#高級食パン専門店一期一会
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物��。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネク��イだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度��司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不��を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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2024/10/21 8:00:15現在のニュース
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久しぶりに 高級食パン🍞の 一期一会小平店で あん食パン🍞と プレーン食パンをゲット❗️ 頂くのが楽しみ‼️ #高級食パン #高級食パン専門店 #高級食パン専門店一期一会 #食パン #食パン大好き #食パン好き #朝食パン #ショコラ食パン #一期一会小平店 #美味しい #うまい #やわらかい #生食パン #生食パン好き #食パン好きと繋がりたい #生食パン好きと繋がりたい #高級生食パン #北海道小豆 #あずきパン #あん食パン #小平市 (高級食パン専門店 一期一会 小平販売店) https://www.instagram.com/p/CXc7_A3F3Hn/?utm_medium=tumblr
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 5月6日(金) #先負(己未) 旧暦 4/6 月齢 5.3 年始から126日目(閏年では127日目)にあたり、年末まではあと239日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨夜、Amazonプライム videを観なが ら焼酎を煽り過ぎてプチ二日酔いポイ こんな事なら今日も休みで良かった ジャンって後悔してます🥵レッドブルが 更に気持ち悪くさせますね⤵️駄目だ コリャな辛い朝になってますゲロゲロ🤮 . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #コロッケの日. 各種の冷凍食品の製造販売を手がけ、全国の量販店、コンビニ、外食産業などに流通させて、日本一のコロッケメーカーを目指す香川県三豊市の株式会社「味のちぬや」が制定した日。 日付は明治時代に登場して以来、庶民の味方として親しまれてきたコロッケを春の行楽シーズンに家族で食べてもらいたいとの願いと、5と6で「コロッケ」と読ませる語呂合わせから。 . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う). 「先負日」の略。 陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。 「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。 午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #高級食パン文化月間(4月8日~5月9日). 高級食パン専門店「銀座に志かわ」を全国に展開する株式会社銀座仁志川が制定。 4月8日の「高級食パン文化の日」をスタートに、5月9日までの32日間にわたり新しい食文化としての高級食パンをとくに味わってもらう期間を 設けることで、高級食パンの魅力を長く伝えていくのが目的。 日付は4と8で「食パン=し(4)ょくパ(8)ン」の語呂合わせから。 . #コロコロの日. . #コロネの日. . #こだますいかの日. . #ゴムの日. . #熱中症対策の日. . #さくらパンダの日. . #ふりかけの日. . #宮古港海戦の日. . #アクティブシニアの日. . #迷路の日. . #手巻きロールケーキの日(毎月6日). . #メロンの日(毎月6日). . #ヒンデンブルク号爆発事故(#Hindenburg Disaster). . #国際ノーダイエットデー. . #殉教者の日(#レバノン・ #シリア). . . ■今日のつぶやき■. #綺麗な花は山に咲く(キレイナハナハヤマニサク) 【意味】 庭に咲く花よりも野山の自然の花の方が美しいところから、本当に良い物や価値のあるものは、人の知らないところにあると云う例え。 . . 2000(平成12)年5月6日(土) #染野有来 (#そめのゆら) 【女優、グラビアアイドル】 〔茨城県〕 . . (北千住) https://www.instagram.com/p/CdMVJTyh7d7naJr-QKbpOCjk2CUUxnlD8ISlUI0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先負#コロッケの日#大明日#神吉日#高級食パン文化月間#コロコロの日#コロネの日#こだますいかの日#ゴムの日#熱中症対策の日#さくらパンダの日#ふりかけの日#宮古港海戦の日#アクティブシニアの日#迷路の日#手巻きロールケーキの日#メロンの日#ヒンデンブルク号爆発事故#hindenburg#国際ノーダイエットデー#殉教者の日#レバノン・#シリア#綺麗な花は山に咲く#染野有来#そめのゆら
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2021年9月の夢
- 2021年9月30日 木曜日 4:17 夢 カエルという名前は「めしべをたべる」みたいな言葉が縮まってカエルになったらしい。 そらまめみたいなとかげを触る。 部族の人が円になって踊っている。 父がそれらを研究しているらしい。
白いツルツルした竪穴に入る。中は90度に曲がっている。女子に追われている。同級生と中へ入る。 安全なところを探す。例えば畦道の納屋など。体を隠すためにはまずそこが体の入る大きさかどうか見なければ……とエロ本隠し選手権で得た知識が役立っている。 誰かを祝うために土手でクラッカーを鳴らす。ほとんどが鳴らない。最後の二つだけが鳴り、細いテープが放物線を描いて高く飛ぶのが見える。 水川かたまりがいる。 良くも悪くもない夢。
- 2021年9月29日 水曜日 6:50 夢 先生助けてクラス、通常せんたすというものがある。
船に乗ると台風なのか大荒れ。今にも沈みそう。 怖い。降りる。船着場の屋台。煮魚を見ていたら買うと思われて店員の高校生みたいな子に手配される。
電ガマに黄色いビーフンみたいな麺がヒタヒタに入っている。引き上げてボウルにうつす。 ハライチ。岩井にめちゃ髭。話しながら顔を近づけていって頬をくっつけるギャグみたいなやつがある。 よつばとっぽいキャラクターを紙粘土で作ったもの。腕が折れる。 10人くらい女性がいる。一人一つアイ��ャドウを割り当てられており、ペアになりたい女性とアイコンタクトで組む。春っぽい色の女性と組む。爪に海の絵を描く。
中国のスーパーにいる。 母がねじねじの赤い棒と青い棒を買い、当たりが出て10本追加で渡される。折れた部分は店員さんが口に入れてたりしてすごい雑でこっちらしいと思う。 日本でいうところのイオンなのか。男性用の紐パン屋やタトゥー屋もある。写真を撮る。
- 2021年9月28日 火曜日 6:33 夢 実家。正月の雰囲気。食卓の窓側の席におじいちゃんがいる。モスグリーンのセーターの下に赤い襟付シャツを着ていて、すごくしっかりした顔をしている。ハグして元気か聞くと、施設で過ごすのは気が休まらないみたいなことを言う。そうかあ。少し現実とのギャップの違和感があるが、環境が変わったから刺激が良いのかな?と思う。餅を焼く雰囲気がある。しばらく手をつないでいるが、やがておじいちゃんは席を立つ。
布団シーツの中に青緑色に光るタマムシみたいなゴキブリがおり、スプレーを噴射する。浮き上がりながら逃げていくがやがて死ぬ。マクドナルドの紙袋の中にも一匹いる。ノズルが入る隙間だけ開けて、あとはガムテで密閉しようかなと思い、そうする。
飛行機に乗りすぎて飛行機に乗るのは足を洗うためだという人。べつに飛行機は足が洗いやすいというわけでもないのにと思う。だがコックピット側のトイレは段差がそうなっているらしい。 パソコン室。ノートにしていた野帳が先生?のノートに挟まれている。2冊。キミドリ色の野鳥もある。ゴミ箱。けんごが来る。
- 2021年9月27日 月曜日 8:40 夢 文鳥を二羽飼っていて、一羽が死ぬ。ポトリと横になる感じ。 銀行のようなところ。朝礼。人たくさん、バタバタしている。前の列の丸椅子にゴミが置いてあり、黒い液体が滴っている。拭くものを探す。三枚の資料の上に座っている人。Tさんに絵を描いたふせんを渡す。このガヤガヤの中で画板で原稿やってる人がいる。 Tさんと外に出る。パスタ屋、洋食? ケーキ屋などどれに行きたいか話す。 目的の場所に歩いて五分ほどで着く。雨上がりっぽい雰囲気のオフィス街、アーケードの入り口。以前に焼き菓子を売っていると思った店の雰囲気が変わっていた。入ると女子高生みたいな数人がいる。店内がコの字型に進行方向を決められていて、カウンター内は多めに店員がいる。すごく小粒のパステルカラーのチョコレート菓子みたいなものがガラスケース内にある。ツヤツヤの落���のようでもある。そう高いものではなく、1つ80円くらいか? それを別途平たい専用のギフト箱を購入して、詰めて送るという趣旨。食べることがメインではないかわいさ重視のものもある。出る。
- 2021年9月26日 日曜日 6:07 夢 パトレイバーみたいな3人の女が登場する漫画?アニメ?を見ている。女の描き方がすごく良い、テンプレート的じゃなくて。 親戚の子供が家に寄っていく。机から落ちた時に背中を擦りむいていて、インフルエンザにかかるおそれがあるので病院で軟膏を塗ってもらっていた。 私の母に連れられて戻ってきて、声がでかい、とにかく元気。 知らない人の部屋。スキップフロアで漫画がたくさん置いてある。人がいなければ読める。 持ってるものを見せろと言ってくる。薬袋に文庫の漫画を入れていたが、裸体のシーンがあったことを思い出して子供には見せなくないなという感じがある。 Dさん。忘れ物を回収に行く。引き取り表みたいなレシートがあり、見ると期限切れ。 ごみごみした店内。
- 2021年9月25日 土曜日 7:13 夢 高橋一生の横顔のイラスト、角膜が異常にデカく描かれている。吸血鬼に関するフィクション。
- 2021年9月24日 金曜日 6:47 夢 部屋の中。前の住人が置きっぱなしの細いデスク。2、3台。入子構造。ピーナッツが洗い場にある。 社会人向けの勉強本。を書棚に平積みしているHさん。ポケモンの有名な人。香山哲さん作画。氷ステージの話。 バラバラになったトカゲやワニのおもちゃが転がっている。とりいさん。アカウントを見つけた気がするが気のせい。
- 2021年9月23日 木曜日 7:16 夢 スラムダンクの人。オレンジ色のタートルネックを着て向かいに座っている。高校の入学式だがどこの高校かわかっていない。千葉なんとか高校。 私の友人の同人誌を勝手に回し読みしている。そんな読み方をするものではないと憤慨し取り上げる。ボブヘアの女性が去ろうとし、黄色い本を置いていくように言うと、それは彼女が自費で購入したものだと分かる。置いていきましょうかと聞かれ、私にそうする権利はない、また読んであげてください(?)と言う。
- 2021年9月22日 水曜日 7:56 夢 実家。唐揚げがあり、妹がつまみ食いしている。私も食べる。 手羽元と大きい四角い唐揚げがある。 軟骨のところをくれるなら四角い唐揚げを譲ると持ちかけられ、妹は本当に優しいなと思う。 祖父が出かけていく。
- 2021年9月20日 月曜日 8:04 夢 Mが経費でフィリップスの体温計などを購入しており、引っ掛かりを感じる。私物では。 Mの家族が二人、病気で亡くなったと連絡が入る。
ショッピングセンターの吹��抜け空間から大急ぎで地階へ降り、走って遠ざかる。外は暗く、人通りがない。追われているというか、鉢合わせしないように急いでいる。道を進むと門扉があり、女性二人がタクシーを拾おうとしている。私はマフラーがひっかかる。 間に合えば乗せてもらえたのに。
- 2021年9月18日 土曜日 8:38 夢 学校。自動車。 モンゴルナイフさん。記事のオチ。障子の枠に動画をはめ込んでいるが、無料版のロゴがちらほらある。 明日、共産主義について作品の概要を絡めた発表をしなければならない。 オッドタクシーのヤノに関する情報。
- 2021年9月17日 金曜日 8:06 夢 ご近所のH家の整骨院。 紙コップの中に値札。 高いところから降りる。 妹、降りると見せかけてお茶を飲んだりおにぎりを食べたりしている。笑いが起こる。 おもちゃ屋。記憶を思い出す感じとワールド生成が同じ。
- 2021年9月16日 木曜日 8:58 夢 実家の自室(という設定)を片付けている。 左のひきだしを開けると記憶にないパンやミスドやクロワッサンがたくさん出てくる。砂糖が層になって固まっている。恐ろしい、と同時にまだ食えるかなとも思う。あまりに原型を保っているので。 服も出てくる。今の雰囲気のものが多い。 アンパンマンの形のキャラメル色の飴が3つあり、1つ食べる。味はなし。 外箱を捨てた動物型の石鹸。 運動するためにゴムバンドを貸してもらう。以前に譲ったもの。 別の人とその話をするが、イヤな感じが出ないように気を使う。
- 2021年9月15日 水曜日 7:43 夢 どこかで働いている。薄暗いバーのようなところで中華飯を食べてから帰宅する。私含め3名。
- 2021年9月14日 火曜日 8:25 夢 釣りに行く 車の中にものを残さないようにと連れに言う ロッドを伸ばし組み立てるのだがやり方がよく分からない 隣に鈴木もぐらがいて聞こうとする 水に浸かる 数人は早く引き上げても良いとのことで決を採るが、Iさん(会社の人)のグループだった。
- 2021年9月13日 月曜日 8:19 夢 高所に横一列で座っている。 いつも昼食にパンを食べる人 という人が隣に座っている。見た目はシルバニアファミリーのよう。 すごくギリギリで落っこちそうなくらい。 その人はぐるぐるの渦巻パン。 自分はクロワッサンのフレンチトーストのようなもの、そして袋に入ったコオロギ? カナブンのようなもの 虫は食べられるが、暗いから大丈夫だっただけで明るいところで食べるのは怖い。 ドラゴンボールのUFOキャッチャーの表示を読む。
- 2021年9月12日 日曜日 7:15 夢 ビーフシチューの試食の鍋が置いてある。 感染予防を気にしている かをりさんがいる 手帳の線を定規��引いている点を誉める 霜降り明星がいる すごく面白いものを見る シンプルでかわいい蓋つきの茶器でお茶を飲むことにする 山崎に話しかけられる 6人掛けテーブルの座れるところに座る グミの実(とされているもの)を食べる 中央に細長い種が入っているのを警戒して食べているが、ナスのような種だった。それよりも外皮が硬くて口に障るらしい。 小さなグレープフルーツのような実がありえないくらいたわわに実っており不吉。
- 2021年9月10日 金曜日 6:48 夢 潰れたATM機器がおいてある施設の中に入る。診療所の一角だったらしい。
- 2021年9月9日 木曜日 6:54 夢 換気扇からでかいコザクラインコが入ってこようとしている。
- 2021年9月8日 水曜日 7:00 夢 幽霊の出る部屋。 妹が賃貸している。ベッドで眠っており、寝付けない日にパタパタ手を叩いていると、壁から合いの手が聞こえたとのこと。 収納がとにかくでかい。入り組んでいる。祖母の古い家みたい。 さっきとドアのサイズが違うんじゃないかと指摘され、アッと思うが、閉じると合ってるので視覚的にそう見えただけだった。 チーズケーキでも焼こうかなとする。 眠る。妹が手に腕を絡めてくる。怖いのだろう。 何度もあり、中にはピアノ、グランドピアノじゃなくてもっとちゃちな小さいピアノが収納されている。
トランブルーのクロワッサン5つ。3000円くらい。 とんこつラーメン屋の近くに来たということはパン屋が近いということだと言い合う。 この場で食べない選択をした人達用に、小皿にコロッケを乗せて卵を割り、何か副菜を添えたものを持ってきた のりべーがいる。人と連絡を全く取り合っていないそうで、空っぽのタブレット端末を見せてくれる。ゲームのアプリが一つ入っている。ピッコロ・前衛隊員・みたいな画面が出る。 ご飯を食べている。唐揚げが盛られた皿がある。 目の前にKがおり、何か意地を張って唐揚げには手をつけないという態度を取っている。 店員さんなのか若い中国人みたいな女性がさらに追加の唐揚げを持ってきて置く。Kも取って食べ、今日は途中でお菓子を食べなくても済みそうだという旨のことを言った。
学校の風景。半ズボンの女子制服。
- 2021年9月7日 火曜日 6:46 夢 Tさんの事務所?にいる。昼寝をすると言っている。 父に何か映画を見た話をする。一本しか観れていないことに気づく。 寒い屋外。犬猫が柵の中で遊んでいる。細い路地。 母がいる。母を追いかける。指一本で手を繋いでいると、生後間もない弟がしぎ死んだことを思い出すのでやめろと言う。 狭い店舗。CD屋。オザケ���みたいなアーティストがライブか何かをしている様子。隣の雑貨屋。砂場とかで型抜きするためのカタ。
- 2021年9月6日 月曜日 6:46 夢
- 2021年9月5日 日曜日 6:56 夢 インド、乗合バス。屋根から滑り落ちそうになる。順に座っていく。親しい人がおらず、ほとんど喋ってない人と話す。改名していた。静ではなく静香(しずかお)。 ローションをこぼす。 顎下まで水がきている部屋。 順平の友達。 文法の暗記。授業。
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 夢
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 昨日の夢
- 2021年9月2日 木曜日 6:53 夢 ビーチを歩いている。コの字型に曲がったビーチで、道案内をしてもらうのだが分かりにくい。BBQをする。風が強く難儀する。
- 2021年9月1日 水曜日 7:33 夢 ウリマトスさんの誕生日らしい 古家二つを購入して若者で大騒ぎしながら住んでいる
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もう限界!食べすぎて嫌いになった「大好物」
集計期間:2020年4月18日~4月20日 回答数:15035
大好物の食べものは、どれだけ食べても飽きることはない…そう思っている人って、けっこう多いのではないでしょうか。
しかし、物事には限度があるもので、嫌というほど食べれば文字通り嫌いになってしまうことだってあるでしょう。そんな食べもの、貴方にはありますか?
今回は「あんなに好きだったのに、食べすぎて嫌いになってしまった食べもの」に関する調査を行いました。
食べすぎて嫌いになった食べ物はありますか?
回答者15035名のうち、食べすぎて嫌いになった食べものがある人の割合は、全体の約28.4%という結果になりました。
ここからは、何を嫌いになったか具体的な意見を見ていきましょう。
あんなに好きだったのに…
<肉類>
・バーベキューのやりすぎで焼肉が苦手になった
・しゃぶしゃぶで、牛肉をたべすぎ、それから、あまりたべられなくなった。
・焼肉のせんまい。独特の食感にハマって一時期は焼肉に行くとせんまいばかり食べていたけど、突然飽きてしまい今では全く食べません。
・すき焼き。昔、1人暮らししてた時に いつもコンビニ弁当を食べてたので正月休みの時にたまにはちゃんとした物が食べたいと思ってすき焼きの材料を買いすぎて正月休みの間ずっとご飯はすき焼きを食べてたら嫌いになった
・子どものころ、母親がハンバーグばっかり作るからマジ嫌いになった。最近はわりと好き
・子供の頃、脂身たっぷりの豚の角煮を食べ過ぎて夜にリバース…トラウマで今も脂身が食べれない。
・冷凍春巻きを高校時代毎日お弁当に入れられてしばらく食べられなくなりました。
・幼い時、冷凍餃子を食べ過ぎて、冷凍餃子が嫌いになりました。
・学生時代、冷凍コロッケを常備していて、晩ご飯で困った時はコロッケを食べていました。あまりにも食べ過ぎたので、嫌いになりました。
・給食で出てた、鯨の竜田揚げ。休んだ人の分まで貰って食べてたら、食べ過ぎたのか、戻してしまった事があります。
・レバー大好きな子どもでした。少し体調が悪い日の夜ご飯にたくさん食べてしまい・・・その夜もどしてしまった。その匂いでたべられなくなりました。
・缶詰のポーク。幼い頃は生で食べるほど好きだったが、暫くの間食べずに過ごしてて久々にポーク卵おにぎり食べたら体が受け付けなくなっていた。
・関西出身で中部地方に嫁ぎました551蓬莱の豚まん大好きですが中部地方は冷凍しか販売しておらず里帰りした時は30個購入し帰路の車の中でまた帰宅後・次の日約24時間、家族三人で完食してましたが食べすぎて現在、豚まんとは疎遠になっています
・肉まんが大好きで 冬場6から7個を毎日食べていたら10 kg あっという間に太ったのでやめた。
<野菜>
・野菜が嫌い。小学生の時の朝食は毎日、ボウルいっぱいの野菜サラダだけだった。パンとか肉(ウインナーとか)など全くなし。食べ終わらないと学校に行けない。妹は時々遅刻していた。なので今の野菜嫌いはそのせいだと思っている。
・病院食に出るブロッコリー
・嫌いというよりアレルギー。昔ナスとトマトの農家で、食卓が出荷できないナスとトマトのメニューばっかりだった。今はアレルギーでどっちも食べられない
・椎��。姉の嫁ぎ先で椎茸の栽培をしていた。遊びに行くと山の様にくれた。最初は美味しく食していたが、程度問題。鼻につきだし、もう見るのも嫌になる。
・しいたけが小さい頃大好きで、しーさんと呼んでよく食べていたら、大人になったら嫌いになった。
・メンマが大好きで瓶で食べてたら、大人になって食べれなくなりました
・子供の頃きゅうりのキューちゃんという漬物が好き過ぎて大量に食べた数時間後吐いてしまいそれ以来食べられなくなりました…
・大根小さい頃に毎日大根の味噌汁が好きで作ってもらって食べていた結果、今では大根どんな調理方法でもダメです
・子供のころ、毎食トマトを1人1個食べさせられていた。毎食なので、平日は1日2個、休日は3個。成人し、家を離れてからトマトは食べなくなりました・聞けば、兄弟3人とも離れてからトマトは極力食べないようになったと言ってた。
・毎日アボカドを2年くらい食べていたら食べたくなくなりました
・かぼちゃ妊娠中食べすぎて、今はもう食べたくない…見るのも嫌
・パクチー好きで食べすぎてカメムシの臭いに感じ出して以来食べられなくなった
・ネギが大好きで、何にでもかけたり、入れたりしてましたが、あるラーメン屋さんで、入れ放題だったんですが、何故か物凄く臭くて、吐いてしまい、それから、食べられなくなりました。
・きゅうり。となりのトトロでおばあちゃん家の畑で取れたてのきゅうりを食べてるメイちゃんのシーンを見て、当時幼稚園生の私は毎日2本丸かじりして食べてました。おかげで今はあの青臭さが苦手でウリ系全般苦手になりました。
・銀杏が子供の頃好きすぎて親戚と温泉に行った時みんなの茶碗蒸しから銀杏貰っていっぱい食べたら気持ち悪くなってみんなの前で吐いてしまいそれから銀杏食べれなくなった
・竹の子、シイタケ。田舎の暮らしは貧乏だったので、竹の子の季節になると裏山に次から次へと生えるたけのこが、毎日毎日食卓のおかず。大皿にいっぱいのたけのこの煮物。無くなると、また母が作り、時期が終わる迄、たけのこと、タクアンの漬物だけがおかず。米農家だったので、ごはんには事欠かなかったけど椎茸も同じような物で、裏山の松の木の枝に椎茸菌を植え込み、育った椎茸を売りに出していたので、季節問わず椎茸の煮物ばかり。母は農作業に忙しく、料理もあまり工夫もなくて、煮物しか作らない大人になっても暫くは、食べたいとは思えませんでした。還暦を過ぎ、やっとたけのこと椎茸のシブい味がわかるようになり、たまに食べてます。
<果物>
・実母の実家が農家をしていてイチゴ、スイカ、メロンが食べ放題…食べ過ぎた結果、食べると口の中がかゆくなるようになり、以降は食べなくなりました。
・メロンが好きで沢山食べていたら口が痒くなり、あまり食べれなくなった。
・キウイフルーツ。子供の頃にたくさん食べたら酵素で舌が痛くなり今はちょっと苦手になりました。
・パイナップル。食べ過ぎて舌が痛くなり嫌いになってしまった。
・梨。水分はいいけど、果肉が意外と腹に溜まる
・りんご。若い頃、りんごダイエットをしていて、一生分食べました。もう食べる事はないと思っていましたが、昨年、再びりんごダイエットをして、もう一生分を食べました。今度こそはもう食べる事はないと思います。
・バナナダイエットの流行に乗って食べたバナナ。あの時に食べすぎたせいで今はバナナの匂いだけで気持ち悪くなる。
・妊娠中にプルーンを食べ過ぎて嫌いになった
・スイカ。小さい頃志村けんの真似をして食べ過ぎてから今じゃ食べられなくなった。
・記憶にないくらい幼少期にレーズンを一袋1人で食べたらしく、(母親から聞いた)お腹を壊したか吐いたのか、口に入れると吐き気を催す。
<魚介類・海産物>
・子供の頃に生牡蠣が大好きで食べていたのですが今は食べると気持ち悪くなるし売ってるのを見ても美味しそうに見えないです。
・骨折後に小エビを食べすぎてその後はしばらく食べたくなかった
・ホタルイカを沢山食べて、食あたりを経験し、それ以来、たべつけなくなった。
・高校生の頃シーチキンを食べ過ぎて嫌いになりいまだに食べられない
・イワシが髪に良いと聞いて毎日食べ2ヶ月 さすが飽きました。まだまだあるけど何か美味しい食べ方ないかな?
・鮪とかの刺身。前夫の実家が都内で魚屋をやっていて近所だったから毎日のように、鮪のブツやら姑が調理した魚料理がワンサカもらって(要らないといっても強制的に持たされた)必死で前夫と食べてたから、もう食べたくない。でも再婚した夫は刺身大好き。‥仕方なく少し食べてるけど。もう一生分食べたから要らない。
・数の子。正月に祖父が、私のお皿に永遠に数の子を乗せて来たので、残してはいけないと食べ切った。
・うなぎ私が子供の頃、魚屋で働いていた母親が、売れ残りのうなぎの蒲焼きを、度々もって帰ってきました。ゴムみたいになったままの蒲焼きを何度も何度も食べることで、うなぎの蒲焼きが好きでなくなりました。きっと美味しかったら嫌いにならなかったと思います。
・タコですね。子供の頃なんか忘れましたが、食べ過ぎて熱を出し寝込み50年位前ですが、今は見るのは大丈夫だけど、食べれませんね
・鯖寿司。母が好物で、美味い店を見つけたと言っては1人一本買ってきて食卓に出しました。最初は良かったんですが、ずっと続いたせいでその内一切れも食べれなくなりました。
・しじみが大好きで、お味噌汁のしじみを、母親が良かれと殻をとって身だけをいっぱい入れてくれたが、その様が気持ち悪くて嫌いになった。
・寿司が苦手です。板前として働いていたので、食べません。
・大トロが小さな頃から好きで回転寿司や回らない寿司屋で食べまくっていたら高校くらいから気持ち悪くて食べられなくなりました。
・ムール貝。知り合いのお店に遊びに行ったら何故かムール貝のお料理が次々に出てきた。食べきれない程の種類と量に、お店中の人にもお裾分けしたがまだ余る。帰宅後、死ぬほど吐いたが、それ以来ムール貝は食べれない。
・修学旅行で北海道に行った時お店のかたが良かれとイクラ丼を超大盛りにしてくれ��、正直そんなには…と思ったけど好意に悪いなとも思い、無理して食べた結果もう二度と食べなくなった
・親が海産系の仕事をしていて小さな頃はよくいくらや刺身を食べていたが、今ではあまり好きじゃなく、特にいくらはなるべく食べたくない
・しゃこえび好きで食べ過ぎて当たった。吐いて下痢してを一晩中繰り返して、二度と食べれなくなった
・だいぶ前の話ですが、カニ食べ放題で食べてしばらく食べれなかった。今もあまり好きでは無いです。
・お寿司のエンガワ。廻るお寿司屋さんで初めて食べた時、とても美味しかったので、エンガワ、エンガワ、エンガワと5皿も食べ続けていたら、次第に脂の味しか感じなくなり、それからそれを思い出して食べられなくなった。
・髪が黒くなると言われ、ひじきをいつも食べさせられて嫌いになった。
・切り昆布の煮物。毎日どんぶり1つ食べてたが吐き気がする様になってやめた
・うなぎ。子供の頃、身体が弱く、また好き嫌いが多かった私を少しでも栄養が高い物をと両親が印旛沼の専門店まで毎週買いに行ってくれて、週3くらい食べていた。幼稚園の弁当にも入れてもらい、アルミの弁当を冬にストーブの近くに置いてあたためてもらうと、うなぎだと匂いで周りの子にバレ、ウナギ女とあだ名をつけられて、食べ過ぎと嫌なあだ名が重なり嫌いになった。
・牡蠣です。昔から酢牡蠣が大好きで、頻繁に食べていたが、大学自体あたりから、いわゆる酢牡蠣で食当たりするようになり、その頻度が上がってきた。社会人になっても、性懲りもなく食べていたが、30過ぎたあたりから体が受け付けないというか、食べたいと思わなくなった。一度、食べざるを得ない状況となり、食べたところ、やはり体調不良となり、今では食べたいどころか、あまり見たくもない。
<ご飯もの・お餅>
・卵かけご飯です。小学生の頃、毎朝食べていたら、突然苦手になりました。今は食べれないわけではありませんが、基本的には食べません。
・学生時代に炒飯を毎朝出されて見るのも嫌になりました
・お餅が大好きだったけれど、かなり毎日食べ過ぎて苦手な食べ物なってしまった!
・香川県白鳥町のぶどうもちがあまりに美味しすぎて食べすぎたので何年か食べれなくなった事がある
<麺類>
・東日本大震災の後、コンビニにミートソースがいち早く並んだため、当時は好物で苦にならず連日おにぎりと食する日々が続いたが、ある日を境に身体が受け付けなくなり、今も可能な限りパスタは食べたいと思わなくなってしまいました。
・冷やし中華、チャーシュー小学生の時に食べ過ぎて。ちらし寿司バイトのまかないで食べすぎて。
・カップラーメンやインスタントラーメンが好きで中学生の時にほぼ毎日間食のように食べてたら今では風味が嫌いになりました。ラーメン自体好んで食べるものじゃなくなってしまいました。
・子供の頃、親が仕事をしていたのでインスタントラーメンを自分で作って食べてました。2年間食べて小3から食べていません。
・素麺を高校のクラブの合宿でバケツ一杯食べさせられて、素麺を見るたびにあげそうにない。
・35年ほど前に朝昼晩と1日3食×7日間���大好きな焼きそばを食べたら大っ嫌いになり、未だに食べられません。
・小さい時にお昼となると焼きそばかナポリタンが出て、しかも味のむらがあり、あまり美味しくなかった記憶があり、今でも苦手です。
・シンガポール仕様の「出前一丁」。日本より食材の値段が高く驚いて、スーパーで取り敢えず安かったこれを買って、こればかりお昼とかに食べていたら、本当に心底飽きて食べられなくなった。日本に帰ってきてからも一度も買っていない。
<豆類・大豆製品>
・小さな時に、納豆好きで食べてたが…中学生以降、突然嫌いになり、それから食べて無い
・貧乏だった幼少期に豆腐を食べさせられて今も嫌いです。多分、あの時期に一生分の豆腐を食べました
・小豆水ダイエットで毎日食べる茹でただけの小豆。痩せるし健康になるけど食事が楽しくなくなる。
・小学生の頃、家族でおばぁちゃんちに行った際、親戚から送られてきた落花生などがあり、1歳下の妹と一緒に落花生をどれくらい食べれるか競争して、食べ過ぎてしまったのか気分が悪くなり嘔吐してしまいました。それ以来、落花生を食べるのが怖くなり、食べず嫌いしています。アレルギー検査など1度もした事がありませんが、食べ過ぎでアレルギーを起こすという事例も多いと聞いたので、もしかしたらアレルギーになっている可能性ありますね。
<乳製品>
・中学生の頃、給食に出ていたスライスチーズが気に入って友達の分ももらって食べていたが、食べ過ぎて嫌いになった。
・ホイップクリーム10代までは美味しく食べていました。親元を離れてケーキバイキングに行けるようになり好きなだけ食べましたがある日突然気持ち悪くなり体が受け付けなくなりました。今では大嫌いです...。
・中学受験の頃にナチュラルヨーグルトにハマり、毎日500mlのパックを1つを3か月位食べ続けた結果、その後10年以上は「一生分のヨーグルトは食べたからもう食べない」と一口も食べられなくなった。最近また少しずつ食べるようになったけれど、まだ好きには戻れない。
<お菓子・スイーツ>
・ケーキ屋に勤めていた兄がチョコレートケーキの端切れを毎日持って帰って来てくれましたが、余りにも食べ過ぎた為それから10年程食べられなくなってしまいました。ある時たまたま食べたらとても美味しく感じられ、それ以降はまた食べられる様になりました。
・小学生の時の誕生日に、どうしてもケーキをワンホール一人で食べたいと言い張り、食べ過ぎて吐き、それ以来生クリームのケーキが嫌い。
・和菓子。以前のパート先で午前、午後の休憩時、年配の先輩から毎日和菓子の差し入れが(-_-
・嫌いにまではならずとも、一時的にドはまりして食べ過ぎたが故に飽きてしまい、自らでは殆ど買うことがなくなってしまったお菓子が多数あります。
・子どもの頃、コアラのマーチが大好きでした。家でコアラのマーチを食べていたら、盲腸のマックスの激痛と重なってしまい、それ以来トラウマとなり手が出なくなってしまいました。
・ゴーフル。小さい頃 大して美味しいお菓子もなかった中で、時々お土産でもらうゴーフルはもう格別に美味しかった。ほとんど自分だけで1缶食べてしまい、その夜���食べ過ぎで 全て吐いてしまいそれ以来 ゴーフルを見ると気持ち悪くなる。
・玉子ボーロ、小さい時大好きで毎日食べていたらある日突然食べると気持ち悪くなった。以来食べると気持ち悪くなるので40年以上食べてません。
・お菓子のおっとっと昔1日1箱食べてたんだけど、いつしか嫌いになってしまった
・小5の頃、やっすいラムネを(透明の箱で黄色の蓋の)をしょっちゅう食べてたら、蕁麻疹出てそれ以来二度とラムネが食べれなくなった
・ポテトチップスのコンソメ味が、発売された当初、母がいつも食べさせてくれたのですが、食べ過ぎて、今では、あまり食べたくないです。
・ポテトチップス、揚げつまみフライ等、油物に吐いて苦しい思いをしたので、もう食べないと思っていました。ずっと、食べずにいましたが、今は、ポテトチップスは、食べるようになりましたが、揚げつまみフライは、まだです
・心太(ところてん)。30年前、高校生の頃にダイエットしようと心太ばかりお腹いっぱい食べていたら気持ち悪くなった。それ以来、食べたくなくなった。
・抹茶。以前は大好きでした。でも今の職場が和菓子工場で毎日毎日抹茶のお菓子の味見やら抹茶その物の匂いにさらされて今では何もときめきません。
・小さい頃きなこが大好きでよく食べていました。しかし、ある時大量にきなこをかけたお餅を食べようとした時、きなこでムセてしまい…。もともと咳がひどく、ムセはなかなか治らず。それが原因であまり好きではなくなりました。
・コーヒーゼリーにハマってよく食べていたが、どんどん食べていくうちに味がマンネリ化してきて結果的にコーヒーゼリーもコーヒーも嫌いになった
・メロンパン。一時期ハマっていて色々なコンビニのものを食べ比べしていたけど、食べ過ぎて嫌いになった。
・プリンが大好きな友人に、コンビニの棚にあるだけのを全部買ってお礼に渡したら、次に会ったときには大嫌いになってた。
・子供の頃にプッチンプリンを食べ過ぎて、プリンが嫌いになりました。が、18歳頃から食べられるようになりました。焼きプリンから。
・小学生の頃輸入食料品店で売っていたシナモンのクッキーが大好きでよく食べていました。ある日いつもの様にクッキーを食べていたら、腕やお腹に赤い発疹が出て、小さな赤いブツブツがどんどん増え繋がって皮膚がボコボコに。蕁麻疹でした。それ以降シナモンの入っている食べ物は食べられなくなりました。嫌いと言うより、また蕁麻疹が出るかも?と怖くなってしまったのです。
・小学生の頃、プチシュークリームを食べ過ぎて、気持ち悪くなり、大人になるまで食べれなかったです。
・父がお土産にコンビニスイーツをたまに買って来てくれるのですが、ティラミスとかエクレアとか美味しいって言うとずっと買い続けるので、正直飽きて嫌いになってしまいました。
・ミルクチョコを食べ過ぎて油分が気持ち悪くなり食べられなくなったことがありました。その際は油分があまり感じられなかったホワイトチョコを食べてました(結局チョコは食べてました
・チョコレート。子供の頃、父がもらったバレンタインチョコを食べ過ぎて、気持ち悪くなってから、嫌いになった。
<飲みもの>
・自動販売機のコーンスープを飲み過ぎて嫌いになりました
・生茶パンダの懸賞でシリアル番号が欲しくて何箱も箱買いした。それでも当たらなくて生茶を飲みまくってたら体が受け付けなくなってしまった…。今でも生茶だけは飲めない。
<調味料>
・餃子にサウザンドドレッシングをかけるのにハマって毎日したらある日吐き気が。それからサウザンドドレッシングが無理。
・マヨラーだったので、ほうれん草のお浸しやツナサラダ等にもマヨネーズをかけて食べていました。ある朝お弁当に持って行くツナサンドを作ろうとして、マヨネーズをツナにかけていたら「ぷちゅんっ!」と容器から出てきてしまったのです。左手に着いたマヨネーズを舐めた途端に気持ち悪くなり、以来マヨネーズは苦手な調味料になってしまいました。
<その他>
・父がピザが安いときにピザばかり食べさせてきて、それ以来大嫌いになりました
・フィレオフィッシュを3日続けて食べたら気持ちが悪くなって食べられなくなった。
・ポンデリングを続けて3個食べたら気持ち悪くなって、何回も挑戦するけど気持ち悪くなってもう食べられなくなった
・うずらの卵の水煮。こどものころ、食べすぎて吐いて、しばらく食べられなかった
・家庭用たこ焼き器が流行った時に買い、母が作りすぎて嫌いになった
・天ぷらを食べすぎてお腹を壊し、以来滅多に食べなくなった。
・チーズタラを食べ過ぎて吐血した。大嫌いになった。
・子供のころ手作りの刺身こんにゃくを食べすぎてこんにゃくと名のつくものは全てダメ
・ダイエットしてこんにゃくとしらたきがにがてになりました
・幼稚園のお弁当で必ずご飯にかかっていた「さくらでんぶ」。一生分食べたので、今はもう見なくてもいい。
まとめ
みなさんから寄せられた意見をまとめると、
・食べすぎた結果、体調を崩すなど痛い目に遭った経験が多い
・親の仕事内容など、家庭環境が左右する場合もある
・しばらく期間を空けた結果、克服した例も
といった具合です。大トロやいくらなどの高級品にくわえ、ハンバーグや天ぷらといった「子どもの好物」とされるものも挙げられており、人によって事情はさまざまであることがわかりました。
好きなものを腹いっぱい、嫌というほど食べてみたいという願いを叶えるには、相応のリスクが伴うようですね。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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漆器専門家の小谷口剛さんが作ったお椀がやっと今期初入荷しました。オーダーしたのが、今年の春、秋に石川県に伺い製造工程を全て撮影させていただきました。届いたお椀を見て、あぁ、本当にいいのが来たなと感慨深い気持ちになりました。 ・ わたしとこのお椀の出会いは5年ほど前になります。ずっと欲しかった漆のお椀を買おうと決めてから、迷いに迷い、買えずじまい。調べたり、ギャラリーに見に行ったり、欲しいのだけど選び方も買い方も使い方もわからない。漆のお椀は数あれど、店によっては1000円足らずで買えるものを売っているし、何万円も何十万円もするものがあるのです。見ていいなと思っても、理解できずに買えなかったんです。 ・ そんな時に、小谷口さんのブログに出会い、国産の漆や木材で作られており、化学物質を一切使っていない漆の椀を作っている方がいることを知りました。実際、目で確かめてみたいとアポイントを取り、伺わせていただき、作っている椀の在庫のあるものを全て拝見させていただきました。 ・ その中から選んだ2種類3点を家族分購入させていただきました。あれから5年。ほぼ毎日使っていますが、本当に堅牢で美しく、飽きない器だなと思います。 ・ 出会ってから販売させていただくまでに時間がかかりました。漆の椀をどうやって販売していくか考えぬいていると、どうしてもこうなってしまいました。漆器に高級というイメージがあり、日常使いするものなのかとわからない部分もありました。だけど、5年使ってみて本当に良いものでおすすめできると自信がつきました。これからは年間で生産計画を作って定量を販売していきたいと考えています。どうぞ、ご贔屓に。製造にものすごい時間がかかるため、年に1,2回の入荷の商品となります。 ・ 漆のお椀を、晴れの日の器にすることはありません。しっかり作られた椀は丈夫で長持ちします。食洗機はダメですが、普通に中性洗剤で洗って拭けば安心です。重ねて収納すると、お椀の内側に擦り傷がつきますが、わたしにとっては許容範囲なのでそのまま重ねて収納しています。綺麗にいつまでもしたい方は、布などを内側に敷いて重ねると傷がつかず良いと思います。 ・ わたしはズボラなので、洗った後に洗いカゴに一晩置きっ放しなんてこともよくやる悪いユーザーですが、翌日に水痕が残るくらいで拭けば取れるので気にしていません。でもいつまでも綺麗にしておきたい方にはおすすめできません。だけど、それくらいの気持ちで、気楽に毎日使うと器も喜んでくれると信じています。 ・ (本日より販売開始!)製造工程はオンラインストアに詳しく書いてあります。ぜひ食卓の相棒にして欲しい逸品です。 http://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1731773 ・ #newitem (パンと日用品の店 わざわざ)
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裸逅愛無
ネちゃんワールド⸜( ⌓̈ )⸝
──────────────────
「裸逅愛無」
🖤
あたしが一万円にも満たない初任給で買ったのは、どんなに焦がれてもあたしのものになってくれないロールパンナちゃんの夜だった。
上京して1年が経ったばかりの春、下町の鳥貴族で酔ったあたしはロールパンナちゃんの腕のなかで泣きじゃくっていた。
「お金より価値のあるものをあげられなくてごめんなさい、」
ロールパンナちゃんは飄々と、お金もらってるからいいよなんて言ったくせに、イく前にセックスをやめた。金とるくせにプロ失格じゃん。
二人暮らししているラーメン屋の3階、何人の女と寝たのかわかんない狭いベッドの上でこうして抱きしめられたのは何回目だったかなぁ。
ルナルナにだけはぜんぶバレている。
ロールパンナちゃんと出会ったのはあたしが以前働いていたガールズバーだ。東京の下町、平日の深夜2時。12月の寒い日だった。
暇な店で、いつものようにキャッチに出されていたのだが、正直に言うとそのときあたしは散歩と言うにはハイテンションで激しい闊歩をしていた。
誰もいないシャッター街でキャッチなんて馬鹿らしい。
銀杏BOYZは爆音じゃなきゃ。
そうやってひとりでキマっていたら、店で接客をしている先輩の女の子から早く戻ってこいと電話がきてしまった。くそーーいい気分だったのに、ってダッシュで商店街を抜けて汚いビルの階段を4階ぶん駆け上がると、ロールパンナちゃんがいた。ロールパンナちゃんはジントニックを続けて3杯飲んだ。
🖤
死んだらそのときよねって高校を卒業してすぐに上京してきて、でもあたしはどうやらなんとか生きている。
それまでは札幌の、偏差値が71もある公立高校に通っていた。
そこだけ言うと勝ち組エリートのようだが、高校生活のうちの3~4割くらいは引きこもりをしていたから、なんとかお情けで卒業証書は貰ったもののベンキョーのほうの頭はすっ��らかんだ。先生には卒業するとき、お前すぐ野垂れ死ぬぞって言われた。でもまだ死んでないし死ななそうだから、先生は嘘つきだったみたい。
あたしが高校時代に頭に詰め込んだのは、受験英語や戦争の名前なんかじゃなく、キラキラの文化たちだった。ファッション、文学、音楽、そういう芸術をやる素敵なひとたち、ツイッターにいる全然有名じゃないけどめちゃくちゃおもしろいアカウント、好きなひと。漠然と、自分はぜったいすごいことができるって思い続けることがやめられなくて、そういう芸術たちに並びたくて上京したけど、ロールパンナちゃんに会うまでの1年であたしはただの女の子からなにも変わらなかったようにおもうし、実際なにも成し遂げられていない。
水商売をはじめた理由は単純にお金が欲しかったから。上京するときに借りた審査のゆるい「女性専用シェアハウス」は1年縛りで入居したものの色々あって3ヶ月で退居、それからは男友達の家に居候していた。シングルマザーの母は生活保護のキャバ嬢で連帯保証人になる能力がなく、その上貯金もない未成年のフリーターに安く家を貸してくれる業者などなかった。
でもそのときのあたしは家よりも、ただただモーレツに縷縷夢兎が欲しかったのだ。
体入ドットコムを見て歌舞伎町で面接したら、フェイクのキャバの箱で風俗に勧誘されて逃げてきた。意気地無し。その程度の覚悟のお前に縷縷夢兎を着る資格は無いよ。
歌舞伎町で働けるほど可愛くないから東京の端っこの下町で、ドレスなんか着られないほどデブだからキャバクラじゃなくてガールズバーをやっていた。
夜は好きだ。
でも夜の仕事はあまり好きにはなれなかった。周りが馬鹿に見えて仕方なかった。キャストも客もみーんな。愛し愛されることの疑似体験、つまり嘘ばっかりだから。愛のことなんてちゃんと考えたこともないみたいなひとたちばかりだった。オマエガスキダーみたいな低俗なラップやアタマカラッポクラブミュージックをきかされて辟易とする日々だった。
そういう奴らを密かに威嚇するために、LINEのBGMは銀杏BOYZの円光とか、大森靖子ちゃんの裏とかにしていたし、アイコンの自撮りは顔の横で立てた中指をハートのスタンプで隠してきゅるきゅるしていた。
それに気づいたのはロールパンナちゃんがはじめてだった。だからこいつはセンスがある奴だと思った。
こちらが営業電話をしてやるつもりで快諾したモーニングコールを逆に利用して、ロールパンナちゃんはあたしを誘った。
お互いの定休日がたまたま月曜日で、予定の合う月曜日がたまたまクリスマスイブだったから、イブの夜、あたしはロールパンナちゃんの働くラーメン屋の3階でピザを食わされた。
ロールパンナちゃんはあたしの話をききたがった。後から考えてみると、奴の前職は派遣とはいえ営業マンだったし、あれは巧妙に計算された前戯だったのだと思う。
しかしあたしが話したのはあたしの人生のこと、いまのあたし自身のこと、野性爆弾のくっきーが大好きだってこと、縷縷夢兎が着たいけどとりあえずrurumu:を買ったこと、でもそれらを買い占めるほどのお金は稼げなかったこと、等、あまりにもセンスがありすぎた。
あたしがくっきーのインスタを遡りはじめたところで、ロールパンナちゃんにキスされた。
「くっきー見ながらチューされる気分はどう?」
「さいあく。」
ロールパンナちゃんは心底おかしそうに笑っていたが、挙げ句の果てにあたしがロールパンナちゃんの古いiMacで下妻物語を観はじめたので、しびれを切らして一緒に寝たがった。
「遊ばれたくないの?」
「うん」
「えらいねぇ、遊ばれたことあるの?」
「遊ばれたことしかないよ」
あたしには彼氏がいたことがないが、処女ではなかった。つまりそういうことだ。
処女は高校2年生のとき当時好きだったひとに捧げたが、それ以外はあまり真面目に自分を守れなかったせいでボロボロだ。
いいなと思ったひととすぐに寝てしまって結果遊ばれて終わるということもよくあったし、こころが大丈夫なときにはたまーに援交もしていた。
シングルマザーでバツ2で彼氏をとっかえひっかえしている母親の汚くて愛のないセックスの成れの果てが自分だと思っていたから、そんな汚いからだがそれ以上汚れることなんて構いやしなかったし、愛されることには憧れても本当に愛されることなどないと半ば諦めていた。いちばん愛されたかった幼い頃から、あたしはヒスを起こした母に叩かれたり怒鳴られたりゴミ捨て場に捨てられたりして育った。
月並みだが、あたしは愛情不足で育って自己肯定感が足りないこどもで、それに加え心の貧困、目先の甘味にすぐ屈してしまうから、痩せられないし遊ばれる。
それが悪いとか、言い訳だとか、甘えてるとか、可哀想とか、わかるとか、まもりたいとか、そういう感想には飽きたというか、それらの過去はただの事実でしかないからどうしようもない。あなたにどうこうしてほしいとかそういうのじゃなくて、ただの話。
ただその日、あたしはセックスを頑なに拒んで、ただ抱き締められて眠った。
🖤
ロールパンナちゃんとの日々はそれからはじまった。クリスマスの次に会ったのは大晦日だった。
それまで一緒に住んでいた男友達に愛想を尽かされホームレスのネカフェ難民だったあたしは年末のガキ使を見る術がなく、つまりダウンタウンも、くっきーも、脅かされる田中も、なんならそのあとのおもしろ荘も見られないと絶望していたのだが、ロールパンナちゃんはテレビを持っていた。利用させていただく以外の選択肢がねぇ。見た。ロールパンナちゃんはその日も夕方まで仕事だったので途中寝てしまったが、夜中になって起きてきたから少しだけ一緒にテレビを見て、こんどは一緒に寝た。それで昼��らいに起きて、元旦の浅草寺で「パンケーキ食べたい♪蒲田は地獄♪」って歌っていた。ロールパンナちゃんのおみくじは凶だった。
帰りの電車で、きのうからまる1日ありがとうございました、って言って先に降りようとしたら、今から8時間耐久ボンバーマン対決するつもりだったんだけど…って言われて結局またロールパンナちゃんの家に帰ってしまった。
そのままダラダラと、ロールパンナちゃんの正月休みはぜんぶあたしがもらった。
1月2日の朝にはじめてセックスをした。
セックスの途中で、ロールパンナちゃんが
「あ、ハンバーガー食べたい」
とか言いはじめた。肉欲がすごい。
だから事後は駅の近くのモスに行った。
レジ前で並んで、もう順番が来るというときになって、今度は
「そうだ、おいしいハンバーガー食べに行こう」
って言い出した。あたしはもうおっかしくてただ付いていった。行先は新宿だ。
結果を言うと、ハンバーガーにはありつけなかった。原因はグーグルマップの経路案内の、あのトンチンカンなところに連れていかれるアレ。
マップが示した到着地点は住宅街の中のファミマだった。
「俺はここの肉まんが食べたかったんだ」
「あ、そうなんだ」
冗談ばかり言うひとだからとても楽しかった。
散々歩いた挙句に小田急の西新宿駅から新宿駅に戻って、さっき肉まん食べたばっかりなのにお好み焼きを食べた。そのお好み焼き屋にいた家族連れの席の女の子が、
「わたしとママの絆でUFOキャッチャーのぬいぐるみが取れたんだよね!!!」
って騒いでいたから、食べ終わったあとはゲーセンに入ってしょーもない当たらないコインゲームをして、歌舞伎町のTOHOシネマズで映画のラインナップを見て、ブルプルでタピオカを飲んだ。
ロールパンナちゃんの最終学歴は製菓の専門学校だ。だから派遣の営業マンの前はパン屋さんだった。駅やルミネや通りすがりにある店のポスターの『新発売!』やら『新食感!』の文字を見るたびに、ロールパンナちゃんは立ち止まって数秒眺めて、興味なんかないみたいに歩き去るのだった。
ブルプルに寄ったのは、ロールパンナちゃんがチーズドッグを食べたいと言ったからだ。あたしはウーロンミルクティーを飲んだ。
西野カナとか三代目とか、そういうのをクソ真面目に聴けちゃう層を小馬鹿にして生きるあたしたちの、それでも馬鹿にしきれない「普通」へのささやかな憧れが共鳴したような気がした。チーズドッグとウーロンミルクティー。歌舞伎町。セックスよりもグッときたんだけどな。
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あたしのゆめは、世界平和。
表向きには、映画監督。
それなのに、あたしの仕事は、嘘っぱちの愛だった。
隙をふりまいて、春をころして、あなたに都合の良い憂いを演じて、お金��もらう仕事。
あたしがまつげを震わせて、ひとりひとりのあなたのことを大切にできないと思い悩ん��いることなんて、だーれも知らないのでしょうね。
ほんとうは、世界平和にポップに貢献するキャッチーでキラキラで奥深い映画を撮りたいし、そもそも自分自身だって映画なんだからまず自分自身がキャッチーでキラキラで奥深いアイドルになりたい。
大好きなものにもっと近づきたいというより、どうしても負けたくない。受け取るだけじゃなくて、切磋琢磨したい、接触して、反応して、もっともっと光りだすように苛烈に生きていたい。
毎日毎日怠惰な生活をしてしまってはいるが、たまに映画を見たり新しいMVが公開されたりするとやはり、どうしようもなく負けていられない気持ちになる。
21世紀の女の子という映画が公開された。
2月20日、縷縷夢兎のエキシビションをじっくり味わったあとに、映画を観て、佳苗さんのトークショーを聴いて、花束を渡して、サインをもらって、お話をした。
随分と自虐的な話題だったと思う。
それでもあたしはもう、それはもう、キラキラで胸が満たされてしまって、ロールパンナちゃんのことなんて考えら��ないくらいだということを、ロールパンナちゃんに伝えたくて堪らなくなって仕事を休んで、ロールパンナちゃんの家に帰った。
映画を撮ること、あたし自身を煌めかせて売り出すことを本気でやろうと思って、デリへルをやろうと覚悟を決めた。アトリエが、機材が、つまり金が要る。時間も要る。
性消費されるブレない奴というのは、手っ取り早く目を惹くコンテンツだ。丁度よく狂っている。全てを武器にしてやろうと思った。
ロールパンナちゃんとは付き合っているわけでもないし。大好きだけど、すごく大好きだけど、きっとロールパンナちゃんは、ロールパンナちゃんのことを大好きすぎて人生を台無しにしちゃうあたしよりも、ロールパンナちゃんのことなんか見えなくなるくらい突っ走って人生台無しにしちゃうあたしのほうが好きだから。
ロールパンナちゃんと出会ってから2か月以上経っていた。
セックスをしてしまったのにこんなに長くそばに置いてもらえるとは思っていなかったし、こんなに長居するつもりもなかった。ロールパンナちゃんは強がりのあまのじゃくだからこんなことを言ったら怒るかもしれないけど、ロールパンナちゃんはあたしと似ていたし、あたしたちはお互いのそういうところを恐らく気に入っていた。好きだった。
変な人になりたいあたしたちはお互いの変なところに一目置きあっていたはずなのだ。
ロールパンナちゃんはあたしの夢や哲学をだれより正しく捉えて、肯定したり批判してくれる人だったから好きだった。あたしのせいで曲がってはくれない人だった。
だからあたしが夢のことを話したとき、健気でかわいいねとか、俺の家で借りた映画を観てもいいとか言ってくれた。
デリへルのことは、決めてすぐには話せなかった。
もう慣れっこになってしまった狭いベッドに寝そべってパンフレットを読み漁るあたしに、ロールパンナちゃんが縋るように抱きついてきたから。
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朝になるとロールパンナちゃんは仕事をはじめなければならない。だからあたしは眠い顔のままネカフェに帰っていく。
あたしも仕事をしなければならなかった。生きるためには、衣食住が必要だった。
キャリーケースに服を詰め込んで、コインランドリーとネカフェとガールズバーと松屋を行き来する生活だった。
しかしロールパンナちゃんと会うには、仕事を休��ないといけない。
ロールパンナちゃんは週6日、ずーっとラーメンをつくっていたから、会えるのは夜だけだ。だから毎朝、しょーもないモーニングコールをしていた。なんならロールパンナちゃんの昼休憩のときにまで電話をすることもあった。あたしたちが日本語を楽しめる人間たちでほんとうによかった。
21世紀の女の子を観た2日後のモーニングコールで、あたしはロールパンナちゃんにデリへルの話をした。
「いいんじゃない、俺の女の子の友達もパン屋やりながら夜デリへルしてる子いるし、夢とか目的があってやるなら」
やっぱり普通に囚われないひとはいい、頭ごなしにやめろって言わない、そういうところが好きだよって思いながらあたしはその時ちょっとだけ悲しかった。
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ロールパンナちゃんの働くラーメン屋さんは店舗が2つあって、それぞれの往復に電車を乗り継いで4時間くらいかかる。
その日はロールパンナちゃんが自分の店舗に出勤する前に、もうひとつの店舗までおつかいをしにいく日だった。
そういう日、あたしはよく一緒に通勤ラッシュに揉まれた。ロールパンナちゃんは目的地の改札の内側で、愛おしそうにあたしの髪を指で梳くから。
デリへルの話をした後にロールパンナちゃんに会ったのはその日がはじめてで、ロールパンナちゃんは会った瞬間に「きょうもかわいいね」って言ってくれた。
楽しい話をたくさんして、いつもよりなんだかハイに笑って、あたしはいつの間にか挑戦的な態度を取っていた。
「あたしはお金を払えば好きなときに会える女の子だよ」
「そうなの?」
「そうだよ、これからもっとそうなるんだよ」
ロールパンナちゃんは黙ってしまった。通勤ラッシュで押しつぶされて、立ったまま、ロールパンナちゃんは目にいっぱい涙を溜めて口をつぐんでいた。
何度も好きにならないよって言われたし、だから付き合いもしないって言ったくせに、ロールパンナちゃんはあたしを想って泣いていた。
帰りの電車で、ラーメン屋で一緒に働かないかと誘われた。家も昼間の健全な仕事も、貯めるのにじゅうぶんなお金もあけるから、と。
愛とはつまりこういうものではないかと、あたしははじめて理解して、びっくりするほどすんなりと、頷いてしまった。
いい返事をきいて喜んだあいつは店に着いてから、あたしをママチャリの後ろに乗せて一駅先のスーパーに買いものに行った。奴は真昼間なのに、下手くそな歌を大声で歌いながら笑っていた。交番の前を通るのだってもう怖くなかった。このあたしが、好きなひとと一緒に明るい場所で生きられるということが、ほんとうにほんとうに嬉しかった。
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ロールパンナちゃんの住むラーメン屋の3階で、期限付きの二人暮らしをすることになった。
働いていたガールズバーはキッパリ辞めた。
ロールパンナちゃんはほんとうに文字通りあたしを振り回すし、あたしだって自分の意思でロールパンナちゃんに振り回されている。
ロールパンナちゃんは、所謂「社会の中の変な人」だ。しかも、自らそうなりたいと思って変な自分やそれが許される環境を作りあげているから、突拍子もないことをしてもなんだかんだ上手くやれている。
後々いまの会社の社長に聞いたことなのだが、ロールパンナちゃんはあたしの入社を掛け合う際に正直に、
「俺の部屋に通っている女の子が〜」
と話したらしいから驚きだ。
でもその話をしたときのあたしだって社長とサシでタピオカを飲んでいたし、高校時代の恋バナをしたし、そういう環境��のだ。
あたしの初任給が一万円にもならなかったのだって、ロールパンナちゃんが3月から勤務開始予定のあたしを半ば強制的に2月28日に出勤させたからだ。
末締めだもんね。そりゃそうよ。
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ロールパンナちゃんは意外にも、とても真面目に仕事をしていた。
「これからは上司だからプライベートでも敬語で話して」
幸せの甘いところだけを掴みきれない日々がはじまった。
あたしの負けず嫌いな性格やガールズバーで染みついたオンナの立ち振る舞いは、すぐにロールパンナちゃんをイラつかせた。
ラーメン屋になって。ラーメン屋になって。ラーメン屋になって。ラーメン屋になって。
映画やファッションとは違う土俵で、経験値やタッパの差もあり、あたしは完全に負けだった。
負けたくない、嫌われたくない、動けない、遅い、からい、暑い、痛い、
あたしから出たのは血や汗だった。
それから完璧なラーメン。
余裕が無い。ロールパンナちゃんの前で余裕が無い。
苦手な早起き、無駄な口ごたえ、コンプレックスの隠せない薄化粧、似合わないポニーテール、制服は膨張色の白、毎日同じ長ズボン、汚いタオル、可愛さとか自我が許されない機械的な接客。
あれれーって思っているうちに、同じ毎日の中で、あたしとロールパンナちゃんは冷えていって、遂に、
ロールパンナちゃんはキャバ嬢にハマった。
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こうしてそばに置いてもらい続けていること自体が幸せなのだと、わかってはいる。
ただ当たり前だが、甘くはなかった。
好きなだけでは生きていけない次元に飛び込んでしまった。その代わり、好きじゃなくても共存していられる権利を手に入れた。
歪んでいるね、あたしは自分のなかの歪みやクシャクシャな想いをまっすぐに伸ばして正しく読んでブレずにいられるように、毎日ラブレターを書くようになった。LINEのタイムラインに、ただただアップするだけのラブレター。
ロールパンナちゃんは頼んでもいないのに毎回律儀に読んでくれて、反応したりしなかったりした。
3人で回している店だから定休日の前日はいつも3人で飲みに行くのだが、たまたまひとり都合が合わない日があって、ロールパンナちゃんと2人で飲みに行った日が冒頭のあの日だ。
飲み比べは引き分けだったがどちらもお互いに負けないくらいフラフラだった。
帰って、酔った勢いで、お金を払ってセックス。
売春は、あたしとロールパンナちゃんにとっての興味深いテーマだった。
お金をもらってサービスを提供するということを、あたしはそれまで仕事にしていたから、それを金額に対するサービスだと割り切ることを知っているし、お金を払う側の感情の機微もいろんなものを見てきた。
あたしにとってあなたにはお金以上の価値があったから、ここまでついてきたよ。
あなたにとってあたしは、お金をもらわないと割に合わないほど、つまらないものだったのだろうか?
「お金より価値のあるものをあげられなくてごめんなさい、」
あたしは痛客だった。
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愛のことなんかちっともわからない。
俗に言う高まった恋愛感情のことだとは全く思わないし、どうせ別れる彼女に愛してるなんてほざいている同級生はバカにしか見えないが、じゃあなんなのってきかれたところであたしだってちっともわからない。
キャバ嬢にハマった���ールパンナちゃんは、最後にあたしのことを「嫌いではないよ」と曖昧に慰めて、家を出ていった。
正しくは、兼ねてからあった新店舗を任される話がきちんと動き出し、喜ばしい仕事の成功としてあたしの元を予定どおりに去っていっただけだ。
間違いなく時間は経っている。
残り時間はあとどのくらい?
あたしにも諦められない夢がある。いつかは、あたしのほうから去らなければいけない。
あたしがひとり残された店舗からロールパンナちゃんの新しい店舗まで、こちらも電車で片道2時間ほどかかるが、あたしは懲りずに通っている。自分でもびっくりするが、こんなに時間や体力に余裕がないのにも関わらず週に一度は必ず通っている。溜まった家事や仕事の関係の雑用のために。交通費だってバカにならない。
でもロールパンナちゃんもキツそうだった。
ロールパンナちゃんの赤いこころはいまあたしには見えない。余裕が無くなって青くならざるを得ないつらさが、あたしにはとても哀しく見えた。でも赤も青もどちらも、ロールパンナちゃんなのだ。あたしはその赤いところに惹かれて一緒にいることを選んで、青いところまでどうしようもなく愛おしく感じるようになってしまったよ。
これがただの執着だったらどうしよう。
ロールパンナちゃんの青につられてあたしまで青くなってしまうことがありませんように。あなたの青さを、燃えるような赤さで見守って、あなたが赤に還ってこられた日には、一緒にいっとうの真っ赤をさらけだして、青さまで全て赤にしてしまいたいね。あなただけでなく、世界のすべてをいろんな赤にしたいんだ、あたしのゆめはそういうことだよ。ずっと赤でいるから、あなたも赤に戻ってきてね。
いつかは。
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2018心に残る食べものたち〈社会人篇3〉
記憶に新しい。最後です。
9/30 fuglen ASAKUSA
なんとあのフグレンが浅草に…
我らの生活の要、ドンキの近くに突如として現れたフグレン。
代々木上原にあるお洒落代表カフェが なぜ浅草のしかもJRA(日本中央競馬会の略)の目と鼻の先に…
私は驚きを隠せなかったものの、 気づいたらそこに足が向かっていた。
一言で最高です。
まずあの雰囲気で夜中までやってくれているのは救いだし、 夜の薄暗い中でロウソクが灯っているのが 抜群のムードを演出している。
そして何より感動したのが、 トイレだった。
無機質で清潔で無駄に広い空間 オーガニックな香りがするハンドソープ 思わずトイレの中でかなりシャッターを切ってしまった。
「トイレに住みたい」 と思った経験はここと、 代々木上原のflowくらいだろうか。
度々通っています。 しっかりとしたドリップコーヒーがあれば なお良いんだけどなあ。
10/5 湯気
インスタ開けば湯気だらけ
それくらいにみんな行っている湯気。 まず名前がいいものね。
ここは少し背伸びしながらも、 居心地のいいちょうどよさがある。
店先にはお花屋さんがあって、 店内は大きなテーブルが二つにカウンターのみ(まるでスナックみたいと最初思った)。
料理はシンプルな組み合わせのものが多く、 でもそのどれもが想像力を掻き立てるものばかりで あれもこれもとなかなかオーダーが決まらない。
ご一緒した二人は学生さんで、 学んでいることを私たちにちゃんと説明してくれた。 いや、もはや語ってくれた。
私はそれを聞いていて、すごく羨ましくなった。
大学に4年間在学したが本当に学びたかったことに出会えなかった。 そもそも、専攻を間違えたなと今になって思う。 当時の私だったら、学んでいる事を聞かれたら 笑ってごまかしていたし、何も語れなかった。絶対に
学生にコンプレックスがある。
もう一度本当に学びたい事を学びたい、 そう思った理由のひとつ。
10/7 キィニョン
数少ない大学の友人に教えてもらった パンとスコーンのお店キィニョン。
今まで全く知らなかったのを心底後悔するパターンのやつでした。
見た目子供連れのお母さんが買うような、 可愛らしいチェーンのパン屋さんって感じの店構えから このクオリティのスコーン出してくるから、たまげた。
職場よりもっと奥にしかないのか… なかなか食べられぬ…くそう。
と思っていたら、なんと上野にあるではないか!
早速買いに行きます。
10/13 きび太郎
2018年ベストオブシメラーメン
これほど、シメに向いているラーメンは 他にないのではないだろうか。
いくつか種類がある中の鶏そばというもの。
透き通ったスープは鶏の旨みがギュンギュンに凝縮されていて、 けれども味は透明。いくらでも飲んでいられる。
田原町で飲んだ日には、 必ずこの姿を思い出して頭を抱える。
むむむと思いながら歩いていると、 いつの間にかお店の前に付いているから不思議だ。
10/25 贊記茶餐廳
チャンキチャチャンテン と読みます。
同僚からおいしいから行ってみて!とすすめられ、 早速行ってみることに。
事前に腸粉という プルプルしたものがはちゃめちゃにうまい と、聞いていたので真っ先にそれの海老を注文。
口にした瞬間、 腸粉キターーーーーーー!!!
腸粉のビックウェーブ来ました。
ちゅるんぷりっがひたすらに繰り返される この食べもの。なんですか。
ずっと幸せ…
まだここ以外で食べたことがないのだけど、 ここに来たらもう腸粉以外食べれません。
10/26 petanque
はい、ウフマヨ❤️
観音裏にやばいビストロがあることは かなり前から知っていたのだが ハードルが高く感じて、 足を踏み入れられなかった。
ここもまた深く話が通じる友���と せっかく浅草で食べるならここでしょ!と 満場一致(?)でペタンクに予約したのだ。
つ・い・に! 憧れに憧れていた ウフマヨにチューリップ唐揚げを…
二人して目が無くなっていた間違いなく。
この子とおいしいものを食べにいくと、 最上級においしみを感じることができる気がする。
味わっていたい時は、 いつまでも味わっているし 喋りたくなったら喋るみたいな。
いつもより少しお金を出して いいものを食べる時って、 よりその時の状況によって感じられる おいしさが違うように思う。
この後、立て続けに2回行ったので なおさらそう思った。
一緒にいる人 話している話題
同じ味のはずなのに 何か残るものが違う気がする。
11/2 松㐂
MATSUKIでございます。
何気に2回目なのだが、 前回があまりに緊張していたし 一人だったもので記憶が微かすぎる。
今回は年下の子とかなり背伸びをしてここに。
何を食べるにしても妙に緊張してしまって クスクスのポソポソのお皿だけ最初サーブされて こ、これがクスクスかあ… と思って食べていたら、その後に出てきた スープと混ぜて食べるものだったらしく かなりはずかしかった。
終いには、お会計でもワタワタしてしまって 赤面症の私は顔真っ赤。
なんだかまだ松㐂を 心から楽しめない私。
帰り道、たは〜〜〜〜 って感じだったけど、 こうやってダサいことをして 人って成長するのかなとか思ったりした。
その度に私は顔を真っ赤にするのだけど たまにはこういう思いした方がいいんだよな。 (しょっちゅう顔真っ赤にしてますけども)
11/3 山谷酒場
台東区日本堤に これまたやばい酒場ができた。
すでに丸千葉があるというのに、 なんちゅうまちだ…
駅からある程度歩く距離にあるのだが、 夜はかなり物騒だった。 死んだ町とも言えるほどの雰囲気。
人と引っ付きながら歩くと、 突然パッと明るい看板が。
そこから中はもうパラダイスというか、 最高でした。
パイナップルのテーブルクロスや 一見適当なメニュー 変な置き物たち…
ビールは缶ビールだし、 コーンバターやアメリカンドック、 キクラゲのもやしいため?
ここにしかない変な違和感、 の中で食べるそれらはめちゃうまい。
これは、妙に薄気味が悪い(住んでいる方ごめんなさい…) 南千住にあるからいいんだろうな。
11/7 鳥鳥鳥の店 鳥清
上野の裏道にそれはあった。
鳥鳥鳥の店 と書いてある看板が暗闇の中で灯っていて これは絶対やばい、 と思いながら入店。
店内もこれまた何もかも最高で、 チューハイのグラスがいいし、 いいちこあるし、 頼むものすべてうまいし、 鶏鍋のおばちゃんの鍋奉行ぶりがたまらないし、
はあああああああああ 幸せのため息が止まりませんでした。
絶対にまた行こう。
11/15 TONY'S PIZZA
あたたかい
お店の前に立った瞬間からそう思った。
ふかふかのクッションに包まれながら、 食べるピザのなんとおいしいことよ。
店主さんが生地と会話しているかのように それはもう丁寧にこねていて、 その生地とたくさんのチーズに覆われた あっつあっつの出来立てをパク。
たまりません…
私の心はほっかほかで、 意気揚々と会社に帰ると 両手からピザの香りがした。
完全に恋に落ちたと思った。
人を好きになりそうになると ちょっと距離を置いてみるみたいな、 今そんな状況。
11/17 アロマ
地元で一番好きな喫茶店
て言っちゃうよねここは。
昨年、一番通った喫茶店
なんせ通うのが苦手なもので、 常連と言えるお店はないけれど。
でもここは店主さんが話しかけてこないので(私みたいな一般人には) ふらっと淡白に通える。
それがとても居心地良いのだ。
11/25 path
奇跡みたいな日2
左には真っ白な洋服に大きなハンカチをエプロンがわりにしている 何しても可愛い黒髪ロングの女の子。
右には才能に溢れた魅力の塊で 眩しくなるほどにキラキラした可愛い可愛い女の子。
の間にいる、普通の女の子(は私です)。
こんな環境で食べるpathのカレー以上に 贅沢なカレーは二度とないでしょう。
お土産にあのスペシャルなレーズンサンドを 持たせていただき、 人生楽しみ無限大∞だゼ!を実感しながら(は?) 駅に向かって歩いた。
11/28 かるかや
青空うどん、ついに叶う。
学生最後の旅行で香川県に行った時、 あるうどん屋で入りきれなかったお客さんが 店の外で青空の下、立ち食いしている光景を目にした。 (学生篇の投稿で記載している)
その光景がずっと忘れられなくて、 ずっと憧れていた。
今後叶わないだろう、 そう思っていたらありました。 しかも東京の池袋のデパートの屋上に…
香川県民のように片手でお椀を持って、 立食いとまではいかないが 私は感動してしまった。
おつゆが夕日に照らされて、 キラキラと輝いておる…美しい。
池袋がまた少し好きになった時間でもあった。
12/1 やきとん たくちゃん
隠れ名店 だと私は行くたびに確信している。
家の近くにこんな良い居酒屋を構えてくださり、 ありがとうございます。まず感謝。
値段もお手軽で、何より食べ物がどれもこれも 想像をはるかに超えてうまい。
いつも頼むのが、 赤星瓶ビールにもつ煮の玉子入りとレバー、 はらみ、つくねピーマン付けなど。
ここのレバーは驚愕的にうまいと思う。 この値段で?え、良いんですか?? と毎回思う。はらみも同様。
そして写真のつくねwithピーマン!
私これ長年憧れていて、 孤独のグルメで井ノ頭五郎さんが ピーマンにつくねを乗せてそれを箸で少し崩して、 それはもう、うまそうに食べていたのだ。
まさか地元でできるなんて…!
ピーマン苦手なのに、 なぜかハマって常連かのようにいつも頼んでる。
早く夏になって、 外で飲みたいなあ。
12/7 豊前房
思い出すだけで、 心が柔らかくなるよう。
「超敷居高いうどん屋さん」 とずっと認識してしまっていたがために、 なかなか足を運べずにいた。
寒さが強まってきた頃、 偶然出くわしたある可愛い女の子が そこで働いていると知り、 それはいかねばとやっと重い腰を上げたのである。
マイミューズ平野さんもご家族でよく来られていたとも 聞いていたし、間違いないのは認識済みだった。
やられました。
認識のはるか上でした。
誰かと抱擁したくなる味でした。 (残念ながら一人だったので自分で自分を抱きしめたけど)
おつゆのなんとお優しいこと。 麺はそれに寄り添う、ハリツヤがあって角のない手延べうどん。
体の全てに、そして心に染み入る 素晴らしいおうどんです。
12/8 藪蕎麦
連日のいいうどん、いい蕎麦。
ハイライトは、 しきりに店員さんが発する 「ありがとう存じます」。
この平成という時代に 誰がこんなお上品な言葉を使うだろうか。
お出汁もお蕎麦の量もお上品でございました。
蕎麦があたかも米のように海苔に巻かれた そばずしを頼んでみたのだが、 蕎麦の新たな可能性に出会い、感動してしまった。
またこうやっていいものを食べながら、 可愛がってくれているお兄様お姉様にも 大変感謝なのです。
12/15 サイゼリヤ台東田原町店
このペコリーノチーズの ポテンシャルの高さよ…
これぶかっければ、 サイゼのメニューの大体のものは ワングレード美味しくなるのでは…
これは、アーリオ・オーリオ(299円税込)という にんにくの旨みとオリーブオイルのみで仕上げたパスタに ペコリーノチーズ(ちなみに100円税込)を どさっとぶっかけた399円税込の安いやつなのだが、 それがまあああうまいこと。
ペコリーノチーズやるなあ…
これからサイゼ行ったら、必ずこいつも頼むことに決めた。
12/17 美奈福
代休で平日に休めたので すかさず人形町に向かった。 (これでも意外とまだ無遅刻無欠席である)
特にどこに行くとか決めず、 フラフラ歩いていると赤い提灯が見えて 「おでんの食べ歩きもありだなあ」 なんて考えながら立ち寄った。
大根、はんぺん、つみれの完璧トリオを迎い入れ、 すぐ食べるなら漏れないようにと 何重にもして渡してくれた。
ほかほかの大根を路地で一人で頬張りながら 立ち昇る湯気を見ている時、 寒い中であたたかいものを食べると なぜこんなにも幸せ��んだろうと思った。
肉まんや焼き芋を食べている時も 涙が出そうなぐらい幸せを感じる。
湯気に包まれる。
この冬のテーマです。
12/22 guerrero
おいしくて可愛い時間。
食が大好きで仕方ない女子5人が集まって、 初対面もいる中、忘年会を開催。
場所は多数決で決まった下北沢のゲレロ。
写真のは、根セロリのスフォルマート。 正直セロリが駄目なのだが、 流れに身を任せて食べてみると、うまい…
友人の言葉を借りると、 「セロリが優しく寄り添ってくれる」
このタイプなら私もいけるらしい。
好きが似ていると、 時間も��からずに仲良くなれてしまうし、 いろんな話がしやすい。
食べ物に映画やラジオ、洋服、恋愛…
これって本当に豊かで贅沢なことだと思う。
だから、インスタを介して人と会って話すことは すごくいいことだと私は思っている。
会社の悪口言ったり、 自分の弱音を吐いたり、 記憶がなくなるまで飲むのではなくて (それもたまには必要なこと)
好きなことを好きなだけ喋れる聞ける。 そして私と相手の考えを共有できる。
この時間が何よりも生きる糧な気がする。
12/24 ぱいち
浅草で洋食を。
クリスマスには、盛大に浅草をオススメしたい。
洋食やケーキが食べれる喫茶店もあるし、 浅草寺や雷門は真っ赤だし、ぴったりでしょ。
ヨシカミやグリルグランド、グリル佐久良などの洋食の有名店は、 土日のお昼時に行けば並ばずして入店はできない。
ぱいちはそれほど並ばないし、 どの有名店より「和」だと思う。
オススメしたいのは、 ランチが終わる間際に入店すること。 スッと入れるし、 お店の人が休憩に入って賄いを食べる姿が見れる。
浅草の商い感が滲み出る洋食屋。
揚げ物もシャクシャクに揚がっていて、 頬張るたびに耳がくすぐったい。
私はこの妙に太い、付け合わせのスパゲティが大好き。
12/30 FOS
23歳になった。
私は年末生まれで、 クリスマスやら年越しやらで 忙しない中、歳をとってしまうのは毎度のこと。
でも、必ず学校や仕事は休みなので 自分の誕生日は嫌いじゃないけど。
22歳は学生から社会人への変換期で 泣いたり笑ったり怒ったり、 感情に素直だったような気がする。
仕事にはだんだんと辟易していったのだけど、 仕事以外のことが楽しくて、 何かを掴んでいくような感覚もあった。
いろんな人と会って話して、 自分のやりたいこと考えていることを 伝えれば伝えるほど、前に進んでいる そんな感覚があった。
でも今は、「そんな気がしている」だけだ。
23歳は、そのやりたいことを もっと具体的に、形にしていく。
いろんなものを観て読んで聞いて、 それを私の中に落とし込んで、表現する。
きっと難しい歳になるだろうなあ。
ーー
最近、あるアメリカのコンビニオーナーさんの 展示を観て思ったのだけど、 夢は何?ってもしヒゲモジャに聞かれたら(あいみょん風)、
「面白いおばあちゃんになること」
と答えることにした。
「私の人生面白かったあ」
そう思いながら眠りたい。
2019.02.4
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25、26日と福島市で合同練習!
来月の東京、郡山での公演までちょうど1ヶ月となりました。 今月の練習会場は東北ユースオーケストラ(TYO)はじめての福島市公会堂です。こちら、1200名以上を収容する歴史ある福島市のホールに続々と団員が集まってきます。
あとは本番前の直前合宿での練習を残すのみとなりました。気合が入ってきた指揮の栁澤敏男さんには後光が刺しているようです。
とりわけ「ふつうジュニアオケ、ユースオケではまず演奏しない(演奏できない)」と言われるグスタフ・マーラーの交響曲第1番については、楽譜のポストイットも毎回増えていっているように感じます。
果たして立派に演奏できるのかなという現況を応援するかのように今日はたくさんの差し入れをいただきました。まずはパーカッション塘英純くん、ヴァイオリン三浦千奈さんのお母さまからバラエティに富んだお菓子の数々と、そして福島事務局の大塚真里さんからお薦めの地元福島市の「ゆずみそ焼おにぎり」(と書くだけでも、さらにどんぶり飯を食べれそう)。
そして、この二日間の合同練習会ではJA共済、JA共済連福島から多大なるご支援をいただきました。今回のレポートでは結果的にこれから何度も「JA共済」という言葉が踊り、画面に写り込むことになり、「この引率の先生は個人的に何か貰っているのでなかろうか」と訝しがられること間違い無いと思うのですが、確かにたくさんの恩恵をいただいているのですよ、東北ユースオーケストラ一同が!
まずは小出しに。初日の昼と長い練習の間食用にと、地元でつくられたパンを各種とお茶を110名分いただきました。
ホール内では午前中からマーラー交響曲第1番を絶賛練習中のところ、
かたや降り番中学生、トロンボーン西野蒼さんとクラリネット小野葵さんの、ダブル・ノアオイズが何を嗅ぎつけたかロビーに登場。
中学生というのは、とにかくお腹が空く年頃だよなと受け止めておりましたら新たなJA共済さんからの差し入れが届きました。
「水虫パン」です。事前にいただいた贈答品リストに「お茶」「お弁当」「トースト」などに混じって「水虫パン」という物品を見つけた時のわたくしの衝撃をお察しください。何かの誤植であろうとたかをくくっていたら、本当に「水虫パン」が作り手の「オカザキドーナツ」店主岡崎隆一さん(75)によって、自転車にて納品されるという、想像を超える現実の恐ろしさを感じました。しかもJA共済さんは自社製品では無く、地域振興の観点から地元の商品をわざわざ買ってくださったのですね、この水虫パン���。まさに足型の水虫パンは、ピーナッツバター味、イチゴジャム味、チョコレート味とバラエティに富んでおり、水虫に見立てられたと思わしきカリカリ部分の食感が絶妙な、昭和生まれには懐かしい美味でありました。水虫パンについてさらなる見聞を広げたい向きには、一般社団法人東北ユースオーケストラの理事メンバーでもある仙台の河北新報の記事をお薦めします。 以上、福島市観光情報でした。
この日は実家で栽培、販売されている苺の差し入れとともに練習会場にお越しいただいた、今年70歳の男性がいらっしゃいました。
気仙沼から娘さんの車でお見えになった、古希の方の名刺には、 「NPO法人海べの森をつくろう会 副理事長 三浦秋男」と書かれています。 先月のレポートをお読みいただいていたらピンとおわかりかと。パーカッションの三浦瑞穂さん(中3)のお爺様でした。
まずは311に気仙沼で地区の自治会長をされていた、元高校教師の三浦秋男先生から昼休みの後半30分を使って団員全員に向かってお話をしていただきました。 これまでに体験したことの無い強い長い揺れで、障子が外れ、目の前で家の壁が割れ、町の信号機がすべて消えた驚き。ラジオから6mの津波との報せが入り(実際は気仙沼では20mを超えた)、海岸沿いから軽トラックに乗ったご夫婦が「津波が来る!」と逃げてきて、それが現実に起こることとわかり、日頃の防災訓練に則って行動されたこと。指定避難所の階上(はしかみ)中学校での避難生活がはじまり、地元の建設業者の大型発電機のおかげで直後から電気を得られたこと、意外とガス炊飯器が活躍したこと、地元農協が提供してくれたお米も2000人の避難民ではあっという間に無くなってしまったものの昔ながらの精米機のおかげで米が食べられたこと、地元の水産加工場の保冷庫のおかげでマグロ、ぶり、ほたてなど贅沢な食材も口にすることができたこと、10日後に自衛隊からの食事を支給されてほっとしたことなどなど。
強く強調されていたのは、日頃からの小中高校での避難訓練の重要性、防災教育の大切さでした。防災減災の3ステップとして、まずは自助、そして共助、公助と言われるが、地元コミュニティの共助の力を今回は強く感じられたそうです。震災後6年経っても仮設住宅は残っており、地区によっては自治会が解散したり統合を余儀なくされている場所もある。被害はまちまちで家族8人で高校生の娘さんだけが生き残った家もある。最後に三浦さんがおっしゃった言葉が響きました。「生かされたわたしの使命は地元のコミュニティを立て直し、守ることです」 こないだのお孫さん瑞穂さんの言葉「生かされたなりのことをしなくちゃいけない」とも共鳴する、限りある命を捧げたいという静かで強い意志。お二人の記念写真を撮りました。
今回三浦瑞穂さんのお爺様にお越しいただいたのは、311の貴重な体験談だけではありませんでした。実は三浦秋男さんは別の先生でもあったのです。
さて続きです。気仙沼のパーカッション三浦瑞穂さん(中3)のお爺様、元高校教員の三浦秋男さんは、なんと民謡の先生でもあったのです。前回の合同練習会で、今回の演奏会で披露する東北三県の民謡をアレンジした「ThreeTohokuSongs」練習中に、団員たちがあまりに地元の民謡を知らないので、掛け声をどうすればいいかわからない問題が発覚し、降り番の掛け声専門部隊「チーム・チョイサー」を組成したのではありますが、では指導者をどうしたものか、と。坂本監督からも「地元の年長者に教わるのがいい」とのアドバイスを受け、ふと思い出したのです。昨年7月に仙台で行った2016年度の入団説明会で、「今回は民謡にチャレンジしようと思うのですが、保護者のみなさんには馴染みあります?」とお尋ねしたんですね。その時、向かって右手の最前列に座っていた黄色い服着た女子の保護者の方から「この子のおじいちゃんが民謡の指導をしています」と伺ったのを思い出したのですね。そこで、誰だったかとその時の写真を見てみたのです。記録写真は撮っておくものですね。
なんと!あの三浦瑞穂さんではありませんか。ということで、今日の合同練習に合わせて、お母様の運転で片道3時間かけて福島市まで、311の体験談講話と民謡の掛け声指導に来ていただいたのです。それでは指導風景を動画でご紹介しましょう。まずは相馬盆唄から。
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三浦秋男先生の揉み手にご注目ください。あとでお孫さんの瑞穂さんは「テンポが早くならないように、この揉み手が大事!」と言っていたとのこと。当方、人生48年にして初めて「揉み手の意義」を知りました。秋男先生によると、伊達藩だった気仙沼では藩主により盆踊りが禁止されていたため地元の盆踊り歌が生まれず、この福島の「相馬盆唄」を歌っていたそうです。ということは、こっそり殿様に隠れてこっそり盆踊りをしていたのですね。盆踊りについては民俗学的視点からの面白い研究の本があります。あえてリンクは貼りませんが・・・。 そして、掛け声について。出だしのタメがポイントのようです。先生による指導シーン、その2でございます。
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そして、チーム・チョイサーの由来となった「南部よしゃれ」から。
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指導のあと三浦秋男先生にお話を伺いましたところ、「震災の後、音楽のチカラというのを強く感じます。音楽を聴いて元気になる人もいれば、歌を歌ってチカラをもらう人もいる。東北ユースオーケストラもみんなが元気になるいい演奏をして欲しい。応援しています」 団員のみなさん、励みになりますね。 遠方より苺を持参でご参加いただいた三浦さんファミリー、ありがとうございました。初めて食べる気仙沼の苺があんなに大きくて甘いとは。団員たちも大喜びで、1パート1パック以上の半ダーズケースもお持ちいただいたのにすぐに約100個の胃袋におさまってしまったのでした。
さて、本番まで1ヶ月となり、昨年は1週間前から進行台本を書きはじめた愚を修正しようと、オープニングのファンファーレの作曲を前回に引き続き塘英純くん(将来は作曲家志望)に依頼しました。
背が伸びたね。その分、内容も成長していこうと、トランペット二重奏から今年はトランペット三重奏で頼むと言ったところ、
さっそく休憩時間にMacBookAirで取り掛かってくれていました。やるな今どきの中学生。手にしているのはメインのマーラー交響曲第1番のポケット楽譜。たぶんマーラーへのオマージュを意識して作曲するのでしょう。できたら坂本監督に見てもらおうね。
3月に演奏するマーラーの「巨人」には「特殊楽器」を用います。と知ったかぶりしましたが、ど素人のわたくしは「特殊楽器」という用語すらこの仕事に関わるまで知りませんでした。標準的なオーケストラの編成では使わない楽器のことです。今月の合同練習では「エスクラリネット」をどう調達するかが事前の課題になっておりました。わたくしは、今回の一件で、「エス」が「S」で「Sサイズ」のことで、フランス語だと“petite clarinette”で、だったら「ピークラリネット」じゃなかろうかとも思い、それはともかく通常のクラリネットより小さくて変ホ調で、買うととっても高いということを知りました。
こちら特殊楽器関係者です。左からTYOのテクニカル・ディレクターの飯島則充さんは、トロンボーン奏者で音大卒でプロマックスの取締役で、団員の演奏に関わること全般から、プロを目指す子供たちの相談役を担当されています。中央の男性はTYO福島事務局のまとめ役の渡辺豊さん。子供の頃はFTVジュニアオーケストラに所属してやはりトロンボーンを吹き、現在は福島市の管楽器専門店ブリリアントの経営者、社長です。福島県内での練習場所の確保やレンタル楽器の交渉、練習当日の搬出入を仕切っていただきながら、団員の楽器のメンテナンスもお願いしています。そして、右が団員のクラリネット奏者、福島高校に通う菊地桃加さんです。 さてどうやって解決したかと言うと、実は飯島さんの奥様がプロのクラリネット奏者でシエナ・ウインド・オーケストラに所属されている飯島泉さんだったと、これも今回初めて知ったのですが、なんとご自身愛用の楽器を特別に貸し出していただけました。飯島さんが「妻から絶対に壊さないように言われました」と暗い顔でおっしゃるので、気軽に「いくらぐらいするんですか?」とも聞けません。「ビュッフェクランポン プレステージュ グリンライン」という楽器名も怖いです。「プレステージュ」は英語のPrestigeのフランス語読みだと思われます。わたくしは今回の練習で菊地桃加さんに会うたびに「楽器はだいじょうぶ?壊れてない?」とネタのように聞いていました。
お借りした高級特殊楽器をそっと握りしめる菊池さんの図です。ポキッと折れそうと心配になりますが、実際は温度差に弱いのだとこれも今回はじめて知りました。快くお貸し出しいただいた飯島泉様、どうもありがとうございました。
初日は20時まで実質半日みっちりと練習をしました。さすがに団員もお疲れのご様子です。今回、岩手県、宮城県、北海道や山形、関東から参加の30名以上の団員についての宿泊問題は、JA共済さんに解決していただけました。閑散期だから大丈夫ですよと、練習会場から車で20分のJA共済経営「摺上亭大鳥」旅館に泊めていただくことができたのです。
しかも、宿までのバスも手配していただき、着いた先は身に余る高級旅館でした・・・。日中、福島の団員数々から「いいなぁ」と言われていた訳がよーくわかりました。一昨年の宮古島合宿でエコノミーなユースホステルでヤモリ他小昆虫と寝食を共にした身としては、この振れ幅にめまいですよ。
21時過ぎというレイトチェックインにも関わらず、「東北ユースオーケストラ」の横長の紙まで貼り出す専用の部屋をご用意いただきお食事をいただくおもてなしまで受けてしまいました。宿泊のオリエンをする「TYOのお姉さん」岡田直美さんの声も上ずります。 今年度の活動のはじめに「われわれは弱小、貧乏楽団であって“いつまでもあると思うな、TYO”です」と標語までつくったわたくしとしては、「今回は特別です。JA共済さんに感謝しましょう」と壊れたロボットのように言いつづけました。
TYOの日曜の朝は早い。こちらメイクや髪の手入れはしないおっさんですから遅めの6時半に起きました。
JA共済さんのお宿で朝食をいただきました。この撮影のために仲良く食事中の小・中学生三人には大人の配慮で席を移動してもらいました。ふつうなら朝ごはんを食べて、もうひと風呂が正しい温泉の流儀でありますが、朝の散歩組の引率者としてはそんなことは許されません。その発端は福島市在住のホルンの赤間奏良(あかまそら)くんからの前週に届いたLINEのメッセージでした。
確かにせっかくの宿泊滞在なのだから、飯坂温泉の魅力を知り、世の中に発信するのが恩恵を受けたものの務めだと思い、前日の練習のあと、赤間くんに飯坂温泉について語ってもらいました。
で、この企画に賛同してくれたのは小中学生6人のチビッコチーム。約1時間ほどブラタモリ並みに飯坂温泉を練り歩いたものの、早朝過ぎて足湯にはつかれず、道中問いかけた松尾芭蕉クイズもいまいち反応が悪かったのですが、飯坂温泉の情緒ある街並みを楽しめましたよ。
震災後は県外からの宿泊客がまだまだ戻っていないと聞きました。芭蕉も奥の細道で立ち寄った古湯、フォトジェニックな場所も数々あって、円盤餃子も美味しい飯坂温泉を旅の候補地にご検討ください。飯坂温泉駅前には松尾芭蕉の立派な銅像があって、しかし、その向かいには「白ポスト」なる訝しいオブジェもあり、これは美観としてどうなんだろうかと引率の先生としては思った次第。
散歩を提案してくれた生意気小学生の赤間奏良くん、どうもありがとう。そう言えば、芭蕉の旅のお供の名前は曽良だったな。 以上、飯坂温泉観光情報でした。
さて、朝の散歩組の中の一人、中学一年生の藤田サーレムくんとは昨晩遅くに露天風呂につなりながら裸のトークをしたのでありました。
ここでミニ団員紹介コーナーを展開しますと、岩手県盛岡市から参加の藤田サーレムくん、トランペット奏者の中学一年生です。前夜に風呂に入りながらこんな会話をしたのでした。 「サーレムくんはお父さんが外国の人だっけ?」 「父がイラクの人です」 「あ、イラクなんだ!」 実は、ついさっき旅館での夕飯の席で「お米に合うものはだいたい日本酒に合いますよね」とお酒も飲まずに話をしたら、指揮者の栁澤さんから「コメはいくらに合うけども、米はイラクに合わないと言いますね」という渋いアメリカ風ジョークを聞いた��かりでだったので、あまりにタイムリーな「イラク」の発語に驚いたのでありました。それは、さておき、 「えっ、お父さんはひょっとしておれ(48)と同じくらいの年か年下だったりするのかな?」 「あ、結構年いっていて60くらいかな」 「何してはんの?」 「父は大学の教授で、AIの研究をしていて、ほとんど海外出張でいなんです」 「いま旬な研究者じゃない。ということは、来月の本番の公演には観に来られない?」 「そうですね、ドイツに滞在しているみたいです」 「それはさびしいね。ところで、サーレムくん、トランペットうまいね。何年やってるの?」 「もう4年ですかね」 「4年でそんなに上手に吹けるようになるものなの?」 「トランペットを吹くのが好きなんです。だからはじめた頃からついつい好きでずっと吹いていたらこうなりました。」 「先生について教えてもらったりしていないの?」 「いや、先生に教わると、その人の幅に制限されてしまうから。でも、こないだ(トランペットのパートリーダーの中村)祐登さんに紹介されて、はじめてプロの先生にみてもらいました。吹く音が明るく響く。タンギング(舌を使って音を細かく切ることらしいです)が速いと言ってもらえました」 「好きで吹き続けてたら、いつの間にか上達していたなんて理想的じゃないか。それは極めたほうがいいね。」 「来月もコンクールで忙しくって、東北ユースオーケストラの演奏会の後、盛岡に戻ってまたすぐ東京に行きます」 「その全国大会ではいい線いくの?」 「たぶん入賞はできると思います」 「すごいな。将来は何になりたいの?」 「プロか、農業したいです」 「あはは、プロのトランペッターか、農家なんだ。どっちも楽しそうだなあ」 ぜひ藤田サーレムくんの今後にご注目ください。
さて、二日目の練習はマーラーの交響曲第1番からスタートです。
そして、今日も福島市公会堂のロビーには、朝から合流した大学生トランペットの中村くんの大阪土産も加わって、差し入れのお菓子が並びます。
このロビーに団員を激励にとJA共済連福島の地域活動支援室の八代孝明課長がお見えになりました。
昨日に続いてJA共済連福島からのお茶!
さらに間食用のパンを各種!!
そして、110名分のお弁当を運び入れていただきました。お一人で来られていた八代さんの助っ人で福島民報社の吉田高徳副部長も起こしになって、お昼休憩の前に二人でロビーに弁当を並べることまでしていただきました。
ふつう大企業ですと、こういう現場には若い者を連れて手伝わせるのが通常の光景です。しかし、この日は管理職お二人が二人だけで車に積み込んだダンボールを運び、丁寧に団員のためのお弁当を並べ、5つごとに包まれていた大きなレジ袋を一枚一枚(22枚です)きちんと畳んでまとめていらっしゃる姿に心打たれ、確信しました。 このお二人は「休日出勤をする企業に勤める会社員」という枠を超えて、「TYOを応援する熱いひとりの個人」として、この場に来られているのだな、と。 お二人とも固辞されたのですが、ここは団員に一言激励の言葉をいただいたほうがいいと思い、無理を言ってお引き止めし、午前中の練習終わりのタイミングでお話しをいただきました。
「ありがとうございます」とお礼を言う団員を前に八代さん。 「わたしは中学生の時にモノラルのラジオから流れるYMOの『テクノポリス』を聴いて育った世代です。小さい頃から憧れの坂本龍一さんと共演するみんながうらやましいくらいです。その坂本龍一さんが監督として東北ユースオーケストラを通じて復興支援していただけるのですから、しっかり応援します。演奏会に向けてがんばってください。」
続いて、昨日の練習が紹介された記事が掲載された朝刊を片手に吉田さん。 「今回、福島民報社の125周年事業として郡山公演を主催させていただくことになりました。本番までがんばって練習してください。応援しています。」 お言葉の通り、今回初めての郡山公演は興行リスクを取って主催者になっていただくことで地元公演そのものが実現しました。今日、現在でまだ売れ残っていると聞いています。坂本龍一監督以外にも吉永小百合さん、うないぐみさんにゲスト出演していただくコンサートが、S席3,000円、A席2,000円と東京大阪では考えられない価値の高さです。3月26日は日曜日ですから遠方からのご来場でも十二分に値打ちがあるはずと自信を持ってお知らせします。ぜひ満員の客席からご声援いただけたらと思います。
お昼休み、おかげさまで食事をいただくロビーは元気な笑顔でいっぱいでした。あらためてありがとうございました。 さっそく東北ユースオーケストラのInstagramに感謝のコメントともにアップする団員がいました。
ハッシュタグの使い方が慣れてますね。
二日目の午後の練習の休憩時間には、「みやぎ鎮魂の日」である3月11日の土曜日に石巻の復興住宅の集会場で行う有志メンバーでの演奏の練習も行いました。
当日は約20名の団員が自主参加して、地元の自治会が中心となって行われる追悼セレモニーでの防災訓練や炊き出しにも参加する予定と聞いています。気仙沼の三浦秋男さんのお話でも常日頃からの訓練が大切とおっしゃっていましたね。 また翌日の3月12日の日曜日には仙台三越で弦と金管のそれぞれアンサンブルでの演奏を行います。というのも、3月1日から三越伊勢丹グループではじまった「東日本復興支援どんぐりバッジチャリティ」に応援曲として昨年の演奏会で披露した坂本龍一作曲『ETUDE』をご提供したからです。現在全国の店舗で流れておりまして、仙台三越のチャリティイベントに出演することになりました。応援曲『ETUDE』はこちらの告知ページからお聞きいただけます。
これが団員に見せたどんぐりバッジのサンプルです。1個300円で各店舗1種類の28種類のバッジを販売中となっています。お近くの伊勢丹三越グループのお店で実物をご覧いただき、『ETUDE』の館内放送をお聞きいただければ!
二日間の充実した練習も終わりました。しかし演奏の練習は終わっても毎回マストな重要任務があります。お借りした大型楽器を運び出し、傷つけることなくトラックに積み込むという団員が声をかけあって協力し合う作業です。
トラックに乗り込んでいる恰幅のいい大学生は、いわき市出身の冨澤悠太くん。チューバをいつも持ち歩いているだけに、いつも力仕事のリーダーです。ティンパニなどの楽器は昨年度に引き続き、福島県立橘高校から無償貸与いただいております。いつもありがとうございます。
そして、福島駅から仙台駅に向かうバスをいつものようにみんなで見送りました。
このブルーの大型バスについても仙台の団員のお母様がお勤めのバス会社で毎度お世話になっております。繰り返しになりますが、いつもありがとうございます。
今回の二日間の合同練習であらためて実感したのは、さまざまな人や企業、団体に支えられ、この東北ユースオーケストラは成り立っているのだなあという事実です。個人の方からいただくご寄付、企業からいただく協賛金などの「お金」、そして団員が音楽活動を続けるための楽器や練習場所や飲食、宿泊、移動などの「モノ(物資)」を無償だったり、通常より安価にご提供いただいています。こういう現物支給によるご支援の受け方を英語だと”Value In Kind”、略してVIKと言ったりします。まさにお金も現物も、活動を支えるValue(価値)というモノサシでは同じです。 ピーター・ドラッカーという近代経営学の父、「マネジメント」概念を発明した泰斗に『非営利組織の経営』という著作があります。
この冒頭の一文が飛び抜けています。「非営利組織とは一人ひとりの人と社会を変える存在である。」 東北ユースオーケストラは、そんな組織になっているだろうか? なっているようでもあり、まだまだのようでもあり。しかし、たくさんの方々から「お金」と「モノ(物資)」をご支援いただいてきています。そして、もう一つ、とても重要な支援のかたちに気づいたのです。よく経営資源の3つでヒト/モノ/カネと言いますが、「ヒト」という資源を分入って見えることがあると思ったのです。 それは、「(人の)時間」です。人の生は有限で、しょせん、どんな人も、遅かれ早かれ、いつか死ぬ。この圧倒的な事実の前に、何に限られた時間を使うのか。その大切な時間を東北ユースオーケストラのために使っていただいている人がたくさんいらっしゃる。「時間を提供する」という第三の支援です。 気仙沼の三浦さんご家族は、311の死に瀕した体験を通して、生かされた自分の残された人生の使命を強く意識されていました。このことは、3年前に中咽頭がんが見つかり、克服された坂本龍一代表・監督によって、団員のためにオーケストラアレンジの譜面を書き起こしていただいたり、その貴重な時間というギフトを受けていることにも通じます。関係者のみなさんの有限な時間の贈与によって東北ユースオーケストラは成り立っています。 折しも今回の練習では決められた休憩時間が終わったらすぐに練習できるようにしようと、タイムマネジメントリーダーを福島の大学生、服部未来子さんにお願いすることにしました。これで全員のチューニングが済んだ状態でオンタイムで栁澤寿男さんを待つことができるはずです(理想)。
ついつい日常の時間の中で忘れがちなのですね。 輪廻転生を信じようが信じまいが、 この人生は一回きりであることを。
今回のレポートは合間の時間に更新しているうちについつい長くなってしまいました。わたくしは「包容力のある実存主義者」になりたいものだと思います。
あらためて引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をよろしくお願いいたします。
引率の先生役レポーター 田中宏和拝
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高級食パン🍞の 一期一会が本日小平店が オープンしましたので 行ってみたら予約のみで 売り切れ‼️😭 と思ったら キャンセルがでて ショコラ食パンをゲット❗️ 美味しく頂きました‼️ #高級食パン #高級食パン専門店 #高級食パン専門店一期一会 #食パン #食パン大好き #食パン好き #朝食パン #ショコラ食パン #一期一会小平店 (一期一会) https://www.instagram.com/p/CMedzapj2ER/?igshid=zki6e77uamud
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 5月4日(水) #先勝(丁巳) #みどりの日 旧暦 4/4 月齢 3.3 年始から124日目(閏年では125日目)にあたり、年末まではあと241日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 🙏「大大大寝坊の巻き」🤣😆🤣💦 今日は「お風日(オフビ)」なので 構わないのですけどね😅💦でもチト 遅すぎますよね⤵️⤵️⤵️お風日が良い 事に昨夜はAmazonプライムvideoを見過ぎ ました✋コールドケースってのに嵌ってて 吉田羊さんが素敵なのと三浦友和が 渋くなったなぁ~って観てますが😅💦 三浦さんの全盛期は鼻にもかけずに ってか、ずっと無視してたけど良い 俳優さんですよね✋永山君も滝藤君 も良いし、光石さんのネコさんも良いw 洋物のコールドケースは観た事ないが面白❓ 今日は「爺夢活(ジムカツ)」ないので のんびりです🤣😆🤣💦デハデハ🙏🙏 . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #マナスル登頂女性初. 1974(昭和49)年5月4日(土)、中世古直子ら率いる中世古直子ら日本人女性登山隊がマナスルの登頂に成功した。 初の女性による8000メートル峰の登頂となった。 しかし、残念な事に翌日5日に隊員の一人が遭難し行方不明のままである。 . マナスルは、ネパールの山でヒマラヤ山脈に属し、標高8163メートルは世界で8番目に高い山である。 山名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味する"Manasa" から付けられている。 日本人での初登頂は1956(昭和31)年5月9日(水)に、今西壽雄ら日本隊によって達成されている。 後の日本登山界に画期的な影響があり、空前絶後の登山ブームを巻き起こすなど社会現象になった。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #高級食パン文化月間(4月8日~5月9日) 高級食パン専門店「銀座に志かわ」を全国に展開する株式会社銀座仁志川が制定。 4月8日の「高級食パン文化の日」をスタートに、5月9日までの32日間にわたり新しい食文化としての高級食パンをとくに味わってもらう期間を 設けることで、高級食パンの魅力を長く伝えていくのが目的。 日付は4と8で「食パン=し(4)ょくパ(8)ン」の語呂合わせから。 . #エメラルドの日. 美しい緑色の宝石エメラルドをアピールするために、コロンビアエメラルド輸入協会が制定。 エメラルドの宝石言葉は「愛と幸福」。 5月の誕生石としても知られている。 日付は緑色の連想から「みどりの日」と同じ日に。 宝石用のエメラルドの80%以上がコロンビア産といわれる。 . #ラムネの日. . #みどりの日(国民の祝日). . #口臭ケアの日. . #糸魚川ヒスイの日. . #スターウォーズの日(#starwarsday) . #しらすの日. . #うすいえんどうの日. . #巻寿司の日. . #ゴーシェ病の日. . #ファミリーの日. . #競艇の日. . #ノストラダムスの日. . #植物園の日. . #名刺の日. . #みたらしだんごの日(毎月3,4,5日). . ●ヘイマーケット事件. . ●カシンガの日(ナミビア) . ●ラトビア独立宣言の日. . ●#国際消防士の日. . ●フィジー青年の日. . ●1949年の五四運動にちなむ記念日。 . ●オランダ戦没者記念日. . . ■今日のつぶやき■. #青葉は目の薬(アオバハメノクスリ) 【意味】 青葉のみずみずしい緑色を見ると目の疲れが癒されると云う事。 . . 1994(平成6)年5月4日(水) #伊藤沙莉 (#いとうさいり) 【女優、元子役、ナレーター、タレント、 ダンサー、歌手】 〔千葉県〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CdHeljzvF9SugBkh46e-rB-cW2QlzqWnVdJd7g0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先勝#みどりの日#マナスル登頂女性初#不成就日#高級食パン文化月間#エメラルドの日#ラムネの日#口臭ケアの日#糸魚川ヒスイの日#スターウォーズの日#starwarsday#しらすの日#うすいえんどうの日#巻寿司の日#ゴーシェ病の日#ファミリーの日#競艇の日#ノストラダムスの日#植物園の日#名刺の日#みたらしだんごの日#国際消防士の日#青葉は目の薬#伊藤沙莉#いとうさいり
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西浦和に高級食パン専門店の『一期一会 西浦和販売店』が2020年8月20日にオープンします!
走って埼玉【川島町中心】マガジン編集部です!! 埼玉県のおしゃれなカフェ・チェーン店を紹介していきます( *´艸`)
今回は高級食パン専門店『一期一会 西浦和販売店』の情報です。
[chat face=”まー.jpg” name=”マーミー” align=”left” border=”gray” bg=”none”] 2020年8月20日にオープンするそうです(∩´∀`)∩♡[/chat]
どこに出来るの?
西浦和駅より徒歩1分くらいの場所にあります( *´艸`)
5月31日に閉店した高級食パンのお店『#58西浦和店』の跡地です。
高級食パン専門店『一期一会 西浦和販売店』の基本情報!! 名前 高級食パン専門店『一期一会 西浦和販売店』 住所 〒338‐0837 埼玉県さいたま市桜区田島5-25-2 電話番号 048-711-7808 営業時間 10時00分~19時00分…
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●江戸のリサイクルと物売り
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●江戸のリサイクルと物売り 江戸は凄い時代である。 当時の世界ではナンバーワンと言われるリサイクルが発達していた。 桶や樽などの再生からカマドの灰まで買いに来ていた。 桶屋たるはそこいらに放ってあったものを拾っていった。 我が家はうどん屋をしていて建物の壁一面に薪を積んでいた。 其れを燃やすわけだから灰が出てくる。 幾つまでだったか覚えていないけれども結構遅くまで来ていた。 竈(かまど)の口は大きかったので中に首ツッコミ小さな帚(ほうき)で キレイに履いていったもの。 煙突の煤(すす)もキレイに掃除して買っていったもの。 他に使い道がどのくらいあるのかは判らないけれどススは硯(すずり)などに使った。 灰は染料の色止めや灰汁(あく)抜きとして使った。 食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、 食事には不要な成分の総称に成る。 詳しくはhttp://wkp.fresheye.com/wikipedia/灰汁 などを読んで下さい。 物売りも結構来ていた。 焼き芋屋やアイスキャンデーや金魚売り 物干しの竿だけなんかも有った。 売り手のかけ声が懐かしい。 バナナなんかはちゃんとした口上(こうじょう)が有ったようだけど 私は聞いた事がない。 下の動画いくつか集めておいたので再生して聞いて下さい。 いつの間にか録音したものを車で流しながら売り歩くようになった。 これでは効率は良いけれども経費が掛かるのと客とのコミニケーションは 取れないだろうね。 心のふれあいが無くなり商売するから変に歪んだ商取引になり 騙されたの騙したのなんてなるのでは。 昔は無かった売りっぱなしで責任取らない。 これも権利の先行になり 義務を放棄する事になっている。 今ではその辺歩いている子供に声かけたら大変な事になる。 下手すると誘拐犯にされてしまう。 クワバラ クワバラ 恐ろしい時代になった。 私の日記読んで居る人でも知らなくて道であって声かけたら其れこそどうなるか。 世の中進歩するのも良いことだけど こんな進歩はして欲しくないもの。 コミニケーションが途切れたら同じ空気吸っていても完全に切れてしまう。 道歩いているだけでも眼を付けた なんて言われイチャモンつけられそうだから人の顔は見ないようにしないと。 寂しい時代だね。 ●いちゃもん 言いがかり。難くせ。文句。 「 -をつける」 ●「クワバラ、クワバラ」の意味は 災難や禍事などが自分の身にふりかからないようにと唱える、まじないのこと。 ●めっ・ける [0]【目付▽ける】 ( 動カ下一 ) 〔「見付ける」の転〕 「見付ける」の俗な言い方。見いだす。 「花子さん-・けた」 ●ENEOS童話賞について:童話賞の3つの願い - JXTGグループ https://www.jxtg-group.co.jp/hanataba/awards/wish/ ENEOS童話賞は、「心のふれあい」をテーマに、毎年一般の方からオリジナルの創作童話を募集しております。その中から、厳正な審査の結果、受賞作品を表彰するとともに、一冊の童話集にまとめております。ENEOS童話賞には、私たちの「3つの願い」がこめられています。 ●第50回(2019年) JXTG童話賞 【一般の部 最優秀賞】 雨がすき作者:宮田一平 / 絵:かべやふよう 花が窓から外をながめていると、空から大粒の雨が落ちてきた。 「おかあさん、雨がふってきたよ。」 「あらっ、たいへん。花、駅までお父さんを迎えにいってくれないかな。お父さん、傘を持っていないと思うから。」 「お父さん、いつもの電車?」 「そう、6時半に着く電車。」 「わかった。」 時間になると、花は玄関で大好きなオレンジ色の長ぐつをはき、傘入れから花の赤い傘とお父さんの大きな黒い傘を引っぱり出して、駅へ向かって飛び出していった。 花が駅に着いて時計を見ると、電車が着くまでにまだ少し時間があった。駅の待合は、花と同じお迎えの人たちや雨宿りの人たちの話し声で、いつもより少しにぎやかだった。花が駅の売店の方に目をやると、一人の少年がぼんやりと外を見ながら立っていた。 「あっ、たっくんじゃない。」 花は思わず大きな声を出して、少年のところへ飛んでいった。 「おっ、花か。どうした。」 .....1/5 ●日本語の音長律(1) 百人一首朗詠 - 「かささぎの」2011/02/10 https://youtu.be/76hMbZ0EK1M https://youtu.be/76hMbZ0EK1M?list=PLZyjyoHSWs6P67GI2JU7Yf1ZiVsxxJqXf ●日本語の音長律(2) 売り声 - 石焼芋, さお竹 https://youtu.be/b9PLUCzD_hg ●宮田章司・坂野比呂志 飴売りの売り声の比較 https://youtu.be/pYHsRZRA1mA ●バナナの叩き売り!口上:ありがとう三太さん https://youtu.be/8hOEk8GIGoo ● 江戸は物売りの呼び声が… https://mainichi.jp/articles/20170811/ddm/001/070/197000c 毎日新聞 2017年8月11日 東京朝刊 江戸は物売りの呼び声がにぎやかだった。夏、「ひゃっこい、ひゃっこい」は冷や水売り、「たまや、たまや」と来るのはシャボン玉売りだが、川柳に「荷が呼んで歩く虫売り、定(じょう)斎(さい)売り」というのがある ▲定斎屋は暑気あたりの薬屋で、薬箱の金具がカタカタ鳴るのが呼び声がわり、虫売りは松虫、鈴虫などの鳴き声で客が集まった。その虫売りというのがまるで役者のような粋(いき)な格好をしていたという ▲市松模様の屋台ともどもだんだんと華美の度を増し、ついには天保の改革で禁止されるはめになった。鳴く虫やホタルを売ったこの虫売り、初夏からお盆までの商売で、江戸の人々はお盆になると供養のため買った虫を放ったそうだ ▲虫売りといえば、クワガタやカブトム���が幅をきかせる現代である。だが近年は輸入された外国産の種が野外で見つかる例が相次いでいる。無責任な飼い主が放ったりするためで、日本の固有種との交雑種が生まれている恐れもある ▲オオクワガタやヒラタクワガタは外来種と雑種を作るのが知られている。以前の小紙報道によると、関西ではあごの形などが国産種と違うオオクワガタなどが見つかっている。自然界で交雑を放置すれば、やがて固有種がいなくなる ▲売買や飼育への規制導入も、すでに大量に飼育されている現状では難しそうだ。専門家は飼い主のモラルを高める教育や啓発、飼育に困った外来種を業者が引き取る仕組みを求めている。外来種を放ってはならない。たとえお盆であってもだ。
物売りの声 寺田寅彦 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2514_9317.html 毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。 ●物売りの口上 https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%89%A9%E5%A3%B2%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%8F%A3%E4%B8%8A ●陣内智則 物売り屋さん https://youtu.be/jxrMOQakvq8 ●下町の物売りの声を思い出してみませう 千代ばあちゃんの思い出袋 http://hachisu-net.com/chiyo/taishouki.html ●物売り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「http://ja.wikipedia.org/wiki/物売り」より ■物売り(ものうり)とは路上で移動しながら、主に鳴り物や独特の売り声を発しながら呼び込みをして食事を提供したり、物品などを販売、修理や古物や廃品の買取や交換をする者。 「引き売り」・「引売り」ともいうが「物売りの声」・「引き売りの声」という言葉が一般的に馴染深い。屋台や行商や街商と重複する部分もあるが、行商は固定客に対しての訪問販売が主であり、街商は市や縁日で一所(ひとつところ)で留まって商売する事や物売りが必ずしも屋台ではなかった事から区別する事が出来る。 ■ 歴史 鈴木春信画:『水売り』水売りの少年が描かれている浮世絵江戸時代から盛んになり「棒手振」・「棒手売」(ぼてふり)と呼ばれていて日用品の食材から生活必需品まで衣食住に係わる全てのものが売られており幕府の許認可を受け鑑札を持った物だけが営業できた。 これに違反すれば厳しい処罰があったが、生活困窮者や弱者の就業を目的とした幕府の政策でもあった。 季節物の販売も多く、蓮の葉商いの傾向も強いが市や祭事の門前町などの街商は場所代や既得権が必要であったが、棒手振は歩き売りという形を取っていたのが街商などとの差異であり、また季節物ではない代表的なものとして、夜鳴き蕎麦屋や鮨屋などがあげられる。 当時は大八車(リヤカー)ではなく主に道具や商品や食材の入った箱や笊(ざる)、籠(かご)や桶(おけ)などを両天秤にして天秤棒を担いで売り歩いたので棒手振と呼ばれていたが、道具や品物の入った箱を片方の肩で担いで売り歩く者もいた。 江戸時代にはその場で調理する屋台だけでなく、調理済みの天麩羅(てんぷら)、鰻(うなぎ)の蒲焼などを木箱に入れ、物売りが売り歩いていた。 近年では自転車やリヤカーをもとに形だけではなく設備も充実させ、煮炊きが出来る(ただし江戸時代から屋台では煮炊きの設備を備えていた)物売りも増え、昭和初期から昭和40年代まで品を替え(鮨や蕎麦は廃れおでん売りや菓子パン売りなどが盛んになった)世間で一般的に見られたが、江戸時代から変わらず続いた豆腐売りや納豆売りや金魚売りなども含め、今ではほとんど見る事はなくなった。 しかし現在では自動車に設備を載せ決まった場所(就労者は多いが外食産業や商店の無い所など)で食事や弁当やパンなどを調理、販売をしているものも見られる。また高齢化社会に伴い利潤のみならず地域振興や福祉目的を持って幾つかの小さな企業が、物売りとして豆腐などの大豆食品を呼び込みのラッパを使うなど、昔ながらの形態で販売を始めている地域も存在する。 ■ 物売りの種類と売り声や鳴り物 ●食事 ・鮨屋(すしや)---江戸前寿司の始まりは、物売りや屋台であったので今でも名残として立ち食いの鮨屋も東京を中心にみられる。 ・夜鳴き蕎麦(そば)---呼子といわれる笛を吹いていた。宵に笛を吹きながら商売したので「夜鳴き蕎麦」とよばれた。日本蕎麦はなくなり中華蕎麦(ラーメン)になり、笛もチャルメラという物に変わった。 ・鰻(うなぎ)売り---江戸時代当初は生をその場で捌いて客に渡したが、その後蒲焼にした物を売ったり、その場で調理するものもあらわれた。割り箸は鰻屋の発案で引き割り箸といった。 ・賄い(まかない)屋---江戸は女性の比率が二割といわれ独身の男性が非常に多く、宮使いで制約の多かった下級武士の専門の弁当屋��して成り立っていた。 ・おでん売り---昭和40年代まで日本各地にみられ、晩のおかずに主婦が鍋を持って買いに来たり、子どもがおやつとして買っていた。 ●菓子 ・飴(あめ)売り---多種多様な飴売りが存在し競争も激しかった為、今の出店や夜店の的屋の元になる、くじ形式や余興や口上などで趣向を凝らしていた。 ・鼈甲飴(べっこうあめ)---練る飴細工も有名だが、鼈甲飴も溶かした飴を型などに流し込み、様々な形を平面的に作り上げて、売っていた。 ・飴細工---鋏(はさみ)や指先を使い飴を練って三次元的な立体造形の飴を作って売っていた。詳しくは飴細工を参照の事。 ・揚げ団子売り---昭和初期ごろまで見られ、小麦粉を甘く味付けして中華菓子の様にその場で揚げて、主に子ども向けに売っていた。 ・焼芋屋---「やきいもーやきいもー栗よりうまい十三里ー」栗より美味い十三里と言う文言は「栗」を九里と「より」を四里とを足して焼き芋のことを十三里というなぞかけ言葉である。 ●食材 ・蜆浅蜊売り---「しじみーあさりー」この他にも蛤や赤貝なども専門で売られていた。 ・鰯売り---売り声「いわしこーいわしこー」「いわし」は真鰯で「しこ」はカタクチイワシのことで獲れたてを海浜近郊で売っていた。魚は他にも、鯨、初鰹、烏賊、白魚、秋刀魚、鯵など旬の物も売られていた。 ・納豆売り---売り声「なっとー、なっとなっとうー、なっと」江戸時代から続いていたが近年では主に自転車に品物を積み販売していた。江戸では上記の蜆浅蜊売りとともにポピュラーな存在で、「納豆と蜆に朝寝起こされる」などという川柳も残る。 ・豆腐売り---ラッパを使い「とーふー」と聞こえる様に吹いた。行商の色合いが強い地域もある。 ・青果など---蜜柑、西瓜や大根、蕪(かぶ)、自然薯(じねんじょ、山芋の)、生姜など野菜や果物を季節ごとに販売していた。 ●生活用品の修理、販売 ・定斎屋(じょうさいや)---昭和30年頃まで存在したといわれ、江戸時代の物売りそのままの装束で半纏(はんてん)を身にまとい、天秤棒で薬箱を両端に掛け担いで漢方薬を売っていた。また力強く一定の調子で歩いた為、薬箱と金具や天秤棒のぶつかり合う音が独特の音となり近隣に知らせた。 ・羅宇屋(らうや)---煙管の羅宇と呼ばれる部分のヤニとりや交換をしていた。小型のボイラーを積みその蒸気で掃除をし、また蒸気の出口に羅宇を被せ蒸気機関車の警笛の様に「ぴー」という音を出して知らせた。詳しくは煙管を参照のこと。 ・竿竹売り(さおたけうり)---売り声「さおやーさおだけー」本のタイトルにもなり注目を集めた。 ・鋳掛屋(いかけや)---金属製の鍋や釜の修理販売をしていた。詳しくは鋳掛屋を参照のこと。 ・金魚売り---売り声「きんぎょーえー、きんぎょー」金魚とともにガラスの金魚鉢も売っていた。ちなみに江戸時代の金魚鉢は吊り下げ式で軒下などに吊るして下から観賞していた。 ・風鈴売り---風鈴の音色が呼び込みになった。 ・買取---古紙、古着、金物、番傘、屎尿、樽、桶、糠など様々で、江戸時代は最近の研究では、全ての時代の世界の中でも高い水準でのリサイクル社会であったと考えられている。 落ち買い---「おちゃない おちゃない」という呼び込みの声で抜け落ちた髪の毛を買い取っていた。京都では女性の専業であり、髪文字屋(「かもじや」と読み、付け毛製作販売業)に買い取った髪の毛を卸していた。「落ちていないか」が「おちない」から「おちゃない」に変化したといわれる。 ■振売(棒手売から転送) 振売・振り売り・振売り(ふりうり) 商品を天秤棒に担いで売買すること。転じて、そのような商売をする商人を指す。 この様式の商売は、行商のうち比較的狭い範囲を巡回する形態に多く見られる業態である。天秤棒の両端には商品を入れた桶や箱などの容器をぶら下げる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/振売 ●蓮の葉商い http://ja.wikipedia.org/wiki/蓮の葉#蓮の葉商い 蓮の葉(はすのは)とは蓮という水生植物の水面に浮いている葉のことをさし漢方薬の伝来により荷葉(かよう)ともいう。また蓮根(れんこん)の葉としても馴染が深い。ヒンドゥー教、仏教、密教においては「蓮」そのものが特別な意味を持ち蓮の花、蓮の実と共に珍重される。蓮の葉はロータス効果という現象の説明において代表的なものでもある。 蓮の葉商い(蓮の葉商ひ、蓮葉商い)とは、古くから日本各地の朝市や縁日などで、その時々に自生する銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実や五節句、二十四節気の年中行事に必要な季節物をその期日の前に商いしていた者をさし、(近年、近代から八百屋や花屋や街商も季節物を売っていた)その中で盂蘭盆(うらぼん)に使う蓮の実や蓮の葉が特に珍重された事や、商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていたという事などから、季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」(はすのはあきない)と呼ぶようになった。しかし季節物という短期使用のいわゆる、消え物であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物という捉えかたがされ、きわもの売りやまがい物を売る者という意味を持つようになり、蓮の葉の言葉の意味が際物(きわもの)やまがい物を指すようになった。 季節ごとの主な商品 ・1月 一月一日 - 七日の正月・人日の節句---橙(だいだい)、榊、松、竹 ・2月 二月三日の節分---鰯や柊、大豆「鬼が入らないための結界と追い出すための道具」 ・3月 三月三日の桃の節句---桃の花 ・4月 四月八日の灌仏会(釈迦の誕生日)---甘茶「紫陽花の近縁種の植物の葉」 ・5月 五月五日の端午の節句---柏の葉、菖蒲「柏餅、菖蒲湯」 ・7月 七月七日の七夕---笹や竹 ・8月 八月十三 - 十六日 盂蘭盆(仏教行事)---蓮の葉、蓮の実 お盆(日本古来の祖先崇拝の祭り)---鬼灯・酸漿(ほおずき)、真菰馬(まこもうま)、小豆、大角豆(ささげ)関東地方では豆がはぜるのが切腹と通じるのを嫌い小豆の代わりにこれで赤飯を作った。 ・9月 九月二十五日の月見---ススキ、枝豆、栗 ・0月 十月十九日・二十日の恵比寿講--- 大根、牛蒡(ごぼう)などの根菜や魚(恵比寿は日本では漁業の神でもある)「五穀豊穣と大漁祈願の祭事」 ・12月 十二月十三日のすす払い---鯨「すす払いの後、鯨汁を作って食べる習慣があるため」 十二月二十二日の冬至---柚、南瓜(かぼちゃ)「柚湯、南瓜粥で冬の英気を養った」 ●行商 https://ja.wikipedia.org/wiki/行商 行商(ぎょうしょう)は、(特定の店舗を持たず)商品を顧客がいるところへ運び販売をする小売業(サービス業)のこと。 ●屋台 https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)は、移動式の簡易店舗。簡単な飲食物や玩具などを売る。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階で物を売る店も含まれる。 ●商業 https://ja.wikipedia.org/wiki/商業 商業(しょうぎょう)とは、財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗において取引(商取引)という形式をとって行われる。ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。 ●ろてん【露店】 道ばたに商品を並べて売る、屋台店(やたいみせ)。 「―商人」 ●ろてん【露店】 https://ja.wikipedia.org/wiki/露店 ●屋台 https://ja.wikipedia.org/wiki/屋台 屋台(やたい)とは、屋根が付いていて、移動可能で、飲食物や玩具などを売る店舗。 屋台の形態は国や地域によって様々なものがあるが、初期の形態としては、天秤棒で担いで売り歩いた形態があったが商品を多く運べないのが欠点。リヤカーのように可動式の店舗部分を人力、自転車、オートバイで牽引するものや、テントのように組み立て型の骨組みをもとに店舗を設置する場合もある。またトラックの荷台の部分を改造したものもある。似た言葉として露店(ろてん)があるが、露店は移動式とは限らず、歩道上に物を並べて販売したり、建物の1階の店先で物を売る店も含まれる。 ●蚤の市 https://ja.wikipedia.org/wiki/蚤の市 蚤の市(のみのいち、flea market、フリーマーケット)は、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。北米では大規模な倉庫や体育館など屋内で開催されるものもある。出店者は一般家庭や仲間で集まったグループから、古物商や雑貨商の様な事業者まで幅広い。 ●的屋 https://ja.wikipedia.org/wiki/的屋 的屋(てきや)は、縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。祭りや市や縁日などが催される、境内・参道・門前町において屋台や露店で出店して食品や玩具などを売る小売商や、射幸心を伴う遊技として射的やくじ引などを提供する街商や、大道芸にて客寄せをし商品を売ったり、芸そのものを生業にする大道商人(だいどうしょうにん)などが含まれる。「当たれば儲かる」ことから的矢[1]に準えて言われるようになった言葉である。 的屋(まとや)、香具師(やし)、三寸(さんずん)とも呼ばれる。 ●露天商 https://ja.wikipedia.org/wiki/露天商 露天商(ろてんしょう)とは露天(屋外や青空の下)で店舗を持たず商売をする者。露店商とも表記し、街商(がいしょう)ともいう。 的屋(てきや)、香具師、三寸は辞書[2]では、同じ説明がなされている場合が多い。職業神として元々は中華文明圏より伝わり、神道の神となった「神農の神」「神農黄帝」を祀り、独特の隠語を用いる者が多いため、狭い世界では神農(しんのう)とも呼ばれる。 警察においては、的屋を暴力団の起源の一つと定義しており、戦後の混乱期に的屋は、博徒・愚連隊と同様に闇市を縄張として、覚せい剤の密売などの違法行為を行っていたと警察白書に記されている。平成以降の暴力団の定義でも「博徒、的屋等組織又は集団の威力を背景に、集団的に又は常習的に暴力的不法行為を行うおそれがある組織」としており的屋も暴力団の経済活動の一つとしている。 ●反社会的勢力 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/反社会的勢力 反社会的勢力(はんしゃかいてきせいりょく、英語: Anti-Social Forces)とは、暴力や威力、または詐欺的手法を駆使した不当な要求行為により経済的利益を追求する集団又は個人の総称である。暴力団や半グレ集団などを広く呼び、反社(はんしゃ)と略される。 ●ヤクザ https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤクザ ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているものを言う。この偏倚(へんい)集団を特徴づける要因の一つに集団内部の「親分子分」の結合がある。また下っ端に該当する場合は「チンピラ」と称される。 大辞泉は「やくざ」について次の2通りの説明を示す[1]。 役に立たないこと。価値のないこと。また、そのものや、そのさま。「―に暮らす」「―な機械」「―仕事」 ばくち打ち・暴力団員など、正業(せいぎょう)[2]に就かず、法に背くなどして暮らす者の総称。「―渡世」 「やくざ」研究の古典的名著とされる岩井弘融の『病理集団の構造』の序説で「親分乾分(岩井は故意に、乾としている。読みは「こぶん」で同じ)」の関係は民俗学(柳田國男他)や社会学(川島武宜他)において説明されるところのオヤカタ・コカタの関係と共通の社会的基盤を持つと説明している。 ◆あんにゃとあねま - 縄文人の反乱 日本を大事に - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/1448c6d0f0267f9daef8224a69cbd13e 2012/02/29 あんにゃとあねま あねまあんにゃ 棒八もん 形見位牌 証文をまく コレは映画に出てくる幾つかのコトバ。 忘八だけは引っかかるけど後のコトバは100見ても出てこない。 ヤフーでいつも検索すると一ページに100表示するように設定している。 始め方に新しいページが出てくる可能性がある。 生地はなるべく新しい方が良い。 中には古くても良いモノも有るけど。 ◆木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親分【Respect】 2016/06/29 https://youtu.be/7vXf5Xrymnc 木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃとあねま" に登場した房州の揚屋・女衒の元締め。 萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子さんが演じました。
拝一刀とのやり取りで見せた貫録と美しさはひときわでした。 私もそうですが、この役は浜木綿子さんでこそ演じきれたと思う方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 子連れ狼 第一部 (1973年4月 - 1973年9月) 日本テレビ放送網 製作:ユニオン映画、スタジオシップ 第三話 あんにゃとあねま 拝一刀 - 萬屋錦之介 大五郎 - 西川和孝 木颪の酉蔵 - 浜木綿子 お松 - 竹下景子
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一期一会の食パン
巷で人気の高級食パンの専門店、
一期一会の食パン。
こちらは埼玉県の蕨に1号店、
2号店を同じく埼玉県の志木に出店しています。
2斤分の大きさで864円となっています。
とにかく耳の部分までふんわりとエアリーで
食べてみるとほんのりと甘さが感じられます。
あのブームの火付け役でもある乃が美に
少し似ていますかね。
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今夜が初夜なの?
久しぶりに会ったヴィクトルは、相変わらずかっこうよく、高貴で、男らしく、大人らしく、最高だった。黙っていると威厳があるのに、笑うと途端に愛嬌でいっぱいになって、ことにすてきだった。勇利はヴィクトルのことはいつもこれ以上はないと思って見蕩れてしまうけれど、彼は会うたびその「これ」を凌駕するひとだった。 「勇利、ここがきみの通うクラブだよ。そこが受付、そっちが更衣室。これは勇利の入館のための許可証だからね。毎日持ってきて。荷物を置いて、さあ、俺たちのリンクへ行こう。勇利がここの氷を気に入ってくれるといいんだが……」 ヴィクトルは勇利につきっきりで、甲斐甲斐しく世話をし、いろいろなことを教えた。勇利はほとんど知り合いがおらず、何もかもが初めてで、右も左もわからない状態だったが、ヴィクトルがいるのでちっとも不安ではなかった。 「食事はここでするんだよ。別のところにもカフェがある。二階だ。そこからはリンクを見渡すことができるんだ。勇利はそっちのほうが好みかな……。俺はそこで勇利のすばらしいすべりを見ながらお茶を飲んでみたいけど、でも実際そうしたら、リンクサイドへ飛��でいきたくなると思うよ。わかってるんだ」 ヴィクトルはずいぶんとはしゃいでいた。どうしてそんなに、と勇利が戸惑うほどだった。だからそのまま「どうしてそんなに機嫌がいいの」と尋ねたのだが、ヴィクトルはあきれたような顔をし、それからおおげさに溜息をついて、「おまえは自分の価値をわかっていない」と言った。 「自分のことくらいちゃんとわかってる」 「ああ、『どこにでもいる』とかいうまちがった認識だね。まあいい。それと俺の評価が異なることだけは言っておこう」 「何が?」 朝に会って、夜まで勇利はヴィクトルと一緒だった。もちろん夜からも一緒だった。勇利の住まいはヴィクトルの家なのだ。 「さあ、入って。勇利の家だ。前もって送ってきた荷物はもう部屋に運んであるよ。数が少ないから驚いた。それともこれからまた来るの?」 「あれで全部だよ。ヴィクトルみたいに何十箱も持ってくるようなものはないんだ」 「服、足りる?」 「服なんかいちばんどうでもいいでしょ……。練習着があればじゅうぶんじゃん」 「ああ、まあそうだね。いくらでも買えるし……」 「いくらも買ったりしないから」 そんなたわいない会話をしながら、勇利はヴィクトルの家に初めて入った。豪華だなとか、ヴィクトルらしいとか、ここでヴィクトルは暮らしてるのかとか、あとでメダル見せてもらえるかなとか、ヴィクトルの生活感だとか、いろいろなことを考えて興奮していた勇利は、靴を脱いだところでふいに手首を引かれ、抱きしめられたのでびっくりした。 「ヴィ、ヴィクトル」 「勇利……、会いたかったよ」 耳元でちいさく、はっきりと言われた言葉にぞくぞくした。ヴィクトルの声はかすれていた。えっと、ぼくも……。そう答えようとしたらおとがいを長い指で持ち上げられ、上向かされて接吻された。勇利はさらにびっくりした。え……えーっ……なにこれ……ヴィクトル、いくらなんでも、ちょっとやりすぎなんじゃ……いや、いいけど……でも……なんていうか……キスだよねこれ……わあ……わああ……ぼーっとする……。 勇利は一生懸命につまさき立って、ヴィクトルの背中にそっと手をまわし、目を閉じていた。あまりに長いので──実際は短かったのかもしれないが勇利はそう感じた──息が苦しくなってしまった。終わったときには顔がまっかになっていた。 「く、苦しい……」 「鼻で呼吸するんだよ、お砂糖ちゃん」 ヴィクトルがいとおしそうに笑って勇利の鼻先にキスした。ああ、鼻ですればいいのか、と思いながら、勇利は歩き出したヴィクトルについていった。お砂糖ちゃんってなんだろう……。 「シャワーを浴びる?」 「あ、うん、そうだね」 「じゃあ、そっちが浴室だから好きに使ってくれ。終わったらあの扉の向こうへおいで。そこで食事にしよう」 「ごはん、どうするの?」 「知り合いの料理人に頼んで配達してもらった。たくさんあるぞ。俺ができればよかったんだけど、まあ今回は見逃してくれ。これから勉強するから……」 「ちょっと待って。料理人って、お店で働いてる人?」 「そうだけど」 勇利は溜息をついた。ヴィクトルのことだから、高級料理店に連絡をしたとかそういうことなのだろう。まったくこのひとは……。 「あのさ、ヴィクトル……」 「さあ、早くお風呂へ行って!」 勇利は追い立てられてしぶしぶ従った。ヴィクトルはなにくれとなく世話を焼いてくれる。申し訳ないくらいだ。でも久しぶりだからまあいいか……。 食事は、専門の人がつくったというだけあって美味しかった。ヴィクトルはよく食べ、よく笑い、あまりに饒舌なので、勇利は、このひと飲んでるんじゃ、と疑った。テーブルの上に酒はないのだが。 とにかく、何をしていてもヴィクトルは楽しそうで、勇利も釣りこまれてたくさん笑った。食事のあとは居間でくつろいだが、ヴィクトルは勇利の頬にふれたり、腰を引き寄せたり、肩を抱いたりと、ひっきりなしに勇利にふれた。勇利もいやではなかった。 「勇利の寝る場所なんだけど……」 夜も更けてくると、ヴィクトルが言いづらそうに切り出した。 「まだきみのベッドが来てなくてね……」 「あ、そうなの?」 勇利は、どうしよう、ソファを借りてもいいのかな、と考えた。するとヴィクトルが言った。 「俺のベッドで一緒に寝たいんだけど、どうかな?」 「え?」 いつもの勇利なら、それは悪いとか、そういうのはどうかと思うとか、人がいたら眠れないとか、ヴィクトルは服を脱ぐからいやだとか、いろいろと文句を言っただろう。だが、いま、勇利はとても疲れていた。快い疲労ではあったけれど、朝から慣れない場所で慣れないことをし、緊張し続け、さまざまな初めての体験して、くたくただった。だから彼はすぐにでも眠りたかった。 「ああ、うん、いいよ」 勇利はあっさり答えた。 「眠れるならいい。なんでも」 「本当かい?」 ヴィクトルがうれしそうに目のふちを赤くした。彼は瞳をきららかに輝かせ、身を乗り出すようにして勇利の手を握った。 「じゃあ、勇利、なんていうか、今夜、俺と、愛を……」 「うんうん。いいよ」 勇利は上の空で答えて立ち上がった。 「早く寝よう」 「ああ……」 ヴィクトルがどこかかたくなった様子で勇利を案内した。ヴィクトルがこんなふうになるの珍しいなと勇利は思ったけれど、とにかく眠かったのであまりものを考えられなかった。 「ここだよ、勇利……俺たちの……」 「うん。ありがとう。すごいベッドだね」 ベッドは大きかったし、床の敷物はふかふかだし、よい匂いがしたし、すばらしい寝室ではあったが、眠気の前では感動もうすれて、勇利はまっすぐに歩いていった。 「入っていい?」 「もちろんだよ……」 「お邪魔します」 勇利はさっさと眼鏡を外すとベッドに横になり、息をついた。清潔な寝具はやわらかく、肌ざわりがよく、気持ちがよかった。 「勇利、じゃあ、こっちへ……」 隣へ来たヴィクトルが何か言っていたけれど、勇利はもう半分夢の中だった。 「ヴィクトル……」 「な、なんだい?」 「おやすみ」 「えっ」 次の瞬間、すでに勇利には意識がなかった。そのまま朝までぐっすり眠った。 翌朝、ふたりは一緒にリンクへ行った。ヴィクトルは昨日に引き続き、熱心に勇利の練習を見、前よりもっとすばらしくなったとか、勇利がいちばんうつくしいとか、何もかもが完璧だとか言って褒めた。そして、ここはこうしなさい���か、こういうのはよくないとか、こうすればもっとよくなるとか、そんな注意も忘れなかった。勇利はヴィクトルとスケートができる喜びに、ほとんど有頂天になっていた。 ところが、そろそろ昼食かというときに電話がかかってきて、ヴィクトルは別の仕事に行かなければならなくなった。 「勇利、ごめん。急なことで」 ヴィクトルは勇利の頬を両手で挟みながら、つらそうに謝った。 「ずっと勇利についてたいんだけど」 「ぼくは大丈夫だよ。気にしないで」 「勇利はすこしは気にしてくれ」 「平気だから」 「ヴィクトルがいなくなるのはつらいって言ってくれ!」 「あのさ……」 「練習はメニューを書いておく。わかんないことがあったらヤコフに訊いて。トレーナーにも話しておくから心配はいらない。何かあったらすぐに連絡して。帰るときは変なやつについていかないようにね。かわいいねって声をかけられても無視するんだぞ」 「だから、ヴィクトル……」 「ファンのふりをして近づいてくるやつもいるかもしれない。気をつけて。道に迷わないようにね。それから……」 「ヴィクトル、そんなことよりさ」 「そんなことって、大事なことなんだが」 「今夜は帰ってくるの?」 「帰るよ。勇利のところへ帰る」 「いや、ぼくのとこっていうか、家に……」 「帰るよ!」 ヴィクトルが子どものように言い張り、ぎゅうっと勇利を抱きしめた。勇利は笑ってしまった。 「ああ、勇利、離れがたい……」 「夜には会えるじゃん」 「夜まで会えないじゃないか!」 ヴィクトルが世界の終わりだというように悲劇的に嘆いた。 「やっぱり仕事断ろうかな……」 「ヴィーチャ! いつまでぐずぐずしとるんだ! とっとと行け!」 「ヴィクトル、いってらっしゃい」 「勇利はつめたい!」 ヤコフに追い立てられ、ヴィクトルは後ろ髪ひかれるというように何度も振り返りながら去っていった。勇利は手を振った。 そうか。午後はヴィクトルがいないのか。勇利はちょっとしょんぼりしたけれど、でも仕方がない。彼はひとりで昼食を済ませると、ヴィクトルの残していった練習表通りにもくもくと稽古に励んだ。誰とも話さないし、休憩もしなかった。 時間になると、勇利は手早く着替え、クラブをあとにした。帰り道、そうだ、晩ごはん、と気がついた。ヴィクトルは何も言っていなかったが、勇利だって子どもではないのだから食事くらいどうとでもなる。しかし、食べて帰るのはやめようと思った。ヴィクトルは帰ってくるそうだから、彼のためにも支度をしておかなければ。ゆうべはヴィクトルが美味しいものをたくさん食べさせてくれたので、そのお返しもしたい。 勇利はスーパーマーケットへ行き、買い物をすることにした。デトロイト時代にすこしは料理もしたのでなんとかなるだろう。勇利は、ほかの客のやり方を慎重に観察し、買い物の方法を学んだ。途中、そういえばヴィクトルの家には調味料があるのだろうかと疑問に思い、たぶんないだろうと判断してそういうものも買いこんだ。ふたりぶんなのになかなかの大荷物になったので笑ってしまった。でも、ちっとも重く感じなかった。 ヴィクトルは何時に帰ってくるのだろう? 急がなければ。勇利は足早に帰宅し、待っていたマッカチンをよしよしと撫でて説明した。 「ヴィクトルは仕事に行っちゃったんだ。ぼくたちで帰りを待っていようね」 「わふ!」 マッカチンに食事を出してから、勇利は大急ぎで夕食をつくった。料理をするのは久しぶりなので勘が戻らず、いろいろと余計な手間をかけてしまった。ヴィクトルが帰ってきたらどうしようと焦ったけれど、できあがるまで彼が帰宅することはなかった。 「はあ、やっとできた……。何時だろ……」 時計を見ると、すでに九時を過ぎていたので面食らった。そんなに経っているとは思わなかった。夢中で気づかなかったけれど、そういえば空腹だ。 「マッカチン、ヴィクトル遅いね……」 マッカチンが鼻を鳴らした。おなか空いた、さきに食べようかな、でも待ってたいし、と迷っているとき、勇利はふと気がついた。ヴィクトルは帰るとは言ったけれど、夕食を家で食べるとは言っていない。食べてから帰ってくるのではないだろうか。 「……えっと」 つくらなくてもよかったのかもしれない。自分ひとりなら簡単なものでよいのだ。しかし、もしヴィクトルがおなかを空かせて帰ってきたらと思うと、これでよかったのだという気もする。 勇利は携帯電話を確認してみた。連絡は入っていなかった。こちらから訊いてみようかとも思ったけれど、大変な仕事をしているかもしれないのに、晩ごはんどうするの、なんていかにも脳天気なことを尋ねるのはためらわれた。 「どうしようかなあ……」 さきに風呂に入ることにした。しかし、ゆっくり入っても、まだヴィクトルは帰宅しなかった。もう十時である。仕方なく勇利は食事をした。 居間のソファに座ってぼんやりとテレビを眺めた。マッカチンは寝床に行って寝てしまった。勇利はゆうべのことを考えていた。 ゆうべ勇利は、あまりの眠さにヴィクトルのベッドにさっさと入り、すみやかに眠ってしまったのだ。よくもそんなことができたものだと思う。目がぱっちりとさめていたなら、きっと緊張したことだろう。ただ寝るのならいい。それならいいけれど、ヴィクトルはあのとき──なんというか──ひどく──ぎこちなくはなかっただろうか? 何か言いたそうではなかっただろうか? 勇利があっさり寝てしまうことに驚いてはいなかっただろうか? 彼は何かしたかったのかもしれない。勇利と。もしかして──いやそんなはずはないけれど──でも──あるいは。 今夜一緒に寝るときが、自分たちの初夜になるのかもしれない……。 勇利はそんなことを思案し、ひとりでぽっぽと赤くなった。頬を押さえてもおさまらなかった。 もちろんそういうことはあり得ない。ヴィクトルと勇利はそんな仲ではないのだし、これからもそういったことは起こらないだろう。ヴィクトルの愛は知っているが、そういう愛ではない。自分はヴィクトルのよい生徒で、ヴィクトルを深く愛している。それ以上のことは何もない。けれど──あのヴィクトルの目つきは──何かを求める瞳は──。 まあそんなこと、あるわけないけどね。あるわけないけど。こんなふうに考えるのはヴィクトルにも失礼だ。こんなこと、ヴィクトルに知られたら恥ずかしくて死んじゃう。勇利はそう思いながらも、今夜もしかして、ヴィクトルがもしかして、と考え続けた。まさか自分にそんなことが起こるなんて……初夜……いや、初夜ってなんだ……意味わかんない……その言葉の選び方がおかしい……初夜って……ばかじゃないの……。 はあ、と勇利は甘やかな吐息をついた。そのとき、脇に置いていた携帯電話が音をたてた。勇利は急いで取り上げて確認した。ヴィクトルからの連絡が入っていた。 『ごめん。今夜は帰れそうもない』 「…………」 勇利はしばらくその短い文章をみつめていた。力が抜けて、ひどく疲れてしまった。昨日も疲れてはいたけれど、もっと別の──なんともやるせない疲れだった。 勇利は立ち上がると、ヴィクトルのぶんの食事を冷蔵庫に丁寧におさめ、ヴィクトルのベッドにひとりで入った。くたびれているはずなのに、眠りはなかなか訪れなかった。 翌日もヴィクトルは帰ってこなかった。その次の日も、その次の日も帰ってこなかった。勇利は、まわりの人の話から、ヴィクトルがかなり忙しく、勇利が来たときに迎えてくれたのもどうにかしてもぎとった休日だったのだと知った。勇利が来るまでに時間をつくっておこうとヴィクトルはがんばっていたらしく、一見その努力は実ったかに見えたが、結局そうはいかなかったようだ。 仕方がない、と勇利は思った。勇利は昨季、ヴィクトルをほとんどひとりじめしていたのだ。そのぶんの支払いをいましなければならないのだろう。ヴィクトルはもともと、オフシーズンはいろいろな仕事をしていた。ちっとも親しくないころから、ヴィクトルはちゃんとやすんでいるのだろうかと勇利が心配していたほどだ。八ヶ月も日本にいてそのあいだロシアでのさまざまなことを置き去りにしていたのだから、いま彼が求められるのは当然のことだった。 勇利は、ヴィクトルはきちんと食べているだろうかと気がかりだった。彼からの連絡はない。数日前「しばらく帰れないと思う」と言ってきたきりだ。勇利も邪魔はしたくないので、「わかった。こっちは大丈夫だよ」と返答しただけでそれ以上はメッセージを送らなかった。リンクではひとりで練習した。長谷津ではいつもそうしていたので、とくに苦しくはなかった。ただ、ときおり、ヴィクトルのプログラムをすべってみた。そうすると彼を身近に感じられるような気がした。 ヴィクトルがテレビに出ていることもあったけれど、ロシア語なので、何を言っているのか勇利にはさっぱりわからなかった。ヴィクトルだ、と思うとうれしくなるが、なんだか彼が遠いひとのように思えた。いままで、テレビに出ている彼を見ても、ロシア語を話しているところを目にしても、かっこいい、とうっとりするだけで、さびしいなんて思いもしなかったのに。 食堂のテレビで、何かの試合の映像が流れていた。たぶん世界選手権だろう。ヴィクトルの特集をやっているのだ。ヴィクトルは会場に入るとき、待っているファンたちに向かって片目を閉じた。みんな歓声を上げた。がんばって、応援してる、大好き、という声が聞こえた。日本語も英語もほかの国の言葉もあった。その中に、抱きしめて、キスして、という過激なものもふくまれていた。 「キスミー、ヴィクトル……」 勇利は食事をしながらぼんやりとつぶやき、そんな自分に気がついて頬を赤くした。何をやっているんだ、ぼくは……。サンクトペテルブルクへ来た日、熱烈にされたくちづけが忘れられなかった。 ヴィクトルの過去の動画を見ると胸がときめく。しかしそれでも、勇利は何かこころさびしい、せつない思いを消せずにいた。ベッドでヴィクトルの匂いに包まれていると、なんだかたまらなくて、ここ以外で眠れる場所はないものかと考えたりした。勇利はマッカチンに抱きついて眠った。 初めて来たときにはすばらしく感じられた家も、がらんとしてむなしく、自分とは無縁な、他人行儀なものに思えてきた。勇利は毎夜ソファで膝を抱え、自分は何をしているのだろうということを思案した。これではひとりで暮らしているのと同じだ。 もちろん、それに不満はない。ヴィクトルが招いてくれた好意はうれしかったけれど、勇利はもともとはひとり暮らしのつもりだったのである。ひとりには慣れているし、嫌いでもない。それでまったく問題はない。だが──だが、ヴィクトルが帰ってくるはずのひとりというのは、ただひとりでいるのとはまるでちがう。何か期待してしまうし、ヴィクトルがいなければさびしさも感じる。 これは仕方のないことだ。ヴィクトルを責める気持ちはすこしもないし、勇利はいまの状況を受け容れている。自分よりも忙しく働いている彼のほうがずっと大変だとわかっている。わがままを言うつもりはない。だが勇利は、自分はいないほうがよいのではないかという気がしていた。 ヴィクトルは優しいひとだ。だから勇利のために時間を空けようとしたし、最初の日、あんなに熱心に世話を焼いてくれた。きっといまごろ、勇利をひとりにしている、ほうり出している、一緒にいてあげなければ、と気に病んでいるだろう。勇利のためにと躍起になっているにちがいない。ヴィクトルは、勇利がいるとがんばりすぎるのである。 たぶん、と勇利は目を伏せて考えた。帰ってきたとき、ヴィクトルは勇利に対する仕打ちを謝り、そのつぐないをするためにまた気遣うだろう。最初の日のように勇利に寄り添い、勇利のことを思い、勇利のためだけに行動するだろう。勇利はそれが申し訳なかった。ヴィクトルに優しくされるのはうれしいけれど、いっそ、仕事だから仕方ないよね、我慢してよ、と簡単に言ってもらいたかった。実際、勇利は、我慢するのはなんでもないのだ。 ぼくがいることがヴィクトルの負担になっている……。 勇利は翌日、クラブの事務員に、寮というものはないのかと尋ねてみた。 「寮? あるわよ。ちょっと古くてしっかりしたのがね」 「いま、空き部屋はありますか?」 「いくつか」 「ぼくでも入ることはできますか?」 「もちろん。うちのクラブに通ってる選手なら誰でも問題なしよ。でもあなたはヴィクトルのところに住むって聞いてるけど……」 「そのつもりだったんですけど、ちょっと事情が変わって。あの、そういうことの手続きってどうしたらいいんでしょう?」 「待ってね。書類を出すわ」 「すぐに住めますか?」 「処理が済めば明日からでも」 勇利は手続きをした。名門のクラブだけあってそのあたりはしっかりしており、困ったことは起こらなかった。勇利は次の日、練習の帰り、部屋を見に行ってみた。確かに古くはあったが、きちんとしたつくりの、ひとりで暮らしていくにはじゅうぶんな部屋だった。こういうところでは「古い」はよいことなのだ。 勇利はマッカチンを連れてそこへ移り、数日過ごしてみた。快適だったし、リンクも近かったし、気楽なところだった。 「マッカチン、ごめん。狭いけど我慢してね。ヴィクトルが戻ってきたらちゃんとうちに帰れるから」 マッカチンは文句を言わなかったが、心配そうに勇利を見上げて鼻を鳴らした。勇利は、最初からこうすればよかったと思った。ヴィクトルが忙しくていなくなるときだけマッカチンをあずかればよいのだ。 数日後、ようやくヴィクトルから「今夜帰るよ」と連絡が来た。勇利はよしきたとうなずき、練習のあと、ヴィクトルの家にマッカチンを連れていった。そして買いこんできた食材でヴィクトルのために夕食をつくった。そういえば、食事はしてくるのかな? またそのことを訊いていない。しかし、結局はヴィクトルは帰ってくるのだから、今夜は不要でも明日食べればよいのだ。勇利は、たいしてじょうずでもない料理だけど、と思いながらも歌を歌いながら野菜を煮込んで肉を焼いてつけあわせをつくり出した。買ってきた焼きたての黒パンを添えて、さあできたと息をつくと、マッカチンにごはんを出した。そして、マッカチンがうれしそうに食べているあいだに手紙を書いた。 ヴィクトルへ おかえりなさい。仕事お疲れ様でした。 食事は台所のテーブルの上に出ています。冷蔵庫にはサラダもあります。よかったら食べてください。 ぼくは、クラブの寮を借りました。そちらで生活しています。何も心配いらないので、ゆっくりやすんでください。 明日はリンクに来られる? 疲れているならやすんで欲しいけど、できたら、ちょっとだけでもぼくのスケートを見てもらいたいです。 勇利 勇利は、ヴィクトルに家を出たことを連絡していなかった。仕事中に余計なことを言いたくなかったからである。こんなことはたいした問題ではないので、彼が落ち着いてから話せばじゅうぶんだと思っていた。勇利がどこに寝泊まりするかというだけなのだし、ごくつまらない、ささいな話だ。 勇利は二度手紙を読み返し、とくに直すところがないと納得すると、居間のテーブルにそれを置いて、バックパックを背負った。 「じゃあね、マッカチン。ヴィクトルは今夜帰ってくるからね。ちょっとだけ待っててね。また遊びに来るよ。さよなら」 勇利はマッカチンに手を振った。マッカチンは玄関まで来て、勇利についてこようとした。 「だめだよ。今日はマッカチンはこっちなんだ。ぼくんちじゃ狭いし、ヴィクトルがいないでしょ? ヴィクトルを迎えてあげて」 マッカチンが勇利の上着の裾を噛んでひっぱった。勇利はかがみこみ、「おねがいだから」とつむりを撫でた。 「今日は聞き分けがないんだね……どうしたのかな」 勇利は扉を閉めて鍵をかけた。この鍵、どうしよう、と思ったけれど、リンクで会ったとき返せばいいやととりきめた。勇利は自分の部屋へ戻り、買って帰った冷凍の食事を温めて食べたり、一日の練習の成果を書き留めたり、ヴィクトルの動画を見たりして過ごした。勇利はヴィクトルの演技にうっとりとなった。ヴィクトル……。 「ヴィクトル、好き……」 勇利はとろけるような目つきで画面の中のヴィクトルをみつめた。勇利は、ありったけの動画を見ようとでもするかのように、あの年のこの演技、この大会のこっちの演技と、次々と映像を流した。そうしているうちに夜も更け、眠る時間になったが、まだ彼はヴィクトルに夢中だった。 ふいに鋭い呼び鈴が響き渡り、勇利はびくっとなった。動画を止めて扉を見る。また呼び鈴が鳴った。時刻を確認して、いったいこんな時間に誰だろうと勇利は不安になった。訪ねてくる友人なんていないし、訪問される用事も思いつかない。さらに呼び鈴が鳴る。勇利は何か緊急の出来事が起こったのかと思っておそるおそる玄関口へ行った。危険人物だったらどうしようと警戒しつつ、そうっと、ほそく扉を開けてみた。するといきなり外から戸を勢いよくひらかれ、取っ手につかまっていた勇利は転げ出そうになった。 「な、な、なに──」 やっぱり変な人だった、強盗だ、と思いながら勇利は戸を閉めようとした。 「ぼくお金ないです!」 手首をつかまれた。勇利は抵抗をこころみたが、手を引かれて廊下へひっぱり出されてしまった。強盗じゃない、誘拐だ! 勇利はうろたえた。ヴィクトルの生徒である勇利をさらって、ヴィクトルに身代金を出させようという魂胆なのだ。頭に来た。 「ヴィクトルはどんな脅しにも屈したりしないんだからな!」 「なんの話だ」 勇利は瞬いた。そのとき彼は、ようやく顔を上げて相手を見た。ヴィクトルだった。 「あれっ、ヴィクトル」 勇利は目をまるくした。 「おかえり。仕事大変だったね」 「…………」 勇利は首をかしげた。 「なんでここにいるの?」 「…………」 ヴィクトルは勇利をじっと見た。なんとなく威圧感があって、勇利はひるんでしまった。ヴィクトルは勇利の手をぐいと引いた。 「やだ、なに、ぼく裸足なんだけど」 ヴィクトルは勇利の手を離し、室内に踏みこんだ。勇利はおずおずとついていった。なんでぼくが自分の部屋に入るのに遠慮しないといけないんだ? ヴィクトルは鋭い視線であたりを見まわすと、勇利に上着を着せかけ、バックパックを取り上げた。 「とりあえずはこれで」 「えっ、何が?」 「残りはまた明日取りに来よう」 「なんのこと?」 「さあおいで。帰るよ」 「えっ、ちょ、ちょっと──」 戸惑う勇利の足元にひざまずき、ヴィクトルは丁寧に靴を履かせた。その紳士的なしぐさに勇利は思わず赤くなった。まるで王子様がシンデレラにガラスの靴を履かせているよう……。しかし「シンデレラ」という話にそういう場面があったか勇利は思い出せなかったし、ヴィクトルの貴族的なやり方にうっとりしている場合ではなかった。 「ヴィクトル、なんなの!?」 勇利は抗議した。 「ぼく、ヴィクトルの動画見てるとこだったんだけど!」 「おまえこそなんなんだ」 ヴィクトルが言い返した。 「俺は勇利に迎えてもらえると思ってうきうきして帰ったところだったんだ!」 「えぇ? それは手紙に書いたでしょ? ぼく寮に──」 「手紙? あんなもの、なんの説明にもなってない!」 ヴィクトルは車で来ていた。勇利は助手席に積みこまれ、さっさと連れ去られてしまった。 「誘拐だ!」 「家に帰るだけだ」 「だから、ぼくは──」 もう、なんなの? ヴィクトル、勝手なんだから! 勇利はぷんぷん怒った。 寮とヴィクトルの家はさほど離れていない。すぐに車は停まって、勇利はつい数時間前あとにした場所にふたたび入ることになった。 「もう、ヴィクトル、意味わかんない! 横暴だよ! ヴィクトルのばか!」 「勇利」 ヴィクトルは居間のソファに落ち着くなり、勇利の手を握りしめた。 「俺が悪かった」 「え」 さっきまでひどく強引だったのに、急にそんなふうに謝られて、勇利は困惑した。ヴィクトルはよわりきって、懇願するように勇利を見ている。なんとなく、ヴィクトルは怒っているのでは、という気がしていたのに、これでは拍子抜けだ。 「悪かった。謝るから」 「あ、あの……」 「どこにも行かないでくれ。俺のそばにいてくれ」 「ぼくはべつに……」 しどろもどろになった勇利をじっとみつめ、何を思ったのか、ヴィクトルは勇利をぎゅっと抱きしめた。勇利はまっかになった。え……ええーっ……なにこれ……なんでこんなことするの? 変なの……。 「せっかくロシアへ来てくれた勇利をほうり出して仕事ばかりしていた。弁解の余地はない。ごめん。謝るよ」 「あ、いや、それはしょうがないっていうか……」 「一緒にいられたのは最初の一日だけだ。俺はひどい。わかってる。言い訳できない」 「そんなのは、ぼく……」 「勇利が怒っても仕方がない。それは理解している」 「ヴィクトル、ぼく怒ってないよ。ただ、これじゃ一緒にいる意味ないなって……」 「ごめん!」 ヴィクトルがきつく勇利を抱きしめた。勇利はますます赤くなった。 「確かに一緒にいる意味がない……こんなことをして……勇利が俺に愛想を尽かすのも当たり前だ……」 「あっ、そういう意味じゃない……」 「でも、勇利をいやな気分にさせようと思ったんじゃないんだ。仕事をしてても俺は勇利に会いたくて……いろんなことをしながら、ずっとおまえを恋しく思っていたんだよ……」 勇利は胸がどきどきした。ヴィクトルはいま「おまえが恋しかった」と言った。本当だろうか? 「それはぼくもそうだけれど」 勇気を振り絞ってそう答えたら、ヴィクトルは溜息を漏らしてかぶりを振った。 「でも、出ていってしまった」 「それはね──」 「わかってる。俺のせいだ。俺が悪い。呼ぶだけ呼んであとはほうっておくなんて、そんなことをしたら誰だって怒る。だけど俺はいつだって勇利を想っていたよ。勇利に会いたかった。勇利はどうしているだろうと考えた。メールひとつ、電話一本もよこさなかったから怒ってるんだね? ちがうんだ」 「忙しかったんでしょ?」 「それもあるがそれだけじゃない。顔を見られないのにそんなことはできなかったんだ。声を聞いたら何を言い出すかわからなかったんだ」 勇利はぼうっとなった。それこそ──ヴィクトルはいったい何を言っているのだろう? 「勇利をないがしろにしたわけじゃないんだ。ちがう。ちがう。ちがう」 ヴィクトルは勇利の顔をのぞきこんだ。瞳をひたとみつめられて勇利はどぎまぎした。勇利の楚々とした頬に朱が差した。 「どこにも行かないでくれ、勇利」 ヴィクトルが熱心にささやいた。 「俺のそばにいてくれ」 「あ、あの、ごはんなら台所に……」 「何を言ってる? 本当におまえはわからない子だな。食事なんかどうでもいい。ああ、もちろん、勇利がつくってくれたのはうれしい。初めてだね。もしかして、俺が留守にした最初の夜にもつくってくれてたのかい?」 勇利はびっくりした。 「どうしてわかるの?」 「勇利のことならなんでもわかる」 「……本当に?」 ヴィクトルはほほえんだ。 「いや、うそだ。本当はわからない。わかりたいけどね。ぜんぜんわからない。おまえの気持ちがわからない……」 「ヴィクトル、ぼく……」 「ごめん。悪かった。ひとりにしてごめんね。ごめん。俺のところにいて欲しい。あきれないで。どうしようもないやつだといやにならないで。俺を捨てないでくれ……」 勇利はまた面食らった。 「捨てるなんてそんな……」 「愛してるんだ」 ヴィクトルが熱狂的に告白した。勇利はものが言えなくなった。まじまじと、青く輝く水際立った瞳を見た。ヴィクトルは疑いようもなく真剣だった。 「愛してる……勇利」 「ヴィクトル」 ヴィクトルが勇利を熱のこもったしぐさで抱きしめた。くちびるを奪われ、逃れられない抱擁を受けて勇利は目をまるくした。 「どこへも行くな」 勇利はのぼせ上がってしまった。ヴィクトルが問うように視線を合わせたので、ただこくこくと、けなげな態度で幾度もうなずいてしまった。ヴィクトルがうれしそうに笑った。 「よかった……」 彼は勇利のまぶたにくちびるをくっつけた。 「よかった……」 「ヴィクトル……」 「勇利を大事にするよ」 「ヴィクトル、ごはん食べた?」 「勇利……、どうして食事をそう気にするんだ?」 ヴィクトルがあたたかみのある笑みを浮かべた。 「だって、ちゃんと食べてたかなって」 「確かに俺は飢えている」 「やっぱり」 「だから」 ヴィクトルはまぶたをほそめてささやいた。 「俺は勇利で俺をみたしたいんだよ」 「そうなんだ……」 勇利は真剣に考えこみ、わからなくて目を上げた。 「どうすればいいの?」 ヴィクトルは誠実なひかりを瞳に浮かべ、ないしょ話を打ち明けるように言った。 「勇利、じつはね……、勇利のベッドは、ずっと来ないんだ……」 「え、そうなの?」 どういうことなのか、勇利は意味を判断しかねた。ヴィクトルはほほえんで勇利を抱き上げた。 「だからおまえは俺の部屋で寝るしかない」 「それはいいけど……」 うなずいて勇利は思い直した。 「いや、よくないかな……」 「いいって言ってくれ」 「え……困る……」 「いいと言ってくれたら、ちゃんとベッドを買ってあげるよ」 「それって矛盾してない?」 「してない」 ヴィクトルは勇利を寝室へ連れていき、ベッドにそうっと、大切なものを取り扱うように下ろした。 「たまには、自分の部屋で寝ればいい」 「たまに?」 「たまにだ」 ヴィクトルが勇利にくちづけした。それからベッドに上がって、勇利の顔の両側に手をつき、夢見るようににっこり笑った。勇利のみずみずしいくちびるがふるえた。胸の高鳴りとときめかしさを抑えられなかった。 「ヴィクトル……」 「なんだい?」 「あの……」 勇利ははにかんだ。 「……今夜が初夜なの?」 ヴィクトルは瞬いた。彼はすぐに幸福そうに笑い、勇利の耳元にささやいた。 「そうだよ」 翌日、勇利がやすんでいるあいだにヴィクトルはクラブの事務員に会い、勇利の寮契約を解消した。彼は勇利の荷物をたずさえて意気揚々と帰宅すると、勇利がつくった料理をベッドに持ってきて、勇利の口に入れたり自分が食べたりした。 「最高だ。極上だ。どこのレストランでもこんなものは食べられない」 「ヴィクトル……ばかにしてるだろ……」 しかし、ヴィクトルの目つきはあきらかに真剣だった。勇利は嗄れてしまった声を叱咤しながら、家を出た真意を語ったのだけれど、ヴィクトルはもはや興味がないようだった。 「今度ベッドを買いにいこうね」 彼はにこにこしながら提案した。 「でも、たまにしか使わせないよ」 ヴィクトルは、事務員から勇利の寮の部屋を教えてもらうときに聞いたのだと言った。勇利が来た翌日に、スーパーマーケットでたくさんものを買いこんでいるところを見たと。 「勇利の料理を食べ損ねたのは惜しい。またつくってくれるかい?」 「いま食べてるじゃん……」 ヴィクトルはくすっと笑った。彼は身をかがめると、ベッドの中でおとなしくしている勇利のくちびるにそっとキスした。 「え、急になに……」 「大事だから」 「いまそういう感じだった?」 「勇利はいつも『そういう感じ』じゃないだろ」 「ぼくだってたまには情緒を解します」 「だといいけどね」 ヴィクトルは笑ってもう一度優しくくちづけした。彼はちいさく、甘美にささやいた。 「キスミーヴィクトル……」 勇利は目をみひらいた。 「そう言ってただろ?」 「……それも誰かに聞いたの?」 勇利はふとんにもぐりこんだ。恥ずかしくて、とても顔を出せなかったので、ヴィクトルが何を言ってなだめても頑として聞き入れなかった。 「勇利、俺はうれしかったんだよ。かわいい。勇利、かわいい……」 「黙って。あっちへ行って」 「勇利……」 「知らない、知らない」 ヴィクトルは笑いながら勇利をふとんの上から撫でた。やがて彼は掛布をかきわけ、勇利の耳元にくちびるを寄せた。 「キスミー、勇利……」 「…………」 ヴィクトルのばか、と思った。卑怯だ。そんな声を出すなんて。 勇利は勢いよくふとんをはねのけた。それと同時に起き上がって、驚いているヴィクトルにすばやくキスをした。 「え!?」 「したよ」 「ちょ──ちょっと待って」 すぐに応じるなんて予想していなかったのだろう。ヴィクトルが慌てた声を上げた。 「こころの準備ができてなかった。もう一回してくれ」 「もうしましたから」 「もう一回! もう一回!」 「だめです」 「もう一回!」 勇利はヴィクトルの言い分を聞き流してベッドに横になりながら思った。ああ、もうここで眠るときはひとりじゃないんだ。たとえヴィクトルがいない夜だとしても……もう、ふたりは……。 「もう一回!」
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