#鉄道遺産群
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#おでかけ #たべもの #諏訪 #おぎのや
駒ヶ根SAを出た後は中央道をさらに東に進み、お昼ごはんは峠の釜めしで有名なおぎのやさんの諏訪店にていただきました。
峠の釜めしといえば信越本線の���川駅の駅弁ですが、横川だけじゃなくて諏訪にも店舗があったんですね。まさかここで釜めしを食べられるとは思っていませんでした。
群馬と長野の位置関係がよく分かっていないので、あれ?横川と諏訪ってそんなに近かったっけな??結構遠いような気がするけど私の距離感覚バグってる??と地図で見てみたところ、そんなに近くもなかったですね。距離感バグってなかった。
ちなみにじゃあ何故諏訪だったのかというと、ここに峠の釜めしの製造工場があって、そこに店舗を隣接させたとのこと。なるほど。
というわけで、どうやら諏訪店では隣の工場でのできたてあったか釜めしをいただけるようです。
そして諏訪店では、数量限定で「湖畔の釜めし」なるものが食べられます。峠の釜めしとは中身が違っていて、峠の釜めしだと鶏肉が入っているところ、湖畔の釜めしの方は信州産の牛のローストビーフが入っています。ローストビーフの上には山椒と信州みそ。これはこれでご当地感が味わえて良いものです。
るろ剣とコラボしていたようです。るろ剣、懐かしい……といっても私は中学生ぐらいの時に友達に借りてどこまで読んだか…ぐらいの朧気な記憶ですが。
そして横川〜軽井沢間の信越本線廃線跡、碓氷峠に残る数々の鉄道遺産を紹介するパネルも。
何年か前に一度横川駅を訪れて、この廃線跡にあるアプトの道を途中まで歩いたことがあるんですが、途中で日暮れを迎えてしまい、めがね橋とかちゃんとした構造物は見れていないのです。いつかまた行きたいとは思いつつ、群馬、微妙に遠い……。
途中立ち寄った諏訪湖SAからの眺め。うーん、曇ってますな……。
上りのSAが諏訪湖側にあるので、より湖を近くで見るならば上りSAです。下りのSAは上りより湖から離れた高台にあって、木曽駒とか山を含めた辺り一帯の景色を見渡すならば下り側かな?でも湖からは少し離れた感じになってしまいます。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国��人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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世界遺産『富岡製糸場』のこと。
軽井沢への道中、いつも通り過ぎていた富岡。群馬にルーツがありながら、行ったことのなかった富岡製糸場を初めて訪れました。
下調べなしで行ってしまいましたが、富岡インターから町の案内にしたがって、倉庫を改修したという世界遺産センターにたどり着く。
ピーカンの青空の下、天日干し中の繭がキラキラしていました。
事前知識が皆無でしたが、富岡製糸場の歴史をビデオや展示で知ることができます。そして、製糸場へ。
明治5年に明治政府が設立した器械製糸場。まずは東置繭所から中に入ります。長さ104mに及ぶ木骨レンガ造りの建物。
2階が乾燥した繭の貯蔵場で1階は事務所だったそう。裏側にはバルコニー。
場内の東西に同じ建物が対になって配置されていて、こちらが西置繭所。どどーんと140m。木の骨組みにレンガを積み上げる木骨レンガ造りは、横須賀製鉄所に導入された工法で、横須賀から富岡に伝わったそう。
ガラスの展示室のフレームになっている鉄骨の柱梁が耐震補強を兼ねているとのこと。スタッフの方が色々説明してくれます。
2階にはかつての倉庫の趣が。
レンガの長手と短手を交互に並べるフランス積みの��。
レンガは、深谷の瓦職人を集めて、甘楽にて作られていたそう。製作した職人の刻印が5種類あるそう。これはヤマニ。
レンガは漆喰で積んであるので、隙間が白い。レンガはどこで作ってたのですか?と聞いたら、スタッフのおじさまが『渋沢栄一にもゆかりがある、、、』というので、へ〜と思って聞いていましたが、そういえば、大河ドラマの『青天を衝け』で、富岡製糸場出てきたことを思い出しました。
バルコニーから、場内が見渡せます。製糸に必要な水を溜めておく巨大水槽の鉄水溜と、蒸気釜所の煙突。
そして天井にも注目。漆喰塗りの天井仕上げは、明治の初期には一般的ではなかったそうで、その苦労が伺えるというもの。
木下地に隙間をあけて、その間に漆喰が入り込むことで仕上がりが安定するものですが、下地の間に隙間がないために、漆喰が剥がれ落ちてきてしまい、、、格子状の木の桟木はそれを抑えるためにあとから施工されたものだそう。
西置繭所をでて、広い場内を歩いて、操糸場へ。巨大なトラス構造の小屋組で無柱空間になっています。昭和62年の操業停止の状態だそうで、現在も稼働している碓氷製糸場ではこの機械が使われているそう。
トラスの上に見える格子から越屋根の換気窓に空気が抜ける仕組みになっています。この換気窓のある建物の形は、よい蚕種を育てるために蚕室に新鮮な空気をいれる『清涼育』が最良だと、明治維新より前に開発されたのだそうです。
場内で流れているビデオを見ていたら、小学生の頃、蚕を飼って、小さく仕切ったお部屋を作って、繭にして、鍋で煮て、糸を紡ごうとしたけれど、うまく糸にならなかったことを思い出しました。繭の表面をホウキのようなもので引き出せばよかったんだと、40年以上経って知る。
300人以上の工女が働いていたという場内には、寄宿舎や診療所などが点在して残っています。
器械製糸の普及と技術者育成という目的が果たされ、明治26年に官営から払い下げられたのち、三井、片倉工業と経営母体を変えながら、戦争も経て、昭和62年の操業停止まで、終始製糸工場として機能した富岡製糸場。その間115年間。その歳月を目の当たりにするひととき。自分が15歳の頃までは稼働していた工場、それから35年強、時代は変わりゆくのだということを改めて感じた時間でした。
それにしても暑い1日、ハラペコで飛び込んだお店で、上州名物の冷たいおきりこみ。
甲府出身の父に対して、高崎出身の母『ほうとうばかりが注目されるけど、おきりこみと一緒でしょう』そう、確かにこれは一緒。どっちも美味。
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働きアリ——2:6:2の法則
上位2=優秀なDNA、下位2=劣性遺伝、といった誤解を、真理から解き明かします。
これは、蟻の群れの中に「わたくし」という一匹を置いて、観察してみるとわかると思います。
蟻の群れで上位2割を取り除くと、残りの8割はまた、全体を10割としたピラミッドをつくります。上位2割の群れも、その群れの10割を分母としたピラミッドがやはり、できます。
「わたくし」は『いま』、体力・精神力といった余力が有り余っています。『いま』は頑張れるので馬力を出して、群れの上位2割の位置に到達しました。これからまだまだ、頑張れそうです。
・・・
「わたくし」はそろそろ、疲労がピークに届きそうです。足が遅くなってきました。疲れは精神も蝕み、もう走れそうもありません。「わたくし」は群れの下位2割に下がってしまいました。
・・・
お判りいただけたと思います。
人間は単細胞ではないので、そう簡単ではありませんが、大元の考え方はここにあります。
人間が簡単ではないのは、「そのピラミッド」が自分のパーソナリティ、特性を活かせる環境かどうか。
そして、その末にお互いの寄り添った未来が描ける、ロジカルな理由があるかどうか。
このピラミッドが蟻の群れのように簡単ではない理由は、ヒトの作った枠組みが歪すぎて、みんなが・のびのびと・健やかに、ピラミッドの中で切磋琢磨できる環境が無いからです。
そしてヒト特有の弱者マウントによる負の連鎖。
アリの群れのようにスムーズであれば、上の頑張るヒトの足を引っ張る必要もなく、下のヒトを貶す必要もなく、相互補完的に立場を理解し『相互不可侵』という鉄則のルールのもと、お互いに「自分は自分」を貫くことが出来ます。
人間は、脳が発達し過ぎたせいで、他人が気になるようになってしまいました。負の側面としての結果です。
ピラミッドをオスのみで支配すると、オスのマインドによってルールが出来上がります。
メスが多く持つ『母性』は、こころのケアのように緩衝材としての意味がありますが、ヒトが勝手に理性と感情を分離することによって、結果的にギスギスとした生きづらい社会を築きました。
人間自体は、ヒトの上にも下にも造られていませんが、人間の脳が、勝手に自分と他人を比較して「上や下に」置いています。
人間は道具でもなく、生身の生体です。
「足を引っ張っているかどうか」
政治への関心、監視は別物だとわたくしは解釈しています。
「頑張るべき立場のひとが頑張っているかどうか」
わたくしたちが常に注視していることを、忘れないようにして頂きましょう。緊張感をもって仕事をしてもらわなければ、存在の意味がありません。
ブドウ屋さん
10粒の実が付いたブドウが売られています。そのブドウはひと房10,000円の値札が付いていました。
ひと房買うお金はないけれど、一粒で良いから買って食べたい、と申し出るお客さんが現れました。
お店のひとは、このお客さんのために、一粒1,000円で売ることにしました。
このことに感動したお客さんは、家族や友人にこのことを教え、感動を分かち合いました。
次の日から、��店には一粒欲しい、というお客さんが増えてゆきます。
このブドウが良く売れだすと、需給の関係から一粒1,000円で売るのが難しくなってきました。次第に1,100円、1,200円と一粒あたりの値段が上がってゆきます。
そうやって、ひと房10,000円のブドウは、やがて12,000円、13,000円と値上がりしました。
やがて町中にこのブドウが行き渡ると、人々はこのブドウの味に飽きてきました。
ブドウの値段が一粒800円に下がりました。
それでもブドウが市場がなくなることはありませんでした。たまに食べたいひともいます。
ブドウを買ってもらって、食べたお客さんの笑顔を見るのが好きなお店のひとは、お客さんのために一生懸命頭をひねって、お客さんを喜ばせるための商品を考え続けることにしました。
お店が存続する秘訣は、信用という担保によるものです。この信用と言う担保が確かなものであるほど、簡単に崩れない立派な幹が出来上がります。
このブドウ屋さんの場合は、いつもお客さんの立場に立って、高品質のおいしいブドウを作り続けてくれる人である、ということが根幹の担保となります。
利に走って担保を失う、ということも良くあるお話ですが、ここから来る自信の有無は、見抜くちからのあるひとたちが見抜きます。
日進月歩
一秒、一分、一時間、一日、一か月、一年……。毎日毎日、わたしたちは時間を使って生命活動を行っています。
三歩進める日もあれば、二歩下がってしまう日もあります。
変わらないのは、生命活動をしている限り、時間が進み続けるという事実です。
生命活動の根本は、生命に対する様々な欲求です。
人間は「今よりも良くなりたい」という根源的な欲求を抱えて、毎日を費やしています。
ただ、社会は単純ではないので、ちょっとやり方の正解が判ったり、判らなかったり、ひとによって違ったりといったことがあります。
共通認識は「今よりも良くなりたい」です。
今よりも悪くなりたい、と願うひとはあまり居ません。
組織の担保能力も根幹は、この信用能力ですが、便宜上、数値化されることがセオリーとなっています。
数値には感情を見えなくする効果があります。熟練の域に達すれば、数値の裏側の感情を見抜くこともできるようになるかもしれませんが、基本的には数値は、感情を覆い隠すヴェール効果があると言えます。
担保能力を無くしてもしばらくは、強権をふるうこともできるかもしれませんが、次第にひとが離れてゆき、やがて瓦解するように崩れてゆきます。
そのさまは、強く見えた大山が砂粒と化し、あっという間に風に流されて飛んでゆくCGのような映像を、見せられているようです。
人間と組織の違いですが、組織はその組織を存続させようとする意志が増えると、死と再生を繰り返すことができるようになるところです。
悪しきこころが根底にあれば、悪しきかたちで組織は存続��、良きこころがあれば、良きかたちで組織は存続します。このことを時間軸に置いたとき、どのような組織が存続し、どのような組織が衰退してゆくのか。わたくしたちは、社会観察を通してその現実を目の当たりにすることができるようになりました。
お話を分かりやすくするために、ギャンブルとそうでないものを定義しておきます。
元本がごっそり無くなる確率の高いものとそうでないもの、として区別します。
丁か半か、白か黒か。明暗の分かれる博打と、元本割れリスクを切り離して考えることで、本質理解に迫ります。このことを上記にてご説明いたしました。
ハゲタカから身を守る方法も追記しておきます。
感情に揺さぶりをかけることで、人々を大いに混乱させ、理性を封印させて思惑通りに行動させることができるようになります。つまりは良いや悪いニュースに一喜一憂したり、新しいものに飛びついたりする人間心理は、格好の餌場の元素となります。それがババの押し付け合いのような様相となり、勝者と敗者を生み出します。
もうおわかりでしょうか。身を守る方法は『冷静力』『観察力』です。
目先の情報に踊らされる者は搾取の対象となります。燃料投下にはくれぐれもご注意ください。
マーケットの参加者全員が冷静になってしまうと、餌場が無くなってしまう——そう危惧するひともあるかもしれませんが、それとは少し違います。
上下運動が小さくなると、これまでのような短期的な狩り場は減るかもしれません。しかしこれまでのそういう方法は、敗者生産という禍根を残し、原始的争いの構図から抜け出せません。敗者の生産はロジカルバタフライブーメランによって己に返ってきますから、なるべくこの敗者を減らすことが、負のスパイラルからの転機となり、自らへも利益として返ってくるものだ、ということを明記しておきます。排他的になったり嘲笑したりすることは、参加者を荒ませたり減らしたりする効果があります。その逆回転である、ということです。
いまやマーケット会場への参加は、大きくハードルが下がり、誰でも気軽に低コストで参加可能となりました。一粒あたりの金額が小さくなり、リスクもその分小さくすることができます。大いに失敗し、大いに経験することで、確実にちからを身につけてゆきます。
瞑想によって冷静力を鍛えたあなたは、このことを充分に理解できることだと思います。
これを布石として、次のお話があります。
次世型ハイブリッド型社会システムへの提言
弱者に下駄を履かせて結果を平等にさせるお話と、遍く公平に機会の均等を与えることによる結果のおうとつへの問題とが、対比として俎上にあがることがあります。果たしてその両立は可能なのか。このことへの挑戦です。
このシステムの���は以下の2点です。
・現物給付型ベーシックインカムの導入
・人間全員の投資家化による、所得システムの転換
この提言の原案は、まだ未完成です。
このキーワードだけで想像できる方には、知恵を拝借できればと考えております。
先に解決すべき問題点(改善点)をあげておきます。
1.国境の廃止。
国境を設定し、単純化したバーサス思考(原始人)に��って、結局、得をしたのは誰なのか?
この犯人探しによって、燃料投下に負けない冷静力を強化します。燃料投下している犯人は、利己的なバタフライ効果を狙って、あなたのこころに火をつけようとしてきます。
2.人間には、統治能力はない。
人間は根源的に、生命への強い欲求=我欲を抱えています。これを完全に消すことは不可能です。そしてこれがある限り、認知の歪みが消えることはありません。この解決策として、AI導入があります。
一方で、AIには感情がありません。したがって、とことんロジカルに政策を突き詰めると、残酷な結論を導き出すことは大いにあり得ます。
この問題の解決方法として、相互監視システムを提案します。
すなわち、人間の認知バイアスに対するAIからの監視。そしてAIの冷徹さへの、人間側からの監視。この相互監視システムを構築することによって、恒久的Win-Winの関係を目指します。
どれも既存の枠組みからは大きく外れた暴論であり、実現が困難に思われるかもしれません。しかし緩やかな変化によって、新しいシステムが良いものだと体感して納得できるようになったとき、ひとは変化してゆくものです。
理解してもらいたい時、相手を待つことのタイムラグはストレスになります。インスタントに結論を求める=トップダウンという暴力は、抑圧からの暴動へと変化してゆきます。相手を待つ=浸透を待つ、という根気のいる待機時間は、対処方法を学ぶことで自己成長へと繋がります。インスタントな社会を当たり前にしてしまうと、この成長は阻害されます。AIは人間の及ばぬ速さで瞬時に最適解をはじき出すかもしれませんが、人間のこころはそれほど単純にできていない=そうすんなりと、ことは運びません。
繰り返すと、成功の果実の分かち合いは、最終的に本当の意味で、自らを利することに繋がります。それは、餌をばら撒くこととはまったく異なります。餌をばら撒くことはインスタントな人気取りの常とう手段のようになっていますが、冷静力を全員が身につけることで、無効化させることができます。本質的に相手を豊かにさせたいのであれば、魚を釣って与え続けることよりも、魚の釣り方を教えてあげることの方がはるかに重要です。
次世代ハイブリッド型社会システムをゴールとして、点と点の間を肉付けしてゆくと、様々な利点が出てきます。たとえばこうです。
人間は、好きなこと(得意分野)に没入しているときに、幸福感を得ます。これは依存症による没入感とはまったく異なる、とても心地のよい感覚です。
これを得るためには、脳内に憂いが無いことが条件となります。詳しくはPTSDの項へ譲りますが、強い執着がこのことへの成功を阻害します。ですから、一つ一つ、憂いを解いてゆかねばなりません。
経済的不安は、重要な憂いのひとつです。
憂いがなくなり、生きとし生ける社会の参加者全員が、好きなことに没入できる機会を与えることは、総体への豊かさの貢献に(無意識のうちに)繋がる。そのような可能性が見えてきます。
そもそも労働とは何か? 既成概念を疑ってみてください。
現物給付型ベーシックインカムは、人間が生まれてから死ぬまで必要な最低限の三要素、衣食住を死ぬまで提供することを約束するものです。これにより、各種社会保障は役割を終え、こちらのシステムに移行します。職を失っても食うには困らず、誰もが不安に怯えずに新しい道を模索することができるようになります。
三要素の中に娯楽項目は含まれません(付加価値の対象)。娯楽なしで生きてゆけるひとは多くないはずですから、娯楽費を稼ぐためにはやはり働き続ける必要があり、引き続き働くことになるでしょう。しかし働き方に対する考えは、大きく変わることになります。
何をどの程度求めるか、にもよりますが、稼ぎ方の選択肢が増え、過重ストレスは大きく軽減されることになります。
税のあり方も大きく変わることになります。
おおやけに携わるひとを食べさせる必要量が少なくなります(AIが代替できる仕事の増加)から、そのぶんだけコストダウンします。社会保障が現物給付に一本化されることにより、これも支出が減って、課税の必要性(社会保障費という名の課税も含め)なくなってきます。
カネと権力とオンナという前時代的価値観の職業がかつてありました——そして栄枯盛衰、それは廃れてゆきました——。時代は流れ、いまや若者が憧れる職業は、時代の流れに乗って活躍する、自由の世界のピーターパンです——要らない職業は、消えてゆくものです。
国民主権・民主主義国家の日本に住む国民の皆様に質問があります。
Q.『日本国』という大規模法人組織の意思決定機関はどこにあるのでしょうか?
『日本国』の経営者の皆様にお聞きします。
Q.正しいリ・ストラクチュアリング(再構築)の手順を教えてください。
―――――――――――――――――――――――――
日本では、バブル(泡沫の夢)が崩壊した後に、リストラと言う略語が一般に浸透しました。
——上司が静かに微笑んで、あなたの肩にそっと手を置きます。あなたが振り返ると、上司は笑みを浮かべたまま無言で、後方の出口を指さ��ました。表情ひとつ変わらず、あなたの目をじっと見つめ続けています。
どうやら上司は、あなたが立ち上がるのを待っているようです。やがて観念したあなたは、立ち上がり出口へ向かいます。あなたが出口から出た瞬間、とびらは固く閉ざされました。
―――――――――――――――――――――――――
不採算部門は容赦なく切り捨てられ、多くの“敗者”が社会に放出されました。
“敗者”の思いや考え——思考が、言外に伝わるように、工夫してみました。
侃々諤々の議論に挙手して参戦します。そこに意味があると思います。
そもそもの少子高齢化の問題点は、この人口分布の変化による労働生産性の低下が焦点かと思います。
ここで提案する次世代ハイブリッド型社会システムは、この問題解決にも当てはめることが出来ると考えています。
人材を採用する側の視点から見てみますと、オブラートなしで言ってしまえば「独自カラーを身につけてしまった中年以降の世代はいらない。ナニモノにも染まっていない、まっさらな若者が欲しい」ということが正直なところだと思います。
組織が求めるところは組織の色に染まってくれる人間である——日本の組織の考え方です。労働生産性=組織のやり方でやってくれる、ということが前提であり、独自カラーを出してくるひとは面倒くさいひと、ということになります。(したがって移民の受け入れも難しいでしょう。ともかく組織の中で浮いてしまう存在は、叩かれるのが残念ながら日本という社会です)
ハイクラス転職でうまくいくのは高度な能力や技能をもった一部のひとだけであり、言われたことだけをエスカレーターに乗ってやってきたひとにとって、青天の霹靂のような“肩たたき”は、わけもわからず梯子を外されて、人生を地面に叩き落されたひとです。
不採算部門であったとすれば、それはやり方がわからなかった(言われた通りやっているだけで良いと思っていた)のか、ミスマッチングであったのか、個別に見てみないとわかりませんが、いずれにしても“青天の霹靂”は深い禍根というかたちで社会に“敗者”を産み落とします。
次世代ハイブリッド型社会システムについて説明を加えます。
最低限の衣食住が無償で保障され、全員が好きなことに邁進できる。これは個人能力への時間の投資を意味します。
投資の成功率はおわかりでしょうか。無数の失敗のうえに“ラッキーな成功”が埋もれています。しかし考えてみれば分かりますが、トライ&エラーの繰り返しは、すべてのひとの成功を保証できるわけではありません。わかりやすい“成功”というかたちの日の目を見ないまま、終わることも当然あるでしょう。また、時間の使い方が放蕩的なひともなくなることはないかもしれません。
しかしこの問題の本質を、わたくしの個人的な価値観として述べるならば「それで良い」ということになります。これは「失敗やミスの許容」と言い換えることもできます。
言っている意味(本質)が伝わったでしょうか。それこそが経済発展への寄与になる、ということです。
これまでの日本文化の悪いところ「出る杭を打つ」という体質からの脱却です。
応援してくれるひとたちが現れれば、何らかの「投資」というかたちで、なにかに打ち込むひとを手助けすることになります。そのひとが失敗した場合、「投資は自己責任」ですが、気長に待ってくれる投資家でれば、トライ&エラーも許容してくれるでしょう。
その投資家が資産家で、そのひとへの投資額が全体のわずか一部分であれば、そのリスクも許容範囲内——想定内——織り込み済み、となります。であればそれは、場外から他人がとやかく言うことでもありません。
ともかく、これは負のスパイラルの大転換にもなり得るのではないか、ということで、悪い提案でもないのではないでしょうか。
二極化が問題視されるのは、底辺に行った人が衣食住にも困ってしまうことによるものです。底辺層の野放し状態は、ロジカルバタフライブーメランによって、思わぬかたちで跳ね返ってきます。最底辺層の問題を、本質を見ずに野放しにしたり、魚の釣り方も教えずにばら撒くだけだと、永遠に問題は解決しません。
しぶしぶながらも相互に納得するための折衷案が、現物給付型ベーシックインカムではないかと、提案させていただいております。
金融所得課税が富裕層向けの増税であって、庶民には関係ない、という論説に対して少し補足をさせていただきます。直接的には一見、無関係のように思えますが、間接的にはそうでもない、という可能性のお話です。
これはカオナシのようなバケモノ、消費税を例にとるとわかりやすくなります。
このバケモノが誕生してからというもの、3-5-8―10(クレ、クレ、もっとクレ)と、今にも喉から手を出てきそうな勢いで、要求を強めてまいりました。国民打ち出の小槌、国民ATM、無限に湧き出る国民油田、どういう思考回路でしょうか?
結論としては“そういうこと”です。
このバケモノは一度誕生させたら最後、魔のクレクレサイクルが始まりますから、油断すると痛い目にあいます。
パイが減っていることに焦って躍起になっています。パイは減っていますが、食べたいひとはなぜか加速度的に増えています。この有り様(劇場)は冷静に観察すると、蛇が自分の尾から食い始めているような状態です。
リ・ストラクチュアリング(見直し)する能力がないと、こういう結果が待っています。
責任転嫁の言葉「国民がせびるから」が出てきたら、質問返ししてみましょう。
「国民がせびるようになった原因は何でしょうか?」「その原因をつくったのは(つくり続けているのは)どこの誰でしょうか?」
わたくしたち人間は、責任を追及されることが嫌いです。ですから、このことに抵抗するために一生懸命、責任の所在を探します。
最小単位として個人の自己責任へと帰属させることで、問題解決を図ろうとすることが定石となっていました。しかし結果的に、この自己責任論(思考停止)からその後ろに続く物語を深く考えることもなく、底辺の抑圧へのツールとして機能させてきたことが問題の闇を噴出させ、現代社会で可視化されることとなりました。
直接的に本人の自己責任として片づけると、間接的な要因は放置されます。
モンスターカスタマー、モンスターペアレント、彼らの自己責任を責めるのは簡単ですが、彼らを生み出した原因は社会(環境)の問題であり、時系列を超えて大きくバタフライして“今”に返ってきています。
底辺層モンスターを発生させた間接的な、もっと大きな原因は、モンスターガバメントにあるのではないか、そう提起させていただきます。
漠然とした耳触りの良いものにお金をかけ過ぎた結果、わたくしたちは多くのものを失っているかもしれません。このことに気づいて頂ければと思います。
民主主義は、権力の暴走を抑えるために誕生しました��権力の暴走が行き着く先は、我欲による他国侵略だと学習したからです。
しかしニセモノの民主主義では、権力の暴走を抑えることができませんでした。
「他国侵略ができないなら、自国民を食べれば良いじゃない」
こうして自分の尾に噛みつく劇場が生まれました。
おおくの人間が唯物的で、見えないロジカルバタフライブーメランの力学を侮っていたために、この問題の大きさに気づかなかった。それが情報の流動化によって可視化されてきた。そのように仮説します。
こどもの視点から見てみましょう。
「あのひとがやっているなら、ぼくもやっていいんじゃないの? なんで、あのひとはよくて、ぼくはやっちゃだめなの?」
こどもは馬鹿ではありません。しかしオトナの心理として、こどもを侮りやすい、という性質はあります。
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各地句会報
花鳥誌 令和5年1月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年10月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
草花のひかりの中へ列車ゆく きみよ 玉電の秋日に錆びし蛙色 要 雁渡るご墓所の天の筒抜けて 順子 神在す胙として木の実独楽 三郎 大老の供華には黒き曼珠沙華 いづみ 木の実降る正室と側室の墓 同 おしろいや世田谷線の音に住む 千種 どんぐりに一打を食らふ力石 みち代 踏切を渡りカンナの遠くなる 順子 茎だけになりて寄り添ふ曼殊沙華 小鳥 直弼へ短きこゑの昼の虫 光子 金色の弥勒に薄き昼の虫 順子
岡田順子選 特選句
草花のひかりの中へ列車ゆく きみよ 黄のカンナ町会掲示板に訃報 光子 井伊の墓所秋の大黒蝶舞へり 慶月 大老の供華には黒き曼珠沙華 いづみ おしろいや世田谷線の音に住む 千種 十月の路面電車の小さき旅 美紀 秋の声世田谷線のちんちんと はるか 現し世のどんぐり星霜の墓碑へ 瑠璃 直弼の供華の白菊とて無言 俊樹 直弼へ短きこゑの昼の虫 光子 秋声や多情を匿すまねき猫 瑠璃 累々の江戸よりの墓所穴まどひ 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
点と点結ぶ旅して尉鶲 愛 振り向かぬままの別れや秋日傘 久美子 月光や洞の育む白茸 成子 木の実落つ長き抱擁解きをれば 美穂 折々に浮かぶ人あり虫の声 孝子 ひぐらしの果てたる幹へ掌 かおり 国境も先の異国も花野なる 睦子 虫の音が消え君の音靴の音 勝利 流れ星消えたるあたり曾良の墓 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月3日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
天高き天守の磴や男坂 千加 秋高し景色静に広がりて 同 汽水湖に影を新たに小鳥来る 泰俊 朗々と舟歌流れ天高し 同 落城の業火の名残り曼珠沙華 雪 秋立つとほのかに見せて来し楓 かづお 天の川磯部の句碑になだれをり 匠 天高し白馬峰雲ありてなほ 希
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夫のこし逝く女静か秋彼岸 由季子 赤い羽根遺品の襟にさびついて さとみ 学童の帽子が踊る刈田路 吉田都 雨音を独り静かに温め酒 同 紫に沈む山里秋の暮 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蛇穴に若きは鋼の身を細め 鍜治屋都 芋の露朝日に散らし列車ゆく 美智子 神木の二本の銀杏落ちる朝 益恵 破蓮の静寂に焦れて亀の浮く 宇太郎 新種ぶだう女神のやうな名をもらひ 悦子 鱗雲成らねばただの雲一つ 佐代子 色褪せず残る菊とは夢幻能 悦子 ばつた跳ぶ天金の書を捲るごと 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
ますかたは吟行日和年尾の忌 百合子 奔放にコスモス咲かせ埋れ住む 同 椋鳥の藪騒続く夕間暮 美枝子 子等摑む新米の贅塩むすび ゆう子 名園を忘れ難くて鴨来る 幸子 ぱつくりと割れて無花果木に残り 和代 初鴨の水の飛沫の薄暮かな ゆう子 猪垣や鉄柵曲がり獣の香 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月10日 ���生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
木の実落つ藩邸跡を結界に 時江 コスモスの花街道は過疎の村 久子 産声の高し満月耿耿と みす枝 ひとしきり子に諭されて敬老日 上嶋昭子 曼珠沙華供花としもゆる六地蔵 一枝 鰯雲その一匹のへしこ持て 時江 雨の日の菊人形の香りなし ただし あせりたる話の接穂ソーダ水 上嶋昭子 倒立の子に秋天の果てしなき 同 秋風にたちて句作に目をとぢて 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
川は日に芒は風に耀うて 三無 風向きに芒の穂波獣めく 怜 雨止みて爽やかに風流れ出し せつこ ゆつたりと多摩川眺め秋高し 同 秋雨の手鏡ほどの潦 三無 患ひて安寝焦がるる長夜かな エイ子 藩校あと今剣道場新松子 あき子 秋蝶や喜び交はす雨上り せつこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月11日 萩花鳥会
大阿蘇の銀波見渡す花芒 祐子 観る客と朝まで風の秋祭り 健雄 秋祭り露店の饅頭蒸気船 恒雄 秋吉台芒波打ち野は光る 俊文 花芒古希の体は軋みおり ゆかり まず友へ文したゝめて秋投句 陽子 青き目に器映すや秋日和 吉之 夕日影黄金カルスト芒原 美惠子
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令和4年10月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
金継ぎの碗によそふや今年米 登美子 そぞろ行く袖に花触れ萩の寺 紀子 子の写真電車と橋と秋夕焼 裕子 秋の灯に深くうなづく真砂女の句 登美子 花野行く少女に戻りたい母と 同 被写体は白さ際立つ蕎麦の花 紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
御神燈淋しく点り秋祭り 雪 天馬空駈けるが如き秋の雲 同 自ら猫じゃらしてふ名に揺るる 同 秋潮に柏翠偲ぶ日本海 かづを 真青なる海と対峙の鰯雲 同 鶏頭のいよいよ赤く親鸞忌 ただし 桃太郎香り豊に菊人形 同 鬼灯の中へ秘めごと仕舞ひたし 和子 雲の峰だんだん母に似てゐたり 富子 振り返へるたびに暮れゆく芒道 真喜栄 坊跡に皇女が詠みし烏瓜 やす香
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
おほかたは裏をさらして朴落葉 要 秋深し紙垂の失せたる縄一本 千種 合掌のかたちに稲を掛け連ね 久子 豊穣に早稲と晩稲の隣り合ふ 炳子 耕運機突っ込まれたる赤のまま 圭魚 鏤める谷戸の深山の烏瓜 亜栄子 稔り田を守るかに巖尖りけり 炳子 晩秋の黃蝶小さく濃く舞へり 慶月 雨しづくと��め末枯はじまりぬ 千種 穭田に残され赤き耕運機 圭魚
栗林圭魚選 特選句
溝蕎麦や角のとれたる水の音 三無 ひと掴みづつ稲を刈る音乾き 秋尚 稲雀追うて男の猫車 炳子 叢雲や遠くの風に花芒 斉 泥のまま置かるる農具草の花 眞理子 稲刈や鎌先光り露飛ばす 三無 耕運機傾き錆びて赤のまま 要 けふあたり色づきさうなからすうり 千種 晩秋の黃蝶小さく濃く舞へり 慶月 雨しづくとどめ末枯はじまりぬ 千種 隠沼にぷくんと気泡秋深し 炳子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
渡り鳥日本海を北に置く 世詩明 コスモスや川辺はなべて清酒倉 同 朝倉の興亡跡や曼珠沙華 千代子 案山子見てゐるか案山子に見らるるか 雪 赤とんぼ空に合戦ある如し 同 ゆれ止まぬコスモスと人想ふ吾と 昭子 色鳥の水面をよぎる水煙 希子 点在の村をコスモス繋ぐ野辺 同 小次郎の里に群れ飛ぶ赤蜻蛉 笑子 鳥渡る列の歪みはそのままに 泰俊 鳥渡る夕日の中へ紛れつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
俳人の揃ふ本棚秋灯 一涓 大法螺を吹き松茸を山ほどと 同 那智黒をひととき握りゐて秋思 同 漂へる雲の厚さよ神の旅 たけし 稲孫田のところどころに出水跡 同 美術展出て鈴掛けの枯葉踏む 雪 院食の栗飯小さく刻みをり 中山昭子 秋晴や僧の買物竹箒 洋子 末枯れて野径の幅の広さかな みす枝 短日のレントゲン技師素つ気なし 上嶋昭子 栗拾ふ巫女の襟足見てしまふ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………………………………��………
令和4年10月21日 さきたま花鳥句会 岡田順子選 特選句
竜神の抉りし谷を秋茜 裕章 コスモスの続く車窓を開きけり かおり 段々の刈田に迫る日の名残り 月惑 残菊の縋る墓石に日の欠片 同 草野ゆく飛蝗光と四方に跳ぶ 裕章 夕空を背負ひ稲刈る父母の見ゆ 良江 二つ三つむかご転がり米を研ぐ 紀花 黄葉散るギターケースに銀貨投ぐ とし江 秋びより鴟尾に流離の雲一つ 月惑 弾く手なき床の琴へも菊飾り 康子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
ケサランパサラン白い山茶花咲いたから 順子 草の実の数ほど武運祈られて いづみ 盛大に残りの菊を並べけり 佑天 誇らしげなる白の立つ菊花展 秋尚 白帝の置きし十字架翳りなく かおり 魂のせるほどの小さき秋の蝶 順子 晴着色の鯉の寄り来る七五三 慶月
岡田順子選 特選句
初鴨の静けさ恋ひて北の丸 圭魚 色鳥の色を禁裏の松越しに はるか 草の実の数ほど武運祈られて いづみ 菊月の母は女の匂ひかな 和子 白大輪赤子のごとく菊師撫で 慶月 ふるさとの名の献酒ある紅葉かな ゆう子 大鳥居秋の家族を切り取れる 要 菊花展菊の御門を踏み入れば 俊樹 亡き者のかえる処の水澄めり いづみ 秋興や一男二女の横座り 昌文
栗林圭魚選 特選句
菊花展菊の御門を踏み入れば 俊樹 鉢すゑる江戸の菊師の指遣ひ 順子 玉砂利を踏む行秋を惜しむ音 政江 秋の影深く宿して能舞台 て津子 神池の蓬莱めきし石の秋 炳子 破蓮の揺れ鬩ぎ合ふ濠深き 秋尚 能舞台いつしか生るる新松子 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年10月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
戻りくる波より低き鰯舟 喜和 人波によごれし踵カンナの緋 かおり 考へる葦に生れにし秋思かな 吉田睦子 北斎の波へ秋思のひとかけら 美穂 一燈に組みたる指の秋思かな 同 石蹴りの石の滑りて秋落暉 ひとみ 砂糖壺秋思の翳は映らずに かおり ゆふぐれの顔して鹿の近づきぬ 美穂 城垣の石のあはひにある秋思 成子 おむすびの丸に三角天高し 千代 梟に縄文の火と夜の密度 古賀睦子 黒電話秋思の声のきれぎれに 同 恋人よ首より老いて冬眠す 美穂 顔伏せてゆく秋思らの曲り角 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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TEDにて
アラナ・シェイク:コロナウィルスから予想される感染症の未来
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
国際保健の専門家、アラナ・シェイクが、2019年に発生したコロナウィルスのアウトブレイク(突然発生)の現状と、そこからわかる今後起こりうるエピデミック(地域的大流行)について語ります。
アラナ・シェイク。国際保健コンサルタントであり、エグゼクティブ・コーチ。個人・組織・社会全体のエピデミックに対する抵抗力を専門とする。ジョージタウン大学で学士号を、ボストン大学の公衆衛生修士号取得。これまでに7ヶ国に居住し、著書に「What's Killing Us: A Practical Guide to Understanding Our Biggest Global Health Problems(私たちを殺すもの:人類最大の世界保健問題を理解するための実践ガイド)」がある。
最近は、英国の「デイリー・テレグラフ」紙に国際保健安全保障についての記事を寄稿し、Annual Review of Comparative and International Education誌にエッセイが掲載された。
コーチングや個人の抵抗力に関するブログ(www.thisworldneedsbrave.com)を書いている。このビデオは、TEDカンファレンスの形式で地元コミュニティが独自に運営するTEDxイベントにおいて収録されたものです。詳しくは http://ted.com/tedx をご覧ください。
この話をするにあたりまず、私自身の経歴を少し紹介しておきます。というのも言わせてもらうと、今、けっして耳を貸すべきでないのが、COVID-19についての年配の人の意見だからです。私は、国際保健の仕事を始めて20年になり、専門としている分野は医学/医療制度で、医学/医療制度が重度の打撃を受けた時、どんな対処が可能かです。国際保健の報道に従事したこともありますし、国際保健と生物テロに対する安全措置についての記事を新聞やウェブ上のメディアに寄稿したこともあり、数年前には本も書きました
人類が直面する大きな健康上の脅威についての本です。私がこれまで支援・主導してきた疫学に関する取り組みは、エボラ治療センターの評価から医療施設内における結核伝染の分析。鳥インフルエンザ対策まで様々です。私は、国際保健の修士号を持っていますが、医師でも看護師でもありません。私の専門は患者や個人に対する個別のケアではなく、国民と��学/医療制度との関わりを調べ、大規模な疾病が発生するとどうなるかを調べることです
医療情報を国際保健に関する専門性の観点から1〜10の間で評価するとして、無名の誰かのフェイスブック投稿が1で世界保健機関(WHO)からの情報が10なら、私の言うことは7か8程度に考えてください。それを前提に私の話をお聞きください。
まずは基本情報から入ります。COVID-19に関する質の低いメディア情報のせいで失われているように思うからです。COVID-19とは、コロナウイルス感染症のことで、コロナウイルスとは、あるウィルスの特定の亜種です。ウイルスのなかでも、変わった特徴を持っています。遺伝物質としてDNAではなく、RNAを使うウィルスで、ウィルス表面がぐるっと突起で覆われていて、これを細胞に侵入する際に利用します。
この王冠(corona)のような突起が「コロナ」と言われる所以です。COVID-19は新型コロナウイルス感染症として知られていますが、なぜかというと、2019年12月までは、コロナウイルスは6種類しか知られておらず、COVID-19が7種類目だからです。新発見で新しいゲノム構造で新しく名前がついたばかりだから「新型」なのです。
SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)を覚えていますか?どちらもコロナウイルスの一種です。両方とも呼吸器症候群と呼ばれています。それがコロナウイルスの特徴だからです。肺を攻撃するのです。嘔吐も眼球からの出血もありませんし、他の形での出血も起こりません。代わりに肺がやられます。
COVID-19も同じです。幅広い呼吸器症状を引き起こします。乾性(痰のない)の咳や熱に始まり、致命的なウィルス性肺炎まで、この症状の幅広さが一因でアウトブレイク(突発的発生)の追跡が、こんなにも難航しているわけです。たくさんの人が COVID-19に感染しますが、症状があまりに軽いために医療機関にかかることもなく、医療機関のシステムにも認識されません。
コロナウイルスは、動物由来感染症といって動物から人へと伝染するウイルスです。COVID-19など一部のコロナウイルスは、人から人へも伝染します。人から人へと伝染するウイルスは、移動速度が速く、移動範囲も広いです。COVID-19が良い例です。動物由来感染症の撲滅は非常に困難です。動物というウイルス源があるからです。
例えば、鳥インフルエンザ、シチメンチョウやカモなど、畜産されている鳥獣からは駆逐できます。それでも毎年、再発生し続けているのは、野生の鳥から感染するせいです。あまり話題にならないのは、人から人へと伝染しないからですが、毎年、世界中の食鳥飼育場でアウトブレイクが起こっています。
COVID-19の場合。中国の武漢にある野生動物市場で動物から人間へ伝染したという線が濃厚です。ここからは基本情報から離れた話になります。大規模なアウトブレイクはこれが最後ではありません。今後も繰り返し起こります。エピデミック(地域的大流行)も然りです。「起こるかもしれない」ではなく「起こる」です。それは、私たち人間の地球との関わり方がもたらした結果なのです。
人間がとっている選択こそが、今後もアウトブレイクが繰り返される状況へと私たち人間を追い込んでいるのです。
つまり、人里離れた場所を人里に近づけ続ける限り、アウトブレイクはこれからも起こり続けます。検疫や渡航制限といった措置では、アウトブレイクを食い止めることはできません。直感的には誰もがそうしたがります。人々が移動しなければ、アウトブレイクを防げるはずだ!と。しかし、現実では、効果的な検疫の仕組みを整えるのは非常に困難ですし、渡航制限を設けるのも非常に困難です。
公衆衛生の整備にしっかり力を入れてきた国。例えば、米国や韓国などでさえ、この種の渡航制限を設けるとなるとアウトブレイクを直ちに食い止められるほど迅速にはできません。それには物流上の理由があり医学的な理由もあります。COVID-19でいえば、現時点では、感染してから全く症状のない期間が最長で24日だということがわかっています。
アウトブレイクの深刻化を防ぐ、長期的な対策とは、ラリーブリリアントも提唱しているように、国際的な医学/医療制度を築き、世界中すべての国における基本的な医療の仕組みを整える支援をして、貧しい国であっても全世界各国で新たな感染症が現れしだい、迅速に特定・処置できるようにすることです。
日本は、国民皆保険が整備されていますが、世界では医療格差や不平等が死者を出しているのです。まず、アウトブレイク初期に貧しい人々が死亡します。そして、アウトブレイクが広がると世界中で死亡者が出ます。私たちが、本当にアウトブレイクを緩和し、被害を最小に留めたいのなら、世界中すべての国が新たな疾病を特定し、治療し、情報共有のため報告する能力を備えるように手を尽くす必要があります。
COVID-19は、医療/医学研究機関に甚大な負荷をかけるでしょう。今日は、致死率の話をするつもりはありません。現時点でCOVID-19の致死率について統一見解など存在しないからです。しかし、見解が一致する数字が今あるとすれば、それは COVID-19感染者の20%が、入院を要するということです。
しかし、こういった準備が万端だったとしても、アウトブレイクは起こります。地球にどのように住むかという私たちの日々の選択の結果、避けられないことなのです。
最後に、私からのアドバイスです。手を洗うこと! まめに手を洗いましょう。皆さん清潔な方々でしょうから、すでにこまめな手洗いはされているでしょうが、洗う頻度をもっと上げてください。手洗いを思い出すヒントや習慣を生活の中に設定しましょう。建物に入るとき、出るとき、毎回手を洗いましょう。会議室に入る前も出た後も手を洗いましょう。手洗いに関する「儀式」を設けましょう。携帯電話を消毒しましょう。
皆さん、洗っていない汚い手でしょっちゅう携帯を触りますね。トイレに持っていっていることもお見通しですよ。ですから、携帯電話は消毒し、公衆の場での使用を控えましょう。顔を触らない。目をこすらない。爪を噛まない。手の甲で鼻をこすらない。そもそも見てて汚いので��めましょう。
アウトブレイクに対処するにあたり、地味ですが有効な選択肢もあります。例えば、医療の改善。地元であらゆる場所で取り組むこと。医療の基盤整備への投資。新しい疾病が発生したらわかるよう、疾病の実態調査への投資。全世界で医学/医療制度を整えること。サプライチェーンの強化を検討し緊急事態の需要に備えること。
そして、人々がわけもわからず、ただパニック状態になったりしないで、疾病のアウトブレイクやリスクの数字の話ができるように教育の質を上げること。公平さを考慮して進めるべきです。
今日は、ご静聴いただきありがとうございました。そして、一番に言わせていただきますが、会場を出たらまず手を洗ってください。
(個人的なアイデア)
アメリカのノーベル賞受賞経済学者ミルトン・フリードマン、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」も言うように、金融危機2008、コロナショック2020などの急落に直面する対策として、ゼロ金利、マイナス金利、金融政策が出尽くした後に、よく登場する最速実行再分配政策が、個人への緊急的な現金給付!!!
各国によってスピードは異なるが、政策閣議決定後、人間の限界を遥かに超えるスピード。1秒以内で現金到着が理想。各国競争してみれば、今後の恒久対策として中央銀行のデジタル通貨なども考慮しつつ、新産業が産まれプラスサムになるかもしれません。
MMT(Modern Monetary Theory)によると、現状の貨幣での現実的なアイデアとして、社会保障に還元される日本の消費税は現状維持しつつ、現金給付額にも消費税がかかるので現金給付額を上げて、毎月給付にすると消費税率と社会保障費下支えとが均衡状態になる?と同時に、実体経済の経済成長率「g」の下支えにも寄与する?
これらの総量が、急激な不況時の資本収益率「r」以上なら、もしかして?回復して正常な経済環境に戻る期間も短縮できるかもしれません。
スペイン風邪から国民皆保険を構築した岸総理(他には、国民皆年金、最低賃金法もあります)現政権の安倍総理、母方の祖父を見習いコロナウイルスから、毎月の国民皆給付を構築すれば歴史に残る業績になるし、継承する権利もある!
現政権の安倍総理、麻生副総理。この二人でしかできない天命を果たせ!アベノミクスの最終地点がコレだ!この絶妙のタイミング!
天命と言わずにはいられない!
感染症との戦いは、人類の宿敵とも言っていい未知のウイルスとの戦争です!
今までは、パンデミック時の対策としてデータのないスペイン風邪の書物や言葉を参考��していたが、インターネットの発展やCPU、GPUがムーアの法則によりスーパーコンピューターの領域に現代は突入している。
情報技術が発展し、スマートフォンとして手のひらサイズに収まり、ウイルスを感染予防するための距離を広げながらも、データとして全世界と光速で共有できるため、そのスピードとウイルス伝播のスピードと伍している?
局面ごとに対策を適性に行えば伝播速度を上回りコントロールできる感じもある!ラリーブリリアントが構築したシステムの功績もあります。
量子コンピューターも量子超越性を達成してることもプラスです。
ジョンズ・ホプキンス大学のシステム科学工学センター(The Center for Systems Science and Engineering:CSSE)感染者ダッシュボード
新型コロナウイルスの場合、新規感染者数が、2倍になる日数が10日以上になれば、R0(アールナート)が1以下に減衰してピークアウト状態になると理解できる。
日本の場合、PCR検査の結果が判明する14日後より短いから、検査結果日数を10日以下にできれば、ヤキモキせずスピード感ある判断が可能になりそうだ。
つまり、未知のウイルス。アウトブレイク発生確認後の緊急事態宣言発動は、クラスターが発生しやすいチェーン店などの大規模な場所から早期閉鎖が原則とデータから判明した!
日本の場合、アウトブレイク発生確認後から緊急事態宣言発動までの余裕日数は、新規感染者数が、2倍になる日数です。例えば、5日で2倍なら、5日以内で初動初速最大化発動しないと危険ということ!
R0が2.5付近では、発動日から10日でピークアウトが最速値。7、8割の人の外出制限要請StayHome(元々、人がいない地域での7、8割削減は意味ないし不可能だから政令指定都市だけにすること)ソーシャルディスタンス。などの初動初速最大化すれば、収束までさらに10日で計算上は20日で解除可能領域に近づける目安となります。
生産管理手法のクリテカルチェーンもリアルタイムの感じた感覚で考慮すると余裕バッファーをもう10日で、ひと月。えっ。ここまで自分で書いてよく見ると現実の数値にかなり符号する。
休業要請解除を10段階くらいに分けて地域ごとに段階的に基準を決めて行う。
日本の場合。緊急事態宣言、休業要請は現金給付や保証とセットで最速実行が原則。
日本の場合、透明性を持たせて休業要請解除の基準を決め、きめ細かく設定しないと現在の都知事とか権力者の気分で権力濫用されたり選挙に悪用される危険性がある。
今後の医療崩壊回避のため、医者を含めた疾病や保健所などの医療従事者を単純に現在の倍に育てて増員したら余裕バッファーが半分くらいになりそうな直観が出た。
今後は、休業要請解除!スペイン風邪同様第二波三波、第四第五の小波に備え、国からの現金給付支給をもう数度実行してもいい。Rtが1以下になり次第、休業要請解除!の後に、緊急事態宣言を機動的に解除。
この局面でもっとも効果的なソーシャルディスタンス領域をかんたんに実行。かんたんに実現できる小規模な所から。
時間軸のあるR0をRtとした都道府県別。新型コロナウイルスリアルタイムデータ
クラスター発生地点の見守りを継続する。再びアウトブレイクになり次第。最速で緊急事態宣言を再び発動して、1年かけて5、6回繰り返し、新規感染者数をピークアウトさせて分散、減少させていく!
何度も言うが、スペイン風邪同様第二波三波、第四第五の小波に備えるため!
小池百合子都知事という悪徳政治家は即刻辞職して、後世の女性への権力に固執しない手本を示し、的確に新型コロナウイルス対策できる人間に変われ!以下の指摘3つを真摯に受け止めて瞬時に改善しろ!(全世界に拡散希望)
1)休業要請緩和の各ステップの目安日数(1週間の平均感染者数:20人未満、感染経路の追えない感染者の割合:1週間平均が50%未満、1週間単位の感染者の増加比:1以下)をごまかして各段階を具体的数値で表現しない。クソロードマップだ!!今回の都知事選挙のために政治悪用してるのは明白!!的確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
2)再要請の目安(1日の感染者数:50人、感染経路の追えない感染者の割合:1週間平均が50%以上、1週間単位の感染者の増加比:2以上)も隠すように表示してるクソロードマップだ!今回の都知事選挙のため政治悪用してるの明白!!的確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
3)2週間単位じゃなく1日単位にしないと一つずつ緩和のステップを進めていく意味がないクソロードマップだ!!今回の都知事選挙のために日数伸ばすために政治悪用してるのは明白!!的確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
具体的には、2020年5月中旬に、緊急事態宣言を1日単位でスピード解除(現都知事は、説明責任をせず気分で言葉を変えて言葉で惑わし政治悪用するので、数値を基準にした休業要請を1日単位でスピード解除)を早期に行う。
こうすることで、マクロ経済的にもバランスを維持していく。
前提として、直近1週間10万人あたり新規感染者0.5人位?(わかりやすく言うと、1400万人いる東京都は7 日間で、70 人位。一日7人位)で緊急事態宣言解除。
他には、神奈川県は46人位一日6人位。埼玉県は37人位一日5人位。���葉県は31人位一日4人位。とざっくりとした目安になります。
以降は、30日間経過観察し2回目に備える。オーバーシュートし始めたら2回目の緊急事態宣言を再び発動(現金給付とセット:一回目の延長の分も含めて一律20万円)し、1回目と同じように繰り返し、50日でスピード解除。つまり、最速80日周期で1年かけて4、5回繰り返し、新規感染者数をピークアウトさせて分散、減少させていく!
データから判明した6割程度の人の接触制限(元々、人がいない地域での削減は意味ないし不可能)で増加しないフラットな均衡状態を維持できる。
しかし、わかりやすく言えば、10人を4人にし続けたら商売にならないのは明らか。これでは、マクロ経済活動を維持できないため、その減少分を法人は、巨額な内部留保があれば、それを金融工学で資金繰りを下支えしつつ
国民皆給付で一律毎月10万円の庶民生活を下支えし続ける!(ボーナスも危ういので多少なりとも毎月気持ち分補助してもらう)これがベスト。
新規感染者を数人位の緊急事態宣言解除直後の低水準で均衡させつづければ、6割程度の人の接触制限してマクロ経済を維持できそうな感じは現時点ではする。
未知のウイルスは、医療従事者や専門家も素人同然に成り下がるのは、東日本大震災2011の地震学者(こちらは理論破綻)で証明されてる。
にもかかわらず、今回、新型コロナウイルス2020でも、プライド、特権意識が邪魔をして、アマチュアの意見も引用して受け入れないため、未知のウイルスの伝播力で後手に回る。
現場で経験したアマチュアを含めて知見が集まるまでの人の手でデータにするまでの時間は、 CPU、GPU、量子コンピューター、インターネットで情報を光速で共有できるメリットを最大化できなくなると判明もした!
理論も大事だが現場経験が先!まぁ、カントも言ってることだから専門家、教授レベルなら熟知してると思うけど、知らないのかな?
日本の場合、ウイルス感染力低減対策のひとつ。緊急事態宣言後、最速で、高速道路、鉄道の法人であるJR、私鉄が協力体制をとって、都道府県内で折り返し運転をして他県に移動しづらくする方法。
それか、違う効果的なアイデアがあればいい?たしか、東日本大震災の時も実行してたような?
サブスクシェア経済は、具体的に言うとウイルスをベタベタな手で撒き散らすような強欲不潔感なイメージ。
食品扱うなら公衆衛生は最高レベルで!
公衆衛生の義務を厳格徹底し、感染症に欲のスキを突かれるため、強欲不潔な法人を規制して、事業停止を保健所は機動的に強制執行できるように法律を改正。
デフレスパイラルも危険なので、最低賃金以上を義務化、公衆衛生の義務を厳格徹底することで、抑止力をサブスクシェア経済に与えること!
さらに、人間を追跡する人工知能のストーカーアルゴリズムのみを今後禁止にして、ベンチャー企業がサブスクを開発したら高額罰金を与えるのはどうだろうか?
すでにある企業にも���悪用予防で高額罰金をかけていく。個人情報保護法に追加。GAFAは、指摘を受け止めて改善するが、それ以外の中小規模がより危険。
Uberなどは、その一つです。ドン・タプスコットが「ブロックチェーンレボリューション」の中で、UberやAirbnbやTaskRabbitやLyftといった。共有経済について話題にしています。対等な個人がいっしょに富を生み出し、共有するというのは。とても強力なアイデアです。
でも、私に言わせるとそういった企業は本当に共有をしてはいません!!実際、これらの企業が成功しているのは、まさに共有しないことによってなのです。さらに、高インフレの国でないとデフレスパイラルが起きてしまい、次第に賃金が上昇しなくなります。
現在の唯一の解決法は富の再分配でデファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業に課税して広く配分するということです。ここが重要!!と言っています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
未知のウイルス。新型コロナウイルスでは、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
しかし、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
さらに、2020年5月21日。ついにリリースしました。AppleとGoogleが、協調してプライバシーに配慮し高いセキュリティの、APIを提供してます(中国のアプリは危険なため)
以下は、iOS、Androidアプリの作成に当たってライセンス上、守るべきガイドラインです。
第一に、アプリは公衆衛生当局が自ら作るか、外部機関に依頼して作らせたものでなければならず、しかも「COVID-19対応」以外の目的では利用することができないライセンスになっている。できるだけ多くの人が、同じアプリを使用し分断が起きないようにAPIの利用は1カ国1アプリのみ。
第二に、Exposure Notification API(濃厚接触通知API)の利用の前に、ユーザーの同意を得る必要がある。
第三に、利用者のCOVID-19感染が確認された場合、結果を共有する前に、必ず利用者の同意を得る必要がある。(同意を得ると当局が利用者のデバイスにひも付いた「Diagnosys Key : 診断鍵」に対して「陽性」の情報を登録する。二段階でキー生成がなされます。)
第四に、アプリは、利用者のスマートフォンから可能な限り最小限の情報しか獲得してはならず、 その利用はCOVID-19対策に限られる。ターゲティング広告を含め、それ以外のあらゆる個人情報の利用は禁じる。
第五に、アプリは、スマートフォンの位置情報獲得を求めてはならない。
などの個人を特定しにくくする工夫が加えられている新型コロナウイルス「濃厚接触通知」のプライバシー強化がほどこされています。
具体的に、AirDropやApplePayの仕組みを応用し、通信方法はBluetooth経由で、暗号化された毎日ランダムに15分単位で生成されるお互いのキー情報のみを相互接続します。
ApplePayの仕組みについて(当店サイトからも曲購入にて対応しております)
GPS情報、ユーザーの氏名や性別、年齢も原則取得しない
ユーザー同意のもと感染報告者の「キー(その1)」は、政府か保健機関が提供するアプリを通じてサーバーへ送られる。
続いて、API対応アプリは、定期的に全国から報告される「キー(その1)」をダウンロードする。そして、端末上で、誰かと会ったときの「キー(その2)」とマッチするかどうか判定し濃厚接触の可能性を判定する仕組み。
日本では、行政府の内閣直轄チームが進めるアプリ開発で同APIを利用します。このAPIは、常にAppleとGoogleが改善して全世界同時アップグレードされます。
<提供>
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絶望のパレード
魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光���でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
“WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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[インタビュー]「強制動員の真相究明からしっかり行い、『被害者性』を回復せよ」
去年10月の最高裁判所の判決以後、日帝強占期の強制動員被害賠償問題が韓日対立の中心懸案として浮上した。問題解決のためにムン・ヒサン国会議長は、韓日企業と一般人の自発的基金で慰労金を与えるいわゆる「1+1+α」を打ち出して推進中だ。果たして強制動員問題とは何であり、どうすれば良いのだろうか。長らくこの問題に取り組んできた日帝強制動員・平和研究会のチョン・ヘギョン研究委員(59)に会って尋ねた。
チョン研究委員は「まず政府が乗り出して『当時どんなことが起きたのか』の真相究明からきちんと行わなければならない。そして、中断された被害支援の受付も再開されなければならない」として「そのように責任ある姿勢で取り組んでこそ、日本も『無条件に知らない振りをすることはできない』と思うようになるだろう」と述べた。ムン議長の「1+1+α」に対しては「歴史問題を韓日関係の側面からだけ見て、外交政策の手段にしたもの。歴代政権が全てそのような取り繕い策で取り組んだからいまだに解決されずにいる」と否定的に評価した。
< ハンギョレ >
取れ高の高いインタビューです。読んだ感想はあくまでも個人的な意見で、素人の思うところを述べただけですが、素人が「?」と思う専門界の意見って、はたして読んだ韓国の人が理解できているのか?という疑問は残りますね。結局、専門家の言うとおりだろうと無批判に受け入れてれば、日本が悪いしか残らないでしょう。
―どのような方法で強制動員を行ったのか。
「企業が募集する方式、官で斡旋する方式、徴用令による徴用、このように3種類の方法があった。初期には募集と官斡旋が多く行われた。ところが、ますます募集と官斡旋に反発する人々が増えた。夫が行ったが生活費を送金をしないから飢え死にするようになったとか、息子が死んだが誰も責任を負わなかったとか、そのような抗議が頻発した。動員をしに行くと人々が鎌や竹槍を持って警察と対立することも起きた。それで後には日本政府が徴用対象を拡大した後に徴用するようになった」
専門家ってどこを調べたんだろう?って感じの認識ですが、募集や官斡旋って言わば「出稼ぎ労働者募集」ですよ。そこに応募して働きに出た旦那が稼ぎを仕送りしてこなくて、残された家族が困窮した。日本でもよくある話でしたが、それで竹槍もって暴動とかありえない。たいていは、動員を請け負った半島の業者が 手数料を受け取るために、適当なことを言って人数をかき集め、その不満を「日本が支払ってくれないからだ。日本が悪い」で逃げたのが原因でしょうね。そんなこと、素人でも予想がつく。
統治している地域でそのような暴動があれば、当然治安の維持に必要な措置はとられますよ。今ほど法の遵守がきちんとしていない時代のことゆえ、強引なこともあったかと思いますが、それをもって日本の統治時代が不法で暗黒な時代だったとはとうてい言えません。
戦局の悪化や時代の求めるものもあって、徴用にシフトしたのも単に半島だけの事情ではない。そのずっと前に日本内地の日本人の方が過酷な強制力で働いているし戦争で戦っていることをまったく無視した物言いと言わざるを得ない。この言い方では、日本が悪行を行うことに朝鮮人が正義の抗議を行ったことへの対策として強制的な動員を増やしたとしか読めないが、あきらかにミスリードである。
―強制動員は合法的なことだったのか。
「国際労働機構(ILO)で『強制労働禁止協約』が1929年に作られた。日本は1932年に批准した。自ら批准した国際協約も破ったのである。当時連れて行かれた所は、炭鉱、軍需工場、工事現場、飛行場、港湾、製鉄所、造船所のような所だ。南洋群島と満洲には集団農場もあった。農作業を行い無水アルコールのような原料を軍に納品した。最も多く行った所は炭鉱だ」
戦時中の国民総動員の非常時ということもあって、徴兵、徴用が行われたわけで、それは単純な意味の強制労働禁止とは相容れないだろう。徴兵、徴用ともに給料は支払われているので、奴隷制とも違う。
そもそも、それを言うなら、今、韓国で行われている徴兵制だって強制労働禁止協定違反ではないのか?休戦中とは言え、喫緊の戦争状態ではないのに特別な事情がない限り、全員兵役に就かせるのだから、戦時中の徴用よりも具体的な理由がないことになる。徴兵制を敷いている国はほかにもあるが?
―これらの労働条件はどのような状態だったか?
「最も劣悪な場所は、炭鉱と土木・建築工事現場だ。元々日本の炭鉱は囚人労働から始まった。その結果、労務管理が荒かった。一般工場は相対的に勤労条件が良い方だった。しかしながら、勤労条件は職種や場所により千差万別だった。比較的良い条件で働いた人たちもいる。炭鉱も古い所は坑道が狭くて条件が劣悪だった。九州には特に軍艦島のような海底炭鉱もあり、作業が非常に大変だった。一方、サハリンは近代採炭施設も備わっているほど比較的良好だった。にも関わらず、彼らに労働者の権利は許されず義務だけ負ったという点は、すべて同じだった。どの資料にも『退社』という表現はない。『逃走』があるだけで、どこでも逃走者には苛酷だった」
炭鉱が囚人労働の場っていったいいつの時代のことを指して言っているのか(笑)佐渡島かよ。
関係してくるあの当時なら、炭鉱夫は専門技術職で、危険な分、知識と経験のある職人は高収入を得られた現場。エネルギー政策��柱でもあるわけだし、単に過酷なのが囚人労働の場からスタートしたから…というのは、専門家にしてはお粗末。もっともそういった社会学者でもないしイメージと先入観だけの話。過酷な現場がそれ相当の高収入である点もわざと?無視してる。金が欲しければ危険を承知で潜る炭鉱夫もいただろう。
それに徴用や出稼ぎの半島出身労働者をそんな危険な現場に放り込んだところでミスをしでかして死ぬぐらいならまだしも、周りを巻き込んだ災害に発展してしまう可能性があるわけで、経験のない奴はできる仕事も限られて低収入なのは当然だし、労働力を失うことを考えれば無理矢理働かせる意味がないわ。
―政府が1965年の韓日請求権協定で無償3億、有償2億ドルを受け取ってからも強制動員被害者には出し惜しみしたが。
「1970年代に初めて補償したが、死亡者・行方不明者約8500人にだけ30万ウォン(1970年代初頭の相場で約23万円)ずつ与えた。廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時に、再度この問題が大きくなると慰労金をまた支給したが、死亡者・行方不明者2000万ウォン(約180万円)、負傷者300万~2000万ウォン(約27万円~180万円)だった。生存者は医療支援金として年間80万ウォン(約7万円)を支払われる。合計7万2000人余りが約6000億ウォン(約550億円)を受け取った。
文政権は日本の支払った5億ドルの根拠たる日韓請求権協定も無視しようとしてますよ。最初は金を受け取ったことを国民に知らせず、インフラ整備などに使って近代化したのちに、しぶしぶ支払ったことで、日本からの金を認めたことになりますね。その額にしても550億円。
ところが排除された人々がいる。日帝が外国にだけ連れて行かれたのではない。国内動員もあった。例えば、忠清道の人が済州島の軍事施設の建設に動員された形式だ。延べ人数が650万人ほどになるのに全て除外された。被害申請も難しかった。それで『大して多くもないお金だからもらうのはやめよう』と諦める人が多かった。申請期間も2008年9月から2014年6月まで4回にわたって一時的に運営して終了した。申請者が急増して財政負担が大きくなるのを懸念し、消極行政をしたのである。強制動員名簿は今も発掘されている。被害者が追加確認されているが、今は申請することもできない」
韓国内の徴用に対しては韓国政府が責任を負うのは当然ですよね。そこに日本政府が入り込んでやれと言うならやったけれど、主権国家たる自負がゆるさなかったわけだし。その結果、まともな調査やフォローをしないまま、被害者が置き去りにされたとしてもそれは韓国政府と韓国民の間のこと。そのことをもって、日本が再度、謝罪と賠償をしろというのはおかしな話なわけですね。
―私たちはなぜ、そのようにならなかったのか。
「私たちが『被害者性』を失ったからだ。被害者性には真相究明の意志がある。何が起きたのか、それを知ろうとする。それを知るようになれば、私たちの権利とは何であるのかも自然に分かるようになる。また、二度とこのような事が繰り返されてはならないという再発防止の意志を共有する。初めから私たちに被害者性がなかったのではないだろう。最初はセウォル号の遺族のような心境だったはずだ。1945年に解放されて強制動員の被害者たちが団体を作って請願もした。しかし、うまくいかずうやむやになった。政府からおとなしくしていろと何もできないようにされたのだ。乗り出せばアカ扱いされた。そのため被害者がどこかに行って訴える所もなくなった。『私たちの父がどこで亡くなったかご存じですか』と尋ねる所もなかったのだ。そのため在日同胞らがこの方たちを迎えて訴訟をするようになった。初めから何を経験したのか関心を持つ機会を逃し、すぐ訴訟してお金を受け取らなきゃならない、という段階に行ってしまったのである。これは政府がそのように作ったもの。初めから(政府は)『私たちの父はどこに行ったのか教えてください』と聞かれれば調査もして、また『あなたはこのような権利がある』と教えなければならなかった。そのようにして真相究明も行い、権利も取り返し、二度とこのような事が起きないようにしなければならないという所まで行くはずだったが、これが全てもつれてしまった」
真相究明は、被害者を置き去りにした韓国政府のあり方への責任問題なのに、日本が統治したことが悪いとしたのが、先の大法院の判決理由なので、そこをごっちゃにしたまま何の真相究明ができるか。そこまでいくなら、併合された経緯もきちんと見極めた上での話だが、論拠も検証もなく、一方的に不法だからとした思考停止状態で話を考えていけば、二度と起きないようになど夢のまた夢。目的はなんだ?と、改めて問いたい。
―今の雰囲気では、日本が資料提供に協力しない可能性が高いと見られるが。
「強制動員関連の一次資料は、大部分が日本が作成した資料にならざるを得ない。それでも資料が日本にだけあるのではない。当時の日本には連合軍の捕虜がいたため、米国、英国にも資料がある。国際赤十字社があるスイスにもある。また、満洲に駐屯した関東軍は資料を焼却できずに土に埋めて逃げたが、それを先日、中国政府が発掘した。シベリア強制労役に連れて行かされた朝鮮人兵士1万人余りの資料はロシアにある。また、個人的にこれらの資料を収集して追跡した方々もいる。そのような資料から確保していって始めることができる」
すでに、アメリカ政府にある文書、資料を、大きな予算を投じて調査した結果が出ている。その結果、日本が拉致など不法な強制的行為によって労働力や慰安婦を集めて強制労働させた証拠はひとつも見つかっていない。そういった過去の検証などをあえて無視してきたから、また、自分たちでやろうという無駄な努力を求めているんだよ。もっとも、自分たちの願う結果が出るまで調査は終わらない…とか、どっかの野党のようなことをしていればスポンサーから食い扶持が降ってくるならどうぞご勝手に。
未だに新事実とか、新たな証拠が確認された!とか、韓国や半島寄りの日本マスコミから出てきているけれど、どれもこれも既知の情報を練り直しただけだったり、徴用して労働管理していたり慰安所を運営管理するための通達だったりしていて、そこに不法や強制労働を強いた証拠などないし、むしろ、先入観なく見れば、できるだけ労働者や労働条件、衛生管理などをきちんとするようにという意図の元で出された通達や、管理文書だったりして、そもそも不法に拉致してきたり、逆らえば殺されてたりするものをそんなきちんと管理している手間がいるか?という疑問のほうが大きくなるようなものばかり。
―ムン・ヒサン国会議長が「1+1+α」を打ち出した。韓国と日本企業、国民の自発的な寄付金で寄金を作り、慰労金を与える案だが。
「その提案には重要な規定がある。基金からお金を受け取れば二度と権利の行使はできないのである。日本が6月に韓国政府が提案した『1+1』案は拒否して、ムン議長案は歓迎した背景の中心だと思う。
思いっきり本音がダダ漏れしてますが。基金からお金を受け取れば二度と権利を行使できない文国会議長案は被害者への礼儀がないですって(笑)。
被害者の権利を二度と行使できないのは被害者の意思とは違うから、賛同を得にくいって、そこを突っ込んだら「金の問題ではない。真の謝罪が必要だ」とオウムのごとく喚くんだろうけど、謝罪をしても「真の謝罪ではない」金を受け取っても「謝罪が足りない」、被害者をかさにきて横暴を押し通すことに批判しても「加害者が盗人猛々しい」と叫ぶ。こういう権利を残せ!ってことですね。
もちろん、後で書かれている「被害者中心主義国家」において被害者はヒエラルキーの頂点であり、絶対的指導者ですから、彼らはことあるごとに日本を中傷し、非難し、政治を動かそうとするでしょう。それが国民の意思ですから。その地位を手に入れさえすれば、子孫まで安泰。そのために是が非でも被害者として、加害者から謝罪、つまり被害者認定を受け取れなければならないのです。金を受け取ったら権利を放棄したことになり、今後、同じことで被害者になることは許されないのだとしたら、やっぱり嫌なんでしょうねぇ。
しかしこの提案は、被害者社会に対する礼儀ではないと思える。この提案の意図は、差し押えられた日本企業の資産の現金化を防ぐということだ。歴史問題を外交政策の観点からのみ見ている。歴代政権がこのような取り繕い策で解決しようとしたため、いまだに解決することができないのだ。被害者中心主義と言いながらも、実際に訴訟した人々の意思も尋ねなかった。そのように恩恵を施すようにしながら韓日関係悪化を防ぐためにこれに同意せよということだが、そのような方式では解決されることにはなり得ないだろう」
すごいね。被害者社会とか、被害者中心主義って初めて聞きました。韓国ではこういった概念が説明泣く通じるってことですね。それくらい、韓国内では被害者の立場が強く、一般社会の概念とは別個の正義や価値観があるってことです。まさに「我が正義は法を超越する」…です。
韓国では一般の国民は被害者社会を尊重し、被害者中心主義国家として被害者が満足するまでフォローしていくことを国是としている国だからこそ、加害者がいなければならない。反日は日本がある限り続くし、被害者中心主義国家である限り、日本は加害者でなければならないので、はい、解決は韓国がさせません(笑)
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温泉街を歩いていると、Nさんが何かを発見。
何なに?と思ってよく見てみると…………草むらの中に動輪????
信越の、EF63形の動輪だそうです。
しかし何でまたこんな、捨て置かれたような場所に???
道からもちょっと奥まっているため、Nさんが気付かなければ私はそのまま通りすぎているところでした。
しかしほんと、何でここに????
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タイ旅行記 2019/09/22編
FILTERパイセンのツアー福岡編打ち上げ後、2時ごろにタクシーを捕まえて福岡空港まで送ってもらうも空港は閉館。
翌5時まで開かない。本当に人が誰一人いない。無慈悲ですね、この辺。逆に明かりがついてることに怒りが込み上げてくる。タクシーの運ちゃんが「この時間空いてるかなあ?」と言いながら送ってくれて、途方にくれてる俺を待っててくれたんだけども、その優しさに余計苦しくなって、大丈夫です!と気丈に振る舞い運ちゃんとサヨナラした。
見知らぬ福岡の土地で迷える子羊たちに準備されていたのが福岡空港近くにあるスーパー銭湯。
タクシーも見当たらないので徒歩で向かう。
ここであの運ちゃん引き止めておいて乗せてもらっとけばよかった、と後悔が込み上げる。
雨も徐々に強まってきえ旅の序盤から心が折れかけている。
歩いたことによる汗と雨に濡れたため銭湯についた後、速攻でサウナをかました。
銭湯では飛行機に搭乗に間に合うように過ごしているだろう若い人たちがたくさんいた。
睡魔に襲われながらもなんとか4時に銭湯から空港へ向けて徒歩で出発。
早めに銭湯を出て空港に着くも目的地である国際線ターミナルは逆方向であることに気づく。
7時50分出発の飛行機に乗るためには2時間前にはチェックインしておかなくては行けない。つまり5時50分の前には空港にいなくては行けない。時計を見ると4時半。地図アプリで目的地を国際線に合わせて徒歩で距離を算出すると50分かかってしまう。
途端に脂汗がでてきた。チェックイン遅刻フラグが立ってしまったのだ。まあまあの距離をこの大荷物を背負って間に合うのだろうか。
雨も強くなっていることもあって、せっかく洗った体もまた脂汗でじっとりしてきたところタクシーを発見し、通っちゃいけないようなところを走ってタクシーを止めた。
そもそも福岡空港は国内線国際線間をつなぐバスが走ってるのだが、6時から運行開始なので俺が乗りたい飛行機のチェックインには間に合わなかった。
5時の開館のタイミングで無事福岡航空国際線に到着。
チェックインをするときに預け荷物としてバックパックを申請するとチケット予約の際に預け荷物無しにしていたため追加料金ということで一万円がぶっ飛ぶ。
LCCはこういうのがあるのが恐ろしい。今後気をつけようと、高い勉強代を払った気分にして気を紛らわせた。
予約しておけば5000円程度で荷物が預けられる。カウンターのお姉さん談。
やはり早朝のLCCは安いからか混雑していた。保安検査の列に並んでいると二人組のおっさんがいる。いると意識したのは、目立つからだ。一人は静かだけど、もう一人はガハハセクハラタイプで無差別に人に話しかけてて、セクハラ紛いなことをしている。急に心の距離間が近いのだ。友達の友達の会合で距離が近く接してもらえれば引っ込み思案な奴からしたら凄くありがたいことなのに、赤の他人の一回分の友達の空間であのくらい距離が近いと引いてしまうというか関わらないでほしいというマインドになってしまった。一回分の友達のくだりはファイトクラブを是非見て欲しい。
機内でタイの旅程を地球の歩き方を見ながら組んでいると、全然寝れてなかった分の睡魔に襲われてほとんど寝てしまっていたのか、起きたらタイについていた。
そもそもなぜ急に一人旅かというと、
・深夜特急の付録のインタビュー曰く、26歳までに一人旅をしておくべきであるということ。
・デジタルデトックスをしたかったということ。
・世界遺産を見てみたかったということ。
といった特段面白みのない個人的な理由と
福岡でライブさせてもらうタイミングもあったので、タイへと向かうことにした。
ドンムアン空港に到着し、あのガハハセクハラ親父が入国審査の際、目の前に登場。
話しかけるなオーラで対応していると隣のおばあちゃんの手を握る等の愚業を目��当たりにして感服いたしました。多分ヤキモチだ。俺はきっとあぁなりたいんだ。人の目を気にしないガハハセクハラ親父に。
入国審査が無事終わり荷物受け取りの列に並んでいると自分のバックパックが全然出てこない。これは波乱の予感、、と思っていたら、ガハハセクハラ親父に見とれている間にバックパックが流れていたらしい。
無事カラダはタイにいる。日本で予約したwifiを受け取ろうと探すも、予約の完了メールからではカウンターを見つけることができない。というか想像していた国際線のターミナル空港がこんな規模感でいいのか?!と驚いた。成田空港が凄いんだなと感心してしまった。
wifiレンタル屋さんを探す際に空港のインフォメーションセンターでwifi屋さんを探してる旨をと伝えると、知らないような顔をされてしまった。ただ後ろにいた同滋賀から来た親子がどうやら同じレンタル屋さんで予約していたらしく、一緒に探すことになった。
結局wifiの受け取りカウンターは国内線にあったため国際線に到着した我々にはわかりにくい場所にあった。親子と別れたあと、機内で考えたプランではホテルにチェックインしておくはずが、バスの乗り場を探しているうちにバックパッカーの聖地カオサン通り行きのバスへ乗車していた。
バスの添乗員さんのお金の受け取り方がパフォーマンスのようで、謎の筒で受け取ったお金を折り曲げて自分の指に挟み、小銭が出たら謎の筒から出し、領収証の角をその筒でちぎるという筒を最大限に活かしたものを見せてもらった。
同乗していた多分フランス人のバックパッカーの女の子たちが可愛らしくて、観察してしまった。
一人の子が携帯の画面を打ちながらポロリと涙を流したのだ。その姿を見た友達がとっさにティッシュを取り、折りたたみ、泣いている友達の横顔を温かく見守っていた。友達はどうやら画面に夢中で友達が涙を拭くティッシュを準備していることを気づいていなかった。結局友達には渡さずカバンにそっとしまっていた。彼女なりの優しさなのだろうか。何も言わず、結果何もしなかったけど、彼女は優しさを持ち合わせていて、その子と旅に来ている二人に幸あれと思った。ただ、同じバスということは空港から出てるバスに乗っているはずだ。恐らく旅初日だけその情緒大丈夫?と心配になった。
その子たちが降車したタイミングで、つられるように自分も降りてしまった。
想定してない場所に降りてしまった焦りからか、外部の情報をたくさん取り込もうとしている脳が悲鳴を上げている。
ふらふらと周りを歩いていると、そこには金色の寺院があってシャンテが優しく響いてた。なんという寺院か忘れてしまったが運良く、タイっぽい景色を拝むことができた。
道路は一度訪れたことのあるミャンマーより整備されていて、寧ろ綺麗な印象があった。横断歩道もあり、信号機もついている。
寺院を出たあと人の群れに従って人通りの多いところへ向かっていると、シャーデーのスムースオペレーターが流れるレストランで朝から何も食べてないお腹を満たすことにした。はじめてのタイ料理、日本でもあまり食べないタイ料理。
303.88バーツ=日本円約1212円
グリーンカレー
レオビール 大瓶
ライス
日本のランチと値段は変わらないけど、ビールは大瓶だったので一杯でお腹が満たされてしまった。
タイで初めて口にした料理は旅のアドレナリンも相まって、かなり美味いと驚いた。
昼食をとったレストランはカオサン通りの近くにあり、観光客向けのレストランのため清潔感とサービスがしっかりしていた。
カオサン通りを散策していると至る所にタトゥーショップがあり、外国の方たちがよく足を止めて店内を眺めていた。タイではタトゥーはお守りに近いものとして扱われているらしいのか、タイの方も、観光客も結構タトゥーが入っている人が多かった。
カオサン通りを一通り眺めたあと、地球の歩き方に載っていた宮殿付近を見てバンコクの土地勘を覚える作戦を考えた。
街を歩いて気づいたこととしては、専門店が多い。
例えば掃除機を治す屋さん、
テレビのディスプレイのみを治す屋さんなどなど。
掃除機のホースの部分だけが店頭に並んでいたり、なにかの基盤だけが店に並んでいた。
バンコクの人の生活が気になり始めた。
宮殿周辺の通りには楽器屋さんが盛りだくさんだった。楽器と時計、楽器と宝石、楽器と雑貨のように楽器だけでなくとなりの競合店との差別化をそれぞれ図っていた。
でかい涅槃像ことワットポーは16:30に閉園してしまったので、最寄りの駅から地下鉄に乗ってホテルまで向かう。といっても交通に慣れておらず2-30分駅を探して歩いた。
降りた駅からホテルに向かう際にホテル近くの大きな公園を通っていきたくて地図を見ながら歩いていると
謎の門が出てきた。
警備員がたくさんおり、こちらを見ている。
地図ではそこは素通りができるはずなのだ。
これが俗にいうトイレとかでお金をとるアレか、と思いながら迂回しようするも行き止まりになってしまい、結局ペイ覚悟で門を通ると止められもせずに素通りできてしまった。バンコクでは公園の入り口にたくさん警備員がいるが何をしてるのかサッパリわからない。
気になってた公園に入ってみると湖?を囲うようにして大きなランニングコースが作られており、絶え間なく老若男女のランナーが通っていた。
湖を囲んだ高層ビルはバンコクが都会であるということを象徴していてバンコクのシティボーイ、シティガールのデートスポットはここかあ、と辺りを見渡す。
公園から出て、少しすると日本で予約していたホテルがあることを地図アプリは示してくれている。
地図アプリに従って歩いていたが、方向的に近道ができるはず、と路地を曲がると
見たことのないエロさ溢れるネオンに照らされたお姉さんたちがこっちを見ている。
ガヤガヤしていた外の音が一瞬聞こえなくなった気がするほどのインパクトだ。
思わず立ち止まってしまったがイカン、イカンと頭を振りながらホテルの方向へ進む。
道を進んでいて気づいたがホテルは近くにあるはずだが、ホテルの入り口にたどり着くには迂回の必要があった。
バンコクでは結構迂回するくらい、目的地への道が繋がってない場合が多い。
さっき通ったお色気ネオンに戻って道を進んでいるとバーやレストランの軒先には複数人の女性が手持ち無沙汰に何かを待っている。さっきまで点いてなかった照明もエロネオンに変わり、夜の時間へと変わっていく。
タイの女性は素朴な印象なので個人的好感度は高かった。
中には元男性っぽい人や整形をトライしすぎて顔が変形してる人もいて、興味深かった。
整形をやりすぎると行き着く顔があるはずだと結論に至ったので、それらを”イカロスの翼現象”とする。
そんな夜の街になっていく通りを過ぎながら、
暗くなっていくことに少々焦りを感じ始めていた。
初めての海外一人旅でバックパック一個で歩いている。見知らぬ土地で、犯罪に巻き込まれたら何もできやしないのだ。急ぎ足でナビが示す通りに進んでいく。明らかに住宅街でホテル街ではないように思えたが、ナビを今度は信じようと進んでいく。
目的地に到着するととても大きな豪邸があり、車がゆっくりと車庫へ入っていく。直感でここではないな、と足を止め調べ直そうとすると、人感センサーで照明がつき、照らされた自分を見た途轍もなくでかいボクサー犬に吠えられて震えた。
心細さがピークになり、見知らぬバックパック男が住宅街ウロついてたら通報されちゃうよな、という焦りも出てきたところで人影を発見。
警戒しているようだが、門越しにホテルの名前を伝えると親切に教えてくれた。そういった人が飼ってるのは可愛い小型犬って相場が決まってんのかなあ。
今回の教訓としては信じられるのはネットでも地球の歩き方でもなく、己のみであることをしみじみと感じた。
無事にホテルについて、チェックイン。
部屋に入るとカビ臭い、壁薄い、部屋が広過ぎて家具がないため虚しい。
これが旅かあ!!と独り言を言ってぬるいシャワーを浴びて、寝落ちしてしまった。
目を覚ますと22時だったので眠気覚ましの水とタイでお気に入りになったレオビールをセブンで購入し、アユタヤでの旅程を組むことにした。
ネオン街へ繰り出すにも酷い雨だったのでおとなしくしていることにした。
顔を洗って鏡を見ると死んでた目に光が宿り出した。
疲れてるけどいい顔になってきたじゃんと自分の髭面を見て思った。
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あなたにだけは忘れてほしくなかった
アメリカ合衆国、ニューヨーク州、マンハッタン、ニューヨーク市警本部庁舎。 上級職員用のオフィスで資料を眺めていた安藤文彦警視正は顔をしかめた。彼は中年の日系アメリカ人である。頑なに日本名を固持しているのは血族主義の強かった祖父の影響だ。厳格な祖父は孫に米国風の名乗りを許さなかったためである。祖父の信念によって子供時代の文彦はいくばくかの苦労を強いられた。 通常、彼は『ジャック』と呼ばれているが、その由来を知る者は少ない。自らも話したがらなかった。 文彦は暴力を伴う場合の少ない知的犯罪、いわゆるホワイトカラー犯罪を除く、重大犯罪を扱う部署を横断的に統括している。最近、彼を悩ませているのは、ある種の雑音であった。 現在は文彦が犯罪現場へ出る機会はないに等しい。彼の主たる業務は外部機関を含む各部署の調整および、統計分析を基として行う未解決事件への再検証の試みであった。文彦の懸念は発見場所も年代も異なる数件の行方不明者の奇妙な類似である。類似といっても文彦の勘働きに過ぎず、共通項目を特定できているわけではなかった。ただ彼は何か得体の知れない事柄が進行している気配のようなものを感じ取っていたのである。 そして、彼にはもうひとつ、プライベートな懸念事項があった。十六才になる姪の安藤ヒナタだ。
その日は朝から快晴、空気は乾いていた。夏も最中の日差しは肌を刺すようだが、日陰に入ると寒いほどである。自宅のダイニングルームでアイスティーを口にしながら安藤ヒナタは決心した。今日という日にすべてをやり遂げ、この世界から逃げ出す。素晴らしい考えだと思い、ヒナタは微笑んだ。 高校という場所は格差社会の縮図であり、マッチョイズムの巣窟でもある。ヒナタは入学早々、この猿山から滑り落ちた。見えない壁が張り巡らされる。彼女はクラスメイトの集う教室の中で完全に孤立した。 原因は何だっただろうか。ヒナタのスクールバッグやスニーカーは他の生徒よりも目立っていたかもしれない。アジア系の容姿は、彼らの目に異質と映ったのかも知れなかった。 夏休みの前日、ヒナタは階段の中途から突き飛ばされる。肩と背中を押され、気が付いた時には一階の踊り場に強か膝を打ちつけていた。 「大丈夫?」 声だけかけて去っていく背中を呆然と見送る。ヒナタは教室に戻り、そのまま帰宅した。 擦過傷と打撲の痕跡が残る膝と掌は、まだ痛む。だが、傷口は赤黒く乾燥して皮膚は修復を開始していた。もともと大した傷ではない。昨夜、伯父夫婦と夕食をともにした際もヒナタは伯母の得意料理であるポークチョップを食べ、三人で和やかに過ごした。 高校でのいざこざを話して何になるだろう。ヒナタは飲み終えたグラスを食洗器に放り込み、自室へ引っ込んだ。
ヒナタの母親はシングルマザーである。出産の苦難に耐え切れず、息を引き取った。子供に恵まれなかった伯父と伯母はヒナタを養子に迎え、経済的な負担をものともせず、彼女を大学に行かせるつもりでいる。それを思うと申し訳ない限りだが、これから続くであろう高校の三年間はヒナタにとって永遠に等しかった。 クローゼットから衣服を抜き出して並べる。死装束だ。慎重に選ぶ必要がある。等身大の鏡の前で次々と試着した。ワンピースの裾に払われ、細々としたものがサイドボードから床に散らばる。悪態を吐きながら拾い集めていたヒナタの手が止まった。横倒しになった木製の箱を掌で包む。母親の僅かな遺品の中からヒナタが選んだオルゴールだった。 最初から壊れていたから、金属の筒の突起が奏でていた曲は見当もつかない。ヒナタはオルゴールの底を外した。数枚の便箋と写真が納まっている。写真には白のワイシャツにスラックス姿の青年と紺色のワンピースを着た母親が映っていた。便箋の筆跡は美しい。『ブライアン・オブライエン』の署名と日付、母親の妊娠の原因が自分にあるのではないかという懸念と母親と子供に対する執着の意思が明確に示されていた。手紙にある日付と母親がヒナタを妊娠していた時期は一致している。 なぜ母は父を斥けたのだろうか。それとも、この男は父ではないのか。ヒナタは苛立ち、写真の青年を睨んだ。 中学へ進み、スマートフォンを与えられたヒナタは男の氏名を検索する。同姓同名の並ぶ中、フェイスブックに該当する人物を見つけた。彼は現在、大学の教職に就いており、専門分野は精神病理学とある。多数の論文、著作を世に送り出していた。 ヒナタは図書館の書棚から彼の書籍を片っ端から抜き出す。だが、学術書を読むには基礎教養が必要だ。思想、哲学、近代史、統計を理解するための数学を公共の知の宮殿が彼女に提供する。 ヒナタは支度を終え、バスルームの洗面台にある戸棚を開いた。医薬品のプラスチックケースが乱立している。その中から伯母の抗うつ剤の蓋を掴み、容器を傾けて錠剤を掌に滑り出させた。口へ放り込み、ペットボトルの水を飲み込む。栄養補助剤を抗うつ剤の容器に補充してから戸棚へ戻した。 今日一日、いや数時間でもいい。ヒナタは最高の自分でいたかった。
ロングアイランドの住宅地にブライアン・オブライエンの邸宅は存在していた。富裕層の住居が集中している地域の常であるが、ヒナタは脇を殊更ゆっくりと走行している警察車両をやり過ごす。監視カメラの装備された鉄柵の門の前に佇んだ。 呼び鈴を押そうかと迷っていたヒナタの耳に唸り声が響く。見れば、門を挟んで体長一メータ弱のドーベルマンと対峙していた。今にも飛び掛かってきそうな勢いである。ヒナタは思わず背後へ退いた。 「ケンダル!」 奥から出てきた男の声を聞いた途端、犬は唸るのを止める。スーツを着た男の顔はブライアン・オブライエン、その人だった。 「サインしてください!」 鞄から取り出した彼の著作を抱え、ヒナタは精一杯の声を張り上げる。 「いいけど。これ、父さんの本だよね?」 男は門を開錠し、ヒナタを邸内に招き入れた。
男はキーラン・オブライエン、ブライアンの息子だと名乗った。彼の容姿は写真の青年と似通っている。従って現在、五十がらみのブライアンであるはずがなかった。ヒナタは自らの不明を恥じる。 「すみません」 スペイン人の使用人が運んできた陶磁器のコーヒーカップを持ち上げながらヒナタはキーランに詫びた。 「これを飲んだら帰るから」 広大な居間に知らない男と二人きりで座している事実に気が滅入る。その上、父親のブライアンは留守だと言うのであるから、もうこの家に用はなかった。 「どうして?」 「だって、出���けるところだよね?」 ヒナタはキーランのスーツを訝し気に見やる。 「別にかまわない。どうせ時間通りに来たことなんかないんだ」 キーランは初対面のヒナタを無遠慮に眺めていた。苛立ち始めたヒナタもキーランを見据える。 ヒナタはおよそコンプレックスとは無縁のキーランの容姿と態度から彼のパーソナリティを分析した。まず、彼は他者に対してまったく物怖じしない。これほど自分に自信があれば、他者に無関心であるのが普通だ。にも拘らず、ヒナタに関心を寄せているのは、何故か。 ヒナタは醜い女ではないが、これと取り上げるような魅力を持っているわけでもなかった。では、彼は何を見ているのか。若くて容姿に恵まれた人間が夢中になるもの、それは自分自身だ。おそらくキーランは他者の称賛の念を反射として受け取り、自己を満足させているに違いない。 「私を見ても無駄。本質なんかないから」 瞬きしてキーランは首を傾げた。 「俺に実存主義の講義を?」 「思想はニーチェから入ってるけど、そうじゃなくて事実を言ってる。あなたみたいに自己愛の強いタイプにとって他者は鏡でしかない。覗き込んでも自分が見えるだけ。光の反射があるだけ」 キーランは吹き出す。 「自己愛? そうか。父さんのファンなのを忘れてたよ。俺を精神分析してるのか」 笑いの納まらないキーランの足元へドーベルマンが寄ってくる。 「ケンダル。彼女を覚えるんだ。もう吠えたり、唸ったりすることは許さない」 キーランの指示に従い、ケンダルはヒナタのほうへ近づいてきた。断耳されたドーベルマンの風貌は鋭い。ヒナタは大型犬を間近にして体が強張ってしまった。 「大丈夫。掌の匂いを嗅がせて。きみが苛立つとケンダルも緊張する」 深呼吸してヒナタはケンダルに手を差し出す。ケンダルは礼儀正しくヒナタの掌を嗅いでいた。落ち着いてみれば、大きいだけで犬は犬である。 ヒナタはケンダルの耳の後ろから背中をゆっくりと撫でた。やはりケンダルはおとなしくしている。門前で威嚇していた犬とは思えないほど従順だ。 「これは?」 いつの間にか傍に立っていたキーランがヒナタの手を取る。擦過傷と打撲で変色した掌を見ていた。 「別に」 「こっちは? 誰にやられた?」 キーランは、手を引っ込めたヒナタのワンピースの裾を摘まんで持ち上げる。まるでテーブルクロスでもめくる仕草だ。ヒナタの膝を彩っている緑色の痣と赤黒く凝固した血液の層が露わになる。ヒナタは青褪めた。他人の家の居間に男と二人きりでいるという恐怖に舌が凍りつく。 「もしきみが『仕返ししろ』と命じてくれたら俺は、どんな人間でも這いつくばらせる。生まれてきたことを後悔させる」 キーランの顔に浮かんでいたのは怒りだった。琥珀色の瞳の縁が金色に輝いている。落日の太陽のようだ。息を吸い込む余裕を得たヒナタは掠れた声で言葉を返す。 「『悪事を行われた者は悪事で復讐する』わけ?」 「オーデン? 詩を読むの?」 依然として表情は硬かったが、キーランの顔から怒りは消えていた。 「うん。伯父さんが誕生日にくれた」 キーランはヒナタのすぐ隣に腰を下ろす。しかし、ヒナタは咎めなかった。 「復讐っていけないことだよ。伯父さんは普通の人がそんなことをしなくていいように法律や警察があるんだって言ってた」 W・H・オーデンの『一九三九年九月一日』はナチスドイツによるポーランド侵攻を告発した詩である。他国の争乱と無関心を決め込む周囲の人々に対する憤りをうたったものであり、彼の詩は言葉によるゲルニカだ。 「だが、オーデンは、こうも言ってる。『我々は愛し合うか死ぬかだ』」 呼び出し音が響き、キーランは懐からスマートフォンを取り出す。 「違う。まだ家だけど」 電話の相手に生返事していた。 「それより、余分に席を取れない? 紹介したい人がいるから」 ヒナタはキーランを窺う。 「うん、お願い」 通話を切ったキーランはヒナタに笑いかけた。 「出よう。父さんが待ってる」 戸惑っているヒナタの肩を抱いて立たせる。振り払おうとした時には既にキーランの手は離れていた。
キーラン・オブライエンには様々な特質がある。体格に恵まれた容姿、優れた知性、外科医としての将来を嘱望されていること等々、枚挙に暇がなかった。だが、それらは些末に過ぎない。キーランを形作っている最も重要な性質は彼の殺人衝動だ。 この傾向は幼い頃からキーランの行動に顕著に表れている。小動物の殺害と解剖に始まり、次第に大型動物の狩猟に手を染めるが、それでは彼の欲求は収まらなかった。 対象が人間でなければならなかったからだ。 キーランの傾向にいち早く気付いていたブライアン・オブライエンは彼を教唆した。具体的には犯行対象を『悪』に限定したのである。ブライアンは『善を為せ』とキーランに囁いた。彼の衝動を沈め、社会から悪を排除する。福祉の一環であると説いたのだ。これに従い、彼は日々、使命を果たしてる。人体の生体解剖によって嗜好を満たし、善を為していた。 「どこに行くの?」 ヒナタの質問には答えず、キーランはタクシーの運転手にホテルの名前を告げる。 「行けないよ!」 「どうして?」 ヒナタはお気に入りではあるが、量販店のワンピースを指差した。 「よく似合ってる。綺麗だよ」 高価なスーツにネクタイ、カフスまでつけた優男に言われたくない。話しても無駄だと悟り、ヒナタはキーランを睨むに留めた。考えてみれば、ブライアン・オブライエンへの面会こそ重要課題である。一流ホテルの従業員の悪癖であるところの客を値踏みする流儀について今は不問に付そうと決めた。 「本当にお父さんに似てるよね?」 「俺? でも、血は繋がってない。養子だよ」 キーランの答えにヒナタは目を丸くする。 「嘘だ。そっくりじゃない」 「DNAは違う」 「そんなのネットになかったけど」 ヒナタはスマートフォンを鞄から取り出した。 「公表はしてない」 「じゃあ、なんで話したの?」 「きみと仲良くなりたいから」 開いた口が塞がらない。 「冗談?」 「信じないのか。参ったな。それなら、向こうで父さんに確かめればいい」 キーランはシートに背中を預け、目を閉じた。 「少し眠る。着いたら教えて」 本当に寝息を立てている。ヒナタはスマートフォンに目を落とした。
ヒナタは肩に触れられて目を覚ました。 「着いたよ」 ヒナタの背中に手を当てキーランは彼女を車から連れ出した。フロントを抜け、エレベーターへ乗り込む。レストランに入っても警備が追いかけてこないところを見ると売春婦だとは思われていないようだ。ヒナタは脳内のホテル番付に星をつける。 「女性とは思わなかった。これは、うれしい驚きだ」 テラスを占有していたブライアン・オブライエンは立ち上がってヒナタを迎えた。写真では茶色だった髪は退色し、白髪混じりである。オールバックに整えているだけで染色はしていなかった。三つ揃いのスーツにネクタイ、機械式の腕時計には一財産が注ぎ込まれているだろう。デスクワークが主体にしては硬そうな指に結婚指輪が光っていたが、彼の持ち物とは思えないほど粗雑な造りだ。アッパークラスの体現のような男が配偶者となる相手に贈る品として相応しくない。 「はじめまして」 自分の声に安堵しながらヒナタは席に着いた。 「彼女は父さんのファンなんだ」 ヒナタは慌てて鞄から本を取り出す。 「サインしてください」 本を受け取ったブライアンは微笑んだ。 「喜んで。では、お名前を伺えるかな?」 「安藤ヒナタです」 老眼鏡を懐から抜いたブライアンはヒナタに顔を向ける。 「スペルは?」 答える間もブライアンはヒナタに目を据えたままだ。灰青色の瞳は、それが当然だとでも言うように遠慮��ない。血の繋がりがどうであれ、ブライアンとキーランはそっくりだとヒナタは思った。 ようやく本に目を落とし、ブライアンは結婚指輪の嵌った左手で万年筆を滑らせる。 「これでいいかな?」 続いてブライアンは『ヒナタ』と口にした。ヒナタは父親の声が自分の名前を呼んだのだと思う。その事実に打ちのめされた。涙があふれ出し、どうすることもできない。声を上げて泣き出した。だが、それだけではヒナタの気は済まない。二人の前に日頃の鬱憤を洗いざらい吐き出していた。 「かわいそうに。こんなに若い女性が涙を流すほど人生は過酷なのか」 ブライアンは嘆く。驚いたウェイターが近付いてくるのをキーランが手を振って追い払った。ブライアンは席を立ち、ヒナタの背中をさする。イニシャルの縫い取られたリネンのハンカチを差し出した。 「トイレ」 宣言してヒナタはテラスを出ていく。 「おそらくだが、向精神薬の副作用だな」 父親の言葉にキーランは頷いた。 「彼女。大丈夫?」 「服用量による。まあ、あれだけ泣いてトイレだ。ほとんどが体外に排出されているだろう」 「でも、攻撃的で独善的なのは薬のせいじゃない」 ブライアンはテーブルに落ちていたヒナタの髪を払い除ける。 「もちろんだ。彼女の気質だよ。しかし、同じ学校の生徒が気の毒になる。家畜の群れに肉食獣が紛れ込んでみろ。彼らが騒ぐのは当然だ」 呆れた仕草でブライアンは頭を振った。 「ルアンとファンバーを呼びなさい。牧羊犬が必要だ。家畜を黙らせる。だが、友情は必要ない。ヒナタの孤立は、このままでいい。彼女と親しくなりたい」 「わかった。俺は?」 「おまえの出番は、まだだ。キーラン」 キーランは暮れ始めている空に目をやる。 「ここ。誰の紹介?」 「アルバート・ソッチ。デザートが絶品だと言ってた。最近、パテシエが変わったらしい」 「警察委員の? 食事は?」 ブライアンも時計のクリスタルガラスを覗いた。 「何も言ってなかったな」 戻ってきたヒナタの姿を見つけたキーランはウェイターに向かい指示を出す。 「じゃあ、試す必要はないね。デザートだけでいい」 ブライアンは頷いた。
「ハンカチは洗って返すから」 ヒナタとキーランは庁舎の並ぶ官庁街を歩いていた。 「捨てれば? 父さんは気にしない」 面喰ったヒナタはキーランを窺う。ヒナタは自分の失態について思うところがないわけではなかった。ブライアンとキーランに愛想をつかされても文句は言えない。二人の前で吐瀉したも同じだからだ。言い訳はできない。だが、ヒナタは、まだ目的を果たしていないのだ。 ブライアン・オブライエンの実子だと確認できない状態では自死できない。 「それより、これ」 キーランはヒナタの手を取り、掌に鍵を載せた。 「何?」 「家の鍵。父さんも俺もきみのことを家族だと思ってる。いつでも遊びに来ていいよ」 瞬きしているヒナタにキーランは言葉を続ける。 「休暇の間は俺がいるから。もし俺も父さんもいなかったとしてもケンダルが 相手をしてくれる」 「本当? 散歩させてもいい? でも、ケンダルは素気なかったな。私のこと好きじゃないかも」 「俺がいたから遠慮してたんだ。二人きりの時は、もっと親密だ」 ヒナタは吹き出した。 「犬なのに二人?」 「ケンダルも家族だ。俺にとっては」 相変わらずキーランはヒナタを見ている。ヒナタは眉を吊り上げた。 「言ったよね? 何もないって」 「違う。俺はきみを見てる。ヒナタ」 街灯の光がキーランの瞳に映っている。 「だったら、私の味方をしてくれる? さっき家族って言ってたよね?」 「言った」 「でも、あなたはブライアンに逆らえるの? 兄さん」 キーランは驚いた顔になった。 「きみは、まるでガラガラヘビだ」 さきほどの鍵をヒナタはキーランの目の前で振る。 「私が持ってていいの? エデンの園に忍び込もうとしている蛇かもしれない」 「かまわない。だけど、あそこに知恵の実があるかな? もしあるとしたら、きみと食べたい」 「蛇とイブ。一人二役だね」 ヒナタは入り口がゲートになったアパートを指差した。 「ここが私の家。さよならのキスをすべきかな?」 「ヒナタのしたいことを」 二人は互いの体に手を回す。キスを交わした。
官庁街の市警本部庁舎では安藤文彦が部下から報告を受けていた。 「ブライアン・オブライエン?」 クリスティナ・ヨンぺルト・黒田は文彦が警部補として現場指揮を行っていた時分からの部下である。移民だったスペイン人の父親と日系アメリカ人の母親という出自を持っていた。 「警察委員のアルバート・ソッチの推薦だから本部長も乗り気みたい」 文彦はクリスティナの持ってきた資料に目をやる。 「警察委員の肝入りなら従う他ないな」 ブライアン・オブライエン教授の専門は精神病理学であるが、応用心理学、主に犯罪心理学に造詣が深く、いくつかの論文は文彦も読んだ覚えがあった。 「どうせ書類にサインさせるだけだし誰でもかまわない?」 「そういう認識は表に出すな。象牙の塔の住人だ。無暗に彼のプライドを刺激しないでくれ」 クリスティナは肩をすくめる。 「新任されたばかりで本部長は大張り切り。大丈夫。失礼なのは私だけ。他の部下はアッパークラスのハウスワイフよりも上品だから。どんな男でも、その気にさせる」 「クリスティナ」 軽口を咎めた文彦にクリスティナは吹き出した。 「その筆頭があなた、警視正ですよ、ジャック。マナースクールを出たてのお嬢さんみたい。財政の健全化をアピールするために部署の切り捨てを行うのが普通なのに新しくチームを立ち上げさせた。本部長をどうやって口説き落としたの?」 「きみは信じないだろうが、向こうから話があった。私も驚いている。本部長は現場の改革に熱意を持って取り組んでいるんだろう」 「熱意のお陰で予算が下りた。有効活用しないと」 文彦は顔を引き締めた。 「浮かれている場合じゃないぞ。これから、きみには負担をかけることになる。私は現場では、ほとんど動けない。走れないし、射撃も覚束ない」 右足の膝を文彦が叩く。あれ以来、まともに動かない足だ。 「射撃のスコアは基準をクリアしていたようだけど?」 「訓練場と現場は違う。即応できない」 あの時、夜の森の闇の中、懐中電灯の光だけが行く手を照らしていた。何かにぶつかり、懐中電灯を落とした瞬間、右手の動脈を切り裂かれる。痛みに耐え切れず、銃が手から滑り落ちた。正確で緻密なナイフの軌跡、相手はおそらく暗視ゴーグルを使用していたのだろう。流れる血を止めようと文彦は左手で手首を圧迫した。馬乗りになってきた相手のナイフが腹に差し込まれる感触と、その後に襲ってきた苦痛を表す言葉を文彦は知らない。相手はナイフを刺したまま刃の方向を変え、文彦の腹を横に薙いだ。 当時、『切り裂き魔』と呼ばれていた殺人者は、わざわざ文彦を国道まで引きずる。彼の頬を叩いて正気づかせた後、スマートフォンを顔の脇に据えた。画面にメッセージがタイピングされている。 「きみは悪党ではない。間違えた」 俯せに倒れている文彦の頭を右手で押さえつけ、男はスマートフォンを懐に納める。その時、一瞬だけ男の指に光が見えたが、結婚指輪だとわかったのは、ずいぶん経ってからである。道路に文彦を放置して男は姿を消した。 どうして、あの場所は、あんなに暗かったのだろうか。 文彦は事ある毎に思い返した。彼の足に不具合が生じたのは、ひとえに己の過信の結果に他ならない。ジャックと文彦を最初に名付けた妻の気持ちを彼は無にした。世界で最も有名な殺人者の名で夫を呼ぶことで凶悪犯を追跡する文彦に自戒するよう警告したのである。 姪のヒナタに贈った詩集は自分自身への諌言でもあると文彦は思った。法の正義を掲げ、司法を体現してきた彼が復讐に手を染めることは許されない。犯罪者は正式な手続きを以って裁きの場に引きずり出されるべきだ。 「ジャック。あなたは事件を俯瞰して分析していればいい。身長六フィートの制服警官を顎で使う仕事は私がやる。ただひとつだけ言わせて。本部長にはフェンタニルの使用を黙っていたほうがいいと思う。たぶん良い顔はしない」 フェンタニルは、文彦が痛み止めに使用している薬用モルヒネである。 「お帰りなさい、ジャック」 クリスティナが背筋を正して敬礼する。文彦は答礼を返した。
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(娘娘祭 - にゃんにゃんまつり - YouTubeから)
8282typhoon 2013/07/06 に公開 満州国の大石橋にて行われた娘娘祭こと娘娘廟会の貴重な映像。 1947年中国共産党によって寺は焼却爆破され、祭りも途絶えた。1992年以降共産党地方政府が文化遺産修復政策によってこれを復元復興するも、かつての賑わいはない。 —以下詳細— 迷鎮山上に道教の主神「娘娘」(※)を祀る古名刹の海雲寺があり、これを娘娘廟と称する。かつて廟祠は北支から満州にかけて到る所にあり、満州だけで二百五、六十箇所にのぼるといわれた。満州の有名な娘娘廟は他に安奉線の鳳凰城、吉林の北山、新京近郊の大屯などがあるが大石橋迷鎮山の廟会(お祭り)が最も古くかつ著名であった。 迷鎮山の祭りは毎年清暦四月十八日を中日に五日間執行し、遠近より参詣する善男善女十万人を越え、各種の興業物、露店等の賑わい遼東一と称された。群衆は鉄道や幌付の驢馬車にて来集し、その驢馬車を宿として利用する者も多かった。祭りに参集する群衆の大半は奉納舞踊や演劇、映画、武術の催物、買い物などをその目的とし、信仰というよりむしろ余暇の側面が強かったといわれる。農民たちはここの定期市で一年分の農具を買い込んだという。 寺への参詣者は災厄疾病除け、願開けのお礼参り、豊穣、繁殖、求雨の祈願など様々な理由で本殿にお参りし、願いが叶えられて子供を授かった者は露店で売っている人形を買って神に供え、また眼病が快癒された者は紙や竹でつくった眼鏡を露店で買い、これを供える。このとき供物は神前に飾るのではなく神殿の前の香炉で焼く。 特に見るべきは、子供を欲する婦女が授児(送子)娘娘の前で焼香し、叩頭拝礼ののち娘娘の抱く小児人形の土製の性器を爪で削って薬を服用する如く嚥下する風習である。このとき削られた性器は次々と補修されるが、これが間に合わず股間部がすっかりなくなりお尻、太ももの部分まで削られて痛々しい姿を晒すこともあったという。また眼光娘娘(治眼-)では拝礼後に娘娘の眼に触れ、その手で自分の眼をこすり、治眼を祈願しながらかえって病状を悪化させることもあったという。 そのほか、祈願によって病気が快癒した三歳から六歳程度の小児らに黄色の衣装を被せ、病気の種類ごとに違った化粧を顔面に施し、彼等を高い台の上にくくりつけて、練り物(通称「生人形」)として出してお礼参りする奇習=「隨会」が行われていた。 余談だが、日露の戦役に於いてクロバトキン将軍がこの海雲寺に屯して三軍を指揮したことがある。 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + ※「娘娘」とは元来皇后の謂れで、その後、皇后を含めた側近(高貴な婦人)の尊称となり、さらに転じて、児を授け、子を護り、福を与える女神の尊称として用いられるに至った。通常三女神を奉祀し、中央に財福娘娘(碧霞元君)=福寿を授ける娘娘(天仙、聖母、天后)、右に眼光娘娘(治眼娘娘)=諸病を治す娘娘(痘神、斑疹、痘疹)、左に子孫娘娘(授児娘娘)=授子を司る娘娘(送子、送生、催生)を配置する。これは「三位一体」の概念を表すものといわれる。 + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + ◯迷鎮山(GoogleMap) https://maps.google.co.jp/maps?q=%E8%... ◯大石橋の景観(絵はがき) http://iccs.aichi-u.ac.jp/postcard/ma... ◯娘娘祭1(絵はがき) http://www.tobunken-archives.jp/Digit... ◯娘娘祭2(絵はがき) http://www.tobunken-archives.jp/Digit... + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + ※大石橋(だいせききょう) - 大連より上り列車で3時間 ※迷鎮山(めいちんざん) - 大石橋駅南西3km + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + (追記) 動画を上げて丸五年で視聴回数数万ほどでしたが、2018年6月に突然爆発的に数値が増加しました。エロ系動画の関連動画から流れて来た方が多い様で、エロの要素皆無な動画故、八つ当たり的に低評価が増え、いい迷惑を被りました。いや、それってYouTubeの関連動画アルゴリズムの所為だと思うのですが...(^^;) それでも、この動画だけでチャンネル登録者が一気に500人以上増加しました。謎です。。。 引き続き御贔負を宜しくお願いします。(管理人) カテゴリ ニュースと政治
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「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人だった湊伸治が今度は殺人未遂で逮捕!
湊伸治以外の犯人たちも出所後に犯罪をしており、「少年法」は更生の役に立たないどころか、むしろ更生を妨げている!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180821-00547408-shincho-soci 綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕されていた! 8/21(火) 11:45配信、デイリー新潮 8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。逮捕された男は川口市の無職、湊伸治――。 「18時5分に被害者の男性から『警棒で殴られ、刃物で首を切りつけられた』との110番通報があり臨場しました。男性は首の後ろから流血がありましたが、幸いなことに命に別状はありませんでした。湊はその場におりませんでしたが、駐車トラブルの原因となった車輌は残っていた。ナンバーから自宅を割り出し自宅に行くと、犯行を認めたため、19時50分に緊急逮捕しました。湊は『刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった』と言っています」(捜査関係者) 警棒は3段の伸縮式で全長41センチ。実際に警察が使用しているものとは少し異なり、いわゆる護身用として販売されているものだという。刃物のほうは折りたたみ式で、刃渡りは8センチ、広げたときの全長は19センチになるという。 殺人未遂罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役である。しかし、死刑や無期懲役になることはめったになく、多くは懲役3年前後からおよそ7年程度とされる。 ちなみに正当な理由なく、刃渡り6センチを超える刃物を携帯すれば、銃刀法違反で2年以下の懲役、または30万円以下の罰金となる。 「ええ、そちらも視野に入れています」(前出・捜査関係者) 捜査関係者は、いつにも増して徹底して罪に問おうとしているかのようだ。 . ■野獣に人権はない 「湊伸治」という名を聞いてピンとくる人は、多くはないだろう。しかし、すでに一部のネット民の間では話題の男なのだ。 今から30年近く前になる。彼こそ1989年、日本中を震撼させた、綾瀬「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の4人の犯行グループの1人なのだ。 「当時16~18歳の少年が、見ず知らずの17歳の女子高生を拉致し、40日間に亘り監禁した上、なぶり殺し、遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、江東区の埋め立て地に遺棄した――鬼畜としか思えぬ犯行でした。しかも彼らが監禁に及んだ部屋は、少年の両親が同居する実家の2階の自室。その少年こそ、湊伸治(当時16歳)です。両親は共産党系の診療所に勤務し、父は診療所の経営する薬局の薬剤師、母は看護士でした。2人とも共産党員だったため、警察への対応も筋金入りでした。家宅捜索も弁護士立ち会いの下で認めるという具合で、そのために捜査が遅れたと言われたほどでした」(社会部記者) 湊には懲役4年以上6年以下の不定期刑が下された。 当時、実名で報じたのは週刊文春だ。記事を担当したコラムニストの勝谷誠彦氏(57)が振り返る。 「少年法の名の下、実名報道はできないという風潮は今も変わってない。だけど、取材すればするほど、あの事件は酷かった。だから、“野獣に人権はない”と言って、実名報道に踏み切ったわけです。だって名前も報じられない彼らは、数年経ったら世の中に出てきて平気で歩き回るんですよ。逆に殺された、あんなに可愛い女子高生の名前は、じゃんじゃん報じられていた。どっちの人権が大事なのかと思ったけど、人権派という方々からは随分いじめられたね。日本は出所した者に甘すぎるんですよ。アメリカなんて性犯罪者にはGPSまで付けているわけですから。あれほどの性犯罪者、重犯罪者の名を、若いからというだけで実名で報じないのは、むしろ一般庶民に危険が及ぶのだから」 ■駐車トラブルじゃない その言葉が実現してしまったということか――。では、現在の湊はどんな男になっていたのか。自宅周辺の住民からの評判はすこぶる悪い。 (中略) 実際、階下の住民に聞いてみると、 「ああ、そうなんですよ。夜中の3時でもお構いなく、2階の床をドンドンドンドン踏み鳴らしたり、大声上げたりするんで、うるさくてしょうがない。天井に付いている照明がグラグラしちゃってるの分かります? それで19日の朝も、うるさいから話し合おうと2階に上がってベルを押したんだけど、出てこない。僕が下に降りて部屋に入ると、またドンドンドンドン。その繰り返し……。しばらくすると外に出て行くのが分かったから、追いかけて行って、なんであんなことをするのか問い詰めたんですよ。でも、話をそらして、違う話をしてくる。『何か聞こえるの?』とか言ったりね。頭がおかしいんじゃないかと思ったけど、なんとか止めてもらえるようになったんですよ。そしたら夕方には、あの事件でしょ。ビックリしましたよ、下手をしたら刺されたかもと思うと、今になって恐くてね」 事件の原因は駐車トラブルと発表されているが、目撃者たちの証言は異なる。 「駐車場に軽トラックが入ってきたんですけど、湊は仁王立ちして立ち塞がっていたんですよ。駐車トラブル? そんなんじゃないよ、因縁付けてたんだから。それで軽トラックの運転手が窓を開けたら、いきなり棒で殴ったんだよ」 「いつ刺したのかは分からなかったけど、軽トラには助手席にも人がいてね。その人があの男をぶん殴っていました。それを止めようとしていたのが刺された人です。刺された人は弱っている感じではなかったけど、長袖Tシャツの背中は血に染まっていたね……」 湊立ち会いの下で行われた現場検証を見ていた人は、次のように話す。 「なんだか、まったく悪びれる風もなく『ここら辺でやられたかな、こっちもやったけどさ』なんて言ってましたよ」 29年前の事件から更生したとはとても言い難い。 週刊新潮WEB取材班 2018年8月21日 掲載
>8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。逮捕された男は川口市の無職、湊伸治――。
首をナイフで刺したのだから、殺す気満々だな。
>湊は『刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった』と言っています
首をナイフで刺しておいて、『刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった』とか量刑を軽くする戦術なのだろうが、世の中を舐め切っている!
>「湊伸治」という名を聞いてピンとくる人は、多くはないだろう。しかし、すでに一部のネット民の間では話題の男なのだ。
>今から30年近く前になる。彼こそ1989年、日本中を震撼させた、綾瀬「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の4人の犯行グループの1人なのだ。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人=鬼畜は、やはり更生しなかった!
「湊伸治」以外の犯人たちも、更生せずにその後も犯罪をしている。
一日も早く少年法を廃止しろ!
> 「当時16~18歳の少年が、見ず知らずの17歳の女子高生を拉致し、40日間に亘り監禁した上、なぶり殺し、遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、江東区の埋め立て地に遺棄した――鬼畜としか思えぬ犯行でした。しかも彼らが監禁に及んだ部屋は、少年の両親が同居する実家の2階の自室。その少年こそ、湊伸治(当時16歳)です。両親は共産党系の診療所に勤務し、父は診療所の経営する薬局の薬剤師、母は看護士でした。2人とも共産党員だったため、警察への対応も筋金入りでした。家宅捜索も弁護士立ち会いの下で認めるという具合で、そのために捜査が遅れたと言われたほどでした」(社会部記者)
女子高生コンクリート詰め殺人犯の1人で、今回また殺人未遂で逮捕された湊伸治の両親は2人とも共産党員だった!
共産党員というのは、「大量殺人による独裁支配」を目指している殺人テロ集団の連中なのだから、例外なく殺人テロリストなのだ。(
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両親が2人とも共産党員(殺人テロリスト)の鬼畜なのだから、そいつらの子供が鬼畜となってもおかしくない。
そして、監禁、強姦、リンチ、殺害の現場は、この共産党員どもの家の中(2階)だった!
日本共産党幹部自宅2階でリンチ虐殺
女子高生誘拐監禁集団リンチ虐殺コンクリート詰め死体遺棄事件
>湊には懲役4年以上6年以下の不定期刑が下された。
>当時、実名で報じたのは週刊文春だ。記事を担当したコラムニストの勝谷誠彦氏(57)が振り返る。
> 「少年法の名の下、実名報道はできないという風潮は今も変わってない。だけど、取材すればするほど、あの事件は酷かった。だから、“野獣に人権はない”と言って、実名報道に踏み切ったわけです。だって名前も報じられない彼らは、数年経ったら世の中に出てきて平気で歩き回るんですよ。逆に殺された、あんなに可愛い女子高生の名前は、じゃんじゃん報じられていた。どっちの人権が大事なのかと思ったけど、人権派という方々からは随分いじめられたね。日本は出所した者に甘すぎるんですよ。アメリカなんて性犯罪者にはGPSまで付けているわけですから。あれほどの性犯罪者、重犯罪者の名を、若いからというだけで実名で報じないのは、むしろ一般庶民に危険が及ぶのだから」
成人の「人権」と未成年者の「人権」を差別するのは間違いだ。
人権は、万人に平等に適用されるべきだ。
特に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の場合には17歳だろうが20歳以上だろうが、鬼畜に変わりないのだから「人権」なんてそもそも関係ない。
日本の「少年法」のように異常なまでに未成年者の犯罪者を甘やかす内容の法律は、世界的にも極めて珍しい。
日本の死刑にはEUなど海外の一部から批判が出ているが、日本の少年法には海外の多くから批判が出ている。
更生の観点からも、少年法で甘やかすから逆に更生の妨げになっている!
後述するが、実際に女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちは誰も更生していない!
少年法なんて、百害あって一利なし!
一日も早く少年法を廃止しろ!
> 湊立ち会いの下で行われた現場検証を見ていた人は、次のように話す。
>「なんだか、まったく悪びれる風もなく『ここら辺でやられたかな、こっちもやったけどさ』なんて言ってましたよ」
>29年前の事件から更生したとはとても言い難い。
少年法で甘やかしたこともあり、湊伸治は更生しなかった。
実は、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちは、誰も更生していない。
この機会に「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」について、おさらいしておこう。
40日間、共産党員の家で、鬼畜共によって監禁、強姦、リンチ、殺害された県立八潮南高校3年吉田順子さん(当時17歳)
左上が主犯格の宮野裕史(A) →横山と改姓して横山裕史→再犯(詐欺)
左下が小倉譲(B) →神作と改姓して神作譲→再犯(拉致監禁暴行)
右上が湊伸治(C)→再犯(殺人未遂)
右下が渡邊恭史(D)→引きこもり症候群
https://matome.naver.jp/odai/2135216420298176301 女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌【史上最悪な殺人事件】 女子高生コンクリート詰め殺人事件とは1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、ホテルに連れ込み強姦した。その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で東京都足立区綾瀬のCの自宅に女子高生を監禁して殺害した事件。 【事件番号】平成2う1058 女子高生コンクリート詰め殺人事件は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。 この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。 1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、ホテルに連れ込み強姦した。その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で東京都足立区綾瀬のCの自宅に女子高生を監禁。同28日、17歳E、16歳Fも加わり、6人で女子高生を集団で強姦。その後もCの家の部屋で監禁、強姦、傷害など虐待行為が続いた。 ▼事件概要▼ 1988年(昭和63年)11月8日、A、B、Cの3人が足立区内で自転車で帰宅中の女性(当時19歳)に声をかけ、3人で輪姦した。このときはAが運転するシルビアにB、Cが乗り込み、ドライブの誘いに応じないとみるや車を横づけにして行く手をはばみ、Bが自転車の鍵を奪って嫌がる女性を車に乗せた。逃げられないように常磐高速道路に入り、「少年院を出てきたばかりだ」「大洗(おおあらい)に行こう。大洗の海は寒いし、波が高いぞ」などと脅し、観念させてホテルに連れ込んだのだった。 11月25日午後6時ころ、AはCの自宅に行き、Cに対して、「今日は給料日だから金を持っているやつが多い。ひったくりに行こう」と誘った。Cは友達からバイクを借りて、2人で出かけ、ひったくりをした。 午後8時過ぎ、埼玉県三郷(みさと)市内をバイクで走行中、アルバイト先から自転車に乗って帰宅する途中だった県立八潮(やしお)南高校3年生の古田順子(17歳)を見かけると、AはCに対し、「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命じ、Cは言われた通りに、バイクで順子に近づき、左足で右腰を思いっきり蹴って、角を曲がって様子をみていた。 順子はバランスを失い、自転車に乗ったまま転倒、側溝に落ちた。そこへ、Aが近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。俺も脅された。危ないから送っていってやるよ」と言って、近くにある倉庫の暗がりでと脅し、ホテルに連れ込んで強姦した。 午後10時ころ、Aは自宅に戻っていたCに電話をかけると、そこにはBの他にDがいたが、Aはこの3人を外に呼び出した。その後、4人の少年たちは東京都足立区綾瀬のCの自宅の2階のたまり場に順子を連れ込んだ。 この日、Cの父親は3日間の社員旅行で沖縄に出掛けたため、自宅には母親とCのひとつ上の兄がいた。 11月28日、Aは「いいモノを見せてやる」と言って、呼び出されたE(当時17歳)とF(当時16歳)が加わって、家人が寝静まった深夜に順子を輪姦した。順子は必死の思いで抵抗した。階下の母親は目を覚ましたようであったが、寝具などで顔面を押さえつけられたため、叫び声を上げることはできなかった。 11月30日午後9時ころ、Cの母親は、このとき初めて順子の顔を見ている。Cに対し「早く帰しなさい」と言った。だが、1週間経っても順子がいることに気づき、直接、順子に「すぐに帰りなさい」とは言ってみるもののなかなか帰ってくれなかった。 また、この頃、順子に自宅へ電話をかけさせ「家出しているのだから、私の捜索願いは取り消して欲しい」と言わせている。それも、一度きりでなく、5日ごとに3回に渡って電話をかけさせており、順子の親は家出だと思っていたという。 その後、昼夜の別なく、順子の体を弄び、そのあまりの暴行に、順子が気を失うと、バケツの水に頭を漬けて気を取り戻させて、また犯すということを繰り返していた。その間、交代で見張りを続けた。 12月初めの午後4時ころ、、順子は少年たちが夜遊びで昼寝をしていた隙を見て、2階から1階の居間に降りてきて110番に電話した。だが、運悪く、近くで寝ていたAに気づかれてしまった。すぐに逆探知で警察からかかってきた電話に、Aが出て「なんでもない。間違いです」と返事した。 AとBは、このことをきっかけとして、順子に対し、手荒いリンチを加えた。殴ったり、蹴ったり、手足の甲にライターの火を押し付けたりして火傷を負わせた。また、シンナーを吸わせたり、ウィスキーや焼酎を飲ませて楽しんでいた。 Aは武田鉄矢の『声援』という歌に「がんばれ、がんばれ」という歌詞があって、いじめているときにそれを歌いながら順子に対し「お前も歌え」と言って歌わせた。自分たちが何もしていないときにも順子は小さな声で「がんばれ、がんばれ」と自分に言い聞かせているときがあった。 ▼被害者に行われた行為▼ ◆アルバイト帰りの女子高生を誘拐して不良仲間4人で輪姦 ◆不良仲間の家に監禁し暴走族仲間十数人で輪姦、関係者は100人に及ぶ ◆殴打された顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」と笑う ◆度重なる暴行に耐えかねて、被害者は「もう殺して」と哀願 ◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる ◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる ◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった ◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打 ◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打 ◆揮発性の油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける ◆死んだのでコンクリート詰めにして放置 ◆腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた ◆脳が萎縮して小さくなっていた 【判決】 主犯格の少年Aに対しては「主犯格で罪責は極めて重大」として懲役20年。 少年Bに対しては懲役5年以上10年以下の不定期刑。 少年Cに対しては「被害者を自宅に監禁し、手加減なく強度の暴行を加えた」として懲役5年以上9年以下の不定期刑。 少年Dに対しては「終始犯行に加わり、すさまじい暴行に及んだ」として懲役5年以上7年以下の不定期刑。 東京高裁は、「少年法によって責任を大幅に減じることは相当とは言えない」として、少年法としてはやや厳しめの判決を下した。
鬼畜どもの顔!名前!その後!
主犯少年A:宮野裕史(現在氏名 横山裕史)
1970年4月30日生まれ
懲役20年の刑で千葉刑務所に服役、2008年出所。
出所後に養子縁組で名字を横山に。
2013年に振り込め詐欺で逮捕。
女子高生監禁コンクリート詰め殺人事件主犯格の宮野裕史(現在氏名 横山裕史)は2013年1月、東京・池袋で銀行からお金をおろす振り込め詐欺の「受け子(出し子)」として逮捕された。
少年B:小倉譲(現在氏名 神作譲)
サブリーダー。1971年5月11日生まれ
裁判では5年から10年の不定期刑が確定し、1999年に出所。
2002年に結婚、養子縁組で神作譲に改名。
2004年に三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし再逮捕される。
「オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ」
「オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる」
「(コンクリート事件を振り返り)アレはマジで楽しかったなあ。サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。」と吹聴していた!
小倉譲(神作譲)から拉致監禁暴行を受けた青年(当時27歳)
少年C:湊伸治
1972年12月16日生まれ
被害者の女子高生を監禁した犯行現場は湊伸治の自宅部屋。
伸治の兄、湊恒治も監禁に関わったとされる。
両親はバリバリの共産党員だった為、警察の現場検証には弁護士を立ち会わせるなど最大限の権利行使をした。
また「しんぶん赤旗」では被害女性を遊び人のワルだったかのように連日デマ報道を行なった。
5年から9年の不定期刑
出所後はムエタイ選手に。
2018年8月19日に殺人未遂で再逮捕される。
少年D:渡邊恭史
1971年12月18日生まれ
定時制高校に入学も、すぐに登校拒否をし退学。
宮野らのグループに加わり、犯行を行なった。
5年から7年の不定期刑
少年院でいじめに合い、引きこもり症候群に
中村 高次(E)
現在は地元スナックでこの事件のことを面白おかしく語る無反省人間。
伊原 真一 (F)
詳細不明
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(ドラマ画像)全身数百カ所にナイフで切られた後、全身数十カ所の骨折
少年法を廃止するべきだ!
少年法(昭和23年7月15日法律第168号)は、占領軍(GHQ)の指導の下に成立した法律だ。
戦後の混乱期に、食料が不足する中、生きていくために窃盗や強盗などをする孤児などの少年が激増し、また成人の犯罪に巻き込まれる事案も多く、これらの非行少年を保護し、再教育するために制定されたものだった。
終戦直後に、生きるために食料を盗んだ少年少女を全て刑務所に入れていたら刑務所が足りないために制定された特殊で一時的な法律だった。
そんな戦後の特殊状況において占領軍(GHQ)によって一時的に制定された「少年法」が約70年経った今もそのまま存続していることは、極めて異常なことのだ!
食料泥棒や、大人の犯罪に巻き込まれる少年がある程度減少した時点を見計らって、廃止すべき法律だった。
日本の「少年法」のように異常なまでに未成年者の犯罪者を甘やかす内容の法律は世界的にも珍しい。
平成27年2月に「川崎国」(神奈川県川崎市)で、舟橋龍一(母がフィリピン人で、父の母が韓国人)ら3人が上村遼太君を殺害した事件においても、3人が逮捕された直後に海外では、異常な日本の少年法を批判し、「日本は少年法を廃止すべき」とする意見が多数上っていた!(
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更生の観点からも、少年法で犯人を甘やかすから逆に更生の妨げになっている!
実際に、例えば「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人たちは誰も更生しなかった。
少年法なんて、百害あって一利なし!
一日も早く少年法を廃止しろ!
●関連記事
実況見分で舟橋は箱の中!少年法を廃止しろ!「スマホを川に投げ捨てた」・樋口、事件後に証拠隠滅
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5753.html
実名報道自粛は李珍宇の2件の「殺害→死姦」の後・小松川事件・1960年代まで新聞も実名&写真
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5769.html
少年殺害の犯人5人を特定・東松山市の河川敷で「5人で石で殴り、けいれんしたので水に押しつけた」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6343.html
留学生が審判殴り10針縫う怪我・延岡学園バスケ部1年コンゴ出身エルビス・被害届は出さない意向
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7118.html
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自然に学んで育った、海の猟師(猟師)
定置網漁師 大友康広
「えぇっ!!それ本気ですか?」
この記念すべき“東松島食べる通信”の創刊号の特集で、真イワシを取り上げたいと打診した時に言われた言葉。大きな笑い声とは裏腹に、毎年イワシ漁をしていても、イワシが獲れる年と獲れない年の差は100か0、それだけイワシの群れが来ない事もある。下手したら10年待つ事も。それだけに数多くの漁船が集まるこの石巻湾でも一番の花形とされ、一晩で1億稼ぐ事もあるのが、このイワシ漁。聞けば聞く程、編集部としても魅力的だがリスクの高い食材。なんせ、獲れなければ皆さんにイワシを送れない。「でも、イワシ漁やるでしょ?」と聞けば、豪快に笑い飛ばしたもののそこはカラリとした漁師気質。「よしっ、やりましょう!!なんだかすげぇ、燃えて来た!!」
ここから、定置網漁師大友康広(31)さんの物語が始まります。
「浜市自体が、大きな教科書だった」
東松島市浜市地区。日本初の近代港湾の建設である「野蒜築港」があり、明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていたが、完成から3年後に台風で突堤が崩壊し、施設はそのまま放棄されており、現在では土木学会選奨土木遺産となっている。
浜市で定置網漁を行う祐神丸は、康広さんで3代目。自ら狩猟民族の血が流れているのだと言う彼のルーツは「実家の前の溜め池」だったと話す。実家で使っていた田んぼの溜め池は、幼少期の大友さんにとって1つの世界だった。船が浮かぶ程の大きなその溜め池には、自分だけの楽しみとして、フナや鯉、獲って来たザリガニなどを放しては釣っていた。たまに珍しい魚が釣れたりすると、一目散に溜め池に戻り、生きたまま放す事で満足していたそうだ。すでに小学校1年生の頃には、ウナギや金魚も放して、養殖じみた事までしていたから驚きだ。厚い氷が張る寒い冬には、氷に穴を開けてワカサギ釣りの真似事をしたり、夏には同じ部落の子供達と泳ぎもしたり、とにかく1年中その溜め池で遊んでいた。
とにかく外で遊ぶ事が好きな大友少年は、釣りの名手だけでなく、ゴムパチンコの名手でもあった。彼にとって遊びとは、聞けば子供同士の“マト撃ち”ではなく、まさしく“狩り”そのもの。小学校低学年の頃から“朝はあの家の軒下に、よくハトがいる”とか、“この木のあの枝には、夕方キジが休みに来る”など、浜市という部落内の動物事情に精通していた。そうして動物の習性を自分で学び、道具を工夫し、決して獲れるまであきらめず、獲物(動物)達と繰り返す1対1の真剣勝負は、彼が自然と動物を教科書とした勉強であ���、最高の遊びであった。とは言え、獲物の習性や行動、ゴムパチンコの腕前が上がったとしても、そう簡単に子供が獲物を仕留められる程自然は甘くない。だからこそ勝負に勝って獲物を仕留めた時は最高に嬉しく、だからこそ獲れた獲物は自然からのご褒美として美味しく食べた。こういった話は、当然同級生とは合わず、いつも祖父とよく話をしたという。実は、祖父の清喜さんと父の久義さんは、それぞれ鉄砲撃ち。趣味とはいえ、狩りで仕留めた鳥や鹿などの獲物は必ず持ち帰り、家族で残さず食べていた。逆を言えば“食べない分は狩りをしない“。大友家はそんな家庭だった。
「あのスズメ、うめぇそうだなぁ」
保育所時代のエピソードも面白い。
遠足帰りを迎えた大友さんのお母さんに、引率の保母さんが青ざめながら「康広君が電線にとまったスズメを見て『あのスズメ、うめそうだなぁ』と言ったのですが・・・」と伝えたそうだ。そこはさすがの大友家。母はみじんも驚く事なく「ウチでその会話は、普通なんです」と答えた。
「ウチの前を通る魚は、素通りさせない!」
そんな、英才教育の中で育った大友さんが漁師になる事は、日常生活そのままの事であった。
漁師を続けていて、どれだけたくさん獲れても、毎日獲っていても、魚を獲る事に飽きる事はないそうだ。ちなみに、父親の久義さんも中学を出てからずっと定置網漁師として現役で活躍をしているが「毎日毎日獲れる魚の種類も、数も違うから楽しいんだよなぁ。定置網って、網の仕掛けも魚の事を考えて全部自分で作るから、獲れると本当に楽しいんだ。」と、嬉しそうに、そして誇らしげに言う。そんな大友さん親子は「オレたち漁師ってのは、心から大漁を待ちわびているんですよ」と言う。
定置網というのは魚の動きを予測して、広大な海に“ちょこんと”網を仕掛け、毎日網に魚が入っているかを見に行く漁。つまり、たくさん入る時もあれば、まったく獲れない事もある。とは言え、鮭漁など一定期間間違いなく大漁が見込める時期もある。こうした時期は、1年に本当に数日で、まさに先に書いた「大漁を待ちわびている」その期間。そんな大漁が見込める時期に、台風や時化などで船が出せない時は、親子して悔しくて眠れないのだそうだ。これが数日続くとノイローゼ気味に。これは、“船が出ていれば今日の水揚げ分の儲けを失した“という経済的思考ではなく、狩猟民族として魚がいるのを分かっていながら、自分達の船が出せずにみすみす目の前の魚を素通りさせることに、本当に腹が立つという狩猟民族的思考なのだ。
ちなみに海が時化ると、海の魚達はイヤでも動かなければならない状況に置かれる。全く魚が獲れていない時でも、一回の時化で定置網に魚がたくさん入ることも多い。大友さんは、そんな時化の時は、最高に燃えるそうだ。大きな時化の時は、定置網の仕掛けも波に煽られ、網が破けたり、壊れたりもするそう。しかし魚が獲れると判断した時には、たとえ数百万する定置網が壊されてでも勝負に打って漁に出る。
とはいえ、海では絶対にムリをしない。
「海での集中が、楽しい」
彼は、とにかくいつも海にいる。なにせ趣味は釣りとサーフィン。どれだけ海が好きなのだろう?釣りは子供の頃、ゴムパチンコを武器に向き合った動物との1対1のやり取りと同じく、魚との「集中」した真剣勝負。サーフィンでは、波に乗っている時の並々ならぬ「集中」した時間。どちらも、その時間が楽しいらしい。
言葉には出来ないのだけれど、大友さんは海との向き合い方や接し方、海ではどう立ち回るか?という自分と海との関係性を、体と心で理解していると本人は話す。そのため、結果的に釣りに行っても、これがまたよく釣れる。人以上に釣れるとか、人より大きく等はあまり無いのだが、釣れないって事がほとんどない。理由は、腕ではなく海との接し方と言う。「きっと、海に対してフラットな状態でいられるから、落ち着くのかも。“海にいる”という状況を受け入れる事で、海への理解が高くなり、精神状況も穏やかになる。海は、大好き。」
「何もなくなったから、なんでも出来るぞ!」
2011年3月11日もいつも通りの仕事が終わり、結婚6年目にしてようやく授かった妊娠8ヵ月目の妻と自宅でのんびりしていた時、突然地響きと共に大きな揺れに襲われた。慌てて2人で実家に戻り、漁港に停泊させていた自分の船をしっかりと係留した時、鮎川浜へ津波到達の情報が入った。妻を避難場所となった小学校におき、親戚のおばちゃんを探しに外に出た瞬間、これまで聞いた事も無いドンドン!バキバキ!という音を聞いた。その瞬間、津波の到来に気付き、急いで妻を避難させた小学校に駆け戻り、なんとか難を逃れた。その日の深夜には、牡鹿半島へ鹿撃ちに行っていた父親とも連絡が取れ、所在が不明だった母親の無事も確認出来た。ただ、仙台新港で働いていた妹2人は、3日後まで連絡がつかなかったが、幸い家族は全員無事だった。
夜が明けた2日目の大友さんの心境は、「ここから、やってやっちゃ!何も無くなったから、なんでも出来るぞ!!」昔からの浜市の仲間達と、こう思ったそうだ。決心すれば、漁師ならではの一直線。震災の翌日には、流された2艘の船をガレキの中から見つけ出し、3日目には電気が戻った松島まで移動して、インターネットで近郊の造船場を探して出し、直接交渉で山形県の業者に船の修理を依頼した。
街を離れる決心と、家族への想い
インターネットで造船所を探していた時にもう1つ調べた事がある。この地震と津波で、日本がどうなったのかだ。4日目には、ネットで震災の事を調べるうちに福島原発の事故を知る。もしかしたら、福島の原発が爆発するんじゃないか?同時に過去のチェルノブイリ原発の事故も調べ、600キロ圏は影響があり、東松島市は福島から100キロ。自分一人なら、妻との二人なら東松島市で復興・復旧の力になりたかった。でも、妻のお腹の中には子供がいた。事情が分かって、ダメだったと分かってから避難してももう遅い。今は船の修理などではなく、とにかく事情がはっきりと分かるまでこの町を離れよう、産まれて来る子供のために。行き先は沖縄県。放射能の影響を受けない、日本で一番遠い場所へ行くと決めた。一緒に船を修理して、再び立ち上がろうとしていた父親にも「子供のために、ちょっと離れる」と伝えると、父の久義さんは「お前が言うなら、止める理由はない」とだけ答えた。
震災から1週間後には、山形から飛行機を乗り継いで沖縄に到着。出発前の山形空港から沖縄県庁に電話連絡を入れ、事情を話して自ら支援を申し出た。沖縄県への避難者第1号として、メディアに登場し、メディアの力を利用して、様々な支援を取り付けた。とにかく、ここでも自分の出来る事を考え、家族を守るために、仕事を探した。仕事は水族館の飼育員や、マグロ船で一本釣りの漁師もした。
そんな沖縄でひと月が経ち、生活が落ち着いた頃から中部大学の武田先生とコンタクトを取り始めた。理由は、メディアだけでは福島原発の情報が分からなかったからだ。沖縄で働きながら、もう一度東松島市に戻れるかどうかの判断を考え続けた。ようやく大丈夫だと、自分で判断出来るようになったのは7月頃。それでも、やっぱり戻るのには葛藤があった。何より、沖縄で生まれたばかりの息子が心配だった。
そうこうしている間にも、震災後の海では魚達が変わらず家の前を通り過ぎていた。夏場から漁を再開していた父親からも「今年は大漁だぞ!」と話は聞いていた。これから鮭が獲れ始める10月~11月も、大漁はほぼ間違いない。今帰らなくて12月に帰ったとしても、その時に自分は用なし。帰るのを決めるのは、自分の気持ちだけだった。そして2011年10月、鮭漁にあわせて、妻と子供を置いて1人東松島に戻り、父親と鮭漁に取り組んだ。
それから3年が経つ今、仕事は震災前のゼロベースにまで戻り、正直一安心が出来た。ここから、これまでと変わらず海と一緒に、自分の足腰に踏ん張りが効くまで、ずっと魚を獲り続けるのが夢だと言う。
1つ新たに加わった夢がある。妻も息子も2011年の12月に、沖縄県から再びこの街に戻って来た。だからこそ、この先10年、20年後の息子の選択肢に“漁師”というものが入っていて欲しいと。その時、“漁師が喰えない“って状況にだけはしたくない。
「息子が、俺みたいになったらって思う。楽しく海と生きて欲しいなぁ。だって、楽だもん。」そう豪快に笑い飛ばし、今日も彼は海と向き合う。
2014年8月
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