#藤原頼通
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【似顔絵】渡邊圭祐(藤原頼通)さん。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-240
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2024.4.19 Spincoaster presents aimi “I’m OK” Release Party @ BLUE NOTE PLACE
R&Bシンガーaimiの新曲“I’m OK”のリリースパーティを観に恵比寿ブルーノートプレイスに行ってきました。
R&Bシンガーaimiとしてのステージを観るのは今回が初めて。特にブルーノートプレイスは食事もおいしく、雰囲気も良く、お値段もかなりリーズナブルなので���好きなライブ会場の一つです。還暦前のこの年になってくるとスタンディングのステージは結構疲れてしまうので、着席して聞けるライブレストランは大変ありがたいです。
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今回の新曲“I’m OK”はジェネイ・アイコを手掛けたLEJKEYSのプロデュースとのこと。
今回aimiのもとにはLEJKEYSから直接メールがきたというが、アイコやユナ、旧知のアンダーソン・パークやダムファウンデッドも含めてアジアにルーツを持つアーティストとの仕事が多いアジア系の彼が、アイコの『Chilombo』を聴いて改めてR&Bに開眼したaimiと結���ついたのは、偶然だったのかもしれないが必然だったとも言いたくなる。 R&Bシンガー aimi、LEJKEYSとの必然とも言えるタッグ 「I'm OK」に満ちた癒しのエネルギー - Real Sound|リアルサウンド
制作までの過程に関してはライブでも説明があったが、詳細は本人のリールにて
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バンドセットのステージはとても素敵だった。 aimi(Vo.) with 竹田麻里絵(Key.) Zak Croxall(Ba.) Willie(Ds.) 竹田麻里絵さんの演奏は初めて聞けたし、Nao Yoshiokaのステージも務めるZakも一緒だった。
ステージ後オリジナルZINEにサインをもらいました。
当日のライブレポに関しては、こちらのファンの��ログで詳しく紹介されています。
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aimiのR&Bの原点について考えると、こちらの楽曲“Lady Boy”ではないかと自分は考えている。
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以前からカバー動画を専門としているYouTubeチャンネルHomesessionsの作品で知っていたのだが、この動画を見たのをきっかけに、2015年12月にaimiの地元で開催されたイベントに会いに行ったのが最初の出会いだった。
その後、タワーレコードのインストアライブやワンマンライブなど様々なステージを見てきたが、個人的にはR&Bをやって欲しいとずっと思っていた。
そうした中、R&Bシンガーaimiとしての新たな音楽活動が始��ったわけだが、自身のアーティスト活動だけではなく、今やJ-R&Bのオーガナイザーの役割も担う存在となった。
「日本のR&Bは連帯が必要」 aimiが語る、R&Bと〈STAY READY〉への強い想い|日刊サイゾー
Nao YoshiokaやSincere、MALIYA、XinUのファンである自分にとては最近のJ-R&Bの動向に対してのワクワク感が止まらない。
Nao Yoshiokaライブレポ
Sincereライブレポ
MALIYAライブレポ
XinUライブレポ
近年の国内シーンはなかなか〈R&B〉というカテゴリー自体では注目されにくかったものの、アーティスト単位では非常にバラエティ豊かな才能を揃えてきたからだ。オーセンティックなジャンル性を継承しながら王道のR&Bの豊かさを確かな歌唱で伝えるシンガーたち――中堅のNao Yoshiokaから、昨年傑作『Chosen One』を作り上げたaimi、VivaOlaとも繋がるSincereまで――は良質な作品をリリースし続けているし、対してポップス畑に近いところでもXinU、CELINA、大比良瑞希、NEMNEといったニューカマーが続々現れ、ストリーミングのプレイリストを沸かせている。 もちろん、同様の領域ではJASMINEからiri、RIRI、MALIYAといった一~二世代前の実力者たちがいまだにリリースペースを落とすことなくエッジの立った曲を出し続けている状況もある。 「w.a.u以降」のR&B―露出に頼らぬ自律性で真価を示す歌い手たち|日刊サイゾー
ライブのアンコールでは2つの大きな紹介があった。
1つ目はaimiがインタビューを受けている『オルタナティヴR&Bディスクガイド』について。早速Amazonで購入してみた。
こちらの本の詳細についてはアジカン後藤がホストを務める ポッドキャ��ト番組APPLE VINEGARにてaimiが話をしている。
余談だが番組中ゴッチはマレーシアの国民的R&BシンガーYUNAを何度も紹介しており、YUNAファンの自分としてはとても親近感を持てた。
YUNAライブレポ
2つ目は新たなポッドキャスト番組Detox Lounge(デトックスラウンジ)の告知。
R&Bシンガーaimiとダンサー/DJのYacheemiがナビゲートする、R&B Loversのための憩いの場。さまざまな表情を持つR&Bの中でも、特に癒し効果にあふれた楽曲・アーティストに焦点を当て、Let'sリラックス&デトックス。あなたの音楽ライフをゆるやかに彩ります。
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番組中R&Bがもたらすヒーリング効果についての話があったが、個人的にはR&Bはライブで分泌されるドーパミン効果だけではなく、リラックスするためのセロトニン効果を期待しているため、デトックスラウンジというコンセプトは自分にとても合っているなと思えた。
K-POP全体のテーマが、BLACKPINKのガールクラッシュからNewJeansのイージーリスニングに変わってきているのと同様に、J-R&B全体のテーマがエンパワーメントからセルフラブに変わってきているなと昨今とても感じる。
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後ろめたい事が無かったなら、すぐに関係者を一切含まない第三者委員会に委ねるべきだった。おねだりだけならそこまで大した事ではない。通報者に対する集団での虐めの様な対応、それが原因で人が亡くなった事が一番問題。 あと今日の報道特集を観たら、副知事も知事と同じくらい同罪。キックバック問題で副知事が信金に寄付を頼むなどかなり絡んでいて、それもあり副知事も犯人探しに躍起になっていたんだろう。もはや重大刑事事件。
兵庫県議会の全議員の辞職要求に「公務を一日一日やっていく」 斎藤知事、改めて辞職否定(神戸新聞NEXT)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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実写版『聖闘士星矢THE BEGINNING』の主人公、実写版『ONE PIECE』のZORO役で国際的な人気俳優となった #新田真剣佑 と #田中泯 が主演する、日本の隠れた政財界の黒幕“フクロウ”を描いたシリアス連続ドラマ #フクロウと呼ばれた男 https://x.com/takigawa_w/status/1790397107632996456?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w フクロウは真夜中であっても、いつでも見える目ですべてを見ている。 70歳のカリスマ・大神龍太郎 (田中泯) には4人の子どもがいる。 長男の一郎 (#安藤政信) は頼りなく、妻とも不仲で、銀座のホステスを愛人にしていた。父の影響から脱するため、父から資金を借りずに新しい高級レストランを計画していた。 しっかり者の長女・由美子 (#長谷川京子) は、イケメン商社マンの夫との間に二人の子どもをもうけ、一見幸せそうに見えたが、夫は由美子に隠れて (メジャーリーグの有名選手の通訳とは別の) 裏取引をしていた。 父親とうまくいかない次男・龍(新田真剣佑) は、アメリカ留学後、家族に連絡せずに小さなNPO法人で働くために帰国。ある日、龍は��園でジョギング中に美しいアメリカ人女性と出会い、携帯電話が道に落ちて壊れてしまう。龍は弁償すると約束し、女性の連絡先を聞くと、女性は龍に「記者」と書かれた名刺を渡す。 シンガーソングライターを目指す末次女・理沙子 (#中田青渚) はすでに25歳だが、天性の歌声と作詞作曲の才能を持ち、メジャーデビューが期待されていた。理沙子は父・龍太郎に夢を語るが、龍太郎は理沙子が芸能界の闇に飲み込まれるのではないかと恐れる。 ある夜、次期首相候補・竹内 (#中村雅俊) の息子が酒席での喧嘩の末に殺される。息子には薬物疑惑もあった。犯人は捕まったが、刑務所で「自殺」してしまう。 全体的にクールなテイストでシリアスな展開。政治家のスキャンダル、一郎の愛人、由美子の夫の破滅的な取引、美人記者と付き合い始めた龍、夢に向かって突き進む理沙子など、それぞれの人生が生き生きと描かれる。 龍太郎の妻・京子を演じる #萬田久子 の抑えた演技が光る。 東京のクラブ (ホステスのいる方)のシーンを木村多江がホステス役で演じることで、よりリアルさが増している。 龍太郎が情報源として重視するホステス役の #木村多江 は、実際に東京のクラブで働いているかのような臨場感がある。 「フクロウと呼ばれた男」が他のドラマと違うのは、大げさな演技や大げさな音楽を使わずに、家族の葛藤を真剣に描いていることだ。 日本のドラマにありがちな大げさな音楽や大げさな演技、大げさな (意味不明の) ジョークもないし、日本でスキャンダルを起こした有名芸能事務所の男性タレントもいないし、下手な歌やダンスを披露する数十人の女性アイドルグループからの女性キャストもいない。 それだけに、フクロウのカリスマ・黒幕・大神龍太郎とその家族の生き方を冷静に観察できる。 本物のフクロウに天敵がいるように、「フクロウ」を狙う天敵も多く登場する。 これまでのエピソードを注意深く見てきた人なら、後半の一連の出来事にショックを受けるかもしれない。 シリーズのクライマックスは、衝撃的な出来事の連続で、次のシーズンが待ち遠しくなる。政治や金融の世界に巻き込まれた家族の複雑な生活を垣間見ることができるドラマを探している人は必見だ。 セカンドシーズンが待ち遠しい。 ■エグゼクティブ・プロデューサー&脚本:#デビッドシン(『#時をかける愛』) ■演出:#森義隆(『#宇宙兄弟』)、#石井裕也(『#��を編む』)、#松本優作(『#Winny』) #長塚京三 #益岡徹 #大友康平 #原田美枝子 #池田良
#長塚京三#木村多江#大友康平#kuromaru#davidshin#mackenyuarata#mackenyu#mintanaka#houseofowl#フクロウと呼ばれた男#新田真剣佑#真剣佑#田中泯#萬田久子#長谷川京子#安藤政信#中村雅俊#原田美枝子#池田良#中田青渚#デビッドシン#黒幕#フクロウ
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【かいわいの時】弘仁三年(812)六月三日:摂津国長柄橋を架設(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
長柄架橋の確実な記録としては、まず
1)(812年)弘仁三年六月己丑に使いを遣わして摂津国の長柄橋を造る(訳)。『日本後紀』
が挙げられます。ただし、この橋は
2)(853年)仁寿三年十月戊辰に摂津国より、長柄、三国の2つの川には近頃は橋が断絶していて人馬が通せないので、堀江川に準じて2隻の船を配置して、渡しを設置したいと伺いをたててきたので許可をした(訳)。『文徳実録』
とあり、50年もたたないうちに廃絶されていたと考えられます。以後、再架されることはなかったとみえ、「長柄橋」は伝説の橋となって和歌や屏風絵にわずかに残った橋柱のみが取り上げられる世になります。
3)(905年)世の中にふりぬるものは津の国のながらの橋と我になりけり。難波なるながらの橋も造るなり今は我身を何にたとへん。『古今集』
4)(958年)御屏風の絵に、ながらの橋柱のわづかに残れる形ありけるを 葦間より見ゆるながらの橋柱昔の跡のしるべなりけり。『拾遺和歌集』
5)(1000年初頃)天王寺に詣でしに、長柄の橋を過ぐとて 我ばかりながらの橋はくちにけりなにはのこともふるる悲しな。『後拾遺和歌集』
再架のうわさもあったようですが(3)、天徳二年(958)以前に描かれた「天暦御時御屏風」(現存せず)に「長柄の橋柱のわづかに残れる」風景が取り上げられており(4)、再架はかなわなかったようで、(5)に見るように「往時を偲ぶ」ばかりとなります。
ところが、藤原頼通一行が永承三年に高野山参詣した時の記録では
6)(1045年)過���長柄橋下之比、漸二昏黒鵜飼等各燃笹井火、普照行路(長柄橋下を過ぎると、鵜飼いが篝火を焚き、航路を照らす)。『宇治関白高野山御参詣記』
とあり、同時代の赤染衛門の歌(5)と矛盾しますが、赤染衛門も編集に加わったとされる『栄花物語』の延久五(1073)条には
7)(1073年)此處はいづくぞと問はせ給ふ、東宮太夫ぞつたへ問ひ給ひ此處は長柄となん申すといふ程に、其橋はありやと御尋ねさせ給へば候ふ由申す。御舟とゞめて御覧ずれば古き橋の柱たゞ一つ残れり
となっており、「長柄橋下」は「長柄の橋柱のもと」と解するのが適当と思われます。
この(6)『宇治関白高野山御参詣記』は、長柄橋の位置が相対的にですが特定できるので貴重です。とゆうのは、「長柄橋下」の前・後が
8)弥有往還之煩、而江口瀬間、以葦拵垣、積柴候堰、河流決移、已如旧跡(江口に向けて葦・柴を薙ぎ流路を定めながら進む)
9)入夜着御熊川、国司岸山作茅葺雑舎、為行事所、其西五六段許拵廻葦垣、為御船寄所(夜になり熊川の宿に着く。国司が茅葺きの粗末な屋舎作り、臨時に宿舎とし、その西側に葦垣をめぐらせて船着場とした)
となっており、これから「江口~(淀川)~長柄(橋)~(くま川)~船着場」のラインが確認されます。「くま川」については、鐘成は
10)長柄にては長柄川といひ、いにしえは長柄より下をくま川。『摂津名所図会大成』
としており、「長柄川」はさておき、「中津川」の下流に当たることは間違いないと思われます。
以上より、伝説の「ながらの橋」の架橋位置は
(結論)(旧)淀川と(旧)中津川の分岐点に架けられた。
(写真)▼暁鐘成著・松川半山画『淀川両岸一覧 下り船之部』1861(早稲田大学図書館蔵)より「長柄三ツ頭 長柄川 同渡口」
「三つ頭」をはさんで手前が「淀川」「毛馬の渡し」、向こうが「長柄川」「長柄の渡し」。奥に六甲山、画面の左手が南で大坂市街。「三つ頭」の向こう側「長柄の渡し」のあたりが「ながらの橋」の架橋位置と考えられます。ママ。当時の一般的な呼称は中津川。
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスター��ャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見てい���した。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生���命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも���しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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織田邦男先生よりシェア
<正論>平和を気取る身勝手な偽善排せ
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
ロシアのウクライナ侵攻から2年が経過した。昨年10月からウクライナ東部の防衛拠点アウディーイウカで激戦が続いていたが、遂に露軍の手に落ちた。米国の軍事支援が滞っている今、同拠点のみならず全局面でウクライナ軍は苦境に立たされている。
ウクライナ支援継続、強化
「支援疲れ」もあり、「停戦」をという声もある。だが約18%の領土をロシアに占領されたまま停戦が実現すれば、軍事力による国境変更を禁じた戦後の国際規範は崩壊する。しかもプーチン露大統領のいう「停戦」は、次なる戦争への準備期間にすぎず、真��平和が訪れる保証はない。もし日本が侵略され、四国、九州、沖縄(合計で約15%)が占領されたところで、「停戦」を促されたらどう思うか。約18%の領土をあきらめるのは、ウクライナ国民にとって耐えがたいことである。
「力による現状変更」を認めないためにも日本は諸外国と連携しウクライナ支援を継続、強化しなければならない。米国に対してはウクライナ支援継続を強く訴えるべきだ。そのためにも日本自身が武器支援に踏み出す必要がある。
朝鮮戦争の際、日本は武器弾薬を輸出して国連軍に貢献した。しかしながら1967年、佐藤栄作首相が共産圏・紛争当事国などへの武器輸出禁止を決め、76年には三木武夫首相が「武器輸出を慎む」と答弁して武器輸出の全面禁止が定着した。
2014年、「防衛装備移転三原則」が閣議決定され厳格な審査を条件に武器輸出が認められた。紛争当事国へや国連安保理決議に違反する場合、輸出はできない。平和貢献・国際協力や日本の安全保障に資する場合などは認められる。現在、「救難」「輸送」「警戒」「監視」「掃海」の5類型のみ認める指針で運用されている。
ウクライナは紛争当事国だから武器弾薬支援は認められない。だがそれでいいのだろうか。ウクライナを支援するのは戦後の国際規範維持のためであり、わが国の平和のためでもある。単に「殺傷兵器だから」「紛争当事国だから」と禁止するのは教条的過ぎる。
「武器」と付くだけで拒否
万が一、日本が侵略された場合、自衛隊は国家国民を守るために敢然と立ち向かうだろう。だが武器弾薬は決定的に不足し、他国の援助に頼らざるを得ない。そんな時、諸外国が「(日本がそうしたように)武器弾薬は日本に支援しない」となることもあり得る。それだけで日本の抑止力は低下する。日本はその覚悟があるのか。
侵略に立ち向かうウクライナに武器支援をしないメリットは何か。平和を気取る、独り善がりで身勝手な偽善にすぎないのではないか。侵略を許さない国際規範を守るため、あらゆる支援を尽くしてこそ国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
防衛装備移転三原則は法律ではなく、政府の意思さえあれば変更可能だ。ウクライナ国民を守る「防空兵器」くらいは直ちに支援すべきだろう。5類型に「防空」を加えればいい。昨年末、運用指針改正でライセンス生産の地対空ミサイルを米国へ輸出することが可能になった。これをウクライナにも広げるべきだ。ウクライナに発電機、変圧器は供与しても防空兵器は供与しないというの��、国際社会に理解されないだろう。
かつて機関砲が付いた巡視艇は輸出できなかった。自衛隊のトラックも銃の懸架台があるだけで供与できなかった。「武器」と付くだけで心情的に拒否する偽善を続けている場合ではない。
国際社会で日本の孤立招くな
日本、英国、イタリアとで共同開発する次期戦闘機の第三国輸出に関する問題にも通底している。共同開発品の直接輸出を巡っては、昨年春から自民、公明両党の実務者で慎重に検討がなされてきた。昨年7月、実務者協議で容認の方向性が打ち出されたが、11月になって突然、公明党幹部が「ちゃぶ台返し」をした。この間何があったのか、ここでは触れない。
戦闘機は「殺傷兵器」ではあるが、開発装備品の輸出は「友好国を作る」「抑止力を強める」「安価になり防衛力整備に貢献」といった安全保障上のメリットが大きい。装備品は高性能化、高価格化しており、今や一国では手に負えず、共同開発が主力である。こんな時、共同開発国の日本だけが輸出できないのは、あまりにも理不尽で共同開発国からの信頼も理解も得られない。ロングボトム駐日英国大使も第三国輸出を巡り「日本が防衛装備品の輸出ルールの変更を近く実現することが重要だ」と述べ、「(日英伊の)対等なパートナーシップに関わる」と懸念を示している。
湾岸戦争では、日本だけが汗も流さず、130億ドル供与という金で済ませた結果、「小切手外交」「身勝手」「価値観共有せず」と非難され、孤立した。国際社会での孤立は、軍事小国としては致命的である。決して繰り返してはならない。武器輸出についても諸外国と価値観を共有し、国際平和実現に貢献すべきである。(おりた くにお)
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藤原 明人 詳しい分野:英語(言語) 更新日時:10ヶ月 英語がある程度話せるようになって4~5年の頃には分からなかったけど、15~30年たった頃に分かったことを10個選んでみました。ずっとアメリカに住んでいるので、アメリカ限定です。 1 ヘンテコな、不��然な英文と普通の、自然な英文の区別がつくようになった。大量の英文が頭にトックされることで可能になった。 2 ハイレベルな、難易度の高い語彙や表現を使って話す・書くのではなく、分かりやすい語彙と表現で話し、書くこと方が大事。一時期、必要以上に難しい単語と表現で話したり書いたりしてた時期があったんですが、それで誰が得をするんでしょうね。やたら難しい英語で書く、話すのは意外と容易にできます。分かりやすい表現にうまく調節して話すのは結構難しいです。 3 丁寧な話し方とカジュアルな話し方の文体と口調の違い。使い分けられるようになった。 4 どういう感情がどういう口調で表現されるか。自然な口調で感情を込めて話せるようになった。 5 「英語力=英語ペラペラ」ではない。ペラペラに話すには自分の意見がちゃんとあること、スピーチスキル、コミュニケーションスキルが必要。テレビやメディアに出てくる英語ネイティブはみんなペラペラですが、現実では英語ネイティブでも結構たどたどしく話すことがある。 6 不自然な言い回しをしても、自然な口調で話せば相手には自然に聞こえる。不自然な言い回しを不自然な口調で話せば「不自然な英語」に聞こえる。不自然な言い回しを自然な口調で話せば「独特の表現スタイル」に聞こえる。 7 より正確に母音子音を発音することより、現地の英語のリズムとアクセント(口調)で話す方が聞きやすい英語になる。特にアメリカ英語では強調しない部分は母音が曖昧でもOK。あと、「あ・い・う・え・お」のように音と音をはっきりと途切って話さず、「あ~い~う~え~お~」のように繋げて話す方がより自然。 8 英語の自然さと上手さは、発音の良し悪しより、英語っぽい声で話してるかどうかで評価されがち。男の場合、リラックスして、声を響かせる感じ。それと、力むと「あ・い・う・え・お」と言うみたいに途切れた (choppy) 話し方になる。 9 英語の聴き取りにおいて、自分がかなりの部分を「言葉の推測と予測」、「英語のリズム」に頼って聴きとっていること。おかげで英語の歌もかなり聞き取れるようになった。 10 様々なアクセント(訛り)の違い。アメリカ国内では南部、黒人、ヒスパニック訛りとか、国外ではイギリス、インド、オーストラリアとか。あと、外国人訛りの多様性もとても面白いです。 ※追加:これはあまりペラペラではなかった頃(英語が話せるようになって7年目ぐらい)に分かったことです。 1 英語の意味を日本語で覚える必要はない。アメリカ留学5年目ぐらいに、必要に迫られ、新しい単語をコンテクストとして記憶するようになりました。つまり「こんな状況のとき��、誰々が、こんな理由・気持ちで、こんな風に、○○という言葉を言って、自分はこう思った」のように英単語・フレーズが使われた状況を視覚・感覚を交えた実体験として記憶していました。いちいち辞書で調べている時間が無かったので「体験⇔英語」で単語の意味と用法を記憶してました。そうやって覚えた単語は、再び聞いたときには体験・経験的に意味が理解できました。話す・書く場合には、どの状況でどの単語を使ったらいいかが経験上分かりました。日本語や英英辞書で意味を覚えていた時にはできないことでした。結果、1日に5~30個のペースで新しい単語やフレーズを覚えはじめ、爆発的に英語の語彙力が伸びました。しかもそうやって覚えた言葉は最低5~6日忘れませんでした。
英語がペラペラになって分かったことはありますか? --- Quora
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公開直前!先行上映会 in 大阪 舞台挨拶レポート
4月25日(木)に『青春18×2 君へと続く道』の公開直前 先行上映会が大阪で行われ、舞台挨拶に、清原果耶さんと藤井道人監督が登場しました!
3月14日に世界最速で公開した台湾にて、公開1ヵ月で既に観客動員30万人、興行収入7,000万NTDを突破し、今年台湾で公開された台湾映画(合作含む)ではナンバー1大ヒットを記録、「今年一番泣ける」と話題を呼びリピーターも続出している本作。 3月下旬に開催された香港国際映画祭のインターナショナルプレミアでは、1300席の会場が即完で満席。香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、ヴェトナムでも公開を迎え、特にヴェトナムでは、日本映画実写第1位の記録で、今後も韓国、カンボジアなど10以上のアジア各国・各地、さらには中国大陸でも劇場公開が決まっており大注目を集めています。 TOHOシネマズなんばでの上映終了後、清原さんと藤井監督が観客の皆さんの前に登場。涙を拭っている皆さんに向けて、清原さんが「いかがでしたか?」と問いかけると、盛大な拍手が沸き起こりました。続けて「出身が大阪なので、今日大阪のみなさんに作品をお届けできたことが個人的にすごく嬉しい。」と話し、監督は「清原さんとは15歳から一緒に映画を作らせてもらって今回、一番と言っても良��くらいの清原さんが撮れたと思っていて、そんな清原さんと一緒に大阪に来られて光栄です。」と挨拶をしました。 出身地でもある大阪なんばでの舞台挨拶について清原さんは「“なんば”という響きを聞くだけで大阪に帰って来たんだなぁ。控室にもたこ焼きを用意してもらっていて、帰って来たなぁと思いながら、美味しくいただきました。大阪は落ち着く半分、緊張半分、ちゃんとしなければという気持ちがあり、でもやっぱり嬉しい!」と語り、続いて監督も大阪について「僕は、去年映画のキャンペーンで道頓堀の船に乗りました。」と思い返しました。 本作の共演者、特に清原さんと同じ関西出身の道枝駿佑さんの印象を聞かれると監督は「テレビで見ていた印象と変わらない、純度100の青年。幸次の役よりは3度くらい熱は低く…もう少し大人しいんですが、(幸次の役は)グッと上げて頑張ってくれました。」とコメント。過去にドラマでも共演していた清原さんは「撮影では全く会わなくて、宣伝活動で久しぶりに会ったら身長が伸びていて、月日が経ったんだなぁ」と語りました。 最初に本編を鑑賞した際に涙が止まらなかったという清原さんは、その時の気持ちを「見る前はどういう感じで完成したのかワクワクだったけど、私が出てないシーンをちゃんと見たら、そこでアミのまわりのひとたちの想いに初めて直面し、アミとして悲しかったし切なかったし、すごく大事にしてもらっていたんだなぁと泣いてしまいました。」と振り返りました。
清原さんが演じるアミが知ることのない、アミを想いながらのジミーの旅について聞かれ「言葉にできない感情ばかりだったかなと思うけど、アミとジミーが出会って過ごしてきた日々がまぎれもなく彼らの青春であり初恋だったんだなぁ。ということを私は知れたことが嬉しかったです。」とアミの気持ちを代弁。
清原さんと監督は今作で3回目のタッグとなり、清原さんが演じたアミにてついて監督は「彼女が少女から大人になっていく過程を見させてもらっていて親戚のおじさんみたいな気持ちでいた。今回アミを演じて僕が想像したことを超えてきてくれる、そこには映画人としての信頼が常にあって、60年後までご一緒する仲かも!?という思いで向き合わせてもらっています。」と強い思いを伝え、会場からはその未来への期待に拍手が起こりました。それに対して清原さんは「何から何まで気になることが合ったら監督にすぐ確認する。」と信頼関係の強さを伝え、監督は「清原さんとは戦友とは言え、今回はかなり過酷な状況での撮影で、それでもあれだけ素晴らしいアミを演じてくれて本当に感謝しています!」と改めて清原さんを賞賛。清原さんも「監督と一緒に丁寧にこの作品に取り組めて毎回感謝しています。」と気持ちを伝えました。 本作は、日本と台湾で撮影され、アジア圏で今最も注目を集める台湾のスター俳優シュー・グァンハンさんとの共演について清原さんは「素敵な方で周りの人を巻き込んですべてやわらかい空間にしていく力があり、グァンハンさんが演じるジミーにアミも助けられた。」と魅力を伝えました。コミュニケーションについては「通訳を交えて会話したり、お互い日本語と中国語の単語を教え合ったり・・」とまさにアミとジミーのようだったことを明かしました。 清原さんは「特に台南の街並みが好きでアミと同じ気持ちで旅することができ、アミに感情移入が出来た」と台湾の撮影を、監督は台湾での撮影の言葉の壁について「日常的に言葉を頼り過ぎている。言葉が通じ合わないから何が本当にやりたいことなのか、みんなが目を見て、我々にとって青春、初心に戻れた」と振り返りました。 台湾でのオフの過ごし方について清原さんは「散歩したり、ご飯を食べたりスタッフさんと夜市に行ったり」と楽しい時間を過ごしていたが、監督は「僕は別の作品で参加ができず、みんなで楽しんでいる写真が送られてきた」と残念だった様子。清原さんは「台南のお肉をさばいてスープとして出してくれる牛肉のスープが美味しかった!」と台湾のご飯も絶賛しました。
本作���経て、監督は映画を作ることにおいて「映画は正解がない、心に残る人もいて、明日には忘れる人もいてそれも全部正解だと思う。自分の人生にこの1本として映画を作り続けたい」と語り、清原さんは「言葉、気持ち感情をより大事にすることを思って、大人になっていくうえで我慢したり、忘れなければいけなかったり、どうしてもぶつかることもある中で、それでも自分の軸として大事に持っておかないといけないものを持ち続ける勇気は大事にしたい、アミを演じたからそう思える、役や作品との一期一会に感謝したい」とそれぞれ考え方が変わった経験を伝えました。 最後に、満席の観客に向けて藤井監督は「青春という言葉が一生続けばいいなぁとこの映画を作って感じました。この映画が皆さんの日常を豊かにする一つになれば嬉しいです。」とメッセージを送り、清原さんは「失いたくないものを見つけて宝物に出来るような映画になりました。台湾、日本のスタッフキャストのみなさんと一丸となって魂をかけて作った作品です。たくさんの方々に届けばいいな、今日来てくれた皆さんにだけでも温めてもらえたら・・・」と声を詰まらせ、「大切な作品になったのでみなさんにとっても大切なものになるように思っています。」と、ひとことひとこと噛みしめるように言葉を残し、舞台挨拶は終了しました。
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Persona 3 FES Official Fanbook pages 148-149 transcription.
用語集
Glossary of PERSONA 3 & PERSONA 3 FES
甘味処 小豆あらい
【Y編/場所名】
巌戸台商店街にある甘味処。コミュニティのイベントで何人かの友人と入ることになるが、店内の様子は残念ながら不明。とりあえず男女共に人気の店らしいので、味もなかなかなのだろう。店頭に飾られた “小豆ちゃん” というマスコットキャラクターがトレー���マーク。店名の “小豆洗い” とは有名な妖怪の名前が由来。“小豆とぎ” とも呼ばれ、川のほとりで小豆を洗いつつ「小豆とごうか、人とって喰おか、シャカシャカシャカ」と不気味な歌を歌うといわれる。基本的に音のみの妖怪だが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、目が大きな痩せた小男という姿で描かれている。新潟や福島、長野といった大きな水系がある地に伝わる例が多いが、東京でも江戸時代に某旗本家の炊事場で音を立てたという記録があり、ほぼ本州全域に分布する妖怪話である。
アルカナ
【共通/基本設定】
タロットカードの種類を表わす言葉。本来はラテン語で “神秘” という意味で、18~19世紀ごろにタロットを占い用として使用するようになり、カード1枚ごとに隠された意味を見出すようになってからこの言葉が使われるようになった。1組のタロット78枚中、寓意画を描いた絵札22枚を大アルカナ、それ以外の56枚を小アルカナと呼んで区別する。小アルカナのほうは、さらにソード、ワンド、カップ、ペンタクルの4つの組 (スート) に分けられ、さらに各スートは1から10までの数札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングの人物札4枚に分類される。一般的なタロット占いでは大アルカナのカードだけを使うものがメジャーだが、実際には56枚の小アルカナそれぞれにも隠された意味があり、本来は78枚の全カードを使用するのが正式なものとなっている。ちなみに、小アルカナのタロットが現在のトランプの原型といわれるが、実際にはトランプが先にあってタロットの原型になったという説や、そもそもトランプとタロットの発生はまったく無関係という説もあり、その正しいところは判明していない。
アルダナ
【Y編/バトル】
塔シヴァと女教皇パールバティによるミックスレイド。技名の由来は、性的信仰 (シャクティズム) を伝える聖典『カーマ・スートラ』に記された言葉 “アルダナーリーシュバラ”。これは “半身が女性のシヴァ神” という意味で、シヴァとパールバティとの合体によって両性具有神となり、宇宙創造のシンボルとなったものである。
伊織順平アワー
【Y編/イベント・6月1日】
学校にウワサとして流れた怨霊話を寮で説明するときに、順平が始めた小芝居。おそらく、怪談で有名な某タレントの語りを意識したものであると思われる。ただ順平の語りは、発音が良すぎてやや怖さに欠ける。本家のように、もっとボソボソと囁くような声でやれば完璧。
伊織の叫び声
【Y編/会話・5月17日】
試験前になると、自室から聞こえてくる。上の階にいる女子や、さらに上の作戦室にいる美鶴にまで聞こえているようなので、相当なボリュームの叫び声なのだろう。苦情が出ないのが不思議なくらいだ。もしかして他人の勉強の邪魔をしようという順平の策略なのかも?
幾月修司
【Y編/人物】
最初は月光館学園の理事長と紹介されるが、実は桐条でシャドウとペルソナを研究していた技術者であり、特別課外活動部の顧問である。昼行灯的なのん気さを持ち、周囲が凍りつくほどの冷たいダジャレを連発するのが好き。だが、さらにその姿すらも世間をごまかすためのもので、シャドウ研究を始めた桐条鴻悦の遺志を継ぎ、ひそかに滅びを召喚する宣告者 “デス” を捜し求めていた。10年前の事故時点では、さほど高い地位にはいなかったが、率先して事故の後処理を行なうことで信頼を得て、桐条家現当主である桐条武治の右腕的存在となっている。入寮直後に主人公のペルソナ暴走を見て、10年来追い求めていたデスを発見したことに 気付き、滅びを招くための儀式を密かに進めていた。最終的に死の儀式は失敗し、幾月は天文台から墜落して死亡。ただし、その遺体は未確認である。恐ろしい計画を誰にも気付かれずに遂行したところから、終末思想という滅びの狂気に蝕まれていたように言われているが、監視カメライベントで見られる一生懸命にダジャレを考案する様子を見ると、ダジャレ好きという部分だけは演技ではない愛すべき幾月の一部分であったと思われる。
イゴール
【共通/人物】
ベルベットルームの主で、この世界で唯一ペルソナ合体を行なえる存在。メアリー・シェリー原作の小説『フランケンシュタイン』に登場する召使い、イゴールが名前のルーツとなっている。極端に長い鼻を持ち、『ペルソナ』シリーズをとおして徐々に長くなっているのでは?との疑惑がある。ちなみに相方のエリザベスの名前の由来も、主のイゴールと同じく『フランケンシュタイン』から。ただしこちらは、小説版ではなくハリウッド映画版。シリーズ2作目として作られた『フランケンシュタインの花嫁」に登場する、女性型人造人間の名前から取られている。
「以上、ナビでした」
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭、登校時に主人公を案内してくれたゆかりが、別れ際に言ったセリフ。入寮直後にはやや硬かった態度が柔らかくなり、ちょっと無邪気で子供っぽく見える瞬間である。戦闘時のナビは美鶴と風��の役目となっているが、ゆかりのこの口調でナビをしてもらいたかったかも?
痛いの痛いの、飛んでけー!
【Y編/テレビ・4月9日ほか】
テレビ番組『偶然見かけたこんな人』で、レポーターのトリッシュが使う決めゼリフ。トリッシュはペルソナシリーズの『女神異聞録ペルソナ』と『ペルソナ2 罪』および『ペルソナ2 罰」で、回復施設を営む妖精として登場していたのだが、そのときの挨拶がこの「痛いの痛いの⋯⋯」だったわけだ。ちなみに『偶然見かけたこんな人』で紹介される街の人は、みな前作・前々作の登場人物となっていて、しかもその人物の誕生日に現われるようになっている。興味がある人はチェックしてみよう。
一期一会
【A編/イベント】
真田が順平との出会いをそう表現した。とくに言葉の使い方として誤りがあるというわけではないが、そもそも一期一会とは “誰かとの出会いは、それが最初で最後のつもりで誠意を尽くさねばならない” という意味の茶道で使われていた言葉。むしろ真田たちにとっては、主人公や荒垣との関係において、この言葉を使うべきかもしれない。
稲荷社
【Y編/場所名】
長鳴神社にある稲荷社。小さい社だが、近所に住むお年寄りたちはマジメに拝んでいるようで、お供え物のイナリ寿司が常に置かれている。ここで祈ると、さまざまな効果があるらしいが、何が起こるか祈ってみないとわからないのが玉に瑕だ。
犬語ホンヤク機能
【Y編/イベント・7月29日】
順平が評して言った、アイギスの特殊能力。監視カメライベントでは荒垣もそう言っている。もしかしてアイギスの製品仕様書に、“犬語翻訳機能 (オプション)”とでも書いてあるのだろうか?アイギスが言うには、高次な精神を持つ生き物は、言葉ではなくイメージを発することができ、それを読み取っているのだとか。人間にもあった能力だが、言葉に頼ることで失ったらしい。もちろん、メティスも同様のことが可能。
「今ならお買い得であります」
【Y編/会話・8月1日】
自分のペルソナの長所をアピールするアイギスが言った。本当に買えるものなら買いたいと思う ユーザーは少なくないだろう。ちなみにフィギュアなら、壽屋から 「ペルソナ3 アイギス 1/7スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:新居興介) が2007年8月に発売。また2007年10月にも、アルターから「ペルソナ3 アイギス 1/8スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:齊藤史樹) が発売される予定。
妹ちゃん
【A編/人物】
順平がメティスを呼ぶときの呼び方。いろいろとオリジナルなニックネームをつける順平にしては、ちょっと手抜きっぽいかも。やはり多少、壁を感じていたのだろう。
要らない苦しみ
【Y編/イベント・11月21日】
チドリが順平にもたらされたと言い、彼を遠ざけようとした。順平のことを考えると胸が苦しくなるとは、どう考えても恋愛感情なのだが、チドリがそんな経験のないまま成長してしまったが故の悲劇である。ただ、恋だとわかっていても苦しいものなので、彼女の気持ちもわからなくもない。
イレギュラー
【Y編/基本設定】
タルタロス外で出てくるシャドウ。ゲーム中の主人公たちは知らないが、そもそもシャドウは人間の中から発生するため、すべてのシャドウは発生時点においてはイレギュラーとなる。ただ、その瞬間を捕捉されることが少ないため、シャドウはタルタロス内にいる、という状態になっているだけである。ゲーム中に確認されたイレギュラーは、まずコロマルが神社で戦ったものがそうだが、それ以外では天田の母が死んだ晩に出たシャドウも同様である。
巌戸台分寮
【共通/場所名】
月光館学園の学生が入る寮。学校からやや離れた巌戸台地区にある。本来、学生寮は男女別であるのが原則だが、ここだけは特別課外活動部の拠点という関係から男女共用。またその成り立ちに関しても、妙に内装が広く豪華だったり学生寮には相応しくないとも思えるカウンターバーがある点からわかる通り、元はホテルとして使われていた建物だったという裏設定がある。なお、ゲーム中には台所や風呂が見当たらないが、じつは奥にあるドアから行ける場所にそういった施設がある ことがドラマCDでの描写から明らかになっている。
ヴァルホル
【Y編/バトル】
皇帝オーディンと剛毅ヴァルキリーによるミックスレイドで、仲間ひとりを3ターン完全無敵にする技。“ヴァルホル” とは別名で “ヴァルハラ”。古ノルド語で “戦死者の館” という意味となり、戦争で命を落とした戦士の魂がヴァルキリーによって集められ、オーディンの居城となるこの場所で不死の戦士として来たるべき終末に備えると言われる。
ウインナーコーヒー
【Y編/会話・8月1日】
天田は真剣にウインナーコーヒーが何かということを知らず、コーヒーにウインナーソーセージを入れるのだと勘違いし、からかわないで下さいと文句を言っていた。なんて可愛いんだ、コイツは。
ウエストすっきり低周波パット
【Y編/監視カメラ】
風花が時価ネットたなかで密かに買ったというダイエット用品。低周波を流して起こる筋肉の痙攣によって、強制的に腹筋を動かして脂肪を燃焼させるという仕組み⋯⋯かと思ったら、お腹がビクビクするのがメチャクチャくすぐったくて、笑いをこらえることで腹筋を鍛えるようになっているようだ。また、タイマーロックでもついているのか、一度装着するとしばらく外せないという構造的欠陥を持つ。ちなみに、これをつけて悶絶して苦しむ風花の声を、部屋の外で聞いた美鶴は、気まずそうに「気にせず続けてくれ」と言うが、いったい何をやっていると勘違いしたのだろう?
受付のオバチャン
【Y編/会話・9月28日】
順平が言うには「オレとチドリの仲を阻む、思わぬ伏兵」。ふたりの関係やその他を、根掘り葉掘り聞いてくるらしい。順平の表現を借りると、“オレとチドリの聖域に、イボつき健康サンダルで踏み込んで” くるとか。何やら戦う気満々だが、順平レベルでは返り討ちにあうのがオチだろう。
海丑
【Y編/場所名】
巌戸台の複合ビルに入っている牛丼チェーン店。真田のお気に入りの店で、彼は外で食料をテイクアウトする場合、ここの牛丼しか買ってこないとか。ただしプロテインと同時摂取するという、牛丼好きならずとも目を背けたくなる食べ方をする。それより減量が必要なボクサーとして、栄養の取りすぎが心配だが大丈夫だろうか?
裏口
【Y編/場所名】
入寮直後、大型シャドウに寮を襲撃されたイベントの際、主人公を連れたゆかりが最初に脱出しようとした扉。1階の奥に存在するが、普段は開けることができない。ただ、ゲーム中には用がないからこのドアの先には行かないだけで、実際はみんなが利用する厨房と風呂がこの先にあるらしい。プレイヤーが操作していないあいだに、主人公も食事に入浴にと利用しているに違いない。
占いゲーム
【Y編/場所名】
ゲームパニックにあるゲームで、1回2000円。ドクター・エドガーによる怪しげな占い、と説明されるが、もしやこのドクター・エドガーとは某学園の保健教諭のことかも⋯⋯?占いを行なうと装備ペルソナの魔力がアップする効能があり、このへんの怪しさも江戸川説の根拠となっている。
ウワサ
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭で流れた、主人公とゆかりが付き合ってるとのウワサ。転校初日の登校時にゆかりに付き添ってもらったのが原因である。その後ゆかりが入寮時の影時間の件について、「昨夜のこと言ってないよね」とわざわざ自分から学校で漏らしたせいで、きっとウワサに拍車がかかってしまったのだと思われる。
運命と言う名のフォーチュン
【Y編/コミュ】
鳥海先生の隠者コミュ後日談で、英語の寺内が言う。インド人の旦那と出会ったのが、運命という名のフォーチュンだったらしい。日本語がおかしいというか、英語がおかしいというか、いつもはツッコミを入れられる側の鳥海先生をして、「“頭痛が痛い” よりビックリだわ⋯」とツッコませしむ発言である。なお、珍しくセリフが多いこのイベントで、寺内先生はここぞとばかりに名言を連発する。「素晴らしい発想のチェンジ」、「私にもセイム体験あります」など必見。
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ウィッチンケア第13号(Witchenkare VOL.13)
発行日:2023年4月1日 出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー) A5 判:224ページ/定価(本体1,600円+税) ISBN::ISBN::978-4-86538-146-7 C0095 ¥1600E
【寄稿者/掲載作品】 ~「もくじ」より
006 荻原魚雷/社会恐怖症
010 中野 純/臥学と歩学で天の川流域に暮らす
016 野村佑香/おしごと 〜Love Myself〜
022 加藤一陽/リトルトリップ
028 蜂本みさ/せんべいを割る仕事
034 コメカ/さようなら、「2010年代」
040 木俣 冬/まぼろしの、
044 久禮亮太/フラヌール書店ができるまで
050 すずめ 園/惑星野屋敷
058 荒木優太/不届きものの後始末
062 美馬亜貴子/スウィート・ビター・キャンディ
066 武田 徹/鶴見俊輔の詩 〜リカルシトランスに抗うもの〜
072 久山めぐみ/坂元裕二と普通であることとメロドラマについてのノート
078 柳瀬博一/カワセミ都市トーキョー 序論
086 朝井麻由美/削って削って削って
090 武田砂鉄/クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー
096 宇野津暢子/好きにすればよい
102 多田洋一/パイドパイパーハウスとトニーバンクス
116 トミヤマユキコ/変名で生きてみるのもええじゃないか
120 長谷川町蔵/ルーフトップ バー
126 小川たまか/別の理由
132 吉田亮人/写真集をつくる
136 谷亜ヒロコ/ホス狂いと育児がほぼ同じだった件
140 武藤 充/氷武藤家の足跡
144 久保憲司/余命13年
150 仲俣暁生/ホワイト・アルバム
156 柴 那典/ベーグルとロースとんかつ
162 清水伸宏/アンインストール
170 ふくだりょうこ/この後はお好きにどうぞ
174 矢野利裕/3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして
180 藤森陽子/梅は聞いたか
184 木村重樹/アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話
190 宮崎智之/書くことについての断章
196 東間 嶺/口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない
202 かとうちあき/おネズミ様や
206 山本莉会/かわいいみんなのおだやかでない話
210 我妻俊樹/北極星
218 参加者のVOICE
223 バックナンバー紹介
編集/発行:多田洋一
写真:千賀健史
Art Direction & Design:太田明日香
取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)
印刷/製本:株式会社シナノパブリッシングプレス
〈2010年4月創刊の文芸創作誌「Witchenkare(ウィッチンケア)」は今号で第13号となります。発行人・多田洋一が「ぜひこの人に!」と寄稿依頼した、37名の書き下ろし作品が掲載されています。書き手にとって、小誌はつねに新しい創作のきっかけとなる「試し」の場。多彩な分野で活躍する人の「いま書いてみたいこと」を1冊の本に纏めました!〉
【公式SNS】
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※たたり 〜ノベライズ・ウィッチンケア第13号〜
(下記URLを読むと第13号の全体がざっくり見渡せます)
https://note.com/yoichijerry/n/n7b300e9c6283
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。 男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。 ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」 そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。 その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。 そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」 2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。 そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」 樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。 そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。 事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。 いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの) 朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。 ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。 しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。 この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」 じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧している��かといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。 安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。 でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」 そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」 だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。 そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」 大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。 そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。 そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。 その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。 大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」 その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。 それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。 そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。 これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」 韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。 なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」 現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。 建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」 本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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映画『生きる』
U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌��いうのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
あ、ここでまず歌うんだ。
このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
ちょっと見るのが怖い気がします。
追記: 志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。 え? 47歳? とてもそうは見えません。 もっとも当時の定年は55歳��すから、渡邉はまだ50代前半ということになります。 今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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あっちゃこっちゃ行っています;;
また岩手県へお邪魔して来ました。
奥州市埋蔵文化財調査センター さんにて【阿弖流為】の映画が上映されると言う事で行ってまいりました。2,3年ぶりに来たのかな?
何だか普通に感動して泣いてしまったり; 1200年前の話ではあるけれど、現代とダブって見えるところもあり、考えさせられました。
あと、大友康平さんが阿弖流為の声当ててたんですが、ハスキーで凄く良い…!
お客さんも年配の方が多かったように見えたので、もっと若い人に是非見て貰いたいなぁ…。。
後は胆沢城跡を見て、行ってみたかった鎮守府八幡宮へ。(胆沢城跡は前回も見てきたので…)
坂上田村麻呂の時代から、藤原秀郷や源頼朝、豊臣秀吉、伊達政宗と、多くの偉人が関わっているようでびっくりです(語彙力よ…);;
参拝時、雨が少し降っていたのですが、嫌な雨ではなく、静かで清涼で、とても良い雰囲気でずっと留まっていたかったです。
また別の季節に来てみたいな。
とりあえず今日は雨の中、駅から徒歩で歩いたこともあり、めちゃめちゃ疲れました…。。
でも良い日だったぁ…(しみじみ)😊😊。
前は神奈川まで帰らなければ行けなかったので、来ても直ぐに帰ってたんですが、今は割りと気軽に来れるようになったんだ…と再確認出来て、本当に嬉しいです。
後は春になったら…。。
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9月の最終営業日、朝から関東在住の保育士ミサさんが「12時頃にタラウマラに行きます」と嬉しい連絡をくれたので、足の踏み場もない店内を少しでも片づけておこうと、開店するなり自転車整備に精を出す。中古自転車は入荷しただけでは商品にならず、一台一台きちんと点検し、メンテナンスをしないことには店頭に並べることもできない。当然、状態の良いものは手間も時間もかからず、それなりの価格をつけることができる。逆に程度の悪いものは手間も時間もめちゃくちゃにかかる。不具合箇所はすべて新品のパーツと交換しなければならないので、その時点で自ずと商品としての原価も上がる。だからと言って高額で売れる訳ではない。経年劣化、そもそもの状態が悪いのだから当然と言えば当然だ。このあたりがレコードや古書との決定的な違いだと思う。古いものに価値がある訳ではない。だから手間と時間とお金を存分に注いだものほどお客様には安価で提供しなければならないという地獄のような矛盾を自分のなかでどのように折り合いをつけていくかというところに、古物自転車商の醍醐味、面白さが潜んでいる。タラウマラの場合は自転車修理に加えて書籍や音源を含む物販の収入を売上のグロスに投入することで、利益を調整している。ただしそれぞれの柱がうまく機能し、循環していなければ焼け石に水となってしまうのだけれど。どれだけ尊敬するアーティストやレーベルからのリリース作品であっても、僕はその時々の状況や予算、実際の懐事情を鑑みて作品を入荷したり、しなかったりする。先様もそのあたりは理解してくれているのでとてもありがたい。出勤前にコーナンで大量に購入した整備用具一式を手に、自転車と向き合う。メラミンスポンジやウエスで清拭してやるとどんどん汚れが落ちて、注油の度に各部の動きもスムーズになってくる。はっきり言って気持ちが良い、が、しかし、ここで満足していたら、単なる金持ちの道楽と同じになってしまう。商売は趣味ではない。きちんとお金に変えていかないと意味がない。僕は人助けのために自営業をやっている訳じゃない。自分や家族がこのクソったれな世の中で何とか生きていくために全力で自衛している。整備を終えて店頭に並べた自転車が瞬く間に売れていく。淡路に引っ越してきたばかりだという男性と、タラウマラオープン当初に購入してくれていた常連さんが新たに買い替えの一台を選んでくれた。商品とお金が交差し、僕もお客さんも笑顔だ。ここは極めて重要、買い物の最終工程を機械に委ねたらあかん、感情だけは奴らに渡すな、マニュアルや利便性を自らの手で破棄してでも残る言葉と顔貌で交渉を成立させよう。このときの快感はなにものにもかえがたい。開店早々からお金も動き、僕も動き続け、修理のお客さんも後をたたない。秋とは思えない気温と首筋に照りつける強烈な日差しに汗びっしょり。あっという間にお昼、ミサさんの来店時間が迫っていた。と、そのとき、年齢も服装もばらばらの数名の男女が慌ただしくやってきて、こちらに対して一方的、矢継ぎ早に要求を伝えてくる。各者の言葉を要約すると、少し離れた場所で女性が自転車の後輪にスカートを巻き込んで身動きが取れない状態、だから助けてあげてほしいとのこと。そうこうしている間にも店頭ではパンク修理の依頼が2件、タイヤからチューブを引っ張り出しながら、いま店を離れることはできない旨を彼らに伝えると、助け隊のひとりが「こういうときに何とかするのがプロでしょ」と宣ったので、キレた。おうよ、そこまで言うなら行ってやる。幸いにもパンク修理のお客さんからも理解を得ることができたので、僕はタイヤを脱着させる際に使用する作業台と工具一式を担いで彼らの案内に従うことにした。店には「すぐに戻ります」の貼り紙。絶対すぐに戻る、どうかミサさん帰らないでね、という想いを込めて。目的の場所にはラグジュアリーな服装の女性が確かにロングドレスの裾を自転車の後輪に巻き込んでうずくまっていた。巻き込んだ際に転倒したようで足や腕、顎のあたりに擦過傷ができていた。可哀想に、せっかくのおめかしが台無しやんか。それ以上に女性を包囲する助け隊一派の存在が鼻についた。僕は女性にこれから行う作業内容を簡潔に伝え、最悪の場合はドレスの裾を切らなければならないかもしれないことを強く念押しする。女性は首を縦に振った。高そうな服やのに、もったいない、気の毒やなぁ、などという助け隊の言葉は徹底的に無視。早速サドルを作業台に引っ掛け、チェーンカバーを外し、後輪のネジを外していく。それにしても見事なまでの巻き込み具合で、薄いレースのような生地がバンドブレーキと車軸との僅かな隙間に幾重にも層になって絡まっている。まるで伊藤潤二の「うずまき」のようだ。ゆっくりと同時に要所で力を込めてタイヤを回転させ、生地を引っ張る。少しずつ隙間から生地がぬらぬらと出てくる。助け隊のおっさんどもはお姉ちゃん頑張れ、水飲んどきや、ケガして可哀想に、美しいお顔がえらいこっちゃ、バンドエイド買うてきたろか、と引き続きうるさい喧しい鬱陶しい。何よりも困惑したのが、僕の作業する位置が女性のドレスの裾を覗き込むような格好になるので、見てはいけないものを見てしまうかもしれないという妄執に取り憑かれて酷く落ち着かない。はっきりと集中力が削がれる。何度かプラスドライバーの先端がネジの駆動部を舐めた。それを察してか女性もくねくねと腰をよじらせたり足の位置を変えようとするので余計に艶かしくなってしまい、むしろ逆効果。僕はええいままよと心を鬼にして、生地を引きちぎらんばかりの勢いで力いっぱいに掴んだ。手応えあり。いける!タイヤが滑らかに回り始めた。すると興奮した助け隊のおっさんどもが我先にとタイヤを回そうとしやがったので、僕の指がスポークに挟まる。痛い痛い痛い。ギョリンと睨みつけると、おっさんは慌てて手を引っ込めた。そこから消耗戦を続けること約15分、ドレスの裾を破くことなく無事にタイヤから引き離すことができた。額からは滝のように汗が流れてくるが、助け隊は女性の身を案じるばかりでこちらには見向きもしない。当の女性は平身低頭、とても申し訳なさそうに謝罪の言葉を何度も述べて、費用をお支払いします、と言った。僕は彼女の申し出をきっぱりと断り、来た時と同じように作業台を肩から下げて颯爽と現場を後にした……なんていう安っぽい美談に落ち着く訳もなく、僕はケガをした女性ではなく助け隊の連中に作業費用を請求した。集まった金はたったの1,000円。非常にしみったれているが、それでも彼らには伝わったと思う、善意には覚悟もリスクも必要だということを。リスクなき善意はただの偽善、それはもう傍観者と何も変わらない。急いでタラウマラに戻って、お預かりした2台の自転車のパンク修理を終らせ、店内でひと息ついたタイミングでミサさんご来店。貼り紙を見て、近くで時間を潰してくれていたみたい。彼女の快活な笑顔を見ると、ようやく僕もまた笑顔になれた。保育士であり、ドラム奏者でもある彼女が学生時代から好きだというMR. BIGの話で大笑いした。
MR. BIGと言えばこちら。イントロから鳴り響く、力強いドラムが印象的。
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実はこの公開日記「Pat Sat Shit」のパーソナリティであるvideo loverもミサさんも、代田橋にあるバックパックブックスの宮里さんの紹介でタラウマラに来てくれた人たちだ。僕とバックパックブックスの出会いについてはまた改めてきちんと書きたいと思っているのだけれど、このおふたりの存在からしてすでに最高で、バックパックブックスはきっと素敵なお店に違いないと確信している。ミサさんは大阪に向かう飛行機のなかで拙書『ほんまのきもち』を読んで涙を流したと言う。だからということでもないんだけど、数ヶ月前に同じことを言ってくれたドラム奏者Hikari Sakashitaのソロ作品『Sounds In Casual Days 2』をプレゼントした。高い交通費を払って遠方から来てくれる方には、条件反射のように何か贈り物をしたいと思ってしまうのは、僕のなかにアメ玉を配り歩く大阪のおばちゃんイズムが備わっているからでしょう。はい、アメちゃん、どうぞ〜。
Hikari君のドラムが冴え渡るこの曲が今日の「気分」。
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モンゴル遠征2023
1年ぶりの投稿になります、5年の石原です。 夏休みということで田舎のおばあちゃん宅に来ていますがのんびり過ごせると思ったらなんのその、やれ倉庫の解体に墓掃除と体力仕事を任されぐっすりと眠れる日々が続いています。
今回は4年ぶりとなる海外活動について報告します。 お話ししたいことが沢山あって何を書くべきか混乱していますが特に印象に残っていることを厳選します。
今回の目的は海外登山。 モンゴルは東南アジアの国々とは違いヒルがおらず(以前のボルネオ島遠征で寝袋にヒルが侵入し血だらけになったという話を聞いていた)、大抵の山が登れば日本人初登頂という話を聞いて決めました。ありがたいことに小林、近藤、廣瀬、田宮、岡本と5人の後輩たちが志願してくれました。私を含め男子2人女子4人。上智らしい男女比で企画がスタートしました。
9/3 3隊に分かれて成田を出発しました。全員が無事に合流できるのか内心ひやひや。
初飛行機・発海外の田宮。荷物にナイフを隠し持ちしっかりと検査官に見つかっていました。
乗り換えの待ち時間が20時間近くあったため、韓国で出国し明洞の街でサムギョプサルを食べました。お店のお母さん、プルコギって言い張ってたけどあれやっぱり注文ミスだよな、、、
9/4 1時間近く遅延が発生し韓国・仁川空港から飛行機に乗ること約4時間。モンゴルの首都ウランバートルに到着しました。街では排気ガスをまき散らしながら大量の自動車が渋滞が起こしていました。信号も秩序もない道路を慣れた手つきで運転しているのかと思いきや現地人もまあまあな頻度で接触事故を起こしているようでした。
大通りはそれなりに整備されていますが裏道に入った途端未舗装の道路と怪しげな雰囲気が漂います。
今回の活動では日本で予めアポを取っていたモンゴル人ドライバー、セーギーに車を運転してもらい目的地の山を目指しました。英語は全く通じませんがドライブ技術はピカイチで、道路もネットもない地の果てで山��と長年の勘を頼りにおおよその方角を導き出していました。
目指す山は首都から約600㎞離れたIkh Bogd。標高は3957mで山の南側から2600m地点のベースキャンプまで車で向かいます。翌日アタックザックでピストン。山頂はとても広く平らになっていて僅かに残雪があり後半は急峻な岩山のように見えました。
下の写真正面に見えているのがIkh Bogd。もう少し近づくとなかなかにかっこいい山でした。
しかし、思い通りにはいかないのが海外というやつですね。なんとこの山、東西に400㎞以上に渡り裾野が広がっていることが判明しました。(確かに写真にも収まっていない…)北側から南側に抜けるのに2日かかると分かり、当初の予定を変更し北側からアタックするという苦渋の決断に至りました。南側からのアクセスでは頂上まで1300mの高低差でしたが北側からだと2000mを一日でのピストンしなければなりません。北側からの登山を想定していなかったため地図はなく、スマホは圏外。登頂の可否以前に登山自体に不安を���じました。Ikh Bogdを選択した時点である意味敗北だったのではないか…切ない考えがよぎりました。
その後、思いがけず麓の別荘ゲルに遊びに来ていた子供たちと仲良くなり鬼ごっこに熱中したことで悲しい感情は吹っ飛びました。
この後とんでもない裏切りが待っているんですけどね
翌朝4時起床で山頂まで半分弱の所にあるgreen lakeとBlue lakeを目指すことにしました。湖には古代生物のようなビラビラのひれをしたエビみたいなやつが泳いでいたり崖をヤギの群れがめえめえ鳴きながら渡り歩いていて可愛かったです。見慣れない地形や植物が散見され海外登山の醍醐味を味わうことが出来ました。出発前から楽しみにしていたモンゴルハムスターも遠目に見ることができました。
湖から先も時間が許す限り進もうとしましたが、いくら探してもその先の道を見つけることができませんでした。当時は悔しくて南側北側…と夢に出るほどでしたが、今となってはそもそも北側から登頂する人間なんていないのだろうと開き直っています。砂とガレ場の急斜面で人が通った形跡なんてなかったんですもん。
飲めると書いてあった沢 ヤギと共有だったけど気持ちよかったあ
登山の後はメンバーたちがモンゴルでやりたいことを実行しました。
美しい草原
放し飼いされた馬が草をむさぼっていました。近くまで来ても絶対に触らせてくれないんですよねえ…
憧れのゲル
宿泊した時うっすらと雨が降っていましたがしみこむ気配もなく、想像以上に快適で安心感のある居住空間でした。
ゴビ砂漠
夜には延々と続く草原の上に信じられないほど綺麗な星空が広がっていました。言葉にするとありきたりな表現にしかならないことが残念です。
電気が走るシャワー、モンゴルウオッカを飲み干すゆうか、鍵を投げる田宮、、、思い出があふれてきますが長くなってしまうのでこの辺にしておこうと思います。
モンゴル遠征悔しさ半分、達成感半分というところでしょうか。
後輩たちにいつかリベンジしてほしいです。
5人に沢山助けられました。ありがとう。
色々トラブルあったけどモンゴルめちゃくちゃ楽しかったわ!
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