#関蝉丸
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関蝉丸神社下社に程近いお店の駐車場を案内してくれる看板坊や、道路と逆方向に飛び出してますね。ようやく逢いに行けました。自転車で!
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まえがき
相打ち / 合言葉 / 合図 / 愛想づかし / アイデンティティ / 赤ん坊 / 赤ん坊(天界の) / 赤ん坊がしゃべる / 悪魔 / 悪魔との契約 / 痣 / 足 / 足が弱い / 足跡 / 足跡からわかること / 足音 / 仇討ち(兄の) / 仇討ち(夫の) / 仇討ち(主君の) / 仇討ち(父の) / 仇討ち(妻の) / 仇討ち(動物の) / 仇討ち(友人の) / 仇討ちせず / あだ名 / 頭 / 後追い心中 / 穴 / 兄嫁 / 姉弟 / 尼 / 雨音 / 雨乞い / 天の川 / あまのじゃく / 雨宿り / 雨 / 蟻 / あり得ぬこと / アリバイ / 泡 / 合わせ鏡 / 暗号 / 暗殺 / 安楽死 / 言い間違い / 息 / 息が生命を与える / 息が生命を奪う / 生き肝 / 異郷訪問 / 異郷再訪 / 異郷の時間 / 異郷の食物 / 生霊 / 生贄 / 遺産 / 石 / 石に化す / 石の誓約 / 石の売買 / 石つぶて / 椅子 / 泉 / 板 / 一妻多夫 / 一夫多妻 / 糸 / 糸と生死 / 糸と男女 / 井戸 / 井戸と男女 / 井戸に落ちる / 従兄弟・従姉妹 / 犬 / 犬に転生 / 犬の教え / 犬婿 / 猪 / 命乞い / 衣服 / 入れ替わり / 入れ子構造 / いれずみ / 入れ目 / 因果応報 / 隕石 / 隠蔽 / 飢え / 魚 / 魚女房 / 魚の腹 / 誓約 / 動かぬ死体 / 動く首 / 動く死体 / 兎 / 牛 / 後ろ / 嘘 / 嘘対嘘 / 嘘対演技 / 嘘も方便 / 歌 / 歌の力 / 歌合戦 / 歌問答 / うちまき / 宇宙 / 宇宙人 / 宇宙生物 / うつお舟 / 馬 / 馬に化す / 海 / 海に沈む宝 / 海の底 / 裏切り / 占い / 占い師 / 瓜二つ / ウロボロス / 運命 / 運命の受容 / 絵 / 絵から抜け出る / 絵の中に入る / 映画 / 映画の中の時間 / エイプリル・フール / ABC / エレベーター / 円環構造 / 演技 / 縁切り / 宴席 / 尾 / 尾ある人 / 王 / 扇 / 狼 / 狼男 / 大晦日 / 伯父(叔父) / 教え子 / 教え子たち / 夫 / 夫の弱点 / 夫の秘密 / 夫殺し / 落とし穴 / 踊り / 鬼 / 鬼に化す / 斧 / 伯母(叔母) / 親孝行 / 親捨て / 泳ぎ / 恩返し / 恩知らず / 温泉 / 蚊 / 貝 / 開眼 / 開眼手術 / 外国語 / 改心 / 怪物退治 / 蛙 / 蛙女房 / 蛙婿 / 顔 / 画家 / 鏡 / 鏡が割れる / 鏡に映らない / 鏡に映る遠方 / 鏡に映る自己 / 鏡に映る真実 / 鏡に映る未来 / 鍵 / 書き換え / 書き間違い / 架空の人物 / 核戦争 / 隠れ身 / 影 / 影のない人 / 駆け落ち / 賭け事 / 影武者 / 過去 / 笠(傘) / 重ね着 / 仮死 / 火事 / 貸���借り / 風 / 風邪 / 風の神 / 火葬 / 仮想世界 / 片足 / 片腕 / 片目 / 語り手 / 河童 / かつら / 蟹 / 金 / 金が人手を巡る / 金を拾う / 鐘 / 金貸し / 金貸し殺し / 壁 / 釜 / 鎌 / 神 / 神に仕える女 / 神になった人 / 神の訴え / 神の名前 / 神を見る / 髪 / 髪(女の) / 髪が伸びる / 髪を切る・剃る / 神がかり / 神隠し / 雷 / 亀 / 仮面 / 蚊帳 / 烏(鴉) / 烏(鴉)の教え / ガラス / 川 / 川の流れ / 厠 / 厠の怪 / 癌 / 漢字 / 観相 / 観法 / 木 / 木に化す / 木の上 / 木の下 / 木の精 / 木の股 / 記憶 / 帰還 / 聞き違い / 偽死 ��� 貴種流離 / 傷あと / 犠牲 / 狐 / 狐つき / 狐女房 / 切符 / きのこ / 木登り / 器物霊 / 偽名 / 肝だめし / 吸血鬼 / 九十九 / 九百九十九 / 経 / 狂気 / 競走 / 兄弟 / 兄弟と一人の女 / 兄弟殺し / 兄妹 / 兄妹婚 / 凶兆 / 凶兆にあらず / 恐怖症 / 共謀 / 巨人 / 去勢 / 切れぬ木 / 金 / 金貨 / 禁忌(言うな) / 禁忌(聞くな) / 禁忌(見るな) / 禁忌を恐れず / 銀行 / 禁制 / 空間 / 空間と時間 / 空間移動 / 空襲 / 偶然 / 空想 / 盟神探湯 / 釘 / 草 / くじ / 薬 / 薬と毒 / 口から出る / 口と魂 / 口に入る / 口二つ / 唇 / 口封じ / 靴(履・沓・鞋) / 国見 / 首 / 首くくり / 首のない人 / 熊 / 熊女房 / 雲 / 蜘蛛 / 繰り返し / クリスマス / 車 / 系図 / 契約 / けがれ / 毛皮 / 下宿 / 結核 / 結婚 / 結婚の策略 / 結婚の障害 / 月食 / 決闘 / 仮病 / 剣 / 剣を失う / 剣を得る / 幻視 / 原水爆 / 碁 / 恋文 / 恋わずらい / 硬貨 / 交換 / 洪水 / こうもり / 高齢出産 / 声 / 氷 / 古歌 / 誤解による殺害 / 誤解による自死 / 五月 / 子食い / 極楽 / 心 / 子殺し / 誤射 / 子捨て / こだま / 琴 / 言挙げ / 言忌み / 言霊 / 五人兄弟 / 五人姉妹 / 小人 / 殺し屋 / 再会(夫婦) / 再会(父子) / 再会(母子) / 再会(盲人との) / 再会拒否 / 最期の言葉 / さいころ / 妻妾同居 / 最初の人 / 最初の物 / 裁判 / 財布 / 催眠術 / 坂 / 逆さまの世界 / 逆立ち / 作中人物 / 桜 / 酒 / 酒と水 / さすらい / さそり / 悟り / 猿 / 猿神退治 / 猿女房 / 猿婿 / 三者択一 / 山椒魚 / 残像・残存 / 三題噺 / 三度目 / 三人兄弟 / 三人姉妹 / 三人の魔女・魔物 / 三人目 / 死 / 死の起源 / 死の知らせ / 死因 / 塩 / 鹿 / 仕返し / 時間 / 時間が止まる / 時間旅行 / 死期 / 四季の部屋 / 識別力 / 地獄 / 自己視 / 自己との対話 / 自殺願望 / 自傷行為 / 自縄自縛 / 地震 / 紙銭 / 死相 / 地蔵 / 舌 / 死体 / 死体から食物 / 死体消失 / 死体処理 / 死体変相 / 七人・七匹 / 歯痛 / 自転車 / 死神 / 芝居 / 紙幣 / 島 / 姉妹 / 姉妹と一人の男 / 姉妹と二人の男 / 死夢 / 指紋 / 弱点 / 写真 / 写真と生死 / シャム双生児 / 銃 / 周回 / 十五歳 / 十三歳 / 十字架 / 醜女 / 醜貌 / 手術 / 入水 / 出産 / 出生 / 呪的逃走 / 寿命 / 呪文 / 順送り / 殉死 / 乗客 / 肖像画 / 昇天 / 娼婦 / 成仏 / 食物 / 処刑 / 処女 / 処女懐胎 / 処女妻 / 女装 / 女中 / 初夜 / 虱 / 心中 / 心臓 / 人造人間 / 人肉食 / 神仏援助 / 人面瘡(人面疽) / 心霊写真 / 水死 / 彗星 / 水没 / 水浴 / 頭痛 / 鼈 / すばる / 相撲 / すりかえ / すれ違い / 寸断 / 精液 / 性器(男) / 性器(女) / 性交 / 性交せず / 性交と死 / 生死不明 / 成長 / 成長せず / 性転換 / 生命 / 生命指標 / 切腹 / 接吻 / 背中 / 背中の女 / 背中の死体 / 背中の仏 / 蝉 / 千 / 前世 / 前世を語る / 前世を知る / 戦争 / 洗濯 / 千里眼 / 僧 / 象 / 像 / 葬儀 / 装身具 / 底なし / 蘇生 / 蘇生者の言葉 / 空飛ぶ円盤 / 体外の魂 / 体外離脱 / 太鼓 / 第二の夫 / 太陽 / 太陽を射る / 太陽を止める / 太陽と月 / 太陽と月の夢 / 太陽と月の別れ / 鷹 / 宝 / 宝が人手を巡る / 宝を失う / 宝を知らず / 宝くじ / 宝さがし / 竹 / 多元宇宙 / 蛸 / 堕胎 / 畳 / たたり / 立往生 / 立ち聞き(盗み聞き) / 脱走 / 狸 / 旅 / 旅立ち / 玉(珠) / 卵 / 魂 / 魂と鏡 / 魂の数 / 魂呼ばい / 樽 / 俵 / 弾丸 / 誕生 / 誕生(鉱物から) / 誕生(植物から) / 誕生(卵から) / 誕生(血から) / 誕生(動物から) / 誕生(母体から) / 男性遍歴 / 男装 / 血 / 血の味 / 血の力 / 知恵比べ / 誓い / 地下鉄 / 力くらべ / 地球 / 稚児 / 地図 / 父子関係 / 父と息子 / 父と娘 / 父の霊 / 父娘婚 / 父殺し / 父さがし / 乳房 / チフス / 地名 / 血文字 / 茶 / 仲介者 / 蝶 / 長者 / 長者没落 / 長寿 / 追放 / 通訳 / 杖 / 月 / 月の光 / 月の満ち欠け / 月の模様 / 月旅行 / 辻占 / 土 / 唾 / 壺 / 妻 / 妻争い / 妻食い / 妻殺し / 爪 / 釣り / 鶴女房 / 手 / デウス・エクス・マキナ / 手紙 / 手ざわり / 手相 / 鉄 / 掌 / 手毬唄 / 天 / 天狗 / 転校生 / 天国 / 天使 / 転生 / 転生(動物への) / 転生する男女 / 転生と性転換 / 転生と天皇 / 転生先 / 天井 / 電信柱 / 天地 / 天人降下 / 天人女房 / 天人の衣 / 電話 / 同一人物 / 同音異義 / 盗作・代作 / 同日の死 / 同日の誕生 / 投身自殺 / 同性愛 / 逃走 / 童貞 / 動物援助 / 動物音声 / 動物教導 / 動物犯行 /
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ついさっきシャワーを浴びさせたのに、私の説教なんてどこ吹く風で玄関を飛び出す息子を見送る。 8月の盆、こっちに来てから私のことをママと呼ばなくなった。 縁側の窓は全て開け放たれ、熊蝉の喧騒と高校野球のテレビ中継、それと遠くの方から子供達の遊び声が聞こえてくる。 洗い物を済ませようと家に入るとき、ふと無造作に庭先に放られた虫かごが目に留まった。 拙い平仮名で書かれた息子の名前と中には雑多な昆虫たち。昨日、私に自慢していたものだ。
仕方ないので裏の畑に周り、蓋を取ってやるとバッタやらセミやらが慌ただしく虫かごを震わせながら逃げていった。静かになった中を覗く。すると隅の方でダンゴムシが怯えたように丸くなってとり残されていた。 「あんたも早く帰らなきゃ」優しくつまんで、塀の上に置いてやる。 変わらず丸くなったままだったが、しばらくすると辺りを窺うように2度3度顔をのぞかせた。それから安全を確認するやいなや体の硬直を解き、仰向けになった体を必死に起こそうと手足をわなわなさせる。それはまるで赤ん坊が抱っこをせがむようで、何度も体をのけ反らせたりしている姿を見ると声援を送らずにはいられなかった。頑張れ、あと少し! 懸命に腕を伸ばした右手がなんとか地面に届いて一気に体を反転させる。やった!私は勝手に喜んでいたのだけど、当のダンゴムシは私のことなど気にも留めない様子でそそくさと離れていく。 「お母さん、飲み物ちょうだい!」彼の頭には少し大きすぎる麦わら帽子が跳ねるのを、必死に押さえながら息子が走ってくる。 「ケンちゃん、もうママって呼んでくれないの?」 かがんでそう聞いてみると、息子は向こうにいる親戚の子達をちらりと見てからはにかんだ。そっか、私は少し寂しくも思いながら精一杯の笑みを返す。 「手洗っておいで!」そう言って息子の背中を力強く押し出した。ダンゴムシはもう見当たらない。
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#日本児童文学者協会賞 に関するニュース 全6件
坪田譲治文学賞に「ぼくんちのねこのはなし」 著者いとうさんの ... - Yahoo!ニュース
学校司書と小説家の「二刀流」 丸子修学館高校の有賀拓郎さんが ... - 信濃毎日新聞デジタル
東奥文化選奨、3氏の功績たたえる - 東奥日報
第90回毎日広告デザイン賞 一般公募・広告主課題の部/広告主参加 ... - 毎日新聞
世界中で100��枚以上を販売 ー 平和を願う、チャリティTシャツ ... - PR TIMES
蝉谷めぐ実さんの読んできた本たち 「陰陽師」にのめりこみ、歌舞 ... - 好書好日
日本児童文学者協会賞:受賞作ドットジェイピー
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7日目の蝉
虫苦手な方ごめんなさい
わたしわりと昆虫は大丈夫なタイプです。 田舎っ子なので様々な昆虫と親しみながら育ちました。 ちなみにミミズは直にはさわれませんが、かわいいと思うタイプです。
きのう、部屋で歯磨きをしていたら、バタバタッという音が聞こえました。
冷房をかけずに窓を開けていた自室、これは確実に外でセミがひっくり返って羽をバタバタ言わせている音です。
セミってひっくり返っちゃうとなかなか起き上がれないんですよ。成虫期間短いのにそんなことに時間使ってたらかわいそうだなと思って、歯磨きしながら救いに出たんですね。
太陽は真上から当たる時間。扉の外は、光で真っ白でした。
玄関の戸を開けたところすぐに彼は案の定ひっくり返っていて、うちの庭をよくうろうろしている猫ちゃんにからかわれていたみたいです。猫ちゃんはわたしにびっくりして離れていきました。
見ると、さっきまでバタバタ言っていたのに、今は静か。でも足が動いているので生きてはいるようです。羽、痛めてしまったのかなと思って見ましたが、折れたりはしていませんでした。
さすがにいきなり触るのは気が引けて持っていた歯磨き粉のチューブでセミくんをひっくり返そうとするも、どうもビニールではすべってダメなようです。仕方なしに指を差し出したら、すがりつくように彼はわたしの指を掴みました。
そのまま手を挙げると、セミくんはまだしがみついたまま。わたしの指をつたって歩いているので、ほれほれ、腕じゃなくて木に行きなはれと木でできた庭のテーブルにセミくんを置きました。
ところが彼は何を誤ったか、フラフラと歩みを進めたら、テーブルの、パラソルを立てる��めの穴に落っこちかけたんです。かろうじてテーブルにしがみついたものの、もがいています。
やれやれ、軽く引っ張ってみても不安がって足をテーブルに強くかけたまま。相変わらず歯ブラシをくわえたまま奮闘。その様子を先ほどの猫ちゃんが少し離れたところからじっと見ていました。
いろいろ試した結果、穴の下に手を差し出して受け止めることに。それでも言葉は伝わらないので彼はなかなか降りてきません。穴にまた人差し指を差し出したら、彼は再びしがみついてきました。
セミくんごと、指をそっと穴から抜き出すと、彼はほっとしたようにまたわたしの指をつたいました。
指の先に、その辺に落ちていた枝を出したら、枝に移ってくれたので、今度は枝を近くのオリーブの木に立てかけたら、彼は枝をよじ登って木に移ったところで、落ち着きました。
そこで止まったので、先ほど猫ちゃんに羽でもやられてないかと顔を近づけてみたら、彼の右前足は、途中までしかありませんでした。だから不器用に歩いていたんだ。途端、堪えきれないものがわたしのアイラインに浮かびます。
猫ちゃんの名誉のために言うと、きっと猫ちゃんの仕業ではありません。あの丸い手で、あの細い足だけを傷つけるのは無理ですから。
でも、彼には羽がある。きっと生きてね。たった7日間の地上生活なのだから、しっかり生きてね。そう心で呼びかけて、わたしは家の中に戻りました。
あまりに悲しくなって母に顛末を話したら、虫さんは大丈夫だよ、足がそうなってもどうにかして行きていくから、と慰められ、ふと母が外を見たら、「あ、セミさんまだ木に止まってる」と。「あそこで少し休んだらきっと大丈夫。」
数時間後。母が夕ご飯の買い物から帰ってきて言いました。
「まほちゃん、あの子、今日が最後だったみたい。」
「セミって、どうやって死ぬの?」
「地面に、パタリと。」
彼はオリーブの木のふもとにいたようです。
「あの子、最後にまほちゃんに助けられて、木に止まって死ねて、きっとよかったんじゃないかな。」
そう思うのは人間のエゴでしょうか。そう、思わないと、なかなか生きていくのが難しい世の中でございます。
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📛 1385 「変身忍者嵐」 #7カラ12。
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第七話は 「菩薩の牙が霧を裂く」 という渋いタイトルのお話です。摂津の国 (大阪府) 江口の里。川を舟で渡っていたハヤテは 香炉の香りとともに 「・・・・ なんと・・・・ うつくしい・・・・!!」 と声に出してしまうくらいにお美しい 横笛吹きの娘さんに出会います。彼女の名は 白妙さま。すっかり寂れて 住む人もまばらな江口の里の住まいに案内されたハヤテは ねむり草のしんをいれた蝋燭の効き目からか 白妙さまの膝の上で フウッと眠ってしまいます。と、そこへ “ひと思いにころしてしまいなさい” と 白妙さまの身の回りの世話をしています うねめが ぬわっと現れるのですけれど、ハヤテに恋心を抱いてしまった 純粋無垢な白妙さまは、眠っているハヤテをころすことはできない、この人をころすなら わたくしも一緒にころしてください と 母うねめに願います。あゝ血車党を裏切ればどういうことになるのかと うねめは ひとり戸惑い苦しみます。
つづいて
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第八話は 「獺祭りの雷太鼓」 という渋いタイトルのお話です。ちなみに “カワウソマツリノカミナリダイコ” と読みます。万治三年 (1660年) の大阪城。淀川で網を張って漁をしている とあるじいさんの網が “人間みてえにでっけいばけものカワウソに 網をやられちまって わしら おまんまのくいあげじゃ” と、旅の人ハヤテに嘆いています。そんなころ 化身獺忍軍を率いるミズグキは、翌る日の晩に漁に出た じいさんや三吉らと一緒したハヤテ目掛けて 水中から ザザザッと大人数で現れ、わあっ!とハヤテの命を奪おうと集団で襲いかかります。淀川に行ったことのないわたしですけれど、シジミやウナギ、ボラ、スズキなどの漁が現在も行われているさうです。
つづけて
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第九話は 「虎落笛の遠い夏 (もがりぶえのとおいなつ)」 という渋いタイトルのお話です。蝉がミンミンと鳴く ある夏の日、血車党のお偉方が何やら 何やらな企みを企てている中 “扇屋” と大きく書かれた看板の下の暗闇から ヌウっと 大きな虎が現れます。扇屋の関係者らしき人々をずたずたにした虎は ウーと吠える犬も ガブリと噛みついて絶命させ、その肉塊を食します。そんな虎は 空から満月の光が差し込む竹林で ウーッと 人間の姿に戻ります。彼の名は 李徴子。妻と子のいる李徴子は ハヤテ抹殺の命を受け、ハヤテの前に虎の姿で現れます。刀を構えるハヤテ。が、しかし 「お、おれには やっぱり できない」 と 李徴子は 突然に ハヤテの前から フッと消えていなくなります。アジトに帰った李徴子は 上から ハヤテの命と 李の妻子の命とを天秤にかけられてしまい、苦しみます。
つづけにつづけて
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第十話は 「呪いの孔雀曼荼羅」 という渋いタイトルのお話です。血車党の化身忍者に くのいちを多く取ったのは 女子のほうが (なにゆえか) 化身の術によく耐えられるからとかどうとかを、蛇尼を従えている “孔雀妙尼” に話す骨餓身丸 (ほねがみまる) は、くのいちの化身忍者には ただひとつ “弱点” があるってことを伝え、ハヤテには気をつけてねって念を押します。
つづけにつづけて
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第十一話は 「血車がゆく、餓鬼阿弥の道」 という渋いタイトルのお話です。前回のお話に登場した尼寺で意外な人物を助けたハヤテは 奇妙な流行り病で バタバタと人がしんでいるらしい、まるで いまの世を見ているかのやうな村を訪れます。そこで 流行り病のさわぎが 血車党のしわざと感づいたハヤテは、とある墓地で 血車党の副首領 骨餓身丸と対決します。
つづけにつづけて
石ノ森章太郎さんの 秋田文庫版 「変身忍者嵐 (石ノ森章太郎さん、秋田書店 2007年)」 を読んでいます。第十二話は 「犬神の里に吠える」 という渋いタイトルのお話です。血車党の化身忍者をさがしに探して国中を旅してきたハヤテは 荒れ狂う何処かの海を見渡す崖の上で ひとり さびしさとむなしさに心を痛めます。そこでハヤテは 宿敵 “魔神斎 (血車党の首領)” とバッタリ出会すのですけれど、そのことよりも 「‥‥誰が どんなばけものにかわって何をしやうと ‥‥構わないんじゃ ないのか‥‥!?」 や 「‥‥世間の連中は 誰に支配されやうと かわることはないのじゃないか‥‥!?」 というハヤテの台詞に 今を思います。
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骨を食べる
日用のものを買いに出た帰りだった。見慣れた交差点を渡ろうとした時、左折する車にゆっくりと轢かれた。 ぶつかって撥ねられるだけなら重症で済んだのだろうが、その時買い物袋から転がったジャムパンを拾おうと車の死角にしゃがみこんでいたところ、左折する車の左輪につかまって、胴を右からめりめりと音を立てて引き潰されてしまったのだった。
数秒の出来事であった。死角にしゃがみ込んだままどんと倒され、横転し半ば仰向けになったあばらの上に車輪が乗った。胴の4分の1ほどぺしゃりと潰れてしまって、心臓には至ったのだろうか。 車にとっても災難だったろう。せめて撥ね飛ばされるくらいのスピードがあればよかったのだが。 すっくと立ち上がって、ジャムパン片手にすたすた歩いてゆく私を、車から飛び降りた運転手はどんな顔で見ていたのだろう。まだ若そうな、あ、という声だけ、うしろから聞こえた。
左側が潰れてしまったので、アイスクリームを食べていると胃の入り口のところであふれて脇腹のおもてに垂れてしまって、食道をとおって少し温くなってはいるものの肌にはまだ冷たいままの感触が、どろりと脇腹を下降していった。胸の高さもなくなっているので、左側はワンピースも肩の厚みのまますとんと下に落ちている。車輪の幅に潰れた肋骨をつたって骨盤まで降りてきたアイスクリームの白が、裏側からゆっくりと灰色の生地を湿らせてゆく。 「どうしたの、そんなところを濡らして」 左の腰に目をやって、生田さんが言う。手を洗う時に乱暴でもした? 服が濡れることには気づくのに、胸が片方高くないことには気づかないものだろうか。 「こぼしちゃったみたい」 「染みになる前に洗ってきたら?」 「そうねえ……」 服を洗っても仕方ないのだが、と思いつつ、鬱蒼と茂る薄緑いろの葉むらがつくっていた木陰にみつけた大きな岩から腰を上げて、川のほうへゆるく降りていく。アイスクリームはすでにひと筋ふた筋、太ももを伝って膝まで下がってきている。もう冷たくはない白い液体。
サンダルは革製だったので脱いで、川にざぶざぶと進んだ。えっ、と背後から小さい叫び声が聞こえる。 川は膝ほどの深さしかなく、太ももにまとわりついていた乳白はひと筋またひと筋と垂れ、脂の照りを虹色に帯びながら流されてゆく。川に連れ去られてゆく白い筋を目で追う。木々の無数の緑色が光とともに反射する水面がそこだけ濁る。 ワンピースの裾を持ち上げてばしゃんと膝をついてお腹まで水に浸かると、冷たくて背中がきんと鳴った。流れる水が体の柔いところを撫でて、すべての白を連れ去ってゆく。
こんなからだになったのは、30年前に恋愛していた慎さんという人がうっかり死んでしまって、その時についお骨を盗んで食べてしまったせいらしい。 8月の真昼、慎さんの家の、無防備なベランダから忍び込んだ。日差しが強すぎて、マンションに急拵えされた小さな仏壇のつくる影はあまりに濃く、仏花の白すら闇に吸われている。仏花と、どうでもよさげな菓子が供えてあった。慎さんは甘いものを好かない。骨壺には骨に似せて削った石灰石を入れてすり替えたので、たぶん家の人にはばれていないと思う。 はだかの骨を指でもてあそびながら、蝉のうるさい正午の国道を歩いた。骨は意外と硬く、強く囓ってようやく崩れた。焼けた骨の乾きで砂を噛んでいるように舌がざらつき、無味ゆえに不快感ばかりが催す。口内いっぱいにまとわりついた破片は唾液ではとても飲み込みきれず、むせて咳をしそうになるのをこらえて涙がにじむ。 通りがかった公園の洗い場で蛇口をひねった。晩夏のぬるい水道水が下降するのを横から���るように唇をぱくぱくさせて含み、噛みしだいて口のなかで粉々になった慎さんの焼けた喉仏を流し込んだ。10回、20回、口に水を含み、押し流す。何度流し込んでもなお感触だけが上顎に張りついて、じゃり、と舌に触る。ざらざらするだけで、慎さんはどこにもいなかった。 慎さんが死んでしまってから行き場をなくして宙にぷかぷか浮いていた(好き)とか(悲しい)とか(どうして)(愛してる)とか(許さない)(憎くて憎くて)(いっそ私が)とか、そういう扱いきれないの、ぜんぶ、骨を食らうことで満たされて消えるはずだったのに。水を飲んでも飲んでも飲んでも、骨のざらつきが消えない。舌に破片が残っている。砂塵をかぶったように、薄っすらと思いが肌にこびりついて落ちない。 じゃり、と口の中で音が鳴る。
以来、時間が時間通りに流れなくなった。そのことにも、7年たってからようやく気が付いた。止まっている。見渡すと私だけがあのときの顔のままだった。その後入念に経過を観察したところによると、10年に1年か2年ぶんわずかに歳をとるようだった。同じ鏡の前に、私が10年。あるいは2年。
13年前にまた大恋愛っぽいことをした。懲りないものだ。大恋愛ののち、いよいよどうにもならないので一緒に死のうかということになり、炭を用意して夜に山で一緒に死んだが、私だけ翌朝の眩しい太陽にけろりと起こされた。 まだ眠りが蒸発しきれない気だるい体で車内をぐるりと見回すと、強すぎる朝日がフロントガラスから後部座席にまで届いている。運転席には、がっくりと、生きている人間では難しいだろう角度に首をうなだれてじっと動かない者。生きて触れあっていた者。の、止まってしまった肌。色を失くしていく肌をずっと見ていた。この腕がかき抱いた自分の背中のことを思い出しながら、だらりと放られた指先を眺めていた。 もう日が高い。かかとの高いサンダルを脱いで裸足で下山し、バス停のベンチで履いて、通勤者たちを乗せたバスに乗って帰った。 あのとき飲み込んだ慎さんの骨が、まだ私の肉体をどうにかしているらしい。置いてゆかれてしまったことを口惜しく思う。駅前で大勢を降ろしてようやく座ったバスに揺られていると、口の中に、砂を噛むような感触が久しぶりによみがえった。
生田さんのことは3年前に見つけた。 見つけて、知り合うと、すぐに深い仲になった。やがて気を抜けばすぐにでも転がり落ちそうな関係に発展したが、気を引き締めて押しとどめた。昼も夜もなく抱き合って、わけがわからなくなって、溶け合ってもつれあっていよいよだめに、みたいなことになるといけない。そうなれば、どうせやがて置いてゆかれるのだと知っている。 溶け合ってみだらにならぬよう細心の注意を払っていたが、努力むなしく、やがて愛欲に溺れた。春の日々は泥濘となった。 愛欲に溺れながら、舌の上に骨の破片を探していた。正気を保とうと必死だった。いよいよ、ということになるといけない。ぜんぶ駄目になる。駄目になったあかつきに、置いてゆかれる。溺れて意識を手放しそうになるたびに、口内を舌でまさぐった。口の中に残る骨の破片を探した。 そうやってぎりぎりのところで押しとどめて、車を山奥へ走らせて到着した誰もいない緑の清流の川辺で、クーラーボックスから取り出したアイスクリームを食べている。
「何も、まるごと洗わなくても」 苦笑の声色が石を踏む足音と近づく。 私を追って川岸まで来て、でも川には入ることなくしゃがみこんだ生田さんを、潰れたあばらまで冷たい水に浸かったままで振り返る。 「冷たくて気持ちいいよ」 誘うが、「僕はいいよ」と岸から動かない。
そう、あなたはいいのね、と思っているうちに慎さんは死んだ。 思えば、慎さんが「僕もゆこう」と言って私のところに来てくれたことはなかった。抱きしめても、慎さんはここではないどこかにいた。遠くで笑っていた。私の「ここ」に、あの人はいなかった。 真昼にベランダから忍び込んだあの人の家。仏間。あの人にとっての「ここ」。うだるような夏の日差し。暗闇に溶ける仏花の白。はじめて口にした骨の味。水道水のぬるさ。骨の、思いがけない大きさ。 噛み砕くと鋭い破片が上顎に刺さる。血の味がする。噛みしだく。奥歯で磨り潰す。飲み込もうとする。むせかえる。破片が喉につかえて、硬くて痛くて、粉にむせて涙が出る。一人立ち尽くす。あの人がいない世界に一人立ち尽くす。咳き込みながら。水を求めながら。 同じ痛みなら、生きているあなたから受け取りたかった。そう望んでももう遅い。
生田さんの手をとって川へと引き込もうとすれば、きっと生田さんは抗うことなく従うだろう。嫌がりもせず足を濡らして、「ほんとうだ、冷たい」と血管の浮いた瞼を伏目にして微笑むのだろう。 その微笑みが胡乱な顔であることに私は気づいてしまうだろう。私の望みに従って作っただけの顔であることに。そうしてこの水に、私だけが冷える。あなたが隣にいても、私だけが冷える。 骨を、と思う。 上空を回転する風が細くなって木々の隙間を降りてきて、葉をちらちらまたたかせている。光と影が川原の丸い石の上でせわしなく点滅する。生田さんは岸にいる。私の手の届かないところで、生田さんの硬い髪が光にはねている。
その手を引けばきっといよいよぜんぶが駄目になって、この人もまた私を置いてゆくだろう。何日経っても潰れたままの胴体が鈍く痛んで、そう予感させる。痛みに支配される。水の中で体温を失ってゆく。 また骨だけが置かれる。骨だけが、生田さんのいるべきところに置かれて、私だけがここにある。私だけが、潰れたまま水の中にある。冷えた体���また骨を食う。
(2020/09/10 16:43)
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08170519
夏が、窓の外で始まり、そして終わっていく様を見ていた。昼夜問わずガラスを揺らすほど鳴いていた蝉は、いつの日からか段々と数を減らし、今ではもう夕暮れにヒグラシが数匹、名残惜しそうにキキキキ...と鳴くばかりになった。
窓の外が見えるよう置いてくれたベッドからは、天色の空から降り注ぐ眩しい日光を身体いっぱいに浴び、青々と生い茂る常盤色の木々、そして、木々の奥に広がる瑠璃紺色の海がよく見えた。壁際の時計は、午前9時を10分ほど過ぎた時刻を示している。
眠る前に放り投げていたスマートフォンで1枚、今の己の目に映る景色を切り取った。同じ構図の写真を何度撮ったか分からないが、それでも、まだ健全な指はシャッターを何度か押した。乾いた音が鳴る。
うん、綺麗に撮れた。白いシーツにぱさり、スマートフォンを投げれば、じゃり、と耳障りな音がしたが、もう慣れたものだと気に留めることもなくなった。
窓から目を逸らし、部屋の反対側へと顔を向けた。待ってて、と言って飛び出した割にきちんと閉じられた白い扉は、君の几帳面な性格を表しているようだ。呼び寄せられたのか、程なくして扉が静かに開かれ、お盆を持った君が顔を覗かせた。
「お待たせ。」
ベッド脇のテーブルへ盆を置いた君はお気に入りのウッドチェアーに腰掛けて、俺を見下ろし投げ出したままだった手をそっと握った。心地の良い、三十六度を感じる。
「食べられそう?」
「うん。食べたい。」
「じゃあ特別に、あーんしてあげる。」
「お言葉に甘えようかな。」
毎日のように訪れる君の特別、に甘えようと握られた手を親指でそっとなぞれば、君の頬には微かに朱が差す。君は繋がれていない左手で、持ってきた皿の上、綺麗に剥かれ小さく切られた林檎にフォークを刺して、口元へと差し出した。
「あーん。」
「...ん、美味しい。瑞々しいね。」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ、多分。」
「多分じゃ困る。」
「次、俺の番ね。」
君の手から奪い取ったフォークは生温い。几帳面に並んだ林檎を一つ、君の口元へと運ぶ。ハムスターみたく丸い目を嬉しそうに細めた君は林檎を咀嚼し、聞かずともわかる美味しさ溢れる表情で飲み込んだ。俺の手からフォークを取り戻した君はサクサクと林檎達を口内へ運びながら、俺も君も見飽きるほど見た窓の外を眺めていた。
「一つ、頼んでもいいかな。」
「何?」
「手袋が欲しい。」
「...手袋?どうして?」
「ざらつきが気になる。お前に触れる時、それを忘れたい。」
「分かった。頼んでおくよ。久しぶりに、海へ行く?」
「いや、読書したいな。お前の好きな本、貸してくれない?」
「おっけ、選んでくる。」
摩る俺の手を暫し見て、ニコ、と笑顔を見せた君は空になった皿をお盆に置き、自室へと一旦戻っていった。お気に入りのティーセットも持ってきているあたり、君は俺がどう答えても一緒にいるつもりだったみたいだ。心配性が過ぎる、と言いたいが、最早この状態では聞いてはも���えないだろう。
「持ってきたよ。」
「今日は...へぇ、外国作家の本?」
「そう。ツルゲーネフの、初恋。昔からずっと好きな本で、読むたびに、胸がきゅって締め付けられる、切ない初めての恋の話。」
「ありがとう、読むよ。」
「...そばにいても、いい?」
「勿論。」
君はベッドの横に腰掛けて、ティーポットで蒸らしたお気に入りのアールグレイをカップに注いだ。今日はどうやら、レモンティーにして飲みたい気分らし��。飴色に近い紅茶に薄いレモンの輪切りを浮かべた瞬間、とぱあず色の香気がふわり、部屋に広がった。君の手が、傍に置かれた砂時計をひっくり返す。
「.........何か、隠してない?」
「まさか。」
「今更、隠せると思ってる?」
「案外、お前は鈍いから。」
「酷い。」
俺の左、ベッドの脇に座って、自身も持ち込んだらしい古書の、挟んでいたしおりを引き抜いてページを開く君は、部屋に漂うレモンの香りにご満悦らしかった。機嫌が良い。
いつだって俺の左にいたがる君に、なぜ左に固執するのか、一度聞いてみたことがある。君は、何を当然のことを聞いているのかと長い睫毛をぱちくりさせた後、ふわり、嫌味なく笑って、「だって、右利きだもん。」と言った。いつでも右手で抱き寄せられるように、と、笑っていた君に呆気に取られている隙に、自由な右手で引き寄せられキスをしたことが昨日のことのようだ。
「砂時計の進捗は。」
「あまり増えてないよ。」
「寂しい?嬉しい?」
「嬉しい。」
「じゃあ、今から少し、悲しませてしまうかもしれない。」
君の目から色が失せていくのは、何度見ても心苦しい。が、隠し立ては出来ない。勝手に捨ててしまうのは、あ��りにも君を信用していない。
左手でそっとめくった布団の下、昨日まであったはずの左足は、膝から下が砂と化していた。
この国では、人間が呼吸する頻度で、奇病が発生する。それは、過去にこの国の首領が引き起こした愚かな核戦争のせいでもあり、進み過ぎた技術に人間が敗北した結果でもあり、一つの星がが滅びゆく末路に用意された、覆すことの出来ない答えでもあった。
幻覚が見え続けるもの、身体の一部が肥大化するもの、幸せな夢の中で息絶えるもの。生き物はそれぞれの末路を、手に負えないことを知りながら皆迎えていった。
あるものは花になり、あるものは石になり、あるものは砂糖になり、あるものは塩になった。
メディアはもっぱら、緩和療法や安楽死の宣伝ばかりになった。医療は衰退した。皆が浅ましく人として生き残ることを諦め、奇病を、自然に伸びる爪や髪のように、老衰で逝く時のように、ただ受け入れた。
踏んでいる地面が地面なのか、人だったものの死骸なのか、もう誰にも分からない。死と生の境目も曖昧なこの国で、俺は、砂になっていく。毎日、少しずつ体表が削れて、どこかしらが砂になって、時折内臓にもガタが来ているのか、吐き出して、俺が砂になるのか、それとも砂に戻るのか、よく分からない。
夜、たわいもない触れ合いをしていた俺の肌を撫でた瞬間、ばらばらと崩れ落ちていった皮膚片が、真夏の太陽に焼かれた真っ白な砂浜の砂のような流砂だったのを見た君は、さぞ驚いただろう。
その時が来たのか、と落ち着く俺を前にして、君は、シーツに散らばった砂を必死にかき集めていた。その顔が今でも忘れられない。大事にしていたティーカップを割って、破片を集めながら申し訳なさに泣いてしまうような、そんな君に、恋人の身体のカケラを集めさせるなんて、鬼畜の所業だと。分かっているはずなのに、俺は今日も、君がシーツの上、足の形に盛り上がった砂を掻き集める姿をただじっと見ていた。
「...ごめん。」
「砂時計、いくつ作れるかな。大きい型、買っておけば、よかった。小さいのしかないから、取っとかないと。」
砂浜に撒いてくれ、そういうと怒るんだろうな。と思うと、向かいの部屋に無数に並ぶ砂時計を、責める気持ちになれない。形に固執する君は、ただの砂も、俺だった砂も、あまり違いがないんじゃないかと、少しだけ思う。
「やっぱり今日からここで寝る。」
「ダメだよ。お前、絶対寝ないでしょ。」
「寝るもん。」
「お前寝相悪いから、蹴られて崩れるかもよ。俺。」
「その冗談、今言うのはタチ悪いよ。」
「知ってる。」
手袋があれば、君に見せないように隠した、崩れかけの右手の人差し指も隠して触れ合えるような気がした。君は案外鈍いけど、俺のことに関しては鋭いから、舐めちゃいけないことを俺はすぐ忘れてしまう。いつまでも出会ったときの、子供のような無邪気さを忘れられない。
「砂時計ってのは、上手いアイデアだと未だに思うよ。」
「そうでしょ。そのために、ガラス細工覚えたんだから。愛情の為せる技。」
「砂に意識はない。感覚もない。庭の砂利と混ぜたら何も分からなくなる。けど、君のそばで時を刻めるのは、気分が良い。」
「時間の共有、人が信頼する過程において最も難しくて、最も有効なもの。そう言ったのは出会った頃の貴方だよ。」
「そんな堅苦しい自論、若気の至りだ、忘れてくれ。」
「忘れてやるもんか。」
ザッ、ザッ、と砂の擦れる音が心地よく、君との軽口の応酬のBGMには丁度いい。君が折角進めてくれた初恋の物語は、語り部の男が過去を振り返り手帳を開いたところで止まったまま、目は文字の羅列をただの記号としか捉えてくれない。滑る目が視界の端に捉えたのは、かき集めた砂の中に手を入れたまま、俯く君の姿だった。
「手を、握ってくれないかな。」
「......うん。」
君がそっと砂山から手を引き抜いて、俺の側に腰掛ける。差し出された細い手には砂粒が付いていて、気にせず指を絡め握れば君の瞳に一瞬、不安の色が映った。
「大丈夫。崩れないから。」
「うん。」
「少し、話してもいい?」
「うん。」
君は大人なのに、時々迷子の子供のように、世界の真ん中で立ち止まることがあった。それは決して他人には見えない、俺だけが見える場所で、俺がいることを分かっていて、立ち止まる。不安げな顔をして、キョロキョロと世界を見回して、疑心暗鬼になって、そしてまた、笑顔を貼り付けて進んでいく。
それがとてつもなく嫌だった。甘えられる場所があるから無理をする、というのは、自由主義の俺から見ればどうにも不器用で、非効率的だった。
「お前が弱くしたんだよ、こんなはずじゃなかった。」そう君は言った。人が人を愛するということが何なのか、俺よりもよっぽど、君が理解していた。
「また、迷子になってる。大丈夫だよ、お前は迷ってない。」
「そんなことない。迷う。一人で進んでる振りしてても、ふとした時に、迷う。」
「暗示をかけるのは良くないよ。砂時計があるだろ?迷わないよう、そばにいるって思えるから作った、って言ってたじゃんか。」
「そうやって、突き放す。どうして?」
「突き放してないよ。ただ、お前の時間を止めたくないだけだ。」
「分かんないよ。」
「いくら砂時計と遊んでも、時計の針は進まない。」
君の眼から落ちる雫がシーツの色を変えて、ぽつりぽたりと彩っていく。触れれば少しは身体も固まるか、なんて砂ジョーク、言ったら目を見開いて怒るんだろうな。
「変わらない時間の中で、過去達を抱いて、好きでい続けることは悪いことなの?」
「......悪くは、ない、けど、哀しいよ。」
「それは、自分で決める。」
「お前は、俺が最後に好きになった人だよ。それ以上でも、それ以下でもない。」
「お前はいつも、人の話を聞かない。」
「聞いてるさ。お前の言葉も、声も、全部聞いてるはずだよ。」
君の手の甲を撫でると、ざらり、とした感触の合間に、つるりと滑らかな君の肌の感覚がまだ伝わってくる。愛、とは。分からない。辞書を引いて出てくる意味で合っているし、間違ってもいる。世間にとっての愛、よりも、俺と君の間にある愛は、限定的で、自由で、救えない。
「心の全てを、お前が占めてる。それは、他を蔑ろにしてるわけじゃなく、無理やり埋め込んだ訳でもなく、元からそこに嵌るはずだったピースに出会えたような感覚だよ。」
「知ってる。」
花になる人間が、花を愛していたわけじゃない。氷になる人間が、冷徹な人間だったわけでもない。死因に、生前との因果関係は認められていない。ただ、素人ながら、俺はきっと砂になって死ぬべきだったのだと、そ��思う。君に愛されながら、それでも乾き続けた報いを受けたのだと、そう思う。
「今、お前の目の前にいる俺を、好きでいて。」
「好きだよ。」
「過去も、未来も、今には勝てない。今この刹那を、愛してほしい。」
「愛してる。」
「泣かないで。ねぇ、お前はいつも俺のストレートな言葉に弱いね。」
「弱くない。」
「弱くないね。そう、お前は強くなった。それなのに、手の届くところにいてくれてありがとう。」
今思うことを吐き出しても、君には遺言のように聞こえてしまう今を、俺は愛せているんだろうか。
わからない。分からないから、いつまで経っても俺は隠した砂を使えずに、明日もまたこのベッドで目を覚まして、君におはようと言うんだろう。
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大津逢坂山 芸能の神様 関蝉丸神社
地元大津の神社紹介。
かつて日本三大関所の一つとされた逢坂山の関。
そこに鎮座している関蝉丸神社を紹介させていただきます。
関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社と蝉丸神社と三社あり、相関連しているのだそうです。
早速ご紹介しましょう。
(more…)
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子供の頃、一番最初に覚えた百人一首は蝉丸でした。まさか大人になって飛び出し坊やきっかけで関蝉丸神社に参拝する機会が訪れようとは。感慨深いです。琵琶と腕の隙間の切り込み、支柱のところの弦描き込みのまぁ見事なこと。そしてやはりジャズフェスのギター坊や同様、B面はレフティー!
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山羊と羊と牛と鶏と冷たいレモン
夕方に洗濯物を干していると、湿ったタオルの向こう側からヒグラシの鳴き声が聞こえた。ヒグラシの声は綺麗だな。
顔を斜めにして左耳を斜め上に向けて聴き惚れる。
先日は玄関戸のそばに死にかけの蝉が落ちていて、蝉はただただ脚をゆっくりと動かしていた。
こ��まま開けると引っかかって潰す形になるので、どうしてもどけなければいけない。
だけど意外にも最悪のタイミングで突然飛び始めたりすることもあるし怖いので、箒の柄の先端を持ち少し離れた場所から恐る恐る隅に寄せる。
どけられた蝉はそれでも脚を動かすばかりで、飛ばない。
翌日玄関先を見てみると蝉は死んでいた。
朝に見た夢の中で、古い洋風の居間に立っていた。
室内の中央には丸テーブルがあり、椅子にはそれぞれ山羊、羊、牛、鶏が座している。
鶏は立っていたが、他の三匹は器用にお尻をちょこんと乗せて、前足をテーブルの上に置いている。
四匹の動物は何かを話していたが、山羊がこちらを見つめて「だから君には戦争に行ってもらうよ」とくぐもった男の声で言う。言葉を発するたびに口元の毛が吐く息に揺れていた。
山羊は目を僅かに細めて、平たい黒目を私の目に向けている。
そうは言われても、私は特になにも言うことを思いつかず、また何となく当然のような気もしたので「まぁ仕方がないよね」と考えていた。
私が黙っていると山羊は視線を机上に戻し、また四匹の動物たちで早口で何かをまくし立てる。
既に私にはもうなに一つ用が無いようだった。
目はそこで覚める。
豚の冷しゃぶを作った時に添えたレモンが、半分切られた状態で冷蔵庫に残っている。
サランラップでしっかり果肉の断面を塞いだレモン。
冷たい水に絞って入れようと思っていたが、なかなか冷えたものを飲む気になれない。
冷たいレモンと冷たい水を飲むような気分になれない。
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油揚げ異譚
祠(ほこら)なんてものは、わかりやすくするために置いてある飾りだと言い捨てていた。 そんな作り物よりも、この田んぼや畑、それに人との距離が重要なのだと諭された。 豊作を祈り建造された祠の近くに寄り集まり、長老と年寄り達、その世話をする若者との会話の中で出た一言であった。 長老は全身の毛が白くなり、なにやら神々しい見た目になっている。どちらかと言えば小柄な体格で、年をとったからなのか背中が丸くなったのもあり、福々しい印象もある。長生きした証として、尻尾は九本になりそれを見た人間は物の怪か神の使いと勝手に恐れるが、集落で共に暮らす狐からしたら気のいい爺さんにすぎない。 若い狐が採りすぎたからと余った鼠を分けに行くと、目を細めて喜んでくれる。また、子狐がその尻尾を珍しいからとじゃれついてくると、子狐をあやすのに右へ左へと尻尾を動かしている様子からは、人に恐れられるような力を持っているようには見えない。 そんな長老を中心に年寄り達が集まり話をしている。 蝉の声と抜けるように高い青空の下、田畑に囲まれた村の外れでその集会は開かれていた。村の中心から山の入口にある雑木林の入り口に人間の建てた倉庫がある。その横には狐を祀る祠があり、そこから雑木林を少し行くと狐の集落がある。人間の近くにいるものの、狐は人に深く関わることななく営みを続けていた。 長老たちの話は、作物の吉凶を見据えて鼠が増えるか否か、減るようであれば狩りをする範囲を広げるかどうかという、集落の行く末がかかることを話していたかと思うと、孫狐が生まれたのなんのと茶話にふけっていることもある。 いつ終わるともしれないこの会合の世話係として若い狐がかり出され、その面倒を見ることを役割とされているのだった。 長老達の言うことは若狐には何のことやらわからないことばかりだった。話している内容もわからないのはもちろんだが、そもそも歯が抜けた年寄り狐の滑舌では、自分の名前を呼ばれたとしてもわからないぐらいに言葉がこもってしまっていた。 鼠は狐の主食である。果物もそうだが、米やヒエが豊作となれば鼠の数もふえる。特に人間が育てる稲が豊富に実ると鼠の育ちは特に善くなる。 しかし、鼠が増えすぎると稲は荒らされ、雪の時期になる頃には人の食べ物が枯渇してしまう。だからと鼠を捕りすぎるとその先の狐の獲物がなくなる。絶妙な加減で鼠を捕え、腹を満たしてくのが要であった。 年寄りの話は時に淀み、時に本題から外れたりしながらも、蛇が地面を這うかのように前進はしているようだった。 祠に捧げられている油揚げは若狐は世話をする褒美として与えられていた。少し油が古いのか、堅牢な若狐の胃袋をもってしてもやや重い。数口で食べ切れる量ではあるが、そんな勢いで食べてしまっては油揚げに負けてしまい、年寄りの世話を最後まで見られなくなってしまう。それでも、この不健康な味が癖になるのか、文句を言いながらも来るたびにかじっている。他意はなく、人間も鼠とか置いといてくれりゃいいのに、と呟いた独り言を長老は聞き逃さなかった。 油揚げが祀られるようになるには、狐と人の距離がついたり離れたりを繰り返し、そして今の形がある、という話を長老は若狐にし始めた。
長老や年寄たちが若い時代には村という集まりはなく、それぞれの狐が別々に暮らしていた。 しかし、飢饉が襲いかかり、狐は多くの死者を出した。子供と年寄りが命を落とし、未来と経験が失われていったのだった。 しかし、その当時の人間の集落は幸いにも命を落とす物がほとんどいなかった。一方、狐はかろうじて絶滅を逃れることができたが、生き残ったものは滋養が足りずやせ細り、狩りをするのにもやっとのありさまであった。 狐も人も同じようにやせ細っているが、狐は生き残るのがやっと、人は栄養が足りているとは言えないが、大きな影響を受けずに生き延びている。その違いはなにか。それを偵察したのがいまの長老なのであった。 人の住まいの軒下に潜んだり、人が集まっているところのそばに行き、その動きを観察し続けたのだった。長老がそこでつかんだ要点は三つあるという。一つは集まって補い合ったこと、そして、知識を共有し生かしたこと、最後に食料を蓄え、なにがあっても飢えることがないようにしていることという。 狐もそれにならい、集団生活をするようにしようとしたのだった。 とはいえ、いままでが単独行動で過��してきた者達だ。集まって話をしようと言うのですら難航した。人間の行動を見てきた狐達は単独行動から集団行動に変化させる意味を把握していたが、その意味を把握するのには繰り返しの説明と、ある程度のあきらめを誘発するしかなかった。 飢餓を乗り越えた数少ない年寄りは栄養が足りなくほとんどが巣に閉じこもっている。また、ある程度の年長の狐であっても栄養失調で体の力がほとんど抜かれており、若い狐が何かしようとしても協力こそできないにしても、それを止めたりといった眼の上のこぶになるようなことはなく、静かにしていてくれたのだった。その���かげで若い狐達の画策は形にするまでにあまり時間がかかることもなく、集落の形につくりあげることができた。 このことについて、長老達はたまたま運良く、そういう時期に遭遇してやることができた、と言い、狐らしからぬ集落の創始物語があるのだが、年寄りの言うことをそのまま記すといくらでも長い話になってしまうので省略する。 人間の生活と狐の生活は長いこと別になっていた。人間が稲作を始め、鼠が稲に寄っていくことに気付いた狐は人里近くで暮らすようになった。 しかし、田んぼを駆け回る狐を見た人間は、それを良いことと考えなかった。田んぼや畑に入り込み狩りをしている狐は高く跳ね上がり、獲物を前足で真上から捉えようとする。その動きが人間から見るとせっかくの稲を倒してしまっていると考えられていた。 ある日のこと、子狐が狩りの真似事をしていた。田んぼに入り鼠はまだ怖いからとバッタを相手に飛びかかろうとしたときのことだった。高く跳ねた子狐にその子の頭ほどの石が飛んできて、後ろ足に当たったのだった。子狐は一声大きく鳴き声を上げると、足を引きずりながら山の方へとかけていき、狐の集落へと戻ってきたのだった。 怪我は幸いにもじっとしていれば治るようなものであったが、共同体となった狐にとっては初めての大きな事件であった。以前から人間が狐を悪者にしているというのは話題には登っていた。しかし、このような実害を伴う形は初めてであり、集まってはどのようにするかの話を重ねていったのだった。 稲田に湧く鼠はほしい。けれども、悪者扱いされるのは論外だ。なによりも、子狐が人間に捕まったりしたら怪我どころではすまないだろう。という話が進んでいた。 集落としての意見は固まった。鼠は惜しいが狩り場を捨てて、違うところに集落を作ろうというものだった。 団結した狐は行動が早かった。人里から遠ざかると森の中に新しい拠点を見いだしたのだった。 狐が立ち退き、新しい生活が定着し始めた頃、人間の村では違う形での変化が起きていた。 稲の育ちが悪くなり、いつもならば頭を垂れる頃合いだというのにほぼ直立したままの姿であり、直立した稲穂の先には米がついてたらしい形跡はあるものの、実り、膨らみ、糧となるはずの重みはなく、一年の労の結果とは思えないほどの貧相な立ち姿であった。 そのかわり、田の中や周りには枯れ草を寄せ集めてできた鼠の巣がそこかしこに出来上がり、鼠の巣を支えるために田圃があるような有様であった。 その影響は田だけではなかった。村の貯蔵庫に貯めてあった米はもとより芋などもすべて食べ尽くされ、畑で育てていた作物も、収穫できたものがあるとしても、どこかに鼠がかじった跡があり、鼠が食べ残した作物を人間が食べているような有様となった。 鼠が人間の田食べ物を横取りしているだけではなかった。 村に疫病が流行りはじめ、乳飲み子や年寄りがやられ、そして命を落とす者があった。 滋養が足りなく、普通に過ごすだけでもやっとの体力しかないところに疫病の拳が振り上げられたようなものだった。 村は満身創痍となり、その傷を癒すための策はなかった。 村の集まりでなにがこんな飢えと病と永訣を呼び寄せたのか、話し合いが起きていた。 ある者は祟りといい、ある者は水神に供えが足りなかったといい、ある者は鼠に恨みをもたれた奴が仕返しをされていると言い、それぞれがそれぞれで原因らしき要因を述べ、そしてそれをどうしたらよいのかの解決策を見いだせないまま空虚な時間を過ごした。 ある者がふと口にした、狐に石を投げてから姿を見なくなったとの一言が袋小路に入っていた話し合いに灯りを与えたのだった。 狐は鼠を食う、と誰かが口にする。 どうにかして狐を呼び戻し、鼠を捕ってくれるよう頼めないかとの言葉もでる。 でもどうやってやるか見当すらつなかなかった。 ある者が思い出したように言う、そういえば子狐が油揚げをさらっていったことがあった。もしかしたら油揚げが好きなのかも。と。 村人の最後の頼みの綱として、最後に狐を見たという雑木林の近くに油揚げを置いてみる。 何日か試してみたが、狐が油揚げを食べた気配はない。 これが最後にしようとしたときのことだった。村人が隠れてみている目の前で子狐が油揚げを持って行ったのだった。 狐の集落でもその油揚げはなにを意味しているのかと話題になった。 人間はなにを考えているのか、この油揚げをきっかけに何かたくらんでいるのではないか、それとも油揚げに何か意味はあるのか。それは狐同士で話し合っても解決しないことであった。 そこで出向いたのは生き延びていた長老であった。尾は九尾あり、幻術を使うのは自在であった。もし、人間が何かしようとしても無傷で帰ってこれるのは長老ぐらいのものだろう。それを自負してからなのか、長老は子狐に油揚げをの場所まで導いてもらい出向いた。 九尾の狐の登場で腰を抜かしたのは村の者であった。伝説とされていた九尾の狐が目の前にいる。そして、さっき油揚げを持って行った子狐が先導している。きっと、願いが通じたのだと確信していた。そして、九尾の狐を拝み、どうか、村に戻り今まで通り鼠を捕ってほしいとの願掛けをしてている。 困ったのは願掛けをされている長老だった。人の言葉はわからない。だが、身振り手振りを見ていると、どうやら悪くしようと言うのではなく、こちらにお願いをしているようだ。 そして、その願いは油揚げがつなぎになり、狐達を導いているらしい、と長老は考えた。 油揚げは子狐に持たせ、狐たちの集落に戻ったのだった。 長老は集落戻るとすぐに若狐に人間を観察するようにとのお触れを出し、翌日を待った。 一方、村人は狐に願いが届いたと安堵の声を上げていた。 その様子に始まり、若狐は村の周りをうろつきながら人の様子をつぶさに観察し、長老の目と耳、または鼻となりすべてを伝えていたのだった。人間の村の中を橋から橋まで若狐はあるき回る。そうすると、田や畑、倉庫の近くに油揚げが置いてあることに気付き、油揚げに近づく。狐がおびき寄せられたのは油揚げだけではない。その周辺には鼠の臭いもプンプンと漂い、狐���とってはなんとも食欲がそそられる誘惑的な場所だったのであった。 見回りの若狐は油揚げを平らげると、すぐに集落に戻り長老にことを伝えた。 長老は人間が求めるところを確信した。人間は自分たちの食料を守るため、鼠が邪魔であり、狐が鼠を捕らえ、そしてその周辺をうろつくことで狐の匂いを嫌う鼠たちが他所に行くことが目的なのであろうと気付いたのだった。 そうとわかれば、狐達の行動は早かった。油揚げが置いてある田圃に入り、安穏と肥えた鼠を捕まえ、そして腹を膨らませて帰ったのであった。 人間もその動きに気付き、油揚げがなくなった所では巣の中に鼠の影を見ることもなく、狐が食べて仕事をしているのがわかった。 いつの日か、地に直接皿を置き油揚げを置いていたのをやめ、祠を建て狐に供え物をし、鼠から作物を守ることで豊穣を願うようになった。 狐は田に入っては鼠を捕り、倉に忍び寄る鼠を捕まえ、また倉の周りに自らの尿を巻き、鼠除けとした。 人間が狐に油揚げを捧げるようになった始まりであった。
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WHITE
街路樹の葉は密に茂ってざわざわと揺れ、無数の蝉の鳴き声がガラス越しでも耳まで届く。生き物のように宙を舞うビニール袋や忙しなく飛び交う小鳥たちを目で追って、空の色が赤や青や灰色に変わるのをぼんやりと眺めた。 外は真夏だった。僕は室内飼いの白猫で、5階の窓辺でレースカーテンに包まれていた。ここに来る前のことはよく覚えていない。ただ、ぬるい雨の中ボロボロの姿で歩いていたことだけ印象に残っている。死にかけの僕を拾ったのは人間の女性で彼女は一人住まいだった。清潔なマンションの一室で僕は出されたものを食べ、好きな時に眠り、与えられるまま何も考えずに暮らした。時々、呼ばれれば彼女の寝室で眠った。苦しいことも辛いこともなかった。僕は彼女に大人しく撫でられてさえいれば良かった。
ある朝、ベランダの柵に見慣れないものがやってきた。それは白い小鳥で、野生にはあり得ないふっくらとした体つきと綺麗な羽毛と柔和な瞳を持っていた。僕はそれを見つめ、そのうち向こうも僕に気づいた。小鳥は、あろうことか僕の方へちまちまと足を動かして近付いてきた。ガラス越しとは言え僕はお前の捕食者だぞ、と睨んでみても小鳥は平然として、ぐっと首を傾けると片目で僕のことを観察した。やがてふと目を細めると小鳥は飛び立ちどこかへ消えた。僕は、あの小鳥の表情を「嘲笑と哀れみ」と受け取った。 僕は小鳥のことをあれこれ空想し始めた。あれはおそらく人間に飼われていて、きっと逃げ出してきたばかりだろう。外の世界の恐ろしさを知らない哀れな小鳥。それも白い羽毛だ。あっという間にカラスか何かに捕まって小さな体を引き裂かれてしまうに違いない。僕は、僕と似た真っ白な体が、黒い大きな塊に蹂躙される場面を想像した���いつしか血まみれで喘いでいるのは僕自身に変わり、その映像が脳裏にこびりついて離れなくなってしまった。こういう時は眠るのに限る。僕は居心地の良い場所に丸まりながら、小鳥が最後に見せた表情のことを思い出していた。愚かなのはあの小鳥の方なのに、どうして胸につかえるのだろう。たとえ一時であったとしても、遮るもののない空を羽ばたくことが、その自由が、羨ましいのだろうか。
それから数日、あの小鳥を見かけることは無かったが僕の目の中にはいつもあの白い姿がちらついていた。寝床から這い出ると僕はいつも通り窓辺に行き、レースカーテンの内側へ入った。その時、ぬるい風が顔に当たった。妙だと思った。彼女はいつも、エアコンを付けたまま出かける。そのためにいつもぴったりと閉められているはずのガラス窓が、この日に限って開いていた。僕は久しぶりに触れる外気の熱と喧しい蝉の声を浴びながら、ほとんど無意識にベランダへ出ていた。暑い。まだ午前中のはずなのに目眩を感じるほど日差しは強く、コンクリートは火傷しそうに熱されている。僕は早足で歩いて振動する室外機の上に飛び乗った。柵に前足をかけて伸び上がり、下を覗き込むと庭があった。つまり、地面は土だということだ。 (ここから飛び降りるつもりなのか?) 頭の中で声がする。不安も恐怖もないこの場所から、死の危険を冒して、過酷な世界に戻ろうというのだろうか。僕は、意志も固まっていないくせに、体を何回転させれば地面に着地できるだろうかなんて計算を始めていた。 (着地に成功したとして、どこへ行く?) 行くあては無かった。けれど、あの小鳥の細めた目と羽ばたき去ってゆく光景を振り払うことがどうしてもできない。不意に、湿り気を帯びた熱くて強い風が吹きつけた。 その瞬間、体は宙に舞っていた。見慣れた街路樹と晴れ渡った空と黒い地面が僕の目の中を高速で回転した。緑、青、黒、緑、青、黒、白、緑、青…… 白?回転する風景の中におかしな映像が断片的に混ざっている。その白に、僕は意識を集中させた。まず見えたのは大量の白い錠剤。次に、見覚えのない白い天井。それから、身寄りのない僕の手を引く白い腕。あとは似たようなシーンの繰り返しだった。白いシーツに横たわる裸の女。彼女の、太り過ぎてぶよぶよした不健康そうな白い肌。 (これを見たのは僕なのだ) 感覚が戻ってくる。その肉の感触。耳に刺さる声。粘膜の味。
地面に到達する前に、僕は両手で自分の顔を覆っていた。その手をゆっくり外すとそこは相変わらず真夏のベランダで、僕は熱されたコンクリートに足の裏を焼かれていた。蝉はますます激しく喚き、眩しさと喧しさに頭がくらくらするのを感じた。僕は室内に戻って窓を閉め、そっと鍵をかけた。それからエアコンの温度を少し下げて浴室へゆき、ヒリヒリする足の裏を水で冷やした。僕は白猫なんかじゃなかった。そのことを、やっと思い出した。 たったひとつのリュックサックが僕の荷物だった。それを背負い、玄関へ向かった。見れば、靴も両足分揃っている。僕は猫ではない。だからこの、鍵のかかった重たい扉だって簡単に開けられる。僕は猫じゃない。僕は白い猫なんかじゃない。ドアノブに手をかける。僕は猫じゃない。僕はここを出て行く。僕は白い猫なんかじゃない。ドアが細く開く。僕は猫じゃない。僕は。僕は。 開き始めたドアの隙間から空が見えた。その隅の方を、白い小鳥が横切った気がした。
***
絵:ツクポ
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文:末埼鳩
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弱虫ヒーロー
「ぼくがヒーローになるよ」 どんくささが災いし幼稚園でいじめられて涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた私に突然彼女はそう言って手を差し伸べた。 私達にとってヒーローとは日曜の朝にテレビで放送される戦隊物のイメージだった。毎週悪者が出てきて、町を荒らして、人の平和を脅かす。その脅威に立ち向かう戦士達。最終的に爽快な展開になって、子供はみんな憧れて、変身グッズを身に着けてヒーロー気分で跳ね回る。 その時、園内に植えられた巨大な木の陰で私は隠れて泣いていた。室内でおりがみを折ったりおままごとをするのが好きなのに、おそとで遊ぶのも大切だからと先生に連れ出されて、やりたくもないおにごっこに巻き込まれて、案の定さっさと鬼にされて、でも誰に追いつくこともできなくて、からかわれてばかりで、とてもいやな気分になって、悔しさとか惨めさとかに苛まれてしくしくと泣いていた。 私のことなんて忘れて違う遊びに切り替えたから、誰も私を探しには来ず、思う存分泣くことができた。唯一やってきたのが、彼女だった。きらきらとした木漏れ日が当たって、彼女を含めたあらゆる景色がきれいだった。 「まもってくれる?」 私が問いかけると、男の子みたいに髪を短くした彼女は自信満々といったように歯を見せた。 「まかせろよ」 小指が重なり、絡まる。指切りげんまんが交わされて、私たちの間には秘密が生まれた。 それから彼女は私にくっついてくれた。正しくは、私が彼女にくっついていた。 彼女は男の子に負けない体格の良さをしていた。幼児における男女差なんてそんなものだ。彼女は四月生まれで同学年だと一番成長しているはずで、私は翌年三月の早生まれで比較的小さい子供だった。四月生まれと三月生まれではあらゆる点で差が生じる。 彼女は負けん気が強くて、男の子にも果敢に挑んでいった。女の子たちは彼女のことを慕っていた。私は金魚の糞みたいなもので誰の視界にもうまく入らなかっただろうけど、とにもかくにも彼女が味方してくれているだけで私は随分と助けられた。 しかし、その年の三月に彼女は急に園を去ることになった。親の転勤が理由だった。 私にとって世界の終わりと同様だった。 うそつき、と言った。自分勝手に。まもってくれるって、言ったのに。私はあの日、彼女と約束を交わした日よりもずっとかなしい涙を流しながら、彼女にそんなこころない言葉をかけてしまった。ごめん。彼女は本当につらそうに謝った。私もとてもつらかった。彼女と離れることも、彼女が離れてしまった後のことも、あらゆることが不安でつらかった。 それから彼女はこの町を去って、私と彼女の秘密は遠く細く引き延ばされてぷつんと切れてしまった。
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時が経過し、私は地元の公立中学に入学することになった。 私服登校だった小学校と違い、真新しくてぱりぱりしてて固い生地の、制服に袖を通す。私立や少女漫画みたいに可愛いチェックスカートも赤いリボンも無い、ただの紺無地のプリーツスカートにブレザー、リボンもネクタイも無し。ちょっと不満だったけど、身につけてみるとそれだけでお姉さんになったみたいで嬉しくなった。お母さんもお父さんもいたく喜んでくれて、入学式に臨む。 何校かの小学校の学区が複合しているので、元の小学校の友達は勿論、他の小学校の子もたくさん入学してくることになる。幼稚園では手痛くいじめられたが、小学校でなんとか少し持ち直し、友達もできた。中学校はどうか、クラスでうまくやっていけるか、部活はどうするか、勉強は大丈夫か、だとか期待と不安がぐるぐると回転している。 一年三組に組み込まれ、教室の後ろから父母に見守れながら私達は一人ずつ自己紹介をしていった。私はたいてい一番最初の出席番号になる「会澤真実」で、この一番最初という位置にどれほど振り回されてきたか分からない。会澤苗字のお父さんをどれだけ恨んだことか。 先生に呼ばれて、席を立ち上がる。最初がみんなにとっても肝心だということはよくわかる。みんなの視線が集まって、負けそうになる。やばい、吐きそうだ。知っている子を咄嗟に探す。真ん中あたりに小学校の友人がいて、あの子が傍にいてくれたらどれだけ心強かっただろうと思いながらも、彼女が小さく手を振ってくれたのを見てほっとして、なんとか私は噛まずに自己紹介を始める。名前と、出身校と、抱負。無難に終わらせて、ぱらぱらと拍手が起こる。 しばらくは多大な緊張がずっと糸を引いていて、意識が他の子たちの方に向かなかった。じくじくと鳴る心臓がやがて収まってきたころには、さ行までやってきていた。 「清水律」と聞いて、私はふと顔を上げた。どこかで聞き覚えのある音並びだった。立ち上がったのは学ランを纏った、中くらいの背の男子だった。中性的な顔つきで、どちらかというとイケメンな部類に入るような感じがする。しみずりつ、と心の中で繰り返す。なんだろう、このデジャヴ。 淡々と続いていた自己紹介に衝撃が走ったのは、そんな彼が発した次の言葉だった。 「ぼくは性別は女ですが、心は男なので、学校にお願いして男子として生活することにさせていただきました。よろしくお願いします」 教室に薄い困惑が広がった。 そして私は思い至った。どうしてこんなに大事なひとの名前を忘れていたのだろう。 昔、約束を交わした、私にとっての正義のヒーロー。 「りっちゃん」だ。
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「りっちゃん」 つつがなく入学初日を終えて、静かな興奮と動揺の残る教室で、りっちゃんの周りの子たちがいなくなったのを見計らって私は思いきって話しかけた。 りっちゃんはやっぱり学ランを着て、普通の男子とおなじような雰囲気をしている。��もさっき一緒にいた子達は女子だった。多分、同じ小学校の子たちで、友達なのだろう。なんで、とか、聞こえたから、たぶん彼女達もりっちゃんが男子の格好をしていることに驚いたのだろう。心が男だというくらいだから小学校でもボーイッシュな格好をしていたのかもしれないが、女子と男子で明確に見た目が区分される中学校でまで学ランを着てくるとは誰も予想していなかったように窺えた。 はじめりっちゃんは目をぱちくりと瞬かせたけど、ふわっと笑った。 「久しぶり。やっぱりまみちゃんだったんだ」 「うん」 私はどきどきした。なんだかずっと落ち着いた声色に思う。男子は少しずつ声変わりしつつある人も出てきているけれど、りっちゃんは当然ながら男らしい野太い声ではない。むしろ澄んでいる印象があった。なんだか大人っぽい。 「最初名前を聞いて、似てるなあって思ったんだ。思い違いだったら恥ずかしかったんだけどさ」 「私も……いや、最初は、その、名前を聞いてもなかなか思い出せなかったんだけど、りっちゃんが男子の格好をしてますって言った時に、思い出した」 「めっちゃ事細かに教えてくれるじゃん。てか、りっちゃんって懐かしいな」 私はちょっと慌てた。そうか、りっちゃんはりっちゃんだけど、男子として生きているんだとしたら、ちゃん付けは嫌かもしれない。 「小学校ではどう呼ばれていたの?」 「律が多いな。それか清水。こういうのだから、ちゃんとかくんとかややこしくて、呼び捨てが多かったんだ。でも呼びやすいようにしてくれればいいよ。別にりっちゃんでも。男でもちゃん付けのニックネームってあるしさ」 この余裕はどこから生まれてくるんだろう。私はたった少しだけの時間でりっちゃんはやっぱりすごい子なのだと思った。すごいね、と何気なく言うと、りっちゃんは首を傾げた。 「何が?」 「いや、いろんなことが。幼稚園の頃より落ち着いてるし、大人びて見える」 「幼稚園の頃よりは成長してたいわ。流石に」 「そっそうだよね。ごめん」 「いいよ謝らなくたって。まみちゃんはなんか、ちょっときょどきょどした雰囲気は残ってるね。懐かしい」 きょどきょど、という言い方がちょっと可愛いけど、多分良く言われているわけじゃない。 「でも、さっきの自己紹介とかさ、一番で緊張するだろうにちゃんとしててかっこよかったよ」 クラスの子たちに嘗められたりいじめられたりしないようにするには第一印象が何よりも重要だ。りっちゃんにそう言われると、たぶん割と大丈夫だったのだろうとわかり、ほっとする。 「すっごく、あがっちゃったけど」 「うん、緊張感は伝わってきた。女の子はそのくらいの方が可愛らしくていいよ」 りっちゃんはさばさばと笑う。けれど、どうしてもその言い方に引っかかってしまう。 「……あの、りっちゃんの、心は男っていうのは」 思ったよりすらすらと会話が進んだので、私は決意して尋ねてみることにした。 「ああ」りっちゃんはなんてことないように学ランの襟元を摘まむ。「言った通り。いろいろ迷って親や先生方ともよく相談したんだけど、ぼくは自分で着るならブレザーとスカートより学ランとズボン派だっていうだけ」 でも、まみちゃんの制服姿はとても似合ってる、とさらっと褒めてきた。はぐらかされたのだと解った。私は頬がちょっと熱くなるのを感じながら、辛うじて、りっちゃんも学ラン似合ってる、と返した。本当に似合っていた。私もそうだけど、制服に着せられている子ばっかりな中で、りっちゃんはそのぴしっとした制服の頑なさがりっちゃん自身にフィットしていた。 「そうか? 良かった」 ほっと肩の力が少し抜けたのを見て、ああ、涼やかな顔をしてるりっちゃんも緊張してたのだと知る。 「小学校の友達にもちゃんと言ってなかったからさ。皆びっくりしてて。でも、なんとかなるか。堂々としてればいいよな」 「うん」 私は素直に頷いた。 それから簡単に会話を交わして別れた。また明日、と言い合って。 また明日。反芻する。また明日、りっちゃんに会えるのだ。同じ教室で。幼稚園の頃と少し形は違うけれど、あの時永遠の別れみたいにたくさん泣いたのに、奇跡が起こって再会できた。そう考えるとなんだか嬉しくてたまらなくなった。 私は大きくなったりっちゃんの素振りや言葉を思い返す。 先生、だけではなく先生方とつける。果たして、小学校の時、そんな風にさらっと言える人は周りにいただろうか。中学一年生なんて、制服で無理矢理ラベリングされただけで、中身はまだ殆ど小学生みたいなものだ。その些細な気遣いのような言葉の選び方に、私は今のりっちゃんの人間性を垣間見たような気がした。
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りっちゃんの噂は教室を超えて一年生全体に広がった。 面白半分に様子を見に来る野次馬根性の人もたくさんいた。初めのうちは私の席は入り口から一番近かったので、廊下にたむろしているりっちゃん目当ての人たちの声がよく聞こえた。どれ? あれあれ、あの座ってるやつ、へー、みたいな、好奇心だけが剥き出しになってる言葉が殆どだった。その中には、りっちゃんの元小の子たちもいて、小学校の時もやっぱり男子っぽさはあって、男子にまじってサッカーをしたり、誰にも負けないくらい足が速かったり、その一方で女子ともYouTubeの話をしたり恋バナをしたりしていたらしい、という情報を横耳で仕入れた。 要はクラスの中心人物として立っていた。あれだけ大人っぽかったら、確かに自然と中心になりそうだ。悪い意味ではなく「違う」感じがする。私とは全然違うし、皆とも違う。彼女は少し、違う。あれ、彼女っていうべきなのかな、それとも彼っていうべきなのかな。 たぶん、私が抱いているそういう戸惑いをみんなが持っていた。 そんな皆の戸惑いは素知らぬふうで、りっちゃんは「男子」として中学生活を送っていた。男女一緒くたの陸上部に入部して、毎日放課後に校庭でランニングしているのを見かける。私は小学校の友達に誘われて美術部に入った。絵なんて全然上手じゃないし好きじゃないけど、何かしらの部活には入っておいた方が友達ができると思ったからだ。友達はいるぶんだけ安心する。 実際、美術部は先輩後輩の上下関係も薄くて気が楽だった。プロみたいにびっくりするほど上手い先輩もいれば、幽霊部員もざらにいる。アニメっぽい絵を描いて騒いでる人もいれば、静かに一人で模型造りに没頭している人もいる。みんなそれぞれで自由にしていて、地味さが私にちょうど良かった。新しい友達もできた。 私とりっちゃんは全然違う世界の人だな、というのは、部活に入ってしばらくしてから実感するようになった。 初めのうちはちょくちょくタイミングを見計らって話したけれど、それぞれ友達ができたし、瞬く間に忙しくなった。小学校よりもずっと授業のスピードが早いし宿題は大変。塾に行っている子は更に塾の宿題や授業もあるのだから大変だ。私はらくちんな部類のはずなのに、目眩が起こりそうだった。 それでもたまに話す機会があった。委員会が同じだったからだ。園芸委員会である。だいたいこういう類は人気が無い。毎日の水やりが面倒臭いし花壇いじりは汚れるからだ。私のような地味な人間には似合うが、りっちゃんが立候補するのは意外だった。曰く、植物って癒やされるから、らしい。 校舎に沿うようにして花壇が設けられており、クラス毎に区分されている。定期的に全学年で集会があって、植える花の種類を決める。大体決まり切っているので、すぐに終わる。そして土いじりをして苗を植えて、水やりをする。水やりは曜日を決めて交代でしているので、りっちゃんとゆっくり隣で話すのは土いじりをするときくらいだ。だから、私はそんなに植物が元々好きだったわけじゃないけれど、この時間が結構好きだ。 「暑くなってきたよなあ」 とりっちゃんは腕まくりをして苗を植えながら言った。りっちゃんの腕はあんまり骨張っていないけれど、陸上部の走り込むようになって黒くなりつつあって、健康的な肌をしていた。 「そうだね。そろそろ衣替えだよね」 既に男子は学ランを脱いで、女子はブレザーを脱いでいる。女子はベストを羽織っているひともいるけれど、本格的に暑くなってきたら半袖に切り替わる。 「やだなあ」 りっちゃんは軽い感じで苦笑し、お、みみず、と言って、指先でうねうねうごめくみみずを摘まんだ。私は思わず顔を顰める。 「ええ、きもちわる」 「みみずっていいやつなんだよ。みみずのいる土は栄養分たっぷりってこと。だからここに植えた苗はきれいな花が咲く」 「知ってるけど」私は口を尖らせる。「きもちわるいものはきもちわるい」 「それは仕方ないな」 りっちゃんはおかしそうに笑い、みみずを元の土に返してやる。 「りっちゃんは家でもこういう園芸とか、するの?」 結局私は慣れている「りっちゃん」呼びを続けているけれど、クラスでそういうのは私だけだった。ただ、普段周りがいる中でそう呼ぶのはなんか恥ずかしいし、りっちゃんもちょっと嫌かもしれないから、「清水くん」と使い分けている。 「たまにね。母さんが庭いじり好きだから。雑草取りとかよくやるよ。暑くなるといくら取っても草ぼーぼーになるから、それも嫌だな。嫌いじゃないんだけどさ。植物って何も言わないし、無心になれるというか」 「ふうん」 「まみちゃんはこういうのやらない?」 「全然。うち、マンションだし。でも、委員会でやるようになってちょっと好きになった」 「いいね。まみちゃんはきっと綺麗な花を咲かせる」 「綺麗な花?」 「植物は人の感情を反映させるという噂がある」 りっちゃんは基本的には大人っぽくて男子らしさは確かにあるのだけれど、時々こういう可愛らしいというかロマンチックなことを言う。 「だからおれはいっつも雑な咲かせ方をする」 入学時には「ぼく」を使っていたけれど、五月頃には「おれ」と言うようになった。 「私も自信ない」 「じゃあ三組はみんなより変な花が咲くかもな」 二人して笑った。りっちゃんの冗談は心地良い明るさがあって、話していて楽��い。
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最初の明らかな違和は、やはりというかなんというか、プールの授業だった。 暑くなってプール開きが示されて、教室にはいろんな声が沸き立った。女子の中には水着姿になるのが嫌だという子もいたし、男子は大体嬉しそうだった。でも三組には他の教室に無い疑問が浮かんでいただろう。 清水律はどうするのだろう。 りっちゃんは普段男子の格好をしているけれど、身体は女だ。だから、当たり前だけど、上半身はだかになる男子の水着姿はたいへんなことになる。かといって、女子のスクール水着を着たら、それはそれでなんだかおかしい感じがする。 トイレは男女共有のバリアフリースペースを使って凌いでいるけれど、こればかりはどうしようもない。陽の下に明らかになってしまうことなのだ。 結論からすると、りっちゃんは一切のプールの授業を休んだ。休んで、レポートを提出した。 プールを休む子は他にもいる。女子も結構休んだりする。女子には生理がある。体育の先生に直接生理だという理由を伝えるのは嫌だけど、お腹が痛いとか言ったら大体通じて休める。明らかに生理休みが長すぎる子は流石に指摘されて、しぶしぶ出たりするけれど。 一方でりっちゃんはずっと休んだ。それを不満げに見ている子もいた。レポートで済むなんて楽だよね、と嫌みったらしく言う子もいる。そんなの、仕方ないじゃんと思うのだけれど。りっちゃんだって休みたくて休んでいるわけじゃないのだ。たぶん。 そういえば、りっちゃんは生理はどうしているのだろう。あんまりにデリカシーが無いから訊けないけど。 生理に限らず、中学生の時期は男女で大きく身体が分かれていく。 女子の生理は小学生高学年から中学生にかけて初潮がやってきて、身体は丸みをおびて、胸がすこしずつ大きくなっていく。男子は、あんまりよくわからないけれど、声変わりして、ちょっとひげが出てきたりする。身体も大きくなってくる。女子も身長はよく伸びるし私も春から夏にかけて二センチくらい伸びたけど、男子は女子の比じゃないという。特に中学校で凄まじい勢いで伸びていって、ごはんの量も半端じゃない。エネルギーの塊、みたいな感じ。 りっちゃんは男子だけど、女子だ。身体は、女子なのだ。 衣替えになって、りっちゃんはひとり長袖のシャツをしていた。私はなんとなくその理由を察した。半袖のシャツは長袖のシャツよりも生地が薄くて、透けやすい。りっちゃんの胸は薄いけれど、たぶん多少は膨らんでいて、ブラだってしている。キャミソールとかタンクトップを上に着て、女子もブラが透けないように気をつけるけれど、りっちゃんはそのものを隠そうとしているのではないか。本人には訊けないけれど。 そういったことが違和感が表面化してきたのは、夏休みが近くなった頃だった。 花壇に植えた向日葵の背が高くなって、もうじき花開こうという頃である。 他愛も無いからかいのつもりだったのだろう。座って次の授業の準備をしていたりっちゃんの背中を、男子の指が上から下へなぞった。 そうしようとしているのを、私は教室の後ろ側から、美術部の友達で一番仲が良いさきちゃんと会話しながら見ていた。やばい、と直感していた。男子達がそわそわしていて、なにかをりっちゃんに向けてしようとしていると解った。それがなんなのかまでは、会話まで聞こえていなかったから見当がつかなかったけれど、感じの悪いことであることには間違いないと思った。 そしてその指がりっちゃんのきれいな背筋を辿った時、私は思わず息を詰める。 男子が大きな声で、ブラしてる、と興奮なんだか卑下なんだか、宣言した。 りっちゃんは驚いて彼を振り返っていた。その男子のグループは手を叩いて笑っていた。やっぱり「してる」んだ、と謎を解き明かして、ものすごくおかしいことみたいにめちゃくちゃ笑っていた。一連の行為は三組みんなの耳に入っていただろう。 私は凄まじくその男子のことを嫌悪したけれど、りっちゃんの次の行動に、驚いた。 あの大人びて、いつも穏やかなりっちゃんが、手を上げた。 がたんと椅子を勢い良く倒して、触れた手をひらひらと揺らしている男子に、殴りかかろうとした。 その顔は、遠くにいても、ものすごく冷たくて、恐ろしかった。怒りというものは振り切れてしまうと烈しい色ではなくもっと静かな色をしているのかもしれないと知った。 りっちゃんの怒りの拳はからぶった。 がん、と固い音。 降り下げられた先は、机だった。木の板が割れるんじゃないかと錯覚するほどの強い音だった。いよいよ教室中の空気が氷点下に下がった。窓の外の油蝉の声がやたらとよく聞こえて、虚しいほどだった。 「……ごめん」 脅える男子を前に俯くりっちゃんはそう呟いて、教室を出て行った。 静まりかえった教室だったが、りっちゃんがいなくなったことでどよめきが起こり始めた。間もなくチャイムが鳴って、先生が入ってきた途端、教室の異様な雰囲気を感じ取って目を丸くする。 「あれ、清水くんは?」 先生がそう言った。なんでそんな蒸し返すようなことをわざわざ尋ねるの、と、先生はなんにも悪くないのに私は強く��った。 「保健室です」 最前列にいる委員長がそう言って適当にやりすごした。 結局りっちゃんはその後教室に戻ってこなかった。翌日の学校を休んで週末を挟み、月曜からはまた学校にきた。私はほっと胸を撫で下ろした。りっちゃんはいつもと同じ涼しげな顔をして挨拶をした。クラスの反応はそれぞれだった。私みたいに安心していつも通りみたいな挨拶を返す子もいれば、ぎこちない子もやっぱりいて、そしてひそひそ話をする子もいた。 嫌な予感がした。 しかし、幸いというのかなんなのか、間もなく一学期が終わろうとしていた。 私は、夏休みを挟んで、この事件が生み出したこわばりが薄まることを、切に願った。
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夏休み。 美術部は自由登校だ。一応コンクールはあるけれど、締め切りにさえ間に合えばあとはどうだっていい。 私はそれでも学校に来ていた。絵はそんなに好きじゃなかったけど、塾も無いし、やることがあんまりなかったから、なんとなく向日葵に水やりをしにきた。ひんやりとクーラーがよく利いた美術室で一休みしている間に、静まりかえった校舎にブラスバンドの練習している音が響く。同じ学校なのに、普段のせわしなさが無くて異世界みたいだった。こののんびりとした静けさは、いいな、と思う。ずっとこのくらい優しい時間が流れていればいい。 私はスケッチブックを脇に、ペンケースを片手に、花壇の方へ向かった。途中で青のじょうろを手に取り、水を入れる。日光に当てられているせいか最初は熱湯が出てきて驚いた。こんなに熱くては向日葵の根に悪そうで、充分冷たくなってからたっぷりと補給する。 たぷんたぷんと重たく跳ねる水。ときどきはみ出して、乾いた校庭にしみをつくる。 花壇側は影がほとんど無かったが、花壇の後ろの数段の階段部分、つまり一階の教室に直接通じる部分はぎりぎり黒い影になっていた。花壇から校庭側に目を向ければ入道雲が光り輝く夏の青空が広がり、とんでもない直射日光の下で運動部が練習している。サッカー部と、それに陸上部もいる。思わずりっちゃんを探したけれど、見当たらなくてちょっと残念だった。りっちゃんは高跳びをやるようになっていていた。助走をつけた直後の一瞬の筋肉の収縮と跳ね返り、そして跳んだ瞬間の弛緩した雰囲気、全身をバネにしてポールを越える刹那に懸ける感じが、きれいで、りっちゃんにぴったりだった。私はこっそり練習を遠目に見かけてスケッチブックに描いてみたけれど、あまりに下手すぎてお蔵入りだ。人体は難しい。 そうしてぽんやりと歩いて行くと、三組の花壇の前には思わぬ先客がいた。 「りっちゃん?」 声をあげると、りっちゃんが顔をあげた。その手には緑のじょうろを携えていた。 「あ、おはよう」 あまりに普通に挨拶された。慌てて挨拶を返す。 「すごい。夏休みなのに水やりしにきたのか。あ、部活か。美術部って夏休みもあるんだな」 りっちゃんはスケッチブックに視線を遣った。その中にはりっちゃんの跳ぶ瞬間を描いた下手くそな絵もあるので、慌てて後ろ手に隠した。 「りっちゃんこそ。というか、りっちゃんの方こそ部活は?」 まさに、陸上部がすぐそこで練習に励んでいる。えいえい、おー、だとか、かけ声を出しながら、走り込みをしている。 真夏のまばゆい陽に照らされて、りっちゃんは少しさみしげに笑った。りっちゃんに特有の大人っぽさに切なさが加わって、私はたったそれだけで胸が摑まれた。 「辞めたんだ」 咄嗟に、耳を疑った。 蝉の声がじんと大きくなる。 「辞めた?」 「ああ」 「陸上部を?」 「ああ」 私は信じられなくて、一瞬目の前がくらっとした。 真面目に頑張っていて、りっちゃんは楽しそうだった。身体を動かすのが好きで、小学校でだってスポーツが得意で男子にも負けなかったくらいだったという。足だって速かったという。実際、りっちゃんの足は速い。体育で私はそれをまざまざと見て、本当に、本当の男子にも負けていなくて、びっくりしたし、かっこよかった。 「なんで?」 蝉が近くでうるさく鳴いて、風を掻き回している。 「言わなきゃ駄目?」 りっちゃんは薄く笑った。なんでもあけっぴろげにしてくれるりっちゃんが見せた小さな拒絶だった。ショックを受けていると、りっちゃんは嘘だよ、と撤回した。 「陸上って、まあ、スポーツって全般的にそうだけど、男女で種目が分かれてるだろ」 「……うん」 どんくさいくせに、私はもうなんだか道筋が見えて、理由を訊いた自分がいかに無知で馬鹿か自覚することになった。 「どっちがいいのか、結構揉めてさ。そりゃ、身体は女子だから、身体を考えると女子になる。でもおれは男子でいたいから、男子で出場したいんだけど、なかなかそうはいかないんだとさ。ほら、戸籍とか学校の登録では女だから。おれ、格好が男なだけなんだよな。それに、やっぱり先輩とか見てると��のうち絶対本物の男子とは差が出てくるんだよな。それってどうしようもないことだしさ。今はおれの方が成績良くても、そのうちあいつらは軽々と俺ができないバーを越えていくようになる。てか、今、おれが高く跳べるとか、速く走れるっていうのも、どうもあんまり良くないみたいでさ。実力主義って言って割り切れたらいいんだけど、どうもそういうわけにはいかないらしい。運動部って上下関係厳しいしさ。腫れ物扱いっていうかさ。なんかあらゆることが面倒臭くなって、そもそもおれの存在自体が面倒臭いんだって気付いて、辞めちゃった」 一気に言い切って、あはは、とりっちゃんは空虚に笑い飛ばした。あまりに中身が無い笑い方だった。 私は自分が立っている地面の堅さを意識しなければ、自分が立っているかどうかの認識すら危うかった。 「おれも美術部に入ろうかなあ」 などと、絶対に本心からではないことを言った。 「絵が下手でもやれる?」 りっちゃんの顔がにじむ。 「壊滅的に下手だから、美術部は流石に無理か」 また、からからと笑った。あはは、からから、表面だけの心にもない笑い方。 「……まみちゃん」 りっちゃんが驚いた顔をして、近付いてくる。 「なんで泣いてるんだ?」 私はまたたいた。いっぱいになった瞳から、堪えきれず涙が溢れて頬を伝った。 「ええ、どうした。なんかおれまずいこと言った?」 慌てて引き笑いをするりっちゃんの顔をしっかりと見ることができない。私は咄嗟に首を横に振り、嗚咽した。ほんとに、なんで泣いてるんだろ。私がどうして泣いているのだろう。 水の入ったじょうろが指から滑り落ちた。水が派手に跳ねて、じょうろは横倒れになって、乾いた地面に水溜まりが広がっていく。 空いた手で私は涙を拭く。肌で拭ったところで全然止まらなくて、スカートのポケットを探る。そうして今日に限ってハンカチを忘れたことに気が付いた。美術室に戻れば鞄の中にタオルがあるけれど、戻る余裕が無かった。私はじっと静かに泣いた。 やがて、りっちゃんから、黙って、青いハンカチが差し出された。 綺麗な無地のハンカチ。私は最初断ろうとしたけど、りっちゃんは自然なそぶりでそのハンカチで私の頬を拭った。このさりげなく出来てしまうりっちゃんの大人びた優しさが、いいところだ。やわらかな綿の生地が触れて、群青のしみが広がっていく。私は諦めて受け取り、自分で目頭に当てた。ついでに鼻水まで出てきて、ハンカチは申し訳ないくらい私の涙と鼻水をたっぷり吸い込んでしまった。りっちゃんは何も言わなかった。静かに待ってくれた。私は、頭が真っ白になりながら、頭のどこかで、この二人向かい合っている状況が誰の目にも入らなければいいと思った。りっちゃんも、私も、ややこしいなにかに巻き込まれないように。でも、隣のグラウンドではたくさんの生徒がいる。校舎内ではブラスバンド部が練習している。こんなところ、誰の目にも触れない方が無理だ。こんな時までそんなことを考える私は、最低だ。 「思い過ごしかもしれないけど」 私の嗚咽がピークを迎えてやや落ち着いてきた頃、りっちゃんは静かに滑り込むように呟く。 「まみちゃんが考えているよりおれは平気だから、大丈夫だよ」 嘘だ。 私は充血した目をハンカチから覗かせて、りっちゃんの顔を見上げた。女性的でも男性的でもある、きれいなりっちゃんの顔。りっちゃんは笑っていた。愛想笑いだった。 ほら、やっぱり嘘だよ。 「りっちゃんらしくないよ」 私はどう言ったらいいのか解らなくて、ようやく絞り出したのは、その言葉だった。 りっちゃんの顔が冷める。 「おれらしいって、なに?」 思わず息を止める。私はりっちゃんの冷たい双眸を凝視した。笑った仮面を剥がした、静かで、恐い、りっちゃんの表情。冷たい怒りを拳というかたちに変換して振り上げた、あの教室での鮮烈な映像が過った。 ぬるい風が強く吹いて、軽くなったじょうろがかたんと音を立てる。 りっちゃんは我に返ったように表情を変えた。ありありと後悔が浮かんでいる。 「ごめん」 そう口早に謝って、りっちゃんは俯いた。 「ヒーロー失格だな」 りっちゃんは呟いて、その場を去った。私の後ろの方へ足音が遠ざかっていって、やがて消えた。 蝉の声と、ブラスバンドの音と、運動部のかけ声、それにあまりにも重たい沈黙だけが残った。 なんてことを言ってしまったのだろうと、烈しい後悔に襲われてももう遅い。りっちゃんのハンカチで顔を覆ってうじうじと座り込んだ。私、小さい頃と何も変わっていない。うそつき、と心ないことを言ってりっちゃんを困らせたあの頃と、なんにも変わっていない。 他のクラスより堂々と高々と咲き誇った向日葵がふらふらと揺れていた。高い分、風によく煽られてしまうのだった。 それから私は何度か向日葵に水やりをしに来たけれど、りっちゃんと会うことはなかった。向日葵はだんだんとくたびれて、重たい頭でっかちな花の部分をもたげて、急速に枯れていった。
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二学期がやってきた。 りっちゃんは一人でいることが多くなっていた。 腫れ物、とまでは言わないにしても、なんとなくクラスのみんながりっちゃんに対してよそよそしくなっていた。夏休みを跨いでも、りっちゃんのちょっとした特異性の受け入れ方を迷っていた。勿論、普通に話しかける子もいる。私も、すれちがった時に挨拶はするし、園芸委員会で一緒になると普通に喋る。りっちゃんは夏休みの出来事が無かったことみたいに、自然に喋ってくれた。私にはうまく出来ない芸当だ。でも、私はそのりっちゃんの優しさに甘えて、何も言わずに安堵して会話した。 私はりっちゃんにずっと甘えている。幼稚園の頃からずっと。 苦しんでいるりっちゃんを前にしても、それでも透明人間みたいに、クラスのはじっこの方で、りっちゃんの背中を見ている。そして秘密の会議みたいな園芸委員会の時間だけ喋って特別感に浸ってる。りっちゃんのことを分かっているような気で、でも分かっていない。 残暑が厳しい中、次なる行事である運動会に向けて学校は動き出していた。 運動会は、学年種目、すなわち学年毎のクラス対抗の種目と、個人種目、すなわちクラス毎で定められた枠の人数で個人が立候補して争う種目と、二種類ある。そして応援合戦があって、これは三年生が主体となってダンスをする。 りっちゃんは基本的に男子なので、種目も男子の枠で出場するし、応援合戦でも男子として出る。 りっちゃんの噂は高学年にも伝わっているらしく、合同練習をするようになって、少し奇異な視線が向けられる。先輩たちも最初は迷ったようだが、男子の列にりっちゃんは加わった。りっちゃんはなんでもないように振る舞っている。 私は身体を動かすのがとにかく苦手なので、運動会なんて休みたいくらいだった。でも普段からそうして休むわけにはいかないので参加する。横一列になってみんなでよーいどん、なのでそこから置いていかれてはみ出さないようにすることで精一杯だった。 あと運動会まで一週間、というところで、園芸委員会では向日葵を根こそぎ捨てて、パンジーやビオラを植えた。ベタだけれど、寒い冬でも花を咲かせるという力強い品種らしい。それぞれのクラスに割り当てられた花の色はカラフルだった。とはいえまだどれも蕾なので、実際に咲いたらどうなるのか考えるとわくわくした。 スコップを土に突き立て、掘り起こす。りっちゃんと話し合いながら、三列になるように均等な間をつくり苗を植え替えていく。 「でも、冬になる頃にはもう園芸委員も終わってるな」 りっちゃんの言葉で気付いた。委員会は上期と下期で分かれるので、りっちゃんとのこうした共同作業ができる時間はもうすぐ終わるのだ。上期で委員会をした人は、下期では役職無しになる。そうしたら、私はほとんどりっちゃんと話せなくなるかもしれない。それは、寂しい。 私は、ふと、りっちゃんのことを好きなのだろうか、と考えた。 あまり深く考えたことが無かった。りっちゃんのことは好きだ。確かに好きだけれど、恋愛的な好きなのだろうか。尊敬してるし、かっこいいとも思う。顔だって素敵だ。特にやわらかく笑んだ顔を見ると心があたたかくなる。 クラスには、付き合ってる���か、そういう噂話も回ってくる。私は、りっちゃんと付き合いたいだろうか。付き合ったら、園芸委員という理由なんて無しにりっちゃんと一緒にいたとしても、なにもおかしなことはないだろうか。 でも、付き合うということは、りっちゃんは彼氏になるのだろうか。それとも、彼女? 私は女だから、彼女というのもなんだかおかしい気もする。女の子同士で付き合うこともあるというのは漫画で知っているけれど、実際自分にあててみると、どうなのだろう。男子に興味が無いわけではないのだけれど、男子といるよりも、りっちゃんといる方が楽しいし落ち着くし、心地が良い。というか、りっちゃんは、男子だし、でも、女子だし。 ううん。 考えるほどに分からなくなってしまう。 それに、りっちゃんと付き合うということは、りっちゃんも私を好きだということとイコールになる。 りっちゃんが私を好きかと言うと、それは自信が無い。私がりっちゃんを好きになる可能性はあっても、りっちゃんが私を好きになる可能性は、限りなく低い。どんくさいし、泣き虫だし、クラスの中で釘が飛び出ないように透明であろうとして、みんなのなかにいることに必死で、りっちゃんみたいにちょっと変わった部分を堂々としていられるような勇気も自信も無い。つまり、りっちゃんが私を好きになることは、無い。 そう至って、浮かんだ桃色の案が破裂した。 うん、無いな。 私はりっちゃんのファンみたいなものなのだ。推しなのだ。だから、りっちゃんの幸せを願っているし、りっちゃんが苦しんでいると途轍もなく悲しくなる。りっちゃんが優しく接してくれることに甘えているけれど、それ以上を求めるのは烏滸がましい。だから、園芸委員を期に離れてようやく普通になるんだ。きっと。 「何を頷いてるんだ?」 「ひょおおええ」 手を止めて自分の思考に没頭していた私に、りっちゃんが恐る恐る話しかけてきて、思わず奇声をあげた。りっちゃんはぶふっと笑った。しかも止まらなくて、ずっと笑い続けて、涙まで出して、お腹を抱えている。 「そこまで笑わなくてもいいじゃん!」 「だって、なに? ひょおおええって」 あっはははは。私は耳まで熱くなっていたけれど、一方で、りっちゃんがこうして思いっきり笑っている姿を見たのは随分と久しぶりだったから、胸がぽかぽかと温かくなった。恥ずかしいけど、まあいいや。私もつられて笑った。三組の花壇��二人して、げらげらと笑っていた。 翌日の朝。 私は水やりをしに少し早起きして登校した。 じょうろに水をためる。朝の暑さは真夏になると収まりつつあって、蛇口から出る水もすぐに冷たいものになった。たぷんたぷん、揺れる水の重みを片手に感じながら、私は花壇に向かった。 そこで、昏い現実を目の当たりにすることになる。 三組の花壇だけ、無残に掘り起こされていた。りっちゃんと一緒に丹念に植えたパンジーもビオラもぼろぼろに引きちぎられて、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされて、原型を留めていなかった。 私はしばらく目の前の現実を受け入れられなくて、呆然と立ち尽くした。 なんだろう、これは。 誰かによる、暴力的な、意図的な、明確な悪意であることは確かだ。 蕾だけが投げ出されて、散らばっている。 葉も根もばらばらだ。 土はおかしなでこぼこができていて、靴の跡も窺える。 なんだろう、これは。 なんでだろう、これは。 りっちゃんと笑った、昨日の光景が浮かんだ。手を土で汚して、話し合って、ひとつひとつ苗を植えていった大切な時間や記憶が、汚い靴で踏み抜かれていく。 足が浮かんでるみたいだ。 なんで。 あまりに悲しくて言葉が出なかった。 りっちゃんにこの花壇を見てほしくなかったけれど、私の力ではどうにもできなかった。
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おとこおんな、とりっちゃんについて誰かが言った。 園芸を揶揄してか、みみずりつ、と誰かが呟いて笑った。 クラスがなんだかおかしな方に向かっていた。 夏に傾いていた頃、背中のおうとつに指を当てられてからかわれたりっちゃんは、拳を上げた。 でも、もうりっちゃんは何も言わなくなっていた。 静かに、本を読んだり、次の授業に向けて教科書を開いたりしていた。 根暗でどよんとした空気を漂わせているわけじゃない。りっちゃんはいつだって背筋を伸ばして、堂々と座っている。だけど、その背中が寂しげに見えたのは、私の感情的なフィルターを通した光景だろうか。 さきちゃんをはじめとした友達は、りっちゃんの話題に触れなかった。彼女たちには私とりっちゃんが実は幼稚園が一緒だという話をしていたからか、むしろあんまり近付かないように警告した。私は知っている。私とりっちゃんのことが、影で噂されていること。私からは直接見えない、LINE等で噂されていること。私と一緒にいてくれる友人達はそれが勘違いであることをちゃんと解っているけれど、下手なことはするな、と暗に伝えているのだった。LINEのことを教えてくれたのもさきちゃんだった。それを聞いた時、正直私はぞっとした。 私は透明人間で、釘が飛び出ないように、必死だった。それは、幼稚園時代のようにいじめられることがとても恐いからだ。人の、無意識であろうと意識的であろうと、異端だと判断したときの容赦のなさは恐い。その恐怖に再び晒されてしまったらと考えただけで足が竦んでしまう。 りっちゃんは、女子だけど、男子であるという、りっちゃんそのものであることで、釘が飛び出てしまっていて、打たれつつある。 りっちゃん。 私は心で話しかける。 心で言ったところで、りっちゃんにはなんにも伝わらないのに。 りっちゃん。 私、どうしよう。
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運動会を翌日に控えて、ダンスの最終練習に向けて、みんな衣装に着替えていた。一年三組は赤組なので、赤を基調として、体操服に布を張り付けたり、はちまきを手首に巻いて回転したときに動きが派手になるように工夫がなされている。女子はスカートを思いっきり短くする。長いとちょっとかっこわるいからだ。一年生はみんな膝下に伸ばしているので、普段はできないびっくりするような短さにそれぞれ色めきだっていた。私はちょっと恥ずかしかった。下に短パンを履いているからマシだけど。 男子はズボンはそのままだ。上は女子と対照的になるようなデザインになっている。 私はりっちゃんをちらりと見やった。りっちゃんは窓際の席で、机に腰を軽く乗せて、ぼんやりと教室を眺めているようだった。 「清水さあ」 窓際でたむろしているうちの男子の一人が言った。りっちゃんの視線が動く。 「本当はスカート履きたいんじゃないの?」 「は?」 りっちゃんが反抗を見せる。りっちゃんは最近おとなしいが、怒ると恐いことは皆知っている。 だけど、りっちゃんは教室の中で圧倒的にマイノリティで、りっちゃんの特異性を釘として打とうとしている誰かと、無言で見守る生徒達という多数からしてみれば、りっちゃんがいくら怒ろうとも、孤独だった。 「だって、女子のことちらちら見てさあ、本当はあっちが良かったって思ってんじゃねえの。ダンスも、競技も」 「馬鹿じゃねえの。お前らこそ短いスカートの女子に興奮してるくせに」 りっちゃんが吐き捨てる。いつになく顕著に苛立ちを発して、なんだかおかしいくらいだ。男子は一瞬息を詰まらせた。その隙にりっちゃんはその場を立つ。 「また逃げるのか? 図星だからだろ」 りっちゃんは無視する。無視すんな、という声も全部、無視して、教室を出た。 「サイテー、なに言ってんの?」 男子にも物怖じせずに話す派手めの女子が言う。その子も、本気で言っているというよりも、面白がっているように見えた。 「本気じゃねえよ。ああいう風にされると、冷めるよな」 「冗談が通じない清水さん」 あはは、と笑った。 不快だ。とにかく全てが不快だ。 「真実、大丈夫?」 隣でさきちゃんが声をかけてくれる。私はどうやら相当青い顔をしていたらしい。いつのまにか拳を握りしめすぎて、伸びた爪で皮膚を浅く抉って、じわりと血が滲んでいた。 ダンスの全体練習では、先輩の厳しい目もあるから、みんな従順に励む。私もなんとか振り付けを覚えて、人並みに踊れるようになった。軽快でポップな曲に合わせてステップを踏む。腕を振る、回す。先輩から指示が飛んで、修正する。三年生はこれが最後だから、やりきって満足する思い出が必要なのだ。その情熱にあてられて、三学年跨いでみんな頑張る。 りっちゃんは私の斜め前の方にいる。いつも通りの凜々しい涼しい顔で、日光に当てられて、白い顔でたくさん汗を散らしていた。 しかし、ダンスの通し練習の一回目が終わった時だ。みんなのびのびと小休止をして、屋上から全体をコーチしている先輩の指示を待っていると、りっちゃんが急に座り込んだ。 こんなことでバテるような人ではない。よろしくない雰囲気がする。後ろにいる男子が恐る恐る声をかけると、りっちゃんは首を横に振った。大丈夫、だと言っているように見えた。大丈夫という単語から連鎖して、夏休みに目の当たりにしたりっちゃんの「大丈夫」を思い出した。りっちゃんの大丈夫は、本当は、大丈夫じゃないかもしれない。 「会澤さん?」 後ろの子が、驚いたように声をあげた。急に私が列を外れたからだ。 私はりっちゃんに駆け寄った。 みんなから飛び出るという私の感覚でとりわけ恐ろしいことをしていると自覚していた。けれど、りっちゃんが苦しんでいるのを分かっていながら見て見ぬふりをするのはもっとしんどかった。 「清水くん」 こういう時でも、私は使い分ける。 「……まみちゃん?」 りっちゃんはぼそりと呟いて、私を見上げた。まばゆい太陽に照らされるりっちゃんの顔は、白いというより、病的なまでに青ざめていた。 戸惑う周囲を置いて、私はりっちゃんに顔を寄せる。 「どうしたの、急に座り込んで」 「大丈夫……」 ああ。ほら、やっぱり、大丈夫と言っていたのだ。私の観察眼もたまにはちゃんと的を射る。 「大丈夫じゃないよ。顔が青い……汗もすごい。熱中症とか?」 私が言うが、りっちゃんは頑なに口を暫く閉ざしていた。 「今日、暑いし。ちょっと休もう。通し練習一回終わったし、体調不良ならしょうがないよ」 「駄目だ。本当、大丈夫だから。もう一回、通しが終わったらちゃんと休む」 りっちゃんのいいところは真面目なところだ。でも、悪いところでもあるのかもしれない。 「本当のこと言って」 私が強く言うと、りっちゃんは私を見た。 周りが私たちに注目しているのが、よくわかった。視線を集めていて居心地が悪い。見ないでよ。りっちゃんが更に言いづらくなるでしょう。 暫く沈黙が続いたが、りっちゃんは諦めたように項垂れ、ぼそりと何かを呟いた。 「え?」 聞き取れずに聞き返す。こういうところが私はどんくさい。 耳を近付けた先で、りっちゃんはもう一度同じことを呟いた。お腹が痛い、と。 瞬時にいろいろと察した。だからりっちゃんは言えなかったのだ。それは本当の男子だったら起こりえないことだった。でも、結構辛い。酷いとげろげろ吐くくらい、途轍もない痛みを伴って立っていることも辛くなる。 三年生の先輩が流石におかしいと気付いて、駆け寄ってきてくれた。 「先輩。清水くん、ちょっと体調が悪くて踊れなさそうなので、保健室に連れて行きます」 「え、大丈夫?」 先輩が慌てた。大丈夫、とは便利な言葉だ。 「すみません。ダンスを抜けて……」 「いいよ。通しは一回終わったし。ちゃんと休んで」 溌剌とした優しさに弱々しくなったりっちゃんは頷いた。 男子の見た目をしたりっちゃんと、女子の私が一緒に、身体を密接にひっつけているのは周囲からするとどう映るだろう。気にしない、というわけにはいかない。私は気にしいだし、りっちゃんもなんだかんだ和を重んじる人だ。重んじるがゆえに、自分を犠牲にする、強くて同時に弱い優しさがあるのだ。清水律という名に恥じない、清らかな水のように凜としていて、自分を厳しく律する生き方をしている。 りっちゃんは私の肩を借りて、ゆっくりとダンスの列を外れた。背後がやや騒然としているのが背中から感じ取れるが、気にしている場合ではなかった。どうせ、距離を置いてしまえば、聞こえなくなるし見えなくなる。 でも、私達は一年三組という閉じた空間での運命共同体だ。 後先考えずに行動した後、どうなるのかは分からない。 「ありがとう」 りっちゃんは、力の抜けた声で呟いた。 「ううん。良かった、言ってくれて」 「ごめんな」 「謝らなくていいよ」 むしろ、私の方がずっと、りっちゃんには謝らなければならなかったのだ。 私はずっとりっちゃんに甘えて、りっちゃんに助けてもらって、素敵なことを受け取ってきた。 りっちゃんが苦しんでいるのなら、私が助けてあげられることがもしあるのだとしたら、今度は助けてあげたい。 乾いた校庭からひんやりとした校舎に戻り、りっちゃんを保健室に連れて行く。その前にトイレに行くべきか尋ねたが、首を横に振った。 保健室の先生に事情を説明した。りっちゃんの口からはなかなか直接的に���えないと思うので、私がそれとなく伝えて、ベッドに寝かせてもらった。 急いで教室に戻り、常備している鎮痛剤と水筒を持って保健室に戻った。そしてりっちゃんのベッドに駆け寄る。 りっちゃんの顔は歪んでいて、いつも伸びている背筋を曲げて、くるまった。よくここまで頑張ったのだと感心してしまう。でも、りっちゃんは頑張るしかなかったのだ。負けたくなかったのだ。昔から負けん気が強かった。それはりっちゃんの人間性で、どれだけ大人っぽくて、言葉遣いが丁寧で、優しくて、男子の格好をしていても、根っこは変わっていないのだ。でも、その人間性ゆえに、りっちゃんは苦しんでいるのかもしれなかった。 鎮痛剤と水筒を枕元に起き、私は項垂れる。 「りっちゃん」 ぽつんと呟いた。 「何もしてあげられなくて、ごめんね」 ここで泣くのは違うから堪えた。 「苦しかったらちゃんと言ってね。女子とか男子とかそんなの関係なく、私、りっちゃんのことが好きだから、りっちゃんにはいっぱい笑っていてほしい」 りっちゃんは何も言わなかった。 肩が震えているように見えたので、私はカーテンを閉めた。 ダンスは二回目の通し練習に入っていた。私は外に出て、遠くから眺める。私とりっちゃんの穴は目立つかもしれないけれど、私達がいなくても、整然と全体は動いている。それは思ったよりきれいな光景だった。きっと屋上から見たらよりきれいなのだろう。同じ動きをしてチームとして創り出す巨大な作品。それは素敵なことだ。それはそれで、本当に素敵なことなのだ。 通し練習が終わってから、私は勇気を出して列に戻った。またいろんな人の視線が集まった。興味だとか、戸惑いだとか、不安だとか、ないまぜになっているだろう。一身に受け止めると息が詰まりそうになる。自己紹介の緊張と同じだ。注目を浴びるのが苦手だから、注目されないように慎重に周りの目を窺ってきた。それが私の生きるための術だった。りっちゃんを助ける行為は私の信条を外れる。それはとても恐ろしいことだった。けれど、後ろめたさがなりを潜めて、少しだけ強くなれたような、そんな気がした。 「清水くん、大丈夫そう?」 さきちゃんが心配そうに声をかけてくれる。 「うん。とりあえず保健室で寝てる」 「そっか」さきちゃんは安堵の表情を浮かべる。「真実は、平気?」 「うん。平気」 私は穏やかに頷いた。りっちゃんの大人びた静けさのある笑顔を真似するように頷いた。
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ダンス練習が終わり、一年三組に熱っぽいざわめきが押し込まれる。最後に蒸気する先輩が活を入れに教室までやってきて、先輩が「優勝するぞー!」と叫ぶと、全員で「おー!」と青春百パーセントな眩しいやりとりがなされた。私も折角練習したのだから、どうせなら優勝したい。でもそれよりりっちゃんが気になった。 先輩が教室を後にするところで、りっちゃんとたまたま鉢合わせた。 「あっきみ、平気? 元気になった?」 教室の空気が若干変容する。 「あ、大丈夫です。おかげで元気になりました。ごめんなさい、練習中断して」 「平気平気。明日は出れそう?」 「はい」 りっちゃんの肩を先輩が叩く。りっちゃんは恐縮げに頭を下げ、教室に戻る。 汗は引き、顔色も戻っていて私はひとまずほっとした。 何も無かったように、りっちゃんは自分の席に戻る。和を乱さないように、平然とした表情で男子の列に戻る。でも、今や、マイノリティのりっちゃんは、一致団結した教室のはみだしものと認識されているのだろう。 担任の先生もりっちゃんに声をかけ、終礼を進める。最後にさようならと声を揃えると、教室の空気は弛緩した。運動会前日らしい緊張と興奮に、ちょっと変な空気がまだ残っている。 りっちゃんが、勢い良く踏み出した。 なんとなくみんな、視線を寄せた。りっちゃんは良くも悪くも目立つ。 先程ダンスの練習直前にいじってきた男子の集団の前に立つ。私は緊張した。また殴りかかるのではないかと恐くなる。けれどりっちゃんは冷静で、いつも以上に凜としていた。 「おれ、明日も出るから」 はっきりと宣言する。 「男としてダンスもするし、競技もする。それだけだから」 特別叫んだわけでもない。しかし、りっちゃんのまっすぐとした声は、生徒の間をするする通り抜けて教室中にきちんと響いた。 りっちゃんの正義。ヒーローのような正義。敵に立ち向かう正義。それは時にあまりにもまっすぐで誠実で、人の気に入らない部分も刺激してしまうのかもしれない。でも、りっちゃんは、自分に根ざしている心を偽ることも、馬鹿にされることも、許せないのだ。 「……当たり前だろ」 静かな威圧にやられて、相手はしどろもどろになる。なあ、と言い合う。まるでりっちゃんが空気の読めないイタいやつみたいに。 りっちゃんは翻し、たまたまその正面に位置した私と目が合った。りっちゃんは微笑んだ。ぼろぼろになってしまった花壇でいつも見せてくれる、優しい、りっちゃんらしい笑顔だ。私は嬉しくなって、笑い返した。 でも、私はとても耳がいいので、次の言葉を逃さなかった。 「おとこおんな」 大衆の前で羞恥を晒されたことに耐えかねたのか、ぼそりとりっちゃんの背後で彼は言った。 真顔になったりっちゃんが振り返ろうとした。振り返りきらなかったのは、りっちゃんの正面で突然走り出した存在がいたからだ。 つまり、私だ。 「ふざけんな!!」 私は叫んだ。彼等に掴みかかる勢いだったが、さきちゃん達と、そしてりっちゃんが慌てて身体に腕を絡ませて止めていた。 「ふざけんな……っふざけんな!! りっちゃんは、りっちゃんはねえ……! あたしらなんかよりよっぽど、大人で! 自分に正直なだけで! それでも自分を律して、自分を犠牲にして! それをあたしたちが、馬鹿にする権利なんて!! どこにも!! ないんだから!! ふっざけんな!!」 「まみちゃん、落ち着いて!」 「真実-! どうどうどう!」 正面にいる男子は完全にたじろいでいた。むしろ引いていた。 私はいつのまにか涙と鼻水をまき散らしながら、その後もなんか言ってた気がするけど、何も覚えていない。記憶が吹っ飛ぶくらい、私の思考回路はぶち切れてしまったらしい。
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運動会は、優勝しなかった。ダンスも優勝しなかった。 先輩達は号泣し「うちらは赤組が一番だと思ってるから! 赤組最高!」とやはり青春まっしぐらの文句を高らかに言い放ち、拍手喝采が湧き上がり、不思議な感動のうちに幕を閉じた。 声援で盛り上がったグラウンドは、しんと静まりかえって、夕陽色が全面に広がっている。 今日は部活も全部休みだ。それぞれのクラスで打ち上げが予定されている。私もりっちゃんも出る予定だったけど、こっそり抜けた。ああいった事件の直後なので流石に無理と判断した。不器用な私たちよりずっと器用なさきちゃん達が計らってくれた。 運動会の最中はスポーツが創り出す団結感によって、りっちゃんを馬鹿にした男子も、派手な女子グループも、たくさんの傍観組も、私の大切な友人も、りっちゃんも、私も、頑張った。全体として赤組は優勝しなかったが、一年三組は学年競技で一位になった。男女問わず、みんな手を叩いて喜んだ。 私は身体を動かすことは苦手だけれど、こういうのもたまにはいいかもしれない。細かい価値観の違いだとか、性別だとか、性格だとか、身体の特徴やかたちだとかそういった、それぞれで生じる違いや個性を超えて、一つの目標めがけて力を合わせることは。 りっちゃんは個人でも活躍した。決まっていたことではあるが、クラスで一番足が速いので、メドレーリレーに出場し、二位でバトンを受け取った後、辞めてしまった陸上部の仲間だった黄組の男子生徒に迫り、デッドヒートを繰り広げ、ぎりぎりで追い抜いた。その瞬間の盛り上がりようといったら、りっちゃんの纏っていた仄暗さを吹き飛ばすものだった。みんな調子がいいんだ。それはそうとして、りっちゃんはかっこいい。やはり、りっちゃんは自分を消すように着席しているよりも、太陽の下で輝いているヒーローみたいな立ち位置がよく似合う。 だけど、明日からの日常はどうなるかわからない。 今日と明日は違う。 でも私達はたぶんそんなに暗い顔をしていない。 きれいに整えた花壇の前で、手を叩く。 「いつかやりたいと思ってたけど、ようやくできたなあ」 りっちゃんは満足げに笑った。花壇を踏み潰された事件は実に陰湿でショッキングだったし、結局誰の仕業かは判明していない。あのパンジーやビオラは戻ってこないけど、一応、元通りだ。 「運動会の後に花壇をきれいにしたいなんて、りっちゃんもよくやるよね」 「ずっと心残りだったんだ。でもそれどころじゃなかったから」 「そうだね」 あらゆることがとりあえず一つの区切りを迎えたのだと思う。りっちゃんは気持ちの良い表情をしていた。 「またパンジーとビオラの苗、頼んで用意してもらうか」 「せっかくだから、違うのでもいいかも」 「なんかあるかな。調べてみるか。でも、三組だけ違うのもなんか変じゃない? こういうのは統一感があってもいいと思うんだよな」 「たまにはいいよ」 一年のくせに生意気だと言われるかもしれない。でも本当に通るかどうかなんて分からないんだから、言うだけ言ってみるのも手だろう。 「でも、園芸委員、もうちょっとしたら終わっちゃうんだよね」 「継続で立候補したらいいんじゃない? やりたいって言ったら別に誰も止めないだろ。他の子で園芸委員やりたいって奴がいたら別だけど、いないだろうし」 「いないだろうねえ」 私は土まみれになった手を見やる。汚いけれど、健康的な手だ。 「おれもその方がちょうどいいな。まみちゃんと一緒だし」 「えっ」私は大きな声をあげる。「また私と一緒でいいの?」 「え? うん」りっちゃんは目を瞬かせる。「え?」 なんだか変な沈黙が訪れる。 りっちゃんは怪訝な表情を浮かべているが、何か変なことを言っただろうか。 でも、一緒がいいと言ってくれるのは素直に嬉しいので、私は何も考えずにぽわんと笑みを零した。 「そっかあ。りっちゃんと後期も委員会一緒なら、楽しいね」 「……うん。そうだな」 りっちゃんは相変わらずちょっと挙動不審だけれど、まあいいか、とやがて大きな息を吐いた。 遠くでかすれ声のようなひぐらしが鳴っている。向日葵は枯れて、とうに���は過ぎたと思っていたのに、まだ蝉は鳴いているのだと驚く。だけどじきにこの声も聞こえなくなるだろう。 「まみちゃん、垢抜けたというか」私を見ながら、しみじみとりっちゃんは言う。「さっぱりしたな」 「誰かさんの影響かな」 「誰だろうなあ」 「誰だろうねえ」 ふふ、と笑い合った。なんだか幸せである。 「でも、殴るのはやめた方がいいな。ああいうのは、どんだけ相手がくだらない挑発をしていたとしても、先に手出した方が悪者になるんだ。それに殴った方は結構痛い」 「りっちゃん、痛そうだったもんね」 夏休み前の、りっちゃん暴力未遂事件である。 「あれはまじ、やばいぐらい痛かった。今までで断トツ。おれがあの時逃げたのは、痛すぎて、そして恥ずかしすぎたからだから。廊下に出てから、ちょっと泣いた」 「うそー」 「ほんと。まみちゃんも一回机殴ってみたら? まじで痛いから」 「やだよ」 しかし、振り返ってみるとなんと暴力的な園芸委員だろうか。実際、とんでもないおまけが付いてきた。 おとなしいやつほど怒らせると恐い。私とりっちゃんが一年三組に植え付けた強迫観念の一つである。園芸委員の二人は、そのおっとりとした穏やかな響きの肩書きとは裏腹に、暴力的なレッテルが追加されることになった。自分達の正義というか本能というか、挑発に乗った愚かさというか、そういったものが生んだので、名誉といったらいいのか不名誉といったらいいのか微妙なところである。先生も親も驚いた。多分、運動会が過ぎて、明日以降のどこかで話があるだろう。 これで、三組に渦巻く嫌な空気が吹き飛べばいいのだけれど。 少なくとも、直接的な影響がでなければまずはそれでいい。裏で何を言われてようと、遠く離れていれば気にするほどのことではない。 「さて、これからどうする?」 「うーん」 なんとなくこの大切な時間が終わってしまうのが寂しくてごまかす。 私は、一つ提案した。りっちゃんは嫌そうな顔をしたが、受け入れてくれた。 「なんかポーズをした方がいいのか?」 「いらないいらない」 私はおかしくて笑い、スケッチブックを捲り、鉛筆を立てる。 真剣な目つきで、ただ、花壇裏の階段に座るりっちゃんの横からの姿を写生した。 無自覚のうちに自分を律するりっちゃんは、リラックスした空気であっても肩の力が抜けていても背筋がきれいだ。ちょうどいい鼻の高さ、中性的な顔つき、長い白シャツとズボンの下が女性的でも、りっちゃんを形作る雰囲気は男性的で、どちらも兼ね備えるりっちゃんは普通と少し違って、素敵だ。でもきっと、みんなそれぞれ少しずつ違う。たまたまりっちゃんが目に見えやすいだけで。 強い夕陽に照らされて儚げな横顔。暗くなって見えなくなる前に���私は真剣に紙に写し取る。この瞬間を完全に切り取ることはできなくても、この瞬間を、私の目が捉えるこの瞬間を、できるだけ忠実に切り取りたい。 拙くても、私は一生懸命鉛筆を走らせる。 「ちょっと喋っていい?」 「うん。でも動かないで」 「厳しい」 りっちゃんは笑う。ぎこちなかった真顔よりこっちの方がいいな。私は消しゴムで口許を修正し、微笑みを与える。うん、りっちゃんらしい。 「おれ、幼稚園の頃、いじめられて泣いているまみちゃんを見て、守らなきゃって思って、ヒーローになるって言ったの。覚えてる?」 「もちろん」 明るい記憶ではなく、むしろ掘り起こされたくない部分でもあるが、りっちゃんに助けてもらったことは何にも代え難い私の希望だった。指切りまでして、約束を交わしたことを、よく覚えている。 「りっちゃんは、私のヒーローだった」 「うん。そうなりたいと思っていた。でも、実はまみちゃんもヒーローだったんだな」 「私が?」 咄嗟に素っ頓狂な声をあげて、手を止めそうになるが耐える。しかし、ふらふらと明らかに動揺した線になってしまう。 「おれ、結構きつかったんだわ。いろんなこと。男子として生きてみようと思ったのはいいけど、親がまず困る。親はきっと、おれのブレザーとスカートの晴れ姿を見たかったんだ。前例が無いせいで先生方も困惑してるし、みんながどう受け止めるべきか困っているのも解ったし。気持ち悪いものが気持ち悪いのは、しょうがないじゃん。単純なことかと思ってたら、おれだけの問題じゃないんだなってよく解って、でも、おれはおれであることからは逃れられないから、そことのギャップも、地味ないたずらも、苦しかったんだ」 「うん」 「昨日、ダンス練習して、一日目だったからやばいかもなーとは考えていたんだ。でも、もうこれ自体もさ、おれがどうあがいても女子っていう証拠で、覆せなくて、それがむかつくやら苛立つやら悔しいやら、でもどうしようもないから隠すしかない。でも、あの時は耐えられなかったな。最近あんまり寝れてなかったし」 「……そっか」 大人びたりっちゃんを創る、本当のりっちゃんが話しているのだ。私は余計な邪魔をせず、相槌に専念しつつ、絵を完成へ近付ける。 「身体の変化にはあらがえないと実感したけど、まみちゃんが助けてくれて、本当に助かったんだ。それに、その後まみちゃんが取り乱したのも、びっくりしたけど、この子は味方でいてくれるんだって」 りっちゃんが振り返る。私は、動かないで、と言わなかった。 「ありがとう」 夕陽を逆光にして、りっちゃんはきれいに笑った。本当に嬉しそうに笑った。 私は鉛筆を止めて、呆然とした。そしてまた号泣していた。 「いやいやいや、だからなんで泣くんだよ」 「わかんない」 りっちゃんは戸惑いというよりもおかしく笑った。私は鞄からタオルを取りだそうとして、青いハンカチが目に入った。あれから良い機会が全然無くて、返せずにずっと鞄に入れっぱなしにしていたのだ。私は泣きながらとりあえず返そうとする。 「いや、それで拭きなよ」冷静なりっちゃんは呆れる。「そのうち返してくれればいいし」 運動会の汗をたっぷり吸い込んだタオルよりもずっと清潔なハンカチに、また沁みができた。申し訳なさやらなんやらが積み込まれた、重たいハンカチになっていく。 「泣き虫だなあ」 りっちゃんは苦笑する。 「泣き虫だし、いつまでも、りっちゃんに甘えてばっかりで、弱虫で……だからずっとりっちゃんが苦しんでるの知ってたのに、見て見ぬふりして……全然、私、ヒーローなんかじゃない」 私はぽつんぽつんと涙ぐみながら言う。りっちゃんは首を横に振った。 「そんなことない。みんな弱虫だ。おれもそう」 「りっちゃんは、すごいから、私なんかと全然違って」 「すごくない。おれはまみちゃんの方がよっぽどすごいと思う。嘘をつく方がよっぽど楽なことだってあるじゃん。ちょっとはみだすことって、本当に大変で、勇気がいることだから。その一歩が一番大変だ。だから、真実ちゃんはすごいし、おれのヒーローだよ」 「うええ……」 身に余る言葉ばかりたくさん浴びて、私は写生どころではなくなってしまった。微笑むりっちゃんを写した拙い絵に、涙が一粒落ちる。 「うわっすげえ。この短時間で? めっちゃ上手いな。ちょっと気にしすぎなくらい人のこと見てるもんな。絵の才能あるんじゃないか?」 りっちゃんはスケッチブックを私の膝上からあっさり引き抜いた。 「他のも見せてよ」 了承を得る前に、まったく悪気が無い手さばきでりっちゃんは過去のページを捲る。 涙が瞬時に止まった。真顔になり、さっと血の気が引く。 その中には、こっそり、隠し撮りならぬ隠し描きした、りっちゃんの高跳びをする瞬間の写生画が入っているのだ。 「や、やめてーーーーー!!」
透明人間だった私に、輪郭が描かれ、あざやかな色が塗られていく。
了
「弱虫ヒーロー」 三題噺お題:世界の終わり、嘘をつく、指切りげんまん
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@semimaruP(蝉丸P@「住職という生き方」「つれづれ仏教講座」発売中)
@hou_amino 盆関係はなかなか蝸牛考のように綺麗に行かない面倒臭さなんですよ…川と峠と山で区切られるので地元祭祀の最たるモノかと
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