#1歳10ヶ月
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Xユーザーの818▽1歳10ヶ月ムッスメに振り回されるさん: 「シャインマスカットは、房から1粒ずつもいで強炭酸を注いで密閉すると、3日後には更にパンッパンに膨らんでしゅわっと微炭酸を感じられるようになってハチャメチャに美味しいです! 安くなった今こそ好機!みんなでしゅわっとシャインマスカットを食べましょ~! https://t.co/tygzr56lll」 / X
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お久しぶりです。実に2週間ぶりですね。tumblerへの投稿は。生きてましたよ、ちゃんと。失恋しても当たり前に今日はやってくるし、仕事は真剣にやらないといけないし、ご飯を食べなきゃお腹は空くし、眠らないと体力は持たない。そんな当たり前のことさえ受け入れられないほどに、彼に合わせていた、3ヶ月間。今は自分の仕事にも、居住地にも誇りを持つことが出来る。こんなことを書くということはそう、彼にゾッコンだった3ヶ月間私は高齢者施設で看護師として働いている自分の仕事に自信が持てなかったし、なぜ彼と1時間半も離れた距離に住んでいるのか、なぜ私は彼の家の近くに住めないのかと居住地に対してヤキモキした気持ちを抱えていた。彼に出会うまでは��あの地域って治安悪いよね。私は一生ここでいいわ」とか言ってたくせに。彼と過ごしていく上で、私らしさが障壁になるなら、そんなものいらない!!全部煩わしいだけ!!と思ってしまっていたんですね。その結果びっくりするぐらいに自信も自己肯定感も無くなっていた。でも、彼のことが好きだった。洗脳か、恋心かそれはまだわからないけど。振られてからの約3週間の間にマッチングアプリも入れて、街コンにも2度参加して、相席屋にも行って、いろんな人と会っていろんな人と話をして、月並みだけどあの人だけではないんだなって身に染みて感じたし、あの人と同年代の人と会うたびにあの人が歳の割に超若い感性だったことも思い知らされる。あの人と出会ってから、散々と言えるほど食べた桃をまた今も食べながらこの文章を書いている。多分今年最後になるだろう生の桃。私が一番好きな果物。私の年齢すらあやふやだったあの人が、唯一覚えてくれていた私の好きなもの。振られてすぐはなんで!!ねぇ!!戻ってきてよ…って絶望の淵にいたけど、今は別れてよかったなって思ってる。話し合いともなく一方的に振られたことについては未だに納得いっていないけど。そういえば最後の最後に啖呵を切らなかった理由でもある、フクザワさんのピックは別れて10日後普通郵便で送られてきました。あの人の汚い字をみて泣きました。振られてから2度目の大泣き。でも、やっと全てが終わって、ようやく少しずつ自分自身を取り戻した気がする。私の感性は、私の感情は、私だけのもの。誰にも支配されちゃいけないもの。
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在日をやってると100
最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。 過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。��とめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる���向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求���るマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて)
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られて��る現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。 外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。 その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の���療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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勤務先の東京都墨田区の保育園で男児に性的暴行を加えたとして警視庁は10月9日、元保育士の山城広太容疑者(31)=練馬区=を不同意性交容疑で逮捕した。墨田区の保育園では今年1月から計7回逮捕された長田凪巧被告(27)=不同意性交などの罪で公判中=の事件が明らかになったばかりで、関係者に不安と衝撃が広がっている。 昼寝中に別室に連れ出しての犯行か 山城容疑者は今年8月16日午後、墨田区内の私立認可保育園で男児に性的暴行を加えた疑いで逮捕された。「昼寝」の時間に寝ている児童や他の保育士に気づかれないよう、この男児を別室に連れ出して犯行に及んだとみられる。 帰宅後に男児が被害を訴え、両親が警視庁に相談したことから事件が発覚した。警視庁は山城容疑者の認否を明らかに��ず、余罪などを追及している。 山城容疑者は2019年から同園に保育士として勤務していた。 墨田区では長田被告の事件を受け、再発防止検討委員会を立ち上げ、聞き取りなどをもとに園内の死角を排除したり防犯カメラを設置したりするなど保育環境改善のための提言を4月に提出したばかりだった。 新たな容疑者による今回の事件発覚について、区の担当者はこう苦悩をにじませた。 「現状まだ調査中で、われわれも逮捕されたということしか報告を受けていませんので、それ以上のことはお答えができません。墨田区でなぜ同様の事件が多いのかについては、結果的に墨田区で起こってしまったとしか申すことができません」 長田被告の事件同様、昼寝の時間帯に犯行が行われたことについては、「一般論」としたうえでこう答えた。 「園児の昼寝の最中に保育士たちは交代で昼食をとるなど休憩を取ります。子供を見る保育士の人数が減るタイミングでもあるので、事件が起きやすいのだと思います」 1カ月以上前から捜査ははじまっていた 山城容疑者が住んでいた練馬区内のマンションは家賃9万円のオートロックの単身者向けのマンション。比較的新しいつくりで、女性も多く住んでいた。数人の住人に聞き込みをしたが、近隣との付き合いはなく、ひっそりと暮らしていたようだ。 近くの商店主の男性は、事件に驚きこう話した。 「何? もしかして警察がちょくちょくうちに防犯カメラ見に来たのってこの人の件かな。3回くらい防犯カメラを見せてくれってウチにきたよ。何にも内容は説明してもらってない。最初に来たのは1ヶ月以上前で、10月入ってからも1回来たはずだよ」 近くに住む女性は、山城容疑者が任意同行される瞬間に偶然立ち会ったようだ。写真を見せるとこううなずいた。 「ああ、この人なら昨日見ましたよ。たまたま朝の7時か8時くらいに車でマンションの前の道を通ろうとしたんです。そしたら、2人の男性が『警察です。ちょっとだけそこで待ってください。容疑者逮捕するんで』と車を停められたんです。 周りに警察官が何人かいて、この写真の男性はうつむくように立っていました。手首のあたりはタオルで隠されてましたが、明らかに手錠をされていたのがわかりました。騒然としてるというより、淡々とした感じでしたよ」 同区内の保育所というのは単なる偶然で、事件は全国で起こっているのかもしれない。いずれにしても同種の事件の多発には呆れるよりも、恐怖を感じざるを得ない。 ※「集英社オンライン」では、今回の事件や保育園にまつわる事件、トラブルについての情報を募集しています。下記のメールアドレスかXまで情報をお寄せください。 メールアドレス: [email protected] X @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
〈また墨田区の保育園でわいせつ〉お昼寝中の男児に性的暴行した容疑で31歳男性保育士が逮捕!担当者は「結果���に起こってしまったとしか…」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
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2024年11月1日(金)
今日から11月、リビングのカレンダーをめくり、iPhoneの壁紙を変更する。小学校の低学年の頃だと思うが、「西向く士(にしむくさむらい)」というフレーズを教わった。1年12ヶ月のうちの小の月(31日ではない)の覚え方で、「二月・四月・六月・九月・十一月」のことだ。十一月を<士>と捉えるのだが、<土>とすれば「にしむくど」となって、やはりこれではダメやね。
4時45分起床。
日誌書く。
5時20分、彼女が起きてルーティン開始。
朝食前と風呂上がりの血圧測定、やはり気温が下がり始めると上が高くなる。
朝食をいただく、蕎麦の解凍を忘れたので今朝は煮麺。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
弁当*1。
可燃ゴミ、30L*1。
彼女を職場まで送る。
糠床メンテナンス。
職場のストレスチェックがメールで送られてきたので早速回答、すぐに結果が出るが、いつもの通り。
大丸で歳暮の手配を5件、お節も発注する。
亀屋良長で歳暮、こちらは2件。
来年2月の<三田落語会>のホテルから、誕生日クーポン(1,000円)が送られてきた。それならと、いったんキャンセルしてから再度クーポンを使って予約し���うとすると、安い部屋がもうなくなっている。アホなことをしてしまったと、他をあちこち探す。一駅離れるがキャンセルした部屋の料金よりも安いところを見つけて安堵。
ランチ、三男にはラ王しょうゆ味、私は禁断のチキンラーメン昆布水仕立て。
軽く午睡。
今日から京都ポルタがポイント10倍、先日姫路帰りに購入した<弘>のクーポンがあるので、今夜は弁当にしようと買い物に出る。ところが、会計時にレジの女性から<ポイント10倍になってませんよ>との発言。その場では何とも出来ないので帰宅してからチェック、そうか、9月に機種変更した際にポルタカードを再登録するのを忘れていたのだった。何ともミスの多い日だ。
彼女が帰宅、まずはココに点滴。
<史上最強厚切り弘カルビ>という長い名前の弁当、サラダスープとリンゴを付けて、息子たちにはスパークリングワイン。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第49話「迷子の兵隊」/ Grand Deceptionsシーズン 1, エピソード 49 財団が運営する軍事教練学校で、財団幹部のブレイリー大佐を教官であるキーガン曹長が脅迫していた。キーガンは、ブレイリーが不正に私服を肥やしていることや、不倫していることを嗅ぎ付けたのだ。将軍の誕生日パーティが開催された夜、ブレイリーはキーガン殺害を企てていた。
最後まで見ることが出来ず、布団に吸い込まれる。
ま、天気も悪いのでこんなもの。
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るろうサマー represent
母親に謝罪のLINEをした。うつ期間の明ける時と、また別のうつ期間中に、多大に浪費してしまい、母親にお金を借りるしかなくなった。こんなこと本当に情けなくて、こんなところに書きたくない。できれば全ての人に秘匿しておきたい。でも、ともかく謝罪と金の無心のLINEを送り、夜のエアコンの風の中でぼうっとしている。なぜ、突然1ヶ月分の生活費を浪費してしまうのか。なぜ、自分の「分」を守れないのか。なぜ、身分相応の振る舞いができないのか。このように、「なぜ」を考え始めると、自分の場合、何に対して���あれ、もう末期であるということはわかっている。「なぜ」も何もない、とにかく「だめ」なのだ。できないことはできない。なし得なかったことは、なし得なかったことで、私の場合はだが、「なぜ」はただの呪詛である。だから、「なぜ」を考え始めてしまったら、意味の無いループに陥っていると気づき、なぜではなくて、これからのことを考えるべきである。これから。とりあえず、次の職場では、労働時間が増える。フルタイムとまでは行かないが、週4×7時間である。以前はだいたいこの週4フルタイムと、別のバイトを掛け持ちしていた。それでキャパオーバーになり、結局倒れる→実家に連れ戻されるを繰り返していた。しかし、今回はそうはならない。今回の独立生計は、もう今後一生のことで、二度と実家に戻ることはない。と言うと言い過ぎだが、母親の介護が発生するまでは戻らない。発生したら潔く田舎に戻り、免許を取って、スーパーのレジ打ちでもしながら実家で暮らし、兄の面倒を見る。まあそれにはまだあと10年くらい猶予があると思うので、そのあいだは本屋の店員という「将来の夢」を遂行し続ける。もちろん、今回は掛け持ちはなし。これは障害年金を受給しているおかげだ。これがなければ独立生計は成り立たない。私の場合、目安としては障害年金と家賃がイコールくらいです。だから食費やその他の生活費を稼げれば大丈夫。今までは貯蓄と、それが尽きて数月は母親からの援助に頼っていたが、今後、まず障害年金と給与だけで生計を立てられるように努力する。しかし、今後どの程度うつ状態を発症し、どの程度また浪費するか、それがわからないのが恐ろしい。私が戦うべきは、うつ状態が発生しないようにとにかく疲労をその日のうちに解消すること(疲労により薬が効かなくなるため)、また、浪費してしまう「その時」に、浪費を止める仕組みを作ること。その他にも、サブスクの継続の吟味や、UberEATSを使わざるを得ない場合(体調)の詳しい条件検討もしたほうがいいだろう。お金の計算がとにかく苦手であるが、今回こそは、なんらかのアプリに課金して、支出と収入を把握し、自分の人生を管理できるようになる。なりたい、じゃなくて、なる。なるしかない。もう本当にこんな当たり前のことを決意するのは恥ずかしい。何歳なんだ?という感じだが、意識がきちんとしてきたのが25歳で、その前の10年間ぼうっとしていたことを考えると、まあ10年遅れているので、今26歳くらいである。25以降も、療養で累計3年分くらいは寝たきりだったため、もっと幼いと思う。23歳くらいかもしれない。中身が23歳の36歳。最悪だ。最悪だが現実だ。こんな馬鹿みたいな、社会人1年生でみんながやっていることを、今やっているんです。馬鹿というか��頭がおかしいんです。こんな事言いたくねーけど。でも、他の人になんと言われようと、私は今が社会人1年生だと思って、お金のことをやっていくしかない。ほんとうに悲しい。この日記を見てくださっているかたにもドン引きされていることと思う。もう本当に、ドン引きされたり、友人付き合いを考えられたり、そういう感じで、私は1回社会に見放されたほうがいい。そうしないと分からないのだと思う。でも友達は失いたくないので、私がまともになったら、またお話してやってください。
もうひとつ。体重の増加が止まらないこと。今日、人生で初めて70kgを超えた。数字で見ると衝撃だったが、「ついにこの時が来たか」と思った。
なんのストッパーもなく食べている。もちろんこうなることはわかっていた。お腹の肉が邪魔で苦しい。階段の昇り降りも苦しい。ジーンズの脚の部分がきついため、全ての動きが制限される。
クエチアピンを睡眠薬がわりに使い、一旦夏バテから回復したので、またクエチアピンなしで睡眠をどうにかとる日々に戻ろうと思う。
加えて、食べることも減らしていく。(運動はラジオ体操からなのだが、まだ運動を考えられる段階ではない。)UberEATSでコンビニのインスタント食品とお菓子をバカスカ買って食べていたが、それをやめる。ただし、まだ料理をする体力や気力はないので、スーパーやコンビニの惣菜や冷凍食品を利用する。自炊は「できる」と思った時にやっていく。最初から上を目指さない。少しずつできることだけやる。バナナと牛乳と食パンを切らさないようにするところから。いつもそうだが、できなくなったら、できていたところまで戻る。戻って戻って、できるところから始めるしかない。米を炊く。冷凍する。夜ご飯に米を食べる。まずはそれを目標にする。こんなことは人間としてできて当たり前のことだが、今、私にはできていない。他の人はできても、私にはできない。ただそれだけのことなのだ、とわかるまでにかなりの年数がかかった。できないことはできない。できるところからやる。できなくなったら、やり方を考える。年金受給している精神障害者なのだという自覚を、悪い意味ではなく、自分を律するために持つ。
こういうことを、人生で何度繰り返してきただろう。本当に困難だと思う。ただ、私は楽天的なので、こういうことが何回あったかとか、そういうことはすぐに忘れる。うつ状態で生活が崩壊した回数など、100回を越えている。でも、過去などどうでもよくて、常にこれからどうするかを考えているから、あまり凹まずにすむ。これは自分の数少ない美点、かつ、生まれつきの性質だと思うので、遺伝子に感謝だ。
体につきまくっている肉が重くても、溌剌と未来に向かって動いていたい。私はそのための薬を飲んでいるし、その薬は効いているし、それができると思う。必要なことは都度考えて、実行していく。何もできない時には、仕方がないので休む。人生に締切は設定しない。逆算しない。目標を決めない。今できることをベースに、それを維持することを真剣にやっていく。私にできるのはせいぜいその程度の人生なのだということを、早く私にも納得してもらいたい。
2024.8.23
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ヘッダ・ガーブレル Hedda Gabler
じゃ、私にできることは、何もないのね。
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彼女はなぜ原稿を燃やし、銃の引き金に指をかけたのか——。
自分の生と自己についての実感を求めて、空虚の中で心を圧された女性「ヘッダ」。生きている価値、妻であることやパートナーの意味や意義、ひとりの人間として必要な承認をめぐる、生が自己を求める切実さを描く物語。
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開演日時: 2024年8月31日(土) 14:00・18:00 / 9月1日(日)14:00 ※各回終演後に演出家によるトークセッションを実施予定 ※受付開始は開演の45分前、開場は30分前 ※上演時間は100分を予定
託児サービスあり(先着順・有料) 9月1日の回が対象。公演2週間前までに要申込。 (三重県文化会館 TEL059-233-1122)
英字プログラムあり
会場: 三重県文化会館 小ホール(三重県津市一身田上津部田1234) ※三重県文化会館へのアクセス
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原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
出演: 木母千尋、三浦真樹 諏訪七海、桑折 現 山形龍平、梨香
舞台監督:北方こだち 照明デザイン:島���雄峰(LST) 音響:平岡希樹(有限会社 現場サイド) 照明操作:前田遥音 衣装:小野花弥 肖像画製作:永村清華 フライヤービジュアル撮影:松原豊 フライヤーレイアウト:橋本デザイン室 アダプテーション:鳴海康平
フライヤー撮影協力:Bon Vivant(三重県伊勢市本町20-24)
※原千代海訳、毛利三彌訳、福田恆存訳、 Deborah Dawkin and Erik Skuggevik 英訳、 Terje Sinding 仏訳を参考にさせていただき、上演台本を作成しています。
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料金:(全席指定) 一般前売 2,500円(当日 3,000円) 22歳以下 1,000円(前売・当日とも)
チケット取り扱い(チケット発売日:6月29日10:00)
▋三重県文化会館 チケットカウンター(窓口・電話) tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) WEBチケットサービス「エムズネット」 https://p-ticket.jp/center-mie/
▋第七劇場(予約のみ) https://www.quartet-online.net/ticket/hedda24
※未就学児の入場不可 ※22歳以下チケットでご入場の際は、年齢の確認できる証明書のご提示をお願いいたします。
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三重県文化会館 公演情報ページ https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/48724
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関連企画
「ヘッダ・ガーブレル」を読んでみよう
演出家・鳴海のナビゲートで、実際の上演台本を使った読み会を開催します。みなさんで声に出して読みすすめながら、作品を紐解いてみましょう。
日時:8月12日(月・祝)14:00〜16:00 会場:三重県総合文化センター 生涯学習センター棟 2階 まなびラボ 参加料:1,000円
事前申込制(先着)
参加料は当日精算
定員 15名
申し込み受付は6/29(土)〜8/3(土)※必着
お申し込み・お問い合わせ
tel: 059-233-1122 窓口:三重県文化会館 チケットカウンター 10:00〜17:00/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館) 申込URL: https://www.center-mie.or.jp/bunka/
※未就学児のご参加はご遠慮ください。 ※筆記用具をご持参ください。 ※定員に達し次第、受付終了となります。
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ヘッダ・ガーブレル
1891年、ミュンヘンで初演。研究者の夫テスマンとの関係に息苦しさを感じている妻ヘッダは、退屈な日々と、身近な生気に溢れた人たちに苛立ちを覚える。テスマンの研究者としてのライバルでありヘッダの元恋人レェーヴボルクの死、ヘッダの古い友人テアとテスマンの研究上の意気投合、レェーヴボルクの死に関する判事の思惑が交錯し、嫉妬と羨望と絶望が高まる中でヘッダは、自身の行動で自らを追い込み自殺してしまう。
ヘンリック・イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
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第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 https://dainanagekijo.org
写真「三人姉妹」2023・三重県文化会館 ©松原豊
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」による��ラマを舞台作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真 ©松原豊
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主催:三重県文化会館[指定管理者:公益財団法人三重県文化振興事業団] 共催:レディオキューブFM三重 助成:公益財団法人岡田文化財団 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業(地域の中核劇場・音楽堂等活性化事業)) 独立行政法人日本芸術文化振興会 特別協力:名古屋芸術大学
製作:合同会社 第七劇場
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お問い合わせ: 三重県文化会館 tel. 059-233-1122(10:00~17:00/月曜または月祝翌平日休館) 第七劇場 [email protected]
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住民の間で、クルド人の評判は悪すぎる。何も悪いことをしていない普通の生活を送る日本人が、勝手に居着いて問題行為を繰り返す外国人、この場合はトルコ国籍のクルド人に迷惑行為を受けて、恐怖、憤り(いきどおり)を感じている。これをおかしい、止めなければならないと、思わない日本人はいないだろう。
9人の意見を上下に分けて掲載する。掲載で連絡が取れなかった人もいるので、修正、削除などが必要な方は、ご一報いただきたい。また身元を明らかにしないなどの配慮から、事実の改変や修正をした部分が少しある。
そして外国人による迷惑行為は移民を拡大する岸田政権の下で、日本のどの地域の人も直面しかねない問題だ。読者の方は「明日は我が身」として、この問題を考えてほしい。日本政府、埼玉県、埼玉県警は国民を守らない。一体何をやっているのか。
目次
女性が拉致の恐怖に直面する
止まない車の暴走行為
日本人を「ヘンナガイジンガイル」と威嚇する子供
公園で放尿、脱糞する幼児
女性が拉致の恐怖に直面する
【20代、女性、大学生、川口市在住、メール】
父の転勤で川口市に高校2年の時から住んでいます。高校は変わりませんでした。引越しした直後に土曜日と週2日ぐらいの約束で、お小遣いのために、××(川口市内の地名)のコンビニで、アルバイトで働くことにしました。3年前(2020年)のことです
当時、街を歩くと中東系の人が多いな程度の感じでしたが、ネットで全く情報がないため、彼らがクルド人ということを知りませんでした。親も街の状況をよく知りませんでした。昼間は彼らの姿は今もあまり見ません。バイト初出勤の時に中東系の男たちが駐車場に集まっていて、気味悪いなあと思いました。そのうち数人が私の方をジロジロ見るのです。新型コロナが流行中でしたがマスクをしていませんでした。
そしていきなりお酒を買いにコンビニに入ってきて、2人が私に「トシハ」「ドコスンデルノ」とレジに立っている私に聞きました。酔っ払っているようでした。日本語は下手でした。私は会計だけを処理して会話をしませんでした。
高校生だったので、6時に勤務時間を切り上げることになっていました。仕事が終わり、自転車で外に出て少し走ると、横に白い乗用車が停められ、一人の男が車を降りて、前に立ち「コンバンワ」と話してきました。車には一人乗っていました。つけてきたのでしょう。おそらく、バイト先で見た男のようでした。前に男がいて右���車があり、横は原っぱで、動けない状況になりました。
秋だったので、すでに日は落ちて暗かったです。私は怖くなって「誰か助けて」と大声で叫びました。すると日本人の運転する車が止まって「どうしましたか」と、窓から顔を出して、声をかけました。2人は「ナンデモナイヨ」と言って、車に乗って走り去りました。私は運良く助かりましたが、もしかしたら拉致されたかもしれません。本当に怖いです。
警察には通報したのですが、話を聞いて、何度か安全確認の電話があって終わりでした。「事件にするのはこれだけでは難しい」と言われました。車のナンバーは、覚えていませんでした。とても怖かったし、バイトは翌日から行くのをやめました。その後のストーカーなどはありませんでした。バイト先と家は離れているので、この男たちはその後、見たことがありません。防犯カメラに顔は写っているはずなので、なんで捕まえられないのか、不思議に思いました。
思い出すたびに今でも腹が立ちますし、怖いです。このような話はあまりしたくなかったのですが、高校の女性の友人に数ヶ月後にすると「私もクルド人らしい中東の男に追い回され、怖い目に遭った」という話が次々に出てきました。
止まない車の暴走行為
【30代、男性、自営業、川口市前川在住、取材】
生まれた時から川口市の前川に住んでいます。私一人で暮らすのはいいのですが、家族が心配です。引越しを考えています。もともと静かな街で、私の家の一画にはクルド人は住んでいないのですが、街中での違法、暴走運転が怖いです。警察のパトロールは増えたのですが(インタビューは9月)、彼らのひどい運転は変わりません。現地では「クルドカー」と言う言葉もあります。��ルド人らしい人が危険運転をする車です。
悪いことしているのは、いつも同じ車のようです。道路には監視カメラがあるのですが、なぜ警察は逮捕しないのか不思議です。前川地区は、まっすぐな道が多いのでスピードを出しやすいのです。昔は日本人がスピード違反をして、警察が待ち伏せし、すぐ捕まえていました。ところが今、警察はクルド人の暴走をなぜか捕まえません。
クルド人は、地域から孤立していて、コミュニケーションがありません。自分の住んでいる場所だからか、この近辺で盗みなどはしないようですが、騒音でトラブルになっている家の話は聞きます。何度言っても変わらないようです。解体業で儲けている人はいるようですが、大半の人はあまり生活が良さそうには思えません。それなのに、車だけは高級車、もしくは型落ちの高級車に乗っています。
クルド人の車の暴走が目立つようになったのは2年ぐらい前に思えます。ただ、その前から変わった人たちでした。
5年ほど前、歩きながらキャンデーを食べていて余ったので、クルド人の小学生ぐらいの男の子たち4人が公園にいたので、「あげるよ」と言い、年長の男の子に袋を渡しました。深い考えはありませんでした。日本人の感覚だとみんなで分けようとするでしょう。すると年長の子が独占をしようとして、よこせと他の子が騒ぎ、異国の言葉で掴み合いを始めたのです。そして年長の男の子が、袋を持って走り去りました。小さい頃から協力したり、他人に配慮することを知らないのだと、驚きました。不思議な人たちです。
日本人を「ヘンナガイジンガイル」と威嚇する子供
【60代男性、川口市芝在住、メール】
私は離れたところで警察に状況を説明しました。それで終わりです。帰りがけに、公園をのぞくといなくなっていました。ただし、翌週、公園を遠くから見ると、また子供たちがたむろしていました。同じグループでしょう。
クルド人の子供たちが学校に行かずに、川口市内を集団でうろうろしています。何をしているのかはわかりません。この近辺では、クルド人らしい子供による商店、コンビニでの万引きの話を聞きます。子供たちが放置されています。こんな子供たちが成人になっても、日本に居着くことが心配です。フランスで移民による暴動が今年7月にあったでしょう。暴動を起こしたのは、同化しなかった2世、3世と、石井さん(筆者)の記事で知りました。同じことが川口で起きてほしくありません。
公園で放尿、脱糞する幼児
【30代女性、川口市在住、取材】
クルド人の母親たちが変わっています。20歳前後の若い人が子沢山でいます。そして男は片言の日本語が話せますが、女の人は話しかけても無視し、また日本語がほとんど話せないことが多いです。家にこもっています。
近くの〇〇公園(蕨市内の公園)では、クルド人の小さい子供たちが砂場を独占したり、日本人の子供のおもちゃを奪ったり、公園内で放尿や脱糞をするので、困っています。親がその場にいない時もあるのです。それで私たち日本人の母親がクルド人の若い母親に抗議をすると「ニホンゴワカラナイ」と言って抗議を無視します。躾(しつけ)をしていないのです。
日本人の数が多くなると、クルド人たちはいなくなってしまいます。この1年では、日本人がいなくなる夕方遅くから夜の8時ごろまで、クルド人の子供と母親たちが公園に出てくるようになりました。そこで子供も大人もゴミをポイ捨てします。
以前は、母親たちが夜、子供と公園に集まって、夜10時ごろまでべちゃくちゃしゃべっていました。うるさく迷惑でした。石井さん(筆者)の報道と、市議会の外国人犯罪の取り締まり強化の決議の後の7月ごろから警察がパトロールするようになって、謎の夜のピクニックは見なくなりました。
この公園では、クルド人のボランティアが、清掃活動をしたことがあります。変だなと思ったのが、その掃除の翌日に、クルド人の母子たちがゴミを散らかしていたのです。日本人だったら、そうしたことを気遣いますよね。クルド人同士で連絡が取れていないのか、他人の良い行動に関心がないのか、不思議な人たちです。
はっきり言うと、困った人たちです。政府は川口市の私たちにクルド人を押し付けるのではなく、入国を止めてほしいです。
「教育が壊れる(下)」に続く。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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2023.03.27 国家資格である介護福祉士試験に合格しました。
54歳から介護の仕事を始め、58歳にて介護福祉士の資格を取得しました。今話題のリスキリングの典型例です。大学受験以来40年ぶりに試験勉強をしました。
1.勉強方法
試験前6ヶ月間で計画を立てました。
8月~10月、実務者研修受講。
11月~1月、試験勉強。
テキストは
・『介護福祉士完全合格過去&模擬問題集2023年版』翔泳社
・『介護福祉士完全合格テキスト2023年版』翔泳社
の2冊を使用しました。
2.試験攻略法
125点満点中60%の75点が合格基準点。その年の出題難易により合格最低点は補正され、これまで最高でも78点であったため、80点以上取れれば合格できます。勉強しなくても60点は取れますが、勉強しないと80点は取れません。勉強すれば100点は取れる試験です。選抜試験ではないので高得点を取る必要はありません。むしろ25問は捨て問として、いかに確実に100点を取るかが攻略法です。実際の得点は106点でした。
3.介護の仕事を始めたきっかけ
35歳でアーリーリタイアし、20年間FIRE生活を送っていました。4年前に所有している不動産のテナントを募集したところ、千葉県最大規模の訪問看護・介護事業所様より障害児向けの放課後等デイサービスの開業をしたいというお問い合わせを受けました。この案件は成約しませんでしたが、こうしたお問い合わせを受けるということは、その物件がデイサービスを開業するのに立地が適しているということであり、それなら自身でデイサービスを開業できないかと考え、介護業界について調べてみました。
すると初任者研修という資格があり、業界の勉強のため資格取得を考えました。そしてカイゴジョブアカデミーに資料を請求したところ、折返し電話があり「小川さんなら受講料はいりません、話を聞きに来ませんか」とのこと。「え、5万円の受講料がいらない!どういうこと?」と思い、話を聞きに行くと「特待生で受講料はいりません。その代わり受講期間中に、こちらが斡旋する事業所の面接を受け内定をもらってきてください」とのこと。「ああなるほどね。その事業所から紹介料が入り、その一部が受講料に当てられるわけね。」ということで翌日から何もわからないまま、飛び込み面接。そして2019年4月にオープンした西船橋の特別養護老人ホームに入職すること��なりました。その後、2021年4月に自宅の目の前に特養がオープン、転職し、現在はこちらの施設で介護職員をしています。
4.介護業界の率直な感想
介護業界は一言で表すと「ブルーワーカーとお局様と外国人」の世界です。当初はこの業界には全く馴染めませんでした。伝達事項は「張り紙」と「ノート」。連絡手段は「電話」と「FAX」。パチンコと競馬が趣味のブルーワーカー。PCが使えないお局様。日本語が話せない外国人。ああこういう世界もあるんだなと毎日���社会勉強でした。仕事の内容も認知症の高齢者の食事、排泄、入浴といった日常生活のお世話であり、やり甲斐や楽しさを感じたことは全くありません。国家資格である介護福祉士の資格を取得しても非常勤(パート)の場合、時給1200円以上の求人はありません。こういう業界ですから慢性的な人手不足でブラックであり、若い人には絶対おすすめしません。
5.介護の仕事をして良かったこと
こんな介護業界ですが、介護の仕事をして良かったこともあります。1日中立ちっぱなし、歩きっぱなしのため、自身の健康促進に繋がります。また利用者を毎日移乗しているため人生で最も筋肉が付きました。集客や売上のノルマがないため精神的には楽ですし、シフト制なので自分の担当時間が終われば帰宅できるため予定が立てやすいです。無理せず体力が続く範囲で仕事を続け、休日は好きな音楽ライブに行って楽しく過ごしていければと考えています。
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2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話に基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
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7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間で、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
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12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子��味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。
14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては��地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
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16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。
最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を��していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらない飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
ー
その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消防団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- 鷹取愛 40 山ト波 @opantoc
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240514 CIRCULAR MOTION
自分の同類と、未来でバカになっちまった自分へのヒントとしては...
自分のSNSタイムラインを「作品」と評せるレベルまでポートフォリオ&読み物として作り込む、いざとなればここに逃げ込めばなんとかなるという「城」を持つ
「作品」と化したSNSタイムラインの中に(自分にとって好ましい)他者との「建設的対話ログ」を取り込む
それですべての状況は(ポジティブな方向に)変わるし、それでしか今のネットにおいて自己アピールする方法はない
自分はまず影響力クッッッッソ乏しいこのTumblrでその練習してからFANBOXを「城塞」化、pixiv上での所属欲満たした上で、アウェーなXのタイムラインを「作品化」していった
交流はしてもよいが「好ましい相手を自分の作品の中に取り込む」という意識で関与しなければ、ダメ
誰とでも仲良くしてはダメ。差別意識や好意に基づいてアレするというよりかは自身の哲学と美意識に基づいて人間関係を「デザイン」する
人間関係をコンセプチュアルに整理 / デザインするというと鼻につく人も多いだろうが、まずはそういう「視点」を見せつけていく事が大事
「人情」的なものはTLを作品化したあとで小出しにしていけば十分
そしてTLを作品化するにはコンスタントに500~3000いいね取れる「圧」を持った作品群が必須となる
なのでその「圧」を作れない人間にとって上記アプローチは無意味だが、版権絵描いて3枚に1枚は1000いいね取れるポテンシャルある人間であれば全然やりようはある
ただ、そこからマネタイズに繋げるのは「非エロ」では困難
理想はパトロン系サイトで毎月コンスタントに5万稼ぐこと
それを3年以内に実現する事を目標に動けばいい
知り合いの健全垢フォロワー1000以下の人はパトロンサイトで差分付きエロ絵描いて月10万稼いでいる(始めてたった3ヶ月。技量 / 生産量は自分の1/4くらいで)
夢あるなあ...って思った。僕はブランディングの都合でエロ系でなんかやるのは難しいけど。ある程度歳いってて失うもんなんもなくて、少なからずイラストやエンタメの方でなんかやっていきたいならそういう選択肢もあるよって話。あと、一回イラストでちゃんとお金得たら、同じように稼いでいる仲間がどんどん見つかって輪が広がるので動きやすくもなる
まずはちゃんと作品作って、SNS上で自分の作品インフルエンスしてくれそうな影響力デカそうな人をフォローした上で誠実かつコンスタントに作品を発信していけば結構早いタイミングで「良い流れ」に乗れると思う
古(いにしえ)のホームページ時代のように「自分の城」で待ってるだけではダメ。やっぱメジャーSNSのTLをポートフォリオ化して「営業」しないと...
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ゆな先生
@JapanTank
フォロー
【入国拒否された女性の話】 あるインフルエンサーがハワイで入国拒否され、日本に強制送還された話。 売春目的と判断された説、観光といいつつインフルエンサーの仕事をするから説、そもそも売春婦の履歴がある説、様々な意見や分析があるがその経緯と可能性を考えてみよう。 【日本人売春婦の増加】 かつて韓国人やタイ人などが海外売春しまくっていたのは有名だが、貧しくなり貞操観念も崩壊した日本人女性の売春婦も非常に増加した。 日本で梅毒感染者数が爆発的に増えているのも、売春増加説の有力なデータである。 日本でもパパ活という名目で実際は売春をしている女性はかなりの数に上り、東京でバーやレストランに行くと、明らかに夫婦でも上司部下でも夜の店の関係でもない中年男性と若い女性(プロではない)が食事をしている様子を見る機会は増えた。 我が国の世界に占めるGDPの割合は、1995年をピークに毎年右肩下がりであり、今や1人あたりGDPはシンガポールの3分の1、アメリカの半分であり、購買力平価での1人あたりGDPでは���国にも抜かれている。 株式投資をする人はぜひサイゼリヤの決算書を読んでほしいが、サイゼは日本では全く利益が出ていないが、どんどん海外進出し海外店舗で利益を出せている。 サイゼと同じように、売春婦たちは貧しくなった日本にとどまらず、海外に進出していったのは当然であった。 Twitterで #海外出稼ぎ と検索すると、売春婦を募集している業者や、成功した売春婦に偽装したアカウントが出てきて、連絡を取ってみると売春婦斡旋業者だったりすることも多い。 【売春の場所】 海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった。 よくインスタで何の仕事をしてるか収入源も不明なキラキラSNS女性が、ドバイの高級ホテルでの滞在を投稿してたりすることがあるが、大体は売春か、パパ活である。 1回行って1ヶ月で数百万稼いで帰ったりできるし、日本にいるフォロワーには高級ホテルに滞在している自慢をできるので一石二鳥だ。 本人たちは売春していることをインスタフォロワーに気づかれていないと思ってるかもしれないが、私は随分前から、女性が誰と来てるかを明かすこともなくドバイによくチェックインし、高級ホテルの投稿をしている場合、売春かパパ活をしてる者の可能性があると思って見ていた。 【なぜその国が選ばれるか】 ではなぜドバイやシンガポールが選ばれるかを解説しよう。 ドバイやシンガポールは税金が非常に低く、特に株式売買に関わる税金がない。 日本では高所得ならば所得税+住民税で最高55%、株式売買利益にも20%の税金がかかるので、高収入や金持ちの日本人はドバイやシンガポールに引っ越す人も増えてきている。 例えば年収5000万の人の場合、日本では単純計算で手取りが半分の約2500万円になってしまうが、シンガポールでは最高税率が22%なので、3900万円になる。 ドバイならば所得税0%なので、5000万円がまるまる手取りになる。 またシンガポールは日本との時差は1時間、ドバイも5時間であるので、北米や欧州と比べると時差が少なく日本の客に対するビジネスもしやすい。 それゆえに、富裕日本人の海外引越し先として選ばれていた。 また、シンガポールとドバイは法人税もべらぼうに安く、日本と犯罪者引き渡し条約もないので、グレーゾーン界隈の怪しい人々が引っ越すには最適な土地でもあった。 反社属性がある金持ちは当初シンガポールに住んでいたりしたが、シンガポールも当局が厳しくなってきたので、最近は当局の監視が甘いドバイに引っ越す人も増えてきた。ガーシー事件でも日本の警察当局の手がなかなか及ばなかったのは記���に新しい。 【女性の不足】 しかし広いマンション、治安の良い街、日本食が手に入るスーパーがなどがいくら整備されても、現地の世界一ブスが多いと言われるシンガポールで東南アジア人を抱いても嬉しくないし、中東ドバイではイスラム系国家で抱ける女性も少ないわけで、日本人女性の存在は貴重である。 そこで日本から若い女性を空輸していくビジネスが必要とされるわけだが、それが海外売春斡旋業者であり、日本人売春婦たちである。 日本では数万円でしか買ってもらえない女性でも、海外ならプレミアがつき10万20万払う人もいるし、日本で売春をすると知り合いに目撃されてバレたりする可能性もあるが、ドバイやシンガポール現地に住む日本人富豪や、上海などで金持ち中国人相手にすると金払いもよく、バレにくい。 何よりインスタで旅行に来てるセレブ感も出せていいねも稼げるので自己承認欲求も満たされ、都合が良かった。 また、ハワイやロサンゼルスなどは現地に住む日本人(金持ち)が多く需要が高いのは言うまでもない。 中国では、若い頃から日本のAVを熱心に(違法に)見ていた世代が大人になった。 日本人女性に対して様々なプレイができると妄想を描く男性も多く、日本に来て女体盛りをしたり、わざわざ風俗店に来る中国人男性も多く、AV女優の蒼井そらが「蒼井そら先生」と長年中国で敬愛されてきたのも知っている人も多いだろう。 【警戒する当局】 売春婦が国に入ってくるのに寛容な国もあるが、アメリカのように昔から東南アジア人の売春婦を問題視していたり、違法就労目的で観光ビザで入国しようとしたりするのを警戒したりしてきた国の入管当局も馬鹿ではない。 売春には常に裏社会の人間がついてまわるので、裏社会の資金源になり、それは国内の治安悪化をもたらす。 かつては国力が強かった日本は、日本人は日本で働けば高い給料が得られたわけだし、売春婦も日本人に体を売っていればそれなりの待遇が得られたわけなので、わざわざアメリカへいって違法に働こう、売春をしようという人は少なかった。 実際、1995年の日本全体のGDPは、米国を100としたときに70もあった。 2023年現在、アメリカGDPを100とした場合、中国が70、日本が17である。 日本のGDPが中国に抜かれて世界3位に転落するかもと騒いでいた時代はそんなに昔ではないはずだが、それだけ日本が没落し、今年は、かつて2倍以上の差をつけていたドイツに抜かれる可能性も出ているのは、今始めて知った人もいるだろう。 今は米国で金を稼げば日本より遥かにたくさんもらえるわけで、結果として日本からアメリカに観光や出張で行く人以外に、(1)売春婦 (2)就労目的者 の2種類が増加した。 日本人がかつての東南アジア人になったようなものである。 今も世界最強のパスポートであることは変わらないが、それは日本人がこれまで強い経済力と低い海外犯罪率で培ってきたもので、要は昔の日本のサラリーマンのおっさんたちが、必死に稼いで物を作り輸出して外貨を稼いで築いてきた結果であり、日本人がビザなしでどこでも海外旅行にいけるのは、彼らのおかげである。 私が海外に行くとき、日本のパスポートだと顔パス状態で、後ろにいるアフリカ系やイスラム系の人がくつを脱がされ荷物をすべてチェックされて、多くの書類を提出している、というシーンに出くわすことは少なくないが、日本が貧しくなっていき、海外での違法就労や犯罪を増やすと、彼らのように扱われる日が来ないわけではない。 【警戒される人】 国力が強かった時代は、現地語も英語も全くできない物見遊山のちゃらんぽらんの日本人が細かな予定を決めずに入管に来ても、悪さはしないし自国で金をたくさん使ってくれるだけだったのでどの国も顔パスで入国させていた。 しかし、貧しい国となり、違法就労や売春目的が増えるとなると相手も態度が変わるわけで、それが今回の女性の入国拒否にもつながる。 今回入国拒否されたということは、同じようなペルソナ、つまり (1)女性の一人旅 (2)目的が曖昧 (3)滞在先が不明瞭 (4)本人の仕事が不明瞭 (5)英語も怪しく教育水準も怪しい などは典型的な売春婦または違法就労者のスペックと扱われ始めたということであり、日本人だらけのハワイでも拒否されたということはハワイの現地に売春や違法就労目的で入る日本人女���が増えてきたということになる。
【今回の女性】 今回の女性は、入管に対して下記の特徴があったと自白している。 (1)32歳女性で一人でハワイへ (2)会社員をしていると当初嘘とつき、のち「インフルエンサー」とゲロる (3)宿泊するホテルを自分で予約していない (4)滞在日数に対して妙に多い服を持っている (5)服が多い事に対し、「着替えて何枚も写真をとるから」と回答 「これで売春婦扱いか」と驚く人もいるかもしれないが、この人が日本人ではなく貧しいアジアの発展途上国の女性であったなら、売春婦であるか違法就労のどちらかと認定されてもおかしくないのは想像がつくと思う。 しかも職業を当初嘘をついている。 また、今回は売春婦扱いなのかの最終的な結論はわからないが、インフルエンサーと回答しておいて「着替えて何枚も写真を撮る」というのも猛烈に馬鹿な話で、インフルエンサー業務をアメリカでビジネスビザもないのに行おうとしていると認定されて拒否されたとも考えられるわけで、売春、違法就労どちらの可能性もある。 今回入国拒否された自称インフルエンサーの女性は、わざわざ顔を出してテレビの取材を受けていたが、テレビ朝日の取材では、当初職業を嘘をついたことは伏せていた。 岡島カレンさんという人で、インスタアカウントも公開されているのでぜひ見に行ってほしい。 当人のインタスタアカウントは、キラキラした毎日と言われたらそうではあるが、ホテルのベッドの上で撮影した写真や、水着の写真など、典型的なドバイの売春婦インスタと同様の雰囲気がプンプン出ていて、「売春で生活しています!」と書いてあっても違和感はない。 これを現地のアメリカ人入国管理官に見せても、売春婦だな、と思われてもおかしくはあるまい。 【今後】 今日もカンボジアで日本人特殊詐欺集団が20人逮捕されたと報道があったが、かつて海外で犯罪をする日本人がこんなに増えることになるとは誰も想像していなかったと思う。 外国人が日本で犯罪をするし違法就労が多いから、制限しろ!と思う人のほうがまだ多いだろう。 しかし、まず日本人売春婦、そして日本人犯罪者らが海外に暗躍し、日本人が貧しくなり金を落としてくれないとなると、当然「日本人だから問題ないので顔パス入国」は今後は減っていく。 特に日本人売春婦の多さは、結果として女性が女性の首を締めている。 これまで外貨を稼いで日本を発展してきた人たちがいて、今も世界に自動車や電子製品を輸出し外貨を稼いで、信頼を得てその積み上げてきたものがあって、日本人は海外にいけるのであるが、日本人売春婦がぶち壊し、真面目に生きてきてやっとの思い出ためたお金で旅行に行く善良な日本人女性の旅をぶち壊すことになる。 貧しくなればなるほど日本人がビザなしで出ていける国も減り、警戒され、いつか貧困を極めたら入国管理官に屈辱的な入国審査をされる人ばかりになりかねない。 今回の女性は「私は被害者で悪くない!ぴえん!!」とテレビで顔出しをしてまで名前を売ろうとしているが、入国管理官に嘘をついていたのがまず大問題だし、インフルエンサーであるのに観光ビザで入ろうとしているし、結果として売春婦か違法就労者と思われたわけで、また一人日本人の名声を落とすことに加担したことになる。 海外で犯罪をしたり違法入国しようとする者が増えるのは、島国であり海外で商売をしないと生きていけない極東の資源のない日本国民にとってマイナスでしかなく、今以上に重罪として扱われるべきで、今後私達は同様の行為について影響を考え、厳しくあたっていくことが求められる。 【ハワイの豆知識】 ハワイの豆知識だが、ワイキキビーチの白い砂浜は、あれは全部他の場所からダンプカーで持ってきているものであり、元々砂浜ではない。 そしてハワイNo.1の名門ホテル「ハレクラニ」は三井不動産の、「カハラ」はエクシブを展開する日本のリゾートトラスト社の、「モアナサーフライダー」は国際航業の所有である。 「やっぱりハワイのホテルは違うねー」と言う日本人がいても、ただ日本企業が日本人に部屋を貸してるだけでしかないので要注意。 国際航業の元社長・故・小佐野賢治氏は、外為法で外貨持ち出しが厳格な時代にハワイの不動産を多く買収した人物だが、国会で「記憶にございません」という答弁をして有名になった人でもある。
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当日からは10日強も経ってしまったけれど色を塗りました。
そらうた発売20周年おめでとうございます。
この件に言及している方はネット上に何名かいらして(失礼ながら決してメジャーなタイトルではなかったため)嬉しくは思いましたが、この気持ちを共有できる具体的な場所があるわけでもないのでこうしてネットの隅でお祝いします。
以下、語ります。
2004年の11月にこのゲームをプレイして大いに感銘を受け、時期を同じくして同ゲームをプレイした友人と共に冷めやらぬ熱の赴くままに翌年の初夏に四国は観音寺(※)まで向かった経験が今の自分の人生にもつながっているため、個人的には思いのあるゲームです。ガルクラの仁菜にとっての旧ダイダスみたいな感じです。観音寺の名を初めて認識し、四国上陸も初めてで、そして香川を好きになったきっかけでした。
(※:作中の台詞で何度も地名を断言されていたため。発言は佐倉知夏によるもの。大野原、豊浜との合併前の旧市域)
また、主人公の名前が「小西道隆」だったので、道中の多度津で「道隆寺」をみつけた時には友達と大笑いしました。著名な八十八ヶ所札所なのにまったくの無知だったので「どうりゅう…?……みちたかでら!」と。まぁ、ここから主人公の名前を取ったとかではなく、あくまで偶然の一致でしょうけどもね。
そして作中そのままの景色は観音寺市にはなかったのですが…台詞では「四国は観音寺」と断言しているわけですし、ゲームでの背景は創作で描かれた架空性の高いものなのだろうと。
少なくとも2004年発売当時、四国に「観音寺」と名のつく自治体はあそこしかなかったはず。字(あざ)なら他にもあったかもですが作中台詞のニュアンスから考えても字の名をそこまでフィーチャーするとも思えず。
シナリオの中では銭形砂絵やカト○チはおろか、そうめんは出てくるのにうどんすら出てこないので観音寺どころか香川要素すら限りなく0だった、と。
天空の鳥居も今でこそ有名ですけど当時はSNSはmiなんたらしか存在しなかったので知名度も今ほどではなく、現地で話した方からも聞き及べませんでしたしゲームにも当然、出てはきません。
同じなのは砂浜があることぐらい?
ゲーム内の台詞に「砂浜までは街を抜けて駅前を通って国道を越える」みたいなものもあったのですが、当時の市域では室本の方と有明浜の2ヶ所しか砂浜はなかったはずなので、台詞の通りで到達できる浜はそもそも存在していなかったと記憶していますし、国道も11号と377号しかなくそのどちらも当時の市域の中からしたら海への距離はあったのでやはり全体的に実在性は薄いものだったとは思います。
それでも。
「実在はせずとも似た場所を見いだす」のは妄想力をかきたてて楽しかったので地名を断言してくれているのはありがたかった。
いまほど「寸分違わず作中そのままの聖地」が一般的ではなかった時代でしたし。
(いまの時代のコンテンツにおける聖地舞台地に���いては、あれだけ具体的に描写しておいて'実在の○○とは一切関係ありません'と言い張るのはそりゃあ関係はないだろうけども実社会への影響は生じうるし、危ないバランスの上で成り立っている文化だなと思う瞬間はあります)
まあ、それはそれとして。
今でも観音寺市に行く際にはゲームのサントラとC67までのドラマCDの音源データは持ち込んで聴いているので街への気持ちは健在のままです。形はレモンなのに味はいちごの果物とか夏祭りに向かうとか色々ありますが、現地では何度聴いても「あ〜この街にみんな住んでんだな〜」と。
20年も経つのでメインキャラクターのみんなは今は37歳で…たまねえや薫先生は45歳…全員昭和生まれかい。ラップトップは登場するのに当時の学生は持っていたはずの携帯電話は出ていなかったので時代設定が発売当時で合っているのかはわかりませんけどね。
キャラクターたちが今も観音寺で暮らしているとしたら普段は何してんだろうな〜とは思います。初詣は琴弾八幡宮なのかなとか、結婚するなら宇多津の方で式を挙げたり、遊びに行くときは綾川のモールは鉄板として、岡山や高松まで出たりするのかな、とか。子供がいたら100年先もあの場所にありたいテーマパークに行ったりしているのだろうな、とか。
ゲーム内にて「小西家は海の方で、佐倉家は山の方で尚且つ遠くはない」旨が語られていたので、ロケーション的には小西家は室本町のセロリ畑の近くとか、佐倉家は高屋町の段丘の方かなと推定したりもします。市南部の粟井地区も山側ではあるのですが海からはさすがに遠すぎるし両家とも七宝山近辺なのだろうなと考えます。
背景グラフィックと比較して「実際に市の南側は山脈になっていて山の稜線が途切れるはずないからこの画面の山は北側の山が最も印象に合うね」みたいな部分もあります。これらも楽しみのうちです。
累計で1ヶ月は滞在しているのでそれなりに生活者的な視点での解像度は高まりました。
その観音寺はすっかり勇者の聖地として盛り上がっている街で…あのジャンルで二次創作活動をしていたこともありますが、それはそれとして、��2004年のゲームの聖地として赴いているのは自分だけかなとか毎度思ったり。
ゲームについては真奈と葵ちゃんのシナリオが特に好き。2人とも訳ありなので今から思えばツッコミが脳裏に浮かぶ瞬間はあるものの。プレイ当時、絵的にはたまねえが一番好きでした。ただ、C67のドラマCDでの優遇ぶりからも本編シナリオの厚みからも、真奈が本当のヒロインには思います。20年経ってみて、ぼくも人間的に真奈が一番好きです。ああいう人とは楽しく生きていけそう。
この記事のイラストについては。
ずっと大好きだったのに全員がいわゆる初描きでした。
20代の初頭におそらく模写はしたことはあったのですが、自分の絵で書き起こしたのは初めて。
10年以上二次創作活動をしている身で、一番好きなゲームのキャラクターを描いたことがなかったので味わいは深かったです。描いている最中、ゲーム内でのやりとりやリアル観音寺市内を思い出しとても楽しく、自分は本当にこのゲームと観音寺が好きだなと改めて認識しました。
そして。薫先生、冴木先生、ともかちゃん、瀬戸内さん(本体)、みぃくん(本編の目隠れ君orC67の冊子)、画面に入らずごめんなさいね。
発売30周年の時に生きていたらまた描きます。
そしてまたこうして思いの丈を語ると思います。
いつまでも大好きです。
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目でしっかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな��えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活��理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属��ているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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2023年8月16日
・久しぶりになってしまった。前回書いたのがちょうど1ヶ月くらい前か。あんまり空けるつもりはなかったんだけど、本当に忙しい期間があって、その後はPCがない環境にいたから書けなかった。ある程度長い文章はPCから書くクセがついちゃったのでもうスマホから更新できなくなっちゃってる。
・月末はいくつかのレポートと試験に追われてて、それが終わった瞬間流れ込むように帰省して同時に私の最後の夏休みが幕を開けた。帰省期間はたくさんの地元の友達に会えたし、はじめましての人とも飲めたし(Twitter上のファンコミュニティで知り合った人。私ははじめましての人と飲むのが好き)、両親双方の実家にも挨拶にいけたし、色々できたので達成感がある。小・中学校の頃の友人と飲めたのが嬉しかった。キツめの恋愛をしてきたらしく、エグい元カノの話をしながらレモンサワーを飲む姿を見て、うちら7年の間に順調に歳を重ねていて最高だねって思った。あとおばあちゃんに内定をもらったって直接報告できたのも嬉しかった。残された時間を数えるようなことはしたくないけど、それでもそこに確実にあるものから目をそらすことはできない。
高校の友人から「横浜に帰ってくるときは早めに盛大に言ってくれ」というようなことを数度言われ、今までのじゃ足りてなかったか…と認識を改めることになった。次からは狼煙をあげて鐘を鳴らして私の帰省を世界中に知らせることにする。
・最近なんか急激に自分の周りで「老いていくばかりなら○歳になる前に死にたい」系の主張を耳にする機会が増えてて、ちょっと不安になる。私は美しさに肉体的な若さは関係ないと本心から思ってて、10歳の頃の自分より20歳の頃の自分のほうが、その10年間たくさん悩んでたくさん笑ってたくさん苦しんできたのを知ってるから愛おしいし、30歳、40歳、50歳、そのさきずっと老いていく自分も楽しみだから、友達が「50歳になる前に死ぬ」とか言ってるのを聞くと寂しくて仕方なくなる。一緒に老いようよ。私は50歳になったあなたも会いたい。わかる?これって他人事だから言えてるんじゃないんだよ。もちろんなんの責任も取れないわけだけど。世界は若さをなんらかの価値の指標に置くのをやめて、もっと円熟の美に目を向けるのも良いと思う。
もちろんこの主張が美の喪失への憂惧のみに基づいてることは少なくて、もっと、たとえば身体能力の劣化やこの世に取り残されることへの恐れから来ているケースも十分にあることは理解している。ただ前者だけを理由にして本気で老化を嫌がっている人もいて、そんなのってさ…と思う。
・日付が変わって今日、ライブがあって九州に行く。人生初なので楽しんでくる!結局2泊することになった。また書く。
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最新ライブ情報のお知らせ♡
3月3日(日)板橋ファイト!
〜もじゃもじゃヘアーの斎藤慶さんと初めての企画ライブ!!けいさんの歌から溢れ出す世界観と魅力をぜひ堪能していただきたいです♡貴重な?!コラボ&トークもぜひお見逃しなく🎵おまな様より〜🎎
上野まな×斉藤慶「まなまつり〜モジャモジャ様とおまなさま〜」Open 12:00 / Start 12:30 出演:上野まな / 斉藤慶 チケット¥3,500(+1Drink)配信 ¥2,500(アーカイブは2週間) サポート:ギター渡辺淳
※入場順はチケット&予約番号順でのご案内となります。
▶︎ご予約はこちら( 後日、チケット番号のお知らせメールをお送りします。)あと1,2名様でSOLD OUTです!! 30名様限定♡
▶︎配信チケットはこちら↓
画面越しからのご参加も喜んでお待ちしております!🥳
3月10日(日)川崎銀座街商店街
13:00スタート・観覧無料 前日までに時間発表!
3月17日(日)東京音実劇場
「想い出がいっぱい同窓会3マン」 開場12:00 / 開演12:20 チケット前売 ¥3,500 当日 ¥4,000(+別途1Drink) 配信 ¥2,500円+システム利用料(後日お知らせ!) 出演:伊藤さくら / 上野まな / 松岡里果 ※入場順は11:50〜整理券(シャッフル)配布。 サポート:ピアノ瀬田創太
▶︎ご予約はこちら(完売となりましたが、全体でまだ空きがありご予約受付中です❣️)
3月20日(祝水)名古屋サンセットブルー
〜春の名古屋の夢の如し〜 出演:小野亜里沙 / 上野まな / けいこ / marina Open 11:30 / Start 12:00 Ticket:¥3,800(+1drink)配信¥2,500 ※入場は整列順となります。
3ヶ月ぶりの名古屋!marinaちゃんにお誘いいただきました!
〜名古屋にて打ち上げオフ会の開催決定‼️〜🍰☕️
ライブ終了後、近くのカフェで16時〜18時の間で行う予定をしています。近日中に詳細をお知らせ致します!!皆様のご参加お待ちしています🥳
▶︎ご予約はこちら
3月30日(日)神奈川・イオン海老名
店頭前ステージ・屋外フリーライブ 「Mana's recommend vol.4」 【時間・出演】 アルケミスト 12:30〜 / 14:00〜 上野まな 13:15〜 / 14:45〜
観覧無料・天候による中止有り Hosted by A.I.M.
またアルケミストさんとの共演が叶いました! 2ステージともぜひ遊びに来てください❤️🔥
4月6日(土)神奈川・厚木公園
あつぎ商和会主催 第47回ハトポッボ桜まつり 時間:10:00〜15:30 歌のステージ【出演】12:30〜松岡里果 / 13:00〜伊沢ビンコウ / 13:30〜アルケミスト / 14:25〜上野まな
観覧無料・雨天、小雨決行
◎A.I.M.さんにお声をかけていただき、13,4年ぶりの厚木公園(はとぽっぽ公園)でのライブです🎵上野まながブッキングのお手伝いをさせていただきました!素敵なメンバーで楽しみです🥳
4月7日(日)御茶ノ水パルトネール
「一周年月間〜アジアンタム〜」 出演:marina / 伊藤さくら / 上野まな OPEN 11:30 START 12:00 ADV¥3,000(+1order) 配信¥2,150 ※入場順は先着並び順の入場となります。 当日、ご来場予定人数が規定数を超える場合は整理券の配布が行われます。
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓(購入時には「��目当ての出演者名」のチケットをお買い求め下さい)
4月21日(日)川崎銀座街商店街
13:00スタート・観覧無料 前日までに時間発表!
4月28日(日)板橋ファイト!
ひいらぎ繭×上野まな2マンライブ♪~Energy and healing~ Open 12:00 / Start 12:30 出演:ひいらぎ繭 / 上野まな チケット前売り¥3,500 当日¥4,000 配信 ¥2,500 ※入場順は11:50〜シャッフル整理券配布。 サポート:ギター高田慶二🎸
〜いつも元気と笑顔をくれるまゆちゃんと、いつも癒しを与える?上野まなを掛け合わせて、まゆちゃんがタイトルを考えてくれました♡約1年ぶりの2マン企画です!都内の箱ライブでは実は初めての、ギター高田慶二さんとデュオでお届けいたします🎵〜
▶︎ご予約はこちら
5月12日(日)埼玉・フリーライブ予定
5月19日(日)銀座ミーヤカフェ🌿
上野まなPresents「The Green〜Aroma × Songs〜Vol.4」 Open 11:30 / Start 12:00 チケット前売り¥3,500 当日¥4,000(+1Drink) 配信¥2,800 出演:前田有加里 / 大森真理子 / 上野まな ◎グリーンをテーマにした精油の香りで空間を演出🌿💕
※入場順は11:15よりシャッフル整理券を配布。 サポート:ギター渡辺淳
アルバムリリースに向けての3枚目のシングル『3』発売!💿🎉
▶︎ご予約はこちら
5月26日(日)東京音実劇場
「SENA Yokohama mint hallワンマン企画Vol.1」 開場18:00 / 開演18:30 チケット前売 ¥3,500 当日 ¥4,000(+別途1Drink) 配信 ¥2,500円+システム利用料 出演:SENA / 上野まな / 伊藤さくら
※会場10分前にシャッフル整理券(シャッフル)配布。 サポート:ギター渡辺淳
SENAちゃんとは親子くらいの歳の差なのに、信じられないくらい落ち着いていて、いろんな未来の可能性や夢を見せてくれます✨SENAちゃんのワンマンライブに向けて、精一杯応援の気持ちをお届けしたいと思います❤️よろしくお願いします😊
また追加情報更新していきます!
どうそよろしくお願いいたします🥳
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