#訪問リハビリ
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厚生労働省の文書に記載があるように、新しい介護報酬改定の内容や、運営の基準の施行期日は令和6年4月1日又は6月1日ということでまだ確定はしてい��い状況です。
令和6年(2024年)介護報酬改定の運営基準案 全文(2023年12月4日時点)も出ています!
#介護保険#介護#ケアマネ#介護施設#介護福祉士#高齢者#ケアプラン#看護師#医療#介護報酬#介護報酬改定#2024年#令和6年#訪問介護#通所介護#デイサービス#デイケア#訪問リハビリ#特養#老人ホーム#病院#厚生労働省
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カミさんが杖をついて歩く訓練をしています。川上村訪問看護ステーションから週2回程理学療法士さんが来ての訪問リハビリです。私がバイトで不在の日に様子見を兼ねながら来てもらってます。今日は先方の都合で私が休みの日に来られたのでスマホでパチりました。舗装された平らな道ではなく、石ころがゴロゴロした坂道なのでリハビリ効果は高いそうです。3人の療法士さんが交代で来てくれてますが、皆優しい人達でよかった。カアちゃんもガンバレ!(2024/10/11)
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やることは尽きないけれど
終わった…何もかも…
長きに渡る介護生活が終わりまし���。母親が5年前に膝を骨折(2か月ぐらい歩けなかったけど復活したのでちょっとした補佐)、4年前に腕の骨折(右腕だったので身体介護本格化)、2年前には腰椎圧迫骨折で介護生活本番突入しCOVID-19の影響もあって夜の外出など高嶺の花になってしまってました。それでも3か月に一回ぐらいは出かけたけどほぼ飲まずに一次会で帰る、泊りがけの温泉旅行などもってのほか、日中と言えども出かける前は「行っちゃうの…早く帰ってきてね…」と縋るオンナ(母親)に縛られてたワタシ。
たまにやむを得ない用事で家を空ける時は友達に頼んで見に行ってもらう手はずを整えました。こういうときは友達よね。そりゃネットの友達も好きだけどこの場合リアルで近くに住んでる友達しか頼れないよねと再認識しましたね。
そんな今年4月末のある日、母が黄色い。
かわいいヒヨコ色じゃなくて黄疸で黄色い。病院へ連れてったら膵臓に腫瘍がありますと。腫瘍が胆管をふさいでて全身が黄色くなりましたと。膵臓の腫瘍は置いといて今回は胆管を通しましょう、と素早く手術してくれたドクターありがとうございました。内視鏡での胆管ドレナージ、これ昔ならこのまま終わりだったなあと思いました。現代医学って素晴らしい。
とはいえ膵臓ですから。すい臓がんっつったらあっちゅうまで有名ですから「こりゃ2,3か月か!」と介護生活の終わりが見えた瞬間でした。母親ですからずっと生きててほしいけど今の介護生活がいつまで続くのかと自分も多少疲れてきた時期ですからがんの発覚は厳しいながらもゴールが見えた、そんな宣告でした。この後はこれは神様がくれたオマケだ。今まで介護しながら一緒に生活してきたから思い残すことはないと言いたいがさすがに今今これでお別れだった���急すぎて悔いが残った。これからの2,3か月は心の準備をしながら、お別れの準備をする神様がくれた時間だ。そう思いました。
さあこれからどうする。お母さんどうしたい?
母は元ナースということもあって病気には冷静に対処できる人間。「膵臓に腫瘍が」と口にしただけで「あー、はい」という感じで受け止め、そのくせ「家で死にたあい」と甘えたように言うのでありました。
一言で「家で死ぬ」ったってねアナタ。
周りが大変なのよアナタ。私ひとりじゃ無理よ。妹に確認する。「うん、それが望みならかなえてあげたい」との返事を受けてんじゃやるかと。私も介護福祉士でありケアマネージャーであるからにはプロとして娘としてプロの娘としてできる限りやりましょう。もしかしたら今まで数々の方を看取ってきたのはこの日のためだったのかも。集大成として挑みましょう。って言うほど決意はそう重くなかった。何とかなるだろ、くらいでしたね。だてに20年から介護福祉の仕事してませんよ、いけるでしょ、ぐらいでした。実際そうなりました。
胆管ドレナージの後は1週間であっさり退院して帰宅、家に戻ったからには準備が必要です。たまたま母が長年かかってた病院が在宅診療をやっていました。手術してくれた医師の診療情報提供書を持って伺います。私が元勤務してた病院でもありますからいつものように訪れます。
ワタシ:ちわー、母が家で死にたい言ってます。膵臓癌です。これお手紙です。
病院の返答:在宅診療は可能です。今の状態は?
ワタシ:今は元気です。痛みも無いし自分で身の回りのことはできます、食事も摂れています。
病院:ではタイミングは娘さんに任せます。様子を教えてください。
というわけで5月中は今までと同じような生活、むしろ食欲もわいて元気なイメージでしたが下旬になると息切れや倦怠感の強さが目立つ。入浴は何年も私が介助していたけど動きが悪くなってきたので6月1日を最後に訪問入浴に切り替えました。
そのタイミングで医師に相談。訪問看護は以前からリハビリ目的で利用していたのでそのまま移行し6月半ばには在がん開始となりました。
※在がんとは、 居宅で療養している末期の悪性腫瘍患者に,在宅療養支援診療所(在支診),在宅療養支援病院(在支病)が計画的な医学管理の下に総合的な医療を提供するもの。介護保険から外れて医療保険の範疇になり、訪問診療・訪問看護が包括的に行われます。費用も上限が決められますが人によりますのでケアマネさんに相談���てください。
※家で死んだ場合、突発的な場合はパトカー・救急車から消防車から総動員で家の前に停まって近所の話題になったり取り調べで遺族なのに嫌な思いをしたりすることもありますがこうして事前に準備を整えておくと警察沙汰にはなりません。←ここ一番大事
どんな場合も介護の在り方について希望を叶えるためには、ケアマネに正直に遠慮なく、「こうしたい」という希望を伝えるのが大切です。そしたら希望を叶えるべく動きます。今回は母のケアマネジメントも私がしているので手順が省けました。ダイレクトに関係機関に伝えることができて良かった。
早め早めの対応で、本人が不安なく過ごせて終えるように整えることができて私も本望です。
妹も身体介護がとても上手になりました。ヘルパーさんできるよ!とけしかけていますが「他人には無理」と言います。
私は他人で経験を積んでの母親だったから恵まれてたかも。冷静に対応できたと思います。不安にならないように冷静に。穏やかに。「大丈夫だよ」っていつも安心させて手を握って。
でも時々、油断すると5歳の私が頭をもたげる。顔がゆがむ。
おかあさん。しなないでおかあさん。そんな泣き顔を見せるわけにはいかないけどでもおかあさん、しんじゃいやだとさけぶ私もいる。
何とか押し込めて穏やかに笑顔を見せて。その繰り返しでした。
で、看取りが終わって骨になって、訪ねてくれる人のお相手をして手続きもこれからでまだ忙しいですがまずは終わりました。やりきったので悔いも悲しみもないんですよ。清々しいほど無いんです。ただ、あの人がいらしてくださいましたよ、お電話頂きましたよ、と報告したい母がそこにいないので行き場がないですね。
母が嫌いだった人の悪口も一緒に言えませんしね。「いやいやお母さん!〇〇さん来ちゃったよ!」って教えてあげたいw
これからは解放感と自由を満喫して、そのうち襲ってくる寂しさも受け止めてまだまだ働いて生きていきますよ。
俺、すべて終わったら八戸に行くんだ・・・・フェリー座礁してたな・・・
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体操女子でパリ五輪代表の宮田笙子(19)が、喫煙行為などで行動規範に違反したとして代表を辞退した。その際、法律で飲酒が禁じられている年齢にもかかわらず、東京都北区にある日本のトップレベル競技者用トレーニング施設・『味の素NTC(ナショナルトレーニングセンター)』内のアスリートヴィレッジで飲酒行為をしたことも発覚した。 「発端は内部からの告発でした。五輪辞退については、『処分が厳し過ぎる』という声もあがっていますが、おそらく、NTC内での飲酒がなかった���、もう少し軽い処分で済んでいたはずです。NTC内での飲酒を見過ごすことにより、他の競技のアスリートにも示しがつかなくなるので、見せしめ的な意味の厳罰となったようです」(スポーツ紙の五輪担当記者) NTCは’08年に開所した。NTCの開所以前は、同所に隣接する国立スポーツ科学センター(略称・JISS)がトップアスリートたち活動拠点だったが、なんと同所はトップアスリートたちの間では〝出会いの場〟として知られていたという。 「古くは、モーグルの上村愛子(44)とアルペンスキーの皆川賢太郎(47)がリハビリ中に愛を育みゴールインするなど、JISSでの出会いで誕生したアスリートカップルは少なくない。かつて『FRIDAY』が卓球の福原愛(35)と錦織圭(34)とのデート現場を報じたが、福原が同所で錦織を〝逆ナン〟したことが交際のきっかけだったようだ」(ベテランスポーツライター) JISSで出会っても、普通に交際するなら問題はない。しかし’18年2月には、今回のパリ五輪の柔道男子73キロ級で五輪初出場を果たし、金メダルが期待されている橋本壮市(32)が、同月にJISSで行っていた個人分散合宿中、JISS内の宿泊施設へ知人女性を無断で招き入れたことが発覚。全日本柔道連盟から、強化ランクAからBへの降格、19日から半年間のJISSおよびNTCの利用と立ち入り禁止、同期間の全柔連による国内外での強化事業への参加費用を自己負担などの厳しい処分を下された。 また同年10月にはNTC内でとんでもない不祥事が起きたことが発覚してしまったのだ。 「その時点で男子のバドミントン世界ランク1位だった桃田賢斗(29)と女子ダブルスの世界ランク1位の福島由紀(31)が、NTC内の宿泊施設・アスリートヴィレッジで二人きりの逢瀬を楽しんでいたことを、『週刊新潮』が『夜這いシャトル事件』という衝撃的な見出しで報じたのです。 記事によると、同年5月の強化合宿中、福島は自分の部屋を抜け出し、桃田の部屋を訪れていました。発覚したきっかけは、ドーピング検査です。早朝6時、検査員が福島の部屋に行くも不在で、心配したスタッフが施設内の防犯カメラの映像を確認すると、桃田の部屋にいたことが発覚。しかし、日本バドミントン協会は、二人に口頭で注意するだけという処分でした。記事が出た後、桃田のみが謝罪しています」(先の記者) ’16年のリオ五輪では金メダルが期待されていたにもかかわらず、先輩に誘われて違法カジノ店に複数回行ったことが発覚して代表入りを逃した桃田。’21年の東京五輪でも、予選リーグで敗退となった。一方、福島は東京五輪の女子ダブルスに出場するもベスト8で敗退。二人そろって〝五輪の女神〟に見放されてしまった形だ。 そして、今回の宮田の件でこれまでの問題のときにもあった、選手に対する施設の〝アスリートファースト〟の姿勢への疑問の声が再びあがっているのだという。 「アスリートたちが快適に過ごせるよう、彼らの自主性にまかせて部屋でのプライバシーが守られていることをいいことに飲酒・喫煙をしているアスリートは少なからずいると聞いているし、柔道、卓球、水泳、球技など、昔から顔なじみの男女のトップアスリート同士の施設内での逢瀬も聞き覚えのある話でしょう。 練習で疲れて寝てしまえばそんなことをするヒマはないはずです。ところが、NTC・JISSからほど近い繁華街である赤羽には、多くのアスリートのサインか飾られた焼き肉店があるんです。そこでたらふく食べてチャージすればスタミナ回復。そのまま施設に戻っても寝られるはずがないので、そのまま〝夜練〟へ突入することが頻発しているといいます。猛練習で余計なことを考える時間を与えないようにするのが不祥事をなくす唯一無二の手立てだという気もします」(施設を利用したことがある競技団体の関係者) 今後はアスリートたちの施設利用の基準が、見直されることになるかもしれない。
「焼き肉から〝夜練〟」宮田笙子飲酒問題で再燃しそうなナショナルトレーニングセンターの選手至上主義(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
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マスク
2023.3.30
・
今日は外出先でも3年ぶり?
マスクなしで1日を過ごしました。
在宅勤務を終えて
役所手続きをしに行き
近くをぶらぶら歩いて、、
・
全てノーマスクで過ごすことに
もう少し抵抗あるかなと思っていましたが
全くなく
・
というのも
父が亡くなった後
1週間ほど実家で過ごしましたが、
その時もマスク着用はかなり限定的で
・
叔父が散歩がてら訪問してくれた時も
叔父はマスク着用なしで
でも全く違和感なく
私もマスクなしで会話をしてい��。
・
あの1週間滞在が
マスクなし生活に向けての
リハビリみたいな感じになっていたようです。
・
何よりマスクを外して
神様を賛美できることは
素晴らしいですね。
この間心底そう思ってしまいました。
・
(写真:春らしい暖かさと共にまだ肌寒さも残る一日でした。)
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376 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/02/09(木) 20:12:25 ID:WK.ta.L1 [1/3]かなり長文になるが、元嫁が一昨年死んでたらしくて吐き出したくなった。5年ぐらい前のことだけど、車に跳ねられて死にかけたことがあった。意識が回復したのは数日後だったらしいが、その前に一度目が覚めたって言うか気が付いたら病室の隅っこに立ってて、妻と義母がベッドの横でなにやら話をしていた。ベッドには俺がいくつかの機械に繋がれて包帯だらけで眠ってるんだが特に悲しむ様子もなく、二人してヒソヒソ声で話してたのが聞こえた。最初は状況が良くわからなかったが、少し考えてもしかしてこれは臨死体験とか幽体離脱とかってやつか?と思った。俺が死にかけてる俺を見ている状況にわけがわからなかったが、それよりなによりふたりの会話に雷に打たれたみたいにショックを受けて、記憶はそこまで。目が覚めた時は、そのことは忘れてて視界がぐにゃぐにゃしてて気持ち悪いし痛いしでもう死なせてくれーって思ったぐらい苦しくて、でもどうにか少しずつ回復していってからリハビリ中にふいに思い出したんだ。でも、それが現実だったのか単に脳がバグってたのか、夢でも見ていたのか、全く自信が無かった。とはいえ、完全に忘れることもできなかった。あの時、義母が「A君とはちゃんと別れたんでしょうね」て言ったんだ。A君と言うのは俺の後輩の名前だ。同名の別人ってことも可能性としてはあるだろうがそうありふれた名前ではない。それに対して妻は返事をしなかった。そして義母が「バレないうちに別れなさいってあれほど言ったのに」って言ったら妻は首を横に振りながら「このまま助からなきゃいいのに」って言ったんだよ。377 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/02/09(木) 20:12:56 ID:WK.ta.L1 [2/3]思い出してからはあの会話が忘れられなくて、リハビリの間もそのことばかり考えていた。退院して自宅療養してるときにもその事ばかり考えて、それが嫌で嫌である日妻に「Aとはいつからなんだ」って言った。目玉ひんむいて絶句したが、少しして「誰に聞いたの!?」って逆質問されて黒決定。「あのまま死んでた方が良かったらしいな。俺意識は回復してたんだよ。全部聞いてた」って言った。幽体離脱とか信じてもらえないだろうから、そんなふうに言った。それに対する返事もなく、そのまま俺を置いていなくなった。実家に逃げた。車椅子だったけどトイレはどうにか自分でできたので、翌日弟に電話してレンチンで食べられるものや飲み物を大量に買ってきてもらった。弟には経緯と共に離婚するつもりであることを伝えた。そのあと義母が訪ねて来て、謝られた。何度も別れるように説得したんだけどって言われて、今度こ��必ず別れるように説得するから時間が欲しい、離婚はどうにか思いとどまってほしいって。ちなみに義母が娘の浮気に気付いたのはもう2年も前だったらしい。俺は断った。事故に遭う前年に妻から不動産の名義変更を頼まれたことがあった。前年はちょうど結婚20年の年で、夫婦間の優遇措置がある。せっかくだからそれを利用して自宅の名義を半分分けてほしいって。378 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/02/09(木) 20:13:11 ID:WK.ta.L1 [3/3]しかし断った。断ったのには理由があって妻には音信不通になっている弟がいて、ちょっと評判のよくないやつだ。もしも何かあって将来的にそいつに不動産の一部でも渡ることになったら面倒くさいことになりそうな気がしたから。俺的には正当な理由だと思ってるので断ったんだが、その時にはすでにAと不倫していたことになる。妻は専業主婦だ。離婚後を見据えて少しでも自分有利にしようと動いたと思ってしまう。しかも俺に死んでほしいと願ったのも、死んだらまるっと自分のものになると思ったのかと。浮気してただけならまだしも「このまま助からなきゃいいのに」は許せなかった。2年以上前から不倫していたことを知って、わずかにあった迷いも吹っ切れた。弟の手を借りながら一気に離婚話を勧めた。妻自身が失言を認めていることもあり、慰謝料は不倫だけでなく上乗せさせてもらい財産分与と相殺してわずかな金を渡して出てってもらった。もちろんAにも慰謝料を請求した。Aはバツイチ独身だったから、俺が離婚��れば一緒になるのかと思ったが別れるタイミングが掴めずにずるずる来たとか言ってて、再婚する気はないんだとか。なんか妻が憐れになったがどうでもいい。そうやって離婚して5年、身体は多少後遺症が残ったものの普通に日常生活を過ごせるようになったが今年に入って元妻が一昨年死んでたことを知った。免許の更新に行ったら元義母とバッタリ会って待ってる間にあれこれ話しかけてきた。元義母が悪いわけじゃないのに延々と過去の謝罪をし始めたので「お義母さんが悪いんじゃないし、もういいですよ」と言ったら「あの子は罰が当たったんだろうねえ・・・一昨年死んだんだよ」って。そんなこと聞いても「そうなんですかー」としか言えなかった。冷たいかも知れないけど、悼む気持ちが全く湧かなかった。死因にも興味がなかったので聞かなかったら、元義母の方が何か察したようで「じゃあね」って去っていった。嫌なことを思い出して酒が不味い。
続・妄想的日常
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現実に移住を考え始めた経緯
「わかばカルチャー」の過去コンテンツで言えば、フローリングの捨て張りの板を寸法通りに切り終わったほんの数日後に、広島の実家の母が脳出血となり、救急車で病院に運ばれたのです。2019年9月のことです。その日、相談業務ですっきり解決できたことがあり、「今日は、良い仕事ができた」と心地よい気分に浸り始めていた…その夜、不意に病院から電話がかかってきました。翌日、福山の病院まで来てくれ…と。その頃の私は、アトリエが見つかり、フローリングといい、仕事といい、いろんな種を蒔いたことがこのまま充実して実ってくる気配を感じる時期でありました。人生、いきなり何が起こるか、分かりません。
私は���男なのですが、家族で他に動ける人がおらず、それからしばらく、ほぼ隔週で千葉の自宅と広島の実家を往復する生活を送ることとなりました。併せて、さいたまのアトリエも時々換気をせねばとやってきておりましたから、三拠点生活となっていました。でも、ひょっとしたらこのまま、せっかく見つけたさいたまのアトリエを手放さなければならない事態に陥るかもしれず、フローリングの作業をストップし、エアコン設置もためらうのでありました。しかし、2020年1月に母は退院となりました。とりあえずアトリエは存続となったのです。
しかし、母には、なんとか日常生活を送れる程度ではありましたが、後遺症が残り、いろいろ不便なことや転倒することもあるようでしたから、私は母の退院後も頻度を減らしつつ千葉と広島を行ったり来たりの生活を続けて、しばらく様子を見よう…ぐらいに思っていました。ところが、ちょうどそのタイミングでコロナ禍が始まりました。県境を越えてはいけない…ということになってしまい、母の様子を見に行けなくなりました。それが予想だにせず長い間続き、当時にしてみれば、これがいつまで続くのかもよく分からず、これではあまりに母を放っておき過ぎになってしまい、まずいだろう…ということで、実家に自分は引っ越さねばならないだろうか…と、悩み始めるのでした。一方で、実家に戻ることになるのだったら、残された短い期間だけでも、今のうちにできることはやっておこう…と考え、2020年の夏にはアトリエにエアコンを設置、熱中症にならない環境にしておいて、フローリングの作業を再開しました。エアコン使用もフローリングした部屋での木工作業もあと1年間くらいのことになるかもしれないけれど、そうなったらそうなったで仕方ないだろう…という気分でした。
次第に、悩み事は現実味を帯び、「子育て相談」で母子の関係をどうの…と言っておきながら、自分の親のことは放っておくなんてことになるなら、それはセラピストとしての自分を保っておけなくなることを予感するのでありました。そもそもが、「わかばカルチャー」でも移住や空き家やリノベーションのことなどをチラチラと書いてきましたが、いずれ首都圏を離れて移住することもずっと前から考えてはいたわけです。ただ、私が一番移住したかったのは金沢でしたし、相談の仕事で請け負っております皆さんのことを投げ出すなんてしたくありませんでしたから、移住なんてまだまだずっと先のことだと思っていました。ちょうど2019年の春になって、さいたまにアトリエを借りることができたばかりでしたし。そんなステージができたことで、いよいよ自分が木工を習いに行ったことが、ものづくりのリアリティを親子で味わおうという「わかばラボ」の構想に繋がっていきそうな段階でありましたから、実家に戻ることはまったくの予定になかった想定外の事態でありました。
しかし、緊急事態宣言が長引くにつれ、これはますます、自分は実家に帰らねばならないだろうという義務を強く感じるようになってきました。2020年9月にGoToトラベルで実家��墓掃除には帰れる…となった時は、福山のホテル宿泊でしたが、県外から来た人が実家に入ると訪問リハビリの人やヘルパーさんがしばらく来られなくなるという規定があるそうで、実家には帰ってくれるなとなってしまいました。もうこれは、引っ越すしかないように思えました。ただ、自分の相談室ができるスペースが必要ということと、やはり自分が感染症にかかったときのことを考えて、実家とは別邸を構えた方が良いだろうと判断しました。そうなってくると、いよいよかねてから抱いている空き家をリノベーションして住むという構想を実現することも考えるのでありました。2021年秋に移住という見通しで、その5月には岡山県の複数の自治体の移住促進の方とリモートで相談を始めました。空き家バンクを中心に、空き家探しをせねば…となるのですが、緊急事態宣言が解除となりそうでならないままが続き、ついに現地での内見が叶わず、秋の移住は断念となりました。しかし、いよいよその秋になり緊急事態宣言が解除となり、でもまたすぐ再び緊急事態宣言になるかもしれない恐れも十分あったので、そのようやくできたチャンスの合間を逃さず住居探しをせねば…と、10月末から11月初めにかけて岡山県西部から福山市までの空き家を見て回る旅に出ることにしました。
写真は、2020年10月、柿が落ちているアトリエの庭です。
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元気な顔を見せてくれるかな…
昨夜からの雨がまだ降り続けている。今日はリハビリの日だけれど、担当の女性セラピストはここのところ体調を崩して休んでいたので、久しぶりの訪問だ。まずは近況報告から始まるんだろうな笑 そんなことを考えながらチャリートの歌声を聴いている。
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NHKスペシャル 山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~
以下、わたくしごとです。過去の経験談
息をするのも辛い 呼吸しているだけで無限の徒労 毎秒毎秒が25mプール、泳ぎきれない
筋力ない、マッスル使えない 波の浮き沈みとともに浮かぶブイみたいに息遣いとともに上下しながら、筋肉の力ではなく自然な自重の重たさとややもすると沈みかかる自然の浮力だけでのこぎりの歯を上下させてなんとか少しずつ木材を切っていくような、仕事として切るように定められた木材を切っていくような
ただただ息をしているだけ
昔から呂宋助左衛門ごっこというのがあって、激務で疲労困憊してる月曜日の朝、波打ち際に横たわりながら、上陸するでもない海に流されて溺れてしまうでもない、どっちともつかないところを疲れ果てて力もなく寄せては返すひねもす波とともに腕の先っちょとか上下しながら、それでも口開けて半眼で「ぁあぁあぁああああぁあぁぁぁぁぁ」と力無く漂うような漂着したまんまの漂流者気分で居続ける
それがもっと永遠に近い長さで、ずっと息しているだけでも辛くてそれでも惰性でずっと倒れているような生き様というのか、そんな時間、いつ終わるともしれない
極度に強い予期不安もあった 親しい人であろうと来訪者があったり、とにかく予定を組まれるともうダメ、本番恐怖症、予定を万全で果たさなきゃという期待に勝手に自分で押しつぶされてえずいて吐き倒して予定をキャンセルして脱走する、まさに本番恐怖・症 飛び込み出来てくれたほうがまだ火事場の馬鹿力で対処できる、ただし30分くらいまで、それも1日にせいぜいひとつだけ
嬉しいことも辛いことも、プラスマイナス関係なく感情の振れ幅の絶対値に応じてしんどい。再婚できた嬉しさでかえって調子悪くなってしまって、妻が自分のせいなのかと悲しげに怒ってきたこともあった
他にもさまざまにままならない強い拒否に突き動かされること多��
①
きっかけはパワハラ
もともとカミソリみたいな男だった。触るな危険。やばいやつ
そんな僕だったからこそ記者発表から何からエースプレゼンテーターとして任されていたし、難しい商品とかになると世に出るか出ないか存亡が私の双肩にかかっていたから、僕がなんとかしなければ文字通り世界が変わらないから、これが刺さる人々が僕を僕が発する声を待ってくれていたから、全宇宙が僕を待っていたから、そう思ってた
でもダブルクリックしたら安定してプレゼンを再生してくれる、みたいな扱いでどんどん「え、それやるんですか?」とエスカレートする職務。無理ですと言うと出来る出来ないじゃない、やれ、という話になり、自分もその通りだそれがプロだと思っているからそれに応じて疑問も抱かず、どんなに疑問があってもプロなんだからと自分を鎮圧軍の戦車みたいに圧殺して頭から特攻
だから予期不安、極度の本番恐怖症
ある日、足元が崩落 まさにプレゼンせんとすという瞬間、足元が崩落、必死で椅子を引っ掴んでそこに尻もち、奈落へと引き摺り込まれかかるのを椅子にしがみついてプレゼン開始、それがまさに氷山がごろんとひっくり返った瞬間、まったく裏返ってしまう自分のキャラ、見たこともない知らない自分が顔を出す。 帰宅途上、音楽という音楽が大嫌いに。なんという傲慢、なんと言う自己顕示欲、なんというマウンティング、その塊にしか聞こえない。
医者からもカウンセラーからも不治の病という診断、一生治りません
そもそも最初はきっと物理的な病気に違いないと思って神経科へ受診したけど先生の表情がどんどん怪訝になっていくので「これって精神科ですか?」って聞いたら「そりゃそうでしょう、だって原因が明らかなんだから」と。
で、行った精神科は予約不要だったけど薬を処方するばかり。とはいえ薬で結構楽になったからまだまだ仕事できると思って服用しながらエースプレゼンテーター続行。自分もそうしたかったし、自分がやるしかないんだ自分しかやれるやつがいないんだ、でもなんで結局いっつも俺一人で世界を牽引してんだよなんで俺一人しかいないんだよ
でも2年たってもある一定の線からどうしても浮上せず頭打ち。埒あかないのでセカンドオピニオンを聴きにいったら、薬とカウンセラーとを併用したほうがいいという診察になり、そっちに鞍替え
仕事もいきなり外される、それがまた衝撃。だから職場の給湯室の隅っこでよく目を両手で覆って頭を抱える。息をするのも辛い日々が始まる。
不安障害
行きつ戻りつ、揺り戻しの日々。生きていくのはなんと辛いことかと
②
一生治らないって言われたのに、結局16年半で治った
せいぜい還暦のころ寛解できてたらいいね、だったのに、寛解どころかもっと手前の年齢で16年半で本当に治った。治った原因は誰にも分からない。人事担当者によると、あれはネモさんだから治ったんだと言う。なんやそれ
徐々に治ったのでもない 最後の1年位かけて急速に浮上してった
そもそもの最初は2、3年かけて急速に悪化。そこから底を這う深海魚みたいに横ばい。時に真っ暗な海溝がぱっくり口を開けてさらに引き摺り込まれてぐんぐん沈没。揺り戻し。あらがいたいけど、あらがうこともできない。電池切れ。生きていくための電池切れ
リハビリがてら地道な仕事していると、仕事を覚えないというので先輩に怒られてさらに沈没 でも私にとって優秀になるということは再び経営陣に叩かれるという恐怖なので、優秀になることを否定しなければ生きていけない
ままならぬ、わがこころをかかえつつ しなやか、したたか、生きてゆきたき
十年近くたったころ、DAWを学んでなんやしらん作品をつくりはじめた。気分を落ち着かせるために写経するみたいな気分。でもそれは静かな生きた証でもあった。なによりもかつてensoniq VFX-SDとRoland VS-1680とで作品を作って以来、すんごく久しぶり。録音してみよう、そのためには今のメソッドとしてDAWを学ぼう、という気になったことそのものが、そもそもの進歩
そのうち経営がおかしくなり、外部からコンサルが来て社員インタビューしたいというので真っ先に僕が選ばれた。おびえて突き動かされながら言いたい放題言ったら「心が不安定かもしれませんが、おっしゃっていることは正しいです」と言われた
その数年後、1年かかって少しずつ力がもどってくるとともに同時に不安も強くなりつつも、徐々に薬を間引き、飲む間隔を伸ばし、最後に飲むのをやめたら、数日のちに坂道を転がり落ちるみたいに調子悪化。それを世間では離脱症状と呼ぶのだと後追いで知った。 やっぱダメかまた薬漬けに戻るのか結局一生これかとがっくりしたが2ヶ月かかってまた良くなってきたので、もっぺん減薬して最後にやめてみたら、今度は本当に治った
治り始めると逆の不安もあった。それまで薬という杖をついて生きてきたわけで、それが突如としてぱぁ〜ん!と取っ払われた気分。おろおろする。で、用心しながら足を踏み締めて歩く
ほんとうに治ってくると、さらに今度は妻が私に追いつけなくなってきた 弱ってる私しか知らなかった妻に対し、私はだんだん口ごたえするようにもなってきたわけだ。妻が知らない私が顔を出そうとしていて、妻は私の変化に追いつけなくなっていた
そんな難しさも逆にあった
ひたすら会話を、対話を続けるしかなかった ここまで来れたのは、妻のおかげなのだから
③
未だに治ったのが嘘じゃないかと思える あんなしんどかったのに。心もままならなかったのに
元のヤバいやつに戻るのではない。一部それを期待してる向きもあったけど、あっさり降りた。新しい自分になる。ドタキャンもできるようになった。セイフティネットが先。無駄な我慢もしなくなった笑。明鏡止水なことが増えた。 そして何よりも妻に感謝して何度も話して何度も食事にも連れてった
自分に必死すぎて16年半の記憶がほぼない。でもそれはそういうもんなんでしょう
もし職場にて「あやつは深淵から生きてかえってきよった」そう思われてるならどうぞ。仕返しはしない。でも、言わんとあかんことは今度こそはっきり言うから
④
LA在住カナディアン上司に笑顔で言ったことがある 「Like "Heaven gave me the second chance"(天は二度目の機会を与えたもうた、みたいな)」 したら笑顔で 「Yeah, and I'm happy to see your phoenix moment.(せやな、ほいであんたの不死鳥モーメントに立ち会えて嬉しいワ)」
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roughキャラクター
今もうなくなったTシャツブランド「rough(ラフ)」のキャライラスト。 Tシャツは可愛かったです。お値段は可愛くなかったけど()復活希望! これは訪問看護師さんがもらい事故に遭い、リハビリ頑張ってくださいとお見舞いに描いたイラスト。 リハビリが終わった今も大事に飾ってくれているとかで。嬉しいですね。 描いてよかった。
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【寝たきり 歩行訓練 改善方法】寝たきりの歩行訓練改善方法を解説 認知症や要介護等の歩行困難な方、保険適用のリハビリを含めた訪問施術があります!
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6/6㈫『朝の聖句』Daily WORD-3127.
Good morning dear friends .I am praying for your happiness🎀.My best wishes to you and your family.Contribution total 3941.June flowers are hydrangea by Michel Van Kooten. ☼☆⭐️☆☼.皆さま、おはようございます🌹🌹🌹毎週火曜日は、母の入所している施設に訪問して整形外科の リハビリに連れて行くのですが、施設の看護課長と介護リーダーと相談して用心の為にお休みをしました🌿🌹🍃母が寂しがらないように、明日の午後に面会の予約を取りましたので、母も楽しみにしていると想います⭐️感謝です⭐️🌈⭐️*素敵な火曜日をお過ごしください🌈 6/6㈫『朝の聖句』Daily…
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スイスのある施設のベッドに横たわったその男性は、40年にわたる生涯を自ら閉じ、旅立とうとしていた。枕元のスマートフォンからは、自身が最期に選んだ曲「ラ・リベルテ(自由を)」が流れている。医師は点滴に致死薬を投入し、その準備を終えた。 医師:「この病院に来た理由は何ですか」 男性:「安楽死するためです」 医師:「点滴を開けたら、何が起こるか理解していますか」 男性:「静かに眠りに入り、数分後に心臓が止まります」 医師:「そうです。あなたの心臓は止まって死にます」 男性:「はい」 四肢麻痺の男性は、鼻で点滴のストッパーを開けた。致死薬が体内に徐々に投入されていく。やがて、彼は永遠の眠りについた。つい先ほどまで、私に笑顔を見せて話してくれた男性が、わずか数分後に眠るようにして亡くなってしまう現実。目の前で展開された「死」を、私は現実として実感することができなかった。(TBSテレビ 西村匡史) ■交通事故後の耐え難い痛み 「生きるのを諦めた」 「ボンジュール。ジュリアンです。初めまして、よろしく」。2022年6月、フランス南部ペルピニャンの病院に入院していたジュリアン・クレイさんは、初めて訪ねた私を笑顔で迎え入れてくれた。 市役所の職員として森林を管理する仕事をしていたクレイさんは、32歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、首から下の自由を失った。慢性的な痛みに悩まされ、軽減するための手術を複数回受けたが、効果はない。膀胱を除去した手術後はさらなる痛みに襲われた。 「刺すような、燃えるような、電気ショックを受けているような痛みです。2,3日間続けて眠れずに一晩中、泣くこともあり、気が狂いそうになります」 同居する両親に何度も「殺してくれ」と頼んできたという。 「医者は痛みをとると約束したのに、できませんでした。私は生きることを諦めたのです」 ■安楽死のためスイスへ 移動後も激しい痛み 2022年7月、クレイさんは共にリハビリを続けてきた仲間たちに付き添われて、車でスイスに向かっていた。フランスでは安楽死が認められていない���め、海外からの希望者も受け入れているスイスの団体を探し続けた。そして、2か月前にスイスのある団体がクレイさんの受け入れを決めたのだ。 ペルピニャンを発って11時間後、一行はスイスのバーゼルに到着した。 一夜明けてクレイさんの体調が急変した。長時間での移動に伴う疲労から高熱が出て、吐き気を催し、息も絶え絶えになっていく。呼吸不全が起きたため、看護師が腹部を突き上げ、気道を拡げる応急処置を行った。苦痛で顔を歪めたその表情は、痛みを背負いながら生きてきた9年の歳月の重さを私に感じさせた。 ■安楽死へ厳格な審査 団体が定める4条件 翌日、体調を少し持ち直したクレイさんのもとに、安楽死団体「ライフサークル」の代表、エリカ・プライシック医師がやってきた。ライフサークルは、2011年に設立されたスイスの団体の1つで、海外からの希望者も受け入れている(現在は新規会員の受け入れを終了)。ここに会員登録しているクレイさんは、医師による審査の結果、許可が下りれば安楽死することができる。 ライフサークルが定めている安楽死の要件は「耐え難い苦痛」、「回復の見込みがない」、「治療の代替手段がない」、「明確な意思表示」の4つだ。「耐え難い苦痛」は肉体的な痛みである必要はなく、精神的な痛みも含まれる。プライシック医師は、クレイさんとの対面での審査や別の医師の意見も踏まえて、4つの要件を満たしていると判断し、安楽死を許可した。 「本当は安楽死よりも治してあげたいのだけど、治療の方法がありません」 そう話すプライシック医師に対し、クレイさんはこう答えた。 「私を死なせてくれるのが治療なのです」 ■両親への心残り 声を上げて泣いた妹 安楽死の選択に迷いはないが、クレイさんは9年間、献身的に介護してくれた両親を残して旅立つことだけが心残りだった。父は高齢で末期がん、母は父の看病があるため、スイスまで来ることができない。2人は「フランスに安楽死法があれば、息子を看取ることができたのに」と悔やんでいたという。 クレイさんの胸には、両親と、4人兄妹の中でも最も可愛がっていた末妹の名前がタトゥーとして彫られている。その名前の下には「どんなに感謝しても感謝しきれない」というメッセージが入っていた。「一緒に旅立ちたいという思いから、タトゥーを入れました」 末妹のブランディーヌさんは、兄の反対を押し切り、家族の中で唯一人スイスまでやってきた。当初は兄の決断を「自分たちを捨てて旅立つ」と感じ、受け入れることができなかったが、次第に「利己的なのは自分であり、兄の決断を尊重しなければならない」と考えるようになったという。 ブランディーヌさんは平静を保とうと努めていたが、安楽死の許可が下りると堪えきれずに、椅子から立ち上がった。兄の方に向かっていき、抱きしめ、その胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。 ■安楽死当日 両親に告げた「愛している」 安楽死当日の朝を迎えた。前日は雹が降るほどの荒れた天気だったが、この日は嘘のように空が晴れ渡��ていた。 誓約書への署名を終え、安楽死の準備が整う。ベッドに横たわったクレイさんは、共にリハビリをして励まし合ってきた仲間たち一人一人に対して、最後の別れの言葉を告げた。 フランスに残してきた両親とは、スマートフォンで最後のテレビ電話をつないだ。重い病気と高齢のために、スイスで息子を看取ることができなかった両親の無念さを、クレイさんは十分にわかっていた クレイさん:「もしもし。今、準備しているところ」 父:「そうか」 クレイさん:「さよならだね」 父:「うん」 最後の別れを前に、父は言葉を返すことが精一杯のようだった。 クレイさん:「二人を本当に愛している」 父:「うん。俺たちもだ」 クレイさん:「さよなら」 父:「さよなら」 クレイさん:「本当に愛している」 母:「私たちもよ」 クレイさんは投げキッスを送り、両親に別れを告げた。 ■安楽死の瞬間 目を閉じ、口ずさむ「自由を」 致死薬が点滴に投入された。スイスでは医師が患者に薬物を投与して、死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を、患者本人が体内に取り込む必要がある。四肢麻痺のクレイさんは点滴のストッパーを自身の鼻で開けて安楽死することになる。 妹との別れの時が近づいていた。「大好きだよ。気をつけるんだよ」と、妹の行く末を心配する兄の涙が頬を伝う。クレイさんは妹にトラウマを残さないため、最後の瞬間だけは立ち合わないよう伝えていた。「愛しい妹よ。そろそろ逝かなければ。音楽を聴けるように準備してくれ。音楽を聴きながら死ねるように」 ブランディーヌさんがスマートフォンで音楽をかけて枕元に置く。流れたのは「ラ・リベルテ(自由を)」。クレイさんが苦しい闘病中に何度も聞いていた曲だ。兄妹は別れのキスを交わし、ブランディーヌさんは、振り返ることなく部屋を立ち去った。 ライフサークルのスタッフが、警察に提出するためのビデオを撮影する。プライシック医師によるクレイさんへの最後の質問が行われた。 プライシック医師:「あなたの名前は」 クレイさん:「ジュリアン・クレイ」 プライシック医師:「この病院に来た理由は何ですか」 クレイさん:「安楽死するためです」 プライシック医師:「それがあなたの最後の願いならば、点滴のストッパーを開けてもいいですよ」 クレイさんはそっと目を閉じ、「ラ・リベルテ」を噛みしめるようにして口ずさむ。そして、鼻でストッパーを開けた。致死薬が体内に投入されていく。2分後、「眠くなってきた」と呟き、小さないびきをかいた後、息を引き取った。 ■「妹よ、強く生きろ」 安楽死した男性が残した生きる意味 安楽死を遂げてから1年。クレイさんの死は、スイスで看取った人たちに何を残したのか。2023年7月、私は再びフランスを訪ねた。 全身の筋肉が徐々に衰えていくALS患者のマリンさんは、闘病中のクレイさんと安楽死について、夜を徹して何度も語り合った。 最後の別れの際、クレイさんは「あきらめるな、生き続けろ、強くあれ。ここで人生が終わるわけではないのだから」という言葉を残してくれたという。マリンさんは「彼のアドバイスを聞き、私は最善を尽くして生きようと思っています」と話す。 事故で腰から下の自由を失い、生きることに絶望していたキリアンさん。クレイさんは「絵が上手なお前の才能を活かせ」と、タトゥー彫り師になる道を勧めてくれた。兄貴分のクレイさんに贈ってもらった道���を大切そうに手に取り、私に見せてくれた。 「私が彫り師になって生きがいを持てるように、彼は自分の身体まで実験台として提供してくれました。『頭から足の先、全ての皮膚をお前のために使ってくれ』と。彼が亡くなった時に、自分はもっと頑張って生きなければと勇気づけられた気がします」 クレイさんの末妹、ブランディーヌさんの自宅には、兄の写真立てが置かれ、花が添えられていた。私が訪ねたこの日の前日は、クレイさんが亡くなってからちょうど1年だった。 「兄の安楽死を受け入れることは難しいことでしたが、彼に残された唯一の選択肢だったと、1年経ってやっと思えるようになりました。そう思えるようになってから、四肢麻痺だった兄が元気に歩いている夢を見ることができたのです。私の心が少し落ち着きました。兄は私が強く生きて、幸せになることを、心から願っていました。幸せな人生を謳歌できるよう、私を見守ってほしい。私は兄と二人分、生きていくからです」 ■取材を終えて 「自分のような1人の人間の死でも、日本人に安楽死を考えてもらえるきっかけになるのは嬉しいんだ。命が活かされることになるのだから。あんたに会えてよかった。しっかり伝えてくれよ」 最後の晩餐で、私に託してくれたクレイさんの思い。その時の彼の温かな眼差しは、今も私の心を捉えて離さないでいる。 私がクレイさんと共に過ごしたのはわずか5日間にすぎない。だが、フランスからスイスまでの車中を含め、非常に濃密な時間だった。彼は自身が生きた40年の命を精一杯、伝えようとしていたし、私もその命の輝きを一瞬たりとも逃すまい、と目を凝らし、耳を傾けた。いつしか、5歳年下の彼に対して、友情のような気持ちすら芽生えていたことを覚えている。「明日が彼との永遠の別れになるのか」。胸が張り裂ける思いをしながら、二人でピザを食べたことを思い出す。 クレイさんは幼い頃から、家の外を駆け回って遊ぶ元気な子どもだった。近所の家の郵便物を一か月間、全て抜き取って隠したり、カエルをテープに巻き付けて太陽にかざして眉間に皴が寄るかを実験したりするなど、いたずら好きの面もあり、その度に両親からこっぴどく叱られたという。森林を管理する仕事を選んだのも、山中を駆け巡って猟をできるのが楽しかったからだ。そんな彼が交通事故で四肢麻痺になり、自由を制限される生活を余儀なくされた苦しさは察するに余りある。 事故後は、なんとか生きる道を模索して懸命に努力してきた。立ちはだかったのは「痛み」という壁である。夜、眠ることができないのは、彼にとって「逃げる場がない」ことを意味した。 誤解なきように記しておきたいが、彼は「生きる」ことの尊さを信じていた。安易に安楽死を賛美することには加担しなくない、という思いが強くあった。その一方で、安楽死を選択せざるを得ないほどの痛み��苦しみを抱えた人がいるのに、自分事として捉えずに見て見ぬふりして法制化やそれに至る議論さえしない国や社会に憤りを感じていた。 「自分は痛みから安楽死を選択せざるを得なかったけど、お前たちには頑張って生きる道を模索してほしい」。それが愛する妹や友人へ残した最後のメッセージだった。 * * * * * 西村匡史 TBSテレビ「報道特集」記者。2003年入社以来「いのち」をテーマに追い続ける。社会部、NEWS23を経てロンドン特派員として安楽死を取材。著書に「悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年」(講談社)、映画監督として「"死刑囚"に会い続ける男」、「さっちゃん最後のメッセージ 地下鉄サリン被害者家族の25年」を制作。TBS NEWS DIGの特集記事「安楽死を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者」で、LINEジャーナリズム賞(24年2月~4月期)を受賞 ※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です
私は生きることを諦めた―― “安楽死”を選択した男性、耐え難い激痛の日々 声をあげて泣く妹へ「強く生きて」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
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年始の野望2020
クリスマス休暇を惰性的に過ごしたつもりもありませんでしたが、全ての時間を勉学に費やしていたかと言えば否。新学期初日である6日朝に教授からのメールを受け取って襟を正した次第ですが、いきなりトップギアを出すとすぐさま故障しますので、リハビリテーションも必要です。今日は年末年始の考え事をまとめて放出する日にいたしました。
ちなみにイギリスにも新年の目標を発表する文化は存在するようで、元日、ホストファザーに「Do you make a resolution?」と訊かれました。New Year’s Resolution が日本語で言うところの新年の抱負なのでしょう。ホストファミリーに客人があったので、みんなで食卓を囲んでぱぱさんの司会のもと発表会が行われていました。ぱぱさんは断酒するそうです。
ここ数年、わたくしは年始のブログで「今年の野望」なるものを綴ることにしています。まずは前年の野望を見返して採点するのですが、はて、今になって2019年の野望を見ると、なんだか"野望"と言うほどの野心が感じられません。ところで野心ってなんだっけ? 疑問を持ったわたしは、会う方会う方に「来年の野望あります?」と���ねました。
インタビューを重ねた結果、わたしは「野望とはちょっぴり勇気のいること」と定義しました。 やっと本題、今年のわたしの野望を、以下つらつらっと書いてみます。なぜあえて人目に晒すかといえば、自分を奮起する意味もありますし、誰か夢のお手伝いをしてくれたらいいな!という下心もありつつ、兎にも角にも新学期に向けて、PCに文字を打つ作業のリハビリ代わりに綴ります。そう、最近長時間机に向かえなくなってるの!
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Crockett&Jones のあの靴を買う:レディースは英国でないと買えないし何より一目惚れのあの靴を次の冬の帰国時に買って帰って靴磨きチャンピオン石見豪さんのお店(TWTG)でプレメンテしてもらうことをモチベーションに1年がんばれそうな勢い
ロンドンでリサイタルを開催する:英国で以前リサイタルをさせていただいたのももう2年前かつ去年は東京で初の無伴奏リサイタルを敢行することができたので今年の実績としてロンドンでの演奏会を企画したいしホストファミリーやそのお友達にも聞いてほしい
英語のプレゼンをおこなう:これはもう上半期だけで2回はおこなうことが決まっているのだけどそこで何か結果を残して最終学年になる9月からの新年度で別の発表を得る機会に繋げたい狙うはシベリウス音楽院との共同ゼミでの発表
IELTS再受験:渡英時に取り組んだ語学試験に2年前再挑戦した時は渡英前と比べて成績が伸びてなくてがっかりしたので今年はしっかり勉強して博士課程なら持っていたい数字7.0を目指す
行ったことがない国を訪れる:昨年はスウェーデンとスペインへの初上陸を果たしたので今年はハマスホイの美術館がありかつわたしの初代のフルサイズ・ヴァイオリンが売られていたと言われるデンマークはコペンハーゲンがひとつ目標
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あと細かい目標のようなものは多々あります
Aquascutum の古着で膝下ステンカラーを見つける
そろそろツイードのジャケットほしいな
現在25種の茶葉があるマイ紅茶棚をベスト5に絞る
マイベストコーヒー豆を見つける
イザイの無伴奏ソナタ5番の譜読み
5年親しんだ形式の手帳を変える(実行中!)
ワードローブを本当のスタメンだけにする
イギリス英語の発音力向上キャンペーン
香水を発売元の勧め通り1年で使い切りまた買う
日本でもコンサートを行う願わくばバッハ
でもロマン派のソナタもどこかで弾きたいなぁ
来年度は室内楽をやりたいなぁ
ツイッターのフォロワー目指せ3000人
インスタグラムのフォロワー目指せ1000人
英語のブログもちょこちょこ更新するぞ
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今年は、これは野望だと胸を張って言える気がします。昨年の野望の採点は個人的に行いましたし、もはや載せるために読み返すのがダルいので掲載は割愛します。わたしのブログを読んで、昨年同じように野望を打ち立ててくれた友人たちにおかれましては、やはりぜひ採点もセットで行われることをおすすめします。それで野望をちっぽけに思えたら、もしかしてそれって大成功なのかもしれません。
カフェにランチを求めがてら、ニュースやメールチェックをしながらこの最終稿を仕上げていたら、2時間も経ってしまったみたいです。晴れていたのに、雨が降って、止んで、まだ夕方4時半だというのに外は真っ暗になってしまいました。これからもう少しだけメールを捌いたら、野望を叶える一歩を踏み出したいと思います。
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ワクチン後遺症の深刻な問題が次々と明らかになって来ています。 厚生労働大臣が大石さんに迅速な対応を約束してくれたとのことですが、大石さんは厚生労働省そして大臣に迅速の意味を改めて認識していただきたいと話されています。 【新型コロナワクチン接種後、歩けない、掴めない、書けない…ギラン・バレー症候群になった女性��大石が深掘り解説!2023年2月3日(金) CBCニュース【CBCテレビ公式】 https://youtu.be/28sxcM24Qhc 「チャント!」アンカー��ンの大石邦彦です。 新型コロナワクチン接種後に、突然「首」以外全く動かなくなった4人の母親の曽我さん(48)。 緊急入院してリハビリに励むも完治せず、自宅療養が続いています。 新型コロナワクチンとギラン・バレー症候群の因果関係は? 注意深くワクチンの添付文書を見ると…そこに書いてあったのは? ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 過去の【大石が深掘り解説!】シリーズ CBCニュース【CBCテレビ公式】 【新型コロナ「ワクチン後遺症」地方からの変革!】2023年1月20日(金) https://youtu.be/ziAoeIUqfcs 【ワクチン接種後に帯状疱疹 原因はスパイクタンパクの影響か? 大学教授の見解は?】 2023年1月6日(金) https://youtu.be/BLGosnOnMo8 【解剖結果は「ワクチンとの関連性あり」28歳の男性がワクチン接種後に死亡。妻と父親が語る経緯は…】2022年12月9日(金) https://youtu.be/mOzp4esW_6s 【初対面!厚労省職員に、ワクチン接種後に亡くなった人の遺族が訴えたことと、国の回答は?】 2022年12月2日(金) https://youtu.be/mWml34wHTu0 【全国有志医師の会、遺族会の緊急会見をW解説】2022年11月25日(金) https://youtu.be/al42A1SOLgY 【ワクチン接種後に女性が死亡した経緯を徹底解説!問題はどこにあったのか?愛知県医師会の見解は?】2022年11月18日(金) https://youtu.be/StRJESPUPn0 【「妻の心臓が止まるまで見殺しにした」夫が激白!ワクチン接種後、なぜ妻は死んだのか?】 2022年11月11日(金) https://youtu.be/C3MVUT_uuJo 【「影の部分があまりに無視されている」 新型コロナワクチン被害者遺族会が結成、遺族らが訴えていきたいこととは?】 2022年10月22日(金) https://youtu.be/rm_LJBJ3fjA 【0歳~4歳児もワクチン接種の対象に 打つ?打たない? どう考えればよい?】 2022年10月14日(金) https://youtu.be/s0BVHYPX8xw 【4人の子どもと妻を残し… ワクチン接種の3日後に死亡 妻は「ワクチンしか考えられない」】2022年10月7日(金) https://youtu.be/c3U3qGyts08 【ワクチン接種後から胸の痛みと記憶障害が続く女性 その実態を実名で告白】 2022年9月30日(金) https://youtu.be/6WBZj7cCrh8 【「ワクチン後遺症」で国会議員が動く!超党派議員連盟はこれからどうしていく?】 2022年9月22日(木) https://youtu.be/ODvOxIMM15o 【新型コロナワクチンのメリットとリスクを徹底比較。判断の参考にしてください】 2022年9月16日(金) https://youtu.be/3gD0qzFhm0Y 【接種後に下半身不随の男性。自宅訪問で分かったリアルな現実と苦悩とは?】2022年9月2日(金) https://youtu.be/iw1Ihi6mtV4 #CBCテレビ #チャント #大石キャスター #大石が深掘り解説 #大石邦彦 #新型コロナワクチン #副反応 #ワクチン後遺症 #新型コロナワクチン被害者遺族会 #被害者遺族の会 #集団訴訟 #救済認定 #アナフィラキシー #帯状疱疹 #スパイクタンパク #ワクチン後遺症相談窓口 #ギラン・バレー症候群 https://www.instagram.com/p/CoPI8-APy5G/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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