#顔の見えるチョコレート
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1-mini-1 · 1 year ago
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Mafumafu- Under Sweet Umbrella (アンダースイートアンブレラ) English Lyrics
甘すぎてもう溶けそうな
妄想はもういらない
君の耳元で魔法をかけた
誰も知らない世界
It’s too sweetー I feel like I’m going to melt!
I don’t need my delusions anymore
I cast a spell on your ears
A world no one knows
おはようおやすみ 寝癖であと5分
マスカット チョコレート味
Good morning, good night. Just 5 more minutes, you say with bedhead
Muscat grapes and chocolate flavored
背中を見めて 足音重ねた
そんな無言の時間 手を伸ばしかけてやめる
Gazing at your back, the sound of our footsteps overlapped
During these quiet moments, I stop myself from reaching out to you
右手から洗う癖 小さな二人の秘密
それとも僕のこと 知らないフリ?
Your habit of washing your right hand first, it’s our little secret
Or perhaps, are you just acting like you don’t know me?
愛し合うほど臆病な
僕を許してお願い
君の耳元で魔法をかけた
誰も知らない世界
The more we love, the shyer I get
Oh, please forgive me!
I cast a spell on your ears
A world no one knows
知らない匂いが君からこぼれる
なんでかって なんでなんで ああ
An unfamiliar scent pours out of you
Why?? What is this what is thissss aaaaah
空から見てるよ いつでも見てるよ
そんな君に近づく 危ない虫を掃除して
I’m watching you from the sky. I’m always watching you.
Erasing all the dangerous pests that draw close to you
近くにいるのに届かない そんな距離
こんなんじゃ飛べないほうがマシさ
泣き顔隠して背伸びした夕焼けに
君の名前が頭から溢れ出すくらい
Our distance is so close, yet so far
It’d be better if I couldn’t fly at all
Hiding your tear-stained face in the growing twilight
Your name starts overflowing from my head, so much so that
甘すぎてもう溶けそうな
妄想はいらない
ふたりの世界に鍵をかけて
捕まえてもいいよね
It’s too sweetー I feel like I’m going to melt!
I don’t need my delusions anymore
It shouldn’t be a problem if I lock us into a world made just for us
And catch you now, right?
愛し合うほど臆病な
僕を許してお願い
君の耳元で魔法をかけた
誰も知らない世界
The more we love, the shyer I get
Oh, please forgive me!
I cast a spell on your ears
A world no one knows
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chisasarasa · 6 months ago
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240208
今日は9日で金曜日だと思っていた。今日は8日で木曜日だった。 空は晴れていて、いい天気の予感。 部屋に引きこもっていても、また気が沈んでいくだけだろうと思って、でかけることにする。 最近ずっといきたかったところへ。 去年、グループ展に参加したところ。ここでの展示の経験があって、この間の「ひとひらのくらし」という展示があって、ここでの縁で今もお話するような人がいる。 そのことが嬉しくて、話にいきたかった。店先のガラス越しに目が合って、わたしに気がついてくれて、あたたかな気持ちになる。顔を覚えてくれていること、ほんとうに嬉しい。 大家さんにもらったというみかんをもらう。
北海道へ行くのに備えて、防寒着を買う。 人生で初めて自分のお金でダウンを買った。 ダウンのこと、すきじゃなかった。もこもことふくらむし、みんな同じようなものを着ているし。 でも、着てみるとダウンはかろやかに温かくて、感動した。 いつもきているダッフルコートは重たくて、着ているだけで、肩が凝ってしまう。 母とお腹いっぱいご飯を食べて、帰った。
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240209
窓からの陽の入り方がやわらかくなってきて、春がくることを感じる。 もう使わない銀行の口座を解約しに行く。 持っていく印鑑は旧姓のもの。面倒くさがって名義を変えていなかった。これでまた、ひとつ、過去のわたしが消えていく。名前は名前でしかないはずだけれど。 夜、気が落ちてしまって、布団の上にいたら、そのままねてしまった。2時間30分も。 ねむくはなかったのに。
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240210
朝、こんなふうにゆるゆると過ごしていていいのだろうか、と思う。 荷造りは進んでいない。まだ生活に必要な気がして。 今日はおでかけ。 ギャラリーで絵を見て、たいやきを食べて、公園でレジャーシートをひいて、ポムポムプリンのチョコレートを食べた。ちょっとさむかった。 帰りにみんなで本屋に寄った。 まだ3度目のあいさつといった人のこと、もっと知りたいと思っていたのに、実のあるような話はしなかった。たぶん、魚好き。 公園では、数歩歩いてはゴルフのスイングをするおじさんのこととか、お父さんにサッカーのリフティングを教えてもらう少年のこととか、観察していた。 夜、ねむい気がしてねてみたら、とてもねてしまった。 目が覚めると気持ちが悪くて、少し熱がでていた。薬を飲んでねた。
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240211
朝、部屋がまだ暗かった。 もうすぐ春の気持ちでいるけれど、まだ日の出はゆっくりらしい。 手帳につけている日記の日付が2月7日から昨日まで、4月になっていたことに気がつく。 気持ちが春になりすぎている。
忘れたくないと思って写真とか撮っているけれど、忘れたくないより��またいつか思い出したい、と思った。
アルバイト。 日記帳に日記の見本をかく。 わたしの、いろんな日の、日記をつぎはぎした。絵も描いていいよって店長がしてくれたから、絵も描いたけれど、上手いこと描けなかった。おしゃれなイラストはやっぱり描けないと思った。 頭がゆらゆらとする。 帰宅してすぐにシャワーを浴びて、買った日記を一気に読んでねた。 ここ数日、気が沈みがちで、ほんとうによくねてしまう。 パソコンで映画をみて、気を紛らわす。 3月になったら四国旅行へいく。まだ、たのしみは湧いてこない。
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rosysnow · 7 months ago
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かたむいていく
あなたのほうへ、心は飲まれていく
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 意識がくらくらする炎天下、いつもの喫茶店にたどりついた私は、からんころんと響いたドアベルをくぐった。
 ほてった頭や汗ばんだ肌を、クーラーが優しくなだめる。「いらっしゃ��ませ」と近づいてきたウェイトレスに、「待ち合わせなので、テーブルで」といつも通り答えると、「こちらにどうぞ」とうやうやしく窓際の席に案内される。
「アイスレモンティーお願いします」
「かしこまりました」
 彼女はにっこりして注文を書きつけると、一礼してカウンター内のマスターに注文を伝えにいく。
 窓の向こうを見た。気がふれそうな猛暑が続いている。熱中症警報の中、出かけていく私を家族は心配しているけど、今日もやっぱり来てしまう。
 時刻は十四時を少し過ぎていた。レースカーテン越しに、窓からの日射しは明るい。何度も入口の扉に目をやりながら、彼を待つ。
 この春、私は大学生になった。この機にひとり暮らしを始める友達も多かったけど、私は実家から通っている。時間はかかるものの、乗り換えなしの一本で大学最寄り駅まで行けるのだ。もちろん、大学付近でのひとり暮らしにも少し憧れたけれど、今は勉強に必死で、自活する余裕はなかったと思う。
 ゴールデンウイークが過ぎて、いよいよ授業は本格的になった。その頃から、帰る前に大学のそばのドラッグストアで、ひとつお菓子を買うのが私の秘かな楽しみになった。ドリンクはいつも、紙パックのレモンティー。コンビニで買ったら高いもんね、とレジに向かうと、今日もあのスタッフさんに当たった。
 無愛想ではないけれど、何というか、無気力そうな男の人だ。まだ三十歳にはなっていないと思う。かったるそうな手つきでバーコードを読み取り、お会計を読み上げる声も低い。何も見ていないような目が印象的だ。
 よく雇ってもらえてるなあ、と感じながら、私はお金をはらって、商品の入ったエコバックを肩にかける。「ありがとうございましたー」とやはりやる気のなさそうな声に送り出され、あの人のレジにはあんまり当たりたくないのにと思った。
 今年は、すでに初夏から猛暑日があった。梅雨に入っても、ほとんど雨が降らない。かと思ったら、七月の頭に数日激しい雨が続いて、それが明けると煮えるような真夏が始まった。
 前期の試験が終わった日、結果次第ではすぐに夏休みだなあと私はちょっと浮かれていた。暑さは絡みついてくるけれど、足取りは軽めに、今日は多めにお菓子を買っちゃおうとドラッグストアに立ち寄る。
 狂ったように、蝉の声が空をかきむしっている。焦げつく���陽の下を歩くと、日焼け止めもあえなく、皮膚がひりひり痛くなってくる。お手入れするものも買ったほうがいいかもしれない、と思っていると、ドラッグストアの入口付近にある自販機の隣で、誰かベンチに座っていることに気づいた。
 何も見ていないような目で、視線を放り投げている男の人。
 ……あの人、だよね? ここのレジの人。サボってるのかな。それとも休憩?
 何となく立ち止まって、怪訝を浮かべる私に、彼も気がついた。そして、「あー……どうも」といきなり話しかけてきたので、私は動揺してしまう。
「えっ……と、あ、どうも」
 一応そう答えたものの、それ以上、会話は続かない。彼はまたベンチにもたれて、空中を見上げた。そんなとこ暑いでしょ、と私は首をかしげつつ、気まずいのもあってさっさとドラッグストア店内に踏みこんだ。
 節電で照明暗めの店内から、クーラーがさあっと軆を包みこむ。涼しい、と救われたため息をついて、さっそくお菓子コーナーに行こうとしたときだ。
「え、こんなのあった?」
「使っていいのかな」
 そんな女の子たちの話し声が聞こえて、つられるようにそちらを見た。レジがあったそこには、スーパーでも見かける機械が登場していた。セルフレジだ。
 私は少し考えたあと、お店を出て、男の人のところに引き返した。彼は変わらずそこにいて、ぼんやりしている。私に気づくと、「何も買わないの?」と訊いてくる。私はゆっくり彼に歩み寄ると、その隣に腰をおろした。
「セルフレジに、なってましたね」
「ああ、期待の新星だよ」
「……有人レジは」
「残ってるよ。君、セルフレジ苦手?」
「そういうわけでは」
「じゃ、俺よりいいでしょ」
 私は彼のほうに首を捻じった。
「人員削減で、俺、真っ先にクビ」
「……そうですか」
「今まで、シフトいつでも入れるから、かろうじてつながってたけど。機械が来たら、シフトいつでも入れますとか何でもないよなあ」
 あんまり焦っている様子はない彼を見つめていると、「暑っついなあ……喉渇いた」と彼はあくびまでもらす。
「そこに自販機ありますけど」
「自分をクビにした店の利益にはなりたくない」
「じゃあ、涼しいところ行くとか」
「そうだなあ。君は? このあと予定とか」
「ヒマ……ですけど」
「じゃあ、紅茶がおいしい茶店知ってるから、行こうか」
「えっ」
「若い女の子とお茶してなぐさめられたい」
「………、喫茶店って、近いんですか?」
「駅までの道だよ」
「じゃあ、少しだけ」
「うん」
 彼は伸びをしてから、ベンチを立ち上がった。私も続いて歩き出すと、彼は自然と私の手を取る。伝わった指先の熱に、どきんと心臓が揺らめく。
 彼の背中を見上げた。南中の日射しに、短い黒髪の毛先��透けている。歩幅は広いけど、歩調はゆっくりだ。振り向いて笑みを見せたりはしないけど、私を引っ張るみたいに自分の速さで歩いたりしない。実は気遣える人なのかもしれない。
 ぬるい風が抜けても、軆はすぐに汗ばんでくる。会話がないから、どぎまぎと視線が泳ぐ。つながった手から、細胞が緩くしびれる感じがして、鼓動がざわついて落ち着かない。
 彼が私を連れていったのは、駅まで近道だけど人通りが少なく、私は普段使わない小道にある喫茶店だった。チョコレート色の扉を押し開くと、からんころんとドアベルが響く。
 店内は白が基調で明るかった。壁や天井だけでなく、少ないテーブル席も白い。窓にかかるレースカーテンも白く透け、光が満ちていた。カウンターと床だけ、木製のチョコレート色が出ている。
「いらっしゃいませ」
 ウェイトレスの女の子が歩み寄ってきて、「おふたり様ですか?」と穏やかに微笑む。「うん」と彼が答えると、「こちらにどうぞ」と彼女は窓際の席に案内してくれた。
「君はレモンティーだよね」
 席に着くと、メニューは開かずに、彼はそう問うてきた。認識されてたのか、と何だか恥ずかしくなりながらも、こくりとする。
「俺はクリームソーダ」
 それを聞いて、私はつい小さく噴き出してしまった。「え、何?」ときょとんとした彼に、「何か、かわいいなと思って」と私は正直に答える。「えー……」と彼はメニューに手を伸ばしかけたけど、「やっぱ、クリームソーダ」とウェイトレスに伝える。彼女もちょっとくすりとしつつ、「以上でよろしいですか?」と確認を取ってくれる。
「何か食べる? おごるよ」
「いえ、レモンティーだけで」
「そう。じゃあ、そのふたつで」
「かしこまりました」とウェイトレスはたおやかに微笑み、注文を受けつけて去っていった。それを見送っていると、彼は頬杖をついてつぶやく。
「アイスと炭酸、夏には最高だと思わない?」
「分かるんですけど」
「子供っぽい?」
「そうは言ってないですよ」
「男に『かわいい』って言うのは、そういう意味だよ」
「……そうなんですかね」
「ま、どこで注文しても、確かに言われるんだけどね」
 私は彼の顔を見て、誰に、と訊きかけた。訊かなくても、相手は分かった。頬杖で、彼の左薬指に銀色の光があることに気づいたから。
 彼女、いるんだ。いや、もしかして奥さんかも。
 じゃあ、このお茶にも深い意味はないのか。そう思うと、なぜかしゅんとしぼむような気持ちになる。すると、「どうした?」と彼が顔を覗きこんできた。その顔の近さに肩を揺らしていると、「大丈夫?」と彼は相変わらず表情はあまりないけど、首をかたむける。
「暑い?」
「……暑いですね」
「すぐ注文しちゃったから、お冷や忘れられてるかも。もらってくるよ」
 そう言った彼は立ち上がり、カウンター内のマスターに声をかけた。それを見守って、やっぱり気遣いがある、と思った。高校時代に少しつきあった彼氏なんて、ファミレスでは私にドリンクバーのお��を持ってこさせたっけ。
「はい、これ飲んで」
 彼が持ってきたお冷やを受け取ると、私はひと口飲んだ。ただの水だけど、ひんやりおいしい。「ここは氷がいいから、水でもおいしいでしょ」と席に着いた彼に、思わずうなずいてしまう。
「ここ、よく来るんですか?」
「うん。君と同じかな」
「同じ」
「仕事帰りの癒やし」
「……私、そんな嬉しそうにお菓子買ってましたか」
「そうだね。で、俺がレジだと一瞬眉間に皺寄せるの」
「えっ。そ、そんなことは」
「いいよ、たいていの常連さんがそうだったから」
「………、感じ悪いわけではなかったですよ」
「そう?」
「ただ、やる気なさそうだなあって」
「やる気はなかった」
「顔に出しちゃダメですよ」
「はは。やる気出せって言われるよりいいな」
 初めて咲った彼に、私はまた、胸がざわざわと甘く騒ぐのを感じる。
 それから、レモンティーとクリームソーダをさっきのウェイトレスが運んでくる。お冷やのことを謝られて、私は慌てて首を横に振った。彼の前に置かれたクリームソーダは、よく見かけるメロンでなくオレンジだ。
「オレンジソーダなんですね」
「そうなんだよね。これがまたうまいわけですよ」
 彼はまず濃厚そうなバニラアイスをすくって、口にふくむ。食べるときは、表情があるらしい。すごくおいしそうに食べている。
 私もきらきら鮮やかなレモンティーに、ストローをさして飲んでみた。搾ったばかりらしいレモンが瑞々しい。それに淹れたての紅茶と、蜂蜜が絡みあって、甘酸っぱい味がした。
 一時間ぐらい、ゆっくり涼んで過ごした。ほかのお客さんも、わりあいのんびり過ごしている。
 おごるよ、とは言われたけど、本当に甘えていいのかな。でも、メニューを見ていないから、値段が分からない。これで足りるかなという金額として、私は千円を席を立つ前に出してみた。
 彼はまばたきをしたのち、「名前も知らない男に、お金出しちゃダメだよ」と苦笑した。「じゃあ、お名前教えてください」と私が言うと、「ほんとに気にしないで」と彼はレジに向かってしまう。私は仕方なく千円札を財布にしまって、彼と喫茶店をあとにした。
「ちなみに、蒼一ね」
「えっ」
「俺の名前」
「………、あっ、お金──」
「そういう意味じゃなくて、君の名前は?」
 外の熱気に早くも軆が汗ばむ中、私は彼を見上げて、「清那です、けど」とぎこちなく答える。「清那ちゃんか」と繰り返した彼は、「いつも店でありがとね」と言って、駅とは逆方向に歩き出した。
 送ってくれないのは、そういう意味。
 分かったのに──分かったから、私はその背中に「蒼一さんっ」と声をかけていた。蝉の声の中に反響した私の声に、遠ざかりかけた影法師が止まる。それから、彼はこちらを振り返った。
 いつも、何も見ていないような目をしているくせに。今は、私をくっきり映して、捕らえてくる。
 そのあと、試験には合格して、大学はすぐ夏休みになった。なのに、私は毎日その街におもむいた。蒼一さんに会うためだった。いつも、あの喫茶店でお茶をする��け。それでもよかった。
 過ごすのは、お昼を食べたあとぐらいの十四時くらいから、日がかたむいてくる十七時まで。真っ白の喫茶店の中では、射してくるオレンジが透けて、夕暮れが始まったのがすぐ分かる。それがお別れの合図だった。
「彼氏はいいの?」なんて蒼一さんは訊かない。私が正直に、「いないよ」と答えるのが分かっているのだろう。彼氏のいない私の責任は、取れないのだ。それ以上に、「彼女はいいの?」と私が問う機会を摘み取っている。
 蒼一さんのシルバーリングに、私が知らないふりをしていること。それに蒼一さんが気づいていないわけがない。
 夕暮れ、懐かしいような色合いのオレンジが、睫毛越しに揺れる。蒼一さんは私を駅には送ることなく、誰かのところに帰っていく。風に混じった夏の香りが頬を撫でた。蝉の声がゆがむように残響している。心で甘く熟していく想いに、私の呼吸はじんわり痛む。
 あっという間に、八月に入った。その日も喫茶店に向かうと、なぜか蒼一さんは、チョコレート色の扉の前にいた。いつもは、先に来たほうは喫茶店の中で待っているのに。少し息を切らし、汗もだいぶ流しているから、私は急いで駆け寄って「暑いよ、入ろう」と声をかけた。
 蒼一さんが私を見る。どきっとする。この人が私を「見る」のは、初めて彼の名前を呼んだあのときだけだったから。
「……何で」
「えっ」
「何で、そんな──」
 私は首をかたむけて、「どうしたの?」と蒼一さんを覗きこんだ。すると、露骨に顔を背けられて、私は少し傷ついてしまう。うつむいて、塗るようになった淡いマニキュアの指先を握りしめる。
 なぜかは分からないけど、蒼一さんがいらいらしているのは伝わってきた。もしかして、今日は早く来て、すごく待っていたのだろうか。でも、連絡先は交換していないから、私に知る術はなかったし──
「何か、怒ってるの?」
「………」
「……熱中症になるよ。とりあえず、冷たいもの飲んで──」
「本気で、そんなこと思ってるの?」
「えっ」
「俺はさ、そんなに純粋じゃないんだよ」
 顔を背けるまま言った、蒼一さんを見上げる。拍子、ぐいっと手をつかまれた。「わっ」と声が出たけど、蒼一さんは構わず私を引っ張っていく。私は慌てて速足になり、それについていく。
 何でだろう。ぜんぜん優しくないのに。不安を感じるより、どきどきしている。
 駅に向かうと、夏休みで混雑する構内を抜けて、裏通りに出た。狭い飲み屋街があって、車道沿いに出る。そこに並んでいるのは、センスがよく分からない変な名前のラブホテルだった。
 その中のひとつに、蒼一さんは躊躇うことなく私を連れこんだ。エレベーターの中で、蒼一さんの顔を盗み見ると、苦しそうにしている。その表情が、不思議と愛しい。私は自然と背伸びをして、蒼一さんの口元にキスをすると、「大丈夫」とささやいた。蒼一さんが何か言いかけたとき、エレベーターが到着する。
 部屋に入ると、蒼一さんは私をベッドに押し倒した。きしんだ音に蒼一さんがかぶさってきて、ついで、息継ぎもないような深いキス。唾液が絡まる音は、蜜が蕩けているみたいだった。胸を��さぐられながら、吐息も素肌もどんどん敏感になる。
 クーラーもつけなくて、室内には熱がこもって空気が湿っていった。ふたりとも汗でどろどろだったけど、構わずにお互い服を脱がしあう。蒼一さんの指が私の脚のあいだに触れた。ただでさえ蒸れていたそこは、下着越しの刺激でも切なく響く。
「……すげー濡れてるね」
 そう言った蒼一さんには、食べているときと同じように表情があった。私の下着を剥ぎ取って、膝をつかんで脚を開いて、愛おしそうに舌ですくってくる。私は思わず声をもらして、すると、蒼一さんはもっと丁寧に私を食べた。
 快感のままに水音がはじける。私の壊れそうな喘ぎが空を彷徨う。蒼一さんはもどかしそうに自分の下着も脱いで、本能のまま張りつめたものをあらわにした。私は焦点の合っていない目でそれを見て、自然と手を伸ばす。
 あったかい。硬い。脈が手のひらに伝わる。
 私は身を起こすと、それにキスを繰り返してから、そっと頬張った。蒼一さんが私の髪をつかみかけ、やめて、梳くように撫でてくれる。しょっぱい、生ものの味がする。舌先で脈をたどると、それはますます太くなって、私は夢中で蒼一さんをむさぼる。
「清那ちゃん」
 名前を呼ばれて、私は蒼一さんに上目遣いで見た。瞳が溶け合って、何も言われていないのに私はうなずく。
 ああ、もうどうだっていいや。
 全部捨てちゃっていい。
 ルールも、理性も、薬指の銀色の光も──
 蒼一さんの軆が軆に重なり、同時に分け入ってくる。奥までつらぬかれて、私は息を震わせて蒼一さんの首にしがみついた。蒼一さんも私の腰を抱いて、ゆっくり引いたもので、ぐっと深く突いてくる。じんじんする核まで響いた刺激に、腰が跳ねて、喘ぎ声が泣きそうになる。
 少しずつ腰遣いが早くなり、私の中で白波が紡がれていく。耳たぶから指先、爪先まで、全身が浮かされたようにほてっている。もう声は節度なく乱れていて、私からも腰をすりつけるように動かす。そして、不意に充血が満ち足りて、オレンジ色みたいなサイダーがはじけた。
 ──それ以来、私と蒼一さんは何度も軆を重ねた。ただの生き物になって、狂おしく求め合った。
 シルバーリングには、いつまでも知らないふりをしていた。だって、こんなの火遊びなんでしょう? 期待したって、私の「恋心」を知ったら、あなたは白けて逃げていく。
 かたむいていく。心が。日射しが。安定が。どんどん、かたむいていく。
 行かないで。もう少しだけ。手をつないでいて。ほどけたりしないで。どうか、このまま……
 しかし、どんなに愛し合うような時間を共にしても、蒼一さんは夕暮れになれば帰っていく。
 ──そ��、昨日の別れ際、蒼一さんの様子がどこか違ったわけじゃない。でも、こんな日が来ることは最初から分かっていた。
 喫茶店の中は薄暗くなっていた。時刻を確かめると、十八時だ。ついに今日、蒼一さんは来なかった。そもそも約束なんてしていない。けれど、私のことはこんなふうに簡単に投げ出すんだなと思った。夕刻には、必ず帰っていくくせに。
 ああ、何か嫌だな。こういうの、ダメだな。
 注文したけど、飲まなかったレモンティーのグラスをつかむ。直接、口をつけた。ぬるくてまずかった。
 ……ああ、もう疲れた。
 ぽきんとそう思って、私は唇を噛んだ。いきなりこみあげた涙をこらえる。あの人にかたむいていた心が、あまりにもたやすくもろく、折れる感覚が軆の中に落ちていく。
 レモン��ィーのグラスから手を引く。日射しもすっかりかたむき、オレンジ色はとっくに色あせて陰っている。私の心も、ゆっくり沈んでいく。
 あんなにまばゆかったのに、暮れてしまった淡くて短い恋に、私は小さなため息をひとつこぼした。
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kennak · 1 year ago
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあ��たのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け���れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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xx86 · 2 years ago
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untouchable
アイシャドウってもっと容量少なくてもいいと思うし、カントリーマアムは元のサイズに戻してほしい。忙殺、と言う言葉は好きではないけど忙殺されている以外にしっくりくる言葉が見つからない。クリスマスは去年までは好きだったけれど��よくよく考えてみたらそんなにいいものでもないことに気づいた。このクリスマスから年明けまでの忙しなさに参ってしまう。クリスマスソングを聞くとソワソワする。椅子取りゲームをしてるみたいな気分だ。もう年末。大掃除しなきゃ。掃除は苦手だけれど部屋が散らかるのもしんどくて嫌だ。そう、何よりも疲れることが大嫌い。体力がないから。毎日4時間ずつ残業すれば土曜日はベッドから起き上がれないぐらいの体力。がんばって平日でも12時半には寝るようにしているのに。物を少なくしたい。捨てるしかないか。疲れている時の生理って最悪な気分で、常にカッカしすぎて上司にこれ食べて元気になってチョコレートをもらった。やるせない。
ぼろぼろのまつ毛のままマツエクサロンに飛び込む。私はまつ毛がばちっとついてるのも好きだし、まつ毛がなければないでやる気のない顔をしていて良いと思う。陽ちゃんにはメンテナンスできないならつけるのやめなと怒られそうだけれど。来年が卯年ということは、陽ちゃんがこの世に生まれて24年が経つということだ。喜ばしい。24歳と26歳という年齢は20代の中でそこはかとなくエロくていい。
日曜の15時から飲むハイボールは罪な味がする。ちいちゃな子供連れで埋まっている店内で定食を食べつつハイボールをぐびぐび煽るのは不良みたいで良い。この田舎は結婚が早いから、きっとここにいるパパやママも私とあんまり歳が変わらないだろう。異世界。自分のお腹の中に生命を宿すってどんな感じなのだろう。妊娠しないということは、妊娠した人たちよりもハイボールも刺身もケーキも生涯多く飲んだり食べたりすることなのかもしれない。そんな感じ。
24までは強い女になりたかった。24からは弱い女になりたかった。27になる���、賢い女になりたいと思っている。弱いとか、強いとか、そんな言葉でラベリングされない女性。もうそういう土俵で戦うの飽きた。舐められちゃいけないとやったらめったら高いヒール履いて派手なリップを塗りたくって威嚇してたベイビーを経て、へらへらにこにこして、舐めてくる奴だけ一升瓶でぶん殴るようなやさぐれた女になったけど、そろそろお上品に生きたいし辞める。ノーセンキューが言える女になりたい。スリップとガーター一式揃えるタイプの。
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2023.11.15wed_tokyo
♯予定 11:00 ギター 16:00 Alison
+0.2kg (最近増加傾向。またファスティングする?)目標は-0.5kg~1kgをキープ
めざまし占い5位
♯今日のタスク ・昭和資料集め ・メール返信 ・図面レイアウトデザイン ・バッグの仕様書 ・LINE漫画リスト ・メルマガDMデザイン
♯今日の服 ネイビーのコーデュロイのパンツ オペラ座の怪人のトレーナー オレンジの靴下
♯K あと30分 少し早く寝る 最近は毎日1時間目から学校に行っているからそれはOK 安定してるが、最近少し不貞腐れる頻度が増えてきた。また波が来るか? 前歯が抜けてハロウィンのカボチャみたいな顔
♯飯 昼 ちゃんぽん野菜フォー 夜 カルボナーラ、オニオンスープ、ブロッコリーと鶏肉炒め
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
薄いブラウンのボーダーのトレーナー 深緑のパンツ(膝の穴をピンクの刺繍糸で縫ってる) 靴下はいつも足をピコっと上に上げて(やって)のポーズ
着替るのも 本当は全部自分でできるはずだけど 「ピコじゃないんだよ」って言いながらも可愛いなと思ってる。 私と一緒で寒いのが苦手だから、グレーのハイソックスをパンツインさせて��った。
マスタードイエローのダウンを着て、ポケットに手を突っ込んで コッペパンみたいな茶色いつま先が丸い靴を履いて、パパと学校に行った背中を見送る。
今日はギターの日。
今やってる課題曲はスピッツのロビンソン そこそこ弾けるようになった。ストロークに強弱をつける課題 アルペジオは何度練習しても上手くならない。 プリングオフはできるようになってきた、ハンマリングオンは音が出ない 弟のギターだけど、弟より上手くなってた。 次の課題曲は”いとしのエリー” アルペジオで演奏。すごい難しそう でも、名曲は名曲の理由があるなと思った。
Cadd 9のコードが好き
ライブをいつかやりたいけどすごく緊張しそうで中々チャレンジできそうない。 いつも聴いてるJwave から羊文学の声。若さとバンドっていいな
AlisonとのLesson 初めまして 音楽の話ができそうと思った。おばちゃん聞きやすい発音 単語力 課題 Encourageってなに 初めてだからか会話のキャッチボールが少し乗らなかった もう一回彼女にチャレンジしてみようかな…
ギターと英語は続けたい!
数日前から、朝と夜がめちゃ寒い お気に入りのおろしたてのピンクのダウン めっちゃあったかいしモフモフしてて可愛い 今日はブラウンのビーニーをかぶってお迎えに行った。
夕飯はパパが作ってくれるような流れ。(気まぐれ) カルボナーラらしい レシピ通りにやらないとやりたくないそう やってくれるだけマシか
っていうか、飯は当番制にしたのに、いつの間にか私の仕事になっている。 ご飯を作るのは嫌いじゃないけど、できるなら毎日はやりたくない。 考えるのがめんどくさいんだ
カルボナーラが少しダマになっていたけどあっさりしていて美味しかった。  カルボは難しいけど、上出来 「これはマジで大変」それは私に言ってる?いつもありがとうの意味? 「週1でいい」週6はどうするの? 食べ終わった後に洗い物とか本当にストレス それを軽減してくれた食器洗い機に、本当に毎日感謝の気持ちでいっぱいになる。
ご飯は作ってくれたから、お風呂は私 新しく買ったキュレルの洗顔がすごくいい 最近の肌荒れの原因はビオレのせいかも→明日捨てる Youtubeを取り上げられて不貞腐ながら入ってきた彼に 明日すごく早く起きるのはどう?と交渉 「今見たいんだよ」今を生きている彼の気持ちはわかる 自分の中で気持ちを整理しながら、折り合いをつけている様子に成長を感じる。
あの人との付き合いをどうしようかな 考えたいわけじゃないけど、ふとした時に浮かんでくるのは何故だろう 自分以外の他人をそういう人なんだと受けいれる それでいいんじゃない?ってできる人とできない人がいるのはなぜだろう?
タスクを半分はクリアできたけど、半分はペンディングの毎日。 ちょっと寝てから残りをやろうと思って、朝まで寝落ちする 夢に小学校の時の親友みっちゃんが出てきた。 元気してるかな。
明日へ続く…
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-プロフィール- 半井梨佳 39 東京・杉並区 フリーランス(PR/Design/Connector/Director) チョコレートのPRとか、デザインとか、なんでもやってます。 屋号: hoops gallery / bdama Founder🟡@hoops_gallery PR🍫@marouchocolate.jp @theoandphilo.jp Direction👜@typebag_info
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oka-akina · 2 years ago
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20220108
 8日朝、夫の父が急に亡くなり、急いで夫の実家に駆けつけた。この日は午後から読書会の予定だった。わたしは少し早めに起きて本を復習し、印象に残ったところや話したいことなどをメモにまとめていた。ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」。それから文フリ京都のおしながきを作った。イベント前におしながきを作るのは久しぶりで、ギリギリ入稿の新���がないとこういう準備もできるなと思った。部屋が寒かったので熱い紅茶を啜っていた。  7時半すぎ、夫が慌てたようすで起き出してきて、「おふくろから電話で、親父がなんか倒れたみたいだから行ってくる」と言った。それわたしも行ったほうがいいかなとたずねたら夫は首を傾げ、「いいよ、だって予定あるだろ…」とぼそぼそ言った。そしてつけくわえるみたいに「なんかおふくろが、お父さん死んじゃってるかもって言って…」と言い、ばたばたと顔を洗い始めた。「なんかおふくろもパニック状態で要領を得ない」、ごほんと少し咳をする。夫は混乱すると咽せる。これはほんとにやばそうだなと思った。ともかく行こうよ、一緒に行くよとわたしは言った。何もなかったら何もなかったねでいいんだからと言ったら、夫もそうだよなと納得した。それでわたしも支度をした。このときはまだわからなくて、わたしは付箋でいっぱいの「トランスジェンダー問題」を一応リュックに入れた。  夫は弟二人に電話し、わたしに言ったのと同じことを言った。上の弟はすぐ電話に出なかった。その間に義母とふたたび電話がつながった。「ともかく今からすぐ行くから」と夫が言う。「お父さん亡くなっちゃったのよ」と義母の声が聞こえてきた。「わかんない、亡くなっちゃってたの」「ゆっくりでいいから気をつけて来て」、そういういくつかの言葉の後半が涙声になっていて、ああほんとに亡くなったのだと思った。おととしに亡くなった美少女さんのことを思い出した。  下着と靴下など、泊まれる支度をし、ちょっと迷ったがMacBookもかばんに入れた。夫の実家はWi-Fiがないので持って行ってもワープロだよなとは思った。お湯を沸かして小さい水筒に紅茶を入れた。こういうときは何を着たらいいのだろうと思った。黒いスキニーパンツにカーキのスウェットを着た。眉毛を描いた。上の弟と電話がつながり、「聞いた、死んじゃったんでしょ」と言った。死んじゃったという語が初めて出てきたと思った。ちょうど名古屋駅にいてすぐのぞみに乗れるから、9時20分に東京駅に着くと弟は言った。  夫は車を飛ばした。メーターがずっと129km、130kmを指していた。晴れていて道は空いていた。車のスピーカーに夫のスマホがBluetoothで接続され、イエモンの「アバンギャルドでいこうよ」が流れた。そのままイエモンを流したまま走り、わたしたちはほとんどしゃべらなかった。  明日は前にいた会社の同期と集まる予定になっていたけどこれはもう欠席だろうなと思った。レンタルルームを借りたポットラックパーティー。わたし以外みんな子ども連れで来るというから、子のいないわたしはやや気の進まない会で、誘われたときからずっと仮病しようかなと思っていた。いや行けない口実をいくつも考えてはいたけども、子がいないから気まずかったんだろうなと思われるのがいやで、やけに気合を入れて準備していた。近所のビストロでチョコレートのテリーヌを予約していたし、爪もマットの黒をきれ��に塗った。夫のお父さんが亡くなってという言い方は、誰々が危篤でといったいかにもなずる休みの方便そのままのような言い方だ。
 9時前。夫の実家に着いたら先に伯父が来ていた。義母の兄。五人きょうだいの長男。コロナ禍になってから親戚の集まりをしていなかったので久しぶりに会った。あたりは静かで、家の中も静かだったが、いま警察が来ていて二階で検死していると義母と伯父が言った。家で死ぬと変死扱いになるという何かで読んだ話を思い出した。  なにがなんだか…と義母が言い、まだ二階には上がれないそうで、茶を飲んで待った。夫がやかんを沸かそうとしたがIHの使い方がよくわからないのかうろうろしていた。壁際に伯父の手提げがぽつんと置いてあり、信三郎帆布の手提げだった。  朝起きたらお父さんが動かなくてと義母が言い、まず兄(伯父)に電話をかけたのだと言った。伯父は以前消防隊員だったからだろうと思った。わたしたちはマスクをしたまましゃべった。正月はいつも通りだったし、5日に病院行ったときは今度検査入院しましょうというだけでまさかこんなことになるとは、咳やリウマチはきつそうだったがだからってと義母は言い、おとといは自転車に乗って自分で酒を買いに行ったのだと言った。  何度か警察官の人が二階からおりてきて、本部から臨場が来ますのでとか、午前中のうちに検死の先生が来ますとか説明し、フィクションの中で幾度も見かけた語だなと思った。2時間ドラマや警察小説のようだと思った。そして物盗りの犯行ではないことを証明しますとかお父さんの指先の欠損はこれはいつのものですかとか、いろんな人が五月雨式にいろんなことを尋ねるのでよくわからなかった。警察の人たちは黒いパーカーに黒いワークパンツで、むしろ泥棒のようないでたちだった。  まず兄に電話したんですと義母が言い、それから着替えて119番通報をしたんですと言ったら、それはなぜですかと何度も聞かれた。先に着替えたのはなぜですか。疑うわけではなく形式的なことなのだろうがいろんな人からそういう質問をされ、べつに調書もメモもとらない。あとから来た三人組の人が義父の財布や通帳の場所を尋ね、写真を撮り、その人たちは何か書類を書いていた。お医者さんが到着し、この人は白衣を着ていたのですぐ医者だとわかった。  11時過ぎになって警察の人たちがみんな帰り、やっと義父と対面できた。布団の中で寝ているみたいに見えた。でもすっかり白い顔になっていて、ああ亡くなっているとどう見てもわかった。帰り際に警察の人が死因など話したが、いつも通っている病院ではない初見の先生がみてくれたからこれは持病との関連はわからないものだとのことで、ようするに心臓が止まっていますということしかわからなかった。わからないけども急に亡くなった。こたつに足を入れながら夫が「これは最後まで泣けないかもしれない」とつぶやいた。  伯父が帰ったのと入れ違いに弟たちが来た。途中で���流できたのだと言った。上の弟はものすごくおしゃれなスーツを着ていた。二人はすぐに二階に上がり、父親と対面し、大きな声で泣いた。弟たちが泣いたので義母もやっと泣いた。
 家で亡くなったの��死体検案書になるという。さっきのお医者さんのクリニックに取りに行くことになり、お金もそこで払うという。  葬儀をどうしようとなり、祖父母のお墓のある霊園で葬儀ができるようで、夫が電話した。ご遺体は霊安室で預かれますと言われ、そうしますとなったが、1時間ちょっとですぐ来てくれるとのことでかえって慌てた。ドライアイスで寝かせておくこともできますがとは言われたが、兄弟三人と義母で話しあい、お願いすることになった。  弟たちがスーパーでお茶やお弁当やおにぎりを買って来てくれて、わたしは鮭とひじきなどの弁当をもらい、ごはんはせりの混ぜご飯だった。七草の残りだろうと思った。近所の人たちが挨拶に来てくれて、みんな泣いていた。義母もまた泣いた。  そうしていたら霊園の人が来た。二階の部屋から階段を下りて車へ、遺体は布の担架で運ぶことになり、白い布で包んだ。顔が布に包まれるとき弟たちが泣いた。階段を下ろす際、弟たちが手伝った。夫はドアを開けたり物をどかしたりしていた。夫は亡くなった父親の体にまだ触れていない。わたしは少し歯痒く思ったし声もかけてしまったが、夫なりの混乱やきつさがあるのだろうとのみこんだ。車に乗せるときさっきのご近所さんも見守ってくれた。道の奥でどこかの小さい子どもたちが遊んでいるのが小さく見えた。
 みんな霊園に向かうことになり、夫とわたしはクリニックに寄り検案書をもらってから向かうことになった。何かクリアファイルみたいなものあるかと夫が言った。検案書はあちこちに提出するからコピーを取るし、今後こういう書類が増えるだろうと言った。わたしのリュックには松屋のおまけでもらったすみっコぐらしのファイルしかなくて、すみっコぐらしだとふざけてるかなと言った。おれはすみっコぐらしはべつにふざけてないと思うと夫が言った。病院でもらおうよとわたしは言った。5万も払うんだからクリアファイルくらいもらったっていいでしょと言った。死亡確認書ではなくて検案書だから5万円かかる。さっき金額をきいて驚いた。5万円、急に用意できなかったらどうなるんだろう。  クリニックはお休みの日で、わたしたちのために鍵を開けておいてくれたようでスリッパがきれいに揃えてあった。検案書を受け取るとき、これ何かクリアファイルみたいなものに入れてもらってもいいですかと、さも今思いついたみたいに言ってみた。そうしたら快く新しいクリアファイルの束をひとつ開けてくれた。
ーーーーーーー こういう日記はいくらでも書けそうに思います。隙間をみて書き留めていますがどんどん長くなっていく。でもこれでも取りこぼしたことや書きそびれたことがたくさんある。 谷川俊太郎の「父の死」という詩のようだなと思います。「世間知ラズ」収録。だったかな。いま夫の実家なので確かめられない。検索したら、詩の全文と感想を載せているブログに行き合いました。 https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/59c19002d057011a087ebed81cc3f018
「人が死んで、そのことを悲しんでいるのにおもしろいという感想をもつのは不謹慎かもしれないけれど、おもしろい。興味をそそられる。」「そのおかしさを全部読み終わると、何か、こころが落ち着いている。そうか、そうなんだ。これを全部受け入れるということが、ひとりの死を受け止めることなんだ、とわかる。」ああ本当にそうだなあと思います。
亡くなったのはわたしの親ではなく夫の親だからか、悲しいとか落ち込むといった感じではなく、なんとも冷淡なようですが今のこの状況丸ごとをじっと観察している…という感じです。参加者。亡くなった人の親族という立場に参加している人。夫の実家に来るとわたしはいつもホームステイの子という感じですが、義父の死においてもそういう感じです。 なのでわたしはかなりいつも通りのテンションなんですが、そして相続とか遺産整理の仕事をやっていたので正直イキイキしてしまっているふしもあるくらいなんですが、リプライやDMなどでお声かけてくださった方ありがとうございます。
葬儀は金曜日の予定で、しばらく夫の実家に泊まることになりました。今日の昼、ともかくWi-Fiをどうにかしようよと夫と話しあい、ポケットWi-Fiをレンタルしてきました。Wi-Fiにつながったら不思議なほどほっとしました。Wi-Fiの扇型のマークを見ると元気が出てくる。と書くとなんだかばかみたいですが、ほんとにそうなんだよな…。
日曜日の文フリ京都は参加できそうです。またあとでお知らせを書きますが、おそらく当日朝に新幹線で向かうことになりそうです。すごく無理をして参加するというわけではないですのでご心配なさらず…。葬儀などは終わっている日程で、楽しみにしていたイベントに予定通り出かけた方が気持ち的にいいかなあという感じです。 ただ当初の予定では土曜の夜から2泊するつもりだったのですが、それはさすがに難しいかなという感じ(土曜まで夫の実家にいるので)。日曜の夜は泊まるかな。体力的にラクというのもありますし、一人でバタッと寝る時間があった方がよさそうな気がする。わたしも夫も。 ふだんほぼ意識していないし、わたしの生活や認識はそうではないのですが、それとはべつのところでわたしの立ち位置は「長男の嫁」なんだなあと驚いています。とはいえまだ「驚く」レベルの他人事感ですね。
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manganjiiji · 1 year ago
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わたくしの心差しは
しばらく何の文章も書いていないから澱が溜まってしまったと思う。言葉を編集することをしないとだめだ。単語と単語を組み合わせ、文字と文字を高速回転で当てはめては放り出し、頭の中の音に乗せて、どうにかぎりぎり意味がつながるくらいの文章を切り貼りで生成する。見た目にもよいのが佳い。文をつなげてこのように段落にする時には目に入った画面のなかで文字の羅列の詰まりが自分に丁度良い、つまり図像として好ましくなければ書いても意味がない。自分は自分の「文の見た目」の好みを知っているので、それは何を考えずとも感覚で選びとる事ができる。単純に言えば、どこを漢字にし、どこを平仮名にし、どの漢字を使い、どこに句読点を打つか。句読点は読んでいる時の音楽のほうにも関係するので、見た目よりは音に左右されているかもしれない。それでもあまりに句読点がないときは、さすがに見辛いなと思い、入れる。小説でやっている時が一番楽しいが、この日記でやっている時も結構たのしい。見た目と音を自分の好きな文でいつでも再現可能にしておく。ほとんど意味はない。あってもあまり意味がないし。
希死念慮のないただのうつ状態に久しぶりに陥った。とはいえ数時間で回復したと思うのだが。これは肉体疲労がないぶん、薬がよく効いている。この数日仕事を休みっ放しなので、肉体疲労がない。今日はびっくりする事に仕事をさぼった。とくに体調は悪くなかった。仕事に行くことを考えるだけでパニックになり、ただただ行きたくないというだけで休んだ。用意する時間も起きた時間も、仕事に行ける条件は何もかもが完璧だった。私自身だけが全く仕事に行ける状態ではなかった。なんでやねん。兎に角もう、自分にこれが最後だよ(さぼるのは)と言い聞かせて休んだ。とても悲しくなったが、欠勤の連絡を入れたのちパニックは治まって、気づいたら3時間寝ていた。すでに8時間は寝ていたのによく眠れるなあと思った。今「よく眠れる」ということにはっとしてずつーるを確認したら、その時間がちょうど気圧低下していた。なんだ。気圧か。もうそりゃしょうがねえ。今まで偏頭痛が酷くてその影に隠れていたのだが、気圧が下がるとかなり落ち込むしパニックになりやすいし、最終的に寝る。まさに今日のパターンだった。最近、というより、独居になってから、偏頭痛がぱったりと消えた。注射も打っていないが、薬を飲むほどの痛みも、月に2回あるくらいになった。今までは注射を打ってなお、月に10〜15回薬を飲んでいた。注射を継続した効果が出たのか、生家からのストレスから解放されたからなのか、どちらもなのか、分からないが、とてもとても、らく。痛みがないというだけで可処分時間が増える増える。仕事中も痛みがないので目の前のことに集中できる。朝起きて爆発的に痛くて吐きそうという思いもしなくてよくなった。注射の効果だとしたら、全偏頭痛民に勧めたい。エムガルティという1本1万3500円(保険適用済)の注射を。3ヶ月分買って自己注射するので、3ヶ月に1回は4万円近く出費するのだが、基本的に高額医療制度で2万くらい返ってくる。私はこの注射を打つことで再び働けるようになった。
ということで夕方にはふらふらしながら、1メートル歩くのに3秒かけて(体感)セブンイレブンに行った。前回コピー用紙が切れた時にもたもたもたもたして最終的に私が主導権を奪い取って勝手にセットし蓋を閉めた時の店員がまた居て若干気まずかったが、私はその時も今日も別に怒っていた訳ではなく、ごくふつうの客だったため、まあ、見逃してほしい。そしてチョコレートが食べたかった(1年に1回だけ黒いチョコレートが食べたくなる)のだが、無かった。マシュマロも食べたかったのだが、無かった。プリングルスも、無かった。手頃な冷たいコンビニスイーツも、全然なかった。おいおい。全てにおいて「負け」じゃねえか。しかし他のものでどうにか糖分をしこたま、一応シーザーサラダも買って、またふらふらと帰った。そのうちの何割かを食べ、冷蔵庫にしまい、𝕏を見ていて時間が経った。やや回復し皿を洗い、歯磨きをし、爪を塗るまでにいたった。
私はほんとうに「働きたくない」人種だ。小学生のころ、働かなくていいという理由だけで大学教授になりたかった(一生勉強だけしていればいいなんて夢のような仕事だ!)。何よりも勉強というか、紙に字を書くことが好きだったので、勉強だけしていたかった。考えることも好きだし。しかし高校一年でその時は来る。成長期・思春期・うつがセットで襲いかかり、ほとんど睡眠障害になり授業は起きていられず、起きていても何を言われているのか全く分からず、考えることも覚えることもできず、という直面したことのない事態に陥り、勉強は全くできなくなった。(25歳で治療が成功してから、高校の勉強の文系科目は独学で終えた。塾講師として高校生に教えながら。)
本当に働きたくなかった。なんならもう、動きたくなかった。うつで余計に体は動かなくなり、生きること自体がきつくなった。兄は働かない人だったので、兄が許されてなぜ自分は働かなければいけないんだという思いと、兄が働いていないぶん、私が働いてせめて社会に貢献しなければという思いをふたつ抱えていた。とにかく兄のあけた穴の補填に忙しい人生だった。そんなことはあの親たちのもとに生まれた時点で、瑣末なことだが。
それが、19で初めてしたアルバイト、通信販売の受電が、もう、びっくりするくらい自分に合っていて、びっくりするくらい評価され、働くのは異常なほどの緊張をともなうものの(毎回駅のトイレで下痢してから出勤していた)、もしかして…これは…人に褒められるチャンス!ということに気付いた。私は非常に人に褒められたいタイプの人間である。浪人中の12月まで働いて、そのお金で冬期講習に行き、受験した。
大学時代、マクドナルドのアルバイトは、「世界一自分に向いていない職業」だと思っていたが、友人の勧めで始め、本当に向いていなかったし、うつが激化していたので毎日に近く号泣していたが、これも楽しかった。笑顔だけは良いと褒められた。あと、深夜の清掃は褒められた。スピードに追われる、かつ体と頭を同時に動かす仕事が世界で一番苦手なのだが、マクドナルドはまさにそれだった。しかし、それを1年ほど経験したことで(もちろんずっと一番下っ端のクルーだった)、接客だけは自信を持てるようになった。新卒のSEはまったく頭が働かず、精神科行きとなったが、そのおかげで病気が判明し(うつ症状の重い双極性障害2型)、いよいよ書店のアルバイトとしての人生が始まった。これはもう「楽しい」しかなかった。最初の店舗がおそろしくブラックだったため、かなり厳しく躾られ、昭和的な思想でガチガチにされ、ここでも毎日号泣していたが、��にかく楽しかった。掛け持ちの学習塾は、全く仕事という感覚がなく、お金が貰えなくてもボランティアでやりたいくらい本当に楽しかった。緊張感など一秒も感じず、人に教えるのが楽しすぎて夢中になった。ちなみに働きすぎて27の時に大宮駅で倒れた。このようなことを何回か繰り返して今に至る。書店も慣れてくるとだんだんやることがわかってきて、こちらも緊張を感じなくなった。今の店舗は書店ではないが、似たような小売で、系列店舗での経験もあるためそこまでハードルは高くない。ただ肉体への負担がかなり大きい。一秒も休めない。文字通り休憩がないシフトなので、とにかく隙を見て水を飲みに行くしかない。この辺りも慣れてくれば自分のペースが掴めるだろう。初っ端からコロナで5日間欠勤して、かなり体力も落ち、今のところ最悪なスタートを切っている。ただ、諦めずに食らいついていけば、というと大袈裟だし気負いすぎかねないので注意が必要だが、できる範囲で通い続ければ、きっと大丈夫だろう。今度こそ、というか今回は久しぶりに2年程は勤務し続けたい。2年勤続することが、私にとってはかなりのハードルだが、さまざまな症状が改善しているので、今回は行けるのではないかと思っている。まあ、だめでもあまり落ち込まないように。でもなんか、できる気がしています。
2023.8.2
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oppositesex · 1 year ago
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「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。
 諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」
「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。
 それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。
 今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」
「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。
 ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」
国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」
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tokyomariegold · 2 years ago
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2023/2/4〜
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2月4日 型抜きを買ってクッキーを型抜く日! なのでネイルオフをしてもらいに、朝はネイルサロンへ行った。
上野で待ち合わせをして合羽橋へ向かう。 合羽橋の道具屋街のビルに、バルコニーがコーヒーカップになっているデザインの建物があったり、コックのおじさんがそびえ立っていたり、たくさんの食品サンプルが実際の食事よりも高価だったり楽しい街。 またふらっと遊びに行きたい。
1階から8階まで型抜きがずらーっと並ぶお菓子道具屋さんで、3人それぞれお気に入りの型を��つけて買った。 友人は小さい魚とうさぎ。わたしはおばけちゃんにした。
上野駅横の首都高は改築工事をしていて、日本橋の首都高を地下化して空を取り戻す計画、の一環らしい。
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クッキーを作るため、友人の家へ移動。 移動中に見えるスカイツリーや川で、自分の住んでいるまちとの位置感覚を掴んでいて、まさかスカイツリーが、川が、シンボルとして自分の生活に入り込む日が来るなんて〜、と思った。
友人2人は、小さい頃おばあちゃんの家でクッキーを焼いていたらしい。クッキー用のミックス粉とバターをスーパーで買って、やっぱり節分を過ぎて春が来たのか、暖かいね、と言って歩いた。 誰かのお家に行くと、みんな生活をしていてえらいな〜、という気持ちになる。 今1番の苦痛で抗いたいものが生活になってきている。生活のために社会にも出ているし、生活が忙しくて頭が毎日混乱していて、生活をさぼると精神衛生がよくない。そしてずっと回っていくんだな、と思わせてくる生活って怖い。
クッキーを作りながら、写真を撮ったり色んな話を取っ替え引っ替えしたり、昔、みんなでガスコンロでマシュマロを焼いた日のことを思い出して、こーゆーことしたい!という事ができて幸せだった。
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この数日、すごく不安でSNSにも頼れないで、でも漠然と安定した30歳でいることが悲しかったので、今日の型抜き会はとても救われる時間だった。
バターを溶かしている間に、バレンタインのチョコレートを交換しあった。特に予定してなかったのに3人ともそれぞれ用意していて、幸せな机の上になった。
今朝、3時ごろ目を覚まして、レトルトのほうれん草カレーをそのままスプーを突っ込んで食べていた話をしたら、友人1人はあんバターサンドを作って食べていて、もう1人はグミを食べていて、なんか少し安心した。 カレーを食べながら、IMAのコンペの講評トークのアーカイブを鑑賞した。久しぶりに長島先生のお話を聴けて、少し遠い存在の人から自分の写真について話してもらえて、これは幸せな事で、やっぱり写真を通して人と関わりたい、と思った。 写真、というか、私がしてきたこの7,8年間の生活を、みてもらえている感覚。写真を通して人と関わることが、1番望ましい自分との出会い方なのかも知れない。今は具体的な方法はわからないけれど、生活と写真をどうにかしたい。
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2月5日 昨日のクッキー作りの会が幸せだったな〜、と色々思い出しながらも、生活がだるくてしかたない1日。 昨日クッキーを作った3人は、それぞれ誕生日の季節が違う。みんな自分の季節でない秋が好きなので、秋に祝いたいね、と合同誕生会を秋にすることに決めり、Perfumeのチョコレート・ディスコの“なぜか教室がダンスフロアに”は、聴き取れないよね、と話したりした時間がとても良かった。
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そして今日はフィルム現像を待つ間にデパートのチョコレート売り場を眺めた。モロゾフのナインチェチョコを思わず買ってしまいそうになったけれど、ちゃんと手を止められた。 他のフロアでは5のつく日にくばられる100円引きクーポンをもらって、クーポン墓場(お財布)へ行く前��、お花を買って使っちゃおう!と思ったところで、こんなと前にも日記に書いたな…と思い出す。 ��日はお花を買うのをやめた。
帰宅するとamazonセールで買った、本当に必要なモノ、だけが入った段ボールが置き配されていた。
本当に生活にまみれていて、よくわからないことがなくて、悲しけれどずっと真顔。 生活したくないのに目の前のちょっとした汚れを落とすことに身体を使っている。
何となく昨日行った友人の部屋を思い出しては、今頃あのソファに座っているのかな?とか台所でお湯を沸かしているのかな?とか時々他人の生活までも考える日だった。
わけの分からないことをすることに歯止めばかりかけていて、もらったハンドパックをした直後にガシャガシャ手を洗った事くらいが、今日の私の面白さのハイライト。
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2月6日 忌引で休暇していた上司が今日から出勤されていて、社会人として当たり前のことなのだろうけれど、えらいな〜…と思ってしまう。 必要以上に振られた他愛ない話を広げてしまっている自分がいる。 なぜ私の方が気が動転してしまっているんだろう。 そして今日は血糖値お化けをしてしまっている。 朝からコンビニを梯子して食べられるお菓子をさがしてしまい、買ったものを全部一口ぐらいだけ食べて捨てて、をしてしまった。 昨晩NHKオンデマンドで観た某女子校の29歳の同窓会のドキュメンタリーに、大学時代のサークルの後輩が出演していて、思わず彼女にスクリーンショットとメッセージを送ってしまった。 私は、彼女と、彼女の高校時代の友人達(バンド仲間、といってしまうのはおこがましい程のとても愛おしい関係の方々)の関係性がとても好きで、彼女以外の方と直接面識はないけれど、彼女達のSNSを今でも見に行ってしまう(フォローはしていない)。 初めて会った時、こんなに若くて(一つしか違わないけれど)コンセプチュアルにセルフプロデュースできる女の子がいるなんて!!!と思って、今でも私にとってはアイドルでしかなくて昨日のメッセージを送るの��少し緊張していた(お高い感じは全くない、とてもかわいくて気さくな彼女なのに)。 その番組を観ていて、29歳の同窓会という文字に、29歳ってだいぶ大人だな〜とふと思って、私はそれをもう超えていることに一瞬で落ち込んだりもした。 友人からのラインを確認しようとして、届いていたメッセージの文頭から、妊娠の報告なのかもしれない!と察知して、なんだかどうしていいか分からずメッセージを開けずにいる。 オンライン機種変をしたiPhoneを途中駅のauショップに受け取りに行かなくてはいけないのに、全てが面倒でふらふらで、今日はやめておこうかな、と思っている血糖値お化け。
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2月7日 ちゃんとiPhone14を受け取りに行ったよ。えらい! ショッピングモールの3階のテナントがauショップ。3階は主にレストランフロアなので今まで行ったことがなかった。 平日の夜のショッピングモールって従業員の方が多いんじゃないかな、というくらい穏やかで、でも不思議と閑散とした印象ではないのは、このまちの雇用を守って回っている経済が確かにあるからなのかもしれない、と思った。 ショッピングモールのテラスや外の広場は、上品に程よくイルミネーションが施されていて写真を撮りたくなる。バスから降りて歩く30分ほどの道でも、あ、ここで写真を撮ってみたいかも!と思うスポットがいくつかあるのに、今朝もカメラと三脚を玄関で持ち上げてはその重さに断念してしまった。 長島先生の講評を聞きながら昼休みを過ごしている。 セルフポートレートのこともだけれど、先生はキャプションをとても大切に考えていることがよくわかって、文章と写真のことも考えたいと思っていたので、その辺りもお話ししてみたいな〜、と思った。 ムキムキにならなくても三脚とカメラを持ち歩いてどこでも自撮りをしたいし、 頼り甲斐がない物言いのままでも、自分と同じ内容を言っている年上の上司のように社会の人たちに話を聞いてもらえるように���りたいし、 がに股で歩いて舌打ちしないでも夜道で変なおじさんに暴言を吐く当てにされないように、30年で培ったどこまでもふわふわへにゃへにゃな自分を、 誰かでなくて自分で守っていきたい。 年賀状のお年玉は一枚も当選していなかった。
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2月8日 2期下の方をお昼のおしゃべり相手にお誘いしてみた。 半分は写真を撮って過ごして、半分をお話する時間に充てて昼休みを過ごしてみる。
ご飯を食べられないので、ひたすら歩いてラジオを聴いたりトークイベントを聴いたりして過ごすお昼休みを、誰か他愛無い身の上話をして過ごして、いつものお昼休みに起きている時間の使い方の迷いや後悔の焦りがなかったので良いことなのかも知れませんね。 でもとてもあれ?えっとなんだっけ?という気持ちで、帰り道を歩いてた。 そろそろ日記をノートに書く余裕がある気がする。 でもここでノートに戻したら、その瞬間また寒気が舞い込んで来る気がして、寒さは心理戦。
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2月9日 今日は三脚を持って出勤して、少し写真を撮ることができた。 そして、とても楽しかった。 明日の東京出張が、また雪予報でどうなってしまうか不安だけれど、フィルムを出して現像の合間に用務を済ませて、帰りに受け取って帰る予定を立てたので、楽しみになっている。 今は自撮りと一緒に伝えたい言葉が明確にあるわけではないけれど、自分の置かれた環境が変わったところでもう一度我に帰りたいと思って、三脚立てて写真を撮ってみている。 バスを途中下車して帰り道でも写真を撮るぞ〜と思っていたら、一期下の方に声をかけてもらって、お話ししながらバスに乗った。 「今日はこれから写真を撮って帰るので、わたしはここで降りますね」と言って三脚をガタガタさせながらちゃんとお断りを入れて途中下車させてもらった。こんなに堂々と写真を撮っていて、そのことを他人に話していて、わたし大丈夫かな? 職場の二期下の方はベローチェを知らない。時間つぶしにカフェに入るようなことはしなくて、車でわざわざカフェに出かけるとのこと。もう2時間も居座ってしまった���ら流石に移動しようかしら、と、ベローチェからドトールへカフェ梯子をするような経験はないのでしょうね。 スタバよりベローチェのある街が都会だと思っています。
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japanpromos · 1 year ago
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【2023年版】父の日ギフトのおすすめ!お父さんにきっと喜ぶプレゼントを贈りましょう!
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父の日は、毎年6月の第3日曜日に祝われる特別な日です。2023年の父の日は6月18日(日)です。
母の日と同様に、お父さんに喜んでもらえるギフトやプレゼントを贈りましょう!あなたの気持ちを込めた素敵なサプライズを用意して、感謝の気持ちを伝えましょう。
なお、JapanPromosと一緒に父の日には特別な贈り物で、お父さんの笑顔を引き出しましょう!
グルメ・スイーツのギフト
父の日には、グルメやスイーツのギフトは喜ばれること間違いありません。豪華な食事や甘いお菓子で、お父さんの特別な日を彩りましょう。高級なお肉や新鮮な海産物の詰め合わせ、チョコレートやケーキのセット、クラフトビールやワインのセレクションなどが人気です。お父さんの好みに合わせて、特別な味わいを贈りましょう。父の日には、美味しい食べ物を通じて感謝の気持ちを伝えることができます。
浜名湖で贅沢なうなぎ蒲焼き・白焼き
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贅沢なギフトですから、ご注文完了後またはご指定日時の上で、活うなぎを発送日当日に捌いて、冷蔵便でお届けされますので新鮮品を保護します。うなぎ蒲焼の商品は朝じめうなぎ(蒲焼き・白焼き)や朝じめうなぎ溶岩焼き(蒲焼き・白焼き)や純浜名湖産の特選うなぎ蒲焼きの3つの種類があり、セットご購入でお得になります。
人気のうなぎのシリーズの他に、浜名湖では生牛肉ユッケ、三ケ日みかん100%ジュース、Poke扇などがオススメです。
さらに、浜名湖では父の日限定の特別ギフトパッケージを対応し、はがきサイズメッセージやラッピングなどサービスが無料になります。
浜名湖クーポン・キャンペーン情報はこちらへ
俺のECの父の日ギフト
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本格フレンチやイタリアンの高級食の専門店「俺のEC」は俺のフレンチや俺のイタリアンなど対象のセットをご注文すると、なんとポイント2倍!父の日ギフトとして俺のECのオリジナルメッセージカードが同梱されます。
お父さんに美味しい食事を贈って、特別な日を演出しましょう。配送指定も可能ですので、遠くにいるお父さんにもお届けできます。思いやりと美味しさを詰め込んだ俺のECの料理で、お父さんを喜ばせてみてください!
俺のECクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
JAタウンでの父の日 ギフト特集!抽選で1,000円OFFクーポン
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JA全農が運営するJAタウンでは、父の日ギフト特集が開催中です。お肉やお魚、フルーツ&野菜、お酒、スイーツ、ソフトドリンク、フラワーなど、さまざまなカテゴリーのプレゼントが揃っています。
さらに、父の日商品を購入するとJAタウンのオリジナルメッセージカードが付いてきます。
6月13日までの購入者の中から100名様に1,000円OFFクーポンが抽選でプレゼントされます。お父さんに感謝の気持ちを贈るならJAタウンでお買い物をしましょう!
JAタウンクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
Cherie Brinのオリジナル写真入りケーキでスペシャルギフト!
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お父さんが甘いものが大好きなら、父の日には特別なケーキを贈ってみるのはいかがでしょうか? 写真ケーキ通販のシェリーブランでは、ご家族の写真を入れたり、専門家によって描かれた似顔絵をオリジナルケーキにして贈ることができます。これはお父さんへの素敵なギフトの一つです。
Cherie Brinクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
ファッション・ビジネス小物
父の日にファッションやビジネス小物のギフトを贈るとしたら、お父さんの好みやライフスタイルに合わせて選ぶと喜ばれると思います。アウトドア派のお父さんなら、ポロシャツや帽子、サングラスなどのファッションアイテムが人気です。お家好きなお父さんなら、パジャマや甚平、ルームウェアなどのリラックスアイテムが定番です。予算に合わせてセットギフトや名入れギフトもあります。父の日には、日頃の感謝の気持ちを込めて、ファッションやビジネス小物のギフトを贈ってみてはいかがでしょうか?
ORIHICAでの父の日ギフト2023特集
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お父さんにビジネススーツ・アイテムで贈り物とする場合はORIHICA(オリヒカ)の【父の日ギフト2023】をご参考になれます。
ネクタイやベルト、タイバー&カフリンクス、プロシャツ、カジュアルシャツ、Tシャツなど個別のアイテムからおすすめコーディネートまで特集しています。また、プレゼントの選びに困っていた方におすすめの読み物(コラム)もあります。
ORIHICA公式通販でのご注文の際に、ご希望内容にて無料で簡易ギフトラッピングをご選択可能です。ぜひ、ご利用くださいね。
ORIHICAクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
JOGGOのレザー・革製品のオーダーメイドで最適なプレゼント
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財布を贈るならレザー・革製品のオーダーメイド「JOGGO」のおすすめです。14色で「本革長財布」「二つ折り財布」「ラウンドファスナー財布」「L字ファスナー財布」「コンパクトウォレット」「コインケース」などお好きなアイテムを自分でオリジナルをつくり、更に名前が無料で入れるサービス!そのオリジナルアイテムでお父さんのお名前を入れると唯一になる父の日ギフトがおすすめです!
JOGGOクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
北欧腕時計のNordgreenで父の日ギフトのおすすめ!
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父の日には、Nordgreen(ノードグリーン)の腕時計をプレゼントするのはいかがでしょうか。Nordgreenは、北欧デザインの美しさと機能性を兼ね備えた腕時計ブランドです。
2023年新発売のコレクションには誰にも愛されるタイムレスなデザインがオススメです。また、サイズやカラー、ストラップなどを自由に選べるカスタマイズセットで父親や夫、彼氏などに喜ばれること間違いなしです。
Nordgreenクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
健康グッズ・安眠寝具
父の日には、健康グッズや安眠寝具のギフトを贈ると喜ばれるでしょう。健康志向のお父さんには、フィットネスグッズやマッサージ器、健康食品などがおすすめです。また、質の高い枕やマットレス、快適な寝具も良い選択肢です。お父さんの快適な睡眠や健康促進に役立つアイテムを贈って、心と体のリフレッシュをサポートしましょう。
nerucoの電動ベッド・介護ベッドのおすすめ
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国内最大級ベッド通販専門店「neruco」では5,000店以上のベッド・寝具の商品を取り揃えています。中には、電動ベッド・介護ベッドの商品をお父さんにプレゼントするのもおすすめです。簡単なリモコン操作で背上げられ、読書したり、テレビ見たりすると自然体が感じられます。父の日に電動ベッドを贈るのはぴったりです!
nerucoクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
マイまくらのオーダーメイド仕立てギフト券
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お父さんは毎日仕事や家事で忙しいですよね。そんなお父さんには、心地よい睡眠をプレゼントしてあげると、喜ばれるはずです。マイまくらでは、お父さんの体型や好みに合わせて作るオーダーメイド枕だけでなく、そのぴったりの枕を10年使い続けられる「仕立てギフト券」でお父さんの枕が買い替え不要になり、寝心地の満足度が保護します。
ご希望の方には無料でマイまくら専用のメッセージカード「Happy Father Day’sカード」、ギフトラッピング&熨斗付けのサービスを提供しています。お気持ちの言葉をお伝えたいならご注文の際に、備考欄にご入力ください。
マイまくらクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
贈る花の色やギフト
男性も花を贈られると喜ばれることが多いです。母の日には赤いカーネーションやアジサイなどが代表的なフラワーギフトですが、父の日には黄色いバラやひまわりが定番の花とされています。父の日のギフトに花を添えると、感謝の気持ちを表現する素敵なプレゼントになります。
HitoHanaの父の日特集
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HitoHanaでは、父の日花ギフトやアレンジメントを多数取り揃えています。新鮮なグリーンや初夏を感じさせるひまわりの花束はもちろんのこと、飾り付けが楽しめるアレンジメントや観葉植物、ドライフラワーなどもおすすめです。
さらに、父の日花ギフトを贈る際には、無料でメッセージカードやギフトラッピングのオプションが選べます。お父さんに心温まる花の贈り物をして、特別な日を彩りましょう。
HitoHanaクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
デパートから父の日ギフトを選ぶ
デパートのオンラインストアでは、お酒やグルメ、ポロシャツや革小物など豊富に取り揃えています。さらに、父の日に合わせてラッピングやメッセージカードのサービスもご利用可能です。
おうちでゆっくりとオンラインショッピングを楽しみながら、お父さんに喜ばれる特別なギフトを見つけてみてください。デパートならではの品質とサービスで、素敵な父の日の贈り物を実現しましょう。
au PAY マーケットの父の日特集2023
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auPAYマーケット通販サイトでは2023年の父の日ギフトを特集しています。
また、6月20日まで会員様限定に350円OFFクーポンを配布し、お父さんのプレゼント3,500円以上のお買い上げでご利用できます。auPAYマーケットの父の日クーポンは数量限定ですので、お早めに!
au PAY マーケットクーポン・キャンペーン情報はこちらへ
Qoo10の父の日ギフト特集2023
Qoo10(キューテン)の「THANK YOU Father’s Day」は、父の日ギフトに最適な選択肢です。特別なクーポンや割引クーポンが用意されており、生活雑貨、モバイル・家電、食品・スイーツ、お酒���ファッション雑貨など、おすすめのギフトが割引価格で手に入ります。
お父さんの好みや興味に合わせて、素敵なプレゼントを見つけてみてください。Qoo10を通じて、父の日に喜ばれる特別なギフトを手軽に入手できます。
Qoo10クーポン・キャンペーン情報はこちらへ
まとめ
父の日に向けたギフト選びは、お父さんへの感謝と愛情を表す素敵な機会です。2023年の父の日ギフトのおすすめアイデアをご紹介しましたが、お父さんが喜んでくれるプレゼントを選ぶときには、お父さんの好きなものや楽しむことを思い浮かべながら、心から選んでください。
ギフトに添えるメッセージやカードには、お父さんへの感謝の気持ちを込めて温かい言葉を添えてみてください。父の日を特別な日にするために、一緒に過ごす時間や思い出作りも大切です。
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cafelatte-night · 2 years ago
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2022.12.11
彼にわたしの最大の問題を打ち明けた。
もしそれ(私が恐れていること)が起こっても、I don’t care ぼくは全然平気、と。よかった。言ったら離れていってしまうのでは、受け入れてもらえないのでは、とあれこれ考え、言い出すまで時間がかかってしまったけど、ゆっくり待ってくれた。
2022.12.17
22時、仕事終わりの彼の部屋。パンクを聴きながら掃除して、終いにはダンスする彼についていけなかった。わたしよりテンションの起伏が激しい人だ。あれ、いつのまにかわたし結構落ち着いたな。
2022.12.18
クリスマスに向けて、ドンキへチョコレートやウイスキーなどを買いに行く。一緒に買い物すると、相性の良い悪いがわかると思う。彼はちょっと優柔不断で心地よい。
帰りにピザを買った。部屋に戻る頃には冷え冷えで、温め直して食べた。
少しずつ、ふたりのセックスのやり方が見つかってきた。果てる時の声と顔が切なくてすき。
2022.12.24
はじめてお弁当を作ってあげた。職場の入る商業ビルまで配達。お礼にカフェで紅茶を買ってもらった。2週間に一度、わたしは彼にお弁当を作り、彼にカフェで好きなものを買ってもらう契約を交わした。
昨日の夜、冷え込んだせいかエアコンが止まってしまい、よく眠れなかったらしい。かわいそうに。気づいたらセラミックファンヒーターを注文していた。これで、彼の部屋に泊まったときの脱衣所極寒地獄からも解放だ。二人で最高に快適な空間をつくろう。そこからもう二度と出たくなくなるような。
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ekimemo-blog · 2 years ago
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【8周年】ラッピングの裏話を大公開!
いつも駅メモ!をご利用いただきありがとうございます。 制作チームのコンノです。
前回「駅メモ!8周年ブログ  歴代周年衣装を振り返ろう!」で各周年衣装のラフを公開しましたが、今回は2022年に公開されたいくつかの過去のラッピングの裏話やラフを公開したいと思います。
スイートエンジェルvsビターデビル
まずは2022年2月に登場したラッピング、「スイートエンジェルvsビターデビル」です。
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天使と悪魔に分かれてマスターに手作りチョコレートをプレゼントするでんこたち。どちらの姿もドキドキさせられる魅力的なラッピングになりました。 でんこたちが素敵に見えるよう、カラーの調整や衣装の細部の調整を何回も繰り返してます。
わっしょい! お祭りでんこ
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次は2022年5月に登場した「わっしょい! お祭りでんこ」のラッピングです。 全国のお祭り衣装を参考にでんこたちに盛り上がってもらいました。 北海道から沖縄まで、こうしてみるといろいろなお祭り衣装があることに驚かされますね。実はでんこたちの衣装のところどころに『美子さん』が隠れていることにお気づきでしょうか。 ぜひでんこたちの衣装にかくれた美子さんも探してみてくださいね!
サマーリゾート2022
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そして2022年7月に登場したラッピング、「サマーリゾート2022」です。
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毎年恒例の水着ラッピング。回を重ねるたびに素敵な水着でおめかしするでんこたち。今年はほこねとうらら(タイソンも!)が大活躍しました! ほこねの水着は、南国をイメージした赤い水着と、リゾートをイメージしたストライプの水着。ヘアスタイルもそれぞれの水着に合うようにアレンジされています。 いつもおとなしいうららも、素敵な水着のおかげもあってか、テンションが高めの様子。タイソンも一緒になって楽しんでいる様子が可愛らしいですね。実は、うららがつけているシュシュはほこねとおそろいなんだとか! 細かいところにも注目していただけたら嬉しいです。
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さらに今年のサマーリゾート2022は二人の新しい表情にもご注目! 自分の想像上のうららに天使のような微笑み(通称イマジナリーうらら)を向けられてときめいているほこねの笑顔! そして、うららはやっぱり水着が恥ずかしかったのかタイソンで顔を隠してしまいました…… どちらもこのラッピングでしか見られない表情です!
そして、通称イマジナリーうららの調整前後の表情も特別公開です!
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うららの表情は調整前よりブラッシュアップされて、ほこねのなかのうららがどれだけ可愛いかがよりつたわってくる表情に調整されました。(イマジナリー)うららから情熱的な視線を浴びてご満悦のほこね。はたして本当のうららは……?
みなさんのご想像にお任せ致します!
終わりに
ここまでお読み頂きありがとうございました。
今回は今年出たラッピングを中心にラフイラストなどを公開しました。ここだけのラッピングの裏話などお楽しみいただけたら幸いです。これからも新しいラッピングが登場してきますので、どうぞご期待ください!
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kennak · 11 months ago
Quote
旧ジャニーズ事務所(現SMILE―UP.=スマイルアップ)の創設者、故ジャニー喜多川氏による性加害問題を巡り、俳優の服部吉次さん(79)が毎日新聞の取材に応じ、被害を訴えた。服部さんは、「東京ブギウギ」や「青い山脈」などのヒット曲を生み、国民栄誉賞を受賞した作曲家、故良一氏の次男。約70年前の幼少期に繰り返し被害に遭ったといい、旧ジャニーズの創業前から「子どもを餌食にしていたと伝えたかった」と語った。 ――服部家とジャニー氏の関係を教えてください。  ◆もともとは私の父が米国に公演に行った時に彼の父、諦道(たいどう)さんらの世話になったと聞いています。最初の公演場所はホノルルで、それから西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコなどでした。諦道さんという人は非常にやり手で、お坊さんにもかかわらず興行をしていたようです。  彼が東京都内の自宅に来るようになったのは1950年ごろ、私が小学校1年ぐらいの時です。両親ときょうだい4人、お手伝いさんや書生さんらと大きな家に暮らしていました。父はどのレコード会社にも顔が利くという、いわば大御所の作曲家でした。お客さんが非常に多く、あらゆる打ち合わせが我が家で行われ、芸能界の中心のようでした。喜劇俳優の古川ロッパや榎本健一、芸人のトニー谷ら多くの芸能人が来ていました。  ――ジャニー氏はどんな人でしたか?  ◆子どもだった私たちと一緒に遊んでくれる優しくて面白いお兄さんでした。米兵の帽子をかぶり、カーキ色の軍服みたいな服を着ていた時もありました。朝鮮戦争へ派遣され、日本に帰国した後も来ていたと思います。将来を見越して芸能界にコネを作っておくという狙いがあり、出入りしていたのでしょう。  本当はいけないんだろうけれど、軍属のような立場で自由が利くから、チョコレートとかキャンディーとか、いろんな物を買ってきてくれました。時には冷蔵庫や、洗濯機も彼を経由して買っていたようです。お金は払っていたんだろうけど、日本にはないし、あっても値段は全然違いましたからね。13歳年上でしたがトランプなど���一緒に遊び、父は彼を「ヒー坊」と呼んでいました。  ――どのような被害に遭ったのですか?  ◆彼は週末、しょっちゅう泊まりに来ていました。泊まるのは私の部屋と決まっている感じでした。そうした時、布団に入って、下半身をまさぐってきました。  初めて被害に遭った翌日、彼が帰ってから、五つ上の姉にこういうことがあったと半ば相談するような形で話したら、途中で「やめてそういう話は。気持ち悪い」と言われ、誰にも話さなくなりました。彼は口止めするようなことはなく、次の日は全く触れずいつも通りにふるまっていました。姉だけが知っていたけれどもほかのきょうだいにも話さなかったでしょう。  子どもでしたから世の中のことは何もわからないし、されていることの社会的な意味は、全くわからなかった。被害はエスカレートし、口腔(こうくう)性交や肛門性交も強要されました。2年半ぐらいの間でおそらく100回ぐらいになると思います。家に来なくなったのは、彼が事務所をつくるとかで忙しくなったからでしょう。  ――7月に記者会見し、被害を訴えた経緯は?  ◆いろんな要素がありますが、一番大きな影響を受けたのが、当事者が性的被害を訴える世界的な「#MeToo運動」です。米国のエンターテインメント界の女性たちが声を上げました。何度か妻と一緒にフラワーデモ(日本各地で開かれる性暴力への抗議活動)に参加しました。  妻から「あなたも話す?」と聞かれたことがあります。その時は勇気が持てず、やるとは言えませんでした。それがトラウマになって、だんだんと、沈黙するのは性加害に加担していることと同じで罪だと思うようになりました。  そしてジュニア(ジャニーズJr.)が動いて、やっと自分も話す時が来たと考えました。芸能界の中だけでなく、それ以前から子どもを餌食にしていたことを伝えたかったのです。被害から約70年たって自分はようやく性被害の話ができました。少年時代の負の部分を清算でき少しほっとしました。
旧ジャニーズ創業前から「子どもを餌食に」 服部吉次さんが被害証言 | 毎日新聞
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miyakoda · 10 days ago
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「2024年10月ツアー」 報告3.
そうです。ぷち事件。
『最弱の壁に救われる』
一子さんが、岡山、蔭凉寺にて部屋の中を小走りで移動する姿を見て、
(それは家でもいつもそうらしいのです。部屋が広い狭いに関わらず
なぜか走るらしいのです)
「えーまた、走ってる、一子さ〜ん」と
笑いながら軽口を叩いていたわたくし。
その時私は、自分を待つその先の運命をまだ知らない、、、。
リハーサルが終わって、ホテルに戻り支度することに。
再入場の際、お客様と会わないように
勝手口を住職に教わりました。
引き戸を開け、最初に一子さんが出ました。
次に私が出たところ石段の数か段差の距離感を勘違いしていたのか
(というか初めての階段なのに足元を見ていなかった)
軽く飛び降りた(踏み外したような)格好に。
ほぼ終わったなのバランス崩しで、
私は藁をも掴むごとく、
前に居て驚いた表情の体重30キロ台の華奢な一子さんにぶつかって
転倒を免れました。一子さんが居なかったら、、、怖っ
2年くらい前に実家で目測を��って
玄関上がり口から土間へ
顔や手を打ちつけた間抜けな事故を思い出しました。
あの時は、プラスチックのゴミ箱があり
それをクッションにというか箱もろとも崩れ落ち大事には至らなかったのですが
今回の救いの主は一子さんでした!ありがとうございます〜😭
ライブできなくなるところでしたよ。転けていたら。
「Vela」最大のピンチだったかも。身体さえ会場に持っていければ大丈夫。
最低限すぎる設定ですが、無事ツアーを終えることができました。
実は背後に浮いていた(楽しくて浮かれていた)事実が、、、
本番当日の午前中
街散策に岡山駅まで歩き、翌日の新幹線のチケット購入し
駅前の老舗ホテルのラウンジで一粒のチョコレートと紅茶の贅沢な時間を過ごし
かつ、帰りには憧れの路面電車に乗ってホテル近くまで戻り
目の前の公園で開催されていたフェスでランチ用にピザと四国の早生みかんも購入。
やりたいこと全てやり切ってリハに備えていた訳です。
普通、リハ前にその動きしないですが前乗りだったので余裕がありました。
そして、ぷち事件発生と繋がる???💦
次回予告
「金沢 古着巡りの旅」
またしても浮き気味??
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nemu-oyasumi · 27 days ago
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母の誕生日にジビエ料理屋さんを予約した。
なんでも喜んでくれる母はとても可愛い。
顔はもちろん、所作が可愛い。
わたしもそんな風に歳をとりたいな。
年齢はただの印に過ぎないけれども30歳目前にして、お肌がすごい速度で曲がり角を曲がり出している。
あと確実に痩せにくくなっているし、腰痛で整骨院にも通いだしている。
自分を労わりながら、いつまでも可愛いと思える外見と精神を保っていきたい。
健康診断でコレステロール引っかかっちゃったから毎日のチョコレートをやめなければならない。これは悲しいこと。
でもこういうのって本当は全部気にしなくてもいいことなんだよ多分。
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