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白濱 美兎(しらはま みう、2006年10月15日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル。フィット所属。
生年月日 2006年10月15日
現年齢 17歳
出身地 鳥取県
血液型 O型
身長 / 体重 163 cm / ― kg
スリーサイズ 93 - 63 - 91 cm
デビュー 2023年
2023年3月に「美少女図鑑AWARD2023」で特別賞3冠を獲得。その後、ダイナマイトボディにキュートフェイスというギャップを武器にグラビアアイドルとして活動を開始。週刊ヤングジャンプ等の雑誌に掲載され、“全鳥取県民の妹”というキャッチコピーもつけられた。
趣味はお洋服を見ること。まわりから「ドジっぽい」とよく言われる。
好きな異性のタイプは知的な人、手が素敵な人。男性らしいごつごつした手に憧れる。
2023年時点では東京へ通いながら鳥取で学生生活を送る。高校生になってから告白を受けたことはないが、憧れている同性の先輩から「応援してるよ」と声をかけられるなど、友人たちからはすごく応援されているという。
幼いころから渡辺麻友に憧れている。
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「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言える��は、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事��、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・司法試験の国籍条項を撤廃。合格した外国人が帰化して裁判官、検察官、弁護士になる道を開いた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パ」 / X
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『ミッドナイトスワン』6月26日(水)ロングラン最終上映御礼舞台挨拶チケットのお知らせ
6月26日(水)にTOHOシネマズ日比谷で実施される、ロングラン最終上映御礼舞台挨拶のチケット詳細をお知らせいたします。
【ロングラン最終上映御礼舞台挨拶】 日時:2024年6月26日(水) 14:00の回 本編上映前(舞台挨拶終了後、本編上映開始) 会場:TOHOシネマズ日比谷 登壇者:草彅剛、服部樹咲(予定/敬省略) 料金:一律2,200円 ※ムビチケカード・各種割引使用不可 ※プレミアボックスシート+1,000円
購入方法:こちらの舞台挨拶のチケットはチケットぴあでのお取扱いです。 ※チケットぴあにて残席がある場合、劇場のインターネット販売でのみ販売いたします。
■先行抽選販売「プレリザーブ」 申込受付期間:6月20日(木)11:00~6月23日(日)23:59 ※抽選結果発表は6月24日(月)18:00頃 ※プレリザーブとは?http://t.pia.jp/guide/prereserve.html
チケットぴあ購入ページ https://w.pia.jp/t/midnightswan/
《先行抽選販売に関する注意事項》 ※チケットのお申込は、お一人様2枚までとさせていただきます。 ※前売券・招待券・株主優待券からのお引換は出来ません。ご注意下さい。 ※チケット当選後の変更・払戻は出来ません。予めご了承下さい。 ※プレリザーブとは、事前のお申し込みの後、チケットを購入できるサービスです。 ※必ずしも優先的に良いお席をご用意するものではありません。 ※お申込多数の場合は抽選にて当選者を決定します。(先着順ではありません) ※お申込は受付期間中ならいつでもOK。(メンテナンス時間をのぞく)
■一般販売 販売期間:6月25日(火)10:00~16:00(予定枚数になり次第終了) ※チケットの販売はお一人様2枚までとさせていただきます。 ※前売券(ムビチケ)・招待券・株主優待券からのお引換は出来ません。ご注意下さい。
《チケット発売に関する注意事項》 ※本イベントは、天候やその他本イベント事務局の判断により、舞台挨拶の開催中止や、登壇者・スケジュール等の内容が予告なく変更になる場合がございます。その場合も、交通費や宿泊費等の補償はいたしません。また、映画上映が行われる場合はチケットの変更や払い戻しもできませんので、予めご了承下さい。 ※いかなる場合においても舞台挨拶中の途中入場は固くお断りいたします。 ※全席指定席となります。チケットをお持ちでない方はご覧になれません。 ※運営の都合により、会場への入退場、トイレのご利用を制限させていただく場合がございます。 ※場内でのカメラ(携帯電話含む)・ビデオによる撮影、録音等は固くお断りいたします。当日は荷物検査を行わせていただく場合がございます。 ※会場内ではマスコミ各社の取材による撮影、記録撮影が行われ、テレビ・雑誌・ホームページ・公式SNSアカウント等にて、放映・掲載される場合がございます。また、本イベントの模様が後日販売されるDVD商品等に収録される場合がございます。イベント後には、会場周辺にて作品に関する感想を取材・撮影させていただく場合がございます。撮影した写真および映像等の一部は編集され、テレビ・ホームページ・公式SNSアカウント等で放映・掲載される場合がございます。なお、これらのお客様の肖像の使用については、本イベントにご入場されたことにより、ご同意いただけたものとさせていただきます。予めご了承下さい。 ※インターネット・オークションへの出品その他の転売目的での入場券の購入及び転売はお断りいたします。 ※営利を目的として転売された入場券及びインターネットを通じて転売された入場券は無効とし、当該入場券による御入場はお断りいたします。 ※イベントの予定は、急遽変更になる場合がございます。あらかじめご了承下さい。 ※いかなる事情が生じましても、ご購入後・お引き換え後の鑑賞券の変更や払い戻しはできません。 ※ライブビューイング上映やイベント上映のチケットを、プレイガイド(チケットぴあ、ローソンチケットなど)でご購入されたシネマイレージ会員��は、劇場チケットカウンターでご鑑賞当日にシネマイレージの鑑賞履歴をご登録いただけますので、お立ち寄り下さい。 ※車いすをご利用のお客さまは車いすスペースでのご鑑賞となります。車いすスペースには限りがありますので、ご利用人数によっては所定のスペース以外でご鑑賞いただく場合がございます。また、イベントの内容やマスコミ取材により、所定のスペースからご移動いただく場合がございます。予めご了承下さい。 ※チケット購入に関するお問合わせは、http://t.pia.jp/help/までお願いいたします。
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元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニ��ース オリジナル 特集編集部) 松本サリン事件に結びつく“異臭騒ぎ” 「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」 三沢明彦さん(68)はそう振り返る。当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めていた。このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。 1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ) 事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。 有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。 事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。 「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団���設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」 東京・世田谷区にあるその「会社」は古いアパートの一室だった。警部が階段で2階に上ってみると、玄関ののぞき窓から見張られていることに気づいた。異様な雰囲気に驚き、その場を離れた。ところが別の場所でも、カメラをもった若い男が警部らを尾行し、撮影していた。長野に戻ってから警部らが警視庁に問い合わせた結果、その「会社」は「オウム真理教の信者が集団生活している」という拠点だとわかった──。そうした捜査状況を取材で得るなか、三沢さんは報じる側も注意が必要だと気を引き締めたという。 「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。と同時に、オウムについて言えば、1989年に起きた坂本弁護士一家失踪事件(のちに殺害事件)でも、オウムのバッジが現場に落とされていて、一家の失踪は教団の関与が疑われていた。これは大変だな……というのは、取材を始めながら考えていたことでした」 サティアンのヘッドギア姿の若者たち 1994年当時、オウム真理教は異様な宗教団体という理解は世間にあったものの、犯罪組織と捉えられていたわけではなかった。同教団は教祖・麻原彰晃のもと、前身団体を経て1987年に設立。ヒンドゥー教やチベット仏教的な要素をにおわせながら、空中浮揚ができる、悟りを開くなど超常能力や神秘体験を謳い、若者を勧誘していった。テレビや雑誌などにも積極的に登場し、宗教学者や著名タレントなどと語り、信用を得ていった。 そうした裏で、教団は異常な活動に及んでいた。強制的な信者勧誘、薬物による修行、異常なルールでの集団生活。こうした活動のなか、坂本堤弁護士によって「オウム真理教被害者の会」が1989年に発足。同年、「サンデー毎日」によるオウム問題の連載報道が始まり、坂本弁護士も登場した。すると、麻原は坂本弁護士を敵と認識。麻原の指示によって、坂本家の3人(坂本弁護士、妻、子)は殺害された。だが、事件当時、坂本家の3人は「失踪」とみなされ、教団の捜査までは至らなかった。 教団はその後、ハル��ゲドン(世界の終末)などを掲げ、日本の国家中枢を破壊することを計画。ロシアから軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器などの開発に乗り出した。1994年にそれらの試作品がつくられだし、ジャーナリストの江川紹子氏や弁護士の滝本太郎氏などが殺害対象として化学兵器で襲われた。松本サリン事件は当時教団による土地売買で訴訟が行われていた長野地裁松本支部の官舎を狙ったものだったが、大量殺害計画の最初の試みだった。 ただ、そうしたことが明らかになったのは、すべての事件が終わった後のことだった。 11月11日、科学警察研究所の鑑定の結果で、上九一色村で採取された土壌からメチルホスホン酸が検出された(正式な鑑定書は16日)。それはサリンを合成する際にできる副生成物だった。 12月初旬、三沢さんは上九一色村の現地まで車で出向いた。粉雪が舞う寒い日。牧草地の向こうに異様な建物群が現れた。その日のことは、後年、自著でこう記している。 <教団のサティアンは広い敷地に点在していた。そして、その周辺には不気味なヘッドギア姿の若者たちが突っ立っている。見張りなのだろうか。途中ですれ違う白い修行服姿の女性の顔は青白く、表情がない。ダクトやパイプが複雑に交錯する目の前の白い建物が、サリン工場の第七サティアンとはその時、わかるはずもなかった>(『捜査一課秘録』) 1995年、山梨県上九一色村(当時)にあった化学プラント・第7サティアン(写真:ロイター/アフロ) まもなく教団の関連会社が大量のサリン原料物質を購入していることも判明。オウムを扱っていた長野県警、神奈川県警、山梨県警、宮崎県警、静岡県警などの県警が警察庁に集められた。静岡県警は教団がロシアから購入したヘリのプロペラを回している様子を上空から撮影していた。サリンを空から撒く可能性があるのではないか──。そんな指摘がされ、いよいよ緊張が増してきた。 だが、この段階でもまだ警察庁はどう教団と対峙するかを考えあぐねていたと三沢さんは言う。 「いくつか理由がありました。一つは、どの県警も一斉捜索のための人員が十分ではなかった。その体制で踏み込んで中途半端な結果となると、『宗教弾圧』と批判されかねない。そして、もう一つ恐れていたのは教団側の暴発です」 1993年、米国であるカルト集団がFBIと銃撃戦を行い、1994年秋は別のカルト団体がスイスやカナダで集団焼身自殺をしていた。そんなケースが頭にあり、もし下手に踏み込んで教団側がサリンを撒き散らしたらどうなるか。信者や警察官はもちろん、住民にも被害が出たら……。警察も恐れていた。そして、そんなリスクに対する恐れは、記者である三沢さんにもあったという。 「特ダネです。でも、書くのか書��ないのかといえば、私もまた迷っていました。彼らがもっていた薬品の量から、数十トンという大量のサリンがつくれることが推察された。もし記事を出したことで、反発してサリンを撒かれたら……? 一方で、出さないことで、国民が事実を知らないままでいいのか。そのせめぎ合いの中にいました」 記事を出すときは「ガサ(家宅捜索)に入るときだろう」とぼんやり考えていたが、出すタイミングは思わぬときにやってきた。 オウムとは書かなかった元日報道 12月20日過ぎ、会社にいると社会部の先輩デスクに声をかけられた。アレの件、正月どうだ? 「そうか、正月報道という手があるかと。じゃあ、どこまで書くか。オウム真理教であることはほぼ間違いないが、この時点でどの程度関わっているかがわからず、名指しまではできない。でも、上九一色村の施設で異臭騒ぎはあり、検出された物質が松本サリン事件と同じくサリンの副生成物であることも確定している。それも同事件の直後だったと。だから、オウムの名前を出さず、その事実だけでいこうと決まったわけです」 この頃、脱会した信者から内部資料も入手していた。そこには「小銃製造、生物・化学兵器、細菌兵器、神経ガス、レーザー開発」といった教団の計画が4枚のレポートに記されていた。国家を破壊するテロ計画。三塩化リンなどサリンの原材料が4つの会社からトン単位で大量に購入されていたのもそのせいだった。だが、この時点ではまだその大量購入��非難できない悩ましさもあった。それら大量の化学薬品の購入自体は違法ではなかったためだ。それでも、三沢さんが最終的に記事を出すと決めたのには別の理由があった。 1995年3月20日、地下鉄車内でサリンが撒かれ、現場に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊の隊員(写真:毎日新聞社/アフロ) 「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」 原稿を書きあげたあとの大みそか、三沢さんは警察幹部の自宅を訪ねた。翌日の朝刊で発表することを通告するためだった。怒られることも覚悟したが、幹部は意外な言葉を返してきた。 「わかった。一緒に戦おう」 そして1995年の元日、新聞が配られた。 元日、メディア関係者には衝撃が走った。少なからぬ報道関係者がすぐに集められ、正月休みを返上してオウム取材に動かされることになった。当の読売でも三沢さんのもとに十数人の記者が集められ、本格的な取材が始められることになった。 ただ、順調には進まなかった。1月17日、阪神・淡路大震災が発生。多くの記者が震災報道にとられた。同様に、各県の県警によるオウム捜査もはかばかしく進んだわけでもなかった。 そうした状況を見透かしたかのように、オウム側は大胆な行動に出た。 2月28日、東京・品川区で目黒公証役場の事務長、仮谷清志氏を拉致して殺害。そして3月20日には地下鉄サリン事件を引き起こした。朝の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンの袋に穴を開け、中から気体が拡散。14人が死亡、6300人以上が負傷した。化学兵器による無差別テロだった。 警視庁は機敏に動いた。事件2日後の3月22日、目黒公証役場事務長拉致事件の逮捕監禁容疑で3都県の25カ所に一斉に家宅捜索に入った。上九一色村には、機動隊を含む捜査員2500人という大所帯で乗り込んだ。ガスマスクを装着し、カナリアのカゴをもってサティアンに入っていく中継映像は日本に衝撃を与えた。 この事態に三沢さんも驚きつつ、ついに本格的な捜査に入ったことにホッとしたという。その後、三沢さんは1年近くありとあらゆるオウムの取材に関わっていった。 最初に報じた元日の一報に大きな意味があったことがわかったのは半年ほどしてからだった。 1日2トン、計70トン製造のサリン計画を防いだ 1995年10月から始まった各種オウム裁判で、さまざまなことが明らかになった。たとえば、読売の元日報道直前の1994年12月下旬、上九一色村ではサリンの5つめの工程(最終工程)のプラントが完成目前だったと公判で明かされた。 「サリン合成には5つの製造工程があるのですが、化学工場である第7サティアンでは第4工程まで進んでいた。その最後となる第5工程を麻原は『マホウプラント』と呼んでいた。それができれば、1日に2トンという大量のサリンがつくれる。それだけの量があれば、100万人単位で“ポア(殺害)”できる。そんな状況だったんです」 ところが、1995年1月1日、読売新聞が上九一色村の施設でサリン残留物が検出されたと報じた。 裁判での検察側の冒頭陳述によると、麻原はこの報道に驚き、強制捜査を恐れたという。そして「証拠を消せ」と早川紀代秀(オウム内の建設省大臣)や村井秀夫(オウム内の科学技術省大臣)に命じた。のちの捜査で、第7サティアンでは1月3日付で除染用シャワー室に「使用禁止」という通達が貼られたこともわかった。 麻原の命令のもと、廃棄を担当したのは土谷正実や中川智正だった。その際、中川は第4工程でできた中間生成物のメチルホスホン酸ジフロライド1.4キロは捨てずに隠したという。この廃棄されなかった物質が、後に地下鉄サリン事件に使われることになったと三沢さんは言う。 「あそこで使われたのは純度の低いものだった。もし純度が高ければ、もっと多くの人の命が奪われていたでしょう」 だが、元日の読売報道が出ていなかったら、サリンは1日2トン、計70トンが製造される体制にあった。もし第5工程が実施されていれば、おびただしい数の人たちが犠牲になった可能性があった。読売報道から事態が変わったことは、裁判での検察側の冒頭陳述でも読み上げられていた。 あれから30年、三沢さんは特ダネばかり追ってきただけと照れるが、元日報道ができたことはよかったと振り返る。 「地下鉄サリン事件から半年くらいして、ある検事が『読売報道がなければ、100万人死んでいた可能性がある』と発言していました。地下鉄サリン事件は起き��しまったので、すべて防げたわけではありません。でも、100万人、少なくとも数十万人という無差別テロを止めることはできたのではないか。それに貢献できたことはよかったと思いますね」 三沢明彦 1956年生まれ。1979年読売新聞社入社、横浜支局を経て、東京本社社会部で警視庁、警察庁キャップ、宮内庁を担当。編集局次長など歴任し、福岡放送、静岡第一テレビ常務取締役など。著書に『捜査一課秘録』『刑事眼』など。 森健(もり・けん) ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。1968年、東京都生まれ。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。2023年、「安倍元首相暗殺と統一教会」で第84回文藝春秋読者賞受賞。
「数十万人の被害を防げた」1995年元日報道「サリン」一報を出すまでの記者の葛藤 #災害に備える(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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Lot 6045 MEN'S SPRING SUSPENDERS
こんにちは 名古屋店 コジャです。
サスペンダーが再入荷しております。
WAREHOUSE & CO. Lot 6045 MEN'S SPRING SUSPENDERS \31.350-(with tax)

ジーンズがまだ「ウェストオーバーオール」(ウエスト丈のオーバーオール)と呼ばれていた1920年代までは、紳士服のパンツにはサスペンダーボタンがついており、「吊りズボン」として着用していました。ワークウェアとして酷使されるワークサスペンダーは、ゴムが伸び切ったり、革がちぎれたりして、現存するものは多くありません。そのような状況のなか、当時「NEWWAY」としてそれまでのサスペンダーにはないアイデアの反映されたサスペンダーが生まれました。その特徴は一目瞭然ですが、「伸縮性はあるが、伸びやすいゴムではなく、スプリングでキックパックを作り、背面がスライドすることで動きのハードは労働者のストレスを解消したもの」 1920年代のカントリージェントルマンという雑誌の広告には「ニューウェイはゴムなしで伸縮します。巧妙に隠され肩が擦れたり縛られたりすることはありません。曲げたりひねったりすると、それぞれの長さが独立してスライドし、調節されます。」とあります。
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以前御案内した下記パンツとも相性◎
GREENEBAUM Lot 1229 1900 4POCKET HEAVY LEATHER BOUND OVERALL \37.400-(with tax) ※ONE WASHは\1.100- UP
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GREENEBAUM Lot 1228 1874 3POCKET HEAVY LEATHER BOUND OVERALL \35.200-(with tax) ※ONE WASHは\1.100- UP



こういったパンツを手にしたら吊りたくなるところ。
OLDなパンツにはOLDなサスペンダーが良く合います。 この変わり種サスペンダーも再入荷しているので是非合わせてみて下さいね。
PRESS 藤木の記事(INSTGRAM)も引用しておりますので、是非ご一読下さい。
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サスペンダーについて話す前に、まずはそのライバルであるベルトがいつから使用されたかを知る必要があるだろう。 ベルトが必要になったきっかけは、第一次世界大戦の軍服である。 ウエスト位置が低く、身体にフィットしたパンツが必要となった戦闘服がきっかけとなり、さらにはウエスト廻りに装備品を提げることができるベルトが台頭した。 そして戦後1920 年代にはローウエストのパンツが台頭し、その結果ベルトは労働着にも使用されるようになった。 デニムをはじめとするワークウエアにベルトループが付いたのも1920年代といわれている。 それまで、ベルトループのないパンツに腰ひもやキドニーベルトを締めて穿いていた者はカウボーイである。 彼らは決してオーバーオールを着ないので、「ウエストレングスオーバーオール」と呼ばれるパンツを好んで穿いたことから、ウエストを絞る必要があった。 それでもまだ労働者にはサスペンダーが不動の人気であったようで、ベルトループが付いてからも、しばらくの間はサスペンダーボタンがパンツのウエストバンドから外されることはなかった。
さて、このサスペンダー、ワークウエアの大切な装備品であったはずなのに、現存して見つかるものはほとんどない。 100年前のジーンズよりもその数は少ないといってよいくらいだ。その理由は明確である。サスペンダーは紛れもない「消耗品」なのである。 上半身と常に摩擦し、「吊りズボン」状態でサスペンダーには常に一定のテンションがかかる。このような酷使と、消耗した後の二次利用の用途の無さから、その現存数を少なくしているのだろう。
アメリカのビクトリア時代といわれる20世紀初頭には、3ピースにあわせる正装はベルトではなく、サスペンダー(ブレース)であった。 この時代の紳士は、必ずジャケットのしたにベストを着る。 そしてパンツの折り目(センタークリース)をきれいに保つためには、ベルトではなくこのサスペンダーが��都合であったのだ。
サスペンダーはその用途に合わせて、素材や強度も様々であるが、デニムのウエストオーバーオールを「吊る」サスペンダーは、やはり最も強度のあるものが必要となる。 ワークウェアとして酷使されるワークサスペンダーは、ゴムが伸び切ったり、革がちぎれたりして、やがて使えなくなってしまった。 そのような状況のなか、当時「NEWWAY」としてそれまでのサスペンダーにはないアイデアの反映されたサスペンダーが生まれた。 その特徴は一目瞭然だ。 「伸縮性はあるが、伸びやすいゴムではなく、スプリングでキックパックを作り、背面がスライドすることで動きのハードは労働者のストレスを解消したもの」1920年代のカントリージェントルマンという雑誌の広告には「ニューウェイはゴムなしで伸縮します。 巧妙に隠され肩が擦れたり縛られたりすることはありません。曲げたりひねったりするとそれぞれの長さが独立してスライドし、調節されます」と記載されている。
このようなサスペンダーがあらわれ、労働者の上半身は少しそのストレスから解放されたことだろう。 そして労働着とはいえ、長時間身を委ねるのだから、 このようにドレッシーなドビーストライプ柄を合わせる機会も生まれた。 それは彼ら労働者の仕事にたいするプライドの顕れでもある。
グリーンバウムオーバーオールの1870も、ベルトループは付かないモデル。ジャストサイズで本来の目的であるヒップ上のバックルを絞って穿くスタイル。 またオーバーサイズをサスペンダーで吊って穿くスタイルも「DADS」世代にはぜひ楽しんでもらいたい。
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こちらも度々御案内しておりますが、 WAREHOUSEホームページの【STYLE PHOTO】にて、 大阪店 土屋によるGREENBUM + SUSPENDERSを取り入れたスナップも掲載されておりますので、こちらもご参考下さい。 【STYLE PHOTO】:https://ware-house.jp/styles/






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髙木からもGREENBUM + SUSPENDERSを取り入れたスナップを。
Lot 1229 1900 4POCKET HEAVY LEATHER BOUND OVERALL
173cm,60kg SIZE:34(ONE WASH)
また髙木はLot 2214 1880 HEAVY LEATHER BOUND BROWSEを愛用しております。
173cm,60kg SIZE:40(私物 ONE WASH)
髙木はGREENBAUMで揃えず、その都度穿いているJeansなりカラーパンツで楽しんでおりますよ。
アメカジでも様々な楽しみ方があるので、「チャレンジ精神」で楽しむのも一興。色々と取り入れて遊んでいきましょうっ。 では失礼いたします。
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戦闘服の男たち No.1 裏話
1982/S57/3 入隊(2等陸士)
1983/S58/1 1等陸士
“ 「遠くで突撃喇叭が」
1984/S59/1 陸士長
1985/S59/3 1任期継続
” /7 「戦闘服服の男たち」
1986/S60/2 陸曹候補生(陸曹教育隊前期4〜6)
1987/S61/1 3等陸曹
“ /2 「続 戦闘服の男たち 俺を見よ俺に続け」
自分の昇任と作品を並べるという暴挙をしてみました。詳しい方以外はなんのこっちゃという一覧表ですが、リアルタイムで経験を小説に落とし込んでいるのがわかります。
「遠くで突撃喇叭が」は新隊員教育の感動とプラトニックなラブのノンフィクションでした。
「戦闘服の男たち(No.1)」陸曹になって職業軍人になろうか、なれないかという実際の思いを記したものです。嘘っぽいセックスの描写はあっと驚く実話で、これがあったこそこの小説ができたと言っても過言ではありません。書いてスッキリしたところで、陸曹候補生試験は主人公より早く、一選抜で合格しました。
この作品より新兵器日本語ハンドヘルドコンピュータと世界初のポータブル漢字プリンターで作品を打っています。それをサン出版に出したところ、それがそのまま…つまり24ドットの原稿のまま雑誌に掲載されてしまいました。たぶんさぶの誌面では最初で最後だと思います。
原稿の修正は不可能なので、誤字、脱字そのまんまです。保存もフロッピーディスクなぞ高価で買えなかったので本体内蔵のマイクロカセットでした。
今回はiPhone のメモアプリによる撮影によるテキストスキャンを使い、雑誌を撮影。40年ぶりに構成、修正しましたが、やはり誤字、脱字で赤面モノでした。いや、まだあるかもしれません。
ちなみに一般的なパソコン用ワープロソフト「一太郎」発売されたのは1985年、同じ年でした。漢字が使えるOCRも一般的では無く、出版会社もその使い方がわからなかった時代です。
サン出版では当時原稿料は400字詰め原稿用紙で計算されました。そこで次の「続戦闘服の男たち」から原稿用紙に直接プリントアウトする方法にしました。こういう話をすると、国家公務員法に抵触しますが、時効という事で…
時を経て2009年この作品がG-men に再掲載されることになりました。
このきっかけは何を隠そう高畠次郎君です。
高畠次郎の単行本を出したいので次郎君に話しをして欲しいと…
当時G-men 編集部は次郎君と、意見の違いがあり話しができる状態ではなかったみたいです。しかも次郎君は家庭の事情で、作品を家に保管できない為多数の作品を俺が所持してました。もちろん次郎君に勝手に編集部に渡す事はできません。そこで編集部と次郎君の橋渡しをすることになり、その話の進む途中で「戦闘服の男たち」の掲載が持ち上がったのです。
そこにも、次郎くんのイラストの新作を入れる話で。そのイラストは「続戦闘服服の男たち」で掲載されました。
なおこの時の原稿読み取りはさぶ掲載誌からOCRで読み取りパソコン(MAC)で行ってます。
さらに国会図書館に高畠次郎の単行本を送り込む作戦は成功しました。
雑誌が続々休刊する現代ではできない事です。
貴重なサイン本いただきました。

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これは、フランスの雑誌マリアンヌに掲載された非常に珍しく興味深い記事で、マリアンヌはウクライナ情勢に関するフランス軍からの「いくつかの機密防衛報告書」を入手した。 https://marianne.net/monde/europe/guerre-en-ukraine-endurance-russe-echec-de-la-contre-offensive-ce-que-cache-le-virage-de-macron… ウクライナにとって状況は非常に暗いようであり、これがウクライナへの派兵に関するマクロンの最近の宣言を部分的に説明している可能性がある。記事の重要な部分を翻訳しました。 「ウクライナの軍事勝利はもはや不可能に見える」 マリアンヌが調べた報告書には、ウクライナの反撃は「徐々に泥と血で行き詰まり、いかなる戦略的利益ももたらさなかった」と書かれており、キエフと西側の参謀が考えたその計画は「悲惨な」結果となった、と書かれている。ひとたびロシアの最初の防衛線が突破されれば、戦線全体は崩壊すると考えていた[...] これらの基本的な準備段階は、防衛における敵の道徳的力、つまり、ロシア軍兵士が守り続けようとする意志を考慮することなく実施された。地形」。 報告書はまた、「ウクライナの兵士と将校の訓練が不十分であること」も強調している。将校の不足とかなりの数の退役軍人のため、ウクライナからのこれら「2年目の兵士」は訓練期間が「3週間以下」であることが多い。難攻不落であることが判明したロシアの要塞線への攻撃が開始されました。 いかなる航空支援もなく、旧ソ連製のものよりも効率が劣る異種の西側装備(「時代遅れで保守が容易で、劣化モードでの使用が可能」と報告書は述べている)を使用していたウクライナ軍には突破の望みはなかった。 。これに加えて、「電子妨害の分野におけるロシアの超優���性が、ウクライナ側にドローンと指揮システムの使用を罰する」こともある。 「ロシア軍は今日、防御方式を考え実行するための『戦術的・技術的』参考となっている」と報告書は書いている。モスクワには防衛施設の建設を可能にする重土木設備があるだけでなく(「ウクライナ側にはこの資材がほぼ完全に欠如しており、西側諸国が迅速に供給することは不可能」)、ソウロコヴィネ線として知られる1,200キロメートルの前線もある。 (ロシアの将軍にちなんで)大規模に採掘されています。 報告書はまた、ウクライナとは対照的に、「ロシア軍は作戦の持久力を確保するために予備軍をうまく管理した」ことも強調している。この文書によると、モスクワは部隊が完全に疲弊する前に増援し、新兵と経験豊富な部隊を混合し、後方での定期的な休憩時間を確保し…そして「予期せぬ事態に対処するための一貫した予備部隊を常に備えていた」という。これは、ロシア軍が数えることなく軍隊を虐殺に送り込むという西側諸国で広く普及している考えとは程遠い。 この機密防衛報告書は、「現在までのところ、ウクライナ軍参謀本部は、ロシアの相手国に防衛線を突破するよう挑戦できる軍団レベルでの軍間機動が可能な陸上戦力を十分に保有していない」と結論づけている。 「分析と判断の最も重大な誤りは、敵対行為を止めるためにもっぱら軍事的解決策を模索し続けることだろう。」フランス将校は、「駐留兵力を考慮すると、ウクライナが軍事的にこの戦争に勝つことができないのは明らかだ」と要約した。 「紛争は12月に重大な段階に入った」 「ウクライナ兵士の戦闘力は深刻な影響を受けている」と、2024年に向けた前向きな報告書は言及している。「ゼレンスキー大統領は月に3万5000人の兵力を必要とするが、その半分も徴兵していないのに対し、プーチン大統領は月に3万人の志願兵の中から集めている。 」とキエフから帰国した軍人は語る。装備の面でも同様にバランスが崩れており、2023年の攻撃失敗によりキエフの12戦闘旅団の半数が「戦術的に破壊」された。 それ以来、西側援助がこれほど低額になったことはありません。したがって、今年はウクライナの攻撃が開始できないことは明らかである。 「西側諸国はドローンや徘徊兵器を製造するために3Dプリンターを供給できるが、人間を印刷することは決してできない」とこの報告書は指摘している。 「状況を考慮すると、ウクライナ軍を戦闘機ではなく後方支援部隊で強化し、ウクライナ兵士を前線に解放できるようにすることが決定されたのかもしれない」と上級将校は認め、「ランプ」を認めた。私服を着た西側軍人のアップ」。 「ニューヨーク・タイムズ紙がCIAキャンプを訪問��ることを許可したアメリカ人のほかに、かなりの数のイギリス人がいる」とある軍人は口を滑らせるが、彼はフランスの特殊部隊、特に訓練任務のための水泳選手の存在を否定していない... 「ロシアの躍進のリスクは現実的だ」 2月17日、キエフはそれまで要塞拠点であったドネツク北郊外のアヴディウカ市を放棄しなければならなかった。 「それはロシア語圏ドンバスにおけるウクライナ抵抗の中心であり象徴でもあった」と、「アヴディウカの戦い」に関する報告書は強調し、一連の忌まわしい教訓を引き出している。 「ロシア人は都市を区画化し、特に初めて大規模に滑空爆弾を使用することで手口を変えた」とこの文書は述べている。 155 mm 砲弾が 7 kg の爆薬を搭載している場合、滑空爆弾は 200 ~ 700 kg を投射するため、厚さ 2 m を超えるコンクリート構造物を貫通することができます。 1日あたり1,000人以上の兵力を失ったウクライナ防衛軍にとっては地獄だった。さらに、ロシア人は地上の音響探知システムを阻止するために軽歩兵兵器に消音装置を使用している。 この最後の報告書は、「ウクライナ軍による撤退の決定は驚きだった」と述べ、「突然のことと準備の欠如」を強調し、この選択が「ウクライナ軍の決定よりも耐え忍ばれた」のではないかと懸念しており、発症の可能性を示唆している。 「混乱」の。 「ウクライナ軍は、攻撃者の努力にさらされる前線の一部を維持するための人的・物的能力を持たないことを戦術的に示した」と文書は続けている。 「アヴディウカでのウクライナ軍の失敗は、『精鋭』旅団――第3アゾフ航空強襲旅団――を緊急配備したにもかかわらず、崩壊した戦線の一部を局地的に回復する能力がキエフには無いことを示している」とこの最後の報告書は警告している。 この戦術的成功をロシア人がどうするかはまだ分からない。前線全体を「かじってゆっくり揺さぶる」という現在のやり方を続けるのか、それとも「深層突破」を目指すのか。 「アヴディウカの背後の地形がそれを可能にしている」とこの最近の文書は示唆しており、西側筋はロシア人自身も「マスキロフカ」の練習に熟達しており、「強いのに弱いように見える」傾向があるとも警告している。この分析によれば、2年間の戦争を経て、ロシア軍は「ウクライナ軍の継続的な消耗に基づくゆっくりとした長期にわたる戦争」を遂行することを可能にする「作戦上の持久力を開発」する能力を示したという。
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2023/7/17

7月17日 海の日。 また朝4時頃目が覚めて、instagramをみてしまった。ストーリーをパタパタしていたら、ブックカフェをしている友人のアカウントに“舌を火傷しても、胃に穴を開けても気がつかないくらいたくましくなりたい”とあり、たぶん、たぶんだけれど、私のtumblrの日記を読んで投稿してくれた言葉の様な気がした!でも違ったら悲しいので、いいねとかメッセージとかできなかった!(けどそうだとしたら嬉しすぎる!)

そのまま二度寝して何となく好きな女の子たちの夢を見られて、今日も朝一でヨガへ行った。 待ち合いで雑誌を読ませてもらう。 久しぶりに雑誌を読んで、まんまと素敵な生活に、いいな〜という気持ちになった。 雑誌って楽しい。でも、昔読んでいたファッション誌って、誰が決めたかわからない流行りやウケる服や正解コーディネートが掲載されていて(なんなら不正解まで掲載されていた気がする。)、今思うとちょっとひどすぎる…… 着たい服を着たい様に着たい。
午前の予定の後、東京都現代美術館へ行くつもりだったけれど体力が底を尽きてしまい、清澄白河から美術館までの道のりを思って、紙コップのある無印良品へ行って、ショッピングモールへ寄って帰ってきてしまった。 誰かと展示に行くか、平日休みに行くかでないと、美術館へ���向けなくなっている。
昨日はなんだかんだフォトブックのお試し版の入稿までできたので、ポートフォリオレビューの準備でもしようと思う。
地方の百貨店も、ショッピングモールも人が少なくて、みんな暑い海の日をどう過ごしているのだろう。 でもクワガタふれあいコーナーは賑わっていた。

何も海の日ができなかったな、とお香を焚こうとしたら、最果タヒの海のお香があったことを思い出す。“心のこもった親切なんて、この世で1番気持ち悪いと思いませんか”。
ブックカフェの友人にとても会いたくなって、展示のお知らせがてら本屋さんに行こうと思った。アイスクリームフィーバーを観に行く約束をした友人や、昨日会えそうで会えなかった友人たちにも会いたい。 今、会いたい女の子たちがたくさんいて、一先ず写真展を頑張ろうと思う。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教���済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港���注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等��執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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北川民次展

郡山市立美術館で「生誕130年記念 北川民次展 メキシコから日本へ」を見る。若くして渡米、さらにメキシコへ渡り、日本への帰国後は東京や愛知・瀬戸を拠点に活動を続けた画家の回顧展である。個々の作品は必ずしも時系列ではなくテーマ別に並べられている。
第1章は「民衆へのまなざし」。画業最初期の作品《やしの木のある風景》。すでに北川らしいタッチが見てとれるようである。

《トラルパム霊園のお祭り》。メキシコ時代の代表作。

《ランチェロの唄》。二科展に出品された作品。古代ローマ時代の文学作品『黄金のろば』(ロバになった主人公がさまざまな経験をする物語)が参照されている。

《家族写真》。北川とその妻子が描かれている。戦争中、東京から瀬戸へ疎開した頃の作品。

第2章は「壁画と社会」。メキシコといえば壁画。北川がメキシコで過ごしたのは、メキシコ革命後の社会でディエゴ・リベラなどが壁画を盛んに描いていた時代だった。
《タスコの祭》。二科展出品作。キャプションによれば、「生木綿布を継ぎ合わせ、陶磁器用の粉末顔料を利用し、メキシコで学んだ卵黄テンペラの技法で制作された」。かなり気合いの入った大作である。

《大地》。壁画を意識して描かれたらしい作品。

女性の二の腕のあたりにラテン語で「NOLI ME TANGERE」(私に触れるな)と描き込まれている。ロバもいる。

第3章「幻想と象徴」では、北川がメキシコに住んでいた当時の世界的な美術潮流シュルレアリスムにも目を配っている。
《メキシコ・イスタシワトル(ねむれる美女)》。イスタシワト��は火山の名。ナワトル語で「白い女」という意味とのこと。山の稜線の凸凹が横たわった女性に見える。

《メキシコ静物》。二科展出品作。たしかにシュールさを感じる。

《かまど》。台所のではなく陶磁器を焼く窯。

《百鬼夜行》。北川はしばしばバッタを描き込んでいた。1匹ではしがない存在でも数多く集まれば農作物に甚大な被害を与えられるほどのパワーがあるという点を好んでいたらしい。


第4章「都市と機械文明」では、都市化、工業化する社会を見つめた作品が取り上げられている。
《赤い家とサボテン》。ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの住居兼アトリエで、赤いほうをリベラが、青のほうをカーロが使っていた。

《落合風景》。東京都内。

《瀬戸十景》。瀬戸市から依頼を受けて絵葉書用の原画として制作された作品だが、結局瀬戸市はこれを採用しなかった由。瀬戸の労働者を称えるような作品群なので、自治体PR向きでないことはまあ否定できない……。

《瀬戸のまちかど》、《赤いオイルタンク》。どちらも瀬戸の風景で、陶磁器生産現場にも工業化の波が広がっていったことがわかる。


第5章「美術教育と絵本の仕事」では、画家の教育者としての側面と絵本作家としての側面に目を向けている。この章は4つのパートにわかれている。
まずは「前衛運動と版画」、次いで「メキシコ野外美術学校」。撮影不可資料が多かったのでここに載せられる写真はあまりないのだが、北川のメキシコ時代に関わる人々やその活動(芸術運動や雑誌など)が紹介されていた。
《本を読む労働者》、《ロバ》。この2点は、野外美術学校派の画家が創刊した雑誌に掲載された作品。


このあとは場所を日本に移し、「戦時中の絵本制作」のパートになる。
絵本『マハフノツボ』原画。(マハフノツボ魔法の壺)


絵本『うさぎのみみはなぜながい』原画。メキシコ民話をもとにしたおはなしで、とてもおもしろいので個人的におすすめ。

第5章最後のパートは「新しい児童美術の実験」。北川は、子どもたちが上手に絵を描けるようになるためではなく、自由な精神をつちかえるような美術教育を実践しようとした。必ずしもうまくはいかなかったようだが、貴重な取り組みだったであろうことは想像に難くない。
《夏の宿題》。とにかく管理教育に大反対だったようである。

最後に「エピローグ 再びメキシコへ」と題し、メキシコ再訪後の作品が並べられていた。
《メキシコ市場の一隅》。

《ハラッパ市の街外れ》2点。


瀬戸市民会館のために制作した壁画の原画。

《TOMATO》。名古屋の旧カゴメビルのために制作した壁画の原画。

上の壁画に関連する北川のインタビュー記事を、企画展受付で借りて読めるようになっていた。その内容がなかなかおもしろく、たとえば尾形光琳の作品やその受容者を大いに批判していたり(あれは有閑階級の芸術だし、それを楽しむのは資本主義に屈服した精神だ、云々)、日本人は荒っぽいものが嫌いでデリケートでないと芸術的価値を認めないから壁画の仕事では多少妥協したと吐露していたりして、読みごたえがあった。
《バッタと自我像》。先に触れたようにバッタに思い入れのあった北川が描いた、最後の自画像と思しき作品だそう。タイトルが「自画像」でなく「自我像」なのもポイントか?

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白濱 美兎(しらはま みう、2006年10月5日 - )は、日本のグラビアアイドル。リップ所属。
生年月日 2006年10月5日
現年齢 17歳
出身地 鳥取県
血液型 O型
身長 / 体重 163 cm / ― kg
スリーサイズ 93 - 63 - 91 cm
2023年3月に「美少女図鑑AWARD2023」で特別賞3冠となる。ダイナマイトボディにキュートフェイスのギャップを武器にしてグラビアアイドルの活動を始める。週刊ヤングジャンプなどの雑誌に掲載され、“全鳥取県民の妹”のキャッチコピーが与えられた。
2024年3月31日にフィットを退所し、4月1日にリップへ移籍した。
趣味は洋服を見ること。
まわりから「ドジっぽい」とよく言われる。
好きな異性のタイプは知的な人、手が素敵な人。男性らしいごつごつした手に憧れる。
2023年は東京へ通いながら鳥取で学生生活を送る。高校生になってから告白を受けたことはないが、憧れている同性の先輩から「応援してるよ」と声をかけられるなど、友人たちからはすごく応援されている。
幼いころから渡辺麻友に憧れている。
胸について「コンプレックスですと言ったほうがいいのかな? と思って、そういってた時期があります」大きくても小さくて困ることはなく「言われてみれば小学生のころから肩が凝っていた」。
「驚異の面倒くさがり屋」を自称し、一番幸せなのは布団にもぐってYouTubeを見ているとき。食べている時も好きな時間だが、咀嚼することが面倒。休みの日はカーテンを開けたり電球をつけることも面倒で、時刻帯が把握できない。
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大統領も信じた選挙不正陰謀論 フェイクが分断する韓国保守の深層 麗澤大学・西岡力氏 2025/1/31 07:00 韓国で選挙不正陰謀論が猛威を振るっている。2020年と24年の保守政党が大敗した国会議員選挙で、左派政党と中国か北朝鮮が協力して大規模な不正を行ったという主張だ。尹錫悦(ユンソンニョル)大統領はそれを信じて戒厳令を宣布して、軍を国会と選挙管理委員会に送った。 大統領支持派は今も酷寒の下、数千から数万のデモを連日行っている。その一部が1月19日未明、尹大統領の勾留令状発付を決めたソウル西部地裁を一時占拠し器物損壊を行った。彼らは白地に赤い文字で「STOP THE STEAL」と書かれたビラを持っていた。米大統領選でトランプ氏の支持者が掲げた「不正選挙で票を盗むのをやめろ」という意味のスローガンだ。裏側には「CCP OUT」とある。「中国共産党出ていけ」という意味だ。彼らは中国共産党が介入した不正選挙があったと信じている。 朝鮮日報の1月21、22日の世論調査で、国民の43%、保守層の70%、与党支持者の78%が「不正選挙疑惑に共感する」と答えた。 不正選挙を書かない保守新聞の部数が減っている。尹大統領支持派が購読中止運動をしているからだ。朝鮮日報はなんと最近、部数の1割にあたる10万部が減ったという。 尹大統領は1月15日、交流サイト(SNS)で「不正選挙の証拠はあまりにも多い」と書き、①偽投票用紙が発見された②選管電算システムがハッキングと捏造(ねつぞう)に無防備なのに是正努力をしなかった③選管が投票者数と実際の投票者数の確認と検証を拒否した-の3つを証拠として挙げた。しかし、すべて事実ではないことが明らかになっている。 20年4月の国会議員選挙に関して、126件の訴訟が起こされたが、���正を認める判決はなかった。 大統領側弁護士は今月16日、憲法裁判所の弾劾審判で不正選挙論をとうとうと述べ「今朝の新聞にも水原(スウォン)の中央選挙管理委員会研修院にいた中国人90人あまりが日本国内の米軍部隊に行って調査を受け、不正選挙関連の自白をしたという内容があった」と述べた。 実はこのフェイクニュースが昨年12月末から急拡散している。12月24日、左派週刊誌のネット版が、戒厳宣布後「選管研修院で実務者・民間人90人あまりが監禁」されたという特ダネ記事を書いた。戒厳を批判する記事だった。 ところが、翌25日、チャンネル登録者が149万人いる右派ユーチューブテレビが研修院に監禁されたのは選管関係者ではなく中国人の可能性があるという動画を流し、再生回数が114万回を数えた。 同月26日には右派新聞「スカイデイリー」にある大学教授が「選管研修院中国人ハッカー部隊90人は誰か」というコラムを書き、監禁されたのは中国人ハッカーだとした。その後、黄教安(ファンギョアン)元首相がネットメディアでスカイデイリーのコラムを紹介して「90人は今どこにいるのか。選管事務局長は国会などでどうして明らかにできずにいるのか」とあおった。 さらにユーチューブやSNSを通じてこれが大統領支持派の間で広まった。1月16日、スカイデイリーが、戒厳軍に逮捕された99人(9人多くなった)の中国人ハッカーが沖縄の米軍基地に連行され米軍の取り調べで韓国と米国の選挙に介入したことを自白した、という内容まで付け加えた。それを大統領側弁護士が引用したのだ。在韓米軍が20日、「全く事実ではない」という声明を出すに至った。 韓国の保守派は事実に基づき是々非々で議論する保守自由主義者と、陰謀論を信じて暴力を肯定する右翼全体主義者に分裂してしまった。保守派のリーダー、趙甲済(チョガプチェ)氏は「(左派の大統領候補の)李在明(イジェミョン)氏に対抗するためにもまず陰謀論を克服して保守を再建しなければならない。相手が怪物だからといって、こちらも怪物になってはならない」と語った。(31日発売の雑誌「正論」に詳しい内容が掲載されます。)
大統領も信じた選挙不正陰謀論 フェイクが分断する韓国保守の深層 麗澤大学・西岡力氏 - 産経ニュース
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Happy New Year Jan. 1. 2025 (part 2)
承前 後編
そして、(25) に至っては、これはもう明らかなビール腹の男がもう一人のビール腹の男にナイフで刺され、宙に投げ飛ばされ、毒を盛られ、銃で撃たれ、布を被せられて見えなくさせられるというドタバタ喜劇 (“slapstick comedy”) に他なりません。

(25)
或いはまた1971年雑誌初出の “The Disrespectful Summons” (柴田元幸訳『失敬な召喚』河出書房新社, 2018) の表紙(26) では、

(26)
タイトルの長い横文字二語を収めるために少々お腹/胸を膨らませられた装飾枠縁のフィニアルも、作中で悪魔に召喚される「か細い腰」の女主人公スクィル嬢の身体と見做せなくもありません。事実、彼女が地獄の業火の中に真っ逆さまに投げ捨てられて終わる最終場面の後の裏表紙(27) では、

(27)
このフィニアルは––––尖端を表紙のそれよりは短く太くされ、お腹/胸には羅典語で “Finis” と書かれて––––死体として地に倒され横たえられて “終” らされているのであります。
更にはまた1993年1月11日『ニュー・ヨーカー (“The New Yorker”)』誌掲載の《忠告詩 (“Verse Advice”)》12点の中の<“At twilight objects often start / To make odd sounds and fall apart.” (黄昏に 物皆しばし 始むるは/バシと音を上げ 砕け毀るる。)>(28) のそれも、

(28)
隣のベンチに座って気になって上/横目遣いにチラ見している老いた68歳翁ゴーリーの、あちこち痛んでガタが来た老体そのものを表しているようです。
フィニアルに関してはこのくらいにして、「古い…便器」の方に移りましょう。シフはこれ以上は言っていませんが、実はこれが、ゴーリーが1985年 (60歳時) に「築200年の古い館を買い…『エレファントハウス』と自ら称した…命名の由来」の中で「もっとも有力な…トイレの便器の形が象の頭部のようだったからという」その便器で、「エンドテーブルとしてリメイクされ、今でも…ゴーリー・ハウスで案内台として活躍中」(29) だそうです。

(29)
確かに、この便器のボウル (“Bowl”) と排水管 (“Drain Pipe”) の組み合わせは、横から見ると、ゾウの頭と鼻にそっくりで、我が沖縄–万座毛の象の巌(30) を連想させます。

(30)
“横から見ると” と言ったのは、通常は便器をその方向から見たりはしない (通常は斜め上・前方) からで、それはまさに、かのマルセル・デュシャンの<泉>(31)

(31)
––––厳密には、アルフレッド・スティーグリッツがこの男性用小便器をこの置き方で台 (≒台座) の上に載せ、マースデン・ハートリーの油彩画<騎士>(32)

の中心部をバックに、複数の投光/照明で演出・撮影して雑誌に掲載された解説文付き写真図版(33)

(33)
––––の “造形” 原理と同じなのです。
そして、この便器もまた “この写真の作者” であるスティーグリッツには、やはり「ゾウ」に見えたのです……但しゾウはゾウでも、仏像と聖母像ですが……。彼は1917年4月23日付けの手紙で次のように書いています。
––––「『小便器』の写真は本当に全くもって素晴らしい–––見た人は皆美しいと思うよ–––本当に–––そうなんだ。東洋的な雰囲気があり–––ブッダとヴェールを被った聖母マリアを合わせたような感じだ」(‘The "Urinal" photograph is really quite a wonder―Everyone who has seen it thinks it beautiful―And it's true―it is. It has an oriental look about it―a cross between a Buddha and a Veiled Woman’)」(34) ––––と。
聖母であれば、差し詰め<Virgin of Lourdes Fountain (ルルドの泉の聖母)>(35)、

(35)
仏様なら<白衣観音 (白衣母)>(36) といったところでしょうか。

(36)
両者共に白いヴェールを被り、洞穴口 (前者) や岩の狭間 (後者) をハートリーの<騎士>中央部のアーモンド型マンドルラ (“mandorla”=光背) のように背負い、共に湧/噴/出水 (いづみ) と密に結びついているからです。
柴田元幸は、前掲書(11) の p.70 で、ゴーリーが何冊か絵本を協作したピーター・ニューマイアーとの書簡集 “Floating Worlds” の中に披露された (ゴーリー本人自ら言うところの)「E・ゴーリーの偉大にして単純なる芸術論」を、以下のように紹介しています––––「芸術とは、一見ある何かを描いているが実は別の何かを描いたものである。『「ある何か」しかない芸術は退屈だし、「別の何か」ばかりの芸術は苛立たしい』」––––と。
この「別の何か」とは、よく言われるメタファー (“Metaphor” 隠喩/暗喩) とかシンボル (“Symbol” 象徴) といった所謂 “裏に隠された/隠れた意味” のことでしょうが、もしこれが「『何かの形に見える』別の何か」だとしたら、これ以上やり過ぎるとゴーリーならずとも苛立ってきますので、この辺でやめにしておきます。
兎に角このようにしてゴーリーは、例えば「プルースト式質問表」で「あなたの最高の贅沢は?」との問いには「フリーマーケットでものを買うこと」と答え(37)、「『何かの形に見える』古道具が好きで集めていた」 (と言うよりは「物が捨てられない。別の場所に仕舞い込むだけ」(38) だった) わけですが、私が少なからず残念に思うのは––––その買い/集め/仕舞い込んだものが、飽くまで彼の言語 (literature) が先で視覚 (illustration) が後に来る…… (字義通り先在する文字=“litera” の中に=“in”、光=〈色と形〉を差し入れる=“lustrare”) ……創作 (絵本や挿絵) の単なる刺激物や参考品として (或いは純粋な遊びとして) 留まっていただけで––––それを使って (素材にして/別の何かと組み合わせて) 更なる創作 (オブジェや彫刻や立体造形) へと展開することは殆ど無かったという事実であります。
例の “塩/胡椒容れの都市” も––––例えば『ウィローデールの手漕ぎ車 またはブラックドールの帰還』(柴田元幸訳, 河出書房新社, 2024, 原書は1962) の第11場面に描かれた断崖の上の資本家の「宮殿風のお屋敷」(39)
(39)
に反映させたかもしれませんが––––それを立体造形作品としては発表は無論のこと意識さえしていなかったのではないでしょうか。「おろし金の都市」も、作品としては造られた形跡は無いようです。(そしてこれは想像するだに楽しいのですが) “フィニアルの都市” というのも是非、見てみたかったものです。
ゴーリー自らが––––「どちらかというとわたしは自分を作家だと考えています。視覚的なものよりも、文学的なアイデアの方が先に浮かぶんですよ」(40) ––––と言っているのと軌を一にするかのように、文字/言語/文学畑からの方が、視覚畑の方からよりも発言が多いように思います。特に (イラストやデザインといった応用美術=“Applied Art” ではない) 純粋美術=“Fine/Pure Art”––––中でも特にオブジェ/彫刻/立体造形や美術理論/美術史––––の分野からの発言が極めて少ないように思います。
彼が作り出した絵本の中には、文のない絵だけの “字義通りの絵本” もあり、また他の人の文に絵だけを提供したり……と、結果的にはむしろ絵の方が多かったわけで、私が以前に絵本の「読み聞かせ/読み語り」という呼称に対して “音声/言語 /文字/文学偏重で、絵を見せる行為/所作が一言/一文字も入っていないではないか!” と噛み付いた(41) と同じ不満を、このことに対しても抱くのです。
最後に、“これもフィニアルだ!”(42) というお年玉を上 (挙) げましょう。
(42)
これは実は壺でもあります……壺は壺でも「ルビンの壺 (“Rubin’s Vase”)/図地の壺 (“Figure-Ground Vase”)」ですが。
この写真(43) が説明し易いので選びましたが、

(43)
ピンクの服を着た少女の向こう=奥の黒い背景=「地 (“Ground”)」は、首を前に傾げて立つ人物の平面的なシルエット (影絵) になっていて、間の柱を挟んで同様に首を傾げて向かい合って立つもう一人の黒い影も「地」です。そして (この「地」に対する)「図 (“Figure”)」としての少女のオデコが触れそうになっている (やはり「図」である) 立体的な柱が「ルビンの壺」ですが、ここでは壺の形ではなくて、まさに細いフィニアルの形になっています。
ゴーリーのこの絵(42) は、同じ格好でワイン・グラスを掲げて向き合って乾杯する二人/匹の登場人/獣の形に刈り込まれた植木の “Topiary (トピアリー=刈り込み装飾)” が「図」で、蒼い空と地続きの「地」としての狭間が、ルビンの壺ならぬゴーリーの “Finial (フィニアル=先端装飾)” になっているわけです。
この『蒼い時』は、図版引用元のマーク・デリー(44) も述べている通り、ゴーリーの性的指向がホモセクシャル/ゲイであるとの推測/分析/解釈/論評の傍証として喧伝されている作品で、だからここで以下のことを述べるのは場所として相応しいというわけではありませんが、“Finial”(フィニアル=先端装飾) の形が本質的に “Phallic”(ファリック=男根的) であると言う形体類似連想は、やはり最後に一言触れておかねばならないことだと思います。
フロイトは『精神分析入門講義』の中で––––「男性性器……の象徴的代替物となるのは、形の上でそれと似たもの、つまり、杖、傘、竿、樹木、等のように、長いもの、高くそびえるもの…さらに、体の中に侵入する…傷つける……あらゆる種類の尖った武器」(45) ––––と述べています (別訳の異なる訳語では––––「ペニスを象徴的に代理するものは…形の上で似ているもの…すなわち長くて突き出ているもの」(45)-1 ––––となります)。
更に、この『精神分析入門 (正/講義)』(1917) と並ぶ二大著作の一つ『夢解釈 (/判断)』(初版, 1900) の第4版 (1914) の方にも––––「長く伸びるすべての物、…杖、木の枝、傘 (広がることが勃起に比せられるゆえ!)【1909年】…は、男性性器を代理する傾向がある」(45)-2––––と追補・既述されており、また、壺に関連する物に関しても対比的に続けて––––「小筐、箱、大筐、箪笥や戸棚、窯は、女性の体に対応する。【1909年】…洞窟、船、そしてあらゆる種類の容器類もまた、そうである」(同上)––––とあります)。
この図と地の反転図形は、一方に意識が行っている (意識へと浮上させ/解き放っている) 時には他方は見えず (無意識へと「抑圧」(46) し/沈潜させ)、一旦双方を交互に認識できた途端に、片方ずつしか見えない反転……つまり浮上と沈潜/解放と抑圧……を交互に繰り返すのです。
ゴーリーがこの絵を描いていた時、当然それは図であるトピアリーの方を描いていたわけで、その時この地の “ファロス風フィニアル” に気付いていた (図–地反転が起きていた) のかどうか?––––ひょっとすると彼は、それを無意識的に無意識界へと抑圧して、見えなかったかもしれません。
ただ、意識して描いた「図」であるトピアリーの方にも、実は気になる形があります。それは、この二人/匹の振り上げた片方の脚 (樹木/木の枝) が、位置的にも勃起したペニスのように見えることで、これにもゴーリーは気付いていなかったかもしれません。そして以下のことも知らなかったかもしれませんが、これは原始美術でもよく知られている勃起した男根を持つ上半身が牛で下半身が人間の洞窟壁画(47)

(47)-1

(47)-2
を想起させるのです (ポーズもそうですが、何よりも人でもあり四足獣でもあるという点が共通しています)。
そして、「図」として斜め上に向かって突出し合うこの尖った脚/ペニスは、「地」のフィニアルにとっては、左右から斜め上に切れ込む––––「体の中に侵入…傷つける……尖った武器」としての銛や槍や鏃の威力を高める––––「返し/掛かり/顎 (逆刺/逆鉤)」を形作っていることになるわけです。或いはこの形はまた、フロイトが挙げるペニスの象徴的代理の別の一つである “枝や骨を広げた樹木や傘” にも見えます (おまけに、その先端からは、グラスが激しく合わされば、液体が飛び撥ねることになるのです)。
ただ、ゴーリーが––––「あの悪名高い種族…の一人が…わたしの展覧会を見たあとで、わたしのところに来…ある一枚の絵がずいぶんと気になる様子で––––彼女は精神科医だったんですがね––––『あの絵の本当の意味は何か、教えていただきたいんです』と言ってきた。人が物事に意味を見出しはじめたときには気をつけろ、という…意見に、私は同意します」(48) ––––と言っている通り、私も精神科医の意味付けには充分に気を付けて、傾聴しつつもこの話はこれで「終わり」(49) にしたいと思います。

(49)
(1. 1. 2025)
註
(25) via [https://www.edwardgoreyhouse.org/pages/2024-exhibit]。
これは2024年【ゴーリー・ハウス】企画/開催の《優美な屍骸:エドワード・ゴーリーの仕掛け絵本》展の紹介頁の冒頭に掲げられている図版ですが、そもそもは 1989年に刊行された縦長の「仕掛け絵本 (“Moveable Book”)」『滴る蛇口 (“The Dripping Faucet”)』(25)-1 =[https://www.etsy.com/jp/listing/1603748724/the-dripping-faucet-by-edward-gorey?click_key=8b96556e010b406c8d13c514f71245733995bbd1%3A1603748724&click_sum=3017a4f9&ref=related-2]

(25)-1
の縦 ⅑ 頁の “絵札” 4枚を横に繋げ、その見開き左頁の “読み札” (別の絵札の裏) の文字をそれぞれ下に並べたものです。
この「二人」に関して、濱中利信編, 柴田元幸/江國香織/他著『エドワード・ゴーリーの世界』(河出書房新社, 2002初版, 2020改訂増補初版) の p.41 では濱中が「壺」と (因みに “⅑” は「10分割」と)、また pp. 149-77 所収の「特別座談会:ゴーリー作品の魅力を語り合う」では柴田が––––「チェスの駒みたいですけれどもね、この二人は」(p.165) ––––と言っていますが、もしも後者が “チェスの駒に似ている” の意ではなくて、“どうやらこれはチェスの駒であるようだ” の意だとすると、それは前者の言う「壺」と共に一寸違うと言わざるを得ません。
と言うのも、チェスの駒……の中でも特に歩 (ふ)=“pawn” を指していると思いますが……の基本型である「スタントン・スタイル/デザイン (“Staunton design”)」(25)-2 =[https://en.wikipedia.org/wiki/Pawn_%28chess%29] と、

(25)-2
フィニアル(25)-3 =[https://www.etsy.com/jp/listing/1116587700/unfinished-decorative-carved-staircases?click_key=74cc44b90049cb904e94138a1b91a4cd1b1ee18a%3A1116587700&click_sum=8fb4ce21&external=1&rec_type=cs&ref=landingpage_similar_listing_top-6&pro=1] とは、

(25)-3
その形態の構造原理が異なるからです。
ただ、両者には共用性/融通性が有って、フィニアルにチェスの駒の形を使う (チェスの駒をフィニアルにする) ––––例えばチェスの選手の椅子のデザインとして、背柱/後脚の天辺に駒の形のフィニアルを取り付けるといった––––ことも可能ですし、小さなフィニアルならそのままチェスの駒として盤上で用いることも可能なわけです。実際、タイのチェス (“Makruk” マークルック)の駒(25)-4 (via [https://en.wikipedia.org/wiki/Makruk]) などは、ズングリした “フィニアル形” ですし、

(25)-4
細長い “フィニアル形” としては、かつてフランスで造られていたもの(25)-5 (via [http://www.chess-museum.com/chess-piece-production-in-the-jura.html]) や、

(25)-5
プレ・スタントン型でトルコの塔型(25)-6 (via [https://royalchessmall.com/en-jp/collections/camel-bone-chess-pieces/products/4-6-turkish-tower-pre-staunton-chess-pieces-only-set-black-white-camel-bone]) なんていうのも製造販売されています。

(25)-6
そして、子どもの頃、将棋の歩を一個失くしてしまった時は、代わりに一円玉を歩に��立てて使ったように、そもそも、どんな物でも将棋やチェスの駒に見立てて代用することは可能で、その伝で行くと、先の “塩/胡椒容れ” なんかも、立派なチェスの駒に仕立て上げられるのです。
実は斯く言う私こそ、そういう自由な定形外のチェスの “変わり駒” を造っていたのでした–––– [https://u-ryukyu.repo.nii.ac.jp/records/2001956]–pp.80-3《病院用チェス・セット (“Hospital Chess Kit”)》––––。そしてこの中に「滴る蛇口」で造った駒も (“pawn” ではありませんが) 二つあります (p.83 の右上の写真が p.81 の<⑶ 排尿促進のための駒>で、下段左から3つ目が鍵付き蛇口の “King (王将)”、上段左から4つ目が玉形弁に十字ハンドルの “Rook (香車)” です)。
なお、p.82 の左上の写真で、私に相対して駒を動かしている白髯のカウボーイは、サンタ・クロースではなくて…… (私と撮影者の恵子にとってはそうでしたが) ……美術家のジェームズ・タレル (James Turrell) です。彼がここに写っている経緯は、[https://u-ryukyu.repo.nii.ac.jp/records/2001954]–p.80=「むすびに」に記しています。
(26) [https://www.amazon.co.jp/dp/430927966X?tag=pictbook_info-22]。
(27) [http://andeverythingelsetoo.blogspot.com/2011/09/disrespectful-summons-by-edward-gorey.html] の最終 (最下段) 画。
因みに、これによると初出では表紙=最初 (最上段) 画は、お腹/胸の左右に持手の付いた蓋付優勝カップのような形のフィニアルに描かれています。
なお、この絵本には、この表紙と裏表紙以外にも、第3場面の室内の壁に掛けられた風景画……マティスの室内画ではないが、窓外の風景という可能性もないではない……の中に、同じようなフィニアルが–––– (女性がその前で跪いて祈っているように見える) 墓碑と思しき石碑の天辺に載せて––––描かれています(27)-1 ([https://gorey34243.tripod.com/SUMMONS.HTML]-No.3)。

(27)-1
また、第6場面と第11場面の室内にも、やはり墓/石碑の描き込まれた風景画 (/窓外景色) が描き込まれていますが、前者の石碑の天辺に載せられているのは、フィニアルではなくて壺で(27)-2 ([ibid.]-No.6)、

(27)-2
後者の墓/石碑の頭頂部は、下部と一体で彫り出されたかのような境目のない丸みを帯びた人の肩~首~頭を抽象化した形に描かれています(27)-3 ([ibid.]-No.11)。

(27)-3
(28) [https://www.instagram.com/p/CJwqQWQFrC_/?igshid=blas2jgo4d1k&epik=dj0yJnU9WmdOb3dJNVJPUmpxQ1ItNlQxa0JWaWx3ZERGWUlaZ2wmcD0wJm49UEFqRFZydTJJbnI2eTdHa3laWWdrUSZ0PUFBQUFBR2M3X3Vj]。
柴田元幸に倣って、この脚韻二行一連を短歌形式で訳してみました。
なお、2016年の4月から10月まで伊丹市立・福島県立・下関市立の三美術館で開催された (下記書名と同名の) 展覧会の公式図録––––カレン・ウィルキン, 濱中利信, 柴田勢津子著/柴田元幸, 小山太一訳『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』河出書房新社, 2016, p.81 ––––には、この原画からの図版 (cat.no.128 (EG129)) が掲載されています。
(29) 写真は [https://www.flickr.com/photos/astropop/4935052617/in/photostream/] から、また、文章は『M0E』2019年12月号の《巻頭大特集/謎に満ちた異色の絵本:エドワード・ゴーリー》の年譜の〈1985年〉の項の記事と掲載写真のキャプション (p.24) からです。なお、これと少しアングルの異なる写真が、同誌の2023年5月号の《展覧会開催記念:エドワード・ゴーリーの不思議な世界への旅》のグラビア写真頁〈The Edward Gorey House ゴーリーの終の住処へ〉p.68 にも掲載されています (以上の三つの写真とも、便器→案内台が置かれている場所は同じです)。
(30) via [https://diversity-finder.net/tourism/manzamou-manza-beach]。
(31) via [https://artincontext.org/fountain-by-marcel-duchamp/]。
(32) via [https://www.flickr.com/photos/mbell1975/5571983113/in/photostream/]。
(33) via [https://www.thecollector.com/what-was-great-about-marcel-duchamp-fountain/]。
因みに、“この男性用小便器…を置く/眺める方向” に関しては、前註(17) の拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/152794762970/光線男は二度ドアを叩く-マンレイのドアノッカーと騙し絵卵平面卵透明巨人について]–註 (*3) で、マン・レイの<便座のドア・ノッカーと騙し絵卵>の便座のそれと比較しながら述べています。
(34) via [https://en.wikipedia.org/wiki/Fountain_%28Duchamp%29]。
但し二重引用符の単一引用符への変更は [https://www.tate.org.uk/art/artworks/duchamp-fountain-t07573] の “Collection Text” 内の引用に従いました。
なお、マイケル・R・テイラー, 橋本梓訳「ブラインド・マンの虚勢��デュシャン、スティーグリッツ、《泉》をめぐるスキャンダル再考 (抄)」『マルセル・デュシャンと20世紀美術』展図録 (朝日新聞社, 2004, pp.12-23 所収) には、この経緯が次のように詳述されています。
スティーグリッツが…撮影した驚くべき写真…によって、鈍く光る男性用トイレの備品は、擬人的な姿へと変容した。当時の鑑賞者たちは、スティーグリッツによって陰影のつけられたイメージを、ベールを被ったマリヤや座したブッダのような宗教的な存在と容易に結びつけた。そうして、…デュシャンのイコノクラスム的な意図を…取り違えることになったのである。(p.12 )
ダダの雑誌『ザ・ブラインド・マン』2号…「リチャード・マット事件」という記事……は、「洗面所のブッダ」と名付けられたルイーズ・ノートンの記事に引き継がれ……/これらの記事には、便器の写真が掲載され…ている。……ガートルード・スタイン…宛て…手紙のなかで (日付不詳)…カール・ファン・ヴェクテンは、グランド・セントラル・パレスでの展示から外されたすぐ後、スティーグリッツの291画廊にこのレディ・メイドが展示されたことを明らかにしている。「……スティーグリッツはそれを291画廊で展示し、何枚かの素晴らしい写真を撮った。写真に撮られた便器は、聖母マリアにもブッダにも見えた」。……カール…やルイーズ…が行った、便器が聖母マリアやブッダのかたちに類似しているという言及は、明らかに、実際の便器そのものではなく、イコン的な写真に仕立てるための照明、陰影のつけかた、視点と関連づけられる。(p.17 )
スティーグリッツが1917年4月にジョージア・オキーフに宛て…た手紙のなかで座したブッダと評した……(32)。(p.21 )
32) Alfred Stieglitz, letter to Georgia O’Keeffe, April 19, 1917,……未出版の…手紙…。(p.23)
21) スティーグリッツは、美術批評家のヘンリー・マクブライトに宛てた手紙の中で、便器の写真を撮るよう頼みにきた人々の名を挙げている。「私は、…デュシャン他によって…撮影するよう依頼された。……面白いのでご覧になってください」。…Alfred Stieglitz, letter to Henry McBride, April 19, 1917,……. (p.23)
(35) via [https://observandoelparaiso.wordpress.com/2013/12/20/la-inmaculada-concepcion-y-santa-bernadette-soubirous/])。
(36) via [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/531421])。
(37) 文責不詳 (Anonymous) の「エドワード・ゴーリーへのプルースト式質問表 (“Proust Questionnaire”)」(初出 “Vanity Fair”, 10.1997, p.382) : 前掲書(13) pp.195-9 所収。引用は p.196。
(38) フラン・ワイル (Fran Weil) によるインタビュー『不気味の匠がゴーリーを福の神に (“Mastery of Macabre Turns Gorey into Moneymaker”)』(初出 “Boston Herald American”, 3.27.1975, pp.18-9) :「雑多なインタビューより」; 前掲書(13) pp.257-9 所収。引用は p.259。
(39) via [http://tavola-world.seesaa.net/article/edward-gorey-the-willowdale-handcar.html]。
引用はこのブログ主「塔公少年 (“Tagong Boy”)」の訳文です。
(40) トビ・トバイアス (Tobi Tobias)「バレゴリー:エドワード・ゴーリーとニューヨーク・シティ・バレエ (“Balletgorey”)」(初出 “Dance Magazine”, 1.1974, pp.67-7) : 前掲書(13) pp.21-38 所収。引用は p.32。
(41) [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/742667870817927168/la-guerra-delle-campane-1-the-bell-tower-to] の註 (*1)。
(42) via [https://glreview.org/article/edward-goreys-gothic-nonsense/]。
この絵と文は、ゴーリーの1975年の絵本 “L’Heure bleue” (柴田元幸訳『蒼い時』河出書房新社, 2001) の第4場面で、柴田の訳文は––––「ワインはすごくあったまる気がするね。/君の考えていることが重要なのか 僕にはわかった試しがない」––––です。
(43) via [https://mussyusiawase.blog.ss-blog.jp/2009-12-13]。
(44) 前註(7) で柴田が言及しているゴーリーの評伝の著者です。
なお、この評伝に関しては、前註(14) で紹介した【ひとでなしの猫】も、[http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-3825.html] で、紹介/要点引用–翻訳/論評しています。「アセクシャル」と自己規定するこのブログ主は、自身の体験に照らして––––「ゴーリーは生まれつき『アセクシュアル』だったものの、当時はアセクシュアルなどという概念がなかったので、他人に『ゲイ』だと言われ、自分でも『ゲイ』なのではないかと思いこまざるを得なかった…。同様に、高機能自閉症(AS)などという概念がなかったころには、他人に『変り者(eccentric)』だと言われ、自分でも『変り者』なのではないかと思いこまざるを得なかった…のではなかろうか」––––と推測し––––「わたしの興味は『ゲイ』としてのゴーリーにではなく『高機能自閉症者』としてのゴーリーにあ」り、「自閉症文化の系譜にゴーリーを位置付けたく思」––––うと述べています。
(45) ジークムント・フロイト (Sigmund Freud) 著、新宮一成 他訳『フロイト全集第15巻 精神分析入門講義』(第2部 夢:第10講 夢における象徴作用) 2012, 岩波書店, p.185。
Web上では、当該部分を–––– (但しその訳文は1977年/高橋義孝・下坂幸三訳/新潮文庫版 {上巻} p.196 のもので、訳語の相違に “männliche Genitale”:男性性器 → 陰茎がある)––––【平原卓の哲学案内】: [https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-freud-vorlesungen-einfuhrung-psychoanalyse/] ––––で、また、原文に関しては–––– [ https://gutenberg.spiegel.de/buch/vorlesungen-zur-einfuhrung-in-die-psychoanalyse-926/10 ] ––––で、読むことができます。
(45)-1 は、懸田克躬・高橋義孝訳, 1971, 人文書院版『フロイト著作集 第1巻』(p.126)。
(45)-2 は、岩波書店, 2011–全集5「夢解釈Ⅱ–第6章 夢工作」p.98。
なお、これはよく言われることですが、こうしたフロイトの象徴対応は、上記の平原卓も言うように––––「これらの例えは…有名だが、かなり無理がある…。…/最大の問題は、象徴の対応関係が原理的に証明できない…ことだ。……/シンプルに言えば、ステッキが男性器を象徴していると言わざるをえない証拠はどこにもない…。一見それらしく思えるかもしれないが、どこまでも行っても証明できない」––––のです。
(46) フロイトは「抑圧 Die Verdrängung」について、次のように語っています––––「抵抗にぶつかり、…欲動の蠢きは抑圧の状態に入る」,「欲動代表は、抑圧によって意識…から遠いところに置かれると…暗闇で繁茂し、極端な表現形式を身に纏う」,「フェティッシュの発生において…欲動代表は…理想化という運命を辿る」,「原則として抑圧の解除は束の間であり、すぐに再び設定し直される。…抑圧は…高度に流動的で…、抑圧されたものは、意識に対して、持続的な圧力を掛け続けて…この途切れることなき反対圧力によって、平衡が維持されている…。…抑圧の流動性…は、睡眠…の中にも見出され、睡眠…だけが夢形成を可能にし…覚醒と共に…抑圧…は、ふたたび送り出される」––––岩波書店, 2010–全集14「論考 (1915年):抑圧」p.195, pp.198-9, p.200, p.201。
これは図–地反転について述べたものではありませんが、相通じるものがあります。特にこの場合は、(図–地の) 地 (フィニアル) が性=欲動的な「フェティッシュ」で、更に図 (向かい合う人/獣) の方にも或る種性=欲動的な “二重像/隠し絵 (Simultaneous Image)” が含まれてもいるからです。
日本語版ウィキペディアの「ルビンの壺」([https://ja.wikipedia.org/wiki/ルビンの壺]) の「特別支援教育」の項に––––「障害のある子どもの場合、2つの見方のうちの一方しかできない…ケースもある。…切り替えができ��、『図–地知覚障害』の状態とされる」––––という興味深い記述があります。
また、これとは別に、図は性的な図/画像なのですが、地は非性的という、伊系スイス人画家サンドロ・デル・プレーテによる<イルカたちの愛の詩>と題された絵があります(46)-1 ([https://im-possible.info/english/art/delprete/the-master-of-illusions/083.html]←[https://im-possible.info/english/art/delprete/the-master-of-illusions/index.html]←[https://im-possible.info/english/art/delprete/])。

(46)-1
認知心理学者でカリフォルニア工科大学教授の下條信輔は、この絵に関して、ある対談で次のように語っています。
「有名な『ルビンの壷』で……横顔が先に見えた人は、なぜ…先に見えたかを知らないし、壷が先に見えた人もその理由を知らない。それは頭の中の潜在過程で処理されているわけです。ここにはある種のパラレルワールドがあ…るわけで…、同じ絵を見ているにもかかわらず、ある人は壷を見ていてある人は横顔を見ている。///…すべてのパラレルワールドにはいつから存在したかという問題がある…。/右の絵も同じような隠し絵で…大抵の大人、特に中年男性に訊くと、裸の男女が絡んでるという…。でも6、7歳くらいの子どもに割と近い位置で見せると、イルカが泳いでるって答えるわけです。裸の人なんていないよって…。その時に見方を説明すれば、裸の男女が見える子もいますが、どう頑張っても見えないという子もいるんですね。//…かく言う僕もイルカはなかなか見えなかった(笑)。…人は自ら見たいモノしか見られない…。この場合…、裸の男女を見てもいいし、イルカを見てもいいわけですよ。でも、どちらが先に見えるの (か–引用者補) は、その人の自由意志ではなく、自らのあずかり知らぬところで決まっているような気がします。」(via [http://www.kanazawa-it.ac.jp/rg/rg2009/rep2009/rep6.html] ––––因みに、かく言う私も、解説文を読むまでは大小9頭いる黒地のイルカに全く気付かず、見えませんでした)。
ゴーリーの場合も、また「障害のある子ども」や「6、7歳くらいの子ども」の場合も、この “見える/見えない” の科学的根拠や原因は今のところ分からず、私のフロイト抑圧論の援用も、飽くまで上記平原卓が謂う所の「一見それらしく思える」仮説に過ぎないのです。
(47) via [https://www.larevuedesressources.org/les-reponses-erotiques-de-l-art-prehistorique-un-eclairage-bataillien,605.html]。
因みに、この -1, -2 は、拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/639079714964783104/あけましておめでとうございます-令和三年元旦-牛の仮面]-註(7) でも触れています。
(48) 上掲書(40)=前掲書(13)、引用は pp.34-5。
(49) ふくらんだ腹/胸にラテン語で “Finis” と書かれて倒され横たえられた『失敬な召喚』の裏表紙のフィニアル(27) のポーズ (“pose”) を真似し、(42) の狭間に文字を「スーパーインポーズ (“Superimpose”)」しました。英語の “THE END” ではなくてフランス語の “Fin” にしたのは、言うまでもなく “Finial” に掛かるし、ゴーリーがハーバード大学でフランス文学を専攻し、ふるいフランス映画が好きだったからです。
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以来1983 年に初めて確認されて 、 HIV は 以上に感染し 世界中で8,500 万人 、約 4,000 万人の死者を出しています。 (PrEP)として知られる薬は 曝露前予防法 HIV 感染のリスクを大幅に軽減しますが、効果を発揮するには毎日服用する必要があります。 た 。 永続的な防御を提供するワクチンは、何十年もの間、研究者によって実現されていませんでし 今、ついにそれを作るための実行可能な戦略が存在するかもしれません。 デューク大学で開発された実験用ワクチンは、2019年の臨床試験に登録された少数の人々に、とらえどころのないタイプの広範囲中和抗体を引き起こしました。 この研究結果は 本日、 科学雑誌 「Cell」 に掲載されました。 「これは、これまでの HIV ワクチン分野における最も重要な研究の 1 つです」と、HIV 専門家であり、この研究には関与していない南アフリカ医学研究評議会の会長兼最高経営責任者であるグレンダ・グレイ氏は述べています。 数年前、スクリップス研究所と国際エイズワクチンイニシアチブ(IAVI)のチームは、 必要な前駆細胞を刺激する 人間の体内でこれらの希少な抗体を作るのに ことが可能であることを示した。 デュークの研究は、低レベルではあるものの、さらに一歩進んでこれらの抗体を生成します。 「これは科学的な偉業���あり、防御に必要な経路に沿って免疫反応を誘導するHIVワクチン処方を構築できるという分野に大きな希望を与えています」とグレイ氏は言う。 ワクチンは、ウイルスや他の病原体を認識するように免疫システムを訓練することによって機能します。 彼らは、ウイルスに似たもの、たとえばウイルスの一部、あるいはウイルスの弱体化したものを導入し、そうすることで体の B 細胞にウイルスに対する防御抗体の産生を促します。 これらの抗体は残り続けるため、後で人が本物のウイルスに遭遇したときに、免疫システムがそれを記憶し、攻撃する準備が整います。 ワクチンを製造することができたが Covid-19) 研究者らは数か月で新型コロナウイルス感染症( 、HIVに対するワクチンを製造することははるかに困難であることが判明した。 問題は、ウイルスの独特な性質です。 HIV は急速に変異するため、免疫防御をすぐに打ち破ることができます。 また、暴露後数日以内にヒトゲノムに組み込まれ、免疫系から隠れます。 「ウイルスの一部は私たち自身の細胞に似ており、私たちは自分自身に対する抗体を作ることを好まないのです」とデュークヒトワクチン研究所所長で論文著者の一人であるバートン・ヘインズは言う。 研究者が興味を持っている特定の抗体は広範中和抗体として知られており、さまざまなバージョンのウイルスを認識してブロックすることができます。 HIV の形状変化の性質により、HIV には主に 2 つのタイプがあり、それぞれにいくつかの株があります。 効果的なワクチンは、それらの多くを対象とする必要がある。 HIV感染者の中には広範な中和抗体を生成する人もいますが、そうするにはHIVとともに生き続けると何年もかかることが多いとヘインズ氏は言います。 それでも、人々はウイルスと戦うためにそれらを十分に摂取していません。 これらの特別な抗体は、体内で変化するウイルスに反応して時間をかけて獲得した突然変異を持つ珍しい B 細胞によって作られます。 「これらは奇妙な抗体です」とヘインズは言う。 「体は簡単にそれらを生成しません。」 ヘインズ氏と彼の同僚は、健康で HIV 陰性の人々のそのプロセスをスピードアップすることを目指しました。 彼らのワクチンは、膜近位外部領域と呼ばれるHIVの外皮、つまりエンベロープの一部を模倣した合成分子を使用している。 この領域は、ウイルスが変異しても安定したままです。 この領域に対する抗体は、多くの循環している HIV 株をブロックできます。 この試験には、HIV 陰性の健康な参加者 20 名が登録されました。 このうち、15人が治験ワクチンの予定4回接種のうち2回接種を受け、5人が3回接種を受けた。 参加者の1人が生命を脅かすものではないアレルギー反応を経験したため、試験は中止された。 研究チームは、この反応はワクチンに含まれる添加物によるものである可能性が高いことを発見し、今後の検査で添加物を除去する予定だという。 それでも、ワクチンの2回の投与で、数週間以内に低レベルの広範な中和抗体を誘導するのに十分であることが判明した。 特に、B細胞は、ウイルスとともに進化できるように、突然変異を獲得し続けることができるように発生状態を維持しているようです。 研究者らは研究室でHIVサンプルの抗体をテストし、それらの15~35パーセントを中和できることを発見した。
HIV ワクチンに対する新たな希望 | ワイヤード
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む ⅩⅢ
花鳥誌2025年1月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
24 鎖したる老の我儘梅が門
『ホトトギス』昭和三十三年三月号「句日記」に「(昭和三十三年)三月十一日 偶成」と前書き、上五は「閉ざしたる」。『虚子俳話』(���朝日新聞」昭和三十二年三月二十四日初出)には「とざしたる」とあり、成立は昭和三十二年三月。
俳人の「閉門」と言えば、芭蕉の晩年が思い合わされる。亡くなる前年、芭蕉は肉体的にも精神的にも衰えていた。一ヶ月ばかり、草庵の門を閉じ、世間から隔絶した生活を送るに至る。その折の句は以下のようなものである。
朝顔や昼は錠おろす門の垣 芭蕉 蕣や是も又我が友ならず 同 酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 同
特に一句目の「門」との一致に、虚子の芭蕉賛仰を想像させるものがある。『虚子俳話』を読んでも気づくことだが、最晩年の虚子は、芭蕉を意識することが多かった。
ただし、芭蕉がかなりストイックに欲望を節制した生活を送り、一方で月を見ると、風雅の友を欲する人懐かしさを抱いていた(「閉関説」「閉居箴」)のを思い合わせると、虚子は自らの「閉門」を「我儘」と客観化し、笑ってみせている。虚子の作家としての本質に、この「余裕」と、「梅」に託されたほのかな「艶」を感じ取ることができる。
25 薔薇くれて聖書かしたる女かな
掲句より「夏」の部に入る。『五百句』には「明治三十二年」とのみ注記。『ホトトギス』大正三年一月号付「自選類題虚子句集」の「薔薇」の項には、
石の上にさうび花散る雨強し 薔薇切るや恋しき人の鋏もて 薔薇悲し芭蕉の広葉風落ちて 薔薇切つて短き詩をぞ作りける 何触れてさうび散りけん卓の上 薔薇呉れて聖書かしたる女かな
とある。 かつてこの句は、女が薔薇をくれたのに対し、自分は聖書を貸し与えたという解がなされた(浜中柑児『虚子五百句鑑賞 明治之部』)。しかし、『喜寿艶』には、 ふとした事で或女と口をきくやうなことになつた。その女は或とき薔薇を剪つてくれた。そしてこれを見よと云つて聖書を貸してくれた。さいうふ女。と自句自解があり、聖書を貸したのも女ということで決着がついている(本井英「虚子『五百句』評釈(第五回)」『夏潮』二〇一六年四月)。
「薔薇」は明治の新題で、子規が開拓した。江戸以前は「いばら」に過ぎなかった。
フランスの一輪ざしや冬の薔薇 子規 夕風や白薔薇の花皆動く 同 薔薇を剪る鋏刀の音や五月晴 同
一句目は洋風の新奇さ、二句目は色の鮮烈さ、三句目も雨後の色がまず浮かぶが、その芳香も暗示されている(井上『子規の内なる江戸』『近代俳句の誕生』)。
こうして子規と比較すると「自選類題虚子句集」の薔薇の句には、「恋しき人」や「短き詩(和歌・俳句でなく西洋由来の新体詩)」など、恋の情調が目に付き、掲句もその傾向の作の代表ということになる。例句から見て題詠の匂いも濃厚だ。
ここで「聖書」を貸す女の恋とは、どういうものかが問題となる。それは身体から切り離された精神的純愛=プラトニック・ラブを当時意味した。神の存在に服従したキリスト者は、江戸以来の身体的結合・接触を前提とする「色恋」を、動物的な、あるいは非文明的なものとして抑圧し、強烈な精神的「革命」によって「純潔」「高尚」な精神に特化した「純愛」を得て、愛の勝利者となることを理想としたのである。こうした流れを受けて、妾の存在を実質的に認めていた当時の法体系にプロテストしたのが、キリスト教に染まった、特に女性たちの、「矯風」運動であった。不倫関係を「不潔」と表現する文脈も、明治のキリスト者の文学(詩を含む)に始まる(井上『恋愛小説の誕生』)。
こうした新しい恋愛に目覚めた女性とは、虚子にとって誰であったかと言えば、糸夫人とその周辺に求められる。
明治三十二年五月、虚子は大腸カタルを発病、神田駿河台山龍堂病院に入院、六月から七月まで、修善寺温泉で療養。虚子は「浴泉雑記」にその間の消息を書き、「エデンの神は余に一個の福音を与えた」としている。虚子の岳父大畠豊水はハリスト正教会の熱心な信者で、後の糸夫人も神田のニコライ女学校で学んだ。修善寺の投宿先である新井屋の若女将相川つるも、糸とニコライ女学校の同級生であった。
糸夫人とその周辺から、虚子はキリスト教に接したわけである。こういう背景から、掲句の女は、舶来の「純愛」を求め、「薔薇」を、そして「聖書」を虚子に貸したことになる。
なお、糸夫人との馴れ初めは、「純愛」というには余りに陰影に富んでいる。糸は前橋の生まれで、父は元前橋藩士、神田淡路町で高田屋という下宿を営んでいた。長女が台所、次女の糸は下宿生を世話した。その縁で先に東京に出ていた虚子の親友河東碧梧桐と婚約していたが、天然痘で彼が寝込んでいる間に、虚子が現れた。明治三十年六月に虚子と糸は結婚、翌年三月には早くも長女真砂子が生まれているから、今日でいう「出来ちゃった婚」なのである。
この時期虚子も良心の呵責に耐えながら、「殆んど百日間苦悶の結果、終に大畠豊水第二女「糸」なるものは小生が偕老同穴の友たるべきものと決心仕り候」と子規に手紙で打ち明けている。
虚子より長生きした糸夫人のことを想起するとき、晩年の虚子にとってその家庭の起源を想起させるのがキリスト者の世界であり、一種の懐かしさと余裕の心を以て、その「女」を思い起こしていただろうことが想像できるのだった。
『虚子百句』より虚子揮毫
25 薔薇くれて聖書かしたる女かな 26 上人の俳諧の灯や火取虫

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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