#都会の廃墟
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ローカル線で私1人乗っている。私だけのために動いていると錯覚させられながらも1人な空間に戸惑う。これから恋人の家に向かう。それまで私は代掻きをしていて、祖父母家から帰り、30分で風呂と身支度を整え今に至る。代掻きは水が少なかったせいで苦戦して14時から始まって19時近くまで行っていた。小さい頃は川遊びしているだけだったのに、トンボを持って山になった部分を平すのは私達の世代に変わっていて。年々田畑の知識がつく。私は大学入るまでずっとGWは田の事しか知らなかった。田に入るとカエルがいて私は捕まえる。捕まったカエルの柔らかさと瞳、筋肉量に愛おしさを感じる。元の場所に帰して平すことに戻る。「なんでカエルを触れるんだか」と弟に言われるけど、カエルは小さい頃から素手でも触っていたからだと思うんだけどねえ、でも手袋をつけても変わらずミミズは触れない。未知な動きをするからだと思う。カエルや虫たちの鳴き声が心地よくて眠れないと思ったことはない。昔、付き合っていた人と帰省した時に電話していたら、「なんでこんなにカエルの声がするの?!」と驚かれたことがあった。会社のEさんは私が住む街を大好きな街、と呼んでいる。私の住む街はここ2-3年で大きく変わり区画整備がなされている。有名な店の出店が増えた他、どうやら企業関連で住む街に還元したいがために宮下パークのような公園ができるらしい。本当か?嫌いだった街が変化している。消滅可能性都市なのに。友人らはみんなこの街から出て行ってしまった。ウォーキングしていても閑散としたシャッター商店街。あれだけ同級生から褒められていた家具屋の子も風の噂によると両親離婚して家具屋も畳まれたが廃墟として○○家具という名が書かれたビルが街を見渡している。けれど、そんな商店街でも街おこしで蚤の市のようなことが行われているらしい。会社のマダムから聞いてInstagramのアカウントを覗くと素敵で嬉しさと寂しさが伴った。1年に1度のイベントが功を奏して今年は3回目の開催らしい。一層のこと廃れたままの街でよかったのに。活性化していくと置いていかれる気持ちになるな。まち探検、という名の小学校の頃の授業が懐かしい。黄色い帽子をかぶって、黄色いクリップボードを首からかけて商店街をグループになって練り歩いた。炎天下の中白い歩道がキラキラ光っていた。商店街名���の銘菓は今では平日の昼間でしか買えない。ツヤっとした海の生物のモチーフの菓子。チョコレートもカスタードも餡子も全て美味しかった。懐古しちゃった。
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タワマンの問題はきっと数十年後に社会問題化すると思います。大地震をきっかけにしてなのか、それとも単純な経年劣化による老朽問題としてなのかは分かりませんが。新築としてのタワマンは魅力的でしょう。しかし数十年後どこかで修繕費用のデメリットがメリットを上回ったとき、金持ちや投資家は一斉に引き上げ、残った廃墟同然の建物を少ない住民だけで持て余す未来しか見えません。日本の都市計画全体としての取り組みが必要だと思います。 例えば首都中心部ではタワマン規制を強化しつつ、交通利便性を高め都市近郊を緩く発展させ、地方はコンパクトシティ化して将来に備える、なんてこと出来ないかなぁと妄想します。
人口はどんどん減っていくのにタワマンは増え続ける…日本各地で進む「再開発ラッシュ」の知られざる大問題(プレジデントオンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、���食を目当てに沢山��人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開��は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには��が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設��ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)��木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは��獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
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特殊天候:記憶の状態も黄金の空が非現実感溢れてて美しくて好きだったんですけど、廃墟になった都会感があって好きです。 ニーアコラボの塔の最後のマップより更に味がある…
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月19日(月曜日)弐
通巻第8140号
嘘と欺瞞と物語のウクライナ戦争はまもなく勝敗がきまる
バイデン大統領は、「議会のせいだ」と言い訳を始めた
*************************
イーロン・マスクの言動は、ひとつひとつが世界的ニュースとなる。氏は保守世論を代弁するバロメーターとなっており、トランプ前大統領の言動同様な影響力をもっている。それゆえに極左、リベラルメディアは彼を敵視し発言を妨害する。
ツイッター買収以後、マスクはX社を「言論の自由の砦」にするために邁進してきた。それゆえに「X社はバイデン政権と検閲支持者による絶え間ない攻撃の標的になった」とマスクは主張し、「私自身もX社も、言論の自由の権利と政治的迫害と戦っている」。
投資家デービッド・サックスが、「ウクライナ紛争はキエフ側の大敗で終わるだろうが、西側諸国は真実を隠蔽し、嘘の物語を紡ぎ出すだろう���ウクライナ戦争報道は虚偽と欺瞞に基づいている」と主張した。
サックスは続けて、「欺瞞は終わりそうにない。実際には交渉による和解の機会を何度も(ゼレンスキーが)拒否している。紛争を長引かせており、その結果、ウクライナはより多くの人々を動員して『肉挽き機』に食べさせようとする結果となり、国民の不満が高まり、ウクライナ政府は崩壊する。最終的に戦争に負け、国全体が自ら作った火葬場のくすぶる廃墟に横たわるとき、嘘つきたちは『よく頑張った』と言うだろう。そして嘘をついた人たちは、自分たちの不幸を親ロシア派の第五列の所為にするだろう」
イーロン・マスクはこの意見に賛意を表明した。
「ロシアに利用された愚か者」とヒラリー・クリントンはタッカー・カールソンがプーチン大統領にインタビューしたことを非難した。
バイデン大統領は、「議会のせいだ」と言い訳を始めた。
ウクライナの新最高司令官アレクサンドル・シルスキーは2月18日、ドンバスの主要都市アヴデエフカからウクライナ軍は撤退したと発表した。
マスクは、前述のサックスの意見は「正確だ」と述べた。ちなみに億万長者として知られるサックスはペイパルの創業者で、推定個人資産は20億ドル。経済の人気番組でも司会をつとめる有名人でもあり、イーロン・マスクとはスペースXの立ち上げに出資した。南アフリカ出身である。
またデービッド・サックスには著作に『アナログの逆襲 「ポストデジタル経済」へ』(邦訳版あり)等があり、『ビジネスウィーク』など有力経済誌への寄稿者としても知られる。
マスクの舌禍事件はイスラエルを激怒させ、発言は反ユダヤ主義と誤解されてエルサレムに呼びつけられ、また一月にはポーランドのクラコウのセミナーでアウシュビッツを見学させられた。みえない圧力が保守論客とその媒体に加わっている。
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(お知らせ)
会場:一色商店 東京都台東区竜泉1-10-3 2F
期間:2024年8月12日〜18日
時間:平日11:00〜19:00 土11:00〜17:00 日11:00〜16:00
☆12日は12:00〜19:00
入場料:300円
写真展に参���させて頂ける事になりました
9名の探索家が捉えた
廃墟の空気感、美しさ、儚さが詰まった展示になると思います
お近くに来られた際には、是非お越し下さい
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240308 金
自分メモ:15:00 MTG(KK
お金やスキルってのは信頼のトリガー
それがあれば社会や他者に「親ロール」を引き受けさせる事ができるようになる
お金もスキルも無いと自分で自分の「親」にならざるを得ない
親をやるなら子の事が可愛いか、可愛くなくとも子から「なんかもらえる」かじゃなきゃやる気起きない
お金もスキルも無い自分というものは自分自身にとっても「可愛くないし役立たずな子」なので親ロール引き受けるのがしんどい(だからダメ人間は皆セルフネグレクトしてしまう)
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さて、ではお金もスキルもあり、他者と社会に親を担って貰えるポジションだとしよう
すると世界はどうなるか
見るもの全てが「おもちゃ」と「友達候補」になる
「親」が担う「家族の生命維持と社会性の維持」を全てアウトソーシング(他人に丸投げ)できたなら、残るは「エンタメ消費」と「友達づくり」だけになる
家や車を買う行為も「おもちゃを買う」のと同じ感覚になるし、人間関係は「相性よい遊び仲間コレクション」という認識になる
手に入れたものや繋がったものにまつわるトラブルの責任を負わなくてよい立場。それこそが「親に護られた子供ポジション」なのだ
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僕は他人に親ロールを任せる事ができて自由に使えるお金あったらネカフェを作りたい
日本中に自分がオーナーのネカフェを作って普通にホームレスめいた一般客としてそれを利用し、いい感じに「蔑ろ」にされたい
でも割引用のポイント残高だけはバグってる。大体「ポイントで払います」で全額払える
それくらいのプレミアムさが良い
いや、別にオーナーになる必要なくないか、それ?
ポイントで支払う意味も特にないな・・・
じゃあ普通にネカフェを転々として好き勝手過ごしたい!
あ、あったあった僕がしたいこと
都内にコインシャワー付きコインランドリーの店を大量に作りたい!
コインシャワーの滞在時間はむっちゃシビアにして、タイムオーバーになると照明もバツンッと消える容赦ないタイプにする
それでも利用する人は利用する。僕がしてたし
舞台の建て込みやってる職人に加工してもらって、最初から廃墟みたいな見た目のボロさにしておく
割れ窓理論に基づいて設計し、その店の外観に見合った「厄介な人達」が訪れやすくする
で、もちろんそこに自分もボロボロの格好で通う
ホームレスの人に因縁つけられたり、する
楽しい。なんて楽しいおもちゃなんだ・・・
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イラストやエンタメにまつわるなにかをやりたいって気持ちはないの?
うーん・・・ 既存のサービスやイベントでイラストレーターとしての自分に「心地よさ」をくれたものってなにひとつ無いので、何したらいいか想像つかないな
絵にまつわる���ルチャーってやっぱ「排他 / 差別 / 権威」によって成り立ってると思う
何かの概念に対しクオリティ追求すればそこには自ずと競争が生まれ、競争の中には排他と差別が必ず内包される
淘汰を生き抜いてきた存在は必ず「権威」になる
それを否定し打倒し上り詰めた存在も、また別の権威になる
とはいえ、その権威主義を全肯定し選ばれた人々だけで超排他的なパーティーやったらそれはそれで楽しい
その逆パターン、権威に反目する人々で魑魅魍魎パーティーすんのも楽しい
けどそれが「何かを敵視し嫌悪する」事によって繋がった人間同士のお祭りだと考えると途端に萎える
だったらまだ「警戒しあって牽制しあって常に孤独を維持する」方がクリエイターとして誠実なんじゃないのか、と思う
淘汰や競争から切り離せないカルチャー内でお祭りする際は「差別に対するエクスキューズ(内省)」が必須となる
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座礁地帯をトラックで…!?
というわけで、今回はレイク・ノットからサウス・ノットまで支援物資を運ぶ依頼を受けました。なんかね、もういかにも怪しい荷物まで受け取って。セキュリティには言及しない。
説明を読んだら、「小型熱核爆弾」とあって、血の気が引いた。これ、落としたら一瞬でパーになるやつ……
ダイハードマンから「サム、お前…!」みたいなことを言われないあたり、まだ誰も気付いていないらしい。とりあえずヒントに出てきた通り、国道に乗ってYaibaのバイクでダッシュで南配送センターへ。
フラジャイルはどこだろうと思いつつ、プライベートルームでひとやすみしていたところ、悪夢のようなヒッグスを見た。レイク・ノットで核爆弾を託してきたのはヒッグスだった。素顔を見たのも初めてだった。
荷物の中身を見たときのフラジャイルの怯えように、自分も心臓が縮こまりそうだった。このあと聞いた彼女の過去を思えば、とても無理はないと思う。むしろ、肉体が時雨に晒されて急速に老化していく中で、よくぞ都市と己自身の命を守ってくれたとも。
普通の人間なら、老衰とともに動けなくなるか、先に精神が崩壊していそうなものだ……。荷物を持って歩くだけでも一苦労どころじゃなかっただろうに。
タール湖まで行くのと荷物投げは簡単だったけど、やはりフライジャイルに会ってからのリミット20分で心臓がずっとばくばくしていた。どうにかできるとわかっていても、不安に駆られて、最大の失敗が頭をよぎって眩暈がした。
その後は、サウス・ノットまで支援物資を運ぶだけの簡単なお仕事……
……待って。もしかして、今ならこの廃墟地帯って、一生雨降らないんじゃない???
左手に見える、ずっと雨が降りっぱなしのママーの研究所が気になりつつも、サウス・ノットのプライベートボックスにいったん支援物資を預けて、コスプレイヤーまでの国道装置4つくらいに手当たり次第に素材を投入した。
前回、ミュール基地から素材を強奪して建築物を強化しまくる遊びをしていたけど、まさか今回はBTの座礁地帯から素材を根こそぎ集めまくることになるとは……。
最初は乗ってきたバイクでやっていたけど、バッテリーが切れかけて人のトラックを持ってきた。
ついでに雨が降らない今のうちに、ジャンク屋~カイラル・アーティスト~映画監督あたりの荷物を運びに運び、そこでいただいた素材も国道復旧に用いた。
なんか……ずるい気もするけど( ,,`・ω・´)
キリの良いところでサウス・ノットまで戻り、納品して依頼を完了。まさかBTのいたエリアを、トラックで素材と落とし物を集めて回る日が来るとは思わなかったなあ(もうできる気がしない)
配送ルートの距離がとんでもないことになっちゃったね。。
さて、カイラル通信も接続したところ��、サウス・ノットのプライベートルームでひとやすみ……と思っていたのに、何やら忙しない感じが。
ママーがめずらしく、「!」マークを付けて焦った様子で伝えてくる。この辺りのカイラル濃度が急上昇している。ダイハードマンから急に「外を見ろ」と言われた。えっ、なに? 何!?
ポート・ノットシティの時の記憶(ヒッグス初登場&突然のキャッチャー戦)があるから、もう絶対これイヤな予感しかしないよおおおお😭
あと、依頼完了後にダイハードマンから支給品として殺傷武器をもらったんだけど、人を殺してはいけないよね? 扱いには十分気を付けてくれ、って、どうしろと……(とりあえず装備)
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2024/11/24 8:00:24現在のニュース
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を���げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私��ちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、���子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ば���た文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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地元と任地 似てるところ違うところ
2022年10月31日
新年度は怒涛 と書いてから1ヶ月経ちそうですが いまだに怒涛です
とりあえず週1授業はできているようなできていないような
ところで10/30から『第7回世界のウチナーンチュ大会』が開催されてるようです。 沖縄に縁やルーツのない方からすると本気かと思われそうな名前の催しですが 意外とおもしろい大会です 詳細はリンクから
TOP | 第7回世界のウチナーンチュ大会「世界のウチナーンチュ大会」は、沖縄県の貴重な人的財産である世界各地の県系人の功績を称えるとともに、県民との交流を通してウwuf2022.com
参加してみると特に初期など正直「よく運営できてんな。」と思ったりしましたが で、それがこっちでも思うこと多々あるよなあ。と思い 以前から、沖縄とアラブ似てるなあ。と思うことがあったので まとめてみようというだけの記事です。
衣食住編
気候 ヨルダンの緯度は日本本州と同じくらい?で地中海性気候 沖縄の人間には冬は寒い。10月の朝夜がすでに寒い。 夏は暑いけど影に入れば涼しいのは沖縄と似てる。 と言いながら沖縄以外は二本松の夏しか知らないんですが 雨が降っても傘ささないのは沖縄と一緒。
建物 石造りの建物で家の中がひんやりしてるヨルダン。冬は激寒。 沖縄の戦後のコンクリ造の家に似てると個人的に思ってます。 屋根の上に水タンクがあるのは沖縄と一緒。
沖縄は水道から直接水タンク、ヨルダンは一回地下とかに貯めてそれを上まで上げてる。 たまに屋根の上に基礎?が残ってるお家があって沖縄と一緒じゃん。となります。 沖縄は将来増築する。という気持ちを込めて残してますが、どうもヨルダンも同じっぽい? あと赤瓦屋根がたまにある。 個人的に、任地は廃墟好き、鉄塔好きには散歩しててとても楽しいです。
食 2年間豚が食べれないんですよ。 と言ったらほとんどの沖縄県民が同情してくれたくらい豚への愛が強い県民性。 ヨルダンはほとんどがムスリムなので豚肉を食べる機会はそうない。 首都の外国人御用達みたいなお店には結��置いている。
パレスチナ系の人に「地元ではヤギを食べる」と言ったらウケてましたが どうも向こうでも食べる地域があるよう。 ちなみに沖縄はついに羊刺しを提供するお店が出たそうです。
外資系スーパーに置いてる魚が地中海の魚なのか、たまに見覚えのあるやつがいる。たぶんイラブチャー。 買ったことはない。
夏の果物が馴染みのあるものが多くてうれしい。いわゆるトロピカルフルーツ
グアバなんて沖縄では嫌いだったのににおいが懐かしすぎて買ってしまった。
ドラゴンフルーツがお高い。
服 ムスリムの女性は基本髪、肌、体のラインも出しません。 先生方もほとんどマントみたいな服着てる。 若い人ほどカジュアルな感じ。ストリート系?ボーイッシュ系?が多い印象。 最近の人だとビリーアイリッシュみたいな? 沖縄の、しかも中部で育った人間なのでめちゃくちゃ気を遣う。 とはいえ、首都に行けばZARAもH&MもあるしSHEIN?も使ってるらしい
伝統衣装は詳しい人に言わせるとヨルダンもパレスチナも地域によって違いがあるらしく この模様と色はどこの服 というのがわかるらしい。
その辺は沖縄の染織と似ている。
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うねりの歌
うねりがあった。そのうねりが、空のものなのか、炎のものなのか、存在のものなのか、臓器のものなのか、言葉のものなのか、人間のものなのか、裏返った背中のことなのか、ヒキガエルの母性のことなのか、もしくは「はるかなもの」なのか、僕は知らない。うねりは導かれて、しかし凍るような痛みを伴いながら、世界に道を作った。うねりの通った過去は空間となり、空間はうねりとなり、うねりは四方八方に散らばりながら、うねっていた。原初のうねり、つまり白痴のうねりは空転と散逸を繰り返しながら、片足だけの鹿のように呻いていた。
(うねりだ)(うねりが来るぞ!)(蜂蜜と牝牛は川へ投げろ!)
粘膜の震えがうねりなのではなく、キメラがうねりなのではなかった。太陽に看取られながら、次々と僧侶がうねり始めると、読経や念仏もうねりはじめ、とうの昔にカリ・ユガの時代は到来していた。
人々が、何も起きていないような顔をして歩いている。腐臭がなめらかに都会へ忍び込み、曲線となった人々は機械の汁と成り果て、廃墟にみのる果実となった。不安の果実は大地へ滴り、精液をばら撒き、受精することなく大地が湿った。大地は神々への不安、人間への絶望から己へ回帰する。一つの危機と化した大地は轟きながら自己の中心を目指し、不安を暖め、安心を唾棄した。
秋が過ぎ、冬が過ぎ、春がすぎ、また神話の時間が始まる。一掃された「はるかなもの」の不在の場所に、忘れられた模様がうねっていた。思考の去った平面に、かつて永遠を目指した瞬きが光る。僕は寂しくなって、また大地を湿らせる。
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天津市郊外にある高層建築、その名も「高銀金融117」は、2008年に着工したものの、その後はろくに工事が進まず、もう10年近くも放置されたまま。
順調にいけば2014年に完成するはずだった。完成すれば「中国で3番目に高いビル」となり、世界一高い「ブルジュ・ハリファ」に次ぐマンションになるはずだった高銀金融117にせまってみよう。 広告
高さ597m。なのに未完の超高層ビル「金銀金融117」 中国の中心都市の一つ、天津の郊外にある作りかけの超高層ビル「金銀金融117(Goldin Finance 117)」の高さはなんと597m。 no title 1 現在、世界で最も高い廃墟ビルともといわれている。
Goldin Finance 117 Tower in Tianjinr
かつて注目の不動産プロジェクトだったものの、工事はたびたび中断。さらに未完のまま時が過ぎ、今では「誰一人住むこともなく朽ちてゆく世界屈指の超高層建築」として有名なのだ。 2008年から6年で完成のはずが中断が相次ぎ放置に このビルの工事が始まったのは2008年。完成は6年後の2014年と見積もられていたが、大不況のあおりを受け、その計画はわずか2年で中断された。
その翌年、2011年に再び工事が始まったが、経済的困難や資金不足でたびたび中断。完成も2014年から2018年以降に延期された。
ところがその後も、工事はたいした進まなかった。話によると、せめて最大のウリである高さを誇示するため、骨組みだけは頂上まで組み、見ためはなんとか取り繕ったものの、中身はほとんど空っぽの張りぼて状態だという。
さらに2015年9月の時点でも工事は再び止まっていたそうで、今では工事用クレーンもそのままに、工事業者も立ち去った無人の廃墟と化している。
当時のイメージ図 2 image credit:Goldin Properties Holdings 居住階はブルジュ・ハリファに次ぐ高さ 金銀金融117は、その名のとおり地上117階建てで、住宅やホテルの他、商業施設とオフィスも入る複合施設として設計された。またその居住階は最上階まで設けられるようになっていた。
このように最上階を居住スペースにできる設計は、その時期存在した超高層ビルの中では珍しかった。
一方、その頃ドバイで完成にこぎつけたブルジュ・ハリファ(2004年着工で2010年開業。高さ約828m の世界一高い高層ビル)は163階建てだったが、居住階は最高108階までだった。 5 そのため居住できる高さだけを比較すると、金銀金融117のほうがわずか50cmほど低いという意外な結果に。
つまり、完成すれば「世界一高い高層ビル、ブルジュ・ハリファに次ぐ高さ」で暮らせる超高級タワマン、みたいなふれこみで売り出す算段だったようだが、それも完成しなければ意味がなかった。 6 金銀金融117はなぜ未完?失敗の原因 この失敗の要因については様々な声がある。
まず多いのが、香港拠点の開発業者ゴールディン グループが新参者のわりに強気で、中国政府の支援も見込めないのに100億ドルからのプロジェクト全体を自己資金でカバーするというハイリスク・ハイリターンな勝負に出たこと。
そこに2008年の金融危機が起き、2011年に事態は好転しかけたが、今度は株式バブルの崩壊で2015年以降、すべての建設作業が中止となった。以後資金不足の連続で、経営陣は株価の暴落をどうすることもできず、同グループの会長は自身の財産の130億ドルを失った。
だが一方で、もともと立地が悪かったという見解もある。天津市は中国の中心都市の一つだが、大都市というわけでもなかった。
その郊外にいきなりぽつんと建った豪華な超高層ビルはあまりにも場違いで、ゴールディン グループが見込んでいたエリート層の興味をさほど惹かなかったのではないか、というもの。
つまり企画からして読みが甘かったという厳しい批評だ。 世界で最も高い未完で廃墟のビル そんな経緯から、金銀金融117は、とにかく目立つ作りかけの超高層ビルと化し、不動産業や中国政府に失敗を想起させる象徴的な建物となった。 8 ただ、純粋に高さだけなら、およそ600mという世界屈指の高層建築とみなす声もある。 7 しかし未完はやっぱり未完なため、今は地元でも「世界で最も高い未完で廃墟のビル」と揶揄されている。
The Story Behind China’s 600-Metre Abandoned Skyscraper
中国は、2021年に今後建設する高層ビルの規模と数を大幅に制限する法令を全土に発布した。高さ250m以上の建築物の新設を厳しく制限し、500mを超える建築物の建設を禁止にしたのだ。
したがって金銀金融117は、中国においてしばらくの間「国内で最も高い建設途中の高層ビル」にもなりそうだ。ていうかこれ崩れてきたら大変だな。
何とも皮肉な話だが、今の中国にはまるごと廃墟化しつつあるこの巨大なビルが、ある種の教訓になるかもしれないしそうでもないのかもしれない。
(世界一高い未完成の高層ビル「高銀金融117」は10年近く放置されたまま : カラパイアから)
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株式会社MAGES.(東京都港区、代表取締役社長: 本荘健吾)は、廃墟系ポップユニット・cadodeが新たにリリースしたデジタルシングル「たまゆら(feat.水槽)」の配信開始とジャケットデザインの公開を発表しました。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)5月31日(水曜日)
通巻第7774号 <前日発行>
中国の不動産バブル崩壊以後、市場はどうなっているのか
住宅ローン金利比較。中国は5・7%、日本は0・2%。米国は6・7%だ
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2020年8月、中国政府は「三道紅線(三本の赤線)」という規制強化方針を打ち出した。債務超過に陥った不動産開発企業への銀行融資を規制する政策で、日本の総量規制に近い。たちまち、三十社以上の有力な不動産開発企業がデフォルトに陥った。中国一の碧佳園は経営がふらつき第三位だった世茂集団はあえなく倒産した。
2021年師走、バブルを牽引してきた恒大集団が倒産し、陸続と関連企業や下請け、おまけにテーマパークやらシッピングセンターの経営が破産した。恒大集団だけで負債は33兆円に達していた。王健林率いる大連万達集団は主力のホテルチェーンや映画館チェーン、ハリウッドのスタジオなどを切り売りしなんとか息を繋いだ。
派手派手しく日本各地の物件買収で名を馳せた復星国際の決算報告書によれば、2022年6月末時点で負債総額は13兆4121億円だった。株価は往時の半値以下となった。
ゴールドマンサックスは中国不動産バブルの崩壊規模は世界最大と分析した。
中国共産党ならびに中国政府は住宅価格がバブル前の最高値��回復するなどと淡い希望を持っているが、ならば巨額の融資を注入しなければなるまい。それをしないでどうやって地獄から這���上がれるのか。
中国全土に目撃できるのは幽霊マンション、廃墟のようなタワマン林立の団地、ゴーストタウンではない。本当の幽霊都市だ。
売れ残りマンションが8000万戸とも言われるが、昨今どういう売り方をしているか。「頭金ゼロ」、或いは「マイナスの頭金」で住宅購入が出来るという宣伝が広東省に現れた。
深センの業者は、不動産が570万元と評価された場合、所有者は520万元で売却し、住宅購入者は570万元の銀行ローンを利用してその不動産を全額購入でき、差額の50万元は改修に充てられる。これが「マイナス頭金」のカラクリだ。
深セン不動産仲介協会は、「頭金ゼロ」や「マイナス頭金」の慣行が中国の金融・信用政策に違反していると強調し、市場に警告した。
「マイナス頭金」は本質的に架空の購入契約書を作成し、頭金としてローンを不正に獲得するため購入価格をつり上げるのである。いうなれば銀行を欺すテクニック。住宅購入者にとって、その後の支払い圧力が重くなるからローン不履行のリスクが高まる。
中国の住宅ローンは中国5大銀行の融資残高のおよそ三割を占めている。
2017年第4・四半期から22年第1・四半期の間、中国の住宅ローン金利は5・26%から5・72%という高い金利だった。22年師走からは平均4・16%となった。2022年末の住宅ローン残高は38兆8000億元(776兆円)だ。
米国の住宅ローン金利は23年五月時点で、6・5%~6・9%とFRBの金利上げによって格段に常勝し住宅購入の手控えがおきている。
日本の住宅ローン金利は23年5月現在、変動型で0・21%から0・45%である。固定金利型となると0・8%から0・9%となっている。それにしても1%以下である。
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【解築学ゼミ】2023年度活動報告
はじめまして!2023年後期から中谷研究室の解築学ゼミでゼミ長を努めております、M1関根です!
解築学ゼミの前回の投稿は2023年の5月で止まっており、長らく更新できておりませんでした。今回は改めて解築学ゼミの活動目的と、2023年度の解築学ゼミの成果についてご紹介したいと思います!
設立経緯と活動目的
まずは解築学ゼミの設立経緯と活動目的についてです。
本ゼミでは「解築」という、建築に代わる新たな概念を掲げ、活動しています。これまでの建築は文字通り「建て・築く」ことに集中していました。しかしただ闇雲に建築を続けていけば、建て詰まりとでもいうべき都市の終点を迎えます。そんな中、現在の日本の中心的都市では建築を続けるために、役割を終えた既存建物の解体が頻発しています。
しかしその解体から始まる一連の建築行為には、物質が人間と地球の関係の中でどこから移動してきて、どのように循環していくのかという世界の具体的なイメージが伴っていません。つまり、建築を物質循環の過程として正しく「解いて」、正しく「築く」、そのサイクルを実現する方法や考え方が新たに構築される必要があります。
これを歴史的視点から検討するのが解築学ゼミです。保存/スクラップ&ビルドの二者択一ではなく、柔軟な空間構築法の理論化を目標とします。
2023 年度の解築学ゼミは「都市流動史」というテーマを掲げ、歴史上の解築的な行為が発生した事例とその社会背景に着目しました。具体的には災害からの復興過程やバラック、スラムにおける生活の構築、廃墟の美学などを対象とし、それらに共通する普遍的な循環構造を取り出すことを目標としました。
2023年度活動成果
成果としては卒業論文5本、修士論文1本が提出されたほか、人間によって構築された物質が自然との関わりの中でどのように様態を変化させるのかを示したダイアグラムを作成しました。人間の空間構築行為にはその最初の段階から自然活動が強く影響しており、両者は不可分なものです。我々が解築と考える行為、現象は、何らかの形で地球の自律運動、すなわち自然摂理と交わった人間行為なのではないかと結論づけました。
最後になりますが、今回紹介した、2023年度の活動内容は『解築学研究 vol.1』として発行しております!こちらでは勉強会の内容やダイアグラムの解説などをより詳細に行っておりますので、ぜひともご確認ください!
▼『解築学Zine Vol.1』
それでは。
また更新します!
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