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#青花黄釉
catonoire · 6 months
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「オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展
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早稲田大学 會津八一記念博物館で「小野義一郎コレクション オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展を見る。西アジアの古代ガラスやイスラーム陶器、エジプトのコプト織、東南アジアの陶磁など約80点が展示されている。古代ガラスはこれまで見る機会が多少はあったものの、まとまった数を見るのは初めて。コプト織はまったく未知の領域。東南アジアの陶磁も、散発的に見たことならあった気がするけど……という程度。そんな自分にはおあつらえ向きの企画展で、新鮮な鑑賞体験ができた。また、たとえば古代ガラスだと、ガラスの歴史を通観する展示のなかで見るのと、考古資料の展示の一環として見るのと、古代ガラスだけを集めた展示で見るのとでは、見えかたが違ってきたり、ひいてはそこから気づくことも違ってきたりする。同一ジャンルに属する文物を異なる文脈で繰り返し見ることができるのは幸いである。
さて、メインビジュアルに採用されているのは、ガラスの面カット装飾浅鉢。サーサーン朝時代、4〜6世紀、イランあたり。この下の自分の撮った写真より、上の展示室風景のビジュアル写真のほうが装飾がいくぶん見やすいかもしれない。
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円形切子装飾椀。サーサーン朝、5~7世紀、東地中海沿岸。全体的に黄白色なのは風化のためで、本来は淡緑色の透明ガラスとのこと。円形にカットされた装飾が確認できる。風化した風情も正直なところ好きなのだが、「いまでこそ経年変化で時代がかった見た目になっているけど、作った当時は古色はついていなかったのだから、元の姿を想像しながら見よう」と思いながら(心の目で)見るよう努めた。
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次の2点はイスラーム時代のガラス。左は12~13世紀、シリアかエジプト、マーブル装飾扁壺。文様がちょっとラテアートっぽい。右は型吹長頚瓶、11~12世紀、イラン。香水を散布するために使われたもの。10世紀ごろ蒸留技術が確立してバラ水などが普及したことから、このようなガラス製品が作られたものと見える。
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ローマ時代のミルフィオリ・パテラ形杯。前1~1世紀、東地中海沿岸。棒ガラスを組み合わせて金太郎飴のように輪切りにして文様を作っている。
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これもローマ時代、型吹双面瓶、1世紀後半〜2世紀、東地中海沿岸。微笑んでいる顔と怒っている顔が型吹きの技法で作られている。
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前期青銅器時代、紀元前2300~前2000年ごろの土器、掻落彩文杯。シリア北西部で出土したもの。直線や波線の文様はヘラのようなもので掻き落として作られている。
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ラスター彩人物文鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。2人の女性が描かれている。
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藍釉鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。
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色絵金彩鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。花のような太陽のような星のようなものが描かれている。白釉の上に藍彩で下絵付けをして焼成し、その上に色絵金彩で上絵付けを施す、ミナイ陶器と呼ばれるタイプらしい。
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コプト織は、エジプトの遺跡から出土する染織品の総称で、必ずしもコプト教と関係があるとは限らない。下の2点は6~7世紀のコプト織で、左は踊る女たち、右は馬に乗る男の図柄。
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10~11世紀の幾何学文のコプト織。
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左は4人の聖人が並んでいる図柄、7~8世紀。右は5~6世紀、幾何学文だが、ふたつの四角形を組み合わせた形はキリストの十字架を表現したものらしい。そして貴重な染料で紫色に染められている。
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蕾モチーフのコプト織、6~7世紀。蕾のモチーフはコプト織でとても好まれていた由。
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クメール陶器、黒褐釉象形壺。12~13世紀。壺の高台が象の4本脚になっていてかわいらしい。象は背中に宝珠のようなものを背負っている。
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クメール、12~13世紀の黒褐釉線文壺。黒褐釉の平壺はクメール陶器の典型のひとつだそう。
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クメール、11~12世紀、施釉刻線蓋付高坏。須弥山を模したと思しきこの形もクメール陶器の特徴とのこと。アンコールワットなどのクメール建築とも相通じていておもしろい。
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ベトナム、14世紀、鉄絵草花文椀。ベトナム産の鉄絵陶器は日本の大宰府などからも出土しているとか。海外へ輸出するために数多く生産されたらしい。
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ベトナム、15世紀、青花神獣文���。獣類の長である麒麟と鳥類の長の鳳凰が描かれている。
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タイ、14~15世紀、青磁刻線文双耳小壺。小さくてかわいいやつ。
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タイ、15世紀、白磁鳥形水注。
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タイ、15~16世紀、白・黒象嵌瓶。象嵌する土と胎土とでは耐火度や収縮率などが異なるため、ひび割れたり象嵌が剥がれたりしないためには高い技術力が必要だとのこと。つまり下の写真の陶器は手練の作なのだろう。
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fuxiauction · 3 months
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福羲艺赏---上海博物馆东馆之永宣青花精选
“诸料悉精,青花最贵”——明永宣官窑青花瓷在中国陶瓷发展史上占据着无与伦比的地位。以其胎、釉精细,发色浓艳,造型多样和纹饰优美而独树一帜,这一时期亦被称作中国青花瓷的黄金时代。
在拍卖场上,永宣青花是天价宠儿,在收藏家眼中,永宣青花始终被奉为圭臬,为收藏之天花板。
如果说元青花是初始版本,尚带有浓郁的草原民族之风,那么真正把青花器烙上中原文化特征的,则是永宣青花。永宣盛世,瓷器制作技艺精湛,风格大气疏朗,成为大明王朝恢弘气度的绝佳代表。永宣青花泼墨入画,博采众长,不仅是一种无上艺术珍品,更是大明王朝辉煌历史的见证者和对外文化交流的承载者。
永乐、宣德两朝官窑瓷器的制作较元代有更大的进步,其胎质细腻洁白、釉层晶莹肥厚、色泽古雅浓艳。后人赞之为“发旷古之未有,开一代之奇葩”,至此,中国青花瓷制作,攀上顶峰。
#福羲##青花##永宣青花##瓷器收藏##古董拍卖##艺术品收藏##拍卖投资#
详情咨询黄小姐 WeChat:HKFX6688
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galleryuchiumi · 4 months
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今度の日曜5月26日は都合により休ませていただきます。
さて、写真は「青花の会骨董祭2024」に並べます1650年頃イタリアで作られた高さ22センチほどの『白釉水注』です。薄い黄色の土に錫釉をかけたファイアンス焼です。その本場ファエンツァで焼かれたものかどうかは不明です。
美しい白の肌合いを持つ陶器はヨーロッパ中の憧れで、古くからヨーロッパ中に流通していたようです。
それを真似、製作が始まった一つがデルフト焼と言われています。オランダで発掘される白釉の焼物が全てオランダ国内で製作されたものでは無いようで、古いものはほぼイタリア製と言われています。フェルメール絵画の中で描かれている同じようなタイプのジャグも、もしかしたらイタリアのものかも知れません。
皆様のお越しをお待ちしております。
〈青花の会骨董祭2024〉
日時
6月7日(金)16-19時*内覧会(青花会員及び御招待者)·販売有
6月8日(土)11-18時
6月9日(日)11-17時
会場
√K Contemporary 東京都新宿区南町8
入場料 1000円
*2日間(6月8·9日)共通·小冊子付·再入場可
*青花会員は無料です
*入場券は8日午前11時より会場受付で販売します
#青花の会骨董祭 #青花の会骨董祭2024 #白釉水注 #jug #faience
#italian #イタリア #ファイアンス #水注  #ギャラリーウチウミ #galleryuchiumi
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fuyungo · 11 months
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闘彩(とうさい)、日本では、色絵付が青豆に似た瑞々しい淡緑色を主とした彩釉を使われている為、【豆彩】と呼ばれている。中国では、その焼き方から、まず青花で細い線の輪郭を描き、透明釉を施し、1300度の高温で、形を作り、再び赤、緑、黄色を透明釉の上で添色し、低温焼成で完成品になる。完成品に釉上彩と釉下彩の諸色が鮮��かに表れ、まるで綺麗さを争うようになっていることから、【闘彩】と呼ばれている。闘彩の技法は、明成化年代初期に誕生したが、その技術の要求がとても難しく、なかなか良いもの出来ない、「明成化闘彩鶏缸杯」は、最高傑作品とされている。成化以降二百年間余り、明、清各年代の皇帝がその時代の官窯に命じて、模倣品を作らせたが、いくら出来が良くても、「明成化闘彩鶏缸杯」に使われていた原料の陶土は、成化年代で使い切り、同じ原料が無い為、二度と同じものができない。焼き物を愛した清朝の乾隆帝が作った詩の中で、「寒芒秀采総称珍、就中鶏缸最為冠」という句があり、古来、宮廷の中でも、チキンカップが珍重されていることが分かる。
(【37億円】世界を驚かせたチキンカップ - 本郷美術骨董館 コラムから)
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david-a-b · 4 years
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#清代文物 #景德镇窑#青花黄釉#仿哥釉#葫芦形#长颈瓶 #碗礁一号#沉船 #临展 #浮槎万里:中国古代陶瓷海上贸易展 #国家博物馆 #东城区(在 National Museum of China) https://www.instagram.com/p/CIjsQKxJjfJ/?igshid=186mbf6wcmcr
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jdzwqtc · 3 years
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景德镇知名窑口,御嘉窑
御嘉窑始建于清朝末期,兴盛于民国时期。当时在(景德镇)原名昌南镇是传统的窑口之一,期间拥有窑工和画师数百人,主要烧制青花瓷为主。
明清时期的制瓷业是中国瓷器发展史上的一个顶峰,官窑和民窑的数百个烟囱昼夜红焰蔽空、烟火相望,可谓盛况空前。而且,各类陶瓷艺术品璀璨生辉。以青花瓷为代表的彩瓷:五彩、斗彩、素三彩、釉下三彩、珐琅彩、粉彩等集陶瓷艺术之大成,进入炉火纯青的境界。单色釉品种也在不断创新,其中有:黄釉、祭蓝釉、孔雀绿釉、豇豆红釉等等。
御嘉窑辉煌时期在景德镇有着居住轻重的地位,所生产瓷器远销海外,随着当时的大局变动,御嘉窑衰败。
直到90年代末期御嘉窑第五代传人复烧御嘉窑(柴窑)至今。拥有当代知名画师数十人,柴窑窑工数人。复制古人烧制方式,烧造柴窑青花瓷,颜色釉瓷。得到各界人事认可和熟知。
一比一复烧复制元青花和明永乐、宣德青花瓷、多件作品被各界博物馆收藏。
现为近代景德镇知名窑口,御嘉窑数百年的窑口得以复苏。现阶段以青花瓷,粉彩瓷,颜色釉作为基础,复制更多古人作品。
御嘉窑,小雅,九段烧,贵和祥(誉为当代官窑)
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hisoca-kyoto · 3 years
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朝から気持ちの良い青空の広がるお天気です。朝晩はとても過ごしやすくなり秋めいてきました。
テーブルも秋色に模様替え。実りの秋は美味しい食材がたくさんで料理するのも楽しい季節です。茶・緑・黄など料理を綺麗に引き立ててくれる秋色の器を中心に集めてみました。奥村陶房さんのキャラメルグレーズ17cにはお客様にいただいたフルーツケーキを。自宅では関口憲孝さんの黄釉の輪花鉢に肉じゃがを盛りつけたり、食卓に秋色取り入れても季節感が出て良いですね。(輪花鉢は完売しています。色味のご参考に)色のある器もお料理、お菓子と組み合わせる楽しみがあります。ぜひ色合いでも季節を感じてみて下さい。
今日は1日お天気良いので、ぜひお散歩がてらお立ち寄りくださいませ。
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soengineerfun · 2 years
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磁州窑的历史意义磁州窑是中国北方最大的民窑体系,是古代民间陶瓷的杰出代表。因其窑厂主要位于古磁州而得名。磁州窑的烧陶制瓷历史源远流长。古代磁州地域即今河北邯郸的峰峰矿区、磁县和武安等地,早在七千五百年前的新石器早期先民们就已经能够烧制陶器。磁州窑瓷器面向大众而品相纷华,在宋元众多瓷窑中风骚独领。它以施用化妆土为基本特征,创造了丰富的装饰技法,即有各类色釉装饰、刻划花、剔花、白地黑花、白地釉下绘划花,又有红绿彩、低温铅釉三彩和印花白瓷、印花青瓷等三十多种;尤其是 铁锈花技法突破了五大官窑单色釉的局限,具有传统水墨画的艺术效果并把中国的传统绘画、书法技艺与制瓷工艺结合起来,创造了新的综合艺术,开拓了古代陶瓷美学的新境界;为以后青花和五彩瓷器的发展开辟了道路。磁州窑的装饰题材丰富多彩,别具一格,画师们以极其潇洒的手法和高妙的画技,将民间喜闻乐见的花鸟鱼虫、珍禽瑞兽、山水人物、戏曲故事、诗词曲赋、格言民谚、婴戏杂剧等绘于瓷器,保留了大量古代民间绘画、书法及反映民俗民风的实物资料,形成了质朴、洒脱、明快、豪放的艺术风格及浓郁的民间色彩和鲜明的民族特色, 对国内乃至世界陶瓷产生了深远而巨大的影响。磁州窑瓷器的特征 由于磁州当地的瓷土含有少量的铁成分,经过高温烧成后胎体容易形成灰白或灰黄色。这对于持有“以白为美”审美观点的北方民众来讲,感到美中不足。磁州窑陶工们便巧妙地使用了白化妆的技法,使胎体形成白色的表面,制成了化妆白瓷。磁州窑装饰颜料使用的是当地出产的一种贫铁矿颜料,称之为斑花,主要用作白地黑剔花、白地黑花装饰,或加入在黑釉内增黑。磁州窑也生产宋三彩、红绿彩及翠蓝釉,则需要第一次素烧后,再装饰后进行第二次彩烧。低温彩瓷的胎骨由于采用较低温素烧,故多呈现红褐色,与高温烧成的化妆白瓷胎骨色泽不同。现代仿古瓷的低温釉配方与古代磁州窑存有差距,特别是绿釉釉面已不如古代的鲜艳。金代磁州窑红绿彩产品,红色纹饰使用了天然矾红描绘。古时的色料经过煅烧、反复淘洗、细磨制作而成。现在的仿古红绿彩则使用了现代化学颜料彩绘,因此,稍作化验即可辨别出真伪。在烧成方法方面,古代磁州窑使用馒头窑,采用煤炭烧制瓷器,通常需要烧成三天以上,才能完成。而现代许多作坊采用梭式窑,使用液化气烧制仿古瓷,烧成时间也就是十几个小时。这样在古代慢火烧成的瓷器与现代快速烧成的瓷器,在胎质、釉色、色料的表现方面出现了很多差距。如现代仿古瓷的产品一般存在着胎骨密度大,敲起来宛如金属音;釉面寡薄,缺乏润泽,亮度太高;色料方面也是这样,成色缺乏深沉感。另外,就是现代仿古瓷的重量感远远比古瓷重。除了掌握对新旧瓷器的造型、纹样、手工感觉等鉴定标准外,如果再掌握了以上常识,基本上可以对磁州窑瓷器胎釉的真赝做出判断。磁州窑白地刻花纹样有莲花、牡丹、卷草、水波纹等。白地剔花:在坯体上施化妆土后,以刻线刻出纹样的轮廓,然后再将纹样以外的白化妆土全部剔去,留出灰白或灰黄色的胎地。这样白色的纹样很清晰地浮现在灰色胎地上,有一种浮雕的感觉,白地剔花的刀工力感非常强,多装饰在梅瓶、执壶等产品上。白地黑剔花:在坯体上施白化妆土后,在欲做出纹样的部位部分或全部施一层黑釉,在半干燥状时以剔刻技法绘出纹样,仅留下黑色纹样,而将其他空间部分的黑釉轻轻剔去露出下地的白化妆土。这样中间突起的黑色纹样与周围凹下的白地形成黑与白、高与低的强烈对比。这是一种技艺高超、表现方法独特的装饰方法。现在日本东京国立博物馆陈列的一件白地黑剔单枝牡丹卷草纹梅瓶,以及白鹤美术馆收藏的白地黑剔花龙纹梅瓶都是磁州窑白地黑剔技法制作的优秀作品。珍珠地纹:坯体经过白化妆后,以刻线刻出主题纹样,然后以小圆圈密密麻麻填满其他空间。使用的工具是铁或竹制的圆凿。此技法模仿了唐代金银器雕刻工艺。珍珠地纹样大量使用于五代 北宋时期的磁州窑产品。产品有碗、瓶、瓷枕等。其后逐渐变为以梳篦纹、刀刻纹、平行线取代了珍珠地纹样。白地黑花:根据目前的研究结果,磁州窑的白地黑花技法是由北宋末期开始兴起,成为直至金、元及以后均很流行的代表性装饰技法。也是磁州窑最典型的装饰技法。其工艺为在坯体上施一层白化妆土后,使用毛笔以磁州当地产出的一种斑化石(含铁颜料)绘出纹样,然后再施透明釉、烧制而成。实际上是一种釉下彩技法。由于调制的白地黑花颜料含铁量不同及烧成中火焰的变化(俗称窑变),白地黑花纹样的色调也会发生改变。北宋金代的白地黑花色调多呈漆黑色;金末一元代磁州窑的白地黑花纹样色调多呈灰黑,有的呈褐红、茶褐色。磁卅』窑的画工均有详细分工,根据制品的器型设计、绘制纹样。有时一件瓷枕的纹样中,主题纹样与边饰纹样往往出于不同人之手。白地黑花装饰技法的出现是磁州窑陶艺历史发展的结果。北宋时期中原文化艺术高度发达,书法、山水花鸟画等姐妹艺术非常流行,也促进了磁州窑白地黑花装饰技法的诞生。这样白地黑花装饰越发普及。磁州窑白��黑花装饰时间,由北宋一直持续生产至今。磁州窑艺术特点磁州窑是中国古代北方最大的一个民窑体系,也是著名的民间瓷器,磁州窑的器型和纹饰为民间所喜闻乐见,影响范围较广,发展迅速。北方各地纷纷仿制,中心窑场以邯郸市的观台镇为中心,形成了一个庞大的磁州窑体系。磁州窑瓷器及标本(一)磁州窑瓷器的介绍磁州窑瓷器时代集中在辽、金、元这几个大的历史时期,其中以辽、元两个朝代的瓷器最为丰富,精品也最多。由于辽、元两朝的本土与政治中心是在内蒙古地区,保存完好的城址与墓葬为这些瓷器提供了很好的埋藏环境。由于这些瓷器绝大多数是从中原作为商品或贡品输入到蒙古草原地区的,因此,中原磁州窑系的产品在北方草原各地区都有发现,品类较多。一、辽代磁州窑内蒙古地区的辽代磁州窑瓷器主要出土于古城遗址、墓葬当中,其中辽上京城址、辽中京城址就以出土精美的辽代磁州窑瓷著称于世。在这些古城遗址的周围,还分布有大量的墓葬,契丹人受盛唐殡葬礼仪的影响,厚葬之风盛行,在墓葬当中除了埋藏金银器以外,精美的瓷器也是其重要的陪葬品,其中不乏精美的磁州窑瓷器。辽代磁州窑罐辽代的磁州窑瓷器自成体系,具有鲜明的时代与地域特点,形成了辽代瓷器“汉式”与“契丹式”这两大风格。“汉式”的瓷器主要有盘、碗、碟、罐、梅瓶、盘口细颈瓶、温壶、枕、渣斗、托、水注、盒、杯等;“契丹式”瓷器主要有凤首瓶、盘口长颈瓶、盘口长颈壶、扁壶、葫芦形执壶、鸡腿瓶、海棠盘、方碟、多棱碟、套盒、球形砚滴、敛口钵等。上述瓷器当中,器型种类最多的是盘口壶与长颈瓶和大众化的碗、碟、盘等。器型的多样性对辽代磁州窑瓷器的胎釉装饰提出了更高的要求。辽代磁州窑瓷器的胎体瓷质较粗糙,内含沙粒,呈褐黄色。釉色以白釉、褐釉和黑釉为主,还有少量的白釉黑花瓷器、白釉剔花瓷、白釉剔花填黑花瓷等种类。其装饰手法主要有胎装饰与釉装饰两种,胎装饰有雕花、剔花、划花、刻花、印花、塑贴等技法;釉装饰主要是根据胎装饰的具体内容用点彩、绘画的手段,同时辅助釉上或釉下的施彩技法,以蘸釉、刷釉、荡釉的方法来完成的,以增加器物装饰的艺术感染效果。二、金代磁州窑瓷金代瓷器主要出土于金代的城址当中。内蒙古地区出土的金代磁州窑瓷器较多,器型种类也较丰富。磁州窑产品多为一些粗瓷器,胎质较粗,杂质较多,釉色单一。其中在一些筒状器物上有褐花或剔花装饰,有些黑釉瓷器装饰有褐色斑点或填涂的褐色斑块,另外还有一些黑釉或褐釉的结晶类瓷器,胎体厚重,施半釉,呈现油滴、虎皮、兔毫等斑纹。器型主要有碗、碟、盘、罐、瓶、炉、杯、洗、盏托与玩偶等,其中瓶、罐瓷器的把手、穿带部位以点彩为主要釉面装饰,同时结合刻花、划花、印花、剔花、笔绘、贴塑、加彩和绞釉等装饰技法,完美地体现胎釉的装饰风格与特征。总体上看,金代磁州窑瓷器的装饰纹样趋向于多样化,以折枝花卉、缠枝花卉、萱草、水波、鱼鸭、人物、婴戏莲、鸳鸯莲池纹、双鱼戏水纹、犀牛望月、虎头、双燕以及诗文为主要题材。金代白釉褐花罐三、元代磁州窑瓷内蒙古地区在元代主要属于元朝的政治中心。近几年,内蒙古的文物工作者相继对一些城址进行了考古发掘,出土了大量的元代磁州窑瓷器。特别是元代集宁路故城遗址的考古发掘,出土了近万件的瓷器标本,基本上囊括了元代瓷器的主要品类,其中以磁州窑瓷器为大宗。另外,在这些草原城址及外围地区,还陆续发现大量的瓷器和瓷器窖藏。特别是在集宁路故城窖藏中出土了完整的白釉褐花磁州窑瓷器多件,其中以白釉褐花筒形罐、小口罐、酱彩四系瓶、黑釉牛腿瓶为主要特色,数量也最多。这是磁州窑系列的瓷器在中国北方草原地区又一次重要的发现。元代白釉褐花盆磁州窑系瓷器器型主要有碗、盘、盆、钵、瓶、炉、盖、枕、缸、盂、高足杯、小型瓷塑等。胎质较粗疏,内含杂质较多,胎体多见黄胎或淡黄胎,少部分胎呈色为淡红、黄红、灰白、灰褐等颜色。釉色装饰主要有黑釉、白釉、绿釉、三彩、孔雀蓝釉、白地红绿彩、绞胎、绞釉、白地褐花、黑釉酱色斑、白釉剔划花和黑釉剔划花等,其中以白地褐花为主要装饰,多见于罐、盆、碗类器皿,大件器皿多以剔花、划花为主要装饰。白釉褐花纹饰内容有花叶纹、线纹、三叶纹、点彩、文字、牡丹纹、花凤纹、草叶纹等,黑釉酱彩- -般在碗或盘内心、口沿处对称分布;绞胎装饰一般以淡黄色和蓝黑色胎泥相绞而成,呈水旋状或花朵状,纹饰分布对称规律;绞釉类装饰只见盘类,以黄白两种颜色的釉泥搅拌,通过烧造过程中釉的流动容融产生黄白两种颜色的条带纹理;三彩器以白、褐、绿、黄四种颜色为主色,纹饰多见果叶纹、花卉纹、戏水游鱼纹等。磁州窑大部分器物系支烧而成,足底无釉露胎,内底可见数量不等的支钉痕,部分瓷器足内有乳钉状突起。(二)磁州窑瓷器的主要特点中国北方草原地带出土磁州窑瓷器,在辽金元不同时期从出土数量、器型以及装饰技法上看都有不同的特点。
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kinonemashiko-blog · 6 years
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おはようございます☀🙋❗
ほんとに毎日👊😭✨です。
朝暗くて暗くて😢
リゾットで朝ごはん🌄🍴
粉福通称パスタ皿に。
春の陶器市から欠品してました
パスタ皿
やっと出来上がりました‼
近々up致します😃
サラダを豆小皿たちに。
長皿に具を赤黄青にしてみました🚥
「御本手(ごほんで)」についてお話しししたいと思います。
粉福の器のほとんどに
器全体的にピンク色の部分が
不規則にみられます。
これを御本手と言います。
陶芸の言葉です。
安土桃山時代の頃から見られる技法です。
焼成の時ある一定の温度帯で
窯に送る空気を少なくすると
土、釉薬、窯の中の位置により
出てきます。
「もっと酸素をくれ〜💦💦💦」と器たちが言っていた結果
現れたと思ってます😃
このピンク色が特徴の
粉福の器の御本手は窯の中で
自然に出来た模様でして
世界に二つとない模様と言う事です☝
そう考えると粉福の器が
ありがたく思えて来ますね😃
あ、ちなみにマカロンの器は
空気を送り込んで焼いていますので御本手は出ていません💠
今日はちょっぴり作り手っぽい
話をしてみました😌ヘヘヘ。
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穏やかな1日となりますように。
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小さな暮らしの豊かな暮らし🌱
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#益子焼を使おうフォトコンテスト2018
作家名 木のね オオネタツトム #木のね #kinone #益子焼 #器 #tableware #おうちごはん #うつわ #うつわすき #おうちカフェ #かわいい器 #北欧雑貨 #暮らし #小さな暮らしの豊かな暮らし #器並べ部 #和食器 #kawaii #コッペパン皿 #こふくま #花カップ
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catonoire · 6 months
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「中国陶磁の色彩 ―2000年のいろどり―」展
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永青文庫で「中国陶磁の色彩 ―2000年のいろどり―」展を見る。所蔵品を通しておよそ2000年にわたる中国陶磁の歴史をたどる企画展である。
展示は灰色の灰陶から始まる。通常ならば「色がない」と見做されるであろう地のグレーも「色彩」「いろどり」のひとつとして取り扱っているのがよい。加彩されていても地の色に意識的に目を向けることができる。下のチラシ画像の右上が灰陶の展示品のひとつ、灰陶加彩馬で、墳墓の副葬品として作られたもの。馬の尾が短いのは、当時の習慣で尾を結っているためらしい。
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灰色の次には多色の唐三彩が登場する。上のチラシ画像、馬の隣がその例である。唐の時代の三彩花弁文盤で、重要文化財に指定されているだけあって出来も状態も良好。
次いで緑釉。ここに属する展示品は2点だけで、明の時代の香炉および清の時代の鉢だった。
次に来るのはモノクロームの白と黒、白磁と黒釉。磁州窯の白磁が、手の込んだ文様だったり洒落た文様だったりで洗練されていた。上のチラシ画像、左上がその例。黒釉のコーナーには天目茶碗が4種類。木葉天目、黄天目、油滴天目、禾目天目。油滴天目がいちばん好みだった。上のチラシ画像右下がそれである。
そして青。青磁、澱青釉、青花。鈞窯の澱青釉紫紅斑盤の、濃い水色と赤紫色の取り合わせの妙に特に目を引かれた。青花は日本でいうところの染付で、景徳鎮のものが多く並んでいた。たとえば上のチラシ画像、下の段の右から2番目の青花梅樹文観音尊がその一例。
ふたたび多色になり、五彩と桃花紅。五彩は上絵付で、発色が鮮やかな感じがする。上のチラシ画像下段中央のように西洋風の絵のものもあり、これはギリシア神話のパリスの審判(3人の女神のうち誰がいちばん美しいか、羊飼いのパリスが判定する話)がモチーフとのこと。桃花紅は、桃の花をことのほか好む中国ではやはりとても好まれたであろうと想像される。景徳鎮の桃花紅合子はピンク色と緑色のコンビネーションが美しかった。
最後に、中国陶磁に影響を受けた近代日本の作品の紹介。梅原龍三郎や河井寛次郎など。
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景德镇青花瓷系列知识之五:青花瓷器的窑烧方式
青花瓷器的窑烧相关,具体分为以下几个方面:
一、 景德镇青花瓷窑烧方式的演变史
二、 目前常用的几种窑烧工艺
三、 不同窑烧方式对青花瓷器的影响。
景德镇柴窑青花瓷
一、 景德镇青花瓷窑烧方式的演变史
青花瓷的烧制需要经历点火阶段、升温阶段、氧化阶段、还原阶段、保温成瓷阶段、熄火阶段、降温阶段。景德镇烧制青花瓷有近八百年历史,景德镇青花瓷窑烧方式的演变史,就是窑炉的进化演变过程。我们大概了解一下这个过程。
1、元代之前龙窑,马蹄窑(明代仍有沿用)
2、元至明代葫芦窑,明代龙缸窑
3、明末清初蛋形窑(镇窑)延续至今
4、1955年引进圆形倒焰式煤窑
5、1966年煤烧隧道窑
6、1976年油烧隧道窑
7、1984年煤气隧道窑(1965年景德镇瓷厂已经采用过捷克设计的煤气隧道窑)
8、九十年代梭式窑(气窑)至今
9、2015年微波高温窑(2小时成瓷)
景德镇传统柴窑蛋形窑
1、宋元明时期
在元代之前,景德镇窑炉基本上以龙窑为主,马蹄窑也有。马蹄窑一直到明代也还有用。包括我们现在也能看到使用马蹄窑。但是没有听哪位烧窑师傅说马蹄窑能烧制精细青花瓷,估计现在马蹄窑的烧窑主要以表演性质为主。
景德镇在宋元时期采用龙窑烧制名瓷影青瓷,大概在元代的时候发现龙窑不是特别适合烧制青花瓷,先是在龙窑基础上结合了倒焰窑的优点,将窑体改成阶级窑,而后又改进建造了葫芦窑,一直沿用到明末清初,也就是说葫芦窑从元代到明代在景德镇基本都在使用。
龙窑
葫芦窑分前后两个窑室,前高后矮、前宽后窄、且前短后长,形状就像半边葫芦卧于地面,古得名。元明时期的葫芦窑,受限于其结构关系,窑炉内温度大概只能烧到1280℃左右,跟现今青花瓷窑烧温度1300℃左右还是有不少差距。由于窑烧温度不高,所以我们看到的元代和明代的青花瓷器的青花发色就没有清代的那么翠蓝,而且釉面的玻化程度也不及清代,有些民窑烧制的青花瓷器会有一种没有完全烧熟的感觉,感觉釉面发蒙,青花发色朦胧及偏灰蓝色。
另外明代御窑厂有几十座龙缸窑,一座龙缸窑只能烧1-2只龙缸,把桩师傅胡家旺说过,烧制龙缸大概需要七天七夜或七天六夜。因为龙缸的胎特别厚,需要小火慢升温,将坯体里面的水份全部挥发排干。前几年有一次烧柴窑龙缸的时候,火太急,龙缸坯体里面的水份没有排干,或者是有一些空气没有从胎里排出来,窑温提升太快,导致整个坯体炸掉了。现今景德镇在古窑景区内还有一座龙缸窑,也是目前唯一的有烧制过青花龙缸的窑口,大概一年最多烧制一次。
2、清代
明末清初的时候,景德镇出现了蛋形窑,也就是镇窑,现在简称柴窑,这种窑炉是由葫芦窑改进而来,初期阶段先是把葫芦窑中间的束腰部分取消,出现蛋形窑的雏形。这种蛋形窑无论窑体、内部结构、还是烧成技艺,都更为合理。蛋形窑综合了龙窑、阶级窑、馒头窑、葫芦窑的优点,又根据当地的松柴燃料燃烧温度高、火焰长的特性而修建与发展起来的。蛋形窑在其结构、砌筑技术及装烧工艺方面,具有许多独特和巧妙之处,即使从现代科学的角度来看,蛋形窑仍然是优秀的窑型。
景德镇蛋形窑
3、民国时期
民国时期,景德镇曾考虑引进湖南醴陵的煤炭烧窑技术,但这种技术对景德镇传统的烧制瓷器各行业都有冲击和影响,更遗憾的是试烧后也不理想,多方原因之下就停了。
4、建国后
解放之后,景德镇山上的松木被砍伐地非常严重,很多山头都砍秃了,对景德镇生态环境造成了严重破坏。1955年正式引进了烧煤的倒焰窑,1966年开始烧隧道窑,最开始也是使用煤,到了1976年的时候已经在使用重油烧的隧道窑了,1984年又改成煤气隧道窑(最早1965年的时候景德镇就有瓷厂曾经使用过煤气隧道窑)。
景德镇隧道窑
5、现代
九十年代初期陶瓷研究所成功研制出梭式窑,也称气窑。从此之后景德镇就以气窑为主了。
2015年景德镇从德国引进了微波窑,据说两个小时就可以烧成瓷,但至今景德镇瓷器业界也不怎么认可微波窑。
气窑梭式窑
柴窑仿康熙青花十二花神杯
二、目前常用的几种窑烧工艺
1、气窑(梭式窑)
2、柴窑(镇窑即蛋形窑)
3、气电结合窑及其他
1、气窑
气窑,也叫梭式窑。目前景德镇大概有几千座大小不一的气窑,最高的能有两三层楼高。市面常见的那种几米高的大花瓶就是在那里面烧制的。
景德镇的气窑一般都是烧制瓷器的窑户根据所烧的瓷器类型(比如烧青瓷的、烧单色釉的、烧青花的等等)进行定制的,也就是定制打窑。通常按窑的大小尺寸进行简称,比如一块板窑、两块板窑、三块板窑。这个板就是窑炉里面垫烧陶瓷底部的硼板宽度,一块板窑的硼板宽度是30几厘米。
正常情况下,像我们以茶器为主的这类型青花小件,基本都是一块板窑的比较多见,最多一块半板窑或者两块板窑,没必要太大。这类精细瓷,属于慢工细活儿,两三个画师一个月也只能画出一小批瓷器,如果窑太大的话,烧的频率就会降低,但是画好的坯体又需要尽快烧制,否则画好的坯体一旦出问题,前期功夫白费,也无法保证后续产品供应。
气窑的出现对景德镇整个瓷器行业来说是革命性的升级。气窑用液化气作燃料,作为清洁能源,我们可以将坯体直接放到硼板上,匣钵不再作为烧制瓷器的必需品。
景德镇气窑
气窑的窑炉安装有热电偶,温控仪安装在窑炉外,烧制过程可以通过温控仪监控窑里的温度。一些高精密的热电偶误差率只有0.7%,只要烧窑师傅掌握所烧的这窑瓷器胎釉的温度,基本上烧制成功率就有保障了。另外窑炉内也会放测温锥,测温锥分很多种规格,根据每一次烧窑所需温度使用相应规格的测温锥,通过测温锥的性状改变判断升温情况,比如某个型号的测温锥多少度开始出现熔融,多少度烧到位会出现弯头,一旦烧塌了说明温度过高等等。
庭蘭雅玩盖碗
正常情况下气窑烧6-16个小时,大部分烧10个小时左右。
有快速烧制的一般瓷器只需要五六个小时,不追求精细效果,并且用料各方面也不讲究,对玻化效果和釉面效果没有什么要求。
我们的气窑瓷器一般烧12-14个小时,12小时是要保证的,如果是烧精细青花瓷器,尤其用景德镇传统石灰釉的时候,烧窑的时间会更久一点,这样釉面出来的效果会好一点。
2、柴窑
这里说的柴窑,是指现今以木材为燃料烧制瓷器的窑炉,目前还在烧的有:龙窑、馒头窑、镇窑(蛋形窑)。
龙窑现在在景德镇几乎已经看不到了,前面我们提到过,景德镇从元代开始龙窑就比较少见了,因为这种窑炉很难烧成功精细青花瓷器。龙泉和建阳那边还有龙窑在烧制瓷器,但基本上以烧单色釉为主。
另外还有馒头窑,外形像一个馒头而得名。然后还有马蹄窑和葫芦窑。这些都是景德镇历史上出现过的窑炉,现在景德镇所说的柴窑基本上就是说的镇窑,也就是蛋形窑。
景德镇烧瓷器有一句俗话:一满、二烧、三熄火。
景德镇传统柴窑
一满,满窑是最重要的。蛋形窑由于窑炉的结构关系,它前后的温度差一百多摄氏度,窑门位置最高窑温可以达到1360℃以上,而靠近烟囱的低温区只有1250℃左右。然而景德镇传统的青花瓷和单色釉瓷器,它们的烧成温度误差一般不得超过20℃,这个时候就需要依赖把桩师傅的经验,把各类型的坯体满到相应温度的窑位上。一旦放置不妥就会导致烧制失败,那么前面所有制作工序也就白费了,所以烧瓷器也称为火的艺术,陶瓷这个行业也就是火里取财,三分做七分烧,“生在成型、死在烧成”也就成了窑户们的真实写照。
满窑操作先从窑尾部往窑头逐排满装,先把坯体装入匣钵,而后把匣钵满入窑中。在窑内装匣钵的方法非常关键,需要根据窑体宽度和天气变化合理安排火路。景德镇把桩师傅们多年的实践证明,窑室后部适合装大器的匣钵,前部适合装小器的匣钵。“前紧后松、快似祖宗”,“后紧前松、前倒后空”的谚语是把桩师傅们长期实践的经验总结,也是精华所在。窑室后部火路的排列非常难掌握,所以每次这个部位的匣钵柱满装都是由把桩师傅亲自完成的。这位置连接窑室内的小肚区和低温区,需要合理安排火路,保证全窑通风顺畅,让窑火能充分燃烧,否则容易导致瓷器烧成生熟不匀的情况以及倒窑事故发生。
柴窑装匣满窑
二烧,景德镇烧窑使用松木为燃料,一般都采用景德镇当地的马尾松。马尾松的松脂含量比较高,导致燃烧温度高、燃烧火焰长,松脂燃烧过程中产生的物质会跟坯体内矿物质产生一些化学反应,景德镇传统青花瓷使用的是传统灰釉,也就是石灰釉,石灰釉含钙比较高,在烧制过程中或许与松脂燃烧产生化学反应,使得瓷器成品釉面温润,玉质感强烈;燃烧火焰长才能燃烧到窑室的尾部,使后面的坯体能均匀受热。景德镇有一千多年的烧瓷经验,历代的烧窑师傅们也是通过不断地实验才总结出来松木为燃料和传统石灰釉是最佳搭配。
五六十年代时景德镇刚开始改用煤窑烧制,发现使用石灰釉烧制出来的瓷器吸烟情况严重,也就是我们说的阴黄或泛黄。而后景德镇陶瓷研究所,通过不断研究试验对比,发现是釉料和燃料的兼容问题,通过不断试验配制出长石釉才解决了这些问题。这也是为什么我一直说用现代的长石釉拿去烧柴窑,效果就不是很理想的原因,因为长石釉就是为气窑和煤窑烧制瓷器而研制出的釉料。
为什么要使用马尾松做燃料?首先它是景德镇当地原有的木材燃料,其次因为马尾松的硬度比较高,可以燃烧的时间比较久。成瓷阶段窑炉内温度超过了1300℃,普通的木头扔进去就直接烧没了,就需要不停添加柴火,增加投柴量,加重了烧窑师傅的工作量。
以我们的烧瓷经验,升温时间拉长会把坯体内的残留水分排地更加干净,成瓷后不容易炸裂或起鼓包;烧氧化阶段时,坯体里面的一些金属氧化物质得到充分氧化,这样烧制出来的瓷器釉面杂质少。窑温到900℃左右,开始进入还原焰阶段,随着投柴量明显增多,由于窑内黑烟不能迅速通过窑口底部的排烟口进入烟囱排出窑外,使窑内产生还原反应。窑温升至1100℃时开始进入弱还原焰阶段,整个还原焰阶段需要经历5-7个小时,这个过程是烧窑最为重要又难掌握的阶段,稍有不当,就会严重影响瓷器的烧成质量,所以这个阶段需要把桩师傅亲自在场指挥。
景德镇柴窑烧窑过程
还原焰阶段的末期,窑室内的匣钵大部分已经被烧红了,这时把桩师傅会指挥烧窑工们投一些湿柴,有时也会在窑门下面的火坑里泼水。这时窑内是不忌水分的,反而要故意造成一定水气进入窑室。这个操作是为了让窑室尾部的温度提升上来,前后温差尽量别太大。从这阶段开始至熄火,把桩师傅会指挥烧窑工们进行几次清烟,每次清烟都会将投柴口下方的火床上未烧化的柴块和炭屑用铁钩清理干净,而后把桩师傅会在窑顶的观火孔内勾出一只预先放置在窑室内的照子查看窑内的瓷器烧制情况,一般会在窑室内放4-5个照子,把桩师傅会在不同阶段清火清烟后勾出一只查看。
等到窑室内的火光呈炫白色时,即进入熄火前的保温成瓷阶段。保温的目的是维持窑内等温,减少全窑的上下温差,使釉面熔融光滑。保温阶段会增加投柴量及投柴频率,使全窑的火焰流逝由细腻变得清澈,无焰痕可寻。把桩师傅通过观火孔不断查看火候,等窑室内的匣钵柱上下没有明暗区分,匣钵重合缝隙现出一丝炫白光时,把桩师傅会向火孔内吐一口浓痰,若其一落窑底既呈白光沫飞散,即可断定全窑已经烧熟,这时候就可以熄火了。
柴窑瓷器
整个柴窑烧制过程通常需要18-24小时,我们最长烧过26小时。但是也听说有些窑口烧制时间短,十几个小时也能成瓷。按照把桩师傅们的说法,短时间烧出的瓷器,釉面温润感会差很多,效果不太好。窑烧的时间久一点,釉面的温润感肯定会好一些,瓷器老味也会更重一些。
我们要求把桩师傅尽量把烧制时间延长。把桩师傅工资只论次算,即一窑烧成结束就算一次,不以时间计,一般正常的从满窑到烧窑结束需要36-40个小时,中间把桩师傅大概也就休息五六个小时,其它时间都需要在窑场监督,烧的时间越久,人越辛苦。因此他们其实更希望尽快结束。
景德镇柴窑烧窑过程
三熄火,烧窑结束熄火,意味着就等开窑了。冬天一般窑室内降温到五六十度需要经过36小时,夏天所需时间要久一点,需要等四十多个小时。我们在夏天尝试过36个小时开窑,结果发现匣钵摸上去还很烫手,瓷器就更别提了,可能有八九十度。有一些人经常会说,烧窑需要三天三夜,其实这个三天三夜指的是从烧窑到开窑,熄火后降温的时间也在其中。清代唐英的烧窑记录也有这个说法,跟现在的把桩师傅说法是一致的。
开窑相对简单一些,把窑门打开之后,将瓷器轻拿轻放地搬出来。如果有跟匣钵粘连到一起的,需要工具把它撬开。搬完匣钵和瓷器后,需要检查窑室内,将脱落的内壁重新修补,等干透之后,开始下一次烧窑。
柴窑青花瓷器
3、气电结合窑及其他
接下来我们大致说一下气电结合窑和电煤结合窑。偶尔会有听到一些朋友讲他某只青花瓷是电窑烧的,严格来讲,这个说法是错误的。在景德镇,基本没有哪家是用电窑烧青花瓷,因为不合原理!青花瓷的烧制过程需要还原气氛。电窑很难呈现还原气氛。可能大家看到的电窑烧制,所烧器物不是青花瓷,而是釉上彩蓝彩。
目前有一种气电结合窑可以烧制青花瓷器。通过设置,在900多度之前用电加热,烧升温和氧化焰阶段;到还原焰阶段时,改成用液化气烧。它比气窑烧制更轻松一些,气窑烧制时师傅需要一直守着,生怕万一熄火。气电窑就不同,它有电,可以在熄火时保温,不会出现问题。但这种用的也不多。
电炭结合窑非常罕见,它也是先通过电热丝加热,到还原焰阶段时候通过炭燃烧产生一氧化碳起到还原焰效果,与建阳那边的电窑烧建盏有异曲同工之处。
据说现在景德镇还有一种微波高温烧,两个小时就可烧成瓷器。经过查询确实有这个技术,遗憾的是目前我还未亲眼见过。这里不做讨论。
气电结合窑瓷器
三、 不同窑烧方式对青花瓷器的影响
景德镇目前主要使用气窑烧制青花瓷器,近些年来有一部分是使用柴窑烧制。隧道窑基本看不到。
柴窑瓷器
1、柴窑对青花瓷器的影响
根据老瓷厂原工人们口述,建国后的十大瓷厂陆续都改成了隧道窑,只有建国瓷厂还有一座柴窑在烧制,主要做单色釉和青花瓷。有了对比之后,发现很多单色釉的传统配方,在隧道窑中很难烧制成功,发色达不到柴窑烧制的效果。后续瓷研所经过努力,攻克了隧道窑烧制的合适釉料配方,才解决了发色问题。七八十年代的时候,建国瓷厂的那座柴窑还在频繁工作。由此也可以看出,尽管窑炉在不断进行改进,烧制方式和釉料配方也在不断进步,但是柴窑以及传统的釉料配方,依然有它不可取代的优势。
柴窑瓷器
景德镇千年窑火不灭,青花瓷的烧制,无论从胎泥还是釉料配方,经历了无数的变迁,能流传至今的,就是完全适合柴窑烧制的。对传统瓷器来讲,柴窑烧制是无可替代的!
烧废的柴窑青花瓷器
古人把瓷器称之为假玉,就是拿玉的标准来衡量瓷器。举个例子,柴窑传统石灰釉烧制的青花瓷杯用上两三个月,会比没有用过的杯子有明显的玉质感,但是气窑烧制的长石釉青花瓷器就不会有太大变化。大家也可以拿自己手里柴窑青花瓷和气窑青花瓷做个试验,对比一下使用前与使用后的差别。
2、隧道窑对青花瓷器的影响
十大瓷厂改制后被承包出去,隧道窑在前些年也都在烧,也就是最近这几年对环保的要求越来越高才完全停掉,烧煤的污染还是很大的。因此如果以烧制气氛造成的某些特点就判断某件东西肯定是某特定年代的,其实也未必。不过隧道窑主要烧制一些比较普通的瓷器。
景德镇七八十年代隧道窑瓷器
刚开始烧隧道窑的时候,以煤为燃料,烧成的瓷器釉面出现了吸烟问题,泛黄阴黄,达不到白如玉明如镜的效果。陶瓷研究所经研究发现煤的硫含量太高,景德镇传统的石灰釉里面含钙比较高,硫与钙产生化学反应,形成了这种现象,并且石灰釉容错性只有20度左右,导致成品率太低。后来经试验开始使用长石釉,长石釉里面的成分不会与硫产生反应,烧出来的瓷器都很白,并且长石釉的温度容错性非常好,可以达到100度左右,对瓷器的成品率提高很大,这是景德镇陶瓷烧制工艺上的一个重大进步。
景德镇七八十年代隧道窑瓷器
3、气窑对青花瓷器的影响
气窑烧制瓷器如果采用传统石灰釉也会出现吸烟问题,景德镇目前气窑烧制瓷器基本上以长石釉为主,很少使用传统石灰釉。长石釉,也就是白釉,这种釉面的��化程度特别高,看起来玉质感很弱,有的看着更像是一种塑料的质感,没有古人说的温润如玉的玉质感。
景德镇气窑青花瓷器
我们多次尝试把柴窑烧制所用釉料和瓷器坯体放在气窑里面烧制,烧成后经常有吸烟状况,烧制出的瓷器温润感不强,发干、发涩。但是具体是什么原因造成的,目前无解,还需继续摸索。这些也是目前我们区分柴窑气窑的特点之一。
景德镇气窑青花瓷器
结 语
随着喜欢柴窑青花瓷的朋友越来越多,一些不道德的商家用气窑瓷器冒充柴窑瓷器销售。景德镇现在有一种釉料,也采用釉果加微量草木灰制釉,草木灰仅占2-3%(正常传统石灰釉根据釉果的硬度要加到15-30%的草木灰),主要还是添加长石和石英做助溶剂。这种釉药烧成瓷器的效果会比普通的长石釉要温润一些,但是跟传统石灰釉相比还是有差别。大家多接触真正的柴窑瓷器后还是比较容易区分的。
关于青花瓷的制作工艺及烧制知识分享,随着这篇科普贴的结束,算是��时告一段落了。庭蘭烧制柴窑青花瓷器已经四年多了,在不断地烧制实践过程中,学习参阅了许多的相关书籍,接触了许多的制瓷匠人,得到了与很多业内大拿深入交流的机会。这些科普知识贴,结合了我自己的实践经验与学习到的知识。从决定分享这些知识到现在,陆续增补修改已两年有余,希望这些知识对喜欢青花瓷的朋友们能有所帮助。
“吾生也有涯,而知也无涯”!相信随着技术的进步和更多的实践经验,还有更多的知识等待我去探索和发现,期待未来能有更多的内容与同好分享。
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fuxiauction · 5 months
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福羲艺赏 | 清雍正绿釉杯,台北故宫博物院藏。
高5.9公分 口径9.2公分 足径3.5公分
敞口,深弧壁,矮圈足。器内白釉无纹,外壁施浅绿釉,釉色嫩绿淡雅,釉面满佈细碎开片。底青花书“大清雍正年制”六字二行楷款,外加双圈。一般称此匀淨淡绿微泛黄色者为吹绿,或形容其吹之可破的娇嫩感觉,或因其以吹釉技法制成而得名。吹绿色是雍正朝低温铜绿釉的代表釉色,多见于小品器类。由于釉色较难控制,故本院所藏数十件吹绿釉杯,几乎件件皆有色差��有的偏绿、有的偏黄。此类尺寸小杯作品茗之用,清室善后委员会点交清册中原品名为“雍正款松石绿茶盃”,有撇口、及敞直口两种。
#收藏##拍卖##艺术品##香港福羲#
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galleryuchiumi · 5 years
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緑釉手付盃 オランダ 17世紀 径9cm 高さ5cm 青花の会骨董祭2019、初日のおすすめ作品「西洋古陶三種」の最後緑釉手付盃です。この種の陶器は、フェルメールの絵画の中でよく眼にすることが出来ます。「ブドウ酒のグラス」の床には緑釉と黄釉のタイルが市松に配されています。また、「牛乳を注ぐ女」では、茶色の釉薬のジャグと同じく茶釉の調理用の陶器の鍋が描かれています。これ等すべて赤っぽい土に鉛釉を掛け焼かれたものです。鉛釉に銅を混ぜ緑に、鉛の釉薬に鉄を入れ黄色、茶色に発色させたものです。 今回の手付盃は内側は黄色、外側は緑釉で、口辺に極小さなホツとヒッツキの跡はあるものの、釉薬のカセもなく非常に状態のよいものかと思います。径も9cm程で、一寸大振りの盃としてお楽しみ頂けるものだと思います。 青花の会骨董祭、皆様のお越しをお待ちしております。 明日19日は都合により3時迄の営業とさせていただきます。 #青花の会骨董祭2019 www.kogei-seika.jp @seikafes @seika_fes #オランダ陶器#緑釉#galleryuchiumi #antiques https://www.instagram.com/p/BxmCnPxHek8/?igshid=qeb9gs4nf0hf
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小紅書美妝博主推薦!超顯白「冰搖果茶色」唇彩百搭不挑人,夏天至少要入手一款!
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【文/Beauty美人圈.Carol】
  圖片來源:IG@KAORILYN_MARILYN、OCTOBER_黄梓淇小紅書
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  圖片來源:OCTOBER_黄梓淇小紅書、IG@LACOLORSCOSMETICS
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  圖片來源:IG@BAENANASTORE、LA_SMINKA
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  圖片來源:糖果味的饼BING小紅書、IG@SH_GO_ON
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  圖片來源:绿女迷小紅書、糖饼HH小紅書
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【本文由Beauty美人圈提供,未經授權,請勿轉載!】
《延伸閱讀》 韓國超熱賣唇彩!台灣還沒進但這些品牌你不能不知道!(Beauty美人圈) 珊瑚橘唇膏推薦!3技巧「去黑掃黃又顯白」,推薦色號全扒出!(Beauty美人圈)
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david-a-b · 5 years
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#北宋文物 #青釉#刻花#牡丹纹#荷叶口#尊 #黄堡镇耀州窑遗址 #唐代遗址 #国三 #耀州窑博物馆 #王益区 (at 王益区) https://www.instagram.com/p/B1ZThUtpAJI/?igshid=1685ttwyx5hc1
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captainjajajthings · 4 years
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山西一女教师神秘失踪,井里惊现裸尸,未做DNA,丈夫供述杀人抛尸庭审翻供,警方追凶17年未果重启调查
山西一女教师神秘失踪,井里惊现裸尸,未做DNA,丈夫供述杀人抛尸庭审翻供,警方追凶17年未果重启调查
原创 源点新闻深度 2020-08-26 00:41:25
山西运城市一名结婚8个多月的女教师半夜神秘失踪,6个月后井中发现一具女裸尸,警方未做DNA鉴定,经家人辨认被确定是她,丈夫成嫌犯,供述杀人抛尸,庭审时全盘翻供被释放,追凶17年未果后警方重启调查。8月24日,她6旬父亲表示愿悬赏10万养老钱助警缉凶。
这名死者叫路亚丽,1981年12月生,山西省运城市临猗县楚侯乡张嵩村人,系当地王见小学民办教师。
 失踪女教师路亚丽。家属供��
今年8月初的一天上午,雨下个不停,池塘里涨满了水,知了的叫声陡增闷热。
路亚丽的弟弟携着思女心切的6旬父亲,来到坟前烧香祭奠,那里位于公路旁边,被一片扬花的玉米林包围着,四周草木葱翠,树木茂密。
弟弟拨开齐腰深的野草,眼前露出一个黑色墓碑,上面刻着姐姐和一名张姓男子的名字,“我姐婚后未生孩子,按我们当地习俗,他们配的是阴婚。”
记者在现场看到,她弟弟俯下身来,给姐姐烧纸祭拜,他说,“姐,今天我和爸爸来看你了,杀害你的真凶我们一定会追究下去的。”
父亲撑着雨伞蹲在一旁,眼里噙着泪水。突然微风吹来,墓前一团纸灰卷起,飘零在空中,旋即落下,他喃喃自语道,“亚丽,你离开我们17年了,但我们一直没有忘记你,有时你入梦来,还是那么乖巧,我睁眼一看,这竟是一场空,泪水打湿枕巾。”
烧完纸钱,弟弟搀扶着伤心不已的父亲站起来,安慰着他。
雨越下越大,远处烟雾朦胧,袅袅炊烟中,父子俩走出那片玉米林。
 父子俩在坟前烧纸祭奠。
父亲对记者回忆称,当初18岁的女儿从临猗中学高中毕业后,来到邻村王见小学当民办老师,教一年级的语文、数学等学科,尽管那里离家只有2.5公里远,但她工作很忙,每周末才回一次家。
他说,有一天,女儿同事给她介绍了个对象,对方姓王,身高约1.75米,比她大一岁,同村人,高中毕业后在甘肃天水做生意,偶尔回一趟老家,“第一次见到他时,他给我们的印象不太好,当初我们不同意他俩恋爱,但女儿却不吭声不表态。”
两人相识半年左右,王家托人提亲,路亚丽父母征求她意见后,最终同意了这门婚事。
“令我们没有料到的是,临近婚期,女儿突然说她不想结婚了。”母亲哽咽着回忆道,“女儿性格内向,一直不说原因,后来在王家多次催促下,两人于2002年4月下旬举办了婚礼。”
至今,路亚丽的部分婚纱照还被母亲珍藏着。每当思念女儿时,她便拿出来看看,每当此刻,她潸然泪下。
 路亚丽的婚纱照。
母亲说,女儿出嫁后也一直住在学校,这样的日子流逝8个月后,悲恸从天而降。
父亲痛苦地对记者说,2003年1月3日早上,女儿学校的老师打电话给他,说路亚丽不见了,他们正在四处寻找。
“我马上骑摩托车赶到学校,看到她床上有一大团湿漉漉的液体,后来证实是尿。”父亲称,令他感到蹊跷的是,那几天当地正在下大雪,地面积雪铺得很厚,而女儿的外套却挂在墙上。
他发现情况不对劲,当即叫校长李复高报警。
学校老师四处寻找未果,当天上午10:30左右,李复高报警称,学校教师路亚丽失踪。
事后,他在接受警方调查时称,当天上午9时左右,他看到路亚丽没有在教室上课,就朝她住处走去,途中碰到她丈夫王某,问他们是不是吵架了,对方说没有,同时称妻子一夜未归。后来有老师在路亚丽房间看到少了一床被子,外套衣服都在,三双鞋子也在,拖鞋放在床下箱子后面,“我马上叫人通知路亚丽父亲。”
李复高校长说,他记得事发当晚9点左右,他亲自锁的学校大门,“校门有个缝隙,小孩能从缝里自如进出,成人则要挤着才能进出。”
案发后,为证实李复高所言,办案民警将学校大门锁住后,用路亚丽丈夫王某的90摩托车做实验,证实能推车出入。
当时还有人告诉办案民警,事发当晚外面的风特别大,迷迷糊糊听到有发动摩托车的声音,一看时间是凌晨3时左右。
 当初的王见小学。
路亚丽父亲说,女儿失踪后,他们到学校四周寻找,包括厕所、周围庄稼地、水井和池塘都找过,均无任何消息,“我们还发动50多名亲朋,与她丈夫王某的家人一起,在运城市以及附近永济市张贴数百张寻人启事,结果还是一无所获。”“王某到我家来过一次,他说有人在运城市南街看到过亚丽,他也在到处寻找。”
大约半年后,一个消息震惊了运城市。
2003年6月19日,有村民在运城市盐湖区姚孟乡北南村一个西瓜地的灌溉井里,发现一具女尸。
该村民回忆称,当天他吃完早饭,准备到地里给栽好的树子浇水,来到水井处看到预制板做的井盖有移动过的痕迹,他把打水的桶丢进井里发现被卡住,“刚开始我以为是井下掉进了塑料或树枝,试了几次都没有打到水,我便叫上一位在地里照看西瓜的村民,与我一起去捞井下的东西。”
他说,他们拿着铁钩到井里去钩,第一次钩住后往上拉,刚拉上一米左右,钩住的东西掉进水里,把钩子拉上来一看,发现钩子上好像有烂肉的东西,还有四五根长头发,他们又把钩子放进井里,钩了几次,钩住后再往上拉,由于钩住的东西太重,他们最后用轱辘才拉上来,拉到水井中间看到是白白的东西,“我们还以为是头猪,便放绳子套住那东西的腰,拉上来一看,妈呀,居然是一个人,是一具裸尸,我们马上报警。”
 发现尸体的水井(红圈处)。
接警后,民警迅速赶到现场,经堪查发现,该灌溉水井深约25米,半径1米,水井往西约一公里可通运泓公路。
次日,路亚丽父亲被通知去辨认尸体,他从身高、头发和牙齿等,认为那具尸体就是他失踪半年之久的女儿,他顿时失声痛哭。
他说,女儿以前做过烤瓷牙,他印象深刻,“但警方没有通知我们做DNA鉴定。”
法医尸检发现,该裸尸长1.62米,高度腐烂,牙冠贴有釉面,头部创口,创缘不整齐,系钝器打击所致,腹部及大腿部创口,创缘整齐,系钝器所致,“死因无法确定,根据胃内容排空情况,死亡时间距最
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警方进一步侦查后,路亚丽的丈夫王某成了重点怀疑对象。
他被控制后对民警称,2003年1月3日凌晨3时左右,他在学校与路亚丽的几名同事打完麻将回家,发现房间里的灯是关着的,他打开灯后惊醒了妻子,两人吵了起来,他打了妻子两下,他站在床下,她睡在床上,他用被子捂住她的头,她用脚蹬他,他用右手掐她脖子,“我捂了几分钟,刚开始她用手抠我的手,停了一会儿,她就不动了。”VigRXVigRX陰莖增大丸威樂增大丸VigRX plusVigRX效果VigRX副作用vigrx plus效果vigrx plus副作用vigrx plus官網
  他说,他掀开被子看到妻子脸色发青,没有呼吸,他预感大事不妙,呆坐在屋里考虑了十几分钟,然后用被子把她裹起来,扛着她出了校门,把她放在校门口一个烂屋子里,再返回家中从校门门缝里推出摩托车,并携带一把水果刀,在破房内他唯恐妻子未死,还用砖头砸她的头,“我在她肚子上戳了3刀,还在她大腿上戳了几刀,总共至少6刀,戳完摸了摸,被子上有血。”威樂副作用威樂效果
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 他称,他把妻子裹好,捆在摩托车后座上,骑至10多里外的运城市盐湖区姚孟乡北南村田间一灌溉井前,掀开预制板井盖,将她衣服脱光抛进井里,又包好她的被子衣服,骑摩托车行至董夹路口一空地处,将被子衣服浇上摩托车汽油焚烧掉,并扔掉水果刀。
 当时被指作案用的摩托车。
他返回学校后,用菜刀割断灯绳,伪造现场,将摩托车钥匙扔到学校西墙外。
民警问他抛尸时为何要脱掉妻子衣服,他称“衣服和被子扔在井里,不容易腐烂,怕有人认出来。”威樂官網威樂評價威樂台灣美國威樂
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 2003年6月28日,王某涉嫌故意杀人罪,被临猗县公安局刑拘。
同年10月9日,运城市检察院指控王某犯故意杀人罪,向运城市中院提起诉讼。
同时,路亚丽父母也向运城市中院提起民事索赔,要求赔偿包括丧葬费等在内的各项费用共计9万余元。
同年11月6日,运城市中院公开审理后退回运城市检察院,要求补充侦查。
2004年2月24日,运城市检察院再次移送运城市中院,开庭审理后检方又撤回补侦,并于同年9月27日第三次移送起诉书。
然而此次庭审时,王某当庭否认自己作案。
他的辩诉人称,检方指控他犯故意杀人罪的证据不足,指控的罪名不成立,主要因为尸体已高度腐烂,应通过DNA或颅相重合技术鉴定那具无名尸体是否系路亚丽,村民证实打捞钩上来好似烂肉的东西,为何在尸检报告中没有显示,尸检报告证实尸体创口有由上向下变浅,也有由下向上变浅的,这与王某供述由上向下戳划不吻合,而王某曾供述先用手掐死妻子,但尸检报告对舌骨、喉骨、肺部均无这方面的检验记载,同时对摩托车出入校门的实验存在怀疑,特别是焚烧被子衣服无证据,摩托车钥匙找不见,也未找到刀子,王某在校门口破房内戳了妻子数刀,为何无血迹?
运城市中院审理认为,王某曾供述过其杀人和移尸等情节,部分得到印证,但此案是在先发现尸体情况下由王某供述的,此前他在数次询问中,未承认作案。王某供述用刀割划腿部的情节与事实不太吻合,且杀人用的刀子未能找到,也无人证明他是否有过此样式的刀具,摩托车钥匙扔在地里未找到,���医检验认为路亚丽的死因无法确定,摩托车进出校门实验存在人为因素,戳划尸体现场学校门口的破房未能得到有效印证,焚烧衣服和被子的情节也未得到印证,王某翻供称是公安人员逼供诱供,“此案缺乏充分必要的证据,形不成完整的证据链条,指控王某犯故意杀人罪的罪名不能成立,辩诉人认为不构成犯罪之理由予以采纳。”
2004年12月10日,山西省运城市中院审判长薛丙辰宣判称,王某无罪。
运城市检察院对一审判决不服提起抗诉,山西省检察院审查后认为运城市检察院的抗诉不当,撤回抗诉,后来山西省高院作出终审裁定,准许撤回抗诉。
日前,记者在案发现场采访时,路亚丽的家人说,当时校门口有可疑血土,对此警方回应称,他们曾提取了那血土送山西省公安厅化验,但由于量太小,没法化验,“至于她家人反映门帘上、包袱上都有血迹的事,我们当时未曾发现。”
临猗县公安局相关负责人告诉记者,当年案发后,他们高度重视,还成立了专案组全力侦破,尽管至今一直没有抓到真凶,但他们从未放弃过,目前还成立了新的专案组,正全力寻找新证据。
她称,事发当晚运城下了一场很大的雪,有的现场被破坏了,这给侦破工作带来了困难,“命案必破,这只是时间早晚问题。”
记者采访时提出质疑,当初办案人员为何没有做DNA就确认那具女尸就是路亚丽?
她说,是否一定要做DNA鉴定,那要根据案情来决定。
路亚丽父亲流泪说,17年过去了,杀害女儿的真凶到底在哪里?
他说,他愿拿出10万元养老钱进行悬赏,希望能助警擒凶,希望警方早日破案,将凶手绳之以法。
对此,记者届时将追踪报道。
西南商报源点新闻记者 黄平 李祥 发自山西运城
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