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犯罪の巣窟となっているフィリピンのPOGO このバオフという施設は、POGO(Philippine Offshore Gaming Operator)と呼ばれるものだった。海外向けにオンラインカジノを提供する業者だ。多くの国で、賭博はカジノなどの許可を得た施設以外では禁止をされているが、賭博をしたいニーズはある。そこで、オンラインで賭博を提供するというのがPOGOだ。最も多く利用されているのが中国で、中国ではマカオなどを除いて賭博が禁止をされているため、手軽にスマートフォンから楽しめるオンラインカジノの人気が高まっている。もちろん、中国人が海外のオンラインカジノを利用することは違法行為にあたる。 オンラインカジノだけであればまだしも、そこにはマネーロンダリングから始まり、ロマンス詐欺、仮想通貨詐欺、投資詐欺、麻薬取引、人身売買、誘拐、売春、殺人と、ありとあらゆる犯罪がついてくる。 フィリピン政府はこのような海外カジノ業者による犯罪に頭を悩ませたが、彼らが得ている経済的利益は魅力的なものだった。そこで、フィリピン政府は2016年にこのようなカジノ業者を公認し、法人税を徴収することにした。フィリピン娯楽賭博公社(Philippine Amusement and Gaming Corporation、PAGCOR)を設立し、一定の審査の元、カジノ業者をPOGOと認定し、オフショアオンラインカジノの運営を認めた。 各国から批判を浴びるオンラインカジノ施設POGO しかし、POGOはフィリピン人は利用することができず、外国人だけが海外からオンラインで利用することができる。外国、特に利用者の多い中国にしてみれば迷惑な話で、中国政府は何度となく、フィリピン政府に対してPOGOを禁止するように求めている。その結果、マルコス大統領は2024年末までにPOGOを廃止する宣言をした。 バオフもこのようなPOGOのひとつで、約8万平方mの敷地(サッカー場9つ分)の敷地に14の建物とスーパー、レストランがある。家宅捜索を受けた時、678人が働いていて、内訳はフィリピン人383人、中国人218人、ベトナム人55人、マレーシア人16人などで、その他、ルワンダ、インドネシア、キルギスタンなどの国籍の者もいた。 オーナーは黄志楊という中国人で、2019年にバオフを設立し、許可を取り、POGOの運営を始めた。しかし、仮想通貨詐欺が発覚をし、2023年2月にPOGOの資格が剥奪をされた。それでも、黄志楊はPOGOとしての運営を続けていた。つまり、バオフは違法POGOだった。 違法POGOの運営に市長が関与していた この違法POGOにマレーシア人のディランが監禁をされ、ディランは携帯電話を手に入れ、マレーシア大使館に助けを求めた。この時、暴行の後が残る自分の写真も送ったために、マレーシア大使館はすぐに大統領府反組織犯罪委員会(Presidential Anti-Organized Crime Commission、PAOCC)に通報をした。PAOCCもマレーシア大使館からの通報であるため、すぐにバオフに対して家宅捜索を行い、違法POGOの摘発を行った。 ところが、その捜査の過程で、意外な事実が明らかになった。このバオフの建物の多くは、バオフがあるバンバン市の市長が維持費を支払っていたのだ。バンバン市の市長はアリス・グオというフィリピン人で、市長に立候補するまでは、このバオフの株を50%所有していたこともわかった。立候補する時に、すべての株式をあるフィリピン人に売却したことになっていたが、そのフィリピン人は、自分が株式を譲渡されたことを知らなかった。つまり、株式譲渡は偽装であって、この違法POGOであるバオフの実質的なオーナーはバンバン市長ではないかという疑いが出てきたのだ。 ▲バンバン市議会で答弁するアリス・グオ市長。いつもにこやかで、市民からの支持は高かった。 ▲バンバン市の公式サイトには、アリス・グオ市長の写真とメッセージが掲げられている。バービー好きのアリス・グオ市長は、ピンクをアイデンティティカラーに使っていた。 市民から人気の高かったアリス・グオ市長 意外なことに、2022年6月に就任したアリス・グオ市長は、市民からの人気が高かった。前市長は既得権益にどっぷりと浸かった人であり、バンバン市にはたまに顔を出す程度で、自分はマニラ市の快適なマンションで暮らしていた。人口わずか8万人で、農業中心で、道路は穴ボコだらけ、停電が日常的というバンバン市は発展から取り残されていた。 しかし、そこに若くてチャーミングな女性市長候補が颯爽と登場した。アリス・グオは養豚業で成功し、12の企業を所有しているやり手のビジネスウーマンだった。市長に就任すると、さっそくセブンイレブンとマクドナルド、フィリピン最大のファストフード「ジョリビー」を誘致して持ってきた。 アリス・グオ市長はバンバン市に常駐し、健康センターを設立し、道路を修繕し、犬と猫にはワクチンを接種した。交通ストライキが起きると、市民のために無料のライドシェアサービスを提供した。結婚式や葬儀、イベントがあると、現場に現れて、テントと椅子を無償で貸与した。高齢者の誕生日には、必ずバースデーケーキを贈る。 バービーが大好きで、いつもピンクの服を着ている。決して美人ではないものの、親しみのある笑顔で人に接し、「最近太ってしまって」とお腹の肉をつまむ。市民は誰もが、そんなアリス・グオ市長が大好きだった。 ところが、この市長が、裏世界とも言えるPOGOにどっぷりと絡んでいたのだ。市民は大きなショックを受けた。 ▲市長時代の郭華萍。親しみやすい笑顔で、市民との距離が近い、人気の市長だった。 ▲アリス・グオ市長は、親しみやすい笑顔と行き届いた市民サービスで、市民からの人気は高かった。 ▲POGOとの関係で、警察で取り調べを受けるために同行を求められたアリス・グオ市長。この時は、大きな問題ではないと楽観をしていた。警察も、相手が市長であるため、丁重に扱った。 公聴会で発覚した市長の「身分」 PAOCCの捜査が終わると、アリス・グオ市長はフィリピン政府が行う公聴会に召喚された。市長と違法POGOの関係を追求することが目的だ。 それでも、市民は大好きなアリス・グオ市長を応援した。SNSでは、市民からの「アリスを信じている」「アリスが帰ってくるのを待っている」というメッセージで溢れ返った。 しかし、その市民の期待は裏切られることになる。公聴会で、アリス・グオ市長は実はアリス・グオではなく、まったく別人の中国人であることまでが発覚をしたからだ。 フィリピン国家調査局が、アリス・グオの身分照合をしてみると、アリス・グオというフィリピン人は実在したが、顔がまったく違う。しかも、この本物のアリス・グオは所在がわからなくなっていた。 では、市長はいったい誰なのか。フィリピン国家調査局は指紋から照合をして、中国籍の郭華萍(グオ・ホワピン)であることを突き止めた。中国人がフィリピンの市長になることはできない。 ▲公聴会に出席する郭華萍。ここで郭華萍の身分が虚偽のものであることが明らかになっている。郭華萍は残りの公聴会を無断欠席して海外に逃亡し、インドネシアで拘束された。 借金でフィリピンに逃れた郭一家 アリス・グオ市長は、公聴会では、あくまでもフィリピン人のアリス・グオであると言い張ったが、議員たちの追及に矛盾のある回答を重ね、もはや中国人の郭華萍であることは明らかだった。 この問題は、フィリピンや中国のメディアも取り上げることになり、調査報道により、郭華萍の生い立ちが次第に明らかになっていった。 郭華萍は1990年8月31日に、福建省晋江市に生まれた。父親は地元で養豚業や服飾工場、刺繍工場、飲食店を経営する人で、裕福な家庭だった。弟と妹が生まれ、絵に描いたような幸せな一家だった。しかし、90年代後半になると、父親の事業が思わしくなくなり、多額の借金を背負うことになってしまった。 母親は、借金から逃れるために、フィリピンのホワフェイ刺繍センターに7.5万ドルの投資をした。フィリピンに投資をすると、特別投資居住ビザが取得できるからだ。母親は3人の子どもをつれて、フィリピンに移住をした。 中学生になっていた郭華萍は、フィリピンの中国語学校に通うことになった。しかし、中国籍のままでは、フィリピン政府のパスポートを取得することはできない。中国のパスポートを取得するには中国に戻らなければならない。しかし、パスポートがないので中国に行くこともできない。 そこで、多くの海外在住の中国人がするように、業者から戸籍を買って、フィリピン政府のパスポートを取得した。この時、買ったのがアリス・リアル・グオのもので、以降、郭華萍はフィリピン人のアリス・グオとして生きていくことになった。
市長はフィリピン人ではなく中国人だった。身分詐称の市長は中国のスパイだったのか? - 中華IT最新事情
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-③
■7/4出発~ヘルシンキ中央駅到着まで
※前回のレポ②はこちら
さて、いよいよ待ちに待ったフィンランド旅の始まり!まずは飛行機に乗るため、成田空港へと向かいます。 私は北海道在住+ちょうどいい時間がなかった+LCCは使いたくなかった(新千歳⇔成田はLCCしか飛んでない)ので、羽田経由で成田に向いました。 あまりこのルートを使う人はいないかと思いますが、念のため、羽田⇔成田間は、多少お金かかっても断然空港連絡バスが便利です!
所要時間は1時間20分、料金は3,600円ですが、事前予約で座席指定もできるし、何より重たい荷物持って電車を乗り継がなくていいのが最高です。フライトは13時間近くかかるので、余計なところで体力を消耗しないようにしましょう。 ちなみに、国際線は国内線と違って出発時間にシビアです。搭乗手続きの締切時間は出発の60分前、搭乗口は離陸時間30分前までに通過しないと置いていかれます。特に成田は大変広い空港ですので、搭乗の2時間前には空港について置くことをお勧めします! (成田発23:05のフィンエアーに乗る場合は、これがターミナルの最終便になるので保安検査も出国審査もガラガラですが、念のためはやめに行くとよいかと!)
さて、成田に着く前にやっておくこと。フィンエアーは36時間前からオンラインでのチェックインが可能ですので、ぜひチェックインしてQRでフライトチケットをもらっておきましょう。HPからもできますし、フィンエアーのアプリからもできます。アプリは便利ですが、英語なので、自信がなければHPか、共同運航のJALのアプリ/HPから操作するとよいと思います。 成田発ヘルシンキ行のフィンエアーは、成田空港第2ターミナルから出発します。 成田空港ではFace Expressという、顔写真を登録すればこのあとの手続き全部顔パスでできるという便利なシステムが導入されたことを知ったので、さっそく使ってみようと自動登録機を操作したのですが…
これがまったく読み取らないんだ!笑
何回パスポートを差し込んで顔認識させても全然動かず、台が故障してるのかと何台か変えてみても全部エラー。まわりに空港スタッフも全然いないし、めんどくさくなったのでやめました。(のちに、結局登録してもJALとANAの自社便とかじゃないと使えない&各ゲートでカメラで読み取る時もエラー頻発と知ったので、やらなくてよかった笑) ちなみに、自動荷物預機もフィンエア―は対象外。国内便ではいつも自動チェックイン→自動荷物預とスルスルやってるので、大変面倒でした…はやく対応して…! フィンエアーのカウンターは、出発約3時間前(今回で言うと20時くらい)になるとあきます。私が行ったときはDカウンターでしたが、今後変更などもあるかもなので、空港内の電光掲示板で確認しましょう! カウンターはチェックイン窓口と荷物預けの窓口があるので、先にオンラインチェックインをすませていれば、すぐに荷物預けの方に並ぶことができます。 窓口ではパスポートとチケットを提示し、預け荷物に入れちゃいけないものが入っていないか、乗り継ぎがないかなど確認され(ちゃんと日本語喋れるスタッフさんがいます)、重さに問題がなければ終了。 ちなみに荷物に入れていいもの、入れちゃいけないもの、荷物の重さ・大きさについては各航空会社で違いがありますので、事前にホームページなどを確認し、当日あわてないようにしましょう! 特に荷物の大きさ・重さ、あとモバイルバッテリーの扱いなどはミステイクがありがちなので注意したほうがよさそう。 フィンランド行きはJALの共同運航便ですが、JALが主体の便ではないので、フィンエアーの規則に従うことになります。フィンエアーのHPで諸々確認しておきましょう!
今回私は、保安検査の前に空港の両替所で円をユーロに両替していきました。事前にフィンランドはカード社会+チップ文化がないので現金はほぼ不要だ、という情報を仕入れてはいたのですが、何かあったら困るから、と2000円分くらいは両替しました。 結果、フィンランドでは一回も現金使いませんでした。笑 本当にキャッシュレスが進んでおり、海外ではよくあるおトイレ使用代も、クレカで支払い可能。タッチ決済もほぼすべての場所で使えた(後ほど書きますが、ルイスロックのシャトルバスのチケットはタッチ決済でしか払えなかったはず)ので、もし非対応のクレカしか持っていない方は、スペア用のカードで対応のものを作ってもいいと思います。
そんなこんなで一緒に行く友達とも合流し、保安検査+出国審査へ。 成田の保安検査(手荷物検査)では、パソコン・タブレットのほかは、液体モノだけバッグから出します。国際線では、液体の機内への持ち込み方法に厳しい規則がありますので、こちらも事前に確認をして準備しましょう。
あと、上着類や底の厚い靴、くるぶしの覆われる靴などは脱ぐ必要がありますのでご注意を。手荷物の検査と、不審物もってないかのチェック(こんなふうに立ってくださいというイラストのついたチェックマシーンがある)が終わったら、出国審査(必要な人は税関審査も)です。といっても日本を出るときは簡単で、自動認証マシーンにパスポートを置いて顔写真と照合すればおしまい。(このマシーンを使うとスタンプは押されないのですが、スタンプほしい・必要な人のための窓口もあります。) ここまでの手続きが終われば、あとは飛行機に乗るだけ! ごはんを食べたり、必要なものがあれば買い物したりしてすごしましょう。
(フシギダネは私の私物、ピカチュウは友人が連れていく用に成田のポケモンショップで購入。笑)
約13時間のフライトになるので、飛行機に乗る前にお手洗いの洗面台を使わせてもらってメイクを落とし、コンタクトの人は外して眼鏡に変えておいたほうが絶対楽だと思います(機内トイレは混むので)。 そして搭乗口でわくわくしながら待機し…いよいよ搭乗…!乗るときはパスポートとチケットを手元に用意するのをお忘れなく!
(並んでる時なぜかみんな列整理スタッフの人をパシャパシャ撮ってたので、なぜかと思ったら、掲げてたサインボードにムーミンが描いてあったからのようでした。笑)
そして機内は…
エコノミーの座席、めちゃ狭!(機内写真とらなかったので、画像はフィンエアー公式より)
体感、前の席との間は↑の写真の7割くらいの幅しかないです。笑 標準日本人体型だとそこまで苦労はしないですが、大柄な方はけっこう大変かも…。でも座席自体は13時間座っててもそんなにお尻爆発状態にもならず、という感じ。 ちなみに座席指定で、トイレ前の席を選んだのですが、後ろがトイレの壁なので気にせずリクライニングできる、かつトイレ近いのですぐいけるのがよかったのでおすすめです。 行きはかなりガラガラで、3列並びの席に私と友達の二人だけ。前の列の人は1人だったので、全席使って優雅に横になっておられました。 あと国際線はジャパニーズには寒すぎる…!ということが多々あるようなのですが(私も前にエミレーツに乗ったときは夏なのに凍死しかけた)、前の記事にも書きましたがフィンエアーはそこまで寒く無かったです。ブランケットが一人1枚配られるので、足りなければ自分でもっていったストールを使ったり、もう1枚おねだりするなどでしのげると思います。 機内ではスリッパに履きかえるという方もいらっしゃると思うのですが、私は手持ちの大き目やわらかバッグを前の座席の下につっこんで、靴を脱いでそこに足をあげちゃうので特に必要なかったかな。トイレ行くときだけ靴履けばいいので。 あとあってよかったのが着圧靴下!これをはいてたら各段に足のむくみが解消されたのでおすすめです!
そしてフィンエアーでいいなと思ったのはこちらのモニター。
(これも写真とってなかったので4travelからお借りします💧出典:https://4travel.jp/travelogue/11812542)
このように、何時に食事、何時は消灯時間、などの表示が出て、食事のところを見るとメニューも見れるので便利でした。 機内エンターテイメント(映画)については正直ラインナップは少なく微妙でしたが、ムーミンのアニメやフィンランド映画(私はSISUを見た)なんかがあるし、結局道中半分くらい寝ているので、私は気になりませんでした。 ちなみに音楽のほう、カーリヤが入ってないか探したのですが、入ってなかった…同じ事務所(ワーナー)のエリカ様やBehm、ブラチャンも入ってなかったので、権利の問題だと思います。ユニバーサルのKUUMAAやBESS、あとはSara Siipolaなんかは入っていました!
そして離陸して1時間くらいすると、最初のお食事が…
じゃじゃん!マリメッコのペーパーナプキンと一緒に配られた!
食事も事前情報で、はっきりいってマズいだの、貧相だの、選べないだの散々に言われていたので期待値0でいったのですが…機内食としてはこんなもんでしょうというかんじで、ふつうにおいしかったです。食事は2回出るのですが、1回目はビーフとチキンから選べて、これは牛すき弁当+パン+コールスローサラダ(チキンのほうはパスタだったはず)。飲み物も無料有料色々あって、私はさっそくベリージュースを注文しましたが、これはすごくおいしかった!おやつにはキットカットの抹茶味がついてきました。笑 ちなみに朝食(2回目)は1種類のみ。写真はないのですが、ローストポテトと地中海野菜のオムレツみたいなメニューで、これもふつうにおいしかったです。
さて、実は以前まで、フィンランドは日本から一番近いヨーロッパともいわれるくらいで、飛行時間は9時間切るようなルートでした。ところか現在とある国の上空を飛べなくなったせいでこんな長時間フライトに…それはまったくもって許しがたいんですが、そのかわりに我々にはちょっとした楽しみがありました。 それは、北極の上を飛ぶこと!
モニターに外についてるカメラの映像が映るのですが、これ、雲じゃなくて氷だよ…!
それまでぐーすか寝たりしてましたが、ちょうど北極通過のときは起きることができて、しばらくこの景色を楽しみました! 北極ルートは飛ぶときと飛ばないときがあるみたいで、帰りも一応北極ルートだったのですが、ここまでドンピシャ氷の上は飛ばないルートだったため、貴重な体験となりました…。
ちなみに起床時間になると、このような「北極通過証明書」を配ってくれます。寝ててもらいそびれてもお願いすればもらえますよ!
午前中仕事を終えて、灼熱の東京から空港間を移動してきた疲れもあり、フライト中はぐっすり…(ノイキャンイヤホンの効果抜群でした)。ごはんもおいしく食べられたし、揺れも少なく、総じて満足のいくフライトでした! そしていよいよ飛行機はフィンランドへ…ヘルシンキ・ヴァンター空港に到着!
なんか霧がすごい!
実はこの日のヘルシンキの天気予報は大変微妙で、曇り→雨→晴れみたいな感じ。幸い到着時は雨ではなかったですが、とても霧深く、幻想的で美しい光景でした。安全に着陸してくれたパイロットさんにキートス…!
とても広くて清潔で静かな空港内をぞろぞろ歩き、最後の関門、入国審査へ。ジャパン在住ジャパニーズは「NO EU」の列に並びます。 前にポルトガルに行ったときは、ほとんど何も聞かれなかったのですが、今回はかなり根掘り葉掘り聞かれました。(あとで調べたらこの空港は入国審査厳しいみたい。) なので、英語苦手な方は、事前に想定問答集を作っていった方がよいと思います!私が聞かれたのは、旅の目的、旅の日程、どこの町に行くのか、泊るホテル、何か特別な目的はあるのか、友達も同じ日程か、でした。ちなみに3泊6日であることを言ったら、なんでそんなに短いんだ?!って言われました。私の上司に言ってくれ!
そんなこんなで入国審査も無事に通過し、ここがカーリヤも利用したヘルシンキ・ヴァンター空港かあ…あ、これ、ネットで見た日本庭園(?)みたいやつだ~とかうきうきしながら移動…
空港内はちゃんとルートサインが英語で書かれていて(入国審査前は日本語もあった)迷うことはありませんでした。 空港からヘルシンキ市内までは色々移動方法があると思いますが、一番オーソドックスな電車を利用しました。
ここでおすすめしたいのが、ヘルシンキ市内の交通網を網羅するアプリ、HSL!ホームページもあるので載せておきます⇩
このアプリ、日本語対応はしていないのですが、英語でもそこまでわかりづらくないので大丈夫かと。 これさえ入れておけば、ヘルシンキ市内のVR(日本で言うJRみたいな電車)、地下鉄、路面電車、バス、さらには一部フェリーも、クレカ登録しておけばすべてのチケットをオンラインで購入でき、かつルート・時刻も検索できるので大変便利です。 しかも旅行者だと、必要な日数+エリアを網羅するチケットひとつ買っておけば、乗り継ぐたびに券売機でいちいち切符を買って…という手間もなく乗り放題。 詳しくはこちらのサイトにまとめられていますので、ご参照ください!
ちなみにフィンランドの駅には改札がなく、チケット持ってないことが発覚したら罰金、というシステムのようですが、滞在中一度も検札にあったことはありませんでした。大丈夫かな…。 検札が来たらこのアプリのチケット画面を見せます。 そういえば、海外でのネット接続ですが、私はドコモのギガ放題的プランに入っているので、「世界そのままギガ」というプランを使いました。これだとwifiのレンタル・持ち歩きが不要で、日本にいるときとまったく同じようにネットを使えるので、らくちんでした。(必要なときは無料wifiも使える)
このあたりは、wifiレンタルしてバンバン使いたい、SIMカード買ってみる、など色々方法がありますので、ご自身の利用状況にあった方法を選ぶとよいかと思います!
さて、今回は私もHSLアプリでチケットを購入し、いざVRでヘルシンキへ。空港からヘルシンキ中央駅(Helsinki Central Station)までの乗車時間はだいたい30分ちょいです。
ホームへ続く長いエスカレーター(エレベーターもあります)。深い…
空港駅のホーム。広くて静かで、環境音楽のようなのが流れてました。ホームは反対側にもありますが、どちらの電車もヘルシンキ中央駅まで行くので迷わずとも大丈夫。
車両の中も広く、自転車やわんちゃんも乗れる仕様!
そして、のどかでちょっと北海道っぽい景色を見ながらごとごと揺られること30分…
ついにヘルシンキ上陸!!
ヘルシンキ中央駅、とても広いです。この写真の右手奥が駅舎。
なんかロゴもJRっぽい…笑
このシャンデリアがあるところが、駅の正面出入り口です。立派…! ちなみに、この夏は電車および地下鉄で大規模工事が行われており、私たちのホテルがあるハカニエミまでは本当は地下鉄でもいけたのですが、通行止めになっていました(写真で×がついていることからもわかるとおり、ヘルシンキ中央駅の地下鉄駅は使えなくなっていた)。
駅舎の正面上部。この彫像が、去年のユーロビジョン期間中カーリヤの緑のボレロを着せられていたやつだ…!
駅の中の売店でパンも買ったので、ホテルに向けて出発!
続きは次の投稿で。
→続き:レポ④
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田園の中の喫茶店にて
最近単発のバイトに中々入れず、退屈な日々を過ごしている。
前のようにパチスロに行く気もなくなり、秋が深まる山やら滝やらに行っては数枚の写真を撮って帰る。
普段カフェインを控えているが、温かい珈琲が美味しい季節になったから、前から気になっていたカフェを周り始めた。
今日来たところは木曜から土曜��でしか営業していない、海の側��ら少し山に入った田園地帯の真ん中にある喫茶店だ。
古民家のような外見から中に入ると立派な梁がある。ピアノやギター、コントラバスまであって、音楽イベントをやっていると聞いた。
オリジナルの珈琲を頼む。
客は自分ひとりで、お店の人も一人だった。
窓際のいい席に座れた。文庫本を開いてたまに外を見るというのを繰り返す。
すると車が店の前に止まり、女性が一人店の中に入ってきた。
予約していた人なのだろうか、店主は女性の顔を見ると豆を挽き始めた。
香ばしい香りが店内に広がる。
読んでいた桜木紫乃の短編小説にいいアクセントをくれる。
七、八分くらいしてそれが出来上がったようで、女性は袋を持って会釈しながら店を出た。
それから五分ほどして、店主が申し訳無さそうに、珈琲カップを持ってきた。
「大変お待たせしました」
「いえいえ」
「エチオピアです」
「ありがとうございます」
もしこれが町中にあるチェーン店のコーヒーショップならクレームを入れる人もいるだろう。
でもここは時がゆっくり進む田んぼの真ん中の喫茶店。早さなんか求めてはいない。
大人の例えをするならば、メイクをしている相手を待っている時間と同じで、完全に相手が美しい状態で出てくるのはどれだけ待ってもいい。
珈琲を一口飲む。取っ手が無いタイプだから少し指が熱かったがそれもいい。
あっさりした飲み口だがコクがある。苦味は程々で酸味はあとに少し残るくらい。バランスの良い味で、毎日飲むのにはうってつけの味だった。
小説を読み終えて文章を書く。
聞こえるのは少し前にオーダーした珈琲牛乳を作る音と外にいるカラスの声。
そういえば、と思い出したのは自分の誕生日と一ヶ月違いで大学の同期だった香菜の事。今日がその誕生日だったのをスマートフォンの日付を見て思い出した。二年前くらいに突然泣きながら電話があって以来、たまにやり取りをする。
香菜とは色々あった。大学に入って最初に仲良くなった女の子が香菜で、初めて女の子の部屋に泊まったのも彼女の部屋だ。不思議なものでそんな関係だったにも関わらず、ある時期から互いを嫌うようになって口も聞かなければ目も合わせなくなった。
だから泣きながら電話してきたのは何故なのかわからなかったが、それをすんなり受け止めて泣き止むまで話を聞き続けた自分もどうしてなのかわからない。
とりあえず誕生日メッセージを送っておいた。
珈琲牛乳がテーブルに置かれる。
昔、母親が作ってくれたような優しい甘さ。
ミルクの膜があってそれをスプーンですくって食べるのが好きだ。
村上春樹の短編を読む。三分���読み終わるくらいあっさりしたものだが、村上春樹の色が確かにそこにあって、純粋にさすがだなと思った。
まだ外でカラスが鳴いている。洗い物をする店主の息遣いと厨房の奥で流れるピアノの音楽が微かに背中越しに聞こえる。
香菜から返信が届く。
お礼と今度公開される映画の監督を務めた事を報告してきた。
おめでとう。さすがだね。と返した。香菜はずっと優秀だった。いや、人に評価されるのが得意だった。作った作品を面白いと思ったことはないが、教員や審査員たちに認められる物を多く作っていた。
反対に俺は落ちこぼれのような物で、自分主演のハードボイルド作品を作ったり、クドカンもどきの恋愛コメディを書いたりしては、不評を買っていた。
そんな二人が今こうして連絡を取り合ってるのを同期が聞いたら驚くだろう。
そんな事を考えていたら珈琲牛乳が温くなってしまった。
閉店時間も近い。
家に帰りたくない。
ずっとこんな風にどこかの店の片隅で本を読んだり下手な文章を書いたり誰かと話をしていたい。
窓の外の田んぼからは、稲のひこばえが大きく育っている。もう秋も深いというのに元気だ。
店にあるアコースティックギターを弾きたいなと思ったが、恥ずかしいので店主に言えないまま店を去る。
夕飯なのか夜の部の仕込みなのかコンソメスープの香りがした。
家の今夜の晩御飯はヒレカツだ。
今日もまた酒を飲んで睡眠薬を一錠多めに飲んで寝るのだろう。最近上手く眠れない。
明日は面接。
帰りにまた寄ろうかな。
この田園の中の喫茶店に。
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『ドラゴンボール』の主人公・孫悟空、『ONE PIECE』のルフィなど、世代を超えて愛されてきたコミック界の人気キャラたち。最近でも『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『東京卍リベンジャーズ』『SPY×FAMILY』『【推しの子】』など、ヒット作は数多く生まれているが、かつてのような“圧��的スター”キャラはいないように思う。その背景には、電子書籍の定着が関係しているようだ。また、支持される“ヒーロー像”にも多様化が見られる。国内最大級の品揃えを誇る総合電子書籍ストア・ブックライブに、令和の人気キャラの傾向を聞いた。 【写真】泉里香の“ナミ”に絶賛の声、爆弾たわわボディを大胆披露で「完成度高すぎ!」
■「令嬢もの」がトレンドなぜ? ハラハラより“安心感”、お決まり展開求める電子読者層
常時1万冊以上の無料漫画を配信し、利用者数は1500万人以上に上るブックライブ。2011年のサービス開始以来、同社が牽引する形で電子書籍が徐々に浸透し、コロナ禍でさらに加速。斜陽と言われ続けた出版業界だったが、急伸した電子書籍の売上により、21年には市場全体でV字回復を遂げている。 いまや幅広い層が電子漫画を読む時代となったが、同社の書店員を務めるすず木さんは、人気作品の多様化を実感しているという。 「昨今は作品自体が多様化しており、分かりやすい王道もありますが、現在流行として外せないジャンルは“令嬢もの”や“異世界転生”。とはいえ、人気作品はバラバラであり、さらには入れ替わりの早さ、消費されるスピードも早いのが特徴と言えます」(ブックライブ書店員・すず木さん/以下同) 紙媒体が主流だった時代は、作品の世界観にどっぷり浸かり、主人公が辿る軌跡や物語の行く末をじっくりと味わう読者が多かった。しかし、電子漫画が主流となり、SNS上でも作品が投稿されるようになった今、スキマ時間や移動中などでもサクッと手軽にいつでも読めることから、Z世代を中心に、分かりやすく、展開の早い作品を好む層が増えてきた。 趣味の分野においてもタイムパフォーマンスが重視される昨今、漫画にもスピード感が求められ、結末がどうなるか分からないハラハラ感よりも、予定調和な安心感が得られる作品が多い。その点、トレンドの“令嬢もの”は、婚約破棄されました、でも今は新たなイケメンに溺愛されています…、という分かりやすいシンデレラストーリーが心地良いのだろう。 また、『巨人の星』のような汗水たら��苦労ばかりでなく、「その人に合った頑張りをすればいい」という意識の変化も見られる。そもそも努力のない、いわゆる「俺TUEEEE」系だと、元々主人公は最強であり、バッタバッタと敵をなぎ倒す爽快感ある作品も増えている。 「友情・努力・勝利のような王道も人気は変わらずありますが、例えば、今春映画化され話題となった『BLUE GIANT EXPLORER』の宮本大は、サックスをめちゃくちゃ練習しているはずですが、暑苦しい修行シーンとしては描かれていない。コミック界全体的に努力の押し付けが消え、どんどんサクセスしていく姿を見たい、結果を早く見たいといった読者のニーズに沿った展開が多くなった印象です」
■圧倒的スターは不在? 従来のヒーロー像とは「真逆」のキャラが新たな人気者に
人気作品の多様化に伴い、支持されるキャラクターも一辺倒ではなくなってきている。同社では、日々の勇気や感動、豊かさを与えてくれるキャラクターたちに対し感謝を贈る賞として、2年前に『マガデミー賞』を設立したが、ノミネートされたキャラクター勢にもその傾向が顕著だという。 これまでに2回開催され、今年で3回目。「第1回主演男優賞」には『ミステリと言う勿れ』の久能整、翌年の同賞には先述の宮本大が選出された。審査で最重要視されるのは、“今”にふさわしいか否か、ということであり、その時代を象徴する人間性を持つキャラクターが浮かび上がってくるアワードだ。 年間2000冊以上の漫画を読むというすず木さんは、初回から審査員を務めており、「読者の方々の強い推薦を元に選ばれる賞ですが、特に2022年の結果で顕著に思ったのが、“圧倒的なカリスマは減ったな”という印象です。絶対的1位はおらず、審査が難航することも多々あります」と明かす。 これは「主演男優賞」を見れば著しい。第2回受賞の宮本大(『BLUE GIANT EXPLORER』)は、世界一のジャズプレイヤーを目指す従来の熱血ヒーロー。一方で、第1回受賞の久能整(『ミステリと言う勿れ』)は“頑張らない”が、多角的な視点で、人が日頃からモヤモヤしていることを言語化して人にぶつけるという、これまでになかった新しい価値観を持ったキャラだ。令和に愛される2人のヒーローに共通点がないのだ。翻って過去を見れば、先述の悟空やルフィ、『北斗の拳』のケンシロウ、『ベルセルク』のガッツ、『ガラスの仮面』北島マヤに姫川亜弓など、わかりやすいカリスマキャラが多かった。 久能整に関しては、天然パーマで見た目は冴えず、インテリで奥底にはコンプレックスを抱え、ちょっと“面倒くさい”性格。従来の主人公の「真逆」とも言えるキャラクターだ。すず木さんは、昭和、平成、令和の価値観が混在し、様々な世代間ギャップがぶつかっている今だからこそ、支持されたキャラクターなのではないかと分析する。 「上の世代の人の言うことを聞く、決められたことに従う、と言う時代ではなく、それぞれがそれぞれの主張を発信し、上の世代も価値観のアップデートが求められる時代です。ハラスメント問題、炎上、LGBTQ問題、さらにはコロナ禍があり、人々がそれによる価値観のずれやストレスを抱える中、そういったモヤモヤを言語化してくれる整くんが時代の代弁者として評価されているのではないかと思います」
■ちいかわ人気の根底に「漫画」あり、辛い現実生きる現代人に突き刺さるニヒリズム
昨年は、審査員特別賞に「ちいかわ」が受賞したことも話題になった。2020年にTwitter上で誕生した漫画「ちいかわ」は、21年に単行本刊行、22年にはアニメ化され、日本キャラクター大賞グランプリ、SNS流行語大賞を受賞。一過性の人気にとどまらず、現在もあらゆる分野で絶えず発売されているコラボグッズの数々は、飛ぶ勢いで売れている。その根底には、「漫画」が起因しているという。 「『ちいかわ』は単なるかわいいだけのキャラでなく、そのシュール感、ニヒリズムが上手く掛け合わさって癖になる面があると感じます。また、従来のキャラクターのようなハッピーな世界ではなく、アンハッピーな世界で生きるという、かわいい系では未だかつてなかったキャラ。その中で、不満を言わずに頑張る姿が応援したくなるのでしょう」 ちいかわは、コロナ禍の時期に誕生し、急激に人気を伸ばしたキャラクターだ。現在も物価高騰、戦争など暗い話題が多く、大勢の人々が苦しい生活を強いられている。そういった辛い現実に向き合う中、ハッピーしかないファンタジーには入り込めず、自分達以上に過酷な状況で頑張るちいかわの姿がリアルな共感を呼んでいる、ということらしい。 かように時代によって求められるキャラは変わっていく。人気アニメや実写の数多くが漫画原作であり、世界に誇る日本のキャラクター文化は漫画から生まれていると言っても過言ではない。今年も5日より、『マガデミー賞2023』の一般推薦がネット上で始まった。今回はどんな顔ぶれが揃い、いかなる世相が浮かび上がってくるのか、期待したい。
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第25回上海国際映画祭 コンペティション部門 最優秀作品賞・最優秀女優賞・最優秀脚本賞受賞!!
6月9日(金)から中国・上海で開催されていた第25回上海国際映画祭の授賞式が、現地時間19:00/日本時間20:00より開催され、コンペティション部門に正式出品されていた映画『658km、陽子の旅』が、最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞を受賞。本年度のコンペティション部門に於いて最多となる3冠を達成いたしました!
授賞式では、MCから、上海国際映画祭初参加にして受賞の感想を問われると、最優秀脚本賞を受賞した室井孝介は、「私は映画祭の経験というのがないものですから、このような華やかな場は夢のような場所です。この場にお呼びいただき、大変光栄ですし、賞をいただけると思っていなかったので、本当に嬉しいです。ありがとうございました。」と率直な感想をコメント。妻と共同のペンネーム「浪子想」で共同脚本を担当した熊切和嘉監督は、「このような素晴らしい賞をいただきまして、大変光栄に思います。浪子想と言いますのは、私、熊切和嘉と妻の熊切智子の共同のペンネームでして、今回もちろん室井さんの脚本が素晴らしかったのですが、そこからさらに妻の力で、主人公の女性を深く掘り下げて描けたのかなと思っています。妻にこの場を借りて、感謝をしたいと思います。ありがとうございます。」と感謝を伝えました。そして、最優秀女優賞を受賞した菊地凛子は、「まさか、初めて上海国際映画祭というこの素敵な映画祭によんでいただき、このような素敵な賞をいただいて本当に嬉しいです。20年前に自分を拾ってくれた熊切監督の作品で、こうして賞をいただけて大変うれしく思います。」と上海国際映画祭、監督への感謝を伝えた。また、菊地へ、MCから「中国でも、知名度のある菊地凛子さん。中国の映画監督と一緒に映画を作りたいと思ったことはありますか?旦那さん(染谷将太)は、中国のチェン・カイコー監督の映画で、主演として出演したことがありますが、ご自身は、どう思われますか?この会場にいる素敵な中国の俳優や監督と一緒に中国で映画を作りたいと思いますか?」の質問に対して、「是非。自分が子どもの頃から中国の映画を見て育ってきましたし、本当に出演してみたいんですけど、中国語の挨拶すら難しくて。今から勉強します!」とアピールしました。 三人は、最優秀作品賞を受賞し再び壇上��。熊切監督は、「まさかこんなに賞をいただけるなんて全然思ってもいなかったので本当に嬉しく思います。ありがとうございます。」と驚きと喜びの混じった笑顔をはじけさせ、菊地も「3つも賞をいただけるとは思ってもおらず、本当にありがとうございます。主人とは『とりました』『おめでとう』とメールで会話しました。主人にも感謝したいと思います。」と述べました。
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【受賞後コメント】
【Q】:熊切和嘉監督、最優秀作品賞という大きな賞をもらった感想をお願いします。
【熊切】:菊地さんといつかまた仕事したいと、20年間思っていて、それがかなったので、撮影中から夢の中にいるようでした。それが、まだ続いているような気持ちです。
【Q】室井孝介さん、今回の脚本は、作りやすいストーリーではないと思います。難しいと思ったこともあるかと思いますがいかがですか?
【室井】:本作は、私の実体験が入っています。母親を16年前に亡くしました。事故があった日に、病院から電話が掛かってきました。その電話に出たのですが、その時には、「とにかく病院に来てくれ」というだけで、容体を教えてくれない訳です。なので、病院に向かいました。その時に、母の容体のことや、これからのこと、これまでのことなどを考えてわずか1時間かからない道のりが、すごく長い時間に感じられて、その時の圧倒的な時間というのを、何かドラマにできないかな、と思い、この物語になりました。
【Q】:初めての主演女優賞受賞、今のお気持ちをお聞かせください。
【菊地】:本当に光栄です。まさか自分がとると思っていなかったので、油断して気を抜いていたら名前を呼ばれたので、驚きとその事実を受け入れるのに時間がかかりました。初めて呼んでいただいたこの上海国際映画祭で、皆さんに温かく迎えていただき、女優賞、脚本賞、作品賞をいただけるとは思ってもいなかったです。役者をやっていて、心からよかったと思います。ここからの役者人生、また身が引き締まる思いです。20年前に熊切監督に拾っていただいたことも、こうしてまた新しい作品で監督に感謝できる環境にこられたことは、何よりも自分の宝物です。この作品を愛していますし、多くの方にこの作品が届くことが幸せです。審査員の方に舞台裏で「審査員みんながあなたに決めたのよ」と言われ、映画にも感動したと言っていただいた。その言葉がとても嬉しかったです。(そう話してくださったのは)インドの審査員の方で、こうやって国際映画祭に参加することで、国境関係なく、1本の映画で心を揺さぶられるということが自分の身に起こるんだということは幸せだなと思います。またいただいた役を真摯にひとつずつやっていこうと、心に誓いました。
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※上海国際映画祭のコンペティション部門において、日本映画で、最優秀作品を受賞したのは、第8回上海国際映画祭(2005年)の三原光尋監督作『村の写真集』以来、18年ぶり、最優秀脚本賞を受賞したのは、第15回上海国際映画祭(2012年)、 『鍵泥棒のメソッド』で、内田けんじ監督が受賞して以来11年ぶり、さらに、最優秀女優賞は、第19回上海国際映画祭(2016年) 阪本順治監督『団地』で藤山直美さんが受賞して以来、7年ぶりとなります。
※菊地凛子は、『バベル』(06)で、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたが獲得はならず、今回の『658km、陽子の旅』での第25回上海国際映画祭最優秀女優賞受賞が、国際的映画祭での初受賞となります。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流��有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴���息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還��属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024.08 モンゴル(ウンドゥルシレット)
海外旅行がしたいと思っていた頃、欧米は円安&物価高で高いためアジアにしぼり、せっかくならあまり人が選択しないであろうモンゴルへ。
ツアー会社
大手旅行会社でもモンゴルツアーは扱っておらず、またネット上でも情報はかなり少ない。いろいろ探したところ「ファイブスタークラブ」というツアー会社がモンゴルツアーを取り扱っていたので今回はそこにお世話になることに。
ちなみに現地では英語がほぼ通じない。また現地空港ではCIMカードやPocket WiFiの貸出が見当たらずネットも通じない。したがってガイド同伴のツアー旅行を強くオススメする。
4泊5日のツアーを申し込み、全てコミコミで一人当たり19万円-24万円(時期による)。今回の旅の目的のひとつでもある、遮るものがなにもない大草原の星空を満喫するためには満月は絶対NG。日程調整で最優先したのは、月齢や月の出が星空観賞に影響を与えないこと。
移動(飛行機)
成田や大阪からウランバートル空港へ毎日直行便が出ている。成田からだと搭乗時間は5-6時間。韓国でトランジットした方が安い場合がある(モンゴル旅行は特に韓国人に人気だとか、実際ウランバートルでは韓国人をよく見かけた)。ツアーで用意された航空会社はMIAT Mongolian Airlines。エコノミーではコンセントやUSB充電なし、モニターなし。飛行機のWi-Fiに接続すれば現在位置などは確認できるが、自分の携帯はなぜか繋がらなかった。まずおやつに何かの種(美味しい)が配られ、その後機内食でビーフorチキンが1回、ビールやワインの提供も可能。ビールはモンゴルのもので、サッポロ黒ラベルみたいな味で美味しかった。
飛行ルートは韓国→北朝鮮を避けるように国境すれすれを通過→中国→内モンゴル自治区→モンゴルという順。上空から北朝鮮の領土が見えたが、韓国・中国では当たり前のようにある建物が、全く何も無いさら地で興味深い。また内モンゴル自治区からモンゴルにかけても同様に何も無い草原が広がっていた。延々と同じ平らな大地が広がるのみ。
入国審査は顔写真と指紋登録(両親指・左手指)と宿泊場所確認くらいで、笑顔で「サンバエノー(こんにちは)」て言えば温かく対応してくれる。日本への入国よりかなりザルで、入国カードも書かなかったし荷物検査もされなかった。モンゴルは犯罪の温床になりにくいのか?
移動(車)
まず空港で出迎えてくれたのが、英語が話せる通訳(日本語は☓)と運転手の2名。本来なら日本語話せるスタッフが来る予定だったのだが、あとからきいていろいろトラブルがあったらしく、この日だけの代打。空港からウランバートル市内まで車で1時間(空いてい��ば40分だが渋滞のため)。空港の周囲は大草原。
ウランバートルが前方に見えたときは、まるで砂漠の中のオアシスのように突然と大都市が現れる。1日目はウランバートル市内のホテルに宿泊し、移動のみで終了。
2日目以降は日本語が話せる本来のガイドさんが案内してくれた。ウンドゥルシレットへは当初の予定だとウランバートルから4時間(200km)とのことだった。実際は幹線道路を2-3時間、そこから外れて不整地の道を2-3時間。ガイドさんも初めて訪れる場所とのことで、特に不整地の道で迷い6時間以上かかったような。
幹線道路。ウランバートルからまだ近いため道路脇にポツポツと建物が建っている。離れると草原しかなくなる。ちゃんと舗装されている真っ直ぐな一本道で、80-120km/hと高速道路並みにスピードを出している。
幹線道路とはいえ周辺には当たり前のように家畜が放牧されている。もちろん道路と草原を隔てる柵のようなものは無い。ご覧の通り道を塞がれることも(対向車が)。
不整地の道は大草原のど真ん中を突っ切る。周囲には何も目印など無いのに、どうして行きたい方角がわかるのか不思議に思うが、初めて通る道でも勘でなんとなくわかるらしい・・・マジで理解不能。
ガイドは見ていなかったようだけど、こんな道でもGoogleマップにはちゃんと登録されているのがまた面白い。
不整地でもマシになるとこんな感じで平坦な箇所あり60km/hほど出せるが、基本的には凸凹が激しく20-40km/hがやっとのノロノロ運転である。このため不整地の道は幹線道路よりも距離が短かったにもかかわらず通過にかなりの時間を要した。
周辺に家畜は当たり前のように存在する、��れて全然めずらしく亡くなった。
牛に道を塞がれた。牛は車を認識しているがびくとも動こうとしない。だけど車から人が降りて追い払うと動いてどっかへ行く。
ウンドゥルシレット
モンゴルの草原への旅先として最も有名なのがテレルジ。大体の観光客はそこへ行く。一方ウンドゥルシレットは旅行客の中でも日本人しか知らないとのこと。クボタのCMや、椎名誠監督の白い馬という映画のロケ地になったことから日本人の間でのみ知られうようになったらしい。このことからキャンプ場を管理しているのもここで10年以上暮らす日本人で(経営はモンゴルの会社)、食事も日本人の好みに合ったようなものが出てくる。ただし案内してくれたガイドはいろいろ気に食わないところあるみたいで、例えば本来ならもう少し気をかけてくれるはずだとか(日本人特有の、他人との適切な距離感によるもの?)、食事も高すぎるとか(一食あたり1500-2000円、市内の2-3倍、まあ辺境の地だし)
延々と広がる草原を車で駆け抜け、ウランバートルから6時間ほどかけて到着し、まずは遅い昼食。自分たちがシーズン最後の客とのことで貸し切りだった。自分たちの滞在中、ガイドさんも同様にゲルで過ごし、食事も一緒に。
宿泊者様のゲルは14棟。これとは別にスタッフ用のゲル、トイレ・シャワー棟、食事棟がある。トイレは水洗、シャワーの水流は極めて弱いがお湯はちゃんと出る(夕方の指定時間のみ)。
周囲は山(というより丘?)
キャンプ場のすぐ近くにはトーラ川が流れる。離れてみるとキレイだが、近くまで寄ると薄茶色に濁った濁流。流れは意外と早く、日本の大きな河川と同じくらいだった。数日前に大雨が降って増水しているらしい。この川は遠くウランバートル市内を経由しロシアの方まで流れているらしい。
山と川に囲まれキレイだが、このような地はモンゴル内であれば他にいくらでもあるような?もっと市内に近いところとか。なぜこんな僻地がロケ地になったのか。でもこんな広大な大地で良く見つけたな。ウンドゥルシレットには2泊3日の滞在だったが、雨・晴れ・快晴と異なる気候で光景は異なる。登山時の景色のように、ずっと見ていても飽きない、とても美しい場所。
乗馬
2日目ウンドゥルシレットに到着した日と、3日目は一日中乗馬。モンゴルですることと言えば、乗馬しかない。キャンプが近くの遊牧民から馬を借りてきて、遊牧民が乗る馬に先導され後ろをついていく。ヘルメットとゲイターは貸出あり。ゲイターをはめるため底が平べったい靴は☓。
馬の後ろには絶対に立たないこと。乗馬中に草を食べようとしたら手綱を強く引っ張り阻止し、上下関係を叩き込む必要あり(馬が歩かなくなる)。
アブミは足のつま先と中央の間くらいで踏むとちょうど良い。鞍の前の方に座ることを意識。少し空気椅子みたいにすればおしりは痛くならない。
基本は常歩で、速歩を通り越して駈歩は慣れた頃にすこしだけ(人間の方が疲れるので初心者は1分くらいが限界か)。大草原を馬で自由に駆けれたらすごく気持ちいいのだが、それができるのは一瞬。
往復2時間でくらいでゲルから2-3km歩いたか。往路よりも復路の��が1.2倍ほど速度が早くなる(馬が早く帰りたくなるため、とのこと)
乗馬中、バイクに乗って馬を探している遊牧民と出会う。よくどこかへ行ってしまうらしい。人にも夜が、遊牧民は馬を100頭とか多く飼っていても、顔を見れば自分の馬か判別がつくんだとか。一応焼きごてで体に印はつけている。遊牧民でもお金持ち多いみたい、車やバイクは当たり前に持っている、むしろゲルを移動させるために今は必須アイテム?家畜の迷子以外でも草原で出会った遊牧民とは必ずと言っていいほどおしゃべりする(おそらく初対面でも)登山で挨拶するみたいなものか。
最初はゲルも家畜も珍しかったが、ここで1日過ごせばそれが当たりまえの生活だと気がつく。
どこからか犬が湧いて現れた(牧羊犬?)。だいぶ人懐こく遊んでほしそうにちょっかい出されるのだが、病気など持っている可能性もあるので残念ながら触れ合ってはいけないとのこと。自分たちと遊んでもらえない代わりに、馬の行く先に先回りして自分たちが来るのを待っている。
1kmくらい離れたところのゲルに遊牧民訪問、ミルクティーとお菓子、酸っぱい何か(現地の食べ物、ホエイを固めたもの?)でおもてなし。水はどこでも掘れば地下水が湧くらしい。ここのお父さんは30年前日本の仙台で2年間ジョッキーやっており、ごく僅かな日本語なら話せた。日本の写真も何枚か飾ってあった。多い人は年4回とかゲルを移動させる人もいれば、まったく移動しない人などそれぞれ。モンゴルでは役所が今どこに誰がいるか一応把握しているとのこと。これから移動をするため場所を予めとっておくこともするらしい。
ゲルを出るとき頭をぶつけた、いいことが起きるという言い伝えがあるらしい(やはり昔からみんなよくぶつけるということか)。
気球
0600集合し気球の準備。トラックからバスケットを下ろし、バルーンと接続→バルーン広げる→風を送る→燃焼でさらに広げて立ち上げる。4人乗りでも気球自体は20数mの高さ、ビル6-7階の高さと大きい。8人乗りバスケットもありその場合はバルーンの体積も3倍(高さ1.5倍)の大きさとなる。スタッフが準備している間は周囲のモルゲンロートを眺めている。
3人で乗り込み、とてつもない高度感、今年最高高度1500mまで上昇したが、言われるまで気が付かなかった。知らない間にそこまで上がっていた。
トール川の蛇行、もともと川が流れていたであろう地形跡、丘、ゲルなどを一望。ゲルは周囲より少し高い場所に建てているのがわかった(遊牧民も初めて来る場所はどこが浸水するなどわからないため)。遠くには途中で通過したウンドゥルシレットの小さな村、朝日などなど。
風に乗って移動するためどれだけ速い風でも相対速度ゼロで無風。高度差による気温変化はあるが風は感じないため、そこまで寒さを感じない。
車で気球や人間を回収するため、地上では運搬トラックが追尾している。
上昇下降も気球が反応するまで一定の時間差あり、強制ベントでも同じ。高度によって風の向きや速さ異なり、それを読みながら運転する。今回の気球のパイロットは女性、旦那さんと一緒に競技気球をやってるとのこと(決められたゴール地点にいかに早く精度良く着陸できるか競う)
着陸時が最も危ない。地面と接地する際「想像の5倍は衝撃が来るからとにかく注意」とのこと、実際ドカンと何度もバウンドして、地上スタッフ総掛かりで気球を抑え込んでようやく停止。落ち着くまではバスケット内にしゃがんで固定器具をしっかりと掴む。横転する車の中にいるかのような感じ(実際横転して止まった)。
気球をトラックに収納し、自分たちも同じトラックに乗ってゲルへ戻る。気球はオプションでひとり3万円と最初は高いと感じたが、終わってみれば十分に3万円の価値あり、係留気球とは全く異なる世界。滞空時間40分くらいだったか?ただしめちゃくちゃ怖い。バスケット内で人が移動すると高高度でグラグラ揺れる。
星空
モンゴル旅行の大きな目的のひとつ、周囲にひとつも光源なく、遮るものがない草原で真の満点の星空を見る。気象に恵まれ雲ひとつもない快晴、新月ではないものの、月はまだ出ていない時刻。360度の地平線まで星が見えるのはモンゴルならでは。流星が3-5分に1つ流れる。ゆっくり移動する人工衛星は5つほど発見した。1時間くらい眺めていた。重要なのは月光で、満月の有り無しで見える景色はだいぶ違うかも。満月でなくても月の明かりの影響は多少あるため、月齢や月の出の時刻を確認して日程調整するのが良い。ゲルより銀マットの貸出あり。草原は冷えやすく時期によってはひざ掛けなど持っていったほうがいい。
つづく
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.4)=((No.3)からの続き) 参考までに「私共が撮影した漏水被害状況を示す写真の一部」を無作為に抽出して下記に示す。
H.21.5月.W氏の当月の水道使用量は70㎥ H.21.5月.W氏の財産管理人である同氏の妹君・S子氏宛てに不二建設㈱より電話あり、「(トイレを詰まらせて汚水を廊下にまで溢れ出させた騒動の後始末?)補修に幾らの費用が掛かるか?」とのS子氏からの問合せに対する不二建設㈱からの電話回答。不二建設㈱は「50万円ほど修理費用が掛かるが、修理しても良いか?」と尋ねたので、S子氏は「直さないと仕方ないんだったら直して下さい」と回答した。 H.21.5.1.私共は仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)に「貴方が漏水被害を既に売主S氏から聞いて知って居た、という事実を、裁判で正直に証言して下さい」と要請し、同氏は快諾して呉れた。更に、(日頃のW氏からの頻繁な漏水被害を蒙って困り果てて居るS氏の苦悩についても)岩井昭雄管理人に対して、私共は「W氏宅からの漏水被害頻発について、管理人として日頃から熟知して居る事実を、裁判で正直に証言して下さい」と要請し、岩井昭雄氏は「ええ、いいですよ!」と快諾して呉れた。(然し、後述の如く、奈良地裁の宮本初美裁判官自身は一度も現場検証・確認に訪れる事も無く、従って現場の状況(=惨状)を全く見ない(=ワザと見ない?知りたくない?)侭で、飽く迄も「漏水はたった一度きり」「従って原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言などは一切不要である」とゴネ続け、当方が提出した証拠写真・資料など全てを徹底的に無視・握り潰すと共に、本人・証人等の出廷・尋問・証言も最後まで全てを不許可にした侭、私共の敗訴を判決した。仲介人(=武内聖介氏)、マンション管理人(=岩井昭雄氏)ら重要証人2氏に出廷して貰って、今回の漏水被害をスッカリ正直に証言されてしまっては、宮本初美裁判官は(担当裁判官としての)御自分のメンツは丸潰れ、「これは何としても絶対に防がねばなるまい」と同裁判官が懸命になって「(誰が何と言おうとも)絶対に証人喚問を不許可にする」のは当然だろう。だが、これは最早とても裁判ではない。 H.21.5.4.管理日誌より抜粋「501号の件 業者来るも話がつながらないとの事 後日出直す」
H.21.5.8.付け管理日誌より抜粋「501号W氏 トイレ 洗面所 廊下点検 90%補修完了の為 理事長に通知 5/9(土)の理事会中止決定」、「不法(ゴミ)投棄者特定し、持ち帰らす 二度と無きよう十分注意するも反応無し」(なお後日H.21.7.22.付の管理日誌には「ゴミ不法投棄は501号W氏と特定する」との記述あり)
H.21.5.8.私共は奈良市のタウンページを見て福井英之弁護士事務所にアポイントを取った。
H.21.5.9.W氏が岩井昭雄管理人に「修理が完了した」旨を伝え、岩井管理人は修理を確認した。 H.21.5.13.私共は福井英之弁護士に事前調査費10万円を支払い、福井先生は司法修習生1人を伴ってデジカメ持参で、事務所から現場まで徒歩で来られた。(因みに福井先生の事務所から当マンションまでの距離は1.6~1.7Km)。福井先生は司法修習生にデジカメで漏水被害現場の写真を複数枚撮らせ、ご自身はマンション管理人・岩井昭雄氏に会って漏水被害状況を詳しく尋ねられた。 H.21.5.15.福井先生は当日付で、(漏水被害を齎して居る張本人=501号室の住人=)W氏宛に「御連絡」を発送し、更に(当時の当マンション自治会長だった)801号室の住人・藤澤氏宛にも「御願い」を発送して、実情調査に取り掛かられた。
H.21.5.22.福井先生が水撒き人W氏に送付された「御連絡」に対し、W氏からは、何の回答も来なかった([統合失調症]を患って居るW氏からは矢張り返事などは来ない?)、一方、福井先生が当マンションの自治会長・藤澤氏に送付された「御願い」に対し、同氏夫人からは次のような回答が来た。此処にもH.21.4.25.の理事会で「501号室の水撒き人W氏がトイレを詰まらせた侭で放置、階下401号室へ漏水被害を齎した」旨が書かれて居る。
H.21.6.5.当マンションの岩井昭雄管理人は私共に「S氏は何故『自分は水漏れなど全く知らなかった』などとシラバクレルのかなァ?」と不審がって居た。更に岩井昭雄管理人は私共に対して「S氏は『ヤモリが出た』『だからアルミホイルを詰めた』などと言って居るのですか?ハハハ、そんな話など私は全く聞いて居ませんよ」と一笑に付した。実際、管理日誌には「ヤモリが出た」等との記述は一行も無い。私共は「売主S氏も、もう少しマシなウソを吐いた方が良かろうに!」と思った。私共は岩井昭雄管理人とスッカリ打ち解けて、いろいろな話をした。岩井昭雄氏は、現役時代は一流企業(=トヨタ自動車)に勤務、海外(アメリカ・フランス)駐在が長く、定年退職後はスグに夫人と共に「6か月間の世界一周漫遊の船旅に出掛けた」とも話して呉れた。全くウラヤマシイ限り! H.21.6.10.福井先生がご自分で調査された事実も考慮されての中間報告より抜粋「『銀紙(アルミホイル)を詰めたのは、ヤモリが降りて来るのを防ぐ為だった』との売主S氏の説明はウソっぽい。S氏が銀紙(アルミホイル)を押し込んだのは『水漏れを防ぐ為であった』と言うより他に無い」「銀紙(アルミホイル)を押し込んで居た事実から、S氏は日頃から水撒人W氏宅からの水漏れに苦悩して居た事が窺われる」「それを売買契約時に告げなかったのは信義則上の義務に違反し、詐欺に因る契約取り消し得るものと思う」なお福井先生は口頭で私共に「当マンションの代金は既に全額を支払ってしまったし、売買契約を白紙撤回するのは難しいかも知れないが、未だ確定的な事は言えない。むしろ此の侭で当マンションを購入して置いて、W氏から『今後は決して漏水させません』との誓約書を取得するのが、安全・確実かも知れない」とも話された。(だが後述する如く、W氏から誓約書などを取得しても、(統合失調症を患って居る)W氏は約束など守って呉れる筈は全く無く、その後もW氏宅(=501号室)からの漏水被害は頻発し続けた)
H.21.6.11.売主S氏の夫人が死去した。 H.21.6.12.「何としても売買契約を白紙撤回したい」と願う私共は、福井先生に「セカンド・オピニオンも聞いて見たいです」と言うと、福井先生は「それは当然だな」と了解して下さった。然し、セカンド・オピニオンと言っても、私共には何のアテも無く、仕方なく福井先生と同ビル内の隣室で開業されて居る法律事務所の女性弁護士・K先生に相談した。K先生は「白紙撤回の方向でやって見ましょう」と話して下さったので、同日、私共は再び福井先生を訪ねて「申し訳ありませんが、セカンド・オピニオンの先生にお願いしたいと思います」とお断りに行った。温厚な福井先生は別にイヤな顔もせず「そうですか、態々ご丁寧に」と了解して下さった。然し、斯くして私共が福井先生からK先生に乗り換えてしまった事を、後日、私共自身が「此の乗り換えは大失敗だった」と大後悔・大反省する事になろうとは、此の時は少しも気付かなかった。詳しくは後述する。 H.21.6.23.私共はK先生と正式に委託契約を締結。K先生は私共に「最初から『裁判』に持ち込むよりも、先ずは『話し合い』から始めましょう」とアドヴァイスして下さり、私共は『話し合いの為の着手金』(¥913,500で)を支払った。然し、K先生は(私共との契約後も)一向に現場検証・確認・事前調査に来られる様子は無く、マンション管理人(岩井昭雄氏)に会って漏水被害の詳細を尋ねられる事も一切無かった。(私共が最初に相談した福井先生はスグに(司法修習生1人を伴って)2人で現場検証・確認に来られ、現場写真を数枚撮り、岩井昭雄管理人に直接に会って、漏水被害状況調査に取り掛られたのである。これは、どんな弁護士諸先生でも依頼を受けた際に、最初に手掛けられる事前調査だろうが、結局、K先生は全く事前調査などなさらなかった。此の時点で私共は「福井先生からK先生に乗り換えたのは間違いだった?」と早くも不安な気持ちになった。詳しくは後述する。 H.21.6.26.管理日誌より抜粋「501号W氏 又アルコーブにペットボトルの空(カラ)を並べて居る 治らない?」
H.21.7.3.私共の弁護を引き受けて下さったK先生は、先ず最初に、売主S氏宛に「通知書」を送付された。これは「10日以内に誠意ある回答を貰えぬ場合は、訴訟に踏み切る」との内容証明便だった。
H.21.7.7.管理日誌より抜粋 近鉄不動産㈱(=仲介人・武内聖介氏)が401号米井氏(=私共B夫婦の本名)の(漏水の件)にて来館。
以下、(No.5)へ続く
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2024/10/12 16:00:10現在のニュース
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ロンドン・ブリッジ・ブルー
ブログ開設から10年(と2か月)経った。10年よくも続いた、というのがわたしの感想である。直近5年は年に3,4回しか投稿していないものの、本数が減るにつれ長文化して作文に時間もかけているので、これはこれであり、と思っている。
10年の間に、“初めての挫折”、学部卒業を経て、渡英し修士課程・博士課程と進んで20代丸々たっぷりと学生をさせてもらったが、わたしはこの前の7月、ついに学生生活を終えた。
博士課程の終わりはちょこっとややこしい。論文を提出し、口頭試問を受ける。人によってはそのままの合格が認められるが、大抵は論文の修正というものが言い渡される。わたしも例に漏れず修正期間を与えられて、試問中に議題に上がった箇所の精度を上げることに勤しんだ。
わたしが修正の合格、すなわち卒業見込みのキューを出してもらえたのが実は3月のこと。その後印刷・製本そして納本を経て学位確定したのが卒業式の10日前、6月末だった。ただこのタイミングは人による。
なぜわたしが3月にキューを得たかと言うとビザの兼ね合いだ。学生ビザの期限が3月の28日であったため、なんならここに間に合うように調整した。本来であればわたしの修正の期限は5月であったが、ビザありきで修正を急いだし、関係各所をせっついた。試験官を急かして審査の結果を左右したらいけないと、試験官との間に入る世話人を学校からあてがわれたりもした。
卒業生ビザを得て留まるか、ここで本帰国をするか、本当は腹が決まりきっていなかった。卒業生ビザを申請できる要件を自分は偶然にも満たせる立場にいて、あのときの気持ちを正確に言い表すなら「その選択肢を捨てる勇気を持てない」というのが近い。この2年くらい悩んできた「卒業生ビザか完全帰国か」の天秤はこの期に及んで揺らぐばかりであったが、最終的な決め手は「今こちらで慎ましく暮らす程度の収入源は見込める」ことと「一度学生でない立場でロンドンに身を置いてみたい」という理由だった。これまでは学生ビザが足枷になって、大手を奮って演奏活動をできたわけではなかった。
5月締め切りのほうを生かして学生ビザを延長するという方法もないわけではなかったが、それには申請料がかさむ。イギリスのビザは申請するビザの年数に限らず申し込み1件につき一定の申請料がかかる。3年間有効の卒業生ビザを見越して用意していた高額な申請料を、たった2か月の学生ビザ(延長)に充てることは考えたくなかった。そうしたら、その先で卒業生ビザを申請する資金はない。
とはいえ、延長しか選択肢がないならそれもそれで運命か、と思った。そちらで申請料を使う羽目になったら、これを完全帰国の機会と受け止めよう。そう思って、3月初めに修正した論文を提出した。結果を待つ間あまり生きた心地はしなかったが、3月末に人生初の学会参加を控えていたので、そちらの準備で気を紛らわせた。そしてもし審査に合格した場合 ー 卒業生ビザを申請できる状態になった場合に備えて、できる限りの準備をしていた。
3月18日夕方に、修正が認められたと知らせが届いた。そこからは事前のシュミレーションに則って卒業生ビザの申請を進める。まずは学校から移民局に申請作業があり、移民局からの返事を待って、本人の申請作業に入る。
移民局からの返事は21日に来た。本人による申請プロセスのほとんどは前年に行った学生ビザの延長手続きに酷似していたので難なくこなしたが、ひとつ大きな想定外があった。
イギリスは2018年ごろからビザをプラスチックのカード(BRP)で発行していた。しかしBRPカードは2024年末の廃止が決定したため、2023年分のビザ申請から徐々にカードが発行されなくなりeVISAに移行していた。わたしは2023年の学生ビザ申請時にその数%のeVISAにヒット、ゆえに2024年の卒業生ビザ申請時には“手元にBRPカードがない”状態になってしまった。
これが厄介で、なんとわたしは新たにBRPカードを作る必要があり、そのために指紋と顔写真の提出に“行かなくてはならない”と申請画面に言われてしまったのだ。そして、指紋と顔写真のためには別途(ほぼ行政みたいな)民間企業の施設に赴く必要があり、そのセンターはスロットの予約が必要であった。わたしはその予約に翻弄されることとなる。
わたしの場合、まず自分が“センター予約が必要な人間”の条件に当てはまると気づいたのが電子申請画面の本当に最後の最後であった。前年に延長して“カードなし=最新の状態”になっていることに過信があった。最新すぎて、申請時に“eVISAの人間が新たなeVISAを得ること”があまり想定されてなかったのだと思う。
申請フォームの最後で、申請料を払い、国民保険料を払って、なんならクライマックスを終えたくらいの気持ちになっていた。前年にはこの支払い画面の挙動に振り回されて、というのは外国のクレジットカードが使えなかったせいで入力した前情報がクリアされてふりだしからやり直しというのを数回おこなったので、まずそのトラップを避けて通れたことにやや優越感すらあり、そして何とか工面した高額の申請料・保険料を支払えたことへの安堵と達成感でいっぱいになった。
そんなときだ、センターに行けと言われたのは。このとき3月22日金曜日。手持ちのビザの期限28日までに申請が完了すれば良いらしいし、払うものは払ったし、大丈夫でしょう、行政関係の申請が週末に動くことはないしね ー そう思って週末の学会に気持ちを切り替えた、ビザのことは週明けで良いでしょう、と。ちらっと確認した限りでは、指紋センターの無料枠は毎日朝8時に解放されるらしいと理解して、月曜8時にスタンバイすることにした。
月曜日、25日。8時をそわそわと待って指紋センターの予約表をのぞくと、信じがたい景色が広がっていた。わたしの理解が甘かった。予約枠には無料のものと有料のものがある。日付が近いところは有料ばかり、何より有料でも空いてない。無料スロットが毎日ちょこっとずつ解放されるのかと思ったら、解放されるのは毎日28日後の分で、今日明日のスロットが直前に無料になることはないのだ。
さっと目を走らせたところ、自宅から足を伸ばせる範囲での直近の空きは1週間後のようだとわかった。ビザの支払いから75日以内(だったと思うがもはや忘れた)に指紋などを提出することと書いてある。ひとまず1枠確保して、画面を閉じる。ー もうこれで今できることは全部やったはず、いいんだよね?
しかし翌朝になって不意にひらめいたのだ。もう一度申請画面を確認する。申請は指紋と顔写真の提出を持って完了とする。待てよ、支払いと指紋の間には最大75日くらい空いても良いとして、それとは別に、わたしの置かれた状況《学生ビザが切れる日までに申請を完了させる必要がある》ではやはり3月28日までに指紋も出さなくてはいけないのではないか…?
先述の通りカレンダーに今日明日の空きはない。しかしわたしも伊達にビザ申請を重ねてきたわけではなく、過去3回の経験がものを言った。この国のビザ申請は、何かと課金コースがある ー そしてそれは指紋センターにも通じるルールだった。VIPサービスのカレンダーが別にある。先に予約したスロットの5倍くらいの値段で、今日3月26日午後のスロットがあった。むしろほかにはいくら積もうとも空きがない。
この瞬間、走馬灯の如く一瞬でいろいろなことがよぎった。この数万円の申請料をケチった場合に失うのは目の前の3年ビザだけではなかった。これまで在英した7年半とその3年を累計すれば届くかもしれない永住権申請の要件がチラつく。この申請に失敗すればもちろん完全帰国よりほかない。この卒業生ビザを申請できるかどうかは、その先の人生をガラッと変えてしまう。
ほんの一瞬ののち、涙を呑んで支払った。目の前のスロットを逃して、この数万円より大きな額の申請料が無駄になることも怖かった。そして急いで支度をして、ビザのカードに載るのに耐えうる身なりを整えた。あまり食欲もなかったが、食べないと途中でブっ倒れるとも思った。でもなんだか冷蔵庫にろくなものもなくて、残りものを適当に調理してかっこんだ。
指紋センターでは笑ってしまうくらい丁重に扱われた。そりゃあVIP枠だからね。ところが写真を撮る段になって、前髪は全部上げてくれと言う。前回は前髪あっても大丈夫だったんだけどな…と思いながら、家で小綺麗にセットしたはずの前髪を雑にかきあげて写る羽目になった。もはや提出できるなら何でも良かった。VIP価格を支払っただけあって、オプションには「指紋と顔写真が確かに移民局に届けられました証明書」が含まれていて、センターをあとにして程なくメールで届いた。ご丁寧な装丁だったが、もし申請が却下されたときにこれがどれだけの力を持つものだろうかと考えると茶番にも思えた。とは言えどうにかなるだろうと楽観視する気持ちもあれば、申請がだめになってしまうかもしれないという心配に押し潰されそうになる自分もいた。
3月も末だというのに春の気配が遠く、わたしはやや小雨が吹き荒ぶイーストの街に放り出されて、半端にかきあげられた前髪がもっと荒れた。その足で数時間後には生徒さん宅に向かわねばならず、街で時間を潰す必要があった。東京はこんなとき、ターミナル駅に行けば駅ビルに本屋やブティックがあるものだが、ロンドンでは夕方の時間の微妙な暇つぶしに困る。カフェや商店は17時を過ぎるとバタバタと閉まるからだ。こんなふうに東京を恋しく思うならなぜビザを取ろうとしている?? あてどなく歩くうち、そこからテートモダン(美術館)なら閉館前にたどり着けるかもしれないと思い立ちロンドン・ブリッジに足をかけるが、風があまりに強く冷たくて気持ちが荒んだ。
そして思った。ビザを申請できる立場自体がそもそもとてもラッキーで幸運なことなのに、どうしてこうもどんよりとしているのか、と。その段階では機会を不意にしかねない恐怖が大きかったのが1番の理由であろうが、ではいざこの申請がうまくいったとして、橋の上だけでもこんなに人間がいるこの大都会で、わたしは一体何者として生きていくんだろうと思ったらどんどん不安が増した。
でもそれは“未来に対する恐れ“である。世界のどこにいようとも、どんな立場にあろうとも抱くものであるから、ビザ申請の途中のロンドン橋の上でそれを問うことに特別の意味はないが、テムズ川と同じくらい濁った色をした空はどうしてもわたしの心象風景をシネマティックにさせた。
結局、美術館を歩き回る元気もないと悟ったところで、自分がその日あまり食べていないことに気づく。8年近いロンドン生活で自分の“コツ”は掴んでいた。極端なメランコリーは空腹と寒さを埋めてから向き合うべし。指紋センターに課金したあとで財布は寂しかったが、今日ばかりは致し方ない。テートの真下のチェーンのレストランで、早めの夕飯にシーザーサラダを頼んだ。なかなか注文が来なくて時間が心配になったところで、ななめのきれいな焼き色が入ったチキンの乗ったサラダが届く。わたしのために誰かが丁寧にグリルしてくれたんだなと思ったら、それが無性に嬉しかった。それほどまでに近頃まともな料理をできていなかったんだなと気づいた。
翌27日朝。移民局からビザ申請が完了した旨連絡が届いた。実に期限の1日前である。何か月も前から心配してあーだこーだとあえて大袈裟に騒ぎ立てたのに、どうして最後にこうも走る羽目になったんだろう、と一度落胆の気持ちが差してくるが、入念な計算があったからこそぎりぎり滑り込んだのだと思い直した。
前回BRPカードを作った時は受け取りに苦労したのでその心配も頭を掠めたが、申請完了から約10日後に無事ビザが下りたのち、万全の体制で呼び鈴を待ち構えたわたしとは裏腹に、郵便受けにペラっと投函されたBRPカードを受け取った。なおeVISAにシステム移管のため、このカードは年内で無効となる。
手にしてしまったカードは、誰もが羨むものかもしれない。そうであるのに、わたしがこれを手に入れてわーいでもヨッシャーでもなかったのは、畏れが大きいからだ。これまでに数えきれないほど見送ってきた、この地を去った人々の背中と、ビザ+シーザーサラダ分さみしくなった財布と、卒業後の行く先への不安を思うと、素直な感想としては「どうしてわたしがまだイギリスに残っているのだろう」というところになる。
それとて自分が獲得したもので、恐縮するものでもない。でも、ビザを獲得できるかできないかは本当に紙一重のことで、努力だけでどうにかなる話でもない。自分がただただ恵まれていたということを痛感しては、茫然とする。この気持ちは畏れというのが一番近い。
どうせならもっと夢のある言い方をして、人の希望になるような見せ方をすべきかもしれない。論文が審査を通ってすぐに国際学会で発表しました、とか。卒業後もビザを獲得してロンドンで生活しています、とか。卒業の翌月から音楽の仕事100%で家賃と生活費を払えました(これがフリーランス音楽家にとってはひとつの大きな関門)、とか。
それらも事実ではあるけれど、わたしにとってのリアリティは、ロンドン・ブリッジの上で頬に感じた冷たい風だ。あのとき強い風に吹かれて足を踏ん張ったように、これから先もぐっと耐える場面はあるだろう。わたしはあの風を忘れたくない。
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、���うだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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TULIPAHAN KÄÄRITTYÄ-その1
Helsingin Sanomat(ヘルシンキ新聞)が別冊号として、カーリヤを特集した記事を発表しました。
ネットでもお試し期間登録で0円で見れるのですが、お金払ってでもいいから読みたいと思っているのに、なにせこのサイト、日本の住所では登録できず…困っていたところ、地元ファンのお二人が全文を英訳してくださいました!
Kiitos, thank you, I appreciate your enormous efforts!!
@king-krisu @koppitules
ということで、お二人が英訳してくださった文章を日本語に訳してまいります。
フィンランド語→英語→日本語なので、原文からのズレがあることはご承知おきください(なので英語わかる方はなるべく英訳文と照らしながら読んでいただけるとよいかと)!
そして、日本のファンの皆様の中にはユーロビジョンで彼をリアタイで追っていなかった方、ユーロビジョン前からのファンの方などもいらっしゃるので、なるべく多くの方に理解していただけるよう、原文にはない注釈もつけています。
とても長い記事なので、何回かに分けて投稿いたします👀
以下、邦訳---
“TULIPAHAN KÄÄRITTYÄ”
”IT’S A WRAP”
※Käärijäとはもともと包装紙(で包む人)のような意味で、記事タイトル英訳のwrapはそれにかかっています。"It's a wrap" とは「これにて終了」「これでおしまい」というような意味合いですが、記事の内容に照らして日本風にいうと「おつかれカーリヤ」といったような意味でしょうか。
2023年5月13日
ユーロビジョン・ソング・コンテスト* 決勝
リバプール
*欧州の国々が参加し、各国の予選を勝ち抜いた代表アーティストが参加して競い合う毎年恒例のコンテスト(歌合戦的イベント)。 決勝戦では審査員票と視聴者票(電話やネットからの投票)の総合得点で順位が決まる。 例年、前年度優勝国が開催地となるが、2022年優勝国のウクライナが開催できる状態ではないため、かわりに2位だったイギリスがホストとなった。
リバプール・アリーナは超満員だった。集まった1万人を超える観客が熱狂していた。視聴者票の得票数が発表されていない国はあと1つ。フィンランドはすでに526ポイントを獲得し、カーリヤは暫定1位だった。 手のつけられないほどの熱狂は頂点に達し、アリーナ中が立ち上って叫び始めた。 「カーリヤ!カーリヤ!」 司会のグラハム・ノートンは、なんとかこの興奮を鎮めようと奮闘していた。 「わかってる、みんなが彼を愛してるのはわかってるよ」 ヘルシンキ郊外の街ヴァンターからやってきた29歳のラッパー、イェレ・ポウホネン。数か月前まで、フィンランドですら彼の名を知る人はほとんどいなかった。だが、今や彼は世界的なスターになっていたのだ。 カーリヤは立ち上がり、グリーンのボレロを華��しく脱ぎ捨て、カメラに向かってポーズを取った。栄光への準備は整った。 そして、視聴者票の得票数が発表された。 夢は粉々に打ち砕かれた。 結果は2位だった。 勝者はスウェーデンの歌手ロリーン。ポウホネンは椅子に崩れ落ち、両手に顔を埋めた。ロリーンが喜びの叫び声をあげていた。
テレビ放送の終了後、リポーターたちはプレスルームでカーリヤを待っていた。だが一向に彼は姿を表さない。ポウホネンがついに姿を表したのは、YLE(*フィンランドの公共放送。ユーロビジョンの国内担当局)がすでに記者会見は実施しない旨を通達したあとだった。 グリーンのボレロは黒いスパンコールのジャンプスーツに変わっていた。トレードマークのボウルカットは乱れ、四方八方に髪が跳ねていた。ポウホネンの目は虚ろで、声は疲れ果てていた。 「もちろん、オーディエンスの反応は嬉しいものでした。でも、結局勝利を逃したとわかった以上、痛みが完全に和らぐことはありません。みんなに、俺は勝つ、と言ったのに…勝てなかった。残念ですが、それも人生です」 そう語るポウホネンは、まるでオリンピックの決勝で負けたばかりの人気アスリートのようだった。 そしてポウホネンは舌を出し、指で悪魔の角のような形を作る、彼の有名なポーズをもう一度見せてくれた。 アーティスト控室に誘導され戻っていくポウホネンは、ユーロビジョンでの敗北が彼の人生を劇的に変えることになるとは思ってもいなかった。
2023年6月6日 レコードレーベルのオフィス ヘルシンキ
あの"敗北"から2ヶ月が経った。 その時のことを思い出すと、いまだにイェレ・ポウホネンはシリアスなトーンになる。 「決勝のあとは、トイレにこもって泣いていました。僕は本当に、ユーロビジョンでの勝利と音楽市場の盛り上がりをフィンランドにもたらしたかったんです」 ポウホネンはヘルシンキにあるワーナーミュージックのオフィスの中で一番大きな会議室に座っていた。 彼はTシャツにショートパンツという夏の装いに身を包んでいた。 彼の名前は再び熱狂の前兆となっていた。ミーティングの進行状況は、逐一レーベルのPRマネージャー エミル・ティウッカネンにフォローされていたのだ。 ポウホネンは徐々に、しかし確実に、彼の敗北が勝利へと変貌していたことを理解した。 いつの間にか、"カーリヤ現象"は巨大な渦となっていた。
5月末、彼は夏の激務の前に、短い休暇をとった。モルディブでの丸一週間の平穏な日々を、彼はひとりで過ごすことができた。だが、それでも彼は、思うようにリラックスできなかった。 「どれだけスイッチをオフにしようとしても、仕事のことを気にしてしまうんです。本当にチルできる状態になるには、あともう1週間は休みが必要だったと思います」彼は言う。 特に難しかったのは、SNSから離れることだった。膨大な数のフォロワーが、カーリヤの一挙手一投足を知りたがっているのだ。カーリヤのインスタグラムのフォロワーは、UMK(*ユーロビジョンのフィンランド国内予選)優勝後 1万人から50万人に激増していた。 「SNSはこのブランドのマーケティングにとって重要な役割を担っています。ですが、どうやってそれを切り離していくか、今少しずつ学んでいるような気がしています」 ポウホネンは、ユーロビジョン期間中、例えば空港などで、なぜロリーンがいつもフードを被ってサングラスをかけているのか不思議に思っていた。だが今やそれも笑い話だ―彼もまた同じことをしているのだから。そうしなければ、彼は一人で出歩くことができなくなっていた。 「ある時点までは、そのように注目を浴びるのは本当にいい気分なんです。初めてみんなが自分のことを気にかけてくれていると感じられるから。でも、あるときから、すべての視線が恐ろしく感じるようになるんです」彼は言う。
ポウホネンは、恩知らずで傲慢な人間に見られたくはないのだという。ファンを大切にしない人間だという印象も与えたくない。だが、それでも心にひっかかるものがある。特に居心地が悪く感じるのは、知らないうちに誰かに写真を撮られていたときだ。 「まるでサーカスの動物にでもなったように感じます」 だが、すべてが"クレイジーでパーティー"な時間はいつまでも続かない。ユーロビジョン効果は永遠に続くわけではなく、いずれ新たなスターが台頭してくる。ポウホネンはそのことをよくわかっていた。
彼は最近、遅くとも35歳になるまでには引退することを考え始めている。あと5年。 「あいつはもっと前に引退するべきだったと思われながら続けていきたくないんです。伝説のままでカーリヤとしてのキャリアを終えたい」 だがその前に、まだ達成すべきことが山ほどある。 カーリヤにとってのゴールとは? 「すべての集大成となるような、具体的なゴールがあるわけじゃないんですけどね。オリンピックスタジアムとか、アイスホールツアーとか。アンティ・トゥイスクやJVG(*両者ともフィンランドのスター歌手/グループ)のようなステータスを得ることかな」
2023年8月5日 Siltakemmakat プーマラ
南サヴォ地方の小さな都市プーマラは、サイマー湖にかかるプーマランサルミ橋でよく知られており、この町の夏のメインイベントの名前の由来にもなっている。Siltakemmakat("Birdge party"の意)はその名の通り、橋の近くで開催される。 このイベントの主催者パシ・パルタネンが興奮気味に入場ゲートにやってきたのは、雲一つない快晴の日だった。 パルタネンは、このイベントの主催を辞めるつもりだったが、事態は突然好転する。もう1年、続けるべき理由ができた。 Siltakemmakatの3,500枚のチケットが完売したのだ。それはこの町の人口の約2倍の数に相当する。もし追加発売ができたとしたら、あと1,000枚は売れていただろうとパルタネンは考えている。 「今回はすべてが想定外です。セキュリティも、プーマラではこれまで一度も必要なかったようなレベルなんですから」 理由はもちろん、カーリヤだ。
プーマラのSiltakemmakatは、幸運にもカーリヤをかなり前からブッキングしていた小さな夏フェスの一つだ。イェレ・ポウホネンは夏の間、約50本のライブに出演することが決まっていた。誰もがカーリヤを呼びたがったが、これ以上割ける時間はなかった。 今にして思えば、当初の公演料はあまりに安すぎた。カーリヤはフィンランドで最も人気のあるアーティストであるにも関わらず、多くの公演のギャラは4,000~5,000ユーロ(約65万円~80万円)にとどまっていた。大物アーティストともなれば、その10倍はもらっている。 振り返ってよく考えると、ポウホネンはその時ちょっとした欲にかられていたかもしれないと認めた。 「ライブコーディネーターのミッコ・コルピに電話して���この4,000~5,000ユーロレベルのギグをキャンセルできないか相談したんです。でも老いたキツネのように賢いミッコは、自分で自分の首を絞めるな、と忠告��てくれました。僕はすぐに、彼が正しいことを言っていると理解しました」ポウホネンは言う。 コルピは、ライブをキャンセルすれば、評判を落とすことになると説得した。観客だけでなく、主催者からも反感を買うことになる、と。 「僕はたびたび、カーリヤのことを”大衆の味方”だと言ってきました。だから今は、みんなが望むものを提供したい、ギャラに関係なく、みんなを楽しませるためにステージに立ち続けるクールなやつになりたいと思っているんです」 ポウホネンは、Siltakemmakatのようなイベントに、記録的な観客数を動員できることに深く感謝していることを強調した。
アーティスト控室として使われているプーマラの小学校の教室で、アーティストはビーズクッションに座っていた。冷蔵庫はアルコールやソーダ、エナジードリンクでいっぱいになっている。 主催者のパルタネンは、出演者たちに、ライブの前か後にプリンセスケーキ(*スウェーデンの伝統菓子)を食べるかどうか聞きにやって来た。 本番まで1時間半。教室では、旧友のヤーッコ・ヨケラ(*スキンヘッドにサングラスの3人組バックメンバーの一人。バックシンガー兼ライブの際の映像制作等を担当)、アレクシ・ヌルミ(*スキンヘッドにサングラスの3人組バックメンバーの一人。プロデューサー兼作曲担当)、ユッカ・ソルサ(*スキンヘッドにサングラスの3人組バックメンバーの一人。ギタリスト)がポウホネンと一緒に出番を待っている。ポウホネンは彼らと冗談を言い合いながら、今夜のセットリストに目を通す。 この前の日、一行はヘイノラにいた。次の日の夜はミッケリで過ごし、その後フィンランドを横断してポリの日中の公演に出演する。バスの代わりに、彼らは2台のバンで移動していた。(*ヘイノラからプーマラ、プーマラからミッケリまではそれぞれ車で1時間、ミッケリからポリまでは4時間の距離。)
本番が始まる直前、エヴェリーナ・ティンニラがアーティストのメイクをするためにやってきた。彼女はメイクアップアーティストであると同時に、カーリヤのマネージャーでもあった。 ティンニラは、5年前、レヴィを旅行していたときにポウホネンと知り合ったのだと言う。数年後、偶然ポウホネンの近所に彼女が引っ越してきたのを機に、二人は友人となった。 「私には、次の"カーラ・アホニウス"(*フィンランドの数々の大物アーティストたちを受け持つ女性マネージャー)になるという夢がありました。イェレと握手を交わした時、いつか一緒に仕事をしようと約束したんです」 その"いつか"が訪れたのは、ポウホネンがUMKで優勝した後の春、彼が自分のチームに人手が足りていないと気付いた時だった。それ以来、ティンニラはカーリヤのスケジュール管理をはじめあらゆる業務をこなしていた。
不思議な雰囲気が漂っていた。すべてが、カーリヤがある種奇妙に中途半端な立ち位置にいることを物語っていた。名声に照らせば、彼は週末をプーマラの学校の教室で過ごすようなレベルのアーティストではない。だが一方で、1年前であれば、ここに呼ばれることさえなかっただろう。 カーリヤの大きな魅力は、その誠実さにある。彼のキャリアがもともと友人同士のちょっとした楽しみから始まったのだということは、今日でも実感できる。 「友達と一緒に仕事ができることが本当に楽しいんです」とポウホネンは言う。 だが一方で、時にこの仕事に疲れ果てることもある。例えば、公共の場所では不安に襲われる。 「最近では、ホテルやバックステージに行く前にABC(フィンランドのガソリンスタンド)に寄ったりする必要がないように、トイレすら我慢しているんです」
Siltakemmakatのライブにカーリヤは全てのエネルギーを注ぎ、観客は彼とともに熱狂した。クライマックスはもちろん"Cha Cha Cha"。2回演奏した。 公演後、ポウホネンは友人たちとしばらく会場に残り、この夜最後の出演者であるアブレウのライブをステージ脇から楽しんだ。 そうこうするうちに、寝る時間がやってくる。教室の冷蔵庫の飲み物は空にされ、テーブルの上には少しかじっただけのプリンセスケーキが残されていた。日が沈み、8月の夜が更け暗くなってきたころ、ポウホネンはバンに飛び乗った。(*8月のフィンランドの日没はおおよそ夜10時頃)
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続きはこちら→その2
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スクレイピング・ユア・ハート ― Access to SANUKI ―
あらすじ 平凡な大学院生である丸亀飛鳥。 新規気鋭のイラストレーターで、飛鳥の後輩である詩音。 四年ぶりの再会を経て、二人は奇妙な出来事に巻き込まれていく――――
物語の始まりなんて、なんでもよかった。 偉人の言葉を引き合いに出して、壮大な問題を提起する冒頭が思いつかない。洒落た言い回しを使った、豪華絢爛な幕開けが思いつかない。ああ、思いつかない。とにかく、思いつかないの。 一般教養が足りないとか、センスがないとか、そんなんじゃない。 ただ、平坦。二十三年生きた人生に山も谷もない。 一般的な都内の中流家庭に産まれ、すくすくと成長し、苦難なく小中高大を卒業。 特に研究したいこともないが、働くのが嫌で大学院へ。研究生活の中で平均くらいの能力を身につけ、今でもゆるゆると日常を謳歌している。 そんな人間が想い描く物語だ。たとえ始まりを豪華絢爛にしたところで、面白くともなんともない。 だから、始まりなんてなんでもいいん『そんなことないわ』 ……そうかしら。それなら、もう少し頑張ってみ「お願いだから止まって、止まって!」 ……どっちよ。 これは、寝る前にするちょっとした妄想。クラスを占拠した悪漢を一人でやっつける、みたいなもの。 目を瞑っているのだから周囲は真っ暗だし、私以外の声が聞こえるわけ「先輩!先輩!しっかりして!」 うーん。うるさいわね。 聞き覚えがある女の子の声。少しガサついていて綺麗な声音ではないのだが、なぜか心地よくて、落ち着く。 ……寝る前に聞く、ちょっとえっちなASMRの切り忘れね「先輩!?」。面倒だけど一度起き『ダメよ』
身体がビクン、ビクンと震える。
表面上は高潔な雰囲気を纏っているものの、ねっとりとした厭らしさが滲みでて、根底にある魔性を隠しきれていない女性の声。 今まで一度も聞いたことがない。声の主なんて知るはずがない。それでも狂しいほど切なく、堪らないほど愛おしい。 そんな声が全身を駆け巡り、電撃のような痺れとなって身体を激しく愛撫したのだ。 『貴女の全てが欲しいの』 唐突に発せられた媚薬のような愛の囁きに、動悸が早くなって頬が火照る。恋愛感情に近い心の昂りが瞬く間にニューロンを焼き焦がして、身体にむず痒い疼きを与えた。 『貴女は快楽の熱で、ドロドロに蕩かされていく』 そう告げられると、容赦ない快感が次々と身体に打ちつけられ始めた。 堪らず身を捩ろうとするが、金縛りに遭ったように手足が動ない。舐めしゃぶられるように身体中が犯され、許しを乞うことすらできない。ただ一方的にジュクジュクとした甘ったるい快楽の波が全身に蓄積していく。 やがて許しを懇願することさえ忘れ、頭の中が真っ白に染まってしまう。もう耐えきれない、決壊してしまう。 『そして、深く深く流れ落ちていく』 そのタイミングを見透かしたように、許しの言葉が告げられる。同時に、心の器が壊れ、溜め込んだ全ての快感が濁流のように全身を駆け巡った。 意識が何度も飛びそうになって、頭のチカチカが止まらない。獣のように声にもならない嬌声をあげながら、やり場のない幸福感に身を委ねて甘く嬲られることしかできない。何もかもがどうでもよくなる程、気持ちがいい。 永遠に思えるような幸福な時間を経て、すぅっと暴力的な快楽が引いていくのを感じた。代わりに、深い陶酔の中へ身体が沈み始める。 そして、自然と強張っていた身体から力が、いや、もっと大切な何かが抜けていく。でも危機感はない。 たとえ声の主が猛獣で、彼女に捕食されている最中であっても、私は目を開けず身を任せてしまうだろう。 ゆっくりと身体の輪郭が曖昧になり、呼吸が浅くなっていく。意識が朦朧として何も考えられない。ただ、恍惚たる快楽の余韻に浸りながら、彼女の言葉の通り深く深く、流れ落ちていく。 『おやすみなさい、愛しい貴女』 赤ん坊に語りかけるような優しい声音で別れが告げられる。そして、私の意識はブレーカーが落ちたようにプツンと切れた。 遠くからぼんやり響いた悲痛な叫びは、もう私に届くことはなかった。
*** もしあたしにインタビュー取材依頼がきて、最も影響を受けた人物を聞かれたら、間違いなく先輩と答えて彼女への想いを語り続けるだろう。 コラム執筆依頼がきたら必ず先輩の金言を引き合いに出して最高のポエムに仕上げるし、ラジオに生出演したら「いぇい、先輩、聴いてるー?」が第一声と決めている。 現に初めて受賞した大きなイラストコンテストの授賞式の挨拶では、会場にいない先輩に向けて感謝の気持ちを述べた。それほどまで、高校で先輩と過ごした二年間はかけがえのない宝物だったのだ。 だから、あたしという物語の始まりは必ず先輩との思い出を引き合いに出すと決めている。 そんな小っ恥ずかしいことを寝巻き姿で平然と考えてしまう程、あたしこと讃岐詩音は浮かれていた。 なんせ今日は先輩と四年ぶりの再会である。 窓から差込む小春日和の暖かな日差しが、今日という素晴らしい日を祝福しているようにも思えた。
「詩音、朝ごはんできてるわよー」 「うん」 一階から聞こえたママの呼びかけに応じる、蚊の鳴くような声。自分のガサついた地声が嫌で、どうしても声量が小さくなってしまう。 おそらくママには聞こえていないので急いで自室から出て階段を降り、リビングに移動する。閑静な高級住宅街に建つ一軒家に相応しくないドタバタ音が鳴り響いた。 「危ないからゆっくり降りてきなさいって言ってるでしょ」 ママのお小言に無言で頷きながら、焼きたてのバターロール一個とコップ一杯のスープをテーブルに運ぶ。いつものご機嫌な朝食だ。 「バターロールもう一個食べない?消費期限今日までなの」 ママの問いかけに対して首を横に振って拒否した。少食なあたしにとって、朝の食事はこの量が限界。これ以上摂取すると移動の際に嘔吐しかねない。 「高校でバスケやってた時はもっと食べてたのに。ママ心配よ」 そう言われてしまうと気まずいが断固としてNOだ。先輩との大切な再会をあたしの吐瀉物で汚したくない。 話題を逸らすためテレビをつけると、ニュースキャスターが神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。 「横浜市のアトリエで画家の東堂善治さんが倒れているのが見つかり、病院に搬送されましたが意識不明の重体です」 たしか、以前参加したコンテストの審査員だったような。国際美術祭で油彩画を見たような。あと生成AI関連で裁判がうんたら。 「東堂さんは世界的に権威のあ……また、スポンサー契約を交わしていたFusionArtAI社に対して訴……捜査関係者によると奪われた絵……」 ニュースの内容を聞き流していると、概ねの内容は記憶と合致していた。どうやら、高校を卒業してから勉学の道には進まず、創作活動に勤しむようになったあたしの記憶力はまだ健在らしい。少しだけ、ホッとした。 「最近物騒ね。よく聞く闇バイト強盗かしら。ほら、この前も水墨画の先生が殺されたじゃない。詩音も今日のおでかけ、気をつけなさいよ」 「ん、気をつける」 ママを心配をさせないために少しだけ大きな声で返事をして、深く頷いた。 食事を終えた後、アイロンがけされた一張羅に着替えて身なりを整え、先輩が待つ喫茶店へ向かった。 *** ――――ちょうど三週間前のこと。 本業のデジタルイラストの息抜きとして始めた水彩画にハマりにハマって、気がつけば丑三つ時。ふと先輩の顔が頭に浮かんだのだ。 丸筆とパレットを置いてから勢いよくベッドにダイブして寝転がり、流れるようにエプロンのポケットからスマホを取り出す。 先輩はSNSを実名で登録するタイプではない。それでも広大なネットのどこかに先輩の足跡みたいなものがないか、淡い期待を抱いて名前を検索してしまう。 そんな自分がちょっと気持ち悪い。 自己嫌悪に陥りつつ検索結果を眺めていると、思いもよらない見出し文を見つけたので間髪入れずにタップした。
「情報システム工学専攻修士1年生の丸亀飛鳥さんが、AIによる雛の雌雄鑑別システムに関する研究で人工知能技術学会最優秀論文賞を受賞しました」
ゆっくりとスクロールしながら情報を集める。やがて研究室のホームページに掲載された集合写真にたどり着く頃には、これが先輩の記事であることを確信した。 ……正直言って自分がだいぶ気持ち悪い。 「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい人だ」 先輩の活躍ぶりに足をばたつかせながら興奮していると、ピコンと仕事用のアドレス宛に一通のメール。見慣れないアドレスだったが、ユーザー名が目に入った瞬間飛び起き、正座になる。 「marugame.asuka0209って、これ絶対に飛鳥先輩だ!」 偶然にしては出来すぎているが、なんの警戒もなく開封をして内容を隈なく読み込み――――読み終える頃には呆然としていた。 要約すると研究協力の依頼であり、可能であれば一度会って話せないか、という非常に堅苦しい内容である。 気がつくと涙が頬を伝っていた。 四年ぶり、つまり先輩が卒業してから初めて貰った連絡。元気?今度ご飯でも行かない?みたいな、そういうのを期待していたあたしがおバカじゃないか。 ――――いいや、先輩が悪いわけではない。これが普通。むしろ、あたしがおかしい。 何を隠そう、あたしと先輩の間に特別な繋がりはない。友達でもなければ恋人でもない。ただ、バスケ部の先輩後輩というだけで、練習と試合だけが共に過ごした時間の全て。連絡も練習に関することだけ。そんな程度の仲。 「……それでも好き」 あたしに手を差し伸べてくれた先輩に対する想い。四年経ってもこの気持ちは色褪せていない。 でも、これが最後になるかも。もし拒絶されたら、ただの先輩後輩ですらなくなってしまったらどうしよう。そう思うと、胸が苦しくなる。だから今まで一度も自分から連絡できなかった。 ――――涙を拭い、ありったけの勇気を振り絞る。 先輩に会ってお話しがしたい、その気持ちだけで震える指をどうにか動かし、書いては消してを繰り返す。文面が完成しても、何度も声に出して読み上げ続け���早三時間。返信を完了する頃には外が薄明るくなりつつあった。 急にドッと疲れが出て、再びベッドに倒れうつ伏せになり、顔を枕に埋める。そのままうめき声を上げて、湧き出る混沌とした感情を擦り付けていく。 このあられもない姿がママに目撃されていたことは、あたしの人生最大の汚点となるのだった。 *** ――――いつの間にか私はドアの前に立っていた。 温かみを感じるレトロな木製のガラスドア。ここは大学から離れた場所に佇む、少し寂れた喫茶店の玄関前だ。私の憩いの場の一つで、よく帰り道に訪れている。 ぼーっとしていると、店内が薄暗いからか自分の姿がガラス��反射していることに気がついた。 ガラスに映る、ケープを羽織ったおさげ姿の美少女。うどんのように白い肌が彼女の纏う儚さに拍車をかけている。 彼女の名は讃岐詩音。 私の一個下で、高校バスケ部の後輩だ。 某バスケ漫画に憧れて入部したという詩音は、初心者という点を考慮しても信じられないほど下手だった。 ドリブルやパスはへんてこだし、一番簡単なレイアップシュートすらろくに出来ない。おまけに口数が少ない不思議ちゃんで、趣味と特技がイラストときた。 そのため、次第に周囲から腫れ物のように扱われるようになる。 それでも詩音は部活を辞めず、直向きに人一倍努力を続けた。 しかし、周囲からの扱いは変わることはない。下手っぴが一人で頑張っても嘲笑の対象になるだけだ。 だから私は、詩音に手を差し伸べた。少しでも彼女が笑顔になれるように。 ――――精一杯頑張る彼女の姿が、どこか冷めていた私の憧れだったから。 原因は不明だが、今、私は『詩音』の姿になっている。まるでVRを体験しているようだ。なんにせよ、玄関前で棒立ちを続けるのは迷惑だ。 混乱しながらドアを開けて入店すると、店員がにこやかに迎え入れてくれた。 「いらっしゃいませ、讃岐さんですね。丸亀さんはあちらの席でお待ちです」 ��釈をするも、妙な違和感。戸惑いながら店員の案内に従い、席に移動した。そして私は大っ嫌いな女と対面することになる。 緑色の黒髪が綺麗な、リクルートスーツ姿の美女。気品のある見た目をしているが、中身は空っぽ。連絡が来ないから嫌われたと思い込み、自分を慕う後輩を四年間も放置したクズ。そんな女性が私を見て微笑む。
『久しぶりね、詩音』
そう、『『私』』だ。まるで鏡を見ているかのように、『私』が机を挟んだ向こう側に存在している。 詩音と四年ぶりに再開したあの日の夢を見ているのだろうか。 唖然とする私を無視して、目の前に座っている『私』は一方的に話を進めていき、本題に移り始める。
『研究室が推進するイラスト生成AIプロジェクトが難航しているの』
原因は技術の普及と発展に伴って、目視であっても判別できないAIイラストがウェブ上に溢れかえったことだ。 その結果、クローラープログラムがウェブを巡回してイラストを収集するスクレイピング技術で作られた学習データにAIイラストが混入し、AIプログラムが崩壊する報告が多数出ている。 余談だが、私の研究は養鶏農家から提供される写真を使用しているため、全く影響を受けなかった。それゆえ、最優秀論文賞を繰り上げ受賞してしまったのだ。
『研究用のデータ加工が大変なのよ』
これはイラストレーター達が自衛として、データをそのままウェブにアップロードしなくなったからだ。 近頃はデジタル画像を紙に印刷した作品やアナログ作品を造花などで飾り付けてからカメラで撮影する、2.5次元作品が主流となっている。 イラスト本体の解像度劣化やカメラフィルターによる色合の変化、装飾物による境界の抽象化などが原因で、2.5次元作品はAIで学習できない。 修正AIで2.5次元作品を2次元作品に加工しようとしても、誤認識のパレードである。そのため、ゆうに一万を超える大量のデータを人力で加工するしか手立てがないのだ。
『FusionArtAI社のデータも法外的な値段で八方塞がりなの』
FusionArtAI社は唯一ピュアなイラストデータを扱っているユニコーン企業だ。東堂善治のような大御所アーティストらと契約し、安定して高品質なデータを取得しているらしい。 AIやらNFTやらを壮大に語っているが事業内容がよく理解できない。それに莫大な資金が何処から出ているのか非常に疑問である。 加えて詩音がモニターとして、AIの学習を阻害する絵具を貰ったのだとか。胡散臭すぎる。
『だから詩音のイラストのデータを全て譲って欲しいの』
「……は?ちょっと待ちなさい」
今まで無言で頷いていたが、思わず声が出てしまう。
『貴女の全てが欲しいの』 「そんなこと言っていない!私は研究協力の依頼を断るように警告したのよ!!」 ことの発端は詩音がイラストコンクールの授賞式で私の名前を出したことである。偶然その授賞式に私の指導教員も来賓として出席していたのだ。 後日、ゼミで彼女の挨拶が話題に出され、私は迂闊にも恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった。 指導教員は詩音が語った人物が私のことだと察した。そして詩音宛に研究協力の依頼を出すよう、私に指示を下したのだ。 なんせ、詩音は今や業界を席巻する超新星。その作品を利用できれば、データの質の担保だけでなく、研究に箔をつけることができる。 下手をすれば詩音が筆を折りかねないその指示に対し、私は強い憤りを感じた。 しかし、上の言う事は絶対。だから大学から離れた喫茶店に呼び出し、密かに依頼を断るように警告したのだ。 ……加えて、授賞式のようなオフィシャルな場で無闇矢鱈に人様の個人情報を出さないよう、情報リテラシーの講義もみっちり実施した。 詩音は私の言葉を素直に聞き入れてくれた。ただし、研究室の厄介事に巻き込んだお詫び?として、週末に作品撮影のアシスタントをする約束をした。 ――――その撮影日が今日。 そこは、誰も寄りつかない瓦礫まみれのビーチ。 遥か昔、海辺に栄える水族館だった場所。 青空の下、詩音が無我夢中になって作品の飾り付けをしている。 装飾材を補充するため、彼女が水彩画に背を向けた刹那。 額縁からコールタールに似た漆黒の液体が勢いよく溢れ出し、彼女を襲う。 だから私は彼女を突き飛ばして。 悍ましく蠢く闇に、『食われた』。 「……ようやく思い出したわ」 これは、妄想でも夢でもない。相対する『私』の皮を被る怪異が起こした現象だ。 理解不能な存在に生殺与奪の権を握られている。その事実を認識した途端、体に悪寒が走り、鳥肌が立つ。今にも腰が抜けそうだ。 怪異は恐れ慄く私の眼をじっとりと見つめながら、ブリーフケースから同意書とペンを取り出し、机の上に置いた。 『貴女とはいい関係になれると思うの』 そう言いながら、怪異は小指を立てながら厭らしく微笑む。 私の生存本能が、この文字化けした書類にサインをしてはいけないと警鐘を鳴らしている。サインをすれば、死ぬ。 それでも私は震える手でペンを掴んでしまう。 ……だって、私なんかが敵う相手じゃないもの。 怖くて泣きじゃくる無様な私に何ができるの。 そうね。きっと、あっけなく死ぬのよ。 ――――そうだとしても 「大切な後輩を襲ったお前だけは、絶対にぶっ殺してやる!!」 私は決死の覚悟を決め、一世一代の大啖呵を切った。瞬時に怪異に対する怒りの炎が燃え上がり、滞っていた思考が急激に動き始める。 相見えるは常識の埒外の存在。裏を返せば奇想天外な自由解釈が可能であり、不格好でもそれっぽい仮説を立ててしまえば、私にとっては常識の埒内の存在になる。 きっとそう強く信じなければ、目の前の『私』は倒せない。 唇に人差し指をあてながら、ただひたすらに、常識や記憶の間に無理やり関連性を見出して理屈をこじつけることを繰り返す。 やがて、その思考過程を経て、一つの結論に辿り着く。 この怪異の正体は、『クローラーを模した淫獣』だ。 こいつは複数回にわたって人を襲い、心の記憶から作品を抽出していくタチの悪い存在。全ての作品を取り込み終えると、獲物に大量の快楽成分を流し込んで再起不能にする恐ろしい習性を持つ。 おそらく詩音も何度か寄生されていて、今日が最後の日になるはずだった。 ところが、すんでのところで私が身代わりになったため、情報の吸い残しがあると誤認が生じてしまった。それは淫獣にとって重大なエラーである。 そこで、やり直しを試みるも、改めて詩音の同意が必要となってしまった。 だから先日の会話に基づいてこの空間を生成し、『私』の皮を被ってサインを迫っているのだ。――――今、自分が捕食している獲物が『丸亀飛鳥』であることに気が付かずに。 そして、最も重要なことは淫獣が人工的に作られた存在という点である。 これまでの同意書に重きを置くような言動を見ると、魑魅魍魎の類とは思えない。何より、元凶に心当たりがある。 そう、FusionArtAI社だ。淫獣の正体が例の胡散臭い絵の具であり、密かに多数のイラストレーターを襲っているとしたら、全て辻褄が合う。 ――――そうであると信じるの。そうすれば、こいつに一矢報いることができるはずよ。 汗ばんだ手で同意書を手繰り寄せ、ゆっくりとペン先を近づける。 すると、自分勝手に喋っていた淫獣が口を閉じ、紙面をじっと凝視し始めた。それだけではない。空間を構成する全てが、その瞬間を見逃すまいと監視している。 張り���めた空気の中、私は素早く紙を裏返して、こう書き記す。 robots.txt User-agent: * Disallow: / その意味は、『クローラーお断り』。 今や対魔の護符に等しい存在となった同意書を握りしめ、勢いよく席を立つ。 「私の全てが欲しい……そう言っていたかしら?」 沈黙。詩音の好意や才能を踏み躙った淫獣は、口を開かない。 『An error occurred. If this……』 どこからともなくアナウンスが聞こえるが今はどうでもいい。
「これが私の答えよ」
大っ嫌いなクソ女の顔面が吹き飛び、振り抜いた私の拳が漆黒の返り血に染まる。 一呼吸おいた後、心から詩音の無事を願い、静かに目を閉じた。 *** 茜色の空。漣の音。磯の香り……それと、ちょっと焦げ臭い。 そして、私の身体に縋って嗚咽する大切な後輩。 どうやら私は死の淵から生還できたらしい。無事を知らせるため、詩音の頭を優しく撫でる。それでも泣き止まないので、落ち着くまで背中をさすってあげた。 「心配かけたわね。詩音が無事でよかった」 詩音は私の胸に顔を埋めたまま、コクリと頷く。 「先輩も無事?」 「ええ、大丈夫よ」 これ以上、詩音を不安にさせないように気丈な態度をとるものの、重度の疲労を感じ、もはや立つことすらできない。 「ここはまだ危ないから、早く詩音だけでも逃げて」 「やっつけたから、モーマンタイだよ」 詩音が指差す方向を見ると、黒い液体に塗れた水彩画が静かに燃えていた。焦げ臭い匂いの原因はこれか。……やっつけたってどういうことかしら。 些細なことに気をとられている場合じゃない。 先ほどから微かに聞こえる、複数の物音。 何者かが物陰で息を潜め、私たちの様子を窺っている。 今や炭になりつつある淫獣の回収が目的か。いや、それは私がでっち上げた荒唐無稽な陰謀論にすぎない。 ここは、電波が届かない人里離れた廃墟。無防備な女二人がいつ襲われてもおかしくない、危険な場所だ。 詩音も気が付いたのか、私に抱きつく力が強くなる。意地でも私から離れないつもりのようだ。高校の時から感じていたが、この子は気が弱いわりに頑固だ。 ――――息が詰まるような空気を、遠くから鳴り響くサイレン音が切り裂いた。 同時に複数の人影が足音と共に遠ざかっていき、私は安堵の息を吐いた。 「もう大丈夫。定刻を過ぎても私から連絡がなかったら、警察と救急に通報するよう、母さんに頼んでいたの」 半分は今のような不足の事態に陥った時の保険として。 「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい」 もう半分は、尊敬の念を向けている後輩から刺された際の保険として。……絶対に黙っておきましょう。 *** ――――事件から三か月後。 結局、私たちを襲った存在の正体は分からず終い。一方、あの場にいた不審な人影は東堂善治を襲撃した闇バイト強盗であった。そのため私達の不法侵入は霞んでしまい、一切お咎めなし。私達の身に何があったか、深く聞かれることもなかった。 まぁ、警察に事情を説明するにしても―――― FusionArtAI社が作ったスライム型の淫獣に襲われてデスアクメしそうになりました。奴らはアーティストの心の記憶に存在する作品データを狙っています。 という私の支離滅裂な説は口が裂けても言えない。それに、FusionArtAI社が不正会計絡みで呆気なく倒産したため、もう追及のしようがなかった。 ちなみに、詩音は黒い液体の正体が亡霊の祟りだと思い込んでいる。だから制汗スプレーとライターで除霊?しようとして、そのまま引火。あの有様となったそうな。 「貴女のおかげで助かったのかもしれないわね」 私の言葉に首を傾げる後輩は、今日も美少女だ。 あの事件以来、私達はお互いの身を案じて一週間に一回は会うようになった。といっても、毎回普通に遊んでいるだけだ。 今日は私の行きつけの喫茶店でまったりとお茶をしている。お紅茶がおいしい。 紅茶の香りの余韻を味わっていると、詩音の手招きが。 またか、と思いつつ耳を寄せる。
「先輩のケーキ、一口欲しい」
耳元で囁かれる妙に蠱惑的な声と熱の籠った吐息にゾクッとしてしまう。あの事件で私が晒した醜態から、余計なことを学んでしまったのだろう。 悪戯っぽく笑う詩音。本音を言ってしまうと非常に嬉しいのだが、どうも照れ臭くて顔を背けてしまう。 でも、これから時間をかけて慣れていけばいい。あの事件が私という物語の始まり、いや、――――私達という物語の始まりと決めたから。 二人に降り注ぐ優しい木漏れ日が、これからの日常を祝福しているように思える。 ――――そんな気恥ずかしいことを考えてしまうほど、私こと丸亀飛鳥は幸せだった。
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2024年3月1日
能登地震の倒壊家屋、元日のまま 「一歩一歩進むしかない」(共同通信 3月1日)
石川県輪島市の「輪島朝市」周辺に残る焼け焦げた車両=1日午前
発生から2カ月となる1日になっても、多くの家は倒壊したままで元日と変わらぬ光景が広がる。能登半島地震で大きな被害を受けた石川県ではいまだに1万人以上が避難所にいて、自宅に戻った人も断水などで不自由な生活を強いられている。「大変だけど一歩一歩進むしかない」。輪島朝市の焼け跡に早朝から手を合わせる人の姿も見られた。
朝市近くに住む主婦(77)は倒れかけた家屋を指さし「早くつぶしてくれないと危なくて」とつぶやく。道路には屋根瓦やくぎが散乱したままで「ちょっと歩くだけでも危険を感じる」。
珠洲市飯田町の浜田博司さん(80)は応急危険度判定で「危険」とされた自宅の再建をあきらめ、金沢市の賃貸住宅に家族4人で移る。「未練もあるが2カ月の避難所生活の大変さは体験しないと分からない」と話した。
津波の被害が大きかった珠洲市三崎町では地面が隆起した波打ち際に船や家電、布団などが残されたまま。川端国夫さん(73)は「崩れた建物も撤去してもらわないといけないが、いつになったら業者が来るのか」と力なく話した。
石川6市町から1400人超転出 地震2カ月、人口流出に拍車の懸念(朝日新聞 3月1日)
6市町の転出者数
能登半島地震で特に大きな被害を受けた石川県内の6市町で、発災から2カ月で1400人超が別の自治体に転出していたことがわかった。転出には至っていないものの他の自治体に避難している被災者も多く、今回の地震をきっかけに人口流出に拍車がかかることが懸念されている。
1日時点で6市町に出された転出届の集計(速報値含む)によると、1月と2月の転出者数は計1449人。昨年同期の計602人に比べて2・4倍となった。地震が起きた元日時点の6市町の人口(11万9650人)の約1・2%にあたる。
1~2月の転出者は多い順に輪島市417人(前年同期196人)、七尾市405人(同200人)、珠洲市240人(同45人)、能登町163人(同57人)、志賀町129人(同82人)、穴水町95人(同22人)だった。
また、石川県は1日、2月1日時点の県内の人口は110万6278人で、地震発生の元日時点から1570人減になったと発表。内訳は死亡が出生を上回る自然減が1030人、転出が転入を上回る社会減が540人で、1971年4月の調査開始以来、自然減は過去最大、社会減は1月の数値としては過去最大だったという。
大森凡世(かずよ)能登町長は朝日新聞の取材に「ショックだ。生活の場を少しでも早く提供しない限りはこの状況は変わらない」と危機感をあらわにする。
衆院予算委に臨む岸田文雄首相=2024年3月1日午後5時36分、岩下毅撮影
予算成立にこだわる岸田首相、弱体化を懸念か(朝日新聞 テーマ特集:岸田政権)2024年3月1日
新年度政府予算案をめぐる1日の審議は深夜に及んだ。年度内成立が確定する2日までに衆院を通過させようと自民が強行し、野党が抵抗したためだ。誰よりも2日の通過にこだわったのは岸田文雄首相本人だった。
1日の衆院本会議は、拍手とヤジ、双方が飛び交う騒然とした雰囲気となった。
「予算審議は円満にやってきたのに、強行するなんてありえない」
立憲民主党の山井和則氏の衆院本会議での「演説」は、記録が残る1972年以降最長の2時間54分間にわたった。小野寺五典・予算委員長(自民)の解任決議案を説明する場だが、国会混乱の発端は裏金問題にあるとし��、裏金作りに関わった自民議員を一人ずつ読み上げて指弾した。
自民の強行に対し、野党はそろって批判した。日本維新の会の馬場伸幸代表は「原因は与党にある」と指摘。国民民主党の玉木雄一郎代表も「上半身は謝っているけれど、下半身は蹴飛ばしているような対応だ」と首相の姿勢を批判した。
ただ、この日深夜、立憲は態度を軟化させ、2日の採決に応じた。
強行は首相の強い意向とされる。年度内の自然成立のめどが立たないまま衆院を通過すれば、その後の参院審議でも野党の攻勢にさらされる可能性がある。自民幹部は「何か一つでも問題が起きて審議が止まれば、とたんに見通せなくなる」。野党側は、二階俊博元幹事長や萩生田光一前政調会長らの参考人招致を求めており、こうした要求にも応じざるをえない可能性が出る。
首相自ら衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席したり、政倫審と同時並行で予算委を開催したりするなど異例の対応が続いたことも、予算案の年度内成立を確定させたいとの強い思いの表れだ。
そこまでして自然成立にこだわるのはなぜか。首相周辺は「年度内成立ができなければ、政権の統治能力が問われ、内閣支持率がさらに下がりかねない」と危機感を漏らす。参院中堅が「ここまで自然成立にこだわるのは、政権の弱り具合を首相自らが認識しているからだ」と指摘するように、自然成立が確定できなければ政権の弱体化に拍車がかかる。
とはいえ、こうした事態を招いたのも首相自身だ。強行姿勢を続ける首相に対し、自民重鎮はこう指摘した。「判断が遅すぎる。派閥解散にしてもそう。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)もそう。対応がすべて後手に回っている」(三輪さち子)
繰り返す「在日特権」論は100年前のドイツと同じ 社会保障の行き詰まりを「あいつらのせい」に転嫁(東京新聞)2024年3月1日
根強く繰り返される「在日特権」という言説。だが、税制面での特権について国税庁は2月28日、国会で「ない」と明言した。昨年11月には自民党の杉田水脈衆院議員が「実際には存在します」とX(旧ツイッター)に投稿するなど、保守系国会議員やネット右翼らの「ある」という主張はやまないが、政府が公式に否定した格好だ。杉田氏を含む裏金議員の問題が問われた政治倫理審査会開催の日に、本当の特権は誰にあるか考えてみた。(岸本拓也、西田直晃)
◆国税庁が国会できっぱり否定
「国税当局が、対象者の国籍や特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」
「在日特権」について「ない」と答弁した国税庁の田原課税部長=衆議院インターネット審議中継の動画から
在日コリアンらへの憎悪をあおる悪質なデマとして知られる「在日特権」について議論された28日の衆院予算委員会分科会。高橋英明氏(日本維新の会)が、税制面の優遇などがあるのかとただすと、国税庁の田原芳幸・課税部長はきっぱりと否定した。
高橋氏が「朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)とか、それに関わる法人個人にも一切の優遇措置はないのか」と重ねて問うと、田原氏は「繰り返すが、特定の団体なり、その会員に対して、特別な取り扱いをすることはない」と明言した。
在日特権は、在日コリアンが、日本社会で優越的な「隠れた特権」を持っているとする言説で、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが主張してきた。内容はデマにあふれ、ネットの検索動向を示すグーグルトレンドによると、14年をピークに世間の関心は薄れていった。
◆杉田水脈氏の「存在する」発言で再燃
しかし、特定民族などへの数々の差別発言で知られる自民党の杉田水脈衆院議員が昨年11月、X(旧ツイッター)で在日特権は「実際には存在します」などと投稿して批判を受けると、その言葉がにわかに注目された。
ただ、これまでも特権の存在は、ことごとく否定されてきた。在特会がやり玉に挙げてきた在日コリアンらに認められている「特別永住資格」もその一つ。1991年の出入国管理特例法で定められ、一般の永住者と違い、入国審査時の顔写真の撮影や指紋採取などが免除される。
韓流ショップや韓国料理店が並ぶ新大久保で、旭日旗などを掲げてデモ行進する在日特権を許さない市民の会(在特会)=2013年3月17日、新宿区で
これらは特権なのか。特別永住者について議論された2014年10月の参院内閣委員会で、山谷えり子・国家公安委員長(当時)は「特別永住資格は特権ではなく、法律や通達に基づくもの」と答弁。当時、在特会関係者と一緒に写真撮影したことが問題視された山谷氏でさえ、特権とは言わなかった。
◆特別永住資格には「歴史的な背景がある」
改めて出入国在留管理庁に聞くと、担当者は「歴史的な背景がある話で、優遇や特権と呼ばれるものとは性質が異なる」と話した。
日本は1910年に日韓併合で朝鮮人を「日本国民」にして、労働力として日本で炭鉱労働などに従事させた。しかし、終戦後の52年にサンフランシスコ平和条約が発効されると、在日コリアンらの日本国籍は剝奪された。
すでに日本に生活基盤のある在日コリアンらが引き続き暮らせるよう韓国政府と議論。その子孫を含め、安定的な生活が送れるように整備されたのが特別永住資格だった。先の担当者は「日本への定住性が強いことや、日本国籍を失わせてしまったことへの配慮は必要で、結果的に一般の永住者と違いが生じた」と説明した。
生活保護を巡っても在日コリアンが「優遇」されているとの主張もあった。改めて、厚生労働省保護課に尋ねると、担当者は「特別永住者だからゲタを履かせることはない。日本人と同じように、支給要件に合致すれば出すし、しなければ出さない」と否定した。
◆「荒唐無稽なデマ、口にする国会議員がいることに驚き」
在日特権は存在しない。政府があらためて示す見解に対し、ジャーナリストの安田浩一氏は「そもそも、この文言をまだ持ち出す人がいることに驚き。荒唐無稽なデマに過ぎないのに。ましてや国会議員が口にするのは異常としか言いようがない」と絶句する。
その上で、在日コリアンの置かれた現状について、「現実には多くの在日コリアンが日本国籍を取得している。優遇措置が存在するなら、わざわざ日本国籍を取得する必要はない。むしろ、日本人と同様に税金を払いながらも、外国人参政権がなく、政治参画の機会すら持てない。そちらのほうが問題だ」と指摘。「マイノリティーがこうした差別を訴えると、『不当な利益を求めるな』という主張が横行しがち。現代における差別扇動の典型的な表現だ」
◆差別のために妄想とデマを寄せ集める、レイシストの作法
ネット右翼の中には、過去に一部の自治体が行っていた在日コリアンへの税の減免措置を「特権だ」と決め付ける言説もある。安田氏は「植民地時代に国籍を一斉に剝奪され、終戦直後には社会保障から排除された無権利状態だった。行政による必要な措置であり、それは特権でも何でもない。在日コリアンを差別したいがために、あらゆる妄想の産物やネット上のデマを寄せ集め、形式的な理由をつくり、武装して差別の正当化を図る。それがレイシストの作法だ」。
今回も、国税庁が在日特権を公式に否定したにもかかわらず、いぜんネット上には、「実質的に特権まみれ」「通名悪用すればいくらでも悪さできる」「ナマポ(生活保護)在日に優先してんじゃん」といった書き込みがあふれる。こうした排外主義的な動きの源泉に何があるのか。
「ヘイトは愛国心の発露ではなく、『政府は私を大事にしてくれるのか』という不安感の裏返しでは」と語るのは、駒沢大の山崎望教授(政治理論)。「社会保障や安全保障の行き詰まりを考えたとき、国に見捨てられる恐れが潜在意識の中にある。その点が日本人と関係のない人々の排除に向かっていく」
東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)は「『日本人が損している』『本来得られるはずの利益が得られていない』といった思い込みが背景にある。下に見ている旧植民地出身者に目を付け、そのいびつな感情を『あいつらのせいだ』と転嫁している。100年前のドイツでも、��ダヤ人に対して同じ見方をしていた。世界中どこでも起きうる現象形態だ」と話す。
◆「特権があって当然」という思いがあるからでは
本来なら、政治家はこうしたヘイトやレイシズムに歯止めをかける立場だ。だが、岸田文雄首相が22年に杉田氏を総務政務官に起用するなど、自民党内には、歯止めをかけるどころかヘイトを容認したり、拍車をかけるよう動きや発言が後を絶たない。
前田氏は「一部の地方議員にも排外的な言説をあおる動きがあるが、『差別するつもりはない』という言い訳がまかり通っている。歴史認識の違いで済まされてしまい、議論が成立しないまま、差別と迫害につながっていく」と危ぶむ。
2月29日から岸田首相らが出席して始まった政倫審では、「政治資金は非課税」といった政治家への税制上の優遇措置も問われている。安倍派から寄付された計1564万円が政治資金収支報告書に不記載だった杉田氏、同氏を重用した安倍晋三元首相の名を冠した安倍派の幹部らは裏金疑惑にまみれている。存在しない特権を唱えたり黙認したりしてきた側が、「政治家特権」を享受してきた。
山崎氏は言う。「政治家には『特権があって当然』という思いが多かれ少なかれあるのでは。特権を持っていい人、よくない人という線引き、奇妙なおごりや選民意識が見え隠れする。非常にゆがんだ意識だ」
◆デスクメモ 「在日特権」などのヘイト言説は、旧ツイッターなどで根強く使われる。根拠を示さず短く攻撃的に言い切ってしまう危うさ。旧ツイッターより8字少ない132字制限のこのメモを5年9カ月書いてきて、痛感している。自分はきょうで最後。今まで本当にありがとうございました。(歩)
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Trip to Shenzhen, November 2023 - Day 1: How to get in Mainland China
Now it's time to get a visa!
いざビザを取る!
▶️7:10 入境庁到着
はやばやと到着したこともあり、かなり人は少なめ。
「入境庁」の入口はこちら。いっしょにSkylimoに乗っていた人たちについて行って、いったんまっすぐ進んだのですが...
実はビザを取るカウンターは右側でした。まっすぐ行っても意味なし。
ビザカウンター。ここでビザを申請するみたい。オープン時間は9:00〜16:30とのこと。
せま〜い待ちスペースと並び列。 1つだけ椅子があったのですが(多分、入国管理関係者用のやつが放置されてただけだと思われる)、それ以外には何もないので、立って待つしかありません。スーツケースに腰掛けて待つしかないです...
▶️7:20 暇なので先に写真を撮る
とりあえず、ここに写真撮影機があるので、どうせ暇だし、いっちょ撮ってみっ��なと思ってトライ。
よくわからんので「English」に設定して、 パスポート番号を入れて、 顔の位置を調整して(2枚撮られた)、 いい感じの方を選ぶと、
白黒で撮れました。別に番号とか入れなくても撮れるので、先に撮っておいた方がスムーズ。
...とか言いつつ、その後再撮影をさせられたので、急いで撮らなくても大丈夫なのかもね。まあ何回でも撮れるということがわかりました。無料だしね。
▶️7:40 ただひたすら待つ
ラッキーなことに、同じSkylimoに日本人のカップルの方が乗っていて、声かけして荷物を見てもらったりすることができたので、カウンターがあくまで周辺をウロウロ。
入境庁の入口と、車止めエリアに免税品の売店(酒とか)があるだけで、それ以外はなんもないし、そこらに「禁煙」の張り紙がされているのでがっかりしてたんですが、念のため売店のおねえさんに聞いてみたら、「そこのゴミ箱のところに灰皿あるよ」とのことで。
これか!だいぶラフな灰皿やな!
▶️8:57 ビザ申請担当官が出勤
おい...もうちょっと早く出勤してくれよ...
▶️9:00 ぬるっとカウンターオープン、整理券をもらう
さすがの私は整理券番号001が取れました。
順番に並んでいたものの、日本人の方の付き添いで来ていた"我の強い中国人"が順番抜かしで整理券をもらっていて憤慨。我先にと行く生命力の強さが大事なんでしょうね。
申請用紙が入った箱も出されたので、とりあえず書いて待ちます。
昨日の整理券が落ちていたのだが、16:34の時点で044。たしか、皇崗口岸はAM35人 PM 35人の合計70人/日だと聞いていたのだが、、、、。もしかしたら平日だったら並ばなくても全然大丈夫なのかもしれない。(そういえばここのカウンターが閉まる時間が16:30って書いてあるから、なんで16:34の整理券があるんだろう。1日何人来たか確認するために発行したのかな...)
▶️9:05 申請用紙に記入、番号順に申請
せっかく事前に写真を撮ったのに「耳を出して再撮影して」と言われる。さらに再撮影の時に機械に「目が開いてません」と言われる。うるせーわ、悪かったなw
▶️9:10 お支払いをして申請完了
日本人のビザのお値段は275元。ちょっと前までは165元だったようなのですが、値上がりしてますね...日本円にして5800円。高え。
とはいえ、アメリカは1295元(26,900円)、イギリスは834元(17,300円)ともっと高え。そこまで払うなら期間ギリギリの5日間くらいいないともったいないね...
▶️9:20 パスポートを持っていかれているので待ち
... せっかくの整理券番号001なので、10分15分くらいでもらえるのかな?と思っていたら、並んでいた15人ほどの申請が終わってもうんともすんとも戻ってこず。
業を煮やした我先にオバハンが「ちょっと!これあとどれくらいかかるの!?」と聞いたところ、「え、ここから1時間くらいだよ」とのこと。まじか...
待っている間、入国管理の人がスマホで行列を撮ってた。���ちょww 今日こんなに並んでるわww」とかSNSで上げてるんじゃねえだろうな。
▶️10:14 やっとビザ取れたーーー
「特区旅游ビザ」という、深圳エリア内だけ5日間いられるビザです。やっとこっさ...
整理券番号001だったのですが、ビザは20人くらい一気に渡されたので、あんまり早くから並んでまで申請する必要はないかもしれません。「申請から15分ほどでもらえた」という投稿も見たので、こればっかりは運なのかもしれませんね。
▶️10:21 入国カードを書いて入国管理官のところへ
何回パスポート番号を書いただろうか...
▶️10:29 深圳入国
やっとですよーーーーーーーーーーーーーーー!!! やっとこさ深圳へ入国しました。
----- 香港到着から 6時間経過 -----
私自身、いろんなサイトにあった誰かの経験談がかなり参考になったし、状況・条件が随時変更になってるので、新しい経験談がいろいろ残っていた方が後々誰かの役にも立つかもしれないので、この「特区旅游ビザ」の申請のポイントを。(2023年11月頭時点。平日の申請の場合。)
★健康診断QRコード登録、的なのは不要になったみたい (2023年11月から。ラッキーなタイミングでした)
★ビザの価格が168元→275元に値上げ (2023年9月から。チッ)
POINT 1: 香港入国時の「スリップ」はめちゃくちゃ大事
申請するときに「スリップ出して」と言われた。みんな「???」ってなってた。あの香港に入る時のちっちゃい紙、実は結構大事...! 出国審査のゲートのところで、無くしちゃったり無くされちゃったりすることもあるらしいので、パスポートに挟んでおかずに、手元に持っておいた方がいいかもぞ。
POINT 2:eSIMで香港側と中国側両方のSIM入れとけ
入境エリアは電波よわよわ。特に建物の中は電波よわよわで、フリーWiFiとかそんな親切なものはないので、香港側と中国側の2タイプのeSIM入れておくと便利です。オフラインで暇つぶしできるものもあった方がベター。
ネットが繋がってなければ、文明の利器もただの文鎮。
私が事前に買っておいてたのは以下の2つ。
①中国 データ無制限 eSIM / KKDAY ②3 HK PREPAID
①でいけるかなと思ったのですが、「電話番号アリの方がいいかな...」と思って直前、羽田空港の待ち時間で②を買っておいたのですが、これが功を奏した。電話番号あるとないとだと全然違う...!
POINT 3:正直クソ待つ
ほんとにジャスト9:00にしかカウンターは開かないし、記入紙もないから写真撮るくらいしかできない。さらに受付してから発給されるまで1時間は待ったし、015くらいまではほぼ同時に渡されたので早く行っても無駄かも。9:00のカウンターオープンくらいに行くのがベストだと思う。(混み具合は曜日によるのかもしれないけど)
POINT 4:飲み物・軽食はあった方が良い
周りに売店とかまじでなんもない(トイレはある)ので、飲み物食べ物はあった方がよいです。喫煙所はあるよ。
POINT 5:泊まるホテルの予約ページを印刷して持っとけ
「滞在先」を書く回数多すぎ。あとパスポート番号も覚えるほど書いた。
POINT 6:ボールペンもっとけ
カウンターはボールペン2本しかないっす。誰かが書いてるのを待って、借りようとしても、いざ申請のときに「あれが足りない、ここが間違ってる」と1本は絶対に空かないので、自分用を持って行ってください。
どなたかの助けになれば幸いです。
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野澤ゼミの夏休み in最北のまち
こんにちは! 4期生の惑々さんです! 今回は、9月に北の最果て・稚内へ訪れた際に面白いと思ったポイントをレポートしようと思います!!
さて、今回私が稚内を訪れた理由は以下2点です!
国防上重要である日本最北の都市であり宗谷管内唯一の市として、少ない人口でどのように機能を維持しているのか関心があったため
そういう趣味
それでは、少し特殊な来訪記になりますが、暫しお付き合いくださいませ!
目次
1.稚内へ 2.最北の市街地再開発事業 3.「コンパクトシティ」稚内 4.鹿 5.番外編・富裕の漁村へ
1.稚内へ
札幌駅 7:00発 特急宗谷 稚内行に乗車し、北を目指します。札幌から旭川までは人の往来が多い区間なのである程度の街が続きますが、旭川を越えると北海道がその本性を表します。
徐々に景色が凄いことになっていき(語彙力)、最後の砦こと名寄を超えると、ここから先は150km、時間にして2時間半先の稚内まで纏まった市街地は存在しません。
宗谷線のハイライト、南稚内手前で日本海を望みます。綺麗です。綺麗なんですが、本当にあと10分で稚内駅なのか心配になってきます…。 北海道あるあるですが、開拓により都市が計画的に作られている場合が殆どなので、大自然の中から急に街が現われてびっくりしがちです笑
さて、稚内市は日本の最北端(正確には、一般的な旅行で辿り着ける北端)に位置し、旭川以北では最大の都市です。
それでも人口は約3万人。本州感覚では地方の小さな街といった規模感ですが、京都府と同程度の面積を持つ宗谷地方唯一の市として地域の重要な中心都市となっています。
稚内の気候は東西をオホーツク海と日本海に囲まれているため、冬の寒さは緩やかで道内では比較的過ごしやすいようです。私が訪れたのは9月の頭でしたが、昼の気温はなんと24℃ !! 地域特有の強い風も相まってとても爽やかです!主な産業は観光や漁業で、強風を利用した魚介の乾物などの生産も盛んに行われています!
札幌から5時間。最北の街稚内に到着しました!長かった!!
2.最北の市街地再開発事業
さてこの稚内駅。新しく広々とした駅舎に驚かされます。駅に併設で、1階にバスターミナル・土産屋・コンビニ(もちろんセイコーマート)、2階には小さな映画館(!?)が入居する「キタカラ」という複合施設になっています。「丁度いい」サイズに必要なものが詰まっているという印象です。
…もしや と思い調べます。
「稚内駅前地区第1種市街地再開発事業」
まじか。出来るんだ、稚内で。
というのも、再開発は立て替える際にあえて余分に床を確保しておき、それを店舗や住居として入居者に売却することによって資金に充てます。これを「保留床」というのですが、 つまり、その都市に「保留床が埋まるだけの需要」が無ければ再開発は成立しないという訳です。近頃では仙台や広島といった名だたる大都市でさえ、床を埋め切るのは難しいと聞きます。あまつさえ人口3万人の稚内で一体どうやったのよ...
その鍵は、入居する事業者が長期的に関与することを前提に資金調達や事業の組み立てを綿密に行った上で実情に合うスケールの計画を立てたことにあるようです。
確かに稚内駅=キタカラには、地方都市でしばしば見られる巨大な再開発ビルの 「やっちまった感」がありませんでした..。
これは、計画の段階で事業継続が可能な賃料や規模について粘り強い協議が入居者や関係者によって為されたためで、結果的に地域の方も親しみやすく使い勝手のいいサイズ感になっているようです。2階の映画館の前には、誰でも自由に使用出来るロビーがあり、平日でしたが地元の方や観光客の方などの憩いの場になっていました!私もここでバスの時間まで座っていましたが、吹き抜けが開放的で1階の賑やかさが遠くから感じられるあたり、とても居心地が良かったです!
「キタカラ」の再開発では、資金の調達もビルの床を入居者にそれぞれ売却するのではなく、入居予定の企業や地域の関係者が少しづつ分担して出資した特別目的会社(SPC)がビルを購入・所有し、それを各入居者に賃貸する方法を採っています。賃料を抑える代わりに、「出資」によって入居者に長期的な関与を求めるという訳です。 これも「顔の見える関係」で成り立っている地方ならではの強みを生かした資金の集め方であると言えそうですね!
また、足りない資金は「ノンリコースローン」による調達を行っています。「ノンリコースローン」とは、その建物自体の収益性のみを審査基準とし、それによってのみ返済を行う(つまり、万が一返済不能になっても借入人にリスクが及ばない)融資の事で、これを利用できることがSPCを用いた手法の大きなメリットです。
未だ、地方でのSPCを用いた再開発の事例は多くないようで、先進的な事例の1つと言えるのではないでしょうか!
3.「コンパクトシティ」稚内
コンパクトシティ:人口減少に直面するこれからの都市が都市として存続していく上で重視される概念。小さい範囲に集住し、商業や公共施設などの都市機能を集中させることで、 少ない人口でも一定の経済規模の維持、質の高い公共サービスの提供、車を持たない高齢者でも不自由なく生活することを可能とする都市を目指すものです。
駅を後にしてバスでノシャップ岬へと向かいます。バス停で時刻表を見るとその本数の多さに驚愕。その数なんと1時間に5本。東京の鉄道と大して変わりません。(ちなみに列車も5本です。日に。)
一通りの散策を終え、予約した稚内駅前のゲストハウスへ向かいます。
夕飯は、西條(道北の地元総合スーパー)で土地の食材を買って自炊することにしました。さて、稚内で商業施設が集まっているのは今いる稚内駅周辺ではなくひとつ手間の南稚内駅周辺なので、旅行者の私は公共交通機関を利用しなければなりません。しかしこちらも待つことなくバスでスムーズに移動することが出来ました。稚内⇔南稚内のバスの本数も充実しており、人の往来も多いようです! ところで、最近地方のスーパーへ行くとよく見る「コストコ」コーナー、あれなんなんでしょうね... わざわざ札幌のコストコで買ってきたんでしょうか...
感覚では、稚内は「公共交通機関と徒歩で生活可能」であると感じました。しかし、人口3万の街でこれだけのバスの利便性を担保するには、よっぽど市民が市街地にコンパクトに集住している必要があります。そうでなければ事業として成立しないからです。というわけで、調べてみました稚内市のDID人口比率※!
※DID人口比率:その自治体の人口集中地区(人口密度がざっくり4000人/k㎡以上の市街地)に居住する人口の総人口に占める割合。
ご覧の通り、稚内は人口が近い他の同規模自治体と比較するとDID人口の割合がかなり大きく、市街地内に人口が集まっていることが分かります!!まさにコンパクトシティですね。
4.鹿
鹿でした。
5.番外編 ・ 富裕の漁村へ
2日目は稚内でレンタカーを借り、オホーツク沿岸の街を北から順に見てきました!
稚内市街から東側の宗谷岬を回り込みオホーツク沿岸を南下すると最初に現れるまちが「宗谷郡 猿払村」です! この猿払村は、人口3000弱の小さな村ですが、何故か日本の全市区町村の中で住民の平均所得がなんと6位です!東京23区の多くをも凌ぎます。 猿払はホタテ漁が盛んで、その漁獲量によって高い収益を得ている漁師の方が多いためです。
ホタテすげぇ…
はてさて、そんな猿払とは一体どんな街なのでしょうか!
流石、立派な村役場です。そして、流石に写真を撮るのは憚られましたが通りかかった村立の鬼志別幼稚園もかなり立派でした。
では市街地(鬼志別)の様子はいかがでしょう?
以上、稚内の街についてお届けいたしました!
実際は、わざわざ最北まで行かなくとも身近な都市で幾らでも発見はあります!
いつも見ている街を少し客観的に観察しながら歩いてみるだけでも面白かったりします。皆さんも是非、街へ飛び出しましょう!
好奇心旺盛で都市を愛してやまない2年生の皆さん! ゼミ試でお待ちしております!!
ではまた!
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