#近江陽一郎
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moment-japan · 2 months ago
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1978年 赤穂城断絶
監督:深作欣二
撮影:東映(東映太秦映画村)
出演:萬屋錦之介、千葉真一、松方秀樹、若林豪、三田佳子、岡田茉莉子、西郷輝彦、渡瀬恒彦、芦田伸介、藤岡琢也、金子信夫、近藤正臣、原田美枝子、森田健作、田村亮、峰岸徹、夏樹陽子、寺田農、宮内洋、藤巻潤、福本清三、島英津夫、佐藤佑介、中村光輝、和崎俊哉、島田歌穂、橘真紀、江波杏子、三船敏郎、丹波哲郎 ほか
今日は赤穂事件のあった日なので、昨日BSで放送していた赤穂城断絶を本日鑑賞。
今年は物凄い数の忠臣蔵の映画をBSでやっているので非常に嬉しい。
製作費がいくらかかったか心配になるほど出演者が凄すぎる東映のオールスターキャストによる作品で、昭和53年度文化庁芸術祭参加作品。
浅野内匠頭役の西郷輝彦が以外にも良く似合っている。
吉良上野介役の金子信夫の独特な嫌味感も最高。
不破数右衛門役の千葉真一が面白い演出で彼の演技部分を見るだけでも価値がある。
堀部安兵衛役の峰岸徹がかっこよすぎる。
吉良の家臣・小林平八郎役の渡瀬恒彦と千葉真一との殺陣シーンが、今まで見た忠臣蔵映画の中でも尋常じゃない激しさ。
小林(渡瀬恒彦)を倒した後の不破(千葉真一)の激しい息遣いは間違いなく本物。
(本当に凄いぞ、見ていて呼吸困難になりそうだった)
「目指すは吉良上野介一人。白髪首ただひとつ」
大石内蔵助役の萬屋錦之介の淡々とした演技が、現代のリーダー像にも通じる信頼感万全な風格に満ちている。
そして、この映画のロケ地は以外にも兵庫ではなく、ほぼ滋賀と京都。
二条城北大手門、二の丸御殿、本丸西虎口、彦根城、相国寺、大覚寺、金戒光明寺、永観堂、南禅寺僧堂坂、知恩院・・。
キャストだけではなく、京都のお寺もオールスター出演でした。
(京都好きの人は間違いなくニンマリ)
アスペクト比が2.35:1シネマスコープで撮影されているので、江戸城での刃傷シーンや討ち入りのシーンでは非常に迫力があります。
本作で渡瀬恒彦がキネマ旬報賞助演男���賞と第21回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。
エキストラの数、セットや衣装の出来が今まで見た忠臣蔵の中でも最高レベル。
赤穂城断絶は忠臣蔵映画の中でも間違いなく最高傑作の1本です。
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esoterics-posts · 1 month ago
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キリストの身体
この世に生を受けたこの身体ほど真我に近いものはない。日頃、食べ、飲み、息をして、風呂に入り、生活し起きている間は誰も否定できない。瞑想や死や寝ている間は『精神世界』の霊的個性の自己同一性が重要である。真我は死を超越するエネルギーであり認識を通して帰還の道となるー。
神の下では、誰しもが平等に大切である。誰もが救われたいと望み、貧しさや生活の困窮の中で日々の生活の困難に直面する。問題は生きるための権利と義務が煩雑で複雑である事である。簡素で、素朴で、然し、安定した生活が大切であり、其れが保証されるべき『共同体』国家と国民の義務であるー。
属性
職業の適性が何よりも優先される。得意ではないことは其れが何れ程、力を注いでも、見返りの見込みのないものである。其れほど適性は大切である。『ケセラセラ』我々が望むものや、なりたいものは単なる願望にすぎず、あるがままに、無条件にそう在る事ではない。国家に望むことは生活であるー。
型と色
①カロリー、②たんぱく質、③ビタミン、④糖質、⑤ミネラル、⑥脂質、⑦カルシウム
素粒子は霊(要素ーエレメンタル)であり、大切であるが、食事の偏りと過食は、万病の基である。
❶肥満、❷老化病、❸癌、❹糖尿、❺疫病、❻痛風、❼身体障害
①力②瞑想③分食⑤栄養学⑥睡眠⑦ゲノム
AIマッチング
就労や職業選択、受験の際に、お見合いに、使うべきものである。ぼくは非凡であれど秀才ではないので、霊的教師と音楽家、そして魔法特に超能力にも興味があるが危険である。低位心霊能力の開発は避けるべきである。絶え間ないエネルギーの伝導瞑想と霊能力と精神集注と奉仕を���奨する。
念力からメンタル界へ
スープン曲げとは理性の崩壊を誘発する。ぼくはメンタル極化により此れが不可能になった。ところで、相手に自分の理想を押し付けることは賢明ではないが、芸能人のゴシップネタの様な落ち着きのない猿のような忙しない心を落ち着ける為に音楽による精神の安定が有効であるー。
日本人改造宣言
一箇所に留まっていてはいけない型を打ち破り、昨日を越えて行け!『在るがまま』を生きることの大切さと周囲の無理解という困難を越えて生きる事は囚われない創造主として大事な私的視点を加味する事になる。ぼくの心はいつも昔に同一性されて🇮🇹や🇪🇸や🇮🇳
🇹🇷や🇯🇵や🇨🇳etc.『舌の記憶』
カタストロフ
創造物(型あるもの)は崩壊現象。死と共に私達の精神や知性や機械でさえ構造物は全て壊れ、軈て失われる。だから、DATAの引き継ぎは大切である。音楽では楽譜、ランドスケープ、ピアノ演奏、イラスト、習字、タイピストの手や論理性は死んでも残された情報の痕跡であるー。『儚い夢の跡』
R覚者ー原因と結果の法則
❸→❶
父と母ーカルマ(業)の法則ー❶→④→❸
ゴータマ仏陀ー再生誕の法則❶→④→❼→⑧∞
自由意思ー
∞(情報のソース)→❶
エドガーのコイントス
ー確率ー
②→❶
神の意志ー
❼→④→❶
プトレマイオスとベンジャミンそして全てのイニシエートに敬意と感謝ー。
意(マナス)
#DK覚者 (チベット・ロッジ)のレベルの情報は難解である。#アリス・ベイリー によって与えられた『秘教科学』は緻密に宇宙の構造と神秘についての洞察に富んでいる。心理学の深淵さと覚者方の厳しさと忍耐には頭が上がらない。双方向のメンタル・テレパシー(思念伝達)は稀有であるからー。
既知と未知
❼機械論的・科学的マインド(聖霊)の状態である②④⑥頭脳の❸識別力は『分神霊』であり神経の中にある器官であるナディに合成された精妙な❺ガス(気体)状で��きている。⑥パイシス(双魚宮)と❼アクエリアス(宝瓶宮)の宇宙にある霊的な❶『統合のエネルギー』が働いている。②『伝導瞑想』
(不)信仰
キリスト教の原理主義者が唯一の「イエスは神でなくてはならない」とか、(唯物論的)科学者が「ダーウィンの進化論が真である」、「宗教の殆どが偽りである」とか「哲学は何もなしていない」などと言う事は無知に満ちている。『意識の進化』を信じているなら『幻惑』や『錯覚』に注意し給え!
主義
私は云々であるというとき、我々は我々の間に対立を生む恐れがある。在りと凡ゆる物事の嫌悪や善悪に対して、我々は我々の社会を異なる価値観で分断してしまうだろう。必要なのは社会の『調和』であり、『平和』であり、『非暴力』である。観念自体は象徴であり、対立を生む人工物に過ぎないー。
❺記憶自体
コロナウィルスの顕現は人類に対する避けがたい受難でした。これからの④芸術科学(素粒子の霊性)と❺化学医学(構造の形相)の重要性は言い過ぎる事はないです。全ては崇高な魂(全ての霊的な本源へ戻る旅路)の為の犠牲に違いない。無力は承知の上で皆様に御願いしますー。『人類科学の進歩』
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与え与えられ
日々与えられた物事に感謝して、生きていきます。
霊(言葉と絵)を尽くして、自我である個性体(パーソナリティー)を神である真我((宇宙)意識体)である魂の供物に捧げます。ごちそうさまでしたー。神に感謝して、命に感謝して、親に感謝して、先生に感謝して、食べ物に感謝してー。m(_ _)m
安定
人間の生き方に自由などはない。せいぜい
自分の自我の領域の中で我が儘な意思のもとに約束事とサービスの間で比較的自由な裁量があるだけである。
10割 Android
百分率で言えば100%
太陽系 9段階
人間レベル99が限界
100以上は死ねない
~255 霊界 
1000(1T)
16次元 宇宙全体
聖なる科学
霊の数学と哲学と美学としての音楽と美術を尽くして神的存在に触れる魂である自我の拡大と、霊である真我に帰絨する瞑想の帰還の道。真に純粋な理想的なイデアの想像力の究極的に完全な世界(実在)の上からは、太陽系が16個あり、太陽系外地球の兄弟の惑星も16個あるー。
解釈学
循環する霊と宇宙について
#インテリジェント・デザイン(知的創造論)からの『秘教数秘術的』なコンセプト(意匠性)ー2進法、10進法、60進法ー『カバラ数秘術』、『秘教哲学』、『七光線心理学』『神智学』、『素粒子物理学』、『情報工学』、『陰秘学』『数学』、『強迫性』、『偏執狂』
外部と真理
②主観と❸客観について私達が認識できるものは❺記憶であり、④イメージであり、❸認識性であり、②デジタル信号であり、❶霊である。❼存在を創るもの、⑥在ったと信じるもの、❺在ること、④在るかもしれないもの、❸これから在ること、②視えるもの、❶霊(的精神)性。『真我認識』
形式と存在
『モナド』ライプニッツ
『素粒子』精霊主義
『クオリア』アストラル体
『考える葦』パス��ル メンタル体
『精神と物質』デカルト 物心論
『宇宙四次元』アインシュタイン
『時間と空間』ニュートン
『物自体』カント
『質料』プラトン
『弁証法』ソクラテス
『形相』アリストテレス
ライヒ『オルゴンエネルギー』
シュタイナー『エーテル体』光子
ユング『集合的無意識ー幻型』
フロイト『リビドーと超自我』
アドラー『目的論』
ニーチェ『永劫回帰』
ハイデッカー『存在と時間』
サルトル『存在と無』
ラカン『想像界・象徴界・現実界』
キリスト『三位一体』
盤古『陰陽』
ヴント『内観』
プロティヌス『一者』
エンペドクレス『風・火・地・水』
デモクリトス『原子』
チェリオ『量子色力学』
ジョブズ『Apple製品』
ダリ『心理学から科学へ』
モーツァルト『曖昧な調和』
小室哲哉『宇宙の美化』
坂本龍一『現実』
小林武史『夢と魔法』
宇多田ヒカル『宝瓶宮の水』
植松伸夫『劇場音楽』
天野喜孝『ファイナル・ファンタジー』
楠瀬誠志郎『シリウス』
すぎやまこういち『ドラゴンクエスト』
鳥山明『ドラゴンボール』
高橋留美子『めぞん一刻』『犬夜叉』
桂正和『DNA』『シャドウ・レディー』
貞本義行『エヴァンゲリオン』
宮崎駿『ロマン派』
久石譲『映画音楽』
スピノザ『心身一元論』
クリシュナムルティ『私は何も信じない』
キリスト・マイトレーヤ『分かち合って世界を救いなさい』
ベンジャミン・クレーム『始まりは近い』
江原啓之『オーラの泉』
大槻教授『プラズマ』
韮澤さん『たま出版』
イエス覚者『救世主』
仏陀『真我』
プレマ・サイ『超心理学』
フェルメール『レースを編む女』
3ー7ー4ー2ー7(2.4)
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宇宙
針仕事の周りを描く『フェルメール』の絵の中に宇宙が回っている事を、夢と現実の間を行ったり来たりするシュールで、冗談好きの地獄ではないまでも煉獄に居る『ダリ』は知っていた。如何なる小さな物事でも、大切な人の存在は守りたい。大切な命���寄り添い生きていきたいものである。
『来世』
サルバドール・ダリ『レース編みの娘』
6ー4ー6ー4ー7(1.6)
(フェルメール・ファン・デルフトの絵の模写)
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「ダリ全画集」の『レースを編む女』
ダリに心の底から同情します。イニシエートの低さには右利きで頭の精神の線が細いスマートと云う理由と、光線構造が非常に高いのには、人類の輪廻転生を担保したいのと、神であるサルバドール(救世主)でありたいと言う野心と、謙遜と、拘りがあるからですー。
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芸術家と科学者
『ピカソ』は拘りのない自由な心の境地でどんな画家のスタイルも直ぐにマスターして、同じ場所に留まらずにどんどん変化する秀才。純粋無垢な子どもが描いた様な平気で、破壊的な創造で醜悪さをも描く。『ダリ』は古典的な描き方で言語性の強い鬼才。神に見いだされた犠牲者ですー。
ダリでもピカソ
二人ともきら星のような才能があるので何回輪廻しても本物の神になるべきです。業の深さは恐ろしくダンテの言葉を借りれば「まるで生きていることが呪われている様でこの地上以外に如何に『地獄』と呼ぶ事ができようか?」と言う程、人生を生きるのは大変です。才能の有無に関わらず。
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パブロ・ピカソ(2.4)
7ー4ー1ー6ー3
『サルタンバンカの一家』
パブロ・ピカソ『パイプを持つ少年』
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アンリ・マチス(2.4)
3ー6ー1ー4ー7
『ブルーヌード』
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひ���今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴り��� 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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fukagawakaidan · 6 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神と��表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘���ら2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態がある���うである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と��す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(��9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような���伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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sskyt · 2 years ago
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教���の移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている��� 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するとい���点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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kennak · 1 year ago
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東京の美味しいパン屋を紹介するから、神戸の美味しいパン屋を教えてくれよな。=============================================■Sランク(一口目から違いがわかる。感動の名店。存在に感謝)・s.igarashi(木場)・ブーランジェリー セイジアサクラ(高輪台)■Aランク(めちゃおいしい。おすすめしたくなる)・ツォップ(松戸)・ザクロ(久里浜)・ブレッド&タパス 沢村(広尾)・パーラー江古田(江古田)・シナボン(六本木)■Bランク(期待以上。またいきたいお店)・VIRON(渋谷)・ブーランジェリー ブルディガラ(広尾)・ブーランジェリーアンサンブル(鎌倉)・365日(代々木八幡)・峰屋(新宿御苑)・ドゥヌラルテ(青山)■Cランク(期待通り。求めてた味を提供してくれる。値段に見合った美味しさ)・PAUL(神楽坂)・中村食糧(清澄白河)・ビースクエアード(清澄白河)・ホームベーカリー、自分で作る焼きたてスコーン■Dランク(期待外れ。値段に見合わない。2回目はない)・ブーランジェリー スドウ(松陰神社前)・トリュフベーカリー(門前仲町、広尾)・シティベーカリー(広尾)・メゾン ランデュメンヌ(麻布台)・モンシェール(東陽町)======個別コメントゾーン=========■s.igarashi(木場)2020年くらいにできた。福岡から東京に殴り込みに来たっぽい。当初行列がエグかったが予約制になることにより解消。エスカルゴという巻きデニッシュが名物。1個500円とかするけど、生地もトッピングもうまいので通った■ブーランジェリー セイジアサクラ(高輪台)パン自体も美味しいのはもちろんなんだが、フィリング・具材の美味しさが抜群。■VIRON(渋谷)美味しい。美味しいが、絶品って感じでももうない。昔はすごく美味しく感じたけど、今は美味しいパン屋さん増えてきていて、埋もれてきた気がする。■マルイチベーグル(白金高輪)うーん。正直美味しいと思わなかったけどな。一応食べログ百名店らしい。まぁてかベーグル自体があまり好きじゃないだけかもしれない。■シナボン(六本木)パンってジャンルに分類していいか微妙だけど、まじでやみつきになる。中毒性がやばい。美味すぎ。スイーツ界のラーメン二郎。■ブレッド&タパス 沢村(広尾)パン自体はまぁ普通に美味しいレベルだけど、2階のレストランは最高。パンのおかわり自由だし、青のりとかきのパスタが本当に美味しい。ちなみに青のりのパン(ゼッポリ)がまじで美味しくて最高。ゼッポリ自体は1階のパン屋さんゾーンでは販売されてなくて、レストランだけで食べれる。最高。■ブーランジェリーアンサンブル(鎌倉)オリンピックのフランス代表にも提供されたクロワッサンらしい。すごいよね。本場の人たちが認めたクロワッサンってことでしょう。つまり世界最高レベルのクロワッサンを食べれたってこと。で、食べた感想としては、層がものすごい存在感あるし、サクサクで歯ざわり最高。バターの香りもすごくして美味しい。素晴らしい。けど、1個300円ってちょい高い。割と小さ目なサイズだし。でも、美味しい。すごく美味しいから妥当な価格な気がするなぁー。あ、もちろんレザンも美味しいです。GW中の13時くらいに伺ったが、割と空いてて良かった。じっくり選べた。パンも種類もまだ沢山あったから、なかなか使い勝手良い。価格:・クロワッサン:295円・パンオレザン:300円■シティベーカリーサワムラが運営している店。美味しいけど、全部高い!!1つ400~700円くらいする。やりすぎ。美味しいけどね。■メゾン ランデュメンヌ(麻布台)クロワッサン食べたけども、値段高すぎ。美味しさと値段が見合ってない。■ブーランジェリー ブルディガラ(広尾)今まで食べたクロワッサンの中で一番美味しいかも。(いや、最近食べた鎌倉のアンサンブルってお店の方が美味しいかもしれないが)ちなみに、モンブランも食べたけど、軽すぎでした。まぁケーキはケーキ屋で食べるのが吉■トリュフベーカリー門前仲町本店はいつも並んでる。広尾で2度くらい利用。地下鉄の階段上るときめっちゃいいにおいする。ただ、そんなにうまいか?高いし。トリュフのパンというブランディングがうまくいった例だと思う■ツォップ(松戸)マジでうまいがマジで並ぶ��車でしかいけない。一度の会計で5,000円以上買ったのここくらいかも。なんでもうまい■ザクロ(久里浜)山の上にある。神奈川のツォップだと思ってるYRP野比っていう、IT研究者の島流しの地にあ・■空と麦と(代官山)うーん。豆パンみたいなの食べたけど、ちょっと印象薄い。■365日(代々木八幡)めちゃ美味しい。玉ねぎとゴルゴンゾーラのパン、ブリオッシュ、レザンを購入。ブリオッシュは凄い!なんかよくわからないけどすごく美味しい。■パーラー江古田(江古田)最後に食べてから10年くらい経ってるけど、本当に美味しかった記憶。食事パンの種類が豊富で生地の風味が楽しめる■PAUL 神楽坂店(神楽坂)内装は凝ってて面白い。ただ座席が窮屈。パンは美味しいかなぁ?わからないなぁ。パンの展示の方法はお洒落で良い!(日光当たりまくってるけどいいのかな?)ランチセットのグラタンみたいなの頼んだけど、チーズの酸味が強すぎたかなぁ。好みじゃないかもです。■ブーランジェリー スドウ(松陰神社前)まぁ美味しいのだけど、価格高すぎ。やりすぎ。意味不明。自分で作った方が沢山作れるし、そこそこの美味しさだけど、沢山あることの満足感は、トータルで負けないと思うな。スコーンは焼きたてには勝てん。価格:・メイプルシュガーのクルミのスコーン:370円・マルコナアーモンドと苺チョコレートのスコーン:370円■ラフォレ・エ・ラ・ターブル(鎌倉)第一印象としては、かなり具材の香りが強い。パンの香り、味がちょっと負けてるように感じた。もう少し小麦を感じたかったかな。まぁそういうパンを選べよってだけだけど。紅茶もオリーブも選ばれたものなのだろうなぁと思う。だってここまで味濃いのだから。・ティーブラン・グリーンオリーブバーを食べました。今度はシンプルパンを食べたいと思う。価格はちょい高いけど、納得感はある。GWの午後のタイミングで伺ったが、結構パンの種類もあって、ゆっくり選べてすごい良かった。■BREAD IT BE(鎌倉)コンプレ(全粒粉を使ったパンのことをコンプレというらしい)が美味しかった。お店の雰囲気も抜群に良くて、店員さんも感じよかった。クレイジーリッチ食パンは、まぁ、美味しかったが、美味しかったが、高いと思ったね。やっぱり普段食べてるものと比較できちゃうと高いなぁーと感じるのだろうな。(いつも家でホームベーカリーで食パン焼いてるからそれと比べちゃう…。)GWに伺ったが、店内空いていて、じっくりとパンを選べた。嬉しいねぇ。■les joues de BeBe(目黒)bebeパンが甘い系パンだと思ったら、チーズ系のパンだった。粉砂糖かと思ったら、小麦粉だった。美味しかったけど、選択ミスった。(2種類ともチーズ系になっちゃった)店内おしゃれだった。外にもベンチがあるの良い。大衆ビストロジルってところをやってる会社の店舗ショップリスト|株式会社ジリオン (bistro-jill.com)■円麦(札幌 円山)お店が洒落てる。美味しい。おススメ。■PUBLIC(岡山)美味しかったなぁー。素晴らしい。都会的な美味しさ。洗練されてる。■讃岐うどん やなぎ屋 西大浜店美味しかったー!!今のところ、人生で一番美味しいうどん屋でした。暫定1位。まぁ何って、うどんっていうより、天ぷら・おにぎり・ポテサラ等など、サイドメニューが最高です!■B² ビースクエアード(清澄白河)まぁまぁくらい。■ル・パン・コティディアン 芝公園店(芝公園)美味しい!フロランタンは、今までで一番かも。サンドウィッチに関しては、まぁパンというか、中身の味によるよね。ブルーチーズとくるみと蜂蜜のパンは、持った感じすぐわかるくらい重たかった。ボリューム凄い。味は人を選ぶかもしれない。結論としては、かなり美味しいパン屋さん■モンシェール東陽町工場まぁ安いけど…。ここでしか食べられないって感じでもないなぁ。ちなみに木場のヨーカドーでも買えます。■KIBIYA ベーカリー 本店(鎌倉)いやぁー。そこまでって感じ。■俺のBakery恵比寿(恵比寿)うーん。普通やなぁーって感じ。■パネッテリア・アリエッタ(五反田)小さなお店で品ぞろえはあまり多くなく、シンプルなパンが多いがうまい。店名を関したアリエッタがうまい■ヒンメル(大岡山)ドイツパンのお店。プレッツェルとかカイザー、配合比率の異なるライ麦パン各種などドイツパンが種類豊富。メトロの目黒駅に分店があったのに、コロナで消えてしまって残念■カトレア(森下)カレーパンが有名な店。カレーパンはおいしいけど、他は街のそこらのベーカリーと大差ない■峰屋(新宿御苑)有名バーガーショップにバンズを卸している店。シンプルなパンがうまい。クレセント■ジャンティーユ(中目黒)小さい高いパン。店員が赤リップだったりして都会を感じる■ブレッドワークス(品川)品川のエキュートならここがうまい。ハード系や食事パンがちゃんとおいしい大人向け。表参道にもある■ブーランジェリーラテール(品川)本店は三宿にあるらしい。クリームパン推しで確かにおいしい。ただラインナップはやや子供向け感ある。街のパン屋の上位互換。■満(曙橋)和風の総菜パンが多く店構えも和風。品川エキュートにもある■ブレッドアンドコーヒーイケダヤマ(五反田)パンドミがうまい。カフェスペースがある。駅から離れているので空いていてゆったりできる■ゴントランシェリエ東京青山店宮益坂の根本から新宿駅南口に移ったと思ったらいま青山にあるのか?ベイクルーズ運営のベーカリー。映えよくそこそこうまい。宮益坂時代はカフェ・新宿時代はイートインスペース併設でカフェ利用にも便利だった■スギノキ(五反田)店主が販売もしているワンオペの小さい店。もちもち系。ブリオッシュよく買ってた。うまい。■ドゥヌラルテ(青山)伊勢丹の地下にあったころよく使ってた。ブリオッシュと小さい角食パンとか。黄色×青の紙袋がかわいく手土産にも■ブーランジェリーボヌール(三軒茶屋)10年以上前バイトしてた。クリームパンとチョコチップパンがうまいよ■ベーカリーホシノ(戸越銀座)街のパンやでは健闘している。デニッシュブレッドがおいしかった■パンタレイ(清澄白河)店が小さいのもあっていつも並んでる。食パンや豆など練りこんだハードパンがおいしい。おしゃれな感じ■モンシェール(東陽町)テレビとかで行列って言われてるみたいだけど並んでるの見たことない。1,000円くらいででっかいデニッシュ食パンを売ってる。子ども向けの油と砂糖味。木場のヨーカドーでも買える■たかたまこむぎ(門前仲町)一見街のパン屋なんだけどハードパンがめちゃうまい。もっちり系。デニッシュ系はあっさりめ。1日5~6個しか出ない(てか多分全種類朝1回しか焼かない)ライ麦入りのミッシュブロートってハードパンがめちゃうまくてオープンから1時間以内に行って買い求めてた■中村食糧(清澄白河)完全予約制パン屋。高加水。知る限り一番もちもち度が高い。うまいけど、そこまでもちもちしたらもはや餅。ハマらなかった■ロッド(五反田)五反田勤務時よく朝食を買っていた。JR運営かな?サンドイッチやフルーツデニッシュがしゃれていてうまい 生地は普通=====================================================東京には普段使いされる���ン屋と、訪問というイベント使いされるパン屋(トリュフベーカリーとか)が別々にある気がする 後者は単価が高い
東京のパン屋の格付け表作ったから、これたたき台にして遊ぼうぜ!
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medickalmalpractice · 2 years ago
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受���戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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myonbl · 2 years ago
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2023年5月30日(火)
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夜来の雨、鬱陶しいなと思いつつ玄関を出ると紫陽花が咲いている。近畿地方は梅雨入りとのこと、やっと自分の出番が来たと誇っているようだ。貧相な空間で申し訳ないが、それでも一生懸命存在を主張している健気な姿、梅雨を前向きに受けとめることができる。ありがとう、元気に行ってきまーす!
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5時30分起床。
ツレアイは、普段よりゆっくり出るとのこと。
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朝食、洗濯、ご飯が余っているので弁当4つ。その間に、ツレアイが洗濯物を干してくれる。
可燃ゴミ、30L*2。
午前8時、ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
私はO姉と一緒に出勤、ツレアイはすぐ後に自転車で出勤。
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順調に到着する。
昨日の<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>の入力課題をチェック、練習の成果がそれなりに出ているのが嬉しい。
月初めの連休に作業するつもりが遅れてしまった<熊野本>の原稿、漸く手を付け始め、何とか今週中に終えたいものだ。
火曜日3限・4限はは<スタディスキルズ(看護学科)>、今週は先週作成したメモをもとにレポートの執筆作業。私が用意した資料が意を尽くせず、3限のクラスでの質問を踏まえ、4限のクラスには大分風通しが良くなった。ともあれ、来週の授業までにレポートを完成させることを宿題とした。
いつも通り九条大宮でO姉を下ろし、自宅に戻ったのが17時30分過ぎのこと。ツレアイは昼前に帰宅、午後はあれこれ片付けを頑張ってくれた。
環境社会学会から年会費の請求、私が現在唯一加入している学会、9000円をカードで支払う。
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夕飯は、豚バラ肉のすき焼き風/新ジャガのフライドポテト/レタスとトマト。
録画番組視聴。日本の話芸から、
神田松鯉 講談「男の花道」
初回放送日: 2022年11月27日
人間国宝・神田松鯉さんの講談「男の花道」をお送りします(令和4年9月18日(日)収録)【あらすじ】文化文政時代、長崎で修業をして江戸へ向かう眼科医、半井源太郎(なからいげんたろう)。途中の宿で人気俳優の中村歌右衛門と泊まり合わせる。その夜、歌右衛門が重い眼病で苦しみだしたのを三日三晩治療して見事に回復させた。歌右衛門は「半井先生になにかありました時は、水火も辞せずはせ参じます」と厚く礼を述べる…
露の新治さんの口演で聴いたことはあるが、講談としては初めて。
片付け、入浴、体重は450g減。
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それなりに動いて3つのリング完成、水分は1,540ml。
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dropoutsurf · 3 months ago
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整形版まとめ
民主党の公約と実績
【増税しません】→法案通しました。
【消えた年金問題を追及】→民主党支持母体の労組がサボったのが原因
【特別会計の無駄遣いを追及】→民主党支持母体の(略)
【高速道路無料化します】→しませんでした。
【ガソリン税を無くします】→無くせませんでした。
【埋蔵金が80兆円はある!】→ありませんでした。
【民主党への政権交代が景気対策。株価三倍!】→株価下落、デフレ継続
【日銀総裁人事にことごとく反対】→白川総裁でデフレ継続。
原発政策
【原発依存度50%でCO2を削減】→使用期限が2011年2月に来ていた福島第一原発の使用延長の海江田経済産業大臣が許可。無策で、原発事故を拡大。法律で決められたSPEEDi情報の公開せず、間違った方向に避難民を誘導し、被曝拡大。
政治倫理
【秘書の責任は政治家本人の責任!秘書が逮捕なら議員辞職する!】→小沢一郎、秘書が逮捕されるも議員辞職せず。
【政治献金は一円単位でクリーンであるべき。松岡を自殺まで追い込む】→鳩山由紀夫は故人から献金、母親から多額違法献金、脱税。その後、納税するも時効分は返納も寄付もせず。前原誠司、野田、菅直人は韓国人から違法献金受けて、訴追されず。蓮舫なども事務所経費で違法も辞任せず。
外交・安全保障
【普天間、最低でも県外。腹案がある。トラストミー!】→それまで13年かけて辺野古に地元、米国も合意していたのに、地元、米国に期待と不信感だけ植え付け、何も進展なし。
【尖閣漁船問題】→那覇検察責任を押し付け、船長を釈放。ビデオ公開され、海保職員を事情聴取し辞任に追い込む。
経済政策
【円高歓迎発言の藤井など】→日本経済が疲弊、倒産増加、失業増加、株価下落、新卒就職率下落。
その他の問題点
【マニフェストに無い事はやりません!】外国人参政権、人権侵害法案、などマニフェストに無い事は迅速な検討。金賢姫を都内ヘリコプター遊覧後、別荘で接待。
【麻生は漢字が読めない!】→菅直人は国会演説で【国会】にフリガナの原稿を週刊誌にスッパ抜かれる。
鳩山由紀夫は「日本列島は日本人だけのものではない」と発言
韓国に5兆円通貨スワップ、竹島に李明博の上陸を許す、何だか韓国が無くした本の写本を返してあげる
中井が議員会館に女連れ込み鍵渡す
国家公安委員会の情報漏れる
口蹄疫は無策で牛さんなど大量に殺処分
農水省でも情報漏れ
ロシア大統領の北方領土上陸を許す
復興予算の執行が兆円単位で実行できない
太陽光発電に42円という法外に高い値段で買取りを約束
秋篠宮に「座れ」と中井が暴言
天皇陛下の臨席で仙谷が居眠り
小沢一郎は中共に600人を連れて朝貢外交し「自分は人民解放軍の野戦司令官」と発言
小沢一郎は天皇陛下に周近平とのルール違反の面会をゴリ押し
小沢一郎は四億円の資金について再三再四も説明を変え起訴される
仙谷は「文化大革命が始まる。」「自衛隊は暴力装置」と発言
菅直人はベントを遅らせ疑惑で報告書に被害拡大の一因と明記される
輿石東は「教育に政治的中立は無い」と発言
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外国人,在日,中国,韓国,北朝鮮,敵国,左翼,リベラル,売国,政治不信,立憲民主党,民主党,悪夢の民主党政権,311,福島原発,太陽光発電,ソーラーパネル,原子力発電所,政権運営,マニュフェスト,人災,
“民主党【増税しません】→法案通しました。 民主党【消えた年金問題を追及】→民主党支持母体の労組がサボったのが原因 民主党【特別会計の無駄遣いを追及】→民主党支持母体の(略) 民主党【高速道路無料化します】→しませんでした。 民主党【ガソリン税を無くします】→無くせませんでした。 民主党【埋蔵金が80兆円はある!】→ありませんでした。 民主党【民主党への政権交代が景気対策。株価三倍!】→株価下落、デフレ継続 民主党【日銀総裁人事にことごとく反対】→白川総裁でデフレ継続。 民主党【原発依存度50%でCO2を削減】→使用期限が2011年2月に来ていた福島第一原発の使用延長の海江田経済産業大臣が許可。無策で、原発事故を拡大。法律で決められたSPEEDi情報の公開せず、間違った方向に避難民を誘導し、被曝拡大。 民主党【秘書の責任は政治家本人の責任!秘書が逮捕なら議員辞職する!】→小沢一郎、秘書が逮捕されるも議員辞職せず。 民主党【政治献金は一円単位でクリーンであるべき。松岡を自殺まで追い込む】→鳩山由紀夫は故人から献金、母親から多額違法献金、脱税。その後、納税するも時効分は返納も寄付もせず。前原誠司、野田、菅直人は韓国人から違法献金受けて、訴追されず。蓮舫なども事務所経費で違法も辞任せず。 民主党【普天間、最低でも県外。腹案がある。トラストミー!】→それまで13年かけて辺野古に地元、米国も合意していたのに、地元、米国に期待と不信感だけ植え付け、何も進展なし。 民主党【尖閣漁船問題】→那覇検察責任を押し付け、船長を釈放。ビデオ公開され、海保職員を事情聴取し辞任に追い込む。 民主党【円高歓迎発言の藤井など】→日本経済が疲弊、倒産増加、失業増加、株価下落、新卒就職率下落。 民主党【マニフェストに無い事はやりません!】外国人参政権、人権侵害法案、などマニフェストに無い事は迅速な検討。金賢姫を都内ヘリコプター遊覧後、別荘で接待。 民主党【麻生は漢字が読めない!】→菅直人は国会演説で【国会】にフリガナの原稿を週刊誌にスッパ抜かれる。 その他、 鳩山由紀夫は「日本列島は日本人だけのものではない」と発言、 韓国に5兆円通貨スワップ、竹島に李明博の上陸を許す、何だか韓国が無くした本の写本を返してあげる、 中井が議員会館に女連れ込み鍵渡す、 国家公安委員会の情報漏れる、 口蹄疫は無策で牛さんなど大量に殺処分、 農水省でも情報漏れ、 ロシア大統領の北方領土上陸を許す、 復興予算の執行が兆円単位で実行できない、 太陽光発電に42円という法外に高い値段で買取りを約束、 秋篠宮に「座れ」と中井が暴言、 天皇陛下の臨席で仙谷が居眠り、小沢一郎は中共に600人を連れて朝貢外交し「自分は人民解放軍の野戦司令官」と発言、 小沢一郎は天皇陛下に周近平とのルール違反の面会をゴリ押し、 小沢一郎は四億円の資金について再三再四も説明を変え起訴される、 仙谷は「文化大革命が始まる。」「自衛隊は��力装置」と発言、 菅直人はベントを遅らせ疑惑で報告書に被害拡大の一因と明記される、 輿石東は「教育に政治的中立は無い」と発言、 きりないなぁ。誰か足してください(笑)”
— 民主党(民進党)を、二度と政権につかせてはならない。 (via awarenessxx)
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kachoushi · 4 hours ago
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各地句会報
花鳥誌 令和7年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年11月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
船だまり濁れば冬の匂ひかな 和子 秋簾上げてあいさつ船番屋 昌文 時雨るるを亀の貌出す船溜り きみよ 冬菊を咲かせ運河に棲んでゐる 和子 釣船は沈まず冷えてたゆたひて 軽象 花魁の高き塗り下駄すさまじや 毬子 冬近し下駄に鼻緒の穴三つ 緋路 秋の蠅かつて不夜城だつた街 久 踏切の音織り交ぜて初時雨 順子 秋雨の音に艀の朽ちゆける はるか
岡田順子選 特選句
秋簾上げてあいさつ船番屋 昌文 傘に触れ秋霖に音生まれたる 緋路 街道のしるべや松の色変へず はるか すげられぬ鼻緒は秋霖に置かれ 季凜 冬菊を咲かせ運河に棲んでゐる 和子 炉火恋し品川宿へ止まぬ雨 毬子 品川宿の空は映さず冬の水 和子 鯨塚とは鉄に時雨つつ 俊樹 退助の墓碑に秋の蚊とまりけり 緋路 霧の香は花街の眠りの中に きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
空小春鉄路に音の残りゆく 成子 古井戸は地震観測点蚯蚓鳴く 睦子 菊の酒男励ます女たち 朝子 小春かな夫のわがまま許せる日 光子 待たされたあげくの返事つづれさせ 久美子 長き夜エンドロールは最後まで 修二 夕露の触れたる指に紅をさす かおり 人知れずそれぞれの修羅十二月 孝子 幼子の肩やはらかし指小春 成子 我が証並ぶ書棚に秋日入る 修二 背凭れに秋冷重き服垂れて かおり 深秋の祈りに透きしペンダント 同 木の実降る淋しくなると窓を開け 美穂 倖せと来て翅収む赤とんぼ 朝子 秋刀魚食ぶB面の曲流れをり 修二 小春日や黒留袖の猩々緋 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月4日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
街騒にあれど露けき虚子の句碑 かづを 山中に偲ぶ人あり深む秋 同 萩の寺影にも風の棲みてをり 同 仏舎利塔故山の紅葉侍らして 同 秋祭朝より晴れて御輿出る 匠 池の面に紅葉且つ散る藩主邸 笑子 紅葉落つ風の調べを携へて 千加江 夜の帳金木犀の香をもちて 雪 いさゝかの雲も情けや後の月 同 今日の月長き手紙を書きにけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
二階より少し見ゆ海冬の波 すみ子 紫蘭咲く長き不在の牧師館 佐代子 菊日和産着干す風隣から 悦子 毛糸編むたぶん少し淋しいから 都 採血の針ためらひて霜の朝 悦子 ぽつりはらり立冬の雨鍬先に 美智子 藪枯手繰れば蔓の二階まで 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
花びらを重ねて薫る野菊叢 三無 残菊の香の供華愛し陽子墓碑 亜栄子 山門も開け放たれて石蕗の花 美枝子 冬日背にひとり拝する年尾句碑 秋尚 小春日や背丸くして影二つ 多美女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
夕の灯のふとゆらぎたる落葉して 三無 厨より笑ひ声洩れ花八手 秋尚 落葉して遠く港のネオンみゆ ま��江 暮れなづむ細道八つ手白々を 和魚 汲み置きの桶に落葉のニ三葉 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
大根を炊きおき明日は入院す 実加 庭の石蕗も少し待てば花日和 令子 冬初め頑固爺さん星となり みえこ 小春日や声賑やかき美容室 あけみ 木枯や珈琲飲んでゐる夕べ 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月12日 萩花鳥会
臀ポケット光るスマホや冬ほたる 健雄 もう一杯注ぐ手の皺秋長夜 俊文 大根のまるき厚切りおでん種 恒雄 苔に散る山茶花しばしそのままに 美恵子 湯気向こう大根頬張る母卒寿 綾子
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令和6年11月15日 さきたま花鳥句会
杜の秀に残照として冬紅葉 月惑 曖昧な季節移ろひ冬の宿 八草 七五三絵馬をはみ出す鏡文字 裕章 吊革の軋む重さや冬めける 紀花 神無月巫女の鈴舞ひ厳かに ふゆ子 新聞の社説読みつつ大根煮る としゑ 今朝の冬猫背の影を濃くのばし 康子 衣も食も風も音たて冬に入る 恵美子 凩の去りて夜明の星数多 みのり 父見舞ふ施設の駅や冬の月 良江
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令和6年11月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
大寺の誦経とよもす実南天 幸風 神の留守句碑に微睡む雀どち 月惑 日の欠片程に山茶花綻びし 斉 福耳の虚子像和む七五三 三無 散るときの造花めきたる冬薔薇 千種 蝶上りゆける小春の青天井 同 虚子像に日のあたりたる初冬かな 月惑 波郷忌や天日遠く雲流れ 千種 虚子像の彫り深くして冬日影 月惑
栗林圭魚選 特選句
大寺の誦経とよもす実南天 幸風 冬薔薇の残る重みを支ふとげ 久子 丹精を花名に込めて菊花展 三無 枯れ園になるに間のある日射しかな 同 福耳の虚子像和む七五三 同 散るときの造花めきたる冬薔薇 千種 冬鳥の森の高さを鳴き渡る 斉 波郷忌や天日遠く雲流れ 千種 炒り豆の食べる手止まぬ夜長かな れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月20日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
菊人形夜の魂のあり所 雪 此の世の火使ひ果して近松忌 同 煮大根語り継がれし母のこと 笑子 冬の蝶番もつれて黄を零し 同 切妻の吉江の里の近松忌 同 大根まだ役者然にはほど遠し 数幸 存問の吐露するほどに石蕗の花 同 山茶花に初恋の日々顧みる 隆司
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
手に触れし物に一人の秋惜しむ 雪 ありつたけの包丁研ぎて爽やかに 同 山門を入りし一歩に雨の萩 同 夏場所の粋に崩れし大銀杏 同 小鳥来て明るき声頭上より 同 北国の空の深さを夜々の月 同 身ほとりに秋蝶何を告げんとて 同 人形は人形の顔菊着ても 同 留守を守る阿吽の二匹神は旅 かづを 爽やかや空を画布とし描く雲 同 注連作り終へて屑藁焚かれけり ただし 大鳥居三叉路にあり冬日向 同 甕墓の千年杉や落葉道 同 灯る窓灯らぬ窓の里時雨 真喜栄 雪囲ひ百万石といふ気品 同 御城下の落葉踏みしめ踏みしめて 洋子 流れ星幼き祈り如何せん 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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wangwill66 · 15 days ago
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增廣昔時賢文(上)
增廣昔時賢文
佚名增廣賢文,又名昔時賢文、古今賢文,是一部古訓、民諺集,多匯爲人處事之古訓民諺,頗具哲理,世稱「讀了增廣會説話,讀了幼學走天下」。書名最早見於明萬暦間牡丹亭,據此可推知此書最遲寫成於萬暦年間。後來經過明淸兩代文人不斷增補,漸成今本,稱增廣昔時賢文,通稱增廣賢文。作者一直未見任何書載,只知淸同治年間儒生周希陶曾重訂。
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维基百科條目:增廣昔時賢文
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昔時賢文,誨汝諄諄。集韻增廣,多見多聞。
觀今宜鑒古,無古不成今。
知己知彼,將心比心。
酒逢知己飲,詩向會人吟。相識滿天下,知心能幾人?
相逢好似初相識,到老終無怨恨心。
近水知魚性,近山識鳥音。
易漲易退山溪水,易反易覆小人心。
運去金成鐵,時來鐵似金。
讀書須用意,一字値千金。
逢人且説三分話,未可全抛一片心。
有意栽花花不發,無心插柳柳成蔭。
畫虎畫皮難畫骨,知人知面不知心。
錢財如糞土,仁義値千金。
流水下灘非有意,白雲出岫本無心。
當時若不登髙望,誰信東流海洋深?
路遙知馬力,日久見人心。
兩人一般心,無錢堪買金;一人一般心,有錢難買針。
相見易得好,久住難爲人。
馬行無力皆因瘦,人不風流只爲貧。
饒人不是癡漢,癡漢不會饒人。
是親不是親,非親卻是親。
美不美,鄕中水;親不親,故鄕人。
鶯花猶怕春光老,豈可教人枉度春?
相逢不飲空歸去,洞口桃花也笑人。
紅粉佳人休使老,風流浪子莫教貧。
在家不會迎賓客,出外方知少主人。
黃芩無假,阿魏無眞。
客來主不顧,自是無���賓;良賓主不顧,應恐是癡人。
貧居鬧市無人問,富在深山有遠親。
誰人背後無人説,哪箇人前不説人?
有錢道眞語,無錢語不眞。
不信但看筵中酒,杯杯先敬有錢人。
鬧裏掙錢,靜處安身。
來如風雨,去似微塵。
長江後浪推前浪,世上新人趕舊人。
近水樓臺先得月,向陽花木早逢春。
古人不見今時月,今月曾經照古人。
先到爲君,後到爲臣。
莫道君行早,更有早行人。
莫信直中直,須防仁不仁。
山中有直樹,世上無直人。
自恨枝無葉,莫怨太陽偏。
萬般皆是命,半點不由人。
一年之計在於春,一日之計在於晨;一家之計在於和,一生之計在於勤。
責人之心責己,恕己之心恕人。
守口如甁,防意如城。
寧可人負我,切莫我負人。
再三須愼意,第一莫欺心。
虎生猶可近,人熟不堪親。
來説是非者,便是是非人。
遠水難救近火,遠親不如近鄰。
有茶有酒多兄弟,急難何曾見一人?
人情似紙張張薄,世事如棋局局新。
山中也有千年樹,世上難逢百歳人。
力微休負重,言輕莫勸人。
無錢休入衆,遭難莫尋親。
平生不做皺眉事,世上應無切齒人。
士乃國之寶,儒爲席上珍。
若要斷酒法,醒眼看醉人。
求人須求大丈夫,濟人須濟急時無。
渇時一滴如甘露,醉後添杯不如無。
久住令人賤,頻來親也疎。
酒中不語眞君子,財上分明大丈夫。
貧賤之交不可忘,糟糠之妻不下堂。
出家如初,成佛有餘。
積金千兩,不如明解經書。
養子不教如養驢,養女不教如養豬。
有田不耕倉廩虚,有書不讀子孫愚。
倉廩虚兮歳月乏,子孫愚兮禮義疎。
聽君一席話,勝讀十年書。
人不通今古,馬牛如襟裾。
茫茫四海人無數,哪箇男兒是丈夫?
白酒釀成縁好客,黃金散盡爲收書。
救人一命,勝造七級浮屠。
城門失火,殃及池魚。
庭前生瑞草,好事不如無。
欲求生富貴,須下死工夫。
百年成之不足,一旦敗之有餘。
人心似鐵,官法如爐。
善化不足,惡化有餘。
水太淸則無魚,人至察則無徒。
知者減半,省者全無。
在家由父,出嫁從夫。
癡人畏婦,賢女敬夫。
是非終日有,不聽自然無。
寧可正而不足,不可邪而有餘。
寧可信其有,不可信其無。
竹籬茅舍風光好,道院僧堂終不如。
命裏有時終須有,命裏無時莫強求。
道院迎仙客,書堂隱相儒。
庭栽棲鳳竹,池養化龍魚。
結交須勝己,��我不如無。
但看三五日,相見不如初。
人情似水分髙下,世事如雲任巻舒。
會説説都是,不會説無禮。
磨刀恨不利,刀利傷人指。
求財恨不得,財多害自己。
知足常足,終身不辱。
知止常止,終身不恥。
有福傷財,無福傷己。
差之毫釐,失之千里。
若登髙必自卑,若渉遠必自邇。
三思而行,再思可矣。
使口不如親爲,求人不如求己。
小時是兄弟,長大各鄕里。
妬財莫妬食,怨生莫怨死。
人見白頭嗔,我見白頭喜。
多少少年亡,不到白頭死。
牆有縫,壁有耳。
好事不出門,惡事傳千里。
若要人不知,除非己莫爲。
爲人不做虧心事,半夜敲門心不驚。
賊是小人,知過君子。
君子固窮,小人窮斯濫也。
貧窮自在,富貴多憂。
不以我爲德,反以我爲仇。
寧向直中取,不可曲中求。
人無遠慮,必有近憂。
知我者謂我心憂,不知我者謂我何求?
晴天不肯去,只待雨淋頭。
成事莫説,覆水難收。
是非只爲多開口,煩惱皆因強出頭。
忍得一時之氣,免得百日之憂。
近來學得烏龜法,得縮頭時且縮頭。
懼法朝朝樂,欺公日日憂。
人生一世,草生一春。
黑髮不知勤學早,白首方悔讀書遲。
月過十五光明少,人到中年萬事休。
兒孫自有兒孫福,莫爲兒孫作馬牛。
爲人莫做千年計,三十河東四十西。
人生不滿百,常懷千歳憂。
今朝有酒今朝醉,明日愁來明日憂。
路逢險處難迴避,事到頭來不自由。
藥能醫假病,酒不解眞愁。
人貧不語,水平不流。
一家有女百家求,一馬不行百馬憂。
有花方酌酒,無月不登樓。
三杯通大道,一醉解千愁。
深山畢竟藏猛虎,大海終須納細流。
惜花須檢點,愛月不梳頭。
大抵選他肌骨好,不擦紅粉也風流。
受恩深處宜先退,得意濃時便可休。
莫待是非來入耳,從前恩愛反爲仇。
留得五湖明月在,不愁無處下金鉤。
休別有魚處,莫戀淺灘頭。
去時終須去,再三留不住。
忍一句,息一怒,饒一著,退一歩。
三十不豪,四十不富,五十將來尋死路。
生不論魂,死不認屍。
一寸光陰一寸金,寸金難買寸光陰。
父母恩深終有別,夫妻義重也分離。
人生似鳥同林宿,大限來時各自飛。
人善被人欺,馬善被人騎。
人無橫財不富,馬無野草不肥。
人惡人怕天不怕,人善人欺天不欺。
善惡到頭終有報,只爭來早與來遲。
黃河尙有澄淸日,豈可人無得運時。
得寵思辱,安居慮危。
唸-{唸}有如臨敵日,心心常似過橋時。
英雄行險道,富貴似花枝。
人情莫道春光好,只怕秋來有冷時。
送君千里,終須一別。
但將冷眼看螃蟹,看你橫行到幾時。
見事莫説,問事不知。
閒事休管,無事早歸。
假緞染就眞紅色,也被旁人説是非。
善事可作,惡事莫爲。
許人一物,千金不移。
龍生龍子,虎生豹兒。
龍游淺水遭蝦戲,虎落平陽被犬欺。
一舉首登龍虎榜,十年身到鳳凰池。
十年窗下無人問,一舉成名天下知。
酒債尋常行處有,人生七十古來稀。
養兒待老,積穀防飢。
鷄豚狗彘之畜,無失其時。數家之口,可以無飢矣。
當家纔知鹽米貴,養子方知父母恩。
常將有日思無日,莫把無時當有時。
樹欲靜而風不止,子欲養而親不待。
時來風送滕王閣,運去雷轟薦福碑。
入門休問榮枯事,觀看容顏便得知。
官淸書吏瘦,神靈廟祝肥。
息卻雷霆之怒,罷卻虎狼之威。
饒人算人之本,輸人算人之機。
好言難得,惡語易施。
一言旣出,駟馬難追。
道吾好者是吾賊,道吾惡者是吾師。
路逢俠客須呈劍,不是才人莫獻詩。
三人同行,必有我師焉,擇其善者而從之,其不善者而改之。
欲昌和順須爲善,要振家聲在讀書。
少壯不努力,老大徒傷悲。
人有善願,天必佑之。
莫飲卯時酒,昏昏醉到酉。
莫罵酉時妻,一夜受孤淒。
種麻得麻,種豆得豆。
天眼恢恢,疎而不漏。
見官莫向前,做客莫在後。
寧添一斗,莫添一口。
螳螂捕蟬,豈知黃雀在後。
不求金玉重重貴,但願兒孫箇箇賢。
一日夫妻,百世姻縁。
百世修來同船渡,千世修來共枕眠。
殺人一萬,自損三千。
傷人一語,利如刀割。
枯木逢春猶再發,人無兩度再少年。
未晩先投宿,鷄鳴早看天。
將相胸前堪走馬,公侯肚裏好撐船。
富人思來年,窮人想眼前。
世上若要人情好,賒去物件莫取錢。
死生有命,富貴在天。
撃石原有火,不撃乃無煙。
爲學始知道,不學亦徒然。
莫笑他人老,終須還到老。
和得鄰里好,猶如拾片寶。
但能依本分,終須無煩惱。
大家做事尋常,小家做事慌張。
大家禮義教子弟,小家兇惡訓兒郎。
君子愛財,取之有道。
貞婦愛色,納之以禮。
善有善報,惡有惡報。
不是不報,日子不到。
萬惡淫爲首,百善孝當先。
人而無信,不知其可也。
一人道虚,千人傳實。
凡事要好,須問三老。
若爭小可,便失大道。
家中不和鄰里欺,鄰里不和説是非。
年年防饑,夜夜防盜。
學者是好,不學不好。
學者如禾如稻,不學者如蒿如草。
遇飲酒時須飲酒,得髙歌處且髙歌。
因風吹火,用力不多。
不因漁父引,怎得見波濤。
無求到處人情好,不飲從他酒價髙。
知事少時煩惱少,識人多處是非多。
入山不怕傷人虎,只怕人情兩面刀。
強中更有強中手,惡人須用惡人磨。
會使不在家豪富,風流不用著衣多。
光陰似箭,日月如梭。
天時不如地利,地利不如人和。
黃金未爲貴,安樂値錢多。
世上萬般皆下品,思量唯有讀書髙。
世間好語書説盡,天下名山僧佔多。
爲善最樂,作惡難逃。
羊有跪乳之恩,鴉有反哺之義。
孝順還生孝順子,忤逆還生忤逆兒。
不信但看檐前水,點點滴滴舊池窩。
你急他未急,人閒心不閒。
隱惡揚善,執其兩端。
妻賢夫禍少,子孝父心寬。
旣墜釜甑,反顧無益。
翻覆之水,收之實難。
人生知足何時足,人老偸閒且是閒。
但有緑楊堪繫馬,處處有路通長安。
見者易,學者難。莫將容易得,便作等閒看。
厭靜還思喧,嫌喧又憶山。
自從心定後,無處不安然。
用心計較般般錯,退歩思量事事難。
道路各別,養家一般。
從儉入奢易,從奢入儉難。
知音説與知音聽,不是知音莫與彈。
點石化爲金,人心猶未足。
信了賭,賣了屋。
他人觀花,不渉你目。
他人碌碌,不渉你足。
誰人不愛子孫賢,誰人不愛千鍾粟。
奈五行,不是這般題目。
莫把眞心空計較,兒孫自有兒孫福。
書到用時方恨少,事非經過不知難。
天下無不是的父母,世上最難得者兄弟。
與人不和,勸人養鵝;與人不睦,勸人架屋。
但行好事,莫問前程。
河狹水激,人急計生。
明知山有虎,莫向虎山行。
路不行不到,事不爲不成。
人不勸不善,鐘不打不鳴。
無錢方斷酒,臨老始看經。
點塔七層,不如暗處一燈。
堂上二老是活佛,何用靈山朝世尊。
萬事勸人休瞞昧,舉頭三尺有神明。
但存方寸土,留與子孫耕。
滅卻心頭火,剔起佛前燈。
惺惺常不足,懵懵作公卿。
衆星朗朗,不如孤月獨明。
兄弟相害,不如自生。
合理可作,小利莫爭。
牡丹花好空入目,棗花雖小結實成。
欺老莫欺小,欺人心不明。
隨分耕鋤收地利,他時飽滿謝蒼天。
得忍且忍,得耐且耐。不忍不耐,小事成大。
相論逞英雄,家計漸漸退。
賢婦令夫貴,惡婦令夫敗。
一人有慶,兆民咸賴。
人老心未老,人窮志莫窮。
人無千日好,花無百日紅。
黃蜂一口針,橘子兩邊分。
世間痛恨事,最毒淫婦心。
殺人可恕,情理難容。
乍富不知新受用,乍貧難改舊家風。
座上客常滿,樽中酒不空。
屋漏更遭連夜雨,行船又遇打頭風。
筍因落籜方成竹,魚爲奔波始化龍。
記得少年騎竹馬,看看又是白頭翁。
禮義生於富足,盜賊出於貧窮。
天上衆星皆拱北,世間無水不朝東。
士爲知己者死,女爲悅己者容。
色即是空,空即是色。
君子安貧,達人知命。
良藥苦口利於病,忠言逆耳利於行。
順天者存,逆天者亡。
有縁千里來相會,無縁對面不相逢。
有福者昌,無福者亡。
人爲財死,鳥爲食亡。
夫妻相合好,琴瑟與笙簧。
紅粉易粧嬌態女,無錢難作好兒郎。
有兒貧不久,無子富不長。
善必壽老,惡必早亡。
爽口食多偏作藥,快心事過恐生殃。
富貴定要安本分,貧窮不必枉思量。
畫水無風空作浪,繡花雖好不聞香。
貪他一斗米,失卻半年糧。
爭他一腳豚,反失一肘羊。
龍歸晩洞雲猶濕,麝過春山草木香。
平生只會量人短,何不回頭把自量。
見善如不及,見惡如探湯。
人貧志短,馬瘦毛長。
自家心裏急,他人未知忙。
貧無達士將金贈,病有髙人説藥方。
觸來莫與説,事過心淸涼。
秋至滿山多秀色,春來無處不花香。
凡人不可貌相,海水不可斗量。
淸淸之水,爲土所妨。濟濟之士,爲酒所傷。
蒿草之下,或有蘭香。茅茨之屋,或有侯王。
無限朱門生餓殍,幾多白屋出公卿。
醉裏乾坤大,壺中日月長。
拂石坐來春衫冷,踏花歸去馬蹄香。
萬事前身定,浮生空自忙。
千里送毫毛,禮輕仁義重。
叫月子規喉舌冷,宿花蝴蝶夢魂香。
一言不中,千言不用。
一人傳虚,百人傳實。
萬金良藥,不如無疾。
千里送鵝毛,禮輕情義重。
世事明如鏡,前程暗似漆。
君子懷刑,小人懷惠。
架上碗兒輪流轉,媳婦自有做婆時。
光陰黃金難買,一世如駒過隙。
良田萬頃,日食一升。
大廈千間,夜眠八尺。
千經萬典,孝義爲先。
天上人間,方便第一。
一字入公門,九牛拔不出。
八字衙門向南開,有理無錢莫進來。
欲求天下事,須用世間財。
富從升合起,貧因不算來。
近河不得枉使水,近山不得枉燒柴。
家中無才子,官從何處來。
慈不掌兵,義不掌財。
一夫當關,萬夫莫開。
萬事不由人計較,一生都是命安排。
白雲本是無心物,卻被淸風引出來。
急行慢行,前程只有多少路。
命中只有如許財,絲毫不可有閃失。
人間私語,天聞若雷。
暗室虧心,神目如電。
一毫之惡,勸人莫作。一毫之善,與人方便。
欺人是禍,饒人是福。天眼恢恢,報應甚速。
聖賢言語,神欽鬼伏。
人各有心,心各有見。
口説不如身逢,耳聞不如目見。
見人富貴生歡喜,莫把心頭似火燒。
養軍千日,用在一朝。
國淸才子貴,家富小兒驕。
利刀割體痕易合,惡語傷人恨不消。
公道世間唯白髮,貴人頭上不曾饒。
有錢堪出衆,無衣懶出門。
爲官須作相,及第必爭先。
苗從地發,樹向��分。
宅裏燃火,煙氣成雲。
以直報怨,知恩報恩。
紅顔今日雖欺我,白髮他時不放君。
父子和而家不退,兄弟和而家不分。
一片雲間不相識,三千里外卻逢君。
官有正條,民有和約。
閒時不燒香,急時抱佛腳。
幸生太平無事日,恐逢年老不多時。
國亂思良將,家貧思賢妻。
池塘積水須防旱,田地勤耕足養家。
根深不怕風搖動,樹正無愁月影斜。
爭得貓兒,失卻牛腳。
愚者千慮,必有一得,智者千慮,必有一失。
始吾於人也,聽其言而信其行。
今吾於人也,聽其言而觀其行。
哪箇梳頭無亂髮,情人眼裏出西施。
珠沉淵而川媚,玉韞石而山輝。
夕陽無限好,只恐不多時。
久旱逢甘霖,他鄕遇故知;洞房花燭夜,金榜題名時。
惜花春起早,愛月夜眠遲。
掬水月在手,弄花香滿衣。
桃紅李白薔薇紫,問著東君總不知。
教子教孫須教義,栽桑栽柘少栽花。
休念故鄕生處好,受恩深處便爲家。
學在一人之下,用在萬人之上。
一日爲師,終生爲父。
忘恩負義,禽獸之徒。
勸君莫將油炒菜,留與兒孫夜讀書。
書中自有千鍾粟,書中自有顔如玉。
莫怨天來莫怨人,五行八字命生成。
莫怨自己窮,窮要窮得乾凈;莫羨他人富,富要富得淸髙。
別人騎馬我騎驢,仔細思量我不如,
待我回頭看,還有挑腳漢。
路上有飢人,家中有賸飯。
積德與兒孫,要廣行方便。
作善鬼神欽,作惡遭天遣。
積錢積穀不如積德,買田買地不如買書。
一日春工十日糧,十日春工半年糧。
疎懶人沒喫,勤儉糧滿倉。
人親財不親,財利要分淸。
十分伶俐使七分,常留三分與兒孫,
若要十分都使盡,遠在兒孫近在身。
君子樂得做君子,小人枉自做小人。
好學者則庶民之子爲公卿,不好學者則公卿之子爲庶民。
惜錢莫教子,護短莫從師。
記得舊文章,便是新舉子。
人在家中坐,禍從天上落。
但求心無愧,不怕有後災。
只有和氣去迎人,哪有相打得太平。
忠厚自有忠厚報,豪強一定受官刑。
人到公門正好修,留些陰德在後頭。
爲人何必爭髙下,一旦無命萬事休。
山髙不算髙,人心比天髙。
白水變酒賣,還嫌豬無糟。
貧寒休要怨,寶貴不須驕。
善惡隨人作,禍福自己招。
奉勸君子,各宜守己。
只此呈示,萬無一失。
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siteymnk · 27 days ago
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2024年の文化活動(一覧)
全部で130件。2024年も美術館を中心に巡ったのだがその中でも、金にものを言わせて地方の県立・市立美術も範疇としたのが大きな変化だった。取っ掛かりは宇都宮美術館。酷暑の真っただ中に行ったカスヤの森現代美術館、佐倉市美術館。念願だった茨城県近代美術館、ひらめきで思い立った郡山市立美術館。母親と行った東京国立博物館、意外に良かった国際こども図書館なども印象深かった。 一方、美術館巡りのサイクルは飽和状態なので新機軸を作りたいところでもある。その一つはクラシック・コンサートか。少しずつ楽しめる場所を増やしていきたい。
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために@森美術館
即興 ホンマタカシ@東京都写真美術館
見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20@東京都写真美術館
プリピクテ Human/人間@東京都写真美術館
テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館
千葉ポートタワー
坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
第21回東京音楽コンクール 優勝者コンサート@東京文化会館
キュビズム展 美���革命@国立西洋美術館
もうひとつの19世紀 ―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち@国立西洋美術館
マリー・ローランサン ― 時代をうつす眼@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション展@アーティゾン美術館
恵比寿映像祭 2024@東京都写真美術館
中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館
古代エジプト美術館
星野概念氏&いとうせいこう「心のことを話してみる場所」
消防博物館
FACE展2024@SOMPO美術館
広がるコラージュ@目黒区美術館
IIDA 101 飯田善國@目黒区美術館
VOCA展2024@上野の森美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家@東京オペラシティアートギャラリー
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本@板橋区立美術館
印象派 モネからアメリカへ@東京都美術館
オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期@麻布台ヒルズギャラリー
イヴ・ネッツハマー ささめく葉は空気の言問い@宇都宮美術館
マティス 自由なフォルム@国立新美術館
早稲田大学演劇博物館
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる@東京都写真美術館
TOPコレクション 時間旅行@東京都写真美術館
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
ヒロ杉山 個展「Sculpture」@Lurf MUSEUM
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面@国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象(かたど)る@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示@アーティゾン美術館
第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館
パーフェクト・カモフラージュ展@ワタリウム美術館
マイケル・ケンナ写真展@代官山ヒルサイドフォーラム
Playground Becomes Dark Slowly@日比谷公園
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕、そして新幹線へ~@昭和館
北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画@SOMPO美術館
マイ祭2024@自由学園明日館
第75回 東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
デザインフェスタvol.59@東京国際展示場
LOVE LIGHTPIA@お台場シンボルプロムナード公園
SusHi Tech TOKYO 2024@シンボルプロムナード公園
海王祭@東京海洋大学
池口史子展@美術愛住館
特別展「法然と極楽浄土」@東京国立博物館
デ・キリコ展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2024@東京都美術館
上野動物園
三島喜美代―未来への記憶@練馬区立美術館
ホー・ツーニェン エージェントのA@東京都美術館
翻訳できない わたしの言葉@東京都美術館
サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」@東京都美術館
MOTコレクション@東京都美術館
日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち@国立映画アーカイブ
谷川町子のデザイン@長谷川町子記念館
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@国立近代美術館
日本のグラフィックデザイン2024@東京ミッドタウン デザインハブ
徳川美術館展 尾張徳川家の至宝@サントリー美術館
海の日プロジェクト@東京国際クルーズターミナル
ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展@GYRE GALLERY
若江漢字《地中海 ― I・始まり》@カスヤの森現代美術館
三笠公園
2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@板橋区立美術館
2024 JAGDA 亀倉雄策賞・新人賞展@ギンザグラフィックギャラリー
絵本で知る世界の国々―IFLAからのおくりもの@国際こども図書館
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館
フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線@SOMPO美術館
111年目の中原淳一@松濤美術館
台湾好包フェス2024@HANEDA INNOVATION CITY
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展@佐倉市美術館
空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン@東京ステーションギャラリー
ポール・マッカートニー写真展 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm@東京シティビュー
東京おもちゃショー2024@東京ビッグサイト
作品と空間@アーティゾン美術館
高田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー
となりの不可思議 収蔵品展080 寺田コレクションより@東京オペラシティアートギャラリー
平田晃久―人間の波打ちぎわ@練馬区美術館
サラダ音楽祭 メインコンサート@東京芸術劇場
TOPコレクション 見ることの重奏@東京都写真美術館
今森光彦 にっぽんの里山@東京都写真美術館
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ@東京都写真美術館
マインドフルネス(基礎編)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
大地に耳をすます 気配と手ざわり@東京都美術館
Maker Faire Tokyo@東京ビッグサイト
物、ものを呼ぶ─伴大納言絵巻から若冲へ@出光美術館
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館
開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ@東京都現代美術館
MOTコレクション 竹林之七妍 特集展示 野村和弘 Eye to Eye—見ること
ツーリズムEXPO JAPAN@東京ビッグサイ
東京都交響楽団 第1009回定期演奏会Aシリーズ@東京文化会館
レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ@松岡美術館
田名網敬一 RETROSPECTIVE@国立新美術館
第70回記念 一陽展@国立新美術館
2024 国際航空宇宙展@東京ビッグサイト
ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ@NTTインターコミュニケーション・センター
サイエンスアゴラ2024@テレコムセンタービル
産総研一般公開2024@産総研 臨海副都心センター
国際交流フェスティバル2024@東京国際交流館
「みんなの選んだグッドデザイン」プレゼン大会@東京ミッドタウン デザインハブ
東京都交響楽団 プロムナードコンサート@サントリーホール
コレクション・ストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー@諸橋近代美術館
ART WEEK TOKYOその1:渡辺志桜里 宿/Syuku@資生堂ギャラリー
ART WEEK TOKYOその2:束芋「そのあと」@ギャラリー小柳
ART WEEK TOKYOその3:青山悟展「永遠なんてあるのでしょうか」@ミヅマアートギャラリー
ART WEEK TOKYOその4:オノデラユキ@ウェイティングルーム
ART WEEK TOKYOその5:ヴァジコ・チャッキアーニ@スカイザバスハウス
オルガンコンサート@東京オペラシティ
松谷武判 Takesada Matsutani@東京オペラシティアートギャラリー
北川民次展―メキシコから日本へ@世田谷美術館
ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの―TRANSITION@世田谷美術館
デザインフェスタvol.60@東京ビッグサイト
レオ・レオーニと仲間たち@板橋区立美術館
Vintage Market@東京ビッグサイト
没後100年 中村 彝 展―アトリエから世界へ@茨城県近代美術館
SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館
奇想の版画 1500ー1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画@郡山市立美術館
中村彝アトリエ記念館
佐伯祐三アトリエ記念館
ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に@パナソニック汐留美術館
オープニング展@URSHIMA MUSEUM
松本かづち展@江東区森下文化センター
再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル@三菱一号館美術館
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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shigerunakano · 2 months ago
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サーフ ブンガク カマクラ
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「サーフ ブンガク カマクラ」は、つまりTHE FIRST TAKEのようなミックスされていない音源であるが(一発撮りと呼ばれる)、何がミックスされていないかと言えば、音楽CDのコンセプトである江ノ島電鉄のことである。言っていることは当然分かるだろう。しかしこの作品がシンプルなアティチュードを表現していることは明らかであり、一応は、当該ミュージシャンのその年のリリースラッシュのこととなる。これは夏目漱石「こころ」よりもむしろ、石原慎太郎「太陽の季節」に近い。なんにせよこの音楽CDについては5行でまとめたいが。Gold Swamp?
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memomemomomo222 · 4 months ago
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推薦人一覧
野田 佳彦氏
野田氏の推薦人は20人で、衆議院議員が19人、参議院議員が1人です。
選挙対策本部長は、伴野豊衆議院議員です。
みずからが率いるグループ「花斉会」や小沢一郎・衆議院議員が率いる「一清会」のメンバー、それに中堅・若手議員で構成する「直諌の会」のメンバーなどが名を連ねています。
(衆議院議員19人) 青柳陽一郎、青山大人、伊藤俊輔、鎌田さゆり、菊田真紀子、源馬謙太郎、神津健、佐藤公治、重徳和彦、堤かなめ、寺田学、中島克仁、中谷一馬、野間健、伴野豊、 太栄志、本庄知史、森田俊和、笠浩史
枝野 幸男氏
枝野氏の推薦人は20人で、衆議院議員が10人、参議院議員が10人です。
選挙対策本部長は、近藤昭一衆議院議員です。
リベラル系の議員でつくる党内最大のグループで、枝野氏が顧問を務める「サンクチュアリ」のメンバーなどが名を連ねています。
(衆議院議員10人) 石川香織、大河原雅子、大築紅葉、神谷裕、近藤昭一、下条みつ、山岸一生、柚木道義、吉川元、渡辺創
泉 健太氏
泉氏の推薦人は20人で、衆議院議員が11人、参議院議員が9人です。
選挙対策本部長���、渡辺周衆議院議員です。
自身が率いる「新政権研究会」や、リベラル系の議員でつくる党内最大グループ「サンクチュアリ」のメンバーなどが名を連ねています。
(衆議院議員11人) 大島敦、大西健介、小熊慎司、川内博史、城井崇、道下大樹、緑川貴士、森山浩行、吉田統彦、米山隆一、渡辺周
吉田 晴美氏
吉田氏の推薦人は21人で、衆議院議員が16人、参議院議員が5人です。
選挙対策本部長は今後、決めることにしています。
吉田氏と同じ当選1回の衆議院議員のほか、一本化に向けて調整を行った江田・元代表代行が会長の「ブリッジの会」のメンバーなどが名を連ねています。
また、菅直人・元総理大臣も推薦人となっています。
(衆議院議員16人) 阿部知子、荒井優、江田憲司、岡本章子、奥野総一郎、落合貴之、菅直人、玄葉光一郎、酒井菜摘、桜井周、鈴木庸介、中川正春、谷田川元、山崎誠、山田勝彦、早稲田夕季
(参議院議員5人) 石垣のりこ、奥村政佳、川田龍平、小西洋之、塩村文夏
立憲民主党代表選挙の投開票が2024年9月23日に行われます。 各候補者の推薦人の一覧です。
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teradaryoheinewsandlive · 5 months ago
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奄美シマ唄や屋久島など南西諸島の唄をつなぐ「えぐさゆうこ」と、ブルガリア民謡や江州音頭を横断する「佐藤みゆき」のツインヴォーカルによる日本・ブルガリア民謡デュオ「セデャン歌」のおふたり(ピアノで江草啓太さん)と、寺田&寺原デュオで共演します。えぐささんとひょんなきっかけで知り合い本企画に繋がったのですが、最近はすずめのティアーズでもご活躍の佐藤みゆきさんは僕も太郎さんも昔から仲良しのお友達。こうしてご一緒できることをとても嬉しく思っています。
会場は横浜の日ノ出町・視聴室その3です。横浜方面の方も、そうでない方も是非気軽にお越しください!
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セデャン歌 with 江草啓太 / 寺田亮平&寺原太郎 ツーマンライブ 
~Songs and Melodies of Islands and Continent 
2024年10月25日(金) 19:00 Open 19:30 Start 
出演:
えぐさゆうこ(Vo、三線) 
佐藤みゆき(Vo、カヴァル) 
江草啓太(ピアノ)
寺田亮平(喉歌、イギル等) 
寺原太郎(バーンスリー)
予約;2500円+1d
当日;3000円+1d
日ノ出町・試聴室その3  http://shicho.org/s3about/
神奈川県横浜市長者町9-159 第1田浦ビル2階 
予約フォーム:https://ws.formzu.net/dist/S95718930/
問い合わせ:[email protected] (ハルヴァ・ミュージック) 
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出演者プロフィール
セデャン歌(セデャンカ)
奄美シマ唄や屋久島など南西諸島の唄をつなぐ「えぐさゆうこ」と、ブルガリア民謡や江州音頭を横断する「佐藤みゆき」のツインヴォーカルによる日本・ブルガリア民謡デュオ。えぐさゆうこが奄美島唄の多重コーラスアレンジを試みるなど民謡の和声の可能性を探っていたころ、ライブハウス等でブルガリア民謡を歌う佐藤みゆきと出会い、民衆に歌い継がれてきた歌に対する想いを同じくする2人で2019年民謡デュオ「セデャン歌」を結成。
セデャン歌の名前の由来は、ブルガリア語で、みんなで座って作業をすること(トウモロコシのひげ取りなど)を意味するsedyanka(セデャンカ)より。
日本とブルガリア、離れた場所ながら通じ合う民謡の世界観を伝え、歌い継がれる古謡、民謡を声を重ねて歌い繋ぐユニット。
https://sedyankajapan.wixsite.com/music/about
江草啓太
ピアニスト、作・編曲家。2008年にマキシシングル『KALAYCILAR』を植松伸夫設立のドッグイヤー・レコーズからリリース。えぐさゆうことのDUOでは屋久島、奄美大島等の古謡や作業唄を発掘し蘇演する試みを行う。小西康陽のソロプロジェクト「PIZZICATO ONE」や、KERA(=ケラリーノ・サンドロヴィッチ)のソロアルバム『Brown, White & Black』に参加。近年はNHK『おかあさんといっしょファミリーコンサート』へのゲスト出演、そして横浜・名古屋・大阪で行われた『LA LA LAND IN CONCERTO』では東京フィルハーモニー交響楽団と共演。舞台作品への関わりも多く、『ETERNAL CHIKAMATSU』『黒蜥蜴(共にデヴィッド・ルヴォー演出)』で音楽を担当するなど幅広く活動中。「月刊てりとりぃ」同人。
寺田亮平 
音楽家。トゥバ音楽演奏家、喉歌(のどうた)歌手。ロシア連邦トゥバ共和国に伝承されてきた音楽や喉歌を2010年より断続的に現地滞在しながら修行を行っており、トゥバの伝承音楽から自らのオリジナル楽曲、日本の伝承歌をアレンジした演奏など独自の音楽活動を展開している。使用楽器はトゥバの伝統楽器イギル、ドシプルール、口琴やギターなど。師匠はトゥバを代表する音楽家の一人であるオンダール・モングンオール。トゥバ語を学び、現地の音楽コミュニティーと深く繋がりを持つ外国人演奏家であり、現地の伝統的な歌の聞き取りや翻訳作業等も行っている。国内では中央アジア、シベリア関係のコンサートや各種イベントもプロデュースし、2017年に共和国政府よりトゥバ文化大使として表彰を受けた。2023年11月にソロアルバム「クズル・トーキョー」発売。
https://teradaryohei.com/
寺原太郎
 91年より巨匠ハリ・プラサード・チョウラスィア師の弟子である中川博志氏に、96年より巨匠ニキル・ベナルジー師の愛弟子H.アミット・ロイ氏に師事。06年より継続的にオーストラリアWoodford folk festivalに出演。07年坂本龍一プロデュース「ロハス・クラシックコンサート」出演。映画「るろうに剣心」(2012、2014)、スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」(2015)、インドネシア映画「見えるもの、見えざるもの(Shikala Niskala)」(2017)、NHK朝ドラ「舞いあがれ!」(2022)等で挿入曲を演奏。国内外で演奏活動を行う。共演にU-zhaan、常味裕司、Tenzin Choegyalなど。2016年より都賀のギャラリーで「世界音楽紀行」をナビゲート、ワールドミュージックフェスティバル「オンガクノムラ」企画。インド古典音楽の深い理解に基づく、叙情的かつダイ ナミックな演奏で、各方面より高い評価を受ける。 https://srgmtaro.jimdofree.com/
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