#難聴系男子が倒せない
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難聴系男子が倒せない- 鏡音リン for LamazeP
#難聴系男子が倒せない#Nanchoukei Danshi ga Taosenai#I Can't Win Against Dense Guys!#ラマーズP#LamazeP#鏡音リン#kagamine rin#vocaloid
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these next few days will be photoshoots... watch out... #81
today's vitamin(s) are from the 「難聴系男子が倒せない」 3DMV! this is so stupid he looks so goofy and cute...
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、ど��ような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自��の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うこと��できました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきません���した。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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ヘイトクライム(憎悪犯罪)
【これは酷い】ゲイでアフリカ系米国人の俳優、男2人からヘイトクライムを受けたと主張 → 自作自演だったことが判明し逮捕 : はちま起稿
記事によると ・米俳優ジャシー・スモレット(36)が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)の疑いで2人組の男に襲われたと主張していたのは自作自演だったことが発覚し、シカゴ警察に21日逮捕された。
・人気テレビドラマ「Empire 成功の代償」で知られるスモレット容疑者はアフリカ系米国人で、同性愛者であることを明らかにしている。1月29日、男2人に通りで顔を殴られ、人種・同性愛を差別する言葉で非難され、「正体不明の化学物質」をかけられたと申し立て、警察が捜査を進めていた。
・シカゴ警察のジョンソン本部長は「痛みと人種差別に対する怒りとで、自分のキャリアを先へ進めようとしていた」と述べ、容疑者が2人の「襲撃者役」に3,500ドル(約38万7,000円)を支払っていたことも明かした。
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FBI、カバノー氏にもフォードさんにも聴取せず-関係者 - Bloomberg
クリスティン・ブラジー・フォード事件,合衆国最高裁の判事候補であるブレット・カバノーによる性的暴行被害を訴え,告発内容が二転三転,刑事告訴はしていない,女性の被害告発を無条件に信じてしまった,
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「町長���で性交渉」と虚偽の告白、元町議らに賠償命令…前橋地裁が町長への名誉棄損認定 : 読売新聞
群馬・草津町の新井元町議が会見 町長からの性被害を告発(2020年12月18日) - YouTube
https://x.com/tkzwgrs/status/1721295996586766493
新井祥子,草加市,全部嘘,外国人記者クラブ,
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2000年の話。福島県会津若松市で建設資材会社を経営していた 目黒哲郎氏の家に警察官が押しかけ、目黒氏を連行していった。容 疑は「女性に対する強制わいせつ」であった。
市内の主婦、星京子が目黒氏からわいせつなことをされたと被害届 を出していたのた。
しかし、目黒氏には全く身に覚えのないことであった。警察は目黒 氏に自白を迫り19日間も拘留したが、検察は嫌疑不十分 として不起訴処分にした。
不起訴処分になったものの、目黒氏の名はすでにわいせつ事件の犯人として実名で報道されていた。そのため、目黒氏は単に精神的苦痛を受けただけでなく、取引先から取引の打ち切��が相次いだ。200 あった取引先は事件後、5分の1に減った。さらに銀行からも 融資を打ち切られてしまう。
事件後1年で目黒氏の経営する会社は倒産した。目黒氏の息子も失業し、妻からわいせつ犯の息子と言う理由で離婚された。
目黒氏は釈放後、京子を相手取り300万円の損害賠償を求める訴 訟を地裁会津若松支部に起こした。2001年には、地裁会津若松支部はわいせつ行為は行われなかったと認めた上で、京子の被害届は 虚偽と認めて、京子に対して150万円の損害賠償を支払うよう判決を下した。
公判でも京子はウソをついていたことを認めなかった。 京子がウソをついた理由は、「夫にかまってもらえず、事件の被害者になれば夫が親身になってくれる」というもので、京子は夫の気を引きたいと言うただそれだけの理由で、目黒氏を乱暴未遂の容疑者に仕立て上げ、目黒氏とその家族の人生を破壊したのである。
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草津町長への虚偽の性被害告発「責任は看過しがたい」 2審・東京高裁も元町議の女性に賠償命じる - 弁護士ドットコム
新井氏は2015年1月8日に町長室で黒岩町長と肉体関係を持ったと告白し、その話を聞いたライターが告発本「草津温泉 漆黒の闇5」(すでに販売打ち切り)にまとめて電子書籍として出版した。
前橋地検は新井氏を虚偽告訴と名誉毀損の罪で、ライターを名誉毀損罪で起訴しており、ライターに対しては前橋地裁が2024年1月に懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
控訴審で新井氏は、告発本の発行によって黒岩町長の社会的評価を低下させた責任の大半は、反面取材や裏付け取材を行わなかったライターにあるなどと主張。
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妄信的なフェミニスト、女性が不利になりそうな事は何も認めようとはしない【フェミニスト/JustPearlyThings】 - YouTube
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桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。��くに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジー』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られ��人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしい��ら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可��性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
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知人は仕事を辞め、地元に戻り農業大学に入り直して農業に従事している。今回ひっかかってないのでひとまずよかったとはいえ。。これは問題だ。。
最悪悲惨だと思う。
この手法、結構使っている方いらっしゃると思う。批判や攻撃など支障ある場合とそうでない場合で印象は変わってくると思う。前者だと自らの主張の正統性や有利にすすめる意図がみえたり(賛同かそうでないかでも 見方が分かれることも)、後者の場合は(ストローマン論法ではなくなるかもだが)周囲を和ませ��ことも。だけど、前者っぽくても忠実(自然)で思いやりがあったりと、誰が彼がというのともまた違うかな。ちなみに自分は、前者.意味のある批判などの場合はストレートに書くことが多い。
ここに書くのも内容が混ざってしまうが、どういう反応すればよいか、返答に困るのではないかとも思った。ここに個人情報など書いても行政の方もチェックされているし、そういう話は控えている。自分には関係ない話だと思っていたけれど、というか自分はごちゃごちゃした話は、最初から考慮に入れてない。自分はそのあたりはわかっても突っ込まないタイプで。親切だと思うこともあれば、のだめカンタービレを思い出したり 対応が上手い(可愛らしく和むけれど精神年齢も高い...二面性があるよね)と感じる子もいる。(あちらの方は元よりだけど、もう1(2)人の方も自分のこと知ってるかも、というのは気のせいかもしれないけれど、足あとやテレパシーみたいなのがあって。道徳心にも感心したのだけど 他にも見習うべきところが、将来が楽しみでもあるよね。焦らずゆっくり見てあげた方がいいと思うね。あちらも多分行く機会あるかも。あと、一番有名な方(もいろいろ観たいけれど)より 先生もそちらの場所の方を高く評価していて。過剰な演出がなく優美で、東の(同じくらい有名な)場所も含め、特にお気に入りと言っていて。人間のためだけではないところもいいなぁと。あとそちらもだけど、片付けにハマっていた時に、美術館で合唱団のコンサート時にもらった資料が出てきたのだけど、その地方の風景に関する話が1ページにわたり書き連ねられてあって、東の都市と西側の国の近代思想が合流する場所という内容で位置的にも面白い場所だなぁと思ったね。アーティストといえばウジュピス共和国(屋根のない美術館とも言われる ブルージュもよかった)、最近は里山芸術祭とかも増えてきたね。あと避暑地としても人気な軽井沢や八ヶ岳の別荘(といっても新築が多いけれど)の資料もよく見るね。宮沢賢治の農民芸術概論(←kindleで無料で読めるみたい)を思い出したけれど、ちょうどこの間 二~四次元について考えていた。)そもそも、まわりくどい面倒なことは性分に合ってないから、そういう読み方をしない方の対応で...そういう読み方になるのかもだけど、無意識なものでそれとも違うかも...その方が自由でもいられる(といっても一番最初は真面目に質問と仮定形で対応した、思いやりと爆弾両方をかかえる気持ちで。...その辺見えたから、爆弾にしたのもひとつにはある。ただ その後が想定外で大失敗。その後の考えもだいたいわかるところはある。ドラマとか...スカイキャッスルとか面白かったね...では好きだけど、現実ではちょっと...というのがある。別系統にするゆとりはあったからね、それが原因ではなく、自分自身の問題でいろいろと。綺麗事よりも現実的な事柄で。困難なことがあろうと、生きている以上、元々幸福の中にいると考えているから...このあたりは震災など体験して価値観が変わった。そういう意味ではドラマでの不幸体験なども意味があるかも。...特に幸せみたいなのは求めてなくて、ある意味現実逃避みたいにも思えるし。普通に毎日 自分なりに充実できればそれでいいかなと。...単刀直入に用件から、自分のことならば入れないように、無礼自覚にそれまでの感謝も若干混じり)、これが自分のやり方。だけど、例えば そういうことで対応していたのだとすれば器が小さ過ぎやしないかと、見透かされると思うし。そういうことがないと考えていたから尊厳していたのだけれど。例えば 動かそうとしても、そういったことにはのらない。(こういったところは似ている。自分は無反応だけど逆対応で返す点は違うね。爆弾→雷事件以後 学んだところもあって。角が立たないのは年の功もあるか。...そちらの先生、自分が稚拙なだけです。すみません。同性愛、自分も共感できる部分(憧れといった感じ)などある。喧嘩売るより、そういえば自問.疑問形だったのだけど、何となく違う感じに、結果的には喧嘩売ったわけではないからどの解釈でも支障はないけれど。上から見られるのが苦手というだけであって、これは自分自身の問題、自分が年をとったからかもね。二次元キャラの方から三次元(平面から空間...多角的視点)的な。言葉が少ないと、抽象芸術のように自由度が増す。でも断定的表現は疑問。今までの体験も含め、三流に属する自分が大切にしているのは、程よい緊張感。相対する要素で真ん中という意味では似ているかもしれないね。アスリートなどの方も平常心を保つ(卓越したパフォーマンスの)ために、脱力と集中が不可欠とのこと。命の危険にさらされない限り、自分の意志ならば 何度失敗してもいいと思う。自分の人生を生きることが大切。というのは矛先わからないけれど 三次元の方から、ちなみに同性愛(というか名前はついてない)の件は君の話からね。自分は焦点のあて方に難しさを感じる、自分はリーダー的なことは向いてないなと。人が何と言おうと 自分は自分のペース可能な範囲内で普通に生きたい、それが自分。あと、普段は困難などをあえて感じさせず楽しませてくれるのが一流の人のようにも自分は思っている。何流であろうと死ぬ時はみんな同じのような気もするから、それぞれが自分なりに満足なり納得なりできればいいのではないかと。ちなみに人を好きになるのは何流でも無職の人のこともあって(ステータスの高い人は話は面白くても癒しが足りないことが多い)ワイルドよりも爽やか中性的雰囲気の方が好きで(だからあの内容は失礼に思えた。年齢は着目してなかった、女子力のとかもあったから。ちなみにルックス...だけというのはありえないけれど...からというのは本能に思っている。ちなみにSNSではルックスも本来着目してない。市政などの批判除いて気分転換や楽しむこと重視。インスタなどは視覚(聴覚)から入るけれど、最近は内容(思想や人生観、嗜好...など)気になって真面目に英文読んだり。)、好きという気持ちが原動力となるから自分から好きになる方が向いているんだ。その場合は無理してでも合わせようとしてしまう...無理できる時の方が意外と楽しくもある(けれど、逆に相手が楽しいとも限らない)...、といっても滅多にないし、今は自分のペースで現実的に検討からしている人がいるけれど。ちなみにワイルドが嫌いということではなく...人それぞれ好みはあっていいと思っているんだ...話の流れから、格好やお洒落で中性的ということではなく。例えば日本人だと道枝駿佑さん...ちなみに ヴァンパイアは苦手でマイハルなどの方ね。 なにわ男子のマイハル主題歌Iwish久々に聴いたのだけど、50代や92歳のファンの方もいるらしい。たしかに。まずは自分を大切にすることから 何かを大切にすることにつながっていくのかもしれないね。そこに年齢や性別なども関係ないのだなと。資格試験などの類や前者は減点方式になるけれど、人間関係においても加点方式の方が楽しいと思う、自分の場合わざわざ嫌いになることはなく、たいていはゼロから、好きにも嫌いにも属さない人の方が圧倒的に多い。...や平岡祐太さんはセンス悪いと思う?大沢たかおさん格好いいと思ったことはあったけれど、最近格好つけた感じになると微妙だったり。吉高由里子さんなんかは共演俳優を格好よく見せるなぁと思うこともあって。15日にもあったけれど 各々動きがとれなくなっても困るからね。中性的な癒し系女性も好きだね。三次元の方は(お説教も一方若干あるけれど)カウンセラーの才能もありそうな。君も頼りにしてたところあるんじゃないかと。実は、被害妄想.悲劇のヒロインきどりじゃん...って前半分思っていた自分とは全然違う。だけど、最後は 本当にその通りだなと思う。本当に、人によるかも考え過ぎもよくないかもけれど、自分にとって準備は重要に思う。それぞれペースがあると思うし。言葉は違ってもいろんなところでリンクしているね。結論、若干パクりになるけれど。金子みすゞさんのにもあるね「みんなちがって、みんないい」のかなと。(リーダーや権力者の人たちには悪用してほしくはないけれどね。)...極論まではいかないけれど、近いところが。ただ 今回に限っては、自分もつられて(というわけでもないが)こちら側含めず5(6)つ女性側2(3)くらい混ざっている。時間も大切、このあたりは意識している。...リーダーもチェックしてそう。...昔に比べるとそういう人少なからずいるかもね。主導権握るというよりも支配されるの苦手だったり。自分はどちらも特には持ってないかもだけど...最近は すべきことやしたいことが増えて急ぐものから選びとったり削ぎ落としている感じ 趣味とかいくつか我慢したり(純粋に一石何鳥にもなる趣味はいいね!)我慢というか、ノンビブラート唱法のレッスン(先生)を探していたのだけど近くになくて、時々個人で練習してる感じ。A0くらいのはレモン画翠などで購入していたけれど、それ以上B0とかはあまり見ないね。...いざ必要になる時もあるよね。今を積み重ねていく意志はあるけれど。確かに、外ばかりになると内がおろそかになることもあるね。教育系など、引き出したり人と接する仕事などによっても変わってきそうでもあるが。)分裂を引き起こすだけ。こういう場所では独立型。
真似してもうちょっと後だったような。今度は君の方から頑張った方がいいのではないかと。あの方との合流の話にしても、君が白紙に戻したり、一部寄り添えなくなったり、だけどきちんとされている方で状況(二次元の方は内容からしてこの背景知らないかもしれないけれど...縛られるのは本人であって、縛らないのは尊重や大切に思うからこそだということもあって...三次元の方のことはお互いご存知なようだね。検討の話も元々知っているから、気をつかってくれてたり あのような内容だったと思うんだ。)的に縛るのもよくないし...可愛くて素敵♡♡マイハル、生きている限り 何度あってもいいなと!さらに元気出ました!...約束(とも違うけれど)守れず 君ではなくあの方に心残り申し訳ないというか(自分から声をかけたのもあって)話が変化形で気になったりもするけれど(確か直接いった方がいいという話で終了したよね)、自分には関係がなく、最終的には君自身が決めていくことだと思うんだ。自分も真似したけれど、君の要領でさらに工程省くと(あと小麦粉ほとんど使わず...)見栄えは(色の組み合わせで変わる、カボチャとホウレン草などもありかなと)ほぼ変わらず(平らな正方形に近い)あっという間だった。
自分は時間配分について考えているね。①日常生活仕事雑用料理その他②語学③資格④音楽⑤アート⑥ドラマなど娯楽.その他...などカテゴリーごとに分類。②だけでもいくつか増えてしまったから(削った)、最近は手帳に記録 アナログで見える化して、②から⑥は随時出し入れ (←効率重視ならばシングルタスクの方がいいとは思うけれど、ひとまず ここでは重視してないんだ。)付箋アプリのリストを感熱式モバイルプリンターでコピーしたのを手帳に貼りつけ.いくつかに絞り修正している。ドラマとはまた違うけれど学びなおしのマイハルだと、3回は過ぎて当分ないと思う。出費もだけど3年くらい動けなくなるし、最近は小さなことから。昔は音楽の趣味だけだったのが増えて、レッスンもチケット制や期間限定のものしか現実的には難しい。自分も模型(材料)などがあちこに。一時期 従姉妹におもちゃとしてあげようかなと考えたりもした。段ボールに詰め押し入れなどに、今は片付いてきたけれど。従姉妹の家も散らかってしまうし、もう少し大きくなって遊びにきた時に、ちいかわのミニフィギュア入れて お人形さんごっこでもしようかなと。
年齢だけの問題でもないと思う。周囲の協力など。結婚や子育て介護など絡んでくると、自分だけの状況でなくなり。制約が出てきたりもして、セーブしたりする必要も出てくると思うんだ。
(全体が見えている人もいるが そうでない...その方がありがたいが...)自分側の人が読んでいるとわかると何だか気味が悪い。そういうのがわかると書かない方がいいなと思うし。自分は特に必要ないが何かある時は各々きちんと対話した方がいいと思った。
TVerでのサスペンス ドラマ再配信。内的世界。読書の時間はなかなかとれないがドラマは(注意散漫から精神統一、その他いろいろ)メンタルを整えてくれることを実感。気づきのヒントを与えていただきましたm(_ _)m
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『ドギーアンドバニー:後篇』
~追うものと追われるもの~
<前篇|中篇:新古生代/新中生代|後篇>
『昔語ル猫ノ唄』1月5日, 2019年
唐突に過去を振り返りますと、作曲を開始したのは2000年(13歳)からですが、音楽素材ブログの『レオナル堂』を公開したのは2007年3月~2008年4月頃までの僅かな期間でした。
その間に就職して仕事を優先するために閉鎖しましたが、今思えば残して置けば良かったと猛烈に後悔中であります。 「音楽で人に良く思われたいとか、音楽を積極的に人に聴かせたいとは、もう考えが及んでおりませんが、音楽の楽しさを人生から除外したくありません」という内容の文面をネットで拝読して妙に納得した今日この頃です。
『島根観光』11月23日, 2018年
今回こそは家族との最後の旅行になるだろうということで島根県まで赴きました。
左の写真はスサノオが祭神の八重垣神社。右は国津神の代表格オオクニヌシ(恵比寿の父神)が祭られる出雲大社の神楽殿です。
神楽殿では神主による祝詞の奏上と、巫女による舞の奉納を拝見しました。
出雲大社参拝の三日後。自宅付近で複数のカラスが尋常じゃない鳴き声で騒いでいるので表に出ると、タカが数十羽のカラスの���れと対峙しておりました。
猛禽類は鋭い爪を持ち、カラスより速く高く飛べるので、数十羽とカラスが集まっても太刀打ちできず膠着状態になったのでしょう。
数分後、タカは人質のカラスを解放して飛び去りましたが、解放されたカラス君はしばらく呆然自失としていました。
『広島観光』4月2日, 2017年
年老いた親の付き添いで広島の厳島(宮島)まで赴きました。
特に好きでもない旅行にわざわざ同行し始めたのは、老いた親との思い出を少しでも残しておきたいと考えてのことでしたが、母の膝関節の状態も芳しくないので当分の間は旅行も控えるでしょう。
初めて旅行に同行したのは私が16歳の時でした。その頃、母は還暦を迎えようとしていたので、悔いのないように思い出を残そうと考えた次第でした。
『井の蛙、天を仰ぐこと能わず』4月2日, 2015年
勤務先の調理場ではコックコートではなくエプロンを着用していますが、少し困った事態が往々にして発生します。
それは食材の買い出しの際、ご婦人方にスーパーの店員と間違えられて頻繁に声を掛けられることに他なりません。
お目当ての商品がどこに置いてあるのかという問いかけに、毎度のように「店員ではありません」と返答しなければならないのは非常に面倒であります。
なので、いっそのことスーパーのどこに何があるのか把握して、懇切丁寧に教えたいと思う今日この頃です。
『生き残ったのは俺たちだけらしい』4月1日, 2015年
過去は過ぎ去りもうない。未来は来たらずまだない。
ならば精一杯、今この瞬間を生きるんだ。
『汝、己の手を穢すべからず』3月18日, 2015年
『懇親会』12月28日, 2014年
スタジオセッション仲間の青年と、40代女性ドラマーの間で執り行われた懇親会に招かれました。
どうやら以前ドラム担当だった上海からの留学生Y君はカプコンに就職できたようです。
R&B系のベース演奏を嗜む三菱重工の社員さんとセッションしたこともありましたが、Y君と一緒に演奏したら面白い化学反応があったのではと考えたりする次第です。
楽しい時は過ぎるのが早い。そんな愉快な一日になりました。
『レタスの収穫』12月22日, 2014年
職場に設置された水耕栽培器で育てたレタスの収穫を執り行いました。
率直な感想を言うと業務スーパーで購入した方が早いと思うのですが、水耕栽培器を使用することで従業員が一丸となって小さな命を育てる優しい心が育まれたのではないでしょうか。
『君と歩いた道』10月21日, 2014年
飼い犬のカナが静かに息を引き取りました。
亡くなる前日の夜、何かを訴えかけるように私の隣に来て横たわっていました。
晩年は癌との闘病生活になりましたが、痛みに耐えてよく頑張ってくれました。
思い出をありがとうな!
どうか安らかに。親愛なるカナ。
『記録に残らない記憶』10月17日, 2014年
どうぶつの森でフレンドと親睦を深めました。
ちょっとしたハーレム状態に恐縮しきりの村長でしたとさ。
私以外の3名の内の2名は姉妹で、当初は姉とフレンドになり遊んでいましたが「妹もまぜてやってくれ」と頼まれて妹さんも参加。
それも束の間「ちょっと離席するからその間、妹を頼む!」と妹さんのお相手をさせていただくことになりました。
他人の村で走り回って花を散らす天真爛漫な姉と比較して、しっかりとした礼儀正しい妹さんでありました。
戻って来た姉に「どうだうちの妹は。いい子じゃろ?」と聞かれましたが、同意せざるを得ませんでした。
楳図かずお氏を彷彿とさせるマリンスーツをいただきました。
この直後に通信エラーが起きて昆虫採集のデータは飛んでしまいましたが、大切な思い出までは決して消えません。
■Ghost of Tsushima ─対馬の亡霊─
youtube
このゲームの着想は、1274年の元寇(モンゴル帝国の日本侵攻)に際して、長崎の対馬に来着したモンゴル帝国軍3万人を乗せた艦隊より1,000人以上が対馬に上陸して蹂躙を始め、それに対して80余騎の武士が応戦したものの全滅したという史実が基になっている。
以下、ゲーム内での設定であります。
文永(十三世紀後半)、モンゴル帝国は東方世界の征服を目論み、立ち塞がる総ての国を蹂躙していた。東の果て、日本に侵攻すべく編成されたモンゴル帝国軍の大船団を率いるのは、冷酷にして狡猾な智将"コトゥン・ハーン"だった。ハーンは、侵攻の足掛かりとして対馬に上陸する。これを防ぐべく集結した対馬の武士団は、初めて見るモンゴル帝国軍の兵略によって初戦で壊滅。島は忽ち侵略の炎に包まれる。だがしかし、かろうじて生き��びた一人の武士がいた。 "境井 仁"(さかい じん) 仁は、境井家の最後の生き残りとして、喩え侍の道に反した戦い方に手を染めることになっても対馬の民を守ろうと決意する。冥府から蘇った者「冥人(くろうど)」として、あらゆる手段を使って故郷を敵の手から取り戻す為に。 「民を守ること。己を守れぬ者らを」
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■チンギス・ハン|Wikipedia
モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・ハンについて、このような逸話がある。
ある日のこと、チンギス・ハンは重臣の一人である"ボオルチュ・ノヤン"に「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。 「春の日に、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と"ボオルチュ・ノヤン"は無難な返答をした。 チンギスが他の将軍"ボロウル"にも同じことを問うと同じように答えた。 するとチンギスは「否、違う」と言い出した。
「男たる者の最大の快楽は、敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむ姿を眺めながら、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えたのだ。 ("A. ドーソン"著『モンゴル帝国史』)
まったくもってさっぱりよく解せない考えのリーダーを持ったボオルチュ・ノヤンとボロウルに深く同情します。
ちなみに人類史において、この世で最も子孫を多く残した人物はチンギス・ハンなのだとか。
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■LiSA - "紅蓮華"|YouTube
本当の強さと、本当の優しさは同質のものだ。
優しさだけでは守るべきものを守れないし、強さだけではそれを正しく行使できるとは限らない。
だから両方そろって初めて偽善ではなく善になる。
──だから僕は優しくなれない。
守るべきものの為に、僕は強くならなくてはならない。
■『紅蓮華《鬼滅の刃》主題歌』歌詞|歌ネット
Nirvanaを彷彿とさせるドロップDチューニングのパワーコードが印象的な楽曲。
ちなみに「紅蓮華」をローマ字にすると"Gurenge"になりますが、どことなく"Grunge"(グランジ)のスペルに似ていることに気付かされます。
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11歳の頃に、週刊ファミ通を読んで興味を持ったニンテンドー64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を衝動買いして大いにハマり、後にゲームキューブ移植版で追加されたハードモード(マップの構造と敵の配置が変化)を一切の攻略情報を参考にせずクリアしようとしましたが、後半の難所「闇の神殿」の一箇所だけ、仕掛けの解除方法を発見できずにやむを得なくネットの攻略方法を確認したのが今にしては悔やまれます。
▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじ ハイラル王国に広がる深き森には“コキリ族”という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。 主人公の“リンク”はコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。 斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。 幼馴染の少女“サリア”は、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。 森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。 「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」 故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女の“マロン”は、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。 父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。 歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。 ■Zelda: Ocarina of Time Medley (Lon Lon Ranch, Market, Horse Race) | YouTube ***
幼馴染や救出した各国の姫君の心をわりと射止めるような気がしないでもないわりに、自分の功績を誰に告げて自慢するわけでもなく、颯爽と愛馬"エポナ"に跨り駆け去るリンクは、僕にとって永遠の憧れであり、英雄であり続けるのでしょう。🏇
「正しいことってどんなこと? 正しいことをすると……みんな喜ぶのかな」 「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達と思っているのかな」 「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」 「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」 「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」 (『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年)
■ドラゴンクエストⅢ ゾーマ戦|YouTube
RPGのラスボス戦のBGMを大きく分けると、勇者視点の勇敢な曲か、魔王視点の禍々しい曲のどちらかが多数のようです。
『ドラクエ3』のラスボス戦曲は、勇者視点と魔王視点のテーマが交互に入れ替わる当時としては斬新な構成。
流石は発想のレベルが違う!
そういえば小3の頃に友達と情報交換しながら攻略本なしでゾーマ城まで進行したものの、途中で無限ループする廊下の突破方法が分からずに中断。その数年後にふと未攻略だったことを思い出し、ネットで攻略サイトを参考にしながら一人でクリアした悲しい思い出があります。
『東京観光』2月4日, 2012年
大都市東京に行くの巻。
「龍は一寸にして昇天の気あり」
この諺は、龍の子供は僅か一寸ほどの大きさの時から天に昇ろうとする気概があることを言い表しています。
――時は2012年2月4日。単身では初めて東京まで赴くことになりました。
まずは“東京駅”に降り立ち、毎朝欠かさず“皇居”を周回しているであろう“走者”に見守られながら、“日本橋”から頭上を仰ぎ見て実に機能的なことに感嘆の念を禁じ得ず、“六本木”の“森美術館”では外連味《けれんみ》のない“前衛的な芸術”を鑑賞して一生懸命に理解したふりをしつつも、“御茶ノ水”の楽器店でギターの試奏をして“親切な店員”に「アッシュ材は音の輪郭が明瞭で立ち上がりが早い」と懇切丁寧に教わり、“渋谷”では“忠犬ハチ公”のしっぽが思いのほか太いことに意表を突かれ、さり気なく“モヤイ像”の存在感が著しく欠如していることに落胆し、“新宿2丁目”では奇天烈な内装の“ライブハウス”で奇を衒った生演奏を拝聴した上で“浅草園芸ホール”では絶滅を危惧される“江戸弁の落語”を直々に堪能できました。“浅草”の大通りにある蕎麦屋で食した蕎麦が一杯1,000円もすることに驚愕しながら表に出ると、漫画『ドラゴンボールZ』に登場する“フリーザ”の恰好に扮した一団が大通りを颯爽と駆け抜けて行きましたが、“秋葉原”から徒歩で来たのでしょうか。大変ご苦労なことであります。
さらば大都市“東京”よ。願わくば、また会おう。
『一家団欒』8月17日, 2011年
盆休みを利用して某府で会社員(SE)として勤める兄上が実家に帰省しました。写真に写っているのは飼い犬のカナと兄上の足の裏。
私と同じく兄上は学生の頃から授業と宿題以外の勉強はせず、放課後は数時間にわたり友達とスーファミのRPGに興じておりましたが、塾に通う児童よりも成績が良好で学年トップクラスの成績を維持し、習字を習う児童よりも達筆で習字の学校代表に選出され、高校の頃は情報処理のテストで100点を取り、計算技術大会で入賞を果たし、スポーツに興味がないのにマラソンのアンカーに選出され、実家を出てからは某府の理系大学を首席で卒業し、今も府内で会社員として勤められております。
子供の頃から「兄が自分と同じ年齢だった頃、兄はもっと身体能力や知識があったはずだ」「今の兄と同じ年齢になっても、どの分野も追いつくことは不可能だ」と思い悩むことも多々ありました。
そんな小学生の頃に「実は自我があるのは自分だけで、他の人々は自我もない機械に過ぎず、自分は地球という舞台で一人芝居を続ける滑稽な道化に過ぎないのかも知れない」という話を冗談半分で兄に打ち明けたら「同じことを考えたことがある」と真剣に答えてくれたことがありました。
SEの年収は企業規模により左右されます。100〜1,000人未満の企業の平均年収は610万円。1,000人以上の企業規模の平均年収は790万円。SEの年収は企業規模が大きいほど上昇します。
ちなみにWikipediaによるとシステムエンジニアとは日本のIT業界における特殊な体制から生じた和製英語で、国際的にはソフトウェアエンジニア、ソフトウェア開発者、プログラマー、ハードウェア技術者などの表記が正しいとのことです。
飛鳥時代
弥生時代
縄文時代
中生代
古生代
古生代は、約5億4100万 - 約2億5190万年前まで。「古生代」「中生代」「新生代」に分かれる地質時代の大きな区分の一つ。先カンブリア時代の後に相当します。無脊椎動物の繁栄から恐竜の繁栄した中生代の前までの期間を指します。
カンブリア紀:基底年代541
カンブリア紀(約5億4100万年前)に、様々な既存の生物が急激に増加しました。これを「カンブリア爆発」と呼びます。この時代の生物のほとんどは海洋に生息しており、殻や外骨格で身を固めていました。海底の砂の下を住みかにしたり、海中を泳ぎ回ったりと、様々な種類の生物がいました。腕足動物や三葉虫は最も一般的な生物で、新たな分類として脊椎動物の無顎類も誕生しました。
オパビニアはカンブリア紀に生息したハサミ状の吻(ふん。口あるいはその周辺から突出している部位)を持つ古生物。かつてはその異質な姿により、「奇妙奇天烈動物」の代表例として分類群には収まらない未詳化石として疑問視されました。後に研究が進み、アノマロカリスなどのラディオドンタ類、ケリグマケラ、パンブデルリオンとともに、基盤的な節足動物として認められるようになりました。
ヒトの持つ恐怖心という感情は、すでに魚類の頃より脳機能として天敵から逃れるためにありました。その後、哺乳類より前頭葉が発達して理性(欲望を抑える働き)が生まれました。哺乳類は群れを形成して生活を送るため、前頭葉で様々な欲望を抑え込みます。しかし、生きるために必要な欲望を抑えるためにヒトの精神は蝕まれ、精神疾患を発症するリスクが高まる傾向にあります。一方の本能だけで生きる爬虫類までの脊椎動物には、まだ前頭葉がなく本能だけで生きています。
魚類から哺乳類に進化した今も、カンブリア紀の頃と変わらず日本人は魚を生で食べます。
オルドビス紀:基底年代485.4
オルドビス紀(約4億8540万年前)は、顕生代(肉眼で見える生物が生息した時代)の5大量絶滅事変の一つにあたる大量絶滅により終焉を迎えました。このオルドビス紀末の絶滅事変は、絶滅した属の割合で見ればペルム紀末の大量絶滅に次ぐ大規模なもので、海生多細胞生物の科の22%、属の49%が絶滅し、腕足類やコケムシ類も大打撃を受けました。その他にも三葉虫、ウミリンゴ、サンゴ類、フデイシ、コノドントの多くが淘汰されました。この三葉虫は古生物で最もポピュラーな節足動物で、現代のエビやカブトガニの仲間です。
以上のように、オルドビス紀にすべての生物種の85%が絶滅しましたが、この大量絶滅の原因は現在もはっきりと断定されていません。
脊椎動物としてのヒトの始祖は、顎を持たない魚類の無顎類です。この生物は、口から吸い込んだ水を鰓《えら》でこして、その中のプランクトンを摂って生きていました。そこから無顎類は顎を発達させて、オルドビス紀に初めて顎口類に進化します。顎口類の最も原始的な魚類の板皮類は、全身を覆う甲皮を持った種で、後のデボン紀に絶滅しました。
この板皮類から軟骨魚類と硬骨魚類という二つの群の魚類が現れましたが、そのうち人類の祖先となったのは硬骨魚類です。これら二群の魚類は、今も水中生活に適応しており、その子孫は未だに繁栄しています。
ゲノム解読(遺伝子解析)の結果、人類を含む脊椎動物の起源は、頭索動物の"ナメクジウオ"か、尾索動物の"ホヤ"のいずれかのようです。ナメクジウオは頭と尾の区別がなく、口はあっても顎はなく心臓もありません。このナメクジウオとホヤのどちらが人類の起源と呼べるのかという論争もありましたが、ゲノム解読によってナメクジウオに軍配が上がり、新聞社からも「ナメクジウオが起源」と報道されました。しかしその後「必ずしもナメクジウオが起源とは断言できない」という何とも言えない研究発表がなされたようです。
約5億2千年前の海はエビやカニなどの節足動物が繁栄し、その食物連鎖の頂点にオウムガイが君臨していました。人間(脊椎動物)の祖先ナメクジウオなどの誕生したばかりのか弱い魚類たちは天敵のオウムガイから逃れるために「脳」が発達し、偏桃体が生まれました。
人類を含む脊椎動物の始祖とされるナメクジウオは、体が扁平で細長く柳の葉のような形をしており、体長は通常5cmほど。表皮が透明で脊索や神経管・内臓も透けて見えます。ナメクジウオには眼がありませんが、その代わり神経管のあちこちに光を感じる器官があります。口は腹側にあり触手によって常にふたをされた状態になっています。
餌を食べるときは、触手によって異物を取り除き食べます。咽頭は広く、その壁には多数の穴がぎっしりと並びます。ナメクジウオは、繊毛で水流を起こして植物プランクトンを水流により取り込みます。余分な水は出水孔から出されますが、餌は腸に取り込まれた後に肛門から排泄されます。
植物が地上に進出した頃は、大気中の二酸化炭素濃度は現代の15倍ほどありましたが、その後は急速に低下しました。
シルル紀:基底年代443.8
シルル紀(約4億4380万年前)に至るまで、陸上には昆虫と単細胞生物のみが生息していました。このシルル紀に多くの植物が上陸し、地上での成長を開始しました。この時代の代表的な生物に、陸棲の節足動物や最古の陸上植物があります。食卓によく上がるカニやエビは、この節足動物に分類される昆虫の仲間です。
エビやカニは分類学上の甲殻亜門で、同じ門にはオキアミ、フジツボ、ミジンコ、フナムシ、ダンゴムシなどが含まれます。ダンゴムシの動作は、まず突き当りまで歩行し、触覚が壁に触れたら右に向きを変え直進し、また壁に突き当たると今度は左に方向転換して直進します。そのパターンを繰り返しながら生命活動を存続します。最古のダンゴムシに似た陸上の節足動物に、シルル紀後期に生息したカルバリア類がいます。
シルル紀後期にリグニンという物質を有した植物が登場しました。この植物はリグニンを合成して幹を強化し、光を求めて高く伸びるようになりました。リグニンを分解できる微生物はいなかったので、植物は腐らず地表に蓄えられていきました。
デボン紀:基底年代419.2
デボン紀(4億1920万年前)は、「魚類の時代」としても伝えられます。多種多様な魚類が海中で繁栄し、この時点で顎《あご》と鰓《えら》及び鱗《うろこ》や鰭《ひれ》を魚《さかな》は持っていました。
淡水域では棘魚類が栄えました。同時にサメの仲間のクラドセラケが誕生し、動物は海中から陸上に進出し始めました。また、この頃に両生類が誕生しました。
特にデボン紀に繁栄した原始的な魚類の一つが、体の表面が骨格化した甲冑魚とも呼ぶ板皮類です。中には全長4m以上に及ぶものもいましたが、約4億年前にサメの仲間の軟骨魚類が繁栄するようになると、この板皮類は衰退します。そしてデボン紀後期に起きた大量絶滅により姿を消しました。
この頃の植物は、乾燥した気候にも適応し始め、それまで簡易的だった構造を一転させ、より複雑な構造の植物に変化し始めました。
石炭紀:基底年代358.9
石炭紀(約3億5890万年前)に両生類の陸上進出が始まり、石炭紀後期に爬虫類が誕生しました。この頃に翅の左右の幅が60㎝を超える巨大昆虫オオトンボが現れました。
〝ヤゴ〟は肉食性の水生昆虫。トンボ目の幼虫を指す通称です。語源は成虫のトンボを表す「ヤンマの子」を略して「ヤゴ」と称されたようです。
成虫のトンボは空中の生活に適応した陸生動物ですが、幼虫のヤゴは水中に生息します。不完全変態なので、基本的には成虫とさほど変わらない構造をしているはずで、余計な付属肢がありもせず、翅も小さなものが背面に出ています。しかし、その外見は成虫と大きく異なり、軽やかに空を飛ぶトンボからは想像できない姿形です。ヤゴは肉食で、主に小型の水棲昆虫を食べ、時には小魚の体液を吸うこともあります。
幼虫の頃のヤゴは向かうところ敵なしですが、成虫のトンボになると多くの天敵に捕食される危険にさらされます。
それでも自身の命が燃え尽きる前に、繁殖のために水中から陸上に進出します。
◆小学校高学年・中学生のページ/成虫の生活
オスの生殖口は腹部の末端にありますが、そこから直接メスに精子は渡しません。オスは腹部の基部近くにある副性器に一旦精子を移します。さらに確保されたメスが腹部を折り曲げて、生殖口をオスの副性器にくっつけることによって交尾が成立します。
トンボは交尾の時、オスとメスが合わさってハート形の体勢になります。交尾時間は種によって異なり、数秒から6時間ほどかかるものもいます。
生物は他の生物を捕食し続けないと生命を維持できません。それでも生体の活動には限界があります。その寿命が尽きる前に、自分の遺伝子のコピーを残す必要があります。
単細胞生物や一部のイソギンチャクなどは細胞分裂で自分自身のコピーを残しますが、節足動物や脊椎動物は交配によってコピーを残します。細胞分裂の場合は交配相手がいなくてもコピーを残せますが、その代わり遺伝子の配列はコピー元と同じなので、特定の気候変動やウイルス感染などの条件を満たすとすぐに絶滅してしまうリスクが伴います。
一方の交配では、両親から50%ずつ遺伝子を受け継ぎます。これにより様々な気候変動に対する耐性や、ウイルス抗体を持つ遺伝子のバリエーションを増やして子孫の生存率を高めることができます。
ちなみにトンボとゴキブリは、地球に突如として出現してから進化しないまま温暖な地域に広く分布し、強靭な生命力で繁栄した昆虫として知られます。また、どの種から進化したのか長らく不明な点も特徴です。
約2億5千万年前から存在したといわれる世界最古の有翅昆虫ゴキブリも、トンボと同じく酸素濃度の影響を受けて初めは60cmほどの大きさだったようです。ゴキブリの胸部には食道下神経節という脚を動かす神経があるので、脳を切断されても生き続けます。まさに初登場にして完成形の生物といえるでしょう。
このゴキブリも食卓によく上がるカニやエビと同じ節足動物です。
殻付きの卵を産む生物が現れたことで、脊椎動物が陸地全体に広がりました。ヒトを始め、陸上の脊椎動物の手と足は、魚類の「胸びれ」と「腹びれ」が進化したものです。
つまり進化次第では「背びれ」や「尻びれ」も手足となり、ヒトは"阿修羅"のように6本腕になっていたのかも知れませんね。
ペルム紀:基底年代298.9
ペルム紀(約2億9890万年前)に棘魚類が絶滅し、両生類・爬虫類・単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄しました。それと入れ替わりに、三葉虫類とウミサソリ類が絶滅しました。
そうしてペルム紀末に、史上最大とされる地球規模の大量絶滅が起こりました。
◆『天地創造』エンディング|YouTube
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梵我一如
2020年12月、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、宇宙探査機「はやぶさ2」の持ち帰った小惑星リュウグウの砂を分析し、アミノ酸20種類以上を発見。このアミノ酸は46億年前の地球にも存在した。人間の生命の基となる物質が、宇宙由来である可能性を示唆された。
ビッグバンにより宇宙が創られた際の物質で天体は創られ、さらに地球上に海が生まれました。そうして海の中で誕生した生物もまた海に含まれるアミノ酸によって構成されます。
インド哲学《仏教》の「人(我)と宇宙(梵)は同質」という解釈はあながち間違いではないのかも知れませんね。
先カンブリア時代から全ての動植物は、単細胞生物から多細胞生物に進化し、ぞくぞくと自分自身のコピーを増やしました。
つまり人類皆兄弟どころか植物も脊索動物も節足動物も皆一様に血肉・細胞を分けた兄弟と解釈できます。
インド思想《仏教》の梵我一如(ぼんがいちにょ)には、ブラフマン(梵)とアートマン(我)という二つの概念があります。
◆梵(ブラフマン:宇宙全体の原理) ◆我(アートマン:個人の原理) 「梵」とは、自然そのもの、遍在する原理、または真理。 「我」とは、身体の内側にある不変の実体、個人の魂。
このように個の根源であるアートマン(我)に対し、宇宙全体の根源をブラフマン(梵)と呼びます。
東洋思想の礎となったインドの思想は、宗教と哲学の間に明確な境界線はなく、あえて宗教的な表現でブラフマンを表すと「宇宙の創造主」となり、哲学的に言い換えると「全ての原因」と表現できます。
悟り
出家した釈迦は、まず師のもとで修行に励みました。禅での解脱をはかる修定主義でしたが、釈迦は忽ちそれを会得しました。しかし、これだけでは「苦」の解決にはなりませんでした。
「自らで答えを見つけなければいけない」と考えた釈迦は、呼吸制限や断食といった過酷な修行に取り組みます。肉体の苦痛によって精神的解放を得ようとする苦行主義の修行です。この苦行は想像を絶し、手足は枯れ枝のようになり、背骨は浮き上がりました。苦行主義は全く無益なもので、悟りを得るどころか心身が衰えるばかりでしたが、5人の修行仲間ができました。
ある日、釈迦は苦行主義では解決しないと考え始め、修行を放棄して川で身を清めました。今にも力尽きそうな釈迦でしたが、近隣の村の少女からヤギの乳粥を供養されました。心身ともに衰えた釈迦でしたが、乳粥のあまりの美味しさに感動し、同時に気力が回復しました。5人の修行仲間は、そんな釈迦を堕落者扱いしました。
しかし、釈迦は菩提樹の下で瞑想し、悟りの境地に至りました。
釈迦は「悟り」を啓きましたが、肝心の「悟り」が何なのかまでは経典に記しませんでした。
「悟り」は書や言葉で説明したところで、その人自身が体験しないと理解できないと判断したからです。
《西洋哲学》は問題提起したまま解決せず終わるフランス映画のごとく哲学者自身の発狂や自害に終止しましたが、《東洋哲学》は「悟り」の概念という問題解決に至ったのが特徴と言えるでしょう。
釈迦は35歳で悟りを啓き、その後80歳で亡くなるまで《仏教》の教えを説き続けました。
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『運命の赤い糸』5月1日, 2019年
■令和元年二日目。伊勢神宮で賜った世界一シンプルと名高い御朱印
2019年5月2日(令和元年二日目)。
興味本位で伊勢神宮に初参拝する前日に、数年前まで飼っていた犬が夢に現れました。
目前に件の飼い犬が居ましたが、再会できた喜び以前に鈴緒のような紅白の紐が飼い犬の前足に巻いてあることに気付きました。
不審に思いながら手を伸ばしたら、自分の腕にも同じように紅白の紐が巻き付いていたのでした。
その時、「私が今世でこの犬と出逢ったのも予め"運命の赤い糸"という縁で結ばれていたからだろう���と紐付けて結論付けた次第であります。
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幾度となく飼い犬との意思疎通を試みたが、7割くらいは理解に及ばなかった。
犬は純粋無垢な心でどこまでも飼い主を信頼するから飼うのは荷が重い。
時々「俺はお前が思ってるほど善い奴じゃないんだよ」と言いたくなるが伝えようがない。
でも僕はお前の飼い主になれて嬉しかったよ。
当時12歳の僕は、君に子を産ませ、それを売って金を稼ごうと考えていたけれど、もちろん君はそんな事とは知らずに生まれて来た。
毎日を純粋に生きる君と暮らす中で、僕は自分の傲慢さに気付き、そうして考えを改めた。
僕は君の飼い主になれて幸せだったけど、君は幸せだったのだろうか。
少しでも君を幸せに出来たのならいいのだけど。
今となって言えるのは「生まれて来てくれてありがとう」ということくらいだ。
もう二度と生き物を飼うことはないだろうけど、思い出を沢山ありがとうな!
どうか安らかに。親愛なる"カナ"。
※思い出のイメージ画像(『ビルシャナ戦姫 ~一樹の風~』, アイディアファクトリー)
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■ジェリーフィッシュ (feat. ローラーガール) | YouTube
いつの日か、かならず“森羅万象”が無に帰すとしても、この世に生まれ「生きる」ことは決して無為ではないと筆者は確信しております。
君とすごした日々は、君のいないこれからも、かけがえのないものであり続けるのでしょう。
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名刺文学特別審査員賞!
“今日はありがとう! お待たせしちゃって、ごめんね😢 またあそびにきてね😊”
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■"大道寺知世"《カードキャプターさくら》
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名人維新のボケクエ7予選1回戦の投稿期間中。
だけども、とりあえずここ一週間の大喜利茶屋の記録を書く。
大喜利茶屋まとめ
-休憩中に結果見た後、昼寝するのがここ最近のルーティン-
【2024-08-03】日めくり
優しすぎる忍者
63位:ミスチル 18票 偏差値:50.24(参加人数: 169人)
いきなり抜け忍など考えずまずは病院から診断書もらって休むことをお勧めするでござる
忍者お題。
日本史上に忍者がいたとしても、もはや非現実的な存在。
なので、それを逆手にとって「あるある系」のネタを作成した。やや説明調になってしまったのが不満点。
なお、あるあるネタとして出したけど、実体験の実話である。悲しい。
結果は微妙。このネタ、なんかもっとスパッと表現できる気がする。
(ツボ上げ)
1.迷探亭困難さん:消えてから大切さに気付く
忍術は割とすぐ早めに考えたアプローチだったけど、これすっごい綺麗なボケだなって思った。いなくなって初めてその忍者の優しさに気付くっていう発想、何食べたら出来るのっていうぐらい鮮やか。
2.骨肉さん:有毒の煙を選択することもできた
忍者って人殺すこともあるもんね。使わないのかよ。
忍具ネタを考えるのは無意識レベルで即棄却したけど、これは秀逸だった。本当に優しすぎる。
3.ただの猿さん:模写して帰る
「任務」を軸にして考えるっていうのは盲点だった。
なんとなく忍者の仕事って暗殺の他にも、屋敷に忍び込んで何かを盗むっていうのもある気がするし、そこを模写で済ませるっていうのは、それでいいのかよと思ってしまうくらい優しい。
どうでも良いけど、このネタでなんかSkyrimの盗賊ギルドのクエスト思い出した。久しぶりに最初からやり直そうかな(本当にどうでもいい話!)。
【2024-08-04】日めくり
「花束みたいな恋をした」みたいに言ってください
127位:ミスチル 9票 偏差値:41.15(参加人数: 155人)
パセリみたいな助言した
投票画面を見て、「あ、そういうこと!」と思わされたお題。韻を踏めってことなのか。そういう意図とはつゆ知らず、完全にズレた考えの下で、あれこれ模索した。
このネタには「印象付加」という要素を付け加えて考えてみた。
過去にやったのだと、これとかこれなんかがそう。笑える、というよりかは「怖い」とか「可愛い」と思わせるようなもの。これ系で上手くいっていることが過去何度かあるけど、酷いとこうなる。
今回は「花束みたいな」から連想される「幸せいっぱいな」とは反対のイメージを与えるようなものを使おうと考えてみた。「悲壮感」とか「空虚さ」とかそんな感じのもの。
それで、「中身のない」とか「あっても無くても関係ない」みたいなもので思いついたのがパセリだったので、それに合わせて「助言をした」という後半の文章を作成。
これで「役に立たない助言をした」というものを作った訳だけど、そもそも最初から外れたルートを進んでい��から、投票画面見て「あー、これやっちゃったやつだ」となってしまった。これ、この一週間で一番悩んだやつなのに。
(ツボ上げ)
1.アイワさん:アメリカ ボリビア ベネズエラ
テンポの良さ。そして国縛りでこれ考えるの凄い。
ボリビア ベネズエラなんてよく思いつくなあ。無理だわこんなの。
2.ロランさん:内臓痛いな癌でした
これまたテンポの良さが際立つ。おもしろいし、悲しい。
余談だけど、最初は「体育館で行われたプロ野球」に挑もうとした。これ、最初とっつきやすいと思ったけど、超難題だった。
【2024-08-05】日めくり
スネ夫が「のび太、それは本当に生意気だぞ」となった理由
28位:ミスチル 19票 偏差値:54.94(参加人数: 112人)
ドラえもん、このままじゃ絵日記にナイトプールのことしか書けないよ
最初に思い浮かんだのが「この車、4人乗りなんだ」っていうスネ夫のセリフ。海行くんだけど、のび太は連れてけないからっていう話を考えて、そこからナイトプールという単語を思いついて使った次第。
ということで、特に何か特段工夫をしたものではない。ちょっと作り変えるなら、「関連ワードの羅列」を使用しても良いかもしれない。
ドラえもん、このままじゃ絵日記にナイトプールとか夏フェスのことしか書けないよ
こんな感じ。
このネタ、今が夏だからスッと思いついたし票も入ったんだと思う。たまたま季節が味方した。
(ツボ上げ)
1.すいみんちゃんさん:イヤホンしながら会計してる
生意気っていうか失礼だな。
のび太がオルタナティブロックとか聴いてたら、なんか本当にムカつくかもしれない。
2.monpeさん:生まれ変わったら何になりたいかという話題で、「自分」と答えた
うっせえ!本当にうるせえ!なんだお前。
【2024-08-06】日めくり
(画像で一言)
104位:ミスチル 10票 偏差値:41.36(参加人数: 137人)
おい、ギターの速弾きから逃げるな
始業時間の3分前にお題を見て、10秒ぐらいで送ったネタ。
ボケクエの方に注力しないとと思っていたので、ここら辺からじっくり考えなくなったかもしれない。
悩んだとかじゃなくて、瞬発的にやってみたらどうなるかと思って実験的にやってみたけど、まあちょっと無理があった。
ただ、大喜利って長時間考えて沼った挙句スベり倒すなんてこともあるし、逆にこんなのみたいに、締め切り数十秒前に無理やり送ったのがぶっちぎるケースもあるから、本当に分かんない。今でも「トクガワールド」は自分で考えてあれだけど、何がおもしろいのか分かんない。
(ツボ上げ)
1.煮込みVUITTONさん:握力が異常なのかしら
折るな。
虫眼鏡じゃない手の方に焦点を置くって、中々思い至らない発想だと思う。
2.コハさん:勉強しとるんか
子どもに向かってちょっとキツ目の口調で話すというアプローチはサッと出せたんだけど、このネタには負けちゃう。ちなみに「おい、虫見て無視すんな」っていうネタを3秒で思いつき、1秒で没にした。
3.まめまめデスメタルさん:それは雄しべ。男の子で言うところの肉電マね。
下ネタ。
そういえば下ネタって今まで出したことないかも。一回くらいあるかな?でも、勝負どころで出そうとは思わないから、普段からあまり考えないようにしているのかもしれない。
でも、おもしろいのは本当におもしろい。こういうネタは新人QPさんとか菊一文字さんの十八番。なんかひとりうっちゃり5が懐かしい。マグレさんのボケクエ7の謎の参加は笑っちゃった。
【2024-08-07】日めくり
90%OFFの宇宙旅行で起きたこと
40位ミスチル 21票 偏差値:55.0(参加人数: 152人)
ガイドが異常警報止めて話し続けた
これもお題をパッと見てパッと出したネタ。マンガの一コマにありそう。
「異常警報」って出しているけど「非常警報」の方が良かった気がする。最初作ったときは、非常警報にしてたけど。ワーディングの面でちょっと不満があるかも。結果も微妙だし。
(ツボ上げ)
1.玄の字。さん:本気で祈る時間がある
「本気で祈る」ってパワーワードだな。そんな時間嫌だわ。
2.乙女心ザウルスさん:出発時にいっぱい息を吸うように言われる
「宇宙に行ったら息が出来ない」っていう発想は思いつきやすいと思うけど、これを一捻りするとこんなにおもしろくも出来るんだなって思った。ベタな発想でも、全然戦えるネタを作れるのは凄い。
3.Haruruさん:外側に虫がいる
騙されてる感が凄い。
【2024-08-08】日めくり
この合コン、嫌すぎる どうして?
20位:ミスチル 20票 偏差値:58.28(参加人数: 126人)
ベトナムの豆知識を披露する男の話全然おもんないし、隣のベトナム人が首ずっと横に振ってる
なぜか「ベトナム」って単語が頭の中で出てきたので、使ってみた次第。これもすぐに思いついてワーディングを整えて送っただけで、特にこれといったものでもないけど、「ストーリー性を出す」とか「小ボケの列挙」みたいな要素が含まれているかもしれない。
「ベトナムの豆知識を披露する男の話全然おもしろくない」や「会話中、隣の席のベトナム人がずっと首を横に振ってる」とかでも一応通用はしそう。
なんか冗長だしあんま良くないかなと思ってたけど、割と上の方にいたので、少しびっくりした。
(ツボ上げ) 1.頭痛が痛いさん:ずっと夢語ってる
実際にこんなのが合コンにいたら、スマホずっといじってると思う。
2.洋介山さん:最初に名前と終電の時刻を紹介された
この後何してもダメなやつ。スマホずっといじられそう。
3.度蔵まぐらさん:発言を復唱する店員がいる
時々、飲み屋でなんだお前はみたいな店員さんに出くわすけど、その類か。陽キャの店員さん怖い。
【2024-08-09】日めくり
(画像で一言)
67位:ミスチル 10票 偏差値:45.56(参加人数: 114人)
締め切りまで時間無いのにボケが思いつかないぜ
これまただいぶ片手間感ありありなネタ。
「メタ」を要素に含んでいる。ただ、この要素は「時事ネタ」に並ぶ大喜利でやってはいけないツールだと思ってる。これらの要素ですごいの作っちゃう人もいるけど、自分じゃ絶対に無��。じゃあ、なんで使った。
こんなの下位で当然だけど、ものは試し感覚で出した。
そういえば過去にボケ問答で、ふざけたお題に対してメタを使って勝ったこともあった。なんか「~で思ったこと100個」みたいなお題で、いろいろ適当なことを列挙した挙句、最後に「15分以内で書ききれねえよ、助けてくれよべとんさん」みたいなこと書いたやつ。
ボケ問答も確か1軍に上がった後、降格するの嫌だから投稿しなくなってしまった気がする。すごく良いサイトだったけど、気がつけば無くなってしまっていた。あと、べとんさんがめっちゃおもしろい人だった。懐かしい思い出。話が凄い逸れた。
(ツボ上げ)
1.ハ生ムさん:お花好きって言ってたじゃん
それでも人を選ぶ権利はあるから。
2.ハンペさん:残したら頭叩か��た
しょんぼりしてる写真に一番マッチしているネタだと思った。
3.ぺんぺるのさん:カブト虫一匹もとれなかった
みんな簡単に採れてたのにね。探し方の問題かもね。
4.サッカーマンさん:俺の後ろつけてた奴が前きたんだけど
動揺してる系。それ尾行じゃなかったんじゃない?
という感じの一週間でした。
後半からやや真剣さが薄くなってきてるような。
とはいっても、大喜利のネタ出しの感覚を養うということは怠ってはいないので、多分この後もこんな調子で続けていくと思う。
気楽にやっていかないと、すぐに投稿するのやめちゃいそう。
と言いつつ、さっそく今日投稿忘れてしまった。寝すぎた。
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二十年続けて来たバンドに今年で一区切りつける決心をした。 青春...というか、自分の人生の一番元気な時期を捧げてきた活動だった。 ここしばらくその公示のためにフライヤー作ったりウェブを更新したりイベントの準備をしたりしていたけど、いちいち心へのダメージが大きくてなかなか大変だった。バンドマンなら知っていると思うけど、「バンマス」というのは死ぬ程孤独な立場なのだが、二十年の中で一番孤独を感じた(苦笑)。寝る前の酒量が増えた。幸い?繁忙期である夏の仕事の準備や、レッスンや教室や、ブラジル太鼓の学校公演/ワークショップのツアー、そして相変わらずの家事育児で本当に忙殺されていて...気が紛れて、とにかく前に進めた所はある。 キウイとパパイヤ、マンゴーズ。略称K.P.M.。 最初は本当に、大学の音楽サークルの営業バンドとして軽い気持ちで、キウイちゃん/パパイヤちゃん/マンゴーちゃんという女子大生三人(すぐにキウイ&マンゴー二人になった)が歌うポップかつアーバンなレゲエ...くらいのノリだった。自分が作曲をするなんて思ってもいなかった。 デビュー作になったこれは曲も詞も正真正銘自分の処女作(22歳くらいの時)で、とても軽いノリで作った。メンバーに聞かせる時はやたら緊張したけど。まあでも今聴くと、特に何も考えてなかったとはいえ自分のミュージシャンとしての根っこはこういう感じなんだよな、と思う。
Maruyeyi · Let's start makin' dub(Gentle rhodes Dub by AG Kanno)
その後、自分のやりたいことや思い、考えを伝えたい。何よりこの日本で「音楽」をやる時の気持ちの悪さや居心地の悪さを何とかしたい!と思って舵を切り換えてやって来た。「モテたい!」とか「売れたい!」とかいう気持ちももちろんあったけども、それより圧倒的に別のことについて思考や行動のエネルギーを使っていた。そんなことやってたらお金になるわけないし、同業者にもあんまり気に入られないし、可愛がられないし、大変なのは仕方ない。楽しかったことよりも、とにかく必死でしんどいことばかり先に思い出す。よく二十年も続いたものだと思う。 自分がバンドで何をやりたかったか、というのは、二年前にアぺトゥンぺ×KPMで出したEP 『KOMPU SATKE MENOKO(昆布干し女)』 をリリースした時に、お買い上げいただいたとあるお客さんからのメールがもの凄く的を射ていてビックリしたので紹介させて欲しい。
【キウイとパパイヤ、マンゴーズについて思っていたことと、新作「Kompu Satke Menoko」の感想】 「トロピカルジャパネスク」や「ワールドワイドローカルズ&アワジェイポップス」では、シャレの効いたタイトルを見たあと音楽を聴くとツッコミどころ満載で、タイトルの意味と行ったり来たり、考えるうちに笑ってしまった。 洒落ているというより皮肉っぽいのかもな。 「これがジェイポップだろ?」と投げかけられた。怒りと笑いの混じった挑発を感じた。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの音楽を聴く誰かにはその音楽がジェイ的なものへのアンチテーゼであるように見えるのかもしれない。だがキウイとパパイヤ、マンゴーズにとっては普通にテーゼだ。 聴く人にどう受け取られるかも分かっていながら、実は腹の中でそれを逆手にとって「これがコンテンポラリーな日本の音楽です」という態度を決め込んでいる。ちゃんぽんな盛り込みをしてしれっとした様子だから私は笑けてしまったのだ。 キウイとパパイヤ、マンゴーズの曲調は好みではなかったが、やっていることが私は好きだ。 アペトゥンペとパパイヤ、マンゴーズ名義の新作「Kompu Satke Menoko/ herekanho」がもうすぐ発売だそうで、宣伝の短いビデオを見た。 ジャケットは「Kompu Satke Menoko(昆布干し女)」の世界をイメージしたデザイン。 深い夢の中のような、蜃気楼のような、此方彼方今昔のファンタジックオーバーラップ… 柴刈り男と洗濯女、熊狩り男とコブ干し女… この夜のビーチも、男女の出会いの場の役割を果たしたかつての盆踊り広場のような、ダンスホールなのでせう(ちょうちんやミラーボールは無いが月やビルの電気の光がある)。 仕事帰り大きな月の沈む海 ごらん向こうにシティが見える 音のスタイルにわざと「シティ・ポップ」を選んでいるような気がする なぜなら、都市であるところのモノと、大衆的であるところのモノの、両方の意味があるから 音楽好きの消費者の皆様へ向けてシティポップという既存の用語を巧妙に用いてそれとは異なるものをサブリミナルの方法で刷り込む。 (※どちらが主でどちらが従(異なるもの)ということは本来的にはない。何かに対するアンチテーゼではなく、それぞれに自分にとってのテーゼがある) 「今のこの場所の音楽」とは何か? わたしの考える「今のこの場所の音楽」、それを見せつける、主張する、教え込むという陰謀を成功させるのだ! そう考えたであろう音楽作りの場面を想像し、作品紹介で「シティ・ポップ」と解説しているところを見ると悪意を感じる(笑) 音楽とか文化を人々が受容、消費する様子を見物しているときに始まった「怒り」がシャレと遊びへ昇華されてゆく 怒りがヤケクソになり、諦めてから開き直り、 あくまでもこれが「ポップ」であると最後まで言い張る 音楽を通して自分が共同体とどう繋がるかについての最終的なプライドなのだと思います (そうしたら、何かに対するアンチとしてとか否定で何かを言うのでなくて自分が何であるか、自分の考えは何であるかのほうを言うってことは、いろんな場面で大切だと思いました。) あと、、、 「私の音楽はJ-POP」と言い張る理由のもう一つには「自分のバックグラウンドを考えたときに自分が日本の土着民であることが紛れもない」という生真面目があるのではないか? 自分が各地の音楽のネイティブでは決してない、自分がそれらに学びつつも指揮を執るようなことはしない。「私はその土地の音楽を出来る」と言わない。何をしようが私がするならJ-POPにしかならない。 だとしたらそれはワールドワイドローカルズ、それぞれの土着民への敬意だ。 J-POP人の自分へも含めて。 っていう想像をしました。 今回の作品は曲調が好き! 1枚予約したい。
ありがとうございます。実際、本当にそういうことを考えて葛藤を繰り返して、なんとか少しずつ前に進んできたので... 伝わっている人がいることが本当に嬉しかったし、驚いた。
自分なりに世の中の仕組みと、日本で「音楽」をやる、とはどういうことかというのを、おそらく無駄に考えすぎて来たのかと思う。活動がブーストしそうな時も、少し波に乗れそうな時も、いちいち何かを考えてバンマスの俺がいつも一番動きが重たかった。 2007年に『八月のさよなら』という曲をリリースしたのだけど、「アメリカへのラブソング」というテーマだった。25歳の時に当時のメンバー中井雅子(現・Rayons)と一緒に書いた。
Maruyeyi · 八月のさよなら(2007.August)
これが売れなくて、中井は脱退して、当時のレーベルの社長はどっか逃げちゃって、もう制作にお金もかけられないし、自分が社長で制作費出さなきゃだし、半ばやけくそ気分でアプローチを変えて趣味を込めたのがTropical Japonesque 以降の路線だった。そして佐々木遊太との出会いだった。
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これ以降、Go(Arai)さんが参加してくれて。悠子ちゃんや小春が参加してくれて、そして海外での仕事が増えて行った。大橋キウイは俺と結婚して子供ができたので海外ツアーを続けるのが難しくなり、夫婦で悩んだ末、彼女は引退を決断した。その後はおもだか秋子ちゃんや、山本泉という贔屓目なしの天才民謡歌手たちが我々のツアーを助けてくれた。 海外転戦は本当に楽しかったけど、最初期は富山のSUKIYAKIが手伝ってくれたツアー制作をメンバー五人いた上での収益考えて、結局自分で全てやるようになって... 謎に外国語スキルは上がったけど毎回マジで必死。仕事量、というか仕事の種類?言語の数?しかしアフリカから南欧に渡って「J-POP(と半ば無理やり言い切る)」をやるようなバンドのアレコレを誰にどう頼んで良いものやらさっぱり解らなかった。ツアー初日は「あとは演奏するだけ!」という開放感で頻繁に飲みすぎて二日酔いになっていたし、ツアー終えて帰国するとかなりの頻度で寝込んだ。 あとは、海外でのパフォーマンスが増えたことで、いわゆるリベラルアーツやそれを土台に置いた娯楽の「本場」としての西欧の覇権主義、常識との付き合いにはさらに頭を悩ませることになったし、自分は踊れる音楽が好きだったとはいえ、あまり(特に欧米人が好むような)享楽的な刺激に特化したバンドは志向してこなかったな、とも思い知った。最近、マユンキキの現代アート作品周りで音楽系のサポートすることが多いけど、現代アート、というものにも色々モヤモヤしつつも、そこでのコンテクストの読み合いには、いわゆるバンド活動ではついぞなかったスッキリ感があったりするのが自分だ。 自分のこだわりみたいなものは「近代国家」としての日本でものを作る人間の心持ちとしては別に間違ってなかったとは思うが、「バンドマン」「ミュージシャン」としては独りよがりでメンバーたちには随分迷惑をかけた。皆もう若くはないし、これ以上は「バンド」という形で俺個人の闘いには巻き込めないな、と思う。皆歳をとってライフステージも変わったし、自分にも守らなきゃいけない生活もある。とにかく一緒にやってくれた事に感謝している。 自分は昭和五十六年('81)生だけど、世界一豊かだった頃の日本で育って、社会に出てその凋落とともに大人になり、中年(もう四十代!)になった。バンドブームは俺の青春時代には実はとっくに崩壊していたと思うけど、少なくとも最後の夢を見られた世代なのかなと思う。そして、気づけば元号も変わって「J-POP」の時代も終わっていた。
人前で演奏する「バンド」としては森��浩恵加入以降の、間違いなく今が一番ベストだと思っていて、このメンバーでもっとできることがあるとも思うんだけど、とにかく今年で一区切りにします。去年リリースした「SLASH!」という曲、今一番聴いてほしい。明るく楽しい曲が書けて、森川浩恵のボーカルも新境地見えた気がして、とても嬉しかったし気に入っているので。自分が書いてバンドでやった、今のところ最後の「J-POP(言い切る)」かな。
自分は歌や踊りや合奏を「音楽」として捉える時、その作法は全て輸入ものだと思っている。その上でどう日本の「ミュージシャン」とか...もっと言えば「近代国家」の国民として生きていくか、というのは今後も悩みながらやっていくつもりだ。そのためには消費者とは別の立場で市場の中にも居続けなきゃならないので、演奏するアーティストとして引き続きプロの看板は掲げたままやっていきます。その上で「音楽」だけに関わらず自分の表現をもう少し自由にやるつもり。 メンバーもそれぞれ自分の活動続けます。引き続き注目してほしい。一番長く一緒にやってるメンバーである永田と誠也さんとか...本当にかなりイケてる演奏家になっているんだよな。聴きに行った方が良いし、何か仕事頼んだ方が良いです皆さん。マジで。 今のところ11/17が活動休止前最後のライブになると思う。今まで応援してくれた人たちに感謝の気持ちでやりたいです。配信もあるのでぜひ見てください。よろしくお願いします。
11/17(日)@下北沢Basement Bar
キウイとパパイヤ、マンゴーズ
『活動休止LIVE』
op12:30 st13:00
前売:¥3,500 当日:¥4,000
配信チケット: ¥1,800
【配信チケットについて】
下記URLのwebshopにて配信チケットを11/15までにご購入ください。後日配信URLがメールで届きます。
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手放さなかった円盤の話2・単品
引っ越しでいろんなものを処分したけれど、それでも手元に残したDVD・BDの話、パート2。 パート1と連続ドラマ系だった。 パート2は、単発の映画や、シリーズものだけど単品で好きなものの話。
【ゴースト・エージェント R.I.P.D.】 トップに持ってくるのがマイナーな作品であれだが、世間的な評価は低くても、実は好きなのがこれ。ライアン・レイノルズ主演の、ゴースト・バスターズ+メン・イン・ブラックな映画だ。大作2つを合わせて、ただし、0.3を掛けた、というか……。 主人公ニックは有能な刑事だったが、冒頭の事件で死亡し、あの世の刑事として働くことになる。組まされた相棒は西部時代に死んだ破天荒なカウボーイのロイ(ジェフ・ブリッジス)。 バディものとして新鮮味はないし、人間に擬態している化け物の正体を見破るためにはスパイスが効くとかいうよー分からん設定になっているし、しょーもないギャグは大して笑えないし、……まあ、減点方式だと確かに駄作なんだろうなとは思う。 でも、イケメンなニックに"この世での仮の姿"として与えられたのはさえないチャイニーズ系のおっさんの外見なのに、ジジイのロイはグラマラスな美女。だからなんだと言われるとなんでもないんだけど、「本来の姿ではない」から、ニックが妻に会いに行っても、「やだなんか変なおじさんに話しかけられてる気持ち悪い」という扱いになってしまうし、クソジジイなロイを見る男どもの目はセクシー美女を見る眼差しなのである。 で、新米だけど真っ当な若い幽霊刑事と、ベテランだけど破天荒なクソジジイが、事件を通して相棒になっていく、というド定番の話。 しかし、ライアン・レイノルズにジェフ・ブリッジス、更にはメアリー・ルイーズ・パーカーにケヴィン・ベーコンという謎に豪華なメインキャスト。たぶんこの映画に出たことを黒歴史だと思っている人もいそうだけど、しょーもなwwwくらいで笑いながら気楽に見て、ベタな友情や共闘にワクワクするくらいの映画が見たいときも、あるのである。
【RED】 無駄にと言っていいほど豪華なキャストが揃った、ご老人版エクスペンダブルズ? タイトルにもなっている「RED」は、「引退した超危険人物(Retired Extremely Dangerous)」という意味。つまり、元はエージェント(MI6とかCIAね)、しかも超がつく一流だったのだが、いいお年になったので引退して余生を過ごしているじーさんばーさんのことである。 主人公は、年金事務所の電話オペレーターの女性と他愛もない話をすることを楽しみにしているじいさま、フランク。演じるはブルース・ウィリスである。ほらもうこれだけで強いw 今は老いらくの恋を電話越しに楽しむ年金生活者だが、元はCIAエージェント。だもんだから、クリスマス間近の夜中に突然襲ってくる集団を、手際よくスマートにささっと片付けてしまうのは当たり前なのだ。 でも、何故突然に命を狙われたのか��分からない。ただ、電話を盗聴されていたとしたら、愛するサラ(これまたメアリー・ルイーズ・パーカー)にも危険が及ぶ。そんなわけでフランクは、これまで電話でしか話したことのなかったサラのもとへと駆けつけることにする。 そんな感じで始まった逃走劇は、迎撃からやがて襲撃になるのは、お約束。 さてこのフランクには、同じく凄腕じじばばの知人がいる。演じるのは、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミレンといった大御所。そして、かつては敵としてやり合ったこともある相手でも、今回は仲間として頼った彼等は皆、RED、なのだ。 頭おかしい系もいれば、美しい老婦人がいて、温和そうなおじいちゃんもいるし、恰幅のいいダンディ(KGB。ブライアン・コックス演)もいる。 こういう強いじじばばが好きなら、見て後悔はしない。それに、思いがけず美しい恋の物語があったりもする。 なお、現役CIAエージェントとしてフランクを追跡するウィリアム役にはカール・アーバンで、彼もまたいい味を出している。 ちなみに2(リターンズ)もあるのだが、そちらは"元電話オペレーターの一般人"でしかないサラが、超絶凄腕であるREDたちに混じってしゃしゃり出てくるせいで、あまり好きではない。敵役はイ・ビョンホンでかっこいいんだけど、これもあまり必然性のない存在というか、ウィリアムほどしっかりとドラマに絡まないというか。だからそっちは、残していないのだ。
【フィフス・エレメント】 ブルース・ウィリス再び。 カルト的な人気を誇る、というほどでもないし、あの超有名な大作、というにはマイナー感があるし……。 しかしこれも、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ゲイリー・オールドマンという大物に、クリス・タッカーもあの頃は喋りの面白い黒人俳優としてけっこう知名度あったような? それに監督がリュック・ベッソンである。 あらすじや冒頭をしれっと解説するには妙に独自要素が多くて困る。 大筋は、「邪悪な存在が地球にやってくる。それを退け滅亡を免れるためには、火・風・水・土と、そして、"五番目のエレメント"が必要だ」という予言と、それが現実になりつつある今、地球を救うために活躍するヒーローの話だ。 が、細部がけっこう独自色に彩られている。 細胞から培養し、人間の姿に置き換えてみたら美しい女性になったエイリアン。彼女を連れて地球の危機に立ち向かう元優秀な軍人、ただし今はしがないタクシー運転手。個性的すぎる髪型の武器商人に、青い肌をした異性のディーヴァ。 まあとにかく個性があって、ストーリーが面白くて、キャラが立ってて、要素はいろいろと奇妙でも、物語の大筋は分かりやすく、でもそのくせ、これこれこういう話だよ、と説明するのは難しい……。 なんにせよ好きな映画の一つなのである。
【リベリオン】 気楽に見れてかっちょいいSFが好き、と言えば、ここまでのラインナップでさもあらんと言われそうではある。 クリスチャン・ベールがやたらスタイリッシュなエージェント、というか始末人(ビショップと呼ばれる役職)を演じる本作は、典型的なディストピア映画。争いや犯罪をなくすため、人間は皆、感情を抑制する薬を服用することが義務付けられた世界である。強い感情がないから、大いに楽しんだり笑ったりもしないけれど、怒りも憎しみも乏しく、確かに平和なのだ。けれどその世界では、強い感情、感動を引き起こす"悪"として、あらゆる芸術も禁じられている。絵画も、音楽も、小説もだ。 ビショップとは、隠れて絵や音楽を楽しむような違反者を取り締まる秘密警察みたいなものである。そして彼等が身につけているのが"ガン=カタ"と呼ばれる格闘&銃撃技術。これをさっそく冒頭で見せてくれる。 同時期(少し前)に公開されたマトリックスと同じ黒いロングコートの男は、たった1人で真っ暗な室内に躍り込むと、銃撃の際に出た火花の一瞬の明かりで"敵=違反者"全員の位置を把握し、その場に仁王立ちしたまま二丁拳銃で瞬く間に片付けてしまう。その際の独特の手の動きは少し滑稽に見えるかもしれないが、ツカミはOKだ。ありえねーけど、とにかくそういう技術なのである。それに、中盤、終盤にあるガン=カタはもっとかっこいいから安心してほしい。 ともあれ、ディストピアの体制側に所属していた主人公が、とある女性違反者への尋問を契機に、"感情"を取り戻し反逆者となる様子を描くという、よくある物語だ。それだけに、ガン=カタを「かっけぇwww」と草生やしつつも楽しめるかは、けっこう大きなポイントかもしれない。 なんにせよ、話の筋は分かりやすく、ガン=カタはかっこよく、そしてクリスチャン・ベールはイケメンだ。(主人公が変わるきっかけは彼女に"惹かれる"ことなのだが、自分的には好みの女優さんでないのでヒロイン(?)を魅力的だとは紹介しない)悪役は憎らしく、だからこそ、それを真正面からねじ伏せる結末はスカッとする。 好き嫌いは分かれるだろうが、好きな人は大好きなカルト系の映画だと思う。
【ターミネーター2】 少なくとも一作目は良い娯楽作だったし、三作目も悪くはなかった。が、繰り返し見たくなり、そのたびに楽しめる、だから手元に確保しておきたいのはT2だけ。 あれこれ言う必要もない超メジャー作品。 一作目では敵だったT-800が、今度は味方。けど新たな敵は、T-800よりも高性能な後継機であるT-1000。これが液体金属みたいな体で、なんにでも化けるし、体の一部を刃物にしたりもできるし、銃で撃ったって意味はない。 液体窒素で凍結して粉砕し、「やった倒した!」と思ったところから、熱で溶けてまた一つに融合するシーンは、初めて見たとき、「こいつどうやって倒せばいいんだ!?」と愕然としたものだ。物語経験値が、個人的にもこの世界的にも上がった今となっては、案外あっさりと「あ、ここ鉄工所? あ、溶かすっていうか、焼くわけね」と分かってしまうかもしれない。でもあの当時は、本当にハラハラしながら見ていた。 T-800の無骨で重厚なかっこよさと、下手くそな笑顔、過去のトラウマであるT-800を少しずつ信用するようになるサラ、そして、少しずつ人間味のようなものを覚えるT-800。そして個人的には、どこか蛇のような印象のT-1000(ロバート・パトリック演)のビジュアルがたまらなく好きなのだ。そもそもウィレム・デフォーあたりの、ちょっと爬虫類系っぽい役者さん好きだしなー。
【ラスト・スタンド】 T2ではわざわざ名前も出さなかったけど、シュワちゃん。世代ど真ん中と言ってもいいくらい、自分にとっては大きな存在である。T2はもちろん、ツインズとかラスト・アクションヒーローとか、キンダーガートン・コップとか、まあとにかく見た。シュワちゃんってだけでとりあえず見ることにしていた。大好きなのだ。 そしてこの作品は、政治家になり映画界から離れていたシュワちゃんの、復帰作ではなかっただろうか。 なにがいいって、シュワちゃんは相変わらずヒーローなんだけど、ここでは"年相応の"おじちゃんなところだ。俺が俺がと無双するばかりでなく、若い部下を窘めたり導いたりもする。その若造には反動が強すぎて撃てない大型銃を、軽々とぶっぱする無双っぷりも健在だが、やはり年には勝てない、という描写もある。 それでいて、タイトルどおり彼が"最後の砦"なのだ。悪党がスーパーカーで通過しようとする小さな町の老保安官。別に元CIAとかスーパー軍人とかいう過去はないようだけど、そこはまあシュワちゃんなので。「手を出すな、ほっとけ、黙って見過ごせ」と言われても、自分が守る町で悪党に好き勝手なんかやらせないのである。 おじいちゃんになったシュワちゃんの魅力が詰まった、小粒だけど味わいのある佳作だと思う。
【パシフィック・リム】 巨大怪獣!! vs 巨大ロボット!! 別に取り立てて怪獣好きとか特撮好きというわけではないけど、いろんな要素全部合わせたらものすごく好みの映画。 個性的なパイロットたちに個性的なロボットたち。怪獣オタクに胡散臭い闇商人(ロン・パールマンはこういう役やらせたら最高)。 それに熱い!! 暑苦しい!! 出撃や進撃とともにかかるテーマ曲にテンションぶち上がりーの、金属の重厚感に溢れた一挙手一投足とその迫力。どんなにベタだろうと、命がけの突撃からの自己犠牲には胸が震えるのである。 イドリス・エルバという俳優に惹かれたのはこの映画からだった。どこかで見たことあるよなこの人、と思って調べ、マイテイ・ソーのヘイムダル(��れは兜のせいで人相がちょっと分かりづらかった)、そして、ゴーストライダー2のモローの人だと知って一気に好きになった。彼のかっこいい姿が見たくてダークタワーを見に行ったクチである。 映画の話に戻ると、けっこう各所で言われていた覚えがあるけれど、ローリーとマコが恋愛関係にならないのも良かった。共にジプシー・デンジャーに乗る相棒であり、そして兄妹のような絆。最後に海の上でおでここつんには可愛くて可愛すぎて萌えた。
【ブレードランナー】 ファイナルカット版としてのBDを一枚。そしてそれとは別に、「現存する本編5バージ��ン」すべてが収録された豪華BOXセットも持っているくらい、愛する映画。 公開当時は少数の劇場でひっそりと、ごく短い期間だけ上映され、つまりは全然ヒットしなかったのだが、見に行った人たちの中には熱狂的なファン、支持者が多数生まれ、まさにカルト作品として後日脚光を浴びた。 そうなった理由の一つとして、最初に公開されたバージョンは「説明が少なく分かりづらかった」とか「ヒーローとヒロインに明確な結末がないまま終わる」とかいうものがあったそうだ。そしてそのせいで、自分に言わせれば蛇足でしかない冒頭のナレーション、エンディングのハッピードライブが追加されたアリキタリver.が作られ、日の目を見た。 時代を先取りしすぎた系だと思う。今ならこの程度の説明不足はかえって考察厨の大好物、解説・考察動画がバンバン上がって賑わっただろう。 物語は近未来。様々な国の文化が入り混じり、独自の言語も生まれたサイバーパンクの世界観だ。レプリカントと呼ばれる人造人間たちが作られていて、彼等は人間の代わりに苛酷な環境での労働に従事している。人間には耐えられないような環境下での採掘だとか、娼婦(慰安婦)だとか、あるいは、生産性のない単純な清掃なんかも含まれるのかもしれない。 彼等レプリカントには五年程度の寿命が設定されている。それ以上活動すると、自我が芽生え、反抗したり、指示に従わなくなったりするからだ。そして、そういう"暴走した"レプリカントを狩るのがブレードランナーという賞金稼ぎみたいな奴である。 主人公デッカードは優れたブレードランナーとして、ロイというリーダーに率いられたレプリカント集団を始末する仕事を受ける。彼等とデッカードとの死闘が、映画の大部分を占めている。 しかしこの映画、主役デッカードを演じるハリソン・フォードは、好きではないとか? 何故なら、ぶっちゃけ真の主人公で、最後に美味しいところを持っていくのはロイ(ルトガー・ハウアー)だから。 ロイがかっこいいのだ。ちょっと太めのレスラータイプのボディなんだけど、こいつは戦闘用。賢くて、強い。そんな奴が反逆した。でも……ロイの目的は……。悲しい。切ない。そして美しい。 そしてこれはかなりマニアックな余談なのだが、そのロイの最期に、映画を通してずっと酸の雨が降っていた曇り空が、ほんのひととき、一部だけが青く晴れる。そこへと、ロイが掴まえ抱えていた鳩が飛び立っていくのだが、なんとも言えず美しいシーンだと思う。 けれどこの青空、実は監督が意図したものではなかったそうで、「最終ver.」にして「最新ver.」とも言えるリマスターで、曇り空にされてしまった。 でも自分は青空が好きだった。 知力も体力もなにもかも人間より優れていて、仲間が倒されれば怒り嘆く心だってあり、生きたいと願いながらそれが叶わなかったロイが、殺さずに捕らえていた白い鳩。彼が事切れて力を失うとともに青空へと飛び立つその鳥は、見ている我々の願いのようだ。ご都合主義でいいから、せめてその魂は救われてほしい、美しい空へと還ってほしい、という、願いの象徴のようだった。 それにディレクターズカット版のユニコーン云々もいらない。デッカードが人間だろうとレプリカントだろうとどうでもいい。 だから自分は、いっちばん最初の公開版をこそ、最愛としている。
【パイレーツ・オブ・カリビアン】 正直に言ってしまえば、1だけが別格に好きすぎて、2・3も決して嫌いじゃないし楽しめるけど、あえてここに入れた。それくらい1は完璧だった。 2と3が今ひとつなのは、ジャック・スパロウのしたたかさ、かっこよさが全然出なくなってしまったからだ。 1は最高だった。マストの上に威厳を持って立っている……と思ったら小舟の上。しかし、港で停泊料金を要求されたとき、「え?こんなボロ船なのに??」みたいな顔をして自分の船を振り返り、しかし案外あっさりと支払ってしまう。が、その後で杭の上に置き忘れられていた小袋をさっと手に入れる。つまり、ここに財布が忘れられていることを目ざとく見つけていたから、素直に料金を払ったわけだ。 特別腕っぷしが強いわけではないけれど、とにかく知恵が回る。それが最も明確に打ち出されたのは、インターセプター号の強奪だろう。到底二人では動かせない大型船を奪って出航するのだが、本当の狙いは、それを追ってくる中型の快速船。戦うこともなく鮮やかに奪い取る。その手際には、敵である官憲側さえ脱帽し、感服し、つい称賛するほどだった。そして敵将であるノリントン提督ですら、部下のその言葉を否定できない、という、とてつもなくかっこいいシーンだ。 なにより、手下も立派な船もなくてもキャプテン・スパロウであるという自負……なけなしの見栄なのかもしれないが、そういう誇り高さがあった。 が、2以降はとにかく情けないしだらしない。デイビー・ジョーンズにおびえて逃げ回るだけだし、3ではエリザベス(キーラ・ナイトレイ)とターナー(オーランド・ブルーム)が主人公だと言ってもいいくらい、ジャックは大したことをしない。それ以後も、かつてブラック・パール号をなくしたときには、小舟のマストにであれ卑屈になることなく佇んでいたのに、今はもうただ飲んだくれるだけ? なにもかもがつまらないとは言わないが、1に溢れていたジャック・スパロウの魅力は、もうどこにもない。それが残念すぎて、1以外は手元に残したいと思わなかったのだ。
【ドラゴンボールZ 19・20巻】 ピンポイントで、原作に追いついてしまうアニメの引き伸ばし用オリジナルストーリー部分に当たる。ナメック星での戦闘を終えて、悟空とベジータはそのまま宇宙で武者修行しているタイミングだ。 あのタイミングでは最強と言える二人が不在の地球で、これまたアニメ(映画)オリジナルの悪役であるガーリックJr.が蘇る。 不老不死になりながら、魔空間みたいなところに閉じ込められた奴が、何千年に一度だか地球に近づく魔凶星とやらの影響で解放されてしまうのだ。 それに立ち向かえるのは悟飯とピッコロくらいしかいない地球。え? クリリン? 修行サボってじょしの尻に敷かれてたので……。 ピッコロが好きな自分としては、彼が大活躍するこのシナリオが大好きなのである。まあとにかくかっこいい。強いし、それでいて(まだ神様と一つに戻ってはいないのに)頭もいい。クリリンもやっぱりここぞというところでは男を見せてくれる。クリリンがピッコロを気遣い庇うところとか、いやもう、ねえw 美味い以外のなんでもないのだ。
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【Honkai Impact 3 MMD/4K/60FPS】Kiana Kaslana【難聴系男子が倒せない】
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「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」をいつもご利用いただきましてありがとうございます。
12月18日15時より、新たに楽曲「難聴系男子が倒せない」が追加されました!
追加された楽曲は現実世界の「音楽ショップ」で交換することができます。
■楽曲紹介
「難聴系男子が倒せない」
作詞:���マーズP
作曲:ラマーズP
編曲:-
歌
バーチャル・シンガーver.:鏡音リン(Original CV by 下田 麻美)
引き続き「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」をよろしくお願いいたします。
[Google Translated Vers.]
Thank you for always using "Project Sekai Colorful Stage! feat. Hatsune Miku".
A new song "Hearing-impaired boys can't beat" has been added from 3:00 p.m. on December 18th!
Added songs can be exchanged at the real-world "music shop".
■Song introduction
“Hearing-impaired boys can’t be defeated.”
Lyrics: Lamaze P
Composer: Lamaze P
Arrangement:-
song
Virtual singer ver.: Kagamine Rin (Original CV by Asami Shimoda)
Thank you for your continued support of "Project Sekai Colorful Stage! feat. Hatsune Miku".
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Quote
安倍晋三元首相の銃撃事件から1週間が過ぎた。母親が宗教団体に多額の寄付をしたことで家庭が破綻(はたん)し、恨みを持っていたという山上徹也容疑者(41)。その母親と同じ団体の元信者が、幼いころの山上容疑者の様子や、当時の母親の信仰心の強さについて語った。 「かわいらしい子だったのに、あんな事件を起こすなんて信じられません」 そう話すのは、旧統一教会(現、世界平和統一家庭連合)の元信者の女性だ。 「かわいらしい子」と表現したのは、安倍元首相を銃撃し、逮捕された山上容疑者のことだ。 この元信者の女性は、山上容疑者の母親が30年近く前から旧統一教会に傾倒し、多額の寄付をしていたことを覚えており、当初は旧統一教会側も母親を大事にしていた印象があったという。 「統一教会は、山上容疑者の母親が入信したときに家系図を書かせ、預金���帳も供養するからとチェックして、こと細かに事情を聴いて資産状況を知っていたからです。山上容疑者の祖父が亡くなると、相続人の一人が母親であることをすでに知っていたようです。お母さまに、山上容疑者の祖父が亡くなる前に大阪府内の家を売却させて、法外な2千万円を寄付させていました。その時は、統一教会の幹部もすごくうれしそうな表情で、『神の祝福がある』というような話を信者の前でしていました。お母さまも『祝福があるはず。とてもうれしい』と話していました」 そして、山上容疑者の祖父が死亡すると、母親はすぐに、経営していた奈良市内の建設会社の不動産も売却した。 「三つの物件で1億円近くを寄付されていました。また、祖父の会社のお金も出していたようです。お母さまは統一教会の狙い通り、ほとんどを寄付して、その結果破産しました」 山上容疑者の祖父が大阪府に所有していた家の不動産登記簿を調べると、1998年8月に売却されていた。周辺の不動産評価から、2千万円前後だったとみられる。そして2002年には破産しており、元信者の女性の証言と符合する。 女性によると、山上容疑者の母親は熱心な信者だったという。山上容疑者の父親が自殺し、祖母も早くして亡くなった。不幸が続き、母親の不安や悩みに旧統一教会が付け入ったという見方だ。 「山上容疑者本人を見たのは、お母さまに誘われてご自宅にうかがった時です。『長男(山上容疑者の兄)は体が弱くて大変なの。けどこの子は元気いっぱいです。私が(統一教会を)信仰しているおかげです』とうれしそうに語っていました。山上容疑者が高学年だったかな。あいさつもしっかりしていて、はきはきした感じで。あんな事件を起こすなんて夢にも……」 女性はそう振り返った。さらに、自宅内に置いてあった統一教会関連の商品を見て驚いたという。 「一戸建てのご自宅には、統一教会のつぼだけで三つか四つはありました。他にも数珠、印鑑、多宝塔に、1冊何百万円という本などが山のように。時の宴ペンダント、ぶどうの実ペンダントなど1個何百万円もするようなものも並んでいました。私はお金に余裕がなく、活動で教団に尽くしてたので、(山上容疑者の家は)すごいお金持ちなんだなと思いました。お母さまは『統一教会の教えを守って、ご先祖様を供養したい』と話していました」 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) そのころ、旧統一教会は霊感商法が社会問題化し、歌手の桜田淳子さんら著名人が韓国での合同結婚式に参加したことが、大きな騒ぎになった。 そのなかでも、旧統一教会は全国にある支部に毎月、「ノルマ」として寄付集めを競わせていたという。 「私の知る限りですが、支部には毎月、寄付の目標があります。例えば『今月は1千万円の寄付を目標に』と幹部が押し付けます。しかし簡単に達する金額ではありません。幹部は資産があるお母さまを頼るのです。それが幹部の出世につながる。お母さまは、最後、統一教会に言われて消費者金融にまで手を出して破産したと聞きました。それでも信仰を続けました。だけど統一教会は、お金がないと思ったのか冷たくしていました」 全国霊感商法対策弁護士連絡会の加納雄二弁護士は、 「統一教会の収入のうち、7割が日本からで、寄付、霊感商法、合同結婚式の参加費用関連などで占められているようです。寄付のノルマを課し、信者や支部の責任者としてはやしたて、より多くのカネを集めようとしていた。それは、統一教会がダミー会社を設立して、セミナーを開催し、高麗人参などの健康食品や家系図などを販売する手法とも同じです。ダミー会社が違法な販売で、刑事事件となり有罪判決となった例もある」 と説明する。 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 山上容疑者の母親は、統一教会の聖地とされる韓国・清平(ちょんぴょん)の教団施設で、40日間続けて行われる「HJ天宙天寶修錬苑」に何度も参加していたという。修行の内容は、ヨガやビデオの視聴、講座、祈とうなど。1回につき、渡航費を含めて100万円近くの費用がかかるそうだ。 元信者の女性が話す。 「修練会に行くというのは、修行のようなものです。多額のお金がかかり、40日と長いのでそう簡単に参加できません。信者が修行に行くというのは、支部の幹部にとっても統一教会本部へのアピールになります。お母さまは病気がちの長男を連れて親子で参加していたこともあります。『ご先祖様も安心され、長男の病気も治るはず』と言っていました」 一方で、元信者の女性は統一教会への不信感が募っていったという。 あまりに頻繁に寄付やつぼの購入などを要求され、出す人が優遇されて、出せない人は幹部からつるし上げられる。元信者の女性は、家族から「絶縁する」と言われ、周囲からの説得もあり、脱会を決意する。入信してから7、8年ほどした時だ。 「山上容疑者のお母さまからは『一緒に続けましょう』と何度も説得されました。私が脱会の決意をしたのはお母さまの破産も一つのきっかけでした。それまでお母さまを大事にしていた支部も、『金の切れ目が縁の切れ目』とばかりに、粗末に扱うようになりました。また、お母さまの親族が統一教会に入信していなかったことに幹部は『信仰が足りない』なとど叱責(しっせき)していました。今思えば、お母さまの親族が安定した仕事についておられたようで、統一教会はさらなる寄付がほしいと考えていたようです。幹部の言うことは絶対の統一教会。お母さまはいくら叱責されても、グッとこらえていました」 加納弁護士によれば、 「統一教会は、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて、寄付させて、カネもうけの道具にする。そういう集金の構図をすでに完成させてします。だから、信者になると家族、親族を絶対に入信させようとするのです。ゆえに統一教会2世、3世が苦境に立たされている」 と指摘する。 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから このように指摘される寄付について、世界平和統一家庭連合の広報部に問い合わせた。 ノルマのようなものがあったかどうかについては、 「ノルマはないです。2009年以前は、ノルマではないが、教会長によっては行き過ぎた献金指導がありました。その代表的な例として、『家土地売って、財布を置いていけ』というのもありました。教会長は罷免(ひめん)になりましたが、そういったことも含めて反省があり、09年にうちの法人の会長が謝罪し、離職しました。その後、コンプライアンス宣言をして、法令順守を掲げ、鋭意体制を見直しながら、より良い教会づくりに努力しています。今はそういったものはありません」 と回答した。韓国・清平の教団施設の件については、 「『清平40日修練会』といいます。修行の内容は、ヨガ、ビデオの視聴、講座、祈祷のほか、奉仕活動、原理講義の受講、奉読などです。コロナ禍になって、韓国では集団での集まりが規制されたので、この2年間くらいは日本からの参加者はいません。韓国でも修練会はストップしています。(山上容疑者の)母親が参加していたかどうかは把握していません。母親と連絡もとれていません。奈良家庭教会も、脅迫のような電話がかかってきたため封鎖しており、確認が難しい状況にあります」 と説明。参加費が100万円かかるという点については、 「渡航費も含めて100万円はかかりません。時期によっては渡航費が高くなりますが、修練会費だけでいえば、寝食も含めておそらく40万円くらい。韓国のホームページでは修練会費は70万ウォンと記載があるので、今なら7万円程度です。正確には調べてみないとわかりません」 と話した。 また、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて寄付させるという指摘については、 「信者の家族や親族、友人知人を入信させていくのは、氏族伝道といいます。かつては訪問伝道、街頭伝道が主流でしたが、09年以降は氏族伝道になりました。宗教法人なので一番大事なのは布教。信者が増えないと話にならない。信者が増えると、月々の『11条献金』(月収の十分の一程度の寄付)が増えます。人が増えると献金が増えて、教会の運営も盤石になります。とにかく布教が一番になります。09年以前も、家族や友人などへの伝道はやっていました。ただ、氏族伝道という言い方はしていなかったと思います」 と話した。 旧統一教会への恨みから安倍元首相を殺害するという前代未聞の事件。山上容疑者の犯行動機の背景が明らかになるには、旧統一教会との関係が最大のポイントになりそうだ。 (AERA dot.編集部・取材班)
【独自】旧統一教会の元信者の衝撃告白 私が見た「山上容疑者」と母親の「法外な献金」 | AERA dot. (アエラドット)
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あこがれの意味
40代もなかばの馬齢を数える私はいま、シゴトとハードコアパンクバンドの活動以外では女性アイドルのヲタクとしての余生を送っています。
1990年代に夜間に大学に通っていたころ、ブント系と目されるとある小党派のフロントサークルに所属したのが強烈な契機となり、「日帝本国人」(しかも「男」)としてうわべだけで自己否定しまくりながら微力すぎてなにもできない口先だけの「共産主義者」としての素養を獲得しつつ、サークルの先輩に「パンクはプチブル」規定されたのを根にもって(パンクを受容したキッズの大多数はプロレタリアートのガキなんだけど!)悩んだあげくしばらくしてサークルをきっぱりとやめて(やめる時にサークルボックスで先輩活動家たちにツメられ物理的に殴られはしなかったもののガクブルで粗相しそうでした)やっぱりDIYパンクだなーとアナキズムを夢見るボンクラに戻りつつそれでも2000年代はいろいろと無党派の「運動」のすみっこでグダグダしたものの自分も含めて自己欺瞞ばかりでいやになり、撤退して社会的には頓死したも同然の賃労働マシーンに純化してみるとこんどは賃労働の酷烈さに追いつめられ息もたえだえにバンド活動だけで生きのびていたところに再び女性アイドルの存在に出会ったのが2012年(映像だけなら2011年)のことでした。長い。
つまり大震災と福島第一原発の爆発で「東日本壊滅」の危機が叫ばれたあとに、都市生活者としての自らの罪深さにおそれおののきながらバンド仲間が反原発デモでパクられてその救援で東奔西走するなかで息苦しさが倍増していき、その過程と事後で苦しさを清算することができずいよいよもうダメかなと思いはじめたタイミングでアイドルと呼ばれるまばゆい存在を目にすることができた、というわけです。
もうお分かりですよね。アイドルが繰り広げるパフォーマンスの魅力に「救い」もしくは希望を勝手に見出して舞い上がるタイプのアレとなったわけです。最初にパフォーマンスを目の当たりにしたのは女性アイドルでしたが、いまとなっては男性アイドルや「ゲイアイドル」のパフォーマンスも現場で楽しく観るようになっています。
私はいま前田彩里さん(以後、愛称のいろりん)の歌とダンスに魅了されて応援しています。いろりんのライブ最優先で現場に通うようなってからおよそ2年ほどがたちましたが、ずっといろりんのライブに通っている人からしたら「やっと流れてきた」立場にすぎません(いやもちろん応援する立場に新旧の別はないとは思いますが、やはり何年も応援し続けることのすごさを忘れたくはないとも考えているのであえてこう書いておきます)。そうなんです。流れてきたんです。別の演者さんから。
そもそも私はガキの時に同世代のアイドルを軽視していました。それまでのアイドルのパブリックイメージを打破することになった「おニャン子クラブ」が同世代として活躍していくのをテレビで見ても、「遊びでしょこれ」としか思わなかったんです。おニャン子以後のいわゆるアイドル冬の時代において歌主体で活動していた姫乃樹リカさんやCoCoは別格でしたが、やはりおニャン子のありようをメディアから刷り込まれるにつけ、しょせんお遊戯にすぎないとどこかでバカにするような意識を持っていたということです。自分の中にそうした差別的な感情がうずまいていたことを認めざるをえなくなったのは、℃-uteを知った時のことでした。℃-uteはハロープロジェクト(ハロプロ)に所属する女性アイドルグループです。
すでにおぼろげとなっている記憶をたどると、2011年の晩冬にシャ乱Qの「シングルベッド」の映像をYouTubeで視ていた時に、リコメンド欄に℃-uteのメンバーである鈴木愛理さんによるカバーバージョンがリストアップされていて、そちらも視たところ歌うま!とびっくりしてそのまま他の動画も視聴し続けたのが℃-uteにはまったきっかけだったように思います。
いずれにせよYouTubeで映像を確認し、愛理さんの歌のうまさだけでなく年若い女性の5人グループ(当時はすでに5人でした)のパフォーマンスはこんなにすごいのかと驚嘆して、この時に自分はおニャン子的なパブリックイメージ縛られすぎて食わず嫌いでいただけなんだなと自覚させられました。
もともと私が好きになった音楽はハードロックやヘビーメタルでした。それはローティーンの時のことでしたが、洋楽一般を入り口としながらすぐにそれらの極端さを好きになるガキとなったわけです。続いてブルースなども並行して聴くようになったとはいえ、ほどなくしてメタルからハードコアパンクに流れたこともあいまって、基本的には攻撃的で激しい騒音を発するバンド群に没入していきました。いまでパンクやメタルは大好きですが、10代の時にそうしたものを聴くのは思春期にありがちな「他とは違うなにか」に浸かりたいというひねくれた願望にも合っていたのだと思います。いまとなってはパンク・メタルついては違った思いから好きでい続けていますが、ガキの時はとにかく「なんとなくアングラな感じ」や「激しい感じ」に惹かれていました。あるいはのちに自らハードコアパンクのバンドをやるなかで、知らず知らずのうちに尊大な態度が身に付いてしまったのでしょう。「自分は人とは違うことをやっている」という思い上がり。だからこそ女性アイドルに表象されるような「かわいい」ものに対する畏怖の感情を無自覚にであれ持っていたのだと捉え返さざるをえないのです。
そうした愚かな忌避感情をもののみごとに粉砕してくれたのが℃-uteでした。動画をぐるぐると視ていくなかでたどりついたのが2011年9月11日に開催された℃-uteの日のライブ映像です。引きの映像の中でヲタがぴょんぴょん跳びまくっているためステージの様子が分からづらいのですが、それでも歌い踊る5人の演者の姿を捉えることができました。統率のとれた巨大な応援のコールを繰り出すヲタの熱量に「このキモい人たち何なんだ…」と思いながらも、何よりステージの5人は何でこんなに踊りながら歌えるのかなとびっくりしたのです。しかも数曲まとめてノンストップでやってるなんて!!
ライブをこんな風にやれば自分なら倒れるだろうな。身体を動かしながら声を出すことの難しさを多少なりとも知っている身としては、まず運動量のすごさでガツーンとやられました。勝ち負けが問題ではありえないとしても自分はこの子たちに勝てるわけがない。まじこの子ら何なの。アイドルってみんなこんななの……と思ったものの、どうやらそうでもないらしい。すべてのアイドルが生歌でコンサートに臨んでいるわけでもない事情をなんとなく知り、それじゃなおのこと℃-uteが実際どうなのか観に行かないとなあと思いながらも、踏ん切りがつかなくてどうしようか数ヶ月悩みながらついに行ったのが「℃-uteコンサートツアー2012春夏 〜美しくってごめんね〜」の追加公演でした。神奈川・よこすか芸術劇場大ホールの昼公演のみでしたが、いま調べてみたら2012年6月30日に開催されています。記憶がすでにぼやけていてもうちょっと前のことかと思いこんでいたので、これこそ備忘録ですね。
それでは実際の℃-uteのコンサートはどうだったのか。言わずもがなです。ホールコンサートのためステージは遠かったのですが、とにかく視覚・聴覚どちらも圧倒されっぱなし。ごめんなさい。やっぱりあなたたちにはかないません。自分の中にマチズモ(マッチョイズム)が巣食っていた無様さを、あなたたちがその「かわいさ」を武器に切り裂いて明るみに出してくれました。まじめにそう思いながら帰路についたことを覚えています。同時にことここに至れば何度でもライブを体験するしかないと感激した記憶は今でも色褪せることなく脳裏に刻まれています。たとえ女性アイドルのライブ現場で圧倒的多数である男性客がいかに怒号のようなコールを繰り返して「男らしさ」を誇示していたとしても、それを遥かに凌駕するパフォーマンスをもって熱狂の場を制圧していく女性アイドルとはいかに得難い存在なのか……と本気で考えたのです。彼女たちなら自分の薄汚い差別根性を叩き直してくれるのではないか。
その後のアイドル応援の遍歴のことはここでは詳しく書くつもりはありません。ただ大まかに言うと次のようになります。
℃-uteのライブには初の武道館公演2DAYSの2日目(2013年の℃-uteの日、つまり9月10日——当初武道館公演はこの日だけだったはずが急遽前日の9日もセットされたため“初武道館公演の日”ではなくりました)に行ったのを打ち止めにしています。2012年以後に℃-uteのコンサートツアーにはちょくちょく入っていましたが、1年と少しで行かなくなってしまったわけです。
そのころ並行して気になっていた、アップフロント系事務所としては傍流のTNXに所属するポッシボー(現チャオ ベッラ チンクエッティ)のライブにも行くようになり(最初に行ったのは2013年8月11日に開催された横浜Blitzでの単独ライブの昼公演)、そして1年も経たないうちにいまも応援しているいろりんのことを知りました。
最初にいろりんのライブに行ったのは2014年6月17日に開催されたソロ活動2週年記念の単独ライブですが、いろりんのライブにぽつぽつと断続的に参加するようになったのは1年後の2015年6月くらいからです。2015年8月にはあっきゃんこと秋山ゆりかさんがチャオベッラチンクエッティ(6月に改名)を「卒業」し、その現実をうまく受け止めきれずにいろりんのライブを最優先にして通うようになって現在に至る……というのが大まかな自分の動き方の記録です。
ともあれ、私は女性アイドルのパフォーマンスに心をわしづかみにされたままです。そしてそれは自分の中に巣食う差別的な根性を自覚するきっかけを与えてくれるかけがえのない経験であり続けるでしょう。つまり私にとっての女性アイドルへの憧憬とは「男性優位社会における男」としての自己否定を繰り返すための大きな力の源泉にほかならないのです。
利用主義的だなあと自分でも分かっています。ごめんなさい。
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utari vol.3
ハロー、僕は元気じゃないまま、まだ生きてます。
のちにKELUNになった3人組や現在活動中の男女混合4人組も使っているアイヌ語の仲間を意味するイベントタイトルなわけだがどうやら全組がこの会場初出演だったらしい。
AOBARA 調べても調べても別の人(ややいかがわしい系)の情報ばかりでバンドの情報には辿り着けなかった上に出番にも間に合ってないので結局謎のまま。物販に居たのは若手男子4人と強面の大人1人で、メンバーとスタッフだったのかな・・・
LONSTUPID(ロンストゥーピッド) ソロシンガーでエレキ弾き語りは中々難しい。 僕は基本的に音数が少ないのは好みで、故に高橋優やまめ、もっと言えばゆずがバンド形態に変容していった時に増えない方が良かったなって思いがあって離れ気味になったくらいなんだけど、それはアコギだからなのかもしれなくて、エレキとなるとベースとドラムが入ってほしいなと感じ続けながら観る羽目になった・・・。 しかもたっぷりと時間をかけて準備(転換)したのに結局機材トラブル(会場側のアンプ?)で気まずい感じになって気の毒さがましたというか。 プロフィールではしっかりとDr、Ba、Gt&Vo募集中ってなっててELLEGARDEN、STRAIGHTERなどが好きって事で英詩日本語詩の両曲ある如何にもだったが、うっすらモンデニズム的なのも感じられて多少は気になった。 過去にはそれせか界隈のシンガー時雨ともう競演歴があるようなので再度機会があったらまた観れたいな。 凄く若く見えたが若いってほどの駆け出しではないらしい。
なまくらメトロ こりゃまた若いバンドのようで高校生?でも20時過た出番だったし大学生かな??客席が友達だらけにとどまらずお父さん、お母さんとおぼしき人もいてもはや愛しかない。文化祭と言うより学芸会に近い雰囲気になってて不安だったが演奏始まればあらしっかり、って感じで中々良きフレーズに乗せて良い感じの歌を放ってた・・・
TIMIDLION 月初めのCuckoo(クーク)にThe DocciとSystem All Greenまでいた魅惑の対バンを目指してはいたが観に行けずにレコ発以来となった。 どのタイミングで観ても好きなバンドってのは輝いて見えるわけだが今回はまた経験の浅そうな競演陣の中で圧倒的な深みをもった実力を放ったかのようなある意味反則級のものを出してたと思う。とは言え、決してピリピリした感じはなく、リハでやった帰れない散歩での確認で、サビの 「とりあえずはいつも通り」 の ”は” から歌い出してる事にワタルさんが戸惑いまくりだった所からして面白かったんだけど 本編出だしが一番好きなオールドニュースで続けてバンドのイチオシであろう僕らのテーマ、その後は余生、もしもし、君を探してのシングル曲3連発で終わった。 前述の会場のアンプ不調は続いてたようでもしもしのアウトロにフレーズをギターではなくハモネプさながらに楫野氏が歌うレアなものを観れた。アンコールがあったら僕の楽団だったのかなとか思いながらも演奏終了後すぐにBGMが流れ出して拍手は起こらず・・・(元々僕は叩かない派だけど) 他にもあれこれ聴きたさっては必ず出てくるけどリハも含めてベストに近いベターな演目だったかなと。年末公演は同日に2か所出るらしいから片方は遅めであることを願いながら次の機会を楽しみにする。
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【速報】財津一郎さんが慢性心不全で急逝、愛孫・財津優太郎出演の『下剋上球児』放送直前だった - ライブドアニュース
以下引用
「ピアノ売ってちょうだ~い」 財津一郎さんが歌いながら呼びかける『タケモトピアノ』のテレビCM。20年以上にわたって放送され、誰もが1度は目にしたことがあるはずだ。赤ちゃんがピタリと泣き止むCMとして、バラエティー番組『探偵ナイトスクープ』で取り上げられ“伝説の放送回”と話題になったことも。 その財津さんが人知れず亡くなっていたことが週刊女性PRIMEの取材でわかった。89歳だった。
財津さんの知人が明かす。 「10月14日に亡くなりました。18日に通夜、19日に告別式が執り行われました」 財津さんは1962年から1968年にかけて放送されたコメディー番組『てなもんや三度笠』に出演し、藤田まことさんや白木みのるさんと共演。「キビシーッ!」「~してチョーダイ!」が口グセの浪人役で、お茶の間に笑いを届けていた。同番組は、関西地区で最高視聴率64・8%を出したこともある人気番組で、財津さん演じるセリフは、流行語にもなったほど。 その後、財津さんは俳優としても活躍。1969年公開の映画『男はつらいよ��シリーズに出演したほか、1978年に放送された松本清張ドラマシリーズや、1979年から放送された『3年B組金八先生』シリーズに出演した。 しかし、2011年放送のスペシャルドラマ『3年B組金八先生ファイナル』の出演を最後に、ここ10年ほどは病に見舞われて仕事を断っていた。
最愛妻の他界を境に体調も悪くなり…
『週刊文春』に掲載された2019年のインタビューでは、肺の前がん病変であったことや、心臓に水がたまる病気だったと明かしていた。体調が回復すると、2019年の秋に4歳年上の妻・ミドリさんが自宅内で転倒し、右手首を骨折。財津さんが家事を一手に引き受けて、妻をお風呂に入れることまで担っていたという。老々介護の実情を明かした財津さんは、同インタビューで、 《何十年もお世話になったままへの恩返し。人生最後のご奉公のつもりなんだ》 と語っていたが、2020年2月にミドリさんが息を引き取った。一時は気落ちしたこともあったが「絶対に暗くならない」をモットーに前を向き始めていた。 そんな財津さんの様子を、取材に応じた息子が明かしてくれた。 「母を支えることが父の活力でしたから、母が亡くなってから元気がなくなったのは確かです。母の死後は、体調が悪くなることもありましたが、大好きなゴルフを楽しむため、リハビリを頑張っていました。高齢で危ないので、運転免許の返納をお願いしていましたが、ゴルフをしたいから頑として首を縦に振らなくて……。なので、僕がゴルフ場に送って一緒にプレーすることを条件に免許の返納をしてもらいました。ゴルフの腕前はなかなかで、今年は自身の年齢以下でホールアウトするエージシュートを出したんです。89歳にして、スコアは87でした」(財津さんの息子、以下同) 2023年6月までは毎月、親子で一緒にゴルフを楽しんでいたという。しかし、 「8月ごろ、血液を全身に送り出す心臓の力が弱まってきたんです。“入院だけはしない”とする本人の意思を尊重し、自宅療養を続けていました。何でも人に頼らず“自分でやる”という人でしたが、10月の初旬からは歩くのも困難になっていき……14日に息を引き取りました。死因は慢性心不全でした」 財津さんは、最後まで自宅で過ごすことにこだわり続けた。それは、妻・ミドリさんと過ごした、たくさんの思い出が詰まった家だったから。その思いは、こんなエピソードからも感じられる。
俳優孫の活躍を楽しみにしていた
「ゴルフ場でコースを回るときは、母のドライバーを使うこともあったんですよ。もちろん身体の大きさが違うからサイズも違いますし、いつも使っていたわけではありません。だけど、ゴルフのときは常に持ち歩いていたんです。ここぞという場面では“ママのやつでいくよ”とキャリーさんに伝えていました」 また、俳優として芸能活動をスタートしたばかりの孫・財津優太郎の活躍も楽しみのひとつだった。 優太郎は2022年4月、山下智久が主演を務めたNHKの連続ドラマ『正直不動産』でドラマデビューした。 「優太郎が活躍する姿を見て、嬉しそうにしていました」 10月15日に第1話が放送されたTBS系日曜劇場『下剋上球児』に出演中の優太郎だが、実は主演の鈴木亮平も財津とは縁がある。 2010年に公開された映画『ふたたび swing me again』で、主演の財津さんの孫役で鈴木が出演していた。今度は、実孫の優太郎と鈴木が、日曜劇場で教師と生徒役で共演。そんな“2人の孫の共演”を財津さんも楽しみにしていたが、放送の前日に息を引き取った。さぞ心残りではあっただろうが、天国では孫たちに向けて「頑張ってチョーダイッ!」と応援しているに違いない。
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