#跳傘
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生乾きと雨粒
何日も、雨が降り続いていた。 この雨は、もしかしたら止まないのかもし���ない…… そんな風に思うくらい、何日も何日も降り続いた。
洗濯物は、この雨のせいで乾かず、部屋の中でなんとも言えない、あの独特の臭いを放っていた。
生乾きの臭い。生乾きのシャツ。生乾きのズボン。 ……生乾きだったあの頃を思い出していた。
その日、俺はダラダラと夕方まで寝ていて、目が覚めると既に外が暗くなっていた。
身体がとにかくダルくて、まだ、あと23時間は寝れる。
そんな感じだった。
そのダルさを、何日も降り続く雨のせいにして、時間の流れも忘れボケっと過ごした。
それでも、腹は不思議と減る。
なにもしなくても、なぜ人間は腹が減るのだ。
そう思うと、なぜか腹立たしく、その腹立たしさはきっと空腹のせいだ。と、自分を納得させ、雨が降る中コンビニへと買い物に出かけた。
歩くたびに跳ね上がる泥水を背後に感じながら、電燈も殆どない、どこか薄気味悪い公園を抜け、近道をした。
雨の音に紛れるようにして聞こえてくるブランコをこぐ音。
こんな時間に?出来ることなら、目をつぶって走って、通り過ぎたいくらい気味が悪かった。
それでも、どこか「怖いもの見たさ」と言う意味のわからない衝動に駆られ、雨と暗さで見えにくい中、目を凝らしブランコの方に視線を走らせた。
男が一人。
ブランコを漕いでる。
それも、いい年した、オヤジだ……
俺は立ち止まり見てはいけないものを見てしまったような「目」で見た。
とにかく不思議だった。 そいつも、俺を見ている……ような気がした。 たぶん……目があっている。
雨と暗さでよく見えないけれど。
「おい。」
どきっとした。
しゃべった。
そいつが……俺に向かって。
目をそらし、その場を立ち去ろうとした。
「おい。こっち来いよ。ブランコ一緒に乗ろうぜ。」
て。お前いくつだよ……
いいオヤジがこんな時間に、しかも、この雨の中なにやってるんだ。
「乗ろうぜ。俺、すっげー高くまでこげるんだぜ。」
待て。あいつの喋り方、おかしくないか?まるで子どもだ。オヤジに見えて、実は子どもなんじゃないのか?だけど、スーツ姿の子どもてのも……
近くで確かめたくて仕方なくなった。怖いもの知らずにも程がある。だけど、そうめったに出会える光景じゃない。しかも、相手は妙に友好的だ……
そろり、そろりと近寄り、オヤジの隣のブランコに手をかけながらマジマジとそいつの顔を覗き込んでやった。
「な。どっちが高くまでこげるか競争しよう��。」
……て、やっぱり、いい年したオヤジだった。だけど、妙にキラキラした、その目は、子どもだった。なんだか良くわからないまま、俺もブランコに乗った。
「お前さ、立ちこぎ出来るかよ?」
俺は黙って、子どものとき必死にやった立ちこぎを、そいつにやって見せた。そして、大きく揺れるブランコからピョンと飛び降りてみせた。
「なんだよ。お前すげーなー。すげーよ。なんだよ。俺、それ怖くて出来ねーんだよな。」
オヤジがブランコを急に止めて、目をまるくしながら俺を褒める。めちゃめちゃ褒める。
「すげーな」と何度も繰り返す。
俺はあの頃の光景が目に浮かんだ。
子どものころから怖いもの知らずだった。
誰よりも早く、ブランコで立ちこぎをして、誰よりも早くブランコから飛び降りることができるようになった。そして、みんなが俺に驚く。「すげー」「すげー」と……
そのオヤジと雨が降っていることすら忘れ、遊んだ。
ドロだらけになって。時間が経つことも忘れ、腹が減っていたことも忘れ、必死に遊んでた。
気付けば、どこからともなく集まっていた大人たち。みんな時間を忘れ、雨なんてお構いなしで、びしょ濡れになって遊んでた。 びしょ濡れになって……
それから、毎日にのように雨が降ることを待ち望んだ。
雨が降れば、あの不思議なオヤジたちと、すべて、すべて、本当にすべてを忘れ、まるで子どものときのように思い切り遊べたから。
俺は、大人だ。
いつから、大人になったのかは忘れた。だけど、世間一般に、大人として扱われる。だけど、俺は、大人だ。と、言ってもそれを、どこかで認めていない。
だけど、世間の皆様に俺が大人じゃないと、どんなに力説したところで、ただの変わり者としか見てくれない。
それが、この世界だ。
でも、どうやっても俺は大人だけど、大人じゃなかった。
だけど、大人になりたくないわけじゃなかった。
ただ、俺の中で俺を大人として認めていないだけだった。
どこか、湿った感じ。
そう、乾ききらない洗濯物のように……
どこか、はっきりとしない。
それが、俺だった。
雨の日だけ、思いっきり今を生きることができた。
雨の日だけ、俺は俺らしく、あのオヤジたちと一緒に。雨だけが俺たちを認めてくれた。
湿った、感じの中で。
大人になりきれない、俺たち。
雨の夜の公園で遊ぶ大人の格好をした子どもたち。
世間の皆様より少しだけ、ゆっくりと大人になって行ったのか、次第に集まる人数が減っては、増え、減っては増えを繰り返していった。
そして、いつごろからだろう……
俺も、ついに、あの雨の降る夜の公園が懐かしく感じるようになってた。
数日、雨は降り続いた。
足元を濡らすぬかるんだアスファルトを踏みしめ、傘も差さずに歩いた。冷たい雨粒が頬を伝い、服の袖に染み込んでいく。
コンビニの明かりは、やけに眩しく、ガラス越しに映る自分の姿は、少し大人びて見えた。
店に入り、適当にカゴに放り込んだパンや飲み物をレジに運ぶ。
店��が無表情でバーコードをスキャンする音が、妙に心地よく感じた。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「ないです。」
そう答えながら、ふと昔のことを思い出していた。
会計を済ませ、袋を片手に店を出る。
雨を降らす空を見上げた。
黒く曇った夜空に、雨粒が光を反射している。
生乾きの匂いが、ほんの一瞬鼻をくすぐった。あの時とは違った感覚で大人になった。だけど、まだ、乾ききらない部分を今でも感じている。
それでも、確実にあの時の生乾きのあの独特の臭いは、もう、俺から漂うことがなくなった。
洗濯物の乾ききらない、あの独特の臭い。
今でも、夜の雨の公園から漂ってくる。
ブランコをこぐ音と大人たちの声が
聞こえた気がした。
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先��のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、��舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されてい���。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝��なると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい���果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇���捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになる���いった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
























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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界(準備中)。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖か��守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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車両の窓に逃げ切れなかった水滴がついていた。辺りを見回したけれど雨ではなかった。乗り換えで一旦電車を降りるとトタンを細かく叩く音がして、綺麗な音楽だなと思った。だけどよくみたら雨だった。不意打ちの雨に傘なんて準備しているはずもない。最寄駅を降りる頃には止んでてくれと頼んだけれど地上に出たらまだ水溜まりが跳ねていた。家まで10分程度なのでそのまま歩いて帰る。そういえばあそこの焼肉屋、休店の張り紙をして以来一向に再開する様子がない。今は張り紙も外されている。取り壊しの工事が始まるわけでもなく数ヶ月経って、もう前を通るたびに「うまそうな匂い、誘惑だ」なんて言うこともなくなるのだろうか。人間関係もさ、そんな風に、曖昧に終わることもあるのかな?どうなんだろう?どう思う?最後の信号を渡ったところで持っていた紙袋を抱えた。大事なコートがどんどん濡れてしまう。みんな傘持ってるのなんで。わたしが不注意すぎるだけか。惨めに思うけれど、先日の酒に飲まれた挙句悲しい1日を送ったのに比べたらなんてことない。なんだか今なら全部愛おしく思えてきた。悲しみは悲しみでも塗り替えられるのね。そうみたいね。
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「被照顧的傻瓜」
重打了兩次 湯不讓真的不要給我搞
總結戀愛小說的重點章節
但我還是要說為了堵他下課我站在他教室門口外三十分鐘
還有因為我弟真的跟他一樣溫柔體貼
害我很習慣被照顧
所以心臟爆擊指數從100%降到80%
但還是一樣喜歡(o^^o)
有一種好像我們早就已經在一起了的感覺
去逛校園 坐電梯的時候我還有話沒講完 但前面有人 所以我們到最後面的角落 我們靠超近然後他還低下頭聽我耳語 心跳快停止了差點忘記自己在講什麼
超喜歡坐他的摩托車! 我不會扣安全帽的扣子 叫他幫我扣 安全帽的帶子太大 他就幫我重調好幾次 每次調完就戴到我頭上扣起來 再調整帽子把我的頭往後仰(雖然我覺得玩我的成分比較大😠)
一開始坐車不太知道要抓哪就抓後面 結果綠燈的時候我一直忘記抓緊就差點往後飛
「你可以抓我」 「可以往前坐一點不用坐那麼後面」
所以我就開始抓他衣角 坐了好幾次的摩托車一點一點往裡面抓 到晚上的時候已經可以差不多環抱起來了
有次前面的車急煞 我就下意識抱緊他
但每次紅燈的時候我還是會ㄙㄨㄥˊ 就會撥頭髮把手拿開之類的 然後他每次要綠燈就會提醒我 我就會說喔 然後再抓緊他
反正我就會在他耳邊一直嘰哩呱啦 聽不清楚的時候就往前靠 好幾次靠在他肩上
兩個人靠很近 安全帽一直撞到 但我懷疑紅燈的時候是他自己偷偷往後靠才撞上
我抱著他的時候他還會偷偷用手臂夾住我的手
可以預感我以後會變成抱抱魔人 好喜歡 有夠喜歡
一起去吃冰 因為我早上跟他說我想吃冰 而且他還懂我不喜歡吃甜筒的點 好幾次我正要講他就把我的話接完了
他真的有幫我刪近百個鬧鐘 還很認真的把我的鬧鐘名稱看完 然後說會把要吃藥的鬧鐘留起來
好喜歡那個很順其自然挖對方冰的感覺
也好喜歡他滔滔不絕地跟我分享他的生活
他還特地拿出平板給我看他上的課的筆記
然後說吃冰前應該要把脈一下 看前後對比因為會不一樣
我就拿出我的手 他頓了一下 一隻手把脈 一隻手覆上我的手 快要十指緊扣的那種 其實我很常看中醫 知道把脈根本不用兩隻手
後來去勤美逛 文創感超棒 我整個笑得超開心
去上廁所 廁所旁邊有一整排的扭蛋 我其實對扭蛋沒什麼興趣
「那邊有你喜歡的帕恰狗耶」他居然有記得
地下室有幾家看起來很不錯的餐廳 但外面沒有菜單 他在查菜單的時候我坐在他旁邊的高椅 他找到菜單之後我們兩個一起看 他的頭髮碰著我的頭 那個微微搔癢的感覺直接癢到心上 但他也沒有要離開的意思
突然下大雨 我們跑去要買雨傘的街上
淋雨跑步的時候他本來還想幫我遮
有夠浪漫 但他體積也沒多大所以其實沒什麼用 但很可愛
買了一把大傘 他把我撐的好好的 明明傘真的很大 但他自己還是只撐了一半
去吃他來台中吃的第一家餐廳
我想吃鴨血但怕辣 他就點了一份讓我吃
我說我不吃蝦要給他吃
「你是不吃蝦還是不吃沒剝殼的蝦」
我笑了一下 他懂
但我只是想說請他幫忙吃掉
結果他夾走之後 剝好 兩隻都放回我的湯麵裡
我要嫁給他 瘋掉了
他是很不張揚的人
但是他還是發了一個一起吃晚餐的限動
他還主動拿上禮拜打比賽的影片給我看
笨笨的 好可愛
吃完之後的時間有��尷尬 有點長又不夠長到回中國醫
他說他不能喝酒
「如果要喝酒的話就要回中國醫喝」
然後我本來覺得大概是他在中國醫和我說再見我再搭公車之類的
「然後我陪你走回捷運站再回來」
大爆擊
「大不了晚上冷了我的外套給你穿」
早上的時候他說的 我整個人要融化了
但講座太久 他來不及回宿舍就沒拿到外套
晚上坐摩托車有點冷
我們決定去逢甲夜市買外套
『我下次會記得帶外套來』
「我下次一定會記得帶外套來給你穿 下次一定會記得」他還重複保證了一次
好喜歡這句話 有下次 有我
去買帽踢 買好了他就很順手的幫我背包包和拿袋子 穿帽踢的時候他還幫我把帽子用好
真的是好溫柔的一個人
我覺得自己根本被他當成在養女兒了
要分別的時候
真的好喜歡他用很認真的眼神看著我跟我說
「回家小心 到高鐵站的時候跟我說 上高鐵再跟我說一次」
回到家還不忘記問我到宿舍了沒
我下次前面真的不會再在見到他前就把精力都用完 我還是沒辦法玩一整天 續航力好差
但是和他在一起的時候完全不會耗能
不是大起大落的興奮快樂
而是幸福
暖暖的那種
今天還是沒有成功問出三年前的世紀之謎
但那又怎樣 根本不急
這男人我要定了 追個一年以上都不為過
慢慢來沒關係
餘生還那麼長 我想和你一起度過
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ジョン・コンスタブル - Wikipedia
ジョン・コンスタブル(John Constable RA([ˈkʌnstəbəl, ˈkɒn-][1]、1776年6月11日 - 1837年3月31日)は、ロマン派の伝統を受け継ぐ19世紀のイギリスの画家である。カンスタブルと表記することもある。 同時代のウィリアム・ターナー(コンスタブルより1歳年長[2])とともに、19世紀イギリスを代表する風景画家

『雨雲のある海景の習作』(1824年頃)ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵
コンスタブルは、完成版の絵に先立って、構図を確認するために原寸大の習作を数多く描いている。 自由で力強い筆致で描かれたこれらの大きなスケッチは、当時としては画期的なものであり、芸術家や学者、一般の人々の興味を引き続けている。例えば、『跳ね馬』や『乾草の車』の油彩スケッチ(英語版)は、コンスタブルが描いた同じ題材の完成版にはない活気と表現力を感じさせる。 コンスタブルの作品の中でも、これらの油彩スケッチは、彼が「アバンギャルド」な画家であり、風景画がまったく新しい方向に進むことができることを示した画家であったことを明らかにしている。 コンスタブルは、本格的な油彩スケッチだけでなく、風景や雲の観察を数多く行い、大気の状態をより科学的に記録することを目指していた。1827年の『チェーン桟橋』に対し、ある批評家は「大気には独特の湿気があり、傘が欲しくなるような雰囲気だ」と書いている[46]。 このスケッチは、(ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌが1780年頃にローマで描いた油彩スケッチを除いて)屋外で対象物を見ながら直接描かれた初めてのものだった。光と動きの効果を表現するために、コンスタブルは乱れた筆致を使い、しばしば小さなタッチで、明るい部分に散らして、風景全体を包み込むようなきらめく光の印象を与えた。 コンスタブルの習作の中でも最も表現力豊かで力強い作品の一つである、1824年にブライトンで描かれた『雨雲のある海景の習作』(Seascape Study with Rain Cloud)では、海上で積乱雲が湧き上がる瞬間を、切れ味のよい暗い筆致で捉えている





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2024/6/5
相続の相手方から調停の申し出があった。
簡単に言うと裁判所でおこなう裁判一歩手前の調停員がこうしたらいいんじゃないの?って強制力のない判決を下すやつ。
結局はどちらかが納得いかなかったら裁判になるわけで。どうなることやら。
実は実家を売ることを決めている自分たちはお前らのために実家売ってやるから減額しろや的な交渉をするつもり。向こうが得をした思えせれれば勝ち。なんでも落としどころが大切。
実家に戻り、母と先行して提出書類を書いた。

もう、上映終わりかけの話題映画を見る。
下北沢に映画館あったっけ?と向かうとカフェの中にあるミニシアターだった。
グロいけど、面白い。極道の世界の話なんだけど、ありがちな袴のご老人や日本庭園や黒スーツの男なんて出てこない。ただのブルーワーカーの人たちが実は極道の傘下で、その人たちがどう泥水をすすって生きてるのかわかる。
が、そこが物語の本筋ではもちろんない。
単純な復讐劇なのだけど、凝った映像や役者陣のちからのおかげでとても面白かった。主人公がかっこよー。
母は抗がん剤の後遺症からめきめき元気になっている。嬉しいがそうなると癌も元気になってしまうのではないかと複雑な気持ちにもなる。
漫画や映画のように余命宣告をされてまっすぐに死に向かうわけではなく、良くなったり悪くなったりしながら生が進んでいく。
水面に石投げを思い出す。水面(死)に触れては跳ねてを繰り返していく。いくつかのバウンドの末に向こう岸につくのか水の底に(死に)沈むのか。
大丈夫かな?やはりだめか…を繰り返すので感情も浮き沈みし、かなりしんどい。

夜は焼き鳥を。
美味しいけど、パパ活や同伴のお客さんばかりいる変な店だった。
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2023-07-21
🌧️🌧️🌧️ 🧣📖
Edgar thought Colette wouldn't come to the appointment after arguing with him, but he didn't expect Colette to be more stubborn about this part than anyone.
idea fic:
2023-05-12
🧣📖吵架後鬧矛盾的期間,🧣手機跳出當時約好要一起去看電影的日程,🧣想著對方應該跟自己一樣還在生氣,所以這個約定就作廢了吧,氣象預報看起來也不���,這樣想著的他決定睡了回籠覺,但怎麼都睡不安穩,最後他還是拿著雨傘出門,結果看到全身濕透的📖站在雨中。
🧣衝上去問:妳怎麼在這裡? 📖:我們不是約好了嗎? 🧣:妳從早上等到現在?可是下雨了啊,怎麼不找地方躲雨? 📖:可是我們是約在這裡⋯⋯? 🧣:可是我沒有來,妳就應該回去!或是打給我⋯⋯ 📖:可是我們約在這裡了啊!你也說不要打給你⋯⋯
📖看起來完全不理解🧣的意思,🧣這才發現📖有死腦筋的一面,他咬著牙把📖帶回自己的租屋處,塞了毛巾跟更換的衣物讓她好好的洗個熱水澡並換上。 🧣在這段期間被自己的愧疚壓得痛苦呻吟,📖豪不介意他爽約讓他更加難受。 📖甚至很開心的在他的床上滾來滾去:好大的床哦!
(📖的床上都是娃娃,沒有能讓人平躺的空間。) 🧣:不要把我的房間弄亂! 看著📖嘗試把他的棉被捏成🌵的形狀,他終於忍不住開口阻止。 最後他們在🧣的租屋處一起看了他收藏的演唱會錄影帶結束一天~
另一層私設的部分: 🧣會影響禮品店的營運所以陷入生命危險的時候📖會知道(但沒有契約所以不知道位置在哪裡) 📖的邏輯只有:你沒啥狀況我就繼續等唄。 沒有深入思考🧣鬧彆扭的事情。
ChatGPT translate bc I'm too lazy
🧣📖 had a disagreement and were in a period of discord. During this time, 🧣 received a notification on his phone reminding him of the movie date they had planned together. Assuming that 📖 was probably still angry, and the weather forecast didn't look good either, 🧣 thought that the arrangement was canceled. He decided to take a nap but couldn't sleep well at all. In the end, he grabbed an umbrella and headed out, only to find 📖 standing in the rain, completely soaked.
🧣 rushed over and asked, "What are you doing here?" 📖 replied, "Weren't we supposed to meet?" 🧣 said, "You've been waiting here since morning? But it's raining! Why didn't you find shelter?" 📖 replied, "But we agreed to meet here…" 🧣 argued, "But I didn't come! You should've gone back or called me…" 📖 seemed completely baffled by 🧣's response, and that's when 🧣 realized that 📖 could be quite stubborn. He clenched his teeth and took 📖 back to his rented place, giving her towels and spare clothes for a warm bath.
During this period, 🧣 was tormented by guilt and moaned in agony. 📖 didn't mind at all, making him even more uncomfortable. She even happily rolled around on his bed, saying, "Such a big bed!"
(📖's bed was filled with stuffed animals and had no space to lie down.) 🧣 protested, "Don't mess up my room!" Watching 📖 trying to reshape his bedsheet into a cactus, he finally couldn't help but intervene. In the end, they spent the day together at 🧣's place, watching his collection of concert videos.
Additional private setting: 🧣 can influence the operation of a gift shop, so when he is in a life-threatening situation, 📖 will know (but without a contract, she doesn't know his exact location). 📖's logic is simple: "If there's nothing wrong with you, I'll just keep waiting." She doesn't delve deep into 🧣's sulking.
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)7月2日(日曜日)
通巻第7814号
ミハイル・ホドルコフスキーが沈黙を破って発言した
「プリゴジンを支持すべきだ。彼の行進はプーチンの正統性に大きな打撃だ」
************************
海外亡命中のミハイル・ホドルコフスキーが沈黙を破って発言し、プリゴジンの反乱を「支持する」とした。これは多くのロシア知識人に衝撃をあたえた。
ワグネル叛乱を裏で操ったのはCIAだとする説が流れた。「これはロシア国内の内政問題であって、米国がワグネル傭兵部隊の叛乱に関与したことはない」とCIAのバーンズ長官はわざわざ米国陰謀説を否定した。
ことほど左様に奇妙なクーデター未遂事件の謎が謎を呼んでいる。
たしかにワグネル部隊が対ウクライナ戦争の最前線基地司令部を乗っ取るという叛乱は世界に衝撃を与えたが、政治的見地から言えば驚くべきことではなかった。世界史的にはよくある軍事行動であり、ましてロシアでは。
驚かされたのはワグネル軍団に対してロシア国民の支持である。おそらく現象的なことであり、参加したロシア人はホンの一部だろうが、プリゴジンを「英雄」として、進軍の町々で歓迎の声があがった。これはクレムリンを震えさせたのではないか。
これまで反政府勢力は、ワグネルを「悪辣、無謀」と徹底的に批判してきた。ところがモスクワへ向けての「正義の行進」をはじめるや、批判から支持、すくなくとも「理解をしめす」ほどの変化を示した。反戦感情の爆発とクレムリンへの不満がワグネルの叛乱を契機に、ねじ曲がった形で現れたのだろう。
しかし、亡命中のオルガルヒでプーチン批判の政治活動家だったミハイル・ホドルコフスキーが「正義の行進をほぼ支持する」と発言したことを如何に考えるべきか。
かれはツイート投稿でこう言った。
「奇妙に聞こえるかもしれないが、反戦を考えるロシア人は現時点でプリゴジンを支持すべきだと思う。彼は我々の同盟者ではないし、この支援は非常に一時的かつ条件付きだが、彼の行進はプーチン大統領の正統性にとって大きな打撃であり、体制を崩壊させるものは何でも良いことだ」
ホドルコフスキーは、プーチン政権を打倒できるのは軍事であり、武力行使でしかないと考えているように思える。
▼プーチンが「最も殺したい男」の衝撃発言の波紋
ミハイル・ホドルコフスキーとは、そも何者かを振り返っておくべきだろう。
彼はプーチンが「最も殺したい」と思っている人物である。政治家であり、プーチン打倒の政党に巨額を寄付していた。石油会社「ユコス」の社長でもあった。
ホドルコフスキーはユダヤ系の父とロシア人の母との間に生まれた。母方の祖父はボリシェヴィキであり、「階級の敵」との結婚で一家は共産党から追放された。
ホドルコフスキーはロシア共産党幹部の隠れ財産を預かったと言われる謎の銀行を跳躍台として、「ロスプロム・グループ」という財閥を形成し、食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収めた。「ユコス」も金融工学的に吸収し、錬金術の才能を発揮した。
プーチンが激怒したのはユコスが原油の対米直接輸出を開始し、ルクオイルと並ぶロシア最大の石油会社となり、これをメジャーのエクソンに売却しようとしたことだった。
いまから二十年前、2003年10月にホドルコフスキーは脱税などの嫌疑で逮捕・起訴され、禁固10年を言い渡され、殆どの財産を『罰金』として没収されたうえ、シベリア・チタ州刑務所に収監された。
2013年12月19日、プーチン大統領は恩赦を発表した。翌20日にホドルコフスキーは釈放されてベルリンへ向かった。背後にはゲンシャー元独外相が仲介したと言われる。すぐに英国へ移動したが、暗殺を避けるため、亡命先のロンドンから離れ、おそらくドイツ滞在中だと推定されている。
ホドルコフスキーは日本の雑誌『文藝春秋』(2022年7月号)のインタビューで、「プーチン大統領は「汚職と犯罪」でロシアを統治しており、経済社会問題を覆い隠すため「外敵」を利用して繰り返し戦争に訴えている。戦争を長期化させて、ウクライナを支援し、ロシアに経済制裁をかけている西側が折れて来るのを待つのがプーチン大統領の目論見である。したがってウクライナを断固として支援し続け、プーチンを止めなければ、西側はおそらく1~2年のうちにもっと大きな代償を払うことになる」などと発言している。
海外に亡命したロシアの著名人、政治家、オルガルヒのなかでチュバイスはイスラエルで沈黙を守り、アブラモウィッツは発言の場を失いつつあり、ホドルコフスキー発言が大きな発信力をもつことになった。
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最是那沾衣欲濕的杏花雨,將心事釀成琥珀色的光陰。
油紙傘下青絲與竹骨纏綿,石板路上並蒂的足印開成並蒂蓮。
暗香浮動的黄昏裡,有人用目光丈量着心跳的間距,却讓晚鐘敲碎了故作鎮定的倒影。
原來怦然心動時,連呼吸都會長出蝴蝶的翅膀。
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2025/3/24 7:00:04現在のニュース
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行車的平安吊飾 也是一個不錯的贈禮品
結合在軍隊紀念品上 是個好選擇
空中的C130軍機 開啟艙門
擋門 1 ~2
跳 ~ 1秒鐘 兩秒鐘 3秒鐘 4秒鐘
檢查傘 注意四周 準備著陸
全天然實木材質 南洋檜木材料 雙面製作
正面:空降幸福 背面:行車平安
#軍隊贈禮品開發設計
#特戰部隊贈禮品製作
#軍警消陞遷調職禮品訂做
#中日藝術木工坊

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Let me breath
Let me breath 夜から暗闇を奪って 空っぽになってしまったフィロソフィア Let me leave 素知らぬ顔した光が 忍び込んでくるまで 夢は見ないのさ
新しい朝が降り積もって 足の踏み場も無くなっている 傘を持っていない僕は一人で 俯いて歩いている
だらしない僕は両の手に 失くしたくないものを全部抱えて 階段を昇る度に踊り場で立ち止まっている 立ち止まっている
はじまりが今日で 終わりへ向かう 終わりを眺めて朝を待つ またはじまって それが終わる
ここに辿り着いた
今は Let me breath 身体は少しずつ軽くなる 目の前を横切るファンタズマゴリア Let me leave 何食わぬ顔して生きるよ 君のこと思う 君のこと思うよ
微睡みを知らない この世界 喜びを知らない 君次第
走馬灯 goes my 左耳 内耳沿いに跳ね回るmp3 ConvertしたLegacy 誰かにとってのゲルニカの近似値 排他的な歴史 永遠に続くエキシビジョンで量産される不敗神話の配信者 塞いだ耳介に反射したHarbinger
はじまりが今日で 終わりへ向かう 終わりを眺めて朝を待つ またはじまって それが終わる
誰も気付かないみたい
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小神仙
作詞:陳少琪 作曲:陳志聰 編曲:劉祖德 雜誌新奇 鬧市廣告精美 地鐵中與你 遠飛一千里 新奇 在禮品店搜秘 甚至不介意 二手空氣 * 神仙 懷著熱血飄零 小小的大明星 陪伴耀眼的交通燈證實繁榮 * 力竭筋疲 在咖啡店喘氣 自拍轉送你 以手機嬉戲 飛翔 如直線張了雙臂 盛世千套戲 甚麼都美 Repeat * 就像跳降傘輕柔飄然 遇上每個景點都收集來日想念 與世界一齊失眠 最愛看畫面都能呈現 誰在主演都不厭 神仙 懷著熱血飄零 小小的大明星 遊玩在夜市比街燈更是年青 期待用我心情 激起感動神經 然後下次遠征 新宿歌舞伎町 lalala 神仙 懷著熱血飄零 小小的大明星 ���伴耀眼的交通燈證實繁榮 期望用玩笑聲祝福世上和平
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第七部妖殺 28 狼窩・紙人搶親
《 第七部 妖殺 28 狼窩・紙人搶親 》 ..... 一般人看見的是三個精緻紙人偶在擂台上比劃,但在某些練鬼師或是白澤白以及林環環眼中他們還看見紙人身上發出的濛濛咒術紅光。伴隨著紙人的每一個動作便會有道紅光符文飄出,那是練鬼師以特殊密藥製成的藥水事先畫在和紙內層的符文,符文在練鬼師的咒語催動下支配著紙人。
不久綁辮女練鬼師口中發出新的號令:『搶!』
只見她那尊穿著高校制服的女紙人一個後空翻後動作俐落的著地,落地剎那她的左手和身體往前朝男紙人抓去,隨著大幅度的動作她的寬大百褶裙擺如把撐開的黑傘先是往前擺動再微幅往後晃回。
男紙人在她抓來時驚嚇往後飛退,女紙人作勢惱怒的跺腳往上蹦跳追了過去,手中鐵劍也忿忿朝著男紙人刺去。同時,日本巫女打扮的女紙人也跟著飛身向前一隻手前伸同樣朝著男紙人抓去。
男紙人落地瞬間即刻拔刀出鞘,噹的一聲,他先是架開了制服女紙人的利劍,接著又是噹的一聲脆響,繡春刀和巫女手中劍交擊。
台下觀眾爆出一陣轟然叫好及鼓掌聲。
接著,他快速幾個後空翻,飛魚服的襞積像是狂風中撐開的紫傘一下上翻一下下蓋。
兩個女紙人追向前去時又開始互看不順眼的打了起來,這時已跳到距離之外的男紙人見狀起步準備奔逃卻被女紙人發現,她們手中寶劍雙雙刺殺了過去。
三個紙人陷入三打混戰。
觀眾爆出熱烈掌聲,此起彼落喝采聲不斷。
不多久,畫風突變,廝殺混戰演變成兩個女紙人追著男紙人在擂台上繞圈飛奔。擂台下觀眾爆出哈哈笑罵聲,間夾雜著孩童幼嫩的興奮尖叫和格格笑聲。
幾個孩子開心的跟著大人大叫著:『好!』
『打!打!』
『快跑!』
只聽得群眾中有個男人大聲嚷嚷著:『他娘的!這啥狀況?兩美女追著個豬臉醜男跑!』
『別跑啊,從了吧!』
『從了吧!不吃虧啊!豬兄!』
笑罵聲中只聽得另一個人大喊勸道:『醜男,快跑啊!左擁右抱非福是禍啊!你看看花缺缺的下場,兩個老婆最後連個睡覺的地方也沒有!太慘啦!』
一個粗豪的聲音跟著笑罵道:『放你媽的狗屁!老子好得很,愛睡哪睡哪,女人全搶著跟老子睡!』
這時一個女人大叫道:『你今晚給老娘滾!』
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