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#鴎外橋
hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)��
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にと��ては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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siteymnk · 9 months
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2023年の読書
昨年とほぼ同じペースで読書できたので、生活の一部になったと言って良いのだろう。少しずつ自分の嗜好が分かって来て、どちらかというと海外文学、最新刊よりは少し古めの作品が好きみたいだ。ビジネス書はいよいよつまらなく感じて来た。 新旧、有名無名、話題作受賞作に関わらず、タイトルや表紙、書評なんかで直感的に選んだ本が勝率が高い感じもある。レコードのジャケ買いと同じだ。今年は上下巻のある長めの作品にも挑戦したい。
「ボッコちゃん」 星新一
「ベロニカは死ぬことにした」 パウロ・コエーリョ
「虐殺器官」 伊藤計劃
「もう終わりにしよう」 イアン・リード
「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」 麻布競馬場
「MAZE」 恩田陸
「進歩 人類の未来が明るい10の理由」 ヨハン・ノルベリ
「まぼろしのパン屋」 松宮宏
「フィフティ・ピープル となりの国のものがたり」 チョン・セラン
「透明性」 マルク・デュガン
「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎
「すべてがFになる」森博嗣
「チェレンコフの眠り」一條次郎
「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」ガイ・ドイッチャー
「猛スピードで母は」長嶋有
「檸檬」梶井基次郎
「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ
「ペンギンが空を飛んだ日」椎橋章夫
「海と毒薬」遠藤周作
「失敗の科学」マシュー・サイド
「鶏」森鴎外
「夜に星を放つ」 窪美澄
「人類の星の時間」シュテファン・ツヴァイク
「レオノーラの卵」日高トモキチ
「教養としての上級語彙-知的人生のための500語」宮崎哲弥
「インヴェンション・オブ・サウンド」チャック・パラニューク
「乳と卵」川上美映子
「白の闇」ジョセフ・サラマーゴ
「いずれすべては海の中に」サラ・ピンスカー
「冗談」ミラン・クンデラ
「ユーモアは最強の武器である」ジェニファー・アーカー
「山月記」中島敦
「彼女は頭が悪いから」姫野 カオルコ
「見るまえに跳べ」大江健三郎
「みんなが手話で話した島」ノーラ・エレン・クローズ
「チュートリアル」 円城塔
「夏への扉」ロバート・A・ハインライン
「ナポレオン狂」阿刀田高
「HHhH プラハ、1942年」ローラン・ビネ
「笑い」ベルクソン
「ミサイルマン」平山夢明
「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ
「統合失調症の一族」ロバート・コルカー
「こころ」夏目漱石
「その昔、N市では」マリー・ルイーゼ・カシュニッツ
「平凡すぎて殺される」クイーム・マクドネル
「最後は臼が笑う」森絵都
「深い穴に落ちてしまった」イバン・レピラ
「ヒエログリフを解け ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース」エドワード・ドルニック
「歩道橋の魔術師」呉 明益
「狂人の部屋」ポール・アルテ
「思考の整理学」外山滋比古
「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン
「煙草と珈琲」フェルディナント・フォン・シーラッハ
「方形の円 偽説・都市生成論」ギョルゲ・ササルマン
「思いがけず利他」中島岳志
「月を見つけたチャウラ~ピランデッロ短編集」ルイジ ピランデッロ
「テロルの決算」沢木耕太郎
「君が手にするはずだった黄金について」小川哲
「デジタル生存競争」ダグラス・ラシュコフ
「ニムロッド」上田岳弘
「カモメに跳ぶことを教えた猫」ルイス・セブルベタ
「砂男/クレスペル顧問官」ホフマン
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hashsmusic-web · 2 years
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山椒太夫 Sansho Dayu
本格文学朗読演劇シリーズである極上文學の第9弾「高瀬舟・山椒大夫」(原作:森鴎外)のために書き下ろされた、ジャズピアニスト橋本啓一のオリジナル曲集。全編ソロピアノで演奏される。2015年の東京公演(CBGKシブゲキ!!)と大阪公演(大阪ビジネスパーク円形ホール)では舞台上で生演奏された。
An original song collection by jazz pianist Keiichi Hashimoto, written for the 9th “Takasebune/Sansho the Bailiff”(Ogai Mori) of the Gokujo Bungaku series, which is a Recitation that started in 2011. ”Gokujo” means superb, and “Bungaku” means literature. This album is a recording of a single performance without using sampled sound sources or programming. Played on the solo piano.
https://fanlink.tv/g09Ts
https://hashsmusic.themedia.jp/posts/10256832
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toshiki-bojo · 2 years
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「虚子への俳話」153
「花鳥」令和4年10月号より転載
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「三橋敏雄」
 前にも触れたが現代俳句の巨匠であった三橋敏雄氏は私にとっての憧れであった。  むろんご存知のように彼は現代俳句のリーダーであり、伝統俳句とは一線を画した戦後俳壇の重鎮であった。
 嘗て私はその敏雄氏と同じ俳句会に属していたこともある。藤田湘子氏の句会で「月曜会」といった。他に有馬朗人、中原道夫、黒田杏子、大串章、星野高士といった錚々たるメンバーの会である。
 ちまちました伝統派から見れば、なんという会に年尾先生の孫が入ってしまったのかと義憤にかられそうだ。そういう信念が現今の伝統俳句の将来を台無しにしたのだが。
 ことに敏雄のダンディズムというのは有名だが、どこの俳人ともまた違う魅力があった。稲畑汀子も彼のことを悪くは言わない。ただ昔あの人は家が火事になってお金に困ったといった他愛もない事を言ったりした。
 ところが彼の句となるとそうはいかない。嘗て信奉した誰の句とも異なる。いわば俳句のやり直しみたいなのを強いられる。そこがしかし男として魅力あるところで、その深淵を覗いてみたくなる。
 話は逸れるが氏から聞いた面白いエピソードがある。彼は一時小田急線沿線に住んでいたらしい。その電車に乗って一人で新聞のクロスワードパズ���をしていた。そこにとある駅から一人の人品骨柄卑しからざる女性が乗ってきて彼の隣に座ったそうだ。その女性はしげしげと彼を観察し、  「あなたお盛んにクロスワードをしていらっしゃるけれど、それは時間の無駄です。もっと素敵な趣味として俳句というものがございますのよ。是非それをおやりなさい」と言ったという。「はあしかし私には難しくてとてもとても」「いーえそんな事はございません。良かったら私の句会にしらっしゃい」「はあそうですか、では機会がございましたら是非そうさせて頂きます」 と言うと、彼女はそれで満足して名刺か何かを手渡し、豪華な成城学園駅で颯爽と降りて行かれたという。
 これはもう長島選手に草野球監督が電車の中で自分のチームに勧誘する事なのである。私と母はこの話を夢二忌の帰りの電車か何かで聞いて、二人とも本当に腹を抱えてわらった。
 当時、三橋敏雄とはすでに現代俳壇の大物で、現代俳句の巨匠、既にして歴史的俳人とされていた方だった。もしこの彼女がその後それに気づいたらどうしたのだろう。それを思うだけで楽しくていつも酒の肴になるエピソードであった。
 この人のオーラとはこういう事なのである。嘗てこの世界に足を踏み入れてからこんな人物に会ったのは初めてであった。
  かもめ来よ天金の書をひらくたび 敏雄
 この句に出会ってから私の俳句人生がゆらぎはじめる。  簡単で簡単ではない。しかしこの句は無季である。はたしてそれでも良いものは良い。その呪縛に囚われたら最後という句なのである。
 敏雄は本来、外航船の船員であった。その為に何度も世界の海の旅をした。その頃の作品だというのはわかるが、この開放的な空間をどうやって手に入れたのだろう。
 ご本人に好きだと言ったらたいそう喜ばれた。でもありきたりな感想しかできず、今に於いてもその感慨しか思い出せない。
 この頃敏雄はすでに抽象の概念を獲得し、それを実践した句であるらしい。航路のデッキで読む本。それは風によってヒラヒラと鳥の羽ばたくように郷愁を誘う。それが原風景となる。
 渡り鳥ではない鴎にたいして、それを雁に喩えたものという。それはこの船のこの瞬間にはあり得ない現実。しかしその本はその天金によって外国航路を象徴し、それを舞う鴎たちは雁がねの象徴として変貌する。
 こんな句を青年敏雄はすでに獲得していた。  今さらではあるが、この句を読んだ時のあの開放感は、ただ鬱々と伝統の名を汚さぬように俳句の道を歩まんとしていた弱冠三十歳の私に突き刺さるのはあたりまえである。  もし今私がその頃に戻ったらどうだったか。歴史のイフを思わずにいられない。
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team-ginga · 2 years
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『日本文学盛衰史』
 こちらは9月17日(土曜)に養父市のやぶ市民交流広場で見た青年団の『日本文学盛衰史』の劇評です。
 これもあまりに辛口で、このままでは雑誌に載せられないので、ここにだけコピペしておきます。
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 この日ここで上演されたのは高橋源一郎原作、平田オリザ作・演出の『日本文学盛衰史』――キャスト、スタッフは平田オリザが主宰する劇団・青年団のメンバーである。面白いのは開演前から女中役の女優たちがなにやら話したり、鼻歌を歌ったりしながら座敷にお膳を運び込んでいることである。観客が入ってきた瞬間から芝居は既に芝居は始まっているという趣向である。演劇の世界では時折あることだが、こういう趣向は楽しい。
 時間が来るとブザーもアナウンスもないまま芝居に入る。次々に役者が舞台上の座敷に現れ膳の前に座る。話の様子からそこは北村透谷の葬儀の席であり、客たちは明治の文人たち――森鴎外、夏目漱石、二葉亭四迷、島崎藤村、田山花袋、樋口一葉、正岡子規、国木田独歩、中江兆民、幸徳秋水といった面々であることがわかる。
 彼らはみな思い思いに話をしている。だから、ふた組の会話が並行して行われる場面もある。セリフが聞き取りにくいと言えばその通りだが、現実の宴席(葬儀の席だから「宴席」ではないかもしれないが)ではよくあることだ。現実がそうである以上、舞台でも同じようにするという趣向であろう。
 会話の中で鷗外が「漱石にLineで連絡する」と言ったり、透谷の妻が喪主の挨拶で「エリザベス女王も亡くなり、安倍元総理の国葬もあのようなことになり」と言ったり、時代錯誤的なというのだろうか、要するに明治の物語に現代の事柄を混ぜ込むギャグは、パターンとして決して珍しいものではないし、あざといと言えばあざといが筆者は好きだった。
 ただ、シェークスピアの『ハムレット』の話の際、「私は世パブで見た。主演は野村萬斎の息子だった」、「私は彩芸で見た。主演は藤原竜也だった」などと言うのはいかがなものだろう。「世パブ」は世田谷パブリックシアターの、「彩芸」は彩の国芸術劇場の略称・俗称であると想像できるが、演劇人か演劇愛好家にしかわからないことである。そういう内輪向けのギャグ、狭い「演劇村」でしか通用しないギャグを使うのは感心しない。演劇祭の演目なのだから、もっと一般の観客、初めて芝居を見るような観客をも取り込むような芝居にして欲しかったと思う。
 やがて来客たちが去り、田山花袋と島崎藤村だけが座敷に残る。田山花袋は畳の上にうつ伏せで突っ伏す。気分が悪いわけではない。女性が座っていた座布団の匂いを嗅いでいるのだ。この芝居では田山花袋を徹底してコミカルに描いており、第2幕ではなぜか田山はアダルトビデオを撮っていることになっていて、女流作家に叱られてはひたすら頭を下げている。田山花袋の関係者が見たら腹を立てそうだが、芝居のアクセントとしては決して悪くないと筆者には思えた。
 照明が徐々に暗くなり、田山花袋と島崎藤村だけに明かりが残る。すると来客たちが座敷に現れる。第2場、正岡子規の葬儀の席である。来客が揃うと喪主の挨拶があり、来客同士の会話があり、来客が去り、田山花袋と島崎藤村だけが残り、田山は女性が使っていた座布団に突っ伏すという展開が繰り返され、第3幕・二葉亭四迷の葬儀、第4幕・夏目漱石の葬儀と続く(喪主はもちろんその都度違う人物だが、つねに同じ女優が演じている)。
 こういう芝居の作り方には賛否両論があるだろう。何より問題となるのは、観客の側にある程度の文学的知識がないとわけがわからないことである。だが、少なくとも名前くらいは知っている文豪たちが大部分はくだらない話を、しかしときどきは文学や社会についてのまじめな話をしているのを見るのは筆者には面白かったし、最後まで登場する文豪もいれば、途中で死んでしまう文豪や新たに加わる若い文豪もいるというところで時の流れを感じさせるのも面白い。筆者は非常にいい芝居だと思った……第3場の終盤までは。
 第3場の終盤、ある女性が漱石に「なぜ私たちは思っていることを書いただけで弾圧されるのですか」と問いかける。漱石は答えるーー「我々文人は悲しいとか寂しいとか書かずに悲しさや寂しさを表現できます。政府はそれを恐れる。だから、我々が犬とか猫とか書くだけで、政府が弾圧する日が来るでしょう」。漱石は椅子をおいてそこに女性を座らせ話を続けるーー「これは単に女性が椅子に座っているだけです。でも政府はそれを恐れて弾圧するのです」。
 もちろんこれは慰安婦像のことを意味している。慰安婦像や「表現の不自由」展については様々な意見があるだろう。ここに筆者の意見を書くつもりはないが、「表現の不自由」展に脅しをかけたのはネトウヨとおぼしい一個人であって、政府が慰安婦像を弾圧したわけではないこと、慰安婦像はいまや日韓間の外交の道具、政争の道具となっているため、慰安婦像を見て大戦中慰安婦にされた若い女性に対して素直に哀悼の意を表することは非常に困難になっていること、その責任は日韓両政府にあること、つまり慰安婦問題は表現の自由・思想信条の自由の問題を離れて政治的外交的問題になってしまっていることは言っておきたい。そのような複雑な問題を政府の言論弾圧というシンプルな問題に引き下げてしまうのはいかがなものだろうか。
 第4場・漱石の葬儀の終盤には、第二次大戦後に文壇に登場するはずの太宰治、坂口安吾、織田作之助の「無頼派トリオ」が現れ、その場にいる文豪たちに彼らの未来を伝え、「北原白秋さんと高村光太郎さんは戦争を賛美する詩を書きます。島崎藤村さんはそれを見て見ぬふりをします。永井荷風さんは戦後、実は戦争に反対だったと書いてお金を儲けます」と言う。筆者は日本近代文学には詳しくないが、おそらくその通りなのだろう。しかし、未来の人間が過去の人間をまだ起きていないことを理由に告発するのはいかがなものか。それは「後出しジャンケン」というもので、あまりに傲慢ではないだろうか。
 芝居そのものはその後、芝居の原作者の高橋源一郎が登場し、文豪たちと一緒にスマホで自撮り写真を撮り、なぜか全員で「およげ!たいやきくん」のロックバージョンに乗せて踊って終わるが、終盤のこの展開は筆者には受け入れ難いものがあった。
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kakuuti · 5 years
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#小倉イルミネーション2019 点灯しましたねー。 #小倉イルミネーション #イルミネーション2019 #鴎外橋 (鴎外橋) https://www.instagram.com/p/B4mYO_2hDon/?igshid=1gwbt2bg6w8zz
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annaratna · 6 years
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https://ameblo.jp/hashimoto-shohei/entry-12401974393.html
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petapeta · 4 years
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小社『大漢和辞典』の「字訓索引」で「たのしむ」を調べてみると、なんとなんと、56個もの漢字が並んでいます。「ものには限度ってものがあるんですよ、諸橋博士」と文句の1つもいいたくなりますが、これらのうち、現在でも「たのしむ」として使われているのは、なんといっても「楽しむ」が代表、「愉しむ」もけっこうよく使われますが、あとは「娯しむ」をときどき、見かけるくらいでしょうか。しかし、数ある「たのしむ」と読む漢字の中から、この漢字がNo.2の地位を獲得したのは、実はそんなに古いことではないようです。文学作品での「愉しむ」「愉しい」などの用例を探してみたところ、私が見た範囲で一番古かったのは、林芙美子『放浪記』の次のような一節でした。 道を歩いている時が、私は一番愉しい。五月の埃をあびて、新宿の陸橋をわたって、市電に乗ると、街の風景が、まことに天下タイヘイにござ候と旗をたてているように見えた。この街を見ていると苦しい事件なんか何もないようだ。 この作品は、昭和1ケタのベストセラーですが、これ以前、たとえば漱石や鴎外、芥川龍之介といった明治・大正の文豪たちの作品の中には、「愉しい」「愉しむ」は見あたらないのです。少なくとも文学の世界では、この漢字がよく使われるようになったのは昭和に入ってからのことのようです。つまり、もともと「楽しむ」の独占市場であったところに、「愉しむ」が入り込んできたらしいのです。その理由はよくはわかりませんが、「楽しむ」では自分の思いが表現できないと感じたとき、人は「愉しむ」を使うようになったのではないでしょうか。ふつうの「楽しみ」ではない「たのしみ」。それが、「愉しみ」だというわけです。もちろん、その「たのしみ」のどこが「ふつうでない」のかは、人によって違うことでしょうけれど……。
「楽しむ」と「愉しむ」はどちらも「たのしむ」ですが、どのように使い分けたらよいのでしょうか?|漢字文化資料館
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myonbl · 5 years
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2020年1月29日(水)
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朝から apple のアップデート作業、macOS → 10.15.3,  iOS → 13.3.1,  watchOS → 6.1.2 となった。まだ iPadOS が残っているが時間切れ、行ってきます!
久しぶりの電車出勤、念のためにマスクを着用する。ところが、これでは iOS の顔認証が不可能、いちいちパスワードを入力しなければならない。
出勤してまず図書館へ、借り出しておきながら読めなかった山本周五郎を返却、予算執行申請書に押印。ここ数日 twit bot が動いてないので再設定。
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午前のミッション、スロー・リーディングの実践。夏目漱石・森鴎外・カフカの事例研究、なかなか楽しい。
事務局長から連絡、次年度の契約の件、私の希望を学長が了承したとのこと。
日本社会学会・関西社会学会に今年度末退会の連絡をする。日本社会学会は連絡フォームに「退会届」を添付、関西の方は事務局にメールするとすぐに返信が来た。日本村落研究学会についてはすでに連絡済み、これで、4月以降の所属学会は環境社会学会と日本民俗学会の二つだけ。こちらは、当分そのままにしておこう。
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職場ランチはおにぎり二つ、いつも通り梅干しと昆布。
IM嬢来室、「できる女プロジェクト〜落語編〜」、今日の課題は「質屋蔵」。事前に桂米朝全集を下読みし、わからない言葉などをノートに書き出し、DVDを鑑賞した後で私が解説を加える。今日の最大のキーワードは「菅原道真」、「怨霊」について知ることは日本史・日本文化について大変重要。平将門・崇徳院とともに、時間をかけて学ぶ必要がある。
ツレアイは午後から休み、京都みなみ会館で映画鑑賞。終わってから早めの夕飯準備、そこへ私も早い帰宅。
今夜は三男が夜勤、次男とともに先に済ませる。
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普段より1時間以上早く乾杯、昨晩の関東炊きが美味しい。
早めに切り上げて入浴。
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ハイボールいただきながら apple music を楽しむ、今夜は高橋真梨子。
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ウォーキングの余裕なく、3つのリング完成ならず。
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manabukuga · 7 years
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#鴎外橋 #illumination
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keymac · 5 years
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https://t.co/Ykk4yAfqtm  香川県・こんぴら温泉の旅館「琴平花壇」JR琴平駅から徒歩15分、金刀比羅宮まで徒歩20分、瀬戸大橋、善通寺まで車で30分。森鴎外が有名な小説を書いた数奇屋造りの離れも利用できます。
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siteymnk · 2 years
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2022年の文化活動(一覧)
昨年もあちこち行きました!全部で104か所。正直、あまり覚えていないモノもありますが、深層心理には刻まれていると信じて。 最も印象的だったのは、やはりフェルメールかしら。頑張って高層バスや新幹線で遠出したのも記憶に新しい(ベルナール・ビュッフェ美術館、DIC川村記念美術館)。仙崖のヘタウマ日本画は新たな発見であった。メディア芸術祭が終了してしまったのは残念。
クリスチャン・マーク トランズレーティング [翻訳する]@東京都現代美術館
Viva Video! 久保田成子展@東京都現代美術館
ユージーン・スタジオ 新しい海@東京都現代美術館
Journals 日々、記す vol.2@東京都現代美術館
MONDO 映画ポスターアートの最前線@国立映画アーカイブ
多層世界歩き方@NTTインターコミュニケーションセンター
オープンスペース2021 ニュー・フラットランド@NTTインターコミュニケーションセンター
奥村土牛 - 山崎種二が愛した日本画の巨匠 第2弾@山種美術館
ウェアラブルEXPO
視覚トリップ展@ワタリウム美術館
絵画のゆくえ2022@SOMPO美術館
2022 都民芸術フェスティバル@東京文化会館
アジアの聖地 - 井津健郎 プラチナ・プリント写真展 - @半蔵門ミュージアム
第14回 恵比寿映像祭@東京都写真美術館
ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展@東京都美術館
岡本太郎現代芸術賞展@川崎市岡本太郎美術館
木村伊兵衛と画家たちの見たパリ色とりどり展@目黒区美術館
FACE展2022@SOMPO美術館
接近、動き出すイメージ@トーキョー・アーツアンドスペース本郷
オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動展@アーツ千代田3331
メトロポリタン美術館展@国立新美術館
VOCA展 2022@上野の森美術館
tagboat Art Fair 2022@東京ポートシティ竹芝
ミロ展@Bunkamura ザ・ミュージアム
どうぶつかいぎ展@PLAY! MUSEUM
きみとロボット@日本科学未来館
浜口陽三、ブルーノ・マトン展@ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション
生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展@東京都現代美術館
吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる@東京都現代美術館
Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展@東京都現代美術館
Chim↑Pom展:ハッピースプリング@森美術館
2121年 Futures In-Sight展@21_21 DESIGN SIGHT
SF・冒険・レトロフューチャー×リメイク~挿絵画家 椛島勝一と小松崎茂の世界~@昭和館
鉄道と駅展@ガスミュージアム
日本の映画館@国立映画アーカイブ
シダネルとマルタン展@SOMPO美術館
カリブラテンアメリカストリート2022@錦糸公園
デザインフェスタ vol.55@東京ビッグサイト
スコットランド国立美術館 美の巨匠たち@東京都美術館
技研公開2022@NHK放送技術研究所
特別展 宝石 地球が生みだすキセキ@国立科学博物館
ボテロ展@Bunkamura ザ・ミュージアム
ポーランドフェスティバル2202@渋谷ストリームホール
明治神宮御苑の花菖蒲
ゲルハルト・リヒター展@国立近代美術館
音楽の日 2023@アンスティチュ・フランセ 東京
2022 イタリア ボローニャ・国際絵本原画展@板橋区立美術館
自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで@国立西洋美術館
キース・ヴァン・ドンゲン展@パナソニック汐留美術館
アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真@東京都写真美術館
TOPコレクション メメント・モリと写真@東京都写真美術館
瞬間の記憶~創刊150周年~スポーツ報知 報道写真展@東京都写真美術館
ライアン・ガーダー われらの時代のサイン@東京オペラシティアートギャラリー
森鴎外記念館
ベルナール・ビュッフェ美術館
ヴァンジ彫刻庭園美術館
フカシル「旅する美術史」
浮世絵動物園@太田記念美術館
Indeoendent Tokyo 2022@東京ポールシティ竹芝
国立科学博物館附属 自然教育園
ルードヴィヒ美術館展@国立新美術館
日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱@東京藝術大学大学美術館
野口哲哉展 -armored space-@座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM
スイス プチ・パレ美術館展@SOMPO美術館
Perfume 9th Tour 2022@有明アリーナ
PROGRESSIVE LIVE 2022~エイジア イン エイジア イン 吉祥寺
仙崖のすべて@出光美術館
大倉山記念館オープンデイ
第52回 文化庁メディア芸術祭 受賞作品展@日本科学未来館
見るは触れる@東京都写真美術館
イメージ・メイキングを分解する@東京都写真美術館
ジャン・プルーヴェ展@東京都現代美術館
MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ@東京都現代美術館
地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング@森美術館
学年誌100年と玉井力三@日比谷図書文化館
東京ビエンナーレ2023はじまり展@寛永寺
東京ビエンナーレ2023はじまり展@東京ドームシティ
鈴木大拙展 Life=Zen=Art@ワタリウム美術館
江東区まつり中央まつり@木場公園
DIC川村記念美術館
コミテコルベールアワード 2022 -The beauty of imperfection- 展@東京藝術大学大学美術館
WOW 25th Anniversary Exhibition「Unlearning the Visuals」 @寺田倉庫
アートウィーク東京2022
・HIROSHI SUGIMOTO OPERA HOUSE@ギャラリー小柳
・クリスチャン・ヒダカ&タケル・ムラタ展@銀座メゾンエルメス フォーラム
・第八次椿会 スバキカイ8 この新しい世界@資生堂ギャラリー
・吉増剛造展@タケニナガワ
・ストーリーテラー - 映像表現の現在 -@日動コンテンポラリーアート
・日に潜み、夜に現る@ペタロン東京
・Neue Fruchtige Tanzmusik@ユタカキクチギャラリー
・見附正康@オオタファインアーツ
・N@コタロウヌカガ
新木場&夢の島 わくわくおさんぽアートフェス
夢の島熱帯植物館
フジタが目黒にやって来た@目黒区美術館
つながる琳派スピリット 神坂雪佳展@パナソニック汐留美術館
大竹伸朗展@国立近代美術館
Maroon 5 World Tour 2022@東京ドーム
闇と光 - 清親・安治・柳村@太田記念美術館
初代国立演芸場さよなら公演12月定席公演(上席)@国立演芸場
生誕90年「事物の本質を見抜く眼」 バーニー・フュークスの世界@代官山ヒルサイドフォーラム
本屋の文化祭 チェコアニメ上映会@武蔵野公会堂
ピカソとその時代@国立西洋美術館
鉄道と美術の150年@東京ステーションギャラリー
今年も新たなアートとの出会いに期待。
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utsurobooks · 3 years
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車谷長吉について 僕の好きな私小説家に車谷長吉さんという方がおられる。 車谷長吉さんは1945年生まれで惜しくも2015年5月17日に解凍したイカを丸呑みし、其れを喉に詰まらせて亡くなってしまった。 この車谷さんは私小説家と云えども、生粋の底辺出身ではなく慶應大学の法学部と文学部に合格し、文学部に入学した御人だ。その為、西村賢太さんには私小説家として批判されていた。車谷さんが法学部を選ばず、なぜ文学部に入ったかというと、車谷さんが先天性蓄膿症のために入院していた際に鴎外と漱石を読み、其れに救われたからだとの事���先天性蓄膿症は結局治らなかった)。 車谷さんは私小説を長く書かれていたので破滅型といえば破滅型の御人なのであるが、生きる事の知識や理屈など、哲学的思考をもって文章を書かれていた。 車谷さん自身が幼い頃から晩年まで体験してきた事に対する怨嗟や呪詛の言葉の数々、自身の捻くれた性格のことや病気の事、奥様(詩人の高橋順子さん)の事などが数多く書かれている。 僕が一番初めに手にしたのは2006年に文春文庫から発刊された『忌中』という作品集で”死”を題材とした短編集だった。もう16年も前の事で僕が24歳の時だ。其れまでこんなに生活臭のする小説がある事を知らなかった自分には衝撃的だった。純文学や私小説など無縁の大衆小説しか知らなかった自分の何かを変えてくれた作品であった。それから僕は私小説や純文学を探し読む様になった。 車谷さんは平成6年12月号の『文学界』で発表した『静かな家』という作品中で「言葉は霊媒である」と書かれた。また、別の物語では「言葉は呪詛であり祝詞である」とも書かれた。僕はこの真理とも呼べる言葉に甚く感嘆した。 言葉とは、意味が解らなければ只の音や絵である。 だが意味が解った途端に其れは呪詛となり祝詞と成るのだ。 そして上記した「言葉は霊媒である」というのは、自身が忘れていた時代が誰かの言葉により引き出され、既に会う事も無くなり此れからも生涯会う事も無いであろう忘れていた人々(亡霊)や出来事が想いだされる事である。昔の自身の懐かしい時代の音楽などを流し続けると脳の感覚変化があるのも其の一つである。 言葉とは凄いものなのだ。 言葉とは恐ろしいものなのだ。 其れを教えてくれたのが車谷長吉さんであった。 作品も素晴らしいが、一つ一つの言葉の紡ぎ方が素晴らしいのだ。 車谷さんの作品を読んだ事のない方は是非読んでほしい。 手始めに、直木賞を取ろうと氏が死ぬ気で書いた『赤目四十八滝心中未遂』などを心からお薦めする
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hachikenyakaiwai · 3 years
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
私が大塩平八郎の事を調べて見ようと思ひ立つたのは、鈴木本次郎君に一冊の写本を借りて見た時からの事である。写本は墨付二十七枚の美濃紙本で、表紙に「大阪大塩平八郎万記録」と題してある。表紙の右肩には「川辺文庫」の印がある。川辺御楯君が鈴木君に贈与したものださうである(略)万記録は所謂風説が大部分を占めてゐるので、其中から史実を選み出さうとして見ると、獲ものは頗乏しい。併し記事が穴だらけなだけに、私はそれに空想を刺戟せられた。そこで現に公にせられてゐる、大塩に関した書籍の中で、一番多くの史料を使つて、一番精しく書いてある幸田成友君の「大塩平八郎」を読み、同君の新小説に出した同題の記事を読んだ。そして古い大阪の地図や、「大阪城志」を参考して、伝へられた事実を時間と空間との経緯に配列して見た(附録)。森鴎外『大塩平八郎』青空文庫版(ルビ省略)。
高麗橋 十四人はたつた今七八十人の同勢を率ゐて渡つた高麗橋を、殆世を隔てたやうな思ひをして、同じ方向に渡つた。河岸に沿うて曲つて、天神橋詰を過ぎ、八軒屋に出たのは七つ時であつた。ふと見れば、桟橋に一艘の舟が繋つないであつた。船頭が一人艫ともの方に蹲つてゐる。土地のものが火事なんぞの時、荷物を積んで逃げる、屋形のやうな、余り大きくない舟である。平八郎は一行に目食はせをして、此舟に飛び乗つた。跡から十三人がどや/\と乗込んだ(九、八軒屋、新築地、下寺町)。
(写真)貞信「浪花百景之内 高麗橋」1869-70(ボストン美術館蔵) 浪花の名店が犇めくゴールデン・ストリート。橋の西詰には矢倉屋敷と呼ばれる名所がありランドマークとなっていました。「恵美須屋岩城三井の呉ふく店よりとらやの菓子店にいたるまで」(一荷堂半水)皆この通りに軒を連ねて、全国に名をとどろかせていました。とらやは和菓子の老舗・鶴屋八幡の前身。
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kachoushi · 4 years
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星辰選集
花鳥誌 令和3年3月号
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令和2年12月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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空蟬や南無も讃歌も身のうちに 天野 かおり 裏側に暗黒をもつ日傘かな 髙橋 晁史 黒き背を軋ます鯉や池の秋 岩佐 季凜 新盆の母に故郷の口説唄 江本 由紀子 琵琶の音をたどれば前の世の月夜 平山 きみよ 蟬の穴侍らせ鰹塚でんと 松井 秋尚 瓢の笛聞こゆる峠去来塚 吉田 志津子 月の雨船場名残の常夜灯 伊藤 ひとみ
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たまのをや誰にみせよか島暮し 安原 さえこ 路地裏に伏せし盥や秋暑し 佐藤ゆう子 夏蝶の歌垣飛騨の稜線に 馬場 省吾 秋日傘幽雅に交はし戸定邸 田辺 て津子 大空に一太刀浴びせ星流る 山崎 肆子 走り根を終の褥に秋の蟬 西村 史子 まちがひをゆるしてしまふ秋桜 小林 含香 泊らずに帰る息子や十三夜 関 とし江
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蟷螂の眼に星雲の翳沈む 松村 健一郎 朝倉の���井戸のぞく秋の声 四本木 ただし 口笛の夜を流れ来て夏果つる 渡辺 幸子 遺骨待つただそれだけの盂蘭盆会 多田 みす枝 のぞく子の目玉の映る金魚玉 水島 直光 女装せし男踊りし風の盆 山岸 世詩明 鶏頭を滾らせ畑の入日かな 鍜治屋 都 氷川丸入道雲に包まれて 小川 みゆき
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曼荼羅の諸仏散らして銀河濃し 小川 笙力 露草の風貌まさに哲学者 近藤 数幸 大���なカットの水着似合ふ腰 加藤 清美 鬼やんま兄に惜しげに触らせて 岩原 磁利 化身めくおはぐろ蜻蛉姫塚へ 蟹江 紅水 鈴虫の墓に十字架園児去る 鈴木 経彦 ゆくりなく女と生まれ天の川 渡辺 美穂 露の夜は編上げの紐結ふごとし 田中 惠介
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水をくれムンクの叫び原爆忌 田上 喜和 蟻の列ラベルのボレロまだつづく 上嶋 昭子 月光の真つ直中に寝てをりぬ 坂井 令子 墓参軍医の叔父と鴎外と 久米 令子 サングラス婆三人の高笑ひ 森村 ふじ穂 指一本瀕死の蟬の死を醒ます 平出 紀花 原爆忌こころに消えぬ襞の数 太宰 裕四郎 大寺の黙の砌や生身魂 草刈 幸風
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曼珠沙華地下に太古の屍あり 加納 佑天 ひぐらしや電車は帰る人乗せて 伊藤 裕章 ニングルの森に木の実の細工店 吉田 美智子 太極拳師匠ばかりに蚊がまとふ 片山 七三子 映像に合はす黙祷終戦日 舩上 照江 昼顔や鮭の番屋に羆来て 永井 清晴 なんと元気な赤を尖らせ唐辛子 髙田 栄子 終戦日一男優の死すを聞く 髙畑 和子
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星月夜弘田三枝子の歌を聞き 𠮷田 光子 逆転勝利抱き合ふ児等の夏終る 鵜養 れい 台風に哂されてをり観世音 岩田 好松 廃船のロープに網に秋の風 植村 富美枝 海辺にて繕ふ魚網柏翠忌 水野 よみ子 豆腐屋の喇叭が通る柏翠忌 山田 あき子 会ひに行く見返り阿弥陀柏翠忌 加藤 美智子 虚子の泣く母娘の踊り柏翠忌 古賀 睦子
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