#遣唐使ふるさと館
Explore tagged Tumblr posts
Text
〖45〗五島つばきマラソン 3月2日
【大会当日まであと115日】 2025.02.20
今日も、五島市は寒波の影響が大きく、終日寒かったです。確か数日前から同じことを言ってますよね。
今日は、昨日の〖44〗五島椿まつりの一環で実施される「五島つばきマラソン」についてお話しします。嬉しいことに、今年のつばきマラソン参加予定者は、昨年度と比べるとかなり増えているみたいです。少しずつ認知度が高まり、人気が出てきたようですね。フルマラソンに299人(昨年度は185人)、ハーフマラソンに278人(昨年度は207人)がエントリーしていると、大会公式のFacebookで紹介されていました。すごい増え方ですね。


上の画像は、今年度の五島つばきマラソンの公式HPから引用したものです。だいたいコースは昨年度と変更はないようですね。フルマラソンとハーフマラソンの2種目があります。さらにフルマラソンには「リレーマラソン」の部も設定されています。フルマラソンの場合は、三井楽町の「遣唐使ふるさと館」をスタートし、岐宿町を目指します。魚津ヶ崎公園と楠原教会・憩坂を経由してまた遣唐使ふるさと館に戻り、あとは三井楽半島を時計回りに1周するコースになっています。魚津ヶ崎公園は、NHK朝ドラ「まいあがれ」の中でまいちゃんが自分で絵付けをしたバラモン凧を揚げたところですね。コンパクトな範囲の中で、とても上手にコース設計をしたなと感心しています。車で通るとあっと言う間の距離感ですが、こうやって考えると東西に10kmずつ広がっていることになりますね。

次は、フルマラソンの場合の高低差です。この図も、今年度の五島つばきマラソンの公式HPから引用したものです。一つ上の平面地図と重ねて考えると、魚津ヶ崎公園を折り返して楠原教会方面に向かうところで急な登りが続くことになりますね。このスタート後の10~15kmをいかに上手にこなしていくかがポイントになるかも知れません。この辺りは、田んぼや畑が多い地区ですが、道路が数年前に改修されており、広々とした見晴らしのいい景色が広がるロケーションになります。また楠原教会も左手に見えてきますので、楽しみながらレースをすることができるでしょう。
また途中で8か所の給水地点(エイドステーション)が設置される予定です。ランナーの皆さんはどうかぜひ途中で足を止めてそれぞれの給水地点でおいしいものや体が求めている栄養を補給し、気分転換を図りながらレースを楽しんでください。例年、つばきマラソンが近づくと、新聞にチラシとして選手名簿が織り込まれます。今年も知り合いの中で誰が出場するのか、見つけるのが楽しみです。

明日は、金曜日。明日一日を無事にこなしたら、3連休ですね。みなさんは連休をどのように過ごしますか?つばきマラソンに出場する選手の皆さんは、自分の体力や天候と相談しながら少しずつ調整をしていきましょう。バラモンキング大会に出場予定の方もいらっしゃると��います。トライアスロンのランコースとは違いますが、同じ五島の中を同じ空気を感じながら走りましょう。イメージトレーニングも大切です。大会はもうすぐです。
五島トライアスロン協会は、五島つばきマラソンに参加する多くの選手の皆さんの活躍を、特に地元・五島市の選手の皆さんを、心から応援しています。みんながんばれ~!
0 notes
Text

【かいわいの時】明治二十七年(1894)4月12日:みおつくし、市章となる。
▼澪標の意味 類聚国史云 難波江始建澪標 澪ハ水ノ深サヲ云 標ハ印シノ木也 (A)
▼澪標の管理 摂津国衙(平安時代):難波津の澪標:最後の遣唐使船が承和4年(837)に難波津を発った。しかし、その後も平安京への玄関口として難波津の役割が重視された。延喜5年(927)に撰上された「延喜式」には「凡難波津頭海中立澪標 若有旧標朽折者捜求抜去」(およそ難波津頭の海中に澪標を立てよ。もし朽ちたり折れたりした古い澪標があれば探し出して抜き取れ)とあるから、摂津国衙は常に淀川河口における澪標を整えておかなければならなかった。(B)
大坂町奉行(江戸時代):近世町奉行の覚書:大坂町奉行の公務覚書である「川方地対卸用覚書」(正徳年間~元文3 年��1711~38>) に「両川口水尾木数・同建樣」があり、安治川・木津川の両川口に120間の幅、80間の間隔で、沖から1番~10番まで水尾木(杭木)を立てたという記事がある。また、元文3年2月10日の干潮時に水尾木の水深を測ると安治川口で1.45~0.67m、木津川口で1.15~0.64mで、あった。それで廻船の出入りは滞ることはないが大船は潮時を考えて往来せよとあった。(B)
▼澪標のスペック(江戸時代) 一の洲の沖にあるを大一番とし次第に上へ二番三番とつづけ都合十番ニいたる。これを俗に棒木と云即水尾木水尾串なり。其木の長さ六尋余り志かれども半ハ水に入且洋中の広大なるがゆへに爾あらんとハ覚へず。扨また一番の所をさして一の洲と号し此所にある水尾木ハ他に異にして上に志るし木あり。其形鱗魚の尾に似たれバ俗にこれを鯖の尾といへり。是浪花第一の景物なり。此修理料廻船問屋船持仲間の課役たり。(A)。六尋(=36尺)≒10.9m。鐘成は「それほど大きくない」とゆうておりますが、明治時代の絵画史料(写真)を見ると、かなりでかかったことがわかります。
▼澪標のリサイクル商品(江戸時代) 右澪標の古木を以て作る所の雅器品々左ニ記す ○短冊懸○枝折○香合○菓子盆○楊枝○手代板。これらは、暁鐘成が心斎橋通博労町に営んだ土産物屋「鹿廼屋」で、「浪花御土産」と称して販売していた珍品類の一つです。「天保山名器蓬萊型畧図」と紹介されている天保山の形をしている亀の置物もありました。暁鐘成編述画図『天保山名所図会 巻之下』1835より。
▼みおつくしの歌 万葉 ミをつくし心盡して思ふかもこなまももとな夢にしミゆる 拾遺 侘ぬれバ今はた同じ難波なるミを盡しても逢んとぞ思ふ 後撰 難波がた何にもあらずミをつくし深き心の志るしばかりそ 家集 吹風にまかせることも事も澪標まつと志らずやさしてくるらん 千載 難波江の蘆のかりねの一夜ゆへミをつくしてや恋わたるへき 以上、(A) 万葉 遠江引佐細江の澪標あれを頼めてあさましものを(浜松) 詞歌 住吉の細江にさせる澪標深きにまけぬ人はあらじな(住吉)
出典 (A)暁鐘成『摂津名所図会大成 巻之九上』1860頃。 (B)山野寿男「大阪市における水環境の変貌」2011季刊『水澄』創刊号。
(写真)中岳「大阪築港真景」明治~大正(大阪市立図書館蔵) 「なにわの海の時空館」旧蔵資料。沖に澪標あり、桟橋に軍艦が停泊、ほか蒸気船や大型帆船が航行する港の図. 海岸には大型倉庫、市電の線路など(大阪市立図書館)。
1 note
·
View note
Text
「魅惑の朝鮮陶磁 謎解き奥高麗茶碗」展

根津美術館で「魅惑の朝鮮陶磁 謎解き奥高麗茶碗」展を見る。前者と後者はいちおう別々の企画で、展示室も分かれている。しかし、16〜17世紀当時の茶人たちが憧れた朝鮮陶磁の高麗茶碗を見たあとで、日本で作られた奥高麗茶碗を見る形になるため、シームレスに鑑賞できるし、むしろ双方合わせて見ることで興味深さが増すような構成と言える。
まずは朝鮮陶磁、陶質土器から。この朝鮮半島の作陶技術が5世紀後半にごろ日本にもたらされ、須恵器となった由。展示品は古いもので5世紀とか7世紀、新しいもので12〜13世紀で、これまで国内の博物館などで見た日本の須恵器より洗練度が高いのがさすがである。
次に高麗時代(10~14世紀)に誕生した青磁。上のチラシ画像の右側にあるのがこの時代の青磁で、重要文化財に指定されているだけあって色も形も保存状態も優れている。画像ではよく見えないが、底��近い部分に中国風の文様(ラーメンのどんぶりに描かれていそうなあれ。吉祥文の一種)も入っていた。
青磁の次は粉青(ふんせい)。黒い土の上に白土を重ね、釉薬をかけて焼成したもの。日本の焼きものの三島を想起させる展示品があり、朝鮮陶磁が日本の作陶に与えた影響の大きさを実感する。
次いで白磁。文様のない無垢の壺が朝鮮白磁の代表格なのだそうで、儒教的な清らかさを表しているらしい。しかし中にはせっかく美しい形の瓶なのに稚拙な絵が刻まれたものもあり、清らかさ一辺倒ではなかったようで、微笑ましかった。また、中央の官窯でなく地方の窯で焼かれたものは、おおらかな作風だったようである。
そして高麗茶碗。形による分類名がいろいろあり、知らない名称も多く、勉強になった(記憶も理解もしていないが、少しばかり無知の知を得られた感じ)。日本の茶人、文人、要人が珍重した器も展示されており、茶碗ではないが「此世」と銘のある井戸香炉などは、千利休、古田織部、後水尾天皇、小堀遠州、仙台藩伊達家、大阪の藤田家、と伝来してきたそう。また、日本美術界のヘタウマ画伯として一部で有名かもしれない三代将軍徳川家光の描いた鶴の絵を下絵にして作った茶碗などという代物もあり、ぎくしゃくした鶴の絵に思わずニヤニヤしてしまった。
しかしニヤついていないでここで冷静になって展示を振り返ってみると、ここまでの展示品のほとんどは根津美術館の所蔵品なのである。ほぼほぼ自前でこれだけの企画展ができる美術館畏るべし……
さて、朝鮮陶磁の高麗茶碗を見たあとは、日本の唐津で作られた奥高麗茶碗の展示に入る。初期の作例では茶碗の腰まで釉薬がかけられていたとか、完成期になると日本の茶人の好みに合う仕上がりを狙ってわざと小石を含んだ土を使ってみたり孔をあけてみたりするようになったとか、奥高麗茶碗の変遷がわかりやすく示されていた。個人的には、茶の湯の世界で珍重されるタイプの器はあざとすぎる感じがしてしまうのだが、審美的な好き嫌いは別にして、奥高麗茶碗の存在は日本の焼きものの歴史の小さくない一部分を占めるのだろうと思う。

陶磁器以外の展示では、「百椿図」がなかなかおもしろかった。さまざまな種類の椿を描いた2巻からなる巻物で、日常生活の道具(といっても身分の高い人が使うような立派なもの)を花器の代わりに描いてそこへ椿の花をあしらう工夫がなされていた。色遣いも椿にふさわしい鮮やかさで美しかった。
1 note
·
View note
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)12月1日(木曜日)
通巻第7540号
一度死んだはずの江沢民、あれから11年と五ケ月を生きていた
反日を仕掛け、軍を腐敗させ、汚職天国とした江沢民が死去
************************
11月30日、江沢民元国家主席が死去した。享年96歳。
天皇陛下晩餐会に中山服であらわれ『歴史を鏡とせよ』と呪詛をたれて、日本人の多くがあきれかえった。反日を掲げるとこで江沢民は政治生命を維持した。
たなばたで権力を受け継いだものの、中央政界に唐突に現れても、長老や幹部は誰も相手にしなかった。97年香港式典などは、李鵬が別の特別機を飛ばして、ふたり並んでいた。つまり、あの時点でも江沢民の権力は半分ほどだった。
江沢民がまずやったことは権力を守る暴力装置を江沢民の親衛隊とすることで、第一に軍のアルバイトを黙認し、汚職には目をつむり、第二に大将(上将)辞令を乱発した。軍の高層部はこれで江沢民支持となった。
彼の強運は「新しい」利権がどっさりと転がり込んで来たことだ。守旧派の牙城だった従来の共産党企業、つまり国営企業とは鉄道、炭鉱、電力、通信、銀行である。
江沢民時代に改革開放が本格化し、外国企業が銀行証券保険に参入した。通信も携帯電話が急激に普及し、ネット通信が主流となった。守旧派の利権など問題にならない巨額の利権である。
江沢民は自派閥形成とその強化に「新産業」を加えた。経済の繁栄、GDPの右肩上がりに、国民さえ「良い時代がきたなぁ」と吐露し、時に不満が高まると反日を煽り、日本企業、レストラン焼き討ち、大使館へ卵ぶるけ競争を黙認どころか演出し、ガス抜きをはかった。
江沢民の反日過剰は、じつは父親が日本軍の協力者だったからで、父の兄弟の戸籍に移し替え、何食わぬ顔で世を渡った。上海交通大學(当時は中郷大學)で機械エンジニア、ソ連にも派遣され、工業畑から上海市長、同市書記。トウ子平に大抜擢され上海から北京に呼ばれたのは1989年天安門事件直後だった。
江沢民が言い出した「三個代表論」というわけの分からない『理論』とは、企業人、財界人も党員として、一緒にがっぽりと稼ごうということである。マンション投機、株式投機に血道を上げるムードが醸成され、スポーツ選手やら不動産王やら、映画スターが人民政協会議メンバーとなった。
さて江沢民は「いちど死んでいる」!
2011年7月7日に産経新聞は江沢民死去の『号外』をだした。
直後に北京に行った筆者は産経北京支局の人から「あれは北京の頭越し、東京本社が『確実だ』という情報源を元にした誤報」と言っていた。
そして死んだはずだった江沢民は爾後も11年と五ケ月を生き延びた。十月の党大会には姿を見せず植物人間状態という噂があった。
さてさて残された江沢民の遺族である。
夫人の王治坪は94歳。当時の上海外国語大学をでた才媛である。
長男の江綿恒は通信の利権やファンド経営などを言われたが、さきごろ上海アカデミーの『院長』を退任した。学識がないと評判が悪かった。72歳。
次男の江綿康は上海市発展情報センターに勤めるらしいが、消息は殆ど無い。68歳。この兄弟は伴に上海師範大学に学んでいる。
思い出すのは江沢民最大ライバルだった李鵬元首相の子供達である。
李鵬の子供達は地方に飛ばされ、とくに李小琳は電力業界のトップにすわっていて、リムジンで香港に現れ、ブランド品を山のように買う現場がパパラッチされたりしたが、習近平は彼女を山奥の発電所に左遷した。
江沢民の遺族等に待ち受ける運命やいかに?
7 notes
·
View notes
Text
第八回ミニ講座。尺八第二回目の渡来は円仁さんによる!
比叡山天台宗の宗祖伝教大師(最澄)の膝下に入門した円仁(794ー864)が求法の為に838年から9年間唐に渡り、帰朝した時に尺八も持ち帰ったという。
山東省赤山県の法華院五台山麓の竹林寺等で声明や引声五会念仏(いんせいごえのねんぶつ)を習得したが、生来音痴だったので、尺八を使って節回しを習ったと伝えられる。この笛は延暦寺に長らく保存されていたと云う。
象牙製と云われるが長さも形状も不明。吹奏法を門下に教えたわけでもなく、ただ唐から持ち帰っただけ。但し、京都明暗寺の真法流では恭敬(きょけい)・供養の二曲を慈覚大師御作と伝えているのと、帰国の際終始引声の旋律に合う「渋河鳥(しゅうがちょう)」の曲を持ち替えたという説がある。
(値賀笋童「伝統古典尺八覚書」より)
さて、
一体どの史料に円仁が尺八を持ち帰ったと言う事が書いてあるのか、知りたくなりました。
まずは円仁像↓


入唐求法巡礼行記
「838年から847年までの9年間の唐滞在を記録した円仁日記4巻は、後に二つの筆写本によって後世に伝えられた。(阿南・ヴァージニア・史代著「円仁慈覚大師の足跡を訪ねて」より)
ということで、円仁が書いた 『入唐求法巡礼行記』に尺八の記載が無いか探す為に読んでみた!
分厚い!ちょうど3センチ。

最後の遣唐使として船で行くも、色んな困難が待ち受けています。
早速船が座礁したりとか…。行く先々で親切にしてもらったり、してもらえなかったり、何を食べた、御馳走になった、雨が降りだした等々、とても分かりやすく書かれています。旅券が発行してもらえず何日も逗留したり、一日何十キロも歩いたり…。日記からは円仁さんの温厚そうな人柄も伝わって来ます。
五台山で声明を習ったということで、そのあたりを丹念に読んでみるも、尺八の文字が見当たらない…
んー、何でかな…
ネットで調べ直したら、
1212年頃の書かれた源顕兼の『古事談』に、「慈覚大師円仁が、中国五大山で“声明”を学んで帰国し、それを比叡山で普及しようとしたが、音声不足を補うため、尺八でもって『引声阿弥陀経』を吹いた」との記述があるのだ。
(「平成の虚無僧一路の日記」HPより)
という情報が!
『古事談』を調べたら図書館にあるとのこと。
早速行って見ると、なんと分厚い6センチ���ある。。。
またこれを読むのか〜〜〜。
こりゃ大変だと思っていたら、なんと目録にちゃんと「慈覚大師」」の明記がある!助かりました。

(『古事談』内表紙)

(『古事談』の慈覚大師の部分)
ん?
「尺八で引声の阿弥陀経を吹き伝える」とはありますが、中国からの尺八とは書いてないけど…。ま、象牙製の尺八が長らく延暦寺にあったそうなので、正倉院にある尺八と同じようなものが手に入ったのかな。残念ながら今は不明。
ひゃ〜残念。
また謎が残ってしまった…。
しかしながら、
今まで名前しか知らなかった円仁さんのことがこれだけ知り得ただけでも私にはとても幸福なことでした。
↓���ちら円仁さんの唐の旅のことなどがとても分かりやすく書いてあります。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0936105100/0936105100100020/ht000240
↓こちらのサイトに載っている円仁さんの巡礼図。
陸地はもちろん徒歩!何千キロ?

円仁さんが持ち帰った声明について上記のサイトのより↓
声明は,仏教儀式のときに,経典の一部を一定のふしをつけてうたうものです。声楽を中心に行うので,声明といいます。声明は,中世以降,平曲(へいきょく),謡曲(ようきょく・能),浄瑠璃(じょうるり)へと発展しました。
中世以降発展する音楽は、なんと仏教からはじまるんですね。
円仁さんがもたらしたとは初めて知りました。
改めて円仁さんすごい!
さて今回も「知って自己満足!」のミニ講座でしたが、
「はい、ミニ講座終わります〜」と言ってから参加者の皆さん、遠く思いを馳せているようなそんな空気が漂っておりました。
「仏の教を志し慕い仏道を修行する」ために巡礼した円仁さんを見習って、目標持って頑張りましょう♪
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
。。。
3 notes
·
View notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵���⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜��里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦���抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃���慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
8 notes
·
View notes
Link
覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた 「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。(全2回・前編/JBpress) (※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。 ■ 多くの美術品が現存する幸運な国、日本 日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。 隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵略のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどることができる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。 明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。 ■ 「日本美術の特質」への問いかけ このような日本美術史を通覧し、現存する作品群を見ると、中国や西洋などさまざまな外来の美術に影響され、目まぐるしく変化してきたことがわかるが、同時にその底に流れる一貫した日本美術の特質というものが浮かび上がってくる。 たとえば和と漢、あるいは雅と俗という二面性が併存したかのよう見えるが、両者は複雑に融合していた。そして、中国や西洋の美術という外来文化の影響やそれに対する古来の様式という二項対立だけでは説明できない日本美術の独自性があると思われるのだ。 1925年、大著『サンドロ・ボッティチェルリ』をロンドンで出版して評価され、東西の美術について高い見識をもっていた美術史家の矢代幸雄(やしろ・ゆきお)氏は、著書『日本美術の特質』(1943年)において、日本美術の特質は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の4つにあるとした。また、日本美術史の碩学、源豊宗(みなもと・とよむね)氏は、『日本美術の流れ』(1976年)で、西洋美術、中国美術、日本美術を象徴するモティーフをそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」であるとした。日本美術を貫くのは、繊細な秋草の美学だというのである。 日本における中国美術の影響について先駆的な研究を遺した戸田禎佑(とだ・ていすけ)氏は、『日本美術の見方 中国美術との比戦による』(1997年)において、日本美術のもっとも重要な特質は「平面性」にあるとしている。 近年、『日本美術の歴史』(2005年)を書き下ろした辻惟雄(つじ・のぶお)氏は、日本美術の特質を、「かざり」「遊び」「アニミズム」という3つのキーワードで説明しようとした。日本美術にはつねに装飾性が見られ、遊戯性があり、自然崇拝の系譜があるというのである。また、東京大学で辻惟雄氏の後任であり、旺盛な活動を続けている美術史家、河野元昭(こうの・もとあき)氏は論文「日本美術の素性」(2010年)でこうした先学の見解を検証しつつ、日本美術の最大の特質は「シンプリシティー」にあると論じている。いずれの見解も傾聴に値するものであり、的を射ているように思われる。 ■ 縮小する「日本美術の独自性」 18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。 また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。 12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。 明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。 さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。 たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を���映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。 近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。 つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。 宮下 規久朗 JBPRESS 7/8(月) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=2 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=3 >「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、 日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。 笑www この文章読んでいて、宮下 規久朗とかいう美術史の大センセーの、 自虐的なシナ事大主義的な独自性のないアホぶりがわかった。 この程度で大学教授なら、私にでもできそうな簡単なお仕事だなw この時代になっても相も変わらず、日本文化はシナ朝鮮より劣る的な、 或いは独創性はない的な、みたいなシナチョンスタンスの屁理屈を 大学のエラいセンセーがまことしやかに語っているのに笑った。 そもそも、世界のどの時代のどの文化においても、 完全無欠の民族の文化的オリジナルなどというものはない。 シナ文明も大陸の雑多な民族の文化的要素の集合体ではないか。 それを総称してシナ文明だの、エジプト文明だのと称しているだけである。 そしてその文化もまた他の様々な文化的要素と融合して発展し、 同時にまた、他の民族や地域の文化にも影響を与えるのである。 いわば文化文明は相互に影響しあって発展するものである。 それにこの宮下 規久朗とかいう神戸大学のセンセーって、 美術史が専門だそうだが、シナチョンに何か思い入れがあるのか? ちなみにこの宮下 規久朗センセーのツイッターはこんなの・・・ https://twitter.com/kikuroma 現在の大学にはこの手の人士が多いみたいですな・・・ この論評の■ 「日本美術の特質」への問いかけまでは、 いろいろな学者の日本美術の特質の紹介で、それぞれの説にも整合性があり、 またこれらの説のすべてがまた日本美術の特色ともいえるだろう。 問題はその次である・・・ ■ 縮小する「日本美術の独自性」って何なんだ? 宮下センセーの論文に通底しているのは・・・ 日本美術など所詮シナの物真似、 日本美術のオリジナリティなんて、 元々からないも同然なのだから、 特筆評価などする価値すらない、 ・・・ということらしい。
果たしてそうだろうか? >皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を 継承することはほとんどなかったのである。 そうだろうか? 私は浮世絵に代表される日本美術はその後の日本人も立派に受け継ぎ、 欧米の美術界に対しても少なからぬ重要な影響を与えつつ、 その後の日本美術にもまた、それを逆輸入してきた経緯があると思う。 「浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性」は現代日本画の世界においても、 日本のサブカルチュアを代表する漫画やアニメーションの表現においても、 グラフィックデザインの表現にも立派に受け継がれているではないか。 一応宮下センセーは明治以降の日本美術がジャポニズムと呼ばれ、 西欧の美術工芸界に大きな影響を与えた事は認めていらっしゃるが、 このことだけでも美術史における日本美術の価値は特筆に値する。 浮世絵に代表される日本美術がフランス・パリ万博からジャポニズムとして 全欧州に発信され、印象派(新印象派、後期印象派)やアールヌーヴォーが生まれ、 それがさらに発展してアメリカ現代美術に発展した経緯が美術史の流れである。 ジャポニズムがイズム=主義として表されている思想は無視できない。 それはシノワズリーという東洋趣味の流行とは大きく一線が引かれるべき、 いわば西欧美術思潮の一つのコンセプトでもあったからだ。

セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」 様々な角度から描いたヴィクトワール山の連作は、 北斎の富岳三十六景からインスパイアされたらしい。
ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア」 この平面的な色面構成的な表現は浮世絵からの影響だ。

クリムト「接吻」
金箔を多用した大きな空間をとり単純化されたフォルム、 これも明らかに障壁画などの影響がうかがえる作品だ。
中でも西欧美術に影響を与えたのは江戸の町人文化だろう。 しかし宮下センセーはこれとてもシナ文化の影響にあるというが、 一部にそれらしきものがあっても、それがすべてではないと思う。 仮にシナの影響があったからといって、それが何だというのだ? シナの各王朝文化だって周辺の民族の様々な影響があったのだ。 先に述べたように、元来何の影響もなく発展した文化文明など皆無である。 北斎、広重、歌麿などの浮世絵師はもちろんのこと、尾形光琳の琳派系絵師、 伊藤若冲や丸山応挙などは現代美術を先取りしたコンセプトが確立していた。 立体造形でいえば安土桃山時代の織部好み陶器などはまさに現代美術だ。 以下に掲載した当時の巨匠たちの作品には、 現代美術の概念を先取りしたような先進性を感じるが、 宮下センセーのいうようなシナの影響下にあったがゆえに、 日本美術の独自性は縮小(ない)しているのだろうか?

尾形光琳「紅白梅図屏風」 川や梅の木を特徴を残して単純化させる意匠概念は、 のちに日本のデザインにも多大な影響を与えている。



伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」 この絵は升目描きという、升目ごとに色をいれてモザイク画のように表現した。 現代風にいえばドット画像みたいなもので、このような手法は同時代にはない。 あえていえば新印象派のスーラの点描が近いが、概念が全く違う。

伊藤若冲「鶴図屏風」
墨をつかった白線描の作品。鶴の様々な姿態が単純化されたフォルムと
勢いある線の筆勢がいかされた、ある意味現代の漫画にも通じる作風だ。

丸山応挙「大瀑布図」 この絵は円満院というお寺の住職に贈られたものだが、この寺の庭に滝がなかったので、応挙はこの絵を庭木の枝に掛けて垂らし、下三分の一は地面に寝かせて滝つぼを表した。このような平面絵画を立体的に鑑賞するインスタレーション的手法はこの時代になかった。

丸山応挙「氷図」 湖面に張った氷のヒビを線一本のみで見事にあらわした傑作である。 無駄な要素を一切排除した究極の単純化で凍てつく寒さを表現している。


織部好み茶器 武将古田織部のプロデュースとでもいう「織部好み」の陶器は、「へうげもの」と称され、わざと歪めたフォルムや幾何学模様をあしらった伝統や形式にとらわれない実に現代的な表現だ。 ↑ これら一連の様式もすべて、 シナの模倣だというのか!? 以下はほとんど日本美術を腐すだけの屁理屈。 >これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら 影響を与えたことはまったくなかった。 当たり前じゃないか(笑) そもそも・・・ 日本は江戸時代に265年も鎖国をしていた国なのだから、 明治以前に日本の文物そのものが諸外国に輸出されることもないし、 あってもごくわずか、だから影響も与えるものではなかった。 こんな事日本の歴史をみれば高校生でもわかる話だ。 しかしだからそれ何だというのだ? いったい宮下センセーは何が言いたいのだ? この人は文化は影響を与えれば、 「エライ」と思っているようである。 だから明治以前の日本美術はシナ朝鮮に影響を与えていないから、 シナ美術の物真似レベルの評価に値しないものといいたいのだ。 宮下センセーの「影響を与える、与えない」にこだわる意図は何なんだ? じゃあ、明治以降の日本美術は先進国の西欧に大いに影響を与えたから、 すご~く特筆大書すべき価値があって、西欧より優れているということか? そうではあるまい。上述したように「文化は相互の影響で発展するものだ。 どちらの文化は優秀とか劣っているという問題ではないのだ。 宮下センセーの御説はまるで朝鮮人が 「これはウリジナルニダ~♪」というのを思い出す。 ルネサンス期の西洋美術も西域のイスラム教文化や遠くは、 インドやシナの様式にも影響を受けてきたことは近年の研究、 特に田中英道東北大学名誉教授の研究で明らかになっている。 しかしルネサンス絵画がその後のシナ絵画に影響を与えなかった事は、 西欧絵画が明朝や清朝の絵画より劣っているという事なのだろうか? 宮下流のコンセプトで見れば、こういう事ではないのか? さらに首をかしげたくなるのはシナと朝鮮を同列に置いて語っている事だ。 朝鮮など千年以上も歴代シナ帝国の属国属領に過ぎなかった植民地だ。 こんな国にオリジナルがあろうはずがなく、自ら小中華と誇った事大主義国だ。 なぜ宮下センセーはシナと朝鮮を同等に置きたが���のだろうか? 所詮は事大主義のシナの劣化コピー版が朝鮮に過ぎないのである。 まさか小中華思想が日本より優れている?というのではあるまいな?
5 notes
·
View notes
Photo

STORYストーリー
INTRODUCTION
「夢を諦める方法なんて、知らない――」
『憧れのホテルマン』を追って、老舗旅館『柊庵』グループの系列・ホテルオートリへ入社した星谷悠太。
1年間に渡る「五つ星」星社員試験に合格し、
晴れて「五つ星」星社員となったのだが、新年度早々彼らに“新たなる試練”が……!
新年度最初に行われる大型イベント。
それは、引退した鳳たち《歌劇宿乱》が主催を務める≪お茶会≫のサポートをすること。
伝統の『お茶会』開催をめぐり行われるのは、
「五つ星」星社員を有する施設だけが参加出来る開催会場コンペティション。
これを勝ち抜き、選ばれた1施設だけが、≪お茶会≫会場として使用される。
それは「五つ星」星社員としても名誉であり、
老舗旅館『柊庵』グループの系列内で名声を得ることでもあった。
栄光への切符をかけ、星谷たち新「五つ星」星社員は≪開催会場コンペティション≫へ挑む!
就���ドタバタ・エイプリルフールストーリー、再び幕が上がる、その瞬間。
//
第1場:歌劇宿乱本社にて
柊・鳳・楪・漣
「え?」
鳳
「暁が指導した星社員たちは、今回のコンペに参加しないの?」
柊
「またどうして」
暁
「きみたちが支配人を務めていたホテルや旅館とは違って、僕がいた『あかつき高原研修センター』は学校の林間学習や会社のフレッシュマンセミナーに使われる宿泊施設だからね、年度初めの今が一番の繁忙期なんだよ。現に4月5月は予約が埋まっていてとてもお茶会の準備をしている余裕はないよ」
漣
「なるほど。お茶会が開かれるのは4月末……まさにど真ん中というわけか」
楪
「オー、なーんと! 暁のディシプルたちはとっても真面目な働き者。今回のコンペティションを勝ち抜いてボクらのサポート役になってくれたらきっとトレビアンな仕事ぶりを見せてくれると思っていたのに……でもボクのディシプルたちにとっては強力なライバルが1組減りマーシタ! チャンスデース!」
柊
「楪……」
漣
「あなたはこういう催しでは意外な強かさを見せるな……」
柊
「コンペの審査は公正に行わなければなりませんよ?」
楪
「ウィ~、分かってマースよ~」
鳳
「ははは。けど残念だな。ほら、あかつき高原研修センターにはキャンプ場もあるじゃない? 高原におしゃれなテントを張ってガーデンパーティー風お茶会、なんていうのも楽しそうだなと思ってたのにさ」
暁
「そのくらいの突飛なことは、きみが育てた星社員たちも考えそうなことじゃないか。ホテル・オートリがコンペで勝っても、似たようなことをするんじゃないのかい?」
鳳
「なるほど、いいねえ!」
暁
「今のは苦言を呈したんだよっ?」
漣
「何はともあれ、お茶会の会場が決定するまでの1ヶ月弱、彼らは厳しい審査を受けることになる」
柊
「ええ。歌劇宿乱より派遣される調査員が宿泊客を装って、抜き打ちで各施設を訪れ審査にあたることになっています。彼らにとっては、気の抜けない1ヶ月となるでしょう」
暁
「歌劇宿乱の一員としては、肩入れは出来ないけど、」
鳳
「元・上司兼指導者としては、陰ながら応援したい気分だよね」
楪
「ウィ! ボクらみんなのディシプルたち、頑張ってクーダサーイ!」
★次回、『第2場:ホテル・オートリにて』へ続く!?
//
第2場:ホテル・オートリにて
天
「あ~あ~あ~忙しいねえ、まったく」
空
「春休みの繁忙期は終わったじゃねえか」
天
「それじゃない。例のお茶会の開催会場コンペティション対策でてんてこ舞いだ」
空
「あー」
天
「いつ歌劇宿乱の調査員が泊まりくるか分からないからな、おかげでタヴィアンとの同伴出勤も1ヶ月お預けだ……ここまでやったからには何としてもコンペを勝ち抜いてやらないとねえ。フローリスト! いつも以上に豪華絢爛な花を用意して気合いを入れやがれ!」
空
「控えめな花にも良さがある。花のことは俺に任せて、お前は客への態度に気ぃ付けろ。月皇に言われてんだろ?」
天
「ハ、過剰にへりくだるなんざ御免だねえ。お客様は神様だとか言うらしいが、オレ様は天花寺翔様だ!」
空
「……」
星
「おーい、天花寺~! 空閑~!」
那
「おはようっ」
空
「星谷。那雪」
天
「ロビーでバタバタ走るな、野暮助ども」
星
「あ、ゴメン!」
那
「あわわ、ごめんねっ」
空
「どうした?」
星
「これこれ、食べてみて~。那雪がお茶会用に考えた新作のケーキ!」
那
「星谷くんにはさっき試食してもらったんだけど……唐辛子パウダー入れすぎてないか心配で」
天
「また激辛スイーツか。それ客からの評判どうなんだあ?」
星
「美味しかったよ?」
那
「あ、有難う」
空
「お茶会用って……まだコンペ中なのに気ぃ早えな」
星
「だって居ても立ってもいられないよ~」
那
「1ヶ月近くも審査期間があるなんて……何もしてないと緊張しちゃって」
天
「ほら見ろ、やっぱり審査期間が長すぎなんだ」
空
「いっそ拳で決着つければ1日で済むのにな」
那
「ええっ」
星
「ボクシング勝負とか? でもそれだとオレ出番ないかも、多分弱いもん(苦笑)」
天
「そんなもんはお前と柊庵の庭師で勝手にやりやがれ」
空
「漣屋も侮れねえぞ。イノシシ転がすような奴がいるからな」
那
「北原くん……(苦笑)」
天
「!! 空閑、あの野暮助に負けたら承知しないからな!!」
空
「お前、月皇が親の七光りっつわれたの、まだ根に持ってんのか。本人が気にしてねえんだから忘れろよ」
天
「違っ……か、勘違いするなっ! オレは別に仲間のために怒ってるとかそういうんじゃないだからなっ!」
星
「天花寺ってほんと友達想いだよな!」
那
「そうだね!」
月
「やれやれ、何を騒いでいる」
星・那
「月皇(くん)」
空
「噂をすればだな」
天
「フンッ」
月
「おい、星谷。事務所に大きな荷物が届いているぞ。一体何を買ったんだ」
星
「ああ、アレ!」
月
「私物ならきちんと休みの日に自宅で受け取れ。職場を何だと思っている。飼い猫を連れ込む奴とい��……」
天
「アァ?」
星
「違う違う、アレはホテルで使うやつなんだって!」
月
「は?」
那
「アレって……何買ったの? 星谷くん」
星
「パラソル!!」
那・月・天・空
「パラソル????」
星
「もし今回のコンペに勝って、うちのホテルでお茶会することになったらさ! 庭にパラソルいっぱい立てて、お料理なんかも並べちゃって、鉄板なんかも出しちゃって、焼きそばなんかも作っちゃって、来た人みんながお腹いっぱいになって帰れるような、すっっごいお茶会にしない!?」
天
「それお茶会じゃなくてバーベキュー大会だろ!」
月
「やれやれ……」
那
「あはは(苦笑)」
空
「それ、自腹で買ったのか」
星
「うん! 実際、使うことになったら経費にしてもらおうと思って一応領収書もらっといたけど」
空
「コンペで負けたらどうすんだ」
星
「へ?」
星
「・・・」
星
「えーと……考えてなかった」
天
「オイ!!」
那
「えええっ!?」
星
「だ、大丈夫っ! 5人で力を合わせれば、きっと何とかなるよっ! オレは、夢を諦める方法なんて知らない!!」
那・月・天・空
「(きっとノープランだ……)」
星
「さあ、今日も仕事の時間だ! オレたち――」
星・那・月・天・空
「ファイブスターダスト!!!!!」
★次回、『第3場:柊庵にて』へ続く!?
//
第3場:柊庵にて
申
「1に売り上げ、2に売り上げ、3、4がなくて、5に伝統! ハイ!」
辰・戌・虎・卯
「1に売り上げ、2に売り上げ、3、4がなくて、5に伝統!!!!」
申
「今日も我が柊庵が掲げるこのスローガンを胸に留めつつ、同時にお客様のお気持ちを最優先に、各自業務に励んでください。女将、何かありますか?」
辰
「みんな、笑顔を絶やさずにね」
申・戌・虎・卯
「はい!!!!」
申
「ではこれで朝のブリーフィングを終了します。本日も、宜しくお願いします」
辰・戌・虎・卯
「宜しくお願いします!!!!」
虎
「はいはーい、確認だけど、マジ通常通りの仕事でいいんだよな? 今日から例のコンペの審査始まるって話だったけどよ」
申
「その通り。この1ヶ月は我々柊庵の星社員にとって勝負の1ヶ月。ですが気負うことはありません。私たちは常に、全てのお客様に対して、完璧かつ最上級のおもてなしをしています。ありのままの姿を見ていただけばよいのです
辰
「栄吾の言う通りだよ。柊元支配人の教えをしっかり体現して、お客様に心を尽くす。それだけで、十分に特別なことなんじゃないかな」
卯
「虎石くんの女性のお客様への過剰な接客��、ちょっと控えてもらいたいところやけど~」
虎
「はあ? オレより戌峰のが要注意だろ? 歌劇宿乱の調査員が泊まりに来た日に食材なくって夕飯出せねえなんつーことにならねえように、誰かに冷蔵庫見張らせろよ?」
戌
「うん!」
卯
「まあ、普通に考えてこのコンペ、勝つのはうちらに決まって���すけど~」
戌
「なんでなんで? ホテル・オートリ豪華だよ? クリスチアン・パリキラキラだよ! 漣屋強いよ!」
卯
「アホらし。そんなん敵やあらしまへん」
申
「そういえば……さる筋から得た情報によると、あかつき高原研修センターがコンペへの参加を辞退したのだとか」
虎
「え、マジ?」
卯
「なんでなん?」
辰
「きっと、新年度シーズンで忙しかったんじゃないかな。名声よりも、今、手元にある仕事、目の前にいるお客様を優先したんだ」
申
「さすがは実直さに定評のあるあかつき高原研修センターの星社員。同じ宿泊業界に身をおく者として、彼らの考えを支持します」
戌
「じゃあ僕たち、あかつき高原研修センターのみんなの分まで頑張らないとだね!」
虎
「お」
卯
「戌峰くんってたまにいいこと言うやんな」
虎
「それな」
戌
「エヘヘ」
虎
「今のは褒めた」
戌
「ではみなさん、お手を拝借!」
虎・卯
「出た!!」
戌
「柊庵での、楽しいお茶会を目指して~! エイエイ、」
辰・申・戌・虎・卯
「オー!!!!!」
★次回、『第4場:クリスチアン・パリにて』へ続く!?
//
第4場:クリスチアン・パリにて
蜂
「はわわ~っ!」
(ドンガラガッシャン!)
揚
「失礼しました」
蜂
「し、失礼しましたですっ」
揚
「ソウ。転ばないで。お客様の前で」
蜂
「ごめんなさいです、揚羽。はうぅ~」
揚
「行く? 医務室」
蜂
「大丈夫です~」
揚
「ならついて来て、買い物。頼まれたから、お遣い」
蜂
「もちろん、構いませんよ! 何を買いに行くですか?」
揚
「茶葉。ティーフェア、やるって。増やすって、お茶の種類」
蜂
「ああ、お茶会の会場コンペティション対策ですね! フランスは美食の国だけあって高級な食品店がたくさんあるです。本場イギリスの紅茶や、中国茶、日本茶、もちろんコーヒー豆も、きっと色々手に入ると思うですよ?」
揚
「通訳して」
蜂
「任せてくださいです! そうだ。いい茶葉が見つかったら、ホテル・オートリの皆さんにも送りませんか?」
揚
「! ユータに……!」
蜂
「揚羽、今回のコンペで星谷くんと戦うことになってちょっと元気がないですけど、ライバルっていっても敵じゃありません。正々堂々ぶつかり合って、時に優劣がついても、それで終わらずに高め合える、それがライバルです! 素敵なものを見つけたら、おすそ分けしていいって思うですよ?」
揚
「……うん……!」
蜂
「それじゃ急ぎましょ! きっとたくさんお店を回らないとダメですよっ――とっとっっと……はわっ、ぶふぇっ!」
(ドッタン!)
揚
「失礼しました」
蜂
「し、失礼しましたです~っ」
揚
「ドジ」
蜂
「ごめんなさいですっ」
★次回、『第5場:かくれ宿・漣屋にて』へ続く!?
//
第5場:かくれ宿・漣屋にて
北
「いーかテメーら! 今日の予約は2組! 歌劇宿乱の調査員が紛れ込んでるかもしれねーからな、舐められるような接客したら有罪だぜ! 崖の途中でへこたれる奴、薪割り中に座る奴、蝋燭暗いとか文句たれる奴、ジビエ臭え��か言う奴、シャワーないのか聞いてくる奴、虫よけスプレー求める奴はいつも通りケツ叩いて精神鍛えなおしてやれ! ミーティング以上! 解散!」
(シューーーーー)
北
「シュー? 聖、何の音だ」
南
「虫よけスプレー」
北
「オイッ!」
南
「この山、蚊が多いからさー。お前らよく刺されないねー」
北
「刺されてるに決まってるだろーが!」
南
「ええ?」
北
「それでも下界の文明に頼らずに生活するのが漣屋の売りだろーが! そんなナヨナヨしたもん、従業員が使ってるとか有罪だぜ! つーかどこで手に入れたんだ、持ち込み禁止のはずだろ」
南
「アマゾン」
北
「??? いつ外国行ったんだ」
南
「(アホだなー)」
北
「アマゾンっつったらピラニアだろ。いっつも俺が食材調達してんだからよ、たまにはテメーで獲物の一匹くらい捕って来いよ」
南
「お前みたいなガッツある奴がポロロッカとかで命落したら柊庵グループにとって大損失だからな、廉はアマゾンには近づかない方がいいよ」
北
「ハ? 何言ってんだテメー」
南
「今日の食材は何になりそう?」
北
「さあ。出たとこ勝負だ」
南
「ちなみに俺的には、たまには山菜料理Dayとかあってもいいんじゃないって思うけど」
北
「草だけ食ってどうやって崖登り下りする体力つけんだよ。有罪だな」
南
「ちなみに俺的には薪割り、ジビエ、リアルクライミングにドラム缶風呂じゃ、野性味溢れ過ぎててどう考えてもお茶会の開催会場には選ばれないって思うけど?」
北
「経営理念を曲げて勝っても勝ちじゃねーだろ。そんなもん、星社員にとっては試合に勝って勝負に負けたようなもんだぜ」
南
「じゃあせめて、山だからこそ提供できる新しいレクリエーションを考えてみたら?」
北
「レクリエーション?」
南
「子供や女性も喜ぶようなやつ」
北
「………ウリ坊とっ捕まえてふれあい動物園でも作るか」
南
「お前は動物とっ捕まえる発想から離れないと長生き出来ない気がするな」
★今回の更新はここまで♪果たして≪お茶会≫会場はどの施設に!? ※次回更新は20200年4月となります。
#starmyu#high school star musical#officical art#tieriart does stuff#more like tieriart collects stuff
21 notes
·
View notes
Text
第27話 『ある術者の1日 (3) - “日暮れ”』 One day of a necromer chapter 3 - “Nightfall”
薄っすらと曇天の空は透けた月の光で淡く辺りを照らしている。
生き物のすべてが寝入ったような夜の底を『化け物』が上体を大きく揺らしながら歩いていた。
夜行性の動物達がいるはずの森の奥だが、その『化け物』のせいで逃げてしまっているのだろう、聞こえるのは土を踏む不規則な足音だけだった。
右足を一歩踏み出せば、大きく左の上半身が揺れ、倒れそうになるのを堪えじっと立ち止まる。
まるで歩きはじめた赤ん坊のような覚束ない足取りだ。
この『化け物』は姿こそ人間の兵士だったが、肩の付け根から一対の腕と、もう一対の腕がが伸びている。人間より一対多い腕を持った兵士はゆっくりと動いていた。
その体はダレンによって当然感じたことのない違和感を生じさせる。
Buriedbornesの術は既にダレンにとっては馴染んだものだ。
屍体との繋がりは既に改良している。俗に『魔の契約』と呼ばれる技術であり、屍体との精神接続に手を加え、屍体から得られる情報を増やしたり、感覚を過敏にしたりする技術で、今までこの難局を乗り切って来た。
屍者と戦い、そして食料品などの日常的に必要なものも屍体とのBuriedbornesを頼りにしている。
近隣の住民たちがひっそりと運んできていた屍体はダレン達が掘り返し、Buriedbornesの為に消費してしまった。
肉体的に戦える相手ではない屍者が徘徊する世界を生き延びるのに屍体――出来るだけ強いならばなおのこと良い――が必要だった。
だからこそ、マルクの言い始めた恐ろしい提案に乗ることにした。
生き延びなければならない。それに、エミリアを守れなかったのは自分たちに力がなかったからだ。力が欲しかった。後悔しないだけの力が。
エミリアを守るためにも。
力がなければ、手に入れればいい。
改造した屍体の感覚は慣れない。重い上にバランスが悪い。腕のすべてに神経に行き渡らせるためにも試運転をするべきだった。
通常の位置にある腕はかろうじて指先まで動かす事が出来るが、先程繋いだばかりの腕はほとんど飾りだ。
黙々と歩く。
森の中、頭に当たる梢を振り払おうとしてひっくり返ったり、足を取られて手を伸ばそうとして失敗したり、何度も転んだ。4本の腕で起き上がるのは至難の業だったが、その過程を何度も何度も繰り返す。
どれだけ時間が経っただろうか。曇天の空では星の動きも���えず、時間の経過が計れない。
ただ、ダレンはすっかり4本の腕を我が物にしていた。
全速力で駆け出し、飛び上がる。ゴムまりのように飛び上がって、4本の腕で周囲の木々を掴み更に飛び上がる、木立を完全に抜け空を滑空するように着地する。
足だけでは当然折れてしまうので、4本の手も同時に地面につけるのがコツだ。
着地の衝撃はあるものの、体へのダメージはほとんどない。
「……すごい……」
Buriedbornesによって肉体の持つ意識的な限界は突破している、その上に更なる増強をするという事の意味を痛感する。
ダレンは傍らに森に隠していた武器の中から、両手剣を選んだ。
ランスやレイピア、様々な剣などを様々なところに置いてある。適宜必要になった時の為に供えているものもあれば、そこで行き倒れた人間の置き土産のこともあった。
両手剣は、両刃で重量がある。相手の骨まで叩き切ることが出来る代わりに、使いこなすには相当の身体能力が必要になる。
農夫上がりの雑兵の腕力では精々両手でやっと振り回すことが出来るレベルの武器だった。
それが、どうだ。
ダレンが慣れない方法で接続した4本腕は、軽々と両手剣を持ち上げる。子供の背丈ほどあるその剣は、羽箒よりも軽く感じた。
信じられない。
筋肉を移植し、改造しただけでこんなに変わってしまうものか。
ぐるりと頭上で剣を回す。バサバサと木の葉が分断されて落ちてくる。
次はしっかりと構え、大きく踏み出した。
剣の重みも利用して、体を回転させて空を抉るように掻き切る。
手ごたえがあった。
見事な枝ぶりがいくつも切り落とされ、ダレンが過ぎた辺りにはぽっかりと道が出来ている。
木に咲く名前も知らない花に、連撃を加える。
風の音の後に無残にも散った花びらが、既に地面を覆っていた枝葉の上に満ちる。
「……これは、行けるんじゃないか?」
感じたほどのない充足感。
継ぎ足した手のひらを見つめる。既に違和感のなくなったその手のひらは、ダレンの思い通りにゆっくりと握り締められる。
感触もしっかりある。
これだ。
これなら、きっと……
ごくりと生唾を飲んだ時、唐突に体に衝撃が走った。
すわ敵襲かと辺りを見回した時、意識に独特に走り始めた靄に気が付いた。
体を揺さぶる気配が強くなり、引きずられるように意識が浮上する。
――目が、覚めるのだ。
森の中にいたはずだが、目覚めた時は薄暗い研究室だった。燭台の頼りない灯りでさえも、目に痛く、つらい。
強制的な目覚めは激しい身体的な不快感を伴う。
「……う、うう……」
「お前! 何した!」
怒号に近いヘルマンの大声に、ダレンは頭を抱えて苦しむ。
込み上げてくる吐き気を堪えるので精いっぱいで、ヘルマンの表情を見る余裕すらない。
そんなダレンの様子を気にすることもなく、ヘルマンはその肩を強く揺すった。
「おい! ダレン!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえている……、頼むから少し抑えててくれ」
「よくも、この状態でそんなことが言えるな」
そこでようやくヘルマンの顔が蒼褪めていることに気が付いた。
ダレンはすぐに自分の状況を理解した。
鼻につく嗅ぎなれた臭い。屍体とは言え体の中に残っていた血は流石に流れ出る、その血が錆びた強烈な臭いを放っている。
見れば、自分の体は血や汗で汚れている。
その上、腕のない屍体が倒れた辺りから、開け放たれたドアまでは何かを引きずったような跡が残っていた。
――ヘルマンは気付いている。ダレンが禁忌を冒したことを。
「頭が割れるように痛い」
負荷が強すぎた。
慣れない4本腕を扱った上に、そもそも改造手術までした。
限界だ。
ダレンが頭に手をやると、激高したヘルマンがその手を弾いた。
「何をするんだ、ヘルマン」
「そっくり同じ言葉を返すぞ、ダレン。お前を見損なった」
「……見損なう?」
「お前はマルクほどおかしくはなっていないと思っていた」
おかしいとはなんだろうか。
屍体を改造したことか、この世界が滅んだことか、そもそも、自分たちが生き延びたことか。
「成功した」
ぽつりと告げる。
「森の奥に接続が切れた状態で倒れてると思う。埋めなくちゃ」
「そんな必要はない!」
「あるだろう。残り少ない屍体だ。しかも、両手剣だって軽々使える」
「許されない事だと、あれほど言ったはずだ!」
ヘルマンが怒れば怒るほど、ダレンは冷静になっていった。
屍体から切り離した瞬間から、その物体は『パーツ』でしかなかった。
そして、その『パーツ』を接続するだけで、劇的に戦闘能力は上がる。その分処理すべき情報が多くなり、屍術師としてダレンに求められることは増えるが、そのリスクを補って余りあるほどのメリットがあった。
あれほどまでの強さがあれば、屍者と対等以上に渡り合える。
今まで戦闘では恐怖が勝る場面も多かったが、ダレンには確信があった。あの体なら、パー『パーツ』によって強化され、更にその身体性能への信頼から、自分自身も安定した操作を可能に出来る。『パーツ』を腕ではなく足にしたら? 組み合わせ次第で恐らく得られる能力は無限に近く増える。
「……これしかないんだ、ヘルマン」
内心で考え込んだ言葉を押し殺して、静かにダレンはそう言った。ヘルマンは途端に顔を真っ赤にさせて、睨みつけてきた。
「人の命を弄ぶことに、何も感じないのか!?」
「……それを俺に言うか?」
ダレンの乾いた笑いに、ヘルマンは一瞬怯んだ顔をした。
「元々、人は人を殺す。戦争でなくても、意味がなくても、嬲り殺すこともある」
「……」
親を目の前で人間に殺された。確かに領地を争う戦争で、あの辺りは貧しい地域だっただろう。だが、戦争とは関係ない兵士たちの略奪行為で家族は死んだのだ。
もしかして、嬲られたのかもしれない、あの頃の小さなダレンは物陰に潜んでじっと動かないことしか出来なかった。
人間は人間の命を弄ぶ。そして、ダレンはずっと弄ばれる側だった。
このまま何もせずにいれば、自分達3人は弄ばれる側のままだ。
それはきっと、エミリアも……
だからこそ、もう弄ばれる側にはならない。怯えて生きる必要がなくなるのだ。
ヘルマンのように街で恵まれて育っていたのなら、ダレンもきっと屍体を切り刻む人間を理解できなかったかもしれない。
だが、
「生き残るためだ。俺たちが全員で生き残らなくちゃ意味がないだろう?」
ヘルマンに語り掛ける。自分自身にも言い聞かせるように。
だが、ヘルマンは首を振る。
「そこまでして生きるのか? マルクにも言ったが、俺は絶対に反対だ。理解出来ん」
「エミリアを誰が守るんだ? 力がここにあるのに、まざまざと蹂躙されるべきだっていうのか?」
「ダレン!」
「ヘルマン、今は理想だけじゃ何も出来ない」
「……ダレン貴様ッ!」
ヘルマンが拳を振り上げる。
不思議と逃げようと思う気持ちも起きなかった。殴られて当然だと囁く自分もいる。
「へ、ヘルマン!?」
ただ、ヘルマンは結果的にダレンを殴ることはなかった。
起きてきたマルクが慌てて、2人を引き剥したからだ。
「一体何を――」
そうと思うとしたマルクが息を飲んだ。
そして、研究室を見回して、ダレンを見た。
「試したんだね!」
一言だけだった。確信に満ちたその問いにダレンもヘルマンも反応しない。
「ヘルマン、僕はダレンのことを責めない。いつかやるべきだったことを、今、やってくれただけだよ」
「マルク……お前正気なのか? 見てみろ、あの屍体を! ダレンが切り落としたんだぞ、腕を!」
「接続した方の体はどこにあるの? 血の跡、外か。もう埋めたの?」
「いや、途中でヘルマンに叩き起こされたから森の中で倒れてるだろう」
「そんな! 勿体ない!」
マルクは無邪気な子供のように声を上げる。
2人の淡々とした、完全にその方法を受け入れ切ったその態度にヘルマンはじりじりと後じさりした。
「――お前達、頭がおかしくなったのか?」
ヘルマンは信じられないものを見るように、2人を見下ろしている。
「その内、エミリアも使うようになるぞ」
呪詛のようにそう漏らしながら、ヘルマンはふらりと研究室から外に出て行った。
「ヘルマン、外は危険だ!」
屍者も魔物もいる外に生身のまま出て行くなんて、殺してくれと言っているようなものだ。
咄嗟に追いかけようとしたダレンをマルクが止めた。
「きっとあの墓地だ」
エミリアの元へ向かったのだろう。
ダレンも頷く。
「だからこそ、早く追わないと」
「Buriedbornesを使おう、生身で向かうのは僕たちだって危険だから」
「そんな悠長な時間��……!」
「ダレン。全員が死んだら、それこそ意味がないじゃないか。今のだって、みんなで生き延びるために必要だから議論したんじゃないの? 全員じゃなきゃ意味がないよ」
マルクはそう言い切って俯いてしまう。
自分よりも小さな肩が震える。いつも術を支え、新しい知識を持ってきた年下の友人だ。
昼間だって、ダレンがいたから生き延びた、これは神の導きだと熱く語っていた。
誰よりも知識に秀でたマルク。ただ、彼はずっと変わっていなかった。どうしていいのか困り果てると、一番先に弱音を吐き、泣きべそをかいたのはマルクだった。
泣き虫マルク、と呼ぶエミリアの柔らかい声が蘇る。
4人で遊んでいたあの広間や図書館が、ありありと思い出された。
自分に出来ることは少ない、だが、生き延びるために、エミリアのためにまだ出来ることがあるはずだ。
「分かった、マルク。Buriedbornesの準備をしてくれ」
「うん、少し待ってて!」
墓地は夜とは思えない賑やかさで、白々と明け始めようとする空の下、おぞましい姿を見せていた。
急ぎそこにあった屍体をBuriedbornesにして追いかけたもののの、時間がかかってしまった。
「……ヘルハウンドだ」
マルクの声がはっきりと脳に響く。
墓地の中を黒い影がうろついている。そこかしこから唸り声が上がり、ダレンは足を止めた。
黒い影のように見えた犬型の怪物は『何か』に群がっている。
「ヘルマン……」
マルクが先に状況を理解したようだ。
「まさか」
一瞬意識が遠くなる。
まさか、そんな。
信じられない。
ヘルハウンドの荒い息遣いとともに、肉を噛み千切る粘着質な音がする。
背筋が粟立った。
あの中にいるのは、ヘルマンだった『もの』だ。
まだ人の形はしていたが、喉や腹は無残にも噛み千切られ、臓物が周囲に撒き散らされている。
数頭のヘルハウンドが無我夢中になりながら、我先にと腕や足を奪い合っている。
吐き気がするが、胃液すら分泌されない屍体の体では吐くことは出来ない。
この墓地のことは隅々まで知っている。
ほぼ毎日通い、3人で新しそうな墓を見つければ掘り返した。ただ、来るのは決まって昼間だった。夜に出てしまえば魔物がやってくる。太陽の光に守られ、それぞれ武器を持ちながら、恐る恐る墓場に来るときも、ヘルマンはダレンたちを叱咤し、先頭の露払いをしてくれていた。
墓標とも呼べない粗末な墓のほとんどは自分たちで暴いた。まだ手付かずの墓のほうが少ないことは分かっている。
そんな墓の中、ひとつだけきちんとした墓がある。墓標も刻み、花を植えたそこだけが華やか。
エミリアの墓だ。
「エミリア……!」
エミリアの墓の前、そこに植えたはずの花は踏み倒され、ヘルハウンドたちがうろついている。
傍らには折れたスコップが落ちている。ヘルマンが墓を掘り起こそうとして襲われたのだろう、墓穴が浅くなっていた。
「そんな、エミリア!」
彼女は墓から引きずり出され、上半身が地上に露出していた。
エミリアの安らかな眠りを妨げる者が誰であろうと許さない。
ダレンは駆け寄って、折れたスコップを手に取り、ヘルハウンドたちを追い払う。
スコップに打たれたヘルハウンドはけたたましい鳴き声をあげて吹き飛ばされたが、すぐに体を反転させて着地した。
頭を低くし、牙を剥き出しにして唸るヘルハウンドは、泡を吹きながら突進してくる。
すかさず、ダレンはスコップの先でその牙を受け、腹を思い切り蹴り飛ばした。
「ダレン、��の隙にエミリアを!」
マルクが叫ぶ。
「ヘルマンもいるぞ!?」
「その兵士の屍体でどうやって2人を連れ帰るの! 1人が限界だ!」
ヘルハウンドの数頭はまだヘルマンを夢中で貪っている。エミリアを狙っていた数体は、ダレンのスコップを受けて距離を取ってにらみ合う格好になっている。
(……確かに、この状態ではどちらかしか助けられない……)
そう思えば、腹は括れた。
「……すまない、ヘルマン」
聞こえることはないと知っていても、呟かずにはいられなかった。
エミリアの腕を掴み、一気に体を引き抜く。
土に汚れてはいたが、埋葬時の手入れが功を奏したのか、虫もたかっておらず、肉も落ちていない。君はあの日のままで美しかった。
穏やかに目を伏せている彼女の背と膝の裏に腕を入れ、抱き上げる。
「ダレン! しゃがんで!」
マルクの声に咄嗟に体勢を低くすると、後ろから迫っていたヘルハウンドが火を吐きながら襲ってくるところだった。
咄嗟に片手でスコップを力任せで横に薙ぎ、鋭い錐状の刃先がヘルハウンドの腹を抉る。
「本当にすまない、ヘルマン」
もう一度叫ぶように詫びて、ダレンはエミリアを抱えたまま、墓地から逃げることしか出来なかった。
~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
ある術者の1日 (4) - ”新しい夜明け”
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
2 notes
·
View notes
Photo

千百余年の願い込め 真言密教の歩み追想(京都・醍醐寺展特集)
日本経済新聞
京都・山科盆地にある真言密教の一大拠点、醍醐寺には膨大な数の仏像、仏画や聖教(しょうぎょう=経典)が守り伝えられている。それら密教美術の至宝を紹介する特別展「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」が東京と福岡で開催される。開山から1100年あまり、人々が御影に祈った安寧への思いは、時を超えて今も拝む者を包み込む。
国宝「薬師如来坐像」(部分)平安時代 10世紀 醍醐寺蔵=画像提供 奈良国立博物館(佐々木 香輔撮影)
「密蔵深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画を仮(か)りて悟らざるに開示す」。唐から日本に密教を伝えた空海の言葉だ。唐での留学を終えて帰国した際、朝廷に提出した報告文「請来目録」に記してある。
「密教の教えは奥深く、言葉で表すことはむずかしいので図画を使って教える、という意味です。この言葉に従って真言密教はビジュアルを重視してきました」。寺宝管理に長年携わる同寺の公室室長、長瀬福男さんはこう語る。
寺宝122件紹介
桜の名所としても知られる醍醐寺は貞観16年(874年)、空海直系の弟子、聖宝(しょうぼう)が「醍醐味の水がわき出る」とされた笠取山に開いた。笠取山頂に広がる上醍醐と山裾に広がる下醍醐に分かれた広大な寺域には国宝6棟、重文10棟をはじめとする堂宇が立ち、約15万点もの寺宝が伝わる。
仏像や仏画、修法(すほう=儀式)の次第を記した文書、経典といった国宝は約7万6千、重要文化財は400を超す。今回の特別展は2会場合わせて39の国宝、58の重文を含む122件を紹介する。
「醍醐寺は真言密教の一大拠点。伝わった密教美術は圧倒的な質と量を誇ります。今回の展覧会では密教美術の濃厚な世界と、それらが生まれた背景を見てほしい」。サントリー美術館の佐々木康之学芸員(日本彫刻史)はこう解説する。
展覧会場でまず目をひくのが国宝「薬師如来坐像(ざぞう)」。台座を含めると高さ3メートルを超す威容を誇る。10世紀初め、醍醐天皇の発願で造営された上醍醐・薬師堂の本尊だ。堂々とした体つきにふくよかな顔、大きな鼻と分厚い唇。「大振りで男性的。平安初期の仏像ではなく、奈良時代と造形の方向性が同じです」と佐々木さんは指摘する。

重要文化財「如意輪観音坐像」(10世紀)は頭を傾け、右手の指を頬に添えて思惟(しゆい)する体勢。膝を立てて座り上体を傾けた何とも優美な姿は、日本の如意輪観音像の代表作と呼ばれる。聖宝の弟子で座主となり、密教の重要経典「大日経」の注釈書「大日経疏(しょ)」を研究した観賢(かんげん)の思想が右手の表現などに反映されているという。
日本風の始まり
唐の影響を強く受けた平安時代前期の仏像、国風文化をまとった平安後期の仏像はそれぞれ人気が高い。それに対し平安中期、10世紀の仏像は従来あまり注目されなかった。だが「近年、再評価が進んでいます」と佐々木さん。「日本の古典に範を求めた像あり、日本の僧による経典の解釈にのっとって造られた像あり。日本独自の文化が生まれつつある様子が造形からうかがえ興味深い」
一例が重要文化財「五大明王像」(10世紀)。観賢が建てた上醍醐・中院の本尊だったとみられる像だ。5体そろう五大明王像では東寺講堂に伝わるものに次いで古く、東寺の像を規範に造られたとみられるが「儀軌(儀式の規定)にのっとって改変されています」と佐々木さんは指摘する。

異彩を放つのがアンバランスにも見える大胆なポーズだ。佐々木さんは「金剛夜叉明王像をはじめ四明王のアクロバティックともいえる表現は当時、実験的だったはずです」と強調する。重々しく緻密な造形が多い平安前期と、手足が細長く伸びやかな表現の平安後期とをつなぐポジションに位置付けられるという。
密教では現世利益の実現を重んじ、加持祈祷(かじきとう)など修法を実践する。本尊として仏画や仏像は欠かせず、鎮護国家や厄災の調伏、雨乞いなど目的別に様々な仏画・仏像が制作された。複数の顔と腕を持つ「多面多臂(ひ)」、憤怒の形相、青や赤の鮮烈な色彩。魔や怨敵を退散させ煩悩を焼き尽くすために、力強い独特の表現が採られた。

効験高める研究
国宝「五大尊像」は12~13世紀の作。両目を見開き下唇をかむ形相が力強い筆遣いで描かれる。平安時代の画僧、円心の作品を手本にした「円心様」とされる。醍醐寺には円心の真筆や円心様の図像が複数あり、後白河法皇が同寺に行幸した際に進上した記録も残る。
「修法の効験を高めるにはどんな図像を本尊にすればよいか、宗派や流派を超えて情報を集め研究が重ねられました。祈祷を頼むスポンサーから『これでお願いする』との要望もあったはずで、円心様の仏画は人気があって重用されたのかも」。九州国立博物館の森實久美子主任研究員(仏教絵画史)は推察する。
仏像や仏画の形を墨だけで描いた白描図像はこうした研究の成果。仏像や仏画の設計図となった。森實さんは「醍醐寺に伝わる膨大な数の白描図像から、寺の権勢と宗派を超えた広い人脈がうかがえます」と指摘する。

重要文化財「不動明王図像」(信海筆、弘安5年=1282年)は同寺の白描図像を代表する一つだ。墨の濃淡や線の太さを巧みに使い分け、荒海にそそりたつ岩に立つ不動明王を描く。あちこちに修正した跡が残り、試行錯誤した様子が見て取れる。描かれたのは2度目の蒙古襲来の翌年。元軍撃退や和平を祈願したとの説がある。
2016年、中国の上海と西安で、醍醐寺の寺宝を紹介する展覧会が開催された。長瀬さんは寺側の思いを「空海が唐で教わった密教が今も日本で守られていますよ、と中国の人々に伝えたかった」と説明する。心配もあった。「あちらが本家。きちんと評価してもらえるだろうか」。だが全くの杞憂だった。延べ80万人以上が来場し、展覧会は大成功を収めた。今回の特別展は中国展開催を記念して開かれる。
空海の「メモ」

寺側が特に思いを込めて出展するのが国宝「大日経開題」。密教を修学していた若き空海が「大日経疏」から大事なポイントを抜き書きしたメモと考えられている。さまざまな質や寸法の紙を貼り継いであり、楷書と行書、草書が混在する。「字の間隔も書体もばらばら、気取りが全く見えません。日本の真言密教はここから始まったのです」と長瀬さんは語る。
中世以降、醍醐寺は足利将軍や豊臣秀吉ら時の権力者の帰依を受けた。華麗な文化の中心となった当時のきらびやかな品々も展示会場を彩る。
寺宝を保管する収蔵・展示施設「霊宝館」には多くの参詣者に加え国内外の研究者や僧が絶え間なく訪れ、調査や研究に取り組む。千年を超える時を超えて���えられた品々は、現代の文化を豊かに彩り、祈りを込めて次代へと受け継がれる。
(竹内義治)
「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」開催概要
【東京展】 会場:サントリー美術館 会期:9月19日(水)~11月11日(日) 火曜日休館
主催:総本山醍醐寺、サントリー美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSジャパン
【福岡展】 会場:九州国立博物館 会期:2019年1月29日(火)~3月24日(日) 月曜日休館
主催:総本山醍醐寺、九州国立博物館・福岡県、TVQ九州放送、西日本新聞社、日本経済新聞社、BSジャパン
21 notes
·
View notes
Text
修学旅行3日目その③
遣唐使ふるさと館にて美味しい昼食をいただきました。修学旅行の最後のご飯は五島豚、かんころもちなど、五島の食を楽しめるメニューで、みんな完食でした!
午後は、昨日のピザ作りでもお世話になった「小さな村」にて、曼荼羅アートに取り組みました。ドットペンを使ってアクリル絵の具を素材に乗せていきます。アートに没頭できるひとときとなりました。
現在、奈留島へ向かう船の上です。修学旅行はこれで終わってしまいますが、私たちの学びはこれからも続きます!










0 notes
Text
九州国立博物館 文化交流展示室

九州国立博物館の文化交流展示室を見る。ところどころ変則的な箇所もあるが、基本的には古代から順に時代を追って展示品を見ていく形になっている。文化交流と名付けられていることからもわかるように、文物の交流、交易に着目した展示内容である。
編物圧痕付土器片。土器作成時に編物製の台座を用いたことがわかる、めずらしい例とのこと。こんがり焼けて美味しそうに見える。

注ぎ口を男性器に見立てた注口土器。注口の下に突起がふたつあるのがわかる。

西日本と東日本の埴輪を比較するコーナー。西日本の埴輪は省略やデフォルメが著しいのに対し、東日本のものは写実的な表現がなされている。


見かえりの鹿型埴輪。振り返る仕草がかわいいが、狩りをする人々に気づいた瞬間を表現したものらしいので、つまりこれから狩られる運命にある。

マグカップのような須恵器。形がいい。

大小の円筒埴輪。

平安時代の木製人形(ひとがた)。無病息災を願ったのかもしれないし、人を呪うのに使ったのかもしれない。

アジアの海を渡った交易品の展示。下の4点はいずれもイランのもの。




遣唐使船を模したコーナー。日本からは椿油、砂金、真珠など各地の産品を持って行く。



日本に持ち帰るのは、経典、書、香料などの文物。



戦国時代の鍼治療の教科書、針聞書(はりききがき)。病気や痛みの原因をさまざまな「虫」として解釈している。当時は大真面目にこれを学んだのかもしれないが、現代人の目にはとにかく愉快な仲間たちとして映る。ミュージアムショップでも虫の皆さんのグッズが充実していた。

足利義政所持と伝わる天目茶碗。これはその輝きの具合から「虹天目」と呼ばれる由。

中世の貿易の様子を窺い知れる展示、国際貿易都市・博多をフィーチャーした展示も。



日本刀も重要な交易品だった。下は無銘則房。

長崎青貝細工のフリーメイソン螺鈿箱。

葛飾北斎の日新除魔図。北斎が仕事でなくプライベートで厄除けのために描いたもの。



見学終了後にミュージアムショップで買い求めた「虫」。種類がたくさんあるのでいつかコンプリートしたい。

0 notes
Photo




豆州下田(下田開国博物館) Zushu Shimoda, Japan (SHIMODA HISTORY MUSEUM)
昔、下田への日帰りでは、伊豆急下田駅から、玉泉寺(最初の米国領事館開設など、幕末・開国の舞台)、宝福寺(日米和親条約交渉での日本全権本陣、下田奉行所、唐人お吉の菩提寺など)、下田東急ホテルなどを巡りました。今回は、下田開国博物館に絞って行ってみました。
こちらは、以前は有限会社として、つまり民営の歴史資料館「豆州下田郷土資料館」として運営されていたそうですが、経営的に行き詰まり、数年前に「下田開国博物館」としてリニューアル・オープンされたとのことです(現在の組織・体制は分かりません)。資料館は二棟あります。下田でよく見られる白い「なまこ壁」の目立つ建物です。入り口から入った最初の建物は、幕末・開国とは直接関係ない下田の紹介でした。次の建物(「豆州庵」)の2階が幕末・開国の資料館です。こちらには、昔、高校の日本史の教科書に良く出てくるような人物の画像やエピソードがたくさん紹介されていました。あまり知らなかった人といえば、「日本における商業写真の開祖 下岡蓮杖」さんでしょうか。
印象的だったのは、1860年日米修好通商条約批准書交換のためにアメリカに派遣された幕府の使節団の写真です。正使・副使・目付の3人の面々は、いずれも「・・・・守」の肩書を持つサムライです。3人は、確か30歳代が二人、40歳代が一人と若いのが非常に印象的でした。使節団はアメリカの軍艦で往路は太平洋を横断、帰路は大西洋横断・アフリカ喜望峰経由で帰国しました。世界一周です!日本人には良く知られている咸臨丸が往路で随伴し、勝海舟・福沢諭吉・ジョン万次郎などが乗船していました。
見学コースの最後は1階の「豆州庵」ですが、昔はミュージアムショップ! 今はふつうのお土産屋さんでした。
私もよく分からないのですが、幕末の開国事情についてまとまって見られるのはやはり下田なのでしょうか?「国立公文書館、デジタル展示『激動幕末 -開国の衝撃-』」もありますが、ネット検索をしてもあまり出てこないような?
SHIMODA HISTORY MUSEUM JAPAN November 2020, CONTAX645 Phase One P30+ Distagon T* 55 mm F3.5 We can look at the enlarged images clicking the original ones.
0 notes
Text
200題(カメリア)
めちゃくちゃ暇な人向け。
●キャラについて語る200題
01:身長/体重 157cm/45kg
02:字のうまさ 文字が小さくて丸っこい字。よく綴りは間違えている。
03:絵のうまさ 自称うさぎが変なクリーチャーに見えるくらいには絵心はない。
04:歌のうまさ 音痴ではなさそうだけど自分の歌声を聞かれるのは若干恥ずかしい。 昼間はお客さんがいない時には鼻歌とか歌を歌っているかも。
05:視力 視力はいい。特に夜目が効く。
06:香り 花に囲まれているし、フローラルな香り。
07:声質 ちょっと高めの可愛い声?CV当てていただいたので 三森すずこさんの役とか歌聞いた感じの私の感想なんですけど。 ラブライブの海未ちゃんくらいしかまともに聞いたことがないのですが、 どちらかというと三森すずこさんの元気な女の子役のイメージなのかも?
08:髪質 やわらかくて細かい、プラチナブロンドの髪。毛先に行くにつれてゆるくウェーブがかっている。
09:美人(美形)度 顏が良いプロバンス兄弟の一人なので整っているのかなと。 昼の方が美人には見える…。
10:プライド 結構一度決めたら貫くタイプなので高い。
11:ハマっていること 枯れてしまった花でドライフラワーを作ること、商品に出せない花を押し花にしてしおりを作ること。出来は微妙。
12:チャームポイント おくち(・ω・)
13:甘党辛党 甘党。
14:自己紹介の内容 昼「カメリア・プロバンスと申します。兄と弟と一緒に花屋をやっています。よろしければお越しください^^」 夜「グッドイーブニング!皆ご存知の怪盗ブーケ参上~!!今日もこの花と引き換えにお宝を取り戻すからよろしくね!」
15:最近の悩み クロワッサン頭のケーサツちゃんによく怪盗活動を邪魔される。当たり前だ…
16:嘘の内容と上手下手 嘘も欺くのも平気、むしろ武器かな…怪盗だしね(?) 本音はあまり見せない。
17:給料(小遣い)の額 自営業どうなんだろ?お兄ちゃんが生活費とは別に少額でもきちんと分配してそうだけど…。
18:特技 瞬間鍵開け。ろくでもねぇ…
19:寝相 よ、横向き? 夜活動した後疲れてるときはうつぶせに突っ伏してそうでもある(笑)
20:最長不眠時間 24時間が限度。お肌にもきっとよろしくない
21:平均睡眠時間 普通に疑問だけどあの世界皆寝てるの??? 怪盗やっているのは毎日ではないと思っているので何もない日は7時間くらいは寝ているのではと 思っているのだけど。警察側はそうもいかないのかなと…大変そうだ(小並感)
22:パジャマ シンプルなネグリジェ、生地は薄い。
23:鞄の中身 昼:持っていない。 夜:脱出用小道具、鍵開け用のピックとかは隠し持っている。
24:いつも身���つけているもの 花の髪留め
25:休日の過ごし方 兄弟で買い出しとかちょっとしたお出かけしていたらいいなぁ。 買い出しの途中でたまにトレモロとかでお昼してたら私は幸せ。
26:毎日の習慣 花に水やり、そして毎日どこかでへまをする。
27:集めているものと所持数 リボン。花束用に使うリボンとかの余ったやつを集めている。
28:心から気を許している人 うーん…家族以外はいないかなぁ
29:会ったことがないけど気が合いそうな人 フォロワーかよ…笑
30:本気で嫌っている人 お金を持っているだけでただ威張っている人たち。権力をかざして弱者を虐げる人たち。
31:警戒する人への態度 基本的に普段通りに接するけど 隙を見せないようにしたり、その場にいたら見失わないように視界の端で追ったりはしそう。
32:尊敬する人 幼少期に読んだ絵本の主人公の怪盗
33:客観的に見た性格 昼:落ち着いてて穏やかそう 夜:子供っぽい(笑)
34:他人に持たれている印象 ローカルアイドルっぽい
35:プレゼントしそうなもの 無難にブーケか押し花のしおり…後は大穴で手料理。 36:貰うと喜ぶもの 何でも喜ぶけど、花束かな。
37:お礼を言うときの言葉と態度 昼「まぁ、ありがとうございます!」ってニコニコしながら嬉しそうに 夜「気が利くわねサンキュー!」って軽く言ったり 「あ、ありがとう…」って少し恥ずかしそうに言ったり
38:謝り方 昼「きゃっ!ごめんなさい!私ったらまたやっちゃった…」って申し訳なさそうに 夜「今日も私の勝利みたいね!ごめんね~!!」多分思ってない
39:足の速さ 夜は速い。身体が軽いのか、軽やかにちょこまかとぴょんぴょん飛び回るイメージ。
40:勘の良さ 鈍い。特に自分の事になると。
41:器用さ 怪盗関連のあれこれ以外は基本的に不器用。
42:礼儀正しさ 花屋店員やっているときはそれなりに。
43:涙もろさ/泣く頻度 幼少期とかは弟と兄弟喧嘩したときに泣いてそうだけど 両親が亡くなってからはあまり泣いてないです。
44:大人度/子供度 大人になろうとしてるけどまだ子供
45:オシャレ度 こだわりはなくあまり気にしてない。服は箪笥に入ってた母の昔の服を主に使っている。 でもひそかにコレットちゃんのお店は憧れ…
46:ロマンチスト度 奪還屋みたいな怪盗やっている時点で結構高いのでは?
47:負けず嫌い度 高い。ムキになるし負けるとめちゃくちゃ悔しがる。
48:子供好き度 子供は好き、ただ純粋すぎてあまり自分からは接しない。
49:他人の外見を気にする度 あまり気にしない。本人が好きなものを着ればいいと思う。
50:ツンデレ度 ちょっと夜はっぽい…
51:知名度 怪盗ブーケをよろしくね☆!!!
52:気持ちが顔に出る度 夜は結構表情豊か。嫌そうな顔とかすぐしちゃう(笑)
53:ボケ度ツッコミ度 昼:ボケ 夜:ツッコミ
54:ワガママ度 口には出さないけどそれなりに…?
55:友人が愚痴ってきたら 友人いない疑惑が私の中で高く…
56:旅行するなら プロバンス(フランス)のラベンダー畑
57:疲れたときは 何も考えず咲いてる花をぼーっと眺める
58:他人にされると嫌なこと 身近な人が悪く言われてるのは好きじゃない。 あと、咲いてる花を踏んでいく人たち
59:恐れていること(もの、人) 捕まること
60:言われ慣れていること 「また?」(やらかした時) 「出たな怪盗ブーケ!」(出くわした時)
61:無人島に三つ持って行くなら 瓶とペンとメモ帳 無人島に咲いているかもしれない花と植物をできるだけ記録して死ぬ。
62:秘密の数と内容 秘密♡
63:実現不可能な願い 殺人のない世の中になること 弱者が虐げられず、皆平等に生きられる世の中になること。
64:神や悪魔の存在について いないと思っている。いたら両親だって生きているはずだから。
65:幽霊の存在について 信じていないけど、未練を残して死んだら化けて出そうとかは言いそう。
66:虫嫌い度 花屋なので好きではないにしてもまぁまぁ平気。G以外は…
67:好きな時間帯 花が咲いている昼間
68:現在までの経歴 あまりにもふわっとしか考えてないためわからなくて… ��校とか行ってたのか微妙で?行けた? とりあえず名護さん設定でカメリア4歳の時に両親が何者かに殺されて 亡くなっている事だけ(事故死って兄に言われてるけど) 15前後から花屋の手伝いやってるんじゃないかな(適当)
69:幼少時代 どちらかというと今の夜姿が近く、結構元気で物怖じせずやんちゃ。
70:二年前 きっと花屋にいる
71:黙っているときの雰囲気 美人
72:トラウマやコンプレックス コンプレックスは昼間が無能なこと
73:暑がり寒がり 暑がり
74:目と髪の色 目は赤。髪色は兄弟お揃いのプラチナブロンド。
75:似合わない服 カッコイイ服…とか男らしい服?スーツは似合わなそう。 でも遊びでヴォルフラムさんの女装の対で男装とかはさせてみたいね!
76:怪我する頻度と原因 昼間に何もないところでつまずいて転ぶなどのくだらない理由で小さい怪我はしてそう。 77:スタイル/体つき 良い。細身でグラビア体型
78:服の選び方 母のおさがりなので、流行り要素などはなさそう…
79:喧嘩を売られたら 基本スルー。無用なことにはかかわらない。でも、しつこいと買っちゃう。
80:将来の子供の数 男の子2人女の子1人欲しいという…願望だけなら・・・
81:何歳まで生きそうか なんとなく両親が死んだ年齢よりは長生きしたいとは思っている。
82:機械操作 アナログ人間なもので
83:自信 ある。特にビオラくんとタッグ組んでるときは基本負ける気がしない。怪盗ブーケは最強だもんね。
84:自分の好きなところ 決めたことは貫こうとするところ
85:自分の嫌いなところ 頑固ゆえあまり柔軟な考えができないところ
86:好きな/嫌いな季節 好き:春、花がいっぱい咲いてるから 嫌い:冬、植物が枯れてしまうから
87:好きな/嫌いな色 好き:赤 嫌い:特にない
88:世界一綺麗だと思うもの プロバンスのラベンダー畑(多分、写真でしか見たことないだろうけど)
89:一度は言ってみたい台詞 縁がないからこそ『盗まれちゃった』とか言ってみたい ビオラ君は奪われちゃってて可愛いなっていう
90:一度はやってみたいこと 美術館とかにある展示を奪うとかの大型奪還イベントやりたいね! めちゃめちゃ怪盗っぽくてスリリング!そんな依頼をお待ちしてま~す!
91:動物に例えると リボンとお口がとてもうさぎ(ミニレッキスあたり)
92:色に例えると 赤
93:使えそうな魔法 逃走成功UP、回避能力UPとかの補助魔法、もしくは相手からのアイテムゲット…これは物理か
94:驚いたときに上げる声 昼「きゃっ!」 夜「えっ!!??!」「嘘でしょ!!!」
95:笑い声 昼「ふふっ」控えめ 夜「あははははっ…!!」気持ちよく笑ってそう
96:よく行く店/場所 たまに買い出しに町へ行く以外はあまり外でない引きこもり。 夜はターゲットの住居付近を偵察。
97:よくする表情 (*´ω`) (`・ω・´)
98:よく取るポーズ 在さんが描いてくれた腕を腰に手を当ててどや顔してるポーズが私の中で一番しっくり来てる!
99:漢字一文字で表すと 花
100:キャラに合う四字熟語を作るなら 狡兎三窟 ?ごめんなさい詳しくなさ過ぎてめちゃくちゃググりました…
101:好きな音楽 クリスマスの時期に協会から聞こえるキャロル
102:好きな/嫌いな言葉 好き:花言葉 嫌い:死を彷彿とさせる言葉
103:好きな/嫌いな天気 好き:快晴 嫌い:嵐
104:好きな/嫌いな食べもの 好き:お兄ちゃんの作る料理 嫌い:嫌いなものはあまりないけどフランスパンは苦手、硬すぎて中々食べるのに苦労する
105:好きな花 チューリップやガーベラ。カメリアはあんまり好きじゃない。
106:好きな/嫌いな動物 好き:雀 嫌い:カラスはちょっと怖くて苦手
107:好きな作品の傾向(小説、映画、美術etc。「シリアスな映画が好きそう」みたいな) 今はそんなに活字を読んでいる印象ないけど、 幼い頃に読んだ絵本の印象は強く残ってそう…ファンタジーやわくわくするような冒険もの。 後は花や植物の図鑑とかかな…
108:好きな/嫌いな飲みもの 好き:ローズティー 嫌い:特にない 109:悩みができたら 誰にも何も言わない
110:運命の存在について 運命は自分で切り開く(強い)
111:自分の容姿への感想 「そりゃ当然かわいいに決まってるでしょ!」
112:自分の能力への感想 「昼も夜くらいの精度をキープできれば完璧だったんだけどねぇ~まぁ仕方ないかしら 人間多少欠けてる方が魅力的なものもあるしねぇ~えっ違う?」
113:恋への興味 したことはないけど他人の恋模様とか見てるといいなぁとは思っていそう
114:恋をしたときの様子 無意識だけどきっと相手のことばかり考えているし、別れた後にちょっぴり寂しくなるし 早く会いたいなぁって思う
115:恋をしたときのアプローチ方法 よく喋ることで、引き留めようとする
116:異性への耐性 兄と弟がいるので耐性はある
117:モテ度 本人は気づいてないけど夜より昼の方がモテている。
118:性的なテクニック お゛お゛ぉ゛ん…(困ったときのにゃんちゅう)
119:告白するときの言葉 「えへへ…好きになっちゃったみたいです」 な、なんつって…
120:フェチ(マニア) 香り?
121:愛し方 控えめ、そっと寄り添う
122:甘え方 袖を引っ張る
123:一途さ 夜はファンたちが~とうるさい奴だけど、好きになれば一途
124:体の丈夫さ 普通、健康体
125:体力 あまりない。夜活動してる時は感じないけど、昼間に疲れとか反動がくる、次の日に筋肉痛がくるみたいなもん(?)
126:記憶力 悪い、人の名前とかもあまり覚えられない
127:リーダーシップ ブーケやってるときは(二人しかいないし)お姉ちゃんだしそこそこ発揮される、はず。 でも基本は兄弟の真ん中なのもあって丸投げマン
128:社交性 花屋にいる時くらいの…最低限の社交性。 129:下着 お゛お゛ぉ゛ん…(困ったときのにゃんちゅう) 19世紀の一般的な下着だよきっと
130:誕生日と血液型 1月2日/A型
131:教え方 花の事なら色々優しく教えてくれますよ
132:詳しい分野 植物
133:これのためなら死んでもいい 「自分の死と引き換えにこの町が良くなるなら考えるわよ」
134:体温(平熱) 36.5度
135:世間知らず度 自分の身近ばかりしか見えてないから世間全体を本当に知っているとは思えない
136:外出頻度(ペース) 週1、2くらいは昼間も外に出てほしい…
137:声の大きさ 大きくないし、昼は強弱もあまりない。夜はよく叫んでる。笑
138:ゲームの強さ 強い、あまり頭脳戦は向いてないけど筋と運がいい
139:化粧 夜は薄く口紅を引いてる
140:ご飯を一緒に食べる人 兄弟と
141:物を買うときに重視する点 長く使えるものかどうか
142:心の中で認めている人 めげずに自分を捕まえようとしている警察のあの子
143:気の合う/好きなタイプ 自分の信念を持っている人、諦めずにチャレンジする人
144:合わない/嫌いなタイプ すぐ人の悪口を言う人、弱い者いじめする人
145:色々な相手への二人称(目上、部下、友人、敵etc) 基本的には昼間はさんづけ、夜は呼び捨てか勝手に変なあだ名をつけたり
146:寂しがり度 たまに家族連れとか見ると寂しくなる
147:ドジ度 一日一ドジ。もはや日課。
148:好みじゃない物を貰ったら ありがとうと言ってもらう。何でも貰ったらきっと喜ぶ。
149:カラオケに行ったら デンモクの使い方に苦戦して序盤で詰む
150:上機嫌なときの様子 すんなり奪還成功した後とか…得意げな顔しながら鼻歌混じりにスキップしながら帰りそう(イメージ)
151:不機嫌なときの様子 逃走邪魔されそうになった時とか…チッって普通に舌���ちとかしちゃう
152:(学生だった場合に)入りそうな部活 園芸部
153:つい他人にやっちゃうこと 人助け
154:実は嫌いじゃない人 何だそのフェイント…嫌いか、興味ないか、好きかははっきりしている
155:周囲からの人気 現在ファン急増中(本人談)
156:常識人度 普通
157:他人の目を気にする度 自分の事とかは気にしないけど、ヴォルフラムさんと並んだときはあまりにも自分が庶民すぎて気にするかも。 (そんなシーンあるかは別として)
158:可愛いもの好き度 可愛いものも好きだけど変なものとかちょっと変わったものも好き
159:考えを口に出す度 あまり出ないけど、相手に求められたらぽつぽつしゃべるかな。後はそれこそカッとなるとペラペラ喋りそう
160:冷徹度 低い…からアンチヒーローになってでも誰かを助けたくなるのだろうね
161:執着心の強さ 強い、一度決めたもの・引き受けたものは守る
162:持病 なし、健康体。
163:純情度 唯一の女の子だし…良くも悪くもピュアに育ったかと…
164:腹黒度 グレー
165:本(書類)を読むスピード 遅いし中々一冊読み終わらない
166:起きたら最初に カーテンを開ける
167:告白されたら ありがとうございますと言って流す
168:精神の強さ 強め
169:敏感な場所 首筋
170:読んでいる雑誌 新聞くらいかな?ブーケの記事ないかついつい見ちゃう
171:必殺技 ビルからビルへハイジャンプ
172:雑学の量 ほぼなし。
173:恋愛遍歴 お゛お゛ぉ゛ん…(困ったときのにゃんちゅう)
174:S度/M度 どちらかと言えばS?
175:好きな数字 12
176:料理の腕 聞いちゃいます…?作るのは嫌いじゃないけどセンスが…
177:運動神経 夜はいい
178:部屋の様子 こざっぱりしていて必要最低限。あまり女の子らしい部屋じゃないかな? 唯一、大きな鏡が一つあるくらい。
179:癖 よく頬に手当てたり、髪をくるくるいじったりする
180:口癖 「~でしょ!」とか「当然!」とか…断定系…どこからくるのその自信は
181:あだ名 ブーケ、ブーケさん
182:メールアドレス bouquet4649あっとまーく…嘘です。
183:メールの内容と文体 業務用の短いで簡単なメール、もしくは楽なスタンプとかの一言(OKとか)
184:(学生だった場合の)得意教科/苦手教科 得意:生物 苦手:体育
185:性経験 お゛お゛ぉ゛ん…(困ったときのにゃんちゅう)
186:腕力 ない
187:趣味 お花の雑貨づくり
188:お金の使い道 食費や花束用のリボン
189:起床・就寝時刻 7時起き、夜は早い日は22時には寝ているのでは
190:家族構成 兄、自分、弟。 弟の事はあまり心配してないけど、お兄ちゃんが地味に心配だよ…
191:怒り方 喧嘩になるくらいなら怒りは軽い、 本当は泣きながら怒るタイプ
192:酒の強さ 弱い。どちらかというと笑い上戸だし唐突に絡む
193:RPGのキャラだった場合の職業 盗賊(笑)私のイメージ、テイルズオブデスティニーのルーティ
194:頭の良さ もうここまで読んでくれていたらお察しできるかと
195:運の良さ 運はいい
196:もしも現実にいたら 私は、やじうま根性でブーケの活躍を見に行く……!! 昼間は普通に花屋のアルバイトのお姉さんしてそう
197:コーヒーの飲み方 砂糖多め、猫舌なので少し冷ましてから飲む
198:自覚してない欠点 察しがよくない
199:ここ一週間で一番幸せだったこと 窓際で育ててたサボテンに花が咲いたこと
200:キャラへのメッセージ ブーケ窃盗ライブ会場どこ・・・
3 notes
·
View notes
Photo

✨😆移住して1年が経ちました😆✨ 朝から気持ちの良い空が広がる中、 お馴染みとなったワンダートランクのサイクリング🚴♂️ @wondertrunk_co 本日は三井楽づくし🤩 地域ごとの景色や生活に触れながら、 普段行けない場所をガンガン進む🚴♂️ いつもの仲間と過ごす 最高の景色✨と最高の時間✨ ただ身体はヘロヘロ… 三井楽の坂は結構こたえる🤣 * 東京🗼から五島🏝️に移住して1年 東京にいたことがウソの様に、ストレスを感じない島の生活🤩好きです♪ 頓挫頓挫で、なかなかビール造りまでは辿り着けないままだけど… たくさんの方から応援して頂き✨ たくさんの方に素敵な経験をもらい✨ たくさんの自然に囲まれ✨ 濃厚な1年を過ごして来ました😌 ありがとうございます! もっとビールを楽しんでもらえるように! 島にお返しができるように! 次の1年も楽しんでいこうと思います😆 これからも、どうぞお付き合い下さい🙏 * #五島列島 #福江島 #五島市 #玉之浦 #島移住 #島暮らし #Iターン #東京から移住 #移住生活1年 #ストレスのない生活 #ストレスの少ない生活 #自然とともに #自然を受け入れる #自然に寄り添う #自然に囲まれた生活 #ワンダートランク #wondertrunk_co #サイクリング #自然の中を走る #最高の景色 #最高の仲間 #最高の時間 (遣唐使ふるさと館) https://www.instagram.com/p/CF1yochjzPI/?igshid=pn3oqyc0qabt
#五島列島#福江島#五島市#玉之浦#島移住#島暮らし#iターン#東京から移住#移住生活1年#ストレスのない生活#ストレスの少ない生活#自然とともに#自然を受け入れる#自然に寄り添う#自然に囲まれた生活#ワンダートランク#wondertrunk_co#サイクリング#自然の中を走る#最高の景色#最高の仲間#最高の時間
0 notes
Text
ミニ講座 第18回「虚鐸伝記」徹底分析!其の二 法燈国師は何した人? 覚心と張参の友情物語💓
普化宗の尺八伝来のキーパーソン二人目!
その、法燈円明国師・心地覚心・無本覚心たるや、一体何した人?
そもそも名前がいくつもあってややこしい。どれで呼べばいいんですか?
まずは虚鐸伝記に合わせて法燈国師について!
国師(こくし、くす)というのは、高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号(しごう)の1つで、死後に与えられる名前だそうです。
姓は恒氏。諱は覚心。
諱 いみな「忌み名」
① 生前の徳行によって死後に贈る称号。諡(おくりな)。
② 身分の高い人の実名。生存中は呼ぶことをはばかった。
号は無本、本名とは別に使う名称。
房号は心地房。
寺院内において僧侶が生活を送る居住空間及びその建物自体を僧房(そうぼう・僧坊)というそうで、私僧房には○○房(○○坊)という個別の名(房号・坊号)がつけられるようになり、大寺院に付属する子院や塔頭の名となるようになった。
日本浄土宗の祖とされる法然の例で言うと、法然の号は房号(「法然房」の略)であり、諱(いみな)は源空(げんくう)である。
幼名は不明です。
と、色々ありますが、諱の意味が「生前の名前」と「死後の名前」と両方の意味があるんですね。覚心が本名だそうです。
心地覚心(しんち かくしん)1207~1298年
鎌倉時代の臨済宗の僧で長野出身。1235年東大寺で受戒、のち19歳の時、高野山で密教を学び、禅定院で禅を学ぶ。姓は恒氏。諱は覚心、無本と号した。1225年出家、得度。29歳の時に奈良東大寺で具足戒を受けた。また高野山で真言密教を学ぶ。その後、鎌倉、京などで諸師遍歴。
兄弟弟子にあたる円爾(えんに・臨済宗の僧)の勧めにより入宋を志し、1249年に、覚儀、観明らを伴なって紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋。
杭州湾口にある普蛇山 フダサン(中国四大仏教名山の一つ)に着き、中国五大禅寺のひとつである径山寺 キンザンジ(興聖万寿禅寺)に上る。そして径山では円爾の師である無準師範 ブジュン(中国の南宋の臨済宗の僧)が既に示寂 ジジャク(僧の死)していたので、径山の癡絶道沖 チゼツドウチュウに参じ、翌年には道場山に参じた。その後、阿育王山 アイクオウザン に掛塔 カトウ(僧が一寺にとどまり修行すること)し、2年ほどその地で修行した。その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開 ムモンエカイ(1183-1260)(南宋の 臨済宗の僧)に参じて、遂に臨済宗楊岐派 ヨウギハ(中国禅宗五家七宗の一つ)の法を嗣(つ)いだ。そして1254年(建長6年)無門慧開より「無門関」(禅書)「月林録」を授けられて帰朝した。
宋より径山寺味噌の製法を伝え、帰朝後種々の改良の末、湯浅の水が良かったことから醤油が作られるようになった。これが我が国の醤油の発祥の由来である。
あ〜、金山寺味噌ね〜。
こちら、法燈国師像↓

紀州由良興国寺 絹本着色法法燈国師画像
重要文化財 http://fukuoji.netより



増補注釈『虚鐸伝記』洛陽 山本守秀注釈・河本逸童増補
国立国会図書館より

学心(覚心)が宋にやって来たの図。
以下、漢文と国字解の翻訳と、私の翻訳です↓
本邦僧学心者亦遊学于此
ほんぽうの僧、学心なる者もまたここに学びしてあり
唐宋の時代には日本より多くの物学びの為に入唐。日宋とて、僧俗の内にて勝れたる人を遣わせし事なり。或いは公辺(おおやけのこと)へ願いて入宋せし人も多かりしなり。僧も、其おりから入宋して、彼護国寺に掛錫 カシャク(修行僧が行脚の途中で他の寺にとどまること)して禅法を学び居られしという事なり。此にとは寺をさしていう。
(学心とは覚心のこと。唐、宋の時代には日本から多くの人が勉強のために海を渡った。覚心は護国寺に行き禅を学んだ)
同学相唱和而興参友善
同じく学び合い唱え和して
学心と張参とは、同じく禅を学んだ。ことに万里の蒼波(そうは)をしのぎ来りて学ぶ、学心なれば、志を感じあひたる事、言外にあらはれたり。相とは互いにのこころなり。唱和すとは詩を作れば和韻をし、文章は互いに琢磨することなり。参を友としよしとは、あまた僧・居士あるうちに、学心と張参ことに心安也。交わり深しということ也。
(覚心と張参は、一緒に禅を学んで、とっても仲が良かった)
一時閑話之次語及先世伝虚鐸今尚曲事其調之弄之一奏入妙
ある時。閑話之次(カンワノツイデ)とは、しづかに四方山のはなしをしけるついでにという義なり。其のはなしのあまりに、先祖張伯は唐の代にて其時の知識普化禅師に見え、虚鐸を伝え来りて今なを其曲を失わずという事を存(そん)すると云也。及ぶとは、ようすありて、虚鐸というものを伝え来りて、其吹ようを習熟せりと語りて、張参虚鐸を取出し、これをちょうし、これを弄(ロウ)うすとは、とくと音しめをあはせ、吹きたるに、其一なかでのふきよう、ねいろの妙にしておもしろき事を、一奏入妙(ヒトタビソウスレバミョウニイル)とはいうなり。
(ある日、張参が先祖の代々伝わる虚鐸のことを覚心に話した)
学心一賞三歎脆坐膝行曰
(ガクシン、イッショウサンタン、キザシッコウシテイワク)
学心ことのほか感に堪えかね、一賞とは一たび賞翫 ショウガン(そのもののよさを楽しむこと。珍重すること)しほむる事なり。三歎とは、「 ああ、妙音かな」と三度声を発して、さてもおもしろき事やと。座をなすを脆坐という。ひざに近づき寄るを膝行すと云う
(覚心、超感動)
奇哉妙哉世之於象管未聞如此清調妙曲賞可愛者伏請教授一曲長伝妙音于日本
(キナルミョウナルカナ)
扨(さて)も扨もふしぎに妙なる音いろかな。世の象(しょう)管に於けるいまだかくの如き、清調、妙曲を聞かずとは、是迄我本国にても種々様々の笛を見たけれども、此の形の笛も見ず。又このようにすみやかな、妙なる吹きようを聞かず。賞すべく愛すべき者とは、まことに賞美(しょうび・ほめたたえること)して、もてあそぶべきものなりとなり。長く妙音を日本迄に伝うというものなりと念比(ねんごろ)に願う事也。
(こんな���なる音、聞いた事無い!日本に持って帰る!と覚心)
於此為学心再奏之使之学此
此処に於いて、学心のこふが為なり。再び之を奏しとは学心に聞かさんが為に、又吹きし也。之を使(し)てとは、学心をして。之を学ばしむとは、此の曲調を教えて習わしむをいう。
(張参、学心の為に教えてあげる)
学心学之有日禅已熟曲已就而告別于張参
学心之を学ぶとは、虚鐸の音を学ぶ也。日有りとは、学ぶ日を重ねたる也。禅すでに熟すとは、禅学参禅も能心に入りし事也。曲すでに成とは、虚鐸も覚えてそれより、日本に帰らんとて、張参に暇乞いして舒州の護国寺を出て、明州の津湊に赴かんとする。
(覚心、何日も虚鐸を学び習得し、禅の修行も円熟してきた頃、日本に帰る)
辞舒州而解纜于明州南宋理宗帝宝裕二年帰船于本邦于時 後深草天皇建長六年也
舒州を辞してとは、護国寺にて、みなみな暇乞いをして出られし事也。纜(ともづな)を明州に解くとは、明州はもろこし(日本から中国���呼んだ名)の湊口にて、唐宋の頃よりの渡り所也。今の寧波(ニンポー市)も明州のうちにありと覚ゆる也。本朝より渡海にも便り良き地なれば帰棹(キトウ・帰路につく船)の時も此所(ここ)宜しき也。此の時の帝(みかど)は南宋にて理宗皇帝と称し奉(たてまつ)る。宝裕(ほうゆう)二年は、其の時の年号也。すでに彼土(カノド)を跡に見て、ともづなをとき、風波をしのぎ、日本に帰り、つきてみれば我朝の帝は後深草天皇(ゴフカクサノテンノウ)にて渡らせ給い、建長六年に帰朝せしという事也。
【もろこし】昔、中国から伝来したものにつけた語。中国南方の越 (えつ) (浙江セッコウ省付近)の諸国・諸族の「諸越」の訓読みから起こり、最初その地方をさしていたのが、しだいに中国全土をさすようになったという。一説に、その地方から諸物が渡来した意とも。
(1254年、後深草天皇の頃に帰る)
自是学心或入高野山或出洛陽城
これより学心ある時は、高野山に分け入りて心をすまし、又ある時はみやこへも折々出られしを洛陽城に入りといふ。洛陽は、もともともろこしの都の名なり、しかれどもかり用いて。此方にても称し来れり。此の方の都は平安城というは本名也。
(覚心、高野山に行ったり、平安城に行ったり…)
平安城は794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都。
逍遊有年造立一寺于紀州號西方寺而終住于此
逍遊年有り(ショウユウトシアリ)とはずらずらと年光(月日)のおしうつるをいう。されば一つの寺を紀州の内につくり立て、西方寺となづけて、此所にすまれし也。此寺は由良というところにあり。
(覚心は紀州由良の地に西方寺のちの興国寺を立ててそこに住む)
以其碩徳世號大禅師弟子日益進
その碩徳をもって、世大禅師と号すとは、学心帰朝せられてより、年月重なり、徳業満ち足り、禅機ありけるゆえ、世の人称美して大禅師と申せし言也。弟子(テイシ)益々進むとは、遠きも近きもつきしたがいて業をうけ、禅学の為により集る。弟子の僧、日に増して多く来たりし也。
(その後出世して禅師の名前をもらう。弟子も日に日に増えてきた)

学心(覚心)日本に帰ってきたの図。
以上が虚鐸伝記による法燈国師の登場の場です。
張参との出会いの場面はフィクションであるとしても、なかなか良い話で、これは日中友好の象徴にしても良いくらいですね。
今回のチラシの絵は思わず覚心と張参が肩を組んでるイラストにしちゃいました。

昭和初期には、尺八伝来の地・興国寺を盛り上げようと谷北無竹、津野田露月、谷狂竹、小泉止山、浦本折潮、桜井無笛、高橋空山、などなど全国の名だたるメンバーによって法燈教会が設立されるが、残念ながら内部分裂により霧散。その後、前団体とは異なる法燈国師奉賛会が新たに設立され、今日も活動している。(尺八修理工房幻海のHPより)
法燈国師が尺八を吹いたのは伝説ということですが、Wikipediaをはじめ興国寺のことが書かれている情報にはどこも「興国寺は虚無僧発祥の地」となっております。専門書には虚鐸伝記は「偽書」「小説」となっているのに、一般には法燈国師は尺八伝来の人と奉られているという、ウソも通せば道理が引っ込むなんてことが現実に。。。
どうせなら、覚心と張参の友情物語をもっと誇張すればいいのにな〜なんて思ったり。
考えようによっては、法燈国師をダシに人が集まる機会が増えるわけですので、伝説も大切かも!
以上、
「虚鐸伝記」徹底分析!其の二 法燈国師は何した人?覚心と張参の友情物語💓
でした!
次回はキーパーソン三人目、いよいよ虚竹登場です💙
...
0 notes