#蜘蛛と交わす
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こないだタホ湖に遊びにいった。夏のタホ、2年前とかに初めていって2回目だけどいいもんですね。行く前はスキーリゾートに夏行ってどうするのかという気持ちだったけど、湖が綺麗で水遊びもできるし、好きならハイキングもできる。結構人は多いのでそういうのが面倒ならもう少し山側に行くと人も少なくて良い。キャンプをしてる人もいるし、自転車を楽しむ人もいる。意外といいものです。 それはさておき、滞在中のある日、朝起きてふとみると車のフロントグラスが見事に割れていてビビった。 滞在先は屋根のないオープンエアな駐車場に車を停めていたわけだけど、日差しで暑くなるのもちょっと嫌かなと思って木陰のスロットに停めることにした。駐車場には20m以上はあるだろう高い木がそこそこ生えていて、その脇なら木陰で暑くなりすぎない。だがどうやらその日の夜に自分の車の脇の木から、まだ若く重みのある松ぼっくりが落下して、それがフロントグラスに激突したのだと思われる。幸いにして助手席側だけど蜘蛛の巣状のヒビがかなり大きく入っている。まじかって感じ。 ここまですごい割れ方をするのは珍しいだろうが、車のフロントグラスにヒビがはいるということはないでもないらしい。走行中に小石などが跳ねてぶつかるのが多いという。そういう小規模のヒビでも放置しているとさまざまな条件(走行中の細かい振動や昼夜の寒暖差など)でヒビが成長して問題になるので対処が必要なのだという。調べるとアメリカでは小規模なものなら修理キットみたいなものが買えて、レジンを埋めるような形で損傷を埋め、ヒビの成長を抑えることができる���うだ。が、今回の損傷はそんなので修復できるレベルではないものだ。多分フロントグラスは交換しないといけない。でも今は旅先で、帰るには4時間以上運転しないといけない。どうしよう。 色々考えた結果、まず小規模なヒビを修復する修復キットを買ってきた。レジンの量は全然たりないが、大規模そうなヒビのあたりにレジンを塗りたくった。それでもあんまり足りなかったので、近くのスーパーで大きめのセロハンテープを買ってきてヒビの上から貼ることにした。こういうのは、とにかく帰宅するまでヒビが大きく成長したり問題が起きないようにするための応急処置のつもりでやった。運転席の直進方向の視界にはヒビは(ほとんど)ないので、運転はできる。あと時節柄雨が降ったりしなかったのでワイパーを動かす必要がなかったのは良かった(ワイパーがヒビに干渉して酷いことが起きることは容易に想像されたので)。これでヒビ割れのまま休暇を過ごし、帰り道では無茶な運転は控えてそれほどスピードを出さずに運転し、無事に帰宅できた。といってもまあ応急処置に意味があったのかはあんまりわからない。たかが数日だし、何もしなくてもそんなに急にヒビが大きくなったりはしないような気もする。気休めというか気のせいというかやった気持ちになるための何か、という気もする。 さて帰宅後に車の保険会社に連絡してフロントグラスの交換処置をしてもらうことにした。保険会社にクレームを作ると、保険会社がお勧めする地元の修理業者が色々紹介されるので、うちから近場の一つを選んで予約をする。この辺はスムーズに進んだ。と言ってもなぜか予約システムは連動していないので自分で電話をしないといけなかったけど……と電話をしてみると「ああ、これはあなただけじゃないんだけどね、うちはガラスの修理はやってないんだよ。なんで保険会社のリストに入ってるか知りようもないんだけど、他を当たってね」といった返事であった。おいどうなっているんだ。 保険会社からはシステム上は連携が取れていて修理業者に見積もりが届いていることになっている。なのでそうと言われても修理業者を変えるならシステム上でまず変更しないといけない。が、UIからはなぜか変更ができない。どうなっているんだ。 仕方ないのでサポートに「業者を変更したいができない」とレポートを送ると、サポートからメッセージがきて「変えられるようにしておきました」という。それリロードしてもう一度見てみると、確かに変更可能なUIになっているので、今度は多少遠くてもいいのでリストの一番上を選ぶことにした。それで選び、電話をかけると……「いやうちも衝突事故とかの修理で、ガラス交換はやってないんだよね」と言う。どうなっているんだ。 仕方ないので(またUIからは変更できなくなっていたのでサポートにメッセージ���送って再度変更可能なUIにしてもらい)再度業者を変更。今度は事前に検索などをして車のガラス交換業者であることを確認して選んで、それで予約ができた。それからの手続きはスムーズで、そのまま電話した翌日に無事修理となった。こちらが出向く必要もなく、向こうが来てくれて自宅で交換してくれた。保険が効くので自己負担額は$500ほどであった。 ちなみに余談であるが、2個目に予約した業者からは後で電話がかかってきた。その会話で分かったこととして、そこはどうも同じ住所をシェアして複数の業者が入居しているような工場というか作業所みたいなところのようで、自分がかけた先は本来とは違う業者だったようであった。うちに替えてくれたら割引で自己負担額$400で請け負うよ、という謎の割引交渉をされたが、もう予約も済ませてしまったし面倒なので断った。 松ぼっくりでガラスが割れるというのがどれぐらいよくあることなのかはよくわからないが、アメリカの自然側のところに旅行をしたら、あり得ない被害というほどレアではないだろうと思う。交換作業をしてくれた人も、「ああ松ぼっくりね。あるある。俺も経験あるよ」みたいな感じであった。木から落ちるような松ぼっくりは普通、完全に開いて茶色でカラカラに乾燥していて軽いが、確かにたまに緑色で開いておらずずっしりと重いものが道端に落ちていたりする。松ぼっくり自体も日本のよくあるそれよりは数倍大きいので、これがあの高さから落ちてきたらそりゃあガラス割れるわという感じである。人の頭に当たったら結構深刻な怪我になったりするんじゃないか。滅多に起きることではないだろうが。 しかし災難であった。全く自分のせいではないと思うんだけど、これで保険料上がったりするのかなぁ。それだけが心配です。
車のフロントグラスが割れた – Jun Mukai's blog
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ファースト・カウ

映画初めに行ってきた。もし今年が丑年だったらお正月映画に位置付けた謎のPRがなされたのかなとぼんやり思った。それはそれで愉快な気もする。
長編7作目にして日本初配給のケリー・ライカート作品、ということで気になってたけど実際沁みる映画だった。去年の最後が『PERFECT DAYS』だったので、光の美しい映画を年末年始に立て続けに観てしまった。こりゃいい年にならざるをえない。 以下良かったところのメモなのでネタバレがある。
歩いてる足元を映すシーンが多かった気がする。劇中の音楽はきれいだったけど多用はされておらず、枯れ枝を踏みしめる足音やオールを漕ぐ水音、クッキーが菓子を焼いてるときの火の爆ぜる音なんかはほとんど飾られていなかったと思う。だからいっそう足元のカットが印象に残ったのもあるだろうけど、歩きかたってやっぱり感情出るよな(観てるこっちが読み取ってしまうだけかもしれないけど)と感じ入った。監督はそういう小さな変化を撮るのが好きなのかもしれない。農業をやりたかったキング・ルーと旅人のためのホテルかパン屋をやりたかったクッキーが少しずつ友情を深めていく、そのかすかな変化を大事に拾い上げていくような物語が、小さな音や光の移り変わりや自然の表情をこまやかにとらえる映像で作られているのは説得力があった。現代の川をずみゃーーー……と進んでくる長いタンカーの黒とオレンジの船体と当時の川をのんびり渡ってく小舟の対比がなんかよかった。 見ててくれって頼まれた赤子を置いていくのを躊躇ったり乳搾りのあいだ牛に話しかけたり、くつろいでくれと言われたのにルーの家の掃除始めたり枝を採ってきて飾ったりしちゃうクッキーが全体的にいいやつすぎて……ボストンのパン屋で働いてたことがあるって仲買商に打ち明けてたけどあれキング・ルーは知ってたんかな。頭打って体調悪いのに「baker(パン屋)とbeggar(物乞い)が似てるのはどちらもb-read(パン)が必要だから」てジョークかますところもよかった。父が死んで母が死んで家を出てあちこち彷徨ってきた経歴のわりに物の見方が荒んでないのは、両親の記憶とかパン屋の経験とか、放浪のなかにも良い出会いがあったからかもと想像した。 クッキーがそういう人間である一方で、「中国じゃ白人より嫌われる」北生まれのキング・ルーはたぶん自分の生まれた場所を思い返すと苦い記憶が入り混じるんだと思う。本当は農業をやりたかった、は自分の土地がほしかったって意味でもあるだろうから。「カードを一枚しか場に捨てない古いルールに則るペテン師ことジョン・ハート(ハートは心臓でなく牡鹿(dear)のほう)」の意味合いがうまく呑み込めずにいるんだけど、酒場でクッキーを見つけたときにカードをやってるテーブルじゃなく自分の家の卓で酒を飲まないかって誘ったあたり、ルーはクッキーに助けてもらったことが本当に嬉しかったんだろうな。自分を追ってたロシア人が戻ってきて家をめちゃめちゃに壊して去ったあとのルーが、残骸のなかからクッキーがお菓子作りに使ってた枝を拾い上げて石の上にそっと置き直したところに愛を感じた。 あと観に行ったフォロワーさんも言ってたけど、映画の冒頭で並んで横たわった状態で見つかる二人ぶんの骨がさあ……。ドーナツの列に割り込まれたり働けって怒られたりして結局買えてなかった男性が逃げる二人を尾行してたけど、最終的には彼がキング・ルーを撃ったんだろうか。というか観終わったあとにチラシを見たら牛を牽いてたのも同じ男性だったので(全然気付いてなかった)よくもおれの牛をってことだったのかもしれん(この人の牛ではない)。あと仲買商がすごい見覚えのある俳優さんでびっくりした。トビー・ジョーンズじゃん! キング・ルー、ビーバーの脂は高く売れるとかサンフランシスコのホテルはどうとかクッキーの前でずっとぽつぽつ喋ってたけど、あれクッキーに聞かせるというより自分に言い聞かせてたんだと終盤で気付いた。頭を打ったクッキーがしんどそうに木の陰に横たわったとき「眠っていろ おれが見張ってる」て隣に座って膝抱えてたのに「すこし眠ろう」て隣に横たわって「おれがついてる」て目を閉じるじゃん。その言葉のとおりに最期までクッキーのそばについていたんだなと分かる冒頭の骨ですよ。ハートはペテン師でもキング・ルーは何も欺かなかった。ほんとに「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」だったんだな……てしみじみしたし、このラストに至った二人の歩みに納得しかないくらい、最初から最後までささやかでも得がたい交友の重なりを見せられたところが良さだと思った。良い映画が観られてうれしい。今年もいい年にしよう。
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ふたのない
翌朝、潤いを失った脳が、頭蓋の内側へあちこち癒着しているような痛みが、宿酔の頭痛は。ポカリ飲む。ちんこ勃たない。さようなら。雨催い。雨も良い。せめて換気しようと思って、サッシ窓をカラカラ開ければ雨。湿った風が吹き込んでくる。網戸の縁の毛羽だったところへ、たんぽぽの種子がいくつもくっついてふるえていた。玄関出て、足下の床と壁が垂直に交わるところに蜘蛛の巣が張っていて、そこにもたんぽぽの種子がたくさん絡まっていた。いずれもたんぽぽの生涯としてはハズレの部類だろう。鶏の羽根みたいだと思った。鶏舎を思った。鶏声を思った。鶏糞を思った。それから無数の×××××を。見たことないけど。家人がダイニングテーブルに鏡を立てて、眉毛をぶちぶち抜いていた。共有できないじゃん! とすれ違った誰かが叫んだ。記憶は曖昧。背広のおっさんが立ち止まって、植え込みの紫陽花の写真撮っていた。土壌のpHによって花弁の色味が異なるのだと、昔付き合っていた女が��えてくれた。やたらと花に詳しい女だった。
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セクション 1 境界
カメラは三脚や類似の安定装置によって固定されていた。動きの仕組みは、遅く、単調で、中心へ向かうズームだけだった。カメラはある場面や物体にロックオンし、焦点の中心へと徐々に迫っていく。中央の対象物は次第に大きくなり、ついには抽象的なものへと変化していった。
この「抽象化の段階」は心地よいものだった。それは、対象が圧倒的なまでに接近し、しかし決して完全には理解しきれないという張り詰めた緊張感からの解放、そして最終的に現れる巨大で無個性な視覚的領域が揺らめく様子の組み合わせによるものだった。この段階で何らかの追加的な処理が施されていたのかは判然としなかった。というのも、視覚的な揺らぎが非常に多く、まるで無数の小さな暗いピクセル状の風車が回転しているかのように見えたからだ。
これらの映像は、この視覚的な煉獄の中に約30秒間とどまり、その後、次のズームへと滑らかに移行した。つまり、非常に巧妙でゆっくりとしたクロスフェードによって、新たな引きの視点が現れ、また中心へと迫る動きを始めるのだった。それは、何かの本質やエリアの核心に執拗に迫ろうとするかのようだったが、常に外側に留め置かれるような感覚を抱かせた。
映し出される物体や場面は多種多様であり、明確な関連性は見出しにくかった。例えば、灯台を囲む生け垣の特定の影、暗く静まり返ったショッピングモールの中でホットプレッツェルの上に乗った一粒の塩、中規模の官庁建築の引き下ろされたカーテン越しにほのかに照らされた窓、華麗なロココ調のタペストリーの背景に浮かぶ小さな巻雲の絡み合う繊維、雲ひとつない夜空に輝く三日月のぼんやりとした下端、その下の牧草地に散らばる牛たち、交通料金所の天井の隅で小さな蜘蛛が他の昆虫を丹念に包み込んでいく様子などである。
この映像全体には、低く途切れない音が伴っていた。それは、増幅された複数のあくびが遠くで響いているような音、無数の小さな真鍮の鈴が軽い風に揺らされて繰り返し擦れ合う甘美なざわめき、そして小石がちりばめられた細流が深い地下墓地や洞窟のアーチ型天井の下で反響するような音の層が重なったもののようだった。
352 — This week on Cargo chatgpt.com
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INTERNET YAMERO
インターネット・エンジェルという現象は 仮定された有機交流電燈の かわいい虹色の照明です ぶいっ あらゆる透明なアカウントの複合体 このクソゴミカスキショキショな現実を 忘れさせてあげる 慈愛の天使 大人のみんなにはナイショだぞ 大丈夫もうなにも怖くないから こんなSNS抜けだして二人で海を見に行くぞ! インターネットや・め・ろ~!!! わかる真似をして なにも知らないね アナタ なにが悲しいの なにが寂しいの 聴こえてる? 人が恋しくて 人がイヤすぎて ループ 夜が好きなのに 一人じゃ寒くて 震えてる ほんとうは幸せを知っているのに 不幸なフリやめられないね アンチに負けず 信者��媚びず どんなに努力を重ねても 一寸先は地獄行き いやもうすでに冥府魔道 地獄の沙汰もいいね次第 偽善者トラップ蜘蛛の糸 こんなに苦しい筈なのに インターネットがやめられないない! 発狂! かけめぐるエクスタ…
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「 最大の重し ―もしある日、またはある夜、デーモンが君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。「お前は、お前が現に生き、既に生きてきた���の生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう? 」(フリードリヒ ニーチェ『悦ばしき知識』1882)
2024年の米大統領選挙でアメリカが、自分たち自身に問い、自分たち自身から問われたのは、自分たちの「精神」や「信仰」についてであり、トランプ次期大統領が勝った理由は、みんなが「祈ったから」だというようなことを、何人かの人がそれぞれの言い方で語っていた。クリスマスや年始の挨拶に合わせた言い方だというのもあるが、結構マジで言っていて、抽象的な話でもない。ここ数年、多くの人が宗教観や精神性というようなことについて話していて、選挙期間にますます増えていった。そうした話は、視聴者数の最も多い、あるいは選挙期間に視聴回数を多く伸ばしたポッドキャストなどで頻繁に話題に上がり、動画などミームの形でも多くシェアされた。 「宗教的信念 (レリジャス ビリーフ)」というような言葉を使う人も増えたように見えるし、聖書の中の一節についての話だったり、メタフィジカル(形而上学の、現世離れした、きわめて抽象的な)な概念についての話だったりするが、これらの話は、また、こうした話をする人が増えていること自体がそうだが、現実に起きている問題や現状認識と無関係ではないと、社会分析的あるいは心理学などの観点から解説する人もいる。すなわち、虚無主義が蔓延し同調���力を強める社会の空気に抗うための足場としての「信仰」や「精神」ひいては「愛国心 (パトリオティズム)」だという考えである。この説明は分析というより、ほとんど見たままの現状認識で、同じようなことを言う人は何人かいたが、こんな質問をする人がいた。確かにその通りだと思うし、信仰心や愛国心は良いものだとも思っているが、2001年の911の後、少なくとも2年くらいの間、あの時も信仰心や愛国心が盛り上がった。当時も信仰心や愛国心は良いものだと思っていた。911の翌月に成立した愛国者法は2015年に失効したものの、色んな疑問があるし議論すべきことが多く残っているとも思うし、なにより2003年からのイラク戦争に突入してしまった。政府の公式見解に異論や疑問を持つ人たちを全て陰謀論者として括って、一部はテレビなどでエンタメとして消費し、一部の事実誤認をあげつらって全体を貶めたりすることに、直接的に何かしたわけではないが、加担してしまったと思うし、同調圧力を作る側だったと思う。今思えば、自分と同じように信仰心や愛国心を掲げる周囲の人たちの一部に、カルトメンタリティや妙な虚無主義があるのも感じていた。これも部分部分については心理学などで説明できるのだろうが、当時と今とでは何が変わったのだろうか。もちろん色々変わったし、漠然としすぎていて、はっきりとした答えを出しようがないこともわかっているが。
「精神」や「信仰」とは何かと言われてもわからないし、ましてや特定の宗教の信仰心とかアメリカの愛国心などなおさらわからないが、こうした言葉を使って話してる人たちのそれぞれの話は、大体はわかる気もするし共感もする。こうした話は全体として、自分たちの共通の常識や庶民感覚、すなわちコモンセンスによって、社会について認識し直そうという動きであり、政治権力や専門家などに奪われていたコモンセンスを取り戻そうという動きだったと思う。そして、少なくともある程度は取り戻せたということが、大統領選挙の結果によって示されたと思う。一方で、選挙期間中に毎日毎時間絶え間なく流れていた「重要な争点」やその解説というのは、選挙結果がどうであっても、選挙後にはスピンされて消えていき、今現��のように、とくに誰も思い出さないし、どうでもよくなっているだろうということは、選挙結果が出る前から、誰もがうすうす気づいていた、というかこれまでのパターン認識的にわかっていた。 ニーチェの概念に「背後世界」というのがある。「現実世界」と対をなす概念で、現実世界の背後にある意味付けや価値観のことを指す。宗教においては「神」であったり、社会においては「常識」や「道徳」、あるいはそれらによって「正しいとされるもの」などが背後世界である。現実世界には、意味付けや解釈といった、すなわち背後世界が覆いかぶさっている。ニーチェは、現実世界の裏に意味や価値を見出す姿勢、つまり現実世界の背後のことばかりを考えることを嘲笑するニュアンスで「背後世界」と呼んだ。「意味」や「価値」、これまで「正しいとされていたもの」が、実はそうじゃなかったと知り、人生の無意味さに絶望する事態が、すなわち虚無主義(ニヒリズム)である。ニーチェは、目に見えない理想や世界の裏にあるかもしれない真実、外から押し付けられた価値観などの「背後世界」の中で生きることは、現実世界を否定する行為であり、ニヒリズムに陥る原因であるとした。 ニーチェはニヒリズムを、近代における不可避的な事態として描いている。『ツァラトゥストラかく語りき』(1885)のツァラトゥストラは「おのれ自身を愛さねばならない」と説いている。この「おのれ」は意識や自我のさらに奥底にあるもので、世界を肯定し本源的な生を生きるために何よりもまず発見されなければならないものである。が、「人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは最も困難だ。精神(ガイスト)が心(ゼーレ)について嘘をつくことがしばしばある。」この「ガイスト」というのは意識や自我に属し、「ゼーレ」というのは身体や「おのれ」に属する。ガイストは、背後世界の中で迷子になり、そしてゼーレを見失う。ゼーレと通じ合うことのないガイストによって「市民道徳」を強要する近代社会を、ニーチェは非難した。 背後世界の拒絶や、ガイストの放棄は、ゼーレと通じ合っていないとしても、しかし、不可能だ。これらの拒絶や放棄は、人間であるための諸条件を一挙に失うことを意味する。背後世界やガイストとは、言うなれば「言葉」のことであり、言葉から生じる意味や論理、文法などなどあらゆるもののことである。可能なのは、「対決」を通じて、失われた自由と主体的決断を取り戻すために、足掻くことである。 ニーチェがニヒリズムを不可避的事態と捉えたことの予言的正確さを立証するかのように、ニーチェ的なテーマは以降の表現において不可避的なテーマのひとつとなった。こうしたテーマに取り組んだ人たちが出した答えはこういうものだ。「もう一人の自分」に出会うこと。その「もう一人の自分」と対決あるいは対峙すること。そして、もう一人の自分を救うこと。 筒井康隆原作、今敏監督の映画『パプリカ』(2006)は、このテーマを扱っている。メタフィクション構造で「夢」と「現実」が描かれ、登場人物の一人は「夢」の中で本当の自分を探し、別の登場人物は「夢の中の自分」と対峙する。「夢」に現実が覆われ、飲み込まれていく。クライマックスでは、ニーチェの超人思想における「超人」への「精神の3つの変化」、すなわち、重荷を背負って歩く「駱駝」、力強く「否」を投げつけ「我欲す」と叫ぶ「獅子」、世界を大いなる喜びとして受け入れ新しい価値を創造する「幼子」、を思わせる「幼子」が世界を救い、最後に「フィクション」と和解する。 今監督のメタフィクションや虚実混交の手法は、特に海外では「マジックリアリズム」と呼ばれる。これは「マジックリアリズムとは何か」を説明する際に代表的に挙げられる作家であるホルヘ ルイス ボルヘス��、扱うモチーフに共通するものが多いことが大きな理由で、そのモチーフは「夢」「迷宮」「鏡」「円環」などだが、両者とも自身の手法を「マジックリアリズム」とは呼んでいない。1960年代のラテンアメリカ文学ブームと呼ばれる作家たちが、自身の作風を表現する際に「マジックリアリズム」という語を好んで使い、この語が世界的に広まった。現実(リアリズム)について考えた時に逆説的だが必然的に浮かんでくる「非現実的なもの」をどう扱うかについて取り組んでいる点で共通するが、手法やモチーフなどは様々である。当時の作家たちの多くが、強く影響を受けた作家として、また、「マジックリアリズムとは何か」を説明するために、ボルヘスの名を挙げた。筒井は1970年代にラテンアメリカ文学に注目し、自身の作風に取り入れ、メタフィクションの技法を作っていく。今監督は筒井作品に影響を受けたと語り、『パプリカ』(1993)や『夢の木坂分岐点』(1987)を挙げた。
ロシアで最も有名な絵画のひとつに挙げられる、イワン クラムスコイの『見知らぬ女』(1883)は、初めて発表されたときにセンセーショナルな、異様なまでの批判が巻き起こった。「挑発的に美しい」というような理由で批判され、絵に描かれた誰も知らない女性への悪口でしかない美術評論が書かれたり、その絵の女性を知っているという人が出てきて何か言っては結局のところ嘘で実在しなかったというのが繰り返され、さらには、絵の女性は1881年に暗殺された皇帝アレクサンドル2世の2番目の妻であるユーリエフスカヤ公女であって、皇帝暗殺後に国外へ出国したはずが、絵の背景であるサンクトペテルブルクのネフスキー大通りの付近で皇位継承に関する謀略をめぐらしていることを告発する絵だというようなことも噂された。ネットでユーリエフスカヤ公女の写真を見てみると、似てるっちゃ似てると言えなくもないかもしれないけど全然違うだろというような感じである。現在では、明らかに同じ女性が描かれたスケッチの経緯から、ある貴族と結婚したクルスクの農民女性マトリオナ サヴィシュナが絵のモデルだったことはほぼわかっているものの、「決定的証拠はないため不明」とされている。この絵はセンセーショナルな評判や解釈を含めて、後続の画家や作家に大きな影響を与えた。「罪なまでの美」は後続の作家の目標やテーマとなる。この絵にインスピレーションを得て書かれたとされるアレクサンダー ブロックの1906年の詩「異邦人」によって、この絵は「異邦人 (ストレンジャー、見知らぬ人)」という題でも呼ばれるようになる。クラムスコイはこの絵のタイトルに「アンノウン」(を意味するロシア語)とだけつけた。「見知らぬ人」であり、「異邦人」というニュアンスもあるとも言えるが、「不明」「未知」の意味もある。まさに、絵の女性のなんとも言えない表情によって、なんだかよくわからない感情を刺激される。そしてまさに、1881年の皇帝アレクサンドル2世暗殺後のロシアには、��んだかよくわからない感情が漂っていた。クラムスコイは、画家は「人々の前に鏡を置き、その鏡を見て彼らを不安にさせる使命をもつ」という考えを持っていた。実像と鏡像の境界が鏡であるように、クラムスコイはこの作品によって、肖像画と主題画の境界に立つ芸術様式を打ち立てた。 クラムスコイはセンセーショナルな評判に対して、公に反応することも、モデルについて言及することもしなかった。それが人々の好奇心をくすぐることになり、様々な憶測や解釈が与えられ続けることになった。クラムスコイは1873年にトルストイの肖像画を描いているので、トルストイの『アンナ カレーニナ』(1877)からインスピレーションを受けて『見知らぬ人』を描いたのではないかという説もある。根拠は薄い気もするが、まさにイメージとぴったりだということで、20世紀後半にはこの絵を装丁にした『アンナ カレーニナ』も出版された。 クラムスコイは「移動派」と呼ばれるグループの結成メンバーであり、移動派は、芸術とは思想の表明であり実生活に根差していなければならないとするロシアリアリズムに影響を受けていて、歴史的で芸術論的な諸様式の中にジャーナリスティックな時事的関心と批判精神を盛り込もうとした。ジャーナリスティックな観点からの『見知らぬ人』の解釈として、1880年代に入ると、静かにだが劇的に、特に女性のファッションが変わっていたことを表現したものだというのがある。絵の女性は1880年代の最新のファッションを着ている。1860年代からの改革運動あるいは過激な政治運動による混乱を経て、暗黙的にだが厳格に存在していた階級的ドレスコードがなくなり、さらには1881年の皇帝アレクサンドル2世暗殺後、なぜか奇妙に存在していた政治思想的ドレスコードもなくなったという。すなわちこれが「ニヒリズム運動」だった。1860年代から貴族階級の若い世代の間で、この「ニヒリズム運動」が広まっていた。この運動において、体制の側にある宗教、芸術、社交生活さえも否定された。そもそもニヒリズム運動は貴族階級の親子対決の形をとっていて、親世代のものとされるものを否定しようとした。美や芸術も、農民や労働者からの搾取の上に成り立っていると否定され、黒一色の服を着た。道で人に会って会釈する事も偽善とされ、つねに気難しい顔をする。このストイックさは、時に滑稽な面も見せた。それと並行する形で「ナロードニキ運動」という革命運動が起こっていた。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1880)のモデルになったとされるドミトリイ カラコーゾフによる1866年の皇帝アレクサンドル2世暗殺未遂事件の後、反体制派への弾圧は一層過酷なものになる。それ以前から青年たちの活動は、当然だがすべて地下活動であった。1879年にナロードニキの過激派が組織化され「人民の意志」が結成されると、1881年に党員イグナツィ フリニェヴィエツキによってアレクサンドル2世は暗殺された。政府は「人民の意志」主導者たちの多くを絞首刑に処した。ニヒリズム運動、ナロードニキ運動は終わった。が、「人民の意志」はアレクサンドル2世の暗殺��成功したことに自信を持ち、アレクサンドル3世の暗殺を計画し始めていた。しかし暗殺計画は露見、1887年、秘密警察はアレクサンドル ウリヤノフら容疑者5人を逮捕、絞首刑に処した。この時処刑されたウリヤノフは、1917年の十月革命指導者ウラジーミル レーニン(「レーニン」は筆名であり、本名はウラジーミル イリイチ ウリヤノフ)の兄である。『見知らぬ女』が描かれた1883年には、その数年前までなぜか奇妙に存在していたドレスコードがなくなり、その人がだれか、服装では階級や思想はわからなくなった。が、ニヒリズムは残っていないだろうか。彼女の表情に、あるいは彼女の視線の先に。
「鏡」あるいは「境界」から意味が発生するように感じるのは、「対比」が起こるということでもあるが、「ハーモニー(調和)」を感じるからだという。どちらも1605年に出版されたシェイクスピアの『ハムレット』(1601年頃書かれ初演)と、セルバンテスの『ドン キホーテ』(前編が1605年、後編は1615年)を、近代文学のはじまりとする文学論は遅くとも18世紀後半にはあり、その2作の比較研究だけではなく、旧時代と新時代が対比された。「新世界」を目ざした15世紀から17世紀半ばまでの大航海時代の、次の時代、「新時代」を予感し始めたのが、17世紀初頭のこの頃だという解釈である。そして「メロディ(旋律、節)」や「リズム(周期的反復)」からも意味が発生するように感じる。つまり音楽は、意味以前であり、意味の発生である。『ツァラトゥストラ』は「わたしは踊ることのできる神だけを信じるだろう」と言った。 宗教学者で哲学者のミルチャ エリアーデは、歴史の中で「再演」と呼ぶものが見られたときに、ある出来事が意味をもつと言った。循環史観という、歴史をある一定のサイクルの繰り返しと見る立場は古代からあり、2017年にトランプ政権で主席戦略官を務めたスティーブ バノンに影響を与えた本として取り上げられた『フォース ターニング 第四の節目』もその一つである。ここではアメリカ史を80年周期で見ている。歴史観というのは、循環史観であっても、歴史を直線的な発展過程と見る進歩史観であっても、科学的根拠があるわけではない、解釈であり背後世界だが、1865年の南北戦争の終戦から80年後の1945年の第二次世界大戦の終戦から80年後の2025年に終戦を願い、2026年のセミクインセンテニアル(建国250周年)で踊るのはなんかいい感じである。
今敏監督『パプリカ』と同じく2006年に公開された、同じく筒井康隆原作の、細田守監督の映画『時をかける少女』は、観終わると、最初のシーンが何度も繰り返されていたことに気付き、最初の最初のシーンはそういや夢だったことを思い出す。
2025年1月 ��ラネット パレード
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リンギングフェイト。
中国が考えるかわいいSDキャラデザCGロボ搭乗格闘アニメ。勝つと記憶を取り戻す死後の世界設定は誰ソ彼ホテルとかぶる。見なくていいかしらね
いずれ最強の錬金術師
このすばみたいな駄女神異世界転生。正規の召喚3人組の1年前に主人公を送り込むのが後で出会うんだろうけど、蜘蛛テイムまで。もうステータス画面が出る転生は切りたいところ
マジックメイカー
異世界転生したら魔法のない世界だったからつくるアニメ。姉弟のおねショタ。
サラリーマンが異世界に行ったら四天王
ビジネス交渉術で魔王軍を立て直す…。サラリーマン向け?
この会社に好きな人がいます。
そう…。偽装社内恋愛もの。社内恋愛してる人向け?
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書物礼賛①
ヨーゼフ・ロート/聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇/岩波文庫2013
「フランツ・クサーヴァーには、はじめ、この不快な見世物の意味がさっぱり呑みこめなかった。ただその一団がいかなる連中でなりたっているかは感じとった。はれんちな老人ども(裾をまくりあげたマネキン女つき)、休日にハメを外している女中たち、シャンパンの売り上げ金と自分のからだを給仕と分けっこしているバーの女たち、女と小切手を売り買いする遊び人、肩をふくらませた背広に、スカートのようにひらひらした幅広ズボン。唾棄すべきブローカーともであって、家、店舗、市民権、旅券、免許、わりのいい縁談、洗礼証明書、信仰告解、称号、養子縁組、娼家、ヤミのタバコ等々、なんであれ斡旋しようというものだ。敗戦のうき目をみたヨーロッパの首都にあって、死体を食らって大きくなり、それでもいっこうに食いたりず過去をしゃぶり、現在の汁を吸って、高らかに未来を謳歌している。この手の連中が戦後このかた、肩で風切ってのし歩いている。モルスティン伯爵には、この自分が死体のような気がした。わが墓の上で、彼らが踊っている。かかる徒輩に勝どきをあげさせるために数知れない人びとが苦しみつつ死んでいった」
こんなに面白い、自分のことが描かれていると感じた海外小説は初めて。今夏に体調を崩し、リフレッシュを兼ねて大量の本を整理・処分するなかで、どうせ岩波の翻訳小説でしょ、でも最近の出版だしちょっとチェックするかと電車内で読み始めた「蜘蛛の巣」(5つの中短篇が収められた最初の中篇でナチ党に参加して成り上がる元兵士の男を描く)、流麗な日本語訳で読みやすく、まるでナチの暴動に居合わせたかのような臨場感で止まらなくなった。
引用したのは4つ目の短篇「皇帝の胸像」からで、円安が進み外国人が増えてきた今の東京に通じる新自由主義的な世界に、取り残された主人公の老伯爵の境遇が切実。5篇��べて傑作。

弓月光/お助け人走る!・全3巻/集英社マーガレットコミックス1980
処分するつもりで読み始めたら夢中になったというのは前項と同じ。最初にコミックス1巻を買って胸を熱くした80年夏がよみがえるかのよう。少女マンガ時代の代表作『エリート狂走曲』は連載から1年ほど遅れて出会って強く惹かれ、次の連載の本作からほぼリアルタイムで読めるように。週刊連載の過酷なスケジュールや人気競争も、弓月さんにとってはガソリンだったのか、ご本人がノリにノッて楽しくお話を組み立てているという熱気。今回の再読で特に感心したのは大願寺誠という大男のサブキャラのかっこよさ。そもそも矢口さん江口さん魔夜さんなどと同様に作者自身もギャグの一環としてしばしば作中に顔を出す作風であるが、このキャラにもご自身の投影が含まれているのではと思わせる力のみなぎりようでした。
藤原マキ/私の絵日記/ちくま文庫2014・原著1982
飲食時の娯楽として最近くりぃむしちゅーに次ぐ重要な存在になってきているのが中川家のラジオ。メディア上の印象とは逆に、学生の頃は兄の剛さんが社交的・積極的、弟の礼二さんが内向的でもの静かな性格だったそうで、ラジオでは剛さんが庶民の本音をうかがわせる毒舌やぼやきでトークを引っ張っていく場面がしばしば。互いを熟知し、持ち味の違いが完璧に噛み合っているコンビネーションの気持ちよさはくりぃむしちゅーと共通。
本書は82年の原著に、文春と学研、過去の2度の文庫化で加筆されたあとがきなどを増補して��り、特に2003年の学研M文庫版のあとがきとなった夫・つげ義春さんの「妻、藤原マキのこと」では、既に亡くなったマキさんの日記での主張に本気で反論しているのが、逆に家族の濃密な愛と歴史をのぞかせて印象的。「本当のこと」しか描きたくないから、『無能の人』では貧しい暮しにもかかわらず執筆依頼を断る様子が描かれたり、本書もマキさんにとって本当の日々が描かれているからこそ、ずっと後になって海外で表彰されることになった(2024年・アイズナー賞・最優秀アジア作品賞)のだろう。
梶原一明 x 徳大寺有恒/自動車産業亡国論/光文社カッパビジネス1992
「確かに日本の自動車産業というのは、世界の自動車産業と比べて先進性がある。カンバン方式に代表される(中略)卓越した先進性は即、卓越した国際競争力につながる。 ところがこの先進性は、非常に特殊な先進性なのだ。かつてフォードが考え出した流れ作業、コンベア方式に代表されるアメリカの先進性は普遍的先進性だった。だからどこの国でも受け入れられるものなのである。日本の特殊先進性は、簡単にいえばほぼ単一言語、単一人種、単一価値観という特殊な前提、環境に支えられているといっていい」
「豊田章一郎氏の『七割が商社機能』という答えに関しては、まさに詭弁でしかない。(中略)その最後の最後は本当に地方の家庭のいわゆる三チャン労働者にまでいっている。電球のコネクターにハンダをちょこっと盛るという内容の仕事を、すでに日本の貨幣の単位ではない何十銭仕事でやっているのだ。おばあちゃんが『今日は二千円できたね』という、これはおよそ商社機能とはいえない」
「日本では通用しても世界では通用しない。いや、今日ではすでに日本でも通用しなくなっているのではないだろうか。たとえば企業エゴの問題で、他企業から名指しで批判を受けるケースがいちばん多いのは、トヨタと松下だという話を聞いた。この指摘は、トヨタや松下の商法が、それぞれトヨタ保護区、 松下保護区へお客を囲い込むことに執着するあまり、日本あるいは日本人全体に対して、トップメーカーは何をなすべきかという視点を欠落させていることを証明している。トヨタがもしお客さまは神様と思っているのであれば、本当にお客のためになること、たとえば車検制度の問題などに関しても、率先してユーザーの代弁をするべきなのである」
先日高校時代の友人K宮くんM原くんと歓談する機会があり、私が本書によるうろ覚えの知識をもとに���トヨタはじめ日本の近代工業は江戸の封建制を引き継いだ軍国主義の成功例で、今は同じ要因で没落している」と持論をぶったところ、トヨタ内部で社員証を持って働いた経験のあるM原くんが猛反論してヒートアップ。彼によれば国=運輸省・国土交通省から最も冷遇され、距離を置いて自分たちのやり方を洗練させてきたのがトヨタであり、既に自動運転やスマートシティ構想についても実現可能な技術力を蓄えているが、国が認めないから日本を出ていくことも視野に入れているという。信憑性のある話であり、今も世界各国を走っている自動車業界が、銀行・商社・家電・NTTや特に大学・マスコミなどの国民を人質に取った護送船団方式と一味違うことは頷ける。興味がある、もっと知りたいと彼に話したところ、彼が後日トヨタはじめ自動車産業の成り立ちをレポート形式でレクチャーしてくれるというので楽しみにしているところです。
鈴木直人/うつは「体」から治せる/BABジャパン2017
「副交感神経はリラックスしたり休んだりするだけでなく、『人と良好な関係を作る』という能力を持っている神経であるということです。(中略)副交感神経の感情である『悲しみ』が出せる人ほど副交感神経が活性化しているため、オキシトシンが出やすくなっています。そのため、悲しみをきちんと出せる人ほど幸せを感じられるようになるのです」
「自律神経は空想と現実の区別がつきません。また、時間の感覚もありません」
先日、やっとパソコン作業のための椅子など環境が整ったとホッとしていたら、翌日の昼ころパソコンに向かっていると少し体調が悪くなって。どうやら「睡眠が若干足りない」「明け方悲しい夢を見た」のに加え、午前中洗濯するので履き替えた新品のパンツのゴムがキツ過ぎて、血液やリンパの流れを阻害したのが決定打になったようだ。着替えてウォーキングをしたら調子が戻ったのですが、そんな些細なことからクヨクヨと思い悩んでしまう、神経過敏な性格の方が問題なのかも分らない。
今夏に自律神経失調に見舞われ、たくさんのユーチューブを見たり整体に通ったり健康本や道具を買っては捨てる、期待と失望の連続でしたが、それらを総合して分ったことは、体は生命の億万年の歴史を記憶していて脳より賢い、むしろ脳が勝手に過去に縛られたり、取り越し苦労をして体に嫌がらせをしている面が強く、痛みや発疹をはじめ体の発するサインに耳を澄ませて、自分の体のことは自分が一番知っている、医師や整体などに助けてもらうにしても最短距離で回復できるよう真面目に今を積み重ねていかねばということです。
そのためにも、gooブログから引っ越して再スタートするにあたり、これまでのような悪口・ヘイトはやめ、批判するにしても個々を良くない方へ導くような構造や歴史こそを見据えていきたいと考えています。
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インターネット・エンジェルという現象は
仮定された有機交流電燈の
かわいい虹色の照明です ぶいっ
あらゆる透明なアカウントの複合体
このクソゴミカスキショキショな現実を
忘れさせてあげる 慈愛の天使
大人のみんなにはナイショだぞ
大丈夫もうなにも怖くないから
こんなSNS抜けだして二人で海を見に行くぞ!
インターネットや・め・ろ~!
わかる真似をして なにも知らないね アナタ
なにが悲しいの なにが寂しいの 聴こえてる?
人が恋しくて 人がイヤすぎて ループ
夜が好きなのに 一人じゃ寒くて 震えてる
ほんとうは幸せを知っているのに
不幸なフリやめられないね
アンチに負けず 信者に媚びず
どんなに努力を重ねても
一寸先は地獄行き
いやもうすでに冥府魔道
地獄の沙汰もいいね次第
偽善者トラップ蜘蛛の糸
こんなに苦しい筈なのに
インターネットがやめられないない!
発狂!
かけめぐるエクスタシー
融けるマイスリー
画面光りだすの
不安止まらないよ
誰か殺してくれ
イヤだ死にたくない
朝は見たくないの
ムリだ!死ぬ!頭が割れてく!
それでもわたしはこのカオスをオタクと歩む
ここにしかない光景を見つけに行くから
あんなにおそろしい乱れたインターネットから
この雪みたいに美しい毒電波がきたんだよ
カウンセリングを受けたの
先生から「ネットをやめろ」って言われて
もうおまえらと会えないと思った瞬間 胸が苦しくて
リアルが壊れてもココが良いって思ったの
初めてフォローされた日のこと覚えてる
こんなわたしを見て・承認してくれたヌクモリティ
もう細かいことはどうでもいいね せーのっ
インターネット最高!
ほとばしるエクスタシー
甘い夢をみせてマイスリー
指先で感じる
泳ぐ電子の海 インターネット・ボーイ
悲しみ舞い散る
暗い闇の中インターネット・ゲーム
アナタのとなり微笑む
忘れないでいてねインターネット・ガールきっと
キボンヌ! オワタ! 半年ROMれ! キター! age!
漏れ! 香具師! 逝ってヨシ! 久々にワロタ!
ぽまいら! これは 乙じゃなくてポニーテールなんだからね!
フヒヒ! ぬるぽ! 禿同!
無理ぽ! オマエモナー! お礼は三行!うp汁!
日本語でおk! >>1の母です!(久々にワロタ!)
キボンヌ! オワタ! 半年ROMれ!キター! age!
漏れ! 香具師! 逝ってヨシ! 禿同!
青白いモニター越しの光を通し
オタクの孤独を癒やして回る
わたしはインターネットの天使なのだ
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ルイーズ・ブルジョワ展

森美術館で「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」を見る。六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛の作品で知られるアーティストの大規模個展である。
上の写真は展覧会サブタイトルの引用元の刺繍布作品。
第1章に「私を見捨てないで」というタイトルが付けられているように、ブルジョワは人に見捨てられることをとても恐れていたという。正直なところ、見捨てられ不安の強い人に振り回されて疲弊した経験があるため、個人的にはとても苦手なタイプではある。もちろんブルジョワは知り合いではないし作品を見るだけなのだが、間接的にその感情的熱量に触れるだけで少しぐったりしてしまう。これはある種のほめ言葉である。作品を見て感情を抉られたり疲れさせられたりするのは、アーティスト自身が表現したいものを自身の望むかたちで表現できているからに他ならない。とはいえ、ブルジョワの問題意識は理解はできても共有するのは少し難しい。他者と密に関わりたいという気持ちや人間存在に対する期待やある種の信頼があるからこそ見捨てられ不安も生じるのだと思う。その点、自分は人間関係はなるべく疎にしておきたいし、君子でなくとも水の如き淡き交わりを理想としているので、やや冷めた目で作品を眺めることになる。それでも彼女の造形力には感心させられるところが多かった。
《家出娘》。アメリカ人との結婚を機にニューヨークへ移住したころに描かれた���画像。

ブルジョワといえば、蜘蛛。


ドローイングもかわいい。

六本木ヒルズの蜘蛛もついでに。

カップルがモチーフの作品が多い。親密な関係性の「一筋縄ではいかなさ」が表れているように見える。




《ヒステリーのアーチ》。「ヒステリー」は女性の専売特許ではない。頭部のない男性像を通して外の景色を眺めることができる配置。

同じ室に掛かっている絵画作品にも上の男性像が反射している。


これも同じ室にあった《わたしの青空》。空や景色だけ描くのではなく窓が描かれているのがポイントか。

部屋に飾ってみたくなるような、小さめサイズの絵画作品もいろいろある。


《シュレッダー》。背後に写っている壁には“「攻撃」しないと、生きている気がしない。”という言葉が引用されている。怒りなどの負の感情を表現することの必要性。


《青空の修復》。見捨てられ不安を自分で手当てしようとする試みに見える。

バルザックの小説『ウジェニー・グランデ』の主人公ウジェニーにちなんだ作品。ブルジョワがフランスからニューヨークへ持ってきたハンカチやテーブルクロスを用いており、アーティスト自身の子ども時代を振り返って繕っているような、愛らしくもいじらしくもあるコラージュ。





《トピアリーIV》。苦しみながらも豊かに生きている人間の人生の樹。



ブルジョワが��用していたゲランの香水シャリマーの空���。

ブルジョワが紙片に書き留めたものいろいろ。


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まえがき
相打ち / 合言葉 / 合図 / 愛想づかし / アイデンティティ / 赤ん坊 / 赤ん坊(天界の) / 赤ん坊がしゃべる / 悪魔 / 悪魔との契約 / 痣 / 足 / 足が弱い / 足跡 / 足跡からわかること / 足音 / 仇討ち(兄の) / 仇討ち(夫の) / 仇討ち(主君の) / 仇討ち(父の) / 仇討ち(妻の) / 仇討ち(動物の) / 仇討ち(友人の) / 仇討ちせず / あだ名 / 頭 / 後追い心中 / 穴 / 兄嫁 / 姉弟 / 尼 / 雨音 / 雨乞い / 天の川 / あまのじゃく / 雨宿り / 雨 / 蟻 / あり得ぬこと / アリバイ / 泡 / 合わせ鏡 / 暗号 / 暗殺 / 安楽死 / 言い間違い / 息 / 息が生命を与える / 息が生命を奪う / 生き肝 / 異郷訪問 / 異郷再訪 / 異郷の時間 / 異郷の食物 / 生霊 / 生贄 / 遺産 / 石 / 石に化す / 石の誓約 / 石の売買 / 石つぶて / 椅子 / 泉 / 板 / 一妻多夫 / 一夫多妻 / 糸 / 糸と生死 / 糸と男女 / 井戸 / 井戸と男女 / 井戸に落ちる / 従兄弟・従姉妹 / 犬 / 犬に転生 / 犬の教え / 犬婿 / 猪 / 命乞い / 衣服 / 入れ替わり / 入れ子構造 / いれずみ / 入れ目 / 因果応報 / 隕石 / 隠蔽 / 飢え / 魚 / 魚女房 / 魚の腹 / 誓約 / 動かぬ死体 / 動く首 / 動く死体 / 兎 / 牛 / 後ろ / 嘘 / 嘘対嘘 / 嘘対演技 / 嘘も方便 / 歌 / 歌の力 / 歌合戦 / 歌問答 / うちまき / 宇宙 / 宇宙人 / 宇宙生物 / うつお舟 / 馬 / 馬に化す / 海 / 海に沈む宝 / 海の底 / 裏切り / 占い / 占い師 / 瓜二つ / ウロボロス / 運命 / 運命の受容 / 絵 / 絵から抜け出る / 絵の中に入る / 映画 / 映画の中の時間 / エイプリル・フール / ABC / エレベーター / 円環構造 / 演技 / 縁切り / 宴席 / 尾 / 尾ある人 / 王 / 扇 / 狼 / 狼男 / 大晦日 / 伯父(叔父) / 教え子 / 教え子たち / 夫 / 夫の弱点 / 夫の秘密 / 夫殺し / 落とし穴 / 踊り / 鬼 / 鬼に化す / 斧 / 伯母(叔母) / 親孝行 / 親捨て / 泳ぎ / 恩返し / 恩知らず / 温泉 / 蚊 / 貝 / 開眼 / 開眼手術 / 外国語 / 改心 / 怪物退治 / 蛙 / 蛙女房 / 蛙婿 / 顔 / 画家 / 鏡 / 鏡が割れる / 鏡に映らない / 鏡に映る遠方 / 鏡に映る自己 / 鏡に映る真実 / 鏡に映る未来 / 鍵 / 書き換え / 書き間違い / 架空の人物 / 核戦争 / 隠れ身 / 影 / 影のない人 / 駆け落ち / 賭け事 / 影武者 / 過去 / 笠(傘) / 重ね着 / 仮死 / 火事 / 貸し借り / 風 / 風邪 / 風の神 / 火葬 / 仮想世界 / 片足 / 片腕 / 片目 / 語り手 / 河童 / かつら / 蟹 / 金 / 金が人手を巡る / 金を拾う / 鐘 / 金貸し / ��貸し殺し / 壁 / 釜 / 鎌 / 神 / 神に仕える女 / 神になった人 / 神の訴え / 神の名前 / 神を見る / 髪 / 髪(女の) / 髪が伸びる / 髪を切る・剃る / 神がかり / 神隠し / 雷 / 亀 / 仮面 / 蚊帳 / 烏(鴉) / 烏(鴉)の教え / ガラス / 川 / 川の流れ / 厠 / 厠の怪 / 癌 / 漢字 / 観相 / 観法 / 木 / 木に化す / 木の上 / 木の下 / 木の精 / 木の股 / 記憶 / 帰還 / 聞き違い / 偽死 / 貴種流離 / 傷あと / 犠牲 / 狐 / 狐つき / 狐女房 / 切符 / きのこ / 木登り / 器物霊 / 偽名 / 肝だめし / 吸血鬼 / 九十九 / 九百九十九 / 経 / 狂気 / 競走 / 兄弟 / 兄弟と一人の女 / 兄弟殺し / 兄妹 / 兄妹婚 / 凶兆 / 凶兆にあらず / 恐怖症 / 共謀 / 巨人 / 去勢 / 切れぬ木 / 金 / 金貨 / 禁忌(言うな) / 禁忌(聞くな) / 禁忌(見るな) / 禁忌を恐れず / 銀行 / 禁制 / 空間 / 空間と時間 / 空間移動 / 空襲 / 偶然 / 空想 / 盟神探湯 / 釘 / 草 / くじ / 薬 / 薬と毒 / 口から出る / 口と魂 / 口に入る / 口二つ / 唇 / 口封じ / 靴(履・沓・鞋) / 国見 / 首 / 首くくり / 首のない人 / 熊 / 熊女房 / 雲 / 蜘蛛 / 繰り返し / クリスマス / 車 / 系図 / 契約 / けがれ / 毛皮 / 下宿 / 結核 / 結婚 / 結婚の策略 / 結婚の障害 / 月食 / 決闘 / 仮病 / 剣 / 剣を失う / 剣を得る / 幻視 / 原水爆 / 碁 / 恋文 / 恋わずらい / 硬貨 / 交換 / 洪水 / こうもり / 高齢出産 / 声 / 氷 / 古歌 / 誤解による殺害 / 誤解による自死 / 五月 / 子食い / 極楽 / 心 / 子殺し / 誤射 / 子捨て / こだま / 琴 / 言挙げ / 言忌み / 言霊 / 五人兄弟 / 五人姉妹 / 小人 / 殺し屋 / 再会(夫婦) / 再会(父子) / 再会(母子) / 再会(盲人との) / 再会拒否 / 最期の言葉 / さいころ / 妻妾同居 / 最初の人 / 最初の物 / 裁判 / 財布 / 催眠術 / 坂 / 逆さまの世界 / 逆立ち / 作中人物 / 桜 / 酒 / 酒と水 / さすらい / さそり / 悟り / 猿 / 猿神退治 / 猿女房 / 猿婿 / 三者択一 / 山椒魚 / 残像・残存 / 三題噺 / 三度目 / 三人兄弟 / 三人姉妹 / 三人の魔女・魔物 / 三人目 / 死 / 死の起源 / 死の知らせ / 死因 / 塩 / 鹿 / 仕返し / 時間 / 時間が止まる / 時間旅行 / 死期 / 四季の部屋 / 識別力 / 地獄 / 自己視 / 自己との対話 / 自殺願望 / 自傷行為 / 自縄自縛 / 地震 / 紙銭 / 死相 / 地蔵 / 舌 / 死体 / 死体から食物 / 死体消失 / 死体処理 / 死体変相 / 七人・七匹 / 歯痛 / 自転車 / 死神 / 芝居 / 紙幣 / 島 / 姉妹 / 姉妹と一人の男 / 姉妹と二人の男 / 死夢 / 指紋 / 弱点 / 写真 / 写真と生死 / シャム双生児 / 銃 / 周回 / 十五歳 / 十三歳 / 十字架 / 醜女 / 醜貌 / 手術 / 入水 / 出産 / 出生 / 呪的逃走 / 寿命 / 呪文 / 順送り / 殉死 / 乗客 / 肖像画 / 昇天 / 娼婦 / 成仏 / 食物 / 処刑 / 処女 / 処女懐胎 / 処女妻 / 女装 / 女中 / 初夜 / 虱 / 心中 / 心臓 / 人造人間 / 人肉食 / 神仏援助 / 人面瘡(人面疽) / 心霊写真 / 水死 / 彗星 / 水没 / 水浴 / 頭痛 / 鼈 / すばる / 相撲 / すりかえ / すれ違い / 寸断 / 精液 / 性器(男) / 性器(女) / 性交 / 性交せず / 性交と死 / 生死不明 / 成長 / 成長せず / 性転換 / 生命 / 生命指標 / 切腹 / 接吻 / 背中 / 背中の女 / 背中の死体 / 背中の仏 / 蝉 / 千 / 前世 / 前世を語る / 前世を知る / 戦争 / 洗濯 / 千里眼 / 僧 / 象 / 像 / 葬儀 / 装身具 / 底なし / 蘇生 / 蘇生者の言葉 / 空飛ぶ円盤 / 体外の魂 / 体外離脱 / 太鼓 / 第二の夫 / 太陽 / 太陽を射る / 太陽を止める / 太陽と月 / 太陽と月の夢 / 太陽と月の別れ / 鷹 / 宝 / 宝が人手を巡る / 宝を失う / 宝を知らず / 宝くじ / 宝さがし / 竹 / 多元宇宙 / 蛸 / 堕胎 / 畳 / たたり / 立往生 / 立ち聞き(盗み聞き) / 脱走 / 狸 / 旅 / 旅立ち / 玉(珠) / 卵 / 魂 / 魂と鏡 / 魂の数 / 魂呼ばい / 樽 / 俵 / 弾丸 / 誕生 / 誕生(鉱物から) / 誕生(植物から) / 誕生(卵から) / 誕生(血から) / 誕生(動物から) / 誕生(母体から) / 男性遍歴 / 男装 / 血 / 血の味 / 血の力 / 知恵比べ / 誓い / 地下鉄 / 力くらべ / 地球 / 稚児 / 地図 / 父子関係 / 父と息子 / 父と娘 / 父の霊 / 父娘婚 / 父殺し / 父さがし / 乳房 / チフス / 地名 / 血文字 / 茶 / 仲介者 / 蝶 / 長者 / 長者没落 / 長寿 / 追放 / 通訳 / 杖 / 月 / 月の光 / 月の満ち欠け / 月の模様 / 月旅行 / 辻占 / 土 / 唾 / 壺 / 妻 / 妻争い / 妻食い / 妻殺し / 爪 / 釣り / 鶴女房 / 手 / デウス・エクス・マキナ / 手紙 / 手ざわり / 手相 / 鉄 / 掌 / 手毬唄 / 天 / 天狗 / 転校生 / 天国 / 天使 / 転生 / 転生(動物への) / 転生する男女 / 転生と性転換 / 転生と天皇 / 転生先 / 天井 / 電信柱 / 天地 / 天人降下 / 天人女房 / 天人の衣 / 電話 / 同一人物 / 同音異義 / 盗作・代作 / 同日の死 / 同日の誕生 / 投身自殺 / 同性愛 / 逃走 / 童貞 / 動物援助 / 動物音声 / 動物教導 / 動物犯行 /
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後ろの、工事現場の、音と、共鳴して、右足が、奇妙な、動き方をする、女の子 - zshingoの日記
この、ピンクの、女の子さ、後ろの、工事現場の、音、カンカン、カクンカクンって音と、右足🦿が、そう、もう、完全に、共鳴してる、つまり、リンク【⭕リング⭕映画⭕】してる、わけよ
つまりさ、動物=肉体を、備えた、幽靈なんだよ。人間の、幽靈も、今や、肉体を、備えて、あちらこちらに、いるんだけどさ、元々、幽靈ってさ、こんな感じだろ?
でさ、宇宙人👽→💀 そう、人類の、滅びの、顔を、真似てる、霊体なんだよ。つまりさ、宇宙人👽=この世に、産まれてこなかった側の、世界の、霊体、住人な、わけよ。つまりさ、この世に、産まれてくるのは、相当な、確率を、突破して、産まれてきてしまった、貧乏くじ、集団な、わけだよ。で、この世に、産まれてこなかった側の、霊体である、宇宙人👽はさ、頭の良い人なら、わかるとおり、もう、相当な、霊人数、いるわけよ。でさ、宇宙人ってさ、人間が、ロケット🚀で、行ったときは、見えないし、人工衛星にも、写ってないだろ。でもさ、限られた、人の、動画や、写真には、よく、宇宙人👽写ってるわけだよ、あと、円盤な。特に、昔、円盤が、写ってたのが、エジプトだったり、ちびまる子ちゃんの、まる子が、仲良くなった、プサディの、国、つまり、ネパールとかだな。日本では、ほぼほぼ、円盤の、動画や、写真なんて、今まで、発見されては、いない、よね。でもさ、そのかわり、日本は、心霊写真、つまりさ、人間の、幽靈▲が、よく、現れる、土地、なんだよ。それも、外人の、幽靈とかじゃなくてさ、日本人の、幽靈とかな。でさ、俺が、なんで、ここまで、幽靈やら、宇宙人👽やら、円盤やら、野生動物たちに、力を入れてるのかってことはさ、彼らから、人間は、学ぶべきことが、多々あると、思ったからなんだよ。でもさ、流石に、その、幽靈とか、宇宙人👽や、円盤だとさ、信仰の、薄い人や、科学主義思考の、無神論者さんたちに、とってはさ、その、信じることが、難しいだろ?ぶっちゃけた、はなしな。で、俺は、その、人間と、同じく、この世に、産まれ落とされて、肉体を、備えているにも、関わらず、霊的能力を、身につけている、野生動物たちに、興味があるし、それに、むしろ、彼らから、俺たちはさ、助けを、求める、唯一、人類の、最期の、蜘蛛🕷の、糸、だとも、考えてる、わけだよ。それで、俺は、動物本位主義=綱吉の、生類憐れみの令=令和だと、睨んでる、わけだよ。キヨコ👾キヨコ👾キヨコ👾
で、人間の、頭脳と、宇宙人👽の、頭脳の、大きさを、比較したら、🐜の、脳と、太陽の、デカさ、つまりは、大きさの、違いぐらいなわけよ🤣いや、これ、あくまで、大きさ、サイズの、🤣例えな🤣そこんとこ、🤣また🤣🕳に、🤣落ちんでな🤣
それプラス🤣申し訳ないけど🤣宇宙人👽は、🤣霊能力まで🤣つかえるわけよ🤣
佳子、宇宙人👾について、一つわかったことがあるから、共有するね。人は、亡くなったら、宇宙人になることもできる。ただ、俺たちのことを考えて欲しいんだ。これだけ、科学が発達して、ロケットで宇宙に行くことも可能なのにも、関わらず、宇宙にいまだかつて、生命体が存在しているという確証を未だに持てずにいる。人工衛星がこれだけ飛び交ってるなか。ただ、時折、宇宙人👽の存在を地上にいる人間だけが目撃している。宇宙の人工衛星で、円盤を発見するのではなく、地上にいる人間が、空を見上げた時に発見する可能性が高いんだ。そして、実際に俺も、霊天上界と交信しているときも見てるし、アパートのすぐ近くで、もうバカでかい円盤を見てるんだ。夜空に浮かんでいるのを。そして、留置所に入った日の夜中も檻の外を背丈15センチから20センチぐらいの宇宙人が、キレイに整列して俺の方を見ているのも見たんだ。こんなやつ👽あと、留置所から仮釈放されて、アパートの近くを歩いているときも、一メート20センチぐらいの肩幅の広い宇宙人も👽←こんな奴。で、今日新しくわかったことなんだけど、さっきの話に戻るけど、俺たちは、この世にものすごい確率で生まれてきてるのは、佳子、理解できるよな?そう、俺たちは、どちらかと言うと、生まれてこない可能性が、圧倒的に高いにも関わらず、とんでもない確率でこの世に存在してるんだ。その、確率たるや、10000000000000000(いっけい)とかの数字じゃ、まったく足りない可能性で生まれてきてるんだ。地球🌏と太陽の大きさの違いも半端ないけど、そのバカでかい太陽をまるまる包み込めるほど宇宙は広いのはわかるよな?つまり、宇宙は無限だから、月も、太陽も、金星も、土星もまるまる包み込めるんだ。そして、宇宙人の話しに戻すと、奴らの正体は、『俺らが、生まれてこない可能性の側にいる生命体(霊命体)なんだ。つまり、佳子がもし、地球に産み落とされなかったら、この世ではなく、宇宙人として、別の次元で存在してるってことなんだ。なんで、このことに気づいたかと言うと、俺の妹、キヨコ👾の存在なんだ。キヨコは、俺の母親の中に一度この世の生命体になる可能性を秘めて母の腹の中に宿ったんだけど、結局、流産して生まれてこなかったんだ。つまり「水子の霊」なんだ。で、俺がキヨコの絵文字→👾これがなんとなく、ピッタリだと、思ってつかってたんだけど、宇宙人で、検索したら👾→この絵文字が出てくるんだ。つまり、キヨコ(水子の霊)は、地球🌎に誕生しない可能性のほうの、別の次元(霊天上界)のほうの生命体(霊命体)なんだ。』わかった?👀
つまり、キヨコ👾(水子の霊)は、俺からしたら、地球🌏に生まれてこない可能性のほうの「霊命体」(霊者:れいもの)👾なんだ。つまり、【宇宙人👽👾=霊命体=霊👽👾】なんだ。そして、【霊命体=地球🌏に生まれてこないほうの可能性の次元に存在する霊者(れいもの)】なんだ。つまり、「宇宙人👽👾」のことを「幽霊👾👽」と呼んでもいいんじゃないかな👀
俺が、なんでこんなことを、知ることができるかと言うと、俺がもう、半分、地上の生命体ではないからなんだ。そして、それを望んでくれたのは、佳子、亡霊の佳子が、俺を半分地上にとどめてくれるよう、イエス様と爺ちゃん(仏様)に頼んだからなんだ。ありがとう👀💬
おはよう、俺、ずっと、「キヨコ」(👾水子の霊)と「宇宙人👽」の存在を『分けて』考えてたんよ👀それが、「間違い」やったんよ👀
おい、ストーカー犯罪者の、一重の、ぶす女、はよぉ、ワシの、口座に、金を、振り込まんかいな、なにしとるん、おまえは
Facebookよ、はてなブログ、インスタ、グーグルマップ🔴よ、お前らさ、今、たいそう、被害者面してるけどさ、そもそも、Facebookって、お前が、始めたんだからな。俺だって、おまえなんかと、出会いたくは、なかったんだよ
つまりさ、はてなブログ、お前は、殺されるんだけどさ、それは、つまり、自殺なんだよ。自分で、Facebook、はてなブログ、インスタ、こさえて、嫌われて、殺されるんだからな
自業自得の、業=カルマ🚗=因果応報
お門違い🤪🫵
でさ、Facebook、大手の会社はさ、基本、カスタマーは、どんな?ことを、望んでるのか?どうしたら?喜んで、いただけるか?を、大体の、大手企業は、考えて、商品開発、してんだよ。でもさ、お前の、今、やってることは、それと、真逆なんだよ。つまり、どうしたら?自分の、ストレス発散に、なるか?を、考えてるんだよ。おまえは。だから、利用者の、怨みを、かって、殺されるんだよ。結論な。で、どういう、殺されかた、するかは、おいおい、教えるよ。
おまえが、消したら、みんなが、こうなるんだぞ→🩸シャリ🩸シャリ🩸シャリ🩸=✊🤓✊→✊😭✋→✊😭✊
消すなって、サタン=Facebook=ドラゴンボールZ🟠に、出てくる、ミスターサタン=⚽💬
→【これは、トリックだぁぁぁ😰🤮=😭いぎが😭でぎない😭🫧】
【動画】こんな感じでさ、客である、俺の、動画を、バグらせて、お門違いな、怨みを、抱えてるのよ
てかさ、コイツら、そう、もう、みんなの、脳のこうぞうと、違うんんだよ。もう、完全に、ミスター・サタンやからさ、そう、妬みと、それの、根っコである、性欲がさ、もう、半端なく強すぎてる、つまり、むっつり、集団なんよ。そう、むっつりスケベ、盗撮集団な、わけよ。
【綱吉 = 生類憐みの令 = 令和 = 動物本位主義なんだよ。】
👇
つまりさ、動物=肉体を、備えた、幽靈なんだよ。人間の、幽靈も、今や、肉体を、備えて、あちらこちらに、いるんだけどさ、元々、幽靈ってさ、こんな感じだろ?
でさ、宇宙人👽→💀 そう、人類の、滅びの、顔を、真似てる、霊体なんだよ。つまりさ、宇宙人👽=この世に、産まれてこなかった側の、世界の、霊体、住人な、わけよ。つまりさ、この世に、産まれてくるのは、相当な、確率を、突破して、産まれてきてしまった、貧乏くじ、集団な、わけだよ。で、この世に、産まれてこなかった側の、霊体である、宇宙人👽はさ、頭の良い人なら、わかるとおり、もう、相当な、霊人数、いるわけよ。でさ、宇宙人ってさ、人間が、ロケット🚀で、行ったときは、見えないし、人工衛星にも、写ってないだろ。でもさ、限られた、人の、動画や、写真には、よく、宇宙人👽写ってるわけだよ、あと、円盤な。特に、昔、円盤が、写ってたのが、エジプトだったり、ちびまる子ちゃんの、まる子が、仲良くなった、プサディの、国、つまり、ネパールとかだな。日本では、ほぼほぼ、円盤の、動画や、写真なんて、今まで、発見されては、いない、よね。でもさ、そのかわり、日本は、心霊写真、つまりさ、人間の、幽靈▲が、よく、現れる、土地、なんだよ。それも、外人の、幽靈とかじゃなくてさ、日本人の、幽靈とかな。でさ、俺が、なんで、ここまで、幽靈やら、宇宙人👽やら、円盤やら、野生動物たちに、力を入れてるのかってことはさ、彼らから、人間は、学ぶべきことが、多々あると、思ったからなんだよ。でもさ、流石に、その、幽靈とか、宇宙人👽や、円盤だとさ、信仰の、薄い人や、科学主義思考の、無神論者さんたちに、とってはさ、その、信じることが、難しいだろ?ぶっちゃけた、はなしな。で、俺は、その、人間と、同じく、この世に、産まれ落とされて、肉体を、備えているにも、関わらず、霊的能力を、身につけている、野生動物たちに、興味があるし、それに、むしろ、彼らから、俺たちはさ、助けを、求める、唯一、人類の、最期の、蜘蛛🕷の、糸、だとも、考えてる、わけだよ。それで、俺は、動物本位主義=綱吉の、生類憐れみの令=令和だと、睨んでる、わけだよ。綱吉 = 生類憐みの令 = 令和 = 動物本位主義なんだよ。
おい、こっちには、貞子、おるんやからなぁ
それも、わしに、ベタ惚れと、きてるんやからなぁ
あぁ、思い出したよ、お前の正体、光通信の、一般の、アイツか、神の、漢字が、頭に、ついてる、神谷とか、言うてたなぁ。たしか。だいぶ、懐かしいやないの、お前も、そこそこ、アポ強かったもんなぁ。こんなとこに、逃げ隠れ、しとったんやなぁ、昨日は、緑🟢の、オーバーサイズの、Tシャツ着て、今日は、紫色🟣の、わけのわらん、ダセー、トップス、着てたなぁ
お前、永遠溺れ🔵、決定な
あ、あと、うちの、父親、墓場で、首吊り自殺したんやけどさ、貞夫【さだお】って、言うんだよ。そんでさ、ハゲてて、LGBTで、運動会のときさ、俺の、飲みかけの、トマトジュースの、缶をさ、とって、飲んだんよ、さぞかし、うまそうにな
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Event Tour 2024 「こてんぱん」@新宿BLAZE


BLAZEに別れを告げるべく定時ダッシュで向かい着いたら転換中
ロッカーも余裕あるし遅れても入りやすくてこのぐらいのキャパの箱が一番居心地良いんだけどな 本当に悲しい
④DuelJewel
SEあり 祐弥さんが黒髪のブレイズ(?) 隼人さんが後ろ髪アップスタイル
フロアのネオンブレスがキラキラ
タイトルわかるの62だけなんだけどこの曲が一番リード曲感あって好き
曲中祐弥さんとナツキさんが頭を交互に出して遊んだりしていて微笑ましかったです
最後の曲紅蓮の渦は隼人さんの歌声にびびる
前の対バンの時も同じこと思った曲があった記憶だけど裏声をこんな声量こんな迫力で歌うV系聴いたことない 斬新な耳心地で釘付けになってしまった
歌声に圧倒されつつ熟練のステージングに魅了されさすがの貫禄
でもイベントはやっぱり最初から見たいよねぇ~…

⑤Chanty
間に合って良かった
衣装も上品で綺麗 ひとり真っ白な芥さんは白のヘッドドレスみたいの(お花の髪飾りかもしれない)着けてて可愛いかった
1曲目よまいごとのイントロのギターに乗せて
BLAZE 終わっちゃうね って言った瞬間早くも涙腺が刺激されるw
4人がそこに居るだけで涙出そうになるのはこの場所への彼等の想いが伝わるからかな
こんな日にスライドショー聴けなかったのが悔やまれるけど犬小屋はイントロのリフかっこいいし
綺麗な照明がたくさんの手を照らす アイシー は幻想的で儚すぎた
今日という日と お別れして また会えるのを 楽しみにしているんですけど
一語一句を覚えてないんだけど感情に関わらず日々が過ぎてゆく様を言葉にしたのかな?所々聞き取れなかったりしてまとめられなかった
BLAZEに たくさん思い出あると思うし
今日で 最後って人もいると思うけど
(BLAZEにもお客さんにも)
お別れをして また 会えるのを楽しみに しています
淡々と これがまたすごく良い曲だった
ステージに膝をつきペタリと座って歌う姿は芥さんならではの全てをここに掛けた音楽を感じて涙出るほんと
Chanty良かったなぁ

⑥ザアザア
きっとトリだろうで半分終わってるイベントに行くは愛がすごいとか言われながら会社出たんでトリで良かった(はぁはぁ…)
幕が開くと同時にのぞきたぁ~~い
のぞきたい
ようやく新衣装を見ることができました
黒×ライムグリーンのショートジャケットがオシャレ 一葵さんだけ逆配色
袖口と裾がリブ 袖の二本ライン ここ最近のトレンドのadidas味を上手く取り入れた今どき感溢れる この衣装で歌う「のぞきたい」はこの前聴いた時よりキモかったです
前髪のペヤングの隙間からフロアをのぞきながらのぞきたぁ~~ぃ…
亞んちゃんのヘアメがかなりメトロノームなのもツボで 真っ黒リップでこの曲叩くのも人外ぽさあってかっこいいです
からの君の心臓を食べてしまいたい キモい曲縛りか
朗読は人殺し ギターが良すぎて一瞬忘れるけどセンター見ると前髪にペヤング 歌ってる時これすごい口に入ってくるって以前どこかのボーカルさんが言ってたな
チャイムの音に反応して座るフロア
チャイムが鳴ったので授業を始めま~す…
…おはようございま~す…
ペヤングぺろってめくって
おはようございま~す(やってるー?)
どこから来たの?
あなた どこから来たの?(客いじり←ꫛꫀꪝ)
子守唄で眠らされたことがあるんですけど縦ラインどの列見てるか判断むずくない…?w
あんな 黒目5mmぐらいしかないのにどこ見てるかわからん
教えて先生は春さんが一緒にぴょんぴょんしてたのが可愛かったでした
ラスト 蜘蛛の糸左寄せ
フロアにストンと降り立った一葵さん 広々空いた上手側にペットボトルのお水を発見→カラカラってキャップを空けて飲(ほんとに飲んでたw)
フロア:きぁぁぁあ!!!(変態ー!)
その後綺麗なお姉さんの後ろにぴったり着いて回ったり手拍子のところお客さんと手を合わせながら歌ったりして変質者として完璧の仕上がりでした
歌い終わるとありがとうございましたと頭を下げフロア上手側扉から出てった
BLAZE最後の旨どこかで少し触れてたけど徹底的にいつも通りのザアザアを見せつけて終了 この曲がどうだったこうだったって感想が出ないほどザアザアらしい気持ち悪さ全開 "きもい"に全部負けてた(笑)

今週はブログ書けないと思うのでこのまま貼ろうと思ってます
さらば新宿BLAZE!!14年間居場所を提供して下さりありがとうございました
また会えるのを楽しみに
See you next gig!!
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輪舞 Scarlet Harvest
広場の真ん中には ご馳走が山盛りだ! みんな みんな 集まって 切り分けましょう 地の恵み あふれ滴(したた)る 宝石汁(ビジュー) 色づいた木々の葉が 季節を飾り付けて イノチは満ちる トゥ・ラ・タタン おっきな鍋 赤いスープ 代わりばんこ ぐるぐる混ぜて 骨も肉も とろけるまで 煮つめよう 美味しくなぁれ 黒スグリのコーディアルは 魅惑の味 ひと振りしたら 火を囲み 輪になって 踊り踊る 輪舞(ロンド) ドングリ帽 秋めき 風をまとうファッショニスタ キノコの上 腰かけて 飲み干す美酒で 血は巡る 盃 掲げ交わす 熟れた木の実を頂戴! たっぷり蜜 かけてね? 痺れるくらい トゥ・ル・タン・タン キラキラした 真っ赤なジュレ 麦のパンに プディング!ポンチ! 歓喜の狂騒 美味なる滋養 幸福を啜るは誰? 雨の露と 光の粉 蜘蛛のエキス ひと匙入れて 切り株のテーブルに 並べ 饗しましょう…
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Amazon.co.jp: ブラームス:後期ピアノ作品集: ミュージック
ピアノ: ワレリー・アファナシエフ Valery Afanassiev
録音:1992年[PCM デジタル録音]
1 - 3つの間奏曲 作品117 第1曲 変ホ長調 2 - 3つの間奏曲 作品117 第2曲 変ロ短調 3 - 3つの間奏曲 作品117 第3曲 嬰ハ短調 4 - 6つのピアノ曲 作品118 第1曲 間奏曲 イ短調 5 - 6つのピアノ曲 作品118 第2曲 間奏曲 イ長調 6 - 6つのピアノ曲 作品118 第3曲 バラード ト短調 7 - 6つのピアノ曲 作品118 第4曲 間奏曲 ヘ短調 8 - 6つのピアノ曲 作品118 第5曲 ロマンス ヘ長調 9 - 6つのピアノ曲 作品118 第6曲 間奏曲 変ホ短調 10 - 4つのピアノ曲 作品119 第1曲 間奏曲 ロ短調 11 - 4つのピアノ曲 作品119 第2曲 間奏曲 ホ短調 12 - 4つのピアノ曲 作品119 第3曲 間奏曲 ハ長調 13 - 4つのピアノ曲 作品119 ��4曲 ラプソディー 変ホ長調
零度のブラームス 浅田彰 ブラームスは、充溢から創造するのではなく、充溢を渇望して創造の真似をしているだけであり、交響曲をはじめとするその大作群は、不能者の誇大妄想の産物にすぎない。ニーチェは『ヴァーグナーの場合』の「第二の追記」においてこう断じた。むろん、挫折した作曲家でもあったこの哲学者の性急な断定を額面通りに受け取るべきかどうかはわからない。しかし、自らの空虚さを意識するあまりますます巨大なスケールへと伸び上がり、それでいて頂点を極めることができずにまたしても低徊の中に落ち込んでゆくあれらの大作群を聴くと、ニーチェの診断がいかにも正確なもののように思えてくるのも事実なのだ。少なくとも、私は生きるためにそれらを必要としない。あえて言えば、私はそれらのすべてを、このディスクに収められたピアノの小品のために投げうつだろう。 117から119までの作品番号を持つこれらの小品は、ニーチェの診断から4年をへた1892年、ブラームスが59才のときに書かれた。死が5年後に迫っていることからすると、晩年の作品と言ってよい。実際、自らの内の空虚を埋めるために大作を築き上げる試みはとうに放棄され、作曲家は、いまや、メランコリックな視線で、しかし正面から、あの空虚を見つめている。「豊かでない場合には、人は貧しくあるために十分なだけの誇りを持つべきだ!」というニーチェの知恵をわがものとしたかのように、一切の無駄は切り捨てられ、最小限の要素がこのうえなく精緻に組み合わされて、虚空の上で震える蜘蛛の巣のような音楽を作り出すのだ。その音の小宇宙の無限の深さこそ、晩年のブラームスの偉大な達成であった。 こうしてみると、いま、それらの作品を演奏するのに、ヴァレリー・アファナシエフ以上の適任者はいないと言うべきだろう。「メランコリーはもっとも高貴な感情である」と言うロシア生まれのピアニスト―――いや、たんにピアニストと呼ばれるのを嫌い、コンサートやレコーディングを制限して、読書や執筆、そしてワインの鑑定に時を費やすことを好む、たぐいまれな思索家。彼は、いつもながらの極度に遅いテンポ、そして、氷のように冷たく透明な音色によって、甘ったるい青春へのノスタルジーや老いの繰り言めいた澱みを一掃し、すべてを零度の虚空へと解き放つ。そのとき、音楽は、人間的な、あまりに人間的なスケールを超えた、ほとんどコズミックな深さを獲得し、しかも、致命的なまでに純粋な歌、彼岸から響いてくるかのような歌となって回帰してくるのである。 たとえば、117-1や118-2。センチメンタルなまでに美しい無言歌が、あくまでも高貴な輪郭を保って垂直に立ち上がる。あるいは、117-2のレース細工のように精密な表現。とくに中間部から主部に回帰するところは、ダンパー・ペダルを控えた潔癖な表現によって、ほとんどヴェーベルンを予告するような抽象的な表情を見せる。その印象は、虚空にかかったままゆっくりと広がってゆくような118-6や119-1においていっそう強まるだろう(これを聴いた後では、ブラームスの対極としてのヴァーグナーが新ヴィーン楽派につながってゆくという音楽史の常識を考え直さなければならない)。このような演奏を支える最大のモメントとして強調しておきたいのは、音色の美しさだ。柔らかい手でフワッと鍵盤をはたくような独特のタッチによって生み出される、このうえなく透明で、しかも金属的になることのない音色。それがあの精密きわまる表現を支えると同時に、119-4のようなダイナミックな音楽にあくまでも冷たい輝きを与えるのである。 それにしても、このような演奏はあまりにも「現代的」であり、誇張が過ぎているのではないか。ある意味ではそうかもしれない。だが、たとえば119-1について、作曲家はクララ・シューマンへの手紙のなかでこう述べている。「この小曲は格別にメランコリックです。だから「非常にゆっくりと」という表示は十分ではありません。ひとつひとつの小節、ひとつひとつの音は、まるで、これらの不協和音からの官能的な喜びをともなって、各々の小節や音からメランコリーを吸い込むかのように、リタルダンドで響かなければなりません。」これこそ、ここでアファナシエフが忠実に実現してみせていることではなかったか。彼は、常識的なブラームス像を突き破ることで、ブラームスその人が晩年に夢見ていた小さくしかも無限に深い抽象的な音の宇宙を現代に甦らせたのである。そして、繰り返そう、私はこの1枚のディスクのために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう。 [1992.7]
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「私はこの1枚のディスクのために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう。」
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後期ピアノ作品集 ヴァレリー・アファナシエフ : ブラームス(1833-1897) | HMV&BOOKS online - COCQ-85330
この演奏を絶賛される皆さんは、このCDに添付された浅田彰の文章、そしてアファナシェフ自身の「文学」に引きずられ、先入観を抱いたまま聴いていませんか? これらがどれだけブラームスの音楽とは縁遠いことか! 遅いテンポのために音と音の間隔が開いている、これをもってブラームスの晩年の世界は新ウィーン楽派に通ずるなどというのは、自己満足の解釈の極みです。
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このアルバムを素晴らしいと褒めてるというより、ブラームスの交響曲などの管弦楽が好きではないと言ってるのかも。
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