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#読書百遍義自ら見る
herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月28日(金) #先勝(甲寅) 旧暦 10/4 月齢 2.7 年始から301日目(閏年では302日目)にあたり、年末まであと64日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 44/53週目のラストスパート金曜日😅💦 ホッとしますよ✋この頃、妙に🤣😆🤣 本日、凌げば「休みだぁ~~」って ところが、今朝は💦って云うよりも 昨日の夕刻頃から右膝が急に痛む💢 何の覚えもなく運動もしてないのに (?_?)なんだって💢この頃の体調変化 に休み前になると、どっか不調を来 すって事がチョクチョクあって休みに入る と「嘘の様に痛みが消える」って💦 前例が、もう二回もあったが今回で 三回目なんだけど⤵️⤵️⤵️こっれってアレ? 加齢による「変形性膝関節症」カイ? イヤイヤ!これは毎日毎日、無理難題を 押しつけられるストレスからなるものと 睨んでるんですが🤣😆🤣違うか😅💦 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない! \(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #おだしの日.  大阪府箕面市に本部を置き、各地に「おだし」にこだわった飲食チェーンを展開する株式会社太鼓亭が制定。  和食の要である「おだし」の正しい情報の提供と、美味しく、ヘルシーで体にも良い「おだし」の魅力を知ってもらうのが目的。  日付は「おだし」素材の代表格である「かつお節」の「燻乾カビ付け製法」を考案した江戸時代の紀州印南浦(現在の和歌山県印南町)の漁民、  角屋甚太郎氏の命日(1707年10月28日)から。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。  寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . . #濃尾地震(ノウビジシン). 1891(明治24)年10月28日(水)仏滅.に濃尾地方で発生した巨大地震であり、日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)である。 . #プレスリリースの日.  インターネット上でプレスリリースを配信するサービス「PR TIMES」の運営などを手がける株式会社PR TIMESが制定。 . . #マッコリの日.#ABCの日.#豆花記念日.#透明美肌の日.#速記記念日. . #信濃町・霧下そばの日.#群馬県民の日.#岐阜県地震防災の日. . . #にわとりの日(毎月28日に設定されている記念日). . #鬼子母神の縁日(毎月8の日が付く日に設定されている記念日). . #米の日(毎月8の日が付く日に設定されている記念日). . . #チェコ独立記念日.#ギリシャ参戦記念日. . . ■本日の語句■. #読書百遍義自ら見る(ドクショヒャッペンギミズカラミル). 【解説】 繰り返し熟読すれば、どんな書物でも意味が自然とわかってくる。 「読書百遍意自ら通ず」とも。 読書百遍とは、何度も繰り返し熱心に本を読むことの例えで、転じて 学問に熱心な事の例えとして使われます。 . . 1982(昭和57)年10月28日(木)友引. #倉木麻衣 (#くらきまい) 【歌手、作詞家、立命館大学産業社会学部客員准教授】 〔千葉県船橋市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CkOxyeTh2I9Y8qnA4BN7qfbPgEG-sTguKa3OKI0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 2 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
 初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
 この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫��・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
 虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
 「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
 『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
 特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
  お遍路の美しければあはれなり
 虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評がある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、子別れの哀話が想像されることを指摘する。
 さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在の春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉の背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
 過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
 この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
 しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
 「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
 すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
 虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
 掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
 ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
  降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
 この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
 「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、「白酒」の様態に焦点を当てることができる。
  鴨の中の一つの鴨を見てゐたり   この庭の遅日の石のいつまでも   蛍火の今宵の闇の美しき   立秋の雲の動きのなつかしき
 以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
 「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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haru-yonige · 9 months
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ツイッター原理主義者兼アンチイーロンだからツイッターのアプリがXになるのが嫌でアプデしないでいたら検索機能も引RTも終わって「読み込めません」になったけどツイッター原理主義者なのでそれでもわたしはアプデをしない
年末年始はバタイユの入門書を読んで過ごす
最近は表現というものについて考えるたびに「わたしはそもそも表現がしたくない」と思うようになった 大学の頃に確かベルクソンの内的生���に関するトピックについて話し合っていたときに、たとえば現在何十億もの値の付けられるような普遍的な価値を見出されている名画と呼ばれる作品が仮に誰の目にも晒されないまま終わっていたとして、その作品に価値はなくなってしまうのか、鑑賞者の存在がなければその作品そのものの真の価値は無と同等になってしまうのか、わたしはそうは思わない、思いたくない、そういう趣旨の話をした記憶があるんだけど、それがたとえごく狭いコミュニティ内での表現活動であったとして、ある表現が誰かの目に晒されることで強制的にその価値が相対的なものになってしまうことが怖い、怖いというかその消費活動をグロテスクに思う自分を捨てられない
わたしが購読してるブログのオタクも言っていたけど、ツイッターに自作のなにかしらを掲載して、誰かの作品と自分の作品を介して気軽に交流のできる人というのは、正直それだけですごい才能を持っていると思う その人は二次創作界隈とうまくやっていけない自分に強いコンプレックスを持っている人で、そんな自分について面白おかしくブログに認めているだけだけど、インターネットコミュニティに所属するためにはある程度の社交性と鈍感さが必要だとはわたしも常々思っている
たとえ実生活では社会不適合者や弱者と烙印を押された属性の人であったとして、インターネットの社会においてそれができている時点で十分社会でやっていけるだけの才能を持ち合わせているように思える
誰かの表現に対する自らの消費行動について考えて我に返るたび、見えてくるのはぼんやりとした不安だった 作品を酷評されるのが怖いとか、消費されてすぐに打ち捨てられるのが嫌だとか、正常な人間であれば抱くような承認欲求由来の真っ当なそれではなく、自分が一度は絶対的なものとしてしたためたものが、誰かの目に触れた途端に相対的で不確かなものに変形してしまうことがただ怖い、自分の断片が自らの手を離れた後に形を変えられてしまうことにどこまでも不安を覚えている
だから、書くことと書くことを楽しむことと自作を読むことが好きであることとそれを発表することは全くイコールではなくて、自分の中で年々それらが乖離してきているから、書いたから人に見せようとか、承認されたいから人に見せようとか、そういった動機から真っ当に行為できる人が本当に羨ましい
二次の話だけど前作品の概要欄に「今後も皆様に愛される作品を目指します♡」って書いてる人がいて流石に理解不能すぎて衝撃を受けた記憶がある
来年は人並みの承認欲求が欲しい
結局基本的に他人に価値を感じていないから、他人からの評価にも価値を感じられないという逆パターンの愛着障害みたいなものなんだと思う ポピュラーな問題である承認欲求の抑え方について意見している人は世の中たくさんいても承認欲求の身につけ方について指南している人って本当に見当たらない
素でいちいち他人を下げようと思うほど自分のことが好きなわけでもないけど、当たり屋に明確な悪意によって明後日の方向から加害されることが怖いだけで冷静に考えてみて多分そこまで自分のことが嫌いなわけではないから、一般的な精神異常の根源とされる自己肯定感が著しく低いことを由来とする認知の歪みでもなさそうで解決策が一向に不明 自分の過敏さには嫌気がさしているけれど現象としての対他反応が過剰であることと客観的視点を失いやすく他責思考に陥りやすいことがイコールであるわけではないので、赤の他人から認知が歪んでいると揶揄されるほどの著しく捻じ曲がった視点は恐らく持っていないと思う
たとえば仕事しててもリアルでも、自分が正しいと信じて疑わないような人はともかくとして、傍目にも自分の非を認識できていないわけではない様子なのに意地でも謝れない人というのは一定数いて、そういう人は自分の非が9割であったとしてもそれを棚に上げて残りの1割の責から相手を糾弾するということを平気でするから毎回驚くんだけど、観察していてそれらに共通するのが自己肯定感があまりにも低すぎる人だということ
相手にも非があると本気で思っているならここは自分に非があった、ここについてはあなたにも非があった、次からお互い気をつけましょうで済む話なのにと毎度思うけれど、多分自己肯定感がなさすぎる人々は自らの非を認識した時点でさらに自己嫌悪に陥ってしまうから、無意識のうちの防衛策として肝心な場面では建設的な話し合いもできずいつも謝れない、そういう他人を強い言葉で非難できる強者の殻に籠った弱い人間である部分が共通していると思う というか、そういう人たちってみんな同じ構文を使ってくるから一発でわかる
わたしはそういう人々に遭遇するたび自戒の念を込めて自らの言動についてもたびたび振り返るようにはしているので、そもそもわたしはちゃんと謝るので、少なくともそういった行動を取れているうちは世の中のそこら中に転がっている自己肯定感の低すぎる人間には該当しないのではないかと思っている
長らく名前をつけてツイッターをやっていたのは、生活を回していくための仕事でもなければそこにいる人間やコミュニティが好きでもないむしろ嫌い、そんな自分にとっては百害あって一利なしであることが明白であった集団の中においてでも、嫌々自分の思考を人目の中に置き続けることで過剰なストレスと引き換えにしてでも自分のマインドを最低限社会的なものに保つという目的からだったんだけど、それすらやめたらストレスフリーにはなったけど人として最低限の承認欲求すら失せた感じがある
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straycatboogie · 11 months
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2023/10/16
BGM: Senri Oe - MAN ON THE EARTH
今日は遅番だった。朝、いつものように本を読もうと思うも何も頭に入らない。実を言うと、ここで書けないとある出来事があり(ぼく自身がトラブルに巻き込まれたとかそういう話ではないので大丈夫です)、あらためて今後の自分の行く末について考えてしまっていた。それに加えてFacebookでとあるグループに触れて、そのグループの中で「もうダメだ」「死にたい」というメッセージがあふれ返っているのに耐えられなくなりつい「しっかり」「がんばれ」と言いたくなってしまったので、そんな自分を抑えきれなくなったことからグループを出てしまったのだった。明白な事実として「死にたい」という人、もう精根尽き果てて生きる望みも何もかも失った人に「がんばれ」と言うのは酷なことでしかない。それはほかでもないこのぼく自身が「もうダメだ」と思って酒に溺れてしまっていたあの日々を思い出すことでわかるつもりだ。でも、それでもつい「シャキッと!」「大丈夫!」なんてムチを打つことを言いそうになったので「身を引いた方がいいな」と勘で推測し、抜けることを選んだのだった。まあ、よくある話ではあるだろう。でも、その人たちの苦悩に満ちた姿を見て「おせっかい」「老婆心」から「何かぼくにできることがあるのではないか」と思う気持ちはいまでもどこかにある。でも、そんなだいそれたことがぼくにできるのだろうか?
きれいごと、あるいは僭越に響くのかもしれないけれどぼくはそんな「死にたい」とまで思い詰めている人のことをほんとうに「すごい」と思う。その人たちは真剣に自分の人生と向き合い、悩みを何か「気散じ」「暇つぶし」でごまかすのではなく愚直に見つめていることは確かだからだ。それはぼくがもう忘れてしまいそうになっているせつない情熱であり誠実さである。中島義道風に言えば、彼らが血を吐くような感じで記す「死にたい」という言葉はまさに「血の言葉」なのだ。彼らが(大げさに響くかなとも思うけれど)自分の全存在・実存を賭けて吐き出すそんな言葉に、ぼくがなまぬるく生半可に「しっかりして!」「大丈夫!」なんて語りかけることは失礼でもあると思う。だから、ぼくは何も彼らに語れない……そこから、これまた大げさ過ぎるかなとも思いもしたのだけれどぼくはV・E・フランクル『夜と霧』の中に書かれているあらゆる希望を根こそぎ奪われた人たちのことを思い出したりもしたのである。もちろん、ナチスに命を奪われそうになったユダヤ人と自分で自分の命を絶とうと考える日本人には見過ごせない相違がある。だけれども、それでもぼくは言いたい。この平和な日本を生きる人たちの中には(かつてのぼくがそうだったのだけれど)確かな生き地獄を生きる人がいる。苦悩を生き抜こうとしている人がいる。それをぼくは認め、尊敬さえしてしまう。イヤミでもなんでもなく、敬意を表したいと思う。
いま考えているのは、たとえばそんな彼らになんとかして「このぼく自身の人生」「ぼくの生活と意見」を示せないかということだ。ぼくは決して成功者ではない。そんなに賢くもない。ただのエッチな凡夫に過ぎない(謙遜ではない)。だから、上に書いたような悩める人たちに「絶対の」「唯一の」「普遍的な」解なんて示せるわけがない。これに関してはウィトゲンシュタインに倣って、ぼくの生き方を読んでもらうことでその人たちが問題を考えやすくなる、そんな効果を狙うしかない。わかりにくい言い方になるかもしれないけれど、問題を生きるのは彼ら自身である(ちょうど「ぼくは他の誰にも丸投げできず、最終的にはぼく自身の問題を肚を括って組み合って解決していく」ことしかできないように)。ただ、ぼくが生きて得た教訓・ライフハックのようなものをシェアしたら彼らにとって救いになるのではないかとも思った。ぼくが成してきたさまざまな失敗(ある意味、ぼくほどこの人生で「失敗続き」の「何をやってもうまくいかない」経験を積んだ人間もいないだろう)をシェアすることで、彼らに笑いや学びを提供できたら……そんなことを思い始めもしたのだった。
思えばぼく自身も、同じように失敗続き・苦悩まみれの中島義道の自伝やエッセイをむさぼり読んだことを思い出す。『孤独について』や『哲学の教科書』といった彼の著作を読み込んで……確かにサクセス・ストーリーも大事だろう。「夢は叶う」「希望を持とう」というメッセージに励まされる気持ちをぼくも共有する(だから何だかんだ言って『ショーシャンクの空に』『ロッキー』のような映画を観るとぼくだって泣く。展開も結末もわかっているのに)。でも、ぼくは同時に「せち辛い世の中だ」「うまくいかないこともあるけど、まいっか」というメッセージだって発信したい……ふと、頭木弘樹さんの『絶望名言』を思い出してこちらを読み返すのもいいかと思った。そうして読んだ本や学んだことを何か断片的なメモとして書いて、それを「百科事典」的にwikiでまとめられたらといったことを考え始める。まとまった、時系列に沿った自伝を書くことも考えたのだけれどどうしたって継続したねばり強さと根気を以て書かなくてはならず、ぼくにはできそうにない。なら、村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』的なキー���ードをまとめたサイトを作れたら面白いのではないかと……ただ、これはまだ思いつきの段階でしかない。焦りは禁物。じっくり実行に移していきたい。
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xf-2 · 3 years
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石平 : 『 中国共産党・暗黒の百年史 』 「 一方で権力を握ると腐敗が始まり、汚職が横行し、つぎに色欲が爆発する。カネにあかせて妾を大量につくる。そのお手当のために汚職がエスカレートする。これも毛沢東以来の、というより孫文以来の伝統なのである。 本書を読んだあとでも中国共産党を賛美する人がいたらお目にかかりたいものだ。 」 (宮崎正弘氏の書評より一部抜粋)
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皇帝🐧ペンギン
2021/07/02 07:08
・中国共産党史の暗部を描き尽くした衝撃作!
・2021年7月1日の結党百周年にあわせ、1年かけて書きおろした渾身作。中国共産党による数々の大虐殺と民族浄化、驚異の裏工作と周恩来の恐ろしい正体など、日本ではよく知られていない衝撃事実を多数掘り起こして読みやすくまとめた、中国共産党史の決定版!
「本書の構成は、一般の歴史教科書のように、歴史的出来事を時系列で羅列(られつ)したものではない。むしろ、今まで日本で刊行された「中国近代史・現代史」関連の書籍で、意図的に隠蔽(いんぺい)され、無視されてきた事実を一つ一つ拾いあげ、それを「中共の暗黒百年史」として再構成したものである」(本書「はじめに」より)
<目次より> 一章 浸透・乗っ取り・裏切りの中共裏工作史 二章 繰り返される血まみれの大量虐殺史 三章 侵略と虐殺と浄化の少数民族弾圧史 四章 紅軍内大虐殺、陰謀と殺し合いの内ゲバ史 五章 周恩来、美化された「悪魔の化身」の正体 六章 女性と人民を食い物にした党幹部の貪欲・淫乱史 七章 日本人をカモにした対日外交史と反日の系譜 最終章 危険すぎる習近平ファシズム政権の正体と末路
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🔴🔴🔴  周恩来は、スパイマスターで【卑劣漢】。 虚像と実像は違う。 毛沢東の【酒池肉林】は並外れていたが、同時に多くの同志を裏切っていた。  🔴🔴🔴
     ♪ 石平  『中国共産党 暗黒の百年史』  (飛鳥新社) @@@@@@@@@@@@@@@@@@
中国共産党は悪魔である、と開口一番、ただしい歴史認識に基づいた叙述がある。日中友好の幻想にまだ酔っている人には目から鱗がおちることになればよいが。。。
毛沢東がいかなる陰謀と殺人と破壊工作で党の主導権を確立していったかは、これまでにも多くが語られた。その意味で、本書はおさらいである。 
ようするに「百周年の誕生日をむかえた中国共産党がどれほど罪深く、それほど外道なふるまいをする危険な勢力か」を徹底的に、達筆に、しかも簡潔に要点だけを抉った。 
「世界最大のならず者国家中国の軍事的脅威と浸透工作によって、我が日本が脅かされている今こそ、中共の悪を歴史的に明らかにし、マフィア同然の反日反社勢力の罪悪と危険性にあたいする日本人の認識を深める」使命があると著者は執筆動機を語る。 
なぜか。 日本の一流(?)とかの学者、ジャーナリスト、学究らは中国共産党の革命史観にそって賛美するものしか書いていないし、天安門事件前までの中国史たるや、共産党代理人が書いた書籍しか市場に流通していなかった。
そのでっち上げ史観に日本のインテリが影響を受けている実態はじつに情けないではないか。 
ウィグル族の弾圧を欧米はジェノサイドと認定し非難している。ところが、日本は与党内の親中議員と公明党によって反論が渦巻き、決議さえ出来ずにいる。
なにしろ与党幹事長を基軸に与野党を問わず親中派議員がぞろぞろと国会にいるからであり、新聞テレビで、まともに中国共産党の暗黒面を伝えるのは産経新聞しかないではないか。
経済制裁にさえ、日本の財界は加わらないで、むしろ対中投資を増やしている。この愚劣な幻想行為は、なにからおきているのか。
中国共産党のマインドコントールに嵌って贖罪意識を植え付けられ、日本が悪かった、日本が中国様に謝罪し、そのためには経済援助を惜しんではならないという善意の発想を基礎にしている。
この善意は、中国が展開した高等戦術、その洗脳工作から産まれた日本人の意識の破壊、つまり考える前提を破壊し、中国寄りに思考を組み変えることからおきているのである。 
中国的共産主義のおぞましさと残忍さの第一の例証は、かれらが権力を握る遙か以前から凄惨な内ゲバに明け暮れていたことである。
その実態は匪賊と代わらず村を襲撃して地主や有力者の財産を取り上げ、公開処刑して、村を暴力で支配し、それが解放区などと美化した。実態は大量虐殺でしかなかった。 
大量虐殺は権力を握った後の国内で更に大規模に繰り返され、つまりは皇帝毛沢東の独裁にさからう者は、たとえ「革命の同志」であっても、残忍な拷問の末に殺された。
周恩来は、毛沢東の上司であったのに、いつのまにか家来となって生きのびた。 狡猾な卑劣漢である、と著者は言う。 
ついで少数民族の虐殺と民族浄化であり、南モンゴルからチベット、そして現在はウィグル自治区でジェノサイドが続行している。 
一方で権力を握ると腐敗が始まり、汚職が横行し、つぎに色欲が爆発する。 カネにあかせて妾を大量につくる。 そのお手当のために汚職がエスカレートする。 これも毛沢東以来の、というより孫文以来の伝統なのである。 
本書を読んだあとでも中国共産党を賛美する人がいたらお目にかかりたいものだ。
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( 下記は、Amazon の レビューよりの転載です。)
日本人必読の書! 昨日届き、一気に読み終えました。 夜寝る前に読むには、「精神的に良くない本」でしたけど。
予想していたとは言え、それを遥かに超える「残酷な歴史」がまとめられています。 未だに中国に「幻想」を持っていたり、「暗黒面」に目を背け、ずぶずぶの関係にある政治家や官僚、財界人、マスコミ人、学者やコメンテーター、そして活動家たちは、こういった事実をどう考えるんでしょうか?
もし日本をはじめ世界が中国共産党の支配下に置かれたら(「自治区」や「世界統一政府」などを含む)、ここに書かれたことが間違いなく起こるでしょう。それこそ、世も末です。
私は人類は、これまで様々な「経験」や「歴史的出来事」等を通して学び、少しでも素晴らしい世の中になってきていたんだと信じていますが(もちろん「マルクス主義」や「階層史観」のことではない。私はそういった世代ではない)、中国共産党の侵略の手がさらに伸びれば、時代は大きく逆行するでしょう。
中国共産党や国民党により無残にも殺害されまくった数千万(数億人?)の人たちの尊い犠牲を繰り返さないためにも、何とかしないと大変なことになります。
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石平氏渾身のライフワーク 「はじめに」で、石平氏は、2021年7月1日の中国共産党結党百周年を「記念」して、1年以上の時間をかけ、渾身の力を振り絞って、「中共百周年の暗黒史」をテーマとする本書を書き上げたと述べている。 石平氏は1989年、日本の大学院に入り、中国近代史が日本でどのように書かれているか、日本の権威ある大手出版社から刊行された書籍を色々読んでみて、唖然としたという。日本の知識人たちが書いた中国近代史のほとんどは、中国共産党の「革命史観」に沿って書かれた、中共への賛美そのものだったからである。 中国共産党の外道ぶりと悪辣さを自分の目で見てきた石平氏は、日本の「中国近代史」の本を読んで、唖然としたり、憤ることがよくあるという。中共シンパの日本の知識人が書いた「中共史観の中国近代史」が広く読まれた結果、日本では中国共産党に親近感や甘い幻想を持つ財界人や政治家が数多くいるように思われる。
石平氏は嘘と偽りで成り立つ「中国共産党革命史観」を日本から一掃するため、そして中共の歩んだ極悪の百年史を日本の読者に示すため、この書を書いたのである。
33万人の長春市民を餓死させた「兵糧攻め作戦」、数千万人の人々を餓死させた「大躍進政策」、1千万人以上が虐殺された「文化大革命」については、これまでに石平氏の著書等で読んできたが、それ以外にも数十万人単位の大量虐殺が絶えず繰り返されてきた。 中共が好む殺人法はいつも「公開処刑」であり、必ず大衆を集めてきて、大衆の目の前で殺戮を行った。民衆に恐怖心を徹底的に植えつけて、彼らが政権に反抗できないように仕向けたのである。 「党を守るために虐殺も辞さない」という態度は、毛沢東時代に限ったものではない。鄧小平の時代においても、このような虐殺が実行された。 1989年の天安門事件では、石平氏と面識のある数名の同志たちが虐殺された。この天安門事件で殺された若者や市民の数は、今でも「最高国家機密」として封印されたままである。数千人はいると思われる。 そして他民族へのジェノサイドである。総人口の約5分の1の120万人が殺されたと推定されるチベット人虐殺は、今なお続いている。次に規模が大きいのが内モンゴルに住むモンゴル人の虐殺である。 現在、習近平政権によるチベット人、ウイグル人などの民族浄化政策は、世紀の蛮行と言っていい。習近平政権は間違いなく21世紀のナチスと化していると、石氏は述べている。
人民を奴隷として支配し、苦しい生活を強いながら、中共政権の幹部たちは贅沢と淫乱を貪る生活を送ってきた。その一方で彼らは、結党当時から残酷な党内闘争を繰り返し、殺し合いの内ゲバを展開した。時には、自分たちの仲間に対してもお家芸の大量虐殺を辞さなかった。 この極悪な中国共産党が百年に渡って存続してきたこと、そして70数年間にわたって中国を支配してきたことは、中国人民および周辺民族の最大の不幸であり、悪夢でしかなかったが、これが終わる気配は残念ながら全くない。むしろ習近平政権の下、中共のもたらす災禍はますます激しくなり、中国大陸周辺の我々近隣国にも及んできている。 幸い、この数年間、自由世界の多くの国々では中共政権の邪悪さへの認識を深め、中共政権を封じ込める中国包囲網の構築に乗り出した。 ウイグル人・チベット人に対する民族浄化の人権侵害に対し、そして彼らが香港で行っている人権侵害に対して、自由世界は一斉に立ち上がり、習近平政権への「NO」を突き付け始めた。更に安全保障の領域においても、自由世界主要国は連携して、中国共産党政権に対する総力的な闘いを挑み始めた。 中国共産党という悪魔のような政党の歴史は、習近平政権の破滅によって終止符を打たれなければならないと、石氏は主張している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 浸透工作による百年の原動力――、まさしく中共のDNAである
本書は、中共百年の「悪のDNA」を受け継いで、世界の巨漢と化した今の習近平政権こそ、中共最後の政権となるべきである。中共という悪魔のような政党の邪悪な歴史は、習近平政権の破滅によって終止符を打たなければならない、として締め括られているが、石氏にしては歯切れが悪い。むしろ、「今後も百年は安泰」とも思える絶望的な嘆きの声と捉えるのが素直ではないか。
やはり、その辛辣さは、上塗りの中共誕生の歴史を振り返る他ない―――、袁世凱の死後の無政府状態が続き軍閥の群雄割拠の中で抜きん出てきた蔣介石率いる国民革命軍と毛沢東率いる中共の対立構造をみても、中華民国の国軍とされる国民革命軍に楯突いた中共とは何者か。
無論、国民革命軍の中核は、蔣介石と国民党の独裁体制にこそある。国民革命軍を率いて「北伐」と呼ばれる戦争で統一政府となった。その裏で実力をつけた中共は国民革命軍に殲滅されそうにもなった。しかし、二度の国共合作で生き残り、終には、武力をもって国民革命軍を中華民国の大陸から追い出し、現在の中華人民共和国を樹立に至る経緯がある。
その成功――、闇の力の原動力は、「浸透工作」にある。権謀術数を弄し、自己の打算にのみ腐心し、自分や一族のためにいつも私計を謀ろうとする「支那流為政者」は、「軍閥のDNA」と言ってよい。「腐敗の普遍化」は中共内部にも起こるのだが、「粛清によるクリーニング」(選別的な摘発)に「浸透工作」が一役買っている。それによって、「権力構造をむしろ安泰」に導くスキームが内蔵されている。これが、百年の原動力なのだ。
共産党総書記に就任して早々、習近平は唯一の政治的盟友である王岐山(おうきざん)という中共幹部を、腐敗摘発専門機関の中央規律検査委員会の書紀に就任させた。以降の5年間、習近平と王岐山コンビは二人三脚で、中共内における凄まじい「腐敗撲滅運動」を展開し、累計25万人以上の中共「幹部」が摘発され失脚し、あるいは刑務所入りとなった。この規模から言って「浸透工作」がないと実現はできやしないだろう。
さらに、「浸透工作」の凄みが本書で指摘されている――、鄧小平(とうしょうへい)が改革開放路線をスタートさせて外国資本を中国に誘い入れようとした時、中共のスパイ工作の長老格である能向暉は、新設された国策会社「中国国際信託投資公司」の副董事長兼党書紀に任命された。つまり、中共からすれば、「国民党の内部に潜り込むのも外国の資本を中国に誘い込むのも、全く同じ性格の浸透工作でしかない」と述べている。 このことからしても、普通の主権国家であれば、「外資に乗っ取られる」危険を感じるのだが、「外資を誘いこんで浸透工作を行う」という発想――、この辛辣さの凄みに驚愕するところでもあった。さらに、その一枚上を行く「コミンテルン」の視点で書かれていて、しかも随所にリアルを追求したエピソードが散りばめており、迫真に迫るものがあった。本書はお勧めできる。
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中国共産党は癌細胞! 「このやり方は、癌細胞とよく似ている。人の身体の中で健康な細胞を呑み込み、それを栄養に癌細胞はどこまでも繁殖していく。そしていずれ、寄生する母体を完全に食いつぶす。ここが、中国共産党の御家芸の浸透・乗っ取り工作の極意であり、最も恐ろしい側面である。」と石平氏は書いている。
日本国内を見ても、いろいろな部位?で癌細胞が侵食している。とくに、国会の中に寄生した中国共産党という癌細胞は最大の問題である。我々日本人はいつまでこの癌細胞と戦わなければならないのか!はやく、世界が協力してこの癌細胞に対する抗癌剤を開発しなければならない、と思う。
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bastei · 4 years
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族長の秋
 著者については「百年の孤独」(魔術的リアリスムの頂点と目される著作)が有名で、現代文学の一つの金字塔とよく言われている。いろんな人のオールタイムベスト100みたいな特集に、よく上がっているのを見るのでどうもそうらしい。ちなみに私は、恥ずかしながらその一番有名な「百年の孤独」を読んだことがない(なんども読もうと"思ったこと"はあった)。そして歴史的には「族長の秋」はそのあとに八年の歳月をかけて書かれた本であり、端的にいえば独裁者小説というジャンルである。
 こういう本の感想ということになると、正しい感想を持つことが目的になってしまうような気がするのだが、それが読書にとって最初の罠である。まず「正しい感想」があるとすれば感じたことが全てであり、ゴミだと感じたらゴミであり、それ以上の「正しい感想」は存在しない。2kgのダンベルを10回持ち上げるか、耐熱レンガを3つ買ってドミノでもした方がまだいい場合もある。普遍的な価値観や、歴史的意義は存在し、文学的な共通項が存在することは認めるが、しかし人類全ての感想の共通項があるとすれば「なんかいっぱい文字が書いてある」程度のものである。したがって、読書をうるかさんとする最初の罠はこの「正しい感想」というものである。読書感想文を書く少年少女にとって、お母さんや偉い人は1984年ばりの思考警察(シンクポル)である。
 読書は"知的な"行為だという人がいるが、実はまったくそうではない。ほとんど肉体的な体験である。人間の脳が知的だという前提が正しければ、情報の統合が行われる最後の数%のみが知的である。椅子に座る、目を動かす、紙をめくる、全てが肉体に直結している。だから、まったく筋力のないガリ勉と、筋トレが趣味の筋肉ダルマがいたとすれば実は後者の方がより読書に向いている。ガルシア・マルケスを読んでいると、そのことをより強く感じる。「族長の秋」は最近読んだ本の中では、トップクラスに肉体的な読書になったと思う。ここまで冗談である。
 まず数ページ読んで気がつくのは、改行が一個もない。小学生の作文の20%を締める改行がない。そのわりに場面の切り替わりもかなり激しい。作中では少年少女たちの歌声が城の中にこだましたかと思えば、たった二、三行先では大統領命令により、子供達はダイナマイトと一緒に船に積み込まれて爆砕されている。私のような日曜読書家にはことごとく辛い仕様になっているが、70ページほど読んだところで、「読みづらい」という部分の見方が若干変わってくる。物語的な感想は後述するとして、あくまで技術的な部分における感想ということになるのだが、見どころならぬ読みどころがこの"技術"と思う。場面や語り手、時系列の切り替わりは縦横無尽であり、誰が運転席に座っているのか、助手席や後部座席に誰がいるのか、そして誰が喋っているのかよくわからなくなる。われわれ、大統領の発言などが瞬時に切り替わるのである。唐突に10月になったり、11月になったり、3月になったり、1月になったりする。つまりはそれらをひとまとめにして、さながら神のような、ほとんど超越的な存在の視点が作中に存在しているといってもいいかもしれない。本書は翻訳されたものなので、実際の原著がどうかは知らないけれど、ある程度忠実な再現であると思われる。そしてこれこそが、大統領の永遠とも思われる支配と孤独、源泉たる混沌を語るための類稀な"技術"なのである。提示されるエピソードのひとつひとつは荒唐無稽で、悪辣で、そして語りは詩的で超越的である。
 そういうわけで最初の100ページくらいは、ワンセンテンスごとに、私の脳天に直結されたルービックキューブを知らない人がいじくり回しているかの如く混乱した。普段業務的に用いる誰かを説得したり、商品を説明したりする文脈に出現するものとは、真逆の技術が徹底的に詰め込まれているのがまずスゴイところというか、読むべきところと思う。それをなんらかの魔力で私に読ませ続けるので、これは途方もないことである。自分がなにか文章を書いたりするときには、なるべく動作を誰が行なっているかとか明確にしようとか、時系列にそった記述をしようとか、装飾的な主語は使わないとか、動作の範囲や時制を統一しようとか、順接と逆接のバランスとか、経験的に読みやすい文章のルールに従うことにしているのでショックだったし、こういうことができるのかあと思った。意味がわから���いと感じたら「ふーん」くらいにして読み進めるのがいいと思う。じゃないと私のように本棚に数年埋れ続け、息子のおもちゃになり、そしてあるコロナショックで目が覚めることになる。
 では、そのような"技術"を用いてどういったことが語られているか、ということになるのだが、恐るべき残虐性と幼児性を抱えた大統領の命令はことごとく悪辣で、そして外道のエピソードは枚���に遑がない。土煙のむせ返るようなラテンアメリカのイメージと、めまいのするような情景(パンチライン)が文字通り敷き詰められている。誰からも愛されず、誰も愛したことがない。睾丸に巣食うヘルニアが猜疑心と共に膨れ上がる。(いったいなんなんだ睾丸のヘルニアってのは)唯一の友は腹に野菜を詰めて宴会にだしてしまったし、唯一の理解者のような気がしなくもないお母さんは生きながら腐っていった。
 ブックカバーチャレンジなので、本の表紙についても触れておく。牛が一匹写っているが、これは物語の冒頭で提示される荒廃した大統領府のイメージである。民衆が意を決して大統領府に踏み込むと、一説によれば232歳ともされる独裁者とはかけ離れた正体不明の死体があったーー。
 一月のある日の午後にはわれわれも、大統領府のバルコニーから暮れなずむ空を眺めている一頭の牛を見かけた。大統領府のバルコニーに牛、こんな不似合いなものはない! まったく、情けない国があったもんだ! 牛がどうやってバルコニーに上がったのか、この点についていろいろ憶測がなされた。誰もが知っているとおり、牛は階段を昇るようなことは決してしないものだ。石の階段ならばなおさらだし、カーペットが敷かれていればなおなおのことである。われわれも結局、現実に牛を見たのか、それともたまたま日暮どきのアルマス広場をぶらついていて、大統領府のバルコニーに立つ牛の夢を見たのか、とうとう分からずじまいだった。
 控えめに言ってずっとこんな感じでなんかいっぱい文字が書いてある。
 仲間のひとりが死ぬ。われわれは一枚しか残っていないシャツの胸に勲章をピンで止めてやり、その国旗で遺体を包み、国家を歌いながら、この断崖の真下の、深い海の底にそっと葬ってやる。風化してボロボロになった彼自身の心臓だけが重しだ。
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takahashicleaning · 4 years
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TEDにて
アラン・ド・ボトン:無神論2.0
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
価値観を分ける一般的な方法は、神を信じるもの。信じないもの。ですが様々な価値のひとつです。無神論者が、宗教から(敬意を持って)取り入れられるものに、どんなものがあるでしょう?
アラン・ド・ボトンは「無神論者のための宗教」(無神論2.0)として、人間的な繋がり、儀式、超越的存在への要求を満たすために、科学的にフレームワークで宗教的な作法や伝統を、ブランド的に取り入れることを提案しています。
いわば、これは宗教の大枠の構築に関する提案であり、Wikiみたいなもののようなことです。教育によって道徳を保つには、いかにすれば善いか?文化である!というアイデアはすでに崩壊しています。
では、何か?
説教と講演は似てはいますが、非なることです。では、宗教は?ここから物語が展開していきます。数千年にも及び練り上げられた手法には、詳細に観察し分析してからですが、手本として学ぶべきことがあるそうです。
この十年くらい。無神論者がどういうものかは、すごくはっきりしていました。とても、声の大きな無神論者達がいて宗教は 間違っているだけでなく、馬鹿げていると言っています。
そういった人の多くが、北オックスフォードにいて彼らに言わせると 神を信じるのは、妖精を信じるようなものであり、子どもじみた遊びに過ぎないというのです。
宗教全体をそのように切って捨てるのは簡単なことです。私が今日お話ししたいのは、無神論者の新しいあり方についてです。お望みなら、その新しい無神論を「無神論2.0」とでも呼びましょうか。
無神論2.0とは何でしょう?
まず、ごく基本的な前提ですが、「神はもちろんいません。神々もいなければ、超自然的な精霊も天使もいません。」と定義して先に進みましょう。
これで話は終わりではなく始まりなのです。文化圏からすると西洋のキリスト教での神はいない?
前提条件として、一神教の中での無神論ということです。多神教では、無神論という概念はありません。
詳しくは、多神教であるテーラワーダ仏教の「アビダンマ」という書籍に書いてあります。
データとして検出できる?
神の定義も決まっていないのに、いるもいないも存在するもしないも、本当のところは誰にもわからないため「無神論2.0」のテーマでの中だけの発言だと思います。
さて、難しい選択ですが、別な道があります。その道とは、全く不信心ながら、敬意を持って宗教から学ぶのです。宗教を信じていないなら、宗教の良い部分だけ選び取りミックスしていけない理由は何もありません。
私にとって無神論2.0とは、敬意と不信をもっていろいろな宗教を見て「この中で使えるのは何かな?」と考えることです。
世俗の世界は、科学的に観ると穴だらけです。世俗化をやり損なったのです。宗教をよく研究することで、人生のあまりうまくいかない側面についてあらゆる洞察が得られます。今日は、そのいくつかを簡単に見ることにしましょう。
まずは教育です。教育は世俗社会が強く信じているものです。世界をどう良くしていけるかと考える時、私達は教育のことを考え、そこに多くの投資をします。
教育は、商業や技術のスキルを与えてくれるだけでなく、より良い人間にもしてくれます。19世紀初期に、西欧で教会に行く人の数が急速に減り、人々はパニックを起こしました。
彼らはこう自問しました。みんな、道徳をどこに見出すつもりなのか?どこに導きや慰めの源を見つけようというのか?影響力ある声が1つの答えを出しました。
「それは文化だ」と文化にこそ、導きと慰めと道徳を求めるべきであるとシェークスピアの劇を見。プラトンの対話を読み、ジェーン・オースティンの小説を読もう。
かつては、ヨハネの福音に見出していた真実をそこに見出せるだろう。これはとても素晴らしい。とても正しいアイデアだと思います。彼らは、聖書を文化で置き換えたいと思ったのです。
うまいアイデアだったと思いますが、忘れられてしまいました。現在では、必要なのは情報やデータであって救いではないと考えています。
教育についてはもう1つあります。現代の世俗社会では、誰かに何かを一度教えれば足りるものとしています。
20歳でプラトンについて習ったら、その後経営コンサルの仕事を40年やっていても教わったことは、ずっと身についているものと考えます。宗教は「ナンセンスだ」と言うでしょう。
「教えを日に10遍繰り返す必要がある。跪いて繰り返すんだ」と。それがどの宗教でも言っていることです。「跪いて日に10回でも20回でも繰り返しなさい」人類の頭は、脳の構造上、ザルのようなものです。
宗教は繰り返しの文化であり、偉大な真理の周りを繰り返し回るのです。一方、私達、人類は繰り返しを退屈に感じます。「新しいやつがいい」といつも言っています。
宗教は、また時間を設定します。主要な宗教はどれも暦を持っています。暦とは何でしょう?暦は、一年を通じて様々な重要な考えに間違いなく出会うようにする方法なのです。
宗教がよく分かっているもう1つのことはうまく語るということです。私は、あまりうまくできませんが、修辞というのは宗教にとって鍵となるものです。
世俗的な世界では、大学教育を受けてもスピーチは下手で、それでも仕事はこなせます。しかし、宗教の世界はそうではありません。語る内容は、説得力ある語り口に支えられている必要があるのです。
今度は、芸術に目を向けてみましょう。芸術は、世俗的世界において高く評価されているものです。芸術は、とても重要なものと考えられています。
2つの非常に間違った考えが、現代社会に漂っていて芸術から力を引き出す能力を妨げています。1つは芸術のための芸術というものです。馬鹿げた考えです。
芸術は、密封された泡の中にあって騒然とした世界とは、関わるべきでないというのです。私はまったく反対です。もう1つの思い込みは、芸術は自らを説明すべきでない。
芸術家は解説すべきでないというものです。それをやると魔法が解けてしまい、簡単になりすぎてしまうからです。美術館で受けるあの感覚はこのためです。皆さんも覚えがあるでしょう。
「これ、いったい何なのかわからない」生真面目な人は、認めようとしませんが、あの困惑の感覚は現代芸術の構造的な問題なのです。
宗教の芸術への態度は、ずっとまともで芸術の意味を説明するのに躊躇いません。主な信仰で芸術の役割は2つ。
第1に、愛すべきものを思い��こさせること。第2に怖れ。憎むべきものを思い起こさせることです。それが芸術です。芸術は信仰における重要な観念を、腹の底から感じる体験なのです。
教会やモスクや聖堂を歩き回るときにしようとしているのは、通常は頭で理解するところの真理を目を通し、感覚を通して吸収するということです。実質、これはプロパガンダです。
レンブラントはキリスト教的世界観のプロパガンダをしていたのです。「プロパガンダ」と聞くと、皆、警戒し、ヒトラーやスターリンを思い浮かべますが、本来、プロパガンダは何かを笠に着て説教する方法のことです。
それが、良いものであるなら何も問題はありません。
美術館は、宗教を見習うべきです。美術館に歩み入ったとき・・・私が作るとしたら、愛の部屋や寛容の部屋を設けるでしょう。芸術作品は、すべて私達に何かを語ります。
様々な作品に出会い。そこで語りかけられ、作品によって観念を心に刻めるよう展示スペースを構成できるなら、芸術からもっと多くを得られるでしょう。
間違った考えのため無視されてきた芸術本来の役割を取り戻せるでしょう。芸術は社会を良くするための道具でもあるべきです。芸術は説教的であるべきです。
別なものを考えてみましょう。現代の世俗的世界では、魂に関すること。精神に関すること。高次の霊的なものなどに関心のある人は、孤立した存在になりがちです。
詩人、哲学者、写真家、映画制作者など。彼らは自分だけでやる傾向があり、家内産業的で弱い一個の人間です。1人でいると絶望や悲観をしがちです(色々な過去の実験で確認もされています)
そして、あまり影響力を持つこともありません。
今度は、組織的な宗教を考えてみましょう。組織的宗教がするのは何でしょう?集まって組織を作ります。これにはあらゆる利点があります。第一に、規模と力があります。
これらは、すべてとても良い資質であり、企業にも見られる特質です。実際、企業(法人)は様々な点で宗教に似ていますが、マズローのピラミッド底辺の欲求に応え、靴や車を売るという点が違っています。
まとめたいと思います。私が本当に言いたかったのは、様々な異なる領域で活動されている皆さんは、たとえ宗教を信じていなかったとしても宗教を手本として学べることがあるということです。
何か共同的なこと。大勢で一緒にやることに関わっているなら宗教には参考になるものがあります。旅行業界に何らかの形で関わっているなら、巡礼に目を向けてみることです。
じっくり、観察してみることです。旅行がどんなものでありうるか?私達は、表面的にしか理解していません。宗教が、旅行で何をしているか見ていないからです。
芸術の世界にいるのなら、宗教が芸術で何をしているか見ることです。教育者なら、宗教が思想を広める方法に目を向けることです。思想の中身は置いておくとしても、宗教は思想を広めるための非常に効果的なメカニズムなのです。
だから、私の結論は宗教に同意しなくとも、宗教は様々な面で、歴史の長さを見てもとても巧妙であり、複雑であり、知的であり、信者だけのものにしておくのは、もったいないということです。私達みんなのものにすべきです。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任です! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合��の偶然の一致について2019
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日本テーラワーダ仏教協会
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ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
古代エジプト - Wikipedia
<提供>
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uso8oo · 4 years
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自分の考えは:
勉強は、一回で完璧にするのではなく、繰り返しペンキを塗るように満遍なく勉強して理解を深める。何度も違う日に戻ってくることで、ひらめきが生まれ理解が進むので、一回めで60%、2回めで80%、3回めで90%と理解度を上げていくイメージ。そのためには、一回にかける勉強は2時間以下が理想。それ以上は効率がガクッと落ちる。
勉強は習慣づける。決まった時間にはじめ、決まった時間に終える。これを完璧に身につけると、エネル���ー効率が上がる。
教科書を使うなら、チャプターを一気に駆け抜けるように一度読む。それを3回くらいやってから、ゆっくり読む。動画教材なら、まず2倍速でみて、それから1.4倍速くらいでみる。それから1倍速でみる。普通のスピードで3回みるより効率的だし、頭に残ってる。つまり、最初は細かくみないで、全体像を捉える。最初に脳内フレームを作る。
本格的に勉強を始める前に、いろんな教科書や参考書をチェックし、一番網羅性が高く、基礎を抑えつつ、解説が丁寧なものを選び、なんども周回する。一度これと決めたものは、相当なことがない限り変えない。同じ本をなんども読むことに意味があり、毎回変えていると記憶の定着が悪い。
新しいことを学ぶ勉強(インプット)をしたあとは、最近やったことを復習したり、覚えなくてはいけないことを覚えたりすればいい(アウトプット)。ずっと新しいことばかりやるよりも、使う脳みその領域を2−3時間おきに変えるべき。
分かる、覚える、慣れる、の三つのバランスが崩れると、成績は上がらない。暗記しないのはショートカットを拒否していることと同じだし、理解しないのは暗記の効率を著しく下げるし、慣れる をやらないということは、テストを放棄している。理解こそもっとも尊いと思われがちだが、多くの成績が上がらない人は、「分かる」に重点を起きすぎて「覚える」をやっていなかったりする。つまり、「極端な勉強法」は絶対に上手く行かないということなのだ。ただひたすら問題を解いたりするのも「慣れる」をやりすぎで、「分かる」や「覚える」をやっていなかったり。。。自分でバランスを色々試して、成績が上がるが検証してください。
「慣れる」「分かる」「覚える」をちゃんとやって行くと、問題を一瞬で解くための方法やパターンが見えてくる。このパターンが、あなたの宝ものになります。これを色々見つけて行き、洗練させて行くと、頭を使わないでも問題を瞬殺できるようになり、半分の試験時間で終わらすことができるようになったりします。究極の効率化ですね。
問題集や過去問は、なんどもとく。慣れてきたら、順番をランダムにして、テストと同じような条件でやる。カテゴリー別で練習をするのは初期の集中学習では必要だが、それだけだとどうしても記憶の取り出し方がテストのときと違ってきて、スコアが悪くなってしまう。過去問や良問、理解度をチェックできる基礎問などの質問と答えだけをまとめた「慣れる専門ノート」を作って、質問を読んだ瞬間答えまでの最短距離が見えるまで繰り返す。書いて解いてもいいし、喋って解いてもいいし、頭の中で解いてもいい。ただ、答えを最初に見ないように。
勉強間の10分くらいの休憩中に、絶対にスマホやテレビを見ないこと。代わりに、目を閉じて横になる。目を閉じて、深呼吸してリラックスすることで、脳みそが情報の整理を開始してくれる。この間にわけのわからないtwitterのニュースとかおもしろ動画とか猫とか犬とか見ない。
解きっぱなし、ではなく、弱点が見えたら、納得するまで追求する。そこに、自分の理解の穴があるのだから。二度と、同じ間違いをおかさないように「検証」しましょう。検証して見つけたパターンは、教科書には載ってない自分だけが見つけた法則かもしれないので、大切にノートに書き込む。ノートはこうした途中での「発見」を書き込むためのものでもあるので、常に余白を大胆に大きくとりましょう。未来の自分が新たな発見をそこに足せるように。
理論や定理を、ノートにまとめましょう。自分で見つけたパターンも、自分で分析するなり掘り下げるなりして、どんどん書いていく。ルールは、自分で作っていくという感覚をもつ。ある程度、知識が蓄積してきたら、見開きの2ページを使って、要点だけをまとめたマップを作り、全体図を見渡せるようにしよう。すると、関係性が見えたりして、「知識の圧縮」に繋がり、少ない暗記量ですんだりする。このとき、ストーリー仕立てで覚えてしまうと、忘れない。知識はバラバラだと全く使えないので、絶対にマップを作る。図解思考 という本がたくさんあるので、そのへんを買って図解を学んでください。
教授や先生にガンガン質問をする。バカな質問をして怒られたり呆れられても、次に良い質問をするつもりで質問をし続ける。大切なのは、聞くたびに質問の精度をあげること。基本的なことは自分で調べて、それでもわからないニッチなことや、ビッグピクチャーを質問しましょう。
講義や授業には絶対にいく。ある程度読んでおくといいですが、理解はしなくていいです。なんとなくここがわからなくなるかもしれないなっていう場所を把握しておくことで、授業中の集中度をコントロールできます。要はゴールが見えるということ。
勉強は、絶対に計画の遅延があってはいけないと言う気持ちで、毎日本気でやる。一日を5セグメントくらいに分けて、それぞれの時間でやらなくてはいけないタスクをやりましょう。限られた時間内に終わらせる訓練は、何も模擬試験だけではなく、普段のインプットの段階からでも必要になってきます。「2時間で、このページまでしっかり読み込む」というのは、たいていの場合失敗しますが、それは多くの場合、時間内に終わらせようという意識が低いため集中してないからです。
PDCAをしっかりやる。一度立てた計画や仮定のまま、ずっとやり続けるのではなく、しっかりその効果を検証して、方法や方向を変更できないかチェックする。要は勉強法を改善する習慣をもつと言うこと。たいていの場合、計画通りに勉強が進まない時に、検証を行うことが多い。
定期的に復習をする。これなしに記憶の定着はない。ノートを見ないで、まずは暗唱を試みる。そして答えをみて、認識とリアルの違いを埋めていく。100回復習する、というと、大げさに聞こえるかもしれないが、実はそんな大げさでもなかったり、、、、
酒を飲まない。酒飲むと、基本勉強には良いことがない。酒は百害。寝る前は特にだめ。睡眠時に行われる、長期記憶への移行が著しく阻害されることがわかっているので、酒を飲む = その日の学びを放棄する に繋がりかねない。酒は飲むな、代わりにペリエでも飲んでろ。
勉強場所を変える。同じテーブルで勉強はマックス3時間しかできない自分は、場所をカフェや図書館などに移り勉強をしていました。場所を帰るだけで集中力が回復するので、おすすめです。
他人ではなく、自分にとって最高のノートを、カスタマイズして作る。自分にだけはわかる、最強の参考書を作る感覚。ただし、文字は綺麗に書いた方がいいし、読みやすいほうがいい。
テストの情報を、常に敏感なくらい集める。出ない部分を確実に見極められるくらいに。
受け身ではなく、頭を使う勉強法を。アクティブラーニングを心得る。読むだけの流し読み勉強もいいけど、基本は頭を使う勉強をしたほうがいい。白紙からノートを再現するとか、思い出しながら読むとか、問題を見た瞬間とくとか。
30分に一回は、軽い運動をする。それか立つ。
姿勢をまっすぐにする。頭の上に卵をのせているイメージをもつ。姿勢がものすごく悪い人よりも、微妙に悪い人の方が多いので、このイメージで座ると腰が疲れなくなります。けど、上記にあるように、30分に一回は軽い運動か、歩くようにしましょう。
7時間は絶対に寝る。自分は8時間。
自分と同じくらいの意識を持った人と話す。意識が高すぎても疲れるし、低すぎると逆にストレスなので、ちょうど良い人と過ごす。
勉強以外の楽しみをしっかりともつ。しかし依存しない程度の。
ストレスを極力減らすこと。運動大事。散歩でも良い。
栄養をしっかりとること。砂糖と油物は食べない。
辛い時に、心の中でざわめく「できない、いやだ、疲れた、だるい、眠い、つまらない」を、全て「できる、いつかできる、良いね、いい感じ、まだやれる、面白い部分がきっとあるはず!」に変える。これは実は、無理やりでも効果があることがわかったので、おすすめ。これは、特殊部隊の入隊テストに受かる人の多くがやっているテクニックで、簡単にできること。つまり、試行錯誤や思考実験の数を増やすメンタルでいろということ。一日中ポジティブでいる必要はないし、悪影響なので、辛くなった最後らへんでのみ使うといい。逆に、計画する時は、基本ネガティブでいよう。ポジティブな計画はほぼ確実に破綻する。
現実をしっかりみる。自分の欠点と向き合って、ちょうど良い難易度の問題や教科書を読む。ちょうど良い難易度の時、フローに入れるから集中度が上がり効率も上がる。
ランダムに勉強しないで、体系的にやった方が理数系はうまくいく。そういうもの。しかし、スピードは意識して。
スピードは、常に意識するべき。速さこそ、最強。あと繰り返し。
動画教材は、1.5倍から2倍でみる
ノートの中に、まとめ専門のページを作り、情報を圧縮化しよう。これを作ると、ノートの一番最後の「最終圧縮まとめページ」が作りやすい。ちょくちょくまとめよう。このまとめが、ワーキングメモリの消費を減らしてくれ、やる気に繋がる。
昼の2−3時くらいに一日30分走る。すると、生産性がめっちゃ上がります。走らないと逆に生産性が低すぎて辛い。
1時間後、自分がどうなっていたいか想像する。この範囲までできるようになっていたいとか、この公式を導けるようになっていたいとか、この範囲を暗記するとか。
スピードを意識する、となんども書きましたが、ではどうすれば良いのか? それは「タイムプレッシャー」です。必ず2時間以内にここまで終わらせる、といった長めのやつから、三十分でここまで必ずやる!といった短めのやつまで様々です。最初は終わらなくても、次は必ず終わらせる!という感じで自分の限界とのレースを死ぬまでやってください。以外にスピードはすぐに上がります。そして慣れてしまったら(喜ばしいことですが)、さらにタイムプレッシャーを厳しくします。するともっともっと早くなっていき、気づいたら周りの人の倍くらいの生産性になっていたりします。無駄なことをやらなくなる + 一つ一つのステップや思考が洗練化されていくんですね。
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shakuhachi-kataha · 4 years
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尺八空白の100年間に何があったのか!?
From the mid 1200s to the mid 1300s, why is Shakuhachi missing from historical sources? !
 
 
鎌倉時代(1200年代半ば)から室町時代(1300年代半ば)にかけてのいわゆる中世 middle Ages に尺八 shakuhachiという楽器のことが記された史料が無いのだそうだ。
 
まずは、尺八研究家の本に記載された文章を抜粋すると…
 
 
 
 
山口正義 『尺八史概説』(2005年)によると、
「9世紀半ばから16世紀初頭までの間は尺八の歴史上大きな空白期間であり、古代尺八と尺八(一節切)の間には諸説あり、定説までには至っていない。」
 
 
 
上野堅実 『尺八の歴史』(2002年)によると、
「十三世紀半ばから十四世紀半ば過ぎまで尺八の消息は跡絶えるものの、(略)」
 
 
井出幸男氏の論文『中世尺八追考 伝後醍醐天皇御賜の尺八を中心に』(1992年)には空白の六十五年間(中略)実体は不明と言わざるを得ない。と書かれている。
 
 
 
 
尺八研究家の山田悠氏が残した「尺八・虚無僧編年史」(虚無僧研究会機関誌「一音成仏」第47号 2017年)によると1252年の「十訓抄」から1408年の「山科教言卿記」までは実際に尺八が吹かれていたという史料はない。
 
 
 
 
山口氏の空白期間はずいぶん長いですが、およそ百年、
空白! 消息は跡絶える! 実体は不明!
Blank! Disappear! Unknown!
 
ということで、上野氏の言う13世紀半ばから14世紀半ば、歴史上何が起きたのか調べてみました。 
I looked into what happened in history from the mid-13th century to the mid-14th century.
 
 
12~13世紀といったら鎌倉時代。本格的な武家政権による統治が開始した時代です。鎌倉時代から室町時代にかけては芸能史的にみても、貴族社会を中心とした芸能が衰退して行く一方で、庶民の中から新たな諸芸能が誕生し発展していった時代でもあります。
 
 
 
 
1247年からスタート♪
1247年 宝治合戦(鎌倉幕府の内乱 Civil war)
 
 
1257年 関東地方南部 M7 なんといきなり大地震 big earthquake!
 
 
1268年 北条時宗が執権に就く。
 
 
1272年  二月騒動
(蒙古襲来の危機を迎えていた鎌倉と京で起こった北条氏一門の内紛 Infighting)
 
 
元寇(蒙古襲来 Mongolian invasion)
 1274年  文永の役
 1281年  弘安の役
(当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国<元朝>およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称)
 
 
1285年 霜月騒動(岩戸合戦)(鎌倉で起こった鎌倉幕府の政変 Political change)
  
1293年 平禅門の乱 (鎌倉で起こった政変 Political change) 
 
 
1293年 鎌倉大地震 なんと再び大地震 big earthquake!
(関東地方南部に被害をもたらした地震。震源域は鎌倉周辺、規模はM7以上と推定23,034人もの死者)
  
 
1305年 嘉元の乱 (鎌倉幕府内での騒乱 Riot)
 
 
1331年 - 1333年元弘の乱
(鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内戦  National civil war)
 1331年 後醍醐天皇、山城国笠置山で挙兵する。
 1333年 5月11日 小手指原の戦い
 1333年 5月12日 久米川の戦い
 1333年 5月15日 分倍河原の戦い
 1333年 5月16日 関戸の戦い
 1333年 5月22日 東勝寺合戦。北条高時ら、自害して鎌倉幕府滅亡 
     Destruction of the Kamakura Shogunate。
1331年 光厳天皇が即位する(北朝の初め)
 
 
1331年 京都に天然痘が大流行していた。Smallpox outbreak
1333年 元弘の乱戦没者とみられる人骨が多数確認されているが結核であったことが判明。tuberculosis outbreak
天然痘、結核と感染症が流行っていた! 
 
  
1334年 建武の新政。後醍醐天皇による親政。
 
 
1335年 中先代の乱
(北条高時<鎌倉幕府第14代執権>の遺児時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱 Rebellion)
 
 
1335年- 1336年 延元の乱(建武の乱)
(後醍醐天皇の建武政権と足利尊氏ら足利氏との間で行われた戦い war)
 1336年 多々良浜の戦い
 1336年 湊川の戦いで、楠木正成が戦死。
 
 
南北朝時代
南朝
1348年 四條畷の戦い(南朝と室町幕府<北朝>の戦い war)
 
 
北朝
1338年 足利尊氏、征夷大将軍に補任され、京都に幕府を開く(室町幕府)。
 
 
1351年 観応の擾乱
(足利政権<室町幕府>の内紛によって行われた戦乱 war)
 
 
1361年 正平地震、大津波。南海トラフ沿いの巨大地震と推定 M8.3
ひゃ〜またもや大地震に今度は津波も!big earthquake and tsunami
 
 
1394年 室町時代はじまる
 
 
 
と、この約百年、内乱、内紛、蒙古襲来、政変、騒乱、戦い、戦乱、擾乱…とありとあらゆる戦争混乱を指し示す言葉が並んでおります。 
 
 
 
そして災害!
1257年、1293年、1361年と約百年の間に三回のM7以上の大地震!
And disaster! Three major earthquakes above M7 between 1257, 1293, 1361 and about 100 years!
 
 
 
加えて疫病!
天然痘、結核、古来からあるハンセン病に麻疹。
Smallpox, tuberculosis, leprosy, measles.
 
 
モダンメディア55巻11号 加藤茂孝 第 2 回「天然痘の根絶-人類初の勝利」によると、
「京都市左京区、京都大学の近くに百万遍という地名がある。お寺の別名である。すなわち、浄土宗大本山百万遍知恩寺。鎌倉時代末期、後醍醐天皇の時代(1331 年)に大流行していた天然痘 Smallpox を鎮めるためこの寺は百万遍念仏を行い、見事に鎮めて、天皇より「百万遍」の寺号を賜った。近代医学導入以前においては、染症の大流行時には、鎮静を祈祷のために読経(どきょう)が繰り返された。浄土宗・浄土真宗が隆盛した倉以降は読経の代わりに念仏が多くなった。この百万遍はその典型例である。1331 年といえば、後醍醐天皇にとっては失敗した倒幕運動の元弘の変を起こした元弘元年(8 月)である。この変により後醍醐天皇は岐島に配流になるので百万遍の話は 8 月以前の話である。2 年後の1333 年、天皇は隠岐島を脱出し、足利尊氏、新田義貞の挙兵により鎌倉幕府は崩壊する。疾病と戦乱は、いつの世にも人々を苦しめてきた。」
 
百万遍の読経で見事に鎮まったとのこと!
 
 
そして今現在はどうか調べてみたら4/7日のFBのとても有り難い法話↓
https://ja-jp.facebook.com/hyakumamben.chionji/photos/a.705541216285852/1442921125881187/?type=3&theater
 
 
そしてハンセン病、麻疹(はしか)は、
 
ハンセン病 leprosy・日本では、古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れたる穢れと考えられており、発症した者は非人身分に編入されるという不文律があった。これにより、都市では重病者が各地の悲田院や奈良の北山十八間戸、鎌倉の極楽寺などの施設に収容され、衣食住が供された。
麻疹 measles・古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られ、かつては「命定め」とよばれて恐れられたため、全国各地に麻疹に関する民間信仰が伝わっている。(wikipediaより)
 
 
 
 
戦争に、災害に、疫病に。。。
もうここまで来ると想像がつかないです。
みんなどうしてたの?
War, disaster, infectious disease. . .I can't imagine it anymore.
   
そして忘れちゃいけないのが宗教!
And religion!
 
 
まさにこの頃、続く戦乱で厭世観が強まり、魂の救済が求められるようになり、仏教の一般大衆化も進んだ。
The war that followed at this time resulted in increased pessimism, the need for soul salvation, and the spread of new Buddhism.
 
 
 
 
浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、などなど。
 
 
 
この頃描かれた絵画には、遊行聖 (Alms monk) が登場します。虚無僧(komuso)の前身といわれる暮露 (boro)もその仲間です。これらの絵について詳しくはまた次回。
融通念仏縁起絵巻
法然上人絵伝
一遍上人絵伝
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『一遍上人絵伝』(1299年)  国会図書館より
真ん中あたりにいる四人組みが暮露の集団と言われています。
これが虚無僧の前身?謎ですよね。
今後のミニ講座で解明していきます!
  
 
ここでやっと最初の疑問に戻りますが、
なぜこの百年間、尺八に関する史料が無いのか、まとめると…
 
 
 
平安期以降、尺八が雅楽で用いられる事は絶えて無くなっていた事が伝えられていおり、貴族社会を中心とした芸能が衰退して行く一方で、庶民の中から新たな諸芸能が誕生し発展していった。ということは権力の象徴である「文字」と「史料」が繋がることを考えると、この頃の尺八奏者たちは文字の持たない人々だった。書いた物を「所持する、保存する、持ち歩く」などしなかったので史料など残っていない!
そして、続く戦乱に政権交代、以前当然のようにしてあったものがすっかり無くなるという事が起きる変革期であった。大きな災害もそれに加担しているかと推測します。史料があったとしてもどさくさに紛れてどこかへいってしまったか、燃えてしまったか、消えてしまった。
 
 
 
 
そしてその百年後すぐの14世紀半ば、1358年に懐良親王よって書かれた『芳野拾遺物語』には尺八愛好の記事が書かれている。尺八は民衆から再び宮廷貴族社会へと戻ってきたのでは、と推測される論文が井出幸男氏の『中世尺八追考』によって記載されている。 
 
  
 
ま、よかったというか、なんというか。
 
 
 
 
それにしても、こんなに色んなことがあってもよくぞ生き延びたと褒めてあげたい尺八ちゃんです。
多分、このコロナ騒動でも生き残るかな…。
いや、古代尺八が消えたように、違う形で残るかもしれない…。
 
 
 
 
 
消えた百年、長かったですね。
 
話はもっともっと膨らんでいきそうですが、この辺りで…
 
 
 
ともかく、全ての人が救われるように新しい仏教が生まれたように、精神的にも皆が救われる、人の心を変える何かがこの困難で生まれる事を願いつつ、平等に全ての人が支援を受けれる事を願うばかりです。
 
 
 
 
...
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herbiemikeadamski · 5 years
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^). . . 10月28日(月) #仏滅(戊戌) 旧暦 10/1 月齢 29.4 #新月 年始から301日目(閏年では302日目)にあたり、年末まであと64日です。 . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠ろう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます😅. . 「マンデー症候群」でしょうか(;゚ロ゚)(>_<;アセアセ。 いつになく怠い月曜日です。。。_| ̄|○特に今朝は辛い。 それにかなり寒くなりました⤵電車ならまだ暖かでしょうか? . 月曜日は危険率いっぱいで大事な予定や仕事は月曜日ではなく 木曜日か金曜日に入れたほうがいいとか云われてますが正しく そんな感じわかる様な気がします。 . そんな1972年の今日は中華人民共和国から日本に贈られたパンダ の「カンカン」と「ランラン」が上野動物園に到着した記録があります。 47年前も昔のことなんですね('-')(,_,)今でもパンダ人気です。 . だからって今日は特に「パンダの日」としての記念日でも なんでもありませんがねσ(^_^;)アセアセ...パンダというと私は 二度ぐらい観に云った記憶がありますが両日とも沢山の人で . 目の前にまでは行けずに遠くの方で眺めていて何がこんなに 人の心を駆り立てるんだろうと不思議でしたけど、その人気は 今でも不動でしょうから驚きますσ(^_^;)アセアセ...そんな日です。 . まぁ~ボチボチ慌てずエンジンがかかるまで調子を見ましょう。 今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さい(^^ゞ “本日もご安全に参りましょう(^^)v”. . . ■今日は何の日■. #ABCの日.  Audit Bureau of Circulations (公査、機構、部数)  ABC(新聞雑誌部数監査機構)が日本で誕生した日を記念して設けられた日。  日本ABC協会は、新聞や雑誌などの発行部数を調べて正しい部数を発表する機関で、その数字は広告取引などの基本となるものだけに、果たす役割は大きい。 . #豆花記念日.  愛知県名古屋市などで飲食店の経営を手がける株式会社aito&Co.が制定。  同社が運営するコーヒーショップTHE CUPSで台湾の伝統的なスイーツの「豆花」(トウファ)を提供して、全国に広く浸透させるのが目的。  日付は10と28で「トウ(10)ファ(28)」と読む語呂合わせから。 . #おだしの日.  大阪府箕面市に本部を置き、各地に「おだし」にこだわった飲食チェーンを展開する株式会社太鼓亭が制定。  和食の要である「おだし」の正しい情報の提供と、美味しく、ヘルシーで体にも良い「おだし」の魅力を知ってもらうのが目的。  日付は「おだし」素材の代表格である「かつお節」の「燻乾カビ付け製法」を考案した江戸時代の紀州印南浦(現在の和歌山県印南町)の漁民、  角屋甚太郎氏の命日(1707年10月28日)から。 . #透明美肌の日.  美しい素肌を「透明美肌」と表現して、その大切さを再確認してもらおうと「美白の女神(ミューズ)」として知られる株式会社クリスタルジェミーの中島香里社長が制定。  日付は10と28で「透明美肌」と読む語呂合わせから。  英語ではclear skin day。 . #速記記念日.  1882(明治15)年のこの日に田鎖綱紀(たくりこうき)が、自ら考案した日本初の速記法の講習会を開催しました。  そして、この講習会からプロの速記者が輩出されたため、日本速記協会が記念日に制定しました。  ちなみに、当時の人々は田鎖のことを「電筆将軍」と呼んでいたそうです。 . #信濃町・霧下そばの日. . #群馬県民の日. . ●岐阜県地震防災の日. ●にわとりの日(毎月28日に設定されている記念日). ●鬼子母神の縁日(毎月28日に設定されている記念日). ●米の日(毎月8の日が付く日に設定されている記念日). ●鬼子母神の縁日(毎月8の日が付く日に設定されている記念日). ●チェコ独立記念日. ●ギリシャ参戦記念日. . #東京ラーメンショー(第11回).  日本最大級の野外ラーメンイベント。 . #東京モーターショー(第46回). 東京ビックサイトお台場エリア。 . #性いっぱい展. 夜のサンシャイン水族館 . #カルビー北海道大収穫祭.  東京都 千代田区 東京おかしランド。 . . ■今日のつぶやき■. #読書百遍義自ずから見る(#ドクショヒャッペンギオノズカラミル) 【解説】 どんなに難しい書物であっても、繰り返し読むうちに意味が自然とわかるようになるものだということ。 . . #1982年10月28日 #倉木麻衣 (#くらきまい) 【#歌手】 〔#千葉県〕 . . (金杉橋(かなすぎはし)) https://www.instagram.com/p/B4JEGMXFUiWJs6K4eW9vt3WZu--PL9Aha0AjSs0/?igshid=ag6yl7mxam5k
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kachoushi · 9 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選��とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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snowtale05 · 5 years
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ジャンル名「百合系ミステリィADV」とは『flowers』レビュー
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初めにこのゲームを人から勧められた時に引っかかったのは「百合系ミステリィADV」というジャンル名だ。なぜこの二つを掛け合わせたのだろう。
「flowers」は、全四部からなる百合をテーマにした連作ADVゲームだ。各篇は季節の名前を冠しており、2014年に第一部である春編がリリースされてから一年に一本のペースで続編が公開され、2017年に完結している。
身近に本作の熱心なファンがいたため評判の良さは以前から聞いていたが、四部作というハードルの高さに後回しにしていた。そしてつい先月、全編をワンパッケージにまとめたPS4版が発売されたとのことで意を決してプレイしたのだが、仕事と食事と睡眠の時間以外全てを捧げるほどのめり込んでしまい一週間足らずでクリアしてしまった。それどころか本編だけでは飽き足らず、今では卒業アルバムのような分厚さのアートブックや関連CDの収集まで始めている。この記事はレビューという体だが、本作を布教するための文章であり、また何故私が本作にここまでのめり込んでしまったのかを整理するための文章だ。
以降の本文では、出来る限りネタバレは避けたつもりが、レビューの上で必要と判断した内容には触れるため未プレイの方は注意して欲しい。特に「flowers」は前知識の有り無しで体験の質が変わってしまう内容であり、それこそ公式HPの情報すら見ないことを推奨する。
『flowers』のコンセプト
「マリア様がみてる」に影響を受けたという本作は、ミッションスクール(キリスト教主義学校)を舞台に��合を描くという王道な設定に挑んでいる。主人公である白羽蘇芳は、家庭内のトラブルから心に傷を抱え学校へも通えなかった事から対人能力への自信を失っている。そこで、学園側が仮り初めの友人を作らせ生活を共にさせる"アミティエ"という制度のあるミッションスクール「聖アグレカム学院」へ入学することとなる。つまり、社会生活で傷を負った者が世間から離れた場所で他者とのふれあいを通して回復していくというプロットだ。ここでいう他者とは同級生、上級生、先生など学園の様々な人たちを指している。本作は白羽が人間関係を広げていく姿を描いたもので、百合としては恋愛のみにとどまらず友情も含んだ物となっている。四部作という尺の長さをうまく使い、この二つの要素は片方が蔑ろにされることもなくバランスよく描かれている。結果的に人を選ばないリーチの広い内容になっていると言えるだろう。
あえてミッションスクールを舞台としているだけあって、本作は清楚で上品な雰囲気を強く打ち出している。グラフィックは淡い色調と細い線で描かれており、キャラクターは繊細で儚げな雰囲気を纏っている。私はADVは好んでプレイする方だが、ここまで甘美的なものは初めてで、慣れるまではなかなか話に集中できなかったほどだ。もしあなたが本作のパッケージイラストやCGイラストに惹かれるものがあるならば、「flowers」と相性が良い可能性が高い。グラフィックを手掛けるのはディレクターを兼任するスギナミキ氏であり、本作のコンセプトを端的に示しているからだ。グラフィック以外でもこだわりは強く、文章は地の文の割合が多めであるし、文体も硬すぎないがカジュアルとは思われないようにバランスがとられている。キャラクターはお嬢様ばかりというわけではなく皮肉屋やひょうきん物も混ざっているが、決して露悪的にならないよう一線引かれており上品さを失わない。本作は作り手の拘りが作品の隅々まで行き渡っており、方向性に共感できるならば素晴らしい体験になるだろう。
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イラストのクオリティは総じて高く印象に残るものが多い
『flowers』のゲームプレイとミステリ
ゲームプレイはADVとしてはかなりシンプルだ。プレイヤーは選択肢を選ぶことで物語を読み進めていくが、分岐は最低限に抑えられており、複雑なフラグ管理を求めるようなものではない。あくまで物語に没頭してもらうことを重視したスタイルだ。ただし特殊な点として、本作はジャンル名にミステリを含む通り、推理パートが発生することがある。
先に百合をテーマとする本作に、何故ミステリ要素が入ってくるのか説明する。それは人間ドラマを描くために「日常ミステリ」のフォーマットを使っているからだ。日常ミステリとは、犯罪事件ではなく、日常生活の中での謎を追う物語だ。このフォーマットの大きな魅力の一つとして、謎の内側に人の意外な本心を忍ばせておくことで、人間ドラマを最大限に演出することができるという点がある。「flowers」は白羽が人間関係を広げていく話であると前述したが、プレイヤーは主人公の視点で語られる物語を元に謎を解き、明かされる学友の心情と向き合い距離を縮めていく過程を共に体験することとなる。謎の内容は学園内での小さないざこざを解消するものから、学園の七不思議の正体に挑むなど幅は広い。また、その意外な真相に驚かされたり、どうしてそこまで気が回らなかったのかと後悔させられたりと、主人公の心情とシンクロして動揺してしまう場面もあった。これはゲームらしい没入度の高さをうまく使ったストーリーテリングで���るし、プレイヤー自身が苦労することで白羽と周囲の人物との仲が深まっていくことに説得力を与えている。少し遠回りなコミュニケーションをしているような印象も受けるが、奥手な白羽が意を決して他人と関わろうとする感覚が出ているとも言える。
推理パートが挟み込まれるのは、一つの事件において謎を解くための手がかりが全て揃ったタイミングの一度だけになっている。このとき、事件の筋を理解できているか確認するためにいくつかの選択肢が問われるので、無事正しいものを選択できれば、また次の事件の推理パートに到達するまで一直線に読み進めることができる。いわば、ミステリ小説の「読者への挑戦状」がインタラクティブ化されたようなものだとイメージしてもらえればいい。物語の進行を頻繁に止めてプレイヤーの干渉を促すようなものではなく、あくまでもミステリ要素は演出としての利用に留めており、人間ドラマを魅力的に描くことに注力している。
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最悪謎が解けなくても、四択の選択肢を連続で数回問われるようなものなので、全パターンを試してしまえば簡単に物語の続きを見ることができる
少し脱線するが、本作をプレイしながらとあるミステリ作家の「ミステリは書きやすい」という言葉を思い出すことがあった。これは、ミステリには必ず謎と解が存在していて、このフォーマットに当て嵌めて物語を作れば、必ず解が明かされる瞬間に盛り上がりが発生するし作品全体もそこへ向けて密度を高めていくことになるから、という事らしい。本作の推理パートは一作につき四回前後用意されており、その度に小さい単位の物語に決着がつくようになっている。このため、全体を通してメリハリがあり興味が牽引されやすい構成になっている。それだけでなく、シリーズ全四部を通して解明に挑む事となる大きな謎も存在する。つまり、目の前の事件、一作通しての物語、シリーズを通しての物語という三階層の物語が同時にじりじりと進行する形になっている。これは常に物語が前進している感覚を与える効果があり、私は優れた長期連載漫画を読んでいるときのように続きが気になってプレイの止め時を失ってしまった。言わば、フロー状態にプレイヤーが導かれるように物語構造によってレールが敷かれているのだ。このシリーズを通しての謎はもはや日常ミステリの規模を超えて恋愛物から乖離しかけるところまで行くが、制作側も自覚しているのかギリギリの所で留められている。しかしこの謎の存在感故、エンタメ性が高く万人に受け入れられ易い内容にまとまっており、むしろ長所と呼んでいい部分だと言えるだろう。
学園物としての『flowers』
ここまでミステリの話ばかりになってしまったが、事件が起きるのは物語が大きく展開する瞬間のみで、主に描かれるのはミッションスクールでの生活とキャラクター達の交流だ。アングレカム学院は山奥に建てられた全寮制の学院で、テレビすらないという世間から隔絶された場所だ。それゆえ、学院の生徒の娯楽は部活や趣味、しかし一番は学友とのお喋りになる。
本作の登場人物は趣味に傾倒している者が多く、会話の内容も気付くとディープな方面へ行ってしまう。一見大人しそうにみえる主人公の白羽も、書痴を自称するほどのビブリオフィリア兼シネフィルで、その手の話を語らせるとうるさい人物でもある。会話の中では実在する小説や映画の名前を挙げてキャラクター達が作品について語り合う。扱われる作品は夏目漱石などの近代文学から、「ダークナイト」といったごく最近の映画まで年代の幅は広い。恐らくよほどサブカルチャーに精通している人でなければ全ての内容を理解することは難しいだろう。しかし、本作を楽しむ上でこれらの作品を知っている必要は実はない。重要なのは、彼女らが紅茶やコーヒーを飲みながらマニアックな歓談をしている様子を眺めていると、だんだん一種の陶酔感が生まれ、まるで実在の人物であるかのように錯覚させる効果があることだ。ADVファン向けに言うなら、サイバーパンクバーテンダーシミュ「VA-11 HALL-A」において、バーに訪れた二次元のキャラクター達の世間話や明け透けのない性に関する話を聞いている際、そのギャップと共にリアリティが立ちあがってくるあの感じに似ている。こういった物語の本筋と関わらない雑談が本作は頻繁に差し込まれる。これらは一見純粋なフレーバーに思えるが、気づかぬ内にプレイヤーを作品の世界の中に引き込む効果的な演出となっている。
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クリントイーストウッドについて熱弁する主人公
寮生活ということもあり、夜にはこっそり人を集めて怪談が始まることもある。これは事件への接続として使われている部分もあるが、それを差し置いても本作は怪談への拘りが強い。登場回数は多く、場合によっては専用の挿絵まで用意されていることすらある。関連グッズのドラマCDでもお約束のように毎回怪談専用のトラックが差し込まれている。ここまで触れていなかったが、本作はキャラクターに声優によるボイスが吹き込まれている。声優による演技力の高い、抑揚の効いた語り口には引き込まれるものがある。キャラクター達の親密な雰囲気を感じさせる印象的な場面の一つだが、本作で可能な表現から算出された効果的な演出でもある。
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アングレカム学院は行事も多い。合唱、バレエ、演劇など様々な催しが用意されており、主人公等もこれらに参加することとなる。準備にて起こる事件や人間ドラマを超えた末に辿り着く本番シーンは、各編の最も盛り上がる場面の一つとなっている。ここではテキストボックスなどの常駐していたUIが取り払われ、制約のない特殊な演出で進行する。その内容は演目により様々だが、タイポグラフィ、イラスト、声優によって吹き込まれたボーカル曲などを組み合わせたリッチなものになっている。
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学院でのイベントについて幾つかの例を挙げたが、コストがかかっている場面もそうでない場面も、ADVというジャンルの特性をよく理解した演出がされていることが分かってもらえるだろうか。本作は「YU-NO」の系譜のようなストーリー分岐を用いるストーリーテリングは退化しているが、その代わりに表層的な部分での表現は非常に饒舌だ。本作が文学や演劇への数多くのリファレンスを持っていることを踏まえると、「flowers」は伝統的なテキストアドベンチャーとしての総合芸術的な作品だと呼びたくなる。「flowers」をプレイしていて感じる芳醇さ、贅沢さはこういった所に起因する物と考える。
『flowers』のテーマ
「flowers」は、学院での日常と、謎が生む非日常とを行き来する形で進行し、その過程で白羽が周囲の人たちと交友を深めていく様子が描かれる。しかし、なぜミッションスクールを舞台にする必要があったのだろうか。また、交友関係を描くにしても、なぜあえてミステリという手法を選択する必要があったのだろうか。それは、本作全体を通して語られるテーマと関係しており、このテーマこそが私が最も心を打たれた部分になる。
端的に言えば、本作のテーマは「はみ出し者たちが他者との相互理解の末に世界との向き合い方を見出す」というものだ。
アングレカム学院はミッションスクールであり、入学してくる者は良家のお嬢様が多い。しかし、その家柄故、強固な教育方針などで個人の意思を縛られて育ったことで、自尊心を欠いていたり悩みを抱える者がいる。また、世間から離れた、空気の澄んだ山奥に建てられた学院の特色から、病を持つ者が療養を目的として入学するケースもある。問題を抱えているのは主人公の白羽のみではなく、皆どこかで社会からはみ出してしまっていて、それぞれの葛藤を抱えている。
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そして、「flowers」の最も信頼できるところは、この登場人物達が抱える葛藤は徹底的に隠されていること、また、ミステリパートにおける謎解きによって直接この葛藤が明かされることはないことだ。
本作はミステリであり、物語は主人公の主観で語られる。このため他人の心の内がモノローグでプレイヤーに伝えられるようなことは基本的にない。また、ミステリパートで扱われる謎は、学院内で起こった事件で容疑者に挙げられてしまった学友の濡れ衣を晴らすなどといったもので、あくまで学友を助けることが目的であり、そこで犯人の心の内を積極的に暴くようなことは避けようとすらする。それこそ、事件の中には真実の追求を求めず、傷つく人が生まれない嘘の真実を構築しようとする話だってあるのだ。
日常ミステリは「謎の内側に人の意外な本心を忍ばせておくことで、人間ドラマを最大限に演出することができる」と前述したが、実の所これは諸刃の刃だ。ミステリはその構造上、外的な痕跡から他人の心を推測してそれが真か誤りかといったやり取りをすることになるが、そうやって他人の心の内を明け透けにさらしてしまう事は冒涜的な一面がある。こうしたところにこのジャンルへ苦手意識を持っている人は多くはないがいるのでは無いだろうか。
その点において、本作は一貫して他者の神聖な領域を侵すことを拒んでいる。私は小説やゲームにおいてもミステリは好きなジャンルでどちらかと言えばよく触れる方だが、ここまで優しい手つきのミステリは見た事がない。
こういったスタンスを取る事で、ジャンルとしての面白さが失われているのではないかと思われるかもしれない。しかし、本作はミステリのみを主軸においた物語ではなく、推理パートは全体からすればほんの一部で、プレイヤーがインタラクションできない日常パートで充分にドラマは語られている。そして、ずっと見守って来たプレイヤーの分身である主人公が、学友を気にかけて探偵役を買って出るとき、プレイヤーは謎解きを行う事でその背を押す事ができる。これまで語られてきた物語を通して彼女らに親密さを覚えていたなら、これは非常に重要なインタラクションになる。
日常生活や事件を通して彼女らの信頼関係が構築されていき、その末に、彼女らは悩みを打ち明け互いを受ける事で、葛藤を克服し社会と向きあう力を得る。これは、一般的な百合をテーマとした物語へ回帰するように、プレイヤーの手を離れ俯瞰的な形で語られる。しかし、主人公の目を通してよく知った登場人物達が立ち直る姿には強く心を打たれるものがある。
「flowers」がミッションスクールを舞台とするのは、キリスト教の禁じる同性愛を扱う作品であるためではない。本作では自身が同性愛者であること自体に強く悩んでいる者は登場しない。しかし、他人に打ち明けられない悩みや葛藤を抱えるもの達が、密かにそれを共有しあい世界と向きあう力を獲得する場所として機能している。またミステリは、他人の心を暴くためのものではなく、むしろ他人の不可侵の領域を強調することに機能しており、尊敬を持った上で近づこうとする意思を示すためのものだ。この他者との距離感を重んじた姿勢で描かれる回復の物語こそが「flowers」の唯一無二の魅力であり、「百合系ミステリィADV」というジャンルが達成した物だ。
最後に
「flowers」は一見甘美的すぎるし、百合という題材からニッチなゲームと思われるかもしれない。しかし、描かれるストーリー、テーマは誰もが共感できる普遍的なものであるし、ミステリを通してプレイヤーを物語から置き去りにはしない。多くのADVファン、キャラクターゲームファンに手を取って欲しい一作だ。
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nemosynth · 6 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と���複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時に��テルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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その生涯において、3度もの「奇跡」を起こした樋口季一郎。彼はどんな状況においても、「日本人として大切にすべき人道」と「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を失うことはなかった。樋口を通して見えてくる、当時の日本の「真実」とは何であったのか。
樋口季一郎は、なぜ「3つの奇跡」を成し遂げられたのか
 日本はなぜ「あの悲惨な戦争」に突入したのか――それについて戦後の日本人の多くが暗黙の前提にしていたのが、「陸軍悪玉論」でした。日本陸軍こそが暴走と謀略を繰り返して、日本を「泥沼の戦争」へと導いたという見方です。しかし、歴史をそんな単細胞的な「悪玉論だけ」で語ること自体が、そもそも間違いです。ようやく多くの日本人がそのことに気づいてきたようで、歴史の真実を見直そうとする動きが、今あちこちで現れています。
 当時の日本陸軍、あるいは当時の日本の「真実」とは何だったのか。それに迫ろうとするときに、非常に価値ある大切な「歴史の素材」となるべき人物がいます。終戦時に第五方面軍司令官を務めていた、樋口季一郎中将です。
 樋口季一郎の名は、あまり知られていないかもしれません。しかし彼は、まさに「奇跡」ともいうべき3つの事例に関与しています。
 1つ目は、昭和13年(1938)、満洲のハルビン特務機関長在任中に、シベリア鉄道経由で欧州から逃れてきたユダヤ人難民を、満洲国に働きかけて救出したこと。2つ目は、昭和18年(1943)、北方軍(���の第五方面軍)司令官在任中に、圧倒的なアメリカ軍の包囲下、玉砕を目前にしていたキスカ島の日本軍守備隊6千名弱の将兵を隠密裏に撤退させるという「奇跡の作戦」を成功させたこと。3つ目は、昭和20年(1945)、日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、終戦後にも侵攻を続けたソ連軍に対して「断乎反撃」を命じ、その野望を砕いたことです(北千島の最北端の島・占守島での勝利、そして樺太での奮闘によって、北海道は辛くも護られたのです)。
 いずれも、容易に成し遂げられることではありません。なぜ、樋口にはそれが可能だったのでしょうか。
 樋口は明治21年(1888)、淡路島に生まれます。家業の廻船問屋が零落したこともあって学費の安い陸軍幼年学校を経て、明治42年(1909)に陸軍士官学校(21期)を卒業し、陸軍将校としての道を歩み始めます。その後、歩兵第一連隊での勤務を経て、第一次世界大戦中に陸軍大学校に入学しています。
 樋口はドイツ語など多くの言語に通じ、終生語学を得意としましたが、陸軍大学校ではロシア語を割り振られます。これは樋口の生涯にとって、きわめて重要な意味を持ちます。なぜなら当時、陸軍の主敵はロシア(ソ連)であり、しかも陸大在学中(1915年~1918年)にロシア革命が起きているからです。さらに、彼が陸大を卒業した月(1918年11月)に、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれます。つまり、その後の日本の歩みに重くのしかかってくる「世界革命と総力戦」の時代に、樋口はその圧力を最も鋭く受け止めざるをえなかった陸軍のロシア畑を歩むことになったのです。
 陸大卒業後、樋口は情報将校としてインテリジェンスに携わり、大正14年(1925)から3年間、ポーランド公使館付武官を務めます。その時、ダンスを学んで名手となり、社交界で人気者となったことで、大いに人脈を広げました。西洋人との社交界での付き合いを苦手とする日本人も多いなか、樋口一流の柔軟さが見て取れる逸話です。
 当時、ソ連とドイツに挟まれたポーランドは、インテリジェンス活動に大変な力を入れており、ポーランド陸軍はソ連・ドイツ両国の暗号解読に大きな成果を挙げていました。実は樋口のポーランド在任と時を同じくして、樋口と陸軍士官学校の同期である百武(ひゃくたけ)晴吉がポーランドで暗号研究に取り組んでいます。これにより日本陸軍の暗号技術はきわめて高度なものとなりました。
 大東亜戦争中、ミッドウェ���海戦の大敗でも明らかなように、日本海軍の暗号は連合軍にほぼ完全に解読されており、海軍の作戦計画はすべてアメリカ側に筒抜けでした。これこそ日本の敗戦の最大要因といってよいでしょう。一方、日本陸軍の暗号は最後まで解読されず、逆に陸軍はソ連の軍事暗号をかなりの程度解読できていたのです。
 樋口が広げたポーランドでの人脈が、このような優秀な陸軍の暗号システムを築くことになる百武の活動を支え、また日本とポーランドが暗号解読を含む機密情報をやりとりできる関係――国家間で最も探い信頼関係――を結ぶ大切な素地となったのでした。
 樋口の柔軟さは、淡路島に生まれ育ったことと無縁ではないのかもしれません。関西出身の私は、淡路島の出身者と聞くと、社交的でまろやかで、常識に長けていて明るい人物をイメージします。零落した商家の一人息子という点も重要です。樋口の慎重さや理性的な側面、また組織の壁にも挫(くじ)けない独立心と自我の強さは、この境遇に由来するところも多いはずです。
 そんな樋口が、高い知性と合理的な思考を求められるインテリジェンスという仕事に就き、多くの人的交流の機会に恵まれ、豊富な海外経験を積んだことは、きわめて重要なことだと思われます。あの時代のワルシャワや、樋口がよく訪れたウィーンなどの中欧(中部ヨーロッパ)には、近代西洋文明の最後の輝きがありました。日本人としてこのような「場」に触れた感受性の高いエリートは、翻って「日本はどうか」「日本の大切なものとは何か」を考えるようになります。強固な愛国心と共に、必ずや、日本人が失ってはならない普遍的な「人間性」や「人としての心」に目を向けることになるのです。
 このような経験のなかで自らを磨いていくことで、樋口は「広い視野」と「日本人として大切にすべき人道」、そして「合理的な思考に立脚した正しい決断力」を身につけていったのでした。
「人道主義の名において、私は衷心悲しむ」
 昭和12年(1937)、樋口は「関東軍の情報部長」ともいうべきハルビン特務機関長になります。そしてこの地で、ユダヤ人難民救出事件――いわゆる「オトポール事件」に直面することになるのです。
 当時、ナチスの迫害が吹き荒れる欧州からシベリア鉄道経由で逃れてきたユダヤ人難民の満洲への入国を、ナチス・ドイツの顔色を窺(うかが)う日本の外務省への遠慮から満洲国が渋り、満ソ国境の町オトポールで多くのユダヤ人が立ち往生していました。その窮状をハルビンの極東ユダヤ人協会から訴えられた樋口は、満洲国に働きかけて入国を認めさせ、彼らの脱出ルートを切り開いたのです。これは有名な杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」の話よりも、さらに2年ほど前のことです。また樋口は、ハルビンのユダヤ人たちが開いたこの事件への謝恩大会で、「今日、世界の一隅においてポグロム(ユダヤ人虐待)が行なわれ、ユダヤに対する追及または追放を見つつあることは、人道主義の名において、また人類の一人として私は衷心悲しむ。ユダヤ追放の前に彼らに土地すなわち祖国を与えよ」と演説しました。
 これらは、当時の状況では、決して容易なことではありません。当初、満洲国や外務省が入国を拒んだのは、ナチス・ドイツと防共協定を結ぶ関係にあったことを慮(おもんばか)ってのことで、現に、ナチス・ドイツは樋口を名指しして日本に公式に抗議していますし、陛軍内部でも樋口の処分論が高まります。
 また、もう1つ忘れてはならないのは、当時日本でも「ユダヤ陰謀論」が根強く唱えられており、陸軍内部にも四王天延孝(しおうてんのぶたか)将軍などをはじめとして、それに加担する一派が存在したことです。これは事実として誤っていただけでなく、日本の進路にとって大いに問題のある議論でもありました。というのも当時、日本のマスコミ界ではとくに「ユダヤ金融資本の陰謀」を書き立てる傾向が強く、それがまた、「反英米」感情の火に油を注ぐ結果となっていったからです。さらに、そもそもベルサイユ会議(1919年)以降、「人種平等」を国是のように唱えていた日本が、本来ならば最も唾棄(だき)すべき「人種差別主義者」ナチス・ドイツと手を結ぶ下地にもなってしまったのです。
 このような状況下で、「日本も満洲もドイツの属国ではないのだから、ドイツの(ユダヤ人差別という)非人道的な国策に協力すべき理由はない」と明言した樋口の勇気ある姿は、その人物の大きさと共に、日本人としての誇りを感じさせてくれます。
 ハルビン特務機関長の任を終えた樋口は、陸軍のインテリジェンスを手掛ける参謀本部第二部長や、金沢の第九師団長を務めた後、昭和17年(1942)に札幌の北部軍(後に北方軍、第五方面軍)司令官に赴任します。これは決して軍の中枢とはいえないポストですが、この軍司令官時代に、樋口はアリューシャン列島のアッツ島・キスカ島の戦い(昭和18年)と、占守島の戦い(昭和20年)という重要な局面に立ち向かうことになるのです。
 それぞれの戦いの詳細は別稿に譲り、ここではその意義を述べたいと思います。
 アッツ島・キスカ島は、昭和17年6月に、ミッドウェー作戦の陽動作戦として、海軍の要請で占領したものです。しかし、海軍はミッドウェー海戦で大敗。そして翌年5月には、アリューシャン列島でも米軍の本格的な反撃に直面します。樋口は、アッツ・キスカからは早急に撤退させるか、そうでなければ強力な増援部隊を送るように大本営に強く働きかけますが、この申し出を、海軍が「燃料不足」などの理由から蹴るのです。
 当時、海軍大佐として軍令部作戦課におられた高松宮宣仁親王も、昭和18年5月22日の日記で、「熟田(引用者註 : アッツ島の和名)ノ守備(隊)ヲ犬死サセル必要ハアルマイニト思フ」と嘆いておられます。このお言葉は、重く響きます。これは戦後あまり指摘されませんが、海軍は当初、陸軍に派兵を要請しながら、結果的に見殺しにしたのです。ミッドウェーですっかり自信をなくした海軍の上層部は、当時まだ十分な(空母)機動部隊を有していたにもかかわらず、むやみに損害を恐れてアッツ救援のための出撃を拒否したというのが真相です。
 大本営からアッツ島守備隊への玉砕命令が下ったとき、樋口は号泣したといわれます。もちろん、現場の指揮官として2千6百名の部下を玉砕させることへの強烈な自責の念であったでしょう。しかしそれだけでなく、海軍の不条理さによって増援部隊を送れないことへの怒りの涙、そしてそれを撥ね返せない陸軍参謀本部の不甲斐なさへの悔し涙でもあったのではないでしょうか。
 樋口はそこで、「アッツ島の将兵を見殺しにするのならば、せめてキスカ島からの撤収作戦には海軍が無条件の協力を約束せよ」と大本営に頑強に迫ります。キスカ島の将兵6千の約半数は海軍陸戦隊でしたから、海軍も「身内可愛さ」から必ず覚悟を固めるはず、という読みもあったからです。この樋口の強硬な主張があったからこそ、「世界戦史上の奇跡」ともいわれるキスカ撤退作戦が実現したのです。
 そしてもう1つ、樋口が第五方面軍司令官として最後に下した決断が、「北海道の占領」をめざし終戦後にも国際法を破って侵攻を続けるソ連軍に対する、断乎たる反撃でした。
 そもそも日本は終戦時、「整然たる降伏」にこだわりすぎました。停戦後に一番危険なことは、丸腰になった味方が殲滅され虐待されることであり、武装解除した後に行なわれる敵の不法な行為によって、決定的に国益が侵されてしまうことです。簡単に武装解除せずギリギリまで条件交渉すべし、というのが世界の常識なのです。
 にもかかわらず、大本営は8月16日に戦闘行為の即時停止を命令、そして「8月18日午後4時以降は、自衛目的の戦闘行動も全て停止」と命じます。「自衛目的の戦闘も停止」など、本来ありえないことです。自衛権は、いつ、いかなる時でも許される「人類普遍の自然権」だからです。戦後日本の「倒錯と自虐の精神」の萌芽が、すでにこの時点で現われているかのようです。
 それゆえ、広い世界的視野に基づく合理的思考に立脚してその誤りを排し、正面から反撃を加えてソ連軍撃退をやってのけた樋口は、やはり「独りよがりの世界観」から一歩抜きん出た存在だったといえます。日本を「分断国家の悲劇」から救った樋口のこの判断に、すべての日本人は感謝すべきでしょう。
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splitterselbst · 2 years
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二百十日
9.18
明日、大きな台風が来るという。
九州ではすでに大変な雨を降らせている。
電車も明日は「計画運休」をアナウンスしている。
夏目漱石の「二百十日」という作品を思い出した。
 
 
「二百十日」というのは暦のひとつ。
立春から210日目の日で、9月1日ごろに当たる。
台風、荒天の多い日とされる。
「思い出した」といっても本当はほとんどおぼえていない。
小さい頃、寝る前に父親に読んでもらった話のひとつだった。
児童向けの漱石集の中に入っていたのだと思う。
嵐の日に男二人が山登りをして、片方が穴か何かに落ちて怪我をして…それだけ印象に残っている。
 
 
いま「青空文庫」https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/751_14958.htmlでざっと斜め読みしてみる。
山は阿蘇山だった。
男二人というのは「圭さん」と「碌さん」。
地の文はわずか、ほとんど二人とほかの人物の会話分だけで物語は進む。
冒頭近く、圭さんが馬の蹄鉄を替えるところを見物したと話す。
馬が爪を削られておとなしくしているのに驚いたという。
怪我をするのはその圭さんで、あとで谷に落ち、自分が生爪をはがすことになる。
 
 
「しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗だね。ぴちぴち火花が出る」
「出るさ、東京の真中でも出る」
 
 
二人のトボけたやりとりがこんな調子でつづく。
豆腐屋の生まれだという圭さん。
 
 
「僕のうちの吉原揚(よしはらあげ)は旨かった。近所で評判だった」
 
 
この圭が、しかし終始、華族と金持ちへの批判を口にしつづける。
 
 
「えらい者た、どんな者だい」
「えらい者って云うのは、何さ。例えば華族とか金持とか云うものさ」と碌さんはすぐ様えらい者を説明してしまう。
「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」
「その豆腐屋連が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中のような顔をしているから駄目だよ」
「だから、そんなのは、本当の豆腐屋にしてしまうのさ」
「こっちがする気でも向がならないやね」
「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」
 
 
明確に社会主義的な主題で書かれた作品のようである。
宿の下女との場面が挟まる。
 
 
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情なさけない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」
 
 
下女はいま阿蘇山の活動が活発で、こういうときは「よな」(火山灰)が多く降ることを二人に告げる。
碌さんは気が進まないが、圭さんは登りたがり、翌日決行する。
登山の途中、二人は強い��風に遭う。
灰まじりの雨に汚れ、風に帽子��飛ばされる。
 
 
「あの煙と、この雨を見ると、何だか物凄くって、あるく元気がなくなるね」
「今から駄々だだを捏ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく煙の出てくるところは」
「そのむくむくが気味が悪るいんだ」
「冗談云っちゃ、いけない。あの煙の傍そばへ行くんだよ。そうして、あの中を覗き込むんだよ」
「考えると全く余計な事だね。そうして覗き込んだ上に飛び込めば世話はない」
 
 
碌さんの方は足裏にできた豆がひどく痛む。
 
 
「そうさな。もう少しこの路を行って見ようじゃないか」
「うん」
「それとも、少し休むか」
「うん」
「どうも、急に元気がなくなったね」
 
 
雨風は強まる。
道もはっきりしない。
圭さんは見晴らしのいい丘に登り道を確かめてくると、ひとりで行く。
それでちょっとした事故に遭う。
 
 
「おおおい。どこだ」
「おおおい。ここだ」
「どこだああ」
「ここだああ。むやみにくるとあぶないぞう。落ちるぞう」
「どこへ落ちたんだああ」
「ここへ落ちたんだああ。気をつけろう」
 
 
溶岩が流れた跡だという谷に圭が落ちた。
簡単には上がれないらしい。
日暮れも近づく。
話が分からないなりに、この切羽詰まった感じと一貫したオフビート感のないまぜになった奇妙な印象だけは、私の記憶に植えつけられていたよう。
 
 
時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼(せま)る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛(いくまんごく)の煙りは卍のなかに万遍なく��き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。
 
 
碌さんの助けで圭さんはどうにか谷から這い上がる。
最後の場面は翌日の宿での会話。
 
 
「あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」
「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
 
 
エゴイズムが主題とよくいわれる漱石だが、こういうテーマも扱っていたわけだ。
数少ない漱石作品の読書経験の中で、「坑夫」もまたそういえば、とおもう。
こんなのを寝る前の読み聞かせに本当に読んでいたのかと思うが、子供向けに端折った本だったのだろうか。今度実家で確認しよう。
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