#街灯が好き
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カレンダー撮影後記です。7月は只見川と天の川を渡る只見線です。
星景と鉄道の組み合わせは好きなテーマで、いままでいろいろな題材に挑戦してきたのですけど、天の川は取り組んだことはありませんでした。
何より天の川そのものを撮影することが難しくて、まず空の明るさで撮影の可否が大きく左右されます。月が出ているかどうかという時期的/時間的制約だけではなく、街の灯りによる光害の影響がない場所であることも大きな条件となります。
鉄道が走っている場所の多くが人の居住地域で、国内でも光害の影響を受けない鉄道沿線はごく僅かです。自分が主に活動しているエリアでは只見線に撮影可能となる地域が存在しますが、鉄道にカメラを向ける方位に天の川が存在する場所と地形、そしてシーズンも限られたものとなります。
夏���で太陽に光が空に全く届かなくなる時間帯(日没後2時間ほどかかります)となると、ただでさえ走行本数の少ない只見線となればチャンスは本当に限られたものとなります。もちろん星空を撮影するのですから天候にも左右されます。
昨年7月某日(この地点で撮影可能な特異日です)、天候も良さそうということで昼過ぎから沿線へ向かいました。夕方までちらほらと居た撮影者は誰も居なくなり、やがて船着場は道もよく見えなくなるほど真っ暗に。
でも頭上には新潟の街中では見たことの無い降る様な星が。うっすらと肉眼でも天の川が第一橋梁の上に昇っていくのが見えました。
しかしこの時期は川霧の季節。橋梁だけでなく目の前の川面も見えなくなる瞬間がありましたが、ちょうどいい塩梅に霧が消えてくれた時に最終列車がやってきました。
少し雲がかかってしまいましたけど、暗闇の中で画像をチェックした瞬間の感動は忘れられません。
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溢れる感情に耐えられず傘を捨てて走りに走った。好きな人が私の目を見て発する言葉すべての響きとそのやさしい眼差しと細い睫毛と照れるときに伏し目になる癖とかその一切を心に封じて忘れたくなくて何度も頭の中で繰り返した。好きだ、好きだ、好きだ。わたしは君が好きだ。どんどん激しさを増す雨はひたすら冷たいのに身体だけが熱くなっていくのを感じながら、それでも走り続けた。鞄の重さとか捲れるスカートとか靴擦れの痛みとか通りすがりの人の目とか全部どうでもよかった。なんでも出来る気がした。そう信じて疑わなかった雨の日の14の夜がわたしにもあった。初めて乗った飛行機から見下ろした小さな街の灯りと海の広さと雲の上の世界に胸を躍らせ、天使とか妖精とか永遠とか運命の王子様とかを新品の12色のクーピーで描いては大人に見せて得意げにしていた幼少期がわたしにもあった。異国の地で朱色の民族衣装に身を包んで、爪と唇に紅色を塗って、ヘナを施した手に煌びやかなアクセサリーを付けた。久しぶりに降る雨を喜んで屈託のない笑顔を浮かべて踊る男の人たちを綺麗だと思った。割礼を終えたばかりの男の子の涙の意味を知った。脚首にロー��を巻かれたあと逆さに吊るされて目の前でさばかれた羊の生肉を薄���ビニール袋に入れて渡された。男の子の手の温度を知った。街中を歩く牛や犬の匂いと流れる川の音。あの頃の私はそのすべてに美しさを見出せていた。汚れるということは、綺麗なことの証明だと思う。赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫、カラフルな旗や服で溢れた音楽ライブ。目の前で成人した男のひとと男のひとがキスをしていた。飲み干されたビール缶は臭かった。挙げられた数百ものスマホのスクリーンに映る舞台の光はちゃんときらきらしていた。何にでも名前をつけたがる世界に辞書があるなら片っ端から斜線を引いてって新しいぴかぴかの世界でわたしは自分の書きたいことを書きたい。自分の心の底で光る甘い色をした海を、自分の唇の柔らかさや温度を、身体を駆け巡る血の赤を、これからの未来と築き上げてきた過去を、わたしは誰にも触れさせずに愛したいと思う一人の人間のために取っておいている。でも、本当はそんなの早く壊してほしい。粉々になった「処女のわたし」越しに新しい広い世界を見てみたい。今にも震えて壊れそうで怯えている幼い自分の手を離して、愛する人の手を握りたい。なんてことを考える夜はもうこれで何回目だろうか。なんてことを考える自分の愚かさに何度も救われた。二年前の夏、スーパーマーケットで一枚の五百円玉を差し出して買った花束を片手に持って、一人で電車に乗った。中学の頃に出会った恩師が「時間があれば是非お見舞いに行ってください」と言っていた人の元へ赴く。今考えたら名前も顔も知らない人の元へお見舞いに行くなんて変な話だった。はじめて行く病院の場所を何度もマップで確認しながらメモに取っておいた女性の名前を看護師に伝え、病室を案内してもらった。女性はミャンマーの人だった。花束をあげて、少しお話をした。彼女はわたしの手の甲にキスをしたあと、静かに泣いて何度も抱きしめてくれた。聖典の一章を朗読してくれた。帰り道、傘で顔を隠しながら泣いた。純粋な愛だった。美しいひとときだった。今、彼女が生きているのかそれともその命を引き取ってしまったのか、わたしには分からない。けれども、あんな風に泣ける真っ直ぐな生き方をしたいという想いはずっと変わらない。その日の天気は雨だった。小さい頃から雨が好きだった。雨上がりの���界はなんだか新品な、まっさらな匂いがする。演劇部で初めて音響を担当することになった「虹」というタイトルの演劇では雨の降るシーンがいくつかあった。震える指先でたった一瞬の動作でわたしはちいさなちいさな世界に雨を降らす。辛いことを乗り越えたあとには必ず幸せがやってくるということの例えで、よく雨が降るから虹が見える、って言うじゃないですか。でもそんな例えに騙されて虹をみるために涙を流し続ける人生より、自分で雨の中に虹を描いてしまいたい。12色のクーピーで。受験生の頃、夜、傘を忘れて自転車で濡れながら塾から帰った日があった。どんどん浮き彫りになっていく周りと自分の学力の差に悔しくて、偏差値が低く出た模試はあとでシュレッダーにかけた。三者面談。志望校欄。願書。併願。見飽きた言葉たちに翻弄され、泣いてばかりいた。でも自販機で買うあたたかいココアの程よい甘さ、コインランドリーの優しい香りと無数の街灯、ちゃんと減っていくカレンダーの枚数と増えていく日付のばつ印に救われた。ちゃんと受験は終わったし、わたしは高校に入学できたし、もうあれから一年が経つ。16歳になった日、結婚ができるのだと改めて感���てそわそわした。長いようで早くて、早いようで長かったし、楽しくって悲しかった。そんな風に過ぎていく時間をひとつずつ捕まえて名前を付けたりして愛してあげたいのに、形のないそれらは風みたいにその温度だけ残してどこかまた違うところ、もっと遠いところに行ってしまう。かけがえのない、忘れないと心に誓った記憶ですらもどんどん薄れていくのを痛感するたびに自分が少しずつ死に近付いていっているのを感じてやるせない気持ちになる。かなしい。かなしいと思えるくらいにはきっと美しい日々をわたしは送ってきたのだと思う。その嬉しさをエネルギーにして、これからも真っ直ぐ生きれたらなあと思う。なりたい人間像がたくさんあって、未来に求めるものが有り余るほどあって、やってみたい仕事も選びきれなくて、それを世間とか大人とか過ぎ去っていく時間は「理想が高い」なんて言うかも知れないけれど、広い世界は泳ぎがいがある。さようならと言うことは悲しいことじゃないし、別にすべきことじゃない。そこで泣けないのは純粋じゃないことの証明にはならない。受け入れてきたものも切り捨ててきたものも今のわたしを構成しているものの一部であって、それだけでわたしたちは経験してきたことに、出会ったものに、本当の意味でさようなら出来なくて、だからわたしは気兼ねなく前を向いて走れる。だいすきな友達と一緒にみた海の波のきらめき。船が海を分けていく音。草木を揺らす風の温もり。春の優しい花の匂い���パラパラと降る雪を見ては笑顔を浮かべて���から手をのばす同級生たち。突然の豪雨に濡れちゃったと言って教室に並べられた何枚ものセーターと靴下。腹を仰向けにしてすやすやと眠るわたしのことが大好きな野良猫の君。わたしの指先を嗅いでその耳を擦り付ける。彼の毛並みを整える時間が好きだった。絨毯みたいに地に張り付いた銀杏の葉と黄色がかったあなたの手のひらを比べては微笑んだ。何枚ものワンピースを着て青い空の下をお気に入りの音楽を聴きながら過ごした。父はいつも愛してるといっておでこにキスをしてくれる。叱られた夜は悪い子になって地元の不良学生が好んで聴いていそうな音楽をわざと繰り返し聴いた。すれ違っては仲直りをした友達。新しい出会いに戸惑って変にこだわりを持つ自分に自惚れて人を傷つけては泣かせてきた。調子に乗って取り返しの効かない大事なものを失って苦しんだ夜もあった。登れそうな木を見つけては登って、自転車で団地の周りを競争して漕いで、ララポートにイケア、コストコが並ぶ街へと続くうねうねした三郷の一本道を何度も渡って欲しいものを買ってもらって、いつも家に帰る前にその包みをこっそり開けたりした。新品の制服をはじめて着たときは受験で落ちたことが思い浮かんで嫌になった。今ではシャツは少し色褪せ、セーターは伸びて、わたしの匂いがする。川のせせらぎの音を聴きながら揺れる木々を眺め、それだけで神様とお話しできた気でいた夏。線香花火をして蟻にとっては雷だねなんて話した。花束を貰って泣いていた先生。正反対の向かい合わせの新宿の駅のホームで手を上げて揺らして交わすバイバイの合図は一瞬で電車にかき消された。こんなに語ってしまった。でもさ、あちこちで平成最後とか言っているから色々考えちゃった。名前があっても無くても変わっても変わらなくても、わたしはわたしの時間を生きていて、それはずっと変わることはないから、わたしは自分の決断をこれからも信じていけたらいい。まあタチの悪いのが今年はいくつかあったけれどもう終わったので、きらきら一年生、友達何人出来るかな、みたいな心構えで広い器で程よく頑張れたらと思う。
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#おでかけ #松本
信州旅行2日目は生憎の雨。まずはぶらりと、あてもなく松本市内の中町通りを歩きます。
以前松本に来た時は何も知らずになわて通り商店街付近を歩いたのですが、ごちゃごちゃした観光地通りっぽい雰囲気のそちらと比べて、中町通りは落ち着いた感じ。もちろん天気のせいもあるでしょうが……。
民藝のお店もちらほらあって、こういう静かで落ち着いた雰囲気の通り、好きだなぁ。まあでも平日の雨の日だから静かなのであって、土日の晴れた日はめちゃくちゃ人で溢れているのかもしれない。どうなんでしょう。
私はこうやって事前情報なく街をぶらつくのも好きなんですが、そのスタイルだと帰ってから「あぁぁこのお店行っておけば良かった!」と後悔することも多いわけで……。まさに今回もコレです。偶々信州の特集を雑誌で見て、良さそうな雰囲気のカフェなどをスルーしていたことに気付いたのでした。うーん、松本はそのうちまた行くと思うので、その時こそは。
素晴らしい雰囲気のレトロなお店を発見。かたちといい、直線と曲線の入り混じり方といい、私の中での「絶対に後世に残してほしい建物賞」を受賞。仰々しい上部の装飾からの、いきなりのラーメン丼みたいな模様からの、シンプルで可愛らしいバルコニーが来て、その下にいかにも昭和の木とガラス製の扉〜傍らに丸ポストを��えて〜 という。とっ散らかっているようで意外とまとまっているようなこの感じ。大好きです。
何気ないこのすずらん型の街灯も良いですね。看板はイオンモールですけども……。
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電車や車、新幹線でも飛行機でもなんでもそうやけど、どこかへ移動している時にはスマホを眺めるよりも外を眺めている方が好き。窓越しに映る街並みはなぜか不思議な魅力がある。夜なんて特に綺麗。とても穏やかで静かやけど、暗闇の中でもぽつぽつと明かりの灯るおうちが目に入ると、そこに生活が見えてより一層温かみを感じる。どんな人が、どういう暮らしをしているんだろう。そして僕があの街に住んだら、どんな毎日になるだろう。そうやって想像する癖は子供の頃から変わらへんなあ。人々の生活のかけらが愛おしい。僕もどこかで、小さな光の一部になっているのかな。
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2024.10.01
何度か来たことのある部屋で目を覚まし、そのまま仕事へ向かう家主と別れ、適当なバスに乗った。終点で降車して地図を開き、現在地点の少し先に“植物園”の字を見つけて、そこ��で歩くことにする。
赤塚植物園は散歩に向いた園で、行ったことのある中では目黒の自然教育園の雰囲気に近かった。石に支えられたベンチやテーブルが好きだった。
彼岸花や睡蓮も咲いていたのだけれど、見返すと��板ばかり撮っている。先日、「かわいい看板を見かけると__さんを思い出します」と言って、自分では生涯辿り着かないかも知れない街の看板を、Uさんが写真に撮って送ってくれた。それが嬉しかった。好きなものを好きだと口にしていると、私の優しい友人たちは、折にふれてそれらを見せてくれる。街灯やソフトクリームライト、看板や室外機の群れ。
植物園を出ると、ちょうど雨が降り始める。傘を差していても、風にあおられた雨粒が少しずつ服を重たくする。このあと誰かに会う予定があるわけでもないから、構わずに散歩を続けた。
途中、公園を見つける。“ゆうぐのなまえ”と太文字で書かれた看板に、“ふくごうゆうぐ:あそぼ〜”や“ノリノリ:ポニー”などと図示されている。その看板には子馬とパンダと虎とがいたのだけれど、実際にはラッコとイルカの遊具もあった。君たちは新入りなのかな、と思う。
高島平団地に着くころ、今日が祖母の誕生日であることを思い出して連絡する。祖父の喉に穴が空いてから、彼女は時折死への欲求を滲ませるようになった。もう年は取りたくないと溜息を吐いていた。いつもならば真っ先に「__は元気かい?」と訊くのに、今回はそれがなかったので、おや、と思う。公園で誰かの落とした青いトラックを見ながら数分話し、電話を終えた。
高島平駅からさらに北へ歩くと、見知った煙突に似たものが見えてくる。そういえば、数日前に投稿した池袋の塔が「高島平にもある」と引用されていた。その頃には雨が上がっていて、青い空に煙突が映えていた。
板橋区立熱帯環境��物館に着く。チケット販売機の前に立っている時点で既に子供のはしゃいだ声が聞こえる。どこかの小学校が遠足中のようだった。Eに「黄色い帽子を被った子供と私としかいない」と報告すると「植物のふりしな」とアドバイスをもらう。
温室の外側には、劇場の貴賓席のような、大きな窓とソファのある空間があり、そこから中を見られるようになっていた。居心地よく、また黄色い子供たちのいなくなってからは人も少なかったので、そこにしばらく座っていた。
これまでは翌日の仕事のために眠れるまで薬を飲んでいたけれど、休職している今は、たとえ寝付けなくても規定通りの量に戻すことを優先している。それで、ここ数日はあまり眠れていない。その場所にいるあいだ、自分が休まっているのを感じられて快かった。
自室に戻ろうと植物館を出て、ガスタンクの3つ並んでいるのを見つける。それが何のために必要で、どう動いているのかを知らないからか、自分にはまったく理解の及ばない宇宙船か何かのように見える。光の反射が綺麗だった。
ガスタンクのそばで母親と電話をする。もともと連休の間だけ地元へ行く予定だったのだけれど、普段滅多に帰省しないことや、今回の休職で随分心配をかけたことを機に、滞在期間を延ばしたのだった。祖母との通話について話すと、「余計なこと言われなかった?」と心配そうに言われる。どうやら、祖母から「__は子供作んねのか」と何度も訊かれており、私の体調がずっと悪いことや、自分を生かすのに精一杯で子供を作る気はないことを説明してくれたらしい。母の理解の深さが嬉しかった。帰省中に何をしようかなと言うと「あんたは私にレザークラフトを教えなんないよ」と返される。私がもう使う予定のない道具を実家に送ると、母は「勿体ないから」と言って、それを使って新しくものを作り始める。彼女が手芸を教えてくれたおかげで、私は一人遊びの上手な子供だった。今でも手慰みでレースを編む。
浮間舟渡駅へ移動すると、駅のすぐそばに広い公園があったので、その池の周りを歩いた。陽光に晒されたくなって日傘を閉じた数分後、右目から涙が止まらなくなる。感情由来の涙は両目から、それ以外の涙は右目から出る。普段あんな眩しさの中にいることがないから、光をうまく調節できずに疲れたのだろうか。ぼろぼろと出てくる涙に困ってしまう。
17時ごろ部屋に戻る。今日から10月が始まっていた。
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ひとこと日記📓 2024.10
10.1- 「ちひろさん」の映画を観る。有村架純の演技が好き。ふとした瞬間、整形する前のお姉さんの面影が浮かぶ。もう整形前の彼女はこの世に存在しないと思うと切ない。会いたくても会えないのだから。/ 血便がでてヒヤッとした。ジョブズみたいな人間がいる反面、何一つなし得ないで死んでいく人間もごまんと居るのだ。
10.2- 今日は仕事が少なかった。こんなにゆるい仕事なのに、前の仕事より時給がいいの世の中のバグ。
10.3- 毎日が蛇口から出る水のように流れていく。どうしたらもっと時間を意識した生活ができるか考えている。在宅でできる仕事に就いたとして、通��1時間を毎日他のことに当てられる。7時起床、8時に仕事をスタートする。フルタイムで働いたとして、休憩1時間で17時上がり。7時間睡眠を確保するために22時に寝る。そう考えると、あんまり今の生活と変わらないな。結局、労働時間を減らすが効果的だが、金も減る。/ 元彼から電話。今週末の約束の確認のための電話だったけど30分も話してしまった。ずっと笑っていたけど、内心は嫌なことを聞かれないか、また尋問みたいな時間が始まらないかとヒヤヒヤしていた。彼から電話があるまで、自分から電話しなくてえらかった。
10.4- 朝起きたらいつも家を出る時間になっていて、大急ぎで家を出た。間に合ったからよかった。理想は職場の休憩室で軽く朝ごはんを食べて英語を勉強してから仕事を始めたい。/ 感じよく話しただけで脈ありと勘違いしたり彼氏面してくる男が多すぎて気色悪い。
10.5- 昼前に元同僚の男とカフェに行く。恋愛や仕事に対する価値観の話をして、わたしにとっては魅力のない価値観を持つ人だなと思った。価値観の合うパートナーと少しだけ意識の高い人生を送りたいです。
10.6- 午前1:18にアパートの廊下の電灯が消えることを知る。午後1時、元彼と会う。質疑応答会議をする。彼からの質問リストにひとつずつ回答を用意してそれについて詳細を確認し合うというもの。とても不安定な気持ちに振り回されてクタクタになった。ちゃんと気持ちが固まるまでセックスしないと約束したのに、あっさり自分から約束を破った。子宮まで到達しちゃうそれはわたしの体のサイズには見合わない。窓の外でジョギングしている人たちは、少し目線を上げた窓の向こうで何が起こっているのか知る由もない。彼はINTPで超論理的(病的)だけど、結局いつも最後は気持ちなの。
easy=簡単な uneasy≠簡単じゃない
10.7- また一週間が始まった。無理やり捻出したみたいな無駄な仕事に人生を費やしているひとになりたくない。/ 好きな人の好きなところが死んでいくのは悲しい。/ 帰宅してから、マックポテトを食べてTwitterを眺めるしかできなかった。頭の中では動きたいと思っていてエネルギーも余っているのに、動けなかった。
10.8- 出社すると、毎日わたしの机に仕事をいくつか用意しておいてくれる営業マンがひとりいる。わたしが仕事に参加できるよう、仕事を振り分けてくれているのだと思う。時々、付箋にメッセージを書いてくれる。���細な優しさに助けられる。
10.9- 弟の運動会。嫌いな母から産まれた子なのに、どうしても1番かわいく見えてしまう。血には抗えない。
10.10- 秋、カフェイン摂ったときの高揚感をカフェインなしで感じられる時がある。やりたいことがたくさんあってわくわくして焦ってる感じ。
10.11- 今週も無事、仕事が終わった。むずかしいことはなく、ただ次から次へと発生する庶務を処理していくだけ。/ 夜、最近メッセージしていたロシア人とビデオ通話する。日本語がほとんど話せなくてかわいい。元彼にもこんな時期があったんだよな。わたしと出会った頃に比べて、だいぶ自然な会話ができるようになったね。
10.12- 早起きしたけど、結局昼寝して17時ごろから活動。1日あればなんでもできるな。/ はじめて本格的なゴスロリのドレスを買ってみた。ハロウィン用。
10.13- ボーリングのスコアがついに120まできた。すこし前まで60だったから、どんな顔していいかわからない。/ 風呂で髪を染めながら本を読む。効率的。
10.14- 性欲オバケになっている。生理終わったのになぜだろう。
10.15-
10.16-眠る前、元彼と電話をして案の定ケンカになって、こいつはクソだなと思った。わたしも違うタイプのクソだけど。/ Tim とひみつの会話をする。
10.17- 一日中、怒りと憎しみの感情に支配される。何のために命を繋いでいるのかわからないけど、お金があって死にたいより、お金がなくて死にたいのはもっと苦しいから、仕事には行く。
10.18- 会社の飲み会
10.19- 洗濯掃除染髪雑務/「最後まで行く」を観る。綾野剛っていつも黒スーツだね。
10.20- ハイエースをレンタルして冷蔵庫とテレビを運んだ。元彼に手伝ってもらい3階まで。秋晴れ。ジメジメした心も無理やり乾かされた。違う世界線を考えてみる。大嫌いな元彼の女友達を毛嫌いしなかった世界線。潔く隠し事をせずに元彼を選んでいた世界線。今更もう遅いんだけどね。元彼は2月に引っ越して遠くに行くようです。わたしをここに置いて。
10.16- 仕事に行くべきだったが、しんどすぎて休んでしまった。昨晩のことがこたえている。/ 銭湯に行く。変な意味抜きで裸をみるのが好き。
10.22- 昨日の日記が10.16付になっている。頭が回っていない。/ LINEのアイコンがわたしの撮った写真から別のものに変わった。/折れた爪が少しずつ伸びていく。生きている。/いつも数ヶ月先まで予約が埋まっている美容室。年末に予約をとってみる。
10.23- またお風呂入らずに寝てしまった。一緒に入ってくれる人がいないと自分を律せない。
10.24- ばーか、なわたし。
10.25- 恋愛むず過ぎ。色恋がなくても生きてる意味を感じられるようになりたい。what can I do to make it right?
10.26- 気が落ちてる時、面白いほどことごとくいろんなことがうまくいかない。営業してるはずの店が臨時休業、約束のドタキャン、あれ?意外とそれだけだった。もっとわるいことたくさん合った気がするのに。要は思い込み、考え方の癖なんだ。レイトショーでジョーカー観てくる。元彼と行くはずだったけど、ひとりで。
10.27- 日付変わってから帰宅。元彼に連れてってもらったバーに勇気を出して行ってみた。アルバイトの男に一緒にバーに行くかと誘われて、いつもと違うことしなくちゃ何も変わらないって強���観念みたいなものが湧いてきて、飲み屋街に行った。元彼つながりの知人がいるバーに入った。その知人は以前、わたしと元彼との関係について元彼とケンカしてくれた人だ。その日について、ちゃんと謝罪がしたかったから会えてうれしかった。I'll take to your side. と言ってくれた。本当に優しい人。彼と彼の奥さんと話して、アルバイトの男のことはすっかり忘れていたし、不純そうだったからそれでよかったと思う。帰宅して元彼に電話した。1週間未読無視されていたけど、何度か電話したら出た。ごめんなさい、こんな私で。/ 人生で初めてゴスロリファッションに挑戦した。/選挙に行った。
10.28- 元彼とメッセージが続いている。メルカリで初めて物が売れたから嬉しかったそう。なぜ私に報告するの?/頭が痛いと言うと、彼はいつも「お水飲んでね「と言ってくれる。
10.29- 今日も元彼とメッセージが続いている。スニーカーを買ってと言ったら、高すぎると言われて、私の価値は18,920円以下か。/帰宅してすぐお風呂に入った。髪が長くなるにつれ、抜け毛の量が多く感じる。抜け毛のない世界だったらよかったのに。
10.30- 不要な関係は自然と終わりに向かうし、どれだけ傷つけあっても必要な関係は続く。と信じたい。
10.31- 正直に申すと、何のためにあったのかわからない1ヶ月だった。ずーっと心に重たい雲がかかってる感じ。寂しさとの向き合い方は知っているけど、向き合いたくないから敢えて間違った方法で寂しさを埋めようとして悪循環にはまってみる。行くところまで行って落ち着いてきた感はある。自分かわいい大好きな気持ちをもっと育てたいけど少し間違えると自己愛性になるから難しいね。/ 11月にしたいことは、近所にあるタロットの占い屋さんと、タイ式マッサージに行く。
完
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Hitorie - さくらのいつか(Sakura-no-Itsuka) - English Translation
Music: Shinoda Lyrics: Shinoda Arrangement: Hitorie
桜の花が嫌いになったこと The fact that I’ve come to hate the cherry blossoms それでも綺麗だと思ってしまうこと The fact that I still recognize their beauty 何だかんだ楽しくやれてしまってる It’s all kinda fun to me somehow, someway 僕は薄情者 I’m a cruel person
今日もまたあなたが嫌いそうな Yet again, has a song you would probably hate 歌がこの世界に生まれました Come into this world それでもあなたが好きそうな And yet, has a song you would probably love 歌もこの世界に生まれました Come into this world as well
届く筈もないのでしょうけど There’s no way they’ll ever find your ears though
誰が忘れられようか季節の傷跡 Try all you want to forget but this season has left a scar 燃え盛るようなあの青い日々の Our bright blue days practically ablaze 捧げ続けた想い全てを And every last one of our feelings we so fervently offered to the world during them 塗り替えてしまったようなあの時を All up until that one moment in time just repainted over it all 振り返ってしまうのさ、あなたを We can’t help but look back, at times with you
執われた心に火を灯して、歩く Kindle those haunted hearts, and walk on 静けさがふるえてる The quiescence is quaking 救われたかったような、報われたかったような Kinda like a source of salvation, kinda not 泣き叫べない夜が明ける All night we couldn’t cry and scream, until dawn 今日もまたあなたが嫌いそうな歌が Yet again, a song you would probably hate 街を汚し続けている Keeps polluting the city それでもあなたが好きそうな歌は書けないよ And yet a song you would probably love is something that we just can’t write 書けなかったよ Something we could never write
聴かせられるわけがないもんな There’s no way we could have you to listen to them after all
誰が忘れられようか季節の傷跡 Try all you want to forget but this season has left a scar 燃え盛るようなあの青い日々の Our bright blue days practically ablaze 捧げ続けた想い全てを And every last one of our feelings we so fervently offered to the world during them 塗り替えてしまったようなあの時を All up until that one moment in time just repainted over it all 巡り来る春よ、巡り来る春よ、 Oh spring turning on over, oh spring turning on over あれから一度も覚めることない夢よ Oh dream of which ever since then, have we never woken from あなたの為に紡いだ言葉の Just like our words we so wove together just for you ように咲いて散るだけの桜を Do the cherry blossoms bloom before then just scattering to the winds 愛せないよ、僕はまだ。ねえ、そうでしょう? I can’t love them, not quite yet. Yeah, isn’t that the truth?
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(第一部)
衝動的に寂しくなって、夜道を誰かに声をかけられるまで、取り止めなくさまよい歩く習慣がついたのは二ヶ月前からで五回目だった。知らない街まで電車に乗って、治安の良くない場所を選んで歩く。命の危機に晒されて半死半生の目に合うこともあれば、何事もなく無事に帰って来ることもある。仕事に行き自宅に帰り、一人食事を取り寝るだけの繰り返し。誰かに求められることもなければ必要とされることもない。一度負った傷の瘡蓋を剥がす一時��甘い悦びに浸りたいだけの狂った夜間歩行。
現地でシェリー酒やブランデーの強いお酒を飲んで、ほろ酔いから次第に足取りが重くなってくるのに任せる。お酒の酔いの回りの早い私にとって、緊張する瞬間。身元のわかるものは一切持たず、頼るのは自分の意識次第だというのに、その意識すら混濁させながら、ふらふらする。街灯の点灯し始めるマジックアワーを闇に紛れながら、細い路地を歩く。袋小路になるところ、人一人しか通れないような家の隙間を選んで歩く。日中は光の差し込むだろう通路は、ただただ魑魅魍魎の通る獣道のように、鬱蒼として気味悪くなる。
白地に黒い猫の柄の入ったロングの巻きスカートに、一点もののデザイナーズセレクトの白地に赤の刺繡の入ったカットソーを着て、シルクの下着を身につける。巻きスカートの黒い猫の目は金色に光り、夜目にも輝いて見える。巻きスカートは一点もので、かつて愛した人にプレゼントされたものだった。よくこのスカートを身につけて一緒に歩いた思い出のぎっしり詰まったものだった。私は他の男性とSNSを通じてやり取りしていた事を彼に誤解されて、約束していた結婚を取りやめにされた。別れ際、愛する人に清らかな人だと思っていたのに、不潔だとまで言われて、ショックを受けた。ただメッセージのやり取りをしていて、なんの疑われる行為もしてなかったのに。彼はその数ヶ月後にSNSで知り合った人と一緒になったと聴いて、ダブルでショックを受けた。私は清らかではなく不潔な人間だというレッテルを貼られたまま、蛇の生殺しのようになって、数ヶ月泣きはらした。
誰も通らぬような通路を、ドキドキとしながら通り抜ける。空を見上げると、三日月が空に架かり、流れる雲に隠れては見え、隠れては見えする。明るい星たちから輝きだしている。知らない場所の闇の中、月の方角と光だけが頼り。既に刺すような冷たい風が吹き抜け、ただでさえ心細い私を不安にさせる。
30分ばかり歩いたろうか。後方に、私の後をつけている人を確認して、速足で歩こうとする。うまく歩を進めることのできない速足で歩くと速足になり、ゆっくりと歩くとゆっくりと歩く。私は頭が真っ白になるのと同時に、なんの目的でついてきているのか、逃げ切ることができるのか、頭をめぐらす。地の利のない場所で、自分がどこに行きつくのかも分からない通路をやみくもに歩いている愚かな自分。
この先には何があるのか、道すらもないのではないかという不安と、後ろから追いつかれて、腕を掴まれて更に人気のない場所に連れ込まれ���妄想と闘いながら、ふらふらと先に進んでいく。
ふと、後ろからの気配が消える。安堵したのも束の間、カラスが群れて、泣き叫んで暴れている袋小路にたどり着く。心臓がどくどくと聞こえるぐらいに膨大な血流を全身に送り、高鳴っている。私は行き場を失い、来た道を戻るしかない。カラスはこれから起こる何かを暗示しているかのように、獰猛に暴れている。
自分が今どこにいるのかもわからない場所で、闇から闇を通り抜ける。人の気配のない場所で、月明かりだけが頼り。来た道かどうかも分からぬ不安と闘いつつ、二股に分かれている地点にたどり着いた。
どちらに進もうか立ち止まったところで、後をつけてきたと思われる男が待ち構えていて、口をタオルで覆われて、固く捕らえられた。タオルは汗臭い匂いがした。男は地の利のある場所で、一番いい場所で私を待ち構えていたのだ。抵抗する時間も与えられぬまま、竹藪の中に引きずり込まれる。腐った水の匂い、成長した竹の青臭い匂いの中に入っていく。
ちくちくと背中に痛みを覚える場所に引き倒されて、体中を弄られる。お洒落な格好も台無しで、スカートもカットソーも引きはがされて、巻きスカートの黒い猫も無惨に引き裂かれて、脱がされた。白い素肌が闇に浮かぶ。痩せた脇腹の肋骨が上下するだけで呼吸すらままならない。男は貪りつくように覆いかぶさり、欲望の限りを尽くしていく。
私は頭上で竹の葉の間で見え隠れする三日月を涙を流しながら、男の律動に突き動かされている。三日月は冴え冴えと妖しく光り、儚げに歪んでいた。快楽はどこにもない。身体の中を硬くなった虫が激しくうねり、大切な何かを剥奪された痕が残っていくだけ。なぜ私はこんなことをくり返しているのだろう?なぜ?なぜ?と自分に問うてみても、答えは返ってこない。私は私を放棄することで、自分に仕返ししているような気持ちになった。
自分を大切にできずに、汚されていく自分を俯瞰して見つめている。男は二度三度、繰り返し中で果てると、その場に私を残して立ち去って行った。私はぴくりとも動けないまま、竹藪の中で白い肌を晒している。体の芯まで冷えて、このままここで死ぬのではないかと思った。誰かが私を見つけ出して、救ってほしかった。こんな愚かな私でも大切に想って、抱き上げて介抱して、温かなスープを飲ましてくれる存在が欲しかった。しかし、そんな温もりはこの世の中にはどこにもなかった。
私は散らばった衣服をかき集めて、下着を見つけることのできないまま、震える手で身につけた。寒さと怖さで、ガタガタと歯が鳴っていた。お洒落な衣服は、泥で汚れて、竹の落ち葉が張り付き、ところどころ破られていた。巻きスカートに張り付いた猫まで無惨に足元から引き裂かれていた。金色の目には泥がこびりつき、輝きを失っていた。
私はふらふらと立ち上がり、西に傾いて地平に消えて確認できなくなった三日月を見失って、酔いが醒めて素面になって、呆然と闇の中をさまよい帰った。私は正気ではない行為をしているにも関わらず、冷静だった。汚れるだけ汚れて安堵したかった。
自宅に帰った時には0時を過ぎていた。鏡には変わり果てた私が映っていた。私は三日月のように、これから満ちて丸くなっていくのだろうか?限りなく欠けていき、空で真っ二つにぽきりと折れてどこまでも地の果てへ落下していくだけの月になってしまいそうだった。
果たして私は清らかではないのだろうか?ますます遠く離れた不潔で淫らな人間に染まる事で、人間としてのバランスを保てる気がしていた。
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空��らいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地��っただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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海灯祭の思い出 その1 空くんと蛍ちゃんの双子での海灯祭 写真撮る時にリーユェの一番好きな時間が朝日が昇る時間で街の光が消える寸前(約15秒間)が一番のベストショットです。
#原神#genshinimpact#蛍#Lumine#鍾���#Zhongli#ショウリ#魈#Xiao#ショウ#タルタリヤ#Tartaglia#公子#Child#ヌヴィレット#Neuvillette#閑雲#xianyun#海灯祭#lantern rite#@butlerxbutler
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
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Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心して��任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
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九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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久しぶりの横浜中華街
先日、かなり久しぶりに横浜中華街に行った。
3年前くらいまでは、中華街近くの石川町に居たので、横浜中華街にはよく行っていた(歩いていた)。
犬と散���とか、ランチとか、友達が遊びにきたら案内とか、パソコン持っていってカフェで仕事もしてた。
私にとって、横浜元町や桜木町、馬車道、関内などは、故郷のような場所。
さて。
これは、横浜媽祖廟。中華街の中にあります。
神様がたくさん祀られているところなので、たぶん日本の神社のような場所。
神様にも位があるようだし、祀られている神様によって��ワースポットのパワーに違いがあるようで。
日本の神社関連でそんな話を聞いたことある。
だとすると、中国の神社みたいな横浜媽祖廟は、かなりすごいパワースポットなのかなぁ。
日本の出雲大社とか、伊勢神宮とか、日本三大稲荷の京都伏見稲荷や狐さんだらけの愛知豊川稲荷とか
それくらいにすごいところなのだろうか。
住んでた時から気になってたけれど、特に追求もせずに今日に至ってしまった。。。
とにかく、このギラギラしたこの輝きを見てると、パワーがみなぎってくる感じがするし、前を通るだけで心がパッと明るくなるし。
神社とかパワースポットとかに、あんまり興味がない人なので(撮影は好き)、こんな発言で申し訳ないのだけれども。
ところで、中華街の提灯も好き。
クネクネしてる。
ななめになってたりもして。
占いがある風景も面白い。
みんな、幸せになりますように🕊
2022/12/18
16:40
カナリヤ響子
#横浜中華街#横浜市中区#横浜媽祖廟#夜景#china town#nikon d40#日記#ひとりごと#風景#景色#nightview#beautifulview#きれい#ギラギラ#キラキラ#yokohamacity#yokohamachinatown#yokohama#中華街#占い#眺め#カメラ越しの私の世界#カメラ好きな人と繋がりたい#カメラのある生活#japan photos#japanese#japan#camera#nikon#街角スナップ
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2024/1/28
1月28日 今日も海には行けなかった。 目を覚ませても身体が持ち上げられず、今日もなるべく眠る日にしてしまおう、と、3・4度寝をした。 その間に大きめの地震があって、でもいつもみたいに飛び起きてパニックできる力がなく、ちょっともういいから…と寝てしまった。 あと6人時代(あのちゃんが在籍していた時)のゆるめるモ!が一夜限りの復活ライブをする夢を見た。絶対に実現しないだろうなと思った。
地元の友人の結婚祝いに、ソーシャルギフト?を使ってみた。もう彼女が好きなものがなになのかわからないので、でも最後に会った時にインスタントコーヒーをたくさん飲んでいた記憶があり、ブルーボトルコーヒーのギフトを贈った。 それでやっと、結婚おめでとう、を言えた。 “家族でファミレスに行ったことがない人としか結婚したくない”の写真には、自分と並行して彼女が被写体として存在している。この作品で少し鍵になる存在だと思っていたので、その彼女の結婚…と、面白がりつつもどうして良いかわからずにいた。
誕生日を祝ってくれたメッセージにお返事するかたちでギフトのURLを送った。 なるべくもうあまり会わずに、でも年1回誕生日を祝う間柄くらいでいたい。
昼過ぎに、本当にあてもなく出かけてしまった。 誰に会うわけでもなくちゃんとお化粧もして、空はずっと曇りの良い天気で(頭がとても痛い)、これくらい余裕のある日々を過ごした先に、やっと作品を作ったり展示のことを考えたいと思えるようになるのかな、と思った。もう明日はお仕事。
先週友人たちと会った蔵前から浅草、上野、そして蔵前に戻るルートで下町散歩をした。 ダンデライオンチョコレートもシノノメも半月もとっても混んでいたので、どのお店でも良い感じの商品の雰囲気とお菓子のいい匂いだけを味わった。
隅田川沿いを歩いて屋形船を眺め、浅草駅のところで、ここは大学院生の夏に灯籠流しを見に来たところだ!と気がつく。 あと京都の鴨川沿いを歩いた時のことも少し思い出したけれど、隅田川は、眺めていたい、そばに置きたい川ではないな、と思った。工業的な風景。 川にいた鳥が、昔九州一周旅行をした時にフェリーの上でかっぱえびせんをあげた鳥と同じ種類な気がして、その時一緒にかっぱえびせんをあげた友人に鳥の写真を送った。
浅草はとっても人が多かった。 昨年観た百貨店展で気になった松屋にも行ってみた。昔ながらの百貨店で天井も低くて、お菓子売り場はスタンダードなラインナップ。 イートインできるとらやがあり、お茶スポットの穴場な感じ。
雷門を眺めて合羽橋で大きいコックさんを見上げてナチュラルローソンに寄って帰ってきた。 1日かけて観光するようなスポットを、人がいるな〜と、歌いながら2時間くらいで巡り歩いてしまい、でも贅沢した気分。 掲示板に近くの神社で来週豆まきが開催されるお知らせがあり下町。豆まき少し行ってみたい。
帰りの道中で、やっと母からのおめでとうメッセージに返事をした。そしてやっぱり全人類からおめでとうって言われたいと思った。
一日寝るはずだったけれど、東京の街の楽しさを思い出せる日になって、自分を楽しませてあげられてよかった。
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#おでかけ #名古屋クリスマスマーケット2023
大寒波の中、物好きな私たちは栄のクリスマスマーケットに出掛けてきました。2019年に笹島の方のクリスマスマーケットに行って以来、4年ぶりです。
もう少しあったかい時に行っておけば良かったのに、よりによってこの日から冷え込むという日に行く愚かさよ……。中にはユニクロの超極暖、厚めのニットにロングコート、スノーブーツ、マフラーに手袋と完全装備で家を出ました。雪国でも行くんですかね?いいえ、行くのは街中のクリスマスマーケットです。
翌日は普通に仕事なので(しかも早番)、開場時間の16時から入場。まだ日も暮れておらず、ツリーもまだ点灯なしの昼間の姿。それでも飲食のお店には既に行列ができていました。え、始まったばかりのこの時間でこの行列!?と私たちも慌てて列に並びます。とりあえずソーセージのセットと厚切りベーコン、ノンアルのドリンクを確保しました。
色んなホットワインがあって、飲めるものならめちゃくちゃ飲みたかったんですが、途中まで車で来たので飲めないんだなぁ。まあそれ以前にアルコールに弱すぎてワイン飲んだら恐らくヨレヨレになりますけどね!
でもそんな車の民用に、グリューワイン風味のノンアルもあったのでありがたいことです。
ツリー(ひるまのすがた)
後ろの松坂屋がやけに主張してきています。
ツリー(よるのすがた)
松坂屋の主張、更に強くなる。
都会にあるまじき着込み具合で挑みましたが、ビニールで囲まれた飲食テントの中はそこまで冷えなかったので、手袋までは登場しませんでした。そして本格的に冷え込む前にそそくさとラシックに退散。とりあえず雰囲気を楽しんで帰ってきました。
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1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの小説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いやそんなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある!と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自体はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆の佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っぽいもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリントアウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかの���ャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあまね様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリマジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれしかった。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行って、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
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ヘグムパロディ/暴力表現有り
「琴線」
汚い小せえ餓鬼だった。
その辺に居た売婦が置いていったであろう餓鬼だ。物心ついているかついていないかなんて知らない。只当時俺の管理していたシマから女とその客が逃げたのは事実。此奴は置いて行かれたソレの……息子。
四畳半一間の狭い部屋、お世辞にも綺麗な使われ方をしていたとは言えない。万年床みたいな布団の上に丸まって、誰から助けて貰えるかも分からず、然し泣くことも叫ぶこともない、……それがこの餓鬼との出会い。
きっとそうする力も及ばずに、まるで風が吹けば灯が掻き消えそうだ。だが目だけが消える事の無い炎を燃やしていた。
逃げられたのであれば追って返して貰う、どの様な手を使ってもだ。だが、餓鬼だけともなるとそうもいかない。何せ俺は体面は警察であって、"ホンモノ"ではない……。
どうしますか、というマンネの声に、連れていけ、とだけ零した。
餓鬼は暫く俺の家で預かった。
暫くの筈、であったが、いつの間にか大きくなっていく。
あの女の形見には到底なるまい。何せ戸籍も出生届ですら何もなかった。
働かせてどうにか少しでの足しにでもするか、…とも考えられたが、当時一緒に過ごしていたマンネが世話を見ていたので、それは辞めておくに越したことは無かった。どうせ大した金にはならない。
餓鬼はまるで飢えた猫の様に飯を良く食う。
この街の店のうっすいスープの刀削麺を良く好んだ。マンネや他のメンバーが仕事をしている時、俺は此奴を良く此処に連れて飯をやった。
箸の持ち方ですら儘ならなかった癖に、大人用の赤い箸を器用に使って何杯も、何杯も食べる。��は別のテーブルで腰掛け煙草をふかして、餓鬼の食い意地を見ていたもんだ。
それから数年が立って、組織からデカい仕事を任された。
対面する組織のガサ入れだ。だが事実それは組織を崩壊させに行く事も同時であった。相手にとっては頭とその側近を逮捕されては組は終わったも同然。予想通りに抗争へと発展した。この名高いスラムの街では何処でも銃声音は鳴り響くが、一夜で此処まで死傷者を出した抗争は久しぶりだったかもしれない。
俺らのやる仕事は表向きでは決してない、二重スパイだってあり得る話で、碌でも無い非合法にも足を突っ込む事があった。死ぬ時は布団の上で綺麗に死ねるなんて思っていない。どんな悪人であれ、どんな組織であれ…、いつかは己の成した事がその身に反ってくる。
俺は右目に傷を負い、仲間の命を失った。
一人裏切りが出たのが原因であった。寝深く潜られた内部を深く突かれる。裏切者は抗争で起きた喧噪の最中逃げていき、消息は途絶える。
友人はもう戻らない、俺らのやっていた事はいつかは返ってくる。因果応報。だがこの様な方法で俺の命にも等しい人を、失うとは思っていなかった。
組織の仕事は結果的には収めたが、成功であったとは言い難い。
残党と裏切った者を追う日々に追われ、今までに無く汚いやり口を使って……嬲り、痛め、そして闇に葬り去った。此処で書くには惜しまれる程には。
一度、その仕事帰りを餓鬼に見られた事があった。
到底人前には出らない、尋常では無い姿であった筈だ。餓鬼は拳についた俺の血を見て、マンネに両の手で目を覆われ何処かへ連れていかれた。
今更善人ぶる訳もない、彼奴の出自と俺らの出会いがそもそもその様なものではない。この街に生まれ、此処で住むという意味では、正に"正しい姿"を見ただけなのだ。その手を洗う事もなく、紙煙草に火をつけた。
餓鬼もその内、此処から追い出さなくてはならない。もう傷を負うのは、…懲り懲りだからだ。
そうともしない内に、何時しか餓鬼は消えた。
何日もうちに帰らずが続き、久しぶりの事務所のソファで寝転がり、疲れ持て余した脳内で薄らと彼奴が出て行った事に漸く気が付いた。餓鬼は恐らく見てくれは14、15にはなっていた。もう一人で生きていけない程の年齢では無い筈だ。少しばかり金は消えたが…、まあこのくらい痛くも痒くも無い。勝手気儘に生き、好きな所でくたばれ。いつも言ってた事だった。
「あの子SUGAさんの、……若い頃に似ている。組織に入る前の、今よりもっと尖ってた時の。」
帰って来ない仲間達がそういって笑っていた事が脳裏に過り、胸の内にズシリとくる重石を取り除く為に、天井へと紫煙を吐いた。
其れからの数年後、"D"と言うゴロつきがこのスラムに現れる。どうやら組織を何人かのチームで潰し、放火をし、金まで盗み取ってしまう。……、狙われた組織は汚染されたものだけが選ばれていた。慌ただしく無線やら電話が鳴り響く。
「SUGAさん、Dにやられました。アジトの金全てやられています。」
………懐かしい猫の匂いがした。
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