#霜焼
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2/18 新潟市 久しぶりに日の出前に撮影。 普段使わないカメラを持ちだしたら使い方を忘れていた。
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マッスルコース💪 ありがとうございます😊 #宮城県天然生本鮪153kg #激トロと活蛸🐙 #鯛Presso #蛍烏賊🦑 #天然生本鮪霜降り #リブロースステーキ🥩 #炭火焼きステーキ #大館市 #居酒屋 #秋田県 #AKITA #Odate #Japan #NIPPON #izakaya #omakase (Restaurant Japonais Wasabi) https://www.instagram.com/p/CpkSDrDyKE3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022/12/14 朝霜と霧の世界 朝陽で暖められた畑から湧き出すガスの息吹 筑波山、足尾山、加波山の山麓から湧き出すガスで、だんだん山並みが見えなくなっちゃった‥‥‥ 夕方の木枯らしで、帰りに立ち寄ったセブンイレブンの中に落ち葉がたくさん入り込んで来たと思ったら、納屋の中にも柏の葉っぱがたくさん! 目玉焼きは、黄身のところだけくり抜いて、好物の白身の焦げたところだけ食べる◌𓈒𓐍🍳𓏸𓈒 セブンイレブンで新酒の地ビールが入荷したと思い、カールスバーグ生ビールを購入して飲んでみたら、水っぽくて不味い🥂 #iPhone日記 #筑波山 #足尾山 #加波山 #吾国山 #恋瀬川 #朝陽 #ガス #山茶花 #ドウダンツツジ #朝霜 #エノコログサ #目玉焼き #カールスバーグ生ビール https://www.instagram.com/p/CmJg9mISEVn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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めちゃうま金目鯛2kgUP入荷★ 最近大きめの金目鯛や太刀魚がなかなか獲れない中、ようやく入荷しました(*つ▽`)っ お造り、煮付けなどどんな料理にしても美味しいけど、一番オススメはしゃぶしゃぶです(*´∇`*) #金目鯛 #きんめだい #2kgup #お造り #焼き霜造り #西京焼き #煮付け #しゃぶしゃぶ #おすすめメニュー #和歌山の居酒屋 #七つの月の夢 https://7-moon.jp http://www.7-moon.com/ 073-441-7040 (新和食料理・創作居酒屋 七つの月の夢) https://www.instagram.com/p/CmDdlYWLeOM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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これもSDGs
残飯頂く
↑写真は息子オフィスの冷凍庫(何台かあるらしい)霜が気になる(笑)
最近の日本は知りませんけど、こちらではレストランとかで食べきれなかった食べ物をパックして持ち帰ったりします。(ごく普通)
インターナショナルな息子の会社では、いつも様々なイベントがあるのですが、余った食べ物をあまり持ち帰ったりしないようです。
息子の会社で夏の終わりにあったBBQパーティーの時もあれこれ頂いたのですが、まだ手付かずの食材があるそうで、「霜焼けしそうだから家で食べようよ・・」 とバーガー🍔のパティやバンズをゲットです。
セコオヤジに育てられた息子、その様な残飯を時々持ち帰ってきてくれまして、オヤジはいつも感謝です。🙏
今週はバーガー🍔食べるぞ
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‘23.2.5 飛火野にて
今朝は薄曇りで霜もうっすらとだけ。春日山と高円山の稜線付近の雲が時折切れて、その部分だけが一瞬焼けました。
もう何回もここでの朝をアップしていますが、今日も載せますw。手前に大きく写っている木もほぼ同じ木です。春の準備を始めた木を絡めつつ、約40分間の空の移り変わりを撮ってみました。
#奈良#nara#日本#japan#奈良公園#nara park#飛火野#tobihino#春日大社#kasuga taisha shrine#夜明け#dawn#冬#winter#photographers on tumblr#natgeoyourshot
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、��ンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか�� そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。���に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれ���欲しい
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昼飯は「台湾シリーズ」
「台湾焼きそば」と「台湾バーガー」である。
焼きそばは蒸し麺がなくて中華麺があったので、軽く茹でてから焼く。オイスターソースと鶏がらスープの素でそれっぽくなるのである。
「台湾バーガー」は昨夜家人が買ってきたもの。
どんだけ買ってくるねん、という話。
角煮を中華の割パンに挟んであるのだ。
夕飯はひとりぶん。
キャベツとソーセージのアンチョビペペロンチーノ。
スパゲッティを茹でるというのを覚えたのは高校生くらいの頃だが、初めて上手くできた時は大変に嬉しくて、そして劇的なまでに旨かった。
あれから幾星霜。
もうだいたいアベレージで作っているから感動がない。
「まあこんなもん」なのである。
もっと奥深い世界であるはずなので、突き詰めてみたい気もするが、そうなるともう1人のぼくが「キミはいったいどこに向かっているのかね?」と哲学めいた謎かけをしてくるので今はやめておくのである。
ごちそうさん。
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今日は二十四節気の霜降。
。。。と言っても霜が降りるような寒さではありません。
時期相応に寒く感じる日もあれば、突然夏日みたいな日もあって身体がついて行かない感じです。💦💦💦
今日も彗星を期待しつつ西の空を見たら雲が多めで早々に諦めましたが、鮮やかなオレンジ色に染まったのでその様子をゆっくり眺めました。✨✨✨
思った以上に長い時間焼けてました。♫
#夕空 #ユウゾラ #夕景 #夕焼け空 #ソラ #panasonic #lumixtz95 #lumix #tz95 #霜降
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heroes of goo jit zu characters' names in japanese part 1
blazagon: ブレイズアゴン
thrash: スラッシュ
pantaro: パンタロ
tygor: タイゴール
wolfpain: ウルフペイン
viper: 毒蛇
graplock: グラップロック
mantor: マンタ
brawler: 喧嘩屋
frostbite: 霜焼け
rock jaw: ロックジョー
scorpius: さそり座
sahario: サハリオ
redback: レッドバック
reptaur: レプタウル
gigatusk: ギガタスク
battaxe: 打者
hydra: ヒドラ
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Today's Haiku with Picture 362
By frost
Exposing burnt leaves
It's sorrel
霜当たり
焼けた葉さらす
ギシギシか
(2023.01.05)
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私は十三のホームにいた。
この日はめざましテレビが騒いでいた通り、寒い。
これは手が霜焼けになるのではないかと思いLawsonで
缶コーヒーを買って手を温めた。
普通電車は8000番台で「memorial8000」というラッピングだった。
だけども、園田で通過待ちをして
遅いので次の通勤特急を待つことにした。
通勤特急は8102番台。これは前二両が新幹線みたいな座席。
30年間使われたこともありクタクタで幼いころに買ったぬいぐるみの「ぶちナイン」が偲ばれた。ただ私は背もたれにもたれると背中が痛むから背筋をピンとさせて座る。
塚口につくと向こうのホームに電車が止まっていた。
これは「8103じゃないか!!」私は興奮した。
武庫之荘を通過し武庫川の橋に差し掛かった。
あと十年ほどでここに駅ができるらしい。
その時の私はどんな大人になっているのだろうか?
どんな旦那さんと過ごしているのだろう?
どこの会社に勤めているんだろう??
そう思わずにはいられない。
橋の下にはカモやサギが集まって魚を採っていた。
西宮北口に到着。向かいのホーム(梅田方面)には8101が停まっていた。この電車は音は出ないしクロスシートではないのだが、
8000系の雰囲気が良い感じに残っている。
隣のホームは回送車が来るみたい。私はベンチに腰を掛けて
缶コーヒーを飲んだ。
少しぬるくなったけれども私のココロを温めてくれた。
回送車は8200系だった。これは二両だけの電車で通勤特急にくっつけるタイプの電車だ。
8000系とはまた違い東芝製の床下機器がいい味を出している。
なんていい日なんだろう。
そう思いながらエスカレーターで二階に行って
カリヨンの下を通り、いつもの変わらない一日を始めた。
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馬刺し(中霜降り。すりおろした大蒜添え)、トマトと黒にんにくとらっきょうのサラダ、たっぷり野菜の煮込み(すき焼きの割り下の残りで味つける)、納豆とめかぶの和えもの。
Horse Sashimi Dinner - December 2022
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ひしひし
働きが進むのだなと感じ思わされます
もっと祈らねば🏃♀️と
.
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ついに足先に霜焼け☃️
でも去年より全然少なくて守られています🙆♀️
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December 24,2022
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