#霞ヶ関ラーメン
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今日こそは、今日こそはぶっちぎりににんにく餃子まつり… のつもりだったが、ラーメンは寒いときに食べる派としては午後からの寒さに「夕飯はどう考えてもみそラーメンか」と考えが修正され20時過ぎ着。 店主のきよさんが「筍の煮物あるよ。鮭入ってるよ。」の一言でみそラーメンから変更。 今宵はプチにんにく餃子まつり。 にんにく餃子まつりはまた後日だな〜。 手作り感満載の木製ピンチ港屋仕様を追加。 よろしければぜひm(_ _)m #川越 #川越グルメ #霞ヶ関 #霞ヶ関グルメ #港屋 #筍 #鮭の粗汁 #ラーメンは寒い日に限る #にんにく餃子 #オリジナルグッズ #非公式 #木製ピンチ #生活に根ざしたアート #イラスト好きと繋がりたい #イラストグラム #漫画好きと繋がりたい #絵描きさんと繋がりたい #私はこんな仕事がしたい #悟水晴 #Gosuisei #アトリエライフワークス ●身体が温まり冬場の鮭の粗汁を思い出す。 筍はowlの家の竹乃さんからとのこと。 ありがたいよね^^ ● 具を食べた汁に白米を、腹にはまだ余白があったのでにんにく餃子2枚。 にんにく餃子まつりは持ち越し(笑) ●手作り感満載の木製ピンチ港屋仕様を追加。 よろしければぜひm(_ _)m (港屋食堂) https://www.instagram.com/p/CdD8-5Gvijn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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数字の読み方と私 ・ 学生時代は意味ない数字を覚えるのに語呂合わせを多用していました。それは√5の2.2360679を「富士山麓オウム鳴く」と覚えたりしていました。 ・ ポケベル時代には「428」を「渋谷」と読んだり「4649」が「よろしく」だったり「0840」は「おはよう」と数字の羅列でも意味を持たせられました。 ・ イラストレーターのナカムラミツルさんは自身のことを「326」で「ミツル」と読ませていましたが、音楽活動で作詞やビジュアルを担当していたバンドはこちらでしたね。 ・ と言うわけで本日のディナーは今年で19年を迎える #ディップガーデン です。職場の同僚が19周年記念で19%オフのクーポンを持っていたのでやって来ました。 ・ まずはビールで��杯。 #生春巻 とすり身フライを肴に頂きます。野菜中心の味わいとチリソースの酸味と辛味が印象的です。 ・ #パックブンファイデン はシャキッとしていながら旨味を感じられる #空芯菜 の炒め物でシンプルだけどお酒が進みます。 ・ #ガイサテー は見た目は焼き鳥ですがココナッツの味わいをまとっていて、アジアンなテイストで美味しいですね。 ・ #カイジャオムーサップ はいわゆる #オムレツ #ニンニク や #パクチー のアクセントがいい感じです。 ・ #パッタイ はモチっとした食感がいい焼きそばで #クイッティオトムヤム は #トムヤムクン の酸っぱくて辛い #ラーメン です。 ・ #海老のガーリックチリソース はもうお腹いっぱいになってしまったので、同僚で分けてもらいました。これだけ食べても1人頭3000円もしないのは安いですね。 ・ 次回はランチタイムでも利用してみたいと思います。 ・ #内幸町ランチ #内幸町グルメ #内幸町エスニック #内幸町タイ料理 #内幸町インド料理 #虎ノ門ランチ #虎ノ門グルメ #虎ノ門エスニック #虎ノ門タイ料理 #虎ノ門インド料理 #霞ヶ関ランチ #霞ヶ関グルメ #霞ヶ関エスニック #霞ヶ関タイ料理 #霞ヶ関インド料理 #とa2cg (Dipgarden TOKYO) https://www.instagram.com/p/Cp_GixuylL8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#画像整理 #過去画像 #新橋グルメ #虎ノ門グルメ #霞ヶ関グルメ #支那そば #利尻昆布ラーメンくろおび #チャーシュー丼 #くろおびラーメン #海老ワンタン麺 #醤油と塩 #優しい美味しさ #美味しかった #無化調 #あっさり系 #超好き #麺スタグラム #自己満グラム #麺好き #ラーメン #ラー女 #麺好き夫婦 #麺ヘラ #麺率の高さ #一日一麺 #今日も麺 #ラーメン大好きおさしみさん https://www.instagram.com/p/B8Mdey6H3jS/?igshid=v6mdfzfc0p4m
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【3523日目】2022-09-09 常陸房総アジア旅 3ヶ国目 日本🇯🇵×中国🇨🇳 「みつけて下さい!!あなただけの味!!」 一体どういうことなのか。 福来軒@茨城県土浦市 ____________________________________ 平日の昼間なので、近くにお勤めの方がどんどん入って来る町中華。いい雰囲気です。 *レンコンカレーラーメン *ツェッペリンカレー(メンチカツ) 茨城県土浦市の野菜といえば「蓮根」が有名ですが、正直に言いましょう。心の隅には、「蓮根のカレーラーメンなんて…」そんな思いがあったのは本当です。 でも、裏切られました。 甘辛のカレースープに、甘辛のキーマカレー。そして何より気に入ったのは蓮根の天ぷら。スパイスをめっちゃ使ったケンタッキーフライドチキンの衣のような味がするのです。間違いなく美味い、歯触りもイイ、ジャンクな味に、どこかホッとする味。自分が日本人だったことを自覚する美味しさでした。 1929年に飛行船ツェッペリン号が土浦の霞ヶ浦に来訪したことから、飛行船が町おこしのテーマの一つになっているそうです。 ライスの上に、豪快に載ったメンチカツが飛行船かと思ったら、ライスの形が飛行船なのだそう。 こっちも裏切られた〜 カレーは、ちょっと甘辛で、そんなに特筆することはないカレーライスのカレーなのですが、メンチカツが死ぬほど美味い。なんじゃこりゃ。 町中華って、中華かどうかじゃなくて、「料理が美味しい」に特化した日本の大衆食堂なんだなぁと再認識。カレーより、ツェッペリンより、メンチカツが主役、それでイイのだ。 美味しかったのだけど、結局「あなただけの味」は見つかりませんでした。土浦といえば、我が義弟、 #カレー三兄弟 三男の出身地。このお店にも家族ぐるみで常連の彼には、きっと見つかっているに違いない。あなただけの味が。 ____________________________________ この日は、日本最大の人型建造物「牛久大仏」。坂東三十三観音28番札所「滑河観音」。スリランカ仏教の巨大仏塔がある蘭香寺。そして、関東最東端犬吠埼へ。 ____________________________________ 🇯🇵🇨🇳 japanesefood #china #chinesefood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #instafood #food #tasty #delicious #spice #curry #茨城 #千葉#町中華 #ラーメン #カレー #カレー部 #カレー好きな人と繋がりたい #フクドローン #ふくすたぐらむ #常陸房総アジア旅 (福来軒) https://www.instagram.com/p/CipfVTpvJmG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#カレー三兄弟#china#chinesefood#asianfood#asia#foodpic#foodstagram#instafood#food#tasty#delicious#spice#茨城#千葉#町中華#ラーメン#カレー#カレー部#カレー好きな人と繋がりたい#フクドローン#ふくすたぐらむ#常陸房総アジア旅
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Ramen Due Edo Japan「味噌らぁ麺」
✔️Store name / Menu ✔️Nearest : 内幸町駅 / 霞ヶ関駅
#ラーメン#ramen#味噌ラーメン#みそラーメン#miso ramen#miso#Italian#内幸町#霞ヶ関#uchisaiwaicho#kasumigaseki#ラーメンジャケ買い#noodles#food#japanese#tokyo
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ミコとマチ
リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元のスマホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの���れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日ならマチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が��ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを着る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その��景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のうちサイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなんて初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はス���ジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんに��ょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意できるから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれなかった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある。私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰なんだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこそと暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺の部屋��ら出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界がぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲んでいた。
「ミコ、この映画つまらないね」
マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かし��においだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomorrow never knows」
私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらしい。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたの���、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
私もコートの腰のところを両手でつまんで膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それは私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌った。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後頭部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
「もう、終わりにしよう」
別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った。実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治がシャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミ���ティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、おめでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたの��と思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?」
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
私は緊張してテーブルにかけて俯いていた、しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口にスプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑���ていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたんだね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
私たちの目の前には、霞がかってぼやけた���んでもない街が広がっていた。
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【報告】5.9 五輪とても無理です。即刻ヤメロ!新国立競技場GURUGURUデモ
(A photo by @mkimpo_kid: Check here for more photos.)
新型コロナ変異種ウイルスが猛威を奮い、3度目の緊急事態宣言が発出される中、都内各地ではオリンピック・テストイベントが目白押し。都立明治公園をつぶし、都営霞ヶ丘アパートをつぶし、野宿する人々を追い出して建てられた新国立競技場でも、5月9日、陸上競技のテストイベントが開催された。
私たちは、人々の命と暮しを踏みにじるオリンピックを今すぐ中止しろ!奪ったものを返せ!と声をあげるべく「五輪とても無理です。即刻中止!新国立競技場GURUGURUデモ」を開催した。
(photo by @galbraithian; Check here for more photos)
テストイベントはTBSが生中継する力の入れよう。それに加えてオリンピック中止を求める声の高まりを受けてか、デモへの注目度も高く、開催前からスポーツ新聞を中心に「不穏な動き」などと抗議行動を予告する報道が行われ、集合場所には国内外のメディアが集結していた。
デモ前の集会では様々な人がオリンピック反対の思いを訴えた。
まずは、98年長野オリンピック反対運動を取り組み、長野市での「聖火」リレーでも「オリンピック反対!」の声をあげた「オリンピックいらない人たちネットワーク」からの連帯アピール文が読み上げられ、続いて5月11日に福岡で「聖火」リレー抗議行動を呼びかけていた「オリンピック不要団」がリモートでアピール。
続いて、入管での面会支援を行っている学生の方が、オリンピックがいかに移民・難民の人々の人権を踏みにじっているか、実態を交えて強く訴え、「オリンピック追い出しヤメロ明治公園国賠」原告団の仲間からも新国立競技場建設���おける野宿者排除とオリンピック利権を糾弾するアピールが行われた。おことわりんくからは、5月1~2日の沖縄での「聖火」リレーとその抗議の様子を報告。新国立競技場建設に際し取り壊された都営霞ヶ丘アパートの元住民の方も駆けつけてくれ、生の思いを語って下さった。医療従事者の方からは「五輪をやめて医療や貧しいたちにお金を回すべき」と声が上がった。
(それぞれのアピールは記事後半に要旨を記載)
デモは新国立競技場を2周!競技場の中からは時折、イベントを盛り上げるアナウンスや音楽が漏れてくる。
3月の2度のデモでは、警察官が車線よりはるか内側にデモを圧縮し、「早く歩け」「前につめろ」と至近距離から大声で叫ぶというデモ妨害が続いていた。同じことを繰り返さないよう、事前に抗議申し入れを行っていたにも関わらず、警察はこれを完全に反故にしたため、デモ隊は密状態を強いられながら進むことを余儀なくされた。
それでも、目の前に公園を奪い、団地を奪い、人権を踏みにじった新国立競技場がそびえ建っている、その中でオリンピック関係者たちがのうのうとテストイベントを行っている、それだけで抗議の熱気は高まり「オリンピック今すぐやめろ!」の声は力強く轟いた。
オリンピック再開発やめろ!
オリンピックで貧乏人を追い出すな!
明治公園を返せ!
霞ヶ丘アパートを返せ!
新国立競技場は呪われたスタジアムだ!
今すぐ解体しろ!
デモ前日には、水泳の池江選手がオリンピックに反対する人々から「辞退しろ」という声を受けて苦しい、とTwitterで発信し、メディアではアスリートに怒りの矛先を向けるのは間違っているという論調が相次いだが、私たちは以下のようにコールした。
オリンピックは政治だ
アスリートは極めて政治的だ
アスリートは政府の道具になるな
批判の声を封じるな
後の報道を見ると、抗議の声はテストイベント開催中の新国立競技場の中まで届いていたという。
デモが終わるころにはすっかり暗くなっていた。最後に、反五輪の会のメンバーが、オリンピック・パラリンピック翼賛教育が続く学校現場からのアピール、パラリンピックについて批判するアピールをおこない、解散となった。参加者は110名。
終了直後から、地上波テレビ番組を含む国内外の多くのメディアにオリンピック反対デモが報じられ、SNS等には賛同するコメントが無数に並んだ。いまやオリンピック・パラリンピックの中止を求める世論の高まりが、無視できないほどに大きくなってきていることの表われだ。
オリンピック今すぐやめろ!オリンピックより命を守れ!
<各社の報道>
国立競技場で陸上東京五輪テスト大会 周辺では五輪反対デモ予定 緊迫感漂う中開幕(デイリー)
【東京五輪】「中止デモ」の予告で厳戒態勢…陸上のテスト大会がスタート(東スポ)
東京五輪中止求めるデモ行進が決行「今すぐ止めろ!」陸上テストイベント中の国立競技場周辺で(スポニチ)
【東京五輪】国立競技場周辺で大規模の反五輪デモ「中止しろ!」「誰のためにやるのか!」「貧乏人を殺す」(東スポ)
反五輪デモで国立競技場周辺は騒然…公安警察の〝抗議運動潰し〟も発覚(東スポ)
国立競技場前で五輪反対デモ「人殺しの五輪」「ぼったくり」陸上テスト大会中に抗議の声(デイリー)
国立で五輪リハ、温度差くっきり…緊急事態宣言下で“厳戒”陸上テスト大会(サンスポ)
国立競技場周辺で五輪反対デモ「医者もナースも限界だ」(共同通信)
国立周辺で開催反対デモ 東京五輪(朝日新聞)
「五輪いらない」デモの中、無観客で本番向けテスト大会(朝日新聞)
国立競技場前で東京五輪反対デモ 海外メディアも取材(毎日新聞)
東京五輪開催に抗議、国立競技場周辺でデモ(AFP)
「オリンピックより命を守れ」…東京都心で「オリンピック中止」デモ(WowKorea)
Two Tokyo Olympics: Inside and outside the National Stadium(AP)
[출처: 중앙일보] 일본 하루 확진 7000명 육박, 국민 59% “올림픽 취소해야”(中央日報)
Japan: Dozens march around Tokyo Olympic Stadium to protest against 2020 Games(Ruptly)
Protesters call for Tokyo Olympics to be canceled(Japantimes)
Tokyo Olympics: From a dream in 2020 to a risk in 2021(Times of India)
Protest against Tokyo Olympics(ABS CBN)
‘Olympics kill the poor’: Furious Japanese public protest Tokyo 2020 Olympics as calls to cancel Games continue
youtube
当日映像 :ken23quさんより
<集会アピール要旨>
1,「オリンピックいらほない人たちネットワーク」長野
皆さん、市民の力でオリンピック開催止めよう!ね。オリンピックより命が大切!あたり まえだよ! 4月1日、長野でも聖火リレー反対!東京オリンピック反対!の抗議行動をやりました。 「東京五輪開催反対!オリンピックいらない!聖火リレー反対!」を叫びました。バナーには「Fukusima Not Tokyo Olympics! (オリンピックなんかより福島だろ)」「NO Olympics Any Where!(世界のどこにもオリンピックいらない!)」「Breads Not Circuses!(サーカスよりパンを)」「オリンピックよりコロナ対策を」など。夜の7時、まるで葬式の参列者のような静かな観客の中を、スポンサー企業のデコバスと警察車両がぞろぞろ、スポンサーのための聖火リレー・オリンピックでしかないことが明らかだ。聖火 ランナーも集った観衆も IOCやオリンピックのダシにされたんだ。
そして、まさにこの時、NHKはライブ中継していた音声を30秒間「消音」した。公共放送を自称するNHKが、意図して「オリンピックいらない!」の声をなかったことにしたんだ。NHKがやったことは、私たちの声を消音しただけではなく、私たちの「思想・ 信条の自由」「表現の自由」を侵害したんだ。あったことをなかったことして、歴史を3 0秒消したんだ。
4月16日、NHK に「オリンピック・聖火リレー賛美の御用報道をやめろ!」「消音」を指示した過程などの調査公開を求める抗議文を提出。オリンピックは平和の祭典という大ウソ・五輪開催による国民意識(ママ)の統合が、憲法改正へつながる。消音は自ら報道の自由を侵害し、ジャーナリズムの自死に他ならないなどを理由にあげました。
皆さんの中にも、テレビで聖火リレーハイライトを見た人いるとおもうけど、気持ち悪い。感動の押し売りと涙。まるで戦時中の「肉弾三勇士 」、若い人は知らナイネ。
私たちは東京の皆さんへ連帯の意味も込めて 5月16日(長野)、22日 (松本)で「オリンピックいらない!コロナ下の五輪強行開催やめろ!」の連続集会をやります。
私たちは、「戦争をしない!させない!」ための練習として、オリンピックいらない!の声 を上げてきました。 私たち市民の力のリレーで、ホッケを食べてオリンピック・ファシズムをぶっとばし、貧困と格差・コロナまで拡げ、命まで奪うオリンピック止めましょう。
2021.5,8 オリンピックいらない人たちネット ワーク
Masao Ezawa
2,「オリンピック不要団」福岡
何年も前からオリンピック反対行動をやられてきた皆さんをリスペクトします。
僕は絵をかいてメッセージを伝える職業なので、表現の自由といったテーマを中心に活動することがあります。2011年に警察からデモ行進を妨害され、国賠訴訟で争い、本人訴訟で2015年に高等裁判所で勝訴確定しました。警察相手の国賠訴訟で市民が勝つ割合は6%とすごく低いと言われているのに勝ったのが自慢です。
オリンピック反対行動をやらなければと思いつつ、福岡から地理的にも離れているので、今までなかなか腰があがらなかったのですが、聖火リレーが福岡にも来てしまうということでおしりに火がついてやっといま行動しています。
普段、福岡で脱原発、反戦、G8先進国首脳会議反対などのデモをやった���、Twitterに投稿したりすると、時々ネトウヨなどに絡まれるのですが、今、オリンピック反対と投稿してもそういうことが一切ありません。大多数の人たちが、この時期にコロナの中でオリンピックを無理やり進めようとするのはおかしいんじゃない?と感じている。マジョリティ側になって行動するのは初めてなのではないか、すごく珍しい機会だと思います。これを一緒に大きい声で福岡でも言っていきたいと思います。
福岡では、公道での「聖火」リレーは中止になりましたが、5月11日火曜日に平和台陸上競技場で聖火リレーの点灯式だけ行われます。この点灯式に夕方4時から競技場前で抗議行動をやろうと思っています。(5月11日当日の様子)
東京の皆さんと連帯して行動でき心強いです。
3,品川にある東京入管に被収容者の面会支援に行っているという学生の方
シュプレヒコール
オリンピック反対 税金使うな
オリンピック反対 コロナが優先
オリンピック反対 医療が優先
オリンピック反対 生活守れ
オリンピック反対 命を守れ
前提として、オリンピックというのは差別と暴力の祭典。それはあらゆる形で社会に現れているがその一つが入管だ。オリンピック招致が決まってから3年後の2016年の内部通達では「東京オリンピック・パラリンピックの年までに安全・安心な社会の実現を図るため、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは喫緊の課題である」と述べられている。ここでいう「不法滞在者」というのは正規の在留資格を何等かの形で失った人。ただビザがない、紙切れ1枚がない、それだけのことだ。実際に2016年から収容はどんどん長期化し続け、5年以上も収容されている人もいる。
収容所内の状態は、まともな医療も食事も環境も一切提供されていない。医者に行きたいと訴えても実際に診察されるまでに一週間もタイムラグがある。検査もまったくしてくれず、嫌なら帰れと言われるらしい。死亡事故も毎年のように出ている。いかに入管の医療が医療として機能していないかわかる。
最近、仮放免されたネパール人女性は入管に2年1カ月収容されていて、子宮筋腫が悪化していた。外部の医者が検査結果を見て驚くほどの、いつ倒れてもおかしくない、手術をしなければならない状態だったにもかかわらず、仮放免されたのはそれから半年後。彼女は入管から、「病気が治ったらまた収容する」と言われたらしい。仮放免者は無保険で高額な医療費がかかること、就労できないためにお金がないことなど、入管はわかっていながら「出してやるから自費で治して帰ってこい」「治ったらまた収容するからな」と脅しをかける。こんな状態だ。
食事も品川入管では冷え切っていて、虫や髪の毛が入っていることもざらにある。そんなもの食べたくない。衰弱して食欲もない。しかし、食べないとハンストと思われて懲罰房に連れていかれる。だから無理に食べている。
懲罰房は、入管が問題行動を起こした人だと判断した人を連れて行く部屋。窓がなく、トイレも頼まないと流してもらえない。狭くて不潔なところ。
昨年の秋に仮放免されたフィリピン人トランス女性は、ハンストや抗議行動に一切参加していなかったにも拘わらず、懲罰房に6カ月も入れられた。これはやはり自分がトランスジェンダーだからだと彼女は語っている。
一方、オリンピックは何をやってるか。オリパラ公認プログラムとして、セクシャルマイノリティの情報発信や安全な居場所づくりを行うプライドハウスTOKYOレガシーなる事業がある。トランスジェンダーの移民をトランスジェンダーだからという理由で6カ月も懲罰房に閉じ込めておきながら、日本人のトランスジェンダーやマイノリティにはエールを送る。在留資格をもたない移民・難民を入管の中で虐待し、時には殺しておきながら、一部のスポーツができる難民は難民選手団として組み入れる。こういうレイシズム、排外主義、能力主義、様々な差別による命の選別こそがオリンピックの本質だ。だから、COVID19の感染拡大に合わせて選手やオリンピック関係者を医療面で優遇しろという話になったのも当然と言えば当然、オリンピックの論理はそういうものだ。いまはCOVID19が拡大したことで、この社会でデフォルトとされているような人にも命の選別が及んだから抗議の声が広がったが、これまでもずっと社会の中で弱い立場に置かれてきた人たちはオリンピックのために殺されてきた。それを忘れてはいけない。オリンピックが続く限り犠牲者は増え続ける。オリンピックは、様々な差別を軸にしてそれを押し広げることによって成り立っているから。
今やっているトーチリレーも、あの火の燃料はレイシズム、セクシズム、能力主義、資本主義、新自由主義、ファシズム、優生思想、その他ありとやらゆる差別と暴力だ。それによってあの「聖火」は燃えている。だから「聖火」は消さなければいけないし、オリンピックは今ここで完全に廃止しなければいけない。オリンピックをやっている限り誰もが安心していきいきと暮らせる社会なんてものは絶対に実現しない。名古屋の入管で亡くなったウィシュマさんの問題がいま話題になっていて、「彼女が生きていけた社会を目指して」というスローガンがあるが、彼女が生きられた社会はオリンピックをやってる限り絶対に実現しない。だからオリンピックは世界のどこにもいらない。オリンピックを、いまこの場で終わらせたい。
4,オリンピック追い出しをヤメロ明治公園国賠原告団
皆さんが今いる新国立競技場は都立明治公園という公園だった。野宿者で、長い人は30年近く暮らして来た。新国立競技場を建設するため、2014年から16年にかけて、警察、裁判所、JSC、東京都が総力をあげて5名の野宿している住人を蹴散らすという国家権力むき出しの暴力が振るわれた。オリンピックという国策事業のためなら、貧民を暴力的に蹴散らして突き進む、そういったことは許してはならないということで、2年前から国賠訴訟という形で争っている。
最初は長年住んでいた仲間と追い出しをやめろ、話し合いで解決しろと交渉を重ねてきたた。それに対して2016年4月16日、強制執行という暴力で叩き出された。それから緊急避難として明治公園の一部であったこの「こもれびテラス」に半年間テントを張って暮らしてきたが、この場所も廃止された。そのあとに建ったのがこんなどでかいJOCビルだ。
もともとJOC、日体協は老朽化した岸記念体育館に本部があった。そこを建て替えても高層化できないということで困った森喜朗が東京都に相談したところ、都立公園であったこの土地が優先的に払い下げられた。立ち退き料として古い老朽化したビルは東京都に買い上げられ、その建設費も丸儲け。オリンピックだから、スポーツ団体だから、まるで私物化したように税金がじゃぶじゃぶ使われ、その一方で貧しい者、野宿している者にはむき出しの暴力がふるわれるということを、5年前、私たちはまざまざと見せつけられた。
これは日本に限ったことではなく、どこの国のオリンピックでも、もれなく巨額のお金が動くオリンピックのために貧民の暮しが蹴散らされてきた。私たちは東京で、こんなことは止めるんだということで闘ってきた。やれることはすべてやるつもりで、今現在も裁判で対抗している。
今年、こんな状況下でもオリンピックをやるとオリンピック推進事業者は言い続けている。その際には、いま皆さんの立っている新国立競技場地域一帯を封鎖する計画があるという。ラーメン屋もマンションも全部、地域一帯を囲って、そこら辺にゲートを作って、顔認証で関係者しか入れない。これを警視庁はセーフゾーンと言っている。
私たちは今年の開会式に合わせて既にデモ行進の申��をしている。警視庁からは、この辺りはセーフゾーンになるからデモができないかもしれないと言われた。この一帯にはまだ野宿する仲間、明治公園から追い出された仲間が暮らしている。その仲間のところにもいま東京都から「出て行け」「フェンスで囲うからな」「工事の邪魔だ」という圧力が徐々にかかっている。今、日本全国こんな状況下で「聖火」リレーが行われているが、東京で「聖火」リレーがやられるとき、また国や東京都が追い出しをかけてくるのではないかと皆心配している。皆で知恵絞って対抗していこう。
その一環として国賠訴訟に取り組んでいる。次回は6月22日15:30東京地裁706法廷。ご注目いただきたい。今回、東京地裁が証人として憲法学者の内藤先生を採用し証人尋問が予定されている。学者は通常書面のみで済まされることが多いので異例だ。
明治公園で起きた出来事は5年前だが、国家による暴力、オリンピックによる暴力について、一つ一つ洗いざらい蒸し返し、こんなことは二度とさせないと闘っている。皆さんも、コロナで国がこんな状況下でも暴走を続けるオリンピックに違和感を覚えているはず。ともに食い止めていきましょう。
5,おことわりんく
5月1日と2日に沖縄でもトーチリレーが行われた。沖縄ではまん延防止措置が取られているので、沖縄本島では公道を走るということはなく、人を制限した中で無観客のリレーが行われた。
私たちが行くことについて躊躇があったが、パンデミックの中でも辺野古の工事はずっと継続し、オリンピックも中止されない、「聖火」リレーもやられている、運動の側だけが止まってしまっていいのかという声におされて行くことにした。
沖縄本島の「聖火」リレーは無観客ということだったが、5月1日、名護市市民会館の駐車場を白いシートで囲った中で、100人のランナーが1日かけて走るということが行われた。上から見ると、囲った中を、さらにゴーカートのコースのように区切って、そこをランナーと警察官が走る。漫画のような光景だ。その市民会館の前で抗議のアピールをし、セレブレーションの間中私たちの声が響きまくっているという状況だった。途中、反基地運動をやっている医療従事者の方も飛び入りで参加してくれた。
翌日は沖縄戦の激戦地だった糸満の平和の礎で、人が入れないような形にしてトーチリレーが開催された。その日は那覇の県庁前でスタンディングをし、国際通りで「道じゅねー」という練り歩きを行った。沖縄ではいま、辺野古の埋め立て工事に南部戦線の激戦地の遺骨が残っている土砂が使われようとしており、人々は非常に怒り、県庁前でハンストをされている。その横でスタンディングをした。
その日は離島でもトーチリレーが行われることになっていたが、宮古島では基地反対の市民運動の人たちとともに中止するべきだという申し入れを行った。島ぐるみ共闘の中で生まれた、自衛隊基地に反対する市長は、宮古島では一切リレーをやらないという非常にすばらしい決断をした。同じ離島の石垣島では���道を使ったリレーが行われたが、日本会議系の市長で、首長の立場性が現れたのではないか。八重山諸島は9月にも史上最大の自衛隊演習が行われることになっていて、今回のトーチリレーもそれに対するセレブレーションのような意味合いを持つという風に沖縄の人々は感じているようだ。
1964年のオリンピックのときには沖縄から聖火リレーが始まった。復帰前で禁止されていた日の丸を振ることがそのときは認められて、一時期には復帰運動のシンボルにもなったが、復帰後の現状、日本として沖縄が一つに束ねられることに対しても非常に強い違和感をもち反対の行動をとっている。そういう意味でも、今回福島からリレーが始まるということも含め、トーチリレーのおかしさ、政治性を皆口にしていた。
目取真俊さんのブログの中に「5月1日に名護市では、市民会館周辺を使いオリンピックの聖火リレーが行われた。西海岸では巨額の放映権料を当て込んだオリンピック利権。東海岸では増額される工事費・警備費を当て込んだ辺野古利権。さらに選挙がらみの権力亡者たちが、新型コロナウイルスで市民に不要不急の外出自粛を呼びかけながら、自分たちは世論を無視したイベントや工事を強行している。」と書かれている。まさにこういうことが沖縄では行われている。沖縄と福島、東京五輪の問題はつながっているし、東京に住んでいる私たちの責任もすごくあると思っている。命を蔑ろにされいる人たち、暴力に抗って闘っている世界中の人たちと一緒にオリパラを中止させていきたい。
6、霞ヶ丘アパートを考える会&霞ヶ丘アパート元住民の方
<霞ヶ丘アパートを考える会>
このJOCの庭となっている「こもれびテラス」の向こうのエリアには230世帯10棟もの都営アパートがありました。ここで暮らしている人たちに対して、国立競技場ができるから、当初はラグビーW杯のため、そのあとは東京五輪のため、国策だと言って、事前の相談もほとんどないままに追い出しが行われました。2016年1月くらいまでに出て行けというのが東京都都市整備局の言い方でした。最終的に3世帯が残り、その1年後くらいまで、工事の中で、回りの棟が壊されていくひどい騒音と振動の中で暮らすという、過酷な状況に追い込まれました。今日は元住民の方が来て下さったので、ぜひ思うことを聞かせてください。
オリンピックのためにこれだけ弱い人たちが思いやりもなく追いだされたということは非常に悲しいです。日本だけじゃなく各国で弱い人たちがいじめられて強制的に排除されていると思う。その点はオリンピックに反していると思う。皆で頑張ってオリンピックより福祉に力をということでやっていきたいと思います。
<霞ヶ丘アパート元住民の方>
みなさん、こんにちは。私はこの辺、飯場があるあたりに住んでいました。国立競技場を建設するので出て行けと急に言われて、僕は重度の身体障がい者なので、そんなに簡単に出て行けないと言ったのですが、なんだかんだといろいろ言われて出ていくことになりました。出て行くにあたって、皆に一律17万円ずつ渡し、3カ所の場所を指定するから���こへ行ってくれと言われた。私は福祉関係や病院の都合で簡単に指定されたところに行けないと言ったが、ダメだと言われた。僕はすごく怒っているのです。この辺でずっと長い間住むつもりでいたのですが、強制的にオリンピックのために追い出されました。僕はいまどうしていいかわからないような状態でおります。
7,医療従事者の方から
医療関係者の一人として、なかなかこういう場で叫ぶことができない仲間に代わって声をあげたい。
日頃、ドヤ街で働いている。貧しい人、外国人労働者の人、非正規労働者でクビになった人、そういう貧しい人たちがかかるプライマリーケアの一人として従事している。日常のプライマリーケアにおいても、誰がコロナウイルスに感染しているかわからない深刻な状況だ。
いま経産省をはじめとして民間の医療機関をバッシングしている。公立病院に比べて民間病院はコロナ対策をしっかりしない、入院もさせない、そういう言われ方をしているが、いま、誰もがコロナウイルスをもっているかもしれないという懸念・危惧の中で、みんな緊張感を持って働いている。特にコロナ専用病棟の人たちは本当に大変な状況に置かれている。立川相互病院の窓ガラスに「もうカンベン オリンピック無理」という声があげられている。あれが医療関係者の声だと思う。いま医療が崩壊しようという状況、東京も今日も1000人を超えるような新規感染者数だ。緊急事態宣言が延長されようが、コロナウイルスの収束は見込めない。ここに五輪が呼べますか?五輪をここで呼んだらどうなってしまうでしょうか?(聴衆から「殺される!」の声)東京が、世界中に感染を拡大させる一大クラスターになってしまう。日本の責任、東京の責任として絶対に東京五輪はストップさせないといけない。
東京五輪、もともと6000億円と言われていた費用が、1兆6000億円、それも嘘で実際には3兆円、どんどんお金が膨らんでいる。そのお金を即刻医療に回してほしい。いま誰もが安心できる生活をするために、無料のPCR検査をしっかりとすること。そしてお金は貧しい人にこそまわしてほしい。経済対策、経済対策と言って、大企業にばかりお金を回してどうなるのか。非正規労働者の人たちが、消費に回すお金もなく、野宿に追いつめられ、自殺にまで追いつめられている。それを助けるためにしっかりとお金をあてること、それがお金の本来の使い方ではないか。
いまこれだけ全国でコロナが感染拡大したのは、まぎれもなく、菅首相と二階幹事長のGoToキャンペーンのせいだ。その責任をしっかりとってほしい。
五輪をやめて、人々のためにお金をつかってほしい。
6,東京の学校現場から
私は都立学校の労働者です。水泳の池江璃花子選手はSNSで、東京五輪出場を辞退してほしいという声に対して、「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と答えたことが大きな話題となっています。どこかで聞いたようなことのあるこの言葉、学校で職場で、何かにつけ「もう決まったんだから」と物言う口を塞ぐおなじみの言葉ではないでしょうか。
学校の同僚に、東南アジア出身の在日外国人生徒を何人か受け持ったことのあるというベテランの方がいます。外国人の在留資格には詳しいと自信満々ですが、話を聞いていると、例えば「そんなことをしていると強制送還される」等々、えっと思うようなことを口にすることがあります。その方は体育科で、入管法をスポーツのルールと同じように受け止めているーまさに池江選手の言葉と相通じる、「ルールとして決まっているのだから、決まったことは受け入れ、頑張るだけ」という発想なのです。それが、在留資格を認められない在日外国人一人一人の人権をいかに奪っているのか、まさに自分の目の前に在日外国人の生徒がいても、そこに思い至ることが全くないわけなのです。
話は変わりますが、4月末、赤旗が「学校連携観戦」―これは、オリパラ組織委員会が準備したチケットを都や県などの自治体が公費で購入し、それを各学校単位で子どもたちの観戦に当てるというものですが、この「学校連携観戦」についてのスクープを行いました。多くの保護者が我が子の学校の年間予定表をSNSにupして、感染症が蔓延し、修学旅行など学校行事が次々と中止になる状況の中で、オリパラ観戦だけは強行されるのか、と不安の声を上げています。幸い、私の勤務する学校は、リモート観戦にすることになり、現地での観戦はなくなりました。赤旗の報道があるまで、まさか、今の状況で生徒を競技場に連れて行くなんてありえないよね、どこの学校も同じだよね、と思い込んでいました。
学校のホームページを見ると、都立の障害児学校だけで、20校以上が今年の年間予定に「学校連携観戦」を入れていることがわかりました。基礎疾患のある生徒の多い肢体不自由校も4校が予定に入れています。
コロナが流行しなくても、猛暑の季節でなくても、チケットを一方的に公費で購入して、学校単位で観戦をさせるというのは、学校の裁量権を逸脱するものではないでしょうか。学校単位ということは、個々の生徒の立場からすれば、事実上の強制参加です。
すでに、学校連携観戦に向けて、引率担当教員による競技場の実地踏査が始まっています。多くの学校から教員が授業を抜け、子どもたちのそばを離れて競技場に赴くことを余儀なくされています。池江選手の言葉ではありませんが、多くの教員が「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と子どもたちと自分自身を大きなリスクにさらそうとしています。そして、それに対して責任を負う主体は全く見えてきません。
東京都教育委員会のサイトを見ると、学校連携観戦は2016年から進めてきた「オリンピック・パラリンピック教育」の「集大成」として「学校単位で直接観戦する機会を提供する」としていることが分かります。オリパラ教育で子どもたちの心と体をオリパラ成功のために絡めとり、学校連携観戦で観客席を埋める駒として利用する、それは「教育」ではなく「洗脳」に他なりません。
学校連携観戦は、神奈川や千葉など、東京都以外の学校でも、また私立学校でも多くの学校で予定されています。学校に通うお子さんのいる方、どうか、お子さんの学校の予定表を確かめてみて下さい。学校連携観戦の予定が入っていて不安を感じられたら、お子さんと話をしてみてください。担任の先生には、連絡帳などで不安な気持ちを伝えて下さい。そして、校長に「学校連携観戦をやめてほしい」と電話してください。
かけがえのない子どもの体、心、命を守るため、声を上げましょう。
まだ間に合います。
子どもにオリパラ教育、オリパラ観戦を押し付けるな!
オリンピックはいらない、世界のどこにも!パラリンピックはいらない、地球のどこにも!
7,反五輪の会から
パラリンピックにも「聖火」というものがあって、「やまゆり園」で採火するということが相模原市長から突然発表があった。障がい者も、「やまゆり園」の被害者遺族も、聞いてない!と抗議の声をあげ、抗議の結果、採火は「やまゆり園」ではしないということになったというが、このいきさつはオリンピック・パラリンピックの本質を象徴していると思う。
当事者ぬきで、権力を持っている人の思い描く「共生社会」を当事者に押し付けるてくる。私たちが全然共に生きているというリアリティを感じないような、パラリンピックの採火というもので「共生社会」を目指す決意を示す。これこそオリンピック・パラリンピックの本性を雄弁に物語っていると思う。
平和の祭典といっても、どこが平和なのか。宣戦布告をして戦争をしていないからといって、私たちまったく平和だとは感じていない。「共生社会」も同じで、当事者、障がい者やマイノリティの人たちが共生というものを感じていないのに、権力の側がこれが共生だとかこれが平和だとか押し付けてくる、それがオリンピック的だと感じる。
私たちが障害者運動から学んだことは、たぶん、それぞれの能力をのばすとか、欠点を克服するとかいうことではなく、それぞれのできること・できないことを、コミュニティが補いあい、共有する、そういう社会のありようだ思う。私たちは、競争しなくても、努力して無理しなくても、十分コンビビアルに楽しく幸せに暮らせるにも関わらず、オリンピックなどをやって、無駄に競争させられている。奴隷たちが争って支配者に気に入られるようにやっているのを、支配者が眺めて得をしている。そういうのがオリンピックだと思う。やめてほしい。
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醤油ラーメン ラーメン・ド・エ・エド・ジャパン @ 霞ヶ関 #昨夜のラーメン番組みて食べたくなった #銀座界隈は食べ尽くしたので移動中で気になってるところ #もともとイタリアンのお店が出したラーメン店 #変わり種があってリピート出来そうだがまずは定番で https://www.instagram.com/p/B8-8a3OgTCz/?igshid=1pa7vay8uxdhy
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Shrimp ramen🦐🍜 海老ラーメン美味しかった😋 #digitalharinezumi #digitalharinezumi3 #toycamera #photolover #latergram #lunch #shrimpgarden #shrimp #shrimpramen #デジタルハリネズミ #デジタルハリネズミ3 #トイカメラ #加工なし #写真好きな人と繋がりたい #時差スタグラム #シュリンプガーデン #東京ランチ #霞ヶ関ランチ #エビ #海老 #えび #海老ラーメン (Shrimp Garden-シュリンプガーデン- Beer&Wine) https://www.instagram.com/p/Bz5e5WtgS21/?igshid=8wktt8ys5eer
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終始曇り空と風でラーメンを食べたくなる気温の中、先月に続き朝活した㈰です。 日常のさなか、今月はボディペイントを体験してくれる勇者が現れました。個人的には嬉しい^^ 公式朝活時間後は遅い朝飯にラーメンで音楽と漫画とスピリチュアルなことをミックスしたお話。 そして、以前から相談を頂いていた「水のようなもの…」の確認。 今回は残念ながらお手製ティラミスとは周波数が合わなかったようで… でも売れ残らずに何より^^ 来月こそは… 毎月の〇〇みたいな決まりはないけど、 今後も朝活は続けるとのこと。 よろしければぜひm(_ _)m ●看板1枚で、いつもの中華屋がカフェに見えてくる。 ●本日のカフェ店長 仲真弘 さん。 ●ボディペイント初体験の 小江戸 ���リカズ さん。 色々と大人の事情があるとはいえ、犠牲になるのはいつも敗戦側の人間。 個人的にはみんなで仲良くお手々を繋げれば良いのにねと思ってしまう。 ●この長靴鉢がすごく気に入ったのである。 ●大人気のすばるくん。 こんな状況でなければうさぎをガン見する機会もなかなか無い。 ●来年の干支を先取り!? うさぎ看板。 ●びっくりするくらい人気がない。 しかし今や見慣れた光景。 ●公式朝活時間後は遅い朝飯にラーメンで音楽と漫画とスピリチュアルなことをミックスしたお話。 ●朝活時はノンアルが無いようなのでレモネードを。 そして、以前から相談を頂いていた「水のようなもの…」の確認。 #朝活 #朝活カフェ #朝カフェの会 #港屋 #川越 #霞ヶ関 #ボディペイント #ヤトナミ #イカリ #梅 #生活に根ざしたアート #イラスト好きと繋がりたい #イラストグラム #漫画好きと繋がりたい #絵描きさんと繋がりたい #私はこんな仕事がしたい #悟水晴 #Gosuisei #アトリエライフワークス https://www.instagram.com/p/CdXn4G9LlHr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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その場所に無いものと私 ・ 子供の頃縁日が好きで色とりどりの屋台を物色していたものです。今川焼き用の丸い型の鉄板で具材は、お好み焼きである大阪焼も好きでしたが大阪には無いみたいですね。 ・ ちなみに台湾では、お好み焼きのことを「大阪焼」と言うらしいですね。同じように海外に目を向けるとヨルダンの首都アンマンで「あんまん」は売ってないんですね。 ・ 名古屋名物と言えば味仙の台湾ラーメンがありますが、これも台湾にはなくて台湾では「名古屋拉麺」と言うようです。そしてこちらの #スパゲッティ も同じようです。 ・ と言うわけで本日のランチはナポリには無い #ナポリタン を頂きに #バルボア #ロメスパバルボア です。ランチタイムを外しましたが1330でも混んでいます。 ・ カウンターに通されて8分ほどで提供されました。中太な麺で並盛でも350gあって、いつも通りながらもボリュームに圧倒されます。 ・ もっちりとした食感の麺と程よい酸味のあるケチャップそしてシャキシャキした小松菜の味わいが、立派な日本食であることを感じさせます。 ・ 所々であらわれる豚肉も美味しいですね。いわゆる #パスタ との違いは、焼いて炒めた感じが前面に出ているところでしょうか。 ・ 季節限定のメニューなども充実しているので、また13時過ぎにガッツリ気分の時に訪れたいと思います。 ・ #霞ヶ関ランチ #霞ヶ関グルメ #霞ヶ関パスタ #霞ヶ関スパゲッティ #虎ノ門ランチ #虎ノ門グルメ #虎ノ門パスタ #虎ノ門スパゲッティ #内幸町ランチ #内幸町グルメ #内幸町パスタ #内幸町スパゲッティ#麺スタグラム #とa2cg (ロメスパバルボア 霞ヶ関飯野ビル店) https://www.instagram.com/p/CqoObkzyVXk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2018.9 西穂高岳 ~独標の先へ(2/2)

↑西穂高岳山頂 今まで登った中で最も危険な山
1日目より
西穂山荘(0615)→西穂丸山(0630)→西穂独標(0710)→ピラミッドピーク(0735)→たぬき岩(0745)→チャンピオンピーク(0750)→西穂高岳山頂(0810) → 休憩 →山頂出発(0915) →ピラミッドピーク(1000) → 西穂独標(1020) → 西穂丸山(1050) → 西穂山荘(1110) → 休憩 → 新穂高RW西穂高口駅(1200) → 新穂高RW新穂高温泉駅(1240) →→ 平湯温泉BT(1330) → 昼食→ 平湯温泉BT出発(1430) → 新宿

朝日に照らされる山荘、いざ西穂高岳へ出発。まずは岩の道であるが、そこまで険しくない、ただストックは邪魔になるのでしまっておく。あっという間に山荘よりも高い位置に出るが、振り返るとこれまた朝日に照らされる焼岳が綺麗。昨日は天気悪かったので道中何も見えなかったが、今日は天気予報どおりの素晴らしい秋晴れ。数分登れば緩やかなガレの道に変わる、どうやら尾根に出たみたい。ここからならストックはあっても差し支えないが、安定した石の上にちゃんと刺さないとこれまた不安定。行先に見えるのはおそらく西穂独標、西穂高岳はいくつかの峰を越えないと見えない。
ちなみに登山者の数だが、同じ時間に朝食を食べ、準備して出発した割にはまばらである。半数は夜明け前に出ていったとしても、ちょっと意外(ありがたい)。

西穂丸山まではまったくもって穏やかな登山道、ただしずっとガレの道が続く。丸山を過ぎると次第に険しさが増していき、浮石などでバランスを崩すと下まで転げ落ちていきそうな道となっていく。まぁこれでも注意していれば初心者でも歩いていけるのではあるが、始めに比べて明らかに危険度は増した。そしてついに独標直下は岩登りのようであった。ここまでの道で最も危険なのはこの独標直下の崖。白いペンキでつけられた目印をたどり、安定する足場を探しながら崖を登っていく。落石を発生させないように、決して急がずに。
山荘を出発してから約1時間で西穂独標に到着。ここまでは序の口、これから先は初心者は立入禁止のエキスパートルートに突入する(特に進入禁止の看板は立っていないが)。 地図上では破線で記されている西穂高岳までのルートは危険度がとても高い。 槍ヶ岳は自分も難なく制覇できたが、問題はこの先である。

まずはこれからの道を確認。西穂独標から西穂高岳までは、この2つを含めて合計11の峰で構成された登山道。西穂高岳が主峰で第1峰とし、今いる独標が第11峰と番号がふられている。写真左上、一番手前に見える形の良い三角形の峰が第8峰のピラミッドピーク、形通りの名前である。第4峰のチャンピオンピークは・・・たぶん写真中央左のちょっと尖っている方かな?主峰は・・・どれかわからない笑。たぶんだけど写真中央右の、少し平らな頭に見える方だと思われる。ちなみに右端の最も高い山は奥穂高岳。 いざ、未知なる道へ(笑)
独標も峰のひとつなので進む際は下りから始まるのだが、これがいきなりすごい岩下り。斜度45度は絶対に超えてる、下手したら60度の箇所もある。ここまでやばいと普通に下るのは危険なので、進行方向に背を向けて後ろ向きに下る。まずこの斜面で一歩でも足を滑らせたら、運良く登山道の上に落ちなければ真っ逆さまで全身骨折、絶対に助からない。さっきまで歩いてきた道とレベルが跳ね上がる。
写真左下 独標から少し進んだところで振り返ってみる。一番高いところが独標で人が数人いる。写真ではわからないが、そこから上記のように急降下し、また登ったところが写真中央の峰(これが10峰?)。登山者が一人こちらへ歩いているのが写っている。
写真右下 行きの工程で最も恐怖を感じた箇所(ここは9峰付近か?)。岩がバランスよく積まれただけの、道と言えない道の上を進んでいく。道の両側はスパッと切れ落ちており、高度感もすごい。これがキレットってやつか。最も手前に写っている岩は、初見ではどこに手や足を置けばいいのか戸惑った上に、少しでもミスると即死という緊張感。実際、岩の切れ目に足をはめ、岩の頭に手を置いてバランスを取りながらトラバース。ヒエ~ と心の中で叫びながら進む。必死だったので体感時間はあっという間だったが、間違いなくここが核心部のひとつだった。

写真左上 上記の核心部を少し進んだところから振り返ってみる。ピークから下る途中、写真中央部がそれにあたる。落ちたらキャッチする箇所がないため、おそらく死ぬ。こんなところ、道の上を歩くならともかく、斜面に出てトラバースしなければならないとか、結構怖い。ただし、来年挑戦しようと思っている槍ヶ岳~北穂高岳の大キレット攻略時には同じレベルの技術が要求されるため、とてもいい経験だ。また不思議なことに、帰りに通った際はかなりすんなり通過できた。この箇所は行きと帰りでは難易度が変わるのかな。
第8峰・ピラミッドピークまでは独標から約30分。ここからだとちゃんと山頂を確認することができる。すでに何人か人が立っているのも見える。ここと独標を含めてまだ4峰しか越してない。気が抜けない危険な道がまだまだ続く。

写真左上 次の難所は10m以上のクライミング、鎖すら用意されていない。実際にとっかかってみると、登る分には見た目よりもそこまで難しくない。ゴツゴツの安定した岩が多いので手足の置き場の確保がしやすく、岩登りが得意な人ならひょいっと登れると思う。ただし危険箇所には間違いなく、確実な3点支持は絶対。あと、登っている最中は下を見ないほうがいいと思う。ここは登りよりも、むしろ下りの核心部である(後述)。
写真右上 さらに進むとまたキレット出現。ただし、ここは斜面をトラバースする形となっており(向かって左斜面)、峰を登るわけではないので安心。またトラバースと言っても、壁にへばりつくほどではなく、足場はわりと安定していた、相変わらず鎖は無いけどね!・・・というか、今思い出せばこれほどの険しい岩稜なのに鎖場が1箇所あったかなかったか。
写真左下 「たぬき岩」と呼ばれているピッと突き出た岩。たぬきが左を向いているように見えるからこの名がついたみたいだけど、言いたいことは確かにわかる。 自分にはふくろうにも見えるが、ちょっと不気味な形をしているのには変わりない。なんか、険しい山を必死に登っているときにあまり出くわしたくないというか、災が起こりそうな変な気持ちになった。
写真右下 チャンピオンピーク手前。今まで細い尾根をずーっと通ってきたのだが、ここからは広い岩場となりラクできた、ここだけだったけど。ここらへんから先を歩いていた赤いザックのねーちゃんに追いつき、山頂まで尾行する形となった。写真にも写っているがわかるかな。

第4峰・チャンピオンピークに到着したのは独標から約40分。残すは主���を含め3峰。振り返ってみると奥には焼岳、さらに奥には(たぶん)乗鞍岳。朝日に照らされているが、まだ8時なんだよなー。手前には超えてきたいくつものピークが生えている。
写真右下 第3峰の斜面から撮影。チャンピオンピークを越し、いよいよゴールである主峰を目前にする。広かった道も、また危険な細い道へと戻る。先行するねーちゃんが写真中央に写っているのがわかるだろうか?片側が切れ落ちている急な斜面のトラバース、その先に第2峰があり、最高点が第1峰、主峰である。

第3峰のトラバースは片側が切れ落ちているのでかなり危険。一方そのさきの第2峰は比較的広い道となる。2,3峰とも登るわけではなく、トラバースで終わる。
写真右下 第2峰越したときにはねーちゃんに追いついた。さて、ゴールである主峰を目の前にする。登山道の印を辿ってみると、一度少し下ったのちに 、尾根ではなく壁を登っていく形になる(写真左下から壁にとっつき、中央上の山頂まで)。この最後の登りが核心部のひとつ。途中までは手足の置き場があるのだが、山頂直下の5~10mくらいは壁が平らに近く、手足を置く亀裂も満足に存在しない。さすがに足場確保用のペグが岩に埋め込まれていたのだが、その数も数個程度しか無く、頭を使って手足の置き場を考えていかないと、次の置き場がなくなり詰む。手はともかく、足をこの状況で滑らせたり足場に置けなかった場合、当然滑落して死ぬ。尾根を登ったほうがラクなのでは?と思ってしまうが、これが指定されている登山道なのだから仕方がない。こんな難所であるが、まだ登りである分ラクな方である。問題はここを下るとき・・・。大丈夫なのか?

西穂山荘から約2時間、数々の(というかほぼずっと)難所をクリアし、いくつもの峰を越えて無事に主峰、西穂高岳に到着!!笠ヶ岳がちょうど標識とかぶってしまった。展望は最高!!なんという秋晴れ、なんという北アルプスのスケール、なんという達成感。
写真右上 北を向けば奥穂高岳と奥に槍ヶ岳、さらに写真には収まらなかったが、はるか先には立山まで見える!奥穂高岳山頂付近のボコッとした頭は通称「ジャンダルム(岩の衛兵)」と呼ばれるピーク。北穂高岳から見ると本当に衛兵がいるように見えるのだが、奥穂高岳を挟んで正反対のここ、西穂高岳から見ても、なんとなくそんな形をしているのがわかる。
写真左下 南を向けば今まで歩いてきたすべての道が見渡せる。奥には焼岳と、さらに奥は乗鞍岳。写真ほぼ中央には西穂山荘の赤い屋根が見えるけど、屋根にでも登らないとこの山頂は見えないみたいだな。写真に収まってないけど、少し右にはRW駅と、麓には温泉地が見える。
写真右下 東を向けば目の前には霞沢岳?と、麓には登山家の聖地、上高地!槍ヶ岳に登ったときに初めて訪れ、この河原を辿って向かったのが懐かしい。約1月前の出来事か。写真中央やや右奥には山岳標高第2位の北岳、そして写真左最奥には山岳標高第1位の富士山(かなり見えづらい)。そして目の前に(写真右上)山岳標高第3位の奥穂高岳と、ランキング総なめの光景なのである。

それにしても奥穂高岳を目前にすると、自然の恐ろしさ、美しさ、神々しさを肌身で感じる。西穂高⇔奥穂高ルートは、日本最難関の超級者レベルの登山道で、それをいままさに目の辺りにしているわけである。単眼鏡で登山道を覗いてみると、なんと凄まじいことか!!巨大な岩を前にして蟻ほどの小さい人間がうごめき、崖に近い岩場をひとつひとつ超えていく。これこそ、大いなる自然に対する挑戦そのものである。立山で剱岳を眺めたときもそのスケールに圧倒されたのだが、こちらはさらに桁が違うように見えた。剱岳はいつか自分も挑戦すると決心しているのだが、正直このルートはその自信が全く持てない。

写真左上 槍ヶ岳を起点として、裏銀座ルート( 高瀬ダム-烏帽子岳-野口五郎岳-鷲羽岳-三俣蓮華岳-双六岳-樅沢岳-西鎌尾根-槍ヶ岳)、西銀座ダイヤモンドコース(折立-太郎山-北ノ俣岳-黒部五郎岳-三俣蓮華岳-双六岳-樅沢岳-西鎌尾根-槍ヶ岳)を一望、 最奥には立山連峰が見える。
写真右上 左に奥穂高岳から、中央やや右の前穂高岳へ向けての稜線(吊尾根、最低コル)。このルートならいつか���したい。ちなみに前穂高岳は、これの1週間後に挑戦することに。
山頂での光景があまりにも素晴らしすぎて、つい1時間も景色を眺めてしまった。冗談抜きで、一日中ここにいてもきっと飽きない���前回の槍ヶ岳では天気悪くて何も景色見えなかったからなー。今年の秋は雨が多い中、奇跡的な秋晴れの日に迷わず決行してほんとうに良かったよー!山頂の温度は15度くらいだったろうか、上に何か羽織れば太陽の日差しもありじっと動かないでいても快適であった。
写真左下 いつか登る山々を背に、非常に名残惜しいが下山を開始する。時間はまだ9時。西穂高岳山頂直下は上るときの核心部であったが、下るときはさらに難易度が上がる。今回の登山で最も危険な箇所は、確実にここ、山頂直下の崖を下るときである。理由はこの崖を上から見ればわかるのだが、なにせ登りは見える登山道の印が、下りでは位置的にほぼ見えなくなり、最適進路がわからない。前向きに下ると進行方向を向けれるので進路を決めやすいが、急坂なため背中のザックが岩に引っかかり危険。 ここは進行方向を見ることはできないが、後ろ向きに下って一足ごとに振り返り、進路を探す方法しか無い。また上前述のように、登るときでさえ手足の置き場に苦労したのに、下りとなるとさらに困難に。 自分はこんな難易度の岩稜は初めてなのだが、焦らず確実に一歩一歩進んでいく。
写真右下 復路の最大の難所のひとつを攻略し、崖を振り返る。てっぺんが西穂高岳山頂。斜面の角度だったり、山頂近くの崖は平らに近いのがわかるかな?おかげで苦労した。

復路だと11もある美しい峰々がきれいに並んでいる。独標より山頂側では特に道が切れ落ちたキレットになっているのもわかる。下り始めたあたりから雲がでてきた。山荘に戻った頃は完全に曇り、登山道もガスで覆われていた。やっぱ早朝に登るに限るね。
写真右下 復路での最難関ポイント2つ目。登りのときはあまり苦にならなかった崖(前述)。上から眺めると印が全く見えないため、山頂直下の崖と同じように最適ルートがわからない。また斜度は山頂直下以上にきつくなっている。幸いなことにゴツゴツした岩が多いので手足の置き場所については豊富だった。しかしやはり斜度がきつすぎるため危険極まりない。

写真左下 西穂独標直下の崖。登りではそこまで苦労しないが、やはり下りのとき(往路)では危険箇所に間違いない。てか目の前のお二人、相当岩場慣れしているのか、ずいぶんとペースが早かったな。途中の険しい道では一定の距離は保てたけど、結局追いつけなかったよ。終いには休憩も取らずに先へ進んでいき離された。たぶんご夫婦。

この日は9月中旬。山肌は紅葉が進み、一部黄色い絨毯のようだった。毎年これくらいの時期になると涸沢も紅葉が始まってめっちゃ混むようになるんだよね。西穂丸山には11時くらいに到着。日が昇り気温があがってくると雲も増えてくるため、この時間くらいになると朝はあれだけ晴れていたのに曇り始め、山頂方向はガスってきた。
西穂山荘に到着したのはお昼の1時間前。ほんとうはこの山荘名物のラーメンをお昼ご飯にいただこうとおもっていたのだが、途中で行動食食べていてあまりお腹は空いてなかったので、ここで無理して食べるよりもRW駅のほうがいろいろ食べれるかな?ってことで、とりあえず300円のアイスクリームを購入。ソーダ味にしたんだけど、アイスクリームというかシャーベットに近く、しかも小さいラムネ入りで美味しかった!
RW駅に到着したのはちょど12時。この時間になると完全に曇り。RW展望台からの景色も昨日と全く同様、ガスって何も見えなくなっていた。結局ここからの景色は真っ白な光景しか見ることはできなかったな。いい感じの時間に到着したので、そんなに待たずにRWに乗ることができた。
2階建てRWには6,70人くらい乗っていただろうか、次に乗り継ぐRWの定員を確実にオーバーしていたので、2本目のRWは2回に分けて輸送していた。30分間隔の運転ではあるが、こういう場合は駅に着いたらすぐに折り返して輸送してくれるので心配しなくても大丈夫。
RW降りたあと、平湯BTへのバスも20分も待たないうちに来てくれた。1時間以上に一本という頻度なのでラッキー。足湯に入ってゆっくりしていたかったのだが、足を拭くタオル持ってきてなかった。ちなみにだが、このバスを乗り過ごしてしまうと、予め予約していた平湯BTに→バスタ新宿への高速バス乗り継ぎができなかった。危ない危ない。帰りの時間についてはRWも含めてもう少しちゃんと計画しておかないといけないね。

平湯BTに到着したのはお昼過ぎた13時半。ここでようやく昼食にありつけるのだが、もう飛騨牛押し!!しょうがないから肉寿司、手打ちそば、食後に飛騨牛串を注文。まず手打ちそばだが、これがすげー美味いの!!小さい頃 飛騨へ家族旅行して食べたそばがすごく美味しくて2人前平らげたのを思い出したんだが、あの頃から変わってないのね。絶対に日本一美味いと思うの。次に飛騨牛の肉寿司。2貫で800円だったかな���ちょっとお高いかもしれないけどこれまたすごい。口に入れると肉の旨味と風味だけが残り、肉自体は溶けて消える!牛串は、肉寿司がすごすぎたから比べてしまうとなんとも言えないのだが・・・絶対美味しかったはずなのに食べた順番が悪かったな。
ちなみに平湯BTは温泉もあるので、時間があれば入って行きたかったところ。お昼ご飯をゆっくりたべてたらバスの時間まであまり余裕がなくなってしまったので今回��諦める。まぁここまで美味しいものを食せたのだから大満足である。
帰りの高速バス、中央道日野バス停直前の追い越し車線のほぼど真ん中にタイヤが落ちてた。ヤバスギ・・・。
さて、総じて今回の西穂高岳は、今年の目標「険しい岩稜制覇」を十分に達成するものでした。上出来。天気に恵まれ、登山後のご褒美にも恵まれ、文句なしの2日間。またこれを期にテント泊を行ってもいいかな~と一考させられました。実り多かったとはこのことだね。
西穂高岳の核心部は往路復路で異なるが、往路は西穂独標直下と8峰手前の岩を乗り越えるところ、そして山頂直下の崖。復路は山頂直下の崖(最も危険)、詳しい場所は覚えていないが崖急降下(2番めに危険)
今年の岩稜登山は西穂高岳で集大成かと思いきや、まさかこの翌週に前穂高岳に登るとはおもってもいなかったのだった・・・。
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【人身事故】東上線・霞ヶ関駅で人身事故が発生しました。
走って埼玉【川島町中心】マガジン編集部です!!
6月1日18:34頃、東武東上線・霞ヶ関駅で人身事故が発生しました。
この影響で川越市~小川町駅間の運転を見合わせています。
再開見込は19:45頃との情報が出ています。
東上線では緊急事態宣言が解除されてから4件目となりますので、少なからずコロナが影響しているのかもしれません。
人身事故の状況を見ていきます!
現場について
人身事故が発生したのは霞ケ関駅構内になります。
東武東上線は18時34分頃、霞ヶ関駅で発生した人身事故の影響で川越市〜小川町駅間は運転見合わせ中だそうです。
池袋〜川越市駅間は折り返し運転を予定していますが、現在は準備中で動いていません。
尚、先ほど警察レスキュー隊が到着し、現在は負傷者の救出活動を行なっているそうです。
— 熊本ラーメン大悟 (@kumamotodaigo) June 1, 2020
負傷者の情報は?
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舞鶴女子高生殺人で無罪判決の「中勝美」、再び殺人未遂で逮捕、“獄死“の数奇な人生(デイリー新潮)
舞鶴女子高生殺人で無罪判決の「中勝美」、再び殺人未遂で逮捕、“獄死“の数奇な人生(デイリー新潮) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190816-00577378-shincho-soci 3年前の夏に病死したその男は、かつて凶悪事件で無罪が確定し、世間の注目の的となった人だった。しかし、彼が最期を迎えた場所は……。 2016年7月11日、67歳で死亡した中勝美元受刑者は、2008年5月に京都府舞鶴市で発生した女子高生殺害事件(以下、舞鶴事件)で、殺人と強制わいせつ致死罪に問われていたが、2014年7月、最高裁で無罪が確定した。この事件について中勝美は、府立高校の1年生だった小杉美穂さん(15=当時)に対し乱暴目的で、頭や顔を鈍器で殴り殺害したとして起訴されていた。「何も関係ありません」。一審京都地裁の罪状認否ではこう訴えたものの、判決は無期懲役(求刑・死刑)。中勝美はこれを不服として控訴。大阪高裁で逆転無罪判決が下された。検察側が上告するも、2014年7月に棄却され、無罪が確定。晴れて舞鶴事件で「無罪の人」となったが、このわずか4ヶ月後、中勝美は大阪市北区にある雑居ビルにおいて、殺人未遂罪で現行犯逮捕された。女子高生殺害事件で無罪になった男は、なぜ事件を起こしたか。その裁判で、何を語ったのか――。 *** 2016年2月、地下鉄���堂筋線・淀屋橋駅が最寄りの大阪地方裁判所で開かれた中勝美の裁判員裁判。ここから梅田方向に歩くと、ラーメン店や古いマンション、ホテルなどが立ち並ぶ歓楽街の一角に、ビル名のネオン看板がでかでかと掲げられている建物がある。外から見ればごく普通の雑居ビルだが、その中には、スナック、人妻キャバクラ、ホテヘル店がひしめく。事件は2014年11月5日の早朝、このビルの2階のホテルで起きた。 このホテルを経営する当時38歳の女性が、突如現れた中勝美に、顔や首など11カ所を刃物で刺され重傷を負ったのだ。向かいにあるホテヘルのスタッフが出勤し、開店準備のため植木を表に出していたところ、血まみれの中と女性が店に飛び込んで来たという。 「女の人は『警察、警察!』と叫びながら小走りで入ってこられた。上半身が裸で、頭から、顔、上半身、すべて血まみれでした。バケツ(で血を)被ったみたいな、そんな感じでした。ズボンは履かれていたと思います。うちの店の前の従業員の方だと思います。挨拶する程度です。そのあと同じく上半身が血だらけの男の人が、ナイフ持って追いかけてきました。果物ナイフぐらいの小さなナイフやった。刃は見ましたが柄は見てないです。女の人の背中に刃を向けるような感じ。男も顔から血まみれで、肌の色わからないくらいでした」(ホテヘルスタッフの公判証言) スタッフの通報により駆けつけた警察官らにも、中勝美は果物ナイフを向けたが、揉み合いの末に逮捕された。起訴状によれば、中勝美は経営者のAさんにわいせつ行為を働いて殺してしまおうと考え、事件当日の朝、玄関からホテルに侵入。果物ナイフをAさんの首に当て「服を脱げ、脱がないと殺すぞ」と脅したうえ、ナイフを首元に突き刺し、上半身をめくりあげ、両乳房を揉み、頸部、胸部など多数回ナイフで突き刺し全治1カ月の外傷性出血性ショック等を負わせた。 だが罪状認否では、舞鶴事件と同様に否認した。官品と思しき黄緑色の作業着を着た坊主頭の中勝美は、舞鶴事件で逮捕される前にも見せていたようなニヤニヤとした表情とは対照的に、弱々しく消えそうな声でこう主張したのである。 「『来るな』とは言われていない。口論となり……Aさんがホテル内のナイフを持ち出した……私は取り上げて揉み合いになり……決してAさんを殺そうと思っていない」 弁護人も、中勝美がホテルに出向いたのは、「かつてここで働いていた際、刑務所の在監証明を提出し、個人情報をメモに書き写されていたので、それらを返してもらうためだった。未払いの給与を受け取る目的もあった」と主張。ナイフを持ったのは、正当防衛であり無罪が成立すると述べた。 Aさんと中勝美の出会いは、JR堺市駅。中勝美は舞鶴事件で検察が上告中だった2013年5月、大阪市西成区のコンビニ内で680円相当の本を服の中に隠すなどして窃盗罪で逮捕されており、同年8月に懲役1年2ヶ月の判決を言い渡され、大阪刑務所で服役していた。そして舞鶴事件で無罪が確定した2ヶ月後の2014年9月30日に出所。刑務所を出て、最寄り駅である堺市駅のホームにいた中勝美に、Aさんが声をかけてきたことが始まりだ。 「刑務所を出てきた人をスカウトすればいいじゃない。仕事が見つからないだろうから、清掃の仕事でも、ずっと続けてくれるんじゃないの。年寄りのほうが真面目に働いてくれるよ」 ホテルで働いてくれる従業員がなかなか見つからないため、知人に相談したところ、こんなアドバイスを受けたAさんは、堺市駅周辺で出所者と思しき高齢者に狙いを定め「スカウト」を始めたのだ。中勝美と出会う前も、何度か「スカウト」に訪れていた。そしてようやくホテルで働く意思を見せてくれたのが、中勝美だった。月6万円に食事付きという条件でその日から働き始めた。ところがすぐに、Aさんは中を解雇する。証人出廷したAさんが、その理由を語っている。彼女の発言がぎこちないのは、Aさんの母国語が中国語であるということに加え、事件で中勝美が刺したナイフが頬を貫通し、舌に大怪我を負ったためだ。 「仕事……全くできなかった。うちは部屋番号がA、B、C、Dのアルファベット、被告人はそれ、読めなくて受付にもできない。ウチ、ホテルなのに、お客さんの案内できないです。あと被告人はホテルいる間、お客さんと何度も言い合いして、揉めていた」 先にも述べたように、中勝美はAさんに提出した在監証明を取り返すためにホテルを訪れたという。しかし、Aさんは彼を解雇する際、返却していたと主張した。その後も何度か中勝美が小遣いをせびりに来たこともあったが、金銭的な請求をしないという念書を書かせて追い返していたという。ようやく関係が終わった、と思っていた矢先に事件は起きた。 「お答えしづらい」 スタッフだけに教えていた方法で玄関ドアの鍵を開けた中勝美は、Aさんが寝ている部屋に侵入。マスクに帽子、手にはナイフを持ち、軍手をはめていた。 「金庫を開けろ。俺の名前と住所を書いたのを出せ」 Aさんが「鍵を取りに行く」と言い、その場を離れようとするも、中勝美は突然、Aさんの頬を思いっきり叩き、その首にナイフの刃先を突きつけ、こう言った。 「殺すぞ」 ズボンのポケットからタオルを取り出し、Aさんの口を塞ごうとする。 「お前はうるさいから口塞いでしまう」 抵抗したAさんに中勝美はいきなり抱きつき、両方の乳房を揉んでキスをしてきた。 「お前が好きや。服を脱げ。全部脱げ、脱がないと殺すぞ」 そしていきなり、Aさんをナイフで刺したのだった。 だが中勝美は被告人質問で、犯行に至ったのはAさんのせいだという発言を繰り返した。 「給料の話とメモ用紙を返してもらいに、Aさんに会うためホテルに行った。同じことを繰り返し話しているうちに、Aさんがナイフを棚に取りに行き刺してきた。抵抗して刺した」 と、最初に手を出したのはAさんだったと主張。さらに、胸を揉んだという行為についても、「自分から(服を)脱いだ。胸も揉んでません」と否認した。すると、裁判官はこう切り出した。 裁判官「服役して反省したことはないんですか?」 中勝美「入るとつらい。二度としないように考えます」 裁判官「被害者に申し訳ないという気持ちはないですか?」 中勝美「あります」 裁判官「どの事件?」 わずかな間のあと、中勝美は答えた。 「……万引きです」 再び裁判官が問う。 裁判官「万引き以外はないんですか?」 中勝美「あります」 裁判官「どの事件ですか?」 再び間が空き、中勝美はこう言った。 「……お答えしづらい」 結局、中勝美には、懲役16年(求刑・懲役25年)の判決が言い渡された。 裁判官が「どの事件ですか」と訊いたのは、何度か服役の経験があるからだ。舞鶴事件から遡ること35年、中勝美は交際していた女性に復縁を迫ったが相手にされなかったことから恨みを抱き、滋賀県草津市の女性宅に押しかけ、女性とその兄を殺害。さらに近くの民家に侵入し、無関係の姉妹を人質にして立てこもるという事件を起こし、逮捕されている。 「彼女以外は殺すつもりはなかったが、やってしまったからには仕方ないやないか」 当時、逮捕後の記者らの一問一答に、こう答えた中勝美は、のちに懲役16年の判決を受け服役していた。さらに、1991年には、舞鶴市内で自転車に乗っていた女性を押し倒し、彼女の顔をカッターナイフで切りつけるなどして、再び実刑判決を受け服役している。そして、舞鶴事件は起きた。 「(中勝美には)刑務所の中で死んでもらいたい。出てくるとまた被害が起こる」 Aさんは法廷でこう語っていたが、奇しくも中勝美は、16年7月、医療刑務所で亡くなった。なお、舞鶴事件は未解決のままだ。 高橋ユキ(たかはし・ゆき)傍聴ライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)など。 週刊新潮WEB取材班編集 2019年8月16日 掲載 新潮社
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