#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う
Explore tagged Tumblr posts
Photo
昨日の投稿に引き続き、フィルムカメラで撮影した写真です。 2018年12月22日 撮影 8522レ D51-200(梅)+35系4000番台5B 津和野〜船平山 #やまぐち号 #SLやまぐち号 #山口線 #JR西日本 #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #富士フィルム #Acros100 #Canon (白井の里防災公園) https://www.instagram.com/p/BysXApBHwis/?igshid=1iw6nhsptn3rn
#やまぐち号#slやまぐち号#山口線#jr西日本#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#富士フィルム#acros100#canon
1 note
·
View note
Text
写真の原点と、原点の写真について——写真展『Robert Frank: Books and Films,1947-2017 in Kobe』によせて(竹永知弘/日本現代文学研究)
After seeing these pictures you end up finally not knowing any more whether a jukebox is sadder than a coffin. That's because he's always taking pictures of jukeboxes and coffins and intermediary mysteries [...] .
"THAT CRAZY FEELING IN AMERICA" Jack Kerouac
1
写真家、ロバート・フランクは無名の大家である。写真に疎遠な者には、その影響を受けた後続たちに比しても残酷なまでに無名だが、ひとたび写真に関わってしまった者には、決定的な原点として避けようもない大家であるという当たり前の意味において。原点について考える。
その写真家は1924年、スイス・チューリヒに生まれる。6歳にして、大戦下ながらグラフィック・デザイナー、ヘルマン・ゲゼッサーのもとで写真に触れはじめ、翌年より、チューリヒにスタジオをかまえていたミヒャエル・ヴォルゲンジンガーに師事することで本格的に写真制作の基礎を形成する。以後、趣味的な撮影を続けていたフランクだが、そのキャリアの決定的な転換点となるのは戦後1947年、蒸気船=ジェムス・ベネット・ムーア号に乗り込み、アメリカへと移住したことだろう。主な活動の舞台をアメリカ・NYへと移したフランクは、地道に写真制作を続ける他方で、アートディレクターとして知られるアレクセイ・ブロドヴィッチの紹介により伝統的なファッション・マガジン『ハーパース・バザー』のカメラマンの仕事をこなし、当面の糊口を凌いでいた。後年になって「彼らの作るものは僕にはわざとらしすぎて、(…)お金は稼げたけれど、それは僕の目指す世界ではなかった」と振り返らずにはいないその修業時代を脱するきっかけとなったのが、彼の言わずと知れた最初の代表作『The Americans』である。
彼についての最新の展示会「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」に行けば、その写真集『The Americans』をはじめ、90歳を超えたいまなお継続的に発表され続けるものなど500点近いフランクの作品を目撃することができる。と言ってまず気づくのは「Books and Films」という副題に顕著なように、本展がスポットライトを当てるのが「書物」と「映画」だという点だろう。すなわち、そこでは単体の瞬間を集積し、組織し、伝達するメディア的な空間が中心的問題となっている。それはもちろん、あとで紹介する本展の一風変わった展示方法やキュレーションのコンセプトと具体的に関与しているはずだ。本稿ではさしあたり、彼の代表的写真集『The Americans』(つまり「書物」のほう)をおもに取り上げつつ、ロバート・フランクという写真家をめぐるいくつかの関心事について書いていく。
2
ビートニクを代表する詩人、ジャック・ケルアックによる序文が添えられた『The Americans』(現在手元にあるシュタイデルから刊行された2008年の決定版は、三色刷りで180ページ)には、1955年から翌年にかけてグッゲンハイム奨学金を運用してアメリカを旅行し、撮影したという83点の写真が収められている。
グッゲンハイム奨学金というと、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、それは毎年、優秀な科学者や芸術家に与えられるスカラシップである。フランクと同年の獲得者リストには当時、西アメリカ原住民やアフリカを被写体にしようとしていた写真家のトッド・ウェッブが名を連ねている。周縁地帯の積極的な撮影を試みたアメリカ人であるという意味でウェッブは、フランクときわめて正対的な写真家だと言えるだろう(フランクは中心を撮影しようとする非アメリカンである)。1937年のエドワード・ウェストンをはじめ、多くの写真家がこの奨学金の恩恵に与ってきたのだが、フランクはアメリカ人以外の写真家でそれを受け取った最初の例だった。
よく言われるように『The Americans』のフランクは、異邦人の視線(≒写真)により大国・アメリカの実相に迫ろうとしている。1946年に撮影された最初の写真集『40 Fotos』(2009)に続いて1949年にすでに撮影されていた第二作『Peru』(2008)の場合がそうであったのと同様、スイス人の彼にとり、ここで撮影の舞台となるアメリカはごく単純な意味において他国/異国である。しかし、その一応の所属先であるスイスもまた、その写真家には、他国/異国として認識されている点に触れておくべきかと思う。戦前のフランクは、法的にはスイス人でありながら、家系的にはドイツ人であり、かつ血統的にユダヤ人であるという帰属のトリレンマに苦しみ続けた。彼は生来のストレンジャーである(その精神のもっとも捻れた、あるいは正統な継承者が1984年『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を撮った映画監督、ジム・ジャームッシュだろう)。フランクは写真家となることで、その自らの宿命をラディカルな方法へと転化することに成功する。『The Americans』とは、フランクが異邦人としてありありと剔出してみせた、あの50年代アメリカという時空間の光と闇(エピグラフ/序文のケルアックに倣えば「jukeboxes」と「coffins」)の集積である。異邦人(あるいは亡霊?)としてアメリカ各地を徘徊するフランクは撮影という行為を通じて、華やかな50年代ハリウッドのムービー・プレミアといった華やかな世界から、デトロイトの工場の下級労働者までを有するその国の懐をわれわれの眼前に剥き出してくれる。
さて、ここで写真集のページをぺらぺらと捲っていくと、その表題の通り、収められた写真の大半がアメリカ人(かは正確にはわからないが、ひとまず、その写真が撮られた瞬間にアメリカという空間に存在した人物)を撮影しているものだとわかる。たとえば、物陰に潜んで体の一部のみを覗かせている人物(「Navy Recruiting Station, Post Office Butte, Montana」)や、鬱蒼とした茂みに潜んでいる人物(「Backyard Venice West, California」)などを含む、このアメリカ人を撮影するという一種のルール。ときには窃視者のやり方で行われる対人撮影というこの事情が、限りなく少ない枚数しかシャッターを切れないという制約をフランクにもたらしている。その写真集の増補版として、シュタイデル社から刊行された『Looking In』(2009)に収められている『The Americans』のコンタクトシートは、そこでのフランクの苦闘を目に見えるかたちで証明してくれるだろう。その制約に漏れる「例外」として収められたアメリカのランドスケープを撮影した写真と見比べるとき、(窃視的なものをのぞく)対人撮影におけるシャッター数にかかる制限は明らかである。一例として、表紙に採用された「Trolley New Orleans」を筆頭とする対人撮影では平均して3〜4コマほどしかシャッターを切っていないのに対し、カリフォルニアの道路脇に停められた車(「Covered Car Long Beach, California」)には少なく見積もって倍以上を撮影しているというような差異に着眼しておこう。対人撮影はフランクの撮影を制限する。さらに推し進めて言うなら、フランクが第一人者とされる方法論、すなわちブレ・ボケ・アレの三拍子もこの対人撮影の制約のうちで考えることができるだろう。それは撮影対象がもたらす不可避的な制限=否定性を事後的にであれ、���回りしてであれ、ブレ・ボケ・アレというフランクの方法=肯定性へと明確に転化するレトリックであるのだから。どちらが先かは判らないにせよ、ふたつは確実に連動している。
この指示機能を「あえて」失調したアクシデンタルな写真によりフランクは、ビル・ブラントやウォーカー・エヴァンスなどの理解者による推輓を得て、業界内での地位を次第に獲得してゆく。フランクは写真を「ありのまま」に提示する。このような評価が確立されるまでに、さして時間はかからなかった。ちなみに言うなら、こうしたフランクの評価の裏面には、大きくふたつの仮想敵が存在している(もちろん、ふたつは密接に互いに関与している)。ひとつ目は『ライフ』などの雑誌(すなわち文字と経済)と癒着したフォト・ジャーナリズム。ふたつ目はアンリ・カルティエ・ブレッソンによって提唱された「決定的瞬間」の概念である。そうした仮想敵との相対性のなかにフランクの写真を置いて見るとき、なるほど、文字によるわざとらしい説明を可能なかぎり排除しているという意味で「ありのまま」であり、ブレッソン的な構図への執着が見えづらいという意味で「ありのまま」である。写真史的には、そう説明できるだろう。
けれども、この「ありのまま」ということの質にも多少の配慮が必要である(文学におけるリアリズムがそうであるように)。第一に、われわれが目にする『The Americans』には「ありのまま」という言葉とは裏腹に、きわめてエディトリアルな操作が介在している点。たとえば、われわれが写真集に見る83点が27,000点もの膨大なネガからフランク自らにより選択されたものだという事実や、版毎のトリミング位置の変更など、フランクは〈撮影者〉であると同時に〈編集者〉として、自らの作品から立ち上がるイメージをきわめて意図的/恣意的に操作している。この点には配慮しておこう。さらに第二に、自覚の有無という程度の差こそあれ、撮影者のいかなる意図にも反し、撮影という行為が原理的に「決定的瞬間」を創出するものであるという点について。なるほど、その写真は実際、奔放に撮られたものなのかもしれない。だが、そうした撮影方法とはまったく別の次元で、カメラによる撮影行為は構図をひとつに固定し、否応なく対象のイメージを切り出してしまうというプロセスであるはずだ。この意味でそれは、やはり「決定的瞬間」と呼ばれるほかないものである。あらゆる写真は事後的に「決定的瞬間」を創り出す。とはいえ、さして心配はいらない。というのも、この写真における「決定的瞬間」という発想が原理的に含み込む欺瞞を解消する技術はすでにその言葉の半世紀以上も前に発明されているからだ。言うまでもなく、リュミエール兄弟による映画の発明がそれである。周知のとおり、フランクは本作が先に見たような評価を得るにしたがって、『Pull My Daisy』(1959)���はじめとする映像作品へと関心を積極的に転じていく。写真から映画へ。それはきっと、「決定的瞬間」を別の「決定的瞬間」によって絶えず素早く、遠く後ろへと繰り返し流し去る、あの映写機という機械に魅せられてのことなのだ。少なくとも、私はそう思う。
3
ここでもうひとり、別の写真家の作品を召喚しておこう。『The Americans』と並べられ多く語られてきた作品としてまっさきに想起されるのは、ウィリアム・クライン『NY』(1956)である。「夜の会」や「記録芸術の会」への参与で知られる写真評論家・重森弘淹による入門書『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)などは、その比較的古い例と言えるだろう。当然だが、同時代に同じ場所が撮影されているという意味では、その対比は少なからず正当なものである。さらにそのふたりがブレ・ボケ・アレという似通った手法を用いているという共通点や、それぞれがタイトルに冠するのが「ニューヨーク」という都市/「アメリカ人」という人間であるという際立った差異を有している点など、比較への興味を掻き立てる要因も少なくない。だが、本展でフランクの写真、とりわけ『The Americans』の写真を見ていて、すぐに思い出されたのはむしろ、地理的にはアメリカから遠く離れた日本という島国で近年刊行された写真集、林忠彦『AMERICA 1955』(2015)であった。そこには、フランクのそれとも、クラインのそれとも決定的に違う、もうひとつのアメリカが写し出されている。これから少しだけ、そのことについて書こうと思う。フランクの写真について考えるための遠回りである。
林忠彦の名は、文学者には銀座・ルパンでいわゆる無頼派の小説家・織田作之助や太宰治のポートレイトを撮影した人物として馴染み深い。その写真家においてひとつのメルクマールとなる写真集『AMERICA 1955』は、フロリダで開催されるミス・ユニバース世界大会に高橋敬偉子が参加する際に、カメラマンとして同行した林が大会終了後にアメリカ各地で撮影した写真から構成されている。訪れた場所はロングビーチ、ウォール街にセントラルパーク、MoMA、メキシコタウン、ディズニーランド、ハワイなど。撮影旅行が敢行されたのは1955年、奇しくもフランクが『The Americans』の撮影を開始したのと同年のことだった。
言うに及ばず、それは単なる偶然である。ただ、両者の作品をいま見比べてみれば、林の写真がフランクのそれと真逆を志向するものである点だけは、はっきり判るだろう。日本とアメリカの間にある数年の写真史的な時間軸のラグを考慮するなら、撮影対象に対して過剰な「演出」を強いる林の手法はむしろ、フランクが反抗した一世代前の写真家のものなのだから、それは当然の事態である。若き日の中平卓馬や森山大��らの写真家が集結した『provoke』や、牛腸茂雄らによる「コンポラ写真」などの後続世代、すなわち現代日本写真へのフランクの影響(もちろん、中平が見せたような反動的転回をも含めて)はすでに屢述されるところだが、同時代に活動していた林がフランクという写真家を知っていたかもよく判らない。フランクの日本への本格的な受容は1972年、邑元社より刊行された1945年から刊行当時までの写真を編年体でまとめるオムニバス形式の写真集『私の手の詩(Lines of My Hand)』(日本版には『死霊』の小説家・埴谷雄高が書いた「ロバート・フランクの写真集に」という手書きの原稿が掲載されている)を待たねばならない。
本題の比較に戻ろう。評論家・川本三郎が林の『AMERICA 1955』に寄せた解説は、その写真家の特徴を端的に捉えている。少し長いが引用しておく。
今回、林忠彦のアメリカ滞在中の写真をまとめて見たが、まず何よりの特色は、明るいことだろう。季節が夏ということもあって陽光はまぶしいし、人々の表情も屈託を感じさせない。カメラを除く林忠彦自身の気持が明るいからに違いない。/「遠いアメリカ」「憧れのアメリカ」に来ている。その高揚した気分がどの写真にもあふれている。はじめて目にする豊かな社会に対する驚きが想像以上に大きかっただろう。確かに表面的な写真ではあるが、あの時代、はじめてアメリカに足を踏み入れた人間として、まさにその表面にこそ魅了されている。ニューヨークの表面というべきショウウィンドウの写真など、「ぴかぴかのアメリカ」に驚嘆している当時の一日本人の初々しさを感じさせる。
敗戦国・日本を代表するカメラマンとして戦勝国・アメリカを訪れた林は、自国にもかつてあり得たかも知れぬ栄光をその国で反実仮想的に目撃し、驚愕する。川本が『AMERICA 1955』に看取するのは、おおよそ、そうした物語である。たしかに林の撮影=演出するアメリカは極端なまでに明るい。(写真集を見るかぎりでは個別の作品にタイトルがないので具体的な例示は難しいが)表紙に用いられているニューヨークで撮影されたブロンドの女性の写真を初めとして『AMERICA 1955』に収められた写真を一瞥するとき、そうした印象はきっと確信に変わるはずである。その写真家が戦後日本を撮影した一連の作品をまとめた代表的な作品集『カストリの時代』(朝日ソノラマ、07・4)の表紙に収められた女性がビルの屋上らしき場所に横たわる無防備な姿態と見比べてみるなら、『AMERICA 1955』の林が「笑顔」に満ちた燦然と耀う「ぴかぴかのアメリカ」のイメージをいかに撮影=演出しようとしているかは、いっそう明らかだろう。いささか不自然なまでに、林の写真集に現れるアメリカの人々の大半は、こちらに向かってにこやかに微笑みかけている。林の執拗な演出の産物として。
けれども、同じ時空間を写し撮るフランク『The Americans』の作品がわれわれに与える印象は『AMERICA 1955』のそれとは決定的に異なる(実を言えば、むしろ対偶の位置にある『カストリの時代』のほうが質的には限りなく近い)。たとえば、表紙に採用されている写真(「Trolley New Orleans」)。どこかフィルムにも似た横並びの路面電車の窓枠からこちらを見ているのは、肌や目の色、年齢や性別は異なれ、総じて「無表情」のアメリカ人たちである。先にアメリカの輝かしい側面を写すものとして触れた「Movie premiere Hollywood」でクローズ・アップされた女優の顔もまた陰影を帯びて無表情である(林が撮影するミス・ユニバース世界大会のモデルたちの表情と見比べてみればいい)。だから、おそらくこう言うことができる。いくつかの例外を除いて『The Americans』は、エディトリアルに笑顔を排している、と。思い出されるのは、フランクが本作の直前に発表した第三作『Black White and Things』のエピグラフにある「顔を曇らせた人々に黒く不吉な出来事、/静かな人々に平穏な場所/そして人々が出くわしたもの/それが、私が写真で見せようとするものだ」(「somber people and black events/quiet people and peaceful places/and the things people have come in contact with/this, I try to show in my photographs」)という宣言である。この「顔を曇らせた」「静かな」人々を撮ってこそ「写真」だというステイトメントには、その写真家の特色が端的に表れている。
といって誤解のないよう言い添えておけば、社会の裏面を撮影することは、作品の良し悪しとは根本的に無関係である。それは、フランクの写真の価値とさほど関係ない。ではフランクの写真の価値とは、何か。考えるヒントになるのは、ここでも林忠彦という対立項である。川本三郎が林の演出する輝かしきアメリカのイメージの裏面に「アメリカのかげりを感じさせる写真」の存在を指摘していたのは示唆的だろう。すなわち、過度に明るいイメージを演出することで、見る者はむしろ、そこから排除された陰翳の存在に思いを及ばせるというような思考のプロセス。川本は林の写真集にこのような可能性を見ていた。
だが、対照的にフランクは、こうした逆説を選ばない。こう言ってよければ(遠近法的倒錯のうちにあっては陳腐に見えるかもしれないが)、フランクの写真は徹底して非意味的である。そして何より重要なのは、それが先に触れたあの「ありのまま」という言葉とは決定的に違う何かだということである。喩えるなら廃墟的な非意味。でもそれは、後年のフランクが写真集『Beirut City Centre』(1992)や『Come Again』(2006)において、内戦により廃墟になったレバノン・ベイルートの街並を撮影したという事実とは何も関係ない。いまここで言おうとしているのは、フランクの写真がもとより、おしなべて廃墟的であったという点である。どういうことか。『明るい部屋』(1980)のバルトが「写真」の本質的な要素に〈それは=かつて=あったça-a-été〉という指示的意味を持つことを挙げていたのを思い出そう。いまバルトの顰みに倣うなら、写真とは「過去の存在の証明」であると同時に「現在における不在の証明」であるというような二重の証明の機能を有するテクノロジーである。そして、それはさながら廃墟が、ある建造物について「過去の存在の証明」と「現在における不在の証明」の機能を同時に果たしてしまうというのとほぼ同様の構図である。素朴なまでに、写真と廃墟��似ている。この抽象された次元において、写真と廃墟を弁別する術はない。けだし、フランクはこの写真の廃墟的な二重性=非意味性を問題にした、ほとんど最初の写真家の例である。そしてもちろん、それは彼が初めて「写真」を撮った人物であるということに等しい。フランクの写真史的な価値はおそらく、ここにある。そして同時に、その写真を見ることは、われわれが「写真」それ自体と自覚的に遭遇する原初の経験であっただろう。だから、現代写真の歴史はこの写真家からはじまっている。
4
写真家、ロバート・フランクのヴィンテージ・プリントが一般に公開されるチャンスは、そのニーズに反して、さまざまな理由からきわめて少ない。そこで立ち上がったのが、写真同人誌『provoke』の復刊などで知られるドイツの出版社・Steidl社であったという。その経営者、ゲルハルト・シュタイデルとフランクが協議して編み出したのは、いわばモダン・プリントの変種として(?)、廉価な新聞用紙にその写真をハイクオリティで印刷するという、いささかアクロバティックな方策だ。これにより展示費用の低コスト化がもたらされ、本展はドイツ・アメリカをはじめ、カナダやトルコ、そして日本を含む世界50都市以上を巡回するという大規模な展開が可能になったのである(もちろん、作品自体の魅力と相俟っての結果であるのは言うまでもない)。こうして世界中で開催される運びとなった本展に共通するひとつの特徴は、印刷された写真を展示後に処分するという制約を設けている点である。それゆえ、撮影可の展示場で撮影され、Web上にアップされつつある大量の断片的な画像をのぞいて、本展のあとには何も残らない(むしろ、それを防ぐために自らが撮影者となり、部分的なものであれ本展の模様をアップすることが求められる)。本展のために印刷された写真は処分されることを運命づけられている。会期の終了は、先に見たバルトの言葉〈それは=かつて=あった〉は入れ子構造を無慈悲に二度書きしてしまう。写真はかつてあった、すなわち〈〈それは=かつて=あった〉は=かつて=あった〉という二重の存在否定として。言葉遊びのようだけれども本当にそうなのだ。この意味で、本展を見る者がやがて、真に考えるべきは記録=機械のことよりも、きっと記憶=人間をめぐる問題なのだと思う。本展は記憶されるために開催されている。それがわれわれが会場に足を運ぶべき、最も単純な理由である。
ここで書いた内容に取り立てて新しいことは何もない。写真展「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」のいちばんの効用はきわめて当たり前のことを当たり前に、考えなおす最良の機会を与えてくれることである。現代写真の原点としてのロバート・フランク。ひとはときどき、原点に帰らなければならない。
《参考文献》
重森弘淹『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)
京都造形大学・編『現代写真のリアリティ』(角川書店、03・6)
日高優『現代アメリカ写真を読む』(青弓社、09・6)
イアン・ジェフリー『写真の読み方』(創元社、11・12
| Writer's Profile |
竹永知弘
1991年生まれ。神戸大学人文学研究科博士後期課程在学中。専門は日本現代文学。研究対象は「内向の世代」(古井由吉・後藤明生など)。Twitter:@tatatakenaga
0 notes
Photo
富士フィルム様様から生産中止となった黒白フィルム Acros100の後継としてAcros100Ⅱが発売されることが決まりましたね。これでフィルムの在庫を気にしないで撮れます。昭和っぽく撮れる感じがフィルムカメラの魅力ですね。 2019年3月10日 撮影のSL北びわこ号 #SL北びわこ号 #北びわこ号 #北陸本線 #長浜市 #滋賀県 #米原市 #JR西日本 #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #富士フィルム (Nagahama, Shiga) https://www.instagram.com/p/BypofpyHhXf/?igshid=op5thc93w6wm
#sl北びわこ号#北びわこ号#北陸本線#長浜市#滋賀県#米原市#jr西日本#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#富士フィルム
1 note
·
View note
Photo
先日の山口遠征の時に撮ったフィルムが現像より戻ってきました。デジタルの写真もいいけど、蒸気機関車にはモノクロフィルムで撮るよさがありますね。 2018年11月25日 撮影 仁保駅〜篠目駅 8521レ D51-200(梅)+35系4000番台 #D51 #D51形200号機 #D51200 #SLやまぐち号 #やまぐち号 #フィルムカメラ #アナログ #モノクロフィルム #モノクロ #二反田S #8521レ #山口線 #JR西日本 #蒸気機関車 #蒸気機関車には煙が必要 #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #鉄道写真 #鉄道写真が好きな人と繋がりたい (Yamaguchi, Yamaguchi) https://www.instagram.com/p/BrDHDQWHOxu/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1xmyo3jhxx5od
#d51#d51形200号機#d51200#slやまぐち号#やまぐち号#フィルムカメラ#アナログ#モノクロフィルム#モノクロ#二反田s#8521レ#山口線#jr西日本#蒸気機関車#蒸気機関車には煙が必要#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#鉄道写真#鉄道写真が好きな人と繋がりたい
1 note
·
View note
Photo
ドレインからの蒸気でヘッドマークが隠れるところを狙い撃ちした1枚です。黒白フィルムで撮影するとまるで現役時代みたいに見せられますね。 2019年2月25日撮影 Canon EOS1vHS Canon EF70-200mm F2.8L IS II USM FujiFilm Neopan 100 Acros #C56 #C56160 #C56形160号機 #ポニー #1C #モーガル #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #Canon #FujiFilm #タム鉄フォトコン (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/p/BzasojQH0rE/?igshid=1h1238umhb03d
#c56#c56160#c56形160号機#ポニー#1c#モーガル#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#canon#fujifilm#タム鉄フォトコン
0 notes
Photo
ヘッドマークなしの蒸気機関車は最高にいいですね。現役時代に縁がなかっただけに憧れるのかな。 京都鉄道博物館LINEともだち感謝デーでのC62形2号機です。 2019年3月16日撮影 Canon EOS1vHS Canon EF24-105mm F4L IS II USM FujiFilm NEOPAN 100 ACROS #C62 #C622 #C62形2号機 #スワローエンジェル #Swallowangel #元小樽築港機関区 #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #ファインダー越しの私の世界 #ファインダーは私のキャンパス (京都鉄道博物館) https://www.instagram.com/p/BzIURWEn1Lf/?igshid=quqarherybj6
#c62#c622#c62形2号機#スワローエンジェル#swallowangel#元小樽築港機関区#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#ファインダー越しの私の世界#ファインダーは私のキャンパス
0 notes
Photo
過去に撮影したモノクロフィルム写真より 津和野城跡より俯瞰した8522レ SLやまぐち号上りです。津和野城跡はリフトで上がれるので比較的気軽に俯瞰撮影ができますね。 2018年11月24日撮影 #やまぐち号 #SLやまぐち号 #山口線 #JR西日本 #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #津和野 #津和野城跡 #俯瞰撮影 #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車には雪が似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車写真 #蒸気機関車 #ファインダー越しの私の世界 #ファインダーは私のキャンパス (津和野城跡) https://www.instagram.com/makkii3497/p/BvoqKh_H5R8/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1kup1hair1vdx
#やまぐち号#slやまぐち号#山口線#jr西日本#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#津和野#津和野城跡#俯瞰撮影#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車には��が似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#鉄道写真#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車写真#蒸気機関車#ファインダー越しの私の世界#ファインダーは私のキャンパス
0 notes
Photo
今日行われたD51形200号機の山口線試運転で不具合が出てしまったみたいですね。明後日までに修理が終わるといいのですが 過去写真より2019年3月10日のSL北びわこ号の返却回送です。膳所駅には30分ほど停車するので、撮影タイムになりますね。 Canon EOS1vHS CanonEF 70-200mm F2.8 IS II USM #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車には雪が似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #SL北びわこ号 #北びわこ号 #北陸本線 #大津市 #滋賀県 #JR西日本 #膳所駅 #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車写真 #蒸気機関車 (膳所駅 3-4番線ホーム) https://www.instagram.com/makkii3497/p/BvRfQWwnIto/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1i3gjqnelj4ik
#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車には雪が似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#sl北びわこ号#北びわこ号#北陸本線#大津市#滋賀県#jr西日本#膳所駅#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#鉄道写真#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車写真#蒸気機関車
0 notes
Photo
D51形200号機のSL北びわこ号の一番列車、当日は雨が降り出しそうな曇り空だったので、モノクロフィルムカメラでも撮影しました。 Canon EOS 1vHS EF24-105mm F4L IS II USM #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #SL北びわこ号 #北びわこ号 #北陸本線 #長浜市 #滋賀県 #米原市 #JR西日本 #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車には雪が似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #Canon #my_eos_photo (Nagahama, Shiga) https://www.instagram.com/makkii3497/p/BvO2aEQHpgH/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1drovlty35uoi
#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#sl北びわこ号#北びわこ号#北陸本線#長浜市#滋賀県#米原市#jr西日本#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車には雪が似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#canon#my_eos_photo
0 notes
Photo
2018年11月24日撮影 大引越トンネルを抜けて田代トンネルまで全力疾走のD51形200号機牽引のSLやまぐち号です。平成30年に撮影したのですが、フィルムカメラで撮影すると昭和の感じが出ますね。 Canon EOS 1vHS Canon EF100-400mm F4.5-5.6L IS II USM #D51 #D51200 #D51形200号機 #やまぐち号 #SLやまぐち号 #フィルムカメラ #フィルム写真 #モノクロ写真 #モノクロ写真が好き #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車 #山口線 #田代峠 #JR西日本 #鉄道写真 #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #my_eos_photo (Yamaguchi, Yamaguchi) https://www.instagram.com/p/BrfasY2H2uB/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1v8p1wc3kp9oa
#d51#d51200#d51形200号機#やまぐち号#slやまぐち号#フィルムカメラ#フィルム写真#モノクロ写真#モノクロ写真が好き#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車#山口線#田代峠#jr西日本#鉄道写真#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#my_eos_photo
0 notes
Photo
黒白フィルムを用いて撮影するとかつての機関区かと思える写真が撮れますね。 2019年6月20日のC56形160号機です。 Canon EOS1vHS Canon EF70-200mm F2.8L IS II USM FujiFilm Neopan 100 Acros #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #C56 #C56160 #C56形160号機 #ポニー #1C #モーガル #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車写真 #蒸気機関車 #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う (梅小路蒸気機関車館) https://www.instagram.com/p/BzicOs1nwEy/?igshid=1havzyxxo3iq1
#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#c56#c56160#c56形160号機#ポニー#1c#モーガル#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#鉄道写真#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車写真#蒸気機関車#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う
1 note
·
View note
Photo
ごくごく稀に釜に火が入るB20形10号機です。 戦時設計の入替専用として鹿児島機関区などで使用されていました。 2018年10月18日撮影 Canon EOS1vHS Canon EF 24-105mm F4L IS II USM FujiFilm Neopan 100 Acros #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車写真 #蒸気機関車 #B20 #b20形10号機 #B2010 #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/p/Bzf0f_GnP4K/?igshid=1chttw0ys5iva
#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#鉄道写真#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車写真#蒸気機関車#b20#b20形10号機#b2010#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う
1 note
·
View note
Photo
雪の梅小路で並ぶ北のハドソンと南のハドソン 2019年1月26日 撮影 Canon EOS1vHS Canon EF 24-105mm F4L IS II USM #C62 #C622 #C62形2号機 #スワローエンジェル #Swallowangel #元小樽築港機関区 #C61 #C612 #C61形2号機 #2C2 #ハドソン機 #元宮崎機関区 #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車には雪が似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/p/BySUiCyHZF5/?igshid=13uznxwk5wcm0
#c62#c622#c62形2号機#スワローエンジェル#swallowangel#元小樽築港機関区#c61#c612#c61形2号機#2c2#ハドソン機#元宮崎機関区#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車には雪が似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う
1 note
·
View note
Photo
2019年5月16日に行われたC62形2号機の梅小路構内での試運転の時の写真です。モノクロフィルムカメラで撮影すると昔っぽい雰囲気が出るのでいいですね。 Canon EOS1vHS Canon EF 70-200mm F2.8L IS II USM #C62 #C622 #C62形2号機 #スワローエンジェル #Swallowangel #元小樽築港機関区 #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #鉄道写真が好きな人と繋がりたい #鉄道写真 #蒸気機関車が好きな人と繋がりたい #蒸気機関車写真 #蒸気機関車 #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/p/ByJk6EOHzkN/?igshid=13rundba5gple
#c62#c622#c62形2号機#スワローエンジェル#swallowangel#元小樽築港機関区#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#鉄道写真が好きな人と繋がりたい#鉄道写真#蒸気機関車が好きな人と繋がりたい#蒸気機関車写真#蒸気機関車#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う
1 note
·
View note
Photo
D51形200号機の火入れの日、吹かしを終えてから煙室扉を開けて煙室内をチャック中です。 モノクロフィルムカメラで撮影すると現役当時っぽくなりますね。 2019年2月25日撮影 Canon EOS 1vHS Canon EF24-105mm F4L IS II USM FUJIFILM ACROS100 #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車には雪が似合う #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う #my_eos_photo (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/makkii3497/p/BwcAyk2nXJ5/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=17yxmdf8bl006
#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車には雪が似合う#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う#my_eos_photo
1 note
·
View note
Photo
D51形200号機の火入れの日。 こういう写真はモノクロフィルム写真があいますね。 2019年2月25日 撮影 Canon EOS1vHS Canon EF 24-105mm F4L IS II USM #梅小路 #梅小路運転区 #梅小路機関区 #梅小路扇形庫 #梅小路蒸気機関車館 #京都鉄道博物館 #JR西日本 #kyotorailwaymuseum #Kyoto #kyotoJapan #D51 #D51200 #D51形200号機 #デゴイチ #デコイチ #1D1 #ミカド #モノクロ写真 #フィルム写真 #フィルムカメラ #蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う #蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う (Kyoto Railway Museum) https://www.instagram.com/p/BzYIZHxn5Qa/?igshid=1lae9frfcibtu
#梅小路#梅小路運転区#梅小路機関区#梅小路扇形庫#梅小路蒸気機関車館#京都鉄道博物館#jr西日本#kyotorailwaymuseum#kyoto#kyotojapan#d51#d51200#d51形200号機#デゴイチ#デコイチ#1d1#ミカド#モノクロ写真#フィルム写真#フィルムカメラ#蒸気機関車にはフィルム写真がよく似合う#蒸気機関車にはモノクロームが良く似合う
0 notes