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続・こしろさま
1. 芙紗子(ふさこ)の家は森と田んぼの境界に建つ一軒家で、映画のトトロの女の子の家にちょっと似ている。 家から学校まで車道を歩けば30分。 田んぼの畦道(あぜみち)を抜けて近道すれば25分。 小学二年生の女の子が通うには少し遠いけど、村の子供にとってそれくらいの通学は当たり前のことだった。 このところ芙紗子が頑張っているのは自転車の練習だ。 裏の庭には古い農具を置いていた納屋があって、去年それを取り壊して芝生を植えたから、今は自転車の練習に頃合いの広場になっていた。 毎日学校から帰ると、ママに呼ばれるまで練習する。 ペダルを外した自転車で地面を蹴って走るのは、もうだいたい大丈夫。 明日は土曜だからパパに頼んでペダルをつけ直してもらおう。 家の前に自動車が止まった。初心者マークをつけた赤い軽ワンボックスカー。 女の人が降りてきた。 カーキ色のカーゴパンツにゆるゆるのTシャツ。髪の毛は肩上のボブカット。 琴姉ちゃん!? 芙紗子が走って行くと琴音はぎゅっとハグしてくれた。 「芙紗子ちゃんっ、久しぶりだね!!」 2. 室谷琴音(むろたにことね)は芙紗子と同じ室谷姓で、家では「文吾さんのところの琴音ちゃん」と呼んでいた。 村民の半分が室谷だから、苗字が室谷の人間はたいてい下の名前で呼ばれるのだった。 文吾さんは琴音の祖父で、芙紗子のパパの伯父にあたる。 つまり琴音は芙紗子の再従姉妹(はとこ)である。 今は東京で大学生になったけど、高校を卒業するまでは村にいて芙紗子の面倒をよく見てくれた。 「自転車の練習?」 「うんっ。今年中に乗れるようになるのが目標だよ」 「そうだ、芙紗子ちゃん宛の荷物、郵便局で預かってきたよ。『こしろさま』の瓶でしょ? これ」 「あ、届いたんだ!!」 それは前の週にママと通販サイトで選んだガラスの瓶だった。 『こしろさま』にお越しいただくための特別なガラス瓶。 「わざわざ済みませんねぇ」芙紗子のママが礼を言う。 「いえいえ。近くへ行くなら届けてくれって、東京の郵便局なら考えられないですねー、あははは」 しばらく笑ってから琴音は二人に報告した。 「実は私、今年の大祭で巫女をすることになって」 「あら」「本当!?」 「それで今から神社に挨拶に行くんだけど、芙紗子ちゃん、その瓶一緒に出しに行く?」 芙紗子は真新しいガラス瓶に自分の名前を書いた紙を入れた。 それを紙袋に入れて両手に抱える。 「きちんと挨拶してお渡しするのよ」 「分かってるよっ」 芙紗子はママに手を振って琴音の車に乗り込んだ。 3. 『こしろさま』は秋の大祭で子供だけがもらえる神様だった。 ガラス瓶に入った綺麗な女の子の姿をしていて、そのためのガラス瓶は自分で用意して神社に提出することになっていた。 提出を忘れた子供には神社側で確保した瓶を使ってくれるけど、古い酒瓶や牛乳瓶になるから、どの子も嫌がって出し忘れる子なんていない。 運転席でハンドルを握る琴音が言った。 「ネットで買ったガラス瓶かー。私らの頃は佃煮の空き瓶とかだったなぁ」 「買ってもらえなかったの?」 「ネットもなかったし、わざわざ買うなんて思いもしなかったもの。・・でも、どんな瓶でも『こしろさま』は来てくれたよ」 「ね」「ん?」 「琴姉ちゃんの『こしろさま』ってどんなお姿だった?」 「そうだねー。最後にもらった『こしろさま』は中学生くらいに見えたな。髪の毛が長くて綺麗だったよ」 「あたしが去年もらったのはね、お人形さんみたいに目の大きな子だったよ!」 「よかったわねぇ。今年はどんなお姿か��しみだね」 「うんっ」 村から祠川(ほこらがわ)沿いに車で10分ほど。 瑞鳳山(ずいほうざん)の中腹に大祠(おおほこら)神社がある。 御祭神である『おしろさま』はその昔、洪水から村を守るために自ら人柱になったお姫様。 そして『こしろさま』はその『おしろさま』の分身と言われる。 「しろ」は「祠閭」と書いて「しりょ」が正しい読み方だけど、言いにくいので今の読み方に変わったらしい。 琴音は麓の駐車場に車を駐めた。 祠川にかかる石造りの神響橋(しんきょうはし)を渡り、鳥居をくぐって参道を登る。 ブナの森に囲まれた境内に神社の本殿があった。 4. 社務所に行くと白衣に紫の袴を履いた宮司がいた。 この人は橘秋人(たちばなあきひと)、75歳で長年にわたって宮司として神社を守っている。 「室谷芙紗子ちゃんね。・・はい。確かに預かりました」 橘は芙紗子からガラス瓶を受け取り帳面に記録した。 「『こしろさま』のお渡しはお祭りの日の夜7時だからご両親と一緒に来てくださいね」 「はい!」 芙紗子はちゃんと挨拶をして瓶を渡せたことに安心する。 「おーい、今年の巫女さんが来ましたぞ」 橘が振り返って呼ぶと、奥から和装で総白髪の老人がもっそり現れた。 「え? 村長さん!?」琴音が驚いた。 「大祭の打ち合わせでね、ちょうどいらしてたんですよ。・・村長、こちら助務に入ってくれる室谷さん」 「室谷琴音ですっ。よろしくお願いします」 室谷仁三(むろたにじんぞう)は室谷本家の長で、90歳を超えて今なお現職の村長だった。 「文吾んのとこの琴音さんか。綺麗になったもんじゃ」 「あ、ありがとうございます」 「学校は休んでも構わんのかね?」 「はい、ゼミの方は大丈夫です。就職も決まりましたし」 「おお、東京で就職かね?」 「はい」 「若い人は村を離れてゆくのぅ」 村長は寂しそうに呟いた。琴音は何も返せない。 「そうじゃ、琴音さん」 「はい」 「仕事を辞めて結婚するときは、村のもんの嫁になってくれませんかな」 「ええっ。それは、まだ何とも」 「それとも都会で気になる男がいますのか」 「村長! お気持ちは伝わったから、琴音ちゃんを困らさんで」 帰りの車中。 琴音はちょっと怒っているようだった。 「いくら過疎の村だからって、人の結婚のことまで決めないで欲しいわよねっ」 「琴姉ちゃん、東京で結婚するの?」 「分からないわよ。相手もいないんだし」 「えー? もうお付き合いしてる人、いると思ってた」 「もう、芙紗子ちゃんったら・・」 琴音の顔が赤くなる。可愛いなと芙紗子は思った。 「もし琴姉ちゃんがお嫁さん��なって村に帰ってきてくれたら、あたしは嬉しいな」 「分かったわ」 琴音が笑って答えて���れた。 「お嫁さんになれるかどうか分からないけど、戻ってこれるように頑張る」 5. 半月後。お祭りの��日になった。 芙紗子はパパとママに連れられて神社にやってきた。 森の中を登る参道は人でいっぱいだった。 この辺りの村々だけでなく、近隣の各県からも見物客が訪れているようだった。 「有名になったものねぇ」 「こんな田舎で "奇祭" が続いているのが珍しいんだってさ」 「村の人間には普通のお祭りなのにねぇ」 パパとママが話している。 芙紗子には奇祭の意味が分からない。 本殿に近づくとお囃子の音。境内に立ち並ぶ屋台。 社務所の隣には絵馬やお守りを売る臨時の授与所が設けられていて、そこに琴音がいた。 巫女服をまとった琴音はとても綺麗で眩しくて、芙紗子もちょっと巫女さんになりたいと思ったくらいだった。 「琴姉ちゃん!」 「あら、芙紗子ちゃん」 「その服よく似合ってるよ」 「ありがとっ。芙紗子ちゃんが褒めてくれると嬉しいな」
「忙しそうだね」 「まあね。もう『おしろさま』にお会いした?」 「ううん、まだ」 「じゃあ行ってらっしゃい。少し並ぶかもね」 「うん」 琴音の言った通り、本殿の入り口には行列ができていた。 『おしろさま』の御神体は平時は何重にも囲まれた箱の中にあるけど、大祭の日だけは誰でも拝めるようになっている。 薄暗い本殿で芙紗子は両親と共に『おしろさま』に向かって両手を合わせたのだった。 6. 「ふっさこちゃーん!!」 本殿を出てすぐ声が聞こえた。 屋台に囲まれた広場にクラスの女の子たちが集まって手を振っていた。 「パパっ、行っていい!?」 「行っておいで。お小遣いは大切に使うんだよ」 「うん!」 芙紗子が入って女の子8人のグループになった。 村の小学校は1学年に1クラスだけ。そのクラスも男女合計14人しかいないから、クラスの女子全員が集まったことになる。 「何する?」「金魚すくい!」「やろうやろうっ」「勝負だねー」 金魚すくいの屋台へ向かって行こうとしたそのとき。 「ねえ、キミたち、この辺りの子?」 スマホを��えた男性に話しかけられた。 「ちょっとお話聞かせてもらっていいかな? あ、僕ユーチューバーの突撃大二郎です」 「はい、何ですか?」 「キミたちはこの神社の御神体のこと、知ってる? 箱に入った白い棒だけど」 「『おしろさま』ですか? 知ってます」 「そうそう。『おしろさま』って、実は人骨だって聞いたことある?」 「人骨って?」 「ヒトの骨のことだよ」 何だ、そんなこと。 「はい。昔のお姫様の骨です。他にもいろいろな女の人の骨がありますけど」 「おおぉ~っ!」 その男性は大げさに驚いて、スマホに向かって喋り始めた。 「何ということでしょう。地元の子供たちはまったく疑問に感じていない。この令和の時代に人骨を拝んでいるのです~っ!」 琴音が小走りでやって来た。後には村の青年団の若手も何人かいる。 「そこの方っ。子供たちに変な話を吹き込まないでください」 「なんだよ。あんた」 「あなた、さっき無断で『おしろさま』の写真を撮ってたでしょ? 撮影禁止って強く言われたはずですけど」 「いや、無断で、だなんて僕は何も」 男性はスマホで何か操作しようとする。 「え? 圏外!? どうして!!」 「この境内だけどうしてか電波が入らないのよねー。こっそりアップロードなんて無理ですから」 「くそっ」 逃げようとする男性を青年団が取り押さえた。 「はいはい、社務所でそのスマホ調べさせてもらいますねー」 「そんなぁ~」 男性が連れていかれるのを芙紗子たちは肩をすくめて見送った。 7. 日が暮れて、東の空から満月が上った。 秋大祭は必ず満月の日と決められている。 一旦帰った子供たちが再び集まって来た。 そこに観光客はいない。 昼間の『おしろさま』が公開なのに対して、夜の『こしろさま』は外部に告知しない秘密の儀式だった。 ろうそくが灯る本殿。 宮司が一人ずつ名前を読み上げ、読まれた子は前に出てお祓いを受ける。 「邪気払い、清めて祠閭の加護を受けよ」 そして巫女から黒布に包まれた瓶を受け取るのである。 大人たちが後ろで見守っている。 自分の子が『こしろさま』を受け取るとどの親もほっとした表情をするのだった。 これでまた一年間、子供たちは健やかに過ごすことができる。 「はい。芙紗子ちゃん」 巫女の琴音が黒布の包みを渡してくれた。 芙紗子は受け取った包みを両手で捧げ持つ。 二人はそっと微笑みあった。 8. ・・『こしろさま』は神様だから、大切に扱うこと ・・お会いするときは、一人だけで、礼儀正しくすること ・・人前にお姿を晒さないこと。写真に撮ったり、絵に描いたりもしないこと ・・瓶の蓋は絶対に開けないこと。開けたら罰(ばち)が当たると心得ること ・・一人で最後までお世話すること これが『こしろさま』をお預かりした子供が守るべき約束だ。 大人たちも理解しているから、『こしろさま』がいらっしゃる間は無闇に子供の部屋に入らない。 『��しろさま』に会えるのは本人だけで、たとえ家族でもタブーだった。 自分だけの部屋がない家では、子供が一人で会える環境を配慮する。 芙紗子も床の間がある和室を一人で使うことが許された。 夜はそこで眠っていい。 もちろん一人寝が寂しいときは、今までのように両親と一緒の部屋で寝てもいい。 「ずっと起きてないで、少しは寝なさいね」 布団を敷いてくれたママがそう言って和室を出て行った。 これも配慮の一つだ。 この村では、大晦日と『こしろさま』がいらっしゃった日だけ、子供が夜更かししても叱られない。 部屋には芙紗子と『こしろさま』の包みだけが残された。 深呼吸してから『こしろさま』の前に正座した。 「こんばんわ、『こしろさま』。室谷芙紗子です。開けさせていただきます」 黒布の結び目をゆっくり解いた。 あのガラス瓶が姿を現す。 御神水を満たして封印を貼った瓶。 そしてその中に裸の女の子が浮かんでいた。
肌の色が薄めの女の子だった。 長い髪が瓶の中に広がってゆっくり揺れている。 身体は芙紗子よりもずっと成熟していた。胸も脚も柔らかそう。 でも目を閉じて眠る顔は幼い感じで、芙紗子と変わらない年頃のようにも見えた。 ・・きれい。 芙紗子は両手で自分の胸を押さえた。 どき、どき。 心臓が大きく鳴っているのが自分で分かった。 9. 目を覚ますと青い光があふれていた。 ここ、どこ? そうだ、床の間のお部屋だ。 縁側に面した障子が光っている。 芙紗子は布団から起きて障子を開けた。 月光が地面を照らしていた。 山の稜線。近くの森のシルエット。 真夜中なのに世界がくっきり見えた。 背中に別の光を感じた。 振り返ると、枕元に置いた『こしろさま』の黒布の包みから光が漏れていた。 怖くはなかった。 『こしろさま』は神様なんだから怖いはずはないと思った。 芙紗子はその包みを両手で持った。 どき、どき。 『こしろさま』を大切に抱えて、縁側から裸足で外に降りた。 パパとママは眠っているのだろう。家の中は明かりが消えて真っ暗だった。 夜中に家の外へ一人で出るのは初めて、両親に黙って出るのも初めてだった。 どき、どき。 いつも自転車の練習をしている裏庭にやって来た。 芝生にパジャマのまま腰を下ろした。 どき、どき。 見上げると空に満月があって、そこから月光がシャワーのように降り注いでいた。 包みを前に置き、結び目を解いた。 金色の光が溢れた。 『こしろさま』が瓶の中で眩しいくらいに輝いていた。 どき、どき。 どき、どき。 どうしよう? どうしたらいいんだろう? 芙紗子はパジャマの胸元のボタンを外した。 パジャマを上も下も脱いで丁寧に畳み、それから下着も脱いでパジャマの上に置いた。 生まれたままの姿になって『こしろさま』の瓶を裸の胸に抱いた。 どうしてそんなことをしたのか分からなかった。 ただ、そうした方がいいと思ったのだった。
明るく輝く『こしろさま』が笑ってくれたような気がした。 10. 次の日、学校では『こしろさま』の話題でもちきりだった。 「すっごく小っちゃな女の子だった! 可愛くて可愛くて泣いちゃった」 「わたしのは大きなお姉ちゃんっ。胸大きくって色っぽいのーっ」 「ボクのもおっぱい大きかった。あれ巨乳って言うんだろ?」「やだ、えっちー!!」「何でだよー」 「芙紗子ちゃんは?」 「髪の毛がすごく多くて瓶の中にふわって広がってるの」「へぇーっ、いいなぁ」 クラスじゅうで報告しあう。 芙紗子も自分の『こしろさま』を説明したけど、外に出て服を脱いだことは恥ずかしくて言わなかった。 家に帰ると、琴音が来てママと話していた。 「琴音さん、東京へ帰るんだって」ママが言った。 「大祭も終わったし、大学に戻らないとね」 「そうなの? 寂しいな」 「またすぐに会えるわよ。・・それでどうだった? 今年の『こしろさま』は」 芙紗子は琴音を裏庭に連れ出して二人だけになった。 「『こしろさま』はね、すごく綺麗な美人さん。見ているだけでドキドキするの。・・実はね、」 芙紗子は昨夜のことを話した。 琴姉ちゃんには全部話そうと決めていた。 夜中に『こしろさま』が輝いて、一緒に外に出たこと。 そして『こしろさま』の前で裸になったこと。 「そうか、冒険したんだね。芙紗子ちゃん」 叱られるかもしれないと思っていたけど、琴音は全然怒らなかった。 「あたし、いけないことしちゃったかな?」 「いけないことじゃないよ。私は芙紗子ちゃんのこと、素敵な女の子だと思うな」 「どうして?」 「だって、『こしろさま』にお尽くししたいって思ったんでしょ?」 ああ、そうか。 芙紗子はあのときの自分の気持ちを理解した。 あたしは『こしろさま』にお尽くししたかったんだ。 『こしろさま』みたいに綺麗な裸になって。 「裸になるって、女の子だけにできるお尽くしの方法だよ」 「『こしろさま』に伝わったかな?」 「きっと伝わったわ���・・でも約束。芙紗子ちゃんのママやパパが見たらびっくりしちゃうし、もう裸になるのはやめようね」 「うん。約束する」 「でも、ちょっと羨ましいな」 「?」 琴音はいきなり芙紗子を抱きしめるとおでこにキスをした。 「ひゃん!」 「芙紗子ちゃんの冒険、私もしてみたかった!」 次の日、琴音は東京の大学へと戻っていった。 11. 芙紗子は毎日学校から急いで帰って『こしろさま』に話しかけた。 『こしろさま』はずっと眠っているけれど、たまに目を閉じたまま微笑んでくれた。 口元から小さな泡がぽこりと出て浮かび上がることもあった。 『こしろさま』の身体は本当に綺麗だった。 自分も服を脱いで寄り添いたいと何度も思ったけど、琴音との約束を思い出して我慢した。 やがて『こしろさま』の周囲が薄く白く変わる。 御神水が濁り始めたのだった。 『こしろさま』が瓶の中にいらっしゃる期間はおよそひと月。 絶対に変えられない決まりだった。 芙紗子はその姿を忘れないように見つめ続ける。 次の満月の夜。 ほとんど真っ白になった御神水の中に『こしろさま』は溶けるように消えた。 『こしろさま』との時間は夢のように過ぎて行ったのだった。 年が明け、春になり、芙紗子は三年に進級した。 自転車も上手に乗れるようになって、一人で遠くの友達の家に行けるのが嬉しかった。 12. 老人と老婆ばかり10人ほどが大祠神社に集まっていた。 村の長老と呼ばれる人たちである。 瑞鳳山の上に幾重にも重なる頭巾雲が現れ、二筋の鮮やかな紫色の光彩が目撃されたのはその前の週のことだった。 「何年ぶりかな。お告げがあったのは」村長の室谷仁三が聞いた。 「前のお告げは17年前でした」宮司の橘が答える。 「それで神託の名前は?」 「室谷琴音です。今は東京で働いておられます」 「文吾の家の孫じゃな。確か前の祭りで、」 「はい。巫女の助務をしてくれた娘さんです」 「あれはいい子じゃ。明るくて礼儀正しい」 「そうですね」 「・・納骨の方は大丈夫ですかな?」 役場で助役を務める老人が聞いた。 「それは問題ありません。室谷の血筋ですから確実に応じてもらえます」 「そうか、では、」 村長は一旦言葉を止めて、琴音の顔を思い出した。 村の者の嫁になって欲しい、などと余計なことを言ってしまったな。 「では、そのときのために万時準備の程頼みましたぞ」 13. 「ストーカー殺人、被害者は一人暮らしのOL」 ニュースが流れたのはその年の8月だった。 「都内在住の会社員・室谷琴音さん(22)が帰宅中に刃物で刺されました。室谷さんは病院へ搬送されましたが死亡が確認されました。 警察は自称ユーチューバーの○○○(27)を殺人の疑いで緊急逮捕。容疑者は半年間にわたり室谷さんにつきまとっていた模様です」 14. ごり、ごり。 橘は作業の手を止め、タオルで汗を拭いた。 人骨を削る作業。 橘はこの作業をたった一人で40年間やってきた。 もう80歳に近いから、あと何年続けられるか分からない。 今はまだ名目だけの禰宜(ねぎ:宮司の補佐役)である息子に引き継ぐ日も近いだろう。 自分がある日突然、先代宮司の父親から『こしろさま』の準備を命じられたときのように。 境内の古井戸『神鏡井(かみかがみい)』から湧く御神水を子供たちから集めたガラス瓶に満たす。 そこへ『おしろさま』から削り出した骨粉を耳かきに半量ずつ入れる。 蓋をして封印を貼り、黒布に包む。 これを日々祈祷すれば、次の満月の日までに瓶の中に『こしろさま』が現れる。 『おしろさま』の御神体は若い女性の大腿骨だった。 毎年、複数の大腿骨から少しずつ骨粉を削り出す。 そこで削られる合計量は大腿骨の長さ約2センチに相当する。 大腿骨の全長は平均40センチ。 つまり約20年で大腿骨一本分を消費する。 消費するには供給が必要だ。 求められるのは村で生まれ育った若い女性の大腿骨である。 村で生まれ村で死ぬ者がほとんどだった時代は、若い女性が亡くなればその片方の大腿骨を神社に納めてもらうのに困ることはなかった。 しかし今は都会に出て行って戻らない者がほとんどである。 でも神様はちゃんと道を与えてくれた。 不思議なことに次の大腿骨の候補者はお告げで知らされる。 お告げを得たら、その情報は村の長老の間で秘密裡に共有され「その時」に備える。 当人に危害を加えたり、まして殺人を犯す訳ではない。 ただ待っていれば「その時」が訪れるのである。 琴音のときは遠い東京での事件だった。 それでも、村へ遺体の搬送、葬儀、火葬前の大腿骨取り出しなど、滞りなく処置できたのはお告げを受けて準備が整っていたからだ。 琴音の大腿骨は洗浄して炭酸ナトリウム1%溶液で煮込む処置を施した。 こうすることで保存性の高い白骨が得られ、菰(こも)を巻いて乾燥させるよりずっと早く「使える」骨になる。 これは橘が骨格標本の製作方法を参考に始めた手順だった。 今の時代、科学の知識を活用することが重要と橘は考えている。 『こしろさま』のお姿は元の骨の主に似ると言われる。 だから橘は、同じ子供に同じ骨を2回使わないように注意して管理している。 今年の『こしろさま』はどんなお姿かな? 子供たちには毎年ワクワクする気持ちを楽しんでもらいたいじゃないか。 今年の大祭では誰かの『こしろさま』に琴音の姿が現れるだろう。 ごり、ごり。 作業を再開した。額に再び汗が流れる。 橘は無心に人骨を削り続けるのだった。 15. 琴姉ちゃん!! 『こしろさま』の包みを開けた芙紗子が驚いた。 六年生になって今年が最後の『こしろさま』だった。 ガラス瓶の中に浮かんで眠るショートヘアの女の子。 そのお顔は琴音にそっくりだった。 3年前の事件は衝撃だった。 お葬式では泣きに泣いて大人たちを困らせたけど、今は落ち着いて琴音のことを思い出せるようになっていた。 ねぇ、琴姉ちゃん。『こしろさま』になってあたしに会いに来てくれたの? 二階の窓に風が吹いてカーテンが揺れた。 芙紗子の家は改築されて念願の子供部屋を作ってもらえたのだった。 窓から丸いお月様が見えている。 考えてみれば今まで『こしろさま』がいらっしゃた夜に月が陰っていた記憶はない。 雲ひとつない夜空に必ず満月が輝いていて、世界を青白く照らしているのだった。 芙紗子は月光が好きだった。 部屋の明かりよりお月様の明かりの方がずっと素敵だと思う。 芙紗子は照明を消す。 『こしろさま』の瓶を持って窓際へ行った。 ガラス瓶を掲げて月光にかざすと、琴音にそっくりな『こしろさま』がふわりと金色に光った。 ・・大きくなったね、芙紗子ちゃん。 「琴姉ちゃんっ、やっぱり来てくれたんだね」 ・・今日は神社に来てくれてありがとう。 「え? 神社にいたの?」 ・・いたよ。これからもずっといるから、いつでも会えるわよ。直接お話しできるのはこれで最後だけどね。 「行くっ。お話しできなくても絶対に行くよ!!」 ・・待ってるわ。 『こしろさま=琴姉ちゃん』がきらきら輝いている。 綺麗だな。あたしもこんなに綺麗になれるかな。 「ねぇ、あの約束覚えてる?」 ・・『こしろさま』の前で裸にならないって約束? 「うん。あたしずっと守ってきたんだよ。でも、もう破ってもいいかな」 芙紗子は思い切って言った。 「あたし、琴姉ちゃんにお尽くししたい」 芙紗子は着ていた服を脱いだ。下着も全部脱いで裸になった。 2年生のときよりずっと身長が伸びて胸も膨らみ始めていた。 初々しい少女の身体を『こしろさま=琴姉ちゃん』に見せた。 ・・素敵な女の子になったね。芙紗子ちゃん。 「あたし、もう12歳だよ」 ・・そうだったね。もうすぐ大人になるんだ。 「だからね、もう知ってるんだよ」 ・・うふふ、何を知ってるの? 「女の子が裸でお尽くしするって、本当はエッチな意味だってこと」 笑い声が響き、『こしろさま=琴姉ちゃん』の身体が眩しいくらいに輝いた。 16. 深夜。 二階から階段を下りる足音がした。 芙紗子の両親はぐっすり眠っていて目を覚まさなかった。 玄関の扉がそっと開き、ガラス瓶を抱いた女の子の影がするりと出て行った。 天空に満月。 降り注ぐ月光を浴びて、全裸の芙紗子が『こしろさま』の瓶を抱いて踊る。 瓶の中には金色に輝く小さな裸の女の子。 二人の冒険の時間はもうしばらく続きそうだった。
~登場人物紹介~ 室谷芙紗子(むろたにふさこ) :8歳、小学2年生。ガラス瓶に入った神様『こしろさま』を受け取る。 室谷琴音(むろたにことね) :22歳、芙紗子の再従姉妹(はとこ)。東京の大学に通っている。 橘秋人(たちばなあきひと) :75歳、大祠神社宮司。 室谷仁三(むろたにじんぞう) :90歳、室谷一族の長で村長。 前回のお話 の約10年後の出来事です。 前はAIに描かせた挿絵に適当に文書をつけただけでしたが、今回はきちんとプロットを作成して少し長めのお話になりました。 神社の御神体である人骨の設定は作者の嗜好です。 グロの要素はないつもりですが、苦手な方がおられたら申し訳ありません。 あと、前回の主人公(一人語りの「私」)は本話の琴音さんです。もうお判りですよね。 挿絵は今回もAIに生成させました。 立ちポーズの巫女さんを描かせるのは簡単でしたが、水中に浮かぶ『こしろさま』は試行錯誤を繰り返しました。 手足のバランスやポーズが難しいのもさることながら、裸体絵なので Tumblr の規制に抵触しそうな絵を描きがちなのですよ。 それでも水中に広がる髪が美しく(よく見ると変な部分もありますが)描けたのはさすがAIです。こんなの自分では絶対に描けません。 大祠神社に纏わる部分は(ロケーションやいろいろな名称、お祓いの祝詞に至るまで)自然言語AIの ChatGPT に考えてもらいました。 こういう設定は下調べに手間取るので、AIがそれらしく適当に決めてくれるのは助かります。 例えば、宮司の橘さんが御神水を汲んだ境内の古井戸。ChatGPT によるその名前の提案と解説は次の通り; 古井戸の名前として「神鏡井(かみかがみい)」という名前を提案します。 この名前は、神聖な鏡を意味する「神鏡」と、水が湧き出る井戸を表す「井」を組み合わせたものです。 「神鏡井」は、古式の風情と神聖さを感じさせる名前で、神社の境内に佇む御神水を象徴的に表現しています。 この井戸から湧き出る水は清らかで、神職や参拝者にとって特別な存在とされています。 どうですか。命名の根拠は2行目だけ。 後の説明は雰囲気で押し切っていて、それでも「なるほど」と思わされてしまいそうになるのは流石ww。 テレビドラマでよくある広告コンペのプレゼンなどはもうAIに任せれば十分ですよね。 私も引き続き遠慮なくAIに頼らせてもらうことにします。 さて、『こしろさま』の連作はこれで終わりです。 次の発表までまた時間がかかると思いますが、ゆっくりお待ちください。 ありがとうございました。 [2023.8.10 追記] こちら(Pixiv の小説ページ)に本話の掲載案内を載せました。 Twitter 以外にここからもコメント入力できますのでご利用ください。(ただしR18閲覧可能な Pixiv アカウント必要)
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野澤ゼミの休日 in にこたま ①
「いや~、にこたまは絶好の街歩きスポットだったな…」
こんにちは!ハナマルです!
先日、年末の授業休みの期間を利用して「街歩き in にこたま」に出かけてきました!
天気にも恵まれ、お勉強も兼ねて二子玉川のまた違った魅力を存分に感じてきました。
今回のブログでは、野澤ゼミのブログ初の共作シリーズに挑戦していきたいと思います!
以下の流れで5人のメンバーそれぞれでブログを書いてみました!
今回は前半編ということで以下の3つのテーマでお送りします!
1.GRAND PATIO Library&Art と 各所に配置された彫刻作品(ハナマル)
2.周囲に波及していく街並みづくり (キタザワ)
3.旅~都市から自然への街路~『ランドスケープ・空間利用』 (フジサン)
近日中に残りの2人のブログも投稿するのでぜひ楽しみにしていてください!
1.GRAND PATIO Library&Art と 各所に配置された彫刻作品(ハナマル)
それではトップバッターで美術の成績が振るわなかったハナマルが
アートや本をテーマとした空間づくりについて書いていきたいと思います(笑)
さて、二子玉川といえば、やはり”玉川高島屋”ではないでしょうか?
近年、ECの台頭などによって各地で閉業を余儀なくされてしまっている百貨店ですが、
ここ、二子玉川では今も変わらず、”にこたまの顔”としての存在感は抜群です。
そんな「にこたまの顔」である玉川高島屋の中でも、大きく二つ、
①GRAND PATIO ~Library&Art~
②建物内外に散りばめられている数々の彫刻作品に込められた思い
についてご紹介します!
① GRAND PATIO ~Library&Art~
「GRAND PATIO ~Library&Art~」は、
「アーバンリゾートを象徴する、過ごす場・集う場としての空間、そして新しい発見のある空間」
をコンセプトに創られたスペースです。
いや~、ここで土日にゆったり腰かけて読書をしてみたい・・・
二子玉川は、その自然に囲まれた環境や都市部と郊外部を繋ぐ立地から「アーバンリゾート」と呼ばれますが、そのリゾートにふさわしい、買い物の場だけでなく、豊かな時間を過ごす場としての空間づくりとなっていました。
このスペースでは、ブックディレクターの幅允孝さんが選んだ書籍と、キュレーターの高��咲恵さんが選んだアート作品が展示されています。
さらに、SDGsに配慮したファニチャーなど、各所にこだわりを感じる空間でした。
そんな中で、一つ大きく感じたこと、
それは「パブリックスペースを取り囲む周辺の環境の大切さ」です。
このスペースが設けられている一階では、ハイブランドの店舗が並んでおり、全体として落ち着いた、話声のほとんどない静かな雰囲気となっていました。
そのような落ち着いた空間に配置することによって、このスペースが持つ、アートと本による豊かな時間を過ごせるという魅力を、適したターゲット層に最大限感じてもらえるようになっているのではないかと感じました。
近年、建物内外におけるパブリックスペースの重要性が叫ばれていますが、
「どのような層が集まり、どのような過ごし方をする空間作りをするのか」
「それに適した環境を持つスペースはどこか」
この両者のマッチングがとても重要な視点になるのだなと、とても勉強になりました。
②建物内外に散りばめられている数々の彫刻作品に込められた思い
まち歩きをしながら二子玉川の街並みや高島屋を満喫していた私たちでしたが、
「なんか、高島屋の周りすごく彫刻作品多くない?これ調べたらなにか意味があるかもな...」
そんな話をしていました。
高島屋では、屋上庭園や入口の取っ手の部分など、いたるところに彫刻作品が隠れていました。
実は、まち歩き後に調べてみたところ、
これらの彫刻作品は、
「二子玉川に訪れた人々が意図せずに芸術と触れ合う”偶発性”」
を意識して、二子玉川の”街の日常”に溶け込む形で配置するよう工夫されているとのことでした。
これらの取り組みは、1979年に環境計画の一環として開催された「たまがわ野外彫刻とテキスタイル展」がきっかけとなって行われるようになったみたいです。
少しばかりながら、この建物や街並みに隠れた”想い”を感じることができてとても満足しています(笑)
ぜひ玉川高島屋を訪れた際は“アート作品”にも注目してみるといいのかもしれません。
僕自身もこれからはもっと街に隠れたちょっとした仕掛けや想いに敏感な人間になれるよう、精進していきたいと思います!
2.周囲に波及していく街並みづくり (キタザワ)
高島屋は二子玉川駅の西側で商業施設群を展開しているだけではないんです!
高島屋の子会社で商業開発事業を行う東神開発によって、2004年から街並み再整備事業が行われています!
玉川高島屋SCと国道246号線に挟まれた一角を
”路地裏再生エリア”
とし、裏路地のある京風の街並みをイメージさせる風情ある佇まいをコンセプトに建築デザインがなされました。
そして柳小路と名付けられ、東角、南角、仲角、錦町という4棟が営業しています。
各棟の構造として、営業している店舗に入るには敷地内に入り込んだ小さな通路を経由することになります。
この小さな通路が京風の街並みにおける裏路地となっており、コンセプトを形作る重要な要素となっています。
特に上の写真の錦町では敷地内部まで引き込まれた通路が石畳になっており、入口にあるおしゃれで和風な照明や植栽と相まって、とても雰囲気のある裏路地のようになっていますよね(笑)
また最新の南角では、あくまで主役は店舗であり、
”建築は脇役ではあるけど、無味無臭ではない、各店舗を引き立たせる出汁のようなもの”
という意識でデザインされたそうです。
そして建物の正面に階段を配置することによって、2階にも裏路地の雰囲気を出し、入っていきやすいようにもされています。
この事業で面白いのは、柳小路のコンセプトが周囲の事業外の建物に波及していることです。
東神開発の街並み再整備事業による建物4棟のみですが、
柳小路のコンセプトにあわせられたデザインの建物がエリア内に増えてきています。
つまり、街並み再生ではすべて作り変えるのではなく、エリア内の3,4棟の建て替えやリノベによって統一したコンセプトを見せるだけでも周囲に波及させる効果があるのではないでしょうか。
今後もこのエリアでは、綾小路のコンセプトに則った建て替えが行われていくことでしょう。
これによっておしゃれで風情ある裏路地の街並みが広がり、このエリアがさらに魅力的になっていくことを期待したいですね!
3.旅~都市から自然への街路~『ランドスケープ・空間利用』 (フジサン)
なんとなくおしゃれなこのタイトルとサブタイトル、
実はこれ、二子玉川ライズのランドスケープ・建設外装デザインの政策プロジェクトのコンセプトとなった文言なんです!
そして今回は、美術の成績が振るわなかったハナマルくんとシャツがたまに被る私、フジサンが
〇都市から自然へのランドスケープ
〇ランドスケープ上の空間の使い方
をご紹介していきます。どうか温かい目で最後までご覧ください!
1. 都市から自然へのランドスケープとは?
二子玉川駅から出たら東口から真っすぐ行くと都市から自然への移り変わりを体感することができます!
上の写真を見て頂くと看板が少しずつ小さくなっていっているのが分かるかと思います。
この看板は太陽が透過することによって「動」を表しているそうです。
自然エリアに進むにつれて徐々に低く色も軽やかになっていくことで、賑わいのある都市から落ち着いた自然を表し周囲に溶け込ませています。
また、自然エリアに行くにつれ、建物が少なく(低く)開放的になっていくので看板の存在が都市部よりも際立ち、落ち着きを与えてくれる存在となっています。
みなさんも、看板の大きさがどこから変わるのか探しながら歩いてみください!地味に楽しいです(笑)
最近ではよく、自然との「共生」という言葉が挙げられます。
すでに都市と自然が一体となって調和してしまっている状態である「共存」よりも、自然のありがたみや良さというものを都市から自然への移り変わりの中で感じ取ることができました!
「旅」というコンセプトは人の自然への感受性を高めることができるのではないでしょうか!
2.空間の使い方
現在、二子玉川ライズの中央広場ではスケート場を設置し家族連れが多くにぎわっている印象でした。
ここでの注目ポイントはとなりの多目的ホールです!
普段はセミナーや車両展示など幅広いイベントを行っていますが、今は休憩所として開放されており、椅子とテーブルが置かれwifiも完備されています。
また、広場側の壁がガラス張りになっているとことで広場との一体感が高まっており、とても利用しやすい空間となっています!
人が集まりやすい空間に人の落ち着ける空間���開放的に用意することで、賑わいと落ち着き、静と動を兼ね備えた空間となっていました!
4.さいごに
いかがだったでしょうか?
にこたま、二子玉川ってただおしゃれな街ではないんですよね。
本当に見る視点を変えるとどんどん魅力的な部分が見えてくる、とても楽しい街でした。
残り二人のメンバーのブログは近日公開予定なのでそちらもぜひ楽しみにしてください!
<1/5更新>
後半編はこちら
それでは、また次回さようなら~
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Photo
2010.8.1-22010年度ゼミ旅行高橋ゼミ 岐阜ゼミ旅行2010
8月1日-8月2日の2日間、岐阜へゼミ旅行に行ってきました。
8月1日 (火) 豊田市生涯学習センター
↓
豊田市美術館
↓
愛知県立芸術大学
2日(水) 瞑想の森
↓
羽島市庁舎
↓
多治見中学校
↓
セラミックパーク美濃
2010.8.1-2旅行後、各建築についての対談 (1)
訪問建物批評
生涯学習センター逢妻交流館 星野×新国×百野×湯浅
星野 まずは感想的なところから。中から外がよく見えるしその逆もで、妹島さんのプレゼンボードや模型のイメージと実際の建築がすごくつながっているなと思いました。
新国 最初は、プランもかわいいしコンペの時のボードの印象も軽快な印象を受けていました。でも、��っぱり規模のせいもあるのかずんぐりした外観になっていておしいなと思ったのが正直な感想です。でも、建築の内部がすごい抜けていたのは広がりを感じれてよかった。
百野 中を歩いている感じの空間体験は面白かったですけど、もう少し平面的な規模が大きければ良かったような気がします。
星野 ずんぐりした印象は、写真で見ていたときのほうが特にそうですね。平面的な規模が大きくてもう少し平たい感じになったら、ずんぐり感は減ったかもしれない?一層ごとに少しずつずらしていることが、空間的にはそんなに大きな効果を出していないのかな?とも思ったのですが、ずんぐり感をくだいた外観にするのにはかなり効果を出しているなと思いました。
湯浅 中からも外がよく見えるしその逆も、ということに、コンセプトの内部で起こるそれぞれの行動がつながっていき、それが周りの風景とも連続していくというのが、じっさいに見てみてよくわかりました。
星野 うすい緑色のガラスも、まわりの緑の風景となじんで連続している感じですね。
百野 周りに馴染ませる意味では、あの場所なら建築の規模もあれくらいが適当だったのかとも思います。
星野 コンパクトな感じしましたね。
新国 そうですね。天井がすごく分厚く感じたんですが、21世紀美術館(ゼミ旅行後に行ってきました)も天井厚結構あったのにそういった印象を受けなかったのはやっぱり縦横の比率がかなり影響しているんだなとおもいました。設備や構造が詰まっているから、頑張って抑えた方なんでしょうね。逆にあの規模の建築をあれだけ開放感出しているのはずごいですよね。
湯浅 一層ごとに少しずつずらしていることで、自由な形態のファサ?ドが強調されているなとも思いました。
星野 あの自由な曲線のプランは、なにを基準に設計しているのかなとも思いますが、妹島さんの事務所でたくさんたくさんの模型をつくってスタディしているんでしょうね。
新国 僕もいつもそれ気になります(笑フあと、フロアを貫くボリュームを入れる時ってスラブが目立つと思うんですが、ガラスと床を少し離す事でその印象を軽減してるのはなるほどなと思いました。
星野 ガラスと床、なるほどー。開放感も、外壁が全然なくて、そのかわりに中で立っている柱もあるけれど、その存在があまり意識に入ってこないように押さえられててすごいです。記憶にはあんまり残っていないです。
湯浅 柱の印象薄いですね。自由な曲線プランに丸い部屋が自由に浮かんでいて、いろんな幅の廊下ができていることばかりが記憶にのこりました。
百野 21世紀美術館と大きく違うのが、三層に重ねているところだと思うのですが、見た目の軽さはむしろこっちのほうが軽かったです。
星野 たしかに、21世紀とはいろいろと比べたくなります。
百野 21世紀はものすごく平面的ですよね。こっちは積層していますが、そこのところでなにか思うことはありましたか?
星野 21世紀の方が厳格で純粋な印象ですね。正円に四角なので。こっちの方は曲線がふにゃふにゃしているし、その自由さがファサードでもよくわかるように、ガラスとフェンスの外周で形を出しているし、積層でずらしているので、かなりくだけた感じ。
新国 意図しているのかしていないのかは分からないんですが、良いスケール感の余り空間みたいのがたまにあってよかったですよね。積層に関してですが、やはり曲面を使う建築には積層より薄い建築を求めてしまいます。というのも、個人的な意見なんですが、平面で柔らかな形をしていても高さが増えれば増えるほど四角いイメージが強くなってしまって、ちょっと騙された気分になってしまいました。
百野 あれが4層5層になるとどんどんイメージが変わりますよね。個人的な感想ですが、あれは断面的な操作がほとんどなかったように思います。唯一大会議室で上下の階が繋がっていましたが、あとはほぼそのフロアのみで完結しているような。
新国 二つの建築の違いとして、横への開放感なのか縦への開放感なのかは大きな違いなのかもしれないと思う。確かに太陽くんの言うように断面や立面はあまり考えられてないような気がしますね。それでも開放感を感じてしまうのはやっぱりガラスを多用しているというのが大きいのかも。それで空間をつなげれるというならどの建築でもやれてしまうし、じゃあこの建築の本当の良さはどこにあるんだろうと、ちょっと考えてしまいました。本当に曲面を使う意味はあったのでしょうか?
星野 確かに、大きな意味がなくて平面での形が大事な場合は、あまり積層しない方がきれいです。それでも積層するときに、大きな吹き抜けをつくって上下をつなげるというのは、よくある解決策という感じも少しあります。曲線を使っていることは、まだよくわからないというか、たしかに、ガラスを使うことにたよりすぎなのか?と思うとそうかなとも思います。ただ、さっき新国くんが言ってた、よいスケール感の余り部分をうまくつくるのは、曲線の方がうまいかもしれないです。
新国 確かに。湯浅 曲線によってできた空間のほうが、回遊感があるというか、歩き回りたくなるかもなともおもいます。
百野 あと、丸い部屋の間を通り抜けるとき、急にすぼまって急に広がる感じはやっぱありました。
星野 うん。新国 そうか。空間にそういう表情を作りやすいという利点があるのかもしれないですね。あと、四角くするとどうしても冷たさが出てしまってガラスをつかうと相乗効果になりかねない。公共施設にはそういった表情(=暖かみ?)が出る曲面は意外とあっているのかな。
百野 暖かみの表情というのはなんか分かります。曲面のガラスは平らなガラスよりも周りの風景を反射して、ガラスでありながら妙に暖かい物質感が出ますね。
星野 浮いているというか、漂っている感じを出すのも曲線がうまくいってるかもしれないですね。
湯浅 そういう浮いているというか漂っているような外観が、個人的には周りののどかな風景には合っていたように感じました。
星野 「中からも外がよく見えるしその逆も、ということに、コンセプトの内部で起こるそれぞれの行動がつながっていき、それが周りの風景とも連続していく」とこや、上下のつながり、曲��に対するイメージが集約して、そのことだけにまっすぐというか、すごく潔くて、妹島さんのイメージがまっすぐに建築に結びついているというところはやっぱりすごい、ほんとにすごいです。
新国 そうだね。じゃあ僕は、星野さんからすごいがいっぱいでたので『うまくやったなー』くらいの感想にしておこうかな。
湯浅 ���しい建築でした。
百野 そうですね。なんといってもあのコンセプトを生かしつつ、周りとの調和を理想としたところが良かったなと思います。(終了)
2010.8.1-2豊田市美術館 西澤×濱野×正村×渡辺
正村 何が好きでした?
西澤 場所の強弱みたいなもの。大きくとるところと小さくとるところ。構成のところがうまいなと思いました。
渡辺 エントランス近くのタテのヴォリュームが良かった。あと上の階の線路側にある廊下の飛び出す感じが良かったです。
濱野 私は水とのバランスがすごいきれいだと思いました。あと水平・垂直なところ。
正村 曲線はありませんでしたよね。
濱野 二階から一階に降りられる、映像をみられる部屋とその階段がちょっと感動的だった。踊り場から部屋全体をみたくなるような階段だった。
西澤 意外と敷地に高低差があるんだけど、それをうまく処理してドラマチックに仕上げている。
正村 スロープとか長かったり。
西澤 丸亀の現代美術館とかは今回のと似てる?
濱野 規模は小さいけど現代美術のための美術館という感じ。建物の中に通路みたいなものを作るというコンセプトみたい。
渡辺 丸亀のには行ったことがないのだけれど、谷口さんはメイン空間が一つあって、それを立てるような空間が何個かあるイメージ。メリハリがうまい。
西澤 去年青森県立美術館に行ったことがあって、青木さんのは「一個の部屋に戻ってこい」という感じだったけど、豊田市美術館は導線に従っていけばメインホールに戻れるから迷わなくてすむし、シンプルで優しい気がする。
正村 まとめると、考え抜かれたヴォリュームのバランスと、空間の連続性が美術館をシンプルかつドラマチックに仕立てることを可能にしているのではないかと思いました。(終了)
2010.8.1-2愛知県立芸術大学 清水×棚橋×高山×平川
清水 やっぱり講義棟がすごくよかった。ピロティで浮いていて大学のランンドスケープの軸になっていた。あんなに長いのはある意味ズルい(笑)
平川 敷地はかなり贅沢だったけどムサビに似ている印象だった。
棚橋 ムサビとの比較はおもしろいかも。
高山 ムサビは平らだけど、あの土地の起伏がよかった。そのなかで講義棟が中心になっていた。
清水 あのピロティは集まりやすい場所になっていたと思う。駅のホームみたいな?
高山 風が抜けて気持ちのいい場所でしたね。
棚橋 確かに、ムサビのほうのピロティは完全に動線になっているから人がたまれる場所にはなっていないよね。そういう意味では似ているようで違うかも。
平川 ガラスが汚くなっていたけど、本当は建物がレイヤーのように重なってみえていたはず。
清水 建物が見え隠れしながら、キャンパスを歩きまわるのが楽しい場所だった。
高松 敷地の高低差を利用しながらつながっていて、公園みたいに感じた。
棚橋 建物の外形が決まっていないから歩きやすいのかも。
平川 ひとつひとつ違う形をしているから外部が豊かになっていた。
清水 あれが「やせた形」ってことですね。(終了)
2010.8.1-2旅行後、各建築についての対談 (2)
訪問建物批評
瞑想の森 清水×濱野×正村×湯浅
正村 「静けさ��自然に帰る」をコンセプトに伊東豊雄さんによって設計された葬祭場です。それぞれの感想をお願いします。
濱野 私はロビーの椅子に座って池を眺めていると、違う世界に行ってしまうような不思議な感覚になった。
清水 水盤がきれいだったね。ぽってりとした平面から受ける印象とは違い空間がのびやかだった。それは池の存在が大きく関係していたと思う。
正村 僕はなぜか日本的なものを感じました。その池の存在なのか、素材なのか、スケール感なのかはわからないですけど
清水 奥の方に和室があったりしてそういうところには日本的なものを感じたかな。
濱野 葬祭場っていう場所がそもそも日本的な感じがする。
湯浅 私は図面を見ているとコンピューター的な空間なのかなって思ってたけど、実際はオルタ邸みたいに手作り感を感じた。
清水 あと光がよかった。天井を下から照らす照明が独特で。あれが異世界感に繋がっているのかもしれない。(終了)
2010.8.1-2羽島市庁舎 西澤×平川×宮崎
平川 暑かったですね?(笑)羽島市庁舎はスロープに上りたかったですね。
全員 あ? 確かに。
西澤 内部から見ても分からなかったよね。
宮崎 屋根が変な形ってシンボルだったんですかね?
平川 外観が重要な建築のような気がしました。
西沢 市庁舎の場合、制約があるから、外観で好きなことをやったんだと思う。外観といえば、建築の周りに池があって、それが印象的だった。
平川 水といえば、この羽島市は洪水が多かったらしく、坂倉さん自身もそういった環境で育ってきたこともあり、意識して池を使ったんじゃないんでしょうか。それが2階をエントランスにしている要因にもなっていると思いました。
西沢 だから、隣にあった「羽島市勤労青少年ホーム」の外壁もあんなに高かったのかな。
全員 あ?(納得)
宮崎 青少年ホームはスケールと光の感じが良かったです。
西沢 青少年ホームの方は、制約がなかったから、やりたいことをやったように思えた。建具の雰囲気とか内観がすごく良かった。
平川 制約があると、建築表現としては難しいのかと思いました。今後は、制約に対して、新しい価値観を提案していくことが大切なのではと思います。(終了)
2010.8.1-2セラミックパークMINO 卯月×新国×百野×渡辺
百野 じゃあ感想みたいなところから始めましょうか。
卯月 僕は漫画のひょうげものにはまってて、古田織部が好きなのですごい期待がありました。森の上を通る長いアプローチや谷の上にあるといった自然との関わりが印象的だった。
渡邊 なるほど。僕は単純に城みたいだなと思いました。すごくプリミティブな印象があります。
百野 ぼくも山の中に入っていくようなアプローチはかなり好きでした。トンネルを抜けるとふっと広がるような。磯崎さんの作品は初めてでしたが、多治見中学校を見た後ということもあってか全体的にスケールが日本人離れしているような印象でした。
卯月 上から下へのアプローチはなかなかないよね。
新国 あの抜ける感じは良かったね。すごいスケールアウトした印象をもったけど、今考えてみると意外と普段都心にいるとまわりにあふれているスケールかもなあとも思った。
卯月 普段のどのような���にあるスケール?構成のおかげで抜けが強調されてたってこと?
新国 始めすごく建物が大きく感じたんだけど、例えば、トンネル抜けた後の屋上みたいな広場から見下げた時とか思ったより地面が近く感じたし、展示室の感じとかは新宿のビルのエントランスホールとかでよくあるなと思ったんだよね。周りに自然しかないから余計にでかく感じたのかな。
卯月 車で向かってるとき建物がそびえてるのをみて確かにすごい存在感を感じたかも。展示室も吊られてたりしてたからなにかスケールとか迫力を感じたね。実際に展示してるのが見れなかったのは残念だったけど。
渡邊 そのような感覚をもたらしたのはやはり工業製品による建築(近代建築)だからではないかなと今少し思いました。つまり、新宿的な感覚があの山奥でもテクスチャーによってもたらすことが出来るのかもしれない・・・。つまりボリューム感ではなく、テクスチャー感がより建築の性質を左右するのでは?ということです。
百野 ものすごく近代的。あの巨大なものが吊られてる感じだとか、中庭の絶えず流れている水なんかを見ても、超人工的というか自然を征服しているような感じがしました。
卯月 そうだね。自然と関わりはあったけど、建物はとても人工的だった。吊ってるのはあの土地に関して合理的な理由なのかな?ハハ谷にかけてる感じ?
新国 吊っているのは免震構造らしいけど。僕は構造には疎いので、なんで吊る必要があったのかは分からないです。
百野 でもたしかに言われてみれば上から吊って成立しているような建築、という感じがしないでもないような。先ほどの上から下へのアプローチ、ということでも。
渡邊 必要性と言うよりは磯崎さんがメカっぽい感じにしたかったのでは
新国 そうだね。しかし、あのでかい建築が自然に配慮と唱いながら谷から吊っていたり人工の川みたいのを作ったりとかなり攻撃的な印象を受けますね(笑)
渡邊 世界を作りたかったんでしょうね!(笑)
卯月 建物ができたのは確か2004年くらいだったよね?当時の磯崎さんスタイルを知りたい。70年代の建物は知ってるけど、その辺りのって全然知らない。
新国 確かに。まだその辺ノータッチだ。あと、ずっと茶室のあり方が気になってて。またスケールの話しちゃうけど、ちょっと土木建築にも繋がるようで結構テクスチャーにこだわりもある感じするのに、茶室を挟んで山の自然と人工のコンクリートが存在するのがすごい異様な印象をもった。何か意図するところがあるのか、ないのか。
卯月 テクスチャーとしてセラミックを主に使ってたから、ほんとにテクスチャーって感じが強くてちょっと表層感が強かったな。茶室からは水面が見えたけどその先に見える建物は存在感が強くて、確かに異様に感じたよ。
渡邊 なんとなくですが、磯崎さんは藤森さん的なオーガニックな建物とは反対のスタンスな気がします。原初の建築の姿、「自然や地域の侵略物」というような像を頭の中に描いているのかもしれない。だからあそこまで明らかなコントラストを持ってきたのではないのでしょうか。
百野 美濃焼きの建築なんていったら��れこそオーガニックなものがまず頭に浮かぶけど。磯崎さんは『セラミックパークMINO』なんていういかにも現代建築って感じの名前にしてああいうものを発表したんですね。藤森さんが設計者だったら全く違うものが出来上がってくるでしょうね(笑)。
卯月 名前からミノの文化を発信するって感じがするよね。展示物が陶器とかだら世界で初の免震システムを取りいれたのかも。
新国 そうだね。勝手なイメージだと、美濃焼と言われると藤森さん、セラミックって言われると磯崎さんって感じ(笑)。というのも、磯崎さんは焼き物のかなり最先端な部分を強調した建築っていうのかな、そういう印象をセラミックパークに持ってきている感じがするんだよね。ハハ免震システムに関して、なるほど。
百野 磯崎さんはやはり世界スケールでものを考えている感じがしますね。そのなかで発信の仕方にものすごく気を使っているような。壊れ易い陶器に免震システムをかけて発表するということにも納得です。新国 やっぱり、磯崎さんはどんなものに対しても最先端のスタンスで物を作っているんですね。(終了)
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大明神とセミ人間
今年の初夏より、仙台市内においては、奇人変人奇奇怪怪の類の目撃談が相次いでいた。三流オカルト雑誌の記者である私は、飯の種が豊作であることに一時喜びもしたが、この酷暑の中外を歩き回ることは、その喜びが汗とともに流れ去ったかのような感覚をもたらした。これならば、いつものようにネット掲示板の類から、眉唾ものの話を選別し、それらを適当に紙面に落とし込むほうが気楽だったと、私は立ち寄った喫茶店の店内で考えていた。私のように、この気温の中に放り出された社畜の群れで、店内はごったがえしていた。成人男性特有の、老いの先兵の象徴のような体臭が満ちている。まして喫煙席に座ったものだから、それぞれが嗜好する紫煙が混ざり合い、恐ろしくひどい臭いとなって、この空間に充満しているのである。不幸にして、節電などという流行り言葉のせいで、冷房の類は全く効いていなかった。都市の中の避暑地と思われていたこの空間が、詐欺師同然に財布から金を奪ったことに対して、冗談でも警察を呼んでやろうなどと考えるのは、おそらく私だけではないはずだ。
ストローを強く吸うと、溶けた氷によって薄まったオレンジジュースが口中を満たした。ひどい味だった。これならば、まだぬるくなったビールのほうがマシだった。
編集室に届いた手紙や印刷されたE-メールの類をカバンから取り出し、それらを机の上で精査していた。そのどれもがくだらない。しかし、私の書くような文章を好む人間というものは、得てして、世の中にある嘘を見抜こうともしない連中ばかりなのである。むしろ、彼らの多くはゴミ同然の嘘を好む。それも、常人の感性においては到底感受することすら拒むような話を、彼らは好んでいただくのだ。
彼らは一種の病人であるように思われたし、虚偽で構成された社会に適合した、新種の生命体群のようにも感じられた。私は自分の仕事の無意味さと、そんな無意味さを許容する読者を、心をのどこかでは愛しているのだ。そして、自分がこれから記事にする、くだらない出来事も。
廃棄物同然のコーヒー豆から、まだなんとか飲めそうなものを選別する。そして、それを一種の職人芸をもっ��加工し、大量の砂糖とクリームで味を調え、味が分からぬようにキンキンに冷やして、舌のマヒした連中に提供する。私が今日彼らに提供する腐豆は、選別作業の結果、以下の3つになった。
①「仙台市I区 神上り地区 盆踊りマンション」
②「仙台市I区 腹切矢倉 ケルヒャーマン」
③「仙台市I区 坊主沼 セミ人間」
このどれもが、仙台市I区を舞台としていることは、偶然ではない。それは、私の怠惰がもたらした産物である。あまり広いエリアを行き来するのは避けたかった。できれば、徒歩で歩き回れる範囲で、どうにか片をつけたかったのである。こんな態度でも生き延びていけるのだから、案外世間というものは、私のように適当な人間によって構成されているのかもしれない。
煙草を根元まで吸い、文句を言い言い飲んでいたオレンジジュースを飲み切った。水量が減り、底に残った氷から、残り僅かな水分を吸い上げる時の、ズズッという音が、ひとつの夏の象徴のように思えた。今日の取材も、このジュースを飲むように、容易く終われば文句は言うまい、たとえその中身が不味くとも、行為が障害なく終われば問題はないのだ。私はそうして、この炎天下を歩く決心を固め、皮を焼き切るような太陽光線の中へと繰り出した。
仙台市I区 神上り地区。そこは古来、仙台における宗教的儀式の中心となったエリアである。地区のすぐそばに仙台藩の刑場が存在していたことから、そこで首を切られた罪人の死体を処理する施設が密集していた歴史を持ち、東日本では数少ない忌地である。ただ、その歴史だけならば、日本全国によくある類似地域と遜色ないのであるが、この地区を特徴づけたのは、ここで独自に発展したある宗教の働きが大きい。「神中仏」という言葉が、日本でここだけに残っている。その概要は少々おぞましい。日本に存在するとされる八百万の神を呼び出し、それを死んだ人間の身体に入れる。時が経ち、その身体が腐って骨に成ると同時に、そこに入れられた神は天界へと神上がりを行う。神上がりをした神は、その死体の主であった人間の霊魂を喰らい、ただならぬ霊力を持って天界へと昇っていく。その過程で、儀式を執り行った人間の願いを叶えるとされており、それを主目的として構成された宗教団体が、長い間その地を支配していた。歴史上におけるその組織の最後の記述は、第二次大戦中にルーズベルトを呪った、というもので終わっている。ただ、その宗教組織は名前を変え、今でもこの神上り地区で活動を続けていると言われている。これらの情報は、過去に編集部に持ち込まれた情報に由来している。珍しいことに、それは事実であったことが、同僚の調べにより判明している。
しかし、今日ここを訪れたのはその取材が目的ではない。新造されたマンションの一棟で、夜な夜な住民総出で盆踊りが行われる、というよくわからないタレこみの取材である。こんなもの、日曜の昼にやっているワイドショーでも取り上げないだろう。しかし、これを真面目になって調べることが、私に与えられた職務のひとつなのである。人生はいつどこで転ぶかわからない。新卒で入った会社で、酔った勢いで上司に酒を吹きかけ、自主退職に追い込まれた私には、その言葉の意味がよくわかる。
喫茶店を出てから約一時間でそのマンションに着いた。つい昨年建てられたばかりの、8階建ての綺麗な建物である。ただ、これといった特徴はない。都市にならばいくらでも建っているそのへんの建築物と大差ない。ただ、ひとつおかしな点が挙げられるとすれば、それはエントランスのドアに貼ってある張り紙に行きつくだろうか。
「食人ゼミに注意。セミ退治ダンスで守ろう、地域の平和」
三文怪奇小説にでも出てきそうな文言である。私はそんなことを考えながら、カメラでそれを撮影した。もはやこれだけで取材は終了したも同然であった。後は、この写真に添えるための空想を膨らませ、それを言語化するだけであった。このように、真実からはかけ離れた形で、私の仕事は時計仕掛けのように進行していくのであった。いつの日か、アレックスのように暴力行為に及びそうになるほど、この仕事は実にシステマティックなのである。人間の英知のひとつとも言える、このシステム化された社会においては、一見それらを超越したような事物も、その一部として他者との連関性を持って存在していた。これらの奇怪は、私の三文記事を創造するための、ひとつの素材であり、これらの提供者は、さながら素材産業とでも形容できよう。
「セミ退治ダンスに興味がおありですか?」急に、背後から声をかけられた私は、身体をびくつかせ、後方へと首を回した。一組の老夫婦が私に声をかけた。彼らはそろいの白いTシャツを着ている。そこには、「セミ退治ダンスの友」という文字が書かれていた。「ええ、そのセミ退治ダンスを取材しに来たんですよ。」こういった時、素直に取材であることを告げると、丁寧に話をしてくれる人間が多いことを私は知っていた。彼らの多くは、他者への関わりを求めていた。それが私のような人間であってもだ。
「まあ!先生の言ったとおりだわ!」「やはり、あの方はただならぬお方だね。これは失礼、宜しければ、中で少し話をしませんか?」老夫婦は私の訪問に好意的であった。これは非常に好ましい事態である。こうして何か話が聴ければ、私が文章を生み出す手間が省けるのだ。「ええ、ぜひともお願いいたします。」そう言うと、私は��刺ケースから名刺を取り出そうと試みた。だが、それは老夫婦の手によって、果たされることはなかった。彼らは私の両手をつかむと、まるで幼い子供を連れてあるくかのように、私をマンションの中へと引っ張っていった。
老夫婦の住む部屋は7階にあった。マンションの中身は至って普通であった。至るところ貼ってある張り紙を除けば、それは実に素敵な建物なのである。老夫婦の部屋はマンションにしては珍しく、全室が畳張りであった。驚愕したのは、部屋の窓に備え付けられた網戸であった。その網戸は金属によって編まれていた。指を触れると、金属特有のひんやりとした感触と、私の指圧を意にも介さない固さがあった。老夫婦は私に麦茶を出した。そして、我々は座布団の上に座り、ちゃぶ台に向かいあった。老婦人が口を開いた。「今先生をお呼びしていますから、少しお待ちくださいね。」それから5分もしないうちに、ひとりの青年が部屋に入ってきた。小太りの青年は、私に挨拶をすると、懐から名刺を取り出した。「セミ退治ダンスの友 大明神 鈴木」と書かれたそれを見て、笑いをこらえるのに随分と苦労した。私は頬の筋肉に力を籠め、なんとか非礼をせずに済んだ。それから私の名刺を大明神に渡し、至って日常的な現代的儀礼は幕を閉じた。大明神は私の名刺を見ると、嬉しそうにはにかみ、両隣に座る老婦人の顔を見回しながらこう述べた。「ほらね、僕の言った通りだ!そろそろ私たちの活動を広めてくれる使者が現れると、お告げがあった、その通りに事が運んだ!」大明神がそう言い終えると同時に、老夫婦は満面の笑みで拍手をした。もはや彼らの行動だけで、ひとつの記事が書けるような気がした。大明神は私の顔を見つめながら、話を始めた。
「私たちは、この地域の平和を守るために、日夜厳しい修行をしています。それを取材していただけるということで、私は本当にうれしく思っています。」「私も、このように丁寧に迎えていただけて、実に嬉しいです。」私はボイスレコーダーを起動し、大明神の話をこぼさずに記録しようと試みた。「それでは、これから私たちの活動の理念と方法について、そして、この世界に訪れるであろう災厄についてお話しさせていただきます。相槌等は不要です。私はベラベラと話し続けますから、それを漏らさないように記録していただければ幸いです。」私は黙って頷いた。大明神は麦茶を一気に飲み干すと、手振りを交えて話し始めた。「私たち セミ退治の友 は、このマンションに毎夜集まる食人セミと日夜戦いを繰り広げています。」私の頬で必死に筋を張っている肉筋に、またもやブローが加えられた。「食人ゼミと聞いても、おそらく、多くの方はその存在を信じることができないでしょう。ですが、今年だけで、すでに7人の住人が、食人ゼミの餌食となったのです。奴らは恐ろしい生物です。普通の網戸なんて平気で食い破りますし、換気扇だって群れになって突破してくる。下手に刺激をすれば、奴らは窓ガラスだって破壊して、部屋の中へと流れ込んでくるのです。見た目はどこにでもいる、普通のアブラムシに似ています。大きさもまったく同じです。2つだけ違いがあ���、1つは「ウェイウェイウェイウェイ」という鳴き声。もう1つは、奴らが群れになって人間に群がってくるということです。奴らは自分たちの群れで覆いきれる大きさの人間を襲います。だから、最初に襲われたのは赤ん坊でした。母親が赤ん坊を置いて郵便受けを見に行ったスキに、奴らは網戸を突き破って部屋へと侵入し、まるで糞にたかる蠅のように赤ん坊に群がったのです。母親が部屋に戻ったとき���そこには無数の食人ゼミにたかられ、泣き叫んでいた赤ん坊がいました。結局その子は助からなかった。その母親も奴らに襲われ、右腕を失いました。その日を境に、マンション内の子供やお年寄りを中心に、犠牲者が相次ぎました。奴らは人間の身体を骨まで食い尽くします。警察や救急隊を呼ぼうにも、遺体すら残らないのです。そうなってしまっては、行政の人間は誰も信じてはくれません。ですから、我々は、なんとかして食人ゼミから身を守る必要がありました。
色々な防御壁を考えました。ご覧のように、網戸は金属を編み込んだ繊維に変えましたし、窓も防弾ガラスを使った。換気扇にも鉄格子をはめて、エアコンの室外機にも特注のカバーをかぶせた。すると今度は、ここの住人がふとした拍子で外出した際に、奴らに襲われるようになりました。奴らは、砂漠を歩く瀕死の旅団が、力尽きるて座り込むのを待っているハゲワシのように、大規模な群れになって、このマンションの上空を旋回するようになった。おいおい外出もできません。かといって、外の人間は誰も助けにはこない。不思議な事に、ここの住人以外は食人ゼミに襲われない、それどころか、奴らも外の人間の前では普通のセミのふりをするのです。そのせいで、私たちはセミに過剰反応するキチガイ集団だと思われるようになりました。その頃になって、やっとの思いでこのマンションを買った住人達の中から、外へと出ていく者達が現れました。常識的に考えれば、早くからそうしておくべきだったと誰もが言うでしょう。しかし、私たちはこの土地を離れるわけにはいかない。ここの住人の多くは、古来からこの土地に住み続けてきたんです。まだこの街が村だったころから、我々の祖先はこの土地で生きてきた。そのような土地を、あんな奴らのせいで離れるわけにはいかないのです。
ある夜のこと、私は夢でお告げを見ました。それは、我々の祖先が送ったメッセージでした。夢の中で、私は断頭台に座っていました。首をはねられるわけではなく、ただ、まるでベンチにでも座るかのようにそこに座っていたのです。そこへ、一人の男が近づいてきました。時刻は夕方でした。夕陽を背にした男は、黒い影のように、そのシルエットだけしかわからなかった。彼の右手には刀が握られていました。それは夕陽のせいか、それとも血でもついていたのか、その切っ先は残照をくまなく反射したかのように、真赤に輝いていました。それは実に美しい赤でした。私は自分の中に流れる血液が沸騰し、身体が自然と、小刻みに震えるのを感じました。それを見て、男は”やはり我々の子孫だ。お前に、あの憎き罪人たちを、葬り去る方法を教��よう”と言いました。その時に、その男から”セミ退治ダンス”を伝えられたのです。セミ退治ダンスは食人ゼミの侵入を防ぐための結界を張ることができる踊りなのです。その詳細をお話しすることは難しいですが、今晩それを踊っているところをお見せすることは可能です。このマンションの住人が全員戸外に立ち、音楽に合わせて踊る光景は圧巻の一言に尽きます。それは時計の内部機構のように、非常に精緻化されて、他者との連関によって構成された存在なのです。音頭取りが太鼓を叩き、そのリズムに合わせて、全員が所作を統一し、まるでひとつの生命体のように踊り続ける。そうすることによって、我々の意思はひとつになり、強固な防壁を創りだします。そうしてできあがった結界の前では、食人ゼミの強靭な牙も、ガラスを突き破るような突撃も無意味になるのです。」
全てを話し終えると、大明神は満足げな表情でにこやかになった。彼の額や首には、大粒の汗が水滴になってついている。彼は極度の興奮状態から冷めかけた人間が、最後のクールダウンに体内を冷却するかのように、テーブルの上にあった麦茶を飲み干し、おかわりを要求していた。私はタイミングを見計らってこう質問した。
「それは、盆踊りに似たような踊りではないですか?」
「ええ、そうです。もしかして、一度ご覧になったことがあるのですか?」
「いえ、私は見ておりません。ただ、神上り地区のマンションで、夜な夜な盆踊りが行われているというタレこみがありまして、それを取材しようと思い、本日、ここへと参ったのです。」
「そうでしたか。ということは、我々自体はまだあまり認知されていないのですね。踊りだけが独り歩きしていると。」
「そういうことになります。」
大明神は私の目に、彼の茶色の黒目をあわせた。そうして、深々と頭を下げながら、私に嘆願をはじめた。
「よろしければ、我々の全てを世に公表していただきたい。そうすることによって、食人ゼミの脅威や、それに抗い続けて来た我々の歴史が残ります。これで、死んでいった仲間たちもいくらか報われるでしょう。それに、もしかしたら、食人ゼミの脅威の前にいるのは、我々だけではないかもしれない。何処かの誰かが、似たような目にあっているかもしれません。もしかしたら、今後、広く人類の多くが、やつらとの闘争の中に生きねばならないかもしれません。その時のためにも、我々の存在は世界に向けて、宣伝広報されねばなりません。」
「それは構いません。むしろ、記事にさせていただいてもいいものかと、お話しを聞きながら考えておりました。」
「必要なことは全てお話ししましょう。」
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トークイベント
日付:11月17日(金)
会場:東京造形大学mime
パネラー:大野陽生、前田春日美、大石一貫、小林公平
大石:武蔵野美術大学大学院彫刻専攻2年生の大石一貴です。学部まで東京造形大学の彫刻専攻に在籍していて、大学院から武蔵美で彫刻を勉強しています。いまこの会場で行われているのは僕の展示になります。
大野:今年武蔵美の彫刻の大学院を卒業しました、大野陽生です。この連続展の第一回目の出品作家です。
前田:前田春日美です。武蔵美の大学院1年次に在籍しています。大野さんの次の週の第二回目に「短い手」という展示を行いました。
小林:今日このトークのゲストとして参加させていただきました。小林公平です。武蔵美の芸術文化学科4年次に在籍していて、普段は批評や書籍設計を扱うゼミに所属しています。最近の活動としては、所沢で行われた引込線の概要テキストを書いたりしています。出品作家��方について、短い説明テキストとしてマップの裏に書かせていただきました。ただ、僕自身は特に現代アートに長けた専門家というわけではなくて、一介の学部生です。今回この場に呼んででいただいたご縁というのは、武蔵美の彫刻学科で客員教授として教えていらっしゃる岡崎乾二郎先生のゼミに僕が潜っていたということがきっかけだと思います。僕自身は高校時代に美術科の学校で彫刻を専攻していましたが、そこではあまりうまくいかなくて、結局芸術学科を目指すことになりました。でも作品を作ることに対する憧れみたいなものはいまだにあって……今日はそういう話もしてみたいです。今回、三者三様の興味深い展覧会をやっていただきましたが、その話とからめて聞いてみたいと思っています。
大石:ありがとうございます。まず僕たち3人の詳しい自己紹介をしたいのですが、その前に今回の展示に至った経緯をお話しします。僕は学部3年生の時にここで一度個展をやっていたので、このギャラリーの存在も知っていましたし、どういう人たちが見に来てくれるのかも知ってはいました。学部を出た後は武蔵美で修士の2年間を過ごしたんですけど、修了する前にここで展示をする機会を経験して自分の何かを更新したいな、という思いがありました。ちょうどその時に前田さんと展示を企画してみたいという話をしていて、このmimeのことを思い出してここを勧めてみようかなと思いました。そのすぐ後ぐらいに大野さんとも話す機会がありました。僕と前田さんは2人とも大野さんと交流もあったんですが、その時に何か共通点というか……それについてはまた後ほど詳しく話しますが……共通するものを感じました。そういった流れでこの3人が集まってここで展示をやるということになりました。詳しい自己紹介として今回の第一回目からの個展の説明をしたいと思います。第一週目が大野さんの展示でした。では、大野さんお願いします。
大野:僕の今回の展示タイトルは「HOAX」 ですが、日本語に直訳すると「でっちあげ」という意味になります。日本語の意味のとらえ方の広さで、でっちあげる、人とか物を担ぎ上げる、ちょっとヨイショするみたいなそういう意味合いにもとれます。僕は学部に在籍していたときは石彫を専攻していて、大学院に入ってから人間の形を借りて彫刻を作ってきました。その人間の在り方みたいなものは、建築のなかの一部のようなもので……一つひとつは何かモチーフがあってその人柄だったり立場みたいなものが表されています。建築だったら部分が全体を装飾する……そういうものを好んでモチーフにしてきました。モチーフにするというあり方は、「ヨイショする」ではありませんが、場とか物を持ち上げるという意味で 「HOAX」とつけました。制作の素材としては栃木県の宇都宮市で採れる大谷石というものを扱っています。大谷石はかなり脆くて柔らかい石ですが、それを塑像でいうところの心棒にして、その上からパテで埋めていくという技法を用いています。
展示の様子《Item No.6》2017
小林:宇都宮市にあるカトリック松が峰教会の写真を資料として持ってきましたが、これなんかは大谷石の肌の感じがわかりやすいかなと思います。表面の「ミソ」というボソボソした穴が特徴的な石ですね。
大野:大谷石の採石場はほとんどが閉山してしまって、そこはもう観光地化しているんですが、そこに大谷石のお寺があって、本尊の磨崖仏が石芯塑像でできている。実際に訪れてみてこういう技法があることを知って、自分の制作に使ってみようかなと思いました。
小林:大野さんの過去作品を見てみると、内側に入っていくというよりも外側で触っていくような、柔らかいものの印象があります。(卒制の写真)話にあった磨崖仏もそうかもしれませんが、エジプトにある石彫像のような……。
《Wicker Man Ⅴ》2017
武蔵野美術大学 修了制作展
大野:そうですね。大学院のときは結構こういう一回彫って磨いて、その上から模様を彫っていくという制作をしていました。
大石:過去の作品がこういったもので、特に今回の個展ではエジプトの彫刻というかスフィンクスやピラミッドとかが思い浮かびました。
大野:もともと自分でゼロから人間を作るということがあんまり現実的に思い浮かばないので、そういう原始的な部分に魅かれるところがあります。エジプトだったり民族彫刻のようなものは意識しているし、それは作っていて選択していきたい形ではありますね。エジプトみたいという捉え方は良いかなと思います。
大石:大野さんの彫刻は人をモチーフにしたものだと思うんですけど、その話は例えば動物をやろうという考えに至らなかったということは関係していますか? また石を心棒にして塑像を作っていますが、塑像するということと心棒は何かつながるのでしょうか?
大野:単純に人だけでも立場だったりキャラだったり、結局、人間をモチーフとするやり方を変えなくてもいろいろできるのかなと。 人間だと棒人間を描いたら出来上がる、みたいなそういうシンプルさがあって、素直に制作しやすいのが人間だと思います。もともと予備校にいたときは実技で水粘土を使っていたのですが、大学に入ってから自分を見つけるという時に、水っ気を含ん��粘土の状態をなかなか捨て切れませんでした。粘土は石膏やブロンズといった別の素材に置き替わってしまって、そこがギクシャクするというか。やはり今ある状態を残せたらいいなという願いがあるのですが、型になって粘土が掻き出されてしまって今手元に残っているのは型の表面だけ。「あの感動はどこへ?」みたいな。塑像からFRPやブロンズへ、という作業は、そういう理由もあって避けていました。
前田:大野さんにとって自分でつくった石彫の形を心棒にして、モデリングとして塑像をするということは、形をプラスにしていくこと?
大野:パテを打って作品が固まればできる。
大石:固まるまでは未完成ってことですか?
大野:心棒を作るという作業をそれほど意識したことがないというのもあります。垂木で十字が入っていれば良いとか、首像だったら粘土がずれ落ちる防止で横木が入っているとか、確立されているものとしてそこに意識が回らなかった。ただ、石を心棒にするということ自体がどうなのかというのは思っていたりして、発泡スチロールで心棒をつくったりしてやってみたりもしました。 そのコーナーにある作品、それから小さい台座に置いたものも発泡スチロールが心棒です。
大石:小林さんは大野さんの今回の展示を見て思うことはありますか?
小林:石の話はもちろん気になったのですが、色を差し引いてもモランディ的な配置だということは思いました。ただ大野さんにそのお話をしたら、どちらかというとシャルダンに近いという。シャルダンのほうがどちらかというとモチーフそのものを描いていくというより、筆で表面を汚していくイメージがありますね。シャルダンのどういったところに影響を受けたのでしょうか?
大野:受験の話に戻ってしまうのですが、素描の課題で石膏像の顔を似せること、静物デッサンで配置をトリミングしたり、自分の座る場所とか距離をチョイスしていくこととか、その自分自身で選び取っていく力を試されている感じの方が、僕は彫刻をしているなとぼんやり思っています。直接的にはこの作法ではないのですが、大学の講義でシャルダンを観たときに考えていたものと一致しています。
《Still life Ⅳ》2017
武蔵野美術大学 修了制作展
展示の様子 左から《Item No.5》《Loser》《Victim》2017
大石:シャルダンの絵はモザイクがかかったようで、大野さんの作品は表面を石粉でボソボソになっていてピントが合わない感じですよね。そこがシャルダンにつながるのかなと思います。
大野:設置したときに作品が完成する、ではありませんが、作っている時間よりも設置にかけている時間のほうが彫刻をやっているなという感じがします。シャルダンの絵はしっかりとルールが決まっています。絶対テーブルのふちから何かか飛び出ている、当時なかなか書かれていない物を描いていたりするっていう、特殊さがあります。作品の置き方に影響を受けたのはシャルダンです。
大石:静物で描かれていないようなものをシャルダンが配置したように、大野さんも配置する上で何か違和感を期待していますか?
大野:バランスをとっているというか。一個一個、室内の壁に水平・垂直で整体させるみたいな部分がちょっとなかなか勇気がもてなくて、そういう展示をしてみてもいいのかなと思いました。個々の主張が半減することと半減した分なんか別の今作っていた一個一個のものじゃない状況みたいなものを見たい、ということ。
展示の様子 《‘Step on me’》2017
小林:やっぱり鋳造や石膏取りは作ったら固まるまで我慢しないといけないじゃないですか。大野さんはシャルダンのモチーフの選択に興味を持っていますよね。描き方というよりバランスや配置だったり、そこにシンパシーを感じたということなんだと思います。
大野:技法や素材は別としても、共感できることはありました。
大石:では、前田さんの展示についてお願いします。
前田:私の制作の根本にあるのは、自分という主観を通して見るということです。現実にあるということと視覚によって知覚することの間にあるズレや、自分が物に対していかにアプローチするかということには興味があって、見えているものを写真に置き換えたりして制作してきました。展示タイトルの「短い手」も、その知覚的ズレのようなものです。物があることと視覚のズレに対して、自分の身体的なものを取り入れたいなという思いが強くなって、この以前に作った作品からそういうことを考えて制作してい���す。(《短い手》を流す)今回の出展作品の制作プロセスとしては、まず海にこぶし大ぐらいの粘土を持って行き、海に向かって粘土を投げるという映像を記録します。その映像を白壁にプロジェクターで投影して、その海の映像に向かって自分が粘土を投げている映像を見ながら、もう一度その行動を繰り返す。同じタイミングで、同じものを使って壁に向かって投げています。「短い手」という個展名はステートメントにも書かせていただきましたが、たとえばこの机にコップが置いてあるとしたら、その目の前のコップを取る時と同じ感覚で遠くの景色に触れてみたい、という思いが私にはあります。 ただ実際には自分の手はこの長さでしかないので、理想ではもっと長い手が欲しい。実感をもって遠くのものに触れたいという気持ちがあるので「短い手」とタイトルを付けました。自分が行為したこととか、行動したことが具体的に何かになるということよりは、その場で感じたこと、この作品で言えば海に投げたときのこと、その時の感覚の鮮度をいかに落とさないで別の場所で繰り返してやるかが重要だと思います。水平線に触りたいから私は粘土を投げたんですが、そこで現れてきた映像が彫刻的な問題とか別の問題を引き受け得る形になるのかな、と考えています。繰り返された私の行為を、こうして展示空間に大きく映すことで、鑑賞した人が追体験できる場を作ろうとしました。
展示の様子《短い手》2017
小林:行為を繰り返すと話していましたが、これは三回繰り返されているということですね。海に投げ込まれている映像と、アトリエにきて壁に投射しながら粘土を投げているということ、更に実際に展示をしながらこの壁に大きく映して展示になった時に初めてこれがパッケージになったということですよね。映像を映しながら投げているとき鳥が飛んでいましたが、鳥をめがけて投げているというのはそこに気まぐれがあるということですか?
前田:撮影にあたって実際に自分が行為した映像を目の前にしたとき、最初は映像の中のタイミングに合わせて粘土を投げているんですが、途中から画面に飛んでいる鳥にも意識が向きました。 鳥が横切るんですけども、それに向かって投げていたりもしています。結局自分がプロジェクターで映している映像でしかないので、その場で自分に見合った行動をとったというだけです。それがその時の私のリアルな体験でした。
《短い手》制作中の様子
小林:面白いのはこの映像を映しながら粘土を投げていることです。粘土というモチーフは半分柔らかくて半分硬い中途半端なモチーフですが、それを選ぶというのは前田さん独特の考え方だと思います。海景が奥に広がっていくにもかかわらず、粘土は投げたら壁面で止まっちゃうわけじゃないですか。止まっていることで粘土が映像という一つの窓ガラスに向かって投げているような気がして、僕は「短い手」に切なさのようなものを感じました。また、これは技術的なことなんですが、プロジェクターが壁面に向かってピラミッドの形で映像を投射している。投射された映像は消失点に向かっていますが、これもピラミッドの形と考えれば白壁を軸にしてピラミッドがと二つ合わさった構造になります。この枠の形を強調するような展示の仕方は面白かったです。
前田:今までは自分が感じたことを立体にしていましたが、それを造形することによって鮮度が落ちていくような気もしていました。知っていた技法に引っ張られていくように感じていて、そういう制作と、自分が感じたものとのズレにも向き合っていかないといけない。たぶん小林さんが今話した視点のピラミッドのことは以前の作品でも自分が意識していたことだし、繋がってくるのかなと思います。
《Woman Ghost》2015
小林:これ《Woman Ghost》は3年生の時の作品ですよね。卒制の作品もそうですが、物に対する表面をなめるように見るというのはつながるのかなと。
前田:これ(卒制作品)は湖の写真の湖の部分を切り取って立体にしています。
《Land&Scape Ⅰ,Ⅱ》2017
武蔵野美術大学 卒業制作展
大石:木に服を着せている作品は分かりませんが、実際その場所に行ってそこでの実体験をそれを家に持ち帰っていることは共通していますね。それを頭の中だけで整理するんじゃなくて、写真や映像に出力して、その時の感覚を取り戻そうとしているのかなと。実際にはその時の感覚に戻れないじゃないですか。だから、小林さんが言ったみたいに「短い手」という画面窓にとまってしまって、どうしても思い出せない部分は輪郭だけを切り取ることになってしまった。その時の実体験を出力しているけど、「短い手」はどうしても届いていない部分、そこの余白を捉えようとしていると思いました。
前田:いや、実体験というと単にその時の気持ちみたいな表現になるんですが、私は気持ちというかその時に感じたことを輪郭線で追っています。目で追った時の視線の流れや形に対しての意識が強くて、その時の心情のようなものは表現しようとは思ったことはありません。
大石:どうしてフィールドワーク的に一度そこに出向くのかな、それは身近なものでもいいはずなのに。何かを外に求めに行っている?
前田:風景が自分の中で触れられない物になっていて、より手の届かない物を求めに外に行っている理由があります。目の前の机にしたところで、自分がつかめてしまう大きさや知っている質感は情報が多い。あまり外に行こうという意識はないんですけど、視界に入りやすいもの見てしまいます。
大石:身近なものより淡泊に受け取れるから、ということもある?
前田:そうですね。だから今回の作品でも撮影しているときは人が通ってほしくなかった。できるだけノイズは排除したいし工夫はしています。
大野:水っていうのモチーフはやっぱり大事なの?池でも写真だったら周りに生い茂っている草のアウトラインがあったり、 容器の形と水が一致している。海に粘土を投げるというのも、そうなんだけど、波とか変わっちゃうアウトライン、電車の中からなぞっている作品も前田さんの作品にはあるけど、変わっていくアウトラインに関してはどう思っている?
《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》2017
前田:これ《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》は前回発表した作品です。プロジェクターで電車の窓から撮った映像を流して自分に映していて、自分の対面に鏡を置いて風景が映った自分を鏡で認識しながら、粘土を山の輪郭に沿って盛っていくという作品を発表していました。アウトラインが変わるものというよりは、風景だと大きすぎて平面的に見えるということが重要だと思います。輪郭とかを意識しているとどうしても立体的に認識しがちです。遠くのものになりすぎると具体的な大きささえも認識できないじゃないですか。だから山とかを選んでいます。水だから湖とか海っていうわけではないんです。風景の一部として利用し ているて自分との距離が重要です。
小林:自分の身体がまわり込めないということが大事なんでしょうか?目の前に物が置いてあると身体が、裏側がどうなっているのかが分かってしまうじゃないですか。でも前田さんがあえて選んでいるモチーフって、自分の眼球の運動でしか認識できない、明らかに裏側にまわり込めないモチーフだから、わざわざ山の裏側に行ってみようとは思わない。その風景というモチーフを選んでいるのは自分の身体を動かさないでいかに物を見るかということで、前田さんの作品がつながっているのかなと思います。前作のタイトルは《見たいものだけ見てそれ以外は無視するということ》ですね。フィールドワーク的に外に出て行き、一回アトリエに戻ってきて制作するじゃないですか。その風景のなかの「見たいものだけを見る」っていうのは、風景全体をアトリエで想起することへの諦めみたいなのがあるのかなと、この作品では思いました。だから大石さんが話していたような切なさとか、感傷的な体験といったところに重心が置かれるのではなくて……僕が思うのは見ることに対する諦めです。「手が短い」ということをもうわかりきって、それでも作っている。触ることができないのは分かっているけどわざわざ作るということは、前田さんの制作につながっているのかなと思いました。次は大石さん、作品紹介お願いします。
大石:僕は今回は架空の人物を設定して、その人を行動させたログというか小説的なものを書いて、それをもとに彫刻を作りました。今回の架空の人物は三人家族のファミリー、夫と妻と3歳の娘を設定しました。小説は、その三人に普段起こる出来事のショートショートです。小説の中では本人たちは全く喋らないので、その行動を記したものと言った方が近い。長さは原稿用紙5枚にも満たないくらいかもっと短いのもありましたが、そういったものを書いて、この話から僕が汲み取って彫刻に置き換えるということをしていました。その小説は僕自身が書いていて、登場人物を設定し、性格や行動といったものを決定するんですが、決定した書き記したもの以外、小説の人物の間合いや、取り巻く環境だったり書き記すには限界があって僕が全く書かなかったことともあります。僕が書いた小説だけれども、それから自分が読み取って汲み取って彫刻にする。だから実際に小説の中の状況が立体に表れてはいなくて、必ずしも一致はしません。全くの一致はしないんですけれども、それはその小説の中の僕の干渉しきれない部分ということと、現実の僕と小説の中の状況をかなりミックスさせて彫刻に置き換えているということなんだと思います。 この三人家族の3歳の娘がいてその関係がどんどん更新していく様子がよく表れるなと思って、そういう小説からくみとることが今回できたらいいなと思いました。 この作品公園の緑は深い》はコントローラーで動かすこともできます。
展示の様子 《公園の緑は深い》2017
小林:この動かせる彫刻で僕が気になったのは、ジャコメッティの彫刻で《ノウ・モア・プレイ》(1933) という作品で、あれも言ってみれば動かせる彫刻で知られていますね。ゲーム板という土台があって、その上にある駒を動かせるんですけど、終わったら元の場所に戻すんですけれども。もともと細い人体の彫刻をつくっていたということからも分かるように、ジャコメッティはイメージが仮初のものでしかないということに関心があったわけです。それで、大石さんの今回のステートメントを読んでみると「おもちゃがしまわれる」というふうに書いてある。ジャコメッティの駒をお墓みたいに下の棺桶に戻すことができるということと、大石さんのしまうことは重なるんじゃないかと思います この大石さんが言っていたジャコメッティのオマージュ的なもので今回この作品をつくられたのかなと思っていたら話を聞いていたらどうやらそういうことじゃないらしく、ジャコメッティを通過しないでどうやってこの作品が出てきたのかなと、気になりました。
大石:僕の作品も機能を持たせるというか、ビー玉を入れたら下からでてくるとか、あとは後ろにある壁についている作品は蝶番がついていて開くんですけど、彫刻だけではなく何か別の機能を持たせるという点では、確かに近い意味があるのかなと思う。このジャコメッティの作品を詳しく知らなかったというのもあるけど、僕がそうしたのは彫刻がもともと台座の上に乗っていることとか、床に置かれている状態に違和感をもっているからだと思います。
小林:違和感を持っているのにも関わらずこの彫刻はすべて台座に乗ってますよね?しっかりした台があってキャスターはついてますけど、台座に対する疑問があるということですか?
大石:台座に対する疑問も、台座ではなくて室内空間にある食卓だったりテーブルのような機能をもったもの……それが台座と言えるのか、言えないのかはちょっと分かりませんが、そういった要素を彫刻に取り入れたいと思っています。だから壁にあるものも家具の猫足のように使ったり、椅子やラジコンを使ったりと、そういうものによって別の見方で自分の彫刻を見たいということがあります。
展示の様子 《卓上のエナメル質のクロス》2017
小林:この作品はベッドですか?
大石:これは机ですね。
小林:でも人が寝てるじゃないですか
大石:これは寝てますね。
小林:誰なんでしょうか?
大石:これは女性、小説の中のストーリーになってしまうんですけれども、これは机で夫が職場の先輩に女体盛のお店に連れて行かれて、机の上に横たわる女性の上のご飯を食べるんです。そういったシーンを考えてしまって。
小林:ストリップショー的な?
大石:ストリップショー的な……女体盛のお店みたいなものもあるじゃないですか。
小林:いや、知らないけれども……あるんでしょうかね。
大石:かなり儀式的な部分があると思うんですが、そういうシーンを思い浮かべました。だから机で……カウチソファも考えていたんですけれども話が思いつかなくて。
小林:もう、小説を一回公開したほうが良いんじゃないですか?
大石:そうなんですよ、そんな意見ももらって。
小林:大石さんは小説をこの展示で見せたくない。30話ぐらいあるんでしたっけ?
大石:十何話。
小林:十何話ある中で、この彫刻の物語に関係するところだけでも展示したほうがよかったのかなと思います。やっぱりラ��コンとかは正直生活空間に関係あるのだろうかと疑問に思うんですよね。テーブルとか化粧台とかドアとか椅子に見立てるにせよ、それとラジコンは、明らかにラジコンの機能だけが浮いてしまっているように感じます。それがどういう意識の中で出てきたのかっていうのは、小説を読んでみないと分からないのでは?
大野:ラジコンはキャスターの延長って感じかな。
大石:そうですね。もともとキャスターをよく使っていて前まで制作をしていて。パーソナルスペースといって人が持っている自分の心地いい空間や距離など、そういったものをテーマにして制作していました。パーソナルスペースというものが人それぞれあるように、自分の彫刻にもパーソナルスペースがあるんじゃないかなと。彫刻のまわりに人が集まることによって、作品それぞれのパーソナルスペース、人のパーソナルスペースも移り変わっていくかなと思っていて、じゃあ彫刻も動かせる仕組みを作ろうと。
《positioning》2017 Photo by KenKato
彫刻と対話法Ⅲ-思い通りにする、をするか- 府中市美術館
前田:以前の作品にしても、建築の基礎材みたいなものにキャスターが付いていて、建築的な要素とキャスターの組み合わせによって、作品に移動するっていう要素があるというのは気になる。大石さんの彫刻は私には人体に見えるんですけれども、大石さんが作り出したい、そのコンクリートでつくった人体のイメージみたいなものとキャスターとの関係性が重要だと思っていました。ストーリーが入ってきたのは今回の展示が初めてですよね?
大石:いや、初めてではない。ここの前の個展もストーリーを使っていて、これが二回目です。
前田:それとは別としてコンクリートとキャスターという建築的な作品を作っていて、そこにストーリーが入ってきたことは気になります。個人的な意見としては、建築的要素と上物の関係性が薄れたというか、ストーリーをいれることによって大石さんの作りたい形を理由づけしているようにも見えて。
小林:見えなかった形づくりの強い動機みたいなものが小説によって希釈されてしまう、というような?
前田:建築的な要素とか移動とか大切な要素だったものが、単なる素材になってしまう。私にはそういう風にみえていて、それは本人はどう思っているのかなって。
小林:もう、小説を一回公開したほうがいい気がしますね。
大石:今回公開しなかったのにも訳があって。自分が小説家ではないというのもあって。
小林:それは関係ないでしょう。
大石:自分は小説の内容とかストーリーはあまり重要ではないと思っています。誰がどう行動するかが重要で、府中美術館で発表した、キャスターがついていた作品《positioning》も人が関わっていたんですよね。キャスターという動かせるが機能を付いていて、作品が移動するじゃないですか。移動したことによって別の人が別の印象をそれに対して持つと思うんですよね。もし動かさなかったら、別の印象を持っていたかもしれません。これはステートメントにも書きましたが、前の人、その前の人が、次の人の行動を決定づけているということです。自分の出生の過去が遠い先祖にあるのは確かで、おそらく風が吹いて桶屋が儲かり、私が生まれるにいたった。遠い昔の先祖が出会っていい関係になり、脈々とそういうことがあって自分が生まれたというのは事実なんですけども、ただ言いたかったのは、じゃあその先祖が違う一瞬を過ごしてしまった場合には僕はどこに行くんだろうということです。かなり極端な話をしましたが、人の行動が誰かの行動を決定づけている。小説の中では三人の人物が登場するんですけれども、その三人の中で誰かが行動したことで誰かを決定づけるシーンがあるわけではありません。ただ、行動してるのは確かで、それを僕はメインに記しています。ではその行動が何を生むのかということを、僕は作品を通して考えることができたんです。自分が書いた都合のいい他人として見ることができて、それを書くことが楽だなと思った。小説の中身を見せる必要はなくて、赤の他人を見せるようなものでもあってそれは違うなと。「小説をつくったんです」というとかなり言葉が強い。小説見ないとわからないという部分もあるけど、本当に僕がやりたいといったら大衆的になってしまう。だから小説を書いた自分の行動で他人をつくって、その他人によって僕が彫刻を作ることを決定づけられているというのが一番必要な要素です。
《Furniture : lamp》2017
前田:今の話を聞いていると、小説を書いた後に立体を作ったように聞こえる。
大石:それもまた逆の場合もあって、彫刻が曲で小説が歌詞とした場合、曲先か詞先かというような違い。矛盾しているかもしれませんが、自分がつくった形がなんでこういう形になるのかなというのが疑問です。赤の他人がこういうことをしたから、こういう形に決定づけられたんだと思うこともできる。分からないこともあるから、じゃあこれが多分自分がこの彫刻を作った事実に当てはまるんだ、と後付けもしやすかったのが小説でした。自分のつくった彫刻の形が自分のピントにあっているのは、それができた所以をさかのぼってその解像度を上げて、奥の方にピントをあわせられるようになってきたということです。そのことを考えると、そういう裏があったのだと決定づけることができた。
小林:いや、やっぱり小説をやりたいっていう感じは、申し訳ないのですが僕には分からない。ただ思ったのは府中で出した二つの作品があるじゃないですか。 もともと大石さんが学部時代に作っていたような、有機的な線で内臓みたいな形のもの《脳ミソにない意識》をつくっていて、下にすごくカッチリした構造物を据えている。
《脳ミソにない意識》2016
東京造形大学 卒業制作展
大石:一般的にいうと台座。
小林:そう、台座でもいいんですが、この二つの彫刻を繋げるものとして両者の高さが同じっていうルールを決めていましたよね。上下の素材それぞれが違う二つの彫刻を一つの空間の中で自分の作品として置くときに、同じ自分の作品として共通する言語を持たせるための構造物がある。それはとてもコンセプチュアルで面白いなと思いました。だから今回のトークの打ち合わせで話していたことを踏まえると、台座を使うっていうのはこれから引き継いでいく問題なのかなと思ったんですけれども。そこからつながっているのと同時に、小説を作るということを知ってちょっと面食らって、今日そのお話を聞いてみました。あとは今使っている台座ってすごく不安定ですよね。ラジコンとかはリモコンで動かせるし、廃材を使っている。台座として意図するものが頼りなく見えているというのは、それより以前にまた別の展示の姿があったということを想像させる。ラジコンが倒れてきて大石さんがわざわざ起こしたとか、台の脚が一本取れていて形が傾いているとか、そういう頼りない状態であっても想像させます。大石さんが話していた自分が生まれてきた因果法則っていうのは、それ以前にありえたかもしれない世界の在り方を、空間で見せているのかなという気がします。
展示の様子 左から《注文確定》《公園���緑は深い》《口の中にアメさんコロコロ》2017
大石:それはその三人という登場人物の世界の空間になっています。介入しきれない部分、その中でできあがっている因果法則っていうのが現れるような展示を目指しました。実際一つひとつが別のシチュエーションだとしてそれがなぜ動き回るのかというと、たぶんどこかで因果がつながっているということになるのだと思うし、この因果の存在は僕の中でかなり大きかったです。
小林:やっぱり小説読みたいですね。気になります。小説を書かないから、小説家ではないから発表しない、というのは全然関係なくて、僕は単に読みたいのでまたいつか見せてください。
大石:はい。三人の作品解説が終わりました。展示をする前に何か共通するものがあるなと思ってこの三人が集まったのは確かです。ただ三人でこうやって連続で個展をやって、どういう関係があったのかなということは考えたいなと思います。
大野:もともと僕はあまり関係性がなくても構わなくて、「発表する場所を欲している三人」くらいに考えていました。タイトルについては、美術的な用語で作品を解説するのはもちろん大切なんですけれども、そうではなくて何かに置き換える、何かに例えるっていう部分、語る上での例えるという態度自体を三人は持ち合わせているなと思います。今出ているフライヤーも、もともと連続個展という風に考えていました。フライヤーの中でグループ展をしてしまおうと。だから展示は計四回という意識でした。
小林:これだけ見ると、フライヤーの写真は一人の作家の展示に見えてしまう、三人はこうしてみると似てるよね、みたいなことをいろいろなところから聞くんです。しかも三人とも粘土塑像をやっていて、前田さんにしても粘土を扱っていたわけじゃないですか。三人ともわざわざ粘土を使ったというのは、意図せず似てしまったということなのかと思います。
大野:最終的なメディウムを選ぶのが似てしまっただけで、そこで無理矢理三人は塑像をやってます、みたいに打ち出すのはダサいと僕は思います。そういうのはちょっと浅い気がしたんです。フライヤーと一目でわかるビジュアルを考えると、よくあるのはグリッドで分けて三人分の写真が出ているだけというものです。それだとつまらないなと思って……だったらここでグループ展をしてしまおうと。
前田:つまらないというのもあるし、メンバーが誰でも良かったという風にもしたくはなかった。
大野:むりくりバランスをとる、じゃないですけれども、やるとなったからには手持ちのコマで頑張る、ということをやりたかった。
大石:僕は今回三人でやって思ったのは、共通点がないという意味だった。それぞ作品を作る上での距離の取り方をそれぞれ持っている。
前田:作品の作り方っていうよりは、素材に対しての疑問みたいなのがあるってことだよね。
大石:やはり三人とも粘土を使っていたけど、粘土を使うにあたってどういう距離感を粘土ととるかということに共通点があるのかなと思う。僕は小説ないしは別のことを何かにフィルターをかけて、粘土を使うに至った。その粘土に対する何かは自分でも分からないけれど、なぜそこに至ったのかという疑問はありますし。前田さんは粘土というものを持って表れているし、大野さんは塑像ですが、粘土ではないし距離感の取り方をそれぞれ持っている。
小林:素材に対する距離感をもっているというのは、どこかでつながっていたと。その距離感を「むしろ例えてしまう」という、たとえ話ですよね。
大石:作品というのは、こういう考え方をどう置き換えるか、というたとえ話だと思うんです。このフライヤーを見たときに自分たちは思っていなかったけれども「三人ともすごく彫刻しているね」という意見があって、びっくりしましたね。自分たちがバリバリ彫刻やってるという……。
前田:やっている意識はない三人ではあった。
大野:クラフトっぽいね、映像だけでものがないね、とかそういう言われ方に単純にカチンときた、みたいな。アンチじゃないけど、そういうことはあるのかなと個人的に思っていた。
小林:三人はこれからどうするんですか?どう発表していくか、とか。大石さんはもうすぐ修了だから瀬戸際ですよね。作家としての制作は続けていく?
大石:作家を続けたいです。修了は控えてはいるんですけれども、卒制で振り切れようというところはあって、それから収めていきたいなというのはありました。また少し考えながらいろいろな方向で作品を作っていけたらと思います。 彫刻好きなんだなと。改めて彫刻に向き合うことができました。
小林:前田さんは?
前田:今回映像一本と写真を出したんですが、自分としては映像だけだとは思っていなくて、空間を含めての展示にしたかったので、それが殺風景だと感じる人はいるかもしれません。投げる距離とかそういうものを意識した見解で配置したというのもあって、映像作品というのも自分では言いたくはなくて、今まで作ってきました。 でも、そこを彫刻として言い切るのも怖いなと思っています。今回に関しては、展示に来た人には「彫刻として出しています」と言っていましたが。そういう意味で向き合うものが増えたと思います。
大野:強いね。いいね、映像を「彫刻ですけど」って。
小林:終わりに向かってますけど、大野さんはこれからどうするんですか?
大野:僕は特に何も決まってないんですけれども、どこでも、どこでも展示します。
前田:今日はフライヤーのデザインをしてくれた方が澤登さんも来ています。
最後になりましたが、皆さま今日はお越し頂きありがとうございました。
スチール、web編集:大石一貴
文字編集:前田春日美 小林公平
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近畿大学ガラス造形ゼミ3年 共同制作課題作品〜 #近畿大学 #近大ガラス造形ゼミ #glass #orderglass #lighting #glassblowing #mouthblowing #glassworks #glassdesign #gggglassblowingstudio #osaka #ガラス #吹きガラス #ガラス照明 #照明 #特注ガラス #オーダーグラス #ガラスのカタマリ #吹きガラス工房GGG #ggg https://www.instagram.com/p/ClFO7ruP7BN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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10.03.13私の家/カニンガム邸 見学会 橋本ゼミ 「1950年代の小住宅をめぐって」 <プロローグ>事前に時間をかけて勉強してきた上で清家清さんの「私の家」の見学会に行きました。その後、学生に50年代の巨匠になりきってもらい、座談会を開いたときの記録です。 橋本(司会) …橋本純 高橋 …高橋晶子 増沢洵 …西澤正子 (M1) 広瀬鎌二 …卯月裕貴 (M1) 池辺陽 …星野千絵 (M1) 清家清 …雨川美津季(M1) <始まり> 司会:今日は、清家清・増沢洵・広瀬鎌二・池辺陽の四氏に集まっていただき、50年代の小住宅を総括する座談会を開きたいと思います。おのおのの作品を振り返りながら、50年代の小住宅とは何だったのかを導き出せたら成功ではないかと考えています。それでは、若い順にいきましょうか。増沢さん、お願いします。 <増沢洵> 増沢:今日は2作品紹介したいと思います。まずはレーモンド事務所にいる時に建てた自邸(最小限住居の試作)です。3間×3間の9坪の1階、3坪の吹き抜けをもった6坪の2階、総床面積15坪のミニマム・ハウスです。私は、面倒なことはしたくありませんでした。なので、柱間を統一することで部材の統一化を図りました。 司会:それは構法の問題としてですか? 増沢:そうです。作りやすくするために難しい仕事や面倒で手間のかかることは好きではありません。 司会:設計はその分大変になりそうですがね (笑)。大工のためとも言えますね。広瀬さんや池辺さんはその当時、伝統構法とは違うことを考えていたようですから。 増沢:また、敷地にとらわれずにローコストに抑えるというのも前提としてありました。 司会:なるほど。もう一件のお話も聞かせて頂けますか。 増沢:もう一件は『コアのあるH氏の住まい』です。自邸の方は丸柱で設計しましたが、柱が一本もない家をやってみようと思い、コアを使いました。8尺のベニアからスタートしましたが、7尺8寸は既に清家さんがやっているので(笑)7尺7寸から始めました。屋根を低くすれば必ず良くなると思ったんです。 司会:天井ではなく屋根なんですね。 低くしたのは棟ですか, それとも軒ですか? 増沢:両方です。7尺7寸は天井高です。 司会:コアを設けた理由は何だったのでしょうか. 増沢:コアに機能を寄せることで、建物と庭が一体となって敷地に広がることを考えました。それから、自邸の時は3本の独立柱を基準にしたんですが、柱が邪魔だったんですよ(笑)。 司会:(笑)それ、作っているときは気付かなかったんですか? 増沢:気付きませんでした。生活してみてから分かったんです。 司会:広く空間をとるということならば、寝室と居間をつなげて使う方法もあったのではないかと思うのですが、そういったことは考えなかったのですか? 増沢:自分の経験をもとにしました。住宅の構成要素には複数の機能をもつものが意外と多く、その機能を単一化することによって一層合理的な設計が出来るのではないかと考えていました。なので、ひとつの空間を居間、食事、台所、家事コーナーなどに分割し、個室には独立性、団らんの場には一体性を図りました。コアのある住まいで良いと思っているところは、キッチンの在り方ですね。主婦だけでなく、誰が使ってもいいようになっています。また、建具を開け放つと居間と台所がつながりパーティーなどにも使えるなど、自由な使い方ができると考えています。 司会:敷地の使い方など、清家邸に通じるところがあるかもしれないですね。こちらの方が広いですが。 高橋:清家邸にはドアがありませんけどね。 増沢:コアの住まいには個室があります。 司会:サイズが違いますからね。コアの素材はなぜ変えたのですか? 増沢:コアがストラクチャーではないのを強調するため、素材を変えました。 司会:どうしてブロックにしたのですか?合板にでも良かったのでは。 増沢:それはコアを目立たせるためですね。 高橋:コアの周りにキッチンやワークスペースがありますよね。一般に、コアの周りはすっきりしている傾向にあると思うのですが。 増沢:むしろまとめたかったんです。個室、コアには機能、団らんのスペースとはっきり分けることを考えました。 司会:南面の障子の扱いについて質問です。障子は大きさに区別があるようには見えません。個室には違うサイズのものを使ったりしなかったのですか? 増沢:規格サイズが好きなんですよ。合理的なので。 高橋:正面から見ると個室の位置が分かりづらいですよね。個室はどこでもよかったんですか?プランニングにおけるきまりとかがあったでしょうか。 増沢:生活のことを考えて配置してます。どこでもいいわけではありません。 高橋:決めるところと、決めずにおおらかなところ、それぞれ4人に違いがありますよね。 <広瀬鎌二> 広瀬:最初の鉄骨造住宅SH?1について話をしたいと思います。敷地面積は60坪で、近代工業の発達により生産された新しい材料を用い、その力学的・材料的特性を生かして設計した新しい住宅です。50年代の乏しい経済の中での住宅のニーズもあり、その人達へ対する提案にもなっています。鉄骨という材料はまず計算が厳密にできるという利点があります。木材には力学的曖昧さがあったので。また、可能な限りそぎ落とし単純化を目標に作りました。設計に関しては、夫婦2人だけの生活を対象とした、最も単純な平面とはどんな形式にしたら良いかを考えて計画しました。単純化を求めた結果、空間を重複使用することにしました。ここでの重複使用とは、居間が生活、接客、客の為の寝室、食堂、仕事室として機能し、さらに細かく言うと玄関と居間の床をフラットにすることで視覚的な繋がりをつくり、また壁のような間仕切りもなくし、狭い敷地の中で空間の広さを感じられるようになっています。家事などの裏方のスペースを北側に取って、居間、寝室が面する南側の開口部を出来るだけ大きく取りました。水回りなどのプログラムの配置については、給排水の道路からの距離を出来るだけ短くして、配管の無駄を少なくしています。最初風呂場の位置は南側だったのですが、北側にすると配管工費が1/3も減る事が分かり北側に変更しました。空間をできるだけ広く感じられる様に、扉はトイレにしかつけていません。また開くことでとられるもったいないスペースを避けたいとも考えました。高橋:縦横どのくらいの大きさか図面を見てみると、日本の伝統スケールが入ってますね。尺寸。 広瀬:余りが出ない尺寸で作りました。 司会:余りですか? 広瀬:はい。鉄があの時代高かったので、あえて鉄を?という考えもあったのですが、構造計算の段階で驚く程軽量で出来ることを知りました。この建物の場合は、定尺物において材の断面に対し最も経済的なスパンを逆に計算する方法を取りました。その結果、4尺、8尺という寸法を得ました。この寸法は硝子の規格寸法にも合い、鋼材の定尺5m10mにも殆ど半端を出しません。鉄骨が木造と引き合う価格で出来るかもしれないという試しでした。 高橋:清家さんの「私の家」とあまり変わらない平面形、およそ5m*10mですよね。これについては同じプロポーションということで後ほどバトルできるかもしれませんね(笑)。 司会:鉄はこの当時なかなか住宅には使われない素材だったと思うのですが、ディテールや収まりなどはどこで学んだのですか? 広瀬:…。 司会:…秘密だそうで(笑)。 一同:(笑)。 増沢:鉄骨住宅は量産を考えていたんじゃないですか?だからディテールなどは 広瀬:ちゃんとした質をもって作れると考えていました。 司会:でも、10棟くらいつくって反省をしていましたね。 広瀬:当時の工業産業経済の中では他の工業生産品の価格が庶民全体に使われるには高価過ぎました。日本の大工の仕事や規格に合わなくて2、3の住宅を除いてはすべて、仕上げを大工の手仕事に頼らざるを得なかったんです。 司会:自分は工業化できると考えたが、周りが付いてこなかったと。 高橋:その後またシリーズを出されますね。SH-13を作られたときはどんなことを? 広瀬:平面計画を制約しない構造計画に関心がありました。構造、外壁あるいは内壁を分離し平面計画の自由度を高めることが必用だと考えました。そのため平行な天井と床の間を、納まりや寸法を変えずに、壁を移行することができます。 司会:この作品は奥行きが同じですが、生活スタイルの変化に対して部屋を並列に、つまりワンスパンで並べて行くことで解決できると考えたのですか? 高橋:どちらかというと、生産の論理をつくろうという感覚ですね。 広瀬:そうです。ここでは工業生産住宅になる可能性を持っているという前提のもとで考えていました。構造と内壁および外壁の分離、部材の寸法と納まりの統一によって、自由な空間が得られる事が工業生産住宅に必用な要素であると考えていました。司会:SH-30になるとブレースがなくなり、剛接合になりましたが。ブレースが嫌だったのでしょうか。謎の住宅ですよね。今までの軽快さが失われてしまってます。 高橋:例えばミースとかに対してはどう思われてるんでしょうか?広瀬:ミースが鉄骨住宅を工業生産に近づけようとしているのは、レークショア・ドライブ・アパートなどで感じています。 司会:SH-1も30も、柱はアングルの溶接ですね。既製品を使っていませんし。削って溶接してます。鉄骨屋さんではできなかったんでしょうね。この住宅では障子やカーテンの扱いはどうなっていましたか。 広瀬:うーん。 高橋:増沢さん、清家さんの住宅は障子やカーテンがついてますね。ついてないのは、池辺さんとか広瀬さんのSH-1などですか。 広��:基本的に、必要な物は水回りがあれば成立しますので。最小限があれば生活はできます。 <池辺陽> 池辺:No3から紹介します。1950年に建てました。ここで、畳式から椅子式へ移行しました。家事労働を少なくすること、小さな家であっても水洗便所や台所設備など、衛生的な設備がきちんと入っていることが前提条件です。そして、居間、寝室、台所などの機能を合理的に収めることを試みました。次に1958年に建てたNo38です。こちらはファッションブランド「VAN」の創始者・石津謙介さんがクライアントの石津邸です。雑誌「モダンリビング」と共同して行ったケーススタディーハウスの第1号です。ここでは、都市より、敷地に対して関心がありました。これからの時代は敷地が小さくなり、間口が狭く奥に深くなっていくだろうと考えています。この石津邸では、40坪という非常に狭く奥行きの深い敷地の中にテラスをつくりながら、室内を、居間、寝室、台所などの機能で分け、それぞれにアクセスがよくなるようレベル差でコントロールしています。 司会:No3は木造、No38はRCですが、どうしてRCの流れになっていったのですか。また、GMモデュールの研究をしていた時に、その流れに乗らないNo38を設計した理由は何だったのでしょう。それから、No3には立体最小住居とネーミングされていますが、なぜ「立体」という言葉を使ったのでしょうか。 池辺:RC造を使ったのは、これからの社会の中でとても可能性のある構造だと考えていたからです。現代の生活にあった住宅を、現代の材料や生産技術にもとづいて設計するということを目指していますから。「立体」という言葉を使ったことについては、容積の問題です。無駄なく中の空間が使えるように、またどんどん家が小さくなっていくのでこの立体の構成が有効かと。空間をつながりで感じています。居間の吹き抜けや、小さい部屋の集合などです。 司会:どちらも大きいボリュームに吹き抜けを設ける構成ですね。 池辺:平屋から2層になっていく可能性の模索をしていました。 司会:都市部において2層になっていくのを予測していたということですか? しかし、なぜ今No38のようなものが建たないのでしょうか。 池辺:もっと敷地を有効活用する必要があるからだと思います。 司会:30坪だからだいたい現在の一般的な住宅と一緒だと思いますが。 池辺:確かに敷地に対して半分しか建たないのは変わりません。しかし、当時の人は持ち物も少なく、最小限の生活ができました。ですが、今は違います。例えば今の人達は大抵車を持ちます。すると車が入るためのスペースが必要になるので、No38のような吹き抜けをとることができないんです。 司会:あと、庭を東側に寄せていますね。南側に作るのは諦めたんですか?都市住宅においては、庭の取り方の方がプランより大事になります。空間の連続性の方が優先していたということでしょうか。モデュール論まで話がいけませんでした。すいません。では、次の清家さん。 <清家清> 清家:今日実際に「私の家」を見てみて、どうでしたか?私の家は1954年に建ちました。まず、この土地の話をしますと、ここに移住して来たばかりは私の家族と女中をあわせて6人でした。その当初、敷地は150坪でしたが、その後40年の間に生活と社会の変化があり、この家が建つ頃には家族は9人に増え1000m2に増加しました。戦時中、私は海軍に入隊しました。我が家の周辺に焼夷弾が落ちたことは知りませんが、我が家の敷地内にも数発落下したようです。しかし家屋が少し焦げた程度で済んだのは、ちょうど年齢的に消化活動のできる世代が家を守っていたということや、空地が充分あったことが幸いしていたといえるでしょう。そして戦後間もなく結婚し核家族生活をしているうちに、社会状況も安定してきたという諸事情から、私たちの小さな住宅を両親の裏庭に建てさせてもらうことにしました。家の向かいは消防署(病院じゃないでしょうか)だからRC造にする必要もありませんでしたが、金融公庫から借金できる金額は、償還年数の長いRC造のほうがたくさん借りることができるということで、RC造にしたのです。私の家は次のステップへの実験かもしくはその試行錯誤であると思っています。また、空間の話をすると、この家はしつらえの家といえるでしょう。日本の伝統などよりも、狭さと家族のことを考えて変化に対応できる家を考えていました。四季に応じてしつらえを選ぶことができます。それから、狭い家なので庭との連続性を考えました。生活への工夫として、食卓・製図机・仕事机・タタミの台・ガラス戸のモデュールを統一して、効率を図りました。しつらえを楽にするための試みです。他のお三方のように社会的な目線というよりも、私は人の生活の方に目を向けていたかもしれません。椅子式にしたのは椅子・テーブルを使用することで、エネルギーの消費を少なくするためです。そして、海軍の経験から靴をはいたままの生活を試してみることにしました。 司会:エネルギーのためですか。本当ですか? 清家:資料の表を見てもらってわかるように、立ったり座ったりするのは案外くたびれるものなのです。 高橋:床に座る方が椅子に座るより消費エネルギーが多いということですが、移動式畳を作られてますよね。畳に対して未練みたいなものがどこかにあったとか。 清家:畳には未練はないんです、未練というより必要性です。衣服をたたんだりするのにいいのです。可動式にしたのは、しつらえからきています。他の家具の軽さもそうですね。 司会:子供部屋については? 清家:…あまり考えてはいませんね。家族では、主婦について多く考えています。戸主といわれるくらいですしね。建築家は形は作れるが、家は母性がつくりますので。 司会:「私の家」というタイトルから、家族に対する意識は? 清家:浴室がないなど、両親の家に頼るところがあったので…。 司会:核家族への意識みたいのはあったはずでは? その意識があれば子供をご両親の家に住まわせたりはしないでしょうし、団らんの場は作ったはずですが。それから、あえて地下を作った理由は何ですか? 清家:防空壕が残っていたんです。だから利用しました。 司会:あるものは使え、と(笑)。壁の仕上げについては? 清家:石ですか?素材については、多様の素材を調和させてモダンさを求めました。 司会:モダニズムで考えれば、統一性では? 清家:美意識です。パルテノンを見た時に影響を受けました。 司会:見たんですか! 高橋:大学の講義ではギリシャの話ばかりしていたそうですね。それ以降の時代は否定していたとか(笑)。 清家:ギリシャの建築家は先ず建築家個人の感覚で造形をするんです。それから、幾何学的に計画する。そうして寸法をギリシャ尺で測れるような数値に調整し、またその次にこれを建築家の視覚に訴えて修整するという、くりかえしを何回となく続けて設計するんです。それに比較するとルネサンスの否定をしてしまう… 司会:ギリシャは良くて、ローマはダメ。ルネサンスはもっとダメで、バロックはたまに良い物があると(笑)。いつ行きましたか? 清家:えっとですね…高橋:あのスクーターで行ったんですか!(「私の家」の軒先に有名なスクーターが置いてあった。) 司会:ギリシャ建築の寸法���系をご自身の建築に適用するときに、一番苦労されたこととは何でしょう? どういう幾何学寸法を用い。どういう日本の寸法体系と合わせていったかなどについて、お教え下さい。 清家:建築は空間を規定する甲羅だと思うんですが、甲羅だけでは亀ではなくて、本当に亀なのは甲羅のところではないもっとやわらかな部分なのかもしれないと思います。建築とは、そういう堅い甲羅の部分と、その甲羅でおおわれたやわらかな部分、さらにそのやわらかな雰囲気に包まれた容器、空虚な空間のすべてを含んでいると言えるでしょう。すまいのもつ文学的な意味まで無視して考えるのはよくないと思いますね。 <四人の対談> 司会:次に4人でお話をしていただきたいと思います。ではまず増沢さん、お願いします。 増沢:自分や池辺さん、広瀬さんには社会に目を向けていたようだけど、清家さんはどうだったのでしょうか。 清家:私の場合、意識は家族に向いていた。他の三方のようにプロトタイプをつくろうとしていたわけではない。むしろ一点ものの住宅をつくる姿勢��った。 司会:一方で清家さんは「デザインシステム」という名前の設計組織をつくられている。それはそのことと矛盾しませんか。 高橋:清家さんは海軍での設計では社会性、合理性を求めていましたよね。 司会:戦時中には量産をしていくのが設計の仕事だった。戦後のそのことへの距離感が四人それぞれ違うと思います。池辺さんは左翼なられたですよね(笑)。それも戦争中の影響が大きいのでは。広瀬さんの量産への意識はどうでしたか。 広瀬:規格サイズの鉄の量産に可能性を感じていました。木造ではなく鉄を使ってアメリカなど大国と同じようにしたかった。 司会:量産志向ではなかった清家さんはどうでしたか。 清家:その時々の状況に対しての設計をしていたつもりです。 司会:当時は社会全体から住宅の大量量産を求められていましたが、清家さんはなぜそれに乗らなかったのでしょう。社会には目を向けていなかったのですか。 清家:んー? 高橋:東大の増沢さんにはその姿勢があったと思います。清家さんは芸大だったからその意識が薄かったのかも。 司会:名前のつけかたをみても、広瀬、池辺両氏はNo.~でつくっています。清家さんは「~さんの家」。増沢さんはそのあたりは無頓着ですね(笑)。池辺さんはどうでしたか。 池辺:私は、社会に説明のできる明確なものを目指すことを研究室の姿勢にしています。だから、形の美しさというような、主観的で社会にとって役立つかどうかわからないことは、一切言わないようにしています。 司会:清家さんと池辺さんは、交流はあったんですか。 池辺:はい。お互いに評価しあう関係でした。清家さんの感覚と形態の決め方が気になっていました。こちらは感覚によらないようにがんばっているけど、清家さんはそれだけでやっているようで。それでも実際に訪れてみれば、いい空間だなあと感じて納得させられてしまうので、ズルいというか、うらやましいなと(笑)。 司会:清家さんは池辺さんをどう評価していましたか。 清家:社会に対する姿勢からくるモノとしての凄みがあるなと。 高橋:清家研の建築には機能がない、池辺研の建築にはかたちがないとやりあったそうですね。それが非常に楽しかったと。篠原一男さんとの対談(新建築2000/10)を読むと、お二人の違いもよく分かって面白いです。 司会:いろいろお話を聞いてみて、増沢さんと清家さんはどこか似ていますね。同じように広瀬さんと池辺さんも似ている気がします。そのあたりそれぞれお話を。 増沢:私はレーモンドに師事していたのでその影響を受けているかと思います。正直さなど。清家さんはしつらえということをよく言いますがどういうことですか。 清家:そこにあるものではなく、そこに起こることが大切であるということです。しつらえとは事ですね。 司会:じゃあ畳でよかったんですか。 高橋:あの畳は動く床ということなんですか。 清家:当時畳を使うと批判されました。周りは日本を否定していましたから。 高橋:清家さんはそのあたりは気にしていなかったんですか。 清家:私は社会がかわっていくところにフィットさせていくという姿勢でした。 司会:森博士の家では二間続きの和室をつくっていますね。当時畳は普通の生活空間だったんですよね。池辺さん、広瀬さんはどうですか。 池辺:鉄骨でつくる場合、プランへの影響はありましたか。 広瀬:鉄を使ってSHシリーズをつくっていく場合、より経済的であることが大きかったです。 池辺:私の場合は機能で分けていく合理主義。増沢さんは合理的でありながらどこかあいまいに残している部分があって、だから全体がおおらかにつながっているような。 広瀬:鉄骨でつくるということが一番にあって、それに伴う条件のもとでプランを考えていました。 増沢:ミースの影響などはありますか。 広瀬:ミースの鉄骨造のつくり方も理解し肯定しますがミースを意識していません。日本の住宅事情とは違うと思いますし。 司会:ミースは鉄骨のジョイントを溶接しています。広瀬さんはボルトでジョイントしていますよね。そのあたりの意識はどうでしたか。 広瀬:当時の経済的、技術的な理由からボルトを使用していました。 高橋:例えばイームズ邸はボルトでつくっていますよね。戦中、戦後の経済状況からボルトでつくるということがDNAとしてあったのかも。どちらかを選ぶ余裕もなかっただろうし。 司会:池辺さんは構造形式にはあまりこだわらなかったようですね。広瀬さんは構造形式に意識的だったようで、ある構造でやっているときはほかの構造はやらなかったみたいですね。広瀬さんは空間論でなく生産論を前面に出されていたと思います。美意識よりも工法の意識を先行させていて、工法を探求していましたね。広瀬さんは武蔵工大から教員の話があってから事務所をたたんでいます。そこで木造の可能性に気づきしばらく木造をやっていますね「木造のディティール」という本も出ています。その後また鉄に戻���ています。広瀬さんは以前に「基礎つくるようになって建築がだめになった。鉄を地面から生えているようにしたかった。礎石の上にのった柱はズレてしまえばおしまいです」とおっしゃっていますね。広瀬さんは原理主義的に構造のありかたをを思考していたのではないかと思います。 高橋:四人うちでいちばんプランの話ができるのは池辺さんでしょうか。 池辺:私はレベルによって機能を分けたり、客観的な合理性のあるプランを目指しました。私自身のオリジナリティとしては、農家のように無駄のないものに美を感じています。それが合理的であると。 司会:プランニングよりも組み合わせで考えていたのでしょうか。二の倍数で図面を描いていたり。ロジックが美に置き換わっている。 高橋:増沢さんは非常に真面目にプランニングをしている。 司会:増沢さんはエキセントリックなデザイン性ではなく、日本の近代住宅のあり方を多角的に考えられていた方なのでしょうね。清家さんは近代というものを様式ではなく生活として受け止めておられたのではないかと思います。 <終わりに> 司会:50年代の住宅史を学んで得たことは鵜呑みにせず自分で解釈していいと思います。でもそこで考えなくてはいけないことは、その作家が何を考えていたか、その歴史や背景、社会に目を向けていかないといけないということです。では、みなさん今日はお疲れ様でした。
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2009.8.29-9.12009年度ゼミ旅行高橋ゼミ 韓国ゼミ旅行2009
8月29日-9月1日の4日間、韓国へゼミ旅行に行ってきました。
8月29日(土),9月1日(火)飛行機での移動
30日(日) 清渓川
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宗廟
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清渓川文化館
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東大門デザインプラザ
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Leeum
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ソウル大学美術館
31日(日) 北村伝統韓屋保存地域
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空間社
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景福宮
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梨花大学キャンパス
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仙遊島公園
2009.8.29-9.1旅行後、各建築についての対談1(30日)
訪問建物批評
清渓川について 新国×湯沢×濱野
清渓川について簡単に説明しますと、ソウル中心部を流れる川で高度経済成長に伴う都市化の進展や水質汚濁、また増大する道路交通に対応するために川の上に蓋をし道路として使われていました。しかし、かつての清流に川を復元するという事業が行われ、2005年9月に清流として復活した河川です。�
湯沢 最初の印象として高速道路をなくして突拍子もないプロジェクトだと思いました。
新国 清渓川文化会館にも行って思ったけど、もし高速道路でなくもとの川の状態であったらこの計画は実現しなかっかもしれないね。昔の川の様子を見る限り、状態はあまり象が良くなかったけどそこに莫大なお金をかけてまで川を整備することが実現したかは分からないね。
濱野 今の状態になってから街の様子もすごく変わったのだろうというのを感じます。川へ下りて行けて、あんなきれいな空間が続いていると楽しいだろうね。
湯沢 街の中で自由に川で遊べる場所はなかなか無いと思う。日本だと柵があったりして川へ入れないことが多いじゃない。
新国 そこは機械を通して水を調整している事が効いているんだろうね!
湯沢 皆で夜実際に清渓川沿いでお酒を飲みながら過ごしたけどライトの演出もすごくきれいで心地のよい空間でした。(終了)
2009.8.29-9.1宗廟 鎌田×西澤正子×濱野
鎌田 宗廟はどうだった?
西澤 王様の通る道があるのが面白い。
鎌田 韓国って身分とか性別とか立場に敏感でそいうところが宗廟でも感じられた。
濱野 王殿の門をくぐった時に床が高くなってて開けた空間が圧倒的だった。そこで何かが行われていたことを感じた。
鎌田 石畳のスケール感はすごい。
西澤 ディティールじゃなくてスケールが大事なのか?配置が大事で風水が使われているのが面白い。
鎌田 自然の地形を元に配置を決めている。
西澤 王宮と比べたら質素。あと王殿のドアがずれているのが、日本と違うなーと思った。
鎌田 人が使う空間ではなく儀式の為の空間が多いのが不思議だった。
濱野 他にこういう建物を見たことがない。
鎌田 ピラミッドも儀式のための空間だね。日本だと何だろう?実際に儀式が行われているの見てみたい。(終了)
2009.8.29-9.1Leeum 卯月×大澤×山家
卯月 サムスン美術館Leeumはマリオ・ボッタ、ジャン・ヌーベル、レム・コールハウスの三人の有名な建築家の美術館が集合した贅沢な美術館です。今回レム・コールハウスの建築はまだ完成していなかったので他の2人の建築について主に話合いましょう。
山家 みなさん個人的にはどっちが好きですか?
卯月 自分はヌーベルかな。
大澤 自分もジャンかな。
山家 ボクは裏切るようですが、期待を込めてレムかな(笑)
卯月 レムの黒いコンクリートが浮いてる感じがね。(笑)
山家 では気を取り直して ヌーベルのいいと思った点を上げますか?ボク自身は、美術館の原点というか、箱ものの機能を突き詰めてる感じがいいと思いましたね。色づかいなどはやはりヌーベル独特でしたけど。
大澤 んーっと、美術館の「閉じた箱」っていうイメージを具体的に形態として表現しているようで、そこらへんがおもちゃの箱の中に入ったみたいで面白かった。抽象的であるプログラムを凄く鮮明に具象化した建物って感じ。
卯月 しっかりした箱スペースとそれ以外のスペースでいい具合に空間をつくってると思う。展示スペースのすぐ隣には自然光が入ってくる様な自由に移動できる空間があって良かった。あの黒のテクスチャーは独特だね。トイレまであんな感じだった。
山家 美術館に多く見られる白の空間ではなくて、あんな感じの雰囲気にできたのは、現代アートだからですかね?
大澤 あぁ。でも絵画が展示してある場所の壁面はさすがに白だったよね?
卯月 全部展示スペースは白じゃなかったっけ?
大澤 白か。でも確かに全体の雰囲気としてまず最初に黒が出てくるのは、何でだろう?
山家 そうだっけ???なんか薄暗いかんじが未だに残ってるんですけど。
大澤 あ、ナラさんとか、ジャコメッティーとか黒いとこあった。
山家 やっぱり箱のイメージが強すぎて、その箱が黒っぽい色をしていたから、全体にそう感じてるのかも。
卯月 基本的に展示スペースはニュートラルな白い箱でそれ以外の残余空間は黒かった気が。何点か例外はあったかもだけど。
山家 なんか色の話ばっかになっちゃいましたね。こ��で、少しだけボッタにふれておきましょうか?
大澤 ぐるぐるしてたね。
卯月 そうだね。ボッタはとても明快な構成でストレスなくすんなり見れた。螺旋状の動線と展示スペースな感じ。展示→ぐるぐる(抽象的な空間)の繰り返し。規模がこれ以上大きいと飽きてしまいそうだけど。
大澤 ボッタのほうは韓国の古美術が主に展示されてたけど、その仕方と動線の関係から、ちょっとかたいそういうジャンルも見やすかった気がする。ヌーベルみたいな空間にあれ展示されてても見る気なくすよね。
山家 そうですね。なんか美術館みたいな静かにしなきゃいけない場所よりもっとあの階段ではしゃげる施設にあってもよかったかな?なんてボクとしては思いましたけどね。
大澤 まぁ、若干みんなはしゃいでたけど。(終了)
2009.8.29-9.1ソウル大学美術館 西澤×新国×山家
西澤 まずは感想から。新国君はどう感じましたか。
新国 やっぱりあのエントランスのキャンティレバーが印象的でした。ああいうのあまり見かけないからワクワクしました。
山家 遠くの山の稜線となんとなく角度があっていて、それもねらいなのかなって思った。
西澤 それは気づかなかった。
山家 エントランスにしても、裏にしても、ヤジロベーの構造がほんとにうまく機能していたなって感じがしたよね。
西澤 エントランスもそうだけど、裏がすごかった。裏はキャンティというより浮いてるって感じで。
山家 あんまり味わったことがない感覚でしたね。
新国 そうですね。あれを支えているものが、中の階段だってゆうのを知った時は驚きました。逆に、外から構造が透けて見えるのがすごい気になりました。あれはあまり好感がもてませんでした。
山家 あれはなんでだろう。中から透けてるわけでもないようだし。ボクもないほうがいいかなって思いましたね。もっとドッシリとしたものが浮いているほうが緊張感が増すような気がしました。
西澤 確かに。でも上物がかなりマッシブだから、あれくらいの見た目の軽さが無いと結構重苦しいかも。�� そいう意味では構造だけでも透けてるのはいいのかもしれない。�
山家 ちなみに、階段室の半透明の素材は、富井先生曰くSANNAに影響されたらしいですけど(笑
西澤 そうなんだ(笑
新国 階段室の周りに展示室が囲ってる構成でしたっけ?
西澤 半分は動線になってたから、囲ってはなかったと思う。
山家 ただ、質がどこもいっしょなかんじになってた気はする。中の作品がなに一つとして思い出せないほど、建築が強かったですね。美術館としては空間に落ち着きがないように感じました。�
西澤 僕も思いました。
山家 やっぱり室が動線の一部として機能してたからじゃないでしょうか。美術館にはむかないかもね。
山家 僕が一番好感をもったのは、中の講義室ですね。すごく身体スケールに近い感じがして、やっぱりかなり細かなところまで気を使ってるんだなって感じました。
西澤 確かに、外ではあれだけ大胆なことをしつつ、中はかなりヒューマンスケールで考えらてた。
新国 そうですね。しかしなんであんな形にしたんでしょう。あの講義室みたいな空間が下の空間に影響を与えてる点では面白いけど、それが外である意味がイマイチ分からない。とくに大学内だから。公共の中にあったらもっと良い場になりそうだなとか思いました。
西澤 内部が外部に影響してるんじゃなくて外形が内部に影響してるんだと僕は思ったな。ファサードに関して言うと、正面が平らだともっと重たい感じになっちゃうから動きをつけたかったのではないでしょうか。
山家 どちらが先にあったとしても、動線を基本に一貫しているというか、すべてが形にでていたと思います。
新国 そうですね。人の動きを考えて形を導いていった結果があの形なのかもしれないです。
西澤 そう思います。すごく無駄の無い、うまい設計だと思いました。(終了)
2009.8.29-9.1旅行後、各建築についての対談2(31日)
訪問建物批評
北村伝統韓屋保存地域 アルマ×卯月×植松
卯月 北村は最初は高級住宅地だったみたいだね。
植松 ぜんぜんそんな気がしなかった。歩いてみて塀しかみえなくて外観では隣の建物との境界は分かるけど中が全然分からなかった。カフェで入れる場所があったけど。
アルマ ギャラリーもたくさんあったね。
植松 伝統的な町にギャラリーが存在してる感じが京都みたいだった。でも看板とか日常的なものがポップだった。
アルマ ほとんど通りに対して閉じていて中庭がある暮らしなのが感じられた。窓もあったけど小さく、閉じられていた。
卯月 そうだね。やはり生活の様子が全然外に出ていなかった。Leeum美術館のエリアもそうだけどなんで高い所にお金持ちの人が住んでいるのかな?やっぱり人より上にいたいから。
植松 横浜とか神戸も傾斜地が高級住宅地なイメージ。
卯月 アルマの国は?傾斜地に住んでる?
アルマ そんなこともない。伝統的な住宅はあるけど、身分の高い人が住んでた大きな住宅は博物館になっていて、普通の住宅はそのまま使われている。
植松 瓦とか塀が少しずれていたり、建物の処理が乱雑だなと思っていて富井先生に聞いてみたら、富井先生が「そういうところが僕の韓国の好きな所なんだ」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的だった。
卯月 宗廟とかでも瓦とか荒くて気になった。
植松 沖縄もざっくりそれに近いかも。
卯月 あとバスから降りた通りを歩いていて、新しく建てられた白い石づくりみたいな建物が建っていてさらに坂があり、細い路地があってヨーロッパのように感じた。
アルマ 歩いてどんな気持ちだった?
植松 天気がよくて気持ちよかった。
卯月 坂があって道が細かく折れ曲がっていて先が見渡せないのと、いろんな模様やパターンが塀にあって歩いていて楽しかった。
アルマ 素材は同じだけどいろいろな模様や石の積み方、木の組み方があってよかったね。
卯月 通りに対しては装飾とかあって気にしている感じはしたけど...
植松 なかはぼろっとしてたりして。坂の上から住宅を俯瞰してみた時につぎはぎな屋根が目についた。
アルマ 緑があまりなかった気がする。
植松 一番高い場所にあった家はすごく大きくてそこには木がいっぱい生えていた。かなり密集してるからあまり庭も広くないのかな。
卯月 広場とかないし共同の場所も見られなかった。
アルマ 時間もなかったし見つけられなかっただけかもよ。
植松 今度はもっとゆっくり見学して中もしっかり見たいね。(終了)
2009.8.29-9.1空間社 星野×井口×大澤×西澤俊太郎
星野 じゃあ、まず感想を。
西澤 スキップフロアの構成がうまかったと思う。
星野 間違いないですね。
井口 レンガのテクスチャーと採光の関係で空間に重みを感じました。好きな空間でした。
星野 重み。水の中みたいに、自分のまわりに空間が存在していると感じました。
大澤 私は、すごく私的な空間だと思いました。会社でもあるんだけど、設計者の趣味がものすごく反映されていると感じました。 たぶんそれは、井口君が言ったような重みのようなものから感じたんだと思います。
星野 感覚的にいいと思う要素はたくさんあったと思うのですが、そういう要素全体をまとめるような図式とか考え方とかあったと思いますか?
大澤 やっぱり、スキップフロアとかレンガのディティールが全体のバランスをとっているんだと思う。
井口 空間すべてに同じ質感があったからずっと異世界にいるようだった。
西澤 空間構成としては図式とかはなくて、設計者の趣向の空間イメージを繋ぎ合わせて出来ていたように思う。
星野 なるほど。繋ぎ合わせてる、複雑。
大澤 確かに複雑な空間構成だった。
井口 なんだか楽しそうにつくってる感じはしたね。
星野 ずっと、近くに設計者の金さんを感じるような。それくらい個人が出ていた感じはありますね。
星野 大澤さんが感想で言ってたみたいに、私的だったり主観的な空間だったと思ったのですが、それがこんなにたくさんの人にいいと思われる(韓国の学生にも人気があった)のはどうしてだと思いますか?
西澤 モノを作るような感覚で作られていたからじゃないかな。実際、気に入らない部分は壊して作り替えながら建築されていたらしいし。話を聞かなくても、そういった一連の手数が伝わってくるような迫力があったと思う。
井口 建築自体に存在感があったね。
大澤 モノ自体が訴えかけてくるから安心感があるのかも。なんで?どうして?って疑問がわくよりも先に、安心感のような空間に対する素直な感動のようなプラスの感覚を覚えるから。
星野 金さんは建築だけじゃなくて芸術一般に深かった人らしいので、とても納得できます。私自身も、絵がすごくうまくて芸術的な才能のある人が作ったという印象を受けました。(終了)
2009.8.29-9.1景福宮 植松×鎌田×西澤正子
植松 景福宮はどうでした?
鎌田 日本の住宅とは違い、敷地が広いのに一つ一つの建物が塀で囲まれていて不思議だなと思いました。
植松 塀は多いけれど王宮なのに開放的ですごく気持ちよかった。
西澤 特に康寧殿の真ん中に部屋が風通しが良くて気持ち良かったな。
鎌田 いわゆる応急の物々しさがないように感じて、富井先生のお話によると韓国の伝統的な住宅のつくりと王宮のつくりが基本的には同じだということで、私達がイメージする王宮とは違った感じがした。
西澤 あと、障子のはり方が日本と逆というのも面白かった。
植松 水上に作られた宴会場である慶会楼はどう思った?
鎌田 こんなに太い柱が大平面にたくさん立っているのはあまり見たことがなくて・・・・
西澤 なんかスケール感が違うって思った。
植松 柱の下部の方が太くなっているのが印象的だった。
鎌田 よく見ると断面が四角い柱と丸い柱があって、形式的な意味が���るのかな、と。また間仕切りのない大空間が機能のあるのかないのか不思議なスケール感でした。
植松 こんな所で宴会したいね。
鎌田 ここで酔ったら水に落ちて大変なことになってたなぁ・・・(終了)
2009.8.29-9.1梨花女子大学 川鍋×星野×アルマ
川鍋 ここは女子大で、中で使っている人と、今回のように外から見に来た人では感じ方が違うかもしれないけれど、少し大味かなと思いました。広場(キャンパスバレー)と内側の施設はあまりかみ合っていなくて、外に対して女子大が開いていくというイメージとは少し違っているかもしれない。
星野 谷があって、その両側の建物内には吹き抜け、内側に廊下、教室となっているので、教室と広場は結構離れています。奥のほうにあるシースルーEVの吹き抜け部分みたいに、ガラス壁面のもっと近くまで床がきて、人が話したり動いたりしている様子が外の広場から見えるようになっていてもよかったかもしれないと思います。
川鍋 逆に、この谷のガラス壁面は中を見せないようにしているのかもしれない。鏡面仕上げのフィンで。
アルマ フィンには、空を映し込むという意図があるみたいです。この壁面は長いしとても大きいので、ただの壁では圧迫感がありすぎます。それに、この形は建築ではなくランドスケープだと思う。だから、中が見えるかどうかという問題ではない気がします。
川鍋 でも、この谷はかなり空間的(建築的)だと思う。かなり空間的につくられた、とても強い場所だと感じました。雑誌掲載のCGパースでは、イス的なものがたくさん置かれたりしていたけれど、実際はそういう使われ方はしていないですね。中の活動が溢れ出したり、ここでイベントが行われているような、そんな所を見たかったという気持ちもあります。
アルマ 「階段を円形劇場に見立てた野外劇場」という言い方もペローはしていますね。
川鍋 ああ。それで、使われていない劇場みたいになっていた。きっと、いろいろなことに使えるはずなんですが、使い手の問題なんでしょうか。むさびの中でも、12号館の前なんかは何かがなければ使われない場所になっていますね。
星野 芸祭で野フェスが出れば、使われる場所になるような。12の前が普段使われないのは、建築の方にも問題があると思いますが、ここはどうでしょうか。たとえば、もう少し小さな要素が付け加わってちょっと複雑になっているとか階段がでてきているとか。ここを使って何かをする色々な企画が大学にあるとか。
アルマ 今の、自由なままにしておくのがいいんじゃないかと私は思います。階段なんかが出てくると、空の見え方には邪魔になってくるし、ここの谷は女子大だから、今のように静かでモニュメンタルな場がいいです。くつろいだり、おしゃべりしたりして集まるのは、屋上の緑の方でやるのがいいと思う。大学のまわりには賑やかな繁華街もあったし。
川鍋 たしかに、くつろいだりするのは屋根の上っていうのはよくわかります。
星野 この谷は、大学を象徴する場であるということですね。
川鍋 もしかしたら、そっちの方が合っているかもしれないです。「カフェから溢れた人が留まって寛ぐ」とか「授業を終えた学生たちが集まって」ともペローは書いているけれど、それよりも、今のような状態の方がつくりたかったのかもしれない。
星野 イスのようなものを出したりすることを考えなかったわけじゃなく、意図があってそうしなかったということですね。
川鍋 建築の批評というのはどうやってするのかということも考えますが、作者がやりたかったことに対し、建築がどれだけできているかという意味で話せばいいのかもしれません。そうするとキャンパスバレーは、今のような静かな状況でいいということですね。そう考えた方がよくわかります。
星野 確かにそうですね。賑やかな状態よりも象徴的な場であるということが大切だったと考えると、今のあり方を理解しやすいです。アルマがいてよかった。川鍋くんの、メンバー割り振りに感謝します。(終了)
2009.8.29-9.1仙遊島公園 湯沢×川鍋×井口
湯沢 川鍋君、仙遊島はどうでしたか?
川鍋 全体的にまとまりがあってバランスの良い感じがしました。メリハリもあるし。
湯沢 高橋晶子先生から聞いたんですが、設計時にどこまで残してっていう話があって、やはり残し方のバランスがうまいという話でした。俺もうまくいってると思います。
井口 僕もです。昔、浄水場だったということをいい意味で感じさせてないと思います。室伏次郎のいう遺構のようでした。
湯沢 私は少し感じたのですが。
井口 感じさせないというのは言われれば分かるが。
川鍋 公園として成り立っているということ?
井口 柱がうまく生きていると思う。貯水タンクとか公園のオブジェクトととしてうまく生きていると思います。
湯沢 感じさせるために作っているのでは?
川鍋 実際に浄水場というものを分かっているわけではないけど、水をつかっているという意味が見えてくるとは思います。長年使われてきたという感じはする。
井口 浄水場だったことを感じさせないように残し、うまく転用している。朽ち具合もよい。
湯沢 場所によって様々に風景が変わるし、施設もアミューズメントというか、歩いていて次に何が来るんだろうという、期待がある。どこか印象に残ったところはありますか? 川鍋 貯水タンクや列柱を残している部分。場所の力を感じたし、それがうまく別の場に置き換わっているところが印象的でした。(終了)
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