#貫入岩
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他試圖專注於超越痛苦,控制它,但這不是真實的痛苦,它存在於他的內心。他曾經對槍傷不屑一顧,那些傷口並沒有像這樣痛……這是壓倒性的。 「那麼,隊長,告訴我更多關於像你和我這樣的人吧,」那個男孩說,看著肌肉英雄在床上扭曲翻滾。 「停下……」史蒂夫懇求著,不確定自己還能忍受多久。 「你給我住口,」盧卡斯怒斥道,「跪下!」他命令著肌肉英雄,指向他腳下的地面。史蒂夫吞了口口水,心臟在胸腔裡狂跳,面對向這個年輕人投降的前景。 他拚命忍住淚水,試圖控制自己的身體。「你只是在延長你的痛苦,乖乖跪下來吧。」盧卡斯命令道,手勢指向冰冷的石地面。 史蒂夫咬緊牙關,汗濕的頭髮黏貼在他的前額。他怒視著那個年輕人,感覺到內心的掙扎在肆虐。每一刻的沈默都在拉長,每一秒的流逝似乎都在痛苦中持續了永恆。 最終,無法再忍受,肌肉英雄不情願地爬下床榻,向著場地移動。 他走到盧卡斯面前,看到那個男孩的眼中閃爍著娛樂的光芒。最後,史蒂夫緩緩地跪在雙膝上,臉貼著地面。當他這麼做的時候,痛苦隨即消失,快感回歸,完全充斥著他的身體。 史蒂夫重重地呼出一口氣,感到心臟在胸腔裡狂跳。他的陽具立刻恢復活力,強烈地跳動。那個年輕人俯視著他,目光欣賞地掃過史蒂夫的身體。 「真是令人印象深刻,親愛的隊長,」他說,聲音中帶著惡意。「你是個乖孩子嗎?」 史蒂夫困惑地抬頭看著他。 「我問你話了,你是個乖孩子嗎?」 「我問了你一個問題,你是個乖孩子嗎?」 史蒂夫怒視著他,「我沒有那麼說。」 盧卡斯只是挑了挑眉,快感又一次消失了。 史蒂夫四肢著地尖叫,痛苦似乎是上次的十倍。「我問了你一個問題,Herrcaptain,你是個乖孩子嗎?」施密特堅定地重複道,他的語氣要求服從。 史蒂夫努力忍住尖叫;他的身體因痛苦而扭曲。他考慮了再次違抗施密特的後果,很清楚地知道抵抗意味著要忍受無法忍受的折磨。他不情願地強迫自己說出這些話,「是的,我是個乖孩子。」 就這樣,快感回來了,史蒂夫鬆了口氣,緩解是立即的,再一次他所知道的只有幸福。盧卡斯放下了場域,和他一起走進了牢房, 「那麼,我們學到了第一課,」那男孩在史蒂夫的頭髮間遊走著手指,而肌肉英雄討厭這觸感就像是成千上萬的小小快感爆炸。他抗拒著將頭推向觸感以尋求更多,而是試圖集中注意力。 「很簡單,違抗我,」快感消失了,取而代之的是他血管中的熔岩般的火焰,「服從我,」而那達到涅槃的快感又回來了。 史蒂夫在地上喘著氣,無法完全理解他的處境。「現在,過來,孩子,」盧卡斯命令道,「我們將學習剩下的課程。」史蒂夫抬頭看著他,他完全被這個年輕人所支配,他的身體背叛了他,他的思維失去了所有連貫的思想。 他的陰莖堅硬如石,痛苦地在他的雙腿之間跳動。他知道自己正在遭受的羞辱,但快感如此壓倒性,以至於他發現自己無法抗拒。 「面對我,」男孩命令道,「看著我。」 史蒂夫猶豫了,但無情的快感波浪穿過他,迫使他服從。他的腿搖晃,但他設法站直,面對盧卡斯。那個邪惡的醫生審視著他的俘虜,欣賞著肌肉英雄完美的體格。 史蒂夫的胸膛因期待而劇烈起伏,他的心靈因感官的折磨而旋轉。「現在,打開我的長袍,看看我的身體。」 在命令下,史蒂夫顫抖的雙手伸出,輕輕地解開了綁著長袍的腰帶。慢慢地,他推開了衣服,露出盧卡斯緊實、雕刻般的身體。史蒂夫驚訝地盯著這個年輕人,當他看到那巨大的陰莖橫亙在他的雙腿之間時,他的眼睛瞪大了。 那比史蒂夫以前見過的任何東西都要大——一個真正巨大的標本,粗大而未割包皮,它軟軟地懸掛在那裡,比大多數男人勃起時還要大。肌肉英雄緊張地吞咽著,感覺到自己的陰莖不由自主地在腹部變硬。 「看著它,」男孩命令道,「那是一根精美的德國陰莖,一根主人的陰莖!」他伸手撫摸史蒂夫硬挺的陰莖,「這是一根精美的作品,一根偉大的美國陰莖,但這個,」他將史蒂夫的手放在自己的陰莖上,「這現在是你的主人。」 史蒂夫的手僵硬著,只是抓著男孩的陰莖,感受到它在手中慢慢變硬的熱度簡直瘋狂。 他感覺到陰莖抽動和脈動,一秒秒地變得更硬。史蒂夫幾乎能感覺到陰莖似乎有了自己的生命在跳動。他無法相信它有多大,它變得有多硬。史蒂夫自己的陰莖也跳動著,滲出液體,因為裝置讓這一切對他來說是愉悅的。 「做吧,」施密特命令道,「撫摸我的陰莖。」史蒂夫顫抖的雙手握住那巨大的陰莖開始撫摸,感受著每一條靜脈,每一個凸起。「崇拜那根陰莖吧,親愛的隊長,向我展示你理解它的力量。」 當史蒂夫聽從命令時,他的手自動地動作更快,摩擦著那粗大的陰莖,感受著掌下的隆起和凸起。肌肉英雄的心跳加速,他的陰莖在腿間跳動,每一次撫摸都讓他因為裝置而心跳加速。 他越是猛烈地手淫那男孩,自己就越是感到快樂……他催促自己停下來,但他無法停止這個循環。 他能嗅到盧卡斯激情的麝香味,這只是讓他自己的興奮感更加強烈。儘管他努力抗拒,史蒂夫發現自己完全屈服於這位年輕男子的要求。 快感太強烈了,他雙手抓住陰莖,想要在取悅那男孩的同時也取悅自己。 隨著他的努力,它變得更大,達到了令人難以置信的長度和厚度。史蒂夫對這個尺寸感到驚訝,被這個怪物般的陰莖嚇到了。當他繼續抽動它時,他感到自己的陰莖也變得更硬更大,渴望釋放。「乖孩子,」盧卡斯低聲說,他的陰莖在史蒂夫的握持中變得不可思議地巨大。"真是個乖孩子。" 這些話讓肌肉英雄的身體感受到更多的快樂,他作出呻吟的回應,雙手動作更快。 史蒂夫用力而狂熱地撫摸著那巨大的陰莖,看起來幾乎是絕望的。他自己的陰莖隨著手的每一次撫摸都跳動著,渴望釋放。他無法相信自己是多麼願意地屈服於這位年輕男子,他的身體渴望更多的快樂。 他看進那男孩的眼睛,看到其中的娛樂感,他知道這才是真正的折磨。 「很好,」他說著,拉開史蒂夫的手,「你可以被教導,現在……跪下。」 史蒂夫停下來,抬頭看著這位英俊的年輕男子,知道如果他拒絕的話會受到懲罰。他慢慢地降低自己,跪在這個高大身影前。「向我展示尊敬,向我展示忠誠,孩子,」盧卡斯命令道,抓住史蒂夫的下巴抬起他的臉。 史蒂夫凝視著那雙藍眼睛,看到其中反映出的純粹邪惡。「好好崇拜那德國陰莖,」盧卡斯低語,他那深沈的聲音帶著黑暗的意圖。 史蒂夫的心跳加速,他的身體本能地對那挑釁的命令作出反應。他的手顫抖著,伸出去撫摸那巨大的軸心。他以溫柔的關懷輕輕追蹤著那條脈絡分明的表面,對其龐大的尺寸感到驚奇。 當他包圍著那腫脹的頭部,拇指輕輕掠過頂端時,他能感覺到盧卡斯強勁的勃起在他觸摸下跳動。 「它已經厭倦了你的手,它渴望更多,」盧卡斯說,等待著史蒂夫的理解。 史蒂夫低頭看著他手中的巨大陰莖,它似乎隨著每一次心跳變得更大更堅硬。「吸吮它,」他終於聽到自己低聲說出,那話語在他耳中聽起來如此陌生。他抬起臉,與盧卡斯的目光相遇,眼中充滿了羞愧和絕望。 這個男孩微笑著,將手放在史蒂夫的肩膀上,引導他靠近。史蒂夫的心跳加速,他的喉嚨收緊,當他向前傾斜時,感受到臉上的溫暖濕潤的空氣。 「拜託……」史蒂夫啜泣著,「不要逼我這麼做……」 「沒有人在逼你做任何事,隊長,這全是你自己的選擇……」那個男孩向他保證,「只要記住沒有快感時的感覺……」 史蒂夫呻吟著,張開嘴,輕微地張開嘴唇。他能感覺到陰莖壓在他的下唇上,當他為即將到來的侵入做準備時,眼睛充滿了淚水。他猶豫了一會兒,深吸了一口氣,然後猛地低下頭。 史蒂夫的嘴巴吞下了那巨大陰莖的頭部,他的舌頭自動地纏繞著它。那種味道讓他不知所措,一種麝香味和前列腺液的混合味道似乎覆蓋了他整個嘴巴。 當他開始吸吮那個男孩的陰莖時,裝置的指數飆升,給史蒂夫完美的身體帶來了更多的狂喜,就好像他在吸自己的陰莖一樣。當他更用力地吸吮那個男孩時,他���到了更多的快感,他呻吟著,感覺自己失去了控制。 他口中充滿了前列腺液的味道,陰莖在他口中膨脹。史蒂夫的呻吟聲更大了,他的臉頰凹陷下去,當他的頭上下搖晃時。 他喜歡陰莖滑過嘴唇的感覺,吸吮造成緊密的封閉,當他越吸越深時。每一次舔弄都給史蒂夫滲漏的陰莖送去了色情的火花,使他更加崇拜那根陰莖。 他想要取悅這個年輕人,因為這意味著對他來說更多的快樂。他的手抓住了陰莖的根部,幫助引導它更深入他的口中。史蒂夫的嘴越張越大,容納了那根巨大成員的驚人圍度。 這位肌肉英雄驚訝於他的嘴巴是多麼容易地接受這個入侵者,毫無抵抗地吞咽下去。他繼續上下搖晃著頭,品嚐著年輕人前列腺液的味道。 「你以為你會回到這裡嗎?回到你的膝蓋上吸德國人的陰莖,隊長?崇拜那肉棒!向我展示你服務於更優秀的男人!」盧卡斯在看著這位活著的傳奇人物吸他的陰莖時命令道。 史蒂夫感到他的下巴開始疼痛,當他深喉那根粗大的軸時,他的喉嚨肌肉掙扎著要適應那根巨大的成員。史蒂夫感到他的陰莖在他的腹部跳動,渴望得到關注,而他專注於取悅那個年輕的德國人。 「嗯,對,就是這樣,」盧卡斯低聲說,「更用力地吸,我的好孩子。」 這些話送來了一股快感,史蒂夫急切地遵從,他的嘴越張越大以容納那根跳動的陰莖。他能感覺到從那根巨大工具散發出的力量,用一種迷人的慾望和屈服的混合物充滿了他的整個嘴巴。 這位肌肉英雄沈醉於這種感覺,他的陰莖隨著時間的推移越來越接近高潮。 「哦,我看到你很享受自己,」盧卡斯觀察到,他的藍眼睛閃著娛樂的光芒。「告訴我,隊長,被貶為紅骷髏孫子的單純性交洞,感覺好嗎?」 史蒂夫的下巴緊緊地咬合,那羞辱性的指控刺傷了他的自尊。然而,他無法否認那湧上心頭的感覺——一種由痛苦、慾望和徹底無助混合而成的強烈情感雞尾酒。他把雞巴拔��出來,「閉嘴,」他憤怒地吐出這句話,聲音沙啞而緊張。 盧卡斯笑了,快感消失了,史蒂夫尖叫一聲,又回去吸那男孩的雞巴,渴望再次被性愛的極樂世界所包圍。 當盧卡斯向前挺腰,讓史蒂夫的嘴巴被他的雞巴刺穿時,羞恥感充斥了他的大腦,「偉大的美國隊長在崇拜一根優越的德國雞巴,來吧隊長,你享受這個!」 這位年輕人的話深深刺入史蒂夫的心靈,撕裂了他尊嚴的殘餘。男孩的前列腺液的味道充滿了他的嘴巴,與唾液混合,他繼續越來越狂熱地吸吮著雞巴。
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『ガラスの街』
五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。 最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。 普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。 それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。 しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。 いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。 きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
五月。 僕はどんなものを読んだのだろうか。 金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759" 週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』���十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。 仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。 金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。 ウルフの『波』も読み始めている。 僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。 こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか? 紛争でも起こそうとしているのか?
何のためか。それは僕自身にもわからなかった。 僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。 言えば、それは無垢に機械的な読書だった。 これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
それで、僕は何かしら成長したか。 いや。成長なんて一つもなかった。 そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。 だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。 『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は���の本を久々に手に取った。 三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。 だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」 僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」 そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。 僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。 リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。 もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。 歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。 変化は女王だった。彼女は支配的だった。 僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。 女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色��は絶対なかった。
���―そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。 なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。 加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
そして、重要なのは変化のよろめきではない。 そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。 破壊。 それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。 木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
オースターは、考え抜いていた。 そこで”感じ”は排除されていた。 感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。 彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。 それだから、彼を読んだとき、僕は……
向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。 女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。 センスがいい。綺麗だ。 彼女はなんて豊かなんだ。 僕はそう思う。 ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。 また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。���粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。 正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。 この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。 書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。 その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。 きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
祈りの文句を何度も何度も口にした。 僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。 そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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「 なぜこれほど多くの音楽会場が Ticketmaster を使用するのでしょうか? 「 寿司職人になるための修行ってどんな感じ? 」 「 武道家はどうやってコンクリートブロックを壊すの?」 10 年前にそのような質問に対する答えを探していたとしたら、専門家による徹底的な回答を見つけるための最良のリソースは、おそらくインターネットの中で最も興味深く、最も長く続いているコーナーの 1 つである Quora だったでしょう。 ほとんどの人は、知っているかどうかに関係なく、何らかの形で Quora に遭遇したことがあります。Google 検索結果 サンプルの作成 、有名な著者による デジタル出版物での特定の Q&A の再版などです 、あるいはSlate などの 。 の 1 人である Slate-via-Quora の寄稿者 著者兼研究者の Erica Friedman 氏は のおかげで、「新しいトラフィックが少しずつ集まり始めた」時期でした 、2011 年にこのサイトに参加しました。当時、 Yahoo Answers の信頼性とアクティビティの低下 。 これにより、Quora は正確性を重視し、知識中心のテキスト プラットフォームとして際立った存在になることができたと彼女は言いました。 をしていた時代において、ユニークなサービスでした。 これは、Facebook と Twitter がソーシャル インターネットを支配しつつあり、 YouTube が 独自の活動 フリードマンは、風変わりな Q&A 一枚岩に夢中になり、彼女や他の多くの人々が無料で回答を提供しました。 「2010年代半ばの数年間、私たちの多くが特定の使命に真剣に取り組んでいた時期がありました」と彼女は語った。 「それは、『Quora を、ここではバカになってはいけないというインターネット上の場所にしましょう』というものでした。 これらの政策を実行に移し、人々が悪意を持ってここに来て悪意を持って行動することを不可能にしましょう。」 最も好奇心旺盛なネチズンが集まる、ポジティブで肯定的な空間を維持することに専念するスマートで情熱的なコミュニティ、これ以上に理想的に聞こえるものはあるでしょうか? Quora が 2010 年代にこれほどの急成長を 遂げたのも不思議ではありません。 Advertisement Advertisement Advertisement Advertisement しかし、今日の Quora はそれらのユートピア的な目的とはほとんど一致しません。 かつて愛されていたフォーラムは今、意味のない反復的な汚泥の終わりのない雪崩の本拠地となっており、 奇妙で で、 ナンセンス 、 真っ向から憎悪に満ちた のスラリで満たされています。 すべて大文字の非質問 AI によって生成されたエントリと、「OMG」のような ! チャールズ王、ハリー王子とメーガン・マークルに対する王室の出入り禁止令で世界に衝撃を与えた。 悲しい?" を集めたこの「質問」への答えは、 (約700 万回の閲覧 red-carpett.com という奇妙でほとんど機能しない王室観戦 Web サイトにリンクしています。)かつては時事問題に関する質問を Google で検索し、思慮深い記事へのリンクを見つけることができましたが、 Quoraは結果の上部近くで答えている、たとえば なのかどうかを尋ねる大勢の人々 2024年の主の年に、 一貫して人種差別主義者であるドナルド・トランプが実際に人種差別主義者 に出会う可能性が高くなった。 ことがわかるかもしれません。 卵が溶ける可能性がある あるいは、もしかしたら、注目の Google スニペットで、検索クローラーに引っかかった���ンセンスな Quora の回答のおかげで、 Advertisement これは本当に面白いです。 Quora SEO はすべての検索結果のトップに自らを表示し、現在そのページに chatGPT の回答を提供しているため、それが Google が提供する回答に伝播しています。 インターネットは死につつある pic.twitter.com/gcV9b36vEA — タイラー・グレイエル (@TylerGlaiel) 2023 年 9 月 25 日 Advertisement Quora の依然として強力な SEO により、この問題への注目はさらに高まっています。 のコメント投稿者は さまざま なフォーラム おり 、 Quora の品質の低下を嘆いて 、Atlantic 紙は最近、「 愚かな質問がないとしたら、Quora についてどう説明しますか?」と 」をスクロールしてください。 「 Insane People Quora 質問しました。 この明らかな品質の低下の例をさらに知りたい場合は、サブレディット Advertisement Advertisement Quora のユーティリティの縮小は完全に AI のせいではありません。長年のライターは、ChatGPT の時代よりずっと前から始まっていたモデレーションと機能の問題を挙げています。 しかし、この新しいナレッジブローカーの台頭により、その衰退は加速しており、独特の愛着を持ち、今やほころびつつあるコミュニティにとっては非常に残念なことだ。 今月初め、AI 加速主義のベンチャー キャピタル ハブである Andreessen Horowitz が Quora に待望の 7,500 万ドルの投資を 祝福しましたが、 だけでした。 それはオンサイトの生成テキスト チャットボット Poe の開発のため 2000 年代後半に Quora が他の (多くの) Q&A サイトに対して持っていた初期の利点は、 設計されている ソーシャル ネットワーキングを念頭に置いて ことでした。 共同創設者のアダム・ディアンジェロとチャーリー・チーバーはどちらも初期のFacebook社員だったが、ウェブサイトを構築するために2009年に辞めた。 当時TechCrunchに語った ところによると、「私たちは人々の頭から情報を取り出そうとしているので、インターネット上でアクセスするのが難しいソースではなく、それを非常に有用な形式に変換して価値のあるデータベースを作成します。」 彼らの計画は、専門分野の専門家を説得して知識を求める人々と洞察を共有し、そこから本物の情報の自由な交換を中心に活気のあるコミュニティを構築することでした。 「自分の経験を共有したいだけの人からの質の高い回答がたくさんありました」とフリードマン氏は言います。これは「コミュ���ティを構築することのなかった」Yahoo Answers とはまったく対照的な機能でした。 Advertisement Advertisement Advertisement 1 人である Ariel Williams も Quora の最初の 500,000 人のメンバーの 同意しました。 「Yahoo Answers がありましたが、その質はひどいものでした。人々が質問を書いて���、誰かが嫌なことを言うだけでした」と彼女は私に言いました。 「Quora は品質に重点を置いていて、質の高い回答、質の高い質問を探していました。積極的なモデレーションがあり、サイト全体が人々、ユーザーを中心に設定されていました。」 Advertisement はかかりませんでした スタン ハンクス として最もよく知られている 先駆的なネットワーク エンジニア 時間 最初の IP 仮想プライベート ネットワークを構築した のような専門家が現れるまでに 。 2012 年後半、彼は私に、Quora にログオンすると、「関係者を知っている個人的な経験があり、裏話があり、それが私の気持ちを明るくし、ただ単に書く。" Advertisement ボランティアの専門家を満足させるために、Quora は特典を用意しました。 同社は、Quora の最も優れた熱心な回答者を対象としたトップ ライター プログラムを確立し、思慮深い議論を奨励するシステムを構築し、さらにはこれら幸せな Quora たちに本社で開催されるサミットに参加する機会を招待しました。 「トップ ライター プログラムは 2012 年から 2018 年まで続きました」とウィリアムズさんは語ります。ウィリアムズさん自身も、わずか数百人のクオラン会員のエリート チームのトップ ライターです。 「フリーマン・ダイソンと一緒に研究した物理学者がいました。 NASAで働いていた人もいました。 博士号を持った人もいたよ。」 Advertisement これらすべてのライターに対しては、強力な人的バックアップもありました。 「モデレーションチーム、レビューチーム、サポートチームがありました」とハンクス氏は語った。 「フルタイムの有給モデレーターはQuoraの従業員であり、パートタイムのモデレーターはライターエンゲージメントなどの他の仕事をしていました。」 BNBR (「優しく、敬意を持って」) の基本基準を強制する有給のコミュニティ マネージャー、カスタマー サービス サポート スタッフ、特定の Q&A をフォーブスやハフポストなどの Web サイトに相互公開する部門がありました。 Advertisement このソーシャル ネットワークは数億のページ ビューを記録し、 現金に満足した投資家から数百万ドル を調達し、Wikipedia、Reddit、Facebook とは異なるインターネットの一角を切り開きました。 これらのサイトほどの知名度や知名度はなかったかもしれませんが、それでも問題ありませんでした。Quora に触れている人は誰でも、それが何を意味するのかを知っていました。 Advertisement しかし、それでもなお、Quora を悩ませている問題はあり、それは悪化し続けました。 まず、匿名の元クオランが私に語ったところによると、このサイトは「質問の長さを短縮」し始めたという。 公言された理由は、 Google での Quora の知名度を 高めるためでしたが、その簡潔さには代償が伴いました。また、専門家が対応できるような複雑な質問をユーザーが行うことも困難になりました。これ��は、非常に特殊な ビジネス関連の質問 も 含まれます。ハンクスなら答えるだろう。 (例: 「スタートアップをゼロから立ち上げるには、共同創業者としてどのくらいの株式を取得すべきですか? 私は、希薄化の対象となり、一般的な CTO の給与で 10% を提供されています。会社はまだ発足していません。 「プロトタイプを持っていません。CTO の 10% は非常に低いです。何が公平ですか?」)
Quora が役に立たなくなった理由: AI はインターネット上で最高のサイトを目指して登場しました。
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青木淳退任記念展 雲と息つぎ ―テンポラリーなリノベーションとしての展覧会 番外編―
Retirement Exhibition of Jun Aoki Clouds and Breaths -The Exhibition as Temporary Renovation extra edition-
東京藝術大学美術学部建築科において5年間教鞭を執ってきた青木淳の退任記念展を開催します。
●会期: 2023年11月18日(土) ‐ 2023年12月3日(日) ●開館時間:10:00 - 17:00(入館は16:30まで) ただし、最終日12月3日は16:00まで(16:00からは小金沢健人によるパフォーマンス) 会期中無休/入��無料 ●会場:東京藝術大学大学美術館 陳列館 ●主催:東京藝術大学美術学部、東京藝術大学美術館 ●企画:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻青木淳研究室(青木淳、笹田侑志、秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠) ●協力:菊地敦己、小金沢健人、中村竜治 ●会場設営:studio arche (甲斐貴大) ●グラフィックデザイン:小原七海 ●問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) ●Dates : Nov 18 (Sat) - Dec 3 (Sun), 2023Open throughout the session period ●Hours : 10:00 - 17:00 (Entry by 16:30)*Dec 3 until 16:00 (Performance by Takehito Koganezawa starting from 16:00) ●Place : Chinretsukan Gallery 1, 2F (The University Art Museum, Tokyo University of the Arts) ●Admission : Free ●Organizer : Faculty of Fine Arts, Tokyo University of the Arts; The University Art Museum ●Planning : Jun Aoki Laboratory, Department of Architecture, Tokyo University of the Arts (Jun Aoki, Yushi Sasada, Mahiro Akiyama, Mikio Oiwa, Momoko Sano, Kazutaka Miwa) ●Collaborators : Atsuki Kikuchi, Takehito Koganezawa, Ryuji Nakamura ●Venue Setup : Studio Arche(Takahiro Kai) ●Graphic Design : Nanami Obara ●Inquiry : NTT Hello Dial: 050-5541-8600
以下、青木淳によるステートメントです。
2019年度、東京藝術大学美術学部建築科教授に着任しました。2023年度をもって定年に達するため、最初から、5年間という時間の限りを強く意識しての就任でした。 その 5 年間で、日頃、「建築」について考えてきたことを、学生たちに伝えていきたいと思いました。 建築とは、私たちに先立っていまここに存在している環境に対して、想像力��もって働きかけ、私たちの存在の基盤である環境そのものを揺り動かすこと、と考えてきました。どういう方向に揺り動かすはそれぞれの自由です。肝心なのは、一見、盤石の存在に見える目の前の環境もまた、それぞれの意志によって改変できるし、またそうすることによって、私たちは「自由」になれる、ということです。 そのことを、実践を通して伝えられたらと思ったのでした。 私の研究室に所属する大学院1年生たちに、そのことを目的としたプロジェクトを行なってもらうことにしました。それが、「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」でした。 建築科の大学院入試は 9月に行われます。したがって、最初の大学院生を受け入れたのは、2020年度からでした。2023年度に大学院生をとると、彼ら彼女��が修士 2 年に進級したとき、すでに退官になってしまっていますので、2020年度、21年度、22 年度の 3年間だけ、大学院生をとるつもりでした。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」は、3回で完結するひとつの企画でした。 展覧会とは作品を見てもらう/見にいくためにつくりあげられる一時的な環境です。作品の内容がよく、それがうまく伝わると、よい展覧会と言われます。そして、ほんとうによい展覧会だと、作品と環境との境が溶け合い渾然一体となって、そこを訪れ、時間を過ごすその体験そのものが、私たちの内のなにかに働きかけるものです。 この事態を、環境の側から見れば、すでにここに存在し、私たちの存在の基盤である環境がなにかによって改変され、その環境が私の固まりかかった存在を揺り動かしている、ということになるでしょう。作品が不要というのではなく、作品という項を仮に括弧にくくった見方をすれば、という話です。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」とは、このような視点で、いまここに存在している環境に働きかけ、一時的に、それを一定の方向に変えてみせることであり、それはまさに、日頃、建築について考えてきたことと重なっていました。 「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を企画し、実践しなさい。 この課題に対して、2020年度の大学院1年生たちは、東京藝術大学上野キャンパス・正木記念館を対象として、そこに置かれた備品を配置し直すことで、その空間が持つ特質を強調しようしました。タイトルは<シン・マサキキネンカン>、企画・実践は、荻野紗、齋藤悠太、藤井雪乃、山田寛太でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・澤田航。) 2021年度の大学院1年生たちは、渋谷駅前の桜丘フロントビル 1 階の「SACS 渋谷」を舞台として、現実の渋谷の街さながらに、展示を構成する個々の要素が独立した搬入/設営/搬出という動きのなかにある状態をつくりだしました。タイトルは<鳥は泳ぎ続ける>、企画・実践は、大貫友瑞、河上朝乃、高井爽、松井一将でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) 2022年度の大学院1年生たちは、有楽町駅前の新有楽町ビル B1F「旧理容室」を起点として、手渡されるインストラクションを手掛かりに、有楽町の表と裏を訪ね歩くことで、普段とは異なる街の顔を浮かび上がらせました。タイトルは<HAPPY TURN>、企画・実践は、月ヶ瀬かれん、仲野耕介、見崎翔栄でした。(担当教員は教授・青木淳、助手・笹田侑志。) これで、3 回の「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」が完結するはずでしたが、とある経緯があって、2023年度も大学院生をとることになりました。 そこで、退任記念展として、その大学院1年生たち(秋山真緩、大岩樹生、佐野桃子、三輪和誠)と、番外編としての「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を開くことにしました。 今回だけは、学生たちの自主企画・実践というのではなく、青木、笹田が前面に立つので、番外編としました。 とはいえ、これもまた、建築というものがつねにひとりの個人に帰属できないように、青木個人の、あるいは青木と笹田の「作品」としての展覧会ではありません。建築は、ひとりの個に収斂していくものではなく、外に向かって広がり、ばらけ、にもかかわらず、一貫し��「質」を保つものです。 そのことをはっきりさせるために、何人かの「外部」の人に開こうとしています。 グラフィック・デザイナーの菊地敦己さんには、「キャプション」という側面から関わってもらいます。 アーティストの小金沢健人さんには、「パフォーマンス」という側面から関わってもらいます。 建築家の中村竜治さんには、もうひとりの建築家として関わってもらいます。
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「天界と地獄」読後感想その2
2023/05/14
p. 295 悪い者に善を為すことは善い者に悪を為すことであって、それは隣人を愛さないことである。
なるほどー。理屈ではある。屁理屈でもある。でもわからんでもない。「隣人を愛す」という概念は後でも出てくる。それも、なるほどーと思ったので後述すると思う。
p. 300 天界の凡ての者には自分の楽しさと祝福とを他に伝えることが楽しい
なんとなく、松岡修造さんを思い浮かべた。
p.302 世から他生に入る霊たちは天界に入ろうと何ものにもまさってねがい、ほとんど凡ての者は天界はただ入れられて、迎えられることにあると考えて、入ろうと求める。そうした理由からその願いに従って、彼らは最低の天界のある社会へつれてこられるが、しかし自己と世への愛にいる者らはその天界の最初の入り口へ近づくのみで、苦しみはじめ、自分自身の中に、天界よりはむしろ地獄を感じるほどにも内部を責め苛まれはじめるため、そこからまっ逆様に我と我が身を下に投げつけ、地獄の彼ら自身に似た者の間へ入るまでは休みもしない。
ここ重要。テストに出るよ!家族や地域や社会に迷惑をかけていることを棚に上げて、自分はいいことをしているのだから天国に迎えられて当然と言ってはばからないひとは、実は天界の最下層へ近づくだけでも嫌な気持ちがして、そこは自分と合わないという気持ちが胸の底から湧き上がって、自分と似たような人たちがあつまっているところを天界よりも下、現世よりも下、にある地獄のどこかへ身を落ち着けるまで自ら下降していくってこと。
この、地獄へ行く描写は後でも出てくる。
p. 314 宇宙には無数の地球があって、その凡てに人類が満ちている
すばらしい!スエデンボルグはフラットアーサーじゃないってことがこの一言でわかる。
p. 316 この太陽系の星のみでなく、その彼方にも人類の住んでいる地球があって、その数は無限である
たしか論破が好きな誰かさんが、地球の人口はどんどん増えているのだから、生まれ変わりがあるのなら魂の数が計算に合わない。だから生まれ変わりというのはぼくはないと思っています。って言っていたような記憶があるんだけど、地球だけじゃないんだね。他の惑星にも人類が満ちていて、現在進行形で同じ数だけいるわけじゃないから、他惑星に生きていた過去の魂が地球に生まれ変わることもありえるんだね。だから、魂の数が合わないという計算にはならないんだね。確か月夜見さんも宇宙人の魂を持つ人がいるって動画で言っていた。
ぼくは一人の人間に一つの魂があるとは考えない人だから、死��、如へ戻った個人の魂はそこで魂の集合体に同化して、生まれ変わる時また集合体から分離して肉体に入ると考えているから、全く同じ魂が生まれ変わっているわけじゃないって考える。だから、魂の数という概念がそもそも間違っているとぼくは思っているんだよね。
p. 319 聖言を理解しないで、そこから天界の小さな範囲を考えている者は、天界は一つの場所にあって、そこに凡てのものが共に集っているとしか考えないが、事実は天界は無数の社会からなっているのである
聖書とは書かれない。一貫して聖言と書かれている。聖言が書かれた書物が聖書なのかどうかってことはどこにも説明がない(見落としたのかも)のでわからない。
p.320 人間における天界の状態とは人間の中に善と真理とが連結することであり、地獄の状態とは人間の中に悪と誤謬とが連結することである。
現世の人間界以外の世界では、天界と地獄の状態は相入れないが、人間の中には天界の状態と地獄の状態が混沌としてあるから生きる上で苦しみが生まれるんだろうね。
p.324 展開の社会に入る門と戸とは、天界のために準備している者によらなくては見えず、またそれ以外のものによっては見つけられもしない
死んだ人は凡て仏であって、人が死んだら誰も彼もが簡単に「ご冥福を祈る」と書き込む現代の日本仏教とは異なる思想。
p. 325 天界に向かって準備しているものたちのもとでは、その合理的な心の上の領域が開かれて、悪と誤ったものの流入に対しては下の領域が閉じられているが、地獄に向かって準備しつつある者らのもとでは、その下の部分が開かれて、善と真理との流入に対してはその上の部分は閉じられている。従って後者は自分自身の下方のみしか、すなわち、地獄のみしか眺めることはできないが、前者は自分自身の上方のみしか、すなわち、天界のみしか眺めることができない。自分自身の上を眺めることは、主は天界のあらゆる物の目指している共通の中心であられるため、主を眺めることであるが、自分自身の下を眺めることは主に背を向けてその反対の中心を眺めることであって、地獄のあらゆる物はそこを眺め、またそこに向いているのである。
これも面白い指摘。別のトピックを立てますけど、最近読んだ別の著者の本にも似たようなことが書かれてあって、その本は全体的にぼくは面白くなかったんだけど、その記述だけは面白いと思ったんだ。それはまた、別日に書くね。
p. 328 獣の霊的なものは人間の霊的なもののようなものではない、なぜなら人間は最も内なるものを持ってはいるが、獣にはそれがなく、
昔学生だった頃、あちこちで開かれている仏教講和を聴きに行っていたことがあったけど、そのうちのひとつで講師のお坊さんが「動物は死んでも仏にはならない」と言い切った瞬間からぼくはそのお坊さんをずーっと睨んでいたことがあった(笑)。途中で睨まれていることに気がついたお坊さんがちらちらとぼくを見ていたっけ。それはともかく、人間だけが霊的に高く、動物にはその内面に霊的なものはない(もしくは人間ほどではない)というのは実に西洋的な考えと思う。傲慢だよね、ってぼくは感じるんだけどな。
というのも、動物から人間に生まれ変わる魂��あれば、人間から動物へと生まれ変わる魂もあるとぼくは思うんだよね。もちろん、後者だと人間だった魂の機能(というものがあるとすればだけど)は制限されて、ぱっと見霊的な部分が低く見えるかもしれないけどその根っことしての魂は人間も動物も同じものを持っていると思う。そうでなければ、この地球に雑多に生きていないと思うんだな。もし、この地球上で人間だけが特別な存在で、それ以外は無価値というのが真実であるとすれば、人間以外の動物はそもそもがこの地球上に生まれてこないと思うんだけどな。
p. 333 聖言では死は復活を意味している、なぜなら人間は死んでも、依然その生命は連続しているからである、
p. 333 肺臓の呼吸と心臓の鼓動であるこの二つの運動は、身体と霊とを結ぶきずなそのもの
最近の咳が出る例の病は、身体と霊を切り離そうという悪の試みだったのかもね。
p.370 人間は死後は、世にいたときのように、もはや教えられて改良されることはできない
この世は学び場であるということの真理だよね。つまり死後に学びはない。成長もなければ悟りもない。だから、自分と同じような魂のところに落ち着いていくってことなんだね。だ、か、ら、天界は一つではなく無数の社会が存在するってことにもつながっていく。
p.378 悪にいて、教会の真理に反抗した誤謬を確認した者らは、特に聖言を斥けた者らは、天界の光をさけて、入り口が非常に暗く見える隠れ家や、岩の裂け目にとびこんで、そこに身を隠すが、それは彼らが誤謬を愛して真理を憎んだからである、(中略)狡猾で陰険な謀りごとや叛逆的な陰謀を楽しんだ者らも同じようなことをして、こうした隠れ家におり、互に相手を見ることもできないほどに暗い部屋に入り、片隅でともにひそひそと話し合っている。
悪口が好きな人。陰口が楽しい人。こういうことやで!
p.414 世を捨て、霊に生きる者は、物悲しい生命を身につけて、その生命は、天界の喜びを受け入れないことを知った
いかにも私は殉教者ですみたいなポーズをしているひとは、逆に天界に入れないってことやね。天界は喜びの世界でもあるから、物悲しいポーズとは矛盾しているってことやね。
☆さてここからは地獄の章です。
p. 433 悪を求める激烈な愛から入る者は、恰も頭を下に、足を上にして、まっさかさまに投げ込まれるかのように見える。
天界の主は悪の人々を地獄に落としたりはしない。自分で落ちていくのである。
p. 434 主からは刑罰は一つとして発しておらず、それは悪そのものから発している、
ここの刑罰は翻訳合っているのかなって思う。刑罰よりいじめと読み替えたほうがわかりやすいかもしれない。
p. 442 人間から初まる隣人愛は主から初まる隣人愛とは対立しており、前の愛は人間の固有性(プロピリウム)から発しているため、悪から発しているに反し、後の愛は善そのものであられる主から発しているため、善から発していること��明らかである。
まぁ、後半はよくわからんが、前半に関しては教会もそのうちではないかと思わないでもない。信じなければ地獄に落ちますよって個別訪問してくるおばさんたちがよく言うよね?
p. 444 自己愛にいる者らにぞくしている悪は全般的には他の者に対する軽べつであり、羨望であり、自分を支持しない者凡てに対する憎悪であり、そこから発する敵意であり、色々な種類の憎悪、復しう、狡猾詐欺、無慈悲、残酷であり、
スエデンボルグさんが生きていた時代、スエデンボルグさんの身の回りでもいろんなことがあったんだね(しみじみ)。
p. 454 例が自分からすすんで、またはその者自身の自由から、自分の地獄の方へ足を向けて、そこへ入ると、最初は親しげに迎えられるため、友達の間に来たと信じる。しかしこれはただ二、三時間しかつづかず、その間彼はそのずるさとか才能などをしらべあげられる。しらべられると、彼らは彼を悩ませはじめるが、それも色々な方々でなされ、絶えず苛酷さと強烈さとが増し加えられて行くが、そうしたことは地獄のさらに奥深い所へ入れられることにより行われている、なぜなら地獄がさらに奥深くなるにつれて、霊も益々邪悪になるからである。
地獄の霊に魅入られて受け入れてしまうと、地獄の最も深い所へ自ら落ちて行くよ。現世でも社会が狂うとどんどん狂った方向へ世界全体が落ちて行くよってことにも通じているよね。と、思う。
おしまい
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消える、去る、雲。猿雲。
そう、俺、やられたことは、すべて、永久【とわ】倍、【とわ🕊️ばい】→佐世保弁。にして、返す、タイプなんよ👀
そう、俺、伝書鳩、ハト🕊️=トハ=とわ=永久 【とわ】なんよ👀つまり、使徒【死と🫵】→博多弁、なんよ👀おれ👀爺ちゃん【仏様🦠】の、操り人形 = 使徒、なんよ👀
たーれのことた(・・;)💧
しーらん、(・・;)💧しーらん(・・;)💧
消え去る、雲🕷去る🥹💬
悟空雲【】🏌💬
祟る、祟る、祟る、【(・・;)💧】
私の、嫌う、人間の、体が、無限に巨大化、つまりは、永遠膨張【とわぼうちょう】運動を永久【とこしえ】までに、繰り返し、永久【とこしえ】まで、永久【トハ=とわ】に、草間彌生の、水玉模様が、永久に、永遠【えいえん】なる、膨張する人間の体に、没落貫通【ぼつらく、かんつう】を、永久に、繰り返される、地獄も、また、ひとしけり。
そう、純粋馬鹿慎吾は、悪人や、これまで、俺を傷つけてきた、人々すべてをも、含めて、天国に、導き入れようと、本気で、考え、Yイエス・キリストに、提案していたのだから。そう、すべての、人類が、天国へ、入れることを、真剣に願っていたあげく、人類の手によって、屠られて、しまったのだよ。
🍎、俺は、もう、そんなに、良き心は、持ち合わせて、いないのだよ。昔の、純粋馬鹿慎吾は、人類の手によって、屠られて、しまったのだから。
顔面、三角、貫通くり抜き、地獄、永久、連発、毎秒、永久秒、成りて☹️💬
🍎、この人ね、イルカに、パフォーマンスを、するたびに、餌を、与え続けて、ある時から、一切、与えないで、いると、イルカが、新しい、パフォーマンスを、発案、生み出すっていう、実験の、話しを書いた人は。で、精神科医の、斎藤学先生は、彼の、本に、興味を、持っておられて、自分の、精神医学の話しの中に、彼の本の、内容を、盛り込まれたって言う話しは。
そして、何故❓そんな、君たちが、未だに、生きているか❓は、私よりも、はるかに、爺ちゃん【仏様🦠】のほうが、したたかで、残酷だからだよ。
そして、そんな、私を、産み出したのは、なにをかくそう、キミたち、人類、なのだから。つまり、キミたちは、自殺するのだ。【殺される】ことも、含めて。そう、自分で、自分の、永久地獄をこさえてしまったのだ。カルマ🚗によって、毎秒、永久秒の、スピードで、自分の、向かう、永久地獄を、生産しているのだ。生きている限り、こさえ続けているのだよ。そう、生きている時間が、長ければ、長いほど、葬られる、自分の、永久【えいきゅう】永久【とわ】地獄の、残虐性は、増す、一方なのだよ。
私は、皆を、指導したいなどと、これぽちも、微塵にも、考えて、いない。そう、私の、崇高なる望み、渇望することは、そう、ただ、ただ、純粋に、私が、嫌う人間が、永久に、どれだけキツイ地獄で、苦しめることが、できるのか❓そう、ただ、ただ、日々、私は、考えて、生きている。そう、私の、考えつく、総最大の、努力を、捧げ、私の、嫌う人類が、永久に、永久なる、地獄で、もがき苦しむさまを、望むだけなのである。
牛傳【ぎゅうてん】大魔王【ライマホウ】の、出現。
致知【チチ】、蘭蘭と、光り、輝く、黄金太陽【オウコン、タイヨホ】に、廊喝【ロウカツ】な、前歯を、持って【モツテ】遮二無二【シャにむに】喰らひつく、大型の、捕食者、爬虫類
そうさ、俺は、無からは、何も、生み出せないけど、こういうヒントが、あれば、いくつでも、芸術地獄を、こさえる、ことが、できるのさ、
あの、コイツを、熱々��、白ごはんの、上に、のっけてさ、今日の、朝飯に、しろよ🤣🗯️
🍎、この人ね、イルカに、パフォーマンスを、するたびに、餌を、与え続けて、ある時から、一切、与えないで、いると、イルカが、新しい、パフォーマンスを、発案、生み出すっていう、実験の、話しを書いた人は。で、精神科医の、斎藤学先生は、彼の、本に、興味を、持っておられて、自分の、精神医学の話しの中に、彼の本の、内容を、盛り込まれたって言う話しは。
そして、何故❓そんな、君たちが、未だに、生きているか❓は、私よりも、はるかに、爺ちゃん【仏様🦠】のほうが、したたかで、残酷だからだよ。
そして、そんな、私を、産み出したのは、なにをかくそう、キミたち、人類、なのだから。つまり、キミたちは、自殺するのだ。【殺される】ことも、含めて。そう、自分で、自分の、永久地獄をこさえてしまったのだ。カルマ🚗によって、毎秒、永久秒の、スピードで、自分の、向かう、永久地獄を、生産しているのだ。生きている限り、こさえ続けているのだよ。そう、生きている時間が、長ければ、長いほど、葬られる、自分の、永久【えいきゅう】永久【とわ】地獄の、残虐性は、増す、一方なのだよ。
私は、皆を、指導したいなどと、これぽちも、微塵にも、考えて、いない。そう、私の、崇高なる望み、渇望することは、そう、ただ、ただ、純粋に、私が、嫌う人間が、永久に、どれだけキツイ地獄で、苦しめることが、できるのか❓そう、ただ、ただ、日々、私は、考えて、生きている。そう、私の、考えつく、総最大の、努力を、捧げ、私の、嫌う人類が、永久に、永久なる、地獄で、もがき苦しむさまを、望むだけなのである。
牛傳【ぎゅうてん】大魔王【ライマホウ】の、出現。
致知【チチ】、蘭蘭と、光り、輝く、黄金太陽【オウコン、タイヨホ】に、廊喝【ロウカツ】な、前歯を、持って【モツテ】遮二無二【シャにむに】喰らひつく、大型の、捕食者、爬虫類
そうさ、俺は、無からは、何も、生み出せないけど、こういうヒントが、あれば、いくつでも、芸術地獄を、こさえる、ことが、できるのさ、
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カンカン、カクンカクン=岩﨑慎吾の、動物的学的、ハ❓ハ❓親→🤚→〽️→🦿🗯️
金平糖の、にほい【匂い】を、嗅いでは、今わ【ハ】亡き、母への、想ひで、想ひだす。黄昏、夕焼け、陽炎、炎天下の下、母と、歩ひた、とほき【遠き】想ひで、亡き母への、想ひ出、つのらせる
有識者【死者】会議の、結果と【ㇵ❓】さん=佳子さんの、You Tube【コックリさんから、内書の🤭、秘蔵映像付き🤫💬】
そっくり、共和国の、和兵さんからの、親戚レターセット、プレオープン間近!! 乾物、必見!!!
7:11&7:12→17歳、複数箇所打撲&深海誠🤿💬🫵
7.11=セブン、ワンワン🐶🗯️
7:03=730=なみ⭕=涙💧⭕=波🌊⭕【:=⭕⭕】
♿→〽️→ Q❓❓❓【?】→A💠
奉納式、終了
🌲💬→〽️→🌏→💥
49=しく=シクシク😢
49=死苦【死んで、苦しむ、生きてたとき、以上に】
49=36=さむ=寒=森山あきゆき
え~い、ハイヤーパワー🤣🗯️
3:04=さよう
そう🤣🗯️霊界の🤣🗯️再臨は🤣🗯️クイズダービーみたいに🤣🗯️芸能人も🤣🗯️一般人も🤣🗯️横並びに🤣🗯️なって🤣🗯️爺ちゃん【仏様🦠】の🤣🗯️拷問🤣受けるから🤣🗯️楽しみに🤣🗯️待ってろ🤣🗯️
ついに🤣🗯️ときは🤣🗯️きた🤣🗯️カウントダウン🤣🗯️スタート🤣🗯️→⏳💬
そう、俺は、してもらったことは、2倍にして、返すけど、自分が🤣🗯️されたことは🤣🗯️永久【とわ】倍にして、返す🤣🗯️タイプなんだよ🤣🗯️
この、バウの、曲の、エンディングテーマ、俺の、肉親の、母親との、思い出が、😂あんだよ、おい、母ちゃん😂お前に、😂捧ぐ😂
仏の、顔が、100回も、あるわきゃ、ないだろが、性格は、結論、変わらないんだから🤣🗯️そんな、奴らに、合わせて、付き合うかよ🤣🗯️全知全能なる、仏様が🤣🗯️ 一発で、見抜くんだよ👽仏は🥸💬
こんな、呑気な、歌、聴いてる、バヤイじゃ、ないんだからな、おまえらの、立場は
3:04=さよ=さよう【貫禄ある、お爺ちゃんが、よく、つかう言葉づかい】
あれ、あれ、どうしたのかな❓滑稽な、心の、状態に、なっちゃってるじゃん🤣🗯️ そりゃ、実に、🤣🗯️烏骨鶏な、はなしだ🤣🗯️
そう、お前ら、一般人も、著名人と、同様に、味わうことになる、地獄だよ
楽しみに、待ってるんだな。俺の、SNSに、つながってしまった、愚かな、民たちよ
墜落寸前、この、飛行機に、乗り合わせた、人類たちは、みな、同様に、この、恐怖を、味わった、そして、死んだ
悟空雲【🏌おー、いい、ショット💬】
死やな(・・;)カモカモ(・・;)たーれの、こと(・・;)←🤫💢🗯️
飴と鞭の、定義とは❓果たして❓いかなるものか❓【💥=金平糖】
高速で、上下に、乱舞したあげく、淡いブルーの、曼荼羅に、化��る、UFO
猫の、尻尾=失望
力まかせに、もぎ取られた、👃佳子【過去の出来事】→😭🗯️ヒャッオウ😭🗯️勘弁シテクダサイ😭🗯️←🔪🩸→ワッチャウィーネー🗯️😭🗯️
👃と、雀の死体🦃、ベリー、ベリー、ルックスライク
タバコを、くゆらせる、毒雲🕷💬の、親分🚬☁
猫の、尻尾=猫の、失望【 】←🐈⬛
【🐈⬛】
消え去る、猿雲【 】🏌
悟空雲【】🏌💬
祟る、祟る、祟る、【(・・;)💧】
カンカン、カクンカクン=岩﨑慎吾の、動物的学的、ハ❓ハ❓親→🤚→〽️→🦿🗯️
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49=36=さむ=寒=森山あきゆき
え~い、ハイヤーパワー🤣🗯️
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こんな、呑気な、歌、聴いてる、バヤイじゃ、ないんだからな、おまえらの、立場は
3:04=さよ=さよう【貫禄ある、お爺ちゃんが、よく、つかう言葉づかい】
あれ、あれ、どうしたのかな❓滑稽な、心の、状態に、なっちゃってるじゃん🤣🗯️ そりゃ、実に、🤣🗯️烏骨鶏な、はなしだ🤣🗯️
そう、お前ら、一般人も、著名人と、同様に、味わうことになる、地獄だよ
楽しみに、待ってるんだな。俺の、SNSに、つながってしまった、愚かな、民たちよ
墜落寸前、この、飛行機に、乗り合わせた、人類たちは、みな、同様に、この、恐怖を、味わった、そして、死んだ
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2024年のよかった本をふり返る
1.飯島耕一詩集(現代の詩人シリーズ)
飯島耕一の個人的再評価。「他人の空」はもとより「ゴヤのファーストネームは」以降なんかもよかった。
2.養老孟子特別講義 手入れという思想
著者の90年代の講演集。都市部で虫を見ると過剰に嫌な気分になるのはなぜか、という切り口で都会暮しの人間と田舎暮しの人間の(現代で言う処の)ネガティブ・ケイパビリティの差を論じている。都市的なものは管理を志向するという視点はその後の実生活の様々な場面におけるものの見方に影響を受けた。
3.方丈記(対訳古典シリーズ)
去年末からお世話になっている旺文社文庫の古典対訳シリーズ。「ゆく河の流れは絶えずして」の冒頭から始まる文章は��饉、水害、地震と度重なる天災や福原遷都などの失政により荒れ果てゆく都の情景、軽々と失われる人の生命を端的な和文で描写しており、今なお新鮮な威力。
4.土佐日記(対訳古典シリーズ)
こちらも旺文社。有名な女性に扮しての土佐からの帰京への旅路を綴った文章は一見すると淡々とした紀行文だが、貫之夫婦は晩年に設けた一子をこの旅路で亡くしている。自身の子を失くした悲しみを第三者の視点から描く一方で、土佐赴任期に家族や財を増やした部下たちの京を待ちわびる活き活きとした様をも自らの哀しみに沈むことなく描写している。帰京し、荒れ果てた我が家を前に妻とのあいだで嘆きの歌を詠み合う場面はついに貫之の努めた冷静さが破れる瞬間だが、歌ではなく散文の抑制の中で表現することを選んだ晩年の貫之の心中を思い遣らなくてはいけない。
5.詩集 旅人かへらず(西脇順三郎)
散歩的詩文の極地と言える語りの写す風景、言葉の流れ方といい素晴らしく、復刻本として気軽に手元に置けるのがありがたい。
6.萩原朔太郎(講談社文芸文庫 磯田光一)
資料を丹念に集め、読み込んで土台から対象の姿を立ち上がらせる硬派な伝記を久方ぶりに読んだ。しかも対象はあの萩原朔太郎。彼の生きた時代と背景も含めて感受するには必読の一冊という感だが未完の遺作というのが惜しまれる。
7.重い障害を生きるということ(岩波新書)
私の双子の妹がほぼ先天の重度障がい者なのだが、改めて歴史の中の障がい者という視点では何も知らない事に思い至って手に取った。小林堤樹先生をはじめ、障がい者という理由で名前も付けられず棄てられ、彼らの治療法も受け入れも何もかも確立されていない時代に、生命を軽視する社会と真っ向から対峙して障がい者でも生きてゆける土台を作った先人たちの凄まじい姿がここにある。彼らの挺身なくしては、私の妹も生きてゆけなかったと思う。妹は今年で35歳になる。
8.日本の家郷(福田和也)
西洋の文学にとどまらず古事記や日本書紀をも援用して日本の文化文学を論じる目眩く知性に圧倒された。福田和也はこの本で初めて触れてまだまだ凄い人がいる、と手放しに驚いていた矢先に逝去してしまった。
9.幻談・観画談ほか(岩波文庫 幸田露伴)
文体に惚れ込んだ。特に観画談の読後感は素晴らしいものがあった。
10.こんなとき私はどうしてきたか(中井久夫)
本邦精神科医の第一人者、中井久夫の講演随筆だが現在進行形で続いている読書を中断せざるを得ないほどの生活の疲労困���のただなかにあって、回復期の手引きとなる一冊だった。
番外編. 海辺のカフカ(村上春樹)
ちょうど秋の帰省の時期に読んだ。当時はフル出社でオフィスのある中野に通っている時期だったので、主人公が中野を家出して四国の高松で過ごすという筋立てが、九州で身を休めている自分の境遇と重なって、自分はこの本を読む為に帰省したのだ、という気分で夢中で読んだ。ナカタさんとホシノさんのコンビが好き。村上春樹のキャラメイクの上手さが光る。
おわりに
十冊も挙がらないのではと思っていたけれども挙がったので、それなりに充実した一年だったのかもしれない。とはいえ習い性で継続してきた読書も今月に入って以来、何も読む気がしなくなり現在では中断している。そのうち恢復することを願っている。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 ��� 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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A24
20241206お亡くなりになった中山美穂さん主演の岩井俊二監督「Love Letter」(1995)は映画への入り口だった。大林宣彦監督「異人たちとの夏」(1988)、市川崑監督「犬神家の一族」(1976)と並んでじぶんにとって日本映画といえばコレ! 竹中直人監督「東京日和」(1997)も忘れがたい。大貫妙子さんの「ひまわり」という主題歌は永遠に色褪せない。
夜、フォーラム仙台さんでフィリップ・ブラシェ先生によるミニフランス語講座&解説付き上映でみたトマ・カイエ監督「動物界」は、中山美穂さんの死は一つの解放であり進化でもあるのだと説得するに十分な快作だった。ヒトは映画に生まれ、映画で死に、そして変身するのだ。別れではなく、始まりなのだ。
世界中の誰よりきっと
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TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun
この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔を持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。そのエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一貫して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであっても、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
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いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル���夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素子の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。っていう見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈のパターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分、自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘
安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD 個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY 個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
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TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
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ゴリパラーメン、無事に手に入れた(2024年10月28日の写真日記)
貫禄十分のサスケ。全体的に冬毛になって一回り大きく白くなったかな。 ゴリパラーメン、無事に手に入れた!セブンショッピングの店舗受け取りだったので、送料も掛からずスムーズに受け取れた☺ 夕飯でさっそくゴリパラーメンを頂きました。正直前回のは自分には合わなかったけど、今回はスープまで完飲。味見した妻にも好評でした。第3弾はぜひ全国販売を! 夕食には他に豚バラ岩下新ショウガも作りました。
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国防の禁句 防衛「チーム安倍」が封印を解く (産経セレクト S 037) 新書 – 2024/10/18 岩田清文 (著), 島田和久 (著), 武居智久 (著)
「中国を刺激するな」 が日本を滅ぼす
中国軍の行動を見ると、安倍総理が遺した政治的な対中抑止力は失われ、中国は日本政治の流動化を見透かして、力による一方的な現状変更を加速しているのかもしれない——。
元陸上幕僚長、元防衛事務次官、元海上幕僚長の防衛「チーム安倍」が、日本の政治が語らない「中国」「台湾」「核」「憲法」「靖国」問題の封印を解く。
日本に必要なのは 力と行動と覚悟だ
【主な目次】 序章 「中国を刺激するな」が日本を滅ぼす 第一章 新しい戦争が始まっている 第二章 ウクライナ戦争に学ばない日本 第三章 新しい戦争と日本 第四章 台湾問題の洗脳を解く 第五章 思考停止の核問題 第六章 憲法改正は精神論ではない 第七章 靖国問題と自衛隊
元陸上幕僚長 岩田清文 元防衛事務次官 島田和久 元海上幕僚長 武居智久
中国軍の行動を見ると、 安倍総理が遺した政治的な対中抑止力は失われ、 中国は 日本政治の流動化を見透かして、力による一方的な現状変更を加速しているのかもしれない――。
元陸上幕僚長、元防衛事務次官、元海上幕僚長の防衛「チーム安倍」が、 日本の政治が語らない中国、台湾、核、憲法、靖国問題の封印を解く。
●(民主党政権の総理が)裏では自衛隊の手足を縛っておいて、表では想定外は許さないと訓示し、言行に恥じることはないかと迫る。 これでは最高指揮官と隊員との信頼関係は生まれません
●ある国会議員が「台湾問題は靖国問題より重いのだ」と呟かれたのを聞いた とがあります
● (10段線として10番目の線が)日本の領海の中に引かれているのですよ。ところがわが国政府はこれに対して、一切文 句を言っていない
●政府内の枢要なところに、中国を刺激しないことを優先する方々がいるのです。これはほんの一例ですが、自民党政権、 民主党政権ともに、日中関係の原則を超えて、過剰なまでに中国に気を遣ってきたのが現実です
●陸上自衛隊のある隊員が、「私は靖国 神社に行ってきました」と言いました。「なぜ行ったのか」と訊いたら、「私のことを一番、守ってくれそうだからです」と答えたのですね
●自分の気持ちをわかってくれる人たちが靖国に祀られている。だから守ってくれると思うのです
●岸田総理は(三文書の)報告の中で、中国に関する「最大の戦略的な挑戦」という重要な部分には言及しませんでした。一方、首脳会談の後、2024年1月の国会における施政方針 演説では、中国との関係は「戦略的互恵関係を包括的に推進する」と宣言しています
●わが国領域に最も近いところに弾道ミサイルを撃ち込んだ国は中国であるということは認識しておく必要がありますね。北朝鮮ですらこれほど近くには撃ち込んでいません
●中国にとっての「平和的共存」とは、彼らの冊封体制に入ることです
●高級幹部会同自体も、2021年~2023年の間、3年連続で開催されていません。 コロナ禍のときは菅義偉総理でしたが、それでもオンラインによって行われました
●最近、NSCがあまり開かれていないのです (本書より抜粋)
(国防の禁句 防衛「チーム安倍」が封印を解く (産経セレクト S 037) | 岩田清文, 島田和久, 武居智久 |本 | 通販 | Amazonから)
安保三文書(あんぽさんぶんしょ)は、岸田文雄内閣が2022年12月16日に国家安全保障会議決定および閣議決定した日本の防衛政策における3つの文書の総称である。「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の3文書で構成される。論争となってきた反撃能力の保有が明記され、その方針が確定した。
背景 自衛隊が「盾」在日アメリカ軍が「矛」の防衛政策を一貫してきた日本は、2022年当時の日本の安全保障環境に対し、最も厳しいと評した。中華人民共和国や北朝鮮の脅威に基づいて制定された[1]。
安保三文書 - Wikipedia
国家安全保障会議(こっかあんぜんほしょうかいぎ、英語: National Security Council[2]、略称: NSC)は、日本の行政機関のひとつ。国家安全保障会議設置法に基づき、国家安全保障に関する重要事項および重大緊急事態への対処を審議するために内閣に置かれ、主任の大臣および議長は内閣総理大臣である。
冊封体制(さくほうたいせい)とは、近代までの東アジアにおいて、中国の歴代王朝と周辺諸国・諸民族が形成した国際秩序のこと。称号・任命書・印章などの授受、つまり冊封(さくほう、さっぽう)を媒介として、「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ名目的な君臣関係(宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)を理念上の中核とする。「天子」とは「天命を受けて、自国一国のみならず、近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた君主」のこと。
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.3)=((No.2)からの続き)
H.21.4月.水撒き人W氏の当月の水道水使用量は70㎥ H.21.4.2.私共は先ず旧自宅内で引っ越し荷物の梱包作業を行い、本日より当マンションへの搬入作業に取り掛かった。私共は「経費節減の為、401号室の清掃を自分達で行おう」と、401号室に掃除道具を持ち込み、本格的に大掃除を開始、そして自家用オンボロ軽自動車に引っ越し荷物を少しずつ積み込み、旧自宅~当マンションを幾度も幾日も往復して搬入し始めた。
H.21.4.15.午前10時頃、私共がリビングで引っ越し荷物を開梱中、東南角の「ベランダ天井に開けられた穴」と「その穴を上下に貫通して居る垂直排水枝管(見取り図の☆③)」との円形(環状)隙間から、枝管の外周を伝って強烈な漏水シャワーが降って来た。驚いた私(夫)はスグに岩井昭雄管理人を呼びに行ったが、偶々「館内巡回中」との事で、5~6分ほど遅れて現場へ来て呉れた岩井昭雄管理人は、漏水シャワーその物は目撃できなかったが、その直後の漏水が引っ切り無しに滴り落ち続ける様子、更にベランダ床面・壁面・網戸にも強烈なシブキが飛び散った惨状を現認して呉��た。私共は「まさかベランダ天井��ら漏水シャワーが降って来る」とは夢にも思わなかったので、この時はデジカメも録音機も持って居らず、残念ながら決定的証拠(漏水シャワー)の動画撮影をする事も、また(漏水シャワーの)音も録音出来なかった。然し、岩井昭雄管理人は、漏水シャワー直後の惨状を見て「以前(H.21.2.3.)にも上階501号室(W氏宅)から此の401号室(当時のS氏宅=現在の私共B夫婦宅)へ漏水事故が有ったのですよ。今週末(H.21.4.18.)には不二建設㈱(=当マンションを建設した会社)の係員2名が当マンションの共有部分(ベランダは共有部分である)の点検に来るので、事情を話して上階501号室(W氏宅)のベランダからの漏水被害を防ぐ補修工事をして貰いなさい」とアドヴァイスをして呉れた。私共は「此のマンションを建設した不二建設㈱が現場の点検・補修に来て呉れるなら最適だ」と考え、岩井昭雄管理人のアドヴァイスもあり、私共は何の疑いも持たず(他の工事業者に調査・補修を依頼する事など、最初から全く考えずに)不二建設㈱の係員の指示を待ち受ける事にした。因みに私共の401号室には全部で4個のベランダ(バルコニー)があり、それぞれに1本ずつ、計4本の垂直排水枝管(☆①、☆②、☆③、☆④)が設置されて居るが、此の内の☆③から漏水シャワーがあったのである。
当日(H.21.4.15.)の管理日誌より抜粋「401号B氏(=買主である私共B夫婦)5月初旬入居の予定にて室内掃除していた時、上の501号室(W氏宅)ベランダより急に水が溢れた、との連絡受け 立ち会い 501号W氏に注意 以前もあり 今後が心配」との記載あり。
H.21.4.18.不二建設㈱の蓮井・豊田両社員が現場に来て呉れた。私共は早速「上階501号室からの漏水被害を防ぐ為に、ベランダ天井に(排水枝管を通す為に)開けられた穴と、その枝管外周との円形(環状)隙間にパッキング・コーキングを詰めて下さい」と依頼した。然し、両社員2人共に「此のパイプは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません」「上階の住人(W氏)に『ベランダには大量の水を撒くな!』と厳重注意する以外に解決方法がありません」「マンションではベランダに大量の水を撒いてはいけないのですよ!」と回答した。私共は仕方なく(当マンションを建設した)不二建設㈱の両社員の此の言葉を其のまま信用・鵜呑みにして「成る程、そうか!これは修理も補修も出来ないのか!」とガッカリして補修・修理を諦めると共に、「旧売主S氏も(私共と同様に)不二建設㈱から『これは補修・修理は出来ません』との回答を喰らわされたのであろう、だからこそS氏は[漏水被害を隠した侭で]401号室を私共に押し付け、自分はサッサと逃げ出したのだな」と感付いた。
因みに、此の漏水被害に関して(最初に私共の弁護を引き受けて呉れた)K先生(=女性弁護士)が不二建設㈱宛に提出された(H.22.2.2付け)『弁護士照会』に対して、不二建設㈱は(H.22.2.18.付け)回答で「当日(=H.21.4.18.)、401号室に入った処、当社の豊田社員が内容を確認しましたが、バルコニーの水漏れに関しては確認できませんでした」「バルコニーの水漏れについては、原因と状況を当日、買主B様(=私共)に説明した事で、了解をされた為、補修依頼は無かったものと判断致しました」と記載して居る。然し「不二建設㈱の蓮井・豊田両社員が漏水現場に来て呉れた当日(H.21.4.18.)の当時刻(午前9~10時頃)」には、偶々、☆③に上階から漏水シャワーが無かっただけで(W氏は、毎日・四六時中、ズッと漏水シャワーを流し続けて居る訳ではなく、いつ何ん時、漏水シャワーが降って来るか?私共にも不二建設㈱にも、前以て正確な日時など全く予測できない)、然し☆③のクランク部(屈曲部)を良く見れば、上階からの頻繁な漏水が滴り落ち続けて濡れて居た事、また床面・壁面にも漏水の痕跡・惨状などは十分に確認できた筈だ。それ等を全て無視して置いて、私共に対し冒頭から「此のパイプは嵌め込み式なので、補修・修理はできません」「上階の住人W氏に対し『ベランダには大量の水を撒くな!』と厳重注意する以外に解決方法はありません」「ベランダには大量の水を撒いてはいけないのですよ」などと突き放した回答を喰らわせ、有無を言わせずに私共を諦めさせて置いて、これを以て「買主B様から補修依頼は無かったものと判断致しました」とは、余りにも身勝手な回答である。当日の不二建設㈱の蓮井・豊田両社員の「これは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません」との不誠実で突き放した回答は、今回の漏水被害訴訟発端の一因でもあった。即ち、漏水被害の直接原因は、勿論、上階501号室の住人(=W氏)の[統合失調症]による『病的な水撒き癖』であるが、不二建設㈱は上記の通り、漏水被害を食い止める為の最小限の努力(調査・作業)すら全く行わず、「これは修理・補修はできません」と(最初から)私共の要請を突っ撥ねた侭だった。だが当日(H.21.4.18.)から『2年半後のH.23.10.11.』に(不二建設㈱以外の)別の工事業者(=近畿衛生技研㈱)による簡単な調査および作業(高圧洗浄)によって、上階501号室(W氏宅)からの長期間の漏水被害を齎し続けて居た真の原因(W氏宅501号室ベランダの当該排水枝管(401号室の☆➂の真上にある排水枝管)に、W氏が長期間に亘って投げ捨て続けて来た大量のゴミ詰まり)を近畿衛生技研㈱が調査・突き止め、これを30分間ほど高圧洗浄して呉れたお陰で、此の大量のゴミ詰まりが枝管内を下方へ押し流され(取り除かれ)、漸く501号室の汚水・排水が当該枝管開口部から外部へ溢れ出す事なく、スムーズに枝管内を下方へ流れ落ちるようになって、401号室への漏水被害が解消されたのであった。
上記のH.23.10.11.の近畿衛生技研㈱の親切な対応振り(調査・作業)に比べると、当日(H.21.4.18.)に不二建設㈱が私共に対して(そして恐らくは旧売主S氏に対しても)『これは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません』と突っ撥ねた同社の対応・回答振りは、余りにも無責任かつ不親切であった。更にH.24.2.3.には『漏水被害を齎し続けた来た張本人(W氏)もT(精神)病院に入院し、今や501号室には最早「水撒き人W氏」は居住して居らずに無人である』が故に、それ以後、階下401号室(=旧売主S氏宅→旧B夫婦(私共)宅→現在はK女史(=女性薬剤師)宅)への漏水被害は、現在は(W氏の不在中は)全く発生して居ない。勿論、[当マンション内の他の所帯・他のベランダには、最初(=当マンション竣工時=H.19.2.23.)から漏水被害などは全く発生して居ない]と言う事実は、私共がH.22.4月に行った各戸別聞き取り・アンケート調査によって既に判明して居る。これ等の事情について詳しくは後述する。 (話を元に戻します)不二建設からの回答書には「同日(H.21.4.18.)、不二建設㈱の両社員が501室(W氏宅)内に入った処、トイレの便器内には「スルメ」「箸」「昆布」が詰まって居て、廊下にまで汚水が溢れ出て居た」という事実が記載してある。更に、その僅か3日前のH.21.4.15.には私共が501号室(W氏宅)から強烈な漏水シャワーをマトモに喰らわされて居た事実、岩井昭雄管理人によれば「此の501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に対し、階下401号室の旧住人S氏も普段から苦悩して居た事実、更にまた「W氏は日頃からゴミを不法投棄して当マンション住民諸氏に迷惑を掛け続けて居る」という事実、これ等の諸事実を私共は、此の時に岩井昭雄管理人から続けさまに聞いたのである。私共は「全くトンデモナイ迷惑人間が、私共の上階501号室に居住して居る!」「その為に階下401号室の住人(旧売主S氏および現在の私共B夫婦)は頻繁な漏水被害を蒙むるのだ!」と思い知らされ、「これでは旧売主S氏が、『漏水被害』を隠した侭で私共に401号室を売り付け(押し付け)て、自分はサッサと逃げ出したのも当然だった!」と暗澹たる気持になった。
当日(H.21.4.18.)の管理日誌より抜粋「501号W氏宅訪問 トイレの詰まり 廊下・部屋 ひどいもの 業者(不二建設)呼び修理依頼するも give up アフター(サービス)担当者・川端氏 不二建設2人立会い 上記 これから暑くなる季節 臭い・水漏れ等で他住居人よりクレーム必至」と記載あり。私共は「斯かる重大事実を隠した侭で401号室を売り付けた(押し付けた)旧売主S氏」と「斯かる重要事項(特に漏水被害)を既に売主S氏から聞き知りながら、何らの説明義務をも果たさなかった仲介人・近鉄不動産㈱」の両者に対し、激しい憤りを覚えた。
嘗て売主S氏と近鉄不動産㈱の両者は、上記裁判①②④で「水撒き人W氏は『階下401号室への漏水被害は、自分がベランダに水を撒いた事が原因である』と自覚し、『二度とベランダには水を撒きません』と岩井昭雄管理人には謝罪・約束し、同管理人も直ちに対応したので、W氏は二度と水撒きをしなかった、水撒きは単に『一度きりの偶発的事象』だった」(ウソばっかり!)と主張し、奈良地裁・大阪高裁からも「漏水は実質たった一度きり」「生活には何ら不都合は無い」(これもウソばっかり!)とのインチキ判決を得て、①②④で両者は共に完勝し、私共が完敗した。即ち、両者の主張および判決によれば「W氏は十分に訴訟能力を有して居た」事になる。然し「実質たった一度きりの汚水・漏水被害」で、あれほどの強烈な赤錆など出来るものか!それにも拘らず、その後の裁判⑤⑥⑦でW氏の妹君・S子氏(W氏の財産管理人)は急遽『兄(W氏)は統合失調症を患って居る』との医師の診断書を取り寄せて、これを奈良地栽に提出し、同地裁から『W氏は訴訟能力を有して居ない』(?)として念願通り再審への道を勝ち取った。此の⑤⑥⑦の判決内容は、上記の①②④で売主S氏・近鉄不動産㈱の両者が勝ち取った判決理由・内容とは明らかに矛盾して居る。 更に水撒き人W氏および妹君・S子両氏は、以後の裁判(⑧~⑩)では全てに勝訴したが、但し、それは『W氏の統合失調症』を理由としたものではなく、奈良地裁・大阪高裁共に『漏水は実質一度きり(?)、限定的(?)であり』『生活には何ら不都合は無い(?)』と判断して、私共の請求を棄却したもので、これではW氏は「訴訟能力を十分に有して居た」と解される。だが実際には、W氏の『二度と水撒きはしません』との約束は、最初から全く守られる事は無く、その後も漏水被害は頻発した。 結局、(奈良地裁・大阪高裁)の裁判官諸氏等は、一度も現場検証・確認に来る事も無く、私共から提出した証拠写真・資料等も徹底的に無視・握り潰し、原告・被告・証人等を出廷・尋問・証言も行わせない侭、「漏水は一度きり」「生活には何ら不都合は無い」「売買契約を撤回する理由にはならない」と決め付けて、而も上記の如く二転・三転する両裁判所の相矛盾する判決理由に、私共は大いなる疑問を感じた。 これは最早とても裁判ではない。 一方、『トイレの詰まり』では、『その被害をマトモに受けるのは(トイレを詰まらせた張本人)W氏自身である』が故に、W氏はイヤでも自分の悪行・被害に困り果て、仕方なくH.21.5.7~8.に掛けて不二建設㈱にトイレを補修・修理して貰わざるを得なかった。然し『ベランダの排水枝管内をゴミ類でビッシリと詰まらせ、ベランダに大量の水を撒いても』『それに因る漏水被害をマトモに受けるのは(枝管をゴミ類で詰まらせ、其処へ水を撒いた張本人たる=)W氏自身ではなく、階下の住人(嘗てのS氏と現在の私共B夫婦)である』が故に、「ヒトの痛み・被害・迷惑などがマルッキリ分からない(分かろうともしない)」W氏に対しては、たとえ直接本人に抗議しようとしてもW氏は「居留守を使って会って呉れず」、また管理人を通じて間接的に幾度注意しても、W氏は「自分の悪行を反省する事は全く無く」、単に口先だけで「二度とベランダに水は撒きません」と管理人には口約束はするが、一向に約束を守らず、結局、業を煮やした売主S氏は「漏水被害を隠した侭」で私共(買主B夫婦)に401号室を売り付け(押し付け)、自分はサッサと逃げ出し、その結果、私共が長期に亘って頻繁な漏水被害を蒙り続けたのが実情であった。 H.21.4.21.私共(=買主B夫婦2人)、仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)、マンション管理人(岩井昭雄氏)の合計4名で、401号室の漏水被害現場☆③を点検、その際、私共は☆①、☆②、☆③、☆④を全て点検し、とりわけ☆②の箇所で、「南側ベランダ天井と垂直枝管との円形(環状)隙間(A)」および「垂直壁面と垂直枝管クランク部(屈曲部)との隙間(B)」の2箇所にアルミホイル(銀紙)が詰め込まれて居るのを確認した。(2枚の写真を参照)。
私共は「これは上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を何とか最小限に食い止めたいと、階下401号室の住人S氏が苦闘して居た証拠だ」と感付いた。そして「以前は☆②から漏水があったらしいが、S氏が此処にアルミホイル(A)(B)を詰めた為、『此処は流れ具合が悪くなった』と感じたW氏が、以後は☆③から水撒きをするように変更したのか?」と私共は感付いた。同時に私共はデジカメで(A)(B)2箇所に詰め込まれて居るアルミホイルの写真を撮った。当マンション管理人・岩井昭雄氏は「H.21.2.3.にも、上階501号室の住人(=W氏)と階下401号室の住人(=S氏)との間で同様トラブルがあった事実」を、再度、話して呉れ、また仲介人・武内聖介氏も「実は売主S氏から漏水被害の事実を既に聞き知って居た」と、再度、告白して呉れた。だが私共は斯かる重大な事実をH.21.4.15.(私共が初めて漏水シャワーをマトモに喰らわされた当日)に岩井昭雄管理人から初めて知らせて貰うまでは、全く知らなかった(知らされて居なかった)。 H.21.4.22.私共は苦渋・熟慮の末、「401号室では、何時なんどき上階501号室から漏水シャワーが降って来るかも知れない」「而も(当マンションを建設した)不二建設㈱によれば『(此のパイプは嵌め込み式なので)漏水防止の補修・修理は出来ない』」「一方、W氏は相変わらずベランダに大量の水を撒き続けて階下401号室へ頻繁に漏水被害を齎し続ける」そして「W氏は『二度とベランダに水は撒きません』と(口先だけで)謝罪・約束するも、その約束を一向に守らない、而も同氏の「『統合失調症による病的な水撒き癖』は一向に収まらない」「これではベランダに布団も洗濯物も干せない、物も置けない」「正に踏んだり蹴ったり」「売主S氏が『漏水被害を隠した侭で私共に401号室を売り付け(押し付け)、自分はサッサと逃げ出した』その本当の理由が、漸くハッキリと��かった」そして私共は「折角、気に入った中古マンションだったが、もう此処には住めない」と観念し、既に70~80%ほど搬入してあった引っ越し荷物を再び梱包し直して、自家用オンボロ軽自動車に積み込み、マタゾロ幾度も幾日も当マンション~旧自宅を往復して荷物を旧自宅へ運び戻し始めた。同時に私共が(岩井昭雄管理人を通じて)不二建設㈱に依頼して置いた簡単な補修工事「401号室の和室の障子戸が開閉し難いので、補修して欲しい」「フリールームの引き戸に新たに錠を付けて貰いたい」など、その他の要望事項も全て撤回した。その理由は「此の401号室を『売主S氏から購入した時と全く同じ、ソックリ元の侭の状態』で返品したい」「少しでもアチコチ修繕したり、弄ったりすれば、当然、S氏から文句が出るだろう」「たとえ短期間でも私共が実際に入居・居住すれば、それだけ部屋も傷むだろう」「だから一切入居・居住せず、補修もせず、購入した時と全く同じ状態でS氏に返品しよう」と考えたからである。 H.21.4.25.当マンション管理組合理事会で「501号室から401号室へ漏水被害があった」とマンション管理人から報告があった。 H.21.4.27.管理日誌より抜粋「501号W氏へ管理組合名にて『改善のお願い』ポスティング」。
その『改善のお願い』より抜粋「貴専有部分内において、トイレの詰まり等が確認されており、下階への漏水や共用堅管の詰まりの原因になる可能性が高く、皆様にご迷惑をかけかねません。管理組合としては、管理規約に従い、是正して頂くよう指示させて頂きます。H.21.5.9.までに回答が無ければ、理事会役員にて5月9日に確認にお伺いさせて頂きます」。然し、後日(H.24.10.12.)、奈良地裁で、W氏の妹君・S子氏は「兄は、当時、痔を患って居て、大量のトイレットペーパーを使用したからだ」と反論した。だが、それなら何故その旨の『医師の診断書』を添付しないのか?医師は「本人は痔を患って居た。それ故、トイレに(トイレットペーパー以外に)『スルメ』『箸』『昆布』なども捨てざるを得なかった」などと言う診断書でも書いて呉れるだろうか?そんな診断書などあるだろうか?
H.21.4.30.私共は仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)を通じて、売主S氏に漏水被害の件で抗議したが、S氏は「自分は漏水など全く知らなかった」と反論した。私共は「それではベランダ天井と排水枝管・垂直壁面との(A)(B)2箇所の隙間にアルミホイルを詰め込んだのは何故ですか?あれは漏水被害防止の為でしょう?」と言うと、S氏は「あれは上階501号室(W氏宅)のベランダからヤモリが『排水用の垂直枝管☆②』の外周を伝って這い降りて来るので、それを防ぐ為にアルミホイルを詰め込んだのだ。漏水など元々無かったのだから、アルミホイルと漏水とは全く無関係だ」と反論した。私共は「それでは裁判をして、マンション管理人・岩井昭雄氏、仲介人・武内聖介氏の両氏に裁判で[漏水被害の事実]をハッキリと証言して貰います」と抗議すると、慌てたS氏は一転して「漏水は確かにあったが、それはたった一度だけで、生活には全く支障は無かった。アルミホイルは飽く迄も上階501号室からのヤモリ侵入を防ぐ為で、水漏れとは全く関係無いのだ」と繰り返し強調、そして「契約解除には絶対に応じられない」と反論した。
然し、写真およびイラストでも分かる通り、(A)(B)2箇所に詰め込まれたアルミホイルの内、(A)は「上階501号室からヤモリが這い降りて来るのを防ぐ為だ」と、尤もらしいウソ理由付けをして居るが、では(B)は「一体、何の為に詰め込んだのか?」その理由をS氏は説明できまい。これ等は(イラストで説明した如く)上階501号室からの漏水を(A)で少しでも防ぎ留め、(A)で防ぎ切れずに漏れ落ちて来る漏水は、これを(B)で更に堰き止めて落下速度を鈍らせ、その漏水を一部だけでもベランダ外の配水本管へと(緩やかにカーブさせながら)誘導する為の小細工である。こんな小細工などは、誰もが幼児期の水遊びで経験的に知って居る単純な小細工である。こんな見え透いた「漏水被害防止の為のチャチな小細工」を弄して置いて「これは上階501号室のベランダから、ヤモリが枝管外周を伝って這い降りて来るのを防ぐ為だ」とは!私共は「S氏の見え透いたウソ」に呆れるばかり。こんな「児戯にも似たチャチな小細工で、上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を食い止めねばならなかった」事実は、S氏自身も「何とかして上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害を食い止めたい」と不二建設㈱に補修依頼したが、矢張り同社から「これは(嵌め込み式なので)修理・補修できません」との回答を喰らわされたからであろう。またS氏自身がW氏に抗議せんとするも、W氏は居留守を使ってS氏を自室に入れて呉れず、仕方なくS氏は岩井昭雄管理人に「善処して呉れるよう」に再三相談したが、W氏は「もう二度とベランダで水撒きはしません」と口先だけで謝罪・約束するのみ、一向に此の約束を守らず、相変わらず階下401号室へ頻繁に漏水させ続けるので、「結局、業を煮やしたS氏は、早々と諦めて逃げ出し、新マンションへ転居した」「S氏が頑なに『水漏れはたった1度だけ、生活には何等の不都合も無かった』などと懸命に言い逃れるのは、S氏自身が上階501号室(W氏宅)からの漏水被害に如何に苦悩し続けて居たか!何としても逃げ出したかった!」と言う事実を雄弁に物語るものだ、と私共は推察できた。なお私共は「S氏は明らかに401号室のスペアキーを所持して居る。早晩、S氏は此のスペアキーを使って401号室に不法侵入し(アルミホイルなどの)証拠を隠滅、あるいは別途に新たなインチキ証拠の捏造に訪れるだろう」だから「私共は今後も頻繁に401号室を訪れ、501号室(W氏宅)からの漏水状況の点検・確認を行うと共に(今度こそ決定的証拠=漏水シャワーを動画撮影したい)、同時にS氏による「既存証拠の隠滅、あるいは新規に証拠の捏造をも防ぐ」為にデジカメなどを常時携帯の上、毎週3~4度の頻度で401号室を点検に訪れる事にした。
以下、(No.4)へ続く
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