#醍醐寺_五重塔
Explore tagged Tumblr posts
Text
年明け一回目の国立歴史民俗博物館行き
年明け一回目となる、国立歴史民俗博物館( https://www.rekihaku.ac.jp )の見学に行ってきました。昨日の疲れがまだ残っていて身体がガタガタなので、ポイントを絞って第3展示室で行われている『新出の野村コレクション』展( https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/special/index.html#room3 )と第4展示室を主に見て回ったのですが、それでも6,000歩近く歩くことになりました。
野村コレクションの小袖裂を貼装した屏風などを見て「きれいだなあ」とか「洒落てるなあ(?)」とは感じるのですが、いかんせん私は着物の知識に乏しいので、今ひとつその価値がわからないという……何というか、申し訳ないくらい残念な見学者ですね。
話は変わりますが、3月には歴博(国立歴史民俗博物館の通称)で『歴博色尽くし展』( https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html )が開催されます。これまた楽しみですね。ちなみに、写真の櫓のようなものは��先行して展示されていた「醍醐寺五重塔彩色���型」です。
2 notes
·
View notes
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅳ
花鳥誌2024年4月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
6 葛城の神臠はせ青き踏む
大正六年二月十日、松山に帰省の途中で京阪に寄った。白鳥吟社主催堺俳句会(於開口神社)で出句。西山泊雲・野村泊月・岩木躑躅・原田濱人・島村はじめ・久保田九品太・青木月斗・大橋櫻坡子らが出席。『ホトトギス』の同年三月号「堺俳句会の記」に詳しい。
この句会は、大阪の『ホトトギス』派の旗揚げに位置する記念碑的な一件で、その詳細は櫻坡子の『大正の大阪俳壇』に詳しい。この句は『新歳時記』にも登録された、虚子の自信作である。大和と河内の国境に位置する葛城山の神一言主は醜貌の女体と言い習わされ、夜しかお出ましにならなかったと謡曲にも出てくる(「葛城」)。
その引きこもった神に向かって、麓の春を足で確かめて野遊びしております。「山の上からせめて密かに御覧ぜられ度い」(虚子自注「俳句朗読原文」)と悪戯っぽく詠んでみせたのである。「みそなはす」とは、「ご覧になる」の最上級敬語表現で、これまた謡曲に神を主体とした用例がある(「高砂」など)。
「臠」の字は画数も多く、呪術的なイメージを本来持つが、虚子の字は軽く「糸」の二か所が崩されていて、内容の「滑稽」と対応している。これは活字でなく、虚子の書によってこそ鑑賞が可能で、「臠」は一句の眼目であったことが了解される。
神や霊魂に命令形を以て呼びかける表現は、江戸俳諧からある。
塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
五月雨の空吹き落せ大井川 芭蕉
笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉
これらの芭蕉句は、痛切な哀しみや祈りが託されているが、虚子は次にあげる蕪村の例などに学んだか(『蕪村句集講義』)。
裸身に神うつりませ夏神楽 蕪村
蕪村の敬語表現「うつりませ」は、祈りとともに一種の滑稽というか余裕があって、そこが夏の禊を「裸身」で具象化する視線と対応している。虚子も、「野遊」の軽々と晴れやかな気分を、この敬語の命令形に託した。命令形は、祈りではあるが、痛切なそれと、軽い挨拶の二種があって、この句は山本健吉の言う俳句の本質「滑稽と挨拶」の典型例と言ってよい。
ちなみに水原秋櫻子系の俳人の命令形には、自己に執着し、自己に言い聞かせる気分の命令形が多い。
木の葉降りやまず急ぐな急ぐなよ 加藤楸邨
柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子
逝く吾子に万葉の露みなはしれ 能村登四郎
このあたり、命令形の二系統は、俳人の質や俳句観をも照らしだす「鏡」と言ったら言い過ぎだろうか(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
7 雨の中に立春大吉の光あり
大正七年二月十日、『ホトトギス』発行所句会のものと『五百句』に注記される。
実景は雨だが、「立春大吉」の御札とその文字に、心中春の光を予感し、見て取る主観句である。もちろん、雨や雨粒にはわずかな光はあるかもしれない。だとしても、それを読み取ろうとする構えから生まれた心象を詠んだ句であることに変わりはない。特にこの句で詠まれた「光」に対する予感は、「立春大吉」の文字から触発されたものであることは、肚にとめておく必要があろう。
虚子の揮毫���は、この「立春大吉」をことさら御札めいて、黒々と墨書したりはしていない。ただし、注意深く見ると「大吉」の「大」の撥ねと、後に来る「光」の字の撥ねとは、対応している。
そもそも「大」の字の運筆は、先に左に筆先を払い、取って返して右に払うもので、本来撥る字ではない。ところがこの句の虚子の「大」は右の払いの最後が若干撥ねていて、後にくる「光」の右撥ねの呼び出しになっている。こうして一句の眼目は、「光」であることが視覚的にも確認できるところに、虚子の揮毫で句を鑑賞する醍醐味が出てくる。
「立春大吉」とは、立春の時期に玄関や部屋の入口に張る厄除け札のことである。あたりは雨だが、外界との通路である門口に貼られた「字」から、眼には見えない「光」を感じた。その意味で中七を字余りにする「の」はこの句の重要なレトリックである。
一般に「中八」の言葉通り、字余りの中でも、中七を字余りにするのは禁忌とされる。俳句のリズムの研究は、五七五が実は休拍・無音の一拍を加えて、六八六であること、さらに前と後の六は伸びる傾向にあることを計測・実証した(別宮貞徳『日本語のリズム』)。これを前提にすれば、中七は延ばして詠まないものなので、ここでの字余りは、おおむねダレるのである。
ただし、上五で既に字余りがある場合、続く中八は字余りの反復となり、このダレが感じられない。所詮リズムとは反復と同義なのである。
春や昔十五万石の城下哉 子規
掲句も上五・中七の連続の字余りだが、掲句の「立春大吉」に、わざわざ「の」を加えた意図は何だったのだろう?類例を挙げよう。
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
やはり「中八」を、堂々とやっているばかりか、上五に字余りはない。しかし、この句は「槍投げ槍に」ではいけない。あえて「て」を入れ、ひと呼吸を置くことで、投げた槍に歩み寄る主人公に焦点があたる。「槍」の繰り返しが独自のリズムを作っており、中八も気にならない(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
掲句で言えば、まず上五に「雨の中に」と「の」が用意周到に置かれている点が注目される。この字余りを際立たせる「の」の印象を引き継いで、「立春大吉の」の「の」があることが了解される。
加えて、「の」の繰り返しは、求心性をもたらす。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
掲句も字余りの「の」の反復を行うことで、光など一切ない春の雨の中、「立春大吉」の文字にのみ「光」を感じたことを焦点化して見せたのである。
最後に、先の「葛城」の句との関係で言えば、神仏への祈りというテーマのつながりもある。このあたりに編��の妙を認めることも可能かと思う。
『虚子百句』より虚子揮毫
7 雨の中に立春大吉の光あり
8 さしくれし春雨傘を受取りし
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
Photo
醍醐寺 和歌山の名所
醍醐寺(だいごじ)は、日本の京都府に位置する古刹で、真言宗醍醐派の総本山です。醍醐寺は奈良時代に聖武天皇によって創建され、古くから皇室や貴族の保護を受けてきました。 醍醐寺は、その広大な境内と歴史的な建造物が特徴で、多くの文化財や重要文化財を有しています。その中でも特に有名なものには次のようなものがあります。 1. 五重塔(醍醐の五重塔) 日本最古の木造の五重塔であり、国宝に指定されています。非常に美しく優れた木造建築として評価されています。 2. 醍醐寺の方丈庭園 院造りの方丈(禅寺の僧侶の居住施設)には、広大な庭園が広がっており、砂や石、植栽が配置された禅の庭が特徴です。この庭園は特に秋の紅葉が美しく、訪れる人々を魅了します。 3. 仁王門 醍醐寺の入り口に位置する大きな仁王門が特徴的で、迫力があります。
♪♫♬🎤🎹🎶♪♫♬🎤🎹🎶♪♫♬🎤🎹🎶♪♫♬🎤🎹🎶
Daigoji Temple Famous places in Wakayama
Daigoji Temple is an ancient temple located in Kyoto Prefecture, Japan, and is the head temple of the Daigo sect of Shingon Buddhism. Daigoji Temple was founded by Emperor Shomu during the Nara period, and has been protected by the imperial family and aristocrats since ancient times. Daigoji Temple is characterized by its vast precincts and historic buildings, and contains many cultural properties and important cultural properties. Some of the most famous ones include: 1. Five-storied pagoda (Daigo five-storied pagoda) It is Japan's oldest wooden five-storied pagoda and is designated as a national treasure. It is highly regarded as an extremely beautiful and outstanding wooden structure. 2. Hojo Garden of Daigoji Temple The In-zukuri Hojo (the residential facility for the Zen temple's monks) has a vast garden, featuring a Zen garden with sand, stones, and plants. This garden is especially beautiful with its autumn leaves and attracts visitors. 3. Niomon The large Niomon gate located at the entrance to Daigoji Temple is distinctive and impressive.
0 notes
Link
0 notes
Quote
筆者は建築や文化財を長年取材しているので、例えば「法隆寺」と「醍醐寺」と「東寺」の五重塔の違いはパッと見ただけでわかるし、時代ごとに異なる特徴も説明できる。ところが、妻に五重塔の写真を見せたら「全部同じにしか見えない」と言われた。古建築に知識も興味もない人が判別するのは困難である。 これは二次元美少女にも当てはまる。女児向けアニメ、少女漫画、美少女ゲームのイラストを並べて、どれが子ども向けで大人向けなのかまで区別がつく人は相当なオタクである。「アイカツ!」や「ワッチャプリマジ!」などの女の子向けのゲームや、今どきの書店にある絵本には、もはや10~20年前の美少女ゲームと判別がつかない絵も登場する。美少女イラスト特有の表現はそれだけ社会に浸透してしまったともいえるし、10~20代にとっては、ありふれたものになっているためだ。
「美少女イラスト」炎上騒動はなぜ繰り返すのか 「許せない!」と抗議した女性クレーマーの意外すぎる正体(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
0 notes
Photo
【かいわいの時】慶長五年(1600)三月二十七日:秀頼、四天王寺再興(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
慶長三年(1598)八月十八日、秀吉はその生涯を終える。秀吉は大坂城、伏見城、聚楽第などの城郭、方広寺や天端寺などの寺院などを創建し、東福寺や醍醐寺など数多くの寺社の修造を行った。嫡子の正二位権御中納言である豊臣秀頼はまだ五歳であったが、秀吉の偉業の継承として秀吉が着手していた寺社の再興を引き継いで行う。四天王寺も例外ではなく再興事業は秀頼に受け継がれ、慶長五年(1600)三月二十七日に落慶式が行われる。その様子について醍醐寺の義演は「従秀頼���悉御再興、驚目了。仏法最初零寺、復旧儀珍重」と記し、やや後の慶長十年(1605)の記録になるが、相国寺の僧である鶴峯宗松は伽藍の様子を「此次天皇寺金堂、奇麗輝朱甍、照綉瓦、驚凡眼而巳、片主奉行ト云々」と記している。しかし、残念ながら秀吉の作事にかかわる文書は一通も残っておらず、また、この時に落慶供養された堂宇も、大坂冬の陣で全焼したろみられ一棟も残っていない。それどころか慶長以前の建造物は石鳥居を除いて一棟も現存せず、いかに大坂冬の陣での火災が壊滅的なものであったかをうかがわせる(木村展子)。「四天王寺の再建について」神戸大学美術史研究会『美術史論集 9』2009より。
(写真)「豊臣期大坂図屏風」1607-11(エッゲンベルグ城蔵)四天王寺・住吉大社部分 四天王寺は聖徳太子以来の古い歴史をもち、人びとの厚い崇敬をうけ続けてきた。天正4年(1576)5月、織田信長配下の明智光秀らと石山本願寺との戦闘にまきこまれて堂舎を焼失したが、その後天下をとった秀吉は五重塔をはじめ金堂・講堂・聖霊院・太子堂・食堂・鐘楼・西門・南大門・仁王門など諸堂の再建を計画。彼の没後も事業はうけつがれ、慶長5年(1600)3月に復興が完了した(大阪城天守閣)。大阪城天守閣特別展図録『豊臣期大坂図屏風』2009より。
1 note
·
View note
Photo
[ 降掛かる春 ] . . . 威風堂々とそびえ立つ五重塔に、 太陽に照らされた桜花が降る。 . . . ==================== 📸 2021.04 Daigo-ji, Fushimi-ku, Kyoto . Nikon D5300 🌸🍃🌸🍃🌸🍃🌸🍃🌸 . info. 醍醐寺 桜見頃(例年) - 3月下旬~4月上旬 ※ ウォーカープラス ホームページ参照 ==================== . . . #japan #kyoto #fushimiku #daigoji #daigoji_sakura #sakura #daigoji_gojunoto #gojunoto #京都 #伏見区 #醍醐寺 #醍醐寺_桜 #醍醐寺_サクラ #醍醐寺_さくら #桜 #さくら #サクラ #醍醐寺_五重塔 #五重塔 #春に息吹くサクラ #bloom_of_sakura_in_spring #花が咲くお寺 #flowers_bloom_in_the_temple #桜花の彩るお寺 #temple_with_sakura #adobephotoshoplightroom #nikond5300 #instagram #photo #photography (醍醐寺) https://www.instagram.com/p/CPVzHq8gsco/?utm_medium=tumblr
#japan#kyoto#fushimiku#daigoji#daigoji_sakura#sakura#daigoji_gojunoto#gojunoto#京都#伏見区#醍醐寺#醍醐寺_桜#醍醐寺_サクラ#醍醐寺_さくら#桜#さくら#サクラ#醍醐寺_五重塔#五重塔#春に息吹くサクラ#bloom_of_sakura_in_spring#花が咲くお寺#flowers_bloom_in_the_temple#桜花の彩るお寺#temple_with_sakura#adobephotoshoplightroom#nikond5300#instagram#photo#photography
3 notes
·
View notes
Photo
【京都府】醍醐寺🌸 . もう1ヶ月以上前に感じます💮 . (2022/03/30撮影) . #醍醐寺 #醍醐寺五重塔 #醍醐寺の桜 #醍醐の桜 #醍醐の花見 #五重塔 #京都桜 #桜2022 #cherryblossoms #桜コラボ #photo_jpn #japan_daytime_view #bestjapanpics #visitjapanjp #retrip_nippon #wonderful_places #japanawaits #はなまっぷ #wp_flower #inspiring_shot #京都 #kyoto #京都観光 #そうだ京都へ行こう #写真が好きな人と繋がりたい #japan_of_insta #bestphoto_Japan #deaf_b_j_ #discoverjapan #explorejpn (醍醐寺) https://www.instagram.com/p/CcFuymlPxig/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#醍醐寺#醍醐寺五重塔#醍醐寺の桜#醍醐の桜#醍醐の花見#五重塔#京都桜#桜2022#cherryblossoms#桜コラボ#photo_jpn#japan_daytime_view#bestjapanpics#visitjapanjp#retrip_nippon#wonderful_places#japanawaits#はなまっぷ#wp_flower#inspiring_shot#京都#kyoto#京都観光#そうだ京都へ行こう#写真が好きな人と繋がりたい#japan_of_insta#bestphoto_japan#deaf_b_j_#discoverjapan#explorejpn
10 notes
·
View notes
Photo
The five-storied pagoda of Daigoji Temple (醍醐寺), erected in 951 and the oldest surviving building in Kyoto
(Photos taken August 15, 1995)
3 notes
·
View notes
Photo
#醍醐寺五重塔 #醍醐寺 #醍醐寺紅葉 #醍醐寺ライトアップ #もみじ#京都#紅葉#ライトアップ#autumnleaves #風景 #景色#autumn #visiting #instatravel #instagood #trip #photooftheday #travelling #tourist #instapassport #instatraveling #travelgram #travelingram#夕景阪神 #夜景阪神 (醍醐寺) https://www.instagram.com/p/ClJSWINPjv1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#醍醐寺五重塔#醍醐寺#醍醐寺紅葉#醍醐寺ライトアップ#もみじ#京都#紅葉#ライトアップ#autumnleaves#風景#景色#autumn#visiting#instatravel#instagood#trip#photooftheday#travelling#tourist#instapassport#instatraveling#travelgram#travelingram#夕景阪神#夜景阪神
0 notes
Photo
No.803 at Daigoji Temple, Kyoto
Distance is needed to appreciate the essence.
27 notes
·
View notes
Photo
2017年8月20日 深雪山 上醍醐 准胝堂 京都府京都市伏見区 西国三十三所第11番札所
五重塔
69 notes
·
View notes
Quote
<飛鳥時代> 1 大 化 645 大化の改新 2 白 雉 663 白村江の戦い 3 朱 鳥 672 壬申の乱 4 大 宝 694 藤原京に遷都 5 慶 雲 701 大宝律令制定 <奈良時代> 6 和 銅 710 平城京に遷都 7 霊 亀 712 古事記が完成 8 養 老 720 日本書紀完成 9 神 亀 723 三世一身の法 10 天 平 729 光明子が皇后に 11 天平感宝 741 国分寺建立の詔 12 天平勝宝 743 墾田永年私財法 13 天平宝字 752 東大寺大仏開眼 14 天平神護 754 唐から鑑真来日 15 神護景雲 ― 「万葉集」成立 16 宝 亀 781 桓武天皇が即位 17 天 応 784 長岡京に遷都 <平安時代> 18 延 暦 794 平安京に遷都 19 大 同 802 坂上田村麻呂東征 20 弘 仁 804 最澄、空海が唐へ 21 天 長 806 最澄、天��宗開く 22 承 和 810 唐招提寺五重塔 23 嘉 祥 816 検非違使を設置 24 仁 寿 823 空海、真言宗開く 25 斉 衡 860 石清水八幡宮創建 26 天 安 866 応天門の変 27 貞 観 869 貞観の大地震 28 元 慶 878 元慶の乱 29 仁 和 888 仁和寺金堂建立 30 寛 平 894 遣唐使を廃止 31 昌 泰 ― 平仮名が現れる 32 延 喜 901 菅原道真が失脚 33 延 長 905 古今和歌集編纂 34 承 平 935 平将門の乱 35 天 慶 939 藤原純友の乱 36 天 暦 947 北野天満宮建立 37 天 徳 949 村上天皇の親政 38 応 和 955 後撰和歌集成立 39 康 保 968 東大寺?興福寺 40 安 和 969 安和の変 41 天 禄 ― 浄土教が流行 42 天 延 974 道綱の母「蜻蛉日記」 43 貞 元 ― 日宋貿易始まる 44 天 元 984 最古医術書「医心方」 45 永 観 985 源信「往生要集」 46 寛 和 ― 「日本往生極楽記」 47 永 延 987 宋の商人が来日 48 永 祚 988 尾張国郡司百姓等解 49 正 暦 990 藤原道隆摂政に 50 長 徳 ― 清少納言「枕草子」 51 長 保 ― 紫式部「源氏物語」 52 寛 弘 ― 「和泉式部日記」 53 長 和 ― 拾遺和歌集成立 54 寛 仁 1016 藤原道長摂政に 55 治 安 1019 刀伊の入寇 56 万 寿 1027 藤原道長が死去 57 長 元 1028 平忠常の乱 58 長 暦 1036 後朱雀天皇即位 59 長 久 1040 長久の荘園整理令 60 寛 徳 1047 浄瑠璃寺が創建 61 永 承 1051 前九年の合戦 62 天 喜 1053 平等院鳳凰堂完成 63 康 平 1063 源頼義鎌倉に八幡宮 64 治 暦 ― 孝標の女「更級日記」 65 延 久 1069 延久の荘園整理令 66 承 保 1075 延暦寺?円城寺 67 承 暦 ― 末法思想の流行 68 永 保 1083 後三年の合戦 69 応 徳 1086 白河上皇の院政 70 寛 治 ― 熊野信仰が盛んに 71 嘉 保 1095 北面の武士設置 72 永 長 1105 平泉に中尊寺建立 73 承 徳 1107 源義親の乱 74 康 和 ― 今昔物語集 75 長 治 ― 源氏物語絵巻 76 嘉 承 77 天 仁 78 天 永 79 永 久 80 元 永 81 保 安 82 天 治 83 大 治 84 天 承 85 長 承 86 保 延 87 永 治 88 康 治 89 天 養 90 久 安 91 仁 平 92 久 寿 93 保 元 94 平 治 95 永 暦 1152 平清���厳島神社修復 96 応 保 1156 保元の乱 97 長 寛 1159 平治の乱 98 永 万 1160 源頼朝伊豆配流 99 仁 安 1167 平清盛が太政大臣 100 嘉 応 1169 後白河上皇が出家 101 承 安 1171 清盛の娘徳子入内 102 安 元 1175 法然が浄土宗開く 103 治 承 1180 源頼朝伊豆で挙兵 104 養 和 1181 清盛が熱病で死去 105 寿 永 1183 倶利伽羅峠の戦い 106 元 暦 1185 壇ノ浦で平氏滅亡 107 文 治 1189 源義経討たれる 108 建 久 1192 頼朝鎌倉に幕府 <鎌倉時代> 109 正 治 1195 東大寺大仏再建 110 建 仁 1199 頼朝53歳で死す 111 元 久 1202 源頼家が征夷大将軍 112 建 永 1203 北条時政執権就任 113 承 元 1204 頼家が暗殺される 114 建 暦 1205 新古今和歌集完成 115 健 保 1212 鴨長明「方丈記」 116 承 久 1213 源実朝「金槐和歌集」 117 貞 応 1219 実朝暗殺、源氏断絶 118 元 仁 1221 承久の乱 119 嘉 禄 1224 親鸞、浄土真宗開く 120 安 貞 1227 道元、曹洞宗伝える 121 寛 喜 1231 寛喜の大飢饉 122 貞 永 1232 御成敗式目制定 123 天 福 ― 京都で猿楽流行 124 文 暦 1235 小倉百人一首 125 嘉 禎 1235 霧島連峰が大噴火 126 暦 仁 1239 人身売買を禁止 127 延 応 1242 「東関紀行」完成 128 仁 治 1244 越前に永平寺建立 129 寛 元 ― 琵琶法師「平家物語」 130 宝 治 1247 宝治合戦 131 建 長 1253 日蓮、日蓮宗開く 132 康 元 1255 東福寺創建される 133 正 嘉 1259 正嘉の大飢饉 134 正 元 1261 日蓮が伊豆に配流 135 文 応 1268 北条時宗執権就任 136 弘 長 1269 モンゴル使者来着 137 文 永 1274 文永の役 138 建 治 1276 博多湾岸に防塁設置 139 弘 安 1281 弘安の役 140 正 応 1285 霜月騒動 141 永 仁 1293 鎮西探題を設置 142 正 安 1297 永仁の徳政令 143 乾 元 144 嘉 元 145 徳 治 146 延 慶 147 応 長 148 正 和 149 文 保 150 元 応 151 元 享 1321 院政を廃止 152 正 中 1324 正中の変 153 嘉 暦 1324 大徳寺創建される 154 元 徳 1330 兼好法師、徒然草 <南北朝時代> 南 元 弘 1331 楠木正成が挙兵 南 建 武 1332 後醍醐天皇流刑 南 延 元 1333 鎌倉幕府が滅亡 南 興 国 1336 湊川の戦い 南 正 平 1338 足利尊氏が征夷大将軍 南 建 徳 1339 後醍醐天皇が没す 南 文 中 1368 足利義満が3代将軍 南 天 授 ― 太平記 南 弘 和 ― 義経記 南 元 中 1391 明徳の乱 北 正 慶 北 暦 応 北 康 永 北 貞 和 北 観 応 北 文 和 北 延 文 北 康 安 北 貞 治 北 応 安 北 永 和 北 康 暦 北 永 徳 北 至 徳 北 嘉 慶 北 康 応 <室町~戦国時代> 181 明 徳 1392 南北朝が合体 182 応 永 1397 金閣寺造営 183 正 長 1399 応永の乱 184 永 享 1419 応永の外寇 185 嘉 吉 1428 正長の徳政一揆 186 文 安 1438 永享の乱 187 宝 徳 1441 足利義教殺害 188 享 徳 1454 享徳の乱 189 康 正 1456 応仁の乱 190 長 禄 1482 銀閣寺造営 191 寛 正 1488 加賀で一向一揆 192 文 正 1493 明応の政変 193 応 仁 1543 鉄砲伝来 194 文 明 1549 ザビエル布教 195 長 享 1553 川中島の戦い 196 延 徳 1560 桶狭間の戦い 197 明 応 1568 織田信長が入京 198 文 亀 1573 室町幕府滅亡 199 永 正 200 大 永 201 享 禄 202 天 文 203 弘 治 204 永 禄 205 元 亀 <安土桃山時代> 206 天 正 1582 本能寺の変 207 文 禄 1600 関ヶ原の戦い <江戸時代> 208 慶 長 1603 徳川家康江戸幕府開く 209 元 和 1614 大阪冬の陣 210 寛 永 1615 大阪夏の陣 211 正 保 1633 鎖国が始まる 212 慶 安 1635 参勤交代制 213 承 応 1636 長崎に出島完成 214 明 暦 1637 島原・天草一揆 215 万 治 1651 由井正雪の乱 216 寛 文 1685 生類憐れみの令 217 延 宝 1702 赤穂事件 218 天 和 1732 享保の飢饉 219 貞 享 1774 解体新書出版 220 元 禄 1782 天明の飢饉 221 宝 永 1783 浅間山大噴火 222 正 徳 1787 天明の打ち壊し 223 享 保 1825 異国船打払令 224 元 文 1828 シーボルト事件 225 寛 保 1833 天保の飢饉 226 延 享 東海道五十三次完成 227 寛 延 1837 大塩の乱 228 宝 暦 1841 天保の改革 229 明 和 1853 ペリー浦賀来航 230 安 永 1854 日米和親条約 231 天 明 1858 日米修好通商条約 232 寛 永 安政の大獄 233 享 和 1860 桜田門外の変 234 文 化 1864 禁門の変 235 文 政 1866 薩長同盟の密約 236 天 保 237 弘 化 238 嘉 永 239 安 政 240 万 延 1867 坂本龍馬暗殺 241 文 久 大政奉還 242 元 治 1868 鳥羽伏見の戦い 243 慶 応 江戸城無血開城 <近現代> 244 明 治 1904 日露戦争 245 大 正 1914 第1次世界大戦 246 昭 和 1945 太平洋戦争終戦 247 平 成 2011 東日本大震災
248番目の新元号発表 大化から平成まで一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
8 notes
·
View notes
Photo
📸方広寺庭園“らかんの庭” / Hokoji Temple Garden”Rakan-no-niwa”, Hamamatsu, Shizuoka 静岡県浜松市の名刹『方広寺』の庭園が素敵…! 室町時代に後醍醐天皇の皇子を迎え創建され、現在も国重要文化財を含む20以上の国文化財建築が並ぶ遠州・浜松を代表する寺院…『足立美術館』で有名な作庭家・中根金作(磐田市出身)に師事した庭師・“栽松軒”渡邊松友が作庭の庭園“羅漢の庭”も。 浜松・方広寺庭園“らかんの庭”の紹介は☟ https://oniwa.garden/hokoji-temple-hamamatsu/ ....... 「方広寺」は主に静岡県西部に約170か寺が属する臨済宗方広寺派の大本山寺院。 室町時代から残る国指定重要文化財の「方広寺七尊菩薩堂」をはじめとして、明治時代〜昭和に建てられた22の建築が国登録有形文化財という静岡県西部を代表する寺院の一つ。 . 子供の頃に参拝した記憶があるけど、物心ついて以降は訪れた記憶がほぼ無かった方広寺…2022年4月、大人になってからは初めて訪れました。 なお臨済宗方広寺派は明治時代までは京都『南禅寺』を大本山とする臨済宗南禅寺派に属していました。 . その歴史について。南北朝時代の1371年、後の“徳川四天王”井伊谷・井伊家の分家の豪族・奥山氏の奥山朝藤が後醍醐天皇の子で禅僧となった無文元選👨🦲を招き創建。 元の時代の中国に渡って修行した無文元選禅師はこの地が中国の「天台山方広寺」⛰の風景に似ていたことから“方広寺”を名付けられました。 . なお奥山朝藤は自らの居城『奥山城』に同じく後醍醐天皇の皇子で南朝方の将軍だった宗良親王も迎えています。 . 戦国時代には遠江国を治めた徳川家康により復興されますが、明治維新後の1881年の大火によって境内の建造物の大部分を焼失🔥 そのため国重要文化財の七尊菩薩堂以外はほぼ全てそれ以降に再建されたもの。 . 22件の登録有形文化財を時代別に分けると下記の通り。 ■明治時代(総門/勅使門/半僧坊拝殿/半僧坊真殿/観音堂/神楽堂/水屋/札場/宗務本院/行在所) ■大正時代(本堂/三重塔/大庫裡/勅使玄関/七尊菩薩堂拝殿/知客寮/三笑閣/昭堂/鐘楼) ■昭和(山門/開山堂/禅堂) . 上記のうち非公開の行在所は新居宿にあった本陣・飯田家の明治天皇行在所を移築したもの。 . 本堂に掛かる額は山岡鉄舟よる筆。なお本堂に安置されている釈迦三尊像も国指定重要文化財。 開山の無文元選禅師が皇室だった縁から、本堂には菊の御門が入った勅使玄関がある点からもその格式の高さが伝わる🌼 . 本堂・開山堂などメインの建造物から少し離れた場所にある三重塔🗼 こちらは近代の実業家で多くの寺社仏閣に伽藍を寄進した好事家・山口玄洞の寄進によるもの。作者は京都府技手・安井楢次郎(京都の老舗・安井杢工務店と関係ある方なのかな)。 . 方広寺の見所の一つが“五百羅漢”。無文元選禅師が中国での修行中に天台山の石橋に羅漢が現れたという故事・また方広寺を開山した頃に500人の修行僧が居たことにちなみ、江戸時代中期の1770年にかけて当時の拙巌和尚によって彫刻・境内各所に安置がはじまったもの。 山門(赤門)から参道沿いにはその故事を表した「石橋の上の羅漢」の姿も。 . 本堂の裏には山裾に自然石を積み上げ、多数の羅漢像が安置された“らかんの庭”(羅漢の庭)があります。その一角には与謝野晶子の歌碑や、頭上は多数のモミジの木が彩ります🍁 作庭を手掛けたのは方広寺御用達の庭師・栽松軒���渡邊松友さん。 続く。 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #hamamatsu #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #静岡旅行 #浜松観光 #寺社仏閣 #臨済宗 #栽松軒 #造園 #中根金作 #おにわさん (臨済宗大本山方広寺 奥山半僧坊総本殿) https://www.instagram.com/p/Ci6f5lfvgKx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#japanesegarden#japanesegardens#kyotogarden#zengarden#beautifuljapan#japanesearchitecture#japanarchitecture#japanarchitect#japandesign#japanart#jardinjaponais#jardinjapones#japanischergarten#jardimjapones#bonsai#hamamatsu#建築デザイン#庭園#日本庭園#京都庭園#庭院#庭园#静岡旅行#浜松観光#寺社仏閣#臨済���#栽松軒#造園#中根金作#おにわさん
0 notes
Link
0 notes
Photo
【勧修寺〜随心院〜醍醐寺〜蹴上インクライン〜南禅寺〜若王子神社〜哲学の道〜京料理「ハよし」〜京都府庁 旧本館〜二条城】京都のお花見 新型コロナ騒動以前の平和な楽しかった時代の思い出。4年前の2018年3月31日 「そうだ 京都、行こう。」2018年キャンペーンの舞台。 【勧修寺】 真言宗山階派の大本山。醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために創建。皇室や藤原氏の庇護を受けて栄えたが、たび重なる戦火で衰退し、江戸時代に再興されてからは法親王が暮らす門跡寺院となった。内部は非公開だが、宸殿や書院はこのとき明正天皇の旧殿を賜ったもの。庭園には桜、藤、杜若、花菖蒲などが咲き、冬には氷室池にマガモも訪れる。樹齢750年を超えるハイビャクシンや徳川光圀寄進の雪見灯籠も必見。 随心院では近くで火災発生して、煙とサイレンが。醍醐寺は数日前でしたら最高でしたが。 【随心院】 梅の名所として有名ですが、後を追うように桜の時期もおすすめ。数は少ないですが、梅園や総門横には、見事なソメイヨシノが咲き誇ります。小野小町ゆかりのお寺としても知られ、境内には彼女が朝晩使用したと伝わる「化粧の井戸」があります。 【醍醐寺】 太閤秀吉が催した「醍醐の花見」があまりにも有名。市内でもいち早くお花見ができるお寺で、霊宝館のしだれ桜は見事です。三宝院前や、国宝の五重塔を背景に咲く花姿も見事です。桜の馬場の桜並木をゆったり歩きながら、秀吉の心地になってのお花見を。 【蹴上インクライン】 敷設された線路沿いの坂道には、辺りを埋め尽くすように約90本のソメイヨシノが見事なアーチを作ります。線路に降り注ぐような桜を楽しみながら散策できます。 南禅寺から哲学の道へ。 【哲学の道】 東山のふもと、左京区・若王子神社から法然院下を銀閣寺に至る疏水べりの小道。約1.5キロ。日本の道百選にも選ばれた。哲学者西田幾多郎が散策、思索にふけったといい、この名がついた。春は両岸の関雪桜で花のトンネル、川面に散り流れる花ビラもひとしおの風情。 ランチは京料理「ハよし」さんで松コース2800円。 【京都府庁 旧本館「観桜祭」】 中庭には円山公園の枝垂桜の孫「祇園しだれ桜」がありますが、残念ながら見頃は過ぎてしまってました。 【「二条城桜祭り2018」ライトアップ】 行列が凄いことに。 まさか、あそこまで行列ができるなんてと思うほどの行列ができていました。 後半のライトアップが素晴らしい。 #桜 #勧修寺 #そうだ京都、行こう #随心院 #醍醐寺 #醍醐の花見 #ソメイヨシノ #蹴上インクライン #南禅寺 #若王子神社 #哲学の道 #京料理 八よし #京都府庁 旧本館 #観桜祭 #二条城 #二条城桜祭り #桜祭り #ライトアップ #京都のお花見 #京都 (Kyoto, Japan) https://www.instagram.com/p/CbwBEDDPPYz/?utm_medium=tumblr
#桜#勧修寺#そうだ京都#随心院#醍醐寺#醍醐の花見#ソメイヨシノ#蹴上インクライン#南禅寺#若王子神社#哲学の道#京料理#京都府庁#観桜祭#二条城#二条城桜祭り#桜祭り#ライトアップ#京都のお花見#京都
0 notes