。
日本のアニメも日本人が作り、大半は日本人向けのフィクションです。
なぜ他国のポリティカルコネクトに配慮しなくてはいけないのかわからない
他の国の人が、日本のアニメで自国をみたいならフランスがモデルのベルサイユのバラやスイスがモデルのアルプスの少女ハイジもあります。
近年ではアラブの国から日本のアニメ会社が依頼をうけて、アラブの歴史アニメを作った事もありました。
他国のアニメやドラマに文句をいうより、アラブの国のお金もちが日本のアニメ会社にアラブの歴史アニメを依頼したように、製作依頼をしてお金を出して作って貰って下さい。
日本が日本向けにフィクションで作っているアニメやゲームやドラマに他国の人が批判や歴史の捏造をするのに迷惑していると日本では問題になっています
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「虚無への供物」中井英夫 0031
序章
3月の夜の散歩 01
アイちゃん登場ってところですかね。 深い藍色のトッパーコートに、ともいろのスラックス。 要するに、全身、藍色ってところですか。 その頃の風俗はわかりませんが、おしゃれなんでしょうか?
アイちゃんこと氷沼藍司(ひぬまあいじ)の父、菫三郎(きんざぶろう)との比較が書かれています。 同じように小柄で、父はひげを蓄えていたが、氷沼藍司はまだウブだそうです。 しかも、ここで、氷沼藍司が高校三年生と表現されています。 大丈夫なんですかね。 高校三年生でゲイバアに出入りしてて。
で、氷沼藍司の境遇が語られます。 昭和三十年度まで、新制大学下における入学者選抜制度として進学適性検査が行われていたのだが、 これが、廃止されるので、氷沼藍司は札幌にいた頃の友達と東大を受ける準備をしていた。 そこに洞爺丸の事件が起きて、それも叶わなくてなり、 今は東京に住んでいて、バア「アラビク」に出入りしている。
亜利夫はそのアイちゃんの心情を察しています。
洞爺丸の事件で、家族や親戚を探し回った氷沼藍司。結局、すべての家族を見つけることはできなく、 この地上とはまったく別の次元に迷い込んだと表現してます。
実際の心情はわかりませんが、一度に家族を失うとそうなるのかもしれません。
それにしても、しつこいくらい洞爺丸の事件のことが出てきます。 これ、あとあとの伏線なんでしょうか?
その後、どうしてゲイバアに出入りすることになるかが、サラリと書かれます。
アイちゃんがディキシーランド・スタイルの黒靴を履いていて、 それをキミちゃんが、無理やり脱がせると、履き比べをするのは、 キミちゃんの自由奔放さ、そして、アイちゃんのおおらかさなんかを表しているのでしょうか?
ところで、 このディキシーランド・スタイルの黒靴がわかりません。 ディキシーランドジャズってでてきたので、このジャズのスタイルで、演奏者の着ていた服装が流行したのでしょうか?
現在は、別の名前になっているのか、もう全然廃れてしまったのか?
そのやり取りに、���ア「アラビク」のママが割って入ります。
“蘭鋳(らんちゅう)”という綽名となってます。 ゲイバアの仕組みはわかりませんが、源氏名ではなく綽名なのは、 ママには、源氏名がないのか、元々、ママには源氏名をつけないのか?
蘭鋳といえば、金魚を思い出しますが、まさにそんな感じなんでしょう。
で、キミちゃんに浅葱裏(あさぎうら)の相手をするように言って、そこから遠ざけようとしますね。
浅葱裏は、辞書によると、気のきかない田舎(いなか)ざむらい。と出てきますから、 これ、そんなお客のことなんでしょう。
キミちゃんは、「シャトルーズ」をおリツするそうです。
シャトルーズ は、薬草系リキュールの銘酒で、「リキュールの女王」とも称され、フランスを代表するリキュールのひとつです。 いろいろな種類があるのでしょうが、現在は、それほど高価ではないようです。 その当時としては、かなりの値段だったのでしょう。
ところで、キミちゃんが言っている“おリツする”とは、どういう意味でしょう。
マスターいわく 「飲み物や食べ物はおリツにする含まれない」 「後でしっかり残るもの、例えば靴とか」 だそうです。
いわゆる歩合のようなことなんでしょうか? おリツは、率=歩合(基本給と別で、頑張り次第でもらえるお金のこと)
なんとなくそんな感じですね。
その後、藍ちゃんと久生と亜利夫の会話ですが、藍ちゃんの元気がありません。 これはきっとなにかあるな!?と、思わせますね。
その後、久生がもじもじと莨(たばこ)をさぐっているのですが、 “たばこをさぐる”という表現がなんかしっくりきません。
さぐっているの意味で一番しっくりくるは、 「 手足の感覚などをたよりにして、目に見えないものをさがし求める。」 でしょうか。 でも、これも、しっくりきません。
古い言い回しに 「触さわって確たしかめる。」というのがありました。 これがまあまあですかね。
手持ち無沙汰で、日のついてないタバコを弄んでいるのでしょうが、 たばこをさぐるという表現は面白いですね。
ちなみに、莨(たばこ)という字は、 中国語が由来だそうで、完全に当て字ですね。 しかし、草冠に良でタバコは、あまりしっくりきませんね。
で、藍ちゃんは、曖昧な表現に終始するのですが、 思いついたように満月の話をします。
ここで、この日昭和29年12月10日の月齢を持て見ると、なんと、満月でした。 ネットの力はすごい。 とうか、あまり詳しくないのですが、月齢を知る方法って色々あるのかもしれません。 当然、この昭和初期でも。
話題をそらしたつもりだった、愛ちゃんですが、久生の一言で凍りつきます。
“月は死人たちを探しておりまする”
それで、アイちゃんのするどい目線。 これは、なかありますね。
しかも、またびっくりするような事実がわかります。 久生のフィアンセ、牟礼田俊夫がアイちゃんの遠い親戚にあたるとか。
でも、せっかく登場した牟礼田俊夫も、どうして登場したのかと思うくらいあっさりきり��てられて、 何やら曰くの有りそうな厚司を着たアイヌの人について語りだします。
アイヌの人が着ている独特の服を厚司(あつし)というの初めて知りました。 厚司は、オヒョウの樹皮からとった繊維で織った織物で、袖は平袖 (ひらそで)、丈はすねぐらいだそうです。
ところで、その当時のアイヌは、どういう扱いだったのでしょう。
明治政府が、アイヌ民族の同化政策を推し進めていたが、対戦終了後、民族としての自覚が強まり、北海道アイヌ協会が結成され、アイヌの権利回復を求める運動を展開してきた。
一般に人には、あまり知られていなかったのかもしれないけど、こと、北海道では、アイヌの権利回復を求める運動は相当なものだったのでしょうか? それに恐怖を感じる人も多かったのかもしれません。
本文にはあまり関係ないのかもしれませんが、アイヌをからめるだけで、恐怖心を煽ることもできたかもしれませんね。
つづく。
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ヤクシャショウカイ
どうもー、36期ラムダです。カタカナで「ラムダ」を正式にしようと思っていたのですが個人的にひらがなの方が好きなんですよねえ。あとひらがならむだだと物理のラムダから離れられてる気がするのも良いです。
人とお話しするのが好きなのでほぼ全員分かけるぐらいには話させていただいたと思うのですが、体力の都合上、同じ脚本と36期だけにさせてくださいっ
そして面白いお題がナーンにも思いつきません。シンプルに書きます。いざ、参る。(敬称略)
注 ありえんぐらい長いです。冗長です。
鯊馳果迄 多崎(現在)
今ここに芸名をかくだけでも漢字むっじい!ってなりました☺️最初に学食で一緒にご飯食べて話した時、あー仲良くなるわこの人多分。ってなりました。そっちがどう思ってるかは知りません。演劇への向き合い方はもちろんすごいし、映像も宣伝美術も、僕よりぜーんぜん忙しいはずなのにサラーっとやるよね。日頃僕が一番あなたを容赦なくいじめてると思いますけど尊敬はしてますよ、だいぶ。根っこの部分の優しさというか責任感というか。地球防衛軍いっしょにやろーぜ。
茶兎もぐ 岡田(現在)
いやーすごいよほんとに。最初の方は毎稽古ロキさんと付きっきりでやっててイヤにならないかな?って心配になるぐらいだったけど稽古終わりで喋ってみたら、楽しい、上手くなりたい、挙げ句の果てにロキさんが一番かわいい。演劇に対する熱意やべえなってなったし、実際めちゃうまくなったし。2人で稽古した時もここはこういう理由でこっちの言い方がいいと思うって具体的に真剣にダメを出してくれて。人間って短時間でこんな変わるんだなあと(いい意味だよもちのろん)すごい。見習いたい。ほんとに。
黒井白子 岡田(過去)
演劇サイボーグっていうか、演劇ゾンビって感じがします。白子さんは最初に脚選でプレゼンしているのをみた時から、ガッチガチの人だあっていう印象です。でも初心者に優しいタイプのガチ勢でし��。わざわざ資料を自分で作って刷って演劇序論を開講していただいて、演劇の大先輩として色々おしえていただいて、、白子さんが同じ脚本でほんとに良かったなぁとしみじみ思います。個人的には暇な時にやるゴリゴリのパントマイムがめちゃ好きです。
三十路 海野詩
最初の稽古から目をバチっと合わせて稽古してくださって、最近やっと慣れてきました。うまいうまいと言ってくださって、でも先輩としてのアドバイスもしっかりしていただいて、精神的にすごく助けていただいたなと思います。何より何よりほんっとに優しい。また恋バナ入荷されたら教えてくださいね。
緒田舞里 藤井
新歓隊長をしてくださっていたからかわかりませんが、ちゃうかと言えばこの人!って感じがすごいです。なんていうんでしょう、半端ない中心人物感。これだけ人間がたくさんいる団体で気を配って取り仕切って、ハイパー人間すぎますね。しかも演技指導がわかりやすううういい、てりまかしばにゃっくです
苔丸 学生A
第一印象はチャリ塗りの人でしたが今の印象は完璧にこけえもんさんです。もうほんとにぴっったりだと思います。ちゃうかは視野広くて気を配れる人が多いですがぶっちぎりですね。配りすぎて気が無くなっちゃうんじゃないでしょうか。4次元サイドバックで何人の人を救ってるのでしょうか。演出補佐さんとしても、どんな質問しても笑顔で考えてくれます。さいこうだっっこけえもーーん!!(敬称略ですよ?)
水琴冬雪 プロデューサー
第一印象は寝坊の人でした。失礼ですいません。でもベガさんの演劇に対する知識と技術と熱量を最初に稽古した時に思い知らされて衝撃だったのよーく覚えてますね。色んな人に言われてると思いますが、ダメがすごい!ほんとに!!一番好きです、ベガさんのダメ。ずばーーんとど真ん中ストレートなダメをわかりやすい言葉で伝えてくれます。あと話してて楽しいですすごく。いっぱい話しかけますね。
岡崎仁美 店員
ちゃうかネーム決めでなかなかおわらない大量の36期をぱっぱとまとめて名前を決めまくってくださいましたね。円滑に進むようにバシっっと言わなきゃいけないことは言ってくれるというのがすごいなーと。誰にもできるようで全然できない。ほんとに縁の下の力持ちって感じがします。使い方あってますかね。また阪神戦行きましょう!
宮濵一颯 我らが演出
もうここまできたら時効だと思いますし僕はほんとに嬉しかったので書きますが、ロキさんがエンドロで多崎やってくれないかと耳打ちしていただいて、僕のちゃうかライフは始まりました。理由はどうであれ、あまりにもビギナーな自分に来ないかと言っていただいたのがどれだけ嬉しかったか。全力でやってやろうと本気で思いました。ぶらんほどロキさんかわいいとはなりませんが、やっぱりロキさんの人を惹きつける魅力みたいなもの��すごいなと思います。天性のものですよね。どう言えば良いのかはわかりませんが。僕はロキさんが行っちゃう前に乾杯できるように早めに二十歳になっておきました。乾杯しますよ、頼みますよ!?
同期ターイム
うみつき
あー、天才。仲良くなりたいと思わせる魅力が満載すぎるなと思う。ほぼ初対面で多摩をいじってきた時に本物だなと確信しました。演技は言わずもがなです。うん、すごい。
那須智むぎ
なんか、かっこいいなと思います僕は。演劇もオペも楽しそうにさらっとこなして。先輩とも同期とも誰とでも仲良く話して。最初数学科っていうのでクセ強ボーイかなと勝手に思ってたけどほんとに余計な心配でしたね。いくらでも起こしてあげるからこれからもよろしくお願いいたします。36期で誰になりたいですかと言われたらむぎです。
箏
一言で言うなら良い人。良い人の権化。先輩から好かれてる理由もよーーくわかります。物腰低いけど言いたいことをしっかり伝えてくれるし、そう言う人間としての安心感みたいなのが良い人って感じる原因でしょうか。人のことよく見てるなって思います。でも、寿司はネタとシャリ同時に食べた方が美味しい。絶対。
東愛莉
しっかりしてるなあって感じ。10ヶ月もこちらが早く生まれてるのに全然しっかり度負けまくりですね。演技の時の表情の豊かさがすんごい。どこで学ぶんでしょう。
桐生芙愛
色んな人に楽屋でかわいいかわいいって言ってるイメージが強いなあ笑、でも同期でご飯食べましょって言ってくれたり、男子のくだらん会話にも笑顔で入ってくれたり。なんて言うかなあ、クラスのありがたい女子(?)って感じがします。教科書を借りたお返しせねば。
響夜
なんか当たり前の顔してさめちゃ多忙な時間割こなすのやめてくんないかな!?普通の課題しかないのにヒーヒー言ってるこっちが恥ずかしいじゃないか!楽屋ではほぼ麻雀やってるとこしか見ないしさあ。生き方が上手いなあといつも見てて思いますね。麻雀打てるようになりたい。
張潤玲
まず絶対みんなから言われることをさき言いますよ、日本語うっっっめえええ!!こんな難易度鬼言語余裕で使えてる意味がわかりません。もうそれだけで頭上がりません、すごすぎて。しかもアナウンサーめっちゃしっくりきてるし、話したらちゃんと面白いし。中国語とってたら本場のやつ教えてもらえたのかなと、たまに後悔します
大良ルナ
36期が短期間で仲良くなったのなんでか考えてみたんです。あなたがLINEアイコンいじってからだと思うんです。最初にご飯食べませんかって言ったのも確かあなたです。なんかそういうみんなが踏み出しにくい一歩をさらっとおっきく踏み出せるのがすごいなと。ありがたい。あと、最初の通しの時の衝撃。あれは忘れらんないですね。なんかなりきるとかじゃなくて憑依、みたいな��ベガさんのいう通り楽しそうにやるよね、尊敬。
錫蘭リーフ
最初に一緒にご飯食べてくれた同期は君ですね。まさか駿台の時の話を大学きてからできる人がいるとは。演劇大大大先輩なはずなのに同じ目線で相談したらスパッと答えてくれるのがありがたい。もっと話したいなーと思う1人ですね。とりあえず一回お家にお邪魔させてください!
宙音暁莉
なーんでそんな早起きなのにいつも元気なんですか?なーんでイラストでもなんでも話題が出たその日中に当たり前のように書いちゃうんですか。行動力オバケ。あ、あなたも吹田支部配属予定でしたね。盛り上げていきましょう
紫苑
なんかクソカッケェな芸名。最初の脚本決めで最初に話してくれた人。めちゃありがたかったの覚えてます。それでも君とはまだまだ話し足りないなと思っておりますよわたくし。とりあえず言えるのは演技上手くなってんな!?
雨々単元気
いやーオペ席から見るあなたの演技いいですよお、なんか声が良い。聞こえやすい。振り切れる感じが最高。色んな人に言われてると思うけど、36期ソロでやってんのバケモンだろ普通に。あと趣味あいまくりなんだよなあ。破とQの間がもし出るようなことがあればあなたを絶対に誘います。かもん。
月銀蓮
一方的に君とは仲良くなりたいと言い続けて引かれてないでしょうか。滲み出る良い人感。通しでもすごいよって言ってくれるし照明めちゃうまいし。なんかあったかい。もっともっと話したいですよ僕は。
きなこ
あなたも良い人感だだ漏れタイプですよね。どういう風に生きてきたらそんなやさしーーい雰囲気を出せるんでしょうか。フランス語がどーしても詰んでしまった場合助けを求める可能性があります。なにとぞなにとぞ。
小佐々優大
我らがエンドロの照明。言われたことを一瞬で反映しちゃうからすごいよね。マスターという名前似合いすぎてるなといつも思います。
オーム
絶対勉強多忙なのに同じ36期としてやれてるのがもう嬉しい。会うチャンスがあんまりないからそこまで話せてないのが結構本気で残念なんですけど。同じ浪人生組(おこがましいかな)として仲良くしてくださいっ!
はーーーかきすぎました。思ったこと全部書いたらこんなことになってしまいました。ここまで全て読んだ人はだいぶ暇人ですね。長々と失礼いたしました。
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シンクロニシティ
以前、ルターの宗教改革について、何か現状を打破出来るきっかけがあるのではないか?、と、ここTumblrに書いた。
何だろう、直感的に、ルターの宗教改革が、気になっ��。
そんな中、《ピューリタン革命》というキーワードが、出てきた。
で、
また発見。↓↓↓
youtube
ただ、“悪魔崇拝”って部分は、ちょっと違う…
西洋人思考、『善と悪』、これが、話をおかしくしてる訳だw🤣
ルターの宗教改革とは、言ってみれば、親鸞同様、人間とは欲望に満ち、同じ過ちを繰り返すから、牧師は禁欲を止めよう、普通に奥さん持とう。
でも、流れはローマカトリック教会だよ、でも我々は違うという、“枝分かれ”に過ぎない。
ローマカトリック教会は、ゾロアスター教の流れを汲む、『悪魔崇拝』だ、所謂。
つまり、ローマカトリック教会も、プロテスタントも、悪魔崇拝だよw🤣
どういう事か?
アスラ、日本でいう阿修羅が、ヤハウェの妻という説。
角度を変え、仏教的観点から言うと、阿修羅の親分は、大日如来。
太陽だ。
阿修羅は、人間を喰う。
その親分が太陽。
つまり、『光』。
西洋人思考、『太陽は光であり、神。闇は黒く、悪魔。』だよねw🤣
俯瞰で、冷静に考えて下さい。
あらゆる世界の創世記、一体何が書いてある?
『光あれ!』
じゃんw🤣
光が、光あれ!って言うか???w🤣
闇であるからこそ、『光あれ!』って、光を生んだんじゃん、頭を使おうw🤣✨😎✌️
つまり、所謂“悪魔”って概念が、間違えてるわけw✨🤣
大日如来は、帝釈天より格下。
大日如来=ヤハウェであれば、妻の女神アスラも、ヤハウェ信奉者は、崇める。
だから儀式の中で生贄を捧げるが、ローマカトリック教会系統は、赤ん坊を生贄にした��なぜなら、ヤハウェの妻アスラが、食べるからw✨
インドラ=帝釈天=ブラックマターだ。
インドラ=ヴィシュヌ神であり、力そのもの、《���持の神》=“永遠”=無限。
だから、“善と悪”という考え方は、見た目のイメージに囚われ過ぎて、『光=神』、『闇=悪魔』と、勝手に決めつけたw🤣
光は良き物、闇は悪い物、算数みたいな考え方で、間違った哲学が進んできた。
わかりやすく、
〚闇(深海)=神 光(太陽)=“悪魔”)〛
つまり、
〚0=神 1=悪魔〛
〚黒=神 白=悪魔〛
これが正解じゃないかなw🤣
闇の対極に、光がある。
闇は光を生んだ、親だなw
親は子供に、色々教えてやる。
しかし、子供にとり、時に教えがめちゃくちゃ辛かったりするw✨
子供はそのうち、厨二病を発揮するw🤣
アルクトゥルス、これが一つのキーワードになる。
“エゴのない人間”。
神を倒そうとする事に、何の意味もない。
私達の認識は、“悪魔”とは、神に逆らう者、堕落する者、奪い合う者かなw
結局厨二病w🤣
神の道は、時に厳しいように見える。
しかしそれは、未熟ゆえ感じることであり、神の道に進んだ、それが役小角、それがキリストだ。
海の上を歩いたり、空を飛んだり。
それが特殊な事ではない、レムリアとはそうであった。
次元上昇したレムリアのグループ、地上に残り、次元上昇を目指すグループ、分かれた。
そして侵略者であり、略奪者のアトランティスも、生き残りがいた。
さて、軌道修正w🤣
ピューリタン革命は、チャールズ1世の専制君主、独裁国家に反対、免罪符みたいな金儲け主義に、反対した。
だからアメリカは、プロテスタントの国。
そもそも、
宗教とは、人間家畜牧場だw🤣
その場しのぎの救い、永遠に出口の無い転生のループ…
そうじゃなく、自らを磨き、自らを認め、自らの道を歩き、調和しましょう、それがアセンション。
「面倒くさい」を捨て、庶民が立ち上がる時が、来たんですよ。
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勉強メモ
野口良平『幕末的思考』
第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③
勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ③
(あくまでわたくしのメモですので、読み間違っているところも大アリとおもいます)
■前回までのおさらい
① 明治の三傑の後を継いだ伊藤博文は、「今の国民には憲法を考えるような頭はない」と判断。ブレーンと共に秘密裏に憲法を草案し、これを天皇から国民に下すことに。 それと同時に、国民たちに天皇への信仰を浸透させることで「国民意識」をもたせようと、「教育勅語」を発布。全国の小学校に「教育勅語ください」と言わないといけないような雰囲気を演出する。
この政府のやり方に対して、思想家たちはどう対抗したか、
②と③で中江兆民と、福沢諭吉の思想的格闘が紹介される。
②中江兆民は『三酔人経綸問答』を書いて、「理想主義の洋楽紳士」、「侵略主義の豪傑くん」、飲んだくれの思想家「南海先生」の3人が、これから近代日本がどうなるべきか意見を戦わさせてみた。けっきょく正解は出ないのだが、簡単ではない民主主義の難題を、絶えず語り合わねばならないことを提示した。
で、今回は、
③福沢諭吉が最晩年に書いて、友人と、自らが批判した勝海舟、榎本武揚にだけ送った(死語に新聞に掲載)「瘠我慢の説」です。
■ 「天保の老人」福沢諭吉
国会と憲法が準備されつつあったこの明治20年代初頭、「幕末を知らない」若い世代の論客が登場し始めていた。
20代の徳富蘇峰(徳富蘇峰というと、弟の蘆花と違ってごりごりの国粋主義ジジイという印象がありますが、最初は自由とか民権をまじめに考える人だったみたい)などがぶいぶいいわすようになる。 「天保の老人はひっこめー」みたいな論調も。
だけど、 伊藤博文たちによる「上からの憲法」の危なさを鋭くかぎとり、問題点を書き記したのは、若い徳富蘇峰たちではなくて、「天保の老人」である福沢諭吉だった、そうです。
『痩我慢の説』を紹介する前に、
私が個人的にちょっと思ったのは、これはどっちかというと社会的に強い立場の人、エリートの人たちに向けた提言だろうな、ということです。
人生ですっと虐められたり踏みつけられ通しで、もう我慢���限界!!(現代日本人にはこの状態の人が多いと思う)の者からみたら、「は? 痩せ我慢? それどこじゃねえ!」 「寝ぼけてんのかこの1万円おやじ!」と思うかもしれません。
なので、そう思うのはちょっと脇へ置いて、いまはひとまず福沢の鋭さのポイントを聞きましょう。
やっぱり福沢は、凡百の“上から目線おじさん”ではないのです。
■公は私情
人間は自由だ。
でも、強い人も弱い人も、誰もが住みよい世の中をつくるのには、法(ルール)が必要だ。 なのだけど、「ルールが必要。強い人たちも弱い者イジメをする自由を手放し、従いなさい!」という理屈の根本は何か。それは自由の侵害にならないのか。
ルソーと中江兆民は、それは強者だけが自由を謳歌する、力づくの「自然状態」がまずいからだ。と位置づけた。 だが、それだけだろうか。 (ここ、じつは未消化です)
福沢は「痩我慢の説」でこういっているそうだ。
「公をつくるのは私情だ」と。
え? なになに?
私情とは、何かというと……
「そんなのおかしいよ、そういうのってよくないと思う」という、状況に対する個人の気持ち。
これを 「感情的になるな」とか 「現状はこうなんだから仕方ない、この方が便利だしうまくいく、変なことにこだわるな」 「うるさい」「意地を張るな」 といって退けてしまっていいのか。
損得利害、大義名分からだけつくられた法は、「悔しい思いをする人たち」からのチェックが働かなければやがて一人歩きするだろう。 (そんなこと著者はいってないかもしれません) 気がついたら誰にも便利じゃなくて悲惨な状態に追い込まれているかもしれない。
ここへきて、戊辰戦争の時、江戸の街を戦火から守った勝海舟を、著者があまり評価していないようだった理由がわかってくる。
勝海舟は、戦争を止めたのは偉かったし、そのおかげで、日本列島は欧米列強の食い物にならないですんだのかもしれない(内乱が泥沼になったら、フランスが幕府に、イギリスが薩長について内乱を助長し、その結果、日本列島を植民地に分割(山分け)……なんてことになってたかもしれない)
けれど「そんなの理不尽だ!」と勝てる見込みがないのを承知で抵抗せざるを得なかった幕臣方の思い(私情)を、無価値にしてしまったことには、勝海舟は責任がある、と。
戦争は極力避けるべきだが、かれらを「益のない戦争をした時代遅れの人」とくくってしまうなら、それは何か大事なものを見失うことになるだろう、と。
福沢の言う「痩我慢」とは、「おかしいだろ」と思うときに、「その方がトクだから、ま、いいか」という方をあえてとらず、損をこうむっても「いやだ、そんなのおかしい」という姿勢を大事にすること。
福沢は、消されようとしている「幕末の経験」を次世代に伝えなければと思ったに違いない、という。
黒船に迫られ、古い身分制度の社会に限界を感じ、行動し考えた幕末の人々は、《「私」意外に何一つ支えがない場所》にいた。
そのことを忘れないでほしい。と。
上から「与えられた」憲法に「おい、ちょっと待てよ」と疑問を感じ、口にすることを忘れないでほしい、と。 このあぶない顕密システムを見はるには、この姿勢こそが大事なのだ、と。
■これはあれだ!
「そんなのおかしいだろ!」 という私情から始まってこそ、理のある「公」が育つのではないか。という、哲学者ならではの省察。
それでハッとしたのですが、
この「私情」ってやつ、あれじゃないですか!
福沢の死後、70年。 「三食昼寝つき」 「家電は揃ってるし、インスタント食品は出てるし、女は極楽だろ、何の不満がある?」 「永久就職、いいねえ」 といわれ、それでも 「おかしい、なんかいやだ」 と言い合ったウーマンリブたちの合い言葉。
「個人的なことは社会的なこと」
もちろん、ウーマンリブの考えは、苦しみ、必然から生まれたもので、おそらく福沢諭吉の影響なぞは受けていないだろう。
むしろ、福沢がすごいのはそこかもしれない。 70年も前の“上から目線おじさん”(デフォルトマン)でありながら、この真実を見いだせたってこと。
福沢は「日本の女は売春婦になって海外へ繰り出せ」(?)とか言って、心ある女性たちに嫌われてるし、私も全然興味がなかったのですが、決して一面からだけで判断できる人ではないし、書き残した者もたくさん校訂つきで残っているのに、それをまるで読まないなど、下からの“上から目線”といわれてもしかたない、と反省しました。
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のんびりしているのか、慌ただしいのか、良く分からない日々のまま、ローマへ行く。フランスの一泊二日旅行後は、Hendrik君と食事する。ドイツは流石に精神治療や心理学が盛んなだけに、色々と身近にいる困った人々を分類して説明する事に長けている。日本みたいに蓋をするのではなく、言語化して、どういう時の何が問題行動のパターンとして表れるのか、的確に分析してくれる。
折角の北ドイツなので、Schwerinという小さな町も訪れる。Schwerin城がある。その後、海が見たくてWismarまで足を伸ばす。海は黒かった。青い水が見たい。ここは、湖も川も海も黒い。憂鬱要素しかないドイツ。風景も、のっぺりして油絵のようである。日本の風景のように活きていないのだ。そしてゲイウィークのため、フォーシーズンズは一早く虹色にライトアップ。金持ちの左翼に迎合。あー。。。いかにもドイツ左翼である。腹では真逆を思っているのに、ポリティカル・コレクトネスで意に反することをやるから、イライラしているドイツ人たち。イタリアに一時避難。だけど、発表準備なにもできていない。。。ローマから行けるところは、行くぞ。ぶはは。学会なんて、つまらんエゴの塊どもの発表会じゃ。ワシは学会なんてサボるのじゃ。
っというわけで、中継地のミュンヘンに到着。ルフトハンザなのに、ディレイ。荷物を珍しく預けたから、少し心配だけど、ミュンヘンなら大丈夫かな。。と思う。台湾のオリンピック選手団を見かける。ワシのミーハーな友人は、パリに早速、オリンピック観戦に行っているらしい。ワシは、9月にオリンピック終わってから行く予定。北京オリンピックの時も、オリンピック終わってから初中国上陸したっけねぇ。京劇と万里の長城を見に行く旅だったっけ。良く行ったワシ。
友人によると、パリは雑然、騒然としているらしい。そりゃそうだろ。バリバリパリっ子のパリジェンヌ、コリーヌねーさんはとっくにパリから脱出。今頃パリに行く奴なんて、みんなお登りだろうから、そりゃ京都みたいな感じなんだろうと想像する。セーヌで水質悪く、トライアスロン練習できないと聞くと、ハンブルグでも泳ぐのに泳げないってどんだけ汚いんや。。。と、道頓堀の方がキレイやったんかい。。。と感心する。おフランス人、体臭やばい奴多いけど、出すものもバッチイってこったな。あな恐ろしや。
ミュンヘンは、空が青く、久しぶりに太陽を見る。暑い。けど、暑くても空が青くて太陽が照っている方が幸せなのではないか。。。と思うようになったワシ。クーラーあるなら、えーやん。。。位の気分。さて、ローマに飛びますよ。荷物も無事に向こうでretrieveできますように。
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展覧会に行ってきたメモ
国立西洋美術館
憧憬の地ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷 展
東京・上野
初っ端からウィリアム・ターナー入れてくるのが上手い。イギリスのグランドツアーの話からブルターニュへ旅に出る画家の話を始める。元々グランドツアーはイギリスに歴史的な遺跡が少ないことを理由に、英国富裕層が海外の異文化への憧れを持ち発生したもの。本企画展でターナーを初めに見せることで、画家たちがブルターニュという異文化を求めたことを最初に提示してるだろな。
ブルターニュは現在フランス領だが、元々はブルトン語という独自言語を持つブルターニュ公国という独立国だった。フランス植民地となりのちにフランス革命中に併合される。画家たちがこの地をテーマとし描くのは、元々フランスではなく別の文化を持つ国という歴史を持っていたことが重要だったのだろう。それこそ、 「異郷」 なんだろうね。
リュシアン・シモン 「庭の集い」
天才の明暗〜〜!!!明らかに自然光ではなく照明なのが目を惹く。画面左側に人物が集中しており、更に色彩も寒色の中に暖色で目立つ!画面の構成がめちゃくちゃ良かった。
黒田清輝など日本人画家の絵もたくさん展示されてるのが後者のブルターニュ展と比較して特徴的。白馬会だけでなく不同舎の面々も。
あとアンリ・リヴィエールが結構あった。浮世絵に影響を受けて木版画とか描いてた画家。空の感じとか広重の影響がま〜わかりやすい。リトグラフの色が美しい。
SOMPO美術館
ブルターニュの光と風 画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉 展
東京・新宿
アルフレッド・ギユ 「さらば!」
これを最初の展示室にバーンと置いてあるインパクト。嵐で転覆し、生き絶えた息子に別れのキスをする父親の絵。原題だと「Adieu!」で軽い挨拶ではなく長い別れを意味する言葉。しかも語源がさぁ〜「a Dieu」神の御許へって意味で完全に祈りの言葉な訳で……画家本人がタイトル付けたかわからないけどめちゃくちゃ良いと思います。
嵐という気候から始まるのが面白い。荒波が特徴的な場所らしいね。ブルターニュという土地を詳しく説明してるのはこっちだと思う。独立云々の話もこっちで解説してた。
アンリ・ジャン・ギョーム・マルタン 「ブルターニュの海」
マルタンの絵があったのは嬉しい収穫。新印象派主義のマルタン好き。構図自体は簡潔だけど色彩と筆致でしっかりとした絵に仕上げてくる技量、見まして?天才ですよ。
��SOMPO美術館、最後にゴッホのひまわりが置いてあるんですけど同じ部屋にポール・ゴーギャンの 「アリスカンの並木樹、アルル」 が展示されてて思想を感じて面白かった。ゴッホに寄り添いすぎ。
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国弘よう子の『今夜もシネマ』 毎週月~水曜 21時更新
「人ごとじゃない‼︎week」 5/29(月)怪物 5/30(火)渇水 5/31(水)苦い涙 オススメ映画を5分で紹介🎥
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
<映画情報>
『怪物』 出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太 ほか 監督:是枝裕和 脚本:坂元裕二 音楽:坂本龍一 公開:2023年6月2日 製作:日本 映画『怪物』公式サイト 『渇水』 出演:生田斗真、門脇麦、磯村勇斗、山崎七海、柚穂 ほか 監督:高橋正弥 脚本:及川章太郎 原作:河林満 公開:2023年6月2日 製作:日本 映画『渇水』公式サイト 『苦い涙』 出演:イザベル・アジャーニ、ドゥニ・メノーシェ、ハンナ・シグラ ほか 監督・脚本:フランソワ・オゾン 公開:2023年6月2日 製作:フランス 映画『苦い涙』公式サイト <国弘よう子の「今夜もシネマ」> 今夜観るならこの映画。 『今夜もシネマ』は映画評論家 国弘よう子が、あなたの今夜にオススメの映画を5分で解説。 毎週月~水曜日、ギュッと凝縮5分間!もっと映画が楽しくなる。
過去放送一覧はこちら
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WASITE.store 2023/04/28 now OPEN 今日の海 黄金よりも高貴な色って 知ってる? それが I K B !! インターナショナル・クライン・ブルー! 略して 「IKB」 これを発表したフランスの画家が 1928年の今日誕生 イブ・クライン(〜1962) イブは主に単色(モノクローム) での絵画を専門とした。 白黒だけがモノクロじゃないんですよ。 初めはオレンジ、金、ピンク それだけで画面全体を塗る! 1950年前後には、なっかなか理解されねぇ! そりゃそうだ。けど、続けることが大事。 そして1957年に前述の「IKB」発表&特許! イブ「これは私の理想的な顔料やねん 青、それは宇宙の神秘的なエネルギー に最も通じる最も非物質的、 かつ抽象的!」 これは黄金よりも貴き!!! ということでIKB(ブルー)一色で とにかくキャンパスを塗りつぶします。 さらに彫刻にも染み込ませます。 もう真っ青! 中でもすげぇのは 1958年の「空虚」展。 IKBブルーで印刷された案内状が届き 画廊への道中、IKBブルーで塗られたものが 道のあちこち置かれ、 画廊に到着して中に入ると、 客「・・・真っ白じゃん・・・」 イブ「私の高貴なブルーは みなさんがここにくるまでに 可視化され、拡散しました。 今、画廊の中では ブルーは非物質化されています」 客「WHAT?」 イブ「だーかーら! ブルーはもうすでにこの空間と みんなの心の中に 見えない物質として充満してんの!」 これが 「見ることのできない青色の空間」 というわけです。 客「え、まじで!?(混乱中)」 大いに物議をかもす空虚展www イブ「まーまー、青いカクテルでもどうぞ」 客「ぐいー(飲む)」 イブ「な?」 客「は(怒)?」 と、時に怒り出す観客もいて 警察沙汰www その後もイブは 実験的なパフォーマンスを行います。 キャンバスを風雨に曝して 大気の変化を記録する作品だったり 裸体の女性にIKBブルーを塗って キャンバスに押し付けたり キャンバスを火炎放射機で燃やし 同時に水をかける 火の軌跡を記録する作品など。 こ〜んなアートに至ったきっかけには トリノの聖骸布などがあるが 日本で得た経験として 原爆投下時に放射熱で壁に残った 人の影の痕跡を見たことが挙げられる。 人、という物質的で可視できる状態が 不可視なものになったのです。 イブの作品は 「人類という可視の状態から 不可視で霊的なものの途上」 これを測定した、というわけ。 やがて、肉体はなくなるのが運命。 そして還るのは地球という青い星です。 イブはガガーリンのあの名言 「地球は青かった」 よりも先に地球の青さを熟知していたという。 やっぱり、青は貴い! そんな貴いIKBブルー。 インク1L が100ドルで売ってます。 お家作りを計画中、DIYでリフォーム中、 GWで張り切ってる人もいるかな? どうです? イブのブルー? と言うわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! 今日も良い1日を!
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「虚無への供物」中井英夫 0011
序章
1サロメの夜 01
虚無へ捧ぐる供物にと 美酒すこし 海に流しぬ いとすこしを
ポール・ヴァレリーという詩人の詩からは始まります。 ヴァレリーがどういう人物かというよりも、 “虚無へ捧ぐる供物にと”の一節が必要だったのかと思います。 まさにこの小説のタイトルですからね。
この詩について少し考えてみます。
あくまで翻訳された詩ですから、原文の意味までは汲み取れません。 だから、かなり想像や意訳の部分が多いです。
さて、まず“美酒”ですが、この当時なら、多分ワインでしょう。 もしかするとウィスキーやビールの可能性もありますが、 “美酒”という表現にピッタっとくるのは、ワインのような気がします。
弔いの意味で、海に酒を注ぐのは、日本に限らず海外でも行われているのしょう。 そういう意味では、“虚無”というのは死者を指すのかもしれません。
つまり、死者の弔いのために酒を注いだということです。 特に、赤ワインだとすると海では、まるで血のよう見えるのかもしれません。
これから、死者に対する弔いのための供物(小説)が、 海に広がるワインのように展開する。 っと言うところでしょか。
その詩の次に、 “その人々に” の一文があります。
これは、流石にここでは、どういう意味かはわかりません。 先の詩から考えると、“人々”とありますから、死者が数名出てくることになるといったところでしょうか?
さて、
序章 1サロメの夜の数ページです。
��ずは、「サロメ」ですかね。
よくわからないので、検索してみると人物の名前なんかが出てきます。 そのまま読み進めると、 あるバア「アラビク」での様子、そして踊り子の様子が描かれます。 踊り子を「サロメ」にたとえているのでしょうか?
その後、 1954年12月10日と具体的な日付が出てきます。 それから地名、「三ノ輪寄りの竜泉寺」と、この辺りは、現実っぽさを出すのに効果的でしょう。
とはいっても、東京在住でもないと、どのへんかさっぱりわからないかもしれません。
この場所も、後々の伏線なんでしょうか?それとも、別の意味があるのか? 徐々に解って来るのでしょう。
バアの話からは一旦離れて、 この年の殺人事件の数が記載され、これから起こるであろう出来事を示唆します。 しかも、本文と関係があるのか、 「二重橋圧死事件」(皇居一般参賀において、二重橋で参賀者の将棋倒しが発生した事故) 「第五福竜丸」(強い放射能を帯びた「死の灰」で、公海上で操業中だった遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」乗組員が被ばく) 「黄変米」(大戦後の食糧難に輸入された米のいくつかから有害ペニシリウム菌が混入) 「洞爺丸事故」(青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故) を新形式の殺人と表現しています。
ほかにも 「鏡子ちゃん殺害事件」 「カービン銃ギャング事件」 がスリラーとして挙げられています。
これだけの悲惨な出来事や事件をあげてて、恋愛小説でもないでしょうから、 ミステリーが始まるのは想像に固くありません。
さて、場面はまた、バアの様子に戻ります。
先程の踊り子は「おキミちゃん」、 なんと、三味線の伴奏で、来日中のフランスのプリマバレリーナであり、女優だった「コレット・マルシャン」が、踊る7つのヴェールの踊りを真似て踊りはじめます。 “7つのヴェールの踊り”は、1世紀頃の古代パレスチナに実在した女性“サロメ”で、その人が踊った踊りだそうです。
やっと、“サロメ”の意味がわかりかけてきましたね。
“サロメ”を踊る踊り子のバアの夜。
その様子として、 フォリー・ベルジェール式の裸。とありますが、 これも、検索してやっとそれらしき意味がわかります。
さて、踊り子である「おキミちゃん」が咥えていた造花ではないらしい薔薇が、光田亜利夫(みつだありお)のそばに花びらをちらしながら落ちます。
これ人が主人公ですかね。 まあ、とりあえず名前だけ出てきます。
それから、その薔薇を拾い上げたのが、奈々村久生(ななむらひさお)。 これも、とりあえず名前だけです。
性別すらこの時点ではわかりません。
バア、アラビクでの一夜で、これから起きるであろう出来事をなんとなく示唆して、あとは登場人物の紹介でもするのでしょう。
ここで、まず、奈々村久生が奈々緋紗緒(ななひさお)の芸名でかけだしのシャンソン歌手、本職がラジオライターというのがわかります。 設定が昭和29年ですから、ラジオライターですが、さしずめ脚本家っていうところでしょうか? それが、どれほどの収入になるかはわかりませんが、 少なくても、バア「アラビク」で、ストレスを発散できるということなんでしょう。
牟礼田俊夫(むれたとしお)というフィアンセがいることで、女性だというのもここではっきりします。 だから、気楽な探偵気取りでいられるとなっていますが、ざっくりとした黒白の七分コートに緑の手袋という服装は、かなりちぐはぐな感じです。多分、この人物は、主人公というよりも、狂言廻しという感じですね。
さっきも書きましたが、脚本家なんだから、これから起きるであろう事件をまるで自分が脚本を書くように、引っ掻き回すんでしょう。
光田亜利夫のことを奈々村久生は「アリョーシャ」とよんでいますが、これ、なにか意味があるんでしょうか?
さて、バア「アラビク」では、踊り子のキミちゃんがピルエットしてます。 表現として、「グリッサー」と書かれていますが、これが、よくわからない。 元々、「グリッサ」といわれていた踊りが、現在バレエに使われている「グリッサード」というステップになったそうですが、これを、総称して、「グリッサー」と表現したのでしょうか?
それでなんとなく意味は通じるのですが。 前出のコレット・マルシャンも引き合いに出しているので、多分そうなんだろと思います。 まあ、それだけ踊りがうまいということなんでしょう。
七色のヴェールのように黄、赤、オレンジと変わるという表現は、 前出の“7つのヴェールの踊り”のことを表していて、実際に7つの色に変わるというよりも、 黄、赤、オレンジと変わるということで、妖艶さを演出しているのでしょう。
ただ、その後の表現にはちょっと驚かされます。 踊り子のキミちゃんに、女性特有の乳房がない。
奈々村久生(ななむらひさお)が女性だとはっきり書いていながら、 キミちゃんには、乳房がないと表現してます。 このジェンダーな表現は、男性のような女性なのか、単に男性なのか。 それとも、他になにかあるか?
男であるキミちゃんをさっきの妖艶さの演出によって、女性らしくみせているということは、 やはり、キミちゃんは男ですかね。 まあ、すぐわかるでしょうけど。
これからこのストーリーを紡ぐとしどのようの絡んでくるのか楽しみです。
つづく。
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マークさんの新しいお店 鎌倉駅からすぐの 「ちよのか」に行ってきましたー。 丸七商店というちょっとわかりにくいけど、鎌倉駅から海側に歩いたところすぐ右側にあります。 入り口にお肉屋さんがあって この先にあるの? って感じでしたが、ありました。 ちょっと暗いので入りにくいですが お店にいた店長さん(?)はすごく 感じの良い方でしたー。 プレーン カスタード 抹茶 ほうじ茶 黒糖 紅茶 カカオ 季節限定など いろんな味がありました。 4種類食べましたがカスタード美味しかったです。黒糖も食べてみたいです。 少しオーブンで温めるともっと美味しいのかなと思いました。 フランスのお菓子ですが、そんなに かしこまらず手づかみでガブっと 食べるといい感じです。 ぜひ、ふらっと寄ってみてくださいね。 ご自宅へのお土産にもいいですね。 #カヌレ #鎌倉 #ちよのか #おちゃっぴ #お土産 #丸七商店街 #マークさん https://www.instagram.com/p/CoMFAfjLNTV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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