#1日1写で楽しませても委員会
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ー��=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
#persona 3#p3#ryomina#that tag's deserved i think#'Ryoji and Makoto are in love with each other. Aigis' feelings for Makoto are unrequited'#insane
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5社の就職試験を受け、なんと5社すべてから内定をいただきました。 誰にでもできるシンプルな作戦ではあるのですが、実際にやるとなるとすこし大変かもしれません。けれど、どうしてもコピーライターになりたかった私は、自分が編み出したこの方法を実践することで、内定がもらえるだろうという自信のようなものがありました。なぜならその方法は、日本中の誰も(きっと)やったことがない方法だと思っていたからです。 ということでさっそく、その手の内を明かしますね。こたえは簡単。 「写経」です。 わかりますでしょうか? 一般的にはお坊さんがお経をひたすら写し取る作業のことを指しますよね? コピーライターの場合もほぼ同じ意味です。「過去の(名作といわれる)コピーを手で書き写すこと」。これだけです。本当にこれだけのことを行うだけで、試験を受けたすべての会社から内定をもらうことができました。 ちなみにこの写経、コピーライターを志す人や、若いコピーライターなら、経験済みという人も多いと思いますし、上司から「やれ」と言われることもありますよね。それほど“ベタ”な方法なわけです。それでもこの方法で内定がもらえると自信があったのは、人とはちがうやり方を発見したからです。 前置きが長くなってしまいましたが、さっそく具体的な方法をお伝えします。 それは“圧倒的な量”をこなすことです。 あまりにも単純でしょうか? がっかりしたでしょうか? すみません… けれどもなぜわたしが、そんなサルでも思いつくような方法を実践しようと思ったのか。その経緯も説明しておきますね。 わたしは当時、宣伝会議が主催する『コピーライター養成講座』に通っていました。 (…) さまざまな講師の方に、“定点観測をするように”、尋ねました。 「コピーライターになるために今やっておいたほうがいいいちばんの練習ってなんですか?」 シンプルな質問です。答えの中でもっとも多��ったのが、さきほど紹介した「写経」だったのです。さらに偶然なのですが、当時読んだ広告業界への就職に関するの書籍の中で、ある人がこう言っていました。「コピー年鑑の1年分のすべての文字を書き写しました」。 よし、これだ! 未経験のじぶんがコピーライターになるための方法はこれしかない! そのときそう思ったんです。 けれど1年分じゃその人の真似で終わってしまいます。倍の2年分にしようか? いやいや、それだとインパクトは弱いかな…。思いきって5年分! うーん…中途半端? ということで結論、 10年分のコピー年鑑を写経しました。 これがわたし流の、すべての会社から内定をゲットした方法です。 さて、やるべきことは決めたものの、そのためにはコピー年鑑を入手しないといけません。ご存知の方も多いと思いますが、コピー年鑑といえば1冊約2万円!もする高額書籍です。若かったジブンが簡単に購入できる書籍ではありません。そこで近所の図書館を何件かはしごして、10年分を手元に入手しました。10冊すべてを自宅のデスクに積み上げると壮観でしたが、これをすべて写すのかと思うと、果てしない道のりにも感じました。 (…) さて、準備が整いました。コピー年鑑は最初から写していきます。TCC賞、審査委員賞、部門別コピー、新人賞という流れだったかと思います(現在の年鑑では新人賞が前の方に来ていますね)。とくに新人賞の受賞者は年齢や作品が大きく取り上げられていたので、勝手にライバル視していました。 また、ひとつの広告に絞ると、キャッチコピー⇒リードコピー⇒ボディコピー⇒そして小さな文字で書かれた注釈まですべてを写します。肉眼で見えない部分は、“100均”で購入した虫眼鏡を使って読み取りました。コピーの良し悪しなんて当時はまったくわかりません。それでもコピー年鑑に掲載されている時点ですべてお手本だと思ってひたすら作業を続けました。 (…) 写経の過程でたくさんの発見もありました。コピーを写すことでいいとされるコピーを知識として知ったということはもちろんですが、それ以外にも、毎年掲載されているコピーライターの名前は嫌でも覚えます。また、その人の文体までなんとなくわかってきます。細かい点でいうと、「ボディコピーってこれくらいの長さが一般的なんだな」など、そういった感覚もついてきます。10年分を通して見ると、じつは毎年同じような作品が掲載されていることも知りました。そのため作業に飽きてしまう日もありましたが、言葉を変えれば“飽きるほどやる”ということは、覚えてしまったということでもあありますよね。とにかくとても大切な経験だったと思っています。 さて、作業自体は楽しかったのですが、困ったこともありました。朝から晩まで写経を続けていると、8時間くらい経過したところで、目の前がチカチカして、軽い眩暈のような状態になるんです。遠近感がつかめず、立ち���みがするのです。心ではもっと書きたいと思うのですが、その症状が発症したら作業は終了と決めました。1日約8時間。1冊を写し終えるのに5日くらいかかっていたと思います。 10年分を3か月で写経完了! 写経したコピーが書かれたプロジェクトペーパーは、さきほども言ったようにパンチ穴をあけて、リングファイルのいちばん背幅が厚いものに綴じていきます。10年分ですから相当の厚さになります。重量も5kgくらいはあったでしょうか。 ちょうどその頃、養成講座も修了するタイミングでしたので、就職活動も開始しました。養成講座の受講生だけが見られる求人票や、マスメディアンのサービスを利用しました。当時は地方在住だったため、面接のためには上京の必要がありました。交通費をなるべく抑えたかったので、なるべく面接は1日にまとめるようにして、その結果、5社を1日で受けられるようにスケジュールを組みました。 ※書類選考は半分ほどの割合で通過しました。 “写経ファイル”は、キャリーバッグに入れないと持ち運びができないほどの大きさにふくれあがっていました。ですが、面接で毎回そのファイルを見てもらうと、必ずといっていいほどウケます。若干ひかれていたかもしれません。「なにそれ?」「こんなヤツ初めて見た」「誰もやったことないんじゃない?」「うちで決めちゃえば?」などなど…。手ごたえを感じるたくさんの言葉をいただくことができました。 未経験者がコピーライターという肩書きを手に入れるためには、どうすればいいのか。内定から逆算して行動できたことがよかったと思います。元々、学生時代に行った就職活動もけっこう好きでした。いろんな会社にタダで葉入れて、話が聞ける。そしてもちろんたくさん落ちました。そんななかで自分をアピールする方法を考えないといけないということも学びました。 どうすれば、「人と差別化できて」「インパクトを残せて」「いっしょに働いてみたい」と思ってもらえるか。 そういった視点で準備をすることが重要です。しょせん私自身は、実際としては“経験ゼロの若造”なわけですから。それでも「おもしろいヤツだな」と思っていただけると、次のステップに進めるのではないかと考えていました。結果としてすべての会社から内定をいただくことができましたが、正直そこまでの結果は予想していませんでしたけど。 この方法を実践すれば、すべての会社とは言わないまでも、ある程度の確率でいいところまで行けるのではないでしょうか。もちろんもっと楽でスマートな方法もあるかもしれません。でも、本当にかなえたい夢のためなら、努力はできると思います。逆に、これくらいの努力ができないのであれば、あなたはあまりコピーライターには向いていないかもしれません。 ちなみにわたしの場合は、電通や博報堂に入社することよりも、コピーライターになる方が重要でした。 結果として10年以上がたった今も、毎日楽しく働くことができていますし、「会社行くの嫌だなぁ」と思ったことは一度もありません!
未経験でコピーライターの内定を“確実にもらう”方法(実証済み!)|ai0167
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事件の経過 ※経過については、茨城県教育委員会の第三者委員会報告書(2019年)の内容に基づいて記述する。 いじめに関与した生徒は、女子生徒A、女子生徒B、女子生徒Cの3人だとされる。 自殺した女子生徒は成績上位で、またピアノを習っていて、校内の文化祭・合唱コンクールではピアノ伴奏者を務めたり他クラスのピアノ伴奏者が欠席した際には急遽代役を務め、また校外ではプロの交響楽団との共演コンサートをおこなったことがあるほどの実力だったという。ピアニストを目指し、音楽科の専門高校への進学を希望していた。同級生からも教員からも「争いごとなどを好まず、真面目で穏やかな性格」などとと評されていた。 3年進級の際、女性教諭(40代)が担任のクラスになった。小学校時代から仲のよかった友人とは別のクラスとなり、出身小学校も異なりそれまで特に接点がなかったとされる女子生徒Aと同じクラスになった。 Aはこの女子生徒に接近した。Aは生活指導面での課題が多い・乱暴な物言いが目立つとされていた生徒で、この女子生徒と一緒にいる様子には周囲から違和感をもたれていたとされる。 携帯電話事件 女子生徒は、2年の時に同じクラスで親しくしていて3年進級後にほかのクラスになった生徒とともに昼休みを過ごすグループを作り、そこにAが加わる形になった。しかしAが2015年6月、携帯電話でその様子の写真を撮影して無断でSNSにあげるなどの行動を取った。 そのことを把握した学校側は、校内持ち込みを禁止されている携帯電話を持ち込んだとして、Aに指導をおこなった。その際にグループの生徒についても指導をおこない、担任教諭はその場にいただけの女子生徒やほかの生徒についても「連帯責任」「近くにいただけでも、携帯電話を持ち込んだAと同じように悪い」とした。 携帯電話事件をきっかけに、昼休みを過ごしていたグループは「たまたまそこに居合わせただけなのにAの行為の巻き添えになった」という不満もあり、自然消滅する形になった。女子生徒もAと距離を置くことを図った。 しかしAが「この女子生徒から無視された」と言いふらすなどした。別の女子生徒Bもそれに同調した。女子生徒は「不本意な悪口を振りまかれたくない」と追い詰められ、Aに再接近した。 席替え事件 担任教諭は席替えの際、生活指導面で課題のある生徒の近くに、「その生徒の面倒を見る」生徒を配置する方策をとった。 女子生徒は、課題のあった男子生徒Dの隣の席になった。そのことで女子生徒とDが会話をするようになると、Dに好意を持っていた女子生徒Cが嫉妬し、女子生徒に敵意を向けるようになった。またA・BもCに同調し、女子生徒に対して、これ見よがしにひそひそ話をしたりなど、揶揄するような行動を取った。 休み時間にDと話したいからこの女子生徒が自席にいると邪魔とするCの要望を受け、休み時間になるとAとBがこの女子生徒を連れ回すようになった。 担任教諭は、その後��複数回の席替えでも同様に女子生徒をDの隣の席に配置し続けた。 その他のいじめ A・B・Cは、女子生徒に対してそのほかにも複数のいじめ行為をおこなった。 「くさや」とあだ名を付け、連日のように女子生徒のことを「くさや」と呼ぶ。 AとBが女子生徒のことを「くさい」などと悪口を言いふらし、ほかの生徒のところに女子生徒を連れて行って女子生徒の手のにおいをかがせ、「くさいんじゃね」などと中傷した。 体育の授業でバスケットボールのチーム分けをした際、Cが主導し、この女子生徒だけを故意に外すように仕向ける。 女子生徒の卒業アルバムに、AとBがこの女子生徒を中傷する文言を書き込む。 担任教諭の指導 女子生徒は従来は授業への遅刻などはなかったが、加害生徒A・Bに連れ回されるような形で、2学期以降は授業に遅刻してしまう状況も生まれた。担任教諭が担当する英語の授業に3人が遅刻した際、担任教諭はこの女子生徒だけを教卓の前に呼び出してクラスの生徒の前で叱責するなどした。 このクラスでは受験対策として放課後に居残り授業もおこなっていた。しかし女子生徒がピアノのレッスンのために参加せずに帰宅しようとすると、担任教諭は「ピアノばっかりやっていても仕方がない」などと女子生徒に嫌みを言ったこともあったとされる。 同級生によると、「担任教諭も女子生徒に嫉妬していたように見えた」「Cの嫉妬で激しくなったいじめだが、担任教諭が加勢した形に見えた」という。 担任教諭は1学期の進路指導の際、私立高校音楽科を第一志望とした女子生徒に対して、単願ではなく県立高校音楽科との併願を薦めた。当初は単願のつもりで準備していた生徒・保護者は進路指導を受けて、形式的にでも併願するという方向性に変更すると、教諭は「私立が第一志望の場合は県立との併願は認められない」(※そのような取り扱い方針はなく、教諭の誤認)と発言した上で、「志望校を受験できるかどうかは2学期の生活状況次第」と発言した。このことが、高校受験を見据えた女子生徒にとっては「学校を休むことができない」などの大きな圧力となり、いじめに苦しんでいた女子生徒をさらに追い詰めたと指摘された。 自殺当日:ガラス事件 2015年11月10日、Aが音楽室のガラスを割る事件を起こした。 ガラスを割った瞬間には女子生徒は離れた場所にいたが、ガラスを割ったAと一緒にいたBが女子生徒のところに駆け寄って3人になったとき、ガラスの割れる音に気づいて様子を見に来た非常勤女性講師と鉢合わせした。この教員が3人の名前をメモし、担任教諭に連絡した。 女子生徒は「Aがガラスを割った。自分は関与していない」と訴えた。しかし担任教諭は、連帯責任としてこの女子生徒を追及するような対応を取った。女子生徒は割れたガラスを掃除させられた。一方でガラスを割ったAは、「手にケガをした」として掃除には参加しなかった。 女子生徒は教室に戻った際、「やっていない」と訴えて泣きはらしていたのを目撃されている。 女子生徒は午後5時40分頃に帰宅した。帰宅時間が遅くなったことで母親が「何かあったの」と聞いたところ、女子生徒は「Aがガラスを割った」「私は関係ない、知らない」「ガラスを弁償しないといけないかも」などと訴えた。 女子生徒が取り乱している様子に、状況が飲み込めなかった母親は学校に連絡した。担任教諭はガラス事件の一部始終を説明し、「女子生徒がガラスを割ったわけではないが、逃げる態度を取ったのが悪い」などといったという。 母親は電話を切ったあとに女子生徒に改めて確認した。女子生徒は「本当のことをいうとAから攻撃される」「1学期の携帯電話事件の際にAと距離を置いたら悪口を言いふらされた」など訴えた。また担任教諭への不満を訴えた。 生徒の自殺 女子生徒はその後、家族の車で、茨城県つくば市の教室に音楽のレッスンを受けに行った。レッスンへの行き帰りの車中や、レッスンが終わってから帰宅した後も、女子生徒は普段とは異なる様子だったという。母親は「学校でのできごとがショックだったのだろう。落ち着いてからゆっくりと話を聞きたい」と判断していた。 女子生徒は同日2015年11月10日午後11時過ぎに自宅で自殺を図り、翌日11月11日未明に死亡した。 遺書はなかったが、生徒が付けていた日記には、同級生の実名を挙げて「もういじめられたくない」「これ以上苦しめないで」などと記載されていた。また2015年12月になり、生徒の遺品を整理していた家族が、生徒の制服のポケットに「くさや」と記された付箋があったのを見つけた。 学校・教育委員会の対応 翌日2015年11月11日早朝、生徒の自殺の一報が学校側に入った。家族側は同日のうちに「生徒の死亡は自殺だと公表してもよい」と学校側に伝えた。しかし校長は茨城県県南教育事務所・取手市教委の担当者と協議の上で、「不慮の事故」として公表する方針を決めた。 後日、「くさや」と記された付箋の存在を知らされた教育委員会側は、同級生への聴き取りを実施した。しかし「女子生徒の家庭が厳しかった」と誘導するとも受け取れる内容にもなっていたという。 学校側は2016年3月、「いじめかどうかおよび学校生活と自死との関連は判断できない」とする見解を記した報告書を、取手市教育委員会に提出した。 取手市教育委員会は2016年3月16日、当該案件を「いじめによる重大事態には該当しない」とする議決をおこなった上で、調査委員会を設置した。案件審議のために呼ばれた学校関係者は教育委員に対し、「学校側の聴き取りでは、この女子生徒へのいじめを訴えた生徒はいなかった」などと説明した。 一方で保護者側は独自に調査をおこない、女子生徒へのいじめがあったとする、複数の同級生からの証言を得ていた。 市の調査委員会が動き出したことを把握した保護者側は、「重大事態ではない」という前提の、いじめ防止対策法に沿っていない調査委員会の設置に不満を示し、調査の中止と調査委員会の解散を求めた。また文部科学省にも要請をおこなった。 文部科学省は、当該案件にかかる取手市教委の処理は不適切という見解を示して指導をおこなった。取手市教委は2017年5月30日付で「重大事態ではない」とする議決を撤回した。その後市の調査委員会は2017年6月20日付で解散した。 県の第三者委員会で調査 その後改めて、本来取手市がおこなう調査を茨城県が並行受託する形で、県がいじめ防止対策法に基づく第三者委員会を設置して調査をおこなった。 2019年3月20日に公表された調査報告書では、いじめの存在を認定し、いじめと自殺の因果関係を認めた。また担任教諭および他の教員の不適切指導についても指摘し、当日のガラス事件での担任教諭の指導は生徒を追い詰め自殺の引き金を引いたと指摘した。また自殺事案発生後の学校・市教委の不適切対応についても言及し、「重大事態ではない」と一度議決した件については違法と指摘した。 担当者の「栄転」 取手市教育委員会で事件対応に携わっていた市教委事務局参事・指導課長はそれぞれ、2019年度に市内や近隣市の校長として転任した。 赴任先の学校はいずれも、当該校校長経験者が後年に市の教育長などに就任するケースも多く、「出世ルート」と噂されている学校でもあり、異動の状況にも疑問が呈された。 関係教職員への処分 茨城県教育委員会は2019年7月25日、関与した教職員の処分を発表した。 当時の担任教諭(2019年時点では別の取手市立中学校に異動、体調不良として休職)を、いじめへの対応を怠った・いじめを誘発する言動をとったなどとして停職1ヶ月の懲戒処分にした。 当時の校長(2019年時点では石岡市立小学校校長)、教頭(2019年時点では取手市内の茨城県立高校教頭)もそれぞれ減給処分となった。当時の学年主任(2019年時点では阿見町立小学校教諭)も戒告処分とした。 さらに、当時の取手市教委教育参事(2019年時点では取手市立小学校校長)、取手市教委指導課長(2019年時点では守谷市立中学校校長)についても、それぞれ減給処分とした。 また取手市も同日付で、第三者委員会設置を怠るなどいじめ不適切対応に関与したとして、当時の市教委職員の処分を発表した。当時の市教委部長(2019年時点では再任用)を減給処分とした。当時の市教委次長(2019年時点では再任用)を文書訓告、当時の市教委参事(2019年時点では再任用)を口頭訓告とした。 当時の教育長は2019年時点では辞任しているが、在任時の給与の月額10分の1・12ヶ月分相当額を自主返納するとした。また取手市長も自身の給与を6ヶ月間減給する条例案を準備しているとした。 元担任教���、処分取り消しを求める 生徒の担任だった女性教諭は、処分を不服として、2019年10月に茨城県人事委員会に審査を申し立てた。しかし2021年9月に却下された。 教諭は2022年3月3日付で、「いじめについて、本人・保護者や、同僚教員・学校からも、全く情報を受けていなかった」などとして、自身への停職処分の取り消しを求め、水戸地裁に提訴した。 元担任教諭は「いじめに気づけなかったことは申し訳なく思っているが、いじめを助長したような言動をとったことはない。いじめを助長したなどありえない」と主張した。また処分の内容についても、必要な事実関係の摘示や立証などがなされていないと訴えている。 水戸地裁は2024年1月12日、教諭の訴えを認め、茨城県に対して処分の取り消しを命じる判決を出した。教諭の行為について「いじめを疑い対応を取るのは困難だった」「調査委員会が、教諭の行為について、何を根拠に認定したのか不明確」などと判断し、懲戒処分理由は違法��と指摘した。 茨城県は判決を不服として、2024年1月26日付で東京高裁に控訴した。東京高裁は2024年10月31日、一審判決を支持して茨城県の控訴を棄却し、処分を違法として取り消しを命じる判決を出した。 茨城県教育委員会は2024年11月14日、二審判決を受け入れ、上告を断念する方針を公表した。
茨城県取手市立中学校いじめ自殺事件 – 教育資料庫
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2024年5月21日(火)
今日は21日、東寺では<弘法さん(こうぼうさん)>が開催される。弘法大師が入寂された21日に開催される縁日は、25日に開催される北野天満宮の<天神さん>と並んで、京都に住まう人には毎月の楽しみである。朝早くから善男善女が集まって、植木や古着、骨董などの店をめぐって楽しむのだ。もっとも、外国人観光客の増加に伴って、境内の雰囲気は以前とはすっかり様変わりしてしまった。かくいう私も、もう何年も訪れていない。したがって、様子を伝える写真がなく、今回は<東寺出店運営委員会>のInstagramから画像をお借りした。
5時45分起床。
洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*1。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
O姉と一緒に出勤。
順調に��着する。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>のスライド発表の評価作業。
「公益財団法人祇園祭山鉾連合会」のクラファン、今年も少しだけ���力させていただく。
3限・4限は<スタディスキルズ(看護学科)>、前回図書館で借りた本をゼミで発表するという設定でレジュメの作成練習、<一冊の本>というテーマで書誌情報・著者・概要・コメントのフォーマットに従って作成する。今年度はPC操作に不慣れなものが多く、レジュメ程度でも入力に時間がかかる。
順調に帰宅、O姉は今日も喜楽亭でコロッケを買って帰るとのこと。
ツレアイは午前中で訪問看護業務終了、午後は龍谷ミュージアムへ行ったとのこと。一緒に夕飯を準備する。
昨晩から仕込んでおいた<無水地鶏カレー>、なかなかの仕上がりだ。
今夜も枝雀、前夜の「七度狐」の続きと「ふたなり」。
片付け、入浴、体重は250g減。
パジャマに着替えて日誌書く。
月・火は教室移動が少ないので、買い物に出ない限り3つのリング完成は難しい。
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「ムーンナイトの裏側」を観た感想
※これはうまく纏まらないので、ツイートをほぼそのまま箇条書きで移します。
・マイノリティのレプリゼンテーション、メンタルヘルス、エジプトに纏わる考証/監修。それらの重要性について、じっくり時間を割いて、繰り返し様々な関係者が語る姿。すごくよかった。
・アーサーハロウという悪役の魅力と深みを語る上で、彼の思想は悪であること。そして、物語の核になる“赦し”について。
メイキングでも、はっきり言及されていること、安心する
・「レイラは男の添え物ではない」という言葉、からの彼女の感情/弱さについての言及も。
レイラというキャラクターを、都合のいい「強い女」にはしない、かつ癒し要員として安易に消費しない……という姿勢を改めて感じる。嬉しい。
・しかし、今回のムーンナイトのメイキング。
監督のモハメド・ディアブが繰り返し言及している……パートナーであり共同プロデューサーのサラ・ゴーヘルの言葉/対談とかも、がっつり見たかった聞きたかった………そこは残念だ
・あと、メイキング(アッセンブル)においても……3人目のジェイクは“ネタバレ”的な伏せ方(次回作がはっきり決まってないことも要因かな?)で終わってしまったこと。
製作陣のインタビューのように、解離性同一症(DID)のステレオタイプ描写についての言及や問題共有が……メイキング上ではされなかったことについても、残念だ
・ムーンナイトは傷(トラウマ)と向き合う話であるということ。そして「赦し」の話であるということ。改めて、メイキング観て、とても好きだなあと再確認した。
・コミックからの、3人に砕かれるコンスの描写が入ってたこと。
コンスという「支配者」「父」「神」からの卒業と反逆の物語が主題な続編を観てみたいし、そこにステレオタイプに寄らないジェイクの物語を見出したいので、めちゃくちゃ期待してしまう
・「コンスもマークの別側面かも?病棟こそ現実だった?」などの言及は……原作コミック内の一部描写への目配せと、「続編決まってない&現状MCU本流からは離れた作品」であるからこその可能性への言及なんだろうけど。
その設定も持ってこられたら、ドラマ/MCU版も批判的に観なきゃいけなくなるな、とは思っている。
別のインタビューでは「マーク達が気付いてないジェイクの家族/子どもがいるかも」という……コミックを踏まえた可能性の話なんかも、関係者が冗談混じりに言及しているみたいなので(ドラマ独自の設定から更にそれをやるのは、DIDに纏わる描写/こどもに纏わる描写を扇情的に消費する傾向が強まると思う、ので危ういなと思っている)
あれらはあくまで、ひとつの視点の共有であり、可能性の楽しみであり、コミックファンへの目配せじみた言及である……と思いたい
・先代のコンスの化身であるハロウの存在、レイラ含めた化身達の……圧倒的存在感によって「エジプト神話の神に見出されたという“妄想”に取り憑かれた“異常”な男」というコミック描写からは切り離されている。
その視点とその残酷さは、ドゥアトの病棟描写が引き受けた上で、(若干の曖昧さを残してはいるが)否定��ている……所が好きなんだよな。MCU版ムーンナイト。
・歴代の化身含めて、コンスは化身が持つ“怒り”に依存する/その拳に理由を与えるが故の“支配者”であり“父を名乗る者”であり“抑圧者”であり……という方向性であって欲しいな。MCU版におけるコンスとマークの“怒り”について。
・上で書いたことについてもう少し書くと、
「コンスを解離性同一症の憑依型側面としてもし扱うなら、レイラやハロウや他の化身達は?ヒーローのレプリゼンテーションの意味は?」となるし、
実在の精神疾患を題材にしながら「夢か現実かは鑑賞者次第」みたいな逃げ/放棄が、この作品でも繰り返されるのか?という。
(若干、鑑賞者の解釈に委ねているような曖昧さはあれども)↑のような放棄で終わらなかった、そのようにはならなかったことが、自分がMCU版ムーンナイトの好きなところなので。
あくまで作品内の一要素として、冥府ドゥアトの中にある可能性?/来世?/影?のひとつという提示のされ方で、あの病棟が出てきたこと。そこが安心したし、好きだなあと……ドラマ版ムーンナイト。
・病棟描写も、病院そのものを貶めない慎重なバランスで描かれていると思う。
アーサー・ハロウが医師として配置されていることで、彼の掲げる「矯正/統合/剪定」の暴力性が垣間見え……かつ最後はそこから抜け出すマークとスティーヴンが「世界の中、社会の中で生きる、共に在ることを選ぶ」というのが、大好きですね。MCUムーンナイト。
・以下は、メイキング鑑賞当時には書いていないことだけど。↑と絡めて書いておきたい(後ほど、個別で記事にしたいとも思う)
精神科の人口あたりの病床数が世界1位であり、世界中の精神病床の5分の1を日本がしめている事実。恣意的な拘禁拘束/強制入院/虐待や暴力が放置され繰り返され……それが“国策”として、政権の利権も関わり、延々と行われている国であるということ。世界の関連機関や国連人権理事会などから、何十年も是正/改善を要求/勧告されながら、デタラメな回答を繰り返し逃げ続けている最悪な国であるということ。
自分の経験含めて。日本という国からこの作品を消費していることを忘れてはいけない/そういった現実から切り離してこの作品を消費したくはないと、強く思うし。
病棟の拘束描写をエモいものとして扱ったり、“健全/統合”なるものを絶対視/当然とするような読み/エモい結末とするような消費とも、自分は距離を置きたい。
(Twitterに2022年6月に書いた感想の一部。抜粋/少し書き足したり整えたりしてまとめたもの。後から更に書き足したり他記事と繋げたりするかもです)
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初日舞台挨拶レポート
昨年9月に行われた第80回ベネチア国際映画祭で初上映されて以来、世界各国の映画祭、劇場での上映が行われてきた本作。この日は待望の日本公開初日ということで、初日舞台あいさつの会場となったBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下は超満員。そして映画上映後、スクリーンで繰り広げられる圧倒的な物語の余波に浸っていた様子の観客の間からは自然と拍手がわき起こった。
そんな熱気あふれる会場内にやってきた大美賀は緊張の面持ちで、「今日までものすごく緊張していたんですけど、(映画上映直後に)皆さまが手をたたいてくださっていたのを聞いて。良かったなと思っております」と安どの表情。濱口監督も「完成してから9カ月くらいですが、ようやく日本で公開できまして。本当にうれしく思っております。今日はよろしくお願いします」と感激した様子を見せた。
本作主演の大美賀は、もともと濱口監督の『偶然と想像』にスタッフとして参加しており、イベントではその時のメイキング写真が紹介されるひと幕も。だがその後、自分が映画の出演者となり、ベネチア国際映画祭のレッドカーペットを歩き、そして日本での映画初日を迎える。その当時からすると予想もつかなかった人生に「これを超えるハイライトが今後、自分に訪れるのかどうか」と笑顔を見せた大美賀。
濱口監督も「フランスでは2週間早く公開されることになったので、わたしもパリに行ってお客さまと一緒に映画を観たんですけど、結局この人(大美賀)はずぶといなと思ったんですよね。今日も戦隊もので言ったらレッドの位置、どセンターに立っているわけですが(笑)」と冗談めかして会場を笑わせつつも、「究極そういうのができちゃう人だというのは、頼む前は知りませんでした。でもこの映画をつくる前、脚本を書く前にロケ場所などのリサーチをしていたんですが、その時はドライバーとして入ってもらっていました。しかしカメラの前に彼に立ってもらったりしているうちに『あれ、いいかも』という気持ちになって、ここまで来たので。見る目があったなと思っております」と自負してみせた。さらに、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、香港で公開中の本作(今後もアフリカを除くほぼ全ての地域で公開予定)が、フランスでは1週間で7万人の観客が訪れたことも明かされ、会場からは驚きの声が上がった。
グランピング場建設計画の説明会のシーンの話になると、「あのシーンは本当に緊張しました。2日間かけて撮ったわけですが、最初の方は本当に頭が真っ白になりましたね」と振り返った大美賀。『偶然と想像』にはエキストラ的な感じで少しだけ出演したことはあったものの、本格的な芝居をしたのは初ということで「これ以上ない景色を見ています」と語る大美賀に対して、会場からは大きな拍手が鳴り響くなど、俳優・大美賀均が観客に受け入れられている様子がうかがえた。
そしてこの日はもうひとり。小坂も、もともとは濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』に車両部として参加していたスタッフ出身の俳優であった。濱口監督が「彼はもともと俳優なんですが、その時は車両部として入っていて。その時に『僕もチェーホフが好きなんです』と言われて。トラックを運転している人からチェーホフが好きと言われたんで、ギャップ萌えをしてしまいました」と笑いながら語ると、その言葉に補足するように小坂が「あの映画では、車両部と監督だったので、なかなか話せる機会がなかったんですけど、最後に話す機会があって。僕も(同作に重要なモチーフとして登場する)『ワーニャ伯父さん』が大好きで、(『ドライブ・マイ・カー』の)台本に感動したので。そのことを伝えたのがはじめて会話をした時でした」と振り返った。
それゆえ本作で濱口監督の演出を受けることとなり「しあわせでしたね」と笑顔を見せた小坂。「それこそ『ドライブ・マイ・カー』の時に、こういうところでお芝居をしたいなと感じていたので。濱口監督は、お芝居をする、という環境づくりにこだわってる方なので、そういう場所でやってみたいなと思っていたんですが、僕もそれが急に実現したので。それが幸せでしたね」としみじみ付け加えた。
主人公・巧の娘、花を演じた西川も本作で忘れられない印象を残すが、彼女はオーディションで選ばれたという。「短い台本にちょっとアドリブを入れてやったりとか。そんなに難しいことは言われなかった」と振り返った西川。濱口監督も「実のところ大美賀さんと一緒にしゃべってもらうというところがメインだったんですけど、西川さんはいい感じで距離があったというか。他の子でも、大美賀さんと本当に親子のように話せる子もいたんですが、西川さんは大人として喋っているような感じがあって。それが良かった」と大美賀との相性が決め手だったことを明かす。大美賀との芝居も「家で自分のお父さんと話すみたいに緊張せずに、普段通りに話しました」という西川に対して、「すばらしいと思います。普段、お父さんと話すようにできないと思うんですが。助けられました。ありがとうございます」と頭を下げる大美賀。そんなほのぼのとしたやりとりに会場も笑いに包まれた。
一方、2015年の映画『ハッピーアワー』に出演していた渋谷。本作は久々の濱口組となったが、「わたしも濱口さんも大きくは変わっていない気がしましたが、ふたりともちょっとずつは大人になっているかなと思いました」と笑うと、「実際に撮影が始まって���読みに入っていくと、『ハッピーアワー』の時にみんなとやっていたことが、さらにどんどんブラッ��ュアップされていて。また一緒にできてうれしかったです」と感慨深い様子。濱口監督も「『ハッピーアワー』の時がはじめてだったと思うんですが、その後も彼女の舞台を観に行ったりもしていて。渋谷さんは『ハッピーアワー』の頃もいいと思っていたんですけど、その良さを失わないまま、俳優として成長しているものがあった。だから今回、この役は渋谷さんでいけるかも、というインスピレーションがあった時にお願いしたら受けてくれたので。一緒に仕事ができて良かったです」と晴れやかな顔をみせた。
本作が生まれたきっかけとなったのは音楽家・石橋英子から濱口監督への映像制作のオファーだった。そこからふたりは試行錯誤のやり取りを重ね、「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことから生まれたのが石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と、本作『悪は存在しない』である。残念ながらこの日は石橋は不在だったが、石橋からは手紙が寄せられ、その手紙を渋谷が代読することになった。
「ちょうど昨年の今ごろ、この映画のために音楽をつくりはじめました。それが昨日のことのような、まるで遠い過去のことのような。時間の感覚が分からなくなるくらい、この作品はわたしの人生にとって大切に作品になりました。わたしがライブのための映像を濱口さんに依頼したのが発端ではありますが、心の大きな濱口さんやプロデューサー、参加してくださったスタッフの皆さま、キャストの皆さま、お一人お一人のこれまでの人生、すばらしいお仕事によって、このようなすばらしい作品になったと思いますし、そのことを心からうれしく思います。感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の思いがしたためられたその手紙は、さらに「そのような大事な映画の、大事な初日に伺えないことは本当に残念で、悲しくて、悔しいです。本当はこの映画の舞台あいさつの後に、��中の便でイタリアの映画祭に『GIFT』の上映のために向かうつもりでしたが、25日と26日では、飛行機代がありえないくらいの差があり、ゴールデンウィークを本当に恨む次第でございます。いいことばかりでもつまらないと自分を言い聞かせながら、今はイタリアに到着したばかりのボンヤリとした頭で、迎えの車を待っているのでしょう。ただただゆったりと映像と一緒に身を委ねて、楽しんでいただけたらと思っております。自分が関わっていても、本当に何回観ても飽きない作品だと思います。末永くよろしくお願いします」とつづられていた。
そんな大盛り上がりの舞台あいさつもいよいよフィナーレ。最後に濱口監督が「初日に来ていただいてありがとうございます。皆さまがどう思われたか分かりませんが、皆さまの感想をどこかで目にすることができたら、それがどのようなものでも本当にうれしく思います」と呼びかけると、「フランスでこの映画を観ていた時に、この映画を支えているのは映ってる人たちだなと。本当にすごいなと思いながら観ていました。それは撮影現場でもそう思っていたんですが、ひとりひとりが存在として輝いている。わたし自身そういう印象を持ち、感動したので、ぜひ多くの観客に観ていただきたいなと思います。ひとりひとりのありようとか、仕事を観ていだけいたらと思います。この映画、末永く、よろしくお願いします」と会場に呼びかけると、観客からは万雷の拍手が鳴り響いた。
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[TRANSLATION] EXO - 230410 Official EXO-L Japan website update: “『2023 EXO FANMEETING "EXO' CLOCK"』が終了!EXOから写真が届きました!” (”‘2023 EXO FANMEETING "EXO' CLOCK”’ is over! Here is a photo from EXO!”)
"EXOデビュー11周年記念イベント『2023 EXO FANMEETING "EXO' CLOCK"』が、4月8日(土)・9日(日)に韓国のソウルオリンピック公園KSPO DOMEにて開催されました! そして、9日(日)の公演は、Beyond LIVEを通して全世界に生配信され、本当にたくさんの方々にご覧いただき、イベントが始まる前から「待ってたよ~!」「11周年おめでとう!」といった、たくさんのメッセージが寄せられました! Beyond LIVEをご覧いただいたEXO-L-JAPANのみなさん、ありがとうございました!
公演は、ライブパートからスタート!♪ メンバーがステージに登場した瞬間から会場は大きな声援に包まれました!『The Eve』『Love Shot』 を披露し、かっこいいパフォーマンスで魅了しました!
キレキレのパフォーマンスの後は、「We are ONE!こんにちは、EXOです!」と全員でご挨拶^^会場、そしてBeyond LIVEを通してご覧いただいているみなさんに、一人ひとり気持ちも伝えていました。
次のコーナーでは、「今回の公演タイトルは"EXO' CLOCK"です!"EXO' CLOCK"を動かして、思い出の時間に戻ってみましょう!」とLEDに映し出された“EXO CLOCK”の数字が回転スタート! 1日目の公演では『Obsession』と『Tempo』の時間に止まりましたが、2日目の公演ではまず、「20130805」、『Growl』 の時間にストップ!
『Growl』の時間ということで…メンバーはブレザーを着て制服姿に! 「Growl高校」の生徒となって、スホは生徒会長、セフンは風紀委員、ベクヒョンは伝説のバンド部、シウミンはテニス部部長、チェンは放送部のアナウンサー、カイはダンス部部長、D.O.は映画鑑賞部、そしてチャンヨルはバスケ部部長として自己紹介^^ 『Growl』のMVを彷彿とさせる姿で、「チームワークを感じる時はいつですか?」などの質問に答えていきましたが、みなさんいかがでしたか!?
続くライブパートでは、『Don‘t Go』と『Unfair』をお届けしました♪
そして再び"EXO' CLOCK"が回転! 「20160609」、『Lucky One』の時間でストップしました。 スホ、チャンヨル、D.O.、カイの「ピンクチーム」、シウミン、チェン、ベクヒョン、セフンの「ブルーチーム」に分かれて「お題の曲を一斉に歌って同じ部分を歌えるか!?」「お題と同じポーズを協力して完成させられるか!?」などの、チームワークを試されるゲームにチャレンジしました! メンバーたちのお題に本気で挑む姿に思わず笑顔になったEXO-L-JAPANのみなさんも多いのではないでしょうか?^^
イベント中盤~後半にかけてのライブパートでは、『Lucky』で会場���体となって幸せな時間を過ごしたり、『Growl』でパワフルなステージを披露したり、さらに『LOVE ME RIGHT』では爽やかなパフォーマンスで魅了したりと、EXOの様々な魅力がたくさん詰まったステージをお届けしました🎵
最後のMCでは、「本当に久しぶりに会えて嬉しかったです。」と感謝の気持ちを伝えながら、「2023年を駆け抜ける準備ができていますので楽しみに待っていてください!」とも伝えていましたね^^
ラストパートでは、世界のEXO-Lのみなさんへの気持ち込めて『Angel』をお届けし、「また会いましょう~!」とメンバーたちが名残惜しそうにステージを去り、イベントは終了…と思った瞬間! 再びメンバーたちがステージに登場!新曲の『Let Me In』をサプライズ披露し、イベントの幕が閉じました♪
ご覧いただいたみなさん、ありがとうございました! メンバーたちからEXO-L-JAPANのみなさんへ届いた写真を公開します!
4月15日(土)、16日(日)には、ついに!『EXO-L-JAPAN presents EXO CHANNEL "THE BEST"』がベルーナドームにて開催されます! EXOメンバーも、日本でEXO-L-JAPANのみなさんにお会いできるのを、とても楽しみにしています✨ 待ち遠しいといった様子でリハーサルにも力を入れていますので、みなさんも盛り上がる準備をして待っていてくださいね! ベルーナドームでお会いしましょう!!^^"
Translation: "To celebrate EXO’s 11th year anniversary, they held a fanmeeting titled ‘2023 EXO FANMEETING "EXO' CLOCK”’ on 8 and 9 April at the KSPO DOME in Seoul, South Korea! The performance on the 9th was available worldwide for livestreaming via the Beyond LIVE app. Lots of people tuned in to watch and the chat was buzzing with fans saying things like ‘We’ve waited so long!’ and ‘Happy 11th anniversary!’! We want to say thank you so much to all the EXO-L-JAPAN members who tuned into the Beyond LIVE stream!
The fanmeeting kicked off with a mini-concert!♪ As each member came onto the stage, they were greeted by loud cheers from fans! The group performed ‘The Eve’ and ‘Love Shot’, showcasing their cool and mature visuals and charms!
After showing off their nimble and energetic moves, the members came forward to greet fans with, ‘We are ONE! Hello, we are EXO!’. Each member also made sure to greet Beyond LIVE viewers.
For the next segment, an LED board lit up with the words 'EXO' CLOCK' with a description of what the segment would entail; 'The fanmeeting is called 'EXO' CLOCK'! Let's go back in time with the 'EXO' CLOCK'!'. The clock ticked back to 'Obsession' and 'Tempo' on the first day and then for day 2 it went to '20130805' to 'Growl'!
For the 'Growl' theme... The members wore blazers! To match the high school theme of 'Growl' each of the members introduced themselves as if they were high school students! Suho was the class president, Sehun was the head of the disciplinary committee, Baekhyun was a vocalist in a legendary band, Xiumin was the tennis club president, Chen was the broadcasting club announcer, Kai was the dance club president, D.O. was in the film club, and Chanyeol was the basketball club president!^^ With the members all dressed in their 'Growl' attire, they answered a number of questions such as 'when you do you feel like you work best as a team'? What did you guys think of the segment!?
For the next segment, the group performed 'Don't Go' and 'Unfair'.♪
Next, they looked to the 'EXO' CLOCK' for what memories to relive next! The 'EXO' CLOCK' stopped on '20160609', which was 'Lucky One' era. The group split up into two teams; Suho, Chanyeol, D.O., and Kai formed the 'Peach Team' and Xiumin, Chen, Baekhyun, and Sehun formed the 'Blue Team'. Both teams had to compete against each other in a number of different challenges that tested their teamwork such as 'Can you sing the same part in the song!?'and 'Can you copy the pose on screen!?'. The fans watched with all smiles and laughs as the members took on each and every challenge with fierce competitive spirit. Did you guys enjoy it?^^
For the performance part of the second half of the fanmeet, EXO filled the venue with happiness as they performed 'Lucky' and then showed off their powerful dance moves with 'Growl'! They ended with 'Love Me Right', showing off their unique individual charms in their dancing!🎵
For the last ment they expressed their gratitude, ‘It's been a while since we last met, we're really happy to be here.' They finished off saying, 'We're ready to take on 2023 head on, so please wait for what we have in store for you guys!' ^^
They ended the fanmeeting with their heartfelt performance of 'Angel', showing their love and appreciation for every EXO-L around the world! The members sent fans off with a 'See you again soon~!' and then waved goodbye to close out the event.... Or so we thought! The members reappeared on stage and surprised everyone with a sudden performance ofa new song titled 'Let Me In'! After that song the event finally came to a close!♪
Thank you so much to everyone who watched! EXO also has sent a photo for EXO-L-JAPAN!
The next fanmeeting will be on 15 and 16 April in Japan's very own Belluna Dome! The fanmeet is titled 'EXO-L-JAPAN presents EXO CHANNEL "THE BEST"'! The members are so excited to finally be able to return to Japan to see EXO-L-JAPAN!✨ They are all working hard in rehearsals to be able to give you all the best show ever so please wait a little while longer! See you all at Belluna Dome!! ^^"
Photo link: 1
Credit: translation, dailyexo.tumblr.com, Source: Official EXO-L Japan.
#EXO#EXO K#EXO M#230410#230408#230409#exo im#exo k im#exo m im#official update#website update#p:official#translation#comeback:Fight
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミ��天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知ってい���が改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験でき��ければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ご���るようにしよう。
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今日久しぶりに「ツキムラ」を目撃。即座に写真を撮った。実に3ヶ月ぶりのことだった。それまでは毎朝、会社に向かう途中の道端で必ず「ツキムラ」を目にしてはスマホカメラにおさめた。「ツキムラ」とはオーダースーツ店のことで、私がカメラにおさめているのは、後輪のカゴに「ツキムラ」の表記がある自転車。つまりオーダースーツを企業に宅配しているチャリンコをひたすらに撮りまくっている。大抵、出社途中のブルーな時間帯にソレは現れる。この風景を見ずして1日は始まらないと言わんばかりにアレを目にしては激写してきた。カメラロールに「ツキムラ」が溜まってきたので専用のフォルダを作った。なぜなのか。ジ、アンサー、イズ、ツキムラサンガスキダカラー(♡)!! 「ツキムラ」とは何なのか。吉本興業社員の月村さんのことだ。90年代、絶頂期にいるダウンタウンのマネージャーを務め、20年後には課長にまでのしあがり、今では社長も目前の大ベテランだ。休日は専務たちとゴルフへ行き、外車に乗りバリバリ仕事を続けている。オーバーに老人となったダウンタウンに往年の掛け合い、ベタなボケツッコミ、ドヤ顔を見せつけられては困惑した表情を見せていたが、歳を重ねるごとに見事なあしらいぶりを発揮する。
ダウンタウンはというと…90年代のメディア業界をあんなに盛り立てていたのに、今やスター性も「カリスマ」の鋼も剥がれ落ち、全盛期当時のキレはない。もはや老人と化しており、ただひたすら仕事を要求し金品をせびる。
これはもちろん架空の世界の話。『ダウンタウンのごっつええ感じ』内でのコント「2014」によるもの。90年代当時テレビを席巻していたダウンタウンによる痛烈&痛快な自虐ネタであるが、これを見るといかにダウンタウンの力が絶大だったかがわかる。人気絶頂であると認めた上で20年後は落ちぶれてる設定…なんて自信過剰!なんてカッコイイんだ!そして何でかこの月村というキャラクターに哀愁を覚え、愛着が湧き、気づけば好きになっている。かつて二人のマネージャーとして共に絶頂期を味わい、今や凋落したかつての師匠を目の前に、何ともいえぬ諦めの表情で唇をかみしめる。仕事欲しさに横暴な振る舞いをするダウンタウンの無茶振りに振り回されながらどこかやるせなさ、哀しさを感じているのだ。しかし時には信じられないほど過剰にブチギレる。ここが人間臭い。
「2014」などの名コント&神企画を含めた『ごっつええ感じ』を初めてみたのは、『夢で逢えたら』にはまった頃。YouTubeに「ごっつええ感じ1回」というようなタイトルでほぼ全話動画があがっており、「旅館」というコント(東京から旅行に来たカップルと理不尽な女将の抗争、というもの)で一気に笑いと狂気の渦に巻き込まれ、たちまち頭を支配された。毎日のように画質の悪い映像に釘付けになり、激しいアクションにきったない言葉の応酬、アドリブ満載のギャグ合戦、男と女も体を張りまくり、面白いかどうかだけをを極限まで追求したお笑いを脳内に吸収させた。「旅館」の女将もそうだが、キャラクターの造形が鮮やか。黒澤の描く人間たちみたいに奥が深い。細部までこだわっているけど、演者のポテンシャルに委ねられてる気もする。多数のキャラクターの中でも「ツキムラ」という人間は特に魅力的だ。どうやら実在の人物をモチーフにしているようだが、それを今田耕司が自らの個性でアップデートさせている。そうして人間の喜怒哀楽すべてが詰まった味わい深い人間像が確立された。
そういうわけで「ツキムラ」は私にとって思い出がひとつ乗っかった大切なワードであり、仕事へ向かう憂鬱な気持ちを一瞬で吹き飛ばし、ワクワクする気持ちにさせてくれる魔法の呪文みたいなものなのだ。
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新しい仕事が始まるまでの小遣い稼ぎと東京へ行くための資金調達へ往復2000円かけて新しくできたショッピングモールでの接客業。立ちっぱなしの仕事ってほんとに足にくるよねー。小売店に6年勤めていたのに年月の早さって虚しいなぁ。はぁ。ってシンプルに無意識のため息が出たから終わろうっと。
仕事中、目の前にあった”ROSIER”みたいなスペルのブランド店があって、かまいたちのコント思い出しました!完。
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#88 報告書&動画制作+学会関連
日時:12月23日(金)10:45-12:15
場所:DS1
出席:全員
最終発表会も終わり、残された報告書と動画制作に悪態をつきながら冬の風に吹かれる。こんなに冷たく感じるのは燃え尽きることができたからか、それとも寒いからか。
時はクリスマスイブ前日。密閉された空気の悪い教室で寝ぼけ眼をこすりながら口早に決め事を話している。一方街ではハンドベルの音楽が響いており、最終発表会が終わったというのになんとも皮肉を感じるギャップである。”ハレルヤ”などとよく言ったものだ。実質的なハレルヤは私たちにとって2月からである。無論、そこからは本格的な就職活動が始まるのだが。
そんなことを冬空にこぼしていると、部屋にはコーヒーの香りが広がってきた。気霜と呼ばれる白い息と湯気に見慣れる季節に、見えないものを感じるというのはなんとも趣深い。コーヒーの匂いにはα波の出現に起因すると言うが、はたしてどうなのだろうか。ただ気づけば短針が12を回っていたことだけが私の記憶に残っている。
もう何度もない金曜日のこの時間の流れ。断片的な記憶の中には残らない時間をどう過ごすのかも私たち次第だ。タイピングしたものに目を凝らすことも、連続的なものをわざと断ち切り存在しない装飾をすることも、1月19日を以て終えることを目指している。延長短縮密度の濃さ薄さはもはや議論にも上がらない。約一年を通して作り上げてきた自然さを形にするだけである。おそらくこれから入る少しばかりの休息を得た後、一つ数字を繰り上げた後はさまざまなものに追われるだろう。そうした中でも普段通りを忘れずに最後まで取り組んでいきたい。
うっわ。なっげぇと思ったあなた。その通りです。そもそも12月23日の会議なのにTumblrをあげてるのが1月12日時点で当時から燃え尽き症候群です。すみません。その代わり長ったらしくその当時の状況を思い出して書き記しておいたので許してください。(これでもうTumblrを書くこともない。しめしめ)ちなみにコーヒーの匂いはしてないと思います。舟橋くんがコーヒーを飲んでることは多々ありますが、その日は飲んでなかったと思う。知らんけど。まあいいんだ数を稼げれば。ちな長いと思うので要約すると、「最後まで頑張ろうね」っていうことです。
報告書制作
(正直何やったか覚えてないけど)報告書の分担した部分を各々が書き込んでいました。大変そうなふりをして白目をむいていましたが、誰にも気づかれず親指を立てて溶鉱炉に沈んでいけたことだけが唯一の救いでした。年末までには頑張って大体書いておこうね!(時間錯誤)(叶わぬ願い)
動画制作
動画担当なので事細かに行ったことを列挙してくれると思ったら大間違いです。覚えていません。多分動画の素材を集めたと思います。実写部分の素材が全くないので、大急ぎで、イオンのエスカレーター並みのスピードで撮りました。撮ったと思います。これであとはタイムラインパネルに貼るだけだ!(嘘)
学会関連
CO-MAP側が主だったと思います。行ってきた調査やその結果などを改めて分析していました。私はB-LOG側なので細かいことは分かりませんが、頑張ってください!(リレーを解説する放送委員の声)
担当より一言
もはやいうことはない。遅れてすみませんでした。ちなみに投稿するときの設定で投稿日時いじれるの知ってた?この投稿、12月23日の12:15です。ガハハ。
担当:高安
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut February 2016
田口智久 (監督)
新鋭監督が「『P3』の集大成」に託したものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』1月23日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
TOMOHISA TAGUCHI
2013年から順次上映されてきた『PERSONA3 THE MOVIE』が、1月23日公開の第4章をもって完結する。PlayStation2のゲーム『ぺルソナ3』(以下『P3』) として2006年に発表され、さまざまなメディアでの展開を経て10年間歩み続けてきた『P3』にとって、文字通りの集大成である。熱心なファンにとって、4章は「伝説級のエンディング」を含むエピソードであり、どのように描かれるのかは気になるところだが、完成した4章はファンにとって喝采を送るべき内容だし、映像作品としても見応え十分の1本になっている。その4章の監督は、新鋭の田口智久。監督として作品に携わるのは同シリーズの2章が初だったという彼は、巨大な期待が集まる重責とどう向き合ったのか、話を聞いた。なお、特集トビラのイラストは、今回CUTのために描き下ろしてもらった、『P3』のファンなら誰もが思い当たる「あのシーン」。正直、かなりグッとくるビジュアルである。テキストとともに楽しんでほしい。
劇場版第4章は、10年続いた『P3』にとって集大成となる作品ですよね。監督を務める側も相当な覚悟が必要だったと思うんですけども。
「まず、『P3』の2章(『#2 Midsummer Knight's Dream』)が初めて自分が監督をやらせてもらった作品で、そこでできたこと、できなかったことがけっこうあって。なので、すごく個人的な理由ですけど、できなかった部分を挽回したい気持ちがありました。あとは、集大成にしなきゃいけない作品なので、プレッシャーも非常にありましたし、この作品は自分が演出、そして監督になってからの集大成にしたい、と思いながら作っています。『P3』は終わり方が伝説級の作品なので(笑)、それを超える感動を与えられたらいいな、と。自分も『P3』の終わり方が好きなので、その印象はきっちり伝えたいと思いました」
制作中の感触として、「こういうものが観たい」っていう欲求に応えられる、そういう作品が作れているという手応えはありますか?
「そんなに外しているつもりはない、とは思ってます(笑)。ただ逆に言うと、たぶん自分ではなく別の方が監督であっても、そこはそれほど変わらないんじゃないかなっていう気もします。自分が監督でなくても、きっと最後にはみんな泣いてくれるだろうとは思うんです。そこに至る感情をどれだけ高められるかが大事で、それが自分の仕事だと思ってます」
確かに『P3』の場合、「原作を大事にする」っていう軸は誰が監督でも一緒だと思うんですよ。原作に寄り添うことは必須なわけで。
「そうですね」
そこで、田口さん自身が「自分だからこそこういうアプローチができた」と感じているポイントを教えてほしいんですけども。
「ちょっと、ツッコミがすごいですね(笑)。ひとつには、自分が描くコンテはあまりアニメっぽくないかもしれないな、とは思います。どちらかと言うと実写っぽいと言われるんですけど、そういうところが『P3』の雰囲気に合ってるのかもしれないです。実際、3章と比べると相当違うような気がしていて。3章はアニメーションの作り方としてはすごく王道で、誰が観ても『これはいいアニメだ』と思える作りになっていると思うんですね。4章では、アニメに限らず昔の実写映画だったり、最近の映画の断片を寄せ集めてスタッフにイメージを伝えたりしていて、『あの映画でこういう表現があったから、こんな風にできない?』って いう発注をしているので、そういうところで、ちょっと実写っぽい感じはあるかもしれないです」
たぶんそこは観る人にはっきり伝わるものではないと思うんですけど、質感としては確実に残っていきますよね。今回はそのやり方がハマるのではないか、という���信が田口さんの中にあったんでしょうか。
「そうですね。たとえば、今回は光の表現にもすごくこだわっていて。極力フラットな光は避けていろんなところに照明を仕込んで、光と影で画面を作ろうっていうのはすごく意識しました。あとは、今回雪を降らせようと思ったんですけど、暗い話の中で心情描写のシーンを描くときに、すべてをセリフで言っちゃうのは興がそがれるというか、軽くなっちゃうんじゃないかなと思っていて。黒澤明監督がそんな風にやっていたっていう話を聞いて、自分もやってみようかなと(笑)」
(笑)モの手法も、『P3』のラストを描くときにこれがハマるはすだ 、という 確信があったと。
「そうですね。それできっちり成立するだろうっていうのは、確信的ではありました。『P3』の『死を想え』というテーマを描くにあたって、リアリティは欠かせないだろうなと思っていて。アニメっていう媒体自体はわりと抽象的ですけど、アニメとリアルな表現がバランスよく合わさった状態は、『P3』という作品にすごくマッチすると思ってます」
「ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい」って思った
キャラクター描写についてですが、3章で修学旅行のシーンがありましたよね。池に落ちた主人公の理が心の底から笑う表情が描かれていて、そこは4章立ての劇場版の中でも象徴的なシーンだと思うんです。
「そうですね、僕も最高に象徴的なシーンだなと思ってます」
4章では彼のその後を描くことになるわけですけど、その上で考えていたことは何ですか?
「『P3』自体、理の物語として描かれてはいるんですけど、まず1章の理は死んでる状態からスタートするんですね。そこからスタートして、1章で仲間を得て生に目覚める。2章でさらに仲間が加わっていろんなことも経験して、今度は生きるということに目覚める話になっていて。3章では再び失って、4章はそこから立ち上がる話にしようっていう、全体としては理の成長を描く構成になっていました。4章では-これは具体的なセリフとしても出てくるんですけど、自分の含量で『俺は生きることを始められたんだと思う』っていうことを彼に言わせる、そこに至るまでをどう描くかが、4章の理のテーマなんです。それを言わせるのに、非常に苦労しました(笑)。1章の頃は『理ってどういうヤツなんだろう』っていうところも手探りだったので、そういう意味では、3章までを経てキャラクターが定着してきた感じはあると思います」
実際、1章の理の無気力さは原作以上だと感じましたけど(笑)。
「ははは。でも、1章は青春ものというか、けっこう爽やかな映画になってると思うんですよ。(1章の監督の) 秋田谷 (典昭) さんは『俺がやると “中学生日記” みたいになるんだよね』って言ってましたけど」
なるほど。では田口さんとしては、ご自身のフィルムは何みたいになったと感じてますか?
「何みたいになってるんだろう⋯⋯僕、(黒澤明監督の)『赤ひげ』が大好きで、作ってる最中にやたらと観てました(笑)。画面のレイアウトもキメッキメで、超カッコいいんですよ-4章を作るとなったときに重い感じにはしたかったので、ふと『ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい』って思って」
これはディープな名前が出た(笑)。でもすごくわかります。
「ハネケ、好きなんですよ(笑)。ああいう、心にズガーンってきて『重つ!』てなる、そういう感じにしたいなってちょっと思ってました」
4章構成の中で『中学生日記』的なものとハネケ的なものが共存できていること自体が驚きですよね。ものすごく懐が深いというか。
「それだけ包容力がある作品だということですよね。しかもそれがすべて『P3』としてちゃんと成立してる。そこはすごいと思います」
田口さんにとって「『P3』とはこういうものである、こうあるべきである」という定義があるとすれば、それは何ですか?
「『P3』には『メメント・モリ (死を想え)』っていうテーマがあって、一般的には死を描いた作品に見えていると思うんですけど、自分の解釈はその逆なんです。どちらかと言うと死ではなくて、生きるとはどういうことなのかを描いている作品なんじゃないかと思っていて。特に4章では、生きる上で非常につらい試練がやってきて、それを受け止めなければならない。そしてそれを受け止めた瞬間に、自分たちは生きているんだってきっちり実感することが大切なんだっていうメッセージを込めたいんですね。今、生の意味を問う作品だって偉そうに言っちゃいましたけど、そういうことを自分が語ってもいいんだろうか、と感じながら作っているところはあります。だから、どうかやったらほんとに伝わるだろうかっていうことは常に気にしながら作っていて、この4章が完全な答え、というわけではなく、今自分が出せるひとつの結論として、そういうメッセージを込めている、という作品になってると思います」
石田 彰
出会いから10年。磨き続けてきた「宝物」へのメッセージ
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
前ページでも書いたとおり、「PERSONA3 THE MOVIE」の第4章は、このシリーズの集大成である。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を、原作の『ペルソナ3』から10年にわたり演じ続けてきた声優・石田彰にとっても、「彼」を演じるのはこれが最後。昨年4月号に掲載した3章公開前のインタビューで、石田は何者でもない存在だった「彼」に「薄い色を何回も何十回も重ねていった」という話をしてくれたが、劇場版4章における理は、仲間たちとの触れ合いを経て確かな自我を獲得し、自らの意思と言葉で生きることへの欲求を表明する。体温が感じられる、ひとりの人間として存在しているのだ。「彼」をここまで導いてきたのは、これまで『P3』をずっと支持し続けてきたユーザーの愛情であり、少しずつ、しかし着実に生命を吹き込んできた石田の演技である。10年間ともに歩んだ「彼」に、今想うこととは。
コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬する(笑)
劇場版の4章は、『P3』という作品にとって集大成となるわけですが、石田さんはどのような気持ちで収録に臨んだのでしょうか。
「もう、最後ですからね。作品自体もこれでおしまいということなので、 悔いが残らないように、有終の美を飾れるように、というところで、空回りしてもしょうがないので、気合入れすぎてもいけないんですけど、『頑張ろう』と思って臨みました」
台本を受け取ってみて、たとえば「この部分がしっかり描かれていて嬉しかったな」と感じたポイントはありましたか?
「それぞれのキャラクターが、残された時間で自分は何をするのか、どう向き合うかっていうのを描いていたところは、そのキャラクターが好きな人にとっては外せないところでしょう。実際、『らしいな』っていう行動を取ってたりするのがとてもよかったと思います」
前回、昨年の4月号に掲載した劇場版3章の特集のインタビューで、石田さんは4章に向けて「お客さんを泣かせてやろう、というスケベ心を出さないようにしよう」と言っていて。
「はい(笑)」
なるべく抑えてやらなきゃいけ ない、とはいえ最後ということもあって石田さんの中に湧き起こってくる感情はあったのではないか、と想像していたんですけども。
「実際にやってみると、そんなことを考えなくてもよかったです。泣かせてやろう、と操作をする余裕もないというか、こういうことを表現しなければいけないっていうことがすごくはっきりしているシーンの連続なので、��てる方が結果泣いてくださったらもちろん嬉しいんですけども、そうやってイヤらしいことを考えなくても自然とそういう流れになるし、やってる側にしても物語の流れに乗っていくのがベストなんだ、と感じられる密度の濃いお話でしたね。台本を読んだ時点で、余計な小細工をしようっていう考えはすっ飛びました」
なるほど。ただ、4章はかなりエモーショナルな話であって、『P3』の主人公を長く演じてきた石田さんの気持ちも動くところはあったと思うんですけど、石田さんの心情 面が反映された部分はありますか?
「今作までの3章を演じてきたことで、自分の中で育った理の考え方というものが最終的に表れていると思います。これまでの3章があったおかげで、それが自然に身につけられたっていう感覚はあります。彼は、自分がしたいこと、主張したいことが自分でもはっきりとわかったんですね。最初はぼんやりと『こうするのがいいんだろうな』みたいな感じで、『なんで?』って言われると『うーん、だってそうなんじゃないの?』としか答えられなかったのが、自分の中ではっきり主張できる理由ができたっていう」
ちなみに、いちファンとして気になるところなんですけど、今回の収録現場で、印象に残っているエピソードはありますか?
「とにかく収録中はコロマルの人気 かすが高いですね。コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬するくらいで(笑)。僕は理と綾時だけじゃなくて、他にもいろいろクレジットされていたりするので、香盤表を見て『大変だね』っていうのは挨拶代わりに言われてました(笑)」
4章の中で、特に理とエリザベスの会話が印象に残っていて。そこで『仲間と過ごして、俺は生きることを始められたんだと思う』というセリフがあって、原作では主人公の 心の動きは表現されているけれども、実際にはこういうことを明確な意志を持ってしゃべることはなかったじゃないですか。原作が好きな方にとってはものすごく感動するというか、彼が自身の変化を口にするすごくいいシーンだと思うんですけど、石田さんはどのようなことを考えながら収録しましたか。
「劇場版は1章から4章まで段階を追ってだんだん彼自身のやりたいことが明確になってくる、そのために必要な仲間とどう付き合っていくのかっていうこともはっきりと見えてくるっていうお膳立てが、しっかりとされていて。だから僕としては、そのセリフはすごくわかりやすかったし、すごく自信を持って言えることだよなあ、って思いました。なので、収録するときも当たり前のセリフとして言ってましたね。言いやすいというか、無理なく言えるセリフでした」
石田さんはこれまでのキャリアの中でもこ��いうシーンを演じた経験があるのでは、と思うんですけど、その経験をどう活かしましたか。
「特に具体的にはないですけどね。自分の経験のどこかを探せば自分が決断をしたポイントもあるんでしょうけど、でもそれをアンプを通して増幅したとして、このシーンの理の心の動きと似たような形になるかといえば、違う気がします。こういう、ある意味突拍子もない事態の中で表現するときは、そうそう経験値だけには頼れないし、想像しないといけないんです。ただ、その想像をするときに、まったく想像もつかないことをいかにも整理がついたようにしゃべるのと、『うん、わかる』と思いながら言うのとでは、やってる充実度も結果も全然違います。今回の理については、自分の発想がちゃんと物語に追いついてました。今回に限らず、『P3』は僕にとってちゃんとできた作品というか、嘘をつか xずにできた作品だと思います」
では、今回の収録で理としての最後のセリフを言い終えたときは、どんなことを感じましたか。
「最後、理はセリフがないんですよ。アドリブ的な息遣いだけなので。台本に書かれていない息遣いを入れるか入れないかは自分の中で演出をつけた上で現場に臨むんですが、そのシーンではみんなが盛り上がってくれているので、そこに一言、セリフとして参加したいとは思いました(笑)。それこそ、スケベ心以外の何物でもないですけど」
(笑)。
「でも、結果何を言っても蛇足にしかならないだろうなって納得して。そこでただひとこと、『みんな⋯⋯』とか言ってみたところで(笑)、『まあ、ないほうが美しいよなあ』と自分でも思いますし」
ただそのスケベ心は、間違いなくみんなが求めているスケベ心だと思いますけどね(笑)。
「ははは。でも作品としての完成度を高めるためには、たぶんそれは切るべきなんですよ(笑)」
『P3』は僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物です
(笑)今回、劇場版のラストとなる4章まで演じきってみて、石田さんから理にかけてあげたい言葉は何ですか?
「いい仲間に出会えてよかったねっていうことですかね⋯⋯それじゃダメですか?(笑)」
ダメじゃないです(笑)。前回のインタビューで、ゼロの存在である彼に薄い色を何度も重ねていく、塗り残しがあったらそこに色をつけていく作業だった、というお話をされてましたよね。塗るべき色は第4章で塗り終えるわけですけど、塗り終えたあとの彼は、石田さんから見てどんな姿をしてましたか?
「ちゃんとした個性を持っていて、はっきりと輪郭もできた人間に見えてると思います。完成形まで持ってこられたのは4章に入ってからだと思いますけど、3章の頃にしても、1章に比べれば、薄ぼんやりしてたものがだいぶはっきりと見える感じにはなってきてたと思います」
この4章を最後まで観ることで、はっきりした彼の輪郭を感じることができるわけですね。
「そうですね。『もっと生きていたい』とか『この世界を終わりにしたくない』という主張をするところまで彼を持ってこられたときに、しっかりと見える形になったんだと思います。あとはその形になった勢いのままで、ダーッとラストシーンまで突っ走っていくっていう」
わかりました。では、最後にひとつ教えてください。石田さんが演じてきた彼は、この10年の間でゼロの存在だったところからどんどん肉体化されてきました。劇場版のラストである4章まで演じた今、声優・石田 彰にとって『P3』という作品はどんな存在になりましたか。
「『P3』に限らず、キャラクターの成長はいろんな作品で描かれるものであって、それが物語作りのひとつの醍醐味だと思いますが、『P3』のように長い時間をかけて、ゲームからドラマCD、劇場版映画と、何度も主人公、結城 理っていうキャラクターをやらせてもらったことで、こういう生き方の人間というものが、僕の中でよりはっきりしました。観ていただけたらわかる通り、彼は普通の人ではないです。普通の生き方をしていて理解できる人ではないので、物語に出てくる登場人物として想像するしかないんですけど、でもそれが『物語に出てくるありえない人』ではなくて、名前がついて肉体を持ったひとりの人間になるところまで到達して、それを実感を持ってやることができました。なので、僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物になったと思います」
#persona 3#p3#i tried...#its so funny looking at p3 movie content now#its all like 'its over no more p3'#ha
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まるっと!ふいるむクラス1期さん
Lesson7 和綴じを作ってみました
今日は、ワイワイとframeさんにこもって、35mm一眼レフカメラ、ハーフカメラ、中判一眼レフカメラ、中判二眼レフカメラ、レンジファインダーで撮った中から、お気に入りの写真で和綴じ帳を作りました。
これは、卒展の際に一緒に置かせていただきます( ˙灬˙ )
とっても柔らかくて、可愛い〜です。
11/29〜12/3までの卒展までのお楽しみです。
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#フイルムカメラ
#フィルムカメラ教室
#フィルムカメラに恋してる
#フィルムカメラ初心者
#フィルムの会
#フィルム写真
#ふいるむ寫眞
#フィルム写真普及委員会
#木漏れ日の森photo
#木漏れ日の森photo写真教室
#ハナカン
#develop_by_frame
#カメラのある生活#カメラ女子#カメラ好きな人と繋がりたい#ファインダー越しの私の世界#カメラ日和#写真は心のシャッター#写真で伝えたい私の世界#カメラ散歩#写真教室#木漏れ日の森photo#フイルムクラス#和綴じ
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一死をもって抗議する――。 7月7日、そんな遺書を残して自死した兵庫県の元・西播磨県民局長のYさん(60)。 発端は今年3月。西播磨県民局長だったYさんが、斎藤元彦兵庫県知事(46)の“パワハラ”や“おねだり”疑惑など、7項目に及ぶ問題行為をマスコミなどに告発したことに始まる。 Yさんは、あと1カ月で定年退職、新年度からは学校の校長に就任することが決まっていた。そんな矢先に危険を冒して告発に踏み切ったのはなぜか――。 「彼は、何事にも義を重んじるタイプで、情に厚い男でした。 後輩の職員たちが、県民のためにイキイキと働ける職場であってほしい。ただその思いだけで告発したんです」 そう明かすのは、Yさんの知人で、県関係者のKさんだ。 「斎藤氏は知事に就任したとたん、すでに辞意を表明した片山安孝副知事(64)を筆頭に、かねてより親しかった数名の職員を幹部に抜擢。内輪だけで県政を進めていました。気に入らない者は左遷、更迭など冷遇されますから、職員たちは、戦々恐々としてウツになる人もいた。 人望の厚いYさんは後輩たちから相談を受けていたので、退職前になんとかしたかったのでしょう」(Kさん) ところが、斎藤知事は当初、Yさん��告発を「嘘八百!」と決めつけ、右腕の片山副知事らがYさんのパソコンを押収。第三者機関による調査もせず、Yさんを懲戒処分にしたのだ。 しかし、Yさんの告発が嘘八百ではない証拠が報じられたため、兵庫県議会は調査権限をもつ「文書問題調査特別委員会」(以下、百条委員会)の設置を決定。7月19日にYさんが百条委員会で陳述することが決まると、「知事の側近や知事に近い県議から、Yさんへの“脅し”が始まった」と報じている。 「私は、彼が自死する10日ほど前までやりとりしていましたが、彼は闘う気満々でしたよ。 でも、その裏では、『百条委員会の証言に立つなら(Yさんの)パソコンに入っていた個人情報をすべて公開する』などと脅されていたようです。百条委員会を何が何でも貫徹するためには、“最後の抗議”をするしかない、と考えたのでしょう」(Kさん) Yさんが出席するはずだった7月19日の百条委員会では、彼が死の直前まで準備していた陳述書と音声データが公開された。 そこには、「まだ飲んだことがないので折を見てお願いします」などと、ワインを“おねだり”する知事の声が。ワインは地元町長から知事の元に届けられ、知事は「自宅で飲んだ」と認めている。 そんな“おねだり”知事と正反対なのがYさん。地元住民からも厚い信頼を寄せられていた。 「Yさんはサイクリングが大好きで、住民たちと一緒に、よくサイクリングに出かけていましたよ。 ちょうどコロナ禍になったころ、『サイクリングなら密にならない。住民の方々の気分転換にもなる』と言って、地元の名所を回るサイクリングコースを開拓し、パンフレットを作成してね」 Yさんが作ったサイクリングコースは、今でも西播磨県民局のWebサイトで紹介されている。 「県民局主催のイベントの際、気難しい住民に協力を求めに行っても、『Yさんのイベントなら、なんぼでも協力するよ』と、みんな快く引き受けてくれたようです」 Yさんは退職を前に、「西播磨に赴任させてもらって本当に幸せやった。ここで、いろんな人と知り合いになって、楽しい仕事ができた」と語っていたという。 一方、斎藤県知事は、おねだりのみならず“パワハラ”も。 〈執務室、出張先に関係なく、自分の気に入らないことがあれば関係職員を怒鳴りつける〉〈出張先のエントランスが自動車進入禁止のため、20mほど手前で公用車を降りて歩かされただけで、出迎えた職員らを怒鳴り散らす〉など、Yさんの告発文には、斎藤県知事の横暴��りが列挙されている。 ■パレードの担当課長の訃報は3カ月も伏せられていた より深刻なのは、補助金のキックバック疑惑だ。 昨年11月のプロ野球、阪神・オリックスの優勝パレードに際し、県はクラウドファンディングを行った。告発文によると、必要額を大きく下回ったため、信用金庫への県補助金を増額してキックバックさせることで補ったという。 パレードを担当していた前・県民生活部総務課長は重責を感じ、当時病気休暇中であることを、Yさんは告発文で明かしていた。 その後、前・県民生活部総務課長は4月下旬に自死したとみられる。 「通常、職員が亡くなると、お見舞い金を集めるのですが、前・県民生活部総務課長の死は伏せられていたのでそれもできなかった。 ようやく7月23日に職員のイントラネットの掲示板で訃報が掲載されました」(Kさん) 3カ月も訃報が伏せられていたのは、後ろめたい事情があったからではないのか。 斎藤知事は7月24日の定例会見で「遺族の意向で公表していなかった」と語ったが、またひとつ告発文の真実性が明らかになったわけだ。 百条委員会の委員で、県議の丸尾牧さんも、こう証言する。 「告発文の真偽は今後の百条委員会で明らかにしますが、書かれていた内容は、多くの職員が知っていた有名な話のようです」 丸尾さんは今年4月、県庁前で職員らにアンケート調査を実施。 回答の中には、〈広報物には知事の写真を入れないと激怒する〉〈パレードの担当課長が自死されたと聞いた。県庁内はまるで箝口令でも敷かれているかのごとく誰もそのことを口にしません〉などという告発文の真実性を裏付ける内容が多数含まれている。 「Yさんのためなら、百条委員会で証言に立つ、と言っている職員は多数います。 しかし、県当局は、『百条委員会への出席を求められた職員は、事前に守秘義務免除の手続きを行え』などと、職員の不利益になる条件を突きつけているんです。妨害としか思えません」(Kさん) Yさんが命と引き換えに守ろうとした「県民のための県政」を取り戻す必要がある。
「“個人情報をすべて公開する”と脅されていた」斎藤知事パワハラ疑惑 亡くなった局長の知人明かす怒りの真実(女性自身) - Yahoo!ニュース
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『第65回 2024年報道写真展』
期間:12月11日(水)~22日(日) 午前10時~午後7時
会場:日本橋三越本店 本館7階 催物会場 【入場無料】
久々に参りました、日本橋三越さん。
全くもって嬉しい限り。大感激です。
今年一年の締めくくり、写真で振り返る、世間の出来事。
本当に有難く、誠に大感謝、関係者の皆様方へ厚く御礼申し上げます。
あっという間でした、この一年。皆様方は如何でしたか?
そう、そう、そう、明年への準備ですよね。
クリスマス、そしてお正月、エトセトラ。。。
寒さ厳しくなりましたので、皆様方もお身体に気をつけて、
お過ごしくださいませ。
それでは、また!
《写真の185年〔2024年)》
<写真展>
箱根駅伝100回記年
報道写真で振り返る箱根駅伝展
日本橋三越本店 本館1階
2023年12月27日(水)〜2024年1月9日(火)
中平卓馬 火―氾濫
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
2024年2月6日(火)~ 4月7日(日)
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる
東京都写真美術館
2024年3月16日(土)~5月12日(日)
アンセル・アダムス作品展「ポートフォリオIV:偉大なる啓示」
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 企画写真展
2024年3月28日(木)~5月22日(水)
没後70年 戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―
東京富士美術館
2024年4月9日(火)~2024年6月23日(日)
写真展「明治通りを走った都電―金子芳夫撮影写真から―」
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 特別展示室
2024年4月23日(火)〜6月30日(日)
マイケル・ケンナ写真展「JAPAN / A Love Story 100 Photographs by Michael Kenna 」
代官山ヒルサイドフォーラム
2024年4月17日(水)~5月5日(日)
写真展「In Focus: Yuzuru Hanyu Lensed by Jiro Konami」
グッチ銀座 ギャラリー
2024年5月22日(水)– 6月30日(日)
田原桂一『OPÉRA de PARIS』
ポーラ ミュージアム アネックス
2024年6月21日(金)~2024年7月28日(日)
ロバート・フランク生誕100周年記念展
「もう一度、写真の話をしないか。フランクと同時代の写真家たち」
清里フォトアートミュージアム
2024年7月6日(木)~9月29日(日)
ポール・マッカートニー写真展 1963-64~Eyes of the Storm~
東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)
2024年7月19日(金)~9月24日(火)
山岸��写真展「KAO」日本の顔 scene1072-1140
オカムラ ガーデンコートショールーム
2024年7月16日(火)~7月27日(土)
ニコンミュージアム リニューアルオープン
2024年10月12日(土)
※ニコンミュージアムは、2017年7月にニコン創立100周年を記念して品川インターシティに開設。新本社移転に伴い、リニューアルオープンした。
第65回 2024年報道写真展
日本橋三越本店 本館7階 催物会場
12月11日(水)~22日(日)
<展覧会>
開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年
フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築
パナソニック汐留美術館
2024年1月11日(木)〜 3月10日(日)
【特別展】山本陽子さんと山本海苔店-写真で振り返る57年
山本海苔店日本橋本店内特設コーナー
2024年3月8日(金)~3月31日(日)
生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」
日本橋三越本店本館4階 呉服特選サロン
2024年3月月27日(水)〜4月9日(火)
生誕100年記念 東京タワー大特別展
「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」
東京タワー1F RED°TOKYO TOWER特別会場
2024年3月28日(木)~5月6日(月・休)
虎ノ門ヒルズ ステーションタワー
2024年4月12日(金)〜6月23日(日)
<映画>
映画『オペラ座の怪人 4Kデジタルリマスター』
2024年6月14日(金)〜
全国ロードショー
『フェラーリ』
2024年7月5日(金)〜
全国ロードショー
ゴジラ博 in東京ミッドタウン日比谷
2024年8月13日(火)~2024年9月1日(日)
東京ミッドタウン日比谷 6F BASEQ HALL
主催:ゴジラ博実行委員会
共催:三井不動産/東京ミッドタウン日比谷企画
監修:東宝公式サイト
https://www.godzilla-tokusatsu.com/
ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ BB生誕90年祭
2024年9月13日〜
東京・新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、他、全国の劇場で順次開催。
第76回エミー賞 主演男優賞 真田広之
ドラマ「SHOGUN 将軍」
2024年9月15日(日)
※(日本時間16日)
<文学>
寺山修司展
世田谷文学館
2024年10月5日(土)〜2025年3月30日(日)
※生誕90年を記念
<美術館・博物館>
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
東京国立博物館
2024年1月23日(火)~4月14日(日)
大吉原展
東京藝術大学大学美術館
2024年3月26日(火)~5月19日(日)
名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」
2024年5月1日(水) 開館
お茶の文化創造博物館
お~いお茶ミュージアム
伊藤園
2024年5月1日(水)オープン
UESHIMA MUSEUM
渋谷教育学園 植島タワー
2024年6月1日(土) オープン
生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界
東京都庭園美術館
2024年6月1日(土)〜8月25日(日)
カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展
東京国立博物館 表慶館
2024年6月12日(水)〜7月28日(日)
<商業施設>
内幸町一丁目再開発
2024年2月から着工、全ての完成は2039年度の予定。
東京都立代々木公園が拡張整備され、2024年3月供用開始予定。
あべのハルカス開業10周年
2024年3月7日
<観光業>
観光施設「豊洲 千客万来」開業
2024年年2月
山の上ホテル
2024年2月13日 全館休業
※休館理由:竣工から86年を迎える建物の、老朽化への対応を検討する為。
追記
明治大学は2024年11月15日、東京・神田にある「山の上ホテル」の土地と建物を取得した。
帝国ホテル 東京 建て替え計画
※国際的ベストホテルを目指し、2024年から2036年頃までの期間、グランドホテルとなる新本館と複合ビルの新タワー館を建設。
「食のサステナビリティフォーラム2024」
~“今”の時代の料理人を作る~
帝国ホテル 東京
2024年4月16日(火)
パーク ハイアット 東京 開業30周年
2024年5月7日より、改修工事のため約1年半にわたり全館休業。
HOTERES EXPO 2024 東京
テーマ「より深く知り、より広く活かす」
ヒルトン東京
2024年6月4日(火)
虎ノ門ヒルズ アンダーズ 東京 開業10周年
2024年6月11日(火)
ホテルニューオータニ 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.newotani.co.jp/tokyo/60th/
東京プリンスホテル 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.princehotels.co.jp/tokyo/contents/60th/
<教育機関>
東京科学大学 発足
2024年10月1日
※東京工業大学と東京医科歯科大学が統合。科学大は理工学と医歯学との「医工連携」で、新しい研究分野の開拓を掲げる。
<法律>
現行の健康保険証を2024年冬に廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替える。
2022年10月13日(木) 政府発表
自転車に関する道路交通法の改正について
2024年11月1日施行
<自然災害>
能登半島地震
2024年1月1日(月) 震度7
<コロナ>
コロナ公費負担全廃 2024年4月
<その他>
ヒロタ創業100周年
2024年10月1日
ハローキティ発売50周年
https://hellokitty50th.sanrio.co.jp
富士フイルム 創立90周年
2024年1月20日(土)
バービーデビュー65周年
グランドセイコーミュージアム 開館
セイコーミュージアム銀座6階
2024年4月2日(火)
迎賓館赤坂離宮 開館50周年
2024年4月11日(木)
モンチッチ 誕生50周年
東京バレエ団 60周年
カシオウオッチ50周年https://www.casio.com/jp/watches/50th/
安部公房 生誕100年
日本武道館 開館60周年
※1964年10月3日 開館
<訃報>
写真家 篠山紀信
2024年1月4日 83歳
写真家 細江敏広
2024年9月16日 91歳
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2024年12月10日
証言集を手にする山口響さん(右)と被爆者の城臺美彌子さん(右から2人目)ら=2023年11月28日、長崎市魚の町、寺島笑花撮影
平和賞授賞式を機に考えたい 被爆者が語ってきたのは「理想」なのか(朝日新聞 Re:Ron)
「長崎の証言の会」証言誌編集長・山口響さん寄稿
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に間もなく、ノーベル平和賞が授与される。
ロシアによる対ウクライナ戦争は、核兵器使用の可能性を高く保ったまま開戦から3年の時を迎えようとしている。パレスチナ・ガザ地区に対する核兵器使用を肯定する声もちらほらと聞かれる。しかし、「日本被団協がノーベル平和賞を受賞」との報が飛び交う中で、核兵器使用の決断ができる指導者はそうそういない。「核兵器は絶対に二度と使われてはならない」というノルウェー・ノーベル委員会の強い意思は、核使用への強い制約として働く。
ただし、賞などというものに対する他人の注目はしょせん瞬間風速的なものだ。実際、「この20年でノーベル平和賞を与えられた個人・団体を10以上挙げよ」と言われたら、答えに窮する人は少なくないのではないか。
賞の直接の当事者でない者の記憶はそのぐらい移ろいやすいものだということを前提として、ここでは、「祝賀」ムードからは一歩身を引き、「被爆者の声」なるものを私たちがどう考えるべきかを示しておきたい。
というのも、ノルウェー・ノーベル委員会が、日本被団協への平和賞授与の理由を「『核兵器が二度と使われてはならない』と証言によって示したこと」と説明しており、その意味するところには多少の肉付けが必要だと感じているからだ。
私(48歳)はこの10年ほど、「長崎の証言の会」という団体で、被爆証言誌を刊行する活動を続けてきた。また、研究者としても、被爆前後の長崎の歴史について調べている。もちろん、日本被団協を含めた各地の被爆者団体で被爆者の相談活動に加わってこられたような方々の経験と比べれば大したものでないことは承知しているが、いちおう、被爆者の聞き書きを続け、被爆体験集を多く読んできた者として、発言してみたいと思う。
「冬の時代」にある戦争体験の継承
「被爆者の声」なるものをめぐっては、被爆当事者、あるいは被爆者に伴走して活動している人々の間から、「核兵器の問題に無関心な人たちにどうやったら被爆者の声(証言)を聞いてもらえるか?」という問いが頻繁に発せられる。
そしてこうした問いはしばしば、証言集の刊行から紙芝居、朗読、演劇、音楽、映画、絵画、写真、小説や詩歌に至るまで、最近では、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、モノクロ写真のカラー化、AI被爆語り部といった形で、「被爆体験の継承」の有効な方法論をめぐる議論に横滑りしていきがちだ。
もちろん、こうした具体的な営みがきわめて重要であることは論をまたないが、今回私は、問題の位相を少しずらして、
(1)2024年現在の日本において、「被爆者の声」が聞かれうる環境はどうなっているか。
(2)そもそも「被爆者の声」とは何か。
という問いを考えてみたい。まずは(1)について。
広島・長崎への原爆攻撃とアジア太平洋戦争の終結から79年経つ現在は、「戦争体験者の声を聴けるラストチャンスの時代」としばしば言われ、そうした危機感がさまざまな活動を駆動させる背景になっている。
しかし、私自身は、「戦争体験の継承」にとって今は冬の時代だと感じている。どういうことか。
戦後79年の日本では、「戦争体験者の声に耳を傾ける」ことは「お年寄りの昔話を聴く」とほぼ同様のイメージで捉えられているはずだ。
ところが、メディア研究者の伊藤昌亮氏のインタビューによれば、東京都知事選での石丸伸二氏、衆院選での国民民主党、兵庫県知事選での斎藤元彦氏の躍進の背景には、世代間対立の強まりがあるという。
もし、若い世代の間で「老害批判」「既得権批判」が強まっているとすれば、もうそれだけで、「お年寄りの戦争体験」には耳を傾けてもらえなくなる。「人生の先輩を敬うべきだ」などという一般的な説教ではどうにも手当てできない。
こういった状況に対して――私自身もついついそう言ってしまいがちなのだが――、「『自分事』として捉えよ」という呼びかけが(特に若い人に対して)なされることが少なくない。
こうしたメッセージは、おそらくごく一部の人にしか刺さらないだろう。自分たちなりの「現実」に呻吟(しんぎん)している人たちには、「他人の」「過去の」戦争体験はなかなか届かない。まして、「過去に何があったか知らないけど、長生きしてきたということは、それなりにいい思いをしてきたんじゃないの?」などと思われてしまったら、回路は完全に閉ざされる。
しかし、「被爆者の声」に耳を傾けてもらうには厳しい社会環境にあることを指摘しただけでは、議論はストップしてしまう。
世代間の溝を埋めるには
そこで次に、2番目の「そもそも『被爆者の声』とは何か」という問いを考えてみたいと思う。このことが、世代間の溝を埋めるひとつのヒントになるかもしれないからだ。
日本被団協へのノーベル平和賞の授与が発表された時、それを支持する人は「被爆者の理想を現実に近づける上でこの賞は意味を持つ」と興奮したが、他方では「被爆者は理想ばかり語って安全保障の現実を見ようともしない」との懐疑的な意見もインターネット上にはあふれていた。
実のところ、これら両極の意見はいずれも「被爆者は理想を語っている」とする点で共通しているが、それは本当なのだろうか? 「理想」というのは、被爆者の語ってきたことに対して外から貼り付けたラベルであって、被爆者はただひたすらに「現実」を語ってきたのではないだろうか?
私の見るところ、被爆者の語る「現実」は、二つの重みを持っている。
79年前、8月の重み
ひとつは、8月6日・9日の「あの日」の現実の持つ重みであり、言い換えれば、「戦争を続けていれば、行き着くところはこうなる」という現実のことだ。「あの日」、生きながらにして人間の肉が溶け落ちた。「あの日」、末期の水を求めて何千人という人が川に蝟集(いしゅう)した。「あの日」、ある生存者は焼け跡で気が狂ったように歌い続けた……。
核兵器を含む現実主義的な安全保障論は、現実主義的であろうとすればするほど、「核兵器を持てば敵の攻撃は抑止できる。以上!」とはならず、核抑止が破れた後の世界のことも想定しておかねばならない。
核兵器使用シナリオをビルトインした現実主義的な安全保障の構想は、広島・長崎の被爆者たちが語ってきた「核使用後の現実」を一般の人々に当然に受け入れさせるような率直な用語で語ってきたのだろうか。私にはそうは思えない。軍事的なリアリストの練るデスクプランの「現実」の方が、被爆者の見た「あの日の現実」よりも重みをもって捉えられているとしたら、私にはその状況はよく理解できない。
被爆者は、核兵器廃絶という「理想」を一見語っているように見えても、見果てぬ夢を口にしているのではない。被爆者はただ「現実」だけを語ってきたのだというシンプルな事実に目を向けるべきだ。
被爆者の戦後の現実
被爆者はもうひとつ、被爆直後のことだけではなく、「その後」の現実をも語ってきた。
社会には、被爆者と、そうでない人がいる。原爆は、放射線の影響によって個体を傷つけるだけではなく、被爆者と非被爆者、場合によっては被爆者どうしの関係をもゆがませる。被爆者が将来をはかなんで自殺し、そのあとに残された者たち。自分の子の結婚相手が被爆者ではないかと疑い、探偵に調べさせた者。自分は被爆者ではないのに、被爆者の夫との間の赤ちゃんを産むことが心配で、夫に本当の理由を告げず中絶した女性。「いつも横になっているのがお母さんだ」とばかり感じていた、ある被爆女性の子ども……。
原爆の悲惨さを伝える取り組みは、核兵器の特殊性をどうしても強調しがちだ。もちろん、そうした特殊性があることは、否定してはならない事実である。
一方で、特殊性の強調は、被爆者の「現実」を理解しようとする他者の意思をくじくことにもなってしまいかねない。
被爆者を取り巻く「『その後』の現実」は、今を生きる人々の「現実」とそう遠いところにあるわけではない。ただ一点、原爆を理由とするという違いがあるだけだ。
私自身、被爆者の「『その後』の現実」をもっとみつめていきたいと思っている。性急に「継承」(=他者に伝えること)を図ろうとするより、「被爆者の現実」に対する自分自身の理解・解釈を深めていきたい。
幸い、広島・長崎の被爆者の証言は、世界のあまたの戦争体験の中でもっともよく記録されているもののひとつである。まずは、一冊の証言集を開き、一編の証言映像を見るところから始めてみてはどうだろうか。
やまぐち・ひびき 1976年生まれ。長崎県出身。京都大法学部卒。英シェフィールド大で公共政策修士号、一橋大で社会学博士号を取得。現在は、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員として長崎原爆の歴史を研究するかたわら、国際学術誌の編集長補佐、長崎県内の他大学での非常勤講師なども務める。「長崎の証言の会」証言誌編集長や、長崎新聞客員論説委員としても活動する。
田中美穂(カクワカ広島共同代表)【視点】 今回の #ノーベル平和賞 受賞をきっかけに、被爆者はこれまで一貫して「現実」を訴えてきたということを強調していかなければいけません。私たちも国会議員との面会の中で、「現実と理想がある」「核廃絶は究極の目標」と言われることが多々ありますが、「核廃絶は理想」とする人の「現実を見る」はただの現状追認に過ぎません。山口氏の仰る被爆者の「『その後』の現実」を私たち一人ひとりが学び、これは私たちの闘いでもあるということを広く共有していきたいと思います。今夜の授賞式での田中熙巳さんのスピーチを胸に刻み込み、「もう沢山だ」という怒りとともに、さらなる行動に繋げていきます。
BossB(天文物理学者・信州大准教授)【視点】 主な大量破壊兵器のうち、化学・生物兵器は禁止されているのに、核兵器は禁止されていません。化学・生物兵器は歴史が長い分、被害や苦しみに対する認識があるからでしょうか?世界を牛耳る西洋人たちも被害を受けているからでしょうか?ならばなおさら広島・長崎のストーリーは語り続かれていくべきです。核兵器の方がターゲット狙いをしやすい感があるのかもしれません。しかし、核兵器の使用はエスカレートし核の冬がやってきます。世界大半の人々が飢え死にします。
なぜ第2次世界大戦の戦勝国5カ国のみが核兵器を持っていいのか?って、他国が思うのは必然です。さらに、広島・長崎を抱える日本でさえ、核兵器禁止条約には不参加です(アメリカの傘下にあるから)。矛盾だらけだからこそ、広島・長崎は世界の先頭をきって、核兵器被害のストーリーを語り続け、核兵器禁止を叫び続けてほしいと思います。私も叫びます。
人々の意識は変わります。社会も変われます。体罰が当たり前だった時代から、体罰は間違っている、という認識を持てるようになった、タバコもどこでもパカパカ吸っていた時代から、吸っている方が肩身の狭い思いをする時代になった、核兵器も廃絶できると思います。
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